自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」
⚾今日の和歌山大会会新人戦試合結果(最終日 決勝戦 田辺SP球場)
和 智 弁11-0市和歌山
智弁和歌山は5年連続12度目の優勝🏆
⚾今日の和歌山大会新人戦試合結果(2日目 1回戦)
上富田球場・・・・粉 河7-5県和歌山・日 高9-2田 辺 工(7回)・那 賀9-2南 部(8回)
田辺SP球場・・・箕 島1-0桐 蔭
🎤【名将・高嶋仁の目】午後10時46分試合終了の舞台裏 2部制拡大の功罪は 「投手にはホンマによかった」けど…
https://www.youtube.com/watch?v=_6SuEEeSlV8
🎤【名将・高嶋仁の目】ラストミーティング 何を語る? 悲喜こもごもの準優勝物語
https://www.youtube.com/watch?v=tfqhUCTb1Ow&t=11s
🎤【名将・高嶋仁の目】劇的タイブレーク、明暗を分けるもの 低反発バットで飛ばすには?
https://www.youtube.com/watch?v=k2ico2Wf0H8
🎤【名将・高嶋仁の目】沖縄尚学、夏初V、「色気のなさ」が強さの秘訣?
https://www.youtube.com/watch?v=IcnhFvat6l0&t=65s
👣京都国際が2年ぶりのセンバツ出場絶望的 小牧憲継監督「野球の『や』の字にもなっていない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/327712790c7a75729c9306e51c2c717440964b5f
◆秋季京都府大会 ▽2回戦 龍谷大平安4―1京都国際(7日、あやべ・日東精工スタジアム)
今夏の甲子園で8強入りした京都国際が、龍谷大平安との“豪華すぎる”初戦(2回戦)に敗れ、来春センバツ出場が早くも絶望的となった。昨夏の甲子園で初優勝した後の秋季府大会は4回戦で京都外大西に敗退。2年連続でセンバツ出場を逃す可能性が高くなった。
0―3の4回1死一、二塁、背番号1の先発左腕・白木輝一朗(2年)がバントを処理して三塁へ悪送球し、4点目を与えた。1―4の9回無死一塁では、主将・小川礼斗一塁手(2年)が空振り三振に倒れ、飛び出していた一塁走者もけん制で刺されて併殺。4失策とミスが目立った。相手の7安打を上回る10安打を放ちながらも、13残塁の拙攻だった。
小牧憲継監督は「こちらの指導力不足。野球の『や』の字にもなっていない。やるべきことを、やるタイミングでできていない。当たり前のことをきっちりできない。負けるべくして負けている。能力が高いので楽しみではあるんですけど、全くもってチームになっていない。振り出しに戻ります」と、厳しい言葉を並べた。
新チームがスタートしたのは、夏の甲子園で敗退した翌8月20日。レギュラー2人を含む甲子園のベンチ入りメンバー7人が残ったが、準備不足は否めなかった。指揮官は「言い訳にしかならない。去年も結局、そういうところ。割り切って夏一本に絞って。キャッチボールも、まともに指導できていない。もう一回、キャッチボール、ボール回し、一からです。チームのとしての決め事を一つひとつ夏に向けて勝負していけるように、レベルを上げていけるように」と、無念の表情を浮かべた。
小川は「全員がチームとしての動きができなかったのが敗因。サインプレーとかも平安さんの方ができていた。チームになりきれていなかった。気持ちでも相手に負けていた」と反省。「センバツや神宮を目標にしていたけど、負けてしまったので取り返しがつかない。秋、冬と成長して、夏の甲子園に出場できるように」と、出直しを誓った。
👣未来富山、甲子園初出場に導いた角鴻太郎監督が退任 秋季大会は元コーチが臨時監督としてチームを指揮
https://news.yahoo.co.jp/articles/d7a6bb8930fd0aab57ca4bf429fd9fc5e25696c1
富山県の通信制高校として初の甲子園出場に導いた未来富山高校野球部の角鴻太郎元監督が、秋の富山県大会を前に退任していたことが7日、明らかになりました。1・2年生の新チームは、コーチを務めていた菅澤剛氏が臨時で指揮を執ります。
角元監督は、2022年5月から同校のコーチを務め、2023年9月に監督に就任。昨夏の富山大会ではベスト4、そして今夏は見事チームを初の甲子園出場へと導きました。甲子園では大会6日目の8月11日に高川学園(山口)と対戦し、初戦敗退となりました。
関係者によりますと、春ごろに本人から「夏の大会まで」との意向が示され、今夏の甲子園が最後の指揮となりました。
当面は菅澤剛コーチが臨時の監督として秋季大会を指揮。2回戦で高朋高校を相手に7対0の8回コールドで勝利し、3回戦進出を決めています。
💢金沢学院大と附属高 それぞれの野球部コーチ 暴力や不適切発言で謹慎処分
https://news.yahoo.co.jp/articles/166e7b915a44f83c0bcc088bf8b4d3506815ccab
野球部員に暴力や不適切な発言をしたとして、金沢学院大学と附属高校のコーチ2人が、謹慎処分を受けていることが分かりました。
学校によると、大学ではコーチが部員に暴力をふるい、2か月の謹慎処分に。高校では、コーチが部員に対して不適切な発言をしたなどとして、半年の謹慎処分が科されました。
金沢学院大は、プライバシーに配慮するため詳細を明らかしておらず、「処分を重く受け止め、再発防止に向けて指導を徹底したい」とコメントしています。
💢暴力事件→甲子園の推薦辞退 同級生は涙、親も納得せず…“無関係”なのに受けたとばっちり
https://news.yahoo.co.jp/articles/1bda0f9d1b83cf21f13423a742cbe01df0b3069c?page=1
羽田耕一氏、高校時代は1年秋からレギュラーに定着し2年春に甲子園出場
NPB通算225本塁打をマークした元近鉄内野手の羽田耕一氏は兵庫・三田学園で1年(1969年)秋からレギュラー遊撃手になった。2年(1970年)春の選抜には4番打者として出場。2年夏は兵庫大会準決勝で涙をのんだが、2年秋は兵庫大会優勝、近畿大会準優勝で、1971年春の選抜切符を確定させた。しかし、在校生の暴力事件発覚で推薦を辞退することに……。「野球部は関係なかった。悔しかったですね」と話した。
兵庫の強豪・三田学園で羽田氏は1年夏からベンチ入り。1年秋から遊撃レギュラーの座をつかんだ。甲斐富士男投手と中西弘明捕手のバッテリーは尼崎市立若草中でもチームメートだった同級生。中学3年時に近畿大会準優勝を経験した3人が、高校でも実力を発揮し始めた時期でもあった。羽田氏は中学時代、エース右腕だったが、高校では日下隆監督の指令で野手転向。中学時代に三塁手だった甲斐氏が逆に投手に転向し、それぞれが主力に成長した。
1年秋の兵庫大会は、決勝で洲本実を4-3の9回逆転サヨナラ勝利で下して優勝。近畿大会は準々決勝で島本講平投手を擁する箕島(和歌山)に5-9で敗れたものの、1970年春の選抜出場切符を得た。「島本さんは僕の1学年上ですけど、何か縁があってね。あの人、(1970年ドラフト1位で)南海に行かれて、その後(1975年にトレードで)近鉄に来られて一緒になった。仲がよかったんです。高校の時の話もよくしましたね」と羽田氏は懐かしそうに話す。
島本氏は1970年春の選抜で箕島を全国優勝に導き、甘いマスクもあって甲子園のアイドル的存在としてブレークしたことでも知られる。一方、三田学園は2回戦から出場し、日大三(東京)を5-3で撃破したが、準々決勝では鳴門(徳島)に0-1で敗れた。2年生の羽田氏が4番で、3番が3年生の淡口憲治外野手(元巨人、近鉄)だったが、その打線が鳴門の下手投げ右腕・落合登投手、笹本信二捕手(元阪神、阪急、巨人)のバッテリーの前に2安打だった。
「ウチの打線はアンダースローが苦手だったんですが、(三田学園エースの)甲斐も(鳴門打線を2安打に)抑えていたんですよ。ボールは速いし、昔でいうドロップがよくて……。だけど、確かエラーで(1点とられて)負けたんですよ」。初めて経験した甲子園大会だが「緊張はしなかった」という。「それまでにも甲子園では試合をしたことがあった。だから別に甲子園といってもね……」。
当時は兵庫大会で甲子園球場が使われており、特別感はなかったそうだ。「お客さんの数は違いましたけどね。あとは(選抜大会の)選手宣誓をウチのキャプテン(三田学園・内田竜二主将)がしたことと、大会中(の3月31日)にハイジャック(よど号ハイジャック事件)が起きて、テレビがそればかりだったのは印象に残っていますね」。もっとも、この時は2年生。チーム力的にも甲子園出場がこの春だけになるとは思ってもいなかっただろう。
暴力問題が発覚し甲子園辞退「野球部は全然関係なかった」
2年夏は兵庫大会準決勝で滝川に敗れたが、まだ3年春と夏が残っていた。甲斐投手と中西捕手のバッテリーと4番打者の羽田氏の“若草中同級生トリオ”が最上級生になった2年秋は兵庫大会を制し、近畿大会は準々決勝で郡山(奈良)、準決勝では平安(京都)に勝利。決勝は市和歌山商に0-1で敗れたが、準優勝で1971年春の選抜出場を確実とした。だが、それは幻になった。在校生の暴力問題が発覚して、選抜への推薦を辞退することになったのだ。
「先輩のクラスの人が生徒会の人を殴ったんだったかな。それが問題になって(当時の野球部の)部長がもう出場を辞退すると言い出して……。野球部は全然関係なかったんですよ。今だったら出場できたでしょうけど、あの頃はねぇ……。聞いた時はまず悔しかったですよ。同級生はみんな泣いていました。僕は(2年春に)1回、甲子園に出たけど、出ていない同級生もいましたからね。親たちも納得していなかったでしょうね」
1971年春の選抜は近畿地区では準優勝の三田学園だけでなく、優勝した市和歌山商も在校生の暴力事件によって推薦を辞退した。さらに近畿大会出場の南部も同じ理由で辞退しており、有力3校が選考段階で姿を消す状況だった。「僕はまだ終わりじゃないと思っていました。(3年の)夏があるのもそうだし、その時はもうプロとか上も目指していたのでね。でも(近畿の)1位と2位が出なかったわけですからねぇ。こればっかりは何とも言えんですね」と羽田氏は当時を思い出しながら表情を曇らせた。
💢広陵高校野球部の暴力問題 新監督の言葉が浮き彫りにした問題の核心
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/377195
部内の暴力問題により、夏の甲子園大会を途中で出場辞退した広陵高校の新チームが自校の野球場で秋季広島県大会北部地区予選に臨み、8月30日の初戦で油木高校に23-0、同31日の1位校決定戦で沼田高校に4-1で勝利し、県大会出場を決めた。その初戦を取材した。
「通話は品質向上のため録音させていただきます」初戦前日の朝9時過ぎ、広陵高校に問い合わせの電話をしたら、不穏な自動音声が流れた。やや間があり、自動音声はさらにこう告げてきた。
「大変申し訳ございませんが、電話が大変混み合っています。恐れ入りますが、しばらく経ってからおかけ直しください」
しばらくしてかけ直すと、電話に出た女性は「今、教員は全員で会議中です。昼までには終わっていると思いますが」。野球部の暴力問題に今も学校全体で対応に追われていることがうかがえた。
同校野球部の暴力問題は7月下旬、被害を受け、転校した元部員の保護者がSNSで告発して表面化。同校はネット上の炎上を尻目に甲子園大会1回戦で勝利したが、その後も複数の元部員と保護者が「他の部員たちから性被害に遭った。警察に被害届も出している」「複数の上級生の暴力で半身麻痺するケガをした」などと告発。問題は社会的注目を集め、同校は結局、2回戦を前に出場辞退し、中井哲之監督と長男の惇一部長は退任した。
そんな経緯もあり、新チーム初戦は報道20社など約30人の取材が殺到。試合後、コーチから昇格した松本健吾・新監督(34)らの囲み取材の場がもうけられた。進行役の広島県高野連北部地区代表理事・河内康弘氏が「今日の試合のことのみの取材にしてください」とクギを刺したが、報道陣から松本監督に暴力問題を踏まえた質問が相次ぎ、河内氏がその都度制止する緊張感のある現場となった。
「どなたからも応援される野球部に」
その中で筆者が気になったのは、松本監督が質問に答える際、「自分たちの野球」という言葉を繰り返し使っていたことだ。
──どんな気持ちで試合に臨んだ?
「とにかく『自分たちの野球』をしようという気持ちです」
──23-0という結果については?
「『自分たちの野球』をしようということが結果につながったと思います」
──監督就任後、チームで何か変えたことは?
「秋の大会に向け、『自分たちの野球』をやるにはどうしたらいいかを日々考えて練習に取り組んでいます」
では、「自分たちの野球」とは、どんな野球なのか。それをただすと、松本監督は筆者の目を見すえ、こう言った。
「『どなたからも応援される野球部を目指していこう』ということです。それが『自分たちの野球』です」
松本監督によると、これは暴力問題発覚以前から掲げていたチームの目標という。この後、選手を代表して囲み取材に応じた曽根丈一郎主将も「今日は『自分たちの野球』をしていこうと(他の選手たちに)声かけをしていました」と言っていたので、「誰からも応援される野球部に」という目標はチーム全体で共有できていたようだ。
曽根主将は高校2年生だけに表情はあどけないが、意志の強そうな目をしていた。一つ一つの質問に自分の言葉で丁寧に答える姿を見ていて、「応援したくなるタイプ」と思えた。
だが、筆者はそう思うと共に胸が重くなり、「応援したい」という気持ちにブレーキがかかる自分に気づいた。暴力被害により志半ばで野球部や学校を去った元部員や保護者らは、広陵高校が応援される光景など絶対見たくないはずだからだ。今回の問題の核心はそういうことだと思う。
⚾岩手さんへ
秋の和歌山はまず、全校で新人戦を戦います。4強に残った時点で一次予選免除となり、決勝進出すると両校は二次予選の決勝まで当たらないと。今回は2校が近畿に行くので、和智弁・市和歌山は相当有力ですね!
新人戦で4強に残れなかったチームが一次予選を戦い、これはいわゆる準々決勝戦までで打ち切り。そこで残った4校が二次予選に進出し、1回戦は・・・新人戦4強組VS一次予選通過4校の8校でトーナメントをするという形ですね。
大阪・奈良・京都・滋賀はトーナメント一本化なんで負けたら即センバツアウト!ですが、和歌山や兵庫は負けてもまだ可能性があるのでいい制度かと。
誤審に関しては、、、慶応の試合でのセカンドベース踏み忘れ?もありましたね!!センバツのホームベース空過に関してはTV観戦でしたが、余裕でセーフのタイミング(野手がホームを諦めて1塁送球したはず)でしたが・・・・・。
箕島は尾藤監督の息子さんが就任した直後は古豪復活で盛り上がりましたが、今の北畑監督になってからは・・・・・。外様監督だし、よくベンチで怒鳴っているので選手が委縮するのでは?
耐久などで監督歴も長いようですが、1度も近畿に出たことないし実績に乏しいのは否めないです。。。
しかし、今日は桐蔭に1-0で完封勝ちしたようだし、二次予選まで来るかも分かりませんね!
和 智 弁11-0市和歌山
智弁和歌山は5年連続12度目の優勝🏆
⚾今日の和歌山大会新人戦試合結果(2日目 1回戦)
上富田球場・・・・粉 河7-5県和歌山・日 高9-2田 辺 工(7回)・那 賀9-2南 部(8回)
田辺SP球場・・・箕 島1-0桐 蔭
🎤【名将・高嶋仁の目】午後10時46分試合終了の舞台裏 2部制拡大の功罪は 「投手にはホンマによかった」けど…
https://www.youtube.com/watch?v=_6SuEEeSlV8
🎤【名将・高嶋仁の目】ラストミーティング 何を語る? 悲喜こもごもの準優勝物語
https://www.youtube.com/watch?v=tfqhUCTb1Ow&t=11s
🎤【名将・高嶋仁の目】劇的タイブレーク、明暗を分けるもの 低反発バットで飛ばすには?
https://www.youtube.com/watch?v=k2ico2Wf0H8
🎤【名将・高嶋仁の目】沖縄尚学、夏初V、「色気のなさ」が強さの秘訣?
https://www.youtube.com/watch?v=IcnhFvat6l0&t=65s
👣京都国際が2年ぶりのセンバツ出場絶望的 小牧憲継監督「野球の『や』の字にもなっていない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/327712790c7a75729c9306e51c2c717440964b5f
◆秋季京都府大会 ▽2回戦 龍谷大平安4―1京都国際(7日、あやべ・日東精工スタジアム)
今夏の甲子園で8強入りした京都国際が、龍谷大平安との“豪華すぎる”初戦(2回戦)に敗れ、来春センバツ出場が早くも絶望的となった。昨夏の甲子園で初優勝した後の秋季府大会は4回戦で京都外大西に敗退。2年連続でセンバツ出場を逃す可能性が高くなった。
0―3の4回1死一、二塁、背番号1の先発左腕・白木輝一朗(2年)がバントを処理して三塁へ悪送球し、4点目を与えた。1―4の9回無死一塁では、主将・小川礼斗一塁手(2年)が空振り三振に倒れ、飛び出していた一塁走者もけん制で刺されて併殺。4失策とミスが目立った。相手の7安打を上回る10安打を放ちながらも、13残塁の拙攻だった。
小牧憲継監督は「こちらの指導力不足。野球の『や』の字にもなっていない。やるべきことを、やるタイミングでできていない。当たり前のことをきっちりできない。負けるべくして負けている。能力が高いので楽しみではあるんですけど、全くもってチームになっていない。振り出しに戻ります」と、厳しい言葉を並べた。
新チームがスタートしたのは、夏の甲子園で敗退した翌8月20日。レギュラー2人を含む甲子園のベンチ入りメンバー7人が残ったが、準備不足は否めなかった。指揮官は「言い訳にしかならない。去年も結局、そういうところ。割り切って夏一本に絞って。キャッチボールも、まともに指導できていない。もう一回、キャッチボール、ボール回し、一からです。チームのとしての決め事を一つひとつ夏に向けて勝負していけるように、レベルを上げていけるように」と、無念の表情を浮かべた。
小川は「全員がチームとしての動きができなかったのが敗因。サインプレーとかも平安さんの方ができていた。チームになりきれていなかった。気持ちでも相手に負けていた」と反省。「センバツや神宮を目標にしていたけど、負けてしまったので取り返しがつかない。秋、冬と成長して、夏の甲子園に出場できるように」と、出直しを誓った。
👣未来富山、甲子園初出場に導いた角鴻太郎監督が退任 秋季大会は元コーチが臨時監督としてチームを指揮
https://news.yahoo.co.jp/articles/d7a6bb8930fd0aab57ca4bf429fd9fc5e25696c1
富山県の通信制高校として初の甲子園出場に導いた未来富山高校野球部の角鴻太郎元監督が、秋の富山県大会を前に退任していたことが7日、明らかになりました。1・2年生の新チームは、コーチを務めていた菅澤剛氏が臨時で指揮を執ります。
角元監督は、2022年5月から同校のコーチを務め、2023年9月に監督に就任。昨夏の富山大会ではベスト4、そして今夏は見事チームを初の甲子園出場へと導きました。甲子園では大会6日目の8月11日に高川学園(山口)と対戦し、初戦敗退となりました。
関係者によりますと、春ごろに本人から「夏の大会まで」との意向が示され、今夏の甲子園が最後の指揮となりました。
当面は菅澤剛コーチが臨時の監督として秋季大会を指揮。2回戦で高朋高校を相手に7対0の8回コールドで勝利し、3回戦進出を決めています。
💢金沢学院大と附属高 それぞれの野球部コーチ 暴力や不適切発言で謹慎処分
https://news.yahoo.co.jp/articles/166e7b915a44f83c0bcc088bf8b4d3506815ccab
野球部員に暴力や不適切な発言をしたとして、金沢学院大学と附属高校のコーチ2人が、謹慎処分を受けていることが分かりました。
学校によると、大学ではコーチが部員に暴力をふるい、2か月の謹慎処分に。高校では、コーチが部員に対して不適切な発言をしたなどとして、半年の謹慎処分が科されました。
金沢学院大は、プライバシーに配慮するため詳細を明らかしておらず、「処分を重く受け止め、再発防止に向けて指導を徹底したい」とコメントしています。
💢暴力事件→甲子園の推薦辞退 同級生は涙、親も納得せず…“無関係”なのに受けたとばっちり
https://news.yahoo.co.jp/articles/1bda0f9d1b83cf21f13423a742cbe01df0b3069c?page=1
羽田耕一氏、高校時代は1年秋からレギュラーに定着し2年春に甲子園出場
NPB通算225本塁打をマークした元近鉄内野手の羽田耕一氏は兵庫・三田学園で1年(1969年)秋からレギュラー遊撃手になった。2年(1970年)春の選抜には4番打者として出場。2年夏は兵庫大会準決勝で涙をのんだが、2年秋は兵庫大会優勝、近畿大会準優勝で、1971年春の選抜切符を確定させた。しかし、在校生の暴力事件発覚で推薦を辞退することに……。「野球部は関係なかった。悔しかったですね」と話した。
兵庫の強豪・三田学園で羽田氏は1年夏からベンチ入り。1年秋から遊撃レギュラーの座をつかんだ。甲斐富士男投手と中西弘明捕手のバッテリーは尼崎市立若草中でもチームメートだった同級生。中学3年時に近畿大会準優勝を経験した3人が、高校でも実力を発揮し始めた時期でもあった。羽田氏は中学時代、エース右腕だったが、高校では日下隆監督の指令で野手転向。中学時代に三塁手だった甲斐氏が逆に投手に転向し、それぞれが主力に成長した。
1年秋の兵庫大会は、決勝で洲本実を4-3の9回逆転サヨナラ勝利で下して優勝。近畿大会は準々決勝で島本講平投手を擁する箕島(和歌山)に5-9で敗れたものの、1970年春の選抜出場切符を得た。「島本さんは僕の1学年上ですけど、何か縁があってね。あの人、(1970年ドラフト1位で)南海に行かれて、その後(1975年にトレードで)近鉄に来られて一緒になった。仲がよかったんです。高校の時の話もよくしましたね」と羽田氏は懐かしそうに話す。
島本氏は1970年春の選抜で箕島を全国優勝に導き、甘いマスクもあって甲子園のアイドル的存在としてブレークしたことでも知られる。一方、三田学園は2回戦から出場し、日大三(東京)を5-3で撃破したが、準々決勝では鳴門(徳島)に0-1で敗れた。2年生の羽田氏が4番で、3番が3年生の淡口憲治外野手(元巨人、近鉄)だったが、その打線が鳴門の下手投げ右腕・落合登投手、笹本信二捕手(元阪神、阪急、巨人)のバッテリーの前に2安打だった。
「ウチの打線はアンダースローが苦手だったんですが、(三田学園エースの)甲斐も(鳴門打線を2安打に)抑えていたんですよ。ボールは速いし、昔でいうドロップがよくて……。だけど、確かエラーで(1点とられて)負けたんですよ」。初めて経験した甲子園大会だが「緊張はしなかった」という。「それまでにも甲子園では試合をしたことがあった。だから別に甲子園といってもね……」。
当時は兵庫大会で甲子園球場が使われており、特別感はなかったそうだ。「お客さんの数は違いましたけどね。あとは(選抜大会の)選手宣誓をウチのキャプテン(三田学園・内田竜二主将)がしたことと、大会中(の3月31日)にハイジャック(よど号ハイジャック事件)が起きて、テレビがそればかりだったのは印象に残っていますね」。もっとも、この時は2年生。チーム力的にも甲子園出場がこの春だけになるとは思ってもいなかっただろう。
暴力問題が発覚し甲子園辞退「野球部は全然関係なかった」
2年夏は兵庫大会準決勝で滝川に敗れたが、まだ3年春と夏が残っていた。甲斐投手と中西捕手のバッテリーと4番打者の羽田氏の“若草中同級生トリオ”が最上級生になった2年秋は兵庫大会を制し、近畿大会は準々決勝で郡山(奈良)、準決勝では平安(京都)に勝利。決勝は市和歌山商に0-1で敗れたが、準優勝で1971年春の選抜出場を確実とした。だが、それは幻になった。在校生の暴力問題が発覚して、選抜への推薦を辞退することになったのだ。
「先輩のクラスの人が生徒会の人を殴ったんだったかな。それが問題になって(当時の野球部の)部長がもう出場を辞退すると言い出して……。野球部は全然関係なかったんですよ。今だったら出場できたでしょうけど、あの頃はねぇ……。聞いた時はまず悔しかったですよ。同級生はみんな泣いていました。僕は(2年春に)1回、甲子園に出たけど、出ていない同級生もいましたからね。親たちも納得していなかったでしょうね」
1971年春の選抜は近畿地区では準優勝の三田学園だけでなく、優勝した市和歌山商も在校生の暴力事件によって推薦を辞退した。さらに近畿大会出場の南部も同じ理由で辞退しており、有力3校が選考段階で姿を消す状況だった。「僕はまだ終わりじゃないと思っていました。(3年の)夏があるのもそうだし、その時はもうプロとか上も目指していたのでね。でも(近畿の)1位と2位が出なかったわけですからねぇ。こればっかりは何とも言えんですね」と羽田氏は当時を思い出しながら表情を曇らせた。
💢広陵高校野球部の暴力問題 新監督の言葉が浮き彫りにした問題の核心
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/377195
部内の暴力問題により、夏の甲子園大会を途中で出場辞退した広陵高校の新チームが自校の野球場で秋季広島県大会北部地区予選に臨み、8月30日の初戦で油木高校に23-0、同31日の1位校決定戦で沼田高校に4-1で勝利し、県大会出場を決めた。その初戦を取材した。
「通話は品質向上のため録音させていただきます」初戦前日の朝9時過ぎ、広陵高校に問い合わせの電話をしたら、不穏な自動音声が流れた。やや間があり、自動音声はさらにこう告げてきた。
「大変申し訳ございませんが、電話が大変混み合っています。恐れ入りますが、しばらく経ってからおかけ直しください」
しばらくしてかけ直すと、電話に出た女性は「今、教員は全員で会議中です。昼までには終わっていると思いますが」。野球部の暴力問題に今も学校全体で対応に追われていることがうかがえた。
同校野球部の暴力問題は7月下旬、被害を受け、転校した元部員の保護者がSNSで告発して表面化。同校はネット上の炎上を尻目に甲子園大会1回戦で勝利したが、その後も複数の元部員と保護者が「他の部員たちから性被害に遭った。警察に被害届も出している」「複数の上級生の暴力で半身麻痺するケガをした」などと告発。問題は社会的注目を集め、同校は結局、2回戦を前に出場辞退し、中井哲之監督と長男の惇一部長は退任した。
そんな経緯もあり、新チーム初戦は報道20社など約30人の取材が殺到。試合後、コーチから昇格した松本健吾・新監督(34)らの囲み取材の場がもうけられた。進行役の広島県高野連北部地区代表理事・河内康弘氏が「今日の試合のことのみの取材にしてください」とクギを刺したが、報道陣から松本監督に暴力問題を踏まえた質問が相次ぎ、河内氏がその都度制止する緊張感のある現場となった。
「どなたからも応援される野球部に」
その中で筆者が気になったのは、松本監督が質問に答える際、「自分たちの野球」という言葉を繰り返し使っていたことだ。
──どんな気持ちで試合に臨んだ?
「とにかく『自分たちの野球』をしようという気持ちです」
──23-0という結果については?
「『自分たちの野球』をしようということが結果につながったと思います」
──監督就任後、チームで何か変えたことは?
「秋の大会に向け、『自分たちの野球』をやるにはどうしたらいいかを日々考えて練習に取り組んでいます」
では、「自分たちの野球」とは、どんな野球なのか。それをただすと、松本監督は筆者の目を見すえ、こう言った。
「『どなたからも応援される野球部を目指していこう』ということです。それが『自分たちの野球』です」
松本監督によると、これは暴力問題発覚以前から掲げていたチームの目標という。この後、選手を代表して囲み取材に応じた曽根丈一郎主将も「今日は『自分たちの野球』をしていこうと(他の選手たちに)声かけをしていました」と言っていたので、「誰からも応援される野球部に」という目標はチーム全体で共有できていたようだ。
曽根主将は高校2年生だけに表情はあどけないが、意志の強そうな目をしていた。一つ一つの質問に自分の言葉で丁寧に答える姿を見ていて、「応援したくなるタイプ」と思えた。
だが、筆者はそう思うと共に胸が重くなり、「応援したい」という気持ちにブレーキがかかる自分に気づいた。暴力被害により志半ばで野球部や学校を去った元部員や保護者らは、広陵高校が応援される光景など絶対見たくないはずだからだ。今回の問題の核心はそういうことだと思う。
⚾岩手さんへ
秋の和歌山はまず、全校で新人戦を戦います。4強に残った時点で一次予選免除となり、決勝進出すると両校は二次予選の決勝まで当たらないと。今回は2校が近畿に行くので、和智弁・市和歌山は相当有力ですね!
新人戦で4強に残れなかったチームが一次予選を戦い、これはいわゆる準々決勝戦までで打ち切り。そこで残った4校が二次予選に進出し、1回戦は・・・新人戦4強組VS一次予選通過4校の8校でトーナメントをするという形ですね。
大阪・奈良・京都・滋賀はトーナメント一本化なんで負けたら即センバツアウト!ですが、和歌山や兵庫は負けてもまだ可能性があるのでいい制度かと。
誤審に関しては、、、慶応の試合でのセカンドベース踏み忘れ?もありましたね!!センバツのホームベース空過に関してはTV観戦でしたが、余裕でセーフのタイミング(野手がホームを諦めて1塁送球したはず)でしたが・・・・・。
箕島は尾藤監督の息子さんが就任した直後は古豪復活で盛り上がりましたが、今の北畑監督になってからは・・・・・。外様監督だし、よくベンチで怒鳴っているので選手が委縮するのでは?
耐久などで監督歴も長いようですが、1度も近畿に出たことないし実績に乏しいのは否めないです。。。
しかし、今日は桐蔭に1-0で完封勝ちしたようだし、二次予選まで来るかも分かりませんね!