自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」
第6話 またもや3位校同士の初戦対決 投手戦ならぬ低反発バットの呪縛か???
10/21 秋季近畿大会3日目第2試合 ほっともっとフィールド神戸 大阪学院(大阪③)-北稜(京都③) 13:41~15:23
一二三四五六七八九十計HE
大 院 大000000010 1101 下條-樋爪
北 稜000000000 051 中村-西村
第一試合
天 理5
和歌山東1
大会3日目第2試合は三田学園ー市和歌山に続き3位校同士の対戦となった・・・。近畿は1位校同士が初戦で対戦しないように振り分けられなおかつ同府県の1・2位が決勝まで対戦しないように振り分けられるがあとはフリー抽選なんで確率はものすごく低いが4校ある3位校同士が対戦する可能性も無きにしも非ずだが、それが1大会2つも出てくるとは、、、、、
大阪学院は春の大阪を制して明石トーカロにおける春季近畿大会に登場したが、辻盛監督がノーサイン野球を掲げて試合前のノックもベンチ前で観てるだけで試合中もおとなしく須磨翔風・槙野投手に手も足も出ず1-3で初戦敗退だった。
夏の大阪でもおとなしく早々に敗退したが、新チーム結成がそれだけ早く3位で滑り込んで29年ぶりに近畿大会出場。95年秋は2勝して甲子園初出場センバツで横浜・米子東を下して8強入り。あの時の永井監督はもう退任して、胸に大阪学院と書かれたユニホームもローマ字のタテジマとなり全く別のチームのような印象を受ける。
尽誠学園で甲子園を沸かせた椎江監督が就任したものの香川のようにうまくいかず甲子園には縁がなかったが、大阪公立大の辻盛監督が就任して復活の兆しを見えているようだ。
新チームは2番~6番までが1年生と若いチームだが、それでも大阪3位に入っているし、履正社は岡田監督が東洋大姫路に異動し1位ながら滋賀短大付に足元を掬われたこともあり来年以降大阪の勢力図が変わりそう。運よく相手が京都3位の北稜だけにここで勝てばセンバツ出場が見えてくる。
北稜は多分1度も観戦したことがないと思うのだが、、、、、よほどくじ運が良かったのか?3位決定戦も山城が相手だったし今年は2年に1回京都3校近畿に出れる当たり年だったのでラッキーカードを引いたようだ。こちらも5~9番まで1年生5人がスタメンに名を連ねておりブラスバンドの応援も駆け付け甲子園初出場を虎視眈々と狙っている。
先発はどちらもなぜかしらエースではなく、大阪学院は背番号10の下條。北稜は背番号11の1年生サウスポー中村だった。
グラウンドにはたっぷりと水が撒かれネット裏は寂しいが両アルプスはブラスバンドの応援で賑やかな中、13時41分プレーボール。
1回表大阪学院は2死から3・4番が連打を放ちチャンスを作るも5番・一柳セカンドゴロで無得点。北稜はわずか6球で三者凡退と3位校対決はまたしても貧打戦の様相を呈していた。
2回北稜の守備陣が軽快な動きを見せ微妙な打球をスライディングキャッチの連続で三者凡退に打ち取ると、その裏1死から5番・内田がサードゴロ正面の打球を弾くエラーで出塁。
数少ないチャンスをものにすべく、中西監督の手腕を注目していたが、こちらもノーサイン野球なのか???1ボールからセンターフライ・初球ファーストゴロと無策で攻撃終了。
3回表大阪学院は1死から1番・朝田がライト前ヒット。ここからは選手の判断なのか?実は密かにベンチから誰かがサインを発信していたのかは定かではないが、2番・野田が1-1からエンドランを仕掛けセカンドフライ。すると2死1塁から初球盗塁成功と足を絡めた攻撃を見せ揺さぶってきたが、3番・鶴丸サードゴロで無得点。やはり大阪2強以外のチームはどうしようもなく貧打線というここ最近の傾向を感じさせる。。。
その裏、北稜は先頭打者が四球をもらうと定石通り9番・中村投手が送りバントを決めて1死2塁。あとは上位打線が奮起して先取点を奪って主導権を握りたいが、こちらも打線が機能せずキャッチャーゴロとサードゴロで無得点とお互いホームが遠かった・・・・・。
ボチボチ両チーム先取点を奪って主導権を握りたいところだが、学院は4番からの攻撃でアッサリ三者凡退。4回裏北稜は1死から4番・井口が右中間にポテンヒットを放ちチーム初安打。これが近畿大会で記念すべき初安打となったが、、、1塁に出て完全に浮かれていたのか???次打者のカウント2-1からのけん制でまさかのタッチアウト・・・・・。直後に5番・内田がチーム唯一のレフトへツーベースを放っただけにもったいないけん制死だった。。。下條投手は気持ちを切り替えて、外130Km直球で空振り三振を取りピンチ脱出。
5回表大阪学院は簡単に2死を献上するも下條投手がサード内野安打を放ち、1番・朝田もフルカウントからセンター前ヒットを放ち1・2塁のチャンスを迎え、辻盛監督は代打・硲口を起用。
しかし、中村投手がソローボールを織り交ぜタイミングをずらしてサードゴロでピンチ脱出。
守りからリズムをつかんでその裏先頭の7番・山田がストレートの四球で出塁すると中西監督は定石通りバントのサインを出し1球で決めて1死2塁。そしてエース・中村がライト前ヒットを放ち1・3塁。学院内野陣は中間守備ゆえにスクイズを仕掛けても面白いところだったが、中西監督は無策で選手に任せ1番・田川は2球で追い込まれ3球勝負の球をファールしたものの4球目まさかの4-6-3ダブルプレーでお互い決め手を欠き整備に入った。
それにしても3位同士の対戦は、、、、、市和歌山ー三田学園もこんな展開だったし、投手戦というよりも貧打線といった方がシックリくるような内容で三田学園もこの両チームと対戦していたらあるいは勝てたかも!?と思わせるような展開だった。
大阪学院は5安打放ちながら先頭打者の出塁は1度もなく、ランナーが出たところでノーサイン野球なんでただ来た球を打つことに終始しているのかもしれない。北稜も同じようなチームカラーなのか?監督のギャンブル采配は皆無だし打線に怖さを全く感じさせない。。。どちらが勝っても次の東洋大姫路線は苦戦必至だろうなと。
6回はお互い上位打線の攻撃だったが、大阪学院はクリーンアップ3連続フライアウトでまだ中村投手は6回で64球という超省エネピッチで完封ペース。その裏、北稜は1死から3番・山口がライト前ヒットを放ち、4番・井口1ボールからこの試合初めて仕掛けたエンドランで相手守備陣をかく乱させたかったが、ショートゴロで2死2塁。5番・内田もショートゴロで無得点。下條投手も6回71球とこちらも超省エネピッチで延長タイブレークに突入してもスタミナは全く問題なさそうだ!!
7回表学院はまたもや連続フライアウトでツーアウト。ここまで20個のアウトのうち14個がフライアウトと1年生サウスポー中村の術中にはまっているが、2死から8番・佐藤がセンター前ヒットで出塁。あるいはここで下條投手に代打を起用して勝負を賭けてみるのも一興だが、そのまま打たせて初球セカンドゴロ。。。
その裏、北稜は先頭の6番・奈須が8球粘って四球をもぎ取る。1点勝負なんで手堅く送って8・9番を打つバッテリーのバットに託すと思いきや、まさかの初球盗塁を仕掛け憤死・・・結果的に3人で攻撃終了しいよいよ今大会初の延長戦も視野に入りつつあった。
8回表1番・朝田がセンターへツーベースを放ち無死2塁。普通に考えれば2番・野田に送りバントで1死3塁として中軸に期待するのが定石だが、ノーサイン野球の大阪学院は初球から打ちに行き空振りとバントのそぶりすら見せず、フルカウントから内117kmの直球に手が出ず見逃しの三振で走者釘付け。3番・鶴丸が四球を選び1・2塁と攻め立て、4番・樋爪が初球レフト線に痛恨の打球を放つもファール、、、、、結局1-1からショートフライでツーアウトとホームが遠かったが、、、5番・一柳1ボールから無用の1塁けん制球が1塁走者のケツを直撃しファールグラウンドを白球が転々としている間に走者は2・3塁へ、、、しょーもないミスで傷口を広げ1-1から一柳にレフト前先制タイムリーヒットを浴び痛恨の失点。。。
さらに暴投~四球と中村投手が限界に近付きつつあるように感じたが、中西監督はあくまでもエース温存し1年生サウスポーに託して7番・曽和は1ボールからセカンドゴロで最少失点に抑え首の皮一枚つながった。
その裏北稜は9番からの攻撃だったが、中村投手に代打を送らず簡単に三者凡退でなんとなく市和歌山1-0三田学園と同じような展開になりつつあった。。。
もうコールドの可能性は完全に消滅したし、北稜が9回裏に1~2点取れる気持ちが全然わかないので大阪の意地で打線爆発をちと期待したら先頭の8番・佐藤が1-3からレフト前ヒット。下條投手は自分の判断なのか?セーフティーバントを駆使して1死2塁。1番・朝田が1・2塁間ゴロの打球を放ちファースト・井口がダイビングしてキャッチしたものの内野安打で1死1・3塁。ここで1番打者に代走・伊東を起用。トップバッターなので足は速いと思われるが思い出代走なんだろうか???2番・硲口が初球デッドボールで1死満塁。ようやく大量点が入るかと思われたが、3番・鶴丸初球打ちはサードゴロダブルプレー・・・・・。最後まで打線が燻ぶりまくって攻撃終了。相手が強ければ流れが大きく変わり逆転サヨナラ負けにつながりかねない拙攻だ!
9回裏意地を見せたい北稜は3番からの攻撃でいきなり初球1塁線に痛烈な打球を放つもファールで3番・山口2-0からサードゴロ。4番・井口がレフト前ヒットを放ち反撃のノロシを上げ、5番・内田初球3塁線の打球がファール・・・・。これで球運に見放されスライダーに三振。最後は6番・奈須初球を打ち上げてレフトフライで試合終了。
市和歌山ー三田学園よろしく3位校同士の初戦対決はまたもや1-0というスコアだったが、この試合の方がかなり低レベルの戦いの感は否めなかった。
地力に勝るであろう大阪学院はエース温存で5安打完封は立派かもしれないが、相手打線を考えるとあまり参考にならないのかもしれない。本当に真価が問われるのは次戦の東洋大姫路戦だろうか???
そして打線は10安打放ちながら思いっきり決め手を欠いてわずか1得点と桐蔭・履正社以外の大阪のチームらしい貧打線で、東洋の阪下投手相手だとヒット数も今日の半分以下になりかねず前途多難だが、翌週僕が島根に行っている間になんと大阪桐蔭が滋賀学園に惜敗し、近畿8強で大阪勢は3位の学院のみとなり97年連続大阪勢センバツ出場に向けて大きな風が吹いた!
結局4強には天理・東洋大姫路・市和歌山・智弁和歌山が残りなんと和歌山から2校も残り来春のセンバツ当確となった!特に市和歌山は三田学園の熊野投手から1点しか取れなかったが、立命館宇治相手にまさかの6回コールド10-0で一蹴!!逆の展開は最悪あり得るかもと覚悟していたんだが、、、、、
ただ近畿の場合は4強入りするとセンバツ当確なんで本気で神宮に乗り込む気概のあるチームは少ないのであえて控え選手を多用して勝敗度外視で試合を進めるチームも無きにしも非ずで準々決勝のようなガチンコ勝負はめったに見れないのが、、、、、
しかし2日間6試合観戦できなかったので残り3試合の近畿大会を楽しむべくHMF神戸に乗り込む・・・それはまた次回の講釈で。
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 死球 三振 暴投 失点 自責
大 院 大 下 條 9 26 110 5 2 3 0 6 0 0 0
北 稜 中 村 9 26 113 10 1 2 1 2 1 1 1
(完)
🌟次回予告🌟
11/3 秋季近畿大会6日目第1試合 ほっともっとフィールド神戸 天理(奈良①)-東洋大姫路(兵庫①)
10/21 秋季近畿大会3日目第2試合 ほっともっとフィールド神戸 大阪学院(大阪③)-北稜(京都③) 13:41~15:23
一二三四五六七八九十計HE
大 院 大000000010 1101 下條-樋爪
北 稜000000000 051 中村-西村
第一試合
天 理5
和歌山東1
大会3日目第2試合は三田学園ー市和歌山に続き3位校同士の対戦となった・・・。近畿は1位校同士が初戦で対戦しないように振り分けられなおかつ同府県の1・2位が決勝まで対戦しないように振り分けられるがあとはフリー抽選なんで確率はものすごく低いが4校ある3位校同士が対戦する可能性も無きにしも非ずだが、それが1大会2つも出てくるとは、、、、、
大阪学院は春の大阪を制して明石トーカロにおける春季近畿大会に登場したが、辻盛監督がノーサイン野球を掲げて試合前のノックもベンチ前で観てるだけで試合中もおとなしく須磨翔風・槙野投手に手も足も出ず1-3で初戦敗退だった。
夏の大阪でもおとなしく早々に敗退したが、新チーム結成がそれだけ早く3位で滑り込んで29年ぶりに近畿大会出場。95年秋は2勝して甲子園初出場センバツで横浜・米子東を下して8強入り。あの時の永井監督はもう退任して、胸に大阪学院と書かれたユニホームもローマ字のタテジマとなり全く別のチームのような印象を受ける。
尽誠学園で甲子園を沸かせた椎江監督が就任したものの香川のようにうまくいかず甲子園には縁がなかったが、大阪公立大の辻盛監督が就任して復活の兆しを見えているようだ。
新チームは2番~6番までが1年生と若いチームだが、それでも大阪3位に入っているし、履正社は岡田監督が東洋大姫路に異動し1位ながら滋賀短大付に足元を掬われたこともあり来年以降大阪の勢力図が変わりそう。運よく相手が京都3位の北稜だけにここで勝てばセンバツ出場が見えてくる。
北稜は多分1度も観戦したことがないと思うのだが、、、、、よほどくじ運が良かったのか?3位決定戦も山城が相手だったし今年は2年に1回京都3校近畿に出れる当たり年だったのでラッキーカードを引いたようだ。こちらも5~9番まで1年生5人がスタメンに名を連ねておりブラスバンドの応援も駆け付け甲子園初出場を虎視眈々と狙っている。
先発はどちらもなぜかしらエースではなく、大阪学院は背番号10の下條。北稜は背番号11の1年生サウスポー中村だった。
グラウンドにはたっぷりと水が撒かれネット裏は寂しいが両アルプスはブラスバンドの応援で賑やかな中、13時41分プレーボール。
1回表大阪学院は2死から3・4番が連打を放ちチャンスを作るも5番・一柳セカンドゴロで無得点。北稜はわずか6球で三者凡退と3位校対決はまたしても貧打戦の様相を呈していた。
2回北稜の守備陣が軽快な動きを見せ微妙な打球をスライディングキャッチの連続で三者凡退に打ち取ると、その裏1死から5番・内田がサードゴロ正面の打球を弾くエラーで出塁。
数少ないチャンスをものにすべく、中西監督の手腕を注目していたが、こちらもノーサイン野球なのか???1ボールからセンターフライ・初球ファーストゴロと無策で攻撃終了。
3回表大阪学院は1死から1番・朝田がライト前ヒット。ここからは選手の判断なのか?実は密かにベンチから誰かがサインを発信していたのかは定かではないが、2番・野田が1-1からエンドランを仕掛けセカンドフライ。すると2死1塁から初球盗塁成功と足を絡めた攻撃を見せ揺さぶってきたが、3番・鶴丸サードゴロで無得点。やはり大阪2強以外のチームはどうしようもなく貧打線というここ最近の傾向を感じさせる。。。
その裏、北稜は先頭打者が四球をもらうと定石通り9番・中村投手が送りバントを決めて1死2塁。あとは上位打線が奮起して先取点を奪って主導権を握りたいが、こちらも打線が機能せずキャッチャーゴロとサードゴロで無得点とお互いホームが遠かった・・・・・。
ボチボチ両チーム先取点を奪って主導権を握りたいところだが、学院は4番からの攻撃でアッサリ三者凡退。4回裏北稜は1死から4番・井口が右中間にポテンヒットを放ちチーム初安打。これが近畿大会で記念すべき初安打となったが、、、1塁に出て完全に浮かれていたのか???次打者のカウント2-1からのけん制でまさかのタッチアウト・・・・・。直後に5番・内田がチーム唯一のレフトへツーベースを放っただけにもったいないけん制死だった。。。下條投手は気持ちを切り替えて、外130Km直球で空振り三振を取りピンチ脱出。
5回表大阪学院は簡単に2死を献上するも下條投手がサード内野安打を放ち、1番・朝田もフルカウントからセンター前ヒットを放ち1・2塁のチャンスを迎え、辻盛監督は代打・硲口を起用。
しかし、中村投手がソローボールを織り交ぜタイミングをずらしてサードゴロでピンチ脱出。
守りからリズムをつかんでその裏先頭の7番・山田がストレートの四球で出塁すると中西監督は定石通りバントのサインを出し1球で決めて1死2塁。そしてエース・中村がライト前ヒットを放ち1・3塁。学院内野陣は中間守備ゆえにスクイズを仕掛けても面白いところだったが、中西監督は無策で選手に任せ1番・田川は2球で追い込まれ3球勝負の球をファールしたものの4球目まさかの4-6-3ダブルプレーでお互い決め手を欠き整備に入った。
それにしても3位同士の対戦は、、、、、市和歌山ー三田学園もこんな展開だったし、投手戦というよりも貧打線といった方がシックリくるような内容で三田学園もこの両チームと対戦していたらあるいは勝てたかも!?と思わせるような展開だった。
大阪学院は5安打放ちながら先頭打者の出塁は1度もなく、ランナーが出たところでノーサイン野球なんでただ来た球を打つことに終始しているのかもしれない。北稜も同じようなチームカラーなのか?監督のギャンブル采配は皆無だし打線に怖さを全く感じさせない。。。どちらが勝っても次の東洋大姫路線は苦戦必至だろうなと。
6回はお互い上位打線の攻撃だったが、大阪学院はクリーンアップ3連続フライアウトでまだ中村投手は6回で64球という超省エネピッチで完封ペース。その裏、北稜は1死から3番・山口がライト前ヒットを放ち、4番・井口1ボールからこの試合初めて仕掛けたエンドランで相手守備陣をかく乱させたかったが、ショートゴロで2死2塁。5番・内田もショートゴロで無得点。下條投手も6回71球とこちらも超省エネピッチで延長タイブレークに突入してもスタミナは全く問題なさそうだ!!
7回表学院はまたもや連続フライアウトでツーアウト。ここまで20個のアウトのうち14個がフライアウトと1年生サウスポー中村の術中にはまっているが、2死から8番・佐藤がセンター前ヒットで出塁。あるいはここで下條投手に代打を起用して勝負を賭けてみるのも一興だが、そのまま打たせて初球セカンドゴロ。。。
その裏、北稜は先頭の6番・奈須が8球粘って四球をもぎ取る。1点勝負なんで手堅く送って8・9番を打つバッテリーのバットに託すと思いきや、まさかの初球盗塁を仕掛け憤死・・・結果的に3人で攻撃終了しいよいよ今大会初の延長戦も視野に入りつつあった。
8回表1番・朝田がセンターへツーベースを放ち無死2塁。普通に考えれば2番・野田に送りバントで1死3塁として中軸に期待するのが定石だが、ノーサイン野球の大阪学院は初球から打ちに行き空振りとバントのそぶりすら見せず、フルカウントから内117kmの直球に手が出ず見逃しの三振で走者釘付け。3番・鶴丸が四球を選び1・2塁と攻め立て、4番・樋爪が初球レフト線に痛恨の打球を放つもファール、、、、、結局1-1からショートフライでツーアウトとホームが遠かったが、、、5番・一柳1ボールから無用の1塁けん制球が1塁走者のケツを直撃しファールグラウンドを白球が転々としている間に走者は2・3塁へ、、、しょーもないミスで傷口を広げ1-1から一柳にレフト前先制タイムリーヒットを浴び痛恨の失点。。。
さらに暴投~四球と中村投手が限界に近付きつつあるように感じたが、中西監督はあくまでもエース温存し1年生サウスポーに託して7番・曽和は1ボールからセカンドゴロで最少失点に抑え首の皮一枚つながった。
その裏北稜は9番からの攻撃だったが、中村投手に代打を送らず簡単に三者凡退でなんとなく市和歌山1-0三田学園と同じような展開になりつつあった。。。
もうコールドの可能性は完全に消滅したし、北稜が9回裏に1~2点取れる気持ちが全然わかないので大阪の意地で打線爆発をちと期待したら先頭の8番・佐藤が1-3からレフト前ヒット。下條投手は自分の判断なのか?セーフティーバントを駆使して1死2塁。1番・朝田が1・2塁間ゴロの打球を放ちファースト・井口がダイビングしてキャッチしたものの内野安打で1死1・3塁。ここで1番打者に代走・伊東を起用。トップバッターなので足は速いと思われるが思い出代走なんだろうか???2番・硲口が初球デッドボールで1死満塁。ようやく大量点が入るかと思われたが、3番・鶴丸初球打ちはサードゴロダブルプレー・・・・・。最後まで打線が燻ぶりまくって攻撃終了。相手が強ければ流れが大きく変わり逆転サヨナラ負けにつながりかねない拙攻だ!
9回裏意地を見せたい北稜は3番からの攻撃でいきなり初球1塁線に痛烈な打球を放つもファールで3番・山口2-0からサードゴロ。4番・井口がレフト前ヒットを放ち反撃のノロシを上げ、5番・内田初球3塁線の打球がファール・・・・。これで球運に見放されスライダーに三振。最後は6番・奈須初球を打ち上げてレフトフライで試合終了。
市和歌山ー三田学園よろしく3位校同士の初戦対決はまたもや1-0というスコアだったが、この試合の方がかなり低レベルの戦いの感は否めなかった。
地力に勝るであろう大阪学院はエース温存で5安打完封は立派かもしれないが、相手打線を考えるとあまり参考にならないのかもしれない。本当に真価が問われるのは次戦の東洋大姫路戦だろうか???
そして打線は10安打放ちながら思いっきり決め手を欠いてわずか1得点と桐蔭・履正社以外の大阪のチームらしい貧打線で、東洋の阪下投手相手だとヒット数も今日の半分以下になりかねず前途多難だが、翌週僕が島根に行っている間になんと大阪桐蔭が滋賀学園に惜敗し、近畿8強で大阪勢は3位の学院のみとなり97年連続大阪勢センバツ出場に向けて大きな風が吹いた!
結局4強には天理・東洋大姫路・市和歌山・智弁和歌山が残りなんと和歌山から2校も残り来春のセンバツ当確となった!特に市和歌山は三田学園の熊野投手から1点しか取れなかったが、立命館宇治相手にまさかの6回コールド10-0で一蹴!!逆の展開は最悪あり得るかもと覚悟していたんだが、、、、、
ただ近畿の場合は4強入りするとセンバツ当確なんで本気で神宮に乗り込む気概のあるチームは少ないのであえて控え選手を多用して勝敗度外視で試合を進めるチームも無きにしも非ずで準々決勝のようなガチンコ勝負はめったに見れないのが、、、、、
しかし2日間6試合観戦できなかったので残り3試合の近畿大会を楽しむべくHMF神戸に乗り込む・・・それはまた次回の講釈で。
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 死球 三振 暴投 失点 自責
大 院 大 下 條 9 26 110 5 2 3 0 6 0 0 0
北 稜 中 村 9 26 113 10 1 2 1 2 1 1 1
(完)
🌟次回予告🌟
11/3 秋季近畿大会6日目第1試合 ほっともっとフィールド神戸 天理(奈良①)-東洋大姫路(兵庫①)
📣秋季近畿大会出場をかけた“3位校出場決定戦”を10月10日に初開催 京都&和歌山、滋賀&奈良の3位が隔年ごとに出場可能な方式を変更
https://news.yahoo.co.jp/articles/f7245b5f2f844dbb99a7b19f19364052fb61bd3e
秋季近畿大会をかけて、滋賀、京都、奈良、和歌山の府県3位校同士による“出場決定戦”が初開催されることが19日、分かった。今年は10月10日に行われ、2校が出場権を手にする。
参加校が多い大阪と兵庫を除く滋賀と京都、奈良、和歌山の3位校は、隔年ごとに秋季近畿大会に出場可能だった。よって、2024年は京都と和歌山、25年は滋賀と奈良の上位3校が近畿切符をつかめる方式だった。
隔年ごとであれば、3位校が出場できる年とできない年があり、翌年のセンバツ出場校を決めるための重要な参考資料となる秋季近畿大会出場の機会を広げるためにシステムを変更。日本高野連に承認された。
☟学校が声明発表へ 酒田南高校・野球部暴力動画が再拡散「事実ではない」全裸引き回し被害の生徒退学などの情報は否定
https://news.yahoo.co.jp/articles/45e85842098909a04f0e718018dd6eb14db9fb95
甲子園の常連校として有名な山形県酒田市の酒田南高校野球部の寮で起きた暴力行為の動画が、再び拡散している問題で、学校側は「事実ではない情報が広がっている」として、近く公式に声明を発表する方針を固めました。
これはTUYの取材に対し学校側が明らかにしたものです。この問題は、野球部の寮内で全裸の部員の首にリードをつけて引き回す様子と思われるものや、執拗に蹴る様子などが映った動画が、今月18日ごろからXなどのSNS上で再拡散されているものです。この動画自体は、昨年10月に暴力行為が問題とされネット上で拡散し学校側が削除を進めていたものですが、学校側は今回の再拡散を受けてすでに警察に相談しているといいます。
また、ネット上では動画に映る「被害生徒が退学処分になった」などという情報が流れていますが、学校側は取材に対し「事実ではない」と否定しました。また個人のことは個別に答えていないとしつつも、「事実とは違う情報がある」として、こうした誤解を解くため、きょうかあす中にもホームページ上で声明を発表することを明らかにしました。
酒田南高校では2018年に野球部内で暴力事案があり、再発防止のために「無記名アンケート」を実施していましたが、昨年の事態を防ぐことはできませんでした。
内部の意識改革などを進める中での再拡散。学校側は「県外の高校野球部のわいせつ動画拡散問題などを受け、再び拡散されてしまったのでは」と話しています。
☟「まさか三高で起こるとは」日大三高野球部の不祥事 高校野球関係者の衝撃 再発防止にできることとは
https://news.yahoo.co.jp/articles/a4082e6baad9459c65528e1b4cdc0990500b5b1f
高校野球界に与えた衝撃は、とても大きいものがありました。名門・日大三高の不祥事です。男子部員2人が、女子生徒にわいせつな動画を送らせて拡散などをしたことから、児童買春・ポルノ禁止法違反容疑で書類送検された件は、スポーツ界や教育界に大きな衝撃を与えました。
甲子園に春夏通じ計40度出場した強豪であり、夏は2001年と2011年、春は1971年に優勝。昨夏も準優勝と、日大三高は高校野球界においては輝かしい実績を誇る、一大ブランドだったからです。高校野球の取材歴が長いスポーツライターは、一報を受けた驚きをこのように語りました。
「日大三高は単なる『野球が強い』学校ではなかったからです。猛練習はもちろんですが、それ以上に心の教育、人づくりに重点が置かれ、他の強豪校にあるような度を越した上下関係もなく、選手個々は人としてどう生きるかを学び、卒業していきます。その証拠に、日大三高野球部からは東京六大学に進学する選手も多く、行った先で主力になった例も多い。それだけに、今回の件は『まさか三高で起こるとは』と、衝撃とともに受け止められているのです」
メディア関係者の中でも「日大三高出身の選手は人間性が素晴らしい」と、その育成力には定評があっただけに、落胆の声が相次いでいるのが実情です。2月12日から、部では活動が休止され、再開については未定となっています。
「今後については予断を許しませんが、被害者がつらい思いをしている現実がある。松本洋平文部科学大臣が閣議後の会見で『断じて許されない』と表明したことからも、何らかの処分が科されることになるでしょう」
「今の時代、どの学校で起きても不思議ではない事件とも言えます。再発防止に向け、競技団体からは、被害者に一生の傷を負わせてしまうこと、自分だけでなく、周囲に対しても取り返しのつかない事態を招いてしまうことなど、注意喚起が必要かと思われます」(前述のライター)
二度と同じようなことが起こらないよう、再発防止への取り組みが注目されます。
📝決勝再試合…動かぬ右腕、ご飯も食べられず “元祖アイドル”を襲った極限の疲労
https://news.yahoo.co.jp/articles/2061f93d30b241190e7503d8099ddcc9ad51455c?page=1
元近鉄・太田氏が明かす“伝説の決勝”のエピソード
1969年8月18日、夏の甲子園決勝、松山商(北四国)対三沢(北奥羽)は延長18回0-0の引き分け再試合になった。甘いマスクで人気急増中だった三沢の快速球右腕・太田幸司投手(元近鉄、巨人、阪神)は、この262球の熱投で、さらに注目を集め「コーちゃんフィーバー」が過熱。8月19日の“2試合目”は、2-4で敗れたものの、122球完投と腕を振り続けた姿もまた“悲劇のヒーロー”としてクローズアップされた。そんな“伝説の決勝”を太田氏が回顧した。
延長10回3-2でサヨナラ勝ちした1回戦の大分商(中九州)戦が行われたのが8月12日。そこから14日の2回戦・明星(大阪)戦、16日の準々決勝・平安(京滋)戦、17日の準決勝・玉島商(東中国)戦を経て、18日の決勝・松山商戦のマウンドに太田氏は上がった。1回戦から1週間も経っていないなか、これが5試合目。すべて完投しており、準々決勝からは3連投目という状況だった。
疲れがあって当然だが、太田氏は「絶対口には出さなかったけど、僕自身の中では、俺が投げないとこのチームは勝てない、頑張らないといけない、チームを引っ張るんだっていう気持ちで常に投げていました」と、それが当たり前と思っていたそうだ。「決勝前のミーティングは松山商のピッチャーの井上(明)の球種とかの説明くらいで細かいことは何も。『決勝まで来たからな。わかっているな。高校最後の試合、思い切り行こうぜ』みたいな感じでした」と振り返る。
「まぁ、今みたいにデータがどうとか、そんな時代じゃないし、田舎のチームですから。長嶋(茂雄)さんじゃないけど、出たとこ勝負の、その時のあれですもんね。(田辺)監督もよく言っていましたよ。『細かいことを言ってもお前らはできない。とりあえず、気後れだけはするな』ってね」。3連投もなんのその。気合は十分。太田氏はいつも通りに投げた。不思議なことに球数が増えていくほど調子が上がったという。松山商・井上投手との投げ合いが続いた。
延長15回、三沢に1死満塁のサヨナラのチャンスがあった。打者は9番・立花五雄外野手。カウント3ボール1ストライクからの5球目はボール気味だったが、判定はストライク。「(松山商捕手の)大森(光生)が捕った時、ミットが土についていた。ベンチにいたので横から見て、よくわかったんですよ、軌道が。井上ももう手からボールが離れないような、置きにいって球が山なり。だから一瞬、低い、ボールだと思ってベンチでヨッシャーってお尻を上げかけたらストライクって……」。
続く16回も1死満塁をつくったが、スクイズを外されて得点できなかった。「あれもね、スクイズを外されて(捕手が)サードに投げました。タイミングはアウト。でもボールがポーンって出ていたんですよ。セーフなんですよ。あの頃は抗議もしたらいけないとか、そんな時代だからね。だから“2イニング続けて疑惑のジャッジだ”って、勝手にそんなことを言っていたけどね。まぁあれは俺らに悪い方へ出たけど、どこも同じ条件。そういうのがあるのも野球の面白さでもあったんだけどね」と、太田氏は懐かしそうに笑いながら話した。
そんな中「“ピッチングとはこれだな”っていうのを感じた試合でもあった」とも明かす。「前半の9回とかはまだ体力があるから、力任せで行っていたんだけど15回を過ぎてきたら、ましてやチャンスで点が入らなかったらマウンドに行くのももう……。アンダーシャツも18回も投げるほど持ってきていないから、替えがなくなってベチャベチャ。おしっこを漏らしたみたいに下までベチャベチャでね。ああ、しんどいなぁって感じで、よいしょって投げるんだけど、球だけはブワーンっていったんですよ」。
それは初めての経験だった。「無駄な力が入っていない。バランスでパーンと出るというね。でも、プロに入ってからも、ああいうピッチングは1回もなかったね(笑)。どのスポーツもそうで、力を抜いてビューンって行くっていう理屈はわかっているんだけど、できなかったんだよね。だから、あの時は、それがたまたま偶然、そういう試合展開になって自分ができたという体験。もう二度とできなかったですねぇ……」。
262球を投げて、延長18回0-0引き分けとなり、決着は翌8月19日の再試合に持ち越された。今度は4連投目だ。「朝、はっきり言って起きるのももう大変で……。顔を洗うのも(腕が)上がらなかったんですよ。御飯も(飯碗を持ち上げられず)顔を持っていって食べていたし……。球場に行くまでは“今日、投げられるのかな”ってそればっかり。試合でどうするかとか、そういう頭は全くなかった」。そんな状態だった。
再試合の決勝で敗戦も…気力の122球完投
「それまで全試合ひとりで投げてきて、この決勝の再試合で、じゃあ2年生のピッチャーを、というわけにはいかない。自分が投げなきゃいけないというのはわかっているんだけど、この体でどうしようっていう。で、グラウンドに行きました。ちょっといろいろ動いて少しは……。でも試合前のピッチングはもう全然。やばいな、これ。どうやって粘ろうかって思った。高校3年間の中で一番カーブを使ったのはあの再試合。とにかくごまかさなければいけないと思いましたね」
初回、松山商の3番打者・樋野和寿内野手に2ランを浴びた。「それも追い込んで高めに投げたのを軽々と持っていかれた。“ウワー、これは球が行っていないな。いつもと同じ配球ではいけないな”と。とにかく低め、低めに丁寧にいかなきゃってね。その裏、ウチも1点を返した。(松山商の)井上の球も来ていなくて、ああ、俺と一緒だなと思ったら向こうは左ピッチャーの中村(哲)に代わった。いかん、ウチは左を苦手にしているから打てんわって。あの時、中村の球がえらく速く見えたもんなぁ」。
試合は2-4で敗れて準優勝に終わったが、太田氏は9回を投げ切った。まさに気力の122球だった。「せっかく昨日、あれだけの試合をやったのだからボロボロな試合にだけはしたくなかった。もう勝ち負けとかより、最後までマウンドに立ち続けて何とか試合を作るんだって思いで投げた記憶がありますね」と話す。その上で「今の若い子が嫌がる根性ですよ。昔は普段の練習からそういう鍛え方。それがいい、悪いじゃなくてね。やっぱり精神的には昔の人が強いと思いますよ」とも付け加えた。
敗戦後、太田氏は泣かなかった。「みんなは泣いていたけど、僕は涙が一滴もでなかったですよ。やり尽くした。負けたけども全く悔しさもなかった。悔しさのない負けはあの試合だけかな。それぐらい爽やかな1敗でしたね」。語り継がれる伝説の決勝戦。女性ファン大熱狂の「コーちゃんフィーバー」もすさまじかったが、投げ切ったスタミナもすさまじかった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f7245b5f2f844dbb99a7b19f19364052fb61bd3e
秋季近畿大会をかけて、滋賀、京都、奈良、和歌山の府県3位校同士による“出場決定戦”が初開催されることが19日、分かった。今年は10月10日に行われ、2校が出場権を手にする。
参加校が多い大阪と兵庫を除く滋賀と京都、奈良、和歌山の3位校は、隔年ごとに秋季近畿大会に出場可能だった。よって、2024年は京都と和歌山、25年は滋賀と奈良の上位3校が近畿切符をつかめる方式だった。
隔年ごとであれば、3位校が出場できる年とできない年があり、翌年のセンバツ出場校を決めるための重要な参考資料となる秋季近畿大会出場の機会を広げるためにシステムを変更。日本高野連に承認された。
☟学校が声明発表へ 酒田南高校・野球部暴力動画が再拡散「事実ではない」全裸引き回し被害の生徒退学などの情報は否定
https://news.yahoo.co.jp/articles/45e85842098909a04f0e718018dd6eb14db9fb95
甲子園の常連校として有名な山形県酒田市の酒田南高校野球部の寮で起きた暴力行為の動画が、再び拡散している問題で、学校側は「事実ではない情報が広がっている」として、近く公式に声明を発表する方針を固めました。
これはTUYの取材に対し学校側が明らかにしたものです。この問題は、野球部の寮内で全裸の部員の首にリードをつけて引き回す様子と思われるものや、執拗に蹴る様子などが映った動画が、今月18日ごろからXなどのSNS上で再拡散されているものです。この動画自体は、昨年10月に暴力行為が問題とされネット上で拡散し学校側が削除を進めていたものですが、学校側は今回の再拡散を受けてすでに警察に相談しているといいます。
また、ネット上では動画に映る「被害生徒が退学処分になった」などという情報が流れていますが、学校側は取材に対し「事実ではない」と否定しました。また個人のことは個別に答えていないとしつつも、「事実とは違う情報がある」として、こうした誤解を解くため、きょうかあす中にもホームページ上で声明を発表することを明らかにしました。
酒田南高校では2018年に野球部内で暴力事案があり、再発防止のために「無記名アンケート」を実施していましたが、昨年の事態を防ぐことはできませんでした。
内部の意識改革などを進める中での再拡散。学校側は「県外の高校野球部のわいせつ動画拡散問題などを受け、再び拡散されてしまったのでは」と話しています。
☟「まさか三高で起こるとは」日大三高野球部の不祥事 高校野球関係者の衝撃 再発防止にできることとは
https://news.yahoo.co.jp/articles/a4082e6baad9459c65528e1b4cdc0990500b5b1f
高校野球界に与えた衝撃は、とても大きいものがありました。名門・日大三高の不祥事です。男子部員2人が、女子生徒にわいせつな動画を送らせて拡散などをしたことから、児童買春・ポルノ禁止法違反容疑で書類送検された件は、スポーツ界や教育界に大きな衝撃を与えました。
甲子園に春夏通じ計40度出場した強豪であり、夏は2001年と2011年、春は1971年に優勝。昨夏も準優勝と、日大三高は高校野球界においては輝かしい実績を誇る、一大ブランドだったからです。高校野球の取材歴が長いスポーツライターは、一報を受けた驚きをこのように語りました。
「日大三高は単なる『野球が強い』学校ではなかったからです。猛練習はもちろんですが、それ以上に心の教育、人づくりに重点が置かれ、他の強豪校にあるような度を越した上下関係もなく、選手個々は人としてどう生きるかを学び、卒業していきます。その証拠に、日大三高野球部からは東京六大学に進学する選手も多く、行った先で主力になった例も多い。それだけに、今回の件は『まさか三高で起こるとは』と、衝撃とともに受け止められているのです」
メディア関係者の中でも「日大三高出身の選手は人間性が素晴らしい」と、その育成力には定評があっただけに、落胆の声が相次いでいるのが実情です。2月12日から、部では活動が休止され、再開については未定となっています。
「今後については予断を許しませんが、被害者がつらい思いをしている現実がある。松本洋平文部科学大臣が閣議後の会見で『断じて許されない』と表明したことからも、何らかの処分が科されることになるでしょう」
「今の時代、どの学校で起きても不思議ではない事件とも言えます。再発防止に向け、競技団体からは、被害者に一生の傷を負わせてしまうこと、自分だけでなく、周囲に対しても取り返しのつかない事態を招いてしまうことなど、注意喚起が必要かと思われます」(前述のライター)
二度と同じようなことが起こらないよう、再発防止への取り組みが注目されます。
📝決勝再試合…動かぬ右腕、ご飯も食べられず “元祖アイドル”を襲った極限の疲労
https://news.yahoo.co.jp/articles/2061f93d30b241190e7503d8099ddcc9ad51455c?page=1
元近鉄・太田氏が明かす“伝説の決勝”のエピソード
1969年8月18日、夏の甲子園決勝、松山商(北四国)対三沢(北奥羽)は延長18回0-0の引き分け再試合になった。甘いマスクで人気急増中だった三沢の快速球右腕・太田幸司投手(元近鉄、巨人、阪神)は、この262球の熱投で、さらに注目を集め「コーちゃんフィーバー」が過熱。8月19日の“2試合目”は、2-4で敗れたものの、122球完投と腕を振り続けた姿もまた“悲劇のヒーロー”としてクローズアップされた。そんな“伝説の決勝”を太田氏が回顧した。
延長10回3-2でサヨナラ勝ちした1回戦の大分商(中九州)戦が行われたのが8月12日。そこから14日の2回戦・明星(大阪)戦、16日の準々決勝・平安(京滋)戦、17日の準決勝・玉島商(東中国)戦を経て、18日の決勝・松山商戦のマウンドに太田氏は上がった。1回戦から1週間も経っていないなか、これが5試合目。すべて完投しており、準々決勝からは3連投目という状況だった。
疲れがあって当然だが、太田氏は「絶対口には出さなかったけど、僕自身の中では、俺が投げないとこのチームは勝てない、頑張らないといけない、チームを引っ張るんだっていう気持ちで常に投げていました」と、それが当たり前と思っていたそうだ。「決勝前のミーティングは松山商のピッチャーの井上(明)の球種とかの説明くらいで細かいことは何も。『決勝まで来たからな。わかっているな。高校最後の試合、思い切り行こうぜ』みたいな感じでした」と振り返る。
「まぁ、今みたいにデータがどうとか、そんな時代じゃないし、田舎のチームですから。長嶋(茂雄)さんじゃないけど、出たとこ勝負の、その時のあれですもんね。(田辺)監督もよく言っていましたよ。『細かいことを言ってもお前らはできない。とりあえず、気後れだけはするな』ってね」。3連投もなんのその。気合は十分。太田氏はいつも通りに投げた。不思議なことに球数が増えていくほど調子が上がったという。松山商・井上投手との投げ合いが続いた。
延長15回、三沢に1死満塁のサヨナラのチャンスがあった。打者は9番・立花五雄外野手。カウント3ボール1ストライクからの5球目はボール気味だったが、判定はストライク。「(松山商捕手の)大森(光生)が捕った時、ミットが土についていた。ベンチにいたので横から見て、よくわかったんですよ、軌道が。井上ももう手からボールが離れないような、置きにいって球が山なり。だから一瞬、低い、ボールだと思ってベンチでヨッシャーってお尻を上げかけたらストライクって……」。
続く16回も1死満塁をつくったが、スクイズを外されて得点できなかった。「あれもね、スクイズを外されて(捕手が)サードに投げました。タイミングはアウト。でもボールがポーンって出ていたんですよ。セーフなんですよ。あの頃は抗議もしたらいけないとか、そんな時代だからね。だから“2イニング続けて疑惑のジャッジだ”って、勝手にそんなことを言っていたけどね。まぁあれは俺らに悪い方へ出たけど、どこも同じ条件。そういうのがあるのも野球の面白さでもあったんだけどね」と、太田氏は懐かしそうに笑いながら話した。
そんな中「“ピッチングとはこれだな”っていうのを感じた試合でもあった」とも明かす。「前半の9回とかはまだ体力があるから、力任せで行っていたんだけど15回を過ぎてきたら、ましてやチャンスで点が入らなかったらマウンドに行くのももう……。アンダーシャツも18回も投げるほど持ってきていないから、替えがなくなってベチャベチャ。おしっこを漏らしたみたいに下までベチャベチャでね。ああ、しんどいなぁって感じで、よいしょって投げるんだけど、球だけはブワーンっていったんですよ」。
それは初めての経験だった。「無駄な力が入っていない。バランスでパーンと出るというね。でも、プロに入ってからも、ああいうピッチングは1回もなかったね(笑)。どのスポーツもそうで、力を抜いてビューンって行くっていう理屈はわかっているんだけど、できなかったんだよね。だから、あの時は、それがたまたま偶然、そういう試合展開になって自分ができたという体験。もう二度とできなかったですねぇ……」。
262球を投げて、延長18回0-0引き分けとなり、決着は翌8月19日の再試合に持ち越された。今度は4連投目だ。「朝、はっきり言って起きるのももう大変で……。顔を洗うのも(腕が)上がらなかったんですよ。御飯も(飯碗を持ち上げられず)顔を持っていって食べていたし……。球場に行くまでは“今日、投げられるのかな”ってそればっかり。試合でどうするかとか、そういう頭は全くなかった」。そんな状態だった。
再試合の決勝で敗戦も…気力の122球完投
「それまで全試合ひとりで投げてきて、この決勝の再試合で、じゃあ2年生のピッチャーを、というわけにはいかない。自分が投げなきゃいけないというのはわかっているんだけど、この体でどうしようっていう。で、グラウンドに行きました。ちょっといろいろ動いて少しは……。でも試合前のピッチングはもう全然。やばいな、これ。どうやって粘ろうかって思った。高校3年間の中で一番カーブを使ったのはあの再試合。とにかくごまかさなければいけないと思いましたね」
初回、松山商の3番打者・樋野和寿内野手に2ランを浴びた。「それも追い込んで高めに投げたのを軽々と持っていかれた。“ウワー、これは球が行っていないな。いつもと同じ配球ではいけないな”と。とにかく低め、低めに丁寧にいかなきゃってね。その裏、ウチも1点を返した。(松山商の)井上の球も来ていなくて、ああ、俺と一緒だなと思ったら向こうは左ピッチャーの中村(哲)に代わった。いかん、ウチは左を苦手にしているから打てんわって。あの時、中村の球がえらく速く見えたもんなぁ」。
試合は2-4で敗れて準優勝に終わったが、太田氏は9回を投げ切った。まさに気力の122球だった。「せっかく昨日、あれだけの試合をやったのだからボロボロな試合にだけはしたくなかった。もう勝ち負けとかより、最後までマウンドに立ち続けて何とか試合を作るんだって思いで投げた記憶がありますね」と話す。その上で「今の若い子が嫌がる根性ですよ。昔は普段の練習からそういう鍛え方。それがいい、悪いじゃなくてね。やっぱり精神的には昔の人が強いと思いますよ」とも付け加えた。
敗戦後、太田氏は泣かなかった。「みんなは泣いていたけど、僕は涙が一滴もでなかったですよ。やり尽くした。負けたけども全く悔しさもなかった。悔しさのない負けはあの試合だけかな。それぐらい爽やかな1敗でしたね」。語り継がれる伝説の決勝戦。女性ファン大熱狂の「コーちゃんフィーバー」もすさまじかったが、投げ切ったスタミナもすさまじかった。
📣奈良大会は7月9~27日 秋の近畿へは、4府県の3位校同士が激突
https://news.yahoo.co.jp/articles/79385234a20d07672d76fa606dd1358c49a67068
奈良県高校野球連盟は18日、2026年度の年間スケジュールを発表した。第108回全国高校野球選手権奈良大会は7月9日に開会式、11日から試合が行われる。昨年に引き続き、暑さ対策のため開会式は夕方開催となった。
組み合わせ抽選会は、6月19日午後5時から橿原市の奈良県橿原文化会館である。開会式は7月9日午後3時から橿原市のさとやくスタジアムで開く。雨天の場合は翌10日に順延。開会式翌日を予備日とすることで、雷雨などの急な天候変化にも対応できるようにしたという。
試合は11日から始まり、全試合を同スタジアムで実施。決勝は27日を予定している。今年から、チームによって指名打者制を選択することが可能となる。
優勝校は8月5日から兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で開かれる第108回全国高校野球選手権大会に奈良代表として出場する。
秋季近畿地区高校野球大会県予選は8月29日に開幕。10月4日までさとやくスタジアム、奈良市のロートスタジアム奈良、大和郡山市のならっきー球場で開催する。組み合わせ抽選会は8月21日。上位2チームは10月17日から京都市のわかさスタジアム京都で開催予定の近畿大会に出場する。
また、秋の県予選ではこれまで、隔年で3位チームが近畿大会に出場していたが、今年から滋賀、京都、奈良、和歌山の4府県の3位チーム同士が対戦し、そのうち2チームが出場する方式に変更される。春の甲子園に通じる大会に、年によって出られない府県があることへの不公平感を考慮したという。
💢明治神宮大会Vの福岡・九州国際大付、主力選手1人が選抜大会に出場できず 開幕日の3月19日から出場停止1カ月
https://news.yahoo.co.jp/articles/696dbb884e52ebf7a7e536d1b2263b45ff81ef6c
第98回選抜高校野球大会に出場する九州国際大付(福岡)の主力選手1人が、1月21日に日本高野連から厳重注意と出場資格停止処分を受けたことが18日、分かった。該当部員の出場停止期間は3月19日から1カ月間で、同日開幕の選抜大会には選手登録されないため出場できない。
該当部員は1月中旬、授業中に校則違反となる行動を取り学校から謹慎処分を受け、野球部は福岡県高野連に報告していた。同校は昨秋の九州大会を制し、明治神宮大会でも初優勝した強豪校。
📝女子高生が旅館に殺到、新聞すら禁止 囲まれたバスで理解…甲子園で生まれた“フィーバー”
https://news.yahoo.co.jp/articles/bdd67bf022cd7a87dbdf2a910fbdac19265e7661?page=1
元近鉄・太田氏が振り返る「コーちゃんフィーバー」
元近鉄投手の太田幸司氏(野球評論家)は、青森県立三沢高のエースとして、1969年夏の甲子園を大いに沸かせた。快速球で打者を封じていく甘いマスクの右腕に多くの女性ファンが注目しはじめ、1回戦、2回戦、準々決勝、準決勝と勝ち上がっていくごとに人気も急増。決勝の延長18回0-0引き分け再試合の大熱投で「コーちゃんフィーバー」と呼ばれる社会現象まで巻き起こした。太田氏は「旅館に缶詰めで一歩も外に出られなかった」と振り返る。
高校3年最後の夏、太田氏は青森大会からすさまじい投球を連発した。1回戦は板柳に29-0。「チームのモットーは“どんな相手でも全力でぶつかる。絶対手を抜かない”」。その結果でもあった。5回コールドで完全試合(参考記録)、アウトの多くが三振で「後ろから『打たせんかい、暇でしかたないわ』みたいな冗談まで出た。バットに当たってファウルチップになっただけでスタンドがワーと沸いていました」というほどの猛烈スタートだった。
太田氏の勢いは止まらない。3-0で勝利した青森大会準決勝の弘前戦では16奪三振のノーヒットノーランを達成した。盛岡市営球場で行われた青森上位2チームと岩手上位2位チームが争う北奥羽大会準決勝の一関商工戦では11奪三振、1安打完封で5-0。弘前実との青森県同士の対決となった決勝は初回に1点を先行されたが、以降はゼロに封じて3-1で勝ち、1968年夏、1969年春に続いて甲子園出場を成し遂げた。
「北奥羽大会は、青森県で開催するときは青森のチームが勝って、岩手県でやるときは岩手のチームが勝つというのが、ずっと続いていたんですけど、僕らは敵地で代表になった。まぁ決勝が青森同士になりましたからね。当時、弘前実は僕らの最大のライバルだった。先に点を取られて、あれが一番苦しい試合だったかな。周りは甲子園に出て、さあどこまで行くんだ、みたいに見られていたから、自信はあっても絶対勝たなきゃいけないプレッシャーも結構ありましたね」
つかんだ3度目の甲子園。過去2回はいずれも2回戦敗退に終わっており、まずは2回戦突破が目標だったという。1回戦は大会第4日(8月12日)の第2試合、相手は大分商(中九州)だった。「大分商の得能がいい左ピッチャーでね、厳しい試合だった。ウチの打線は右バッターばかりなのに左ピッチャーが苦手だったしね」。6回に2点を先制し8回に追いつかれたが、延長10回の末、3-2でサヨナラ勝ちを収めた。
「あの時は暑かったなぁ。終盤ちょっとバテました。2回戦の壁を破ろうというのがあったから、まず1回戦は絶対勝たなくちゃいけない。そのプレッシャーもありました。逆に言うと1回戦を苦労しながらも勝ったことで、何か吹っ切れたというのがありました」。それが2回戦につながった。大会第6日(8月14日)第3試合で明星(大阪)に2-1で勝利した。
勝ち上がるたびに女性ファンが増加「外に出られなかった」
「(春の)選抜は2回戦で浪商に負けたから、また大阪の学校が相手。明星だって過去に(1963年夏の甲子園で)優勝したこともあるし、やばいなぁとか言いながらね。それもまた1点差ですもんね」。大会第8日(8月16日)準々決勝は第2試合で平安(京滋)と激突した。「次の平安には、のちに(1969年ドラフト2位で)広島に入った渋谷(通)がいた。1本足打法のね。彼に屋根に届くほどの、ひとつ間違ったらどこまで飛ばされるんだろうってファウルを打たれてねぇ。すごい迫力だった。その試合もまた2-1だったんですよねぇ」。
大会第9日(8月17日)の準決勝は第2試合で玉島商(東中国)と対戦して、3-2とまた1点差の勝利となった。「玉島商に勝って“おいおい、えらいことだな、決勝まで来ちゃったよ、どうしよう”みたいな感じでした。今の子だったら“よっしゃー、優勝だぁ!”とか言うんだろうけど、そういうのは全然なかった。“決勝だから、かっこ悪い試合はできないなぁ”みたいな。そんなに変な力みも全くなかったですね」。
そこまでの4試合はすべて完投。しかも1回戦の後、中1日で2回戦、また中1日で準々決勝、連投で準決勝、そして3連投で決勝、さらには4連投で決勝再試合に向かっていくわけだが……。「自分の調子はどんどんよくなりましたよ。(1回戦の)大分商の時が一番しんどくてバテたかな。(青森大会前の)合宿とかでは1日500球くらい投げていましたしね。決勝の18回のときも後半の9回の方がよかったくらい。さすがに決勝の2日目はバラバラだったけどね」。
同時に、勝ち上がっていくたびに女性ファンが増加していった。「それまでの甲子園では、ちょろちょろ外出もしていたけど、3年の夏は、旅館に缶詰めで、一歩も外に出られなかった。でも新聞とか、そういうのも一切、見せてくれなかったんですよ。だから世の中のことはよくわかっていなかった。甲子園にバスで着いて球場入りするとき、試合ごとにファンの数が多くなって“なんかすごいことになっているな”って、そんな感じで見ていたんですけどね」。
そして伝説の決勝戦で「コーちゃんフィーバー」がさらに過熱する。三沢高のエースから甲子園のアイドル球児へ。太田氏は一気に全国区の超人気者になっていった。
☝日本ハム・達孝太、エドポロ・ケインが〝父親〟参観日にビビる「試合より緊張感があった」
https://news.yahoo.co.jp/articles/1a144731445fab2bbc35025878f473cbd9c2bdb6
日本ハム春季キャンプ(18日、沖縄・名護)日本ハム・達孝太投手(21)、ドラフト2位のエドポロ・ケイン外野手(22)=大阪学院大=の育ての親である中村良二氏(57)が18日、沖縄・名護キャンプに激励に訪れた。
近鉄、阪神で内野手として41試合に出場した同氏は元天理高(奈良)、現大阪学院大監督。天理OBの達は「高校時代をめっちゃ思い出した。集中しないと怒られるので、試合より緊張感があった」とブルペンで37球。全体練習後に約1時間の特守を行ったエドポロも「もう一度、気を引き締めるいい機会になった。体的には疲れはあるが、『まだまだ頑張るぞ』という気持ちになった」と、〝父親〟参観日を振り返った。
中村氏は「だいたい天理の教え子は僕が来たらフリーズする」と苦笑しながらも、達については「ブルペンを見たのは高校以来。フォークボールなんて、こんな落ちてたかっていうぐらい落ちていた。立ち振る舞いもなんか格好いいっスね。僕は丸刈りのやんちゃな時しか知らないけど、風格、品があるというか、すごい大人になった。僕も一応、NPB出身者の一人ですけど、僕とはもう違う世界で野球をしているんだな、と実感できた」と評した。
また、エドポロについては「彼がちょこちょこ当ててヒットを打ったところで、何の評価ももらえない。『どうせアウトなら三振してこい。小さくなるな』と言いました」。中村氏は終始、〝愛息子〟たちの姿に目を細め、「見守ってやってください」とチーム関係者、報道陣に頭を下げた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/79385234a20d07672d76fa606dd1358c49a67068
奈良県高校野球連盟は18日、2026年度の年間スケジュールを発表した。第108回全国高校野球選手権奈良大会は7月9日に開会式、11日から試合が行われる。昨年に引き続き、暑さ対策のため開会式は夕方開催となった。
組み合わせ抽選会は、6月19日午後5時から橿原市の奈良県橿原文化会館である。開会式は7月9日午後3時から橿原市のさとやくスタジアムで開く。雨天の場合は翌10日に順延。開会式翌日を予備日とすることで、雷雨などの急な天候変化にも対応できるようにしたという。
試合は11日から始まり、全試合を同スタジアムで実施。決勝は27日を予定している。今年から、チームによって指名打者制を選択することが可能となる。
優勝校は8月5日から兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で開かれる第108回全国高校野球選手権大会に奈良代表として出場する。
秋季近畿地区高校野球大会県予選は8月29日に開幕。10月4日までさとやくスタジアム、奈良市のロートスタジアム奈良、大和郡山市のならっきー球場で開催する。組み合わせ抽選会は8月21日。上位2チームは10月17日から京都市のわかさスタジアム京都で開催予定の近畿大会に出場する。
また、秋の県予選ではこれまで、隔年で3位チームが近畿大会に出場していたが、今年から滋賀、京都、奈良、和歌山の4府県の3位チーム同士が対戦し、そのうち2チームが出場する方式に変更される。春の甲子園に通じる大会に、年によって出られない府県があることへの不公平感を考慮したという。
💢明治神宮大会Vの福岡・九州国際大付、主力選手1人が選抜大会に出場できず 開幕日の3月19日から出場停止1カ月
https://news.yahoo.co.jp/articles/696dbb884e52ebf7a7e536d1b2263b45ff81ef6c
第98回選抜高校野球大会に出場する九州国際大付(福岡)の主力選手1人が、1月21日に日本高野連から厳重注意と出場資格停止処分を受けたことが18日、分かった。該当部員の出場停止期間は3月19日から1カ月間で、同日開幕の選抜大会には選手登録されないため出場できない。
該当部員は1月中旬、授業中に校則違反となる行動を取り学校から謹慎処分を受け、野球部は福岡県高野連に報告していた。同校は昨秋の九州大会を制し、明治神宮大会でも初優勝した強豪校。
📝女子高生が旅館に殺到、新聞すら禁止 囲まれたバスで理解…甲子園で生まれた“フィーバー”
https://news.yahoo.co.jp/articles/bdd67bf022cd7a87dbdf2a910fbdac19265e7661?page=1
元近鉄・太田氏が振り返る「コーちゃんフィーバー」
元近鉄投手の太田幸司氏(野球評論家)は、青森県立三沢高のエースとして、1969年夏の甲子園を大いに沸かせた。快速球で打者を封じていく甘いマスクの右腕に多くの女性ファンが注目しはじめ、1回戦、2回戦、準々決勝、準決勝と勝ち上がっていくごとに人気も急増。決勝の延長18回0-0引き分け再試合の大熱投で「コーちゃんフィーバー」と呼ばれる社会現象まで巻き起こした。太田氏は「旅館に缶詰めで一歩も外に出られなかった」と振り返る。
高校3年最後の夏、太田氏は青森大会からすさまじい投球を連発した。1回戦は板柳に29-0。「チームのモットーは“どんな相手でも全力でぶつかる。絶対手を抜かない”」。その結果でもあった。5回コールドで完全試合(参考記録)、アウトの多くが三振で「後ろから『打たせんかい、暇でしかたないわ』みたいな冗談まで出た。バットに当たってファウルチップになっただけでスタンドがワーと沸いていました」というほどの猛烈スタートだった。
太田氏の勢いは止まらない。3-0で勝利した青森大会準決勝の弘前戦では16奪三振のノーヒットノーランを達成した。盛岡市営球場で行われた青森上位2チームと岩手上位2位チームが争う北奥羽大会準決勝の一関商工戦では11奪三振、1安打完封で5-0。弘前実との青森県同士の対決となった決勝は初回に1点を先行されたが、以降はゼロに封じて3-1で勝ち、1968年夏、1969年春に続いて甲子園出場を成し遂げた。
「北奥羽大会は、青森県で開催するときは青森のチームが勝って、岩手県でやるときは岩手のチームが勝つというのが、ずっと続いていたんですけど、僕らは敵地で代表になった。まぁ決勝が青森同士になりましたからね。当時、弘前実は僕らの最大のライバルだった。先に点を取られて、あれが一番苦しい試合だったかな。周りは甲子園に出て、さあどこまで行くんだ、みたいに見られていたから、自信はあっても絶対勝たなきゃいけないプレッシャーも結構ありましたね」
つかんだ3度目の甲子園。過去2回はいずれも2回戦敗退に終わっており、まずは2回戦突破が目標だったという。1回戦は大会第4日(8月12日)の第2試合、相手は大分商(中九州)だった。「大分商の得能がいい左ピッチャーでね、厳しい試合だった。ウチの打線は右バッターばかりなのに左ピッチャーが苦手だったしね」。6回に2点を先制し8回に追いつかれたが、延長10回の末、3-2でサヨナラ勝ちを収めた。
「あの時は暑かったなぁ。終盤ちょっとバテました。2回戦の壁を破ろうというのがあったから、まず1回戦は絶対勝たなくちゃいけない。そのプレッシャーもありました。逆に言うと1回戦を苦労しながらも勝ったことで、何か吹っ切れたというのがありました」。それが2回戦につながった。大会第6日(8月14日)第3試合で明星(大阪)に2-1で勝利した。
勝ち上がるたびに女性ファンが増加「外に出られなかった」
「(春の)選抜は2回戦で浪商に負けたから、また大阪の学校が相手。明星だって過去に(1963年夏の甲子園で)優勝したこともあるし、やばいなぁとか言いながらね。それもまた1点差ですもんね」。大会第8日(8月16日)準々決勝は第2試合で平安(京滋)と激突した。「次の平安には、のちに(1969年ドラフト2位で)広島に入った渋谷(通)がいた。1本足打法のね。彼に屋根に届くほどの、ひとつ間違ったらどこまで飛ばされるんだろうってファウルを打たれてねぇ。すごい迫力だった。その試合もまた2-1だったんですよねぇ」。
大会第9日(8月17日)の準決勝は第2試合で玉島商(東中国)と対戦して、3-2とまた1点差の勝利となった。「玉島商に勝って“おいおい、えらいことだな、決勝まで来ちゃったよ、どうしよう”みたいな感じでした。今の子だったら“よっしゃー、優勝だぁ!”とか言うんだろうけど、そういうのは全然なかった。“決勝だから、かっこ悪い試合はできないなぁ”みたいな。そんなに変な力みも全くなかったですね」。
そこまでの4試合はすべて完投。しかも1回戦の後、中1日で2回戦、また中1日で準々決勝、連投で準決勝、そして3連投で決勝、さらには4連投で決勝再試合に向かっていくわけだが……。「自分の調子はどんどんよくなりましたよ。(1回戦の)大分商の時が一番しんどくてバテたかな。(青森大会前の)合宿とかでは1日500球くらい投げていましたしね。決勝の18回のときも後半の9回の方がよかったくらい。さすがに決勝の2日目はバラバラだったけどね」。
同時に、勝ち上がっていくたびに女性ファンが増加していった。「それまでの甲子園では、ちょろちょろ外出もしていたけど、3年の夏は、旅館に缶詰めで、一歩も外に出られなかった。でも新聞とか、そういうのも一切、見せてくれなかったんですよ。だから世の中のことはよくわかっていなかった。甲子園にバスで着いて球場入りするとき、試合ごとにファンの数が多くなって“なんかすごいことになっているな”って、そんな感じで見ていたんですけどね」。
そして伝説の決勝戦で「コーちゃんフィーバー」がさらに過熱する。三沢高のエースから甲子園のアイドル球児へ。太田氏は一気に全国区の超人気者になっていった。
☝日本ハム・達孝太、エドポロ・ケインが〝父親〟参観日にビビる「試合より緊張感があった」
https://news.yahoo.co.jp/articles/1a144731445fab2bbc35025878f473cbd9c2bdb6
日本ハム春季キャンプ(18日、沖縄・名護)日本ハム・達孝太投手(21)、ドラフト2位のエドポロ・ケイン外野手(22)=大阪学院大=の育ての親である中村良二氏(57)が18日、沖縄・名護キャンプに激励に訪れた。
近鉄、阪神で内野手として41試合に出場した同氏は元天理高(奈良)、現大阪学院大監督。天理OBの達は「高校時代をめっちゃ思い出した。集中しないと怒られるので、試合より緊張感があった」とブルペンで37球。全体練習後に約1時間の特守を行ったエドポロも「もう一度、気を引き締めるいい機会になった。体的には疲れはあるが、『まだまだ頑張るぞ』という気持ちになった」と、〝父親〟参観日を振り返った。
中村氏は「だいたい天理の教え子は僕が来たらフリーズする」と苦笑しながらも、達については「ブルペンを見たのは高校以来。フォークボールなんて、こんな落ちてたかっていうぐらい落ちていた。立ち振る舞いもなんか格好いいっスね。僕は丸刈りのやんちゃな時しか知らないけど、風格、品があるというか、すごい大人になった。僕も一応、NPB出身者の一人ですけど、僕とはもう違う世界で野球をしているんだな、と実感できた」と評した。
また、エドポロについては「彼がちょこちょこ当ててヒットを打ったところで、何の評価ももらえない。『どうせアウトなら三振してこい。小さくなるな』と言いました」。中村氏は終始、〝愛息子〟たちの姿に目を細め、「見守ってやってください」とチーム関係者、報道陣に頭を下げた。
☟広陵野球部 部内暴力問題で3年生部員2人の審判開始せず 十分な反省が見られたことが理由か
https://news.yahoo.co.jp/articles/30227e385ca5d524b8d328f0d8f4937693f3778b
広陵高の硬式野球部で起きた部内暴力問題で、暴行容疑で書類送検された3年生部員2人の処分について、広島家裁が審判不開始と決めたことが16日、分かった。関係者によると、十分な反省が見られたことが理由とみられる。
昨年1月、2人は野球部寮内で禁止されているカップラーメンを食べた下級生部員を注意する目的で暴行した疑いが持たれていた。この件がSNS上での告発により拡散され、同校は昨夏の甲子園大会の出場を辞退した。学校側が設置した第三者委員会は現在も調査を続けている。また、加害者とされた3年生部員1人は、SNS上の投稿で名誉を傷つけられたとして、昨年9月に名誉毀損(きそん)罪で複数の人物を刑事告訴している。
また、2023年に部内暴力を受けたと訴えた別の元野球部員の事案について、学校側は、第三者委員会が「事実と認めることは困難」と結論づけた調査報告書を公表した。
同委員会は、当該部員が申告した88件の被害について聞き取りなどで調査し、いずれも「裏付ける証拠や証言は得られなかった」と判断した。報告書では、硬式野球部が「閉鎖的」になっていたとして、相談しやすい環境を整えるようにする提言も付け加えられた。
📣甲子園歴史館でセンバツ企画展 「二枚看板」のチーム特集 東北や作新学院、地元報徳も 4月5日まで
https://news.yahoo.co.jp/articles/6fb285fda86d3eddd4f5a06c489aa10b473b5613
来月19日に開幕する第98回選抜高校野球大会を前に、恒例の「センバツ企画展」が、兵庫県西宮市甲子園町の甲子園歴史館で開かれている。昨年優勝した横浜の織田翔希投手や、報徳学園で活躍した阪神タイガースの今朝丸裕喜投手が使ったグラブやスパイクなどが並ぶ。4月5日まで。
今回のテーマは「二枚看板」。近年、エース級の投手を2人そろえ、勝ち進むチームが増えていることから企画した。
選抜大会や夏の大会で活躍した東北(仙台市)のダルビッシュ有投手(現パドレス)と真壁賢守投手をパネルで紹介。2人ともプロに進んだ作新学院(宇都宮市)の今井達也投手(現アストロズ)と入江大生投手(現DeNA)、2023年の選抜で準優勝した報徳学園の今朝丸投手と間木歩投手らも展示している。
優勝、準優勝旗のレプリカも飾られ、開会式直後から決勝戦前日までは実物になる。壁一面には、今大会出場の全32校のユニホームもずらりと並んでいる。
広島県呉市から訪れた男性会社員(60)は元高校球児といい、「懐かしい気持ちになった。地元の出場校に頑張ってもらいたい」と話した。
午前10時~午後5時(3月から午後6時まで。大会期間中は午前9時に開館)。月曜休館(試合開催日と祝日は開館)。一般900円、高校生700円、中学生以下500円(3歳以下は無料)。同館TEL0798・49・4509
🔥<いざ!夢舞台へ’26センバツ>東洋大姫路/上 「実力ない」から発奮 瀬戸際で見せた執念
https://news.yahoo.co.jp/articles/784753deeff8fcc86b5ac8b488c8eb45b8dae575
キラキラと輝くモールに飾られたくす玉が割れると、10回目のセンバツ出場を表す「10」と「3季連続」と書かれた垂れ幕が飛び出した。1月30日、東洋大姫路に2025年の春夏連続の甲子園出場に続く吉報が届くと、松本太翔主将(2年)は「(強者を打ち負かす)下克上という気持ちを持ちたい」と力を込めた。
25年夏の甲子園で8強に輝いた3年生から引き継いだ新チームで、甲子園を経験して今春センバツに出る選手はわずか。前チームのメンバーを総入れ替えしたのに近かった。
松本主将は「実力だけでは先輩たちに勝てないけれど、その強さは刺激になっていた。自分たちもこうならなきゃと責任感も感じている」と力を込める。
初めての公式戦となった同年9月の県大会。初戦の関西学院戦は試合前のノックから選手たちの動きが硬かった。試合は延長にもつれこみ、十回裏に藤本亜怜選手(同)の逆転サヨナラ本塁打で勝利した。その後も緊張した試合展開が続いた。3回戦の東播磨戦でも3点差から八回で同点に追いつかれた後、丸山滉惺選手(同)の中犠飛などで勝ち越した。
そして、準決勝。市尼崎を相手に一回表に先制したが、その裏で3安打を浴び、すぐに逆転を許した。右腕投手にうまく対応できず、バントも決まらない。守備も乱れ、追加点を挙げられないまま4点差で敗北した。24年秋から始まった県内の公式戦の連勝記録が途絶えた瞬間だった。三上颯真投手(同)は「高めに浮いた球が多くなってしまった。序盤から試合を崩してしまった」と悔やんだ。
だが、チームには、センバツ出場校選考の参考資料となる近畿地区大会の最後の出場校を決める3位決定戦が残っていた。選手たちは敗北を自身を見つめ直すきっかけに変えた。
伏見翔一選手(同)はこう振り返る。「連勝が途切れて開き直れた部分もあった。先輩よりも劣っている部分しかないけど、全て見直して真剣に取り組もうとなった。あの負けがあったから変われた」
3位決定戦までの1週間、選手たちは自主練習に来た3年生に教えを乞い、バントや守備などの基本動作を体に染み込ませた。練習中は「甲子園につなげるぞ」という声が選手の間で飛び交った。藤本選手は「後が無くなった。勝たないと」と強いプレッシャーを感じつつ、それゆえにチームが「今のままじゃいけない」と一つになっていくのを感じていた。
25年10月5日にあった彩星工科との3位決定戦。チームは二回1死一、三塁の好機でスクイズを決めて先制した。六回に1点差まで迫られたが、1死二、三塁から登板した大野泰聖投手(同)が後続を抑えた。その勢いに打線も続き、相手投手の崩れにも助けられ九回に一挙6得点。13―1で大勝した。
センバツ出場への道に瀬戸際で踏みとどまったチームは、近畿地区大会に向けて新たな成長の一歩を踏み出した。
📝夏の高校野球青森大会は7月7日に開幕 はるか夢、ダイシンなど会場
https://news.yahoo.co.jp/articles/206a941ed06d3c7f1cf7842caa0db62871c59307
青森県高校野球連盟は16日、今夏の第108回全国高校野球選手権青森大会の日程を発表した。7月7日に開会式のみを行い、試合は8~21日に行われる。組み合わせ抽選会は6月24日にある。
球場は、弘前市のはるか夢球場を主会場に、青森市のダイシンベースボールスタジアム、八戸市の八戸東球場、六戸町のメイプルスタジアムを使用する。昨夏の会場だった県営野球場と八戸市長根公園野球場は使用しない。
7月7日の開会式はダイシンで開かれる予定。昨夏同様、開会式の日に試合は行わない。昨年は一つの球場で1日3試合を行うこともあったが、暑さ対策のため試合中に休憩時間を設けたことで、3試合目の開始時間が遅くなることもあった。このため、今年は全ての球場で1日2試合までとする。
準々決勝以降の試合は、はるか夢が舞台になる。16、17日に準々決勝、19日に準決勝、21日に決勝が行われる予定になっている。
📝甲子園で痛恨牽制死「野球辞める」 逃したサヨナラ…「大変だった」“事後処理”
https://news.yahoo.co.jp/articles/bb940419c717587bc2dfea1cbdcc9967a3331e4d?page=1
三沢高を牽引した太田幸司氏が振り返る甲子園
青森県立三沢高のエースだった太田幸司氏(元近鉄、巨人、阪神、野球評論家)は1969年夏の甲子園準優勝右腕だ。延長18回0-0再試合となった松山商との決勝戦は伝説だが、その夏に向かうまでには試練もあった。春の東北大会でまさかの1回戦負けを喫して「あれで引き締まりました」。当時日大4年だった佐藤道郎投手(元南海、大洋)の指導も受け、気合を入れ直したという。
1969年春の選抜に出場した三沢高は2回戦で敗退した。浪商と延長15回の激闘を繰り広げたが、2-4で涙をのんだ。太田氏は「サヨナラでウチが勝てるチャンスはあったんですよ。満塁かなんかで小比類巻(英秋捕手)がセカンドランナー。1点取ればいいので、セカンドランナーは関係ない。サードランナーさえ還れば勝ちってところで、ちょろちょろちょろって、小比類巻が牽制でタッチアウトを食らって、結局その回ゼロで終わって……」と振り返る。
「大阪代表の浪商と互角に渡り合えたんで、自信というか、手応えをつかみました。でも小比類巻は負けたことに責任を感じて、試合が終わった後、『野球を辞める』って言い出してね、大変でした。何とかなだめましたけどね」。春の選抜でマスクを被った主将の河村真捕手が椎間板ヘルニアで離脱、以降、太田氏はこの小比類巻捕手とバッテリーを組んで伝説の夏を戦ったが、それは、そんな“騒動”を経てのことでもあったわけだ。
さらにチームにとってショックだったのが、春の東北大会1回戦で仙台工に0-2で敗れたことだった。「下馬評も“三沢高校のための東北大会、もう負ける相手はいない”と言われていたし、僕らも当然、負ける気はなかった、それが1回戦ですよ。今の楽天本拠地の宮城球場で……。仙台での開催だったので、宮城県からは3チームが出ていて、仙台工は宮城の優勝チームでもなかった。だから、もう左うちわで勝てるだろうと思っていたら、あれあれって感じで……」。
前年(1968年)秋以降で、東北地区の学校に初めて負けた試合だった。油断があったし、調子に乗っていた。「ちょっと気が緩んでいました。負けた時は悔しかったけど、あれでまたチームがまとまったというか、ふんどしを締め直して夏に行こうぜって、また違うテンションになって……。振り返ってみれば、いい薬でした。ある意味、負けてよかったのかもしれない。高校野球って何があるかわからない。そういうことも経験できたのでね」。
それまで、ほぼストレート1本で勝負していた太田氏は最後の夏に向けてカーブの練習も本格的に取り組んだという。「青森大会は真っ直ぐだけで行けても、やっぱり甲子園はそうはいかないと思ったのでね」。加えて、三沢ナインは日大の河内忠吾監督や佐藤投手にも指導を受けたという。「当時、三沢は日大とつながりがあって、以前から時々、教えてもらっていたんですけど、最後の夏の時も来ていただいたんですよ」。
後のドラ1右腕から激アツ言葉のオンパレード
太田氏は1969年のドラフト会議で近鉄に1位指名されて入団するが、日大・佐藤投手も同じ年の南海ドラフト1位で、1970年のプロ1年目からリリーフとして大活躍してパ・リーグ新人王に輝く。そんな4歳年上の大学生右腕から太田氏は何度も気合を注入されたという。「『高校野球は何があるかわからんからな。どんな相手でも絶対手を抜くな! そういう手を抜いた試合をやると次に影響が出るから、とにかく目一杯行け!』とか言われました」。
激アツな言葉のオンパレードだった。「佐藤さんはよく言っていました。『俺は真っ直ぐでグイグイ押すタイプじゃないけど、ピッチャーは気持ちだぞ! 球に自分の気持ちは絶対乗り移るから、弱気になったら駄目だ! 迷ったら強気で攻めろ!』ってね。そういう精神面のことも、いろいろ話をしてもらいました。最後の夏には、それも大きかったですよ」。太田氏が常に前を向き、ひたすら腕を振り続けたのも、そんな教えを受けたからでもあった。
「佐藤さんに『俺はもう間違いなくドラフトにかかる。多分、お前もかかるだろうから、今度はプロで顔を合わせて頑張ろうぜ』みたいなことを言われたのも覚えています。佐藤さんは体がでっかくてね。で、練習用の上下真っ白のユニホームを『これやるわ』って渡されたんです。『僕にはブカブカですよ』と言ったら『いいじゃないか。これが着れるくらい、デカくなれ』って。今でも、そのユニホーム、大切に持っていますよ」
選抜後の東北大会1回戦負けのショックから、太田氏も、三沢ナインも気合で立ち直った。誰もが技量もアップさせた。「日大の河内監督からは守備のフォーメーションとか、作戦とか、頭を使う部分も教わりました。それまでは、そんなもの何にも習っていませんでしたからね」。そして1969年高校3年の夏、最後の夏、集大成の夏がやってきた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/30227e385ca5d524b8d328f0d8f4937693f3778b
広陵高の硬式野球部で起きた部内暴力問題で、暴行容疑で書類送検された3年生部員2人の処分について、広島家裁が審判不開始と決めたことが16日、分かった。関係者によると、十分な反省が見られたことが理由とみられる。
昨年1月、2人は野球部寮内で禁止されているカップラーメンを食べた下級生部員を注意する目的で暴行した疑いが持たれていた。この件がSNS上での告発により拡散され、同校は昨夏の甲子園大会の出場を辞退した。学校側が設置した第三者委員会は現在も調査を続けている。また、加害者とされた3年生部員1人は、SNS上の投稿で名誉を傷つけられたとして、昨年9月に名誉毀損(きそん)罪で複数の人物を刑事告訴している。
また、2023年に部内暴力を受けたと訴えた別の元野球部員の事案について、学校側は、第三者委員会が「事実と認めることは困難」と結論づけた調査報告書を公表した。
同委員会は、当該部員が申告した88件の被害について聞き取りなどで調査し、いずれも「裏付ける証拠や証言は得られなかった」と判断した。報告書では、硬式野球部が「閉鎖的」になっていたとして、相談しやすい環境を整えるようにする提言も付け加えられた。
📣甲子園歴史館でセンバツ企画展 「二枚看板」のチーム特集 東北や作新学院、地元報徳も 4月5日まで
https://news.yahoo.co.jp/articles/6fb285fda86d3eddd4f5a06c489aa10b473b5613
来月19日に開幕する第98回選抜高校野球大会を前に、恒例の「センバツ企画展」が、兵庫県西宮市甲子園町の甲子園歴史館で開かれている。昨年優勝した横浜の織田翔希投手や、報徳学園で活躍した阪神タイガースの今朝丸裕喜投手が使ったグラブやスパイクなどが並ぶ。4月5日まで。
今回のテーマは「二枚看板」。近年、エース級の投手を2人そろえ、勝ち進むチームが増えていることから企画した。
選抜大会や夏の大会で活躍した東北(仙台市)のダルビッシュ有投手(現パドレス)と真壁賢守投手をパネルで紹介。2人ともプロに進んだ作新学院(宇都宮市)の今井達也投手(現アストロズ)と入江大生投手(現DeNA)、2023年の選抜で準優勝した報徳学園の今朝丸投手と間木歩投手らも展示している。
優勝、準優勝旗のレプリカも飾られ、開会式直後から決勝戦前日までは実物になる。壁一面には、今大会出場の全32校のユニホームもずらりと並んでいる。
広島県呉市から訪れた男性会社員(60)は元高校球児といい、「懐かしい気持ちになった。地元の出場校に頑張ってもらいたい」と話した。
午前10時~午後5時(3月から午後6時まで。大会期間中は午前9時に開館)。月曜休館(試合開催日と祝日は開館)。一般900円、高校生700円、中学生以下500円(3歳以下は無料)。同館TEL0798・49・4509
🔥<いざ!夢舞台へ’26センバツ>東洋大姫路/上 「実力ない」から発奮 瀬戸際で見せた執念
https://news.yahoo.co.jp/articles/784753deeff8fcc86b5ac8b488c8eb45b8dae575
キラキラと輝くモールに飾られたくす玉が割れると、10回目のセンバツ出場を表す「10」と「3季連続」と書かれた垂れ幕が飛び出した。1月30日、東洋大姫路に2025年の春夏連続の甲子園出場に続く吉報が届くと、松本太翔主将(2年)は「(強者を打ち負かす)下克上という気持ちを持ちたい」と力を込めた。
25年夏の甲子園で8強に輝いた3年生から引き継いだ新チームで、甲子園を経験して今春センバツに出る選手はわずか。前チームのメンバーを総入れ替えしたのに近かった。
松本主将は「実力だけでは先輩たちに勝てないけれど、その強さは刺激になっていた。自分たちもこうならなきゃと責任感も感じている」と力を込める。
初めての公式戦となった同年9月の県大会。初戦の関西学院戦は試合前のノックから選手たちの動きが硬かった。試合は延長にもつれこみ、十回裏に藤本亜怜選手(同)の逆転サヨナラ本塁打で勝利した。その後も緊張した試合展開が続いた。3回戦の東播磨戦でも3点差から八回で同点に追いつかれた後、丸山滉惺選手(同)の中犠飛などで勝ち越した。
そして、準決勝。市尼崎を相手に一回表に先制したが、その裏で3安打を浴び、すぐに逆転を許した。右腕投手にうまく対応できず、バントも決まらない。守備も乱れ、追加点を挙げられないまま4点差で敗北した。24年秋から始まった県内の公式戦の連勝記録が途絶えた瞬間だった。三上颯真投手(同)は「高めに浮いた球が多くなってしまった。序盤から試合を崩してしまった」と悔やんだ。
だが、チームには、センバツ出場校選考の参考資料となる近畿地区大会の最後の出場校を決める3位決定戦が残っていた。選手たちは敗北を自身を見つめ直すきっかけに変えた。
伏見翔一選手(同)はこう振り返る。「連勝が途切れて開き直れた部分もあった。先輩よりも劣っている部分しかないけど、全て見直して真剣に取り組もうとなった。あの負けがあったから変われた」
3位決定戦までの1週間、選手たちは自主練習に来た3年生に教えを乞い、バントや守備などの基本動作を体に染み込ませた。練習中は「甲子園につなげるぞ」という声が選手の間で飛び交った。藤本選手は「後が無くなった。勝たないと」と強いプレッシャーを感じつつ、それゆえにチームが「今のままじゃいけない」と一つになっていくのを感じていた。
25年10月5日にあった彩星工科との3位決定戦。チームは二回1死一、三塁の好機でスクイズを決めて先制した。六回に1点差まで迫られたが、1死二、三塁から登板した大野泰聖投手(同)が後続を抑えた。その勢いに打線も続き、相手投手の崩れにも助けられ九回に一挙6得点。13―1で大勝した。
センバツ出場への道に瀬戸際で踏みとどまったチームは、近畿地区大会に向けて新たな成長の一歩を踏み出した。
📝夏の高校野球青森大会は7月7日に開幕 はるか夢、ダイシンなど会場
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青森県高校野球連盟は16日、今夏の第108回全国高校野球選手権青森大会の日程を発表した。7月7日に開会式のみを行い、試合は8~21日に行われる。組み合わせ抽選会は6月24日にある。
球場は、弘前市のはるか夢球場を主会場に、青森市のダイシンベースボールスタジアム、八戸市の八戸東球場、六戸町のメイプルスタジアムを使用する。昨夏の会場だった県営野球場と八戸市長根公園野球場は使用しない。
7月7日の開会式はダイシンで開かれる予定。昨夏同様、開会式の日に試合は行わない。昨年は一つの球場で1日3試合を行うこともあったが、暑さ対策のため試合中に休憩時間を設けたことで、3試合目の開始時間が遅くなることもあった。このため、今年は全ての球場で1日2試合までとする。
準々決勝以降の試合は、はるか夢が舞台になる。16、17日に準々決勝、19日に準決勝、21日に決勝が行われる予定になっている。
📝甲子園で痛恨牽制死「野球辞める」 逃したサヨナラ…「大変だった」“事後処理”
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三沢高を牽引した太田幸司氏が振り返る甲子園
青森県立三沢高のエースだった太田幸司氏(元近鉄、巨人、阪神、野球評論家)は1969年夏の甲子園準優勝右腕だ。延長18回0-0再試合となった松山商との決勝戦は伝説だが、その夏に向かうまでには試練もあった。春の東北大会でまさかの1回戦負けを喫して「あれで引き締まりました」。当時日大4年だった佐藤道郎投手(元南海、大洋)の指導も受け、気合を入れ直したという。
1969年春の選抜に出場した三沢高は2回戦で敗退した。浪商と延長15回の激闘を繰り広げたが、2-4で涙をのんだ。太田氏は「サヨナラでウチが勝てるチャンスはあったんですよ。満塁かなんかで小比類巻(英秋捕手)がセカンドランナー。1点取ればいいので、セカンドランナーは関係ない。サードランナーさえ還れば勝ちってところで、ちょろちょろちょろって、小比類巻が牽制でタッチアウトを食らって、結局その回ゼロで終わって……」と振り返る。
「大阪代表の浪商と互角に渡り合えたんで、自信というか、手応えをつかみました。でも小比類巻は負けたことに責任を感じて、試合が終わった後、『野球を辞める』って言い出してね、大変でした。何とかなだめましたけどね」。春の選抜でマスクを被った主将の河村真捕手が椎間板ヘルニアで離脱、以降、太田氏はこの小比類巻捕手とバッテリーを組んで伝説の夏を戦ったが、それは、そんな“騒動”を経てのことでもあったわけだ。
さらにチームにとってショックだったのが、春の東北大会1回戦で仙台工に0-2で敗れたことだった。「下馬評も“三沢高校のための東北大会、もう負ける相手はいない”と言われていたし、僕らも当然、負ける気はなかった、それが1回戦ですよ。今の楽天本拠地の宮城球場で……。仙台での開催だったので、宮城県からは3チームが出ていて、仙台工は宮城の優勝チームでもなかった。だから、もう左うちわで勝てるだろうと思っていたら、あれあれって感じで……」。
前年(1968年)秋以降で、東北地区の学校に初めて負けた試合だった。油断があったし、調子に乗っていた。「ちょっと気が緩んでいました。負けた時は悔しかったけど、あれでまたチームがまとまったというか、ふんどしを締め直して夏に行こうぜって、また違うテンションになって……。振り返ってみれば、いい薬でした。ある意味、負けてよかったのかもしれない。高校野球って何があるかわからない。そういうことも経験できたのでね」。
それまで、ほぼストレート1本で勝負していた太田氏は最後の夏に向けてカーブの練習も本格的に取り組んだという。「青森大会は真っ直ぐだけで行けても、やっぱり甲子園はそうはいかないと思ったのでね」。加えて、三沢ナインは日大の河内忠吾監督や佐藤投手にも指導を受けたという。「当時、三沢は日大とつながりがあって、以前から時々、教えてもらっていたんですけど、最後の夏の時も来ていただいたんですよ」。
後のドラ1右腕から激アツ言葉のオンパレード
太田氏は1969年のドラフト会議で近鉄に1位指名されて入団するが、日大・佐藤投手も同じ年の南海ドラフト1位で、1970年のプロ1年目からリリーフとして大活躍してパ・リーグ新人王に輝く。そんな4歳年上の大学生右腕から太田氏は何度も気合を注入されたという。「『高校野球は何があるかわからんからな。どんな相手でも絶対手を抜くな! そういう手を抜いた試合をやると次に影響が出るから、とにかく目一杯行け!』とか言われました」。
激アツな言葉のオンパレードだった。「佐藤さんはよく言っていました。『俺は真っ直ぐでグイグイ押すタイプじゃないけど、ピッチャーは気持ちだぞ! 球に自分の気持ちは絶対乗り移るから、弱気になったら駄目だ! 迷ったら強気で攻めろ!』ってね。そういう精神面のことも、いろいろ話をしてもらいました。最後の夏には、それも大きかったですよ」。太田氏が常に前を向き、ひたすら腕を振り続けたのも、そんな教えを受けたからでもあった。
「佐藤さんに『俺はもう間違いなくドラフトにかかる。多分、お前もかかるだろうから、今度はプロで顔を合わせて頑張ろうぜ』みたいなことを言われたのも覚えています。佐藤さんは体がでっかくてね。で、練習用の上下真っ白のユニホームを『これやるわ』って渡されたんです。『僕にはブカブカですよ』と言ったら『いいじゃないか。これが着れるくらい、デカくなれ』って。今でも、そのユニホーム、大切に持っていますよ」
選抜後の東北大会1回戦負けのショックから、太田氏も、三沢ナインも気合で立ち直った。誰もが技量もアップさせた。「日大の河内監督からは守備のフォーメーションとか、作戦とか、頭を使う部分も教わりました。それまでは、そんなもの何にも習っていませんでしたからね」。そして1969年高校3年の夏、最後の夏、集大成の夏がやってきた。
📝『チーム宏鈴』結成22年4ヶ月
1月の1ヶ月間・・・のべ604人の方々から閲覧履歴があり1101アクセスしていただき感謝申し上げます。
例年通り現時点で予定している年間スケジュールを公開します。
昨年は宿泊観戦4度で春に三重&岡山 夏は福井 そして秋は鳥取に出かけました。
今年は当初、徳島・福井を春に 夏は岐阜 そして秋は鳥取(米子ー米子ー鳥取)の宿泊観戦を企画しつつも、鳴門オロナミンC球場の改装工事はまだ1年くらいかかるらしいので断念。
なんと春季中国大会が島根・浜山で開催と知り、5月30日・31日に春季北信越大会が福井であると想定していたが、島根優先で福井は4月25日・26日の県大会に前倒し。
こうなると年に2度も2泊3日の山陰行きは身体的・経済的な負担が絶大なんで秋はおとなしく阪急電車一本で行けるわかさS京都で過ごそうと。結局秋はなく夏春3度の宿泊観戦濃厚。
福井はサンダーバードが敦賀止まりとなり、福井駅に直通2時間で行けないのでやはりワンクッション置くべく敦賀に初日・2日目にセーレンドリームSこと福井県営が妥当かなと。
当日移動や帰りの足を考えると9時から3試合日は最後まで観れない可能性もあるので10時から2試合日を選択したい。
15時前後に終わってくれたら、敦賀だとバスの時刻が上手くはまれば気比神宮参拝もできるし、アカンかったら昨夏よろしく気比の松原まで足を伸ばして散策してバスの時間調整して敦賀駅に向かうと。
福井駅近くに駅リンくんはありますが、18時までの貸し出しなんで3試合日で長引けば苦しくなる・・・17時10分には自転車乗って5kmほど離れている駅リンくんに向かわないと非常に厳しくなる、、、
早く終われば「ふち中央公園」でくつろいで、大回りになるがベル前経由でバスの進路と同じようなコースでサイクリングを楽しめるので。
帰りは鈍行で敦賀。そして新快速に乗れたらいいが、オール鈍行で京都まで行く可能性が高いので、福井新聞読むか寝ているか・・・・・。
島根ですが、4年前に史上初の前泊で浜山に通った経験を活かして今年最大のイベントを楽しみたいと。
まず初日に岡山から「特急やくも」に乗車し米子で途中下車。4時間弱レンタサイクル借りて、 喫茶・洋燈(らんぷ)のモーニング~どら焼きドラマチックパーク米子場外一周~米子城跡散策~中華料理・大連でみそちゃんぽん食べて米子を離れ鈍行で松江へ。
松江の街を少し散策して、ここで近所の銭湯で湯治して久しぶりに「ばたでん」こと一畑電車に乗って出雲入り。
出雲駅前に聳え立つ「ツインリーブスホテル出雲」は大浴場はないが、駅まで1分弱だし7時30分の出雲大社行きバスに乗りたいのでここが最善かと。かなり前に太川&蛭子のバス旅コンビがここに宿泊していたし、朝ごはんのバイキングにも興味があったので。
2日目はおそらく1回戦8時30分から4試合。前回は19時過ぎのゲームセットで最終バスが行ってしまい、夜道を恐々歩いて、浜山公園北口へ向かいましたが歩くと微妙に遠かったし夜の島根は慣れていないので・・・・・。
ヤドは前回気に入った、グリーンホテルモーリス出雲。ドーミーインほどではないが、結構値が張るヤドだが無料レンタサイクルはあるし、金平糖などお菓子は食べ放題だったので、袋詰めして球場でボリボリ食べていたがその再現狙いと。
最終日は11時から2試合を想定して、前回は雨予報で試合開始1時間前倒しとされできなかった「出雲大社朝参り」を初敢行したいと。16時過ぎに終了してくれたら道中、喫茶店に寄ってくつろいで18時32分発の「特急やくも」で島根脱出して3時間02分夜景を楽しみ岡山で新幹線に乗り換えて帰ろうと。
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夏は岐阜で長良川~大野町レインボーの弾丸ツアーで熱さが非常に気になりますし、それ以上に岐阜の夏は8時45分から2試合という謎ルールが昨夏発動されたので、朝は相当早くなりますね↓↓
初日は新幹線で一度名古屋に出て岐阜入り。バス移動で長良川球場に行き2試合観戦。昼ご飯が遅くなりますが、陽が長すぎるのでノンビリ昼ご飯食べて、金神社など参拝して観光を夕方楽しめるかと。
2日目は大野町役場行きの始発バスが7時00分発なんで、、、、、いつも通りヤドの朝ご飯を楽しむ余裕もなく素泊まりで前夜コンビニで仕入れた朝ごはんを詰め込んで朝早くヤド出て8時45分にレインボーに着けるといいのですが、、、、、
大野町役場付近には喫茶店や飲食店が多数あるので、2時間に1度しかないバスの時間を調整してやり過ごしたいですが、岐阜の熱さは尋常ではないので帰りの岐阜ー米原ー京都ラインの在来線では泥のように眠っているだろうなあ・・・・。
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独立リーグは3年前に2度淡路島遠征に行き、明石でレンタサイクル借りて佐野行き&あわ神あわ姫バスの無料デーで北淡路一周しましたが、、、、、
2年前・生島監督の飲酒運転が発覚しチームが空中分解してしまったので淡路島にはしばらく縁がないかも↓↓
昨年は運よく僕だけの聖地・紀三井寺球場で2代目カンドクの試合が組まれていたので12時からのデーゲーム・17時からの薄暮ナイターを観戦でき、2代目滋賀球団のおかげで守山&彦根も足を運びました。
今年の独立リーグ観戦はチャンスがあれば、紀三井寺そして滋賀球団(皇子山・守山・彦根・甲賀・今津のどこか)を模索していけたらと。
3月17日紀三井寺球場で11時からオープン戦が組まれているので、天気が良ければJR和歌山駅前で喫茶店モーニングを楽しんだ後にレンタサイクル借りて僕だけの聖地巡礼で2026初の野球観戦~和歌山ラーメン~紀三井寺参拝~日前宮参拝~自転車返却を企画。
センバツは、入場料の大幅値上げの影響もあり2日間は屋根のある3塁特別で。あとは外野席から観戦できたらと。全部合わせて4~5回くらい足を運べたらと。
願わくば 花咲徳栄・三重・東洋大姫路・崇徳・高知農あたりを観戦したいですね。
センバツ終了直後に開幕する中国大学野球で9月からリニューアル工事を経て改装オープンする倉敷マスカットスタジアム4月4日・5日(6日予備日)に使用するようなのでそれを最優先に。春季大会は組み合わせ見ながら、ここも例年どおり兵庫中心で合間を縫って和歌山・奈良・三重(津か四日市)そして昨年4月からゴブサタの舞洲に1度ずつ行けたらと。
そして春季福井大会4月25日敦賀・26日福井へ行き昨夏に続き福井宿泊観戦。
近畿大会はおそらく5月23日から京都開催なんで、準決・決勝は中国大会観戦のため欠席と・・・・・。
春のフィナーレは浜山で2年前の秋以来の島根宿泊。
あの時は、初日・2日目と天候に恵まれ松江では羽根を伸ばせましたが、最終日の浜山では昼過ぎから悪天候予報の為に試合開始1時間繰り上げられ出雲大社の朝参りは断念。。。
それでも14時頃にナイター点灯で良い思い出はできましたが、今度こそ、レンタサイクルで出雲大社朝参りしてから準決勝2試合観戦できたらと。
夏は98年より京セラドームの開会式を22年連続皆勤で見学してましたが、6年前に途切れてしまいここ5年は開会式と開幕試合だけで1000円は高すぎるとの思いもあり、母校が出ないかよほどの好カードでもない限り行かない。
願わくば昨夏万博で初戦突破して大商学園の校歌を歌いえたのでその再現と32年ぶり夏の4回戦進出に期待!!
さらに真夏の宿泊観戦は長良川~大野町レインボーの岐阜県弾丸ツアー。
前回の長良川は試合終了1時間後くらいに雨が降り、帰りはずぶ濡れで帰宅・・・。4年前の夏は開幕戦「3回裏途中継続試合」など結構雨に泣かされ続けているイメージが強い↓↓
大野町レインボーは8年ぶり4度目となるが、初来場の国体観戦時は台風接近で1試合中止となったし、前回は40度に迫る勢いの猛暑でズボンが茶色に変色するくらい汗かいて倒れそうだった。。。
そして奈良&和歌山合わせて3回程度は顔を出せればありがたいです。
三重は2部制(①9:00~②15:30~)なんで・・・四日市が改装されて屋根付きになれば行きたいですが、、、日曜を避けてレンタサイクルで近鉄四日市から球場入りして中休みに四日市ポートタワー行けたらいいけど熱さが・・・・・。
あとは夏の岡山、マスカットで7/23か25あたりにに顔を出したい。
8月は甲子園で5年連続観戦を考えているが、チケット争奪戦は春に比べてヒートアップは必至だし、真夏の甲子園直射日光の当たる時間帯がある1・3塁内野席でスコアつけて熱中症で病院行きもあり得るので昨年は5日(2部制の夕方外野席2日+山陰勢登場の午前の部外野席)頑張ったが、今年は3塁側内野席2回&夕方の部外野席2回の計4回観戦が妥当だろうか。。。
そのぶん、入場無料の軟式野球の全国大会か秋の京滋大学野球でノンビリ過ごせたらよろしいかなと。
なんと・・・バンテリンドームナゴヤで中日の2軍戦が8/5・8/25~27に9時40分開門・10時20分開始が組まれているので、甲子園の日程を見ながらナゴヤ観光を兼ねて1日出かけて初ナゴヤドームを楽しめたらと。
秋は例年通り兵庫中心の観戦ですが、和歌山の新人戦や一次予選の準々決勝で1日4試合日があれば照準を合わせたいし、スキあらば大学野球観戦も検討したい。
今秋は近畿大会皆勤できる見込みなんで思いっきり西京極で羽根を伸ばせたらと。
あとはもう、、、長期改装工事でずいぶんゴブサタしている四日市市営霞ヶ浦球場に年内1度顔を出したいと。近鉄四日市駅前の駐輪場でレンタサイクル借りたいので土曜日になるはず(日曜日は10時~17時までしか借りれないので!)
それから、今年で8年連続となる山陰遠征ですが、、、まさかの“中国大会春秋連続山陰祭り”となってしまったので、秋の鳥取(米子-米子ー鳥取)を捨てて2度目のリニューアルした浜山に行こうと。
来春、米子オンリーで春季中国大会があると信じて・・・。
11月は近畿大会終了後もマスターズ甲子園・秋季軟式近畿大会に明石トーカロでの兵庫県知事杯そして第4回愛知県・三重県ピックアップチーム交流試合が愛知開催ゆえに敬遠して、21日の徳島香川交流試合inむつみスタジアム。晴天が保証されるならば数日前に高速バス往復チケットを入手して2年ぶり2度目のむつみにレンタサイクル借りて行きたい!
そういうわけで、去年は 三重2泊・岡山・福井・鳥取2泊と4回宿泊でしたが、今年は福井・島根2泊・岐阜を楽しみたいと。
最後に忘れてはいけない紀州レンジャーズの試合観戦・・・といいたいところだが、関西独立リーグの名称が復活しても紀州Rの活動は未定だ、、、、、6年前は原池に2度ナイター観戦し、甲賀市民・三国と初来場を果たし、彦根・守山にも久しぶりに足を運び、5年前は丹南に初来場・4年前は彦根初のナイター観戦したが、3年前日本海オセアンリーグの福井&滋賀が活動休止したので、淡路島に2度行くだけで彦根・丹南・三国そして行きたかった美浜は縁がなくなった。。。2年前運よく紀三井寺でデーゲーム・ナイターともに各1度観戦できたことが幸せだった!
そして昨年は滋賀球団が復活し、守山&彦根に行けたし、紀三井寺での2代目カンドクの試合も大幅増加したのでデーゲーム&ナイター観戦を楽しめました。
大学野球もすでに近畿5連盟&中国の大学野球を観戦できたので、今年は4月頭のマスカットを軸に1~2回程度に抑える予定。
簡単ですが、年間スケジュールを発表させていただきました。また皆さんが熱くなれる観戦記を春以降1つでも多く書けたらと思います。
今日もこれからもずっと・・・💙しつこく💚しぶとく💜泥臭く💛 『チーム宏鈴』は「誰からも愛される」というよりも「誰かに慕われる」掲示板目指して、アットホームな雰囲気でやっていきたいのでお願いします。
📝マウンドで“謝罪”「ごめん、ストライク入らんわ」 喜べぬ2安打完封…伝説へ苦難の連続
https://news.yahoo.co.jp/articles/24acaa7ef0cd60db43a31c708896866e5f49d31b
三沢高の太田幸司氏はエースとして甲子園へ導いた
苦難の道のりだった。元近鉄右腕の太田幸司氏(元近鉄、巨人、阪神)は青森県立三沢高の2年生エースとして1968年夏に初めて甲子園を経験した。2回戦で海星(長崎)に1-3で敗れたものの、全国レベルにも通用したことで自信を得て、翌1969年春の選抜出場をかけた2年秋の戦いに臨んだ。それには東北大会優勝が絶対条件。厳しい戦いを乗り越えて、決勝は八重樫幸雄捕手(元ヤクルト)が4番の仙台商を4-0で下して何とかクリアした。
2回戦敗退ながら、1968年夏の甲子園で十分に戦えたことは大きな前進だった。「僕ら2年生が7人いるチームで経験できたわけですからね。そりゃあ、3年生になったらって思いましたよ」。地元に帰って新チームを結成。次なる目標の翌1969年春の選抜切符獲得へ向けて始動した。ただし、第50回の記念大会で1県1校が甲子園に出場できた夏と違って、出場へのハードルは高かった。「あの頃のセンバツは東北大会に優勝しないと行けなかったですからね」。
1969年春の選抜に出場できたのは26校。東北地区は青森、岩手、秋田、山形、宮城、福島の6県の優勝チームなどが戦う秋の東北大会を制した1校だけという狭き門だった。まずは秋の青森大会。準決勝で青森一に1-0で辛勝など、際どい試合もあったものの、優勝して東北大会に進出した。「まぁまぁ、それは、当然ね。とにかく東北大会をどうするか、だったんで……」と太田氏は話したが、実際、そこでの準決勝、決勝は厳しい戦いだった。
準決勝の日大山形戦は延長15回の激闘の末の勝利。「この辺ぐらいから延長癖がついてね……」と太田氏は笑う。のちの1969年夏の甲子園決勝で松山商との延長18回0-0再試合の伝説の激闘を繰り広げたが、そもそも延長戦になるケースが多かったそうだ。そして「あの時の東北大会の決勝は八重樫がいた仙台商。あれもヒヤヒヤものだったんですよ」と続けた。スコアは4-0で太田氏は2安打完封だったが「フォアボールを10個くらい出したんです」と制球に苦しんだという。
「試合中に、もうストライクが全く入らなくなった時もあったんですよ。それでピンチになって、マウンドにみんなが集まるでしょ。その時に『ごめん、ストライクが入らんわ』って言った覚えがあります。その後、何とかストライクが入るようになったから抑えられたただけで、2安打完封ってかっこいいけど、そんな状態で、だったんですよ」
その試合、太田氏は4番打者として3打数1安打2打点の成績も残したが「とにかくピッチングに四苦八苦で、試合経過も4番を打っていたこともよく覚えていない」と話す。東北大会を優勝して選抜切符をつかんだ三沢高だが、太田氏にとって夏から続く快進撃というよりも、苦しみ抜いて得た2度目の聖地への道のりだったようだ。
選抜大会で延長15回敗戦も…「全て最後の夏につながっていった」
11月には明治維新百年記念明治神宮野球大会が開催され、全国10地区の代表校と沖縄代表校の計11チームで争った高校の部に、三沢高は東北代表として出場した。結果は準決勝敗退。初戦の2回戦は三重(中部代表)を5-0で破ったが、準決勝で小倉(九州代表)に1-4で敗れた。太田氏は「これも、なかなかドラマチックでしたよ」と言う。
「初戦の三重は2安打完封かなぁ。その三重が次の年の選抜で優勝するんですよ。だから三重が優勝した時、“俺はあそこを秋に完封したんだ。だから……”っていうワケの分からない三段論法を言ったりしてねぇ(笑)。次の小倉戦は(主砲の)楠城(徹捕手、元太平洋・クラウン・西武)にバカバカ打たれて負けたけど、選抜の1回戦の相手がまた小倉だったんですよねぇ。その時は勝ったけど、楠城には、また打たれたと思いますよ」。
夏春2期連続の甲子園出場となった1969年春の選抜は1回戦で小倉に4-1で前年秋の神宮大会の雪辱を果たした。しかし、2回戦は浪商に延長15回2-4で負けた。太田氏は「あれも延長でしたもんねぇ」と言いつつ「あの頃は天下の浪商ですからね。大阪代表の浪商を相手に15回まで互角に渡り合ったんで、これまた負けたけど何か自信というか……」。
2度の甲子園経験で、太田氏ら三沢ナインは着実に力をつけていった。そして、ここからまたさらに……。「2年の夏も3年の選抜も2回戦で負けて帰ってきたけど、それが全て最後の夏につながっていったんですよ」。その戦いはクライマックスに突入していった。
🎤大社高校野球部の石飛文太監督が講演 全国ベスト8 島根の名将 岩手県盛岡市
https://news.yahoo.co.jp/articles/0f2ac266cf21069212ebbc2c81209d947d4c89f6
2024年の夏の甲子園でベスト8入りを果たした島根県の公立高校大社高校の石飛文太監督が2月16日、岩手県盛岡市内で講演しました。
講演では「選手が目標にたどり着くための方法を一緒に考える」という指導者としての信念を語りました。
大社高校野球部の石飛文太監督は16日、県高野連が開いた監督会議に招かれ講演しました。
石飛監督が率いる大社高校は2024年の夏の甲子園に32年ぶりに出場し、公立校ながら全国の強豪校を破りベスト8まで勝ち進みました。
講演では「夢は無限大」をテーマに、石飛監督が自らの指導について振り返りました。
大社高校 石飛文太監督「現在地(今の自分)を知ることというのが、多分生徒はできない。ここが目標で現在地がここだったら、これだけの努力で良いという考え。でも本当はここかもしれない」
石飛監督はそれぞれの思いや考えを尊重した上で「選手が目標にたどり着くための方法を、一緒に考える」という指導者としての信念について語りました。
会議に出席した盛岡四高 佐々木偉彦監督「(石飛監督は生徒との)関わり方が上手。人柄と熱いものを感じたので、これを元にまた私も頑張りたい」
講演を聞いた県内の指導者たちは、選手との関わり方を改めて考えるとともに、多くの刺激を受けた様子でした。
📣<春風に乗って>’26センバツ 三重 先輩からのエール 57年前優勝時の主将・中田和男さん
https://news.yahoo.co.jp/articles/9f2fe0eae56204a701e37e66038dcb09e59941a2
◇技術磨き、最後は気持ち
57年前、県勢初の選抜高校野球大会(センバツ)優勝を果たした三重。「優勝旗は重かった」と語るのは当時の主将、中田和男さん(74)だ。後に監督を務め、現在もなお孫のような後輩の指導に当たる。野球部の「歴史」を作った先輩は後輩に何を託すのか。
1969年3月27日のセンバツ開会式。中田さんは「雲の上を歩いているよう。夢みたいだった」と話す。初戦の向陽(和歌山)との試合で初めて打席に立った時は「足はガクガク。県大会とは比べものにならなかった」という。
中田さんは名張市出身。その頃は、夏の甲子園が1県1代表になる前で、岐阜県と三重県で代表1校を決める三岐大会があった。そんな時代に三重が甲子園に出たのを見て「県内からでも甲子園に行けるのか」と思い、家族の反対を押し切って進学した。
もちろん優勝までの道のりは平たんではなかった。中田さんが入部したのは61年の創部から間もない時期だ。もともと沼地だった場所にグラウンドを造成したばかり。水はけをよくするため、部員がスコップで深さ1メートルもの溝を掘った。一からのスタートだった。グラウンドが砂利だらけなので、とにかく走った。もともと打撃力のある選手たちが足腰を鍛え上げたことで、強打のチームができあがった。
満員の甲子園球場で4月6日にあった堀越(東京)との決勝。それまで3試合で1点しか取られていない相手エース左腕に対して初回、徹底した初球狙いに足を絡めていきなり4点を先制。中田さんも八回、ダメ押しのスクイズを決め、12―0の横綱相撲で全国を制した。
しかし、一番驚いたのは優勝した後だった。翌7日、優勝旗を掲げて近鉄松阪駅に降り立つと、駅前を人が覆い尽くしていた。「これほどまで多くの人が応援してくれていたのか」と実感した忘れられない瞬間だった。
その後、中田さんは中京大に進学し、75年に監督に就任。春3回、夏4回、甲子園に導いた。「監督として見る甲子園は全然違う。甲子園がきっかけで化ける選手を何人も見てきた。最後は能力よりいかに勝ちたいかという気持ちだ」と話す。
2014年春に指導の表舞台から引退。「今は雑用係」(中田さん)だと笑う。とはいえ、打撃などの指導を週に5回。選手育成、野球への情熱は衰えていない。
後輩に伝えているのは「甲子園にいかなきゃ損やぞ」ということ。「今年のチームはうまく回転している。際立った特徴はないが、よいところで点を取る全員野球のチーム」と評価する。後輩がどう応えるか、活躍に期待が高まる。
1月の1ヶ月間・・・のべ604人の方々から閲覧履歴があり1101アクセスしていただき感謝申し上げます。
例年通り現時点で予定している年間スケジュールを公開します。
昨年は宿泊観戦4度で春に三重&岡山 夏は福井 そして秋は鳥取に出かけました。
今年は当初、徳島・福井を春に 夏は岐阜 そして秋は鳥取(米子ー米子ー鳥取)の宿泊観戦を企画しつつも、鳴門オロナミンC球場の改装工事はまだ1年くらいかかるらしいので断念。
なんと春季中国大会が島根・浜山で開催と知り、5月30日・31日に春季北信越大会が福井であると想定していたが、島根優先で福井は4月25日・26日の県大会に前倒し。
こうなると年に2度も2泊3日の山陰行きは身体的・経済的な負担が絶大なんで秋はおとなしく阪急電車一本で行けるわかさS京都で過ごそうと。結局秋はなく夏春3度の宿泊観戦濃厚。
福井はサンダーバードが敦賀止まりとなり、福井駅に直通2時間で行けないのでやはりワンクッション置くべく敦賀に初日・2日目にセーレンドリームSこと福井県営が妥当かなと。
当日移動や帰りの足を考えると9時から3試合日は最後まで観れない可能性もあるので10時から2試合日を選択したい。
15時前後に終わってくれたら、敦賀だとバスの時刻が上手くはまれば気比神宮参拝もできるし、アカンかったら昨夏よろしく気比の松原まで足を伸ばして散策してバスの時間調整して敦賀駅に向かうと。
福井駅近くに駅リンくんはありますが、18時までの貸し出しなんで3試合日で長引けば苦しくなる・・・17時10分には自転車乗って5kmほど離れている駅リンくんに向かわないと非常に厳しくなる、、、
早く終われば「ふち中央公園」でくつろいで、大回りになるがベル前経由でバスの進路と同じようなコースでサイクリングを楽しめるので。
帰りは鈍行で敦賀。そして新快速に乗れたらいいが、オール鈍行で京都まで行く可能性が高いので、福井新聞読むか寝ているか・・・・・。
島根ですが、4年前に史上初の前泊で浜山に通った経験を活かして今年最大のイベントを楽しみたいと。
まず初日に岡山から「特急やくも」に乗車し米子で途中下車。4時間弱レンタサイクル借りて、 喫茶・洋燈(らんぷ)のモーニング~どら焼きドラマチックパーク米子場外一周~米子城跡散策~中華料理・大連でみそちゃんぽん食べて米子を離れ鈍行で松江へ。
松江の街を少し散策して、ここで近所の銭湯で湯治して久しぶりに「ばたでん」こと一畑電車に乗って出雲入り。
出雲駅前に聳え立つ「ツインリーブスホテル出雲」は大浴場はないが、駅まで1分弱だし7時30分の出雲大社行きバスに乗りたいのでここが最善かと。かなり前に太川&蛭子のバス旅コンビがここに宿泊していたし、朝ごはんのバイキングにも興味があったので。
2日目はおそらく1回戦8時30分から4試合。前回は19時過ぎのゲームセットで最終バスが行ってしまい、夜道を恐々歩いて、浜山公園北口へ向かいましたが歩くと微妙に遠かったし夜の島根は慣れていないので・・・・・。
ヤドは前回気に入った、グリーンホテルモーリス出雲。ドーミーインほどではないが、結構値が張るヤドだが無料レンタサイクルはあるし、金平糖などお菓子は食べ放題だったので、袋詰めして球場でボリボリ食べていたがその再現狙いと。
最終日は11時から2試合を想定して、前回は雨予報で試合開始1時間前倒しとされできなかった「出雲大社朝参り」を初敢行したいと。16時過ぎに終了してくれたら道中、喫茶店に寄ってくつろいで18時32分発の「特急やくも」で島根脱出して3時間02分夜景を楽しみ岡山で新幹線に乗り換えて帰ろうと。
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夏は岐阜で長良川~大野町レインボーの弾丸ツアーで熱さが非常に気になりますし、それ以上に岐阜の夏は8時45分から2試合という謎ルールが昨夏発動されたので、朝は相当早くなりますね↓↓
初日は新幹線で一度名古屋に出て岐阜入り。バス移動で長良川球場に行き2試合観戦。昼ご飯が遅くなりますが、陽が長すぎるのでノンビリ昼ご飯食べて、金神社など参拝して観光を夕方楽しめるかと。
2日目は大野町役場行きの始発バスが7時00分発なんで、、、、、いつも通りヤドの朝ご飯を楽しむ余裕もなく素泊まりで前夜コンビニで仕入れた朝ごはんを詰め込んで朝早くヤド出て8時45分にレインボーに着けるといいのですが、、、、、
大野町役場付近には喫茶店や飲食店が多数あるので、2時間に1度しかないバスの時間を調整してやり過ごしたいですが、岐阜の熱さは尋常ではないので帰りの岐阜ー米原ー京都ラインの在来線では泥のように眠っているだろうなあ・・・・。
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独立リーグは3年前に2度淡路島遠征に行き、明石でレンタサイクル借りて佐野行き&あわ神あわ姫バスの無料デーで北淡路一周しましたが、、、、、
2年前・生島監督の飲酒運転が発覚しチームが空中分解してしまったので淡路島にはしばらく縁がないかも↓↓
昨年は運よく僕だけの聖地・紀三井寺球場で2代目カンドクの試合が組まれていたので12時からのデーゲーム・17時からの薄暮ナイターを観戦でき、2代目滋賀球団のおかげで守山&彦根も足を運びました。
今年の独立リーグ観戦はチャンスがあれば、紀三井寺そして滋賀球団(皇子山・守山・彦根・甲賀・今津のどこか)を模索していけたらと。
3月17日紀三井寺球場で11時からオープン戦が組まれているので、天気が良ければJR和歌山駅前で喫茶店モーニングを楽しんだ後にレンタサイクル借りて僕だけの聖地巡礼で2026初の野球観戦~和歌山ラーメン~紀三井寺参拝~日前宮参拝~自転車返却を企画。
センバツは、入場料の大幅値上げの影響もあり2日間は屋根のある3塁特別で。あとは外野席から観戦できたらと。全部合わせて4~5回くらい足を運べたらと。
願わくば 花咲徳栄・三重・東洋大姫路・崇徳・高知農あたりを観戦したいですね。
センバツ終了直後に開幕する中国大学野球で9月からリニューアル工事を経て改装オープンする倉敷マスカットスタジアム4月4日・5日(6日予備日)に使用するようなのでそれを最優先に。春季大会は組み合わせ見ながら、ここも例年どおり兵庫中心で合間を縫って和歌山・奈良・三重(津か四日市)そして昨年4月からゴブサタの舞洲に1度ずつ行けたらと。
そして春季福井大会4月25日敦賀・26日福井へ行き昨夏に続き福井宿泊観戦。
近畿大会はおそらく5月23日から京都開催なんで、準決・決勝は中国大会観戦のため欠席と・・・・・。
春のフィナーレは浜山で2年前の秋以来の島根宿泊。
あの時は、初日・2日目と天候に恵まれ松江では羽根を伸ばせましたが、最終日の浜山では昼過ぎから悪天候予報の為に試合開始1時間繰り上げられ出雲大社の朝参りは断念。。。
それでも14時頃にナイター点灯で良い思い出はできましたが、今度こそ、レンタサイクルで出雲大社朝参りしてから準決勝2試合観戦できたらと。
夏は98年より京セラドームの開会式を22年連続皆勤で見学してましたが、6年前に途切れてしまいここ5年は開会式と開幕試合だけで1000円は高すぎるとの思いもあり、母校が出ないかよほどの好カードでもない限り行かない。
願わくば昨夏万博で初戦突破して大商学園の校歌を歌いえたのでその再現と32年ぶり夏の4回戦進出に期待!!
さらに真夏の宿泊観戦は長良川~大野町レインボーの岐阜県弾丸ツアー。
前回の長良川は試合終了1時間後くらいに雨が降り、帰りはずぶ濡れで帰宅・・・。4年前の夏は開幕戦「3回裏途中継続試合」など結構雨に泣かされ続けているイメージが強い↓↓
大野町レインボーは8年ぶり4度目となるが、初来場の国体観戦時は台風接近で1試合中止となったし、前回は40度に迫る勢いの猛暑でズボンが茶色に変色するくらい汗かいて倒れそうだった。。。
そして奈良&和歌山合わせて3回程度は顔を出せればありがたいです。
三重は2部制(①9:00~②15:30~)なんで・・・四日市が改装されて屋根付きになれば行きたいですが、、、日曜を避けてレンタサイクルで近鉄四日市から球場入りして中休みに四日市ポートタワー行けたらいいけど熱さが・・・・・。
あとは夏の岡山、マスカットで7/23か25あたりにに顔を出したい。
8月は甲子園で5年連続観戦を考えているが、チケット争奪戦は春に比べてヒートアップは必至だし、真夏の甲子園直射日光の当たる時間帯がある1・3塁内野席でスコアつけて熱中症で病院行きもあり得るので昨年は5日(2部制の夕方外野席2日+山陰勢登場の午前の部外野席)頑張ったが、今年は3塁側内野席2回&夕方の部外野席2回の計4回観戦が妥当だろうか。。。
そのぶん、入場無料の軟式野球の全国大会か秋の京滋大学野球でノンビリ過ごせたらよろしいかなと。
なんと・・・バンテリンドームナゴヤで中日の2軍戦が8/5・8/25~27に9時40分開門・10時20分開始が組まれているので、甲子園の日程を見ながらナゴヤ観光を兼ねて1日出かけて初ナゴヤドームを楽しめたらと。
秋は例年通り兵庫中心の観戦ですが、和歌山の新人戦や一次予選の準々決勝で1日4試合日があれば照準を合わせたいし、スキあらば大学野球観戦も検討したい。
今秋は近畿大会皆勤できる見込みなんで思いっきり西京極で羽根を伸ばせたらと。
あとはもう、、、長期改装工事でずいぶんゴブサタしている四日市市営霞ヶ浦球場に年内1度顔を出したいと。近鉄四日市駅前の駐輪場でレンタサイクル借りたいので土曜日になるはず(日曜日は10時~17時までしか借りれないので!)
それから、今年で8年連続となる山陰遠征ですが、、、まさかの“中国大会春秋連続山陰祭り”となってしまったので、秋の鳥取(米子-米子ー鳥取)を捨てて2度目のリニューアルした浜山に行こうと。
来春、米子オンリーで春季中国大会があると信じて・・・。
11月は近畿大会終了後もマスターズ甲子園・秋季軟式近畿大会に明石トーカロでの兵庫県知事杯そして第4回愛知県・三重県ピックアップチーム交流試合が愛知開催ゆえに敬遠して、21日の徳島香川交流試合inむつみスタジアム。晴天が保証されるならば数日前に高速バス往復チケットを入手して2年ぶり2度目のむつみにレンタサイクル借りて行きたい!
そういうわけで、去年は 三重2泊・岡山・福井・鳥取2泊と4回宿泊でしたが、今年は福井・島根2泊・岐阜を楽しみたいと。
最後に忘れてはいけない紀州レンジャーズの試合観戦・・・といいたいところだが、関西独立リーグの名称が復活しても紀州Rの活動は未定だ、、、、、6年前は原池に2度ナイター観戦し、甲賀市民・三国と初来場を果たし、彦根・守山にも久しぶりに足を運び、5年前は丹南に初来場・4年前は彦根初のナイター観戦したが、3年前日本海オセアンリーグの福井&滋賀が活動休止したので、淡路島に2度行くだけで彦根・丹南・三国そして行きたかった美浜は縁がなくなった。。。2年前運よく紀三井寺でデーゲーム・ナイターともに各1度観戦できたことが幸せだった!
そして昨年は滋賀球団が復活し、守山&彦根に行けたし、紀三井寺での2代目カンドクの試合も大幅増加したのでデーゲーム&ナイター観戦を楽しめました。
大学野球もすでに近畿5連盟&中国の大学野球を観戦できたので、今年は4月頭のマスカットを軸に1~2回程度に抑える予定。
簡単ですが、年間スケジュールを発表させていただきました。また皆さんが熱くなれる観戦記を春以降1つでも多く書けたらと思います。
今日もこれからもずっと・・・💙しつこく💚しぶとく💜泥臭く💛 『チーム宏鈴』は「誰からも愛される」というよりも「誰かに慕われる」掲示板目指して、アットホームな雰囲気でやっていきたいのでお願いします。
📝マウンドで“謝罪”「ごめん、ストライク入らんわ」 喜べぬ2安打完封…伝説へ苦難の連続
https://news.yahoo.co.jp/articles/24acaa7ef0cd60db43a31c708896866e5f49d31b
三沢高の太田幸司氏はエースとして甲子園へ導いた
苦難の道のりだった。元近鉄右腕の太田幸司氏(元近鉄、巨人、阪神)は青森県立三沢高の2年生エースとして1968年夏に初めて甲子園を経験した。2回戦で海星(長崎)に1-3で敗れたものの、全国レベルにも通用したことで自信を得て、翌1969年春の選抜出場をかけた2年秋の戦いに臨んだ。それには東北大会優勝が絶対条件。厳しい戦いを乗り越えて、決勝は八重樫幸雄捕手(元ヤクルト)が4番の仙台商を4-0で下して何とかクリアした。
2回戦敗退ながら、1968年夏の甲子園で十分に戦えたことは大きな前進だった。「僕ら2年生が7人いるチームで経験できたわけですからね。そりゃあ、3年生になったらって思いましたよ」。地元に帰って新チームを結成。次なる目標の翌1969年春の選抜切符獲得へ向けて始動した。ただし、第50回の記念大会で1県1校が甲子園に出場できた夏と違って、出場へのハードルは高かった。「あの頃のセンバツは東北大会に優勝しないと行けなかったですからね」。
1969年春の選抜に出場できたのは26校。東北地区は青森、岩手、秋田、山形、宮城、福島の6県の優勝チームなどが戦う秋の東北大会を制した1校だけという狭き門だった。まずは秋の青森大会。準決勝で青森一に1-0で辛勝など、際どい試合もあったものの、優勝して東北大会に進出した。「まぁまぁ、それは、当然ね。とにかく東北大会をどうするか、だったんで……」と太田氏は話したが、実際、そこでの準決勝、決勝は厳しい戦いだった。
準決勝の日大山形戦は延長15回の激闘の末の勝利。「この辺ぐらいから延長癖がついてね……」と太田氏は笑う。のちの1969年夏の甲子園決勝で松山商との延長18回0-0再試合の伝説の激闘を繰り広げたが、そもそも延長戦になるケースが多かったそうだ。そして「あの時の東北大会の決勝は八重樫がいた仙台商。あれもヒヤヒヤものだったんですよ」と続けた。スコアは4-0で太田氏は2安打完封だったが「フォアボールを10個くらい出したんです」と制球に苦しんだという。
「試合中に、もうストライクが全く入らなくなった時もあったんですよ。それでピンチになって、マウンドにみんなが集まるでしょ。その時に『ごめん、ストライクが入らんわ』って言った覚えがあります。その後、何とかストライクが入るようになったから抑えられたただけで、2安打完封ってかっこいいけど、そんな状態で、だったんですよ」
その試合、太田氏は4番打者として3打数1安打2打点の成績も残したが「とにかくピッチングに四苦八苦で、試合経過も4番を打っていたこともよく覚えていない」と話す。東北大会を優勝して選抜切符をつかんだ三沢高だが、太田氏にとって夏から続く快進撃というよりも、苦しみ抜いて得た2度目の聖地への道のりだったようだ。
選抜大会で延長15回敗戦も…「全て最後の夏につながっていった」
11月には明治維新百年記念明治神宮野球大会が開催され、全国10地区の代表校と沖縄代表校の計11チームで争った高校の部に、三沢高は東北代表として出場した。結果は準決勝敗退。初戦の2回戦は三重(中部代表)を5-0で破ったが、準決勝で小倉(九州代表)に1-4で敗れた。太田氏は「これも、なかなかドラマチックでしたよ」と言う。
「初戦の三重は2安打完封かなぁ。その三重が次の年の選抜で優勝するんですよ。だから三重が優勝した時、“俺はあそこを秋に完封したんだ。だから……”っていうワケの分からない三段論法を言ったりしてねぇ(笑)。次の小倉戦は(主砲の)楠城(徹捕手、元太平洋・クラウン・西武)にバカバカ打たれて負けたけど、選抜の1回戦の相手がまた小倉だったんですよねぇ。その時は勝ったけど、楠城には、また打たれたと思いますよ」。
夏春2期連続の甲子園出場となった1969年春の選抜は1回戦で小倉に4-1で前年秋の神宮大会の雪辱を果たした。しかし、2回戦は浪商に延長15回2-4で負けた。太田氏は「あれも延長でしたもんねぇ」と言いつつ「あの頃は天下の浪商ですからね。大阪代表の浪商を相手に15回まで互角に渡り合ったんで、これまた負けたけど何か自信というか……」。
2度の甲子園経験で、太田氏ら三沢ナインは着実に力をつけていった。そして、ここからまたさらに……。「2年の夏も3年の選抜も2回戦で負けて帰ってきたけど、それが全て最後の夏につながっていったんですよ」。その戦いはクライマックスに突入していった。
🎤大社高校野球部の石飛文太監督が講演 全国ベスト8 島根の名将 岩手県盛岡市
https://news.yahoo.co.jp/articles/0f2ac266cf21069212ebbc2c81209d947d4c89f6
2024年の夏の甲子園でベスト8入りを果たした島根県の公立高校大社高校の石飛文太監督が2月16日、岩手県盛岡市内で講演しました。
講演では「選手が目標にたどり着くための方法を一緒に考える」という指導者としての信念を語りました。
大社高校野球部の石飛文太監督は16日、県高野連が開いた監督会議に招かれ講演しました。
石飛監督が率いる大社高校は2024年の夏の甲子園に32年ぶりに出場し、公立校ながら全国の強豪校を破りベスト8まで勝ち進みました。
講演では「夢は無限大」をテーマに、石飛監督が自らの指導について振り返りました。
大社高校 石飛文太監督「現在地(今の自分)を知ることというのが、多分生徒はできない。ここが目標で現在地がここだったら、これだけの努力で良いという考え。でも本当はここかもしれない」
石飛監督はそれぞれの思いや考えを尊重した上で「選手が目標にたどり着くための方法を、一緒に考える」という指導者としての信念について語りました。
会議に出席した盛岡四高 佐々木偉彦監督「(石飛監督は生徒との)関わり方が上手。人柄と熱いものを感じたので、これを元にまた私も頑張りたい」
講演を聞いた県内の指導者たちは、選手との関わり方を改めて考えるとともに、多くの刺激を受けた様子でした。
📣<春風に乗って>’26センバツ 三重 先輩からのエール 57年前優勝時の主将・中田和男さん
https://news.yahoo.co.jp/articles/9f2fe0eae56204a701e37e66038dcb09e59941a2
◇技術磨き、最後は気持ち
57年前、県勢初の選抜高校野球大会(センバツ)優勝を果たした三重。「優勝旗は重かった」と語るのは当時の主将、中田和男さん(74)だ。後に監督を務め、現在もなお孫のような後輩の指導に当たる。野球部の「歴史」を作った先輩は後輩に何を託すのか。
1969年3月27日のセンバツ開会式。中田さんは「雲の上を歩いているよう。夢みたいだった」と話す。初戦の向陽(和歌山)との試合で初めて打席に立った時は「足はガクガク。県大会とは比べものにならなかった」という。
中田さんは名張市出身。その頃は、夏の甲子園が1県1代表になる前で、岐阜県と三重県で代表1校を決める三岐大会があった。そんな時代に三重が甲子園に出たのを見て「県内からでも甲子園に行けるのか」と思い、家族の反対を押し切って進学した。
もちろん優勝までの道のりは平たんではなかった。中田さんが入部したのは61年の創部から間もない時期だ。もともと沼地だった場所にグラウンドを造成したばかり。水はけをよくするため、部員がスコップで深さ1メートルもの溝を掘った。一からのスタートだった。グラウンドが砂利だらけなので、とにかく走った。もともと打撃力のある選手たちが足腰を鍛え上げたことで、強打のチームができあがった。
満員の甲子園球場で4月6日にあった堀越(東京)との決勝。それまで3試合で1点しか取られていない相手エース左腕に対して初回、徹底した初球狙いに足を絡めていきなり4点を先制。中田さんも八回、ダメ押しのスクイズを決め、12―0の横綱相撲で全国を制した。
しかし、一番驚いたのは優勝した後だった。翌7日、優勝旗を掲げて近鉄松阪駅に降り立つと、駅前を人が覆い尽くしていた。「これほどまで多くの人が応援してくれていたのか」と実感した忘れられない瞬間だった。
その後、中田さんは中京大に進学し、75年に監督に就任。春3回、夏4回、甲子園に導いた。「監督として見る甲子園は全然違う。甲子園がきっかけで化ける選手を何人も見てきた。最後は能力よりいかに勝ちたいかという気持ちだ」と話す。
2014年春に指導の表舞台から引退。「今は雑用係」(中田さん)だと笑う。とはいえ、打撃などの指導を週に5回。選手育成、野球への情熱は衰えていない。
後輩に伝えているのは「甲子園にいかなきゃ損やぞ」ということ。「今年のチームはうまく回転している。際立った特徴はないが、よいところで点を取る全員野球のチーム」と評価する。後輩がどう応えるか、活躍に期待が高まる。
第5話 米原監督あるいは高校球界最後の采配・・・なぜかしら第一工業大へ転職
10/21 秋季近畿大会3日目第1試合 ほっともっとフィールド神戸 和歌山東(和歌山②)-天理(奈良①) 10:56~12:54
一二三四五六七八九十計HE
天 理020030000 581 下坊、伊藤-石井
和歌山東000000001 131 西岡、中西、清水-田﨑
第二試合
大 院 大
北 稜
HMF神戸に三日連続足を運ぶのはあまり記憶がない。。。。。この日も快晴で、初日の雨が恨めしい、、、ただ晴天だったら滋賀短大付が逆転勝ちできた保証もないのでなんともだが。
この日は初日に予定されていた2試合が平日にスライドされやはり土日に比べりゃお客さんもかなり減り11時からの試合開始とあってずいぶんノンビリした雰囲気で平日昼間のラジオを聴きながら須磨区入り。
まず第1試合は和歌山東が天理に挑む。和歌山東は軟式野球部のみの活動だったが、県和歌山商をセンバツ出場させて古豪復活の印象付けた米原監督が硬式野球部創設の為に異動され創部10年少しでセンバツ出場に導いた!
かつては近畿大会に出ても初戦敗退を繰り返し夏は4強が最高で甲子園が遠くに霞んでいたが、近大新宮よりも早く甲子園出場し1勝した。
この秋は準決勝で市和歌山に競り勝ち決勝で和智弁相手に0-1と大善戦し11安打完封負けと攻撃面で歯車がかみ合わなかったが、天理サイドにしてもイヤな相手には違いなさそう。
天理は中村監督が大阪学院大の監督に就任し、天理大学の藤原監督が降臨してきた。奈良産業大監督時代に警察のお世話になったようだが、みそぎを済ませて天理大学に異動し今度は天理高校と百戦錬磨のキャリアを持ち、就任約1年で奈良を制して近畿大会登場。どうやら伝統の強打に加えて緻密な野球を浸透させていく新しいカラーの天理を観れるかもしれない。
スタンドを見るとやはりブラスバンドは不在だが、両軍ともに録音応援と太鼓1つの応援。先発はお互いエースに任せているが、先攻派だった米原監督だがこの日は後攻だった。天理は監督が何度も交代しても一貫して後攻派なだけに、どちらがじゃんけんで勝ったのかが気になった。
そして和歌山東の外野ノックは背番号19が務めており米原監督はベンチ奥に座っていた。紀三井寺ではいつもホームノックをしており、ノック終了後は北原監督よろしくバットを肩に担いでノッシノッシとゆっくり歩いて帰っていくさまを一部の野球ファンは態度がデカいとご立腹のようだったが・・・・・。
試合は1回表プレーボールのサイレンと同時に1番・赤埴がセンター前ヒット。藤原監督は天理らしくバントの構えはなく打ちに行き四球で無死1・2塁。ここで3番・伊藤が送りバントをしにいくが普段バントなんてしていないせいなのか???2球連続ファールで追い込まれしゃーなしに強攻策に帰るとまさかのショートライナーダブルプレー・・・。相手の拙攻にも助けられ4番・冨田レフトフライでなんとか無失点で食い止めた。
しかしその裏、天理のエース・下坊がいとも簡単に三者凡退に抑え和智弁戦のように簡単にヒットを量産することすらできない予感が漂った。
2回表天理は2死からエースで7番・下坊がレフト前ヒット。そして意表を突いて盗塁成功。8番・高瀬が四球で1・2塁とピンチを招き、9番・石井を2-1と追い込みながら、ここから和歌山東バッテリーがスライダーを続けまさかの連続ワイルドピッチで2者生還。HMF神戸のファールグラウンドが広いこともあり、2・3塁からの暴投で2者生還されたのが辛い・・・。
そしてバッテリーはもうストレート1本に切り替えて外130km見逃しの三振。追い込んで真っすぐを投げていればと悔やまれる2連続暴投だった。。。
天理は3回も1死から2番・永末がレフト前ヒットで毎回ランナーを出し続けるが、3・4番が早打ちで連続センターフライに倒れまだ踏みとどまった。
その裏、和歌山東は1死から8番・田﨑がサード内野安打で出塁。ようやく米原監督の腕の見せ所がやってきた!9番・西岡にどういった策を授けるのか?興味深く観ていたら初球ボールの後の2球目にバスターでファール。3球目は送りバントするもファールで追い込まれ結局2-2からスリーバントで2死2塁。1番・中松がホームランを打てば2-2同点となるが、レフトに飛球が上がったもののフェンスまではあまりにも遠くレフト石黒のグラブに納まった。。。
4回表天理は1死から6番・石黒が内野安打で出塁するも、藤原監督は歴代の天理監督よろしく全く動かず7番・下坊1-1からセカンドゴロゲッツー・・・。
早く1点を返して反撃したい和歌山東だが、2番からの攻撃だった4回も下坊投手の前におとなしく三者凡退で米原監督も策の打ちようがなかった。。。
ここまで毎回の4安打放ちながら暴投による2点のみしか取れない天理だったが、藤原監督のきめ細かい指示があったのか?5回ニュー天理が本領発揮した。
いきなり先頭打者がまさかのセーフティーバントをかましサードゴロ。2死ランナーなしからでも1番・赤埴がセーフティーを仕掛けて今度は内野安打。するとここまでほとんど動かなかった藤原監督が1-1からエンドランを仕掛けファール。これで和歌山東ナインが浮足立ったのか?2-2から2番・永末がレフト前ヒットを放ちレフト谷口がまさかの後逸で1点が入りなおも2死3塁。
3番・伊藤が四球で出塁するとまさかの単独スチール成功後に、4番・冨田がレフトへ2点タイムリーヒットと2死ランナーなしからあっという間に3点を奪い往年の天理の強さを見せつけられた。
ここでようやく米原監督が2度目のタイムを取るも時すでに遅し。エースをそのまま続投させてセンターフライでようやく終わったが、最悪7回コールドも覚悟しなければならない。
反撃したい和歌山東だが、、、5回も三者凡退に終わり何もできないまま整備に入った。
秋の和歌山大会では市和歌山に6-5で競り勝ち、和智弁相手に0-1で大善戦し11安打も放ったので期待していたが、相手が県外の強豪私立ともなれば借りてきた猫のようにおとなしくなってしまった・・・・・。
センバツ出場時でも同じ公立の倉敷工相手に1-1で延長にもつれ込み大量得点で初勝利したものの、2戦目で浦和学院にコテンパンにやられたというよりもエラー連発で自ら崩れていった印象だった。この試合も暴投で2点を献上し、レフト前ヒット後逸もあったので同じような感じだろうか?打線も内野安打の1本だけでは策の立てようもない・・・。
たしかに天理のネームバリューもあるし、藤原新監督の百戦錬磨の采配がかみ合えばこうなっても仕方ないのかもしれないが、、、、、あとはもうコールド回避に向けてイニングで1失点までに留めなければならない。
6回もエース・西岡は続投だった。奈良高校のように投手陣全員思い出登板というような考えは米原監督にはないようで、エースと心中するつもりのようだが、期待に応えてこの試合初の三者凡退に抑えた!
しかし下坊投手は全くスキを与えてくれず、エース・西岡に代打を起用しても突破口も開けず、6回で打者19人が打席に立ち外野にボールが飛んだのはわずか3回だけという壊滅的な打線だった・・・。
7回代打の関係で和歌山東は11番・中西がリリーフ。天理が先攻ゆえに2点取られたら即試合終了とはならないけれど、打線を考えると1点も取れそうにないのであと2イニングぜひ頑張って欲しい!
いきなり先頭の9番・石井にレフト前ヒットを喰らい暗雲漂ってきた。しかし、藤原監督にこの回一気に試合を決めてやろうという欲はなかったようで、2安打している1番・赤埴初球送りバントで1死2塁。同じく2安打している2番・永末はファーストゴロで2死3塁。3番・伊藤は2打数ノーヒットなんでここは間違いなく勝負。バッテリーはビデオで研究していたのか?チェンジアップ3球連続続けてすべて空振りをとって三振!!!
なんとか1点でも返して楽になりたい和歌山東だが、強烈なピッチャー返しも下坊投手のグラブに納まる不運もあり3球でツーアウト。。。しかし4番・田中が追い込まれながらもライト前ヒットを放ち一矢報いる。5番・八木カウント1-3とチャンス拡大の匂いも感じたが、フルカウントからボール球のスライダーに手を出し空振り三振・・・。2球連続待つ勇気はなかったようだ、、、
8回表サウスポー中西は先頭の4番・冨田をレフトフライに抑えホッと一息ついたが、次の瞬間・・・初球デッドボールでまたランナー出塁。6番・石黒は初球ファーストゴロで2死2塁と出口が見えかけ最終関門は下坊投手。投手ということで7番を打っているが本来、中軸を打つ打力を秘めているそうだ・・・。だが、ここは1球ストライクを待ってからサードゴロに終わりコールド回避に成功!
あとは和歌山東打線が1点取れるかどうかに試合の興味が移る。8回裏1死から7番・谷口が9球粘って四球をもぎ取り5点ビハインドながら米原監督は初球からエンドランを仕掛けてショートゴロで2死2塁。中西投手に代打・魚田を起用して米原監督は最善を尽くしたが、、、9球粘るも最後はチェンジアップで空振り三振とホームが遠かった・・・。
もうコールド回避に成功できたし、代打の関係で3番手として清水がマウンドへ。右-左ー右とジグザグ継投をしたが、清水投手にとっては試合の趨勢に影響なく来年に向けての大事な1イニング。
ボール球が先行して心配したが、天理ナインも勝ちはほぼ手中にしたので粗くなったようで3連続フライアウトであっさり攻撃終了。
もちろん下坊投手は完封目指して9回裏のマウンドへ。ところが勝ちを意識しすぎたのか?いきなり先頭打者に初球デッドボール・・・。2番・榎本がこの日一番チームで良い打撃を披露してライトへツーベースを放ち無死2・3塁。最低でも2点返したかったが、3番・坂井初球ショートゴロを放ち2塁走者が3塁封殺されている間に待望の1点が入った!
しかし4番・田中はライトフライに倒れ2死1塁。試合終了直前というタイミングで、藤原監督は我々観客に1秒でも長く試合を見てもらいたいという配慮だったのか???エース・下坊をレフトに下げてサード・伊藤をマウンドへ。9回2死から意味もなく継投した意図は素人には分からないが、伊藤投手にも次戦以降を見据えてHMF神戸のマウンドを体験させたかったのだろうか???
5番・八木初球サードゴロだったが、伊藤の代わりにサードについた東田が1塁悪送球で九死に一生を得たが、6番・福田2ボールからファーストフライを放ち試合終了。
和歌山2位でHMF神戸に初めてやってきた和歌山東だが、天理相手には何もできないまま3安打しか打てず完敗を喫してしまった、、、、、、
和歌山3位の市和歌山も勝ったけれど1得点しかできなかったし和智弁以外の和歌山県勢は県外に出ると打線が本当に機能しない。。。。。
あとは和智弁が神戸学院大付にどういう試合をするか?和歌山東に11安打完封勝ちだったが、1点しか取れなかったので大いなる不安を感じた。
しかし、、、和歌山東が軟式から硬式野球部に移行して初代監督に就任し、センバツ1勝まで導き県でも安定して上位に入る総合力あるチームを育てた米原監督が年を越すと急に転職して鹿児島の第一工業大学のコーチになってしまった・・・・・。こうなると2025年春以降の和歌山東の戦力低下が心配される。。。
秋の心地よい陽射しを浴びて、まだ10月下旬に差し掛かっても日中は充分半袖で通用する陽気の中、第2試合の準備が行われている。この日は平日なんだが、大阪学院・北稜ともにアルプスにはブラスバンドの応援が駆け付けていた。
今大会はなぜかしら3位校対決が初戦で2つも組まれるイビツなトーナメントとなっているが、大阪学院は3位とはいえ春も優勝して近畿大会出場しているし1位の履正社が早々に敗退したのでセンバツに向けて気合が入っているだろう。京都3位の北稜は今まで観戦した記憶もなく、正直名前すら知らないので平安が東洋に惨敗した以上のスコアも覚悟していたが、、、、、それはまた次回の講釈で。
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 死球 三振 暴投 失点 自責
天 理 下 坊 8 2/3 31 113 3 1 1 1 4 0 1 1
天 理 伊 藤 1/3 2 4 0 0 0 0 0 0 0 0
和歌山東 西 岡 6 26 105 7 0 3 0 2 2 5 5
和歌山東 中 西 2 8 17 1 1 1 1 1 0 0 0
和歌山東 清 水 1 3 10 0 0 0 0 0 0 0 0
(完)
🌟次回予告🌟
10/21 秋季近畿大会3日目第2試合 ほっともっとフィールド神戸 大阪学院(大阪③)-北稜(京都③)
10/21 秋季近畿大会3日目第1試合 ほっともっとフィールド神戸 和歌山東(和歌山②)-天理(奈良①) 10:56~12:54
一二三四五六七八九十計HE
天 理020030000 581 下坊、伊藤-石井
和歌山東000000001 131 西岡、中西、清水-田﨑
第二試合
大 院 大
北 稜
HMF神戸に三日連続足を運ぶのはあまり記憶がない。。。。。この日も快晴で、初日の雨が恨めしい、、、ただ晴天だったら滋賀短大付が逆転勝ちできた保証もないのでなんともだが。
この日は初日に予定されていた2試合が平日にスライドされやはり土日に比べりゃお客さんもかなり減り11時からの試合開始とあってずいぶんノンビリした雰囲気で平日昼間のラジオを聴きながら須磨区入り。
まず第1試合は和歌山東が天理に挑む。和歌山東は軟式野球部のみの活動だったが、県和歌山商をセンバツ出場させて古豪復活の印象付けた米原監督が硬式野球部創設の為に異動され創部10年少しでセンバツ出場に導いた!
かつては近畿大会に出ても初戦敗退を繰り返し夏は4強が最高で甲子園が遠くに霞んでいたが、近大新宮よりも早く甲子園出場し1勝した。
この秋は準決勝で市和歌山に競り勝ち決勝で和智弁相手に0-1と大善戦し11安打完封負けと攻撃面で歯車がかみ合わなかったが、天理サイドにしてもイヤな相手には違いなさそう。
天理は中村監督が大阪学院大の監督に就任し、天理大学の藤原監督が降臨してきた。奈良産業大監督時代に警察のお世話になったようだが、みそぎを済ませて天理大学に異動し今度は天理高校と百戦錬磨のキャリアを持ち、就任約1年で奈良を制して近畿大会登場。どうやら伝統の強打に加えて緻密な野球を浸透させていく新しいカラーの天理を観れるかもしれない。
スタンドを見るとやはりブラスバンドは不在だが、両軍ともに録音応援と太鼓1つの応援。先発はお互いエースに任せているが、先攻派だった米原監督だがこの日は後攻だった。天理は監督が何度も交代しても一貫して後攻派なだけに、どちらがじゃんけんで勝ったのかが気になった。
そして和歌山東の外野ノックは背番号19が務めており米原監督はベンチ奥に座っていた。紀三井寺ではいつもホームノックをしており、ノック終了後は北原監督よろしくバットを肩に担いでノッシノッシとゆっくり歩いて帰っていくさまを一部の野球ファンは態度がデカいとご立腹のようだったが・・・・・。
試合は1回表プレーボールのサイレンと同時に1番・赤埴がセンター前ヒット。藤原監督は天理らしくバントの構えはなく打ちに行き四球で無死1・2塁。ここで3番・伊藤が送りバントをしにいくが普段バントなんてしていないせいなのか???2球連続ファールで追い込まれしゃーなしに強攻策に帰るとまさかのショートライナーダブルプレー・・・。相手の拙攻にも助けられ4番・冨田レフトフライでなんとか無失点で食い止めた。
しかしその裏、天理のエース・下坊がいとも簡単に三者凡退に抑え和智弁戦のように簡単にヒットを量産することすらできない予感が漂った。
2回表天理は2死からエースで7番・下坊がレフト前ヒット。そして意表を突いて盗塁成功。8番・高瀬が四球で1・2塁とピンチを招き、9番・石井を2-1と追い込みながら、ここから和歌山東バッテリーがスライダーを続けまさかの連続ワイルドピッチで2者生還。HMF神戸のファールグラウンドが広いこともあり、2・3塁からの暴投で2者生還されたのが辛い・・・。
そしてバッテリーはもうストレート1本に切り替えて外130km見逃しの三振。追い込んで真っすぐを投げていればと悔やまれる2連続暴投だった。。。
天理は3回も1死から2番・永末がレフト前ヒットで毎回ランナーを出し続けるが、3・4番が早打ちで連続センターフライに倒れまだ踏みとどまった。
その裏、和歌山東は1死から8番・田﨑がサード内野安打で出塁。ようやく米原監督の腕の見せ所がやってきた!9番・西岡にどういった策を授けるのか?興味深く観ていたら初球ボールの後の2球目にバスターでファール。3球目は送りバントするもファールで追い込まれ結局2-2からスリーバントで2死2塁。1番・中松がホームランを打てば2-2同点となるが、レフトに飛球が上がったもののフェンスまではあまりにも遠くレフト石黒のグラブに納まった。。。
4回表天理は1死から6番・石黒が内野安打で出塁するも、藤原監督は歴代の天理監督よろしく全く動かず7番・下坊1-1からセカンドゴロゲッツー・・・。
早く1点を返して反撃したい和歌山東だが、2番からの攻撃だった4回も下坊投手の前におとなしく三者凡退で米原監督も策の打ちようがなかった。。。
ここまで毎回の4安打放ちながら暴投による2点のみしか取れない天理だったが、藤原監督のきめ細かい指示があったのか?5回ニュー天理が本領発揮した。
いきなり先頭打者がまさかのセーフティーバントをかましサードゴロ。2死ランナーなしからでも1番・赤埴がセーフティーを仕掛けて今度は内野安打。するとここまでほとんど動かなかった藤原監督が1-1からエンドランを仕掛けファール。これで和歌山東ナインが浮足立ったのか?2-2から2番・永末がレフト前ヒットを放ちレフト谷口がまさかの後逸で1点が入りなおも2死3塁。
3番・伊藤が四球で出塁するとまさかの単独スチール成功後に、4番・冨田がレフトへ2点タイムリーヒットと2死ランナーなしからあっという間に3点を奪い往年の天理の強さを見せつけられた。
ここでようやく米原監督が2度目のタイムを取るも時すでに遅し。エースをそのまま続投させてセンターフライでようやく終わったが、最悪7回コールドも覚悟しなければならない。
反撃したい和歌山東だが、、、5回も三者凡退に終わり何もできないまま整備に入った。
秋の和歌山大会では市和歌山に6-5で競り勝ち、和智弁相手に0-1で大善戦し11安打も放ったので期待していたが、相手が県外の強豪私立ともなれば借りてきた猫のようにおとなしくなってしまった・・・・・。
センバツ出場時でも同じ公立の倉敷工相手に1-1で延長にもつれ込み大量得点で初勝利したものの、2戦目で浦和学院にコテンパンにやられたというよりもエラー連発で自ら崩れていった印象だった。この試合も暴投で2点を献上し、レフト前ヒット後逸もあったので同じような感じだろうか?打線も内野安打の1本だけでは策の立てようもない・・・。
たしかに天理のネームバリューもあるし、藤原新監督の百戦錬磨の采配がかみ合えばこうなっても仕方ないのかもしれないが、、、、、あとはもうコールド回避に向けてイニングで1失点までに留めなければならない。
6回もエース・西岡は続投だった。奈良高校のように投手陣全員思い出登板というような考えは米原監督にはないようで、エースと心中するつもりのようだが、期待に応えてこの試合初の三者凡退に抑えた!
しかし下坊投手は全くスキを与えてくれず、エース・西岡に代打を起用しても突破口も開けず、6回で打者19人が打席に立ち外野にボールが飛んだのはわずか3回だけという壊滅的な打線だった・・・。
7回代打の関係で和歌山東は11番・中西がリリーフ。天理が先攻ゆえに2点取られたら即試合終了とはならないけれど、打線を考えると1点も取れそうにないのであと2イニングぜひ頑張って欲しい!
いきなり先頭の9番・石井にレフト前ヒットを喰らい暗雲漂ってきた。しかし、藤原監督にこの回一気に試合を決めてやろうという欲はなかったようで、2安打している1番・赤埴初球送りバントで1死2塁。同じく2安打している2番・永末はファーストゴロで2死3塁。3番・伊藤は2打数ノーヒットなんでここは間違いなく勝負。バッテリーはビデオで研究していたのか?チェンジアップ3球連続続けてすべて空振りをとって三振!!!
なんとか1点でも返して楽になりたい和歌山東だが、強烈なピッチャー返しも下坊投手のグラブに納まる不運もあり3球でツーアウト。。。しかし4番・田中が追い込まれながらもライト前ヒットを放ち一矢報いる。5番・八木カウント1-3とチャンス拡大の匂いも感じたが、フルカウントからボール球のスライダーに手を出し空振り三振・・・。2球連続待つ勇気はなかったようだ、、、
8回表サウスポー中西は先頭の4番・冨田をレフトフライに抑えホッと一息ついたが、次の瞬間・・・初球デッドボールでまたランナー出塁。6番・石黒は初球ファーストゴロで2死2塁と出口が見えかけ最終関門は下坊投手。投手ということで7番を打っているが本来、中軸を打つ打力を秘めているそうだ・・・。だが、ここは1球ストライクを待ってからサードゴロに終わりコールド回避に成功!
あとは和歌山東打線が1点取れるかどうかに試合の興味が移る。8回裏1死から7番・谷口が9球粘って四球をもぎ取り5点ビハインドながら米原監督は初球からエンドランを仕掛けてショートゴロで2死2塁。中西投手に代打・魚田を起用して米原監督は最善を尽くしたが、、、9球粘るも最後はチェンジアップで空振り三振とホームが遠かった・・・。
もうコールド回避に成功できたし、代打の関係で3番手として清水がマウンドへ。右-左ー右とジグザグ継投をしたが、清水投手にとっては試合の趨勢に影響なく来年に向けての大事な1イニング。
ボール球が先行して心配したが、天理ナインも勝ちはほぼ手中にしたので粗くなったようで3連続フライアウトであっさり攻撃終了。
もちろん下坊投手は完封目指して9回裏のマウンドへ。ところが勝ちを意識しすぎたのか?いきなり先頭打者に初球デッドボール・・・。2番・榎本がこの日一番チームで良い打撃を披露してライトへツーベースを放ち無死2・3塁。最低でも2点返したかったが、3番・坂井初球ショートゴロを放ち2塁走者が3塁封殺されている間に待望の1点が入った!
しかし4番・田中はライトフライに倒れ2死1塁。試合終了直前というタイミングで、藤原監督は我々観客に1秒でも長く試合を見てもらいたいという配慮だったのか???エース・下坊をレフトに下げてサード・伊藤をマウンドへ。9回2死から意味もなく継投した意図は素人には分からないが、伊藤投手にも次戦以降を見据えてHMF神戸のマウンドを体験させたかったのだろうか???
5番・八木初球サードゴロだったが、伊藤の代わりにサードについた東田が1塁悪送球で九死に一生を得たが、6番・福田2ボールからファーストフライを放ち試合終了。
和歌山2位でHMF神戸に初めてやってきた和歌山東だが、天理相手には何もできないまま3安打しか打てず完敗を喫してしまった、、、、、、
和歌山3位の市和歌山も勝ったけれど1得点しかできなかったし和智弁以外の和歌山県勢は県外に出ると打線が本当に機能しない。。。。。
あとは和智弁が神戸学院大付にどういう試合をするか?和歌山東に11安打完封勝ちだったが、1点しか取れなかったので大いなる不安を感じた。
しかし、、、和歌山東が軟式から硬式野球部に移行して初代監督に就任し、センバツ1勝まで導き県でも安定して上位に入る総合力あるチームを育てた米原監督が年を越すと急に転職して鹿児島の第一工業大学のコーチになってしまった・・・・・。こうなると2025年春以降の和歌山東の戦力低下が心配される。。。
秋の心地よい陽射しを浴びて、まだ10月下旬に差し掛かっても日中は充分半袖で通用する陽気の中、第2試合の準備が行われている。この日は平日なんだが、大阪学院・北稜ともにアルプスにはブラスバンドの応援が駆け付けていた。
今大会はなぜかしら3位校対決が初戦で2つも組まれるイビツなトーナメントとなっているが、大阪学院は3位とはいえ春も優勝して近畿大会出場しているし1位の履正社が早々に敗退したのでセンバツに向けて気合が入っているだろう。京都3位の北稜は今まで観戦した記憶もなく、正直名前すら知らないので平安が東洋に惨敗した以上のスコアも覚悟していたが、、、、、それはまた次回の講釈で。
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 死球 三振 暴投 失点 自責
天 理 下 坊 8 2/3 31 113 3 1 1 1 4 0 1 1
天 理 伊 藤 1/3 2 4 0 0 0 0 0 0 0 0
和歌山東 西 岡 6 26 105 7 0 3 0 2 2 5 5
和歌山東 中 西 2 8 17 1 1 1 1 1 0 0 0
和歌山東 清 水 1 3 10 0 0 0 0 0 0 0 0
(完)
🌟次回予告🌟
10/21 秋季近畿大会3日目第2試合 ほっともっとフィールド神戸 大阪学院(大阪③)-北稜(京都③)
📝夏の甲子園懸けた島根大会 7月11日開幕、決勝は? 島根県高野連、主な大会日程も発表
https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/948309?gsign=yes
島根県高校野球連盟は12日、2026年度の行事日程を決めた。夏の甲子園出場を懸けた第108回全国選手権島根大会は7月11日に開幕し、決勝は26日を予定している。3月末に改修工事を終える予定の県立浜山公園野球場と松江市営野球場が会場となる。
島根大会の組み合わせ抽選会は6月12日に大田市民会館であり、開会式と開幕試合は7月11日に松江市営野球場で実施する。試合日程は今後協議する。
ほかの県内の主な大会日程は次の通り。
県春季大会(4月17日~5月2日・江津市民球場など5会場)
春季中国地区大会(5月30日~6月2日・県立浜山公園野球場)
県秋季大会(9月11日~27日・県立浜山公園野球場など4会場)
💢〈日大三高・野球部活動休止〉「絶対消すから」と少女に送信させたわいせつ動画は部員数十人に拡散「児童ポルノは覚醒剤と同じで所持だけで犯罪」と専門家、もし我が子が手にしたら
https://news.yahoo.co.jp/articles/331e2eab42602c85585e467723d2cc44e951a03c
女子生徒にわいせつな画像・動画を送らせて拡散したとして2月12日、警視庁少年育成課は、昨夏の甲子園で準優勝を遂げた日大三高硬式野球部の17歳と16歳の男子生徒2人を児童買春・ポルノ禁止法違反容疑で書類送検した。報道が過熱した同日、同校野球部は活動を休止、期間は未定だという。
学習用に配布していたタブレット端末で部内数十人に拡散
わいせつな動画は部員数十人に拡散されていた。社会部記者が事件の経緯を解説する。
「昨年3〜6月ごろ、17歳の男子部員Aが『絶対に消すから』といって知人の女子生徒に、わいせつな画像や動画を3回にわたりSNSで送らせ、そのうちの動画1点を16歳の部員Bに提供した疑いがある。その後、Bが同5〜10月ごろ、ほかの複数の部員に動画を送信し、部内数十人に拡散された。部員たちは学校側が学習用に配布していたタブレット端末を使ったとみられている。昨年10月、警視庁に女子生徒の家族から『娘のわいせつな動画が拡散されているようで心配だ』と相談があり事件が発覚した」
昨年夏の甲子園で準優勝し、高校野球の強豪校として知られる日大三高。これまで同校を応援してきた地元住民たちはまさかの不祥事にショックを受けていた。
「なんというか残念としか言いようがありませんよね。昔から強い部なので地元でも応援している人は多かったですし、私も応援しています。去年の甲子園は準優勝してましたし、期待していたのですが…」(近隣住民・女性)
日大といえばこれまで多くの不祥事を起こしてきたが、三高は「昔から真面目なイメージだった」と別の地元住人(男性)は話す。
「俺が知ってる限りは何か不祥事とか事件があったって話は聞いたことないよ。野球部についても昔からひたむきに部活に取り組んでるイメージしかない。昔から野球部は強かったんだけど10年以上前に地元のやんちゃな高校生らが日大三高の野球部が練習しているグラウンドに石を投げて『おいっコラっ』とかヤジを飛ばしにくるなんてことがあった。その時もいくらヤジられようが見向きもせずに練習していた。今の野球部の子達にしたって真面目。その辺で喫煙してる子とか、服装が派手な子なんて見たことない。『お疲れ様』って声をかけると『お疲れっす』って気持ちよく返事する子たちばかりだよ。学校の近くから3〜4人で歩いてるのをよく見かけたから『野球部か? そっち行っても何もないだろ』って声をかけた時もあるよ。その時は『多摩センターの方まで行くんです』って言ってて、歩いたら1時間近くはかかるだろうからすごい遠くまで行くんだなって。その時の子たちも好青年で、近所で素行が悪いとそんな話は聞いたことないし、やっぱり野球部が強くて有名だから地元の人達は応援していたんだ」
警視庁の任意の事情聴取に男子部員AとBは容疑を認め、「やってはいけないことをやってしまった、謝罪したい」「軽率な行動で学校や家族に迷惑をかけてしまった。もっと強い気持ちをもっていればこんなことにならなかった」と猛省しているという。
専門家は「覚醒剤と同じ…」持っていたという事実が招くリスク
少年たちの軽率な行動によって野球の名門校が活動休止となってしまった今回の事件。性的画像・動画の拡散は、女子生徒の人権を踏みにじる絶対に許されない行為だ。
学校内のいじめ問題等に精通するレイ法律事務所の高橋知典弁護士は、児童ポルノに該当する画像・動画の所持によるトラブルの相談は「非常に多いです」と話し、法的な観点からも警鐘を鳴らす。
「女子生徒に関して言えば、自分の性的なものを外部には見せていけませんが、直接受け取った男子生徒が、それを誰かに送ることは絶対に許されない。さらに受け取った人は罪悪感が薄く多くの人に共有してしまう。ここが非常に問題です。関わったすべての人が犯罪者にあたる可能性があります。児童ポルノは所持しているだけで犯罪になるため、法禁物(法律上正当に所持することが認められないもの)といえます。持つだけ、渡すだけで、自分も周りの人間も次々と犯罪者にしてしまう非常に危険なもの。また、直接関わっていなくとも、過去に所持していた事実が数年後に自分へ飛び火するリスクもあり、数ヶ月、1年後にそのような問題が明らかになった場合、例えば今回のように甲子園に出場した、受験や面接を控えている、結婚する――そういったタイミングで、動画を自分も持っていた、または渡したことがあるというのが後で発覚したとき、社会的なダメージは加害者にとっても大きい。児童ポルノは覚醒剤と同じように、持つのも犯罪という理解が必要です」
被害の大きさを考えれば、このような強い社会的制裁があるのも当然だろう。では、仮に我が子が動画を受け取ってしまったら、どうするべきなのだろうか。
「学校内であれば、まず親御さんに相談し、学校の先生にも相談した方がよい。万が一受け取ってしまった場合には、削除すべきです。直ちにそのような動画や画像が出回っていることを相談・報告した上で、削除。絶対に被害を広げてはいけません。そして適切な行動を取ることが『潔白の証明』に繋がる。 拡散された動画の持ち主が学校内で収まっている人間関係であれば、全ての生徒にあたってもらい消してもらうことが大切です。拡散の度合いによるが、性的動画の拡散が問題になった民事訴訟で、高額なものでは過去に200万円程の慰謝料が認められた事例もあります。この点において、加害者が成人しているかどうかは関係ありません」(同前)
学校や部活動などの閉鎖的な環境下においては、当事者は「バレないだろう」「このくらいなら」という考えが働き、次第にエスカレートする傾向もある。この点について高橋弁護士は「日頃から緊密な友人関係が出来上がっていて、この中で拡散しても大丈夫だろうという、よくわからない安心感がある。この安心感が拡散をすごく広げてしまう」と警鐘を鳴らした。
性的画像・映像の拡散は、被害者の名誉や尊厳を深く傷つける行為で、絶対に許されるものではない。被害者が感じた心痛や恐怖は計り知れない。にもかかわらず、自覚なく深刻な加害をしてしまうことが拡散の恐ろしさだ。同様の事件が二度と起こらないことを切に願う。
🔥<一球一瞬・センバツ近江>第1部 強さに迫る/下 逆境で闘志 「鬼門」突破
https://news.yahoo.co.jp/articles/a7e49d768946684079b27c4524823055b137e122
昨秋の県大会初戦の2回戦を快勝で突破した近江は3回戦で膳所をコールドで退けた。準々決勝で能登川に思わぬ苦戦を強いられたが競り勝った。試合での粘りも出てきたことでチームの一体感の手応えも増していた。そして、準決勝の滋賀学園戦を小森博之監督(42)と選手たちは並々ならぬ思いで迎えた。ここのところの近江にとって準決勝は「鬼門」だったからだ。
秋季県大会の選手たちの目標は「県大会優勝」だった。全国レベルの近江にとっては控えめと言えるかもしれない。だが、足元を見れば、今の2年生は入部後、春、夏、秋の公式戦で一度も県制覇を経験していない。甲子園につながる夏、秋では2024年夏は綾羽に、同年秋は滋賀学園に、25年夏は再び綾羽に、いずれも準決勝で敗れた。「先を見据えるよりも、県の頂点に返り咲く」。選手たちはミーティングでそう繰り返した。
雨で一日順延した準決勝は25年10月6日午後5時前に始まり、照明に照らされる中で進んだ。先発の上田健介(2年)は走者を出すが要所を締めるエースらしい投球だった。
5―1で九回の守りを迎え、近江のスタンド席は勝利は近いと思っていただろう。だが、1死から上田が足をつり、四球を出したところで投手が交代。その後、1点を返され、なお2死二、三塁のピンチの場面だった。
力のない飛球が二塁ベース後方に上がった。遊撃の吉田大翼(同)が追い、後ろ向きのままキャッチ、したかと思った瞬間に中堅の馬場雄聖(1年)と衝突。ボールは芝生の上に転がり、2人の走者が生還した。さらに、勢いづいた相手打線に同点に持ち込まれた。記録は安打だったが、吉田は落球した場面をミスだと感じていた。
だが、そこでチームは沈まなかった。選手たちは互いに鼓舞し合い、十回タイブレークの攻撃に臨む。1死二、三塁で打席に吉田。自分として許せなかったミスが逆に集中力を高めた。変化球をフルスイングで捉えると快音を残した打球は中堅手の頭上を越えて2点を奪った。さらに馬場が適時打で続きリードを広げた。
今度は守り切り、鬼門を突破した。決勝は彦根東を10点差で降し、滋賀王者を奪還した。近畿大会では1回戦で市尼崎(兵庫)にコールド勝ちし、準々決勝は滋賀学園に敗れたが、県大会優勝と近畿大会8強などが評価され、2年振りのセンバツ切符を手にした。一体感を手にしたチームは聖地へ向け、一瞬と一球への集中力をますます高めている。
📝甲子園で「膝がガクガク」 酷暑なのにクーラー禁止…夜中に新エースを襲った“洗礼”
https://news.yahoo.co.jp/articles/2a177e38cc35773387af14181d77518958b1bdf1?page=1
初の甲子園も宿舎ではクーラー禁止
1968年夏、2年生エース・太田幸司投手(元近鉄、巨人、阪神)を擁する青森県立三沢高は甲子園大会に初出場した。1回戦(8月10日)は鎮西(熊本)を7-0で下し、初勝利。2回戦(8月16日)は海星(長崎)に1-3で敗れたが、貴重な体験だったという。思い知ったのは青森とは違いすぎる暑さ。「10球くらい全力投球したら、ハァハァハァって」。体を冷やしたらいけないということで宿舎ではクーラー禁止。「なかなか寝られなかった」と苦笑しながら話した。
1968年の全国高等学校野球選手権大会は第50回記念大会。当時は北奥羽、西奥羽、東関東、北関東、西関東……など複数の県で代表を争っての出場30校制だったが、この年は記念大会ということで1府県1代表(北海道は2校、東京は1校)の出場48校制となり、三沢高は青森大会を優勝して甲子園初出場を果たした。
「夜行で上野まで行って、で、東京から新幹線。『うわっ、新幹線だ』ってなって『富士山が見えたぁ』とか、最初はそんなんでしたね。新幹線の中は当然、クーラーが効いていたんだけど、新大阪に着いて、ドアがバーッと開いて、1歩出たら、モワーってなってねぇ。宿舎は(兵庫県)宝塚で、その近くのグラウンドで練習したんですけど、10球ぐらい全力投球したら、もうハァハァ言って、こんなんで試合で投げられるのかなぁと思うくらい暑かったですね」
まずは暑さとの戦いで、それは宿舎でも続いたという。「あの頃は体を冷やしたらいけないからってことでね、部屋にクーラーがついているのに、使えなかった。夜も暑くて、なかなか寝られなくてねぇ。夜中にこっそり風呂場に行って、水をかぶったりとかもしていましたよ」。それでも初の聖地に気持ちは高ぶった。2年生だった太田氏は、青森大会まで背番号11をつけていたが、甲子園大会から背番号1になった。
「宿舎で背番号を渡されて『今日から太田が1番をつけろ』って言われて。(それまで1番だった)先輩は投げていなかったけど、申し訳ないなって思ったのと、(大ファンだった阪神投手の)村山(実)さんと同じ11番の方が、俺もいいのに、とか思いながら……。嬉しいやら、複雑な気持ちでしたね。まぁ、それも思い出ですけどね」。
マウンド上で膝はガクガク、口は乾くし…
夢の甲子園では舞い上がったという。「初めて甲子園のツタを見た時は『おおお!』ってなりましたしね。で、足を踏み入れたらね、青森大会では石ジャリジャリのグラウンドだったのが、サクサク、芝生はシュルシュル。『うわーっ、これが甲子園かぁ』って、もう見るもの、聞くもの何でも『うわ、やっぱり!』でしたよ」。その状況で1回戦の鎮西戦にも挑んだそうだ。
「それまで青森県以外のチームとは練習試合もしたことがなかったですからね。全国レベルというのは、どんなものなのか。ピッチャーとしての自分の力も全国レベルではどのくらいなのか、何もわかっていなかったですから。今でも思い出しますよ。甲子園のマウンドで膝がガクガク、ガクガク。もう緊張しちゃって、口は乾くし……。ホントにもう、とても試合をするような感じじゃなかったんですよ」
にもかかわらず、結果は1安打完封の7-0だった。「ムチャクチャ緊張していたんですけど、ボールを投げたらグワーンって、いい球がいったんですよ。だから2パターンあるんじゃないかと思います。もう舞い上がって全然駄目なタイプと、火事場の馬鹿力じゃないけど、力以上のものが出るタイプがね。僕はあの時、運良く、力が出る方へ行ったんでしょうね。”あれ? これ、いけるな”って感じでね。味方も地方大会でも7点なんて取ったことなかったのに、どうなっているの、みたいな、そんな試合でしたね」。
途中からナイター照明もついた第4試合だったのもよかった。「もうギンギンの太陽はないし、ちょっとは涼しいというか、まだマシだったんでね。1安打完封でしたけど、その1安打もどん詰まりのセカンドゴロで、イレギュラーかなんかしたのか知らないけど、先輩(二塁手)の宮崎さんがトンネル。普通トンネルだったらエラーですけどね(笑)。後に冗談で『宮崎さん、あれエラーでしょ、エラーだったら俺、ノーヒットノーランだったよ』なんて言ったりもしましたよ」。
この快投で太田氏はさらに注目されるようになった。「取材とかも何か増えてきた感じで……」。まだ、この時は女性ファン大熱狂の「コーちゃんフィーバー」こそ起きていなかったものの、甘いマスクの快速球右腕として高校野球ファンには認知されはじめた。だが2回戦は海星に1-3で敗退。「あれは第3試合かな、あの時は暑くてもう投げる前からフーフー言っていたら初回にホームランを打たれた。でも(6安打完投で)ガンガンに打たれたわけではなかったですけどね」。
初の聖地は2回戦敗退で終わったが、収穫も多かったという。「まぁまぁ全国レベルに投げられるな、というある程度の自信を得て“よし、これで3年生になったら……みたいな“お土産”を持って地元に帰りました。でもそれも、初戦で舞い上がったままバラバラになっていたら次もなかったかもしれない。だから振り返ったらポイント、ポイントでいい方へ、いい方へ、何か流れていったなって感じでしたね」。この夏が序章。太田氏の「甲子園ドラマ」はこうして幕を開けた。
https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/948309?gsign=yes
島根県高校野球連盟は12日、2026年度の行事日程を決めた。夏の甲子園出場を懸けた第108回全国選手権島根大会は7月11日に開幕し、決勝は26日を予定している。3月末に改修工事を終える予定の県立浜山公園野球場と松江市営野球場が会場となる。
島根大会の組み合わせ抽選会は6月12日に大田市民会館であり、開会式と開幕試合は7月11日に松江市営野球場で実施する。試合日程は今後協議する。
ほかの県内の主な大会日程は次の通り。
県春季大会(4月17日~5月2日・江津市民球場など5会場)
春季中国地区大会(5月30日~6月2日・県立浜山公園野球場)
県秋季大会(9月11日~27日・県立浜山公園野球場など4会場)
💢〈日大三高・野球部活動休止〉「絶対消すから」と少女に送信させたわいせつ動画は部員数十人に拡散「児童ポルノは覚醒剤と同じで所持だけで犯罪」と専門家、もし我が子が手にしたら
https://news.yahoo.co.jp/articles/331e2eab42602c85585e467723d2cc44e951a03c
女子生徒にわいせつな画像・動画を送らせて拡散したとして2月12日、警視庁少年育成課は、昨夏の甲子園で準優勝を遂げた日大三高硬式野球部の17歳と16歳の男子生徒2人を児童買春・ポルノ禁止法違反容疑で書類送検した。報道が過熱した同日、同校野球部は活動を休止、期間は未定だという。
学習用に配布していたタブレット端末で部内数十人に拡散
わいせつな動画は部員数十人に拡散されていた。社会部記者が事件の経緯を解説する。
「昨年3〜6月ごろ、17歳の男子部員Aが『絶対に消すから』といって知人の女子生徒に、わいせつな画像や動画を3回にわたりSNSで送らせ、そのうちの動画1点を16歳の部員Bに提供した疑いがある。その後、Bが同5〜10月ごろ、ほかの複数の部員に動画を送信し、部内数十人に拡散された。部員たちは学校側が学習用に配布していたタブレット端末を使ったとみられている。昨年10月、警視庁に女子生徒の家族から『娘のわいせつな動画が拡散されているようで心配だ』と相談があり事件が発覚した」
昨年夏の甲子園で準優勝し、高校野球の強豪校として知られる日大三高。これまで同校を応援してきた地元住民たちはまさかの不祥事にショックを受けていた。
「なんというか残念としか言いようがありませんよね。昔から強い部なので地元でも応援している人は多かったですし、私も応援しています。去年の甲子園は準優勝してましたし、期待していたのですが…」(近隣住民・女性)
日大といえばこれまで多くの不祥事を起こしてきたが、三高は「昔から真面目なイメージだった」と別の地元住人(男性)は話す。
「俺が知ってる限りは何か不祥事とか事件があったって話は聞いたことないよ。野球部についても昔からひたむきに部活に取り組んでるイメージしかない。昔から野球部は強かったんだけど10年以上前に地元のやんちゃな高校生らが日大三高の野球部が練習しているグラウンドに石を投げて『おいっコラっ』とかヤジを飛ばしにくるなんてことがあった。その時もいくらヤジられようが見向きもせずに練習していた。今の野球部の子達にしたって真面目。その辺で喫煙してる子とか、服装が派手な子なんて見たことない。『お疲れ様』って声をかけると『お疲れっす』って気持ちよく返事する子たちばかりだよ。学校の近くから3〜4人で歩いてるのをよく見かけたから『野球部か? そっち行っても何もないだろ』って声をかけた時もあるよ。その時は『多摩センターの方まで行くんです』って言ってて、歩いたら1時間近くはかかるだろうからすごい遠くまで行くんだなって。その時の子たちも好青年で、近所で素行が悪いとそんな話は聞いたことないし、やっぱり野球部が強くて有名だから地元の人達は応援していたんだ」
警視庁の任意の事情聴取に男子部員AとBは容疑を認め、「やってはいけないことをやってしまった、謝罪したい」「軽率な行動で学校や家族に迷惑をかけてしまった。もっと強い気持ちをもっていればこんなことにならなかった」と猛省しているという。
専門家は「覚醒剤と同じ…」持っていたという事実が招くリスク
少年たちの軽率な行動によって野球の名門校が活動休止となってしまった今回の事件。性的画像・動画の拡散は、女子生徒の人権を踏みにじる絶対に許されない行為だ。
学校内のいじめ問題等に精通するレイ法律事務所の高橋知典弁護士は、児童ポルノに該当する画像・動画の所持によるトラブルの相談は「非常に多いです」と話し、法的な観点からも警鐘を鳴らす。
「女子生徒に関して言えば、自分の性的なものを外部には見せていけませんが、直接受け取った男子生徒が、それを誰かに送ることは絶対に許されない。さらに受け取った人は罪悪感が薄く多くの人に共有してしまう。ここが非常に問題です。関わったすべての人が犯罪者にあたる可能性があります。児童ポルノは所持しているだけで犯罪になるため、法禁物(法律上正当に所持することが認められないもの)といえます。持つだけ、渡すだけで、自分も周りの人間も次々と犯罪者にしてしまう非常に危険なもの。また、直接関わっていなくとも、過去に所持していた事実が数年後に自分へ飛び火するリスクもあり、数ヶ月、1年後にそのような問題が明らかになった場合、例えば今回のように甲子園に出場した、受験や面接を控えている、結婚する――そういったタイミングで、動画を自分も持っていた、または渡したことがあるというのが後で発覚したとき、社会的なダメージは加害者にとっても大きい。児童ポルノは覚醒剤と同じように、持つのも犯罪という理解が必要です」
被害の大きさを考えれば、このような強い社会的制裁があるのも当然だろう。では、仮に我が子が動画を受け取ってしまったら、どうするべきなのだろうか。
「学校内であれば、まず親御さんに相談し、学校の先生にも相談した方がよい。万が一受け取ってしまった場合には、削除すべきです。直ちにそのような動画や画像が出回っていることを相談・報告した上で、削除。絶対に被害を広げてはいけません。そして適切な行動を取ることが『潔白の証明』に繋がる。 拡散された動画の持ち主が学校内で収まっている人間関係であれば、全ての生徒にあたってもらい消してもらうことが大切です。拡散の度合いによるが、性的動画の拡散が問題になった民事訴訟で、高額なものでは過去に200万円程の慰謝料が認められた事例もあります。この点において、加害者が成人しているかどうかは関係ありません」(同前)
学校や部活動などの閉鎖的な環境下においては、当事者は「バレないだろう」「このくらいなら」という考えが働き、次第にエスカレートする傾向もある。この点について高橋弁護士は「日頃から緊密な友人関係が出来上がっていて、この中で拡散しても大丈夫だろうという、よくわからない安心感がある。この安心感が拡散をすごく広げてしまう」と警鐘を鳴らした。
性的画像・映像の拡散は、被害者の名誉や尊厳を深く傷つける行為で、絶対に許されるものではない。被害者が感じた心痛や恐怖は計り知れない。にもかかわらず、自覚なく深刻な加害をしてしまうことが拡散の恐ろしさだ。同様の事件が二度と起こらないことを切に願う。
🔥<一球一瞬・センバツ近江>第1部 強さに迫る/下 逆境で闘志 「鬼門」突破
https://news.yahoo.co.jp/articles/a7e49d768946684079b27c4524823055b137e122
昨秋の県大会初戦の2回戦を快勝で突破した近江は3回戦で膳所をコールドで退けた。準々決勝で能登川に思わぬ苦戦を強いられたが競り勝った。試合での粘りも出てきたことでチームの一体感の手応えも増していた。そして、準決勝の滋賀学園戦を小森博之監督(42)と選手たちは並々ならぬ思いで迎えた。ここのところの近江にとって準決勝は「鬼門」だったからだ。
秋季県大会の選手たちの目標は「県大会優勝」だった。全国レベルの近江にとっては控えめと言えるかもしれない。だが、足元を見れば、今の2年生は入部後、春、夏、秋の公式戦で一度も県制覇を経験していない。甲子園につながる夏、秋では2024年夏は綾羽に、同年秋は滋賀学園に、25年夏は再び綾羽に、いずれも準決勝で敗れた。「先を見据えるよりも、県の頂点に返り咲く」。選手たちはミーティングでそう繰り返した。
雨で一日順延した準決勝は25年10月6日午後5時前に始まり、照明に照らされる中で進んだ。先発の上田健介(2年)は走者を出すが要所を締めるエースらしい投球だった。
5―1で九回の守りを迎え、近江のスタンド席は勝利は近いと思っていただろう。だが、1死から上田が足をつり、四球を出したところで投手が交代。その後、1点を返され、なお2死二、三塁のピンチの場面だった。
力のない飛球が二塁ベース後方に上がった。遊撃の吉田大翼(同)が追い、後ろ向きのままキャッチ、したかと思った瞬間に中堅の馬場雄聖(1年)と衝突。ボールは芝生の上に転がり、2人の走者が生還した。さらに、勢いづいた相手打線に同点に持ち込まれた。記録は安打だったが、吉田は落球した場面をミスだと感じていた。
だが、そこでチームは沈まなかった。選手たちは互いに鼓舞し合い、十回タイブレークの攻撃に臨む。1死二、三塁で打席に吉田。自分として許せなかったミスが逆に集中力を高めた。変化球をフルスイングで捉えると快音を残した打球は中堅手の頭上を越えて2点を奪った。さらに馬場が適時打で続きリードを広げた。
今度は守り切り、鬼門を突破した。決勝は彦根東を10点差で降し、滋賀王者を奪還した。近畿大会では1回戦で市尼崎(兵庫)にコールド勝ちし、準々決勝は滋賀学園に敗れたが、県大会優勝と近畿大会8強などが評価され、2年振りのセンバツ切符を手にした。一体感を手にしたチームは聖地へ向け、一瞬と一球への集中力をますます高めている。
📝甲子園で「膝がガクガク」 酷暑なのにクーラー禁止…夜中に新エースを襲った“洗礼”
https://news.yahoo.co.jp/articles/2a177e38cc35773387af14181d77518958b1bdf1?page=1
初の甲子園も宿舎ではクーラー禁止
1968年夏、2年生エース・太田幸司投手(元近鉄、巨人、阪神)を擁する青森県立三沢高は甲子園大会に初出場した。1回戦(8月10日)は鎮西(熊本)を7-0で下し、初勝利。2回戦(8月16日)は海星(長崎)に1-3で敗れたが、貴重な体験だったという。思い知ったのは青森とは違いすぎる暑さ。「10球くらい全力投球したら、ハァハァハァって」。体を冷やしたらいけないということで宿舎ではクーラー禁止。「なかなか寝られなかった」と苦笑しながら話した。
1968年の全国高等学校野球選手権大会は第50回記念大会。当時は北奥羽、西奥羽、東関東、北関東、西関東……など複数の県で代表を争っての出場30校制だったが、この年は記念大会ということで1府県1代表(北海道は2校、東京は1校)の出場48校制となり、三沢高は青森大会を優勝して甲子園初出場を果たした。
「夜行で上野まで行って、で、東京から新幹線。『うわっ、新幹線だ』ってなって『富士山が見えたぁ』とか、最初はそんなんでしたね。新幹線の中は当然、クーラーが効いていたんだけど、新大阪に着いて、ドアがバーッと開いて、1歩出たら、モワーってなってねぇ。宿舎は(兵庫県)宝塚で、その近くのグラウンドで練習したんですけど、10球ぐらい全力投球したら、もうハァハァ言って、こんなんで試合で投げられるのかなぁと思うくらい暑かったですね」
まずは暑さとの戦いで、それは宿舎でも続いたという。「あの頃は体を冷やしたらいけないからってことでね、部屋にクーラーがついているのに、使えなかった。夜も暑くて、なかなか寝られなくてねぇ。夜中にこっそり風呂場に行って、水をかぶったりとかもしていましたよ」。それでも初の聖地に気持ちは高ぶった。2年生だった太田氏は、青森大会まで背番号11をつけていたが、甲子園大会から背番号1になった。
「宿舎で背番号を渡されて『今日から太田が1番をつけろ』って言われて。(それまで1番だった)先輩は投げていなかったけど、申し訳ないなって思ったのと、(大ファンだった阪神投手の)村山(実)さんと同じ11番の方が、俺もいいのに、とか思いながら……。嬉しいやら、複雑な気持ちでしたね。まぁ、それも思い出ですけどね」。
マウンド上で膝はガクガク、口は乾くし…
夢の甲子園では舞い上がったという。「初めて甲子園のツタを見た時は『おおお!』ってなりましたしね。で、足を踏み入れたらね、青森大会では石ジャリジャリのグラウンドだったのが、サクサク、芝生はシュルシュル。『うわーっ、これが甲子園かぁ』って、もう見るもの、聞くもの何でも『うわ、やっぱり!』でしたよ」。その状況で1回戦の鎮西戦にも挑んだそうだ。
「それまで青森県以外のチームとは練習試合もしたことがなかったですからね。全国レベルというのは、どんなものなのか。ピッチャーとしての自分の力も全国レベルではどのくらいなのか、何もわかっていなかったですから。今でも思い出しますよ。甲子園のマウンドで膝がガクガク、ガクガク。もう緊張しちゃって、口は乾くし……。ホントにもう、とても試合をするような感じじゃなかったんですよ」
にもかかわらず、結果は1安打完封の7-0だった。「ムチャクチャ緊張していたんですけど、ボールを投げたらグワーンって、いい球がいったんですよ。だから2パターンあるんじゃないかと思います。もう舞い上がって全然駄目なタイプと、火事場の馬鹿力じゃないけど、力以上のものが出るタイプがね。僕はあの時、運良く、力が出る方へ行ったんでしょうね。”あれ? これ、いけるな”って感じでね。味方も地方大会でも7点なんて取ったことなかったのに、どうなっているの、みたいな、そんな試合でしたね」。
途中からナイター照明もついた第4試合だったのもよかった。「もうギンギンの太陽はないし、ちょっとは涼しいというか、まだマシだったんでね。1安打完封でしたけど、その1安打もどん詰まりのセカンドゴロで、イレギュラーかなんかしたのか知らないけど、先輩(二塁手)の宮崎さんがトンネル。普通トンネルだったらエラーですけどね(笑)。後に冗談で『宮崎さん、あれエラーでしょ、エラーだったら俺、ノーヒットノーランだったよ』なんて言ったりもしましたよ」。
この快投で太田氏はさらに注目されるようになった。「取材とかも何か増えてきた感じで……」。まだ、この時は女性ファン大熱狂の「コーちゃんフィーバー」こそ起きていなかったものの、甘いマスクの快速球右腕として高校野球ファンには認知されはじめた。だが2回戦は海星に1-3で敗退。「あれは第3試合かな、あの時は暑くてもう投げる前からフーフー言っていたら初回にホームランを打たれた。でも(6安打完投で)ガンガンに打たれたわけではなかったですけどね」。
初の聖地は2回戦敗退で終わったが、収穫も多かったという。「まぁまぁ全国レベルに投げられるな、というある程度の自信を得て“よし、これで3年生になったら……みたいな“お土産”を持って地元に帰りました。でもそれも、初戦で舞い上がったままバラバラになっていたら次もなかったかもしれない。だから振り返ったらポイント、ポイントでいい方へ、いい方へ、何か流れていったなって感じでしたね」。この夏が序章。太田氏の「甲子園ドラマ」はこうして幕を開けた。
📝高校野球鳥取大会は7月11日開幕 熱中症対策で、1日2試合に
https://news.yahoo.co.jp/articles/4a1cd8077fc44829d8c4822cb639772247f5f6be
鳥取県高校野球連盟は13日、鳥取市内で総会を開き、2026年度の大会日程などを決めた。夏の甲子園出場をかけた第108回全国高校野球選手権鳥取大会は7月11日に開幕し、決勝は26日の予定。猛暑による熱中症対策のため、原則として1日2試合とする。
選手権鳥取大会の会場は、鳥取市のヤマタスポーツパーク野球場。組み合わせ抽選会は6月19日に予定している。
大会初日と決勝を除き、1日2試合とする。県高野連によると、昨夏の選手権鳥取大会では、第3試合で熱中症を訴えるケースが目立ったといい、この点を考慮した。第3試合は第2試合終了までの待ち時間が長くなりがちなこと、午後になっても気温があまり下がらない日が多かったことなどが原因として考えられるという。
■鳥取城北の元主将を表彰
総会に先立ち、今年度の日本学生野球協会優秀選手表彰・鳥取県代表に選ばれた鳥取城北の元主将、平山暖也さん(3年)の表彰式があった。
鳥取城北は昨夏の甲子園で、1回戦で仙台育英(宮城)に敗れたが、平山さんは主将、捕手としてチームを引っ張った。表彰後、「負けてしまったが、みんなで甲子園に行けたのが良かった」と話した。卒業後は佛教大学(京都府)に進み、野球を続けるという。
総会終了後、長年にわたって高校野球に功績があった3氏に対する功労者表彰式もあった。表彰されたのは、岩美高校教諭の三田寛さん、倉吉農業高校講師の涌嶋大希さん、県高野連審判委員の平田琢さん。
2026年度の主な大会日程(カッコ内は開催地)
【硬式】
春季県大会 4月18~20、25、26、29日(米子市・倉吉市)
春季中国地区大会 5月30日~6月2日(島根県出雲市)
山陰大会 6月6、7日(鳥取市)
全国選手権鳥取大会 7月11~26日(鳥取市)
秋季県大会 9月19~21、23、26、27日(米子市・倉吉市)
秋季中国地区大会 10月23~25、31日、11月1日(米子市・鳥取市)
【軟式】
春季県大会 4月18、19、25日(鳥取市)
春季中国地区大会 5月23~26日(広島県)
全国選手権鳥取大会 7月11、12、18、19日(米子市)
全国選手権東中国大会 8月1、2日(島根県浜田市)
秋季県大会 10月10、11、17、18日(鳥取市)
秋季中国大会 10月31日~11月3日(山口県柳井市)
🔥<一球一瞬・センバツ近江>第1部 強さに迫る/中 教え、実戦通じて浸透
https://news.yahoo.co.jp/articles/3941c0b9734144e325b4afa8112d14a1f1fe5ac9
昨夏の県大会準決勝で敗れた近江の小森博之監督(42)は「自分のやってきたことは間違っていた」と自覚した。一方、選手たちも昨春から指揮を執り始めた小森監督の指導に戸惑うこともあった。
監督交代後の新体制初日から小森監督の厳しい叱咤の声が響いた。ノックでミスを繰り返すと練習から外された。選手たちは試されているような感覚になったという。「コーチの時とは全く別人になっている」と感じる選手もいた。就任前は、指導は熱心だったが寄り添ってくれる優しいコーチだったからだ。
ミーティングの回数も増えたが、小森監督の伝えたいことが浸透する雰囲気とはほど遠かった。「監督についていけないかもしれない」と漏らす選手もいた。
監督と選手の関係がぎこちないまま新チームが発足した。そんな状況を変えたのは「実戦」だった。昨年7月26日の始動から9月13日の秋季県大会初戦まで練習試合が24試合組まれた。
試合とミーティングを繰り返していくうちに選手たちは小森監督の教えを次第に理解していった。特に選手たちが大切にしていると口をそろえるのが、小森監督のこの言葉だ。「監督だけが活を入れているチームは弱い。選手間で活を入れられるチームが本当に強くて勝てるチームだ」。選手たちは互いに言葉を掛け合い、徐々にまとまり始めた。
それでも秋季県大会の初戦を迎えた時、主将の杉本将吾(2年)は「このチームで勝つことができるのか」とまだ不安だった。相手は24年11月に行われた1年生大会の決勝で4―5で負けた彦根総合だった。心配は無用だった。4―0の快勝。主導権を譲らなかった試合はスローガンにもある「一球一瞬」の精神で、一球ごとに集中できた証しだった。
吉田大翼(同)は思った。「今までやってきたことは間違いじゃなかった。監督について行ったら、甲子園でも勝てるチームになる」。チームは一体となっていた。
💢日大三野球部が活動休止「期限は定めていない」春季大会は4月…学校は「さまざまな案件を考えている」
https://news.yahoo.co.jp/articles/3f34b580eb2b631a288becf0430b261d90b43a88
日大三は(東京)は13日、野球部の活動を無期限の活動休止とした。
女子生徒にわいせつ動画を送らせ拡散したなどとして、12日に児童買春・ポルノ禁止法違反(製造や提供)の疑いで、17歳と16歳の男子部員2人が書類送検されていた。
野球部は12日に練習を見合わせていた。学校は協議の末、活動休止を決定。「期限は定めていない」と回答した。
学校は一連の事案について、昨年11月7日に東京都高野連に報告した。同連盟に対して報告書は提出されておらず、同校は「なるべく早く提出したいと思っています」。直近の公式戦は4月に春季大会が控えており、学校は今後の動きについて「さまざまな案件を考えています」とした。
捜査関係者によると、17歳の部員の書類送検容疑は昨年3~6月ごろ、知人の当時15歳の女子生徒に、わいせつな画像や動画を3回にわたり交流サイト(SNS)で送らせ児童ポルノを製造し、動画1点を16歳の部員に提供した疑い。受け取った16歳の部員は同5~10月ごろ、他の複数の部員に動画を送信して提供した疑い。2人は「やってはいけないことをやってしまった」、「軽率な行動だったと深く反省している」などと容疑を認めている。
日大三は春夏で計3度の甲子園優勝を誇る西東京屈指の名門。昨夏の甲子園では準優勝したが、都大会前から部内で動画が拡散されていたことになる。秋季東京都大会では準々決勝で帝京に0―3で敗れ、今春の選抜出場を逃していた。
☟名門・日大三の“わいせつ動画”問題 他校の監督も衝撃…「スマホを使った不祥事は増えていく」「警察の動きがかなり早い」
https://news.yahoo.co.jp/articles/794a9e966260a2b0bb15049816543e99acd34e47?page=1
高校野球界に衝撃が走った。警視庁は2月12日、日大三の野球部員2人が女子生徒にわいせつな動画を送らせ、それを拡散したとして児童買春・児童ポルノ禁止法違反の疑いで書類送検したことが明らかとなったのだ。日大三は春1回、夏2回の甲子園優勝を誇る全国屈指の強豪校。前任の小倉全由監督は、昨年までU18侍ジャパンの監督を務めた名将として知られる。2023年3月に小倉監督が退任した後も昨年夏の甲子園で準優勝を果たすなど、その強さを示していただけに、今回のニュースに驚いた関係者が多かった。
同様の不祥事が増える可能性も
日大三と対戦経験のある高校の監督は、こう話している。「日大三は小倉監督時代から生活面までしっかり指導しているチームだと認識していましたが……。引き継いだ三木有造監督は、長年小倉監督の下でコーチや部長を務めていた。その方針は変わらず、結果も出ていただけに驚きました」(関東地区の高校野球部の監督)
過去、日大三の野球部の不祥事は見当たらない。また、日大三はスポーツクラスであっても学業成績が優秀でないと入学できないと言われている。進学実績を見ても、野球部から東京六大学をはじめ有名大学に進む生徒が多く、「名門中の名門」で起こった不祥事ということもあって、世間に与えた衝撃は大きい。前出の監督は、同様の不祥事が増えていくのではないかと見ている。
「以前は携帯電話やスマートフォンの使用を禁止しているチームが多かったですが、最近はそれらが生活必需品となっていますので、『全く使うな』と禁止するのは無理があります。生徒同士でどんなやり取りが行われているか、全て把握するのは不可能です。一歩間違えば、昨年プロ野球界で問題になったオンラインカジノみたいなことも起こりますよね。今回の日大三の件は、報道されていることが本当ならば許されることではありません。今後は、このように目に見えないところで起こるスマートフォンを使った不祥事が増える可能性も高いです。ネットのリテラシーなどをしっかり教育していく必要があるのではないでしょうか」
2019年9月、複数の部員が問題行動を起こしたため、早稲田実業は秋の東京大会を辞退した。問題行動の詳細は、関係者への配慮や人権を考慮して公表されなかったものの、今回の日大三と同様にわいせつな動画が拡散されたとの報道があった。早稲田実業も日大三と並ぶ名門校。そんなチームで相次いで不祥事が起こっていることも、時代を象徴していると言えるだろう。
警察の動きが早かった理由
一方、日大三の不祥事については、別の側面でも高校野球の関係者に衝撃を与えたという。それは学校や高野連の処分ではなく、警視庁による書類送検が先に報じられた点だ。これまでの報道によると、昨年10月に被害女子生徒の家族から警察に相談があったが、日大三から東京都高野連に連絡があったのは翌月だという。被害者側の相談が早かったとはいえ、高野連の発表前に警察が動く事例は非常に珍しい。過去にチーム内での不祥事を経験したある高校の指導者は、以下のように話す。
「昨年夏、広陵の部内暴力が世間を騒がせたことも大きいのではないでしょうか。あれだけの騒動になると、なかなか事態が収拾せず、学校と警察の対応が後手に回ったと非難を浴びることになります。日大三の問題は、(被害者が女子生徒で)野球部内にとどまらないこともありますが、警察が校内での不祥事に対応する際も、かなり動きが早い。最近は高校生や中学生のいじめ、暴力の動画がSNSで拡散されて、それがきっかけで問題が発覚することが増えています。このため、警察の対応が早くなっているのかもしれません。本来、不祥事があった場合、高野連が全て対応して処分を決めるのはおかしなことで、警察が先に動くことが本来あるべき対応になってきたと思います。抑止力も働くのではないでしょうか」
昨夏の甲子園大会中に広陵の暴力問題で日本高野連が会見を開いた際には、年間で報告のある不祥事の件数は1000件以上とのコメントもあった。今回のように表に出にくい不祥事が明るみになっていくと対応はさらに困難になる。また、警察が介入するような事態が増えることは、教育の場として望ましくないのは確かだろう。
昨年の広陵、そして今回の日大三の問題をきっかけに、高野連と加盟校が連携して不祥事を未然に防ぐような体制を構築していくことができるだろうか。
📝ナインも両親も「ボロボロ泣いた」 ベンチで“絶望”…列島感動の伝説試合よりも残る思い
https://news.yahoo.co.jp/articles/bdc2e314412900fe47cd2710359e3dc443c7b52a?page=1
元近鉄・太田氏が語る「高校野球人生の最高の思い出」
青森・三沢高時代に「コーちゃんフィーバー」を巻き起こした元近鉄右腕の太田幸司氏(野球評論家)と言えば、1969年夏の甲子園決勝・松山商戦での延長18回0-0引き分け再試合の熱投が有名だ。翌日の試合に敗れて惜しくも準優勝に終わったが、当時は日本中から注目された。ただ、太田氏にとって「高校野球人生の最高の思い出」はその試合ではなかった。それより1年前、初めて甲子園切符をつかんだ1968年夏の青森大会決勝・八戸工戦だという。
学校名が大三沢から三沢に改称された1968年、2年生になった太田氏は明らかに進化していた。背番号11のエースは春の青森大会、準々決勝・大湊戦、準決勝・弘前実戦をいずれも2-0で零封勝利。打者の手元でホップするストレート一本槍の投球で打者を牛耳った。決勝は八戸工と延長12回の激闘の末、1-3で敗れたものの、実力を存分に見せつけて、県内屈指の右腕と評されるようになった。
「春の決勝は雨の中ですわ。最後(延長12回表)はファーストの菊池がポロッと落として点を取られて、みんなが『メガネにワイパー付けろよ』とか言ったり、そんなノリでしたね。負けましたけど、僕ら2年生中心のチームで決勝まで行って、それでもう満足するぐらいだったんです。でも、その後の(田辺)監督のひと言で人生が変わるんですよ。『お前ら、甲子園にまた一歩近づいたな』と言われてね」
最初、その言葉を聞いた時は「“監督は何を言っているんだ”と思った」という。「そしたら『今年の夏は50回の記念大会だ。(今回は)決勝で負けたやろ。あとひとつ勝ったら甲子園に行けるぞ』って。その時は青森と岩手での北奥羽大会で甲子園を争っていたんだけど、記念大会は1県1校。今までいくら頑張っても夢のまた夢だった甲子園が、本当に現実として手が届く。『あとひと踏ん張りだ』ってね」。
太田氏をはじめ、三沢ナインの目の色がそこから変わったそうだ。「もしかしたら、その春から夏にかけてが、高校生活の中で一番夢を持って、希望を持って練習した時期かもしれない。それまで口では甲子園を目指すとか言っていたけど、実際に行けるとは思っていなかったし、あれはテレビで見るところだ、くらいに考えていた。それがひょっとしたらって。そう考えられただけで違ったんですよ」。
チームとして自信を付け始めた時に50回記念大会が開催されるというタイミングもよかった。「そうなんですよね。それもまた巡り合わせというかねぇ」と太田氏は感慨深げに話す。実際、三沢の躍進は続いた。夏の青森大会、初戦となった2回戦の相手は、前年(1967年)秋の青森大会準決勝で敗れた鯵ヶ沢だったが、3-1でリベンジ勝利。勢いも加速して、3回戦・黒石を6-1、準々決勝は弘前実を6-0で撃破した。
決勝戦でリード奪われ「ホントに終わったな」
準決勝の五所川原農林は1-0。三沢は初回に1点を先制。それを太田氏が守り切った。被安打2、奪三振14での完封劇だった。そして迎えた決勝戦。相手は春の青森大会決勝と同じ八戸工だった。「両方がシードで、大会前から決勝は春の再現もあるんじゃないかって言われていて、その通りになったんですけどね」。試合は苦しい展開となった。0-0の7回裏、八戸工にエラー絡みで2点を先行された。
「あの時のことは今でも思い出しますよ。2点取られてウワーってなって。“ああ、甲子園が終わった”と思って、うなだれてねぇ。ベンチに戻る時も遠く感じて……。もうホントに終わったなって感じだったんです」。それが終わらなかった。三沢は直後の8回表に2点を奪い返した。「今度は向こうのエラー。一、二塁でライト前ヒット、前に守っていたライトがライトゴロを狙ってファーストへ大暴投し、ボールがバックネットまで転がる間に2人が還ってきたんです」。
これには太田氏も小躍りした。「(8回裏の)マウンドに行く時はスキップ踏んで『よっしゃあ!』とか言って、気合がブワーと入った」という。「それで延長10回表に1点とった。これは今でも覚えていますわ。(10回裏)最後の打球はショートゴロ。ポン、ポン、ポンと高いバウンドで、ちょっとイレギュラーしたのを(ショートの)八重沢が捕って投げて……。みんなで『甲子園だあ!』って」。
まさに感動の瞬間だった。「野球はその後も長いことさせてもらいました。悔しいこと、嬉しいこと、たくさんありましたけど、野球をやっていて泣いたのは、その時が最初で最後。ベンチの上では両親も含めて、みんなボロボロ泣いていてねぇ……。今、あの時の話をしていても、なんかウルウルしてきますもんね」と太田氏は話し、さらにこう続けた。
「僕に関しては、どうしても(1969年夏、延長18回0-0引き分け再試合の)あの甲子園決勝が話題になるけど、高校での野球人生の中では(1968年、2年生時の青森大会夏の決勝戦の)あの時がもう最高。それほど、甲子園って行けるところじゃないって思っていたんでねぇ」
1968年夏に初出場を果たした三沢は、そこから3期連続で甲子園に出場する。「2年生7人のあのチームで、夏の暑い甲子園も経験できたし、いろんなこともね。それが、最後の(1969年)夏につながっているというか……。もし2年の夏に出られなくて、3年の最後の夏がいきなり甲子園初出場だったら、(松山商との決勝での)あんなことも起きていなかったと思います」。そう言って太田氏はうなずいた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4a1cd8077fc44829d8c4822cb639772247f5f6be
鳥取県高校野球連盟は13日、鳥取市内で総会を開き、2026年度の大会日程などを決めた。夏の甲子園出場をかけた第108回全国高校野球選手権鳥取大会は7月11日に開幕し、決勝は26日の予定。猛暑による熱中症対策のため、原則として1日2試合とする。
選手権鳥取大会の会場は、鳥取市のヤマタスポーツパーク野球場。組み合わせ抽選会は6月19日に予定している。
大会初日と決勝を除き、1日2試合とする。県高野連によると、昨夏の選手権鳥取大会では、第3試合で熱中症を訴えるケースが目立ったといい、この点を考慮した。第3試合は第2試合終了までの待ち時間が長くなりがちなこと、午後になっても気温があまり下がらない日が多かったことなどが原因として考えられるという。
■鳥取城北の元主将を表彰
総会に先立ち、今年度の日本学生野球協会優秀選手表彰・鳥取県代表に選ばれた鳥取城北の元主将、平山暖也さん(3年)の表彰式があった。
鳥取城北は昨夏の甲子園で、1回戦で仙台育英(宮城)に敗れたが、平山さんは主将、捕手としてチームを引っ張った。表彰後、「負けてしまったが、みんなで甲子園に行けたのが良かった」と話した。卒業後は佛教大学(京都府)に進み、野球を続けるという。
総会終了後、長年にわたって高校野球に功績があった3氏に対する功労者表彰式もあった。表彰されたのは、岩美高校教諭の三田寛さん、倉吉農業高校講師の涌嶋大希さん、県高野連審判委員の平田琢さん。
2026年度の主な大会日程(カッコ内は開催地)
【硬式】
春季県大会 4月18~20、25、26、29日(米子市・倉吉市)
春季中国地区大会 5月30日~6月2日(島根県出雲市)
山陰大会 6月6、7日(鳥取市)
全国選手権鳥取大会 7月11~26日(鳥取市)
秋季県大会 9月19~21、23、26、27日(米子市・倉吉市)
秋季中国地区大会 10月23~25、31日、11月1日(米子市・鳥取市)
【軟式】
春季県大会 4月18、19、25日(鳥取市)
春季中国地区大会 5月23~26日(広島県)
全国選手権鳥取大会 7月11、12、18、19日(米子市)
全国選手権東中国大会 8月1、2日(島根県浜田市)
秋季県大会 10月10、11、17、18日(鳥取市)
秋季中国大会 10月31日~11月3日(山口県柳井市)
🔥<一球一瞬・センバツ近江>第1部 強さに迫る/中 教え、実戦通じて浸透
https://news.yahoo.co.jp/articles/3941c0b9734144e325b4afa8112d14a1f1fe5ac9
昨夏の県大会準決勝で敗れた近江の小森博之監督(42)は「自分のやってきたことは間違っていた」と自覚した。一方、選手たちも昨春から指揮を執り始めた小森監督の指導に戸惑うこともあった。
監督交代後の新体制初日から小森監督の厳しい叱咤の声が響いた。ノックでミスを繰り返すと練習から外された。選手たちは試されているような感覚になったという。「コーチの時とは全く別人になっている」と感じる選手もいた。就任前は、指導は熱心だったが寄り添ってくれる優しいコーチだったからだ。
ミーティングの回数も増えたが、小森監督の伝えたいことが浸透する雰囲気とはほど遠かった。「監督についていけないかもしれない」と漏らす選手もいた。
監督と選手の関係がぎこちないまま新チームが発足した。そんな状況を変えたのは「実戦」だった。昨年7月26日の始動から9月13日の秋季県大会初戦まで練習試合が24試合組まれた。
試合とミーティングを繰り返していくうちに選手たちは小森監督の教えを次第に理解していった。特に選手たちが大切にしていると口をそろえるのが、小森監督のこの言葉だ。「監督だけが活を入れているチームは弱い。選手間で活を入れられるチームが本当に強くて勝てるチームだ」。選手たちは互いに言葉を掛け合い、徐々にまとまり始めた。
それでも秋季県大会の初戦を迎えた時、主将の杉本将吾(2年)は「このチームで勝つことができるのか」とまだ不安だった。相手は24年11月に行われた1年生大会の決勝で4―5で負けた彦根総合だった。心配は無用だった。4―0の快勝。主導権を譲らなかった試合はスローガンにもある「一球一瞬」の精神で、一球ごとに集中できた証しだった。
吉田大翼(同)は思った。「今までやってきたことは間違いじゃなかった。監督について行ったら、甲子園でも勝てるチームになる」。チームは一体となっていた。
💢日大三野球部が活動休止「期限は定めていない」春季大会は4月…学校は「さまざまな案件を考えている」
https://news.yahoo.co.jp/articles/3f34b580eb2b631a288becf0430b261d90b43a88
日大三は(東京)は13日、野球部の活動を無期限の活動休止とした。
女子生徒にわいせつ動画を送らせ拡散したなどとして、12日に児童買春・ポルノ禁止法違反(製造や提供)の疑いで、17歳と16歳の男子部員2人が書類送検されていた。
野球部は12日に練習を見合わせていた。学校は協議の末、活動休止を決定。「期限は定めていない」と回答した。
学校は一連の事案について、昨年11月7日に東京都高野連に報告した。同連盟に対して報告書は提出されておらず、同校は「なるべく早く提出したいと思っています」。直近の公式戦は4月に春季大会が控えており、学校は今後の動きについて「さまざまな案件を考えています」とした。
捜査関係者によると、17歳の部員の書類送検容疑は昨年3~6月ごろ、知人の当時15歳の女子生徒に、わいせつな画像や動画を3回にわたり交流サイト(SNS)で送らせ児童ポルノを製造し、動画1点を16歳の部員に提供した疑い。受け取った16歳の部員は同5~10月ごろ、他の複数の部員に動画を送信して提供した疑い。2人は「やってはいけないことをやってしまった」、「軽率な行動だったと深く反省している」などと容疑を認めている。
日大三は春夏で計3度の甲子園優勝を誇る西東京屈指の名門。昨夏の甲子園では準優勝したが、都大会前から部内で動画が拡散されていたことになる。秋季東京都大会では準々決勝で帝京に0―3で敗れ、今春の選抜出場を逃していた。
☟名門・日大三の“わいせつ動画”問題 他校の監督も衝撃…「スマホを使った不祥事は増えていく」「警察の動きがかなり早い」
https://news.yahoo.co.jp/articles/794a9e966260a2b0bb15049816543e99acd34e47?page=1
高校野球界に衝撃が走った。警視庁は2月12日、日大三の野球部員2人が女子生徒にわいせつな動画を送らせ、それを拡散したとして児童買春・児童ポルノ禁止法違反の疑いで書類送検したことが明らかとなったのだ。日大三は春1回、夏2回の甲子園優勝を誇る全国屈指の強豪校。前任の小倉全由監督は、昨年までU18侍ジャパンの監督を務めた名将として知られる。2023年3月に小倉監督が退任した後も昨年夏の甲子園で準優勝を果たすなど、その強さを示していただけに、今回のニュースに驚いた関係者が多かった。
同様の不祥事が増える可能性も
日大三と対戦経験のある高校の監督は、こう話している。「日大三は小倉監督時代から生活面までしっかり指導しているチームだと認識していましたが……。引き継いだ三木有造監督は、長年小倉監督の下でコーチや部長を務めていた。その方針は変わらず、結果も出ていただけに驚きました」(関東地区の高校野球部の監督)
過去、日大三の野球部の不祥事は見当たらない。また、日大三はスポーツクラスであっても学業成績が優秀でないと入学できないと言われている。進学実績を見ても、野球部から東京六大学をはじめ有名大学に進む生徒が多く、「名門中の名門」で起こった不祥事ということもあって、世間に与えた衝撃は大きい。前出の監督は、同様の不祥事が増えていくのではないかと見ている。
「以前は携帯電話やスマートフォンの使用を禁止しているチームが多かったですが、最近はそれらが生活必需品となっていますので、『全く使うな』と禁止するのは無理があります。生徒同士でどんなやり取りが行われているか、全て把握するのは不可能です。一歩間違えば、昨年プロ野球界で問題になったオンラインカジノみたいなことも起こりますよね。今回の日大三の件は、報道されていることが本当ならば許されることではありません。今後は、このように目に見えないところで起こるスマートフォンを使った不祥事が増える可能性も高いです。ネットのリテラシーなどをしっかり教育していく必要があるのではないでしょうか」
2019年9月、複数の部員が問題行動を起こしたため、早稲田実業は秋の東京大会を辞退した。問題行動の詳細は、関係者への配慮や人権を考慮して公表されなかったものの、今回の日大三と同様にわいせつな動画が拡散されたとの報道があった。早稲田実業も日大三と並ぶ名門校。そんなチームで相次いで不祥事が起こっていることも、時代を象徴していると言えるだろう。
警察の動きが早かった理由
一方、日大三の不祥事については、別の側面でも高校野球の関係者に衝撃を与えたという。それは学校や高野連の処分ではなく、警視庁による書類送検が先に報じられた点だ。これまでの報道によると、昨年10月に被害女子生徒の家族から警察に相談があったが、日大三から東京都高野連に連絡があったのは翌月だという。被害者側の相談が早かったとはいえ、高野連の発表前に警察が動く事例は非常に珍しい。過去にチーム内での不祥事を経験したある高校の指導者は、以下のように話す。
「昨年夏、広陵の部内暴力が世間を騒がせたことも大きいのではないでしょうか。あれだけの騒動になると、なかなか事態が収拾せず、学校と警察の対応が後手に回ったと非難を浴びることになります。日大三の問題は、(被害者が女子生徒で)野球部内にとどまらないこともありますが、警察が校内での不祥事に対応する際も、かなり動きが早い。最近は高校生や中学生のいじめ、暴力の動画がSNSで拡散されて、それがきっかけで問題が発覚することが増えています。このため、警察の対応が早くなっているのかもしれません。本来、不祥事があった場合、高野連が全て対応して処分を決めるのはおかしなことで、警察が先に動くことが本来あるべき対応になってきたと思います。抑止力も働くのではないでしょうか」
昨夏の甲子園大会中に広陵の暴力問題で日本高野連が会見を開いた際には、年間で報告のある不祥事の件数は1000件以上とのコメントもあった。今回のように表に出にくい不祥事が明るみになっていくと対応はさらに困難になる。また、警察が介入するような事態が増えることは、教育の場として望ましくないのは確かだろう。
昨年の広陵、そして今回の日大三の問題をきっかけに、高野連と加盟校が連携して不祥事を未然に防ぐような体制を構築していくことができるだろうか。
📝ナインも両親も「ボロボロ泣いた」 ベンチで“絶望”…列島感動の伝説試合よりも残る思い
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元近鉄・太田氏が語る「高校野球人生の最高の思い出」
青森・三沢高時代に「コーちゃんフィーバー」を巻き起こした元近鉄右腕の太田幸司氏(野球評論家)と言えば、1969年夏の甲子園決勝・松山商戦での延長18回0-0引き分け再試合の熱投が有名だ。翌日の試合に敗れて惜しくも準優勝に終わったが、当時は日本中から注目された。ただ、太田氏にとって「高校野球人生の最高の思い出」はその試合ではなかった。それより1年前、初めて甲子園切符をつかんだ1968年夏の青森大会決勝・八戸工戦だという。
学校名が大三沢から三沢に改称された1968年、2年生になった太田氏は明らかに進化していた。背番号11のエースは春の青森大会、準々決勝・大湊戦、準決勝・弘前実戦をいずれも2-0で零封勝利。打者の手元でホップするストレート一本槍の投球で打者を牛耳った。決勝は八戸工と延長12回の激闘の末、1-3で敗れたものの、実力を存分に見せつけて、県内屈指の右腕と評されるようになった。
「春の決勝は雨の中ですわ。最後(延長12回表)はファーストの菊池がポロッと落として点を取られて、みんなが『メガネにワイパー付けろよ』とか言ったり、そんなノリでしたね。負けましたけど、僕ら2年生中心のチームで決勝まで行って、それでもう満足するぐらいだったんです。でも、その後の(田辺)監督のひと言で人生が変わるんですよ。『お前ら、甲子園にまた一歩近づいたな』と言われてね」
最初、その言葉を聞いた時は「“監督は何を言っているんだ”と思った」という。「そしたら『今年の夏は50回の記念大会だ。(今回は)決勝で負けたやろ。あとひとつ勝ったら甲子園に行けるぞ』って。その時は青森と岩手での北奥羽大会で甲子園を争っていたんだけど、記念大会は1県1校。今までいくら頑張っても夢のまた夢だった甲子園が、本当に現実として手が届く。『あとひと踏ん張りだ』ってね」。
太田氏をはじめ、三沢ナインの目の色がそこから変わったそうだ。「もしかしたら、その春から夏にかけてが、高校生活の中で一番夢を持って、希望を持って練習した時期かもしれない。それまで口では甲子園を目指すとか言っていたけど、実際に行けるとは思っていなかったし、あれはテレビで見るところだ、くらいに考えていた。それがひょっとしたらって。そう考えられただけで違ったんですよ」。
チームとして自信を付け始めた時に50回記念大会が開催されるというタイミングもよかった。「そうなんですよね。それもまた巡り合わせというかねぇ」と太田氏は感慨深げに話す。実際、三沢の躍進は続いた。夏の青森大会、初戦となった2回戦の相手は、前年(1967年)秋の青森大会準決勝で敗れた鯵ヶ沢だったが、3-1でリベンジ勝利。勢いも加速して、3回戦・黒石を6-1、準々決勝は弘前実を6-0で撃破した。
決勝戦でリード奪われ「ホントに終わったな」
準決勝の五所川原農林は1-0。三沢は初回に1点を先制。それを太田氏が守り切った。被安打2、奪三振14での完封劇だった。そして迎えた決勝戦。相手は春の青森大会決勝と同じ八戸工だった。「両方がシードで、大会前から決勝は春の再現もあるんじゃないかって言われていて、その通りになったんですけどね」。試合は苦しい展開となった。0-0の7回裏、八戸工にエラー絡みで2点を先行された。
「あの時のことは今でも思い出しますよ。2点取られてウワーってなって。“ああ、甲子園が終わった”と思って、うなだれてねぇ。ベンチに戻る時も遠く感じて……。もうホントに終わったなって感じだったんです」。それが終わらなかった。三沢は直後の8回表に2点を奪い返した。「今度は向こうのエラー。一、二塁でライト前ヒット、前に守っていたライトがライトゴロを狙ってファーストへ大暴投し、ボールがバックネットまで転がる間に2人が還ってきたんです」。
これには太田氏も小躍りした。「(8回裏の)マウンドに行く時はスキップ踏んで『よっしゃあ!』とか言って、気合がブワーと入った」という。「それで延長10回表に1点とった。これは今でも覚えていますわ。(10回裏)最後の打球はショートゴロ。ポン、ポン、ポンと高いバウンドで、ちょっとイレギュラーしたのを(ショートの)八重沢が捕って投げて……。みんなで『甲子園だあ!』って」。
まさに感動の瞬間だった。「野球はその後も長いことさせてもらいました。悔しいこと、嬉しいこと、たくさんありましたけど、野球をやっていて泣いたのは、その時が最初で最後。ベンチの上では両親も含めて、みんなボロボロ泣いていてねぇ……。今、あの時の話をしていても、なんかウルウルしてきますもんね」と太田氏は話し、さらにこう続けた。
「僕に関しては、どうしても(1969年夏、延長18回0-0引き分け再試合の)あの甲子園決勝が話題になるけど、高校での野球人生の中では(1968年、2年生時の青森大会夏の決勝戦の)あの時がもう最高。それほど、甲子園って行けるところじゃないって思っていたんでねぇ」
1968年夏に初出場を果たした三沢は、そこから3期連続で甲子園に出場する。「2年生7人のあのチームで、夏の暑い甲子園も経験できたし、いろんなこともね。それが、最後の(1969年)夏につながっているというか……。もし2年の夏に出られなくて、3年の最後の夏がいきなり甲子園初出場だったら、(松山商との決勝での)あんなことも起きていなかったと思います」。そう言って太田氏はうなずいた。
📝鳥取県高等学校野球連盟行事予定
https://tottori-hbf.jp/index.html
どうやら春・秋の県大会は どらドラ米子市民球場・倉吉市営球場
夏の県大会は ヤマタスポーツパーク球場
秋の中国大会は どらドラ米子市民球場・ヤマタスポーツパーク球場
で開催とのことです。
📝今年の高校野球選手権島根大会、県立浜山をメインに7月11日開幕
https://news.yahoo.co.jp/articles/2b719ece9282bb258881d23eccf15124835274a0
島根県高校野球連盟の2026年度行事計画が12日、決まった。夏の甲子園出場をかけた第108回全国高校野球選手権島根大会は7月11日開幕、同26日決勝の予定。改修工事が終わる県立浜山公園野球場がメイン球場となる。
この日、県高野連の責任教師(部長)会が出雲市内で開かれ、26年度行事計画案が了承された。選手権島根大会は、組み合わせ抽選会が6月12日に大田市民会館で開かれる。開会式と開幕試合はサブ球場の松江市営野球場であり、準々決勝以降はメインの県立浜山で実施される。
責任教師会では、県内の高校野球の発展に尽くしたとして、飯南などで監督、浜田などで部長、県高野連で役員を通算20年務めている岡藤大輔さんが表彰された。
春季中国大会が5月30日~6月2日に県立浜山で予定され、新装なった県立浜山の最初の大会になることや、26年度から導入される指名打者制の注意点についても説明があった。
ほかの主な大会日程は次の通り。
県春季大会=4月17日~5月2日、松江市営など
山陰大会=6月6、7日、ヤマタスポーツパーク野球場(鳥取市)
県秋季大会=9月11~27日、県立浜山など
秋季中国大会=10月23日~11月1日、鳥取県
☟日大三高野球部、活動休止に 動画拡散容疑で書類送検
https://news.yahoo.co.jp/articles/1b8d3441b529c85254556ec78bfc72ebe7f29e32
女子生徒にわいせつな動画を送らせ拡散したなどとして、男子部員2人が児童買春・ポルノ禁止法違反容疑で書類送検された日大三高(東京都町田市)の硬式野球部が、活動を休止していることが13日、同校への取材で分かった。休止は12日からで期間は未定。再開については今後検討するとしている。日大三高は昨夏の高校野球甲子園大会の準優勝校。
松本洋平文部科学相は13日の閣議後会見で「性犯罪は被害者の心身に長期にわたり有害な影響を及ぼす極めて悪質な行為で、断じて許されない」と述べた。
💢日大三野球部員書類送検「個人のモラルの欠如と言わざるを得ない」高野連関係者ため息
https://news.yahoo.co.jp/articles/91f5205a77c348f38c2dd984fba87e44d6de0fc4
「報道が事実であるとすれば、個人のモラルの欠如と言わざるを得ないです」。12日、日大三の部員2人が児童買春・児童ポルノ禁止法違反(製造や提供)容疑で書類送検されたことを受け、高野連関係者の1人がため息を吐いた。
知り合いの女子生徒にわいせつ動画を送らせ、複数人の部員の間で動画が広まった疑いが持たれている。撮影した性的な動画を共有すること自体が常識を大きく逸脱した行為だが、今回動画を拡散する上で使われたのがSNSだった点も見逃すことはできない。「多くの学校現場ではSNSとの向き合い方について生徒たちに指導していますし、時には警察署員の力も借りて研修を行う学校もあります」と手厚く対応に当たっているが、高校球界におけるSNS上のトラブルは後を絶たない。
昨夏、甲子園大会に出場した広陵(広島)は、過去の暴力事案を巡ってSNS上で真偽不明の情報が拡散し、大会途中に出場を辞退。騒動に絡み寮に「爆破予告」が届く事態に発展した。あれから半年足らずで、再びSNSを介した不祥事で甲子園常連校に激震が走った。
防ぐ手だてはあるのか。高野連関係者は「SNS以前に、社会の1人の構成員としての役割は何なのか。どうしてルールを守らないといけないのか。高校生たちに伝わるか伝わらないかではなく、伝えるのが『教育』の役割。それが教員の果たすこと」と言い聞かせるように訴えた。
🎤日大三野球部員が書類送検 小倉全由前監督「前任者として責任痛感」 わいせつ動画送らせ拡散
https://news.yahoo.co.jp/articles/68d1c26dac40016c5d83c381ac0bb352f54a912b
昨夏の甲子園大会で準優勝した日大三(東京)の硬式野球部員2人(17歳と16歳)が女子生徒にわいせつ動画を送らせ拡散したなどとして、警視庁が児童買春・ポルノ禁止法違反(製造や提供)の疑いで書類送検したことが12日、分かった。捜査関係者によると、動画は部員二十数人が受け取り、拡散には十数人が関わったとみられる。
送検容疑は17歳の部員が昨年3~6月ごろ、知人の当時15歳の女子生徒に、わいせつな画像や動画を3回にわたりSNSで送らせ児童ポルノを製造し、動画1点を16歳の部員に提供した疑い。受け取った16歳の部員は同5~10月ごろ、他の複数の部員に動画を送信して提供した疑い。昨年10月に女子生徒の家族から「娘の動画が拡散しているようで心配だ」と警視庁に相談があり発覚した。
東京都高野連によると、昨年11月上旬に日大三から相談を受け、すぐに日本高野連に報告した。現在は学校側に求めた報告書を待っている段階。今後は日本高野連の審議委員会を経て、仮に対外試合禁止や指導者の謹慎といった処分が必要と判断された場合、日本学生野球協会の審査室に上申することになる。
この日午前10時ごろには同校正門付近にテレビカメラを含めメディアが集まり、驚いた表情を浮かべる登校中の生徒もいた。校舎に隣接する野球場に部員の姿はなく、学校側は野球部の今後の活動について「検討する」と話すにとどめた。春夏計40度の甲子園出場を誇る名門が不祥事に揺れる事態となり、前監督の小倉全由氏(68)は「前任者としても責任を痛感しております。今は警察の方々、学校も調査中で詳細がまだわかりませんが、ご心配をおかけすることになりました保護者の皆さま、そして日大三高の全ての生徒たちのことが、本当に気がかりです」と声を落とした。
📝「当たってでも出ろ」→逃げた先に“恐怖” ドブ川で水分補給…「ムチャクチャ」な高校野球
https://news.yahoo.co.jp/articles/07fdecc17a3217a471ab237d8b42a7f3b0927a18?page=1
元近鉄・太田氏が忘れぬ猛練習「心で見て捕れ」
元近鉄の太田幸司氏(野球評論家)は青森・三沢高時代に、伝説の1969年夏・甲子園決勝延長18回0-0引き分け再試合をはじめ、不動のエースとして活躍した右腕でもあるが、その根底には“根性野球”もあった。それは三沢OBで明治大卒のコーチによって叩き込まれたもの。夜のノックでは「心で見て捕れ!」、試合では腹にタオルを入れて「当たってでも出ろ」……。「漫画の世界みたいだったけど、チームは強くなりました」と話した。
太田氏は高校1年夏の大会後、新チームになってから主戦投手になった。当初は2年生にエースがいたが、最初の練習試合で先発機会を与えられ結果を出し続けて、背番号11ながらエースのポジションをつかんだ。「野球部の田辺監督は市役所に勤めていた方で、普段は仕事が忙しくて、(1968年の2年夏に)甲子園に出るまでは、大会のちょっと前までしか来ないという感じだったんですけどね」というが、その田辺監督の「太田、投げてみろ」がすべてのきっかけになった。
しかし、チームが甲子園に出るほど強くなっていったのは「コーチの存在があった」と太田氏は振り返る。「堤喜一郎さん。三沢OBで明治大学に行って星野仙一さんとは同級生でメチャクチャ仲が良くてね。僕が1年秋くらいからかなぁ、その堤さんが、誰かに頼まれたわけではなく、押し掛けコーチみたいな感じで来られるようになったんですよ。監督はあまり来なかったし、ある意味、チームの基盤を作ったのは堤さんと言っていいと思います」。
現役時代は燃える男、監督時代は闘将と呼ばれた星野氏の同級生コーチに叩き込まれたのが“根性野球”だ。「明治式の練習だったんでしょうね。例えば暗くなって横の体育館の明かりだけの中、ボールに石灰をつけてノックを打つんですよ。カーンと打ったら一瞬パッと白く見えるけど、転がったらもう見えない。それでも『そんなもの、集中していたらわかる、見える、心で見ろ』って、もう漫画みたいな感じでしたけどね」と当時の様子を説明した。
「試合になったら腹にタオルを入れて『当たってでも出ろ』って。それで逃げたら怒られたりとかね。今、振り返ったら、ムチャクチャだったなぁって思うけど、堤さんが来られたのは大きかったですよ。それまでは自分たちだけでメニューを作ってやったこともありましたからね。技術がうまくなったかどうかはわかりませんけど『同じ高校生とやるのにビビったらいかん、強い名前に負けるなぁ!』とか言ってくれたりね」
水分補給のために草むらに隠した瓶「いろいろやりました」
現在では考えられないことも、当時はいくつもあった。「練習試合が1日2試合あったら、2試合とも投げたりもした。昔は大会の準決勝、決勝をダブルヘッダーでやることもあったので、それを考えてね。実際、大会では2試合とも完投していましたよ。まぁ肩は強かったですね。2試合目の方が調子よかったとか、そんなんでしたしね」。1969年夏、松山商との伝説の延長18回0-0引き分け再試合の熱投も、そんな積み重ねがあったからできたのかもしれない。
「練習中に水も飲んだらいけない時代。よくグラウンド裏の細いドブ川のようなところで、水をこっそり飲んだりした。瓶とか缶に水を入れて裏の草むらに隠しておいて、ファウルになったらバーッと走っていって球を拾うふりして飲んだりとかね。いろいろやりましたけど、まぁ、それで結果も出ましたしね」。事の善し悪しはともかく、そんな“苦行”も乗り越えて、太田氏もナインも成長していったという。
太田氏が高校2年になった1968年4月から青森県立大三沢高は、校名を青森県立三沢高に改称した。そして、その年の夏に甲子園出場を果たす。「ちょうど三沢になったタイミングで、うまいこと行けましたよね」。根性野球も身につけた三沢ナインはここから1968年夏、1969年春、夏と3期連続で聖地に進む。伝説の決勝戦となる最後の夏に向けて、“闘い”のドラマが繰り広げられていった。
🔥<一球一瞬・センバツ近江>第1部 強さに迫る/上 新監督、情を捨て決意
https://news.yahoo.co.jp/articles/67c15c32776aff51c1e27f20221eaecb3ef5e91e
春夏通じて2024年センバツ以来の甲子園出場を決めた近江は25年春に大きな転機があった。チームを全国的な強豪に育てた多賀章仁前監督(66)が勇退。多賀さんの教え子でコーチだった小森博之監督(42)が後を継いだ。だが、その船出は順風満帆ではなかった。「一球一瞬」のスローガンを掲げ、再び聖地にたどり着いた経緯をたどる。
1957年創部の近江が初めて甲子園に出場したのは81年夏。89年からチームを率いたのが多賀さんで、甲子園には春7回、夏16回出場し、2001年夏と22年春にはいずれも県勢初となる準優勝を果たした。
快進撃で「ミラクル近江」と言われた01年夏の準優勝時に捕手で主将だったのが小森監督。佛教大在学中からコーチとして長年、チームを支えてきた。
そして監督交代の時を迎える。近江野球の神髄を知る小森監督だったが、それでも手探りのスタートだった。特に「メンバー決め」はコーチ時代とは比べものにならない責任の度合いから強い重圧を感じた。
小森監督を悩ませたのがコーチ時代の視点だった。多賀監督の下で「小森コーチ」の役割はレギュラークラス以外の選手の指導だった。その中で、ベンチ入り選手に劣らない魅力を持っていたり、ベンチ入りした選手以上に懸命に練習に取り組んだりする選手がいることを感じてきた。
その感覚を選手選択に持ち込むのか、自身でもはっきりと線引きしないままチームを率いていた。そんな中、昨夏の県大会準決勝を迎える。6―4でリードして迎えた九回に4点を奪われ痛恨の逆転負けを喫した。この瞬間、「自分がやってきたことは間違っていたんだな」と認識した。
それから2日後の7月26日に新チームが始動した。小森監督は選手たちへの向き合い方を変えた。「勝てるチームにしないといけない」。今まで持っていたかもしれない情のようなものを捨て、一からチームを立て直す決意だった。
📣年203日予約が入る町営野球場、命名権者を募集 青森県外ケ浜町
https://news.yahoo.co.jp/articles/533afe611e758ccda7e119b8e3b860eeb31dc3bf
青森県外ケ浜町は、町営「蟹田一本松地区公園野球場」の愛称の命名権者を募集している。町によると、町営施設の命名権事業は初めて。命名権料は野球場の維持管理や運営に使われるという。
この野球場は町役場の隣の運動公園内に立地。両翼90メートル、センター120メートルの広さで、内野は土、外野は芝のグラウンドだ。スタンドは芝生席のみだが、バックネット裏の本部席や一、三塁側のベンチは完備。「過疎地の球場では珍しいナイター照明」(町企画政策課)も6基を備える。
1985年に完成。少年野球や草野球チームの地区・県大会や練習などに使われてきた。今年度も4~10月のシーズン中(214日)に203日の予約が入った人気施設だ。ただ、地元の体育協会などに加盟するチームは無料で使えるため、年間約140万円の維持管理費を使用料で賄えず、赤字施設となっていた。
命名権者の募集要項では「新たな財源を確保することで、施設の持続可能な維持管理、運営を図る」と説明している。
応募資格は県内外の企業や団体など。4月1日から3~5年契約で、命名権料は年額30万円以上(税抜き)を希望している。
命名権者は、自らの企業名や商品名を含めた愛称を球場に名付けて、球場内外の看板表示を改めたり、看板を新設したりすることが出来る。
応募は2月27日まで。応募者ゼロの場合は1カ月ずつ延長する。庁内の審査委員会を経て年度内に契約する見通しだ。
募集要項は町ホームページで。申し込みや問い合わせは町企画政策課(0174・31・1214)へ。
🎤「野球は9回やった方が楽しい」 高校野球7回制導入の是非 熊本工で甲子園決勝 九回裏に同点本塁打 澤村幸明さんに聞く
https://news.yahoo.co.jp/articles/7d16115e1e50e6b3f8bf8af976d91f86f8756ea1?page=1
高校野球で7イニング(回)制の導入が議論されている。「奇跡のバックホーム」で知られる1996年の全国選手権決勝の熊本工-松山商(愛媛)戦、九回裏2死から起死回生の同点本塁打を打った熊本工の1年生で、現在は社会人の日本通運で監督を務める澤村幸明さん(45)は「野球は9回やった方が楽しい」と反対の立場を取る。
プレー機会減 競技力や人気の低下 懸念
細身の体から打ち放たれたライナー性の打球。同点のホームを踏み、両手でガッツポーズしながらベンチに向かう姿は、夏の名場面としてファンの脳裏に刻まれている。当時の面影を残す柔らかい笑顔で、澤村さんは7回制の導入に疑問を呈した。
「選手は打席に多く立ちたいし、たくさんボールに触りたい。試合時間短縮による熱中症対策が主な目的と言われているが、やっている選手たちに『暑いから試合を短めたい』という感覚はないはずだ。指導者としても、頑張っている子を試合で試せる機会が減ってしまうのではないか」
■ ■
あの夏。熊本工はトーナメントを駆け上がった。前年秋の熊本県大会で初戦敗退したチームの「無欲」の快進撃だった。迎えた決勝。2-3の九回。2者連続で三振に倒れ、6番の澤村さんに打席が回る。初球のストレートだった。
「とにかく三振したくなかったので、早いカウントからストライクを振ると決めていた。一塁を蹴り、『入った』と思った瞬間から記憶がない。興奮しすぎて」
記憶が戻るのは生還した直後のベンチ。松山商が三塁の踏み忘れをアピールした。「俺、踏んだよな」。興奮が一気に冷めた。
「後で知ったが、松山商は僕が三塁を踏んだのを見ていたのに、アピールした。流れを少しでも食い止めるために。確かに、あれで球場が少し静まった。相手は試合巧者だった」
熊本工は延長十回1死満塁、右翼への飛球でサヨナラ勝ちと思われたが、〝奇跡〟のような返球で阻まれた。現実を受け入れられないまま、十一回の左翼の守備についた澤村さん。先頭打者の飛球を後逸し(記録は二塁打)、松山商の決勝点につながった。
■ ■
16歳の球児は甲子園で明と暗を味わった。やがて30年がたつが、今はあの試合を「財産」と言い切る。
「負けて『もう一度』と奮い立って、大学と社会人で現役を続けた。今は監督として選手たちに、父として息子たちに、教訓を伝えられる。結果を恐れず勇気を持ってバットを振れ。そして、何が起きても気持ちを切り替えろ、と」
もし高校野球が7回制だったら、澤村さんの同点本塁打も、奇跡のバックホームも生まれなかった。
「7回制でも接戦になる試合はあるだろう。ただ、チームや選手の底力が問われる八、九回はよく点数が入る。私が九回に打ったのも、4打席目で投手の球に慣れていたから。(7回制は)私としては反対。野球は9回やった方が楽しいし、甲子園の魔物が登場する可能性も高くなる」
7回制による競技力や高校野球人気の低下も懸念する。暑さ対策が必要な点には理解を示し、投球間の時間制限「ピッチクロック」の検討などを提案した。
「まだやれるべきことはある。7回制は、競技の根幹の部分で野球が変わってしまうと感じる。高野連だけで話し合うよりは、社会人やプロなど球界全体で議論を進めていくべきだ」
https://tottori-hbf.jp/index.html
どうやら春・秋の県大会は どらドラ米子市民球場・倉吉市営球場
夏の県大会は ヤマタスポーツパーク球場
秋の中国大会は どらドラ米子市民球場・ヤマタスポーツパーク球場
で開催とのことです。
📝今年の高校野球選手権島根大会、県立浜山をメインに7月11日開幕
https://news.yahoo.co.jp/articles/2b719ece9282bb258881d23eccf15124835274a0
島根県高校野球連盟の2026年度行事計画が12日、決まった。夏の甲子園出場をかけた第108回全国高校野球選手権島根大会は7月11日開幕、同26日決勝の予定。改修工事が終わる県立浜山公園野球場がメイン球場となる。
この日、県高野連の責任教師(部長)会が出雲市内で開かれ、26年度行事計画案が了承された。選手権島根大会は、組み合わせ抽選会が6月12日に大田市民会館で開かれる。開会式と開幕試合はサブ球場の松江市営野球場であり、準々決勝以降はメインの県立浜山で実施される。
責任教師会では、県内の高校野球の発展に尽くしたとして、飯南などで監督、浜田などで部長、県高野連で役員を通算20年務めている岡藤大輔さんが表彰された。
春季中国大会が5月30日~6月2日に県立浜山で予定され、新装なった県立浜山の最初の大会になることや、26年度から導入される指名打者制の注意点についても説明があった。
ほかの主な大会日程は次の通り。
県春季大会=4月17日~5月2日、松江市営など
山陰大会=6月6、7日、ヤマタスポーツパーク野球場(鳥取市)
県秋季大会=9月11~27日、県立浜山など
秋季中国大会=10月23日~11月1日、鳥取県
☟日大三高野球部、活動休止に 動画拡散容疑で書類送検
https://news.yahoo.co.jp/articles/1b8d3441b529c85254556ec78bfc72ebe7f29e32
女子生徒にわいせつな動画を送らせ拡散したなどとして、男子部員2人が児童買春・ポルノ禁止法違反容疑で書類送検された日大三高(東京都町田市)の硬式野球部が、活動を休止していることが13日、同校への取材で分かった。休止は12日からで期間は未定。再開については今後検討するとしている。日大三高は昨夏の高校野球甲子園大会の準優勝校。
松本洋平文部科学相は13日の閣議後会見で「性犯罪は被害者の心身に長期にわたり有害な影響を及ぼす極めて悪質な行為で、断じて許されない」と述べた。
💢日大三野球部員書類送検「個人のモラルの欠如と言わざるを得ない」高野連関係者ため息
https://news.yahoo.co.jp/articles/91f5205a77c348f38c2dd984fba87e44d6de0fc4
「報道が事実であるとすれば、個人のモラルの欠如と言わざるを得ないです」。12日、日大三の部員2人が児童買春・児童ポルノ禁止法違反(製造や提供)容疑で書類送検されたことを受け、高野連関係者の1人がため息を吐いた。
知り合いの女子生徒にわいせつ動画を送らせ、複数人の部員の間で動画が広まった疑いが持たれている。撮影した性的な動画を共有すること自体が常識を大きく逸脱した行為だが、今回動画を拡散する上で使われたのがSNSだった点も見逃すことはできない。「多くの学校現場ではSNSとの向き合い方について生徒たちに指導していますし、時には警察署員の力も借りて研修を行う学校もあります」と手厚く対応に当たっているが、高校球界におけるSNS上のトラブルは後を絶たない。
昨夏、甲子園大会に出場した広陵(広島)は、過去の暴力事案を巡ってSNS上で真偽不明の情報が拡散し、大会途中に出場を辞退。騒動に絡み寮に「爆破予告」が届く事態に発展した。あれから半年足らずで、再びSNSを介した不祥事で甲子園常連校に激震が走った。
防ぐ手だてはあるのか。高野連関係者は「SNS以前に、社会の1人の構成員としての役割は何なのか。どうしてルールを守らないといけないのか。高校生たちに伝わるか伝わらないかではなく、伝えるのが『教育』の役割。それが教員の果たすこと」と言い聞かせるように訴えた。
🎤日大三野球部員が書類送検 小倉全由前監督「前任者として責任痛感」 わいせつ動画送らせ拡散
https://news.yahoo.co.jp/articles/68d1c26dac40016c5d83c381ac0bb352f54a912b
昨夏の甲子園大会で準優勝した日大三(東京)の硬式野球部員2人(17歳と16歳)が女子生徒にわいせつ動画を送らせ拡散したなどとして、警視庁が児童買春・ポルノ禁止法違反(製造や提供)の疑いで書類送検したことが12日、分かった。捜査関係者によると、動画は部員二十数人が受け取り、拡散には十数人が関わったとみられる。
送検容疑は17歳の部員が昨年3~6月ごろ、知人の当時15歳の女子生徒に、わいせつな画像や動画を3回にわたりSNSで送らせ児童ポルノを製造し、動画1点を16歳の部員に提供した疑い。受け取った16歳の部員は同5~10月ごろ、他の複数の部員に動画を送信して提供した疑い。昨年10月に女子生徒の家族から「娘の動画が拡散しているようで心配だ」と警視庁に相談があり発覚した。
東京都高野連によると、昨年11月上旬に日大三から相談を受け、すぐに日本高野連に報告した。現在は学校側に求めた報告書を待っている段階。今後は日本高野連の審議委員会を経て、仮に対外試合禁止や指導者の謹慎といった処分が必要と判断された場合、日本学生野球協会の審査室に上申することになる。
この日午前10時ごろには同校正門付近にテレビカメラを含めメディアが集まり、驚いた表情を浮かべる登校中の生徒もいた。校舎に隣接する野球場に部員の姿はなく、学校側は野球部の今後の活動について「検討する」と話すにとどめた。春夏計40度の甲子園出場を誇る名門が不祥事に揺れる事態となり、前監督の小倉全由氏(68)は「前任者としても責任を痛感しております。今は警察の方々、学校も調査中で詳細がまだわかりませんが、ご心配をおかけすることになりました保護者の皆さま、そして日大三高の全ての生徒たちのことが、本当に気がかりです」と声を落とした。
📝「当たってでも出ろ」→逃げた先に“恐怖” ドブ川で水分補給…「ムチャクチャ」な高校野球
https://news.yahoo.co.jp/articles/07fdecc17a3217a471ab237d8b42a7f3b0927a18?page=1
元近鉄・太田氏が忘れぬ猛練習「心で見て捕れ」
元近鉄の太田幸司氏(野球評論家)は青森・三沢高時代に、伝説の1969年夏・甲子園決勝延長18回0-0引き分け再試合をはじめ、不動のエースとして活躍した右腕でもあるが、その根底には“根性野球”もあった。それは三沢OBで明治大卒のコーチによって叩き込まれたもの。夜のノックでは「心で見て捕れ!」、試合では腹にタオルを入れて「当たってでも出ろ」……。「漫画の世界みたいだったけど、チームは強くなりました」と話した。
太田氏は高校1年夏の大会後、新チームになってから主戦投手になった。当初は2年生にエースがいたが、最初の練習試合で先発機会を与えられ結果を出し続けて、背番号11ながらエースのポジションをつかんだ。「野球部の田辺監督は市役所に勤めていた方で、普段は仕事が忙しくて、(1968年の2年夏に)甲子園に出るまでは、大会のちょっと前までしか来ないという感じだったんですけどね」というが、その田辺監督の「太田、投げてみろ」がすべてのきっかけになった。
しかし、チームが甲子園に出るほど強くなっていったのは「コーチの存在があった」と太田氏は振り返る。「堤喜一郎さん。三沢OBで明治大学に行って星野仙一さんとは同級生でメチャクチャ仲が良くてね。僕が1年秋くらいからかなぁ、その堤さんが、誰かに頼まれたわけではなく、押し掛けコーチみたいな感じで来られるようになったんですよ。監督はあまり来なかったし、ある意味、チームの基盤を作ったのは堤さんと言っていいと思います」。
現役時代は燃える男、監督時代は闘将と呼ばれた星野氏の同級生コーチに叩き込まれたのが“根性野球”だ。「明治式の練習だったんでしょうね。例えば暗くなって横の体育館の明かりだけの中、ボールに石灰をつけてノックを打つんですよ。カーンと打ったら一瞬パッと白く見えるけど、転がったらもう見えない。それでも『そんなもの、集中していたらわかる、見える、心で見ろ』って、もう漫画みたいな感じでしたけどね」と当時の様子を説明した。
「試合になったら腹にタオルを入れて『当たってでも出ろ』って。それで逃げたら怒られたりとかね。今、振り返ったら、ムチャクチャだったなぁって思うけど、堤さんが来られたのは大きかったですよ。それまでは自分たちだけでメニューを作ってやったこともありましたからね。技術がうまくなったかどうかはわかりませんけど『同じ高校生とやるのにビビったらいかん、強い名前に負けるなぁ!』とか言ってくれたりね」
水分補給のために草むらに隠した瓶「いろいろやりました」
現在では考えられないことも、当時はいくつもあった。「練習試合が1日2試合あったら、2試合とも投げたりもした。昔は大会の準決勝、決勝をダブルヘッダーでやることもあったので、それを考えてね。実際、大会では2試合とも完投していましたよ。まぁ肩は強かったですね。2試合目の方が調子よかったとか、そんなんでしたしね」。1969年夏、松山商との伝説の延長18回0-0引き分け再試合の熱投も、そんな積み重ねがあったからできたのかもしれない。
「練習中に水も飲んだらいけない時代。よくグラウンド裏の細いドブ川のようなところで、水をこっそり飲んだりした。瓶とか缶に水を入れて裏の草むらに隠しておいて、ファウルになったらバーッと走っていって球を拾うふりして飲んだりとかね。いろいろやりましたけど、まぁ、それで結果も出ましたしね」。事の善し悪しはともかく、そんな“苦行”も乗り越えて、太田氏もナインも成長していったという。
太田氏が高校2年になった1968年4月から青森県立大三沢高は、校名を青森県立三沢高に改称した。そして、その年の夏に甲子園出場を果たす。「ちょうど三沢になったタイミングで、うまいこと行けましたよね」。根性野球も身につけた三沢ナインはここから1968年夏、1969年春、夏と3期連続で聖地に進む。伝説の決勝戦となる最後の夏に向けて、“闘い”のドラマが繰り広げられていった。
🔥<一球一瞬・センバツ近江>第1部 強さに迫る/上 新監督、情を捨て決意
https://news.yahoo.co.jp/articles/67c15c32776aff51c1e27f20221eaecb3ef5e91e
春夏通じて2024年センバツ以来の甲子園出場を決めた近江は25年春に大きな転機があった。チームを全国的な強豪に育てた多賀章仁前監督(66)が勇退。多賀さんの教え子でコーチだった小森博之監督(42)が後を継いだ。だが、その船出は順風満帆ではなかった。「一球一瞬」のスローガンを掲げ、再び聖地にたどり着いた経緯をたどる。
1957年創部の近江が初めて甲子園に出場したのは81年夏。89年からチームを率いたのが多賀さんで、甲子園には春7回、夏16回出場し、2001年夏と22年春にはいずれも県勢初となる準優勝を果たした。
快進撃で「ミラクル近江」と言われた01年夏の準優勝時に捕手で主将だったのが小森監督。佛教大在学中からコーチとして長年、チームを支えてきた。
そして監督交代の時を迎える。近江野球の神髄を知る小森監督だったが、それでも手探りのスタートだった。特に「メンバー決め」はコーチ時代とは比べものにならない責任の度合いから強い重圧を感じた。
小森監督を悩ませたのがコーチ時代の視点だった。多賀監督の下で「小森コーチ」の役割はレギュラークラス以外の選手の指導だった。その中で、ベンチ入り選手に劣らない魅力を持っていたり、ベンチ入りした選手以上に懸命に練習に取り組んだりする選手がいることを感じてきた。
その感覚を選手選択に持ち込むのか、自身でもはっきりと線引きしないままチームを率いていた。そんな中、昨夏の県大会準決勝を迎える。6―4でリードして迎えた九回に4点を奪われ痛恨の逆転負けを喫した。この瞬間、「自分がやってきたことは間違っていたんだな」と認識した。
それから2日後の7月26日に新チームが始動した。小森監督は選手たちへの向き合い方を変えた。「勝てるチームにしないといけない」。今まで持っていたかもしれない情のようなものを捨て、一からチームを立て直す決意だった。
📣年203日予約が入る町営野球場、命名権者を募集 青森県外ケ浜町
https://news.yahoo.co.jp/articles/533afe611e758ccda7e119b8e3b860eeb31dc3bf
青森県外ケ浜町は、町営「蟹田一本松地区公園野球場」の愛称の命名権者を募集している。町によると、町営施設の命名権事業は初めて。命名権料は野球場の維持管理や運営に使われるという。
この野球場は町役場の隣の運動公園内に立地。両翼90メートル、センター120メートルの広さで、内野は土、外野は芝のグラウンドだ。スタンドは芝生席のみだが、バックネット裏の本部席や一、三塁側のベンチは完備。「過疎地の球場では珍しいナイター照明」(町企画政策課)も6基を備える。
1985年に完成。少年野球や草野球チームの地区・県大会や練習などに使われてきた。今年度も4~10月のシーズン中(214日)に203日の予約が入った人気施設だ。ただ、地元の体育協会などに加盟するチームは無料で使えるため、年間約140万円の維持管理費を使用料で賄えず、赤字施設となっていた。
命名権者の募集要項では「新たな財源を確保することで、施設の持続可能な維持管理、運営を図る」と説明している。
応募資格は県内外の企業や団体など。4月1日から3~5年契約で、命名権料は年額30万円以上(税抜き)を希望している。
命名権者は、自らの企業名や商品名を含めた愛称を球場に名付けて、球場内外の看板表示を改めたり、看板を新設したりすることが出来る。
応募は2月27日まで。応募者ゼロの場合は1カ月ずつ延長する。庁内の審査委員会を経て年度内に契約する見通しだ。
募集要項は町ホームページで。申し込みや問い合わせは町企画政策課(0174・31・1214)へ。
🎤「野球は9回やった方が楽しい」 高校野球7回制導入の是非 熊本工で甲子園決勝 九回裏に同点本塁打 澤村幸明さんに聞く
https://news.yahoo.co.jp/articles/7d16115e1e50e6b3f8bf8af976d91f86f8756ea1?page=1
高校野球で7イニング(回)制の導入が議論されている。「奇跡のバックホーム」で知られる1996年の全国選手権決勝の熊本工-松山商(愛媛)戦、九回裏2死から起死回生の同点本塁打を打った熊本工の1年生で、現在は社会人の日本通運で監督を務める澤村幸明さん(45)は「野球は9回やった方が楽しい」と反対の立場を取る。
プレー機会減 競技力や人気の低下 懸念
細身の体から打ち放たれたライナー性の打球。同点のホームを踏み、両手でガッツポーズしながらベンチに向かう姿は、夏の名場面としてファンの脳裏に刻まれている。当時の面影を残す柔らかい笑顔で、澤村さんは7回制の導入に疑問を呈した。
「選手は打席に多く立ちたいし、たくさんボールに触りたい。試合時間短縮による熱中症対策が主な目的と言われているが、やっている選手たちに『暑いから試合を短めたい』という感覚はないはずだ。指導者としても、頑張っている子を試合で試せる機会が減ってしまうのではないか」
■ ■
あの夏。熊本工はトーナメントを駆け上がった。前年秋の熊本県大会で初戦敗退したチームの「無欲」の快進撃だった。迎えた決勝。2-3の九回。2者連続で三振に倒れ、6番の澤村さんに打席が回る。初球のストレートだった。
「とにかく三振したくなかったので、早いカウントからストライクを振ると決めていた。一塁を蹴り、『入った』と思った瞬間から記憶がない。興奮しすぎて」
記憶が戻るのは生還した直後のベンチ。松山商が三塁の踏み忘れをアピールした。「俺、踏んだよな」。興奮が一気に冷めた。
「後で知ったが、松山商は僕が三塁を踏んだのを見ていたのに、アピールした。流れを少しでも食い止めるために。確かに、あれで球場が少し静まった。相手は試合巧者だった」
熊本工は延長十回1死満塁、右翼への飛球でサヨナラ勝ちと思われたが、〝奇跡〟のような返球で阻まれた。現実を受け入れられないまま、十一回の左翼の守備についた澤村さん。先頭打者の飛球を後逸し(記録は二塁打)、松山商の決勝点につながった。
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16歳の球児は甲子園で明と暗を味わった。やがて30年がたつが、今はあの試合を「財産」と言い切る。
「負けて『もう一度』と奮い立って、大学と社会人で現役を続けた。今は監督として選手たちに、父として息子たちに、教訓を伝えられる。結果を恐れず勇気を持ってバットを振れ。そして、何が起きても気持ちを切り替えろ、と」
もし高校野球が7回制だったら、澤村さんの同点本塁打も、奇跡のバックホームも生まれなかった。
「7回制でも接戦になる試合はあるだろう。ただ、チームや選手の底力が問われる八、九回はよく点数が入る。私が九回に打ったのも、4打席目で投手の球に慣れていたから。(7回制は)私としては反対。野球は9回やった方が楽しいし、甲子園の魔物が登場する可能性も高くなる」
7回制による競技力や高校野球人気の低下も懸念する。暑さ対策が必要な点には理解を示し、投球間の時間制限「ピッチクロック」の検討などを提案した。
「まだやれるべきことはある。7回制は、競技の根幹の部分で野球が変わってしまうと感じる。高野連だけで話し合うよりは、社会人やプロなど球界全体で議論を進めていくべきだ」
💢日大三高野球部員を書類送検 女子生徒のわいせつ動画拡散疑い
https://news.yahoo.co.jp/articles/274fe14207bcd994b9415c3a1af7d0d3ceada9cb
女子生徒にわいせつ動画を送らせ拡散したなどとして、警視庁は12日、児童買春・ポルノ禁止法違反(製造や提供)の疑いで、日大三高の硬式野球部の17歳と16歳の男子部員2人を書類送検した。捜査関係者への取材で分かった。日大三高は昨夏の甲子園の準優勝校。動画は部員数十人が受け取り、拡散には十数人が関わったとみられる。
捜査関係者によると、17歳の部員の書類送検容疑は昨年3~6月ごろ、知人の女子生徒に、わいせつな画像や動画を3回にわたり交流サイト(SNS)で送らせ、動画1点を16歳の部員に提供した疑い。受け取った16歳の部員は同5~10月ごろ、他の複数の部員に動画を送信した疑い。
書類送検された部員2人は「やってはいけないことをやってしまった」「軽率な行動だったと深く反省している」などと容疑を認めている。17歳の部員は女子生徒に動画について「絶対に消すから」と告げていたという。
日大三高は甲子園に春夏通じ計40回出場。夏は2001年と11年、春は1971年に優勝した。
📝全員故障で野球人生が激変…「ちょっとやって」 恩師が“作った”甲子園のアイドル
https://news.yahoo.co.jp/articles/7df611553e6e946a894fc4e2be8268b4e71496ea
元近鉄・太田氏が明かした投手転向エピソード
最大の“転機”はチーム事情で巡ってきた。甲子園の元祖アイドル右腕で元近鉄ドラフト1位の太田幸司氏(野球評論家)は、1964年、三沢市立第一中学の軟式野球部に入部した。当初は小学生時代同様に外野手だったが、中学2年から投手に転向。「上級生みんなが肘や肩を壊してピッチャーがいなくなって、部長先生に『お前、肩が強いからちょっとやってみろ』と言われたんです」。それが野球人生、最初の大きな転機だった。
太田氏はやる気に満ちあふれて三沢一中に進んだ。「僕らが小学校の時に一中の野球部が(青森)県大会で優勝して、トラックに乗って(三沢)市内をパレードしたんですよ。それを見て、“よし、俺も一中で野球やるぞ!”みたいなテンションになっていました」。ポジションは小学生時代と同じセンター。俊足、強肩の外野手として中学でも練習を重ねた。その環境が2年になって変化した。投手に転向することになったのだ。
「3年生のピッチャーがみんな肘と肩を壊したんです。小学校の時に(三沢市内の)選抜チームでエースだった同級生の菊池(弘義)も同じ中学だったんですが、彼は肘を壊して手術して、ピッチャーがやれなくなった。それで、僕の担任で、部長でもあった立崎(庸夫)先生が『お前、外野で肩がいいから、ちょっとピッチャーをやってみよう』って。『そうですか』と言って投げたら、球は速かったけど、キャッチャーが“ワー”っていうだけだったんですけどね」
それこそ、どこに行くかわからない、とんでもないノーコンぶりだったそうだ。「でも、先生は『よっしゃ、球が速くていいぞ。球が速いのは持って生まれたもの、コントロールは一生懸命練習したら、ストライクが入るようになるから。明日からピッチャーの練習もしよう!』と言われたんです。それがスタートでしたね」。
中学3年時にはストレートが魅力の投手に急成長
制球力は簡単に身につかなかったが、試合では投げさせてもらったという。「いつも打たれたヒットの数より、フォアボールの方が多かったです」。それでも中学3年になった頃には、かなりレベルが上がった。「ストライクさえ入れば、もう前に飛ばないんでね。軟式の銀行のチーム、大人のチームとやっても、あまり打たれなかった。その頃になって初めて、ピッチャーでちょっといけるのかな、という自信というか、そういうのがチラッと芽生え出しましたね。3年の時は県大会に行って、地元では優勝できるんじゃないかと言われた。狙ったけど、残念ながら2回戦で負けたんかな……」。
投手に転向してからは阪神・村山実投手のファンになったという。「巨人ファンだったけど、選手は村山さんが好きでしたねぇ。巨人相手にあのダイナミックな……。あんなピッチャーになりたいなって思いましたよ」。高校への進路に関しても「テレビで見ている高校野球、甲子園に行きたいなという思いのもチラチラ出だして……。高校は甲子園に行けるようなところへ進学してみたいなというのが、ちょっと膨らんできたって感じでしたね」。
それもこれも、中学2年に投手になってから迎えた急展開だ。小学校時代は同級生たちの陰に隠れた存在の外野手だったが、中学3年時にはイキのいいストレートが魅力の投手に成長した。さらに高校では、素質を開花させ、甲子園を沸かせることにもなるのだから……。
太田氏はしみじみとこう話した。「長い野球人生にはいろんなことがありましたが、今振り返れば、まず最初の転機は中学2年のそこですね。もしも、あの時、立崎先生が“球は速いけどストライクが入らないピッチャーは駄目。もうピッチャーはいいわ、クビだわ”と判断していたら、“投手・太田幸司”はなかったかもしれない」。まさに恩師との出会いが“流れ”を変えた。
📝先輩エース差し置き「お前がいけ」 1年がいきなり“ノーノー”…元祖甲子園アイドルの原点
https://news.yahoo.co.jp/articles/73f05838672a0ffebe1af19434eaf84cc9ffc5eb?page=1
元近鉄・太田氏が振り返る、転機となった高校進学
元近鉄、巨人、阪神で活躍した右腕の太田幸司氏(野球評論家)は1967年に青森県立大三沢高(1968年4月から三沢高に改称)に進学し、1年秋には2年生エースを押しのけて、背番号11ながら実質、主戦投手になった。練習試合で完封、完封。さらに新人戦初戦ではノーヒットノーランの快投を見せて、そのポジションをつかんだ。「そこから公式戦は全試合、僕ひとりで投げました」。“元祖甲子園アイドル投手”の高校野球が始まった。
太田氏は「高校進学も転機でした」と話す。当初は大三沢ではなく、青森県立八戸高への進学を考えていたからだ。「八戸は青森の中でも超進学校で甲子園にも何度か出ていました。僕は勉強もそこそこできていたので、進路指導の先生にも『野球も勉強も両方合致しているじゃないか。八戸高校に行け』と言われて一生懸命、受験勉強もしていたんです」。それが大三沢に変わったのは「ひとつは、小、中学校で一緒に野球をやった仲間が行くことになったから」と話す。
「野球好きの先生から『小学校でも中学校でも、三沢市内ではダントツに強かったから、このメンバーで(地元の大三沢に)行けば強くなる。行けよ』とか、言われてね。最終的には、親父もお袋もあまり体が強くなかったし、家から近い学校の方が親にも負担がかからないかと思って(大三沢を)選んだんです。小さい時から一緒にやっていた仲間と3年間楽しく野球をやろう、みたいな感じで、その時は甲子園を目指して頑張るぞ、なんて気持ちは毛頭なかったんですけどね」
入学後は「毎日バッティングピッチャーと走ってばかりでした」という。そんな1年夏の大三沢は八戸・十和田大会初戦で八戸水産に敗れた。「あの頃は十和田地区の予選があって、そこから県大会に行くんですけど、その予選で負けました。残念だったけど、さぁ、これで俺らの時代だ! とも思いましたよ。だって2年生が4人しかいなかったので」。1年秋からは試合出場の可能性が膨らみ、奮い立ったわけだ。
もっとも太田氏は「ピッチャーは2年生のエースがいて、なかなか球が速いし、その先輩が1番をつけて投げるんだろうから、自分は外野かなんかで出られたら、と思っていた」と話す。その状況が変化したのは新チームで最初の練習試合だ。「エースの先輩はそれまでも上の学年相手に投げていたので監督も力は分かっている。僕はバッティングピッチャーくらいしかしていなかったので『お前、ちょっと投げてみるか?』って言われて、投げたら完封したんです」。
初戦で登板→ノーヒットノーランの快挙
背番号は11。大ファンの阪神・村山実投手と同じ番号で「とても気に入っていた」と言うが、結果も出し続けた。「次にチャンスをいただいて投げたら、また完封。そうこうしているうちに新人戦が始まって、初戦は先輩が行くと思ったら監督が『太田、お前が行け!』って。そしたらノーヒットノーラン。その次の試合も完封して……。結局、そこからの公式戦は全試合、僕がひとりで投げましたから、あの最初の練習試合に投げさせてもらったのも転機になりましたね」。
背番号1の先輩投手を押しのけての“昇格”。「練習試合はよしとしても、公式戦も最初に投げさせてくれて……。普通だったら実績のある先輩を投げさせるでしょ。もし、僕が打たれていたら監督が批判されたんじゃないかなぁ。エースがいるのに、なんで下の学年のヤツを投げさせたんだ、ってなりかねないですもんね。まぁ僕は打たれて当たり前と思って投げていましたけどね。先輩には申し訳なかったけど、僕にとっては大きなことでした」。
1年秋は青森大会準決勝まで進むも、鰺ヶ沢に延長11回2-3でサヨナラ負けを喫した。「それなりの試合はしていたし、1年生中心のチームでも十分戦えるなと。でも、その次の年(1968年)の夏に甲子園に行けるとは、その時は全く思っていませんでした。僕らが3年になる頃には、もうちょっと強くなるんじゃないか、みたいな、そんな感じだったんですけどね」。
エースとなった太田氏の進化は続いた。持ち前のストレートに磨きがかかった。「あの頃は、ほとんど真っ直ぐ1本でした。一応カーブもあったんですけど、うまく曲がらなくて。スピードの抜けた真っ直ぐみたいになって、その方がバットに当たるんでね、だから本当に真っ直ぐだけ。カーブのサインなんかなかったですもん。今思うと、150キロとかの速さはなかったけど、ホップするような伸びる球っていうかな、そういうタイプ。バッターが下を振っちゃうみたいな、ね」。気がつけば青森県下で有名な投手になっていた。
☝<春風に乗って>’26センバツ 三重 甲子園憧れ父から子へ 西井駿内野手「本塁打放つ」/山本優外野手「舞台に立つ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/ec874f80945ead4cd9ea64a3e82f34def92c8bb0
8年ぶり14回目のセンバツ出場を決めた三重は1961年に創部され、69年にはセンバツ初優勝を果たした。夏の甲子園にも14回出場した伝統校であることから「親子2代で三重野球部」という選手も少なくない。かつて三重のユニフォームを着て甲子園の土を踏んだ親たちは息子に何を託すのか。2選手の父親に話を聞いた。
西井駿内野手(1年)の父勲さん(48)が三重に入学したのは93年。「レベルの高い野球をしたい」が理由だった。第67回センバツ大会で代打として甲子園の土を踏み、同年夏の全国高校野球選手権大会にも外野手として出場した。低めが得意なパワーヒッター。1年下には沖田展男・現監督がいた。
0―4で敗れたセンバツ初戦の星稜(石川)戦。八回無死走者なしで二飛に倒れた時、電光掲示板をみて「ああ、ここが甲子園か」と感動した。夏は外野のレギュラーとして先発出場。4―6で負けた初戦の熊本工戦の七回に二塁打を放った。「甲子園で自分の名のアナウンスを聞いたことは一生忘れない」という。
長男の駿選手は小学2年で野球を始めた。勲さんはゴロ捕球の姿勢や打撃のコツなど、あらゆる知識をたたき込んだ。高校進学時は迷わず、県内で最も甲子園に近いと信じる三重を推した。
駿選手は強打が自慢の控え内野手。父の甲子園での映像を見て「僕もあの舞台で」と憧れが強まっている。「甲子園で本塁打を放ち、父を超える」が目標だ。
もう一人は山本優外野手。父浩一郎さん(50)は8強入りした第64回センバツ大会で、1年ながら控え投手としてベンチ入りした。投げる機会はなかったが、甲子園でチームが一戦一戦強くなっていくのを感じた。その後、内野手に転向し、中京大を経て、社会人野球の強豪・日産自動車で2002年までプレー。都市対抗野球大会優勝も経験した。「その原点は甲子園。夢や憧れが詰まった聖地だ」と語る。
実は長男で優選手の兄海さんは、慶応(神奈川)の副主将として3年前の夏の甲子園で優勝している。家族は、優選手も当然慶応を目指すと思っていた。だが、本人は8年前のセンバツ準決勝の大阪桐蔭戦で、延長十二回の激闘の末に2―3でサヨナラ負けした三重の戦いぶりが忘れられなかった。
「自立すること。そして兄を超えること」。この二つを目標に親元を離れて三重を選んだ。自由なムードの中で、練習時間を多く取れることに満足しているという。
センバツ出場が決まった1月30日は病院にいた。昨年6月に骨折した左足のリハビリのためだ。浩一郎さんからは「けがをして良かったと思えるか、それともここで終わるかは自分次第」とアドバイスされた。
投手としても期待されており、聖地に立てるか今が正念場。「僕はまだ兄にも父にもかなわない。絶対に甲子園の舞台に立つ」と誓う優選手。浩一郎さんは「簡単に立つことができないからこそ本当に貴重な場所。最大限楽しんで、人として成長できる舞台にしてほしい」とエールを送る。
👣センバツ2026 智弁学園・硬式野球部3年生 後輩へ夢託し卒業
https://news.yahoo.co.jp/articles/85c1769d171ba70935e5772e5f10e4eeae171002
5年ぶり15回目のセンバツ出場を決めた智弁学園で11日、卒業式があり、硬式野球部の3年生21人が母校を巣立った。1、2年生は昨夏の県大会まで苦楽を共にしてきた先輩との別れを惜しみ、3年生は後輩たちの大舞台での活躍を祈ってエールを送った。式に臨んだ3年生は、最後のホームルームを終えて野球部の寮「健志館」に集合。野球部としての“卒業式”が始まった。
小坂将商監督は「後輩の頑張る姿を応援してほしい。困ったことがあったらいつでもグラウンドに戻ってきてください」とはなむけの言葉を送って門出を祝福。
井元康勝部長は「昨夏悔しい思いをしたと思うが、その経験は必ず役立つ。長い人生のどこかで何かの『日本一』になれるように頑張って」と激励した。
野球部OB会長の生駒敬雄さんも姿を見せ、「この3年間積んできた厳しい練習は必ず将来にも生きてくる。これからも頑張ってほしい」と話し、トロフィーなどの記念品を一人一人に手渡した。
昨夏まで主将を務めた少路慶斗さんは「陰で支えてくれている人がたくさんいる。そういう人たちに恩返しをしてほしい」とセンバツに向けて練習に励む後輩たちにエールを送った。角谷哲人主将(2年)は「先輩たちの分までセンバツの舞台で頑張ります」と思いを受け止めた。
1、2年生から卒業生へメッセージを書いた色紙がそれぞれに贈られた。式が終わると同期や後輩と記念撮影を撮ったり、思い出話に花を咲かせたりした。
🎵名門・県岐阜商吹奏楽部とジントシオ氏が夢コラボ 新チャンステーマ完成 曲名は異例の“総選挙”で決定へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/88e58f32cc510043c11d6ef50e5efcf894f30e96
ロッテの応援団長や楽天の応援プロデューサーを務めるなど、広くスポーツ界で「応援のプロ」として知られる作曲家のジントシオ氏(45)が、昨夏の甲子園で16年ぶりに4強入りした県岐阜商の新チャンステーマ(チャンテ)を書き下ろし、このほど完成した。14日に開かれる同校吹奏楽部の「創部100周年記念演奏会」で初披露される予定だ。
同校の吹奏楽部といえば、昨夏の甲子園で郷ひろみの名曲「GOLDFINGER’99」などのノリのいい演奏で、名門野球部を準決勝進出へと後押ししたことも記憶に新しい。
ここに新たな“援軍”が加わった。ジン氏作曲のオリジナルチャンテが完成し、14日の記念演奏会で初めて奏でられることになったのだ。
事の発端は延長11回タイブレークの死闘となった昨夏の甲子園準々決勝、県岐阜商-横浜戦だった。県岐阜商はV候補の一角を8-7で下し、全国の高校野球ファンの度肝を抜いた。同校吹奏楽部OB会長の牧野勝也さんは、以前から甲子園中継で流れるジンさん作の名曲「青のプライド」のファンで、「ウチにも1曲つくってほしい」との夢を持っていた。
「でも面識もなく、ツテもないなと思っていて…ところが横浜戦の選手たちの頑張りを見ていたら、心が奮い立って。あの勝利の翌日、ダメ元でジンさんにメールを送ったんです」
ジン氏からは、わずか1時間後に返信が届いた。「周りを巻き込んでやりましょう」との内容だった。ジン氏は言う。「昨夏の甲子園の活躍を思い出しながら、疾走感あふれるメロディーを意識しました。手応えはすごくあります」。曲は完成し、11日にはジンさんが同校を訪問。そもそもは指導を行う予定だったが、「最初の演奏から、修正するところがないほどでした。完璧でした」と高い完成度に驚嘆した。
14日の記念演奏会では、異例の「曲目選挙」が実施される。4つの候補のうちからどれが最高か、会場で投票を行うというものだ。後日、野球部などの意向も反映した上で、最終決定する方針だという。周囲を巻き込むことで、「みんなのうた」として、愛されるチャンテにしたいとの願いもある。
「新しい100年に向けて、この曲とともに甲子園で新しいムーブメントを起こしてほしい」とジン氏。名門伝統校と稀代の応援家による夢コラボ。聖地で鳴り響く瞬間が、今から待ち遠しい。
https://news.yahoo.co.jp/articles/274fe14207bcd994b9415c3a1af7d0d3ceada9cb
女子生徒にわいせつ動画を送らせ拡散したなどとして、警視庁は12日、児童買春・ポルノ禁止法違反(製造や提供)の疑いで、日大三高の硬式野球部の17歳と16歳の男子部員2人を書類送検した。捜査関係者への取材で分かった。日大三高は昨夏の甲子園の準優勝校。動画は部員数十人が受け取り、拡散には十数人が関わったとみられる。
捜査関係者によると、17歳の部員の書類送検容疑は昨年3~6月ごろ、知人の女子生徒に、わいせつな画像や動画を3回にわたり交流サイト(SNS)で送らせ、動画1点を16歳の部員に提供した疑い。受け取った16歳の部員は同5~10月ごろ、他の複数の部員に動画を送信した疑い。
書類送検された部員2人は「やってはいけないことをやってしまった」「軽率な行動だったと深く反省している」などと容疑を認めている。17歳の部員は女子生徒に動画について「絶対に消すから」と告げていたという。
日大三高は甲子園に春夏通じ計40回出場。夏は2001年と11年、春は1971年に優勝した。
📝全員故障で野球人生が激変…「ちょっとやって」 恩師が“作った”甲子園のアイドル
https://news.yahoo.co.jp/articles/7df611553e6e946a894fc4e2be8268b4e71496ea
元近鉄・太田氏が明かした投手転向エピソード
最大の“転機”はチーム事情で巡ってきた。甲子園の元祖アイドル右腕で元近鉄ドラフト1位の太田幸司氏(野球評論家)は、1964年、三沢市立第一中学の軟式野球部に入部した。当初は小学生時代同様に外野手だったが、中学2年から投手に転向。「上級生みんなが肘や肩を壊してピッチャーがいなくなって、部長先生に『お前、肩が強いからちょっとやってみろ』と言われたんです」。それが野球人生、最初の大きな転機だった。
太田氏はやる気に満ちあふれて三沢一中に進んだ。「僕らが小学校の時に一中の野球部が(青森)県大会で優勝して、トラックに乗って(三沢)市内をパレードしたんですよ。それを見て、“よし、俺も一中で野球やるぞ!”みたいなテンションになっていました」。ポジションは小学生時代と同じセンター。俊足、強肩の外野手として中学でも練習を重ねた。その環境が2年になって変化した。投手に転向することになったのだ。
「3年生のピッチャーがみんな肘と肩を壊したんです。小学校の時に(三沢市内の)選抜チームでエースだった同級生の菊池(弘義)も同じ中学だったんですが、彼は肘を壊して手術して、ピッチャーがやれなくなった。それで、僕の担任で、部長でもあった立崎(庸夫)先生が『お前、外野で肩がいいから、ちょっとピッチャーをやってみよう』って。『そうですか』と言って投げたら、球は速かったけど、キャッチャーが“ワー”っていうだけだったんですけどね」
それこそ、どこに行くかわからない、とんでもないノーコンぶりだったそうだ。「でも、先生は『よっしゃ、球が速くていいぞ。球が速いのは持って生まれたもの、コントロールは一生懸命練習したら、ストライクが入るようになるから。明日からピッチャーの練習もしよう!』と言われたんです。それがスタートでしたね」。
中学3年時にはストレートが魅力の投手に急成長
制球力は簡単に身につかなかったが、試合では投げさせてもらったという。「いつも打たれたヒットの数より、フォアボールの方が多かったです」。それでも中学3年になった頃には、かなりレベルが上がった。「ストライクさえ入れば、もう前に飛ばないんでね。軟式の銀行のチーム、大人のチームとやっても、あまり打たれなかった。その頃になって初めて、ピッチャーでちょっといけるのかな、という自信というか、そういうのがチラッと芽生え出しましたね。3年の時は県大会に行って、地元では優勝できるんじゃないかと言われた。狙ったけど、残念ながら2回戦で負けたんかな……」。
投手に転向してからは阪神・村山実投手のファンになったという。「巨人ファンだったけど、選手は村山さんが好きでしたねぇ。巨人相手にあのダイナミックな……。あんなピッチャーになりたいなって思いましたよ」。高校への進路に関しても「テレビで見ている高校野球、甲子園に行きたいなという思いのもチラチラ出だして……。高校は甲子園に行けるようなところへ進学してみたいなというのが、ちょっと膨らんできたって感じでしたね」。
それもこれも、中学2年に投手になってから迎えた急展開だ。小学校時代は同級生たちの陰に隠れた存在の外野手だったが、中学3年時にはイキのいいストレートが魅力の投手に成長した。さらに高校では、素質を開花させ、甲子園を沸かせることにもなるのだから……。
太田氏はしみじみとこう話した。「長い野球人生にはいろんなことがありましたが、今振り返れば、まず最初の転機は中学2年のそこですね。もしも、あの時、立崎先生が“球は速いけどストライクが入らないピッチャーは駄目。もうピッチャーはいいわ、クビだわ”と判断していたら、“投手・太田幸司”はなかったかもしれない」。まさに恩師との出会いが“流れ”を変えた。
📝先輩エース差し置き「お前がいけ」 1年がいきなり“ノーノー”…元祖甲子園アイドルの原点
https://news.yahoo.co.jp/articles/73f05838672a0ffebe1af19434eaf84cc9ffc5eb?page=1
元近鉄・太田氏が振り返る、転機となった高校進学
元近鉄、巨人、阪神で活躍した右腕の太田幸司氏(野球評論家)は1967年に青森県立大三沢高(1968年4月から三沢高に改称)に進学し、1年秋には2年生エースを押しのけて、背番号11ながら実質、主戦投手になった。練習試合で完封、完封。さらに新人戦初戦ではノーヒットノーランの快投を見せて、そのポジションをつかんだ。「そこから公式戦は全試合、僕ひとりで投げました」。“元祖甲子園アイドル投手”の高校野球が始まった。
太田氏は「高校進学も転機でした」と話す。当初は大三沢ではなく、青森県立八戸高への進学を考えていたからだ。「八戸は青森の中でも超進学校で甲子園にも何度か出ていました。僕は勉強もそこそこできていたので、進路指導の先生にも『野球も勉強も両方合致しているじゃないか。八戸高校に行け』と言われて一生懸命、受験勉強もしていたんです」。それが大三沢に変わったのは「ひとつは、小、中学校で一緒に野球をやった仲間が行くことになったから」と話す。
「野球好きの先生から『小学校でも中学校でも、三沢市内ではダントツに強かったから、このメンバーで(地元の大三沢に)行けば強くなる。行けよ』とか、言われてね。最終的には、親父もお袋もあまり体が強くなかったし、家から近い学校の方が親にも負担がかからないかと思って(大三沢を)選んだんです。小さい時から一緒にやっていた仲間と3年間楽しく野球をやろう、みたいな感じで、その時は甲子園を目指して頑張るぞ、なんて気持ちは毛頭なかったんですけどね」
入学後は「毎日バッティングピッチャーと走ってばかりでした」という。そんな1年夏の大三沢は八戸・十和田大会初戦で八戸水産に敗れた。「あの頃は十和田地区の予選があって、そこから県大会に行くんですけど、その予選で負けました。残念だったけど、さぁ、これで俺らの時代だ! とも思いましたよ。だって2年生が4人しかいなかったので」。1年秋からは試合出場の可能性が膨らみ、奮い立ったわけだ。
もっとも太田氏は「ピッチャーは2年生のエースがいて、なかなか球が速いし、その先輩が1番をつけて投げるんだろうから、自分は外野かなんかで出られたら、と思っていた」と話す。その状況が変化したのは新チームで最初の練習試合だ。「エースの先輩はそれまでも上の学年相手に投げていたので監督も力は分かっている。僕はバッティングピッチャーくらいしかしていなかったので『お前、ちょっと投げてみるか?』って言われて、投げたら完封したんです」。
初戦で登板→ノーヒットノーランの快挙
背番号は11。大ファンの阪神・村山実投手と同じ番号で「とても気に入っていた」と言うが、結果も出し続けた。「次にチャンスをいただいて投げたら、また完封。そうこうしているうちに新人戦が始まって、初戦は先輩が行くと思ったら監督が『太田、お前が行け!』って。そしたらノーヒットノーラン。その次の試合も完封して……。結局、そこからの公式戦は全試合、僕がひとりで投げましたから、あの最初の練習試合に投げさせてもらったのも転機になりましたね」。
背番号1の先輩投手を押しのけての“昇格”。「練習試合はよしとしても、公式戦も最初に投げさせてくれて……。普通だったら実績のある先輩を投げさせるでしょ。もし、僕が打たれていたら監督が批判されたんじゃないかなぁ。エースがいるのに、なんで下の学年のヤツを投げさせたんだ、ってなりかねないですもんね。まぁ僕は打たれて当たり前と思って投げていましたけどね。先輩には申し訳なかったけど、僕にとっては大きなことでした」。
1年秋は青森大会準決勝まで進むも、鰺ヶ沢に延長11回2-3でサヨナラ負けを喫した。「それなりの試合はしていたし、1年生中心のチームでも十分戦えるなと。でも、その次の年(1968年)の夏に甲子園に行けるとは、その時は全く思っていませんでした。僕らが3年になる頃には、もうちょっと強くなるんじゃないか、みたいな、そんな感じだったんですけどね」。
エースとなった太田氏の進化は続いた。持ち前のストレートに磨きがかかった。「あの頃は、ほとんど真っ直ぐ1本でした。一応カーブもあったんですけど、うまく曲がらなくて。スピードの抜けた真っ直ぐみたいになって、その方がバットに当たるんでね、だから本当に真っ直ぐだけ。カーブのサインなんかなかったですもん。今思うと、150キロとかの速さはなかったけど、ホップするような伸びる球っていうかな、そういうタイプ。バッターが下を振っちゃうみたいな、ね」。気がつけば青森県下で有名な投手になっていた。
☝<春風に乗って>’26センバツ 三重 甲子園憧れ父から子へ 西井駿内野手「本塁打放つ」/山本優外野手「舞台に立つ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/ec874f80945ead4cd9ea64a3e82f34def92c8bb0
8年ぶり14回目のセンバツ出場を決めた三重は1961年に創部され、69年にはセンバツ初優勝を果たした。夏の甲子園にも14回出場した伝統校であることから「親子2代で三重野球部」という選手も少なくない。かつて三重のユニフォームを着て甲子園の土を踏んだ親たちは息子に何を託すのか。2選手の父親に話を聞いた。
西井駿内野手(1年)の父勲さん(48)が三重に入学したのは93年。「レベルの高い野球をしたい」が理由だった。第67回センバツ大会で代打として甲子園の土を踏み、同年夏の全国高校野球選手権大会にも外野手として出場した。低めが得意なパワーヒッター。1年下には沖田展男・現監督がいた。
0―4で敗れたセンバツ初戦の星稜(石川)戦。八回無死走者なしで二飛に倒れた時、電光掲示板をみて「ああ、ここが甲子園か」と感動した。夏は外野のレギュラーとして先発出場。4―6で負けた初戦の熊本工戦の七回に二塁打を放った。「甲子園で自分の名のアナウンスを聞いたことは一生忘れない」という。
長男の駿選手は小学2年で野球を始めた。勲さんはゴロ捕球の姿勢や打撃のコツなど、あらゆる知識をたたき込んだ。高校進学時は迷わず、県内で最も甲子園に近いと信じる三重を推した。
駿選手は強打が自慢の控え内野手。父の甲子園での映像を見て「僕もあの舞台で」と憧れが強まっている。「甲子園で本塁打を放ち、父を超える」が目標だ。
もう一人は山本優外野手。父浩一郎さん(50)は8強入りした第64回センバツ大会で、1年ながら控え投手としてベンチ入りした。投げる機会はなかったが、甲子園でチームが一戦一戦強くなっていくのを感じた。その後、内野手に転向し、中京大を経て、社会人野球の強豪・日産自動車で2002年までプレー。都市対抗野球大会優勝も経験した。「その原点は甲子園。夢や憧れが詰まった聖地だ」と語る。
実は長男で優選手の兄海さんは、慶応(神奈川)の副主将として3年前の夏の甲子園で優勝している。家族は、優選手も当然慶応を目指すと思っていた。だが、本人は8年前のセンバツ準決勝の大阪桐蔭戦で、延長十二回の激闘の末に2―3でサヨナラ負けした三重の戦いぶりが忘れられなかった。
「自立すること。そして兄を超えること」。この二つを目標に親元を離れて三重を選んだ。自由なムードの中で、練習時間を多く取れることに満足しているという。
センバツ出場が決まった1月30日は病院にいた。昨年6月に骨折した左足のリハビリのためだ。浩一郎さんからは「けがをして良かったと思えるか、それともここで終わるかは自分次第」とアドバイスされた。
投手としても期待されており、聖地に立てるか今が正念場。「僕はまだ兄にも父にもかなわない。絶対に甲子園の舞台に立つ」と誓う優選手。浩一郎さんは「簡単に立つことができないからこそ本当に貴重な場所。最大限楽しんで、人として成長できる舞台にしてほしい」とエールを送る。
👣センバツ2026 智弁学園・硬式野球部3年生 後輩へ夢託し卒業
https://news.yahoo.co.jp/articles/85c1769d171ba70935e5772e5f10e4eeae171002
5年ぶり15回目のセンバツ出場を決めた智弁学園で11日、卒業式があり、硬式野球部の3年生21人が母校を巣立った。1、2年生は昨夏の県大会まで苦楽を共にしてきた先輩との別れを惜しみ、3年生は後輩たちの大舞台での活躍を祈ってエールを送った。式に臨んだ3年生は、最後のホームルームを終えて野球部の寮「健志館」に集合。野球部としての“卒業式”が始まった。
小坂将商監督は「後輩の頑張る姿を応援してほしい。困ったことがあったらいつでもグラウンドに戻ってきてください」とはなむけの言葉を送って門出を祝福。
井元康勝部長は「昨夏悔しい思いをしたと思うが、その経験は必ず役立つ。長い人生のどこかで何かの『日本一』になれるように頑張って」と激励した。
野球部OB会長の生駒敬雄さんも姿を見せ、「この3年間積んできた厳しい練習は必ず将来にも生きてくる。これからも頑張ってほしい」と話し、トロフィーなどの記念品を一人一人に手渡した。
昨夏まで主将を務めた少路慶斗さんは「陰で支えてくれている人がたくさんいる。そういう人たちに恩返しをしてほしい」とセンバツに向けて練習に励む後輩たちにエールを送った。角谷哲人主将(2年)は「先輩たちの分までセンバツの舞台で頑張ります」と思いを受け止めた。
1、2年生から卒業生へメッセージを書いた色紙がそれぞれに贈られた。式が終わると同期や後輩と記念撮影を撮ったり、思い出話に花を咲かせたりした。
🎵名門・県岐阜商吹奏楽部とジントシオ氏が夢コラボ 新チャンステーマ完成 曲名は異例の“総選挙”で決定へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/88e58f32cc510043c11d6ef50e5efcf894f30e96
ロッテの応援団長や楽天の応援プロデューサーを務めるなど、広くスポーツ界で「応援のプロ」として知られる作曲家のジントシオ氏(45)が、昨夏の甲子園で16年ぶりに4強入りした県岐阜商の新チャンステーマ(チャンテ)を書き下ろし、このほど完成した。14日に開かれる同校吹奏楽部の「創部100周年記念演奏会」で初披露される予定だ。
同校の吹奏楽部といえば、昨夏の甲子園で郷ひろみの名曲「GOLDFINGER’99」などのノリのいい演奏で、名門野球部を準決勝進出へと後押ししたことも記憶に新しい。
ここに新たな“援軍”が加わった。ジン氏作曲のオリジナルチャンテが完成し、14日の記念演奏会で初めて奏でられることになったのだ。
事の発端は延長11回タイブレークの死闘となった昨夏の甲子園準々決勝、県岐阜商-横浜戦だった。県岐阜商はV候補の一角を8-7で下し、全国の高校野球ファンの度肝を抜いた。同校吹奏楽部OB会長の牧野勝也さんは、以前から甲子園中継で流れるジンさん作の名曲「青のプライド」のファンで、「ウチにも1曲つくってほしい」との夢を持っていた。
「でも面識もなく、ツテもないなと思っていて…ところが横浜戦の選手たちの頑張りを見ていたら、心が奮い立って。あの勝利の翌日、ダメ元でジンさんにメールを送ったんです」
ジン氏からは、わずか1時間後に返信が届いた。「周りを巻き込んでやりましょう」との内容だった。ジン氏は言う。「昨夏の甲子園の活躍を思い出しながら、疾走感あふれるメロディーを意識しました。手応えはすごくあります」。曲は完成し、11日にはジンさんが同校を訪問。そもそもは指導を行う予定だったが、「最初の演奏から、修正するところがないほどでした。完璧でした」と高い完成度に驚嘆した。
14日の記念演奏会では、異例の「曲目選挙」が実施される。4つの候補のうちからどれが最高か、会場で投票を行うというものだ。後日、野球部などの意向も反映した上で、最終決定する方針だという。周囲を巻き込むことで、「みんなのうた」として、愛されるチャンテにしたいとの願いもある。
「新しい100年に向けて、この曲とともに甲子園で新しいムーブメントを起こしてほしい」とジン氏。名門伝統校と稀代の応援家による夢コラボ。聖地で鳴り響く瞬間が、今から待ち遠しい。
第4話 令和の奈良の公立では近畿大会は荷が重い?!
10/20 秋季近畿大会2日目第第3試合 ほっともっとフィールド神戸 立命館宇治(京都①)-奈良(奈良②) 13:49~15:42
一二三四五六七八九十計HE
奈 良000000010 131 神山、宮崎、米田-西口
立命宇治00100300X 462 道勇-伊藤
第一試合 第二試合
東 洋 姫9 市 和 歌1
龍谷平安0 三田学園0
1試合目は7回コールド。2試合目は1-0で1時間33分と近畿大会らしくサクサク終わってしまった・・・・・。前日は第1試合途中雨天中断を挟みながらの試合だっただけに長く感じたが、第2・第3試合が中止となってしまい12時前には球場を出たのでもっと逗留したかったが、、、、、明日も11時から2試合組まれているので止むを得ないかと。
第3試合は龍谷大平安に勝って京都1位となった立命館宇治が奈良高校の挑戦を受ける。どう考えても立命館宇治の優位は動かずなんとかコールド回避できればと考えていた。
奈良県の場合は天理と智弁がツートップでその後を奈良大付が猛追し、その他の公立高校がチャンスを伺う格好だが、今回は天理と智弁が同ブロックに入ったため反対ブロックのチームにとっては大きなチャンスとなり奈良高校が2位に浮上した。
平成元年春に甲子園出場したことはあるが、桐生一高に6-10で完敗したのが唯一の甲子園出場でそれ以降は全く名前を聞かなくなってしまったが・・・・・。
前日の雨も関係なしにグラウンドでは散水が行われ定刻よりも11分早いプレーボール。
奈良高校は先攻派のようで三田学園と似たようなチームカラーだろうか???お互いエースが先発登板となる。初回に奈良が先制すれば少しは面白くなるかもしれないが、、、、、スタンドでは県大会同様の応援スタイルでかなり寂しかった・・・・・。高田商あたりだと張り切ってブラスバンドや一般生徒も多数押しよせるのだが、、、
1回表奈良は道勇投手の前にアッサリ三者凡退。その裏、立命館宇治は1番・藤川がセンター前ヒット。さらに四球で傷口を広げて無死1・2塁。いったいこの回何点取られるのだろうか???と老いなる不安に襲われたが、3番・谷口まさかの送りバント3球連続ファールによる三振。。。4番・伊藤は2ボールから早打ちしてセカンドゴロで2死2・3塁。なんとか出口が見えてなんだかんだで無失点に抑えてくれたらと祈りつつ、5番・田中に7球粘られ四球で満塁。6番・車谷は気負いすぎたのか?1-1からセカンドフライに倒れ初回から緊張感が増す守りだった。
2回表奈良は1死から5番・米田のピッチャーフライ落球によるラッキーな出塁で完全試合回避。手堅く送りバントで2死2塁と定石通りの野球をする吉村監督だが、7番・岡田レフトフライに倒れ相手のミスにつけ込めなかった。
その裏、奈良のエース・神山は1死後四球を与え早くもこの試合3つ目。里井監督はエース・道勇の打席ゆえに素直に送ると思ったが、9番ながらよほど打力に自信があるのか?初球ウエストで警戒する相手バッテリーの上を行こうとしたのか???里井監督は1-1からエンドランを仕掛けサードゴロで2死2塁。さらに1番・藤川カウント1-1からまさかの三塁盗塁を試みるがこれは無謀すぎて盗塁失敗・・・。
相手の強引な攻めに奮起して欲しいところだが、奈良打線は3回もおとなしく三者凡退で終わりやはり攻撃面は戦前の予想通り。その裏1番からの攻撃の立命宇治は1死から2番・杉野がレフト前ヒット。里井監督はまたもやエンドランを仕掛けサードゴロで2死2塁。4番・伊藤は警戒して四球で1・2塁。塁上に走者を賑わしてもホームさえ踏まさなければそれで良いのだが、、、5番・田中を2-1と追い込みなんとか抑えられるかな?と色気が出た瞬間に田中が左中間突破の先制タイムリーツーベースを放ち苦しみながらも先制点を挙げた。しかし1塁走者が長躯ホームインできず2・3塁に走者が残り6番・車谷2ボールからまたもやチャンスでセカンドフライに倒れブレーキとなってくれて助かった!
1点を先制された奈良は4回2番からの好打順で試合を動かしたかったが、大仏野球でおとなしく三者凡退。。。対照的に立命宇治はその裏先頭の7番・岡田が初球バントの構えで揺さぶり、1死後四球で毎回ランナーを出し続ける。里井監督はやはり道勇投手の打撃を信頼しているようで初球ライトフライ。そして2死1塁カウント2-1からランエンドヒットを仕掛けボール球に手を出さず盗塁成功。しかし神山投手がここも踏ん張りチェンジアップで空振り三振。
5回表奈良は5番・米田が四球で2打席連続出塁!!ここまで他の打者8人誰も塁に出れていない状況で2打席連続出塁はラッキーボーイなんだろう。吉村監督は定石通り送りバント。もう中盤だしイチかバチかギャンブルを仕掛けてもはまれば面白いところだが普段から基本に忠実な野球を体現している模様だ。しかし得点圏に走者を置いても連続センターフライに倒れノーヒットのまま5回の攻撃を終えた。
その裏、立命宇治も2番からの攻撃だったが連続フライアウトで2アウト。4番・伊藤もキャッチャーファールフライだったが、、、、、キャッチャー西口まさかの落球・・・。第2試合の三田学園キャッチャー沖もファールフライ落球があったし、晴れていることもありキャッチャーフライはやはり取りにくいのだろうか?試合前のノックでキャッチャーフライを打たない監督さんあるいはノッカーも多々いるので、、、、、
そして直後にセンター前ヒットを喰らい1度も三者凡退のイニングを作れない前半戦。5番・田中がセカンドゴロに倒れ奇跡的に???と言えばいいのか1-0で整備に入った。
正直なところ第1試合よろしく序盤から大量点が入り試合が壊れかねないか心配していたが、、、、、立命宇治が久しぶりの近畿大会で慣れないほっともっとフィールドという環境でガチガチに緊張して打線が湿っているのか?平安が負けたし京都1位なんでこの試合勝てばセンバツ当確という気持ちが硬くさせているのか???奈良高校の神山投手から4安打5四球もらっているが1得点のみで毎回の8残塁と粗さが目立つ。ただ、奈良高校打線が未だノーヒットなんで道勇投手がこの調子で最後まで行けば偉業達成もあり得るが、奈良県の高校野球は終盤急に打線が目覚めることも多々あるので、大仏が眠りから覚めた時が恐ろしい・・・。
そして6回表1死からついに・・・1番・谷が1-1からセンター前ヒットを放ちノーヒットノーランの呪縛から解放された!1死1塁でバッター2番と機動力を使える場面ではあったが、吉村監督はよほど送りバントがダイスキなのか???ここも初球素直にバントで2死2塁。3番・松本にポテンヒットあるいは相手のエラーでもあれば一気に流れが変わりそうだが、カウント2-1と追い込まれなぜかしら立命宇治バッテリーは4球目ウエスト。ここで盗塁やランエンドヒットはしないと思うのだが。そして5球目セカンドフライでまたもや0行進。
その裏最初から予定していたのか?エース・神山にアクシデントが襲ったのかは分からないが、、、ファースト宮崎をマウンドに挙げてエース・神山はショートに回り、ショートがレフト・レフトがファーストと大幅に守備位置変更。エースがショートを守っているのでアクシデントではないと思われるし、吉村監督は最初から近畿大会初戦では投手陣全員にほっともっとフィールド神戸のマウンドを体験させる粋な計らいを企画していたのか???
6番からの攻撃で先頭打者を振り逃げで生かしてしまったのがケチの着け始めで、もらったランナーを確実に送って1死2塁。8番・豊田四球で1死1・2塁。この場面でエースを再登板させておけばまだ試合の行方は分からなかったかもしれないが、そのまま続投で道勇投手が自らを助けるレフト前タイムリーヒットで決定的な2点目。さらに犠打エラーで痛恨の3点目。。。里井監督はしつこくバント攻めで2死2・3塁とし、3番・谷口セカンドゴロ正面の打球で2点で食い止めたと思った瞬間にセカンド・谷がこれを弾き4点目。さらに盗塁・四球で2死満塁と歯止めがかからなくなったが、吉村監督は宮崎続投で5番・田中をチェンジアップで三振に抑えたが謎の継投で自ら墓穴を掘ったような格好となってしまった・・・・・。
7回表奈良は4点差つけられて戦意喪失したわけではないと思いたいが、まさかの三者連続三振。。。そのうち2つが見逃し三振なんでこのままだとコールド負けが脳裏をよぎる↓↓
吉村監督もそれを意識したのか?7回からライトを守っていた米田を3番手としてマウンドに送り込んだ。エース・神山の再登板でもよかったが、投手陣全員をマウンドに立たせたい親心だろうか??
先頭の6番・車谷のショートライナー後逸による記録上ヒットで出塁を許す。里井監督はこの回一気に試合を決めてしまおうと欲張らずに、あえて2ボールから7番・岡田に送りバントをさせて1死2塁。ここは打席で待っていれば四球でチャンス拡大した気もするが、、、、、さらに四球で走者が溜まりもし道勇投手にホームランが出ればサヨナラコールドとなるが、1-3から打ち気にはやりショートゴロ2塁封殺。1番・藤川は1ボールからライト前にはじき返したが、ライト途中出場の福本のスライディングキャッチで無失点に切り抜けた!
8回表先頭の7番・岡田がまさかのライトフェンス直撃のスリーベースヒット!佐藤薬品スタジアムだったら間違いなくホームランだったが、、、、、4点差あるので当然立命館宇治内野陣は深く守って1点はOKの構え。これに乗じて8番・神山が1-2からショートゴロを放ち完封阻止の貴重な得点を挙げた。
これで気をよくした米田投手は相手2番からの好打順をサードフライ・見逃しの三振に抑え最後は木製バットを使用する4番・伊藤のバットをへし折りセカンドゴロでなんだかんだで9回まで野球ができた!
最後の意地を見せたい奈良は先頭の2番・高橋がチーム3本目となるライト前ヒット。いくら送りバントがダイスキな吉村監督でも9回3点差3番打者でバントのサインを出すわけにもいかず空振り三振。4番・宮崎のセカンドゴロ悪送球でホームランが出れば4-4同点のシチュエーションを作ったが、、、空振り三振とショートライナーで試合終了。
最終スコアは4-1だったが点差以上に力の差をヒシヒシと感じさせられた試合だった。。。。。
もし奈良大会の組み合わせで天理と智弁が別ブロックに入って智弁が立命館宇治と対戦していたらもっと緊迫感のある試合を展開していただろうなあと・・・・・。
そして、準々決勝は観戦できないが市和歌山打線が道勇投手を攻略できるとも思えず相当しんどい試合を覚悟して勝つとしたら今日のような1-0で最後の最後に得点を奪ってなんとか白星を手に入れる形か?と予想していたが、、、島根で速報見たら10-0で6回コールド勝ちと。県外の公式戦で市和歌山打線が爆発するシーンはめったに見られないので惜しいことをしたなあと・・・。
しかしこの日は9時から3試合だったが、第1試合7回コールド。第2試合1時間33分の投手戦。そしてこの試合が1時間53分のワンサイドと味気なく1日が終わり15時42分終了でナイターには程遠くトボトボと帰るしかなかった・・・。明日、三日連続でここに戻ってこれることが唯一の救いで11時から2試合なんでゆっくり出発できるかと。
3連戦となる月曜日はまず和歌山東が天理の胸を借りる。天理は元近鉄で4番を打っていた中村監督が大阪学院大学の監督になり、前任の天理大学に続き2校目の大学での指揮となり、入れ替わりで天理大学の藤原監督が天理高校にやってきた。
和歌山東は市和歌山との打撃戦に競り勝つも和智弁相手に0-1と大健闘するも11安打完封負けと決定力に欠け、22年春にセンバツ出場して1勝を挙げた米原監督の手腕にかかるのだが、、、それはまた次回の講釈で。
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 三振 暴投 失点 自責
奈 良 神 山 5 24 108 4 0 5 2 0 1 1
奈 良 宮 崎 1 9 32 1 3 2 2 1 3 3
奈 良 米 田 2 8 29 1 1 1 1 0 0 0
立命宇治 道 勇 9 33 122 3 3 1 7 0 1 1
(完)
🌟次回予告🌟
10/21 秋季近畿大会3日目第1試合 ほっともっとフィールド神戸 和歌山東(和歌山②)-天理(奈良①)
10/20 秋季近畿大会2日目第第3試合 ほっともっとフィールド神戸 立命館宇治(京都①)-奈良(奈良②) 13:49~15:42
一二三四五六七八九十計HE
奈 良000000010 131 神山、宮崎、米田-西口
立命宇治00100300X 462 道勇-伊藤
第一試合 第二試合
東 洋 姫9 市 和 歌1
龍谷平安0 三田学園0
1試合目は7回コールド。2試合目は1-0で1時間33分と近畿大会らしくサクサク終わってしまった・・・・・。前日は第1試合途中雨天中断を挟みながらの試合だっただけに長く感じたが、第2・第3試合が中止となってしまい12時前には球場を出たのでもっと逗留したかったが、、、、、明日も11時から2試合組まれているので止むを得ないかと。
第3試合は龍谷大平安に勝って京都1位となった立命館宇治が奈良高校の挑戦を受ける。どう考えても立命館宇治の優位は動かずなんとかコールド回避できればと考えていた。
奈良県の場合は天理と智弁がツートップでその後を奈良大付が猛追し、その他の公立高校がチャンスを伺う格好だが、今回は天理と智弁が同ブロックに入ったため反対ブロックのチームにとっては大きなチャンスとなり奈良高校が2位に浮上した。
平成元年春に甲子園出場したことはあるが、桐生一高に6-10で完敗したのが唯一の甲子園出場でそれ以降は全く名前を聞かなくなってしまったが・・・・・。
前日の雨も関係なしにグラウンドでは散水が行われ定刻よりも11分早いプレーボール。
奈良高校は先攻派のようで三田学園と似たようなチームカラーだろうか???お互いエースが先発登板となる。初回に奈良が先制すれば少しは面白くなるかもしれないが、、、、、スタンドでは県大会同様の応援スタイルでかなり寂しかった・・・・・。高田商あたりだと張り切ってブラスバンドや一般生徒も多数押しよせるのだが、、、
1回表奈良は道勇投手の前にアッサリ三者凡退。その裏、立命館宇治は1番・藤川がセンター前ヒット。さらに四球で傷口を広げて無死1・2塁。いったいこの回何点取られるのだろうか???と老いなる不安に襲われたが、3番・谷口まさかの送りバント3球連続ファールによる三振。。。4番・伊藤は2ボールから早打ちしてセカンドゴロで2死2・3塁。なんとか出口が見えてなんだかんだで無失点に抑えてくれたらと祈りつつ、5番・田中に7球粘られ四球で満塁。6番・車谷は気負いすぎたのか?1-1からセカンドフライに倒れ初回から緊張感が増す守りだった。
2回表奈良は1死から5番・米田のピッチャーフライ落球によるラッキーな出塁で完全試合回避。手堅く送りバントで2死2塁と定石通りの野球をする吉村監督だが、7番・岡田レフトフライに倒れ相手のミスにつけ込めなかった。
その裏、奈良のエース・神山は1死後四球を与え早くもこの試合3つ目。里井監督はエース・道勇の打席ゆえに素直に送ると思ったが、9番ながらよほど打力に自信があるのか?初球ウエストで警戒する相手バッテリーの上を行こうとしたのか???里井監督は1-1からエンドランを仕掛けサードゴロで2死2塁。さらに1番・藤川カウント1-1からまさかの三塁盗塁を試みるがこれは無謀すぎて盗塁失敗・・・。
相手の強引な攻めに奮起して欲しいところだが、奈良打線は3回もおとなしく三者凡退で終わりやはり攻撃面は戦前の予想通り。その裏1番からの攻撃の立命宇治は1死から2番・杉野がレフト前ヒット。里井監督はまたもやエンドランを仕掛けサードゴロで2死2塁。4番・伊藤は警戒して四球で1・2塁。塁上に走者を賑わしてもホームさえ踏まさなければそれで良いのだが、、、5番・田中を2-1と追い込みなんとか抑えられるかな?と色気が出た瞬間に田中が左中間突破の先制タイムリーツーベースを放ち苦しみながらも先制点を挙げた。しかし1塁走者が長躯ホームインできず2・3塁に走者が残り6番・車谷2ボールからまたもやチャンスでセカンドフライに倒れブレーキとなってくれて助かった!
1点を先制された奈良は4回2番からの好打順で試合を動かしたかったが、大仏野球でおとなしく三者凡退。。。対照的に立命宇治はその裏先頭の7番・岡田が初球バントの構えで揺さぶり、1死後四球で毎回ランナーを出し続ける。里井監督はやはり道勇投手の打撃を信頼しているようで初球ライトフライ。そして2死1塁カウント2-1からランエンドヒットを仕掛けボール球に手を出さず盗塁成功。しかし神山投手がここも踏ん張りチェンジアップで空振り三振。
5回表奈良は5番・米田が四球で2打席連続出塁!!ここまで他の打者8人誰も塁に出れていない状況で2打席連続出塁はラッキーボーイなんだろう。吉村監督は定石通り送りバント。もう中盤だしイチかバチかギャンブルを仕掛けてもはまれば面白いところだが普段から基本に忠実な野球を体現している模様だ。しかし得点圏に走者を置いても連続センターフライに倒れノーヒットのまま5回の攻撃を終えた。
その裏、立命宇治も2番からの攻撃だったが連続フライアウトで2アウト。4番・伊藤もキャッチャーファールフライだったが、、、、、キャッチャー西口まさかの落球・・・。第2試合の三田学園キャッチャー沖もファールフライ落球があったし、晴れていることもありキャッチャーフライはやはり取りにくいのだろうか?試合前のノックでキャッチャーフライを打たない監督さんあるいはノッカーも多々いるので、、、、、
そして直後にセンター前ヒットを喰らい1度も三者凡退のイニングを作れない前半戦。5番・田中がセカンドゴロに倒れ奇跡的に???と言えばいいのか1-0で整備に入った。
正直なところ第1試合よろしく序盤から大量点が入り試合が壊れかねないか心配していたが、、、、、立命宇治が久しぶりの近畿大会で慣れないほっともっとフィールドという環境でガチガチに緊張して打線が湿っているのか?平安が負けたし京都1位なんでこの試合勝てばセンバツ当確という気持ちが硬くさせているのか???奈良高校の神山投手から4安打5四球もらっているが1得点のみで毎回の8残塁と粗さが目立つ。ただ、奈良高校打線が未だノーヒットなんで道勇投手がこの調子で最後まで行けば偉業達成もあり得るが、奈良県の高校野球は終盤急に打線が目覚めることも多々あるので、大仏が眠りから覚めた時が恐ろしい・・・。
そして6回表1死からついに・・・1番・谷が1-1からセンター前ヒットを放ちノーヒットノーランの呪縛から解放された!1死1塁でバッター2番と機動力を使える場面ではあったが、吉村監督はよほど送りバントがダイスキなのか???ここも初球素直にバントで2死2塁。3番・松本にポテンヒットあるいは相手のエラーでもあれば一気に流れが変わりそうだが、カウント2-1と追い込まれなぜかしら立命宇治バッテリーは4球目ウエスト。ここで盗塁やランエンドヒットはしないと思うのだが。そして5球目セカンドフライでまたもや0行進。
その裏最初から予定していたのか?エース・神山にアクシデントが襲ったのかは分からないが、、、ファースト宮崎をマウンドに挙げてエース・神山はショートに回り、ショートがレフト・レフトがファーストと大幅に守備位置変更。エースがショートを守っているのでアクシデントではないと思われるし、吉村監督は最初から近畿大会初戦では投手陣全員にほっともっとフィールド神戸のマウンドを体験させる粋な計らいを企画していたのか???
6番からの攻撃で先頭打者を振り逃げで生かしてしまったのがケチの着け始めで、もらったランナーを確実に送って1死2塁。8番・豊田四球で1死1・2塁。この場面でエースを再登板させておけばまだ試合の行方は分からなかったかもしれないが、そのまま続投で道勇投手が自らを助けるレフト前タイムリーヒットで決定的な2点目。さらに犠打エラーで痛恨の3点目。。。里井監督はしつこくバント攻めで2死2・3塁とし、3番・谷口セカンドゴロ正面の打球で2点で食い止めたと思った瞬間にセカンド・谷がこれを弾き4点目。さらに盗塁・四球で2死満塁と歯止めがかからなくなったが、吉村監督は宮崎続投で5番・田中をチェンジアップで三振に抑えたが謎の継投で自ら墓穴を掘ったような格好となってしまった・・・・・。
7回表奈良は4点差つけられて戦意喪失したわけではないと思いたいが、まさかの三者連続三振。。。そのうち2つが見逃し三振なんでこのままだとコールド負けが脳裏をよぎる↓↓
吉村監督もそれを意識したのか?7回からライトを守っていた米田を3番手としてマウンドに送り込んだ。エース・神山の再登板でもよかったが、投手陣全員をマウンドに立たせたい親心だろうか??
先頭の6番・車谷のショートライナー後逸による記録上ヒットで出塁を許す。里井監督はこの回一気に試合を決めてしまおうと欲張らずに、あえて2ボールから7番・岡田に送りバントをさせて1死2塁。ここは打席で待っていれば四球でチャンス拡大した気もするが、、、、、さらに四球で走者が溜まりもし道勇投手にホームランが出ればサヨナラコールドとなるが、1-3から打ち気にはやりショートゴロ2塁封殺。1番・藤川は1ボールからライト前にはじき返したが、ライト途中出場の福本のスライディングキャッチで無失点に切り抜けた!
8回表先頭の7番・岡田がまさかのライトフェンス直撃のスリーベースヒット!佐藤薬品スタジアムだったら間違いなくホームランだったが、、、、、4点差あるので当然立命館宇治内野陣は深く守って1点はOKの構え。これに乗じて8番・神山が1-2からショートゴロを放ち完封阻止の貴重な得点を挙げた。
これで気をよくした米田投手は相手2番からの好打順をサードフライ・見逃しの三振に抑え最後は木製バットを使用する4番・伊藤のバットをへし折りセカンドゴロでなんだかんだで9回まで野球ができた!
最後の意地を見せたい奈良は先頭の2番・高橋がチーム3本目となるライト前ヒット。いくら送りバントがダイスキな吉村監督でも9回3点差3番打者でバントのサインを出すわけにもいかず空振り三振。4番・宮崎のセカンドゴロ悪送球でホームランが出れば4-4同点のシチュエーションを作ったが、、、空振り三振とショートライナーで試合終了。
最終スコアは4-1だったが点差以上に力の差をヒシヒシと感じさせられた試合だった。。。。。
もし奈良大会の組み合わせで天理と智弁が別ブロックに入って智弁が立命館宇治と対戦していたらもっと緊迫感のある試合を展開していただろうなあと・・・・・。
そして、準々決勝は観戦できないが市和歌山打線が道勇投手を攻略できるとも思えず相当しんどい試合を覚悟して勝つとしたら今日のような1-0で最後の最後に得点を奪ってなんとか白星を手に入れる形か?と予想していたが、、、島根で速報見たら10-0で6回コールド勝ちと。県外の公式戦で市和歌山打線が爆発するシーンはめったに見られないので惜しいことをしたなあと・・・。
しかしこの日は9時から3試合だったが、第1試合7回コールド。第2試合1時間33分の投手戦。そしてこの試合が1時間53分のワンサイドと味気なく1日が終わり15時42分終了でナイターには程遠くトボトボと帰るしかなかった・・・。明日、三日連続でここに戻ってこれることが唯一の救いで11時から2試合なんでゆっくり出発できるかと。
3連戦となる月曜日はまず和歌山東が天理の胸を借りる。天理は元近鉄で4番を打っていた中村監督が大阪学院大学の監督になり、前任の天理大学に続き2校目の大学での指揮となり、入れ替わりで天理大学の藤原監督が天理高校にやってきた。
和歌山東は市和歌山との打撃戦に競り勝つも和智弁相手に0-1と大健闘するも11安打完封負けと決定力に欠け、22年春にセンバツ出場して1勝を挙げた米原監督の手腕にかかるのだが、、、それはまた次回の講釈で。
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 三振 暴投 失点 自責
奈 良 神 山 5 24 108 4 0 5 2 0 1 1
奈 良 宮 崎 1 9 32 1 3 2 2 1 3 3
奈 良 米 田 2 8 29 1 1 1 1 0 0 0
立命宇治 道 勇 9 33 122 3 3 1 7 0 1 1
(完)
🌟次回予告🌟
10/21 秋季近畿大会3日目第1試合 ほっともっとフィールド神戸 和歌山東(和歌山②)-天理(奈良①)
✌球児から児童へ、極意を伝授 県立橋本高校×少年チーム交流
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASV2B46FFV2BPXLB002M.html
和歌山県立橋本高校の野球部員たちが7日、橋本市内の少年野球チームを同校に招き、野球の手ほどきや学習サポートなど多彩なメニューで交流した。
市内の少年野球チーム出身で橋本高野球部の元部員でもある脇田純平監督の発案で、2年前に始まった。3回目の今回は、6チームから小学生計60人と同校の野球部員24人が参加した。
この日の交流は児童への学習サポートから始まった。野球部員らがあらかじめ小学生の国語や算数など教科の問題を作成していて、教室でこれらを小学生に配布し、質問を受けるなどした。
その後、グラウンドへ。野球部員が独自のウォーミングアップを披露。短い練習時間で効率よくこなすため、単純に走り込むのではなくリズム感や俊敏さの要素を採り入れている。小学生たちにもコツを教え、一緒に体をほぐした。ペアを組んでキャッチボールやトスバッティングをした後、部独自の野球風のゲームで楽しんだ。
三石ベアーズから参加した平松直さん(小5)は「ゲームがとくに楽しかった」と笑顔。同校野球部の友武有希主将(2年)は、どうやったら子どもたちに楽しんでもらえるかを考え抜き、交流会のメニューを作ったという。「街で僕たちを見かけたら気軽に声をかけてもらいたい」
同校の野球部員は普段から、勉強や野球を互いに教え合っているという。脇田監督は「みんなで一緒にやれば楽しく学べることを、野球でも野球以外でも小学生たちに感じてほしい。高校生にも年の離れた子たちに教えることで新たな気づきがあるはずだ」と話した。
📝甲子園沸かせた元祖アイドル 甘いマスクでフィーバーも…目立たぬ学生時代「野球は下手」
https://news.yahoo.co.jp/articles/9d82111c80ee40131c6caf8a474086502e0dc24f?page=1
元近鉄・太田幸司氏が振り返る原点「野球しかなかった」
甲子園を沸かした“元祖アイドル右腕”が太田幸司氏(野球評論家)だ。うなる快速球に甘いマスク。青森・三沢高エースとして、1969年夏決勝の延長18回0-0引き分け再試合での激投などで「コーちゃんフィーバー」を巻き起こした。ドラフト1位で入団した近鉄でも2桁勝利を3度マーク。常に人気を背負いながら、アマでもプロでも実績を残したが、その原点ともいえる小学生時代は決してズバ抜けた存在ではなかったという。
1952年1月23日生まれの太田氏は「僕らの時代は子どもが何かやるといったら野球しかなかった。小学校に入る前から、稲刈りしたあとの田んぼで三角ベースとかで遊んでいましたよ。それに親父が結構野球好きでね。道具も、裏の雑木林で、木を切って削ってバットみたいなものを作ってくれたし、お袋は布に綿を入れてグラブみたいなのを作ってくれたんです。親父とはよくキャッチボールをしましたしね」と振り返る。
「あの頃って町内会にも、テレビがある家がまだ1軒、2軒という状況だった。ナイターは巨人戦しかやっていないしね。テレビがある家にお父さん方もビールとおつまみを持って集まって野球中継を見る。そこへ連れていってもらって一緒に見ました。その辺が野球との出会いでもあったのかな」。自然と巨人ファンになったそうだ。「3番・長嶋(茂雄)やぁーとか言ってね。パ・リーグは日本シリーズで巨人と戦う西鉄、南海くらいしか知らなかった。近鉄は全く知らなかった」。
三沢市立岡三沢小学校4年の時に、学校の軟式野球部に入った。ポジションは外野手。「三沢は特殊でね、米軍基地の中に米国のチームが何チームかあって、そこに市内の小学校の選抜チームも入って土日は試合をしていた。こっちは硬式。だから軟式と硬式の両方をやっていました。僕らは小学校の軟式チームでがっつり練習していたけど、米国のチームは楽しそうにやるだけだから、僕らの方が圧倒的に強かったんですけどね」。
しかしながら、太田氏は決して目立つ存在ではなかったそうだ。「小学校のチームでは1番とか2番を打っていましたけど、選抜チームではたまにスタメンで使ってもらえるか、くらいの選手でしたね。選抜チームは(米軍内のリーグで)優勝して、東京のリトルリーグの大会に行ったけど、人数制限とかもあって、そのメンバーには選ばれなかった。(三沢駅で)みんなを見送るだけの寂しい思いもしましたよ」と話した。
足が速くて強肩も「野球は下手」
「同級生がみんなうまくてね。ウワー、凄いなぁって見ていましたね。そこに何とか追いつこう、みたいな、そんな感じでした。プロ野球選手になる人は、よく小さい頃から野球が抜群に上手くて……とか言われますが僕の場合は全然」。のちに女性ファンを大熱狂させる太田氏だが「ピッチャーで、4番でキャプテンというのがあの頃のモテるパターンというか。それに憧れはあったけど、自分がピッチャーをやれるようになるとは思ってもいませんでした」と口にした。
「足は一番速かったし、肩が強かったというのはありました。でも野球は下手。たいして打てなかったですし……。外野からはガーッと放って、バックネットによく直接ぶつけていました。見せ場だと思って、みんながカットっていうなか、ノーバンで行ったろうと思って投げたら、大暴投。そんなのもよくやっていました。まぁ、身体能力はありましたね。小学校とかの運動会では足が速いんで独壇場でした」。それでも野球では、同級生たちにその頃はまだ勝てなかったようだ。
当時の三沢市内の小学校選抜チームには、後の三沢高野球部メンバーが数多く名を連ねていた。「あの時は(三沢高では一塁手となる)菊池(弘義)がエースで、(三沢高で)ショートだった八重沢(憲一)も投げていましたね」。太田氏が投手になるのは三沢市立第一中学2年になってから。そこから伝説の投手への道を歩んでいくが「小学校当時のことを知る人だったら『あの太田が……』って思っていたんじゃないですかねぇ」と言って笑った。
☝20歳の「お姉ちゃん」がたった1人で燃やした高校野球への情熱…勤続65年目を迎えた「東京高野連の母」
https://news.yahoo.co.jp/articles/79c96b6606d4a103a054e89b1d9ea32e1e4b4c56
2020年にスポニチに入社した記者の前職は地方公務員。福岡県福津市の教育委員会で3年間、スポーツ担当の仕事に励み、スポーツを「する・みる・ささえる」の活動を通して市民の生活向上を目指した。連載「元公務員記者の目」ではアマチュア野球担当の記者が「ささえる」人々の活躍を伝える。第2回は東京都高等学校野球連盟の横山幸子事務局長(84)。勤続65年目を迎えた超ベテランが歩みを振り返った。(聞き手 アマチュア野球担当キャップ・柳内 遼平)
――1961年に日本学生野球協会の事務局員になり、翌年から東京高野連も兼務。63年から東京高野連の専任として支えてきた。
「私がここに来たのは昭和37(1962年)年のことでした。当時の連盟にはまだきちんとした職員はおらず、学生アルバイトのような方が手伝っている程度。お給料も封筒に入れて“はい!”と渡されるだけ。そんな時代でした(笑い)。これでは私の後に来る人が困るだろうと、税務署や役所に行って一から帳簿をつくり、社会保険などの仕組みも整えていきました。何もないところから、連盟としてのシステムをゼロからつくっていったんです。当時は20代そこそこ。右も左も分からない若造でしたが、税務署の方が本当に親切に教えてくれたことを覚えています」
――今でこそ東京高野連は複数人の職員によって運営されているが、当初は横山事務局長の“ワンオペ”状態。
「もちろん学校の先生方とともに仕事を進めていきますが、事務員が一人体制の時代は本当に休まる暇がありませんでしたね。帰宅が夜中の12時を過ぎることもありました。私の自宅の電話番号も名簿に載せていたので土日だろうが、夜中だろうが、電話がかかってきます。“公式戦は明日なのに背番号を失くしてしまった…”なんて電話が土曜の夜にかかってきて、慌てて事務所を開けて背番号を渡したこともありました。それくらい現場との距離が近かったですし、私がやらなきゃ誰がやるんだ、という思いでしたね」
――今では信じられませんが、かつて東京の高校野球はメディアの扱いが小さかった。どのように立ち向かった。
「昔は新聞の扱いも凄く小さかったんです。全国版のスポーツ欄の隅っこにスコアが載る程度。“もっと東京の高校野球を知ってもらいたい”と思って、朝日新聞や読売新聞に電話をかけました。ある新聞社に東京大会の記事を大きく載せていただいた際には“あっちの新聞は載せてくれたから、そちらも書いてくれませんか”と他社に電話をしたものです。連盟に読者からの反応が届けば、すかさず各社に知らせていましたね(笑)。半分ハッタリみたいなものですけど、そうやって競わせるようにして記事を大きくしてもらったこともあります。そうすると記事から東京の高校野球に興味を持ってくれる方が増え、だんだんと観客動員が伸びていきました。サッカーのJリーグが発足して野球人気が落ちた頃は“座って待っているだけじゃダメだ”と、団体割引のチケットプランをつくりました。工夫の積み重ねで少しずつ注目されるようになり、スタンドにお客さんが入るようになった時は本当にうれしかったです」
――当時は結婚を機に専業主婦になる寿退社が一般的だった。35歳で結婚した際、なぜ仕事を続けられたのか。
「“辞める時は結婚する時”という価値観が当たり前の時代でした。結婚する時に周囲からは“家庭に入って家業(飲食店)を手伝うべきだ”という声がありました。当然ですよね。ところが、当時の(東京高野連)理事長が結婚式のスピーチで仕事ぶりを凄く褒めてくれたんです。それを聞いた主人の父が“幸子さん、あなたは辞めることはならん。仕事を続けなさい”と言ってくれたんです。これには(周囲も)黙るしかありませんでした(笑)。あのスピーチがなければ今、私はここにいないでしょう。その時、内心は辞めたくなかったのでスピーチに感謝です。主人も野球好きなので、私が勤めを続けることを喜んでくれましたね。大会にも毎回来てくれましたし、選手名簿の表紙の写真を撮ってくれたこともありました」
――長年勤務してきた中で野球への価値観は変わった。
「当初は野球のルールもよく分からなかった私ですが、大会で子どもたちが負けて泣いている姿を見て、もらい泣きするようになっていました。この子たちは泣くほど真剣に野球に向き合っているんだなって。こんなに野球っていいものなんだなって。いくら仕事が大変でもこの子たちのためにやれることは全てやってあげたいって思いになりました。一人ひとりが本当にかわいいと思えるようになりました」
――今年は選抜大会に東京代表として帝京が出場するなど高校野球の1年が再びスタートしていく。意気込みは。
「昔は選手たちと歳も近くて“お姉ちゃん”なんて呼ばれていましたけど、気づけば84歳(笑い)。足も悪くなってきましたし、若い職員の子たちがとても優秀で、私がいると邪魔なんじゃないかといつも言ってるんですけど“いてくれるだけでいい”なんて言ってくれるから、ついつい居座っちゃっています。本当に勤め先に恵まれました。足が悪くなって、なかなか甲子園に行くことは難しくなりましたが、また東京のチームが優勝旗をつかむ姿を見たいです。これからも応援を続けていきます」
☝センバツ2026 合宿で汗 滋賀学園→静岡 温暖、久々の屋外/近江→香川 風無く、練習集中
https://news.yahoo.co.jp/articles/acd1a16f5ac188dd41e140be7a615db32d068333
第98回選抜高校野球大会に出場する滋賀学園と近江は先週末の6日からの3日間、それぞれ合宿を行った。比較的温暖な気候を求めて滋賀学園は静岡県菊川市の菊川運動公園で、近江は香川県さぬき市の志度総合運動公園で汗を流した。
滋賀学園は暖かさに恵まれた。久々の屋外での練習となり、シート打撃や外野フライの捕球練習などに励み、富士山を眺めながらの散歩もした。近江は雪がちらつく日もあったが、風の無い中で練習ができた。
滋賀学園の三隅光誠選手(2年)は「楽しかった。チームの雰囲気が良かった」と笑顔で話し、大会に向けて選手たちの機運も高まったよう。
上園渉太朗選手(同)は「今後につながる練習で充実した3日間だった」と手応えを得ていた。
近江の根矢衛汰選手(同)は「外でボールを使った練習ができて良かった」と話し、学校のある彦根市との気候の違いに感謝した。
寮生と自宅生がいる近江は全員が一緒に過ごす期間となり、井上樹選手(同)は「仲間の新しい良い部分がたくさん見えた」と練習とは別の「合宿効果」を喜んでいた。
📣松坂屋で「選抜野球 愛知」展 戦前の優勝旗、幻の出場旗も きょうから
https://news.yahoo.co.jp/articles/80e200682f893b8594e02f7ca69233f1b05ba09a
選抜野球高校大会に出場した愛知県内校の優勝旗レプリカなどを展示する「選抜野球 愛知」が11~16日、名古屋市中区の松坂屋南館8階マツザカヤホールで開かれる。
中京大中京、東邦、愛知商業の各校で保管されているウイニングボールや戦前の優勝旗レプリカなど約40点が並ぶ。新型コロナウイルスの感染拡大で中止となった2020年の「幻の選抜大会」の出場旗もあり、大会と県出場校の歴史を振り返ることができる。
展示会は、中京大中京職員で学園史・広報担当の渡辺真佐信さん(71)が企画し、大会と関わりが深い松坂屋の協力で実現した。1924~67年大会の優勝旗は松坂屋の前身「いとう呉服店」が製作。開会式の入場行進曲を同店の少年音楽隊が演奏したこともある。渡辺さんは「高校野球を通して近代史を学んだり振り返ったりする機会になれば」と話す。
午前10時から午後6時。入場無料。問い合わせは渡辺さん(052・761・5311)
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASV2B46FFV2BPXLB002M.html
和歌山県立橋本高校の野球部員たちが7日、橋本市内の少年野球チームを同校に招き、野球の手ほどきや学習サポートなど多彩なメニューで交流した。
市内の少年野球チーム出身で橋本高野球部の元部員でもある脇田純平監督の発案で、2年前に始まった。3回目の今回は、6チームから小学生計60人と同校の野球部員24人が参加した。
この日の交流は児童への学習サポートから始まった。野球部員らがあらかじめ小学生の国語や算数など教科の問題を作成していて、教室でこれらを小学生に配布し、質問を受けるなどした。
その後、グラウンドへ。野球部員が独自のウォーミングアップを披露。短い練習時間で効率よくこなすため、単純に走り込むのではなくリズム感や俊敏さの要素を採り入れている。小学生たちにもコツを教え、一緒に体をほぐした。ペアを組んでキャッチボールやトスバッティングをした後、部独自の野球風のゲームで楽しんだ。
三石ベアーズから参加した平松直さん(小5)は「ゲームがとくに楽しかった」と笑顔。同校野球部の友武有希主将(2年)は、どうやったら子どもたちに楽しんでもらえるかを考え抜き、交流会のメニューを作ったという。「街で僕たちを見かけたら気軽に声をかけてもらいたい」
同校の野球部員は普段から、勉強や野球を互いに教え合っているという。脇田監督は「みんなで一緒にやれば楽しく学べることを、野球でも野球以外でも小学生たちに感じてほしい。高校生にも年の離れた子たちに教えることで新たな気づきがあるはずだ」と話した。
📝甲子園沸かせた元祖アイドル 甘いマスクでフィーバーも…目立たぬ学生時代「野球は下手」
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元近鉄・太田幸司氏が振り返る原点「野球しかなかった」
甲子園を沸かした“元祖アイドル右腕”が太田幸司氏(野球評論家)だ。うなる快速球に甘いマスク。青森・三沢高エースとして、1969年夏決勝の延長18回0-0引き分け再試合での激投などで「コーちゃんフィーバー」を巻き起こした。ドラフト1位で入団した近鉄でも2桁勝利を3度マーク。常に人気を背負いながら、アマでもプロでも実績を残したが、その原点ともいえる小学生時代は決してズバ抜けた存在ではなかったという。
1952年1月23日生まれの太田氏は「僕らの時代は子どもが何かやるといったら野球しかなかった。小学校に入る前から、稲刈りしたあとの田んぼで三角ベースとかで遊んでいましたよ。それに親父が結構野球好きでね。道具も、裏の雑木林で、木を切って削ってバットみたいなものを作ってくれたし、お袋は布に綿を入れてグラブみたいなのを作ってくれたんです。親父とはよくキャッチボールをしましたしね」と振り返る。
「あの頃って町内会にも、テレビがある家がまだ1軒、2軒という状況だった。ナイターは巨人戦しかやっていないしね。テレビがある家にお父さん方もビールとおつまみを持って集まって野球中継を見る。そこへ連れていってもらって一緒に見ました。その辺が野球との出会いでもあったのかな」。自然と巨人ファンになったそうだ。「3番・長嶋(茂雄)やぁーとか言ってね。パ・リーグは日本シリーズで巨人と戦う西鉄、南海くらいしか知らなかった。近鉄は全く知らなかった」。
三沢市立岡三沢小学校4年の時に、学校の軟式野球部に入った。ポジションは外野手。「三沢は特殊でね、米軍基地の中に米国のチームが何チームかあって、そこに市内の小学校の選抜チームも入って土日は試合をしていた。こっちは硬式。だから軟式と硬式の両方をやっていました。僕らは小学校の軟式チームでがっつり練習していたけど、米国のチームは楽しそうにやるだけだから、僕らの方が圧倒的に強かったんですけどね」。
しかしながら、太田氏は決して目立つ存在ではなかったそうだ。「小学校のチームでは1番とか2番を打っていましたけど、選抜チームではたまにスタメンで使ってもらえるか、くらいの選手でしたね。選抜チームは(米軍内のリーグで)優勝して、東京のリトルリーグの大会に行ったけど、人数制限とかもあって、そのメンバーには選ばれなかった。(三沢駅で)みんなを見送るだけの寂しい思いもしましたよ」と話した。
足が速くて強肩も「野球は下手」
「同級生がみんなうまくてね。ウワー、凄いなぁって見ていましたね。そこに何とか追いつこう、みたいな、そんな感じでした。プロ野球選手になる人は、よく小さい頃から野球が抜群に上手くて……とか言われますが僕の場合は全然」。のちに女性ファンを大熱狂させる太田氏だが「ピッチャーで、4番でキャプテンというのがあの頃のモテるパターンというか。それに憧れはあったけど、自分がピッチャーをやれるようになるとは思ってもいませんでした」と口にした。
「足は一番速かったし、肩が強かったというのはありました。でも野球は下手。たいして打てなかったですし……。外野からはガーッと放って、バックネットによく直接ぶつけていました。見せ場だと思って、みんながカットっていうなか、ノーバンで行ったろうと思って投げたら、大暴投。そんなのもよくやっていました。まぁ、身体能力はありましたね。小学校とかの運動会では足が速いんで独壇場でした」。それでも野球では、同級生たちにその頃はまだ勝てなかったようだ。
当時の三沢市内の小学校選抜チームには、後の三沢高野球部メンバーが数多く名を連ねていた。「あの時は(三沢高では一塁手となる)菊池(弘義)がエースで、(三沢高で)ショートだった八重沢(憲一)も投げていましたね」。太田氏が投手になるのは三沢市立第一中学2年になってから。そこから伝説の投手への道を歩んでいくが「小学校当時のことを知る人だったら『あの太田が……』って思っていたんじゃないですかねぇ」と言って笑った。
☝20歳の「お姉ちゃん」がたった1人で燃やした高校野球への情熱…勤続65年目を迎えた「東京高野連の母」
https://news.yahoo.co.jp/articles/79c96b6606d4a103a054e89b1d9ea32e1e4b4c56
2020年にスポニチに入社した記者の前職は地方公務員。福岡県福津市の教育委員会で3年間、スポーツ担当の仕事に励み、スポーツを「する・みる・ささえる」の活動を通して市民の生活向上を目指した。連載「元公務員記者の目」ではアマチュア野球担当の記者が「ささえる」人々の活躍を伝える。第2回は東京都高等学校野球連盟の横山幸子事務局長(84)。勤続65年目を迎えた超ベテランが歩みを振り返った。(聞き手 アマチュア野球担当キャップ・柳内 遼平)
――1961年に日本学生野球協会の事務局員になり、翌年から東京高野連も兼務。63年から東京高野連の専任として支えてきた。
「私がここに来たのは昭和37(1962年)年のことでした。当時の連盟にはまだきちんとした職員はおらず、学生アルバイトのような方が手伝っている程度。お給料も封筒に入れて“はい!”と渡されるだけ。そんな時代でした(笑い)。これでは私の後に来る人が困るだろうと、税務署や役所に行って一から帳簿をつくり、社会保険などの仕組みも整えていきました。何もないところから、連盟としてのシステムをゼロからつくっていったんです。当時は20代そこそこ。右も左も分からない若造でしたが、税務署の方が本当に親切に教えてくれたことを覚えています」
――今でこそ東京高野連は複数人の職員によって運営されているが、当初は横山事務局長の“ワンオペ”状態。
「もちろん学校の先生方とともに仕事を進めていきますが、事務員が一人体制の時代は本当に休まる暇がありませんでしたね。帰宅が夜中の12時を過ぎることもありました。私の自宅の電話番号も名簿に載せていたので土日だろうが、夜中だろうが、電話がかかってきます。“公式戦は明日なのに背番号を失くしてしまった…”なんて電話が土曜の夜にかかってきて、慌てて事務所を開けて背番号を渡したこともありました。それくらい現場との距離が近かったですし、私がやらなきゃ誰がやるんだ、という思いでしたね」
――今では信じられませんが、かつて東京の高校野球はメディアの扱いが小さかった。どのように立ち向かった。
「昔は新聞の扱いも凄く小さかったんです。全国版のスポーツ欄の隅っこにスコアが載る程度。“もっと東京の高校野球を知ってもらいたい”と思って、朝日新聞や読売新聞に電話をかけました。ある新聞社に東京大会の記事を大きく載せていただいた際には“あっちの新聞は載せてくれたから、そちらも書いてくれませんか”と他社に電話をしたものです。連盟に読者からの反応が届けば、すかさず各社に知らせていましたね(笑)。半分ハッタリみたいなものですけど、そうやって競わせるようにして記事を大きくしてもらったこともあります。そうすると記事から東京の高校野球に興味を持ってくれる方が増え、だんだんと観客動員が伸びていきました。サッカーのJリーグが発足して野球人気が落ちた頃は“座って待っているだけじゃダメだ”と、団体割引のチケットプランをつくりました。工夫の積み重ねで少しずつ注目されるようになり、スタンドにお客さんが入るようになった時は本当にうれしかったです」
――当時は結婚を機に専業主婦になる寿退社が一般的だった。35歳で結婚した際、なぜ仕事を続けられたのか。
「“辞める時は結婚する時”という価値観が当たり前の時代でした。結婚する時に周囲からは“家庭に入って家業(飲食店)を手伝うべきだ”という声がありました。当然ですよね。ところが、当時の(東京高野連)理事長が結婚式のスピーチで仕事ぶりを凄く褒めてくれたんです。それを聞いた主人の父が“幸子さん、あなたは辞めることはならん。仕事を続けなさい”と言ってくれたんです。これには(周囲も)黙るしかありませんでした(笑)。あのスピーチがなければ今、私はここにいないでしょう。その時、内心は辞めたくなかったのでスピーチに感謝です。主人も野球好きなので、私が勤めを続けることを喜んでくれましたね。大会にも毎回来てくれましたし、選手名簿の表紙の写真を撮ってくれたこともありました」
――長年勤務してきた中で野球への価値観は変わった。
「当初は野球のルールもよく分からなかった私ですが、大会で子どもたちが負けて泣いている姿を見て、もらい泣きするようになっていました。この子たちは泣くほど真剣に野球に向き合っているんだなって。こんなに野球っていいものなんだなって。いくら仕事が大変でもこの子たちのためにやれることは全てやってあげたいって思いになりました。一人ひとりが本当にかわいいと思えるようになりました」
――今年は選抜大会に東京代表として帝京が出場するなど高校野球の1年が再びスタートしていく。意気込みは。
「昔は選手たちと歳も近くて“お姉ちゃん”なんて呼ばれていましたけど、気づけば84歳(笑い)。足も悪くなってきましたし、若い職員の子たちがとても優秀で、私がいると邪魔なんじゃないかといつも言ってるんですけど“いてくれるだけでいい”なんて言ってくれるから、ついつい居座っちゃっています。本当に勤め先に恵まれました。足が悪くなって、なかなか甲子園に行くことは難しくなりましたが、また東京のチームが優勝旗をつかむ姿を見たいです。これからも応援を続けていきます」
☝センバツ2026 合宿で汗 滋賀学園→静岡 温暖、久々の屋外/近江→香川 風無く、練習集中
https://news.yahoo.co.jp/articles/acd1a16f5ac188dd41e140be7a615db32d068333
第98回選抜高校野球大会に出場する滋賀学園と近江は先週末の6日からの3日間、それぞれ合宿を行った。比較的温暖な気候を求めて滋賀学園は静岡県菊川市の菊川運動公園で、近江は香川県さぬき市の志度総合運動公園で汗を流した。
滋賀学園は暖かさに恵まれた。久々の屋外での練習となり、シート打撃や外野フライの捕球練習などに励み、富士山を眺めながらの散歩もした。近江は雪がちらつく日もあったが、風の無い中で練習ができた。
滋賀学園の三隅光誠選手(2年)は「楽しかった。チームの雰囲気が良かった」と笑顔で話し、大会に向けて選手たちの機運も高まったよう。
上園渉太朗選手(同)は「今後につながる練習で充実した3日間だった」と手応えを得ていた。
近江の根矢衛汰選手(同)は「外でボールを使った練習ができて良かった」と話し、学校のある彦根市との気候の違いに感謝した。
寮生と自宅生がいる近江は全員が一緒に過ごす期間となり、井上樹選手(同)は「仲間の新しい良い部分がたくさん見えた」と練習とは別の「合宿効果」を喜んでいた。
📣松坂屋で「選抜野球 愛知」展 戦前の優勝旗、幻の出場旗も きょうから
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選抜野球高校大会に出場した愛知県内校の優勝旗レプリカなどを展示する「選抜野球 愛知」が11~16日、名古屋市中区の松坂屋南館8階マツザカヤホールで開かれる。
中京大中京、東邦、愛知商業の各校で保管されているウイニングボールや戦前の優勝旗レプリカなど約40点が並ぶ。新型コロナウイルスの感染拡大で中止となった2020年の「幻の選抜大会」の出場旗もあり、大会と県出場校の歴史を振り返ることができる。
展示会は、中京大中京職員で学園史・広報担当の渡辺真佐信さん(71)が企画し、大会と関わりが深い松坂屋の協力で実現した。1924~67年大会の優勝旗は松坂屋の前身「いとう呉服店」が製作。開会式の入場行進曲を同店の少年音楽隊が演奏したこともある。渡辺さんは「高校野球を通して近代史を学んだり振り返ったりする機会になれば」と話す。
午前10時から午後6時。入場無料。問い合わせは渡辺さん(052・761・5311)