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☟「決勝戦はかなりのカネが動いた」白熱した甲子園の感動の裏で…黒い思惑が蠢く「高校野球賭博」の実態
https://news.yahoo.co.jp/articles/47d5da9393f8cbb71bf24592c8b8cfb13c0816ad
暴力団が絶対に損をしない〝シノギ〟
第107回全国高校野球選手権大会は8月23日に沖縄尚学(沖縄)が日大三高(西東京)を下して初優勝を飾り、熱戦の幕を閉じた。しかし、今回の大会では広陵(広島)の暴行問題などで野球というスポーツの〝健全さ〟への疑問の声も多数あがり、大会としてのあり方も問われた。
高校野球で暴力は許されない。またカネなどのさまざまな大人の思惑が介在することもあってはならない世界だ。しかし、裏社会では高校野球賭場が盛況だという現実がある。プロ野球での野球賭博は、’15~’16年に当時読売ジャイアンツに所属していた笠原将生、松本竜也、福田聡志らが関与した問題が波紋を呼んだ。野球賭博はプロの試合だけでなく、高校野球でも行われており、夏の酷暑さながらの熱気を帯びた鉄火場だという。
取材に応じたのは、野球賭博を行っている胴元から集金を任されているI氏。そこは暴力団組織のシノギとして商売をしており、絶対に損をしないシステムで運営されているという。
「AとBの試合でAチームに100万円、Bチームに20万円の賭金が集まったとします。金額の差はそのままチームの強さに比例することが多いです。胴元は払戻金から1割を手数料として徴収するので絶対に儲けられますが、さらにはオッズも操作しています。
この例だと、そのままの比率だと1対5ですが、それを1対3にするといったように集まった金額に対して倍率を低く見積もることで、利益を出しています。露骨に倍率操作をしたところで、そもそも野球賭博が違法なため誰も文句は言いません」
◆「京都国際と健大高崎の試合は盛り上がった」
野球賭博の運営で問題となるのは、賭金が集まらないことだ。トラブルを避けるために、競馬や競艇といった公営ギャンブルと違い、最低投票金額も高く設定しているとのことだ。それは少額で違法賭博をする人たちは警察に密告をするなどのトラブルが多いからだと話す。
「うちは一口5万円単位で、電話で受け付けています。最低10万円からの賭場もあるので、こういった賭博の中ではそこまで高くはありません。少額で賭ける人に限って、なけなしの金で賭けをしては『違法だから払う必要がない』と難癖をつけてくることが多いですし、集金や分配も面倒になります。お客さんからの集金額に応じてオッズを変えていますが、強豪校が出場する試合では当然のように強いチームに賭ける人が多くなります。明らかに賭けにならない場合でも、オッズは1倍近くに調整するようにして、不毛な勝負にみせないことも運営側に求められます」
最初のオッズは胴元が出場校の下馬評を基に作成し、試合当日の1時間前まで金を賭けることができる。「京都国際と健大高崎の試合は盛り上がりました」という。優勝候補同士の対決では、かなりの人たちが賭けに興じていたという。
「また、強豪校に金が集まりすぎると賭けにならないので、3点差をつけるまではオッズは1倍といった具合に点差で払戻金を調整します。3点差で勝ったとしても、手数料が引かれるので損をするんです。逆に番狂わせが起き、更に点数差が付いていると配当金も高くなるので、あえて弱いチームに賭け続ける人もいるくらいです」
点数差によるオッズの変動は、より賭けをスリリングにするために客からは好評だという。賭けられた金額にもよるが、3点差からオッズが0.2刻みで上がるという。
◆取り立ては昔ながらの暴力団スタイル
野球賭博は全て現金でのやり取りだが、その都度していたら手間がかかる。そのため集金も払い戻しも週に1度、月曜日しか行わないという。集金日までにお金を工面できればよいので、理論上は無一文でもギャンブルができるシステムだ。過去には1週間でゼロから250万円を手にした者もいるそうだ。なかなか危なっかしい運営にも感じるが、3年に1度程度しか金銭トラブルはないとI氏は語る。
「基本金がある人の遊びなので、数十万円で飛んだりすることはありません。過去にあったのは、とある企業の社長からの紹介で、その会社の社員が60万円の負債を抱えることになりました。友人からも金を借りられず、結局社長が立て替えました。紹介者のメンツにも関わりますし、裏社会での出来事なので、表に出ないように内々で隠蔽したようです」
I氏が担当した集金では過去に一度、飛ばれたことがある。その時に胴元による陰湿な嫌がらせが行われた。
「飛ばれたときは胴元が動きます。私が知っているのは、飛んだ人の会社に電話で『おたくのAさんが金を返さない。会社が立て替えてくれ』と連絡したり、家に押しかけて『金を返せ』と騒いだり、昔ながらの暴力団の取り立てみたいでした。3日もやれば払いますね」
時代が変わっても、胴元が暴力団組織である以上、取り立て方法は昔と変わらないのだ。この取り立ては暴力団が雇った街のチンピラに〝外注〟されているという。
沖縄尚学が優勝を決めた決勝戦はかなりの金が動いたようだ。I氏は「400万円くらい投票されているんで分配と集金で週明けは忙しいですね」と残して去っていた。
高校野球を巡る賭博では、’24年の6月にも広島で客に優勝校などを予想させて現金を賭けさせたなどとして、暴力団組員の男が逮捕されている。このような賭博で捕まるとどうなるのか。アトム法律事務所の出口泰我弁護士が次のように解説する。
「賭場を開帳した側は『賭博場開帳等図利罪』の罪に問われ、罰則は3ヵ月以上5年以下の拘禁刑(懲役刑)となります。賭けた客も『賭博罪』で50万円以下の罰金または科料、『常習賭博罪』の場合は3年以下の拘禁刑となる可能性があります。賭場を開帳する側のほうが犯罪行為として悪質と考えられているため、重い罰則となっております。
また、暴力団が開帳していた賭場の場合はより重い処罰になることが考えられます。賭けた客側も、暴力団の資金源を断つという意味で、暴力団だと知って賭けた場合は厳しい処罰となることが考えられます」
高校球児たちの白熱した戦いの裏で行われる大人たちの欲にまみれた違法なギャンブルを許してはならない──。
📝広陵高校・明徳義塾・PL学園…高校野球に蔓延る“暴力体質”が変わらないワケを専門家が分析
https://news.yahoo.co.jp/articles/d37e056219dc424f707d4476976264efd102e9e7
高校野球の名門校といわれる広島県の広陵高校が、試合で負けることなく、甲子園を去った。
高校野球に蔓延る“暴力体質”
「発端となったのは、今年1月に起きた暴力問題がSNSで拡散されたことです。野球部の1年生部員が、寮内で禁止されているというカップラーメンを食べたことを咎められて、複数の2年生部員から暴力行為を受けていました。そのことで3月には、野球部は日本高校野球連盟(高野連)から厳重注意を受けていました」(スポーツ紙記者、以下同)
8月5日に甲子園が開幕すると、SNSでは広陵高校の野球部の監督やコーチからも1年生部員に対する暴力的な行為があったという新情報が拡散する。
「この騒動に便乗して、広陵高校では野球部の寮が爆破予告をされるという事件まで発生しました。甲子園での1回戦は勝ちましたが、事態を重く見た広陵高校は、8月10日に途中辞退を発表しました」
高校野球の不祥事といえば、2005年に高知県の明徳義塾高校が甲子園への出場決定後、部員の暴力行為や喫煙などが発覚。大会直前に出場を辞退した。2013年には大阪府のPL学園で、複数人の2年生部員が1人明徳義塾高校の部員に対して集団で殴る蹴るなどの暴行問題が発生。その後、6か月間の対外試合の禁止処分を受けた。なぜ野球部の不祥事がなくならないのか。
スポーツライターの小林信也氏に聞くと、「一番の問題は、野球部に暴力的な体質があるということ。これは広陵高校に限らず“甲子園に出る”という大きな目標のために、いまだに暴力的で支配的な構造があるからです。なぜ、このような構造があるかというと、厳しい指導を受けたチームのほうが甲子園に出場できる確率が圧倒的に高いという動かせない事実があるからです」
この根深い構造にメスを入れることができなかったのは、当事者たちだけでなく、メディアの責任もあるという。
「世間を含め、甲子園で勝てば称賛されて美化されるという構造が100年以上も続いています。なぜ今回のような暴力問題に目を向けてこなかったかというと、甲子園の主催である朝日新聞社と、大会を中継する放送権を持つNHKが、高校野球の課題を“封殺”してきたからです。
この2社は、よほど何かの機会がなければ高校野球が抱える多くの課題を報道しません。メディアが高校野球を美化するという“メディアスクラム”が成立しているのです」(小林氏)
求められる体制変化
今回、暴行の被害に遭った1年生部員は、別の学校に転校することに。なぜ被害者が転校せざるを得ないのか。日本大学文理学部で教育行政学、教育財政学を専門にしている末冨芳教授に聞くと、
「日本の場合、いじめによって転校をしたり、いじめの後遺症による不登校で教育支援センターに行くのは被害者です。それは加害者側への強制措置や罰則が“いじめ防止対策推進法”などの法律で明確化されていないからです」
末冨教授は、日本の法制度の不備を指摘する。
「イギリスの場合だと、深刻ないじめや隠蔽事案が発生した場合、政府から改善勧告が出されて、大々的に報道もされます。学校が実際に改善に取り組んだのかの確認も政府が行っています。今回の件に置き換えると、広陵高校を監督する権限を持つ広島県が、改善勧告や改善状況の確認をしなければならないということ。こうした手続きがまったく不明確なのが、いじめ防止対策推進法なのです」
広陵高校の責任も指摘する。「一義的な責任は、いじめを隠蔽した広陵高校にあります。今後は、高野連にどのように事実関係を報告していたのか、高野連がいじめを重大事態だと認識できなかった経緯の解明が重要です」(末冨教授、以下同)
私立校の場合、生徒がいじめや暴力の被害に遭っても外部に申し立てをする窓口がないことが多いという。
「これを機に、高野連は相談窓口を設けるべきです。被害相談や調査を行って対応する“子どものための権利擁護機関”を少なくとも都道府県の単位で設けることが必要だと考えます」
前出の小林氏は「高校野球という長い歴史の中で、高野連が“独裁的”な権限を持っている時代が長すぎる」といった指摘もする。そうした高野連の仕組みも変えるべきだと、末冨教授は唱える。
「高野連の側もルール改正が必要です。いじめを隠蔽した場合には学校ごと出場停止、いじめや不祥事の早期報告の場合は加害者の出場停止といったルールを公表して運用することで、かなりの防止ができるはずです。高野連が、高校野球における暴力根絶の宣言を示す必要があります」
SNSでしか声をあげる手段がない
今回SNSの告発投稿では、部員の保護者が実名を公表して、被害を訴えた。それが拡散されて、問題が明るみに出たものの、被害者家族に対する誹謗中傷のコメントも散見された。
SNSによる誹謗中傷は、どんな罪になるのか。ITジャーナリストの井上トシユキ氏に聞くと、「SNSなどのインターネットによる誹謗中傷でも、名誉毀損や侮辱罪といった刑事責任を問われる可能性があります。誹謗中傷した投稿者を特定することを“発信者情報開示請求”といい、現在は手続きの時間が短縮されて、手続きの方法自体も簡単になるなど進歩しています」
前出の末冨教授は、今回の騒動で浮き彫りになった問題点を力説する。
「被害者がSNSでしか声をあげる手段がなかった。広陵高校のいじめ事案に際し、高野連や広島県に相談できる、しかるべき窓口がなかったので、告発をする方法がSNSでの実名投稿しかないというところまで追い詰められていた。これは、わが国のいじめ防止対策推進法や“こども基本法”という法制における深刻な不備です。被害者が声をあげる方法がSNSしかなかったという点に注目をしてほしいです」
SNSの炎上であぶり出された今回の暴力問題。適切な調査の先に高校野球における不祥事の根絶はあるのか。
📝高校野球のいじめ、しごきは「監督である大人の責任」。日大三の小倉前監督が“某名門校の生徒”に感じた違和感とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/35a11b70d3f81c021d8e8a7723647839cbed46e2
連日熱戦が繰り広げられている第107回全国高等学校野球選手権大会。広島県代表の広陵高校が、部内の暴力事案が発覚したのを機に、1回戦を勝って2回戦にコマを進めながら出場を辞退したのは、周知の通りである。全国の高校野球ファンにとどまらず、世間を驚かせたこの騒動はまだまだ収束しないままでいるが、「広陵に限らず、全国の多くの野球部で起きていることに違いない」と言い出す人物まで現れた。だが、「大きな誤解である」と声を大にして言いたい。
「野球部の悪しき慣習を変えるのは、監督である大人の責任なんです」
こう話していたのは、当時、日大三の監督を務めていた小倉全由氏である。現在、侍ジャパンU-18代表の監督を務める同氏であるが、関東一、日大三の監督を通じて実践したことの一つに、「子どもたちの間にはびこっている、間違ったルールにメスを入れる」ことを挙げていた。
「上級生と下級生の仲がいい」ことに驚かれる
筆者が小倉にインタビューを申し込んだのが、2020年12月のこと。このとき東京都町田市にある合宿所内で小倉から長時間にわたって話を聞き、その後、グラウンド上の練習を見学させていただいたのだが、上級生と下級生の垣根がなく、フレンドリーに話し合っている姿が印象的だった。
「『ウチは上級生と下級生の仲がいいんですよ』と話すと、『本当ですか?』って驚く人がいるんです。そうした人たちの話をよくよく聞いてみると、
『自分たちは上級生とは口を聞いてはいけない、厳しい上下関係でいるのが当たり前』という環境で高校野球をやっていました。それだけに、三高さんのように“上級生と下級生が和やかな雰囲気で練習している”のは、衝撃を受けているんです』って言うんですよ。でもね、上級生と下級生の関係が良好じゃないという野球部は、こうはいきません。よく見ていると、どこかに歪みが生じていることがわかるんですよね」(小倉全由氏、以下同じ)
名門校の生徒を見て、覚えた違和感とは
小倉が日大三の監督を務めていた20年近く前のこと。ある野球名門校と日大三のグラウンドで練習試合を行った。その名門校は日大三に一泊することが決まっていたのだが、食堂に上級生と下級生が一堂に集合して着席した直後、小倉は違和感を覚えた。上級生が携帯電話をいじったり、談笑したりするのに対して、下級生である1年生は背筋をピンと伸ばしたまま、目の前を直視したままでいる。このときの1年生のなかには、後にプロ野球で活躍する選手も含まれていた。
1年後、“有望な1年生”はどうなっていたのか
翌年も再びこの学校と練習試合を行った。小倉が前年に見た、件の有望な1年生がどれだけ成長したのかを注目していたのだが、1年前に見た上級生と同じ振る舞いをしていたのだ。この光景を見て、日大三の選手たちにこう伝えた。
「上級生と下級生の振る舞いをよく見ておくんだ。あの学校の野球部は、今でもいじめやしごきが残っているぞ」
それから数年もしないうちに、この学校の野球部は、「上級生による暴力行為が発覚し、数ヵ月に及ぶ対外試合禁止処分となった」と報道された。小倉はこのような話を聞くたびに、やりきれない思いにかられる。同時に、プロ野球のOBたちにも苦言を呈したいという。
「『あのしごきに耐えたからこそ、今がある』『厳しさを乗り越えたからこそ、プロ野球選手になれた』こう誇らしげに答えているOBたちの考えが間違っているんです。
『しごきに耐える=プロの世界で成功する』という価値観が美談として受け継がれていき、その結果、しごきを根絶できなかった。これではいつまで経っても、しごきは根絶できません」
不祥事を起こす野球部を反面教師に
高校野球絡みの不祥事があると、部員たちと議論を交わす。すると部員たちからは、以下のような意見が出る。
「そういうことをやって、誰が幸せになるんでしょうか?」
「卒業後にその先輩と街でパッタリ会っても、素通りしてしまいたくなりますね」
このときはこう返した。「みんなは上級生、下級生関係なく仲良くやるんだぞ。下級生はわからないことがあれば上級生に聞けばいいし、上級生はそれに対して丁寧に教えてあげるようでなければダメだ。不祥事を起こすような野球部は、いずれ廃れてしまうんだから、こうした問題を起こした野球部を反面教師にしていこうな」
小倉がここまで部員たちのことを思いやるようになったのは、関東一に在籍していたときまでさかのぼる。このとき小倉の指導に影響を与えたのは、野球部の監督時代に選手を指導していたときではなく、一教師として一般生徒に指導していたときだったという。
“不良生徒と接する機会”がキャリアの転機に
小倉は1988年夏の東東京大会でベスト8で帝京に1対8で敗れた直後、監督を解任させられた。前年の春のセンバツでは決勝でPL学園に1対7で敗れたものの、準優勝に導くという実績を残していただけに、小倉自身は内心、相当なショックを受けていた。だが、「野球とはキッパリ縁を切って、一教師として生徒たちと向き合おう」と考え、教壇に立つ道を選んだ。
そうして翌年はクラス担任を受け持ち、さらにその翌年は学年主任も任せれ、初めて野球部以外の生徒と深く接することになった。このとき、世間で言うところの落ちこぼれ、俗にいう「ワル」と呼ばれる不良生徒と接する機会があったことが、小倉の転機となった。野球部の部員たちには「甲子園出場」という目標がある。そのために毎日厳しい練習を積み重ねていくことができるのだが、不良の生徒たちは、将来に対する目標もなければ、学校にまともに来ようとさえしない者もいた。
不良生徒を自宅に連れて行き、話を聞いてみると…
当時は今と違って、不良生徒たちに厳しく当たることが許された時代ではあったものの、「なぜ不良と呼ばれるような生徒になってしまったのか。その原因は何なのか」とまでは深く問い詰めて考えられることはあまりなかった。そこで不良の生徒たちが問題を起こしたり、停学になった際には、週末に小倉の千葉の自宅まで連れて行き、寝食を共にして勉強を見たりいろいろな話をする機会を多く持った。すると彼らのほうから、なぜ学校に来たくないのか、学校が終わったらどんなことをしているのか、家族間の仲はどうなのか、彼女がいるのかどうかなど、多岐にわたって話をしてくれたという。このとき小倉は、「世間でワルと言われているけれども、心の根っこにはいいところがたくさんあるじゃないか」ということに気がつき、彼らが卒業するまで面倒を見ることを決めた。
「『卒業式はお前さんたちが主役なんだから、いい卒業式をしような』と言って送り出してあげたのは、今でもいい思い出ですね」
教師として過ごした時間が財産になった
その後、92年12月に小倉は再び硬式野球部の監督に復帰したのだが、およそ4年間にわたって一教師として過ごした時間が財産になったと話す。
「あの4年の時間は、野球部の監督としてのキャリアを積み上げることができなかったことは事実ですが、それ以上に不遇な立場にいる生徒たちと接したことで、私自身の人間としての幅を広げていったことのほうが大きかったですね。
野球部ではレギュラーよりも、ベンチ入りできない選手たちに多くの時間を割いて話をしましたし、ノックもレギュラーよりも倍以上の本数を打ってあげたりもしました。
それでも3年生最後の夏にベンチ入りできないと、『ごめんな。もう少し時間があれば、ベンチ入りさせるくらいまでにはできたかもしれないな』と私が謝って、監督と選手という立場を忘れて、監督室でアイスを食べながらいろんな話をしていたことも、毎年のようにありました。
それまでの監督時代は、私主導で物事を決めて、ときには強引に推し進めてしまうこともありました。けれども野球部以外の生徒と接したことで、相手を思いやる考えができるようになって、柔軟な発想を取り入れながら選手の指導にあたることができたのです。
もし私が野球部の監督を一度も辞めることなくずっと続けていたら、何かの拍子に部員に手を上げてしまい、それが引き金となって学校全体で話し合われる問題になってしまって、野球部を追われていた、なんてことも起こり得たかもしれません」
いじめやしごきの類の話は存在しない両校が激突
今年の甲子園大会のベスト8では日大三と関東一が激突した。
日大三は小倉の下で長く野球部部長を務め、小倉が退任した23年4月から監督に就任した三木有造が、関東一は小倉が監督に復帰した92年12月から翌93年夏の東東京大会の決勝で修徳に敗れるまでの間に指導していた米澤貴光が監督を務めている。
小倉イズムを受け継いだ両校には、いじめやしごきの類の話は存在しない。これも小倉の指導の賜物であると見ていい。
全国の高校野球の現場で、小倉のような指導を推し進め、先輩と後輩の関係が良好な野球部が1校でも多く存在していてほしいーー心からそう願うばかりだ。
⚾岩手さんへ
1-8といえば・・・コールドスコアですが、9回まで試合ができたのは収穫ですね。東北地区で考えると、まず県大会3位以内に入り、18校参加の東北大会で3枠に入るためには最低2勝しなければならず、近畿と違って夏よりも出場が難しいセンバツですよね・・・・・。
仙台育英・聖光学院・青森山田・八学光星その他モロモロ・・・県大会勝ち上がってもそこから先が本当に厳しい。東北大会観戦者は楽しいと思いますが!
広陵は1・2年生が100人近くいるので新チームは困らないと思いますが、来春の入部者は激減するでしょうね・・・。こうなると谷間の世代ができて、長期低迷時代の入口となりかねないです。
そういう危機を何度も脱した天理や仙台育英は凄いんでしょうね!
やはり広島県内だと広島商は公立でちょっとカラーが違うので、、、広島新庄は結構北部にあるらしく迫田監督の弟さんが退任し、宇多村新監督が暴力で謹慎喰らったこともあり・・・。そうなると、崇徳・盈進あたりに流れるかと。
開星は県内中心で運営するようなんで、そう考えたら智翠館もそうですが、部員全員県外???の益田東あたりも流入するのかなと。
国際は結構ありそうですね。神戸にもあるし。。。あと関西の伝統校と言われてすぐ頭に浮かんだのは東洋大姫路ですね!天理や和智弁は人数制限あるので、今からの進路変更は難しそうですが、東洋ならありえるかなと。広島から近畿で一番近いし姫路は西よりなんで。
https://news.yahoo.co.jp/articles/47d5da9393f8cbb71bf24592c8b8cfb13c0816ad
暴力団が絶対に損をしない〝シノギ〟
第107回全国高校野球選手権大会は8月23日に沖縄尚学(沖縄)が日大三高(西東京)を下して初優勝を飾り、熱戦の幕を閉じた。しかし、今回の大会では広陵(広島)の暴行問題などで野球というスポーツの〝健全さ〟への疑問の声も多数あがり、大会としてのあり方も問われた。
高校野球で暴力は許されない。またカネなどのさまざまな大人の思惑が介在することもあってはならない世界だ。しかし、裏社会では高校野球賭場が盛況だという現実がある。プロ野球での野球賭博は、’15~’16年に当時読売ジャイアンツに所属していた笠原将生、松本竜也、福田聡志らが関与した問題が波紋を呼んだ。野球賭博はプロの試合だけでなく、高校野球でも行われており、夏の酷暑さながらの熱気を帯びた鉄火場だという。
取材に応じたのは、野球賭博を行っている胴元から集金を任されているI氏。そこは暴力団組織のシノギとして商売をしており、絶対に損をしないシステムで運営されているという。
「AとBの試合でAチームに100万円、Bチームに20万円の賭金が集まったとします。金額の差はそのままチームの強さに比例することが多いです。胴元は払戻金から1割を手数料として徴収するので絶対に儲けられますが、さらにはオッズも操作しています。
この例だと、そのままの比率だと1対5ですが、それを1対3にするといったように集まった金額に対して倍率を低く見積もることで、利益を出しています。露骨に倍率操作をしたところで、そもそも野球賭博が違法なため誰も文句は言いません」
◆「京都国際と健大高崎の試合は盛り上がった」
野球賭博の運営で問題となるのは、賭金が集まらないことだ。トラブルを避けるために、競馬や競艇といった公営ギャンブルと違い、最低投票金額も高く設定しているとのことだ。それは少額で違法賭博をする人たちは警察に密告をするなどのトラブルが多いからだと話す。
「うちは一口5万円単位で、電話で受け付けています。最低10万円からの賭場もあるので、こういった賭博の中ではそこまで高くはありません。少額で賭ける人に限って、なけなしの金で賭けをしては『違法だから払う必要がない』と難癖をつけてくることが多いですし、集金や分配も面倒になります。お客さんからの集金額に応じてオッズを変えていますが、強豪校が出場する試合では当然のように強いチームに賭ける人が多くなります。明らかに賭けにならない場合でも、オッズは1倍近くに調整するようにして、不毛な勝負にみせないことも運営側に求められます」
最初のオッズは胴元が出場校の下馬評を基に作成し、試合当日の1時間前まで金を賭けることができる。「京都国際と健大高崎の試合は盛り上がりました」という。優勝候補同士の対決では、かなりの人たちが賭けに興じていたという。
「また、強豪校に金が集まりすぎると賭けにならないので、3点差をつけるまではオッズは1倍といった具合に点差で払戻金を調整します。3点差で勝ったとしても、手数料が引かれるので損をするんです。逆に番狂わせが起き、更に点数差が付いていると配当金も高くなるので、あえて弱いチームに賭け続ける人もいるくらいです」
点数差によるオッズの変動は、より賭けをスリリングにするために客からは好評だという。賭けられた金額にもよるが、3点差からオッズが0.2刻みで上がるという。
◆取り立ては昔ながらの暴力団スタイル
野球賭博は全て現金でのやり取りだが、その都度していたら手間がかかる。そのため集金も払い戻しも週に1度、月曜日しか行わないという。集金日までにお金を工面できればよいので、理論上は無一文でもギャンブルができるシステムだ。過去には1週間でゼロから250万円を手にした者もいるそうだ。なかなか危なっかしい運営にも感じるが、3年に1度程度しか金銭トラブルはないとI氏は語る。
「基本金がある人の遊びなので、数十万円で飛んだりすることはありません。過去にあったのは、とある企業の社長からの紹介で、その会社の社員が60万円の負債を抱えることになりました。友人からも金を借りられず、結局社長が立て替えました。紹介者のメンツにも関わりますし、裏社会での出来事なので、表に出ないように内々で隠蔽したようです」
I氏が担当した集金では過去に一度、飛ばれたことがある。その時に胴元による陰湿な嫌がらせが行われた。
「飛ばれたときは胴元が動きます。私が知っているのは、飛んだ人の会社に電話で『おたくのAさんが金を返さない。会社が立て替えてくれ』と連絡したり、家に押しかけて『金を返せ』と騒いだり、昔ながらの暴力団の取り立てみたいでした。3日もやれば払いますね」
時代が変わっても、胴元が暴力団組織である以上、取り立て方法は昔と変わらないのだ。この取り立ては暴力団が雇った街のチンピラに〝外注〟されているという。
沖縄尚学が優勝を決めた決勝戦はかなりの金が動いたようだ。I氏は「400万円くらい投票されているんで分配と集金で週明けは忙しいですね」と残して去っていた。
高校野球を巡る賭博では、’24年の6月にも広島で客に優勝校などを予想させて現金を賭けさせたなどとして、暴力団組員の男が逮捕されている。このような賭博で捕まるとどうなるのか。アトム法律事務所の出口泰我弁護士が次のように解説する。
「賭場を開帳した側は『賭博場開帳等図利罪』の罪に問われ、罰則は3ヵ月以上5年以下の拘禁刑(懲役刑)となります。賭けた客も『賭博罪』で50万円以下の罰金または科料、『常習賭博罪』の場合は3年以下の拘禁刑となる可能性があります。賭場を開帳する側のほうが犯罪行為として悪質と考えられているため、重い罰則となっております。
また、暴力団が開帳していた賭場の場合はより重い処罰になることが考えられます。賭けた客側も、暴力団の資金源を断つという意味で、暴力団だと知って賭けた場合は厳しい処罰となることが考えられます」
高校球児たちの白熱した戦いの裏で行われる大人たちの欲にまみれた違法なギャンブルを許してはならない──。
📝広陵高校・明徳義塾・PL学園…高校野球に蔓延る“暴力体質”が変わらないワケを専門家が分析
https://news.yahoo.co.jp/articles/d37e056219dc424f707d4476976264efd102e9e7
高校野球の名門校といわれる広島県の広陵高校が、試合で負けることなく、甲子園を去った。
高校野球に蔓延る“暴力体質”
「発端となったのは、今年1月に起きた暴力問題がSNSで拡散されたことです。野球部の1年生部員が、寮内で禁止されているというカップラーメンを食べたことを咎められて、複数の2年生部員から暴力行為を受けていました。そのことで3月には、野球部は日本高校野球連盟(高野連)から厳重注意を受けていました」(スポーツ紙記者、以下同)
8月5日に甲子園が開幕すると、SNSでは広陵高校の野球部の監督やコーチからも1年生部員に対する暴力的な行為があったという新情報が拡散する。
「この騒動に便乗して、広陵高校では野球部の寮が爆破予告をされるという事件まで発生しました。甲子園での1回戦は勝ちましたが、事態を重く見た広陵高校は、8月10日に途中辞退を発表しました」
高校野球の不祥事といえば、2005年に高知県の明徳義塾高校が甲子園への出場決定後、部員の暴力行為や喫煙などが発覚。大会直前に出場を辞退した。2013年には大阪府のPL学園で、複数人の2年生部員が1人明徳義塾高校の部員に対して集団で殴る蹴るなどの暴行問題が発生。その後、6か月間の対外試合の禁止処分を受けた。なぜ野球部の不祥事がなくならないのか。
スポーツライターの小林信也氏に聞くと、「一番の問題は、野球部に暴力的な体質があるということ。これは広陵高校に限らず“甲子園に出る”という大きな目標のために、いまだに暴力的で支配的な構造があるからです。なぜ、このような構造があるかというと、厳しい指導を受けたチームのほうが甲子園に出場できる確率が圧倒的に高いという動かせない事実があるからです」
この根深い構造にメスを入れることができなかったのは、当事者たちだけでなく、メディアの責任もあるという。
「世間を含め、甲子園で勝てば称賛されて美化されるという構造が100年以上も続いています。なぜ今回のような暴力問題に目を向けてこなかったかというと、甲子園の主催である朝日新聞社と、大会を中継する放送権を持つNHKが、高校野球の課題を“封殺”してきたからです。
この2社は、よほど何かの機会がなければ高校野球が抱える多くの課題を報道しません。メディアが高校野球を美化するという“メディアスクラム”が成立しているのです」(小林氏)
求められる体制変化
今回、暴行の被害に遭った1年生部員は、別の学校に転校することに。なぜ被害者が転校せざるを得ないのか。日本大学文理学部で教育行政学、教育財政学を専門にしている末冨芳教授に聞くと、
「日本の場合、いじめによって転校をしたり、いじめの後遺症による不登校で教育支援センターに行くのは被害者です。それは加害者側への強制措置や罰則が“いじめ防止対策推進法”などの法律で明確化されていないからです」
末冨教授は、日本の法制度の不備を指摘する。
「イギリスの場合だと、深刻ないじめや隠蔽事案が発生した場合、政府から改善勧告が出されて、大々的に報道もされます。学校が実際に改善に取り組んだのかの確認も政府が行っています。今回の件に置き換えると、広陵高校を監督する権限を持つ広島県が、改善勧告や改善状況の確認をしなければならないということ。こうした手続きがまったく不明確なのが、いじめ防止対策推進法なのです」
広陵高校の責任も指摘する。「一義的な責任は、いじめを隠蔽した広陵高校にあります。今後は、高野連にどのように事実関係を報告していたのか、高野連がいじめを重大事態だと認識できなかった経緯の解明が重要です」(末冨教授、以下同)
私立校の場合、生徒がいじめや暴力の被害に遭っても外部に申し立てをする窓口がないことが多いという。
「これを機に、高野連は相談窓口を設けるべきです。被害相談や調査を行って対応する“子どものための権利擁護機関”を少なくとも都道府県の単位で設けることが必要だと考えます」
前出の小林氏は「高校野球という長い歴史の中で、高野連が“独裁的”な権限を持っている時代が長すぎる」といった指摘もする。そうした高野連の仕組みも変えるべきだと、末冨教授は唱える。
「高野連の側もルール改正が必要です。いじめを隠蔽した場合には学校ごと出場停止、いじめや不祥事の早期報告の場合は加害者の出場停止といったルールを公表して運用することで、かなりの防止ができるはずです。高野連が、高校野球における暴力根絶の宣言を示す必要があります」
SNSでしか声をあげる手段がない
今回SNSの告発投稿では、部員の保護者が実名を公表して、被害を訴えた。それが拡散されて、問題が明るみに出たものの、被害者家族に対する誹謗中傷のコメントも散見された。
SNSによる誹謗中傷は、どんな罪になるのか。ITジャーナリストの井上トシユキ氏に聞くと、「SNSなどのインターネットによる誹謗中傷でも、名誉毀損や侮辱罪といった刑事責任を問われる可能性があります。誹謗中傷した投稿者を特定することを“発信者情報開示請求”といい、現在は手続きの時間が短縮されて、手続きの方法自体も簡単になるなど進歩しています」
前出の末冨教授は、今回の騒動で浮き彫りになった問題点を力説する。
「被害者がSNSでしか声をあげる手段がなかった。広陵高校のいじめ事案に際し、高野連や広島県に相談できる、しかるべき窓口がなかったので、告発をする方法がSNSでの実名投稿しかないというところまで追い詰められていた。これは、わが国のいじめ防止対策推進法や“こども基本法”という法制における深刻な不備です。被害者が声をあげる方法がSNSしかなかったという点に注目をしてほしいです」
SNSの炎上であぶり出された今回の暴力問題。適切な調査の先に高校野球における不祥事の根絶はあるのか。
📝高校野球のいじめ、しごきは「監督である大人の責任」。日大三の小倉前監督が“某名門校の生徒”に感じた違和感とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/35a11b70d3f81c021d8e8a7723647839cbed46e2
連日熱戦が繰り広げられている第107回全国高等学校野球選手権大会。広島県代表の広陵高校が、部内の暴力事案が発覚したのを機に、1回戦を勝って2回戦にコマを進めながら出場を辞退したのは、周知の通りである。全国の高校野球ファンにとどまらず、世間を驚かせたこの騒動はまだまだ収束しないままでいるが、「広陵に限らず、全国の多くの野球部で起きていることに違いない」と言い出す人物まで現れた。だが、「大きな誤解である」と声を大にして言いたい。
「野球部の悪しき慣習を変えるのは、監督である大人の責任なんです」
こう話していたのは、当時、日大三の監督を務めていた小倉全由氏である。現在、侍ジャパンU-18代表の監督を務める同氏であるが、関東一、日大三の監督を通じて実践したことの一つに、「子どもたちの間にはびこっている、間違ったルールにメスを入れる」ことを挙げていた。
「上級生と下級生の仲がいい」ことに驚かれる
筆者が小倉にインタビューを申し込んだのが、2020年12月のこと。このとき東京都町田市にある合宿所内で小倉から長時間にわたって話を聞き、その後、グラウンド上の練習を見学させていただいたのだが、上級生と下級生の垣根がなく、フレンドリーに話し合っている姿が印象的だった。
「『ウチは上級生と下級生の仲がいいんですよ』と話すと、『本当ですか?』って驚く人がいるんです。そうした人たちの話をよくよく聞いてみると、
『自分たちは上級生とは口を聞いてはいけない、厳しい上下関係でいるのが当たり前』という環境で高校野球をやっていました。それだけに、三高さんのように“上級生と下級生が和やかな雰囲気で練習している”のは、衝撃を受けているんです』って言うんですよ。でもね、上級生と下級生の関係が良好じゃないという野球部は、こうはいきません。よく見ていると、どこかに歪みが生じていることがわかるんですよね」(小倉全由氏、以下同じ)
名門校の生徒を見て、覚えた違和感とは
小倉が日大三の監督を務めていた20年近く前のこと。ある野球名門校と日大三のグラウンドで練習試合を行った。その名門校は日大三に一泊することが決まっていたのだが、食堂に上級生と下級生が一堂に集合して着席した直後、小倉は違和感を覚えた。上級生が携帯電話をいじったり、談笑したりするのに対して、下級生である1年生は背筋をピンと伸ばしたまま、目の前を直視したままでいる。このときの1年生のなかには、後にプロ野球で活躍する選手も含まれていた。
1年後、“有望な1年生”はどうなっていたのか
翌年も再びこの学校と練習試合を行った。小倉が前年に見た、件の有望な1年生がどれだけ成長したのかを注目していたのだが、1年前に見た上級生と同じ振る舞いをしていたのだ。この光景を見て、日大三の選手たちにこう伝えた。
「上級生と下級生の振る舞いをよく見ておくんだ。あの学校の野球部は、今でもいじめやしごきが残っているぞ」
それから数年もしないうちに、この学校の野球部は、「上級生による暴力行為が発覚し、数ヵ月に及ぶ対外試合禁止処分となった」と報道された。小倉はこのような話を聞くたびに、やりきれない思いにかられる。同時に、プロ野球のOBたちにも苦言を呈したいという。
「『あのしごきに耐えたからこそ、今がある』『厳しさを乗り越えたからこそ、プロ野球選手になれた』こう誇らしげに答えているOBたちの考えが間違っているんです。
『しごきに耐える=プロの世界で成功する』という価値観が美談として受け継がれていき、その結果、しごきを根絶できなかった。これではいつまで経っても、しごきは根絶できません」
不祥事を起こす野球部を反面教師に
高校野球絡みの不祥事があると、部員たちと議論を交わす。すると部員たちからは、以下のような意見が出る。
「そういうことをやって、誰が幸せになるんでしょうか?」
「卒業後にその先輩と街でパッタリ会っても、素通りしてしまいたくなりますね」
このときはこう返した。「みんなは上級生、下級生関係なく仲良くやるんだぞ。下級生はわからないことがあれば上級生に聞けばいいし、上級生はそれに対して丁寧に教えてあげるようでなければダメだ。不祥事を起こすような野球部は、いずれ廃れてしまうんだから、こうした問題を起こした野球部を反面教師にしていこうな」
小倉がここまで部員たちのことを思いやるようになったのは、関東一に在籍していたときまでさかのぼる。このとき小倉の指導に影響を与えたのは、野球部の監督時代に選手を指導していたときではなく、一教師として一般生徒に指導していたときだったという。
“不良生徒と接する機会”がキャリアの転機に
小倉は1988年夏の東東京大会でベスト8で帝京に1対8で敗れた直後、監督を解任させられた。前年の春のセンバツでは決勝でPL学園に1対7で敗れたものの、準優勝に導くという実績を残していただけに、小倉自身は内心、相当なショックを受けていた。だが、「野球とはキッパリ縁を切って、一教師として生徒たちと向き合おう」と考え、教壇に立つ道を選んだ。
そうして翌年はクラス担任を受け持ち、さらにその翌年は学年主任も任せれ、初めて野球部以外の生徒と深く接することになった。このとき、世間で言うところの落ちこぼれ、俗にいう「ワル」と呼ばれる不良生徒と接する機会があったことが、小倉の転機となった。野球部の部員たちには「甲子園出場」という目標がある。そのために毎日厳しい練習を積み重ねていくことができるのだが、不良の生徒たちは、将来に対する目標もなければ、学校にまともに来ようとさえしない者もいた。
不良生徒を自宅に連れて行き、話を聞いてみると…
当時は今と違って、不良生徒たちに厳しく当たることが許された時代ではあったものの、「なぜ不良と呼ばれるような生徒になってしまったのか。その原因は何なのか」とまでは深く問い詰めて考えられることはあまりなかった。そこで不良の生徒たちが問題を起こしたり、停学になった際には、週末に小倉の千葉の自宅まで連れて行き、寝食を共にして勉強を見たりいろいろな話をする機会を多く持った。すると彼らのほうから、なぜ学校に来たくないのか、学校が終わったらどんなことをしているのか、家族間の仲はどうなのか、彼女がいるのかどうかなど、多岐にわたって話をしてくれたという。このとき小倉は、「世間でワルと言われているけれども、心の根っこにはいいところがたくさんあるじゃないか」ということに気がつき、彼らが卒業するまで面倒を見ることを決めた。
「『卒業式はお前さんたちが主役なんだから、いい卒業式をしような』と言って送り出してあげたのは、今でもいい思い出ですね」
教師として過ごした時間が財産になった
その後、92年12月に小倉は再び硬式野球部の監督に復帰したのだが、およそ4年間にわたって一教師として過ごした時間が財産になったと話す。
「あの4年の時間は、野球部の監督としてのキャリアを積み上げることができなかったことは事実ですが、それ以上に不遇な立場にいる生徒たちと接したことで、私自身の人間としての幅を広げていったことのほうが大きかったですね。
野球部ではレギュラーよりも、ベンチ入りできない選手たちに多くの時間を割いて話をしましたし、ノックもレギュラーよりも倍以上の本数を打ってあげたりもしました。
それでも3年生最後の夏にベンチ入りできないと、『ごめんな。もう少し時間があれば、ベンチ入りさせるくらいまでにはできたかもしれないな』と私が謝って、監督と選手という立場を忘れて、監督室でアイスを食べながらいろんな話をしていたことも、毎年のようにありました。
それまでの監督時代は、私主導で物事を決めて、ときには強引に推し進めてしまうこともありました。けれども野球部以外の生徒と接したことで、相手を思いやる考えができるようになって、柔軟な発想を取り入れながら選手の指導にあたることができたのです。
もし私が野球部の監督を一度も辞めることなくずっと続けていたら、何かの拍子に部員に手を上げてしまい、それが引き金となって学校全体で話し合われる問題になってしまって、野球部を追われていた、なんてことも起こり得たかもしれません」
いじめやしごきの類の話は存在しない両校が激突
今年の甲子園大会のベスト8では日大三と関東一が激突した。
日大三は小倉の下で長く野球部部長を務め、小倉が退任した23年4月から監督に就任した三木有造が、関東一は小倉が監督に復帰した92年12月から翌93年夏の東東京大会の決勝で修徳に敗れるまでの間に指導していた米澤貴光が監督を務めている。
小倉イズムを受け継いだ両校には、いじめやしごきの類の話は存在しない。これも小倉の指導の賜物であると見ていい。
全国の高校野球の現場で、小倉のような指導を推し進め、先輩と後輩の関係が良好な野球部が1校でも多く存在していてほしいーー心からそう願うばかりだ。
⚾岩手さんへ
1-8といえば・・・コールドスコアですが、9回まで試合ができたのは収穫ですね。東北地区で考えると、まず県大会3位以内に入り、18校参加の東北大会で3枠に入るためには最低2勝しなければならず、近畿と違って夏よりも出場が難しいセンバツですよね・・・・・。
仙台育英・聖光学院・青森山田・八学光星その他モロモロ・・・県大会勝ち上がってもそこから先が本当に厳しい。東北大会観戦者は楽しいと思いますが!
広陵は1・2年生が100人近くいるので新チームは困らないと思いますが、来春の入部者は激減するでしょうね・・・。こうなると谷間の世代ができて、長期低迷時代の入口となりかねないです。
そういう危機を何度も脱した天理や仙台育英は凄いんでしょうね!
やはり広島県内だと広島商は公立でちょっとカラーが違うので、、、広島新庄は結構北部にあるらしく迫田監督の弟さんが退任し、宇多村新監督が暴力で謹慎喰らったこともあり・・・。そうなると、崇徳・盈進あたりに流れるかと。
開星は県内中心で運営するようなんで、そう考えたら智翠館もそうですが、部員全員県外???の益田東あたりも流入するのかなと。
国際は結構ありそうですね。神戸にもあるし。。。あと関西の伝統校と言われてすぐ頭に浮かんだのは東洋大姫路ですね!天理や和智弁は人数制限あるので、今からの進路変更は難しそうですが、東洋ならありえるかなと。広島から近畿で一番近いし姫路は西よりなんで。