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紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
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💢暴力は「下級生が”悪いこと”をしたとき」OBが語る、広陵野球部「おまえ雨天な」が意味する地獄
https://news.yahoo.co.jp/articles/0d634d47539c5e117552ba4fdb6b95fa430103ec?page=1

沖縄尚学の優勝で幕を閉じた今夏の甲子園。全力で戦う選手たちの姿に心揺さぶられた人も多いことだろうが、大会期間中に大きな関心を集めたのが広島県代表である広陵高校だった。
史上初めて大会中に出場を辞退。その理由は、2025年1月、寮内で禁止されていたカップラーメンを食べた1年生に対し、複数の野球部員が暴力をふるい、3月に日本高等学校野球連盟(高野連)から厳重注意を受けたことに端を発している。暴力を受けた選手の父親がSNSにその暴力の実態を投稿したことから、そのひどさが明らかになり、SNSでの攻撃にもつながった。

なぜスポーツの現場で暴力が起きてしまったのか。それに目を向け大きな改善をすることが、被害を訴えた側や、真摯に野球に取り組みながら辞退することになった選手たちが前に進むために必要なことではないだろうか。長くスポーツ指導の現場や暴力について取材し、先頃『叱らない時代の指導術 主体性を伸ばすスポーツ現場の実践』(NHK出版新書)を上梓したジャーナリストの島沢優子さんが、広陵高校野球部のOBに取材。禁欲的な環境が生み出す「歪んだ正義」が浮かび上がった。

「雨天」という隠語の意味は

「今日、雨天な」天気予報の説明ではない。これを上級生から言われたSさんは震え上がった。

広陵高校野球部内の暴力事件を受け、OBらが過去の被害を告発する記事が相次いでいる。文春オンラインなどで同野球部OBが2015年に上級生による暴力を告発したものの、広陵は同校公式サイトで「当時から暴力行為やいじめなどがないよう厳しく指導をしていた」「(暴力やいじめの)事実はなかった」と発表した。

これに対し「それは違う。確かに暴力はありました」と反論するのが、上記OBと同級生だったSさんだ。中村奨成(現広島東洋カープ)らの同期で、3年時に夏の甲子園で準優勝を果たすことになる学年だ。1年生だったある日のこと。寮内で禁止されている電子機器を使っていたことが発覚し、3年生から「ちょっと来いよ」と雨天練習場に連れていかれた。正座させられると、次々と詰問された。

なんでこんなもの持ってんの?

「えっとあの、一般生からお借りしました……」

3年生は「ふざけんじゃねえよ!」と叫んで腹をこぶしで殴ってきた。その後は「そんな甘えた考え、いらねえよ」とSさんの腹を蹴り上げた。殴ったり蹴ったりしながら「みんな頑張ってんだよ。おまえだけズルしてんじゃねえよ!」などと、説教と暴力が30分ほど続いた。

「まあ、説教は正論めいていて。ルールを破った僕が悪いんですけど、だからといってボコボコにするのは明確に暴力じゃないですか。顔に内出血ができて監督にバレたりしないよう、主に腹とか背中を殴られたり蹴られたりしました。僕は3年生ひとりにやられましたが、複数の上級生にやられた同級生もいました。今回SNSで親が被害を訴えた1年生とまったく一緒でした。なので、いまだにやってたのかって驚きました」(Sさん)。

暴力は「下級生が悪いことをしたとき」

上級生から暴力を振るわれるのは「1年生が悪いことをしたときですね」とSさんは言う。入寮するとき告げられる「菓子類やカップラーメン禁止」「携帯などの電子機器は持ち込み禁止」というルールを破ったり、消灯時間なのにずっと喋っていた、集合時間に遅れた、忘れ物をした、寮内でふざけ合っていたり、態度が悪いという理由もあった。

Sさんのように1人が標的にされることがほとんどだが、時折「連帯責任だから」と全員が呼び出されては殴られることもあった。そうすることがチームのためになると上級生らは考え、Sさん自身も当時は「自分が悪いのだから殴られても仕方ないんだと思ってました」。上級生から下級生への暴力や制裁は、選手たちにとって疑いようのない「正義」だったのだろう。

この上級生からの呼び出しは「雨天」という隠語が使われた。制裁の場所が、雨天の際に使用する室内練習場だったからだ。夕飯後に自由参加となっている1時間ほどの自主練があり、その時間に行われた。寮内ですれ違った上級生から「おまえ、今日、“雨天”な」と言われては震え上がり、1年生のなかで何らかの失敗が続くと「今日あたり雨天かも」とみんなでビクビクして過ごした。暴力イコール「雨天」。このような隠語が生まれるほど、上級生による暴力は常態化していたとも考えられる。

Sさんによると、前年の秋頃に新チームなった際、2年生の途中で「自分はもうA・Bチームのメンバーに入れない」と考えた生徒たちが 全員「学生コーチ」 という肩書きになった。その学生コーチの中でも特に戦力に近かったA・Bチームに所属していた3人の優秀な3年生が、1年生が入寮して3ヵ月の間、トレーニングや声出しを指導するなどして練習を見てくれたという。Sさんに暴力を振るったのは、上記の3人の優秀な3年生以外の3年生だった。

その年度(2015)の部員は合計およそ160人で、A・Bチームに40人、Cに60人、Dに60人と振り分けられていた。CとD合わせて120人を3人で見るのは一苦労だったと思うが、「3人の学生コーチはA、Bにいたからか優秀でしたし、下級生に暴力を振るうことはなかったです」(Sさん)。

1年生に鉄拳を下すのは主に2年生だったが、なかには暴力と一線を画す者もいた。入部した1年生2人に対し、同じポジションの2年生1人がつくメンターのような制度があったため、自主練習を一緒にし、終われば一緒に風呂にも入った。そうやってSさんの面倒をみてくれた2年生は「他の2年がもしおまえをしばくようなことがあったら、俺が助けに行くからな」と言ってくれた。

「でも、2年生の良い先輩は3年生の暴力は止められません。止めたら自分がやられちゃうんで。私以外の被害者のSNSでも出てましたが、1年生がいけないことをしたら2年生が3年生にしばかれる。そして2年も1年生をしばき倒す。伝統と言っていいのか、そういうサイクルが完成されていました」

Aチームの1年生部員が脱走

とはいえ、試合で起用されるA・Bチームの上級生は、「雨天」にかかわらなかった。Sさんは、その年のキャプテンが「(A・Bチームの)メンバーは絶対そういうことには加えさせないからな」と他の3年生に話すのを聞いた。それなのにある日、A・Bチームにいた1年生部員が上級生に雨天を告げられた直後、監督室に退部届を置いて寮を脱走してしまう。

「それで一度、(上級生による暴力が)コーチや中井(哲之)監督にバレてしまいました。上級生は監督に『おまえら、こういうことしとんのか!?』みたいに言われて騒動になった。2015年の11月か12月ごろだったと思います」

それなのに「暴力がバレたのは1年の子の行動がきっかけだったので、こうなったのはおまえら(が原因)だろうみたいになって、(暴力が)エスカレートしたように思います」とSさんは声を落とす。
Sさんの、上級生による下級生への暴力が監督ら首脳陣に「バレた」という話が真実だとすれば、広陵はこの時点で一度、活動を抜本的に改革する機会を得ていたはずだ。そこで、Sさんからの告発について、広陵高校宛にFRaUweb編集部を通して事実確認の質問状を送った。

まず、Sさん自身が当時の3年生部員より、腹部を殴られたり、蹴られるといった暴力を受けたと話しているうえ、Sさんと同級生とみられる元部員が暴力を告発した記事が8月16日付の「文春オンライン」にて報じられている。これに対し広陵は学校公式サイトで「当時から暴力行為やいじめなどがないよう厳しく指導をしていた。そのような事実はなかった」と発表している。しかしながら、同時期に異なる人物が上級生からの暴力を明かしている事実は、重く受け取るべきではないか。

事案、いずれもありません

これについて尋ねると、当初広陵側はSさんの名前を明かすよう求めてきた。が、取材源の秘匿はジャーナリストが守るべき鉄則なので断った。すると、Sさんが受けた暴力に対して広陵サイドから以下のような回答があった。

「S氏自身も当時の3年生部員より、腹部を殴られたり、蹴られるといった暴力を受けていますという点についても、当事者、時期等が不明確であり、本校が調査する限り事案の存在を確認することができません」

「S氏に対するものと思われる事案の存在を確認することができておりません。(質問状の)複数の上級生にやられた同級生もいました、顔に内出血ができて監督にバレたりしないよう、主に腹とか背中を殴られたり蹴られたりしましたというS氏のお話についても、2015年前後に在籍した野球部員からそのように申し出がされた事案を把握しておりません」

次に「雨天を予告された1年生の脱走事件」については、何回か質問をしたところ、以下の回答となった。

「『有力選手による脱走と退部届で首脳陣が上級生の暴力を知った』というご指摘ですが、その当時、『部員が寮から脱走した』事案、『退部届により首脳陣が上級生の暴力を知った』事案、いずれもありません」

しかし、Sさんに問い直すと、Sさんに対しヒアリングなどはなかったという。個人を特定せずとも、「事案はいずれもありません」と言い切るには、それ相応の調査があったはずだが、両者の主張は食い違ったままだ。

また、「野球部員からそのように申し出がされた事案を把握しておりません」という回答があるが、部員からの申し出が当時されなかったのは当然だ。Sさんが暴力を親にも言えなかった理由として「みんな我慢しているのに、自分が言ってしまえばチームに迷惑がかかる。自分が夢見ていた甲子園にも行けなくなると考えた」と明かしている。これもひとつの歪んだ正義と言える。すべての被害者が同じ気持ちだったに違いない。

💢携帯もお菓子も禁止…OBが「刑務所」と表現した広陵高校野球部寮の過度な禁欲生活
https://gendai.media/articles/-/156784?imp=0

甲子園「大会中に辞退」の衝撃

史上初めて甲子園の大会中に出場を辞退した広島県代表の広陵高校。その理由は、2025年1月、寮内で禁止されていたカップラーメンを食べた1年生に対し、複数の野球部員が暴力をふるい、3月に日本高等学校野球連盟から厳重注意を受けたことに端を発している。暴力を受けた選手の親がSNSにその暴力の実態を投稿したことから、そのひどさが明らかになり、SNSでの攻撃にもつながった。
なぜスポーツの現場で暴力が起きてしまったのか。それに目を向け大きな改善をすることが、被害を訴えた側や、真摯に野球に取り組みながら辞退することになった選手たちが前に進むために必要なことではないだろうか。

「自分たちへの聞き取りはありません」

「今日、雨天な」3年生にそう言われてついていった雨天練習場で、30分間にわたる説教と暴力を受けたSさん。この被害を広陵高校に確認すると、以下のような返信があった。

「S氏に対するものと思われる事案の存在を確認することができておりません。(質問状の)複数の上級生にやられた同級生もいました。顔に内出血ができて監督にバレたりしないよう、主に腹とか背中を殴られたり蹴られたりしましたというS氏のお話についても、2015年前後に在籍した野球部員からそのように申し出がされた事案を把握しておりません」

広陵側の回答をSさんに告げると「(事実が)隠されてます。監督を始め指導陣はほぼ全員自分たちのときと同じなので、コーチのところで全部止まっているのかもしれません。在籍した私たちへの聞き取りはありません」と悔しそうに話した。

広陵は野球部を抜本的に改革すると発表した。本当にそうであれば、ハラスメントが禁忌とされる今、OBからの告発があった時点で卒業生にヒアリングするといった調査があって然るべきではないか。部内で上級生から下級生への暴力が脈々と続いてきた実態を明確にしなければ、抜本的な対策も立てられないはずだ。

禁欲的すぎる生活

そこで、広陵高校野球部で部員が暴走した背景を3つ挙げてみたい。
1番目に挙げたいのは、広陵球児たちの「禁欲的すぎる生活」だ。Sさんによれば、6時起床、20時50分点呼、21時就寝。携帯電話が持ち込み禁止のうえに、食堂のテレビも大雨などの緊急時と広島平和記念日の式典のある8月6日しかついているのを見たことがなかったという。Sさんら生徒たちは外で起きていることを何も知らないまま過ごした。自宅に帰ることができるのはお正月のみで、外出も基本は3ヵ月に一度。日にち決めの基準は不明だが、部員の間では「監督の機嫌がいいと、明日あたり休みかも?」と言い合った。


Sさんはテレビがついているのをほとんど見たことはないという Photo by iStock
つまり、これも禁止、あれも禁止、生徒が自分自身で自己決定する機会はほぼ皆無の状態だった。外部の人間からは想像しがたい強いストレスがたまる状態だったと推測される。そうなると、立場の弱い下級生に暴力を振るうことで発散する可能性は高くなるに違いない。

「そうだと思います。中学校まで普通にできたことができなくて、かなり縛られます。入寮してからの3ヵ月ぐらいは本当にしんどかった。帰省とたまの外出日以外はずっと寮にいるって感じでした。娯楽なんてほぼなかった」とSさん。友達に広陵野球部時代の話をするときは「刑務所」と表現しているという。

野球部内の「格差社会」

2番目の問題は「格差社会」であること。2025年度の広陵野球部員は160人台だが、Sさんの時代も全体の人数はほぼ同数。Sさんの記憶によれば、その年の1年生は64人ほどだったという。つまり1年生が60人強、2年生が60人弱、3年生は2年時にすでに引退し「学生コーチ」の肩書を持つ者を含む40人だった。

その160人が、A・Bチームに40人、それ以外のCとDにはそれぞれ60人ずつ振り分けられた。Sさんによると、試合に起用される候補になるA・Bチーム40人は、設備の整ったグラウンドで毎日練習する。だが、C、D合わせた120人は、そことは別の場所だった。

「CとDは空き地みたいな空間で練習していました。コーチ4人と監督はほとんど指導しません。たまにコーチがひとり(A・Bが使う)グラウンドから降りてくる階段の途中から30分ほど見ているくらいで。部員に声をかけている姿は見たことがないです」

練習を見るのは2年生の途中で現役を引退した3年生だ。きついランニングをさせたり、筋力や体幹トレーニングをさせては無理な回数を要求してきた。


「どこの部活もあったかもしれないんですけど、いわゆる上級生によるしごきです。もちろん『俺は雨天とかやらない』と言う良い先輩もいましたが、自分も含めてCとDにいる子たちが殴られたり蹴られたりしていました」

平等なプレー機会を与えられずヒエラルキー(階層構造)が色濃い組織では、下級生いじめのような歪みが生じることは当然だ。その歪みが、学生コーチという少なからず権威ある肩書きをもらった一部の3年生を暴走させたのではないか。

「自分が悪いから殴られても仕方がない」

3番目は「人権感覚の欠如」だ。Sさんに、上級生から暴力を受けることを当時どう感じたかと尋ねると「自分が悪いから仕方がないと思った。そのことが監督にバレて大ごとになるぐらいなら自分が我慢すればいいと思いました」と答えた。当時のスポーツ界はすでに「暴力根絶宣言」がなされていたというのに。

「そういう社会の動きも当時は知らなかったです。自分がいけないことをした、自分が悪いんだってことでもう頭がいっぱいでした。それに暴力はその日限りで、殴った先輩とかもその後は優しいですし。間違ってるとか、おかしいとも思いませんでした」(Sさん)。

だが、これはSさんだけの問題ではなく、ほかの部員も同様だっただろう。だからこそ、令和の今になって被害届が出されて警察が動くような暴力事案が複数顕在化したと言える。
ここまでのS氏からの情報について、改めて広陵高校サイドに確認する質問を送った。まず「S氏はスマートフォンやカップラーメンなどが禁止され、テレビも災害のときや広島の8月6日の式典しかつけられなかったと語っています。事実関係を教えてください」の質問については以下のような返事があった。

”2015年当時の野球部の規則と実情を確認いたしました。

・当時、携帯電話は寮自体への持ち込みを禁止しておりました。現在では、20時~21時の時間を定めて利用できるようにしております。
・食事は食堂で摂ることとしており、自室での食事全般を禁止しております。飲み物は自室でも可能としています。
・食堂と娯楽室に設置しているテレビは20時まで視聴可能としています。なお、8月6日の朝8時台は練習時間であり、練習中に黙祷の時間を設けるようにしております。”

カップラーメンに限らず、食堂以外でものを食べることは禁止 Photo by iStock
これに対しSさんは「20~21時は一番忙しい時間帯なのに(スマホを)さわれるのか」と懐疑的だ。10年前は午後の練習は16時から17時半まで、18時から食事、19時から自主練習、20時50分に点呼、21時に消灯という厳しいスケジュールだった。当時は携帯電話の寮への持ち込みは禁止されていたため「手元にスマホがあるのはうらやましい限りです」と話す。

練習環境の差異は

練習環境について尋ねたところ、広陵高校からは以下の返答だった。

”硬式野球部は、年度によって人数は若干変動いたしますが、全員が一箇所で活動することは難しく、能力に応じて課題や練習内容が異なることから、チーム分けを行っております。基本的にはAチームが野球部グラウンドを使用し、その他のチームが野球部第2グラウンド、室内練習場、学校内のその他のグラウンドを使用して練習しておりました(なお、練習内容や天候、その他の部活動との調整によってはこれらも変動があります)また、時期によってチーム間で部員の移動も行われておりました。 これらのそれぞれの練習場所にコーチがついておりました。監督を含め、Aチーム以外に対する指導がなかったということはありません。”

自身の「指導はほぼなかった」という説明とは異なる回答にSさんは、「監督やコーチが見に来ることはありましたが、ずっとへばりついていることはなかったです」と首をかしげる。さらに「主に学生コーチが指導していたので、もしかしたら引退した学生コーチもコーチのうちに入れちゃっているのかもしれません。僕自身は少なくとも、C・Dチームにいるときに大人のコーチに教えてもらったことはありません」と憤りを隠さない。

「監督が絶対なんだと思っていました」

Sさんに中井哲之監督について尋ねると「彼は“裏の校長”だと自分は思います。他の校長先生とかみんな逆らえないんじゃないかな。(中井氏は)自分が絶対的存在、もしかしたら神だと思っているかもしれません」と語る。

「監督が絶対なんだ。意見したり逆らっちゃいけないんだと強く思っていました」(Sさん)

今夏の甲子園大会途中で出場辞退をした後、学校側が野球部員やその保護者らに説明した際「質疑応答の機会を設けたが、質問はゼロだった」と校長は誇らしげに語った。しかし正常な組織であれば、わが子に対する暴力の有無や、学校側の責任を問う声が噴出して当然だと筆者は考える。

大勢の前で質問をすることも簡単なことではない。いわんや子どもが野球で不利になる可能性があることを考えると… Photo by iStock
それなのに、過去プロ野球に送り込んだ選手数が全国4位(「プロ野球選手を多く生んだ高校ランキング2024」2024.10.25ダイヤモンドオンラインより)など、輝かしい実績の前に大人たちは目を伏せ沈黙しているかのようだ。野球部の入り口である中学校と、出口である大学などと太いパイプを持つ実績のある指揮官は、少子化で経営が苦しい私立学校にとって貴重な存在に違いない。

「校長の会見では被害者に対する謝罪が一切なく、まるで自分たちが被害者であるかのように振る舞っていました。中井監督自身が出てきて説明し、謝罪すべきだと思います。上級生にいじめられたり、暴力を振るわれた生徒やOBに対して謝罪してほしい。自分がそういうチームにしてしまったことを、公の場で謝ってほしい」

Sさんの声は広陵や中井氏に届くだろうか。

☟選手名や得点が反映されないこと増加…高校野球西東京大会の主要球場、改修へ資金募る
https://news.yahoo.co.jp/articles/26ef2bd0c1062f5c78fd62aca87f0f426faa65f1

夏の全国高校野球大会の西東京大会で主要球場として連日使用されたスリーボンドスタジアム八王子(東京都八王子市営富士森公園野球場)のスコアボードの老朽化が進み、不具合が相次いでいることを受け、八王子市はクラウドファンディングで改修に向けた資金を募っている。

1956年に開場した同球場では長年、手書き式のスコアボードが利用され、2009年に現在の磁気反転式が導入された。市によると、数年前から電源を入れてもスムーズに起動しないほか、選手名や守備位置、得点が反映されないことが増えていた。交換用の部品も入手が難しく、新たにフルカラーLEDのディスプレーを導入する計画を立てた。

総事業費は約1億9800万円で、このうち1000万円の寄付を募る。オフシーズンの今年12月に着工し、来年3月に完成予定。
クラウドファンディングの募集期間は9月28日までで、返礼品のないふるさと納税として募っている。居住地を問わず、1万円寄付すれば記念銘板に名前を掲示でき、今月25日現在で約460万円が集まっている。

市生涯学習スポーツ部の佐藤晴久部長は「多くの人の思いが詰まった球場を未来へつないでいくため、皆さんの力を貸してほしい」と話している。
2025/08/28(木) 22時16分59秒 No.1980 編集 削除
7/27 岡山大会準決勝第2試合 倉敷MS 金光学園-関西 12:18~15:13

第2話 豪打の関西はどこへ???スモールベースボールに変貌した関西野球にガッカリ

    一二三四五六七八九十計HE
金光学園000030000 391 佐伯、妹尾浩、藤波、高橋-中川
関  西04030001X 8141 山吹、原田、山本-伊勢田
 
        第二試合  
        学 芸 館5
        岡山理大0

 さて、学芸館の完勝を見届け、4F席から2Fコンコースに移動して岡山駅弁食べてしばし休憩。夏場は風通しがよく日陰になるコンコースの木の椅子のテーブルが重宝される!!
続く第2試合はあの金光学園が登場。ノーマークだったがスルスルと勝ち上がり4強進出。創志は門馬監督に代わって夏は弱いみたいだし、倉敷商も姿を消した。ブラスバンドも来ているのでどうやらマスカットで金光マーチが聴けそうだ!

一方の関西は2011年夏に甲子園4強入りを果たし悲運の教育者・江浦先生が甲子園の主役となり、今後ますますの活躍を期待されたが、いつの間にか「いとこの浜田監督」に譲り総監督として隠居してしまった。。。。。その後、甲子園で関西を見ることもなく10年以上過ぎてしまい、いつしか監督も交代し藤井新監督が就任し久しぶりに夏の4強入りした。
やはり関西といえば豪快な打撃が看板で反面投手力に不安を抱え甲子園では終盤の大逆転負けが非常に目立っていたが・・・・・。

先発は金光はエース・佐伯。関西は10番・山吹だった。たっぷりとグラウンドに水がまかれ予定よりも3分遅い12時18分プレーボール。僕は前年秋に逃してしまった新倉敷駅界隈の散策をこの後考えていたが、やはり岡山の試合は異常に長く9時から2試合と言われても簡単に脱出できそうにもなかった。。。
試合は1回表金光が3番・三宅ストレートの四球をもらうもアウトは全部三振と変化球に全く合っていない感じだった。その裏関西はさっそく2安打放って好機を作るも2死1・2塁から5番・森本レフトフライに倒れ無得点。

2回表も金光はおとなしく攻撃を終え、その裏関西は先頭の6番・伊勢田がセンター前ヒット。藤井監督は定石通り送りバントのサインを出し1死2塁とここまでは分かるが、8番・山吹投手にも初球まさかのバントでこれが内野安打で1死1・3塁。従来の関西では考えられないような序盤からのバント攻勢に驚いた!9番・高森のスクイズが野選となり関西がさっそく先取点を奪い、1番・渡辺も初球バントと執拗な攻撃を見せ、カウント1-2から左中間突破のタイムリースリーベースで3点を奪い早々に相手エース佐伯をKO。さらに2番手・妹尾もセンター前タイムリーを浴び4点目と早々にコールドを意識せざるを得ない点差に、、、、、それでも藤井監督は容赦なく3番・松田にも1ボールからバントさせファールとこの回だけで何度送りバントやスクイズのサインを出したことか???江浦先生の頃とは全く違うチームカラーに驚きを隠せず、前年秋(2023年)は純白でなく漆黒のユニホームに変更していたようで https://www.youtube.com/watch?v=FqDGGU6o-0k

こうなるとコールド回避の為に金光学園の応援に走り3回表2本のヒットなどで2死1・2塁とチャンスを作り、3番・三宅の一打に期待したがライトフライで無得点。
その裏まさかの連続四死球で無死1・2塁とコールド街道を突き進むかに思いわれたが、バントに固執する藤井監督だったが、3番手・難波投手に交代し3-5-2のダブルプレー完成で結局無得点に終わりなんとか4-0で踏みとどまり序盤を終えた。ここで5分間の給水タイムが入り金光ナインが落ち着いてくれるといいのだが。

まずは1点を返したい金光は4回表1死から5番・金光が初球セーフティーバント。ファールになったが、追い込まれてからライト前ヒットで出塁。宰相監督は6番に難波投手が入っていることもあってか?2ボールからでも迷わず送りバントを選択し2死2塁と得点圏に走者を送ったがショートゴロで無得点。
その裏、関西は追い打ちをかけるべく連打で無死1・3塁として無慈悲に1塁走者盗塁を仕掛け、これがキャッチャー中川の悪送球を誘い3塁走者はもちろんのこと1塁ランナーまでホーム生還し6-0と差はますます広がり、金光はたまらず4番手・高橋を投入。それでも関西打線は勢い止まらず、2番・吉浦がヒットと盗塁を決めて無死2塁。藤井監督は6点差ついてクリーンアップだったが、なんと3番・松田にバントのサインを出しこれはキャッチャーフライに終わったが、4・5番の連打でもう1点追加しコールド圏内の7点差・・・それでも攻撃の手を緩めず、まさかのダブルスチール成功にスクイズで8点目を狙うも3塁走者ホーム憤死。結局5安打3盗塁仕掛けてインパクトある攻撃は3点でとどまったが、従来の関西野球と明らかに違う攻撃で戸惑いは大きかった。

なんとかコールド圏内から脱したい金光は5回表ようやく反撃開始。先頭の8番・中川がセンター前ヒットを放つとなりふり構わず送りバントで1死2塁。宰相監督はよほどのバント好きなんだろうか???
1番・勝楽がセンター前ヒットを放ち1・3塁とチャンス拡大し、ここでまさかの暴投が出て1点返した金光。金光マーチも流れて球場の空気が変わり、四球で1死1・2塁。3番・三宅の初球またもや暴投でピンチ拡大しまだ6点差あるが、藤井監督は14番・原田をリリーフ。しかし、左中間2点タイムリーヒットを浴び3-7とジワジワ追い上げてきた金光。
その裏、関西は先頭の原田投手が初球セーフティーをかましピッチャーフライ。直後にデッドボールを与えイヤなムードだったが、レフトフライに盗塁死で難を逃れグラウンド整備に入った。

ここまでは大きくチームカラーを変えた関西が2度のビッグイニングを作り強さを見せつけた半面、江浦監督時代からの悪しき伝統も顔を覗かせミスが重なり相手に反撃の余地を与えた。次の1点がどちらに入るかで展開が大きく変わりそうだ。
しかし金光はすでに4投手リレーしておりかなり苦しいが関西はまだエース・山本を残しており余力は充分。なんとか9回まで観たいと願っていたが、5回で1時間42分もかかり9回まで行けば3時間ペースに・・・・・。一応9時から2試合なんで14時頃には終わるつもりでノンビリ新倉敷散策のはずが切羽詰まってきた!!

6回表関西はついにエース・山本を投入して逃げ切り体制に入ってきた。いきなり先頭打者にヒットを浴び犠打エラーで無死1・2塁のピンチ招くも、ここからギアをあげて三振と内野ゴロ2つで無失点とエースの貫録。
その裏関西は2番からの攻撃で3度目のビッグイニングともなればコールドが見えてくるが、1死後四球で出た走者が盗塁死となり結果的に3人で攻撃が終わりやはり粗さが目立ってきた。

なんとか4点差を詰めて一縷の望みをつなぎたい金光は7回ヒットと死球で無死1・2塁と願ってもないチャンス!宰相監督はここもブレることなく送りバントでチャンス拡大を目指すも2球連続ファールで追い込まれ、ここまで2安打している金光のバットに託すも見逃しの三振。6番・高橋が初球ボール球に手を出し空振りするとすかさず攻撃のタイムを取って秘策を伝授するも3球三振など拙攻で無得点。
その裏関西はヒットと送りバントで1死2塁。ここで金光がタイムを取って落ち着かせようとするが、四球で傷口を広げホームランが出ればサヨナラコールドという局面。幸い、甲子園よりも広いマスカットスタジアムなんでフェンスオーバーは考えにくいが、、、8番・山本を2球で追い込みながらフルカウントまで持ち込みバッテリーは苦しみつつ連続外野フライで脱出。

金光打線に反撃する力は残っておらず後は8回裏の守りで2点差以内に収めて9回まで試合ができるかどうか???果たして1死から2番・吉浦にツーベースを浴び、暴投で3塁進塁を許し3番・松田はセンター前タイムリーヒットで5点差。4番・坂枝にストレートの四球を与えて気持ちが切れたかに思えたが、おそらくもう交代する投手はおらず高橋投手も最後の気力を振り絞りキャッチャーフライとセカンドゴロに抑えなんとか9回へ。

9回表2番からの攻撃だったが思い出代打がスライダーに三振。さらにサードゴロで簡単にツーアウト。4番・小寺も2球で追い込まれもはやこれまで・・・と思ったときにまさかの2打席連続デッドボール!!すかさず思いで代走まで投入したが、最後は3球三振で試合終了。なんと試合時間2時間55分とプロ野球並みのスローゲームだった。

試合終了15時13分であまりノンビリする時間も無くなった・・・。新倉敷のスーパー銭湯の位置を歩いて確認したかったが、それは来春(2025年春)ぶっつけ本番でやらねばなるまい。
振り返ってみたら、関西が新監督になってチームカラーを大幅に変えてなりふり構わず貪欲に勝ちに行き、金光を粉砕したという感じだった。しかし江浦先生の豪打の関西を知る僕としてはこういうチームカラーの関西高校に甲子園に出て欲しくはなかったので結果的に学芸館が優勝してなおかつ甲子園2勝したのでものすごく満足した。

足早にマスカット外周を1周し、新倉敷駅に到着。一応、新幹線も停車するが岡山駅と違いずいぶんこぢんまりとした駅舎だった。駅前には良寛上人の銅像があり、ここを南下して10分弱で岡山珈琲館。2023年秋に雨の影響で日程が狂い来れなかった悲願の新倉敷を堪能して優雅なひと時を過ごせた。今度は泊まりなんであの秋、出来なかったスーパー銭湯に入ってから岡山城近くのヤド入りを目指す。

そして地方大会も終わりいよいよ2024年夏の甲子園に突入・・・それはまた次回の講釈で。

チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 死球 三振 暴投 失点 自責
金光学園 佐 伯  1 1/3 10  26  5  2  0  0  0  0  4  4  
金光学園 妹尾浩   2/3  4  12  1  0  0  1  0  0  2  0
金光学園 藤 波  1   5  19  2  0  1  0  0  0  1  1 
金光学園 高 橋  5  24  76  6  1  3  1  1  1  1  1

関  西 山 吹  4 1/3 20  77  5  1  2  0  5  2  3  3  
関  西 原 田    2/3  4   9  2  0  0  0  1  0  0  0
関  西 山 本   4  17  64  2  1  1  1  5  0  0  0  
  
                     (完)

               🌟新シリーズのお知らせ🌟
      ここにかける、ここから始まる。 106回選手権観戦記
      8/7 初日第3試合 智弁学園(奈良)-岐阜城北(岐阜)
2025/08/27(水) 23時07分05秒 No.1979 編集 削除
📝「俺、広陵高校について何か言ったんですか?」甲子園監督の“広陵問題”への反応「コメントできないです」「じつは現場で異変あった」現地記者は見た
https://news.yahoo.co.jp/articles/7b095d5fdcfb5acbb8dbabc96e1f2873d40d2e26?page=1

仙台育英と沖縄尚学がぶつかる3回戦の前日、私は仙台育英が練習をしていた豊中ローズ球場にいた。仙台育英の監督、須江航にどうしても聞きたいことがあったからだ

記者の声「いい試合をしても広陵の記事に…」
 
その日は8月16日だった。広陵が出場辞退を決めたのは10日のことである。以降、ネット等では広陵に関する記事の量が一気に増えた。ある年配の記者がこぼしていた。

「どんなにいい試合をしても、広陵の記事に呑まれてしまう」

同感だった。たとえば10年後、2025年は広陵が辞退した年として記憶されるのは少しさみしいなと思った。こんなときこそ、広陵の辞退を上回る物語を期待した。ただし、関係者の口は重かった。全国制覇の経験もある元監督は「広陵のことはなかなか話せないですよね」と言った。すでに定年退職していて、それなりの実績がある人でさえこうなのだ。

現役監督、ましてや甲子園で戦っている監督はなおのことこの問題は敬遠するに違いない。ただ、唯一、あの人ならと思った。それが須江だった。須江は言葉を持っている指導者だ。須江なら広陵の辞退を上書きするような流れをつくれる、そんな勢いを生むメッセージを発信してくれるのではないかと思った。

仙台育英・須江監督「コメントできない」
 
用意してきた質問を順番にぶつけていき、ここだというタイミングで聞いた。「答えにくい質問だとは思うのですが」と前置きをしてから。しかし、「広陵の今回の……」と切り出したところでシャッターを下ろされてしまった。

「コメントすることじゃないですね。僕は把握してないから。申し訳ないです。大会中ではなくて、もっと何かを読んだり、聞いたりしてたらコメントできるんですけど、僕はほとんど把握してないですね。ネットで出ている真偽が不確かなことしか把握してないから、コメントできないですね。失礼になっちゃう」

軽々に論じられる問題ではない。それはわかる気がした。須江がこう言うのである。となると、他の監督がこの問題に言及するイメージは湧かなかった。

閉会式で高野連会長が謝罪も…
 
可能性があるとしたら決勝戦のあとだと思った。大会が終われば、しかも、そこまで大会を牽引した決勝進出チームの監督なら、総括という意味で何らかの言葉を残してくれるのではないかと思った。閉会式で日本高等学校野球連盟・会長の宝馨が広陵問題に触れ、謝罪するシーンがあった。これで少し聞きやすくなったと思った。決勝戦の後、沖縄尚学の宿舎で取材時間が設けられていたので、そのタイミングをねらった。ところが、意外な展開が待っていた。

監督の比嘉公也は周りの記者に「俺、広陵高校について、何か言ったんですか?」と聞いていた。どうやら某スポーツ紙の配信記事で、比嘉が試合後の囲み取材で広陵問題について言及したというニュースが流れていたようなのだ。比嘉は明らかに怒っていた。

「ひと言も言ってないんですけど。おかしいでしょ」
――何と言ったことになっているんですか? 
「わかりません。まだ読んでないので」

ただ、聞くならここしかないと思った。私はまずは自分の思いを語った。今年が広陵が辞退した年として記憶されることがさみしいと思っていたこと、しかし、戦後80年という節目に沖縄県勢が勝ち、沖縄尚学の年として記憶されるようになったのでは、と。比嘉は謙遜した「いやいやいや」その上で尋ねた。

――やはり、広陵について語るのは難しいですか? 
「ノーコメントです。ぜんぜん知らないですから」ピシャリと言われた。

帰りの電車で比嘉が広陵について触れていたとされている某スポーツ紙の配信記事を読んだ。比嘉の様子からすると、そこに書かれていたコメントは広陵問題に関して語ったものではないのだろう。本当に広陵問題について話した内容なら、1紙しか報道していないというのも不自然である。

消えた記事…広陵問題は話せず
 
そのニュースはすでにかなり拡散しているようだった。その状況を確認していると、異変が起きた。某スポーツ紙のタイトルをクリックしても〈指定されたURLは存在しません〉と表記されるようになった。そして、その他のサイトに転載されていた記事も次々と同様の表記が出るようになった。直後は、まだタイトルだけは検索できたが、今ではタイトルも消えている。ことの経緯はだいたい予想がついた。それにしても、ネット記事は怖い。こんなにも簡単に削除に応じるような記事を載せてしまうとは。

比嘉のコメントはそこまで乱暴なものではなかった。つまり、何を語るかではなく、現役監督が広陵問題について触れること自体のハードルが高いのだと思い知らされた。 

💢高野連、沖尚応援団の“伝統芸能”に禁止令「暴行には甘いくせに…」“間違いだらけ”の謎対応に募る批判
https://news.yahoo.co.jp/articles/5ffb375ea0f14c37abba3afa0d1dd7612b5101fc

今年も様々なドラマが生まれた夏の甲子園。全国の高校球児たちの頂点に立ったのは沖縄尚学高等学校だった。

沖縄尚学に起こった不測の事態

「沖縄尚学は夏の甲子園で初優勝。沖縄県では“沖尚フィーバー”が巻き起こり、決勝戦後の24日は那覇空港に大勢のファンが集まるほどの人気ぶり。7月23日から8月31日まで、『沖縄尚学高等学校野球部を甲子園に送る会』が行っているクラウドファンディングは2000万円を超える募金が集まっています。沖縄勢の甲子園優勝は2010年の興南高校以来、15年ぶりのことです」(スポーツ紙記者)沖縄県民を元気づけた沖尚。しかし、その裏では不測の事態があったという。

「21日に行われた準決勝・山梨学院の試合で、沖縄尚学側のアルプススタンドで応援していた『チョンダラー』が高野連から“顔のペイントや民族衣装は控えるよう”注意を受けていたそうで、大一番の決勝戦では『チョンダラー』の姿はなかったのです。これは甲子園が閉会後の27日に『沖縄タイムス』が報じたことで明らかになりました。

『チョンダラー』はエイサーという念仏踊りの演者で、沖縄の伝統芸能のひとつ。この『チョンダラー』の正体は沖尚の野球部OB会のメンバーだったそうです。同校を盛り上げるための応援ですし、何か迷惑行為があったわけでもないと思います。なにも辞めさせる必要はなかったのではないでしょうか」(全国紙社会部記者)

この報道を受け、ネット上では、

《「民族衣装を控えろ」なんて、あまりにひどいですね。文化の否定です》
《なんで民族衣装がダメなのかサッパリ分からん》
《ペイントはともかく民族衣装不可はおかしいだろう。法被や袴の応援団は許されてるのに。沖縄の民族衣装だけを不可にするのは差別だよ》

などの意見が上がるほか、

《暴行には甘いくせに沖縄の民族衣装を咎め立て。高野連、最低だな。》
《いじめは禁止しないのに…?》

というコメントも散見された。この“暴行”や“いじめ”は広陵高校野球部内で起こった事件を指していると思われる。

「甲子園出場を決めていた広陵高校野球部内では、上級生による“暴行事案”が発覚。暴行を受けた下級生は転校を余儀なくされる事態に陥っています。しかし、高野連が広陵高校に課した処分は、“厳重注意”まででした。

結局、広陵高校は2回戦を前に辞退していますが、高野連の対応は不十分だったと言わざるを得ません。そんな中で、今回の『チョンダラー』禁止令。高野連に再び批判が殺到している状況です」(前出・全国紙社会部記者)

『チョンダラー』禁止の意図は不明だが、“暴行”や“いじめ”をなくすことが先決なのではないだろうか。

☝福井商業高野球部1年の5人、「見事な連携」で高齢者保護…「おばあちゃんが助かってよかった」
https://news.yahoo.co.jp/articles/d1ceb252952668a8e177431fe09ee4c3ec573dc4

福井県立福井商業高のグラウンドに迷い込んだ90歳代女性を保護したとして、福井署は、同校硬式野球部の1年生5人に感謝状を贈った。

7月11日の夜、自主練習を終えて帰宅準備をしていた5人は、グラウンドに入ってきた女性を見つけた。駆け寄り、声をかけたものの会話がかみ合わなかった。
真下一郎さん(16)が部の副顧問に電話をかけて相談。指示を受けて真下さんら2人が近くの日新交番に向かった。残る3人は、警察官が到着するまでの約1時間、歩き続ける女性に付き添った。

今月21日に同校で贈呈式があり、真下さんは「おばあちゃんが助かってよかった」と笑顔。奥谷悠太さん(16)は「思い切って行動してみる勇気は野球にもつながると思う」と話した。酢谷精一署長は「見事な連携で保護してくれた」と感謝していた。


📝高校野球秋季三重県大会 組み合わせ決まる 全55チームでトーナメント シード枠・三重、上野と初戦
https://news.yahoo.co.jp/articles/a44844f323210f649edd7aa453ba11fa01643efb

来春の「センバツ」第98回選抜高校野球につながる第78回秋季東海地区高校野球三重県大会の組み合わせ抽選会が26日午後1時半から、三重県津市一身田上津部田の県生涯学習センターであり、各校の部長や監督らがくじを引き、組み合わせが決定した。大会は28日から県内各地で開幕。南地区でシード権を獲得した三重は2回戦から登場し、上野と対戦する。

これまでは北、中、南の3地区の予選を勝ち抜いたチームが出場していたが、今年から熱中症対策の観点などから盛夏に行われる各地区予選の試合数を減らしてシード校のみを決めることにし、大会は全校参加に変更した。松阪地区を含む南地区では三重と宇治山田商業がシード権を得た。
今大会は52校・3連合の計55チームが出場し、トーナメントで優勝を争う。1回戦は各校を会場に行い、2回戦以降は松阪市立野町のドリームオーシャンスタジアム(県営松阪野球場)など県内3球場で行う。決勝戦は9月28日午後2時から津市の津球場公園内野球場で行う予定。

大会では効率化と多くの選手に経験を積んでもらう目的で、事前の選手登録制をやめ、試合ごとに自由に選手を入れ替えられる制度を採用。
また熱中症対策として夏季と同様に2部制を導入し、1~3回戦は第1試合を午前9時(一部9時半)、第2試合を午後3時半からとする。9月23日からの準々決勝以降は第1試合を午前10時から、第2試合を午後2時から行う予定。
 
この日の抽選会は三重の西川明副部長(41)ら各地区のシード校による抽選の後、残りの各校がくじを引いていった。
上位3校は、10月18日からの東海大会(名古屋市など)の出場権を得る。さらに東海大会優勝校は11月20日開幕の第56回明治神宮野球大会(神宮球場)の出場権を獲得する。東海大会の結果は3枠あるセンバツの東海地区代表の選考材料となる。
 
県高野連の栗谷佳宏理事長(63)は「今大会は新しい方式で県大会を行うので、全校の選手が試合を通して互いに高め合い、まずはセンバツを目指してもらいたい。三重県の底上げの大会となることを期待します」と話した。
 
1回戦は観戦無料。2回戦以降は当日券は各球場で販売。一般700円、高校生は生徒手帳の提示で200円、中学生以下は無料。準々決勝以降の一般はインターネットで事前販売も行う。千円で当日券よりも球場内に30分早く入場できる特典が付く。問い合わせは県高野連℡059(271)7689へ。

📝「戦闘開始」魔曲が起こした甲子園の奇跡〈9回2死4点差から逆転サヨナラ〉東邦エース・藤嶋健人が語る「7イニング制なら負けていた」あの激闘
https://news.yahoo.co.jp/articles/aa26a80e26c52aed1c529a5a31402bb919a05cd4

真夏の甲子園に「戦闘開始」が鳴り響いた。智弁和歌山の「ジョックロック」や、市立船橋の「市船soul」と同じく、高校野球ファンならおなじみの“魔曲”である。しかし、オリジナルの東邦は、出場していないはず。実は野球部は愛知大会の決勝でタイブレークの末に敗れたが、マーチングバンド部とバトントワリング部は友情応援のためにアルプススタンドにやってきた。

依頼したのは豊橋中央。準決勝で愛工大名電を、決勝でも東邦という愛知では「私学4強」と言われる常連校を振り切って、春夏通じて初の甲子園出場を決めたが、同校の吹奏楽部は数人しかおらず、大舞台での応援はままならない。そこで応援の応援を依頼。東邦も快諾し、両部でおよそ75名が駆けつけた。

“魔曲”を知らしめた試合
 
「We are!」の大合唱で始まる名物応援歌は、球場の空気を変え、逆転を呼ぶことから魔曲のひとつに挙げられる。その恐ろしさが実証された試合がある。
2016年8月14日。東邦は八戸学院光星との2回戦を戦っていた。エースで4番で主将。1年生のときから甲子園を経験し、投打ともにチームの大黒柱だった藤嶋健人だが、3回途中で4点を失い、マウンドを降りていた。2番手も打たれ、8回を終わって9対5。敗戦はすぐそこに迫っていた。

「あの回が始まるときから、応援はすごかったんです」と藤嶋は回顧する。控え部員や保護者だけでなく、マーチングバンド部やバトントワリング部にとっても「最後の応援になる」という思いはあったことだろう。1番から始まる好打順。目の前を打つ3番打者のタイムリーで、3点差に詰め寄った。藤嶋に回せば何とかなる。仲間はそう思ったはずだったが、藤嶋の打球はセンターのグラブに収まった。
「ああ、やっちゃった。高校野球、終わっちゃったな……。そう思ったことを覚えています」

「体験したことのない空気に」
 
あきらめた顔はしないが、心の中ではあきらめていた。無理もない。2死一塁。相手も大きな山を越えたと感じていたことだろう。しかし、ここから試合は動いた。いや、球場が動かしたといってもいい。5番がヒットでつなぐ。この時点で光星側のアルプススタンドを除く大部分の観客が「東邦ファン」と化し、タオルを回していた。

「いやもう、すごい雰囲気になってました。みんなが僕たちを応援してくれている、みたいな……。体験したことがない空気になっていましたね」

6番のタイムリーで2点差。あとアウトひとつなのだが、高校生には過酷なムードになっていた。捕手はタイムを要求したが、すでに守備側のタイムの回数は使い果たしており、伝令を出すことも集まることもできなかった。7番の二塁打で同点。そして8番がサヨナラ打。壮絶な幕切れだった。

7イニング制なら負けていた試合

「応援がなければ、吹奏楽というものが野球になければ、僕たちは負けていた」

藤嶋は魔曲の恐ろしさを肌身で感じている。2死一塁まで追い詰められながら、奇跡の4連打で逆転サヨナラ。人生でめったにない体験をした藤嶋に、ぜひとも尋ねたいことがあった。この試合は7回終了時点では9対4。高野連が検討を進めている7イニング制への移行後なら、奇跡など起こらずあっさりと終了していたことになる。

「僕たちがああいう試合を勝てたからではなく、7イニング制には反対ですね。やっぱり野球は9回っていう思いが強いですし、僕のようにプロではなくても、大学や社会人に進んで野球を続ける子にとっては、やっておく方がいいと思います。そうじゃなく、高校で終える子にとっても2イニング短くなると、控えの子が出る機会もそれだけ減ってしまう。もちろん暑さ対策、夏場対策はより必要ですが、7回はどうかなと……」

「野球そのもののスタイルも変わる」
 
ちなみに今夏は49代表が初戦を終えた第8日までの25試合で「7回終了時にリードしていた側が負けた」のは、1試合しかない。9回に追いつき、タイブレークで綾羽が高知中央を振り切った試合である。もちろん7イニング制を採用しても最終回の大逆転はあるだろうが、9イニングを維持することは、1人でも多くの部員の出場機会を確保する上でも意義がある。さらに藤嶋は続けた。

「野球そのもののスタイルも、間違いなく変わりますよね。4番より1、2番を打たせて打順が回りやすいようにするでしょうし、エースは完投の野球に戻るかもしれません。もちろん変わることが悪いと決めつけるわけではありませんが」

変わるものと「変わらぬ伝統」
 
7イニング制&DH制になれば、第2、第3の藤嶋は「1番・DH」で先発マウンドに上がることになりそうだ。

「指名打者に関しては、出られる子が増えたり、二刀流がより広がったりと、いいことだとは思います」

あの大逆転があった9年前を最後に、東邦は夏の甲子園から遠ざかっている。タイブレーク、投球数の制限、継続試合、低反発バット、そして指名打者制。この間に高校野球は改革と変化を続けている。激動の9年間。“魔曲”の後押しを受けた豊橋中央は、惜敗で甲子園を去ったが、その背中には温かい拍手が降り注いでいた。敗者を称える。その文化だけは変わらぬ伝統であると信じたい。

⚾岩手さんへ
連合チーム勝ててよかったですね!まだ夢が少しつながりましたね。対戦相手も新チームでまだチームの骨格が定まっていない中での対戦で、監督さんの采配で勝利に導いたのかも!?

僕などはつい先日まで甲子園の選手権大会にどっぷりつかっていたので、新チームのことは全く分かりませんが、すでにセンバツ絶望というチームも多数出てきていますね。
秋の抽選もチラホラ決まってきました。三重・滋賀が異常に早いですね。負けたら8月末に冬に入ります・・・・・。

三重の二部制はどうやら3回戦までのようで、準々決勝以降はかなりゆとりができますね。約2時間インターバルあるだろうから、外出してゆっくり飲食店で過ごせそうです!この秋は行く予定なく11月22日の三重愛知交流試合までゴブサタですが。

審判員も大変だと思います。適度に給水させてもらえますが、県大会でも誤審疑惑がありしばし中断するシーンもありますから・・・。

P・S ようやく止まっていた観戦記も着手できました。ブログ更新も怠ってましたが、当初の狙いは達成できたので新作投入していきます。
2025/08/27(水) 22時30分06秒 No.1978 編集 削除
今日は母校を含む連合チームの敗者復活1回戦を観戦してきました。
 初戦5回コールド負けだったし今日も良くて7回コールド負けを覚悟の観戦でした。
結果は、なんと勝ってくれました!
相手のチーム事情で捕手→遊撃手、右→投など部員数12人でやりくりで、母校側には、盗塁全部成功し、得点に絡む事が勝ちにつながった。
 試合後チーム反省会してから、今度は各学校ごとにやっていました。
 帰りは方角もバラバラなので、学校ごとに帰っていったみたいです。
 あとはこの試合に塁審で出ていた人が多分高校の同級生じゃないかな?役員の人に名前の確認したらあっていたので多分本人じゃないかと。
 前に球場で会った時は審判員のことは聞きませんでしたね。
2025/08/27(水) 22時00分01秒 No.1977 編集 削除
📝第78回秋季東海地区高等学校野球三重県大会組みあわせ表
https://mie-kouyaren.com/wp-content/uploads/2025/08/7efdc86bb8d974245f49e44b11b97508-2.pdf

📝令和7年度 秋季近畿地区高等学校野球滋賀県大会組みあわせ表
http://www.biwa.ne.jp/~shigafed/pdf/R07_at_koushikiyama.pdf

💢選抜準V経験・長沢監督が指導停止 故障中の部員出場を厳しく注意、進退は未定
https://news.yahoo.co.jp/articles/81b4e75ad4891ec4f7bc3d465f503484818085e4

高校野球で春夏通算7度の甲子園出場経験がある篠山産(兵庫)の長沢宏行監督(72)が部員1人に体罰を働き、学校から指導停止を命じられていることが26日、分かった。同校は21日に兵庫県高野連に報告しており、日本高野連や日本学生野球協会による処分を待った上で同監督の進退を判断する。

同監督は、7月10日に学校で行われた紅白戦で故障中の投手が登板しようとしたことを注意するため、当該部員を正座をさせて鼻付近を叩くなどした。複数の部員が一連の体罰を目撃しており、同監督も事実を認めたため、学校は同23日付で指導を停止させた。今月17日に初戦を迎えた秋季兵庫大会地区予選には、硬式野球部顧問を代理監督に据えて出場している。

長沢監督は神村学園(鹿児島)を05年春の選抜大会準優勝に導いた。創志学園(岡山)では甲子園に春夏通算6度出場し、西純矢(現阪神)や草加勝(現中日)らを指導した。篠山産の監督には22年10月に就任し、同校初となる甲子園出場を目指していた。

長沢監督が務める丹波篠山市の「スポーツ振興官」としての職務についての今後も未定。

💢神村学園・女子硬式野球部 50代男性監督 酒気帯び運転で摘発 部員を乗せバスを運転
https://news.yahoo.co.jp/articles/b795d4f4418f96ca473de3dc95edc57a475e3b01

いちき串木野市の神村学園高等部・女子硬式野球部の50代男性監督が8月23日、遠征先の京都で部員を乗せマイクロバスを運転中に酒気帯び運転で摘発されたことがわかりました。監督は現在、自宅待機となっています。

神村学園高等部によりますと、8月23日の朝、京都に遠征中の女子硬式野球部の50代の男性監督が酒気帯び運転による摘発を受けたと、警察から学校に連絡がありました。

当時、この監督が運転するマイクロバスには女子硬式野球部の17人が乗っていて、部員以外に引率の職員は監督が一人で、鹿児島へ帰る途中でした。

監督は学校の聞き取りに対し、前日に飲酒していとことを認めていて、校務で職員が運転する際に義務づけられたアルコールチェックをしていなかったということです。

学校では、現在この男性監督を自宅待機としていて、8月31日、保護者向けの説明会を予定しています。学校は「事態を重く受け止め、再発防止に向け、しっかりと対応していく」とコメントしています。

💢【広陵野球部・暴力問題で被害者父が告白】中井監督の退任後も「学校から連絡なし」…ほとぼり冷めたら復帰する可能性も 学校側は「警察の捜査に誠実に対応中」と回答
https://news.yahoo.co.jp/articles/064eb2fe742cb4972700e9b2e56374973e500b6d

沖縄尚学の優勝で幕を閉じた今夏の甲子園。大会期間中、大きな関心を集めたのが広陵高校の暴力問題だった。「不祥事による大会途中での出場辞退」という史上初の事態となり、広陵高校は決勝直前に中井哲之監督の「交代」を発表。当事者はどう受け止めたのか。被害を受けた生徒の父親に取材したノンフィクションライターの柳川悠二氏がレポートする。

更迭ではなく、交代。引責辞任ではなく、ただの退任。野球部の監督こそ離れるものの、広陵の副校長や理事に関しては留任――。

夏の甲子園がいよいよクライマックスを迎えようとしていた準決勝の日(8月21日)、高校野球における広島の名門・広陵高校は甲子園通算41勝を誇る中井哲之監督が退任し、同校のOBである松本健吾コーチに監督を交代すると発表した。しかし、その理由は「本校硬式野球部をめぐり多くのご意見をいただいている状況」を踏まえたとしか説明せず、中井監督のコメントもなかった。

また、現1、2年生による暴力やいじめがなかったことを確認し、新たな体制で来春のセンバツ甲子園につながる8月23日からの秋季大会に出場するとした。広島県高野連も声明文を発表、広陵に対して「被害者及び被害者家族に対して丁寧な対応と説明を行なうこと」といった複数の指導内容を提示した。
この決定に、呆れに近い感情を抱いているのが今年1月に硬式野球部内で発生した集団暴行事件の被害者A君(当時、1年生)の父親だ。A君の父親は広陵に対して、中井監督および堀正和校長の謝罪会見と、再発防止策の徹底を要求していた。A君の父親は今回の対応についてどう受け止めたのか。

「学校として、とりあえず中井監督に責任を取らせました、という事態を収束させるための一時的措置のような気がしてしまいます。引責辞任だという発表もしなかったため、副校長として野球部に影響力を持ち続けるのでは……」(A君の父親。以下同)

そう言って声を落とした。確かに、監督の責任については言及せず、引き続き学校の理事兼副校長を続けるとなれば、ほとぼりが冷めた頃を見計らって、野球部に復帰する腹づもりだろうと勘ぐってしまう。新しく監督となった松本氏は、5人いたコーチのなかで、中井監督の長男で部長だった惇一氏に次いで若く、広島の高校野球に詳しいメディア関係者によると、「副部長という立場だが、これまで中井監督の後任の人事として名前が挙がったことのないコーチ」だという。さらに惇一氏に代わって部長に就任したのはこれまでバスケットボール部の顧問をしていた瀧口貴夫氏だ。

「関係者に新監督のことを聞くと、生徒の受けが良いコーチだそうです」

両者の就任によって野球部の風通しは良くなるだろう。しかし、当たり障りのない人事にも見え、長期的視野に立って名門野球部の再建を託す人材登用とも思えない。実際、中井監督の退任発表後、スポーツ紙などの取材に対して同校の事務局長は復帰の「可能性はゼロではない」と応答したと報じられている。63歳になる中井監督やその長男であり、近い将来の監督就任が噂されていた後継者の惇一氏が現場に復帰するまでの「つなぎ人事」とも考えられる。

「中井前監督は記者会見を最低限、実施してほしい」
 
広陵が今夏の甲子園1回戦勝利後に出場辞退に至ったのは、A君の母親がSNSで問題を書き連ねたことを発端に、さらなる3年生の被害者(B君)の母親がやはりSNSを通じて被害を訴えて大騒動に発展したことが挙げられた。広陵が1回戦の旭川志峯(北北海道)戦に勝利した8月7日の夜には、日本高等学校野球連盟が別事案としてB君側から情報提供があったことを認め、広陵は8月10日になって会見を開き、2回戦以降の出場を辞退すると発表した。

そして筆者がA君の父親の独占インタビューを行ない、被害者側の訴えの詳細を綴るとともに、今から10年前の部内で暴力の被害などを受けた被害者の声などを報じ、中井監督のハラスメント行為の疑いや責任を問うた。そうした流れのなかで、世論が大きく動いていった。一連の問題をめぐっては、被害者側の訴えと、広陵高校側の主張の隔たりが大きい。捜査当局や第三者委員会がどう判断するかを待つ必要がある部分もあるが、それにしても広陵高校側は問題に真摯に向き合ってきたと言えるのだろうか。この問題が騒動となって以来、学校からA君の父親に連絡は一度もない。

「私たちは広島県警に被害届を提出していますが、学校の対応として息子の件は“終わったこと”として捉えられているような気がしてなりません。もう二度と、息子やその後に明らかになったB君のような被害者は出てほしくない。そのためにも、監督自ら公の場で再発防止策について提案するような記者会見を最低限、実施してほしいと思います」

中井監督が“退任”してもなおこうしてA君の父親が口を開くのは、広陵だけの問題で終わらせるのではなく、高校野球が抱える長年の課題を少しでも改善したいという思いがあるからだ。

「広陵で行なわれていたような部員間の暴力行為や、監督・部長らによるパワハラ行為は、少なからず高校野球の世界にはある。監督の退任だけで終わらせるのではなく、文部科学省や日本高野連に動いてもらい高校野球の寮制度の問題点や高校野球のルールを見直すきっかけとなればと思っています」

広陵高校に、中井監督の復帰の可能性について問うと「一切未定です。事務局⾧の取材対応についてもその趣旨の回答をしたものです」と回答した。事務局長の取材対応とは、前述したように復帰の「可能性はゼロではない」とした発言のことだ。そして県高野連が被害者へのケアを指示した声明文が出たにもかかわらず被害者家族に連絡を入れていないことについては「現在、警察に被害届がなされ、捜査がされておりますので、その捜査の対応を誠実に行っております。また、A君(註・文面では本名)の案件についても第三者委員会による再検証を実施する予定です。事実確認が中立公正に行われるよう、それまでに本校から接触をすることは不適当と考えております」と説明した。

A君と保護者への謝罪の場を設ける考えがあるかを尋ねると、「前提となる事実関係の再検証と確定なしに説明をすることは適切でないと判断しております」とし、中井哲之氏が出席する記者会見も「予定しておりません」との回答だった。

中井監督の“無言”の退任では、事件の幕引きとはならないだろう。

💢《広陵・暴力問題》高野連トップが謝罪 & 中井哲之監督の離任発表も…被害者父が明かした“広陵大炎上”の舞台裏「学校側の対応には不信感しかない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/58ce1f4c877e343e97fe830b2573092b90261f9c

沖縄尚学の初優勝で幕を閉じた今夏の甲子園。日本高野連の宝馨会長は、閉会式の大会講評で出場校の健闘を讃えたのち、こう切り出した。

「最後に、日本高等学校野球連盟会長としてお伝えしたいことがございます。今回、代表校が大会途中で出場辞退するという事態になり、各方面にご迷惑とご心配をおかけいたしました。日本高校野球連盟としては、今回の事態を大変深刻に受け止めております」

全国中継された高野連トップによる異例の“謝罪”。念頭にあるのは、暴力事案の発覚を機に、勝ち進んでいる状況にありながら甲子園を去った広島の広陵高校だ。不祥事による途中辞退は大会史上初。107回大会の不名誉なハイライトとして、甲子園の歴史に刻まれることになる。

全ての発火点は、甲子園開幕直前の7月下旬、元広陵球児Bくんの母親がInstagramに投稿した悲痛な告発だった。

高校野球名門校で、集団暴行を受けました。やっとの思いで転校できましたが、学校側、監督、保護者からの正式な謝罪など一切ありません
暴行に関わった選手たちも何もなかったかのように、春夏と試合に出ています。

21日には中井監督の離任を発表
 
投稿では校名などが伏せられていたものの、その詳細な内容は、瞬く間にSNS上で拡散。8月6日、広陵と高野連が投稿の前提となる暴力事案の存在を認めると、時を置かず、別の野球部員Cくんも部内の暴言・暴行被害を告発した。同時期、「週刊文春」は独自に、 部内暴力で一時、右半身麻痺に陥った元広陵野球部のAさんに接触している 。そして騒動が鎮火不能の “大炎上”を続ける同10日、広陵は甲子園から姿を消したのである。さらに同21日、野球部を35年にわたって指揮してきた監督の中井哲之氏(63)、同氏の長男で野球部長だった中井惇一氏(30)の離任が発表された。
甲子園が閉幕した今、Bくんの父親があらためて「 週刊文春 」の取材に応じた。

「これまでの経緯を妻がSNSで投稿することに、僕は当初反対していました。ただ、一連の広陵側の対応には不信感しかなく、何ごともなかったかのように、時間だけが過ぎていく。その状況に無念さが募っていきました。名門といわれる野球部で何が起きていたのか。それを知っていただきたい一心で、最終的にはやむを得ず、妻のあの投稿に至ったんです」

名門野球部はどこで対応を間違ったのか――。Bくんの父親が明かした舞台裏からは、被害者側の心情を軽視した広陵の不誠実さ、身勝手さが浮き彫りになってくる。

☟夏の甲子園「ネット裏怪情報」
広陵辞退騒動だけじゃない!「監督が子供を血だらけに」…熱戦の裏で飛び交った“怪文書”
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/376611

今夏の甲子園では広陵(広島)で部員による部内暴力が発覚、2回戦から出場を辞退。SNSでは同校や甲子園に爆破予告が届くなど大騒ぎになった。

部内暴力は被害者の保護者からの告発により明らかになったが、高野連の宝会長は暴力やハラスメントなどの不祥事事案に関して10日の記者会見で、「本当に細かいものから報告してもらって年間1000件以上になる」と話した。高校の野球部はまさに不祥事の巣窟といえるが、実際、表沙汰になっていない“事件”は少なくない。今夏甲子園に出場した高校には昨夏、ある告発文書が届いた。

「○○監督が子供を血だらけにしている」

差出人はその高校の「OB有志」。学校が調べると、そうした事実は一切なかった。その監督は部員に怒鳴ることはあっても、手を上げた形跡はない。そのまま放置していると今度は、「証拠はある。監督をクビにしなければ、動画、写真をばらまく」と警告文が送られてきたという。

実際に監督が部員を血まみれにするほどの状況なら、甲子園の出場などままならない。当の監督に話を聞くと困惑しきりだったが、現体制を引きずり降ろしたい一部OBの嫌がらせだともっぱらだ。

☟夏の甲子園「ネット裏怪情報」
甲子園出場校監督を悩ます薄給事情…「給料上がっても、結果が出なければクビ」、初出場で「一時金10万円だけ」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/376614

「給料が上がらないんですよ……」甲子園に出場した複数の監督がこう言ってボヤいた。

甲子園出場は学校にとって最大の名誉。にもかかわらず、40歳以下の中堅、若手世代の監督の中には、薄給に頭を悩ませるケースが少なくない。
教員ではない事務職員の某出場校の監督は「無期雇用から有期雇用にする代わりに、給料を上げてもらいました。結果が出なければクビ。いわば賭けです」と明かす。

監督の給料は学校によって大きく違う。ある強豪校監督が言う。「監督同士で給料の話題になることも少なくないんですが、甲子園出場の実績がある強豪校のベテラン監督は5年契約で年収1200万円。教員として年功序列で給料が上がっていけば、50歳で年収1000万円という学校もある。一方で、ある40代の出場校監督は月収40万円程度。奥さんと子供を抱えており、奥さんに頭を下げて、パートに出てもらっていると聞きました」

関西の某甲子園常連校の監督は甲子園出場で1000万円のボーナスが出るというが、西日本の初出場校監督は「一時金で10万円だけ頂きました」と苦笑いである。

薄給をグチる監督が率いる高校は得てして生徒集めにもシブチン。10年に1度、甲子園に出られたら御の字だ。甲子園常連校を目指す学校はひとまず、監督の給料から見直したほうがいいか。

📝4連覇狙う中京 頼れる1年生・酒井輝馬が突破口 高校軟式野球
https://news.yahoo.co.jp/articles/d187cffaaa4defe538759385a1fa4d4d2b0523e6

◇第70回全国高校軟式野球選手権大会(26日・明石トーカロ)
◇○中京(東海・岐阜)16―0東洋大牛久(北関東・茨城)●

終わってみれば中京の大勝だったが、三回までは互いに無得点の緊迫した展開だった。突破口を開いたのは、中京の1年生右翼手・酒井輝馬だった。

四回2死二塁で左打席に入った酒井は、内角寄りの直球に狙いを定めた。前回登板した1回戦で無安打無得点試合を成し遂げた相手先発・野田鴻志が左打者に対して効果的に使っていた球だ。
4球目、狙い通り内角に来た直球をしぶとく右前に運ぶと、均衡を破る適時打に。「狙っていたところに来たので信じて振るだけだった。チームの流れにもつながったと思う」と笑顔を見せた。この先取点が呼び水となり、打線は続く五、六回で一挙15点を奪った。

酒井は幼い頃から軟式野球に取り組み、「日本一になりたい」と中京へ。先に入部していた1学年上の兄から「厳しい環境だとは聞いていた」というが、覚悟の上だった。
達成すれば史上初となる大会4連覇に向けて「先輩が頑張っているのに後れを取るわけにはいかない。1年目でも、できることは何か考えながらやっている」と酒井。偉業を目指すチームにとって頼もしい新戦力だ。

⚾岩手さんへ
僕は朝ドラを一切見ないので何とも言えませんが、、、、、WBS和歌山放送の高校野球解説者の一員である清水 昭秀さんの息子さんはものすごく迫力ありますよ!!あのバッターが7番打者なんで怖い打線ですね。高嶋先生時代は線の細い選手が多かったですが、、、、、ナカタニ世代の2つ下で97年メンバーに入っていた3人の1年生はいずれも小兵でしたね。その中の一角の川崎遊撃手は明豊で監督として活躍されてますが。佐々木三塁手は少年野球の指導をされているらしくユーチューブでたまに見ました。福地捕手は全然分からないですね。

とりあえず、クリーンアップ全員旧チームのレギュラーだったし、ブルペンで3人ほど練習していたので投手層も厚いと思います。初芝橋本には少し期待しており、コールド回避できると期待してましたが・・・・・。4点ビハインドでスクイズ敢行というコールド回避に向けた最善策が失敗し、7回まさかの7失点で撃沈しました。。。。。評判の1年生サウスポーは130km台に届かない直球とスローボールを操る技巧派でしたが、とにかく投球間が長くやたらけん制投げまくってましたね!

田辺工は3年が引退して部員不足に陥っているはずです。あの向陽(海草中学)ですら12人ですから・・・・・。古豪対決となった海南相手に10回3点差をひっくり返す大逆転サヨナラ勝ちを見れただけで紀三井寺に行った甲斐があったかなと。ただ、早朝は雨降っていたし、帰りはなんばの喫茶店出たらゲリラ豪雨で京阪電車全線ストップとか!!

今日は明石に軟式選手権観戦に行きましたが、朝方は加古川を中心に雨雲レーダー真っ赤で・・・。兵庫県内では気温が低いはずの明石ですが今日は34、1度あったらしく屋根もないのでメチャクチャ熱かった!!
こういう時に限って試合が長く、2時間35分・2時間22分でようやく15時21分終了・・・西二見の喫茶店で打ち上げするつもりがラストオーダー16時ゆえに15時08分の電車に乗りたかったが、、、、、断念。

軟式はあまり点数が入らないはずですが、16-0と。3回まではほぼ互角でしたが、、、、、5回終了クーリングタイム時に近所のマックスバリューまで足を運びかき氷買っておりました。
明石公園すぐそばの弁当屋で450円のサービスランチ買って外野芝生席の木陰で食べたりといつもと違ってスコア付けないのでノンビリしてました。

ちなみに4氏審判は従来の濃紺帽子で3・7回終了時に2分ほど給水タイムあり、5回終了後は8分間のクーリングタイムにノックは7分間でした。

次は金曜日に倉敷マスカットまで足を伸ばしてリニューアル工事直前のマスカットで大学野球3試合観てきます。

それから三重に関しては事前に8/16~23までに3地区でシード決め大会が開催され、その後秋季大会トーナメント一本化の様ですね。
しかし三重は球場に行って普通に当日券買えるので問題ないですね。どうやら手数料300円か払って前売り券買えば30分早く入場できる特典があるらしいですが、僕のように試合開始間に合うかどうかのタイミングで球場に入るものに関しては関係ないですね。

P・S 長澤監督が指導停止処分を喰らったらしいです・・・。たしか神村の時にも同様の件で解任されて岡山に異動したはずですが、、、、、
創志の前は環太平洋大の監督をされていたらしいので、あるいは大学に戻るのか?原点のソフトボール指導に戻るのか・・・・・。
外見はおとなしそうに見えますが、日体大OBだし相当な熱血漢なんでしょうね!
2025/08/26(火) 22時24分01秒 No.1976 編集 削除
 智弁和歌山のドカベン君スゴカね!選抜大会でDHの申し子になるちゃね
たまるか。朝ドラの方言にはまっているのでね。
 甲子園で優勝出来るチームが相手だからね!夏のメンバーと入れ替わっているが、互角に戦えるの数チームでしょうから、田辺工は智弁和歌山と試合は、強豪相手に経験なのか、やはりしたく無いか。後者!

三重は地区予選廃止なの?
三重も愛知よりの桑名、和歌山よりの尾鷲や熊野、名張などは移動距離があるじゃないないの!
三重も愛知もネット販売に舵を切っている感があるね。
交流戦の影響?ないと思うけどね。
岐阜はやっていないみたいね。

たしか紀三井寺に足を運んでいるだったね。
お疲れ様です。
2025/08/26(火) 21時18分57秒 No.1975 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
⚾今日の和歌山大会会新人戦試合結果(5日目 3回戦)
紀三井寺球場・・・高 野 山4-0和歌山北・和 智 弁12-0田 辺 工(5回)

📝智弁和歌山のおかわり君こと186センチ、100キロの清水大夢、DHでセンバツ目指す
https://news.yahoo.co.jp/articles/5addeafb500d26290d30f9d29dadb944b3afd2ba

◆和歌山県下高校野球新人戦 ▽2回戦 智弁和歌山12―1初芝橋本(25日・和歌山市紀三井寺)

目を見張る存在感を放った。智弁和歌山の新人戦初戦、「7番・一塁」で出場したのは清水大夢(2年)だ。初回2死一、二塁で背中に死球を受けても、淡々と一塁へ歩いた。「打席を重ねるなかで修正できなかった」。チームは12得点で7回コールド勝ちしたものの、2打席目以降も四球、一邪飛、二ゴロ。反省を口にしたが、186センチ、100キロの巨体は圧巻だった。

自慢の体躯をつくったのは白米だ。寮生ではなく、実家から同校に通っている。「毎朝3杯くらい無意識で食べている」。生まれた時は2200グラムの未熟児だったものの、よく寝てよく食べて、ここまで成長した。

父・昭秀さん(45)は同校OB。中谷仁監督(46)とは同級生で、1997年の夏の甲子園決勝ではバッテリーを組み、胴上げ投手となった。「お父さんと同じユニホームを着て試合に出ることが、物心ついたときからの夢だった」と母・亜紀さん。今春のセンバツは決勝の横浜戦に代打で出場したが、今夏はベンチ外。試合に出られない悔しさが糧となっている。

中谷監督は「打撃にしか期待してない。今後、DHだろうなという見立て」と来春から導入される新ルールを見越し、長打力に期待を寄せた。「一発があるバッターになりたい」。令和のおかわり君は、父が沸かせたあの舞台で特大アーチを放つ。

📝秋季東海地区高校野球三重県大会、28日に開幕 地区予選せず、26日抽選会
https://news.yahoo.co.jp/articles/76536170284f7def33fec063bf008660749ebd75

来年春の甲子園につながる、第78回秋季東海地区高校野球三重県大会が28日に開幕する。今年から地区予選を行わず、全出場校が参加するトーナメント方式で実施される。24日現在62校55チームが出場を予定している。

組み合わせは26日の抽選会で決まる。事前に行われたシード決定戦の結果、今月甲子園球場で行われた全国高校選手権に出場した津田学園と四日市、桑名西=以上北地区、神村伊賀、近大高専、久居農林=以上中地区、三重、宇治山田商=以上南地区=の8チームはシードされて出場する。

🎤14年ぶり甲子園にカムバックの“やくざ監督”…広陵問題で「陰から文句を言うのは卑怯」発言の真意は? 73歳の最年長指揮官が「野球は素人」と語るワケ
https://news.yahoo.co.jp/articles/6b0fed51be965039744d1289db96949d36a7a15a?page=1

沖縄尚学の初優勝で幕を閉じた今年の甲子園。一方で、勝ち残った高校以外にも注目を集めたチームも多かった。島根・開星高の野々村直通監督もそのひとりだ。かつては「失言騒動」も引き起こした自称“やくざ監督”が、14年ぶりに甲子園に帰ってきた。果たしてそこにはどんな紆余曲折があったのだろうか。

「うちはぶっちぎりで勝つか、ボコボコにされて負けるかなんでね」

野々村直通は自身が率いる開星のカラーについて、はっきりと白黒をつけた。夏の島根大会だけを見れば、確かにそうだ。

26-2と大勝した松江南との決勝戦を含め5試合中3試合が2桁得点。立正大淞南との準々決勝で6-3、大社との準決勝では2-1と接戦をものにしてきた粘り強さもあったが、ぶっちぎりで勝ってきた印象が強い。その開星は、甲子園初戦で大接戦を演じた。宮崎商との試合は一進一退の攻防。ランナー一、二塁から始まるタイブレークに突入した延長10回裏に、サヨナラ勝ちを収めた。

14年ぶりの甲子園…73歳になった「やくざ監督」
 
14年ぶりに甲子園で指揮を執った野々村にとって、このシステムによる戦いは初めての体験だったという。機嫌はいいが、舌鋒は鋭い。

「暑さの対策もあるんだろうけど、9回でタイブレークというのはあんまり好きじゃない。練習試合でも『タイブレークをやりましょう』と言う監督もいるけど、『やめましょう。引き分けにしましょう』と。今の『7回制』の議論もそうだけどさ、もう少し考えて。延長戦も12回くらいまでは戦ったほうがいい」

開星の試合があった大会2日目は「午前の部」と「夕方の部」の2部制が採用されていた。前者の第2試合は、13時30分を回ると次のイニングには進まず、勝敗が決まらなかった場合は継続試合として、日程を再調整される予定となっていた。まさに開星の試合はそのタイムリミットまでギリギリだったわけだが、野々村は「10回の攻撃で点が入らなかったらそうだったの? !」と、その事実を知らずに戦っていた。

「島根から応援に来られないですよ。継続試合は聞いていたけど『なんでそんなことするんや? おかしいやろ』って。13時29分と30分で気温がどんだけ変わるの? 

昔と今とでは暑さが違うのはわかります。島根県大会でもうちの選手がけいれんを起こして、試合が中断したこともあったんで、その配慮も助かります。まだ涼しい午前中のうちと夕方に試合をするのはいいんですけど、時間が来たから再試合(継続試合)って、それはないでしょ、と。大会を運営する高野連の方たちも試行錯誤はしているから何とも言えませんけど」

「腹を切りたい」「末代までの恥」…かつての喧騒
 
野々村の「語録」は、甲子園でも名物と言えるほどの影響力がある。象徴的な事例が2010年のセンバツだ。初戦で21世紀枠の向陽に敗れ、「腹を切りたい」「末代までの恥」と自身への不甲斐なさを口にしたことで世間を騒がせた。定年を迎えた12年に上梓した著書から「やくざ監督」と呼ばれ、14年ぶりに帰ってきた甲子園ではその愛称がインターネット上で蘇った。
73歳となっても、野々村は野々村だった。いくら本心とは違う形でコメントが切り取られても、持論をやめない。それどころか、ますます加速するほどだ。

「絶対にいるんです! コアなファンが。僕はその人たちのために喋っているんです。『こうだろ』って叫びたい人がいっぱいいるんだけど時代の流れでね、僕に言わせたら弱い平和の理想主義みたいになっているから、『高野連の参政党』と呼ばれても喋ります」

日本人ファーストを掲げ今年7月の参院選で大躍進を遂げた保守政党を持ち出し、高校野球界のご意見番を名乗り出る。こわもての論客は、センシティブな話題にも真正面から切り込んでいく。暴力事案が発覚し、2回戦の出場を辞退した広陵についても「難しいよね、これは」としながら、もちろん言及している。

「本当に一生懸命にやっている子が、上下関係とか野球のうまい、下手っていう理由で一方的に攻撃される。それくらい辛いのかな? 集団生活が。そうしないための予防策として、人間関係作りが一番じゃないですか。

うちの子らは上下関係の礼儀は明確にするけど、ほかはみんな平等ですから。レギュラーだからって補欠をバカにせず、控え選手だからってベンチ入りメンバーを妬まず。そこはミーティングを重ねて徹底させています。寮生活だと、だいたい弱い者いじめがきっかけでしょ。それは絶対にやっちゃいけない。日本人は昔から田舎のお百姓さんだって武士道を持っているんだ。弱い者をいじめるなとか、お年寄りを大事にするとかね。そこが人間性の原点でしょ」

広陵の暴力事案で浮き彫りとなったのが、SNS時代におけるリテラシーの必要性である。真偽不明の情報が瞬く間に広がってしまう。そのことへの警鐘を、野々村らしく無骨に展開していた。

「僕はSNSを使わないんだけど、陰から文句を言うのは卑怯でね。うちにも匿名で手紙が来るけど、スタートから『名を名乗れ! 批判するなら出てこい』と。『我こそは出雲の国の野々村であるぞ。いざ尋常に! 』って戦うわけじゃないですか。それが武士道でしょ」

「野球は素人」…その言葉のワケは?
 
前身の松江第一を含め開星を10度の甲子園へと導く島根の名将は、14年ぶりに帰ってきた甲子園で「野球は素人ですから」と何度も言っていた。それはきっと、半分は冗談で、もう半分は本気であるはずだ。

野々村の根幹にあるのは、豊かな人間作りである。歯に衣着せぬ鋭い論調も、全てはこここへと繋がっている。

「うちの野球部では、毎年ひとりは自衛隊員になっていますから。プロ野球選手も国民の娯楽という意味では素晴らしいけど、自衛隊員とか消防隊員、警察官というのは国のため、国民のために身を挺して頑張る。『プロ野球選手になって大儲けしたいです』っていうやつより、そういう仕事に就いてくれたほうが僕としては嬉しいですね。

甲子園だって、行ける年と行けない年があって。じゃあ、行けなかったらダメなのか? といったらそうじゃない。目指すことが大事であってね。そこで人として成長して『自衛隊に入って人助けをします』と言ってくれたら、それだけで教育は成功じゃないですか」

野々村は甲子園での取材時間の多くを、「人間論」や「教育論」に費やしていたような気がする。そうなってしまったのは、我々、報道陣が仕向けてしまった一面も否めないが。

「日本人として、こういうことも萎縮せずに報道してほしいなと思います。『そういう考えもあるよな』ってことをね」

高校野球のご意見番であり「やくざ監督」と呼ばれる男――。
野々村のような異端も受け入れられるからこそ、やはり甲子園は面白い。そして、実はそんな男の考え方には、27年前の「ある出来事」が大きな影響を与えているのだという。

               <次回へつづく>

🎤末代までの恥」発言で話題に…14年ぶり甲子園にカムバックの“やくざ監督”を変えた「あるキッカケ」 現代は「正面切って突っ張る子がいない。でも…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/fcaf5db688372e2db9701c72a4fe99bbd8f0bbdf?page=1

どっち? 野々村直通から問われた瞬間、クエスチョンマークが浮かんだ。そのことを察したのか、こちらが求める回答をすぐ口にする。

「やくざ監督ね」恥ずかしながら、野々村の著書はてっきり『やくざ監督と呼ばれて〜山陰のピカソ・野々村直通一代記』だけだと思っていたが、他にも教育論を綴る作品があった。そうはいっても、やはり処女作のインパクトは強烈そのものである。

「60で定年退職したあとに出したんだけど、また監督に復帰するなら『元気印の監督』とかにしたんだろうね。でも『もう、関係ねぇや』ってあのタイトルにして。今回、また甲子園に帰ってきてこれをまた使われるとまずいなって思うんだけど、いい話題として『あいつがまた帰ってきた』って取り上げてくれれば嬉しいことです」

14年ぶりに甲子園復帰の「やくざ監督」
 
やくざ監督、甲子園に帰る。自身にとって実に14年ぶり、チームとしては8年ぶりの夏。野々村が率いる開星は、宮崎商との初戦でタイブレークの延長10回にサヨナラで勝利し、初陣を飾った。

「だんだん!」開口一番、出雲弁で感謝を表す。続けて「ありがとうございます」と翻訳して結ぶところに、野々村の実直さがにじみ出る。試合のあった8月6日の第2試合の時点で、甲子園球場のある西宮市の気温は35度を超えていた。じっとしているだけでも体力を削ぎ落される猛暑のなか、2時間45分もの激戦を指揮した。73歳。寄る年波を感じてもなお、野々村の声量は若々しい。

「できるだけ涼しいところにはいたんだけど、こんな試合をしてくれたら忘れますね。緊張感のある場面ではメガホン持って『わー! 』って叫んでね。『子供たちと一緒になって戦いたい』という気持ちが出ましたね」

14年ぶりに勝利監督インタビューのお立ち台に立った名伯楽を、大勢の記者が囲む。

「僕はね、これまで3勝しかしていなかったですから、甲子園で。自慢しますけど」野々村が報道陣の笑いを誘う。今と昔への感慨は、湯水のごとくあふれ出てくる。

「まさかこのユニフォームを着て、またこの景色を見られるとは思っていなかったし、勝てるとも思わなかったし。14年前とは違いますよね。『60で退職するまでは前のめりに倒れて死んだろう』って思ってやってきて。『俺についてこい! 』のような昭和の野球ですよ。それが、今では『頑張って俺を甲子園に連れて行ってくれ』となってね。子供たちには本当に感謝です」

1988年。前身である松江第一の野球部が誕生したと同時に監督となると、5年後の93年夏に甲子園初出場を果たす。大願の成就は野々村をより前のめりにさせた。

バットのスイングからボールの捕り方、走塁に至るまで、一つひとつのプレーに目を凝らす。「俺の言うことを聞いておけば間違いない」「言うことを聞かんかったら使わんぞ」。昭和にはよくあった監督の絶対君主制を地で進んでいた野々村が言うには、この指導スタイルに変化が訪れたのは、甲子園初出場から5年後の98年あたりだったという。

指導スタイル変化のきっかけは…週刊誌報道?

「文春砲にやられましてね」秋の中国大会で島根県勢としては33年ぶりに優勝した開星は、翌年の3月に開幕するセンバツへの出場を当確としていた。そんな矢先の文春砲。

<スクープ センバツ確定高校と高野連の大罪 「主力2人」は違反選手だった! >

記事によると、他県から転入してきた主力選手2人の手続きに不備があり、大会参加資格の規定に違反しているのではないか――そんな内容だった。これにより開星は、センバツへの出場が消滅したのである。野々村はこのあたりから「子供たちの好きなようにやらせる流れになっていった」と、“昭和の野球”からの脱却を図ってきたという。しかし、実情はやや異なる。センバツが消えた不遇の世代でキャプテンを務め、現在は野々村の右腕としてチームを支える、部長の大谷弘一郎の回想はこうだ。

「『俺についてこい』というスタンスがはっきりしていたなかでの、監督と選手の関係性でしたね。ノックも自分で打っていましたし、遠征に行く時も大型バスを自分で運転していましたし、全て自分でやられていました。選手は監督についていくだけでしたね」

圧倒的な求心力を誇る、野々村の親分肌。この事件から9年後の2007年夏、開星は悲願だった甲子園初勝利を手にした。

春夏合わせて5度の出場。ファンからも少しずつ認知されていた開星は、やはり親分が誰よりも異彩を放っていた。角刈りに羽織袴、ティアドロップのサングラス。甲子園の抽選会など公でのスタイルが話題となっていく。その野々村の個性がさく裂してしまったのが、10年のセンバツである。初戦で21世紀枠での出場となった和歌山の向陽を相手に、1-2と一歩及ばず敗れたことが、野々村の琴線を激しく揺さぶる。

「野球をやめたい」「死にたい」「腹を切りたい」。さらには「21世紀枠に負けたのは末代までの恥」と、あらゆる負の感情を報道陣の前にさらけ出した。

野々村の発言は瞬く間に広がり、世間は騒然とする。学校の電話とホームページにはともに100件以上もの苦情が寄せられたほどで、自身も謝罪会見でセンバツでの不適切発言に頭を下げ、監督の職を降りた。思い出させて申し訳ないんですが……と当時のことを切り出すと、本人は「ああ、炎上事件?」と、あっけらかんと反応した。

「絶対にいるんです! コアなファンというのが。『こうだろ』って叫びたい人がいっぱいいるんだけど、時代の流れがあるからね。僕はその人たちのために喋っているんです」

裏表のない野々村だからこそ、翌11年には周囲の嘆願により監督として再びユニフォームを着られたし、この年の夏に甲子園3勝目を挙げることができたに違いない。

甲子園を花道とし監督を退いた野々村は、翌年の3月に定年退職して野球から離れた。第2の人生は画家として生きると決めていた。得意の似顔絵を中心に筆を走らせ、15年には松江市内に画廊を開設。個展を開くなど「山陰のピカソ」として活動する。アーティストとしての地盤を固めていた20年、野々村は三度、開星のユニフォームをまとうこととなる。

「人生には旬があると思いますんでね。60で1回、切れたんですごくしんどい。野球部の事情で戻ることになったんだけど、1、2年でいい野球部にしてから次にバトンタッチしようと思っていたら」

監督再任で感じた「令和の新潮流」
 
令和の高校野球は、野々村の知る「俺についてこい」だけでは統率できなくなっていた。個性を重んじながらも協調性を養わせ、組織を結束させる――そんな風潮だ。野々村も、そこを敏感に察した。

「正面切って突っ張るようなやつはいなくなった。自分の世界に入って『ネットのほうが正しいんじゃない? 』と、指導者や先生の話に聞く耳を持たない子が増えましたよね」

わかっているからこそ、必要以上には刺激しない。練習では選手やコーチ陣の意見にも耳を傾け、「やってみろ」と促す。ただ、「これだけは譲れない」とばかりに、心は自らの生き様を説く。

「『野球を通じていい学生を作ろう』ということでね、誰に対してもちゃんと挨拶ができたり、マナーのある行動ができたりね。みんなから応援されるチームにしようと」

毎年3月に行われる広島・江田島での合宿が、人を育てる代表的な行事である。戦時中、広島湾防衛のため旧陸海軍の施設が置かれ、今も遺跡や慰霊碑があるこの地の息吹を感じることによって、野々村は選手たちに豊かな心を育ませようと努める。ミーティングで説く内容はこうだ。

「戦争があった時代、強い体になるため、いい野球選手になるために『ご飯を食べなさい』と言いたくても言えなかった。でも今は、腹いっぱいにご飯が食べられて、大好きな野球をして甲子園を目指せる。それが、どれだけ奇跡的な平和であるかをわかってほしい」

野々村をして「いい子供たち」に育ったチームは、監督を14年ぶりとなる甲子園へと連れていき、4勝目をプレゼントした。2回戦の相手となる仙台育英戦を前に、また「野々村節」がさく裂する。

「いやいや、もう大横綱ですから。全てを出し切って玉砕してくれたらいいと思います」

22年に東北勢初の全国制覇を成し遂げ、この大会でも上位進出を予想されていたこの強豪と開星とは、ちょっとした因縁がある。
15年前の10年。開星は勝利まで「あとひとり」の場面でセンターがフライを落球したことで逆転され、そのまま敗れた。この時、野々村は例の不適切発言により、公式戦では指揮を執っていない。

「僕は謹慎中だったから。蟄居していましたからテレビで見ていましたよ。まあ、あれに関しては前の監督に失礼ですから、試合に関して言うことはないですけど」

野々村にとっては初めてとなる仙台育英戦。玉砕を掲げた監督は「群羊を駆って猛虎を攻む」と言い、全員野球を誓った。

2回戦での“大横綱”仙台育英戦は惜敗
 
初回に1死一、三塁のチャンスから犠牲フライで先手を取ったが、その裏に逆転を許し、“大横綱”相手に2-6で敗れた。

「強豪に対して負けたとはいえ、完全試合もノーヒットノーランもやられなかったどころか、初回に1点を取ってね。本当によく頑張ってくれましたよ」

野々村は目じりを下げて選手をねぎらいながらも、監督としてシビアに目を光らせる。

「群羊は駆け込めていなかったし、砕けてなかったね。ヒビは入ったかもしれないけど」

青春は73歳にして再び訪れた。指導者として昭和と平成を生き、令和に戻ってきた野々村に活力が戻る。
引き際はグラウンドで、前のめりに――。そんな願望が報道陣から飛ぶと、野々村は「いやいや! そんなのダメ!」と拒否する。

「アーティストですから! 僕は広大(広島大学)教育学部を出た絵描きですから。『キャンバスに筆をおきながら死にたい』というのを、みなさんわかってない!」

山陰のピカソが人生を描く。豊潤な歩みの題材となっているのは、紛れもなくやくざ監督である。
2025/08/25(月) 22時12分22秒 No.1974 編集 削除
⚾今日の和歌山大会会新人戦試合結果(4日目 2・3回戦)
紀三井寺球場・・・和 智 弁12-1初芝橋本(7回)・田  辺10-0県和歌山(5回)・向  陽8xー7海  南(10回タイブレーク)
サンナンタンランド球場・・日高中津1-0桐  蔭・和歌山東10x-0粉  河(6回)

⚾明日の和歌山大会新人戦組み合わせ(5日目 3回戦)
紀三井寺球場
  ☆ 10:00~ 和歌 山北-高 野 山
    12:30~ 田 辺 工-智弁和歌山

👣「生きがい」「選手のそばで」審判の大槻さんと北田さんが甲子園引退
https://news.yahoo.co.jp/articles/b0ba126ea0fb5d0dce1b4b7a79a92526a63e4d7e

高校野球で春夏の甲子園大会を支えてきた2人の審判委員が、今夏を最後に甲子園でのジャッジを終えた。21日の準決勝、大槻康彦さん(54)は第1試合で、北田直也さん(52)は第2試合でそれぞれ一塁塁審を務めた。

■甲子園決勝も、地方大会1回戦も同じ

大槻さんは30年前、職場の先輩にお願いされ、京都府の高校野球の審判を引き受けた。球歴は中学まで。「当時は野球の細かいルールを知らなかったし、続かないと思った」

選手の真剣なプレーを見て思いが変わった。「やるなら真剣に」。複雑なプレーは公認野球規則を読んで復習し、先輩に相談もした。第85回大会(2003年)で初めて甲子園の土を踏み、今春の選抜大会は決勝で球審を務めた。

「甲子園の決勝も、地方大会1回戦も同じ」と1球、1プレーに集中してきた。これからも京都府内でジャッジし続ける。「審判はもう一つの人生。生きがいになりました」

■基本を大事にしていた

北田さんは第90回記念大会(2008年)で派遣審判としてデビューした。「自分の判定で高校生たちが現役を終えるかもしれない」と、常に怖さがつきまとった。

印象深いのは18年の第100回記念大会、星稜(石川)―済美(愛媛)だ。十三回、済美の矢野功一郎選手が放った右翼ポール直撃の逆転満塁サヨナラ本塁打で、一塁塁審として腕を回した。「絶対にボールから目を切らないという基本を大事にしていたからこそきっちり判定できた」

審判の醍醐味は「一生懸命な選手たちに、そばで寄り添えること」。今後は地元の和歌山で若手の育成に携わりながら、審判と甲子園の素晴らしさを伝えていく。

📝「ブルペンには草、グラウンドは荒れ果てて」甲子園春夏16回出場・九州の古豪はなぜ“消えた”のか「これじゃ、100年経っても強くならんよ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/454b59ecab7cdd436c66a4efd4a11eb8883a73eb

かつて甲子園に春夏16回出場した福岡の名門、柳川。古くはかの江川卓との熱戦が名高く、多くのプロ選手も輩出してきた古豪だ。しかしこの20年ほどは甲子園に縁遠くなっている。名門はなぜ「消えた」のか。現地に、熱い思いを秘めたOB監督を訪ねた。

福岡県の南部に位置する柳川市。国民的詩人である北原白秋を生んだこの街は、縦横無尽に走る全長約930キロに及ぶ掘割を、どんこ舟で下る名物の「川下り」でも知られる水の都だ。江戸時代には柳川藩主立花家の城下町として栄え、「立花氏庭園」「戸島氏庭園」「水郷柳河」と、3件もの国指定名勝を抱える景勝の地でもある。

真弓明信らを輩出した名門
 
その柳川市の中心に、高校野球ファンにはお馴染みの柳川高校がある。かつて九州屈指の難攻不落の城と謳われた柳川城跡に建てられた校舎敷地内にあるグラウンドから、これまで真弓明信(太平洋、阪神など)、久保康生(近鉄、阪神)、立花義家(西武、阪神など)、中島輝士(日ハム、近鉄)ら、数多の名選手が巣立っていった。

現在、歴史と伝統ある野球部を率いるのは、64歳OBの御所(ごしょ)豊治(とよはる)監督だ。すでに始動している新チームの2年生以下に向け、「この秋に夏のチームを作るんやぞ!」と鼓舞激励。響き渡る蝉の大合唱を全身に浴びながら、練習が始まった。「今までのチームは、翌年の夏までに仕上げていました。秋、春と真剣じゃなかったわけですよ。新チームが始まるこの時期は、以前であれば体力作りや1000本ティーをさせていましたが、今年は走塁や守りの細かいミスをなくすために、ゲームを多くさせています」

甲子園で繰り広げた名勝負
 
柳川は前身の柳川商時代を含め、これまで春8回、夏8回の甲子園出場を誇る。1973年夏、作新学院(栃木)の怪物・江川卓を揺さぶったバスター攻撃はあまりにも有名。2000年にはエースの香月良太(オリックス、巨人など)を擁し、春夏ともに8強入りを果たした。同年夏の準々決勝、智弁和歌山戦で延長11回、6対7と敗れはしたが、177球を投げ抜いた姿に心を打たれたファンも多いのではないだろうか。
しかし、その名門校も2005年夏を最後に、聖地から20年間遠ざかっている。今夏の福岡大会は3回戦敗退と、往時の勢いはもうない。ただ、優勝候補の一角に挙げられた福岡大大濠を相手に、9回2点差を追いつくと、延長10回タイブレークを戦い5対6と、復活の足がかりをつかむことはできた。

「初戦を突破してから大濠戦までの3日間、朝9時15分からの試合開始時間に合わせるために6時からバッティングをやらせました。そのためには5時前には起きて準備をしなければなりません。相手投手の研究もしていたので、ある程度の自信はありました」

不祥事をきっかけに低迷が

 毎年部員の入れ替わりを繰り返す高校野球において、その強さを維持し続けるのは至難の業だ。さらに監督が交替すれば、それまでの指導方針や中学生のスカウト事情などに影響を及ぼす。2005年夏の甲子園後、部員の不祥事でOBの末次秀樹さん(現真颯館高監督)が監督を退いたことをきっかけに、チームは指揮官を定着させることができず、低迷の一途を辿っていった。

2012年。御所さんは、コーチとして33年ぶりに母校へ戻ってきたときの衝撃を昨日のことのように覚えている。
「部員の前でコーチ就任挨拶をした時です。片足重心で蝉を見たり、隣と話している選手もいて、誰も話を聞いていないんですよ。昼間の1時やったから、最初は熱中症かと思って心配しました(笑)」

甲子園出場からわずか7年で……
 
ブルペンには膝丈まで草が生え、グラウンドも荒れ果てていた。最後の甲子園出場からわずか7年で、ここまでチームは衰退するのかと愕然とした。そこから、これまで歴代の先輩たちが築き上げてきた歴史を一通り説明した後、ナインに謝罪した。

「今までの大人が何をしよったとかという話ですよ。僕もOBだから申し訳ないと謝りました。福岡大会で西日本短大付や九州国際大付、東福岡、福岡工大城東と勝ち上がってくるけど、柳川の名前がないので、おかしいなと思っていて、母校に戻ってみたら、やっとその理由が発覚しました。『さっきまでの態度を取っとったら、100年経っても強くならんよ』という話からスタートしました」

ユニホームに一目惚れして
 
御所監督は福岡県浮羽郡(現うきは市)出身。左胸に縦文字で「柳川」と書かれたクリーム地のユニホームに一目惚れした。中3時の1976年夏。甲子園3回戦でPL学園(大阪)に0対1と接戦を演じた高校に目が釘付けとなった。

「PLが出るということでテレビをつけたら相手が柳川商だったんです。久保さん、立花さん、末次さんら先輩方が着ていたユニホームをパッと見た瞬間、『うわ、かっこいい! 』となって。福岡にあることすら知りませんでした(笑)。あのユニホームを着てみたくて、受験して入学することができました」

当時の柳川商は、県内屈指の強豪校。一学年50人ほどが在籍し、競争も熾烈を極めた。1年夏の新チーム始動初日。福田精一監督から、二塁の守備に就いてノックを受けるように指示された。「守備には自信がありました」と言うように、2年生に負けない動きでアピールしていると、どこからともなく「チッ」と舌打ちが聞こえてきた。その夜、先輩から寮の屋上に呼び出しを食らった。

「なん調子に乗っていいプレーしよるんか」

「『お前、なん調子に乗ってノック受けて、いいプレーしよるんか』と説教されました。ノックを受けただけで怒られるんかと思いましたね。次の日は捕れるボールを捕らない、わざと暴投したりと、あれだけ演技がうまいとは自分でも思っていませんでした(笑)。それを3日間続けたら、ノックから外され、翌春に出場した選抜にもメンバーに入ることができませんでした。あそこでレギュラーを張るぐらい一生懸命やっていたら、甲子園ボーイでしたね」

初めてメンバーとして伝統のユニホームに袖を通したのは2年秋。それまで二塁しか守ったことがなかったが、背番号6を渡された。福田監督に恐る恐る「背番号4じゃないんですか」と尋ねると、「お前はボールを捕ってからが早いから、ショートで十分成立する。心配せんでいい」と説明を受けた。それから遊撃一筋で社会人まで現役を続けることになる。名将として鳴らした福田監督の先見の明には、驚かされることばかりだった。

身長150センチ台で登録しておけ

「2年秋の福岡大会で優勝して神宮大会に出場した時です。私の身長は163センチで、マネージャーには公称165センチでお願いしたのですが、福田先生がそれを消して159センチでパンフレットに載ったわけですよ。福田先生に文句を言いにいったら『御所、150センチ台のショートはおらんぞ。目立つからこの身長でいけ』と言うんです。そうしたら、開会式が終わった後、神宮で囲み取材を受けました。こういうことか!  と腑に落ちましたね」

1978年の神宮大会では、1学年下でエースの座を獲得した中島輝士が投打で大活躍。御所さんも決勝の市立神港高(兵庫=近畿地区代表)戦で3安打2打点と奮起し、12対2で初出場初優勝に輝いた。
もちろん、その後に行われる九州大会でもダントツの優勝候補。翌春の選抜出場圏内となるベスト4以上は堅いと思われていた。しかし、大きな落とし穴が待ち構えているのを、この時はまだ知る由もなかった。

                         〈つづく〉

📝「あの郭泰源と対戦して台湾の新聞1面に」名門・柳川高の甲子園復活に懸けるOB監督「修学旅行で宇宙旅行と甲子園、どちらが先か勝負(笑)」
https://news.yahoo.co.jp/articles/9c51c6384676024f952f0341abd9e19a00b9b628?page=1

福岡高校野球界の古豪である柳川高は、2005年夏以来、20年もの間、甲子園から遠ざかっている。母校の再建へ手腕を振るう64歳OBの御所豊治監督は、現役時代の高2秋、神宮大会で初出場初優勝を果たしながらも、甲子園の土を踏む夢は叶わなかった。「当時の神宮大会は九州各県の持ち回りで、あの年(1978年)は福岡県の優勝チームが出場できました。ただ、その後に行われた九州大会では、1学年下でエースの中島(輝士)がケガで本来の投球ができず、鹿児島実に1対8、8回コールドで初戦敗退して翌年の選抜に出場することはできませんでした」

日本一の大学を完封した台湾の高校生の名は……
 
ただ、神宮大会で優勝したことによって、得難い経験を積むことができた。大学の部優勝校の同志社大と同年末に台湾へ遠征し、現地チームと対戦する機会が与えられた。ちょうど同志社大の試合を観戦していた時だ。日本一の大学をシャットアウトした台湾投手に目を奪われた。

「福田精一監督が『おい御所、台湾の投手は今度試合をする相手だぞ』と言うんです。高校生が一人、大学の試合に入って投げよったんです」

その投手の名は郭泰源。「オリエンタル・エクスプレス」の愛称で知られ、のちに西武で活躍した右腕は、高校生当時で150キロを超える直球を連発していた。その郭を擁する長栄高と後日、交流試合を行った。郭は柳川を相手に投げる予定はなかったが、試合中、福田監督が相手監督に頼み込み、9回の1イニングだけ登板することが決まった。

郭泰源のボールが「見えんばい……」

「『ピッチャー郭』とアナウンスされた瞬間、グラウンドキーパーが3人ほど出てきてマウンドの整備を始めたんです。そこにスタスタと歩いていく郭泰源という男は、まさしく台湾のスーパースターでした」

右腕から放たれるボールは、凄まじい切れ味だった。御所さんの前の打者2人はいずれも三振。あきらかにボールが捕手のミットに吸い込まれた後にスイングをしていた。
感想を聞くと、「御所、見えんばい……」。その意味は、初球、外角の直球を見送った時に悟った。近づいてくるボールが、あまりの速さに小さくなっていく感覚は、後にも先にもこの時だけだった。

「郭が打たれた」台湾の新聞1面に
 
ただ、見えなくなるほどではなかった。次の内角直球をボール球としっかりと見極めることができ、「打てるかもしれん」と自信が芽生えた次の瞬間、主審が「デッドボール」の判定を下した。ユニホームの袖にわずかに触れていたのだ。打ちたかった気持ちを抑え、渋々一塁へ歩くと、次打者の中島が中堅の頭上を越える打球を放った。本塁でのクロスプレーをかいくぐり、一塁から長駆ホームインすると、翌日、台湾の新聞1面で「郭が高校生にタイムリーヒットを打たれる」と大きく報道された。

「中島はそのときの感覚がよくて、プロで郭が西武にいる時も結構ヒットを打っていましたね」

そんな経験ができたのも、福田監督がいたからだ。全盛期の柳川商を10年(69〜79年)、そして校名が変わった柳川を12年(80、83〜94年)率い、春5度、夏3度の甲子園出場に導いた名将は、時代に合わせてその指導法を柔軟に変化させてきた。

「福田先生に監督を2回やられて、変化があったか聞いたことがあります。すると『お前たち(柳川商)の卒業生と会社を経営したら、そりゃあ儲かったやろう。右向けっていったら全員が右を向く。でも、後半(柳川)の卒業生は、右向けっていったら、全員が上や下を向くので破産しとる』って言うんです。指導や教育も変わったので、やり方を変えていったそうです。ただ、『目標は甲子園出場、目的は人間形成』という指導理念だけは譲らなかったそうです」

母校に戻って指導者になるまで
 
御所さんは3年夏の福岡大会3回戦で東海大五(現東海大福岡)に敗れ、高校野球を引退。進路を決める際、福田監督からは「コーチとして残らないか」と打診を受けた。
もちろん、選手を続けたい気持ちが強かったため、卒業後は当時静岡で活動していた社会人の関東自動車(現トヨタ自動車東日本)に入社。5年の現役生活を全うした後、監督からのコーチ要請を断り、福岡へと戻った。その後も請われて中学硬式野球の朝倉ボーイズの監督や、祐誠高のコーチを務めた。指導者としての適性があったことを、福田監督は誰よりも早く見抜いていたのだ。

「50歳になったら高校野球に携わりたいなと思っていました。そうしたら、46歳で祐誠のコーチ、そして2012年、50歳で柳川のコーチに引っ張られて、5年前から監督になりました。こうして野球に携われているのも、福田先生のお陰です」
 
母校に戻って13年の月日が経過した。御所さんが指導を始めてから、2021年夏の福岡大会8強が最高。甲子園はおろか、九州大会にも出場できていない。あの強かった頃の柳川を取り戻すべく、今は再建の道半ばだ。選手には「夢だけは絶対に捨てたらいかん」と繰り返し言い続けている。

「修学旅行で宇宙旅行と甲子園、どちらが先か勝負(笑)」

「柳川に戻ってきてミーティングをした時です。小学生で野球を始めた時にプロ野球選手になろうと思った人はと尋ねると、全員が手を挙げるんです。それが、中学生の時は半分に減って、今思っている人は1人しかおりませんでした。それじゃあ甲子園には行けないし、夢は貫き通さないといけないんですよ。ウチの校長・理事長(古賀賢さん)は面白い人で、2030年の修学旅行で宇宙旅行の夢をぶち上げていますが、それと甲子園出場、どちらが先か勝負しています(笑)」

野球部が練習するグラウンドのスコアボード上部には「啐啄同時」という四字熟語が刻まれている。雛が卵から孵化する際に、内側から殻をつつく「啐」と、親鳥が外側から殻をつつく「啄」が、絶妙なタイミングで行われることを指す。「子供は宝物、ダイヤの原石です。卒業するまでにピカピカに磨かないと、石ころになって蹴飛ばされます。私はヒントを与えるだけで、あとは自分で磨いていくしかありません。そうやって人間を磨いたその先に、甲子園はあると思っています」

御所さんの思いと、ナインの呼吸がピッタリと合致した時、柳川は殻を破り、名門復活の咆哮を上げる。オールドファンもその時を静かに待ち望んでいる。

⚾岩手さんへ
そうなんですね。新チーム結成直後で合同練習も数日だったと思われますが、健闘虚しくですか・・・。やはり最低でも9回までやってほしいですよね。。。
まだ敗者復活戦があるだけ岩手県は優しいですね。近畿だと和歌山・兵庫以外は基本的にトーナメント一本勝負なんで最悪、8月末に1敗しただけで長すぎる冬に突入します・・・・・。

球審・前坂は紀三井寺でよく名前を聴きますね。あとは若手の向陽OB西岡もこの夏何度も甲子園でアンパイアしてました。
やはり近畿中心で審判員は構成されていると思います。たまに他県から派遣審判が数名来られますが、、、、、岡山のように選手の足を引っ張るのは勘弁してほしいです。先月、マスカットでショートゴロをさばこうとするプレーヤーに猛然とタックルかまして致命的な失点を与え50分間試合が止まりましたから・・・・・。

コロナ前にも広島で迫田監督の弟さんが広島新庄時代に1時間を超える猛抗議をされたらしいですが、、、、、リプレー検証が現状ないので予選だと抗議が長時間に及びますね!
最近は分かりませんが、大阪桐蔭や京都外大西あたりは細かいところでタイムを取って球審に確認して、相手投手などにプレッシャーかけてきますから。
ちなみに今日の紀三井寺は第2・第3試合の3塁塁審が和歌山大学の野球部員さんでした。

P・S 昨日、大観衆の甲子園で決勝が行われ一応の幕切れとなりましたが・・・・・。入場料高騰して立錐の余地もない甲子園よりもある程度好きな座席を取れる紀三井寺の方が僕は性に合ってますね!
早朝4時起床して雨雲レーダー見たら和歌山市界隈かなり怪しく、道中JR阪和線の日根野~和歌山で雨降ってました!あるいは全試合雨天中止だったらどうしようと悩みましたが、球場は座席も濡れてなかったし、2度散水していたので大丈夫だったかと。

悲しいかな案の定、和智弁は7回コールド勝ち。エースが2年生・和気でした。旧チームからのスタメンをクリーンアップに並べてソツなく加点していき、6回裏1死2・3塁で初芝橋本がコールド回避のためにスクイズ敢行も外された?というよりも外角にスッポ抜けたのか???3塁走者挟殺されて無得点でエース交代したらエラーも絡んで1イニング7失点でコールドで粉砕。。。
初橋のエースがやたら間合い長く7回で終わったが2時間12分と粘りました。

田辺は部員11人の県和歌山に容赦なく襲い掛かり監督の息子さんが4番を任され1回裏から7得点であっさり5回コールド勝ち。。。
メチャクチャ熱かったので昼ご飯はいつも通り陸上競技場の屋根下で食べましたが、ラグビーの試合してましたね。

最後は向陽ー海南の古豪対決ですが、向陽は部員12人と寂しかった・・・。前2試合の味気なさを覆す熱戦で、なんだかんだシーソーゲームとなり、4-4で延長タイブレーク突入。
10回表海南が3点を奪い勝負ありと思いきや、向陽も粘ってというよりも相手投手の制球難に乗じてあの県岐阜商ー横浜の試合を見ているようで・・・。2点を返し6-7。2死満塁フルカウントからファースト左を襲う痛烈な打球をファーストがライト方向に大きく弾き2者生還で3点差逆転サヨナラゲームと。

最後の試合だけ面白かったなあと。まだ負けても一次予選があるのでセンバツへの希望はありますが、、、、、やはり和歌山では和智弁が群を抜いているようで。甲子園でもこれくらい打ってほしかったですね。

そして帰りはなんば駅が土砂降りで・・・京阪電車は大雨と落雷の影響で全線ストップとか!!僕はなんとか無事に自転車で帰れましたが紙一重でしたね。。。いつどこでゲリラ豪雨が発生するか分からないので戦々恐々でした。
2025/08/24(日) 22時33分38秒 No.1973 編集 削除
 前坂審判員は、和歌山県の人なのか?甲子園に通っていた時分に宮本さんだったと思うけど、その方も和歌山の小学校教諭で、よく試合の審判終了後に私の近くで試合を見ているOBの方の所に来て、アドバイス受けていました。
私も10年以上交流のおかげでルールが8割5部位分かるかな?
 甲子園のように地方球場でも、試合の中断するプレーは、アナウンスするといいだけね!

役不足とは本来その人の能力に比べて軽い役の事を指すらしいと、クイズ番組で知りました。
 こちらがしっくりくるけどね。

2025/08/24(日) 21時54分50秒 No.1972 編集 削除
母校を含む連合チームは、昨日の地区予選健闘したが、コールド負け敗者復活戦に回る事になる。
 予想覆す戦いを期待します!
2025/08/24(日) 5時22分43秒 No.1971 編集 削除
⚾今日の熱闘甲子園試合結果(決勝戦)
最終日決勝戦 沖縄尚学(沖縄)-日大三(西東京) 10:00~12:02
          一二三四五六七八九十計HE
      沖縄尚学010001010 392
      日 大 三100000000 160

沖縄尚学は初優勝🏆

⚾今日の和歌山大会会新人戦試合結果(3日目 2・3回戦 マツゲン有田球場)
高 野 山7-6日  高・市和歌山3-2箕  島・耐  久5-2和歌山工

⚾明日の和歌山大会新人戦組み合わせ(4日目 2・3回戦)
紀三井寺球場
 ☆☆ 09:00~ 智弁和歌山-初芝 橋本
  ☆ 11:30~  田 辺 -県和 歌山
☆☆☆ 14:00~  海 南 - 向 陽

サンナンタンランド球場
  ☆ 10:00~  桐 蔭 -日高 中津
    12:30~ 和歌 山東- 粉 河 

📝日本独立リーググランドチャンピオンシップ2025  組み合わせのお知らせ
https://kandok.jp/archives/9615/

一般社団法人日本独立リーグ野球機構では、日本独立リーググランドチャンピオンシップ2025に関して、組み合わせが決定しましたので下記の通りお知らせ致します。

【日本独立リーググランドチャンピオンシップ2025出場】
・四国アイランドリーグplusトリドール杯チャンピオンシップ優勝球団
・ルートインBCリーグ優勝球団
・九州アジアリーグ優勝球団
・北海道フロンティアリーグ優勝球団
・日本海リーグ優勝球団
・堺シュライクス(さわかみ関西独立リーグ)
・栃木ゴールデンブレーブス(開催地枠)

【試合日程】
■9月25日(木)
第1試合 17:00~ 栃木ゴールデンブレーブス 対 堺シュライクス

■9月26日(金)
・準々決勝 第1試合 12:30~北海道フロンティアリーグ優勝球団 対 九州アジアリーグ優勝球団
・準々決勝 第2試合 17:00~日本海リーグ優勝球団 対 25日勝利チーム

■9月27日(土)
・準決勝 第1試合 12:30~四国アイランドリーグplusトリドール杯チャンピオンシップ優勝球団 対 準々決勝第1試合 勝利チーム
・準決勝 第2試合 17:00~ルートインBCリーグの優勝球団 対 準々決勝第2試合 勝利チーム

■9月28日(日)
・ 決勝 12:00~ 準決勝第1試合 勝利チーム 対 準決勝第2試合 勝利チーム

【開催球場】
9月25日(木) 小山運動公園野球場(栃木県小山市大字向野187)
26日(金) 小山運動公園野球場
27日(土) 小山運動公園野球場
28日(日) 真岡ハイトラ運動公園野球場(栃木県真岡市小林1900)

※予備日はありません
※各試合の先攻・後攻、開催概要・チケット販売については別途IPBLよりお知らせいたします。

✌沖縄尚学の大応援団盛り上げる白塗り「チョンダラー」 正体はセンバツ優勝時のマネージャー「後輩とても頼もしく感じる」
https://news.yahoo.co.jp/articles/6e37addd883ee724963b487c2d60419b967e4a92

沖縄尚学高校の大応援団の中には、エイサーで観衆を盛り上げる「チョンダラー」の姿もあった。同校野球部OB会のメンバーで、「自分たちがなし得なかったことに挑んでいる。応援をもっと盛り上げたい」と発案した。強い日差しの下、汗で流れ落ちる化粧を直しながら、周囲の大応援団を盛り上げた。

そのうちの一人は、沖縄尚学が春の選抜大会で優勝した時にマネージャーとして選手たちを支えた大屋純人さん(34)。

この日、大応援団の盛大な応援を受けたチームは、夏の大会で初となる決勝進出を決めた。大屋さんは「後輩たちをとても頼もしく感じる。いつも通り一球一球に集中して、沖縄に深紅の優勝旗を持ち帰ってほしい」とエールを送った。

OB会副会長の牧雅史さんも決勝進出を「誇らしい」と喜び、「選手は、スタンドの応援で勇気をもらえる。次の試合も張り切って応援したい」と意気込んだ。

☟夏の甲子園決勝、死球の判定を巡って試合が一時中断…日大三のエース近藤は納得できない様子、伝令が確認も判定は変わらず
https://news.yahoo.co.jp/articles/ceed286a33cbd180bec04fcec04aadf7f1c20320

◇23日 全国高校野球選手権決勝 日大三―沖縄尚学(甲子園)

沖縄尚学の7回の攻撃で、死球の判定を巡って試合が一時中断した。2死一塁で8番・伊波槙人外野手(3年)の打席。3番手で登板した日大三(西東京)のエース近藤優樹投手(3年)がフルカウントから投じた直球は捕手のミットに収まったが、伊波は左肘に当たったとアピール。球審が認めて、死球となった。

ベンチに戻りかけていた近藤は納得できない様子で、日大三の三木有造監督も伝令を送って球審に確認したが、判定は変わらず。それでも近藤は次打者を初球で三ゴロに打ち取り、ピンチをしのいだ。

📝【甲子園】各監督の本音「朝夕2部制」来春「DH制」に好意的も「7回制」には反対意見根強く
https://news.yahoo.co.jp/articles/1df9985fd16b4fb93ef6311efa1404f387e95ec1

変わりゆく高校野球、現場の本音は-。第107回全国高校野球選手権は史上初の午後4時スタートの開会式を皮切りに、時代の変化に合わせて進化を遂げた姿を見せた。暑さ対策のために拡大した「朝夕2部制」、来春センバツから導入される「DH制」については、各監督から好意的な意見が挙がった一方で、検討中の「7イニング制」には反対が強く、複雑な心境を表す声が目立った。

6日間(雨天中止の影響で5日間実施)に拡大された朝夕2部制による試合実施については「より選手ファーストの大会になってきた」(山梨学院・吉田洸二監督)「暑さも和らぐし、ナイターでも思った以上にボールも見える。とてもいい制度」(佐賀北・本村祥治監督)など歓迎の声が相次いだ。第4日第4試合の綾羽-高知中央は、史上最遅となる午後10時46分に試合終了。夜の部ついて「人生最高の夜更かし」(仙台育英・須江航監督)と前向きに捉えていた。

DH制には「投手のケガリスクを減らせる」(健大高崎・青柳博文監督)という声が目立った。打撃特化型の選手の活躍する機会が増えるメリットも。関東第一の米沢貴光監督は、社会人時代に肩を痛めて1シーズン通してDH起用だった経験を踏まえ「あれがなかったら、野球をするのがつらかった。野球をやりたいと思う子たちを増やすきっかけになる」と期待した。

ここまでは高校野球の改革を肯定的に捉える意見が多かったが、来月開催される国民スポーツ大会(滋賀)で試験的に導入される7イニング制には「やめてほしい。7イニングなら野球を見ない」(開星・野々村直通監督)と、反対意見が根強い。沖縄尚学・比嘉公也監督のように「現場としては決まったことに対応していくしかない」と受け止めながらも、「0-0で3回から始まる感覚で臨まないと、エンジンが入らないんじゃないか」(県岐阜商・藤井潤作監督)と戦い方を模索する指導者が多い印象だった。

📝U18高校日本代表・小倉全由監督 選出した唯一の2年生は「お願いをして選んだ選手」
https://news.yahoo.co.jp/articles/8113bea90f39af4a2af7a745480302a33eae9691

日本高野連は23日、9月5日から沖縄で開催される「ラグザス presents 第32回 WBSC U18 野球ワールドカップ」に出場する高校日本代表選手を発表した。今春選抜大会で優勝した横浜(神奈川)からは阿部葉太(3年)をはじめ4選手が選ばれた。2年生では唯一、優勝した沖縄尚学(沖縄)から末吉良丞が選出。チームの指揮を執る小倉全由監督(68)が選考の理由と狙いを話した。

小倉監督は「日本代表としてですね、自覚を持って“日本ってやっぱり素晴らしい野球やるな”っていうような、そういう野球をやるためのチームを、メンバーを選んだつもりでいます」と話した。横浜から最多の4選手。一方で甲子園に出場していなかった選手も中野大虎(大阪桐蔭)、大栄利哉(学法石川)ら5選手を選出した。「今回は甲子園に出てるとか出てないじゃなくて、良かったら比較して、甲子園に出た子と比較した中で“この子”って選んだ結果ですね」とチームとして必要だとする戦力にスポットを当てた。

2年生では優勝した末吉を選んだ。「後半やっぱり疲れてましたけど、やっぱり1回戦、2回戦のあのピッチング見て、落ち着いてますし、コントロールが良いなあと」。末吉は1回戦・金足農(秋田)戦で3安打完封。2回戦・鳴門(徳島)戦でも6回からリリーフ登板し、4回を3安打無失点と好投。決勝まで全6試合に投げ、全国の舞台で存在感と実力を示した。

どうしても選びたかった左の好投手だった。「2年生でね、負担かけるっていうか、選んで秋もありますんでね、大変かとは思うんですけども、比嘉監督にも“なんとか出してくれ”っていうことでお願いをして選んだ選手」と明かした。

U18杯のオープニングラウンドで日本はAグループでキューバ、イタリア、韓国、プエルトリコ、南アフリカと戦い、スーパーラウンドを経て、9月14日の決勝進出を目指す。

【投手】

10 中野 大虎(大阪桐蔭=3年)
11 森下 翔太(創成館=3年)
14 末吉 良丞(沖縄尚学=2年)
15 下重 賢慎(健大高崎=3年)
17 早瀬 朔 (神村学園=3年)
18 石垣 元気(健大高崎=3年)
19 奥村 頼人(横浜=3年)
21 西村 一毅(京都国際=3年)
24 坂本 慎太郎(関東第一=3年)

【捕手】

2  大栄 利哉(学法石川=3年)
12 藤森 海斗(明徳義塾=3年)
27 横山 悠 (山梨学院=3年)

【内野手】

3  今岡 拓夢(神村学園=3年)
4  奥村 凌大(横浜=3年)
5  為永 皓 (横浜=3年)
6  高畑 知季(東洋大姫路=3年)
13 岡部 飛雄馬(敦賀気比=3年)
16 辻 琉沙 (履正社=3年)

【外野手】

1  阿部 葉太(横浜=3年)
7  川口 蒼旺(神戸国際大付=3年)

📝ようやく退任の広陵・中井監督は氷山の一角…首筋冷たい日本全国“時代遅れ”強豪校の面々
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/376526

「どうせ、中井さんの傀儡じゃないの?」球界ではこんな声が少なくない。

野球部員による複数の部内暴力が発覚した広陵高校(広島)は昨21日、中井哲之監督(63)、中井惇一部長(30)が同日付で交代すると発表。新監督にはOBでコーチの松本健吾氏(34)が就任する。

「松本コーチは中井監督の教え子。学校の理事、副校長職は続投する恩師の顔色をうかがいながらの指導にならざるを得ない。広陵では、部内暴力を受けた部員の保護者がSNSで告発したことを契機に、過去の被害者らも次々に告発した。中井監督が1990年に就任して以降、こうした部内暴力が常態化していた可能性は高い。本気で野球部を解体、刷新するというなら、中井監督の息がかかっていない広陵OB以外の人材から後任監督を選ぶべきです」(地元球界関係者)

広陵野球部のような体制や指導手法はもはや、時代遅れと言わざるを得ない。

「今夏、甲子園に出場した広陵の野球部員は、自身の携帯電話を寮に置いて大阪の宿舎に向かった。野球に専念するためといえば聞こえはいいが、外部との通信を遮断され、過剰なストレスを抱えるような状況だった。今年1月、2年生部員から暴力を受けた1年生部員は、禁止されていたカップ麺を食べたことが発端になったが、野球部が一方的に禁止事項を設けても、部員が禁止の理由に納得していなければ、どうしたって違反は起きる。物事の善しあしの本質を理解しないまま白か黒かの二択だけで選択を強いる手法では、想像力、思考力は磨かれないばかりか、不満が鬱積する。これを解消するために、下級生や同級生への暴力に発展するケースが少なくないのです」(アマ球界に詳しいスポーツライター)

今回の広陵の騒動は氷山の一角に過ぎない、とみる向きがある。全国には、広陵と似た環境にある強豪校が少なくないからだ。

広陵の部内暴力は野球部寮で起きた。学校が公表した加害者は「2年生部員4人」としているが、被害者の保護者は「当初の学校側からの報告では、関わったのは9人。本当は11人です」とし、「虚偽報告」と指摘した。

広陵野球部の寮は学校の敷地内にある。つまり、部内暴力は外部との接触が遮断された“密室”で行われたことになる。そうした環境が、事実の隠蔽、矮小化の温床になっているのだ。

敷地内に寮の密室

「寮が学校の敷地内にある強豪校は、いくつかあります。代表的なのは、大阪桐蔭、明徳義塾(高知)、浦和学院(埼玉)あたり。今夏甲子園で決勝進出した日大三(東京)のような成功例はあるものの、部員は24時間、学校や部の監視下に置かれている。ただでさえ息が詰まるうえ、たとえば大阪桐蔭では、携帯、スマホの使用が禁止されているうえ、1年生部員は入部から数カ月、よほどの事情がない限り、親との連絡さえできないと聞きました。食トレと称して指導者の監視のもと、大量の食事を取らせるケースもある。昨今の中学生は、自由度を重視する傾向がある。丸刈り頭や高圧的な指導を嫌うのはもちろん、何かと制約が多い高校は敬遠されがち。そうした事情もあって、東海大相模(神奈川)などは寮を学校の敷地内から外に移転したほどです」(前出のスポーツライター)

かつて絶対的な強さを誇った大阪桐蔭も、近年は生徒集めに苦戦しているという。

「他校に決まっている中学生を強引に勧誘する手法に限界が来ているのは確かです」とは、さる中学野球関係者だ。

「横浜(神奈川)、健大高崎(群馬)などが人気を集める一方、中学のボーイズ、シニアなどの指導者の間で、大阪桐蔭の指導力、育成力が疑問視されているのは確か。2018年に春夏連覇を達成し、鳴り物入りでプロ入りした根尾昂をはじめ、近年は大阪桐蔭出身のプロ野球選手が軒並み苦戦している。19年に明徳義塾中から“強奪”した関戸康介投手は、最速154キロを誇り、プロ入りが確実視されていたものの、故障や不振に悩み、3年時は夏の大阪大会で一度も登板できなかった。20年に入学した千葉・京葉ボーイズ出身の海老根優大外野手も、中学時代は日本代表の常連だったが、レギュラーを掴んだのは3年夏。高卒プロ入りを希望していたが、22年ドラフトでは指名漏れの憂き目に遭った。現在は、社会人のSUBARUに所属しているが、目立った成績を残せていない。関東地方のボーイズ、シニアの指導者からは、『あの海老根でさえ育てられない学校』との声が聞こえてきます」

今回の広陵の部内暴力問題を契機に、旧態依然の強豪校が岐路に立たされているのは確かだ。

☟日本高野連・宝馨会長 今大会からの2部制拡大に言及 深夜終了には「ご迷惑をおかけしました」
https://news.yahoo.co.jp/articles/2cc42f012107555f3f183fb47faf2d6faf00e8b8

第107回全国高校野球選手権大会の閉会式が23日に行われ、日本高野連会長の宝馨会長が大会を講評した。

宝会長は各校の健闘を称えた講評後、今大会で初めて実施した一日4試合日での朝夕2部制について「酷暑とも言われる暑さへの対策でありました」と言及。「雨模様の日が何日かあり、気温が相対的に低くなった日、雨の影響で試合終了時間が遅くなった日もありました。雨による67分の中断があったとはいえ、試合終了が22時46分となり、両校関係者、試合終了まで観戦された皆さまにはご迷惑をおかけいたしました」と謝罪した。一方で、雨天時に「球場が判断良く迅速に内野の全面シートを施していただいたおかげで、グラウンドが水浸しになることを回避でき、第4試合まで完了できた日もありました」と指摘。「このような球場側の迅速な対応が大会のスムーズな運営に大きく貢献してもらっています。ここで是非ともお伝えしたく存じました。球場関係者の皆さまに今一度、感謝の気持ちをお伝えしたいと思います」と感謝を述べた。

今大会では原則として午前の部は午後1時30分、夕方の部は午後10時を過ぎると新しいイニングに入らずに翌日以降に継続試合を実施する規則が設けられた。
甲子園大会史上初となる継続試合は実施されなかったものの、8日の綾羽(滋賀)―高知中央(高知)との1回戦では、大会史上最遅となる午後10時46分試合終了という事態を引き起こした。

2部制が採用された5~9日の5日間での選手の熱中症疑いは計15試合で8件あり、昨夏の5日目終了時点の20件から大幅に減少。ただし、昨年より平均気温が2度低かったことが要因だった可能性が高いとみられている。

今後は2部制出場校にアンケートを取るなどして検証を進めていく。

⚾岩手さんへ
沖縄のチームはなぜかしら高校野球ファンに愛されますよね!指笛やハイサイオジサンの大合唱で、球場の雰囲気が異質になります!
15年前のセンバツで興南-日大三を生観戦しましたが、延長12回で3時間ゲームの折もそんな感じだったかなと。

横浜にずいぶん風が吹いているきらいがありましたが、県岐阜商が審判を含めて完全アウエーの戦いを制したのが大きかったですね。
近畿や戦前の優勝候補呼び声高いチームが不在で客入りがどうかなと思いましたが、45600人とプロ野球開催時よりも多かった!!

末吉・新垣有の2枚看板がまだ2年生なんで来年も・・・エナジックの壁を破れたら甲子園優勝候補になりますね。エナジックが本気出して監督がサイン出したらまた展開が変わるかも?!
審判はすでに全国で新人戦や秋季大会が開催されているので多忙だと思います。今日の球審・前坂は和歌山から来ていると思われますが、明日の10時からサンナンタンランド球場に派遣されたらかなりしんどいですよね!!たぶん3塁塁審あたりは和歌山大学の選手がサポートしていると思いますが。

明日は始発電車に乗って紀三井寺に行ってきます。コールド規定がもちろんあるので、和智弁の試合は甲子園同様打線がおとなしくしてくれたら良いのですが下級生かなり残っているし初芝橋本がどこまで健闘できるか・・・・・。
軟式には26日明石でノンビリ眺めるつもりです。

P・S ドリームシートの件微笑ましいですね。監督がすでに交代していたのでその選手も織り込み済で来たのかもしれませんが、センバツ準優勝したとはいえなかなか勝てないですね・・・。
熱闘甲子園はそんなもんですか・・・。美木良介がいた頃あたりが一番面白かったです。斎藤では役不足かも?!

107回大会は長雨と二部制の拡大そして広陵の初戦突破からの途中出場辞退・・・・・とずいぶん水を差されました。
あとは休養日3日もイランやろうと・・・。山梨学院の菰田投手は連投でもないのにヒジ痛で、、、昔のように3回戦~決勝まで4連戦の方が緊張感を持続できていいのかもしれないし、僕もその方がありがたいですが。
遠方から来る応援団はずいぶん振り回されたと思いますよ。高知中央とか本来第2試合登場のはずが、翌日の第4試合に組み込まれ9回2死まで勝利を手中にしつつも延長に持ち込まれ22時46分敗退とワリを喰いましたね・・・・・。

確実にナイターが見れる夕方の部も2度足を運びましたが、最初からナイターが保証されるのはどうも・・・朝から4試合で少しでも試合時間を伸ばすべく画策して、ようやくナイター点灯した時の方が歓びが大きいし!最後の観戦となった16日は17時42分終了で早かったですが、もう疲れてしんどかったので早く帰りたい気持ちが上回ってしまいましたね・・・・・。

猛暑が限りなく続くようだし、今月あと3回観戦予定あるので僕の夏はまだまだ終わりそうにないです!
2025/08/23(土) 21時19分11秒 No.1970 編集 削除
 スポーツニュースで智弁和歌山のある選手(名前は忘れました)が6年前の星稜ー智弁和歌山の延長14回タイブレーク戦をドリームシートで観戦して、アルプスからの応援に感動して、選手で甲子園出場して応援してもらいたいと入学。
 試合にも出場し、ドリームシート席の野球少年から甲子園出場していた話を見ました。
 73番も入れ替わりましたが、甲子園出場していたか!

熱闘甲子園も今日が最後に、2,3回見たかな?でもまとも全部は見てないですね。
2025/08/23(土) 19時36分23秒 No.1969 編集 削除