自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」

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紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
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編集済
📝タイパがいいのは9イニング? 高校野球に求められているものは
https://news.yahoo.co.jp/articles/c8f5c178d16ac7bc1047300f89d8dcb9c448a3be

高校野球の公式戦を、従来の9イニングよりも短い7イニング制で行うかどうかの議論が進んでいる。

タイムパフォーマンス(タイパ=時間あたりの生産性)が重視される今、高校野球の見られ方も変わりつつある。
「時間学」を専門にする千葉大学の一川誠教授は、世の中でタイパが求められる理由をこう説明する。

「スマホゲームや動画視聴など、余暇を過ごすための選択肢が増え続けるのに、1日が24時間なのは変わらないから」

現代消費文化論を専門とするニッセイ基礎研究所の広瀬涼研究員によると、10分程度を超える動画は見られなくなる傾向があるという。高校野球はだいたい1試合が2~3時間。試合の一部を切り抜いたハイライトのコンテンツが好まれ、野球が好きでない限り試合中の選手の一挙手一投足までは見られていないと指摘する。

「(高校野球は)見る側にとって、長い。これは7イニングになっても変わらないでしょう」ただ、試合時間が短くなることによるデメリットも考えられると広瀬研究員は言う。

「多くの人が高校野球に求めているのは、『予測できない展開』や『成熟していない若者のストーリー』、『郷土の代表や母校の活躍』など。試合時間を削ることで、そうした要素が薄まる可能性が高まるのではないか。球児からすればスカウトにアピールできる機会や、補欠の選手が出場できる機会が減ってしまう」

スポーツジャーナリズムを専門とする江戸川大学の神田洋教授は「7イニングへの移行は不自然なことではない」と話す。スポーツのルールはこれまで、運営側やメディアの影響を受けて変わってきた、と指摘する。大リーグで導入された「大谷ルール」もその一つ。ドジャースの大谷翔平選手が打者でも投手でも活躍できるようにするため、先発投手と指名打者を兼ねた場合は降板後も打者として出場し続けられるようになった。

「利益や盛り上がりを優先した結果であって、ルールを変えることはタブーではない」

7イニング制の議論は、選手の健康を守る目的で始まった。神田教授は「試合時間(の短縮)だけでなく、会場を増やし、二部制を広げる手もあるのでは」と指摘する。

📝高校野球7イニング制議論、他競技は? 試合時間やセット数で工夫
https://news.yahoo.co.jp/articles/68f95a466aab4ec2872160c1e1027398dd489d79

高校野球を7イニング制で行うべきか。選手の健康や競技の普及、働き方改革など、様々な観点から、日本高校野球連盟の議論は1年以上、続いている。
高校生の体力やプレー環境を考慮し、大人と試合時間やルールを変えて行われている競技はある。

バレーの全日本高校選手権(春高バレー)では、準々決勝までを3セットマッチで、準決勝以降を5セットマッチとしている。
2025年大会まで、優勝するには5日間で6試合を戦う必要があり、大会3日目は3回戦と準々決勝のダブルヘッダーだった。
全国高校体育連盟バレーボール専門部の早川礼文部長は「短い日程で大会をおこなうとなると、高校生の健康を考えれば5セットを継続することは難しい」という。
インターハイ(全国高校総合体育大会)は準決勝と決勝がダブルヘッダーのため、準決勝を3セットマッチにし、休憩時間を挟んで決勝を5セットマッチにしている。

サッカーは夏の全国高校総体(インターハイ)を35分ハーフにしている。Jリーグや国際大会の45分ハーフより、試合全体では20分短い。暑さや高校生の体力の消耗を考えての措置で、2024年大会からは男女ともに、比較的涼しい北海道か福島で開催している。年末年始にかけて開かれる全国高校選手権は、バレーボールと同様に過密日程を考慮し、準々決勝まで40分ハーフで行われている。

高校生の大会としては高円宮杯プレミアリーグもある。こちらは年間を通じたリーグ戦で試合間隔が確保されているため、45分ハーフで行われる。
ラグビーの全国高校大会も、成人より10分短い30分ハーフで行われる。

国際統括団体「ワールドラグビー」の競技規則では、19歳未満の試合時間は「70分間とし、前後半のハーフは35分を超えない」などと定められている。同団体に加盟する日本ラグビー協会も、これに従っているという。

📝高校野球の“7イニング制導入”に反対の江川卓氏、9回を維持するための奇策は…
https://news.yahoo.co.jp/articles/dc59b0c9413d35806dbdc16e0f1e83de22c80ccd

日本高校野球連盟(高野連)は、12月5日に開催した理事会で今年1月から11月までに10回実施した『7イニング制等高校野球の諸課題検討会議』の結果を報告。2028年の「第100回記念選抜高等学校野球大会」「各都道府県高等学校野球連盟の春季大会」から採用することが望ましいという総括を出した。

この変更は、試合時間の短縮に伴う熱中症予防など健康管理のメリットがある一方、打者が不利になるといったデメリットも指摘されている。また、高野連も「加盟校や高校野球を支えるファンらのアンケート結果を見ると、その意図や有効性が十分に伝わっているとは言い難い」と報告している。
様々な意見が交差するなかで、プロ野球解説者の江川卓氏は自身のYouTubeチャンネル内で高校野球の7イニング制について私見を述べている。

江川氏はまず賛成派について「(近年の気候が)ものすごく暑くなってきて、選手が9回までやることで倒れたり、健康状態の悪化が起きている。イニングを短くして負担を少なくしようというのは、正しいです。ある程度の時間短縮にもなるし、そんなに暑いところにずっといなくていいという考え方が、主催者プラス世の中の流れです。健康じゃないとスポーツができないという思考」と分析する。

一方、反対派については、こう述べた。「選手は7回も9回も一緒。7回だろうが9回だろうが、言葉はあれだけど、根性で一緒だと。どっちも根性がいるから、7回も9回も一緒。根性が必要なことには変わりなくて、暑くても9回をやりたい。打順がいっぱい回ってくるし、いっぱいイニングができる。圧倒的に選手側はやりたい」

難しいとしつつ“9回推進派”だという江川氏は、対案を披露。イニングは9回のままで、3回と6回に10分程度の時間をかけて休み、延長戦に突入した場合は10回から即タイブレークにすべきという見解を示した。

🔥「木村拓哉と俺を比べたら…」元日大三監督の小倉全由氏が山梨学院を熱血指導!「かっこいい男」論で鼓舞
https://news.yahoo.co.jp/articles/ad19162ab93d9f63feb6983f5a83af316b86ecbb

日大三(東京)を2度の甲子園優勝に導き、今夏は高校日本代表を指揮した小倉全由氏(68)が11日、前日の初日に続いて甲府市内で山梨学院野球部を指導した。
強打の日大三をつくり上げた名将が「タイミングの取り方」などを手取り足取り指導。練習終了後には「小倉節」で選手にアツく、アツく語りかけた。

「自分はね“練習はウソをつかない”って言葉が一番好きなんだ。自分の中で“今日の練習は力を抜かない”って決めたらやり切る。どこかで力を抜いた自分がいたなって心の中で思ったら、それは自分にウソをついていると同じだよな。それは自分にしか分からないこと。だからこそ自分に正直でいてほしい。自分の決めたことから絶対に逃げない、これがやっぱりかっこいい生き方じゃない」

小倉氏の激励は続く。ナインの瞳には勇気と闘志が増していく。「どこを見られても恥ずかしくなく、胸を張って生きていける男ってかっこいいよな。木村拓哉かっこいいだろ?いい男だもんね。俺と比べたら、確かに木村拓哉の方がかっこいいけど、人として胸を張って生きることだってかっこいいことだ。いま、みんなは(出場が確実視される)選抜を前にして練習に挑んでいる。こんな幸せはないよ。いい練習やって、いい顔して、正しく生きていこう」

言葉で選手の心を掴む小倉節の神髄。聞いているだけで、やる気スイッチが入る言葉の数々をナインとの「約束」で締めた。

「もし、自分が選抜で解説を担当させてもらえるならば、今度はみんなの顔を覚えたからな。みんなの活躍を追いかけていきたいと思う。自信を持ってやってよ。本当に今回はありがとう」

2日間の指導が終わった。スランプを脱する方法、実戦でもフルスイングを貫く方法など数々のテクニックを教わったナインは「約束」を胸に冬の練習に立ち向かう。
来秋ドラフト1位候補の二刀流右腕・菰田陽生(こもだ・はるき=2年)は「小倉さんは野球の指導者としても、人としても素晴らしい方でした。練習方法をたくさん教わったのでこれをプラスにしていきたいと思います」と感謝。強打線構築に向け、実り多き2日間となった。(アマチュア野球担当キャップ・柳内 遼平)

▼開設 山梨学院野球部は新たにオフィシャルホームページを開設した。野球部の軌跡、監督紹介などが公開されている。
https://www.yamanashigakuinbaseball.com/
2025/12/11(木) 21時28分33秒 No.2179 編集 削除
💢逮捕はこれで8回目、被害者は11名…性犯罪常習の「元ソフトバンク捕手」裏の顔 「野球には真面目だが酒が入ると豹変」「20年前にも事件を起こし…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/36859577e61998f4ca8b9727a44ee68ffa641bbd?page=1

一体、どれだけの被害者がいるのか――。12月9日、神奈川県警は、元プロ野球選手の美嶋隼人容疑者(43)を、不同意わいせつ未遂の容疑で逮捕(再逮捕)した。美嶋容疑者は、現役時代は堂上隼人の名で2008年から福岡ソフトバンクホークスに所属し、捕手として4年間プレー。2012年に性犯罪を起こして契約を解除されたが、球界を離れた後も同様の過ちを繰り返してきたというわけだ。報道によれば、今年6月に不同意わいせつ罪で逮捕されて以来、次々と余罪が発覚してこれで逮捕されること実に8回目。2020年からの5年間で11件、計11人に性的な被害を加えたという。遡れば、およそ20年前の2005年頃にも逮捕経験があるというから、ここまで来ると更生は相当困難と言っても良いだろう。

なぜ元プロ野球選手はここまで転落したのか。その素顔とはどのようなものだったのか。「週刊新潮」では今年6月の逮捕の際に、その人物像を取材している。以下、それを再録し、彼の「表の顔」とおぞましき「裏の顔」について詳らかにしてみよう。

性犯罪は再犯率が高いとされる。ゆがんだ性的嗜好は病気のようなもので、矯正が難しい。10年以上の時を経ても同じ手口で犯行を重ねるケースがあるのだ。
6月12日に神奈川県警が不同意わいせつ容疑で逮捕した自称清掃業、美嶋隼人容疑者(43)もまたしかり。

県警詰め記者が語る。「美嶋は20年前と13年前にもわいせつ事件を起こし、有罪判決を受けています。13年前、2012年当時は、堂上(どううえ)隼人の名前で福岡ソフトバンクホークスの捕手としてプレーしていた。事件は現役プロ野球選手の不祥事として大きく報じられ、契約は解除。懲役2年の実刑判決が確定しました」

道を歩いていて突然……
 
のちに美嶋へと改姓していたが、「6月12日の午前8時過ぎ、横浜市旭区にある自宅マンションの敷地内で逮捕されました。容疑は4月20日午後11時35分ごろ、旭区に隣接する保土ケ谷区内で専門学校に通う18歳の女性の上半身を触るなどした疑いです。二人に面識はなく、女性は道を歩いていて突然、被害に遭ったといいます」

被害女性の親族の通報によって、事件が発覚。

「現場周辺の防カメ映像などから美嶋が浮上し、逮捕に至りました。美嶋は逮捕後、泰然として“弁護士が来るまで話しません”と認否を留保したといいます」

目下、警察は市内で発生した複数の類似事案への関与も調べているという。

数カ月の間に3回逮捕
 
横浜市出身で、3歳から野球を始めた美嶋容疑者。私立武相高校では夏の県予選で1学年上の松坂大輔と戦い敗れたこともある。横浜商科大学に進むと、4年時の03年には日米大学野球にも出場した経歴を持つ。

 野球ライターによれば、「彼の売りは強肩強打でした。大学卒業後は社会人野球の日産自動車と独立リーグの香川オリーブガイナーズを経て、ソフトバンクに08年育成ドラフト5位で入団。09年の開幕前に支配下選手登録を勝ち取りましたが1軍に定着できなかった。相手の研究も練習も人一倍真面目に打ち込む努力家だったんですけどね」

美嶋容疑者を高校時代から知る男性が憤る。「プロ入りまでの苦労を見ていたので、本気で応援していました。10年の日ハム戦に初スタメンで出たときは仲間で居酒屋に集まって観戦しましたよ。でも、見事に裏切られました」

12年8月から10月にかけて、美嶋容疑者は福岡県警に3回逮捕されていた。

「いずれも、福岡県内での面識のない女性に対する強制わいせつです。被害者は、当時17歳だった少女に18歳の女子短大生、20歳のアルバイト女性。“殴るぞ”などと言って駐車場に連れ込んだり、被害者のアパートの通路で暴行したりしている。被害者は今回と同じ年齢層じゃないですか」

酒が入ると豹変
 
3件のうち2件は示談などで不起訴。17歳少女の事件で、懲役2年の実刑判決が下されている。

「許せないのは、福岡で逮捕された際にソフトバンク幹部が会見して明かした、日産時代の性犯罪で有罪判決を受けていた事実。幹部は本人の言動や真面目な練習態度を見て更生したと判断したと話していました。後から調べたら、日産は1年半で辞めていて、その要因となったのが、いまから20年前の05年ごろに起こしたこの性犯罪でした」

さらに、と続ける。「香川にいるとき、メジャーリーグのボストン・レッドソックスのスカウトの目に留まって入団交渉までしたのに見送られたことがあった。その原因も日産時代の性犯罪だったのです。あいつは、野球に対する姿勢は超がつくほど真面目な一方で、酒が入ったら豹変するタイプ。酔って女の人を口説くこともありました。けれど、まさか、こんなに年を経てわいせつ行為を繰り返すなんて……」

神奈川県警によれば、この12月の逮捕案件は、市内在住の専門学校生(20)やアルバイト女性(23)に今年4〜5月、わいせつな行為をしようとした疑い。今年2月には、やはり市内在住、高校2年生の女子(16)に路上で性的暴行を加え、この容疑でも7月に逮捕されている。捜査は11件で終結、立件される見通しで、当然ながら厳罰が予想される。折しも今年はソフトバンクが日本一に輝いたが、古巣にも泥を塗ってしまっている格好だ。彼の悪癖が改善される日は果たして訪れるのだろうか。

📝「ウチに来る可能性は低いと思った」ヤクルト一筋20年で今季引退…元首位打者が「和歌山の公立高校」を選んだ“意外なワケ”は? 恩師が語る当時の秘話
https://news.yahoo.co.jp/articles/d1bf2a2138c3b9997ede9109ed95097028cf90b0?page=1

類稀なバットコントロールで2015年に首位打者、最多安打のタイトルを獲得。ベテランとなってからは、代打の切り札としても活躍したヤクルトの川端慎吾。今季限りでの引退を表明し、来季からは二軍の打撃コーチに就任するが、その原点は市立和歌山商高(現市立和歌山高)時代にある。当時の恩師が語る“ツバメのプリンス”の高校時代とは。

ヤクルト一筋20年の川端慎吾が、38歳となった今季限りで現役引退を表明した。

06年、高卒プロ1年目ながら一軍キャンプに抜てきされ、シーズン終盤の10月9日の中日戦で一軍初出場。それからケガで一軍と二軍を行ったり来たりするシーズンもあったが、プロ6年目から一軍で100試合を超えるようになり、2015年には首位打者も獲得した。

2019年4月20日の中日戦ではプロ野球史上294人目の1000安打を達成。同年9月4日の広島戦では通算1000試合出場も達成した。ここ数年は代打の切り札として勝利に貢献してきたが、ファーム調整の時期も続いた上での決断だった。そんな教え子の姿を見守ってきたのが、川端慎吾の恩師でもある真鍋忠嗣氏だ。

市和歌山商で84年秋から監督を務め、88年から3年間一旦監督を離れるも91年から再任し、2011年夏まで市和歌山商(09年より市和歌山に改称)を指揮。春夏計3度、チームを甲子園に導いている。

高校時代の恩師は「40歳までやれたらいいね」
 
そのうち2回は川端慎吾が在学していた04年夏、05年春だった。真鍋氏にとって川端は教え子の中で特別な存在だったが、功績を称えつつ教え子の思いをこう口にする。

「彼自身、40歳まで現役をやりたいという夢があったんですよ。確か首位打者を獲った10年前くらいかな。慎吾とそういう話をしていて、僕自身も(40歳まで)やれたらいいねと話していて、じゃあ頑張ろうと約束したんですよ。でも、シーズンオフになるたびに毎年そこまでできるのか、という話は出ていたみたいです。現役にこだわるなら他球団で、というのもあったと思うけれど、同一球団で20年間もプレーできたことは立派だし、ファンの皆さんのご声援もあってここまで来られたのだと思います」

9月末の正式発表前、真鍋氏は本人から引退の旨の連絡をもらっていたという。

「正直、(本人は)まだやれると思っていたようで、『お前、ホンマにそれでいいんか? 』とは言いました。でも、球団からコーチとして残ってもらいたいという話があって、本人は若手を教えたいという思いもあったようですね。それならば頑張れよと言いました。

ただ、僕との約束を守らなければならなかったというコメントを残してくれていて、僕としてはそうコメントしてくれたのは嬉しいですけど……やっぱり寂しいですよね。彼としてはあと2年、やりたかったというのはあったと思います。40歳までやるということにすごくこだわりを持っていましたから」

「ウチに来る可能性は低い」はずが…なぜ公立校に?
 
真鍋と川端の出会いは約25年前にさかのぼる。川端は中学生当時から地元の大阪府貝塚市界隈では走攻守三拍子揃った遊撃手として有名だった。軟式野球で国体出場経験のある父のもとで小学校2年から野球をはじめた川端は、中学時代は狭山ボーイズでプレー。50m走を5秒台後半で駆ける快足とシュアな打撃が売りだった。有望な中学生がいれば、当然関西圏の強豪私学からの勧誘合戦が激化する。だが、真鍋氏は当時、中学生を直々に見に行くことはなかった。

「慎吾の噂は聞いていたんですよ。でも、1度や2度見ただけでウチに……と判断するのはその選手に申し訳ないというのがあったんです」

だがある日、川端が父と一緒に市和歌山商の練習を見に来たことがあった。真鍋氏からすればとてもありがたかったが、これだけ名のある選手。「他の強豪校からの誘いがたくさん来ているだろうし、ウチに来る可能性は低い」と感じていたという。ところが川端が市和歌山商への進学を決意したことを知った。

「理由を聞くと、公立高校の練習でここまで活気があるのに感動したって言うんですね。じゃあ一緒に頑張ろうって。それから慎吾がウチに決まった話が周囲に流れると、他の有望な中学生が“自分も市和歌山商に行く”ってなってね。あの学年は大阪南部あたりの良い中学生が集まってくれたんですよ」

川端は入学直後の1年春の県大会から「5番・遊撃」でスタメン起用。夏は背番号6を背負った。高校入学時から身長は180センチあり、背格好だけを見ても一目置かれるような見映えだった。当時を真鍋氏はこう述懐する。

「華奢ではありましたけれど、あの体格でしたからね。ショートを守る選手は華がないといけないと僕は思ってきたんです。でも、彼にそんな華が見えたんですよね」

入学当初は投手志望も「ショートならプロに…」
 
川端は入学当時、投手志望だった。だが、真鍋は「ショートでレギュラーを獲って頑張ればプロに行かせてやる」と川端と約束をこぎつけ、投手を断念させたという。実はこれには理由があった。

「ピッチャーをするには少し手が短いと思っていて。でもショートだったらプロに行けるセンスはあると思ったんですよ」とはいえ、春、夏とショートで結果はなかなか伴わなかった。

「まぁ、バッティングは苦しみましたね。高校野球は甘くはないって、本人も感じたんじゃないですかね」それでも真鍋氏は中軸から川端を外すことはなかった。

「センスの良さはずっと感じていました。何より守れましたからね。1年坊主だった当時でも、これだけ(三拍子)揃っている選手はなかなかいない。他の同級生と比べても能力の高さはかけ離れていました。僕は力があれば1年生でも関係なく試合で起用していましたけれど、当時の上級生もみんな納得していたんです。川端の起用に文句を言う上級生もいなかったですね」

それは川端の真面目な性格があったからだ。練習には真摯に向き合い、コツコツと努力する。誰よりも早くグラウンドに出て早朝の自主練習に取り組む姿を周囲はずっと見ていた。

「コイツにレギュラーを獲られたら仕方ない」

誰もがそう思うほど、1年生でも厳しい練習にも食らいついていた。

「“ウサギとカメ”なら…カメなんです」
 
以前、川端慎吾に関する著書が発行された際に真鍋が取材を受けたことがあった。高校入学時からチームの中心に立ち、センスも抜群。誰もが認める“スーパースター肌”だったが、真鍋は川端の人となりについてこう明かしている。

「慎吾は“ウサギとカメ”で言うとウサギじゃない。カメなんです。隠れて人一倍、コツコツ努力する子でした。そういう積み重ねがあったからプロ野球選手になれたんです。何より、どれだけチヤホヤされても天狗になることも自惚れることも全くなかった。それはご両親の育て方があったのもそうですし、私もその辺りは厳しく指導してきたつもりです」

川端は2年生だった04年夏の甲子園に出場。2回戦で聖光学院に敗れたが、2試合で8打数3安打とまずまずの数字を残した。同時に、川端の名が徐々に世間に広まりだしたのもこの頃だった。

                        <次回へつづく>

📝「正直、ヤクルトはそこまで評価していなかった」恩師が振り返る“現役引退”ある首位打者のドラフト狂騒曲「今となれば良かったと心から…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/a69c1cb137d96c8078e987c3fd5c33734ab5a7f9

ヤクルト一筋20年の川端慎吾が今季限りで現役引退を表明。2015年には首位打者も獲得した好打者だが、その原点は高校時代にある。恩師である真鍋忠嗣氏は、川端をどんな風に記憶しているのか。
川端は2年秋の近畿大会ではベスト8に勝ち進み、チームも翌春のセンバツ出場にもぐっと近づいた。

それほど注目度は高くなかった高校当時の川端
 
当時、近畿では同世代に平田良介(大阪桐蔭→中日)、岡田貴弘(T-岡田/履正社→オリックス)という超高校級の大砲が名をはせていた。そんな黄金世代の中で、真鍋氏は川端の当初の注目度は決して高くなかったと明言する。

「慎吾は高校入学当時からプロ志望でしたけど、本格的に見ていただけるようになったのは2年秋くらいからじゃないですかね。理由は股関節が硬かったから。守備にしても動きに関してどうですかね……というクエスチョンマークがプロ側についていたと思うんです」

その注目度が増すきっかけとなったのが3年春のセンバツだった。2回戦で対戦した神村学園戦で、4打席目にエースの野上亮磨(元西武→巨人)から豪快な2ランホームランを放ったのだ。

「あのホームランが大きかったと思います。慎吾はずっと3番で起用してきたんですけど、あの春は確か1番で出場させていました。打席が多く巡ってくるというのもあって。あのホームランから慎吾のことを見てくださる方が増えました」

それから走攻守三拍子揃った遊撃手として、NPBスカウトの中で株が急上昇した。3年夏の甲子園には出場できなかったが、直後の秋に行われた第6回AAAアジア野球選手権の高校日本代表にも選出され、打率.462を残しベストナインにも選出されている。

ドラフト「1巡目で指名する」という話もあったが…?
 
センバツで放った本塁打を含め、高校通算本塁打は33本。将来性も買われ、ドラフト会議直前になると各球団の“川端詣で”が激しくなった。そんな中、真鍋が「ドラフト会議は当日になると何が起こるか分からない」と痛感した出来事があったという。

「あの頃は色んな球団の方が練習を見に来られる中で、ある球団から“川端君を1巡目で指名する”という話があったんですよ。そう言っていただくと、期待してしまいますよね」

だが、その球団から川端慎吾の名前が呼ばれることはなかった。当時のドラフト会議は高校生と大学・社会人とでドラフトを分けて行われていた。川端はいわゆる”高校生ドラフト“対象。高校生のみが指名される中、1巡目の選手名がどんどん挙げられていく。当時、真鍋氏はその状況を校長室隣の控室で川端本人と見守っていたが、1巡目に川端の名前がなかったことを受け止め、川端に思わずこう声を掛けた。

「“俺と一緒に八十八カ所巡り行こうか”って、言ったんですよね。そうしたら“そうですね”って慎吾が笑って」

1巡目かもしれない……。そんな淡い期待が打ち砕かれ、何とも言えない喪失感にさいなまれたが、川端慎吾を指名したのはヤクルト(3巡目)だった。「正直、ヤクルトさんは事前にそこまで慎吾のことを評価していなかったような記憶があります」と真鍋氏は振り返る。だが、今となれば「ヤクルトで良かった」と心から思っているという。

「だって20年間もプレーさせてもらえましたからね。そのうち5、6年もレギュラーで試合に出させてもらえた。私としてもこれほど嬉しいことはないです」

20年。言葉にすれば容易く聞こえるかもしれないが、その年月を1球団に捧げ、終えることができたのはどれだけ尊いことなのか想像できる。だが、そのうち100試合以上出場したシーズンは5シーズンだった。指揮官がかねてから懸念していたことがある。

「やっぱりケガですかね。高校の時から、とにかく下半身を柔らかく使いなさいということは常々言っていました。本人も相当そこは意識をしてきたと思いますし、3年生になって結果的にプロ側から評価してもらえる選手になったとはいえ、プロに行ってからもそこはずっと心配していました」

8年目の初めには左足首関節の手術、その他にも下半身中心に違和感等を抱えながらのシーズンもあった。そんな状況で現役選手として晩年を迎え、「あと2年」をどう乗り切るか。ベテランとなり、今後を見据えた川端の苦悩が今秋の決断に至ったのだろう。

年末は川端家との食事が恒例行事
 
真鍋氏は毎年、川端家と共に食事をすることが年末の恒例行事となっている。

「彼のお気に入りのお店が大阪にあってね。そこを予約して慎吾のご両親と(元プロ野球選手の)妹の友紀さんとご家族でいつも来られるんです。

でも野球の話はほとんどしないんですよ。あいつは数字の世界の中で生きてきているから、成績を残せばおめでとうとはなりますけれど褒めることもけなす話もしない。和気あいあいというか、いつもなごやかな時間になります」

「僕は試合より練習をみたいから…」
 
ちなみに真鍋氏はプロ野球選手となった川端の試合を現地観戦したのは数えるほどしかないという。

「僕は試合より練習を見たいからキャンプにはよく行きました、沖縄(浦添)に。そのたびに思ったのは、プロでは確かホームランを合計で40本打っていますけれど、元々長距離バッターではないのに力強くなったのには驚きました。プロでのトレーニングなどもあってだと思いますが、守備でも堅実さも含め、打つ、走る、守るすべての要素が上がった。宮本慎也さんの指導も大きかったと思います」

何より謙虚な姿勢がプロに行っても変わっていないことが恩師としては嬉しかった。

「野球に真摯に向き合って来られたからこその20年間だった」

真鍋氏は教え子の歩みに笑みを浮かべながら小さく頷いた。「慎吾はこれから指導者として色んな経験をしていくと思いますが、いずれは上で監督ができたらいいですよね。これから若い選手と一緒に汗をかいて、いずれはヤクルトを引っ張る立場になってもらえたら。今はまだ30代ですけれど、コーチをする同世代も出てきていますし、40代半ばになればそういう夢も持っていてもいいんじゃないかとも思いますね。ここからの人生の方が長いんですから。まだまだこれから。現役で20年、指導者として20年やってくれたらいいのにって思いますね」

教え子の夢は、自分の夢。新たな起点に立つ川端をこれからも傍でずっと見守り続ける。

⚾岩手さんへ
そうでしたか・・・夜中突然の揺れは怖いですよね、、、、、しかし食料品を普段から備蓄されているとは恐れ入ります!こっちは阪神大震災の教訓もどこ吹く風で何にも考えていないのが実情なんで。。。。。
関西に住んでいると、完全に他人事なんで寝しなにふとTV付けたら各局ともニュースになっており「新日本プロレスの深夜放送が・・・・・」と危惧しながら寝床に入り朝起きたらやはりお蔵入りと↓↓

SNSにおけるデマ情報は何かしらあると新聞に書いてましたが、「クマを駆除した祟りだ」とはさもありなんと頷いてしまいそうですが。でも駆除しなければ人的被害がより大きくなり、野生動物の学習能力を考えたら、ほったらかしにしていたら年々街に繰り出し食料品売り場を荒らしまくりかねないので。。。

オコエ瑠偉は高3夏の甲子園で2度観戦したと思います。初戦の高岡商戦は仕事していたので昼休みにラジオで聞いただけですが、、、、、12-10という僕好みの大乱打戦を展開していたのでぜひ観戦したかったなあと。
中京大中京戦の左中間ダイビングキャッチは超ファインプレーでしたね。もっと打撃戦になると期待してましたが、1-0と地味なスコアで・・・・・。あの打球が走者一掃だったら全く違った試合天下になっていたと思われますね!
本人がプロ志向だったら当然の如くドラフト指名されなるべくしてプロ野球選手になった感ですが、巨人に行ったのが間違いだったのか?????

和歌山工は昭和後期は強かったですね。。。2001年夏には2連覇がかかる和智弁と開幕試合で対戦して5-1で大金星を挙げました・・・。あの時は春も対戦して6回まで0-0とずいぶん苦しみ7回に和智弁打線が大爆発して7-0でコールド勝ちしましたが、その後広島に進んだ山本投手が良かったので夏の対戦は避けたかったけどよりによって開幕試合で再戦するとは・・・。
あの頃を境に下降線をたどり県大会でもあまり勝てない時期が続き和歌山商のほうが台頭してきましたね。
日高は昔から安定して県8強レベルに入るほどの戦力はあると思いますが、、、、、いいところまでは行くけれど頂点まではまだ遠いですね。日高中津が急に秋4強に上がったのは驚きました。
2025/12/10(水) 21時27分14秒 No.2178 編集 削除
 地震情報ですが、テレビを付け放しでうとうとしていた頃に揺れだし、それと同時に防災無線と携帯の緊急地震のアラームが鳴りだしました。
 揺れが12~16秒位かな?
だんだん揺れが強くなる感じでしたね。
 揺れはこちらに来てから一番強い感じでしたね。
 岩手県内でも県北地域は被害等が相当出たらしいとニュースで見ました。
 デマ情報では、「クマを駆除した祟りだ」なんて言っている輩がいるらしいよ!
 水、カップ麺、缶詰などの買いだめなどがそれなりにあるね。
 地震の被害等は私の地域ではなかったと思います。

 オコエ瑠偉の事があったので、1年生の時からスポーツ新聞、高校野球雑誌で見ていたし、東京の野球仲間からも聞いていたので名前は知っていましたが、夏甲子園で見た時は思っていた以上に凄かったな!
 初戦だったかな?高岡商業戦で、ファーストがゴロをちょっと弾いた当たりで、2塁を奪う快速びっくりでした。
 この試合だったかは分からないけど、肩も強肩だが、コントロールね!たしか3塁か本塁に大暴投したと思ったな! 
 中京大中京戦は、中京のエース小椋?と関東一の捕手鈴木?だったと思ったが?中学時代はシニアかボーイズでバッテリーだった仲間の対決が熱闘甲子園でやっていたと思ったが、0-0の9回裏サヨナラホームランを打ったのはオコエ瑠偉だったと思うが!
 あの時はいわゆる持っているなと思ったがね!
 プロ野球選手になってからは野球では活躍しないが、サボタージュ?きな臭い噂がね。

最後は和歌山工業はラグビー部が全国大会常連さんは知っていたが、野球部も甲子園出場が数回ある事がこちらで知りました!
 日高高校は、旧国際海洋第一理事長の井脇さんの師匠かな?選抜大会出場時応援団長がOBですね!
 中津分校の本校なのにね!
2025/12/10(水) 18時29分22秒 No.2177 編集 削除
9/24 秋季和歌山大会一次予選 代表決定戦第4試合 紀三井寺球場 和歌山工-田辺 17:29~19:32 17:09頃点灯

 TEAM     12345678910RHE
日  高 000000020 260 山﨑瞬、力津-木村
和歌山工 001000000 183 山田-梶原

        UMPIRES
        PL1B2B3B           
         岩 吉 廣 出
 
           本 野 瀬 口

 紀三井寺における4試合日のルーティン・・・4時起床 4時50分出発 7時51分紀三井寺駅到着 
ダッシュで紀三井寺緑道約3km南下して8時30分までに紀三井寺球場入り
第1試合終了後オークワで昼ご飯買い出し
第2試合終了後弁当持って陸上競技場のスタンドで昼ご飯
第3試合終了後紀三井寺公園散策

という具合で、いつも通り陸上競技場の場外一周していたらいつの間にかナイター半灯していた!!17時09分にそれを目視できたが、目を離していた約10分間の間に点灯されたものと思われる。
全灯は2回表17時45分だったが、不在だった外野線審に第3試合塁審だった弓中・薮内が連戦で登場。

第4試合は和歌山工ー日高という伝統校対決。和歌山工は長年率いていた岡田監督が勇退され今では夏の和歌山大会ラジオ実況の解説をされているが、いつしか元広島カープの中本監督が就任。この新監督はよほど寒がりなのか?夏でも長袖アンダーシャツを着用し部長とともにマスク姿で采配し続けている。
日高は今は亡き梅村監督時代に平成元年・4年と2度センバツ出場しいずれも初戦敗退。紀北農芸に転勤され監督交代し、一時期グレーのユニホームに変わったが、また純白のユニホームに戻しつつ、やや赤色を織り交ぜた胸文字にするなど帽子を含めてマイナーチェンジしたユニホームになった。若い出羽監督が就任し古豪復活の気配を感じさせつつあり新チームはレギュラー6人が1年生で今後の躍進が期待される。

カクテル光線に照らされる中17時29分プレーボール。この日は紀三井寺駅と和歌山駅の間にある宮前駅近くの中華そば屋で夜ご飯食べて帰る腹積もりだったので、ここで3時間ゲームでもされたら最終電車で帰宅不可能となるので2時間程度が着地点だろうか???
試合は先攻派の日高が1死から2番・高橋がライト前ヒットを放つと出羽監督はイケイケドンドンで強攻。3番・湯川がファーストゴロで2死1塁となると4番・橋本カウント1-2からランエンドヒットのサインを出すも盗塁失敗・・・。
その裏、和工も1死から2番・金森がサード強襲レフト線にツーベースを放ち、3番・山中もレフト前ヒットで続き1・3塁。日高内野陣は中間やや前のシフト。4番・木原はフリーに打ってショートフライ。すると中本監督は5番・藤田2球見逃し追い込まれてから盗塁を仕掛け2・3塁と攻めてきたがファーストゴロで無得点。

2回は両チームともに2死からヒットを放ちチャンスメークするもお互いの投手が踏ん張り無得点。
3回表日高は先頭の山﨑瞬がファーストゴロを弾くエラーで出塁すると出羽監督は今度は手堅く送って1死2塁として上位打線につないだが、1・2番が早打ちでレフトフライ・ショートゴロと3球でチャンスを逸した。
その裏和工は試合を押し気味に進めていたがこの回も1番・中村がヒットを放ち四球で無死1・2塁とチャンス拡大。すると出羽監督がタイムを要求して1年生バッテリーを落ち着かせた。エースで4番の橋本はライトを守っているがブルペンでは複数投手が準備している。中本監督も3番・山中に送りバントさせて手堅く先取点を狙うも痛恨のキャッチャーフライ・・・・・。
しかし4番・木原デッドボールで帳消しとなる1死満塁。5番・藤田2球ボールで押し出しもよぎったが、カウント1-2から見事に1・2塁間ゴロで突破するライト前タイムリーヒットで和工が1点先制!しかし、山﨑瞬投手がなおも続く満塁のピンチを初球センターフライで2アウト。7番・山田投手に対してカウント1-3と苦しくなったが、7球投じて最後はレフトフライで最少失点に踏みとどまり1年生バッテリーが粘った!

早く追いつきたい日高だが4回クリーンアップがあえなく三者凡退。。。和工のサウスポーエース山田は小柄だが、梶原捕手と旧チームから主力で出場していたはずで新人戦でも和智弁相手に7回まで3-3同点だったか奮闘していたので簡単には打ち崩せない。追加点を奪いたい和工はその裏ランナーがいなくともなりふり構わずセーフティーバントをかまし続けるがこちらも三者凡退。

すると5回表1死から和工内野陣の連続エラー(悪送球と落球)で逆転のチャンス到来!そして9番・中本3ボールになり四球で満塁も頭をよぎったが、ここから山田投手が本領発揮しフルカウントから外138km渾身のストレートで空振り三振。1番・山崎歩もキャッチャーフライに倒れホームが遠い日高。
しかし、日高の20番山﨑瞬投手も1年生ながら堂々のピッチングで5回はフライアウト3つで和工の上位打線をねじ伏せ1-0のまま整備に入った。

最初からナイター点灯してすでに時刻は18時30分を過ぎて漆黒の闇に包まれ鈴虫かコオロギの鳴く声が紀三井寺球場に響き渡っている。コールドの心配はなさそうだしあとは延長タイブレークに突入し3時間ゲームになってしまえば、宮前駅近くの中華そばを来春以降に諦めて直帰して最終電車までに阪急今津線に乗り込めるように策を張り巡らさなければいけない!!
ここまでは和工が先取点を奪って試合を有利に進めているようにも見えるが、3回まで5安打放ちながら1点どまりで4・5回は三者凡退に終わっており完全に主導権を握っているとまでは行かない。
日高は背番号20の山﨑瞬投手が4回以降立ち直り豊富な投手陣をマシンガン継投させる必要もなさそうで、あとはどうやって得点を奪うか?がカギ。4回を除いて毎回塁上に走者を出しておりいつ得点が入ってもおかしくはないが、先攻だしこのままズルズル終わりそうなきらいもある。

もう日没して19時は軽く超えそうなんでクーリングタイムは実施されなかった。帰りのことを考えるとその方がありがたかった!日高は6回2番からの攻撃でいきなり先頭の高橋が初球セーフティーかますもファール。2球目ファーストゴロに倒れたが、3番・湯川が初球センター前ヒット。ここで4番・橋本2打席連続三振ゆえに送りバントでも悪くはなかったが1ボールから4-6-3のダブルプレーでわずか5球で攻撃終了しこのまま完封負けになる予感がした。
2点目を取って楽になりたい和工はその裏、先頭の5番・藤田がセンター前ヒットで出塁し手堅くバントで1死2塁。ここで山田投手が打席に立ち快心の打球を放つもセカンドライナー正面で2塁走者戻りえず痛恨のダブルプレー・・・・・。久しぶりのチャンスも不運な形で攻撃を終え和工としてもイヤな予感がする終盤の入りとなった。
                      
守りからリズムをつかんでラッキーセブンとしたかった日高だが、肝心の7回表5番からの攻撃だったが無抵抗主義で三者凡退。山田投手は7回でまだ75球しか投げておらずナイターになり直射日光も浴びていないのでもう反撃は難しいかと思えた。しかし、山﨑瞬投手も初回からピンチの連続だったが、1点しか失わず6回で101球投げているがノラリクラリと和工打線を交わして7回も続投しボール先行することもあったが、サードゴロと連続三振で変化球が冴え亘っていた。

そして8回表出羽監督は好投していた山﨑瞬投手に代打・熊本を送り3ボールで四球がちらついたが、待球作戦も実らず見逃しの三振。1死後9番・中本がセンター前ヒットを放ち1死1塁で何かしらサインが出ていたのか?1球ボールの後にけん制球で1塁走者が飛び出してしまうがなんとか相手守備網をかいくぐって1塁に戻った。このワンプレーで和工の歯車が狂ったのか?直後にレフト前ヒットで1・2塁。2番・高橋2ボールで何か仕掛けるか?と思いきや3球目ファール。1-2からセカンドゴロで2死2・3塁バッター3番・湯川。前の打席でヒットを打っているし、4番・橋本は2三振とセカンドゴロゲッツーなんで1塁が空いており2人で1つアウトを取ればよかったが、和工バッテリーは勝負を挑み初球まさかのライトオーバー逆転タイムリー!!打った湯川は3塁を狙って9-4-5の中継プレーに阻まれ3塁手前タッチアウトながら2者生還で日高が完封負け寸前から息を吹き返した。
しかし、代打の関係でその裏マウンドには同じ1年生力津がリリーフ。和工は2番からの好打順なんでここで追いつき追い越したい。終盤急に緊迫感が増した試合。いきなり先頭打者が初球セーフティーバントをかまし揺さぶるがサードゴロ。2死から4番・木原が内野安打を放つも無得点で9回裏ができた!

8回に崩れた山田投手だが、9回はまた本調子に戻り三者凡退でチームを鼓舞した。9回裏6番からの攻撃でいきなり2ボールとなり四球の色気もあったがライトフライ。しかし7番・山田投手が一人気を吐きライトオーバーの3塁打でまさかの1死3塁。日高ベンチからタイムが取られスクイズでも同点だし延長タイブレークも脳裏をよぎる。ちょうど2時間程度の時間帯なんでいずれにせよこの回で終わった方が身のためだが・・・・・。中本監督にスクイズの頭は全くなかったようで、8番・梶原を信じて3ボール。1球待ってからの5球目は力みすぎたのかファーストフライで2アウト。。。
9番に代打・坂口を起用して勝負に出てきた。ホームランが出れば劇的なナイターの終幕だが、暴投やエラーでも同点の可能性がある。カウント1-2から打ちに行くが空振りし、勝負球のカーブでバットが空を切り三振で試合終了。

19時32分長い1日の終わりを告げるサイレンが紀三井寺の夜空にこだまして熱くて長い4試合が終わった。あれだけ押していたいた和歌山工だが、まさに8回2死からの1球に泣いたという形になった。その前の1塁ランナー飛び出しできっちり挟殺プレーでアウトにしていたら1-0で終わっていた公算も高かったが、、、、、
日高はあえてエースが登板せずに1年生投手2人のリレーで8安打喰らいながらも3回の1点だけに抑え、最後も1死3塁の大ピンチを凌いで二次予選進出したので98年以来26年ぶりの近畿大会出場しても不思議ではなかった。

あと10年くらいしたら出羽監督が市和歌山・半田監督の位置に立つような名将になるかもしれないとそんな予感をしながら、時刻表とニラメッコしながら宮前駅で途中下車して中華そばで一服して最終電車までには間に合わせ日付が変わった頃合いに帰宅できた。
そんな紀三井寺の激闘もいよいよフィナーレが近づいてきた。近畿大会には20204年和歌山から3校出れるので、二次予選最終日に照準を合わせ11時30分から2試合観戦で今季ラスト紀三井寺にした。近畿大会出場をかけた試合はともに新人戦敗退から勝ち上がってきた市和歌山ー日高の激突。それはまた次回の講釈で。

チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 死球 三振 失点 自責
日  高 山﨑暖  7  28  117  6   1  1  1   4   1  1       
日  高 力 津  2    8   33  2  0   0  0  0   0  0      
  
和歌山工 山 田  9  34  101   6  1  0  0   7   2  2  

                         (完)  
                     
                      🌟次回予告🌟           
       10/6 秋季和歌山大会二次予選 3位決定戦 紀三井寺球場 市和歌山-日高
2025/12/09(火) 22時44分54秒 No.2176 編集 削除
📝持丸修一 77歳名将の高校野球論
「対外試合禁止期間」に見直しの声があっても、私は気に入っているんです
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/381279

12月になり、3月頭までの対外試合禁止期間が始まりました。この規則を「そろそろ見直してもいいのでは」といった意見が一部ではあるようです。なにせ、制定されたのは70年以上も前。当時と状況は大きく異なりますし、準レギュラー以下の選手が実戦経験を積む機会としても、ルールを緩和すべきという考え方も理解はできます。

ただ、私自身はこの期間、実はけっこう気に入っていて、むしろ必要だと思っているんです。学校によっては他校と「合同“練習”」を行うところもあるのでしょうが、やろうと思ったことすらありません。

理由は単純で、このコラムでもたびたび触れているように、高校野球はあまりにも過密だからです。3月から11月まで大会が連続し、春夏の甲子園に出場するようなチームであれば、息つく暇がありません。だからこそ、じっくり腰を据えて練習だけに専念できる期間があってもいいじゃないかと思うのです。それに、対外試合でしか得られない経験値もありますが、練習にも同じことが言えます。この3カ月間は精神的な疲労を取りつつ、基礎能力を底上げする期間として存分に有効活用するつもりです。

専大松戸では、平日は最低30分のチームプレーを必ず取り入れ、土日は紅白戦を中心に据えています。基礎動作と半実戦形式の反復練習を通して、攻守における野手の状況判断の精度を徹底的に高めることが主な狙いです。

特に重視しているのは、攻撃時の走者による打球判断です。打球がバットに当たった瞬間に「走るべきか否か」を決める。その判断の遅れはワンテンポで大きな差になります。打撃音、スイングスピード、インパクト直後の打球角度なども判断材料になる。細かな情報を瞬時に感じ取る能力は、本番の試合中ではなかなか養えません。冬の時間こそ、こうした“自分の感性”を研ぎ澄ます絶好の場になるのです。

もっとも、判断力にはセンスも絡むため、この期間は指導者にとっても大きな意味を持ちます。選手たちを3カ月も見ていれば、「偶然の好プレー」なのか「再現できる実力」なのかがはっきり分かりますからね。選手の本質に触れられる季節と言ってもいいかもしれません。

心待ちにしている来春センバツの開幕は3月19日。すでにベンチ入りメンバーの見極めは始まっています。

💢広陵高校野球部の暴力事案 書類送検された2人を家庭裁判所に送致
https://news.yahoo.co.jp/articles/9f18d3d5bd5edbbb514c867b7be3b78b6d18e487

広島県の広陵高校・硬式野球部で起きた暴力事案で、広島地検は9日、少年2人を広島家庭裁判所に送致しました。
この事案は、ことし1月、学校内の寮で、規則で禁止されていたカップ麺を食べた当時の1年生が、複数の当時2年生の部員から暴力を加えられたものです。

広陵高校は1日、「3年生2人を暴行の疑いで書類送検した」と警察から連絡があったことを明らかにしていました。
広島地検は9日、この少年2人を暴行の非行事実で家庭裁判所に送致したと発表しました。

広島地検によりますと、少年2人は野球部の寮で1人は胸部を、もう1人は頬をそれぞれ手で殴打したとされています。
広島地検は少年2人の認否については明らかにしていません。今後少年2人は家庭裁判所で詳しい調査が行われる予定です。

📝異次元のスピードで甲子園を席巻したオコエ瑠偉 一塁強襲二塁打、1イニング2三塁打、超美守...
https://news.yahoo.co.jp/articles/852b7bf3c6c051f7bf061df3fc1cedb6f5333dd9?page=1

先月28日、巨人はオコエ瑠偉の電撃退団を発表した。海外挑戦などを含め、本人の選択肢を広げるために、あえて自由契約にしたと言われる。この、いわば温情に、オコエはどんな選択で応えるのか。

【感嘆符で埋め尽くされた衝撃の甲子園】

2015年夏の甲子園。関東一(東東京)のオコエの活躍は、それは衝撃的だった。当時の取材メモを振り返ると......。

「!」「??」「!!!」

もし目に見えるなら、その空気は感嘆符だらけだった。高岡商(富山)との一戦で、関東一の先頭打者・オコエが第1打席で放った打球は、一塁手の右を強襲する。弾いた打球が、フェンス際まで転がる。それを見たオコエは、ためらいなくスピードに乗って二塁に達した。一塁強襲二塁打。その速さは先刻承知。

なにしろ東東京大会では、センター前へのふつうの当たりを二塁打にしていたのだ。だが実際、はじいたにしても一塁手が触った打球で二塁に行くのを目の前で見れば、異次元のスピードだった。
3回には、さらに感嘆符が充満した。この回のオコエは、大量得点で2度回ってきた打席でいずれも右中間に三塁打。とにかく、二塁を回ってからの加速が尋常じゃない。初回の二塁打は挨拶がわりの快足で、49年ぶり、大会史上2人目という1イニング2三塁打に、関東一の米澤貴光監督はこう語ったものだ。

「塁間3歩くらいで行く(笑)。1イニング三塁打2本は、練習試合では珍しくありません。私は社会人野球のシダックス時代に、キューバの代表選手なども見てきましたが、それも含めて会ったことのないレベルのスピード。オコエには『頼むから、ベースだけは踏んでくれ』と言っています」

ふだんは生真面目で、冗談など言いそうにない米澤監督さえテンションが上がるのである。スピードに乗った時のオコエは、たしかにほれぼれするほどのストライドの大きさだ。
右中間を割った打球から早合点して、スコアブックに二塁打と書き込んだある記者は、目を上げてみたらオコエが三塁にいて首をひねったとか。元サッカー日本代表の俊足FWで、"ジョホールバルの歓喜"で知られる野人・岡野雅行氏から、かつて「犬に追いかけられたけど、ぶっちぎったことがある」と聞いた時は笑うしかなかったが、オコエの疾走はさながら、獲物に突進するチーターだ。

【三塁到達スピードはプロでもトップクラス】

だがいくらなんでも、塁間3歩はないだろう。そのことを本人にぶつけると、こんな答えが返ってきた。

「3歩......それはさすがに、人間じゃないですね(笑)。短距離はそうでもないんです。現に、チームでも井橋(俊貴)は僕より速いし、あるいは下級生でも5、6人いますよ。でも僕は、ベーラン(ベースランニング)が得意で。距離が長ければ長いほどよくて。二塁打はトップスピードに乗る前にベースに着いちゃうので、三塁打が一番速いですね」

50メートル5秒96はむろん俊足の部類だが、ずば抜けて速くはない。だが、三塁到達タイムとなると10・88秒で、これはプロ球界でもトップクラスだそうだ。ヒット性の打球を放つと、ふつうは一塁に走りながら3フィートラインあたりから右にふくらみ、一塁を回って二塁をうかがう。だがオコエは、打った瞬間にヒットと判断したら、スタートからゆるい弧を描くように一塁を目指し、左足でキャンバスを蹴って二塁を狙う。

オコエによると、「そのほうが、いざ二塁に走るときに減速しないし、距離的にも効率がいい」ためで、そのあたりはなかなかクレバーでもある。ただ甲子園期間中のオコエは、こと走塁に関しては、本調子ではなかったらしい。

「東東京大会で使う神宮は人工芝で、甲子園の走路は土。感覚の違いがあって、塁間の歩数が合っていなかったんです。だから三塁へのスライディングでも、遠くから滑りすぎて飛んじゃっているんですよね。また、神宮の赤土とでは、滑った時のスピードも違いました」

【中学まではホームランバッター】

すらりと長い四肢はナイジェリア人の父から受け継いだ。名前の「瑠偉」は、Jリーグで活躍したラモス瑠偉にあやかり、「父はサッカーをやってほしかったと思います」とのこと。だが、小学校で出会った野球にのめり込んだ。ジャイアンツ・ジュニアに名を連ねると、中学では東村山シニアでプレーした。少年野球の現場ではその当時、足の速い子どもならほぼ機械的に左打ちにさせる傾向が強かったが、オコエは小、中学時代ともに、左打ちを勧められることはなかったという。これは、右の強打者がノドから手が出るほどほしいNPBのニーズにもかなう。

「左打ちを勧められなかったのは、中学まではホームランバッターだったからでしょう。ただ、高校に入ってもホームラン打者のつもりでいたんですが、なかなか芽が出なかったんです。だから、東京で優勝した1年秋の大会はベンチ外。翌年のセンバツをアルプスから見て、どうしたらベンチに入れるか、自分の持ち味を生かす方法を考えた結果が、鋭いライナーを打つことでした」

米澤監督も「目の色が変わってきたのは選抜前、1年生の2月頃からです」と言うように、そこからのオコエはまず体づくりから取り組んだ。

「しんどいときこそ、もう1本」と走り込み、体幹トレーニングに汗を流し、体を大きくするために丼飯3杯など1日4、5食。増えた体重を質のいい筋肉にするため、トレーナーの助言を仰いだ。

体が充実すれば、技術は勝手についてくる。2年の選抜後に定位置をつかむと、2年夏には5試合で打率5割超、さらに秋を経て3年時にはプロ注目の逸材として脚光を浴びることになる。

【スピードが生んだ超美技】

夏の甲子園3回戦の中京大中京(愛知)との試合では、並外れた守備能力の高さも見せている。初回から二死満塁のピンチ。さらにオコエの守るセンターの左に鋭いフライ。抜ければ一挙3点......だが、さながら短距離走者のスピードでオコエが一直線に落下点に疾走し、長い左腕を懸命に伸ばすと、グラブの先にボールがすっぽりと収まった。
立ち上がりの3失点をゼロにする超美技には、「オコエなら、もしかすると......」と願った米澤監督も、4万7000のスタンドも、割れるような拍手だ。

過去、特大アーチや150キロ超の剛球でスタンドを魅了した高校生は何人もいる。だが、その足でここまで人気を得た球児は記憶にない。盗塁をしまくったのなら、足の速さはわかりやすい。だが意外なことに、この甲子園でのオコエは盗塁0。つまりファンは、数値ではなく長打や美技そのものにわくわくしたのだ。鮮烈なスピードは、それほど衝撃的だったということだろう。

興南(沖縄)との準々決勝では、厳しく内角を攻められ、4打数無安打2三振と精彩を欠いた。だが、3対3と同点の9回、二死二塁から苦しんでいた内角低めの直球を「100パーセント読んで」と巻き込むように強振すると、ライナーがレフトスタンドに飛び込んだ。夏の大会で関東一に初のベスト4進出をもたらす決勝2ラン。これが高校通算36本目のアーチだった。

この夏の甲子園4試合で残した成績は、18打数6安打6打点、盗塁0。数字だけを見れば、突出しているわけではない。だが、ファンの記憶には「オコエ劇場」と呼ばれた鮮烈な衝撃が、今も色濃く刻まれている。15年、ドラフト前に取材した時のオコエはこんなことを語っていた。

「1年前には、いまの自分は想像できませんでした。この間の通学中に『オコエさんですか?』と、知らない人に声をかけられたんですよ」

1年後。いまからは想像のつかない舞台で活躍しているオコエを見られるだろうか。

⚾岩手さんへ
昨夜は青森県を中心に巨大地震に襲われたようですが、文面から察するにそちらの方は大勢に影響がないものと察しております。

さて、本来ならば、来春のセンバツから即7イニング制導入したかったと思われますが、世論の声で先延ばしにできたといった風情でしょうか?
国体の時には何の前触れもなく、いきなり今年から7イニング制導入します・・・となってしまったので。

滋賀国体初日の折はたまたま早朝に通り雨があり、予定よりも1時間遅れで4試合開催してくれたので、17時50分頃終了となりましたが、普通にやっていたら8時30分開始で16時50分頃終了でナイターとは無縁だったんでしょうね・・・・・。
幸か不幸か7イニング制の影響で前席前売りでネット販売のみでしたが、大きな混乱もなく労せずして3塁内野席取れたのでその点はありがたかったですが・・・・・。兵庫国体や福井国体の折は朝から長蛇の列ができて難儀していたので!

それに国体は3年生の引退試合のようなもんで、甲子園のように真剣勝負というわけでもないので、心身の疲労はとても軽いと思います。てっきり僕は半分の4回終了後にグラウンド整備するかと思いきや従来通り5回終了後の整備なんで・・・・・後半がものすごく早く感じるし、先取点取られたら焦りが増幅されますね!
5回コールドは地方大会でもあまりないので、コールドゲームはずいぶん減ると思いますが、特に軟式でも7イニング制を採用されるとわざわざ球場にまで足を運ぶ機会がなくなるかと・・・・・。

選手ファースト・・・といいつつ、選手も9イニングを熱望する球児が圧倒的多数なんで。球数制限は現状1週間で500球以内と言われても初戦敗退するチームはまず抵触しないし、7日間で3試合以上組まれるゾーンに入って勝ち抜かない限りはひっかからないので、1試合100球以内などにしないと故障予防できないのでは???と。
クーリングタイムに関しては10分でも15分でもゆっくりやって欲しいですね。トイレの混雑も気にならないし、残り時間がまだたっぷりあるのでスタンドを適当に散歩できるので!
夏の紀三井寺だったら、外野席開放されているのでグルリ1周できるし気前のいいチームは氷水が入ったバケツに飲み物を大量に入れて「自由にお取り下さい!」とあるのでお言葉に甘えられるし!!

ユーチューバーの論客の意見を聴いていても全会一致で猛反対ですね!
2025/12/09(火) 22時05分20秒 No.2175 編集 削除
 反対多数の声を完全無視しても導入する意向は最初から決めていた事なんでしょうね!
 ポーズだけアンケート調査しましたよ!
 滋賀国体高校野球競技で7イニング制で試合を行い前例を作り、天候不良もありましたが暑さが8月の甲子園とは全然違うんじゃないの?
 選手が7回で全然疲れなかったと試合後の声だけ取り上げて、9回まで試合をやりたいなという声はかき消した感じですね。
 国体高校野球、春季大会やローカル大会などは7イニング制は反対意見は相当減ると思う。私個人の意見ですが。
選抜大会に参考資料になる秋季大会、その後地区大会、神宮大会と夏甲子園大会は7イニング制の賛成意見を野球仲間など誰からも聞きません!

ハンカチ、栗山さんが賛成意見だったね。
 常連さん達も7イニング制になったら甲子園には行かないとほぼ全員が言っています!
 選手ファーストなんでしょうね!
球数制限、クーリングタイム、複数投手制もいらんちゃうの!
 4,5点リードされて逆転勝ちは7イニング制だと難しいと有力校の監督も言っているようですね。
2025/12/09(火) 21時40分29秒 No.2174 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
💢なぜ7回制は反対多数でも止まらないか―高野連が「全員の命」守るために貫く伝統より改革の姿勢
https://news.yahoo.co.jp/articles/e96a7aacb4fd4c3a140415968330f9e3ec872f19

高校野球が7回制に変更されるか否か、議論は導入可否を決断する最終局面に入った。今夏の高校日本代表監督を務めた小倉全由氏ら15人で構成された検討会議は、今年1月から10度の会議を開き、熱中症対策などを理由に「7回制を採用することが望ましい」と結論づけた。その回答を受け取った日本高野連の理事たちが、来年に開かれる会議内で最終判断を下すことになる。

日本高野連が加盟校に実施したアンケートでは反対が70・1%を占めたように、拒絶反応は明らかだ。現場の声を覆してまで、なぜ議論を前に進めようとしているのか。その背景には、関わる全ての人の命を守るためなら変革を厭わない高野連側の覚悟と責務がある。

高野連関係者も「試合より練習の方がきつい」などの意見は百も承知。ただし酷暑での試合には、鍛えられた選手でも後遺症が残るようなアクシデントが起きる可能性は捨てきれない。7回制導入のデメリットに挙げられる「出場機会の減少」「競技レベルの低下」「過去の大会記録との整合性」「9回のドラマ」のどの理由よりも、球児や関係者の安全の方が遥かに価値があることは間違いない。

では、本当にイニング数を減らすことでしか対処できないのか、まだ打つ手が残されているのか。2イニング減らしたところで、どれだけの安全が担保されるか数値化できない以上、高野連が反対派を納得させることは今後も難しいだろう。ただ、検討会議の前身として昨年開かれていた「ワーキンググループ」には以下のような議事録が残されている。

「危機管理の面から、最悪なのは“何も対策を講じない”ということ。何もせず、大会に関わる選手、役員、審判員、応援する生徒、観客の中から重大事故が発生した場合、誰がどのような責任を負うのかを肝に銘じるべき」

7回制の検討会議がまとめた最終報告書の1ページには、「高校野球が目指すもの」として、「成長期である部員の健康を守ることならびに高校野球に関わる全ての人が安全に、安心して関与することができる対策を積極的に推進していく」と明記されている。甲子園常連校から部員不足の高校、さらには運営側、観客も含めた「全ての人」の未来を守るため、現場の反対意見を押し切ってでも7回制を導入すべきだと、検討会議のメンバーは結論づけたのだ。

検討会議の言葉を借りれば「酷暑への対策は待ったなし」。伝統の継承を求めるがゆえに、高校野球を命がけの部活動にしてはならない。検討会議メンバーは腹をくくって、日本高野連に7回制導入を突きつけた。

☟7イニング制は「自然な流れ」? 選手の健康を守れるか、医師の見解
https://news.yahoo.co.jp/articles/d775b70f315e06a5741802bb1142ab4b7d5b0f12

高校野球の7イニング制導入の議論において、けがや熱中症を防ぎ、選手の健康を守ることは大きな論点だ。肩やひじの痛みに悩む多くの高校生を診療してきた2人の医師に、考えを聞いた。
慶友整形外科病院の古島弘三医師は、過去に数百人の高校生のひじを手術してきた。

「私の立場で反対の意見はありません。投手の投げすぎを抑制することと、暑さ対策。両方の視点から選手の健康を考えれば、7イニング制の導入は自然な流れかなと思います」

2イニングの短縮は、一定のけが予防効果が見込めるという。先発投手が完投した場合、投球数は30球ほど少なくなる。
「球数が100球に到達する七回ごろから疲れが出て、多少痛みが出ても無理をする状態になりやすい。先発完投を基本とするチームの場合、負担は減るでしょう」

選手の公式戦での出場機会が減ることが懸念されるが、「選手の経験と健康を守ることのバランスをてんびんにかけた場合、後者が絶対的に大事。初戦敗退のチームは、1試合だけで公式戦を終えてしまう。リーグ戦形式の可能性も含めて考える時代がきている」。

栃木県高校野球連盟と連携して選手の障害予防に携わってきた薬師寺運動器クリニックの伊沢一彦医師は、「痛め止めを打ってでも投げたい」と言う選手の声に耳を傾けてきたからこそ、7イニングへの短縮には複雑な思いだ。

「いち高校野球ファンとしても八、九回のわくわくする攻防が見たいけれど、選手の安全性を踏まえれば(7イニング制は)仕方がない。世界的に7回でやっているんだと納得するしかない」

夏の栃木大会中は大会本部に入り、熱中症を含めた救護をサポートしている。少人数のチームには、屋外での運動に慣れていない他部からの「助っ人」の選手がいる場合がある。強豪校でも試合中に足がつる選手はあとを絶たない。スタンドの保護者や応援の生徒の負担も懸念され、「熱中症で救急車を複数台呼んだことがありました」。

ただ、投手の肩ひじの負担減については「やってみないとわからない部分もある」とみる。
「9イニングはもたないけれど7イニングなら完投できる、という投手はきっといますよね。かえってそのエースに負担が集中しないかは少し懸念しています」

2人の医師が口をそろえたのが、障害予防は「公式戦のルール変更だけでは完結しない」ということだ。普段の練習や練習試合でのオーバーワークによってけがをする例が少なくない。高校生は「ほぼ大人の骨」ではあるが、成長には個人差がある。

指導者が適切な知識を学び、練習や起用方法にいかすことや、選手が痛みを訴えられる環境をつくることが重要だという。

📝川本町民球場、改修費が6.5億円 国スポの試合会場 川本町教委試算
https://news.yahoo.co.jp/articles/d7109ada6306acbc875e320695c32f93b2b277c5

島根県川本町教育委員会が5日、2030年国民スポーツ大会で軟式野球競技の試合会場となる町民球場(川本町川下)の改修費を6億5千万円とする試算を明らかにした。女子硬式野球クラブ「島根フィルティーズ」など町内の野球選手が利用しやすい環境整備にも着手する。

改修内容は、内外野フェンスに選手保護の緩衝材を設置するほか、更衣室、トイレの整備など。改修工事は27、28年度に行う計画にしている。
2025/12/08(月) 22時13分09秒 No.2173 編集 削除
📝高校野球でリプレー検証「導入方針」 春夏の甲子園と明治神宮大会で
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASTD53J2FTD5PTQP00ZM.html

日本高校野球連盟の「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議」は5日、試合中のリプレー検証を選抜大会、全国選手権大会、明治神宮大会で導入する方針だと報告した。
検討会議では、審判に対するSNSでの誹謗中傷を問題とする意見が出ていたという。採用への条件が整った段階で、理事会で審議する。

2023年12月、日本高野連の宝馨会長は会見で「ビデオ判定の議論をしている」と明かし、「教育の一環としてやっている高校野球でそこまでしないといけないのかという意見がある一方で、誤判定がいつまでもインターネット上で流されてしまう時代なので、そういうことを防ぐ意味でも」と語っていた。

東京六大学野球連盟は、今春のリーグ戦から導入している。

☝「甲子園なんて夢の夢の夢だった」…桐光学園・野呂前監督の退任式、400人が感謝
https://news.yahoo.co.jp/articles/a169e2341c663ef53df066358c6511f6a2dd2361

桐光学園高野球部を約40年に渡って率い、今夏限りで勇退した野呂雅之前監督(64)の「退任式」が7日、横浜市内のホテルで開かれ、歴代OBら約400人が長年の功労をねぎらった。プロ野球・オリックスでプレーする渡部遼人選手らも駆け付け、にぎやかな会となった。

2002年夏に桐光が甲子園に出場した際の主将・船井剛野球部OB会長が「野呂監督の道程が、桐光学園野球部の道程そのもの」と開会のあいさつ。

渡辺選手は「プロ野球はやらなければ消えていく世界。自分で考える力を育ててくれたのが野呂監督」と感謝し、チームを引き継いだ天野喜英監督は「ここにいる皆さんと一緒に甲子園で校歌を歌えるようにやっていきたい」と宣言した。二人三脚で野球部を作り上げてきた塩脇政治部長は「最初の頃は甲子園なんて夢の夢の夢だった。監督、お疲れ様でした」と40年以上の歴史を振り返った。

✌春日部共栄前監督の本多利治氏への感謝に45年間のOB大集結「1500人という宝ができました」
https://news.yahoo.co.jp/articles/9e920efb047d8464759cde455b6b39dfe693b5f5

今年3月限りで45年間の高校野球指導を勇退した春日部共栄(埼玉)・本多利治前監督(68)の「感謝の集い」が7日、さいたま市内で開催された。

本多前監督は学校創立の80年から野球部監督を務め、春夏計8度の甲子園出場を果たした。この日は93年夏に甲子園準優勝した時のエース土肥義弘氏(49=現西武ファーム投手総合コーチ)ら450人が参加した中、本多前監督が、壇上で最後のあいさつをした。あいさつは以下の通り。

今日は本当にありがとうございました。このような素晴らしい会を開いていただいて、本当にOBには感謝しております。これだけの人がいてびっくりしました。私から感謝の気持ちをお伝えして終わりにしたいと思います。

昭和54年、大学(日体大)の秋のリーグ最終戦、あのにっくきタテジマ(東海大)にボッコボコにされて、私の現役が終わりました。その1週間後、大学の監督に呼ばれました。

東京のお花茶屋に共栄学園という女子校があると。全く知りませんでした。その学校が埼玉県の春日部に男女共学の学校を作ると。野球部を作るから監督を探していると。お前、ちょっと面接に行ってこいと。何を言ってるんだとその時は思ったんですね。でも大学の監督さんには大変お世話になっていたので面接だけはいかなきゃいけない。そこで判断しようと。忘れもしませんが11月3日、文化の日に面接を受けました。

人生は2つに1つの選択をしなければいけない、そういう場面が皆さんもおありだと思います。私はその後の1週間、人生での強烈な選択をしなきゃいけないあの1週間を、いまだに覚えています。そして選択したのが春日部でした。私はあの選択に間違いはなかったと。なぜならば1500人という、宝ができました。その宝たちに「監督本多」を育ててもらいました。

そして、右も左も分からん、1人として知り合いのいない中で中学校の先生方との出会いがありました。本当に根気強く選手を送っていただいて、甲子園に行くことができました。45年間の厳しい戦いの中で私立高校にいじめられ、公立高校にいじめられ、まぁ厳しい45年間でしたけども、素晴らしい指導者との出会いがあり、素晴らしいライバルができて、45年間、モチベーションが下がることなく頑張ってこられました。 今日は家族も呼んでいただき、本当にありがとうございます。ここまでできたのも家族の支えがあったからだと思います。娘2人は負けた時にはいつも「また一からやり直しだね、頑張ってよ」って応援してくれて。女房には「気合、気合、気合、練習、練習、練習しかないんだよ」って励ましていただきました。本当に女房には感謝しております。

学校関係者、職員の方々、後援会の方々。現役の父母会の方、卒業生の父母会の方々、本当にあたたかい応援をいただいて、私は幸せだと思っております。今日は本当に素晴らしい会を開いていただきまして、心から感謝しております。45年、私の野球人生、悔いはありません。本当にありがとうございました。

最後は参加者全員で「ありがとうございました!!」と全力あいさつ。青春時代にガミガミ叫ばれた恩師を、元気よく第2の人生へ送り出した。

🎤県岐阜商野球部監督が群馬で講演 「五感を意識、プレーに勘生きる」
https://news.yahoo.co.jp/articles/7eaf443b11b2edbade745ee415855af30685cfdd

群馬県高校野球連盟の「責任教師・監督・顧問会議」が6日、同県渋川市伊香保町であった。講師に招かれた岐阜県立岐阜商業高校野球部の藤井潤作監督(53)が「伝統校でチャレンジした1年」と題して講演した。

藤井監督は市立岐阜商業高校、朝日大学出身。社会人野球の一光で野球を続けた。退社後に高校教諭になり、2009年に県岐阜商でコーチ(副部長)を務め、同年夏の甲子園で4強。昨年再び県岐阜商に赴任し、昨年8月に監督就任。今夏、甲子園初采配ながら、16年ぶりに4強入りする快進撃を見せた。

就任直後の昨秋の県大会準々決勝で岐阜第一に4―5で敗れたあと、新チームの課題を整理したという。筋力アップ、守備力強化、走塁強化、スイング力、そして考える野球を挙げた。

体重を増やそうと、ご飯の量を「1日2キロ」ときちんと量って食べさせ、意識づけた。守備では足の置き方を考えながらゴロを捕球する基本的な練習にも取り組んだ。「走塁は野球の中で一番難しいが、ミスは許されない」、打撃は「引っ張っても良いが引っかけはダメ」。様々なパターンにおける動きを教え込んだ。

「野球は『間』があるスポーツ」だとして、考えて準備することの大切さや、「五感を意識することで、野球のプレーにも勘が生きてくる」として、感性を磨くことの大切さも伝えてきたという。
「子どもたちの肌で感じる成長を見せてもらった。これがあるから、指導者はなかなかやめられないなと思った1年でした」と語った。

☟高校野球7イニング制は「早く帰れる」 カナダ出身の日本ハム外野手
https://news.yahoo.co.jp/articles/c9abff50371e388b5c98f7acfa1ea9e59161f541

高校野球の公式戦を7イニング制で行うかどうかなどを議論するために、日本高校野球連盟が設置した「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議」は5日、「2028年に開催予定である第100回記念選抜高等学校野球大会をめどとして、全ての公式戦を対象に採用することが望ましい」などとする最終報告書をまとめた。

海外の高校世代では7イニング制を採用している国・地域が多い。カナダの高校で7イニング制の経験があるプロ野球日本ハムファイターズの山口アタル外野手(26)に話を聞いた。

「カナダの高校野球はクラブチームばかりです。自分がいたチームは土日に7イニング制で計4試合を行うのが通常でした。シーズンは4月から8月。リーグ戦を50試合近くやって、その後にプレーオフがありました」
「練習は週に1、2回で2時間程度でした。チーム練習はシーズン前にちょっとだけ守備の連係を確かめるくらいです。それ以外の時間は、家の近くのグラウンドで父と2人で練習をしていました。自分は物足りなかったので、一対一の個別レッスンに通っていたこともあります」

――日本の高校年代と比べると、練習時間やイニング数が短いです。

「120球くらいで7イニングを完投することもありましたが、その場合、次の試合で投げるまでは必ず1週間は空きます。その間はブルペンに週2回入るくらい。土日に4試合だから、チームに4人の先発投手がいて、プロみたいにローテーションで回していました」

「日本みたいにエースが2試合連投とかは絶対ない。カナダでそういうことをしたら、親がめちゃくちゃ監督を怒るでしょうね」

――どうして親が怒るのでしょうか。

「多くの選手は、大学に野球で行きたい、あるいはプロに行きたい。大学やプロに行くためには、けがをしたらダメですよね。指導者も、将来のレベルを考えた上で指導するのです」

――日本の高校野球が7イニング制になると「八、九回のドラマがなくなる」と懸念する人がいます。

「たしかにドラマは八、九回に起こることがあります。ただ、学生は野球が全てじゃない。7イニングだと早く帰れます。勉強する時間も大事だし、家族と過ごす時間も大事です。そして、自分で練習する時間も必要です。誰かから指導をずっと受けるより、自分でも鍛えないと」
「大学に入る前に自分のレジュメ、そしてエッセーを書きました。奨学金をもらうためには、勉強だけでなく、ボランティアのような学校の外で何をしたかも大事です。人生単位でみると、そういった時間は大切ではないでしょうか。自分は7イニングで良かったです」

――アメリカの大学では成績優秀者として表彰されていましたね。大学やプロで9イニングになったとき、順応するのは大変ではないですか。

「自分は難しさを感じませんでした。毎年、何人の高校生がドラフト会議で指名されますか。その数十人を優先して(9イニング制を維持したら)、ほかの何千人の高校生がないがしろにされませんか。そもそも高校生でプロまでいける能力があったら、7イニングと9イニングはそこまで変わらないと思います」

――では、日本の高校野球の良さを感じる点はありますか。

「日本の選手は努力家だと思います。日本ハムに来て、どの選手もきつい練習を途中でやめることはありません。試合も最後まであきらめない姿勢がすごいです。甲子園をめざして、絶対に負けられない環境で試合をやってきたからこそ身についたのでしょう。自分も負けていられない」

――日本の高校野球界は2部制や指名打者(DH)制の導入など変化しています。今の高校球児にはどんなメッセージを送りたいですか。

「1週間500球の投球数制限でも多すぎだと思いますが、その割には肩ひじをあまり壊さないのは不思議ですね。日本は練習前のウォーミングアップの時間が長く、ストレッチもしっかりしている。その効果でしょうか」
「高校生には、本当に体を大事にしてほしいと思います。あの時、もっと体に気をつければよかった、あんなに投げなければよかったとは思ってほしくない。甲子園はすごい大会です。それでも、野球は人生の全てじゃない。それを理解して、悔いのない野球をやってほしいです」

👣選手に監督と呼ばせない東北高校野球部の前監督「ヒロシさん」が天国に旅立つ前に語っていたこと
https://news.yahoo.co.jp/articles/0e6a66da11ed94cd2dee64e42251c6f2c617a66e?page=1

12月1日、広陵高校野球部の暴力事件で、暴力に加担した生徒ふたりが書類送検されたと報じられた。広陵高校は2025年夏の全国高校野球選手権大会の出場を決めていたが、出場選手からの暴力をSNSで投稿され、出場を辞退していた。ここで大切なのは、「暴力をした選手」が処分されたことで終わりにしてはならないということだ。選手たちが暴力をふるうにはどんな環境があったのか。暴力のない指導とは何か、大人がきちんと向き合い、考える必要がある。

そんな中、11月末、ジャーナリストの島沢優子さんの元に「叱らない指導」を手がけてきた野球部の元監督の訃報が届いたという。著書『叱らない時代の指導術 主体性を伸ばすスポーツ現場の実践指導術』でも、選手たちのみならず指導にかかわる大人たちのマインドセットを変えた素晴らしい指導者について綴っていた島沢さんに、改めてその指導の意味を伝えてもらう。

選手に「監督」と呼ばせない指導者
「棺を蓋(おお)いて事定まる」

亡くなって棺にふたをされた後に、その人の真価が分かる――この言葉は、李白と並ぶ二大詩人と呼ばれた杜甫が中国古代の「普書」劉毅伝から引用したことで有名になった。その通りになるであろう人が、11月27日に亡くなった。

東北高校野球部前監督の佐藤洋さんだ。同校から社会人の電電東北を経てドラフト4位で1985年に巨人入団。投手以外すべてのポジションをこなし、1軍で6シーズン97試合に出場し94年までプレーした。引退後は、NPO法人「日本少年野球研究所」代表として野球教室を開くなど育成と普及に務めていた。

2022年8月夏に東北高校の監督に就任。その2か月後の宮城県秋季大会で、同年前夏に東北勢初の甲子園優勝を遂げた仙台育英を撃破。東北大会は準優勝し12年ぶりの春の選抜大会出場を決めた。選手に「ヒロシさん」と呼んでもらう異色の指導を知り東京から取材に来た私を、快く迎えてくれた。

「(監督呼びは)なんか堅苦しい。このほうが対等に付き合えるでしょ?選手も本音を言いやすいからね。もういい加減、やり方を変えないと。大人がやらせる野球、勝つことだけを追求する高校野球じゃだめなんだ。俺は野球を子どもに返したい」

「大人が変わる必要がある」

ここまで大局からものを語る高校野球の監督は珍しいと感じた。すぐに「ヒロシさんたちが野球を子どもに返す道のりをいつか書かせてください」と伝えた。何で書くの?と聞くので「本で」と答えた。高校野球でパワハラ指導がなくならないこと、中学校の軟式野球部員の数が減少していることなど、野球に横たわる問題に注目していた。当時大谷翔平はまだエンゼルス所属だったが、すでに日本の野球選手の最終目標は日本のプロ野球(NPB)ではなく、メジャー(MLB)になっていた。

「指導環境を変えれば、日本の子どもたちの可能性はもっと広がるし、野球はもっと自由で楽しめるスポーツになる。それには大人が変わる必要がある」

それをどう伝えるか、理解してもらえるか。ヒロシさんはいつも考えていた。2023年春の選抜大会。山梨学院大附との初戦で、相手失策で出塁した選手が塁上で行った「ペッパーミル・パフォーマンス」を、ベンチに駆け寄った一塁塁審から注意された。少し前にWBCで世界一になった日本代表のヌートバーがやって有名になったものだ。ヒロシさんは試合後「もう少し子どもたちが自由に野球を楽しむということを考えてもらいたい」と毅然とした態度を見せた。

「ヒロシさん」に共鳴してコーチに

そんなブレない姿勢をそばで支えたのは、東北高校コーチだった原拓海さんだ。ヒロシさんと同じ埼玉県在住。中学時代にヒロシさんの野球教室で直接指導を受けた。所属チームで悩みこころが砕け散りそうだった原さんに正しい技術を教え「拓海の感覚を大事にしてほしい」と言ってくれた。限りなく子ども目線のヒロシさんに「この人は絶対に俺の味方なんだ」と思えた。

その後、野球と離れ公認会計士に。家庭を持ち子ども3人に恵まれたある日。当時少年野球チームに所属していた12歳の長女が「もっと野球が上手くなりたい」と何度も言う。そこまで本気ならとヒロシさんの野球教室を紹介した。娘を介し親と指導者の付き合いが始まって間もなく、ヒロシさんから「東北高校の監督になるんだけど誰かコーチはいないか?」と相談され、半年間一緒に探した。しかし、ヒロシさんの考えを理解して寄り添える人が見つからない。

「よく考えたら、その条件、自分に当てはまるじゃないかと」(原さん)そこで家族を説得し、埼玉県からヒロシさんとともに単身赴任した。日中は会計士の業務をこなし、放課後からコーチとして指導。土日は試合、遠征に帯同した。
「高校野球界を変えるならヒロシさんしかいないと思ったんです。よくテレビのバラエティ番組でも元プロ野球選手達が数億円もらっても高校時代には戻りたくないと語っていたりするじゃないですか。私も同じ思いです。私は高校卒業後から10年以上、真夏になるときまって夜中によくうなされて目が覚めていました。私のような思いをする子どもを増やしたくないという思いもありました」

「君たちに野球を返す」の意味

原さんはコーチ就任のあいさつで、選手たちにこう熱弁を振るった。「ヒロシさんは君たちに野球を返すと言ってます。選手ファーストです。人間的にも成長させてもらえる。さらに技術指導ができるなんて、そんな人めったにいません。私は日本一の監督だと思う」

原さんの言葉通り、主体性を育むチーム運営に徹した。練習メニューは選手に提案してもらい自分は黒子に徹した。一対一で対話する時間を大事にし、選手個々の悩みに寄り添った。出色だったのは練習前に30分ほどとった「道徳の時間」。例えば、エレベーターに乗る際は同乗者に行き先階を尋ねボタンを押すといった当たり前のようでできないことを挙げ、公共性や公正性を選手に注入した。先の震災で遺された南三陸町防災庁舎の見学に連れて行ったこともある。

「野球ができることは普通なことではないことを伝えようとしていました。野球以外の一般教養を身に付けて目配りや気配りができるようになれば、それは野球にもつながりますから」と原さん。目の前の勝利以上に、部員たちの将来に目を向けた指導だった。

「頑張って信じた道を進めば、必ず見ていてくれる人はいるぞ」

今年の8月20日。インスタグラムで「野球部監督解任のご挨拶」と題した投稿に、多くのメッセージが寄せられた。その中に、校内食堂の調理師だった女性が書いたものがある。

「佐藤監督がこの野球部にいらした途端、部員の周りを漂う風が一変しました。その一部始終を校内の食堂からいつも拝見し、すぐに憧れの甲子園にも連れて行っていただきました。部員たちは見る見る変革し自分たちで考え進めていく力も増していきました。しっかりした魅力的な信念のもとに導かれた部員たちは、きっと洋さんが大好きだったはずです。ここを巣立った部員たちもこれから活躍するであろう部員たちも、そして私も、洋監督と過ごせた日々をこれからずっと糧にしていくと思います」

女性はヒロシさんが監督に就任する以前から、校内食堂から野球部の生徒たちの様子を毎日見ていた。ヒロシさんの指導によって主体性を高めていく様子を、彼らの「周りを漂う風は一変した」と表現している。もしかしたら、部員の成長を誰よりも感じ取っていたに違いない。このメッセージひとつとっても、ヒロシさんの行ったことの尊さが伝わってくる。
このメッセージを発見したとき、原さんは「こうやってちゃんと見ていてくれた人がいたんだ」と涙をこぼした。と同時に、ヒロシさんから生前「拓海、頑張って信じた道を進めば、必ず見ていてくれる人はいるぞ」と言われたことを思い出した。

選手は自分で責任を取るしかない

ヒロシさんは私に「島沢さん、俺は決して成功したプロ選手じゃない。いろんなコーチから指導を受けたけれど、それで結果が出なくてもコーチたちは責任を取らない。取りようもないよね。だから、選手は自分で責任を取るしかないの。俺はそこに気づいてほしい」と話してくれた。選手たちに、自分で責任を取る力を授けたかった。そしてそのプロセスを「俺は見ているぞ」と寄り添ったのだ。

11月27日午前2時26分、ヒロシさんは急性大動脈解離のため帰らぬ人となった。彼との思い出をSNSに綴ると、連日多くの方からメッセージをいただいた。自分が教えてもらった。子どもが指導を受けた。あるいは、指導者として救われた。それぞれの思いとともに「子どもに野球を返す活動を続けてほしかった」と無念さが綴られていた。

甲子園優勝監督でもない。本人が言ったようにジャイアンツのスター選手でもない。それなのに、多くの人から尊敬され、その哲学は共感されていた。そして、期待もされていた。一番無念なのはヒロシさん自身だろうと思う。

棺を蓋いて事定まる。ヒロシさんの真価を知ってもらうためにも、私たちは彼の遺志を継がなくてはならない。

⚾岩手さんへ
軟式高校野球の第2回東西交流野球大会は来年5月4日(予備日5日)開催のようです。今年は警備上の観点から無観客試合だったようですが、仮に有観客試合だったとしても行かないですね。
7イニング制は早くても2028年春からなんで来年の大会はもちろん9イニング制(ただし延長戦は無)ですね。

しかし、こういう交流試合の場合は7イニング制になると特に投手は1イニングごとに交代しないと全選手出場できないという状況になりかねないので厳しいですね。
2年連続三重で観戦した三重県愛知県ピックアップ交流試合では投手3イニングまで登板可能とありましたが、ダブルヘッダーやっても14イニングなんでそんなに投げられないし、頻繁に代打・守備交代しなければいけないので監督は相当頭を痛めますね!

2部制に関しては夏のみ なんで春・秋は全然関係ないし、夏にしても今年は自分たちが作った原則を完全無視して22時以降も新しいイニングに入っても普通に試合続行していたので時間制限による継続試合はおそらくないんじゃないかなと。

図書館で新聞各紙読みましたが、、、7イニング制を導入したらセンバツ出場32校を増枠する・春の大会に敗者復活戦などを導入して出場機会を増やすなどの案もあるらしいです。
そういう名案はすぐにでも採用して欲しいものです。春の東海大会は「5位決定戦」なるものを企画しつつ雨で流されました・・・・・。

7イニング制賛成派は斎藤佑樹や熱中先生国際派・栗山英樹さんといった新旧熱闘甲子園キャスターが支持している模様です。
いずれにせよ僕が生きているうちは9イニング制でお願いしたいですね。「高校野球200年構想」が一瞬で崩壊しかねませんよ!!
2025/12/07(日) 22時10分53秒 No.2172 編集 削除
 来年5月の連休中だったかに、甲子園で軟式高校野球の東西交流野球大会をするようだけど、7イニング制でするのかな?
 しかし7イニング制で暑さ対策?無理があるね!

 本当は完全2部制(ベスト8までかな?)する事で、「第2試合」「第4試合」の継続試合の不安はほぼ無くなる感はあると思います。
 試合途中の雷雨などで中断し第1試合、第3試合試合終了が延びてしまった場合があるだろうけどね。
 賛成意見表明したとは聞いた事ないけどね!
 いくらでもでも7イニング制反対の意見は吹き上げるね!
2025/12/07(日) 20時38分29秒 No.2171 編集 削除
🎤「神様が創った試合」箕島―星稜戦の秘話を披露 石井毅さん、甲子園歴史館でトークイベント
https://news.yahoo.co.jp/articles/d745354446d512008177946065eaad82f1c1ccb2

甲子園大会で「神様が創った試合」と言われる1979(昭和54)年夏の箕島―星稜戦について、元箕島投手の石井毅(現名・木村竹志)さん(64)が6日、甲子園歴史館でトークイベントを行い、当時の逸話を披露した。ゲストとして当時星稜主将の山下靖さん、一塁手の加藤直樹さんも同席した。

石井さんは延長12回表、星稜に勝ち越し点を与えた後、3死目を三振で奪った際の光景を話した。「捕手の嶋田宗彦がボールを地面にたたきつけた。当時はマウンドに転がすのが普通だったが、強い思いが現れ出たのだろう」。嶋田さんはその裏2死から同点弾を放った。

14回裏には三塁走者の箕島・森川康弘さんが隠し球でアウトになった。三盗直後で顔は泥だらけだった。石井さんは三塁塁審の達摩省一さん(故人)の長男から聞いた話として「達摩審判員が森川にタオルを差し出したが、森川は断った。もしタオルをお借りしていたらタイムがかかることになり、あの隠し球はなかった」。

延長規定で最終回だった18回表、星稜の攻撃が無得点に終わると大会本部から記者席に「再試合となった場合、明朝8時30分から行います」と放送が流れた。この日観客として来ていた当時球審の永野元玄さん(89)に話が振られ「放送は本塁まで丸聞こえだった。打席にいた堅田投手もがっくりきたと思う」と話した。石井さんは「審判員は翌日も同じ方々がされる。選手以上に過酷だと思います」と話した。

永野さんは試合後、堅田外司昭さんにボールを手渡し「その後、堅田さんは立派な審判員になられた。立派な人生を歩まれている」とたたえた。
高校野球はタイブレーク制が導入され、もう18回まで試合することはないだろう。46年前の箕島―星稜戦は最後の延長18回の激闘だと言える。

箕島から社会人・住友金属、プロ野球・西武と進んだ石井さんは「あの18回があったことで人生が変わった。最後まであきらめない、という教訓は今も心の支えとなっている。今後も自分たちの経験を伝えていきたい」と話した。

🎤「9イニング制は守ってもらいたい」…高校野球「7イニング制」継続議論…徳光和夫さん「ラジオ生放送」で提言「野球の根底から覆すようなルール」
https://news.yahoo.co.jp/articles/337c79396d2fed4a55e5746a5316945a0741ad10

フリーアナウンサーの徳光和夫さんが6日、パーソナリティーを務めるニッポン放送「徳光和夫とくモリ!歌謡サタデー」(土曜・午前5時)に生出演した。番組では、日本高野連が5日に大阪市内で理事会を開き、7イニング制導入の決定を見送り、継続して議論することを報じた。

「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議」から、センバツが第100回を迎える2028年から「全ての公式戦で」、猛暑への対策が急務な夏の選手権大会については「可及的速やかに」に採用することが望ましいとの最終報告を受けたと明かした。

同会議は1月から10度の議論を重ね、従来よりも6アウト減らすことが、肩、肘や熱中症を含む健康対策、部員数の減少、教員の働き方改革に有効と判断。また歴史的、社会的見地からドーム球場などではなく、甲子園で全国大会を開催することが望ましいとの方針も示した。延長戦は段階的に短縮し、近年はタイブレークを導入。投球数制限も取り入れ、来年からは指名打者制が採用される。
外部による登録モニター向けの調査では、賛成35・9%、反対25・0%だったものの、加盟校については7割が反対。選手の出場機会が減るため、部員が61~80人の学校では反対が91%を占めた。

熱中症対策での7イニング制に徳光さんは「わからなくはありませんけど」とした上で「野球の根底から覆すようなルールを変えるってことですから」と指摘した。

さらに「3・3・3でドラマがあるんだよね。3イニング、3イニング、3イニング。7イニングですと3イニング、3イニング、1イニングになっちゃうでしょ。そうすると何か尻切れトンボみんな感じになっちゃうんじゃないかなと野球そのものが」などと見解を示し、猛暑対策での7イニング制検討を理解した上で「9イニング制は守ってもらいたいな」と提言していた。

👣阪神・藤川球児監督の恩師らが語る、天国に旅立った「ヒロシさん」の”叱らない指導”が遺したもの
https://news.yahoo.co.jp/articles/affa55f484145173fc20501fc6ffd35c53aeb1a4?page=1

11月27日、急性大動脈解離のため、突然天国に旅立ってしまった東北高校野球部前監督の佐藤洋さん。ジャーナリストの島沢優子さんは、著書『叱らない時代の指導術 主体性を伸ばすスポーツ現場の実践』にて佐藤さんの指導術について綴っていた。そこで、佐藤さんがどのような指導をしたのか、なぜ多くの選手たちや指導者たちから尊敬を集めてきたのかを改めて伝えてもらう。

前編では、選手からも「監督」ではなく「ヒロシさん」と選手からも呼ばれていたという佐藤さんの指導の内容やその思いを、島沢さんがこれまで会って直接聞いたことや東北高校コーチとして佐藤さんとともに指導にあたっていた原拓海さんの証言からお伝えした。後編では「子どもに野球を返す」という佐藤さんの思いの背景と、佐藤さんから影響を受けた青森県弘前学院聖愛高校監督の原田一範さんと、高知商業野球部の元監督・上田修身さんの言葉をお届けする。

選手が自分からやらなければ何も獲得できない

「子どもに野球を返す」ヒロシさんの原点は、アメリカにある。

ダルビッシュ有の2年時に夏の甲子園で準優勝。春夏通算41回の甲子園出場を誇る名門とあって、指導改革に対する風当たりは強かったはずだ。それでも変革を求めた発端は、小中学生を教えた体験からだ。読売ジャイアンツを32歳で引退後、埼玉県のスポーツメーカーに就職し、会社の事業として立ち上げた野球教室の指導を1997年から始めた。

ところが、練習に来る子どもたちはまったく楽しそうに見えない。コーチに何か言われると、「はいっ」と不自然なほどの大声で返事をするのが気になった。大人に野球をやらされていると痛感した。社外研修で渡米した際、少年チームの練習を見せてもらった。練習が始まっても寝そべっている子がいた。しかも、誰も注意しない。同国のコーチに「あれでいいの?」と眉間にしわを寄せて尋ねると、「いいんだよ。それはあの子の責任だから」と言われた。

「(コーチは)選手が自分からやらなければ何も獲得できないことを知っているんだ」と感じた。例えば米国は日本のように子どもの上達を急がない。骨の成長がある程度止まってから、技術などさまざまなことを教えていた。

これに対し、日本の指導者は勝たなければと考えるからか、ポジションを早くから固定しがちだ。例えば投手であれば肘や肩に負担がかかり、ケガや故障が増える。勝つために早く上達してほしいから、反復練習も多くなる。それに耐えないと上手くならないと指導されるため、その退屈さを我慢して野球に取り組む。その結果、思考停止になって自分で考えられなくなる。ヒロシさんはそう考えた。

「例えばフィギュアスケートの選手。年齢が進むと、難なく成功させていたジャンプができなくなったりする。手足の長さが変わっているのに、そこに自分の感覚が追い付かなくなる。だから小、中、高校まではやり過ぎないほうがいい」と説明してくれた。さまざまなことを、難しい言葉を使わずに解像度高く説明できる人だった。

「野球界はこのままだとダメだと思っていて」

加えて、他者から学ぶ謙虚さを持っていた。2025年夏の甲子園に4年ぶり3度目の出場を果たした青森県弘前学院聖愛高校監督の原田一範さんは、東北高校の監督になってすぐのヒロシさんから初めてもらった電話を鮮明に覚えている。

「東北高校で監督をすることになりました佐藤洋と申します。いろんな記事を見て、聖愛さんからぜひ勉強したくて電話をしました。野球界はこのままだとダメだと思っていて、覚悟して監督を引き受けました」

電話で意気投合し、仙台に練習試合に言ったら、真剣な顔で言われた。

「子どもたちが好きで始めた野球なのに、いつの間にか大人のものになっている。だから子どもたちに野球を返したい」

それ以来、慶応高校監督の森林貴彦さんも巻き込み、3校で「野球を返す」さまざまな取り組みを展開した。学校ごとの練習試合に3校の選手で混合チームを作って対戦したり、会わなくてもオンラインで3校交流会をした。3監督で「成長至上主義」と名付けたLINEグループを作って情報交換した。

同志の快挙をわがごとのように喜ぶ

ヒロシさんは2人をこころからリスペクトしていた。2023年夏の甲子園で慶応が優勝した日は「森林さんがやってくれた!これで時代が変わります」とメッセージをくれた。志を同じくしていても、目立った活躍をすると関係性が悪くなるケースは少なくない。しかしヒロシさんは同志の快挙をわがごとのように喜んでいた。そこに嫉妬ややっかみは微塵もない。私利私欲やプライドより、子どもの未来を考えることにこころを砕いた。

私がSNSに書いた追悼投稿にメッセージをくださった方のひとりが、昨夏まで高知商業監督だった上田修身さんだ。選手時代は高知商で主将として80年春の選抜初優勝に貢献。大学卒業後は教員となり、高知市立城北中学校で現阪神監督の藤川球児を指導した。29年間中学校で指導した後、2015年8月に高知商の監督に就任し、18年夏の甲子園では3回戦進出を果たした。

「私もお二人と同じ歳、6月生まれです。昨年7月まで高知商業の監督してました。佐藤君とはFacebookで繋がり連絡し合っており、つい先日もメッセージを送ってました…。悲しいです。お互い監督は退いたけど、これからも野球界のために…と話していました」

こころのこもった感想をもらった私は、上田さんに取材させてもらった。ヒロシさんからどんな影響を受けたのか知りたかった。

「主役は子どもだと佐藤君は言いたかったのではないか」

アプローチしたのは上田さんから。2022年夏にヒロシさんが東北高校の監督になったことをSNSで知った。それ以前から名前を知っていたこと、同い年であることから親しみを感じた。普段は自分から申請しないのに、思い切って友達申請した。堂々と「子どもに野球を返す」と発言する姿に好感が持てた。

「主役は子どもだと佐藤君は言いたかったのではないか。野球は特に監督がクローズアップされますが、そうではないという考えです。多くの監督が彼と同じ気持ちを持っているとは思いますが、口に出して言う人はいなかった。特に髪型を自由にするなど、自分ではできなかったことを、佐藤君は実行していた。そこに違和感を抱くような人間は監督をするべきではないと思うようになりました。それが監督を辞めた理由のひとつでもあります」

率直に明かしてくれた上田さんは監督生活の終盤、「監督が変わらなくては」と感じ、部員に主体性を持たせる取り組みを続けた。練習では「どんなことをやりたい?」と問いかけメニューを考えてもらったり、試合のメンバーで迷ったときは主将らの意見も聞いた。最後は「やり切った感があった。佐藤君たちの取り組みを陰で応援しようと思った」と振り返る。

阪神・藤川球児監督から聞かれたこと

教え子だった藤川が今シーズン、阪神の監督に就任した。中学に入学してすぐのころ、野球部より先にハンドボール部の練習体験に参加したことを知り、「野球をしないなら球児という名前を変えろ」と仲間を介し上田さんが伝えたという逸話がある。

高知県安芸市で行われた秋季キャンプに、上田さんは駆け付けた。食事の席で藤川から「先生、選手がたるんだ時はどうしたらいいですか?」と聞かれた。そこで「話しをしてやらないかん」と答えた。高校生を見てきたなかで、令和の時代を生きる彼らはまず頭で納得しないと動かないと学んだ。しっかりコミュニケーションをとって選手の話を聴く必要性を伝えた。藤川の「指導者が選手を守ってやらなければ」という言葉が嬉しかった。まさにヒロシさんが唱え続けた「選手ファースト」だった。

「僕なんかに言われなくても、球児はわかっていたと思います。彼との会話で、アメリカでの経験が大きかったのだろうと感じました。アメリカでは選手を大事にし、けがをさせないことを重視しています。それには選手の話に耳を傾けることが重要ですから」

藤川阪神は日本一こそ逃したが、堂々のリーグ優勝を飾った。指導者は優秀な選手を育てることだけが仕事ではない。指導した選手がいかに良い指導者になったか。それこそが、これからの時代は最大の評価軸になるかもしれない。

ヒロシさんの指導「俺たちで継ぎます」

私はと言えば、この8月に上梓した拙書『叱らない時代の指導術 主体性を伸ばすスポーツ現場の実践』でヒロシさんの指導を伝えた。同書の取材のため今年1月、仙台へヒロシさんを訪ねた。大雪の日で、体に似合わない小さな車で送迎してくれた。雪道とはいえあまりにのろのろ走るので「もうちょいスピード出せば?」といじったら「事故にでも遭わせたら旦那さんに申し訳ない」と真顔で言った。照れ屋でぶっきらぼうに見せていたが、実は繊細だった。

「選手が主体的にイキイキと動いて、楽しみながら真剣に野球に向き合う。そこを追究したい」と熱く語った。彼に理解があったとは言い難い人も周りにいたけれど、決してブレなかった。不適切指導の是正と、主体的に考えて動ける選手の育成をテーマに取材する私の話を「こんなに話が合う記者はいない」と熱心に聞いてくれ、「島沢さんがこんだけブレないんだから、俺も負けられないっしょ」と励ましてくれた。

同い年で同じ6月生まれの私たちは、間違いなく同志だった。ヒロシさんの誕生日に「合同誕生会しよう」とメッセしたら「早くしないと死んじゃうよ。いい人は短命なので」と縁起でもないことを書くので、「大丈夫だよ。私たちは憎まれっ子だから、世に憚ります」と返した。

ヒロシさんの指導観に賛同する野球指導者は年々増えている。取材の音声データは山のようにある。スマホから声はするのに、ヒロシさんはいない。旧態依然と闘う「憎まれっ子同盟」の約束はどうするのだと、天に向かって文句を言いたくなる。だが、一番悔しいのは当の本人に違いない。
9月に「(弘前学院聖愛監督の)原田さんと一緒に飲んでるんだけど」と電話をもらい、3人で話した。子どもたちに野球を返すためにどうするかを話し込んだ。

亡くなった日。原田さんが電話の向こうで声を絞り出した。
「おれらで継ぎます」私は「精一杯応援します」と伝えた。

⚾岩手さんへ
7回制の話は忘れた頃に出てきますね・・・・・。大多数は反対しているようですが、高野連としても思い切った改革法案をぶち上げただけにすぐさま「ハイ辞めます!!」って潔く撤退することはできないだろうし、いきなり国体よろしく次の大会から即採用とならずに済んだのがせめてもの救いですね・・・・・。

なんとか来年・再来年のセンバツは9回観戦できそうなんでホッと胸をなでおろしておりますが、、、、、3月生まれなんで9イニング制のうちに自分の誕生日と準々決勝4試合がかち合うことを切に望みますね!あとは生きているうちに自分の母校の女子サッカー部が高校選手権で初優勝生観戦できれば。

3年後の未来なんて想像もできないし、本当にお先真っ暗ですね・・・・・。生きていれば54歳ですか。7イニング制の高校野球だったら特に決勝戦は生観戦を断念する運びになるのかな、、、、
まだ正式決定ではないし、高野連も継続審議を反永久的に続けておれば導入には至らないのでなんとか。
個人的にはアンケートを送信しておいたし、最善は尽くしたので高野連の良識を信じるしかないですね。

最悪3年後以降は高校野球観戦よりも大学・独立リーグに主眼を置くことになればスコアブックをつける機会は大幅に減るし、高校野球観戦するにしても早く終わるので観光にウエートを重きに置く感じでしょうか?

僕などはもう高校野球観戦歴40年超なんで昔の昭和後期の古き良き時代を知っているので充実した人生だったと思えますが、今の高校生・中学生・小学生の高校野球ファンは本当にかわいそうですよ・・・。以前の延長名勝負なんて昔の映像でしか見られないし、その感動をリアルタイムで知ることなく味気ない7イニング制高校野球を見せつけられて人生100年時代を過ごさなければいけないので。

もし若者に提言できるとしたら・・・「高校野球以外に人生を没頭できる何かしらを見つけて行けばいい」としか言いようがないような。。。
でも、それってものすごく難題なんですが!!
2025/12/06(土) 21時49分29秒 No.2170 編集 削除
 2028年の第100回選抜大会から7イニング制導入が望ましいと、検討会議で最終報告書公表で時期が言及。
 日刊スポーツから見ました。
22:46終了の試合が私個人意見ですが2部制日の第2試合13:30、第4試合の22時の時点で試合終了していない場合の継続試合の不安感を取り除く事があるとみましたが!私個人の意見です!
2025/12/06(土) 5時35分32秒 No.2169 編集 削除
9/24 秋季和歌山大会一次予選 代表決定戦第3試合 紀三井寺球場 田辺-市和歌山 14:49~16:56 

 TEAM     12345678910RHE
市和歌山 10240001  8120 土井、丹羽-川辺
田  辺 00010000  162 太田、林-前田

        UMPIRES
        PL1B2B3B           
         出 弓 藪 楠
 
           口 中 内 見

 2試合連続ロングゲームだったので、弁当・水筒・ザブトンを持って取り急ぎ陸上競技場のスタンド屋根下に移動して涼をとりオークワの弁当をつまんで昼休み。
第3試合開始は14時50分とのことで日没時間を考えると第4試合は完全ナイターの目も出てきた!!
代表決定戦4試合中いちばん楽しみにしていたのが、この田辺ー市和歌山だ。夏はなんと初戦で激突し、激戦必至と思われたが、市和歌山主力2投手がベンチ外というチーム事情で大きく戦力ダウンし0-6の完敗、、、

その悔しさがあるので2年ぶりのセンバツ目指して市和歌山が目の色変えてこの1戦にぶつかってきた。田辺はエース寺西&4番・山本陣などが抜け戦力ダウンは否めないが、監督の息子さんが3番ショートを任され、キャッチャー前田も旧チームから残り前の2試合に負けない激戦を予想していたが。。。。。

先発投手は両チームともにエース右腕を立ててきた。田辺は愛須監督時代から先攻派だったが、昨秋の近畿1回戦で京都国際に延長サヨナラ負けしたのが堪えたのか???今年(2024年)は後攻派に宗旨替えしたようでこの日も後攻。
市和歌山はレギュラー4人が1年生と若いチームのようで、背番号11の丹羽投手が夏の初戦先発を任された1年生右腕だし来年かなり強くなりそうな気もした。

試合は1回表プレーボールのサイレンが鳴りやまないうちにデッドボールで幕開け。これを送って1死2塁と形を作り、3番・石山も四球。太田投手は先代の寺西投手と比べかなり素質は劣るかもしれない、、、4番・森本も3ボールと緊張しているからなのか?もともと制球難が課題なのか???なんとかフルカウントまで持ち直しファーストゴロで2死2・3塁。ここを耐えて無失点に抑えたら2回以降立ち直るかもしれないが、5番・井上にもストレートの四球で満塁となったところで辛抱たまらず田中監督がタイムを要求。それでも流れは変わらず、6番・川辺も3ボール。1球ストライクを投じたが5球目ボールでまさかの4四球による押し出しで先取点献上。7番・原田にも2ボールで早い段階での投手継投もやむなしだったが、1-2からセンターフライで27球中18球ボール球だったがなんとか1点で凌いだ。
その裏田辺は1番・柳田がショート内野安打で出塁し早速反撃開始。しかし2番・井谷がバント3つ空振りで三振。すると田中監督はシビレを切らして盗塁を仕掛けるも失敗・・・。直後に四球で出塁すると息子さんに対してもしつこく盗塁のサインを出して今度は成功し、4番・前田センター前ヒットですかさず同点と思いきやセンター津本の好返球でホーム寸前タッチアウト!!

初回から激しいつばぜり合いで期待にたがわぬ好ゲームの希望。太田投手は2回は立ち直りスライダーで見逃しの三振を取るなど三者凡退でもう心配ないかと。
しかし田辺はまたもや先頭打者が初回に続きヒットで出塁するも送りバントが決まらず1塁に走者釘付けでスリーアウト。

そして3回表これまでずっと青空だった紀三井寺上空が雲に覆われいくぶん熱さがマシになり、観戦環境は良くなりナイターへのアシストの準備OK。立ち直ったかに見えた田辺のエース・太田が3回市和歌山の上位打線に連打を許し、4番・森本の送りバントが1球で決まり1死2・3塁と再びのピンチ。5番・井上がきっちりレフト犠飛を放ち2点目。6番・川辺はセンター前タイムリーヒットで3-0と主導権を握った。さらに内野安打も続き苦しい太田投手だが、スライダー見逃しの三振を奪い踏みとどまった。
早く1点が欲しい田辺だが土井投手のチェンジアップに苦しみ3回初めて三者凡退に抑えられ夏の悔しさに燃える市和歌山が約2か月前と真逆の展開で試合を優位に進めている。

ここまで主導権を握った市和歌山が牙をむいたのが4回だった。先頭の9番・有本のショートゴロエラーに端を発し、送りバントの処理もエラーと連続エラーで傷口を広げた田辺・・・。太田投手も動揺したのか?初回よろしくボール先行で抑えが利かなくなり、2番・辻丸に2ボールと四球で満塁もよぎったが、半田監督は1球ストライクが入るのを待って1-2からバントのサインを出し1死2・3塁と形を作り、3番・石山ストレートの四球で満塁。3回途中で5四球と大荒れの太田投手。4番・森本が2-1と追い込まれながらもライト犠飛で初回に続きノーヒットで1点。さらに2死から5番・井上がフルカウントからセンター前2点タイムリーヒットで6点目。このあたりからコールドの匂いをかぎ取り田辺を全力応援したが時すでに遅し。太田投手は続投でデッドボールとヒットで満塁となっても田中監督は微動だにせず8番・土井投手にまでライト前タイムリーを許しコールド圏内突入・・・ただ、ライト中西の好返球で8点目を狙った2塁走者をホームで刺し5回コールドの芽はほぼほぼなくなったと。
1点取らなければ7回コールドがチラ着く田辺はその裏先頭打者で監督の息子さんが意地の右中間ツーベースで反撃のノロシを挙げた!なりふり構わずバント~スクイズで1点取って欲しかったが、田中監督は3月にセンバツ出場し7月には市和歌山などを下し県4強入りしたし、息子が2塁打を放ったので満足して冬眠したのかノーサイン。4・5番がレフトフライと三振で息子が動けない・・・。6番・中西も2球で追い込まれ最大のチャンスを潰すと思われたが、3球勝負で挑んだ市和歌山バッテリーに一矢報いるべくセンターオーバーのタイムリーツーベースで1点を返しこれで9回まで野球を見れる夢をつないだ!

しかし、市和歌山も攻撃の手を緩めず先頭の9番・有本がレフト前ヒット。ここまで判を捺したように送りバントのサインを出し続けた半田監督だが「走姿顕心」の横断幕の言葉を思い出したのか?1番・津本1ボールから盗塁を仕掛けるもタッチアウトで結局3人で攻撃終了。
最悪の5回コールドは免れ一息ついたその裏、先頭の8番打者に代打を送ったが9番・太田投手にはそのまま打たせたので6回以降もエースと心中する模様。土井投手を打ちあぐね3連続外野フライであっさり攻撃終了しクーリングタイムに突入。

5回終了1時間13分なんで前の2試合と大差ないペース配分だ。すでに16時を回っておりあと1時間程度試合をすれば17時の防災無線が鳴り響き、第4試合のナイターは確定する。
しかし、好カードの割には一方的な試合になってしまうのは高校野球ではありがちな話だが、田辺がここまで弱いとは・・・・・。
監督の息子さんは1年生ながら3番を任され2塁打を放ち盗塁も決めて活躍しているがエース・太田の不調が痛すぎる。他に代える投手もいないのだろうか?????
さすがに6点差ひっくり返すのは絶望的なんでなんとかこれ以上の知ってを防いで9回裏まで野球を見れることが主眼となるが、、、2年連続「田辺が大将」になるのは公立高校ゆえに苦しいか。

6回表空が快晴となり西日がきつくなってきた中、先頭の3番・石山を2球で追い込みながらデッドボール・・・。さすがに田中監督も辛抱の限界で2番手・林にスイッチ。
半田監督は5回の教訓を活かして4番・森本に2ボールからバントのサインを出し続け3度目の正直でスリーバントが決まり1死2塁。どうしても8点目はやれない場面で林投手はレフトフライ・内121km見逃しの三振でピンチ脱出。もっと早い場面で代えていればと悔やまれる。
その裏田辺は2番からの好打順で1点でも返してコールド回避を確かなものにしたかったが、2番・井谷ピッチャーゴロ。監督の息子さんがレフト前ヒットを放つも4番・前田7球粘るが4-6-3ダブルプレーでガックリ・・・・・。

あとは2番手・林投手の右腕に託すしかなくなった・・・。7回表市和歌山は下位打線ということもあってか?4球でツーアウトと淡白な攻撃だったが、9番・有本&1番・津本が連打を放ち1・2塁。ヒヤヒヤしつつも2番・辻丸セカンドゴロに倒れ首の皮一枚残り8回の攻防は確定した。
市和歌山の土井投手は6イニング中4イニングで走者を許しながら要所を締め7回も全力投球で簡単に三者凡退に抑えいよいよ8回表の攻防に。

ここを無失点で切り抜ければ9回裏まで野球が観れるのだが、3番・石山がライトへツーベース。危険を察知しすかさず田中監督が2度目のタイムを取ったが、半田監督も熟知しているようで4番・森本5打席中3度も送りバントのサインを出し2ボールからきっちり決めて1死3塁。なんとか最後のひと踏ん張りをしたかったが、5番・井上痛恨の一撃はレフト前に弾むタイムリーヒットで8-1と7点差に広がってしまった!!
8回裏ここを締めれば夏のリベンジができるところ。半田監督は夏の先発を託した1年生丹羽に任せる粋な計らい。武士の情けで1点だけ欲しかったが、150km近い剛腕丹羽がまず8番・池田をセンターフライ。1死から四球を与え1番・柳田にも3ボールと制球難に陥りかけたが、ライトフライ・セカンドゴロで持ち直し石橋をたたく半田監督の采配で夏の悔しさを晴らす8回コールド勝ちで二次予選進出を決定づけて2年ぶりのセンバツへ向けてまた一歩前進した。

夏に続いて秋もワンサイドゲームとなってしまった・・・・・。田辺の力負けは間違いないところだが、エースの引っ張りすぎと連続エラーで足を引っ張り大量失点を招き2年連続センバツ出場の道は閉ざされた。それでも監督の息子さんが1年生ながら3番・ショートを任され2安打1四球1盗塁と大活躍したし、長い冬を乗り越えてまた夏に紀三井寺で「田辺が大将!!」の大合唱を聴きたいものだ。
市和歌山は夏の初戦完敗から新人戦も4強に残れず厳しい船出だったが体勢を立て直しエース土井と1年生丹羽の2枚看板を確立させ2年ぶりのセンバツに向けて確率3/8で近畿大会出場までこぎつけてきた。
1年生レギュラーも多数いるので伸びしろが充分だろう。

そして試合時間2時間07分とコールドの割には2時間超えで試合終了16時56分。第4試合開始予定が17時30分と発表されいつも通り第4試合までのインターバルを隣の陸上競技場外周を散歩。球場裏手を歩いていたので正確な時間は分からないが17時09分にはナイター半灯が確認できた!
第4試合は和歌山工ー日高の伝統校対決。この試合終了後に紀三井寺から1つ隣の宮前駅近くの中華そば屋で夜ご飯食べてから帰るつもりだったので最終電車も視野に入れて時間との闘いになるが、、、それはまた次回の講釈で。

チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 犠飛 四球 死球 三振 失点 自責
市和歌山 土 井  7   25 100   6   0   0  1   0   1  1  1    
市和歌山 丹 羽  1    4   20  0  0   0  1   0  0    0  0  

田  辺 太 田  5 0/3 30 105  8  4  2  5  2  2  7  5  
田  辺  林     3  13  47   4  2  0  0   0  1   1  1     

                         (完)  
                     
                      🌟次回予告🌟           
       9/24 秋季和歌山大会一次予選 代表決定戦第4試合 紀三井寺球場 和歌山工-田辺
2025/12/05(金) 22時04分29秒 No.2168 編集 削除