自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」

ようこそいらっしゃいました。監督(管理人)の宏鈴法師です。当掲示板は全国どこの話題でもOKですのでどうぞ野球談義・よもやま話をお楽しみ下さい!なお、ご意見ご要望はメールでお願いします。悪しからずご了承くださいませ。


紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
⚾今日の近畿学生野球試合結果(大阪シティ信用金庫スタジアム)
開会式 9:00~9:07

第1試合 奈良学園大ー大阪公立大 10:01~12:23
          一二三四五六七八九十計HE
      大 公 大101000000 241
      奈 学 大10030020X 6101

 地力に劣る(であろう)大阪公立大が昨秋の王者・奈良学園大に対して初回はフェンス直撃のタイムリーツーベース。3回はブルーモンスターも全く関係ない打った瞬間それと分かる特大アーチをそれぞれレフトに放ち、金星なるか?と思われたが、4回1死満塁のチャンスでピッチャーライナーゲッツーに倒れ、試合の流れが大きく変わりその後は防戦一方。

奈良学園大は遠路はるばる30人ほどのブラスバンドの応援団が舞洲に爆音響かせ、環太平洋大・創志学園・クラーク国際に似たアップテンポだった。

特にチャンステーマ・サンライズが流れた時には相手守備陣が飲み込まれそうな迫力で、よくコールド回避できたなと。
https://www.youtube.com/watch?v=-hOg2UgLTnA

7回に継投した2番手投手が軟投派で大崩れしそうな雰囲気も3番手投手が好リリーフしてコールド回避も、一歩間違えればサヨナラコールドという展開だった。。。

なんとか一昨日のトラウマを払拭して9回まで観戦できた喜びに浸って中抜けしてローソンに昼ご飯買い出しに行き、海岸線で夢洲の大屋根リング観ながら休憩。

第2試合 和歌山大-神戸医療未来大 13:11~15:28
          一二三四五六七八九十計HE
      和 歌 大000300000 341 
      神 医 大000100010 252

 かつて『高校野球頭髪3大疑惑監督』と某サイトで称された阿南光・高橋 徳監督のお父さんで鳴門工・早稲田大の監督を歴任された高橋 広監督が最近、神戸医療未来大の監督に就任し2部から1部昇格を果たした。

和歌山大は紀州R2期生の太田 智之選手に和歌山放送の中川 智美アナウンサーなどを輩出した国立大学。
本来ならば和大をガチガチに応援するところだが、コールドの影に怯えながら見ていたので先に3点先制したのを機に医療未来大の応援に走り、延長タイブレークまで持ち込めないかと期待したが・・・。なんとかしぶとく食い下がり1点差まで追いつめたが、8回1点を返してなおも2死満塁でサードゴロに倒れたのが痛かった・・・。

しかし、高橋監督は試合序盤はエナジック・神谷監督よろしくサングラスにウインドブレーカー羽織っていたので誰か分からなかった・・・。
前列ホーム寄りに腰掛け戦況を見つめていたが、ランナー出たら忙しくサインを送り身振りも大きかったのでやはり高校野球出身監督ゆえにガチガチの管理野球と見受けられた。

中盤以降は日も翳りサングラス外していたので、選手交代を球審に告げる際ベンチから出てきたのを双眼鏡で見て監督の顔がよく見えたが、試合終了後のあいさつで脱帽されたが、地毛かどうかは僕には分からなかった・・・。

第3試合 阪南大-大阪工業大 16:17~17:57 17:28点灯 7回表から
          一二三四五六七八九十計HE
      大 工 大100000100 251
      阪 南 大000000000 031

 ここまで2試合2時間20分前後だったので、1時間に1本しか来ない大阪市バス。19時35分発に照準を合わせていたが・・・・・。

両チームのサウスポーがテンポよく、特に阪南大の投手は1球ごとに大声で叫びながら投球し雲のアシストがなければナイター観れないところだった・・・・・。

コールドの可能性がないのはありがたいが、1時間40分で終わってしまうとは、、、、、
結局17時57分試合終了で結果的にレンタサイクルで移動した方が良かったかも???

朝は西九条から大混雑のバスに乗り込み、帰りも途中ですし詰め状態で西九条に帰ってきたので・・・。
楽しみにしていたJR大阪駅横のKITTEは4Fのラーメン屋大行列で諦めB1Fでつけ麵食べたが5組程度待っていた・・・。

結局、雨雲から逃げ切り21時30分過ぎに帰宅できコールド回避とナイター観戦で2年ぶりの舞洲を楽しめました。

あと、バス停が万博の影響で3月から閉鎖され球場前から500m程度歩かなければならないのは・・・・・夏、観戦者は困りますよね!

⚾明日の主な試合予定 
大阪大会1回戦 大商 学園-東大阪柏原

📝<春季県高校野球>地区大会の全日程終了、県大会出場37校出そろう 15日抽選会、19日開幕
https://www.kobe-np.co.jp/news/sports/koya/news/202504/0018833844.shtml

高校野球の春季兵庫県大会の地区大会は4日、阪神地区で2試合があり、全日程が終了した。19日に開幕する県大会には、各地区を勝ち抜いたブロック代表34校に加え、昨年秋の近畿地区大会に出場した東洋大姫路、神院大付、三田学園の推薦3校が出場する。

網干は1979年の創立以来、初のブロック代表。氷上は前身の氷上農時代から数えて57年ぶりに地区大会を勝ち抜いた。報徳や育英、神戸国際大付、社、明石商などの強豪も名を連ねた。

📝智弁和歌山・奥雄大 外野登録ながら三塁手 中谷監督「彼は頑張った」
https://news.yahoo.co.jp/articles/607973c7d8997034966e3369111c3fb7f492a142

決勝戦から一夜明けても、智弁和歌山・奥の表情は曇ったままだった。横浜との決勝戦では「2番三塁」で出場。6回、痛恨の後逸で追加点を与えた。

大会前、阪神、楽天、巨人で15年間プレーした中谷仁監督(45)はこう話していた。「奥はすごい才能の持ち主だと思います。もっともっと前に出てきてほしいです。控えめなんで」。投げては最速141キロの直球で押す強気なスタイル。バットを構えた姿はドジャース大谷翔平をほうふつとさせ、通算10本塁打。昨秋までは投手と外野手の二刀流だった。

大会直前の3月上旬、思いもよらぬ知らせだった。奥は、昨秋に右肩を脱臼した遊撃手レギュラーの主将・山田希翔に代わる内野手として、三塁にコンバートされた。

センバツ初戦まで3週間。内野手用グラブは後輩に借り、原田夏希コーチ(22)と夜な夜な宿舎近くの公園で“コソ練”を敢行し、特訓した。「毎日どれだけ原田先生が忙しくても、僕とゴロ捕をしたり、守備を教えてくれる」。幼い頃から地肩の強かった奥だが、反復練習を経て自信がついてきた。

初戦から準決勝まで1失策と難なくプレーしているように見えたが、甲子園の舞台は甘くはなかった。大一番での失策に、中谷監督は「甲子園の決勝でエラーした経験は、彼のステージがどんどん上がっていくことへの1つの要素になる」とあくまで、成長するための経験だと位置づけた。

周囲には「奈良で野球といえば、智弁学園では?」とも言われたが、己を貫き15歳で家を出た。

「智弁和歌山でプレーしたい。ジョックロックに憧れて、ここに来ました」

「雄大」の名は約4000グラムで誕生したことから「スケールの大きい存在に」と名付けられた。身長は父と兄を超え、188センチに。父隆彰さん(51)は社会人野球の日本新薬で17年間プレーし、7歳上の兄誠也さん(24)は奈良・一条でプレー。3年の18年夏には智弁学園の伊原陵人(阪神)と投げ合った。現在は昨夏都市対抗4強の西濃運輸に所属し、NPB注目の最速151キロ右腕だ。

兄も父も届かなかった悲願の日本一に近づいた春だった。中谷監督は「奥がサードにいなかったら、決勝まで来られなかったと断言できるぐらい、彼は頑張った。100点満点の働き」と振り返る。まだチャンスはある。真夏の甲子園で、栄冠をつかみ取る。

📝高校生投手の150キロ台は「本当にスゴいのか」問題…センバツ甲子園で出た“まさかの結果”「豪速球でも痛打され失点…」守備も含めた技術も?
https://news.yahoo.co.jp/articles/6272cae562f96598cdc8a8d9f3455ec3c05bccad

横浜高の優勝で幕を閉じたセンバツ甲子園。一方で、今大会は期待された「剛腕投手」がその本領を発揮できずに終わるケースが多かった。かつては衝撃をもって報じられた「150キロ台の直球」を投げる高校生も多い現代だが、果たしてそれは好投手の絶対条件なのだろうか? 

横浜の19年ぶりの優勝で幕を閉じた今春のセンバツ大会。3番で主将の阿部葉太が攻守の軸となり、奥村頼人、織田翔希の2枚看板を中心に投手層の厚さも際立った横浜が前評判通りに春の頂点に立ち、プレッシャーをものともせず昨秋の明治神宮大会からの“秋春連覇”を達成した。

センバツで注目された好投手たち
 
一方で、今春のセンバツは多くの好投手が集う大会でもあった。

注目投手の筆頭格は石垣元気(健大高崎)と阪下漣(東洋大姫路)。石垣は昨年、健大高崎のセンバツ初優勝に貢献した1人で、昨秋は150キロ台中盤の剛速球を連発し、早い段階から世代を代表する右腕として名をはせてきた。

阪下は昨秋の公式戦全12試合で防御率0.83を叩き出し、最速147キロの速球を糸を引くように操り、近畿大会、そして激戦となった明治神宮大会の準決勝の横浜戦でも完成度の高さを見せつけていた。

ところが石垣は大会直前の練習試合で左わき腹を痛め、「登板は厳しいのではないか」というニュースが耳に飛び込んできた。阪下は直前の練習試合で右ひじに違和感を覚え、初戦の壱岐(長崎)戦では先発するもわずか23球で降板し、2回戦でも登板はなかった。

阪下に関しては3月1日の練習試合解禁日の初の対外試合を、筆者は取材していた。
先発して2回を3奪三振、無安打と完璧に抑えていた。話を聞くと、開幕直前の練習試合でフォームを崩し、違和感を覚えたまま投げていると右ひじに痛みを感じたのだという。

大舞台を控え最終調整に入る時期にちょっとした「黄色信号」を出しても、本人も頑張っているので、少々のことなら……と周囲は考えてしまうかもしれない。その痛みや違和感の「程度」も初期段階では測れない部分もあったのだろうか。

昨今のトレーニングの進化もあり、最近は高校生投手が150キロ台の速球を投げることも珍しくなくなった。だが、それだけの速球を投げるとヒジなどにかかる負荷も大きく、しっかりとしたフィジカルチェックやケアを手厚くしているチームも多い。

スピードは投手の資質を測る上で最も分かりやすい数値だ。150キロを投げれば世間からの注目度が増し、周囲からの期待値も上がる。「もっと速い球を」という意欲を一層掻き立て、さらに腕を振る高校生も多いだろう。

「150キロが投げられる=好投手」なのか?
 
もちろん一般論として、150キロを投げられる投手は高いポテンシャルを備え、プロに行ける逸材かもしれない。

ただ、150キロを投げる=絶対的な好投手なのだろうか? 関係者に本音を尋ねると、聞こえてきたのは予想外な言葉の数々だった。

📝「150キロはすごいけど…」なぜ “軟投派”エースたちはセンバツで活躍できた?「腕の振りがほとんど同じ」「コントロールとキレで勝負できる」
https://news.yahoo.co.jp/articles/76598eca29380fadff852c3fb2a357a5a31cd1dd

今大会で期待された「速球投手」の筆頭である健大高崎の石垣元気も、優勝候補の一角だった東洋大姫路の阪下漣も、甲子園での受け答えは冷静だった。

ともに不調を抱えながらの登場となったが、阪下はネガティブな思いをしまい込み、ケガの現状について細かく説明してくれた。

石垣は昨秋の関東大会で球場のスピードガンが「158キロ」と表示されたことについて、記者から何度も尋ねられていたが「誤表示だと思うので、自分では気にしていません」とはっきりと話している。報じる側もその辺りは責任を持って記さなければならないが、傑出した数値が出るとどうしてもそれが見出しとなり、「158キロ」だけが独り歩きして本人を苦しめてしまわないか内心ヒヤヒヤしながら話を聞いた。

この春、石垣が2回戦の敦賀気比戦で9回2死から大会初登板し、見せた「5球全てが150キロ以上」は確かに圧巻だった。

150キロ台の速球も…外野へはじき返された
 
だが、8回から登板した準々決勝の花巻東戦では、その150キロ台の直球が外野にはじき返されていた。準決勝の横浜戦でも同様に直球を狙われ、失点した場面があった。

もちろん一般論として、150キロを投げられる投手は高いポテンシャルを備え、プロに行ける逸材かもしれない。ただ、150キロを投げる=絶対的な好投手なのだろうか。何とも言えないモヤモヤした気持ちを抱きながら、今春のセンバツ大会は取材を続けてきた。

そんな中、今春のセンバツで大きく注目を浴びたのが石戸颯汰(浦和実)だった。右足を高く上げ、上半身をくの字にかがみ込み、左腕を振り下ろす。

斬新と言うのか、ダイナミックと言うのか。この独特のフォームで打者を幻惑し、スローカーブやスライダー、カットボールなども駆使する。準決勝で智弁和歌山に敗れるまでは18イニング連続無失点と圧巻のピッチングを披露した。

ちなみにストレートの最速は130キロで、アベレージは125キロ前後なのだという。

「独特のフォームでタイミングが取りづらい」
 
初戦で対戦した滋賀学園の山口達也監督は、石戸についてこんな話をしていた。

「石戸君の独特のフォームでタイミングが取りづらかったです。チェンジアップと真っすぐの腕の振りがほとんど同じで、元阪急の星野(伸之)投手みたいで。ウチとしては完全に打ちあぐねました。あれだけ丁寧にコントロール良く投げられるのは捕手(野本大智)のリードも大きいでしょう。ウチは……結局フライアウトが16個でしたっけ? これでは点は取れません」

滋賀学園のある打者は「スピードがそこまでなくても手元でピュッと来る感じ」と石戸の打ちづらさについて述べていた。

石戸がこのフォームにたどり着いたのも「自分は身体が小さいので、力では抑えられない」と試行錯誤を重ねた結果なのだという。入学時からこの“変則ぶり”で経験を重ね、昨秋は埼玉大会の準々決勝で浦和学院を2安打完封するなど結果も残し、今春のセンバツ初出場。さらに大舞台でもその輝きをひときわ強く放っていた。

速球はなくても、自分にできる武器を磨いて勝負する。石戸のピッチングスタイルはまさにその賜物でもあった。「投手はコントロール」ともよく言うが、この春、そのコントロールの良さを十分に見せつけたのが渡邉颯人(智弁和歌山)だったのではないか。

初戦の千葉黎明戦では90球完封の「マダックス」を達成。全試合で先発を任され、準決勝までの4試合26イニングを投げ、与四死球はわずか6個。決勝の横浜戦こそ疲労もあってか6回途中までで9失点と打ち込まれはしたが、11安打を浴びた中でも与四球は1個。準決勝までの防御率は0.35、ストライク先行で投手優位のカウントを維持する場面が多く、安定感は抜群だった。

150キロより「コントロールとキレで勝負」
 
その渡邉に1月にじっくり話を聞いた時に、最速143キロであるストレートのスピードに関する質問をしたことがあったが、その際、渡邉はこう明言している。

「150キロを投げられるのは確かにすごいし、投げられたらな、というのはあります。でも自分はコントロールと球のキレで勝負できるピッチャーを目指しています」

今春のセンバツの渡邉はストレートの最速は143キロだった。数値にとらわれず自分の信念を貫き、140キロ前後のストレートをコーナーにしっかり決め、テンポの良さも目を引いた。

健大高崎と初戦で激突した明徳義塾(高知)の馬淵史郎監督は、石垣が負傷していることを察した上で試合前にこんなことを話していた。

「ケガをしているのなら将来のことがあるから無理しない方がいい。初戦で勝っても次(2回戦)まで中4日あるんだから。でも、ウチとしては下重君が(先発として)来るのがイヤやけれどね」

優勝した昨春センバツではエースだったが、秋に左肘を手術をしたため今春は代打に専念した佐藤龍月、そして石垣の緊急事態の中で存在感を見せたのが下重賢慎だった。

スライダー、カーブ、フォーク、ツーシームなど多彩な変化球を操り、コースもうまく使い分ける左スリークォーター。実はセンバツが始まる直前まで、秋以降に健大高崎と対外試合で対戦した高校の指導者から「下重君は一番厄介なピッチャー」「試合をしっかり作れるのは下重君」という評判をよく耳にしていた。馬淵監督も当然、警戒はしていたはずだ。

その明徳義塾戦で先発した下重は、10回を1失点完投勝利。明徳義塾の好左腕・池崎安侍朗との息詰まる投手戦は見事だった。2回戦以降も中盤まで試合をしっかり作り、石垣へのリレーが確立されたから昨年に続き4強進出できたと言っても過言ではない。

自信のある速球を捉えられ敗れた石垣は、準決勝で敗れた直後に「これからは球質やキレにもっとこだわっていきたい」とコメントしていた。

「速い直球」より「打たれない直球」
 
もちろん、速球にこだわることは悪いことではない。でも夏に向けては「速いストレート」より「打たれないストレート」への準備が必須だ。これだけの速球を持っているのだから、質の高いストレートを追求していけば、夏はさらに脅威の投手になっていくだろう。

投手育成を担当する健大高崎の生方啓介部長もこんな話をしていた。

「出力が上がってきている分、肩肘だけじゃなくて体幹とか、柔軟性とか、フィジカル面もしっかり見直さなきゃいけないのかなと思います。あとは守備も含めた技術ですね。投げる以外のフィールディングなども含め、もっと詰めていかないといけないことは多いですし、コンディショニングに関しては(ほかの指導者たちと)連携しながらやっていきたいです」

アクシデントに遭うまで、石垣は「フォームも良くなって順調に来ていた」と生方部長は言う。緊急事態の中でここまで投げ切りながらも、チームとしてひとつ大きな宿題を持ち帰り、夏へ向く石垣は「スピードだけじゃない」球質へさらに正面から向き合っていく。

石戸のような個性を持った好左腕や、渡邉のようなゲームメイク能力の高い右腕がさらに高みを見つめる中、石垣の進化も夏へ向けてひとつの楽しみとなる。センバツが終われば、高校野球界はいよいよ夏モードへ。“好投手”たちの本番は、いよいよこれからとなる。

⚾岩手さんへ
ゆなごまい・・・は読めないですね。放出は中古車センターがあるので、喜連瓜破は地下鉄谷町線。立売堀は本町の近くにあるので読めます!

大学野球ですが、全く予備知識がないので誰がどこの大学にいるのか分からないし、アナウンスで名前と出身校が放送されるので高校時代観戦した選手もごくわずかいますが・・・。

特に思い入れがないので、勝敗よりもいかに競った試合をするか?あわよくば延長戦。高校野球よりもロングゲームを期待といった風情ですね。

だいたい10時から2試合だったら15時前後の終了を想定しているので、13時51分終了はつらいですね。翌日は15時過ぎまで野球やってたし・・・・・。
リーグ戦で2勝勝ち抜き方式なんで当然1戦目はエースを立ててロースコアの接戦が想定されますが。

四死球で走者を出してエラーで傷口を広げ、連打で初回から大量失点。反撃すべき攻撃ではただ来た球を打ち上げるだけで凡打の積み重ねでは面白くないです!!

今日の舞洲は天気が心配されましたが午前中は晴れており、朝は底冷え日中はジャケット・セーター脱いでカッターシャツ腕まくり。第3試合では風が身に沁みナイター点灯と同時にセーター着用して試合終了後は速攻ジャケット着て、時間潰しの海岸線散歩でまた熱いと!

でも1部ともなるとメンタルが違いますね。再三走者を得点圏に背負いながらもそこからムダな四死球を出さないし、バックもヒット性の打球をファインプレーでゲッツーに仕留めたりと集中力が違います。

あの甲子園よりも2回り広くブルーモンスターと称する高いフェンスをモロともせず木製バットで特大アーチを放り込むなど見どころもありました。

同じ大学なんで関西学生や関西六大学同様コールド規定を撤廃してくれたらもっとノビノビ観戦できるんですが・・・。
いつ負の連鎖が始まって大量失点でサヨナラコールドとかにならないかヒヤヒヤしてましたから・・・。

基本的に僕は野球=高校野球ですが、紀州レンジャーズが2008年に発足し、翌年関西独立リーグ入りして通算6年間追っかけコロナ騒動でどこかに逃げ場を探して大学野球に遭遇し守備力の高さとメンタルの強さに魅了され、高校野球の間隙を縫って足を運んでおります。

万が一、来年から7イニング制なんてことになったら・・・大学野球が主戦場になってしまうのかな???
『チーム宏鈴』掲示板の根幹が揺らいでしまうのでそれはないと言いたいですが、7回終了の野球なんて年間50日以上球場通いする気力は失せますね・・・・・。

中学野球は小柄だし7イニング制でタイガースカップをサイクリングの途中で何度か見ましたがすぐに退散しました。
社会人野球は全く分からないので今後も見る機会はないと思います。。。

独立リーグはプロゆえに攻守交代はダラダラしているし、長いシーズンの1試合なんでトーナメントの野球とは重みが違いますよね。
今日観戦した大学野球は明日も試合あるし(雨天中止かもしれませんが)弱くても1シーズン10試合は保証されてますが、学生はみんな真剣勝負だったので好感が持てます。

しかし、関西万博の影響で3月からバス停がいくつか閉鎖されているしアリーナでプロバスケの試合があったようで朝から行列できてましたね。
何も知らなかったので閑古鳥鳴くバス移動を・・・と思いましたが往復ともに大混雑で疲れました。

でも今年4度目のナイター観戦できたし、2年前の近畿大会会場ゆえに昨年はあえて敬遠して行かなかったので新鮮でしたね。

大阪市バス最終が21時25分だったので3試合連続延長タイブレークとかでそこまで長引かなくて良かったです。
紀三井寺の第4試合もそうですが、試合中にどの電車(バス)で帰るか計算しながら見ておるので。
2025/04/05(土) 22時59分19秒 No.1696 編集 削除
 前回の読み方説明に言葉足りずだったみたいなので。

     読み方
砂子前  ゆなごまいです。

日本鉄道旅行地図帳という路線経路の本が野球雑誌の中から出てきました。その中に、大阪版があります。
漢字表記だけだと、全然分からないのが相当ありますが、管理人さんだったら分かるかもしれませがお許しください。

ハナテン キレウリワリ コマツ 
イタチボリ カスガエなどまだまだありましたが雑誌購入時は、サッパリ分かりませんでした。

野球の話をしないといけないですね!
関西地区の大学野球下位リーグ戦観戦ですが、選抜大会や近畿大会、中国大会、兵庫、三重県大会など比べると、相当物足りないでしょうね。
 逆に三部リーグとか二部リーグ戦を敢えて観戦するのも私はいいと思いますよ。
 浜松在住時ですが、夏の甲子園で大体20-35試合観戦していましたが、甲子園球場の試合から地区予選の試合を見るとレベルの違いを感じてしまうから、始めの頃は県大会の後半から再開みたいにしていましたが、新チーム当初は、投手だったらストライクが入らない、捕手はパスボール、野手陣は失策などで失点の山でコールド負けばかりのチームが、春季大会には変わっていることがあるので、つまらないと思うような試合でも、必ずスコア付けしていました。
 それと、甲子園大会が一番ですが、その後の大学野球、社会人野球、その前の中学の軟式、硬式の試合も見ることも面白いと思うけど、まあ人それぞれですからね。

愛知の招待試合は、仙台育英が、香川は作新学院らしいです。
 横浜高校は九州の招待試合は熊本かな?

最後は低反発バットはいい事なのかな?
値段は前基準バットより倍近くだし、延長タイブレーク戦が多くなる傾向ではないのかな。
そこで、完全2部制と暑さ対策のイニング短縮に!
2025/04/05(土) 21時55分22秒 No.1695 編集 削除
📝第72回 春季東海地区高等学校野球 三重県大会組み合わせ
https://mie-kouyaren.com/wp-content/uploads/2025/04/8071ac7723f5a7b8cb062167e214e9be.pdf

夏・秋の三重は2部制導入するので、、、、、春の東海大会会場から外された松阪の4/19が狙い目でしょうか?

他府県の組み合わせを見て吟味しますが、三重県大会行くとすれば4/19が最有力かな?松阪に春行かんかったら、夏の大会序盤シャトルバス運行を狙います。

ただ、バスの本数が少ないので9時から3試合だと第1試合途中10時前くらいの入場になりますが・・・・・。

帰りのバスも本数が少ないので、いつもの「中部中学校口」は諦めて「厚生病院前」を往復ルートを模索してます。

☝センバツ準V右腕の西武・山田陽翔がプロ初登板で無失点、開幕4連敗もキラリと光る若獅子たち
https://article.yahoo.co.jp/detail/b8faf2feffb359fdec75c73c91895a918e976281

近江高時代にセンバツ準優勝、甲子園通算11勝の山田陽翔

西武が3日の楽天戦(楽天モバイル)に1-4で敗れ、開幕4連敗を喫した。西口文也監督が就任して最下位脱出を目指しているが、12球団で唯一勝ち星がない。

しかし、下を向いてばかりもいられない。明るい材料もある。山田陽翔の名前を聞いて心を揺さぶられるファンは多いのではないだろうか。近江高時代、2年夏の甲子園でベスト4入り。3年春のセンバツでは新型コロナウイルスの集団感染で出場辞退した京都国際に代わって出場し、1回戦の長崎日大戦から2回戦の聖光学院戦、準々決勝の金光大阪戦、準決勝の浦和学院戦まで4試合連続完投勝利を記録した。

迎えた大阪桐蔭との決勝。連投の疲労もあって2.0回で4失点KOされ、チームも1-18の大敗を喫した。しかし、中学時代に大阪桐蔭の誘いを断って地元の近江に進学し、近畿で唯一優勝経験のない滋賀県に優勝旗を持ち帰ろうと強豪に立ち向かった雄姿は人々の胸を打った。

同年夏の甲子園でも準決勝進出。下関国際に敗れて夢見続けた頂点には立てなかったが、松坂大輔、島袋洋奨と並ぶ歴代5位タイの甲子園通算11勝、同4位の108奪三振をマークした。

2022年ドラフト5位で西武から指名を受けると、滋賀県内を走る、西武グループの近江鉄道に幼い頃から乗っていたことが話題になった。さわやかな笑顔とともに、西武との縁を感じさせる本格派右腕に誰もが期待を膨らませた。

1回無失点の上々デビュー

ルーキーイヤーは二軍で3試合、2年目の2024年は13試合に登板。着実に力をつけ、今春オープン戦でもテスト登板を繰り返した後、開幕翌日の3月29日に一軍昇格した。
そして、ついに立った初めての一軍マウンド。先頭の小深田大翔に右安打を許したが、小郷裕哉、辰己涼介、鈴木大地を打ち取り、1回無失点の上々デビューだった。

SPAIAのデータではシュート系(ツーシーム)を9球、ストレートを5球、カットボールを3球、フォークを1球の計18球。175センチと上背はないものの、身長以上に大きく見せるオーバースローから力強い投球を披露した。

西武は開幕カードの日本ハム戦もそうだったが、この日も6回と8回に失点するなど試合後半に粘り切れない展開が続いている。今後、山田が結果を残し続ければ、徐々に緊迫した場面での登板も増えるだろう。

将来的に大きく育ってほしい素材のため、西口監督の起用法もポイントとなりそうだ。

✌米子松蔭・新里希夢 身長158cm「少しでも何かを感じてくれたら」
https://www.nikkansports.com/baseball/column/baseballcountry/news/202504030000059.html

大会初日。米子松蔭の小さなトルネード・新里が甲子園に鮮烈なインパクトを残した。身長158センチ、体重56キロの体をひねり、臆せずストライクを投げ込んだ。強打の花巻東(岩手)に打ち込まれ、3回途中で降板。「悔しいです…」と唇をかんだ。

身長は今大会の登録640選手で最も低い。54年春に飯田長姫(長野)を優勝に導いた157センチの光沢毅は「小さな大エース」と呼ばれた。神戸商で活躍し、プロでも長く現役を続けた浜崎真二も150センチ台だったが、甲子園のエース格ではかなり珍しい。

父幸司さん(47)は166センチ、母幸恵さん(47)も149センチと小柄。4人きょうだいの2人目は幼少から体が小さかった。大会の開会式や運動会で整列すると埋没した。小2で野球を始めてから、両親は食卓に肉料理をたくさん並べ、アーモンド、小魚や牛乳に混ぜて飲むサプリを飲ませた。だが思うように伸びず、中学で身長は止まった。

両親が記憶する限り、新里は体格を気にするそぶりを見せたことがない。「内心は大きくなりたかったと思うけど、大きくないからこれはできない、とか言い訳は絶対言わなかったです」と幸恵さんは言う。

新里にとって「甲子園」は初めてではない。中2の秋、関西の硬式クラブ王者を決めるタイガースカップで主戦格として優勝投手になった。決して強豪ではなかったヤング湊クラブの初優勝に貢献した。甲子園で開催された初戦で、あこがれの土を踏んでいた。

レベルが高い同大会に出場した主力選手の大半は全国的な強豪校に進む。新里は優勝投手にもかかわらず、やはり体格がネックになった。進路の選択肢は広くなかったが、幸司さんは米子松蔭・塩塚尚人監督(33)の言葉が忘れられない。「育てますから。大きくないことを分かった上で、ほしいんです」。純粋な評価がうれしかった。

新里は昨秋の中国大会で背番号4の「エース」として3連続完投と大奮闘。33年ぶりのセンバツ出場に導いた。大舞台では最速更新の134キロを計測した。野球センスだけでなく、肉体の伸びしろも十分ある。

「どんな選手にも負けたくない。球速も制球もフォームも見直して、より打者の打ちにくい球を投げたい。自分が甲子園でプレーしている姿を見て、少しでも希望や何かを感じてくれたらうれしいです。もっと成長して、まだまだやれるところを見せたいです」。背番号1をまとった体をスッと伸ばした。

📝低反発時代の“新兵器”1キロ超木製バットが使われる理由 センバツ準V智弁和歌山が導入
https://news.yahoo.co.jp/articles/15a34a439fc086e71176b59a41c021ddf31fc2ec

低反発バットが導入されてから2度目の選抜高校野球大会が幕を閉じた。昨年よりも安打数、本塁打数ともに増加し、打者が順応しつつある中でも苦戦の声はまだ聞こえる。今大会で猛打を振るった準優勝・智弁和歌山の一部の打者は重さ1キロを超える極太の木製バットを使用。パワーや体格で劣る打者の新たな選択肢となり得る“新兵器”の効果に迫る。

極太の木製バットが低反発バットに悩む球児の救いとなるかもしれない。導入したのは今春センバツ5試合で55安打31得点と強打で鳴らした智弁和歌山。使用する球児の実力があることが前提ではあるものの、低反発時代に革命を起こしうる“新兵器”の効果を全国の舞台で見せつけた。

智弁和歌山では今大会13打数5安打の大谷魁亜内野手(3年)が1200グラム、黒川梨大郎内野手(2年)が1300グラムの木製バットを使用。一般的なマスコットバットほど重く、芯の部分が明らかに太い。力のある打者にしか扱えなさそうな異質なシルエットのバットだが、意外にも打撃に苦戦していたという2人が使用している。

大谷は金属バットについて「全然打てなかった。自分の力が必要になる」と説明。一方、現在使用している極太バットの打感は「重い分、芯に当てるだけで飛んでいってくれる」と話す。エナジックスポーツとの2回戦では三回に三塁線を破る左前適時打を記録。スイングの速さ以上に鋭い打球が飛び出し、金属バットとの違いを物語っていた。

低反発バットに力で対応できない打者には一定の効果が見込めそうではある。ただ、一朝一夕で扱えるような代物ではないことも確かだ。大谷は昨夏から同バットを使用。「ちょっと振っただけで筋肉痛になって大変でした」とその重さのバットを体になじませるのには時間がかかったという。グリップエンドから拳一つ分短く握り、「プライドを捨てて逆方向」と打撃の意識はミートに全振り。太いから当てやすい、重いから軽打で打ち返せる。その特性を理解して扱うことが同バットの恩恵を受けるための条件となり得そうだ。

阪神、楽天などでプレーした中谷仁監督(45)はプロ時代に恩師の野村克也監督から助言を受け、「太いタイプなら当たる可能性が高いんじゃないかと」と太く重たい木製バットを使用。その経験を基に打撃に苦戦していた大谷らにも使用を提案したという。

ルール上、金属バットよりも柔軟に形状や重さを変化させやすい木製バット。金属バット一択の時代から移行し始めている今、木製バットのタイプの多様化が高校野球に新たな流行をもたらすかもしれない。

☟「タピックひやごんスタジアム」命名権の契約終了 名称は元の「沖縄県総合運動公園陸上競技場」に 
https://news.yahoo.co.jp/articles/35b91be1bd114a27bc8cf3b88a0203c5d431816f

沖縄市の「タピック県総ひやごんスタジアム」の命名権を取得していた医療法人タピック(同市)が、沖縄県との契約を3月末で終了した。県によると、4月1日から施設名称は「沖縄県総合運動公園陸上競技場」に戻った。

タピックの名称は2018年6月から使用されていた。当時、県有施設として命名権が導入される初事例となった。施設は現在、サッカーJ3のFC琉球のホームスタジアムとして使われている。

県はタピック側からの契約更新の意向がなかったことを踏まえ、今後新たな命名権の公募を検討する。

⚾岩手さんへ
すなごまえ は何となく読めそうな気もしますが、四月一日は読めないですね・・・・・。
最近は、キラキラネームなるものが混在しているらしく幼稚園の先生なんて子供の半分くらいは名前を読めないケースがあるのでは?と察します。

こないだ阪神高速のガード下で取材した“羽奏”嬢もネット記事のフリガナなけりゃあ全く読めなかったですから・・・。

さて、豊中ローズ球場はコロナ騒動以降行ってないはずだから6年くらいはブランクあったと思います。
1年間リニューアル工事した割にはスコアボードと豊中ミュージアム以外は変わってないなあと・・・・・。

イスも背もたれなしだし、外野席もないし、アルプスは芝生のままと。

大商学園野球部は昔から地元の中学生が行くところがないのでしゃーなしに入学・入部して毎年大量の退部者を輩出している感じですね・・・・・。
朝練は6時30分から昼休憩はメンタルトレーニング夜は21時まで猛練習で叩き上げる感じです。

専用グラウンドやバスなんてないので、豊島公園のまだスタンドができる前のローズ球場で週2~3回借りて練習していたようです。

僕が高1の夏に初戦で履正社と大阪球場で対戦し、延長10回7-5で辛くも振り切りましたが、同じような1回戦ボーイの履正社が全国制覇するまでの躍進を見せる一方でこっちはからっきしダメだし春の初戦で東大阪大柏原相手では勝ち目が・・・・・。

学校の正面玄関にレリーフが2つあり、1995年1月バスケットボール部ウインターカップ全国制覇と2022年8月女子サッカー部高校総体全国制覇がひっそりと掲げられてました。

今は共学になったし、特進コースも設けているようで(僕の在学時は普通科・商業科しかなく、もちろん文系・理系なんてものは存在しない!)今の時代に中学生やったら浪人してたか中卒で就職していたか・・・・・。イイ時代に産まれてました。

毎年新聞に公立高校の入試問題が掲載されてますが、何一つ答えられないので・・・・・。

⚾shionomisakiさんへ
3/4雨天中止のリベンジでどこか代替えできないか模索していたら近畿学生野球3部リーグを発見と。

しかし、1年間リニューアル工事していたから・・・ウインク姫路・マイネット皇子山・ダイムスタジアム伊勢・僕だけの聖地紀三井寺クラスの大幅な改装を期待しましたが、、、パッと見た感じスコアボードが変わったくらいで屋根の大きさも変わらないし、スタンドのイスも背もたれなし。外野席も増設されないし、両翼も変わらないと・・・。

試合に関しては部員12人の奈良大VS部員10人の兵庫県立大が対戦すれば面白かったかもしれませんが、、、何も知らないで行ったものだから試合前の挨拶でホームベース手前に並んだ際に力の差を感じましたがスコアにそのまま出ましたね。

まだ今日は・・・ ①大教大13-2兵県大(8回) 10:01~12:10
         ②東阪大8-5奈良大     13:06~15:12
 
と健闘したようですが、昨日の体たらくみたら2日連続観戦しようという意欲のある30人ほどの観客はいないのでは?と。

たしか明日のカンドク開幕戦16時から豊中ローズ使用するはず。
僕は2年ぶりに舞洲上陸して開会式と10時から3試合ゆえにナイター観戦できればと。

今後のスケジュールは16日に公開予定ですが、春は三重・岡山あたりが限界ですね。。。
2025/04/04(金) 22時19分50秒 No.1694 編集 削除
行かれたんですね。お疲れ様です。
私は6月にNPBファーム戦に足を運べればと。
4月の平日に休みとれれば午後1試合はどうかと
思案中です。近畿学生野球2部3部の試合は
時間制限もあるようですから。制限時間内に
9回までやってほしい。
2025/04/04(金) 22時05分12秒 No.1693 編集 削除
 豊中ローズ球場で大学野球観戦&母校通学路散策などお疲れ様。
 高校受験時に大変な心の葛藤があったですね。
 通過電車の件は驚きです。

何度かこちらで母校の高校野球成績を見ましたが、在籍期間の大阪大会はベスト8クラスの活躍だし、卒業後2・3年後も上位校を破ったりしたのにね!その後、監督交代とか学校方針あったんだろうけど、たらればだけどその調子だったら頂上付近に近づいたに違いないと私個人は思います!
 近年は女子サッカーでよく新聞で見ますが、やはり高校野球で活躍を期待しています!

興味がなさそうだったみたいだったので。忘れないうちに答えてます。
        読み方
四月一日   わたぬき
昔はこの時期に着物の綿を抜くことに由来とか。衣替え

望月とは満月に呼び方が変わる前の呼び方のようですが、どのよう変わっていったのかは分からないけど。

砂子前  よなごまえと読みます。
私もこちら戻ってくるまで、すなごまいでしたから。

難読地名、苗字、地理、幕末時代も好きなので、観戦の折には何かありましたら教えていただければ幸いです。!

高校野球地区大会は、今回も近隣開催なしでした。
2025/04/04(金) 21時43分19秒 No.1692 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
⚾今日の近畿学生野球3部リーグ試合結果(豊中ローズ球場)
第1試合 奈良大学ー東大阪大学 10:02~11:51
          一二三四五六七八九十計HE
      奈 良 大01000200  354
      東 阪 大45000001x  1081

第2試合 大阪教育大-兵庫県立大 12:40~13:53
          一二三四五六七八九十計HE
      兵 県 大00001     163
      大 教 大4630X     13110

3月4日2代目カンドクのオープン戦を今年の野球観戦初めにする予定が前夜雨天中止を喰らい、昨年12月リニューアルオープンした豊中ローズ球場に行けなかったので、約1か月後にリベンジ達成したが・・・・・。

やはり、甲子園と違いコールド規定があるので・・・10時過ぎまではウキウキしながら第2のふるさと豊中市を満喫してましたが、試合始まると・・・・・。

2試合とも四死球やエラーで初回から大量失点喰らい歯止めが効かずにズルズルと・・・・・。
まだ部員12人の奈良大は3回以降持ち直し8回まで粘ってくれたが、部員10人の兵庫県立大は目も当てられなかった・・・・・。

昨春、岡山県営で中国大学野球2部リーグ観戦したが、雨の中山陰勢が3タテされて5回・5回・6回と全部コールド負けしたデジャブが蘇った。。。

キレ気味に観戦していたが、無料観戦だし早く終わったのでじっくり豊中ミュージアムを見学して、30数年前・・・服部駅(現・服部天神駅)から服部商店街を通り抜けて約800m長い一本道を西へ歩いて約15分。3年間何百往復したか分からないあの平坦な道。

いつの間にか校舎を建て替えて、グラウンドは人工芝となり、男女共学化に学ラン 改め ブレザーのハイカラなグレーの制服。高校2年の春に大阪商業から大商学園に校名変更したけれど、校歌はそのまま。

間違いなく僕は、この道を3年間歩き続けてきたんだなあと・・・。中学3年の受験期には全国各地どこの高校入試を受けても全部落ちるだろうと悲観していたが、兵庫では相手されないので大阪に落ち延びたら専願で一発合格していただき、こんなボクを受け入れてくれた豊中市。これで寿命が大幅に伸びたと。学園の入学試験に落ちていたら服部駅のホームから通過列車の急行に飛び込む覚悟はしていたので、、、

高卒後、就職して7年弱で辞めて以来30ほど転職して隠居の身となれど、間違いなくあの3年間は人生の黄金期ではなかったかなと。

行きたかった北陽・第2希望の金光大阪そして両親の勧めを断った履正社は高校入学後甲子園出場を複数回果たしているが、全く後悔はしていない。

高校2年の秋そして高校3年の夏。いずれも日生球場の準々決勝で創部4年目の大阪桐蔭に7-9・1-8(7回コールド)で負けてアルプスで在学中に甲子園応援の夢は断たれたが、卒業した年の92年夏に2年生エース・松井 和夫(現・稼頭夫)&今岡 誠(現・真訪)などがいたセンバツ8強のPL学園に夏4回戦で2-1と競り勝ち万博球場で号泣したあの日は32年経っても色あせない。

美木 良介よろしく『僕の夏はまだ終わっていません!!』

🎵1999年「熱闘甲子園」エンディングテーマ 皆谷尚美 セピアの日 https://www.youtube.com/watch?v=6b8qyxJ1Sjo

📝持丸修一 76歳名将の高校野球論
私が「飛ばないバット」に感じる"攻撃面"の意外なメリット…今春センバツにも好例があった
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/369754

1年前に低反発バットが導入されて以来、高校野球は大きく様変わりしました。

私の体感では、従来の金属バットの打球速度や飛距離を「10」とするならば、低反発バットは「6」程度。その影響の大きさは、今春センバツでベスト4が出そろうまでにサク越え本塁打がわずか4本しか出なかったことからも明らかです。

とはいえ、私は低反発バットを恨めしく思っているわけではありません。むしろ「攻撃」において、プラスの側面もあると感じています。

たとえば、2点を追う攻撃で無死満塁の場面。私は本塁打よりも、三塁打が出る方がうれしいと感じることもあります。

本塁打で一気に4点入るのはありがたいことですが、見方を変えれば「リセット」にもなりかねません。走者が一掃され、再びゼロから走者をため直す必要があり、次の1点を奪うまでの心理的ハードルが上がります。さらに、失点を割り切った相手投手が、ここから開き直って良い投球をしてくるケースもあります。

一方で三塁打ならどうか。3点が入って、なおも無死三塁となれば、相手バッテリーはスクイズを警戒するため、こちらが打者有利のカウントをつくりやすくなります。四球を選べれば無死一、三塁。こうして次々と走者をためながら、延々と攻撃を継続できるのです。点数以上に、相手チームに与えるダメージも大きくなります。

好例が今春センバツの浦和実(埼玉)と聖光学院(福島)の準々決勝。浦和実は無死一、二塁から始まるタイブレークで、単打を連発しながらも「終わらない猛攻」を続け、史上初となる延長1イニング8得点を記録しました。長打が出にくい低反発バットだからこそ、これからはこのような場面が増えていくことが予想されます。

我が専大松戸も、攻撃側、守備側のどちらにも対応できるよう、準備を進めている最中です。

対外試合解禁の3月1日を皮切りに、週3日ほど練習試合を実施。山形県や岩手県の学校とも対戦しました。その中で見つかった課題を残りの日々で修正。全体練習は、朝9時半ごろから3~4時間ほど。その後の自主練習も、選手たちは2~3時間かけて取り組み、私は巡回しながら個別にアドバイスをしたり、課題を与えたりしています。

春季千葉大会は予選こそ免除されていますが、4月19日の県大会開幕まで、時間はわずか。夏の大会でのシード権獲得を目指し、ここからしっかり勝ちにいきます。この時期こそ、実は一年で最も忙しくしています。

📝センバツVで復活!「横浜高校ブランド」の正体 指導体制は「大阪桐蔭以上」と関係者
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/369855

横浜(神奈川)は昨3月31日、19年ぶり4度目のセンバツ優勝から一夜明け、紫紺の優勝旗を手に凱旋した。

同30日の決勝で智弁和歌山を11-4で撃破。これで昨秋から公式戦20連勝、明治神宮大会に続く秋春連覇となり、1998年にエース松坂大輔を擁して以来の2冠達成となった。

この日の朝、甲子園球場の周辺を一周したという村田浩明監督(38)は「春は日本一で終われたが、夏勝ってこそ本物。秋春そして夏の3冠を目指したい」と宣言した。村田監督の下で掲げたスローガンの「横浜1強時代」になりつつあるが、なぜ復活できたのか。

まずは強豪校がうらやむ「選手集め」だ。戦国神奈川で、昨夏は東海大相模、その前年は慶応にいずれも県大会決勝で敗れた。近年は毎年のように甲子園に出場しているわけではないのだが、「有望中学生の人気は、東日本というより全国でもトップクラス」とは中学野球関係者。今大会最速152キロをマークした二枚看板の一角、織田翔希(2年)は福岡県北九州市出身。全国から猛者が集められているのだ。元部長の小倉清一郎氏はこう証言している。

「村田監督は日体大出身。中学や高校の指導者に日体大OBが非常に多く、九州をはじめ、全国に散らばっているネットワークが、選手勧誘の際の人脈として生かされている。私がいた時代、恐らく強豪校の中ではどこよりも早く週休1日制を取り入れた。専用グラウンド、室内練習場はあっても、グラウンドに照明がない。つまり、夜間練習ができないため、今どきの中学生にはかえって安心感になるようだ。今は休みなしや夜間練習という軍隊式は敬遠されますから。5年前の共学化で女子が入学するようになり、男子校だった高校生活がだいぶ華やかになったのも、人気の一因でしょうね」

プロで活躍できるノウハウと指導

そうはいっても、やはり大きいのは「進路」だという。
「一番は横高に入ればプロに行ける、というイメージが中学生やその親の間に浸透している。ソフトバンク近藤や日本ハム万波のように、将来的にプロで活躍できるという指導体制が大きい。これは大阪桐蔭以上ではないか。現在の村田体制はもちろん、かつての小倉部長と渡辺監督時代から脈々と受け継がれる『プロで活躍できるノウハウと指導』を求め、全国から有望な中学生が集まってくるのです」(前出の中学野球関係者)

昨秋の県大会決勝の東海大相模戦などは、小倉元部長のデータ分析メモである「小倉ノート」に頼ったものの、今では村田監督がこれを「村田ノート」として継承、進化させたものを選手に配布。相手打者によって大きくポジションを変えるなど、データ野球も引き継がれている。

村田監督の人脈、データ野球の継承、練習時間は短めで女子にモテモテ。そしてプロに行ける──。これが有望中学生を全国から引き寄せる「横高ブランド」の正体である。

🔥【U18】小倉全由監督「9月に向かう気持ちだけは持って」候補選手に訓示 連覇狙うW杯へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/3cb498bc071bd077fc2f24b42148a5efbe699f06

野球のU18日本代表候補選手の強化合宿が3日、奈良県内で始まった。センバツ制覇した横浜(神奈川)のエース奥村頼人(3年)ら38人が参加。午後からシートノックやフリー打撃を消化した。

4日は紅白戦を予定する。連覇を狙う9月のU18W杯(沖縄)に向けた第1歩。2年目の小倉全由監督(67=日大三元監督)は「全国から選ばれて来ている自覚を感じた。みんな、9月に向かう気持ちだけは持ってくれと伝えました。去年より木製バットに慣れている感じがしましたね。合宿ではそれぞれの長所を出してくれれば」と期待した。合宿中の主将には健大高崎(群馬)・小堀弘晴捕手、副主将は大阪桐蔭・中野大虎投手が指名された。

☝神港学園 7回コールド快勝で県大会切符 先発・寺田逸太が2安打完封
https://news.yahoo.co.jp/articles/508c78f84d43a8a08ae9252b573ef1bb3a1f92ac
◇春季高校野球 兵庫大会 神戸Eブロック代表決定戦 神港学園7―0須磨友が丘(2025年4月3日 G7スタジアム神戸)

春夏通算8度の甲子園出場を誇る神港学園が、須磨友が丘を7―0(7回コールド)で下し、県大会出場を決めた。

先発・寺田逸太(3年)が2安打完封勝利を挙げた。130キロ台の直球に切れ味鋭いスライダー、ツーシームなどを織り交ぜ、須磨友が丘打線を封じ込めた。4回までは一人の走者も許さないパーフェクト投球を展開。5回に初安打を許して1死二塁、6回にも1死一、二塁のピンチを背負ったが、ともに落ち着いて後続を断った。

打線も初回に2点を先制すると、3、4、5回に1、1、3と効果的に得点を重ね、終わってみれば計10安打7得点。投打の歯車がかみ合い、危なげなく勝ちきった。

3月には今春選抜準優勝の智弁和歌山(和歌山)、同出場の敦賀気比(福井)、二松学舎大付(東京)と練習試合を重ね、いずれも敗れはしたものの競り合いを演じた。この日完封した寺田に加え、ともに最速140キロ超の右腕・岩崎皓斗、左腕・小沢寿史也(ともに3年)の2枚看板も擁しており、投手陣の層は例年以上に厚い。北原直也監督は「オフはトレーニングに力を入れてきました。投打に勝負できる戦力は整っていると思います」と言葉に力をこめた。

☟大阪学院大高が本気で目指す「打倒・大阪2強」の先 根も葉もない噂の流布に困惑も
https://news.yahoo.co.jp/articles/6273ccd567c688867a0b3a5c8842185ec923121f?page=1

阪神甲子園球場で選抜高校野球大会が華やかに開催されている裏で、出場できなかった高校は夏に向けた準備をしている。

3月24日、大阪府吹田市にある大阪学院大高の野球場では、春休み期間を利用して練習試合が行なわれていた。

【あくまで目標は日本一】

大阪学院大高は昨秋の近畿大会でベスト8に進出。準々決勝は0対4で敗れたものの、相手は近畿大会王者の東洋大姫路(兵庫)である。それでも、1月24日に発表されたセンバツ出場校のなかに大阪学院大高の名前はなかった。

大阪のセンバツ出場校がゼロに終わったのは、じつに98年ぶりの事態だった。大阪学院大高の辻盛英一監督は言う。

「大阪の高校野球ファンのみなさんには、申し訳ないことをしたと思っています。150校を超える大阪の代表が甲子園に出られなかったのですから、情けないです」

同じく近畿大会ベスト8で、出場校に選ばれた滋賀短大付(滋賀)はセンバツ初戦で敦賀気比(福井)と対戦。秋季大会では堅守が光っていたが、甲子園では6失策と乱れた。0対15というスコアで敗れている。

大阪学院大高の選手にとっては、複雑な心境なのではないか。そう想像していたが、主将の朝田光理は毅然とした口調でこう語った。

「滋賀短大付の試合をテレビで見て、初出場の緊張で思うような動きが出せなかったのかなと感じました。もちろん、僕たちも甲子園のグラウンドに立ちたかったですけど、大阪1位の履正社を倒してセンバツに選ばれたのは滋賀短大付なので。大阪3位だった僕らは、何も言うことはないです」

大阪学院大高の選手たちはすでに気持ちを切り替え、夏に向かっている。
近年、大阪桐蔭と履正社の「2強」時代が続いた大阪の勢力図に、変化が表われ始めている。昨春の大阪大会で大阪学院大高が履正社、大阪桐蔭と連破して優勝。センセーショナルな快挙にも、辻盛監督はこう言ってのけた。

「大阪桐蔭と履正社に勝ったことがクローズアップされてしまいましたけど、ウチの目標はあくまでも日本一です。大阪を優勝して日本一になろうと思うと、その間に大阪桐蔭と履正社がいるので。当然勝たなければいけないというだけなんです」

大阪学院大高は江夏豊氏(元・阪神ほか)の母校として知られ、1996年春のセンバツベスト8の実績がある。近年は学校をあげて野球部の環境改善に注力し、大阪市立大(現・大阪公立大)の監督を務めた辻盛監督が就任して、ますます強化が進んでいる。

辻盛監督は異色の指導者だ。大手保険会社勤務時代には13年連続ナンバーワンの売上を達成し、著書『営業は自分の「特別」を売りなさい』(あさ出版)はサラリーマンの間で読みつがれるロングセラーになっている。

現在は会社経営者としても成功し、順調な収益を挙げている。社員教育にもこだわりを持ち、「こちらからは教えないこと」を信条とする。社員に対しても野球部員に対しても、「どうすればいいと思う?」などと質問を繰り返し、本人に考えさせる。「教育者」としてのアプローチは一般的な学校教員と一線を画し、経営者ならではの視点を感じさせる。

【今春から公式戦解禁の秘密兵器】

昨秋は3番・遊撃手の鶴丸巧磨、4番・捕手の樋爪信ら、将来有望な1年生が主力を占めるチームだった。しかし、ひと冬越えた今春、大阪学院大高は新3年生に「新戦力」が加わっている。

長瀬大来。身長188センチ、体重92キロの大型右腕である。やや変則的なスリークォーターから最速146キロのクセ球と、横滑りするスライダー系の球種を武器にする。

この個性派右腕が昨秋までベンチ入りしていなかった理由は、高校1年時に別の高校に通っていたため。今春のセンバツで準優勝を果たした智辯和歌山に、長瀬は在学していた。規定により転校後1年間は公式戦のベンチ入りができず、今春から解禁になる。

事情があって大阪学院大高に転校したものの、長瀬に智辯和歌山に対するわだかまりはない。

「智辯和歌山にマイナスな感情はまったくないですし、甲子園での活躍に刺激を受けています。夏は日本一を目指して甲子園で戦えたら、最高だと思っています」

智辯和歌山の4番打者・福元聖矢とは小・中・高とチームメートだった親友であり、「飛び抜けた選手になってほしい」とエールを送る。

転校直後はサイドハンドに近い腕の振りで、球速は130キロが出るかどうか。だが、大阪学院大高の水が合ったのか、1年かけて大きな成長を遂げている。長瀬は晴れやかにこんな実感を語った。

「本当に充実しています。辻盛さん、コーチ陣、仲間たちが早くから自分を受け入れてくれて、やりやすい環境にしてもらえたので、ありがたかったです」

主将の朝田が「抜群に野球IQが高くて、冷静に指示を出してくれる」と評するように、長瀬はチームメイトからの信頼を勝ち取った。そして今春、長瀬の新たな才能が花開きつつある。辻盛監督が感服した様子で明かす。

「長瀬はバッティングがいいので、投げない時は本格的に外野を守らせています。この前、くら寿司スタジアムで紅白戦をやった時には、左中間の場外に放り込んだんです。低反発バットであれだけ飛ばせる子はいないですよ」

本格的に野手として試合に出るようになって日が浅いだけに、本人は「ピッチングのほうが自信はあります」と語る。だが、ツボにハマった際の打球には大きなロマンがある。長瀬はプロ志望で、すでに視察を済ませているプロ球団も複数ある。

【根も葉もない噂が流布】

そして、有望な新1年生も入学してくる。投手は粒揃いで、なかでも注目されるのは北海道・日高シニアから越境入学する林将輝だ。

林は侍ジャパンU−15代表の速球派右腕で、中学3年時点で140キロ台後半の快速球を投げ込む。身長171センチ、体重60キロと小柄ながら、極限まで捕手に近づいてリリースできる球持ちのよさが魅力だ。

こうして着々とチーム強化が進む一方で、大阪学院大高への風当たりもだんだんと厳しくなっている。取材者として、高校野球の現場で大阪学院大高に対する恨み節を聞くことも増えた。

辻盛監督は「採用と教育」の重要性を公言しているように、スカウティングに力を入れているのは間違いない。だが、一方で根も葉もない噂が流布されることに困惑しているようだ。

「選手にお金を渡しているとか、特待生をたくさん取っているとか、まったくないですよ。ウーバーイーツのことを言われますけど、全員に対してやっていることなので」

辻盛監督の言う「ウーバーイーツ」とは、食事量が足りない寮生にフードデリバリーサービスの利用を認める、大阪学院大高特有のシステムを指す。この特殊な補食システムが他校に知れ渡り、批判の的になっている。

ただし、資金源は辻盛監督の自費である。監督や後援者がチーム強化のために高額なトレーニング機器を購入するといった、高校野球界でよく聞くエピソードと大差がないとも言える。  批判を受けたこともあり、辻盛監督は「今後は学校が補食を用意してくれることになりました」と明かした。ただし、「それでも足りなかったら、ウーバーを頼みます」とも付け加えている。

昨秋の段階では「まさかあんなに勝つとは思っていなかった」と語った辻盛監督だが、日本一のチームをつくる思いにかけては「そこがブレることはありません」と断言する。

主将の朝田も、日本一にかける思いをこう表現した。
「学院に来て、辻盛監督から『本気で日本一を狙うから』と言われて、前キャプテンの今坂さん(幸暉/現・オリックス)の野球への熱い情熱を見て、日本一への思いがさらに強くなりました。今坂さんたちがその第一歩を拓いてくれたので、チームを次のステップにつなげていくのが自分たちの役割だと考えています」

出る杭は打たれる。だが、出すぎた杭は打たれない。大阪学院大高の挑戦は、まだ始まったばかりだ。

💢元侍U-18代表左腕が契約解除で退団「球団規定ならびに契約違反があった為」 関西独立L球団が発表
https://news.yahoo.co.jp/articles/af2c2db2396a859e8db2ba5badb420e09a6885db

さわかみ関西独立リーグの堺シュライクスは2日、U-18日本代表経験もある左腕の矢野海翔投手(19)と契約を解除したと発表した。

チームの公式Xで「球団規定ならびに契約違反があった為、当球団との契約は解除、自由契約となり退団となりました事をご報告いたします」と発表された。同投手はリーグ選抜として、4月8日のオリックス2軍との交流戦のメンバー入りを果たしていたが、退団に伴い変更となった。

矢野は大垣日大時代の23年に夏の甲子園に出場。W杯を戦うU-18日本代表にも選出され、チームの世界一に貢献した。
2025/04/03(木) 22時12分50秒 No.1691 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
☝場外ファール阻止…福島・信夫ケ丘球場、防球ネット増設 硬式利用可に
https://news.yahoo.co.jp/articles/52052d88f54c846ea49772b0f58775fa16121523

福島県福島市は1日、中学生以上の硬式野球を使用不可としていた同市の信夫ケ丘球場の利用制限を解除した。球場周辺の住宅にボールが当たるのを防ぐ「防球ネット」の増設工事が完了し、危険性がないか検証した上で市が安全と判断した。

増設されたのは一塁側のスタンド席後ろで、防球ネット4枚と既存の防球ネットとの接続部分1枚の計5枚。同球場を管理運営する市スポーツ振興公社の担当者は「安心して使ってもらえる。少しでも危険がなくなれば」と話した。

同球場を巡っては、メインスタンド付近の防球ネットが低く、近隣の民家などにファウルボールが飛ぶ危険性があるとして、2023年2月から中学生以上の硬式野球の使用ができなくなっていた。

📝怪物・江川卓を攻略せよ」なぜ広島商は作新学院に勝てたのか?「じつは首を寝違えて…」江川が達川光男に言った「お前には1球も全力で投げてない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/360040d464d59253e0c847cb0ba4b500fb1b6366

「このゲーム、お前らの勝ちだ」
 
広島商監督の迫田穆成は「ストライクゾーンの上半分は捨てて、5回までに100球投げさせろ」と選手に指示した。作新学院の江川卓は珍しく制球が定まらない。広島商は2回に3四球を選んでいる。 5回に1点を先行されたが、その裏、左投げ右打ちの佃が詰まりながらも右翼線にチーム初安打を落とし、すぐに追いついた。

前年秋の新チーム結成以来、江川が続けていた連続無失点記録が139イニングで止まった瞬間だった。5回が終わり、部長の畠山圭司が「江川の球数104球」と告げた。

「よし、このゲーム、お前らの勝ちだ」。迫田が選手に暗示をかけるように言った。
試合は1対1のまま8回に。先頭の金光興二が自身3個目の四球で出塁して二塁盗塁を決める。楠原基がチーム2本目の内野安打で1死一、二塁。
迫田が勝負に出る。ベンチから送ったサインは重盗、ダブルスチールだ。金光がスタートを切る。捕手から三塁への送球が高くそれる。金光が一気に本塁へ返り、これが決勝点となった。

江川と金光は卒業後、法政大学でチームメートになる。「走るのはわかっていた。捕手に『投げるな! 』と言ったんだけどなあ」と江川は金光にこぼしている。

「江川対策」として練習を重ねた秘策は、日の目を見ることはなかった。しかし、広島商が5度目の全国制覇を果たす同年夏に、この練習が生かされる。日田林工(大分)を下した3回戦。2回1死満塁から、広島商は2ランスクイズで逆転する。守備側のスキを突き、三塁走者に続いて二塁走者も一気に生還するプレーは、「江川対策の応用じゃった」と迫田は胸を張る。

「2点目のホームインを、NHKの中継カメラが追えてないんじゃ。なにが起きたか、分からんかったんじゃろ」。豪快に笑った迫田の顔が懐かしい。

「雨にやられた」江川卓が明かした“敗因”
 
さらに後日談がある。「怪物」のデビュー戦を甲子園球場の外野席で観戦した西村欣也は、のちに報知新聞社に入社し、江川が入団した巨人の担当記者となった。

「入団をめぐる『空白の1日』があったこともあり、江川もマスコミを遠ざけようとしていたけど、根は明るくて頭がいい男だからさ。遠征先へ移動する新幹線の食堂車なんかで、いろんな話をした」

江川が引退した後、朝日新聞社に移籍した西村はぼくの先輩記者となり、当時の話をしてくれた。2018年に夏の全国高校野球選手権大会が第100回を迎えるに当たって長期連載した高校野球名勝負物語「あの夏」では、西村が江川、ぼくがその他の関係者を取材し、第55回大会(1973年)の2回戦、銚子商(千葉)対作新学院の裏側を物語として描いた。西村は親交が深い江川に朝日新聞東京本社まで来てもらい、編集局内のテレビに当時の映像を流しながら取材している。その際、選抜大会の裏話についても聞いている。

作新学院と広島商が激突した準決勝は雨で順延になった。すでに3試合を投げている江川にとっても佃正樹にとっても、恵みの雨になると思われた。ところが、江川は「雨にやられたと思いましたね」と西村に打ち明け、秘めたエピソードを語り始めた。

すでに江川はメディア攻勢にさらされていた。宿舎の電話は鳴りっぱなしで、部屋まで上がってきた記者もいたという。そのあたりは、ぼくも当時の監督だった山本理(おさむ)から聞いている。「センバツを機に大変なことになった。ああなると、チームは壊れちゃうね」と打ち明けられた。 江川はこのとき、隠し部屋のようなところへ避難したそうだ。そこにソファがあった。その上でウトウトしたという。「その時、首を寝違えたのよ」。翌日の準決勝は、その痛みを抱えたまま、マウンドに上がっていた。

達川光男には「1球も全力で投げてない」
 
その点については、広島商の捕手だった達川光男も語っている。

「ワシら何とか勝ったんじゃが、あいつは首を寝違えとって調子が悪かったらしいんよ」
「それに、プロ入りしてから、お前には1球も全力で投げてないって言われたよ」

夏の100回大会を記念して2018年に朝日新聞で企画した「世代トーク」で、同世代の大野豊と対談してもらった時に語ってくれた。ぼくは同僚と、その対談を取材した。
達川は「秋の中国大会が終わって、『栃木にすごいのがおる』と監督に訳の分からん練習をさせられた」と、迫田の秘策についても触れている。無死または1死二、三塁からスクイズを失敗するという作戦だ。

「監督は『下手に当てたらフライになってゲッツーになるから、空振りせい』と。三塁走者が挟まれてタッチアウトになる間に、二塁走者が追い越す作戦ですよ」

ちなみに、夏の日田林工戦で、その応用である2ランスクイズを成功させたことには触れたが、このとき、二塁から一気に生還した走者が達川である。この対談企画では、毎回最後に、自分たちの世代に名前を付けてもらった。

「僕らは『江川世代』だね」と達川は言った。「たくさん良い投手がおって、捕手も豊作。江川のおかげだと思う。『江川を打ち崩さない限り、日本一にはなれん』が合言葉で、それまでサボることしか考えてなかったけど、ノルマより500回余分にバットを振ったりした」

1955年生まれで、異論がある野球人はいないだろう。

☝PL学園高のリードオフマン、田中一徳氏が山口鴻城高の部長に就任
https://news.yahoo.co.jp/articles/9eeb55dc9ab823aaf6a10054bcae7d3d1ccb2f0d

PL学園高(大阪)出身でプロ野球横浜(現DeNA)の元外野手、田中一徳氏(43)が山口鴻城高の野球部部長に就任したことが1日、分かった。

田中氏は、高校2年時に1998年夏の甲子園準々決勝の横浜高(神奈川)戦に「1番・左翼」で出場。延長十七回の末に敗れたが、松坂大輔投手から4安打を放った。2000年ドラフト1位で横浜に入団。1年目から1軍デビューを飾り、通算341試合に出場した。06年の退団後は、日本学生野球協会から学生野球資格の回復を認定され、拓大紅陵高(千葉)、日本経大、鹿児島第一高でコーチを務めた。

山口鴻城高は夏の甲子園に3度出場した古豪で、田中氏がPL学園高時代に指導を受けた清水孝悦氏が総監督を務めている。1日付で部長に就任し、12日開幕の春季山口大会からベンチ入りする予定。サンケイスポーツの取材に「これまでの経験を生かして、選手たちの力になれるようにやっていきたい」と意気込みを語った。

📝「激化するスカウト活動とは一線」「部員は1学年13人前後。育成時に進路提案」でセンバツ準優勝…名門・智弁和歌山を支える「ご縁」とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/061b1640b7f57715b309233b074e3112c49dfbea?page=1

新興校などが勢いを増すセンバツにおいて、甲子園優勝経験のある伝統校が存在感を見せた。準優勝の智弁和歌山の“人材育成術や特注バット”の特色を現場取材した。

ご縁があった子どもたちと一緒に日本一を
 部
員数が多ければ、能力の高い選手とめぐり合える可能性は高くなるかもしれない。一方、指導の目が行き届かない、練習メニューに制限がかかるといったデメリットを指摘する声もある。甲子園常連校でプロ野球選手も数多く輩出している強豪校の中には、部員数に上限を定める高校は少なくない。例えば、大阪桐蔭や愛工大名電は1学年15〜20人前後に制限している。
今春のセンバツで準優勝した智弁和歌山も少数精鋭のチームづくりを進めているが、他の強豪校とは少し事情が異なる。チームを率いる中谷仁監督は「ご縁があった子どもたちと一緒に日本一を目指しています」と話す。

智弁和歌山は1学年の部員数を13人前後と決めている。その理由には、まず学年ごとの生徒数のキャパがある。野球部員が在籍するスポーツコースは生徒の人数が15人前後。今春3年生になる学年から陸上部の駅伝選手が数人加わったが、それまでは野球部だけでクラスを構成していたという。野球部の塩健一郎部長は「元々、野球部は1学年10人でしたが、投手の分業制やBチームの試合を組む目的で人数を増やしました」と説明する。

育成には「進路」も含まれる
 
スポーツコースと言っても普通科のため、主要五教科の授業は他のコースと同じように行われる。ただ、5時間目や6時間目の体育の枠から野球部の練習ができるカリキュラムとなっている。

1学年13人前後の部員数は、勝利と育成を両立する上でバランスが良いと智弁和歌山は考えている。1学年10人で計30人の部員になると、ポジションやけが人などの問題でAチームとBチームの2つに分けるのが難しい。すると、試合経験に差が生まれてしまう。一方、計40人ほどであれば、AチームとBチームがそれぞれ練習試合を組める。選手の入れ替えによるチーム内競争も活発になり、結果的にチーム力の底上げにつながる。そして、智弁和歌山の育成には「進路」も含まれている。塩部長が語る。

「みんなに活躍できる機会があるところが智弁和歌山の良さでもあります。部員が多すぎると選手一人ひとりに目が行き届かない面もあります。選手たちのゴールは高校野球ではありません。大学や社会人で野球を続ける上で高校時代に試合に出た経験は重要になりますし、指導者が選手の特徴を知っていれば選手に合った進路を提案できます。ご縁があって智弁和歌山に入ってきてくれたので、進路もサポートしたいと思っています」

もちろん、選手全員がベンチに入れるわけではない。だが、選手たちにはアピールするチャンスが与えられているのだ。

「一般的なスカウト活動はやっていません」中谷監督も塩部長も口にする「ご縁」。この言葉に、他の強豪校とは異なる智弁和歌山のチームづくりが表れている。中谷監督が言う。

「ご縁のあった選手たちと勝つためのベストな方法を模索しています。うちはスカウト活動をしていませんから」

強豪校は一般的に、全国各地を回って有望な中学生を視察して入学を勧める。全国大会で優勝したチームの主力選手らの中には、50校を超える高校から声をかけられるケースがあるほど、スカウト活動は激化している。しかし、智弁和歌山は、この競争に加わらない。チーム内には和歌山県外の選手も在籍しているが、いわゆるスカウト活動とは一線を画す。塩部長は、こう話す。

「うちの方針は智弁和歌山で野球がしたい選手に限って視察するスタンスです。良い選手がいると聞いて見に行って声をかけることはありません。中学生を全く見ないわけではありませんが、一般的なスカウト活動はやっていないと言えます」

「智弁和歌山で野球がしたい」球児を生かす監督の役割
 
智弁和歌山への入学は「智弁和歌山で野球がしたい希望」がなければ、スタート地点に立てない。どれだけ全国的に有名でも、その気持ちがない選手は対象外となる。例えば、今大会は木製バットの使用で注目された大谷魁亜選手は「自分は和歌山出身で、ずっと智弁和歌山に憧れていました」と入学の理由を明かす。
この選手たちの特徴を生かすのが中谷監督の役割となる。

📝「野村克也監督から提案を」“阪神→楽天→巨人”元プロの智弁和歌山監督が教え子に“1200グラム木製バット”を勧めた背景「指導者の役目だと」
https://news.yahoo.co.jp/articles/a041b5ffad7f75ff7bc5c5ef9f9ee6d0b3324041

選手の特徴を見極めて生かすのは指導者の役目
 
2025年春のセンバツで準優勝を果たした智弁和歌山。部員数は決して多くなく、中学時代は全国大会に縁のなかった部員も少なくない。中谷監督はチームの理想像を定めていない。在籍する選手それぞれの特徴を最大限に引き出すことこそが、目指すチームの形となる。新2年生と新3年生の2学年で戦う昨秋から今春のセンバツにかけては、特に苦労が大きかったという。

「部員数が少ないので、誰がどこにはまるか試行錯誤してきました。けが人もいましたから」

苦悩の跡は選手の背番号にも表れている。今春のセンバツでバッテリーを除いて守備番号と背番号が一致していたのは、ファースト、センター、ライトの3つだけ。サードの奥雄大選手は17番、セカンドの大谷魁亜選手は6番でショートの黒川梨太郎選手が4番を付けた。中谷監督が冗談交じりに明かす。

「もう少しメンバー登録の提出期限を遅くしてくれたら、背番号と守備位置を合わせられると思います。メンバー登録の時点ではセカンドとショートが逆でしたが、練習していく中で今の形の方が良いと判断して入れ替えました」

センバツ出場校は、大会が始まる1カ月以上前に背番号を含めた選手登録を済ませる必要がある。その時点で指揮官がベストと考えた布陣は1カ月の間に変化する。それだけ、中谷監督はあらゆる可能性を模索しているのだ。

「選手の特徴を見極めて生かすのは私たち指導者の役目です。今は打球角度やヘッドスピードなど数字が出る時代なので、自分の経験や感覚だけではなく、論理的に考えながら選手を指導する必要もあると思っています」

「ご縁」とチーム力、そして打撃力
 
中谷監督は阪神、楽天、巨人と3球団でプレーしたプロの知識や経験を持つ。その強みを生かしながらも、固執や押し付けはしない。客観的な数字を見ながら、選手に提案する。
選手と指導者をつなぐ「ご縁」。一期一会を大切にする姿勢はセンバツで準優勝を果たしたチーム力と決して無縁ではない。それは打撃面に目を移しても見えてくる。

今年のセンバツは低反発バットが導入されてから2度目となった。本塁打は31試合で計6本。ランニング本塁打を除くスタンドインは4本。柵越えが少ない流れは変わらなかった。前回大会は2本だった柵越えの本数に大きな変化はない。ただ、打球には違いが生まれていた。“低反発バット元年”と比べ、今大会は内野手の間を抜ける安打や内野手の頭を越える安打が増えた。

打球速度の変化はチーム方針の徹底と選手の適応力にある。上位に進出した高校の監督や選手は共通の言葉を口にしていた。

「低くて強い打球」

例えば、ベスト4入りした健大高崎・青柳博文監督は「うちは、つなぐ意識で1点ずつ積み重ねるスタイル。低反発バットには順応しています」と語る。16安打9得点で花巻東に勝利した準々決勝では、15本の単打で得点を重ねた。その健大高崎に準決勝で勝利した横浜は、世代ナンバーワンと評される石垣元気投手に対して内野の間を抜く強い打球で攻略した。この試合、12安打のうち10本が単打だった。

「そうやって煽らないでください」と言ったこと
 
智弁和歌山も「低くて強い打球」を追求するチームの筆頭と言える。2回戦のエナジックスポーツ戦では13安打9得点。12本の単打でつないだ。中谷仁監督は試合後、報道陣から「強打の智弁和歌山が復活した印象ですが」と質問されると、笑顔を見せながら慌てて否定した。

「そうやって煽らないでください。うちは攻撃のチームではありませんから。私も選手たちも、『いってやろう』という気持ちになってしまいます。うちのチームにはオーバーフェンスを狙える選手が少ない。今のスタイルで勝てているので勘弁してください」

中谷監督は低反発バットの影響以上に、個々の選手の特徴を重視した結果、野手の間を抜く低くて強い打球をチーム全体に浸透させてきたという。とはいえフルスイングや長打を狙う打撃を否定するわけではない。

「スキルやフィジカルが長けていてオーバーフェンスする力がある選手は、長打を狙ったスイングをした方が良いと思います。私たちのチームのように、その確率が低いのであれば、一番確率良く安打が出る方法を考えることで勝利に近づけると思っています」こうも説いていた。

“1200グラムの木製特注バット”を使った2人
 
安打や勝利の確率を上げる手段の1つとして、智弁和歌山が取り入れたのが「特注バット」だ。7番・大谷魁亜選手と9番・黒川梨太郎選手は、通常の金属バットよりも太い木製バットを肩にかつぐように構えて打席に立った。

バットの重さは1200グラム。プロ野球選手でも900グラム台のバットを使っていることを考えると、その重さが分かる。メーカーはフォースキフトで、1本1万円以下と価格は安い。しかも、大谷が「根元や先に当たっても折れません。一度も折れたことはありません」と話すほど強度が高い。大谷と黒川は、この特注のバットを拳1つ分空けて短く持ち、バットの重さを利用して叩きつけるようにスイングする。黒川が解説する。

「少し上から振る感覚です。今までは投球のラインにバットを入れる意識でスイングしていましたが、木製バットに変えてからは投球に対してバットを上からぶつけるイメージに変更しました」

中学までは長打を期待されていたが、つなぎ役に
 
身長172センチ、体重70キロと決して体が大きくない黒川は打席で、速球に力負けする課題があった。そこで、昨秋に中谷監督から木製バットを勧められた。最初は1200グラムの重さに苦労したという。それでも、秋から冬にかけてバットを振り込み、少しずつ操れるようになってきた。

「はじめは振り遅れて打球が後ろに飛んでいました。ただ、毎日振っていると徐々に慣れてきて、前に飛ぶようになりました。1200グラムのバットは重い分、しっかりとスイングできれば投球に押されません」

黒川が木製バットに挑戦したのは、チームへの貢献とチーム内競争に勝ち残るためだ。智弁和歌山では小技を含めたつなぎ役に徹しているが、中学時代までは長打を期待される打線の中心を担っていた。高校に入学するまで、試合で犠打の記憶はほとんどないという。

「自分は上位打線の選手たちのように打力がありません。1番打者につなぐ役目でチームに貢献したいと思っています。木製バットを使っているのは、強い打球で内野の間を抜く単打が目的です」

最初はバットに振られるイメージだったが
 
7番に入る大谷は黒川よりも早い時期に中谷監督から木製バットを打診された。昨夏、選択肢として示されたという。「最初は戸惑いました」と語る大谷も黒川同様、中学生まで小技やつなぎ役とは無縁だった。

「ただ、高校では体の成長に差があって体格の大きい選手と同じようにしていても勝てない部分があります。自分の特徴を生かしたスタイルを確立していこうと切り替えました」

大谷の身長は175センチと平均的だが、体重は72キロとやや細身。1200グラムの木製バットは想像以上に重く、今までのスイングとは考え方を変える必要性を感じた。

「バットを振るというよりも、最初はバットに振られるイメージを持ちました。大振りせずに、バットの芯に当てることだけ意識しました」

筋力トレーニングや振り込みでバットの重さに負けない力を付け、試合でも安打が出るようになった。今大会は13打数5安打の打率.385。内野の間を抜いたり、外野の前に落としたりする打球で持ち味を発揮した。犠打も5つ決めてチャンスを演出。木製バットの感覚に慣れると、犠打は金属バットよりもやりやすいという。

じつは現役時代「野村監督から“太い方が…”と」
 
じつは、特注の木製バット導入は中谷監督の現役時代の経験がきっかけとなっている。指揮官は楽天でプレーしていた当時を回想し、黒川と大谷に木製バットを勧めた理由を明かす。

「現役時代に使っていたのは、ちょうど2人が使っているような太さと重さのバットでした。私は打撃が苦手だったので、野村(克也)監督から『太い方が当たるだろう』と提案されました。黒川と大谷は色んなスキルを身に付けるために木製バットを使っています。打撃を得意としていない選手には、『こういう生き方もあるんじゃない? 』と伝えていくのは指導者や先輩の役目だと思っています」

2人はスイングスピードをガムシャラに追い求めるより、スイングが速くなくても安打を増やしたり、レギュラーをつかんだりする確率を高める選択肢として示した。

打球を遠くに飛ばす打者にはロマンがあるが、飛距離だけが打力ではない。低反発バットに合わせた打撃を磨くのか、木製バットを使うのか。それとも、バットに左右されないフィジカルを作るのか。第1回で触れた智弁和歌山のチーム作りと同様に――高校野球には選択肢は様々あり、正解は1つではない。

💢U18代表候補強化合宿 横浜・阿部葉太コンディション不良で辞退 センバツV貢献、世代の中心
https://news.yahoo.co.jp/articles/dec9e4fa1e01430a672a3339a90ddcc7dd16ec14

日本高野連は2日、U18日本代表候補強化合宿の辞退選手らを発表した。合宿は3日から5日まで関西圏で行われる。

今春センバツで優勝した横浜(神奈川)を主将として引っ張った阿部葉太外野手(3年)は、コンディション不良のため全日程不参加となった。甲子園でも活躍し、世代の中心選手として期待されている。

延岡学園(宮崎)藤川敦也投手(3年)と神村学園(鹿児島)今岡拓夢内野手(3年)はともに春季大会と重なるため、全日程不参加。

滝川(兵庫)新井瑛太投手(3年)は春季大会の試合後に途中合流する。

今回発表されたメンバーは42人。日本代表は今年9月にU18W杯(沖縄)を戦う。
2025/04/02(水) 22時28分21秒 No.1690 編集 削除
5/18 春季東海大会初日開幕試合 カヤバスタジアム 菰野(三重②)ー享栄(愛知①) 9:58~12:37

    一二三四五六七八九十計HE
菰  野026001000 9114 栄田-栗本
享  栄000023002 772 上倉、水ノ江、浜上、小山-杉本
 
        第二試合   
        津田学園
        市岐阜商

 今年の東海大会は岐阜主管となっている。今回は長良川をメインにカヤバスタジアムがサブとなっている。

カヤバスタジアムといえば、思い出すのは6年前の100回大会の夏。可児へ行くには新幹線で名古屋経由。そこから名鉄に乗って40分程度で可児川に行き、徒歩で30分弱歩けば到着なんだが、、、屋根のない人工芝球場で10時から2試合とはいえあの日は40度近い気温で倒れそうなくらいの猛暑だった・・・・・。
翌日の大野町レインボースタジアムは屋根はあるけど、かなりコンパクトで同じような気温でいつぶっ倒れても不思議ではないところだった。

大野町には初観戦が2012年国体でなんとその日に東海地方台風直撃という憂き目に遭い、2試合中1試合は完了したが第2試合は中止で1試合目の5回終了後に到着した僕はほとんど観戦できず、無料シャトルバスで穂積駅まで送迎され、間引き運転の電車に乗って岐阜入りした苦い過去がある。

2年前の夏には長良川~プリニーの(各務原)の1泊2日観戦だったが、梅雨の長雨の影響で4試合中開幕試合の3回裏途中で継続試合となり翌日も中止でほぼほぼ見れないまま帰宅という最悪のケースもあった因縁の岐阜。

今回は初日こそ快晴で2024年初の真夏日が予想されるも翌日の長良川は雨予報で降りだしの時間次第では延泊もあり得る状況。

6年前と同じように京都から新幹線で名古屋へ行き、慣れない名鉄に乗って見知らぬ街へ行った・・・・・。
6年ぶりに歩く街だが、地図を片手にカヤバSのナイター照明塔を目印にテクテクと歩き、最後の心臓破りの坂を登り切って到着するとスタンドが狭い影響もありお客さんは結構埋まっていた!

カヤバの開幕試合は菰野ー享栄という注目のカード。どうやら監督同士は同学年のようでベテラン対決が楽しみ。
しかし、菰野の戸田監督がこの数日後に部内暴力が発覚し半年間謹慎処分を受けることを僕はまだ知る由もなかった・・・。戸田監督のパワハラなんて公式戦に行けばよくみかけることなんだが・・・・・。

菰野はなんと20人中15人が2年生でスタメンも全員2年で固めている。
享栄は大藤監督が中京から移籍して監督を頼って有望選手が多数入部しているようで今年もプロ注目投手がいるらしい。
スタンドを見ると菰野はなんと遠路はるばるブラスバンドの応援団が駆け付ける一方で、享栄は太鼓1つの応援といささか寂しかった。

先発投手は菰野はエース・栄田。享栄は11番・上倉だった。やはり経験不足であろう小物としては先攻だし先取点を取って勢いづきたいと思ったが試合は意外な方向へ・・・。

1回表享栄の上倉投手は絶好調で三振2つと内野フライであっさり抑えると、その裏1死から2番・パウエルがライト前ヒットそして盗塁で2塁に進み早くもワンサイドがちらついたが、内野ゴロ2つで何とか無失点。

これでチーム自体が落ち着けたのか?2回表4番・森が四球で出塁すると戸田監督はバントが好きなイメージがあったが、5番・梶谷はレフト前ヒット。無死1・2塁でもバントせず6番・栄田はセンターフライ。これで無得点を覚悟したが、7番・松山が1-1から3塁線突破のタイムリーツーベースで2者生還しなんと菰野が先取点を奪った!!さすがに上倉投手も本気を出し下位打線を抑えたが大きな2点をもらって、栄田投手もその裏きっちり3人で抑えてコールド回避はできると思っていたら・・・。

3回表1番・菊池がレフトへツーベースを放つと今度は一転して送りバントをしてこれがオールセーフで無死1・3塁。このあたりで上倉投手が音を立てて崩れる予兆があったのだろうか??3番・加瀬こそ浅いレフトフライに抑えたが、四球で満塁とし大藤監督は辛抱たまらず12番サイドスロー水ノ江を投入もこれが大誤算で、5番・梶谷センターへ走者一掃のタイムリースリーベースで5-0と菰野が大量リード。さらに四球で走者をためて7番・松山もライトへタイムリースリーベースを放ちまさかの7-0とコールド圏内突入。
大藤監督は3番手に10番・浜上を選択。エース・小山は登板回避だろうか?戸田監督は当初の代わりっぱないきなり初球セーフティースクイズをかましてファーストのエラーを誘い、3塁走者は動かなかったので1死1・3塁。9番・中川にも1・2球はセーフティースクイズのサインで揺さぶり、2-1と追い込まれてからライト前タイムリーで8点差。まさかの5回コールドが頭をよぎり、享栄の同情応援に走りなんとか食い止めたがまさかまさかの展開で、その裏も栄田投手は3人で抑えオール2年生軍団が愛知1位の享栄にコールド勝ちか!?と思わせる序盤の猛攻だった。

これ以上点差が開くと5回コールドにもなりかねないと危機感を募らせた中盤。4回表も菰野は容赦なく3・4番の長短打にエラーが絡んで無死2・3塁。せめて1点に抑えて欲しいと願っていたら、享栄は内野前進守備。ポテンヒットでも喰らったら2点入りかねない背水の陣を敷いたが、浜上投手が踏ん張り2者連続三振とショートフライで無失点に切り抜けてくれた。
5回は三者凡退に抑え最悪の事態は免れたが、2点取らないと今度は7回コールドとなってしまう・・・。
せっかく新幹線で名古屋経由して6年ぶり2度目の可児入りしただけに9回まで観たい気持ちはいつも以上に強かった!

果たして享栄打線は・・・4回裏サードのエラーで出塁するも中軸が沈黙し無得点。
5回裏は1死からサード内野安打にまたもサード・立岩が前の回に続きエラーで1死1・2塁。1番に回ったがなんとこの回4つ目のサードへの打球で無難にこなされ3塁封殺で2死1・2塁。期待の2番・パウエルもサードゴロで万事休すかと思われたが、またしてもサード・立岩のエラーに救われた。。。ゴロは弾き、送球は高く逸れあとで戸田監督にどやされることが目に浮かぶが・・・・・。
相手に助けられ2死満塁となり、3番・仲谷がフルカウントからレフトへ会心の一撃を放ち2者生還で2-8とコールド回避のところまでもっていき、さらに4番・西久保の打席に期待するもセンターフライで整備に入った。

それにしてもレギュラー全員2年生の菰野が序盤で享栄を圧倒してあわや5回コールドゲームというところまで追いつめるとは・・・・・。
今年も夏の三重大会優勝候補に挙がるだろうが、来年は春夏連続甲子園も狙えそうな戦力だ!!
遠路はるばる菰野から可児までブラスバンド動員しているし、気合の入り方が全く違う。

享栄はエース温存で明日を見据えた戦略が完全に裏目に出た格好で2-8とワンサイドゲームになってしまった。せめて9回まで野球をして欲しいと願ったが・・・。

6回表菰野は先頭の2番・立岩が四球で出塁すると戸田監督は3番・加瀬に手堅くバントのサインを出すも初球ファールで強打に切り替え1-2からなんと左中間タイムリーツーベースで再びコールド圏内の7点差、、、しかし4・5番が凡退し2塁走者釘付けで2死からまさかのけん制死で流れが享栄に傾く。
その裏、5番・江藤が8球粘って四球をもぎ取り1死後代打・坂本がライト前ヒットでつなぎ、8番・杉本レフトへのタイムリーツーベースでしぶとく6点差に戻し夢をつなぐと、浜上投手の代打・杉浦の4球目まさかのパスボールで4点目。結局杉浦は三振に倒れたが、2死からショートゴロ悪送球でもう1点追加し9-5と追い上げコールド圏内から脱出成功。なおも続く2死2塁のピンチは栄田投手が踏ん張りパウエルをファーストフライに打ち取りいい感じで終盤に入る運びとなった。

これでコールド回避はほぼほぼ確定となったが、大藤監督は4点差に迫ったことで勝ちにいく方針に変えたのか?ここまで温存していたエース・小山を投入。
菰野打線は3回までの猛攻がウソのように借りてきた猫のようにおとなしくなり、7回は簡単に三者凡退。8回は先頭打者が四球で出塁するも、1番・菊池の2-2からの6球目の前にまさかのけん制死・・・。結局この回も結果的に3人で終えコールド回避に成功。
だが、コールド回避で満足したのか?6回に怒涛の猛追をした攻撃陣が菰野の2年生サウスポー栄田の前に再び沈黙し、7・8回と6つのアウト中5つがフライアウトと淡白な攻撃に終始し最終回へ。

もうコールドの可能性はなくなったので遠慮なく打ってほしいところ。3番・加瀬がライトへツーベースを放ち、1死後死球で走者が溜まり再びの大量得点を期待したが、6番・栄田投手ファーストライナーダブルプレー・・・。
あとは4点差守り切るだけ。9回裏享栄はエース・小山に代打を出し万が一延長タイブレークになれば5番手投手はいるのか?????その考えも杞憂に終わり、簡単にツーアウト。これで終わらない享栄の粘り、、、2番・パウエルが左中間スリーベースで反撃のノロシを挙げ、四球で1・3塁として4番・西久保が左中間にポテンヒットを放ちなんと7-9と2点差にしてなおも2死2塁。ホームランが出ればたちまち同点というシチュエーションとなったが、オール2年生の菰野スタメンは落ち着き払い最後はレフトフライで試合終了。

5回で終わってしまう危惧はあったものの気が付けば試合時間2時間39分といかにも東海らしいグダグダなロングゲームでたっぷり冷や汗掻かされ2024年初の真夏日突破という記念すべき日に菰野の校歌は・・・流れなかった。

試合後、同級生監督はお互いの健闘を称えあい場外で談笑されていた。
しかし、この直後に戸田監督のパワハラが高野連の耳に入り、日本学生協会から半年間の謹慎が下るとは・・・監督生活約40年でパワハラしたのは1度や2度ではないことは少し三重まで足を運んで菰野の試合観たら分かりそうなもんだが、なぜ今さら・・・・・。

苦しみつつもこれで準決勝の長良川行き確定でその頃、長良川では県岐阜商が静岡との古豪対決を2-1で制し、あの鍛治舎監督の太っ腹を観なければならない。。。
オール2年生がどこまで胸を借りられるか?明日が楽しみだ。

さて、新幹線名古屋駅でずいぶん悩んで駅弁購入。ナゴヤめしはグレード高く本当に悩んだ!!
1塁側アルプス芝生席で堪能し、第2試合は両チームともにブラスバンド動員し、津田学園はチアガールまで桑名から遠路はるばるやってきた。

2試合連続三重県勢を観戦できるのは無上の喜びとなる。
第1試合もかなり長く、時間は圧していたが、それ以上に第2試合は長く、その後の喫茶店巡りに大垣のヤド入り~スーパー銭湯湯治が遅くなり、なんと23時頃にスーパー銭湯~ヤドまで大垣の夜の街を徘徊するハメとなったが、それはまた次回の講釈で。

チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 四球 死球 三振 失点 自責
菰  野 栄 田  9  41 165  7  3  0  3  7  3 

享  栄 上 倉  2 1/3 13   42  4  2  0  3  5  5  
享  栄 水ノ尾   0/3  3   14  2  1  0  0  3  3  
享  栄 浜 上  3 2/3  17  59  4  1  0  3  1  1  
享  栄 小 山  3   10  49  1  1  1  2  0  0 

                    (完)

                 🌟次回予告🌟
5/18 春季東海大会初日第2試合 カヤバスタジアム 津田学園(三重①)-市岐阜商(岐阜②)
2025/04/01(火) 23時49分55秒 No.1689 編集 削除
👣松阪〜熊野、路線バス廃止「残念」 本州で2番目に長い135キロ 三重交通
https://news.yahoo.co.jp/articles/7a084c5085493bcb5ef171ea753812716ed570c2

半世紀にわたり活躍 最後の運行、別れ惜しむ

三重県松阪市から熊野市まで約135キロを4時間半ほどかけて結ぶ、本州で2番目に長い三重交通の路線バス「松阪熊野線」が3月31日、運行を終え、半世紀以上の歴史に幕を下ろした。松阪市京町のJR松阪駅前を午後2時15分に出発した最終便には約30人が乗り込み、周囲では10人ほどが盛んにシャッターを切りその姿を写真に収めた。

同社によると同路線は、本州では奈良交通の大和八木駅前と新宮駅を走る「八木新宮線」の166.9キロに次いで長い。1970(昭和45)年10月に松阪市と和歌山県那智勝浦を結ぶ「南紀特急バス」として始まり、起点や終点、路線変更を経て2018(平成30)年10月に現在の系統になった。
 
利用者のほとんどは松阪市から多気郡大台町までで、度会郡大紀町から熊野市までは少なかった。国や県の補助で運行を継続したものの、1日当たりの補助要件を下回る中で、24(令和6)年10月から土日祝日を運休し、平日も1日3往復から1往復に減便していた。
 
JR松阪駅前から最終便に乗り込んだ大阪市の自営業の渡部卓史さん(39)は「のんびりと移動ができる路線バスが好きなので、廃止はとてもさみしい」、大阪府内に住む中国浙江省出身の大学生の男性(24)は「北海道から九州までバスで旅をしました。松阪熊野線は一度台風で諦めたことがあるので、今回は終点まで乗りたいです」とそれぞれ話した。
 
最終便の撮影にやってきた津市の50代男性は「地元に密着したバスが好きで写真を撮っています。この路線には伊勢志摩サミットの年に乗ったことがあり、思い出があります」とバスを見送った。
 
今春大学を卒業し1日から社会人という同市の松本遥紀さん(22)はカメラを手に「松阪熊野線は国道42号を下って松阪から山を抜けて、海までの風景の移り変わりが魅力でした。長い間お疲れさまでした」と別れを惜しんだ。

☝センバツ2025 準優勝旗掲げ 智弁和歌山、堂々凱旋 
https://news.yahoo.co.jp/articles/d2e5cbd416a525aa30a46e2616029e4a71d74f14

第97回選抜高校野球大会で準優勝した智弁和歌山の選手らが31日、和歌山市の同校に凱旋(がいせん)した。1994年以来31年ぶりのセンバツ優勝は逃したが、5試合を戦い抜いたナインの健闘をたたえ、生徒や保護者、教職員ら約150人が出迎えた。

30日の決勝では横浜(神奈川)を相手に序盤は接戦だったが、中盤に点差を広げられた。終盤に追い上げを見せたものの、試合後のミーティングでは中谷仁監督から選手たちに「自分たちの覚悟が足りなかった」という話があったという。

選手らは朝に大阪市の宿舎のホテルロビーに集合。未明まで眠れなかったという山田希翔主将(3年)は「あと一つ勝ちきれず悔しい。夏に向け、もっとレベルを上げていく」と決意を新たにしていた。選手らはホテルのスタッフに謝意を述べた後、午前9時すぎにバスで出発。選手らを見送ったスタッフの1人は「少しでもパワーを届けられたならよかった。ホテル側も力をもらった」と笑顔で手を振っていた。

午前11時ごろ、準優勝旗を手にした山田主将を先頭に、選手が首から準優勝メダルをかけて学校に到着すると、応援団とチアリーダーの計36人が花道を作って出迎えた。ブラスバンド部64人は、“魔曲”と呼ばれる「ジョックロック」誕生前の同校チャンステーマ「ラシアンカウボーイ」を演奏。応援団顧問の坂上寿英さんが「今大会で最も得点が入った曲。選手に良い気分で帰ってきてもらいたかった」と選曲したという。

準優勝の報告会で、藤田清司・智弁学園理事長が「夏も絶対に決勝に行ってください」と激励すると、ナインは口々に「次こそは優勝旗を持ち帰る」と誓い合い、早くも再スタートを切った。中でも、エースの渡辺颯人(3年)、リードオフマンの藤田一波(同)は、3日から始まる18歳以下の日本代表候補選手強化合宿に参加する。渡辺は「夏には『チームを勝たせる投手』になりたい」と更なる成長を期し、藤田は「他校の練習への意識や内容をチームに持ち帰りたい」と、代表での経験をチームに生かすと決意していた。

📝高校球界に地殻変動】「大阪桐蔭は完成された子が多い。うちは高校野球で伸びしろのある子を育てたい」大阪学院大高の「育成ビジョン」と「恵まれた練習環境」
https://news.yahoo.co.jp/articles/d5a203a9a00642b1a78623315ef02cd3e252a635

近年、プロ野球を目指す有望中学生が進学する学校を選択する上で重視するのは、甲子園への出場のしやすさではなく、自身が最も成長できる練習環境や安心した生活を寮で送れるかという点だ。

たとえば、昨春のセンバツを制した健大高崎の1年生エースだった佐藤龍月(昨夏にトミー・ジョン手術を受け、今回のセンバツではマウンドに上がることができないものの、代打・代走要員として背番号18でベンチ入り)。彼の場合は大阪桐蔭の熱心な勧誘を断り、練習設備の整った同校へと進学した。

そして、大阪桐蔭のライバル校・大阪学院大高が将来性にあふれる中学生に選ばれる理由も、充実した練習環境にある。

170キロの打撃マシンにラプソードも
 
2022年に完成した大阪学院大高のグラウンドは外野が全面人工芝で、巨大な室内練習場も併設。センター後方にある建物の2階にはマネージャーたちが補食を作ったり、選手が食事できるスペースがあり、監督室からは練習中のグラウンドを見下ろすことも可能だ。また、辻盛英一監督(48)の就任後には、170キロが出る打撃マシンに弾道測定機器のラプソードも導入された。まるでプロの練習施設のようである。

寮費も食費込みで6万円と安く、食事が足りない場合はUber Eatsなどを利用しながら成長期にあたる球児のお腹を満たしている。辻盛監督は言う。

「うちは学校が野球部に力を入れると決めてから環境が整ってきました。野球部に力を入れるのは、決して生徒集めが目的ではありません。大阪学院大というのは経営状態が良くて、無借金経営なんです。キャンパスも梅田に近くて、生徒集めにもあまり苦労はしていない。ただひとつ、全国的な知名度がないんです。大阪学院はバスケ部もゴルフ部も強豪校で、大学の卒業生にはマラソンの高橋尚子さんがいます。スポーツに力を入れているのに、いまいち、知名度が上がらない。過去に一度だけ、大阪学院大高は甲子園に出場(1996年のセンバツ)していますが、その時は学校が華やかに盛り上がったそうなんです。そこで、本腰を入れて野球部に力を入れようとなったんです」

大阪桐蔭がスカウト力を背景に高校野球に一時代を築き、そして大阪学院大高も令和の時代のスカウティング方法で選手を集め、大阪桐蔭に肉薄し、甲子園にもあと一歩のところまできた。今夏もしくは数年のうちに甲子園出場を果たすことができれば、一気に大阪の勢力図が塗り変わる可能性を秘めている。

「高校野球で伸びしろのある子を育てたい」
 
なぜ大阪桐蔭のOBは近年、プロで活躍できていないのか──辻盛監督にそう問うとこんな私見を口にした。

「大阪桐蔭に入る子を見ていると、中学時点である程度、完成された子が多いですよね。僕自身は2年半という高校野球で伸びしろのある子を育てたい。私が監督を務めていた大阪公立大というのは、名門でもなければ強豪大学でもなかった。だから入部してくる選手のレベルはそこまで高くなかったんです。どういう子が伸びて、どういう子は伸びないのかは、データを見ればだいたいわかりますね。そうした判断をしながら、チームを作っていきました」

辻盛監督が重視するデータとは何なのか。

「走り方や、垂直跳びや背筋力の数値。身体のフォルムも気にしています。つまり、野球の技術はなかったとしても、身体能力の高い子にしっかりしたトレーニングと、野球の技術を身につけさせたら、大きく成長していくわけです」

もちろん、大阪桐蔭の人気が落ちたわけではない。たとえベンチ入りできなくとも、関東や関西の名門大学への進学が期待できることは中学生やその保護者にとっては大きな魅力だろう。

今春には同校OBの中村剛也の息子(世田谷西シニア)のほか、東京城南ボーイズの大型左腕が進学する。また、大阪学院への進学を希望していた選手が、中学卒業間近になっても熱心な勧誘を受け、土壇場で大阪桐蔭に進路を変更したという。

是が非でも獲得したい選手がいたら、合格発表の日まで獲得を諦めない西谷監督のなりふり構わぬスカウティングは今も健在である。

大阪桐蔭に待つ運命は捲土重来か、それとも盛者必衰か――。

📝江川卓17歳の剛速球「あんなボール、頭に当たったら死にますね」達川光男が戦慄…「打球が前に飛ばん」「速すぎてバントもできん」広島商の“奇策”
https://news.yahoo.co.jp/articles/6062a6dee9ca1f02c7f53a275268014dd4df38d0?page=1

およそ半世紀前の1973年、作新学院の江川卓(当時17歳)が初めて甲子園のマウンドに上がった。バットにボールを当てることすら困難な規格外のピッチング――「攻略不可能」と思われていた怪物投手は、なぜ準決勝で広島商に敗れたのか? 関係者の証言から、「江川が負けた日」の内幕を掘り下げていく。

江川卓「甲子園初登板」の衝撃

「怪物」が衝撃的な甲子園デビューを飾ったのは1973年春だった。開会式直後、第1試合のマウンドに上がると、その剛速球で三振の山を築く。相手打者は、バットにボールを当てることすらできない。

作新学院(栃木)の江川卓――。ついにベールを脱いだ剛腕投手は、噂に違わない「怪物」だった。

1973年3月27日、阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)。第45回選抜高校野球大会の開幕試合だった。作新学院の相手は、北陽(現・関大北陽=大阪)。前年秋の近畿大会で準優勝し、「西の横綱」と前評判が高いチームだった。のちに新聞記者となり、同年齢の江川を取材することになる西村欣也は、当時大阪府在住の高校生で、この試合を外野席で観戦したという。

「同級生なのに、すごい投手が栃木にいるというんで、なんぼのもんか、見に行ったんだよ」と生前、よく語っていた。

そのピッチングは、想像をはるかに超える迫力だった。1回表、北陽の上位打線から、いきなり三者連続三振を奪う。出場30校中トップのチーム打率.336を誇る北陽打線のバットにボールが当たらない。かすりもしない。

「1球ごとに、どよめきが起きる。スタンド全体がざわめいたんだ」

2回、エースで5番打者の有田二三男が一塁側にファウルを打った。

「プレーボールから23球目だよ。初めてバットにボールが当たった。それだけで、またどよめきが起こり、拍手が起きた。ファウルだよ。ファウルを打っただけで、拍手が沸き起こったんだ」

西村は興奮気味に語ったものだ。ちなみに、4回2死から初安打を放ったのも有田だった。高校卒業時に近鉄からドラフト2位指名を受けてプロ入りする有田も、超高校級の選手だったということだろう。とにかく、そこまでの11アウトは、すべて三振だったのだから、江川の「怪物」ぶりは半端じゃない。

「あんなボール、頭に当たったら死にますね」
 
最終的に、江川は4安打19奪三振で北陽を完封し、2対0で作新学院が勝利した。上々の甲子園デビューだが、当時の朝日新聞には「6、7、8回はちょっと球威が落ちた」と書かれている。「いや落ちたのではない。落としたのだ」と記事は続く。

野手から、「おい江川、守備の練習をさせろよ」と声をかけられたというのだ。そのせいか、毎回奪三振は7回までで途切れている。三振をとり過ぎて、味方から文句を言われる。すでに県大会などで8度の無安打無得点試合(うち完全試合2試合)を達成していた「怪物」ならではの悲劇である。

「江川が敵だと大変だろうが、後ろで守るのも大変なんだ」作新学院の一塁手だった鈴木秀男がぼくに打ち明けてくれたことがある。
いつも完全試合がかかる試合展開になる。「内野はもうガチガチだよ」。それでいて、めったに打球は飛んでこない。「誰かが先にエラーすると、正直ホッとしたもんだよ」
何はともあれ、「怪物」と仲間たちは衝撃の全国デビューを飾った。江川のデビュー戦のスタンドには、開会式を終えた広島商の選手たちもいた。

「あんなボール、頭に当たったら死にますね」

その剛速球を目の当たりにした達川光男は、監督の迫田穆成に言った。 迫田も、これは噂に違わぬ剛腕だと感じていた。

「すごかったですね。なにせ、打球が前に飛ばんのじゃから」

栃木にすごい投手がいるという情報は、早くから迫田の耳にも届いていた。「ボールが速すぎて、バントもできんらしい」と迫田は選手に伝えている。前年秋のことだ。すでに夏の選手権大会で4度も頂点に立っていた名門校。常に全国大会を視野に入れている。得意のバント戦法も通じない投手から、どうやって点を取るか。

対江川の奇策「どうせバントもできない。それなら…」

「創意工夫」が信条の迫田が考えた作戦はこうだ。
待球作戦などを使いながら、試合後半に何とか無死もしくは1死二、三塁をつくる。ここで得意のスクイズバントのサインを出すが、打者は空振りする。
三塁走者は当然ながら三本間に挟まれる。三塁走者は時間を稼ぎながら、最終的にラインの内側に逃げるように動いて捕手にタッチされる。その間に、すぐ後ろから走り込んだ二塁走者がラインの外側に滑り込んで生還する。

どうせ、ピンチを背負った「怪物」が本気を出したら、バントもできないだろう。それを逆手に取った秘策だった。そんな練習までさせた張本人の「怪物」が、ついに目の前に現れた。広島商の選手たちの心もまた、大いにざわめいた。

2回戦で作新学院と対戦した小倉南(福岡)は、江川対策としてバットを短く持ち、セーフティーバントを多用した。しかし、まったく通じない。7回までバント安打1本で10三振。8対0と得点差が開き、江川はマウンドを同級生に譲った。

準々決勝の相手は、前年秋の四国大会を制した今治西(愛媛)。さすがの「怪物」も疲れが出始め、序盤は本調子でなかった。それでも、1安打、20奪三振、1四球で完封勝利。3対0で勝ち上がった。
準決勝の相手は広島商だ。こちらの左腕・佃正樹も3試合連続完封と素晴らしいピッチングを見せている。

いよいよ両雄が激突。準決勝は雨で1日順延となり、4月5日にプレーボールがかかった。

👣情熱変わらず45年 春日部共栄・本多監督が勇退 学校創立とともに22歳で監督就任 「悔いはなし。やり切りました」 新監督にバトン託す
https://news.yahoo.co.jp/articles/6b648cddb4700c053c2377054757fcf9f7f9779a

春日部共栄高野球部の本多利治監督(67)が、3月31日をもって勇退した。1980年の同校創立とともに22歳で監督に就任。「高校野球への情熱は45年間変わらなかった。悔いはなし。やり切りました」。監督生活最後の日、生涯をささげたグラウンドを見つめながら、力強くうなずいた。

選手時代、高知高で甲子園に3度出場。75年の選抜大会に主将として二塁手で出場し、全国優勝を果たした。監督としては春日部共栄高を春夏計8度の甲子園に導き、93年夏に準優勝。土肥義弘さん(元埼玉西武など)ら14人をプロへ送り出した。

同日は、北海道の苫小牧中央高と練習試合を実施。試合前、28年ぶりのノックを務めようと本多監督が打席に立つと、急に曇り空から太陽が顔を出した。時折笑顔を見せながら、ラストステージを終えグラウンドに一礼。後を継ぐ植竹幸一新監督(現部長)と固い握手を交わし、バトンを託した。

「育てるのが好きだった。宝(教え子)が1600人もできた」(本多監督)と歴史の重みを実感。最終日の練習場には、平日にもかかわらずOBら約70人が訪れた。2期生でOB会長の鈴木貴巳さん(59)は「一から一緒にやってきた。時代が変わるような感じがして感慨深い」と恩師の姿を目に焼き付けた。

13期生の本柳和也さん(48)=プロ野球元オリックス=は「やんちゃをしていた僕に人間味あふれる接し方をしてくれた一番の大恩師。礎をつくってくれた」。15期生の小林宏之さん(46)=元ロッテ=は「野球人生でいろいろなことを厳しく指導してくれたのは本多監督だけ。愛情を持って叱ってくれた」と感謝した。

30年以上、同部の寮母を務めるなど監督を支え続けた妻・みゆきさん(63)は「若い頃は試合に負けると選手より悔しがって家でかばんを投げつけていた」と懐古しながら、「ああ、もう終わっちゃうんだな」と寂しそうな笑みを浮かべた。

勇退後は公立高校の指導者たちに指導法を伝え、小・中学生の育成を図るなど今までできなかった取り組みに挑戦するという。今まであまりつくれなかった家族との時間も待っている。「まだまだこれから。初めての経験にわくわくしていますよ」。闘将の45年間が幕を閉じ、新たな人生の歩みを進める。

📝川口知哉氏が龍谷大平安の監督就任 智弁和歌山・中谷仁監督と甲子園決勝「再戦」注目
https://news.yahoo.co.jp/articles/7ea42b93e81e8639075f68e399817a8234806ba3

龍谷大平安(京都)は1日、野球部監督に元オリックスの川口知哉氏(45)が就任したと発表した。4月1日付。
前監督の原田英彦氏(64)が部員への暴行の責任を取って3月2日付で退職。川口氏が監督代行になっていた。

川口氏は97年夏の甲子園で平安(当時)のエースとして準優勝。同年ドラフト1位でオリックスに指名された。22年4月に母校のコーチに就任し、原田監督のもとで指導者の経験を積んできた。
28年前、甲子園の決勝では智弁和歌山に敗れた。相手の主将は、今年のセンバツで同校を準優勝に導いた中谷仁監督(45)。ともにプロ経験者で交流があり、新たな形での“再戦”が注目される。

⚾岩手さんへ
そうですね。月日は百代(はくたい)の如くと言いましょうか・・・。僕は人間的に成熟していないのでなんですが、よくオトナは「20歳を過ぎるとあっという間に時間が過ぎる」と自分がオトナであることを誇示したいがごとく語りますね。。。

今年も3塁内野席と外野席の二刀流?で観戦しましたが、なぜかしら内野席の時は早く終わってしまう感がありますが、外野席ではものすごくゆったりと時間が流れる感じです。。。

甲子園で開門前から第4試合のナイター終了後10分近く粘って退場して帰宅したら24時間が1週間くらいに感じて、大会期間中はまずニュースなんて見ないので、時事ネタが分からず浦島太郎状態になってしまいますね!!

一応、この春51歳になりましたが、精神年齢は身長の伸びが止まった高校2年生かあるいはもっと若いかもしれません。。。岩手さんとは毎年夏に甲子園でお逢いして、地方球場でも何度も顔を合わせて会話を重ねましたが、少なくともご自身よりも3学年下程度には思えなかったんだろうなと。

明徳と気比が負けてしまい、幸か不幸か大会期間中に女学生とお話しする機会がありましたが、パッと見た感じ、「大学生とちゃうんか!?」という落ち着きというか風格を瞬時に感じ、こっちの精神年齢の低さを悟られる、、、とか思いつつ、恐る恐るお声がげして話しかけたら年相応のお嬢さんだったのでホッと一息。
https://pbs.twimg.com/media/GnI7UXhbgAM5ahZ?format=jpg&name=large

基本的に男子よりも女子の方が精神年齢高いですから。。。
50代男性でも未だに酒が入れば中学生のような『見た目は大人、中身は子供』のおっちゃんはよく見かけますし!僕は酒は一滴も飲めませんが。。。

さて、塩部長ですが。。。どうやら滋賀県彦根市出身ながら高校大学7年間生粋の慶応ボーイのようで、和歌山にはないシティーボーイ風情ですね。。。

中谷就任以来、2006年主将だった古宮~初芝橋本の芝野前監督~塩部長と3人交代してますね。。。
どうやらナカタニ独裁政権に嫌気がさし???2人とも退職したようですが(古宮はユーチューバー兼実家の農業手伝いだったかな?)芝野先生は以前、金光大阪のコーチをされ、初芝橋本の監督されてましたが、同じ県内の私学に移籍されコロナ無観客試合の折に全国制覇部長で初甲子園で4勝しましたがいつの間にかいなくなったと。

昔は高嶋先生以上に怒号を浴びせて怖かった林 守という部長が20年以上君臨してベンチのあちらこちらを先生と同じように蹴っ飛ばして紀三井寺に轟音を鳴り響かせてましたが、京都文教の監督に異動して和歌山も静かになりました(笑)

桐蔭はどうなんでしょうね。毎年全国トップクラスの中学生が入部するし、全国から逸材をかき集め、ついにはラマルという黒人にまで手を出し・・・・・。
ここ数年は結局、メンタルが弱いんでしょうね。
下関国際の根性野球に最終回逆転喰らってその裏アッサリ攻撃を終えて試合終了だったし、昨夏なんて小松大谷にどうやったら負けるのか見当もつかなかったけれど、0-0からエラーで先取点献上してズルズル完封負けと。

最後の読み方云々は全く分からないので、観戦記執筆に入ります。。。
2025/04/01(火) 22時24分03秒 No.1688 編集 削除
 早いもので、今日から四月になり、新年度が始まりますね。

 智弁和歌山の部長さん、苗字が塩なんですね。
 巷でよく、塩対応とか塩判定とか言っているけど、そういう感じで厳しめの人かと思ってました。😆全然違いました。

大阪桐蔭一強に翳りが?
桐蔭の戦力は他校を圧倒しているけど、コロナ禍で対外試合減小に低反発バットとずいぶん苦戦している感じを受けるかな。
 投手陣は豊富に取り揃えているんだけどね!
 打撃陣も低反発バットの影響からもかもしれないけど、得点力が格段落ちたなと思います。
 3,4点差を中盤以降にひっくり返す事がないしね。
 でも今年もいい選手が入っているな!

最後は知っていたら御免なさい!

四月一日 読み方

砂子前  〃

望月は静岡市内に多い苗字ですが、
もちづきとはある言葉が出るまでは、言われて事らしいですが。
なんでしょうか!
興味があったら調べて下さい。

日高高校野球選抜大会出場時
応援団団長だったとはね!
2025/04/01(火) 21時52分42秒 No.1687 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
📝本戦出場26チーム出そろう 春季高校野球三重県大会
https://news.yahoo.co.jp/articles/0afcb2c503ecffd6cf6635c59b8f762ce291a65d

第72回春季東海地区高校野球三重県大会の地区予選は30日、南地区で4試合が行われ、この日新たに予選を突破した松阪商、昴学園を含む本戦出場の26チームが出そろった。

北地区、中地区、南地区の予選を勝ち抜いた26チーム。各地区1位校は北地区が海星、中地区が津商、南地区が三重。

春の県大会は26チームが参加して4月12日に津球場公園内野球場などで開幕する。組み合わせ抽選会は4月4日。
県大会出場チームは次の通り(丸数字は地区内順位) 

【北地区】①海星②菰野③津田学園、四日市工、四日市、四日市商、いなべ総合学園、四日市南
【中地区】①津商②高田③津、鈴鹿、久居農林、津西、久居、近大高専、津工、伊賀白鳳
【南地区】①三重②宇治山田商③皇學館、伊勢工、相可、松阪、松阪商、昴学園

🔥センバツ準V智弁和歌山が宿舎出発 中谷仁監督「それがあったから夏優勝できた、と」
https://news.yahoo.co.jp/articles/d8127c789c6e52c74097e66a48766b2aeaf35abe

横浜(神奈川)とのセンバツ決勝から一夜明けた31日、智弁和歌山の中谷仁監督(45)と主将の山田希翔(まれと)内野手(3年)が宿舎で取材に応じた。

中谷監督は「結果的に4つ勝てるところまで行けたのは自信になった」と振り返った。今大会は正確な小技や、4戦連続初回先制などの攻撃力に盤石な投手陣を携えて決勝に臨んだが、横浜戦は最大10点差をつけられる苦しい展開になった。同監督は「不安な要素が出ないで優勝して、勘違いするより、今回は明確な課題が出た。『それがあったから、夏優勝できた』と。結果をどう夏につなげるかが大事」と夏を見据えた。

主将の山田希翔内野手(3年)は「(日本一まで)あと1歩までいかせてもらった。悔しいしかない」と話し、「試合を重ねるごとにチーム力が上がった。できたと過信せず、もっとレベルを上げたい」と意気込んだ。

📝「中学校を回っても、学校に入れてもらえないことも…」センバツで話題沸騰 沖縄・エナジックスポーツ高“創部3年で甲子園出場”までの波乱万丈
https://news.yahoo.co.jp/articles/fb88b9d16acfb8fb8bcceede5535aec00abf00e2

「選手をリストアップして中学校を回っても…」

「知り合いの伝手をたどっていい選手をリストアップして中学校を回っても、学校に入れてもらえないことがあったりね。辛かったですけど、そういうなかで粘り強くチームをスタートさせようと頑張って集まってくれたのが、1期生の15人だったんです」

そう振り返るのは、センバツで注目を集めた沖縄・エナジックスポーツ高を率いた69歳の監督・神谷嘉宗だ。この創成期の選手が3年となった昨年夏、エナジックスポーツは沖縄大会で準優勝と結果を残し、一躍、知名度を上げた。

校名に「スポーツ」が付くようにトップアスリートの育成を掲げ、野球やゴルフでは専攻もある――。このような校風も相まって、「スポーツの専門学校のようだ」といった意見もあるが、神谷はそういった否定的な声も朗らかに受け止めている。

「なんでこんなに注目が集まるのかな? と思っているだけですよ。取り上げてくれるマスコミが多くて嬉しいです」

高校のカラーが旧来に比べて特殊であるだけで、神谷の指導方針は時流から大きくかけ離れているわけではない。むしろ、現代の高校生と近い距離にいると言っていい。

代名詞となった「ノーサイン野球」
 
代表例を挙げれば、エナジックスポーツの代名詞ともいえるノーサイン野球だ。盗塁やバントなどの戦術の遂行に際し、監督がサインを出さずに選手の判断に委ねる。これを採用していることについて、神谷は「もともと、私が選手の自主性を大事にしていることもあるんですけどね」としながら、このように想いを語る。

「選手にはそれぞれ個性がありますから。自分たちで野球を観察して、力を磨いていかないと。そこがブレてしまったら試合で何もできなくなってしまいますからね」

選手目線で、おおらかに見守る。69歳の監督が率いるチームは、公約通り3年で甲子園出場を果たした。そして、全国の舞台で初勝利を挙げたことで、新たな「沖縄の力」も証明できたはずだ。

エナジックスポーツとともにセンバツに出場した沖縄尚学の監督である比嘉公也は、「沖縄全体がレベルアップしているかどうかはわかりませんけど」と冷静な知見を示しながら、このような意見を述べていた。

「能力の高い子が県外に出てしまうなか、残った子たちがしっかり練習して力を伸ばしてくれているのはありますよね。沖縄で進路の選択肢が増えるのはいいことだとは思います」

エナジックスポーツの選手たちは、それこそ「地元に残る」という選択肢で甲子園という正解を体現した。

「沖縄の選手だけで甲子園を目指したい」
 
キャプテンの砂川誠吾が力を込めて言う。「自分も『沖縄の選手だけで甲子園を目指したい』と、スカウトされたとしても県外に行くつもりはなくて、この学校に入りました。沖縄は甲子園優勝から遠ざかっているので、そこを目指せるようなチームが増えていけばいいなって思っています」

興南の春夏連覇に熱狂した2010年から15年。エナジックスポーツという新興勢力が誕生した沖縄は今、変革期にあるのかもしれない。

神谷が同調するように結ぶ。「沖縄の子たちが『県内だけでも戦える』と残ってくれれば嬉しいですよね。素直で、野球が好きで、一生懸命に頑張っていれば道は拓けるものですから」

69歳が甲子園で咲かせた新境地。沖縄の高校野球に、再び青春が訪れようとしている。

📝大阪桐蔭「一強」時代についに“翳り”が? 激戦区でライバルの大阪学院・辻盛監督、履正社の岡田元監督の評価「正直、怖さはないです」「これまで頭を越えていた打球が捕られたりも」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e964fec3aa044f5bdad5c63642dc968427534410?page=1

横浜対智弁和歌山という名門対決となった97回目のセンバツ決勝はエース左腕の奥村頼人、1年生の怪物・織田翔希という2枚看板を擁する横浜が制し、19年ぶりの日本一に輝いた。今大会中に起きた異変といえば、ベスト8まで勝ち残った学校のなかに、近畿勢が智弁和歌山のわずか一校だけだったことだ。天理(奈良)が1回戦で敗退するだけでなく、優勝候補と目されていた東洋大姫路(兵庫)も守備のミスが響いて2回戦で姿を消した。

近畿勢の低迷を象徴するように、今大会には98年ぶりに全国屈指の激戦区・大阪勢の出場がなかった。当然、高校野球をリードしてきたあの学校も出場していない。

ついに「大阪桐蔭一強」に“翳り”が……!?
 
聖地・甲子園で史上最多となる通算70勝を挙げている大阪桐蔭の西谷浩一監督は、昨秋の近畿大会1回戦で滋賀学園に敗れて6年連続のセンバツ出場の道が絶望的になると、こう声を落とした。

「競り勝たないといけないところで、競り負けてしまった。選手は精一杯やってくれましたが、力足らず、でした。夏一本に絞って、がんばるしかないです。課題? 攻撃もディフェンスもすべてです」

西谷監督を囲む記者はわずか数分で取材を終わらせ、輪を解いた。冷静にチームの状況を口にしながらも、最多勝監督の声色に、尋常ならざる心中を察したからだろう。高校野球は長く大阪桐蔭の一強時代が続いてきた。

藤浪晋太郎(現・マリナーズ傘下)や森友哉(現・オリックス)を擁して春夏連覇を遂げた2012年が基点だろうか。2018年にも根尾昂(現・中日)らで史上初めて2度目の春夏連覇を達成。春夏あわせて9度の全国制覇を記録するだけでなく、西谷監督の通算勝利数は高嶋仁氏(智弁和歌山前監督)を越え、歴代最多となった。甲子園で勝利した試合よりも、敗れた試合のほうが大きな注目を集める(大きく報じられる)学校なんて、大阪桐蔭ぐらいのものだ。

100年を優に超える高校野球の歴史にあって、10年以上にわたって覇者であり続けた学校は過去にない。昭和後期となる1980年代に荒木大輔を擁して5季連続で甲子園に出場した東京の名門・早稲田実業や、金属バット導入のタイミングでその荒木を打ち崩した徳島・池田ですら全国の学校が背中を追ったのは3年ほどだ。

そして池田の夏春夏3連覇を阻止して絶大な人気を誇ったPL学園(大阪、2016年に活動休止)も、最盛期は桑田真澄と清原和博が入学した1983年から立浪和義や宮本慎也らが春夏連覇を遂げた1987年までの5年間だろう。
しかし、いよいよ大阪桐蔭時代にも翳りが見え始めたのかもしれない。

今の桐蔭には「正直、怖さはないです」
 
昨春のセンバツでは準々決勝で西谷監督の母校である報徳学園(兵庫)に1対4で敗退し、昨夏は2回戦で石川の小松大谷と対戦。相手の軟投派エースに為すすべなく、たったの92球で完封を許した。勝つ時は豪快に打ち勝ち、敗れる時は劇的に華々しく聖地に散る。そんな戦いを続けてきた大阪桐蔭が、実にあっさりと甲子園で敗れることが続いている。

そして、前述したように昨秋は大阪大会で準優勝したとはいえ近畿大会で1勝もできなかった。

大阪桐蔭が最後に全国制覇を遂げたのは2022年春だ。それからおよそ3年の間に起きた高校野球の大きな変化というと、新基準となる低反発バットの導入である。

身体能力に長けた将来有望な中学生が全国から集まってきていた大阪桐蔭は、真芯にしっかりミートしなければ外野フェンスどころか外野手の頭を越えることが少ない低反発バットの影響をもっとも受けた学校かもしれない。ビッグイニングを作ってゲームを優位に進め、相手の戦意を喪失させるような試合は少なくなり、ここ数年は守備の不安も拭いきれない。

昨春の大阪大会準決勝で大阪桐蔭を破った大阪学院大高校の辻盛英一監督は言う。

「近畿大会の戦いなどを見ていて、うちが勝てるかどうかは別として、以前ほどの怖さはないですね。これは私に限らず、みなさんが思っていることだと思うんですが、桐蔭の強さを支えているのは、圧倒的スカウト力やと思うんです。決して、育成力が高いわけではない。良い選手が入学しなくなるようなことがあれば、だんだんと勝つことができなくなるのではないかというのが正直な印象です」

一方で、2021年まで履正社を率いていた岡田龍生監督(現・東洋大姫路監督)は、かつてのライバルの直近の戦いぶりについて、こう話した。

「大阪桐蔭の野球が大きく変わったという印象はありません。僕は(昨年夏の)小松大谷との試合のテレビ解説を担当しましたが、確かにこれまでだったら頭を越えていたかもしれない当たりを捕られたりもしていた。だからといって、単純にバットを振り回しているだけでなく、しっかりとボールをとらえようとする姿勢は感じられます。相変わらず、能力の高い選手が揃っているとも思います」

甲子園で勝てなくなってきているとはいえ、全国屈指の激戦区である大阪を勝ち抜く地力までなくなっているわけではない。しかし、その大阪でも勢力図に大きな変化が起き始めているのである。

📝スーパー中学生の進学先に「大阪桐蔭離れ」か 「大阪桐蔭なら甲子園には行けるかもしれないけど、プロには行けないと思いました」の声も
https://news.yahoo.co.jp/articles/310faa520223f5e894db183e431f74db8bee4cb9

2012年から昨年(2024年)まで、夏の大阪大会は大阪桐蔭もしくは履正社のどちらかが制し、全国高等学校野球選手権大会に出場してきた(南北にわかれた2018年の100回記念大会では北大阪代表が大阪桐蔭で、南大阪代表が近大付だった)。また春のセンバツにおいては、2010年から両雄のどちらかが出場し、同時出場も2012年、2013年、2017年、2020年、2023年の5度。2017年には両校が決勝で対決した。

兎にも角にも、大阪桐蔭と履正社が雌雄を争ってきた大阪の高校野球界で、二強に割って入らんとする学校がある。江夏豊氏の母校として知られる大阪学院大高校だ。

「二強の牙城を崩さなければならない」
 
昨春はオリックスから育成ドラフト1位で指名された今坂幸暉らを擁して大阪大会で大阪桐蔭を倒して優勝し、新チームとなった昨秋の大阪大会では3位に。センバツ切符の懸かった秋季近畿大会では初戦で敗れた大阪桐蔭、履正社よりも上位となるベスト8に進出した。近畿「6枠」の選に漏れてセンバツ出場は逃したものの、大阪桐蔭や履正社を脅かす存在といえる。

率いるのは辻盛英一監督(48)である。大阪市立大(現大阪公立大)の経済学部を卒業後、三井住友銀行、メットライフ生命と渡り歩き、2018年に保険代理店「ライフメトリクス」を起業。日中は30名以上の従業員を抱える同社の代表取締役社長を務めながら、2010年から2022年まで大阪公立大の監督を務め、そして2023年3月に大阪学院大高校の監督に転身した。

野球指導者と保険のトップセールスマンの二刀流を貫く辻盛監督は言う。

「大阪から日本一を狙うためには、大阪桐蔭と履正社という二強の牙城を崩さなければならない。その一心でやってきました」

強豪校への第一歩はやはり選手のスカウティングだが、大阪桐蔭が圧倒的に優位だったスカウティングの変化についても辻盛監督は口にした。

「数年前までは、大阪桐蔭とスカウティングで競ろうという学校がなかった。それぐらい、大阪桐蔭が人気でした。ところが最近は横浜、東海大相模、仙台育英などが関東だけじゃなく、関西や九州、東北を回っていて、スカウトに関しても大阪桐蔭一強ではなくなっています」

中3の秋に148キロ「今春入学の逸材」が選んだ進学先とは
 
根尾昂(現・中日)や藤原恭大(現・千葉ロッテ)らを擁した大阪桐蔭が春夏連覇を達成した2018年を前後して、U−15侍ジャパンをはじめとする中学硬式野球の日本代表を経験した全国の有望中学生が大阪桐蔭に集結していた。しかし、近年は横浜や東海大相模、2022年に全国制覇を達成した仙台育英といった高校野球ヒエラルキーの上位に位置するような名門校に分散する印象がある。

その要因として考えられるのは、大阪桐蔭からプロ野球選手となった選手が、2012年に春夏連覇を牽引した森友哉(現・オリックス)以降、期待値通りの活躍ができていないことではないだろうか。それゆえプロを現実的な目標に掲げる選手が大阪桐蔭以外の強豪校に目を向けることが多くなっているように思えるのだ。

筆者は2年前、中学硬式野球で圧倒的な強さを見せていた東海中央ボーイズの選手たちを取材し、彼らの進路についてレポートした。ビッグ5と呼ばれた投打の主力メンバー5人に大阪桐蔭の西谷監督は声をかけたが、全員が大阪桐蔭には進学せず別の学校に進学した。そのうちのひとりが現在開催中のセンバツで2年生ながら智弁和歌山の正捕手を務める山田凜虎であり、横浜高校の一塁手・小野舜友や外野手の江坂佳史である。大阪桐蔭が出場していないセンバツで、出色の活躍を彼らは見せている。

そして、大阪桐蔭や横浜、東海大相模のような甲子園実績こそないものの、辻盛監督が率いる大阪学院大高もスカウティングの勝者だ。今春には身長は171cmと小柄ながら、中3の秋には148キロを記録した世代ナンバーワンの呼び声が高い北海道の15歳が、数多の強豪・名門の誘いを蹴って大阪学院を選択し、3月25日から練習に参加している。高知の私立高知中からも、有望選手が系列の高知高校には進学せず、大阪学院大高に。辻盛監督が続ける。

「以前ならば大阪桐蔭を選んでいたような選手が、うちを選んでもらえることが増えてきているように思います。選んでくれた理由を訊くと、『大阪桐蔭なら甲子園には行けるかもしれないけど、プロには行けないと思いました』と答えた子もいます。勧誘する時に、投手であれば酷使しないことを約束しますし、甲子園に行くことよりも、社会人やプロで活躍することが目的だと伝えます。それに寮もうちはひとり部屋ですし、携帯電話の使用も自由です。そういう寮環境も大阪桐蔭との違いですし、選んでもらえる要因かもしれません」

大阪の梅田から阪急電車に乗って20分あまり――。正雀駅から徒歩数分の大阪学院グラウンドを一度でも訪れたら誰しもその充実した練習施設に驚くはずだ。同校が選ばれる理由がそこにある。

📝U18W杯代表候補発表 横浜・阿部葉太、奥村頼人、京都国際・西村一毅ら42人 9月沖縄開催
https://news.yahoo.co.jp/articles/8e33a5ab3cffb1debf5d35f3d5609757e6a59c6b

日本高野連は30日、25年9月に沖縄で開催されるU18W杯に出場するU18日本代表候補選手強化合宿(4月3~5日)の参加選手を発表した。全員が3年生で計42人が選出された。

センバツを制覇した横浜(神奈川)からは主将の阿部葉太外野手、奥村頼人投手、奥村凌大内野手、為永皓内野手の4人が選出。準優勝の智弁和歌山からは渡辺颯人投手、藤田一波外野手の2人が入った。また、初出場のエナジックスポーツからはイーマン琉海外野手も選ばれた。

センバツ未出場のチームからは昨夏の甲子園で日本一に輝いた左腕の京都国際・西村一毅投手(3年)や大阪桐蔭の森陽樹投手(3年)も選出された。参加者一覧は以下の通り。(※はコンディション不良により辞退)

【投手:18人】
窪田洋祐(3年=札幌日大)
下重賢慎(3年=健大高崎)
石戸颯汰(3年=浦和実)
坂本慎太郎(3年=関東第一)
中村心大(3年=早実)
奥村頼人(3年=横浜)
※福田拓翔(3年=東海大相模)
江藤蓮(3年=未来富山)
芹沢大地(3年=高蔵寺)
西村一毅(3年=京都国際)
渡辺颯人(3年=智弁和歌山)
森陽樹(3年=大阪桐蔭)
中野大虎(3年=大阪桐蔭)
木下鷹大(3年=東洋大姫路)
新井瑛太(3年=滝川)
堀田昂佑(3年=広陵)
池崎安侍朗(3年=明徳義塾)
藤川敦也(3年=延岡学園)

【捕手:5人】
川尻結大(3年=仙台育英)
大栄利哉(3年=学法石川)
小堀弘晴(3年=健大高崎)
横山悠(3年=山梨学院)
吉崎創史(3年=武相)

【内野手:14人】
蝦名翔人(3年=青森山田)
菊地政善(3年=聖光学院)
奥村凌大(3年=横浜)
為永皓(3年=横浜)
田西称(3年=小松大谷)
岡部飛雄馬(3年=敦賀気比)
赤埴幸輝(3年=天理)
木村颯太(3年=東洋大姫路)
高畑知季(3年=東洋大姫路)
大石來輝(3年=高知)
今岡拓夢(3年=神村学園)
比嘉大登(3年=沖縄尚学)
眞喜志拓斗(3年=沖縄尚学)
イーマン琉海(3年=エナジックスポーツ)

【外野手:5人】
阿部葉太(3年=横浜)
藤田一波(3年=智弁和歌山)
見村昊成(3年=東洋大姫路)
藤森海斗(3年=明徳義塾)
奥駿仁(3年=西日本短大付)

👣U18候補発表 158キロ石垣元気、右肘故障の阪下漣、智弁和歌山4番ら外れる/主な選考外
https://news.yahoo.co.jp/articles/97d1bb16695508b089b0a0d9d526138b0c877844

日本高野連は30日、U18日本代表候補を発表した。今年9月のU18W杯(沖縄)に向けて、4月3~5日に関西圏で行われる強化合宿に参加する。

センバツで投打に活躍した横浜(神奈川)・奥村頼人投手や浦和実(埼玉)・石戸颯汰投手ら42人が選ばれた。全員3年生。

一方で、センバツ最速155キロを出した健大高崎(群馬)・石垣元気投手はコンディションを考慮してか、選外となった。智弁和歌山の4番打者、福元聖矢外野手も外れた。

◆選考外だった主なセンバツ組3年生

【投手】東海大札幌・矢吹太寛、健大高崎・石垣元気、東洋大姫路・阪下漣

【捕手】早実・山中晴翔、市和歌山・川辺謙信

【内野手】聖光学院・細谷丈、花巻東・新田光志朗、健大高崎・加藤大成、二松学舎大付・入山唯斗、広島商・西村銀士、西日本短大付・佐藤仁

【外野手】青森山田・佐藤洸史郎、智弁和歌山・福元聖矢、高松商・橘朋宏

📝宇部工が強豪校に勝利、県高野連が岡山学芸館を招待
https://news.yahoo.co.jp/articles/176ca1793a43126fceb35ed430135bbe62ce6cb2

県高校野球連盟の招待試合は29日、宇部市野球場「ユーピーアールスタジアム」で開かれた。岡山学芸館と地元2校がそれぞれ対戦し、宇部工は9-7で勝ち、宇部商は2-3で敗れた。

 県外のチームと対戦することで相互のレベルアップと交流を図ることを目的に開催。岡山学芸館と接戦を繰り広げた宇部商の笹村徹志主将は「県外のチームとなかなか対戦する機会は無いのでいい刺激になった」、宇部工の高杉郁也主将は「勝ち切れたのは収穫。この試合での反省点を修正し、春季大会に臨みたい」と話した。

岡山学芸館
020000010━3
000110000━2
宇部商
(岡)青中、吉井-佐藤
(宇)有吉、藤田-玉井
 ▽二塁打=池本(岡)

宇部工
210041010━9
112200010━7
岡山学芸館
(宇)上村、横田、渡部、岸本-宮﨑
(岡)幸田、田路、池本、田淵-佐藤
 
▽三塁打=坂野(宇)▽二塁打=藤本晟、田村、柳井(宇)藤原、又吉、三木、永禮、池本(岡)
2025/03/31(月) 22時41分31秒 No.1686 編集 削除
⚾今日のセンバツ甲子園試合結果(決勝戦)
最終日決勝戦 智弁和歌山(和歌山)-横浜(神奈川) 12:31~14:39
          一二三四五六七八九十計HE
      和 智 弁010000021 493
      横  浜10200062X 11111
横浜は19年ぶり4度目の優勝🏆

🎤智弁和歌山の前監督「2番手投手を育成すれば夏も…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/4b14c1201cc075acee4f02ac984ee9853dbfccf0

第97回選抜高校野球大会は最終日の30日、阪神甲子園球場で決勝があり、智弁和歌山は横浜(神奈川)に4―11で敗れ、31年ぶり2回目の優勝はならなかった。
智弁和歌山の監督として春夏の甲子園で計3回の優勝を果たし、2018年夏に退任した高嶋仁前監督の試合後の主な談話は次の通り。

(智弁和歌山の)先発の渡辺投手に疲れが見えました。疲労がない状態だったら、(試合展開が)どうなっていたか分かりません。同じくらいの力を持つ2番手投手を育成すれば、夏も甲子園で上位に入ると思います。

横浜の織田投手は甲子園で経験を重ねてきたこともあり、今日はどんどんストライクを取っていました。体をさらに鍛えると、横浜OBの松坂大輔さんのようになる可能性もあります。

(自身の後任である中谷監督について)立派でした。優勝できるのは1チームしかありません。「ようやった」と言いたいです。点差は広がりましたが、選手たちもよく戦いました。

📝ほめてやらなあかん、夏は…智弁にはやっぱり赤が似合う 高嶋仁の目
https://news.yahoo.co.jp/articles/2312b7d4bd0eb4572a7d05e2daf2055c5b658a7a

勝負のポイントはやはり、六回の攻防です。横浜は継投でピンチを切り抜けましたが、智弁和歌山は疲れていた渡辺颯人投手を代えることができませんでした。

六回無死一、二塁のピンチ。いい当たりをされましたが遊ゴロ併殺打で2死三塁となった。しかし、次打者に死球、中前適時打。ここで継投する手もあったと思いますが、渡辺投手に託すしかなかったのでしょう。

横浜は織田翔希投手、奥村頼人投手以外にも投手がいた。層の厚さが違いました。
でも、智弁はようやったと思います。ここ数年、甲子園で初戦敗退が続きましたが、反省を生かしました。打線はセンター返しを心がけ、バントも決めていた。ほめてやらなあかんと思います。

あとは渡辺投手に続く投手を2、3人育てられるか。それができれば夏も全国の上位で勝負できるはずです。

表彰式。優勝メダルのリボンは青色、準優勝は赤色です。これが夏は反対になって、優勝が赤いリボンになるんです。準優勝した2000年春、選手たちに言いました。「夏も同じ赤いリボンでええんやで」。その夏、見事に全国制覇してくれました。智弁にはやっぱり赤が似合います。

👣「ドラマチック」退任の智弁和歌山・宮口祐司校長 47年を締めくくる最後の仕事は
https://news.yahoo.co.jp/articles/a6933b3fa1ea87702ec130ce845c29e799055214

優勝には届かなかった智弁和歌山だが、アルプススタンドには満足そうに笑みをたたえる宮口祐司校長(69)の姿があった。

「勝てない校長と言われておりましたので…」と頭をかいた。全国制覇した翌年の22年4月に校長に。だが、そこから3回の甲子園で、なぜか全て初戦敗退。もちろん何の責任もないが、肩身が狭かった。

「だから今度こそ1勝してくれと。この大会は1勝だけで満足でした」

今月末で校長を退任し、学校を離れる。78年4月の開校と同時に、新卒で教員になった。学校の歴史のすべてを知る数少ない人材。それだけに「1勝だけで満足」の言葉も、オーバーに聞こえない。

1勝どころか、5試合もアルプス席から目に焼きつけた。思いがけず長い春にしてくれた選手たちに「本当に感謝しかない。ドラマチックですよね。花道を作ってくれて、最高の思い出になりました」と、優しく目尻を下げた。

チームより先に和歌山に戻り、31日に学校で出迎える。教員生活47年を締めくくる仕事になる。「よくやった。ありがとうと言ってあげたいですね」。これ以上ない、はなむけだ。

◆4度目準V 智弁和歌山はセンバツ5度目の決勝で1勝4敗。春の準V4度は中京大中京に並ぶ最多。

✌新調した赤茶のスーツが宝物に 智弁和歌山の塩部長、夏に向け思案中
https://news.yahoo.co.jp/articles/f5289d5d957b12e3308a227bbf055fbf08b46d3b

選抜大会の試合中、智弁和歌山の塩健一郎部長(29)は、新調した赤茶の三つぞろえスーツでベンチに入った。

選抜出場が決まり、「げんかつぎではないけれど、きちんとした服装で試合に臨みたかった」。智弁和歌山のユニホームのシンボルカラーの赤に近い色も考えたが、さすがにはばかられ、この色にした。

滋賀県東近江市生まれ。小学2年から硬式野球を始めた。中学2年のとき、横浜市であった全国大会でプレーする姿が慶応大の学生コーチの目にとまり、慶応高校へ。進学した慶応大では学生コーチを務め、神宮球場の試合ではベースコーチにも入った。

きっかけは、大学の教職課程センターで見つけた「智弁和歌山 教員募集」の掲示だった。講師として採用され、2年目で野球部の部長を引き受けた。「野球で有名。甲子園のベンチにも入れる」。その考えが、甘かった。

練習試合の調整、高野連などとの交渉。それ以外にも遠征の手配、マイクロバスの運転……。しなければならないことがいくつもあった。

もちろんグラウンドでの指導も。中谷仁監督が選手に教えてきた「何事も準備が大切」の言葉が、身にしみた。それでも、生徒の成長が何よりのやりがいだ。

中谷監督にとっても「ほとんど塩部長と僕の2人で(選手指導を)やっている。ここまで来られたのは塩先生のおかげ」と頼りになる存在だ。

惜しくも優勝は叶わなかったが、次は夏での日本一をめざす。宝物になったスーツだが、「夏の甲子園では結構暑そう」。どうするか、今、思案中だ。

💢京都の高校野球名門率いて30年超、厳しい「指導法」変えられず 根強く残る「上下関係」体罰は増加傾向
https://news.yahoo.co.jp/articles/d5825e32650463cc6710d1e373cdb5b2b614c166

春夏合わせて全国最多76度の甲子園出場を誇る龍谷大平安高硬式野球部を30年以上率いた原田英彦監督が、部員への暴行を理由に指揮官を退いた。原田氏は厳しい指導で甲子園通算31勝の実績を残す一方、体罰に対する社会の目が厳しくなっても指導法を変えることができなかった。

「なかなか怒れないし、難しいです。今は精神的に鍛えるやり方ができない」。昨年7月の全国選手権京都大会で敗れた直後、原田氏はそう語った。最近の取材では度々、指導法について愚痴をこぼしていた。

規律の厳守を求める伝統校-。原田氏は龍谷大平安高を象徴する存在だった。練習や試合で気を抜いたり、礼節を欠いたりする行動には厳しい姿勢を貫いた。だが「新型コロナウイルス禍から変わった。(部員が)上下関係を教わっていない。先輩にため口を使うとか、下級生なのに(雑用に)動かないとか。教えてやらないかんのですけど…」。部員との感覚の隔たりは広がっていった。

関係者によると、体罰も辞さない指導は以前から行われていたという。学校の聞き取りに対し、原田氏は「体罰は駄目だと分かっていたが、選手を何とかしてやりたいという思いが強く体罰に至った」と説明したという。今夏の全国選手権を最後に定年で退任する予定だったといい、最後の夏に懸ける思いも暴行につながったのではないか。

京都府立大学出身で著書に「体罰と日本野球」がある高知大学の中村哲也准教授(スポーツ史)は「過去にも体罰をした経験があるから今回も大丈夫、その方が規律を守らすのに効果的だと考えたのではないか。寮はブラックボックスになりやすく体罰が起こりやすい」と見る。

部活動では今も暴力に頼った指導が根強く残る。文部科学省の統計によると、全国の高校で部活動中に起きた体罰は、2014〜19年度は毎年100件を超えていた。20、21年度は新型コロナウイルス禍で減少したものの、22年度以降は再び増加に転じた。中村准教授は、少子化に伴う部員減で以前に比べて少なくなったとしつつも「部員不足に困らない強豪校には昔ながらの慣習が残りやすい」と指摘。原田氏を含め、選手時代に体罰を受けた経験のある指導者が教え子に体罰を振るう「『体罰の再生産』が起きている」とする。

再発防止策について山脇護校長は「他校の事例も聞いて検討する」と具体策は示さなかった。規律を重んじながらも、暴力、暴言といったハラスメントから脱却できるか。京都の名門野球部に大きな変革が求められている。

📝センバツ“衝撃の初登場”沖縄・エナジックスポーツ高とは何だったのか? 示した「県内だけでも戦える」…ライバル校監督も「選択肢が増えるのはいいこと」
https://news.yahoo.co.jp/articles/ac61620fa0544c4d02ed8647bdb9128de494e067

連日、熱戦がつづく春のセンバツ甲子園。今大会、大きな注目を集めたのが、初出場の沖縄・エナジックスポーツ高等学院だ。ただでさえ目を引くカタカナの校名に加えて、69歳の指揮官のベンチでの独特の装いや、「ノーサイン野球」も注目を集めた。そんな“ナゾの初出場チーム”が大舞台にいたるまでの道のりとはどんなものだったのか。また、甲子園に残したものはなんだったのだろうか。

青い帽子を被り、サングラスとマスクを着用している。ユニフォーム姿で甲子園のベンチにいなければ誰だか皆目見当もつかない。そんないで立ちでチームを見守っていたのが神谷嘉宗である。

甲子園で歴史的1勝…指揮官は69歳!

「変装しているわけではないですよ」神谷が報道陣の笑いを誘い、“変装”の正体が花粉症対策であることを明かす。今年のセンバツで話題となった、カタカナの甲子園初出場校――エナジックスポーツを率いて歴史的な1勝を挙げた監督の素顔は、肌につやと張りがあり、今年で古希を迎えるとは思えないほどである。

「忘れてたのに、言わないでよ」

かつて浦添商の監督として2008年夏にベスト4、14年のセンバツでは美里工を春夏通じて初めての甲子園へと導いた。そして、沖縄で実績を成した監督は、21年に創設されたエナジックスポーツで新たなキャリアを歩むことを決めたのである。

22年に誕生した野球部の監督を引き受けた時点で66歳。
「同級生はみんな、ご隠居さんですから」と話す神谷が新設校を指揮すると決めた熱量は、実に真っすぐだ。

「生涯、青い春」即座に答えてくれたかと思えば「冗談だよ」と照れ臭そうに笑い、想いを打ち明ける。

「子供たちと一緒に夢を追えることが、一番の幸せですからね」

「沖縄の力」で「3年以内に甲子園」?
 
神谷にとっての“アオハル”とは、「沖縄の力」を高めることである。エナジックスポーツの監督就任時から「3年以内に甲子園」と、あえて退路を断つように大きく宣言したこともその一環であるはずだ。

だが、いくら沖縄での経歴が長い神谷とはいえ、一から組織を作り上げる過程で当然のように荒波にもまれた。そのひとつが――選手の獲得だった。

💢「素直に喜べない」横浜・村田監督が優勝直後に〝エース左腕〟にダメ出し
https://news.yahoo.co.jp/articles/bb8d6d9f173dbdda550a26676264ca771161fef7

第97回選抜高校野球大会は30日、甲子園球場で決勝が行われ、6年ぶり17度目出場の横浜(神奈川)が2年ぶり16度目出場の智弁和歌山に11―4で大勝し、19年ぶり4度目のセンバツ制覇を果たした。昨秋の公式戦から負けなしの20連勝で頂点に立ち、明治神宮大会に続き、史上初となる2度目の「秋春連覇」を達成した。

ところが、試合後のミーティングで村田浩明監督(38)はナインをすぐに引き締めた。優勝が決まった瞬間に頭に浮かんだことを問われると、まさかの苦言が飛び出した。

「奥村頼人(3年)がもう少ししっかり投球して締めてほしかった。最後にマウンドに上げると言っていたけど、それでは奥村の成長はなくなってしまうと思った。『夏にあそこの場面で最後に誰にもマウンドを譲らない投手になれ!』と伝えた。優勝はうれしいけど、それが素直に喜べなかった」と打ち明けた。

6回二死三塁で左翼から3番手で登板したエース左腕・奥村頼がピリッとせず、8回一死三塁のピンチを招いたところで降板。結局、4安打2失点で、山脇(3年)にリリーフを仰いだため優勝投手になれなかった。

奥村頼は「チームとしてはうれしいですけど、個人としては納得できる大会ではなかった。チームに迷惑をかけてばかりだった。投球であまり貢献できず、もっと練習しないと夏は優勝できない」と、センバツ優勝直後とは思えない深刻な表情で唇をかんだ。

19年ぶりに紫紺の大優勝旗をつかみながらも村田監督は「まだまだこれで終わりじゃない。次は春の県大会が待っている。そして春の関東大会もあるし、夏の大会へ向けていい準備をしていく。1大会ごとに優勝という〝契約〟をもらえるように僕は最善の努力をしていく」と、松坂大輔らを擁した1998年以来となる甲子園春夏連覇へ向け、勝って兜の緒を締めていた。

🎁センバツ応援団賞に壱岐 21世紀枠で初出場、熱気の高さなど評価
https://news.yahoo.co.jp/articles/693fcd1b3ab57f8273479247a3484f2be6bc1498

第97回大会初戦の応援を対象にした「応援団賞」の最優秀賞に、21世紀枠で初出場した壱岐(長崎)が選ばれた。壱岐島の人口約2万4000人の1割を超える数の応援団がアルプススタンドを埋め尽くし、楽しみながら懸命に応援している姿や、熱気の高さ、マナーの良さなどが評価された。

優秀賞には、日本航空石川▽滋賀学園▽東洋大姫路(兵庫)――の3校が選出された。

⚾岩手さんへ
順当に日程消化されましたね。思えば5年前は大会そのものがなかっただけに、、、、、人数制限やマスク着用義務もなくノビノビ大手を振って甲子園に通えることに感謝せなアカンのでしょうが・・・・・。3年連続関東に紫紺の大旗を奪われるのはやるせないですね(ため息)

和智弁に関しては高嶋先生時代から時々スクイズしてますよ。奈良智弁監督時代の教え子の方に21年前1度だけお逢いして話聞きましたが「特に終盤にトドメを刺すダメ押しの1点を取るときはスクイズする」と。2002年夏3回戦で智弁対決が実現した折にも試合終盤でスクイズのサインを出してマンマと成功しました!もっともあの場面は当時、和智弁の部長を長年勤めた林 守が奈良智弁の監督していたので、外せとバッテリーに指示しなかったことに智弁OBの方々はネット裏で怒っていたらしいですが。

ただ、僕の記憶では89年夏の成東戦で9回裏サヨナラのチャンスで初球スクイズ外されて延長で競り負けや2002年夏決勝の明徳戦で0-1の場面で試合中盤同点のスリーバントスクイズ敢行も外されてゲッツーなど覚えてますね。。。
送りバントも甲子園に行けば結構されてました。県大会序盤は初回からエンドランかけてコールド狙いも多かったですが。

ただ、走者なしの場面でのセーフティ―バントや三盗はまずなかったです!!
今年はナカタニがチームカラーを破壊してガムシャラに勝ちに行った感じで、、、、、
プロ野球引退して、和智弁のコーチ就任当時は選手の兄貴分のような存在でイイ奴だったのが、監督に就任して2021年夏全国制覇して人間が大きく変わったらしいです。

デビュー当時はベビーフェースとして愛されたプロレスラーが勝てなくなったので悪役に転向し反則連発で勝ちを取りブーイングを浴び続けるような印象ですね。

今日も無死2塁3ボールから強打でヒット。1死1・3塁から3球連続セーフティ―スクイズのサインでしょうね。2ボールからきっちり同点スクイズ決まりましたが明らかに初球・2球目がストライクならスクイズだったでしょうね。

高嶋先生時代はクリーンで「打って打って打ちまくる。5点取られたら10点取ればいい。10点取られたら15点取ればいいんや。エラーしたら打って取り返せ!打てなかったら負ける。負けたら帰って練習や!!」と単純明快でしたが、
中谷はキャッチャー出身の元プロなんで投手中心の守りの野球で緻密な戦略で勝ち上がる感じですね。

1回戦プレーボールのサイレンと同時にセーフティーかまして内野安打そしてバントでなく盗塁しかけてタッチアウト!と全く違う戦術から始まりました。。。
3塁盗塁も何度か仕掛けていたし、セーフティースクイズのサインも多かったですね。

あざとく、こすっからい狡猾な野球=ナカタニ野球なのかな?と。

今大会5試合(球場3回・TV2回)見て感じました。
就任当初は県大会から中軸でも送りバントを多用してコールドにならないようにスモールベースボールで相手に優しい野球をしているように思ってましたが・・・・・。

古参の和智弁ファンは今のチームカラーを見てどう思うか?
関東出身者がスタメンに多かったし、猛打の和智弁はもう見れないかも???
もし、聴けるんだったら女子高生時代、三重からはるばる甲子園まで足しげく通っていた先代に「今の(中谷野球)どう思うっ???」って聴いては見たいけれど・・・。

僕が逆の立場だったら・・・間違いなく『勝ちゃあいいんですよ、勝ちゃあ。それが野球王国・和歌山の宿命やから』と言いつつ「せやけど王道野球で勝ちたいよなあ・・・」ってボヤくでしょうね。

メイデンと機動破壊を融合した野球なんて見たくないし、かつて嫌悪していたあの2校も野球スタイル変えてきましたしね・・・。

昨日の予想ではどちらが勝っても5点差くらい開いてワンサイド予想してましたが・・・。
1回表あっさり三者凡退で終わったのとムダな四球やエラーで自滅して大量失点を献上して惨敗となりました。
6回裏のサードゴロトンネルがなければ1-4で踏みとどまり終盤の猛追でどうなっていたか分からなかったですが!!
3回裏無死1塁の送りバントをピッチャーお手玉でオールセーフも痛かったし、エースを引っ張りすぎたのも理解不能と。

準決勝で終始キレまくっていた中谷ですが、コメント見て察するに・・・浦和実に負けたら恥ずかしいと夜も眠れずイライラしてベンチで終始激高したと。
とりあえず決勝進出してホッとしたのか?冷静に戦力分析して横浜には勝てないと悟り、同点スクイズが決まった時点で満足してしまったと。

2回戦のエナジック戦では再三ベンチ奥に引っ込み不貞腐れていたし、準決勝では怒鳴りまくってましたが今日はずいぶんおとなしかったと。

僕自身は大会前・・・ひょっとしたら千葉黎明に足元掬われて甲子園初戦4連敗も覚悟せなアカン。できたらエナジックにも勝って今大会2勝で復活のきっかけをつかんで、東洋大姫路に今日のような形で粉砕されて、この悔しさを胸に夏4年ぶりの頂点へ!!と思い描いてましたが、東洋がエース・阪下登板不能による2回戦敗戦で欲が出ましたね。

8強の顔ぶれ見たら、浦和実以外には圧勝できるから負ける要素はないと堅く信じてましたが・・・・・。
市和歌山でさえ2-4と大善戦した相手に4-11ですか。

くじ運もあるんでしょうが、市和歌山と和智弁のクジが入れ替わっていれば両校ともに決勝進出???
いや市和歌山はエナジックには勝てなかった気が。エース・土井が肩を痛めていたようだし、選手層を考えたら3試合が限界だったかな。。。。。

しかし難しいですね。格下相手に3大会連続甲子園初戦敗退だったら欲求不満しか残らないし、なりふり構わず勝ちに行ったら「あざとく、こすっからい狡猾な野球」としか思えないし・・・・・。
かつてのメイデンも東海では豪打で鳴らしつつ、甲子園では貧打に泣いたのでメイデンかましまくって2年連続決勝進出していたし。

3年連続口の中に苦さが残る春となりました・・・気持ち切り替えて4月からまた予選行脚で地方球場に通いますが、まずは大学野球で豊中ローズと舞洲で日向ぼっこしてきます。
大学は全く思い入れがないので純粋に野球というスポーツを楽しめるので!!
2025/03/30(日) 21時58分05秒 No.1685 編集 削除