自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」

ようこそいらっしゃいました。監督(管理人)の宏鈴法師です。当掲示板は全国どこの話題でもOKですのでどうぞ野球談義・よもやま話をお楽しみ下さい!なお、ご意見ご要望はメールでお願いします。悪しからずご了承くださいませ。


紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
💢広陵野球部暴力事件の真相 「じゃあ何て言うんじゃ」中井哲之監督の陰湿な“隠蔽強要”を暴く
https://news.yahoo.co.jp/articles/08b4b00da04fad66215b68ee519e3c742225b065

〈A君は複数の先輩部員から殴る蹴るの暴行を受けた。1月22日には2年生の先輩部員から呼び出されて、こんな言葉を投げかけられている。

「本当に反省しているのか? 反省しているなら便器舐めろ。◯◯(部員名)のちんこ舐めろ」

さらに正座を強要されたA君は腹部を殴られる。腕でかばおうとすると、先輩に「正座の時の手はどこにするんや? 後ろやろ?」と言われ、少なくとも4名の先輩から腹を殴られ続けた〉

春夏合わせて甲子園出場53回を誇る広島の強豪・広陵高校野球部で、今年1月に当時1年生だったA君は、複数の先輩部員から暴行を受けた。原因は、寮で禁止されているカップラーメンをA君が食べたからだった。A君の父親から相談を受けていたノンフィクションライターの柳川悠二氏は、「 文藝春秋 」10月号(9月10日発売)に 寄稿したレポート で、暴力事件の一部始終を上記のとおり詳述している。さらに、A君に対する中井哲之監督(当時)の指導者としてあるまじき言動についても詳らかにしている。

大会史上初の不祥事による出場途中での辞退
 
この暴力事件によって広陵高校は、出場していた第107回全国高校野球選手権大会を2回戦を前にして出場辞退を決めた。不祥事によって出場途中で辞退するのは大会史上初だ。そして、中井監督と、その長男である野球部部長の中井惇一氏が更迭された。
中井監督は同高校の理事にして副校長。そして、甲子園では春優勝2回、夏準優勝2回の実績がある。さらに、これまで約30人のプロ野球選手を育て、“名将”とも呼ばれる存在だったが、A君への暴行事件の対応では、にわかには信じがたい“ウラの顔”を露わにしていた。

実家に避難するも連れ戻され…浴びせられた高圧的な言葉
 
集団での暴力に耐えられなかったA君は寮を脱走し、両親のいる実家に避難した。連れ戻しに来た部長の惇一氏から再発防止策を取ると説得され、寮に戻ることにしたのだが――。

〈中井監督から高圧的な言葉を浴びせられたというのだ。

 監督 「高野連に報告した方がいいと思うか?」

 A君 「はい」

 監督 「2年生の対外試合がなくなってもいいんか?」

 A君 「ダメだと思います」

 監督 「じゃあどうするんや」

 A君 「出さない方がいいと思います」

 監督 「他人事みたいに……じゃあ何て言うんじゃ。『出されては困ります』やろ」

 A君 「はい」〉

この中井監督とA君のやりとりについて、広陵高校は「このとおりのやりとりがあったとは判断しておりません」と回答するが、この会話は惇一部長がA君の両親に渡した回答書に記されている。中井監督の非情な対応はこれだけに留まらない。A君が寮に戻った1月27日、中井監督から最もショッキングな言葉を投げかけられたというのだ――。

その詳細は柳川氏のレポート「 広陵高校野球部『堕ちた監督』 」で詳述されている(9月10日発売の『文藝春秋』10月号、および9月9日先行公開の「 文藝春秋PLUS 」に掲載)。同レポートでは、他の元部員も暴力事件を告発している。そしてA君と同様に、中井監督は暴力事件の隠蔽を強要するかのような発言をしていたのだ。

📝甲子園で判定ミス謝罪、審判が講演「人としてどうするべきか考えた」
https://news.yahoo.co.jp/articles/c0e0b15d4753baa752c1900de0cb2cbee97d78ea

日本高野連で審判規則委員長を務める尾崎泰輔さん(59)が5日、佐賀市内で「問い直される高校野球の存在意義」と題して講演した。

佐賀県高校野球連盟が開いた「指導者・審判委員合同研修会」の一環で、県内の監督や審判委員ら約90人が聴講した。
30年以上のアマチュア審判の経験がある尾崎さん。自身の経験を語る中で、2022年春の選抜高校野球大会の試合中、場内マイクで謝罪した出来事について触れた。
問題の場面は無死一塁、打者が送りバントをした時に起きた。ファウルゾーンに出るか出ないかの微妙な打球が、不規則なバウンドの末にフェア側で止まった。

球審だった尾崎さんは「フェア」と判定。ボールは一塁へ送球され打者はアウト。一塁走者も一、二塁間に挟まれアウトになった。しかし、一塁走者が「二塁塁審がファウルのジェスチャーをしていた」と訴え、審判団が協議。二塁塁審が誤ったジェスチャーで走者を止めたことが確認できたという。

尾崎さんは判定ミスと認め、場内マイクで「私たちの間違いでした。止めた走者への守備行為はなかったので二塁へ進めて、1死二塁で再開します。大変申し訳ありません」と判定の変更を説明し、謝罪した。

異例のアナウンスはSNSなどで称賛された一方で、関係者からは「規則に基づいて戻したなら、それでいいはず。なぜ謝った」や「走者は二塁に進めず、一塁でよかった」などの非難もあったという。

尾崎さんは当時を振り返り、「自分はたたかれてもいいが、あの場面で高校生に対して、人としてどうするべきかを考えた」と話した。
続けて、指導者には野球を教えるだけではなく、学生が高校野球から何を学ぶかまで意識して指導してもらえればと訴えた。

最後に、運営する連盟とチーム、審判が互いを尊敬して三位一体となり、少子化や酷暑など激変する環境に的確に対応してもらいたいと結んだ。

📝「ちゃんと答えろよ! 箕島高校やぞ」“甲子園から消えた”名門公立校、現野球部員がポツリ「甲子園は遠い夢です…」「ウチは今、和歌山で“中の下”レベル」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e3c183d92b135f98fd9417e0ea1b7759008de231?page=3

「甲子園は、遠い夢だな…」

「ちゃんと答えろよ! 箕島高校やぞ」

野球部監督の北畑清誠に活を入れられて、3年生で主将の野村常登が「はい!」と返事をする。やや小柄で、優しそうな顔をしていた。夏の大会前に東京からやってきた取材者を不審がるでも迷惑がるでもなく、“ちゃんと”質問に答えてくれた。

 当然ながら、現役の高校生に箕島が甲子園春夏連覇を果たした1979年の記憶はない。ただ、言葉の端々から名門の歴史を継承しなければならない、という意志は感じられた。

「最初に『箕島やぞ』って言われたときはピンとこなかったんですけど、やっていくうちに強かったんだって意識は持つようになりました。勝たなきゃいけないプレッシャーもあります。でも、現実は秋、春と初戦で負けてしまって……。強かった箕島とは違って、目の前の1試合を勝つだけで必死です」

どれだけ低迷していても、高校球児であるかぎり甲子園を夢見る自由は許されている。残酷かもしれないと思いながら「甲子園に行けると思ったことは?」と問いかけると、野村はどこか寂しそうに答えた。

「思ったことはあるんですけど、現実は甘くなかったです。まだ遠い夢だなと感じます」

監督の北畑によると、かつての野球部のような厳格な上下関係はなく、上級生と下級生の仲も良好だという。困り顔で「後輩にイジられることもありますね。楽しくやってます」と話す野村の雰囲気を見て、それは本当だろうなと直観した。北畑は「3年生が頼りないんですよ」と苦笑していたが、穏やかでいいキャプテンだと素直に思えた。

「監督、いっつも怒ってるんですよ」
 
続けざまに、2年生の西川篤人にも話を聞いた。凛々しい眉が印象的な細身のキャッチャーだ。父は箕島高校OB。「俺らで箕島を強くしようや」という思いが合致した和歌山有田ボーイズの同級生6人と一緒に入学した。

「お父さんがいたから、っていうのもちょっとあると思います。それに単純に野球に打ち込めるとも思ったんで。難しいのはわかってますけど、中学のときはあんまり勝てなかったから、高校でやり返したろうって」

監督の厳しさについて質問したところ、笑みを浮かべながらこう語った。

「監督、いっつもだいたい怒ってるんですよ。でも、たまに笑顔を見せるんです。あの人、笑うんや……って。でも厳しくてよかったと思いますね。厳しいほうがやりがいも感じるので、僕には合っていたと思います」

伝統のラントレをはじめ、練習は想像以上にハードだった。名門復活の道は険しく、勝てない悔しさを何度も味わった。それでも西川は、こちらの目を見つめて「中学のときよりも楽しいです。箕島に入ってよかった」と言い切った。初対面の大人に、どこまで本音を明かしているのかはわからない。ごく個人的には、厳しさを是とする指導に疑問を抱かないわけではない。どんな集団であっても、厳しさが閾値を超えたとき、暴力や暴言が正当化される可能性があるからだ。だが、当事者の「楽しい」という言葉に、無粋な疑いを差し挟む余地はないのだろう。

「報徳ではなく…あえて箕島を選んだ」
 
さらに西川とバッテリーを組む2年生エースの澤甚太郎も取材に応じてくれた。西川と同じ思いを抱いて和歌山有田ボーイズから箕島の野球部に進んだ6人のうちのひとりだ。父と3歳上の兄は箕島の野球部OB。そして2歳上の兄・剣太郎は耐久のショートとして2024年のセンバツに出場した。名将・尾藤公の薫陶を受けた父は、息子にこう言った。

「俺が箕島やからって、箕島に行ってほしいとかはない。行きたいところに行ったらいい」

兵庫県の報徳学園高校も選択肢に入っていた澤だが、ボーイズの仲間たちの存在もあって箕島への進学を決めた。

「私学で当たり前に甲子園に行くより、みんなで力を合わせて強いところを倒して甲子園に行くほうが、高校野球、面白いんじゃないかって。それが一番ですね」

入学後、特に強烈だった記憶は冬練習での徹底した走り込みだという。澤は「ほんま、死にそうやったですね」と笑う。身長168cmと大柄ではない澤だが、打線では中軸を担い、最高球速は135km。猛練習の甲斐あって入学時から7kmアップした。現在は145km到達を目標に掲げている。父や兄も背負った名門・箕島の看板は、澤にとってどんな意味を持つのだろうか。

「この前、岐阜に遠征したときに、遠征先の学校の保護者の方に『ユニフォーム、すごいかっこええなあ』って言ってもらったんですよ。県外に出ても知られてる。周りから見たらそうなんや、って。このユニフォームをもう1回甲子園に持っていって、全国の人に見てもらいたいなって思います。お父さんも尾藤監督にお世話になったので」

「和歌山で“中の下”くらい」
 
甲子園出場を目標に掲げる彼らにとって、高い壁となるのが智弁和歌山だ。2025年の春季大会では初戦で対戦し、0対6の完封負けを喫した。だが、「5回コールドで終わることも覚悟していた」という監督の北畑にとっては手応えを感じる善戦だった。部員たちも「あの試合は楽しかったです」と口を揃える。澤は智弁和歌山についてこう話した。

「いまは智弁の時代になってるかもしれませんけど、名前負けしてたら話にならないんで。同じ高校生ですし、100%負けるってことはない。ひとりでも『勝てんやろ』って思ってたら絶対勝てないんで。春の大会は、全員が勝とうと思って臨んだ試合だと思います。そういう試合、もっとやりたいですね」

話を聞いた部員たちは、和歌山県内での箕島野球部の立ち位置について「中の下くらい」あるいは「真ん中より下」と分析した。一方で、北畑は「夏の県大会に出場する35チーム中、上位10チームには入っていると思う」と話していた。戦力の認識にはややギャップがあるものの、部として掲げた夏の県大会の目標はベスト4。それだけの“しんどい練習”を課している自負が北畑にはある。

「いまの高校野球は私学が主流。もちろんそれはわかってます。全国から能力のええ子を集めてね。ただ、それでも何があるかわからないのが高校野球だと思うんですよ。大学まで行ったら正直、能力の差はある。でも高校レベルなら、根性ヒット、高校野球ヒットみたいなのが生まれるじゃないですか。いまの子はワンチャン言いますけど、努力すればワンチャンあると思ってほしい。500回振る子と1000回振る子なら、1000回振るほうが勝ってほしいんですよ」

「コンプレックスを持つ子たち」
 
人手の少ない箕島でコーチの役割も担う野球部部長の中尾慎太郎は、「練習の濃さは和歌山ナンバーワンじゃないですか。どこにも負けないと思います」と胸を張った。

「たしかに入ってくる子は少ないですけど、『きついからやめる』って子はいないですね。それくらい情熱がある子が集まってる。監督にも愛情がある。たぶん、何かひとつコンプレックスを持って箕島に来た子も多いと思うんですよ。勉強できないとか、野球でもエリートじゃないとか。そのぶん本当にみんな一生懸命なんです。高校野球の魅力って、結局そこじゃないですか。だから、どの子もかわいいですよね」

取材を行った監督室には「KIYOSEI」の文字があしらわれたスリッパがあった。「誕生日が七夕でして。部員がくれたんですよ」。自他ともに認める“昭和型の厳しい指導者”である北畑は、ことのほかうれしそうに笑った。

「背番号は7月7日に渡すんです。僕の誕生日。1年で一番いい日や、言うて」

かつて甲子園を席巻した野球名門校・箕島のいまを、苦境という言葉で表現することは容易い。あえて刺激的な言い回しを用いるなら、「野球部存続の危機に瀕している」ということになるのかもしれない。だが、そういった見立てとはまるで無関係のところに、逆境のなかで野球を楽しもうとする部員たちの実際がたしかに存在していた。多くの強豪校のように厳しい上下関係に縛られ、ごく一部の選手しか試合に出場できない野球部と、決して強豪ではないもののほぼ全員がベンチに入り、プレーのチャンスを持つことができる野球部。本人たちにとってどちらが幸福と言えるのだろうか。2年生エースの澤は「強い学校で当たり前に甲子園に行くのは、なんか違うと思って」と話した。その「なんか違う」は、突き詰めて考えれば、高校野球という文化そのものに投げかけられた違和感でもあった。

「いまの高校野球、面白いですか?」
 
箕島について書くうえで、もうひとり、絶対に話を聞かなければならない人物がいた。北畑の前任者にあたり、名将・尾藤公の息子でもある尾藤強前監督だ。2013年から19年まで箕島の監督を務め、就任1年目の夏に甲子園出場を果たしている。野球部を取材した翌日、箕島駅で尾藤と待ち合わせた。にこやかに挨拶を交わしたあと、尾藤の運転する車に招かれ、そのなかで取材の趣旨を簡単に説明する。甲子園が一大コンテンツとなったいま、顧みられなくなった名門校の現状を伝えたい――ハンドルを握りながら、うん、うん、と頷いた尾藤は、いきなり核心を突くような問いを口にした。

「いまの高校野球、面白いですか?」

               <続く>

⚾岩手さんへ
箕島は田舎のチームなんで・・・JRきのくに線は1時間に2本しか電車来ないし、寮もない公立だと少子化も絡んでしんどいでしょうね・・・。逆に南部龍神や日高中津といった分校は寮を作って野球部強化を図っているだろうから、全校生の大多数が野球部員なんでしょうね!
逆に和智弁の場合は一般生徒(小中高生)が阪和線乗ってわざわざ大阪から越境入学しておるので!!堺から和歌山に南下している電車に乗っていると、和智弁生が電車に乗り込んできますね。

水産系といえば・・・沖縄水産しか思い浮かばないですが、あそこもずいぶん苦労しているような記事を見ました。鳥取から帰ってきてから当掲示板で紹介したと。
気仙沼水産は全く知りませんでした。

最後に、盛岡大付は最近見てないですね・・・。山田くんがいた近江にエース温存で負けて以来ゴブサタのはず。今の監督になって甲子園初戦無敗が続いているかと思いますが、澤田監督がいた頃の盛岡大付は甲子園7戦全敗だったか???僕のダイスキなチームでしたね。花巻東の狡猾な野球よりも脳筋野球の方が見ていて楽しいですね。

柳葉クンが来夏の甲子園に出場することがあれば、熱闘甲子園のクルーが張り付いておるんでしょうね!!
2025/09/09(火) 22時06分03秒 No.2005 編集 削除
 和歌山県立校の募集生徒集めに苦労していることが分かりました。
 特に箕島が生徒集めに苦労しているとは思わなかったな!
 そこそこ生徒は集まるが野球の上手い子が智弁和歌山などの県内の強豪校に取られて弱くなっているのかと思っていました。
 40年以上前の事ですもんね。春夏連覇し、星稜ー箕島戦の延長18回
試合開始16:06?ー19:56試合終了の3時間50分の熱戦も全く知らないのか。地元の人もね!

私の地域が高校の学科統合・募集停止の対象になり、母校の4学科の一つと隣の高校の水産系の学科が、以前は県内に久慈・宮古・広田の3校に水産高校がありましたが、久慈・広田は近隣の学校に再編統合し宮古水産だけ学校が残り、今回母校の学科の一つと隣の水産系の学科も宮古水産に再編統合する計画が発表されました。
 母校の学科はこの地域唯一の学科でホテル・旅館・レストランなどの飲食店の就職先に有利などあり、定員割れはしているが数人程度ゆえに一律に再編計画には反対ですね。
 宮古水産にこちらからは通学は出来ないので、寮を作る計画らしいと。
 水産系の高校は気仙沼にありますが、宮城県内で学区の問題があると思うけど通学はできるね。
 ちなみに宮古水産は、水産高校で最初に甲子園出場した学校です。
 気仙沼水産(現・気仙沼向洋)は宮城大会決勝進出したことあるし、以前はベスト8レベルの実力を維持しているチームでしたが、近年は連合チーム参加が多くなっているように思う。

最後は岩手県情報です。
盛大附の新キャプテンが、ある有名人の息子になったと!
親のことは関係ないようです。
親は盛大附に進むことに大反対だったらしいと。
2025/09/09(火) 21時55分54秒 No.2004 編集 削除
8/9 3日目第3試合 菰野(三重)-南陽工(山口) 17:00~18:55 18:14点灯 7回表から

第2話 悲願の甲子園初戦突破4度目の挑戦・・・しかし戸田監督は謹慎中、、、

          一二三四五六七八九十計HE
      菰  野101102001 6140 栄田-栗本
      南 陽 工000000110 292 阿部-伊藤

 
            第一試合  第二試合  
            新産大付2 西短大付6
            花咲徳栄1 金 足 農4

浜田麻里 🎵Precious Summer https://www.youtube.com/watch?v=Cz5GVhsYlwY

 あの長すぎる初日から中1日・・・。大会3日目の第3試合は菰野ー南陽工となった。大会前から2日目・3日目どちらか1つは17時開始の第3試合を外野で観戦すると決めていたので、、、願わくば山口大会決勝で逆転負けした下関国際が出ていれば歓喜だったが!
菰野は春の東海大会・カヤバと長良川で2試合観戦し、レギュラー全員2年生ながら連勝して東海大会準優勝。数年前の県大会・四日市で投手6人をプロ野球オールスターのような継投で6-2だったか?勝利したものの試合後バッテリーをどやしつけ、まだ物足りないのか?通りかかったボールボーイにまで噛みついていた・・・・・。

しかしながら、、、6月に戸田監督のスパルタ指導が体罰と認定され、まさかの半年間謹慎処分を受けてしまい、森田部長が急遽監督代行となりどこかで埋もれるかと思いきや、、、、、逆にノビノビやれる環境が整ったのか???戸田監督不在ながら2年生の力だけで厳しい夏の三重県大会を制して3度目の夏の甲子園出場を決めた。これまで春1回・夏2回甲子園に出てプロで活躍する好投手を擁しながらも0勝3敗・・・。相手の南陽工もレギュラー6人が2年生で山崎監督はいつしかノーサイン野球を標榜するようになり相手にとって不足はない。

前日の大会2日目は19時05分終了だったので、願わくばそれを超えたかったが・・・。先発はお互い2年生エースだが菰野の栄田はサウスポーで南陽工の阿部は右投手だった。
たっぷりと水がまかれ日中の厳しい灼熱の太陽光線にも翳りが出てきた。かつて神戸や大阪の職場に勤めていた頃には外野無料だったので17時の定時退社後に一目散に阪神電車に乗り込んでレフトスタンドで夕涼みしていた頃を思い出す!

さて試合は戸田監督が先攻派だっただけにこの日もやはり・・・。1回表菰野は先頭打者がいきなり三振を奪われたが、2番・菊池ストレートの四球。3番・加瀬は1-1からライト前ヒットを放ち1死1・3塁。4番・野田の打席で森田監督の采配は???戸田監督だったらどう攻めるだろうか?と考える間もなく、初球まさかのピッチャーゴロ・・・・・。
誰もが1-6-3ダブルプレーと思ったが、ショート丸山がまさかの1塁悪送球で命拾いしてタナボタの先取点!!前回甲子園出場したセンバツでは北照相手に0-7の完封負けだっただけにこの1点は非常に嬉しかった!!さらに5番・松山がレフト前ヒットでチャンス拡大したが、6番・栄田は3球三振。
その裏、菰野のエース・栄田は三振と内野ゴロ2つであっさり三者凡退に抑えて完璧な立ち上がりだった!

菰野は2回も8番・梶谷が右中間へツーベースを放ち、得点圏に走者を送り得点には結びつかなかったが攻略の糸口を見つけつつあった。その裏、南陽工は1死から5番・安部投手が右中間にチーム初ヒット。相手はノーサイン野球なんで細かいことをしてこないので、イヤらしさを全く感じさせず連続三振で退けた。

3回表菰野は1死から3・4番の連打に加えセンター・佐伯のエラーが絡んで中押しの2点目。相手に2点プレゼントしてもらった形だが、ここまで甲子園未勝利なだけに素直に嬉しかった。菰野アルプスにも歓喜の輪が広がっていたが、謹慎中の戸田監督はこの試合をどこで観ていたのだろうか???自分の采配で甲子園3連敗喰らい、謹慎中に4度目の正直となりかねない展開に甲子園のベンチに入っていないことに忸怩たる思いはあるのだろうか?
栄田投手は点をもらった直後の守りをきっちり3人で抑え序盤3回1安打でそれ以外は外野にすらボールが飛ばない理想的なピッチングで「今日は勝てるぞ!」とホクホクしながら見つめていた。

4回は下位打線が連打でチャンスメークし、9番・小山が1球でバント成功とわずか4球で1死2・3塁のチャンスを作り、1番・中川のショートゴロの間に3点目。
アルプスからはチャンステーマ 🎵わっしょい https://www.youtube.com/watch?v=qqEvwqkNOwY がこの試合初めて流れた!
一気に突き放したかったが、2番・菊地は2-2からショートフライに倒れ三重のチームらしく小刻みに1点ずつ積み重ねていった。
その裏、南陽工も1死から3番・伊藤がライト前ヒットを放ったが、本人の判断なのか???3点ビハインドでバッター4番だが2球目果敢に盗塁を狙いタッチアウト!これがノーサイン野球の弊害だろうか?

5回の菰野は1死から4番・野田がヒットを放ち2死後6番・栄田もライト前ヒットで続くが、3塁を狙った1塁走者に対してライト東谷の強肩がこれを阻止し3塁手前タッチアウト!で流れが変わりかねなかった。
案の定、その裏先頭打者に内野安打を許し、送りバントで1死2塁。まだ5回だけに1点でも返されたら後半どうなるか分からないところだったが、栄田投手は落ち着いてファーストゴロ・サードゴロと打たせて取るピッチングに専念して整備に入った。

前半戦はこれ以上ない理想的な展開で進んでいった。幸先よく1回表から先制し、追加点を効果的に加え守ってはエース・栄田が3安打無失点と安定感抜群で流れを渡さない。相手のノーサイン野球が空回りを続けている間にダメ押しして安全圏に逃げ込みたい。部長から監督となった森田監督も戸田監督の野球を受け継いで甲子園初勝利に向けて盤石の体制を整えている。次の1点がどちらに入るかが焦点だったが・・・

6回表下位打線が4回に続きヒット~死球~送りバントで4回と同じように1死2・3塁とお膳立てして、1番・中川がセカンド正面のゴロを放つも相手のエラーを誘い4点目!さらに2死から3番・加瀬のレフトへダメ押しタイムリーツーベースが出て5-0と差を広げもう大丈夫だろうと。
南陽工は5点差つけられてヤケクソになったのか?その裏の攻撃で1死から1番・丸山がレフト前ヒットで出ると1-1から盗塁失敗・・・。直後に四球をもらったが今度は初球から走りあえなく盗塁失敗・・・・・。よく山口大会決勝で下関国際相手に逆転勝ちできたもんだと、、、、、

そして7回に入る直前にようやくナイター点灯。菰野打線は勢い止まらず、先頭の5番・秋山が初球レフト前ヒット。5点差ある余裕なのか?森田監督はあえて強攻して初球ファーストゴロ2塁封殺となると一転して1死1塁から送りバントのサインを出し続けスリーバントで2死2塁。8番・梶谷が四球を選びチャンス拡大するも無得点だったが、8回は1番からの攻撃と理想的な展開。
一矢報いたい南陽工はその裏、3番・伊藤がサード内野安打で出塁。さすがに再三盗塁死しているだけにここは動かず、4番・長嶺カウント1-1から攻撃のタイムが取られたが、直後にショートゴロ。5番・阿部投手の初球果敢にエンドランを仕掛けるもファール・・・。しかしカウント1-2からレフト前ヒットでチャンス拡大。すかさず森田監督が絶妙のタイミングでタイムを要求し火消しに走る。しかし、栄田投手スタミナ切れか?勝ちを意識しすぎたのか急にストライクが入らず7球連続ボールで押し出し寸前、、、なんとかフルカウントまで持ちこたえるも結局押し出し四球でやらずもがなの1点。なおも1死満塁のピンチで1本出れば分からなくなるが、、、、、8番・温水にも3ボールで連続押し出し覚悟もフルカウントからショートゴロホーム封殺!9番・東谷の2球目キャッチャー栗本が負傷するハプニングもあったが、大事に至らずショートゴロで大ピンチ脱出。

しかし8回表この試合初めて三者凡退に打ち取られた菰野。その裏、4球でツーアウトを奪ったが、3番・伊藤がセンター前ヒットにまさかの盗塁を決め、4番・長嶺がレフト前タイムリーで2-5と3点差に迫り送球間に2塁を陥れた。急に緊迫感が増してきたが、5番・阿部の1ストライク後の2球目にまさかの3盗を試みて4度目の盗塁死、、、、もうツーアウトなだけに走者2塁でも3塁でも大勢に影響はないし、3点ビハインドの状況でリスクを冒しても盗塁にこだわる理由なんてないのだが・・・・・。

相手に助けられ3点リードして迎えた最終回の攻撃。森田監督はあえて2安打放っている4番に代打を送って代打の森がレフト前ヒット。定石通り1球でバントを決め、最後はエース・栄田が試合を決定付けるライトへのダメ押しタイムリーツーベースで勝負あり。
南陽工も9回裏2死ランナーなしから四球と内野安打で粘りを見せたが最後は代打・石本がショートゴロに倒れてゲームセット。

4度目の挑戦でようやく甲子園初勝利となった菰野高校のナイターが四国の闇に包まれた甲子園球場に鳴り響いた!
しかし、この場に戸田監督がいないのが何よりも寂しかった。。。なぜ今年6月にパワハラ指導が発覚したのか???数十年も続けていた指導が今さらアカンと言われても・・・ましてやレギュラー全員2年生で春の東海大会準優勝した総合力で菰野史上最強のチームだったかもしれないのに。

結局、長い謹慎を経て半年間の眠りから覚めてシレっと戸田監督はチームに合流し今も采配を振っている模様だ。2025年は菰野の試合観戦する機会がなかったが、来年もし見れるのならば戸田監督の雄姿が見たいと。
そして南陽工は終盤追い上げたが無謀な走塁が祟って墓穴を掘り自ら勝機を逸した格好だ。7回に突如、栄田投手が制球難に陥っただけにもっとじっくり攻めていたら大逆転していたかもしれないが。
敗戦談話を見ているとノーサインの山崎監督は「63歳でもヒザが震えるほど悔しい・・・高校生の選手たちの悔しさはいかばかりか?」と悔やんでいたが、盗塁禁止のサインがあればと。

この日は18時55分終了で普通に4試合やってロングゲームがあればこのくらいで終わるかな?という時間でちょうどよかった。これにて二部制は終了。翌日からは元に戻ってノビノビ観戦できるが、この時点で2025年は二部制6日間・・・しかも4試合日も4日間設定して時間制限を設けるなど知る由もなく、、、初日で懲りたのでもう今年限りにして欲しいと願っていたが。
さて、その翌日は岡山学芸館が第3試合の一番熱い時間帯に登場!相手は不祥事明けの聖カタリナ。試合展開は全く読めなかったが、いつものんびりロングゲームの岡山県勢が急に締まった試合を始めた・・・それはまた次回の講釈で。

チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 三振 失点 自責
菰  野 栄 田  9  38 150  9  1  4  6  2  2 

南 陽 工 阿 部   9  35 127 14  4  3  3  6  5

                       (完)

                    🌟次回予告🌟
     8/10 4日目第3試合 岡山学芸館(岡山)-聖カタリナ(愛媛)
2025/09/08(月) 23時22分10秒 No.2003 編集 削除
🎤【名将・高嶋仁の目】DH導入で「野球が面白くなる」って? 「よう打つ」打線、どうつくる
https://www.youtube.com/watch?v=uC4BfsXMZD8

☟兵庫・篠山産業高野球部の前監督、市の役職も退職 部員への暴力行為
https://news.yahoo.co.jp/articles/fa0f73a82738b48af1b82c6cbc8b130849cc26c2

兵庫県立篠山産業高校硬式野球部の監督だった長沢宏行氏(72)が、部員に暴力行為をしたとされる問題で、長沢氏は丹波篠山市の特別職であるスポーツ振興官の退職願を8日、代理人を通じて市へ届け出た。市は同日付で受理した。

長沢氏は2022年10月、スポーツを通じた地域活性化をめざすスポーツ振興官に就任(任期は26年3月まで)。職務の一環として篠山産業高校野球部の監督を務めていた。同校での指導から正式に外れる。長沢氏の代理人は「野球部、学校、市など関係するみなさんに申し訳ない。精神的、身体的に疲労している」と長沢氏の退職理由を話した。

酒井隆明・丹波篠山市長はスポーツ振興官を退職したことを同日、同校へ報告した。取材に対し、隅元優一教頭は「高野連での調査が進行中なのでコメントは差し控える」と話した。

これまでの学校の説明では、長沢氏は今夏の全国高校野球選手権兵庫大会で負けた直後の7月10日、同校グラウンドであった1、2年生の部員同士の紅白戦に、けがをしているのに出場しようとした2年生部員に暴力行為をした。学校の聞き取りに複数の部員が、長沢氏が部員1人の顔を殴るなどしたのを見たり聞いたりしたと答えたという。長沢氏は暴力行為を認め、野球部の指導を外れていた。

長沢氏は兵庫県西宮市出身。神村学園(鹿児島)や創志学園(岡山)の監督として甲子園に出場した。05年の選抜大会は神村学園で準優勝した。1996年アトランタ五輪では、ソフトボール女子日本代表のヘッドコーチを務めた。

☝【U-18】日本・南アフリカ戦は雨で中断 小倉全由監督が自らシート外しに尽力 雨上がりの夜空に「ありがとう」流れる
https://news.yahoo.co.jp/articles/6937bfd43d578a0ad52add1e6a90573c2b1d9932

◆ラグザス presents 第32回 WBSC U―18 野球ワールドカップ ▽1次ラウンド 日本-南アフリカ(8日・沖縄セルラー那覇)

3連勝中の高校日本代表はスーパーラウンド進出を懸け、南アフリカと対戦。だが1回終了後、雨が激しくなり、中断となった。グラウンド上にはシートが敷かれた。

雨が上がり、シートを外す作業が行われ、小倉全由監督(68)=前・日大三監督=ら高校日本代表のコーチングスタッフも参加。自らシートを引っ張った。

南アフリカのコーチングスタッフもシート敷きを手伝うなど、両国のベンチが試合再開へ汗をかいた。場内のファンからも、雨上がりの夜空に拍手が鳴り響いた。場内のBGMには井上陽水奥田民生の名曲「ありがとう」が流れ、グラウンド整備に尽力した人々へ感謝の思いに包まれた。

📝「僕らは箕島を残せるんだろうか…」あの甲子園連覇の“名門公立校”で定員割れ、衝撃の倍率0.74「本当にきついです…」箕島野球部監督の告白
https://news.yahoo.co.jp/articles/9725f003da725ff54205508e09ef2a26f11e4ba5

「きついです…」一時12人まで減った

「きついです。本当にきついです」かつて甲子園を席巻した箕島高校野球部現監督の北畑清誠は、絞り出すようにそうつぶやいた。

何が「きつい」のか。答えは明白だった。部員の数が減少の一途を辿っていることだ。最後に甲子園に出場した2013年の夏、野球部には50人弱の部員が在籍していた。当時、箕島を率いていたのは名将・尾藤公の息子である尾藤強。甲子園出場の効果もあり、そこからの3年間は毎年30人ほどが入部した。2016年の夏には、約90人の部員を擁して和歌山大会の決勝まで進んでいる。だが、この年を境に部員数は減少していく。2019年に尾藤強が監督を退任して以降、その傾向に拍車がかかる。50人から40人、30人と右肩下がりを続けた部員数は、2023年の秋には12人まで減っていた。その後、現2年生が入部して持ち直したものの、今年は夏の県大会前の時点で23人。8人いる3年生が引退すると、2年生11人、1年生4人の15人になる。この人数では紅白戦を行うのも難しい。そればかりか来年の入部者数次第では、現2年生の引退後に単独チームを組むことができなくなる懸念もある。

単に野球部の人数が減っているだけではない。箕島高校全体の生徒数の減少も深刻だ。2014年に240人いた新入生の数は、11年後の2025年には89人まで落ち込んだ。定員は普通科系80人、専門学科系80人の計160人。教職に就きながら野球部監督を務める北畑が、箕島の苦境を説明する。

「160人の枠に約90人ですから、70人も割っている。学校としての活気もなくなってきますよね。39年連続でインハイに出ていたソフトボール部の部員はゼロになって休部状態。ホッケー部も全国レベルでしたが、いまは4人しか部員がいない。最近では、有田市や有田郡の子どもたちの半分くらいは県の北側の高校に行きます。向陽、星林、海南といった公立の進学校ですね。商業高校なら県立和歌山商。あとは湯浅町の耐久です」

「僕らは箕島を残せるんだろうか…」
 
有田川の南、紀勢本線で箕島駅から12分の湯浅駅が最寄りとなる耐久高校は、北畑の母校でもある。1852年創立の同校は箕島よりも進学実績に優れており、国公立大学のほか「関関同立」や「産近甲龍」といった難関・中堅私大に多くの卒業生を送り出している。また2024年の春には、野球部創部119年目にしてセンバツに初出場し甲子園の土を踏んだ。その耐久でさえ定員割れを起こしている。2025年の出願者数は200人の定員に対して195人。倍率にすると0.98になる。ある程度の学力と内申点をキープしておけば、入学すること自体は難しくない。対して箕島の倍率は普通科系(普通コース、スポーツコース)が0.74、専門学科系(機械科、情報経営科)は0.35。なお、和歌山の県立高校全体の志願倍率は0.86だった。どちらにせよ定員は割れているのだから、近隣の中学生や保護者は進路面でのアドバンテージがある耐久を選ぶ――そんな現状が浮き彫りになる数字だ。

「勝つというよりも、まず存続。僕らは箕島を残せるんだろうか、という危機感はあります」

有田市の人口は1980年の3万5683人をピークに、2020年には2万6538人まで減少した。少子高齢化も顕著で、1990年に6569人だった14歳以下の人口は2020年時点で2769人。2024年には、市内の4つの中学校が統合され有田市立有和中学校が開校した。

箕島高校への道すがら、隈研吾の建築に特徴的な木材による意匠が施された有和中学校の新校舎を目にした。手癖のように演出される「木のあたたかみ」と、人口ピラミッドが示す寒々しい現実が、残酷なコントラストを描く。大都市圏を除いた日本の多くの市町村と同じように、この街も確実に衰退しつつある。かつての名門に何があったのか――そんな問い自体が空転するような、克服しがたい現実。かつては決して素行のいい生徒ばかりではなかったという箕島だが、PL学園のようにスキャンダラスな事件があったわけではない。それでも、公立高校で唯一の甲子園春夏連覇という威光は次第に輝きを失っていった。

「私学へ行ってしまう」「智弁さんがトップ」
 
監督の北畑は選手集めに奔走した。だが、有望な中学生たちにとって第一の選択肢になるのは私立の強豪校だった。

「まず私学に行ってしまう。このあたりからも、大阪桐蔭、報徳学園、尽誠学園とか、県外に進む。北陸に行くという子もいました。奈良の智弁学園や天理、京都国際を選んだ子もいます。ただ最近の智弁和歌山に関しては県外の子が多いですし、取る人数も少ないですから、中学生もぶっちゃけ諦めてるんちゃいますかね。いまの子にとっては、生まれたときから智弁さんがトップで、憧れ。それはもう間違いないです」

1979年の春夏連覇をひとつの頂点とした箕島の全盛期は、80年代前半に終わりを告げた。入れ替わるように80年代後半から和歌山県で台頭したのが、いまや全国屈指の野球名門校となった智弁和歌山だった。夏の甲子園は1987年の初出場を皮切りに、2025年まで28回出場。2018年の夏を最後に高嶋仁が勇退し中谷仁が監督になって以降も、盤石の強さを誇っている。
県内で智弁和歌山に次ぐ存在といえる市立和歌山は、スポーツ推薦による入学者選抜を行っている。いずれにせよ、和歌山県内の有望株の多くは県内外の強豪校へと進んでいく。その次のクラスの選手たちの選択肢になるのが、北畑が「本来、うちに野球で入るような子が入れちゃう」という耐久などの公立校だ。ごくかぎられた人材を地道に勧誘しても、箕島が選ばれることは少ない。北畑の「本当にきつい」という言葉には、相当な実感が込められていた。

「それでもやっぱり、足を運ぶしかないと思いますね。地元の子を中心に声をかけていくしかない。今年も夏の大会が終わったら、もう一回。こういう状況なんでね。とにかく足を運ぶしかない。そもそも僕自身、うまい子だけを集めるのは好きじゃないし、得意でもないですから」

「正直、お金はないです」
 
予算的にも厳しい戦いを強いられている。自前のグラウンドはあるが、練習設備は決して真新しいとは言えない。野球部部長の中尾慎太郎が説明する。

「正直、お金はないです。設備を充実させようにも、グラウンドに土を入れたら終わりです。ホームベース裏のネットも、北畑監督の実家の鉄工所が無償で作ってくれました。華々しいところを想像されていたら申し訳ないんですけど、箕島高校やと思えないでしょ? あれだけの卒業生がいて……。もう名門なんて通用しないですもん、いまの子たちに」

耐久高校を卒業した36歳の中尾は「箕島がすごかったなんて、僕も大人になるまで知らなかったですから」と明かした。全盛期をリアルタイムで知らない者にとって、箕島の栄光は実感を伴わない歴史的事実でしかない。だが近隣の有田中央や耐久でも監督を経験した北畑との会話のなかで、中尾の印象に強く残った言葉がある。

「有田中央や耐久の監督が背負う重りが10kgやとしたら、箕島は100kgや」

恵まれない環境下でも「箕島」の重い看板を背負おうとする北畑は、こんなことを口にした。

「部員が少ない原因は僕にもあると思う。正直、指導は厳しいので」

公立校としては珍しく、箕島はいまでも強度の高い長時間練習を是としている。自由参加の朝練を含めると、1日の練習時間は6時間以上にも及ぶ。ノックやトスバッティングといった通常のメニューから、室内練習場でのウェイトトレーニングまで、みっちりと負荷をかける。加えて、部員の誰もが「しんどいっす」「異次元です」と口を揃える伝統のラントレ(50mや70mのダッシュを20〜30本以上も繰り返す)もある。54歳の北畑は自身の指導スタイルを「昭和ですよ」と表現した。一方で、近隣のスポーツ専門学校の協力のもと選手たちの除脂肪体重や筋肉量を測定し、食生活やトレーニングに反映するといった現代的な取り組みも行っている。

「えっ、坊主ですか?」中学生の反応
 
また、部員の髪型は丸刈りに統一されていた。「うちは坊主です。いいのか悪いのかわからないけど、それで来ない子らも正直いてます」。短く刈り上げた自らの頭を撫でながら、北畑はそう打ち明けた。特に軟式のチームでプレーする中学生は、丸刈りに対する抵抗感がある。勧誘先で「えっ、坊主ですか?」と拒否反応を示されることも少なくない。部長の中尾が「いまも坊主でやっている高校は県内で10校もないでしょう」と補足する。

昭和、坊主、学力。箕島が選ばれない理由を、北畑は簡潔にそうまとめた。OBから「いまは昔とちゃうねん。お前が変われ。やり方を変えろ」と言われたこともあった。それでも指導の根幹を変えるつもりはないという。

「いまうちにいる子らは、厳しい練習も率先してやってくれる。昔に比べたらホンマに真面目です。ランニングでもダッシュでも1本目から30本目まで抜かないし、数もごまかさない。僕は言うんですよ。そんなんほかはやってないよ、智弁だけだよ、そこは自信持とうよ、と」

北畑は繰り返し部員たちに呼びかける。「普通の高校じゃないよ。箕島だよ、箕島なんだよ」と。ただ、その言葉がどれだけ響いているのかはわからない。過去の栄光と、勝利が遠い現状。現役部員はどんな思いを抱いて箕島で野球に打ち込んでいるのか。「甲子園は遠い夢だなと感じます」「それでも箕島に入ってよかった」――彼らの本音を探っていく。

                         <続く>

📣考え続けた問い「1番になるには」 強烈に残る“センバツ補欠校”の記憶 3校目・金沢龍谷の野球部監督に就任した浅井純哉さんの金沢高校時代
https://news.yahoo.co.jp/articles/9d3c728e51331bd331d69447b6739894b4f1d479?page=1

8月に金沢市の金沢龍谷高校野球部監督に就任した浅井純哉さん(68)。部員は2年生8人、1年生1人の9人だ。

浅井さんの指導者としてのキャリアは長い。金沢高校では1993年から2011年まで、石川県七尾市の鵬学園では2012年から2022年まで監督を務めた。金沢高校時代には春夏通じて11回甲子園出場を果たすなど、石川の高校野球界きっての「名将」だが、ひとつの区切りをつけた時期があった。

「1番になるには」出身校でもある金沢高校の監督を勇退する際に語ったこの問いに対する思いは、今も指導者として心のよすがになっている。

2011年10月に開かれた山口国体の硬式野球。

この年は、エース・釜田佳直投手(元東北楽天投手)を擁してチームは春夏ともに甲子園に出場した。夏の全国高校野球選手権大会では、釜田投手の好投も光り金沢高校としては初めて甲子園で2勝を果たした。国体への出場も果たし、この大会が浅井さんにとっては金沢高校での最後の采配になった。

■まさかの“センバツ補欠校” 「1番になるには」 考えを変えた年

金沢高校の監督を退任することが決まっていたとき、浅井さんは学校に飾られた数多くのトロフィーや盾のなかからあるひとつを指して話を始めた。

金沢高校・浅井純哉監督(当時)「私が意外に大好きな盾がひとつありまして。実はここにそっとひそかにあるんですが、センバツの補欠校になったときの盾」

浅井さんが一番心にとどめている大会。それは、監督として迎えた2回目の春、1995年の選抜大会だった。前年の94年の選抜大会は、秋の北信越大会で優勝した金沢と準優勝の星稜の2校が出場。そして次の秋の北信越大会、今度は優勝が星稜で準優勝は金沢に。2年連続でこの2校の甲子園出場が有力視されていたが、石川県からは星稜のみで、金沢は選ばれなかった。

センバツの出場校が発表されたとき、選手に伝えた言葉がその後の「浅井野球」を形作るものになった。

「やっぱり1位で出にゃいかん。夏な」

金沢高校・浅井純哉監督(当時)「それからまた野球が少し変わりましたね。選手ともうひとつをクリアするには2番じゃだめだ。1番になるにはどうしたらいいんだということで考えた年ですね」

■「1番になるには」 全国制覇に匹敵する胴上げで答えた選手たち

山口国体で金沢高校は勝ち進み、準々決勝の相手は8月に甲子園で敗れた千葉県の習志野だった。粘りの野球を見せた金沢だったが、夏と同じ1点差で習志野に敗れた。
1番になるには…監督生活の中でずっとしていた問いかけに答えてくれたのは、最後を戦った選手たちだった。

金沢高校・石田翔太主将(当時)「胴上げさせてください」

静かに帽子をとって一礼をする浅井監督。その後宙を3回舞った。選手の口から出る「先生ありがとう!」

「2年生頑張れよ、応援してるから。ええか」浅井監督はそう選手に声をかけてグラウンドをあとにした。

金沢高校・石田翔太主将(当時)「自分たちの今ある姿が日本一にふさわしいんじゃないかな。本当に浅井監督が日本一だと自分たちは思っているので、最後はそういった意味で胴上げをさせていただきました」

金沢高校・浅井純哉監督(当時)「きっと全国制覇したときはこういう気持ちで胴上げされるんだろうなと思って、きょうは胴上げしてもらいました。全国制覇に匹敵する胴上げでした」

■「最終ゲームでの顔」 選手を見続けるなかで大事にすること

金沢高校・浅井純哉監督(当時)「最終ゲーム、この試合で終わったときの選手がどういう顔で終われるかというのはずっと課題にしてきたことで。悩んでいる生徒たちが次に顔を上げたときに、本当にうれしそうな顔をするのが見たくてやっていたというのはありますね」

指導者としての熱い情熱は、その後も鵬学園での監督就任へと続き、いまは3校目の金沢龍谷のユニフォームに袖を通すことにつながっている。部員が9人の野球部を率いて、「浅井野球」の第3章が始まった。

⚾岩手さんへ
まず最初に、本日10時から販売された滋賀国体のチケット・・・運よく9/29の初日3塁側をキープできました!!半ばあきらめつつ、最悪の場合は今津スタジアムまで足を伸ばして軟式高校野球を代替観戦を視野に入れ近江今津駅からのシャトルバス時刻表も調べておりましたから、、、、、しかし近江今津駅は基本的に1時間に1本しか電車が来ないとは忘れてましたね!!

さて、和歌山の秋季大会は以前は新人戦はたしか8強までを決めるシード校決定戦の意味合いが強く、そこからシャッフルして一次予選~二次予選と進んでましたが、数年前より現行方式となりいい制度だと思います。

和歌山は37校程度しか加盟校がなく、私学だと和智弁・初芝橋本・高野山・慶風・近大新宮・和歌山南陵くらいですね。近大新宮が苦節20年ようやく手を伸ばせばすぐそこに甲子園・・・といったところまで来ておりますが、あと一歩が届きそうで届かないですね。
初芝橋本は2001年夏に甲子園初出場を果たしつつ、1度も近畿大会に出たことないし卯瀧監督を招聘したがカンフル剤にならず、この先もしんどそうですね・・・。
高野山は監督がコロコロ変わってますが、1988年夏を最後に甲子園が遠いですね。和智弁を夏に倒したり頑張ってはいますが最後まで勝ち抜けないですね。
慶風・和歌山南陵はどうしようもないかなあ・・・・・。

公立だと今は市和歌山が筆頭ですね。伊都が廃校となり、南部がかなり衰退し新宮も新翔と統合されてしまうし、、、逆に田辺がここに来て安定してきましたね!
日高や那賀も面白いチームだし、毎年どこかしらノーマークのチームが旋風を起こすこともあるので目が離せないです。

兵庫は東洋・報徳のツートップに加え、神港・滝川二・彩星工科・神戸弘陵・育英など神戸に私学の強豪が多いし、公立だと明石商・社・須磨翔風・市尼崎その他モロモロいるので、組み合わせの妙で大きく左右されますね。

広陵はまだこの秋は広島のトップレベルだと思いおますが、来年以降選手がそんなに集まらないだろうからここからが正念場ですね。そういう意味では、この秋どれだけ頑張れるかが野球部の未来がかかってますね!
2025/09/08(月) 22時21分16秒 No.2002 編集 削除
 和歌山秋季大会の勝ち上がり方の説明ありがとうございます。
 和歌山は智弁和歌山以外にも、強豪?私学があるけど毎年上位進出校となるとなかなかないのが不思議ですね。
 公立校の代表が多い県の一つですが、また初戦突破し上位進出する県でもありますね。
 兵庫も公立校が出るが、こちらは報徳、東洋、八代などの私学がありますしね。
 他4県はほぼ私学勢ですが、低反発球ゆえに接戦模様で延長タイブレーク戦も多くなり番狂わせも多くなりましたね。
 私の個人的見解ですがどうでしょうか!

広陵のSNSでの事で監督、部長が退任。甲子園大会を途中辞退しても、続々登場?
これもイジメじゃないないの?
個人的見解ですが。
2025/09/08(月) 22時03分02秒 No.2001 編集 削除
⚾今日の和歌山大会会新人戦試合結果(最終日 決勝戦 田辺SP球場)
和 智 弁11-0市和歌山
智弁和歌山は5年連続12度目の優勝🏆

⚾今日の和歌山大会新人戦試合結果(2日目 1回戦)
上富田球場・・・・粉  河7-5県和歌山・日  高9-2田 辺 工(7回)・那  賀9-2南  部(8回)
田辺SP球場・・・箕  島1-0桐  蔭

🎤【名将・高嶋仁の目】午後10時46分試合終了の舞台裏 2部制拡大の功罪は 「投手にはホンマによかった」けど…
https://www.youtube.com/watch?v=_6SuEEeSlV8

🎤【名将・高嶋仁の目】ラストミーティング 何を語る? 悲喜こもごもの準優勝物語
https://www.youtube.com/watch?v=tfqhUCTb1Ow&t=11s

🎤【名将・高嶋仁の目】劇的タイブレーク、明暗を分けるもの 低反発バットで飛ばすには?
https://www.youtube.com/watch?v=k2ico2Wf0H8

🎤【名将・高嶋仁の目】沖縄尚学、夏初V、「色気のなさ」が強さの秘訣?
https://www.youtube.com/watch?v=IcnhFvat6l0&t=65s

👣京都国際が2年ぶりのセンバツ出場絶望的 小牧憲継監督「野球の『や』の字にもなっていない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/327712790c7a75729c9306e51c2c717440964b5f

◆秋季京都府大会 ▽2回戦 龍谷大平安4―1京都国際(7日、あやべ・日東精工スタジアム)

今夏の甲子園で8強入りした京都国際が、龍谷大平安との“豪華すぎる”初戦(2回戦)に敗れ、来春センバツ出場が早くも絶望的となった。昨夏の甲子園で初優勝した後の秋季府大会は4回戦で京都外大西に敗退。2年連続でセンバツ出場を逃す可能性が高くなった。

0―3の4回1死一、二塁、背番号1の先発左腕・白木輝一朗(2年)がバントを処理して三塁へ悪送球し、4点目を与えた。1―4の9回無死一塁では、主将・小川礼斗一塁手(2年)が空振り三振に倒れ、飛び出していた一塁走者もけん制で刺されて併殺。4失策とミスが目立った。相手の7安打を上回る10安打を放ちながらも、13残塁の拙攻だった。

小牧憲継監督は「こちらの指導力不足。野球の『や』の字にもなっていない。やるべきことを、やるタイミングでできていない。当たり前のことをきっちりできない。負けるべくして負けている。能力が高いので楽しみではあるんですけど、全くもってチームになっていない。振り出しに戻ります」と、厳しい言葉を並べた。

新チームがスタートしたのは、夏の甲子園で敗退した翌8月20日。レギュラー2人を含む甲子園のベンチ入りメンバー7人が残ったが、準備不足は否めなかった。指揮官は「言い訳にしかならない。去年も結局、そういうところ。割り切って夏一本に絞って。キャッチボールも、まともに指導できていない。もう一回、キャッチボール、ボール回し、一からです。チームのとしての決め事を一つひとつ夏に向けて勝負していけるように、レベルを上げていけるように」と、無念の表情を浮かべた。

小川は「全員がチームとしての動きができなかったのが敗因。サインプレーとかも平安さんの方ができていた。チームになりきれていなかった。気持ちでも相手に負けていた」と反省。「センバツや神宮を目標にしていたけど、負けてしまったので取り返しがつかない。秋、冬と成長して、夏の甲子園に出場できるように」と、出直しを誓った。

👣未来富山、甲子園初出場に導いた角鴻太郎監督が退任 秋季大会は元コーチが臨時監督としてチームを指揮
https://news.yahoo.co.jp/articles/d7a6bb8930fd0aab57ca4bf429fd9fc5e25696c1

富山県の通信制高校として初の甲子園出場に導いた未来富山高校野球部の角鴻太郎元監督が、秋の富山県大会を前に退任していたことが7日、明らかになりました。1・2年生の新チームは、コーチを務めていた菅澤剛氏が臨時で指揮を執ります。

角元監督は、2022年5月から同校のコーチを務め、2023年9月に監督に就任。昨夏の富山大会ではベスト4、そして今夏は見事チームを初の甲子園出場へと導きました。甲子園では大会6日目の8月11日に高川学園(山口)と対戦し、初戦敗退となりました。

関係者によりますと、春ごろに本人から「夏の大会まで」との意向が示され、今夏の甲子園が最後の指揮となりました。
当面は菅澤剛コーチが臨時の監督として秋季大会を指揮。2回戦で高朋高校を相手に7対0の8回コールドで勝利し、3回戦進出を決めています。

💢金沢学院大と附属高 それぞれの野球部コーチ 暴力や不適切発言で謹慎処分
https://news.yahoo.co.jp/articles/166e7b915a44f83c0bcc088bf8b4d3506815ccab

野球部員に暴力や不適切な発言をしたとして、金沢学院大学と附属高校のコーチ2人が、謹慎処分を受けていることが分かりました。

学校によると、大学ではコーチが部員に暴力をふるい、2か月の謹慎処分に。高校では、コーチが部員に対して不適切な発言をしたなどとして、半年の謹慎処分が科されました。

金沢学院大は、プライバシーに配慮するため詳細を明らかしておらず、「処分を重く受け止め、再発防止に向けて指導を徹底したい」とコメントしています。

💢暴力事件→甲子園の推薦辞退 同級生は涙、親も納得せず…“無関係”なのに受けたとばっちり
https://news.yahoo.co.jp/articles/1bda0f9d1b83cf21f13423a742cbe01df0b3069c?page=1

羽田耕一氏、高校時代は1年秋からレギュラーに定着し2年春に甲子園出場

NPB通算225本塁打をマークした元近鉄内野手の羽田耕一氏は兵庫・三田学園で1年(1969年)秋からレギュラー遊撃手になった。2年(1970年)春の選抜には4番打者として出場。2年夏は兵庫大会準決勝で涙をのんだが、2年秋は兵庫大会優勝、近畿大会準優勝で、1971年春の選抜切符を確定させた。しかし、在校生の暴力事件発覚で推薦を辞退することに……。「野球部は関係なかった。悔しかったですね」と話した。

兵庫の強豪・三田学園で羽田氏は1年夏からベンチ入り。1年秋から遊撃レギュラーの座をつかんだ。甲斐富士男投手と中西弘明捕手のバッテリーは尼崎市立若草中でもチームメートだった同級生。中学3年時に近畿大会準優勝を経験した3人が、高校でも実力を発揮し始めた時期でもあった。羽田氏は中学時代、エース右腕だったが、高校では日下隆監督の指令で野手転向。中学時代に三塁手だった甲斐氏が逆に投手に転向し、それぞれが主力に成長した。

1年秋の兵庫大会は、決勝で洲本実を4-3の9回逆転サヨナラ勝利で下して優勝。近畿大会は準々決勝で島本講平投手を擁する箕島(和歌山)に5-9で敗れたものの、1970年春の選抜出場切符を得た。「島本さんは僕の1学年上ですけど、何か縁があってね。あの人、(1970年ドラフト1位で)南海に行かれて、その後(1975年にトレードで)近鉄に来られて一緒になった。仲がよかったんです。高校の時の話もよくしましたね」と羽田氏は懐かしそうに話す。

島本氏は1970年春の選抜で箕島を全国優勝に導き、甘いマスクもあって甲子園のアイドル的存在としてブレークしたことでも知られる。一方、三田学園は2回戦から出場し、日大三(東京)を5-3で撃破したが、準々決勝では鳴門(徳島)に0-1で敗れた。2年生の羽田氏が4番で、3番が3年生の淡口憲治外野手(元巨人、近鉄)だったが、その打線が鳴門の下手投げ右腕・落合登投手、笹本信二捕手(元阪神、阪急、巨人)のバッテリーの前に2安打だった。

「ウチの打線はアンダースローが苦手だったんですが、(三田学園エースの)甲斐も(鳴門打線を2安打に)抑えていたんですよ。ボールは速いし、昔でいうドロップがよくて……。だけど、確かエラーで(1点とられて)負けたんですよ」。初めて経験した甲子園大会だが「緊張はしなかった」という。「それまでにも甲子園では試合をしたことがあった。だから別に甲子園といってもね……」。

当時は兵庫大会で甲子園球場が使われており、特別感はなかったそうだ。「お客さんの数は違いましたけどね。あとは(選抜大会の)選手宣誓をウチのキャプテン(三田学園・内田竜二主将)がしたことと、大会中(の3月31日)にハイジャック(よど号ハイジャック事件)が起きて、テレビがそればかりだったのは印象に残っていますね」。もっとも、この時は2年生。チーム力的にも甲子園出場がこの春だけになるとは思ってもいなかっただろう。

暴力問題が発覚し甲子園辞退「野球部は全然関係なかった」
 
2年夏は兵庫大会準決勝で滝川に敗れたが、まだ3年春と夏が残っていた。甲斐投手と中西捕手のバッテリーと4番打者の羽田氏の“若草中同級生トリオ”が最上級生になった2年秋は兵庫大会を制し、近畿大会は準々決勝で郡山(奈良)、準決勝では平安(京都)に勝利。決勝は市和歌山商に0-1で敗れたが、準優勝で1971年春の選抜出場を確実とした。だが、それは幻になった。在校生の暴力問題が発覚して、選抜への推薦を辞退することになったのだ。

「先輩のクラスの人が生徒会の人を殴ったんだったかな。それが問題になって(当時の野球部の)部長がもう出場を辞退すると言い出して……。野球部は全然関係なかったんですよ。今だったら出場できたでしょうけど、あの頃はねぇ……。聞いた時はまず悔しかったですよ。同級生はみんな泣いていました。僕は(2年春に)1回、甲子園に出たけど、出ていない同級生もいましたからね。親たちも納得していなかったでしょうね」

1971年春の選抜は近畿地区では準優勝の三田学園だけでなく、優勝した市和歌山商も在校生の暴力事件によって推薦を辞退した。さらに近畿大会出場の南部も同じ理由で辞退しており、有力3校が選考段階で姿を消す状況だった。「僕はまだ終わりじゃないと思っていました。(3年の)夏があるのもそうだし、その時はもうプロとか上も目指していたのでね。でも(近畿の)1位と2位が出なかったわけですからねぇ。こればっかりは何とも言えんですね」と羽田氏は当時を思い出しながら表情を曇らせた。

💢広陵高校野球部の暴力問題 新監督の言葉が浮き彫りにした問題の核心
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/377195

部内の暴力問題により、夏の甲子園大会を途中で出場辞退した広陵高校の新チームが自校の野球場で秋季広島県大会北部地区予選に臨み、8月30日の初戦で油木高校に23-0、同31日の1位校決定戦で沼田高校に4-1で勝利し、県大会出場を決めた。その初戦を取材した。

「通話は品質向上のため録音させていただきます」初戦前日の朝9時過ぎ、広陵高校に問い合わせの電話をしたら、不穏な自動音声が流れた。やや間があり、自動音声はさらにこう告げてきた。

「大変申し訳ございませんが、電話が大変混み合っています。恐れ入りますが、しばらく経ってからおかけ直しください」
しばらくしてかけ直すと、電話に出た女性は「今、教員は全員で会議中です。昼までには終わっていると思いますが」。野球部の暴力問題に今も学校全体で対応に追われていることがうかがえた。

同校野球部の暴力問題は7月下旬、被害を受け、転校した元部員の保護者がSNSで告発して表面化。同校はネット上の炎上を尻目に甲子園大会1回戦で勝利したが、その後も複数の元部員と保護者が「他の部員たちから性被害に遭った。警察に被害届も出している」「複数の上級生の暴力で半身麻痺するケガをした」などと告発。問題は社会的注目を集め、同校は結局、2回戦を前に出場辞退し、中井哲之監督と長男の惇一部長は退任した。

そんな経緯もあり、新チーム初戦は報道20社など約30人の取材が殺到。試合後、コーチから昇格した松本健吾・新監督(34)らの囲み取材の場がもうけられた。進行役の広島県高野連北部地区代表理事・河内康弘氏が「今日の試合のことのみの取材にしてください」とクギを刺したが、報道陣から松本監督に暴力問題を踏まえた質問が相次ぎ、河内氏がその都度制止する緊張感のある現場となった。

「どなたからも応援される野球部に」

その中で筆者が気になったのは、松本監督が質問に答える際、「自分たちの野球」という言葉を繰り返し使っていたことだ。

──どんな気持ちで試合に臨んだ?

「とにかく『自分たちの野球』をしようという気持ちです」

──23-0という結果については?

「『自分たちの野球』をしようということが結果につながったと思います」

──監督就任後、チームで何か変えたことは?

「秋の大会に向け、『自分たちの野球』をやるにはどうしたらいいかを日々考えて練習に取り組んでいます」

では、「自分たちの野球」とは、どんな野球なのか。それをただすと、松本監督は筆者の目を見すえ、こう言った。

「『どなたからも応援される野球部を目指していこう』ということです。それが『自分たちの野球』です」

松本監督によると、これは暴力問題発覚以前から掲げていたチームの目標という。この後、選手を代表して囲み取材に応じた曽根丈一郎主将も「今日は『自分たちの野球』をしていこうと(他の選手たちに)声かけをしていました」と言っていたので、「誰からも応援される野球部に」という目標はチーム全体で共有できていたようだ。

曽根主将は高校2年生だけに表情はあどけないが、意志の強そうな目をしていた。一つ一つの質問に自分の言葉で丁寧に答える姿を見ていて、「応援したくなるタイプ」と思えた。
だが、筆者はそう思うと共に胸が重くなり、「応援したい」という気持ちにブレーキがかかる自分に気づいた。暴力被害により志半ばで野球部や学校を去った元部員や保護者らは、広陵高校が応援される光景など絶対見たくないはずだからだ。今回の問題の核心はそういうことだと思う。

⚾岩手さんへ
秋の和歌山はまず、全校で新人戦を戦います。4強に残った時点で一次予選免除となり、決勝進出すると両校は二次予選の決勝まで当たらないと。今回は2校が近畿に行くので、和智弁・市和歌山は相当有力ですね!
新人戦で4強に残れなかったチームが一次予選を戦い、これはいわゆる準々決勝戦までで打ち切り。そこで残った4校が二次予選に進出し、1回戦は・・・新人戦4強組VS一次予選通過4校の8校でトーナメントをするという形ですね。

大阪・奈良・京都・滋賀はトーナメント一本化なんで負けたら即センバツアウト!ですが、和歌山や兵庫は負けてもまだ可能性があるのでいい制度かと。

誤審に関しては、、、慶応の試合でのセカンドベース踏み忘れ?もありましたね!!センバツのホームベース空過に関してはTV観戦でしたが、余裕でセーフのタイミング(野手がホームを諦めて1塁送球したはず)でしたが・・・・・。

箕島は尾藤監督の息子さんが就任した直後は古豪復活で盛り上がりましたが、今の北畑監督になってからは・・・・・。外様監督だし、よくベンチで怒鳴っているので選手が委縮するのでは?
耐久などで監督歴も長いようですが、1度も近畿に出たことないし実績に乏しいのは否めないです。。。
しかし、今日は桐蔭に1-0で完封勝ちしたようだし、二次予選まで来るかも分かりませんね!
2025/09/07(日) 22時26分35秒 No.2000 編集 削除
 過去の際どいプレーの判定ですが、関東一Χ横浜戦の横浜三塁走者がホームベース空過判定は、ランナーのスパイクの踵の部分が触れて踏んでいたと思うけど、審判員の見ていた所とスパイクの金具じゃないから、グランドの土にうっすらとスパイク跡が残っていたが、たしか走者は捕手をかわす為に軽く触る感じで踏んだのが仇になったと思います。
 
 横浜-東海戦の振り逃げ3ランですが、単純に横浜のボーンヘッドですね。
 打者が振り逃げが出来るのは、無死、一死の場合は、一塁に走者がいない場合は、完全捕球しなくても打者はアウトですが、二死の場合は一塁に走者がいても振り逃げができます。これは無死、一死だとわざと落としてゲッツーをさせない為じゃないないかなと。甲子園観戦時に審判員OBに聞きましたが、規則には理由は載っていないと思うけどね。
 たしか振り逃げ3ランは菅野だったと思うけどね。
 もう一つが横浜-慶應戦の緒方の二塁ベースを踏んでいないと判定されてその後慶應に逆転負けを喰らいましたが、あれは誤審だったと認めているけど試合は成立しているのでしょうがないけどね。
 審判員の判定にケチをつけているのではなく、地方予選でもプレー中の守備・走塁妨害の判定などで審判員が集まっていて協議した時は甲子園のようにアナウンスした方が良いと思うけど、こちらでも何度もあるけどアナウンスはなく試合再開しますね!
最低でも審判員が集まって協議し判定を変えるのはいいけど、抗議されて判定を変えるように見える変更はよくないと個人的見解です。

和歌山の新人戦、二次予選についてですが、単純に県大会を2回しているのか?
 新人戦に負けても、二次予選に出れるの?
 今さらですが、勝ち上がり方を教えて下さい。

箕島高校に体育科があったじゃないないの?
 野武士chで学校訪問した回があり、グランドなどを見ました。
 故迫田のインタビューした回などもありましたね。
 
岩手県大会の組み合わせは11だったかな?
2025/09/07(日) 21時24分37秒 No.1999 編集 削除
⚾今日の和歌山大会一次予選試合結果(8日目 準決勝 田辺SP球場)
市和歌山12-0高 野 山(5回)・和 智 弁2ー1日高中津

⚾今日の和歌山大会新人戦試合結果(初日 1回戦)
上富田球場・・・・星  林7-2有貴南連・近大新宮4-2海  南・紀 北 工5-3串本古座
田辺SP球場・・・和歌山工6x-5和歌山北(10回タイブレーク)

⚾明日の和歌山大会新人戦組み合わせ(最終日 決勝戦 田辺SP球場)
☆☆☆ 10:00~ 市和 歌山-智弁和歌山

⚾明日の和歌山大会一次予選組み合わせ(2日目 1回戦)
上富田球場  
    09:00~  粉 河 -県和 歌山
    11:30~  日 高 -田 辺 工
  ☆ 14:00~  南 部 - 那 賀

田辺SP球場
 ☆☆ 13:00~  箕 島 - 桐 蔭

💢《広陵高校・暴力問題》謹慎処分のコーチに加え「残りのコーチ2人も退任」していた 中井監督、部長も退任で野球経験のある指導者は「34歳新監督のみ」 160人の部員を指導できるのか
https://news.yahoo.co.jp/articles/f3e3fad93e57965e589487acf2950d9e3e9065b7?page=1

日本学生野球協会は9月4日、都内で審査室会議を開き、寮内で起きた集団暴力問題や中井哲之前監督のパワハラ問題で揺れる広島県の名門私立・広陵高校の53歳のコーチに不適切指導と報告義務違反で、8月21日から11月20日まで3か月の謹慎処分を下した。8月21日という日付は、中井前監督とその長男である惇一部長の退任が発表された日である。

8月30日と31日に行われた秋季大会地区予選を前に、一連の問題を追及してきた私のもとに、ある情報が入っていた。野球部を離れたのは中井前監督および惇一部長だけでなく、他の3人のコーチも退任しているというのだ。つまり前体制のコーチで残ったのは、新監督となった松本健吾氏(34)だけということだった。
新チームとして初戦となる8月30日の柚木高校戦に20社30人という異例の報道陣が集まるなか、私は松本氏にコーチ陣の退任について質問するタイミングを窺っていた。だが、取材を取り仕切った広島県高等学校野球連盟は試合後の囲み取材を前にこう釘を刺した。

「質問の内容は本日の試合に関することだけでお願いします」

初回に広陵が8得点し、23対0(5回コールド)という一方的な展開となった試合内容に触れるべき点は少ないだろう。当然、最初に会見に臨んだ松本氏には、新体制に関する質問が集中した。しかし、青年監督は慎重に言葉を選ぶ……というよりも、余計なことを口にしないよう唇を震わせながら質問に答えていた。

「試合前は、選手に『いつも通りの試合をしていこう』と声をかけていました。今後も一戦一戦、一生懸命やっていこうと思っております。どなたからも応援してもらえるような野球部を目指していきたい」

野球部の暴力体質を改善したいとか、新たな伝統を築いていきたいとか、そういう前向きな話は皆無だった。唯一、会見に緊張感が走ったのは、騒動勃発後に寮のルールを変えるようなことはなかったのか──という質問が飛んだ時だ。

「特には……」

1月に集団暴力を受けた被害者A君の父親は、中井哲之監督の謝罪と共に、学校に対して再発防止策の徹底を求めていた。しかし、学校側に暴力事件の温床となった寮のルールを改善するような考えはまったくなかった様子だ。改めて広陵に質問状を送ると、「野球部の運営体制に関する取り組みについては、現在ある状況にとらわれず、また、内部の意見によるのでは独善的となるおそれがあることから、外部委員を交えた学校改善検討委員会の客観的なご意見を参考にする予定です」と回答。外部の意見に耳を傾けながら、改善すべき点を探していくという。

なぜ34歳コーチが監督に指名されたのか
 
そもそも、なぜ中井前監督の後任として、34歳の松本氏が指名されたのだろうか。松本氏は惇一氏に次いで若手のコーチだ。経験豊富な先輩コーチやOBは多く、人選には困らないだろう。また、新部長にバスケットボール部の顧問で野球経験のない瀧口貴夫氏(64)が就任したことも大きな疑問だった。長期的な視野に立った人材登用ではなく、簡単に首をすげ替えることにできるその場しのぎの人事にも見えた。松本氏は言った。

「それは学校の判断ですので……僕は与えられた役割をただ全うするだけですので、それ以上は答えられません」

そして、本題である。私はその日、試合前のノックを注視していた。内野ノックは通常、監督が行い、外野ノックはサブノッカーが務める。サブノックは基本的にコーチが務めるものであり、まさか野球経験のない瀧口氏がサブノッカーを務めるとも思えない。ベンチ入りしている部長がノックを行わない場合、ベンチ入りしていないコーチがノックの時にだけグラウンドに降りてきてノックバットを手にするのが通例だ。3人のコーチのうちいったい誰がノックを打つのか……と見守っていると、この日の試合では選手がサブノッカーを務めていた。さらに翌31日の沼田戦でも同様だった。県大会出場を決めた31日の沼田戦(4対1で勝利)後に、その理由を松本氏に問うてみた。

「ベンチの中でノックが打てるのが選手しかいませんので、選手がノックを打っています」

30日の試合前には、ほんの一瞬だけ謹慎処分を受けたコーチの姿があり、1人のコーチは試合を見守り、もう1人のコーチは試合後の選手たちに労いの言葉をかけていた。私はその1人に対し、現在の立場について訊ねた。

「正確な人事は学校に聞いてもらいたいのですが……前体制の指導者で、現在の野球部に残っているのは松本だけですね」

両日の試合では、赤いベースボールキャップを被った3年生が試合を見守り(同校では学年によってかぶるキャップの色が異なる)、グラウンド整備なども手伝っていた。彼ら3年生が中心だった前チームは、甲子園1回戦の旭川志峯(北北海道)に勝利したあと、混乱を招いたとしてその後の試合出場辞退を8月10日に決定した。その日のうちに大阪から広島に戻った選手たちは、それぞれの地元に帰ることなく寮生活を続け、3年生は現在も練習にも参加しているという。

退任したコーチが「練習の見守り」を行う理由
 
しかし、夏の甲子園まで3学年をあわせた部員数は163人(そのうち女子マネージャーが11人)だ。それだけの数の部員に対し、指導者は松本氏と、野球経験のない瀧口氏だけでは安全面の管理や予期せぬケガが発生した場合の対応に十分な人数とはいえまい。3人のコーチの退任理由と、安全面で心許ない現状への対応策を学校に尋ねたところ、以下の回答だった。

「松本監督以外の者について、当分の間、指導から外れることとしております。なお、中井哲之、惇一以外の者は、安全管理及び健康観察のため練習の見守りを行っております。3年生が公式戦から引退しており、2年生が活動している状況です」

中井親子だけでなく3人のコーチが退任していることを認める一方、「練習の見守り」役として練習に帯同しているという。結局、いずれコーチに復帰することを見据えながら、批難が集まる現時点では一時的にコーチの立場を外れているということだと感じられる。そう考えると、中井前監督や惇一氏の復帰も想定されているのではないかと勘ぐってしまうのだ。
30日、31日の試合では謹慎処分を受けていない2人の元コーチが選手たちに試合の運営が滞らないよう指示する姿もあった。30日には謹慎処分を受けた元コーチも姿をみせていた。日本学生野球協会から3か月の謹慎処分が下ったコーチは、いくら技術指導などはしていないとはいえ、試合会場に姿を見せることは許されるのだろうか。

広陵高校は今年1月に寮で起こった集団暴行事件に関して、改めて第三者委員会を発足し、再調査することを決定した。結論が出る時期について尋ねると、「本校の調査では今年1月に複数人がそれぞれ暴行をした事実を認定しておりますが、調査方法、調査機関については組織された委員におまかせしており、これから開始する委員会についても同様です。結論の時期については承知しておりませんし、本校から希望を申し上げることも不適当と考えております」との回答だった。

A君が被害に遭った事件で第三者委員会の焦点となるのは、中井哲之前監督からの暴言やパワハラがあったかどうか、だろう。中井前監督の口から謝罪や経緯の説明がないまま第三者委員会の結論が野球部の当初の主張と食い違うようなことがあれば、中井前監督が高校野球の現場に復帰する未来はまず描けないだろう。

☟砂利で正座、入学前なのに…監督から「ピッチャーはクビ」 強豪校の厳しすぎた“指導”
https://news.yahoo.co.jp/articles/70297d7afd60cfc943838820ea9d02ec81d78e4e?page=1

羽田耕一氏は高校で投手から野手に転向

元近鉄内野手の羽田耕一氏は1969年、兵庫・三田学園に進学した。尼崎市立若草中ではエースとして近畿大会準優勝。高校でも投手を続ける気持ちでいたが、当時の日下隆監督から早々に野手への転向を命じられたという。2年先輩に山本功児内野手(元巨人、ロッテ)、1年先輩には淡口憲治外野手(元巨人、近鉄)がいるなど、チームのレベルも高かった。「まぁ、プロ養成みたいな感じですかねぇ」と振り返った。

羽田氏は若草中軟式野球部時代に近畿大会準優勝したエース右腕だが、チームメートにも逸材が揃っていた。「北陽さんからレギュラー全員来ないかという話があったと聞きました」。1966年に夏の甲子園初出場を果たした北陽(現・関大北陽)からの誘いに気持ちが揺れ動かないわけはなかったが、最終的に選んだのは1967年春の選抜に初出場、羽田氏が入学直前の1969年春の選抜にも2度目の出場を決めていた三田学園だった。

「監督の日下さんが僕の父親(正美さん)と小学校時代の同級生という間柄でね。それで行けって言われて……。そんな感じで決めました。日下さんは近畿大会を見に来られていて声をかけてくれた。(若草中からは)僕とキャッチャーとサードが三田学園に行くことになりました」。監督と父親の縁があったからこその選択。中学時代同様に、まずは投手としてスタートしたが、いきなり野手転向を命じられた。

「まだ入学する前でしたね。1月の雨の日だったかな。室内のブルペンで投球練習をしていたら、監督が『もうええ』って。理由は何も言われなかったけど、ピッチャーはクビということで……。一緒に(若草中から)入った同級生のサードがピッチャーになった。僕と入れ替わったんです」。結果的に羽田氏は野手として力を発揮し、中学時代の三塁手から投手に転向した甲斐富士男投手はのちにエースとして活躍し、コンバートは成功する。

「まぁ、僕もピッチャーか野手か、どっちで行こうかなぁというのはあったんでショックはなかったですけどね」。当時の三田学園のレベルは高かった。「日下さんが監督になってからプロから声がかかるような選手が毎年いたんですよ。(元阪神レジェンドの)藤村富美男さんの息子さん(で内野手)の藤村雅美さんは僕が入学前の(1967年)ドラフトで(東京オリオンズから5位)指名された。拒否して法政大に行かれましたけどね」。

同じ1967年ドラフトでは吉岡邦広投手が6位指名で東京入り、安井智浩外野手は阪急に10位で指名された(交渉権放棄で法大進学)。羽田氏が入学してからも、その傾向が続いた。「僕が1年の時の3年は山本功児さん。(1969年ドラフトで)南海に(3位)指名されたけど、拒否して法政に進んで、そこから本田技研(鈴鹿)に行って(1975年ドラフト5位で)巨人。僕の1年上の淡口さんも(1970年ドラフト3位で三田学園から)巨人に行きましたしね。あの当時はなんかプロ養成みたいな感じでしたかねぇ……。きつかったですけどね」。

打撃に力を入れたことがプラス、強豪校で1年から頭角
 
尼崎市出身の羽田氏だが、野球部での練習時間を考えて自宅からの通いではなく、敢えて寮で生活した。「門限は一般学生が18時で、野球部は21時くらいだったかな。1分でも遅れると寮監の先生の手が飛んでくるんです。そういうのも厳しかったですよ」。今はもう完全アウトの厳しい上下関係もあったという。「根性野球っていってね。今じゃ通用しませんけどね。砂利のところで正座したり……。よっぽど体が強くないとね」。

先輩もいろいろだった。「高校の時、山本功児さんとは挨拶するくらいでしたけど、優しいんですよ。説教された記憶もないです。でもいるだけで怖い。そんな感じでしたね。淡口さんは説教が好きじゃなかった。(自宅からの)通いだったから、(後輩に)そんなことをするよりも早く帰りたかったでしょうしね。もちろん説教が好きな先輩もいましたけどね」。そんな日々を過ごしながら、羽田氏は1年夏の大会からベンチ入りした。

「入った時は、すごい先輩ばかりだし、試合には出られないなぁって感じていたんですけど外野手として背番号をもらった。16番だったかなぁ」。投手から野手に転向し、打撃により力を入れたのがプラスになった。その年の春の選抜に出場した強豪チームで1年から頭角を現した。夏の兵庫大会、4番・山本功児内野手を擁する三田学園は準々決勝で滝川に0-1で敗れ、春夏連続での甲子園出場はならなかったが、その試合でも羽田氏は代打で出場し、そのまま左翼の守備に就き、3打数1安打だった。

「あまり覚えていないけど、ヒットはたまたま相手ピッチャーが僕のスイングにあったんじゃないですかねぇ」と笑みを浮かべながら、こう続けた。「1年ですからね。もう必死なんですよ。だから、その頃の記憶って飛んでしまっているんですよねぇ……」。とはいえ、やはり1年時から抜きん出たものはあったのだろう。2年生では三田学園の「4番・遊撃手」として春の選抜に出場する。

📝「100人いた野球部員が15人まで減少」高校野球“消えた名門”箕島高校の今…地元の人が「昔は強かったみたいですね…」甲子園優勝4回、奇跡の公立校に何が?
https://news.yahoo.co.jp/articles/b1944e661c6b956938ccc22d467c7aa1c3e87f3b

人口2万5000人ほどの和歌山県有田市。ここに、かつて日本で一番強い野球部があった。10年ほど前は100人近くいた野球部員が、一時12人まで減った。最後に甲子園に出たのは13年前……名門・箕島高校はなぜ勝てなくなったのか?

かすかに海のにおいがした。箕島駅を出て南に直進し、有田川にかかる安諦橋の上で河口側に目を向ける。紀伊水道はうっすらとしか見えないが、川に沿って潮風が漂ってくるのを感じた。国内有数のみかんの産地として知られる和歌山県有田市。その中心部にあたる箕島に、かつて高校野球界を席巻した名門校がある。和歌山県立箕島高等学校。春3回、夏1回の全国制覇を果たし、1979年には公立高校として史上唯一の甲子園春夏連覇を達成した。率いたのは名将・尾藤公。野球部OBも錚々たる顔ぶれで、通算251勝の東尾修、元メジャーリーガーで現千葉ロッテマリーンズ監督の吉井理人をはじめ、数多のプロ野球選手を輩出している。

「高校野球史上最高の試合」
 
ひとつの試合が、いまも奇跡として語り継がれている。1979年8月16日。16時6分にプレイボールした夏の甲子園3回戦で、センバツ王者の箕島は石川県代表の星稜と対戦した。1対1で突入した延長戦。のちにプロ入りする石井毅(現:木村竹志)と嶋田宗彦のバッテリーを擁した箕島は、12回表と16回表に星稜の勝ち越しを許す。しかし裏の攻撃で二度にわたってツーアウトからのホームランで同点とする。二度目のホームランの直前には、キャッチすればゲームセットのファウルフライを星稜の一塁手が転倒して捕りそこねる信じがたい幸運もあった。時計の針は20時を回ろうとしていた。3対3で迎えた延長18回裏。1死一・二塁からサヨナラタイムリーが飛び出し、3時間50分の死闘は箕島の勝利で幕を閉じた。18回を投げ抜いた石井の球数は257球、対する星稜の先発・堅田外司昭の球数は208球。甲子園球場の投光器から降りそそぐ二色の光のもとで、野球というスポーツが生み出しうるあらゆる感情が交錯していた。

のちに「高校野球史上最高の試合」と称される一戦を制した箕島は、その勢いのまま春夏連覇を成し遂げる。劇的という表現さえ陳腐に思えるような、途方もないドラマだった。ノンフィクション作家の山際淳司は、この試合を題材に「八月のカクテル光線」(初出:『Sports Graphic Number』1980年8月20日号「465球の奇跡」を改題)を執筆した。山際はこう記している。

《それは真夏の出来事だった。夏でなければ起きなかったかもしれない。夏は時々、何かを狂わせてみたりするのだから。》

狂っていた「何か」の代償を支払うかのように、翌年以降、箕島は神がかり的な勝負強さを喪失した。1979年の夏を最後に、全国の頂点に立っていない。最後の甲子園出場は2013年の夏。1回戦で山梨県代表の日川に2対4で敗れた。

「昔は強かったみたいですね…」
 
近年の状況はさらに苦しい。2023年夏の和歌山大会2回戦で勝利して以降、2025年の春季大会まで公式戦6連敗。全国大会や近畿大会への出場はおろか、和歌山県内でも勝てない。全盛期に約100人いた野球部員の数は、2023年には一時12人まで減少した。今年も夏の県大会を終えて3年生が引退した時点で、部員数はわずか15人。苦境はなおも続いている。かつての名門に、いったい何があったのか。

箕島駅から徒歩圏内の日用品を扱う個人商店で、往年を知る女性店主に話を聞いた。尾藤公監督と同時期に箕島高校に在籍していた後輩だという高齢の店主は、春夏連覇を達成したあの夏の空気をはっきりと記憶していた。

「そらすごかったねえ。駅前からパレードやって、このあたりの人らがみんな集まって。何人おったんやろうね。あれは忘れられん。甲子園にも何度も行きましたよ。あのころ、箕島の野球熱はすごかった。いまじゃ考えられんけどね」

駅北側の山の斜面に広がるみかん畑の緑は、おそらく半世紀前とそう変わりないだろう。だが、あの奇跡から46年後の夏、箕島の街にはパレードの余韻も残滓も見当たらない。駅と有田川を結ぶ箕島停車場線の人通りはまばらで、シャッターを下ろした店も多い。どこかの民家の軒先にかけられた風鈴の音さえ聞こえてくるような静けさと、不釣り合いに強烈な夏の陽射しに焦りを覚えて、目についたカフェに入る。注文したアイスコーヒーを待ちながら、先の店主よりもはるかに若い世代の店員に「箕島といえば野球、ってイメージはありますか?」と問いかけてみた。

「昔は強かったみたいですね。でも、リアルタイムでは全然知らないんです。有田市出身なんですけど、野球もあまりわからなくて。ごめんなさい」

テイクアウトでコーヒーを頼んだだけのよそ者に「熱中症、気をつけてくださいね」と冷たい水を供してくれた親切心に感謝しながら、同時に寄る辺ない気持ちになる。およそ半世紀も前のことなど、それ以降に生まれた世代は知らない。知るはずもない。1989年生まれの筆者にも、当然ながら箕島が強かったころの記憶はない。NHKの甲子園中継の合間に挿入される「白球の記憶」と、そこに映し出される「尾藤スマイル」、いくつかの関連書籍、実感のわかない資料的な事実。おおまかにいえば、それらが箕島について知っていることのすべてだった。

現監督に聞く「箕島はなぜ勝てなくなった?」

「たしか少年野球をはじめたばかりで、練習帰りやったかな。まだ野球の“や”の字もわかっていないころやったんですけどね。いまも鮮明に覚えてますよ」

箕島高校野球部現監督の北畑清誠は、1979年のあの夏の日をたしかに記憶していた。有田市に隣接する有田郡有田川町出身、1971年生まれの54歳。小学2年生だった北畑が甲子園の中継にチャンネルを合わせたとき、すでに日は沈んでいたという。「そう、ナイターでね。たぶんもう終盤やったと思います」当時の北畑少年が、その試合をどれほど特別な記憶として胸にとどめていたのかは定かではない。それでも、となり町にある高校の「日本一の野球部」に憧れを抱くには十分だった。尾藤監督の箕島で野球をやることは、中学時代まで有力な選択肢であり続けた。
だが高校受験にあたり、鉄工所を営む父に「野球でメシは食えんど」と釘を刺された。進学先に選んだのは、学力面や進学実績において箕島よりも優れていた有田郡湯浅町の耐久高校だった。この1852年創立の伝統校がのちに箕島の“競合相手”になることなど、このときの北畑には知る由もない。

日体大を卒業し、有田中央と母校の耐久で監督を経験した北畑は、2019年に箕島OB以外で初めて同校野球部の監督に就任した。野球の原体験ともいえる箕島に、巡り巡って指導者として携わる。情熱は疑うべくもない。OBではないとはいえ、いや、むしろOBではないからこそ湧き上がる使命感もあるだろう。それでも聞かなければいけない。「箕島は、なぜ勝てなくなったのですか?」と。

              <続く>

⚾岩手さんへ
審判員の判定・・・云々の試合は「おかやま山陽ー玉野光南」しか考えられないですね!あんなのしょっちゅう起っていたらたまったもんじゃあないですよ!!
真夏のお昼前にプレー中断50分して両アルプスの関係者たちがよく倒れなかったもんだと感心します。

雨天中断や選手治療で試合が止まるのは仕方ないですが、あれは現場で観ていて収拾がつかなかったし、玉野光南はまだおとなしく引き下がったと思いますが、長澤監督がいた頃の創志学園だったらナイター点灯していたかも?!
広島新庄も迫田監督の弟さんがいた頃に1時間20分程度抗議して中断したらしいし、10数年前の秋に「明石商ー加古川北」の試合でサヨナラホームランか?エンタイトルツーベースか???で大混乱して50分中断して最後は加古川北が整列拒否して強制終了ということも・・・あの日僕は明石で観戦していたので、姫路に行っていればなあと・・・。ただ、あの日もかなり熱かったので長期中断のちに第2試合観戦だと相当疲れたでしょうから・・・・・・。

あとは渡辺監督がいた頃の横浜がセンバツで関東一相手にスクイズ成功と思わせて、ホームベース空過、アウト判定で抗議。あとは横浜スタジアムで振り逃げ3ランもありましたね。

和歌山は明日が新人戦決勝。互いに手の内を隠すか?ガチンコで勝負するか?分かりませんが、二次予選決勝まで当たらないので真剣勝負してほしいところです!
2025/09/06(土) 22時16分42秒 No.1998 編集 削除
 一昨日になるか。
ある県の夏予選準決勝で打球処理体制の時に塁審と激突したプレーの審判員の判定についての事だろうと思いますが、岡山大会の事でしょうね。

週間ベースボールの先週号、75項にありましたね。
元NPB審判員の山崎さんのルール解説でみました。
 私の手元の野球規則は2007年版では9,01でしが、これでは8,01の所にあるようですね。
 私も成り行きで、得点1点、1,3塁再開ではなく、満塁で再開と思いますが、規則に載っていない事を大会本部の役員の解釈した事だろうだからしょうがないけど、高野連事務局?に問い合わせることもあってよかったのでは!個人的見解です。

最後は、秋季大会の宮城、山形、秋田、青森、福島は組み合わせが決定しました。

和歌山はやはりCが筆頭ですね!
2025/09/06(土) 22時07分49秒 No.1997 編集 削除
⚾明日の和歌山大会新人戦組み合わせ(8日目 準決勝 田辺SP球場)
 ☆☆ 09:00~ 市和 歌山-高 野 山
  ☆ 11:30~ 日高 中津-智弁和歌山

⚾明日の和歌山大会一次予選組み合わせ(初日 1回戦)
上富田球場
  ☆ 09:00~ 有貴南連合- 星 林
 ☆☆ 11:30~ 近大 新宮- 海 南
    14:00~ 串本 古座-紀 北 工

田辺SP球場
    14:00~ 和歌 山工-和歌 山北

📝令和7年度 秋季兵庫県高等学校野球大会組み合わせ
http://www.hyogo-koyaren.or.jp/homepagedata(R7)/25aki.pdf

💢松本国際高野球部員、嫌がらせで寮の部屋の壁に焼き肉のたれつける…高野連には6か月間報告せず
https://news.yahoo.co.jp/articles/0b4421fb2de6b4df93ab82860b93dcb1bbdd261f

日本学生野球協会は4日、松本国際高校の野球部長で40歳代の男性教諭を3か月の謹慎処分にしたと発表した。同校の生徒寮で今年1月、当時2年生だった野球部員の部屋の壁に、別の部員が嫌がらせで焼き肉のたれをつける事案が起きたが、学校側は7月まで日本高校野球連盟に報告しなかった。

校長「部の中で決着をつけてしまった」

高野連によると、嫌がらせを受けた部員の保護者からの訴えを受け、学校側に報告を求めたところ、7月に報告があった。高野連側は、日本学生野球憲章違反が疑われる事案について速やかに報告するよう求めており、同校の小西信久校長は「部の中で決着をつけてしまった」と陳謝し、「今後はガバナンスを強化し、再発防止に努める」とした。

同校によると、この事案に関わった部員3人は、同憲章に違反したとして高野連から7月に厳重注意された。同校も、部員3人に対し、2週間の部活動停止などを命じたという。同校は、今年の夏の全国高校野球選手権県大会でベスト4になるなど強豪校として知られている。

💢野球部コーチ処分 金沢学院大と附属高 暴力、不適切発言で謹慎 
https://news.yahoo.co.jp/articles/ffa271f4abd0bb0b7633f614e5320d34ceff2d9f

日本学生野球協会は4日、金沢学院大野球部で暴力、金沢学院大附属高野球部で不適切発言があったとして、両校のコーチ各1人に謹慎処分を科したと発表した。
関係者などによると、金沢学院大では、コーチが部員に暴力を振るった。報告義務違反もあったとして8月6日から2カ月の謹慎処分とした。

金沢学院大附属高では、コーチが部員に対して不適切な発言をした。報告義務違反もあり、コーチは7月9日から半年間の謹慎となった。今月6日に始まる北信越高校野球石川県大会には、夏の選手権大会から監督、コーチを変更して臨む。

金沢学院大は取材に対して当該事案の詳細は明かさず、「いずれの処分も重く受け止め、再発防止に向けて指導を徹底したい」とコメントした。

📝左投げの捕手&三塁手、ダンゴムシ打法...25年前、甲子園で異彩を放った個性派集団・那覇高校の戦い
https://news.yahoo.co.jp/articles/15483a4aafb2837de0704abf96f89f589dedc83a

超個性派集団・那覇高校の夏(前編)

25年前の夏、甲子園に異彩を放ったチームがあった。那覇高校──左投げキャッチャーに左投げサード、奇想天外な打法......セオリーを覆す個性派集団は、観客の度肝を抜き、甲子園の球史に刻まれた。

【まるで野球漫画から飛び出してきたよう】

「もう、あれから25年経つんですね。あの夏は楽しかったですね」

精悍な顔つきの長嶺勇也は、しっかり目を見据えて言った。この時は、「あの夏」という言葉の本当の意味を知らず、普通に聞き流していた。2000年夏の甲子園に出場した沖縄県代表・県立那覇高校は、とにかく異端の存在だった。1世紀を超える甲子園の歴史のなかで、これほどまでに好奇の目を向けられ、一挙手一投足に注目を集めた高校がほかにあっただろうか。

2年生の左投げのキャッチャー・長嶺勇也に、左投げのサード・金城佳晃。3年生には、極端にかがんで構える「ダンゴムシ打法」の比嘉忠志や、左足を大きく上げてアッパースイングのように豪快に振り切る宮里耕平などがいた。セオリーを覆す、まるで野球漫画から飛び出したような個性派選手たちが並び、甲子園を大いに沸かせた。

「もともとはピッチャーだったんですが、高校に入って肩を壊して外野をやっていたんです。同級生の成底(和亮)がいいピッチャーだったので、自分がうまくリードすればもっとよくなると思い、監督に進言してキャッチャーへコンバートしました。

キャッチャーがファーストへ回り、ファーストの比嘉さんが押し出されるように代打専門になった形です。ちょうどこの頃から左打者も増えてきたので、左投げのキャッチャーだからといって、スローイングの際に特に不利だと感じたことはありませんでした」

長嶺はさもありなんといった感じでと話してくれたものの、栄光ある甲子園の歴史において、左投げのキャッチャーと左投げのサードが同時に登場したのは、後にも先にも那覇だけである。

【短時間で質の高い練習を追求】

那覇は、旧制二中として県下有数の進学校であり、戦後はアメリカ軍の砲撃で球場が壊れたため、県大会が那覇高校のグラウンドで開催されるほど由緒ある学校でもある。進学校ゆえに、練習時間は夏場でも多くて3時間、冬場は2時間しかとれない。当時は、沖縄水産や沖縄尚学のツートップに加え、浦添商や中部商といった商業系の公立高校が奮闘し、県内を席巻している時期だった。
そんななかでの那覇の大躍進は、なんといっても外部コーチから監督に就任した池村英樹の手腕によるところが大きい。とにかく2年半という限られた時間の高校野球で、那覇高校の設備や練習量を考慮すると、短所を矯正して勝負に耐えうる準備まで手が回らない。そこで池村は、短所を補うよりも長所を最大限に生かす方針を採用。バッティングも、コツコツ当てるスモールベースボールではなく、バットにボールを乗せて遠くへ飛ばすスタイルを推奨した。

「強豪校が10の練習量で1を知るなら、ウチは2の量で1を知れば対等だ」と選手たちに説き、限られた時間のなかで効率化を徹底するため、準備の大切さを叩き込んだ。

グラウンドを全面使える時間が1時間しかない場合、残りの時間をどう有効活用するかを自分たちで考えた。ソフトボール部やラグビー部が使っている時間帯でも、内野は使用可能なため、内野ノックやバント練習をすぐに始められるように機敏な動きで準備をする。また、メンタルトレーニングにも余念がなく、リラックス効果を確かめるために練習試合では選手にガムを噛んでプレーさせたり、スポーツ飲料やプロテインなど、いいと思ったものはどんどん選手に提供した。水分補給にしてもわざわざベンチに戻る時間が惜しいため、コーチャーボックスやファウルゾーンに水を置いておき、自由に飲むことができた。すべては短い時間のなかで質の高い練習をやるためだ。

【沖縄水産を延長で破り甲子園出場】

夏の県大会が始まり、目標は「甲子園出場」と掲げていたものの、誰も本気で行けるとは思っていなかった。初戦の南部商に10対0で勝利すると、2回戦は具志川に8対2、3回戦は浦添に8対1。ここまでは勝ち進めると思っていたが、準々決勝で春季大会優勝校であり第1シードの中部商に6対2で勝ったことで勢いがついた。そして準決勝の相手は、前年の秋季大会準優勝の浦添商。

「準決勝の浦商戦で、ピッチャーの成底がケガをしたんです。背筋がボコッと膨らんで、まるでふくらはぎのようになっていました。試合は0対0だったので、『勝ち越すまでは監督に言わないでくれ』と告げられ、7回にようやく勝ち越して......結局、最後は継投して2対1で勝ちました。しかし、その後は『さあ、決勝戦をどうするか』という状況でした」

決勝は名将・栽義弘監督率いる沖縄水産。じつは那覇のエース成底は県内屈指の好投手だったため、那覇は栽から何度も練習試合を申し込まれていた。だが、甲子園出場はおろか、全国でも上位進出を目指す沖縄水産の前にいつも大敗を喫していた。決勝戦、那覇は二番手の豊原啓人が先発した。ツーシーム系の球が面白いように決まり、沖縄水産打線を封じていく。そして試合は3対0と那覇のリードで9回を迎えた。9回無死満塁からエースの成底が登板するも同点とされ、試合は延長に突入。それでも那覇は10回表に2点を勝ち越し、その裏を0点に抑えて勝利。夏の甲子園初出場を決めた。

優勝が決まった瞬間、三塁側スタンドにいた那覇高校の大応援団がいっせいに下に駆け寄り、フェンスを壊すという珍事が起こるほど、北谷公園野球場は歓喜の渦に包まれた。長嶺は言う。

「甲子園では対戦相手のことより、成底のケガが心配で......。ただ、幸いにも初戦が大会7日目になったことで、なんとか間に合いました」

エースが回復したことで、選手たちは気後れすることなく試合に臨めた。

【甲子園初戦で劇的勝利】

8月14日、甲子園での中京商(岐阜)との初戦、1回裏の先頭バッター宮里の足を大きく上げるバッティングスタイルを目にした観客たちは一様に高揚し始める。

「何が起こるんだ......このチームは!?」

そして1回裏、那覇が守備につき、ボール回しが始まった瞬間、観客席から「おおぉー」とどよめきが起こる。左投げのキャッチャーとサードを、甲子園で初めて目にしたからだ。当時サードを守っていた金城はこう語る。

「甲子園練習の時からメディアにずっと同じ質問をされていたので、試合当日も注目されるんだろうなと覚悟していました。中京商戦では、気がついたらもう5回を過ぎていて、あっという間に時間が経った感覚でした。延長11回までもつれましたが、守備機会はたったの1回だけでした」

延長10回裏の中京商の攻撃。二死三塁と一打出ればサヨナラという場面で、この試合初めてサードに飛んできたゴロを金城が軽快にさばき、クルっと反転してアウトに仕留めると、スタンドから大歓声が沸き起こった。そして11回表、那覇は二死二塁から中京商のショート・松田宣浩(元ソフトバンクほか)の悪送球で決勝点を奪い、2対1で勝利した。だが、次の育英(兵庫)戦は、長嶺をはじめケガ人が続出し、ベストメンバーを組むことができなかった。2対7と5点リードされて迎えた7回裏、二死満塁で代打に出た比嘉が当時を振り返る。

「歓声がすごいなと感じていました。グラウンドがちょっと揺れていましたからね。構えた瞬間、『おおーっ』とちょっと笑い声が起きたと、あとで聞きました」

唯一無二の「ダンゴムシ打法」に観客は度肝を抜かれ、つい笑いも誘ってしまったが、強烈なインパクトを残した。
結局、満身創痍の那覇は育英に2対12と大敗。それでも個性派集団の那覇は甲子園の歴史に爪痕を残した。そして沖縄に戻り、長嶺らを中心とした新チームで始動した矢先、事件は起こった。

                      つづく

📝「もう一度、甲子園へ」の希望が絶望に変わった日 伝説の超個性派集団・那覇高校に起きた悲劇
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/hs_other/2025/08/21/post_93/?utm_source=news.yahoo.co.jp&utm_campaign=%2Fclm%2Fbaseball%2Fhs_other%2F2025%2F08%2F21%2F25%2F&utm_medium=referral

超個性派集団・那覇高校の夏(後編)

左投げのキャッチャーにサード、極端にかがんで構える「ダンゴムシ打法」など、セオリー度外視の個性的なスタイルで、2000年夏の沖縄大会を勝ち抜き、甲子園でも1勝を挙げた那覇高校。甲子園が終わり、沖縄に戻ると新チームが発足した。新キャプテンとなった左投げのキャッチャー・長嶺勇也のもと「もう一度、甲子園へ」を合言葉に、チームの結束力は高まっていた。だが、その矢先、思いもよらぬ事態が野球部を襲った。

【甲子園へと導いた監督の突然の解任】

「汚ねえなぁ」キャプテンの長嶺は校長室をあとにし、そう呟いた。

甲子園が終わり、沖縄に帰ってきた那覇高校野球部はエースの成底和亮と長嶺の甲子園バッテリーが残ることから、新チームにも大きな期待が寄せられた。しかし、秋季大会は、長嶺の骨折など主力数名のケガによりベストメンバーが組めず、準決勝で宜野座高校に3対5で敗れ、翌年春の選抜への道は断たれた。さらに追い打ちをかけるように、監督の池村英樹が突然解任されたのだ。

「その年から沖縄水産で部長をしていた親川(聖)先生が来られていたので、学校側としては夏の大会が終わったら、親川先生に監督をやってもらうというのが既定路線だったようです。でも、池村さんで夏の甲子園に出場したからすぐに替えるわけにもいかず、秋季大会の結果を見て更迭したんです。せめて僕らの代だけは、最後の夏まで池村さんに監督をお願いしたいと、校長に何度もかけ合ったのですが......」

長嶺は悔しさをにじませながらそう言った。2年生20人の意見をまとめて、キャプテンの長嶺は何度も校長に直談判し、「わかった」と返事をもらったが、現状は何も変わらず。業を煮やした長嶺は、ポケットにICレコーダーをしのばせて話し合いに行ったこともあった。

「秋季大会は骨折で試合には出場できなかったんですけど、ベンチから見ていてチームがまとまっているのが手に取るようにわかったんです。夏の県大会はベンチ入りするも、甲子園では外れた4人のメンバーは、大会期間中に洗濯やボール拾いしかしてないはずなのに、ものすごく上達しているんです。いい意味で『オレたちは強い』と勘違いし、自信がみなぎっていました。甲子園の力というのを、まざまざと感じました」

アップする際のTシャツもバラバラだったのが、誰からともなく「みんなで揃えようぜ」となり、自然と一致団結するようになっていた。選抜の道は断たれたが、「最後の夏はもう一度甲子園へ」と希望を膨らませていただけに、池村の解任の知らせはまさに夢を打ち砕かれたような衝撃だった。

【意地になって引くに引けない状態に】
 
池村の指導法はじつに合理的であり、選手たちにとっては目からウロコの連続だった。トレーニングにしてもただ単調なことをやるのではなく、たとえば腹筋を鍛える場合はV字にほかの筋トレを組み合わせたりして、選手たちが飽きないように創意工夫されていた。また、シートバッティングや紅白戦で、ちょっとでもミスがあれば「どうしてそうしたの?」と常に疑問を投げかけた。どうしたら勝てるのかを選手たちで考える能力を養うため、プレッシャーをかけ続けたのだ。ベンチ入りメンバーを決める際には、長所を伸ばす野球を遂行するため一人ひとりと面談をして納得のもと、代打、守備、代走要員をつくっていった。前年夏の甲子園で注目を集めた「ダンゴムシ打法」の比嘉忠志が振り返る。

「部室で着替えてからグラウンドまで走っていくなかで、落ちているゴミを拾わないと怒られましたよね。よく見ているなぁと思いました。普段から注意深くすることで視野が広がるというか、集中力が増しますよね。監督が来たらピリッとします」

グラウンドに緊張感を持たせることは、戦う集団にとって必要不可欠である。池村は、強豪校に比べて技術や体力で劣る分、普段の生活からも厳しく叱咤することで集中力を養わせた。そんな池村を選手たちは「池さん」と慕い、長嶺もまた、自身の野球観を大きく変えてくれた池村に心酔していた。

「秋季大会は準決勝で、選抜に出場することになる宜野座に敗れましたが、(その前の)8月はほぼ甲子園で、新チームの始動はかなり遅れましたし、僕ともうひとりの主力がケガで欠場するなか、準決勝まで進んだんです。来年の夏までにはまだ時間があるし、しっかり練習を積めばもう一度甲子園に行けると思っていました。だからこそ、池村さんの監督復帰を強く望み、意地になって引くに引けない状態になっていったのかもしれません」

周囲の目には"わがまま"と映るなか、時には練習をボイコットすることもあった。練習試合でもふてくされた態度で臨むなど、甲子園で見せたあの輝きはすっかり消え失せてしまった。

【ぞれぞれの思いが交錯しチームは空中分解】

憤懣やるかたない思いを抱えた2年生全員は、話し合いのたびに泣きながら感情をぶつけ合った。最初こそ一致団結していたものの、学校側との交渉が長引くにつれて、次第に分裂していった。長嶺が言う。

「(練習のボイコットをしたものの、大学の)推薦のこともあるので、学校側を敵に回したくないという理由でチームに戻る者もいれば、成底のように『最後まで野球を続けたい』という強い思いから戻っていった者もいました。そうやってチームは次第に分裂していったんです」

キャプテンとして20人の選手をひとつにまとめたい思いが強かっただけに、長嶺にはやるせない思いが募っていった。監督問題は年を越し、春頃まで紛糾した。チームは空中分解のまま春季大会に出場し、エースの成底と長嶺のバッテリーはもはや修復不能の状態だった。準決勝の浦添商戦では長嶺のパスボールが決勝点となり、0対1で敗れた。左投げのサードの金城佳晃が、当時を振り返り切々と話してくれた。

「僕自身も理屈っぽくて生意気なところがあったので、長嶺と一緒に最後まで学校側と戦いました。最初は『指導できる学校の先生を監督にする』という理由で池村さんを解任したはずなのに、時々教えてくれていたOBの方が監督に就任したんです。だったら『最初から池村さんを辞めさせる必要があったのか』という話になりますよね。どうしても納得できませんでした。結局は学校側の都合に振り回されてしまった感じで、最終的には(チームに)残ることになったんですけど......」金城はそれ以上、話すことはなかった。

【最後の夏の大会前に退部】

そして長嶺は、秋季大会以降の記憶がないという。

「(学校側に抗議して、練習ボイコットなどをしていたのは)結局、最後は3名になってしまい、(金城)佳晃は池村さんからの『やめるな』という言葉で戻っていきました。僕も言われたのですが、バッテリー間で全然うまくいかないこともあって、夏の大会前に辞めました」

高校2年夏に主力として甲子園に出場し、複数ヒットを放った男が最後の夏の大会前に退部したのだ。18歳の少年にとって、先頭に立って周囲との軋轢を抱えながらも義を貫き、学校側と戦った日々は、ストレスとプレッシャーに満ちていたに違いない。人間は必要以上に神経と力をすり減らすと、その期間の記憶が真っ白になってしまうことがある。いわば自浄作用だ。それほどまでに、長嶺にとって高校2年の秋から高校3年の夏までの9カ月間は、学校組織の理不尽さとやるせなさを全身で体験する日々であり、どれほど声を枯らして咆哮を上げたかったことだろう

「最後の夏の試合は、バックネット裏で見ました」という長嶺に、それは元キャプテンとしての責任感からなのかと問うと、「どんな感じの試合をするのかなという......」と、そこから言葉が途切れた。これ以上、聞くのをやめた。

那覇は1回戦で、前年の決勝で戦った沖縄水産と対戦し、2対3で敗れてあっけなく夏を終えた。
その後、池村はおかやま山陽高校の監督に就任したが、体罰指導で保護者から訴えられ高校野球界から事実上、追放の身となる。そして43歳の若さで鬼籍に入った。最後に、高校3年の夏を前に退部したことについて悔いはなかったのかと長嶺に尋ねると、ほんの一瞬だけ目線を遠くに向けたかと思うとすぐに戻し、はっきりした口調でこう言った。

「ないです。行動が正しかったのか、正しくなかったのかはわかりませんが、後悔はありません」
2025/09/05(金) 22時04分39秒 No.1996 編集 削除
8/7 初日第3試合智弁学園(奈良)-岐阜城北(岐阜) 18:52~21:36

第1話 2部制の弊害 奈良判定も相まって長すぎる甲子園初日

          一二三四五六七八九十11121314151617181920計HE
      智弁学園00000010233            7133 田近、浅井、田中-山崎
      岐阜城北00200001030            677 中本、亀山-細江

 
            第一試合  第二試合  
            滋賀学園10 健大高崎1
            有 田 工6  英  明0

 ここから始まる。106回選手権大会は2部制が初導入された!当初僕は大賛成だったが、張り切って初日チケット2枚購入して甲子園に行ったが、、、、、ものすごく疲れて今年限りで2部制は辞めて欲しいと!!

まず7時開門は同じだったが(昔は6時30分開門の年もあった)熱さ対策で30分前倒しの開会式。もっとゆっくり甲子園の朝を味わいたかったが90分弱しか静寂のひと時を過ごせなかったことがやるせなかった。。。
午前の部は3塁側・午後の部は1塁側に陣取ったが、まず開幕試合で滋賀学園が10-6で鮮やかな逆転勝ちを収めて満足していたらその余韻に浸るスキも与えてくれず強制退場・・・・・。15時まで閉門されることが分かっていたので、しゃーなしに電車で2駅隣の今津駅へ移動し定食屋で昼ご飯食べて、徒歩で甲子園に戻りコロワ甲子園で夜ご飯仕入れて・・・と事前に考えていたが、熱くて食欲湧かず「ざるそば」だけ注文して、なぜ1日2度も今津~甲子園2駅散歩しなければならないのか!!と憤慨しながらまた甲子園へ。

開幕戦は3塁側にいたのに16時からの2試合は1塁側と違和感ありあり・・・。願わくば英明と智弁学園が勝てば昨夏(2023年)初戦でぶつかり延長タイブレークで智弁がサヨナラスクイズで激闘を制した再現を14日のチケット持っているので今年はTVではなく現地観戦できる!と期待していたが・・・・・。
そこに立ちはだかったのがセンバツ優勝した健大高崎だった。2年生エース・佐藤が左ヒジ故障でベンチ外と報道されこの時点で春夏連覇はないと読み切っていたが、英明の攻撃が空回りし続け清家投手自責点0と好投していたがとにかく打線が空回りしてスクイズ失敗や最後は2死1塁から盗塁失敗でゲームセットと前年春に和智弁を下した面影はどこにもなくとにかく歯がゆい思いしかなかった。。。

ちなみにこの時、健大高崎は3塁側だったのでアルプススタンドの応援も見える位置にいたのだが、、、、、センバツの明豊・山梨学院と合わせて24年これを含めて3試合見ていたが、ご当地アイドル!?の姿は視認していなかった・・・・・。まあ、それに気づいたのは2回戦の8月14日の第1試合開始15分ほど前で・・・。3塁側内野席ずいぶんアルプス寄りに着席していたのでスコアブックの準備を終えて何気なく正面を見た折にひときわ異彩を放つ集団を見つけてしまい双眼鏡で覗き込み・・・・・



   「おーーーいこんなん反則やろう! どこのご当地アイドル連れて来たんや~~~~~!!!」



とブチ切れたのはこの試合の1週間後。もっとも熱闘甲子園の1コーナーで取り上げられなかったら、僕の誤解は一生解けなかったことだし、今大会終了後に来年チャンスがあれば思い切ってご当地アイドルを『チーム宏鈴』にスカウトしてみてもエエかなと企画していたものの、、、まさかそれが2025年3月26日・・・僕のバースデーイブに実現するとはこの夏の段階で知る由もなく、先方にとっていい迷惑だったか?あるいは関西遠征の思い出の1ページになったかどうかは分からないけれど、、、、、

個人的には若い娘さんと話しする機会なんて半世紀生きてきて数えるほどしかないし、こんな機会はもう2度とないだろうから今振り返ると思いきって良かったのかなあとは思う。スカウト自体がかれんさん以来なんでイコール若い娘さんと話しするのは15年ぶり!女学生とお話ししたのは先代以来かと思いきや、翌春にこちらによく書き込んでくれた奈良女大付のマネージャーさんがいたので21年ぶりになるのかな?

さて、閑話休題。第3試合開始2分前に全灯。銀屋根の上の照明は17時48分に点灯されていたが、これでナイターのムードが高まる。もうこの頃には開幕戦で滋賀学園が勝利したことなど忘れて、近畿勢初登場の感覚だった。。。相手が岐阜城北だけに軽くいなせると思っていたが、奈良は天理を推しまくっていただけに試合中何度「天理が出ていれば・・・」とグチっていたことか。

試合はおそらくじゃんけんで負けて智弁が先攻。いきなり見逃しの三振を取られ、2番・岡島は5球目自打球が当たり1分中断・・・その後四球で出塁すると2死から小坂監督は容赦なく盗塁のサインを出して痛みをこらえて盗塁成功。しかし4番・中道が8球粘るもセンターフライで無得点。
だが、2回は1死から連打で1・2塁と攻めダブルスチールも決まり、なんと2回で3盗塁と智弁らしからぬ機動力野球で相手をかく乱。天理ほどではないが、動かざること山の如しというか走者が出ても動かない「大仏野球」が定石の奈良県勢なんだが、、、しかし打順が下位に回りまたもや無得点。
3回はヒットと送りバントで1死2塁でクリーンアップに回し主導権を握りたかったが、相手エース・中本の我慢強い投球に翻弄されボール球に手を出し三振や3球勝負でショートゴロなど残塁の山を築く。
守っては智弁のサウスポーエース・田近が安定感抜群の投球を見せて、2回までパーフェクト外野にすらボールが飛ばなかった!
しかし3回裏1死から8番・河野にレフト前ヒットを浴び完全試合がなくなると、盗塁を許しセカンドゴロ正面の打球を近藤が弾くエラーでピンチを広げ、1番・長江のスクイズがバントヒットとなりまさかの先取点献上。さらに死球で満塁とされ3番・竹内にライト前タイムリーを浴び2点目。4番・太田はカウント1-1からスクイズを仕掛けるも空振りで結局2点に踏みとどまったが、この2失点が致命傷になりかねないダメージとなって智弁サイドを追い詰めていった。。。

3回までは元気だった智弁打線だが、2点をもらって息を吹き返した岐阜城北のエース・中本に対し4回は2死からヒットが出たものの三振。5回は1死から1・2番の連打で1・3塁と思いきやライト岩田が3塁好返球で1塁走者を刺しホームが遠かった・・・・・。しかし、智弁のエース・田近も3回こそエラー絡みで2失点したものの4・5回とパーフェクトに抑え打線の援護さえあればなんとかなると思わせつつ整備に入った。

クーリングタイム10分間が欲しかったが、初日の時点では原則16時以降の試合では行わないとのことで通常の整備のみ・・・。観衆1万人でさほど混雑することなくトイレに往復できたが、1秒でも長く球場に逗留したい僕にとっては2試合合わせて20分間の間は貴重だった・・・・・。
しかし3回を除いてパーフェクトピッチングを展開している智弁・田近投手が2点を失い毎回走者を出し続けている智弁打線が6残塁で無得点と初戦の緊張感からかずいぶん苦戦している。。。仮にこの試合逆転勝利したとしても次は健大高崎相手なんでコテンパンにやられる予感が、、、、、とりあえず今日勝たないと次はないので目の前の一戦に集中することにした。
20時に達してから6回が始まった。通常の高校野球では20時過ぎまで試合するなんてよほどのことがない限り考えられないが、このイレギュラーな流れを堪能すべく夜空の月とナイター照明をなども目に焼き付けていた。

6回は4番からの攻撃で1点でも返して反撃ムードを作りたかったが、逆に中本投手にまさかの3者連続三振を奪われ悪夢の完封負けという焦りが芽生え始めた・・・。田近投手も2番からの攻撃を3人で退け中本投手以上の安定感を誇っているが残り3イニングで最低2点・・・限りなく厳しかった。

7回表遅まきながらようやく智弁の反撃が始まった。もともと奈良は天理が後半爆発型だが、、、まず先頭の7番・山崎がサード内野安打の折に悪送球を誘い無死2塁。ここでまさかの暴投が飛び出し無死3塁と願ってもないチャンス。下位打線ゆえにスクイズでまず1点とも考えられるが、強気一辺倒の小坂監督は強攻してセカンドゴロに空振り三振とかなり厳しい局面。しかし2死から1番・佐坂がライト前タイムリーを放ち大きな1点が入った!これで動揺したか?また暴投が出てさらに四球で1・2塁と逆転の走者も出たが、3番は4回の守備から入っている八尾選手。クリーンアップの一角・近藤を中盤でベンチに下げてしまったので迫力不足は否めず、2球で追い込まれサードゴロ・・・。
しかし1点を返し野手もファインプレーで助けて田近投手は7回も三者凡退に抑えいよいよ反撃の機運が高まる。

そして8回表1死から5番・巴田が左中間ツーベースを放ち、6番・知花はボール球に手を出し三振。2死から7番・山崎初球レフト前ヒットで同点と思いきやレフト河野の好返球でホーム寸前タッチアウト!!
これで流れが大きく変わりその裏、好返球の河野が内野安打で3回以来の出塁。送りバントとヒットで1死1・3塁とされ、2番・岩田は無策で三振したものの3番・竹内の打席で2球目まさかのダブルスチールを決められ重すぎる3点目が入り勝負ありかと覚悟した・・・・・。

このままだと20時45分頃には終わりそうな雰囲気だったが、、、9回表中本投手もすでに122球投げており慣れないナイターと勝利への欲望もあってか先頭打者にデッドボールで出塁を許し、小坂監督は田近投手に代打・少路を送る捨て身の戦法。3ボールまで行き四球を熱望するもフルカウントからショートゴロゲッツーコースもまさかのエラーでオールセーフ!!
1番・佐坂は3打席連続ヒットを放っているだけに強攻して初球センター前ヒットを放ち無死満塁!2番・岡島に2点タイムリーを期待したが、最低限のセンター犠飛で1死1・2塁。八尾はそのまま打席に入りあるいはトリッキーなセーフティーバントも考えられたが、、、、、1ボールから力のないセカンドゴロ。
誰もが4-6-3ダブルプレーで試合終了と思ったが・・・・・https://www.youtube.com/watch?v=SGnM_xMZ99Q

これがいわゆる『奈良判定』というやつなのか???1塁塁審・大屋は何を思ったのかセーフのゼスチャーで試合終了のはずが2死1・3塁と首の皮一枚残り、2年生の4番・中道がカウント1-3から三遊間を鋭く破る起死回生の同点タイムリーヒットで苦しんで土壇場2点差を追いつき9回裏を作った。しかし、中本投手も気持ちが折れずに三振で退け9回裏へ。
代打の関係でエースの後はサウスポー浅井がマウンドへ。ここまで来れば延長タイブレークしかないところだが、先頭の4番・太田にショート内野安打を許し厳しくなってきた。しかし相手も緊張してか?送りバントを2球連続ファールにしてショートゴロで1死2塁。相手エース・中本はレフトフライで最後はピッチャーゴロ打球を弾くもののサードがカバーしてまさかの延長タイブレーク突入で試合終了は21時以降に持ち越しとなった!!
 
延長戦は即タイブレークとなってしまいものすごく悔しい・・・。せめて13回からタイブレークだったらまだ諦めもつくのだが、、、、、
間髪入れずに智弁は6番から城北は8番からの攻撃となり、とりあえず最低2点取れば勝利に直結すると信じていた。逆に10回表無得点ならばサヨナラ負けを覚悟しなければならないと。
果たして10回表6番・知花は定石通り送りバント。7番・山崎が4打席連続ヒットを放っているだけに。申告敬遠の恐れもあったが、相手エース・中本の悪送球を誘いわずか1球で得点が転がり込みなおも無死1・3塁。7番・山崎はきっちり初球センター犠飛で2球で2点を奪った!!9回2死まであれだけ苦しんでいたがこれもタイブレークの功罪だろうか???
2点差ついたところで、岐阜城北の秋田監督も白旗を挙げたのか?エース・中本をレフトに下げて10番・亀山がリリーフ。しかしサードのエラーに暴投で火に油を注ぎ、1番・佐坂がダメ押しのライト前タイムリーヒットを放ち6-3と突き放し僕は左うちわだった。もうこれで初戦突破したと。

ところがその裏、、、実は2点リードを奪いなおも1死1・2塁のチャンスで2番手・浅井投手に代打起用した関係で3番手に2年生・田中が最後の締めを任された。
3点ビハインドで8番からの攻撃ゆえに素直に送りバントはないと思いきや、秋田監督はバントのサインを出し、あろうことか初球これを処理した田中投手がボールを弾き、焦って1塁悪送球でまさかの失点なおも無死2・3塁と3点の貯金は風前の灯↓↓
4番手投手に代えるそぶりもなく、9番・富田は2球で追い込まれながらもしぶとく6球粘ってレフト前タイムリーで6-5と1点差に迫られなおも無死1・3塁。先ほどまでの左うちわが顔面蒼白となった、、、
ようやく小坂監督がタイムを取り同点覚悟の内野中間守備を貫き、1番・長江がフルカウントからライト犠飛でついに6-6同点・・・・・・。しかし、2番・岩田が6-4-3ダブルプレーに倒れ3点差逆転サヨナラ負けを回避し、このタイミングで阪神園芸のグラウンド整備が入りとてつもない緊張感に襲われた僕はスタンドから逃げるようにトイレへ・・・・・。

約5分間落ち着ける時間をもらって着席。汗をぬぐって11回表は4番からの攻撃だったが、小坂監督は手堅くバントのサインを出しこれが10回裏の田中投手よろしく相手の悪送球を誘い無死満塁。さらに5番・巴田も1ボールからスクイズを決めまたもや中本投手の悪送球を誘い2者生還で8-6。さらに盗塁を決め6番・知花のセンター背走に何とかキャッチし犠牲フライにはお釣りがくるような当たりで9点目。オマケに三盗も決めてイケイケドンドンの攻めで10回に続き11回も3得点。ただ、その裏の守りを考えると何点っても安心できない・・・・・。
11回裏のマウンドはまだ田中投手が続投。他にも投手はいるんだろうが、小坂監督は来年も見据えて代えないのだろうか???秋田監督は3番からの攻撃ゆえに3ランホームランで一気に同点狙いではなく、相手のミス待ち?あるいは無類のバント好きなのか???3点ビハインドでも2イニング連続送りバントで今度はきっちり処理して1死2・3塁。最悪2点返されても最後の1点さえ許さなければ、、、と考えていたら4番・太田が初球痛烈なライナーを放つもこれがショート・西川のグラブに収まり2塁走者戻りえずまさかのダブルプレー!3球でピンチ脱出し21時36分苦しみながら智弁学園が『奈良判定』の援護も受けて初戦突破。

僕はもう何が何だか訳も分からず、智弁の校歌を歌ってグッタリして夜空を見上げた。7時開門数分前に甲子園に到着して1度中抜けしたものの14時間30分ほど西宮界隈に逗留していたわけで・・・明日は8時から2試合そして17時から1試合ゆえにTV観戦でも7時起床ですか・・・。疲れすぎて『奈良判定』のこともスッカリ忘れて阪神電車に乗り込んだ。

しかし、順当に日程が進めば、チケットを持っている14日に智弁学園の試合を再度観戦する運びとなるが、相手どうこうよりもグダグダな初戦突破で課題が多すぎて2戦目ではコテンパンにやられそう・・・。ましてや相手が春夏連覇を狙う健大高崎とあっては機動力でかく乱されボコボコにやられかねないと1日雨天中止ともなれば、和智弁・滋賀学園の試合観戦できるが・・・。
そんな不安も杞憂に終わり、前年秋は近畿初戦で須磨翔風に延長サヨナラ負けで春は近畿に出れなかったチームが急成長を遂げ結局今大会3勝して8強入りし、最後は京都国際に0-4で負けたものの大健闘してくれた。

106回大会は智弁の試合よりも、もっと大きな感動を頂いた試合が多々あるので、智弁観戦記はこれにて打ち切り。次回の現地観戦はこの2日後の夕方の部17時から外野観戦。春季東海大会レギュラー全員2年生で準優勝した菰野だが、監督のパワハラがバレて部長が新監督となり、4度目の甲子園で悲願の初戦突破を目指す。相手は下関国際を決勝で下した南陽工。下関国際との対戦だったら本当に胸が熱くなるところだったが、菰野の応援に全力投球することができた。それはまた次回の講釈で。

浜田麻里 🎵Tomorrow https://www.youtube.com/watch?v=7ot2gxhvjVM

チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 犠飛 四球 死球 三振 暴投 失点 自責
智弁学園 田 近  8  30 105  5  1  0  0  1  8  0  3  2 
智弁学園 浅 井  1   4  16  1  0  0  0  0  0  0  0  0
智弁学園 田 中  2   6  20  1  2  0  0  0  0  0  3  0

岐阜城北 中 本  9 1/3 43 150 12  1  1  3  0 12  2  6  0 
岐阜城北 亀 山  1 2/3 10  25  1  1  1  0  0  0  1  3  0

                    (完)

                 🌟次回予告🌟
     8/9 3日目第3試合 菰野(三重)-南陽工(山口)
2025/09/04(木) 22時10分30秒 No.1995 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
☟広陵の52歳コーチ、不適切指導と報告義務違反で3カ月の謹慎処分 寮の清掃中に奇声を発した部員を廊下に1分正座させ口頭で注意
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd61e65d0458e988b7509d9d74fa88bd1e4ae570

学生野球の不祥事などの処分を決める学生野球審査室会議が4日、東京都内で行われ、夏の甲子園で大会中に出場を辞退した広陵(広島)のコーチが不適切指導をしたとして、報告義務違反と合わせて、3カ月の謹慎処分となった。これまで報道されたのとは別の不祥事で、学校事務職員である、このコーチ(52)は、今年4月23日の午後10時ごろ、寮内の清掃時間中に2年生部員が奇声を発していたため、廊下に1分ほど正座をさせて口頭で注意したという。

広陵は今夏の甲子園大会中に、今年初めの部員同士の暴力事件がネットで拡散され、初戦を勝ったあと、8月10日に前代未聞の大会中の出場辞退を発表。同20日に学校が部員にアンケートして、コーチのこの不適切指導が明らかになった。夏の甲子園でチームを率いた中井哲之監督はすでに退任している。

💢広陵コーチ3カ月謹慎 唐津東の監督は不適切発言で3カ月謹慎…高校14件、大学3件処分/一覧
https://news.yahoo.co.jp/articles/f73861050b489d0e219f322a742ccdfbfec023a7

日本学生野球協会の審査室会議が4日、都内で行われた。今夏の甲子園で出場辞退した広陵(広島)はコーチ(52)の不適切指導(部内)と報告義務違反で、コーチが8月21日から11月20日まで3カ月の謹慎処分となった。

不適切指導は今年4月23日、寮内で起きた。全体ミーティングでベンチ入りしている2年生に対し、ベンチ入りしていない3年生ら周囲から「しっかり認められるように、練習や生活をしっかりしなさい」と訴えがあった。ミーティング後の清掃時間にコーチが寮内を見回りをした際に、この2年生が廊下で奇声を上げて騒いでいる様子を発見。廊下に正座をさせて、口頭で指導したという。学校側が先月20日に1、2年生の現役部員へのアンケートを行ったところ、コーチから指導を受けた別の生徒から事案が報告された。

この日は高校14件、大学3件の処分が決まった。処分の一覧は以下の通り。

【高校】

松本国際(長野) 部長の報告遅れ 部長謹慎3カ月
唐津東(佐賀) 監督の不適切発言(部内)と報告義務違反 監督謹慎3カ月
金沢学院大付(石川) コーチの不適切発言(部内)と報告義務違反 コーチ謹慎6カ月
小樽双葉(北海道) 監督の不適切行為(部内)と道路交通法違反と報告義務違反 監督謹慎3カ月
札幌大谷(北海道) コーチの暴力(部内) コーチ謹慎1カ月
所沢北(埼玉) 監督の暴言と不適切行為(部内)と報告義務違反 監督謹慎3カ月
帝京第五(愛媛) コーチの暴力と暴言(部内)と報告義務違反 コーチ謹慎6カ月
広陵(広島) コーチの不適切指導(部内)と報告義務違反 コーチ謹慎3カ月
東海(茨城) 監督の体罰(部内) 監督謹慎1カ月
小松(愛媛) 監督の中学生練習参加規定違反 監督謹慎6カ月
一関工(岩手) 部長の暴言と不適切行為(部内)と報告義務違反 部長の謹慎2カ月
九州文化学園(長崎) 副部長の暴力と不適切行為(部内) 副部長謹慎2カ月
校名非公表 監督の暴言と不適切発言(部内)と報告義務違反 監督謹慎2
駒込(東京) 部長の報告遅れ 部長謹慎1カ月

【大学】

校名非公表 部長のハラスメント行為 部長除名
大阪体育大 コーチの暴力 コーチ謹慎1カ月
金沢学院大 コーチの暴力と報告義務違反 コーチ謹慎2カ月

📝審判が守備妨害になる場合 自己の裁量で裁定を下すということ/元パ・リーグ審判員 山崎夏生に聞く
https://news.yahoo.co.jp/articles/2e143a23505eef7eb2ae99eabfc48133e7010179

【問】とある地区の、甲子園を目指す準決勝での判定トラブルです。状況は二死二、三塁で打者は二遊間にゴロを打ちました。その打球を処理しようと猛然とダッシュした遊撃手がなんと二塁審判と衝突してしまったのです。その結果、打者をアウトにできず三塁走者は生還し、二死一、三塁となりました。ここで審判団は協議し、審判の妨害としてボールデッド、二死満塁での試合再開と場内放送しました。ところがここで本部席からの指示で再協議し、当初の判定どおりの処置となりました。むしろ審判の妨害として打者アウトのチェンジにすべきではないですか?

【答】審判の守備妨害は二つしかありません。球審が捕手の送球動作を妨げた時、内野手を通過する前の打球に塁審が当たった時のみです(6.01.f・原注)。これ以外は嫌いな言葉ですが、審判はフィールド内の「石ころ」と同様に扱われ、野手や走者、打球や送球に当たろうともすべてが「ナッシング」(成り行き)。審判は守備妨害や走塁妨害をしない、という前提の上でルールが成り立っているからです。

ならば守備行為にある野手が審判に衝突したならば、特殊ケースとして8.01(c)に書かれている「自己の裁量に基づいて、裁定を下」してもよいのではないかとの意見もあるでしょう。しかしルールとは「前例」の集大成であり、一度でも適用すれば以後に普遍性を持たせなければなりません。その場で勝手に変えることはできず、手順を踏む必要があります。高野連の内規、あるいは公認野球規則の改正ならばプロアマ合同の規則委員会で論議をし、そのうえで決定されるべきです。通常の試合で起こりうるプレーの99%以上はすでに公認野球規則内に書かれており、8.01(c)を適用するのは相当のレアケース。私の44年間の審判キャリアでも未適用でした。

よって今回のケースでは守備側にとっては不運だったかもしれませんが、最終判断の「ナッシング」が正解となります。

ちなみに一昨年8月のDeNA対阪神戦で、送球を受けた野手の足が故意ではなく塁をふさいでしまい、タイミングはセーフながらアウトと宣告せざるを得ないプレーがありました。これはいかに不可抗力とはいえ攻撃側に大きな不利益をもたらすのではないかと問題提起され、NPB理事会・実行委員会での審議を経て「ブロッキング・ベース」とし、アウトにはしないという内規が2週間後にできました(第36回参照)。今回のプレーも今後に頻出するようならば、論議の対象となるでしょう。

💢「広陵問題を“いじめ”と呼ぶのは違和感がある」暴力が生まれる“野球部寮の実態”とは?「カップ麺禁止だけでなく…」“謎ルール”が存在する根本的な理由
https://news.yahoo.co.jp/articles/8e3d5e0b7acd74b48ffa8e9e48e205c3eff3f14a

約100年間ずっと続いてきた「野球部寮での暴力」
 
アマチュア野球における体罰や暴力の歴史を膨大な資料とともにたどり、実証的に考察した著書『体罰と日本野球』があり、この分野の第一人者である高知大学准教授・中村哲也氏は、「広陵高校野球部の暴力事案は、構造的な要因から生じた問題の一つ」だと指摘する。さらには歴史的に続いてきた構造であり、特に「寮生活と暴力」には切り離せない関係があるという。

「寮ができた頃から、体罰や暴力は起こっていたことが資料から読み取ることができます。最初に野球部寮を作ったのは早稲田大学で、1925年のこと。グラウンドの近くに寮があれば練習しやすいという利便性に加え、チームの結束を固めるため、といった理由からとされています。

背景には、東京六大学野球や中等学校の野球大会の人気の高まりがあり、1920年代にはラジオ放送が始まっている。有名選手は自分の名前が全国中継で伝えられ、地元のスターになるし、現在のプロ野球選手みたいに女優と付き合ったり……といった話が出てくるくらいの著名人になる。のちにプロ野球ができると、高給をもらって野球が続けられる環境も出てきます。このように社会的注目が高まっていくと、いかに効率よく練習して強くなるかという視点が学校側にも生まれてきた。そして寮も誕生していったわけです」

――先ほど、寮の誕生と時を置かずして暴力も発生していたと言っていましたね。

「強くなるという大目標のもとで、チームの規律や和を乱す行動には制裁が加えられやすくなります。だから単一の部活の閉鎖的な寮では問題が起きやすい。実際、1930年代には寮での体罰や暴力の事例が数々みられます」

PL学園の“謎ルール”が存在した根本的な理由

――構造は昔も今も変わらないわけですね。

「そうですね。変わっていないから体罰や暴力も続いてきたわけです」

――近年ではどのような事案があったでしょうか? 

「まずはPL学園が浮かびます。2016年に休部、実質的に廃部となりましたが、それまでに何度も暴力の問題が明らかになり、大会への出場停止処分を受けましたが結局変わらなかった。それから青森山田高校の件もありましたね」

青森山田高校の件とは2011年12月、1年生の部員が寮内で2年生に背中を殴打されて死亡したという事件だ。1年生の部員らが消灯時間が過ぎた後、焼肉を作っていたことに腹を立て、暴行を加えたとされている。2012年の第84回選抜高等学校野球大会への推薦を辞退したが夏の甲子園の青森県予選には出場した。2年生部員は翌年1月に書類送検され、2月に自主退学。また監督は解任となった。

「あのときは焼肉で、広陵高校はカップ麺でした。PL学園にはカレーライスを食べる際、“下級生はスプーンを使うのは禁止、お箸で食べなければいけない”というルールがあったそうです。先ほどもお話ししたように(#1参照)、ルールの中身、ルールそのものには意味がない“謎ルール”は各地の部活で散見されます。ルールを守らせる人、守らされる人ということで上下関係を作っていく。それが部活であり、日本全国で現在も行われているのです」

「“いじめ”という言い方には違和感がある」

――寮を舞台に起こる暴力というのは、野球部に特有のことなのでしょうか。

「いえ、競技はあまり関係ないと思います。似たような構造があれば、同じようなことが起こってしまう。特に女子バレーボール、バスケットボール、サッカー、あとは駅伝なども、あるところはあるという話ですね」

――寮が暴力の温床になるというのは、日本国内で多いことなのでしょうか。

「そんなことはないと思います。例えばヨーロッパの修道院で虐待が起きることもありますし、刑務所でもリンチが起きたりします。国や場所というより、閉鎖空間での人間関係が問題を発生させやすく、マネジメントを間違うと重大な人権侵害につながる可能性をはらんでいます」

――その上で野球部の場合、「甲子園に出る、全国優勝する」という目標に向かう中で、秩序が求められ、その維持のために暴力が起こりやすくなると言えるのでしょうか? 

「暴力は、大きな集団で秩序を作るという目的のもと、逸脱に対する制裁として行われてきました。ルールから外れた行為に対する、上級生からの制裁。これを“いじめ”という言い方をする人もいますが、私は違和感があります。快楽を得るためのいじめではない。集団での暴行なんだけれども、なぜそれをするかというと、集団の秩序を維持するためだからです」

遠い昔から起きていた寮での暴力。絶えることなく繰り返されてきた歴史は、問題の根深さを思わせる。では、止めることはできないのか。中村氏は、いくつかの提言をした。(続く)

💢広陵問題の高野連対応「なぜ“隠蔽”だと言われ炎上したか?」野球界の暴力問題に“7つの提言”「転校後の出場停止が長すぎ」「被害者が納得する報告書を」
https://news.yahoo.co.jp/articles/a5973923ff9e228c56df8cbfe4cf837563f06ece

「警察に訴えるようにすれば変わる」という声もあるが…
 
広陵高校野球部の暴力事案は大きな関心を呼び、野球部における暴力についてもあらためてクローズアップされることになった。

――改善のためのアプローチとしてどのようなことが考えられるでしょうか。今回の広陵高校を巡っては、「警察に訴えるようにすれば変わる」という声もあったようですが。

「たしかに警察に訴えればいいという声もたくさんあるし、間違っているわけではありません。しかし今回の広陵の件も含めた大半の事例では、おそらくそこまで大きな罪には問われないのです。そういう意味で、警察が介入すればやめさせられる、というほど簡単なものでもない。だから、何とか体罰や暴力が起こりにくい仕組み作りをしましょうというのが私の提案です」

――どのような改革が考えられるでしょうか。

「高校野球の制度的な問題としては、『転校した場合、1年間出場停止になる』というルールがあります。これが何か問題があった際に、生徒が転校しにくくなる要因になっていると考えます。なので出場停止の期間をなるべく短くした方がいいと思っています。

1年間という期間は、不祥事を起こした監督やコーチが1〜2カ月程度の処分で復帰するのに比べると、明らかに長すぎると思います。なるべく短縮する、選手についても1〜2カ月ぐらいでいいんじゃないかな。それぞれの選手にとって過ごしやすい環境の野球部に入りやすくする仕組みづくりは、とても大事なことだと思います」

「1校から複数チームの出場を認める」という選択肢

――短縮されれば、我慢を強いられる度合いも減りますね。

「試合に出られない生徒が少なくなるようにするのも、改革として大事なことではないでしょうか。今は1校で1チームしか大会に出られません。ベンチ入りできる20人から漏れたら大会に出られませんが、部員が広陵のように多いところなら出られない生徒ばかりになります。ですから部員が多いところだったら複数チームで出場できるようにして、別の監督をつけて大会に出たらいいと思うんです。そうすることで試合に出られない選手をなるべく減らす。すると、人を蹴落としてなんとか自分がレギュラーになろうといったインセンティブは働きにくくなります。また、試合に出られない鬱憤を下級生にぶつける上級生も減るはずです」

――1校で複数のチームが出られるようにするというのは面白いですね。

「もう一つは、クラブチームみたいなものを作ること。先ほど話した理由に加えて、そもそも転校という行為はハードルが高いわけです。ですから、例えば広陵高校の野球部は辞めるけれど、広陵高校のふつうの学生として通いながら別のクラブチームで野球をやって、それで大会に出る。そういう仕組みがあれば、問題のある野球部を辞めやすくなります。こうした様々な施策を複合的に組み合わせる試みがとても重要だと思っています」

甲子園出場校は「1年間の処分事例調査」を行う手も

――なるほど。そのほかに考えられる改革はあるでしょうか。

「甲子園出場が決まった学校に関しては、過去1年間に処分事例があったら事前に公表する、という手続きもあり得るかなと思います。また広陵高校のケースの場合、調査書の報告書の内容が、被害者の方にとって納得できるものではなかった、という問題がありました。報告書を学校が作成して出すというのではなく、例えば被害者、被害者家族の同意を示す署名を入れるなど、被害者側が報告内容に納得していることを示す手続きを加えてもいいのかなとも思います」

――寮をなくすことも考えたほうがよいのでしょうか。

「ひとつのアイデアとして、野球部員だけの寮ではなく、一般学生を入れる、他の部も入れる、あるいは管理者を野球部の監督やコーチではない人にするというように、部内の価値観だけで寮の空間ができないような工夫が考えられると思います。携帯電話の持ち込み禁止というようなことも、寮をより閉鎖的な空間にしてしまうのでよくないと思います。さまざまな施策によって、部の価値観で全てが完結しないような仕組みづくりをしていく必要があると思います」

高野連の対応はなぜ「隠蔽」だと言われ炎上したか?

――高野連の対応にも批判がありました。今回の件を踏まえ、高野連についてはどうお考えですか? 

「後から振り返ると、高野連の対応もよくなかったと思います。不祥事を起こした学校は報告書を高野連に出しますが、大きな事件だと判断された場合は、日本学生野球協会の審査室が処分を決めます。この手続きには学生野球における“司法権の独立”という意味があり、現場と離れた第三者が内容を見て客観的に判断する仕組みになっているのです。

一方で、不祥事が公表されると処分を受けた生徒や監督、コーチは基本的にはかなり社会的制裁を受けます。高野連としてはあまりそうしたくないので、微細なケースは厳重注意で収めて、公表しないという方法を取っています。ガイドラインに基づいた対応をしてはいるので、広陵のケースでも手続き的な瑕疵があるわけではないんです。

 でも社会的にはそう受け取られず、隠蔽と言われて炎上することになりました。公表するかしないかの判断基準が、少なくとも世間の理解を得られるものではなかったことはたしかで、加害部員が処分されたことが明確に表に出ていれば、おそらくここまでの騒動にはならなかったはずです。公表するかどうかの線の引き直しはかなり重要だなと感じています」

忘れてはいけない「無関係の部員が野球をする権利」

――いろいろな仕組みの面で改革することが重要なのですね。

「そうですね。同時に今回の件で思うのは、広陵高校野球部は問題を抱えているし対応もまずかったし、加害部員にも問題がある。ただ忘れられがちなのは、関係ない部員もいるんですね。彼らの野球をする権利が取り上げられていいわけではないはずです。改善すべきところは改善する。それとは別に、今回のインターネット(SNS)の炎上で被害を受けた部員もいるということはとても重要なことだと思っています」

――今後を考えるうえで、そのほかに思うことはありますか? 

「広陵高校の野球部の存続がどうなるか、という話ではなく、このままでは野球という競技の人気がなくなり、やりたい子供たちがいなくなってしまうんじゃないか、という大きな問題だと思っています。やって面白い、楽しいスポーツとして続いていくためには、野球界が変わっていかなければならないと思っています」
2025/09/04(木) 22時09分54秒 No.1994 編集 削除