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💢広陵野球部暴力事件の真相 「じゃあ何て言うんじゃ」中井哲之監督の陰湿な“隠蔽強要”を暴く
https://news.yahoo.co.jp/articles/08b4b00da04fad66215b68ee519e3c742225b065
〈A君は複数の先輩部員から殴る蹴るの暴行を受けた。1月22日には2年生の先輩部員から呼び出されて、こんな言葉を投げかけられている。
「本当に反省しているのか? 反省しているなら便器舐めろ。◯◯(部員名)のちんこ舐めろ」
さらに正座を強要されたA君は腹部を殴られる。腕でかばおうとすると、先輩に「正座の時の手はどこにするんや? 後ろやろ?」と言われ、少なくとも4名の先輩から腹を殴られ続けた〉
春夏合わせて甲子園出場53回を誇る広島の強豪・広陵高校野球部で、今年1月に当時1年生だったA君は、複数の先輩部員から暴行を受けた。原因は、寮で禁止されているカップラーメンをA君が食べたからだった。A君の父親から相談を受けていたノンフィクションライターの柳川悠二氏は、「 文藝春秋 」10月号(9月10日発売)に 寄稿したレポート で、暴力事件の一部始終を上記のとおり詳述している。さらに、A君に対する中井哲之監督(当時)の指導者としてあるまじき言動についても詳らかにしている。
大会史上初の不祥事による出場途中での辞退
この暴力事件によって広陵高校は、出場していた第107回全国高校野球選手権大会を2回戦を前にして出場辞退を決めた。不祥事によって出場途中で辞退するのは大会史上初だ。そして、中井監督と、その長男である野球部部長の中井惇一氏が更迭された。
中井監督は同高校の理事にして副校長。そして、甲子園では春優勝2回、夏準優勝2回の実績がある。さらに、これまで約30人のプロ野球選手を育て、“名将”とも呼ばれる存在だったが、A君への暴行事件の対応では、にわかには信じがたい“ウラの顔”を露わにしていた。
実家に避難するも連れ戻され…浴びせられた高圧的な言葉
集団での暴力に耐えられなかったA君は寮を脱走し、両親のいる実家に避難した。連れ戻しに来た部長の惇一氏から再発防止策を取ると説得され、寮に戻ることにしたのだが――。
〈中井監督から高圧的な言葉を浴びせられたというのだ。
監督 「高野連に報告した方がいいと思うか?」
A君 「はい」
監督 「2年生の対外試合がなくなってもいいんか?」
A君 「ダメだと思います」
監督 「じゃあどうするんや」
A君 「出さない方がいいと思います」
監督 「他人事みたいに……じゃあ何て言うんじゃ。『出されては困ります』やろ」
A君 「はい」〉
この中井監督とA君のやりとりについて、広陵高校は「このとおりのやりとりがあったとは判断しておりません」と回答するが、この会話は惇一部長がA君の両親に渡した回答書に記されている。中井監督の非情な対応はこれだけに留まらない。A君が寮に戻った1月27日、中井監督から最もショッキングな言葉を投げかけられたというのだ――。
その詳細は柳川氏のレポート「 広陵高校野球部『堕ちた監督』 」で詳述されている(9月10日発売の『文藝春秋』10月号、および9月9日先行公開の「 文藝春秋PLUS 」に掲載)。同レポートでは、他の元部員も暴力事件を告発している。そしてA君と同様に、中井監督は暴力事件の隠蔽を強要するかのような発言をしていたのだ。
📝甲子園で判定ミス謝罪、審判が講演「人としてどうするべきか考えた」
https://news.yahoo.co.jp/articles/c0e0b15d4753baa752c1900de0cb2cbee97d78ea
日本高野連で審判規則委員長を務める尾崎泰輔さん(59)が5日、佐賀市内で「問い直される高校野球の存在意義」と題して講演した。
佐賀県高校野球連盟が開いた「指導者・審判委員合同研修会」の一環で、県内の監督や審判委員ら約90人が聴講した。
30年以上のアマチュア審判の経験がある尾崎さん。自身の経験を語る中で、2022年春の選抜高校野球大会の試合中、場内マイクで謝罪した出来事について触れた。
問題の場面は無死一塁、打者が送りバントをした時に起きた。ファウルゾーンに出るか出ないかの微妙な打球が、不規則なバウンドの末にフェア側で止まった。
球審だった尾崎さんは「フェア」と判定。ボールは一塁へ送球され打者はアウト。一塁走者も一、二塁間に挟まれアウトになった。しかし、一塁走者が「二塁塁審がファウルのジェスチャーをしていた」と訴え、審判団が協議。二塁塁審が誤ったジェスチャーで走者を止めたことが確認できたという。
尾崎さんは判定ミスと認め、場内マイクで「私たちの間違いでした。止めた走者への守備行為はなかったので二塁へ進めて、1死二塁で再開します。大変申し訳ありません」と判定の変更を説明し、謝罪した。
異例のアナウンスはSNSなどで称賛された一方で、関係者からは「規則に基づいて戻したなら、それでいいはず。なぜ謝った」や「走者は二塁に進めず、一塁でよかった」などの非難もあったという。
尾崎さんは当時を振り返り、「自分はたたかれてもいいが、あの場面で高校生に対して、人としてどうするべきかを考えた」と話した。
続けて、指導者には野球を教えるだけではなく、学生が高校野球から何を学ぶかまで意識して指導してもらえればと訴えた。
最後に、運営する連盟とチーム、審判が互いを尊敬して三位一体となり、少子化や酷暑など激変する環境に的確に対応してもらいたいと結んだ。
📝「ちゃんと答えろよ! 箕島高校やぞ」“甲子園から消えた”名門公立校、現野球部員がポツリ「甲子園は遠い夢です…」「ウチは今、和歌山で“中の下”レベル」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e3c183d92b135f98fd9417e0ea1b7759008de231?page=3
「甲子園は、遠い夢だな…」
「ちゃんと答えろよ! 箕島高校やぞ」
野球部監督の北畑清誠に活を入れられて、3年生で主将の野村常登が「はい!」と返事をする。やや小柄で、優しそうな顔をしていた。夏の大会前に東京からやってきた取材者を不審がるでも迷惑がるでもなく、“ちゃんと”質問に答えてくれた。
当然ながら、現役の高校生に箕島が甲子園春夏連覇を果たした1979年の記憶はない。ただ、言葉の端々から名門の歴史を継承しなければならない、という意志は感じられた。
「最初に『箕島やぞ』って言われたときはピンとこなかったんですけど、やっていくうちに強かったんだって意識は持つようになりました。勝たなきゃいけないプレッシャーもあります。でも、現実は秋、春と初戦で負けてしまって……。強かった箕島とは違って、目の前の1試合を勝つだけで必死です」
どれだけ低迷していても、高校球児であるかぎり甲子園を夢見る自由は許されている。残酷かもしれないと思いながら「甲子園に行けると思ったことは?」と問いかけると、野村はどこか寂しそうに答えた。
「思ったことはあるんですけど、現実は甘くなかったです。まだ遠い夢だなと感じます」
監督の北畑によると、かつての野球部のような厳格な上下関係はなく、上級生と下級生の仲も良好だという。困り顔で「後輩にイジられることもありますね。楽しくやってます」と話す野村の雰囲気を見て、それは本当だろうなと直観した。北畑は「3年生が頼りないんですよ」と苦笑していたが、穏やかでいいキャプテンだと素直に思えた。
「監督、いっつも怒ってるんですよ」
続けざまに、2年生の西川篤人にも話を聞いた。凛々しい眉が印象的な細身のキャッチャーだ。父は箕島高校OB。「俺らで箕島を強くしようや」という思いが合致した和歌山有田ボーイズの同級生6人と一緒に入学した。
「お父さんがいたから、っていうのもちょっとあると思います。それに単純に野球に打ち込めるとも思ったんで。難しいのはわかってますけど、中学のときはあんまり勝てなかったから、高校でやり返したろうって」
監督の厳しさについて質問したところ、笑みを浮かべながらこう語った。
「監督、いっつもだいたい怒ってるんですよ。でも、たまに笑顔を見せるんです。あの人、笑うんや……って。でも厳しくてよかったと思いますね。厳しいほうがやりがいも感じるので、僕には合っていたと思います」
伝統のラントレをはじめ、練習は想像以上にハードだった。名門復活の道は険しく、勝てない悔しさを何度も味わった。それでも西川は、こちらの目を見つめて「中学のときよりも楽しいです。箕島に入ってよかった」と言い切った。初対面の大人に、どこまで本音を明かしているのかはわからない。ごく個人的には、厳しさを是とする指導に疑問を抱かないわけではない。どんな集団であっても、厳しさが閾値を超えたとき、暴力や暴言が正当化される可能性があるからだ。だが、当事者の「楽しい」という言葉に、無粋な疑いを差し挟む余地はないのだろう。
「報徳ではなく…あえて箕島を選んだ」
さらに西川とバッテリーを組む2年生エースの澤甚太郎も取材に応じてくれた。西川と同じ思いを抱いて和歌山有田ボーイズから箕島の野球部に進んだ6人のうちのひとりだ。父と3歳上の兄は箕島の野球部OB。そして2歳上の兄・剣太郎は耐久のショートとして2024年のセンバツに出場した。名将・尾藤公の薫陶を受けた父は、息子にこう言った。
「俺が箕島やからって、箕島に行ってほしいとかはない。行きたいところに行ったらいい」
兵庫県の報徳学園高校も選択肢に入っていた澤だが、ボーイズの仲間たちの存在もあって箕島への進学を決めた。
「私学で当たり前に甲子園に行くより、みんなで力を合わせて強いところを倒して甲子園に行くほうが、高校野球、面白いんじゃないかって。それが一番ですね」
入学後、特に強烈だった記憶は冬練習での徹底した走り込みだという。澤は「ほんま、死にそうやったですね」と笑う。身長168cmと大柄ではない澤だが、打線では中軸を担い、最高球速は135km。猛練習の甲斐あって入学時から7kmアップした。現在は145km到達を目標に掲げている。父や兄も背負った名門・箕島の看板は、澤にとってどんな意味を持つのだろうか。
「この前、岐阜に遠征したときに、遠征先の学校の保護者の方に『ユニフォーム、すごいかっこええなあ』って言ってもらったんですよ。県外に出ても知られてる。周りから見たらそうなんや、って。このユニフォームをもう1回甲子園に持っていって、全国の人に見てもらいたいなって思います。お父さんも尾藤監督にお世話になったので」
「和歌山で“中の下”くらい」
甲子園出場を目標に掲げる彼らにとって、高い壁となるのが智弁和歌山だ。2025年の春季大会では初戦で対戦し、0対6の完封負けを喫した。だが、「5回コールドで終わることも覚悟していた」という監督の北畑にとっては手応えを感じる善戦だった。部員たちも「あの試合は楽しかったです」と口を揃える。澤は智弁和歌山についてこう話した。
「いまは智弁の時代になってるかもしれませんけど、名前負けしてたら話にならないんで。同じ高校生ですし、100%負けるってことはない。ひとりでも『勝てんやろ』って思ってたら絶対勝てないんで。春の大会は、全員が勝とうと思って臨んだ試合だと思います。そういう試合、もっとやりたいですね」
話を聞いた部員たちは、和歌山県内での箕島野球部の立ち位置について「中の下くらい」あるいは「真ん中より下」と分析した。一方で、北畑は「夏の県大会に出場する35チーム中、上位10チームには入っていると思う」と話していた。戦力の認識にはややギャップがあるものの、部として掲げた夏の県大会の目標はベスト4。それだけの“しんどい練習”を課している自負が北畑にはある。
「いまの高校野球は私学が主流。もちろんそれはわかってます。全国から能力のええ子を集めてね。ただ、それでも何があるかわからないのが高校野球だと思うんですよ。大学まで行ったら正直、能力の差はある。でも高校レベルなら、根性ヒット、高校野球ヒットみたいなのが生まれるじゃないですか。いまの子はワンチャン言いますけど、努力すればワンチャンあると思ってほしい。500回振る子と1000回振る子なら、1000回振るほうが勝ってほしいんですよ」
「コンプレックスを持つ子たち」
人手の少ない箕島でコーチの役割も担う野球部部長の中尾慎太郎は、「練習の濃さは和歌山ナンバーワンじゃないですか。どこにも負けないと思います」と胸を張った。
「たしかに入ってくる子は少ないですけど、『きついからやめる』って子はいないですね。それくらい情熱がある子が集まってる。監督にも愛情がある。たぶん、何かひとつコンプレックスを持って箕島に来た子も多いと思うんですよ。勉強できないとか、野球でもエリートじゃないとか。そのぶん本当にみんな一生懸命なんです。高校野球の魅力って、結局そこじゃないですか。だから、どの子もかわいいですよね」
取材を行った監督室には「KIYOSEI」の文字があしらわれたスリッパがあった。「誕生日が七夕でして。部員がくれたんですよ」。自他ともに認める“昭和型の厳しい指導者”である北畑は、ことのほかうれしそうに笑った。
「背番号は7月7日に渡すんです。僕の誕生日。1年で一番いい日や、言うて」
かつて甲子園を席巻した野球名門校・箕島のいまを、苦境という言葉で表現することは容易い。あえて刺激的な言い回しを用いるなら、「野球部存続の危機に瀕している」ということになるのかもしれない。だが、そういった見立てとはまるで無関係のところに、逆境のなかで野球を楽しもうとする部員たちの実際がたしかに存在していた。多くの強豪校のように厳しい上下関係に縛られ、ごく一部の選手しか試合に出場できない野球部と、決して強豪ではないもののほぼ全員がベンチに入り、プレーのチャンスを持つことができる野球部。本人たちにとってどちらが幸福と言えるのだろうか。2年生エースの澤は「強い学校で当たり前に甲子園に行くのは、なんか違うと思って」と話した。その「なんか違う」は、突き詰めて考えれば、高校野球という文化そのものに投げかけられた違和感でもあった。
「いまの高校野球、面白いですか?」
箕島について書くうえで、もうひとり、絶対に話を聞かなければならない人物がいた。北畑の前任者にあたり、名将・尾藤公の息子でもある尾藤強前監督だ。2013年から19年まで箕島の監督を務め、就任1年目の夏に甲子園出場を果たしている。野球部を取材した翌日、箕島駅で尾藤と待ち合わせた。にこやかに挨拶を交わしたあと、尾藤の運転する車に招かれ、そのなかで取材の趣旨を簡単に説明する。甲子園が一大コンテンツとなったいま、顧みられなくなった名門校の現状を伝えたい――ハンドルを握りながら、うん、うん、と頷いた尾藤は、いきなり核心を突くような問いを口にした。
「いまの高校野球、面白いですか?」
<続く>
⚾岩手さんへ
箕島は田舎のチームなんで・・・JRきのくに線は1時間に2本しか電車来ないし、寮もない公立だと少子化も絡んでしんどいでしょうね・・・。逆に南部龍神や日高中津といった分校は寮を作って野球部強化を図っているだろうから、全校生の大多数が野球部員なんでしょうね!
逆に和智弁の場合は一般生徒(小中高生)が阪和線乗ってわざわざ大阪から越境入学しておるので!!堺から和歌山に南下している電車に乗っていると、和智弁生が電車に乗り込んできますね。
水産系といえば・・・沖縄水産しか思い浮かばないですが、あそこもずいぶん苦労しているような記事を見ました。鳥取から帰ってきてから当掲示板で紹介したと。
気仙沼水産は全く知りませんでした。
最後に、盛岡大付は最近見てないですね・・・。山田くんがいた近江にエース温存で負けて以来ゴブサタのはず。今の監督になって甲子園初戦無敗が続いているかと思いますが、澤田監督がいた頃の盛岡大付は甲子園7戦全敗だったか???僕のダイスキなチームでしたね。花巻東の狡猾な野球よりも脳筋野球の方が見ていて楽しいですね。
柳葉クンが来夏の甲子園に出場することがあれば、熱闘甲子園のクルーが張り付いておるんでしょうね!!
https://news.yahoo.co.jp/articles/08b4b00da04fad66215b68ee519e3c742225b065
〈A君は複数の先輩部員から殴る蹴るの暴行を受けた。1月22日には2年生の先輩部員から呼び出されて、こんな言葉を投げかけられている。
「本当に反省しているのか? 反省しているなら便器舐めろ。◯◯(部員名)のちんこ舐めろ」
さらに正座を強要されたA君は腹部を殴られる。腕でかばおうとすると、先輩に「正座の時の手はどこにするんや? 後ろやろ?」と言われ、少なくとも4名の先輩から腹を殴られ続けた〉
春夏合わせて甲子園出場53回を誇る広島の強豪・広陵高校野球部で、今年1月に当時1年生だったA君は、複数の先輩部員から暴行を受けた。原因は、寮で禁止されているカップラーメンをA君が食べたからだった。A君の父親から相談を受けていたノンフィクションライターの柳川悠二氏は、「 文藝春秋 」10月号(9月10日発売)に 寄稿したレポート で、暴力事件の一部始終を上記のとおり詳述している。さらに、A君に対する中井哲之監督(当時)の指導者としてあるまじき言動についても詳らかにしている。
大会史上初の不祥事による出場途中での辞退
この暴力事件によって広陵高校は、出場していた第107回全国高校野球選手権大会を2回戦を前にして出場辞退を決めた。不祥事によって出場途中で辞退するのは大会史上初だ。そして、中井監督と、その長男である野球部部長の中井惇一氏が更迭された。
中井監督は同高校の理事にして副校長。そして、甲子園では春優勝2回、夏準優勝2回の実績がある。さらに、これまで約30人のプロ野球選手を育て、“名将”とも呼ばれる存在だったが、A君への暴行事件の対応では、にわかには信じがたい“ウラの顔”を露わにしていた。
実家に避難するも連れ戻され…浴びせられた高圧的な言葉
集団での暴力に耐えられなかったA君は寮を脱走し、両親のいる実家に避難した。連れ戻しに来た部長の惇一氏から再発防止策を取ると説得され、寮に戻ることにしたのだが――。
〈中井監督から高圧的な言葉を浴びせられたというのだ。
監督 「高野連に報告した方がいいと思うか?」
A君 「はい」
監督 「2年生の対外試合がなくなってもいいんか?」
A君 「ダメだと思います」
監督 「じゃあどうするんや」
A君 「出さない方がいいと思います」
監督 「他人事みたいに……じゃあ何て言うんじゃ。『出されては困ります』やろ」
A君 「はい」〉
この中井監督とA君のやりとりについて、広陵高校は「このとおりのやりとりがあったとは判断しておりません」と回答するが、この会話は惇一部長がA君の両親に渡した回答書に記されている。中井監督の非情な対応はこれだけに留まらない。A君が寮に戻った1月27日、中井監督から最もショッキングな言葉を投げかけられたというのだ――。
その詳細は柳川氏のレポート「 広陵高校野球部『堕ちた監督』 」で詳述されている(9月10日発売の『文藝春秋』10月号、および9月9日先行公開の「 文藝春秋PLUS 」に掲載)。同レポートでは、他の元部員も暴力事件を告発している。そしてA君と同様に、中井監督は暴力事件の隠蔽を強要するかのような発言をしていたのだ。
📝甲子園で判定ミス謝罪、審判が講演「人としてどうするべきか考えた」
https://news.yahoo.co.jp/articles/c0e0b15d4753baa752c1900de0cb2cbee97d78ea
日本高野連で審判規則委員長を務める尾崎泰輔さん(59)が5日、佐賀市内で「問い直される高校野球の存在意義」と題して講演した。
佐賀県高校野球連盟が開いた「指導者・審判委員合同研修会」の一環で、県内の監督や審判委員ら約90人が聴講した。
30年以上のアマチュア審判の経験がある尾崎さん。自身の経験を語る中で、2022年春の選抜高校野球大会の試合中、場内マイクで謝罪した出来事について触れた。
問題の場面は無死一塁、打者が送りバントをした時に起きた。ファウルゾーンに出るか出ないかの微妙な打球が、不規則なバウンドの末にフェア側で止まった。
球審だった尾崎さんは「フェア」と判定。ボールは一塁へ送球され打者はアウト。一塁走者も一、二塁間に挟まれアウトになった。しかし、一塁走者が「二塁塁審がファウルのジェスチャーをしていた」と訴え、審判団が協議。二塁塁審が誤ったジェスチャーで走者を止めたことが確認できたという。
尾崎さんは判定ミスと認め、場内マイクで「私たちの間違いでした。止めた走者への守備行為はなかったので二塁へ進めて、1死二塁で再開します。大変申し訳ありません」と判定の変更を説明し、謝罪した。
異例のアナウンスはSNSなどで称賛された一方で、関係者からは「規則に基づいて戻したなら、それでいいはず。なぜ謝った」や「走者は二塁に進めず、一塁でよかった」などの非難もあったという。
尾崎さんは当時を振り返り、「自分はたたかれてもいいが、あの場面で高校生に対して、人としてどうするべきかを考えた」と話した。
続けて、指導者には野球を教えるだけではなく、学生が高校野球から何を学ぶかまで意識して指導してもらえればと訴えた。
最後に、運営する連盟とチーム、審判が互いを尊敬して三位一体となり、少子化や酷暑など激変する環境に的確に対応してもらいたいと結んだ。
📝「ちゃんと答えろよ! 箕島高校やぞ」“甲子園から消えた”名門公立校、現野球部員がポツリ「甲子園は遠い夢です…」「ウチは今、和歌山で“中の下”レベル」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e3c183d92b135f98fd9417e0ea1b7759008de231?page=3
「甲子園は、遠い夢だな…」
「ちゃんと答えろよ! 箕島高校やぞ」
野球部監督の北畑清誠に活を入れられて、3年生で主将の野村常登が「はい!」と返事をする。やや小柄で、優しそうな顔をしていた。夏の大会前に東京からやってきた取材者を不審がるでも迷惑がるでもなく、“ちゃんと”質問に答えてくれた。
当然ながら、現役の高校生に箕島が甲子園春夏連覇を果たした1979年の記憶はない。ただ、言葉の端々から名門の歴史を継承しなければならない、という意志は感じられた。
「最初に『箕島やぞ』って言われたときはピンとこなかったんですけど、やっていくうちに強かったんだって意識は持つようになりました。勝たなきゃいけないプレッシャーもあります。でも、現実は秋、春と初戦で負けてしまって……。強かった箕島とは違って、目の前の1試合を勝つだけで必死です」
どれだけ低迷していても、高校球児であるかぎり甲子園を夢見る自由は許されている。残酷かもしれないと思いながら「甲子園に行けると思ったことは?」と問いかけると、野村はどこか寂しそうに答えた。
「思ったことはあるんですけど、現実は甘くなかったです。まだ遠い夢だなと感じます」
監督の北畑によると、かつての野球部のような厳格な上下関係はなく、上級生と下級生の仲も良好だという。困り顔で「後輩にイジられることもありますね。楽しくやってます」と話す野村の雰囲気を見て、それは本当だろうなと直観した。北畑は「3年生が頼りないんですよ」と苦笑していたが、穏やかでいいキャプテンだと素直に思えた。
「監督、いっつも怒ってるんですよ」
続けざまに、2年生の西川篤人にも話を聞いた。凛々しい眉が印象的な細身のキャッチャーだ。父は箕島高校OB。「俺らで箕島を強くしようや」という思いが合致した和歌山有田ボーイズの同級生6人と一緒に入学した。
「お父さんがいたから、っていうのもちょっとあると思います。それに単純に野球に打ち込めるとも思ったんで。難しいのはわかってますけど、中学のときはあんまり勝てなかったから、高校でやり返したろうって」
監督の厳しさについて質問したところ、笑みを浮かべながらこう語った。
「監督、いっつもだいたい怒ってるんですよ。でも、たまに笑顔を見せるんです。あの人、笑うんや……って。でも厳しくてよかったと思いますね。厳しいほうがやりがいも感じるので、僕には合っていたと思います」
伝統のラントレをはじめ、練習は想像以上にハードだった。名門復活の道は険しく、勝てない悔しさを何度も味わった。それでも西川は、こちらの目を見つめて「中学のときよりも楽しいです。箕島に入ってよかった」と言い切った。初対面の大人に、どこまで本音を明かしているのかはわからない。ごく個人的には、厳しさを是とする指導に疑問を抱かないわけではない。どんな集団であっても、厳しさが閾値を超えたとき、暴力や暴言が正当化される可能性があるからだ。だが、当事者の「楽しい」という言葉に、無粋な疑いを差し挟む余地はないのだろう。
「報徳ではなく…あえて箕島を選んだ」
さらに西川とバッテリーを組む2年生エースの澤甚太郎も取材に応じてくれた。西川と同じ思いを抱いて和歌山有田ボーイズから箕島の野球部に進んだ6人のうちのひとりだ。父と3歳上の兄は箕島の野球部OB。そして2歳上の兄・剣太郎は耐久のショートとして2024年のセンバツに出場した。名将・尾藤公の薫陶を受けた父は、息子にこう言った。
「俺が箕島やからって、箕島に行ってほしいとかはない。行きたいところに行ったらいい」
兵庫県の報徳学園高校も選択肢に入っていた澤だが、ボーイズの仲間たちの存在もあって箕島への進学を決めた。
「私学で当たり前に甲子園に行くより、みんなで力を合わせて強いところを倒して甲子園に行くほうが、高校野球、面白いんじゃないかって。それが一番ですね」
入学後、特に強烈だった記憶は冬練習での徹底した走り込みだという。澤は「ほんま、死にそうやったですね」と笑う。身長168cmと大柄ではない澤だが、打線では中軸を担い、最高球速は135km。猛練習の甲斐あって入学時から7kmアップした。現在は145km到達を目標に掲げている。父や兄も背負った名門・箕島の看板は、澤にとってどんな意味を持つのだろうか。
「この前、岐阜に遠征したときに、遠征先の学校の保護者の方に『ユニフォーム、すごいかっこええなあ』って言ってもらったんですよ。県外に出ても知られてる。周りから見たらそうなんや、って。このユニフォームをもう1回甲子園に持っていって、全国の人に見てもらいたいなって思います。お父さんも尾藤監督にお世話になったので」
「和歌山で“中の下”くらい」
甲子園出場を目標に掲げる彼らにとって、高い壁となるのが智弁和歌山だ。2025年の春季大会では初戦で対戦し、0対6の完封負けを喫した。だが、「5回コールドで終わることも覚悟していた」という監督の北畑にとっては手応えを感じる善戦だった。部員たちも「あの試合は楽しかったです」と口を揃える。澤は智弁和歌山についてこう話した。
「いまは智弁の時代になってるかもしれませんけど、名前負けしてたら話にならないんで。同じ高校生ですし、100%負けるってことはない。ひとりでも『勝てんやろ』って思ってたら絶対勝てないんで。春の大会は、全員が勝とうと思って臨んだ試合だと思います。そういう試合、もっとやりたいですね」
話を聞いた部員たちは、和歌山県内での箕島野球部の立ち位置について「中の下くらい」あるいは「真ん中より下」と分析した。一方で、北畑は「夏の県大会に出場する35チーム中、上位10チームには入っていると思う」と話していた。戦力の認識にはややギャップがあるものの、部として掲げた夏の県大会の目標はベスト4。それだけの“しんどい練習”を課している自負が北畑にはある。
「いまの高校野球は私学が主流。もちろんそれはわかってます。全国から能力のええ子を集めてね。ただ、それでも何があるかわからないのが高校野球だと思うんですよ。大学まで行ったら正直、能力の差はある。でも高校レベルなら、根性ヒット、高校野球ヒットみたいなのが生まれるじゃないですか。いまの子はワンチャン言いますけど、努力すればワンチャンあると思ってほしい。500回振る子と1000回振る子なら、1000回振るほうが勝ってほしいんですよ」
「コンプレックスを持つ子たち」
人手の少ない箕島でコーチの役割も担う野球部部長の中尾慎太郎は、「練習の濃さは和歌山ナンバーワンじゃないですか。どこにも負けないと思います」と胸を張った。
「たしかに入ってくる子は少ないですけど、『きついからやめる』って子はいないですね。それくらい情熱がある子が集まってる。監督にも愛情がある。たぶん、何かひとつコンプレックスを持って箕島に来た子も多いと思うんですよ。勉強できないとか、野球でもエリートじゃないとか。そのぶん本当にみんな一生懸命なんです。高校野球の魅力って、結局そこじゃないですか。だから、どの子もかわいいですよね」
取材を行った監督室には「KIYOSEI」の文字があしらわれたスリッパがあった。「誕生日が七夕でして。部員がくれたんですよ」。自他ともに認める“昭和型の厳しい指導者”である北畑は、ことのほかうれしそうに笑った。
「背番号は7月7日に渡すんです。僕の誕生日。1年で一番いい日や、言うて」
かつて甲子園を席巻した野球名門校・箕島のいまを、苦境という言葉で表現することは容易い。あえて刺激的な言い回しを用いるなら、「野球部存続の危機に瀕している」ということになるのかもしれない。だが、そういった見立てとはまるで無関係のところに、逆境のなかで野球を楽しもうとする部員たちの実際がたしかに存在していた。多くの強豪校のように厳しい上下関係に縛られ、ごく一部の選手しか試合に出場できない野球部と、決して強豪ではないもののほぼ全員がベンチに入り、プレーのチャンスを持つことができる野球部。本人たちにとってどちらが幸福と言えるのだろうか。2年生エースの澤は「強い学校で当たり前に甲子園に行くのは、なんか違うと思って」と話した。その「なんか違う」は、突き詰めて考えれば、高校野球という文化そのものに投げかけられた違和感でもあった。
「いまの高校野球、面白いですか?」
箕島について書くうえで、もうひとり、絶対に話を聞かなければならない人物がいた。北畑の前任者にあたり、名将・尾藤公の息子でもある尾藤強前監督だ。2013年から19年まで箕島の監督を務め、就任1年目の夏に甲子園出場を果たしている。野球部を取材した翌日、箕島駅で尾藤と待ち合わせた。にこやかに挨拶を交わしたあと、尾藤の運転する車に招かれ、そのなかで取材の趣旨を簡単に説明する。甲子園が一大コンテンツとなったいま、顧みられなくなった名門校の現状を伝えたい――ハンドルを握りながら、うん、うん、と頷いた尾藤は、いきなり核心を突くような問いを口にした。
「いまの高校野球、面白いですか?」
<続く>
⚾岩手さんへ
箕島は田舎のチームなんで・・・JRきのくに線は1時間に2本しか電車来ないし、寮もない公立だと少子化も絡んでしんどいでしょうね・・・。逆に南部龍神や日高中津といった分校は寮を作って野球部強化を図っているだろうから、全校生の大多数が野球部員なんでしょうね!
逆に和智弁の場合は一般生徒(小中高生)が阪和線乗ってわざわざ大阪から越境入学しておるので!!堺から和歌山に南下している電車に乗っていると、和智弁生が電車に乗り込んできますね。
水産系といえば・・・沖縄水産しか思い浮かばないですが、あそこもずいぶん苦労しているような記事を見ました。鳥取から帰ってきてから当掲示板で紹介したと。
気仙沼水産は全く知りませんでした。
最後に、盛岡大付は最近見てないですね・・・。山田くんがいた近江にエース温存で負けて以来ゴブサタのはず。今の監督になって甲子園初戦無敗が続いているかと思いますが、澤田監督がいた頃の盛岡大付は甲子園7戦全敗だったか???僕のダイスキなチームでしたね。花巻東の狡猾な野球よりも脳筋野球の方が見ていて楽しいですね。
柳葉クンが来夏の甲子園に出場することがあれば、熱闘甲子園のクルーが張り付いておるんでしょうね!!