自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」

ようこそいらっしゃいました。監督(管理人)の宏鈴法師です。当掲示板は全国どこの話題でもOKですのでどうぞ野球談義・よもやま話をお楽しみ下さい!なお、ご意見ご要望はメールでお願いします。悪しからずご了承くださいませ。


紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
3/20 3日目第3試合 耐久(和歌山)-中央学院(千葉) 14:02~16:08

第4話 強風と雨に泣かされた耐久・・・またいつかこの場所へ

    一二三四五六七八九十計HE
耐  久000000100 152 冷水、川合-川合、江川
中央学院10000330X 7130 臼井、颯佐-飯山
 
      第一試合  第三試合 
      創志学園7 山梨学院7  
      別  海0 京外大西1

 強い風と横殴りの雨に泣かされながらも全く第2試合は中断すらせず強引に試合消化してきた。
外野観戦している際は本当に厳しい環境だった。。。京都外大西が中盤以降突き放され気持ちが切れて、暴風雨とともに荷物を持って通路に下がりラジオ聞きながらスコア付けするという前代未聞の観戦スタイルに突入せざるを得なかった。。。。。

スタンドに戻っても座席はベチャベチャに濡れているので、しゃーなしに通路にへたり込んでコンビニ弁当をかきこんで第3試合の耐久の試合に備えた。
願わくば田辺と耐久のくじを入れ替えて欲しかったが、、、、、神宮優勝の星稜相手に2-4と大善戦した田辺を昨秋の県大会決勝県大会決勝で下した耐久だけに勝機は十分と見ていたし、関東5番目の中央学院だったら田辺も勝って8強以上狙えたかと。

1塁側アルプスを見るとやはり超満員のお客さんで膨れ上がり赤でTの人文字がまぶしかった!!
なぜかしら、近畿大会でも甲子園でも耐久名物盆踊りチャンステーマを封印していたのが残念だった。

阪神園芸の係員が入念な整備を行い無事にまた晴れて14時02分プレーボール。
この日もMBSの技術協力を得てWBS和歌山放送は実況生中継していた。

先攻派の耐久はやはりこの日も先手必勝と先攻を取り1回表1番・堀畑があいさつ代わりのツーベースで無死2塁。相手はエースではなく背番号10の右サイド臼井先発だけに早めに先取点が欲しい。2番・赤山はストレートの四球をもらい無死1・2塁と早くもボルテージが上がってきたが、、、、、3番・澤痛恨の送りバント失敗で暗雲漂い結局3塁ベースも踏めないまま行為激終了してしまったのがこの試合最後まで尾を引いたようだ・・・・・。
その裏、耐久のエース・冷水も緊張からか?先頭打者に四球を与えると送りバントで1死2塁と攻められ3番・水嶋を2球で追い込みながらライト前ヒットで1死1・3塁。
こうなると、いつか聴いたあの曲が耐久ナインを飲み込んでく。。。。https://www.youtube.com/watch?v=cvxhkYHx5YE

冷水投手はこの大ピンチに4番・中村と勝負を挑むが2ボールと分が悪くなり、最悪満塁策もよぎったが、勝負に徹し最後は内133km空振り三振に抑え出口が見えかけたが、5番・颯佐に1ストライクからエンドランをかけられショートの逆を突く三遊間を抜けるあたりで先取点を許してしまった!!いきなりの失点に戦慄が走ったが、6番・森田をショートゴロに抑えまだ初回が終わったばかりと気を取り直した。

しかし2回1死から四球で出塁するもまたもや送りバントが決まらず1-6-3のダブルプレー。3回は三者凡退と徐々に相手の臼井投手のエンジンがかかってきたようで苦しい流れだ。
守っては2回もツーベースと送りバントで1死3塁のピンチを招き9番・上村にスクイズも?と考えたが2ボールからファーストゴロでホーム封殺。3回は1死から四球を出すも4・5番を連続外野フライに抑え冷水投手はまさに耐えて凌いで苦しみながらもロースコアの接戦に持ち込んでいるといった様相だった。

現状打破したい耐久は4回クリーンアップの登場で期待したが早打ちもあり簡単に2アウト。しかし、5番・白井の右中間微妙な当たりが強風に流されライト・センターが交錯している間に2塁到達!!ツキが巡ってきた。ここで追いつきたかったが、6番・川合も1-2から早打ちしてセンターフライ。好球必打は鉄則かもしれないが、凡打になると相手を助けてしまうリスクが、、、
その裏中央学院は6・7番の連打で無死1・2塁。相馬監督はあえて8番・臼井投手に強打を命じてライトフライ。9番・上村は初球バントファールすると強打に切り替えスライダーに三振。1番・青木も2球で追い込み一気にケリをつけたかったが、4球連続ボールで2死満塁と中盤の大きなヤマが訪れた。
ここで井原監督が最初のタイムを要求し2番・小澤は初球ショートフライでまだ試合は分からない。

5回表2死から9番・岩崎が左中間へヒットを放つも直後にまさかのけん制タッチアウト!を喰らいこれで試合の流れが大きく傾いてしまった・・・。
その裏、1死から4番・中村がヒットを放つも冷水投手がここも耐えて6安打喰らいつつ毎回の8残塁でスミ1に抑え味方の奮起を待っていた。

たしかに5回終了0-1ならば耐久ペースと言えなくもないが、いかんせん打線がほぼほぼ機能せず先取点を初回に奪われ後手に回った感が否めない。
この強風に不安定な天候が冷水投手を襲う。。。また終盤に雨雲が近づいて来ることを僕はまだ知らず、もう1回通路に逃げ込まなければならないとは・・・・・。
予算の都合上、毎回屋根下の3塁内野席に座れず田辺優先で大会3日目は外野席当日券購入して500円で浮かせただけに・・・・・。まさか1日2度も強雨に襲われるなんて、、、、、

中央学院は6回から臼井投手をベンチに下げてショート颯佐がリリーフし、エース・蔵並がファーストに入った。
ここまで3安打無失点と危なげないピッチングの先発投手をベンチに下げるのは勇気のいる決断だと思うが、サイドスローからオーバースローに変わり耐久打線も目先を変えられ3巡目だったがあえなく三者凡退。
そして6回裏ここまで耐え続けた冷水投手の決壊が崩れた↓↓
7番・飯山に3安打目となるレフト前ヒットを許し、送りバントで1死2塁。代打・岩崎のショート後方微妙なフライを取れず1死1・2塁とピンチが広がり、1番・青木が1ボールから痛恨のレフトへ2点タイムリー3ベースを放ち0-3と絶望的な差が広がった・・・・・。2番・小澤は初球スクイズファールし、強打に切り替えピッチャーゴロホーム封殺でホッとしたのも束の間、3番・水嶋初球右中間へタイムリースリーベースを放ち長打攻勢で3点追加し、試合が決まってしまった・・・・・。

なんとか1点でも返して大応援団の期待に応えたい耐久。15時34分雨が降り出した7回の攻撃。アルプスも濡れてひときわ寒さが身に応えるが、先頭の4番・岡川が初球レフトへ会心の打球を放つもファール・・・結局三振に倒れ意気消沈するが、5番・白井が左中間へヒットを放ち反撃のノロシを挙げる。6番・川合は1ボールからセンターフライに倒れるが、7番・中は2ボールからレフト前ヒットでようやく好球必打が実を結んだ!!
耐久アルプスのボルテージが上がり、雨の影響で2番手・颯佐の手元が狂い、エース・冷水にフルカウントからまさかの右ヒジ死球↓↓出塁できたのは嬉しいがフルカウントだし何もエースの利き腕に当てなくても・・・・・。
これでホームランが出れば一気に4-4同点となり、9番・岩崎は前の打席でヒットを放っているので最低2点返したいところで3連続ボールとなり、ここは待球作戦が功を奏し押し出し四球で待望の甲子園初得点!
1番・堀畑が長打で一気に猛追と願ったが、スライダーに三振し最大のチャンスは最少得点で終わってしまい直後に大雨が↓↓
冷水投手の右ヒジ死球と大雨の影響で守備のリズムも狂い、先頭の颯佐はサードゴロ悪送球で無死2塁のピンチを招き、さらに3塁線のバントがまたもやサード・岩崎の悪送球を誘発し苦労してもぎとった1点をすぐさま掃き出し、このあたりだったか?もう大雨に辛抱たまらず第2試合に続いて通路に逃げ込むしかなかった・・・・・。
それでも誰一人として微動だにしない耐久アルプスには母校愛を感じさせた。さらに送りバントで1死3塁と相馬監督は執拗に攻め、8番・蔵並は外ボール球に手を出し三振すると9番・岩崎には2死3塁ながら初球セーフティーとトリッキーな攻撃でシレっと6点目を奪い、1番・青木がトドメのセンターオーバータイムリーツーベースで1-7と力の差が浮き彫りになってしまった・・・・・。

8回は2番からの攻撃だったが、耐久ナインはさすがに戦意喪失したようであっさり三者凡退。。。その裏夏を見据えてか?エース・冷水をベンチに下げて2番手にはなんとキャッチャー川合がマウンドへ・・・。
相手クリーンアップを3人で退けいつしか甲子園の上空には青空が!!

もう最後はスタンドで見るしかないともう1回外野席に陣取り最後の応援。
井原監督は代打攻勢に出てきたがあっさりツーアウト。それでも代打・原野が四球で出塁し、代走・竹中の出番がやってきた。しかし最後はライトフライであえなく試合終了。

なんとこれまで甲子園2戦全敗だった中央学院に初白星を献上してしまい、田辺に続いて耐久も初戦敗退で・・・5年前(2019年)のアベック8強入りは遠かった。。。

やはり打線の底上げができず、終盤守備の乱れが失点に絡み総合力で相手が上回った格好だった。
夏に関しては、冷水投手頼みの耐久よりも寺西投手に4番・山本陣選手といった投打の軸がいる田辺の方が甲子園に帰ってきて欲しいなと思いながら寒風の甲子園を足早に出た。

しかし、、、今大会閉会式での応援団賞で田辺は優秀賞だったが、耐久は最優秀賞を受賞して野球王国・和歌山の意地は見せつけてくれた!!
https://www.youtube.com/watch?v=5J1XFlBBbKI

翌日の4日目は自宅観戦。1・3・5日目に観戦していたので交互にTV観戦と現地観戦をジグザグさせていた。
4日目第1試合で宇治山田商が登場。津西を長年率いていた村田監督にとって初舞台となる。相手は東海大福岡ゆえに福岡のハイスピード野球に翻弄されてあっという間にゲームセットにならなければ良いが、、、と危惧していたがここまでふがいない近畿勢と違って三重の意地を見せてくれた。それはまた次回の講釈で。

チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 死球 三振 失点 自責
耐  久 冷 水  7   38 125 13  3  2  0   3  7  5
耐  久 川 合  1    3  14  0  0  0  0   0  0  0

中央学院 臼 井  5   19   70  3  0  2  0  2  0  0
中央学院 颯 佐  4   17  61  2  0  2  1  4  1  1  

                      (完)

                    🌟次回予告🌟
   3/21 4日目第1試合 宇治山田商(三重)-東海大福岡(福岡)
2025/01/16(木) 22時18分40秒 No.1543 編集 削除
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☝部員5人→13人、松江北高校野球部 雰囲気や活動配信、インスタ勧誘実った 人数増え活気「春の大会は単独チームで!」
https://news.yahoo.co.jp/articles/2b7221737c406caea8904106c38d73c781ec2c63

部員数の減少でチーム編成ができなかった松江北高校の野球部が、交流サイトなどを通した勧誘活動で新入生らを獲得している。部員を増やしながら、大会に向けて練習に熱を上げている。

同校野球部は、2023年夏の島根大会終了後に5人の3年生が引退し、選手は1、2年生合わせて5人に。このため同年秋の大会は江津、浜田水産両校との合同チームで出場した。

人数不足で試合を想定した練習ができず、基礎トレーニングや小人数でもできる守備練習などを行った。当時1年生だった加藤想也主将(17)=2年=は「人数がさらに減ったらどうしようかと、不安な毎日だった」と振り返る。

そこで他の部員と相談し、野球部公式インスタグラムを23年8月に開設。新入生らに、部の雰囲気や練習内容などの情報を画像や動画で伝えることにした。

インスタには、打撃練習や筋トレなどの様子を投稿。マネージャーらが撮影し、監督も文章を加えるなど投稿に加わるほか、近隣の保育所で子どもたちに野球の楽しさを伝える様子なども撮影する。

こうした情報発信の成果で現在、部員は1年生9人と2年生4人の計13人になった。24年春に入部した川谷蒼平さん(15)=1年=は「入部前から練習などの内容が分かり、楽しそうな雰囲気も感じられる」と話した。

選手が増え、ノックなど練習内容も増えてきたといい、春の大会に向けてトレーニングに励む。加藤主将は「単独チームとして、一戦必勝で勝ち進みたい」と気合いを入れた。

📝阪神大震災から17日で30年 〝神整備〟阪神園芸・金沢健児さん「私は母と妻と甲子園に生かされている」
https://news.yahoo.co.jp/articles/46061998412fa2cc490b0c391094479dccc1a445

6434人の命を奪い、4万3792人の負傷者を出した阪神大震災から17日で30年になる。甲子園球場の〝神整備〟で知られる阪神園芸の金沢健児・甲子園施設部長(57)は最愛の母を震災で亡くした。母の勧めで就いたグラウンド整備の職。母と甲子園に生かされている-の思いを胸に、球団創設90周年のアニバーサリーイヤーに臨む。

暗闇の中で、炎がいくつも上がっている。神戸市東灘区の自宅マンションの12階から見た光景にがく然としました。何が起こっているのか分からず、夢かと思いました。

日が昇るのを待ってマンションを出発。灘区にあった木造建築の実家は倒壊し、燃えていました。周りの家も火に包まれていて近づくこともできません。女手一つで育ててくれた母・静江はもう助からないかもと感じました。

消防隊の数も足りなくて、自然鎮火を待つのみ。5日ほど経ち、ようやく遺骨を拾うことができました。母は52歳でした。

2月の高知・安芸市での春季キャンプ中、夜はホテルの自室でNHKテレビを朝までつけっぱなしにしていました。夜通しで神戸の様子を流していたからです。もちろん涙も出ましたが、ここから頑張らないといけないし、前に進むしかないと決めました。

今の仕事に就けたのは母のおかげです。母はもともと飲食店で働いていましたが、あるときから甲子園球場で働き始め、グラウンドキーパーに欠員が出たことを知り、勧めてくれました。私は1988年に入社。球団マスコットガールに採用されてボールガールを務めていた妻と知り合いました。

結婚したのが94年12月。もし、そのタイミングで結婚していなければ、震災のときも実家に住んでいたはずで、きっと私はこの世にはいないでしょう。母、妻、そして甲子園に生かされていると思っています。

仕事終わりの母を待つように、私は小学生の頃から毎日のように甲子園にきていました。藤田平さん、江本孟紀さん、掛布雅之さんたちが、みんなよくしてくれて…。中学の野球部で肩を痛めて捕手から一塁に転向したときは藤田さんがファーストミットを贈ってくれたり、掛布さんはオープン戦で3打席連続本塁打を放ったバットをプレゼントしてくれたり、本当にかわいがってもらいました。

阪神大震災のとき、藤田さんは2軍監督を務められており、春季キャンプで「何かあれば言えよ」と声をかけてくれました。藤田さんの家も大変なことになっているのに、です。阪神以外でも金村義明さんや山本昌さんらも私のことを知らないはずなのに「頑張れ」と言ってくれたり、心遣いがありがたかったです。

昔の甲子園は通路から階段を上ってスタンドに出るという構造でした。私は子供の頃から、この瞬間が大好きでした。青空の下、黒土に緑の芝生-。どんなに雨が降っても、グラウンドコンディションを整えたい。試合を待ちたい。美しい光景を目に焼き付けてもらいたいという思いが私の仕事の原点です。世界一のスタジアムとして恩返ししたいと思っています。

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📝阪神大震災2か月後の甲子園、抗議は開幕後ぴたっとやんだ…95年選抜の記憶伝える
https://news.yahoo.co.jp/articles/feaeebf0af298f04242833af2c2115eefa888be1

1995年1月17日、大地震から6時間がたった正午頃だった。日本高校野球連盟事務局長(当時)の田名部和裕(78)は、兵庫県西宮市の自宅からがれきの間を縫うようにバイクを走らせ、市内の甲子園球場にたどり着いた。

「無事やったか……」。グラウンドから見渡した無人のスタンドには静寂が広がっていた。「なんてすごい球場なんや」。涙がこみ上げた。

だが、同時にこうも思った。「選抜はとても無理や」。第67回選抜高校野球大会の開幕まで2か月と少し。球場までの道のりで、無数の倒壊家屋を見たからだ。

避難生活を余儀なくされた人は約30万人に膨れあがった。3日後に選抜大会の出場校の決定延期を表明した日本高野連に対し、「なぜ早く中止を決めないのか」「被災地で野球なんて」と抗議電話が殺到。多い日は100本にも上った。

そんな中、被害の少なかった大阪で暮らす大会関係者が「やりましょうよ」と意見するのが聞こえ、田名部は「被災地を見てから言え」と悔しかった。できることなら球児の夢を守ってやりたい。その気持ちは持ちつつ慎重に可否を探った。

被災自治体、警察、代替球場として神宮球場(東京)、マスカットスタジアム(岡山)などあらゆる関係先と相談した。

それでも、球児たちの憧れである甲子園にこだわった。選手や応援団は復興を妨げないよう貸し切りバスを使わず電車で球場入りする、鳴り物応援を自粛させる――。開催条件を練り上げ、2月15日、兵庫県知事(当時)の貝原俊民を訪ねた。貝原は窓の外に目をやって言った。「桜が咲く頃には、被災地にも明るいニュースが必要でしょう」

日本高野連は2日後、大会開催を正式に発表した。
3月25日の開会式。32校の選手らが厳しい表情のまま整列する姿に、田名部は「万感の思い」に震えた。

舞台の意味を、球児たちも感じ取っていた。埼玉県立鷲宮高の主将だった長谷川大(47)は、選手宣誓をこんな言葉で締めた。

「夢と希望と感動を与え、復興の勇気づけとなるような試合をすることを誓います」

日本高野連への抗議は開幕後、ぴたっとやんだ。

地元・兵庫の代表3校のうち、神港学園を率いた北原光広(71)は葛藤していた。「本当に今、野球なのか」と。地震直後、選手らとボランティア活動に出向くと「選抜への得点稼ぎか」との声を浴びた。

でも、甲子園の歓声は温かかった。神港学園高は8強に進出。避難所のテレビで被災者が応援してくれていると知り、救われた。甲子園で挙げた2勝のウィニングボールを、大切にすると決めた。「混乱の中でプレーする舞台を与えられた感謝を伝え続けていく」

ロシアのタンカー「ナホトカ号」が日本海で沈没した97年1月、田名部は2年前の選抜に出た兵庫県の3校にボランティア活動を提案した。重油が漂着した福井県の浜辺で自らも野球部員らと除去作業をした。

その中に北原の長男、神港学園高2年の直也(45)がいた。震災当時は入学前だったが、「恩返しの場をもらえてうれしい」と油にまみれた。2018年に父を継いで監督に就任。父が歴代部員と取り組んできた、毎年1月17日の慰霊祭に向けた準備のボランティア活動も受け継いだ。

前身は、あの大会を制した観音寺中央高。優勝の瞬間、ナインが喜びを爆発させることはなかった。主将だった土井は、「被災地で野球をさせてもらっている。『やった』より『ありがとう』だった」。

寮生活だった土井の西宮市の実家は半壊。帰省して避難所で一晩を過ごし、つらさを知った。伝わりにくいだろうと教え子らに語ることは控えてきたが、最近になって心境に変化が生まれた。「やっぱり大切なことやから。今年は生徒らにしっかりと話してみたい」


田名部は今、改めて思う。「ひたむきな球児の姿が、どれほど人の胸を打つか。95年大会が道を作った」。コロナ禍の2020年こそ中止されたが、11年の東日本大震災、そして昨年の能登半島地震の後も選抜は開かれた。

今ありて 時代も連なり始める――

大会歌に胸を震わせたあの日から、30年。変わらぬ球春が、近づいている。

📝桐朋・森井翔太郎が推定150万ドルでアスレチックスとマイナー契約 9球団争奪戦超高校級の逸材
https://news.yahoo.co.jp/articles/7d0970d3d223188107347c552f364a36ad50ebc5

米球界挑戦を表明していた桐朋(東京)の森井翔太郎内野手(3年)が、アスレチックスとマイナー契約を結ぶことが、14日までに分かった。契約金は150万ドル(約2億3300万円)。最速153キロの右腕で高校通算45本塁打を数える左の強打者を巡っては、米9球団による争奪戦となっていた。超高校級の逸材は高校卒業後、即渡米し、大リーガーへの道を駆け上がる。(金額は推定)

1日でも早く、大リーガーの夢をかなえる。世代屈指のポテンシャルで注目された森井が“夢の実現”のため選んだのは、古豪アスレチックスだった。この日までに、マイナー契約を結ぶことを決めた。

偏差値70の進学校に在籍しながら、投げては最速153キロ、打っては高校通算45本塁打。183センチ、89キロのガッシリとした体格を誇る逸材だ。昨年7月の西東京大会初戦には、日米14球団42人のスカウトや編成関係者が大集結。「肩の強さ、走っている姿から身体能力の高さを感じる」「(中日などで活躍し日米通算2450安打の)福留さんの力強さ、柔らかさがダブる」など、ドラフト上位候補としてスカウトたちが絶賛した。

打撃では圧倒的な飛距離を誇る。フリー打撃では、木製バットでも同校グラウンドの右翼約87メートル、高さ約10メートルのネットを悠々と超える打球を連発。ネット後方の木々に直撃することも日常茶飯事だった。

夏の時点では進路を「米挑戦、NPB、米大学」で迷っていたが、昨年9月に人生で初めて渡米したことで、高校卒業後の米球界挑戦へ気持ちが固まった。「ここを自分は目指していて、最終目標でもある」と夢を再確認し、NPB12球団にドラフト会議での指名を見送るよう意思表明の文書を送付していた。

25歳未満のため、メジャー球団とはマイナー契約しか結べない。「はい上がっていきたい」と覚悟はできている。最終目標の「メジャーで活躍すること」をいち早くかなえるために、18歳で海を渡る。
2025/01/15(水) 22時20分12秒 No.1542 編集 削除
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📝広島県令和7(2025)年度 事業計画予定
https://hiroshima-hbf1950.com/img/file320.pdf

昨夜の寝しな前にフト広島県高野連HPを見たら・・・なんと約1ヶ月ほど前に、来季の年間行事予定を発表されておりました!!

今年の中国大会は春は順番通り岡山・秋は高校野球雑誌が報じた通り山口と確定。

今日、5月31日2年前の秋、お世話になった岡山城近くのヤドを予約しておきました。
しかし、倉敷MS・倉敷市営と2球場に分散するようですね。

2年前から春の中国は1球場集中でなく、準々決勝を分散する方式になっていたので、、、、、

過去3回来場して全てナイター点灯し2回雨に祟られ1度は2時間30分近い中断を喰らった倉敷市営球場。
倉敷駅から歩いて行けることを確認しているので、またあの一本道を歩いて、前回行き損ねた新倉敷の『満天の湯』へ行けたらと!

しかしそうなると・・・来年秋は鳥取開催が内定しているようですが、順番通りだと春も鳥取となるので中国では珍しく春秋連続開催???

今年は2泊3日で山陰は鳥取遠征を企画しているので、春か秋の鳥取大会。できれば9月中旬で米子・倉吉開催を望みます!

📝数々の厳格ルールに批判も「恥じることはない」 レジェンドOBが語るPL学園の“本質”
https://news.yahoo.co.jp/articles/4422604c9ab3c03870b129d978de9fc9a3ce9de3

PL学園OBの宮本慎也氏「また野球部ができることを願っています」
宮本慎也氏【写真:荒川祐史】

 母校へのもどかしさが伝わってきた。2017年限りで高野連を脱退し、休部状態が続くPL学園硬式野球部の卒部生たちによる懇親会が12日、大阪市内で開かれた。出席した元ヤクルトの宮本慎也氏は「また野球部ができることをもちろんみんな願っています。僕だけじゃなくて、今日来られなかった方もそう願っていると思う」と、1期生から最後の卒部生である62期生までの心情を代弁した。

同部は、当時高校生として在学中で、のちに監督やスカウトとして活躍する井元俊秀氏が声をあげて1956年に創部された。創部7年目の1962年に井元氏が指揮官として甲子園初出場へ導くと、山本泰監督体制だった1978年夏に初めて全国の頂点に立った。1980年代には桑田真澄氏と清原和博氏による「KKコンビ」ら時代の寵児たちを擁して黄金期を築き、活動を休止するまでに春3度、夏4度の甲子園優勝を成し遂げている。

宮本氏も高校2年生だった1987年夏に、負傷した強打者・深瀬猛氏に代わって準決勝と決勝に出場し、史上4校目の春夏連覇に貢献した。同校で暮らした日々を懐かしんだ懇親会のあと、宮本氏は「PL学園って良くも悪くもいろいろ言われるんですけども……。なんて言うんですかね……。僕にとってはいい野球部だった」と、言葉を選びながら本音を絞り出した。

昭和において全国の球児が憧れる高校の1つだった。一方で、同校の厳格な上下関係・ルールが問題視され、時代にそぐわなくなり、2000年以降に不祥事が幾度も表面化。そして2013年の上級生による下級生への部内暴力が引き金となり6か月の対外試合禁止、特待生の受け入れ停止、新入部員募集停止と進み、高野連脱退に至ってしまった。

「何事も時代に合わさないといけない」
 
宮本氏は「批判されている方の気持ちも分かっているつもりです」と語る。一方で、その時代の憧れになった当事者として「(PL学園硬式野球部は)結果も出ていますし、そこ(当時の部活動のあり方)は別に僕は恥じることないと思ってるんで」とも述べた。

ただ、「やっぱりね、何事も時代に合わさないといけないと思います。アマチュア、プロ関係なく指導者の立場になっているOBがほとんどで、みんなそれは分かっていると思います」と力を込めた。自ら少年時代を過ごし、誇りに思っている昭和風のしきたりを押し付けるのではなく、新しい時代で求められる指導をしないといけないと示した。

ヤクルト一筋で通算2133安打を放ち、ゴールデングラブ賞に10度輝いた宮本氏は昨年、母校のユニホームを着る機会があった。マスターズ甲子園地方予選に1試合出場。「体形が変わってるから、なんかもう一つでした」と苦笑いを浮かべる。

そして、「PL学園に否定的な方もいっぱいいらっしゃいますけど、僕らはこの学校で野球ができて良かったなっていう風に思っているんです。周りに左右されずに復活の時には一致団結したいですね」と語った。

📝大阪桐蔭・森陽樹 佐々木朗希参考に飛躍期す1m90超大型右腕 狙う最速155キロ
https://news.yahoo.co.jp/articles/9eae25a38a4b789084934fa70ddf5663f4f0cadf

アマチュア野球の有力選手を調査する企画「スポニチ調査ファイル」の番外編。今秋ドラフト上位候補に挙がる大阪桐蔭(大阪)・森陽樹投手(2年)は「夏の日本一」と「高卒ドラ1」を目標に掲げ、高校ラストイヤーに臨む最速153キロ右腕。ほぼ同じ体格の佐々木朗希を参考にして自慢の直球にさらなる磨きをかけ、夏までに最速155キロ到達を目指す。

最速153キロを誇る森は1月5日、大阪府大東市のグラウンドで始動した。年始の決意を問われると「まずは夏の日本一を全員で獲りに行って、最終的には個人の目標として、ドラフト1位でプロ野球選手になることが目標です」と言葉に力をこめた。

1メートル90、92キロ。人よりもかなり高い目線の先に、日本の頂点と最高評価を見据える。そのためにやるべきことも分かっている。「まずは、基本となる体。まだまだ弱いと思うので、しっかり土台をつくって、もっと考え方とか取り組みの部分で成長できるように頑張っていきたいと思います」。すでにプロ顔負けの堂々たる体格を誇るが、本人は、まだ物足りないようだ。

最大の武器に磨きをかけることも、忘れない。遠投120メートルという強肩から生み出される剛球だ。「自分の持ち味はストレート。相手打者にどんどんストレートで投げて行って、押していくというのが自分の強みだと思います」と自己分析。すでに最速153キロを計測しているが、歩みを止めるつもりはない。

「まずは球速というのが一番、大事。球の速さというのは一番の武器だと思うので、速さをまず求めて行った中で、切れだったり、回転数の多さだったりを求めて行きたい。夏で言ったら155キロを目標にやっています」

夏までの「最速2キロアップ」に向け、オフ期間から走り込みやウエートトレーニングで下半身強化に努めている。その努力の積み重ねが球速の目標値だけでなく、憧れの投手の背中に近づくことにもなる。佐々木朗希だ。

「160キロを超えるような真っすぐと、変化球も切れがあって、身長も高くて、自分も身長も同じくらいで手足が長くて、タイプで言うと似ているかなと思うので、自分の目標にしている投手です」

目標の右腕は公称1メートル92、92キロ。確かに、ほぼ同体格だ。動画などを見る機会には「真っすぐの握りとかフォークとかの握りとかを見ています」と言う。ただし。フォームは、自身の形を貫く。「フォームはあまりイジりたくないので(佐々木を参考にはしていません)」。取り入れる部分と崩さない部分をきっちりと分け、さらなる進化を期す。

「もうこの高校に入った時からずっと“ドラフト1位で行く”と言っていたので。その目標を強く持っているので、その目標にブレずに、ずっとやってきている」

大志を抱き、宮崎から大阪にやってきた。夏の日本一とドラフト1位指名――。自慢の直球で並み居る敵を圧倒し、目標に向かって一直線に突き進む。
2025/01/14(火) 22時09分20秒 No.1541 編集 削除
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📝選手を長く休ませるのは勇気が要ったが…年末年始休暇を10日間も取ったワケ(持丸修一/専修大松戸 野球部監督)
https://news.yahoo.co.jp/articles/b897ac6115a08fcd8d8d782d6dc088b5e5bbdc08

【持丸修一 76歳名将の高校野球論】#54

あけましておめでとうございます。
専大松戸は昨秋の千葉大会準決勝で敗れ、今春のセンバツ出場切符に手が届きませんでした。その分、夏の本番に照準を合わせて牙を研いでいる最中です。

高校生の成長速度はまさに雨後のタケノコ。冬の対外試合禁止期間でも、練習次第で見違えるほどの成長が期待できます。

特に、冬の投手育成において最重要視しているのが走り込み。「ラスト一本!」とゲキを飛ばしつつ、やらせた後で「やっぱりもう一本!」と限界に挑戦させたりも(笑)。その次に牽制などの投内連係です。投球とメンタルは直結しているから、「投球ではない部分」を固めることで、余計なことを考えずに目いっぱい投げ込める態勢をつくってやる……といったことは、昨年同時期のコラムで詳しく触れましたね。

この時期はレベルアップの大チャンスなだけに、年末年始はどのくらい休暇を与えるべきなのか、頭を悩ませる指導者も少なくないはずです。
では、専大松戸はどうか。今年は平年より休みを2日間前倒しして、12月26日から1月4日までの10日間をオフにしました。これだけ長い期間休ませるのは勇気がいりました。しかし、故障気味の選手が多かったこと、春夏連続甲子園出場という結果を残した2023年とは違い、今年のチームは結果を出せていない現状を踏まえ、雰囲気を一新するためのリフレッシュ期間が必要と判断しました。

選手たちに課した宿題は主に2つ。まずはケガを治し切ること。そして日頃教えている基本動作の反復を続けることです。専大松戸の専用グラウンドは開放しているから練習場所には困らないはず。例えば野手ならバント、投手はフォームの定着などを重点的に取り組み、休み明けで習慣が崩れないよう努めてほしいと思っています。

休暇中に怠けていたら、全体練習を再開した際の体の運び方や足腰の動きから一目瞭然です。自分で自分に必要なことに気付けなければ意味がない。日頃から自主練の重要性は説いているつもりなので、わざわざ叱ることはありませんが、残念な気持ちになります。そのことだけで評価を下げることはないものの、指導者の目のないところで努力できない選手はおのずとレギュラー争いから脱落していきます。

入学から引退まであっという間。厳しいようですが、ひとりひとり選手全員を一から十まで尻を叩いて鍛えていく余裕はないのです。

📝審判員不足の高校野球 新たな担い手発掘へ、球児に講習会 三重
https://news.yahoo.co.jp/articles/fb058a42b294cdcd3027e6f563d45fdec32dd1be

三重県内の高校野球で審判員が不足しているという。かつては必要な人数がそろわず、公式戦を順延したこともあった。県高野連は野球部員の高校生を対象にした審判講習会を開くなど、新たな担い手の発掘に取り組んでいる。

「ストラーイクッ」。冬空の下、ベテラン審判の指導を受けながら高校生たちが声をグラウンドに響き渡らせた。昨年12月に暁高と松阪工業高で開催された講習会には2カ所で約170人が参加し、アウト、セーフの基本的なジェスチャーや球審、塁審の立つ位置やストライク、ボールの投球判定などの説明を興味深そうに聞いていた。近大高専3年の下村雄基さん(18)は「普段プレーしていても知らないルールを知ることができた。指導者の道も考えているが、審判として高校野球に貢献したい」と語った。

県高野連によると、審判員は20年前には約80人いたものの、現在は半分に減ったという。高齢化のほか、最近はプロ、アマ問わずスポーツの誤審がSNSで話題となり、審判員を批判する投稿が目立つため、希望者も少ないという。

影響はすでに出ている。2022年の秋季県大会では審判員の人数がそろわず、試合を順延したことがあった。県高野連の栗谷佳宏理事長は「球場も確保され、両チームは試合ができる状態だったけど、審判がいなければ試合ができない。心苦しかった」と振り返った。

高校野球の審判員はそれぞれ本業があり、ボランティアとして務めている。県高野連審判部の宮崎昭副部長は「仕事があるので平日開催になると人数をそろえるのが大変。特に順延などで日程が変更すると、より難しくなる」という。

県高野連は人材を増やすため、まずは審判員に興味を持ってもらおうと、学生を対象にした講習会を22年から始めた。ほかにも、SNSで活動内容を発信するなど、審判員への理解を広めるように努めている。

高校野球の審判員に資格はなく、県高野連審判部に登録後、年2回の講習会を受講し、練習試合で一定の経験を積むと、公式試合をジャッジすることができる。実績が評価されれば、夏の全国選手権や春の選抜大会でジャッジする可能性もあるという。栗谷理事長は「選手としてかなえられなかった甲子園出場の夢をかなえられるチャンスがある。一人でも多く審判に興味を持ってもらいたい」と話した。

📝投球の悪癖矯正「高校3年間では足りない」 軟式出身に強みも…中学部活に潜む“リスク”
https://news.yahoo.co.jp/articles/37258284859b9a8e2f57abf7d56fde3c4108b0d8

PL学園に有力選手を多数勧誘…井元俊秀氏が語る中学軟式野球出身の特徴

一般的に軟式野球は硬式よりもレベルが下に見られがちだが、甲子園常連校のレギュラーやプロ野球選手にも、中学軟式出身で活躍する選手は多い。軟式には軟式で培われる“強み”を知ることで、これまで気付いていなかった長所を発見できるはず。1980年代から1990年代にかけて黄金期を築いた高校野球の強豪・PL学園高(大阪)で、有望な中学生を全国からスカウトする役を務めていた陰の功労者・井元俊秀氏は、「軟式には強い子がたくさんいます」と話す。

PL学園は1956年の創部から、休部した2016年までに甲子園を春3回、夏4回制した強豪。圧倒的強さと華やかなスタンド応援で注目を浴びた。NPB入りした卒業生の人数は「82」にのぼり、これは中京大中京(愛知)に次ぐ2番目に多い数字だ。OBの活躍は国内に留まらず、松井稼頭央氏、桑田真澄氏、福留孝介氏、前田健太氏らがMLB移籍も果たした。

その目利きの高さで桑田氏と清原和博氏の「KKコンビ」を同校へ導いた井元氏。入部してくる球児は「硬式の中学生が多かった」というが、それでも「硬式のボールには半年もあれば慣れる」と、実際に軟式出身の球児も勧誘して聖地で躍動させてきた。そんな“伝説のスカウトマン”が感じてきた「強い子」を生む軟式出身のメリットとは何か。その答えを次のように語った。

「軟式は学校のクラブ活動なので、子どもたちが毎日のように練習できる。対して硬式のチームは、今は平日の夜に練習をしているところもあるようだけど、しっかりと練習できるのは土日だけ。つまり軟式の子には(練習量の差による)体力があったんです。練習を毎日してきたことによる継続力、気持ちの強さもあったように思いますね」

スカウトした軟式出身で最も印象的だった球児は、和歌山県・河西中の西田真二氏(元広島、現セガサミー監督)。まだ14歳ながら顧問に代わってまとめ役をする性格、「毎日カゴの中で1時間以上バッティングをしていた」という熱心さ、力強い打撃などに将来性を感じたと振り返る。

「練習の様子を見て、他のスカウトたちは西田のことを“気難しい”と感じたようですが、僕と、東海大相模監督でスカウトもしていた原貢さんだけは熱心に誘っていた。携帯電話がない時代だから西田の実家へ公衆電話で連絡して、原さんが帰ったことを確認してから、ご両親や西田本人と話すために家に行くんです。冬でもずっと待ちました。夜11時まで待ったこともありましたよ」

戦況を土壇場でひっくり返す強さから「逆転のPL」と言われた1978年夏、同校の甲子園初優勝にエース兼4番として貢献した西田氏。しかし、中学時代に打撃力こそ高評価をつけたが、投手力においてはそうではなかった。中学軟式の選手は野球経験がない先生が顧問に付いて「悪い癖がついていることがある」といい、西田氏にも同様のことが言えたという。

スカウトする上で「ボールを正しく投げられるか」を重要ポイントにしていた井元氏。西田氏については中学3年秋にPL学園中へ転入後に、投げ方指導を受けさせた。それでも、フォームの悪癖矯正は「高校3年間では時間が足りない」と言い、強豪校での活躍を望む選手は正しい投げ方、基本動作を大切に、小・中学生の段階で練習しておくべきだと力説した。

「ちゃんとした指導者と野球ができるのであれば、軟式でも強豪校に入ったり、甲子園に出られたりするチャンスはあります。軟式か硬式か、個々の筋力に適した方を選んで、『正しい投げ方』を学ぶこと。成長期後半の高校生になったら身体ができて筋力がつく。そうすれば周りとの差がより出てきますから」

軟式であれ硬式であれ、中学はまだ基礎固めの時期。先を見据えて焦ることなく、正しい技術で“強み”を揺るぎないものにしたい。

㊗甲子園で「西宮市二十歳のつどい」開催、3478人が球児の聖地で節目祝う
https://news.yahoo.co.jp/articles/146f2fb6cc352b1cb4cad726c51b6a0bd7ba3e20

兵庫・西宮市の甲子園球場で「成人の日」の13日、同市主催の「西宮市二十歳のつどい」が行われた。

午後1時から約30分にわたり実施され、色とりどりの華やかな振り袖や、りりしいスーツに身を包んだ3478人が、聖地で節目を祝った。
2025/01/13(月) 22時12分03秒 No.1540 編集 削除
3/20 3日目第1試合 創志学園(岡山)-別海(北海道) 9:02~10:46 

第3話 老獪な野球~アグレッシブベースボールへの変換 創志学園は甲子園で飛躍できるか?

    一二三四五六七八九十計HE
創志学園000130210 7100 山口-後藤
別  海000000000 045 堺、金澤-中道
 
      第二試合  第三試合 
      山梨学院  耐  久
      京外大西  中央学院

 大会3日目はここ10年間でセンバツ史上もっとも寒い1日だったかもしれない・・・・・。
とにかく西風8、4mという強風に加え、早朝5時には雷が鳴り、予報では11時~13時雨予報でレフトスタンドに陣取る僕にとっては屋根もなく吹きさらしの環境の中、ただただ耐えるしかなく最悪2試合完了して中止ともなれば、第3試合の耐久を観戦するために寒風の中やってきたのに泣くに泣けない・・・・・。

とりあえず、第1試合は早朝の雷雲もどこかに消えて予定通りプレーボールで開門してからは晴れていたので第1試合は確実に完了できそう!
長澤監督の後釜として相模から来た門馬監督がついに創志のユニホームを着て甲子園に帰ってきた!

老獪な野球~アグレッシブベースボールへの転換で岡山野球は劇的な変化をもたらすのか???
創志学園は2010年創部から丸1年でセンバツ初出場して以来、岡山・中国ではトップクラスを走っているが、なぜかしら甲子園では初戦敗退か1勝どまりが続いている・・・・・。
門馬監督がその殻を破って一気に優勝戦線に躍り出るのでは?という期待も大きかったが、、、、、

くじ運よく初戦は21世紀枠の北海道・別海。どう考えても負ける要素はないが、この寒さは道産子に味方するだろうか?
ノックを終えて試合直前の1塁側ベンチ前では創志の選手たちがベンチ前から外野のファールグラウンドを全力疾走してやる気満々だった。これがアグレッシブということか。
逆に別海ナインは寒さに強いはずだが、試合中1・3塁コーチャーはウインドブレーカーを羽織ってグラウンドに入り、門馬監督よりも恰幅の良い島影監督はベンチでグラウンドコートを羽織っての采配。もはやどちらが道産子なのか分からないままプレーボール。

長澤監督はほとんど先攻派だったが、門馬監督は後攻派のはずがどこかで転機を迎え先攻派に転身した模様。
1回表から1塁アルプスはおなじみの大音量で後押しする!
https://www.youtube.com/watch?v=H288YmLvAbM

1番・亀谷はファーストゴロに倒れたが、2番・杉山は相手エース右サイドのトルネード投法という変則堺投手から6球粘ってレフト前ヒット。門馬監督がいきなりエンドランでも仕掛けるか?と見ていたら、初球ショートゴロでランナー入れ替わり。直後に4番・豊島がセンター前ヒットを放つも5番・賀陽セカンドゴロで2者残塁。
ややモヤモヤの残る攻撃だったが、創志のサウスポーエース山口のデキが非常に素晴らしく別海打線は手も足も出ず・・・。

2回表創志は1死から7番・秦が初球ライト前ヒットを放つと初回は動かなかった門馬監督が、8番・矢野の1ボールからエンドランを仕掛け3塁線ファール。さらに3球目も同じような作戦に出たが結果的にバッター空振りで盗塁成功。5球目に暴投が絡んで1死3塁フルカウントになると、神奈川ではほとんどしなかったと思われるスクイズを6球目に仕替えてきたがまさかのピッチャーフライゲッツー・・・・・。

3回は2死からセンター前に落ちるポテンヒットで打者走者2塁を陥れる好走塁に暴投そして四球で2死1・3塁とチャンスが広がり4番・豊島が初球センターに快心の打球を放つも正面に飛んでしまい点が入りそうで入らない創志の伝統を引き継いでいた・・・。

それでも山口投手は別海打線にまともに打たせず序盤3回パーフェクトピッチングで三振6つを奪い外野飛球はわずかに1つとレフト・センターにボールが飛ぶ気配もなかった!!
 
ここまで打線が全く機能しなかった創志だが、打者一巡してだんだん慣れてきたのか?あるいは別海ナインが寒さで凍えてきたのか???
4回表先頭打者のなんでもないショートゴロをはじき、慌てて投げて大暴投して無死2塁。これを送って1死3塁とお膳立てし、7番・秦初球ウエストを悠然と見送り2球目センター犠飛を放ちようやく1点先制!1塁アルプスからはアップテンポな 🎵桃太郎の歌 https://www.youtube.com/watch?v=QW4WhPaxow8 が響き渡りこれで大丈夫かなと。
しかし、その裏1死から2番・影山がレフト前ヒットを放ち完全試合どころかノーヒットノーランがつぶれ、2死後に盗塁。さらには2ストライクと追い込みながら4連続ボールによる四球そして暴投で逆転のランナーが2塁へ進みヒヤヒヤしたが、このピンチもスライダーで三振を奪いなんと4回で9奪三振と飛ばしていた!!

5回表ようやく胸のつかえがとれた!!先頭の山口投手が左中間にヒットを放ち、1番・亀谷は初球セカンドフライに倒れたが、2番・杉山の1球目ボールの後の無用な牽制が大きく逸れて山口は一気に3塁へ!!さらにストレートの四球で1死1・3塁とチャンスは広がり、別海内野陣はセカンドゲッツーシフト。しかし、セカンドゴロに仕留めたものの野選で2点目が入り気持ちが切れたようだ、、、、、
すかさず盗塁を決め、4番・豊島がストレートの四球を選び満塁とし、5番・賀陽のショートゴロゲッツー崩れで3点目。さらにセカンドタイムリーエラーで安全圏の4点目が入りもう心配無用と!
別海打線は4回以外はおとなしく3人ずつで攻撃を終え試合の7割~8割は創志の攻撃というワンサイドで整備に入った。

創志のエース・山口は安定感抜群で全く崩れそうになかったが、打線がやはり門馬監督に交代しても全国では課題があるようだ。。。とりあえず4得点したものの相手のミスにかなり助けらえているし、序盤3回までの攻撃が本来の形なのかもしれない・・・・・。
手を変え品を変えなんとか相手のミスを誘い安全圏に入ったが、これだとアグレッシブではなく老獪な野球の伝統がまだ拭いされていないようだ。

6回表創志はずいぶん淡白な攻撃で5球で終了。すでに価値は確定したので軽く流して早くヤドで一服したい算段か?
その裏、山口投手が突如崩れ始め、四球~暴投~死球で無死1・2塁のピンチ。ここは4点差あるのだが、島影監督はお土産に1点欲しいと熱望してか?送りバントのサイン。
巨体に似合わずスモールベースボールを披露したが、3塁封殺でバント失敗と目も当てられない!
結局3・4番も内野ゴロに倒れホームが遠いままイニングが淡々と過ぎていった・・・・・。

7回表創志は3・5番が単打でつないで2死1・2塁とし、6番・後藤がライト前ヒット。これをライトがエラーしている間に二者生還で6-0と大きく差が広がり別海ナインの気持ちがまた切れてしまった・・・・・。
その裏、1死から四球で走者が出るも簡単にバントなどできず、苦し紛れのエンドランはショートゴロで結局2死2塁と繰りバントと同じ格好で後続断たれ無得点。

8回表創志は2死から1番・亀谷がライトへスリーベースを放ち、四球を出し3番・朝野を迎えたところで、エース・境をベンチに下げ背番号7の金澤がリリーフ。ここで初球まさかのセーフティ―スクイズをかまして内野安打となり相手キャッチャーの悪送球も誘い7点目をしたたかに奪うなど、まるで長澤監督の老獪な野球を見ているようだった!!
こうなれば、別海がかわいそうになってくる。8回裏先頭打者がヒットを放つも三振とセカンドゴロゲッツーでどうしても攻撃がつながらない。

9回表先頭の4番・豊島がライトへ大飛球を放つも低反発バットの影響か失速してライトフライに終わるなど意地を見せて最後の攻撃。
別海も最後まであきらめず9回2本のヒットで塁上賑わせるも最後はセンターフライで試合終了。

終わってみれば、創志が強かったというよりも別海が中盤以降5エラーで自滅した格好だ。本当の強さは2回戦の山梨学院ー京都外大西の試合を見ないと分からない。。。

この第1試合は天気まだよかったが、第2試合5回裏の12時11分に雨が降り出し、7回から暴風雨となり、辛抱たまらず外野通路に逃げ込みラジオ中継でスコア付けするハメになってしまった↓↓

このまま第3試合雨天中止だったら、耐久見たさに甲子園に来たのに意味がなくなってしまう。。。
幸いウグイス嬢が「第3試合の開始予定は14時」とアナウンスしてくれ、センターバックスクリーン横の通路でへたり込んでコンビニ弁当を食べるしかなかった・・・。

雨雲が抜け、また青空が戻った甲子園。相手の中央学院は甲子園2戦全敗なんで耐久のエース・冷水がいつも通りのピッチングをすれば勝機も出てくると考えていた。
くじ運にも恵まれ何とか2つ勝って8強入りの欲もあったが・・・。千葉のハイカラな応援には負けるかもしれないが、野球王国・和歌山の力を見せて欲しいと願ったが・・・。

それはまた次回の講釈で。

チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 犠飛 四球 死球 三振 暴投 失点 自責
創志学園 山 口  9   34 131  4  0  0  3   1 14  2  0  0

別  海  堺   7 2/3  38  107  9  2  1  4  0  2  2  7  2
別  海 金 澤  1 1/3  4  10  1  0  0  1  0  0  0  0  0  

                (完)

             🌟次回予告🌟
   3/20 3日目第3試合 耐久(和歌山)-中央学院(千葉)
2025/01/12(日) 21時47分43秒 No.1539 編集 削除
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⚽第33回全日本高等学校女子サッカー選手権大会 【決勝戦】 神村学園(鹿児島)vs藤枝順心(静岡) 3728人
https://www.jfa.jp/match/highschool_womens_2024/schedule_result/pdf/m51.pdf

やはり藤枝順心が横綱相撲で3年連続8度目の優勝を果たし、2年連続高校総体と合わせて夏冬連覇とのことです。

6戦すべて完封勝ちで初戦から17点・8点・3点・4点・2点・5点と1試合平均6点強の得点を叩き出し、完全勝利でした。

僕は本日、願わくばノエビアスタジアム神戸に行きたかったですが、、、、、母校が準決勝で苦杯を舐めたので前半20分までTV観戦して外出しました・・・・・。

しかし、、、大阪桐蔭・西谷監督よろしく「生意気言うようですが、我々は相手を2失点に抑え6試合で最も相手の得点を封じました!すでに新チーム始動して、2年生レギュラー5人を軸に1年間じっくり時間をかけて神戸で2つ勝って悲願の選手権初優勝を目指します!!」

☟PL学園、野球部復活の前に… 「学校自体、存続が非常に厳しい状態」桑田真澄OB会長が危機感、教祖も不在続く
https://news.yahoo.co.jp/articles/de24e5cd2d00c73a7d26038c99e3aba307a2a017

甲子園春夏通算7度優勝を誇るPL学園高の野球部OB会が12日、大阪市内のホテルで年始恒例の懇親会を開き、OB会長の巨人・桑田真澄2軍監督(56)が休部となっている母校野球部の厳しい現状について報告した。

PL教団と話し合いを継続している桑田OB会長は、冒頭のあいさつで「野球部復活の前に、学校自体、存続が非常に厳しい状態であることを皆さんにもご理解いただきたいと思っております」と語った。

母校の生徒数は年々減少しており、桑田OB会長によると、中学も高校も1学年1クラスで、生徒数は中学も高校も1クラス十数人という。出席したほかのOBによると教会の統廃合も進み、教会も減少しつつあるという。教祖は3代目が死去してから不在が続く。4代目教祖はまだ決まっていないという。

昨年のこの懇親会で、桑田OB会長は教団から聞かされた野球部復活の計画について「その計画が実行されるのは、4代目教祖さまがなられたとき」とOBに伝えていた。部内の不祥事を契機に2017年夏の大阪大会を最後に休部となったまま。OBは嘆願書などを教団に渡してきたが、状況に変化はない。大阪府高校野球連盟からも外れている。信者や生徒数の減少により、名門の復活は年々、現実味が薄れてきているようだ。

それでも桑田OB会長は「われわれができることは、一つしかありません。それはPL学園の絆を絶やさないことだと思います」と強調した。OB会には、元監督の名将・中村順司さん(78)や中日ヘッドコーチの片岡篤史さん、野球解説者の宮本慎也さん(元ヤクルト内野手)ら65人が出席。旧交を温めた。

☝上原浩治氏 高校野球の7回制導入は「うーん、これはちょっとね」と反対 DH制度とビデオ検証は「あり」 現場、選手の意見を「とり上げて」と注文も
https://news.yahoo.co.jp/articles/7c0da00d3b47b2a1dd942fde5eb94a9106bec124

巨人やレッドソックスで活躍した上原浩治氏が12日放送のTBS「サンデーモーニング」にご意見番として出演。日本高野連が検討を始めた高校野球への「指名打者(DH)制導入」「7イニング制」「ビデオ検証」について私見を述べた。

「あくまで個人的な意見です」と前置きし「指名打者制はあり。7イニング制は反対。ビデオ検証はあり」と話した。

DH制については「ピッチャーがやっぱり、真夏の中で投げるのはしんどい。(DHとして)打者1人をつけて、攻撃してる間は休んでもらう。もちろん4番で投手という選手もいますから、そこは自由に使ってもらっていい」と説明。7回制については「うーん、これはちょっとね。野球は『3』の数字、3イニング、6イニング、9イニングと3、3、3でやって、アウト三つというのがある。ちょっと7イニングは短すぎる」と話した。

その上で「議論してる人たちって上の人じゃないですか。現場の意見を聞いてほしい。監督やコーチ。もちろん選手ファーストなんで、選手の意見を採り上げてほしいなと思います」と注文をつけた。

📝沖縄の高校野球に新風、エナジックスポーツのカギは「ノーサイン」 記者が練習を体験
https://news.yahoo.co.jp/articles/de224a6ff6026c5417e1d5ef2dd3d13a0343a69a

沖縄県の高校野球史に今春、創部3年の新興勢力が新たな1ページを記しそうだ。名護市にあるエナジックスポーツ。2021年4月に通信制課程で開校し、24年には全日制課程もスタートした。野球部は22年に1年生だけで活動を始めて夏に公式戦初出場。ここ数年、沖縄からの甲子園出場校が興南と沖縄尚学にほぼ二分されている状況下、両校に割って入るように台頭してきた。昨秋は県大会決勝、九州大会決勝とも沖縄尚学に屈したものの、「九州2位」の実績から第97回選抜高校野球大会出場が有力視されている。

エナジックスポーツの野球部はゴルフ部と並ぶ強化指定の部活動で、施設を含む練習環境が充実。とはいえ、部員のほとんどは地元沖縄出身で、短期間にここまで躍進した秘訣は何なのか。そこを探るべく、大学で野球(準硬式)経験のある筆者が昨年12月、練習に参加させてもらった。キーワードは「ノーサインと機動力」だ。

◆夏の沖縄大会は準優勝

エナジックスポーツは昨夏、初の甲子園に限りなく近づいた。後に西武にドラフト6位で指名される4番の龍山暖捕手を中心に、沖縄大会決勝に駒を進め、タイブレークの延長十回、興南に3-4でサヨナラ負け。その地力を今のチームが受け継いだ。秋の県大会で準優勝。九州大会でも神村学園(鹿児島)を2-1、壱岐(長崎)を9-2、柳ケ浦(大分)を4-2で下して決勝へ。沖縄尚学に2-6で敗れ県大会の雪辱はならなかったが、九州の頂上決戦に立つ実力校となった。

全日制の校舎は小学校の旧校舎を使用。現在、野球部に54人、ゴルフ部に13人が在籍している。今後は陸上部などを新設し、生徒を増やしていく方針という。野球部の監督は、沖縄の県立校で長年にわたり指導者を務めた神谷嘉宗氏(69)だ。琉球大教育学部卒。中部商の監督などを経て、08年に浦添商を夏の甲子園ベスト4に導いた。沖縄大会決勝では、東浜巨投手(現ソフトバンク)を擁し同年の選抜大会を制した沖縄尚学に勝利。美里工でも14年の選抜大会に出場した。

◆相手が嫌がる野球を

神谷監督はエナジックスポーツでの就任に際し、教え子らをコーチに招いた。コーチと一緒に築き上げた選手主体のノーサイン野球と、自身が長らく重要視してきた機動力が、チームの確固たる両輪となっている。

野球は通常、監督が作戦などを指示したりサインを出したりするが、エナジックスポーツでは監督は一切サインを出さない。選手それぞれがアイコンタクトでプレーしている。神谷監督は「チーム全員が相手の嫌がる野球をするという共通意識を持っていないと、ノーサインはできない」と話す。ノーサインの導入には1年半かかったという。「途中でやめようと思ったこともあったが、選手がよくついてきてくれた」

◆選手自ら考え、共通意識を徹底

共通意識を持つためには何度も互いのプレーを指摘し合いながら、確認する作業が必要になってくる。練習中はしばしば、今どのようなプレーをしようとしたのかを確かめ合う。例えば、一塁走者が好スタートしたにもかかわらず、打者が打ってアウトになったとする。本来なら打者は見送る必要がある。そうした意識の違いが少しでも生じたら、神谷監督やコーチ、あるいは選手自らが練習を中断させて、話し合う。

筆者が取材した日も、その場面が何度かあった。神谷監督は、高校野球では「大抵はベンチ(監督)が作戦を考えて、選手がプレーしている」とした上で、「選手本人が考えないと、ギャップや迷いも生まれる。選手自身で考えるからこそ、より勝利に近く、相手が考えていない野球をすることができる」と語る。時にセオリーや想定を超えたプレーが飛び出す―。そこにノーサインのメリットがあるという。

打者走者がボール回しと競う

実際にチームの練習に加えてもらった。参加したのは「ノック」と走塁。その練習も独特のスタイルだ。まずはノック。ノッカーが打ち、守備側が捕るという一般的なパターンとは全く異なる。

投手やコーチが実際に投げ、打者が内野ゴロを打つ。捕った内野手は一塁に送球。打者は一塁を駆け抜けた後、反転させてホームまで全力疾走で戻ってくる。その間、内野陣は一塁手から三塁手、二塁手、遊撃手の順を基本にボールを回し、最後にホーム(捕手)に送球。このスピードを打者走者と競う。

これには緊張感が伴い、ボールを回す順番も状況によって変わるため、どこに投げればいいのか迷いそうになる。それでも選手たちの意識が統一されていて、的確な指示があるから間違えない。守備にも「ノーサイン」が貫かれているように感じた。打者走者も全力で走るので、脚力はかなり鍛えられそうだ。

◆「二つ先」を狙い、帰塁も抜かりなく

次は走塁練習。ここではノッカーが内野や外野に打ち、守備側があえて打球処理を誤ったり悪送球をしたりした時、走者が一気に二つ先の塁を陥れることをテーマにしていた。走る選手には、失策のタイミングや一塁手の捕球態勢をしっかりと見定める習性が備わっており、先の塁を狙う意識の高さが見て取れた。

オーバーランや切り返しの練習も徹底。オーバーランは次の塁に向かいやすく、同時に帰塁もしやすくするように、さまざまなステップや足踏みを心掛けている。切り返しは、進塁しようとしたり戻ったりを繰り返す練習。これも次の塁を狙いつつ帰塁もできるようにすることが目的だ。

この練習の狙いは、とにかく繰り返すことで体に覚えさせる。最も時間を割いているから、選手たちの走る量もかなり多い。筆者は最後に足がつりかけるほどだった。

◆センバツ有力、吉報待つ

エナジックスポーツは昨秋、関東に遠征して練習試合を重ねた。木更津総合(千葉)、慶応(神奈川)といった強豪校などを相手に計12試合で11勝1敗。唯一の黒星は1勝1敗だった横浜隼人(神奈川)との対戦で、上々の戦績を残した。神谷監督は「関東遠征でうちの野球が通用すると思ったし、選手も自信がついたのではないか」とうなずく。

砂川誠吾主将は「相手が嫌がり、予想できない。それがノーサイン野球の持ち味」。意思疎通の難しさを感じながらも「盗塁を含め、秋は自分たちの野球ができた」と手応えを口にし、「全国でも通用させたい」と意気込む。春はセンバツから―。出場校を決める選考委員会は1月24日。心を躍らせながら、吉報を待つ。

📝なぜ?マツダスタジアムが内外野の天然芝を9年ぶりに全面張替え中 大作業の裏にある野球場ならではの理由とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/b072a527571a351285ee5fd001e63886f7fcf282

開業から今年で17年目となる広島のマツダスタジアムが変化のオフを迎えている。同球場の代名詞となっている内外野の天然芝。その全面張り替え作業が9年ぶりに実行中だ。そもそもなぜ芝を張り替えなければいけないのだろうか。

昨年12月初旬、グラウンドには何台ものトラックと重機が入っていた。ショベルカーでベリベリと天然芝が剝がされていく様は、この地に根付いて9年の歳月を思うとあっけなく見えた。リーグ3連覇の黄金期も彩った“緑のじゅうたん”が役目を終えた瞬間だった。

グラウンドを管理する球団の施設運営部の石原裕紀次長は「天然芝でも人工芝でもメリットとデメリットがある。そのメリットを伸ばしていくために数年に一度の大規模な張り替えが必要になってくるんです」と今回の全面張り替えの意図を説明する。

素人的な考えだが、球場の芝生はオフシーズンでも毎日丁寧に手入れされている。生き物が故に生え替わりもあるのだから、わざわざ巨費を投じて張り替えなくてもいいのでは?と思ってしまった。この疑問を同次長にぶつけると「年月を重ねると芝のレベル(高さ)が上がって、土との境目の段差がひどくなってくる。それは日々の管理では限界がある」と教えてくれた。

毎日水を吸って生きている芝と、その下にある土は長い年月を重ねるうちに盛り上がってくるという。その都度、内野の土も盛って、段差がなるべく出ないように努めてきたが、9年もたてば芝は10センチ以上も隆起。芝の耐久性や水はけ能力の向上に加えて、年々拡大する段差を改善するという野球場ならではの理由が大作業の裏にはあった。

今回は土の入れ替えも行っている。土は水を吸うと硬くなる性質がある。昨今は夏場の暑さが厳しく、水をまく量と回数も増え、土はさらに硬くなりやすくなっていた。昨夏は選手たちから「土が硬くてイレギュラーが起こりやすい」という声も多く聞かれた。土壌を改善することで水はけ向上が見込まれ、夏場でもより良いグラウンド状態でのプレーが期待できる。

その他にも球場照明のLED化や外野席の付け替えなど、改修が進むマツダスタジアム。芝生は1月から敷かれ始めており、保温などの養生作業に入る。3月のオープン戦では緑美しいグラウンドが見られそうだ。

◆天然芝の球場 NPB球団の本拠地で天然芝が使用されているのは、マツダスタジアムのほかに楽天モバイル、甲子園、エスコンフィールドの計4球場。内野エリアが土の甲子園を除く3球場は内外野が天然芝だったが、エスコンフィールドは今季から内野エリアについては人工芝が使用される。

【天然芝のメリット】

人工芝と比べて衝撃をある程度吸収するため、選手の体への負担が軽減される。また、天然芝の緑は視覚的に美しく、観客にも良い印象を与え、自然な景観が試合の雰囲気を高める。環境面でも芝が二酸化炭素を吸収し、酸素を供給することで空気の浄化作用や、温暖化の抑制に寄与することが期待される。

【天然芝のデメリット】

定期的な手入れが必要。芝刈りや水やり、病気や害虫の管理など、維持管理には多くの労力とコストがかかる。また、雨が降るとグラウンドがぬかるみやすく、乾燥した日が続くと芝が枯れる可能性もあるなど天候に影響を受けやすい。初期導入費用や維持費も人工芝に比べて高い。
2025/01/12(日) 21時47分10秒 No.1538 編集 削除
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📝「ヒジがぶっ飛びました」島袋洋奨が“壊れた”440球の異常な酷使…甲子園春夏連覇のエースを襲った“さらなる悪夢”「もうダメだ…完全に終わった」
https://news.yahoo.co.jp/articles/2f2dad057d02decbaf29d43ce452eb0b79f21476

「投げることに対して、徐々に恐怖心や抵抗感が…」
 
いったい、進学先の中央大学で何があったのか。大学3年の秋以降、島袋洋奨は“別人”になってしまった。少なくとも、高校時代の面影は完全に消え失せていた。

「とにかく東浜(巨/ソフトバンク)さんと投げ合いたかったですね」

大学進学の理由について尋ねると、島袋は間髪入れずにこう答えた。彼の性格上、会話の流れのなかで適当に言ったわけではないだろう。

「センバツが終わった後に我喜屋(優)先生と相談して大学進学を決めた以上、プロ入りは微塵も考えていませんでした。何度聞かれても、高卒でのプロ入りはないです。当時、亜細亜大学で投げていた東浜さんのいる東都でやりたいと思っていました」

2学年上で2008年のセンバツ優勝投手・東浜巨とは高校1年夏の準決勝で投げ合っている。1対3で敗れはしたものの、「末恐ろしい1年生ピッチャーが出てきた」と県内の高校野球関係者は舌を巻いた。それでも、島袋にとって東浜は憧れの存在だった。

「東浜さんは亜細亜大に行っていきなり連続完封をやってのけたんです。『やっぱすげえ。同じリーグでやりたい』という願望が湧いたのを覚えています」

甲子園春夏連覇のエースとして抜群の注目度を誇った島袋は、中央大入学後の春季リーグ開幕戦で、48年ぶりに新人開幕投手に選ばれる。

「開幕第1戦と第3戦の駒澤大戦に先発で投げさせてもらったんですけど、めちゃくちゃ走られたんですよ。やっぱりこのレベルだと自分のセットの技術じゃ走られてしまう、フォームを変えないといけないな、と。その辺も含めて、少しずつズレていったんだと思います。身体の使い方を理解できていなかったから、戻り方がわからなくなり……。そこから投げることに対して少し、いや、少しじゃないな。徐々に恐怖心や抵抗感が生まれてきました」

この2試合で計8個の盗塁を許し、フォームを調整したことがほころびの始まりだったと本人は述懐する。だが、その後は“ゴールデンルーキー”の実力をしっかりと見せつけた。

「ヒジがぶっ飛びました」3試合440球の“異常な酷使”
 
2戦連続で負け投手となった島袋のリーグ戦初勝利は、5戦目の亜細亜大戦。相手は対戦を熱望していた東浜だった。試合は白熱した投手戦となり、1対0で島袋に軍配が上がる。9回を投げて被安打5、12奪三振の完封。最終的に大学1年春のリーグ戦は5試合を投げて1勝3敗、投球回数36回1/3、防御率0.99の成績で新人王を受賞する。甲子園のスターはしっかりと期待に応えて、色褪せない輝きを見せた。

「2年の春までは、確かに調子は良かったんです」

島袋は当時の記憶を掘り起こし、そう呟いた。この大学2年の春季リ―グが、島袋の野球人生のターニングポイントと見る向きも多い。

大学1年の秋季リーグ終了後、中央大野球部は高橋善正(元巨人)が監督を退き、秋田秀幸(元中日)が新監督に就任した。

2012年、秋田監督の初陣となる春のリーグ戦で島袋は2年連続開幕投手に選ばれ、強烈なインパクトを残す。東洋大を相手に延長15回をひとりで投げ抜き、チームを3対2のサヨナラ勝ちに導いた。だが、要した球数は226球、奪三振数は21。言うまでもなく、ひとりの投手が1試合で投げる球数ではない。

「センバツ決勝の日大三高戦で198球を投げたことはありますけど、200球超えは初めてでしたね。あくまでも自分の意思で投げました。次の試合も、その次の日大戦も重要でしたし、調子が良かったので投げました。でも、ここで肘がぶっ飛びました」

中1日で先発し、7回92球1失点で勝利。さらに中6日で日大戦にも先発し、8回122球、4失点で3連勝。だが、ここで島袋の肘は悲鳴をあげた。

左肘内側側副靭帯に血腫ができており、すぐにドクターストップがかかった。全治約5カ月。その間はノースロー調整を強いられ、ブルペンに入ったのは怪我から4カ月後の8月下旬である。

島袋は開幕から10日間の3試合で30イニング、計440球を投げたことになる。これは現代野球ではありえない数字だ。当然ながら、「秋田監督の酷使によって島袋は壊れた」と考える野球ファンは多い。

監督の証言「でも、目が死んでいなかったので…」
 
以前、秋田監督にこの起用法について訊いたことがあった。

「監督になって初めての試合ですから、よく覚えています。4月1日で寒い日でした。途中、ピッチャーライナーが島袋の脚に当たったのでマウンドに向かったんです。交代させようと思ったんですが、島袋は『大丈夫です』と言う。実際、いいピッチャーがいたら代えてますよ。でも、目が死んでいなかったのでそのまま続投させました。4年の鍵谷(陽平、元巨人)もいましたけど、やっぱり大黒柱は島袋なんです。監督をやって最初の試合が延長15回の試合でしょ。野球で勝つのってこんなに苦しいことなのか、とあらためて思いました。その後の登板も『絶対に行け』とは言わなかったし、『どうだ? 大丈夫か? 』と聞きましたが……」

プロならばいざ知らず、高校野球や大学野球で「大丈夫か?」と監督に聞かれて「無理です」と答える選手はほとんどいないだろう。だからこそ、決定権を持つ指導者には、選手のコンディションを管理し、適切な判断を下す責務がある。どんな理由があったとしても、やはりこの起用法を肯定するのは難しい。

この2年春のリーグ戦での投げすぎで島袋が故障したのは確かである。しかし実際には、大学3年の秋に“さらなる異変”が起こっていた。

大暴投を繰り返し…大学3年秋の“致命的な異変”
 
肘の怪我から回復した大学3年の春は、2完封を含む2勝3敗、防御率1.94。打線が弱かったチーム事情を考えると十分な成績だ。

秋のリーグ戦は、開幕3試合で1勝2敗、防御率1.00。これも悪くない成績だろう。そして迎えた青学大との一戦。先発の島袋はマウンドで丹念に投球練習をする。プレイボールがかかった初球だった。

「ガシャン!」バックネットにボールが突き刺さる音が神宮球場に鳴り響いた。

球場にいた誰もが、単にボールがすっぽ抜けただけ、と思ったはずだ。しかし、次の球もバックネットへの暴投。球場内が次第にざわつき始めた。

 コントロールに定評がある島袋が初回から乱れ、そればかりかバックネットやバッターの背中方面への大暴投を繰り返す。審判の「ボール」という乾いた声だけが響く。4失点で初回KO。島袋の野球人生において、初めてのことだった。

「もうダメだと…この試合で終わりました」
 
その後の國學院大戦でも、初回1死一、三塁の場面で暴投により先制点を献上する。その後、四球で一、三塁となったところで再び暴投で追加点。1回1/3を投げて3失点、またもや降板となった。

「青学大戦ではバックネットに投げまくりました。次の駒澤大戦でも何球か暴投したんですが、8回まで投げ切りました。でも、次の國學院大戦で大暴投を連発して、完全に終わった感じです。この時、マウンドから“ストレートが投げられない”というサインをキャッチャーの東(隆志)に出していたんです。でも“来い来い”とジェスチャーするので、仕方なく真っ直ぐを投げました。東も届かないほどボールが大きく上に逸れたときに、もうダメだと思いました。それまでも投げる時には気持ち悪さがあったんですが、この試合で終わりました」

 島袋の口から二度、「終わった」という言葉が発せられた。この時、彼はどれほどの絶望を味わったのだろうか。肘の故障から復活を遂げたのも束の間、このときから島袋は決して霧が晴れない苦難の道に迷い込んでしまった。

高校時代の恩師・我喜屋優は、神宮球場で大学時代の島袋を見て口惜しさを感じたという。

「何かどっか引っかかってスムーズじゃない。リリースポイントもバラバラ、下半身と上半身の連動性も一定していなくて、終始ぎこちない。なんでこんなフォームになっちゃったの、って感じだったんです。調子が悪くなると、あのトルネード投法は指導者がいじりたくなる投げ方なんですよ。ちょっと走られただけで『お前、盗まれてるぞ』とかね。だから本来持っている大事なものまで失っちゃうわけですよ。下半身をいじったために、彼だけが持っている感覚が崩されてしまった。持っている力と可動域と柔軟性が合わさって、瞬間的にパワーが伝わって、ようやく糸を引くようなストレートが投げられるのに……」

大学3年の秋から、島袋は無敵の“琉球トルネード”島袋洋奨ではなくなった。得体の知れない影が絡みついているかのように、腕が縮こまって上手く投げられず大暴投を繰り返す。認めたくはないが、何かが壊れてしまっていた。それは紛れもなく、イップスの症状だった。

            <続く>

📝プロ2試合で戦力外通告…“消えた天才”島袋洋奨32歳の告白「真っ直ぐに頼りすぎた」「“たられば”はない」恩師の証言「消耗は宮城大弥の倍以上」
https://news.yahoo.co.jp/articles/4ee3c1a5c3e3bc1e93e5e0d03bc5a3880ef53cf9

“後輩”宮城大弥への本音「こんなに凄い選手に…」

「(宮城)大弥は本当、凄いと思います」島袋洋奨は、珍しく少し目を丸くしながらそう話した。現在、島袋は母校の興南高校に職員として勤務し、野球部の副部長兼コーチを務めている。選手たちを指導しているせいか身体は引き締まり、現役さながらの筋肉の鎧を纏っている。

「年齢的にもだいぶ下なので、いちファンとして見ている感じですね。自分とはタイプが違うので単純比較はできないですが、まずどんな球でも緩急差をつけてカウントが取れるし、あれだけのスピードも投げられる。正直、高校生だった彼が甲子園で投げているのを見たときは、こんなに凄い選手になるとは思ってなかった。当時は、ですよ。だけど、予想のはるか上をいきましたね。本人の努力の賜物だと思います」

島袋と宮城は9歳の年齢差があるものの、ともに興南高校出身で同じ左投げ、現代の投手としては小柄な背格好もよく似ている。高校時代の実績では春夏連覇を成し遂げた島袋が上回っていたが、プロでの成績は宮城が圧倒している。プロ2年目の2021年に13勝を挙げると、そこから3年連続で二桁勝利を達成。今シーズンは規定投球回に到達できず、7勝止まりだったものの、防御率は1.91。名実ともにオリックスのエースと言っていい。

一方の島袋は、2014年のドラフト会議でソフトバンクに5位指名を受け入団するも、一軍での登板はルーキーイヤーの2試合のみ。宮城と入れ替わるように、2019年に戦力外通告を受けた。

なぜ興南高校が誇るふたつの才能は、これほど両極端な結果に分かれてしまったのか。

「引退まで不安は消えなかった」プロ入り後の苦悩
 
大学2年春までの島袋であれば、もっと上位で指名されていただろう。世代のリーディングプレーヤーとして、今も現役で活躍していてもおかしくなかった。
しかし、酷使による肘の故障に加えて、大学3年秋にはイップスに陥り、まともに投げられなくなってしまった。それでも腐らず、メンタルトレーニングや自主練を黙々と続けた。

4年生となった最後の秋のリーグ戦では、優勝争いを繰り広げていた駒澤大との大一番に先発。相手エースの今永昇太(現カブス)のベストピッチもあり1対3で敗れたものの、早いイニングでの降板を繰り返していたなかで、初回の2者連続ホームランによる3失点のみで 6回を投げきった。

大学通算成績は12勝20敗、登板回数247.2、奪三振225、四死球103、防御率2.73。変調に苦しみながらも中央大のエースとしての責任を果たし、プロ入りを果たした。

「プロになって心機一転、という気持ちにはなれませんでしたね。三軍からのスタートでしたし、コントロールの悪さは変わらなかったです。一度投げることに不安を持ってしまったせいで、引退するまで不安は消えなかったです」

ピッチングへの不安は拭えず、脳なのか身体なのか、原因がわからないまま“何か”に蝕まれている感覚が延々と続いた。実体がなく、それゆえに解決しようのないものに侵され、苦しめられた。

「今思うと、スライダーをもっと投げておけばよかったかもしれません。大学時代は正直スライダーの手応えがなかったので、ほぼ投げなくなりました。結果的に組み立ての幅を凄く狭めてしまっていた。球種はストレート、チェンジアップ、ツーシーム系だけでした。相手からすると、少ない選択肢で待てます。もっと高校の時に手応えを掴めるぐらい、スライダーを練習しておけばよかった。やっぱり高校時代は一番自信がある真っ直ぐに頼りすぎていたところがあるので」

島袋はどこか達観した口調で続ける。「プロで技術的に伸びたところは皆無です。ただ、野球に対しての取り組み方だったり、身体に対してのアプローチだったりと、自分がやっていることに対して明確な考えを持って行動するようになりました。自分のチェックポイントを理解しておけば、どこか不調になってもすぐにトレーニングの取捨選択ができる。僕はそれを感覚でやっていた部分があったので、凄く苦労しました。だから自分が指導する選手たちには『この動きに繋がってるからこれを取り入れてるんだよ』と細かく説明するようにしています」

恩師・我喜屋優の証言「消耗は宮城の倍以上」
 
大学とプロでは思うような成績を残せなかった島袋だが、野球への取り組み方やトレーニングへの理解度がピークを迎えたのはプロ時代だと語る。トルネードという変則モーションゆえに微妙なズレが全体に影響を及ぼしてしまった可能性について尋ねると、「今思うとそうかもしれない。当時はそういう感覚はなかったですけど」と、当事者というよりも指導者の目線で冷静に分析した。

ダルビッシュ有や田中将大を育てた名伯楽として名高く、ソフトバンクでピッチングコーチとして島袋を見ていた佐藤義則にも訊いてみた。

「ブルペンで投げると、いい球がアウトコースにバチっとくる。でもバッターが立つと、どうにもこうにもならん。コントロールを矯正するため、プレートに対して左足が斜めに入っていたのをプレートにピタっと揃えるようにしたがダメだった。技術云々より、心の部分が……」

興南高校時代の監督でもある我喜屋優は、島袋と宮城の違いについて解説してくれた。

「背の高さは同じぐらいで、ただ宮城のほうがちょっと体重があるのかな。島袋はトルネードのフォームからイチ・ニ・サンで投げ下ろす感じ。宮城は相手のタイミングを崩し、いわゆる“綺麗なフォーム”でバッターに振らせないタイプ。島袋の場合は、球は速いけど意外と長打も打たれるピッチャーで、どっちかと言えばごく普通の選手が努力によってあそこまで行った。春夏の甲子園がちょっと目一杯だったかな、という感じはします。宮城は高校野球でほとんど消耗せずに余力を残して、高卒でプロへ行った。この差があるんですよ」

島袋は春夏連覇の甲子園で合計1472球投げており、高校1年の夏と2年の夏しか甲子園に出ていない宮城の「倍以上は消耗している」と我喜屋は語る。高校野球の3年間の疲れを取らないまま、中央大で1年春から主戦投手となってしまったことも災いしたという。

「せめて1年間ぐらいは回復期間が欲しかった。それもできず、おまけにあの変則モーションだから、コーチによって何やかんやと直されがちな選手。対して宮城はそんなに消耗していないし、あとは筋力とスタミナつければもうあのままいってもよし。その違いが、あの2人にはあるのかなと」

それでも「後悔はない」と断言する理由
 
高校、そして大学での疲労と消耗。この点について島袋に尋ねると、少し苦笑した後、躊躇なく答えた。

「疲労に関しては『全然』と言っていいほどなかったです。ただ指導者目線で言えば、芯からの“勤続疲労”はあったのかもしれませんね」

くどいようだが、島袋は高卒でのプロ入りを本当に考えていなかったのだろうか。そして、大学に進んだことを後悔していないのか。どうしても確信が持てず、失礼を承知で再び尋ねると、島袋は一つひとつの言葉を噛み締めながら言い切った。

「高卒でのプロ入りはまったく考えなかったですし、僕の中では“たられば”もありません。大学は後悔どころか、心の底から行ってよかったと思っていますよ。野球部以外の仲間もたくさんできましたからね」

もの静かな島袋の口ぶりが、この時ばかりは強い意志と厳粛さを帯びていた。どんな結末を迎えたとしても、自分の選択に言い訳はしない。甲子園のマウンドに君臨した“琉球トルネード”の糸を引く直球に負けず劣らず、どこまでも実直な人間性を垣間見た気がした。

🔥「野球部マネジャーになるためだけに東大に来た」智弁和歌山出身 東大野球部史上初の女性主務が抱く熱きチーム愛とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/61ee13507068adbc5564932a4d0210881b7d1483

1919年(大正8年)創部の東大野球部で、史上初の女性主務(筆頭マネジャー)が誕生した。高校野球の強豪としても知られる智弁和歌山出身の奥畑ひかりさん(3年)だ。クイズ研究部に所属した高校1年夏は和歌山代表として「全国高校クイズ選手権」にも出場した経歴の持ち主。ほとばしる「東大野球部愛」について聞いた。

東大野球部史上初の女性主務に就任した奥畑さん。その経緯はどういうものだったのか。

「東大野球部は伝統的に、学生が主将も副将も主務も決めるっていう形式をとっているんです。私の代は最初、男子マネジャーが同級生にいなくて、入学間もない頃から『女子が主務になるか、従来通り選手から主務を出すか選ぶように』と言われていました。学年ミーティングを重ねる中、私としては主務になりたいという気持ちと、選手を1人減らすよりは…という気持ちで立候補しました」

東大野球部関係者は「奥畑さんほど東大野球部を愛している人はいない」と口をそろえる。本人も否定することなく、こう言い切る。

「野球部のマネジャーになるためだけに、東大に来たというのはあります」

和歌山市内の出身。阪神ファンの父の影響で野球が好きになった。2歳だった2005年、岡田阪神のリーグ優勝を喜ぶ写真が実家に残されている。中でも鳥谷敬選手の大ファン。中学受験で中高一貫校の智弁和歌山に進学した。志望理由は明確だった。

「野球が強かったので。一応、県内では一番進学校だったというのもあって…でもやっぱり、野球応援がしたいっていうのはありました」

中学はテニス部に入部。理由の一つは練習場所から、高校の野球部のグラウンドがよく見えるからだった。名将・高嶋仁監督(当時)が仁王立ちして熱血指導している風景をチラ見しながら、ラケットを振った。智弁和歌山の野球部は女子マネを募集しておらず、高校進学後はクイズ研究部に入部。すると1年生女子3名で出場した「高等学校クイズ選手権和歌山大会」で優勝。花の都・東京での全国大会に歩を進めた。

「東京への憧れはそこで生まれました。全国大会では本当に何も答えられなくて。1回戦敗退です。『全国にはすごく頭のいい人がいるんだな』って」

中3だった2018年、報道で東京六大学野球史上初の女性主務を務めた慶大・小林由佳さんの存在を知った。東京六大学への進学を夢見るようになった。東大に照準を絞ったのは高2の2月だ。猛勉強が始まった。

「起きてる時はずっと勉強してました。3年の春にはセンバツ出場を逃しまして、その反動でめちゃくちゃ勉強しました。逆に夏は全国制覇しちゃったんで、やっぱり見たくて、ちょっとサボっちゃった感じです。先生には申し訳ないことをしたんですが、夏の和歌山大会は補習サボって応援に行ってました(笑)」

神宮を夢見て必死に机に向かい、文科3類に現役合格した。即、入部を申し込んだ。

「合格発表が3月10日の12時だったんですが、12時台には電話しました。当時の先輩に『一番だったよ』って言われましたね」

野球部を支える様々な業務に従事する。その一つが全国各地の進学校で東大志望の選手たちに受験を呼びかける、スカウティング活動だ。

「現状、部員は約7割が関東出身者なんです。多様な人材がいる方が強くなると思っているので、地方の進学校に声を掛けています。野球部の監督さんにお電話させていただき、『お邪魔させていただいてもよいですか』と。ある程度野球も上手くて、学業も頑張れる高校生に声を掛けさせていただいています。自分が受験を勧めた選手が入部してくれるのは、これ以上ない喜びですね」

2025年は東京六大学野球連盟創設100年のメモリアルイヤー。チームは「逆襲」をスローガンに戦いに臨む。奥畑さんは瞳を輝かせ、力を込めた。

「東大野球部は秋に7年ぶりの2勝を挙げました。私は大好きなこのチームを信じているので、絶対に8年ぶりの『勝ち点1』を達成してくれると思っています。自分の同級生にはベストナイン経験者が3人いますし。主将と副将2人の幹部3人は全員がリーグ戦でホームランを打った経験があります。やっぱり東大が強いと六大学が盛り上がると思うので、100周年を盛り上げられるように、他大学に逆襲していける年にしたいです」
2025/01/11(土) 22時36分37秒 No.1537 編集 削除
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☝大社・馬庭優太が東洋大に進学へ 昨夏甲子園の「大社旋風」立役者、推薦入試に合格
https://news.yahoo.co.jp/articles/b9ec519a39ffbb38ef0fd7f720d2967108cee0f7

東都大学リーグの東洋大は10日、25年度の推薦入試の合格者を発表し、大社(島根)の馬庭優太投手(3年)ら27人が合格した。

馬庭はエース左腕として同校の32年ぶりの夏の甲子園出場に貢献。1回戦の報徳学園(兵庫)、2回戦の創成館(長崎)と完投してチーム107年ぶりの2勝に導くと、3回戦の早実(西東京)戦では球史に残る激闘の中で延長11回を1人で投げきり、強豪校相手に3試合連続の完投勝利を挙げ、93年ぶりにベスト8進出へ大きく貢献した。

準々決勝の神村学園(鹿児島)戦には中継ぎとして登板も敗戦。4試合で計492球を投げ、公立校として全国に勇気と感動を届けた「大社旋風」の立役者の1人となっていた。

聖地で能力の高さを示したが、プロ志望届は出さずに大学進学の道を選択した。新天地での活躍からも目が離せない。

✌夏の甲子園「大社旋風」の立役者・石飛監督が大学で特別授業「生徒との対話」重視の指導法語る
https://news.yahoo.co.jp/articles/30a279d55a295e21d419f99bf7407ccf6c7cc3aa

2024年の夏の甲子園でベスト8入りを果たした大社高校野球部の石飛文太監督が、松江市の島根県立大学で特別授業を行い、甲子園での裏話も交えながら、生徒との関わり方など日ごろの指導法について話しました。

大社高校野球部・石飛文太監督:自分が何を言うかはあまり考えていない。それよりも生徒がどう思うかを主に考えている。

松江市の島根県立大学、学生たちに語りかけるのは、大社高校野球部の石飛文太監督。2024年の夏の甲子園で大社高校を93年ぶりとなるベスト8に導きました。

大社高校野球部・石飛文太監督:3年生が自分らの力以上のものを出してくれて、「可能性は無限大」だと示してくれたので、今のチームもベスト4以上を目指します。

特別講師として招かれ、約160人の学生を前に教育や地域活性化の中でスポーツが担う役割をテーマに話しました。国語の教員として教壇に立つ石飛監督の話を聞きたいと、学生から声があがったのが特別授業のきっかけだということです。

大社高校野球部・石飛文太監督:甲子園が決まった時に「おめでとう」と言われます。甲子園から帰った時に、「ありがとう」に変わっています。地域を動かすのはやはり「人」でしかない

約1時間半の特別授業、話題は甲子園での裏話にも。

大社高校野球部・石飛文太監督:園山くんに期待してみたらどうなるかなと言ってみたら、でかでかと新聞に掲載されて、その園山くんに何が起きたか…。これが効いたんですよね。

2回戦、長崎代表・創成館との試合でスクイズを決め、同点に追いついた場面を例に、生徒でもある選手たちのがんばりを引き出す指導法について紹介しました。

学生:保育士を目指していて、今実習とかを繰り返す中で、子どもたちへの関わり方を課題に思っていたので、話して頂いたことを生かしてながら働いていきたい。「自分を疑うことが大切、今正しいと思っていることが20年後どうか分からない」という話が印象に残りました。

受講者には教育や保育の道を目指す学生も多く、生徒との対話を大切にする石飛監督の講義に聞き入っていました。

☝前橋工を人命救助で善行表彰 3年生部員2人が倒れている女性を発見し救急対応
https://news.yahoo.co.jp/articles/7585aa84391ca9e7faa98baab5ed6a65d4705bee

日本高野連は10日、前橋工(群馬)の善行を表彰し、表彰状と記念品を贈呈することを決めたと発表した。

同校は甲子園大会通算13度(夏9度、春4度)出場し、夏の4強に3度入った群馬県の強豪。元西武の渡辺久信さんの母校としても知られる。

日本高野連によると、3年生部員2人が昨年12月3日の下校途中、倒れている女性を発見し、声を掛けた。1人は電話をかけて救急車を呼び、その後2人が救急車が到着するまでの間、先に対応していた男性と後から来た女性と協力して、倒れていた女性をあおむけにするなど救急隊の指示通りに対応した。

救急車が到着すると、部員は誘導と現場まで案内。女性は病院へ搬送された。「部員2人は適切な対応と処置で人命救助に協力した」という。

🎵選抜高校野球の行進曲にOmoinotake「幾億光年」 松江市出身、人気ピアノトリオバンド
https://news.yahoo.co.jp/articles/039f20d99ccbc35d5cf6fb0ccba27260987f739a

日本高野連は10日、大阪市内で第97回選抜高校野球大会の第2回運営委員会を開き、開会式の入場行進曲に松江市出身の人気ピアノトリオバンド「Omoinotake」の「幾億光年」を決めた。

☟【高校野球】7イニング制導入の本格議論がスタート DH制、ビデオ判定導入も議題に
https://news.yahoo.co.jp/articles/c62b6a493a0891a2a8eb9f6e56ea2e4b594265fc

7回制の導入などを本格的に議論する「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議」が10日、大阪市内で実施され、「DH制」導入が議題に挙がっていることが分かった。

日本高野連は昨年、選手の健康対策などを理由とした7イニング制導入について、メリットやデメリットを議論する有識者11人のワーキンググループを設置。4度の議論を重ね、同12月に理事会へ結果を報告した。これを受け、日本高野連の宝馨会長ら15名からなる「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議」が新たに発足。既に議題となっていたビデオ判定に加え、井本事務局長は「DH制もこれから検討していく一つの項目と考えている」と、今後は「DH制」についても議論を展開していくことを明らかにした。

第1回のこの日は、オンラインを併用して全員が出席。会議設置の経緯や目的を確認し、座長(高野連副会長・北村雅敏氏)を選出した。今後も定期的に会議を開き、12月までに検討継続も含めた一定の対応策をまとめる。井本事務局長は「検討会議で(導入可否を)最終決定をするわけではない。連盟の決定事項は全て理事会でなので。高校野球を次の世代につなげていくためにはどうすべきか、意識しながらやっていきたい」と話した。

📝KKコンビやおかわり君もここから飛躍 太陽の塔に見守られ半世紀
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/AST190495T19OXIE02HM.html

2025年4月、「大阪・関西万博」が大阪市此花区の夢洲で開幕する。

大阪での万博といえば、大阪府吹田市で1970年に開催された「大阪万博」を思い出す人も多いだろう。約半年の会期で延べ約6420万人が入場し、空前の活況を呈した。

その跡地に「万博」の名を受け継ぐ球場がある。万博記念公園野球場、通称「万博球場」。大阪万博の時は巨大な駐車場だった場所に、74年7月13日にオープンした。

大阪万博のシンボル的存在の「太陽の塔」や、日本一の高さ(123メートル)があるエキスポシティの観覧車、サッカーJ1ガンバ大阪の本拠である「パナソニックスタジアム吹田」が近い。サッカーの試合がある日などはにぎわうが、周辺は緑に包まれ、ふだんは静かなたたずまいを見せる。

高校野球との縁は深い。オープンの6日後に全国選手権大阪大会の1回戦が行われている。大阪シティ信用金庫スタジアムや南港中央野球場が当時まだなく、プロ野球近鉄バファローズ(現オリックス・バファローズ)の準本拠だった日生球場や、南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)の本拠だった大阪球場なども大阪大会で使われていた。

両球場ともプロ野球との日程調整に苦労したといい、比較的確保しやすい万博球場はありがたい存在だった。

2021年まで大阪府高校野球連盟の副理事長を務め、現在も同連盟事務局嘱託として高校野球に携わる池永徹(74)は、オープン当初から万博球場を知る一人だ。

阪南、山田、茨木の野球部で監督を務めながら、1980年に府高野連理事となり、万博球場での大会運営にあたってきた。

万博球場について、池永が真っ先に思い出すのが府高野連審判部副部長だった故・山本克己だ。審判を務めながら、グラウンド整備にも心を砕き、選手がプレーしやすい環境づくりに力を尽くした。

「雨が降った翌朝、万博球場に着くと、すでに山本さんが他の審判を集め、水抜きをしてくれていたこともあった。これまで大会運営がうまくいったのは、そういった方がいたからです」

桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」を擁し、83年夏から5季連続で甲子園を沸かせたPL学園の人気には池永も驚いた。

「KKコンビ」が3年生だった85年7月、PL学園は門真西との大阪大会4回戦を万博球場で戦い、7―0で勝った。気付くと本塁側にある正面玄関の前に数え切れないほどのファンが集まっていた。このままでは危ないと、試合後は外野スタンド裏にある出入り口から選手を出す異例の対応をした。

打球の飛距離で忘れられないというのが「おかわり君」の愛称で知られる大阪桐蔭の中村剛也だ。2001年夏、柴島との大阪大会2回戦で、中村は中堅左に特大の一発を放った。「スコアボードの裏手にある木々に打球がライナーで飛び込んだ。その先にある名神高速まで行ったんちゃうか、と騒然となりました」。池永はこの一撃でプロでの飛躍を予感したという。

野茂英雄(成城工=現・成城)、上原浩治、建山義紀(ともに東海大仰星=現・東海大大阪仰星)、前田健太(PL学園)、藤浪晋太郎(大阪桐蔭)ら、のちに大リーガーになった投手たちも多くプレーした。スタンドに屋根がないため、夏になると外野の木陰に陣取り、一日中、試合を見つめる熱心なファンがいるのも恒例だ。

池永は「万博球場で、どんな素晴らしい選手や試合と出会えるか。これからも楽しみです」と変わらぬ期待を寄せている。

☟国スポ 「島根では1000%できない」島根・丸山知事が指摘 トップ選手の参加で集中開催→通年開催の提言を批判 「東京、大阪、愛知が3年ごとに開くのか」
https://news.yahoo.co.jp/articles/65676993598083b0bc7a6f915419308c6107c46f

トップ選手が参加しやすい時期に各競技を分散する通年開催化を軸とした国民スポーツ大会(旧国民体育大会)の改革案を巡り、島根県の丸山達也知事が10日の定例会見で、トップ選手出場は国際水準の競技施設整備が求められると指摘し、「島根では『1000%』できない。(改革案は)47都道府県の持ち回り開催をしないと言っているのと同じだ」と批判した。

国スポは現在、多数の競技を秋に集中的に開催。開催地の人的、財政的負担が大きいとして、各地の知事から見直しを求める声が相次いでいる。改革案を議論する日本スポーツ協会の有識者会議が3月に取りまとめる提言は、トップ選手がそろう国内最高水準の大会として全国各地から観戦客を呼び込むほか、開閉会式や運営の抜本的な簡素化、効率化が盛り込まれる見通しだ。

丸山知事は、トップ選手の出場には国際記録として認定できる競技施設が必要だと指摘。国際大会に近い施設整備の基準の引き下げを求めている内容に逆行しているとした上で「東京、大阪、愛知が3年ごとに開くのか、という感じだ」と批判し、各競技団体が既に実施する国内最高峰の大会との両立も疑問視した。

1946年に始まった国スポは原則、各都道府県の持ち回りで開催。現在2巡目の終盤に入り、島根県は「島根かみあり国スポ」を2030年に控えている。

全国知事会は昨年8月にまとめた意見書で、競技団体の基準を満たす施設を単独の都道府県で整備するのは困難なため、複数の都道府県開催のほか、開催時期や会場の弾力化▽開閉会式の簡素化▽式典・競技会開催費の半分以上を国と日本スポ協で負担ーなどを求めた。

📝甲子園春夏連覇の“琉球トルネード”に大学で悲劇が…島袋洋奨32歳に問う「高卒でプロの選択肢はなかったか?」意外な答え「微塵も後悔してません」
https://news.yahoo.co.jp/articles/4e785c220a60850717cda130d5dd754eddd68dbf?page=1

2010年、甲子園春夏連覇を成し遂げた興南高校のエースとして、高校野球界の頂点に君臨した島袋洋奨。だが、プロで大成することは叶わず、2019年に現役を退いた。無双の投球で甲子園を沸かせた“琉球トルネード”の野球人生は、どこで狂ってしまったのか。“消えた天才投手”の苦悩に迫った。

“黄金世代”の先頭を走っていた男
 
十数年に一度、ある学年にだけ突出した才能が集まることがある。かつて野球界を「松坂世代」が席巻していた時代があった。1998年に甲子園春夏連覇を果たした“平成の怪物”松坂大輔を筆頭に、多士済々のライバルたちがプロ野球界を牽引した。

その松坂世代に勝るとも劣らないのが「1992年世代」だ。山田哲人(ヤクルト)、千賀滉大(ニューヨーク・メッツ)、甲斐拓也(巨人)、源田壮亮(西武)、有原航平(ソフトバンク)、山崎康晃(DeNA)など各チームの中心選手が揃う。しかし高校時代を振り返ると、この世代のリーディングプレーヤーは山田でもなければ千賀でもなかった。

2010年に甲子園春夏連覇を達成した興南高校のエース、“琉球トルネード”こと島袋洋奨が、紛れもなく先頭に立っていたのだ。現在、宮城大弥がオリックスのエースとして活躍しているが、かつて興南史上最高の選手になると目されていたのは島袋だった。しかし、島袋が5年間のプロ生活で一軍のマウンドに立ったのは2試合のみ。2019年、静かにユニフォームを脱いだ。

あえて“たられば”を言うのであれば、島袋洋奨が高校卒業後すぐにプロに入っていた世界線はどうなっていたのだろうか。野球ファンなら誰もが一度は考えたはずだ。「甲子園春夏連覇のエース」の冠はそれほど煌びやかで眩しく、その冠に恥じないほどの実力を備えたピッチャーだと誰もが思っていた。

島袋洋奨32歳に聞く「選手としてのピークは?」
 
本人は、自身のキャリアをどう捉えているのだろうか。引退から5年が経ち、32歳になった島袋を訪ねた。現役時代と比べても、より精悍な顔つきになっていた。4年前に母校・興南高校の職員となり、現在は野球部コーチ兼副部長の肩書きを携えている。「野球選手としてのピーク」について問うと、まっすぐな眼差しで、ゆっくりと包み込むように口を開いた。

「自分のピークとしては技術的にどこだろう……。大学1年時も良かったし、2年生になると力もついてきてスピードも出ていた。高校で言うのであれば、2年生ですかね。2年の夏の甲子園で今宮(健太/ソフトバンク)さんたちとやったときとか、あの頃は自分の中で凄く楽に投げられたというか、狙ったところに簡単に決めることができました」

2009年夏の甲子園一回戦で、興南は明豊と対戦した。明豊の大黒柱は、遊撃手兼投手で三番の今宮健太。興南の2年生エース・島袋は初回2アウトランナーなしで今宮を迎える。センバツに続き二度目の甲子園の島袋は、リラックスした状態からトルネード投法で思い切り体を捻り、ストレートで押しまくる。2ボール2ストライクで迎えた5球目、アウトコース低めいっぱいに決まる145kmのストレートで見逃し三振。後にソフトバンクで同僚となる2人の対決は島袋に軍配が上がった。興南は3対4で明豊に敗れたが、島袋にとってはこの敗戦が甲子園最後の黒星だった。

「周りからも言われたんですが、自分はピンチになった時に気持ちがボールに乗り移って投げるところがある。そこは自分でも認めてあげたい部分でした。よく野茂さんのトルネードを参考にしているんじゃないかと聞かれたんですが、そもそも(軸足が)プレートに対してまっすぐじゃないし、身体も柔らかくないのであの投げ方は到底真似できない。意識したことは正直ないですね。自分がずっと意識していたのは、二段モーションからのヒップファースト。溜めていたものを一気に出すイメージで、しっくりきていたのが2009年辺りだったのかなと思いますね」

「130km台のボールでも空振りが取れていました」
 
翌2010年の甲子園で、島袋はまさに“無双状態”に突入する。173cmと上背はないものの、上半身を真後ろに捻る“琉球トルネード”投法から繰り出すボールは綺麗にスピンがかかり、小気味いい音を立ててアウトコースに構えたミットへと吸い込まれた。

「足を上げた瞬間には、すでにボールの軌跡のイメージがしっかりできていました。でも2年生のときの方が力感もなく、スピードも140中盤、145kmくらいがマックスだったんですけど、130km台のボールでも平気で空振りが取れていましたね」

島袋は勝負どころを察知すると、一段階ギアを上げて自信満々にストレートを投げ込み、悠然と空振りを奪っていた。その象徴的なシーンが、2年生で迎えた2009年夏の甲子園での今宮との対決だ。さらに同年夏の沖縄県大会決勝戦、対中部商の3回裏にも、よく似た場面があった。

あの山川穂高を封じた“伝説の名勝負”
 
中部商の四番に座っていたのは、のちにプロで4度のホームラン王に輝く山川穂高(ソフトバンク)。2004年以来の夏の甲子園出場を狙う中部商は山川を中心とした重量打線のチームだった。一方、興南は決勝までの4試合で14得点、うち3試合が完封と投手力で勝ち上がってきた。まさに好対照のチーム同士の決勝戦となった。

興南の先発を託された3年生・石川清太は立ち上がりを無難に抑えるものの、3回裏に中部商の重量打線に捕まった。先制点を奪われ、さらに無死満塁の大ピンチで2年生エースの島袋に交代。勢いに勝る中部商打線を抑えることができるのか――甲子園がかかった決勝戦のこの場面こそ、投手としての真価が問われるところだ。

最初の打者を外角低めの変化球で浅いライトフライに仕留め、球場のざわめきが少し静かになる。次の左打者は、クロスファイヤーからの外角ストレートで三振。2アウト満塁で、四番の山川を迎える。お膳立てが揃った。ここで一発でも出れば、中部商が甲子園の切符をほぼ手中に収めることになる。

当時から山川は大器の片鱗を存分に見せつけていた。島袋の代の興南でキャプテンを務めたサード・我如古盛次はこう回想する。

「山川さんの打球は速すぎて見えないくらいでした。マジでやばかったです」

明らかにストレートを待っている山川に対して、低めの変化球から入った。警戒しすぎてボールが先行し、スリーボール。もうボールを投げられない場面で、島袋は底力を発揮する。内角低めのツーシームを投げ、まず1ストライク。島袋は徹底的に低めのストレートを投げ続ける。フルスイングする山川はファウルを連発し、その度に打席で吠える。

フルカウントで迎えた8球目。強烈な縦回転のスピンがかかった渾身のストレートが、糸を引くような軌道を描きながら外角低めいっぱいに決まる。

「ストライクッ!」球場に響き渡るアンパイアの声。

見逃し三振。あの山川が、バットをピクリとも動かせなかった。島袋はガッツポーズをすることもなく、平然とマウンドを降り、小走りでベンチへと戻っていった。

「高卒でプロ入りはまったく考えてなかった」
 
その後、高校3年生になった島袋は甲子園で“伝説”を作り上げる。

2010年(春) 5試合46回 投球数689 被安打35 奪三振49 失点7 防御率1.17
2010年(夏) 6試合51回 投球数783 被安打47 奪三振53 失点12 防御率1.94

春夏ともに三振の数がイニング数を上回り、防御率は1点台。全11試合に先発した島袋の活躍によって、興南は史上6校目の甲子園春夏連覇という高校野球史に残る栄冠を手にした。

変則モーションの“琉球トルネード”に、誰の目にも明らかな投手としての実力。プロのスター候補生として、島袋は紛れもなく世代の一番手に立っていた。しかし中央大学への進学後、あれほど眩かった輝きは陽炎のように揺らめき、跡形もなく消えてしまった。

無礼だとは思いながらも、質問せずにはいられない。あのとき、高卒でプロに入る選択肢はなかったのか、と。

「大学に行ったことは微塵も後悔してません。高卒でプロ入りはまったく考えてなかったので」

そう断言した島袋の表情は、14年前の甲子園のマウンド上と同じく、威風堂々としていて一瞬も揺らぐことはなかった。しかし、大学時代に起きた“悲劇”が、その後の島袋の野球人生を狂わせたのは明らかだった。

             <続く>
2025/01/10(金) 22時21分49秒 No.1536 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
📝阪神入団の報徳・今朝丸や甲子園2大会出場の社・尾崎ら 兵庫県高野連、優秀選手15人を発表
https://news.yahoo.co.jp/articles/8d10b14a8658f2ef37c74b92e49d4def54e2ac91

兵庫県高校野球連盟は9日、2024年度の優秀選手15人を発表した。春の選抜大会で2年連続準優勝に貢献したのに続き、昨夏の全国選手権大会にも出場し、プロ野球阪神にドラフト2位入団した報徳の今朝丸裕喜投手ら硬式の14人と、軟式の1人。表彰式は17日に明石市内で行われる。

甲子園出場組では、23年春、夏に聖地を踏んだ社の尾崎寛介遊撃手も選出。24年夏の兵庫大会で準優勝した明石商の山内一真右翼手や4強入りした東洋大姫路の露本一惺三塁手も名を連ねた。23年秋、24年春の近畿大会を戦った須磨翔風の槙野遥斗投手や、昨夏18年ぶりに軟式の全国選手権出場を果たした育英の前原大雅遊撃手も選ばれた。優秀選手は次の通り。

今朝丸裕喜(報徳)木村海(県尼崎工)増田脩太(神院大付)笠間遥翔(彩星工科)小野唯斗(長田)市位杯偲(育英)井関駿翔(神戸国際大付)新颯(滝川第二)槙野遥斗(須磨翔風)山内一真(明石商)俵田善(加古川北)尾崎寛介(社)市川涼雅(西脇工)露本一惺(東洋大姫路)前原大雅(育英・軟式)

🔥進学校・滝川の注目二刀流が今年初練習 投手歴1年で最速151キロ計測「今後はピッチャーで」プロ目指す
https://news.yahoo.co.jp/articles/4389252a4b3931c6db211e135989e03da0a9f19d

今秋ドラフト候補に挙がる滝川(兵庫)の新井瑛太投手(2年)が8日、同校グラウンドで今年初練習に臨んだ。チームは6日に始動していたが、自身は体調不良で参加ができず。「(体は)もう大丈夫です。投手2年目、山積みの課題を修正して(結果次第で)プロに行けるなら目指したい」と意気込んだ。

明石ボーイズ時代は「2、9番でバントをする選手だった」と新井。大学を経てプロ入りをと、関東の強豪大学に進学実績のある滝川を選んだ。1年夏の兵庫大会3回戦で報徳学園・今朝丸(阪神)から安打。同秋から投手を始めると1年足らずで151キロを計測と、“二刀流”で才能が開花した。NPBスカウトも訪れるようになり、高卒プロ入りの意識も芽生え始めた。

進学校で、新学期初日のこの日はいきなり模試を受験。「勉強は大変ですね…」と苦笑いも、5段階評定は4・6だという。「今後はピッチャーでやりたい」。投手を軸に、打撃、学業全てを高め、プロの世界に近づいていく。

🔥今春センバツ有力校の常葉大菊川が年明け初練習を6時間…橘木千空主将「楽しみという気持ちが強くなってきた」
https://news.yahoo.co.jp/articles/3bc5e3e08d8a5d28193edd546ca658aa390261cf

センバツ高校野球大会(3月18日開幕)出場が有力視される常葉大菊川は6日、同校グラウンドで年明け初の練習を行った。昨年末から11日間の休みを経てこの日、始動。午前10時半から約6時間、みっちりと体を動かした。石岡諒哉監督(35)は「誰がメンバーに入るかというのはまだない。競争はこれから。ただ、みんな順調に体重が増えている」と手応えを口にした。

本格的なサバイバル開始は、1月下旬の紅白戦以降。秋季東海大会で頭角を現した佐藤大介内野手(1年)や、けがから復帰した小川優人外野手(1年)らによる争いはし烈だ。20人という甲子園のベンチメンバー入りを懸け、選手たちは技術に磨きをかけてきた。始動日のこの日、チームとしては課題の基礎技術不足を見つめ直した。

24日にセンバツ出場校が発表される。久しぶりの顔合わせに笑顔の橘木千空主将(2年)は「楽しみという気持ちが強くなってきた。主将として課題克服のために、チームを引っ張っていきたい」と力を込めた。
2025/01/09(木) 22時19分14秒 No.1535 編集 削除
🎤夏の甲子園ベスト8「ミラクル大社」監督が語る指導方法とは?「カリスマな人が一言言ったら響く…おれはそういう感じじゃない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/ed54c0149dec4df9e6169959fa040a758b7d7382

この夏一躍有名人となったあの人が登場です…!夏の甲子園で快進撃をみせた「ミラクル大社」。チームを率いた石飛監督が8日、松江市の大学に招かれ講演を行いました。

大社高校野球部 石飛文太 監督「2番の藤江、この子がサードにヒットうちます。そしたら今度盗塁って分かる?だいたい高校野球って監督がサイン出してこうやってやるじゃん、でもこれって勝手に走りました、これすごいよ」

甲子園での激戦を振り返りながらまさかの裏側に笑いが起こります。

8日、松江市の島根県立大学で教壇に立った出雲市の大社高校野球部監督、石飛文太さん。夏の甲子園で強豪を次々に突破し大舞台で巻き起こした大社旋風。93年ぶりのベスト8進出に導いた監督として一躍注目を集めていて特別講師として大学に招かれました。

大社高校野球部 石飛文太 監督「これノック受けてるのがおれ、意味が分からん。スーパースターとかカリスマな人が一言言ったら響くじゃん、おれはそういう感じじゃないので自分が何を言うかっていうのはあんまり考えてないというか、それよりも生徒がどう思うかを主に考えてます」

この大学では保育や教育職を目指す学生も多く、石飛監督の選手を見守り、対話するスタイルの指導法や教師としての考え方などを興味深そうに聞いていました。

学生は「私も教育する側に立った際には1人1人を大切にしていきたいなととても感じました。」

📝阪神・藤本コーチを救った被災者の姿「間違いじゃなかったと」 センバツ開催できるのか野球をやっていいのか 
https://news.yahoo.co.jp/articles/08407b73caef700a3f3745ec54c286c292065566

1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から間もなく30年を迎える。節目の日を前に、未曽有の自然災害を経験した各界著名人が当時を振り返る企画「あの日、あの時」がスタート。今回は阪神・藤本敦士1軍総合コーチ(47)。当時は被害の大きかった神戸市長田区にある育英高校の主将としてセンバツにも出場した。劇的な1年を振り返りながら、震災に対する思いを明かした。

感じたことのない揺れで目が覚めた。実家の中はぐちゃぐちゃ。窓を開けようとすると、勝手に鍵が開いていた。藤本敦士1軍総合コーチ(47)は当時17歳。「ただごとじゃなかった。いつも見ている風景が全然違う風景に変わっていたのは、すごいショックだったのを覚えている」。神戸市長田区にあった、母校の育英高校周辺は被害の大きかった場所の一つだった。

明石市の実家は居酒屋。幸いにも食料はあった。近所の人たちを集めて助け合いの日々。生活に苦しむ一方で、野球に対しては二つの葛藤があった。育英高校の主将。「センバツが開催できるのかっていうのが一番だった」。当然、甲子園球場も被害を受けた。幼少期からの甲子園出場という夢。「諦めきれない自分もいたし、こんな状況で野球をやっていいのかなという思いもあった」と悩まされていた。

センバツの開催が決定しても、練習を満足にできる状況ではない。西宮の同級生を実家にホームステイさせて自主トレを行ったりもした。そんな時でも頭の片隅には不安がよぎる。「こんな事態で自主トレして、キャッチボールをしていても後ろめたいというか。すごい変な感じでしたね」。全体練習も練習試合もできないまま、センバツを迎えることになった。

主将として、ミーティングでは部員に言葉を送った。「やるからには恥じないようにやろう」。でも、常に不安との隣り合わせだった。「ガッツポーズをしていいのか、笑顔でプレーしていいのか」。そんな思いを変えてくれたのは1回戦を勝利した後だった。

宿舎でテレビをつけると、育英高校の体育館が映し出された。そこには被災をし、避難している人たちが涙を流して喜んでくれている姿があった。「やっていて間違いじゃなかったと」。救われた瞬間だった。

「全員が認めてくれるわけじゃないですけど、何人かでもこういうふうに喜んでくれている人がいる。僕らの姿を見て、勇気づけられるんだと。逆に勇気づけられたのを鮮明に覚えています」

今年で30年となる。「野球ができるというのが当たり前じゃないというのを感じさせられたのが大震災だった。今、できることをしっかりやろうというのを毎年思いますね」。昨年は能登にも地震が襲った。「ゼロにするんじゃなくて、未来の子たちに受け継いでいかないといけない」。藤本コーチの使命でもある。

⚾岩手さんへ
2日前と昨日で計5回なにやらワケの分からないローマ字を羅列した者が紛れ込んでましたね・・・・・。

teacup.時代だったら検閲していたので、閲覧者の皆さんの目に留まらないまま封印できましたが、woxに変わってその必要もないだろうと思ってましたが。。。。。

イマイチ管理画面の扱いが不慣れですぐに対処できなかったですが、極秘裏に攻略方法(相手のクセ)を見つけて管理画面からちと細工したので当分大丈夫かと!

さて、報道ステーションで高校女子サッカー取り上げていたんですね。MBS系列なんで他局は関心ないかと思ってました。

スクールカラーが緑なんでユニホームもそうなりますが、生で見たらかなり鮮やかな色ですよ。報徳は深緑色ですが、より緑が映えているというか。

しかし、明治20年創立以来一貫して男子校でしたが、2005年から男女共学にカジを切ってしまい・・・当初は猛反対でしたが、、、、、今となっては女子サッカー部が唯一の広告塔になってますね。
0からのスタートで、創部2年目で全国大会出場し、それ以来1学年15人に絞り名古屋や沖縄などから逸材かき集めて常連校に仕立て上げたのが凄いなと。

阪神大震災直前の1995年1月上旬に男子バスケットボール部がウインターカップ全国制覇しましたが、それ以降はサッパリのようだし・・・。

せやけど、やはり硬式野球部を強化してほしいですね!!
前監督の田口先生は僕の高校3年時の担任で2年秋・3年夏ともに準々決勝で大阪桐蔭に苦杯を舐めましたが、あの時の桐蔭は創部4年目でセンバツ8強・夏は全国制覇でしたから。

僕が卒業した夏の大会でセンバツ8強入りした松井 稼頭夫(元西武監督)や今岡 誠(元阪神)などがいたPL学園に2-1で勝利するなどして、平成5年春には近畿大会1勝したし大健闘してましたが・・・・・。

平成2年~平成6年までが黄金期で2001年に溝口監督が就任してからは長期低迷時代が続き、不祥事で2度対外試合禁止処分があり1度は夏の大会出場差し止めでしたから・・・・・。
それでも四半世紀近く監督に君臨し続けるのは、全く力を入れいてない証拠で↓↓

同じ豊中の履正社の背中は全く見えないのが寂しいですね。
高校1年の夏に初戦で履正社と大阪球場で対戦し延長10回7-5で競り勝ちましたが。。。。。

もう、野球部が全国制覇どころか甲子園初出場も限りなく絶望的なんで、、、あとは女子サッカー部が選手権初優勝を僕が生きているうちに見せてくれたらと。これは準優勝1回・4強入り4回しているので、チャンスはあると信じてます。
大商学園女子サッカー部のX(旧ツイッター)見ていたら、今日から新体制で キャプテン 笠崎愛乃 副キャプテン ウエキももサロワン 近藤柚月 坂口里緒 とありました。
昨日は13時前に負けたので、ラストミーテイング終えて、3年生は現地解散。1・2年生はすぐに帰って練習かと思いきや、スタンドで第2試合弁当食べながら見学してました。
どこかからレンタカー2台借りてきたのか?小型マイクロバスで宿舎に引き上げる姿を見かけました。

神村学園はお金があるので、赤い派手なスクールバス3台チャーターしてました!!!

P・S 12日の日曜日13時30分からMBS系列で女子サッカー決勝戦放送するようです。
天気予報が雨ですが、開閉式ドームだし入場無料なんで客はたくさん入るかと。

以前は準決勝でも大商学園ブラスバンド部が応援に来てましたが、昨日は4校いずれも太鼓1つの口ラッパと寂しかったです。

藤枝順心は分かりませんが、神村学園はブラスバンド上手いので久しぶりにTVを通して聴けたらと。
2025/01/08(水) 22時06分51秒 No.1534 編集 削除
 輩退治ありがとうございます。

昨日の報道ステーション内スポーツコーナーで大商学園ー藤枝順心戦を見ましたよ!
大商学園はユニフォームが緑色だったと思うけど
母校応援が全国大会ですから羨ましいですよ!

女子蹴球代表にもOGが数名いるみたいだしね。
2025/01/08(水) 20時16分46秒 No.1533 編集 削除
⚽第33回全日本高校女子サッカー選手権 ノエビアスタジアム 【準決勝第1試合】 大商学園(大阪)vs藤枝順心(静岡) 656人
https://www.jfa.jp/match/highschool_womens_2024/schedule_result/pdf/m50.pdf

⚽TVerライブ配信
https://tver.jp/live/special/le1m18fnld

うん。まあ・・・・・(深いため息・・・そして言葉がなかなか出てこない・・・)・・・・・・・・・・。

2007年創部2年目で選手権初出場を果たし、以後14年間で13度顔を出し、準優勝1回・ベスト4進出3回を果たし、僕の中では『大阪~近畿は勝って当たり前。あとはもう(準決・決勝の舞台である)神戸でいかに勝つか』という感覚で見てました。

ところが、2021年準決勝で作陽にPKで競り負けてからなぜかしら3年間冬の表舞台から姿を消した・・・。
2022年には夏の高校総体で初優勝したのだが、選手権予選敗退してしまった・・・・。

長期低迷時代に陥りかけ、今のメンバーは誰一人として選手権の舞台に立っていない!!
そんなピンチを救ってくれたINAC神戸入団内定した太田主将を中心に『技術に勝るチーム力』をいかんなく発揮し4年ぶり14度目の選手権出場。

昨夏の高校総体で準優勝していただけに、総合力は高いと思われたが、初戦(2回戦)で2年連続準優勝の十文字・準決勝で3連覇を狙う藤枝順心が待ち構えるブロックでこの2強を崩さなければ初優勝が見えてこないと。

なんとか十文字を1-0で振り切り、2戦目で6-0と完勝し  “どこかで藤枝順心がコケてくれたら・・・”  と願いつつ準々決勝2-1とリードしながら後半ロスタイムでまさかの同点劇を喰らいPKの末になんとか4年ぶり5度目の神戸行を決めた。

しかし、3年連続8度目の優勝を狙う順心は17-0・8-0・3-0・4-0と圧倒的な勝ち上がりで攻守にスキがなさそうで、相当な覚悟を持って8時50分頃自宅を出て寒風吹きすさぶ和田岬へ。

前半から後半23分まではずっと猛攻を喰らいながら必死の守りで0-0と理想的な展開 『勝ちたいんや!だから頑張るねん!!』の応援幕通りの健闘。
記録を見たら前半はシュート数4-1で大商が上回っているが、、相手キーパーの黒人ンワデイル ヴィクトリアのカベが厚すぎた。
コーナーキック前半だけで6本くらい全部で9本と緊張感が強すぎた。

悲しいかな後半24分痛恨のゴールを決められ、後半44分にダメ押しされて結局夏の総体と同じ0-2で敗戦。
今年も選手権初優勝の夢はあっけなく敗れ来年以降に持ち越し・・・・・口の中に苦さが残った。

昼ご飯食べに1度外出して、斜め向かいの喫茶店でハンバーグ定食食べ終わり、戻ってきたらスタジアム前で岡久監督の「ラストミーティング」が行われ、直帰せず第2試合も全員で弁当食べながら観戦。

幸いスタメン出場していた2番・中野 5番・笠崎 7番・村上 9番・佐藤 17番・近藤 の5名は2年生なんでまだ来年がある!

この悔しさを胸に15度目の挑戦で悲願の初優勝を信じて長い1年がここから始まる。

      夢は花びらのようにいつも儚(はかな)いが花はいつか咲く。

高校女子サッカー選手権テーマソング 🎵なでしこの蕾 https://www.youtube.com/watch?v=K9N-zdjmWvo

📝高校野球「DH制」導入を本格的に検討開始 7回制、リプレー検証の導入と並行し高野連が議題に
https://news.yahoo.co.jp/articles/eeb2e6e49d41c32a17ae74dc83bffe7b424add38

日本高野連が高校野球での将来的な「DH制」導入について本格的に検討を開始していることが6日、分かった。関係者によると、近未来での7回制の導入に向けて昨年12月に設置された「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議」において、リプレー検証の導入とともに議題の1つに挙がっているという。

夏の酷暑の影響で、地方大会や甲子園では特に負担の大きい投手の健康を配慮することを中心に話し合いが進められている。「DH制」は日本でも社会人野球、全日本大学野球選手権などでも採用しており、U18のカテゴリーでは7回制も含めすでに導入している国も多い。国際ルールへの対応をはじめ、守備は苦手だが打撃に特化した選手などの出場機会増加にもつながるなど、メリットは多いと考えられる。

現場からも「DH制」導入を希望する声も挙がっている。昨夏の甲子園では明徳義塾の馬淵史郎監督(69)が「僕は7イニング制よりDH制の方が先やと思います。(先発投手がDHを兼任できる)『大谷ルール』ができたんだから」と提言していた。

高校野球は硬式、軟式を含め、大きな転換期を迎えている。7回制、リプレー検証の導入と並行して、日本高野連の宝馨会長(67)をはじめとした15人の委員メンバーを中心に、慎重に議論を重ねていく。

📝【静岡】池田新之介監督|小学生時代は色んな種目を幅広く、色んな身体の使い方を体験して
https://news.yahoo.co.jp/articles/8a83e78248c592064307e583bf0bcb701e48a59d

創部120年以上の歴史と伝統を有し、春夏合わせて43度の甲子園出場を誇る静岡高校。そんなチームを指導する池田新之介監督に、中学生を見るときのポイント、小学生時代に大事にして欲しいことなどを聞きました。

「走れる」こと「投げられる」こと

――中学生を見るとき、どんなところを意識して見ていますか?

美しく正しい姿勢で速く走れているか、ボールを正確に投げられるかというところを見るようにしています。「走れる」ということは投げるにしても打つにしても、野球の能力を計る上での一つのバロメーターになります。「投げられる」のも、野球の凄く大きな能力の一つです。ですから中学生を見るときはそういうところを見るようにしています。

――2年4ヶ月しかない高校野球では投げ方を直すのは難しい?

そうですね。投げ方を直すところに時間をかけるのであれば、打つ、守るなど、伸ばしたい部分にエネルギーを使いたいところですよね。

――打つ方ではどういったところを見ていますか?

打つ方は逆に高校に入学してきてから何とでもなるかなと思っています。先ほど話した走れて、投げられる能力があれば、例え癖のある打ち方をしていても直せると思っています。

――打つ方では軟式と硬式、特に気にはなりませんか?

軟式であれば一昔前は叩きつけてバウンドさせる打ち方であったり、インサイドアウトで振れていなくてもビヨンドのお陰で打球が飛んでいったりとか、そういう子もいました。でも、そういったことも含めて高校である程度直るかなと思っています。ボールを捉えたり、遠くに飛ばせたり、そういう能力はあるにこしたことはないですけども。
ピッチャーでは軟式の子の方が好きですね。歴代エースを見ていても軟式出身の子が多いんです。

――技術以外の面で見る部分はありますか?

本院と話をすることができないので内面を見るのはなかなか難しいんですけども、泥臭さみたいな部分、ユニフォームを汚すことに抵抗がないかみたいなところを見ますね。闘志剥き出しな、アグレッシブな野球小僧みたいな子、泥臭い子が好きですね。

――今の高校生を指導していて、昔と比べての変化などを感じることはありますか?

技術は上がっていないと思います。例えば軟式野球出身の子達は教わっていない事が多いと感じています。そこは中学で教えてもらってほしかった、積み重ねて身につけてきてほしかったなと思う部分があります。シニア、ボーイズなど、硬式の指導者は大学、社会人まで野球をやっていた方が多いので(しっかり教えられている)、中学時代にそこの差ができてしまっているのはあると思います。ですので全体的には技術は落ちているように思いますね。

――体力面ではどうでしょうか?

体力は昔に比べて上がっていると思います。身体も大きくなっていますから。でも体力にもいろいろありますので、筋力はあるんですけど持久力と柔軟性はないですね。特に腿裏のハムストリングと股関節の柔軟性がないですね。

――その原因はどんなところにあると思いますか?

昔から言われていますけどトイレが和式から洋式になったとか、畳の上で胡座をかくこともなくなっていますよね。そういった生活スタイルの変化が影響しているのではないでしょうか。
色んな種目を幅広く、色んな身体の使い方を体験して
――将来高校野球で頑張りたいなと思っている子どもは、小学校の時にどんなことをやっておくと良いでしょうか?

柔軟性も大事ですけど、ゴールデンエイジ期に、例えばボールであればボールを使った遊びであったりジャグリングだったり、そういった神経系を刺激するような遊びをたくさんやった方が良いと思います。野球をやるにしても野球だけにとどまらず、サッカーをやったり、バスケットボール、水泳、体操、バドミントンなどいろんなスポーツをやった方がいいと思います。その年齢にあったことをたくさんやるのがいいかなと思います。

――「急がば回れ」ということですね。高校で野球を頑張りたいのであれば小学校時代は野球だけではなく幅広く色んなスポーツをやる。

そうですね。色んな種目に幅広くチャレンジして色んな身体の使い方を体験して欲しいですね。あとは、親は自分の子どもだけに関わらないことですね。

――どういうことでしょうか?

よくボールの渡し方に例えて親御さんに言わせてもらうんですけど、例えば親が子どもにボールを渡すときに「がんばりな」って自分の手のひらにボールを置いて、それを子どもが上から掴んで欲しいんです、イメージとしては。野球ではボールは上から掴みますから。でも今の親は逆で、子どもに手を開かせて「がんばりな」って手のひらにボールを置いてあげるんです。上から掴むべきボールなのに、手のひらに乗せてもらっていたらボールも正しく投げられないですよね。それに例えて「子どもにしっかり物を掴ませてください。子どもにしっかりと上からボールを掴ませるようなイメージで、お子さんに接してあげてください」と話しています。

――子どもに持たせるのではなくて、子どもに掴ませることが大事ということですね。

子どもが掴むように親が誘導するのは良いと思うんです。でも露骨に「あなたはこれを持ちなさい」「あなたが持つのはこれです」とやってしまうと、野球が上手い子どもは育たないのではないでしょうか。

⚾岩手さんへ
昨日・今日とワケの分からない投稿者が出てきました💢
見つけ次第削除していくので放置しておいてください。

できれば、以前のような管理体制を敷いて毎晩僕がチェックしてから投稿者の記事が掲載される形に戻したくないので・・・・・。あまりしつこいようだとまたその時考えます。

さて、バス旅は・・・岐阜城&鳥取砂丘ともに足を運んだことがあるので親近感が湧きますね!!
岐阜城は岐阜駅から微妙に距離があるし、鳥取砂丘も鳥取駅からレンタサイクルで45分程度の登り坂で・・・・・。

最近は路線バスも廃止や区間短縮に本数削減などなど厳しい状況が続いています。
兵庫北部・但馬地方もあまり交通の便はよくないですね・・・・・。

1度だけ豊岡まで足を運びましたが、遠いし交通費が高すぎるので2度と行かないです(笑)

P・S 今日は雨上がりで寒風吹きすさぶ、神戸・和田岬へ行ってきました。
なんとなく舞洲と同じような環境ですね。。。

ノエビアスタジアム界隈は三宮から地下鉄10分とHMF神戸よりも利便性よく、サッカー専用なんで陸上用のトラックもなく臨場感がありました。

いつものやせ我慢で11時試合開始直前にコートを脱いでひざ掛けにして、前半10分あたりで手袋脱いで素手で観戦。
二日前とほぼほぼ同じ服装で手のカイロを温存してゲン担ぎしましたが、、、、、

開閉式ドームなんで願わくば屋根を閉めて欲しかったですが、初来場の決勝戦で本降りの雨だったのでその時だけは快適でした!

ただ、今日は基本的に晴れでしたが12時すぎないと陽射しが入ってこなかったし、昼下がりは若干雲が広がったのでなんと・・・15時19分LEDナイター点灯で、一瞬にして視界が明るくなったのでビックリしました!!
2025/01/07(火) 22時09分03秒 No.1532 編集 削除