自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」
💢エナジック高の監督、謹慎1年=学生野球協会
https://sp.m.jiji.com/amp/article/show/3676676
日本学生野球協会は19日に開いた審査室会議で、高校15件の不祥事に対する処分を決めた。今春の選抜大会に出場したエナジックスポーツ(沖縄)の監督は、敗戦後の選手への「死ね、泣くな」という暴言や、8月の試合後に一部の部員を球場から8キロ以上歩かせる危険行為などがあったとして、11月13日から1年の謹慎とした。その他の処分は次の通り。
【対外試合禁止】
▽東海大札幌(北海道) 部員の喫煙と飲酒=10月22日から1カ月
▽大同大大同(愛知) 部員の喫煙、万引き、飲酒、窃盗=11月4日から1カ月
▽神村学園伊賀(三重) 部員の喫煙と飲酒、火気の不適切使用=来年3月7日から1カ月
【謹慎】
▽瀬戸内(広島)の副部長 体罰と不適切発言、報告義務違反=10月14日から4カ月
▽篠山産(兵庫)の監督 暴力と不適切指導、報告義務違反=7月23日から2年
▽伊万里実(佐賀)の副部長 体罰と不適切指導=11月7日から2カ月
▽秋田修英(秋田)の監督 不適切発言=11月12日から1カ月
▽北摂つばさ(大阪)の顧問 体罰と不適切発言=9月17日から4カ月
▽船橋法典(千葉)の監督 不適切発言と報告義務違反=9月8日から6カ月
▽秀岳館(熊本)の部長 不適切指導と体罰、報告義務違反=11月25日から2カ月
▽校名非公表の責任教師 不適切行為と報告義務違反=11月10日から1年
▽駿台学園(東京)の部長不適切な言動と体罰=昨年12月24日から無期
▽久慈(岩手)の監督 不適切発言と指導、威嚇行為、報告義務違反=8月1日から3カ月
▽高取国際(奈良)の監督 不適切発言と報告義務違反=11月5日から2カ月。
📝「まさかOB?」「いえ、1年です!」今季で現役引退“怪童”中田翔…ベテラン記者が見た高校時代の衝撃 聞きたかった「ピッチャーへの想い」
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd9b2c49c768100a4bcbb0cc6ac8462afdefca8e
今季での現役引退を発表した中日の中田翔。大阪桐蔭時代から注目された大器だったが、当初は投手としての評価も高かった。高校1年時にその怪童の投球を受けたベテラン記者が振り返る。
雑誌の企画で大阪桐蔭高校へ
その日、私が大阪桐蔭高のグラウンドに立っていたのは、当時、高校球界ナンバーワン左腕と評されていた辻内崇伸投手のピッチングを捕球して記事を書く。そういう取材のためだった。
ある野球雑誌の連載企画として、始まって5年ぐらい経った頃だ。アップを終えた辻内投手がやって来るのを待つブルペンが、まだ寒かったので、2005年のたぶん春のはじめの頃だったのだろう。
前年の秋、大阪府大会でリリーフ登板した試合。ほぼ快速球一本で三振、三振、また三振。相手打線をバッタバッタとなぎ倒した快投を見ていたので、「辻内、手ごわし!」と、私はその日、十分にビビっていた。辻内崇伸のクロスファイアーは、さすがに速かった。右肩が最後の最後までこちらを向いて踏み込んできて、しなやかな腕の振りで左腕を振り下ろす。身のこなしが折り目正しい。
投手は、こういうところに性格が出る。そういえば、さっき初めて顔を合わせて「よろしく!」と握手した時の笑顔と握る力がやんわりと優しく、スタンドから眺めていた時の「剛腕・辻内崇伸」の勇ましいイメージとはまったく逆で、やはり選手のことは会ってみないとわからない。
投げてもらった後のインタビューで、辻内投手は「好きな食べ物は、お母さんが作ってくれるクリームシチューです」と話してくれた。
剛腕・辻内の猛烈クロスファイアーと斜めにキレ込むスライダーを、必死に受けて30球ほど。気がつくと、隣りのブルペンに投手がもう1人やって来ていた。
「まさか、OB?」「いえ、1年です!」
185cm、84kg(当時)の辻内投手も大きいが、隣りのご新規さんはもっとデカく見える。胸の厚さなんか、辻内投手の2倍もあろうかというほど。何よりも、ブルペンのマウンドに上がった時の「立ち姿」が違った。ただデカいだけじゃない。貫禄みたいなものすら備わっていたので、そのデカいのを受けに来たキャッチャー君に「まさか、OB?」と訊いたら「いえ、1年です!」と言われて、もっと大きな「まさか!」だった。
「中田っていうんです、中田翔」それが、初めての出会いだった。
<次回へつづく>
📝高1の中田翔が「自分もちょっといいですか?」ベテラン記者が振り返る“投手・中田翔”の記憶…最後まで「根っこはピッチャーだった」と思うワケ
https://news.yahoo.co.jp/articles/0158b62715a6fe57e0bc1f6fad9b108c3bb57ae3?page=1
中田翔という名前も、私は知らなかった。今ほど、中学生選手の情報が多くなかった時代、彼ほどのスーパー中学生でも、その名前すら私の耳には届いていなかった。その日、取材のメイン対象だった辻内崇伸投手のピッチングを捕球するこちらの様子をチラチラ気にしながら、中田翔投手の立ち投げが始まる。
捕球音の一瞬前に、シュッという「通過音」が聞こえる。まだ、立ち投げの最初なのに、キャッチャーが「ウオッ」と唸っている。
「155キロのエース」にも負けない剛腕
この数カ月後の夏の甲子園で「156キロ」をマークした辻内投手なのだから、この時だって140キロ中盤ぐらい出ていたのだろうが、中田翔投手の立ち投げだって、ぜんぜん負けていない。捕球音をもろに受け止めていた私の右耳が、それを教えてくれた。辻内投手のピッチングを受け終わったところで、中田投手から「自分もちょっといいですか?」と小声でリクエストが飛んできた。
「やろうか!」と二つ返事で構えたミットが、立ち投げの初球でいきなりめくられたから驚いた。
こちらの首の高さのボールをミットの甲を上にして、伏せるように受けたら、捕球の衝撃でそのミットの甲が顔に向かって飛んできた。
お粗末なキャッチングに、マウンド上で中田投手がニヤリとしたように見えた。なんてパワーだ、1年春でこのボールかよ!
4、5球も受けたあたりで、向こうから西谷浩一監督がやってくるのが見えて、中田投手がマウンド上で、右手を激しく振った。
ダメ、ダメ……もうダメです! そこだけが1年生らしくて、かわいかった。
そして、その夏。中田翔、初めての甲子園大会の時だったと思う。忘れられないシーンがあった。
高校1年生…衝撃の「夏の甲子園」
相手の高校は忘れたが、マウンド上に中田翔投手がいた。ランナー二塁、マウンド上、セットポジションの中田投手が二塁走者に目を合わせる。ジッと目を合わせたまま、2秒、3秒、4秒。二塁走者はピクリとも動けない。そのまま左足を上げてモーションに入った中田投手。二塁走者に目を合わせたまま左足を踏み込んで、最後の最後で一気に体の左右をきり替えると、ビュッと振り下ろした右腕の指先から放たれた速球が、143キロで右打者のアウトローにビシャリときまったから、ヘエーッと声をあげてしまった。
その試合、そんな場面が2、3度あって、私は中田翔投手の天才的ピッチングセンスに仰天しつつ、相手に目を合わされると人は動けなくなること、けん制球を投げなくても二塁走者のリードを許さない方法があることを、この日の「投手・中田翔」から学んでいた。
プロ野球に進んでから「打者」として活躍した中田翔選手のことは、みなさんのほうが、きっとよくご存知だろう。日本ハム、巨人、中日のプロ通算18年、中田翔選手は309本塁打を放ち、打点王を3回受賞し、あまり知られていないかもしれないが、一塁手としてゴールデングラブ賞に5回も選ばれて、そしてこの秋、現役生活に幕をおろした。
「本当はピッチャーがやりたいんだよなぁ」
一塁手として、そして外野手としてペナントレースのグラウンドに立つ中田選手を、何度か見る機会があったが、そんな中田選手を見ながら私はいつも、「でも、本当はピッチャーがやりたいんだよなぁ」と、勝手にしんみりしていたものだ。だって、彼は試合中、ちょっと時間があると必ずベンチからボールをもらって、すぐ他の野手とキャッチボールを始めた。
そしていつも「投手・中田翔」として、きちんとフォームを作って投げる。時には、セットポジションをとって投げたりもしていたが、そこには決してお遊びや時間つぶしじゃない「真剣さ」が、いつも漂っているように見えたものだ。だから「ああやっぱり、根っこはピッチャーなんだなぁ」と、いつもひとりで勝手に納得してきた。
――本当は、ピッチャーやりたかったんじゃないの?
本人に直接、訊いてみる機会はなかったから、その答えはわからない。だが私は、プロ野球のペナントレースのここ一番の修羅場で、投手・中田翔がどんな投げっぷりでピンチをきり抜け、平然と悠々と、マウンドをおりてくるのか。その姿を見たかった……と今も思う。長い間、おつかれさまでした。
⚾岩手さんへ
見た目の印象とその人の実像は全然違いますね・・・・・。在りし日の上甲監督も甲子園ではいつもニコニコ笑顔で采配を振ってましたが、四国大会では激しい怒号を浴びせまくっていたし、平素の練習や練習試合ではもっと厳しかったのでは?と察します。
神谷監督は指導は弟子のコーチに任せて、普段からただ見ているだけかと思いきや、、、、、たしかに試合後負けて選手が泣くことを嫌う指導者は大多数いると思いますが、「泣くな!」はイイにしても「死ね」はちょっと・・・・・。八重山商工の伊志嶺監督も06年夏の千葉経大付戦で同じ類のことを伝令に告げていたとか!
そして驚いたのは、バスに乗り遅れた選手を試合後13・6キロを歩いて帰るように指示するのはありきたりかもしれませんが、、、『他の指導者がバスに乗せたことを知り、その生徒を車に乗せ、球場近くまで行って降ろし、寮まで歩いて帰るよう指示』するしつこさに「10分ごとに位置情報を教えるように」と念を押し、別の指導者が「部員1人が球場から歩いて帰っている」と知り、危険であると判断。車で迎えに行った。監督は位置情報を見て、当該生徒のもとに行った。指導者同士で言い争った!
いやはや・・・ノーサインどころか10分ごとに位置情報を教えるようにということはケータイ電話あたりで連絡を密にさせ、なおかつ位置情報を知るためにGPS機能でも活用したのか??明らかに徹底管理主義ですよ!!!
謹慎1年間というのはかなり長いし、70歳を超えた監督を復帰させるのかどうか・・・・・。エナジックサイドの考えがそこで分かりますね。三顧の礼で迎えて短期間で甲子園出場しただけに簡単に切れないかもしれませんが。
もっと驚いたのは、今日図書館でデイリースポーツ見て、その他昨日調べきれなかった高校15件の不祥事に対する処分。
あの72歳長澤監督が謹慎2年とは!!神谷監督の倍の期間厳罰を与えたということは相当悪質な体罰だったのかな?????創志時代に岡山高野連審判団とよくやりあっていたし高野連から目をつけられていたのかもしれませんが、すでに篠山市の「スポーツ振興官」の役職も退職されているのでどうしたものか・・・・・。
2年間山ごもりして、門馬監督が岡山で結果を残せない日々が続いたら、創志の監督に復活するかもしれませんが。
https://sp.m.jiji.com/amp/article/show/3676676
日本学生野球協会は19日に開いた審査室会議で、高校15件の不祥事に対する処分を決めた。今春の選抜大会に出場したエナジックスポーツ(沖縄)の監督は、敗戦後の選手への「死ね、泣くな」という暴言や、8月の試合後に一部の部員を球場から8キロ以上歩かせる危険行為などがあったとして、11月13日から1年の謹慎とした。その他の処分は次の通り。
【対外試合禁止】
▽東海大札幌(北海道) 部員の喫煙と飲酒=10月22日から1カ月
▽大同大大同(愛知) 部員の喫煙、万引き、飲酒、窃盗=11月4日から1カ月
▽神村学園伊賀(三重) 部員の喫煙と飲酒、火気の不適切使用=来年3月7日から1カ月
【謹慎】
▽瀬戸内(広島)の副部長 体罰と不適切発言、報告義務違反=10月14日から4カ月
▽篠山産(兵庫)の監督 暴力と不適切指導、報告義務違反=7月23日から2年
▽伊万里実(佐賀)の副部長 体罰と不適切指導=11月7日から2カ月
▽秋田修英(秋田)の監督 不適切発言=11月12日から1カ月
▽北摂つばさ(大阪)の顧問 体罰と不適切発言=9月17日から4カ月
▽船橋法典(千葉)の監督 不適切発言と報告義務違反=9月8日から6カ月
▽秀岳館(熊本)の部長 不適切指導と体罰、報告義務違反=11月25日から2カ月
▽校名非公表の責任教師 不適切行為と報告義務違反=11月10日から1年
▽駿台学園(東京)の部長不適切な言動と体罰=昨年12月24日から無期
▽久慈(岩手)の監督 不適切発言と指導、威嚇行為、報告義務違反=8月1日から3カ月
▽高取国際(奈良)の監督 不適切発言と報告義務違反=11月5日から2カ月。
📝「まさかOB?」「いえ、1年です!」今季で現役引退“怪童”中田翔…ベテラン記者が見た高校時代の衝撃 聞きたかった「ピッチャーへの想い」
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd9b2c49c768100a4bcbb0cc6ac8462afdefca8e
今季での現役引退を発表した中日の中田翔。大阪桐蔭時代から注目された大器だったが、当初は投手としての評価も高かった。高校1年時にその怪童の投球を受けたベテラン記者が振り返る。
雑誌の企画で大阪桐蔭高校へ
その日、私が大阪桐蔭高のグラウンドに立っていたのは、当時、高校球界ナンバーワン左腕と評されていた辻内崇伸投手のピッチングを捕球して記事を書く。そういう取材のためだった。
ある野球雑誌の連載企画として、始まって5年ぐらい経った頃だ。アップを終えた辻内投手がやって来るのを待つブルペンが、まだ寒かったので、2005年のたぶん春のはじめの頃だったのだろう。
前年の秋、大阪府大会でリリーフ登板した試合。ほぼ快速球一本で三振、三振、また三振。相手打線をバッタバッタとなぎ倒した快投を見ていたので、「辻内、手ごわし!」と、私はその日、十分にビビっていた。辻内崇伸のクロスファイアーは、さすがに速かった。右肩が最後の最後までこちらを向いて踏み込んできて、しなやかな腕の振りで左腕を振り下ろす。身のこなしが折り目正しい。
投手は、こういうところに性格が出る。そういえば、さっき初めて顔を合わせて「よろしく!」と握手した時の笑顔と握る力がやんわりと優しく、スタンドから眺めていた時の「剛腕・辻内崇伸」の勇ましいイメージとはまったく逆で、やはり選手のことは会ってみないとわからない。
投げてもらった後のインタビューで、辻内投手は「好きな食べ物は、お母さんが作ってくれるクリームシチューです」と話してくれた。
剛腕・辻内の猛烈クロスファイアーと斜めにキレ込むスライダーを、必死に受けて30球ほど。気がつくと、隣りのブルペンに投手がもう1人やって来ていた。
「まさか、OB?」「いえ、1年です!」
185cm、84kg(当時)の辻内投手も大きいが、隣りのご新規さんはもっとデカく見える。胸の厚さなんか、辻内投手の2倍もあろうかというほど。何よりも、ブルペンのマウンドに上がった時の「立ち姿」が違った。ただデカいだけじゃない。貫禄みたいなものすら備わっていたので、そのデカいのを受けに来たキャッチャー君に「まさか、OB?」と訊いたら「いえ、1年です!」と言われて、もっと大きな「まさか!」だった。
「中田っていうんです、中田翔」それが、初めての出会いだった。
<次回へつづく>
📝高1の中田翔が「自分もちょっといいですか?」ベテラン記者が振り返る“投手・中田翔”の記憶…最後まで「根っこはピッチャーだった」と思うワケ
https://news.yahoo.co.jp/articles/0158b62715a6fe57e0bc1f6fad9b108c3bb57ae3?page=1
中田翔という名前も、私は知らなかった。今ほど、中学生選手の情報が多くなかった時代、彼ほどのスーパー中学生でも、その名前すら私の耳には届いていなかった。その日、取材のメイン対象だった辻内崇伸投手のピッチングを捕球するこちらの様子をチラチラ気にしながら、中田翔投手の立ち投げが始まる。
捕球音の一瞬前に、シュッという「通過音」が聞こえる。まだ、立ち投げの最初なのに、キャッチャーが「ウオッ」と唸っている。
「155キロのエース」にも負けない剛腕
この数カ月後の夏の甲子園で「156キロ」をマークした辻内投手なのだから、この時だって140キロ中盤ぐらい出ていたのだろうが、中田翔投手の立ち投げだって、ぜんぜん負けていない。捕球音をもろに受け止めていた私の右耳が、それを教えてくれた。辻内投手のピッチングを受け終わったところで、中田投手から「自分もちょっといいですか?」と小声でリクエストが飛んできた。
「やろうか!」と二つ返事で構えたミットが、立ち投げの初球でいきなりめくられたから驚いた。
こちらの首の高さのボールをミットの甲を上にして、伏せるように受けたら、捕球の衝撃でそのミットの甲が顔に向かって飛んできた。
お粗末なキャッチングに、マウンド上で中田投手がニヤリとしたように見えた。なんてパワーだ、1年春でこのボールかよ!
4、5球も受けたあたりで、向こうから西谷浩一監督がやってくるのが見えて、中田投手がマウンド上で、右手を激しく振った。
ダメ、ダメ……もうダメです! そこだけが1年生らしくて、かわいかった。
そして、その夏。中田翔、初めての甲子園大会の時だったと思う。忘れられないシーンがあった。
高校1年生…衝撃の「夏の甲子園」
相手の高校は忘れたが、マウンド上に中田翔投手がいた。ランナー二塁、マウンド上、セットポジションの中田投手が二塁走者に目を合わせる。ジッと目を合わせたまま、2秒、3秒、4秒。二塁走者はピクリとも動けない。そのまま左足を上げてモーションに入った中田投手。二塁走者に目を合わせたまま左足を踏み込んで、最後の最後で一気に体の左右をきり替えると、ビュッと振り下ろした右腕の指先から放たれた速球が、143キロで右打者のアウトローにビシャリときまったから、ヘエーッと声をあげてしまった。
その試合、そんな場面が2、3度あって、私は中田翔投手の天才的ピッチングセンスに仰天しつつ、相手に目を合わされると人は動けなくなること、けん制球を投げなくても二塁走者のリードを許さない方法があることを、この日の「投手・中田翔」から学んでいた。
プロ野球に進んでから「打者」として活躍した中田翔選手のことは、みなさんのほうが、きっとよくご存知だろう。日本ハム、巨人、中日のプロ通算18年、中田翔選手は309本塁打を放ち、打点王を3回受賞し、あまり知られていないかもしれないが、一塁手としてゴールデングラブ賞に5回も選ばれて、そしてこの秋、現役生活に幕をおろした。
「本当はピッチャーがやりたいんだよなぁ」
一塁手として、そして外野手としてペナントレースのグラウンドに立つ中田選手を、何度か見る機会があったが、そんな中田選手を見ながら私はいつも、「でも、本当はピッチャーがやりたいんだよなぁ」と、勝手にしんみりしていたものだ。だって、彼は試合中、ちょっと時間があると必ずベンチからボールをもらって、すぐ他の野手とキャッチボールを始めた。
そしていつも「投手・中田翔」として、きちんとフォームを作って投げる。時には、セットポジションをとって投げたりもしていたが、そこには決してお遊びや時間つぶしじゃない「真剣さ」が、いつも漂っているように見えたものだ。だから「ああやっぱり、根っこはピッチャーなんだなぁ」と、いつもひとりで勝手に納得してきた。
――本当は、ピッチャーやりたかったんじゃないの?
本人に直接、訊いてみる機会はなかったから、その答えはわからない。だが私は、プロ野球のペナントレースのここ一番の修羅場で、投手・中田翔がどんな投げっぷりでピンチをきり抜け、平然と悠々と、マウンドをおりてくるのか。その姿を見たかった……と今も思う。長い間、おつかれさまでした。
⚾岩手さんへ
見た目の印象とその人の実像は全然違いますね・・・・・。在りし日の上甲監督も甲子園ではいつもニコニコ笑顔で采配を振ってましたが、四国大会では激しい怒号を浴びせまくっていたし、平素の練習や練習試合ではもっと厳しかったのでは?と察します。
神谷監督は指導は弟子のコーチに任せて、普段からただ見ているだけかと思いきや、、、、、たしかに試合後負けて選手が泣くことを嫌う指導者は大多数いると思いますが、「泣くな!」はイイにしても「死ね」はちょっと・・・・・。八重山商工の伊志嶺監督も06年夏の千葉経大付戦で同じ類のことを伝令に告げていたとか!
そして驚いたのは、バスに乗り遅れた選手を試合後13・6キロを歩いて帰るように指示するのはありきたりかもしれませんが、、、『他の指導者がバスに乗せたことを知り、その生徒を車に乗せ、球場近くまで行って降ろし、寮まで歩いて帰るよう指示』するしつこさに「10分ごとに位置情報を教えるように」と念を押し、別の指導者が「部員1人が球場から歩いて帰っている」と知り、危険であると判断。車で迎えに行った。監督は位置情報を見て、当該生徒のもとに行った。指導者同士で言い争った!
いやはや・・・ノーサインどころか10分ごとに位置情報を教えるようにということはケータイ電話あたりで連絡を密にさせ、なおかつ位置情報を知るためにGPS機能でも活用したのか??明らかに徹底管理主義ですよ!!!
謹慎1年間というのはかなり長いし、70歳を超えた監督を復帰させるのかどうか・・・・・。エナジックサイドの考えがそこで分かりますね。三顧の礼で迎えて短期間で甲子園出場しただけに簡単に切れないかもしれませんが。
もっと驚いたのは、今日図書館でデイリースポーツ見て、その他昨日調べきれなかった高校15件の不祥事に対する処分。
あの72歳長澤監督が謹慎2年とは!!神谷監督の倍の期間厳罰を与えたということは相当悪質な体罰だったのかな?????創志時代に岡山高野連審判団とよくやりあっていたし高野連から目をつけられていたのかもしれませんが、すでに篠山市の「スポーツ振興官」の役職も退職されているのでどうしたものか・・・・・。
2年間山ごもりして、門馬監督が岡山で結果を残せない日々が続いたら、創志の監督に復活するかもしれませんが。