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🎤夏の甲子園ベスト8「ミラクル大社」監督が語る指導方法とは?「カリスマな人が一言言ったら響く…おれはそういう感じじゃない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/ed54c0149dec4df9e6169959fa040a758b7d7382

この夏一躍有名人となったあの人が登場です…!夏の甲子園で快進撃をみせた「ミラクル大社」。チームを率いた石飛監督が8日、松江市の大学に招かれ講演を行いました。

大社高校野球部 石飛文太 監督「2番の藤江、この子がサードにヒットうちます。そしたら今度盗塁って分かる?だいたい高校野球って監督がサイン出してこうやってやるじゃん、でもこれって勝手に走りました、これすごいよ」

甲子園での激戦を振り返りながらまさかの裏側に笑いが起こります。

8日、松江市の島根県立大学で教壇に立った出雲市の大社高校野球部監督、石飛文太さん。夏の甲子園で強豪を次々に突破し大舞台で巻き起こした大社旋風。93年ぶりのベスト8進出に導いた監督として一躍注目を集めていて特別講師として大学に招かれました。

大社高校野球部 石飛文太 監督「これノック受けてるのがおれ、意味が分からん。スーパースターとかカリスマな人が一言言ったら響くじゃん、おれはそういう感じじゃないので自分が何を言うかっていうのはあんまり考えてないというか、それよりも生徒がどう思うかを主に考えてます」

この大学では保育や教育職を目指す学生も多く、石飛監督の選手を見守り、対話するスタイルの指導法や教師としての考え方などを興味深そうに聞いていました。

学生は「私も教育する側に立った際には1人1人を大切にしていきたいなととても感じました。」

📝阪神・藤本コーチを救った被災者の姿「間違いじゃなかったと」 センバツ開催できるのか野球をやっていいのか 
https://news.yahoo.co.jp/articles/08407b73caef700a3f3745ec54c286c292065566

1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から間もなく30年を迎える。節目の日を前に、未曽有の自然災害を経験した各界著名人が当時を振り返る企画「あの日、あの時」がスタート。今回は阪神・藤本敦士1軍総合コーチ(47)。当時は被害の大きかった神戸市長田区にある育英高校の主将としてセンバツにも出場した。劇的な1年を振り返りながら、震災に対する思いを明かした。

感じたことのない揺れで目が覚めた。実家の中はぐちゃぐちゃ。窓を開けようとすると、勝手に鍵が開いていた。藤本敦士1軍総合コーチ(47)は当時17歳。「ただごとじゃなかった。いつも見ている風景が全然違う風景に変わっていたのは、すごいショックだったのを覚えている」。神戸市長田区にあった、母校の育英高校周辺は被害の大きかった場所の一つだった。

明石市の実家は居酒屋。幸いにも食料はあった。近所の人たちを集めて助け合いの日々。生活に苦しむ一方で、野球に対しては二つの葛藤があった。育英高校の主将。「センバツが開催できるのかっていうのが一番だった」。当然、甲子園球場も被害を受けた。幼少期からの甲子園出場という夢。「諦めきれない自分もいたし、こんな状況で野球をやっていいのかなという思いもあった」と悩まされていた。

センバツの開催が決定しても、練習を満足にできる状況ではない。西宮の同級生を実家にホームステイさせて自主トレを行ったりもした。そんな時でも頭の片隅には不安がよぎる。「こんな事態で自主トレして、キャッチボールをしていても後ろめたいというか。すごい変な感じでしたね」。全体練習も練習試合もできないまま、センバツを迎えることになった。

主将として、ミーティングでは部員に言葉を送った。「やるからには恥じないようにやろう」。でも、常に不安との隣り合わせだった。「ガッツポーズをしていいのか、笑顔でプレーしていいのか」。そんな思いを変えてくれたのは1回戦を勝利した後だった。

宿舎でテレビをつけると、育英高校の体育館が映し出された。そこには被災をし、避難している人たちが涙を流して喜んでくれている姿があった。「やっていて間違いじゃなかったと」。救われた瞬間だった。

「全員が認めてくれるわけじゃないですけど、何人かでもこういうふうに喜んでくれている人がいる。僕らの姿を見て、勇気づけられるんだと。逆に勇気づけられたのを鮮明に覚えています」

今年で30年となる。「野球ができるというのが当たり前じゃないというのを感じさせられたのが大震災だった。今、できることをしっかりやろうというのを毎年思いますね」。昨年は能登にも地震が襲った。「ゼロにするんじゃなくて、未来の子たちに受け継いでいかないといけない」。藤本コーチの使命でもある。

⚾岩手さんへ
2日前と昨日で計5回なにやらワケの分からないローマ字を羅列した者が紛れ込んでましたね・・・・・。

teacup.時代だったら検閲していたので、閲覧者の皆さんの目に留まらないまま封印できましたが、woxに変わってその必要もないだろうと思ってましたが。。。。。

イマイチ管理画面の扱いが不慣れですぐに対処できなかったですが、極秘裏に攻略方法(相手のクセ)を見つけて管理画面からちと細工したので当分大丈夫かと!

さて、報道ステーションで高校女子サッカー取り上げていたんですね。MBS系列なんで他局は関心ないかと思ってました。

スクールカラーが緑なんでユニホームもそうなりますが、生で見たらかなり鮮やかな色ですよ。報徳は深緑色ですが、より緑が映えているというか。

しかし、明治20年創立以来一貫して男子校でしたが、2005年から男女共学にカジを切ってしまい・・・当初は猛反対でしたが、、、、、今となっては女子サッカー部が唯一の広告塔になってますね。
0からのスタートで、創部2年目で全国大会出場し、それ以来1学年15人に絞り名古屋や沖縄などから逸材かき集めて常連校に仕立て上げたのが凄いなと。

阪神大震災直前の1995年1月上旬に男子バスケットボール部がウインターカップ全国制覇しましたが、それ以降はサッパリのようだし・・・。

せやけど、やはり硬式野球部を強化してほしいですね!!
前監督の田口先生は僕の高校3年時の担任で2年秋・3年夏ともに準々決勝で大阪桐蔭に苦杯を舐めましたが、あの時の桐蔭は創部4年目でセンバツ8強・夏は全国制覇でしたから。

僕が卒業した夏の大会でセンバツ8強入りした松井 稼頭夫(元西武監督)や今岡 誠(元阪神)などがいたPL学園に2-1で勝利するなどして、平成5年春には近畿大会1勝したし大健闘してましたが・・・・・。

平成2年~平成6年までが黄金期で2001年に溝口監督が就任してからは長期低迷時代が続き、不祥事で2度対外試合禁止処分があり1度は夏の大会出場差し止めでしたから・・・・・。
それでも四半世紀近く監督に君臨し続けるのは、全く力を入れいてない証拠で↓↓

同じ豊中の履正社の背中は全く見えないのが寂しいですね。
高校1年の夏に初戦で履正社と大阪球場で対戦し延長10回7-5で競り勝ちましたが。。。。。

もう、野球部が全国制覇どころか甲子園初出場も限りなく絶望的なんで、、、あとは女子サッカー部が選手権初優勝を僕が生きているうちに見せてくれたらと。これは準優勝1回・4強入り4回しているので、チャンスはあると信じてます。
大商学園女子サッカー部のX(旧ツイッター)見ていたら、今日から新体制で キャプテン 笠崎愛乃 副キャプテン ウエキももサロワン 近藤柚月 坂口里緒 とありました。
昨日は13時前に負けたので、ラストミーテイング終えて、3年生は現地解散。1・2年生はすぐに帰って練習かと思いきや、スタンドで第2試合弁当食べながら見学してました。
どこかからレンタカー2台借りてきたのか?小型マイクロバスで宿舎に引き上げる姿を見かけました。

神村学園はお金があるので、赤い派手なスクールバス3台チャーターしてました!!!

P・S 12日の日曜日13時30分からMBS系列で女子サッカー決勝戦放送するようです。
天気予報が雨ですが、開閉式ドームだし入場無料なんで客はたくさん入るかと。

以前は準決勝でも大商学園ブラスバンド部が応援に来てましたが、昨日は4校いずれも太鼓1つの口ラッパと寂しかったです。

藤枝順心は分かりませんが、神村学園はブラスバンド上手いので久しぶりにTVを通して聴けたらと。
2025/01/08(水) 22時06分51秒 No.1534 編集 削除