自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」

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紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
🎤【名将・高嶋仁の目】DH導入で「野球が面白くなる」って? 「よう打つ」打線、どうつくる
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☟兵庫・篠山産業高野球部の前監督、市の役職も退職 部員への暴力行為
https://news.yahoo.co.jp/articles/fa0f73a82738b48af1b82c6cbc8b130849cc26c2

兵庫県立篠山産業高校硬式野球部の監督だった長沢宏行氏(72)が、部員に暴力行為をしたとされる問題で、長沢氏は丹波篠山市の特別職であるスポーツ振興官の退職願を8日、代理人を通じて市へ届け出た。市は同日付で受理した。

長沢氏は2022年10月、スポーツを通じた地域活性化をめざすスポーツ振興官に就任(任期は26年3月まで)。職務の一環として篠山産業高校野球部の監督を務めていた。同校での指導から正式に外れる。長沢氏の代理人は「野球部、学校、市など関係するみなさんに申し訳ない。精神的、身体的に疲労している」と長沢氏の退職理由を話した。

酒井隆明・丹波篠山市長はスポーツ振興官を退職したことを同日、同校へ報告した。取材に対し、隅元優一教頭は「高野連での調査が進行中なのでコメントは差し控える」と話した。

これまでの学校の説明では、長沢氏は今夏の全国高校野球選手権兵庫大会で負けた直後の7月10日、同校グラウンドであった1、2年生の部員同士の紅白戦に、けがをしているのに出場しようとした2年生部員に暴力行為をした。学校の聞き取りに複数の部員が、長沢氏が部員1人の顔を殴るなどしたのを見たり聞いたりしたと答えたという。長沢氏は暴力行為を認め、野球部の指導を外れていた。

長沢氏は兵庫県西宮市出身。神村学園(鹿児島)や創志学園(岡山)の監督として甲子園に出場した。05年の選抜大会は神村学園で準優勝した。1996年アトランタ五輪では、ソフトボール女子日本代表のヘッドコーチを務めた。

☝【U-18】日本・南アフリカ戦は雨で中断 小倉全由監督が自らシート外しに尽力 雨上がりの夜空に「ありがとう」流れる
https://news.yahoo.co.jp/articles/6937bfd43d578a0ad52add1e6a90573c2b1d9932

◆ラグザス presents 第32回 WBSC U―18 野球ワールドカップ ▽1次ラウンド 日本-南アフリカ(8日・沖縄セルラー那覇)

3連勝中の高校日本代表はスーパーラウンド進出を懸け、南アフリカと対戦。だが1回終了後、雨が激しくなり、中断となった。グラウンド上にはシートが敷かれた。

雨が上がり、シートを外す作業が行われ、小倉全由監督(68)=前・日大三監督=ら高校日本代表のコーチングスタッフも参加。自らシートを引っ張った。

南アフリカのコーチングスタッフもシート敷きを手伝うなど、両国のベンチが試合再開へ汗をかいた。場内のファンからも、雨上がりの夜空に拍手が鳴り響いた。場内のBGMには井上陽水奥田民生の名曲「ありがとう」が流れ、グラウンド整備に尽力した人々へ感謝の思いに包まれた。

📝「僕らは箕島を残せるんだろうか…」あの甲子園連覇の“名門公立校”で定員割れ、衝撃の倍率0.74「本当にきついです…」箕島野球部監督の告白
https://news.yahoo.co.jp/articles/9725f003da725ff54205508e09ef2a26f11e4ba5

「きついです…」一時12人まで減った

「きついです。本当にきついです」かつて甲子園を席巻した箕島高校野球部現監督の北畑清誠は、絞り出すようにそうつぶやいた。

何が「きつい」のか。答えは明白だった。部員の数が減少の一途を辿っていることだ。最後に甲子園に出場した2013年の夏、野球部には50人弱の部員が在籍していた。当時、箕島を率いていたのは名将・尾藤公の息子である尾藤強。甲子園出場の効果もあり、そこからの3年間は毎年30人ほどが入部した。2016年の夏には、約90人の部員を擁して和歌山大会の決勝まで進んでいる。だが、この年を境に部員数は減少していく。2019年に尾藤強が監督を退任して以降、その傾向に拍車がかかる。50人から40人、30人と右肩下がりを続けた部員数は、2023年の秋には12人まで減っていた。その後、現2年生が入部して持ち直したものの、今年は夏の県大会前の時点で23人。8人いる3年生が引退すると、2年生11人、1年生4人の15人になる。この人数では紅白戦を行うのも難しい。そればかりか来年の入部者数次第では、現2年生の引退後に単独チームを組むことができなくなる懸念もある。

単に野球部の人数が減っているだけではない。箕島高校全体の生徒数の減少も深刻だ。2014年に240人いた新入生の数は、11年後の2025年には89人まで落ち込んだ。定員は普通科系80人、専門学科系80人の計160人。教職に就きながら野球部監督を務める北畑が、箕島の苦境を説明する。

「160人の枠に約90人ですから、70人も割っている。学校としての活気もなくなってきますよね。39年連続でインハイに出ていたソフトボール部の部員はゼロになって休部状態。ホッケー部も全国レベルでしたが、いまは4人しか部員がいない。最近では、有田市や有田郡の子どもたちの半分くらいは県の北側の高校に行きます。向陽、星林、海南といった公立の進学校ですね。商業高校なら県立和歌山商。あとは湯浅町の耐久です」

「僕らは箕島を残せるんだろうか…」
 
有田川の南、紀勢本線で箕島駅から12分の湯浅駅が最寄りとなる耐久高校は、北畑の母校でもある。1852年創立の同校は箕島よりも進学実績に優れており、国公立大学のほか「関関同立」や「産近甲龍」といった難関・中堅私大に多くの卒業生を送り出している。また2024年の春には、野球部創部119年目にしてセンバツに初出場し甲子園の土を踏んだ。その耐久でさえ定員割れを起こしている。2025年の出願者数は200人の定員に対して195人。倍率にすると0.98になる。ある程度の学力と内申点をキープしておけば、入学すること自体は難しくない。対して箕島の倍率は普通科系(普通コース、スポーツコース)が0.74、専門学科系(機械科、情報経営科)は0.35。なお、和歌山の県立高校全体の志願倍率は0.86だった。どちらにせよ定員は割れているのだから、近隣の中学生や保護者は進路面でのアドバンテージがある耐久を選ぶ――そんな現状が浮き彫りになる数字だ。

「勝つというよりも、まず存続。僕らは箕島を残せるんだろうか、という危機感はあります」

有田市の人口は1980年の3万5683人をピークに、2020年には2万6538人まで減少した。少子高齢化も顕著で、1990年に6569人だった14歳以下の人口は2020年時点で2769人。2024年には、市内の4つの中学校が統合され有田市立有和中学校が開校した。

箕島高校への道すがら、隈研吾の建築に特徴的な木材による意匠が施された有和中学校の新校舎を目にした。手癖のように演出される「木のあたたかみ」と、人口ピラミッドが示す寒々しい現実が、残酷なコントラストを描く。大都市圏を除いた日本の多くの市町村と同じように、この街も確実に衰退しつつある。かつての名門に何があったのか――そんな問い自体が空転するような、克服しがたい現実。かつては決して素行のいい生徒ばかりではなかったという箕島だが、PL学園のようにスキャンダラスな事件があったわけではない。それでも、公立高校で唯一の甲子園春夏連覇という威光は次第に輝きを失っていった。

「私学へ行ってしまう」「智弁さんがトップ」
 
監督の北畑は選手集めに奔走した。だが、有望な中学生たちにとって第一の選択肢になるのは私立の強豪校だった。

「まず私学に行ってしまう。このあたりからも、大阪桐蔭、報徳学園、尽誠学園とか、県外に進む。北陸に行くという子もいました。奈良の智弁学園や天理、京都国際を選んだ子もいます。ただ最近の智弁和歌山に関しては県外の子が多いですし、取る人数も少ないですから、中学生もぶっちゃけ諦めてるんちゃいますかね。いまの子にとっては、生まれたときから智弁さんがトップで、憧れ。それはもう間違いないです」

1979年の春夏連覇をひとつの頂点とした箕島の全盛期は、80年代前半に終わりを告げた。入れ替わるように80年代後半から和歌山県で台頭したのが、いまや全国屈指の野球名門校となった智弁和歌山だった。夏の甲子園は1987年の初出場を皮切りに、2025年まで28回出場。2018年の夏を最後に高嶋仁が勇退し中谷仁が監督になって以降も、盤石の強さを誇っている。
県内で智弁和歌山に次ぐ存在といえる市立和歌山は、スポーツ推薦による入学者選抜を行っている。いずれにせよ、和歌山県内の有望株の多くは県内外の強豪校へと進んでいく。その次のクラスの選手たちの選択肢になるのが、北畑が「本来、うちに野球で入るような子が入れちゃう」という耐久などの公立校だ。ごくかぎられた人材を地道に勧誘しても、箕島が選ばれることは少ない。北畑の「本当にきつい」という言葉には、相当な実感が込められていた。

「それでもやっぱり、足を運ぶしかないと思いますね。地元の子を中心に声をかけていくしかない。今年も夏の大会が終わったら、もう一回。こういう状況なんでね。とにかく足を運ぶしかない。そもそも僕自身、うまい子だけを集めるのは好きじゃないし、得意でもないですから」

「正直、お金はないです」
 
予算的にも厳しい戦いを強いられている。自前のグラウンドはあるが、練習設備は決して真新しいとは言えない。野球部部長の中尾慎太郎が説明する。

「正直、お金はないです。設備を充実させようにも、グラウンドに土を入れたら終わりです。ホームベース裏のネットも、北畑監督の実家の鉄工所が無償で作ってくれました。華々しいところを想像されていたら申し訳ないんですけど、箕島高校やと思えないでしょ? あれだけの卒業生がいて……。もう名門なんて通用しないですもん、いまの子たちに」

耐久高校を卒業した36歳の中尾は「箕島がすごかったなんて、僕も大人になるまで知らなかったですから」と明かした。全盛期をリアルタイムで知らない者にとって、箕島の栄光は実感を伴わない歴史的事実でしかない。だが近隣の有田中央や耐久でも監督を経験した北畑との会話のなかで、中尾の印象に強く残った言葉がある。

「有田中央や耐久の監督が背負う重りが10kgやとしたら、箕島は100kgや」

恵まれない環境下でも「箕島」の重い看板を背負おうとする北畑は、こんなことを口にした。

「部員が少ない原因は僕にもあると思う。正直、指導は厳しいので」

公立校としては珍しく、箕島はいまでも強度の高い長時間練習を是としている。自由参加の朝練を含めると、1日の練習時間は6時間以上にも及ぶ。ノックやトスバッティングといった通常のメニューから、室内練習場でのウェイトトレーニングまで、みっちりと負荷をかける。加えて、部員の誰もが「しんどいっす」「異次元です」と口を揃える伝統のラントレ(50mや70mのダッシュを20〜30本以上も繰り返す)もある。54歳の北畑は自身の指導スタイルを「昭和ですよ」と表現した。一方で、近隣のスポーツ専門学校の協力のもと選手たちの除脂肪体重や筋肉量を測定し、食生活やトレーニングに反映するといった現代的な取り組みも行っている。

「えっ、坊主ですか?」中学生の反応
 
また、部員の髪型は丸刈りに統一されていた。「うちは坊主です。いいのか悪いのかわからないけど、それで来ない子らも正直いてます」。短く刈り上げた自らの頭を撫でながら、北畑はそう打ち明けた。特に軟式のチームでプレーする中学生は、丸刈りに対する抵抗感がある。勧誘先で「えっ、坊主ですか?」と拒否反応を示されることも少なくない。部長の中尾が「いまも坊主でやっている高校は県内で10校もないでしょう」と補足する。

昭和、坊主、学力。箕島が選ばれない理由を、北畑は簡潔にそうまとめた。OBから「いまは昔とちゃうねん。お前が変われ。やり方を変えろ」と言われたこともあった。それでも指導の根幹を変えるつもりはないという。

「いまうちにいる子らは、厳しい練習も率先してやってくれる。昔に比べたらホンマに真面目です。ランニングでもダッシュでも1本目から30本目まで抜かないし、数もごまかさない。僕は言うんですよ。そんなんほかはやってないよ、智弁だけだよ、そこは自信持とうよ、と」

北畑は繰り返し部員たちに呼びかける。「普通の高校じゃないよ。箕島だよ、箕島なんだよ」と。ただ、その言葉がどれだけ響いているのかはわからない。過去の栄光と、勝利が遠い現状。現役部員はどんな思いを抱いて箕島で野球に打ち込んでいるのか。「甲子園は遠い夢だなと感じます」「それでも箕島に入ってよかった」――彼らの本音を探っていく。

                         <続く>

📣考え続けた問い「1番になるには」 強烈に残る“センバツ補欠校”の記憶 3校目・金沢龍谷の野球部監督に就任した浅井純哉さんの金沢高校時代
https://news.yahoo.co.jp/articles/9d3c728e51331bd331d69447b6739894b4f1d479?page=1

8月に金沢市の金沢龍谷高校野球部監督に就任した浅井純哉さん(68)。部員は2年生8人、1年生1人の9人だ。

浅井さんの指導者としてのキャリアは長い。金沢高校では1993年から2011年まで、石川県七尾市の鵬学園では2012年から2022年まで監督を務めた。金沢高校時代には春夏通じて11回甲子園出場を果たすなど、石川の高校野球界きっての「名将」だが、ひとつの区切りをつけた時期があった。

「1番になるには」出身校でもある金沢高校の監督を勇退する際に語ったこの問いに対する思いは、今も指導者として心のよすがになっている。

2011年10月に開かれた山口国体の硬式野球。

この年は、エース・釜田佳直投手(元東北楽天投手)を擁してチームは春夏ともに甲子園に出場した。夏の全国高校野球選手権大会では、釜田投手の好投も光り金沢高校としては初めて甲子園で2勝を果たした。国体への出場も果たし、この大会が浅井さんにとっては金沢高校での最後の采配になった。

■まさかの“センバツ補欠校” 「1番になるには」 考えを変えた年

金沢高校の監督を退任することが決まっていたとき、浅井さんは学校に飾られた数多くのトロフィーや盾のなかからあるひとつを指して話を始めた。

金沢高校・浅井純哉監督(当時)「私が意外に大好きな盾がひとつありまして。実はここにそっとひそかにあるんですが、センバツの補欠校になったときの盾」

浅井さんが一番心にとどめている大会。それは、監督として迎えた2回目の春、1995年の選抜大会だった。前年の94年の選抜大会は、秋の北信越大会で優勝した金沢と準優勝の星稜の2校が出場。そして次の秋の北信越大会、今度は優勝が星稜で準優勝は金沢に。2年連続でこの2校の甲子園出場が有力視されていたが、石川県からは星稜のみで、金沢は選ばれなかった。

センバツの出場校が発表されたとき、選手に伝えた言葉がその後の「浅井野球」を形作るものになった。

「やっぱり1位で出にゃいかん。夏な」

金沢高校・浅井純哉監督(当時)「それからまた野球が少し変わりましたね。選手ともうひとつをクリアするには2番じゃだめだ。1番になるにはどうしたらいいんだということで考えた年ですね」

■「1番になるには」 全国制覇に匹敵する胴上げで答えた選手たち

山口国体で金沢高校は勝ち進み、準々決勝の相手は8月に甲子園で敗れた千葉県の習志野だった。粘りの野球を見せた金沢だったが、夏と同じ1点差で習志野に敗れた。
1番になるには…監督生活の中でずっとしていた問いかけに答えてくれたのは、最後を戦った選手たちだった。

金沢高校・石田翔太主将(当時)「胴上げさせてください」

静かに帽子をとって一礼をする浅井監督。その後宙を3回舞った。選手の口から出る「先生ありがとう!」

「2年生頑張れよ、応援してるから。ええか」浅井監督はそう選手に声をかけてグラウンドをあとにした。

金沢高校・石田翔太主将(当時)「自分たちの今ある姿が日本一にふさわしいんじゃないかな。本当に浅井監督が日本一だと自分たちは思っているので、最後はそういった意味で胴上げをさせていただきました」

金沢高校・浅井純哉監督(当時)「きっと全国制覇したときはこういう気持ちで胴上げされるんだろうなと思って、きょうは胴上げしてもらいました。全国制覇に匹敵する胴上げでした」

■「最終ゲームでの顔」 選手を見続けるなかで大事にすること

金沢高校・浅井純哉監督(当時)「最終ゲーム、この試合で終わったときの選手がどういう顔で終われるかというのはずっと課題にしてきたことで。悩んでいる生徒たちが次に顔を上げたときに、本当にうれしそうな顔をするのが見たくてやっていたというのはありますね」

指導者としての熱い情熱は、その後も鵬学園での監督就任へと続き、いまは3校目の金沢龍谷のユニフォームに袖を通すことにつながっている。部員が9人の野球部を率いて、「浅井野球」の第3章が始まった。

⚾岩手さんへ
まず最初に、本日10時から販売された滋賀国体のチケット・・・運よく9/29の初日3塁側をキープできました!!半ばあきらめつつ、最悪の場合は今津スタジアムまで足を伸ばして軟式高校野球を代替観戦を視野に入れ近江今津駅からのシャトルバス時刻表も調べておりましたから、、、、、しかし近江今津駅は基本的に1時間に1本しか電車が来ないとは忘れてましたね!!

さて、和歌山の秋季大会は以前は新人戦はたしか8強までを決めるシード校決定戦の意味合いが強く、そこからシャッフルして一次予選~二次予選と進んでましたが、数年前より現行方式となりいい制度だと思います。

和歌山は37校程度しか加盟校がなく、私学だと和智弁・初芝橋本・高野山・慶風・近大新宮・和歌山南陵くらいですね。近大新宮が苦節20年ようやく手を伸ばせばすぐそこに甲子園・・・といったところまで来ておりますが、あと一歩が届きそうで届かないですね。
初芝橋本は2001年夏に甲子園初出場を果たしつつ、1度も近畿大会に出たことないし卯瀧監督を招聘したがカンフル剤にならず、この先もしんどそうですね・・・。
高野山は監督がコロコロ変わってますが、1988年夏を最後に甲子園が遠いですね。和智弁を夏に倒したり頑張ってはいますが最後まで勝ち抜けないですね。
慶風・和歌山南陵はどうしようもないかなあ・・・・・。

公立だと今は市和歌山が筆頭ですね。伊都が廃校となり、南部がかなり衰退し新宮も新翔と統合されてしまうし、、、逆に田辺がここに来て安定してきましたね!
日高や那賀も面白いチームだし、毎年どこかしらノーマークのチームが旋風を起こすこともあるので目が離せないです。

兵庫は東洋・報徳のツートップに加え、神港・滝川二・彩星工科・神戸弘陵・育英など神戸に私学の強豪が多いし、公立だと明石商・社・須磨翔風・市尼崎その他モロモロいるので、組み合わせの妙で大きく左右されますね。

広陵はまだこの秋は広島のトップレベルだと思いおますが、来年以降選手がそんなに集まらないだろうからここからが正念場ですね。そういう意味では、この秋どれだけ頑張れるかが野球部の未来がかかってますね!
2025/09/08(月) 22時21分16秒 No.2002 編集 削除