自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」

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紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
🎤「神様が創った試合」箕島―星稜戦の秘話を披露 石井毅さん、甲子園歴史館でトークイベント
https://news.yahoo.co.jp/articles/d745354446d512008177946065eaad82f1c1ccb2

甲子園大会で「神様が創った試合」と言われる1979(昭和54)年夏の箕島―星稜戦について、元箕島投手の石井毅(現名・木村竹志)さん(64)が6日、甲子園歴史館でトークイベントを行い、当時の逸話を披露した。ゲストとして当時星稜主将の山下靖さん、一塁手の加藤直樹さんも同席した。

石井さんは延長12回表、星稜に勝ち越し点を与えた後、3死目を三振で奪った際の光景を話した。「捕手の嶋田宗彦がボールを地面にたたきつけた。当時はマウンドに転がすのが普通だったが、強い思いが現れ出たのだろう」。嶋田さんはその裏2死から同点弾を放った。

14回裏には三塁走者の箕島・森川康弘さんが隠し球でアウトになった。三盗直後で顔は泥だらけだった。石井さんは三塁塁審の達摩省一さん(故人)の長男から聞いた話として「達摩審判員が森川にタオルを差し出したが、森川は断った。もしタオルをお借りしていたらタイムがかかることになり、あの隠し球はなかった」。

延長規定で最終回だった18回表、星稜の攻撃が無得点に終わると大会本部から記者席に「再試合となった場合、明朝8時30分から行います」と放送が流れた。この日観客として来ていた当時球審の永野元玄さん(89)に話が振られ「放送は本塁まで丸聞こえだった。打席にいた堅田投手もがっくりきたと思う」と話した。石井さんは「審判員は翌日も同じ方々がされる。選手以上に過酷だと思います」と話した。

永野さんは試合後、堅田外司昭さんにボールを手渡し「その後、堅田さんは立派な審判員になられた。立派な人生を歩まれている」とたたえた。
高校野球はタイブレーク制が導入され、もう18回まで試合することはないだろう。46年前の箕島―星稜戦は最後の延長18回の激闘だと言える。

箕島から社会人・住友金属、プロ野球・西武と進んだ石井さんは「あの18回があったことで人生が変わった。最後まであきらめない、という教訓は今も心の支えとなっている。今後も自分たちの経験を伝えていきたい」と話した。

🎤「9イニング制は守ってもらいたい」…高校野球「7イニング制」継続議論…徳光和夫さん「ラジオ生放送」で提言「野球の根底から覆すようなルール」
https://news.yahoo.co.jp/articles/337c79396d2fed4a55e5746a5316945a0741ad10

フリーアナウンサーの徳光和夫さんが6日、パーソナリティーを務めるニッポン放送「徳光和夫とくモリ!歌謡サタデー」(土曜・午前5時)に生出演した。番組では、日本高野連が5日に大阪市内で理事会を開き、7イニング制導入の決定を見送り、継続して議論することを報じた。

「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議」から、センバツが第100回を迎える2028年から「全ての公式戦で」、猛暑への対策が急務な夏の選手権大会については「可及的速やかに」に採用することが望ましいとの最終報告を受けたと明かした。

同会議は1月から10度の議論を重ね、従来よりも6アウト減らすことが、肩、肘や熱中症を含む健康対策、部員数の減少、教員の働き方改革に有効と判断。また歴史的、社会的見地からドーム球場などではなく、甲子園で全国大会を開催することが望ましいとの方針も示した。延長戦は段階的に短縮し、近年はタイブレークを導入。投球数制限も取り入れ、来年からは指名打者制が採用される。
外部による登録モニター向けの調査では、賛成35・9%、反対25・0%だったものの、加盟校については7割が反対。選手の出場機会が減るため、部員が61~80人の学校では反対が91%を占めた。

熱中症対策での7イニング制に徳光さんは「わからなくはありませんけど」とした上で「野球の根底から覆すようなルールを変えるってことですから」と指摘した。

さらに「3・3・3でドラマがあるんだよね。3イニング、3イニング、3イニング。7イニングですと3イニング、3イニング、1イニングになっちゃうでしょ。そうすると何か尻切れトンボみんな感じになっちゃうんじゃないかなと野球そのものが」などと見解を示し、猛暑対策での7イニング制検討を理解した上で「9イニング制は守ってもらいたいな」と提言していた。

👣阪神・藤川球児監督の恩師らが語る、天国に旅立った「ヒロシさん」の”叱らない指導”が遺したもの
https://news.yahoo.co.jp/articles/affa55f484145173fc20501fc6ffd35c53aeb1a4?page=1

11月27日、急性大動脈解離のため、突然天国に旅立ってしまった東北高校野球部前監督の佐藤洋さん。ジャーナリストの島沢優子さんは、著書『叱らない時代の指導術 主体性を伸ばすスポーツ現場の実践』にて佐藤さんの指導術について綴っていた。そこで、佐藤さんがどのような指導をしたのか、なぜ多くの選手たちや指導者たちから尊敬を集めてきたのかを改めて伝えてもらう。

前編では、選手からも「監督」ではなく「ヒロシさん」と選手からも呼ばれていたという佐藤さんの指導の内容やその思いを、島沢さんがこれまで会って直接聞いたことや東北高校コーチとして佐藤さんとともに指導にあたっていた原拓海さんの証言からお伝えした。後編では「子どもに野球を返す」という佐藤さんの思いの背景と、佐藤さんから影響を受けた青森県弘前学院聖愛高校監督の原田一範さんと、高知商業野球部の元監督・上田修身さんの言葉をお届けする。

選手が自分からやらなければ何も獲得できない

「子どもに野球を返す」ヒロシさんの原点は、アメリカにある。

ダルビッシュ有の2年時に夏の甲子園で準優勝。春夏通算41回の甲子園出場を誇る名門とあって、指導改革に対する風当たりは強かったはずだ。それでも変革を求めた発端は、小中学生を教えた体験からだ。読売ジャイアンツを32歳で引退後、埼玉県のスポーツメーカーに就職し、会社の事業として立ち上げた野球教室の指導を1997年から始めた。

ところが、練習に来る子どもたちはまったく楽しそうに見えない。コーチに何か言われると、「はいっ」と不自然なほどの大声で返事をするのが気になった。大人に野球をやらされていると痛感した。社外研修で渡米した際、少年チームの練習を見せてもらった。練習が始まっても寝そべっている子がいた。しかも、誰も注意しない。同国のコーチに「あれでいいの?」と眉間にしわを寄せて尋ねると、「いいんだよ。それはあの子の責任だから」と言われた。

「(コーチは)選手が自分からやらなければ何も獲得できないことを知っているんだ」と感じた。例えば米国は日本のように子どもの上達を急がない。骨の成長がある程度止まってから、技術などさまざまなことを教えていた。

これに対し、日本の指導者は勝たなければと考えるからか、ポジションを早くから固定しがちだ。例えば投手であれば肘や肩に負担がかかり、ケガや故障が増える。勝つために早く上達してほしいから、反復練習も多くなる。それに耐えないと上手くならないと指導されるため、その退屈さを我慢して野球に取り組む。その結果、思考停止になって自分で考えられなくなる。ヒロシさんはそう考えた。

「例えばフィギュアスケートの選手。年齢が進むと、難なく成功させていたジャンプができなくなったりする。手足の長さが変わっているのに、そこに自分の感覚が追い付かなくなる。だから小、中、高校まではやり過ぎないほうがいい」と説明してくれた。さまざまなことを、難しい言葉を使わずに解像度高く説明できる人だった。

「野球界はこのままだとダメだと思っていて」

加えて、他者から学ぶ謙虚さを持っていた。2025年夏の甲子園に4年ぶり3度目の出場を果たした青森県弘前学院聖愛高校監督の原田一範さんは、東北高校の監督になってすぐのヒロシさんから初めてもらった電話を鮮明に覚えている。

「東北高校で監督をすることになりました佐藤洋と申します。いろんな記事を見て、聖愛さんからぜひ勉強したくて電話をしました。野球界はこのままだとダメだと思っていて、覚悟して監督を引き受けました」

電話で意気投合し、仙台に練習試合に言ったら、真剣な顔で言われた。

「子どもたちが好きで始めた野球なのに、いつの間にか大人のものになっている。だから子どもたちに野球を返したい」

それ以来、慶応高校監督の森林貴彦さんも巻き込み、3校で「野球を返す」さまざまな取り組みを展開した。学校ごとの練習試合に3校の選手で混合チームを作って対戦したり、会わなくてもオンラインで3校交流会をした。3監督で「成長至上主義」と名付けたLINEグループを作って情報交換した。

同志の快挙をわがごとのように喜ぶ

ヒロシさんは2人をこころからリスペクトしていた。2023年夏の甲子園で慶応が優勝した日は「森林さんがやってくれた!これで時代が変わります」とメッセージをくれた。志を同じくしていても、目立った活躍をすると関係性が悪くなるケースは少なくない。しかしヒロシさんは同志の快挙をわがごとのように喜んでいた。そこに嫉妬ややっかみは微塵もない。私利私欲やプライドより、子どもの未来を考えることにこころを砕いた。

私がSNSに書いた追悼投稿にメッセージをくださった方のひとりが、昨夏まで高知商業監督だった上田修身さんだ。選手時代は高知商で主将として80年春の選抜初優勝に貢献。大学卒業後は教員となり、高知市立城北中学校で現阪神監督の藤川球児を指導した。29年間中学校で指導した後、2015年8月に高知商の監督に就任し、18年夏の甲子園では3回戦進出を果たした。

「私もお二人と同じ歳、6月生まれです。昨年7月まで高知商業の監督してました。佐藤君とはFacebookで繋がり連絡し合っており、つい先日もメッセージを送ってました…。悲しいです。お互い監督は退いたけど、これからも野球界のために…と話していました」

こころのこもった感想をもらった私は、上田さんに取材させてもらった。ヒロシさんからどんな影響を受けたのか知りたかった。

「主役は子どもだと佐藤君は言いたかったのではないか」

アプローチしたのは上田さんから。2022年夏にヒロシさんが東北高校の監督になったことをSNSで知った。それ以前から名前を知っていたこと、同い年であることから親しみを感じた。普段は自分から申請しないのに、思い切って友達申請した。堂々と「子どもに野球を返す」と発言する姿に好感が持てた。

「主役は子どもだと佐藤君は言いたかったのではないか。野球は特に監督がクローズアップされますが、そうではないという考えです。多くの監督が彼と同じ気持ちを持っているとは思いますが、口に出して言う人はいなかった。特に髪型を自由にするなど、自分ではできなかったことを、佐藤君は実行していた。そこに違和感を抱くような人間は監督をするべきではないと思うようになりました。それが監督を辞めた理由のひとつでもあります」

率直に明かしてくれた上田さんは監督生活の終盤、「監督が変わらなくては」と感じ、部員に主体性を持たせる取り組みを続けた。練習では「どんなことをやりたい?」と問いかけメニューを考えてもらったり、試合のメンバーで迷ったときは主将らの意見も聞いた。最後は「やり切った感があった。佐藤君たちの取り組みを陰で応援しようと思った」と振り返る。

阪神・藤川球児監督から聞かれたこと

教え子だった藤川が今シーズン、阪神の監督に就任した。中学に入学してすぐのころ、野球部より先にハンドボール部の練習体験に参加したことを知り、「野球をしないなら球児という名前を変えろ」と仲間を介し上田さんが伝えたという逸話がある。

高知県安芸市で行われた秋季キャンプに、上田さんは駆け付けた。食事の席で藤川から「先生、選手がたるんだ時はどうしたらいいですか?」と聞かれた。そこで「話しをしてやらないかん」と答えた。高校生を見てきたなかで、令和の時代を生きる彼らはまず頭で納得しないと動かないと学んだ。しっかりコミュニケーションをとって選手の話を聴く必要性を伝えた。藤川の「指導者が選手を守ってやらなければ」という言葉が嬉しかった。まさにヒロシさんが唱え続けた「選手ファースト」だった。

「僕なんかに言われなくても、球児はわかっていたと思います。彼との会話で、アメリカでの経験が大きかったのだろうと感じました。アメリカでは選手を大事にし、けがをさせないことを重視しています。それには選手の話に耳を傾けることが重要ですから」

藤川阪神は日本一こそ逃したが、堂々のリーグ優勝を飾った。指導者は優秀な選手を育てることだけが仕事ではない。指導した選手がいかに良い指導者になったか。それこそが、これからの時代は最大の評価軸になるかもしれない。

ヒロシさんの指導「俺たちで継ぎます」

私はと言えば、この8月に上梓した拙書『叱らない時代の指導術 主体性を伸ばすスポーツ現場の実践』でヒロシさんの指導を伝えた。同書の取材のため今年1月、仙台へヒロシさんを訪ねた。大雪の日で、体に似合わない小さな車で送迎してくれた。雪道とはいえあまりにのろのろ走るので「もうちょいスピード出せば?」といじったら「事故にでも遭わせたら旦那さんに申し訳ない」と真顔で言った。照れ屋でぶっきらぼうに見せていたが、実は繊細だった。

「選手が主体的にイキイキと動いて、楽しみながら真剣に野球に向き合う。そこを追究したい」と熱く語った。彼に理解があったとは言い難い人も周りにいたけれど、決してブレなかった。不適切指導の是正と、主体的に考えて動ける選手の育成をテーマに取材する私の話を「こんなに話が合う記者はいない」と熱心に聞いてくれ、「島沢さんがこんだけブレないんだから、俺も負けられないっしょ」と励ましてくれた。

同い年で同じ6月生まれの私たちは、間違いなく同志だった。ヒロシさんの誕生日に「合同誕生会しよう」とメッセしたら「早くしないと死んじゃうよ。いい人は短命なので」と縁起でもないことを書くので、「大丈夫だよ。私たちは憎まれっ子だから、世に憚ります」と返した。

ヒロシさんの指導観に賛同する野球指導者は年々増えている。取材の音声データは山のようにある。スマホから声はするのに、ヒロシさんはいない。旧態依然と闘う「憎まれっ子同盟」の約束はどうするのだと、天に向かって文句を言いたくなる。だが、一番悔しいのは当の本人に違いない。
9月に「(弘前学院聖愛監督の)原田さんと一緒に飲んでるんだけど」と電話をもらい、3人で話した。子どもたちに野球を返すためにどうするかを話し込んだ。

亡くなった日。原田さんが電話の向こうで声を絞り出した。
「おれらで継ぎます」私は「精一杯応援します」と伝えた。

⚾岩手さんへ
7回制の話は忘れた頃に出てきますね・・・・・。大多数は反対しているようですが、高野連としても思い切った改革法案をぶち上げただけにすぐさま「ハイ辞めます!!」って潔く撤退することはできないだろうし、いきなり国体よろしく次の大会から即採用とならずに済んだのがせめてもの救いですね・・・・・。

なんとか来年・再来年のセンバツは9回観戦できそうなんでホッと胸をなでおろしておりますが、、、、、3月生まれなんで9イニング制のうちに自分の誕生日と準々決勝4試合がかち合うことを切に望みますね!あとは生きているうちに自分の母校の女子サッカー部が高校選手権で初優勝生観戦できれば。

3年後の未来なんて想像もできないし、本当にお先真っ暗ですね・・・・・。生きていれば54歳ですか。7イニング制の高校野球だったら特に決勝戦は生観戦を断念する運びになるのかな、、、、
まだ正式決定ではないし、高野連も継続審議を反永久的に続けておれば導入には至らないのでなんとか。
個人的にはアンケートを送信しておいたし、最善は尽くしたので高野連の良識を信じるしかないですね。

最悪3年後以降は高校野球観戦よりも大学・独立リーグに主眼を置くことになればスコアブックをつける機会は大幅に減るし、高校野球観戦するにしても早く終わるので観光にウエートを重きに置く感じでしょうか?

僕などはもう高校野球観戦歴40年超なんで昔の昭和後期の古き良き時代を知っているので充実した人生だったと思えますが、今の高校生・中学生・小学生の高校野球ファンは本当にかわいそうですよ・・・。以前の延長名勝負なんて昔の映像でしか見られないし、その感動をリアルタイムで知ることなく味気ない7イニング制高校野球を見せつけられて人生100年時代を過ごさなければいけないので。

もし若者に提言できるとしたら・・・「高校野球以外に人生を没頭できる何かしらを見つけて行けばいい」としか言いようがないような。。。
でも、それってものすごく難題なんですが!!
2025/12/06(土) 21時49分29秒 No.2170 編集 削除