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💢逮捕はこれで8回目、被害者は11名…性犯罪常習の「元ソフトバンク捕手」裏の顔 「野球には真面目だが酒が入ると豹変」「20年前にも事件を起こし…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/36859577e61998f4ca8b9727a44ee68ffa641bbd?page=1
一体、どれだけの被害者がいるのか――。12月9日、神奈川県警は、元プロ野球選手の美嶋隼人容疑者(43)を、不同意わいせつ未遂の容疑で逮捕(再逮捕)した。美嶋容疑者は、現役時代は堂上隼人の名で2008年から福岡ソフトバンクホークスに所属し、捕手として4年間プレー。2012年に性犯罪を起こして契約を解除されたが、球界を離れた後も同様の過ちを繰り返してきたというわけだ。報道によれば、今年6月に不同意わいせつ罪で逮捕されて以来、次々と余罪が発覚してこれで逮捕されること実に8回目。2020年からの5年間で11件、計11人に性的な被害を加えたという。遡れば、およそ20年前の2005年頃にも逮捕経験があるというから、ここまで来ると更生は相当困難と言っても良いだろう。
なぜ元プロ野球選手はここまで転落したのか。その素顔とはどのようなものだったのか。「週刊新潮」では今年6月の逮捕の際に、その人物像を取材している。以下、それを再録し、彼の「表の顔」とおぞましき「裏の顔」について詳らかにしてみよう。
性犯罪は再犯率が高いとされる。ゆがんだ性的嗜好は病気のようなもので、矯正が難しい。10年以上の時を経ても同じ手口で犯行を重ねるケースがあるのだ。
6月12日に神奈川県警が不同意わいせつ容疑で逮捕した自称清掃業、美嶋隼人容疑者(43)もまたしかり。
県警詰め記者が語る。「美嶋は20年前と13年前にもわいせつ事件を起こし、有罪判決を受けています。13年前、2012年当時は、堂上(どううえ)隼人の名前で福岡ソフトバンクホークスの捕手としてプレーしていた。事件は現役プロ野球選手の不祥事として大きく報じられ、契約は解除。懲役2年の実刑判決が確定しました」
道を歩いていて突然……
のちに美嶋へと改姓していたが、「6月12日の午前8時過ぎ、横浜市旭区にある自宅マンションの敷地内で逮捕されました。容疑は4月20日午後11時35分ごろ、旭区に隣接する保土ケ谷区内で専門学校に通う18歳の女性の上半身を触るなどした疑いです。二人に面識はなく、女性は道を歩いていて突然、被害に遭ったといいます」
被害女性の親族の通報によって、事件が発覚。
「現場周辺の防カメ映像などから美嶋が浮上し、逮捕に至りました。美嶋は逮捕後、泰然として“弁護士が来るまで話しません”と認否を留保したといいます」
目下、警察は市内で発生した複数の類似事案への関与も調べているという。
数カ月の間に3回逮捕
横浜市出身で、3歳から野球を始めた美嶋容疑者。私立武相高校では夏の県予選で1学年上の松坂大輔と戦い敗れたこともある。横浜商科大学に進むと、4年時の03年には日米大学野球にも出場した経歴を持つ。
野球ライターによれば、「彼の売りは強肩強打でした。大学卒業後は社会人野球の日産自動車と独立リーグの香川オリーブガイナーズを経て、ソフトバンクに08年育成ドラフト5位で入団。09年の開幕前に支配下選手登録を勝ち取りましたが1軍に定着できなかった。相手の研究も練習も人一倍真面目に打ち込む努力家だったんですけどね」
美嶋容疑者を高校時代から知る男性が憤る。「プロ入りまでの苦労を見ていたので、本気で応援していました。10年の日ハム戦に初スタメンで出たときは仲間で居酒屋に集まって観戦しましたよ。でも、見事に裏切られました」
12年8月から10月にかけて、美嶋容疑者は福岡県警に3回逮捕されていた。
「いずれも、福岡県内での面識のない女性に対する強制わいせつです。被害者は、当時17歳だった少女に18歳の女子短大生、20歳のアルバイト女性。“殴るぞ”などと言って駐車場に連れ込んだり、被害者のアパートの通路で暴行したりしている。被害者は今回と同じ年齢層じゃないですか」
酒が入ると豹変
3件のうち2件は示談などで不起訴。17歳少女の事件で、懲役2年の実刑判決が下されている。
「許せないのは、福岡で逮捕された際にソフトバンク幹部が会見して明かした、日産時代の性犯罪で有罪判決を受けていた事実。幹部は本人の言動や真面目な練習態度を見て更生したと判断したと話していました。後から調べたら、日産は1年半で辞めていて、その要因となったのが、いまから20年前の05年ごろに起こしたこの性犯罪でした」
さらに、と続ける。「香川にいるとき、メジャーリーグのボストン・レッドソックスのスカウトの目に留まって入団交渉までしたのに見送られたことがあった。その原因も日産時代の性犯罪だったのです。あいつは、野球に対する姿勢は超がつくほど真面目な一方で、酒が入ったら豹変するタイプ。酔って女の人を口説くこともありました。けれど、まさか、こんなに年を経てわいせつ行為を繰り返すなんて……」
神奈川県警によれば、この12月の逮捕案件は、市内在住の専門学校生(20)やアルバイト女性(23)に今年4〜5月、わいせつな行為をしようとした疑い。今年2月には、やはり市内在住、高校2年生の女子(16)に路上で性的暴行を加え、この容疑でも7月に逮捕されている。捜査は11件で終結、立件される見通しで、当然ながら厳罰が予想される。折しも今年はソフトバンクが日本一に輝いたが、古巣にも泥を塗ってしまっている格好だ。彼の悪癖が改善される日は果たして訪れるのだろうか。
📝「ウチに来る可能性は低いと思った」ヤクルト一筋20年で今季引退…元首位打者が「和歌山の公立高校」を選んだ“意外なワケ”は? 恩師が語る当時の秘話
https://news.yahoo.co.jp/articles/d1bf2a2138c3b9997ede9109ed95097028cf90b0?page=1
類稀なバットコントロールで2015年に首位打者、最多安打のタイトルを獲得。ベテランとなってからは、代打の切り札としても活躍したヤクルトの川端慎吾。今季限りでの引退を表明し、来季からは二軍の打撃コーチに就任するが、その原点は市立和歌山商高(現市立和歌山高)時代にある。当時の恩師が語る“ツバメのプリンス”の高校時代とは。
ヤクルト一筋20年の川端慎吾が、38歳となった今季限りで現役引退を表明した。
06年、高卒プロ1年目ながら一軍キャンプに抜てきされ、シーズン終盤の10月9日の中日戦で一軍初出場。それからケガで一軍と二軍を行ったり来たりするシーズンもあったが、プロ6年目から一軍で100試合を超えるようになり、2015年には首位打者も獲得した。
2019年4月20日の中日戦ではプロ野球史上294人目の1000安打を達成。同年9月4日の広島戦では通算1000試合出場も達成した。ここ数年は代打の切り札として勝利に貢献してきたが、ファーム調整の時期も続いた上での決断だった。そんな教え子の姿を見守ってきたのが、川端慎吾の恩師でもある真鍋忠嗣氏だ。
市和歌山商で84年秋から監督を務め、88年から3年間一旦監督を離れるも91年から再任し、2011年夏まで市和歌山商(09年より市和歌山に改称)を指揮。春夏計3度、チームを甲子園に導いている。
高校時代の恩師は「40歳までやれたらいいね」
そのうち2回は川端慎吾が在学していた04年夏、05年春だった。真鍋氏にとって川端は教え子の中で特別な存在だったが、功績を称えつつ教え子の思いをこう口にする。
「彼自身、40歳まで現役をやりたいという夢があったんですよ。確か首位打者を獲った10年前くらいかな。慎吾とそういう話をしていて、僕自身も(40歳まで)やれたらいいねと話していて、じゃあ頑張ろうと約束したんですよ。でも、シーズンオフになるたびに毎年そこまでできるのか、という話は出ていたみたいです。現役にこだわるなら他球団で、というのもあったと思うけれど、同一球団で20年間もプレーできたことは立派だし、ファンの皆さんのご声援もあってここまで来られたのだと思います」
9月末の正式発表前、真鍋氏は本人から引退の旨の連絡をもらっていたという。
「正直、(本人は)まだやれると思っていたようで、『お前、ホンマにそれでいいんか? 』とは言いました。でも、球団からコーチとして残ってもらいたいという話があって、本人は若手を教えたいという思いもあったようですね。それならば頑張れよと言いました。
ただ、僕との約束を守らなければならなかったというコメントを残してくれていて、僕としてはそうコメントしてくれたのは嬉しいですけど……やっぱり寂しいですよね。彼としてはあと2年、やりたかったというのはあったと思います。40歳までやるということにすごくこだわりを持っていましたから」
「ウチに来る可能性は低い」はずが…なぜ公立校に?
真鍋と川端の出会いは約25年前にさかのぼる。川端は中学生当時から地元の大阪府貝塚市界隈では走攻守三拍子揃った遊撃手として有名だった。軟式野球で国体出場経験のある父のもとで小学校2年から野球をはじめた川端は、中学時代は狭山ボーイズでプレー。50m走を5秒台後半で駆ける快足とシュアな打撃が売りだった。有望な中学生がいれば、当然関西圏の強豪私学からの勧誘合戦が激化する。だが、真鍋氏は当時、中学生を直々に見に行くことはなかった。
「慎吾の噂は聞いていたんですよ。でも、1度や2度見ただけでウチに……と判断するのはその選手に申し訳ないというのがあったんです」
だがある日、川端が父と一緒に市和歌山商の練習を見に来たことがあった。真鍋氏からすればとてもありがたかったが、これだけ名のある選手。「他の強豪校からの誘いがたくさん来ているだろうし、ウチに来る可能性は低い」と感じていたという。ところが川端が市和歌山商への進学を決意したことを知った。
「理由を聞くと、公立高校の練習でここまで活気があるのに感動したって言うんですね。じゃあ一緒に頑張ろうって。それから慎吾がウチに決まった話が周囲に流れると、他の有望な中学生が“自分も市和歌山商に行く”ってなってね。あの学年は大阪南部あたりの良い中学生が集まってくれたんですよ」
川端は入学直後の1年春の県大会から「5番・遊撃」でスタメン起用。夏は背番号6を背負った。高校入学時から身長は180センチあり、背格好だけを見ても一目置かれるような見映えだった。当時を真鍋氏はこう述懐する。
「華奢ではありましたけれど、あの体格でしたからね。ショートを守る選手は華がないといけないと僕は思ってきたんです。でも、彼にそんな華が見えたんですよね」
入学当初は投手志望も「ショートならプロに…」
川端は入学当時、投手志望だった。だが、真鍋は「ショートでレギュラーを獲って頑張ればプロに行かせてやる」と川端と約束をこぎつけ、投手を断念させたという。実はこれには理由があった。
「ピッチャーをするには少し手が短いと思っていて。でもショートだったらプロに行けるセンスはあると思ったんですよ」とはいえ、春、夏とショートで結果はなかなか伴わなかった。
「まぁ、バッティングは苦しみましたね。高校野球は甘くはないって、本人も感じたんじゃないですかね」それでも真鍋氏は中軸から川端を外すことはなかった。
「センスの良さはずっと感じていました。何より守れましたからね。1年坊主だった当時でも、これだけ(三拍子)揃っている選手はなかなかいない。他の同級生と比べても能力の高さはかけ離れていました。僕は力があれば1年生でも関係なく試合で起用していましたけれど、当時の上級生もみんな納得していたんです。川端の起用に文句を言う上級生もいなかったですね」
それは川端の真面目な性格があったからだ。練習には真摯に向き合い、コツコツと努力する。誰よりも早くグラウンドに出て早朝の自主練習に取り組む姿を周囲はずっと見ていた。
「コイツにレギュラーを獲られたら仕方ない」
誰もがそう思うほど、1年生でも厳しい練習にも食らいついていた。
「“ウサギとカメ”なら…カメなんです」
以前、川端慎吾に関する著書が発行された際に真鍋が取材を受けたことがあった。高校入学時からチームの中心に立ち、センスも抜群。誰もが認める“スーパースター肌”だったが、真鍋は川端の人となりについてこう明かしている。
「慎吾は“ウサギとカメ”で言うとウサギじゃない。カメなんです。隠れて人一倍、コツコツ努力する子でした。そういう積み重ねがあったからプロ野球選手になれたんです。何より、どれだけチヤホヤされても天狗になることも自惚れることも全くなかった。それはご両親の育て方があったのもそうですし、私もその辺りは厳しく指導してきたつもりです」
川端は2年生だった04年夏の甲子園に出場。2回戦で聖光学院に敗れたが、2試合で8打数3安打とまずまずの数字を残した。同時に、川端の名が徐々に世間に広まりだしたのもこの頃だった。
<次回へつづく>
📝「正直、ヤクルトはそこまで評価していなかった」恩師が振り返る“現役引退”ある首位打者のドラフト狂騒曲「今となれば良かったと心から…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/a69c1cb137d96c8078e987c3fd5c33734ab5a7f9
ヤクルト一筋20年の川端慎吾が今季限りで現役引退を表明。2015年には首位打者も獲得した好打者だが、その原点は高校時代にある。恩師である真鍋忠嗣氏は、川端をどんな風に記憶しているのか。
川端は2年秋の近畿大会ではベスト8に勝ち進み、チームも翌春のセンバツ出場にもぐっと近づいた。
それほど注目度は高くなかった高校当時の川端
当時、近畿では同世代に平田良介(大阪桐蔭→中日)、岡田貴弘(T-岡田/履正社→オリックス)という超高校級の大砲が名をはせていた。そんな黄金世代の中で、真鍋氏は川端の当初の注目度は決して高くなかったと明言する。
「慎吾は高校入学当時からプロ志望でしたけど、本格的に見ていただけるようになったのは2年秋くらいからじゃないですかね。理由は股関節が硬かったから。守備にしても動きに関してどうですかね……というクエスチョンマークがプロ側についていたと思うんです」
その注目度が増すきっかけとなったのが3年春のセンバツだった。2回戦で対戦した神村学園戦で、4打席目にエースの野上亮磨(元西武→巨人)から豪快な2ランホームランを放ったのだ。
「あのホームランが大きかったと思います。慎吾はずっと3番で起用してきたんですけど、あの春は確か1番で出場させていました。打席が多く巡ってくるというのもあって。あのホームランから慎吾のことを見てくださる方が増えました」
それから走攻守三拍子揃った遊撃手として、NPBスカウトの中で株が急上昇した。3年夏の甲子園には出場できなかったが、直後の秋に行われた第6回AAAアジア野球選手権の高校日本代表にも選出され、打率.462を残しベストナインにも選出されている。
ドラフト「1巡目で指名する」という話もあったが…?
センバツで放った本塁打を含め、高校通算本塁打は33本。将来性も買われ、ドラフト会議直前になると各球団の“川端詣で”が激しくなった。そんな中、真鍋が「ドラフト会議は当日になると何が起こるか分からない」と痛感した出来事があったという。
「あの頃は色んな球団の方が練習を見に来られる中で、ある球団から“川端君を1巡目で指名する”という話があったんですよ。そう言っていただくと、期待してしまいますよね」
だが、その球団から川端慎吾の名前が呼ばれることはなかった。当時のドラフト会議は高校生と大学・社会人とでドラフトを分けて行われていた。川端はいわゆる”高校生ドラフト“対象。高校生のみが指名される中、1巡目の選手名がどんどん挙げられていく。当時、真鍋氏はその状況を校長室隣の控室で川端本人と見守っていたが、1巡目に川端の名前がなかったことを受け止め、川端に思わずこう声を掛けた。
「“俺と一緒に八十八カ所巡り行こうか”って、言ったんですよね。そうしたら“そうですね”って慎吾が笑って」
1巡目かもしれない……。そんな淡い期待が打ち砕かれ、何とも言えない喪失感にさいなまれたが、川端慎吾を指名したのはヤクルト(3巡目)だった。「正直、ヤクルトさんは事前にそこまで慎吾のことを評価していなかったような記憶があります」と真鍋氏は振り返る。だが、今となれば「ヤクルトで良かった」と心から思っているという。
「だって20年間もプレーさせてもらえましたからね。そのうち5、6年もレギュラーで試合に出させてもらえた。私としてもこれほど嬉しいことはないです」
20年。言葉にすれば容易く聞こえるかもしれないが、その年月を1球団に捧げ、終えることができたのはどれだけ尊いことなのか想像できる。だが、そのうち100試合以上出場したシーズンは5シーズンだった。指揮官がかねてから懸念していたことがある。
「やっぱりケガですかね。高校の時から、とにかく下半身を柔らかく使いなさいということは常々言っていました。本人も相当そこは意識をしてきたと思いますし、3年生になって結果的にプロ側から評価してもらえる選手になったとはいえ、プロに行ってからもそこはずっと心配していました」
8年目の初めには左足首関節の手術、その他にも下半身中心に違和感等を抱えながらのシーズンもあった。そんな状況で現役選手として晩年を迎え、「あと2年」をどう乗り切るか。ベテランとなり、今後を見据えた川端の苦悩が今秋の決断に至ったのだろう。
年末は川端家との食事が恒例行事
真鍋氏は毎年、川端家と共に食事をすることが年末の恒例行事となっている。
「彼のお気に入りのお店が大阪にあってね。そこを予約して慎吾のご両親と(元プロ野球選手の)妹の友紀さんとご家族でいつも来られるんです。
でも野球の話はほとんどしないんですよ。あいつは数字の世界の中で生きてきているから、成績を残せばおめでとうとはなりますけれど褒めることもけなす話もしない。和気あいあいというか、いつもなごやかな時間になります」
「僕は試合より練習をみたいから…」
ちなみに真鍋氏はプロ野球選手となった川端の試合を現地観戦したのは数えるほどしかないという。
「僕は試合より練習を見たいからキャンプにはよく行きました、沖縄(浦添)に。そのたびに思ったのは、プロでは確かホームランを合計で40本打っていますけれど、元々長距離バッターではないのに力強くなったのには驚きました。プロでのトレーニングなどもあってだと思いますが、守備でも堅実さも含め、打つ、走る、守るすべての要素が上がった。宮本慎也さんの指導も大きかったと思います」
何より謙虚な姿勢がプロに行っても変わっていないことが恩師としては嬉しかった。
「野球に真摯に向き合って来られたからこその20年間だった」
真鍋氏は教え子の歩みに笑みを浮かべながら小さく頷いた。「慎吾はこれから指導者として色んな経験をしていくと思いますが、いずれは上で監督ができたらいいですよね。これから若い選手と一緒に汗をかいて、いずれはヤクルトを引っ張る立場になってもらえたら。今はまだ30代ですけれど、コーチをする同世代も出てきていますし、40代半ばになればそういう夢も持っていてもいいんじゃないかとも思いますね。ここからの人生の方が長いんですから。まだまだこれから。現役で20年、指導者として20年やってくれたらいいのにって思いますね」
教え子の夢は、自分の夢。新たな起点に立つ川端をこれからも傍でずっと見守り続ける。
⚾岩手さんへ
そうでしたか・・・夜中突然の揺れは怖いですよね、、、、、しかし食料品を普段から備蓄されているとは恐れ入ります!こっちは阪神大震災の教訓もどこ吹く風で何にも考えていないのが実情なんで。。。。。
関西に住んでいると、完全に他人事なんで寝しなにふとTV付けたら各局ともニュースになっており「新日本プロレスの深夜放送が・・・・・」と危惧しながら寝床に入り朝起きたらやはりお蔵入りと↓↓
SNSにおけるデマ情報は何かしらあると新聞に書いてましたが、「クマを駆除した祟りだ」とはさもありなんと頷いてしまいそうですが。でも駆除しなければ人的被害がより大きくなり、野生動物の学習能力を考えたら、ほったらかしにしていたら年々街に繰り出し食料品売り場を荒らしまくりかねないので。。。
オコエ瑠偉は高3夏の甲子園で2度観戦したと思います。初戦の高岡商戦は仕事していたので昼休みにラジオで聞いただけですが、、、、、12-10という僕好みの大乱打戦を展開していたのでぜひ観戦したかったなあと。
中京大中京戦の左中間ダイビングキャッチは超ファインプレーでしたね。もっと打撃戦になると期待してましたが、1-0と地味なスコアで・・・・・。あの打球が走者一掃だったら全く違った試合天下になっていたと思われますね!
本人がプロ志向だったら当然の如くドラフト指名されなるべくしてプロ野球選手になった感ですが、巨人に行ったのが間違いだったのか?????
和歌山工は昭和後期は強かったですね。。。2001年夏には2連覇がかかる和智弁と開幕試合で対戦して5-1で大金星を挙げました・・・。あの時は春も対戦して6回まで0-0とずいぶん苦しみ7回に和智弁打線が大爆発して7-0でコールド勝ちしましたが、その後広島に進んだ山本投手が良かったので夏の対戦は避けたかったけどよりによって開幕試合で再戦するとは・・・。
あの頃を境に下降線をたどり県大会でもあまり勝てない時期が続き和歌山商のほうが台頭してきましたね。
日高は昔から安定して県8強レベルに入るほどの戦力はあると思いますが、、、、、いいところまでは行くけれど頂点まではまだ遠いですね。日高中津が急に秋4強に上がったのは驚きました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/36859577e61998f4ca8b9727a44ee68ffa641bbd?page=1
一体、どれだけの被害者がいるのか――。12月9日、神奈川県警は、元プロ野球選手の美嶋隼人容疑者(43)を、不同意わいせつ未遂の容疑で逮捕(再逮捕)した。美嶋容疑者は、現役時代は堂上隼人の名で2008年から福岡ソフトバンクホークスに所属し、捕手として4年間プレー。2012年に性犯罪を起こして契約を解除されたが、球界を離れた後も同様の過ちを繰り返してきたというわけだ。報道によれば、今年6月に不同意わいせつ罪で逮捕されて以来、次々と余罪が発覚してこれで逮捕されること実に8回目。2020年からの5年間で11件、計11人に性的な被害を加えたという。遡れば、およそ20年前の2005年頃にも逮捕経験があるというから、ここまで来ると更生は相当困難と言っても良いだろう。
なぜ元プロ野球選手はここまで転落したのか。その素顔とはどのようなものだったのか。「週刊新潮」では今年6月の逮捕の際に、その人物像を取材している。以下、それを再録し、彼の「表の顔」とおぞましき「裏の顔」について詳らかにしてみよう。
性犯罪は再犯率が高いとされる。ゆがんだ性的嗜好は病気のようなもので、矯正が難しい。10年以上の時を経ても同じ手口で犯行を重ねるケースがあるのだ。
6月12日に神奈川県警が不同意わいせつ容疑で逮捕した自称清掃業、美嶋隼人容疑者(43)もまたしかり。
県警詰め記者が語る。「美嶋は20年前と13年前にもわいせつ事件を起こし、有罪判決を受けています。13年前、2012年当時は、堂上(どううえ)隼人の名前で福岡ソフトバンクホークスの捕手としてプレーしていた。事件は現役プロ野球選手の不祥事として大きく報じられ、契約は解除。懲役2年の実刑判決が確定しました」
道を歩いていて突然……
のちに美嶋へと改姓していたが、「6月12日の午前8時過ぎ、横浜市旭区にある自宅マンションの敷地内で逮捕されました。容疑は4月20日午後11時35分ごろ、旭区に隣接する保土ケ谷区内で専門学校に通う18歳の女性の上半身を触るなどした疑いです。二人に面識はなく、女性は道を歩いていて突然、被害に遭ったといいます」
被害女性の親族の通報によって、事件が発覚。
「現場周辺の防カメ映像などから美嶋が浮上し、逮捕に至りました。美嶋は逮捕後、泰然として“弁護士が来るまで話しません”と認否を留保したといいます」
目下、警察は市内で発生した複数の類似事案への関与も調べているという。
数カ月の間に3回逮捕
横浜市出身で、3歳から野球を始めた美嶋容疑者。私立武相高校では夏の県予選で1学年上の松坂大輔と戦い敗れたこともある。横浜商科大学に進むと、4年時の03年には日米大学野球にも出場した経歴を持つ。
野球ライターによれば、「彼の売りは強肩強打でした。大学卒業後は社会人野球の日産自動車と独立リーグの香川オリーブガイナーズを経て、ソフトバンクに08年育成ドラフト5位で入団。09年の開幕前に支配下選手登録を勝ち取りましたが1軍に定着できなかった。相手の研究も練習も人一倍真面目に打ち込む努力家だったんですけどね」
美嶋容疑者を高校時代から知る男性が憤る。「プロ入りまでの苦労を見ていたので、本気で応援していました。10年の日ハム戦に初スタメンで出たときは仲間で居酒屋に集まって観戦しましたよ。でも、見事に裏切られました」
12年8月から10月にかけて、美嶋容疑者は福岡県警に3回逮捕されていた。
「いずれも、福岡県内での面識のない女性に対する強制わいせつです。被害者は、当時17歳だった少女に18歳の女子短大生、20歳のアルバイト女性。“殴るぞ”などと言って駐車場に連れ込んだり、被害者のアパートの通路で暴行したりしている。被害者は今回と同じ年齢層じゃないですか」
酒が入ると豹変
3件のうち2件は示談などで不起訴。17歳少女の事件で、懲役2年の実刑判決が下されている。
「許せないのは、福岡で逮捕された際にソフトバンク幹部が会見して明かした、日産時代の性犯罪で有罪判決を受けていた事実。幹部は本人の言動や真面目な練習態度を見て更生したと判断したと話していました。後から調べたら、日産は1年半で辞めていて、その要因となったのが、いまから20年前の05年ごろに起こしたこの性犯罪でした」
さらに、と続ける。「香川にいるとき、メジャーリーグのボストン・レッドソックスのスカウトの目に留まって入団交渉までしたのに見送られたことがあった。その原因も日産時代の性犯罪だったのです。あいつは、野球に対する姿勢は超がつくほど真面目な一方で、酒が入ったら豹変するタイプ。酔って女の人を口説くこともありました。けれど、まさか、こんなに年を経てわいせつ行為を繰り返すなんて……」
神奈川県警によれば、この12月の逮捕案件は、市内在住の専門学校生(20)やアルバイト女性(23)に今年4〜5月、わいせつな行為をしようとした疑い。今年2月には、やはり市内在住、高校2年生の女子(16)に路上で性的暴行を加え、この容疑でも7月に逮捕されている。捜査は11件で終結、立件される見通しで、当然ながら厳罰が予想される。折しも今年はソフトバンクが日本一に輝いたが、古巣にも泥を塗ってしまっている格好だ。彼の悪癖が改善される日は果たして訪れるのだろうか。
📝「ウチに来る可能性は低いと思った」ヤクルト一筋20年で今季引退…元首位打者が「和歌山の公立高校」を選んだ“意外なワケ”は? 恩師が語る当時の秘話
https://news.yahoo.co.jp/articles/d1bf2a2138c3b9997ede9109ed95097028cf90b0?page=1
類稀なバットコントロールで2015年に首位打者、最多安打のタイトルを獲得。ベテランとなってからは、代打の切り札としても活躍したヤクルトの川端慎吾。今季限りでの引退を表明し、来季からは二軍の打撃コーチに就任するが、その原点は市立和歌山商高(現市立和歌山高)時代にある。当時の恩師が語る“ツバメのプリンス”の高校時代とは。
ヤクルト一筋20年の川端慎吾が、38歳となった今季限りで現役引退を表明した。
06年、高卒プロ1年目ながら一軍キャンプに抜てきされ、シーズン終盤の10月9日の中日戦で一軍初出場。それからケガで一軍と二軍を行ったり来たりするシーズンもあったが、プロ6年目から一軍で100試合を超えるようになり、2015年には首位打者も獲得した。
2019年4月20日の中日戦ではプロ野球史上294人目の1000安打を達成。同年9月4日の広島戦では通算1000試合出場も達成した。ここ数年は代打の切り札として勝利に貢献してきたが、ファーム調整の時期も続いた上での決断だった。そんな教え子の姿を見守ってきたのが、川端慎吾の恩師でもある真鍋忠嗣氏だ。
市和歌山商で84年秋から監督を務め、88年から3年間一旦監督を離れるも91年から再任し、2011年夏まで市和歌山商(09年より市和歌山に改称)を指揮。春夏計3度、チームを甲子園に導いている。
高校時代の恩師は「40歳までやれたらいいね」
そのうち2回は川端慎吾が在学していた04年夏、05年春だった。真鍋氏にとって川端は教え子の中で特別な存在だったが、功績を称えつつ教え子の思いをこう口にする。
「彼自身、40歳まで現役をやりたいという夢があったんですよ。確か首位打者を獲った10年前くらいかな。慎吾とそういう話をしていて、僕自身も(40歳まで)やれたらいいねと話していて、じゃあ頑張ろうと約束したんですよ。でも、シーズンオフになるたびに毎年そこまでできるのか、という話は出ていたみたいです。現役にこだわるなら他球団で、というのもあったと思うけれど、同一球団で20年間もプレーできたことは立派だし、ファンの皆さんのご声援もあってここまで来られたのだと思います」
9月末の正式発表前、真鍋氏は本人から引退の旨の連絡をもらっていたという。
「正直、(本人は)まだやれると思っていたようで、『お前、ホンマにそれでいいんか? 』とは言いました。でも、球団からコーチとして残ってもらいたいという話があって、本人は若手を教えたいという思いもあったようですね。それならば頑張れよと言いました。
ただ、僕との約束を守らなければならなかったというコメントを残してくれていて、僕としてはそうコメントしてくれたのは嬉しいですけど……やっぱり寂しいですよね。彼としてはあと2年、やりたかったというのはあったと思います。40歳までやるということにすごくこだわりを持っていましたから」
「ウチに来る可能性は低い」はずが…なぜ公立校に?
真鍋と川端の出会いは約25年前にさかのぼる。川端は中学生当時から地元の大阪府貝塚市界隈では走攻守三拍子揃った遊撃手として有名だった。軟式野球で国体出場経験のある父のもとで小学校2年から野球をはじめた川端は、中学時代は狭山ボーイズでプレー。50m走を5秒台後半で駆ける快足とシュアな打撃が売りだった。有望な中学生がいれば、当然関西圏の強豪私学からの勧誘合戦が激化する。だが、真鍋氏は当時、中学生を直々に見に行くことはなかった。
「慎吾の噂は聞いていたんですよ。でも、1度や2度見ただけでウチに……と判断するのはその選手に申し訳ないというのがあったんです」
だがある日、川端が父と一緒に市和歌山商の練習を見に来たことがあった。真鍋氏からすればとてもありがたかったが、これだけ名のある選手。「他の強豪校からの誘いがたくさん来ているだろうし、ウチに来る可能性は低い」と感じていたという。ところが川端が市和歌山商への進学を決意したことを知った。
「理由を聞くと、公立高校の練習でここまで活気があるのに感動したって言うんですね。じゃあ一緒に頑張ろうって。それから慎吾がウチに決まった話が周囲に流れると、他の有望な中学生が“自分も市和歌山商に行く”ってなってね。あの学年は大阪南部あたりの良い中学生が集まってくれたんですよ」
川端は入学直後の1年春の県大会から「5番・遊撃」でスタメン起用。夏は背番号6を背負った。高校入学時から身長は180センチあり、背格好だけを見ても一目置かれるような見映えだった。当時を真鍋氏はこう述懐する。
「華奢ではありましたけれど、あの体格でしたからね。ショートを守る選手は華がないといけないと僕は思ってきたんです。でも、彼にそんな華が見えたんですよね」
入学当初は投手志望も「ショートならプロに…」
川端は入学当時、投手志望だった。だが、真鍋は「ショートでレギュラーを獲って頑張ればプロに行かせてやる」と川端と約束をこぎつけ、投手を断念させたという。実はこれには理由があった。
「ピッチャーをするには少し手が短いと思っていて。でもショートだったらプロに行けるセンスはあると思ったんですよ」とはいえ、春、夏とショートで結果はなかなか伴わなかった。
「まぁ、バッティングは苦しみましたね。高校野球は甘くはないって、本人も感じたんじゃないですかね」それでも真鍋氏は中軸から川端を外すことはなかった。
「センスの良さはずっと感じていました。何より守れましたからね。1年坊主だった当時でも、これだけ(三拍子)揃っている選手はなかなかいない。他の同級生と比べても能力の高さはかけ離れていました。僕は力があれば1年生でも関係なく試合で起用していましたけれど、当時の上級生もみんな納得していたんです。川端の起用に文句を言う上級生もいなかったですね」
それは川端の真面目な性格があったからだ。練習には真摯に向き合い、コツコツと努力する。誰よりも早くグラウンドに出て早朝の自主練習に取り組む姿を周囲はずっと見ていた。
「コイツにレギュラーを獲られたら仕方ない」
誰もがそう思うほど、1年生でも厳しい練習にも食らいついていた。
「“ウサギとカメ”なら…カメなんです」
以前、川端慎吾に関する著書が発行された際に真鍋が取材を受けたことがあった。高校入学時からチームの中心に立ち、センスも抜群。誰もが認める“スーパースター肌”だったが、真鍋は川端の人となりについてこう明かしている。
「慎吾は“ウサギとカメ”で言うとウサギじゃない。カメなんです。隠れて人一倍、コツコツ努力する子でした。そういう積み重ねがあったからプロ野球選手になれたんです。何より、どれだけチヤホヤされても天狗になることも自惚れることも全くなかった。それはご両親の育て方があったのもそうですし、私もその辺りは厳しく指導してきたつもりです」
川端は2年生だった04年夏の甲子園に出場。2回戦で聖光学院に敗れたが、2試合で8打数3安打とまずまずの数字を残した。同時に、川端の名が徐々に世間に広まりだしたのもこの頃だった。
<次回へつづく>
📝「正直、ヤクルトはそこまで評価していなかった」恩師が振り返る“現役引退”ある首位打者のドラフト狂騒曲「今となれば良かったと心から…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/a69c1cb137d96c8078e987c3fd5c33734ab5a7f9
ヤクルト一筋20年の川端慎吾が今季限りで現役引退を表明。2015年には首位打者も獲得した好打者だが、その原点は高校時代にある。恩師である真鍋忠嗣氏は、川端をどんな風に記憶しているのか。
川端は2年秋の近畿大会ではベスト8に勝ち進み、チームも翌春のセンバツ出場にもぐっと近づいた。
それほど注目度は高くなかった高校当時の川端
当時、近畿では同世代に平田良介(大阪桐蔭→中日)、岡田貴弘(T-岡田/履正社→オリックス)という超高校級の大砲が名をはせていた。そんな黄金世代の中で、真鍋氏は川端の当初の注目度は決して高くなかったと明言する。
「慎吾は高校入学当時からプロ志望でしたけど、本格的に見ていただけるようになったのは2年秋くらいからじゃないですかね。理由は股関節が硬かったから。守備にしても動きに関してどうですかね……というクエスチョンマークがプロ側についていたと思うんです」
その注目度が増すきっかけとなったのが3年春のセンバツだった。2回戦で対戦した神村学園戦で、4打席目にエースの野上亮磨(元西武→巨人)から豪快な2ランホームランを放ったのだ。
「あのホームランが大きかったと思います。慎吾はずっと3番で起用してきたんですけど、あの春は確か1番で出場させていました。打席が多く巡ってくるというのもあって。あのホームランから慎吾のことを見てくださる方が増えました」
それから走攻守三拍子揃った遊撃手として、NPBスカウトの中で株が急上昇した。3年夏の甲子園には出場できなかったが、直後の秋に行われた第6回AAAアジア野球選手権の高校日本代表にも選出され、打率.462を残しベストナインにも選出されている。
ドラフト「1巡目で指名する」という話もあったが…?
センバツで放った本塁打を含め、高校通算本塁打は33本。将来性も買われ、ドラフト会議直前になると各球団の“川端詣で”が激しくなった。そんな中、真鍋が「ドラフト会議は当日になると何が起こるか分からない」と痛感した出来事があったという。
「あの頃は色んな球団の方が練習を見に来られる中で、ある球団から“川端君を1巡目で指名する”という話があったんですよ。そう言っていただくと、期待してしまいますよね」
だが、その球団から川端慎吾の名前が呼ばれることはなかった。当時のドラフト会議は高校生と大学・社会人とでドラフトを分けて行われていた。川端はいわゆる”高校生ドラフト“対象。高校生のみが指名される中、1巡目の選手名がどんどん挙げられていく。当時、真鍋氏はその状況を校長室隣の控室で川端本人と見守っていたが、1巡目に川端の名前がなかったことを受け止め、川端に思わずこう声を掛けた。
「“俺と一緒に八十八カ所巡り行こうか”って、言ったんですよね。そうしたら“そうですね”って慎吾が笑って」
1巡目かもしれない……。そんな淡い期待が打ち砕かれ、何とも言えない喪失感にさいなまれたが、川端慎吾を指名したのはヤクルト(3巡目)だった。「正直、ヤクルトさんは事前にそこまで慎吾のことを評価していなかったような記憶があります」と真鍋氏は振り返る。だが、今となれば「ヤクルトで良かった」と心から思っているという。
「だって20年間もプレーさせてもらえましたからね。そのうち5、6年もレギュラーで試合に出させてもらえた。私としてもこれほど嬉しいことはないです」
20年。言葉にすれば容易く聞こえるかもしれないが、その年月を1球団に捧げ、終えることができたのはどれだけ尊いことなのか想像できる。だが、そのうち100試合以上出場したシーズンは5シーズンだった。指揮官がかねてから懸念していたことがある。
「やっぱりケガですかね。高校の時から、とにかく下半身を柔らかく使いなさいということは常々言っていました。本人も相当そこは意識をしてきたと思いますし、3年生になって結果的にプロ側から評価してもらえる選手になったとはいえ、プロに行ってからもそこはずっと心配していました」
8年目の初めには左足首関節の手術、その他にも下半身中心に違和感等を抱えながらのシーズンもあった。そんな状況で現役選手として晩年を迎え、「あと2年」をどう乗り切るか。ベテランとなり、今後を見据えた川端の苦悩が今秋の決断に至ったのだろう。
年末は川端家との食事が恒例行事
真鍋氏は毎年、川端家と共に食事をすることが年末の恒例行事となっている。
「彼のお気に入りのお店が大阪にあってね。そこを予約して慎吾のご両親と(元プロ野球選手の)妹の友紀さんとご家族でいつも来られるんです。
でも野球の話はほとんどしないんですよ。あいつは数字の世界の中で生きてきているから、成績を残せばおめでとうとはなりますけれど褒めることもけなす話もしない。和気あいあいというか、いつもなごやかな時間になります」
「僕は試合より練習をみたいから…」
ちなみに真鍋氏はプロ野球選手となった川端の試合を現地観戦したのは数えるほどしかないという。
「僕は試合より練習を見たいからキャンプにはよく行きました、沖縄(浦添)に。そのたびに思ったのは、プロでは確かホームランを合計で40本打っていますけれど、元々長距離バッターではないのに力強くなったのには驚きました。プロでのトレーニングなどもあってだと思いますが、守備でも堅実さも含め、打つ、走る、守るすべての要素が上がった。宮本慎也さんの指導も大きかったと思います」
何より謙虚な姿勢がプロに行っても変わっていないことが恩師としては嬉しかった。
「野球に真摯に向き合って来られたからこその20年間だった」
真鍋氏は教え子の歩みに笑みを浮かべながら小さく頷いた。「慎吾はこれから指導者として色んな経験をしていくと思いますが、いずれは上で監督ができたらいいですよね。これから若い選手と一緒に汗をかいて、いずれはヤクルトを引っ張る立場になってもらえたら。今はまだ30代ですけれど、コーチをする同世代も出てきていますし、40代半ばになればそういう夢も持っていてもいいんじゃないかとも思いますね。ここからの人生の方が長いんですから。まだまだこれから。現役で20年、指導者として20年やってくれたらいいのにって思いますね」
教え子の夢は、自分の夢。新たな起点に立つ川端をこれからも傍でずっと見守り続ける。
⚾岩手さんへ
そうでしたか・・・夜中突然の揺れは怖いですよね、、、、、しかし食料品を普段から備蓄されているとは恐れ入ります!こっちは阪神大震災の教訓もどこ吹く風で何にも考えていないのが実情なんで。。。。。
関西に住んでいると、完全に他人事なんで寝しなにふとTV付けたら各局ともニュースになっており「新日本プロレスの深夜放送が・・・・・」と危惧しながら寝床に入り朝起きたらやはりお蔵入りと↓↓
SNSにおけるデマ情報は何かしらあると新聞に書いてましたが、「クマを駆除した祟りだ」とはさもありなんと頷いてしまいそうですが。でも駆除しなければ人的被害がより大きくなり、野生動物の学習能力を考えたら、ほったらかしにしていたら年々街に繰り出し食料品売り場を荒らしまくりかねないので。。。
オコエ瑠偉は高3夏の甲子園で2度観戦したと思います。初戦の高岡商戦は仕事していたので昼休みにラジオで聞いただけですが、、、、、12-10という僕好みの大乱打戦を展開していたのでぜひ観戦したかったなあと。
中京大中京戦の左中間ダイビングキャッチは超ファインプレーでしたね。もっと打撃戦になると期待してましたが、1-0と地味なスコアで・・・・・。あの打球が走者一掃だったら全く違った試合天下になっていたと思われますね!
本人がプロ志向だったら当然の如くドラフト指名されなるべくしてプロ野球選手になった感ですが、巨人に行ったのが間違いだったのか?????
和歌山工は昭和後期は強かったですね。。。2001年夏には2連覇がかかる和智弁と開幕試合で対戦して5-1で大金星を挙げました・・・。あの時は春も対戦して6回まで0-0とずいぶん苦しみ7回に和智弁打線が大爆発して7-0でコールド勝ちしましたが、その後広島に進んだ山本投手が良かったので夏の対戦は避けたかったけどよりによって開幕試合で再戦するとは・・・。
あの頃を境に下降線をたどり県大会でもあまり勝てない時期が続き和歌山商のほうが台頭してきましたね。
日高は昔から安定して県8強レベルに入るほどの戦力はあると思いますが、、、、、いいところまでは行くけれど頂点まではまだ遠いですね。日高中津が急に秋4強に上がったのは驚きました。