EDIT FORM

以下のフォームから編集を行ってください
📝高校野球でリプレー検証「導入方針」 春夏の甲子園と明治神宮大会で
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASTD53J2FTD5PTQP00ZM.html

日本高校野球連盟の「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議」は5日、試合中のリプレー検証を選抜大会、全国選手権大会、明治神宮大会で導入する方針だと報告した。
検討会議では、審判に対するSNSでの誹謗中傷を問題とする意見が出ていたという。採用への条件が整った段階で、理事会で審議する。

2023年12月、日本高野連の宝馨会長は会見で「ビデオ判定の議論をしている」と明かし、「教育の一環としてやっている高校野球でそこまでしないといけないのかという意見がある一方で、誤判定がいつまでもインターネット上で流されてしまう時代なので、そういうことを防ぐ意味でも」と語っていた。

東京六大学野球連盟は、今春のリーグ戦から導入している。

☝「甲子園なんて夢の夢の夢だった」…桐光学園・野呂前監督の退任式、400人が感謝
https://news.yahoo.co.jp/articles/a169e2341c663ef53df066358c6511f6a2dd2361

桐光学園高野球部を約40年に渡って率い、今夏限りで勇退した野呂雅之前監督(64)の「退任式」が7日、横浜市内のホテルで開かれ、歴代OBら約400人が長年の功労をねぎらった。プロ野球・オリックスでプレーする渡部遼人選手らも駆け付け、にぎやかな会となった。

2002年夏に桐光が甲子園に出場した際の主将・船井剛野球部OB会長が「野呂監督の道程が、桐光学園野球部の道程そのもの」と開会のあいさつ。

渡辺選手は「プロ野球はやらなければ消えていく世界。自分で考える力を育ててくれたのが野呂監督」と感謝し、チームを引き継いだ天野喜英監督は「ここにいる皆さんと一緒に甲子園で校歌を歌えるようにやっていきたい」と宣言した。二人三脚で野球部を作り上げてきた塩脇政治部長は「最初の頃は甲子園なんて夢の夢の夢だった。監督、お疲れ様でした」と40年以上の歴史を振り返った。

✌春日部共栄前監督の本多利治氏への感謝に45年間のOB大集結「1500人という宝ができました」
https://news.yahoo.co.jp/articles/9e920efb047d8464759cde455b6b39dfe693b5f5

今年3月限りで45年間の高校野球指導を勇退した春日部共栄(埼玉)・本多利治前監督(68)の「感謝の集い」が7日、さいたま市内で開催された。

本多前監督は学校創立の80年から野球部監督を務め、春夏計8度の甲子園出場を果たした。この日は93年夏に甲子園準優勝した時のエース土肥義弘氏(49=現西武ファーム投手総合コーチ)ら450人が参加した中、本多前監督が、壇上で最後のあいさつをした。あいさつは以下の通り。

今日は本当にありがとうございました。このような素晴らしい会を開いていただいて、本当にOBには感謝しております。これだけの人がいてびっくりしました。私から感謝の気持ちをお伝えして終わりにしたいと思います。

昭和54年、大学(日体大)の秋のリーグ最終戦、あのにっくきタテジマ(東海大)にボッコボコにされて、私の現役が終わりました。その1週間後、大学の監督に呼ばれました。

東京のお花茶屋に共栄学園という女子校があると。全く知りませんでした。その学校が埼玉県の春日部に男女共学の学校を作ると。野球部を作るから監督を探していると。お前、ちょっと面接に行ってこいと。何を言ってるんだとその時は思ったんですね。でも大学の監督さんには大変お世話になっていたので面接だけはいかなきゃいけない。そこで判断しようと。忘れもしませんが11月3日、文化の日に面接を受けました。

人生は2つに1つの選択をしなければいけない、そういう場面が皆さんもおありだと思います。私はその後の1週間、人生での強烈な選択をしなきゃいけないあの1週間を、いまだに覚えています。そして選択したのが春日部でした。私はあの選択に間違いはなかったと。なぜならば1500人という、宝ができました。その宝たちに「監督本多」を育ててもらいました。

そして、右も左も分からん、1人として知り合いのいない中で中学校の先生方との出会いがありました。本当に根気強く選手を送っていただいて、甲子園に行くことができました。45年間の厳しい戦いの中で私立高校にいじめられ、公立高校にいじめられ、まぁ厳しい45年間でしたけども、素晴らしい指導者との出会いがあり、素晴らしいライバルができて、45年間、モチベーションが下がることなく頑張ってこられました。 今日は家族も呼んでいただき、本当にありがとうございます。ここまでできたのも家族の支えがあったからだと思います。娘2人は負けた時にはいつも「また一からやり直しだね、頑張ってよ」って応援してくれて。女房には「気合、気合、気合、練習、練習、練習しかないんだよ」って励ましていただきました。本当に女房には感謝しております。

学校関係者、職員の方々、後援会の方々。現役の父母会の方、卒業生の父母会の方々、本当にあたたかい応援をいただいて、私は幸せだと思っております。今日は本当に素晴らしい会を開いていただきまして、心から感謝しております。45年、私の野球人生、悔いはありません。本当にありがとうございました。

最後は参加者全員で「ありがとうございました!!」と全力あいさつ。青春時代にガミガミ叫ばれた恩師を、元気よく第2の人生へ送り出した。

🎤県岐阜商野球部監督が群馬で講演 「五感を意識、プレーに勘生きる」
https://news.yahoo.co.jp/articles/7eaf443b11b2edbade745ee415855af30685cfdd

群馬県高校野球連盟の「責任教師・監督・顧問会議」が6日、同県渋川市伊香保町であった。講師に招かれた岐阜県立岐阜商業高校野球部の藤井潤作監督(53)が「伝統校でチャレンジした1年」と題して講演した。

藤井監督は市立岐阜商業高校、朝日大学出身。社会人野球の一光で野球を続けた。退社後に高校教諭になり、2009年に県岐阜商でコーチ(副部長)を務め、同年夏の甲子園で4強。昨年再び県岐阜商に赴任し、昨年8月に監督就任。今夏、甲子園初采配ながら、16年ぶりに4強入りする快進撃を見せた。

就任直後の昨秋の県大会準々決勝で岐阜第一に4―5で敗れたあと、新チームの課題を整理したという。筋力アップ、守備力強化、走塁強化、スイング力、そして考える野球を挙げた。

体重を増やそうと、ご飯の量を「1日2キロ」ときちんと量って食べさせ、意識づけた。守備では足の置き方を考えながらゴロを捕球する基本的な練習にも取り組んだ。「走塁は野球の中で一番難しいが、ミスは許されない」、打撃は「引っ張っても良いが引っかけはダメ」。様々なパターンにおける動きを教え込んだ。

「野球は『間』があるスポーツ」だとして、考えて準備することの大切さや、「五感を意識することで、野球のプレーにも勘が生きてくる」として、感性を磨くことの大切さも伝えてきたという。
「子どもたちの肌で感じる成長を見せてもらった。これがあるから、指導者はなかなかやめられないなと思った1年でした」と語った。

☟高校野球7イニング制は「早く帰れる」 カナダ出身の日本ハム外野手
https://news.yahoo.co.jp/articles/c9abff50371e388b5c98f7acfa1ea9e59161f541

高校野球の公式戦を7イニング制で行うかどうかなどを議論するために、日本高校野球連盟が設置した「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議」は5日、「2028年に開催予定である第100回記念選抜高等学校野球大会をめどとして、全ての公式戦を対象に採用することが望ましい」などとする最終報告書をまとめた。

海外の高校世代では7イニング制を採用している国・地域が多い。カナダの高校で7イニング制の経験があるプロ野球日本ハムファイターズの山口アタル外野手(26)に話を聞いた。

「カナダの高校野球はクラブチームばかりです。自分がいたチームは土日に7イニング制で計4試合を行うのが通常でした。シーズンは4月から8月。リーグ戦を50試合近くやって、その後にプレーオフがありました」
「練習は週に1、2回で2時間程度でした。チーム練習はシーズン前にちょっとだけ守備の連係を確かめるくらいです。それ以外の時間は、家の近くのグラウンドで父と2人で練習をしていました。自分は物足りなかったので、一対一の個別レッスンに通っていたこともあります」

――日本の高校年代と比べると、練習時間やイニング数が短いです。

「120球くらいで7イニングを完投することもありましたが、その場合、次の試合で投げるまでは必ず1週間は空きます。その間はブルペンに週2回入るくらい。土日に4試合だから、チームに4人の先発投手がいて、プロみたいにローテーションで回していました」

「日本みたいにエースが2試合連投とかは絶対ない。カナダでそういうことをしたら、親がめちゃくちゃ監督を怒るでしょうね」

――どうして親が怒るのでしょうか。

「多くの選手は、大学に野球で行きたい、あるいはプロに行きたい。大学やプロに行くためには、けがをしたらダメですよね。指導者も、将来のレベルを考えた上で指導するのです」

――日本の高校野球が7イニング制になると「八、九回のドラマがなくなる」と懸念する人がいます。

「たしかにドラマは八、九回に起こることがあります。ただ、学生は野球が全てじゃない。7イニングだと早く帰れます。勉強する時間も大事だし、家族と過ごす時間も大事です。そして、自分で練習する時間も必要です。誰かから指導をずっと受けるより、自分でも鍛えないと」
「大学に入る前に自分のレジュメ、そしてエッセーを書きました。奨学金をもらうためには、勉強だけでなく、ボランティアのような学校の外で何をしたかも大事です。人生単位でみると、そういった時間は大切ではないでしょうか。自分は7イニングで良かったです」

――アメリカの大学では成績優秀者として表彰されていましたね。大学やプロで9イニングになったとき、順応するのは大変ではないですか。

「自分は難しさを感じませんでした。毎年、何人の高校生がドラフト会議で指名されますか。その数十人を優先して(9イニング制を維持したら)、ほかの何千人の高校生がないがしろにされませんか。そもそも高校生でプロまでいける能力があったら、7イニングと9イニングはそこまで変わらないと思います」

――では、日本の高校野球の良さを感じる点はありますか。

「日本の選手は努力家だと思います。日本ハムに来て、どの選手もきつい練習を途中でやめることはありません。試合も最後まであきらめない姿勢がすごいです。甲子園をめざして、絶対に負けられない環境で試合をやってきたからこそ身についたのでしょう。自分も負けていられない」

――日本の高校野球界は2部制や指名打者(DH)制の導入など変化しています。今の高校球児にはどんなメッセージを送りたいですか。

「1週間500球の投球数制限でも多すぎだと思いますが、その割には肩ひじをあまり壊さないのは不思議ですね。日本は練習前のウォーミングアップの時間が長く、ストレッチもしっかりしている。その効果でしょうか」
「高校生には、本当に体を大事にしてほしいと思います。あの時、もっと体に気をつければよかった、あんなに投げなければよかったとは思ってほしくない。甲子園はすごい大会です。それでも、野球は人生の全てじゃない。それを理解して、悔いのない野球をやってほしいです」

👣選手に監督と呼ばせない東北高校野球部の前監督「ヒロシさん」が天国に旅立つ前に語っていたこと
https://news.yahoo.co.jp/articles/0e6a66da11ed94cd2dee64e42251c6f2c617a66e?page=1

12月1日、広陵高校野球部の暴力事件で、暴力に加担した生徒ふたりが書類送検されたと報じられた。広陵高校は2025年夏の全国高校野球選手権大会の出場を決めていたが、出場選手からの暴力をSNSで投稿され、出場を辞退していた。ここで大切なのは、「暴力をした選手」が処分されたことで終わりにしてはならないということだ。選手たちが暴力をふるうにはどんな環境があったのか。暴力のない指導とは何か、大人がきちんと向き合い、考える必要がある。

そんな中、11月末、ジャーナリストの島沢優子さんの元に「叱らない指導」を手がけてきた野球部の元監督の訃報が届いたという。著書『叱らない時代の指導術 主体性を伸ばすスポーツ現場の実践指導術』でも、選手たちのみならず指導にかかわる大人たちのマインドセットを変えた素晴らしい指導者について綴っていた島沢さんに、改めてその指導の意味を伝えてもらう。

選手に「監督」と呼ばせない指導者
「棺を蓋(おお)いて事定まる」

亡くなって棺にふたをされた後に、その人の真価が分かる――この言葉は、李白と並ぶ二大詩人と呼ばれた杜甫が中国古代の「普書」劉毅伝から引用したことで有名になった。その通りになるであろう人が、11月27日に亡くなった。

東北高校野球部前監督の佐藤洋さんだ。同校から社会人の電電東北を経てドラフト4位で1985年に巨人入団。投手以外すべてのポジションをこなし、1軍で6シーズン97試合に出場し94年までプレーした。引退後は、NPO法人「日本少年野球研究所」代表として野球教室を開くなど育成と普及に務めていた。

2022年8月夏に東北高校の監督に就任。その2か月後の宮城県秋季大会で、同年前夏に東北勢初の甲子園優勝を遂げた仙台育英を撃破。東北大会は準優勝し12年ぶりの春の選抜大会出場を決めた。選手に「ヒロシさん」と呼んでもらう異色の指導を知り東京から取材に来た私を、快く迎えてくれた。

「(監督呼びは)なんか堅苦しい。このほうが対等に付き合えるでしょ?選手も本音を言いやすいからね。もういい加減、やり方を変えないと。大人がやらせる野球、勝つことだけを追求する高校野球じゃだめなんだ。俺は野球を子どもに返したい」

「大人が変わる必要がある」

ここまで大局からものを語る高校野球の監督は珍しいと感じた。すぐに「ヒロシさんたちが野球を子どもに返す道のりをいつか書かせてください」と伝えた。何で書くの?と聞くので「本で」と答えた。高校野球でパワハラ指導がなくならないこと、中学校の軟式野球部員の数が減少していることなど、野球に横たわる問題に注目していた。当時大谷翔平はまだエンゼルス所属だったが、すでに日本の野球選手の最終目標は日本のプロ野球(NPB)ではなく、メジャー(MLB)になっていた。

「指導環境を変えれば、日本の子どもたちの可能性はもっと広がるし、野球はもっと自由で楽しめるスポーツになる。それには大人が変わる必要がある」

それをどう伝えるか、理解してもらえるか。ヒロシさんはいつも考えていた。2023年春の選抜大会。山梨学院大附との初戦で、相手失策で出塁した選手が塁上で行った「ペッパーミル・パフォーマンス」を、ベンチに駆け寄った一塁塁審から注意された。少し前にWBCで世界一になった日本代表のヌートバーがやって有名になったものだ。ヒロシさんは試合後「もう少し子どもたちが自由に野球を楽しむということを考えてもらいたい」と毅然とした態度を見せた。

「ヒロシさん」に共鳴してコーチに

そんなブレない姿勢をそばで支えたのは、東北高校コーチだった原拓海さんだ。ヒロシさんと同じ埼玉県在住。中学時代にヒロシさんの野球教室で直接指導を受けた。所属チームで悩みこころが砕け散りそうだった原さんに正しい技術を教え「拓海の感覚を大事にしてほしい」と言ってくれた。限りなく子ども目線のヒロシさんに「この人は絶対に俺の味方なんだ」と思えた。

その後、野球と離れ公認会計士に。家庭を持ち子ども3人に恵まれたある日。当時少年野球チームに所属していた12歳の長女が「もっと野球が上手くなりたい」と何度も言う。そこまで本気ならとヒロシさんの野球教室を紹介した。娘を介し親と指導者の付き合いが始まって間もなく、ヒロシさんから「東北高校の監督になるんだけど誰かコーチはいないか?」と相談され、半年間一緒に探した。しかし、ヒロシさんの考えを理解して寄り添える人が見つからない。

「よく考えたら、その条件、自分に当てはまるじゃないかと」(原さん)そこで家族を説得し、埼玉県からヒロシさんとともに単身赴任した。日中は会計士の業務をこなし、放課後からコーチとして指導。土日は試合、遠征に帯同した。
「高校野球界を変えるならヒロシさんしかいないと思ったんです。よくテレビのバラエティ番組でも元プロ野球選手達が数億円もらっても高校時代には戻りたくないと語っていたりするじゃないですか。私も同じ思いです。私は高校卒業後から10年以上、真夏になるときまって夜中によくうなされて目が覚めていました。私のような思いをする子どもを増やしたくないという思いもありました」

「君たちに野球を返す」の意味

原さんはコーチ就任のあいさつで、選手たちにこう熱弁を振るった。「ヒロシさんは君たちに野球を返すと言ってます。選手ファーストです。人間的にも成長させてもらえる。さらに技術指導ができるなんて、そんな人めったにいません。私は日本一の監督だと思う」

原さんの言葉通り、主体性を育むチーム運営に徹した。練習メニューは選手に提案してもらい自分は黒子に徹した。一対一で対話する時間を大事にし、選手個々の悩みに寄り添った。出色だったのは練習前に30分ほどとった「道徳の時間」。例えば、エレベーターに乗る際は同乗者に行き先階を尋ねボタンを押すといった当たり前のようでできないことを挙げ、公共性や公正性を選手に注入した。先の震災で遺された南三陸町防災庁舎の見学に連れて行ったこともある。

「野球ができることは普通なことではないことを伝えようとしていました。野球以外の一般教養を身に付けて目配りや気配りができるようになれば、それは野球にもつながりますから」と原さん。目の前の勝利以上に、部員たちの将来に目を向けた指導だった。

「頑張って信じた道を進めば、必ず見ていてくれる人はいるぞ」

今年の8月20日。インスタグラムで「野球部監督解任のご挨拶」と題した投稿に、多くのメッセージが寄せられた。その中に、校内食堂の調理師だった女性が書いたものがある。

「佐藤監督がこの野球部にいらした途端、部員の周りを漂う風が一変しました。その一部始終を校内の食堂からいつも拝見し、すぐに憧れの甲子園にも連れて行っていただきました。部員たちは見る見る変革し自分たちで考え進めていく力も増していきました。しっかりした魅力的な信念のもとに導かれた部員たちは、きっと洋さんが大好きだったはずです。ここを巣立った部員たちもこれから活躍するであろう部員たちも、そして私も、洋監督と過ごせた日々をこれからずっと糧にしていくと思います」

女性はヒロシさんが監督に就任する以前から、校内食堂から野球部の生徒たちの様子を毎日見ていた。ヒロシさんの指導によって主体性を高めていく様子を、彼らの「周りを漂う風は一変した」と表現している。もしかしたら、部員の成長を誰よりも感じ取っていたに違いない。このメッセージひとつとっても、ヒロシさんの行ったことの尊さが伝わってくる。
このメッセージを発見したとき、原さんは「こうやってちゃんと見ていてくれた人がいたんだ」と涙をこぼした。と同時に、ヒロシさんから生前「拓海、頑張って信じた道を進めば、必ず見ていてくれる人はいるぞ」と言われたことを思い出した。

選手は自分で責任を取るしかない

ヒロシさんは私に「島沢さん、俺は決して成功したプロ選手じゃない。いろんなコーチから指導を受けたけれど、それで結果が出なくてもコーチたちは責任を取らない。取りようもないよね。だから、選手は自分で責任を取るしかないの。俺はそこに気づいてほしい」と話してくれた。選手たちに、自分で責任を取る力を授けたかった。そしてそのプロセスを「俺は見ているぞ」と寄り添ったのだ。

11月27日午前2時26分、ヒロシさんは急性大動脈解離のため帰らぬ人となった。彼との思い出をSNSに綴ると、連日多くの方からメッセージをいただいた。自分が教えてもらった。子どもが指導を受けた。あるいは、指導者として救われた。それぞれの思いとともに「子どもに野球を返す活動を続けてほしかった」と無念さが綴られていた。

甲子園優勝監督でもない。本人が言ったようにジャイアンツのスター選手でもない。それなのに、多くの人から尊敬され、その哲学は共感されていた。そして、期待もされていた。一番無念なのはヒロシさん自身だろうと思う。

棺を蓋いて事定まる。ヒロシさんの真価を知ってもらうためにも、私たちは彼の遺志を継がなくてはならない。

⚾岩手さんへ
軟式高校野球の第2回東西交流野球大会は来年5月4日(予備日5日)開催のようです。今年は警備上の観点から無観客試合だったようですが、仮に有観客試合だったとしても行かないですね。
7イニング制は早くても2028年春からなんで来年の大会はもちろん9イニング制(ただし延長戦は無)ですね。

しかし、こういう交流試合の場合は7イニング制になると特に投手は1イニングごとに交代しないと全選手出場できないという状況になりかねないので厳しいですね。
2年連続三重で観戦した三重県愛知県ピックアップ交流試合では投手3イニングまで登板可能とありましたが、ダブルヘッダーやっても14イニングなんでそんなに投げられないし、頻繁に代打・守備交代しなければいけないので監督は相当頭を痛めますね!

2部制に関しては夏のみ なんで春・秋は全然関係ないし、夏にしても今年は自分たちが作った原則を完全無視して22時以降も新しいイニングに入っても普通に試合続行していたので時間制限による継続試合はおそらくないんじゃないかなと。

図書館で新聞各紙読みましたが、、、7イニング制を導入したらセンバツ出場32校を増枠する・春の大会に敗者復活戦などを導入して出場機会を増やすなどの案もあるらしいです。
そういう名案はすぐにでも採用して欲しいものです。春の東海大会は「5位決定戦」なるものを企画しつつ雨で流されました・・・・・。

7イニング制賛成派は斎藤佑樹や熱中先生国際派・栗山英樹さんといった新旧熱闘甲子園キャスターが支持している模様です。
いずれにせよ僕が生きているうちは9イニング制でお願いしたいですね。「高校野球200年構想」が一瞬で崩壊しかねませんよ!!
2025/12/07(日) 22時10分53秒 No.2172 編集 削除