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紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
📝高校日本代表、沖縄選抜に勝利 雨中断で七回 野球U18W杯壮行試合
https://news.yahoo.co.jp/articles/858546666e4d72f8e08a3715b32f73270dcbb7ce

18歳以下で争う野球のU18ワールドカップに出場する高校日本代表が2日、沖縄セルラースタジアム那覇で壮行試合に臨み、沖縄県高校選抜に4―3で勝利した。

雨で試合開始が遅れ、中断も挟み、試合は七回まで行われた。高校代表は唯一の2年生で左腕の末吉良丞、沖縄選抜は2年生右腕の新垣有絃が先発。今夏の甲子園で初優勝した沖縄尚学の二枚看板が投げ合った。

沖縄選抜は沖縄尚学の比嘉公也監督が率い、同校や今春のセンバツ大会に初出場したエナジックスポーツの選手らで編成した。

U18W杯は5~14日。日本は同スタジアムで5日午後6時半からイタリア代表と1次リーグ初戦を迎える。前回2023年に初優勝した日本は大会連覇が懸かる。W杯の日本開催は10年ぶり。

📣試合5時間前からハプニング 雷雨でもファン動けぬ理由…U18壮行試合に高まる沖縄の熱
https://news.yahoo.co.jp/articles/1a499df4c82111dddebe84b2eee62dad3ef3ccfc

U-18と沖縄選抜の壮行試合前に大雨が降るハプニングがあった

まさかの事態に見舞われた。侍ジャパンU-18日本代表は2日、沖縄セルラースタジアム那覇で沖縄県高校選抜との壮行試合を午後6時プレーボールで予定されていた。しかし、突如雷雨に見舞われ試合は30分遅れでの開始がアナウンスされた。開門時間前から並んでいたファンからは「出来るのかな、大丈夫かな」と心配の声が聞こえている。

甲子園で沖縄尚学が優勝したことで沖縄県内は大いに沸いた。決勝に進んだ際には街から人が“消える”ほどの盛り上がり。球場には大勢の応援団が駆けつけ、スタンドからは指笛が鳴り響いた。その熱は冷めず、U-18と沖縄県高校選抜との壮行試合のチケットは完売。異例の外野自由席の追加販売も決定していた。
午後6時開始予定に合わせ、観客の入場開始は午後4時からだったが、開門時間前から多くの人が集結。特に外野スタンドは自由席とあって、“場所取り”のために早い時間から並ぶファンもおり、長蛇の列ができていた。しかし、午後1時30分頃から突如豪雨に襲われ、雷まで鳴る悪天候に。グラウンドはあっという間に水溜りで覆われてしまった。

外野席の先頭に並んでいた沖縄在住の40代男性に話を聞くと、「13時過ぎ頃に並び始めました」と驚きの告白。開門のおよそ3時間前、試合開始の約5時間前から待機していたという。「高校野球を含め野球が好きで、沖縄尚学の優勝もあって観に来ました。一度はチケットが完売してしまったんですが、外野席が追加されたので良かったです」と期待に胸を躍らせていた。
それだけに豪雨が降っても動けなった。「出来るのかな、大丈夫かなと思っていました。列から動いたらいけないのかなと、ずっと並んでいました」と席確保のために列から抜けることができなかったという。しかし、午後4時に予定通りに開門となると最前列を確保し、安堵の表情をみせていた。

前日には、U-18は2年生で唯一の選出となった左腕の末吉良丞、沖縄県選抜は右腕の新垣有絃が先発することが発表され、さらに注目度は高まった一戦。不安定な天候のなかファンは大きな声援を送る。

🔥甲子園出場11回の名将が“部員9人の野球部”監督に 「エラーしてもいい」指導の新たな境地 金沢龍谷・浅井純哉監督
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夏の全国高校野球選手権は、沖縄代表の沖縄尚学が初優勝を果たし幕を閉じた。それぞれの学校では3年生が引退し新チームが始動しているが、石川県では球児たちを春夏通じて甲子園に11度導いた名将が3年ぶりにユニフォームを着ることになった。

3校目のユニフォームに袖を通した「名将」は、新たな境地で選手たちに向き合っている。金沢市にある金沢龍谷高校。甲子園出場はないものの、夏の石川大会では決勝進出の実績もあるチームだ。この夏は3回戦で星稜に敗れ新チームが始動することになったが、波乱の船出となった。

■部員は9人でスタートのなか浅井さんに「白羽の矢」

新チームは、2年生8人、1年生1人の9人でスタートすることに。3年生18人が引退したことで一気に部員は野球をする最低限の人数になった。そんな中、学校が招へいしたのは、金沢高校や七尾市の鵬学園で監督を務めた浅井純哉さん(68)。金沢高校では1993年から2011年まで、鵬学園では2012年から2022年まで監督を務めた。金沢高校時代には春夏通じて11回甲子園出場を果たすなど、石川の高校野球界をリードする指導者として活躍してきた。

金沢龍谷・浅井純哉監督「能登の地震であったりとか、本当に自分が野球をやってきた中でいろんな人に助けられてきて最後にこういう話がきたときに、もう1回チャンスをもらえるならばやってみたいなっていうのが、そういう気持ちになりまして。本当にいくつもが重なって決めましたね」

鵬学園の監督退任後、浅井さんは再び金沢高校に戻り保健体育の授業を受け持つなどする傍ら、野球部でも選手にアドバイスをしていたが、2025年の年明けからオファーを受けるように。
オファーに動いたのは、指導者として切磋琢磨した遊学館高校の山本雅弘元監督だった。山本さんは現在、金沢龍谷のアドバイザーを務めている。浅井さんは、7月下旬に金沢龍谷の監督就任を決断した。

金沢龍谷・浅井純哉監督「野球をやりたい子たちのなかに私を選んでくれたんなら、それはもう感謝をしていこうと。1・2年生9人のメンバーということもあってきっと大変な夏を迎えるだろうと、なら自分が少し力になってやれればいいなっていうふうに思って(金沢龍谷に)来ましたね」

■就任前日に「新監督人事」を聞いた“寝耳に水”の選手たち

8月1日に監督に就任した浅井さんだが、選手たちに知らされたのはその前日だった。

金沢龍谷・山田晟羅主将「7月31日に、その日は練習試合をしていて、試合が終わった後校長先生から「話がある」と聞いて、そこで初めて知りました。もうびっくり。驚いた。「えっ」って。金沢高校を率いていたと聞いていたので、自分たちはうれしくてわくわくした気持ちでみんな迎えました」

とはいえ、9人で始まる新チーム。浅井監督は野球の基本を説くように声をかけながらノックバットを振る。

「雑になってるよー!思い切って思い切って」「ワンバウンドになったら思い切って下がろう」「取ってやろう。相手のミスカバーしよう」

こうした声かけも、今のチームが置かれた状況を考えてのものだと浅井監督は話す。

■指導者が「エラーしていい」って言ったら楽になれる

金沢龍谷・浅井純哉監督「何もエラーをしたことが絶対ダメじゃないんだっていう。その次に頑張れるという意味でもっとエラーしてもいいんじゃないかという意味の声かけですよね。だから指導者が「エラーしていい」って言ったら楽になれると思うので。焦りはないですね」

「ダメだったことをどうするのかの積み重ねが大事」と今の段階での指導の基本を強調する浅井監督だが、野球に向き合う選手の姿勢の変化もすでに感じている。

金沢龍谷・浅井純哉監督「きのうも試合中にエラーをした子が、全部終わってからあえて私は「スイングだけやれ」って言ってスイングさせて守備をしろとは言わなかったんですよ。ただ、黙っていたら終わってからノックを受けていました。これが私にとってはもうやっぱりうれしかったですね」

■たった1人の1年生部員 監督は“リスペクト”し見守る

金沢龍谷高校野球部で唯一の1年生部員、金沢市出身の石本楓人選手。8人の2年生の先輩とともに白球を追いかける。

金沢龍谷・石本楓人選手「やっぱり1年生1人なので、2年生に馴染めるような感じで少しでも役に立てるように頑張っていきたいなと思います。今はこの9人で勝つことだけ考えていきたいと思っているので」

浅井監督も石本選手のことは気にかけているようだ。

金沢龍谷・浅井純哉監督「上級生2年生が8人、1年生が1人っていうことを考えれば、いろいろ悩むだろうし、しゃべりたいっていう自分の愚痴をこぼしたいっていうこともなかなかできない中で、来た時からそういう状況で4月からですから、私は逆にすごいなっていうふうに見えるし、ぜひこの経験はここだけで終わらせるんじゃなくて、いつかその経験が役に立つ日が来ると思うので、そのときにまたこの時代を思い出してほしいなと」

■石川の高校球界の“レジェンド”山下智茂さんは今も現役 「戦ってみたい」

浅井監督にとって、今気になる存在が星稜高校元監督の山下智茂さんだ。山下さんは、80歳の今も故郷、奥能登の輪島市・門前高校でアドバイザーを務めている。山下さんの活躍も、金沢龍谷の監督就任をあと押しした理由のひとつだ。

金沢龍谷・浅井純哉監督「山下先生が高校野球に携わり、なおかつ元気にノックを打っている映像とかを見ながら、(山下さんは)ひと回り上だがやっぱり私も頑張りたいっていう気持ちにもなりましたし、できれば同じその場で監督とアドバイザーでは違いますけども、チームを預かっているということでは戦ってみたいですね」

秋の北信越高校野球石川県大会が新チームとしての初の公式戦になるが、9人での「全員野球」を浅井監督は思案している。

金沢龍谷・浅井純哉監督「すべてが固定されていくっていうふうなわけでもないので、ひょっとしたら動いたりもするし、その9人がどうやったらひとつになれるのかというのは、ぜひ見せたいなと思います」

■感じる指導者としての「アップデート」の必要性

チームのメンバーによる暴力問題などもクローズアップされ、野球部のあり方について議論が沸き起こったこの夏だったが、浅井監督は指導者としての「アップデート」もしながら臨む気持ちでいる。

金沢龍谷・浅井純哉監督「いろんな見方やとらえ方が変わっている時代だということを我々が気づかなきゃいけないし、気づいた中でどれだけ接していくのか。ただ勝ち負けだけで動いていくのじゃなくて、子どもたちの成長を最初に考えれば、この練習の中のミスなんて本当にちっちゃいものなので。それをどうやって次うまくやっていくか、できたときは大喜びしてやろうな、みたいに思っているので」

就任から1か月近くが経ち、監督も選手もともに「素」を出せるようになってきたと話す浅井監督。「情熱は生徒にも負けない」との自負を見せる中、“教師”としての一面ものぞかせながら3度目の監督生活が始まった。

📝監督就任2カ月で部内暴力が発覚…当時25歳の沖縄尚学・比嘉公也は“試練”をどう乗り越えた? 球児の心をつないだ秘策「全員、1冊ずつノートを持ってきてくれ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/75a93a93101e50cfd824b9a7cd722827260ba1ca

沖縄県勢として15年ぶりとなる夏の甲子園決勝進出を決めた沖縄尚学。強さの要因はどこにあるのか。2009年、比嘉公也監督を取材したSports Graphic Number736号(同年9月3日売)『沖縄尚学 心をつないだノート』を特別に無料公開する。

3年前の不祥事がきっかけだった。野球部内で起きた暴力事件。監督就任2カ月目、25歳の比嘉公也にとって大きすぎる試練だった。なぜ起きてしまったのか、どうしたら部員達の心の声を聞くことができるのか――。悩み抜いた末に出した答えがノートだった。2008年春、野球部は見事立ち直り2度目の全国制覇を成し遂げる。それから1年半。監督と選手の心をつないだノートを訪ねた。

1時間以上かけて読む52冊のノート
 
沖縄・八重瀬町にある沖縄尚学高校野球部の専用グラウンドは「尚学ボールパーク」と名付けられている。甲子園で熱戦が続く8月中旬、昨年8月に完成したばかりのグラウンドで新チームの部員52人が準備運動を始めたとき、監督の比嘉公也は一塁側のダッグアウトにいた。目の前の長机には、52冊のノートが4つの山に分かれて積まれている。それぞれのノートの表紙には「野球ノート」や「野球日誌」というタイトルと名前が手書きで書かれている。大きな文字で表紙のほとんどをタイトルで埋める部員もいれば、沖縄尚学の校訓である〈怖れず、侮らず、気負わず〉を表紙に書き込む部員もいる。

ノートを1冊ずつ手に取った比嘉はときおり、右手に持った黒のボールペンを走らせた。全部員のノート52冊をチェックし終えるには、1時間以上はかかる。授業のあるときは休み時間などを利用するが、夏休みの間は練習中に合間を見つけてノートに目を通すのが28歳になる青年監督の日課だ。

「監督の役割というのは技術指導よりも、環境を整え、選手達に気づかせてやることだと思うんです。このノートは僕との言葉のキャッチボールを通じ、選手達にいろんなことを気づかせる重要な役割を持ってるんです」

今夏の地方大会で、沖縄尚学は1回戦で敗退した。その悔しさも背景にあったのか、新チームはノートの提出をそれまでの1週間に1度から、毎日提出するように改めた。

「毎日ノートを通じて交流していれば、わずかな変化にも気づきやすいし、仮に僕との間に意識のずれがあったとしても、すぐに修正できますから」と比嘉は言う。

沖縄の高校球史のなかで、比嘉公也の名は特別な輝きに包まれている。沖縄尚学3年生の春、左腕エースとして選抜大会で優勝し、沖縄に初の優勝旗をもたらした。そして監督就任2年目の2008年春には、母校を再び全国優勝に導いている。

「僕は中学時代まで県大会にさえ出たことのないピッチャーでした。そんな男が、こんな体験をさせてもらっているんですから、運がよかったとしかいいようがないですね」

沖縄尚学に入学する野球少年たちのなかにも、比嘉の成功体験にカリスマ性を感じて入部してくる者は少なくない。だが、その来歴にはただ一点だけ、黒い染みがこびりついている。もし、その染みがなければ、沖縄尚学の野球ノートは、いや2度目の全国制覇はなかったかもしれない。

赴任直後に発覚した暴力事件
 
2006年の8月だった。愛知学院大で野球を続け、左ひじの故障で選手生命を絶たれた比嘉が母校に社会科教諭として赴任、野球部の指導者として新たな人生のスタートを切った直後にその事件は起こった。野球部内での暴力事件が発覚、翌春の選抜出場権のかかる県の秋季大会には第1シードでありながら出場できなかったのだ。

若さは成功すれば賛美と驚嘆の対象になるが、つまずくと格好の批判対象になる。経験不足、いや、どこかに過信があった――。批判は棘となって胸に刺さり、「正直いって心が折れました」と比嘉は振り返る。母校の教師になってまだ数力月。足りないものがたくさんあるのはわかっていたが、それにしてもなぜ……。自問を繰り返すうち、比嘉は猛省とともに一つの事実を認めざるを得なかった。

「結局、僕は目で見える部分でしか、選手たちのことを見ていなかったんです」

どうすれば、選手たちの見えない部分、心の襞(ひだ)の細部まで把握できるのか。 自らの性格を「究極の負けず嫌い。挫折を味わったら、なんとかしてそれをカバーしないといられないタイプ」と言い切る比嘉は、そのことを考え抜いた。そして、不祥事が発覚したときに1年生だった東浜巨(なお)(亜細亜大)らを中心に新チームがスタートしたとき、比嘉は部員たちに言った。

「全員、1冊ずつノートを持ってきてくれ」

ノートを書かせるアイデアは、以前から考えていた。大会前に提出させるレポートの内容があまりにひどく、漢字の間違いが多いことも遠因にあった。

「ノートだと、直接言えない思いも伝えることができる。そのやりとりを積み重ねていけば、見えない部分のわずかな変化にも気づくんじゃないかと思ったんです」

特に指定していなかったため、部員たちが用意したノートは製造メーカーも大きさもばらばらだった。日々の練習で感じたことを文章に書き残すように求めたが、携帯メールで他人と交流する今の高校生たちの筆はなかなかスムーズに動かない。

〈ランニング、キャッチボール、ベースランニング、フリー打撃……〉

その日の練習メニューだけを書いて提出する部員も少なくなかった。練習メニューを決めたのは俺なんだから、そんなことを俺にわざわざ伝えても意味がないだろ……。比嘉はそう思いながら、ノートの重要性を部員たちに訴え続けた。

「人間は忘れる生き物だ。今日書いたことがいつか必ず、役に立つときがきっと来る」

提出しなかった部員には、1週間練習禁止のペナルティを科すほどの徹底ぶりだった。

            〈後編に続く〉

⚾岩手さんへ
46、3度計測ですか・・・。軽く体温を超して標準的な風呂の湯よりもかなり熱いから足首すら湯船につけられませんね・・・・・。
今日は日帰り観光で福井県武生(敦賀と福井市の真ん中あたり)をレンタサイクルで走ってましたが、36度程度で収まりました。。。

2018年の福井国体初日が台風接近で早々に中止発表されたので、6時30分の始発サンダーバードで福井へ行き、福井鉄道が15時台までは運行するとのことで、1日フリーきっぷ買って鯖江と武生の街を足早に歩き、15時過ぎに福井駅に戻り西武百貨店で駅弁食べてアパホテルにすぐ入りやりすごしたと・・・。福井には最接近が日付変わる頃だったので、雨風の音が凄かったけど、翌朝は台風一過で晴れてました。ただ、福井県営は水はけ悪いので3時間30分遅れのプレーボールでした、、、、、

丹南球場には福井球団があった頃2度来場しており、今回は初めてレンタサイクルで足を運びました。今にして思えば、美浜や大飯あたりにも行けばよかったかなと。特に三方五湖近くの球場は・・・。

さて、東京モンのことは甲子園に出てこないと全く分からないので戦力も何も知らないですが・・・・・・。小倉監督の本を読むと関東一高はずいぶんヒドイ学校だなと感じました。
僕は日大三の監督のイメージしかないですが、87年センバツ準優勝監督を短期間で解任なんて有り得ないなと。米澤監督就任まで何人変わったか分かりませんが、結果は残せていないはずで。
日大三高もまたOBがやかましいらしく、スモールベースボールを美徳としていたようで、在りし日の小枝監督も拓大紅陵に追いやられたようで、、、、、結果的に千葉に行って良かった気もします。全日本の監督を最晩年務められたし。

関東一は米澤監督の手腕が大きいんでしょうね。頻繁に甲子園に出てくるし、昨年はセンバツ開幕戦敗退からの夏は準優勝ですから。
帝京は前田監督が勇退する前から長期低迷時代に陥っているし、監督交代して選手が集まっているのかどうか・・・・・。あまり甲子園で勝つイメージもなく、監督の味のある敗戦談話だけが楽しみな二松学舎大付も甲子園でよく見かけますね。

でも日大三は関東だけに、和智弁に比べたらかなりスマートだと思いますよ!あんまりヘタな走塁やしょーもないエラーを序盤から多発して自ら劣勢に追い込みつつ、終盤打線爆発で大逆転勝利というのは記憶にないので。
それに1死2・3塁のピンチで中間シフトを敷いてショートゴロで2塁走者を刺そうと3塁送球するも、サードがなぜかしらベースを踏んで満足してしまいオールセーフなんてことを日大三の選手がするとは思えないし。。。

小倉監督が勇退してもうアカンかと思いきや、教え子の前部長で新監督が上手く引き継ぎ強さを維持しているところはなんだか報徳学園とかぶるかなと僕は思います!
2025/09/02(火) 23時20分09秒 No.1991 編集 削除