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☝セーフティースクイズ成功の秘けつを分析~日本野球学会最優秀賞の桐蔭(和歌山)
https://news.yahoo.co.jp/articles/804f01db85d58d2776ccd234decea6a1e44cbc65
セーフティースクイズを成功させるには、どのコースに、どれほどの強さでバントを転がせばいいのか――。
高校野球の古豪、桐蔭(和歌山)硬式野球部データ分析班の研究が日本野球学会第3回大会で高校の部最優秀賞を受賞した。
同校硬式野球部は選手12人、女子マネジャー1人にデータ分析班が4人いる。ともに2年生の藤村一颯さんと中口拓海さんは、昨年に続く学会参加に向け、テーマを考えた。
新チームの公式戦は8月24日に新人戦3回戦で日高中津に、9月7日に秋季県1次予選1回戦で箕島に、いずれも0―1で敗れていた。プロも注目する最速146キロの右腕、内田悠斗投手(2年)がいて失点は少ないが、貧打で得点力が課題だった。2人は「内田ががんばっているなか、悔しいし情けなかった」と話す。
敗れた2試合で無死か1死で走者三塁の状況が3度あったが、いずれも打者が凡退し、好機をフイにしていた。「走者得点圏の状況で適時打が出ず、得点できなかった。作戦別に三塁走者を還す選択肢を増やす必要がある」とセーフティースクイズに絞った。
セーフティースクイズのバントに適した打球方向と強度を検討するため、10月と11月に選手に手伝ってもらい、練習時間を割いて実験を行った。
本塁から4、6、8、10、12、14メートルの位置、さらに一塁線を0度、三塁線を90度として15度間隔で線を引いた。右・左投手、一・三塁手の定位置(触塁)、前進守備でそれぞれ、打球が転がってから処理―送球―捕手タッチ(右打席に置いたペットボトルを倒す)までのタイムを計測した。打球は手で転がした。
三塁走者が第2リードから本塁に到達するタイムを計ると平均3・3秒だった。このタイムを基準にプラス、マイナスで評価した。計測は動画分析、運動解析ソフト「キノベア」を使った。
計約330球の打球を集計した。結果は0~4メートルの緩いバントでは、捕手が処理したり、投手のグラブトスでほぼ走者憤死だった。投手正面(30~60度)の打球も生還が難しかった。
セーフティースクイズが成功しやすい範囲は一、三塁線付近(0~15度、75~90度)で4メートルを超える打球だった。左投手の場合は一塁側の30度まででも決まりやすく「右手にはめたグラブトスがしずらく、持ち替える必要があるため」と分析した。
「まとめ」として「塁線付近に打球を殺し過ぎないように転がすことが重要である。投手の正面(30~60度)と0~4メートルの範囲は避ける必要がある」と記した。さらに選手への助言として「打者はあらかじめ、どの方向にどれほどの強度で転がさなければならないか、どこに転がしてはいけないかを打席に立つ前にイメージしておくことが求められる」とした。
演題を「少ない好機をものにする セーフティースクイズのタイムと捕球位置に着目して」として、今月13~14日、広島大学で行われた学会で発表した。高校の部、全国19校26題で最高の評価を得た。中口さんは「他校の発表内容も良くて自信はなかった」と驚き、喜んだ。
矢野健太郎監督(36=同校保健体育科教諭)は筑波大出身で、日本野球学会会長の筑波大教授、野球部監督の川村卓氏は恩師にあたる。「現場を預かる立場から言えば、チームのためになる研究がいい。セーフティースクイズのタイムなど計ったことがなく、着眼点も良かった。これまで“何となく、これぐらい”“ライン際が決まりやすい”という感覚で行っていたものを証明したことに意義がある」とたたえた。
主将の小栗正太外野手(2年)は試合でセーフティースクイズを決めたことも、失敗したこともあった。「これまで、そこまで深く考えてバントしていなかった。データ班の研究を試合で生かしていきたい」。近く部内でデータ班の研究報告のミーティングを開く。
中口さんは中学硬式野球で小栗さんと同じチームでプレーしていた。「高校で選手を続けるかどうか迷った。選手のためになるデータを提供していきたい」。藤村さんは選手としての野球経験はない。阪神ファンだった親の影響で野球に親しみ、桐蔭中時代、科学部に在籍しパソコンに通じていたため「野球に何らかの形で関わりたいと思った。データが少しでも役に立ってくれればうれしい」と話した。
📝九州選抜は夏の甲子園Vの沖縄尚学、明治神宮大会Vの九州国際大付からも選出 25日から台湾で日台国際親善試合
https://news.yahoo.co.jp/articles/a358b914d45a24d85c9174cce60ff6c83cdcfa4a
高校野球の日台国際親善試合に参加する九州選抜チームと北海道選抜チームが21日から2日間、福岡県久留米市の久留米市野球場で練習を行った。
最終日の22日は九州選抜と北海道選抜の練習試合が組まれ、好天の下で久々の実戦を行った。
親善試合は日本と台湾の高校生が野球を通じて野球の技術や知識向上、異なる文化を学びながら親睦を深めることを目的に今年からスタートし、全国各地区の選抜チームが2年に1度遠征を行う予定。
九州選抜は今夏の甲子園で優勝した沖縄尚学の新垣有絃(2年)や先月の明治神宮大会を制した九州国際大付の牟禮翔(2年)、城野慶太(2年)ら20人が選出された。牟禮と城野は21日に野球部の行事があったため、22日朝にチームに合流した。
練習試合で1番で出場した牟禮は「1番を打たせてもらって緊張しました。ほかの選手とも仲良くなれました」と早くもチームにとけ込んでいた一方、初めての海外に不安な様子。「台湾の食事が合うか不安なので、パックのご飯とか、たくさん食べるものを持っていきます」としっかり準備してきた。
城野は新垣とバッテリーを組み「球がすごく伸びてきたし、コントロールも良くてすごかった」と甲子園優勝右腕の球を受けてびっくり。副主将に任命され「気負わずみんなで楽しんでやりたい」と話した。
練習試合で先発した新垣は「久しぶりの実戦で力んで球の伸びがなかった。台湾は多分、気候も沖縄と近いと思う。自分の投球をしてチームの勝利に貢献したい」と台湾のチームとの対戦を楽しみにする。
九州選抜を率いる海星(長崎)の加藤慶二監督は「初めての遠征なので今年の戦いで日本チームのイメージが決まる。いいものを残していこうと選手には話しました」と第1回の台湾遠征チームとして気を引き締める。
両地区の選抜チームは23日に台湾に出発。25日から3日間、台湾の高校生の大会の優勝チーム、準優勝チームと対戦し、28日に帰国する。
📝京都国際・西村一毅が「高卒プロ」見送りの理由 高校で引退予定が日本一…評価激変で芽生えた次の目標
https://news.yahoo.co.jp/articles/210efb3085214f05a1d0fc83389476483aee5b03
2年夏に日本一を達成した京都国際(京都)・西村一毅投手(3年)の選択に迫る。今秋ドラフトで上位指名も狙えた最速146キロ左腕は、3年春の時点で大学進学希望を表明し、プロ志望届を提出しなかった。高2で甲子園優勝を達成しながら高卒プロに傾かず、中大進学を選択した裏側を聞いた。
高2で甲子園優勝の中心メンバーになれば、高卒でのプロ入りを夢見ても不思議ではない。しかし謙虚な性格の西村は、日本一を達成してようやく思った。「上のレベルで野球を続けようかな」。「上のレベル」とはNPBを指しているわけではない。2年夏前まで、高校で野球を辞めようと考えていたのだ。
下級生の頃、進路調査を兼ねた面談で小牧憲継監督に「高校で野球を辞めようと思っています」と伝えていた。同監督は自身の考えを押しつけるような指導者ではない。「なんでやねん」と笑いつつ、否定されることはなかった。
「抑えたとしても“たまたまや。次は打たれる”としか思っていなかった。捕手の構えたところに投げ切ろうとしていただけで、抑えた根拠が自分の中になかった。だけど2年夏に甲子園で結果が残り、“自分もやれるんかな”と思い始めた」
高卒プロも狙えるかもしれないと、ほんの少しは頭をよぎった。しかし、2年秋の京都大会は4回戦敗退。「秋の時点でプロに行けるような結果も残せなかったので…」。強豪大学に進むためには、3年春までにその大学を受験するか回答を求められる場合が多い。つまり、高卒プロか大学進学か、春季大会の結果を待たずに決断する必要がある。自身の現在地に自信を持てていなかった西村は、高3の春本番前には大学進学に進路を絞った。
最後の夏は甲子園に帰還し、高校日本代表にも選出された。「代表のみんなは、キャッチボールの球が速いし、伸びるし、重いし…。だけど、自分の球は垂れて見えた。これがプロに行く人たちの球か…と思った」。どこか自己評価の低い西村は、自分より周りの実力の方が上だと感じた。それでも、今秋ドラフト会議で健大高崎(群馬)の石垣元気(3年)ら同学年の高校生が上位指名されていく姿を見て率直に思った。「悔しい。自分もあのレベルにならないとあかん」
3年春の進路面談で小牧監督に「大学でどうなりたいん?」と聞かれた時、こう即答している。「4年後、ドラフト1位でプロに行ける力をつけたいです」。来年から東都大学野球1部の中大に進む。「京都国際に入学した時は、高校卒業したら就職しようかなと思っていたのですが…。やるからには1番を目指したいと思いました」。自身にドラフト上位指名の実力があると気付かず終えた高校野球。1位指名を目指すと決めた覚悟こそ、西村の伸びしろになる。
📝「草食動物」の髙橋隆慶と「クソ生意気」なケニー石川 明秀日立・金沢監督が語る対照的な成長が導いたプロへの道
https://news.yahoo.co.jp/articles/6e8b2231f9837268953655c271c8aa246b4e8fdc?page=1
明秀日立・金沢成奉監督が語る今秋ドラフト指名された4人の教え子髙橋隆慶・石川ケニー編
「感慨もひとしおです」10月23日に行なわれたプロ野球ドラフト会議を終えて、目尻を下げたのは明秀日立高(茨城)の金沢成奉監督だ。
まず、今年の主将を務めた外野手・能戸輝夢(きらむ)が中日にドラフト4位で指名された。続いて、同校OBでJR東日本の右の強打者・髙橋隆慶がソフトバンクから5位、同じくOBで投打二刀流、ジョージア大の石川ケニーがオリックスから6位、さらに強肩強打の捕手・野上士耀(のがみ・しきら)がオリックスから7位指名を受けるなど、吉報が立て続けに届いた。
大阪・太成高(現・太成学院大高)から東北福祉大へ進んだ金沢監督は、現在59歳。東北福祉大でコーチを務めたのちに赴任した前任校の光星学院高(現・八戸学院光星高)では、坂本勇人(巨人)、田村龍弘(ロッテ)、北條史也(元阪神/現・三菱重工West内野手)らを育て上げた。2012年9月からは明秀日立で指揮を執り、これまで4度の甲子園出場へ導くとともに、細川成也(中日)、増田陸(巨人)、陽柏翔(楽天)といった選手をNPBに送り出してきた。これまでも指導者としての実績は十分だが、今年は一気に4人の教え子がドラフト指名を受けた。昨年の陽を含めれば、2年で5人。しかも全員が支配下での指名となれば、コワモテで知られる金沢監督の表情が崩れるのも無理はない。
かねてから育成力に定評のあった金沢監督だが、この数年でその手腕はさらに磨きがかかった印象すらある。今回、一気に4人の教え子が指名を受けた「育成の名将」に、指名された4人それぞれへの思いや期待、そして育成論・教育論を聞いた。
【無名だった草食系スラッガー】
「最初に注目したのが私だったみたいで、その縁で(明秀日立に)来てくれたようです。それほど中学時代は無名でした」
金沢監督が語るその人物は、ソフトバンクから5位指名を受けた髙橋隆慶だ。髙橋は茨城県西部・古河市にある総和北中の軟式野球部に所属していた。金沢監督の育成と言えば、坂本や北條、田村龍弘(ロッテ)、増田陸(巨人)といった「やんちゃな一面を持つ選手のあり余るパワーを生かして」という指導法が語られることが多いが、髙橋は彼らとはやや毛色が違ったようだ。
「いい意味で言えば穏やかですし、悪く言えば少しおとなしすぎるところはありました。僕はよく野球選手を草食動物と肉食動物に分けて考えるのですが、高校時代の髙橋は間違いなく草食動物。戦いがあったらすぐに食べられて死んでしまうような、勝負事には向いていないタイプでした」
一方で、身体的なポテンシャルは際立っていた。入学時から身長は180センチを超え(現在は186センチ)、それでいて"しなやかさ"も持ち合わせていた。瞬発力にはやや不安を感じさせる部分があったものの、長身でありながらバランスの取れた選手だった。高校時代は、「この体格と能力で捕手ができれば、いずれプロに行ける」という親心もあって、マスクを被らせた。しかし、「時間がかかるだろう」と懸念していたとおり、弱気な一面がプレーやリードに出てしまった。
結果として、1学年上の遊撃手・増田陸や右腕・細川拓哉(中日・細川成也の弟/現・トヨタ自動車)らの活躍で出場した選抜甲子園大会では、ベンチ入りを果たせなかった。3年夏は正捕手を任され、4番も担ったが、チームは県大会4回戦で敗退。自身も安打は3回戦で放った2本のみに終わった。
【金沢監督が描く理想のルート】
それでも、「高いレベルのなかで揉まれていけば絶対にモノになる」と見込んでいた金沢監督は、前年に増田の獲得に動いていた縁もあった中央大の清水達也監督に懇願。
「現時点では増田とまではいかないけれど、"いつかは"という選手です。打撃は劣っていませんし、ダメもとでいいから見てほしいんです」そう言って中央大の練習に参加させると、すぐに清水監督から「ぜひお願いします」と声がかかった。
中央大では指名打者や外野手として東都大学リーグで70試合に出場。その後、JR東日本では三塁手へと転向した。侍ジャパンU−23代表にも選出されるなど着実に評価を高め、社会人野球屈指の長距離砲へと成長。大卒2年目で、プロ入りの夢をかなえた。いきなりステップを飛び越えるのではなく、人との出会いや刺激、好投手との対戦を通じてさまざまなものを吸収し、一つひとつ階段を上っていった。金沢監督の教え子には高卒でプロ入りした選手が多いが、今回のような歩みこそが「一番の理想」と、金沢監督は称える。
「神宮(春と秋の全国大会)に出ている大学か、常に神宮でプレーできる大学(東京六大学、東都大学リーグ)に進んで、そこから社会人野球で都市対抗に出て、プロに行く。この形が野球界のエリートだと、僕は言っています。すべてのキャリア(カテゴリー)を経験できる野球選手はなかなかいません。現役を終えたあとのことを考えても、大学、社会人に行ってからプロのほうがいい。もちろん、経済的な事情や学力の面で難しい子もいるので一概には言えませんが、野球界のエリートとは、そうした歩みをしてきた選手だと思っています」
【坂本勇人の危機察知能力】
今の時代の子どもたちの気質を「大人になる、自立するという点で、私たちの時代よりも遅いイメージがあります」と語る金沢監督は、だからこそ段階を踏んで成長していくことの重要性を説く。
「(足りないのは)"気づく力"や"生き抜くための知恵"といった部分ですね。野球でも、仕事でも、日常生活でも欠かせないものです。子どもたちが悪いわけではなく、今の家庭環境では、そうしたことに気づく機会が少ないのかもしれません」
やんちゃな一面があった坂本はそうした力に長けており、「危機察知能力は天下一品でしたよ」と金沢監督は笑う。日本史を担当していた金沢監督の授業中、勝手に席替えをしていたり、怒られそうになると巧みに視界から外れたり......。「僕が近づくと、まるでセンサーが鳴るかのようでした」と振り返るように、坂本は自然と"死角"に入っていたという。
こうした"気づき"や周囲を見渡す力があったからこそ、坂本は高卒直後から活躍できたのだという。その一方で、「もし髙橋が高卒でプロに入っていたら、そういうことはできなかったと思いますね」と、金沢監督は振り返る。
だからこそ、名門大学、そして社会人野球の強豪企業で、レベルの高い仲間や対戦相手と切磋琢磨するなかで洗練されていき、その成長が野球の結果にも結びついた。そして、日本最高峰の舞台へとたどり着いた。右の強打者は、今の野球において需要が高いだけに、髙橋への期待も大きい。
「社会人からプロに入るわけですから、1年目からが勝負。ラストチャンスくらいのイメージで、強い意志を持ってやってほしいですね。ソフトバンクも、あれだけの(戦力が揃った)チームでありながら指名するということは、何らかの意図があってのこと。日本シリーズを見ていても、さらに右の強打者が重要になってくると感じたので、もっと打力を磨いて、強力打線のなかでも結果を残せる選手になってもらいたいです」
おとなしく弱気な一面もあった髙橋は、長い年月を経て成長を続けてプロ入りを果たしたが、オリックスにドラフト6位で指名された石川は「こんなことは坂本勇人と彼くらい」と、金沢監督を驚かせる一面を持っていた。
【ハワイの気候のような男】
この髙橋のように金沢監督が発掘したパターンもあるが、現役時代や40年の指導歴から生まれる縁で明秀日立への進学が決まった選手もある。オリックスにドラフト6位で指名を受けた石川は、後者だった。仙台高を甲子園出場に導き、光星学院野辺地西高(現・八戸学院野辺地西高)でも監督を務めた故・鈴木直勝氏は、金沢監督と石川の父・則良さんにとって共通の恩人だった。その縁から、まず石川ケニーの兄・シェインさんが同校に入学。2018年の選抜では、記録員としてベンチ入りしていた。ケニーはハワイで生まれ、小学2年生で来日。中学時代までは横浜で育った。
「『おまえはハワイの気候そのものだ』と、ケニーにはいつも言っていました。周りを明るく、熱くさせる人間でした」そう振り返る一方で、こんな一面も明かす。
「親父に似てクソ生意気なところがありました(笑)。『もう出ていけ』とか、『今すぐ荷物をまとめて帰れ』と言ったこともあります。するとケニーも、『帰りません』『どきません』と、そんなやり取りになりましたね。周りを明るくする一方で、ちょっとしたことでよく泣いていました。感情豊かなので、手はかかりましたね」
そう語る金沢監督の表情は、どこかうれしそうだった。石川自身も、過去のインタビューで心からの感謝の言葉を並べている。
「お父さんが後輩だったこともあり、けっこう怒られましたね(笑)。でも、今となってはそのすべてが生きていますし、感謝しています。とくに人間性の部分ですね。主将を任せてもらい、喜怒哀楽が激しいと言われていましたが、そのなかで成長できたと思いますし、大人になった部分もありますね」
高校時代は、来秋ドラフト候補に挙がる右腕・猪俣駿太(東北福祉大)とともに投手陣の二枚看板を形成。左腕としてマウンドに立つ一方、打線では左の中軸を担い、投打二刀流で活躍した。明秀日立を、史上初となる春夏連続の甲子園へと導いた。
【アメリカ行きという決断】
その後は亜細亜大に進学し、1年生ながら4番を任され、現在はアメリカの大学球界でも二刀流として活躍中。昨季はシアトル大で迎えた1年目から存在感を示し、その実績が評価され、アメリカの大学野球最高峰のカンファレンスであるSEC(サウスイースタン・カンファレンス)に所属する名門・ジョージア大への転校を勝ちとり、今季から同校でプレーしている。どんな環境でも活躍ができるのは、その天真爛漫な性格が大きいと金沢監督は考える。
「少し油断すると、ヘラヘラと僕をからかってきますが、目つきをパッと変えればピリッとなりますね。まあでも、そもそも僕のことをからかってくるのは、坂本勇人とケニーくらいですが(笑)」
そんな石川だが、亜細亜大からシアトル大への転学を報告しにきた際は一喝したという。石川も金沢監督も信頼を寄せていた生田勉監督が、1年途中で退任。以降、石川は出場機会を大きく減らしていただけに、その決断に至った気持ちは理解できた。それでも、言うべきことは言う。厳しい口調で思いを伝えた。
「『もう決めました』という感じで報告に来たので、『それは違うだろう』と親も含めて怒りました。筋道があって、私からも亜細亜大にひと言言わないといけませんし、現在指揮を執られている正村公弘監督も古くから知っている方。大学に対してないがしろにはできませんから」
そのうえで、「アメリカへ行きたい」という意思を頑なに貫く石川の姿を見て、金沢監督は正村監督に謝罪。最終的には、石川の背中を押した。この話題から発展し、「叱る大人」の重要性についても語られた。
「これを言うと、またいろいろ言われるかもしれませんが、大人は"怖い存在"でなければいけないと思っています。だから生徒たちにも、よく『大人を舐めたらダメだぞ』と伝えるんです。そうした言葉が言いづらい時代になりましたし、大人と子どもの間にある"あるべきライン"が曖昧になることをよしとする風潮もある。でも、それは僕としてはまったく逆の考えですね。子どもたちのためにも、大人は怖い存在であるべきだと思っています」
【強さとおおらかさのハイブリッド】
そんな「怖い」存在であるはずの金沢監督に対しても、冗談を飛ばし、時には強い意思を示せる石川。その姿からは、頼もしさが感じられた。その思いを金沢監督に伝えると、深く頷いた。
「ケニーのTikTokを見ていると、たしかにそんな感じはしますよね(笑)。そして ハイブリッドです。投打二刀流ということもそうですし、僕が大切にしている武士道の精神と向き合う力も持っている。一方で、ハワイで育ったおおらかさもある」
石川がジョージア大の3年生として臨むアメリカの大学野球シーズンは、これからが本番だ。今季の活躍次第では、来夏に行なわれるMLBドラフトでの指名や指名順位も大きく変わってくるだろう。
7月末までオリックスとの交渉権を有しており、現時点では日米両方のプロの世界でプレーするという選択肢を持つ可能性がある。金沢監督は「今度会ったら、『MLBを蹴ってNPBに行くような男になれ』と言いたい。そのほうが面白いじゃないですか」と語ったが、すぐに「でも......」と続け、言葉を付け加えた。
「ケニーのことだから、もし嫌だったら『嫌です』とはっきり言いそうですけどね」そう想像して笑う金沢監督の顔は「怖い大人」ではなかった。
つづく>>
https://news.yahoo.co.jp/articles/804f01db85d58d2776ccd234decea6a1e44cbc65
セーフティースクイズを成功させるには、どのコースに、どれほどの強さでバントを転がせばいいのか――。
高校野球の古豪、桐蔭(和歌山)硬式野球部データ分析班の研究が日本野球学会第3回大会で高校の部最優秀賞を受賞した。
同校硬式野球部は選手12人、女子マネジャー1人にデータ分析班が4人いる。ともに2年生の藤村一颯さんと中口拓海さんは、昨年に続く学会参加に向け、テーマを考えた。
新チームの公式戦は8月24日に新人戦3回戦で日高中津に、9月7日に秋季県1次予選1回戦で箕島に、いずれも0―1で敗れていた。プロも注目する最速146キロの右腕、内田悠斗投手(2年)がいて失点は少ないが、貧打で得点力が課題だった。2人は「内田ががんばっているなか、悔しいし情けなかった」と話す。
敗れた2試合で無死か1死で走者三塁の状況が3度あったが、いずれも打者が凡退し、好機をフイにしていた。「走者得点圏の状況で適時打が出ず、得点できなかった。作戦別に三塁走者を還す選択肢を増やす必要がある」とセーフティースクイズに絞った。
セーフティースクイズのバントに適した打球方向と強度を検討するため、10月と11月に選手に手伝ってもらい、練習時間を割いて実験を行った。
本塁から4、6、8、10、12、14メートルの位置、さらに一塁線を0度、三塁線を90度として15度間隔で線を引いた。右・左投手、一・三塁手の定位置(触塁)、前進守備でそれぞれ、打球が転がってから処理―送球―捕手タッチ(右打席に置いたペットボトルを倒す)までのタイムを計測した。打球は手で転がした。
三塁走者が第2リードから本塁に到達するタイムを計ると平均3・3秒だった。このタイムを基準にプラス、マイナスで評価した。計測は動画分析、運動解析ソフト「キノベア」を使った。
計約330球の打球を集計した。結果は0~4メートルの緩いバントでは、捕手が処理したり、投手のグラブトスでほぼ走者憤死だった。投手正面(30~60度)の打球も生還が難しかった。
セーフティースクイズが成功しやすい範囲は一、三塁線付近(0~15度、75~90度)で4メートルを超える打球だった。左投手の場合は一塁側の30度まででも決まりやすく「右手にはめたグラブトスがしずらく、持ち替える必要があるため」と分析した。
「まとめ」として「塁線付近に打球を殺し過ぎないように転がすことが重要である。投手の正面(30~60度)と0~4メートルの範囲は避ける必要がある」と記した。さらに選手への助言として「打者はあらかじめ、どの方向にどれほどの強度で転がさなければならないか、どこに転がしてはいけないかを打席に立つ前にイメージしておくことが求められる」とした。
演題を「少ない好機をものにする セーフティースクイズのタイムと捕球位置に着目して」として、今月13~14日、広島大学で行われた学会で発表した。高校の部、全国19校26題で最高の評価を得た。中口さんは「他校の発表内容も良くて自信はなかった」と驚き、喜んだ。
矢野健太郎監督(36=同校保健体育科教諭)は筑波大出身で、日本野球学会会長の筑波大教授、野球部監督の川村卓氏は恩師にあたる。「現場を預かる立場から言えば、チームのためになる研究がいい。セーフティースクイズのタイムなど計ったことがなく、着眼点も良かった。これまで“何となく、これぐらい”“ライン際が決まりやすい”という感覚で行っていたものを証明したことに意義がある」とたたえた。
主将の小栗正太外野手(2年)は試合でセーフティースクイズを決めたことも、失敗したこともあった。「これまで、そこまで深く考えてバントしていなかった。データ班の研究を試合で生かしていきたい」。近く部内でデータ班の研究報告のミーティングを開く。
中口さんは中学硬式野球で小栗さんと同じチームでプレーしていた。「高校で選手を続けるかどうか迷った。選手のためになるデータを提供していきたい」。藤村さんは選手としての野球経験はない。阪神ファンだった親の影響で野球に親しみ、桐蔭中時代、科学部に在籍しパソコンに通じていたため「野球に何らかの形で関わりたいと思った。データが少しでも役に立ってくれればうれしい」と話した。
📝九州選抜は夏の甲子園Vの沖縄尚学、明治神宮大会Vの九州国際大付からも選出 25日から台湾で日台国際親善試合
https://news.yahoo.co.jp/articles/a358b914d45a24d85c9174cce60ff6c83cdcfa4a
高校野球の日台国際親善試合に参加する九州選抜チームと北海道選抜チームが21日から2日間、福岡県久留米市の久留米市野球場で練習を行った。
最終日の22日は九州選抜と北海道選抜の練習試合が組まれ、好天の下で久々の実戦を行った。
親善試合は日本と台湾の高校生が野球を通じて野球の技術や知識向上、異なる文化を学びながら親睦を深めることを目的に今年からスタートし、全国各地区の選抜チームが2年に1度遠征を行う予定。
九州選抜は今夏の甲子園で優勝した沖縄尚学の新垣有絃(2年)や先月の明治神宮大会を制した九州国際大付の牟禮翔(2年)、城野慶太(2年)ら20人が選出された。牟禮と城野は21日に野球部の行事があったため、22日朝にチームに合流した。
練習試合で1番で出場した牟禮は「1番を打たせてもらって緊張しました。ほかの選手とも仲良くなれました」と早くもチームにとけ込んでいた一方、初めての海外に不安な様子。「台湾の食事が合うか不安なので、パックのご飯とか、たくさん食べるものを持っていきます」としっかり準備してきた。
城野は新垣とバッテリーを組み「球がすごく伸びてきたし、コントロールも良くてすごかった」と甲子園優勝右腕の球を受けてびっくり。副主将に任命され「気負わずみんなで楽しんでやりたい」と話した。
練習試合で先発した新垣は「久しぶりの実戦で力んで球の伸びがなかった。台湾は多分、気候も沖縄と近いと思う。自分の投球をしてチームの勝利に貢献したい」と台湾のチームとの対戦を楽しみにする。
九州選抜を率いる海星(長崎)の加藤慶二監督は「初めての遠征なので今年の戦いで日本チームのイメージが決まる。いいものを残していこうと選手には話しました」と第1回の台湾遠征チームとして気を引き締める。
両地区の選抜チームは23日に台湾に出発。25日から3日間、台湾の高校生の大会の優勝チーム、準優勝チームと対戦し、28日に帰国する。
📝京都国際・西村一毅が「高卒プロ」見送りの理由 高校で引退予定が日本一…評価激変で芽生えた次の目標
https://news.yahoo.co.jp/articles/210efb3085214f05a1d0fc83389476483aee5b03
2年夏に日本一を達成した京都国際(京都)・西村一毅投手(3年)の選択に迫る。今秋ドラフトで上位指名も狙えた最速146キロ左腕は、3年春の時点で大学進学希望を表明し、プロ志望届を提出しなかった。高2で甲子園優勝を達成しながら高卒プロに傾かず、中大進学を選択した裏側を聞いた。
高2で甲子園優勝の中心メンバーになれば、高卒でのプロ入りを夢見ても不思議ではない。しかし謙虚な性格の西村は、日本一を達成してようやく思った。「上のレベルで野球を続けようかな」。「上のレベル」とはNPBを指しているわけではない。2年夏前まで、高校で野球を辞めようと考えていたのだ。
下級生の頃、進路調査を兼ねた面談で小牧憲継監督に「高校で野球を辞めようと思っています」と伝えていた。同監督は自身の考えを押しつけるような指導者ではない。「なんでやねん」と笑いつつ、否定されることはなかった。
「抑えたとしても“たまたまや。次は打たれる”としか思っていなかった。捕手の構えたところに投げ切ろうとしていただけで、抑えた根拠が自分の中になかった。だけど2年夏に甲子園で結果が残り、“自分もやれるんかな”と思い始めた」
高卒プロも狙えるかもしれないと、ほんの少しは頭をよぎった。しかし、2年秋の京都大会は4回戦敗退。「秋の時点でプロに行けるような結果も残せなかったので…」。強豪大学に進むためには、3年春までにその大学を受験するか回答を求められる場合が多い。つまり、高卒プロか大学進学か、春季大会の結果を待たずに決断する必要がある。自身の現在地に自信を持てていなかった西村は、高3の春本番前には大学進学に進路を絞った。
最後の夏は甲子園に帰還し、高校日本代表にも選出された。「代表のみんなは、キャッチボールの球が速いし、伸びるし、重いし…。だけど、自分の球は垂れて見えた。これがプロに行く人たちの球か…と思った」。どこか自己評価の低い西村は、自分より周りの実力の方が上だと感じた。それでも、今秋ドラフト会議で健大高崎(群馬)の石垣元気(3年)ら同学年の高校生が上位指名されていく姿を見て率直に思った。「悔しい。自分もあのレベルにならないとあかん」
3年春の進路面談で小牧監督に「大学でどうなりたいん?」と聞かれた時、こう即答している。「4年後、ドラフト1位でプロに行ける力をつけたいです」。来年から東都大学野球1部の中大に進む。「京都国際に入学した時は、高校卒業したら就職しようかなと思っていたのですが…。やるからには1番を目指したいと思いました」。自身にドラフト上位指名の実力があると気付かず終えた高校野球。1位指名を目指すと決めた覚悟こそ、西村の伸びしろになる。
📝「草食動物」の髙橋隆慶と「クソ生意気」なケニー石川 明秀日立・金沢監督が語る対照的な成長が導いたプロへの道
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明秀日立・金沢成奉監督が語る今秋ドラフト指名された4人の教え子髙橋隆慶・石川ケニー編
「感慨もひとしおです」10月23日に行なわれたプロ野球ドラフト会議を終えて、目尻を下げたのは明秀日立高(茨城)の金沢成奉監督だ。
まず、今年の主将を務めた外野手・能戸輝夢(きらむ)が中日にドラフト4位で指名された。続いて、同校OBでJR東日本の右の強打者・髙橋隆慶がソフトバンクから5位、同じくOBで投打二刀流、ジョージア大の石川ケニーがオリックスから6位、さらに強肩強打の捕手・野上士耀(のがみ・しきら)がオリックスから7位指名を受けるなど、吉報が立て続けに届いた。
大阪・太成高(現・太成学院大高)から東北福祉大へ進んだ金沢監督は、現在59歳。東北福祉大でコーチを務めたのちに赴任した前任校の光星学院高(現・八戸学院光星高)では、坂本勇人(巨人)、田村龍弘(ロッテ)、北條史也(元阪神/現・三菱重工West内野手)らを育て上げた。2012年9月からは明秀日立で指揮を執り、これまで4度の甲子園出場へ導くとともに、細川成也(中日)、増田陸(巨人)、陽柏翔(楽天)といった選手をNPBに送り出してきた。これまでも指導者としての実績は十分だが、今年は一気に4人の教え子がドラフト指名を受けた。昨年の陽を含めれば、2年で5人。しかも全員が支配下での指名となれば、コワモテで知られる金沢監督の表情が崩れるのも無理はない。
かねてから育成力に定評のあった金沢監督だが、この数年でその手腕はさらに磨きがかかった印象すらある。今回、一気に4人の教え子が指名を受けた「育成の名将」に、指名された4人それぞれへの思いや期待、そして育成論・教育論を聞いた。
【無名だった草食系スラッガー】
「最初に注目したのが私だったみたいで、その縁で(明秀日立に)来てくれたようです。それほど中学時代は無名でした」
金沢監督が語るその人物は、ソフトバンクから5位指名を受けた髙橋隆慶だ。髙橋は茨城県西部・古河市にある総和北中の軟式野球部に所属していた。金沢監督の育成と言えば、坂本や北條、田村龍弘(ロッテ)、増田陸(巨人)といった「やんちゃな一面を持つ選手のあり余るパワーを生かして」という指導法が語られることが多いが、髙橋は彼らとはやや毛色が違ったようだ。
「いい意味で言えば穏やかですし、悪く言えば少しおとなしすぎるところはありました。僕はよく野球選手を草食動物と肉食動物に分けて考えるのですが、高校時代の髙橋は間違いなく草食動物。戦いがあったらすぐに食べられて死んでしまうような、勝負事には向いていないタイプでした」
一方で、身体的なポテンシャルは際立っていた。入学時から身長は180センチを超え(現在は186センチ)、それでいて"しなやかさ"も持ち合わせていた。瞬発力にはやや不安を感じさせる部分があったものの、長身でありながらバランスの取れた選手だった。高校時代は、「この体格と能力で捕手ができれば、いずれプロに行ける」という親心もあって、マスクを被らせた。しかし、「時間がかかるだろう」と懸念していたとおり、弱気な一面がプレーやリードに出てしまった。
結果として、1学年上の遊撃手・増田陸や右腕・細川拓哉(中日・細川成也の弟/現・トヨタ自動車)らの活躍で出場した選抜甲子園大会では、ベンチ入りを果たせなかった。3年夏は正捕手を任され、4番も担ったが、チームは県大会4回戦で敗退。自身も安打は3回戦で放った2本のみに終わった。
【金沢監督が描く理想のルート】
それでも、「高いレベルのなかで揉まれていけば絶対にモノになる」と見込んでいた金沢監督は、前年に増田の獲得に動いていた縁もあった中央大の清水達也監督に懇願。
「現時点では増田とまではいかないけれど、"いつかは"という選手です。打撃は劣っていませんし、ダメもとでいいから見てほしいんです」そう言って中央大の練習に参加させると、すぐに清水監督から「ぜひお願いします」と声がかかった。
中央大では指名打者や外野手として東都大学リーグで70試合に出場。その後、JR東日本では三塁手へと転向した。侍ジャパンU−23代表にも選出されるなど着実に評価を高め、社会人野球屈指の長距離砲へと成長。大卒2年目で、プロ入りの夢をかなえた。いきなりステップを飛び越えるのではなく、人との出会いや刺激、好投手との対戦を通じてさまざまなものを吸収し、一つひとつ階段を上っていった。金沢監督の教え子には高卒でプロ入りした選手が多いが、今回のような歩みこそが「一番の理想」と、金沢監督は称える。
「神宮(春と秋の全国大会)に出ている大学か、常に神宮でプレーできる大学(東京六大学、東都大学リーグ)に進んで、そこから社会人野球で都市対抗に出て、プロに行く。この形が野球界のエリートだと、僕は言っています。すべてのキャリア(カテゴリー)を経験できる野球選手はなかなかいません。現役を終えたあとのことを考えても、大学、社会人に行ってからプロのほうがいい。もちろん、経済的な事情や学力の面で難しい子もいるので一概には言えませんが、野球界のエリートとは、そうした歩みをしてきた選手だと思っています」
【坂本勇人の危機察知能力】
今の時代の子どもたちの気質を「大人になる、自立するという点で、私たちの時代よりも遅いイメージがあります」と語る金沢監督は、だからこそ段階を踏んで成長していくことの重要性を説く。
「(足りないのは)"気づく力"や"生き抜くための知恵"といった部分ですね。野球でも、仕事でも、日常生活でも欠かせないものです。子どもたちが悪いわけではなく、今の家庭環境では、そうしたことに気づく機会が少ないのかもしれません」
やんちゃな一面があった坂本はそうした力に長けており、「危機察知能力は天下一品でしたよ」と金沢監督は笑う。日本史を担当していた金沢監督の授業中、勝手に席替えをしていたり、怒られそうになると巧みに視界から外れたり......。「僕が近づくと、まるでセンサーが鳴るかのようでした」と振り返るように、坂本は自然と"死角"に入っていたという。
こうした"気づき"や周囲を見渡す力があったからこそ、坂本は高卒直後から活躍できたのだという。その一方で、「もし髙橋が高卒でプロに入っていたら、そういうことはできなかったと思いますね」と、金沢監督は振り返る。
だからこそ、名門大学、そして社会人野球の強豪企業で、レベルの高い仲間や対戦相手と切磋琢磨するなかで洗練されていき、その成長が野球の結果にも結びついた。そして、日本最高峰の舞台へとたどり着いた。右の強打者は、今の野球において需要が高いだけに、髙橋への期待も大きい。
「社会人からプロに入るわけですから、1年目からが勝負。ラストチャンスくらいのイメージで、強い意志を持ってやってほしいですね。ソフトバンクも、あれだけの(戦力が揃った)チームでありながら指名するということは、何らかの意図があってのこと。日本シリーズを見ていても、さらに右の強打者が重要になってくると感じたので、もっと打力を磨いて、強力打線のなかでも結果を残せる選手になってもらいたいです」
おとなしく弱気な一面もあった髙橋は、長い年月を経て成長を続けてプロ入りを果たしたが、オリックスにドラフト6位で指名された石川は「こんなことは坂本勇人と彼くらい」と、金沢監督を驚かせる一面を持っていた。
【ハワイの気候のような男】
この髙橋のように金沢監督が発掘したパターンもあるが、現役時代や40年の指導歴から生まれる縁で明秀日立への進学が決まった選手もある。オリックスにドラフト6位で指名を受けた石川は、後者だった。仙台高を甲子園出場に導き、光星学院野辺地西高(現・八戸学院野辺地西高)でも監督を務めた故・鈴木直勝氏は、金沢監督と石川の父・則良さんにとって共通の恩人だった。その縁から、まず石川ケニーの兄・シェインさんが同校に入学。2018年の選抜では、記録員としてベンチ入りしていた。ケニーはハワイで生まれ、小学2年生で来日。中学時代までは横浜で育った。
「『おまえはハワイの気候そのものだ』と、ケニーにはいつも言っていました。周りを明るく、熱くさせる人間でした」そう振り返る一方で、こんな一面も明かす。
「親父に似てクソ生意気なところがありました(笑)。『もう出ていけ』とか、『今すぐ荷物をまとめて帰れ』と言ったこともあります。するとケニーも、『帰りません』『どきません』と、そんなやり取りになりましたね。周りを明るくする一方で、ちょっとしたことでよく泣いていました。感情豊かなので、手はかかりましたね」
そう語る金沢監督の表情は、どこかうれしそうだった。石川自身も、過去のインタビューで心からの感謝の言葉を並べている。
「お父さんが後輩だったこともあり、けっこう怒られましたね(笑)。でも、今となってはそのすべてが生きていますし、感謝しています。とくに人間性の部分ですね。主将を任せてもらい、喜怒哀楽が激しいと言われていましたが、そのなかで成長できたと思いますし、大人になった部分もありますね」
高校時代は、来秋ドラフト候補に挙がる右腕・猪俣駿太(東北福祉大)とともに投手陣の二枚看板を形成。左腕としてマウンドに立つ一方、打線では左の中軸を担い、投打二刀流で活躍した。明秀日立を、史上初となる春夏連続の甲子園へと導いた。
【アメリカ行きという決断】
その後は亜細亜大に進学し、1年生ながら4番を任され、現在はアメリカの大学球界でも二刀流として活躍中。昨季はシアトル大で迎えた1年目から存在感を示し、その実績が評価され、アメリカの大学野球最高峰のカンファレンスであるSEC(サウスイースタン・カンファレンス)に所属する名門・ジョージア大への転校を勝ちとり、今季から同校でプレーしている。どんな環境でも活躍ができるのは、その天真爛漫な性格が大きいと金沢監督は考える。
「少し油断すると、ヘラヘラと僕をからかってきますが、目つきをパッと変えればピリッとなりますね。まあでも、そもそも僕のことをからかってくるのは、坂本勇人とケニーくらいですが(笑)」
そんな石川だが、亜細亜大からシアトル大への転学を報告しにきた際は一喝したという。石川も金沢監督も信頼を寄せていた生田勉監督が、1年途中で退任。以降、石川は出場機会を大きく減らしていただけに、その決断に至った気持ちは理解できた。それでも、言うべきことは言う。厳しい口調で思いを伝えた。
「『もう決めました』という感じで報告に来たので、『それは違うだろう』と親も含めて怒りました。筋道があって、私からも亜細亜大にひと言言わないといけませんし、現在指揮を執られている正村公弘監督も古くから知っている方。大学に対してないがしろにはできませんから」
そのうえで、「アメリカへ行きたい」という意思を頑なに貫く石川の姿を見て、金沢監督は正村監督に謝罪。最終的には、石川の背中を押した。この話題から発展し、「叱る大人」の重要性についても語られた。
「これを言うと、またいろいろ言われるかもしれませんが、大人は"怖い存在"でなければいけないと思っています。だから生徒たちにも、よく『大人を舐めたらダメだぞ』と伝えるんです。そうした言葉が言いづらい時代になりましたし、大人と子どもの間にある"あるべきライン"が曖昧になることをよしとする風潮もある。でも、それは僕としてはまったく逆の考えですね。子どもたちのためにも、大人は怖い存在であるべきだと思っています」
【強さとおおらかさのハイブリッド】
そんな「怖い」存在であるはずの金沢監督に対しても、冗談を飛ばし、時には強い意思を示せる石川。その姿からは、頼もしさが感じられた。その思いを金沢監督に伝えると、深く頷いた。
「ケニーのTikTokを見ていると、たしかにそんな感じはしますよね(笑)。そして ハイブリッドです。投打二刀流ということもそうですし、僕が大切にしている武士道の精神と向き合う力も持っている。一方で、ハワイで育ったおおらかさもある」
石川がジョージア大の3年生として臨むアメリカの大学野球シーズンは、これからが本番だ。今季の活躍次第では、来夏に行なわれるMLBドラフトでの指名や指名順位も大きく変わってくるだろう。
7月末までオリックスとの交渉権を有しており、現時点では日米両方のプロの世界でプレーするという選択肢を持つ可能性がある。金沢監督は「今度会ったら、『MLBを蹴ってNPBに行くような男になれ』と言いたい。そのほうが面白いじゃないですか」と語ったが、すぐに「でも......」と続け、言葉を付け加えた。
「ケニーのことだから、もし嫌だったら『嫌です』とはっきり言いそうですけどね」そう想像して笑う金沢監督の顔は「怖い大人」ではなかった。
つづく>>