自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」
📝「荒れた男子校」負のイメージ消えず…甲子園出場も“閉校決定”「校舎も建て替えて…潰れる学校に見えなかった」東大阪大柏原37歳監督が明かすウラ側
https://news.yahoo.co.jp/articles/16041cdce9c1a71003b9afebccf4043dd017675e?page=1
高校野球の激戦区・大阪大会を制して昨夏の甲子園に出場、さらにはPL学園硬式野球部にとって事実上の廃部となる最後の対戦相手でもあった東大阪大柏原。3年後の2029年春に閉校するという電撃発表に、いかにして至ったのか。ノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする。
2025年(昨年)の夏、私立の男子校である東大阪大柏原を14年ぶりに夏の甲子園に導いた土井健大監督(37歳)にとって、その話はまさに寝耳に水だった。
昨秋の大阪大会を終えたあと、学校法人村上学園の村上靖平理事長に呼ばれた土井監督は、2027年度より学校の生徒募集が停止され、(今春に入学予定の生徒が卒業する)2029年3月をもって同じ村上学園が運営する東大阪大敬愛に吸収されることを聞かされたのだ。つまり、東大阪大柏原は3年後に閉校になることが決定した。校名もそこで消えることになる。
「潰れる学校には見えなかった」
土井監督は言う。「そりゃあ、驚きました。確かに生徒数は少ないかもしれませんが、校舎も2016年に建て替えたばかりで新しく、潰れる学校には見えなかった。ただ、スポーツの強い学校としてアピールしていくのか、男子校としての魅力をアピールしていくのか、そのあたりがはっきりしていなかったのかもしれません。柏原がなくなることを聞いて、僕自身が考えたのは、とにかく預かっている生徒のメンタルケアですね。不確定なことを伝えて不安をあおるのではなく、確定していることだけ伝えて、動揺がないようにしていました。生徒も僕に『ついていく』と言ってくれた。ありがたかったですね」
1963年に柏原女子高校として創立された同校は、1970年から男子校に転じ、2006年に東大阪大柏原となった。全国の男子校や女子校が共学化して門戸を広げる潮流のなか、男子校であることを貫いてきた。硬式野球部は2011年の夏、そして昨年と、いずれも大阪大会の決勝で大阪桐蔭を破って甲子園に出場した。それだけでなく東大阪大柏原は、2016年に事実上の廃部を決めていたあのPL学園の最後の対戦相手としても記憶されている。
「荒れた男子校」イメージの苦悩
まだ柏原高校の校名だった時代は興國、此花学院と共に「K」のイニシャルから大阪私学の「3K」とひとくくりにされ、府内における荒れた男子校の象徴のように位置づけられていた。そうした負のイメージを払拭すべく、此花学院は1995年に共学化し、2013年には大阪偕星学園と名称を変更。興國はアスリートアドバンスコースを設置してサッカーや野球、駅伝に力を入れて強化し、いまでは一学年22クラスのマンモス校となっている。
一方で、東大阪大柏原は校名変更等の学校改革も実を結ばず、少子化の波が押し寄せ苦しい運営が続き、さらには大阪府が導入した高校の授業料無償化もまた同校にとっては向かい風となった。というのも、年間63万円までの授業料は国と府が負担するものの、世帯年収が目安800万円以内の場合、それを超える分に関しては学校が負担しなければならない。それが足枷となり、人材や設備に投資できない状況が生まれてしまうのだ。無論、それは東大阪大柏原ばかりが直面する問題ではないものの、同校は昨年度、1学年300人の定員に対し、入学者は半数以下となる125人だった。土井監督が続ける。
「3Kと呼ばれた時代の高校生がちょうど現在の親世代となり、かつてのイメージから抜け出せないからその子どもたちが入学を希望してくれない。理事長からはっきりと本心を聞いたわけではないですが、3Kのイメージを払拭するためにも柏原をなくして敬愛に一本化することを決断されたのではないでしょうか」
なぜ甲子園出場直後に決まった?
しかし、なぜ甲子園に出場したタイミングでの閉校決定だったのだろうか。
「甲子園に出場できたから、理事長も決断を思い切れたのかなとも思うんです。(柏原を閉校して)一度縮小し、統合後、拡大していく。決して、後ろ向きではないと思います」
元プロ野球選手である土井監督を招聘し、大阪桐蔭や履正社に次ぐ第2勢力ともいえるところまで強化を進めてきた野球部は今後、どうなってしまうのか。土井監督が声をかけ、4月の入学を心待ちにしている球児だっているはずだ。土井監督が学校の閉校と野球部の今後について明かした――。
〈つづく〉
📝PL学園も廃校危機…高校野球の名門校“なぜ経営難”? PL学園を“最後に倒した”東大阪大柏原の閉校「現在の部員はどうなる?」37歳監督が明かす今後
https://news.yahoo.co.jp/articles/d83b8015355fa90092461019c40be91b11f4316a?page=1
東大阪大柏原は、2027年度より学校の生徒募集が停止され、(今春に入学予定の生徒が卒業する)2029年3月をもって同じ村上学園が運営する東大阪大敬愛に吸収される。野球部は今後、どうなってしまうのか。土井健大監督(37歳)が声をかけ、今春4月の入学を心待ちにしている球児だっているはずだ。
3年後に閉校…現在の野球部員はどうなる?
土井監督が明かす。「彼らが卒業するまで指導しますが、新入生が入って来なくなる来年4月からは、(現在は硬式野球部のない)敬愛にも野球部を創部し、合同練習する形をとり、2029年4月からは敬愛の監督として指揮を執ります。この(柏原高校のキャンパス内にある)グラウンドも3年後には使用できなくなり、新たなグラウンドで練習することになります」
現状の規約では、東大阪大柏原と東大阪大敬愛の連合チームとして大阪大会に出場することは許されないというが、今後、大阪府高野連と相談しながら、閉校する学校と新しく野球部が誕生する学校との連合チームとして大会に出場する道を模索していくという。そして敬愛の単独チームとなる2029年以降も土井監督が指揮することが決まっている。
PL学園、大阪桐蔭を倒した“名門”だった
土井監督の出身校は、岡田龍生監督(当時。現・東洋大姫路監督)が率いていた履正社だ。1学年上にはオリックスで活躍した岡田貴弘(T-岡田)がいたものの、大阪桐蔭と並ぶ大阪の強豪私学に位置づけられる現在とは違い、決して甲子園の常連校ではなかった。
「履正社に通っていた6歳上の兄がPL学園に負けて甲子園に行けなかったこともあり、僕はPLを倒して甲子園に行くことしか考えていませんでした。だから、PL以外の高校ってあまり知らなくて……中学時代に大阪桐蔭にも声をかけていただきましたが、最終的には兄と同じ履正社を選択しました」
既にPLの全盛期は過ぎていたものの、兵庫県に生まれた土井にとっては高校野球に一時代を築いたPLを倒すことが一番の目標だった。強打の捕手として高校通算43本塁打を放ち、2005年秋に同校史上初めて近畿大会を制して明治神宮大会に出場し、2006年春のセンバツに出場した。
そして2006年の高校生ドラフト5位でオリックスに入団し、巨人を経て2011年に戦力外通告を受けたあとも社会人チームで野球を続けた土井監督が東大阪大柏原の事務員となったのは2017年だ。硬式野球部のコーチを務め、翌2018年には指揮官に就任した。
土井監督が直接、選手の勧誘に動くこともある。しかし、「3K」時代の印象はいまだ根強く残る。
「選手勧誘の際には、『柏原高校に預けるのではなく、土井健大に預けてください。土井健大を信用できなければ、来ていただいても良い答えは出ません』ということは親御さんに伝えてきました」
昨夏は甲子園出場…大阪桐蔭を撃破
昨夏、東大阪大柏原は大阪大会で快進撃をみせ、決勝で大阪桐蔭と対決した。試合前、土井監督はナインにこう告げた。
「おそらく全国民が大阪の決勝には注目している。恥ずかしい試合はできひん。ただ、僕が選手時代、決勝まで勝ち上がって、優勝しなかったことは一度もないんや。どんな点差になろうが、2時間、2時間半、3時間と、気持ちを切らさなければ、最後の最後まで可能性はつながっていく。守備位置に関しても、オレを信じてくれ」
捕手としてプロの世界に飛び込んだ経験をもとに、大阪桐蔭の打者タイプによって土井監督は細かく守備位置を指示した。
「試合では良い当たりが野手の正面にいったり、長打性の当たりを単打にとどめたり、偶然にも指示が的確だったことが続いた。すると、高校生というのは不思議なもので、『監督の言うことを聞いていたら勝てる』みたいな感覚に陥るんですよ」
森陽樹、中野大虎という150キロを超える両右腕の対策はシンプルだった。
「ワングリップ以上バットを短く持って打席に入れ」
攻守の指示が功を奏し、東大阪大柏原は6回までに4点をリード。7回に同点に追いつかれたが、タイブレークに突入した10回表に2点を奪い、逃げ切った。僅差ではあったものの、東大阪大柏原の11安打に対し、大阪桐蔭は5安打。内容は東大阪大柏原の完勝であった。
同じ大阪私学…PL学園は経営危機
いま、大阪には廃校の危機にある学校がもうひとつある。高校野球で絶大な人気と実績を誇ったPL学園だ。2016年7月、PL学園は大阪大会の初戦で東大阪大柏原に敗れ、現在まで休部——事実上の廃部となっている。PL学園も厳格な上下関係によって頻繁に起こった不祥事(暴力事件)によってマイナスの印象が定着し、それが野球部の廃部の引き金となった。
そしてKK(桑田真澄、清原和博)の時代のように母体であるパーフェクトリバティー教団の信者以外の生徒を受け入れることはなくなり、現在は3学年あわせても39人の生徒しかいない。学校の校舎は耐震に問題があるものばかりで、改築も新築もできないほど学校運営は逼迫する。
そういうPL学園の惨状を鑑みれば、「柏原」の校名はなくなってしまうものの、東大阪大敬愛に一本化され、新たに創部される敬愛野球部のユニフォームも柏原時代のデザインのまま受け継がれる東大阪大柏原には希望が持てるだろう。
黒歴史から脱却した高校も…取材へ
「子どもを頑張らせるためには周りの支えが絶対に必要ですよね。しっかりした指導者がいて、人を集められる能力があれば、素直な子どもたちは必ず期待に応えてくれると思うし、たとえば態度が悪くても教員が実の子どもに対するぐらいの熱量でぶつかっていけば、良い方向に向かうと思う。僕は教員ではないですけど、大事にしているところですね」
黒歴史からの脱却——。PL学園や東大阪大柏原がそれに四苦八苦するなか、成功した学校もある。かつての3Kの一角、興國高校だ。同校の敏腕理事長に独占で話を聞くことができた。
〈つづく〉
⚾岩手さんへ
岐阜に独立リーグ設立というのは寝耳に水だったので非常に嬉しいですね!!やたら球場数は多いので、やり易いとは思いますね。
使用料が高額でなければ長良川をメインにできるだろうし、他にも大垣・カヤバ・プリニーの・大野町レインボーあたりは結構空いている気もしますね。
ただ、岐阜へは片道約4時間かかるのがネックですね・・・・・。いちばん近いのが大垣ですが、あそこは屋根がないし5月でも熱かったですね・・・。
プリニーの球場は駅から遠いけど、なんとか日帰りで行けることは分かったので、近所に飲食店もあるしナイター設備がないので12時開始だったら昼ご飯を早く設定すればなんとかなるかも。
大野町レインボーはバスの本数が非常に少ないし、最寄りのバス停から2、5kmほど歩かなければならないし、カヤバも名古屋経由で行かなアカンから新幹線代がかかりますね・・・。
地元の住民には受けると思いますよ!ただ、三重球団は2年で解散したのでその二の舞は勘弁してほしいし、できたら福井球団も復活してくれたらと。
とりあえず日本海リーグは4球団になる見込みなんで来年以降が楽しみですね!
https://news.yahoo.co.jp/articles/16041cdce9c1a71003b9afebccf4043dd017675e?page=1
高校野球の激戦区・大阪大会を制して昨夏の甲子園に出場、さらにはPL学園硬式野球部にとって事実上の廃部となる最後の対戦相手でもあった東大阪大柏原。3年後の2029年春に閉校するという電撃発表に、いかにして至ったのか。ノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする。
2025年(昨年)の夏、私立の男子校である東大阪大柏原を14年ぶりに夏の甲子園に導いた土井健大監督(37歳)にとって、その話はまさに寝耳に水だった。
昨秋の大阪大会を終えたあと、学校法人村上学園の村上靖平理事長に呼ばれた土井監督は、2027年度より学校の生徒募集が停止され、(今春に入学予定の生徒が卒業する)2029年3月をもって同じ村上学園が運営する東大阪大敬愛に吸収されることを聞かされたのだ。つまり、東大阪大柏原は3年後に閉校になることが決定した。校名もそこで消えることになる。
「潰れる学校には見えなかった」
土井監督は言う。「そりゃあ、驚きました。確かに生徒数は少ないかもしれませんが、校舎も2016年に建て替えたばかりで新しく、潰れる学校には見えなかった。ただ、スポーツの強い学校としてアピールしていくのか、男子校としての魅力をアピールしていくのか、そのあたりがはっきりしていなかったのかもしれません。柏原がなくなることを聞いて、僕自身が考えたのは、とにかく預かっている生徒のメンタルケアですね。不確定なことを伝えて不安をあおるのではなく、確定していることだけ伝えて、動揺がないようにしていました。生徒も僕に『ついていく』と言ってくれた。ありがたかったですね」
1963年に柏原女子高校として創立された同校は、1970年から男子校に転じ、2006年に東大阪大柏原となった。全国の男子校や女子校が共学化して門戸を広げる潮流のなか、男子校であることを貫いてきた。硬式野球部は2011年の夏、そして昨年と、いずれも大阪大会の決勝で大阪桐蔭を破って甲子園に出場した。それだけでなく東大阪大柏原は、2016年に事実上の廃部を決めていたあのPL学園の最後の対戦相手としても記憶されている。
「荒れた男子校」イメージの苦悩
まだ柏原高校の校名だった時代は興國、此花学院と共に「K」のイニシャルから大阪私学の「3K」とひとくくりにされ、府内における荒れた男子校の象徴のように位置づけられていた。そうした負のイメージを払拭すべく、此花学院は1995年に共学化し、2013年には大阪偕星学園と名称を変更。興國はアスリートアドバンスコースを設置してサッカーや野球、駅伝に力を入れて強化し、いまでは一学年22クラスのマンモス校となっている。
一方で、東大阪大柏原は校名変更等の学校改革も実を結ばず、少子化の波が押し寄せ苦しい運営が続き、さらには大阪府が導入した高校の授業料無償化もまた同校にとっては向かい風となった。というのも、年間63万円までの授業料は国と府が負担するものの、世帯年収が目安800万円以内の場合、それを超える分に関しては学校が負担しなければならない。それが足枷となり、人材や設備に投資できない状況が生まれてしまうのだ。無論、それは東大阪大柏原ばかりが直面する問題ではないものの、同校は昨年度、1学年300人の定員に対し、入学者は半数以下となる125人だった。土井監督が続ける。
「3Kと呼ばれた時代の高校生がちょうど現在の親世代となり、かつてのイメージから抜け出せないからその子どもたちが入学を希望してくれない。理事長からはっきりと本心を聞いたわけではないですが、3Kのイメージを払拭するためにも柏原をなくして敬愛に一本化することを決断されたのではないでしょうか」
なぜ甲子園出場直後に決まった?
しかし、なぜ甲子園に出場したタイミングでの閉校決定だったのだろうか。
「甲子園に出場できたから、理事長も決断を思い切れたのかなとも思うんです。(柏原を閉校して)一度縮小し、統合後、拡大していく。決して、後ろ向きではないと思います」
元プロ野球選手である土井監督を招聘し、大阪桐蔭や履正社に次ぐ第2勢力ともいえるところまで強化を進めてきた野球部は今後、どうなってしまうのか。土井監督が声をかけ、4月の入学を心待ちにしている球児だっているはずだ。土井監督が学校の閉校と野球部の今後について明かした――。
〈つづく〉
📝PL学園も廃校危機…高校野球の名門校“なぜ経営難”? PL学園を“最後に倒した”東大阪大柏原の閉校「現在の部員はどうなる?」37歳監督が明かす今後
https://news.yahoo.co.jp/articles/d83b8015355fa90092461019c40be91b11f4316a?page=1
東大阪大柏原は、2027年度より学校の生徒募集が停止され、(今春に入学予定の生徒が卒業する)2029年3月をもって同じ村上学園が運営する東大阪大敬愛に吸収される。野球部は今後、どうなってしまうのか。土井健大監督(37歳)が声をかけ、今春4月の入学を心待ちにしている球児だっているはずだ。
3年後に閉校…現在の野球部員はどうなる?
土井監督が明かす。「彼らが卒業するまで指導しますが、新入生が入って来なくなる来年4月からは、(現在は硬式野球部のない)敬愛にも野球部を創部し、合同練習する形をとり、2029年4月からは敬愛の監督として指揮を執ります。この(柏原高校のキャンパス内にある)グラウンドも3年後には使用できなくなり、新たなグラウンドで練習することになります」
現状の規約では、東大阪大柏原と東大阪大敬愛の連合チームとして大阪大会に出場することは許されないというが、今後、大阪府高野連と相談しながら、閉校する学校と新しく野球部が誕生する学校との連合チームとして大会に出場する道を模索していくという。そして敬愛の単独チームとなる2029年以降も土井監督が指揮することが決まっている。
PL学園、大阪桐蔭を倒した“名門”だった
土井監督の出身校は、岡田龍生監督(当時。現・東洋大姫路監督)が率いていた履正社だ。1学年上にはオリックスで活躍した岡田貴弘(T-岡田)がいたものの、大阪桐蔭と並ぶ大阪の強豪私学に位置づけられる現在とは違い、決して甲子園の常連校ではなかった。
「履正社に通っていた6歳上の兄がPL学園に負けて甲子園に行けなかったこともあり、僕はPLを倒して甲子園に行くことしか考えていませんでした。だから、PL以外の高校ってあまり知らなくて……中学時代に大阪桐蔭にも声をかけていただきましたが、最終的には兄と同じ履正社を選択しました」
既にPLの全盛期は過ぎていたものの、兵庫県に生まれた土井にとっては高校野球に一時代を築いたPLを倒すことが一番の目標だった。強打の捕手として高校通算43本塁打を放ち、2005年秋に同校史上初めて近畿大会を制して明治神宮大会に出場し、2006年春のセンバツに出場した。
そして2006年の高校生ドラフト5位でオリックスに入団し、巨人を経て2011年に戦力外通告を受けたあとも社会人チームで野球を続けた土井監督が東大阪大柏原の事務員となったのは2017年だ。硬式野球部のコーチを務め、翌2018年には指揮官に就任した。
土井監督が直接、選手の勧誘に動くこともある。しかし、「3K」時代の印象はいまだ根強く残る。
「選手勧誘の際には、『柏原高校に預けるのではなく、土井健大に預けてください。土井健大を信用できなければ、来ていただいても良い答えは出ません』ということは親御さんに伝えてきました」
昨夏は甲子園出場…大阪桐蔭を撃破
昨夏、東大阪大柏原は大阪大会で快進撃をみせ、決勝で大阪桐蔭と対決した。試合前、土井監督はナインにこう告げた。
「おそらく全国民が大阪の決勝には注目している。恥ずかしい試合はできひん。ただ、僕が選手時代、決勝まで勝ち上がって、優勝しなかったことは一度もないんや。どんな点差になろうが、2時間、2時間半、3時間と、気持ちを切らさなければ、最後の最後まで可能性はつながっていく。守備位置に関しても、オレを信じてくれ」
捕手としてプロの世界に飛び込んだ経験をもとに、大阪桐蔭の打者タイプによって土井監督は細かく守備位置を指示した。
「試合では良い当たりが野手の正面にいったり、長打性の当たりを単打にとどめたり、偶然にも指示が的確だったことが続いた。すると、高校生というのは不思議なもので、『監督の言うことを聞いていたら勝てる』みたいな感覚に陥るんですよ」
森陽樹、中野大虎という150キロを超える両右腕の対策はシンプルだった。
「ワングリップ以上バットを短く持って打席に入れ」
攻守の指示が功を奏し、東大阪大柏原は6回までに4点をリード。7回に同点に追いつかれたが、タイブレークに突入した10回表に2点を奪い、逃げ切った。僅差ではあったものの、東大阪大柏原の11安打に対し、大阪桐蔭は5安打。内容は東大阪大柏原の完勝であった。
同じ大阪私学…PL学園は経営危機
いま、大阪には廃校の危機にある学校がもうひとつある。高校野球で絶大な人気と実績を誇ったPL学園だ。2016年7月、PL学園は大阪大会の初戦で東大阪大柏原に敗れ、現在まで休部——事実上の廃部となっている。PL学園も厳格な上下関係によって頻繁に起こった不祥事(暴力事件)によってマイナスの印象が定着し、それが野球部の廃部の引き金となった。
そしてKK(桑田真澄、清原和博)の時代のように母体であるパーフェクトリバティー教団の信者以外の生徒を受け入れることはなくなり、現在は3学年あわせても39人の生徒しかいない。学校の校舎は耐震に問題があるものばかりで、改築も新築もできないほど学校運営は逼迫する。
そういうPL学園の惨状を鑑みれば、「柏原」の校名はなくなってしまうものの、東大阪大敬愛に一本化され、新たに創部される敬愛野球部のユニフォームも柏原時代のデザインのまま受け継がれる東大阪大柏原には希望が持てるだろう。
黒歴史から脱却した高校も…取材へ
「子どもを頑張らせるためには周りの支えが絶対に必要ですよね。しっかりした指導者がいて、人を集められる能力があれば、素直な子どもたちは必ず期待に応えてくれると思うし、たとえば態度が悪くても教員が実の子どもに対するぐらいの熱量でぶつかっていけば、良い方向に向かうと思う。僕は教員ではないですけど、大事にしているところですね」
黒歴史からの脱却——。PL学園や東大阪大柏原がそれに四苦八苦するなか、成功した学校もある。かつての3Kの一角、興國高校だ。同校の敏腕理事長に独占で話を聞くことができた。
〈つづく〉
⚾岩手さんへ
岐阜に独立リーグ設立というのは寝耳に水だったので非常に嬉しいですね!!やたら球場数は多いので、やり易いとは思いますね。
使用料が高額でなければ長良川をメインにできるだろうし、他にも大垣・カヤバ・プリニーの・大野町レインボーあたりは結構空いている気もしますね。
ただ、岐阜へは片道約4時間かかるのがネックですね・・・・・。いちばん近いのが大垣ですが、あそこは屋根がないし5月でも熱かったですね・・・。
プリニーの球場は駅から遠いけど、なんとか日帰りで行けることは分かったので、近所に飲食店もあるしナイター設備がないので12時開始だったら昼ご飯を早く設定すればなんとかなるかも。
大野町レインボーはバスの本数が非常に少ないし、最寄りのバス停から2、5kmほど歩かなければならないし、カヤバも名古屋経由で行かなアカンから新幹線代がかかりますね・・・。
地元の住民には受けると思いますよ!ただ、三重球団は2年で解散したのでその二の舞は勘弁してほしいし、できたら福井球団も復活してくれたらと。
とりあえず日本海リーグは4球団になる見込みなんで来年以降が楽しみですね!
岐阜に独立リーグ球団設立へか。
場所的には、北陸方面になるのかな?
ただ各地に高校野球終了後の受け皿になる一面もありいい事だけど、スポンサー企業があるといいが。静岡のチームがプロ野球の2軍戦に参戦したが名称使用料だったか、いわゆる踏み倒した感じかな?今年も野球はするらしいがチーム名称は少々変わるかな?
中々チームもリーグも根付かないな!
一部人が運営費持ち逃げなどで資金調達などで解散したり、監督、コーチーなどスタッフもコロコロ変わったりね。
いい事だけど、球場確保が大変ですね!
土日祝日やナイターでやれると観戦者が増えるけど、ナイターだと照明代がかかるし土日祝日だと、高校、大学などのアマ野球の兼ね合いもあるし、アクセスの悪い場所は、車になるから駐車場がある程度ないとね。
今日の朝日新聞に、サトヤク球場の事が載っていましたよ。その横に帝京監督金田さんの事が載っていました。
場所的には、北陸方面になるのかな?
ただ各地に高校野球終了後の受け皿になる一面もありいい事だけど、スポンサー企業があるといいが。静岡のチームがプロ野球の2軍戦に参戦したが名称使用料だったか、いわゆる踏み倒した感じかな?今年も野球はするらしいがチーム名称は少々変わるかな?
中々チームもリーグも根付かないな!
一部人が運営費持ち逃げなどで資金調達などで解散したり、監督、コーチーなどスタッフもコロコロ変わったりね。
いい事だけど、球場確保が大変ですね!
土日祝日やナイターでやれると観戦者が増えるけど、ナイターだと照明代がかかるし土日祝日だと、高校、大学などのアマ野球の兼ね合いもあるし、アクセスの悪い場所は、車になるから駐車場がある程度ないとね。
今日の朝日新聞に、サトヤク球場の事が載っていましたよ。その横に帝京監督金田さんの事が載っていました。
☝岐阜に独立リーグ球団設立へ 日本海リーグが発表
https://news.yahoo.co.jp/articles/cf906320cb6b3a983e1124b38d533bb787d8ccc8
北陸、近畿地方を活動地域とする日本のプロ野球独立リーグの日本海は13日、岐阜球団が新たに発足・設立に向け、始動することを承認したと発表した。1月中に記者会見を岐阜県内で行い、10月上旬の加盟審査を予定している。
現在は富山、石川、滋賀の3球団が同リーグに所属。岐阜が誕生すれば、リーグ戦も活性化しそうだ。飯田祥多氏、伊藤研二氏が共同代表を務め、坂口輝光氏が球団プロデューサーを担う。
📝「大分に新球場を」現役プロ選手、元監督らが夢を後押し 署名12万人分提出 別大興産スタジアムは老朽化が進み、プロ公式戦は2008年が最後
https://news.yahoo.co.jp/articles/78a385d095f741ffc0092d4884d539d6ed3288bd
▶「地元の新球場に僕の応援歌を響かせたい」
大分県でプロ野球の公式戦や国際大会を-。同県の野球、ソフトボール関係者でつくる協議会が7日、同県庁を訪れ、佐藤樹一郎知事に新スタジアム建設を求める約12万人の署名を提出した。
元東北楽天ゴールデンイーグルス監督の平石洋介氏(同県杵築市出身)、福岡ソフトバンクホークスの川瀬晃選手(大分市出身)らも駆け付け、夢を後押しした。
協議会によると、大分市にある1980年開場の別大興産スタジアムは老朽化が進み、プロ野球の公式戦が行われたのは2008年が最後。同県は読売ジャイアンツの甲斐拓也捕手(同)ら多くの有名選手を輩出しており、さらなる競技振興に向けて昨年4月から署名活動をしてきた。
この日、平石氏は「子どもたちの夢につながる」、川瀬選手も「ソフトバンクは九州各地で公式戦を開催している。地元の新球場に僕の応援歌を響かせたい」と思いを語った。
☝智弁学園・小坂監督 7回制に反対「出る機会が減るし野球が変わってしまう」「遠くから甲子園に来たチームがかわいそう」
https://news.yahoo.co.jp/articles/a33f43366b5fdb8946704da57ff8602dca53f7e5
今春の選抜大会出場が有力な智弁学園が13日、奈良県五條市の同校グラウンドで練習を行った。
小坂将商監督(48)は選抜大会へ向けて、守備と走塁を課題に挙げた。秋季近畿大会では4試合で計12失策と守備の乱れが目立った。「ノックの数が少なかった部分もあるので、1月、2月、3月の頭、特に内野は増やして鍛えていかないと」と守備練習を強化していく。
走塁強化については、「1本のヒットで(二塁から本塁に)かえる野球をしないと」と意図を明かした。足が特別速くない選手にもスタートの勇気を持つ意識づけを行っているという。
高校野球で導入が議論されている7イニング制についても言及した。「(試合に)出る機会が減るし、野球が変わってしまう。7回で終わったら遠くから甲子園に来たチームがかわいそう」と反対。続けて、「3回、3回、3回で休憩を5分でもいいので与えてあげればいいんじゃないか」と熱中症対策の観点から提言した。
📝中日の2軍本拠地移転は「夢のある話」 自治体、早くも誘致合戦
https://news.yahoo.co.jp/articles/5ae3a7b1f9dfd9b8e1b96e939b0e881e7a85c962
老朽化などにより移転するナゴヤ球場(名古屋市中川区)をめぐり、自治体による誘致合戦が熱を帯びている。応募条件など詳細が明らかになるのは4月以降だが、既に複数の自治体が名乗りを上げている。
昨年11月、中日ドラゴンズなどが移転先の公募を発表した同じ日、愛知県犬山市の原欣伸市長はフェイスブックに「公募に参加をしていきたい」と投稿した。昨年1月から候補地の選定などを進めていたといい、「多くの自治体が手を挙げると想定している。犬山らしい提案で、本気で取り組んでいきたい」と話す。
1948年に開場したナゴヤ球場は、バンテリンドームナゴヤ(東区)が完成するまで、中日の1軍本拠地で、97年から2軍本拠地となった。老朽化や、現在の場所ではサブ球場の新設が難しいことなどから移転が決まった。受け入れ先には、6ヘクタール以上の敷地▽ドームから車で1時間以内――などの条件が求められる。2030年代前半の移転を目指している。
岐阜県では、羽島市が誘致を表明。東海道新幹線の岐阜羽島駅と名神高速道の岐阜羽島インターチェンジから車で10分ほどの民有農地や市有地を候補地に挙げている。三重県でも、桑名市がJRと近鉄の長島駅周辺の農地などを検討している。愛知県では、津島、春日井、安城、瀬戸、小牧の各市などが前向きな姿勢を見せる。
自治体は移転による地域活性化を見込む。昨年、中日は14年ぶりに2軍で日本一となった。球団によると、2軍の総観客動員数(地方開催を除く)が10万人を突破した。
小牧市では昨年12月、誘致に向けた検討チームをつくった。観客動員数は新型コロナウイルス禍以降、右肩上がりであることから、山下史守朗市長は9日の記者会見で「市民からも『誘致してほしい』との声が届いている。経済効果は間違いなく、球場周辺にもにぎわいが出て夢のある話」と話した。
一方、現在球場がある名古屋市内には6ヘクタール以上の広大な候補地が見つかっていない。広沢一郎市長は「市民に大変親しまれた場所で、何とか手を挙げたいが、(市外への移転は)ちょっとさみしい」と話している。
https://news.yahoo.co.jp/articles/cf906320cb6b3a983e1124b38d533bb787d8ccc8
北陸、近畿地方を活動地域とする日本のプロ野球独立リーグの日本海は13日、岐阜球団が新たに発足・設立に向け、始動することを承認したと発表した。1月中に記者会見を岐阜県内で行い、10月上旬の加盟審査を予定している。
現在は富山、石川、滋賀の3球団が同リーグに所属。岐阜が誕生すれば、リーグ戦も活性化しそうだ。飯田祥多氏、伊藤研二氏が共同代表を務め、坂口輝光氏が球団プロデューサーを担う。
📝「大分に新球場を」現役プロ選手、元監督らが夢を後押し 署名12万人分提出 別大興産スタジアムは老朽化が進み、プロ公式戦は2008年が最後
https://news.yahoo.co.jp/articles/78a385d095f741ffc0092d4884d539d6ed3288bd
▶「地元の新球場に僕の応援歌を響かせたい」
大分県でプロ野球の公式戦や国際大会を-。同県の野球、ソフトボール関係者でつくる協議会が7日、同県庁を訪れ、佐藤樹一郎知事に新スタジアム建設を求める約12万人の署名を提出した。
元東北楽天ゴールデンイーグルス監督の平石洋介氏(同県杵築市出身)、福岡ソフトバンクホークスの川瀬晃選手(大分市出身)らも駆け付け、夢を後押しした。
協議会によると、大分市にある1980年開場の別大興産スタジアムは老朽化が進み、プロ野球の公式戦が行われたのは2008年が最後。同県は読売ジャイアンツの甲斐拓也捕手(同)ら多くの有名選手を輩出しており、さらなる競技振興に向けて昨年4月から署名活動をしてきた。
この日、平石氏は「子どもたちの夢につながる」、川瀬選手も「ソフトバンクは九州各地で公式戦を開催している。地元の新球場に僕の応援歌を響かせたい」と思いを語った。
☝智弁学園・小坂監督 7回制に反対「出る機会が減るし野球が変わってしまう」「遠くから甲子園に来たチームがかわいそう」
https://news.yahoo.co.jp/articles/a33f43366b5fdb8946704da57ff8602dca53f7e5
今春の選抜大会出場が有力な智弁学園が13日、奈良県五條市の同校グラウンドで練習を行った。
小坂将商監督(48)は選抜大会へ向けて、守備と走塁を課題に挙げた。秋季近畿大会では4試合で計12失策と守備の乱れが目立った。「ノックの数が少なかった部分もあるので、1月、2月、3月の頭、特に内野は増やして鍛えていかないと」と守備練習を強化していく。
走塁強化については、「1本のヒットで(二塁から本塁に)かえる野球をしないと」と意図を明かした。足が特別速くない選手にもスタートの勇気を持つ意識づけを行っているという。
高校野球で導入が議論されている7イニング制についても言及した。「(試合に)出る機会が減るし、野球が変わってしまう。7回で終わったら遠くから甲子園に来たチームがかわいそう」と反対。続けて、「3回、3回、3回で休憩を5分でもいいので与えてあげればいいんじゃないか」と熱中症対策の観点から提言した。
📝中日の2軍本拠地移転は「夢のある話」 自治体、早くも誘致合戦
https://news.yahoo.co.jp/articles/5ae3a7b1f9dfd9b8e1b96e939b0e881e7a85c962
老朽化などにより移転するナゴヤ球場(名古屋市中川区)をめぐり、自治体による誘致合戦が熱を帯びている。応募条件など詳細が明らかになるのは4月以降だが、既に複数の自治体が名乗りを上げている。
昨年11月、中日ドラゴンズなどが移転先の公募を発表した同じ日、愛知県犬山市の原欣伸市長はフェイスブックに「公募に参加をしていきたい」と投稿した。昨年1月から候補地の選定などを進めていたといい、「多くの自治体が手を挙げると想定している。犬山らしい提案で、本気で取り組んでいきたい」と話す。
1948年に開場したナゴヤ球場は、バンテリンドームナゴヤ(東区)が完成するまで、中日の1軍本拠地で、97年から2軍本拠地となった。老朽化や、現在の場所ではサブ球場の新設が難しいことなどから移転が決まった。受け入れ先には、6ヘクタール以上の敷地▽ドームから車で1時間以内――などの条件が求められる。2030年代前半の移転を目指している。
岐阜県では、羽島市が誘致を表明。東海道新幹線の岐阜羽島駅と名神高速道の岐阜羽島インターチェンジから車で10分ほどの民有農地や市有地を候補地に挙げている。三重県でも、桑名市がJRと近鉄の長島駅周辺の農地などを検討している。愛知県では、津島、春日井、安城、瀬戸、小牧の各市などが前向きな姿勢を見せる。
自治体は移転による地域活性化を見込む。昨年、中日は14年ぶりに2軍で日本一となった。球団によると、2軍の総観客動員数(地方開催を除く)が10万人を突破した。
小牧市では昨年12月、誘致に向けた検討チームをつくった。観客動員数は新型コロナウイルス禍以降、右肩上がりであることから、山下史守朗市長は9日の記者会見で「市民からも『誘致してほしい』との声が届いている。経済効果は間違いなく、球場周辺にもにぎわいが出て夢のある話」と話した。
一方、現在球場がある名古屋市内には6ヘクタール以上の広大な候補地が見つかっていない。広沢一郎市長は「市民に大変親しまれた場所で、何とか手を挙げたいが、(市外への移転は)ちょっとさみしい」と話している。
9/23 秋季兵庫大会準々決勝 明石トーカロ球場 三田学園-西宮東 13:17~15:08
一二三四五六七八九十計HE
三田学園102001000 480 熊野-沖
西 宮 東100000000 191 三浦、柳井-渡辺
第一試合
神国大付8
市 尼 崎1
2024年秋季兵庫大会も終盤戦に入りつつあった。準々決勝4試合を明石と姫路(ウインク)で行い勝者4校はどう転んでもあと2試合明石トーカロで野球ができる。椅子取りゲームで脱落しなければ、ほっともっとフィールド神戸で開催される近畿大会出場権を得られる。しかし、今日負けたらここまで勝ち上がった戦績が止まってしまい明日から長い冬が待っている・・・・・。
姫路では神戸学院大付ー姫路工・東洋大姫路ー明石清水が10時から2試合で同時進行されている。3期連続甲子園を狙った報徳学園が新チーム結成の遅れと今朝丸・間木の2枚看板が抜けた影響か?初戦で西脇工にまさかのサヨナラ負けで3回戦で激突するであろう東洋大姫路との大一番の前に姿を消す波乱もあった。
くじ運もあってか?久しぶりに姫路工が8強入りし、全くのノーマークだった明石清水・西宮東も名乗りを上げていた。そしてすっかり兵庫の粒ぞろいの群雄割拠に埋もれてすっかり名前を聞かなくなった市尼崎・三田学園がまだ残っている。市尼崎は尽誠学園・大阪学院を率いていた椎江監督が数年前に監督就任し、監督やコーチなど指導者の暴力・暴言・サイン盗み強要その他モロモロ不祥事に揺れたチームの火中の栗を拾いに行った椎江監督の手腕が注目されたが、神戸国際大付の強力打線の前にはコールド回避が精いっぱいで最後までエース温存し、尽誠時代は先攻派だったがこの日はシレっと後攻を選択し7回裏に貴重な1点をもぎ取りコールド回避し、8回表終了1-7で9回裏まで野球ができる権利を得て尼崎に帰って行った。
小野・滝川二という難敵をいずれも3-1で下しロースコアの接戦に勝機を見出したかったが、5回まで毎回失点では4投手のリレーでコールド回避が精いっぱいというところだろうか?
そしていよいよお目当ての三田学園が第2試合に登場し西宮東と対戦。三田学園といえばセンバツ4度出場経験があり、近鉄の4番打者だった羽田選手や育英の監督だった藤村監督など歴戦の猛者が集っていたが平成3年春を最後に甲子園から遠ざかり穂積監督が就任し約20年間挑み続けたが秋2度ほど近畿大会に出場したもののいずれも初戦敗退で甲子園は遠かった。
いつもながら先攻一択でノック時のマシンガンノックで鍛え抜かれた守りで最少失点に抑えしつこいくらいスクイズのサインを出しまくって1点にこだわりストイックな野球でいかにも兵庫らしい野球スタイルだった。
残念ながら加古川東に初戦敗退した夏が最後となり、あの羽田耕一さんがアマチュア指導者資格を取り母校に復帰!近鉄のいてまえ打線の中軸ゆえに豪打のチームに切り替えるかと思われたが、穂積野球を踏襲し、それは今の岩根監督にも受け継がれている。
とにかく打てないのでロースコアの接戦は必至だし、相手が格下でも苦戦を強いられ先攻派ゆえにいつ追いつかれてサヨナラ負けするのかという不安がつきまとう。。。観ていてイライラする野球と言ってしまえばそれまでだが、それでも勝ち切った試合を何度も観戦しているので懲りずに応援している!
今大会の三田学園は琴丘・高砂・福崎に勝利して8強進出。運よく育英が初戦敗退し、育英に勝った加古川西も福崎に1-2で逆転負けとツキまくっていた。さらに準々決勝では社が最有力だったが、西宮東に6-5で延長タイブレークの末姿を消し、私学の強豪とぶつからずに上がってきた。西宮東は右胸にℍの文字1つのシンプルなユニホームで10分ほど歩けば甲子園球場に到着するはず。
たまに県大会に勝ちあがったら感動的な試合を展開してくれるので、あるいは社に勝った勢いそのままに近畿大会に出て21世紀枠で甲子園も現実味を帯びてくる。
アルプスを見ると珍しく三田学園はブラスバンドの応援が来ている!穂積監督時代はたいがい太鼓1つの応援だったが進化していた。西宮東は録音応援だった。
試合は第1試合が2時間25分かかった影響で定刻よりも17分遅いプレーボール。1回表幸先よく1死から2番・栗須が8球粘ってレフト前ヒット。そして三田はいつもながらにバッテリーが中軸を打っており3番がエース熊野 4番がキャッチャー沖だった。熊野投手が自らを楽にすべく左中間へタイムリーツーベースを放ち電光石火の攻撃で早くも1点先制!普通に送りバントしても「いつものパターン」と思いがちだが、岩根監督はバッテリーには攻守ともに絶大な信頼を寄せているようだった。しかし後続が続かず1点どまり。
その裏、西宮東は1死から四球をもらうと3番・渡辺2-1からエンドランを仕掛けセンター前ヒットでつなぎ1・2塁。1年生4番・和田は初球サードゴロゲッツーと思われたが、サードからの送球をファースト三輪奈が痛恨の落球で2死1・2塁とまだピンチを残し、6番・江見が2-2と追い込まれながらもセンター前タイムリーヒットをしぶとく放ってすかさず同点。さらに盗塁でイケイケドンドンだったが、6番・木村2ボールから手を出すもセンターフライで踏みとどまった。
追いつかれた三田は2回表先頭の三輪歩が四球で出塁。ちなみに5・6番は双子の兄弟だ。岩根監督は三田らしく初球バントのサインを出すがファール。穂積監督だったらスリーバントまで固執していたと思うが、2球目まさかの盗塁でマンマと成功。そして2-1と追い込まれたらバスターでファーストゴロ。これで1死3塁と得意の形になった。
兵庫のスクイズ好きと言えば現役監督だと明石商・狭間監督が筆頭格で神港学園の北原監督のお父さんや日大三島に異動した永田監督に東洋大姫路の藤田前監督&岡田監督などが思い浮かぶが、穂積監督イズムを持っている岩根監督もベンチでウズウズしていたのかもしれない・・・。8番・藤井ボール~ストライクと2球目まで双方ともに動きなく睨み合いだったが、先に動いたのが西宮東バッテリーで1-1並行カウントでウエストするも岩根監督は動かなかった。1-2と打者有利のカウントになり、3球目外しただけに連続ウエストはないと読んでようやく1球で仕留めるべくスクイズのサインを出したのだが、藤井はあろうことかスクイズするもキャッチャーフライで3塁走者戻りたい戻れないダブルプレー!!
これで苦戦を覚悟したが熊野投手が下位打線を打たせて取るピッチングで無難に抑え安定感が出てきた。
3回表初回よろしく2・3番の連打で2死から1・2塁のチャンスを迎え4番・沖。東監督がタイムを取って最少失点で食い止めたいところで3ボール。あるいは四球で満塁と思ったが、背番号10の三浦投手が制球よく追い込みフルカウントまでもってきたが、7球目にセンター後方のフライ。スタンドから見ていると落下点に入り追いついたかに思えたが、球運よくセンターがこれを捕れず2者生還するタイムリースリーベースで2点追加。これで何とか主導権握れて中盤までは安心できるかなと。
その裏、西宮東は1番からの攻撃で先頭に四球を与えてしまった・・・。2番・湊にも2ボールと不安はよぎったが、バントすることなく普通に打たせてフルカウントからランエンドヒットで三振と盗塁で1死2塁。ここで熊野投手が一段とギアを上げて外ストレートで見逃しの三振とキャッチャーフライに抑え3-1と2点リードして序盤を終えた。
まだ2点リードでは終盤どこに落とし穴があるのか分からないので安心できない。4回表内野安打~送りバント~セカンドゴロと三田らしく4球でコツコツと2死3塁のチャンスを作った。
穂積監督だったら9番打者にセーフティ―スクイズという奇策を用いて得点を狙うシーンも観戦したことがあったが、岩根監督は選手に任せチェンジアップに空振り三振。
その裏、西宮東は5番・江見がセンター前ヒットを放つと東監督は6番・木村に1-1からバスターエンドランを命じレフト前ヒット。さらにバントヒットで無死満塁と硬軟自在に攻めてビッグチャンスの到来。岩根監督はここぞの場面でタイムを要求。最悪3-3同点までは覚悟しつつも追いつかれたら三田打線が沈黙してその間に敗戦という最悪のコースを辿りかねないと。
三田内野陣は前進守備を敷き1点もやらない構え。8番・林は1-1から手を出しまさかのピッチャーゴロホームゲッツー!これで2死2・3塁となり、先発投手・三浦に代打・加本を起用して勝負に出た東監督。2ボールとなり1塁も空いている状況だが、三田バッテリーは勝負を挑みレフトフライで絶体絶命の大ピンチを無失点で凌いだ!!
代打の関係で投手交代。ここでエース投入かと思われたが、11番のアンダースロー柳井がリリーフ。エースは右オーバースローだが終盤まで温存するつもりだろうか?
最近、プロアマ問わずサブマリン投法はあまり見かけないが、突如現れた秘密兵器に三田打線は合わない。簡単に内野ゴロ2つで手玉に取られ熊野投手はデッドボール・・・・・。この後の投球にちと不安がよぎるがその前に4番・沖は外ストレートに手が出ず見逃しの三振。。。
その裏、西宮東も1番からの攻撃で早速ショート内野安打で反撃のノロシを上げる。東監督はここも強攻の構えで2-2からランエンドヒットを仕掛けボール球に手を出さず盗塁成功。無死2塁のピンチを招いたが、エース・熊野はデッドボールの痛みにも耐えて、チェンジアップで空振り三振。3番・渡辺は2球で追い込まれ高めのボール球に手を出し三振。4番・和田は1ストライクからセンターへ快心の打球を放つも藤井の守備範囲内で3-1と2点リードで整備に入った。
やはり三田学園の試合は見ていて本当に疲れるしイライラさせられる・・・・・。初回幸先よく先制しつつもすぐに追いつかれ、得意のスクイズはキャッチャーフライダブルプレー。3回の2得点も相手のセンターが上手かったら無得点だったはずだし、その後も2回を除いて毎回走者を許し耐えて凌いで神経すり減らしてなんとか2点リードをキープしているものの、2点リードは砂上の楼閣だろうか???相手は継投に出て上手くはまっているようだし、三田学園はおそらくエース・熊野が大黒柱なんだろう。彼と心中しなければならないチーム事情であるとするならば、夏は一人の投手で7~8試合勝ち抜くのは難しいのでやはりセンバツしか甲子園のチャンスは訪れないのか・・・・・。
6回表三田は1死から6番・三輪歩が初球セカンドゴロ後逸(記録はセンター前ヒット)で出塁。7番・柴田初球ストライクのあとに1塁けん制球がまさかの大暴投・・・1塁走者が一気に3塁へ進みタナボタの大チャンス!ここで2回表に失敗したスクイズをもう1回と穂積監督だったら敢行していたと思うが、岩根監督にそこまでの度胸はなかったのか?2球目ボールの後に3球目センターへの浅いフライ。。。微妙な打球だったが僕も3塁コーチャーも信号は青だ!!猛然と3塁走者・三輪歩がホーム突入し4点目の得点をこじあけてこれがダメ押しとなった!!
その裏、熊野投手が内野ゴロ3つで封じ込めこれで勝機がようやく見えてきたかなというところだった。
7回はお互い三者凡退であっさり終了し3回に続き2度目の給水タイム。願わくば8回表に3点奪ってコールド寸前スコアにもちこみ、9回表に大爆発が理想だった。
8回表3番でエースの熊野からだったがまさかの2打席連続デッドボール・・・・・。アンダースローの投手なんで本格派の剛速球ではないが大黒柱に2度もぶつけられては・・・。
4番・沖のセンター前ヒットに犠打野選で無死満塁と理想的な展開。穂積監督だったら5・6番の双子の兄弟に初球スクイズ2連発もあり得そうな感じだが、岩根監督は普通に打たせたのか?カウントが整うのを待っているうちに双子が打ちたい気持ちがはやってファーストストライクから打ちに行ったのか???ショートフライ・サードゴロホーム封殺で2死満塁。8番・藤井カウント1-3で押し出しに期待するも5球目見逃しストライク。最後はサードゴロで凌がれまさかの無得点。。。
一応3点リードあるので、そこまで悲観することもないのだが、三田学園は過去に幾度もこういう展開で逆転負けした悔しい試合を何度も観戦してきたので・・・・・。
事実その裏先頭の2番・湊に2ストライクからレフト前ヒットを浴びて「マズいっ!!」と冷や汗掻いた。。。3番・渡辺に1-2とバッティングカウントになり「四球も嫌やしかといって甘く入って打たれるのも・・・」と焦っていたが、4球目ショートゴロゲッツーでホッと一息。
しかし、9回表あっさり三者凡退に終わりまだ予断を許さない!その裏先頭の5番・江見がライト前ヒット。6番・木村に2ボールと旗色悪くなったが、立て直しフルカウントから内カットボールで見逃しの三振。ここで代打・岩崎が登場。ホームランを打たれてもまだ1点勝っている状況だし2球で追い込んだのでボール球を振らせていきたかったが、、、3球勝負は三遊間どん詰まりのゴロだったが、なんとこの当たり損ねの打球が三遊間を破るレフト前ヒット、、、岩根監督は2度目のタイムを取り最後まで気が抜けない状況。
8番・林は3打数ノーヒットだったので怖さはなかったが、1ボールからまさかの送りバントを2球ファール・・・。最後はショートゴロで3塁封殺して2死1・2塁としたがここでサードが足を負傷するアクシデント。
そこまで大きなケガでもなくすぐにプレー再開で柳井投手に代打・細川が起用。まだジリジリする展開だったが、初球打ちはセンターフライで1時間51分の苦行を耐え忍んだ三田バッテリーが20年ぶりの秋季近畿大会出場に王手をかけた。
終わってみれば4-1と完勝だったかもしれないが、最後までハラハラドキドキする展開だった。いつの間にかヒット数は西宮東が9安打とヒット数は1本上回っていたし。
2回表1死3塁でスクイズがキャッチャーフライダブルプレーに終わってしまったことにより、岩根監督がスクイズのサインを出すのを躊躇してしまったのかもしれないが、ノーエラーで守り勝つ三田の野球は存分に展開できたと思う。
欲を言えば8回無死満塁のチャンスで得点で来ていたらもっと楽に見れていたのかもしれないが、、、、、
翌週の準決勝で神戸学院大付に勝てば近畿大会出場決定となる。逆に言えば負けたら東洋大姫路ー神戸国際大付の敗者が3位決定戦で待ち構えるのでちょっと勝ち目は薄いかなあと思っていた。
準決勝の明石は観戦できるが最終日は橿原で奈良大会観戦の予定があるので観れない・・・。
いよいよ2024年兵庫大会最後の観戦となる準決勝の大一番。明石商を相手に最大5点ビハインドを跳ね返した神戸学院大付の勢いを三田バッテリーが止められるか?それはまた次回の講釈で。
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 犠飛 四球 死球 三振 失点 自責
三田学園 熊 野 9 36 129 9 0 0 2 0 6 1 1
西 宮 東 三 浦 4 18 60 6 1 0 1 0 1 3 3
西 宮 東 柳 井 5 20 57 2 1 1 0 2 2 1 1
(完)
🌟次回予告🌟
R7年度秋季近畿地区高校野球大会兵庫予選観戦記⑥ さらなる高みへ桜陵健児 三田学園観戦記
9/28 秋季兵庫大会準決勝第1試合 明石トーカロ球場 三田学園-神戸学院大付
一二三四五六七八九十計HE
三田学園102001000 480 熊野-沖
西 宮 東100000000 191 三浦、柳井-渡辺
第一試合
神国大付8
市 尼 崎1
2024年秋季兵庫大会も終盤戦に入りつつあった。準々決勝4試合を明石と姫路(ウインク)で行い勝者4校はどう転んでもあと2試合明石トーカロで野球ができる。椅子取りゲームで脱落しなければ、ほっともっとフィールド神戸で開催される近畿大会出場権を得られる。しかし、今日負けたらここまで勝ち上がった戦績が止まってしまい明日から長い冬が待っている・・・・・。
姫路では神戸学院大付ー姫路工・東洋大姫路ー明石清水が10時から2試合で同時進行されている。3期連続甲子園を狙った報徳学園が新チーム結成の遅れと今朝丸・間木の2枚看板が抜けた影響か?初戦で西脇工にまさかのサヨナラ負けで3回戦で激突するであろう東洋大姫路との大一番の前に姿を消す波乱もあった。
くじ運もあってか?久しぶりに姫路工が8強入りし、全くのノーマークだった明石清水・西宮東も名乗りを上げていた。そしてすっかり兵庫の粒ぞろいの群雄割拠に埋もれてすっかり名前を聞かなくなった市尼崎・三田学園がまだ残っている。市尼崎は尽誠学園・大阪学院を率いていた椎江監督が数年前に監督就任し、監督やコーチなど指導者の暴力・暴言・サイン盗み強要その他モロモロ不祥事に揺れたチームの火中の栗を拾いに行った椎江監督の手腕が注目されたが、神戸国際大付の強力打線の前にはコールド回避が精いっぱいで最後までエース温存し、尽誠時代は先攻派だったがこの日はシレっと後攻を選択し7回裏に貴重な1点をもぎ取りコールド回避し、8回表終了1-7で9回裏まで野球ができる権利を得て尼崎に帰って行った。
小野・滝川二という難敵をいずれも3-1で下しロースコアの接戦に勝機を見出したかったが、5回まで毎回失点では4投手のリレーでコールド回避が精いっぱいというところだろうか?
そしていよいよお目当ての三田学園が第2試合に登場し西宮東と対戦。三田学園といえばセンバツ4度出場経験があり、近鉄の4番打者だった羽田選手や育英の監督だった藤村監督など歴戦の猛者が集っていたが平成3年春を最後に甲子園から遠ざかり穂積監督が就任し約20年間挑み続けたが秋2度ほど近畿大会に出場したもののいずれも初戦敗退で甲子園は遠かった。
いつもながら先攻一択でノック時のマシンガンノックで鍛え抜かれた守りで最少失点に抑えしつこいくらいスクイズのサインを出しまくって1点にこだわりストイックな野球でいかにも兵庫らしい野球スタイルだった。
残念ながら加古川東に初戦敗退した夏が最後となり、あの羽田耕一さんがアマチュア指導者資格を取り母校に復帰!近鉄のいてまえ打線の中軸ゆえに豪打のチームに切り替えるかと思われたが、穂積野球を踏襲し、それは今の岩根監督にも受け継がれている。
とにかく打てないのでロースコアの接戦は必至だし、相手が格下でも苦戦を強いられ先攻派ゆえにいつ追いつかれてサヨナラ負けするのかという不安がつきまとう。。。観ていてイライラする野球と言ってしまえばそれまでだが、それでも勝ち切った試合を何度も観戦しているので懲りずに応援している!
今大会の三田学園は琴丘・高砂・福崎に勝利して8強進出。運よく育英が初戦敗退し、育英に勝った加古川西も福崎に1-2で逆転負けとツキまくっていた。さらに準々決勝では社が最有力だったが、西宮東に6-5で延長タイブレークの末姿を消し、私学の強豪とぶつからずに上がってきた。西宮東は右胸にℍの文字1つのシンプルなユニホームで10分ほど歩けば甲子園球場に到着するはず。
たまに県大会に勝ちあがったら感動的な試合を展開してくれるので、あるいは社に勝った勢いそのままに近畿大会に出て21世紀枠で甲子園も現実味を帯びてくる。
アルプスを見ると珍しく三田学園はブラスバンドの応援が来ている!穂積監督時代はたいがい太鼓1つの応援だったが進化していた。西宮東は録音応援だった。
試合は第1試合が2時間25分かかった影響で定刻よりも17分遅いプレーボール。1回表幸先よく1死から2番・栗須が8球粘ってレフト前ヒット。そして三田はいつもながらにバッテリーが中軸を打っており3番がエース熊野 4番がキャッチャー沖だった。熊野投手が自らを楽にすべく左中間へタイムリーツーベースを放ち電光石火の攻撃で早くも1点先制!普通に送りバントしても「いつものパターン」と思いがちだが、岩根監督はバッテリーには攻守ともに絶大な信頼を寄せているようだった。しかし後続が続かず1点どまり。
その裏、西宮東は1死から四球をもらうと3番・渡辺2-1からエンドランを仕掛けセンター前ヒットでつなぎ1・2塁。1年生4番・和田は初球サードゴロゲッツーと思われたが、サードからの送球をファースト三輪奈が痛恨の落球で2死1・2塁とまだピンチを残し、6番・江見が2-2と追い込まれながらもセンター前タイムリーヒットをしぶとく放ってすかさず同点。さらに盗塁でイケイケドンドンだったが、6番・木村2ボールから手を出すもセンターフライで踏みとどまった。
追いつかれた三田は2回表先頭の三輪歩が四球で出塁。ちなみに5・6番は双子の兄弟だ。岩根監督は三田らしく初球バントのサインを出すがファール。穂積監督だったらスリーバントまで固執していたと思うが、2球目まさかの盗塁でマンマと成功。そして2-1と追い込まれたらバスターでファーストゴロ。これで1死3塁と得意の形になった。
兵庫のスクイズ好きと言えば現役監督だと明石商・狭間監督が筆頭格で神港学園の北原監督のお父さんや日大三島に異動した永田監督に東洋大姫路の藤田前監督&岡田監督などが思い浮かぶが、穂積監督イズムを持っている岩根監督もベンチでウズウズしていたのかもしれない・・・。8番・藤井ボール~ストライクと2球目まで双方ともに動きなく睨み合いだったが、先に動いたのが西宮東バッテリーで1-1並行カウントでウエストするも岩根監督は動かなかった。1-2と打者有利のカウントになり、3球目外しただけに連続ウエストはないと読んでようやく1球で仕留めるべくスクイズのサインを出したのだが、藤井はあろうことかスクイズするもキャッチャーフライで3塁走者戻りたい戻れないダブルプレー!!
これで苦戦を覚悟したが熊野投手が下位打線を打たせて取るピッチングで無難に抑え安定感が出てきた。
3回表初回よろしく2・3番の連打で2死から1・2塁のチャンスを迎え4番・沖。東監督がタイムを取って最少失点で食い止めたいところで3ボール。あるいは四球で満塁と思ったが、背番号10の三浦投手が制球よく追い込みフルカウントまでもってきたが、7球目にセンター後方のフライ。スタンドから見ていると落下点に入り追いついたかに思えたが、球運よくセンターがこれを捕れず2者生還するタイムリースリーベースで2点追加。これで何とか主導権握れて中盤までは安心できるかなと。
その裏、西宮東は1番からの攻撃で先頭に四球を与えてしまった・・・。2番・湊にも2ボールと不安はよぎったが、バントすることなく普通に打たせてフルカウントからランエンドヒットで三振と盗塁で1死2塁。ここで熊野投手が一段とギアを上げて外ストレートで見逃しの三振とキャッチャーフライに抑え3-1と2点リードして序盤を終えた。
まだ2点リードでは終盤どこに落とし穴があるのか分からないので安心できない。4回表内野安打~送りバント~セカンドゴロと三田らしく4球でコツコツと2死3塁のチャンスを作った。
穂積監督だったら9番打者にセーフティ―スクイズという奇策を用いて得点を狙うシーンも観戦したことがあったが、岩根監督は選手に任せチェンジアップに空振り三振。
その裏、西宮東は5番・江見がセンター前ヒットを放つと東監督は6番・木村に1-1からバスターエンドランを命じレフト前ヒット。さらにバントヒットで無死満塁と硬軟自在に攻めてビッグチャンスの到来。岩根監督はここぞの場面でタイムを要求。最悪3-3同点までは覚悟しつつも追いつかれたら三田打線が沈黙してその間に敗戦という最悪のコースを辿りかねないと。
三田内野陣は前進守備を敷き1点もやらない構え。8番・林は1-1から手を出しまさかのピッチャーゴロホームゲッツー!これで2死2・3塁となり、先発投手・三浦に代打・加本を起用して勝負に出た東監督。2ボールとなり1塁も空いている状況だが、三田バッテリーは勝負を挑みレフトフライで絶体絶命の大ピンチを無失点で凌いだ!!
代打の関係で投手交代。ここでエース投入かと思われたが、11番のアンダースロー柳井がリリーフ。エースは右オーバースローだが終盤まで温存するつもりだろうか?
最近、プロアマ問わずサブマリン投法はあまり見かけないが、突如現れた秘密兵器に三田打線は合わない。簡単に内野ゴロ2つで手玉に取られ熊野投手はデッドボール・・・・・。この後の投球にちと不安がよぎるがその前に4番・沖は外ストレートに手が出ず見逃しの三振。。。
その裏、西宮東も1番からの攻撃で早速ショート内野安打で反撃のノロシを上げる。東監督はここも強攻の構えで2-2からランエンドヒットを仕掛けボール球に手を出さず盗塁成功。無死2塁のピンチを招いたが、エース・熊野はデッドボールの痛みにも耐えて、チェンジアップで空振り三振。3番・渡辺は2球で追い込まれ高めのボール球に手を出し三振。4番・和田は1ストライクからセンターへ快心の打球を放つも藤井の守備範囲内で3-1と2点リードで整備に入った。
やはり三田学園の試合は見ていて本当に疲れるしイライラさせられる・・・・・。初回幸先よく先制しつつもすぐに追いつかれ、得意のスクイズはキャッチャーフライダブルプレー。3回の2得点も相手のセンターが上手かったら無得点だったはずだし、その後も2回を除いて毎回走者を許し耐えて凌いで神経すり減らしてなんとか2点リードをキープしているものの、2点リードは砂上の楼閣だろうか???相手は継投に出て上手くはまっているようだし、三田学園はおそらくエース・熊野が大黒柱なんだろう。彼と心中しなければならないチーム事情であるとするならば、夏は一人の投手で7~8試合勝ち抜くのは難しいのでやはりセンバツしか甲子園のチャンスは訪れないのか・・・・・。
6回表三田は1死から6番・三輪歩が初球セカンドゴロ後逸(記録はセンター前ヒット)で出塁。7番・柴田初球ストライクのあとに1塁けん制球がまさかの大暴投・・・1塁走者が一気に3塁へ進みタナボタの大チャンス!ここで2回表に失敗したスクイズをもう1回と穂積監督だったら敢行していたと思うが、岩根監督にそこまでの度胸はなかったのか?2球目ボールの後に3球目センターへの浅いフライ。。。微妙な打球だったが僕も3塁コーチャーも信号は青だ!!猛然と3塁走者・三輪歩がホーム突入し4点目の得点をこじあけてこれがダメ押しとなった!!
その裏、熊野投手が内野ゴロ3つで封じ込めこれで勝機がようやく見えてきたかなというところだった。
7回はお互い三者凡退であっさり終了し3回に続き2度目の給水タイム。願わくば8回表に3点奪ってコールド寸前スコアにもちこみ、9回表に大爆発が理想だった。
8回表3番でエースの熊野からだったがまさかの2打席連続デッドボール・・・・・。アンダースローの投手なんで本格派の剛速球ではないが大黒柱に2度もぶつけられては・・・。
4番・沖のセンター前ヒットに犠打野選で無死満塁と理想的な展開。穂積監督だったら5・6番の双子の兄弟に初球スクイズ2連発もあり得そうな感じだが、岩根監督は普通に打たせたのか?カウントが整うのを待っているうちに双子が打ちたい気持ちがはやってファーストストライクから打ちに行ったのか???ショートフライ・サードゴロホーム封殺で2死満塁。8番・藤井カウント1-3で押し出しに期待するも5球目見逃しストライク。最後はサードゴロで凌がれまさかの無得点。。。
一応3点リードあるので、そこまで悲観することもないのだが、三田学園は過去に幾度もこういう展開で逆転負けした悔しい試合を何度も観戦してきたので・・・・・。
事実その裏先頭の2番・湊に2ストライクからレフト前ヒットを浴びて「マズいっ!!」と冷や汗掻いた。。。3番・渡辺に1-2とバッティングカウントになり「四球も嫌やしかといって甘く入って打たれるのも・・・」と焦っていたが、4球目ショートゴロゲッツーでホッと一息。
しかし、9回表あっさり三者凡退に終わりまだ予断を許さない!その裏先頭の5番・江見がライト前ヒット。6番・木村に2ボールと旗色悪くなったが、立て直しフルカウントから内カットボールで見逃しの三振。ここで代打・岩崎が登場。ホームランを打たれてもまだ1点勝っている状況だし2球で追い込んだのでボール球を振らせていきたかったが、、、3球勝負は三遊間どん詰まりのゴロだったが、なんとこの当たり損ねの打球が三遊間を破るレフト前ヒット、、、岩根監督は2度目のタイムを取り最後まで気が抜けない状況。
8番・林は3打数ノーヒットだったので怖さはなかったが、1ボールからまさかの送りバントを2球ファール・・・。最後はショートゴロで3塁封殺して2死1・2塁としたがここでサードが足を負傷するアクシデント。
そこまで大きなケガでもなくすぐにプレー再開で柳井投手に代打・細川が起用。まだジリジリする展開だったが、初球打ちはセンターフライで1時間51分の苦行を耐え忍んだ三田バッテリーが20年ぶりの秋季近畿大会出場に王手をかけた。
終わってみれば4-1と完勝だったかもしれないが、最後までハラハラドキドキする展開だった。いつの間にかヒット数は西宮東が9安打とヒット数は1本上回っていたし。
2回表1死3塁でスクイズがキャッチャーフライダブルプレーに終わってしまったことにより、岩根監督がスクイズのサインを出すのを躊躇してしまったのかもしれないが、ノーエラーで守り勝つ三田の野球は存分に展開できたと思う。
欲を言えば8回無死満塁のチャンスで得点で来ていたらもっと楽に見れていたのかもしれないが、、、、、
翌週の準決勝で神戸学院大付に勝てば近畿大会出場決定となる。逆に言えば負けたら東洋大姫路ー神戸国際大付の敗者が3位決定戦で待ち構えるのでちょっと勝ち目は薄いかなあと思っていた。
準決勝の明石は観戦できるが最終日は橿原で奈良大会観戦の予定があるので観れない・・・。
いよいよ2024年兵庫大会最後の観戦となる準決勝の大一番。明石商を相手に最大5点ビハインドを跳ね返した神戸学院大付の勢いを三田バッテリーが止められるか?それはまた次回の講釈で。
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 犠飛 四球 死球 三振 失点 自責
三田学園 熊 野 9 36 129 9 0 0 2 0 6 1 1
西 宮 東 三 浦 4 18 60 6 1 0 1 0 1 3 3
西 宮 東 柳 井 5 20 57 2 1 1 0 2 2 1 1
(完)
🌟次回予告🌟
R7年度秋季近畿地区高校野球大会兵庫予選観戦記⑥ さらなる高みへ桜陵健児 三田学園観戦記
9/28 秋季兵庫大会準決勝第1試合 明石トーカロ球場 三田学園-神戸学院大付
📝昨夏の甲子園出場校が「まさかの閉校」に…東大阪大柏原監督が語る理事長からの“意外な言葉”「数年前から噂が…このままでは終われないですよ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/516abbcaa81ec755c6f29b21e84ae4a1b0cac319
昨夏、激戦区大阪代表として甲子園に出場した東大阪大柏原高校の野球部。ところがその歓喜からわずか数カ月後、突然「閉校」のニュースが報じられたのだ。果たしてその一報を殊勲の野球部監督はどんな風に受け止めていたのか。本人の胸の内を聞いた。
2025年7月27日。大阪大会決勝で延長10回タイブレークの末、大阪桐蔭を6-5で破った試合後、優勝インタビューに応じた東大阪大柏原の土井健大監督の声が南港球場に響いた。
「やったぞー!」
高揚し、思わず発した指揮官の大声が、スタンドの歓声と熱気に包まれる。
「相手がいるのにあんなに感情を爆発させて……とも言われましたけれど、そりゃ爆発させたくもなりますよ。それくらい、ずっと(大阪桐蔭に)勝てていなかったですから。もちろん、相手ありきの試合ですけれど、ああなったのはもう、色んな思いがありましたからね」
抑えきれなかった思いを感情の勢いのまま吐き出した当時のことを土井監督は回顧する。
昨夏の甲子園出場校が…2029年春の閉校が決定
だが、その歓喜の時からわずか数カ月後の12月中旬に、衝撃のニュースが高校野球界に走った。東大阪大柏原高が27年度から生徒募集を停止し、29年春には閉校するというのだ。
その後、柏原高校で功績がある野球部とバドミントン部が兄弟校の東大阪大敬愛高に移行することが決まっていることが報道されたが、土井監督は今回の事態をどのように受け止めたのだろうか。
土井監督によると、昨秋の府大会が終わった10月上旬、村上靖平理事長から夏の甲子園への感謝の意を伝えられたのち、募集停止の話を直接聞いたという。
「2、3年くらい前から『(東大阪大)柏原がなくなるんじゃないか』という噂が校内には流れていたんです。経営改革による人員削減とかそういう動きもあったみたいなんですけれど、柏原高校の上層部の方がどんどん(系列校の)敬愛高校に移っていたので」
身の回りに起こっていた変化を感じつつ、いざ現実を告げられると当初は「閉校」という言葉にピンと来なかったという。
「“閉校”と“廃校”の違いが分からなかった、というのもあったんですけれどね。最初に柏原高校が閉校すると言われた時、僕の感覚では(柏原の組織の一部が)敬愛高校にくっついていくのかなと思ったんです」
突然の閉校決定…理事長からかけられた「意外な言葉」
ただ、話を聞いていくとどうやら自身の認識違いであることが分かった。村上理事長からは閉校することを告げられた後、こう問いかけられたという。
「理事長先生から『土井君は(閉校について)どう思っている? 』って僕にお伺いを立てていただいたんです」
そんな理事長からの問いかけに対して、土井の口を衝いたのは意外な言葉だった。
<次回へつづく>
📝悲願の甲子園出場→4カ月後にまさかの「閉校報道」…東大阪大柏原監督が振り返る“狂騒曲の全内幕”「自分は暗くなることはなかったです」
https://news.yahoo.co.jp/articles/2f9a3183a0b66a21841cc115ede36f6a2f16e593
「学校がなくなったとしても僕の意見を聞こうとしてくれていて、何かを期待してもらっているのかなと思って。でも、その時に僕は理事長に『逆にどう思ってはるんですか? 』って聞き返しました。なぜ僕にそんな風に聞いてくれたのかなって」
2027年度から生徒募集の停止が決まった東大阪大柏原高校。昨夏の甲子園にも出場した野球部監督の土井健大は、理事長からの「どう思っている?」という直球な疑問にそんな風に答えたという。
「『(系列校の東大阪大)敬愛高校には野球部がないので、野球部を創部して僕がそこで監督になって、土井君が支えていって欲しい』と言われました。そういうお考えであれば、自分は『その期待に添えるように頑張りたい』と言いました。学校が潰れるからあと3年で辞めてくれと言われたら、『じゃあ来年はこうします、ああします』という流れになっていたかもしれません。でも、学校は潰れても(柏原の野球部を引き継ぐ形で)敬愛高校で野球部を1から作り直して欲しいという話だったので、『任せてください』とは言いました」
ただ、12月にニュースが流れた頃は、やはり閉校というネガティブな印象が強かった。だが、その一報が流れて数日後に筆者は土井監督と電話で話す機会があったが、電話での土井監督の声色は最後まで明るく、ネガティブな印象は感じなかった。
閉校の報にも…「暗くなることはなかったです」
「閉校と言われても自分は暗くなることはなかったです。自分を呼んでいただいた恩が柏原にありましたし、(敬愛での)話をいただいて、是非やらせて欲しいと思いましたから。まぁ、これから(移行に向けて)やっていくことは色々とありますが」
東大阪大敬愛高校は柏原高校のある柏原市から北に数キロの東大阪市にある。柏原高校のグラウンドは校内にあるが、敬愛高校には学校のキャパシティーの問題で野球部のグラウンドを校内に確保するのは難しく、練習環境をどれだけ整備できるかが現時点で未定だという。野球部が所属するスポーツコースのカリキュラムをどうしていくかなども含め、受け入れ体勢についてはこれからすり合わせていくことになる。
2018年から東大阪大柏原の指揮を執る土井監督は、履正社時代に右の強打者としてドラフト候補に挙げられ、1年上にいたT―岡田こと岡田貴弘(元オリックス)の愛称だった「浪速のゴジラ」にちなんで「浪速のミニラ」とも呼ばれていた。
強打者でありながら穏やかで物静かな岡田貴弘とは対照的に、ざっくばらんでガハハと豪快に笑う土井は、岡田と異なるキャラクターであることが良い意味で強いインパクトを残していた。
4番、主将としてチームの中心に立ち、ハキハキとものを言える竹を割ったような性格で、後輩に対しても面倒見の良いキャプテンというイメージが土井は強かった。その後、秋のドラフト会議(当時は高校生ドラフト会議)では5巡目でオリックスから指名を受けてプロの世界に進むことになるが、当時は将来的に指導者になるというイメージは全くつかなかった。そのことについて尋ねると、土井はこう返してきた。
「自分が(現役選手として)野球が終わったら、野球をどこかで教えたいなというのは高校の時からずっとあったんです。高校では(当時の岡田龍生監督から)人間的なことを教わりましたけれど、野球に関しては自分で考えながら練習をやっていることもありました。それからプロに入って、高校ではなかなかできない練習法が色々あって、すごく関心が高かったんです。それに僕がプロにいた頃に野球塾みたいな組織をプロOBで立ち上げた方が増えたので、自分もいずれはそうやって野球を教えたいなとは思っていました」
4年間のプロ生活で「学んだこと」
プロではオリックス、巨人と計4年間プレーしたが、目立った成績は残せなかった。それでも練習に対する意欲は強い方だった。
「練習メニューをこなしながらこういう練習はこんなことに役立つとか考えながらやってきたんですけれど、誰かから学んだり教わったりすることがあまりなかったんです。先輩にどんな感覚でやっているのかなどを尋ねて自分の感覚と照らし合わせて、じゃあこんな練習はこういう時にやればいいとか考える癖はプロで自然とつきました」
11年まで現役を続け、12年から巨人でブルペン捕手を務めていたが13年に巨人を退団。14年はミキハウスREDSで現役復帰し、15年からは社会人軟式野球の強豪・大阪シティ信用金庫でプレーした。14年末より学生野球資格回復に向けた講習を受講し15年1月に日本学生野球協会から資格回復の認定を受けていた。
17年のシーズンまで現役を続け、大阪シティ信用金庫を退職。子供への指導を夢見ていたとはいえ引退を控えた頃は今後の具体的な話はなく、生活に不安を覚え結婚したばかりの妻に相談すると、その妻に言われた言葉も土井の背中を押した。
「『あんたは今まで野球しかやってきていないし子供も好きやし、生徒を集めて野球を教えてあげるのはいいんちゃう』って言われて。じゃあどうしようかと思っていた時に東大阪大柏原でのコーチの話が来たんですね」
大阪府のライバル・大阪桐蔭への想いは?
17年12月に東大阪大柏原のコーチに就任し、翌年の10月から監督となった。履正社で大阪を戦ってきた土井としてみれば、慣れ親しんだ地に戻ってきたという形になる。
「自分が育ってきた環境に立って(自身の高校時代のように)人として大事なことを教えるのも大事。その上で自分がプロでも学んできた野球を、子供にまた違う角度から教えられるのはすごく楽しいですね」
その中で同じ大阪のライバルでもある大阪桐蔭の存在はやはり特別だ。現役時代も何度も対戦した大阪桐蔭。監督になってからは、当時から変わらない西谷浩一監督の一挙一動に目を凝らし続けてきた。
「選手の時は西谷(浩一)監督のことも“選手”として見ていた感覚がありました。僕の頃は1年下に中田翔(元日本ハム、中日)がいて、その下に浅村栄斗(楽天)がいて、まぁ強かったですよ。その中に西谷監督がベンチにいる、という感じで見ていました」
だが、指導者になってからは「西谷さんがいるから選手もこんな風に動いていたのか」と監督目線でライバルを見るようになったという。
「選手だった時は良い選手がいるから(大阪桐蔭は)勝っていると思っていましたけれど、監督になってからは西谷監督のもとでプレーする選手たちの成長度合いがすごく分かるんです。選手の時って、3年間という期間だけ、しかも大会で自分たちが勝ち上がった時しか大阪桐蔭を見ることがないじゃないですか。でも監督になって今までの8年間を見ても、大会だったらここで当たる可能性があるからどんな対策をしてくるか、ピッチャーはどうなるかもそうですし、西谷さんのベンチでの立ち振る舞いも含めて色々な部分は目で追ってしまいますね」
昨夏の府大会決勝で対戦した際も土井監督はサングラス越しに西谷監督の動きをずっと見つめていた。ただ、昨夏はこれまでとは少し違っていたという。
「なんかこう、初回から西谷監督はベンチでソワソワしている感じがしました。落ち着いていないというか。秋や春も含めて僕は何度も大阪桐蔭と対戦していますけれど、ちょっと今までとは違うなというのはありましたね」
その土井監督の印象通り、東大阪大柏原が2回に2点を先制し、6回にさらに2点を奪うなど大阪桐蔭からすれば思うようにいかない試合運びが続いた。
「あの試合では西谷さんはいつも通りジェスチャーはしているけれど、ベンチのバットケースの隣から前に行ったり後ろに行ったりして顔は笑っていなかったですし、いつも通りではないことだけは分かりました」
捕手が安定している大阪桐蔭は「太刀打ちできない」
実は昨夏、大阪桐蔭は下級生時からマスクを被っていた正捕手の増田湧太がスタメン出場できていなかった。それが土井監督には多少の引っ掛かりがあったという。
「(22年の)松尾(汐恩・DeNA)君の時がそうだったように、大阪桐蔭はキャッチャーが安定している時は太刀打ちできないくらい強いんです。でも増田君を欠いていたことで、決して付け入るスキがないことはないなとは思っていました」
とはいえ「正直、勝てるとは思っていなかったです」と笑う。
「もちろん負けに行ったわけではないですよ。大阪桐蔭に勝ちたいとはずっと思っていました。それがまさかあの夏に勝てるなんて、というのはありました」
夏の甲子園では初戦(2回戦)で尽誠学園に0-3で敗れ、指導者として甲子園初勝利とはならなかった。それでも東大阪大柏原の夏の甲子園出場は大阪府の高校野球に風穴を開けた。近年、大阪桐蔭や履正社の覇権が続いている中で、府内の中堅私学の監督から「僕らも希望が持てた」という連絡が何人からも来たという。
昨夏の東大阪大柏原の躍進が今後の大阪の高校野球を面白くするという見立てがあっただけに、東大阪大柏原としての挑戦があと3年で一区切りとなるのは寂しさもある。それでも土井監督の言葉には澱みは全くなかった。
「今年の春に入学してくる1年生も含めて、楽しみはあるんです。再来年は110回大会ですし(南大阪代表として)本気で甲子園を狙っています」
あと3年しかない、という切羽詰まった感情は全くない。むしろ、3年後のその先を見据えた土井監督は、今後の野望についても触れた。
「土井健大だからやれる野球」がしたい
「監督像を崩すという訳ではないんですけれど、この先のチーム作りは土井健大っぽくしたいというのはあります。高校野球によくある監督ではなく、土井健大だからやれる、みたいな野球。オリジナルというか、誰の真似もしていない野球がしたいですね。あとは(恩師の)岡田(龍生)先生の歳までに甲子園での勝利数を越えたいです。今、高校野球がどんどん変わっていっていて、タイブレークやDH制が定着していく中でこれからは7回制になるとか、色んな変化もあると思います。試合内容も変わるかもしれないですけれど、名を残せる監督というか『土井はこういう展開だとこんな風にやっていたよな』って言ってもらえるような監督になりたいです。だからこのままで(監督は)終われないですよ。指導者として何が1番とか正しいのかは分からないですけれど、良い意味で野球界にプラスに働くような運動をいつかはやっていきたいです。そのためには実績はちゃんと作っていかないといけないですね。それが野球への恩返しかなと」
そう言って土井監督は豪快にガハハと笑った。
☝野球部コーチの暴言動画が拡散「殺すぞ、あほ、ぼけ」学校が説明会で陳謝 無断外出の部員への言動、保護者からは「コーチ辞めさせないで」の声もhttps://news.yahoo.co.jp/articles/d5b5b018ecffb87f773ce170d6489dd97bc0255e
高校野球の強豪・高知高校野球部の男性コーチが、規則を破った部員に対して「殺すぞ」「あほ」「ぼけ」などと怒鳴る動画がSNSで拡散し問題となったことを受け、学校は11日に保護者説明会を開き、校長が陳謝しました。
高知高校によりますと、野球部の寮監兼コーチを務めていた30代の男性が、寮の規則を破った部員に対し威圧的に叱責する動画がSNS上で拡散しているのを、1月6日の朝に教員が確認したということです。
学校が寮監に聞き取りを行ったところ、点呼の後、午後9時半以降に寮を抜け出してコンビニに行った部員3人に対し、「殺すぞ」「あほ」「ぼけ」などと怒鳴ったことを認めたということです。動画は2024年10月13日に撮影されたものでした。これを受け学校は11日、野球部1・2年生の保護者を対象に説明会を行いました。
参加した保護者によりますと、説明会では「寮監を辞めさせないでほしい」という声が上がり、これは保護者の総意だったということです。そして、こうした声を聞いた濵口佳久監督が涙を流す場面もあったということです。また参加した保護者からは、「ルールを破ったら怒られて当然」「寮監の言い方が悪かった」といった声が聞かれたということです。
さらに説明会には、怒鳴られた生徒の保護者も参加していて「うちの子が悪い」などと話し、「寮監を辞めさせないでほしい」という保護者の総意は、その保護者も賛成したうえでの意見だったということです。ただ、説明会の後に取材に応じた田村誠校長は、「指導者として適切ではない発言で指導してしまった」などと陳謝しました。
◆田村誠 校長「子どもたちを預かる立場として、指導者として適切ではない発言で指導してしまったことについては、学校として生徒・保護者・関係の皆さまに大変心配・迷惑をおかけしたことで、お詫びを申し上げたいと考えています」
寮監兼コーチの男性は、寮に住み込みで生徒の面倒を見ていたということですが、7日からは寮とは別の場所で「自宅待機」しているということです。聞き取りに対し「使ってはならない言葉を使って申し訳ない」と反省しているほか、精神的に参っているということです。
男性は1人で生徒たちの面倒を見ていたということで、田村校長は「数十人の生徒が暮らしている寮を1人で管理させていたことは、見直すべき点だ」として、今後の改善していくとしています。
今回の件について、学校は高知県高野連に報告しているということです。また学校は、9日に調査委員会を立ち上げ調査にあたっていて、高知県高野連は学校に対し、調査結果を再度報告するよう求めています。高知高校野球部は1926年1月創部の強豪校で、甲子園には春21回、夏13回出場し、1964年夏と1975年春に優勝しています。
⚾岩手さんへ
雪かきお疲れさまでした。こっちはまだ今シーズン雪降っていないはずだし、昔は年に数回雪積もったり路面凍結はよくあったけど、温暖化の影響か?ただ寒いだけの日が続きますね。
僕は行かなかったですが、11日日曜日は寒さに加えて猛烈な風が吹いていたので神戸ユニバーは相当冷え込んだかなと・・・。
さて、5回終了の整備はだいたい5分間なんでクーリングタイムは10分から8分に短縮されたので、実質は3分程度しか変わりないはずですね。
そこまで試合時間が大きく変わるとも思えないし、、、3・7回の給水タイムこそ5分程度やってくれたら良いのですが、兵庫だったら2分あるかないかくらいですね・・・・・。
ただ、軟式野球の選手権大会は甲子園と違って3・7回も給水タイムしてましたね!
タイムにしても攻撃・守備共に3回までで30秒以内と制限つけられ、捕手がマウンドに行けるのも1イニング1回だけとなってしまい非常に窮屈な印象は受けますね。
あえて間を取るために痛くもない足が攣ったフリして時間稼ぎするのも1つの手だし、昨夏にしても極端に試合時間短くなったか?といえばそうではなく逆に長かった気が!!
2部制にしてしまいお客さん完全入れ替えなんで、一度強制退場させてからスタンドを清掃して第3試合開始1時間前に開門するためには1時間45分のインターバルは最低でも欲しいという思惑があると思いますが、第2試合の選手たちはそんなに時計をチラチラ見ないだろうし、ヤキモキするのは遠路はるばる来たアルプスの応援団や学校関係者くらいでしょうか???
7回制だったら今の投球制限の規定にひっかかる投手はほとんどいなくなるだろうから完投が増えていくと思います。その後、大学や社会人などで野球を続けるとなると8回以降の投球がしんどくなるのでは?と思いますね。
浜松南リトルシニア・・・は全く知らなかったですが、あのハイボール部長のお父さんが総監督をされているとかで!しかも父子そろって元プロ野球選手というのも凄いなあと!!
しかし静岡版のスポーツ紙というのは凄いですね。東京・大阪・名古屋・福岡あたりだったらさもありなんですが。
P・S 先ほど調べたら、昨年12月に明徳義塾野球部50周年記念行事として馬淵監督の古希祝いも兼ねたようですね。
僕は全然知らなかったのですが、週間ベースボールでも特集されていたようです。2002年の明徳はものすごく強かったですね。センバツの準々決勝で福井商に1回8失点して8-10で負けたのも不思議なくらいでした。
最近は年々小型化してスモールベースボールに徹し続け、勝てそうで勝てないロースコアの接戦を落とし続けているきらいもありますが。
https://news.yahoo.co.jp/articles/516abbcaa81ec755c6f29b21e84ae4a1b0cac319
昨夏、激戦区大阪代表として甲子園に出場した東大阪大柏原高校の野球部。ところがその歓喜からわずか数カ月後、突然「閉校」のニュースが報じられたのだ。果たしてその一報を殊勲の野球部監督はどんな風に受け止めていたのか。本人の胸の内を聞いた。
2025年7月27日。大阪大会決勝で延長10回タイブレークの末、大阪桐蔭を6-5で破った試合後、優勝インタビューに応じた東大阪大柏原の土井健大監督の声が南港球場に響いた。
「やったぞー!」
高揚し、思わず発した指揮官の大声が、スタンドの歓声と熱気に包まれる。
「相手がいるのにあんなに感情を爆発させて……とも言われましたけれど、そりゃ爆発させたくもなりますよ。それくらい、ずっと(大阪桐蔭に)勝てていなかったですから。もちろん、相手ありきの試合ですけれど、ああなったのはもう、色んな思いがありましたからね」
抑えきれなかった思いを感情の勢いのまま吐き出した当時のことを土井監督は回顧する。
昨夏の甲子園出場校が…2029年春の閉校が決定
だが、その歓喜の時からわずか数カ月後の12月中旬に、衝撃のニュースが高校野球界に走った。東大阪大柏原高が27年度から生徒募集を停止し、29年春には閉校するというのだ。
その後、柏原高校で功績がある野球部とバドミントン部が兄弟校の東大阪大敬愛高に移行することが決まっていることが報道されたが、土井監督は今回の事態をどのように受け止めたのだろうか。
土井監督によると、昨秋の府大会が終わった10月上旬、村上靖平理事長から夏の甲子園への感謝の意を伝えられたのち、募集停止の話を直接聞いたという。
「2、3年くらい前から『(東大阪大)柏原がなくなるんじゃないか』という噂が校内には流れていたんです。経営改革による人員削減とかそういう動きもあったみたいなんですけれど、柏原高校の上層部の方がどんどん(系列校の)敬愛高校に移っていたので」
身の回りに起こっていた変化を感じつつ、いざ現実を告げられると当初は「閉校」という言葉にピンと来なかったという。
「“閉校”と“廃校”の違いが分からなかった、というのもあったんですけれどね。最初に柏原高校が閉校すると言われた時、僕の感覚では(柏原の組織の一部が)敬愛高校にくっついていくのかなと思ったんです」
突然の閉校決定…理事長からかけられた「意外な言葉」
ただ、話を聞いていくとどうやら自身の認識違いであることが分かった。村上理事長からは閉校することを告げられた後、こう問いかけられたという。
「理事長先生から『土井君は(閉校について)どう思っている? 』って僕にお伺いを立てていただいたんです」
そんな理事長からの問いかけに対して、土井の口を衝いたのは意外な言葉だった。
<次回へつづく>
📝悲願の甲子園出場→4カ月後にまさかの「閉校報道」…東大阪大柏原監督が振り返る“狂騒曲の全内幕”「自分は暗くなることはなかったです」
https://news.yahoo.co.jp/articles/2f9a3183a0b66a21841cc115ede36f6a2f16e593
「学校がなくなったとしても僕の意見を聞こうとしてくれていて、何かを期待してもらっているのかなと思って。でも、その時に僕は理事長に『逆にどう思ってはるんですか? 』って聞き返しました。なぜ僕にそんな風に聞いてくれたのかなって」
2027年度から生徒募集の停止が決まった東大阪大柏原高校。昨夏の甲子園にも出場した野球部監督の土井健大は、理事長からの「どう思っている?」という直球な疑問にそんな風に答えたという。
「『(系列校の東大阪大)敬愛高校には野球部がないので、野球部を創部して僕がそこで監督になって、土井君が支えていって欲しい』と言われました。そういうお考えであれば、自分は『その期待に添えるように頑張りたい』と言いました。学校が潰れるからあと3年で辞めてくれと言われたら、『じゃあ来年はこうします、ああします』という流れになっていたかもしれません。でも、学校は潰れても(柏原の野球部を引き継ぐ形で)敬愛高校で野球部を1から作り直して欲しいという話だったので、『任せてください』とは言いました」
ただ、12月にニュースが流れた頃は、やはり閉校というネガティブな印象が強かった。だが、その一報が流れて数日後に筆者は土井監督と電話で話す機会があったが、電話での土井監督の声色は最後まで明るく、ネガティブな印象は感じなかった。
閉校の報にも…「暗くなることはなかったです」
「閉校と言われても自分は暗くなることはなかったです。自分を呼んでいただいた恩が柏原にありましたし、(敬愛での)話をいただいて、是非やらせて欲しいと思いましたから。まぁ、これから(移行に向けて)やっていくことは色々とありますが」
東大阪大敬愛高校は柏原高校のある柏原市から北に数キロの東大阪市にある。柏原高校のグラウンドは校内にあるが、敬愛高校には学校のキャパシティーの問題で野球部のグラウンドを校内に確保するのは難しく、練習環境をどれだけ整備できるかが現時点で未定だという。野球部が所属するスポーツコースのカリキュラムをどうしていくかなども含め、受け入れ体勢についてはこれからすり合わせていくことになる。
2018年から東大阪大柏原の指揮を執る土井監督は、履正社時代に右の強打者としてドラフト候補に挙げられ、1年上にいたT―岡田こと岡田貴弘(元オリックス)の愛称だった「浪速のゴジラ」にちなんで「浪速のミニラ」とも呼ばれていた。
強打者でありながら穏やかで物静かな岡田貴弘とは対照的に、ざっくばらんでガハハと豪快に笑う土井は、岡田と異なるキャラクターであることが良い意味で強いインパクトを残していた。
4番、主将としてチームの中心に立ち、ハキハキとものを言える竹を割ったような性格で、後輩に対しても面倒見の良いキャプテンというイメージが土井は強かった。その後、秋のドラフト会議(当時は高校生ドラフト会議)では5巡目でオリックスから指名を受けてプロの世界に進むことになるが、当時は将来的に指導者になるというイメージは全くつかなかった。そのことについて尋ねると、土井はこう返してきた。
「自分が(現役選手として)野球が終わったら、野球をどこかで教えたいなというのは高校の時からずっとあったんです。高校では(当時の岡田龍生監督から)人間的なことを教わりましたけれど、野球に関しては自分で考えながら練習をやっていることもありました。それからプロに入って、高校ではなかなかできない練習法が色々あって、すごく関心が高かったんです。それに僕がプロにいた頃に野球塾みたいな組織をプロOBで立ち上げた方が増えたので、自分もいずれはそうやって野球を教えたいなとは思っていました」
4年間のプロ生活で「学んだこと」
プロではオリックス、巨人と計4年間プレーしたが、目立った成績は残せなかった。それでも練習に対する意欲は強い方だった。
「練習メニューをこなしながらこういう練習はこんなことに役立つとか考えながらやってきたんですけれど、誰かから学んだり教わったりすることがあまりなかったんです。先輩にどんな感覚でやっているのかなどを尋ねて自分の感覚と照らし合わせて、じゃあこんな練習はこういう時にやればいいとか考える癖はプロで自然とつきました」
11年まで現役を続け、12年から巨人でブルペン捕手を務めていたが13年に巨人を退団。14年はミキハウスREDSで現役復帰し、15年からは社会人軟式野球の強豪・大阪シティ信用金庫でプレーした。14年末より学生野球資格回復に向けた講習を受講し15年1月に日本学生野球協会から資格回復の認定を受けていた。
17年のシーズンまで現役を続け、大阪シティ信用金庫を退職。子供への指導を夢見ていたとはいえ引退を控えた頃は今後の具体的な話はなく、生活に不安を覚え結婚したばかりの妻に相談すると、その妻に言われた言葉も土井の背中を押した。
「『あんたは今まで野球しかやってきていないし子供も好きやし、生徒を集めて野球を教えてあげるのはいいんちゃう』って言われて。じゃあどうしようかと思っていた時に東大阪大柏原でのコーチの話が来たんですね」
大阪府のライバル・大阪桐蔭への想いは?
17年12月に東大阪大柏原のコーチに就任し、翌年の10月から監督となった。履正社で大阪を戦ってきた土井としてみれば、慣れ親しんだ地に戻ってきたという形になる。
「自分が育ってきた環境に立って(自身の高校時代のように)人として大事なことを教えるのも大事。その上で自分がプロでも学んできた野球を、子供にまた違う角度から教えられるのはすごく楽しいですね」
その中で同じ大阪のライバルでもある大阪桐蔭の存在はやはり特別だ。現役時代も何度も対戦した大阪桐蔭。監督になってからは、当時から変わらない西谷浩一監督の一挙一動に目を凝らし続けてきた。
「選手の時は西谷(浩一)監督のことも“選手”として見ていた感覚がありました。僕の頃は1年下に中田翔(元日本ハム、中日)がいて、その下に浅村栄斗(楽天)がいて、まぁ強かったですよ。その中に西谷監督がベンチにいる、という感じで見ていました」
だが、指導者になってからは「西谷さんがいるから選手もこんな風に動いていたのか」と監督目線でライバルを見るようになったという。
「選手だった時は良い選手がいるから(大阪桐蔭は)勝っていると思っていましたけれど、監督になってからは西谷監督のもとでプレーする選手たちの成長度合いがすごく分かるんです。選手の時って、3年間という期間だけ、しかも大会で自分たちが勝ち上がった時しか大阪桐蔭を見ることがないじゃないですか。でも監督になって今までの8年間を見ても、大会だったらここで当たる可能性があるからどんな対策をしてくるか、ピッチャーはどうなるかもそうですし、西谷さんのベンチでの立ち振る舞いも含めて色々な部分は目で追ってしまいますね」
昨夏の府大会決勝で対戦した際も土井監督はサングラス越しに西谷監督の動きをずっと見つめていた。ただ、昨夏はこれまでとは少し違っていたという。
「なんかこう、初回から西谷監督はベンチでソワソワしている感じがしました。落ち着いていないというか。秋や春も含めて僕は何度も大阪桐蔭と対戦していますけれど、ちょっと今までとは違うなというのはありましたね」
その土井監督の印象通り、東大阪大柏原が2回に2点を先制し、6回にさらに2点を奪うなど大阪桐蔭からすれば思うようにいかない試合運びが続いた。
「あの試合では西谷さんはいつも通りジェスチャーはしているけれど、ベンチのバットケースの隣から前に行ったり後ろに行ったりして顔は笑っていなかったですし、いつも通りではないことだけは分かりました」
捕手が安定している大阪桐蔭は「太刀打ちできない」
実は昨夏、大阪桐蔭は下級生時からマスクを被っていた正捕手の増田湧太がスタメン出場できていなかった。それが土井監督には多少の引っ掛かりがあったという。
「(22年の)松尾(汐恩・DeNA)君の時がそうだったように、大阪桐蔭はキャッチャーが安定している時は太刀打ちできないくらい強いんです。でも増田君を欠いていたことで、決して付け入るスキがないことはないなとは思っていました」
とはいえ「正直、勝てるとは思っていなかったです」と笑う。
「もちろん負けに行ったわけではないですよ。大阪桐蔭に勝ちたいとはずっと思っていました。それがまさかあの夏に勝てるなんて、というのはありました」
夏の甲子園では初戦(2回戦)で尽誠学園に0-3で敗れ、指導者として甲子園初勝利とはならなかった。それでも東大阪大柏原の夏の甲子園出場は大阪府の高校野球に風穴を開けた。近年、大阪桐蔭や履正社の覇権が続いている中で、府内の中堅私学の監督から「僕らも希望が持てた」という連絡が何人からも来たという。
昨夏の東大阪大柏原の躍進が今後の大阪の高校野球を面白くするという見立てがあっただけに、東大阪大柏原としての挑戦があと3年で一区切りとなるのは寂しさもある。それでも土井監督の言葉には澱みは全くなかった。
「今年の春に入学してくる1年生も含めて、楽しみはあるんです。再来年は110回大会ですし(南大阪代表として)本気で甲子園を狙っています」
あと3年しかない、という切羽詰まった感情は全くない。むしろ、3年後のその先を見据えた土井監督は、今後の野望についても触れた。
「土井健大だからやれる野球」がしたい
「監督像を崩すという訳ではないんですけれど、この先のチーム作りは土井健大っぽくしたいというのはあります。高校野球によくある監督ではなく、土井健大だからやれる、みたいな野球。オリジナルというか、誰の真似もしていない野球がしたいですね。あとは(恩師の)岡田(龍生)先生の歳までに甲子園での勝利数を越えたいです。今、高校野球がどんどん変わっていっていて、タイブレークやDH制が定着していく中でこれからは7回制になるとか、色んな変化もあると思います。試合内容も変わるかもしれないですけれど、名を残せる監督というか『土井はこういう展開だとこんな風にやっていたよな』って言ってもらえるような監督になりたいです。だからこのままで(監督は)終われないですよ。指導者として何が1番とか正しいのかは分からないですけれど、良い意味で野球界にプラスに働くような運動をいつかはやっていきたいです。そのためには実績はちゃんと作っていかないといけないですね。それが野球への恩返しかなと」
そう言って土井監督は豪快にガハハと笑った。
☝野球部コーチの暴言動画が拡散「殺すぞ、あほ、ぼけ」学校が説明会で陳謝 無断外出の部員への言動、保護者からは「コーチ辞めさせないで」の声もhttps://news.yahoo.co.jp/articles/d5b5b018ecffb87f773ce170d6489dd97bc0255e
高校野球の強豪・高知高校野球部の男性コーチが、規則を破った部員に対して「殺すぞ」「あほ」「ぼけ」などと怒鳴る動画がSNSで拡散し問題となったことを受け、学校は11日に保護者説明会を開き、校長が陳謝しました。
高知高校によりますと、野球部の寮監兼コーチを務めていた30代の男性が、寮の規則を破った部員に対し威圧的に叱責する動画がSNS上で拡散しているのを、1月6日の朝に教員が確認したということです。
学校が寮監に聞き取りを行ったところ、点呼の後、午後9時半以降に寮を抜け出してコンビニに行った部員3人に対し、「殺すぞ」「あほ」「ぼけ」などと怒鳴ったことを認めたということです。動画は2024年10月13日に撮影されたものでした。これを受け学校は11日、野球部1・2年生の保護者を対象に説明会を行いました。
参加した保護者によりますと、説明会では「寮監を辞めさせないでほしい」という声が上がり、これは保護者の総意だったということです。そして、こうした声を聞いた濵口佳久監督が涙を流す場面もあったということです。また参加した保護者からは、「ルールを破ったら怒られて当然」「寮監の言い方が悪かった」といった声が聞かれたということです。
さらに説明会には、怒鳴られた生徒の保護者も参加していて「うちの子が悪い」などと話し、「寮監を辞めさせないでほしい」という保護者の総意は、その保護者も賛成したうえでの意見だったということです。ただ、説明会の後に取材に応じた田村誠校長は、「指導者として適切ではない発言で指導してしまった」などと陳謝しました。
◆田村誠 校長「子どもたちを預かる立場として、指導者として適切ではない発言で指導してしまったことについては、学校として生徒・保護者・関係の皆さまに大変心配・迷惑をおかけしたことで、お詫びを申し上げたいと考えています」
寮監兼コーチの男性は、寮に住み込みで生徒の面倒を見ていたということですが、7日からは寮とは別の場所で「自宅待機」しているということです。聞き取りに対し「使ってはならない言葉を使って申し訳ない」と反省しているほか、精神的に参っているということです。
男性は1人で生徒たちの面倒を見ていたということで、田村校長は「数十人の生徒が暮らしている寮を1人で管理させていたことは、見直すべき点だ」として、今後の改善していくとしています。
今回の件について、学校は高知県高野連に報告しているということです。また学校は、9日に調査委員会を立ち上げ調査にあたっていて、高知県高野連は学校に対し、調査結果を再度報告するよう求めています。高知高校野球部は1926年1月創部の強豪校で、甲子園には春21回、夏13回出場し、1964年夏と1975年春に優勝しています。
⚾岩手さんへ
雪かきお疲れさまでした。こっちはまだ今シーズン雪降っていないはずだし、昔は年に数回雪積もったり路面凍結はよくあったけど、温暖化の影響か?ただ寒いだけの日が続きますね。
僕は行かなかったですが、11日日曜日は寒さに加えて猛烈な風が吹いていたので神戸ユニバーは相当冷え込んだかなと・・・。
さて、5回終了の整備はだいたい5分間なんでクーリングタイムは10分から8分に短縮されたので、実質は3分程度しか変わりないはずですね。
そこまで試合時間が大きく変わるとも思えないし、、、3・7回の給水タイムこそ5分程度やってくれたら良いのですが、兵庫だったら2分あるかないかくらいですね・・・・・。
ただ、軟式野球の選手権大会は甲子園と違って3・7回も給水タイムしてましたね!
タイムにしても攻撃・守備共に3回までで30秒以内と制限つけられ、捕手がマウンドに行けるのも1イニング1回だけとなってしまい非常に窮屈な印象は受けますね。
あえて間を取るために痛くもない足が攣ったフリして時間稼ぎするのも1つの手だし、昨夏にしても極端に試合時間短くなったか?といえばそうではなく逆に長かった気が!!
2部制にしてしまいお客さん完全入れ替えなんで、一度強制退場させてからスタンドを清掃して第3試合開始1時間前に開門するためには1時間45分のインターバルは最低でも欲しいという思惑があると思いますが、第2試合の選手たちはそんなに時計をチラチラ見ないだろうし、ヤキモキするのは遠路はるばる来たアルプスの応援団や学校関係者くらいでしょうか???
7回制だったら今の投球制限の規定にひっかかる投手はほとんどいなくなるだろうから完投が増えていくと思います。その後、大学や社会人などで野球を続けるとなると8回以降の投球がしんどくなるのでは?と思いますね。
浜松南リトルシニア・・・は全く知らなかったですが、あのハイボール部長のお父さんが総監督をされているとかで!しかも父子そろって元プロ野球選手というのも凄いなあと!!
しかし静岡版のスポーツ紙というのは凄いですね。東京・大阪・名古屋・福岡あたりだったらさもありなんですが。
P・S 先ほど調べたら、昨年12月に明徳義塾野球部50周年記念行事として馬淵監督の古希祝いも兼ねたようですね。
僕は全然知らなかったのですが、週間ベースボールでも特集されていたようです。2002年の明徳はものすごく強かったですね。センバツの準々決勝で福井商に1回8失点して8-10で負けたのも不思議なくらいでした。
最近は年々小型化してスモールベースボールに徹し続け、勝てそうで勝てないロースコアの接戦を落とし続けているきらいもありますが。
昨日の件ですが、クーリングタイムを辞めたらいいのにとは、試合時間が長くなる原因の一つと言っているらしいからで、私自身はあった方がいいですよ。
伝令時に要件伝えた後に少し時間を取って外野を含めて水分補給、タオルで顔拭いたりしてもいいじゃないのです。
兵庫は3,7回終了時に3分前後の水分補給休憩やっているですね!
埼玉もやっているらしいし、岩手、宮城でも、3,7回終了時5分前後の水分補給休憩を夏の予選でやっていたな。
予選でやっているのに、甲子園大会はダメな事が結構あるね!
そもそも試合時間を2時間前後で試合終了する事が暗黙の了解になっているし、攻守交代、伝令の輪など急かしているしね。
2部制の13:30、22:00の継続試合規定もおかしいね、野球は時間競技じゃないんだからね。
9回を7回に変えても気温が下がるわけじゃないんだからね!
逆に7回だと無理する危険性が高いと、特に3年生が最後だから増えるんじゃないかと、スポーツ医学の先生が危惧している人は多いですね。
逆に無理する危険性が高いと思う。
浜松シニア、浜松南の事を載せていただきありがとう(^人^)。
南の事はあまり知らないが、浜松シニアは当時いつも仕事の行き帰りに寄っていたコンビニのオーナーがシニアの関係者でした。
浜松シニア関係者の方の奥さんと元横浜高校部長の小倉さんの奥さんと姉妹と言う事もあり、浜松シニアから毎年位で横浜高校に行っていたね、近年は山梨学院に行っているようだけれどね。
スポーツ報知の静岡版でしたね。
以前も言ったと思うけど、静岡では日刊スポーツ、スポニチの3紙が静岡版があります。
全国でも静岡だけみたいと新聞に載っていたが、静岡在住時ですがね。
もう一つは明徳義塾馬淵監督の古希祝いのパーティーがあったみたいで、高嶋さんが、2002年夏の優勝はわしがお膳立てしてやったんよと会場のみなさんに笑いを取ったとか?
渡辺、前田、小倉など優勝監督さんに四国、明石商など他多数の高校野球関係者が駆けつけたとありました。
今日は施設にてPC使用して情報収集しました。
余談ですが昨日は6:30から30分、8:30から30分前後の雪かきで疲れました。
伝令時に要件伝えた後に少し時間を取って外野を含めて水分補給、タオルで顔拭いたりしてもいいじゃないのです。
兵庫は3,7回終了時に3分前後の水分補給休憩やっているですね!
埼玉もやっているらしいし、岩手、宮城でも、3,7回終了時5分前後の水分補給休憩を夏の予選でやっていたな。
予選でやっているのに、甲子園大会はダメな事が結構あるね!
そもそも試合時間を2時間前後で試合終了する事が暗黙の了解になっているし、攻守交代、伝令の輪など急かしているしね。
2部制の13:30、22:00の継続試合規定もおかしいね、野球は時間競技じゃないんだからね。
9回を7回に変えても気温が下がるわけじゃないんだからね!
逆に7回だと無理する危険性が高いと、特に3年生が最後だから増えるんじゃないかと、スポーツ医学の先生が危惧している人は多いですね。
逆に無理する危険性が高いと思う。
浜松シニア、浜松南の事を載せていただきありがとう(^人^)。
南の事はあまり知らないが、浜松シニアは当時いつも仕事の行き帰りに寄っていたコンビニのオーナーがシニアの関係者でした。
浜松シニア関係者の方の奥さんと元横浜高校部長の小倉さんの奥さんと姉妹と言う事もあり、浜松シニアから毎年位で横浜高校に行っていたね、近年は山梨学院に行っているようだけれどね。
スポーツ報知の静岡版でしたね。
以前も言ったと思うけど、静岡では日刊スポーツ、スポニチの3紙が静岡版があります。
全国でも静岡だけみたいと新聞に載っていたが、静岡在住時ですがね。
もう一つは明徳義塾馬淵監督の古希祝いのパーティーがあったみたいで、高嶋さんが、2002年夏の優勝はわしがお膳立てしてやったんよと会場のみなさんに笑いを取ったとか?
渡辺、前田、小倉など優勝監督さんに四国、明石商など他多数の高校野球関係者が駆けつけたとありました。
今日は施設にてPC使用して情報収集しました。
余談ですが昨日は6:30から30分、8:30から30分前後の雪かきで疲れました。
🎤「本当は3番を打たせたかった」 師弟対談が実現 阪神・糸原健斗選手と開星高校・野々村監督によるトークイベント開催
https://news.yahoo.co.jp/articles/94044d7b789a500238d86ed8f55dd2b428bfc043
師弟対談の実現です。プロ野球・阪神タイガースの糸原健斗選手と開星高校野球部の野々村直通監督によるトークイベントが島根県松江市で開かれ、多くの野球ファンが駆けつけました。
12月30日、松江市・今井書店の一角にできた人だかり。皆さんのお目当ては…。
プロ野球・阪神タイガースの糸原健斗選手と、開星高校野球部の野々村直通監督です。糸原選手は開星野球部のOBで、野々村さんは当時のチームの監督。師弟関係の二人で思い出を振り返りました。
糸原選手「高校時代は野球、野球、野球。授業中の記憶はほぼないですね」
野々村監督「本当に中心選手でした。本当は3番を打たせたかったんですけど、あまりにも打てるんでたくさん打順がまわった方が良いということである時期からは1番を(打たせた)」
糸原選手を当時から高く評価していた野々村監督。一方、糸原選手にはある意外な一面もー。
野々村監督「こいつが凡退したらカッカくるわけですよ。“お前打てるはずだ”気合い入れてやろうと思ったら、悔しそうな様子で俺の横をすーっと目も合わさず逃げるんです。そのままバットをもって裏に行って素振りを始める」
糸原選手「怒られる気配を感じるんですよ、“ヤバイ”。それで目を合わさず室内練習場へ駆け込んで、とりあえず練習する。すると野々村監督は“あいつは練習している”となって(怒られない)」
そんな糸原選手は高校卒業後、明治大学などを経て2016年、阪神に入団。当時、テレビでドラフト会議を見ていた野々村監督は、なかなか名前が呼ばれず、思わずテレビを切ってしまったそうです。するとー。
野々村監督「(知り合いから)電話が入ったんですよ。携帯にパッと出たら“野々村さんおめでとうございます”というから“え?健斗どこか引っかかったの?”“何を言ってるんですか阪神ですよ”というから“ええー”といって。取ってくれたと聞いた瞬間に“金本さん、金本さま、ありがとうね”という感じでしたね。だから本当飛び上がるほどうれしかった」
去年は母校である開星高校も8年ぶりに夏の甲子園出場を決め、阪神も去年は2年ぶりのリーグ優勝を果たしました。
糸原選手:「先輩としてうれしかったですし、タイガースのチームメートとも開星の話になるので甲子園に出てくれれば。すごく開星高校が甲子園に来てくれて嬉しかったですね」
新たな1年に向けて、二人の目標はー。
糸原選手「今年日本シリーズは負けたので、やはり日本シリーズに負けてリーグ優勝で終えるのと、勝って日本一になってオフを迎えるのは全然違ったので2年前のように日本一になれるように頑張ります」
野々村監督「来年は連覇が狙える立場にいるので、夏の甲子園に出れたことに感謝して来年連覇を必ずや成し遂げるというのが夢」
この日は貴重なツーショットを一目見ようと、県内外からファンが駆けつけました。
参加者「すごくうれしかったです」「高校時代の話とかはなかなか聞く機会がだんだん減ってきているので、色んな野々村監督との貴重な話が聴けてすごいよかったです」
イベント終了後にはサインや一緒に写真を撮る時間も設けられ、ファンにとっても忘れられない年末のひと時となったようです。
📝名門校出身、戦力外から3か月…遂に新天地「え!?」「これはアツい」 トライアウト組に新展開
https://news.yahoo.co.jp/articles/8d1af42ee59775e274b5b4cd404413b2094972e0
智弁和歌山で甲子園3度、小林樹斗投手が徳島入り
昨季までプロ野球の広島でプレーした小林樹斗投手が、独立の四国アイランドリーグに参加する徳島インディゴソックスに加入すると12日に発表された。年が明け、ようやくつかんだ再起の場所に、ファンからは「藤井皓哉コースかな」「これはアツい」と激励の声が並んだ。
名門・智弁和歌山高出身の小林は2020年、広島からドラフト4位指名を受けた。2年目と3年目に1試合ずつ1軍登板を果たすも、2024年オフに育成選手に。昨年10月1日に2度目の戦力外通告を受け退団し、11月の12球団合同トライアウトを受験していた。
智弁和歌山では2年春夏の甲子園に連続出場、3年時はコロナ禍で行われた交流試合で甲子園のマウンドに立った最速152キロ右腕。徳島が12日、公式Xで新加入を発表すると、ファンからは「おめでとう」「良かった」「頑張れ!!!!」「うおこれはアツい」「え!?」と激励のコメントが並んだ。
広島からはかつて、戦力外になった藤井皓哉投手が高知を経由してソフトバンク入り。昨季も19ホールドを挙げるなどリリーフの重要な駒となったケースがあるだけに「これは藤井皓哉コースかな」「藤井皓哉曲線あるで」という声もあった。
🔥“初代ドラフト1位”の佐野真樹夫さん アマ野球指導40年以上のレジェンドの夢「浜松から一流のプロ野球選手を」
https://news.yahoo.co.jp/articles/374500f513247c1392084831f91e559120bf7fb7
浜松市出身で、1965年の第1回プロ野球ドラフトで広島から1位指名を受けた佐野真樹夫さん(82)が、このほどしずおか報知のインタビューに応じた。“初代ドラフト1位”という歴史的な肩書を持つ元プロ野球選手は、引退後、地元で40年以上にわたりアマチュア野球の育成に力を注いできた。「浜松から一流のプロ野球選手を輩出したい」。その思いを持ち続けるレジェンドに迫る。
佐野さんは昨年10月から浜松南リトルシニアの顧問として戻ってきた。浜松開誠館高監督の長男・心(58)の下でコーチを務めていたが、23年度限りで退任。「チームからの強い要請があった」ため、小中学生指導への復帰を決めた。多くの球児を育て、「今でも街中を歩くと、教え子やその家族から、浜松南リトルシニア時代の『総監督』と呼ばれるよ」。浜松球界のまさにレジェンドだ。
浜松南リトルシニアは、一昨年夏に甲子園に出場した掛川西の山下陸人遊撃手(駿河台大1年)、昨年のセンバツに出場した常葉大菊川の佐藤大介投手(2年)など、前身を含めると約2000人もの選手を輩出。1991年に中日から6位指名を受けた心もOBだ。史上初の親子でのドラフト指名選手として話題になった。現役では、ヤクルトの鈴木叶捕手(19)、西武の佐藤太陽内野手(23)がいる。
自身は広島の初代ドラフト1位も、プレーしたのは4年間。酒店を営んでいた父が脳出血で倒れたことに加え、自身も肩の腱を断裂した。当時は十分な治療法もなく、痛みを抱えながらのプレーが続いていた。球団から慰留を受けたが、ユニホームを脱ぎ、家業を継ぐ道を選んだ。
「引退後は野球から離れるつもりだった」。その思いを変えたのが、長男の存在だった。幼少期からキャッチボールを重ね、小学4年生になった際、将来の夢を決めさせたところ、「プロ野球選手」と即答。その言葉は今も忘れられないという。「誘導した部分はある(笑)。でも最後は自分で決めることが大事」と笑った。
小学5年生になった心が元近鉄の佐野勝稔さん(享年79)が行っていた、7、8人を相手にする野球教室に関心を示した。そのため、指導に加わるようになった。その後、勝稔さんが77年に浜松リトルを創設。翌年には卒業生の受け皿として浜松シニアを設立、真樹夫さんが初代監督に就任した。チームの人数が120人に達し、84年に2つに分かれた際、浜松南の監督を務めることになり、気づけば監督や総監督として30年以上携わることになった。
息子への指導は当初、万能型を目指したが、パワー系ではなかったため、持ち味を生かすべく、1、2番を打つリードオフマンを務められる俊足選手として育成。選手一人ひとりの特性を重視する形へと変化していった。「息子の成長を通して、個に応じた指導の大切さを学んだ」と話す。心は父と同じ専大へ進学し、プロ野球選手となった。「自分の指導が正しかったことを、心が証明してくれた」と、うれしそうに語る。
今後は顧問として、グラウンドに時折顔を出し、個人的に指導を行ったり、リーグ運営に意見を述べたりと、「浜松南リトルシニアにもっともっと貢献していきたい」と意気込む。チーム発足の思いは「浜松市の野球を強くさせること」。「浜松から一流の選手」を育てるため、これからも尽力していく。
◆佐野 真樹夫(さの・まきお)1943年12月20日、浜松市生まれ。82歳。高砂小―南部中。浜松商では主将、三塁手として活躍し、61年夏の甲子園に出場した。専大を経て、65年ドラフト1位で広島入り。69年に引退。NPB通算成績は162試合で打率1割9分3厘、3本塁打、17打点。家族は妻と2男。姉は女優の高山真樹さん(享年85)。
【編集後記】取材中、第1回ドラフト当時の話になった。1965年、自由獲得方式からドラフト制度へ移行した歴史的な年だ。専大4年だった佐野さんは主将として春秋リーグ連覇、全日本選手権優勝の三冠を達成した。しかし、指名予想の報道はなく、プロ入りの確証はなかった。運命の日、広島は電電九州の田端謙二郎を指名し競合。抽選で近鉄が交渉権を獲得した結果、佐野さんが1位指名された。本人はそのことを知らずに合宿所を出て、数十人の記者に囲まれ、初めて指名を知ったと懐かしむ。
また、初の親子ドラフト指名が実現した91年も裏話がある。中日はいすゞ自動車の佐野心をリストアップしていたが、愛工大名電高の鈴木一朗も候補だったという。関係者から「似たタイプの選手が既に指名されている場合は選ばれないかもしれない」と言われていた。しかし、イチロー氏はオリックスに4位指名され、心は無事中日から6位で指名。数多くの貴重な話を伺う機会になった。
⚾岩手さんへ
クーリングタイムは必要だと思いますよ!!願わくば夏だけでなく春秋もやってほしいくらいですが・・・・・。
初年度は10分間設けつつも16時以降は実施しないという原則がありました。結局、その後すぐに撤回されナイターでもクーリングタイムやってくれました。
天候不良や試合時間が長引き夜遅くなった時ははしょってましたが、そういう時はトイレへの往復を急がねばならずせかされますね・・・・・。
兵庫などでは夏そして秋の熱い日には3回・7回終了後に2分程度の給水タイムを取ってくれますが、特別試合時間が延びたとは感じないですね。
最近はマウンドに伝令を送る際にペットボトルとタオルを持っていく控え部員もおるし、攻守交代の折にはネクストバッターズサークルで水分補給する姿もよく見るので、昔のような「水は一滴も飲んではならない!」時代に比べたらかなり環境は良いかと。
それゆえに、3連戦禁止・延長即タイブレーク・水分補給や休養日など恵まれているにもかかわらず選手が頻繁に足を攣るというのは、、、、、甘やかしすぎているのが大きな要因かなと。
以前は決勝まで勝ち進めば4連戦は当たり前だったし、夏の場合は1回勝つごとに抽選だったので、第4試合勝利翌日の第1試合でまた試合というハードスケジュールもあったし。
7イニング制になったとしても試合序盤の3回くらいに体調不良を訴える選手もゼロではないし、選手はともかく野球ファンは高校野球離れに拍車がかかり特に県大会では入場料収入が激減して高野連全体の財政難に陥る気が・・・・・。
高校生も7イニング制に慣れた状態から大学・社会人に進んで9イニングの野球をするとなると体力精神力がついていくかどうか・・・・・。プロ野球だとよほどの逸材でない限りスカウトは手を出さないと思いますね。
大学野球・プロ野球を球場やTV観戦していると、高校野球の方がはるかに試合時間短いしこれ以上早く終わらせてどうするのか???と思いますね。
Uー18の試合を見ていたら、ついこないだまでキビキビしていた選手たちが大学生との壮行試合ではずいぶんノンビリ攻守交代して3時間ゲームやってましたから。
P・S 少子化の流れはもうどうにも止まらないでしょうね・・・・・。急に子供の数が増えるとも思えないし、僕のような未婚で生涯終える人もたくさんいるだろうし、外国人に永住してもらい人口比率を押し上げるしか方法はないのかなあ・・・・・。
地方は特に少子高齢化の波が押し寄せ学校の廃校も数多くなるんでしょうね。。。
https://news.yahoo.co.jp/articles/94044d7b789a500238d86ed8f55dd2b428bfc043
師弟対談の実現です。プロ野球・阪神タイガースの糸原健斗選手と開星高校野球部の野々村直通監督によるトークイベントが島根県松江市で開かれ、多くの野球ファンが駆けつけました。
12月30日、松江市・今井書店の一角にできた人だかり。皆さんのお目当ては…。
プロ野球・阪神タイガースの糸原健斗選手と、開星高校野球部の野々村直通監督です。糸原選手は開星野球部のOBで、野々村さんは当時のチームの監督。師弟関係の二人で思い出を振り返りました。
糸原選手「高校時代は野球、野球、野球。授業中の記憶はほぼないですね」
野々村監督「本当に中心選手でした。本当は3番を打たせたかったんですけど、あまりにも打てるんでたくさん打順がまわった方が良いということである時期からは1番を(打たせた)」
糸原選手を当時から高く評価していた野々村監督。一方、糸原選手にはある意外な一面もー。
野々村監督「こいつが凡退したらカッカくるわけですよ。“お前打てるはずだ”気合い入れてやろうと思ったら、悔しそうな様子で俺の横をすーっと目も合わさず逃げるんです。そのままバットをもって裏に行って素振りを始める」
糸原選手「怒られる気配を感じるんですよ、“ヤバイ”。それで目を合わさず室内練習場へ駆け込んで、とりあえず練習する。すると野々村監督は“あいつは練習している”となって(怒られない)」
そんな糸原選手は高校卒業後、明治大学などを経て2016年、阪神に入団。当時、テレビでドラフト会議を見ていた野々村監督は、なかなか名前が呼ばれず、思わずテレビを切ってしまったそうです。するとー。
野々村監督「(知り合いから)電話が入ったんですよ。携帯にパッと出たら“野々村さんおめでとうございます”というから“え?健斗どこか引っかかったの?”“何を言ってるんですか阪神ですよ”というから“ええー”といって。取ってくれたと聞いた瞬間に“金本さん、金本さま、ありがとうね”という感じでしたね。だから本当飛び上がるほどうれしかった」
去年は母校である開星高校も8年ぶりに夏の甲子園出場を決め、阪神も去年は2年ぶりのリーグ優勝を果たしました。
糸原選手:「先輩としてうれしかったですし、タイガースのチームメートとも開星の話になるので甲子園に出てくれれば。すごく開星高校が甲子園に来てくれて嬉しかったですね」
新たな1年に向けて、二人の目標はー。
糸原選手「今年日本シリーズは負けたので、やはり日本シリーズに負けてリーグ優勝で終えるのと、勝って日本一になってオフを迎えるのは全然違ったので2年前のように日本一になれるように頑張ります」
野々村監督「来年は連覇が狙える立場にいるので、夏の甲子園に出れたことに感謝して来年連覇を必ずや成し遂げるというのが夢」
この日は貴重なツーショットを一目見ようと、県内外からファンが駆けつけました。
参加者「すごくうれしかったです」「高校時代の話とかはなかなか聞く機会がだんだん減ってきているので、色んな野々村監督との貴重な話が聴けてすごいよかったです」
イベント終了後にはサインや一緒に写真を撮る時間も設けられ、ファンにとっても忘れられない年末のひと時となったようです。
📝名門校出身、戦力外から3か月…遂に新天地「え!?」「これはアツい」 トライアウト組に新展開
https://news.yahoo.co.jp/articles/8d1af42ee59775e274b5b4cd404413b2094972e0
智弁和歌山で甲子園3度、小林樹斗投手が徳島入り
昨季までプロ野球の広島でプレーした小林樹斗投手が、独立の四国アイランドリーグに参加する徳島インディゴソックスに加入すると12日に発表された。年が明け、ようやくつかんだ再起の場所に、ファンからは「藤井皓哉コースかな」「これはアツい」と激励の声が並んだ。
名門・智弁和歌山高出身の小林は2020年、広島からドラフト4位指名を受けた。2年目と3年目に1試合ずつ1軍登板を果たすも、2024年オフに育成選手に。昨年10月1日に2度目の戦力外通告を受け退団し、11月の12球団合同トライアウトを受験していた。
智弁和歌山では2年春夏の甲子園に連続出場、3年時はコロナ禍で行われた交流試合で甲子園のマウンドに立った最速152キロ右腕。徳島が12日、公式Xで新加入を発表すると、ファンからは「おめでとう」「良かった」「頑張れ!!!!」「うおこれはアツい」「え!?」と激励のコメントが並んだ。
広島からはかつて、戦力外になった藤井皓哉投手が高知を経由してソフトバンク入り。昨季も19ホールドを挙げるなどリリーフの重要な駒となったケースがあるだけに「これは藤井皓哉コースかな」「藤井皓哉曲線あるで」という声もあった。
🔥“初代ドラフト1位”の佐野真樹夫さん アマ野球指導40年以上のレジェンドの夢「浜松から一流のプロ野球選手を」
https://news.yahoo.co.jp/articles/374500f513247c1392084831f91e559120bf7fb7
浜松市出身で、1965年の第1回プロ野球ドラフトで広島から1位指名を受けた佐野真樹夫さん(82)が、このほどしずおか報知のインタビューに応じた。“初代ドラフト1位”という歴史的な肩書を持つ元プロ野球選手は、引退後、地元で40年以上にわたりアマチュア野球の育成に力を注いできた。「浜松から一流のプロ野球選手を輩出したい」。その思いを持ち続けるレジェンドに迫る。
佐野さんは昨年10月から浜松南リトルシニアの顧問として戻ってきた。浜松開誠館高監督の長男・心(58)の下でコーチを務めていたが、23年度限りで退任。「チームからの強い要請があった」ため、小中学生指導への復帰を決めた。多くの球児を育て、「今でも街中を歩くと、教え子やその家族から、浜松南リトルシニア時代の『総監督』と呼ばれるよ」。浜松球界のまさにレジェンドだ。
浜松南リトルシニアは、一昨年夏に甲子園に出場した掛川西の山下陸人遊撃手(駿河台大1年)、昨年のセンバツに出場した常葉大菊川の佐藤大介投手(2年)など、前身を含めると約2000人もの選手を輩出。1991年に中日から6位指名を受けた心もOBだ。史上初の親子でのドラフト指名選手として話題になった。現役では、ヤクルトの鈴木叶捕手(19)、西武の佐藤太陽内野手(23)がいる。
自身は広島の初代ドラフト1位も、プレーしたのは4年間。酒店を営んでいた父が脳出血で倒れたことに加え、自身も肩の腱を断裂した。当時は十分な治療法もなく、痛みを抱えながらのプレーが続いていた。球団から慰留を受けたが、ユニホームを脱ぎ、家業を継ぐ道を選んだ。
「引退後は野球から離れるつもりだった」。その思いを変えたのが、長男の存在だった。幼少期からキャッチボールを重ね、小学4年生になった際、将来の夢を決めさせたところ、「プロ野球選手」と即答。その言葉は今も忘れられないという。「誘導した部分はある(笑)。でも最後は自分で決めることが大事」と笑った。
小学5年生になった心が元近鉄の佐野勝稔さん(享年79)が行っていた、7、8人を相手にする野球教室に関心を示した。そのため、指導に加わるようになった。その後、勝稔さんが77年に浜松リトルを創設。翌年には卒業生の受け皿として浜松シニアを設立、真樹夫さんが初代監督に就任した。チームの人数が120人に達し、84年に2つに分かれた際、浜松南の監督を務めることになり、気づけば監督や総監督として30年以上携わることになった。
息子への指導は当初、万能型を目指したが、パワー系ではなかったため、持ち味を生かすべく、1、2番を打つリードオフマンを務められる俊足選手として育成。選手一人ひとりの特性を重視する形へと変化していった。「息子の成長を通して、個に応じた指導の大切さを学んだ」と話す。心は父と同じ専大へ進学し、プロ野球選手となった。「自分の指導が正しかったことを、心が証明してくれた」と、うれしそうに語る。
今後は顧問として、グラウンドに時折顔を出し、個人的に指導を行ったり、リーグ運営に意見を述べたりと、「浜松南リトルシニアにもっともっと貢献していきたい」と意気込む。チーム発足の思いは「浜松市の野球を強くさせること」。「浜松から一流の選手」を育てるため、これからも尽力していく。
◆佐野 真樹夫(さの・まきお)1943年12月20日、浜松市生まれ。82歳。高砂小―南部中。浜松商では主将、三塁手として活躍し、61年夏の甲子園に出場した。専大を経て、65年ドラフト1位で広島入り。69年に引退。NPB通算成績は162試合で打率1割9分3厘、3本塁打、17打点。家族は妻と2男。姉は女優の高山真樹さん(享年85)。
【編集後記】取材中、第1回ドラフト当時の話になった。1965年、自由獲得方式からドラフト制度へ移行した歴史的な年だ。専大4年だった佐野さんは主将として春秋リーグ連覇、全日本選手権優勝の三冠を達成した。しかし、指名予想の報道はなく、プロ入りの確証はなかった。運命の日、広島は電電九州の田端謙二郎を指名し競合。抽選で近鉄が交渉権を獲得した結果、佐野さんが1位指名された。本人はそのことを知らずに合宿所を出て、数十人の記者に囲まれ、初めて指名を知ったと懐かしむ。
また、初の親子ドラフト指名が実現した91年も裏話がある。中日はいすゞ自動車の佐野心をリストアップしていたが、愛工大名電高の鈴木一朗も候補だったという。関係者から「似たタイプの選手が既に指名されている場合は選ばれないかもしれない」と言われていた。しかし、イチロー氏はオリックスに4位指名され、心は無事中日から6位で指名。数多くの貴重な話を伺う機会になった。
⚾岩手さんへ
クーリングタイムは必要だと思いますよ!!願わくば夏だけでなく春秋もやってほしいくらいですが・・・・・。
初年度は10分間設けつつも16時以降は実施しないという原則がありました。結局、その後すぐに撤回されナイターでもクーリングタイムやってくれました。
天候不良や試合時間が長引き夜遅くなった時ははしょってましたが、そういう時はトイレへの往復を急がねばならずせかされますね・・・・・。
兵庫などでは夏そして秋の熱い日には3回・7回終了後に2分程度の給水タイムを取ってくれますが、特別試合時間が延びたとは感じないですね。
最近はマウンドに伝令を送る際にペットボトルとタオルを持っていく控え部員もおるし、攻守交代の折にはネクストバッターズサークルで水分補給する姿もよく見るので、昔のような「水は一滴も飲んではならない!」時代に比べたらかなり環境は良いかと。
それゆえに、3連戦禁止・延長即タイブレーク・水分補給や休養日など恵まれているにもかかわらず選手が頻繁に足を攣るというのは、、、、、甘やかしすぎているのが大きな要因かなと。
以前は決勝まで勝ち進めば4連戦は当たり前だったし、夏の場合は1回勝つごとに抽選だったので、第4試合勝利翌日の第1試合でまた試合というハードスケジュールもあったし。
7イニング制になったとしても試合序盤の3回くらいに体調不良を訴える選手もゼロではないし、選手はともかく野球ファンは高校野球離れに拍車がかかり特に県大会では入場料収入が激減して高野連全体の財政難に陥る気が・・・・・。
高校生も7イニング制に慣れた状態から大学・社会人に進んで9イニングの野球をするとなると体力精神力がついていくかどうか・・・・・。プロ野球だとよほどの逸材でない限りスカウトは手を出さないと思いますね。
大学野球・プロ野球を球場やTV観戦していると、高校野球の方がはるかに試合時間短いしこれ以上早く終わらせてどうするのか???と思いますね。
Uー18の試合を見ていたら、ついこないだまでキビキビしていた選手たちが大学生との壮行試合ではずいぶんノンビリ攻守交代して3時間ゲームやってましたから。
P・S 少子化の流れはもうどうにも止まらないでしょうね・・・・・。急に子供の数が増えるとも思えないし、僕のような未婚で生涯終える人もたくさんいるだろうし、外国人に永住してもらい人口比率を押し上げるしか方法はないのかなあ・・・・・。
地方は特に少子高齢化の波が押し寄せ学校の廃校も数多くなるんでしょうね。。。
7イニング制を導入検討するきっかけの一つに、5回のグランド整備中に熱中症対策でクーリングタイム時に試合途中で脚を痙った時に水分補給などで試合時間が2時間前後から20~30分延びる傾向の為に、導入検討になった
クーリングタイムは、選手の要望ですかね?
辞めたいじゃないの!
クーリングタイムで冷房で体が冷えていたのが30度以上のグランドに出ていくらかしない内に脚を痙って治療中断
脚が痙るのはしょうがないけど、前のグランド整備5分前後に3,7回に軽くグランド整備3分前後に、9回終了同点後グランド整備して延長タイブレークなどと投手交代時に、サッカー、ラグビーなどプレーが止まった時に控えの人がタオル、水を出すのを野球もやったらいいと思うがね!
これは、野球仲間が役員さんに提案したが、試合時間が延びるからできないよと言っていた。
失敗だったから辞めたらいいのにね。
水分補給で試合時間が延びるから7回制導入したの!
今日は7イニング制の反対意見は。
最後に今日の産経新聞にある田舎の小学校中学校で全校生徒が小学校3人、中学校6人の学校で来年度に廃校予定の学校が載っていました。
この学校は愛媛、高知の県境で、学校は愛媛側にあるがどちらも学区内らしい!二県の学区がある全国でも珍しい学校らしい!
ほのぼのいい所ですが少子化が進む。
クーリングタイムは、選手の要望ですかね?
辞めたいじゃないの!
クーリングタイムで冷房で体が冷えていたのが30度以上のグランドに出ていくらかしない内に脚を痙って治療中断
脚が痙るのはしょうがないけど、前のグランド整備5分前後に3,7回に軽くグランド整備3分前後に、9回終了同点後グランド整備して延長タイブレークなどと投手交代時に、サッカー、ラグビーなどプレーが止まった時に控えの人がタオル、水を出すのを野球もやったらいいと思うがね!
これは、野球仲間が役員さんに提案したが、試合時間が延びるからできないよと言っていた。
失敗だったから辞めたらいいのにね。
水分補給で試合時間が延びるから7回制導入したの!
今日は7イニング制の反対意見は。
最後に今日の産経新聞にある田舎の小学校中学校で全校生徒が小学校3人、中学校6人の学校で来年度に廃校予定の学校が載っていました。
この学校は愛媛、高知の県境で、学校は愛媛側にあるがどちらも学区内らしい!二県の学区がある全国でも珍しい学校らしい!
ほのぼのいい所ですが少子化が進む。
💢大阪桐蔭・西谷浩一監督も“加盟校アンケート70%”も反対「高校野球7イニング制」だが…日本高野連は「じつは前段階で舵を切っていた」
https://news.yahoo.co.jp/articles/cefc21cd2f107a74b3d6e3f86727cf9f42d3b5aa
高校野球で大きな議論となっている「7イニング制」。日本高野連が実施したアンケートや各識者の意見とともに、導入へ動く背景について考察する。
日本高野連で7回制への移行の議論があり、アンケートを実施したことについては、以前に紹介した。その結果が先日発表された。傾向とともに見ていこう。
アンケートで加盟校70%、大阪桐蔭監督も反対と
◆調査会社による登録モニター向けの調査(6月16、17日、回答者数2472)
賛成…35.9% 反対…25.0%
女性は各年代で賛成が多く、男性は10〜30代の4割が賛成。理由は「試合時間が短くなり、選手の熱中症予防の効果が見込める」が最多。男性は40〜60代の反対が多く、高校野球に関心がある層、野球経験がある層は反対がやや多かった。理由は「終盤の勝負の醍醐味がなくなるから」が最多。
◆加盟校対象のアンケート(6月27日〜8月8日、回答校数2643)
賛成…20.8% 反対…70.1%
部員数が0〜20人の学校は賛成が28.2%。軟式野球部は賛成が32.4%。理由は「試合時間が短くなり、選手の熱中症予防の効果が見込めるから」が最多。一方で部員数が増えるほど反対が増え、61〜80人の学校では91.1%が反対だった。理由は「打席数や投手の投球数が減り、プレー機会が減ってしまうから」が最も多かった。
◆日本高野連のウェブサイト(期間6月30日〜7月11日、回答者数8953)
賛成…768 反対…7923
アンケートは「登録モニター」「日本高野連加盟校」「ウェブサイト経由の一般ファン」に対して行われた。その中で7回制導入に対しては、登録モニターは辛うじて賛成票が上回ったものの、加盟校で7割、ウェブサイトでは9割が反対に回った。さらに2026年初頭には大阪桐蔭・西谷浩一監督が7回制に反対の意向を示した報道が話題となった。
アンケート実施を意図した“6項目”とは
そもそも、日本高野連がアンケートを実施した意図とは何だったのか。日本高野連は以下の6項目を挙げている。
(1)加盟校間で部員数の差が顕著になり部員不足による連合チームも増加している中、高校野球の今後、10年、20年後の更なる発展を見据えて今何に取り組まなければならないかを考える必要がある。
(2)全国大会ならびに都道府県大会を今後どのようにして運営していくのかを考えていかなければならない。
(3)日本学生野球憲章ならびにスポーツ基本法を念頭にして、成長期である部員が、安全に安心して野球に取り組むための対策を講じていく必要がある。
(4)社会全体で夏季の熱中症リスクが叫ばれる中、夏季に大会を開催することが高校野球関係者以外からどのように映るのかを認識、自覚する必要がある。
(5)普段の練習や公式戦開催に伴い、選手・部員・応援生徒・指導者・審判員・観客などの方々に重大事故が発生してから、あるいは国や自治体からの指示を受けてから議論をスタートするのではなく、高校野球関係者が自主自律の姿勢で議論していかなければならない。
(6)今後も国内の人口減少が見込まれ、更なる気候変動が予想され、暑さもより厳しくなると見込まれる中で「何も対策を講じない」ままでよいのかという危機感を持つべきである。
(7)7イニング制を考察するうえでは、熱中症対策は重要なテーマだが、数ある課題の一つである。一方で、熱中症対策は差し迫った喫緊の課題である。
アンケート以前の段階で7回制移行へと
端的に言うなら「野球部員減少」「大会運営」「選手、観客の健康面」「気候変動」の4つの観点から、7回制を議論しようとしている。
しかし日本高野連はアンケート以前の段階で、すでに「7回制移行」へとはっきり舵を切っていた――。
💢“高校野球7回制に否定的報道”桑田真澄コメントには続きが「そういう改善策を」酷暑だけでなく…世界的潮流に潜む“投手の故障リスク問題”とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/eaf79abedbd9d05cea5a149a0f3f313760ede67d
日本高野連は2025年3月、例年9〜10月に行われる国民スポーツ大会の「高校野球競技」を7回制で行うことを発表していた。
日本高野連の事務局長が昨夏に語ったこと
第1回で触れた7回制アンケートの企画意図で「部員数の差が顕著になる中での部員不足」「部員・応援生徒・指導者・審判員・観客など夏季の熱中症対策」「人口減少」などが挙げられている点を見ても、事態は極めて深刻で、緊急性があることがわかる。昨夏、筆者は日本高野連で井本亘事務局長に話を聞いた。井本氏の言葉をまとめると……。
・7回制移行は極めて大きな改革で、高野連だけで決めて良いのか、という話が出た
・慎重論もあったが、この際意見を聞いてみようとなった
・高校野球に興味のある人だけでなく興味のない人の考えも聞こう
・一般の人から反対論が多数出てくることも予想されるが、その声も受け止める
とのことだった。つまり7回制移行は喫緊の課題ではあるが、高校野球が国民的なスポーツであることを勘案して、決める前に「より多くの声を聞こう」としたわけだ。
日本高野連は調査開始に向けて複数の調査会社に相談し、「加盟校」「登録モニター」と「ウェブサイト」の三本立てにした。「登録モニター」「ウェブサイト」は、いわゆるクロスチェック、また「記名(登録モニター)と匿名」の回答者へのダブルチェックの意味合いを持つ。その結果として、登録モニターとして答えた人は比較的多くの人が7回制移行に対して理解を示した一方で、ウェブサイトは圧倒的な人が反対したのは第1回で触れた通りだ。
登録モニターの多くは「7回制」の背景説明をしっかり読み込んで回答したと考えられる。対照的に「昭和の高校野球」のコアなファン層である40〜60代は反対する人が多かった。登録モニターに比べれば、説明を十分に理解せずに回答した人がいた可能性がある。「Yahoo! ニュース」のコメント欄でも、見出しを見て反応したとみられるコメントが散見されるが、こうした点も勘案すれば、2つのアンケートを実施したのは意味がある。
なぜ7回制導入なのか…1つは酷暑と試合時間
あらためて――なぜ「7回制導入」が必要なのか?
猛暑の夏季に試合をする際には、昼間の時間帯を避けて午前と夕方の「二部制」にする必要があり、夏の甲子園では大会序盤に実施されている。その際に「9回制」では、試合消化が厳しい。酷暑になって以降「クーリングタイム」が設けられたり、水分摂取の時間を取るようになり、試合時間は長くなる傾向にある。従来は2時間で済んだ試合時間が、2時間半に近付いており、その点が「9回制から7回制への変更」の理由づけとなる。
9〜10月に滋賀県で行われた国民スポーツ大会で、7回制の試合を観た。打撃戦が多く7回でも2時間に近付く試合が多かったが、攻守交代などに十分な時間が取れ、ゆとりを感じさせた。
世界的な潮流となった背景に“投手の障害リスク”
7回制にはもう一つ、世界的な潮流もある。日本高野連の見解にはなかったが、高校生レベルではアメリカ、韓国、台湾、カナダなどがここ5年ほどのうちに、7回制に移行している。この世代の世界大会であるWBSC U-18ワールドカップも2022年から7回制になった。「DH制」「タイブレーク」と同様に「時短」「分業」へと舵を切っているのだ。なお日本では中学以下の野球はすべて7回制かそれ以下になっている。7回制が必要な背景とは何なのか。それは「投手の障害リスク増大」の問題がある。
2024年12月に東北福祉大で行われた「日本野球学会」のシンポジウム「投球障害予防—現場発の最新知見」では、中部大学の宮下浩二教授(スポーツ外傷・障害, バイオメカニクス)らが、投手の球速(投球強度)上昇と変化球多用によって、肩ひじへの負荷は大きくなり、故障のリスクが高まっていると発表した。つまり、高校生世代でも球数制限だけでなくイニング削減で肩ひじを守る必要性が高まっている。
筆者は2024年から高校野球指導者に会うたびに、7回制について意見を求めてきた。数十人に聞いたが、公立高校の監督は「うちは選手が少ないから助かる」という意見が多かった。これに対して私学は「選手の出場機会が減る」「完投する投手が増えるので、エースの負担が重くなる恐れも」などの意見が出た。
一方で「加盟校」に対するアンケートでは、ほとんどの回答者が「7回制が導入されたら、自分の学校はどうなるか」という視点で回答している印象だった。
桑田真澄が語った“否定的意見”とは
興味深かったのは、巨人二軍監督を退任したPL学園OB・桑田真澄氏の言葉である。2025年12月、桑田氏はジャイアンツタウンスタジアムで行われた「デジタル野球教室」に参加し、囲み取材に応じた。そこで筆者は「高校野球の7回制についてどう思うか?」と聞くと、桑田氏は「野球は9回だから面白いと思うんですよね」と述べた。否定的な意見として報じる記事もあったが――桑田氏はこのように続けている。
「9回制を続けるためには試合をする時間帯が問題になりますが、野球界が1つになって、1カ月間、甲子園球場を貸してあげてもいいじゃないですか。同時に、野球界みんなが応援してサポートしてあげればいい。
その間『阪神は試合できないじゃないか』と思うかもしれませんが、神宮球場では昼に大学が試合をして、夜はヤクルトがやっているじゃないですか。できないことないんですよね。だから時代と共に、そういう改善策をどんどん出すべきだと思うんです」
SNSで一層激しい賛否が沸き起こるだろうが
日本高野連にとって、今回のアンケート結果は厳しいものとなった。今後もSNSを中心に一層激しい賛否が沸き起こることが予想されるが、野球ファンに対して「7回制導入」の意義をしっかり説明し、シンポジウムなども開いて根気よく説得していく段階にあるだろう。
「夏季大会廃止」「ドーム球場での大会開催」などの議論もある中で、まずは「7回制」に向けて野球界、ファンの意見を集約してほしい。
☟PL学園が学校存続危機…桑田OB会長が言及「野球部復活以前に学校存続が大きな岐路」
https://news.yahoo.co.jp/articles/147b11f09cf8f178cda9da62c212813f4b377ba0
PL学園(大阪)野球部OBの懇親会が11日、大阪市内のホテルで開かれた。高校野球の甲子園大会で春夏通算7度の優勝を誇る名門で、片岡篤史、宮本慎也の両氏ら88人が出席した。
会の冒頭で桑田真澄OB会長(オイシックスCBO)があいさつ。同校の生徒数は中学34人、高校39人であることを明かし、「我々の願いである野球部復活以前にPL学園の学校存続自体が非常に大きな岐路に立っています。大変残念ですが、この現状をしっかりと受け止めないといけないと思っています」と報告した。
母体であるPL教団では20年12月に死去した3代目教主(おしえおや)の後継者が不在で、同校はPL教信者の家族やゆかりのある生徒しか入学できない状況が続いている。桑田会長は、昨年の懇親会で「生徒を増やす方法がない。(後継者を)そろそろお願いしたいが、見守ることしかできない」と進展しない現状を明かしていた。
同部は17年3月に大阪府高野連を脱退。23年に1年生1人が入部したことで活動を再開したものの厳しい現状は変わらず、「どんなに大変な状況であっても、一つだけ変わらないことがあります。それは我々PL学園OB同士の絆だと思います。野球部で過ごした時代は違っても、PL学園で一緒に戦ってきた仲間、そしてこのOB同士がつながりを続ける限り、PL学園野球部の伝統は必ず生き続けると思います」と言葉に力をこめた。
以下は、桑田会長のあいさつ全文。
「みなさん新年明けましておめでとうございます。お忙しい中、お集まりいただき本当にありがとうございます。PL学園の現状はこれまでもお伝えしていた通り、大変厳しい状況が続いています。中学生34人、高校生が39人。6学年合わせても73人で、今日の懇親会に参加させていただいた皆さんよりも少ない人数なんですよね。ですから我々の願いである野球部復活以前にPL学園の学校存続自体が非常に大きな岐路に立っています。大変残念ですが、この現状をしっかりと受け止めないといけないと思っています。
どんなに大変な状況であっても、一つだけ変わらないことがあります。それは我々PL学園OB同士の絆だと思います。野球部で過ごした時代は違っても、PL学園で一緒に戦ってきた仲間、そしてこのOB同士が繋がりを続ける限り、PL学園野球部の伝統は必ず生き続けると思います。懇親会は年に1度ですが、昔話、仕事の話をしたり、時には家族の話をしたり楽しい時間を過ごしていちだきたいと思います。本日はたくさんお集まりいただきまして、本当にありがとうございます」
☝桑田真澄氏 高校野球のDH制&7回制に改めて反対「大谷君のような選手を」自身は“三刀流”宣言も
https://news.yahoo.co.jp/articles/898cfdc3eb08024d7c9c6a728ec5c9d91e1abd51
甲子園で春夏通算7度の優勝を誇るPL学園硬式野球部のOB懇親会が11日、大阪市内のホテルで開催され、桑田真澄OB会長(57)が出席。懇親会後の取材では今春の選抜大会から導入されるDHと、高校野球で導入が議論されている7イニング制について改めて持論を述べた。
DH制については「僕個人的には反対ですね」ときっぱり。「(投手が)打席立つことによっていろいろ感じることもあるわけで。ピッチャーもここに投げられて、次ここにいくと手が出てしまうんだなという気づきにもつながっていく」と話した。続けて、「無責任な投球ができなくなる。自分が打席に立たないので当てといてもいいなってなるじゃないですか。そういった意味でも、打席になった方がいいと思う」と説明した。
7イニング制についても「野球も9回がいいと思っています。9回だからこそ面白みがあると思いますし」と反対。ただ、「試合時間短縮する方向に今来ているので」と時代の流れは理解し、「他にもっと方法があると思う」と提言。例にストライクゾーンを挙げ、「アウトとストライクはどんどん試合が進みます。高校野球はなぜ早いかというと、ストライクゾーンが広いからですよ。全部広くする必要はなくて、外と低めは投手有利、高めと内は打者有利とか」と意見を述べた。
“大谷2世”の誕生も願っての意見だ。「大谷くんがいるじゃないですか。投げて打って。そういう選手を輩出するためにも、投手としてもバッターとしても育ってもらいたい」と力を込めた。
来年5月に開催される『ワールドマスターズゲーム2027関西』への出場も表明した。ワールドマスターズゲームとは原則4年に1度開催されるマスターズ世代の世界大会。「打って投げて守ります。三刀流でいきます」と宣言した。
☟報徳学園野球部にあった珍ルールとは!?楽天西垣雅矢と広島小園海斗が証言「とりあえずダメ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/115b31fb7c6a5c771a9caa7aa51c821b38efd08c
楽天西垣雅矢投手(26)と広島小園海斗内野手(25)が11日、読売テレビ・日本テレビ系の「大和地所スペシャル 超プロ野球 ULTRA」に出演。高校時代に存在した驚きのルールを明かした。
番組内では「高校時代の野球部 珍ルール」と題したトークが繰り広げられた。報徳学園(兵庫)出身の西垣と小園は、野球部の1年生は学食の使用が禁止だったことを暴露。西垣が「なんでかはちょっと分からないんですけど、とりあえずダメだった」と話せば、小園も「学食、自販機(で飲み物を買うの)もダメだった」と語った。
西垣は「サッカー部だったりに(買ってきてもらって)」と当時を振り返り「(そのルールは)今はないみたい」と話した。
☟天理高校野球部にあった珍ルール!?達孝太「1年生の時はもう…キャベツみそ汁みたいな」と暴露
https://news.yahoo.co.jp/articles/bdb8a1bec051c2c91063793f175083d19d8fcfe1
天理(奈良)出身の森浦と達は、野球部の一風変わったルールを暴露。森浦は食事の際に飲み物のおかわりが禁止だったことを紹介し「(当時)飲み物は一杯まで。ご飯はおかわりしていいんですけど」と話した。
達は1年生はサラダにドレッシングをかけることが禁止だったことを打ち明け「1年生の時はもうそのまま食べるか、本当にみそ汁の中にサラダ入れて。キャベツみそ汁みたいな」と当時を振り返った。帰省した時はどうしていたか問われると「(ドレッシングを)たっぷりかけてました」と笑みを浮かべた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/cefc21cd2f107a74b3d6e3f86727cf9f42d3b5aa
高校野球で大きな議論となっている「7イニング制」。日本高野連が実施したアンケートや各識者の意見とともに、導入へ動く背景について考察する。
日本高野連で7回制への移行の議論があり、アンケートを実施したことについては、以前に紹介した。その結果が先日発表された。傾向とともに見ていこう。
アンケートで加盟校70%、大阪桐蔭監督も反対と
◆調査会社による登録モニター向けの調査(6月16、17日、回答者数2472)
賛成…35.9% 反対…25.0%
女性は各年代で賛成が多く、男性は10〜30代の4割が賛成。理由は「試合時間が短くなり、選手の熱中症予防の効果が見込める」が最多。男性は40〜60代の反対が多く、高校野球に関心がある層、野球経験がある層は反対がやや多かった。理由は「終盤の勝負の醍醐味がなくなるから」が最多。
◆加盟校対象のアンケート(6月27日〜8月8日、回答校数2643)
賛成…20.8% 反対…70.1%
部員数が0〜20人の学校は賛成が28.2%。軟式野球部は賛成が32.4%。理由は「試合時間が短くなり、選手の熱中症予防の効果が見込めるから」が最多。一方で部員数が増えるほど反対が増え、61〜80人の学校では91.1%が反対だった。理由は「打席数や投手の投球数が減り、プレー機会が減ってしまうから」が最も多かった。
◆日本高野連のウェブサイト(期間6月30日〜7月11日、回答者数8953)
賛成…768 反対…7923
アンケートは「登録モニター」「日本高野連加盟校」「ウェブサイト経由の一般ファン」に対して行われた。その中で7回制導入に対しては、登録モニターは辛うじて賛成票が上回ったものの、加盟校で7割、ウェブサイトでは9割が反対に回った。さらに2026年初頭には大阪桐蔭・西谷浩一監督が7回制に反対の意向を示した報道が話題となった。
アンケート実施を意図した“6項目”とは
そもそも、日本高野連がアンケートを実施した意図とは何だったのか。日本高野連は以下の6項目を挙げている。
(1)加盟校間で部員数の差が顕著になり部員不足による連合チームも増加している中、高校野球の今後、10年、20年後の更なる発展を見据えて今何に取り組まなければならないかを考える必要がある。
(2)全国大会ならびに都道府県大会を今後どのようにして運営していくのかを考えていかなければならない。
(3)日本学生野球憲章ならびにスポーツ基本法を念頭にして、成長期である部員が、安全に安心して野球に取り組むための対策を講じていく必要がある。
(4)社会全体で夏季の熱中症リスクが叫ばれる中、夏季に大会を開催することが高校野球関係者以外からどのように映るのかを認識、自覚する必要がある。
(5)普段の練習や公式戦開催に伴い、選手・部員・応援生徒・指導者・審判員・観客などの方々に重大事故が発生してから、あるいは国や自治体からの指示を受けてから議論をスタートするのではなく、高校野球関係者が自主自律の姿勢で議論していかなければならない。
(6)今後も国内の人口減少が見込まれ、更なる気候変動が予想され、暑さもより厳しくなると見込まれる中で「何も対策を講じない」ままでよいのかという危機感を持つべきである。
(7)7イニング制を考察するうえでは、熱中症対策は重要なテーマだが、数ある課題の一つである。一方で、熱中症対策は差し迫った喫緊の課題である。
アンケート以前の段階で7回制移行へと
端的に言うなら「野球部員減少」「大会運営」「選手、観客の健康面」「気候変動」の4つの観点から、7回制を議論しようとしている。
しかし日本高野連はアンケート以前の段階で、すでに「7回制移行」へとはっきり舵を切っていた――。
💢“高校野球7回制に否定的報道”桑田真澄コメントには続きが「そういう改善策を」酷暑だけでなく…世界的潮流に潜む“投手の故障リスク問題”とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/eaf79abedbd9d05cea5a149a0f3f313760ede67d
日本高野連は2025年3月、例年9〜10月に行われる国民スポーツ大会の「高校野球競技」を7回制で行うことを発表していた。
日本高野連の事務局長が昨夏に語ったこと
第1回で触れた7回制アンケートの企画意図で「部員数の差が顕著になる中での部員不足」「部員・応援生徒・指導者・審判員・観客など夏季の熱中症対策」「人口減少」などが挙げられている点を見ても、事態は極めて深刻で、緊急性があることがわかる。昨夏、筆者は日本高野連で井本亘事務局長に話を聞いた。井本氏の言葉をまとめると……。
・7回制移行は極めて大きな改革で、高野連だけで決めて良いのか、という話が出た
・慎重論もあったが、この際意見を聞いてみようとなった
・高校野球に興味のある人だけでなく興味のない人の考えも聞こう
・一般の人から反対論が多数出てくることも予想されるが、その声も受け止める
とのことだった。つまり7回制移行は喫緊の課題ではあるが、高校野球が国民的なスポーツであることを勘案して、決める前に「より多くの声を聞こう」としたわけだ。
日本高野連は調査開始に向けて複数の調査会社に相談し、「加盟校」「登録モニター」と「ウェブサイト」の三本立てにした。「登録モニター」「ウェブサイト」は、いわゆるクロスチェック、また「記名(登録モニター)と匿名」の回答者へのダブルチェックの意味合いを持つ。その結果として、登録モニターとして答えた人は比較的多くの人が7回制移行に対して理解を示した一方で、ウェブサイトは圧倒的な人が反対したのは第1回で触れた通りだ。
登録モニターの多くは「7回制」の背景説明をしっかり読み込んで回答したと考えられる。対照的に「昭和の高校野球」のコアなファン層である40〜60代は反対する人が多かった。登録モニターに比べれば、説明を十分に理解せずに回答した人がいた可能性がある。「Yahoo! ニュース」のコメント欄でも、見出しを見て反応したとみられるコメントが散見されるが、こうした点も勘案すれば、2つのアンケートを実施したのは意味がある。
なぜ7回制導入なのか…1つは酷暑と試合時間
あらためて――なぜ「7回制導入」が必要なのか?
猛暑の夏季に試合をする際には、昼間の時間帯を避けて午前と夕方の「二部制」にする必要があり、夏の甲子園では大会序盤に実施されている。その際に「9回制」では、試合消化が厳しい。酷暑になって以降「クーリングタイム」が設けられたり、水分摂取の時間を取るようになり、試合時間は長くなる傾向にある。従来は2時間で済んだ試合時間が、2時間半に近付いており、その点が「9回制から7回制への変更」の理由づけとなる。
9〜10月に滋賀県で行われた国民スポーツ大会で、7回制の試合を観た。打撃戦が多く7回でも2時間に近付く試合が多かったが、攻守交代などに十分な時間が取れ、ゆとりを感じさせた。
世界的な潮流となった背景に“投手の障害リスク”
7回制にはもう一つ、世界的な潮流もある。日本高野連の見解にはなかったが、高校生レベルではアメリカ、韓国、台湾、カナダなどがここ5年ほどのうちに、7回制に移行している。この世代の世界大会であるWBSC U-18ワールドカップも2022年から7回制になった。「DH制」「タイブレーク」と同様に「時短」「分業」へと舵を切っているのだ。なお日本では中学以下の野球はすべて7回制かそれ以下になっている。7回制が必要な背景とは何なのか。それは「投手の障害リスク増大」の問題がある。
2024年12月に東北福祉大で行われた「日本野球学会」のシンポジウム「投球障害予防—現場発の最新知見」では、中部大学の宮下浩二教授(スポーツ外傷・障害, バイオメカニクス)らが、投手の球速(投球強度)上昇と変化球多用によって、肩ひじへの負荷は大きくなり、故障のリスクが高まっていると発表した。つまり、高校生世代でも球数制限だけでなくイニング削減で肩ひじを守る必要性が高まっている。
筆者は2024年から高校野球指導者に会うたびに、7回制について意見を求めてきた。数十人に聞いたが、公立高校の監督は「うちは選手が少ないから助かる」という意見が多かった。これに対して私学は「選手の出場機会が減る」「完投する投手が増えるので、エースの負担が重くなる恐れも」などの意見が出た。
一方で「加盟校」に対するアンケートでは、ほとんどの回答者が「7回制が導入されたら、自分の学校はどうなるか」という視点で回答している印象だった。
桑田真澄が語った“否定的意見”とは
興味深かったのは、巨人二軍監督を退任したPL学園OB・桑田真澄氏の言葉である。2025年12月、桑田氏はジャイアンツタウンスタジアムで行われた「デジタル野球教室」に参加し、囲み取材に応じた。そこで筆者は「高校野球の7回制についてどう思うか?」と聞くと、桑田氏は「野球は9回だから面白いと思うんですよね」と述べた。否定的な意見として報じる記事もあったが――桑田氏はこのように続けている。
「9回制を続けるためには試合をする時間帯が問題になりますが、野球界が1つになって、1カ月間、甲子園球場を貸してあげてもいいじゃないですか。同時に、野球界みんなが応援してサポートしてあげればいい。
その間『阪神は試合できないじゃないか』と思うかもしれませんが、神宮球場では昼に大学が試合をして、夜はヤクルトがやっているじゃないですか。できないことないんですよね。だから時代と共に、そういう改善策をどんどん出すべきだと思うんです」
SNSで一層激しい賛否が沸き起こるだろうが
日本高野連にとって、今回のアンケート結果は厳しいものとなった。今後もSNSを中心に一層激しい賛否が沸き起こることが予想されるが、野球ファンに対して「7回制導入」の意義をしっかり説明し、シンポジウムなども開いて根気よく説得していく段階にあるだろう。
「夏季大会廃止」「ドーム球場での大会開催」などの議論もある中で、まずは「7回制」に向けて野球界、ファンの意見を集約してほしい。
☟PL学園が学校存続危機…桑田OB会長が言及「野球部復活以前に学校存続が大きな岐路」
https://news.yahoo.co.jp/articles/147b11f09cf8f178cda9da62c212813f4b377ba0
PL学園(大阪)野球部OBの懇親会が11日、大阪市内のホテルで開かれた。高校野球の甲子園大会で春夏通算7度の優勝を誇る名門で、片岡篤史、宮本慎也の両氏ら88人が出席した。
会の冒頭で桑田真澄OB会長(オイシックスCBO)があいさつ。同校の生徒数は中学34人、高校39人であることを明かし、「我々の願いである野球部復活以前にPL学園の学校存続自体が非常に大きな岐路に立っています。大変残念ですが、この現状をしっかりと受け止めないといけないと思っています」と報告した。
母体であるPL教団では20年12月に死去した3代目教主(おしえおや)の後継者が不在で、同校はPL教信者の家族やゆかりのある生徒しか入学できない状況が続いている。桑田会長は、昨年の懇親会で「生徒を増やす方法がない。(後継者を)そろそろお願いしたいが、見守ることしかできない」と進展しない現状を明かしていた。
同部は17年3月に大阪府高野連を脱退。23年に1年生1人が入部したことで活動を再開したものの厳しい現状は変わらず、「どんなに大変な状況であっても、一つだけ変わらないことがあります。それは我々PL学園OB同士の絆だと思います。野球部で過ごした時代は違っても、PL学園で一緒に戦ってきた仲間、そしてこのOB同士がつながりを続ける限り、PL学園野球部の伝統は必ず生き続けると思います」と言葉に力をこめた。
以下は、桑田会長のあいさつ全文。
「みなさん新年明けましておめでとうございます。お忙しい中、お集まりいただき本当にありがとうございます。PL学園の現状はこれまでもお伝えしていた通り、大変厳しい状況が続いています。中学生34人、高校生が39人。6学年合わせても73人で、今日の懇親会に参加させていただいた皆さんよりも少ない人数なんですよね。ですから我々の願いである野球部復活以前にPL学園の学校存続自体が非常に大きな岐路に立っています。大変残念ですが、この現状をしっかりと受け止めないといけないと思っています。
どんなに大変な状況であっても、一つだけ変わらないことがあります。それは我々PL学園OB同士の絆だと思います。野球部で過ごした時代は違っても、PL学園で一緒に戦ってきた仲間、そしてこのOB同士が繋がりを続ける限り、PL学園野球部の伝統は必ず生き続けると思います。懇親会は年に1度ですが、昔話、仕事の話をしたり、時には家族の話をしたり楽しい時間を過ごしていちだきたいと思います。本日はたくさんお集まりいただきまして、本当にありがとうございます」
☝桑田真澄氏 高校野球のDH制&7回制に改めて反対「大谷君のような選手を」自身は“三刀流”宣言も
https://news.yahoo.co.jp/articles/898cfdc3eb08024d7c9c6a728ec5c9d91e1abd51
甲子園で春夏通算7度の優勝を誇るPL学園硬式野球部のOB懇親会が11日、大阪市内のホテルで開催され、桑田真澄OB会長(57)が出席。懇親会後の取材では今春の選抜大会から導入されるDHと、高校野球で導入が議論されている7イニング制について改めて持論を述べた。
DH制については「僕個人的には反対ですね」ときっぱり。「(投手が)打席立つことによっていろいろ感じることもあるわけで。ピッチャーもここに投げられて、次ここにいくと手が出てしまうんだなという気づきにもつながっていく」と話した。続けて、「無責任な投球ができなくなる。自分が打席に立たないので当てといてもいいなってなるじゃないですか。そういった意味でも、打席になった方がいいと思う」と説明した。
7イニング制についても「野球も9回がいいと思っています。9回だからこそ面白みがあると思いますし」と反対。ただ、「試合時間短縮する方向に今来ているので」と時代の流れは理解し、「他にもっと方法があると思う」と提言。例にストライクゾーンを挙げ、「アウトとストライクはどんどん試合が進みます。高校野球はなぜ早いかというと、ストライクゾーンが広いからですよ。全部広くする必要はなくて、外と低めは投手有利、高めと内は打者有利とか」と意見を述べた。
“大谷2世”の誕生も願っての意見だ。「大谷くんがいるじゃないですか。投げて打って。そういう選手を輩出するためにも、投手としてもバッターとしても育ってもらいたい」と力を込めた。
来年5月に開催される『ワールドマスターズゲーム2027関西』への出場も表明した。ワールドマスターズゲームとは原則4年に1度開催されるマスターズ世代の世界大会。「打って投げて守ります。三刀流でいきます」と宣言した。
☟報徳学園野球部にあった珍ルールとは!?楽天西垣雅矢と広島小園海斗が証言「とりあえずダメ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/115b31fb7c6a5c771a9caa7aa51c821b38efd08c
楽天西垣雅矢投手(26)と広島小園海斗内野手(25)が11日、読売テレビ・日本テレビ系の「大和地所スペシャル 超プロ野球 ULTRA」に出演。高校時代に存在した驚きのルールを明かした。
番組内では「高校時代の野球部 珍ルール」と題したトークが繰り広げられた。報徳学園(兵庫)出身の西垣と小園は、野球部の1年生は学食の使用が禁止だったことを暴露。西垣が「なんでかはちょっと分からないんですけど、とりあえずダメだった」と話せば、小園も「学食、自販機(で飲み物を買うの)もダメだった」と語った。
西垣は「サッカー部だったりに(買ってきてもらって)」と当時を振り返り「(そのルールは)今はないみたい」と話した。
☟天理高校野球部にあった珍ルール!?達孝太「1年生の時はもう…キャベツみそ汁みたいな」と暴露
https://news.yahoo.co.jp/articles/bdb8a1bec051c2c91063793f175083d19d8fcfe1
天理(奈良)出身の森浦と達は、野球部の一風変わったルールを暴露。森浦は食事の際に飲み物のおかわりが禁止だったことを紹介し「(当時)飲み物は一杯まで。ご飯はおかわりしていいんですけど」と話した。
達は1年生はサラダにドレッシングをかけることが禁止だったことを打ち明け「1年生の時はもうそのまま食べるか、本当にみそ汁の中にサラダ入れて。キャベツみそ汁みたいな」と当時を振り返った。帰省した時はどうしていたか問われると「(ドレッシングを)たっぷりかけてました」と笑みを浮かべた。
9/15 秋季兵庫大会2回戦 ウインク球場 宝塚-関西学院 12:45~14:22
一二三四五六七八九十計HE
宝 塚000000000 063 安村、酒井-松井
関西学院01002200X 5100 神宮寺、後藤-前木場
第一試合
東洋姫路4
神港学園0
前日の熱すぎた明石から汗が引く間もなく一夜明け今度は姫路行き。この日は東洋大姫路ー神港学園の大一番があるが、それよりも地元の宝塚高校が関西学院相手にどこまで善戦できるか?を楽しみにしていた。
宝塚市には宝塚・宝塚西・宝塚東・宝塚北と県立4校あるもののどこも甲子園には全くと言っていいほど縁がないし、僕が中学2年時に宝塚西が夏県8強まで上がったこともあったが、平成以降は春秋の県大会にもめったに顔を出さないので観戦する機会に乏しかった・・・・・・。
以前のように県内を17地区に分けて地区大会をするのではなく、大まかに5地区に振り分けてのフリー抽選と変わったのでくじ運次第では弱小校も県大会出場できる可能性が広がって今回、なぜかしら宝塚高校のみが市内で唯一県大会出場となった。
相手が関西学院と西宮市内の学校だし、わざわざ播州・姫路にまで遠征させなくても・・・とは思ったが、ベイコム(尼崎)よりもかなり立派な球場なんで選手にとっては遠足気分で嬉しいのかも!?
関学は広岡監督の息子さんに引き継がれたが、98年春の選抜に親子鷹として出場し、本当に顔も声もそっくりだったが、、、、、相変わらず部員は100名近くいるし共学化してチアガールも毎試合応援に駆け付け総合力で圧倒されそうだ。
さて、注目の第1試合だが、翌年春夏連続甲子園出場を果たし夏は甲子園8強まで進むこととなる東洋大姫路。岡田監督が就任して2年目の秋となり監督就任から数多く出場していた選手たちが最上級生となる。県大会は最激戦ゾーンにぶちこまれ、いきなり2回戦で神港学園と激突。神港は好投手3人を揃え兵庫らしいロースコアの接戦に持ち込み5回まで1-0。
しかし地力に勝る東洋が6回に投手交代したのに乗じて長打攻勢で決定的な3点を加えそのまま4-0と完勝。
北原監督の息子さんは1度だけ春の大会で優勝し近畿大会出場したものの、なかなかお父さんのように甲子園で采配を振ることなく大舞台にはまた縁がなく長い冬に突入だ・・・・・。
さて、第2試合だが宝塚は部員18人と少数精鋭。ベンチには恰幅の良い女性部長が鎮座しておりアルプスには控え部員がいないのでメガホンを叩くだけの応援と寂しい。
関学は太鼓1つに録音応援でチアガールも多数かけ付応援では5回コールド負けだ、、、
この日は深夜から早朝にかけて小雨が降っていたので散水もなく12時45分試合開始。第1試合も定刻よりも14分早く開始していたし試合が2時間13分かかり元に戻したが13時開始予定をまた15分巻かれてしまった・・・・・。
関学は昔から後攻派だが宝塚は先攻派なのか?1回表やはり予想通り相手の11番神宮司投手に手も足も出ず外野まで打球を飛ばすことなく三者凡退。
その裏、何点取られるのか?戦々恐々としていたが、先頭打者に2ボールと怪しい立ち上がりで1-2からショートライナー。運よく1つアウトを取れたが、2・3番の連続センター前ヒットに4番・河村は関学らしくバントヒットとスモールベースボールに徹し1死満塁。ところが5番・前木場は2球で追い込まれ宝塚バッテリーはあえて3球勝負に挑み6-4-3のダブルプレー完成で無失点。
2回表守りからリズムをつかみ4番・松井が初球レフト前ヒットでノーヒットノーラン回避に成功!これを送って1死2塁。6番・福元もレフト前ヒットで続きまさかの1死1・3塁と先制のチャンス!しかし、7番・前竹1ボールから吉田監督がスクイズのサインを出したのか???ボール球に反応せず3塁走者はなぜかしらホームに激走・・・あえなくホーム手前で自爆してしまい直後にレフト前ヒットを放つも2塁走者3塁ストップで8番・芝原スライダーに三振で得点できなかったことが最後まで尾を引いてしまった。。。。。。
その裏、関学は先頭の6番・芝原がライトへツーベースを放ち暴投で3塁へ。1点覚悟の場面で広岡監督の息子さんは早くも7番・三木の1ボールから2球目にセーフティ―スクイズを仕掛けるがファール・・・。1-2から打つも弱い当たりのサードライナーで1死3塁。
しかし、父親譲りのスモールベースボールは健在で8番・坂下初球からスクイズの構えを見せボール球ゆえにバットを引いたが、ストライクバントつまりはセーフティ―スクイズだったと思われる。そして2球目も同じサインがでたようで今度はきっちり決めて1点先制。
欲しかった先取点を早い段階で奪われた宝塚はまだ戦士喪失したわけではないと思うが、3回あっさり三者凡退。その裏、1死から四球とヒットで1・2塁のピンチを迎え中押しのピンチだったが、ここは広岡監督無策で4番・河村初球レフトフライ。5番・前木場はピッチャーライナーと塁上を賑わせつつも1点しか取れないモヤモヤだけが残った序盤戦だった。
早く追いつきたい宝塚は4回表3番・中山が初球レフト前ヒットで出塁。ここで吉田監督の手腕が試されるところ。4番に対してフリーに打たせるのか?足を絡めて揺さぶるのか?それともスモールベースボールで打順関係なしに判で捺したように送りバントさせるのか???
3球目まではバントの構えでカウント1-2。どうやら送りバントで進めたい意向のようだが、バントできそうなボールが来なかったので待っていた様子に受け取れた。4球目を見逃し並行カウントからスリーバントはできないと見たのか?普通に打たせてサードゴロ。5番・木坂は初球に手を出し6-4-3ダブルプレー。
5回表には四球~送りバント~四球~送りバントで2死2・3塁と攻めたというよりも下位打線なんで送りバントしか眼中になかった模様だ・・・・・。オーソドックスな作戦に徹し相手のミス待ちかもしれないが、1番・研谷は2ボールから積極的に手を出したが無念のレフトフライで数少ない勝機を逸して流れは完全に関学へ、、、、、
3回まで5安打放ち毎回得点圏に走者を送り続けていたが1点止まりで4回は初の三者凡退。5回表のピンチで逆転されたらますます厳しい展開になったと思われるが、相手の貧打にも助けられ、その裏先頭の9番・神宮司投手が四球を選び手堅く送って1死2塁。広岡監督はお父さん譲りというか兵庫の高校野球監督さんにありがちなバント崇拝で1死2塁からでも連続で送りバントのサインを出し、これが犠打エラーとなり1死1・3塁。さらに3番・石橋初球スクイズでまさかの3連続バントで手堅く1点追加。4番・河村もレフト前タイムリーで続き3点目。さらにエラーも絡んで一気に3塁へ進みここで音を立てて崩れかねない展開。宝塚ベンチからタイムを取ることなく四球~盗塁で自滅も絡んで追い詰められたが、安村投手が踏ん張り第1打席でツーベースを放った6番・光本をセカンドフライに打ち取りなんとか0-3で折り返した。
なんとか安村投手の踏ん張りで3点差と形にはなっているが、いかんせん打線が弱すぎるし、関学打線もひ弱なんでスモールベースボールに徹しアウトカウントは適度にもらえるのでコールド回避できる希望は出てきた。
なんとか残り3イニング3点以内に抑えて9回まで野球をやって姫路から宝塚に帰りたい。関学はエース温存で余力を残している感じだ。神宮寺投手がピンチを何度か迎えているので1点取られたら即交代かもしれないが、エースに加え12番・20番と右腕投手が控えているので逃げ切り体制には入れそうだ。
6回表神宮寺投手は続投。スライダーの切れもまだ衰えず3番・中山にはヒットを許したものの2三振などで得点は許さない。
その裏、関学は代打攻勢に走りまずストレートの四球をもらいやはりバントで1死2塁。ここで神宮司投手に代打・田中を起用するがショートフライ。ここで踏ん張れたらコールド回避は確定と思われたが、1番・横野がセンター前タイムリーを放ち送球間に2塁を陥れ、2番・山内は2死2塁から初球セーフティーとトリッキーな野球を見せ、カウント2-2からショート内野安打に悪送球が絡み痛恨の5点目。やはりスタミナ切れか?気持ちが切れたのか?ミスが絡んでしまうとどうしようもない。それでも宝塚ベンチはタイムを取らず淡々と試合をこなし3番・石橋初球エンドランを仕掛けるもショートゴロで今度はきっちり1塁へ送りこの流れだと9回までやっても1時間40分ペースと思われるワンサイドゲームになってきた。
代打の関係で関学は投手交代。7回からなんとエース・後藤を投入して石橋をたたく広岡監督の息子さん。いきなり先頭打者にセンター前ヒットを喰らいつつも5点ビハインドゆえにバントの選択肢もなく、来た球を漫然と振り抜くだけの野球で凡打を積み重ね無得点。
もう残りの試合の興味はコールド回避の1点に尽きる。宝塚のエース・安村にすべてがかかる。関学打線は逃げ切り体制に入り攻撃面は単調になり7回4・5番が4球でツーアウトを献上。ホッとしていたら、ストレートの四球とレフト前ヒットで長打が出ればサヨナラコールドとウカウカできない・・・8番・坂下は初球セーフティーをかまし弱い者いじめに徹していたが、ファールとなり2球で追い込まれ3球勝負でセカンドゴロと打てないことを露呈した。
8回表1番からの攻撃で完封回避を遂げたかったが、後藤投手が躍動し三者凡退。いよいよこの8回裏1点に抑えたら9回まで試合ができるという場面だが、吉田監督はすでに新チームを見据えたのか?????なんとエースをベンチに下げ1年生酒井投手をリリーフ登板させた。仮にボコボコに打たれても2点入れば即試合終了なんで防戦一方の試合だしダメージは残らない。
運よく三者凡退にでも抑えてくれたら自信をつけて来年以降の躍進につながって欲しいという教育的配慮だろうか?僕としては目先の試合にこだわりエースと心中してほしかったが。
まず後藤投手は初球セカンドフライでホッと一息。しかし直後に四球を与え雲行き怪しくなり、お父さん譲りの全員野球ですかさず代打・蔵前起用。ここまで2安打していた山内をあえてベンチに下げなくてもと思ったが、ピッチャーゴロに倒れてバントと同じように2死2塁。
3番・石橋・4番・河村ともに2安打しているのでここは敬遠できない・・・。ファーストストライクから手を出してくる石橋は初球レフト前ヒットを放ち2死ゆえに2塁走者ホーム突入するも・・・・・レフト研谷が魂のバックホーム送球でホーム寸前タッチアウト!ビッグプレーでコールド回避に成功した。
しかし9回宝塚は4番からの攻撃だったが、関学のエース・後藤の投球にバットにボールを当てるのが精いっぱいという感じであえなく三者凡退に倒れわずか1時間37分で瞬殺された・・・・。
試合を振り返ってみても関学打線が活発なわけでもなく、投手陣が質量ともに豊富で高校生レベルでは手も足も出ないわけではない。ただ、守備は鍛えられており自滅は考えにくいかなと。
スクイズで2点奪い2死でも先頭打者でもしつこくバント攻撃して相手のミスを誘うようなしつこさ・イヤらしさはあるものの宝塚相手に9回まで付き合わされることを考えると、県内トップレベルの相手と対戦したら粉砕され近畿大会までは届かないかなと。
宝塚はこの試合を見る限りにおいては何が長所でどうやって地区大会を勝ち上がってきたのかが分からなかった。。。ただ、一冬越えて特に安村投手がものすごく成長して夏は5回戦進出を果たしただけにこの完封負けの悔しさと不可解な継投も意味のある明日につながる敗戦だったのだろう。
さて、次回は兵庫の中で数多くある古豪の1つで昔は強打で席巻し、プロ野球選手なども輩出していたが全国区では忘れられた存在になりつつあるあの三田学園。穂積監督が勇退し、OBで元近鉄の4番打者だった羽田監督が就任しても起爆剤にならず、岩根監督に受け継がれたが、穂積監督のしつこい野球だけは代々受け継いでいるようで、、、この秋運よく久しぶりに8強入りし観戦できる運びとなった。それはまた次回の講釈で。
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 三振 暴投 失点 自責
宝 塚 安 村 7 35 112 9 5 5 3 1 5 3
宝 塚 酒 井 1 4 9 1 0 1 0 0 0 0
関西学院 神宮寺 6 23 70 5 3 2 4 0 0 0
関西学院 後 藤 3 10 29 1 0 0 3 0 0 0
(完)
🌟次回予告🌟
R7年度秋季近畿地区高校野球大会兵庫予選観戦記⑤ さらなる高みへ桜陵健児 三田学園観戦記
9/23 秋季兵庫大会準々決勝 明石トーカロ球場 三田学園-西宮東
一二三四五六七八九十計HE
宝 塚000000000 063 安村、酒井-松井
関西学院01002200X 5100 神宮寺、後藤-前木場
第一試合
東洋姫路4
神港学園0
前日の熱すぎた明石から汗が引く間もなく一夜明け今度は姫路行き。この日は東洋大姫路ー神港学園の大一番があるが、それよりも地元の宝塚高校が関西学院相手にどこまで善戦できるか?を楽しみにしていた。
宝塚市には宝塚・宝塚西・宝塚東・宝塚北と県立4校あるもののどこも甲子園には全くと言っていいほど縁がないし、僕が中学2年時に宝塚西が夏県8強まで上がったこともあったが、平成以降は春秋の県大会にもめったに顔を出さないので観戦する機会に乏しかった・・・・・・。
以前のように県内を17地区に分けて地区大会をするのではなく、大まかに5地区に振り分けてのフリー抽選と変わったのでくじ運次第では弱小校も県大会出場できる可能性が広がって今回、なぜかしら宝塚高校のみが市内で唯一県大会出場となった。
相手が関西学院と西宮市内の学校だし、わざわざ播州・姫路にまで遠征させなくても・・・とは思ったが、ベイコム(尼崎)よりもかなり立派な球場なんで選手にとっては遠足気分で嬉しいのかも!?
関学は広岡監督の息子さんに引き継がれたが、98年春の選抜に親子鷹として出場し、本当に顔も声もそっくりだったが、、、、、相変わらず部員は100名近くいるし共学化してチアガールも毎試合応援に駆け付け総合力で圧倒されそうだ。
さて、注目の第1試合だが、翌年春夏連続甲子園出場を果たし夏は甲子園8強まで進むこととなる東洋大姫路。岡田監督が就任して2年目の秋となり監督就任から数多く出場していた選手たちが最上級生となる。県大会は最激戦ゾーンにぶちこまれ、いきなり2回戦で神港学園と激突。神港は好投手3人を揃え兵庫らしいロースコアの接戦に持ち込み5回まで1-0。
しかし地力に勝る東洋が6回に投手交代したのに乗じて長打攻勢で決定的な3点を加えそのまま4-0と完勝。
北原監督の息子さんは1度だけ春の大会で優勝し近畿大会出場したものの、なかなかお父さんのように甲子園で采配を振ることなく大舞台にはまた縁がなく長い冬に突入だ・・・・・。
さて、第2試合だが宝塚は部員18人と少数精鋭。ベンチには恰幅の良い女性部長が鎮座しておりアルプスには控え部員がいないのでメガホンを叩くだけの応援と寂しい。
関学は太鼓1つに録音応援でチアガールも多数かけ付応援では5回コールド負けだ、、、
この日は深夜から早朝にかけて小雨が降っていたので散水もなく12時45分試合開始。第1試合も定刻よりも14分早く開始していたし試合が2時間13分かかり元に戻したが13時開始予定をまた15分巻かれてしまった・・・・・。
関学は昔から後攻派だが宝塚は先攻派なのか?1回表やはり予想通り相手の11番神宮司投手に手も足も出ず外野まで打球を飛ばすことなく三者凡退。
その裏、何点取られるのか?戦々恐々としていたが、先頭打者に2ボールと怪しい立ち上がりで1-2からショートライナー。運よく1つアウトを取れたが、2・3番の連続センター前ヒットに4番・河村は関学らしくバントヒットとスモールベースボールに徹し1死満塁。ところが5番・前木場は2球で追い込まれ宝塚バッテリーはあえて3球勝負に挑み6-4-3のダブルプレー完成で無失点。
2回表守りからリズムをつかみ4番・松井が初球レフト前ヒットでノーヒットノーラン回避に成功!これを送って1死2塁。6番・福元もレフト前ヒットで続きまさかの1死1・3塁と先制のチャンス!しかし、7番・前竹1ボールから吉田監督がスクイズのサインを出したのか???ボール球に反応せず3塁走者はなぜかしらホームに激走・・・あえなくホーム手前で自爆してしまい直後にレフト前ヒットを放つも2塁走者3塁ストップで8番・芝原スライダーに三振で得点できなかったことが最後まで尾を引いてしまった。。。。。。
その裏、関学は先頭の6番・芝原がライトへツーベースを放ち暴投で3塁へ。1点覚悟の場面で広岡監督の息子さんは早くも7番・三木の1ボールから2球目にセーフティ―スクイズを仕掛けるがファール・・・。1-2から打つも弱い当たりのサードライナーで1死3塁。
しかし、父親譲りのスモールベースボールは健在で8番・坂下初球からスクイズの構えを見せボール球ゆえにバットを引いたが、ストライクバントつまりはセーフティ―スクイズだったと思われる。そして2球目も同じサインがでたようで今度はきっちり決めて1点先制。
欲しかった先取点を早い段階で奪われた宝塚はまだ戦士喪失したわけではないと思うが、3回あっさり三者凡退。その裏、1死から四球とヒットで1・2塁のピンチを迎え中押しのピンチだったが、ここは広岡監督無策で4番・河村初球レフトフライ。5番・前木場はピッチャーライナーと塁上を賑わせつつも1点しか取れないモヤモヤだけが残った序盤戦だった。
早く追いつきたい宝塚は4回表3番・中山が初球レフト前ヒットで出塁。ここで吉田監督の手腕が試されるところ。4番に対してフリーに打たせるのか?足を絡めて揺さぶるのか?それともスモールベースボールで打順関係なしに判で捺したように送りバントさせるのか???
3球目まではバントの構えでカウント1-2。どうやら送りバントで進めたい意向のようだが、バントできそうなボールが来なかったので待っていた様子に受け取れた。4球目を見逃し並行カウントからスリーバントはできないと見たのか?普通に打たせてサードゴロ。5番・木坂は初球に手を出し6-4-3ダブルプレー。
5回表には四球~送りバント~四球~送りバントで2死2・3塁と攻めたというよりも下位打線なんで送りバントしか眼中になかった模様だ・・・・・。オーソドックスな作戦に徹し相手のミス待ちかもしれないが、1番・研谷は2ボールから積極的に手を出したが無念のレフトフライで数少ない勝機を逸して流れは完全に関学へ、、、、、
3回まで5安打放ち毎回得点圏に走者を送り続けていたが1点止まりで4回は初の三者凡退。5回表のピンチで逆転されたらますます厳しい展開になったと思われるが、相手の貧打にも助けられ、その裏先頭の9番・神宮司投手が四球を選び手堅く送って1死2塁。広岡監督はお父さん譲りというか兵庫の高校野球監督さんにありがちなバント崇拝で1死2塁からでも連続で送りバントのサインを出し、これが犠打エラーとなり1死1・3塁。さらに3番・石橋初球スクイズでまさかの3連続バントで手堅く1点追加。4番・河村もレフト前タイムリーで続き3点目。さらにエラーも絡んで一気に3塁へ進みここで音を立てて崩れかねない展開。宝塚ベンチからタイムを取ることなく四球~盗塁で自滅も絡んで追い詰められたが、安村投手が踏ん張り第1打席でツーベースを放った6番・光本をセカンドフライに打ち取りなんとか0-3で折り返した。
なんとか安村投手の踏ん張りで3点差と形にはなっているが、いかんせん打線が弱すぎるし、関学打線もひ弱なんでスモールベースボールに徹しアウトカウントは適度にもらえるのでコールド回避できる希望は出てきた。
なんとか残り3イニング3点以内に抑えて9回まで野球をやって姫路から宝塚に帰りたい。関学はエース温存で余力を残している感じだ。神宮寺投手がピンチを何度か迎えているので1点取られたら即交代かもしれないが、エースに加え12番・20番と右腕投手が控えているので逃げ切り体制には入れそうだ。
6回表神宮寺投手は続投。スライダーの切れもまだ衰えず3番・中山にはヒットを許したものの2三振などで得点は許さない。
その裏、関学は代打攻勢に走りまずストレートの四球をもらいやはりバントで1死2塁。ここで神宮司投手に代打・田中を起用するがショートフライ。ここで踏ん張れたらコールド回避は確定と思われたが、1番・横野がセンター前タイムリーを放ち送球間に2塁を陥れ、2番・山内は2死2塁から初球セーフティーとトリッキーな野球を見せ、カウント2-2からショート内野安打に悪送球が絡み痛恨の5点目。やはりスタミナ切れか?気持ちが切れたのか?ミスが絡んでしまうとどうしようもない。それでも宝塚ベンチはタイムを取らず淡々と試合をこなし3番・石橋初球エンドランを仕掛けるもショートゴロで今度はきっちり1塁へ送りこの流れだと9回までやっても1時間40分ペースと思われるワンサイドゲームになってきた。
代打の関係で関学は投手交代。7回からなんとエース・後藤を投入して石橋をたたく広岡監督の息子さん。いきなり先頭打者にセンター前ヒットを喰らいつつも5点ビハインドゆえにバントの選択肢もなく、来た球を漫然と振り抜くだけの野球で凡打を積み重ね無得点。
もう残りの試合の興味はコールド回避の1点に尽きる。宝塚のエース・安村にすべてがかかる。関学打線は逃げ切り体制に入り攻撃面は単調になり7回4・5番が4球でツーアウトを献上。ホッとしていたら、ストレートの四球とレフト前ヒットで長打が出ればサヨナラコールドとウカウカできない・・・8番・坂下は初球セーフティーをかまし弱い者いじめに徹していたが、ファールとなり2球で追い込まれ3球勝負でセカンドゴロと打てないことを露呈した。
8回表1番からの攻撃で完封回避を遂げたかったが、後藤投手が躍動し三者凡退。いよいよこの8回裏1点に抑えたら9回まで試合ができるという場面だが、吉田監督はすでに新チームを見据えたのか?????なんとエースをベンチに下げ1年生酒井投手をリリーフ登板させた。仮にボコボコに打たれても2点入れば即試合終了なんで防戦一方の試合だしダメージは残らない。
運よく三者凡退にでも抑えてくれたら自信をつけて来年以降の躍進につながって欲しいという教育的配慮だろうか?僕としては目先の試合にこだわりエースと心中してほしかったが。
まず後藤投手は初球セカンドフライでホッと一息。しかし直後に四球を与え雲行き怪しくなり、お父さん譲りの全員野球ですかさず代打・蔵前起用。ここまで2安打していた山内をあえてベンチに下げなくてもと思ったが、ピッチャーゴロに倒れてバントと同じように2死2塁。
3番・石橋・4番・河村ともに2安打しているのでここは敬遠できない・・・。ファーストストライクから手を出してくる石橋は初球レフト前ヒットを放ち2死ゆえに2塁走者ホーム突入するも・・・・・レフト研谷が魂のバックホーム送球でホーム寸前タッチアウト!ビッグプレーでコールド回避に成功した。
しかし9回宝塚は4番からの攻撃だったが、関学のエース・後藤の投球にバットにボールを当てるのが精いっぱいという感じであえなく三者凡退に倒れわずか1時間37分で瞬殺された・・・・。
試合を振り返ってみても関学打線が活発なわけでもなく、投手陣が質量ともに豊富で高校生レベルでは手も足も出ないわけではない。ただ、守備は鍛えられており自滅は考えにくいかなと。
スクイズで2点奪い2死でも先頭打者でもしつこくバント攻撃して相手のミスを誘うようなしつこさ・イヤらしさはあるものの宝塚相手に9回まで付き合わされることを考えると、県内トップレベルの相手と対戦したら粉砕され近畿大会までは届かないかなと。
宝塚はこの試合を見る限りにおいては何が長所でどうやって地区大会を勝ち上がってきたのかが分からなかった。。。ただ、一冬越えて特に安村投手がものすごく成長して夏は5回戦進出を果たしただけにこの完封負けの悔しさと不可解な継投も意味のある明日につながる敗戦だったのだろう。
さて、次回は兵庫の中で数多くある古豪の1つで昔は強打で席巻し、プロ野球選手なども輩出していたが全国区では忘れられた存在になりつつあるあの三田学園。穂積監督が勇退し、OBで元近鉄の4番打者だった羽田監督が就任しても起爆剤にならず、岩根監督に受け継がれたが、穂積監督のしつこい野球だけは代々受け継いでいるようで、、、この秋運よく久しぶりに8強入りし観戦できる運びとなった。それはまた次回の講釈で。
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 三振 暴投 失点 自責
宝 塚 安 村 7 35 112 9 5 5 3 1 5 3
宝 塚 酒 井 1 4 9 1 0 1 0 0 0 0
関西学院 神宮寺 6 23 70 5 3 2 4 0 0 0
関西学院 後 藤 3 10 29 1 0 0 3 0 0 0
(完)
🌟次回予告🌟
R7年度秋季近畿地区高校野球大会兵庫予選観戦記⑤ さらなる高みへ桜陵健児 三田学園観戦記
9/23 秋季兵庫大会準々決勝 明石トーカロ球場 三田学園-西宮東
📝【古豪巡礼】環境変化に部員減…停滞期を経て復権期す明石 「延長25回」伝統校の今(前編)
https://news.yahoo.co.jp/articles/3ea083bbe1c49ae0bb2124baef3100f6d22b16c4
スポーツニッポン新聞社では「古豪巡礼」と題し、かつて高校野球で一時代を築いた古豪の「今」に迫る。第1回は明石(兵庫)。春夏通算14度の甲子園出場、2度の選抜準優勝を誇り、1933年夏の甲子園大会準決勝では、中京商(愛知=現中京大中京)と球史に残る延長25回の激闘を演じた明高の現状とは――。
公立校とは思えないほど広大なグラウンドで、明石の野球部員たちは汗を流していた。普段は男女ソフトボール部、サッカー部などと共用するが、試合の際には両翼90メートル以上、中堅120メートルを悠々、確保できるという。内野部分は黒土が敷かれ、バックネット裏に室内練習場も備わる。一、三塁側には屋根付きのベンチまである。県立校で、これ以上の環境を求めることは、困難に違いない。輝かしい実績、OBたちのバックアップ…まさしく「古豪」の風景が、そこにはあった。
現役部員たちはバックネット裏にたたずむ石碑にあいさつしてグラウンドへと入り、こうべを垂れて全体練習を終える。「善闘記念碑」は明石高校野球部の歴史を、最も雄弁に物語る象徴的存在と言える。33年夏の甲子園大会準決勝。中京商(愛知=現中京大中京)との延長25回の激闘を記念し、翌34年3月に設置された。以来、今まで実に90年以上にわたり、グラウンド、そして後輩たちを見守っている。
野球熱の高い兵庫県内でも“野球どころ”として知られる。JR明石駅前の明石公園内に、明石城と並び立つようにそびえる明石球場は32年開場。90年を超えた今も兵庫大会のメイン球場の一つとして、そして全国高校軟式野球選手権大会の会場として、存在感を放つ。そんな土壌にもはぐくまれ、旧制明石中は30年春に甲子園初出場。以降、春夏通算14度、聖地に立った。32、33年には楠本保と中田武雄の両右腕を擁して、2年連続で選抜準優勝、夏の甲子園大会4強と躍進。戦後も春2度、夏4度、甲子園で「AKASHI」健在を示してきた。
それが、春夏連続出場を果たした87年を最後に途絶えた。とはいえ、そこから一気に停滞したわけでもない。春の選抜につながる秋季大会は92年に準優勝して近畿大会に出場するなど、25年までに8強以上8度を数え、直近では14年に8強入りした。夏は92年8強、93年4強、04年16強。春季大会も5度8強以上に進出し、直近では12年に県3位で近畿大会に駒を進めた。だが甲子園には手が届かない。ブランク年数が伸びるほど、かつて、そのユニホームがまとっていた「強豪」のオーラは薄れていった。昨年は春の播但地区大会で初戦敗退し、夏も初戦の2回戦で敗れた。新チームも秋の播但地区大会で敗退し、県大会に進めなかった。
停滞には、総合選抜入試制度の廃止も無関係ではない。75年度から明石学区で導入された同制度では、一定以上の点数を取れば全員が公立校に合格できたが、07年度入試を最後に廃止。旧制中学の流れをくむ明石はそもそも人気が高い学校であることに加え、新たに導入された複数志願制の第2志望にも多く選択されるため、公表される倍率以上に実質倍率が高くなって入試難度が上がった。その結果、市内の有力中学生たちの入学数が減少。加えて、中学野球の競技人口減少も追い打ちをかけ、部員数は年々、減少の一途をたどった。
そして今。25年秋に結成された現チームは2年生3人、1年生17人の計20人で活動している。率いるのは、OBの松原史弥監督だ。高校卒業後、甲南大で地歴公民科の教員免許を取得し、母校へ帰ってきた。24年秋に監督就任したものの、体調不良のため一時的に退き、25年秋から改めて監督に就任した青年監督は言う。
「なんとか“明石高校で野球をやりたい”という子を増やしていけるように、魅力を発信しながら、伝統も発信しながら、いいところを、と。中学生にぜひ、ここでやりたいと思ってもらえるように活動を続けていきたいと思っています」
あの“熱”を後輩たちにも――。松原は現役時代に「AKASHI」のユニホームにかかる地元の大きな期待を、身をもって知った一人でもある。エースとして、12年春の近畿大会出場。くしくも明石球場が会場となった大会だった。「明石球場が満員になって…明石高校で野球をやっていて良かったなと。明石の温かみというのは、とても感じましたから」。満員に膨れ上がった明石球場で、OBを始めとした熱烈なファンの声援を一身に浴び、無形の力が備わった。その初戦で智弁和歌山を7―2で撃破。準決勝では藤浪晋太郎(DeNA)、森友哉(オリックス)らを擁し、その年の甲子園大会で春夏連覇を達成した大阪桐蔭に1―4で敗れたとはいえ、中盤までは互角にわたり合った。だから一層、思いを強くする。「生徒たちにも、あの景色を見せてあげたいと思っています」
=後編に続く=
▽兵庫県立明石高等学校 1923年(大12)、明石市立明石中学として創立。48年(昭23)の学制改革で現校名。硬式野球部は学校創立翌年の24年創部。30年春の選抜で甲子園初出場。32、33年春の選抜で2年連続準優勝。33年夏の甲子園大会準決勝では中京商(愛知=現中京大中京)と延長25回の激闘を演じた末、0―1でサヨナラ負けを喫した。以降も兵庫県内の強豪の一角を占めて春夏通算14度の甲子園出場を誇るが、春夏連続出場を果たした87年夏を最後に甲子園から遠ざかる。甲子園通算21勝14敗。主な野球部OBに楠本保(慶大)、中田武雄(同)、河西俊雄(阪神など)、永井智浩(ソフトバンク編成育成本部長)らがいる。現在の部員数は2年生3人、1年生17人(25年12月時点)。
📝【古豪巡礼】初の下級生主将誕生――伝統に新風を取り入れる明石 「延長25回」伝統校の今(後編)
https://news.yahoo.co.jp/articles/5a958f799d1de845257bb3b52269cab073ffa284
1924年創部で、100年以上の歴史を有する明石高校野球部。もちろん築き上げられた伝統を重んじるが、固執はしない。チームの根底には、変化を恐れない進取の気風が漂う。その象徴的な出来事こそが、同校初であろう下級生キャプテンの誕生だ。現チームの主将を務めるのは、中倉晴耀(1年)。松原監督は「1年生キャプテンはおそらく明石高校で初めてだと思います。聞いたことはありません」と話した。ただ、奇をてらったわけではない。「人格がすぐれていて実力も備わっており、何より努力家。2年生も含めて全員が納得して選ばれたキャプテンです」と抜てきした理由を説明した。中倉本人は「はじめに(主将就任を)聞かされたときは、驚きの方が大きかった」と振り返る。
名門が復権を期す上で、最もふさわしい人選でもあるだろう。中倉は明石市内の大久保中軟式野球部時代に、兵庫県代表として「全日本少年春季軟式野球大会」に出場した経験を持つ。守っては捕手兼投手、打っても中軸を担い、初戦で日章学園中(宮崎)に3―2で勝利し、2回戦で作新学院中等部(栃木)に1―5で敗れた。この「全国」経験こそ、復権を期すチームにとって最も必要な要素と言える。かつての明石で代々主力を張ってきた先輩たちのように、強豪校相手にも引け目を感じることなく対峙することができるからだ。高校入学後は、投手に専念しており、1メートル75、65キロの体格から最速127キロ(25年12月時点)を投じるオーバースロー右腕でもある。中京大中京OBの高石耕平部長も「細身ですし、まだまだ伸びると思います」と期待を寄せる。
そんな下級生主将は、現チームの持ち味を「自主性の強さかなと思います」と言う。たとえば選手間ミーティングでは、司会である自らが発言を促すまでもなく、建設的な意見が次々と飛び交う。全体練習後には、指示されるまでもなく、各自がそれぞれに課題を持って居残り練習に取り組む。中倉は「“野球バカ”みたいな感じの子が多いので」と頬を緩める。校訓とする「自治・協同・創造」、そして建学の精神である「自彊不息」を体現するメンバーがそろう。
新たな歴史を刻もうと汗を流す選手たちをバックアップする伝統のスローガンは、時代に即してフレーズを変えた。2010年頃までは『闘志なき者は去れ』という厳しい言葉がバックネットに掲げられていた。大所帯だったかつての明石高校野球部の部訓として、他校にも知れわたり、憧憬の念さえ抱かせた言葉だった。それを懐かしむ向きも多いが、令和の新時代を生きる球児たちは新たな合言葉のもとで白球を追う。『己を信じろ 仲間を信じろ』――。フレーズが変わっても役割は変わらない。これまで同様にバックネットから、少数精鋭で戦うチームを鼓舞する。
100年を超える時間を費やして培われてきた「伝統」。有形、無形、数あれど、その最たるものは言うまでもない。「人」だ。松原監督は「先輩方があっての野球部」と、事あるごとに部員に伝える。草創期の楠本保、中田武雄らが築いた土台の上に、数え切れないほどの部員たちが歴史を刻みつけてきた。そして、卒業後は野球界を始め、各界に飛び出していった。そんなOBたちが差し入れを手に、グラウンドに帰ってきてくれる。バットやボールなど用具を提供してくれる。練習試合の橋渡しをしてくれる。指導、応援もしてくれる。確かに、伝統校の「明石野球部」だから受けられる恩恵がある。
3年前の学校創立100周年を機に、かつて延長25回の激闘を演じた中京大中京との交流も復活した。神戸市出身で、中京大中京OBである高石部長(当時監督)が明石にいたことも“縁”になった。それも、人と人のつながりがあればこそだ。松原監督は「今までの先輩方がつないでこられた“ご縁”というのを折に触れて話をさせてもらっています。やっぱり“つながり”があるのが(明石の)素晴らしいところではないかなと。今までの先輩方がつないでこられた伝統の部分、感謝の気持ちを忘れないという部分は、生徒につないでいきたい」と言葉に力をこめる。
試合用ユニホームの左袖に縫い付けられたワッペン。その下半分は新制高校の校章で、上半分は旧制中学の校章だ。新旧二つを重ね合わせ、一つのデザインを形成している。連綿と歴史を紡ぎ続ける兵庫の古豪。中倉主将は「歴史があるので、それだけOBの方、OGの方がいると思う。僕たちが新聞に載れるように有名になったら、OB、OGの方々にも喜んでいただけるんじゃないかと思いながら日々、勝ちを目指してやっていきます」と目の色を変えた。明日の明石を背負い、日々更新される歴史と伝統を未来へとつなぐ。
⚾岩手さんへ
市和歌山のセカンドは山根クンですね。どうやらその後、桃山学院大を卒業して和歌山東のコーチをしているそうです。
どうしても痛恨のサヨナラ負けの場合は最後のシーンだけがクローズアップされがちですが、よくよく考えたら試合前のじゃんけんで勝って後攻を取れたらサヨナラ負けの可能性は消滅するし、12回攻撃があって1点しか取れなかったのが最大の敗因だったかなと。
特に初回は無死1・3塁のチャンスがありながら2塁盗塁失敗でチャンスを逸したのが痛かったですね。相手が初出場校ゆえに初回から先制パンチを浴びせていたら主導権握ってそのまま逃げ切れた公算が高かったかなと。
生観戦していたときには、セカンドがアウトカウント間違えて1塁送球し3アウトと思って悠然とベンチに引き返す最中に事の重大さに気付いてその場でうずくまったようにしか見えなかったですが、、、、、あとでビデオ見たらバウンド高かったのでセカンドゲッツーは限りなく難しいと思われるし、ホーム送球しかないと思いますが、ゴロゴーで3塁走者突っ込むので、タッチプレーだとやはり間に合わなかったかなあと・・・・・。
サヨナラボークはTV観戦でしたが、いったい何が起こったのかワケが分からなかったですね・・・。あれだけ長く延長続いていたし、ボークがなくてもタイムリーヒットや犠飛などで決着はついていたと思いますがあっけない幕切れでしたね。球審もあえて見過ごしてあげる教育的配慮があっても良いかと思いますが、、、、、
中には自分が目立ちたいからか?『反則投球』などめったに起こらないコールを発する球審もいるにはいたけれど・・・・・。
貝塚ボーイズはたしかに川端選手のお父さんが監督していたそうですね。年末にネット記事で観ましたが、真鍋前監督と川端一家4人が大阪の飲食店で毎年食事会をしているようでほのぼのとしてますね。
和歌山には県立高校はたいがい野球部専用バスを所有しているし、他県に比べたら野球部は相当恵まれていると思いますよ!
https://news.yahoo.co.jp/articles/3ea083bbe1c49ae0bb2124baef3100f6d22b16c4
スポーツニッポン新聞社では「古豪巡礼」と題し、かつて高校野球で一時代を築いた古豪の「今」に迫る。第1回は明石(兵庫)。春夏通算14度の甲子園出場、2度の選抜準優勝を誇り、1933年夏の甲子園大会準決勝では、中京商(愛知=現中京大中京)と球史に残る延長25回の激闘を演じた明高の現状とは――。
公立校とは思えないほど広大なグラウンドで、明石の野球部員たちは汗を流していた。普段は男女ソフトボール部、サッカー部などと共用するが、試合の際には両翼90メートル以上、中堅120メートルを悠々、確保できるという。内野部分は黒土が敷かれ、バックネット裏に室内練習場も備わる。一、三塁側には屋根付きのベンチまである。県立校で、これ以上の環境を求めることは、困難に違いない。輝かしい実績、OBたちのバックアップ…まさしく「古豪」の風景が、そこにはあった。
現役部員たちはバックネット裏にたたずむ石碑にあいさつしてグラウンドへと入り、こうべを垂れて全体練習を終える。「善闘記念碑」は明石高校野球部の歴史を、最も雄弁に物語る象徴的存在と言える。33年夏の甲子園大会準決勝。中京商(愛知=現中京大中京)との延長25回の激闘を記念し、翌34年3月に設置された。以来、今まで実に90年以上にわたり、グラウンド、そして後輩たちを見守っている。
野球熱の高い兵庫県内でも“野球どころ”として知られる。JR明石駅前の明石公園内に、明石城と並び立つようにそびえる明石球場は32年開場。90年を超えた今も兵庫大会のメイン球場の一つとして、そして全国高校軟式野球選手権大会の会場として、存在感を放つ。そんな土壌にもはぐくまれ、旧制明石中は30年春に甲子園初出場。以降、春夏通算14度、聖地に立った。32、33年には楠本保と中田武雄の両右腕を擁して、2年連続で選抜準優勝、夏の甲子園大会4強と躍進。戦後も春2度、夏4度、甲子園で「AKASHI」健在を示してきた。
それが、春夏連続出場を果たした87年を最後に途絶えた。とはいえ、そこから一気に停滞したわけでもない。春の選抜につながる秋季大会は92年に準優勝して近畿大会に出場するなど、25年までに8強以上8度を数え、直近では14年に8強入りした。夏は92年8強、93年4強、04年16強。春季大会も5度8強以上に進出し、直近では12年に県3位で近畿大会に駒を進めた。だが甲子園には手が届かない。ブランク年数が伸びるほど、かつて、そのユニホームがまとっていた「強豪」のオーラは薄れていった。昨年は春の播但地区大会で初戦敗退し、夏も初戦の2回戦で敗れた。新チームも秋の播但地区大会で敗退し、県大会に進めなかった。
停滞には、総合選抜入試制度の廃止も無関係ではない。75年度から明石学区で導入された同制度では、一定以上の点数を取れば全員が公立校に合格できたが、07年度入試を最後に廃止。旧制中学の流れをくむ明石はそもそも人気が高い学校であることに加え、新たに導入された複数志願制の第2志望にも多く選択されるため、公表される倍率以上に実質倍率が高くなって入試難度が上がった。その結果、市内の有力中学生たちの入学数が減少。加えて、中学野球の競技人口減少も追い打ちをかけ、部員数は年々、減少の一途をたどった。
そして今。25年秋に結成された現チームは2年生3人、1年生17人の計20人で活動している。率いるのは、OBの松原史弥監督だ。高校卒業後、甲南大で地歴公民科の教員免許を取得し、母校へ帰ってきた。24年秋に監督就任したものの、体調不良のため一時的に退き、25年秋から改めて監督に就任した青年監督は言う。
「なんとか“明石高校で野球をやりたい”という子を増やしていけるように、魅力を発信しながら、伝統も発信しながら、いいところを、と。中学生にぜひ、ここでやりたいと思ってもらえるように活動を続けていきたいと思っています」
あの“熱”を後輩たちにも――。松原は現役時代に「AKASHI」のユニホームにかかる地元の大きな期待を、身をもって知った一人でもある。エースとして、12年春の近畿大会出場。くしくも明石球場が会場となった大会だった。「明石球場が満員になって…明石高校で野球をやっていて良かったなと。明石の温かみというのは、とても感じましたから」。満員に膨れ上がった明石球場で、OBを始めとした熱烈なファンの声援を一身に浴び、無形の力が備わった。その初戦で智弁和歌山を7―2で撃破。準決勝では藤浪晋太郎(DeNA)、森友哉(オリックス)らを擁し、その年の甲子園大会で春夏連覇を達成した大阪桐蔭に1―4で敗れたとはいえ、中盤までは互角にわたり合った。だから一層、思いを強くする。「生徒たちにも、あの景色を見せてあげたいと思っています」
=後編に続く=
▽兵庫県立明石高等学校 1923年(大12)、明石市立明石中学として創立。48年(昭23)の学制改革で現校名。硬式野球部は学校創立翌年の24年創部。30年春の選抜で甲子園初出場。32、33年春の選抜で2年連続準優勝。33年夏の甲子園大会準決勝では中京商(愛知=現中京大中京)と延長25回の激闘を演じた末、0―1でサヨナラ負けを喫した。以降も兵庫県内の強豪の一角を占めて春夏通算14度の甲子園出場を誇るが、春夏連続出場を果たした87年夏を最後に甲子園から遠ざかる。甲子園通算21勝14敗。主な野球部OBに楠本保(慶大)、中田武雄(同)、河西俊雄(阪神など)、永井智浩(ソフトバンク編成育成本部長)らがいる。現在の部員数は2年生3人、1年生17人(25年12月時点)。
📝【古豪巡礼】初の下級生主将誕生――伝統に新風を取り入れる明石 「延長25回」伝統校の今(後編)
https://news.yahoo.co.jp/articles/5a958f799d1de845257bb3b52269cab073ffa284
1924年創部で、100年以上の歴史を有する明石高校野球部。もちろん築き上げられた伝統を重んじるが、固執はしない。チームの根底には、変化を恐れない進取の気風が漂う。その象徴的な出来事こそが、同校初であろう下級生キャプテンの誕生だ。現チームの主将を務めるのは、中倉晴耀(1年)。松原監督は「1年生キャプテンはおそらく明石高校で初めてだと思います。聞いたことはありません」と話した。ただ、奇をてらったわけではない。「人格がすぐれていて実力も備わっており、何より努力家。2年生も含めて全員が納得して選ばれたキャプテンです」と抜てきした理由を説明した。中倉本人は「はじめに(主将就任を)聞かされたときは、驚きの方が大きかった」と振り返る。
名門が復権を期す上で、最もふさわしい人選でもあるだろう。中倉は明石市内の大久保中軟式野球部時代に、兵庫県代表として「全日本少年春季軟式野球大会」に出場した経験を持つ。守っては捕手兼投手、打っても中軸を担い、初戦で日章学園中(宮崎)に3―2で勝利し、2回戦で作新学院中等部(栃木)に1―5で敗れた。この「全国」経験こそ、復権を期すチームにとって最も必要な要素と言える。かつての明石で代々主力を張ってきた先輩たちのように、強豪校相手にも引け目を感じることなく対峙することができるからだ。高校入学後は、投手に専念しており、1メートル75、65キロの体格から最速127キロ(25年12月時点)を投じるオーバースロー右腕でもある。中京大中京OBの高石耕平部長も「細身ですし、まだまだ伸びると思います」と期待を寄せる。
そんな下級生主将は、現チームの持ち味を「自主性の強さかなと思います」と言う。たとえば選手間ミーティングでは、司会である自らが発言を促すまでもなく、建設的な意見が次々と飛び交う。全体練習後には、指示されるまでもなく、各自がそれぞれに課題を持って居残り練習に取り組む。中倉は「“野球バカ”みたいな感じの子が多いので」と頬を緩める。校訓とする「自治・協同・創造」、そして建学の精神である「自彊不息」を体現するメンバーがそろう。
新たな歴史を刻もうと汗を流す選手たちをバックアップする伝統のスローガンは、時代に即してフレーズを変えた。2010年頃までは『闘志なき者は去れ』という厳しい言葉がバックネットに掲げられていた。大所帯だったかつての明石高校野球部の部訓として、他校にも知れわたり、憧憬の念さえ抱かせた言葉だった。それを懐かしむ向きも多いが、令和の新時代を生きる球児たちは新たな合言葉のもとで白球を追う。『己を信じろ 仲間を信じろ』――。フレーズが変わっても役割は変わらない。これまで同様にバックネットから、少数精鋭で戦うチームを鼓舞する。
100年を超える時間を費やして培われてきた「伝統」。有形、無形、数あれど、その最たるものは言うまでもない。「人」だ。松原監督は「先輩方があっての野球部」と、事あるごとに部員に伝える。草創期の楠本保、中田武雄らが築いた土台の上に、数え切れないほどの部員たちが歴史を刻みつけてきた。そして、卒業後は野球界を始め、各界に飛び出していった。そんなOBたちが差し入れを手に、グラウンドに帰ってきてくれる。バットやボールなど用具を提供してくれる。練習試合の橋渡しをしてくれる。指導、応援もしてくれる。確かに、伝統校の「明石野球部」だから受けられる恩恵がある。
3年前の学校創立100周年を機に、かつて延長25回の激闘を演じた中京大中京との交流も復活した。神戸市出身で、中京大中京OBである高石部長(当時監督)が明石にいたことも“縁”になった。それも、人と人のつながりがあればこそだ。松原監督は「今までの先輩方がつないでこられた“ご縁”というのを折に触れて話をさせてもらっています。やっぱり“つながり”があるのが(明石の)素晴らしいところではないかなと。今までの先輩方がつないでこられた伝統の部分、感謝の気持ちを忘れないという部分は、生徒につないでいきたい」と言葉に力をこめる。
試合用ユニホームの左袖に縫い付けられたワッペン。その下半分は新制高校の校章で、上半分は旧制中学の校章だ。新旧二つを重ね合わせ、一つのデザインを形成している。連綿と歴史を紡ぎ続ける兵庫の古豪。中倉主将は「歴史があるので、それだけOBの方、OGの方がいると思う。僕たちが新聞に載れるように有名になったら、OB、OGの方々にも喜んでいただけるんじゃないかと思いながら日々、勝ちを目指してやっていきます」と目の色を変えた。明日の明石を背負い、日々更新される歴史と伝統を未来へとつなぐ。
⚾岩手さんへ
市和歌山のセカンドは山根クンですね。どうやらその後、桃山学院大を卒業して和歌山東のコーチをしているそうです。
どうしても痛恨のサヨナラ負けの場合は最後のシーンだけがクローズアップされがちですが、よくよく考えたら試合前のじゃんけんで勝って後攻を取れたらサヨナラ負けの可能性は消滅するし、12回攻撃があって1点しか取れなかったのが最大の敗因だったかなと。
特に初回は無死1・3塁のチャンスがありながら2塁盗塁失敗でチャンスを逸したのが痛かったですね。相手が初出場校ゆえに初回から先制パンチを浴びせていたら主導権握ってそのまま逃げ切れた公算が高かったかなと。
生観戦していたときには、セカンドがアウトカウント間違えて1塁送球し3アウトと思って悠然とベンチに引き返す最中に事の重大さに気付いてその場でうずくまったようにしか見えなかったですが、、、、、あとでビデオ見たらバウンド高かったのでセカンドゲッツーは限りなく難しいと思われるし、ホーム送球しかないと思いますが、ゴロゴーで3塁走者突っ込むので、タッチプレーだとやはり間に合わなかったかなあと・・・・・。
サヨナラボークはTV観戦でしたが、いったい何が起こったのかワケが分からなかったですね・・・。あれだけ長く延長続いていたし、ボークがなくてもタイムリーヒットや犠飛などで決着はついていたと思いますがあっけない幕切れでしたね。球審もあえて見過ごしてあげる教育的配慮があっても良いかと思いますが、、、、、
中には自分が目立ちたいからか?『反則投球』などめったに起こらないコールを発する球審もいるにはいたけれど・・・・・。
貝塚ボーイズはたしかに川端選手のお父さんが監督していたそうですね。年末にネット記事で観ましたが、真鍋前監督と川端一家4人が大阪の飲食店で毎年食事会をしているようでほのぼのとしてますね。
和歌山には県立高校はたいがい野球部専用バスを所有しているし、他県に比べたら野球部は相当恵まれていると思いますよ!
鹿屋中央戦の事はよく覚えています。
一死一塁三塁でセカンドの山野君(名前合っている?)打者の打球がセカンド方向に、サヨナラの場面!
阻止する為には、4ー6ー3のダブルプレーか4ー2のホームでタグアウトですが、山野君の正面ではなくてホームも、セカンドゲッツーも間に合わないと咄嗟に一塁に放り打者走者アウトだが、記録が二ゴロじゃなく二安打で打点が付いたんじゃなかった?
あれが4ー6ー3でセカンドアウトで打者走者がセーフかホームに送球ミスでサヨナラ負けだと格好つくだろうけどね。
しょうがないよね。
アウトを取るつもりがあっての事だしね
あのような形のサヨナラゲームを見たのはあの試合だけです。
サヨナラボーク 宇部商業の藤田君が延長15回裏の211球を投じようとセットポジションをやり直しを、球審林さんが✋が上がりボークに一瞬何があったのか?あの雰囲気は球場にいないと分からないよね!
やはり延長タイブレークのサヨナラゲームとは違うな!
貝塚ボーイズは、ヤクルトにいた川端の父が監督さんじゃない?
堺ビッグボーイズ、八尾フレンズ、忠岡他に沢山あるしね
育てているじゃなく中学野球(硬式)のルートがあるんだ!しかも強力サポートが!
ある意味私学なみだね、静岡高校に近いかな?
一死一塁三塁でセカンドの山野君(名前合っている?)打者の打球がセカンド方向に、サヨナラの場面!
阻止する為には、4ー6ー3のダブルプレーか4ー2のホームでタグアウトですが、山野君の正面ではなくてホームも、セカンドゲッツーも間に合わないと咄嗟に一塁に放り打者走者アウトだが、記録が二ゴロじゃなく二安打で打点が付いたんじゃなかった?
あれが4ー6ー3でセカンドアウトで打者走者がセーフかホームに送球ミスでサヨナラ負けだと格好つくだろうけどね。
しょうがないよね。
アウトを取るつもりがあっての事だしね
あのような形のサヨナラゲームを見たのはあの試合だけです。
サヨナラボーク 宇部商業の藤田君が延長15回裏の211球を投じようとセットポジションをやり直しを、球審林さんが✋が上がりボークに一瞬何があったのか?あの雰囲気は球場にいないと分からないよね!
やはり延長タイブレークのサヨナラゲームとは違うな!
貝塚ボーイズは、ヤクルトにいた川端の父が監督さんじゃない?
堺ビッグボーイズ、八尾フレンズ、忠岡他に沢山あるしね
育てているじゃなく中学野球(硬式)のルートがあるんだ!しかも強力サポートが!
ある意味私学なみだね、静岡高校に近いかな?