自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」

ようこそいらっしゃいました。監督(管理人)の宏鈴法師です。当掲示板は全国どこの話題でもOKですのでどうぞ野球談義・よもやま話をお楽しみ下さい!なお、ご意見ご要望はメールでお願いします。悪しからずご了承くださいませ。


紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
⚾今日の和歌山大会一次予選試合結果(6日目 2回戦 紀三井寺球場)
熊  野7x-0神  島(7回)・初芝橋本8-1向  陽・和歌山商3-2笠田農芸

📝令和7年度 秋季岡山県高等学校野球大会組合せ表
https://www.okayama-hbf.com/uploads/202509/20250917_92681957468ca7073338da.pdf

📝持丸修一 77歳名将の高校野球論
高校野球の慢性的な過密日程、上等ですよ。どれだけ慌ただしくても春季大会は絶対必要です
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/377546

沖縄尚学の初優勝で幕を閉じた今夏の甲子園。その裏で、聖地の土を踏むことがかなわなかった我が専大松戸は、秋季千葉大会予選に臨んでいました。
結果を振り返ると、初戦から順に千葉明徳戦(8対0、7回コールド)、八千代松陰戦(17対1、5回コールド)、流山戦(3対0)。無事に本戦出場を決めることができました。次戦は21日、成田国際と幕張総合の勝者と対戦します。

一見すれば強豪相手に十分な戦いぶりを見せ、先行きは明るいようにも映ります。しかし、そう単純な話ではありません。相手校の多くは初めて公式戦を経験する選手が中心で、本来の力を発揮できていなかっただけでしょう。専大松戸には先輩の試合に出ていた下級生が多く、“試合慣れ”という点で一日の長があるかもしれませんが、チームの総合力や個々の能力が勝っているかは未知数です。目先の勝利に浮かれている場合ではありません。
秋季大会は来春のセンバツへと直結する重要な舞台。だからこそ、是が非でも勝ち抜かなければいけません。その覚悟で日々の練習に臨んでいます。さて、新チームの近況はこのくらいに。ここまでの流れで「高校野球は過密日程だ」と感じる方も多いのではないでしょうか。たしかにその通りだとも思いますが、今回はこの「過密日程」について、私の考えをお話しします。

特にやり玉に挙がるのが春季大会です。どれだけ勝ち進んでも、得られるのは夏の地方大会のシード枠(1試合分)だけで、対価が大きいとは言い難い。しかも、春季地方大会が終われば1カ月余りで「最後の夏」が始まります。最近は酷暑の影響で夏の地方大会の日程に議論が及ぶケースも目立ち、その流れで、「春季大会は不要」という意見も出てきているようです。

今春は関東大会まで進みましたが、実際、息をつく暇なんてありませんでした。それでも、私は春季大会を削ることには反対です。選手に実戦経験を積ませたいのはもちろん、もうひとつの理由として、野球は「ユニホームを着て番号を背負う機会」が極端に少ないからです。サッカーやバスケのように練習試合からユニホームを着られる競技と違い、野球はほとんどの学校が公式戦でしか背番号を付けません。

しかも現状、その舞台は春・夏・秋のわずか3大会だけ。さらに、その期間にベンチ入りを許されるメンバーにしか出場機会がない。それだけに、選手にとってユニホームに袖を通し、自分だけの番号を与えられることは、我々大人が想像する以上に大きな意味を持っているのです。背番号を付けて、なおかつ公式戦を戦う。この重圧もまた選手の成長に欠かせません。もし効率だけを優先して春季大会を廃止すれば、3年間一度もユニホームを着られずに終える選手が増えてしまう。お試しで新戦力を起用する機会も失われ、ベンチ入りメンバーはより固定化するでしょう。結果として、「選手の出場機会を増やす」という昨今の高校野球界全体の方針と逆行することになるのです。

過密だからといって安易に削ればいい、というものではありません。幸いにも現時点で高野連が春季大会をどうこうしようという気配はありません。どうかそのままでいていただきたい。
どれだけ慌ただしくても、現場の我々指導者や選手にとっては「心地よい疲労」なのです。過密日程、上等じゃないですか。

☝部員9人の金沢龍谷が逆境乗り越え逆転勝利…元金沢の浅井純哉監督は3年ぶり公式戦
https://news.yahoo.co.jp/articles/30e8e4ea392d1d693fc2d55f6ffdad336ac224c9

◆秋季高校野球石川県大会 ▽2回戦 金沢龍谷7―5輪島(14日・弁慶)

部員9人で挑んだ金沢龍谷は、7―5で輪島に逆転勝利し、初戦突破を決めた。元金沢の監督として春4回、夏7回の甲子園出場を誇る浅井純哉監督(68)が8月1日に就任し、新チームで初勝利を飾った。9回は二死満塁のピンチも迎えたが、最後はエース左腕、赤羽駿人(2年)が気迫の投球で右飛に仕留めてゲームセット。指導歴も長い浅井監督だが「今まで9人で戦ったことはないです。苦しいこともありましたが、40日間で一つの答えが出たのかなと思います」と感無量の表情を浮かべた。

どん底からの再出発だった。昨秋は指導者の不祥事が発覚し、今春の新入部員は1人のみ。先の見えない絶望的な状況に、山田晟羅主将(2年)は「どうしたらいいのか、わからなかった。そもそも、試合に出場できるのかも、わからなかった」と振り返る。混乱の中、火中の栗を拾ったのが、浅井監督だった。「環境は整っているのに、この子たちは野球以外でも苦しい。外から見ていたが、大変な秋を迎えるだろうなと。金沢高校に勤めていたので、すぐに返事は出来ないと言ったのですが、少しでもお手伝いが出ればと言う気持ちになって」と熟慮の末に監督就任を決断した。

2年生8人、1年生1人の小所帯で新チームをスタートしたが、この夏に消化できた練習試合は5試合のみ。練習の準備や片付けにも多くの時間がかかった。9人しかいないため、ポジションや打順も試行錯誤。練習試合の結果も1勝4敗と、決して順調ではなかったが、のびのびとした雰囲気で浅井監督はいいプレー、悪いプレーにもていねいに声を掛け続けた。「チームの雰囲気も変わり、全員が勝利という目標に向かっているのを感じました」と山田主将。練習には3年生も参加してノックを打ち、準備、片付けも手伝って下級生を支えた。引退した3年生も一緒に指導した浅井監督は「本当に素直だし、教えてくれと言ってくる。私と話しているとメモも取っています」と、その意欲に驚いた。

この日の試合でも、3年生1人が記録員を務め、2人は補助員として飲料水や攻撃の準備、球拾いなどでバックアップ。スタンドからも3年生全員がそろって大声援を送った。その声に応えて選手たちも奮起。エース、赤羽と左腕、田島來門一塁手(2年)が交互にマウンドに上がってピンチをしのげば、打線もつながって14安打と爆発。9回1死では4番・山田の左越え本塁打も飛び出し、部員全員で勝利をつかみ取った。指揮官は「覚悟の上でユニフォームを着たが、外から来て初めてみんなの本心を知ることが出来ました」と振り返った。

次戦は浅井監督の古巣でもあるシード校の金沢だ。「自分たちの持っているものをどれだけ出せるか楽しみ。やるからには、なんとか突破口を開いて欲しい」と指揮官。野球が出来る喜びをかみしめながら、チーム一丸となって強敵撃破を目指す。

📝「暴力、いじめ、窃盗…何でもあり」“甲子園準優勝の名門”沖縄水産の崩壊「設備はボロボロ…部費の横領事件も」“立て直しに尽力”元監督が驚愕した実態
https://number.bunshun.jp/articles/-/866781?page=1

「賛否両論の名将」栽弘義65歳の最期
 
監督の栽弘義が「沖水史上最強」と考えていた1998年の沖縄水産は、春夏ともに甲子園1回戦で敗れた。一旦は落ち込んだ栽だったが、すぐさま体に鞭打って奮起し、2000年、02年、04年と沖縄県大会決勝まで駒を進めている。だが、いずれもあと一歩のところで敗退。03年世代のキャッチャーで4番を打った照屋信博(現シンバネットワークアーマンズベースボールクラブ監督)はこう述懐する。

「勝てるときに勝たないと甲子園はどんどん遠ざかっていきます。絶対に勝たなければいけない試合で負けたことがずっと響いている。OBとしてそう感じています」

勝てない時代が続くと、寮生活の統制も乱れていく。酔っ払って寮に戻ってきた舎監のコーチがマイクで特定の選手を呼び出し、酔っ払いの相手をさせる。時には酒を勧められる場合もあったという。また選手同士でタクシーに乗り合わせて居酒屋に行くなど、規律は完全に崩壊していた。そんな時期に、甲子園から遠ざかる栽を学校側は野球部監督から外そうとした。しかし、ある県会議員が議会で問題提起したことで栽はクビを免れたという。高校野球の監督の解任が県議会で議論されるほど、栽の存在はいち高校野球の監督の枠を超えていた。

2007年5月8日、栽弘義は65歳でこの世を去った。沖縄水産での監督在籍28年間のうち春3回、夏8回の計11度の甲子園出場を果たし、90年と91年は2年連続準優勝の輝かしい功績を残した。苛烈な指導方針と私生活の奔放さゆえ、批判も絶えなかった。現在の価値観からすれば到底容認されないであろう手法を用いていたのも確かだ。ただ、多くの教え子が後に指導者となり、さまざまな反省を踏まえたうえで、いまも沖縄の野球界に尽力している。毀誉褒貶はあれど、大きな功績を残したことは間違いない。

荒廃した沖縄水産「暴力、いじめ、窃盗…何でもあり」
 
名将・栽が亡くなったことで、沖縄水産の凋落は一気に加速する。“沖水”のブランドを保とうと踏ん張っていた時期もあった。しかし、時代の流れとともに子どもたちの気質や求めるものが変わっていき、以前はまかり通っていたものが次第に通用しなくなる。栄光時の施設や設備も老朽化する。部内の体制や仕組みも変容し、かつての形を無理矢理保とうとすればするほど歪な形になっていく。
2012年4月、小禄高校の野球部部長だった新垣隆夫が転任し、野球部副部長に就く。そこで沖縄水産の実情を目の当たりにして愕然とした。

「赴任した時には学校全体が飲酒、喫煙、暴力、いじめ、窃盗、もう何でもありのような状態でした。野球部も荒んでいた。毎年いい選手が入ってきて、『今年の1年生はいい』って聞くんですけど、上級生に詰められて辞めていくんです。1週間連続でパトカーが学校に来たこともありました。生徒が女性の先生にいきなり抱きついて、それを動画で撮ってネットにアップするといったセクハラまで……。女性の先生は相当怖がっていました。校内の自販機が燃やされたり、理科の実験室で水道の蛇口を外して投げたり、やりたい放題です。そういう校風だったため退学者も多かったです」

80年代のような校内暴力の数々が2010年以降の沖縄水産でまだ行われていたことそのものが驚愕であり、生徒指導を担当していた新垣にとっては毎日が格闘の日々だった。定員割れするため偏差値の低い他校に落ちた生徒が2次募集でなんとか引っかかり、周囲からは「掃き溜め」と揶揄される。生徒指導室と校長室のガラスが割られ、消火栓を抜いた消火器が投げ込まれることもあった。泡だらけの生徒指導室と校長室を、午前中いっぱいを使って清掃して原状回復する。学校内には沖縄県の高校として初めて、防犯カメラが設置されたという。

「設備はボロボロなのに…」野球部監督の横領事件
 
学校全体が荒廃しているなかで、野球部に災難が降り掛かった。部費の横領が発覚し、当時の監督が日本学生野球協会から2年間の謹慎処分を受けたのだ。新垣は悔しさを滲ませながら話す。

「ネットもなく、マシンも壊れたままで、設備はボロボロ。ボールも全然ない状態です。なのに子どもたちから年間6万円ほどの部費が集められている。当時の部員は50名いて、300万円も集まっているのに、どこにも使われている形跡がない。遠征費にしても高額ではないかと思われる金額が徴収されていた。監督、コーチを出入り禁止にして監督室のなかを片付けていると、空の領収書が出てきました。結局、当時の監督は40万円を使い込んだことだけを認めた。実際はもっと大きな規模の横領だと思います。子どもたちは何も悪くないんです。当時の指導スタッフには今でも腹立たしさしかありません」

当時の監督は練習中、クーラーが効いた監督室でタバコを吹かしながらテレビを見ていたという。放置された選手たちはトレーニング室に籠って指導者の悪口を吐き出す。これでは信頼関係など生まれるはずがない。大人たちの汚い面を目にした選手たちの心がどんどん荒んでいくのは当然の摂理だ。新垣は、悪の温床となっていた監督室を物理的に「解体」した。

自由奔放で破天荒な栽が監督時代になぜ結果を残せたか。それは選手たちから「栽先生についていけば甲子園に行ける」と絶対的なカリスマとしての信頼があったからだ。超がつくほどのスパルタ練習をさせても、選手たちは死にもの狂いでついてきた。そんな栽が亡くなってからというもの、選手と指導者の間に絆は芽生えず、次第にやさぐれていき、チームは弱体化の一途を辿った。

13年の夏の大会終了後、満を持して新垣が監督に就任する。果たして、荒れ果てた沖縄水産を変えることはできたのだろうか。

             <続く>


⚾岩手さんへ
鳥取は遠いです!そしてメチャクチャ熱かった!!!とにかく風もないし、13日土曜日の夜なんて湿度が高すぎて日中よりも熱い気がしました。15日の倉吉は朝の駅から日中の球場までミンミンゼミが全力で鳴いてましたから・・・・・。紀三井寺でも8月末の新人戦の頃合いにはずいぶんおとなしくなるのですが、、、、、

一応、三ノ宮から鳥取まで乗り換えなし2時間15分ほどで到着しますが、7時57分が始発ゆえに10時12分到着で10時開始の第1試合には間に合わない・・・・・。
スーパーはくとの終点が倉吉ですが、10時50分くらいの到着で車窓も山間を通る単調さでしんどいですね、、、、、

今回は4年前の春、コロナ無観客試合でどら焼きドラマチックパーク米子の中国大会をフイにしたので、代替で鳥取横断慰安旅行を企画し、初日の雨で倉吉を最終日から初日に繰り上げました。14時頃に薄日が差したが、11時到着の折には本降りの雨でしゃーなしにバス移動で観光。倉吉市営球場の外観だけ見て防空壕のような入口と外野ラッキーゾーンなど拝見しましたが、スタンドには入れなかったので・・・・・。

ヤマタSP球場は最終日に晴れてレンタサイクルで湖山池一周を企画し、その手前のヤマタスポーツパークにお邪魔すると学童野球をしていたのでスタンドイン。19年秋に3回来場(初来場は雨天中止でトンボ帰り)したので4回目。

2日目の米子は外野フェンスよじのぼり第1試合途中まで観戦し、境港へ午前中に移動し水木しげるロードを歩き、記念館や境港タワーなどへ行き、米子城跡歩いてました。

悲しいかな2日目の唯一の3試合日が1度は1時間遅れの開催を発表しながら、雷雨に負けて中止↓↓せやけど、予報では15時頃まで断続的に雨予報でしたが、9時過ぎには雨やんで薄日が漏れてきたのでヤドでレンタサイクル借りて7年ぶりに砂丘へ・・・・・・・

初めての鳥取の折も、本降りの雨で中止(米子は2時間遅れの12時からプレーボール)ながらも昼前に薄日が差し、バスでトンボ帰りして駅前でカレー食べてレンタサイクル借りて行きましたが、、、、、砂丘に着いて休憩所でくつろいでいたらもう1回雨が降りだし、急いで帰ったが本降りで足止め喰らい「砂丘トンネル」で小一時間待機して18時30分の返却期限に間に合わせました!

どうしても納得いかないので、鳥取~鳥取~米子の2泊3日の予定を・・・鳥取~鳥取~米子~鳥取と延泊して3日間フル観戦しましたが、体調が・・・フラフラになりつつ、米子駅到着寸前に吐き気を催したり、最終日の鳥取で第2試合終了後満足して立ち上がろうとすると目眩するし、、、挙句の果てに「とっとり出合いの森」への道を間違い迷子になって断念と。
その教訓を活かして2021年春は森に行けたし、13日もじっくり1kmほど散策しました(全周4,2kmほどあるようですが山道は1kmが限界でした・・・)

まあ、結果的にヤマタSP・倉吉市営で1日ずつ野球観戦できたし、鳥取砂丘~鳥取城とたまに霧雨振ったものの薄日も射して3日間鳥取を楽しめたかなと。特に倉吉は球場の老朽化???が災いして夏の大会で使用されないようになったので、、、、、県の中央部なんでアクセスはいいのかもしれませんが。

あと、山陰中央新報によると島根大会の記事がありました!山陰らしく試合時間長いですね。

 平 田 4-1情報 科学 2時間24分
松 江 南1-0三 刀 屋 1時間40分
立正大淞南8-2津 和 野 2時間30分
出 雲 商15-5出 雲 西 1時間39分(5回)
 大 田 6-2松 江 商 2時間23分

松 江 工9-1松 江 東 2時間10分(8回)
 開 星 4-1 安 来  2時間40分
 大 社 11-1大東・農林 1時間36分
 出 雲 7-6 浜 田  3時間19分
3 連 合5-3出雲 北陵 2時間29分
 矢 上 5-1 明 誠  2時間11分
 飯 南 1-0益田 翔陽 1時間58分

近畿もぜひ見習ってほしいところです!!といいつつ、倉吉では原則16時返却の自転車を無理言って16時45分までには帰ってくると約束し球場に出かけただけに・・・試合が長引き焦ってましたね。最後は8回裏に境が3点もぎ取りサヨナラコールドで15時40分ゲームセットでホッとしておりました(苦笑)最悪、16時には完全退去したかったので。

しかし、日曜は天気予報が悪く、米子や境港では1時間30ミリ超の豪雨だったようだし、島根ではそれ以上のゲリラ豪雨だったようですが、砂丘には駐車場がほぼ満車でバスも乗車率高かった!
あの急斜面の砂に足を取られつつ「馬の背」登り切って日本海見ました。前回はそこまで行けなかっただけに、、、、、

でも浜松だったら関東方面や長野あたりも守備範囲内になりそうですね。僕は行動範囲が狭いので、関東や九州は行けませんし中国だと山口はパスですね。
どうやら来秋に7年ぶりに鳥取で中国大会開催見込みなんで、、、今度は米子ー米子ー鳥取と2泊3日で行こうと企画してます。
米子だと、新幹線で岡山経由で「特急やくも」で約2時間10分で到着。そこから東山公園までの1駅のアクセスが悪いので、徒歩30分程度で球場入り。
近年、中国は11時から2試合が主流なんで助かります!!
2025/09/17(水) 22時24分55秒 No.2016 編集 削除
 鳥取砂丘エディスネ!
サンライズ出雲で行ってみたかったな。岡山でどっちだったか?高松行・出雲行の切り離しを見たかったしね。
 浜松の中田島砂丘の何倍かな?鳥取砂丘は凄いだろうね!
 鳥取には、ハワイがあるかね!こちらには、すなばコーヒー店が県外で唯一あるけど行ってませんがね。
 宿泊観戦いいですね!
浜松だったら、岡山も、高松、福井も、新幹線を使えば昼頃には着くのにね!
 愚痴ってもしょうがないけどね!
山陰遠征、観光お疲れ様(。・_・。)ノでした。
2025/09/17(水) 21時04分46秒 No.2015 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
📝前 説・・・『チーム宏鈴』結成21年11ヶ月
8月の1ヶ月間・・・のべ610人の方々から閲覧履歴があり1282アクセスしていただき感謝申し上げます。
ブログに13日~15日の山陰遠征における写真貼っておきました。 https://ameblo.jp/hirorinhoushi/entry-12930692737.html
よかったらどうぞ。

さて夏の甲子園は3年連続有観客開催で声出し応援もOKだったものの広陵の大会途中での出場辞退と長雨で雨天中止や試合遅延・中断などに振り回され、5日間13試合をスタンドで観戦(6試合は外野席)し、史上最強と思われた2024以上の猛暑で疲労困憊ながらも熱中症を回避でき何よりでした。

選手権大会閉会式後の8月下旬は紀三井寺の新人戦~明石トーカロの軟式高校野球~倉敷マスカットの大学野球に走り夏の疲れはここの観戦記よろしくたまっていく一方。
9月13日~15日は鳥取市・ヤマタSP~雨天中止のため、鳥取砂丘&鳥取城観光~倉吉市営に6年連続山陰入りと。しかしながらたかさご万灯祭の日程とかち合い4年連続5度目の来場は見送りと↓↓

それでは現時点での今後の予定を発表・・・・

  20日  ベイ コム  兵庫大会2回戦       あまり好んで行きたい場所ではないが、、、神港・仁川の敗退で格落ちしたが疲労を考慮して近場で
  21日  ウイ ンク  兵庫大会3回戦       三田学園敗退でグレードダウンしたが、屋根の下で快適に観戦
  23日  明石 トーカロ  兵庫大会3回戦       最激戦ゾーンのセンバツをかけた熾烈な争いを楽しみに
  27日  トーカロかウインク  兵庫大会準 々       まだ球場・時間は後日決定ゆえにトーナメント見て吟味する 
  29日  マイネット皇子山  滋賀国体1回戦       7イニング制となりつまらないですが、7年ぶり7度目の国体見物

10月  4日  紀三 井寺  和歌山大会二次予選準決勝  今年最後の僕だけの聖地巡礼
   5日  わかさ京都  京都大会最終日       近場だし、大会終盤残っているのはここが狙い目か?
  12日  HMF神戸  阪神大学野球        高校野球公式戦谷間の週だし、9時30分から3試合ゆえにナイター確定か!?予備日13日で天気の良い方を
18日~11/2  さとやくS   近畿大会観戦        春は1試合も近畿大会観れなかったので、3年ぶりに全試合観戦予定

ざっとこんな感じで考えておりますが、天候に左右されるので、まだまだ流動的ですが願わくば、11/2無事に橿原で閉会式を見物して「八尾おゆば」で湯治して冬に備えられたらと・・・・・。

             みんなで飲もう! おいしい水。

💙しつこく💚しぶとく💜泥臭く💛 「誰からも愛される」というよりも「誰かに慕われる」掲示板目指してアットホームな雰囲気でやっていきたいのでお願いします!!

⚾明日の和歌山大会一次予選組み合わせ(6日目 2回戦 紀三井寺球場)
    09:00~  熊 野 - 神 島 
☆☆☆ 11:30~  向 陽 -初芝 橋本
    14:00~ 和歌 山商-笠田・農芸

📣秋季鳥取大会振り返り
9/13 ヤマタSP球場 初日開幕試合 岩美ー日野 10:04~11:24 3回裏途中から観戦

          一二三四五六七八九十計HE
      日  野00000     005
      岩  美3480X     15121

 日野はこの夏、米子西に0-24で5回コールド負けしていただけにある程度覚悟していたが・・・・・。
10時12分「スーパーはくと」が鳥取駅に到着し、駅弁仕入れてレンタサイクル借りて11時前に球場入りしたらすでに0-8。

日野はタテジマにブルーのアンダーシャツとユニホームはかっこよかったが部員11人。岩美も部員13人で少人数だったが、、、ブルーのユニホームが躍動し、5回参考ノーヒットノーランリレーで完勝。

9/13 ヤマタSP球場 初日第2試合 鳥取工ー米子 12:09~14:16 

          一二三四五六七八九十計HE
      米  子000020000 262
      鳥 取 工00100401X 683

 お互い先発投手が立ち上がり制球難で1死満塁・2死2・3塁と大ピンチ招くもなんとか踏ん張り面白い試合となった。
米子は10人・鳥取工は12人の少数精鋭チーム。100円で買ったメンバー表見ると、20人そろうチームは21校中半分ちょいくらいだったかな?あの八頭高校でさえも16人しかいない↓↓

米子工の桐林監督は山陰によくいる熱血漢でネット裏まで響く大声で選手を鼓舞し、2つのスクイズを決め、1度は逆転されたものの、相手投手の暴投で追いつき、ボークで勝ち越し6回の4点が大きくモノを言った。

9/15 倉吉市営球場 2日目第1試合 倉吉東ー鳥取東 10:01~12:42
          一二三四五六七八九十計HE
      鳥 取 東000720022 13123
      倉 吉 東100051020 982

 甲子園春夏出場経験のある、地元の雄・倉吉東を相手に部員14人の鳥取東がどこまで食らいつけるか?と思っていたが・・・・・。
初回犠飛で先制されコールドがチラついたが、3回表先頭の四球から4番が送りバント2球連続ファールし、しゃーなしにエンドランかけたらライト前ヒットで無死1・3塁とバクチが成功し、ヒットで1-1追いつき、さらにバントしたら2連続ファールで打てばヒットとツキがあり、セカンドゴロホーム送球が野選となるラッキーも重なり、4-1となったところでエースがファーストに回るも2番手はバントヒットで満塁とされたあとにまさかの3連続押し出し四球でエース再登板しピシャリと抑えた。

一時は9-1と8点差になりコールドも視野に入ったが、倉吉東の怒涛の猛追で試合がもつれて終わってみれば両軍20安打の大乱戦で2時間41分のロングゲーム。無理を言って駅前観光案内所のレンタサイクル原則16時返却だが、終業17時前まで自転車お借りしただけに16時までには脱出したかったのだが・・・。

9/15 倉吉市営球場 2日目第2試合 境ー鳥取工 13:29~15:40
          一二三四五六七八九十計HE
      鳥 取 工30000000  394
       境  02130013x  10100

 前年秋の王者・境が部員12人の鳥取工に初回まさかの5安打3失点の猛攻を浴び、ロングゲームになるのでは???という危機感が。駅まで30分あれば到着できるが、3日間猛暑だったし、後半はスタミナ切れするので同じ時間で帰れる保証もないし!

境は初回2死満塁のチャンスをつぶし、2回も無死1・2塁から送りバント。ファーストが3塁送球間に合わないと見て投げる動作をしてから1塁に振り返る段で、、、、、打者走者がたまたまぶつかりヒジ鉄喰らった格好となるが、、、、、4氏審判集まりまさかの守備妨害!! 故意にぶつかったけじゃないし、逆にヒジ鉄喰らった打者の方がヘルメット被っても痛いような。ファースト・大西は100km近い巨漢だったし。。。

田本監督が4分間の抗議に走り、ムダに試合時間が長引く怖さもあったが、これで境打線に火が点き2点を返しそこからは境ペース。3人しか2年生がいない鳥取工も粘ったが、8回裏2点以内に抑えれば9回までできたが、2点を失いなおも1死満塁で最後はライト前ポテンヒットでサヨナラコールド負け・・・・・。

ちなみに倉吉市営のボールボーイは作業員のおっちゃんたちが装着しているハンディーファン付のゴツい服着ておりました。
想定よりも40分遅く終わり焦りつつも、赤瓦白壁土蔵群を小走り。。。さすがに琴櫻記念館・鉄道資料館など前回雨の中、じっくり観光した施設は素通りで、、、道中忘れ物に気付き取りに行くムダはあったものの16時40分自転車返却。

あと、倉吉駅で特急「スーパーおき」が11分遅れで到着には参った。18時40分鳥取駅発「スーパーはくと」に乗れないと帰宅困難になるので・・・。すでに朝9時前に指定席購入していたので。
なんとか21分あった乗り換え時間が半分程度になったが、急いでお土産買って無事に帰宅できました・・・。

ちなみに幻となった観戦試合の結果は・・・

ヤマタSP球場 2日目第1試合 米 子 東7-1鳥 取 西
        2日目第2試合 鳥取 城北11-3 岩 美 (7回)
        2日目第3試合 米子 松蔭6-5米 子 北

倉吉市営球場  3日目第1試合 倉 吉 北9-2米子 高専(8回)
        3日目第2試合 倉吉総合産9-2米 子 工(8回)

とのことです。。。日曜日、1度は1時間開始遅れの10時から3試合開始と県高野連HPに6時30分頃書いていただけに、、、、、倉吉のみ中止がベストでしたね!

📝“酷使で壊れた沖縄水産エース”大野倫が証言「栽先生には感謝しています」名門凋落のきっかけは“ある事件”…最後の甲子園出場“98年最強世代”の無念
https://number.bunshun.jp/articles/-/866780?page=1

監督室で“深夜の密会”「女性を連れ込んで…」
 
スパルタの鬼と化した沖縄水産野球部監督の栽弘義は、気の抜けたミスをした選手に容赦なく鉄拳制裁を加えた。「また栽先生に殴られた」と選手たちは頬を真っ赤にはらしながら仲間に言う。だが、栽に殴られることは期待の表れであり、どうでもいい選手は殴られない。言うまでもなく現代では許されない指導法だが、栽の拳は期待値を示すバロメーターでもあった。
栽は体育教員であったが、年度の初めだけ授業を行い、後は自習という形で授業に出ず、その間ずっと野球の研究に没頭していたという。たまに学校で栽の姿を見つけると、選手たちが「おい、栽先生がいたぞ」とまるでラッキーアイテムを探し当てたかのような反応をする。それほど、校舎内で栽を見かける機会は少なかった。

豊見城時代は精神力を鍛えるためとして鶏の首を切り落とさせたり、下級生と上級生をボクシングで対決させたり、センバツの寒さ対策として2月に上半身裸で練習させたりと、たびたび常識外の練習をやらせた。またメジャー通でもあった栽はレジー・スミスの全盛時にレギュラー全員を両打ちにさせるなど、奇想天外な発想で野球に取り組んでいた。酒が好きで、プライベートでの遊び方も派手だった。酒や女性にからむ武勇伝も数多くあり、そういった話は選手たちの耳にもすぐ入っていた。

匿名の沖縄水産OBの証言によれば、練習でボコボコにされた選手たちはガス抜きとして、バックネット裏にある監督室をしばしば利用していた。夜中にそこで彼女と密会していたのだ。ある選手が夜中の1時に監督室のドアノブを回すと、すでに先客がいた。栽と女性の声が部屋の外に漏れ出していた。またその逆もあった。ある部員が監督室で彼女とイチャイチャしていたときに、誰かがガチャガチャとドアノブを回す音がする。栽だ。バレたらまずいと一生懸命ドアノブを押さえていると「ん? おかしいな」と諦めて帰ったという。

1980年代の不良全盛時代から脈々と続いていた暴力、飲酒、喫煙、そして女性関係の乱れ。もちろん程度によっては咎められることもあるが、沖縄水産ではそういった問題が少なからず「お目こぼし」されていた。監督の栽を頂点とした、よくいえばおおらかな、悪くいえばだらしのない昭和的な気風が温存されたことが、のちに沖縄水産を衰退させる要因のひとつになっていく。

「栽先生には感謝しています」大野倫の証言
 
栽は大野倫を徹底的にしごき、練習試合で不甲斐ない投球をすれば真っ先に鉄拳を食らわせた。上級生にも厳しくあたられ、91年世代にとっては大野が「防波堤」の役割を果たしていたといえるほどだった。高校3年春、熊本での遠征試合で肘を痛めてしまった大野は、沖縄に戻ってから誰にも告げることなく練習試合に登板し、打たれる日々が続く。仲間たちも「どうしたんだ?」と訝しむほどだったが、あまりに長い不調に異変を感じ取り、「倫が打たれた分以上に俺たちが打ってやればいい」と一致団結し、夏の県大会を迎える。
大野は大会前に肘の異変を打ち明けた栽と相談のうえ、痛み止めの注射を打って投げ続けた。準々決勝からの3試合は完封を含めた計3失点にまとめ、オール完投勝利で甲子園へと導く。

甲子園では「痛み止めを打つと切れた時の激痛が伴い、余計に肘への負担がかかってしまう」という栽の判断により、注射を打たずにマウンドに立った。5試合で計23失点を喫しながら大阪桐蔭との決勝まで勝ち進んだものの、8対13の乱打戦により大敗。またもや深紅の優勝旗には手が届かなかった。決勝までの全6試合、773球をたったひとりで投げ抜いた大野の肘は完全に壊れ、この決勝戦を最後に二度とマウンドに上がることはなかった。大野は述懐する。

「それこそ途中で代えられていたらきっと後悔が残りました。なので、甲子園で最後まで投げさせてもらった栽先生には感謝しています。僕らの時代は、グラウンドでの緊張感が半端なかったです。ボールがひとつでも落ちていようものならすぐ怒鳴られました。でも、地元の人たちの応援もあり、父母たちに寮の食事を当番制でやってもらったりと、地域、学校、父母会の協力があっての甲子園準優勝だと思います。入学当初は怖い先輩もいましたけど、みんな根は優しいんですよね」

大野の奮闘には拍手を惜しまないが、投手としてのキャリアを絶たれるという結末は「高校野球の美学」として片付けるにはあまりにも酷だった。指導者として適切な配慮ができていたのか――栽はメディアのバッシングを受けた。

凋落のきっかけになった「暴力事件による出場辞退」
 
夏の甲子園で決勝まで進むと新チームの始動は遅くなる。さらに当時、甲子園優勝、準優勝のチームの監督は、それぞれ全日本選抜チームの監督、コーチとして日米韓三国親善高校野球に参加することになっていた。栽もコーチとして2年連続で参加し、さらに国体のチームの監督まで務めたため必然的に新チームを見る時間が少なくなる。準備不足は否めず、秋の県大会は早々に敗退してしまった。
あるOBによると、栽は高校ジャパンの帽子を被りながら沖縄水産の練習に出ていた時期があったという。「栽先生、よっぽど気に入ってんだな」

選手たちはヒソヒソと話をする。批判こそあれど、このときの栽が監督人生43年のなかで栄華の頂点にいたのは間違いない。その象徴が高校ジャパンの帽子だった。そして翌年夏、“今年こそは甲子園優勝”と県民の期待が高まるなかで事件は起こってしまった。暴力事件により夏の県大会出場辞退。初戦1週間前の1992年7月6日に辞退会見を行い、沖縄全土に衝撃が走った。
暴力事件の内容は、日頃の2年生の練習態度に腹を立てた3年生部員8人が練習終了後にサブグラウンドに残っていた2年生25人を集めて尻をバットで数回殴ったというものだった。いわゆる「ケツバット」だ。だが、ここまで記してきたような野球部の内実を考えれば、遠からずなんらかの問題が露見していた可能性が高い。いずれにしても、この事件をきっかけに沖縄水産が凋落していったと見る向きも多い。

「お前らは沖水史上最強だ」98年“新垣世代”の無念
 
栽の監督人生で最強のチームは、世間的には「松坂世代」と呼ばれる98年世代の沖縄水産だったのではないだろうか。最速150km超の剛腕・新垣渚(元ソフトバンクほか)と技巧派・宮里康の2枚看板に、「沖水史上最強バッター」と称された大城直也、俊足巧打の稲嶺誉(元ソフトバンク)、住金鹿島で不動の外野手として活躍した糸数雄樹と、ドラフト候補クラスの選手が5人もいた。
97年の秋季九州大会で順当に優勝。明治神宮大会は決勝で松坂大輔を擁する横浜に3対5で敗れたものの、「横綱」である横浜相手にまったく引けを取らない戦いぶりを見せた。栽は本気で甲子園の優勝旗を手にできると感じていた。だが、本番の甲子園では春夏ともに1回戦で敗退。さすがの栽も、期待が大きかっただけに落胆ぶりが目立った。

1年夏から1桁の背番号を授かり、98年世代のキャプテンを務めた大城直也が証言する。「僕らの代になって、滅多に褒めない栽先生から『お前らは沖水史上最強だ』と直接言われたんです。実際、神宮大会の決勝で横浜と戦ったあたりから手応えを感じていました。だから負けたときのショックは大きかったですね。栽先生も同じだったと思います。今思えば、僕がキャプテンとしてもっと強気に引っ張っていかなければいけなかったのかな……」

この98年夏の甲子園を最後に、沖縄水産は27年間、甲子園の土を踏めずにいる。なぜ、沖縄屈指の名門は凋落してしまったのか。

                     <続く>

📣「けがした」報道は誤り、高校「訂正する」 野球部監督の体罰問題 部員「殴られたという認識ない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/0f06ee5d7fca3a419de6ab3271ce75e2809226d0

兵庫県丹波篠山市のスポーツ振興官や、県立篠山産業高校野球部の監督を務めた長澤宏行氏(72)=8日付で辞任=が、部員の頭をはたいた問題で、当事者となった部員Aさんと保護者がこのほど、丹波新聞社に思いを語った。Aさんは、「はたかれたことは事実」と認めつつ、「先生との信頼関係の中でのことで、暴力を受けたと思っていない。また、一部報道で、けがをしたとか、自分から殴られたことを訴えたとあるが、けがはしていないし、自分から訴えてもいない」と否定した。一方の高校側は会見を行い、「一部報道については、学校の説明が間違っていた。訂正する」と謝罪。ただ、「本人は当初から、『殴られた』という言葉を使っており、高校野球連盟への報告書の内容も承認している」とするなど、食い違いが生じている。

高校や市によると長澤氏は7月10日に部員同士の紅白戦を行った際、けがをしているのに出場しようとしたAさんを呼び出し、「けがが長引くことになる。よく考えなさい」と頭をはたいた。
Aさんによるとこの翌日、授業中に友人たちと会話する中で、一人がAさんに対し、「鼻が曲がっていないか?」と言い、野球部の友人が「昨日、先生に殴られたからじゃない?」と言った。「冗談話だった」(Aさん)とするが、この話を教師が聞いており、聞き取りが行われたという。
同校は全部員に聞き取りを行い、何らか手が出たことを目撃した部員がおり、否定する証言もないことを確認。長澤氏も手を出したことは認め、謝罪している。だが、事案が公になった8月26日以降の報道では、「部員がけがをしていることに教師が気づいて発覚」というものや、「授業中に部員が『顔が痛くて授業に集中できない』と訴えた」などとする報道機関もあった。

この違いについて、同校の谷昌亮校長は、「生徒(Aさん)の主張は報告書と合致している。詳細は分からないが、取材対応をした職員が事実と違うことを言った。謝罪して訂正する」とした。
また、Aさんは、「聞き取りで『殴られたのか』と聞かれたので、『はたかれたが、殴られていない』と答えた。その後、『はたかれたことも殴られたのと同じ』と言われた」と主張するが、谷校長らは、「当該部員も現場を目撃した部員も、最初から、『殴られた』という言葉を使っている」とし、証言が食い違っている。
ほかに、Aさんは、「『うそをついたら授業を欠点にするぞ。欠点にされたくなかったら、正直に話しなさい』と言われた。けれど、『別にかまいません』と答えた」とする。保護者も「三者面談の時に、こういう聞き取りの仕方はおかしいと指摘した。その後、『不適切な発言だった』と謝罪の電話があったが、謝って済む話ではないし、現状では受け入れる状態にないので保留にしている」と話す。

一方、谷校長は、「保護者から苦情があったことは事実だが、当該教員に確認したところ、『言っていない』としている。また、報告書にはその教員が言ったことは一切採用していない」とした。
さらに、保護者は、「息子は指導されても仕方なかったことなので、『大ごとにしないでください』と言ったのに、その後、学校から何の連絡もなく、報道で高野連などに報告したことを知った」と言い、「仮に自分から訴えたとした場合、自分たちは〝被害者〟。報告書を出す前に、自分たちに内容や提出することの説明があるべきではないのか。報告もなく、しかも間違った報道をされ、意味が分からない」とした。谷校長は、「高野連から『保護者の了解を得る』という指示はない」とした。

直近の保護者会では、「高野連に報告書を再提出する際に、Aさんが内容を承認した」と報告されたが、保護者によると、Aさんは承認した認識はないという。保護者は、「時系列や『はたいた』ということは、長澤先生も含めて全員が認めていることなので息子も承認する。ただ、それが体罰や暴力であったのかというところまで含めて、全てを承認したわけではない」とした。

Aさんは、「報道を見た人から、『鼻、大丈夫?』などと言われるのもしんどい」とし、「高校生活自体は楽しいし、野球も続ける。いつもの日常が戻ってきてほしい」とした。

長澤氏は神村学園(鹿児島)や創志学園(岡山)の監督として甲子園に出場。2022年、父が丹波篠山市出身という縁などでスポーツ振興官に就任し、派遣という形で篠山産業高校野球部を指導していた。今月8日、市に、「騒動に対する責任を取る」として退職願を提出し、受理されている。

✌篠山産「監督交代」乗り越え再出発1勝 長沢監督が不祥事で退任も「応援が励みに」
https://news.yahoo.co.jp/articles/3b4b0d024e810948dc0600edd3206a79b1a977a7

◇高校野球秋季兵庫大会1回戦 篠山産12―4県伊丹(2025年9月14日 ベイコム野球場)

高校野球の兵庫大会は14日に1回戦が行われ、篠山産は県伊丹との県大会1回戦を12―4の8回コールドで制した。計17安打と活発な打線が相手の小刻みな継投策を上回った。

神村学園(鹿児島)と創志学園(岡山)で甲子園に春夏7度出場した長沢宏行前監督は、部員への暴力行為により今月で退任。副部長から後任に昇格した藤田善継監督は「思い切り野球を楽しもう」を指導方針に掲げ、地区予選突破に導いた。

現部員の大半が、22年10月から同校監督に就任した長沢氏による指導を希望して入学してきた。新チーム結成直後に不測の事態に見舞われた中、主将の井関春道(2年)は「“応援しているから”との声が自分たちの励みになった。(入学の動機は)長沢監督だとしても、その目的は野球が上手くなることだったはず」と監督交代にも冷静さを失わなかった。
2025/09/16(火) 22時17分23秒 No.2014 編集 削除
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お知らせ

編集済
本日、22時50分頃 無事に倉吉から帰ってきました。

ある程度、予想はしてましたが、本当に3日間熱かった!レンタサイクルたぶんハーフマラソン以上の走行距離走ったのではないかと。
特に初日の鳥取市の夜なんて日中よりもかなり熱く感じてしまった!!

今回のメインは倉吉市営球場だったので最終日の3日目が雨天中止になれば、ルートイン倉吉に延泊も視野に入れてましたが回避と。
惜しむらくは2日目の朝の雨、、、、、ずっと予報が悪く島根や鳥取西部の米子・境あたりは相当なゲリラ豪雨だったようで、、、、、

実は6時30分時点では「ヤマタSPは1時間遅らせて10時から3試合。倉吉は予定通り10時から2試合」県高野連HPで発表も7時20分頃だったか???雷雨のため、明日に順延と↓↓
あるいは15時頃までしつこく雨が降る予想でしたが、実際は9時過ぎには止んで陽射しが出て熱かった。

10時のチエックアウト ギリギリまで粘る覚悟で空とニラメッコして9時40分ヤドでレンタサイクル借りて6年ぶり2度目の鳥取砂丘そして初めての米子城跡を観光。

結果的に  初 日 ヤマタSPで観戦~とっとり出合いの森散策 
      2日目 鳥取砂丘~鳥取城跡観光 
      3日目 倉吉市営球場で観戦 

と鳥取を満喫できました。あの悪天候予報でまさか、3日間1度も傘の出番なく温存できるとは思ってなかったけど、、、、、昨日昼頃、砂丘の往復で霧雨に3度ほど遭いつつも大勢に影響なかったと。

そういうわけで、疲労困憊ゆえに試合結果などは明日以降埋めます・・・・・。

⚾一昨日の和歌山大会一次予選試合結果(3日目 1回戦)
上富田球場・・・・・・和歌山東-熊  野・神  島-橋  本・向  陽-和 高 専(全試合雨天中止)
マツゲン有田球場・・・初芝橋本9-1南部龍神・和歌山商6-4新宮新翔(10回タイブレーク)・紀 央 館-笠田農芸(雨天中止)

⚾一昨日の兵庫大会試合結果(初日 1回戦)
明石トーカロ・・・・須磨翔風3x-2神戸弘陵(11回タイブレーク)・育  英7x-0姫 路 西(7回)・市  川5x-4北 須 磨
ウインク球場・・・・甲  南1xー0(10回タイブレーク)・飾 磨 工3x-2姫南網干・赤  穂10ー9仁川学院(10回タイブレーク)
ベイコム球場・・・・兵 庫 工3-2市 西 宮・明石清水4-2三田学園
G7スタジアム・・・・神院大付4-2県 尼 崎(10回タイブレーク)・豊岡総合4-2香  寺
ReFill スタジアム・・・県 芦 屋2-0武庫総合・市 尼 崎2-0西 脇 工
豊岡こうのとり・・・六 ア イ12-0三田西陵・小 野 工8x-1相  生(8回)

⚾昨日の和歌山大会一次予選試合結果(4日目 1回戦 マツゲン有田球場)
熊  野9-5和歌山東・神  島2-0橋  本・向  陽10x-0和 高 専(5回)

⚾昨日の兵庫大会試合結果(2日目 1回戦)
ウインク球場・・・・三  木6-2龍  野・明 石 商10x-0神 戸 一(5回)
ベイコム球場・・・・報徳学園11x-1津  名(6回)・篠 山 産12-4県 伊 丹
G7スタジアム・・・・高  砂1-0神港学園・東 播 磨2-0姫 路 工
ReFill スタジアム・・・姫 路 東3-1尼崎小田・洲  本3-1明石城西
豊岡こうのとり・・・柏  原-三田松聖・関西学院-西 宮 東(全試合雨天中止)

⚾昨日の主な試合結果
大阪大会2回戦 大商学園7-0夕 陽 丘(7回)

⚾昨日の和歌山大会一次予選試合結果(5日目 2回戦)
上富田球場・・・・・・田  辺10-4和歌山工・箕  島5-3粉  河・日  高5-4那  賀
マツゲン有田球場・・・笠田農芸8-6紀 央 館・耐  久9-3星  林・近大新宮9ー1紀 北 工(7回)

⚾今日の兵庫大会試合結果(3日目 1・2回戦)
明石トーカロ・・・・・神国大付4-0神院大付・飾 磨 工4-0尼 崎 西
ウインク球場・・・・・六 ア イ5-2加古川東・明石清水4-3小 野 工
ベイコム球場・・・・・育  英6-4県 芦 屋・須磨翔風8-3豊岡総合
G7スタジアム・・・・・兵 庫 工5-0甲  南・彩星工科2-1市  川
神姫バスキッピー・・・柏  原4-2三田松聖・関西学院2-0西 宮 東

📝令和7年度 秋季近畿地区高等学校野球大会県一次予選 日程変更のお知らせ
https://www.whbf.jp/uploads/20250913161139_KZGp.pdf

令和7年9月13日(土)に上富田スポーツセンター野球場で予定されていた和歌山東対熊野、神島対橋本、向陽対和歌山高専の 3 試合と、マツゲン有田球場で予定していた紀央館対笠田・紀北農芸の試合は悪天候のため順延しました。 なお、新たな試合会場および試合開始時間は下記の通りとします。

        記
令和7年9月14日(日)
マツゲン有田球場
第1試合  9:00 和歌 山東 対   熊 野
第2試合 11:30   神 島  対   橋 本
第3試合 14:00   向 陽 対  和 高 専

令和7年9月15日(月)
マツゲン有田球場
第1試合  9:00 紀 央 館 対  笠田・農芸
第2試合 11:30   耐 久  対   星 林
第3試合 14:00 近大 新宮 対  紀北 工業

上富田スポーツセンター野球場
第1試合  9:00 田  辺   対  和歌山工業
第2試合 11:30 箕  島  対   粉 河
第3試合 14:00 日  高   対   那 賀

令和7年9月15日( 月)にマツゲン有田球場で当初予定されていた2回戦3試合は、
9 月17日(水)に紀三井寺公園野球場でおこないます。

                 以 上

📝「てめえら、舐めてると殺すぞ!」甲子園常連校で壮絶な上級生の暴力「寮生活はまるで監獄」…高校野球「消えた名門校」沖縄水産“80年代の悪しき風習”
https://number.bunshun.jp/articles/-/866779?page=1

“悲運のエース”の活躍で「沖水ブランド」が絶対的に
 
超高校級と謳われたエースの竹下浩二(元大洋)、仲田幸司がいた興南黄金期(1980~83年)が終焉を告げた途端、彗星のごとく現れたニューヒーローが沖縄水産の上原晃だった。140kmを優に超える速球で甲子園出場4回。中日ドラゴンズにドラフト3位で指名され、1年目にダブルストッパーとして活躍するも、怪我等で下降線を辿り、10年間のプロ生活を終えた。上原の名を口にすると、どうしても“悲運の投手”のイメージがつきまとう。1年夏の甲子園、あの一球が彼のその後を決めてしまった。上原は言う。

「高校に入ってまだ4カ月、栽(弘義)先生はよくあの場面で放らせたよな」

1985年夏の甲子園。3回戦の鹿児島商工戦9回裏5対5の1死満塁からサヨナラ暴投。「沖縄水産の1年生投手、暴投でサヨナラ負け」。全国にこれ以上ないインパクトを与えた。上原の出現により、沖縄の高校野球界は大きな分岐点を迎えた。同時に「沖水」のブランドが県内では絶対的なものになっていく。頂点を狙える本物のスターが現れ、沖縄県民は内地へのコンプレックスを完全に払拭する。90、91年の2年連続甲子園準優勝のメンバーの多くが、上原に憧れて野球を始めた。上原は懐かしそうに述懐する。

「沖縄のレベルを高めるには、1年生の夏にベンチ入りすることが必要だったんだと思う。俺なりに責任を感じていた。内地のレベルの高い野球にコンプレックスを感じていた時代だからこそ、考えて練習していたね。俺は常に自分を高めるために考えて動いていた。栽先生はそんな俺を見て自由に扱ってくれたんだと思う。高校1年夏のサヨナラ負けで甲子園への意識が強く芽生えた。新チームになって同級生たちが先輩の背番号を奪ってから、2年生の風当たりが強くなったけどね」

「てめえら、舐めてると殺すぞ!」監獄のような寮生活
 
この時代の全国的な強豪校はどこでもそうだが、沖縄水産にも情け容赦のない上下関係があった。寮生活はしばしば「監獄」に喩えられた。脱獄不可能と言われたアルカトラズ島の刑務所を想起させるほど、下級生にとってはまさに生き地獄だった。あるOBは、その内実を以下のように証言する。体育館裏では毎日誰かがロープで縛られてサンドバッグにされ、グラウンドでは1年生がボコボコにされる。学校内にはどこもかしこも暴力が蔓延っていた。上級生は挨拶代わりに寮の部屋で1年生を正座させ、ロッカーから刃渡り20センチもあるコマンドナイフを取り出してドスッと思い切り床に刺す。

「わかってんだろうな。てめえら、舐めてると殺すぞ!」問答無用の恫喝だ。この時点で大半の1年生がビビって縮こまる。
入部して1週間はひたすら殴られる。野球部で耐えていけるかを問う通過儀礼だ。この1週間のうちに言葉使い、礼儀、作法、先輩のフルネームを覚えなくてはならない。使える単語は「はい」「いいえ」「なんでしょうか」の三つだけ。かつての体育会系部活の“あるある”だといえるかもしれない。だからといって、こうした暴力や恫喝を美談にするべきではないだろう。

先輩の圧力「お前のエラーで負けたら殺すからな」
 
ロープを張って1年生同士を戦わせる“賭けボクシング”はまだ可愛いもの。上級生になると、通貨の概念が変わる。ガジュマルの葉っぱを差し出し「パンと牛乳買ってきてくれ」と下級生に渡し、言いつけ通りにパンと牛乳を買ってくると「お釣りは?」と手を差し出される。試合前に下級生のレギュラーに対し先輩が「お前のエラーで負けたら殺すからな」とプレッシャーをかける。アウトのボール回しで後輩が投げたボールがちょっとでもそれると、先輩からの刺すような視線が襲いかかる。怖いと思いながらも無視して試合に集中していると「おいっ! お前、何無視してんだ。殺すぞ!」。試合中だろうがなんだろうが“殺すぞ”である。ごくまれに下級生の堪忍袋の尾が切れて胸の辺りに思い切り投げたりすると、試合後には恐怖のミーティングが否応なしに始まる。

だが、気性の激しさは戦う男たちの集団としての鎧でもあった。宿敵・興南との試合でも、その獰猛さはいかんなく発揮される。試合前の整列時には互いに睨み合い、ボクシングの世界タイトルマッチかのごとく顔がギリギリまで近づく。「ちゃんと整列しろ!」という審判の声でやっと両軍が離れる。殺気立つ空気はグラウンドに蔓延し、ラフプレーも辞さない。度が過ぎるほどの、闘志溢れるプレー。激しさで胃がキリキリと軋む時代でもあった。

県内では無敵に…優秀な選手がこぞって入学
 
上原がいた1985年から87年の3年間で、4度の甲子園出場。沖縄水産の全盛期が始まった。優勝を狙って甲子園に乗り込んだものの、最高成績は86年夏のベスト8。格下相手だとワンサイドゲームになるのだが、実力が拮抗していると土壇場で逆転され、ベスト4の壁が崩せない。強さと脆さを併せ持つのが沖水野球だった。しかし県内では無敵を誇る沖縄水産に、優秀な選手たちがこぞって集まってきた。
上原が卒業した翌年の88年夏は「ミラクル沖水」と呼ばれ、悲願だった甲子園ベスト4進出を果たした。エースの平良幸一(元西武)が技巧でかわし、出場校中トップクラスのチーム打率でありながら機動力を駆使する緻密な野球を展開。剛と柔を兼ね揃えた、今までになかった沖水野球だった。

68年の興南高校のベスト4以来、20年ぶりとなる沖縄県勢2度目の快挙。沖縄水産が真の意味で全国の強豪校と肩を並べた瞬間でもあった。この年の京都国体でも沖縄水産は全員野球による快進撃を見せ、沖縄県勢では史上初となる全国の頂点に立った。後に99年のセンバツで沖縄尚学が沖縄県勢として初優勝したとき、栽は周囲にこう呟いていたという。

「俺は別に優勝してないわけじゃない。ただ甲子園で優勝していないだけだ」どこまでも負けず嫌いな男だった。

強烈なビンタ、容赦ない暴言…栽弘義のスパルタ指導
 
1990、91年と2年連続で甲子園準優勝を果たしたチームの素顔はまるっきり正反対だった。90年のチームは個性が強く、唯我独尊タイプのヤンチャな人間が集まったため、栽はあまり縛り付けず、野獣のようなパワーを最大限に発揮できるようにあえてタガを緩めて操縦した。ただ、89年世代が夏の県大会準決勝で敗れ、翌日の新チーム初日の練習を始める前、栽は2年生全員に強烈なビンタを食らわせている。前夜、寮で2年生が「決起集会」を開いたため翌日の練習時間に遅刻し、全員が浮腫んだ赤ら顔だったからだ。「貴様ら!」。栽の怒りは沸点に達し、グラウンドは地獄絵図と化した。
個性派集団の90年世代は、サイドスローからのシュート、スライダーを武器にしたエース・神谷善治を中心に甲子園で勝ち上がっていったものの、天理との決勝戦は1対0で惜敗。準優勝に終わった。

反対に91年世代は多くの選手がしっかり者で、集団としてまとまりやすい傾向があった。一方で、90年世代ほどの個性はなかった。栽は彼らにすさまじいスパルタ指導を施した。発奮させるつもりで、こんなことまで口にしたという。

「馬は育てりゃ駿馬になるが、牛は育てたって馬にはならんのだよ。おまえたちは弱い。最悪のチームだ。適当にやって引退しなさい」

2年連続準優勝を経験した91年世代のキャプテンで、現在は沖縄水産のコーチとして指導にあたる屋良景太が振り返る。

「上の世代が甲子園で準優勝したからって、すべてが凄いわけじゃない。俺たちの世代はここが足りないね。でも、いいところは残そうよ、って。先輩たちだってルーズなところが絶対あったんですよ。先輩たち、ここをちょっと疎かにしてたよね、と。ひとつ上の世代は個々のレベルが上だったので、それをどう補うかと考えたときに、チームワークだと思ったんです」

このチームワークの求心力となったのが、エースの大野倫だった。身長180cmを超える本格派投手として1年夏からベンチ入り。各中学の4番でエースだった同級生たちは、大野が入学時に投げた140km超のストレートを見て即座にコンバートを決めた。「倫がいれば、甲子園優勝も狙える」――そう思わせる希望の星だった。だが、その大野が悲劇に見舞われることになる。

                        <続く>
2025/09/15(月) 22時59分34秒 No.2013 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

おはようございます

編集済
2025年宿泊野球観戦ラストダンス・・・・第4弾は秋季鳥取大会となります。2019年より年に1度は山陰に顔を出しておりますが、、、、、
鳥取県は2019年秋(中国大会・鳥取中止~鳥取~米子~鳥取)・2021年春(コロナ慰安旅行・倉吉~境港ー米子~鳥取)・2023年夏(米子)と3度来訪しておるので今回で4度目。
といいつつ、島根に行く際には特急やくもで米子を通過しています!

今年は最初の三重での東海大会初日in津で雨に祟られましたが、岡山の中国大会そして福井の夏の県大会は快晴で非常に熱かったです。日本海側は関西よりも2回りほど夏は熱いので!!

本来ならば、昨秋が鳥取・今秋が島根で中国大会開催する順番が、どら焼きドラマチックパーク米子のスコアボード改修で昨秋島根に譲りなぜかしら今秋は山口に禅譲し、来秋ようやく鳥取で7年ぶりに秋季中国大会開催する見込みだそうです。

今日は曇のち雨 明日は曇一時雨 明後日は晴時々曇 の予報です。
今日・明日は鳥取市のヤマタスポーツパーク球場で鳥取市駅前駐輪場&ヤドでレンタサイクル借りて球場入り。明日は「鳥取さわやか車いす&湖山池マラソン」大会とかち合うらしいです。
https://www.fuse-sportspark.com/news/%e3%81%95%e3%82%8f%e3%82%84%e3%81%8b%e8%bb%8a%e3%81%84%e3%81%99%e3%83%9e%e3%83%a9%e3%82%bd%e3%83%b3%e9%96%8b%e5%82%ac%e3%81%ab%e4%bc%b4%e3%81%86%e5%9b%bd%e4%bd%93%e9%81%93%e8%b7%af%e3%81%ae%e4%ba%a4/

明日の夜に倉吉入りして、最終日は4年前、雨の中球場外観だけ見て市内観光した倉吉市営球場へ駅前観光所でレンタサイクル借りて・・・。もう夏の県大会で使用されなくなった球場なんでこの機会にスタンドに入りたいと!
両球場ともに屋根があるので、熱中症や雨の心配が軽減されるのはありがたいものです。

みなさんの投稿は即時掲載されますが、レスは早くても16日の夜以降となるのであしからずご了承下さい。
それでは行ってきます!!

P・S ここ数日、天気予報を見るにつけ、暗澹たる気分になりますね・・・。一応、13日~15日2泊3日の旅を予定してますが、延泊も視野に入れて幻の4日目をどう過ごすか?倉吉のヤド・スタンバイも準備完了直前で、、、

米子は島根への通過点でよく通りますが、鳥取は今回で4年ぶり3度目。倉吉に至っては夏もう使わないので、今回がラストチャンスかと・・・。4年前の春に1度雨の中、観光したのみなんでもう開き直って初宿泊の倉吉で2泊してもエエかなと・・・。予定以上の支出となるので、こっちに戻ってから節約せなアカンようになりますが。

今年の宿泊観戦は津で雨に祟られましたが、その後の養老鉄道ーダイムS伊勢は晴天だったし、倉敷&敦賀ー福井の時は傘要らずだったので、、、皮肉にも幻の?4日目がいちばん天気良さそうですが。。。とりあえず初日・3日目はレンタサイクルで移動できそうでちょっぴりホッとしてます。

⚾明日の和歌山大会一次予選組み合わせ(4日目 2回戦 マツゲン有田球場)
 ☆☆ 10:00~  耐 久 - 星 林
    12:30~ 近大 新宮-紀 北 工

⚾明日の兵庫大会組み合わせ(2日目 1回戦)
ウインク球場
    10:00~  三 木 - 龍 野
    13:00~ 明 石 商-神 戸 一

ベイコム球場
  ☆ 10:00~ 報徳 学園- 津 名
  ☆ 13:00~ 篠 山 産-県 伊 丹

G7スタジアム
    10:00~ 神港 学園- 高 砂
  ☆ 13:00~ 姫 路 工-東 播 磨

ReFillスタジアム
    10:00~ 姫 路 東-尼崎 小田
  ☆ 13:00~  洲 本 -明石 城西

豊岡こうのとりスタジアム
    10:00~  柏 原 -三田 松聖
  ☆ 13:00~ 関西 学院-西 宮 東

⚾明日の注目カード
大阪大会2回戦 大商 学園-夕 陽 丘

⚾明後日の和歌山大会一次予選組み合わせ(5日目 2回戦)
上富田球場
 ☆☆ 09:00~  田 辺 -和歌 山工
    11:30~  箕 島 -粉 河 
  ☆ 14:00~  日 高 - 那 賀 

マツゲン有田球場
    09:00~ 和歌 山東・ 熊 野 -神 島 ・ 橋 本
 ☆☆ 11:30~  向 陽 ・和歌山高専-初芝 橋本・南部 龍神    
  ☆ 14:00~ 和歌 山商・新宮/新翔-紀 央 館・笠田/農芸

⚾明後日の兵庫大会組み合わせ(3日目 2回戦)
明石トーカロ球場
    10:00~ 県 尼 崎・神戸学院付-神戸国際付
    13:00~ 飾 磨 工・姫路南網干-尼 崎 西

ウインク球場
    10:00~ 加古 川東-三田 西陵・六甲アイランド
    13:00~ 小 野 工・ 相 生-明石 清水・三田 学園

ベイコム球場
  ☆ 10:00~ 武庫荘総合・県 芦 屋- 育 英 ・姫 路 西
  ☆ 13:00~  香 寺 ・豊岡 総合-須磨 翔風・神戸 弘陵

G7スタジアム
    10:00~ 須磨 学園・ 甲 南 -兵 庫 工・市 西 宮
  ☆ 13:00~ 彩星 工科-北 須 磨・ 市 川
2025/09/13(土) 5時40分52秒 No.2012 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
⚾明日の和歌山大会一次予選組み合わせ(3日目 1回戦)
上富田球場
 ☆☆ 09:00~ 和歌 山東- 熊 野
    11:30~  神 島 - 橋 本
    14:00~  向 陽 -和歌山高専

マツゲン有田球場
    09:00~ 初芝 橋本-南部 龍神
    11:30~ 和歌 山商-新宮/新翔
  ☆ 14:00~ 紀 央 館-笠田/農芸

⚾明日の兵庫大会組み合わせ(初日 1回戦)
明石トーカロ球場
 ☆☆ 09:00~ 須磨 翔風-神戸 弘陵
    11:30~  育 英 -姫 路 西
    14:00~ 北 須 磨- 市 川

ウインク球場
    09:00~ 須磨 学園- 甲 南
    11:30~ 飾 磨 工-姫路南網干
  ☆ 14:00~ 仁川 学院- 赤 穂

ベイコム球場
    10:00~ 兵 庫 工-市 西 宮
  ☆ 13:00~ 明石 清水-三田 学園

G7スタジアム
    10:00~ 県 尼 崎-神戸学院付
  ☆ 13:00~  香 寺 -豊岡 総合

ReFillスタジアム
    10:00~ 武庫荘総合-県 芦 屋
  ☆ 13:00~ 市 尼 崎-西 脇 工

豊岡こうのとりスタジアム
    11:00~ 三田 西陵-六甲アイランド
  ☆ 14:00~ 小 野 工- 相 生

💢高校球界で本格導入に進む7イニング制の是非 指導者たちが漏らした“本音”「ちょっと理解に苦しみます」【現場発】
https://news.yahoo.co.jp/articles/d34a33f965a73e061a4b495cf6105ec859025187?page=1

なぜ7イニング制の導入は進められているのか

タイブレーク制、球数制限、新基準となった低反発の金属バット、夏の甲子園大会の二部制導入……多くの改革が行われている近年の高校野球において、今現在、大きな話題となっているのが、7イニング制についての検討だ。日本高野連は今年1月に「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議」を発足。6月30日にはその狙いやメリット、デメリットについてまとめた資料を発表し、アンケート調査も実施(アンケートの収集は7月11日で終了)。すでに10月に行われる国民スポーツ大会が7イニング制で行われることが決定し、12月までには本格的な導入に向けた方針をまとめるとされている。

筆者も現場で取材する際に指導者と7イニング制について話題となる機会が非常に多い。しかし、これまで多くの指導者、あるいは関係者と話す中で、「ぜひ7イニング制にするべき」という意見を聞いたことはない。ある指導者からは「理由もなく9イニングが絶対に良いという意見には賛成できない」という声も聞かれたが、7イニング制に肯定的な意見は少ないというのが大まかな印象である。
その理由として多く聞かれるのが、導入の狙いがよく分からないというものだった。日本高野連がアンケート募集の際に発表した声明によると、7イニング制を検討する背景として、主に以下のような理由が挙げられている(一部抜粋)。

・成長期である部員が、安全に安心して野球に取り組むための対策を講じていく必要がある。
・社会全体で夏季の熱中症リスクが叫ばれる中、夏季に大会を開催することが高校野球関係者以外(社会)からどのように映るのかを認識、自覚する必要がある。
・普段の練習や公式戦開催に伴い、選手・部員・応援生徒・指導者・審判員・観客などの方々に重大事故が発生してから、あるいは国や自治体からの指示を受けてから議論をスタートするのではなく、高校野球関係者が自主自律の姿勢で議論していかなければならない。
・7イニング制を考察するうえでは、熱中症対策は重要なテーマだが、数ある課題の一つである。一方で、熱中症対策は差し迫った喫緊の課題である。

つまりは、夏季に大会を実施する上での熱中症対策が必要であり、選手や関係者の安全面を考慮して検討するということである。加えて各校の野球部員数の減少が顕著にあり、チームによる部員数の差が大きく、連合チームが増えていることもグラフをつけて紹介している。

「暑さ対策なら、そもそも暑い時期を避けて大会を行うというのが一番でしょう。でも…」
 
しかし、一連の課題解消に7イニング制は本当に有用なのだろうか。熱中症対策が喫緊の課題なのであれば、大会を行う時期をずらすという議論はなぜ行われないのだろうか。甲子園出場経験もある指導者もこの点について以下のように話している。

「暑さ対策というのであればそもそも暑い時期を避けて大会を行うというのが一番でしょう。でも、『そうしよう』という声は聞いたことがありません。もちろん夏休みでないと長期の大会は難しいということや、会場の問題もあるかもしれませんが、上手く分散して行うなども検討すべきではないかと思います。

そういったことと並列して、一つの方法として7イニング制も検討するというのであれば理解できますが、いきなり7イニング制だけが先に議論されるというのはちょっと理解に苦しみます。また球数制限の時にも一応加盟校にアンケートはありましたが、それがどのように議論されたかなどのフィードバックはありませんでした。誰がどんな思惑で進めようとしているかは分かりませんが、目的と議論がかみ合っていないように感じます」

冒頭で触れた数々の改革についても、その効果によってどの程度選手への負担が減ったのかという検証結果は公開されていない。にもかかわらず、一方的に9イニングを7イニングにすると言っても、「理解できない」というのは妥当な意見だろう。ただ一方で、現場から声を上げづらいという側面もあるようだ。別の指導者はこう話す。

「何か新しいことを進めようとした時に反対意見を出すと考えが古い、頭が固いと非難されやすい風潮があるように思います。やっぱり9イニングでずっとやってきたところから、2イニング減るというのは多くの人が違和感を持っていると思うのですが、表立って反対とは言いづらい雰囲気がありますね。

絶対9イニングが良いという理由づけも難しいのですが……。ただやっぱり100年以上この形でやってきたわけですし、イニングや人数は野球のベースとなる部分ですので、個人的には7イニングが良いとは思えません。慣れてしまえば違和感はなくなるのかもしれませんが」

暑さ対策以外の目的としては運営側の働き方改革という部分もあるとのことだが、この点に関しては運営にもかかわっている指導者の中で、ぜひそうすべきという声は聞かれなかった。
改めてまとめると、これまでの改革も7イニング制についても、「夏に甲子園球場で全国高校野球選手権を行う」ということを守るために行っている改革という印象は否めない。ただ、そう言い切らないところに現場の関係者たちも気持ちの悪さのようなものを感じているのではないだろうか。

高校野球は100年以上の伝統があり、今年の夏の甲子園大会の開会式でも高野連の寶馨会長が「日本の野球の基盤」と話していた。だが、それだけ影響力が大きいものだからこそ、多くの関係者が納得する形であらゆる議論が進められていくことを望みたい。

📝高校野球“消えた名門公立校”沖縄水産のナゾを追う「飲酒、喫煙は当たり前」超ヤンキー高校がなぜ甲子園の常連に?「賛否両論の名将」栽弘義の正体
https://number.bunshun.jp/articles/-/866778?page=1

かつて高校野球界で輝きを放った名門・沖縄水産が苦しんでいる。1998年の夏を最後に27年間、甲子園出場なし。春・夏合わせて甲子園出場12回、準優勝2回を誇る強豪は、なぜ弱体化してしまったのか。「飲酒、喫煙は当たり前のヤンキー高校」――黎明期から全盛期にかけての知られざる実態と、名将・栽弘義の謎を沖縄現地で追った。

全国レベルの強豪校がなぜ…勝てなくなった沖縄水産
 
あの簡潔なロゴが甲子園のグラウンドを駆け回っていたのが、やけに懐かしく感じる。白地に漢字二文字の「沖水」――このユニフォームが沖縄県内の野球少年たちにとって眩しく見えたのは、四半世紀前までだろうか。

沖縄県立沖縄水産高等学校は、春3回、夏9回の甲子園出場歴を誇る強豪校だった。1984年から88年までは5年連続で夏の甲子園に出場し、90年夏、91年夏は2年連続で準優勝。上原晃(元中日)、平良幸一(元西武)、大野倫(元巨人)、新垣渚(元ソフトバンク)など幾多のプロ野球選手を輩出し「沖縄高校野球界に沖水あり」と謳われてきたが、98年夏の甲子園に出場して以降、27年もの間、聖地から遠ざかっている。
夏の県大会にかぎれば2010年に準決勝で糸満に0対9で敗れて以来、15年もベスト8に残れずにいる。かつて沖縄県の王者として君臨し、全国レベルの強豪校として名を轟かせていた沖縄水産が、どうしてここまで弱体化してしまったのか。

「自らの手でグラウンドを作った男」栽弘義とは何者か
 
沖縄水産を全国有数の強豪校にしたのは、紛れもなく名将・栽弘義の手腕である。高校野球ファンの多くが、沖縄水産=栽監督と認識していると言っても過言ではないだろう。同校の基盤を作り上げ、常勝軍団にしてきた功績は今も燦然と輝く。前任地の豊見城高校では6季連続を含む7度甲子園に出場し、4度のベスト8(75年春、76年夏、77年夏、78年夏)入り。県内で名将の地位を築き上げた栽が、沖縄水産に転任したのは80年の春だった。栽が沖縄水産に移った理由は二つあった。

一つ目は、自由に使用できる広大な敷地を保有していること。二つ目は水産高校のため、全県一区ということで学区制に縛られず全島から生徒を集められること。つまり私学のように自由に選手を獲得できるのだ。公立高校にとって最大懸案事項の二点が解消されることで、栽は沖縄水産で頂点を狙えると確信した。まずは広大な敷地を整備するところから始まった。土木関係の知り合いに声をかけ、ブルドーザーを借りて自ら運転してグラウンド用の土を耕した。土を運ぶためのトラックが何台も往来する。細かな部分はシャベルと鍬を持って自ら地面を掘り返した。沖縄水産へ赴任してからの2年近くは、汗と泥まみれになってグラウンド作りに没頭した。

「飲酒、喫煙は当たり前」誰もが恐れたヤンキー校の実態
 
今から40年以上前、沖縄水産は誰もが震え上がる「ヤンキー高校」としての悪名が轟いていた。共学だが生徒のほとんどが男子。その多くが各中学校で番を張っていた輩で占められ、パンチパーマにヒゲを生やし、カチャカチャと音が鳴るようなエナメル靴で闊歩する。飲酒、喫煙は当たり前。卒業式には校門前に黒塗りのベンツが並び、ドラフト会議のように卒業生が乗せられ、任侠界へとデビューしていく……。そんな都市伝説が流布されるほど、ワルの巣窟とされていた。

この時代を知るOBに話を聞くと、80年代に大ヒットした『ビー・バップ・ハイスクール』の映画を地でいった感じだと例える。中間徹(仲村トオル)と加藤浩志(清水宏次朗)が、中山美穂演じるヒロイン・泉今日子をめぐってケンカと恋に青春をかける不良映画の金字塔だ。しかし残念ながら、沖縄水産には中山美穂のようなマドンナはいなかった。中学生が沖縄水産を受験するために下見に行くと言えば、「中学生があのあたりに行けば恐喝されるか、殴られるかのどっちかだぞ!」と親戚連中から必死の形相で止められる。
校門から校舎までの間にタバコの吸い殻が落ちているのは日常茶飯事で、沖縄水産の不良生徒が国際通りを歩けばみんなが避けて通る。通学に使われるバスは、満員状態でも沖縄水産の指定席である後部座席だけはいつも空いていた。当時、知念高校に通っており、現在は糸満高校の野球部部長を務める新垣隆夫はこう証言する。

「沖水行きのバスとは反対方向でよかったぁと胸をなで下ろしましたね。もし一緒のバスだったらどうなっていたことか(笑)」

OBの証言「栽先生が沖縄野球の基礎を作った」
 
栽はグラウンド作りに励みながら、せっせと各中学校を回った。いい選手がいると聞けば、北は名護から南は糸満まで、どこへでも出向いた。そしてあるひとりのピッチャーと出会う。那覇市立松島中学の比嘉良智。身長は180cm超。がっちりした体格から繰り出されるボールは速くて重い。のちの沖縄県初のドラフト1位指名を受けた投手だ。比嘉は内地の強豪名門校の誘いを断って、もっとも熱心に誘ってくれた栽の沖縄水産へと進学する。結局、一度も甲子園の土を踏めなかった比嘉だが、沖縄水産を常勝にするための基礎作りに青春をかけた。興南の仲田幸司(元阪神)との投げ合いは、70年間の沖縄高校野球史の中でも類を見ない熱戦だった。比嘉はこう話している。

「なぜ(2010年に)興南が春夏連覇できたのか。栽先生が沖縄野球の基礎を作ってくれたからです。栽先生が小禄、豊見城でやってきた指導が底辺に広がった。大学、社会人というルートを作ってくれて、上のレベルでやった教え子たちがいま少年野球を教えている。高校野球の一番の役目は、夢を叶えてあげること。その夢を手助けするのが指導者。栽先生はきちんと全うしました」

比嘉が卒業した84年の夏、沖縄水産は初の甲子園出場を決めた。比嘉のような突出した選手はいなかったが、チームワークで県大会を勝ち進み、見事に甲子園の切符を手にした。栽は、この世代の選手たちに口酸っぱくこう言った。

「個人プレーの延長がチームプレーになるんだ。仲良しプレーをするな。ボールは一個しかない。エラーしたらドンマイと言って負けていいのか。確実にさばく。どんなプレーでも責任を持って確実にさばいていけば、チームワークは後からついてくる。チームワークは育てるものではない」

栽の教えを受けたキャプテンの宮平博が、技術は足りないが精神力の強いヤンチャな選手たちをまとめて勝利に導いた。ただ栽はこの年の甲子園で指揮を執っていない。新聞広告に出たとしてアマ規定に抵触し、83年秋から1年間の謹慎処分を受け、甲子園にはコーチだった神山昴が代理監督として出場している。そして、この翌年の85年に“沖縄の星”上原晃が入学し、沖縄水産の黄金期が形成されていく。

                     <続く>
2025/09/12(金) 21時29分41秒 No.2011 編集 削除
8/10 4日目第3試合 岡山学芸館(岡山)-聖カタリナ(愛媛) 14:08~16:16 

第3話 山陽に続け!岡山新興私学の新しい風

          一二三四五六七八九十計HE
      カタリナ000000000 051 有馬、寺井-香川
      学 芸 館00001000X 140 沖田、丹羽-佐藤

         第一試合  第二試合  第四試合   
         中  京4 神村学園8 掛 川 西 
         宮 崎 商3 木更津総5 日本航空

鈴里真帆 🎵『YES』 https://www.youtube.com/watch?v=KWKbElp0JwE

 大会4日目からようやく2部制も解除されて通常通りの甲子園の夏に戻った!!どうせなら大会初日から3日間連続雨天中止で2部制解除してくれたら・・・と思ったが、2部制の良し悪しが分からないまま終わってしまうので、、、、、結果的に大会初日ぶっ通しで中抜けしながら長い1日を過ごし「反対派」に鞍替えした。
この日はTV観戦だったが、あとは14日・17日に3塁内野席で観戦するので支障はない。

大会4日目は延長はなかったが①2時間19分②2時間34分と理想的な試合時間で第3試合開始が予定よりも1時間近く延びて14時08分開始となった。このペースだとまずナイター確定だろう。
岡山野球はノンビリしまくっているので2時間30分は堅いと思ったが、甲子園に来るとヨソ行きの野球になってしまうのか???マスカットの準決勝では2時間35分かけて理大付を5-0で下したが、この日はサクサクと進んでしまった、、、、、

岡山学芸館は2001年春に甲子園初出場を果たすも、初戦敗退。その後2度目の甲子園が遠かったが、2015年夏に顔を出すがここも1-7と同じスコアで初戦敗退。
初出場時は高知商の松浦監督が2度目の出場時は岡山城東の山崎監督が指揮を執り、甲子園で実績ある監督を招聘して野球に力を入れているイメージだった。
2018年から佐藤部長が監督に昇格したが、この新監督はあの仙台育英で須江監督と同期だったようで、かなりのキレ者のようだ!
早速翌年夏の甲子園出場し広島商に6-5で競り勝ち甲子園初勝利を挙げ、激戦区・岡山で上位進出常連となり、今回5年ぶりに甲子園に帰ってきた。

岡山の野球といえば・・・江浦先生がいた頃の関西もそうだったが、軍隊式というか?攻撃前の円陣で監督の指示が終わると大きな声で「ありがとうございました!!」と叫び深々とお辞儀する。
バッターボックスから状況関係なしに1球ごとに監督の顔を伺い、凡打でベンチに帰ると監督に謝るシーンが見受けられる。ノビノビ野球とは対角の管理野球なんだろうなと。

今日の相手は初出場の聖カタリナ。1度センバツ出場したが部員間の集団暴行が発覚した。 日本高野連から厳重注意処分を受け、2022年秋の公式戦には出場できなかった。野球部の活動は存続するものの、部員の勧誘は現1年生が卒業するまで停止、新規入部は自宅通学生に限定され監督も交代し、会社経営者で地元の高校野球解説も務めた浮田新監督の手腕で再浮上。
しかし、愛媛の高校野球は済美・今治西・松山聖陵など不祥事に揺れるチームが多いイメージがあるが、ちゃっかり復活できる土壌があるのが凄い!!

試合は両チームエースが先発だが、継投も互いに視野に入れているようだ。まず1回表の守りで学芸館の沖田投手はショートゴロ2つに三振と完璧な立ち上がりだった。その裏、1死から2番・高安がレフト前ヒットを放つもあえなくけん制死・・・。結局3人で攻撃を終え落ち着かない。

しかし、沖田投手はカタリナ打線を力でねじ伏せ3イニングパーフェクトピッチング!三振も5つ奪い特に3回は3者連続三振と全く寄せ付けなかった。こうなると、早めに援護して主導権を握りたいが、2回も1死から5番・竹下がセンター前ヒットを放つも三振ゲッツー、、、3回は先頭が四球で出塁するも送りバント失敗。あえて佐藤監督は沖田投手にバントを命じ、なんとかスリーバントを決めて2死2塁。ここから連続四死球で満塁とするも3番の1年生・繁光がまさかの3球三振で三者残塁と押しまくりながらも得点できないもどかしさのまま序盤が終わった。

4回表聖カタリナは先頭の1番・本多が四球を選び完全試合を回避。しかし、どういうわけか?浮田監督は初球単独スチールのサインを出したのか???あえなく盗塁失敗!序盤3回まで一方的に攻められなすすべもないところで四球でもらったチャンスを無謀な走塁で自滅し結果的に3人で攻撃終了。5回は2死から6番・香川がセンター前ヒットを放ちノーヒットノーランも阻止したが、後が続かない。
なんとか先取点を奪えば勝機が広がる学芸館は4回初めて三者凡退に終わったが、5回裏先頭の7番・佐藤がライト前ヒットを放ち1球で送りバントを決めて形を作り、9番・沖田投手のショートゴロが悪送球を誘いオールセーフで1番・古謝が四球を選んで1死満塁とビッグチャンスが到来。2番・高安が2球で追い込まれながらも2-1から値千金のセンター犠飛でようやく先取点をもぎ取りクーリングタイムに入った。

大会4日目は7時20分に完売通知が発表され、開門20分後には全席売り切れだったが、この試合の観衆33000人で満員には程遠かった・・・。結局、1日通しで観るお客さんは少数派で1~2試合観戦して帰る客が多かったと思われる。
ここまで学芸館のエース・沖田の1安打ピッチングが冴えカタリナは2塁ベースすら踏めない状況が続いている。ただ、1点差だけに終盤スタミナが切れた時に、ワンチャンス活かして逆転されたら再逆転するだけの粘りがあるかどうか・・・・・。カタリナのエース・有馬も粘り強く辛抱して投げて、4回を除いて毎回走者を出すものの最少失点でこらえて味方の援護を待っている。
四国野球でもまれているだけに、終盤どう巻き返すか?浮田監督の采配も注目される。

クーリングタイム中も散水され、試合前と合わせて2度も散水されるのは珍しい。プロ野球だとデーゲームではしょっちゅうやっているようだが、、、
10分間の長い中断を経て6回表は8番からの攻撃だったが、ライトフライ~初球セーフティーバントはピッチャーゴロ~ピッチャーゴロと沖田投手なんと6回投げてまだ60球と相手の淡白な攻撃にも助けられスタミナも問題なさそう。
突き放したい学芸館だが、もともと打てないチームなのか???4番からの攻撃で先頭の坂本がレフトへ会心の打球を放つも相手の守備範囲内。6球でツーアウトを取られ、6番・小田は再三バントの構えで揺さぶるが、8球粘るもショートゴロでなんだか兵庫大会を見ているような息苦しさを感じられた。
 
7回表ボチボチ反撃の機会を伺い一気に攻めてくると見られたカタリナ。打順が3巡目となり、浮田監督の采配が不気味だった。2番からの攻撃で心配したが、いきなり初球セーフティーをかましファール・・・。2球目ショートゴロで何か仕掛けたいが初出場の硬さが取れない。。。3番・国澤が7球粘ってレフト前ヒット。さらに4番・河野3ボールとなってしまい崩れかけたが、フルカウントまで持ち直してサードフライ・ピッチャーゴロで凌いだ。
その裏、学芸館も下位打線とはいえ4球でツーアウト。しかし9番・沖田投手が右腕にデッドボールを喰らい四球ももらって1・2塁とチャンスをもらったが、ショートゴロに倒れ残塁が増えていく・・・。それよりも心配なのはエース・沖田が右腕にデッドボール喰らったことだ。

死球の影響があったのかは分からないが、8回表先頭の6番・高川にレフトへツーベースを浴び大ピンチ。後攻ゆえに最悪、追いつかれるまでは仕方がないので逆転さえ許さなければこの試合勝てると信じていた。浮田監督は定石通り送りバントのサインを出したが、初球まさかのキャッチャーフライ。直後に8番・有馬投手が意地のレフト前ヒットを放つが2塁走者無理せず3塁ストップ。
1死1・3塁と大ピンチを招いたが、バントが決まっていたら1-1同点だっただけにまだツキがある。9番・三好は初球セーフティーバントを仕掛けたがこれもキャッチャーフライ。
まだツーアウトなんであるいはダブルスチールなどトリッキーな四国野球も考えられたが、1番・本多1ボールからセンターフライでここも凌いだ!
なんとか1点でも追加して逃げ切り体制を築きたい学芸館だが、先頭の1年生3番・繁光はボール球に手を出し、追い込まれレフトフライ。1死から4番・坂本がセンター前ヒットを放つと、佐藤監督は手堅く送りバントで2死2塁。ここで浮田監督はエース・有馬をライトに下げて背番号12の寺井がリリーフ。いきなりデッドボールで傷口を広げたものの、7番・佐藤は3球三振で1-0のまま9回へ突入。

9回表まだ沖田投手は98球しか投げていないが、思い切ってベンチに下げて背番号11の丹羽が最終回のマウンドへ。カタリナは2番からの攻撃だし、投手が代わったことで打線が息を吹き返さないか不安だった。いきなり先頭の2番・松野がショート内野安打で出塁。ここで代打・山本が登場。どうやら送りバント要員の代打だったが、初球バント空振り。2球目バントファールで追い込まれ3球目の前にまさかの1塁けん制タッチアウト!!これでずいぶん楽になり、山本は3球三振。最後は4番・河野がフルカウントからセカンドゴロで試合終了。

なんとか・・・1点しか奪えなかったが、この虎の子の1点を大事に守り切ったという按配だった。特に攻撃面に大いなる不満の残るゲーム運びだったが、相手の空回りに思いっきり助けられ気が付けば4安打しか打てなかったが2回戦進出。
沖田投手がこの試合のヒーローであることには間違いなかった。8回98球4安打無失点と危なげないピッチングで先を見据えてか?9回丹羽投手にスイッチして絶妙のけん制タッチアウトもあり完封リレーが成立した。
カタリナは送りバントが決まっていればあるいは試合をひっくり返せたかもしれないが、不祥事明けで甲子園に出るのが精いっぱいだったようだ。
岡山学芸館にとっては次の2回戦・掛川西戦で真価を問われそうだ。くじ運に恵まれて甲子園初戦突破できるチームがあるが、運だけで2勝することはできないだろうから真価が問われる。

さて、次回はあの大社旋風の始まり。抽選で山陰勢は大社が5日目センバツ準優勝の報徳学園。鳥取城北が6日目明徳義塾を引き当ててしまいそれを知った瞬間「もうアカン・・・」と呻いてしまったが。いったい誰が、報徳を倒して甲子園3勝を果たし大社高校92年ぶり甲子園ベスト8を予想できただろうか???それはまた次回の講釈で。

チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 犠飛 四球 死球 三振 失点 自責
カタリナ 有 馬 7 2/3 32 118  4  3  1  5  1  3  1  0 
カタリナ 寺 井   1/3  2   7  0  0  0  0  1  1  0  0

学 芸 館 沖 田  8  28  98  4  0  0  1  0  7  0  0
学 芸 館 丹 羽  1   3  12  1  0  3  0  0  1  0  0

                    (完)

                 🌟次回予告🌟
       8/11 5日目第3試合 報徳学園(兵庫)-大社(島根)
2025/09/11(木) 22時15分33秒 No.2010 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
📝9月13日から2回戦、高校野球秋季三重県大会 朝夕2部制
https://news.yahoo.co.jp/articles/4c3b3727742bd7d4166fd5736f88d277269752c8

第78回秋季東海地区高校野球三重県大会の2回戦が13日、県内3球場で始まる。1回戦を勝ち進んだ23チームとシード8校、抽選により上野を加えた計32チームが熱戦に入る。

試合開始は2、3回戦の第1試合が午前9時、第2試合が午後3時半。暑さ対策のため、夏の選手権三重大会で実施した朝夕2部制を、秋季も今回から導入する。日中の暑さが和らぐと見込まれる準々決勝からは、第1試合が午前10時、第2試合が午後2時開始に変わる。当日入場料は一般700円、高校生200円、中学生以下無料。

津球場で28日午後2時から決勝があり、3位決定戦は午前10時から。上位3チームは10月18日から愛知県である東海地区大会に出場し、成績は来春の選抜大会出場(東海地区枠は3チーム)を決める参考になる。

秋季三重県大会には、62校の55チームが出場。暑さ対策のため昨年までの地区予選をやめ、トーナメント方式の1回戦を8月28~31日に各校グラウンドなどで実施した。

💢広陵野球部は“廃部”へ一直線…加害生徒が被害生徒側を名誉棄損で告訴の異常事態
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/377433

今夏の甲子園大会中に出場辞退した広陵(広島)でスッタモンダが続いている。1月に起きた部内暴力の加害生徒とされている3年生部員1人が10日、被害生徒の親権者によるSNSへの投稿で名誉を傷つけられたとして、名誉毀損罪で東京地検に刑事告訴したのだ。告訴人は被害生徒の親権者、他の投稿者の処罰を求めているという。

1月に硬式野球部の寮内で、告訴人を含む3年生部員が下級生1人に暴行を働く不祥事が発生。被害部員はその後、転校を余儀なくされた。その被害部員の親権者とみられる者が、今夏甲子園大会直前に「合計100発を超えるような集団暴行」などと投稿していた。

結果としてSNS上で、複数の3年生部員の名前や顔写真がさらされることになったのだが、高校野球に詳しいスポーツライターの美山和也氏がこう言う。

「全ては学校の無責任な対応と高野連の処分の甘さが招いた事態といえます。高校側が加害の事実を矮小化した疑惑を持たれ、だから、被害者側はSNSを使って世論を味方にするしかなかったのでしょう。高野連は報告を受けていたにもかかわらず、3月に『厳重注意』という中途半端な処分にとどめています。被害生徒側によれば、さらに監督らはこの事件を隠蔽しようとしたと主張している。厳重注意ではいかにも軽いですよね」

相次ぐ有望中学生の入学キャンセル
 
混乱を招いた中井前監督は引責辞任したものの、学校には在籍している。

「副校長として勤務を続けているそうですから、何の解決策にもなりません。副校長として学校に残れば、野球部への影響力は残るだろうし、『ほとぼりが冷めたら復権する気だろう』と言われても仕方がない。実際、同校の事務局長は『復帰の可能性はゼロではない』と話しています。広陵という学校は危機感がないのか。内定していた有望中学生が、相次いで入学をキャンセルしていると聞きますから、度重なる暴力事件が発端で、ついに野球部が消滅してしまった大阪のPL学園の二の舞いになりかねません」(美山氏)

広島の名門も廃部へ一直線である。

📝広陵高校の暴力問題“発覚前に投稿された”動画に異例の反響「寮よりも“通い”がいい」今浪隆博に聞く「寮生活の謎ルール…なぜ常識からズレるのか」
https://news.yahoo.co.jp/articles/379ca7dbc312c9e4df8ab466d311314c3292db87

広陵高校の暴力問題を契機に「野球部の寮生活」への関心が高まるなか、問題が発覚する以前の6月にプロ野球OBが投稿した“ある動画”に注目が集まっている。

「プロ野球選手を目指すなら、寮よりも自宅から通ったほうがいい」――現役時代は日本ハムとヤクルトでプレーし、現在はスポーツメンタルコーチとして活動する今浪隆博氏が、視聴者からの質問にそう答えた理由とは? 寮生活の問題点や「野球部の伝統」にまつわる見解を聞いた。

大学で体験した寮生活の「無駄なところ」

――広陵高校野球部の暴力問題が報じられる1カ月以上前の6月23日に、YouTube『今浪隆博のスポーツメンタルTV』で公開された動画が注目を集めています。テーマは「野球の上手な息子に18校のスカウトが来て困っています。『寮』と『通い』どっちがいいですか?」というもの。この質問に対して、今浪さんは寮生活のデメリットをあげながら「通い」を推奨されていました。

今浪隆博(以下、今浪) この企画はあくまでも僕のチャンネルの視聴者の質問に答えるものだったので、それ以上の意図はなかったんですが、結果的にすごく多くの方に見ていただいているようです(9月6日時点で約30万回再生)。広陵の問題が発覚して以降、次々に新しいコメントが届いているような状態です。視聴者の方に楽しんでもらいたいと思って発信していることが、こういった形で反響を集めるとは想像していませんでした。

――今浪さんご自身は平安高校時代に下宿生活を経験され、明治大学で寮に入っています。そのうえで、「寮でできることは通いでもできる」と解説していますね。

今浪 もちろん自分の経験ベースでしかないのですが、そのうえで忖度抜きの話をさせてもらいました。両方選択肢があるなら絶対に寮ではなく通いでしょ、と。ただ前提として、あくまでも「寮」と「通い」を選べる立場の方への答えではあります。実家から通いで行ける範囲に選手の実力にマッチした学校がないケースももちろんありますから。

――明治大で実際に寮生活をされていて、「これは無駄だな」「野球をするうえで必要ないな」と感じた部分はどんなところなんでしょうか。

今浪 すべてです(笑)。

――すべて、ですか。

今浪 はい。これはもう、僕のなかでは結論だと思っています。

「下級生はこの道を通るな」不条理なルール

――大学であっても、それだけ不条理なルールがあった、と。

今浪 当時はそういうルールしかなかったですね。僕はそれにすごく疑問を感じるタイプの人間だった。たとえば寮から駅に向かうルートで「この道は3年生と4年生しか使っちゃいけない」と言われたら、「えっ、あなたたちが作ったの? 公共の道じゃないの?」と思いますよね(笑)。道路交通法は守るだけの合理的な理由があるけど、寮のルールはすごくアホらしい。で、そのルールを後輩に守らせようとする先輩方も、間違いなく理由がわかっていない。俺らがそうやってきたからお前らもやるんだという、ただそれだけ。こういう必要のない伝統が、寮生活にはいくつもありました。一方で、野球のことに関しては不条理を感じることはなかったです。問題はあくまでも寮生活。ただただそれがストレスでした。

――たとえば広陵の「カップ麺を食べてはいけない」というようなルールも……。

今浪 いま現在、僕が寮で生活しているわけではないですし、あくまでも個人的な考えですが、キーワードは「伝統」だと感じています。野球部にかぎらず運動部の寮生活には、たいてい選手間の伝統のようなものがある。言葉としては「伝統」という一言なんですけど、その種類はたくさんあると思うんですよね。たとえばカップ麺を例にとると、仮にそれを食べることの栄養面・健康面でのデメリットが禁止になった理由だったとして、その意味が継承されているか、当事者たちが理解しているかって、クエスチョンだと思うんですよ。

――たしかに。

今浪 もちろん、そんな理由もなく単に「下級生は食べてはいけない」というルールであっても、伝統といえば伝統です。こういった謎のルールっておそらくどんな寮にも存在していて、暴力をふるったとされる生徒も、なぜそんな伝統ができたのか理解していないはずなんですよね。集団生活の特殊な環境に身を置いていると、疑いを持たなくなる。思考が停止するというか、「カップ麺=ダメ」となってスイッチが入ってしまう。なぜダメなのか考えることをしなくなるんです。

「なぜカップ麺くらいで…」常識からズレていく理由

――外から見ると「なぜカップ麺くらいで……」と思ってしまいますよね。

今浪 関わっていない大人が普通に考えたら、「カップ麺くらい食べてもいいやん」と思いますよね。野球部なんて特に「たくさん食べて体を大きくしろ」と言っているわけですし。むしろ1個じゃなくて2個、3個と食べるってルールがあってもいいくらい。普通に考えたらわかることなんですよ。でも、寮生活をしていてその環境が当たり前になってしまうと、その常識からズレてしまうんです。もちろん、カップ麺以外に摂ったほうがいい食品があるのは大前提なんですが……。

――また動画のなかでは、「寮にはルパンが出る」というエピソードもお話しされていました。

今浪 不思議なことに出るんですよ、ルパンが(笑)。もちろん盗まれた側としては、その理由まではわからない、というのが正直なところです。ただ、少なくとも僕の経験上、大人数で集団生活をしていると起きてしまいがちな現象だと思います。ルパンにかぎらずですが、野球以外のトラブルで煩わされるのはイヤですよね。

――なるほど。ちなみに、今浪さんの平安高校時代の下宿生活はどうだったんでしょうか。

今浪 下宿生活の環境はすごくよかったです。自分で身の回りのことをして生活するだけなので。先輩もいないですし、細かいルールも覚えていないくらい何もなかった。ただ誰も手伝ってくれる人がいないので、自己管理能力が必要になるとは思います。僕は野球に集中するだけでしたし、生活が乱れることはまったくありませんでした。

――野球部は高校でも大学であっても、他の部活に比べて上下関係がかなり厳しいイメージがあります。ある意味でその上下関係も、寮生活の歪さを助長してしまっているのかなとも感じるのですが、そこについてはどうなっていくべきだと考えますか? 

今浪 うーん、そうですね。これについては、発言することに結構勇気がいると思うんですけど……。

                    <続く>

📝広陵高校問題から考える“寮生活の落とし穴”「じつは大人が知らない“選手間のルール”がある」悪しき伝統の改善策は? プロ野球OB・今浪隆博の見解
https://news.yahoo.co.jp/articles/bb90e92d743010f047e375822b2f7df9828ff0f3?page=1

「リスペクトある上下関係」は悪ではない

――今浪さんは野球部の上下関係について、どうなっていくべきだと感じていますか? 

今浪隆博(以下、今浪) これについては発言することに勇気がいると思うんですけど、僕個人としては、上下関係そのものは必要だと思っています。人を敬うことや、先輩から何かを学ぼうとする姿勢。スポーツの現場でも、あるいはビジネスでも、先輩や先人をリスペクトすることで成長できる部分はあると思うので。

――高圧的で一方的な上下関係というよりは、尊敬をベースとした相互的なものとしての上下関係、ですね。

今浪 そうですね。リスペクトのない接し方では、得られるものも得られなくなってしまう可能性もありますから。自分の成長を考えたときに、先輩を敬う姿勢はあった方がいいと考えています。

「先輩が“先輩”を演じすぎる」ことの危険性

――上下関係が行き過ぎたときに、理不尽な暴力やハラスメントに発展してしまうケースも散見されます。先輩と後輩のリスペクトある関係性が壊れてしまうのはなぜなのでしょうか。

今浪 先の寮生活の話と同様に、「自分の行動を疑わない環境」にまずひとつの原因があると思います。よくあるのが、先輩が“先輩”を演じすぎてしまっているケース。偉そうに振る舞うのが当たり前の伝統になってしまって、疑問を持たない環境は危険ですよね。

――そこにもやはり、伝統が絡んでくる。

今浪 はい。今回、広陵高校が問題になりましたが、他校でも似たような環境や事案は存在するはずです。あくまでも僕の見解ですが、特に伝統校と言われているところがリスクを孕んでいるように感じます。やっぱり、無駄な伝統が多すぎる。あの先輩たちもやってきた、だからやるんだよ、といった伝統が。もはやいいとか悪いとかではないんですよ。合理的だとか非合理だとか、おそらく考えてもいない。もし考えていたら、無駄な伝統はなくなっているはずなので。

――必要のないルール、必要のない厳しさ、そして暴力が「伝統」という言葉のもとに温存されていると。

今浪 もしかしたらその伝統も、最初は意味のあるものだったのかもしれない。ただ、代を重ねていくにつれて、元々あった意図や意義が薄れて、よくわからないルールだけが曲がって伝わったまま現在に至る。こういったケースがすごく多いんじゃないかなと。ある種の伝言ゲームですよね。

「悪しき伝統」をどう変えていくのか

――そういった状況を変えていくために、どんなことが必要になるでしょうか。

今浪 伝統の確認と、改善。これをやるしかないんじゃないでしょうか。曲がって伝わっているルールがあれば、それを正すタイミングを作る。先人たちが作った伝統はいまも必要なのかと立ち止まって考える。部のルールと私生活のルールについて、この確認と改善を定期的にやっていくことが重要だと思います。理想は1年ごとにしっかりとやることですね。新入生が入ってくるので。

――確認と改善。シンプルですが、やるかやらないかでは大違いですよね。

今浪 僕自身が社会人野球チーム(ゴリラクリニックベースボール)の監督をするなかで気付いたことでもあります。創部して6年経つんですが、1年目のメンバーにはチームの理念や、みんなと作りたいチーム像を話していた。これを“いい伝統”にしていこうよ、と。ただ去年の全日本軟式野球大会で優勝したこともあって、1年目からやってきた選手が何人か抜けたんですよね。選手が入れ替わるなかで、ウォーミングアップのやり方とか、野球に対する意識も話したつもりになっていたんですけど、どうも伝わっていない。みんなわかってくれている……というのは僕の思い込みで、伝えていないんだから伝わるわけがないんです(笑)。だから「元々聞いていた選手には申し訳ないけど、もう1回ちゃんと説明させてください」と。

――「話したつもり」ではいけないと。

今浪 伝統校のようにどんどん年数が重なっていくと、最初に伝えた本人がもう組織にいないことも多い。それがいいものならきちんと伝えて再確認するべきだし、時代にそぐわないものなら、いまの選手がもっとやりやすいように改善していく。できる行動って、それしかないんじゃないかなと思います。

じつは大人が知らない「選手間のルール」

――他方、「これはおかしいんじゃないか」と疑いを持ったとしても、高校生の場合、実際に行動に移すのはなかなか難しいと思います。やはり指導者が責任を持って取り組まなければいけない課題だと考えるべきでしょうか。

今浪 そうですね。チームリーダーやキャプテンがいたとしても、現場のトップは監督です。やっぱり大人が確認して、改善しなければいけない。じつは選手間の伝統やルールって、大人が理解していないこともいっぱいあるはずなんですよ。「野球部の伝統だから」と言って、なんとなく放任してしまっているところもある。定期的なヒアリングを通じて、認識していないことを知るところから始めたほうがいいですよね。問題が起きてから「知らなかった」では済まされない時代ですから。

「寮否定派」ではなく…現場で感じたこと

――最初の議論に立ち戻ると、今浪さんは動画のなかで寮ではなく「通い」を推奨していました。どちらも選択肢にある場合、あえて寮を選ぶ必要はない、と。

今浪 はい。寮だと雑用などでどうしても時間的な拘束があるし、通いなら外部のコーチに指導を受けることもできる。ただこれは僕個人の考えであって、あくまでも「通いの強豪校」と「寮の強豪校」で迷っている質問者への答えとして「通いがいい」とお話ししました。やっぱり現実的に、高いレベルで野球を続けるためには寮しか選択肢がないような生徒もいますから。「寮に入りたくないから競技そのものをやめる」という選択はしてほしくないと思っています。

――必ずしも「寮否定派」ではないということですね。動画のなかでは、かつては問題だらけだった寮生活も現代では大幅に改善されている、といった発言もありました。

今浪 いま僕はスポーツメンタルコーチとしていろいろな組織、団体を見ているのですが、実際に関わるなかで「すごくいい寮だな」と思うところもたくさんあります。今回の件を受けて、野球部や寮生活の悪い部分ばかりがクローズアップされて、悪印象がついてしまうのはもったいないですよね。たとえば明治大学の野球部の環境も、僕がいた時代に比べて劇的によくなっていますから。

大前提として、暴力は許されない。それを生み出す理不尽な伝統も改められなければいけない。そのためには、やっぱり「確認と改善」しかない。寮生活や上下関係そのものが悪というよりも、伝統と現状をしっかり検証し、アップデートすることに尽きると思います。

☟収束気配が見えない広陵高野球部の暴力問題 夏の甲子園辞退から1カ月、学校経営にも暗雲
https://news.yahoo.co.jp/articles/8be45b7cae2acd52e80824ca33cbce2e8306cac3?page=1

野球部内の暴力が発端となり、広陵高(広島市)が全国高校野球選手権大会を史上初めて途中辞退して10日で1カ月がたった。指導体制が変わり、1、2年生の新チームで再出発したが、渦中の中井哲之前監督(63)は理事兼副校長として学内にとどまる。辞退以降も一連の問題はSNS上で蒸し返され、非難や誹謗中傷が収束する気配は見えない。同校関係者は「対応にも限界がある」と漏らす。

■志願者動向に懸念

新チームが秋季広島県大会地区予選の初戦に臨み、勝利を収めた8月30日。2学期の始業式が行われ、堀正和校長が在校生らに一連の問題について説明した。同校関係者によれば「一般生から特段の反応はなかった」という。もっとも、同校を取り巻く現状は厳しい。同校は中傷が続く中で来校者らの安全を担保できないと判断し、9月上旬に実施予定だったオープンスクールをとりやめた。

懸念されるのは入学志願者の動向だという。5月1日現在の全校生徒数は1457人。「野球部員でない生徒が9割を占める」(浅田哲雄事務局長)が、甲子園の常連校として知られる同校だけに、野球部の不祥事は「広陵」全体のイメージダウンにつながり得る。志願者が減少すれば、学校経営にも支障をきたす。「影響がどれだけあるか、図りかねる点がある」。法人理事も務める浅田氏には、今回の問題はSNSで先行して拡散した情報に同校も翻弄されたとの思いが強い。

■SNSで非難激化

出場辞退の発端は今年1月22日のできごと。同校の説明によると、部員が暮らす寮で1年生(当時)の被害生徒がルールを破ってカップ麺を食べ、2年生(同)4人がそれぞれ被害生徒の部屋を訪問した上で胸をたたく、頰をたたく、胸ぐらをつかむなどの行為に及んだ。

事案を把握した同校は広島県高野連へ報告。3月上旬、日本高野連から「厳重注意」を受けた。だが、学生野球憲章に基づく基準に従い発表されなかった。被害生徒は3月末、転校したという。
7月下旬以降、同校が県大会を勝ち進む中で、SNSで被害生徒の保護者を名乗る人物からの告発が広がった。《10人以上に囲まれ、合計100発をも超える集団暴行》などと同校の報告とは異なる被害を訴え、広島県警に被害届が受理されたとも明かした。

告発は中井氏が事実の隠蔽を図ったとし、厳重注意にとどまった措置にも不満がにじむ。被害生徒が泣き寝入りを強いられたと受け止められ、同情を集めた。全国大会の組み合わせ抽選会、開会式…。日を追うごとに同校への非難がSNSで激化した。
初戦を突破した8月7日には、令和5年に中井氏や一部部員らから暴力を振るわれたと訴える別の元部員による投稿も拡散。同校は同日、事実は確認できなかったと釈明に追われたが、SNSの騒ぎは収まらなかった。ついに同10日、堀氏は出場辞退を表明。SNSでの無関係の生徒らへの攻撃を辞退理由の一つに挙げたが、「責任転嫁だ」などと暴力事案に向き合う姿勢も問われる事態を招いた。

■退任発表後も中傷

2つの事案への関与などについては判然としないものの、結局、同校は同21日、中井氏の退任を発表した。野球部への中傷がやまず、「このままでは持たない」との判断も働いた。
内部昇格で後任に就いたのは松本健吾氏(34)だが、コーチ出身でかつて中井氏の薫陶を受けた。目前に迫っていた秋季地区予選への出場を考慮すれば、外部招聘の余地はなかった。SNSでは、「中井氏の子飼い」など厳しい意見が目立った。

同校によると、退任した中井氏の長男で、前部長の惇一氏(30)は指導にこそ携わっていないが、熱中症に対するケアなど部員の見守りには付き添っているという。
1月の暴力事案では、第三者委員会の設置が決まり、5年の事案でも別の第三者委による調査が進む。5年の事案で被害を訴える元部員は在校生で、同校は遅くとも年内には結論を得たい考えだ。

第三者委による調査結果を公表した段階で再びSNS上での非難や中傷が激化する恐れもある。進捗次第では、推薦入試の時期とも重なる。学校関係者は「志願者が定員を下回る事態も想定しないといけない」と悲壮感を漂わせる。今回、SNSでは、客観的な事実が明らかになる前に加害者として部員の実名や顔写真がさらされた。半永久的に残るデジタルタトゥーだが、同校は「個人間の問題」とし、学校としての対応は難しい面があるとの認識という。
2025/09/11(木) 22時13分16秒 No.2009 編集 削除
📝第79回国民スポーツ大会(滋賀)高校野球競技 組み合わせ抽選結果
https://www.jhbf.or.jp/topics/images/shiga_tournament_koushiki.pdf

💢〈広陵・暴力問題〉コーチが正座をさせて謹慎3か月…終わらないトラブル、被害者親族は「謝罪してほしい」学校は前監督の今後について「貢献した方ですが…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/b3ad31f09b1f038508c9470925d4891bddad5564?page=1

暴力事案をめぐり、今夏の甲子園を大会途中に出場辞退した広陵高校。前代未聞の事態の引き金となったのは野球部内での複数の暴力事案がSNSで発信されたことだった。いまだ暴力事案をめぐる問題に関しては被害生徒らと関係者の証言が食い違うなどしており、解決の糸口を見いだせない状況が続いている。そんな中、9月4日には広陵高校の野球部のコーチが日本学生野球協会から不適切指導を行なったなどとして3か月の謹慎処分を言い渡されていたことが一部メディアで報じられた。甲子園出場辞退から約1か月、改めて広陵高校の野球部をめぐる問題を取材した。

ネット上では厳しすぎるのではないかという声も…

今年の4月、当時52歳だった野球部のコーチが寮の清掃時間に廊下で騒いでいた2年生の部員を指導した。その際、およそ1分間、廊下に正座させたことが不適切指導だったとされ、日本学生野球協会から3か月、広陵高校からは6か月の謹慎処分を言い渡されている。

不適切指導が発覚した経緯について広陵高校の支部長が説明する。

「8月20日に野球部員の1、2年生に対して部員の中で暴力やイジメについてのアンケート調査を行いました。このアンケートでは3年生が2年生に対して行なった最初の暴力事案に関わっていたかどうか、それからこの件に関わらず暴力やイジメを受けたり加担したことはあるか、またはそうした事をされている部員を見たり聞いたことがあるかなどを調査しました。しかし、いずれも『ある』という回答はありませんでした。

その翌日に個人で何か気になることがあれば言ってほしいとヒアリングをしました。ヒアリングは野球部と関係のない教頭や学年主任が行いましたが、そこで『正座をさせて指導しているのを見ましたよ』という目撃証言が出ました」

その後、目撃証言を元に、コーチと正座をさせられた生徒から事情を聞いたという。

「廊下で大声を出して騒いでいた部員に対し、『ちょっと落ちつけ。ちょっとここに座れ』と言って正座をさせたという説明を受けております。例えばですが、立ったままの指導ですとか、場所を移動して食堂などでお互い椅子に座っての指導が適切だったのではないかと思います」

この指導によりコーチは謹慎処分となったわけだが、ネット上では、この処分が厳しすぎるのではないかという声も散見される。

これに対し、広陵高校の支部長は、「武道や茶道などでの礼節という意味での正座であれば礼儀の話だと思いますが、注意や指導をする上で正座をさせるというのは懲罰的な意味を含んでいるのではないかと。それで今回は不適切な指導だと学校としては捉えたということです。処分としては謹慎6か月です。

謹慎というのは野球部の指導ができないという事であり、学校の職員としては普通に勤務してもらうので給与が支払われないということはないです。甲子園を辞退したのが暴力事案がきっかけになっております。これから学校ないしは野球部や寮内のルールを変えていこうという取り組みを行なっていくわけですが、やはり大きいのは暴力の根絶だと思っておりまして、その中でこういった事案が発覚したので学校の姿勢としても厳しい処分にするべきだ、となったわけです」と回答した。

「前代未聞の甲子園の途中辞退を招いた方」

これまで野球部内で行なってきたアンケートやヒアリングで、暴力やイジメに関して出てきた“新しい事実”はこのコーチの一件のみだという。今年1月に起きた、寮で禁止されているカップラーメンを食べた1年生を複数の2年生が殴るなどした暴力事案や、2023年に寮内で元部員が複数の部員から下半身を触られたり、中井哲之監督らコーチ陣からの暴言や暴力を受けたという事案について学校としてはどのように考えているか改めて尋ねた。

「今年1月の暴力事案については報道されている通り、内容について相違があるというのが学校としての見解です。今現在は第三者委員会を設置するところで今後調査をしてもらいます。

2023年の暴力事案については、被害生徒の聞き取り時にはどこで誰に何をされたかということについては言っていたのですが、記憶にあやふやな部分があり、人物や場所や時間を特定できる証言ではありませんでした。名前があがった監督、コーチ、生徒にも聞き取りはしましたが、否定したという形でした。なので学校としては暴力事案があったという事実が認定できなかったという状況です」(広陵高校の支部長)中井前監督の進退については、どのような状況なのだろうか。

「2023年の暴力事案については中井前監督の名前もあがっております。学校としては事実として認定できなかったとはいえ、現在第三者委員会で調査してもらっておりますのでそのあたりの結論が出た時点で再度考えるということになろうかと思います」(同前)

とはいえ、今年1月の暴力事案は中井前監督の時に起きたもので、監督責任を問われてもおかしくない。そのことについても支部長に尋ねた。

「暴力事件が起こった時の監督であり、息子(中井部長)さんも含めてこういう事態を招いた責任もあろうということで指導から外れていただいております。ただ、30年以上、ここまで広陵を強くして有名にし、学校に貢献した方というのもあります。
一方で前代未聞の甲子園の途中辞退を招いた方でもあり、難しい問題ではあります……。ですから今の時点では、第三者委員会の結果を踏まえてからのことですし、未定としか言えない状況です」(同前)

暴力事案について学校側としては、被害者たちの証言は事実と異なるというこれまでの姿勢のままのようだ。

「謝罪をしてほしいのと、行なった行為に対して償いをしてほしい」
だが、平行線のままでは被害者や被害者の親族の苦しみは決して終わらない。集英社オンラインでは♯4で2023年の暴力事案について報じた。ここで登場する元野球部員のAさんはSNSに「広陵高校の硬式野球部で在籍時に性被害に遭いました。〈中略〉寮の風呂では水の中にしずめられたり熱湯や冷水をかけられたりする殺人行為にも遭いました」と投稿しており(投稿は保護者が代理で行った)、当時の野球部内での“イジメ”を今も訴え続けている。Aさんの母親があらためて胸中を語った。

「詳しい内容については話せませんが、8月末に2度目の第三者委員会が開かれました。ウチの子どもは第三者委員会のメンバーの方たちにも不信感をいだいており『話したくない』と言い出しました。話をしても信じてもらえないと感じたようです。性的なことも話したくないのか、お風呂場で熱湯をかけられたという話はしましたが、その他については時間的にも話ができず、あまり進んでいません」

Aさんの母親によれば、8月30日にAさんは長期のストレスからか『自分が苦しんでるのにのうのうと始業式をやるなんて許せない。学校の始業式を阻止する』などとおかしな言動をしており、心身ともに不調だという。さらにAさんの母親はこう訴えた。

「いくら第三者委員会を開こうが、何をしようが最終的に加害者側が認めない限りは事態は進展しないですから。(加害者側に行なっている)アンケートについてどういう形式の物なのかも一切聞いておりませんし、本当のことを答えるかもわかりません。子どもの望みとしては、謝罪をしてほしいのと、行なった行為に対して償いをしてほしい、そのように思っているとのことです」

第三者委員会は12月をめどに検証を終える予定とのことだったが、場合によってはもう少し時間がかかるかもしれない。

📝「親父は相当怖かったですよ」甲子園4回優勝、奇跡の公立校…箕島高校の名将・尾藤公とは何者だったのか? 息子が証言「態度が悪い選手シバいてた」
https://news.yahoo.co.jp/articles/f8b54fd8656fbfd798ba90ffb9e950e0139f87b4

和歌山県立箕島高校からほど近いカフェレストランで、野球部前監督の尾藤強は慣れた調子で質問に答えていった。ときおり義務的にアイスコーヒーを口に含みながら、つとめて淡々と、あるいは飄々と。父は箕島の全盛期を築き上げた名将・尾藤公。息子の強は1980年代中盤の箕島でエースを任され、2013年から19年まで同校監督を務めた。就任1年目には、29年ぶりの夏の甲子園出場へと導いている。箕島の親子鷹として注目を集めた高校時代から監督時代まで、取材は飽きるほど受けてきた。そんな印象を与える振る舞いだった。

「親父も笑いながらしばいてた」

「入学したときから新聞社がいっせいに来ましたからね。それが面白くない先輩もおるし。どこの取材やねん、とかよく聞かれました。自分が高校のときの親父との関係は100%、選手と監督。親父という感覚は1ミリもない。親父も付き合いで家にいないですし、顔合わすこと自体ほとんどなかった。入学しても、『あ、尾藤監督や』って。それだけでしたね」

どこまで聞いていいのかと距離を測りかねているこちらの緊張をほぐすかのように、尾藤強はうっすらと笑みを浮かべていた。父が甲子園のベンチで見せた「尾藤スマイル」とは違う、かすかに諦念を帯びた笑顔。選手目線で見る監督・尾藤公は、スマイルの印象とは裏腹に「怖かったですよ」と明かす。

「怖さは相当、相当やね。エラーに怒るとかやなくて、選手の姿勢とか態度とかね。サインに対して『バントですかぁ』みたいな顔したら死ぬ目にあってたね。そういうのには厳しかった。ただ、大抵は親父の前にいって一発しばかれたら終わり。選手はそれで切り替えるし、親父も笑いながらしばいてた」

「智弁だけはやめてくれ!」
 
漁師町の荒くれ者たちの息子や、みかん農家の息子、建設業の息子。尾藤公はさまざまな環境で生まれ育った気性の激しい生徒たちの力を引き出し、かけ合わせ、地方のいち公立校にすぎなかった箕島を全国屈指の強豪校へと育て上げた。当時の強豪野球部の多くがそうだったように、間違いなく暴力は存在した。一方で、試合中、練習中の水分補給や栄養補給を1970年代にいち早く取り入れる先見の明があった。その集大成が1979年の春夏連覇だった。当時10歳だった強が振り返る。

「あのころが全盛期でしょうね。強いのが当たり前みたいなところがあったんで。当時はそもそも和歌山の全体的なレベルが高かった。箕島もちょくちょく予選で負けていたから。監督になって思いましたけど、どこもいまとは気概が違う。いまはもう智弁和歌山を見上げてしまっているでしょ。そら勝たれへん」

智弁和歌山。80年代後半から和歌山の覇者となった同校は、箕島の歴史を語るうえで避けて通れない存在だ。「1987年。僕の現役のときの最後の夏が、智弁の初めての甲子園やったんですよ」。いつしか背中が見えなくなったライバルは、強の目にどう映っていたのか。

「そのころの箕島は県内で一番人気。もう飛び抜けてた。有田市でも特に海のほうの漁師町は昔からガチガチに箕島高校応援で、漁を休んででも甲子園に来るくらい。そこらへんの子が智弁に行くとなったら、『表歩けへんから、智弁だけはやめてくれ! 』って言うてたくらいですよ。ただ、高嶋(仁)さんのスカウトがすごかった。公立校の箕島が勉強に力を入れようかというときに、智弁は野球だけで勉強がダメな子も取りはじめた。その間に逆転していったんです」

甲子園効果で毎年30人ほどが入部したが…
 
地元で建設業に就いた強は、母校が智弁和歌山に追い抜かれ、引き離される様子を外側から見ていた。2013年、OBたちに背中を押されるかたちで箕島の監督に就任し、内側の現実を知る。

「智弁和歌山や市立和歌山に行きたい選手が、うちに向いてくれるかなと。実際はそうじゃなかった。指導者未経験だったので、そこが考えの甘いところというか……。(箕島が)甲子園に出ようが、智弁に行きたいって選手、親の気持ちは変えられない。20年くらい野球から離れている間に、そこまで強いもんになってるんやなと愕然としました。チーム力どうこうより、智弁ブランドの強さに驚きましたね」

それでも、甲子園出場後の3年間は毎年30人ほどが入部した。志望者全員が入学できたわけではなく「断って、断って」の数字だったという。少なくとも10年前まで、箕島の野球部は県内で人気だったのだ。2014年には秋季和歌山大会で優勝し、近畿大会でベスト8に入る。センバツ出場は逃したものの、和歌山勢ではトップの成績だった。さらに2016年の夏は県大会決勝に進出。市立和歌山に0対2とリードされた9回表、ノーアウト一・二塁のチャンスで一塁線を抜いた打球が審判に跳ね返ってアウトになる不運もあり、甲子園出場を逃した。

「OBに死ぬほど怒られました」
 
父の公や現監督の北畑清誠とは異なり、強はあまり怒らない監督だった。箕島の輝かしい歴史を伝え、選手に名門であることを意識させることもしなかった。「僕と北畑の間くらいでちょうどええのにな、とOBには言われてるみたいですね」と強は笑った。

「僕が高校生のとき、春夏連覇からたかだか7年くらいしか経ってなくても『いつまで言うとんねん』と思いましたから。生まれてもいない子たちが四十何年前の星稜戦とか、伝統とか歴史とか言われても、実感わかないでしょ。知らんがなと。頭ごなしにうちは伝統校や、自覚あんのか、って言っても届きませんよ。別になんのために野球やってもええと思います。健康のためでも、親に言われたからでも」

そしてなかば呆れたような口調で、辛辣な言葉を繰り出した。

「OB含めて関係者が『公立で春夏連覇してるのはうちだけや』とものすごく言うんですよ。『公立で』って言うてる時点で言い訳してるのと一緒やんか。智弁にコールドで負けました、公立やからね、って恥ずかしくないですか? 公立やったら5点もらえんのかと。人に言われるのはええけど、自分らで言うたらあかんやろ。一度、うちなんて70年代にぱっと出てきて、ぱっと散った“なんちゃって伝統校”やん、と言ったら『輝け甲子園の星』に載った。なんちゅうこと言うてんねん、とOBに死ぬほど怒られました。いやいや、実際そうやんけ、と」

単なる皮肉や韜晦ではなかった。尾藤強は「本当のこと」を話そうとしている。手のひらがじんわりと汗ばむのを感じた。

              <続く>

📝阪神以外なら早大希望 ドラフト翌日に知ったパ4位指名「あぁ」も…説得に「仕方ない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/7b4bd80cce76f308bf3a601b947db3d760ccb9b8

羽田耕一氏は高3の夏、準々決勝で敗れて甲子園出場ならず

兵庫・三田学園で1年秋から遊撃レギュラーで4番打者だった羽田耕一氏は1971年のドラフト会議で近鉄から4位指名され、プロ入りした。近鉄との縁がスタートしたが、当初は意中球団の阪神以外なら、早稲田大進学を希望していたという。それが覆ったのは元三田学園監督で恩師の日下隆氏に「近鉄に行った方がいいぞ」とアドバイスされたから。「そう言われたら、行かな仕方ないでしょ」と振り返った。

羽田氏は1970年の三田学園2年春に選抜出場し、準々決勝で鳴門(徳島)に敗れた。結局、甲子園はその1回だけ。2年秋の近畿大会準優勝で1971年春の選抜出場を確実にしていたが、在校生の暴力事件で選抜推薦を辞退し、3年夏は兵庫大会準々決勝で津名に0-2で負けた。「あの時は(エースの)甲斐(富士男投手)が体調不良で駄目だったんです。何かガリガリに痩せてね。だから、あの夏は僕も何試合か投げたんですよ」。

尼崎市立若草中ではエース右腕だった羽田氏は三田学園入学前のブルペン投球で当時の日下監督に「ピッチャーはもうええ」と野手転向を指令されたが、3年夏の時には監督が代わっていたこともあり、再び投手も兼務していたそうだ。「僕らのライバルは報徳(学園)だったんです。当時、三田学園と報徳が試合すると、お客さんも多かったんですよ。(3年)夏も下馬評ではウチと報徳で決勝という感じだったんですけどねぇ」。

エースが不調でも準々決勝で敗退するとは思っていなかったそうだ。「津名のピッチャーのコントロールがよかったんですよねぇ。ちょっとなめていた? それはあるかもしれません。僕ももうバテバテだったですしね。結局、あの年は報徳が甲子園に出たんですよね」。こうして高校野球は終わった。羽田氏はすでに上のレベルで野球を続けることを決めていたが、進路をプロ1本に絞っていたわけではなかった。

「プロは球団次第でした」。意中の球団は少年時代からファンだった地元の阪神だけ。それ以外なら早稲田大進学を希望していた。「三田学園からは法政に行く人が多かったんですけど、1級上の報徳学園(出身)の人が早稲田にいて『来いやぁ』って言われて……。完全に決まりではなかったですけど、セレクションとかも行って、早稲田の帽子ももらってね。気持ちは早稲田に行きかけていた」。

当然、プロスカウトたちも羽田氏をマークしていたはずだが「どうだったのかは詳しくは知らなかったです」と話す。「広島のスカウトが来られていたのは分かりましたね。ボールを持ってきてくれたんでね。(ボールを)見たらカープってあったので……。近鉄も最後の方に来られていたのかなぁ」。肝心の阪神については「全く分からなかったです」。それでも密かにタイガースからの指名を心待ちにしていた。

近鉄から4位指名、恩師から勧められたことが入団の決め手に

「(元三田学園監督で恩師の)日下さんにいろいろ相談していたんです。日下さんは元近鉄(パールス外野手)ですけど、阪神の人のこともよく知っておられた。何か、そういうつながりもいろいろあってね。阪神かなぁって思っていたんですけどね」。1971年のドラフト会議は11月19日に東京日比谷日生会館で開催されたが「どこに指名されるかなっていうのは少しありましたが、今みたいに学校の部屋で待機とか全くないですからね。普通に学校に行っていました」と話す。

もちろん”阪神から指名されればいいな“の気持ちで、その日を迎えた。「もう野球部を退部して寮も出て、(尼崎市内の)家から学校に通っていたんですが、確か(ドラフトの)結果を知らないまま家に帰ったと思う。その日のうちだったか、翌日だったか(近鉄スカウトから)電話があった。電話に僕は出ずに親父が対応していたんですけどね」。そこで初めて近鉄4位指名を知ったそうだ。「ああ、近鉄かぁって、ただそれだけの感想でした」。

指名順位に全くこだわりはなかったが、阪神以外なら早稲田大進学の方針。「あの時はもう半分以上、大学に傾いていました」。そんな状態からの“大逆転”での近鉄入りだった。「近鉄のスカウトとの交渉は日下さんがほとんどやってくれたんですけど『近鉄は年がいっている選手が多いから、チャンスがある。近鉄はいいぞ』って。日下さんにそう言われたら行かな仕方ないでしょ」。恩師に勧められたのが決め手となって、一転して首をタテに振ったのだ。

そこから話は急ピッチで進んだ。「まぁ、夢はプロやったわけですからね」と阪神への思いも、早稲田大への思いもすべて断ち切って、気持ちを切り替えた。「(近鉄と)契約したのもけっこう早かったと思いますよ」。とはいえ、もしも元近鉄の恩師との出会いがなければ、この時「近鉄・羽田」は誕生していなかったかもしれない。“バファローズ愛”にあふれるレジェンド内野手の野球人生は違ったものだったかもしれない。まさに運命が変わったドラフトでもあったようだ。

⚾岩手さんへ
まず、広陵問題ですが・・・なぜ訴えられるはずの暴力事件の加害生徒が告訴するのか???理解に苦しみます。これがいわゆる“逆ギレ”というやつでしょうか。
アメリカだとそういうケースも多々あるらしいですが、下級生をいじめる行為も犯罪に等しいですが、そのうえ告訴とは・・・余計に広陵高校及び野球部に傷がつくと思います、、、

さて、盛岡大付はここ数日ネット記事でよく取り上げられているので分かりました。ホンマに澤田監督がいた頃のチームは甲子園7戦全敗で可哀そうな気も半分ありつつ、近畿勢と当たってくれないか!という気持ちも半分でした。
ただ、安田学園がサヨナラ負けして潮目が大きく変わりましたね!あの当時の安田は安部慎之介の母校で、東京代表だし監督は社会人野球で名を馳せたらしいので、ネット裏で8連敗を期待しつつ・・・やたらバントにこだわり、走者がいなくともセーフティーをかまし、ファールやアウトの積み重ねでメイデンの劣化版みたいでしたね!挙句の果てに3-4だったか?サヨナラ負けで、あれ以来盛岡大付は甲子園初戦連勝が続き、東海大相模にも勝ちましたね!

花巻東はここで何度も述べた通り、累積警告が積もりまくっているので・・・ただ、案外負けるときは大阪桐蔭に0-17だったか?完敗したし、今春も米子松蔭に10-2と圧倒して8強入りするも健大高崎相手にエース温存して1-9で惨敗。昨夏は滋賀学園に0-5とおとなしかったですね。。。監督の息子さんの時も仙台育英に4-10だったか?最後猛追するも序盤から圧倒されてました。

盛岡大付は生活学園という校名で、かっこいいネーミングでしたが初出場時のエースが徳島出身だったはずでずいぶん力を入れたんですね。そして学校の名前を売り出して進学校路線経営の安定を図る狙い通りの戦略ですね。

野球留学に関してはアカンとまでは思わないが、なんでもかんでも遠方から乱獲するのはどうかと・・・。関東のチームが北海道から沖縄まで手を出すのはいい気がしませんね。そんなもん勝って当たり前やんと。広陵だって昨夏のエース・高尾は福岡から来ていたし、、、あんまりやりすぎたら甲子園に来ても自軍のアルプス以外は完全アウエーになりますよ!!
どことは言いませんが、乱獲して評判の高い割には初戦か2戦目でコロっと負けて早い段階でクニに帰ってマスコミの評価にケチがつくだけで・・・・・。
そういうチームに勝ったチームは思いっきり株が上がるので、早い段階で対戦しても闘志むき出しでぶつかり、下馬評を覆して関西人の溜飲を下げる試合が何度かありましたね。

昨夏の大社旋風のように、全くのノーマークから甲子園8強入りしてフィーバーするチームを大会前から発掘するのがマスコミの仕事だとは思いますが、、、1勝どまりの大阪桐蔭に特Aつける新聞雑誌は数あれど、大社に特AどころかAもなかったはずで、たいがいCときどきB評価だったはず。
2025/09/10(水) 22時11分33秒 No.2008 編集 削除
 盛大附の新キャプテンも分かっているとはね。
 いつも花巻東を応援していただきありがとうございます。
 花巻東の前身が花巻商なんですが、学校創設・野球部創設には、浪速商業学校創設者が大変人力されたようで、いつも花巻東に大変ありがたいお言葉を頂戴しすが、やはり関西の文化が感じられるんでしょうね。

 盛大附は私の高校時代は、いわゆる女子校みたいな学校ですので、宮古水産や気仙沼水産を知らないのと一緒で、いつの間にか校名変更後に野球部を中心に運動部強化に学校運営していった感じで、数年前からは、国公立・有名私大等にも進学しているみたいね。
 たしかに甲子園に通っている時は両校は見ましたが、こちらにいれば、通学は出来ませんので、野球なりサッカーなどの推薦でもない限り進学先じゃないないしね。
 花巻東野球部は、今の2年生までは、監督の大学時代の先輩後輩の繋がりの県外生徒が数人程度いましたが、今の1年から県外生を受け入れにカジを切り替えたと。
 外圧ですね。県内の生徒が行けないのよ。
 育英、健大高崎も有力選手が進学先に。桐蔭、東海から流れるように。
2025/09/10(水) 22時01分43秒 No.2007 編集 削除
日刊スポーツに、広陵の暴力事件の加害生徒が告訴えと1面に。
SNSに、名前や顔写真が投稿され、名誉毀損で告訴を決断に。
泥沼化か。
2025/09/10(水) 5時37分01秒 No.2006 編集 削除
💢広陵野球部暴力事件の真相 「じゃあ何て言うんじゃ」中井哲之監督の陰湿な“隠蔽強要”を暴く
https://news.yahoo.co.jp/articles/08b4b00da04fad66215b68ee519e3c742225b065

〈A君は複数の先輩部員から殴る蹴るの暴行を受けた。1月22日には2年生の先輩部員から呼び出されて、こんな言葉を投げかけられている。

「本当に反省しているのか? 反省しているなら便器舐めろ。◯◯(部員名)のちんこ舐めろ」

さらに正座を強要されたA君は腹部を殴られる。腕でかばおうとすると、先輩に「正座の時の手はどこにするんや? 後ろやろ?」と言われ、少なくとも4名の先輩から腹を殴られ続けた〉

春夏合わせて甲子園出場53回を誇る広島の強豪・広陵高校野球部で、今年1月に当時1年生だったA君は、複数の先輩部員から暴行を受けた。原因は、寮で禁止されているカップラーメンをA君が食べたからだった。A君の父親から相談を受けていたノンフィクションライターの柳川悠二氏は、「 文藝春秋 」10月号(9月10日発売)に 寄稿したレポート で、暴力事件の一部始終を上記のとおり詳述している。さらに、A君に対する中井哲之監督(当時)の指導者としてあるまじき言動についても詳らかにしている。

大会史上初の不祥事による出場途中での辞退
 
この暴力事件によって広陵高校は、出場していた第107回全国高校野球選手権大会を2回戦を前にして出場辞退を決めた。不祥事によって出場途中で辞退するのは大会史上初だ。そして、中井監督と、その長男である野球部部長の中井惇一氏が更迭された。
中井監督は同高校の理事にして副校長。そして、甲子園では春優勝2回、夏準優勝2回の実績がある。さらに、これまで約30人のプロ野球選手を育て、“名将”とも呼ばれる存在だったが、A君への暴行事件の対応では、にわかには信じがたい“ウラの顔”を露わにしていた。

実家に避難するも連れ戻され…浴びせられた高圧的な言葉
 
集団での暴力に耐えられなかったA君は寮を脱走し、両親のいる実家に避難した。連れ戻しに来た部長の惇一氏から再発防止策を取ると説得され、寮に戻ることにしたのだが――。

〈中井監督から高圧的な言葉を浴びせられたというのだ。

 監督 「高野連に報告した方がいいと思うか?」

 A君 「はい」

 監督 「2年生の対外試合がなくなってもいいんか?」

 A君 「ダメだと思います」

 監督 「じゃあどうするんや」

 A君 「出さない方がいいと思います」

 監督 「他人事みたいに……じゃあ何て言うんじゃ。『出されては困ります』やろ」

 A君 「はい」〉

この中井監督とA君のやりとりについて、広陵高校は「このとおりのやりとりがあったとは判断しておりません」と回答するが、この会話は惇一部長がA君の両親に渡した回答書に記されている。中井監督の非情な対応はこれだけに留まらない。A君が寮に戻った1月27日、中井監督から最もショッキングな言葉を投げかけられたというのだ――。

その詳細は柳川氏のレポート「 広陵高校野球部『堕ちた監督』 」で詳述されている(9月10日発売の『文藝春秋』10月号、および9月9日先行公開の「 文藝春秋PLUS 」に掲載)。同レポートでは、他の元部員も暴力事件を告発している。そしてA君と同様に、中井監督は暴力事件の隠蔽を強要するかのような発言をしていたのだ。

📝甲子園で判定ミス謝罪、審判が講演「人としてどうするべきか考えた」
https://news.yahoo.co.jp/articles/c0e0b15d4753baa752c1900de0cb2cbee97d78ea

日本高野連で審判規則委員長を務める尾崎泰輔さん(59)が5日、佐賀市内で「問い直される高校野球の存在意義」と題して講演した。

佐賀県高校野球連盟が開いた「指導者・審判委員合同研修会」の一環で、県内の監督や審判委員ら約90人が聴講した。
30年以上のアマチュア審判の経験がある尾崎さん。自身の経験を語る中で、2022年春の選抜高校野球大会の試合中、場内マイクで謝罪した出来事について触れた。
問題の場面は無死一塁、打者が送りバントをした時に起きた。ファウルゾーンに出るか出ないかの微妙な打球が、不規則なバウンドの末にフェア側で止まった。

球審だった尾崎さんは「フェア」と判定。ボールは一塁へ送球され打者はアウト。一塁走者も一、二塁間に挟まれアウトになった。しかし、一塁走者が「二塁塁審がファウルのジェスチャーをしていた」と訴え、審判団が協議。二塁塁審が誤ったジェスチャーで走者を止めたことが確認できたという。

尾崎さんは判定ミスと認め、場内マイクで「私たちの間違いでした。止めた走者への守備行為はなかったので二塁へ進めて、1死二塁で再開します。大変申し訳ありません」と判定の変更を説明し、謝罪した。

異例のアナウンスはSNSなどで称賛された一方で、関係者からは「規則に基づいて戻したなら、それでいいはず。なぜ謝った」や「走者は二塁に進めず、一塁でよかった」などの非難もあったという。

尾崎さんは当時を振り返り、「自分はたたかれてもいいが、あの場面で高校生に対して、人としてどうするべきかを考えた」と話した。
続けて、指導者には野球を教えるだけではなく、学生が高校野球から何を学ぶかまで意識して指導してもらえればと訴えた。

最後に、運営する連盟とチーム、審判が互いを尊敬して三位一体となり、少子化や酷暑など激変する環境に的確に対応してもらいたいと結んだ。

📝「ちゃんと答えろよ! 箕島高校やぞ」“甲子園から消えた”名門公立校、現野球部員がポツリ「甲子園は遠い夢です…」「ウチは今、和歌山で“中の下”レベル」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e3c183d92b135f98fd9417e0ea1b7759008de231?page=3

「甲子園は、遠い夢だな…」

「ちゃんと答えろよ! 箕島高校やぞ」

野球部監督の北畑清誠に活を入れられて、3年生で主将の野村常登が「はい!」と返事をする。やや小柄で、優しそうな顔をしていた。夏の大会前に東京からやってきた取材者を不審がるでも迷惑がるでもなく、“ちゃんと”質問に答えてくれた。

 当然ながら、現役の高校生に箕島が甲子園春夏連覇を果たした1979年の記憶はない。ただ、言葉の端々から名門の歴史を継承しなければならない、という意志は感じられた。

「最初に『箕島やぞ』って言われたときはピンとこなかったんですけど、やっていくうちに強かったんだって意識は持つようになりました。勝たなきゃいけないプレッシャーもあります。でも、現実は秋、春と初戦で負けてしまって……。強かった箕島とは違って、目の前の1試合を勝つだけで必死です」

どれだけ低迷していても、高校球児であるかぎり甲子園を夢見る自由は許されている。残酷かもしれないと思いながら「甲子園に行けると思ったことは?」と問いかけると、野村はどこか寂しそうに答えた。

「思ったことはあるんですけど、現実は甘くなかったです。まだ遠い夢だなと感じます」

監督の北畑によると、かつての野球部のような厳格な上下関係はなく、上級生と下級生の仲も良好だという。困り顔で「後輩にイジられることもありますね。楽しくやってます」と話す野村の雰囲気を見て、それは本当だろうなと直観した。北畑は「3年生が頼りないんですよ」と苦笑していたが、穏やかでいいキャプテンだと素直に思えた。

「監督、いっつも怒ってるんですよ」
 
続けざまに、2年生の西川篤人にも話を聞いた。凛々しい眉が印象的な細身のキャッチャーだ。父は箕島高校OB。「俺らで箕島を強くしようや」という思いが合致した和歌山有田ボーイズの同級生6人と一緒に入学した。

「お父さんがいたから、っていうのもちょっとあると思います。それに単純に野球に打ち込めるとも思ったんで。難しいのはわかってますけど、中学のときはあんまり勝てなかったから、高校でやり返したろうって」

監督の厳しさについて質問したところ、笑みを浮かべながらこう語った。

「監督、いっつもだいたい怒ってるんですよ。でも、たまに笑顔を見せるんです。あの人、笑うんや……って。でも厳しくてよかったと思いますね。厳しいほうがやりがいも感じるので、僕には合っていたと思います」

伝統のラントレをはじめ、練習は想像以上にハードだった。名門復活の道は険しく、勝てない悔しさを何度も味わった。それでも西川は、こちらの目を見つめて「中学のときよりも楽しいです。箕島に入ってよかった」と言い切った。初対面の大人に、どこまで本音を明かしているのかはわからない。ごく個人的には、厳しさを是とする指導に疑問を抱かないわけではない。どんな集団であっても、厳しさが閾値を超えたとき、暴力や暴言が正当化される可能性があるからだ。だが、当事者の「楽しい」という言葉に、無粋な疑いを差し挟む余地はないのだろう。

「報徳ではなく…あえて箕島を選んだ」
 
さらに西川とバッテリーを組む2年生エースの澤甚太郎も取材に応じてくれた。西川と同じ思いを抱いて和歌山有田ボーイズから箕島の野球部に進んだ6人のうちのひとりだ。父と3歳上の兄は箕島の野球部OB。そして2歳上の兄・剣太郎は耐久のショートとして2024年のセンバツに出場した。名将・尾藤公の薫陶を受けた父は、息子にこう言った。

「俺が箕島やからって、箕島に行ってほしいとかはない。行きたいところに行ったらいい」

兵庫県の報徳学園高校も選択肢に入っていた澤だが、ボーイズの仲間たちの存在もあって箕島への進学を決めた。

「私学で当たり前に甲子園に行くより、みんなで力を合わせて強いところを倒して甲子園に行くほうが、高校野球、面白いんじゃないかって。それが一番ですね」

入学後、特に強烈だった記憶は冬練習での徹底した走り込みだという。澤は「ほんま、死にそうやったですね」と笑う。身長168cmと大柄ではない澤だが、打線では中軸を担い、最高球速は135km。猛練習の甲斐あって入学時から7kmアップした。現在は145km到達を目標に掲げている。父や兄も背負った名門・箕島の看板は、澤にとってどんな意味を持つのだろうか。

「この前、岐阜に遠征したときに、遠征先の学校の保護者の方に『ユニフォーム、すごいかっこええなあ』って言ってもらったんですよ。県外に出ても知られてる。周りから見たらそうなんや、って。このユニフォームをもう1回甲子園に持っていって、全国の人に見てもらいたいなって思います。お父さんも尾藤監督にお世話になったので」

「和歌山で“中の下”くらい」
 
甲子園出場を目標に掲げる彼らにとって、高い壁となるのが智弁和歌山だ。2025年の春季大会では初戦で対戦し、0対6の完封負けを喫した。だが、「5回コールドで終わることも覚悟していた」という監督の北畑にとっては手応えを感じる善戦だった。部員たちも「あの試合は楽しかったです」と口を揃える。澤は智弁和歌山についてこう話した。

「いまは智弁の時代になってるかもしれませんけど、名前負けしてたら話にならないんで。同じ高校生ですし、100%負けるってことはない。ひとりでも『勝てんやろ』って思ってたら絶対勝てないんで。春の大会は、全員が勝とうと思って臨んだ試合だと思います。そういう試合、もっとやりたいですね」

話を聞いた部員たちは、和歌山県内での箕島野球部の立ち位置について「中の下くらい」あるいは「真ん中より下」と分析した。一方で、北畑は「夏の県大会に出場する35チーム中、上位10チームには入っていると思う」と話していた。戦力の認識にはややギャップがあるものの、部として掲げた夏の県大会の目標はベスト4。それだけの“しんどい練習”を課している自負が北畑にはある。

「いまの高校野球は私学が主流。もちろんそれはわかってます。全国から能力のええ子を集めてね。ただ、それでも何があるかわからないのが高校野球だと思うんですよ。大学まで行ったら正直、能力の差はある。でも高校レベルなら、根性ヒット、高校野球ヒットみたいなのが生まれるじゃないですか。いまの子はワンチャン言いますけど、努力すればワンチャンあると思ってほしい。500回振る子と1000回振る子なら、1000回振るほうが勝ってほしいんですよ」

「コンプレックスを持つ子たち」
 
人手の少ない箕島でコーチの役割も担う野球部部長の中尾慎太郎は、「練習の濃さは和歌山ナンバーワンじゃないですか。どこにも負けないと思います」と胸を張った。

「たしかに入ってくる子は少ないですけど、『きついからやめる』って子はいないですね。それくらい情熱がある子が集まってる。監督にも愛情がある。たぶん、何かひとつコンプレックスを持って箕島に来た子も多いと思うんですよ。勉強できないとか、野球でもエリートじゃないとか。そのぶん本当にみんな一生懸命なんです。高校野球の魅力って、結局そこじゃないですか。だから、どの子もかわいいですよね」

取材を行った監督室には「KIYOSEI」の文字があしらわれたスリッパがあった。「誕生日が七夕でして。部員がくれたんですよ」。自他ともに認める“昭和型の厳しい指導者”である北畑は、ことのほかうれしそうに笑った。

「背番号は7月7日に渡すんです。僕の誕生日。1年で一番いい日や、言うて」

かつて甲子園を席巻した野球名門校・箕島のいまを、苦境という言葉で表現することは容易い。あえて刺激的な言い回しを用いるなら、「野球部存続の危機に瀕している」ということになるのかもしれない。だが、そういった見立てとはまるで無関係のところに、逆境のなかで野球を楽しもうとする部員たちの実際がたしかに存在していた。多くの強豪校のように厳しい上下関係に縛られ、ごく一部の選手しか試合に出場できない野球部と、決して強豪ではないもののほぼ全員がベンチに入り、プレーのチャンスを持つことができる野球部。本人たちにとってどちらが幸福と言えるのだろうか。2年生エースの澤は「強い学校で当たり前に甲子園に行くのは、なんか違うと思って」と話した。その「なんか違う」は、突き詰めて考えれば、高校野球という文化そのものに投げかけられた違和感でもあった。

「いまの高校野球、面白いですか?」
 
箕島について書くうえで、もうひとり、絶対に話を聞かなければならない人物がいた。北畑の前任者にあたり、名将・尾藤公の息子でもある尾藤強前監督だ。2013年から19年まで箕島の監督を務め、就任1年目の夏に甲子園出場を果たしている。野球部を取材した翌日、箕島駅で尾藤と待ち合わせた。にこやかに挨拶を交わしたあと、尾藤の運転する車に招かれ、そのなかで取材の趣旨を簡単に説明する。甲子園が一大コンテンツとなったいま、顧みられなくなった名門校の現状を伝えたい――ハンドルを握りながら、うん、うん、と頷いた尾藤は、いきなり核心を突くような問いを口にした。

「いまの高校野球、面白いですか?」

               <続く>

⚾岩手さんへ
箕島は田舎のチームなんで・・・JRきのくに線は1時間に2本しか電車来ないし、寮もない公立だと少子化も絡んでしんどいでしょうね・・・。逆に南部龍神や日高中津といった分校は寮を作って野球部強化を図っているだろうから、全校生の大多数が野球部員なんでしょうね!
逆に和智弁の場合は一般生徒(小中高生)が阪和線乗ってわざわざ大阪から越境入学しておるので!!堺から和歌山に南下している電車に乗っていると、和智弁生が電車に乗り込んできますね。

水産系といえば・・・沖縄水産しか思い浮かばないですが、あそこもずいぶん苦労しているような記事を見ました。鳥取から帰ってきてから当掲示板で紹介したと。
気仙沼水産は全く知りませんでした。

最後に、盛岡大付は最近見てないですね・・・。山田くんがいた近江にエース温存で負けて以来ゴブサタのはず。今の監督になって甲子園初戦無敗が続いているかと思いますが、澤田監督がいた頃の盛岡大付は甲子園7戦全敗だったか???僕のダイスキなチームでしたね。花巻東の狡猾な野球よりも脳筋野球の方が見ていて楽しいですね。

柳葉クンが来夏の甲子園に出場することがあれば、熱闘甲子園のクルーが張り付いておるんでしょうね!!
2025/09/09(火) 22時06分03秒 No.2005 編集 削除