自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」
📝令和8年度 岡山県年間行事予定
https://www.okayama-hbf.com/uploads/202603/20260301_176939838969a37c47533ab.pdf
6月6日・7日のマスカットで開催される招待野球が気になります!
あとは秋季岡山大会がなぜかしら倉敷市営球場を割愛してマスカット・エイコンの2球場で消化するらしいですが、昨秋もマスカット改装工事で使えず2球場で2試合ずつ消化したので6日間あればできるということですが、3試合日がないのは寂しいですね・・・・・。
🎤【馬淵史郎 我が道1】34年前の松井5敬遠…今だから語ろう 自分でも忘れたことのない試合
https://news.yahoo.co.jp/articles/4a144f085516d32c9f5aab9189027c572303e544
やっぱり、あの話から始まるのか。もういいやろ、というのが正直な気持ちだけどな。昨年11月で古希の70歳になった。星稜戦の時が36歳。もう昔の話や。でもな。学校では教師として日本史を教えていた。歴史とは事実の積み重ね。5敬遠をしたのも、明徳義塾が3―2で勝ったことも事実。もちろん、自分でも忘れたことのない試合だ。
92年(平4)8月16日の甲子園だったな。2回戦の第3試合で明徳義塾と星稜が対戦した。暑い一日だった。試合開始時間は13時12分。日曜日の甲子園は5万5000人の大観衆で埋まっていた。その大観衆が明徳義塾の敵に回るとは、プレーボールの時には思ってもいなかった。
最初の敬遠、2度目の敬遠、そして3度目。星稜の4番・松井秀喜(ヤンキースGM特別アドバイザー)を歩かせるたびに、甲子園の空気が変わっていくのは感じていた。明徳義塾は一塁側ベンチだった。「勝負せんかい」「逃げるんか」の声がさらに大きくなったのは7回だ。2死無走者で4度目の敬遠。ランナーがいない場面でも仕方ない。点差は明徳義塾が3―2でリード。1点差。4番の一発だけは避けないといけない場面だ。サインは決めていた。「俺が腕を組んでいたら、敬遠」と河野和洋―青木貞敏のバッテリーには伝えていた。最初から全打席敬遠と決めてたわけじゃない。もっとリードしていたり、星稜ペースの試合になっていたら勝負は当然していた。でも試合は1点差。1点差で勝ち切るための策に徹するだけだった。
9回2死。勝利まであと一人というところで相手先発の山口哲治くんが左翼越えの三塁打を打った。ならば、こちらもやるしかない。腕をしっかり組んで、5度目の敬遠。甲子園は騒然となった。三塁側アルプスからメガホンやゴミが一斉に投げ込まれ、試合は中断した。
ボールボーイや星稜の選手が拾いに向かった。ウチの控え選手も行かせようとしたら「明徳は行くな」と本部からストップがかかった。中断中、マウンドに集まった選手たちにもヤジが飛ぶ。俺も腕を組んだまま、ベンチ前に立った。「俺が敬遠させたんだ。文句あるなら俺が聞く」――。自分で全てを受け止める。その覚悟だった。
松井が最後に走って、9回2死二、三塁から、5番・月岩信成くんの打球は三塁正面に飛んでゲームセット。再び物が投げ込まれるのが見えた。明徳義塾の校歌が甲子園に流れると、球場は「帰れ」「帰れ」の声に包まれた。伴奏も全く聴こえなかった。
あの「帰れ」「帰れ」は忘れもせん。選手たちは一生懸命戦ってくれた。本当によくやった。その選手たちが勝てるように、1%でも確率の高い作戦を選ぶのが監督の仕事というのが自分の信念。それは今でも変わらない。
☟野球部員2人が書類送検の日大三が保護者説明会「何をすれば活動再開?」涙ためて問う人も
https://news.yahoo.co.jp/articles/e1d0ddabf74e4216e3cdb9b5270d9ce356bbba59
児童買春・児童ポルノ禁止法違反(製造や提供)容疑で硬式野球部の男子部員2人が書類送検された日大三(東京)が28日、同校で保護者説明会を開いた。
出席者によると、質疑応答では涙をためながら質問する保護者もおり、書類送検の一報を受けて無期限活動休止中の野球部の再開時期を問う質問も挙がった。「指導者の入れ替えだけでなく、具体的に何を達成すれば部活動再開の道が開けるのか、具体的に生徒に与えてあげないと永遠につらいだけ」などの意見が出た。
保護者説明会は部員が書類送検されてから初めて。「素晴らしかった。学校側の対応に誠意が伝わりました」と受け止める保護者がいた一方で、別の保護者からは「確定的なことが分からないから、消化不良な部分がある」と賛否入り交じった。同校担当者は「詳細は後日ホームページで報告させていただきます。現時点で言えることはここまで」との説明にとどめた。
昨夏の甲子園大会で準優勝した同校は硬式野球部員2人(17歳と16歳)が女子生徒にわいせつ動画を送らせて拡散したなどとして、警視庁が今月12日までに書類送検した。動画は部員二十数人が受け取り、拡散には十数人が関わったとみられている。
東京都高野連は既に学校側から報告書を受け取り、日本高野連にも提出。今後は日本高野連の審議委員会で審議され、仮に対外試合禁止や指導者の謹慎といった処分が必要と判断された場合には、日本学生野球協会の審査室にかけられる。
📝甲子園に「最も出やすい学校」はどこ? 過去20大会のデータから検証
https://news.yahoo.co.jp/articles/1aac2272866f76b82d2ae1b6a151f38fa9cd2d22?page=1
3月19日に開幕する選抜高校野球。前回大会優勝校の横浜(神奈川)や、昨年夏の優勝校である沖縄尚学(沖縄)など強豪校が多い一方で、初出場は帝京長岡(新潟)と21世紀枠の高知農(高知)だけとなっている。近年は加盟校数の減少もあって、甲子園出場校も“寡占化”が進んでいる印象は否めない。
ではそんな中で甲子園出場の可能性が高い学校はどこになるのだろうか。2016年から26年春までの実績をもとに出場回数の多い順に並べてみたところ、以下のような結果となった。ちなみにコロナ禍によって中止となった20年春の選抜高校野球についても、出場1回としてカウントしている。
大阪桐蔭(大阪):14回(春:9回 夏:5回)
山梨学院(山梨):13回(春:7回 夏:6回)
智弁和歌山(和歌山):12回(春:5回 夏:7回)
明徳義塾(高知):12回(春:6回 夏:6回)
敦賀気比(福井):11回(春:6回 夏:5回)
智弁学園(奈良):11回(春:6回 夏:5回)
聖光学院(福島):11回(春:3回 夏:8回)
仙台育英(宮城):10回(春:4回 夏:6回)
明豊(大分):10回(春:4回 夏:6回)
横浜(神奈川):9回(春:3回 夏:6回)
八戸学院光星(青森):9回(春:4回 夏:5回)
花巻東(岩手):9回(春:4回 夏:5回)
広陵(広島):9回(春:4回 夏:5回)
トップは現在の高校野球界の名手と言える大阪桐蔭の14回。優勝回数でもこの10年で春3回、夏1回の合計4回でトップとなっている。過去3年間は勝ち切れないケースも多く、強さに陰りが見られるという声もあるが、今年の選抜でも優勝候補の一角と見られており、まだまだその存在感は絶大である。
2位は近年安定した戦いぶりが目立つ山梨学院がランクインした。清峰(長崎)で2009年春に甲子園優勝を果たした吉田洸二監督が就任した13年以降、メキメキと力をつけており、23年春には山梨県勢で初となる甲子園優勝も達成。今年もドラフト1位候補の菰田陽生(新3年・投手兼内野手)など力のある選手が多く、優勝も狙えるだけの戦力が揃っている。強豪が多い関東でも、甲子園出場という点では頭一つ抜けていると言えるだろう。
3位は伝統校の智弁和歌山と明徳義塾が続いた。智弁和歌山は甲子園通算68勝をあげた高嶋仁監督が2018年夏を最後に退任。NPB経験も長かった中谷仁監督が新たに就任したが、2021年夏に甲子園優勝、2025年春にも準優勝と結果を残している。かつてほどの少数精鋭ではなく、野球のスタイルも以前のようにとにかく打ち勝つものではなくなっているが、その中で存在感を示しているのは見事だ。
一方の明徳義塾も手堅い守備と小技を生かした野球が健在。この春の選抜出場は逃したものの、四国では長く盟主と言える存在となっている。ただ長く指揮を執っている馬淵史郎監督が昨年11月に70歳となっているだけに、監督が交代しても智弁和歌山のように強さを維持できるかに注目だ。
5位以下には9校が並んだが、そのうち聖光学院、仙台育英、八戸学院光星、花巻東と4校が東北勢という結果となった。東北は以前から主に関西出身の選手が越境して入学するケースが多く、そのことが地元のレベルアップにつながっているように見える。中でも仙台育英は2022年夏に東北勢として初の甲子園優勝、翌年にも準優勝と見事な結果を残しており、東北をリードする存在だ。またこれまで基本的に県内出身の選手で戦っていた花巻東も県外の選手を受け入れる判断をしており、これからさらに地区としてのレベルが上がっていくことも期待できそうだ。
それ以外の5校は敦賀気比、智弁学園、明豊、横浜、広陵とそれぞれの地区を代表する強豪が揃った。中でもここへ来てまた強さを見せているのが横浜だ。渡辺元智監督が2015年夏に退任してからは東海大相模に押されている印象だったが、ここ数年はまた有望な選手が多く入学してきており、昨春は19年ぶりの甲子園優勝も果たした。激戦区の神奈川でこの順位にランクインしているというのも強さの証と言えるだろう。
こうして見ると、大阪桐蔭、智弁和歌山、明徳義塾、敦賀気比、聖光学院などが以前から安定している一方で、山梨学院が急浮上し、仙台育英と横浜は復活を見せているという印象だ。そして冒頭でも触れたように、地区によっては東北などのように寡占化が強くなっているところもある。ただ昨年春は創部3年目のエナジックスポーツ(沖縄)が選抜に出場して初勝利をあげて話題となっただけに、また新たな風を吹き込むようなチームが出てくることを期待したい。
📝今春導入、高校野球のDH制 激戦地・神奈川の監督はどう見る、戦術や起用に変化も 将来見据えた指導力も鍵に
https://news.yahoo.co.jp/articles/2702e260b0608a390b9eca3b2d5483b80f82f6bb
日本高野連は第98回選抜高校野球大会から、新たに指名打者(DH)制を導入する。投手の代わりに打席に立ち、守備には就かない打撃専門の選手がいるDH制は投手の健康対策のみならず、選手の出場機会の増加や起用の幅が広がるといったメリットが見込まれる一方、投打の二刀流で活躍する大谷翔平(米大リーグ・ドジャース)のようなたぐいまれな才能が育ちにくくなるのでは、といった声も上がる。新ルールに伴い、変化する戦術や育成方法について神奈川県内の高校監督の見解を聞いた。
■投手への利点
高校野球界ではこれまでも、打球による負傷事故防止などを目的に2024年から採用された低反発の新基準バットや、暑熱対策として現在も議論が重ねられている7イニング制移行など、時代の変化に合わせて現場も変わりつつある。
「うちにとってはメリットでしかない」と話すのは選抜大会に出場する横浜高の村田浩明監督(39)。実際の試合では指名打者の起用の有無は各チームの判断に委ねられることになるが、選手層の厚い同校は基本的に採用する方針という。「(夏の)猛暑やけがのリスクを考えると、投手はすごく助かる。(野手にとっても)肩が痛くて守備に就けない選手をDHで使えば世界が変わるかなと思う」と好意的に捉えている。
昨年、春夏の甲子園に出場したエース織田翔希(新3年)は「投げることだけに気持ちを向けることができる。ただ野手のみんなとの気持ちの差が出てしまうといけない」と言い、打撃練習を継続している。「外野守備に回る場面もあると思う。どんな時でも戦えるように、気持ちは切らしたくない」と冷静に語った。
3月の選抜高校野球大会から新たに導入される指名打者制。時代の変化に合わせたルール変更に、県内の高校監督からもさまざまな意見が出ている。
■DHで出場する難しさ
20年まで富士大で指揮を執り、県内では数少ないDH制での采配を知る武相高の豊田圭史監督(42)は「高校生は慣れるまで大変だと思う」との見解を示した。
その理由に、指名打者が打席に入るまでの準備の難しさを指摘した。「試合に出ているのにベンチにいるわけだから。(ベンチ)裏で素振りをしたり、イメージトレーニングをしたり。練習試合から率先して取り組ませないといけない。守って打ってのリズムでやってきた選手を、大会前にいきなりDHにはしない」と、DH制に合わせた選手指導の必要性を説いた。
■チーム編成
チーム編成にも当然、影響を及ぼす。東海大相模高の長谷川将也コーチ(37)は打撃型の控え捕手をDH起用したケースを例に挙げて、その複雑さを説明した。「スタメンに捕手が2人出場する。夏場は足がつることも増えるので、控えにも2人の捕手が欲しい。すると(ベンチ入り)20人のうち10人をバッテリーが占める。ただ打撃が良いからDHにすれば良いという話ではない」。この場合、内野も守れる捕手など、複数の役割を器用にこなせる選手が今後は重宝されることとなりそうだ。
■私立と公立の差
昨今の野球人口の減少に伴い、部員の確保に苦心する公立校は増えている。DH制の導入は選手層の厚い私立校の方が一般的には有利になるという見方もあり、横浜翠嵐高の飯島佑監督(38)は「確かにそれはあるかもしれない」と前置きし、こう続けた。「DHは打てる選手が座っているだろうというバイアスがある中で、例えば小技や走塁のできる選手を使えば攻撃のアクセントになり得る。また試合時間が2時間あって、4打席回ってきたとしても(打席に立っているのは)3分くらい。その出番に全力で準備できるかが重要」。冷静に試合展開を俯瞰し、自分の出番へ気持ちを整えられる選手の育成を目指している。
■選手の進路にも影響
昨夏の神奈川大会で最多タイ記録の3本塁打を放った横浜の奥村頼人(ロッテ)の本職が投手だったように、打撃が得意な投手の存在も高校野球の醍醐味の一つだ。エースで4番。そういう有能な選手を打席に立たせるかどうか。豊田監督は「(富士大監督時代は)投手を打者で使うという選択肢がなかった。そう考えると高校野球ではまた違った難しさがある」とうなずいた。
豊田監督は高校生をスカウティングしてきた経験を踏まえ、卒業後の球児の進路についても言及した。「大学野球などを見据えるなら、DH専門の選手は厳しいと思う。地方の大学なら声がかかる可能性はあるけど、打つだけの選手は取りづらい」と推測。「高校生が次のステージで活躍する可能性があるかどうか、僕たちがそれを見極めないといけない」とし、今後はさらに指導者の眼力、指導力も問われていきそうだ。
https://www.okayama-hbf.com/uploads/202603/20260301_176939838969a37c47533ab.pdf
6月6日・7日のマスカットで開催される招待野球が気になります!
あとは秋季岡山大会がなぜかしら倉敷市営球場を割愛してマスカット・エイコンの2球場で消化するらしいですが、昨秋もマスカット改装工事で使えず2球場で2試合ずつ消化したので6日間あればできるということですが、3試合日がないのは寂しいですね・・・・・。
🎤【馬淵史郎 我が道1】34年前の松井5敬遠…今だから語ろう 自分でも忘れたことのない試合
https://news.yahoo.co.jp/articles/4a144f085516d32c9f5aab9189027c572303e544
やっぱり、あの話から始まるのか。もういいやろ、というのが正直な気持ちだけどな。昨年11月で古希の70歳になった。星稜戦の時が36歳。もう昔の話や。でもな。学校では教師として日本史を教えていた。歴史とは事実の積み重ね。5敬遠をしたのも、明徳義塾が3―2で勝ったことも事実。もちろん、自分でも忘れたことのない試合だ。
92年(平4)8月16日の甲子園だったな。2回戦の第3試合で明徳義塾と星稜が対戦した。暑い一日だった。試合開始時間は13時12分。日曜日の甲子園は5万5000人の大観衆で埋まっていた。その大観衆が明徳義塾の敵に回るとは、プレーボールの時には思ってもいなかった。
最初の敬遠、2度目の敬遠、そして3度目。星稜の4番・松井秀喜(ヤンキースGM特別アドバイザー)を歩かせるたびに、甲子園の空気が変わっていくのは感じていた。明徳義塾は一塁側ベンチだった。「勝負せんかい」「逃げるんか」の声がさらに大きくなったのは7回だ。2死無走者で4度目の敬遠。ランナーがいない場面でも仕方ない。点差は明徳義塾が3―2でリード。1点差。4番の一発だけは避けないといけない場面だ。サインは決めていた。「俺が腕を組んでいたら、敬遠」と河野和洋―青木貞敏のバッテリーには伝えていた。最初から全打席敬遠と決めてたわけじゃない。もっとリードしていたり、星稜ペースの試合になっていたら勝負は当然していた。でも試合は1点差。1点差で勝ち切るための策に徹するだけだった。
9回2死。勝利まであと一人というところで相手先発の山口哲治くんが左翼越えの三塁打を打った。ならば、こちらもやるしかない。腕をしっかり組んで、5度目の敬遠。甲子園は騒然となった。三塁側アルプスからメガホンやゴミが一斉に投げ込まれ、試合は中断した。
ボールボーイや星稜の選手が拾いに向かった。ウチの控え選手も行かせようとしたら「明徳は行くな」と本部からストップがかかった。中断中、マウンドに集まった選手たちにもヤジが飛ぶ。俺も腕を組んだまま、ベンチ前に立った。「俺が敬遠させたんだ。文句あるなら俺が聞く」――。自分で全てを受け止める。その覚悟だった。
松井が最後に走って、9回2死二、三塁から、5番・月岩信成くんの打球は三塁正面に飛んでゲームセット。再び物が投げ込まれるのが見えた。明徳義塾の校歌が甲子園に流れると、球場は「帰れ」「帰れ」の声に包まれた。伴奏も全く聴こえなかった。
あの「帰れ」「帰れ」は忘れもせん。選手たちは一生懸命戦ってくれた。本当によくやった。その選手たちが勝てるように、1%でも確率の高い作戦を選ぶのが監督の仕事というのが自分の信念。それは今でも変わらない。
☟野球部員2人が書類送検の日大三が保護者説明会「何をすれば活動再開?」涙ためて問う人も
https://news.yahoo.co.jp/articles/e1d0ddabf74e4216e3cdb9b5270d9ce356bbba59
児童買春・児童ポルノ禁止法違反(製造や提供)容疑で硬式野球部の男子部員2人が書類送検された日大三(東京)が28日、同校で保護者説明会を開いた。
出席者によると、質疑応答では涙をためながら質問する保護者もおり、書類送検の一報を受けて無期限活動休止中の野球部の再開時期を問う質問も挙がった。「指導者の入れ替えだけでなく、具体的に何を達成すれば部活動再開の道が開けるのか、具体的に生徒に与えてあげないと永遠につらいだけ」などの意見が出た。
保護者説明会は部員が書類送検されてから初めて。「素晴らしかった。学校側の対応に誠意が伝わりました」と受け止める保護者がいた一方で、別の保護者からは「確定的なことが分からないから、消化不良な部分がある」と賛否入り交じった。同校担当者は「詳細は後日ホームページで報告させていただきます。現時点で言えることはここまで」との説明にとどめた。
昨夏の甲子園大会で準優勝した同校は硬式野球部員2人(17歳と16歳)が女子生徒にわいせつ動画を送らせて拡散したなどとして、警視庁が今月12日までに書類送検した。動画は部員二十数人が受け取り、拡散には十数人が関わったとみられている。
東京都高野連は既に学校側から報告書を受け取り、日本高野連にも提出。今後は日本高野連の審議委員会で審議され、仮に対外試合禁止や指導者の謹慎といった処分が必要と判断された場合には、日本学生野球協会の審査室にかけられる。
📝甲子園に「最も出やすい学校」はどこ? 過去20大会のデータから検証
https://news.yahoo.co.jp/articles/1aac2272866f76b82d2ae1b6a151f38fa9cd2d22?page=1
3月19日に開幕する選抜高校野球。前回大会優勝校の横浜(神奈川)や、昨年夏の優勝校である沖縄尚学(沖縄)など強豪校が多い一方で、初出場は帝京長岡(新潟)と21世紀枠の高知農(高知)だけとなっている。近年は加盟校数の減少もあって、甲子園出場校も“寡占化”が進んでいる印象は否めない。
ではそんな中で甲子園出場の可能性が高い学校はどこになるのだろうか。2016年から26年春までの実績をもとに出場回数の多い順に並べてみたところ、以下のような結果となった。ちなみにコロナ禍によって中止となった20年春の選抜高校野球についても、出場1回としてカウントしている。
大阪桐蔭(大阪):14回(春:9回 夏:5回)
山梨学院(山梨):13回(春:7回 夏:6回)
智弁和歌山(和歌山):12回(春:5回 夏:7回)
明徳義塾(高知):12回(春:6回 夏:6回)
敦賀気比(福井):11回(春:6回 夏:5回)
智弁学園(奈良):11回(春:6回 夏:5回)
聖光学院(福島):11回(春:3回 夏:8回)
仙台育英(宮城):10回(春:4回 夏:6回)
明豊(大分):10回(春:4回 夏:6回)
横浜(神奈川):9回(春:3回 夏:6回)
八戸学院光星(青森):9回(春:4回 夏:5回)
花巻東(岩手):9回(春:4回 夏:5回)
広陵(広島):9回(春:4回 夏:5回)
トップは現在の高校野球界の名手と言える大阪桐蔭の14回。優勝回数でもこの10年で春3回、夏1回の合計4回でトップとなっている。過去3年間は勝ち切れないケースも多く、強さに陰りが見られるという声もあるが、今年の選抜でも優勝候補の一角と見られており、まだまだその存在感は絶大である。
2位は近年安定した戦いぶりが目立つ山梨学院がランクインした。清峰(長崎)で2009年春に甲子園優勝を果たした吉田洸二監督が就任した13年以降、メキメキと力をつけており、23年春には山梨県勢で初となる甲子園優勝も達成。今年もドラフト1位候補の菰田陽生(新3年・投手兼内野手)など力のある選手が多く、優勝も狙えるだけの戦力が揃っている。強豪が多い関東でも、甲子園出場という点では頭一つ抜けていると言えるだろう。
3位は伝統校の智弁和歌山と明徳義塾が続いた。智弁和歌山は甲子園通算68勝をあげた高嶋仁監督が2018年夏を最後に退任。NPB経験も長かった中谷仁監督が新たに就任したが、2021年夏に甲子園優勝、2025年春にも準優勝と結果を残している。かつてほどの少数精鋭ではなく、野球のスタイルも以前のようにとにかく打ち勝つものではなくなっているが、その中で存在感を示しているのは見事だ。
一方の明徳義塾も手堅い守備と小技を生かした野球が健在。この春の選抜出場は逃したものの、四国では長く盟主と言える存在となっている。ただ長く指揮を執っている馬淵史郎監督が昨年11月に70歳となっているだけに、監督が交代しても智弁和歌山のように強さを維持できるかに注目だ。
5位以下には9校が並んだが、そのうち聖光学院、仙台育英、八戸学院光星、花巻東と4校が東北勢という結果となった。東北は以前から主に関西出身の選手が越境して入学するケースが多く、そのことが地元のレベルアップにつながっているように見える。中でも仙台育英は2022年夏に東北勢として初の甲子園優勝、翌年にも準優勝と見事な結果を残しており、東北をリードする存在だ。またこれまで基本的に県内出身の選手で戦っていた花巻東も県外の選手を受け入れる判断をしており、これからさらに地区としてのレベルが上がっていくことも期待できそうだ。
それ以外の5校は敦賀気比、智弁学園、明豊、横浜、広陵とそれぞれの地区を代表する強豪が揃った。中でもここへ来てまた強さを見せているのが横浜だ。渡辺元智監督が2015年夏に退任してからは東海大相模に押されている印象だったが、ここ数年はまた有望な選手が多く入学してきており、昨春は19年ぶりの甲子園優勝も果たした。激戦区の神奈川でこの順位にランクインしているというのも強さの証と言えるだろう。
こうして見ると、大阪桐蔭、智弁和歌山、明徳義塾、敦賀気比、聖光学院などが以前から安定している一方で、山梨学院が急浮上し、仙台育英と横浜は復活を見せているという印象だ。そして冒頭でも触れたように、地区によっては東北などのように寡占化が強くなっているところもある。ただ昨年春は創部3年目のエナジックスポーツ(沖縄)が選抜に出場して初勝利をあげて話題となっただけに、また新たな風を吹き込むようなチームが出てくることを期待したい。
📝今春導入、高校野球のDH制 激戦地・神奈川の監督はどう見る、戦術や起用に変化も 将来見据えた指導力も鍵に
https://news.yahoo.co.jp/articles/2702e260b0608a390b9eca3b2d5483b80f82f6bb
日本高野連は第98回選抜高校野球大会から、新たに指名打者(DH)制を導入する。投手の代わりに打席に立ち、守備には就かない打撃専門の選手がいるDH制は投手の健康対策のみならず、選手の出場機会の増加や起用の幅が広がるといったメリットが見込まれる一方、投打の二刀流で活躍する大谷翔平(米大リーグ・ドジャース)のようなたぐいまれな才能が育ちにくくなるのでは、といった声も上がる。新ルールに伴い、変化する戦術や育成方法について神奈川県内の高校監督の見解を聞いた。
■投手への利点
高校野球界ではこれまでも、打球による負傷事故防止などを目的に2024年から採用された低反発の新基準バットや、暑熱対策として現在も議論が重ねられている7イニング制移行など、時代の変化に合わせて現場も変わりつつある。
「うちにとってはメリットでしかない」と話すのは選抜大会に出場する横浜高の村田浩明監督(39)。実際の試合では指名打者の起用の有無は各チームの判断に委ねられることになるが、選手層の厚い同校は基本的に採用する方針という。「(夏の)猛暑やけがのリスクを考えると、投手はすごく助かる。(野手にとっても)肩が痛くて守備に就けない選手をDHで使えば世界が変わるかなと思う」と好意的に捉えている。
昨年、春夏の甲子園に出場したエース織田翔希(新3年)は「投げることだけに気持ちを向けることができる。ただ野手のみんなとの気持ちの差が出てしまうといけない」と言い、打撃練習を継続している。「外野守備に回る場面もあると思う。どんな時でも戦えるように、気持ちは切らしたくない」と冷静に語った。
3月の選抜高校野球大会から新たに導入される指名打者制。時代の変化に合わせたルール変更に、県内の高校監督からもさまざまな意見が出ている。
■DHで出場する難しさ
20年まで富士大で指揮を執り、県内では数少ないDH制での采配を知る武相高の豊田圭史監督(42)は「高校生は慣れるまで大変だと思う」との見解を示した。
その理由に、指名打者が打席に入るまでの準備の難しさを指摘した。「試合に出ているのにベンチにいるわけだから。(ベンチ)裏で素振りをしたり、イメージトレーニングをしたり。練習試合から率先して取り組ませないといけない。守って打ってのリズムでやってきた選手を、大会前にいきなりDHにはしない」と、DH制に合わせた選手指導の必要性を説いた。
■チーム編成
チーム編成にも当然、影響を及ぼす。東海大相模高の長谷川将也コーチ(37)は打撃型の控え捕手をDH起用したケースを例に挙げて、その複雑さを説明した。「スタメンに捕手が2人出場する。夏場は足がつることも増えるので、控えにも2人の捕手が欲しい。すると(ベンチ入り)20人のうち10人をバッテリーが占める。ただ打撃が良いからDHにすれば良いという話ではない」。この場合、内野も守れる捕手など、複数の役割を器用にこなせる選手が今後は重宝されることとなりそうだ。
■私立と公立の差
昨今の野球人口の減少に伴い、部員の確保に苦心する公立校は増えている。DH制の導入は選手層の厚い私立校の方が一般的には有利になるという見方もあり、横浜翠嵐高の飯島佑監督(38)は「確かにそれはあるかもしれない」と前置きし、こう続けた。「DHは打てる選手が座っているだろうというバイアスがある中で、例えば小技や走塁のできる選手を使えば攻撃のアクセントになり得る。また試合時間が2時間あって、4打席回ってきたとしても(打席に立っているのは)3分くらい。その出番に全力で準備できるかが重要」。冷静に試合展開を俯瞰し、自分の出番へ気持ちを整えられる選手の育成を目指している。
■選手の進路にも影響
昨夏の神奈川大会で最多タイ記録の3本塁打を放った横浜の奥村頼人(ロッテ)の本職が投手だったように、打撃が得意な投手の存在も高校野球の醍醐味の一つだ。エースで4番。そういう有能な選手を打席に立たせるかどうか。豊田監督は「(富士大監督時代は)投手を打者で使うという選択肢がなかった。そう考えると高校野球ではまた違った難しさがある」とうなずいた。
豊田監督は高校生をスカウティングしてきた経験を踏まえ、卒業後の球児の進路についても言及した。「大学野球などを見据えるなら、DH専門の選手は厳しいと思う。地方の大学なら声がかかる可能性はあるけど、打つだけの選手は取りづらい」と推測。「高校生が次のステージで活躍する可能性があるかどうか、僕たちがそれを見極めないといけない」とし、今後はさらに指導者の眼力、指導力も問われていきそうだ。
📝紀三井寺公園 年間スケジュール
https://www.kimiidera-park.com/%E5%B9%B4%E9%96%93%E4%BA%88%E7%B4%84%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB/#gsc.tab=0
これで察するに・・・夏の和歌山大会は7/10開会式。試合は7/11~27のようです。
春・新人戦・秋の公式戦準々決勝はいずれも2日間に分散され開催のようで4試合日はあるとすれば大会序盤になるのかな?????
あとはカンドクで4~8月まで堺が17試合。和歌山が16試合取材ゲームを実施する模様です。
🍱球団創設20周年記念イベント第1弾 選手コラボ弁当のお知らせ!
https://www.m-stars.jp/3831/
株式会社石川ミリオンスターズは、球団創設20周年を記念してホーム開幕戦より選手コラボ弁当を販売することをお知らせします。
球団創設20周年記念 選手コラボ弁当
概要:選手からのアンケート・試食などを実施した上で調理し完成させ販売いたします。
協力:株式会社五つ星
販売開始日:2026年5月5日(火・祝)13時プレイボール@金沢市民野球場
石川ミリオンスターズ vs 滋賀ハイジャンプス
※ホーム会場で全試合グッズ売場にて販売予定。
備考:お弁当のラインナップなどは、4月下旬頃に発表いたします。
👣元大リーガー・野茂英雄さん設立「NOMOクラブ」今季の活動休止…選手獲得によるチーム編成難しく
https://news.yahoo.co.jp/articles/bf409d1bef5165eb7041ffe111bb8716262c6ebd
元大リーガーの野茂英雄さん(57)が設立した社会人野球チーム「NOMOベースボールクラブ」が今季の活動休止を決めたことがわかった。拠点とする兵庫県豊岡市の門間雄司市長が27日に開会した市議会で明らかにした。
2003年に設立。13年に堺市から豊岡市に拠点を移し、プロ選手も輩出した。門間市長によると、近年は選手獲得によるチーム編成が難しくなっていたという。今月上旬、SNSで活動休止を発表した。市によると、豊岡市内に引き続き球団事務所を置き、来季以降の活動再開を目指す。門間市長は「再びチームが躍動する姿が見られることを期待している」と語った。
📝“肩重い”発言にまさかの返答「何gか量ってこい」 連投先発当たり前…忘れぬ昭和の酷使
https://news.yahoo.co.jp/articles/40833b31b578c237ae2596605952688a95980072?page=1
甲子園のヒーロー、太田幸司氏は4年目に立場を確立
“元祖甲子園アイドル右腕”太田幸司氏(野球評論家)は近鉄入りして4年目の1973年シーズンに初めて規定投球回に到達した。40登板(28先発)、192回を投げて6勝14敗、防御率3.23。スライダー、シュートを軸にした新しい投球スタイルを確立させ、チームが最下位に沈んだ中での“奮投”でもあった。オールスターゲームには4年連続で出場したが、この年はファン投票ではなく、監督推薦で選出されたことも思い出深いという。
プロ4年目の太田氏は開幕4戦目の4月18日の太平洋戦(平和台)に先発した。この年の近鉄は開幕からエース・鈴木啓示投手、前年10勝の佐々木宏一郎投手、前年19勝の清俊彦投手の順に先発。そんな実績ある先輩投手たちに続く“第4の男”としてのマウンドだった。人気先行の起用ではなく、2年目のオフから投球フォームをスリークオーター気味にするなど取り組んできたことが、実を結んでの抜擢。敗戦投手にはなったものの、7回1失点の好投も見せた。
「あの頃の先発投手は週に2回放っていた。今みたいに6人も7人もローテーションピッチャーはいない。4人くらいで回すから若いピッチャーなんかはよっぽど日程が迫っているか、調子が悪いローテーションピッチャーが出て来ない限り(先発に)入る隙間がなかったんです。そういった意味では(開幕)4戦目に投げさせてもらったというのは、結構、期待されているな、みたいには思いましたね。自分もピッチングに自信を持ち始めていた頃だったんでね」
当時のパ・リーグは前期、後期の2シーズン制(1973年から1982年まで)。この年の近鉄はいずれも最下位に低迷し、後期終盤には岩本堯監督が休養する事態にもなった。「あの年はチーム状態が悪くてね。僕は6勝14敗かな。防御率は3点ちょっとくらいだったけど(打線が)なかなか点を取れなくてねぇ。内容的にはもうちょっと勝ってもいいかなという感じのシーズンでしたね。でも、どんどん投げさせてもらったんで勝ち星以上に自信がつきましたね」。
実際、投げまくった。中3日登板が当たり前の時代。中1日でリリーフして、連投で先発というケースもあった。「あの頃は『ちょっと肩が重いんですけど』とピッチングコーチに言っても『重い? 何グラムあるか、量ってこい』とか言われたりね。『ここで実績を作ってローテーションにガチっと入らないといけないから、今頑張れ』ってよく尻を叩かれましたよ」。不思議なことに体もそれに慣れていったそうだ。
入団4年目は初の監督推薦で球宴選出「一人前になったな」
「たまに雨で先発がスライドになったりとか(登板)間隔が空くと逆に嫌でしたよ。それこそ(日程上)1週間近く空くと、肩は軽いんだけどなんかね……。みんなそうだったんじゃないですかねぇ。当時の人が今の時代にタイムスリップして(中6日などで)投げたら、うまくいかないんじゃないかなぁ。本当か、って思われるでしょうけど、中3日くらいで少し肩に張りが残っているくらいがちょうどいいくらいでしたよ」
勝ち星にはなかなか恵まれなかった4年目の太田氏だが、5月23日のロッテ戦(宮城)ではプロ初完封勝利でシーズン2勝目を挙げた。「仙台の球場は(三沢)高校時代に東北大会で唯一負けた試合があったところ。そこで完封したんですよね。あの日はダブルヘッダー第1試合で鈴木さんが完封勝利。それも(12-0の)大量点で勝った。そういう試合の後ってやられるパターンだから嫌だなと思っていたんですけど、あれって感じで完封できたんですよ」。
この試合も、もちろん中3日での先発。「とにかく投げさせてもらえるのがうれしくてね」と振り返ったが、この年、さらにうれしかったのが球宴に監督推薦で選出されたことだったという。超人気者の右腕はプロ入り以来、3年連続ファン投票で選出されていたが、この年のパ・リーグ投手部門1位は巨人から南海に移籍して前半だけで14勝、最終的には20勝をマークした山内新一投手だった。
太田氏の前半成績は4勝6敗だったが「(全パの)監督が阪急の西本(幸雄)さん。僕、結構、阪急戦に強かったんですよ。大体6回くらいまでは抑えてね。今だったらセットアッパーとか抑えがいるけど、あの頃の先発は打たれるまでいくから、最後はつかまって負けたりしたけど、内容を見てくれたのかなと思う」と話す。「ファン投票をどうこうじゃなく、ファンにはとても感謝していますけど、監督推薦で選ばれて、ようやく何か一人前になったなって。それ、すごく覚えていますね」と笑みもこぼした。
その球宴では第1戦(7月21日、神宮)に5番手で投げて1/3回を3失点と結果を残せなかったものの、その場にいたことを誇りに思って、後半戦も腕を振り続けた。6勝14敗と大きく負け越しても、確実に成長している自身を感じ取った。人気も相変わらずで、どこへいっても黄色い声援を受けたが、そこに実力がプラスされていった。
📝初の2桁も「大して上がらなかった」 チーム低迷で渋かった契約更改…超人気ドラ1の悲哀
https://news.yahoo.co.jp/articles/4321d240982e39628456275cecda7c0923847395?page=1
杉浦忠投手コーチの助言で覚醒「太田、ちょっと力が入ってきたぞ、力を抜け!」
元近鉄投手の太田幸司氏(野球評論家)はプロ5年目の1974年シーズンで初の2桁となる10勝をマークした。青森・三沢高時代に甲子園を沸かした“国民的スター右腕”が決して人気だけではないところを見せつけた。それは無我夢中で投げ続けた結果でもあった。この年から近鉄は西本幸雄監督体制がスタート。新たに投手コーチに就任した元南海の大エース・杉浦忠氏には「すごく助けてもらいました」と感謝した。
4年目(1973年)に6勝14敗ながら、28先発を含む40登板をこなし、規定投球回にも到達するなど、いよいよプロでも力を発揮しはじめた太田氏は、5年目のキャンプ、オープン戦も順調に乗り越えた。「いつも阪神と定期戦があって、この年はそこでいいピッチングをしたんだけど、(当時新人の)掛布(雅之内野手)はインパクトがありましたねぇ。代打で出てきて外のシュートをレフトポール際ワンバウンドでフェンスに当たる打球。これが高校生のバッティングかって思いましたよ」。
のちのミスタータイガースの若かりし頃の姿にも刺激を受けて、太田氏はシーズンに突入し、勝ち星をさらに増やした。阪急監督時代に5度のリーグ優勝を成し遂げた西本氏がこの年から近鉄監督に就任。その名将の下で、43登板(26先発)10勝14敗2セーブ。ついに2桁勝利をマークする主力投手になった。また進化したが、これには新任の杉浦投手コーチの存在も大きかったという。
「杉浦さんは難しい技術のことは何も言わない。『太田、ちょっと力が入ってきたぞ、力を抜け!』とか、マウンドから降りるたびにそういうことを言われたんです。“こう投げて、こう”ではなく、全体を見て『ちょっと投げ急いでいるよ』みたいなことを常にね」。1959年に38勝を挙げるなど南海の大エースだった杉浦氏の的確なアドバイスによって、より安定感ある投球ができるようになって、それが勝ち星にもつながったのだ。
とはいえ、なかなかハードな起用をクリアしてのことでもあった。シーズン初登板は開幕2戦目(4月7日、南海戦)でのリリーフ。7回途中から2番手でマウンドに上がり、1回2/3、1失点で勝利投手となったが、そこから中2日で4月10日のロッテ戦(後楽園)に先発して4回0/3、4失点で今度は敗戦投手になった。いきなり、こんな形でスタートし、その後も先発ローテーション投手でありながら、リリーフでも投げる“二刀流”でフル回転だ。
「今だったら、そんなのはシーズンの最後の最後とか、クライマックスシリーズとかならわかるけど、って話でしょうけどね。『たぶん今日は(出番が)ないけど、ベンチには入っておけ』みたいなことを(首脳陣に)言われて、入っていたら、出番が来た、ってことはよくありましたから。まあ、あの頃は先発して早い回で降板したら、次の日は絶対ベンチ入りでしたけどね」
プロ5年で4度目のファン投票でオールスター…2回無失点で勝利投手
5月28日の阪急戦(西宮)に中2日で先発して7回5失点で5勝目を挙げると、中1日で5月30日の同カードにリリーフして1回無失点。翌5月31日のロッテ戦(川崎)には連投で7回からマウンドに上がり、3回無失点でプロ初セーブを記録した。他にも似たケースがいくつもあり、時代が違うと言ってしまえば、それまでだが、かなり肩、肘には負担がかかっていたことだろう。
「セーブにしても、あの頃、セーブって感覚が全くなかったんで、どこでついたんだろうなって思っていたくらいですよ」と太田氏は言う。まさに無我夢中の結果で過酷な登板間隔についても「僕だけじゃなかったんでねぇ。全然覚えてもいないけど、振り返れば、結構ハードなことをやっていたんだなぁって感じですね。そんなにやっていたんだなぁって、なんかうれしいですよ。まぁまぁ、最終的には肩を壊しましたけどね」と笑いながら話した。
シーズン前半は5勝9敗。オールスターゲームにはファン投票で選出された。前年(1973年)は監督推薦での出場で、入団以来3年続いたファン投票選出がストップしたが、1年でまた、その座に返り咲いたのだから、いかに太田氏の人気が高かったかがわかるところだ。ただし、最初の3年とは違って近鉄の先発ローテーション投手としての力を見せながらの選出。球宴第2戦(7月22日、西宮)では6回から3番手で登板して2回無失点で勝利投手にもなった。
打者7人に投げて1安打しか許さなかった。「西宮球場ですよね。優秀選手賞だったか、何かもらいましたよ。あの年は(巨人内野手の)長嶋(茂雄)さんが(現役)最後。センターフライだったかな」。それもまた成長の証しだった。そしてシーズン終盤の9月24日の阪急戦(日生)に先発して7回1失点投球で10勝目に到達した。これも9月22日の阪急戦(西宮)2番手で3回無失点リリーフしてから中1日でのことだった。
「10勝までには結構(日数が)かかったんじゃないかなぁ。プレッシャーがあったのかわかりませんけどね」と太田氏は話したが、超人気者として大騒ぎされながらも高卒5年目で2桁勝利をつかんだのだから感慨深いものもあったはずだ。しかしながら、チームは前期5位、後期4位のシーズン5位で「10勝しても年俸は大して上がりませんでしたけどね。10勝も3年続けて初めて、という時代でしたしね」。さらに上を目指しての挑戦が続いた。
📝立地だけではない東京ドームの圧倒的価値 今や国際試合の聖地に 巨人の築地「完全移転」は考えづらい理由
https://news.yahoo.co.jp/articles/1dba8ade5414ce55f34f0c5afb2ea7f5e303ad28?page=1
東京ドーム(以下東京D)は、今や日本を代表する野球場になった。開場から時間も経過しており、老朽化や快適性の低さを指摘する声もある。しかしWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)やMLB日本開幕戦で必ず使用されるなど、欠かせない“箱”なのは間違いない。
WBC開幕までカウントダウンに入ってきた。日本代表・侍ジャパンが入った1次リーグ・プールCは、3月5日から東京Dで行われる。エスコンフィールド(北海道)などの他球場も開催に積極的だったようだが、従来通りとなった。
「球場施設や見た目を考えれば、エスコンなどの方が印象も良いだろう。しかし、東京Dの立地に勝る球場はない。海外チームの移動や滞在期間の利便性を考えると、選択肢は1つになる」(スポーツマーケティング会社関係者)
「『選手の体調面を考慮して、人工芝ではないエスコンや甲子園にすべき』という声も聞かれる(エスコンの内野は人工芝)。しかし通常シーズンのような長丁場ならともかく、WBCのような短期決戦なら問題ない。何より東京開催なら、海外を含めた出場チームの移動負担が減るのも助かる」(元侍ジャパンスタッフ)
WBCに先立っての侍ジャパン強化試合は、バンテリンドーム(名古屋)と京セラドーム(大阪)での開催。宮崎キャンプを行ったチームは、上京途中で実戦を重ねられる。しかし来日が必要な他国は、東京D以外での試合となった場合、日本入国時の空港を含めて移動の労力もかかる。
東京Dに対する苦言は、球場老朽化が理由の場合が多い。1988年開場で、国内では甲子園(1924年)、神宮(1926年)、横浜(1978年)、ベルーナドーム(1979年)に次ぐ5番目の古さ。甲子園、横浜、ベルーナDは大規模改修を行い、神宮も新球場建設が決定。「東京Dは古い球場」の印象が付きまとう。
「球場の建て替えやリニューアルをする理由は、主に安全性と観戦環境向上の2点。東京Dの安全性に関しては耐震強化等も行っており心配はない。ファンからの不評のほとんどが、座席間の狭さ(観戦環境の悪さ)にある」(スポーツマーケティング会社関係者)
東京Dの座席間は、開場以来、ほぼ同じで変わらない。日本人の体型も設計当時から大型化しており、不評を買うのも理解できる。また近年は海外からの観光客が野球観戦に訪れる機会も激増、「時代に即していない球場」の声も聞かれる。加えてグラウンド内に関しても、『左・右中間の膨らみが少なく本塁打が出やすい』という指摘も聞かれる。かつては“ドームラン”という言葉も流行った。他球場ではフェンスを越えないような打球が、簡単に本塁打になることを揶揄したものだ。
「投高打低が進み、ホームランテラス(ラグーン)を設置する球場も多い。東京Dと同サイズの球場も増えており、ある意味で時代が追いついてきたとも言える(笑)」(巨人OB)
本塁打が出ないことが逆に問題視され、改修に着手する球場が出始めた。今年からバンテリンDは東京Dと似たサイズになったほどだ。
「(東京Dは)音響設備も最新式のものが導入されており、スタンド最後部や外野席にも高音質の音を届けられる。アリーナ席も設置する音楽イベントで4万人以上を動員しても、入退場時の動線をしっかり確保できる。大規模イベントになる程、強みを発揮できる箱」(スポーツマーケティング会社関係者)
音響面に加え、外野席上部を横断する形で大型ビジョンも設置されている。どのようなイベントでも、視覚・聴覚を駆使して楽しめる造りは好評だ。また周辺にはJR、地下鉄等の駅が複数あり、混雑が最低限に抑えられるのも大きい。
「『巨人の本拠地移転』が何度となく話に上がるが、これだけアドバンテージがある箱を手放すのは考えられない。古さは感じるが、時代に合わせてリノベーションをすれば良い。座席数を減らすなどして、観客にとって快適なスタンドへ改修すれば、批判の声も激減すると思う」(巨人OB)
築地市場跡地(東京・中央区)に、約5万人収容の多目的スタジアム建設が発表された。プロジェクトチームに読売新聞社が入っていることから、『巨人が移転するのでは』という声も聞こえる。しかしビジネス面を考えれば、「東京Dからの完全移転は考えられないのでは…」(巨人OB)といったところだろう。
「東京Dが盛り上がった時の大歓声は、グラウンドにいると鳥肌が立つほど。チームにとって大きな力になっている。もちろん観客の方々には、快適な環境で楽しんでもらいたいです」(元侍ジャパンスタッフ)
「国際試合はこの先も東京Dで行われると思う。ネガティブな意見をなくすためにも、座席数を減らしてでもスタンドの快適性を高めて欲しい。その分だけチケット代金が上がっても、ファンの方々は喜んで払ってくれると思います」(スポーツマーケティング会社関係者)
侍ジャパンは2月から強化試合を重ねているが、満員状態が続いている。「人気沸騰している今こそ、観戦環境向上という形でファンに還元すべき」(スポーツマーケティング会社関係者)という意見にも納得だ。
2026年は冬季五輪、サッカーW杯など、スポーツのビッグイベントが目白押しだ。侍ジャパンも大会2連覇という最高の結果を見せてもらいたい。そしてこの先も行われる野球界のビッグイベントのためにも、侍ジャパンの聖地・東京Dがさらに進化することを願いたい。
https://www.kimiidera-park.com/%E5%B9%B4%E9%96%93%E4%BA%88%E7%B4%84%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB/#gsc.tab=0
これで察するに・・・夏の和歌山大会は7/10開会式。試合は7/11~27のようです。
春・新人戦・秋の公式戦準々決勝はいずれも2日間に分散され開催のようで4試合日はあるとすれば大会序盤になるのかな?????
あとはカンドクで4~8月まで堺が17試合。和歌山が16試合取材ゲームを実施する模様です。
🍱球団創設20周年記念イベント第1弾 選手コラボ弁当のお知らせ!
https://www.m-stars.jp/3831/
株式会社石川ミリオンスターズは、球団創設20周年を記念してホーム開幕戦より選手コラボ弁当を販売することをお知らせします。
球団創設20周年記念 選手コラボ弁当
概要:選手からのアンケート・試食などを実施した上で調理し完成させ販売いたします。
協力:株式会社五つ星
販売開始日:2026年5月5日(火・祝)13時プレイボール@金沢市民野球場
石川ミリオンスターズ vs 滋賀ハイジャンプス
※ホーム会場で全試合グッズ売場にて販売予定。
備考:お弁当のラインナップなどは、4月下旬頃に発表いたします。
👣元大リーガー・野茂英雄さん設立「NOMOクラブ」今季の活動休止…選手獲得によるチーム編成難しく
https://news.yahoo.co.jp/articles/bf409d1bef5165eb7041ffe111bb8716262c6ebd
元大リーガーの野茂英雄さん(57)が設立した社会人野球チーム「NOMOベースボールクラブ」が今季の活動休止を決めたことがわかった。拠点とする兵庫県豊岡市の門間雄司市長が27日に開会した市議会で明らかにした。
2003年に設立。13年に堺市から豊岡市に拠点を移し、プロ選手も輩出した。門間市長によると、近年は選手獲得によるチーム編成が難しくなっていたという。今月上旬、SNSで活動休止を発表した。市によると、豊岡市内に引き続き球団事務所を置き、来季以降の活動再開を目指す。門間市長は「再びチームが躍動する姿が見られることを期待している」と語った。
📝“肩重い”発言にまさかの返答「何gか量ってこい」 連投先発当たり前…忘れぬ昭和の酷使
https://news.yahoo.co.jp/articles/40833b31b578c237ae2596605952688a95980072?page=1
甲子園のヒーロー、太田幸司氏は4年目に立場を確立
“元祖甲子園アイドル右腕”太田幸司氏(野球評論家)は近鉄入りして4年目の1973年シーズンに初めて規定投球回に到達した。40登板(28先発)、192回を投げて6勝14敗、防御率3.23。スライダー、シュートを軸にした新しい投球スタイルを確立させ、チームが最下位に沈んだ中での“奮投”でもあった。オールスターゲームには4年連続で出場したが、この年はファン投票ではなく、監督推薦で選出されたことも思い出深いという。
プロ4年目の太田氏は開幕4戦目の4月18日の太平洋戦(平和台)に先発した。この年の近鉄は開幕からエース・鈴木啓示投手、前年10勝の佐々木宏一郎投手、前年19勝の清俊彦投手の順に先発。そんな実績ある先輩投手たちに続く“第4の男”としてのマウンドだった。人気先行の起用ではなく、2年目のオフから投球フォームをスリークオーター気味にするなど取り組んできたことが、実を結んでの抜擢。敗戦投手にはなったものの、7回1失点の好投も見せた。
「あの頃の先発投手は週に2回放っていた。今みたいに6人も7人もローテーションピッチャーはいない。4人くらいで回すから若いピッチャーなんかはよっぽど日程が迫っているか、調子が悪いローテーションピッチャーが出て来ない限り(先発に)入る隙間がなかったんです。そういった意味では(開幕)4戦目に投げさせてもらったというのは、結構、期待されているな、みたいには思いましたね。自分もピッチングに自信を持ち始めていた頃だったんでね」
当時のパ・リーグは前期、後期の2シーズン制(1973年から1982年まで)。この年の近鉄はいずれも最下位に低迷し、後期終盤には岩本堯監督が休養する事態にもなった。「あの年はチーム状態が悪くてね。僕は6勝14敗かな。防御率は3点ちょっとくらいだったけど(打線が)なかなか点を取れなくてねぇ。内容的にはもうちょっと勝ってもいいかなという感じのシーズンでしたね。でも、どんどん投げさせてもらったんで勝ち星以上に自信がつきましたね」。
実際、投げまくった。中3日登板が当たり前の時代。中1日でリリーフして、連投で先発というケースもあった。「あの頃は『ちょっと肩が重いんですけど』とピッチングコーチに言っても『重い? 何グラムあるか、量ってこい』とか言われたりね。『ここで実績を作ってローテーションにガチっと入らないといけないから、今頑張れ』ってよく尻を叩かれましたよ」。不思議なことに体もそれに慣れていったそうだ。
入団4年目は初の監督推薦で球宴選出「一人前になったな」
「たまに雨で先発がスライドになったりとか(登板)間隔が空くと逆に嫌でしたよ。それこそ(日程上)1週間近く空くと、肩は軽いんだけどなんかね……。みんなそうだったんじゃないですかねぇ。当時の人が今の時代にタイムスリップして(中6日などで)投げたら、うまくいかないんじゃないかなぁ。本当か、って思われるでしょうけど、中3日くらいで少し肩に張りが残っているくらいがちょうどいいくらいでしたよ」
勝ち星にはなかなか恵まれなかった4年目の太田氏だが、5月23日のロッテ戦(宮城)ではプロ初完封勝利でシーズン2勝目を挙げた。「仙台の球場は(三沢)高校時代に東北大会で唯一負けた試合があったところ。そこで完封したんですよね。あの日はダブルヘッダー第1試合で鈴木さんが完封勝利。それも(12-0の)大量点で勝った。そういう試合の後ってやられるパターンだから嫌だなと思っていたんですけど、あれって感じで完封できたんですよ」。
この試合も、もちろん中3日での先発。「とにかく投げさせてもらえるのがうれしくてね」と振り返ったが、この年、さらにうれしかったのが球宴に監督推薦で選出されたことだったという。超人気者の右腕はプロ入り以来、3年連続ファン投票で選出されていたが、この年のパ・リーグ投手部門1位は巨人から南海に移籍して前半だけで14勝、最終的には20勝をマークした山内新一投手だった。
太田氏の前半成績は4勝6敗だったが「(全パの)監督が阪急の西本(幸雄)さん。僕、結構、阪急戦に強かったんですよ。大体6回くらいまでは抑えてね。今だったらセットアッパーとか抑えがいるけど、あの頃の先発は打たれるまでいくから、最後はつかまって負けたりしたけど、内容を見てくれたのかなと思う」と話す。「ファン投票をどうこうじゃなく、ファンにはとても感謝していますけど、監督推薦で選ばれて、ようやく何か一人前になったなって。それ、すごく覚えていますね」と笑みもこぼした。
その球宴では第1戦(7月21日、神宮)に5番手で投げて1/3回を3失点と結果を残せなかったものの、その場にいたことを誇りに思って、後半戦も腕を振り続けた。6勝14敗と大きく負け越しても、確実に成長している自身を感じ取った。人気も相変わらずで、どこへいっても黄色い声援を受けたが、そこに実力がプラスされていった。
📝初の2桁も「大して上がらなかった」 チーム低迷で渋かった契約更改…超人気ドラ1の悲哀
https://news.yahoo.co.jp/articles/4321d240982e39628456275cecda7c0923847395?page=1
杉浦忠投手コーチの助言で覚醒「太田、ちょっと力が入ってきたぞ、力を抜け!」
元近鉄投手の太田幸司氏(野球評論家)はプロ5年目の1974年シーズンで初の2桁となる10勝をマークした。青森・三沢高時代に甲子園を沸かした“国民的スター右腕”が決して人気だけではないところを見せつけた。それは無我夢中で投げ続けた結果でもあった。この年から近鉄は西本幸雄監督体制がスタート。新たに投手コーチに就任した元南海の大エース・杉浦忠氏には「すごく助けてもらいました」と感謝した。
4年目(1973年)に6勝14敗ながら、28先発を含む40登板をこなし、規定投球回にも到達するなど、いよいよプロでも力を発揮しはじめた太田氏は、5年目のキャンプ、オープン戦も順調に乗り越えた。「いつも阪神と定期戦があって、この年はそこでいいピッチングをしたんだけど、(当時新人の)掛布(雅之内野手)はインパクトがありましたねぇ。代打で出てきて外のシュートをレフトポール際ワンバウンドでフェンスに当たる打球。これが高校生のバッティングかって思いましたよ」。
のちのミスタータイガースの若かりし頃の姿にも刺激を受けて、太田氏はシーズンに突入し、勝ち星をさらに増やした。阪急監督時代に5度のリーグ優勝を成し遂げた西本氏がこの年から近鉄監督に就任。その名将の下で、43登板(26先発)10勝14敗2セーブ。ついに2桁勝利をマークする主力投手になった。また進化したが、これには新任の杉浦投手コーチの存在も大きかったという。
「杉浦さんは難しい技術のことは何も言わない。『太田、ちょっと力が入ってきたぞ、力を抜け!』とか、マウンドから降りるたびにそういうことを言われたんです。“こう投げて、こう”ではなく、全体を見て『ちょっと投げ急いでいるよ』みたいなことを常にね」。1959年に38勝を挙げるなど南海の大エースだった杉浦氏の的確なアドバイスによって、より安定感ある投球ができるようになって、それが勝ち星にもつながったのだ。
とはいえ、なかなかハードな起用をクリアしてのことでもあった。シーズン初登板は開幕2戦目(4月7日、南海戦)でのリリーフ。7回途中から2番手でマウンドに上がり、1回2/3、1失点で勝利投手となったが、そこから中2日で4月10日のロッテ戦(後楽園)に先発して4回0/3、4失点で今度は敗戦投手になった。いきなり、こんな形でスタートし、その後も先発ローテーション投手でありながら、リリーフでも投げる“二刀流”でフル回転だ。
「今だったら、そんなのはシーズンの最後の最後とか、クライマックスシリーズとかならわかるけど、って話でしょうけどね。『たぶん今日は(出番が)ないけど、ベンチには入っておけ』みたいなことを(首脳陣に)言われて、入っていたら、出番が来た、ってことはよくありましたから。まあ、あの頃は先発して早い回で降板したら、次の日は絶対ベンチ入りでしたけどね」
プロ5年で4度目のファン投票でオールスター…2回無失点で勝利投手
5月28日の阪急戦(西宮)に中2日で先発して7回5失点で5勝目を挙げると、中1日で5月30日の同カードにリリーフして1回無失点。翌5月31日のロッテ戦(川崎)には連投で7回からマウンドに上がり、3回無失点でプロ初セーブを記録した。他にも似たケースがいくつもあり、時代が違うと言ってしまえば、それまでだが、かなり肩、肘には負担がかかっていたことだろう。
「セーブにしても、あの頃、セーブって感覚が全くなかったんで、どこでついたんだろうなって思っていたくらいですよ」と太田氏は言う。まさに無我夢中の結果で過酷な登板間隔についても「僕だけじゃなかったんでねぇ。全然覚えてもいないけど、振り返れば、結構ハードなことをやっていたんだなぁって感じですね。そんなにやっていたんだなぁって、なんかうれしいですよ。まぁまぁ、最終的には肩を壊しましたけどね」と笑いながら話した。
シーズン前半は5勝9敗。オールスターゲームにはファン投票で選出された。前年(1973年)は監督推薦での出場で、入団以来3年続いたファン投票選出がストップしたが、1年でまた、その座に返り咲いたのだから、いかに太田氏の人気が高かったかがわかるところだ。ただし、最初の3年とは違って近鉄の先発ローテーション投手としての力を見せながらの選出。球宴第2戦(7月22日、西宮)では6回から3番手で登板して2回無失点で勝利投手にもなった。
打者7人に投げて1安打しか許さなかった。「西宮球場ですよね。優秀選手賞だったか、何かもらいましたよ。あの年は(巨人内野手の)長嶋(茂雄)さんが(現役)最後。センターフライだったかな」。それもまた成長の証しだった。そしてシーズン終盤の9月24日の阪急戦(日生)に先発して7回1失点投球で10勝目に到達した。これも9月22日の阪急戦(西宮)2番手で3回無失点リリーフしてから中1日でのことだった。
「10勝までには結構(日数が)かかったんじゃないかなぁ。プレッシャーがあったのかわかりませんけどね」と太田氏は話したが、超人気者として大騒ぎされながらも高卒5年目で2桁勝利をつかんだのだから感慨深いものもあったはずだ。しかしながら、チームは前期5位、後期4位のシーズン5位で「10勝しても年俸は大して上がりませんでしたけどね。10勝も3年続けて初めて、という時代でしたしね」。さらに上を目指しての挑戦が続いた。
📝立地だけではない東京ドームの圧倒的価値 今や国際試合の聖地に 巨人の築地「完全移転」は考えづらい理由
https://news.yahoo.co.jp/articles/1dba8ade5414ce55f34f0c5afb2ea7f5e303ad28?page=1
東京ドーム(以下東京D)は、今や日本を代表する野球場になった。開場から時間も経過しており、老朽化や快適性の低さを指摘する声もある。しかしWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)やMLB日本開幕戦で必ず使用されるなど、欠かせない“箱”なのは間違いない。
WBC開幕までカウントダウンに入ってきた。日本代表・侍ジャパンが入った1次リーグ・プールCは、3月5日から東京Dで行われる。エスコンフィールド(北海道)などの他球場も開催に積極的だったようだが、従来通りとなった。
「球場施設や見た目を考えれば、エスコンなどの方が印象も良いだろう。しかし、東京Dの立地に勝る球場はない。海外チームの移動や滞在期間の利便性を考えると、選択肢は1つになる」(スポーツマーケティング会社関係者)
「『選手の体調面を考慮して、人工芝ではないエスコンや甲子園にすべき』という声も聞かれる(エスコンの内野は人工芝)。しかし通常シーズンのような長丁場ならともかく、WBCのような短期決戦なら問題ない。何より東京開催なら、海外を含めた出場チームの移動負担が減るのも助かる」(元侍ジャパンスタッフ)
WBCに先立っての侍ジャパン強化試合は、バンテリンドーム(名古屋)と京セラドーム(大阪)での開催。宮崎キャンプを行ったチームは、上京途中で実戦を重ねられる。しかし来日が必要な他国は、東京D以外での試合となった場合、日本入国時の空港を含めて移動の労力もかかる。
東京Dに対する苦言は、球場老朽化が理由の場合が多い。1988年開場で、国内では甲子園(1924年)、神宮(1926年)、横浜(1978年)、ベルーナドーム(1979年)に次ぐ5番目の古さ。甲子園、横浜、ベルーナDは大規模改修を行い、神宮も新球場建設が決定。「東京Dは古い球場」の印象が付きまとう。
「球場の建て替えやリニューアルをする理由は、主に安全性と観戦環境向上の2点。東京Dの安全性に関しては耐震強化等も行っており心配はない。ファンからの不評のほとんどが、座席間の狭さ(観戦環境の悪さ)にある」(スポーツマーケティング会社関係者)
東京Dの座席間は、開場以来、ほぼ同じで変わらない。日本人の体型も設計当時から大型化しており、不評を買うのも理解できる。また近年は海外からの観光客が野球観戦に訪れる機会も激増、「時代に即していない球場」の声も聞かれる。加えてグラウンド内に関しても、『左・右中間の膨らみが少なく本塁打が出やすい』という指摘も聞かれる。かつては“ドームラン”という言葉も流行った。他球場ではフェンスを越えないような打球が、簡単に本塁打になることを揶揄したものだ。
「投高打低が進み、ホームランテラス(ラグーン)を設置する球場も多い。東京Dと同サイズの球場も増えており、ある意味で時代が追いついてきたとも言える(笑)」(巨人OB)
本塁打が出ないことが逆に問題視され、改修に着手する球場が出始めた。今年からバンテリンDは東京Dと似たサイズになったほどだ。
「(東京Dは)音響設備も最新式のものが導入されており、スタンド最後部や外野席にも高音質の音を届けられる。アリーナ席も設置する音楽イベントで4万人以上を動員しても、入退場時の動線をしっかり確保できる。大規模イベントになる程、強みを発揮できる箱」(スポーツマーケティング会社関係者)
音響面に加え、外野席上部を横断する形で大型ビジョンも設置されている。どのようなイベントでも、視覚・聴覚を駆使して楽しめる造りは好評だ。また周辺にはJR、地下鉄等の駅が複数あり、混雑が最低限に抑えられるのも大きい。
「『巨人の本拠地移転』が何度となく話に上がるが、これだけアドバンテージがある箱を手放すのは考えられない。古さは感じるが、時代に合わせてリノベーションをすれば良い。座席数を減らすなどして、観客にとって快適なスタンドへ改修すれば、批判の声も激減すると思う」(巨人OB)
築地市場跡地(東京・中央区)に、約5万人収容の多目的スタジアム建設が発表された。プロジェクトチームに読売新聞社が入っていることから、『巨人が移転するのでは』という声も聞こえる。しかしビジネス面を考えれば、「東京Dからの完全移転は考えられないのでは…」(巨人OB)といったところだろう。
「東京Dが盛り上がった時の大歓声は、グラウンドにいると鳥肌が立つほど。チームにとって大きな力になっている。もちろん観客の方々には、快適な環境で楽しんでもらいたいです」(元侍ジャパンスタッフ)
「国際試合はこの先も東京Dで行われると思う。ネガティブな意見をなくすためにも、座席数を減らしてでもスタンドの快適性を高めて欲しい。その分だけチケット代金が上がっても、ファンの方々は喜んで払ってくれると思います」(スポーツマーケティング会社関係者)
侍ジャパンは2月から強化試合を重ねているが、満員状態が続いている。「人気沸騰している今こそ、観戦環境向上という形でファンに還元すべき」(スポーツマーケティング会社関係者)という意見にも納得だ。
2026年は冬季五輪、サッカーW杯など、スポーツのビッグイベントが目白押しだ。侍ジャパンも大会2連覇という最高の結果を見せてもらいたい。そしてこの先も行われる野球界のビッグイベントのためにも、侍ジャパンの聖地・東京Dがさらに進化することを願いたい。
💢野球独立リーグ球団の口座から横領か 運営会社代表に就任予定だった男を逮捕、送検
https://news.yahoo.co.jp/articles/dc628821d610ea741ae5a2b76ff97182f252e48d
野球独立リーグ「旭川ビースターズ」の運営会社代表に就任予定だった男が運営資金を横領したとして逮捕・送検されました。業務上横領の疑いで逮捕・送検されたのは旭川市の林業・高井朱里容疑者(25歳)です。高井容疑者は新たに代表に就任予定だった去年10月、球団の運営資金を管理する立場を利用し、球団の口座から15万円を出金して横領した疑いが持たれています。
警察によりますと、高井容疑者は「横領したとは思っていない」と話しているということです。
球団によりますと、高井容疑者は球団の口座から20回以上に渡って不正に出金を繰り返していて、運営費およそ230万円を私的に流用したとみられています。
旭川ビースターズ 平亮代表)「地域の声からすると飲食代など大盤振る舞いしている様子がみられたらしい」
(Q、口座の動きがおかしいことを(本人に)伝えた時の反応は)「態度を変えて怒り出したり、そんなことしてないとか話を変えたり、連絡に出なかったり、基本的には話をまともに聞かない」
球団は「球団を大きくするために運用に回した」などと説明する高井容疑者を去年11月に解任しました。
旭川ビースターズ 平亮代表)「(高井容疑者には)可能な限り資金は返還していただきたい。損害をきちんと責任とってほしい」
☟高校野球を始める球児へ―知っておくべき7回制のこと…今後の展開、問題と向き合う大切さ
https://news.yahoo.co.jp/articles/178528b8ae0a5edb02ff7618824a254adc251b9c
これから高校野球を始めようとする球児へ――。現在検討されている7回制導入について、硬式、軟式のいずれの場合も知っておいてほしいことがあります。7回制は、現在の中3が高3になる28年に導入される可能性があるということです。
昨年開かれた「7回制等高校野球の諸課題検討会議」が、28年からの7回制導入が望ましいと日本高野連に提言しました。熱中症対策などが理由です。この「28年から」の根拠は「9回制を前提に入学した現部員の心情を考慮し、移行期間を設ける必要がある」と考えたからです。7回制になるかどうか理解した上で入部してもらう必要があるとし、現中3が高3になる「28年」と設定したのです。
しかし同連盟が開いた1、2月の理事会で結論に至らず、現中3の高校進学までに導入可否が決まらないことが分かりました。では、導入時期の議論も「29年から」と1年遅らせるかというと、そうではありません。今月の理事会後、日本高野連の井本亘事務局長は「7回制の導入時期が“29年から”に1年スライドするわけではない。導入する場合は28年が一つの目標になる」と言及しました。つまり、現中3は、7回制に変更されるかが分からないまま入部を決める必要があります。
「7回制でのプレーは絶対に嫌」と考える人は、部活動ではなくクラブチームに所属することも選択肢です。反対に「7回制なら野球をやってみたい」と考えていた人も慎重に判断してください。
もう一つ理解しておくべきことは、28年の導入に向けて議論は前進を続けているということです。日本高野連は「(7回制導入が望ましいとした)検討会議の提言は最大限尊重した上で取り組んでいる」と説明しており、導入に前向きだと言えます。夏の大会に限れば、熱中症対策として来夏から実施する可能性もあります。
日本高野連は4月以降に小中学生世代へ説明会を実施するなど、いくつかの周知策を準備しています。議論内容も公表されると思いますので、7回制の賛否を考える材料にしてみてください。9回制を続けたい場合、どのような対応策があるかを考えることは、理解を深める上で大切な作業になると思います。
自分なりの答えを出すにしても「現場の意見は無視される」と感じているかもしれません。大会側には選手の健康を守るため最大限の対策を講じる責務があり、現場の意見がそのまま通るわけではないことは事実です。ただし現在、日本高野連は、現場の反対意見の大きさを考慮して慎重に議論を進めています。球児の思いは大きな力になります。
🎤「7イニングでも熱中症は出てくる」沖縄野球をけん引する名将 7回制に反対姿勢示す
https://news.yahoo.co.jp/articles/7608c9a56af61a3f6e5e739fdb2be933f6d68e62
沖縄キャンプ取材の合間に、興南高監督・我喜屋優と会った。高校野球事情から、政治、経済構造など話題が多岐にわたって、そこに野球部コーチが加わると話が尽きない。
我喜屋は「監督」を務めているが、同学園の「理事長」でもある。過去には中学・高校の「校長」の肩書をもった。教育者で、経営者として、常にグローバルな視点に立つ。
その我喜屋が、高校野球で検討される「7イニング制」導入に「野球を通して、逆境に耐え抜き、人生においてもそれを生かした成功者たちは反対していると聞いています。勝手に歴史を変えていいのか」と持論を展開した。
日本高野連は「7イニング制等高校野球諸問題検討会議」から「28年からの導入が望ましい」と最終報告を受けた。現状は2月下旬に今夏の甲子園大会については「9イニング制」の堅持を公表している。沖縄野球をけん引する名将が反対姿勢を示したのは、これが初めてだ。「7イニング制」移行が検討される主な理由は、酷暑対策、障害予防など。我喜屋は「7イニングでも熱中症は出てくる。熱中症対策のほうが問題だと思います」と言う。
「映画監督の市川崑さんが手がけた『青春』という映画にも、暑さ、寒さに耐え抜いたチームが甲子園の入場行進にたどり着くという下りがあります。甲子園に出場するチームは、暑さ、寒さを乗り越えてきます。校内も、車内も、寝るときも、朝から晩までクーラーをつける。汗をかくことから逃げて、まるで暑さに弱い選手作りをしているようです。それにあんなに冷たい水ばかりを飲むことは適切でしょうか。うちは甲子園の試合前練習でもクーラーを切って過ごすし、常温を意識させながら、暑さに慣れることが熱中症対策につながるという考えです」
興南高3年だった1968年(昭43)、夏の甲子園で県勢初の4強入り。大昭和製紙富士入社後、工場がある北海道白老町に転勤し、社会人野球の都市対抗で優勝を経験。北海道のチームが頂点に立ったのは、史上初の快挙だった。
「社会人時代は都市対抗の試合前に鍋焼きうどんを食べて、その後でサウナにいって暑さに慣れようと、抵抗力をつけました。あと2イニングぐらいに耐えられないなんてあり得ないと思っています」
07年に母校・興南高の監督に就任し、3年後の10年にはエース島袋洋奨(現コーチ)を擁して春夏連覇を達成した。我喜屋は09年センバツで富山商(富山)に0対2で4安打完封負けを喫した一戦を引き合いに出した。
「逆に沖縄のチームは寒さになじみがない。沖縄出身のわたしが社会人時代に暮らした北海道では“かじかむ”と言います。本当に寒すぎる日で、ほとんどの選手はバットが振れなかった。島袋は19奪三振の熱投だったが、うちは4安打で雪国のチームに負けるわけです。甲子園ではどうしてこんな寒いのに野球をやるんだろうと思うこともあります。センバツに出た年は、氷水に手を突っ込んで寒さに慣れさせたこともあった。寒さから逃げるのではなく、忍耐強さを身につけるのが甲子園だと思っているからです」
我喜屋は「イチローさんも反対していると伝え聞いています。わたしは7イニング制を採用する本当の理由が分かりません。野球に信念をもっている人は7イニング制に賛成しない」と代替プランを提案した。それが「5月」と「9月」に開催する案だ。
「学校サイドとすれば年度の問題はあるが、開催時期を5月と9月に変えれば解決できるのではないだろうか。それが実現すると春、夏の大会と言えなくなるかもしれないが、できないことを考えるのではなく、できることを考えてほしいですね。野球人生を送っていない人は7イニング制に賛成するかもしれない。でも7イニングになっても、3時間も、4時間も練習する高校は出てくる。そこは調査できるのか。子供のためというより、大人の都合で話が進んでいるような気がします。うちは暑さ、寒さに強いチーム作りをしていくつもりです」
開催時期の変更は、プロ側の日程とも関連してくるから容易ではないが、今後議論の遡上(そじょう)に載るかもしれない。いずれにしても納得できる決着が求められている。
📝センバツ大会の抽選方式発表 同一地区は準々決勝まで、同一都道府県は決勝まで対戦なし
https://news.yahoo.co.jp/articles/fbcd76407231ae63548166cf1c7319b8a21c5cd2
第98回センバツ高校野球大会の第3回運営委員会が27日、大阪市の日本高野連で行われた。3月6日に大阪市内で行われる組み合わせ抽選会の方法が発表された。
同一地区の出場校同士は準々決勝まで、同一県の出場校同士は決勝まで対戦を避けるため、ブロックやゾーンの振り分けを行う。抽選の順番は以下の通り。
〈1〉関東・東京地区6校のブロック分け、本抽選
〈2〉近畿地区6校のブロック分け、本抽選
〈3〉九州地区6校のブロック分け、本抽選
〈4〉東北地区3校のブロック分け、本抽選
〈5〉東海地区3校のブロック分け、本抽選
〈6〉四国地区3校のブロック分け、本抽選
※〈4〉~〈6〉のいずれかの地区は北海道地区1校を加えた4校でブロック分け、本抽選
〈7〉北信越地区2校のブロック分け、本抽選
〈8〉四国地区2校のブロック分け、本抽選
📣移転予定のドラゴンズ2軍本拠地 岐阜県笠松町も誘致検討 競馬場厩舎の跡地11ヘクタールほどの土地を活用する考え
https://news.yahoo.co.jp/articles/2576188114cd082fe1ec62cb138c7c62ca63132e
岐阜県笠松町の古田町長は27日、ナゴヤ球場からの移転を予定しているドラゴンズ2軍の本拠地について、誘致に名乗りを上げる考えを示しました。
古田聖人町長:「大きな経済効果、関係人口・交流人口の増加、にぎわい創出につながるということで大きな期待をしています」
集約する計画の笠松競馬場の「円城寺厩舎」の跡地で、岐南町にまたがる11ヘクタールほどの土地を活用する考えで、球団から提示される条件を見たうえで、応募の可否を判断するとしています。
ドラゴンズの2軍施設は羽島市・安城市・桑名市なども誘致を検討しています。
📝東大に「3学年連続」合格者を輩出、旧帝大で仙台ベストナインの選手も…“県大会はベスト4”宮城の公立校野球部がスゴすぎる ナゾの「イチコウ曲線」とは?
https://news.yahoo.co.jp/articles/ad43cb8366fc11097cc7ace3fe1fce7bdc1ea10c
毎年、地元仙台の難関国立大である東北大に多数の合格者を輩出し、東大・京大にも合格者を輩出している宮城県屈指の進学校である仙台一高。昨年は県大会でベスト4に進出するなど、県内で強豪の一角に数えられる硬式野球部の選手たちも決して例外ではなく、難関大学の合格実績がある。なぜ野球と勉強の両面で結果を残すことができるのだろうか?
「やっぱり集中力」…ナゾの「イチコウ曲線」とは何か?
仙台一高に伝わる言葉として、「イチコウ曲線」というものがある。同高の生徒は、部活動を引退した夏以降に成績が急激に上昇する。この成長曲線を同校の名前をもじって「イチコウ=一高曲線」と呼ぶのだ。硬式野球部を率いる千葉厚監督も、彼らの才能について語る。
「やっぱり集中力というか、努力のやり方が分かっているのは強いんでしょうね。部活が終わった後の伸び率はすごいです。あとはウチは学術研究を通して本格的にデータ活用を進めているんですが、その分析力は野球だけでなく学業にも良い影響を与えています。『傾向と対策』を立てて進められていることが、一高曲線に繋がるのかもしれません」
硬式野球部の卒業生たちの中には難関大に合格後も野球を継続し、結果を残している選手たちもいる。仙台一高硬式野球部は、71回生(2019年卒業)から3学年連続で東大合格者を輩出している。そのうち71回生で当時のエースだった鈴木健は、大学2年の春から神宮のマウンドに上がると、東京六大学野球のリーグ戦で通算33試合に登板した。同じ県にある身近な目標として、東北大を志す生徒も多い。74回生(2022年卒業)の佐藤昴は現役で東北大に合格。大学野球ラストシーズンとなった昨年秋は、中日ドラゴンズドラフト2位指名の櫻井頼之介、先日アメリカの大学への編入を発表した佐藤幻瑛などといった好投手ひしめく仙台六大学リーグで、投手のベストナインに輝いた。
中には医学の道を志す生徒もいる。73回生(2021年卒業)の奥山虎太郎は防衛医科大に合格。大学では準硬式野球の道に進むと、昨年11月に開催された東西対抗日本一決定戦の東日本選抜に選出。高校3年時はコロナの影響で挑戦すらできなかった甲子園のマウンドに立った。こうした卒業生たちの活躍についても、千葉監督は予見していたという。
「練習時間も私学と比べれば多くはないですし、身体能力もまだ発展途上。その分、伸びしろがあるんだと思います。花開くのはたぶん、みんな高校時代よりもうちょっと先かなと。使っている時間が野球だけじゃなく、半分残しているので、まだ磨かれていない部分が多いんです」
東大志望の選手も…現役部員に聞く「文武両道」実践術
では、野球と勉強の二兎を現在進行形で追っている現役の部員たちは、どのような工夫で勉強に取り組んでいるのだろうか。
「自分は通学に電車で40分〜50分かかるので、その時間はペンを使って勉強ができません。なので、通学中は単語帳や暗記科目などの勉強をしています」
そう語ったのは昨年夏に2年生で唯一スタメン入りした島貫晃輔だ。島貫は今のチーム内で通学距離が最長。自由に使える時間が少ないからこそ、移動などの時間を有効活用しているそうだ。少ない時間でどう工夫するかという点は、野球の練習とも重なる部分がある。島貫は教員の両親の話を聞いて興味を抱き、教員を志すようになった。現在は宮城県にある国立大の宮城教育大学を志望しているという。東北大学のような総合大学の教育学部ではなく、教育大学を選ぶのは確固たる考えがあるそうだ。
「教員になるための道として、一番近道なのが宮城教育大学だと考えています。東北大学や他の大学にも教育学部はありますが、やっぱり教育大学には専門の強みがあると思っています」
志望校が明確に決まっているとはいえ、毎日の部活動の練習もハードなはずだ。そのような中で日々、勉強をするのは大変ではないのだろうか。
「とにかく『毎日15分は絶対やろう』というのは決めています。15分やったら『楽しいかも?』と思って結局、長時間やるということも多いので。そういう経験もあって“毎日の15分”は1年生の頃からずっとやっています」
そういった日々の学習を継続する中で、野球部に限らず周囲の同級生の存在が刺激になることも多いと語る。
「やらないと置いていかれるっていうのが大きいですね。やりたい……というより、やらなきゃヤバいなという気持ちに追われて(笑)。それもあって勉強できている面もありますね。仙台一高の場合、学校自体がすごく朝早くから開いているんです。テスト期間とか、学校が開いた瞬間から学校の自習室に向かう人もいて。早い人だと6時前から勉強しているんじゃないかな。休日だと17時に学校が閉まるのですが、朝から17時までずっと籠って勉強して、終わったらそのまま塾に向かうという人もいます」
監督から「東大を目指してみたら?」の提案
過去に東大合格者も輩出している硬式野球部。現役部員の中にも、東大を志す生徒がいる。1年生の野村悠翔だ。
「最初は『ぶっちゃけ自分じゃ無理なんじゃないか』と思っていたんですけど、千葉先生からも薦められて、まだ1年生ですし頑張ればなんとかなるかな……と思って頑張っています」
野村は元から東大志望だったわけではないが、千葉監督から東大を目指すことを勧められ、志すようになったという。合格したら東京六大学野球で野球を継続したいという思いを抱いている。日々の勉強についても話を聞いてみた。
「基本的に家では学校の予習をやっています。テスト期間になると部活が休みになるので、その時間で一気にそこまでの復習をして、テスト期間ごとにその範囲を固める……という感じです」
仙台一高硬式野球部は週に一度、月曜日がオフとなっている。このオフを活用して塾にも通っていると語る。
分からないところは…AI活用で効率的に!
日々の授業では予習時に分からなかった部分を意識して聞いているという野村。授業後などに先生へ質問しているのかと尋ねると、今の時代を生きる高校生らしい回答が返ってきた。
「質問は先生よりも、比較的AIに聞くことが多いです。他にはカレンダーのアプリに日々やったこと、やりたいことを入れています。前もって決めておいた方が『今日、何やろうかな』と迷わなくていいし、昨日は何をしたかが分かるので」
野球との両立で勉強に使える時間も限られる中、選手たちは自分なりの方法で工夫して効率よく勉強を進めている。野球だけでなく勉強の面でも『自発能動』の精神が活かされている。千葉監督もそんな彼らの進路実現に向けて後押しする。島貫は進路について2人で話し、「情報を教えてもらえる機会があることがありがたい」と語る。野村が東大見学会に行くと千葉監督に伝えた際には、東大に進学した野球部OBに連絡し、話を聞く機会を設けてもらうことになったという。
千葉監督が掲げた「二兎を追う」というスローガン。その言葉通り、選手たちは野球と勉強の2つの兎を追っている。それを高いレベルで維持し続けた先に、甲子園と難関大合格の未来は見えてくるのかもしれない。
📝甲子園で朝トレ! グラウンドでヨガ、アルプススタンドでピラティスも…4月4、5日にエクササイズイベント開催
https://news.yahoo.co.jp/articles/bea9f7ade6ac08c1d776c8b28d2997889f0f467f
株式会社ウエルネス阪神が運営する「タイガースフィットネスクラブ ラフィット」は25日、4月4日、5日に阪神甲子園球場でエクササイズイベント「春の朝トレ!甲子園2026」を開催することを発表した。
同イベントは、1、3塁側外野人工芝エリアのグラウンドレベルなどに足を踏み入れることができる貴重な機会となっている。座位での体幹ストレッチや柔軟性向上と呼吸を組み合わせたストレッチなどを行う「ヨガの部」と、プロ野球選手も使用するスタンド階段を活用したトレーニングや、アルプススタンドの座席を活用したピラティスなどを体験できる「甲子園スペシャルトレーニングの部」に分かれている。
参加対象は春休み期間に合わせて小学校5年生以上に広げられ、定員は1日各部30人。ヨガの部が3500円、甲子園スペシャルトレーニングの部は3000円。26日10時からローソンチケット販売ページにて先着順で申し込みできる。
💢野球賭博で山口組系大同会幹部の男を逮捕 夏の甲子園優勝と準優勝校を当てさせる 1万円ずつ申し込んだ客6人も同時に逮捕 鳥取県米子市
https://news.yahoo.co.jp/articles/770f4f499960049581d3931aab9ad8c9e1af9fd1
鳥取県警米子警察署は25日、去年夏の甲子園大会で優勝校などを当てさせる違法な野球賭博をしたとして、米子市内の暴力団幹部の男を逮捕しました。
賭博開張図利の容疑で逮捕されたのは米子市米原の特定抗争指定暴力団六代目山口組系大同会幹部の男(55)です。
男は、去年8月の第107回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)の優勝校と準優勝校を開幕前に予想させ、SNSで客に賭け金を申し込ませた疑いです。暴力団捜査の過程で男の犯行が分かり、客としてそれぞれ1万円を申し込んだ米子市と西伯郡大山町に住む24歳から44歳の男6人も賭博の容疑で同時に逮捕されました。
警察では賭け金が実際に入金されたかや、結果的に利益が支払われたかは捜査中だとし、余罪の可能性もあるとして逮捕された7人全員について、それぞれの関係や逮捕容疑の認否は回答を差し控えるとしています。
📝「想像よりかなり狭いぞこれ」ホームランウイング設置のバンテリンドームに驚きの声「映像で見るとより分かる」「ナゴヤ球場時代の空中戦で勝負に」
https://news.yahoo.co.jp/articles/8d4e9ce92a0121b4ce0ec39802034d99cd67bd51
中日の本拠地・バンテリンドームナゴヤに「ホームランウイング」が設置されて初めての試合となった。TBS系の生中継もあって、本塁打が出にくい投手有利の球場からの変化が一目瞭然となり、ネット上では「バンテリン、想像よりかなり狭いぞこれ」「めちゃくちゃホームラン増えそうだなぁ!」など驚きの声が上がった。
ホームランウイングは右翼、左翼側ともに128席が用意された。設置に伴い、本塁からフェンスまでの距離は右中間、左中間ともに116メートルから110メートルに短縮。フェンスの高さも4・8メートルから3・6メートルへ、1・2メートル低くなった。
改修後の様子はこれまでも各種メディアで取り上げられてきたが、この日の試合のテレビ中継で、その変貌ぶりを多くの人が実感したよう。X(旧ツイッター)には、「それにしてもバンテ狭くなったな」「映像で見るとより分かる」「今までフェン直だったやつが全部ホームランになる」「近くね?低いしあれホームラン爆増するやろ」などの声があふれた。
「ナゴヤ球場で長年やってた球団なんだから、狭くなることで中日らしさが戻るんじゃないの。」「めちゃくちゃ狭くなってます 懐かしきナゴヤ球場時代の、空中戦で勝負になりますね」などと、1996年まで中日の1軍本拠地だったナゴヤ球場を引き合いにする書き込みも上がった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/dc628821d610ea741ae5a2b76ff97182f252e48d
野球独立リーグ「旭川ビースターズ」の運営会社代表に就任予定だった男が運営資金を横領したとして逮捕・送検されました。業務上横領の疑いで逮捕・送検されたのは旭川市の林業・高井朱里容疑者(25歳)です。高井容疑者は新たに代表に就任予定だった去年10月、球団の運営資金を管理する立場を利用し、球団の口座から15万円を出金して横領した疑いが持たれています。
警察によりますと、高井容疑者は「横領したとは思っていない」と話しているということです。
球団によりますと、高井容疑者は球団の口座から20回以上に渡って不正に出金を繰り返していて、運営費およそ230万円を私的に流用したとみられています。
旭川ビースターズ 平亮代表)「地域の声からすると飲食代など大盤振る舞いしている様子がみられたらしい」
(Q、口座の動きがおかしいことを(本人に)伝えた時の反応は)「態度を変えて怒り出したり、そんなことしてないとか話を変えたり、連絡に出なかったり、基本的には話をまともに聞かない」
球団は「球団を大きくするために運用に回した」などと説明する高井容疑者を去年11月に解任しました。
旭川ビースターズ 平亮代表)「(高井容疑者には)可能な限り資金は返還していただきたい。損害をきちんと責任とってほしい」
☟高校野球を始める球児へ―知っておくべき7回制のこと…今後の展開、問題と向き合う大切さ
https://news.yahoo.co.jp/articles/178528b8ae0a5edb02ff7618824a254adc251b9c
これから高校野球を始めようとする球児へ――。現在検討されている7回制導入について、硬式、軟式のいずれの場合も知っておいてほしいことがあります。7回制は、現在の中3が高3になる28年に導入される可能性があるということです。
昨年開かれた「7回制等高校野球の諸課題検討会議」が、28年からの7回制導入が望ましいと日本高野連に提言しました。熱中症対策などが理由です。この「28年から」の根拠は「9回制を前提に入学した現部員の心情を考慮し、移行期間を設ける必要がある」と考えたからです。7回制になるかどうか理解した上で入部してもらう必要があるとし、現中3が高3になる「28年」と設定したのです。
しかし同連盟が開いた1、2月の理事会で結論に至らず、現中3の高校進学までに導入可否が決まらないことが分かりました。では、導入時期の議論も「29年から」と1年遅らせるかというと、そうではありません。今月の理事会後、日本高野連の井本亘事務局長は「7回制の導入時期が“29年から”に1年スライドするわけではない。導入する場合は28年が一つの目標になる」と言及しました。つまり、現中3は、7回制に変更されるかが分からないまま入部を決める必要があります。
「7回制でのプレーは絶対に嫌」と考える人は、部活動ではなくクラブチームに所属することも選択肢です。反対に「7回制なら野球をやってみたい」と考えていた人も慎重に判断してください。
もう一つ理解しておくべきことは、28年の導入に向けて議論は前進を続けているということです。日本高野連は「(7回制導入が望ましいとした)検討会議の提言は最大限尊重した上で取り組んでいる」と説明しており、導入に前向きだと言えます。夏の大会に限れば、熱中症対策として来夏から実施する可能性もあります。
日本高野連は4月以降に小中学生世代へ説明会を実施するなど、いくつかの周知策を準備しています。議論内容も公表されると思いますので、7回制の賛否を考える材料にしてみてください。9回制を続けたい場合、どのような対応策があるかを考えることは、理解を深める上で大切な作業になると思います。
自分なりの答えを出すにしても「現場の意見は無視される」と感じているかもしれません。大会側には選手の健康を守るため最大限の対策を講じる責務があり、現場の意見がそのまま通るわけではないことは事実です。ただし現在、日本高野連は、現場の反対意見の大きさを考慮して慎重に議論を進めています。球児の思いは大きな力になります。
🎤「7イニングでも熱中症は出てくる」沖縄野球をけん引する名将 7回制に反対姿勢示す
https://news.yahoo.co.jp/articles/7608c9a56af61a3f6e5e739fdb2be933f6d68e62
沖縄キャンプ取材の合間に、興南高監督・我喜屋優と会った。高校野球事情から、政治、経済構造など話題が多岐にわたって、そこに野球部コーチが加わると話が尽きない。
我喜屋は「監督」を務めているが、同学園の「理事長」でもある。過去には中学・高校の「校長」の肩書をもった。教育者で、経営者として、常にグローバルな視点に立つ。
その我喜屋が、高校野球で検討される「7イニング制」導入に「野球を通して、逆境に耐え抜き、人生においてもそれを生かした成功者たちは反対していると聞いています。勝手に歴史を変えていいのか」と持論を展開した。
日本高野連は「7イニング制等高校野球諸問題検討会議」から「28年からの導入が望ましい」と最終報告を受けた。現状は2月下旬に今夏の甲子園大会については「9イニング制」の堅持を公表している。沖縄野球をけん引する名将が反対姿勢を示したのは、これが初めてだ。「7イニング制」移行が検討される主な理由は、酷暑対策、障害予防など。我喜屋は「7イニングでも熱中症は出てくる。熱中症対策のほうが問題だと思います」と言う。
「映画監督の市川崑さんが手がけた『青春』という映画にも、暑さ、寒さに耐え抜いたチームが甲子園の入場行進にたどり着くという下りがあります。甲子園に出場するチームは、暑さ、寒さを乗り越えてきます。校内も、車内も、寝るときも、朝から晩までクーラーをつける。汗をかくことから逃げて、まるで暑さに弱い選手作りをしているようです。それにあんなに冷たい水ばかりを飲むことは適切でしょうか。うちは甲子園の試合前練習でもクーラーを切って過ごすし、常温を意識させながら、暑さに慣れることが熱中症対策につながるという考えです」
興南高3年だった1968年(昭43)、夏の甲子園で県勢初の4強入り。大昭和製紙富士入社後、工場がある北海道白老町に転勤し、社会人野球の都市対抗で優勝を経験。北海道のチームが頂点に立ったのは、史上初の快挙だった。
「社会人時代は都市対抗の試合前に鍋焼きうどんを食べて、その後でサウナにいって暑さに慣れようと、抵抗力をつけました。あと2イニングぐらいに耐えられないなんてあり得ないと思っています」
07年に母校・興南高の監督に就任し、3年後の10年にはエース島袋洋奨(現コーチ)を擁して春夏連覇を達成した。我喜屋は09年センバツで富山商(富山)に0対2で4安打完封負けを喫した一戦を引き合いに出した。
「逆に沖縄のチームは寒さになじみがない。沖縄出身のわたしが社会人時代に暮らした北海道では“かじかむ”と言います。本当に寒すぎる日で、ほとんどの選手はバットが振れなかった。島袋は19奪三振の熱投だったが、うちは4安打で雪国のチームに負けるわけです。甲子園ではどうしてこんな寒いのに野球をやるんだろうと思うこともあります。センバツに出た年は、氷水に手を突っ込んで寒さに慣れさせたこともあった。寒さから逃げるのではなく、忍耐強さを身につけるのが甲子園だと思っているからです」
我喜屋は「イチローさんも反対していると伝え聞いています。わたしは7イニング制を採用する本当の理由が分かりません。野球に信念をもっている人は7イニング制に賛成しない」と代替プランを提案した。それが「5月」と「9月」に開催する案だ。
「学校サイドとすれば年度の問題はあるが、開催時期を5月と9月に変えれば解決できるのではないだろうか。それが実現すると春、夏の大会と言えなくなるかもしれないが、できないことを考えるのではなく、できることを考えてほしいですね。野球人生を送っていない人は7イニング制に賛成するかもしれない。でも7イニングになっても、3時間も、4時間も練習する高校は出てくる。そこは調査できるのか。子供のためというより、大人の都合で話が進んでいるような気がします。うちは暑さ、寒さに強いチーム作りをしていくつもりです」
開催時期の変更は、プロ側の日程とも関連してくるから容易ではないが、今後議論の遡上(そじょう)に載るかもしれない。いずれにしても納得できる決着が求められている。
📝センバツ大会の抽選方式発表 同一地区は準々決勝まで、同一都道府県は決勝まで対戦なし
https://news.yahoo.co.jp/articles/fbcd76407231ae63548166cf1c7319b8a21c5cd2
第98回センバツ高校野球大会の第3回運営委員会が27日、大阪市の日本高野連で行われた。3月6日に大阪市内で行われる組み合わせ抽選会の方法が発表された。
同一地区の出場校同士は準々決勝まで、同一県の出場校同士は決勝まで対戦を避けるため、ブロックやゾーンの振り分けを行う。抽選の順番は以下の通り。
〈1〉関東・東京地区6校のブロック分け、本抽選
〈2〉近畿地区6校のブロック分け、本抽選
〈3〉九州地区6校のブロック分け、本抽選
〈4〉東北地区3校のブロック分け、本抽選
〈5〉東海地区3校のブロック分け、本抽選
〈6〉四国地区3校のブロック分け、本抽選
※〈4〉~〈6〉のいずれかの地区は北海道地区1校を加えた4校でブロック分け、本抽選
〈7〉北信越地区2校のブロック分け、本抽選
〈8〉四国地区2校のブロック分け、本抽選
📣移転予定のドラゴンズ2軍本拠地 岐阜県笠松町も誘致検討 競馬場厩舎の跡地11ヘクタールほどの土地を活用する考え
https://news.yahoo.co.jp/articles/2576188114cd082fe1ec62cb138c7c62ca63132e
岐阜県笠松町の古田町長は27日、ナゴヤ球場からの移転を予定しているドラゴンズ2軍の本拠地について、誘致に名乗りを上げる考えを示しました。
古田聖人町長:「大きな経済効果、関係人口・交流人口の増加、にぎわい創出につながるということで大きな期待をしています」
集約する計画の笠松競馬場の「円城寺厩舎」の跡地で、岐南町にまたがる11ヘクタールほどの土地を活用する考えで、球団から提示される条件を見たうえで、応募の可否を判断するとしています。
ドラゴンズの2軍施設は羽島市・安城市・桑名市なども誘致を検討しています。
📝東大に「3学年連続」合格者を輩出、旧帝大で仙台ベストナインの選手も…“県大会はベスト4”宮城の公立校野球部がスゴすぎる ナゾの「イチコウ曲線」とは?
https://news.yahoo.co.jp/articles/ad43cb8366fc11097cc7ace3fe1fce7bdc1ea10c
毎年、地元仙台の難関国立大である東北大に多数の合格者を輩出し、東大・京大にも合格者を輩出している宮城県屈指の進学校である仙台一高。昨年は県大会でベスト4に進出するなど、県内で強豪の一角に数えられる硬式野球部の選手たちも決して例外ではなく、難関大学の合格実績がある。なぜ野球と勉強の両面で結果を残すことができるのだろうか?
「やっぱり集中力」…ナゾの「イチコウ曲線」とは何か?
仙台一高に伝わる言葉として、「イチコウ曲線」というものがある。同高の生徒は、部活動を引退した夏以降に成績が急激に上昇する。この成長曲線を同校の名前をもじって「イチコウ=一高曲線」と呼ぶのだ。硬式野球部を率いる千葉厚監督も、彼らの才能について語る。
「やっぱり集中力というか、努力のやり方が分かっているのは強いんでしょうね。部活が終わった後の伸び率はすごいです。あとはウチは学術研究を通して本格的にデータ活用を進めているんですが、その分析力は野球だけでなく学業にも良い影響を与えています。『傾向と対策』を立てて進められていることが、一高曲線に繋がるのかもしれません」
硬式野球部の卒業生たちの中には難関大に合格後も野球を継続し、結果を残している選手たちもいる。仙台一高硬式野球部は、71回生(2019年卒業)から3学年連続で東大合格者を輩出している。そのうち71回生で当時のエースだった鈴木健は、大学2年の春から神宮のマウンドに上がると、東京六大学野球のリーグ戦で通算33試合に登板した。同じ県にある身近な目標として、東北大を志す生徒も多い。74回生(2022年卒業)の佐藤昴は現役で東北大に合格。大学野球ラストシーズンとなった昨年秋は、中日ドラゴンズドラフト2位指名の櫻井頼之介、先日アメリカの大学への編入を発表した佐藤幻瑛などといった好投手ひしめく仙台六大学リーグで、投手のベストナインに輝いた。
中には医学の道を志す生徒もいる。73回生(2021年卒業)の奥山虎太郎は防衛医科大に合格。大学では準硬式野球の道に進むと、昨年11月に開催された東西対抗日本一決定戦の東日本選抜に選出。高校3年時はコロナの影響で挑戦すらできなかった甲子園のマウンドに立った。こうした卒業生たちの活躍についても、千葉監督は予見していたという。
「練習時間も私学と比べれば多くはないですし、身体能力もまだ発展途上。その分、伸びしろがあるんだと思います。花開くのはたぶん、みんな高校時代よりもうちょっと先かなと。使っている時間が野球だけじゃなく、半分残しているので、まだ磨かれていない部分が多いんです」
東大志望の選手も…現役部員に聞く「文武両道」実践術
では、野球と勉強の二兎を現在進行形で追っている現役の部員たちは、どのような工夫で勉強に取り組んでいるのだろうか。
「自分は通学に電車で40分〜50分かかるので、その時間はペンを使って勉強ができません。なので、通学中は単語帳や暗記科目などの勉強をしています」
そう語ったのは昨年夏に2年生で唯一スタメン入りした島貫晃輔だ。島貫は今のチーム内で通学距離が最長。自由に使える時間が少ないからこそ、移動などの時間を有効活用しているそうだ。少ない時間でどう工夫するかという点は、野球の練習とも重なる部分がある。島貫は教員の両親の話を聞いて興味を抱き、教員を志すようになった。現在は宮城県にある国立大の宮城教育大学を志望しているという。東北大学のような総合大学の教育学部ではなく、教育大学を選ぶのは確固たる考えがあるそうだ。
「教員になるための道として、一番近道なのが宮城教育大学だと考えています。東北大学や他の大学にも教育学部はありますが、やっぱり教育大学には専門の強みがあると思っています」
志望校が明確に決まっているとはいえ、毎日の部活動の練習もハードなはずだ。そのような中で日々、勉強をするのは大変ではないのだろうか。
「とにかく『毎日15分は絶対やろう』というのは決めています。15分やったら『楽しいかも?』と思って結局、長時間やるということも多いので。そういう経験もあって“毎日の15分”は1年生の頃からずっとやっています」
そういった日々の学習を継続する中で、野球部に限らず周囲の同級生の存在が刺激になることも多いと語る。
「やらないと置いていかれるっていうのが大きいですね。やりたい……というより、やらなきゃヤバいなという気持ちに追われて(笑)。それもあって勉強できている面もありますね。仙台一高の場合、学校自体がすごく朝早くから開いているんです。テスト期間とか、学校が開いた瞬間から学校の自習室に向かう人もいて。早い人だと6時前から勉強しているんじゃないかな。休日だと17時に学校が閉まるのですが、朝から17時までずっと籠って勉強して、終わったらそのまま塾に向かうという人もいます」
監督から「東大を目指してみたら?」の提案
過去に東大合格者も輩出している硬式野球部。現役部員の中にも、東大を志す生徒がいる。1年生の野村悠翔だ。
「最初は『ぶっちゃけ自分じゃ無理なんじゃないか』と思っていたんですけど、千葉先生からも薦められて、まだ1年生ですし頑張ればなんとかなるかな……と思って頑張っています」
野村は元から東大志望だったわけではないが、千葉監督から東大を目指すことを勧められ、志すようになったという。合格したら東京六大学野球で野球を継続したいという思いを抱いている。日々の勉強についても話を聞いてみた。
「基本的に家では学校の予習をやっています。テスト期間になると部活が休みになるので、その時間で一気にそこまでの復習をして、テスト期間ごとにその範囲を固める……という感じです」
仙台一高硬式野球部は週に一度、月曜日がオフとなっている。このオフを活用して塾にも通っていると語る。
分からないところは…AI活用で効率的に!
日々の授業では予習時に分からなかった部分を意識して聞いているという野村。授業後などに先生へ質問しているのかと尋ねると、今の時代を生きる高校生らしい回答が返ってきた。
「質問は先生よりも、比較的AIに聞くことが多いです。他にはカレンダーのアプリに日々やったこと、やりたいことを入れています。前もって決めておいた方が『今日、何やろうかな』と迷わなくていいし、昨日は何をしたかが分かるので」
野球との両立で勉強に使える時間も限られる中、選手たちは自分なりの方法で工夫して効率よく勉強を進めている。野球だけでなく勉強の面でも『自発能動』の精神が活かされている。千葉監督もそんな彼らの進路実現に向けて後押しする。島貫は進路について2人で話し、「情報を教えてもらえる機会があることがありがたい」と語る。野村が東大見学会に行くと千葉監督に伝えた際には、東大に進学した野球部OBに連絡し、話を聞く機会を設けてもらうことになったという。
千葉監督が掲げた「二兎を追う」というスローガン。その言葉通り、選手たちは野球と勉強の2つの兎を追っている。それを高いレベルで維持し続けた先に、甲子園と難関大合格の未来は見えてくるのかもしれない。
📝甲子園で朝トレ! グラウンドでヨガ、アルプススタンドでピラティスも…4月4、5日にエクササイズイベント開催
https://news.yahoo.co.jp/articles/bea9f7ade6ac08c1d776c8b28d2997889f0f467f
株式会社ウエルネス阪神が運営する「タイガースフィットネスクラブ ラフィット」は25日、4月4日、5日に阪神甲子園球場でエクササイズイベント「春の朝トレ!甲子園2026」を開催することを発表した。
同イベントは、1、3塁側外野人工芝エリアのグラウンドレベルなどに足を踏み入れることができる貴重な機会となっている。座位での体幹ストレッチや柔軟性向上と呼吸を組み合わせたストレッチなどを行う「ヨガの部」と、プロ野球選手も使用するスタンド階段を活用したトレーニングや、アルプススタンドの座席を活用したピラティスなどを体験できる「甲子園スペシャルトレーニングの部」に分かれている。
参加対象は春休み期間に合わせて小学校5年生以上に広げられ、定員は1日各部30人。ヨガの部が3500円、甲子園スペシャルトレーニングの部は3000円。26日10時からローソンチケット販売ページにて先着順で申し込みできる。
💢野球賭博で山口組系大同会幹部の男を逮捕 夏の甲子園優勝と準優勝校を当てさせる 1万円ずつ申し込んだ客6人も同時に逮捕 鳥取県米子市
https://news.yahoo.co.jp/articles/770f4f499960049581d3931aab9ad8c9e1af9fd1
鳥取県警米子警察署は25日、去年夏の甲子園大会で優勝校などを当てさせる違法な野球賭博をしたとして、米子市内の暴力団幹部の男を逮捕しました。
賭博開張図利の容疑で逮捕されたのは米子市米原の特定抗争指定暴力団六代目山口組系大同会幹部の男(55)です。
男は、去年8月の第107回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)の優勝校と準優勝校を開幕前に予想させ、SNSで客に賭け金を申し込ませた疑いです。暴力団捜査の過程で男の犯行が分かり、客としてそれぞれ1万円を申し込んだ米子市と西伯郡大山町に住む24歳から44歳の男6人も賭博の容疑で同時に逮捕されました。
警察では賭け金が実際に入金されたかや、結果的に利益が支払われたかは捜査中だとし、余罪の可能性もあるとして逮捕された7人全員について、それぞれの関係や逮捕容疑の認否は回答を差し控えるとしています。
📝「想像よりかなり狭いぞこれ」ホームランウイング設置のバンテリンドームに驚きの声「映像で見るとより分かる」「ナゴヤ球場時代の空中戦で勝負に」
https://news.yahoo.co.jp/articles/8d4e9ce92a0121b4ce0ec39802034d99cd67bd51
中日の本拠地・バンテリンドームナゴヤに「ホームランウイング」が設置されて初めての試合となった。TBS系の生中継もあって、本塁打が出にくい投手有利の球場からの変化が一目瞭然となり、ネット上では「バンテリン、想像よりかなり狭いぞこれ」「めちゃくちゃホームラン増えそうだなぁ!」など驚きの声が上がった。
ホームランウイングは右翼、左翼側ともに128席が用意された。設置に伴い、本塁からフェンスまでの距離は右中間、左中間ともに116メートルから110メートルに短縮。フェンスの高さも4・8メートルから3・6メートルへ、1・2メートル低くなった。
改修後の様子はこれまでも各種メディアで取り上げられてきたが、この日の試合のテレビ中継で、その変貌ぶりを多くの人が実感したよう。X(旧ツイッター)には、「それにしてもバンテ狭くなったな」「映像で見るとより分かる」「今までフェン直だったやつが全部ホームランになる」「近くね?低いしあれホームラン爆増するやろ」などの声があふれた。
「ナゴヤ球場で長年やってた球団なんだから、狭くなることで中日らしさが戻るんじゃないの。」「めちゃくちゃ狭くなってます 懐かしきナゴヤ球場時代の、空中戦で勝負になりますね」などと、1996年まで中日の1軍本拠地だったナゴヤ球場を引き合いにする書き込みも上がった。
第8話 事実上の決勝戦?!令和の野球王国ツートップがHMF神戸で激突
11/3 秋季近畿大会6日目第2試合 ほっともっとフィールド神戸 智弁和歌山(和歌山①)-市和歌山(和歌山③) 12:49~14:47
一二三四五六七八九十計HE
市 和 歌001000000 160 土井、今村、中谷、丹羽-石井
和 智 辯10003020X 6132 渡邊、宮口-山田凛
第一試合
東 洋 姫11
天 理3
第1試合がまさかの7回コールドゲームで終わってしまい落胆は隠せなかった。。。。。あまりにも東洋大姫路が強すぎるというのが正直なところ。兵庫大会序盤から中盤にかけてはロースコアの接戦が多く、投手力だけで持ちこたえていたような感じだったが、試合を重ねるごとに打線が覚醒し総合力が上がり近畿大会3試合中2試合が7回コールド勝ちと。
おそらく明日はエース・阪下が先発完投するだろうから東洋が優勝して神宮に乗り込むんだろうなと。。。願わくば神宮枠をお土産に持って帰って欲しいと。当落線上の滋賀短大付は確実に出れるだろうし、大阪学院も間違いなくセンバツ出場で大阪枠は維持できるかなと。やはり8強組で6回コールド負けを喫した立命館宇治は補欠校に回るだろうが、それ以外の8強組がスンナリ上がってきそう。
さて、第2試合は戦前ここまで来れるとは思いもよらなかった市和歌山が和智弁と直接対決に挑む。夏は投手2枚看板が諸事情でベンチ外となり初戦で21世紀枠センバツ出場の田辺と激突し0-6であわやコールド負け寸前まで追い込まれたが、新チーム結成が早く県大会では失点が目立ったがムードメーカーの岩本部長がしっかり選手を鼓舞してなんだかんだで3位滑り込みで近畿大会出場し、なんと2試合連続完封勝ちしかも準々決勝で立命館宇治に10-0で6回コールド勝ちと県外の公式戦で格上相手に圧勝したのはいつ以来だろうか?????
和智弁は初戦で難敵と思われた神戸学院大附を一蹴し、大阪桐蔭を下した滋賀学園も連戦の疲れもあったか?これも完勝し打線が上向きになってきたようで堂々の4強進出。1年生4人がスタメン入りし来年の秋以降もまた楽しみなチームだ。
第1試合がエースの先発回避で始まったが、第2試合はなんとお互いエース先発のガチンコ勝負に来た。どちらも夏を見据えて手の内を隠すかと思われたが、、、和智弁は6年前の秋ここでエース温存して明石商に0-12で5回コールド負けを喫したので今度は中谷が本気を出したのか???市和歌山も1つでも多く勝って経験を積みたいそして勝てば自信につながるという算段だろうか?
アルプスを見ると和歌山のチームらしく遠路はるばるブラスバンドとチアガールの応援団を多数率いて賑やかな雰囲気でプレーボール。
市和歌山は和智弁のエース・渡邊相手にあっさり三者凡退すると、その裏1番・藤田がセンター前ヒット。中谷野球は手堅いので初球バントで1死2塁。3番・奥がショート内野安打を放ち1・3塁とチャンスを広げ、4番・荒井が1ストライクからエンドランをかけるもライト犠飛であっさり先取点をもぎ取るも、走塁がヘタなのは和智弁の伝統で1塁走者奥がまさかのけん制タッチアウト・・・。カウント1-1ゆえにエンドランのサインでも出ていたのだろうか???
渡邊投手は2回も快調に飛ばしまた三者凡退に抑え、初回よろしく和智弁は先頭打者がヒットを放ち送りバントで1死2塁と得点圏の走者を送りプレッシャーをかけてゆくが、土井投手も徐々にエンジンがかかってきたようで、後続を三振とセンターフライに抑え守りからリズムをつかんだ。
3回表市和歌山は7番・岸上がセンター前ヒットを放ち完全試合回避に成功!8番はエース・土井なんで定石通り送りたいがバント空振りなどで2-1と追い込まれつつも半田監督は初志貫徹でスリーバントのサインを出し1死2塁と同じように形を作り9番・有本がライトへ同点タイムリーツーベースを放ち試合が面白くなってきた!
しかし1番・津本サードゴロ。2番・辻丸もセカンド正面のゴロだったが、1年生・松本がこれを弾く痛恨のエラーで2死1・3塁。。。松本選手は入学してすぐにスタメン起用されているがいつも試合中盤でベンチに下がっているシーンが散見されているが、将来性を買って我慢の起用をしているのだろうか?
ナカタニはこの場面で早くもセカンドに背番号5の楠本を出して懲罰交代。。。3番・石山はフルカウントからチェンジアップで空振り三振。。。
追いついてもらい気をよくした市和歌山のエース・土井は3回裏初の三者凡退に抑えロースコアの接戦で最後まで目が離せない試合を期待していた。
勢いづいた市和歌山は4回先頭の4番・有本がレフト前ヒットで出塁。半田監督はやはり手堅く送りバントのサインを出し続けるも次打者の井上がバント3つファールでスリーバント失敗の三振。。。
直後に四球で1死1・2塁となり帳消しにはなったが、まだ流れをつかみきれないまま7番・岸上の2打席連続ヒットで1死満塁。ここで打席はエースの土井。まだ代打を出すには早すぎるし、満塁からのスクイズは至難の業で先ほどなんとかスリーバントを決めたくらいだから打たせるしかなさそう。。。結局フルカウントからピッチャーゴロホームゲッツーでまさかの無得点となり完全に流れは和智弁へ、、、、、
その裏和智弁はクリーンアップの登場でわずか5球でツーアウトとなるも5番・山田凛がライトオーバーのスリーベースを放ち長打力を見せつけた。6番にはセカンド懲罰交代で背番号5の楠本が入っておりここはセカンドゴロで無得点。
5回表市和歌山は9番・有本がショート内野安打を放ち、ここまでは無死1塁打と判で捺したようにバントのサインを出していた半田監督だが、流れを変えるべくエンドランのサインを初球から出した模様だが、バッテリーに見抜かれたのか?キャッチャー出身の元プロ中谷の指示なのか??ウエストされ盗塁失敗・・・。結果的に3人で攻撃を終えいよいよ流れが・・・。
その裏、1死からエース・渡邊がレフトへツーベースを放つと、9番・黒川まさかのセーフティーバントで2死3塁。ここから上位打線が爆発し、1番・藤田のセンター前タイムリーで勝ち越すと、2番・福元が初球ライトへ豪快な2ランホームランを放ちあっという間に4-1と突き放す!!さらに3・4番の連打でついに土井投手KO。。。
実力から行けば夏の紀三井寺で先発した1年生丹羽がリリーフするのが妥当だが、半田監督はあえて手の内を隠したかったのか?ケガなどの影響か不調かが分からないが、2番手はサウスポー今村を起用。3点ビハインドで食い止めないと第1試合とな児幼な展開になりかねないとヒヤヒヤしたが、5番・山田凛ショートゴロに倒れ4-1で整備に入った。
やはり力の差が中盤に浮き彫りとなり、4-1というスコアに結びついているような気がした。打線の爆発力・長打力はどうしても毎年和智弁の方が上だろうし、市和歌山とすれば4回1死満塁のチャンスで勝ち越して相手の焦りを誘いたかったが、無得点に終わり後手に回ってしまった格好だ。
そう考えると、準々決勝で本当に10-0で6回コールド勝ちしたのか???と疑問視してしまう。そこでセンバツ当確ラインに入り心身ともに燃え尽きてしまったのだろうか。。。。。
渡邊投手からあと3点とっても同点どまりだしこの劣勢を跳ね返すのは厳しい・・・。後ろにはストッパー宮口投手も控えているし、得意の機動力野球も1年生捕手山田凛の強肩を考えると使いづらい。。。
6回表3番からの攻撃で攻めて1点でも返して試合を盛り返して欲しいところで1死から4番・森本の左中間ツーベースと四球で1・2塁。ホームランが出れば同点というシーンだが、中谷がすかさずタイムを要求。次の7番・岸上が2打数2安打ゆえに送りバントあるいはセーフティーバントでも面白いかもしれないが、敬遠されたら次が今村投手だけに、、、、、
半田監督はもうキャプテンに任せたようで普通に打ってカウント1-1からショートゴロゲッツーで万事休す。
しかし、2番手・今村投手が打たせて取るピッチングで3連続フライアウトを積み重ねナイスリリーフでコールド回避に向けて着実に前進!
代打の関係で和智弁はストッパー宮口を7回から投入。セーブシチュエーションだし、今日3イニング投げ切っても明日の決勝にそれほど疲労は残らないだろうし、東洋相手にも渡邊-宮口の投手リレーである程度失点を計算でき阪下投手を攻略することに専念できそう。
宮口は先頭の7番・岸上を見逃しの三振に早速取った。最速150kmともいわれるストレートを武器に簡単には打ち崩されそうにもない。次は代打・南川には3ボールとカウントを悪くしフルカウントから四球を与え代走・原田が起用されたが、速球だけが取り柄でなく、けん制も巧みなようで打者に投げる前にセットからけん制死もののみごとにタッチアウト!!
市和歌山にとってあまりにも痛すぎる代走のけん制死・・・・・。直後にまた3ボールとカウントを悪くし四球を与え不安定なところもあったが、1番・津本初球ボールの後にすかさず中谷がタイムを要求しピッチャーゴロに打ち取りなんとか0点で抑えた。
市和歌山も投手に代打を出した関係で3番手・中谷を起用。あえて2年生投手3人を起用し思い出作りに走ったのだろうか?できれば丹羽投手を見たかったが、、、、、
中谷は1死後1番・藤田にレフト前ポテンヒットを放ち俊足を生かして2塁を陥れた!!さらに暴投で3塁へ進みトドメは2番・福元の2打席連続超特大のライトスタンドにぶち込むホームランで6-1と大量リード・・・・・。もうここで丹羽投手を起用してほしかったが、半田監督は微動だにせず怖い3・4番を打ち取りなんとか半田監督の期待に応え7回コールドは回避。
8回表市和歌山は2番からの攻撃で先頭の辻丸がトリッキーな動きを1-1から見せ、セーフティーバントで出塁を試みるがいかんせん5点ビハインドでそれをやっては「ボクは打てません!」とカミングアウトしているようなもので、野球の神様に嫌われたのか?左手に投球が当たりファール・・・。結局サードゴロに倒れ、よほど痛かったのか?その裏の守りは薮内と交代した↓↓
宮口は速球だけでなくチェンジアップで空振り三振を取り硬軟織り交ぜた投球術も見せつけ、2死からセカンド悪送球のエラーで出塁許すもサードゴロできっちり抑えていた。
そして8回裏ついに期待の1年生背番号11の丹羽投手がマウンドへ。1年夏の県大会初戦で先発を任されるほどの逸材がここでベールを脱ぐ。最低でも1点に抑えてコールド負けは回避したい。
いきなり山田凛に右中間へヒットを喰らい暗雲漂ったが、送りバントで1死2塁。7番・大谷をセカンドフライに抑えあとは宮口投手を抑えれば・・・という場面で半田監督はこの試合初めてタイムを取った。
特に怖がることはないと思っていたが、何かしらのデータがあるのか?投手は結構打撃が良いということは聞くが、ここで2ランホームランをぶち込まれたら試合が終わってしまうので。。。
果たしてカウント2-1から痛恨のライト前ヒットを浴び2死ゆえに2塁走者は当たりGOで走り出すし、5点リードなんで怖いものなしでホームに突っ込んで来る、、、しかし市和歌山も鉄壁の守備を誇るのでここは9-3-2の完璧な中継プレーでホーム寸前タッチアウト!!劇的なアウトの取り方でコールド回避に成功。
最後の意地を見せたい市和歌山は1死から7番・岸上が9球粘って四球をもぎ取り役割を果たすも丹羽投手に代打・山本を送り初球打ちは1-6-3ダブルプレーで試合終了。
やはり県内では毎年圧倒的な戦力差を見せつける智弁和歌山が力の差を見せつけ市和歌山を一蹴したという感じだった。
やはりこの試合は2番バッターながら2打席連続ホームランを放った福元選手の大活躍が大きかった。4~6番が1年生なんで1~3番がチームを引っ張るべく3人ともマルチヒットを放ち13安打6得点。投げては渡邊-宮口の必勝リレーで6安打1失点に抑え実力差が浮き彫りになった。
これで明日は東洋大姫路ー智弁和歌山の決勝戦となった。おそらくこの日先発回避した阪下投手が先発完投するだろうから、和智弁としては好調な打線が数少ないチャンスを得点に結びつけてロースコアの接戦で勝機を見出したい。これまでの近畿大会で春は優勝経験あるものの秋は準優勝が最高で1度も優勝したこともなければ神宮大会にも無縁なんで今年こそは・・・と期待する。
明日は、十三の郵便局に年末アルバイトの面接があるので忙しくなるが、、、、、閉会式終了後は近くのスーパー温泉で湯治して1年の疲れを癒したい。それはまた次回の講釈で。
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 本塁打 犠打 犠飛 四球 三振 暴投 失点 自責
市和歌山 土 井 4 2/3 23 51 9 1 3 1 0 1 0 4 4
市和歌山 今 村 1 1/3 4 15 0 0 0 0 0 0 0 0 0
市和歌山 中 谷 1 5 22 2 1 0 0 0 0 1 2 2
市和歌山 丹 羽 1 4 12 2 0 1 0 0 0 0 0 0
和 智 弁 渡 邊 6 24 96 6 0 1 0 2 4 0 1 0
和 智 弁 宮 口 3 11 56 0 0 0 0 3 3 0 0 0
(完)
🌟次回予告🌟
11/4 秋季近畿大会最終日決勝戦 ほっともっとフィールド神戸 智弁和歌山(和歌山①)-東洋大姫路(兵庫①)
11/3 秋季近畿大会6日目第2試合 ほっともっとフィールド神戸 智弁和歌山(和歌山①)-市和歌山(和歌山③) 12:49~14:47
一二三四五六七八九十計HE
市 和 歌001000000 160 土井、今村、中谷、丹羽-石井
和 智 辯10003020X 6132 渡邊、宮口-山田凛
第一試合
東 洋 姫11
天 理3
第1試合がまさかの7回コールドゲームで終わってしまい落胆は隠せなかった。。。。。あまりにも東洋大姫路が強すぎるというのが正直なところ。兵庫大会序盤から中盤にかけてはロースコアの接戦が多く、投手力だけで持ちこたえていたような感じだったが、試合を重ねるごとに打線が覚醒し総合力が上がり近畿大会3試合中2試合が7回コールド勝ちと。
おそらく明日はエース・阪下が先発完投するだろうから東洋が優勝して神宮に乗り込むんだろうなと。。。願わくば神宮枠をお土産に持って帰って欲しいと。当落線上の滋賀短大付は確実に出れるだろうし、大阪学院も間違いなくセンバツ出場で大阪枠は維持できるかなと。やはり8強組で6回コールド負けを喫した立命館宇治は補欠校に回るだろうが、それ以外の8強組がスンナリ上がってきそう。
さて、第2試合は戦前ここまで来れるとは思いもよらなかった市和歌山が和智弁と直接対決に挑む。夏は投手2枚看板が諸事情でベンチ外となり初戦で21世紀枠センバツ出場の田辺と激突し0-6であわやコールド負け寸前まで追い込まれたが、新チーム結成が早く県大会では失点が目立ったがムードメーカーの岩本部長がしっかり選手を鼓舞してなんだかんだで3位滑り込みで近畿大会出場し、なんと2試合連続完封勝ちしかも準々決勝で立命館宇治に10-0で6回コールド勝ちと県外の公式戦で格上相手に圧勝したのはいつ以来だろうか?????
和智弁は初戦で難敵と思われた神戸学院大附を一蹴し、大阪桐蔭を下した滋賀学園も連戦の疲れもあったか?これも完勝し打線が上向きになってきたようで堂々の4強進出。1年生4人がスタメン入りし来年の秋以降もまた楽しみなチームだ。
第1試合がエースの先発回避で始まったが、第2試合はなんとお互いエース先発のガチンコ勝負に来た。どちらも夏を見据えて手の内を隠すかと思われたが、、、和智弁は6年前の秋ここでエース温存して明石商に0-12で5回コールド負けを喫したので今度は中谷が本気を出したのか???市和歌山も1つでも多く勝って経験を積みたいそして勝てば自信につながるという算段だろうか?
アルプスを見ると和歌山のチームらしく遠路はるばるブラスバンドとチアガールの応援団を多数率いて賑やかな雰囲気でプレーボール。
市和歌山は和智弁のエース・渡邊相手にあっさり三者凡退すると、その裏1番・藤田がセンター前ヒット。中谷野球は手堅いので初球バントで1死2塁。3番・奥がショート内野安打を放ち1・3塁とチャンスを広げ、4番・荒井が1ストライクからエンドランをかけるもライト犠飛であっさり先取点をもぎ取るも、走塁がヘタなのは和智弁の伝統で1塁走者奥がまさかのけん制タッチアウト・・・。カウント1-1ゆえにエンドランのサインでも出ていたのだろうか???
渡邊投手は2回も快調に飛ばしまた三者凡退に抑え、初回よろしく和智弁は先頭打者がヒットを放ち送りバントで1死2塁と得点圏の走者を送りプレッシャーをかけてゆくが、土井投手も徐々にエンジンがかかってきたようで、後続を三振とセンターフライに抑え守りからリズムをつかんだ。
3回表市和歌山は7番・岸上がセンター前ヒットを放ち完全試合回避に成功!8番はエース・土井なんで定石通り送りたいがバント空振りなどで2-1と追い込まれつつも半田監督は初志貫徹でスリーバントのサインを出し1死2塁と同じように形を作り9番・有本がライトへ同点タイムリーツーベースを放ち試合が面白くなってきた!
しかし1番・津本サードゴロ。2番・辻丸もセカンド正面のゴロだったが、1年生・松本がこれを弾く痛恨のエラーで2死1・3塁。。。松本選手は入学してすぐにスタメン起用されているがいつも試合中盤でベンチに下がっているシーンが散見されているが、将来性を買って我慢の起用をしているのだろうか?
ナカタニはこの場面で早くもセカンドに背番号5の楠本を出して懲罰交代。。。3番・石山はフルカウントからチェンジアップで空振り三振。。。
追いついてもらい気をよくした市和歌山のエース・土井は3回裏初の三者凡退に抑えロースコアの接戦で最後まで目が離せない試合を期待していた。
勢いづいた市和歌山は4回先頭の4番・有本がレフト前ヒットで出塁。半田監督はやはり手堅く送りバントのサインを出し続けるも次打者の井上がバント3つファールでスリーバント失敗の三振。。。
直後に四球で1死1・2塁となり帳消しにはなったが、まだ流れをつかみきれないまま7番・岸上の2打席連続ヒットで1死満塁。ここで打席はエースの土井。まだ代打を出すには早すぎるし、満塁からのスクイズは至難の業で先ほどなんとかスリーバントを決めたくらいだから打たせるしかなさそう。。。結局フルカウントからピッチャーゴロホームゲッツーでまさかの無得点となり完全に流れは和智弁へ、、、、、
その裏和智弁はクリーンアップの登場でわずか5球でツーアウトとなるも5番・山田凛がライトオーバーのスリーベースを放ち長打力を見せつけた。6番にはセカンド懲罰交代で背番号5の楠本が入っておりここはセカンドゴロで無得点。
5回表市和歌山は9番・有本がショート内野安打を放ち、ここまでは無死1塁打と判で捺したようにバントのサインを出していた半田監督だが、流れを変えるべくエンドランのサインを初球から出した模様だが、バッテリーに見抜かれたのか?キャッチャー出身の元プロ中谷の指示なのか??ウエストされ盗塁失敗・・・。結果的に3人で攻撃を終えいよいよ流れが・・・。
その裏、1死からエース・渡邊がレフトへツーベースを放つと、9番・黒川まさかのセーフティーバントで2死3塁。ここから上位打線が爆発し、1番・藤田のセンター前タイムリーで勝ち越すと、2番・福元が初球ライトへ豪快な2ランホームランを放ちあっという間に4-1と突き放す!!さらに3・4番の連打でついに土井投手KO。。。
実力から行けば夏の紀三井寺で先発した1年生丹羽がリリーフするのが妥当だが、半田監督はあえて手の内を隠したかったのか?ケガなどの影響か不調かが分からないが、2番手はサウスポー今村を起用。3点ビハインドで食い止めないと第1試合とな児幼な展開になりかねないとヒヤヒヤしたが、5番・山田凛ショートゴロに倒れ4-1で整備に入った。
やはり力の差が中盤に浮き彫りとなり、4-1というスコアに結びついているような気がした。打線の爆発力・長打力はどうしても毎年和智弁の方が上だろうし、市和歌山とすれば4回1死満塁のチャンスで勝ち越して相手の焦りを誘いたかったが、無得点に終わり後手に回ってしまった格好だ。
そう考えると、準々決勝で本当に10-0で6回コールド勝ちしたのか???と疑問視してしまう。そこでセンバツ当確ラインに入り心身ともに燃え尽きてしまったのだろうか。。。。。
渡邊投手からあと3点とっても同点どまりだしこの劣勢を跳ね返すのは厳しい・・・。後ろにはストッパー宮口投手も控えているし、得意の機動力野球も1年生捕手山田凛の強肩を考えると使いづらい。。。
6回表3番からの攻撃で攻めて1点でも返して試合を盛り返して欲しいところで1死から4番・森本の左中間ツーベースと四球で1・2塁。ホームランが出れば同点というシーンだが、中谷がすかさずタイムを要求。次の7番・岸上が2打数2安打ゆえに送りバントあるいはセーフティーバントでも面白いかもしれないが、敬遠されたら次が今村投手だけに、、、、、
半田監督はもうキャプテンに任せたようで普通に打ってカウント1-1からショートゴロゲッツーで万事休す。
しかし、2番手・今村投手が打たせて取るピッチングで3連続フライアウトを積み重ねナイスリリーフでコールド回避に向けて着実に前進!
代打の関係で和智弁はストッパー宮口を7回から投入。セーブシチュエーションだし、今日3イニング投げ切っても明日の決勝にそれほど疲労は残らないだろうし、東洋相手にも渡邊-宮口の投手リレーである程度失点を計算でき阪下投手を攻略することに専念できそう。
宮口は先頭の7番・岸上を見逃しの三振に早速取った。最速150kmともいわれるストレートを武器に簡単には打ち崩されそうにもない。次は代打・南川には3ボールとカウントを悪くしフルカウントから四球を与え代走・原田が起用されたが、速球だけが取り柄でなく、けん制も巧みなようで打者に投げる前にセットからけん制死もののみごとにタッチアウト!!
市和歌山にとってあまりにも痛すぎる代走のけん制死・・・・・。直後にまた3ボールとカウントを悪くし四球を与え不安定なところもあったが、1番・津本初球ボールの後にすかさず中谷がタイムを要求しピッチャーゴロに打ち取りなんとか0点で抑えた。
市和歌山も投手に代打を出した関係で3番手・中谷を起用。あえて2年生投手3人を起用し思い出作りに走ったのだろうか?できれば丹羽投手を見たかったが、、、、、
中谷は1死後1番・藤田にレフト前ポテンヒットを放ち俊足を生かして2塁を陥れた!!さらに暴投で3塁へ進みトドメは2番・福元の2打席連続超特大のライトスタンドにぶち込むホームランで6-1と大量リード・・・・・。もうここで丹羽投手を起用してほしかったが、半田監督は微動だにせず怖い3・4番を打ち取りなんとか半田監督の期待に応え7回コールドは回避。
8回表市和歌山は2番からの攻撃で先頭の辻丸がトリッキーな動きを1-1から見せ、セーフティーバントで出塁を試みるがいかんせん5点ビハインドでそれをやっては「ボクは打てません!」とカミングアウトしているようなもので、野球の神様に嫌われたのか?左手に投球が当たりファール・・・。結局サードゴロに倒れ、よほど痛かったのか?その裏の守りは薮内と交代した↓↓
宮口は速球だけでなくチェンジアップで空振り三振を取り硬軟織り交ぜた投球術も見せつけ、2死からセカンド悪送球のエラーで出塁許すもサードゴロできっちり抑えていた。
そして8回裏ついに期待の1年生背番号11の丹羽投手がマウンドへ。1年夏の県大会初戦で先発を任されるほどの逸材がここでベールを脱ぐ。最低でも1点に抑えてコールド負けは回避したい。
いきなり山田凛に右中間へヒットを喰らい暗雲漂ったが、送りバントで1死2塁。7番・大谷をセカンドフライに抑えあとは宮口投手を抑えれば・・・という場面で半田監督はこの試合初めてタイムを取った。
特に怖がることはないと思っていたが、何かしらのデータがあるのか?投手は結構打撃が良いということは聞くが、ここで2ランホームランをぶち込まれたら試合が終わってしまうので。。。
果たしてカウント2-1から痛恨のライト前ヒットを浴び2死ゆえに2塁走者は当たりGOで走り出すし、5点リードなんで怖いものなしでホームに突っ込んで来る、、、しかし市和歌山も鉄壁の守備を誇るのでここは9-3-2の完璧な中継プレーでホーム寸前タッチアウト!!劇的なアウトの取り方でコールド回避に成功。
最後の意地を見せたい市和歌山は1死から7番・岸上が9球粘って四球をもぎ取り役割を果たすも丹羽投手に代打・山本を送り初球打ちは1-6-3ダブルプレーで試合終了。
やはり県内では毎年圧倒的な戦力差を見せつける智弁和歌山が力の差を見せつけ市和歌山を一蹴したという感じだった。
やはりこの試合は2番バッターながら2打席連続ホームランを放った福元選手の大活躍が大きかった。4~6番が1年生なんで1~3番がチームを引っ張るべく3人ともマルチヒットを放ち13安打6得点。投げては渡邊-宮口の必勝リレーで6安打1失点に抑え実力差が浮き彫りになった。
これで明日は東洋大姫路ー智弁和歌山の決勝戦となった。おそらくこの日先発回避した阪下投手が先発完投するだろうから、和智弁としては好調な打線が数少ないチャンスを得点に結びつけてロースコアの接戦で勝機を見出したい。これまでの近畿大会で春は優勝経験あるものの秋は準優勝が最高で1度も優勝したこともなければ神宮大会にも無縁なんで今年こそは・・・と期待する。
明日は、十三の郵便局に年末アルバイトの面接があるので忙しくなるが、、、、、閉会式終了後は近くのスーパー温泉で湯治して1年の疲れを癒したい。それはまた次回の講釈で。
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 本塁打 犠打 犠飛 四球 三振 暴投 失点 自責
市和歌山 土 井 4 2/3 23 51 9 1 3 1 0 1 0 4 4
市和歌山 今 村 1 1/3 4 15 0 0 0 0 0 0 0 0 0
市和歌山 中 谷 1 5 22 2 1 0 0 0 0 1 2 2
市和歌山 丹 羽 1 4 12 2 0 1 0 0 0 0 0 0
和 智 弁 渡 邊 6 24 96 6 0 1 0 2 4 0 1 0
和 智 弁 宮 口 3 11 56 0 0 0 0 3 3 0 0 0
(完)
🌟次回予告🌟
11/4 秋季近畿大会最終日決勝戦 ほっともっとフィールド神戸 智弁和歌山(和歌山①)-東洋大姫路(兵庫①)
📣なぜ野球は9回が最適か 7回制が生む“不平等”…甲子園出場監督が指摘「野球離れが進むかも」
https://news.yahoo.co.jp/articles/a3a0a5216b55f3925d843cb4e2733cbefe63321c
2028年春から導入検討の「7イニング制」、高松商業・長尾監督が語る野球の本質
野球は他の競技に比べて、勝敗が決まるまでに長い時間を要する。屋外スポーツであることから酷暑による体への影響も考慮し、高野連は2028年春の選抜大会から「7イニング制」を導入することを検討している。高松商業の長尾健司監督は「導入されれば新たなルールに則って指導するつもりだし、今までにない面白みがあるかもしれない」と話すも、どちらかと言えば「反対やな」と語る。高松商を甲子園に導いた長尾監督が、野球の本質と、9イニングを戦うべき理由を説いた。
検討されている「7イニング制」は、公式戦では2025年秋に滋賀県で開かれた「わたSHIGA輝く国スポ」で初めて実施された。従来の9イニング制と比べると30分から1時間ほど試合時間が短くなることから、出場選手からは疲労の蓄積が少ないというポジティブな意見もあったが、監督や指導者からは、競技の特性が変わってしまうこと、記録の継続性が失われることなどを理由に、ネガティブな反応が多かった。
大きな変化が起きる際には摩擦が生じやすい。新しい制度の欠点を突くのではなく、長尾監督は「野球が9イニングじゃないといけない理由、分かる?」と記者へ質問を投げかけ、100年以上続く「9イニング制」と、それによる教育的意義を説明しはじめた。
なぜ9イニングが最適なのか。長尾監督によると、野球とは得点数を競い、「打率.300に達すれば良い打者と言われ、そのための練習をしている」競技だという。「9イニングの場合、バッターが1試合にフル出場すれば、どんなに素晴らしい投手と対戦することになって抑えられたとしても、(27個のアウトを取られるまでに)1人3回は打席が回る。打率3割を打てるようになれたら(計算上は)ヒットが1本打てるってことやろ」と理由を示した。
「失敗を取り返す機会がなくなって、楽しくないと感じる子が増えるだろうね」
3割打者がフルイニング出場したら、1、2回目の打席でアウトになっても、3回目の打席で“成功する確率”が高い。野球には、サッカーやバスケなどと違って、対戦する2チームに力の差があっても平等に攻撃するチャンスが巡ってくる。これが試合終盤にドラマが生まれる根源でもある。
だが「7イニング制」では3打席が保障されなくなる。「どんどん出塁できれば1人3回打席に立てるけど、ヒットを打てずに抑えられ続けたチームは、上位打線以外のほとんどの打者が2回しか打席に立てなくなる。完全試合は滅多にないけど、(試合中に)失敗を取り返す機会がなくなって、楽しくないと感じる子が増えるだろうね」。
指導者も子どもの成長を感じづらくなり、充実感を失う可能性も考えられる。イニングが短くなることで「野球離れが進むかもしれない」と長尾監督。「審判が言う『ストライク!』って、日本語で『打て!』って意味。だからバッターは絶対に打たないかん。そのためには3打席回らないかんのよ」。バッティングは失敗する確率の方が高い。だからこそスタメン全員に、平等に“成功のチャンス”が与えられることを長尾監督は願っている。
📝<四高野球―いま・むかし―>/4止 科学的思考で再び前へ 甲子園見据え、ブレずに練習
https://news.yahoo.co.jp/articles/feae787fac375192f453592cadeabbf7c50515da
文部科学省の「スーパーサイエンスハイスクール」にも指定され、進学実績がより目立つようになった四日市高校の野球部は2024年春、20人の新入部員を迎えた。例年の12~13人に比べて多いだけでなく、能力の高い選手が集まった。
制球力が持ち味の田中新投手と強打の捕手・得平達仁選手。さらに村瀬智哉二塁手と貞任宏槻遊撃手、そして伊藤遼祐中堅手と、センターラインに好選手がそろった。加藤敬三監督は「このメンバーを見た時『ひょっとしたら』と思った」と明かす。
十分な勉強時間を確保するため午後7時に完全下校、平日の練習時間は約2時間。しかもグラウンドは他の部活動と共用。チームは創意工夫と持ち前の科学的思考で「制約」を乗り越えようとしている。練習では毎日、各個が目標を立て、実行し、フィードバックすることの繰り返し。フリー打撃やノックをよそに、ティーバッティングを繰り返す選手がいればブルペンに入る投手、ストレッチに打ち込む選手もいる。自主性重視と自由度の高さが特徴だ。
昨年12月に取材した際、フリー打撃はケージを外野ではなくバックネットに向けて四つ並べていた。ケージの後ろでは内野ノック。ベースの位置を意識せず、スローイングは抜きで捕球に専念している。高校野球経験のある筆者の目に「ダイヤモンド」を意識しない練習が新鮮に映った。
「あれだと球拾いの手間が省けるし、3基しかない照明灯で照らせる広さなので日が落ちても大丈夫。守備の送球は少し暖かくなってからですね」と加藤監督。こうした練習方法は選手たちが考案したものだという。
昨夏の三重大会は2回戦で強豪・海星と4―5の接戦を演じた。これが自信となり、多くのレギュラーが残った新チームは、秋季大会で近年甲子園を経験したいなべ総合や宇治山田商を連破。25年夏の代表校・津田学園に敗れた準決勝も終盤までリードしていた。学業と両立してつかんだ県4強。それが21世紀枠の候補になった理由だった。
センバツの選考委員会があった1月30日、四日市高校では、生徒が研究の成果を披露する「四高版科学の祭典」が開かれていた。
体育館では、得平選手が「バットの材質と打球速度の関係」について発表した。同じ条件下で5種類のバットを用いて打球速度を測定し、低反発バットの一つが最も打球速度が出やすいことを突き止めたという内容。実際にそのバットを使っているという。また、大村穣太郎選手(2年)は「初球の入り方の重要性」を研究。試合のスコアシートから記録を抽出するなどして「ボール球を見逃した時の出塁率が5割」に達するとの結果を得た。こうしたデータはチームで共有されている。
その日の午後。選考委員会の発表で「四日市」の名が呼ばれることはなかった。だが、隯海生主将は「選ばれる可能性があるというだけでモチベーションが上がり、励みになった。これからもブレずしっかり練習していきたい」と前を見据えた。その視線の先には夏の甲子園がある。=おわり
☝県岐商で甲子園4強の夏から約半年…横山温大が岐阜聖徳学園大で大学野球生活スタート 目標は首位打者のタイトル
https://news.yahoo.co.jp/articles/d8b9105f3724b9612b26703a87e4b0d10b4b9227
昨夏の甲子園を沸かせた県岐阜商の横山温大外野手(3年)が、進学先の岐阜聖徳学園大での大学野球生活をスタートさせた。生まれつき左手指の一部が欠損しているハンディを感じさせないプレーで、チームの16年ぶり甲子園4強に貢献したあの夏から約半年。「もっと上のレベルでやりたい」という目標に向かい、新天地でも野球に打ち込む。
東海地区大学野球連盟の岐阜県学生リーグに所属する岐阜聖徳学園大。岐阜県各務原市出身の横山は「岐阜県は住みやすくていい場所だし、地元の人に身近なところで活躍を見てほしい」と進路を決めた。14日から練習に合流し、ハイレベルな練習に食らいつく日々を送っている。
高校3年夏の岐阜大会で打率5割2分6厘を残し、甲子園でも5試合で5安打3打点の好打者。「打率を稼げる打者になりたい」と首位打者のタイトル獲得を目標に掲げる。甲子園でヒーローになってもおごることはなく、大学でも縁の下の力持ちに徹する。「自分がチャンスメークして、デカいバッターに返してもらえたら」。髪が伸び大人っぽいいでたちになっても、あどけない笑顔は変わらない。
高校1年の10月に「球速も伸びないし、思い切ってバッターで勝負しよう」と投手から野手に転向。2年秋から代打や代走で出場機会を得て、最後の夏にレギュラーまで上り詰めた。自ら道を切り開いて、大舞台で輝いた。甲子園に出たことで「社会人だったり、レベルの高いところでもっとやりたい気持ちが強くなった」と向上心も高まった。
岐阜聖徳学園大は元中日投手の近藤真市監督(57)の下、全国から好選手が集い、特に外野はチーム内競争が激しい。高校時代のようにコツコツと努力を重ね、居場所をつかみ取る。
📝人気先行で「組織票かな」 2軍調整中に球宴選出…「もう嫌」を変えた夏の甲子園
https://news.yahoo.co.jp/articles/77c2c3570a840b9eb3d684d9e40e119411a3614b?page=1
太田幸司氏は高卒1年目から2軍調整続くも注目された
三沢高時代に甲子園を沸かせた元近鉄の太田幸司氏(野球評論家)がプロで“きっかけ”をつかんだのは高卒3年目の1972年だ。2年目オフからフォームをスリークオーター気味にして、真っ直ぐ、カーブだけでなくシュート、スライダーも駆使するスタイルへの“改造”に着手。その成果が徐々に出始めた。舞台は甲子園、相手は巨人の王貞治内野手と長嶋茂雄内野手で「松坂じゃないけど、自信が確信に変わった」試合もあったという。
甲子園のアイドル球児という看板を背負って1969年ドラフト1位で近鉄入りした太田氏の成績は1年目25登板で1勝、2年目14登板で0勝。2年目はシーズン中に投球フォームもバラバラの絶不調に陥り、一時は引退も考えるほどに落ち込んだが、ある寺の住職に「甲子園で投げていた太田幸司を捨ててみなさい」などと言われて、気持ちを切り替えてフォーム改造などに取り組みはじめた。3年目はいわば再スタートの年だった。
すぐさま結果を出せたわけではない。新しい形を自分のモノにするまでには時間がかかった。1972年シーズンは、開幕9戦目の4月22日の南海戦(日生)で初登板。1-7の8回に3番手でマウンドに上がったが、門田博光外野手に一発を浴びるなど、1回4失点。その後は2軍調整が続いた。それでも人気は相変わらず絶大だった。「そんな中でオールスターのファン投票があって、また1位でしたからねぇ」。
これで入団以来、3年連続で球宴にファン投票選出。人気先行と言われることに抵抗を感じながらも選ばれてしまうのだから、どうしようもない。「何か組織票でもあるのかなって思ったくらいでした」と苦笑するが、この3年目は、これまでとちょっと違った。まずは球宴前の前半最終戦の7月20日の西鉄戦(平和台)に先発のチャンスを得て、2失点で初完投勝利。1年目の1970年4月19日のロッテ戦(藤井寺)以来のプロ2勝目をマークしたことが大きかった。
「オールスターに0勝じゃなくて1勝で行けた。それも最初の(プロ)1勝目はおこぼれみたいな(味方の)サヨナラホームランで勝ったけど、(プロ2勝目は)自分の力で、スライダーやシュート、自分の新しいピッチングスタイルで勝てたということで、何とか行けるかな、みたいな自信めいたものを持ってオールスターに行けたのでね」。2年目オフから取り組んできたことへの手応えをついに感じたのだ。
球宴で長嶋茂雄に“禁断”のシュート攻勢
3度目の球宴、太田氏の出番は7月25日の第3戦だった。舞台は思い出いっぱいの甲子園、そこで全パの阪急・西本幸雄監督から先発に起用された。相手の全セ先発は阪神・江夏豊投手だったが、臆することなく腕を振った。そこには球宴特有のお祭り感覚はない。新しいスタイルがセ・リーグのスター選手たちに通じるか。その思いで勝負に挑んだ。結果は3回1失点で敗戦投手になったが「あれがまた、僕の野球人生の大きな転機になりました」と話す。
忘れられないのは3回の投球だ。無死から四球と失策の走者を置いて、阪神・池田祥浩外野手に右前適時打を許し、その後だった。このピンチで3番・王、4番・長嶋のON砲を打ち取った。「ノーアウト一、二塁だったかな。王さんを外スラで泳がせてショートフライ。で、長嶋さんはシュートでセカンドゴロゲッツー。天下の長嶋さんに普通、オールスターでシュートは投げないよ。ぶつけたらえらいことだからね。でも、あの時の僕はそんなことを言っていられなかった」。
それは太田氏にとって最高の結果だった。「マスターしたてのスライダーとシュート、これは使えると思った。あれで新しい太田幸司のピッチングというのが、松坂じゃないけど、自信が確信に変わった」。これより27年後の1999年5月16日に西武・松坂大輔投手はオリックス・イチロー外野手と西武ドームで初対戦し、3打数3三振1四球に抑えて「自信が確信に変わってきました」とコメントしたが、その“名言”を例にするほどの感触だったということだ。
「このスタイルで行けるというオールスターだった。それまでは『もうオールスターに出るのは嫌だよ』って言っていたんだけどね。あの時、場所が甲子園だったというのも何か因縁めいていてねぇ……。僕のある意味、プロのピッチャーとして、野球人として新しくスタートしたのが、あのオールスターだったかなと思いますね」
3年目の太田氏は後半戦初登板となった8月10日の西鉄戦(平和台)に先発で7回2/3、4失点で勝利投手。その後は白星をつかめず、16登板(8先発)2勝1敗、防御率3.90に終わったものの、引退をも考えた1年前の2年目オフと違って、3年目オフは気持ちも完全に前向きだった。「次の年から6勝、10勝、12勝かな。(2年目オフに)辞めなくてよかったですよ」。きっかけはプロ3年目のON封じ。また“夏の甲子園”でレベルアップへの道を切り開いた。
📝高校野球で素朴な疑問「普通の公立校は…仙台育英に勝てる?」《昨夏は県ベスト4》宮城トップ級進学校に聞く“番狂わせの起こし方”「量より質に逃げない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/7693085d3d74c126dfa4c89286dd3d6698908d2e
2025年の夏の宮城大会で39年ぶりにベスト4に進出した仙台一高。県内ではトップ級の進学校として名高い同校だが、コロナ禍の中行われた2020年の独自大会以来、5年ぶりのベスト4に進出した。そんな仙台一高の前に、準決勝で立ちはだかったのが強豪・仙台育英だった。
実は2020年の独自大会でも仙台一高は準決勝で仙台育英と対戦している。会場も2025年と同じ石巻市民球場。結果は2020年が1対7、2025年が1対8の7回コールドと、どちらも点差をつけられて敗れている。両年ともに県ベスト4という結果を残した一方で、跳ね返された超強豪の壁。5年越しに直面したこの結果について、選手たちはどう考えているのだろうか? 2年生で唯一スタメンだった島貫晃輔は、仙台育英の印象をこう振り返る。
「もちろん力の差はありましたし、試合に後悔はありません。ただ、『もしこうしていたら……』とか考える余地のあるプレーはいくつもあったんじゃないかと思います」
王者・仙台育英の印象…「“正しい努力”を積めば」
代打で出場し、ヒットを放った2年生の田原口慈も振り返る。
「仙台育英は強かったです。でも、絶対に勝てない相手だと思ってしまったら本当に勝てない。ここから全員が“正しい努力”を積めば勝負できるはずだと信じています」
コールドでの敗戦を経験したうえでなお、選手たちは前向きだった。仙台育英は、強い。それでも勝てる可能性はゼロではないと思うことができているという。ではその仙台育英との差はどこにあるのか。勝利には何が足りないのか。
「仙台育英さんに負けたその日に新チームでミーティングをしました。ゲームを振り返ってみると、ヒット数はたいして変わらないんです。でも、相手のヒットは苦しい時の長打であったり、連打であったり、チャンスでの一本だったり……やはり勝負強いなと感じました」そう振り返ったのは夏に途中出場した千葉悠成だった。
冬の課題は「とにかく数を振る」…最後は“地力”の意外
千葉の言う通り、両チームのヒット数は仙台一高が7本、仙台育英が9本と決して負けてはいない。むしろ6回までは仙台一高がヒット数で仙台育英を上回っていた。一方で、仙台一高は7本のヒットすべてが単打だった。仙台育英は9本中4本が長打、そのうち2本がホームランと、長打力の差が顕著に現れていた。選手たちに冬の練習で意識しているテーマを聞いても、「とにかく数を振る」という回答が多かった。どれほど策を練ろうと、最後の勝負所でモノを言うのは地力でしかない。そのリソースをどこに割くのかを、夏の大会での敗戦を通じて選手たちは感じ取ったということだろう。新チームでは4番を務める田原口はこう続ける。
「この冬はチーム全体として『量を重ねる』ことをテーマとしています。それは投手も野手も関係ないです。自分たちが今までの方法では結果を残せなかったので練習方法の根底から変える必要がありました。量を重ねてパワーをつけています」
では、指揮官の千葉厚監督は、仙台育英をはじめとした強豪私学と勝負するための「ポイント」をどのように考えているのだろうか? 千葉監督は選手たちよりもより戦略的な面から答えを返してくれた。
「もし勝つ確率を上げるとするならば――序盤の体力が削られていないところで強いチームと当たることだと思います」
全国から選手が集う仙台育英をはじめ選手層が厚い強豪私学チームと比べると、公立校である仙台一高は大会終盤にどうしても疲労が出てきてしまう。2025年の夏は、エースの藤田拓実が3回戦と準々決勝の2試合連続で完投していた。特に準々決勝は延長10回を完投しており、そこから中2日での準決勝、仙台育英戦だった。だからこそ、千葉監督は「番狂わせを起こすのであれば序盤」だと考えている。その点では「シードであることが必ずしも有利に働くとは限らない」とまでいう。そのため、夏のシードを決める春の大会をどう戦うかも重要であると語る。戦術的な面としては「ロースコアの展開に持ち込まないと勝つのは難しい」と千葉監督は語る。
「選手たちが口にしているように、打力の差は埋めないといけないですから、練習ではどんどん振らせます。でも、波が少ないのは、やっぱり守備と走塁なんですよ。これをより高めていく作業をした方が、たぶん公式戦向きになると思うんですよね」
その考えの裏には、強豪私学の分厚い投手層の存在がある。仙台育英が好例だが、140キロ、150キロを投げる投手が複数人いるチームを相手にすれば、チャンスを作っても危なくなればすぐに継投されてしまう。実際に昨夏も、仙台育英の先発・梶井湊斗を攻め立てて2回、3回と連続でチャンスを作ったが、すぐ別の投手に代えられてしまい1点しか奪えなかった。
「勝つ確率を上げるという考えは難しくて、負けない確率を上げていく。どうしたら負けないかということを、とことん突き詰める。だから10対9のゲームは作ろうと思っていなくて。勝てるとしたら1対0のゲームです」
とはいえ長打力をあげつつ、守備力も高めていく……というのは当然ながら難しい。単純に膨大な練習量が必要になってくるからだ。
重要なのは「“量より質”に逃げない」こと?
だからこそ千葉監督は「“量より質”に逃げないで欲しい」と主張する。
「勉強も結局、取り組んだ時間が大事なんですよね。野球も同じで、量の中に質を求めていく」
仙台一高は1日の授業が終わるのは15時40分になる。その後、仙台市中心部の校舎から、およそ7キロ離れた沿岸部にある専用グラウンドまで移動しなければならないため練習開始は16時30分、練習時間は2時間30分と限られている。この限られた練習時間で、いかに量をこなすかの工夫は、学生コーチをはじめとした部員自らが考えている。田原口が語った冬季練習のテーマに象徴されるように、その考えは監督から直接言われなくても選手たちへと浸透している。もうひとつ千葉監督が「番狂わせに必要」と語ったのが、試合に臨む心構えだ。選手たちに対し、「大学生になったつもりで野球をやりなさい」と伝えているという。
「やっぱり相手を上に見ちゃったら、絶対に勝てない。相手へのリスペクトは持つけれど、試合をする前から勝てないと思ってしまったら絶対に勝てない。実際の実力はともかくとして、そうやって思えるメンタルが重要で」
そのためには部員の精神的な成熟度合いを上げる。そうすれば強豪校を相手にしても、名前で負けないようになる。地域の小中学生を対象とした野球教室などの行事は、そういった面でも効果的なのだという。一方で、仙台育英をはじめとした強豪私学の存在は、同時に目指すべき目標にもなる。
「仙台育英は日本一にもなっていますし、それ以外にも実力のある高校が近くで刺激をくれるのはありがたいですね。そこを目標に頑張らなきゃいけないという目印があって、我々はすごく張り合いがあると感謝しています」
また、強豪私学に勝つことだけが目標ではない、とも千葉監督は強調する。
「我々の目標はあくまで甲子園に行って、勝つことですから。どんなルートであれ、そこに近づくことが重要なのかなと思っています」
実際に21世紀枠の東北代表となった2023年の秋季大会では、王者・仙台育英が東陵に敗れ、その東陵に3位決定戦で勝利して東北大会に進出している。目標はあくまでも甲子園だからこそ、仙台育英に勝つことに固執しているわけではないのだ。こうした合理的な考え方は、公立の進学校ならではなのかもしれない。
野球部員から東大合格者も…「文武両道」の秘密は?
こうしたストイックな野球部生活を送る一方で、仙台一高の硬式野球部からは東大・京大をはじめとして、全国の難関大学に多くの合格者を輩出している。文武両道を標榜する高校にあっても、実際の野球部員が受験の面でも結果を残しているケースはそう多くはない。では仙台一高はなぜ、野球と勉強の両面で結果を残すことができているのだろうか?
<次回へつづく>
https://news.yahoo.co.jp/articles/a3a0a5216b55f3925d843cb4e2733cbefe63321c
2028年春から導入検討の「7イニング制」、高松商業・長尾監督が語る野球の本質
野球は他の競技に比べて、勝敗が決まるまでに長い時間を要する。屋外スポーツであることから酷暑による体への影響も考慮し、高野連は2028年春の選抜大会から「7イニング制」を導入することを検討している。高松商業の長尾健司監督は「導入されれば新たなルールに則って指導するつもりだし、今までにない面白みがあるかもしれない」と話すも、どちらかと言えば「反対やな」と語る。高松商を甲子園に導いた長尾監督が、野球の本質と、9イニングを戦うべき理由を説いた。
検討されている「7イニング制」は、公式戦では2025年秋に滋賀県で開かれた「わたSHIGA輝く国スポ」で初めて実施された。従来の9イニング制と比べると30分から1時間ほど試合時間が短くなることから、出場選手からは疲労の蓄積が少ないというポジティブな意見もあったが、監督や指導者からは、競技の特性が変わってしまうこと、記録の継続性が失われることなどを理由に、ネガティブな反応が多かった。
大きな変化が起きる際には摩擦が生じやすい。新しい制度の欠点を突くのではなく、長尾監督は「野球が9イニングじゃないといけない理由、分かる?」と記者へ質問を投げかけ、100年以上続く「9イニング制」と、それによる教育的意義を説明しはじめた。
なぜ9イニングが最適なのか。長尾監督によると、野球とは得点数を競い、「打率.300に達すれば良い打者と言われ、そのための練習をしている」競技だという。「9イニングの場合、バッターが1試合にフル出場すれば、どんなに素晴らしい投手と対戦することになって抑えられたとしても、(27個のアウトを取られるまでに)1人3回は打席が回る。打率3割を打てるようになれたら(計算上は)ヒットが1本打てるってことやろ」と理由を示した。
「失敗を取り返す機会がなくなって、楽しくないと感じる子が増えるだろうね」
3割打者がフルイニング出場したら、1、2回目の打席でアウトになっても、3回目の打席で“成功する確率”が高い。野球には、サッカーやバスケなどと違って、対戦する2チームに力の差があっても平等に攻撃するチャンスが巡ってくる。これが試合終盤にドラマが生まれる根源でもある。
だが「7イニング制」では3打席が保障されなくなる。「どんどん出塁できれば1人3回打席に立てるけど、ヒットを打てずに抑えられ続けたチームは、上位打線以外のほとんどの打者が2回しか打席に立てなくなる。完全試合は滅多にないけど、(試合中に)失敗を取り返す機会がなくなって、楽しくないと感じる子が増えるだろうね」。
指導者も子どもの成長を感じづらくなり、充実感を失う可能性も考えられる。イニングが短くなることで「野球離れが進むかもしれない」と長尾監督。「審判が言う『ストライク!』って、日本語で『打て!』って意味。だからバッターは絶対に打たないかん。そのためには3打席回らないかんのよ」。バッティングは失敗する確率の方が高い。だからこそスタメン全員に、平等に“成功のチャンス”が与えられることを長尾監督は願っている。
📝<四高野球―いま・むかし―>/4止 科学的思考で再び前へ 甲子園見据え、ブレずに練習
https://news.yahoo.co.jp/articles/feae787fac375192f453592cadeabbf7c50515da
文部科学省の「スーパーサイエンスハイスクール」にも指定され、進学実績がより目立つようになった四日市高校の野球部は2024年春、20人の新入部員を迎えた。例年の12~13人に比べて多いだけでなく、能力の高い選手が集まった。
制球力が持ち味の田中新投手と強打の捕手・得平達仁選手。さらに村瀬智哉二塁手と貞任宏槻遊撃手、そして伊藤遼祐中堅手と、センターラインに好選手がそろった。加藤敬三監督は「このメンバーを見た時『ひょっとしたら』と思った」と明かす。
十分な勉強時間を確保するため午後7時に完全下校、平日の練習時間は約2時間。しかもグラウンドは他の部活動と共用。チームは創意工夫と持ち前の科学的思考で「制約」を乗り越えようとしている。練習では毎日、各個が目標を立て、実行し、フィードバックすることの繰り返し。フリー打撃やノックをよそに、ティーバッティングを繰り返す選手がいればブルペンに入る投手、ストレッチに打ち込む選手もいる。自主性重視と自由度の高さが特徴だ。
昨年12月に取材した際、フリー打撃はケージを外野ではなくバックネットに向けて四つ並べていた。ケージの後ろでは内野ノック。ベースの位置を意識せず、スローイングは抜きで捕球に専念している。高校野球経験のある筆者の目に「ダイヤモンド」を意識しない練習が新鮮に映った。
「あれだと球拾いの手間が省けるし、3基しかない照明灯で照らせる広さなので日が落ちても大丈夫。守備の送球は少し暖かくなってからですね」と加藤監督。こうした練習方法は選手たちが考案したものだという。
昨夏の三重大会は2回戦で強豪・海星と4―5の接戦を演じた。これが自信となり、多くのレギュラーが残った新チームは、秋季大会で近年甲子園を経験したいなべ総合や宇治山田商を連破。25年夏の代表校・津田学園に敗れた準決勝も終盤までリードしていた。学業と両立してつかんだ県4強。それが21世紀枠の候補になった理由だった。
センバツの選考委員会があった1月30日、四日市高校では、生徒が研究の成果を披露する「四高版科学の祭典」が開かれていた。
体育館では、得平選手が「バットの材質と打球速度の関係」について発表した。同じ条件下で5種類のバットを用いて打球速度を測定し、低反発バットの一つが最も打球速度が出やすいことを突き止めたという内容。実際にそのバットを使っているという。また、大村穣太郎選手(2年)は「初球の入り方の重要性」を研究。試合のスコアシートから記録を抽出するなどして「ボール球を見逃した時の出塁率が5割」に達するとの結果を得た。こうしたデータはチームで共有されている。
その日の午後。選考委員会の発表で「四日市」の名が呼ばれることはなかった。だが、隯海生主将は「選ばれる可能性があるというだけでモチベーションが上がり、励みになった。これからもブレずしっかり練習していきたい」と前を見据えた。その視線の先には夏の甲子園がある。=おわり
☝県岐商で甲子園4強の夏から約半年…横山温大が岐阜聖徳学園大で大学野球生活スタート 目標は首位打者のタイトル
https://news.yahoo.co.jp/articles/d8b9105f3724b9612b26703a87e4b0d10b4b9227
昨夏の甲子園を沸かせた県岐阜商の横山温大外野手(3年)が、進学先の岐阜聖徳学園大での大学野球生活をスタートさせた。生まれつき左手指の一部が欠損しているハンディを感じさせないプレーで、チームの16年ぶり甲子園4強に貢献したあの夏から約半年。「もっと上のレベルでやりたい」という目標に向かい、新天地でも野球に打ち込む。
東海地区大学野球連盟の岐阜県学生リーグに所属する岐阜聖徳学園大。岐阜県各務原市出身の横山は「岐阜県は住みやすくていい場所だし、地元の人に身近なところで活躍を見てほしい」と進路を決めた。14日から練習に合流し、ハイレベルな練習に食らいつく日々を送っている。
高校3年夏の岐阜大会で打率5割2分6厘を残し、甲子園でも5試合で5安打3打点の好打者。「打率を稼げる打者になりたい」と首位打者のタイトル獲得を目標に掲げる。甲子園でヒーローになってもおごることはなく、大学でも縁の下の力持ちに徹する。「自分がチャンスメークして、デカいバッターに返してもらえたら」。髪が伸び大人っぽいいでたちになっても、あどけない笑顔は変わらない。
高校1年の10月に「球速も伸びないし、思い切ってバッターで勝負しよう」と投手から野手に転向。2年秋から代打や代走で出場機会を得て、最後の夏にレギュラーまで上り詰めた。自ら道を切り開いて、大舞台で輝いた。甲子園に出たことで「社会人だったり、レベルの高いところでもっとやりたい気持ちが強くなった」と向上心も高まった。
岐阜聖徳学園大は元中日投手の近藤真市監督(57)の下、全国から好選手が集い、特に外野はチーム内競争が激しい。高校時代のようにコツコツと努力を重ね、居場所をつかみ取る。
📝人気先行で「組織票かな」 2軍調整中に球宴選出…「もう嫌」を変えた夏の甲子園
https://news.yahoo.co.jp/articles/77c2c3570a840b9eb3d684d9e40e119411a3614b?page=1
太田幸司氏は高卒1年目から2軍調整続くも注目された
三沢高時代に甲子園を沸かせた元近鉄の太田幸司氏(野球評論家)がプロで“きっかけ”をつかんだのは高卒3年目の1972年だ。2年目オフからフォームをスリークオーター気味にして、真っ直ぐ、カーブだけでなくシュート、スライダーも駆使するスタイルへの“改造”に着手。その成果が徐々に出始めた。舞台は甲子園、相手は巨人の王貞治内野手と長嶋茂雄内野手で「松坂じゃないけど、自信が確信に変わった」試合もあったという。
甲子園のアイドル球児という看板を背負って1969年ドラフト1位で近鉄入りした太田氏の成績は1年目25登板で1勝、2年目14登板で0勝。2年目はシーズン中に投球フォームもバラバラの絶不調に陥り、一時は引退も考えるほどに落ち込んだが、ある寺の住職に「甲子園で投げていた太田幸司を捨ててみなさい」などと言われて、気持ちを切り替えてフォーム改造などに取り組みはじめた。3年目はいわば再スタートの年だった。
すぐさま結果を出せたわけではない。新しい形を自分のモノにするまでには時間がかかった。1972年シーズンは、開幕9戦目の4月22日の南海戦(日生)で初登板。1-7の8回に3番手でマウンドに上がったが、門田博光外野手に一発を浴びるなど、1回4失点。その後は2軍調整が続いた。それでも人気は相変わらず絶大だった。「そんな中でオールスターのファン投票があって、また1位でしたからねぇ」。
これで入団以来、3年連続で球宴にファン投票選出。人気先行と言われることに抵抗を感じながらも選ばれてしまうのだから、どうしようもない。「何か組織票でもあるのかなって思ったくらいでした」と苦笑するが、この3年目は、これまでとちょっと違った。まずは球宴前の前半最終戦の7月20日の西鉄戦(平和台)に先発のチャンスを得て、2失点で初完投勝利。1年目の1970年4月19日のロッテ戦(藤井寺)以来のプロ2勝目をマークしたことが大きかった。
「オールスターに0勝じゃなくて1勝で行けた。それも最初の(プロ)1勝目はおこぼれみたいな(味方の)サヨナラホームランで勝ったけど、(プロ2勝目は)自分の力で、スライダーやシュート、自分の新しいピッチングスタイルで勝てたということで、何とか行けるかな、みたいな自信めいたものを持ってオールスターに行けたのでね」。2年目オフから取り組んできたことへの手応えをついに感じたのだ。
球宴で長嶋茂雄に“禁断”のシュート攻勢
3度目の球宴、太田氏の出番は7月25日の第3戦だった。舞台は思い出いっぱいの甲子園、そこで全パの阪急・西本幸雄監督から先発に起用された。相手の全セ先発は阪神・江夏豊投手だったが、臆することなく腕を振った。そこには球宴特有のお祭り感覚はない。新しいスタイルがセ・リーグのスター選手たちに通じるか。その思いで勝負に挑んだ。結果は3回1失点で敗戦投手になったが「あれがまた、僕の野球人生の大きな転機になりました」と話す。
忘れられないのは3回の投球だ。無死から四球と失策の走者を置いて、阪神・池田祥浩外野手に右前適時打を許し、その後だった。このピンチで3番・王、4番・長嶋のON砲を打ち取った。「ノーアウト一、二塁だったかな。王さんを外スラで泳がせてショートフライ。で、長嶋さんはシュートでセカンドゴロゲッツー。天下の長嶋さんに普通、オールスターでシュートは投げないよ。ぶつけたらえらいことだからね。でも、あの時の僕はそんなことを言っていられなかった」。
それは太田氏にとって最高の結果だった。「マスターしたてのスライダーとシュート、これは使えると思った。あれで新しい太田幸司のピッチングというのが、松坂じゃないけど、自信が確信に変わった」。これより27年後の1999年5月16日に西武・松坂大輔投手はオリックス・イチロー外野手と西武ドームで初対戦し、3打数3三振1四球に抑えて「自信が確信に変わってきました」とコメントしたが、その“名言”を例にするほどの感触だったということだ。
「このスタイルで行けるというオールスターだった。それまでは『もうオールスターに出るのは嫌だよ』って言っていたんだけどね。あの時、場所が甲子園だったというのも何か因縁めいていてねぇ……。僕のある意味、プロのピッチャーとして、野球人として新しくスタートしたのが、あのオールスターだったかなと思いますね」
3年目の太田氏は後半戦初登板となった8月10日の西鉄戦(平和台)に先発で7回2/3、4失点で勝利投手。その後は白星をつかめず、16登板(8先発)2勝1敗、防御率3.90に終わったものの、引退をも考えた1年前の2年目オフと違って、3年目オフは気持ちも完全に前向きだった。「次の年から6勝、10勝、12勝かな。(2年目オフに)辞めなくてよかったですよ」。きっかけはプロ3年目のON封じ。また“夏の甲子園”でレベルアップへの道を切り開いた。
📝高校野球で素朴な疑問「普通の公立校は…仙台育英に勝てる?」《昨夏は県ベスト4》宮城トップ級進学校に聞く“番狂わせの起こし方”「量より質に逃げない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/7693085d3d74c126dfa4c89286dd3d6698908d2e
2025年の夏の宮城大会で39年ぶりにベスト4に進出した仙台一高。県内ではトップ級の進学校として名高い同校だが、コロナ禍の中行われた2020年の独自大会以来、5年ぶりのベスト4に進出した。そんな仙台一高の前に、準決勝で立ちはだかったのが強豪・仙台育英だった。
実は2020年の独自大会でも仙台一高は準決勝で仙台育英と対戦している。会場も2025年と同じ石巻市民球場。結果は2020年が1対7、2025年が1対8の7回コールドと、どちらも点差をつけられて敗れている。両年ともに県ベスト4という結果を残した一方で、跳ね返された超強豪の壁。5年越しに直面したこの結果について、選手たちはどう考えているのだろうか? 2年生で唯一スタメンだった島貫晃輔は、仙台育英の印象をこう振り返る。
「もちろん力の差はありましたし、試合に後悔はありません。ただ、『もしこうしていたら……』とか考える余地のあるプレーはいくつもあったんじゃないかと思います」
王者・仙台育英の印象…「“正しい努力”を積めば」
代打で出場し、ヒットを放った2年生の田原口慈も振り返る。
「仙台育英は強かったです。でも、絶対に勝てない相手だと思ってしまったら本当に勝てない。ここから全員が“正しい努力”を積めば勝負できるはずだと信じています」
コールドでの敗戦を経験したうえでなお、選手たちは前向きだった。仙台育英は、強い。それでも勝てる可能性はゼロではないと思うことができているという。ではその仙台育英との差はどこにあるのか。勝利には何が足りないのか。
「仙台育英さんに負けたその日に新チームでミーティングをしました。ゲームを振り返ってみると、ヒット数はたいして変わらないんです。でも、相手のヒットは苦しい時の長打であったり、連打であったり、チャンスでの一本だったり……やはり勝負強いなと感じました」そう振り返ったのは夏に途中出場した千葉悠成だった。
冬の課題は「とにかく数を振る」…最後は“地力”の意外
千葉の言う通り、両チームのヒット数は仙台一高が7本、仙台育英が9本と決して負けてはいない。むしろ6回までは仙台一高がヒット数で仙台育英を上回っていた。一方で、仙台一高は7本のヒットすべてが単打だった。仙台育英は9本中4本が長打、そのうち2本がホームランと、長打力の差が顕著に現れていた。選手たちに冬の練習で意識しているテーマを聞いても、「とにかく数を振る」という回答が多かった。どれほど策を練ろうと、最後の勝負所でモノを言うのは地力でしかない。そのリソースをどこに割くのかを、夏の大会での敗戦を通じて選手たちは感じ取ったということだろう。新チームでは4番を務める田原口はこう続ける。
「この冬はチーム全体として『量を重ねる』ことをテーマとしています。それは投手も野手も関係ないです。自分たちが今までの方法では結果を残せなかったので練習方法の根底から変える必要がありました。量を重ねてパワーをつけています」
では、指揮官の千葉厚監督は、仙台育英をはじめとした強豪私学と勝負するための「ポイント」をどのように考えているのだろうか? 千葉監督は選手たちよりもより戦略的な面から答えを返してくれた。
「もし勝つ確率を上げるとするならば――序盤の体力が削られていないところで強いチームと当たることだと思います」
全国から選手が集う仙台育英をはじめ選手層が厚い強豪私学チームと比べると、公立校である仙台一高は大会終盤にどうしても疲労が出てきてしまう。2025年の夏は、エースの藤田拓実が3回戦と準々決勝の2試合連続で完投していた。特に準々決勝は延長10回を完投しており、そこから中2日での準決勝、仙台育英戦だった。だからこそ、千葉監督は「番狂わせを起こすのであれば序盤」だと考えている。その点では「シードであることが必ずしも有利に働くとは限らない」とまでいう。そのため、夏のシードを決める春の大会をどう戦うかも重要であると語る。戦術的な面としては「ロースコアの展開に持ち込まないと勝つのは難しい」と千葉監督は語る。
「選手たちが口にしているように、打力の差は埋めないといけないですから、練習ではどんどん振らせます。でも、波が少ないのは、やっぱり守備と走塁なんですよ。これをより高めていく作業をした方が、たぶん公式戦向きになると思うんですよね」
その考えの裏には、強豪私学の分厚い投手層の存在がある。仙台育英が好例だが、140キロ、150キロを投げる投手が複数人いるチームを相手にすれば、チャンスを作っても危なくなればすぐに継投されてしまう。実際に昨夏も、仙台育英の先発・梶井湊斗を攻め立てて2回、3回と連続でチャンスを作ったが、すぐ別の投手に代えられてしまい1点しか奪えなかった。
「勝つ確率を上げるという考えは難しくて、負けない確率を上げていく。どうしたら負けないかということを、とことん突き詰める。だから10対9のゲームは作ろうと思っていなくて。勝てるとしたら1対0のゲームです」
とはいえ長打力をあげつつ、守備力も高めていく……というのは当然ながら難しい。単純に膨大な練習量が必要になってくるからだ。
重要なのは「“量より質”に逃げない」こと?
だからこそ千葉監督は「“量より質”に逃げないで欲しい」と主張する。
「勉強も結局、取り組んだ時間が大事なんですよね。野球も同じで、量の中に質を求めていく」
仙台一高は1日の授業が終わるのは15時40分になる。その後、仙台市中心部の校舎から、およそ7キロ離れた沿岸部にある専用グラウンドまで移動しなければならないため練習開始は16時30分、練習時間は2時間30分と限られている。この限られた練習時間で、いかに量をこなすかの工夫は、学生コーチをはじめとした部員自らが考えている。田原口が語った冬季練習のテーマに象徴されるように、その考えは監督から直接言われなくても選手たちへと浸透している。もうひとつ千葉監督が「番狂わせに必要」と語ったのが、試合に臨む心構えだ。選手たちに対し、「大学生になったつもりで野球をやりなさい」と伝えているという。
「やっぱり相手を上に見ちゃったら、絶対に勝てない。相手へのリスペクトは持つけれど、試合をする前から勝てないと思ってしまったら絶対に勝てない。実際の実力はともかくとして、そうやって思えるメンタルが重要で」
そのためには部員の精神的な成熟度合いを上げる。そうすれば強豪校を相手にしても、名前で負けないようになる。地域の小中学生を対象とした野球教室などの行事は、そういった面でも効果的なのだという。一方で、仙台育英をはじめとした強豪私学の存在は、同時に目指すべき目標にもなる。
「仙台育英は日本一にもなっていますし、それ以外にも実力のある高校が近くで刺激をくれるのはありがたいですね。そこを目標に頑張らなきゃいけないという目印があって、我々はすごく張り合いがあると感謝しています」
また、強豪私学に勝つことだけが目標ではない、とも千葉監督は強調する。
「我々の目標はあくまで甲子園に行って、勝つことですから。どんなルートであれ、そこに近づくことが重要なのかなと思っています」
実際に21世紀枠の東北代表となった2023年の秋季大会では、王者・仙台育英が東陵に敗れ、その東陵に3位決定戦で勝利して東北大会に進出している。目標はあくまでも甲子園だからこそ、仙台育英に勝つことに固執しているわけではないのだ。こうした合理的な考え方は、公立の進学校ならではなのかもしれない。
野球部員から東大合格者も…「文武両道」の秘密は?
こうしたストイックな野球部生活を送る一方で、仙台一高の硬式野球部からは東大・京大をはじめとして、全国の難関大学に多くの合格者を輩出している。文武両道を標榜する高校にあっても、実際の野球部員が受験の面でも結果を残しているケースはそう多くはない。では仙台一高はなぜ、野球と勉強の両面で結果を残すことができているのだろうか?
<次回へつづく>
📝<四高野球―いま・むかし―>/3 進学志向で長期低迷 遠ざかった甲子園 一時は廃部危機も
https://news.yahoo.co.jp/articles/c85fc046e04cac15a18c6779eed560d19ec1a33a
1955年夏の甲子園で全国制覇を果たした四日市は市民の大歓迎を受けた。優勝メンバーの伊藤政継さん(88)は「20万人が集まったという報道もあった。当時の人口より多いんじゃないか」と笑う。「凱旋」の様子を伝える毎日新聞の号外が高校に隣接する同窓会館に展示されている。選手たちを取り巻くのは、人また人の波だ。
だが、その後しばらく、期待に応えられない時期が続く。進学率が向上し、県下随一の進学校に発展したのが大きな理由とされる。全国制覇の立役者ともいえる部長の池内定雄さんが創部100周年記念誌「白球追って」に書いている。
「昭和30年を契機として進学率も向上、県下随一の進学校に発展した。そのため素質のある選手の獲得はますます至難となり、少人数で短時間、合理的に練習する以外に部の存続方法はなかった」
そんな中、悲願をかなえようと、池内さんは65年に3年計画を立て、高橋正勝さん(55年度卒)以来の好投手といわれた本格派右腕・葛西源司さんの獲得に成功。67年夏、12年ぶりに甲子園の土を踏んだ(初戦で青森の東奥義塾に1―3で敗退)。ただ、事態は好転しなかったようだ。
「なかなか勝てない野球をやるより勉強していい大学へ入ったほうが利口だ」と言う生徒。「家に帰ってきたら寝てばかりいる。野球をやめさせてほしい」という保護者。「スポーツをしていたら一流大学に入れない」という空気が強まり、退部していくものが多かった。
池内さん、監督の水谷貞雄さんは69年のシーズンをもって退任。池内さんは部室に掲げられていた「怠惰の心なかりしや」で始まる五カ条、「和は各自の責任ある行動より生まれる」という部訓を自らの手で下ろした。
翌年夏、高校に隣接する同窓会館には退任した2人を顕彰する記念碑が建った。中でも春夏3度の甲子園出場、55年夏の甲子園と国体での「優勝」は赤字で刻まれている。それは野球の強豪校としての終幕を示すものでもあった。
70年春に新入生が入部する前の部員はわずか8人。日々の練習さえままならず、廃部の危機にまで直面した。それ以降の戦績は「普通」の公立進学校そのもの。上位に進出することもかなわなくなっていった。
現在監督の加藤敬三さん(56)が在学したのは80年代。既に甲子園出場当時とは大きく事情が異なっていた。「私が中学3年の時、3年生の代が中心のチームが春季東海大会に進出しましたが、正直なところ、全体に甲子園は難しい時期が続いていました」と振り返る。
夏の三重大会では2011年のベスト4が近年の最高成績。なんと、これが甲子園に最後に出場した67年以来44年ぶりの4強進出だった。その準決勝では優勝した伊勢工に3―5で逆転負けしている。=つづく
📝浜崎剛男さん 1月から西日本短大付の野球部監督 父・満重さんは92年に全国制覇
https://news.yahoo.co.jp/articles/67d54f535a73f63789204cebb983e939a6d2efa8
春夏通算10度の甲子園出場があり、1992年夏に全国制覇した西日本短大付(福岡)に1月から着任した浜崎剛男監督(53)は、ダイエー、ソフトバンクの球団職員として30年間勤務した。王貞治球団会長、故根本陸夫さんらの姿勢や言葉が財産になっている。ホークス魂と同校で深紅の大旗へ導いた父・満重さんと同じ「守りの野球」で夏の頂点を目指す。
朝から降り続いた雪がグラウンドには残っていた。凍えるような寒さの中でも、夏2連覇中のチームを引き継いだ浜崎新監督の心は熱かった。
「(夏の)3連覇というより10連覇以上したい。目標は高く置いておかないと」
父・満重さんは社会人野球の新日鉄堺で監督を務めていた。中学3年時に父が西日本短大付の監督に就任するにあたり、浜崎さんも福岡へ。高校は父の下で甲子園を目指した。「人の2倍、3倍しないと認められない」とコツコツ努力を重ねた。メンバーの選定方法は全部員による投票制だったが、3年夏は背番号10でベンチ入り。甲子園に出場し、3回戦の宇部商(山口)戦では右前に適時打を放つなど4強入りに貢献した。「甲子園は土もふわふわで歓声も凄かった。タイムリーも覚えています」と笑みを浮かべる。
大学卒業後はダイエー、ソフトバンクで球団職員として30年間勤務した。一番長くいたのは編成部。ドラフトは00年の山村路直(九州共立大)―山田秋親(立命大)の“山山コンビ”から19年まで携わった。華やかな仕事だけではない。嫌な役回りもした。戦力外通告だ。対象の選手に対して「あす球団事務所に…」と連絡する。「僕の電話をみんな嫌がってましたね」と申し訳なさそうに話す。
ホークスでは数え切れない出会いがあった。レジェンドの言葉と姿勢が財産になっている。王監督(現球団会長)はまだキャンプ地が高知だった頃から、遅くまでサインする姿が目に焼きついている。「お年玉をためて来ているファンもいる。全力プレーをする」と選手に熱く語りかける姿が忘れられない。
監督、GMを務めた故根本陸夫さんからは「雑用したら勝ちだよ。何でもした方がいい。経験した方がいい」と助言された。アマチュア界など各方面にパイプを持ち“球界の寝業師”ともいわれた根本さんはこうも言っていた。「一番大変なのは高校の監督だよ」。スカウティング、選手の育成、就職や進学のサポートをするからだ。20年以上が経過し「まさか自分がなるとは」と語る。
92年に全国制覇した父と同じ「守りの野球」を目指す。「最少失点に抑えていかに取るか。ヒット数より得点が多い野球ができれば」と思い描く。週末の練習時間は浜崎監督の現役時代には朝から晩までやっていたが、今は4時間程度。「メリハリをつけてくれたら。後悔しない取り組みをしてほしい」。名門を背負う重圧を力に変える。
○…浜崎監督にとって日本ハムの新庄監督は高校時代の1学年先輩だ。後輩思いで誰にでも優しかったという。毎日バットを振って練習する背中を見てきた。一番印象に残っているのは肩の強さ。「あの肩はバケモノですよ。普通に投げている送球なのに伸びているような感じ。あれでドラフト5位なので1位は凄いなと思いましたね」と懐かしんだ。
📝DH制を熟知して円滑運用を…長崎県高野連が説明会、指導者ら100人対応学ぶ
https://news.yahoo.co.jp/articles/62759c07324902b1adaab44ef280f6cd78735ef6
長崎県高野連は22日、諫早市の長崎日大高で第98回選抜高校野球大会、第158回九州地区高校野球県大会から導入される指名打者(DH)制の説明会を開いた。加盟校の指導者や審判委員ら約100人が参加して新制度への対応を学んだ。
初めに藤本利治理事長が「ぶっつけ本番なところもあり、不安はあると思うが、DH制度に関する理解を深めていければ」とあいさつ。続いて、県野球審判協会の岩永聡審判長が、起こりそうな事例を挙げながら、丁寧に説明した。
指導者らからも「例えばドジャースの大谷選手がDHを解消して、別の守備位置に就いた。そして、その大谷選手がまた投手に戻ることはできるのか」「一回表にDHに入っている大谷投手がノックアウトされて、二塁を守っている選手を投手に入れたい場合、打撃が完了していないDH大谷の交代は可能なのか」など想定される事案についての質問があった。
岩永審判長は「いろんなケースが出てくると思う。ルールを熟知した上で、練習試合などで試して、DH制の円滑な運用ができるように皆さんにお願いしたい」と呼びかけた。
📝ファン投票1位は「辛かった」 ドラ1が陥った“精神崩壊”…2年間1勝で一転バッシング
https://news.yahoo.co.jp/articles/bc4cd8123670898aaf89b7d0a6a13e3842810eee?page=1
甲子園のヒーロー、太田孝司氏のプロ1年目は0勝1敗
追い込まれた。元近鉄右腕の太田幸司氏(野球評論家)にとってプロ2年目(1971年)は大試練のシーズンだった。三沢高時代に甲子園を沸かせた超人気者として注目を集めながら、この年は14登板で0勝1敗、防御率6.84。シーズン途中からは「どう投げていいのか、わからなくなった。ちょっと精神的にヤバい状況だった」とのことで、完全に自信喪失。「オフには野球を辞めようと思った」という。
プロ1年目(1970年)の太田氏は1勝4敗ながら、リリーフでも先発でも、大崩れした試合は少なかったし、2年目の成長が期待される内容だった。1年目のオフに退寮し、一戸建てを購入、青森から両親を呼び寄せての新生活をスタート。やる気満々だったが、逆の目が出た。勝ち星は1勝より下のゼロ。「あの年は僕の野球人生で一番の大きな危機というか、途中で何かイップスみたいな感じになりましたからね」。躍進どころか、大きく後退した形になった。
シーズン初登板は開幕7戦目の4月18日の南海戦(日生)で、3-14の9回に4番手で投げて1回無失点だったが、4月22日の西鉄戦(北九州)では先発して5回1/3、4失点で敗戦投手。その後もピリッとしないケースが目立った。この年、2度目の先発となった6月19日の南海戦(日生)では0/3回で3失点。「フォアボールでしょ」と太田氏は言うように、初回にいきなり3連続四球を与えて降板となった。
「怪我とかじゃないですよ。(首脳陣に)“あー、これは無理だな”と判断されたってことでしょう。もうホント、どう投げればいいか、わからなくなっていましたから。技術的というより、精神的にちょっと……。1年目はそこそこやっていけたのが、いけなくなったことでね」。シーズン前半の太田氏の登板はそれが最後で再調整となったが、そんな状態でもオールスターゲームに2年連続ファン投票で選出された。
「それでオールスターに出なければいけないんだからねぇ。1年目も1勝で出たけど、2年目は0勝ですからね。そりゃあ、もうつらかったですよ」。第1戦(7月17日、西宮)に6回からパ・リーグ3番手でマウンドに上がり、最初の打者の巨人・長嶋茂雄内野手を三ゴロに打ち取るなど、2回1失点投球だったが、とにかく必死だったのだろう。「あの年のオールスターの結果は、ほとんど覚えていないなぁ」と話す。
その試合では阪神・江夏豊投手が先発してパ・リーグ打線から9者連続奪三振の3回無失点投球。「それは見ていました。(やられた側でも)パ・リーグのバッターは『せこく当てに行くなよ』とか『一発かましてきたるからな』とか言って、みんな威勢良く空振りしていた。空振りするたびにパのベンチも盛り上がっていましたよ。魅せるっていうかな。オールスターの醍醐味だったなぁ」と印象に残っているが、その後に投げた自分のことは記憶が飛んでいるそうだ。
マスコミも掌返しの「人気先行」
後半戦は4試合に投げただけで、2軍生活が多かったが「2軍でもあまり投げていなかったんじゃないかなぁ。もう何か投げられる状態じゃなかったんでね」。この年の1軍最終登板は10月9日、ダブルヘッダー南海戦第1試合(日生)の先発で4回5失点だった。「もう(プロでは)やれないんじゃないかと思った」とオフには引退まで考えたという。
「マスコミも最初は『太田、太田』だったのが『人気先行、人気先行』に変わった。勝手に持ち上げられていたのが、そのはしごを外され、今度はバッシングされるようになった。自分の結果もおかしいし、周りからもワーワー、ヤジが飛んでくる。もうどうしよう。いたたまれないというか……」。それほどまでに追い込まれていた。
そこから立ち直れたのは「あるお寺のお坊さんに『俺は、野球は全然知らないけど、太田幸司の名前は知っている。今、何か苦労しているみたいだけど、一回、甲子園で投げていた太田幸司を捨ててみなさい。プロのピッチャーとして新しい何かを模索してやってみたらどうですか。プライドは大事だけど、ある時は捨てないといけないよ』って言われたから」という。「お坊さんは知り合いに紹介された。『ちょっと気分転換にお寺に行って話を聞いてこいよ』と勧められて行ったんですけどね」。
太田氏は気持ちを切り替えた。「じゃあ真っ直ぐとカーブのピッチングを思い切り変えようとなった。近鉄には清(俊彦)さんというスライダーの達人がおられたので、その握りを聞いたり……。自分はどっちかというとインコースは勝手にシュート回転する方だったから、(投球フォームを)ちょっとスリークオーターにしたらシュートがグンと曲がったので、この横の揺さぶりでやろうと2年目の冬は、その練習に取り組みました」。
このモデルチェンジが3年目以降につながった。徐々に自分にモノにしていった。近鉄で2桁勝利を3度マークしたのも、この2年目オフの出来事があったからだ。「プロに入ってから、自分よりも球が速い一流のピッチャーを何人も見ていたから、そこに張り合おうとは思ってもいないし、オールラウンドで、いろんな球で抑えていく。そういうピッチャーを目指しました。そのお坊さんはもうだいぶ前に亡くなられたんですけど、あのアドバイスが効きましたね」と太田氏は感謝している。
📝旧帝大に80人、東大・京大合格者も…“偏差値69”宮城トップ級進学校の野球部が“県大会ベスト4”のナゼ「自主性重視でも…自分勝手にはさせない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/f6bd28bf9696300e65ab7ca4efa4f1c83b5c6d93?page=1
受験シーズン真っ盛りの2月。月末には国公立大の試験も控え、いわゆる「進学校」と呼ばれる高校にとっては、その後の評判にもかかわる大一番が待っている。例年、東大・京大をはじめとした難関大に合格者を出す宮城県の仙台第一高校もそのひとつだ。だが実は近年、同校の硬式野球部が躍進を見せている。昨夏の県大会でベスト4に入るなど活躍を見せたウラには、どんな秘密があったのだろうか。
2022年夏、深紅の大優勝旗が白河の関を越えたことは記憶に新しい。甲子園で東北勢初の快挙を成し遂げ、宮城県の高校野球界の絶対王者に君臨するのが仙台育英高校だ。そんな仙台育英に2020年以降公式戦で土をつけた宮城県内の高校は仙台商業、東北、東陵、聖和学園とわずか4校だけ。そのうち3校が私立校である。この事実からも分かるように、私立校への学費無償化などの動きも進み、公立校が躍進するハードルは以前にも増して高まっている。
直近を振り返ってみても、2025年夏の宮城大会ではベスト4の顔ぶれは仙台育英のほか、東陵、東北学院榴ヶ岡と私立校ばかりが並んだ。
公立進学校が“39年ぶり”県大会ベスト4進出の快挙
一方その中で公立校唯一のベスト4入りを果たしたのが宮城県仙台第一高等学校だ。仙台一高の名で知られるこの高校は、旧制中学時代から続く伝統校で、地元・東北大に毎年多くの合格者を輩出するほか、東大や京大の合格者も輩出する県内トップクラスの進学校だ。そんな仙台一高にとって、夏のベスト4は実に39年ぶりの快挙だった。
「39年ぶり」と聞くと、公立進学校が偶然勝ち上がっただけと思うかもしれない。しかしこの仙台一高の躍進は決して偶然ではない。その躍進の原点は6年前の2020年、新型コロナウイルス蔓延の影響で、戦後初めて甲子園が中止となったあの夏まで遡る。この年、仙台一高は県の独自大会で、ベスト4入りを果たしている。厳密には夏の宮城大会とは異なるものの、実は仙台一高にとって「夏のベスト4」は5年ぶりだったのだ。就任9年目の47歳・千葉厚監督は、この「2020年世代」が現在の躍進に繋がるターニングポイントだったと振り返る。
「2020年の代のときに秋ベスト8、夏ベスト4と結果が1個出たことが大きいです。部として続けてきた小中学生への地域貢献活動とも相まって、仙台一高が“野球で憧れの学校”になるサイクルができつつある。そういう中で意欲的で能力の高い子たちが入ってきてくれているというのは間違いないです」
翌2021年には春の宮城県大会で準優勝。このときはコロナ禍の影響で東北大会は開催されなかったが、2年後の2023年の春にも県3位に食い込み、東北大会に出場している。同年には秋にも県3位で東北大会出場。この成績が評価され、県の21世紀枠推薦校に選ばれると、東北地区の代表として最終候補まで残った。翌2024年も秋に第一シードの東北高校を破ってベスト8に入ると、2年連続で21世紀枠の県の推薦校に選ばれている。
かように2020年世代が同校にとってひとつのターニングポイントとなったのは間違いない。その後は公立校ながら県内でも強豪の一角という立ち位置を確かなものにしているからだ。その2020年世代で主将を務めた森拓真も、卒業後にグラウンドを訪れた際、後輩たちの姿に、変わらない伝統を感じたという。
「後輩たちの練習している姿を見ると“自発能動”という精神が残り続けているなと思います。練習の中でも選手間や先生方とも活発に議論を交わし、工夫しながら取り組んでいる様子があって、『これが一高で野球をやる醍醐味だよなぁ』と懐かしい気持ちになりました」
仙台一高に根付く「自発能動」のスローガン
「自発能動」。これが、仙台一高の躍進を紐解く標語である。
自主性を尊重し、日々の学習や探究活動、学校行事などでも生徒が主体となって取り組んでいく。同校の生徒主体の自由な校風を標榜する言葉だ。その校風に憧れて入学してくる生徒も多い。硬式野球部の活動でも同様で、日ごろから練習メニューは部員が自ら考えている。練習試合では選手起用まで自分たちで考えることもあるという。また、練習だけでなく地域への貢献活動も部員中心に行う。例年、仙台一高は12月に小学6年生を対象とした野球教室を行っている。少年野球チームとの交渉や野球教室の企画・運営は、すべて部員が主体となって行う。指導者は部員の自主性を尊重しながら、温かく見守る立場に徹しているという。ちなみに今年度の教室では千葉監督から部員たちに1つリクエストを出したという。
「野球を教えるだけでなく、小学生にも分かるように勉強の面白さを教えて欲しい」
公立進学校の生徒たちだからこそ、これから中学校へ進む子どもたちに「勉強は面白いものなのだ」ということを伝えて欲しかったのだという。ただ、具体的な方法は指示しない。部員たちが考えたのは、チーム対抗のクイズだった。
正解が発表になるたびに歓声が上がり、子どもたちが拳をつきあげて喜ぶ。仲間と顔を寄せ合いながら答えを導き出す姿に、グラウンドは熱気に包まれていた。競争というスパイスを利かせた工夫が、学ぶ楽しさを引き出していたのかもしれない。こうした野球教室の存在は、部員にとって精神的な成長の機会になると共に、単なる地域貢献に留まらない。大会で結果が出始めたことに加え、教室で選手たちから教わった小中学生が「仙台一高で野球がしたい」と憧れを抱く。そして数年後に入学してくるという好循環ができているからだ。
監督が語る「自主性」と「放任」の違いは?
一方で、同じような「自主性」に重きを置いた指導をする学校は令和の時代には決して珍しくない。その中で「部員自らが主体となって取り組むのは前提として、決して自分勝手にはさせない。そのさじ加減が重要」と千葉監督は語る。
「大人が先に答えを出してしまえば、選手が自ら気づき、考える機会を奪ってしまいます。だからこそ、まずは自分の力で挑戦してもらい、失敗から学ぶ過程を大切にしています。ただし、明らかに成功の可能性がない選択まで放任することはありません。“サークル活動”になってしまわないように、目指すべき方向性を示しながら、自主性と規律のバランスを大切にしています」
その「選手たちに方向性を示すこと」こそが監督の役割なのだと千葉監督は語る。千葉監督は仙台一高の卒業生でもあり、他校での指導を経て2017年秋に母校の硬式野球部監督に就任した。チーム作りをするうえでは、近隣の強豪校の存在が大きな手本となっているという。
「周りの県の先生方の懐の深さで、色々と教えてもらったり、練習試合も組んでくれたりしました。最初は知り合いがいないので、勇気を持って飛び込んでいくしかなかったのですが、そういう関係性を築いていくと、色々なことを教えてもらえました」
千葉監督はそうこともなげに語るが、何の実績もない公立校がいきなり強豪校と交流を持つのはそう簡単なことではない。相手からすれば、メリットが少ないからだ。それでも名物監督たちに胸襟を開かせたのは、千葉監督の実直な人柄ゆえのことなのだろう。そうした経験を通して「こういうチームになりたいという目標の解像度が一気に上がった」という。それらの強豪校との練習試合の経験は、そのままいまの選手たちの自信にも繋がっている。1年生の野村悠翔は、夏の仙台育英戦をスタンドから見ていたときのことを振り返る。
「自分としては『同じ高校生なんだな』とは感じられました。地元から仙台育英に行った選手たちは小学生の頃から有名で、もちろん実際に凄かったです。でも、勝つ可能性がゼロかというと、そんなことはないとも思えました。日頃から甲子園に出るような強豪とも練習試合をしている中で、そういう存在が多少なり身近になっているのも大きいとは思います」
もちろん、躍進を支えるのは千葉監督だけではない。部に関わる青山隼人部長や原子陽平コーチをはじめとするスタッフ陣の存在も大きい。日々の練習や試合を丁寧に分析し、部員一人ひとりの持ち味をどう伸ばしてくかを常に考え続けているという。その緻密なサポート体制が、チームを一段階上のステージへと押し上げている。
甲子園への「壁」…最強・仙台育英に勝てる?
一方で、6年前も昨年も、県大会の準決勝で敗れたのは仙台育英だった。
高校球児の夢である「甲子園」を考えるならば、宮城で最大の壁となるのがその絶対王者の存在だろう。はたしてその王者の牙城を崩すには、一体何が必要なのだろうか?
<次回へつづく>
https://news.yahoo.co.jp/articles/c85fc046e04cac15a18c6779eed560d19ec1a33a
1955年夏の甲子園で全国制覇を果たした四日市は市民の大歓迎を受けた。優勝メンバーの伊藤政継さん(88)は「20万人が集まったという報道もあった。当時の人口より多いんじゃないか」と笑う。「凱旋」の様子を伝える毎日新聞の号外が高校に隣接する同窓会館に展示されている。選手たちを取り巻くのは、人また人の波だ。
だが、その後しばらく、期待に応えられない時期が続く。進学率が向上し、県下随一の進学校に発展したのが大きな理由とされる。全国制覇の立役者ともいえる部長の池内定雄さんが創部100周年記念誌「白球追って」に書いている。
「昭和30年を契機として進学率も向上、県下随一の進学校に発展した。そのため素質のある選手の獲得はますます至難となり、少人数で短時間、合理的に練習する以外に部の存続方法はなかった」
そんな中、悲願をかなえようと、池内さんは65年に3年計画を立て、高橋正勝さん(55年度卒)以来の好投手といわれた本格派右腕・葛西源司さんの獲得に成功。67年夏、12年ぶりに甲子園の土を踏んだ(初戦で青森の東奥義塾に1―3で敗退)。ただ、事態は好転しなかったようだ。
「なかなか勝てない野球をやるより勉強していい大学へ入ったほうが利口だ」と言う生徒。「家に帰ってきたら寝てばかりいる。野球をやめさせてほしい」という保護者。「スポーツをしていたら一流大学に入れない」という空気が強まり、退部していくものが多かった。
池内さん、監督の水谷貞雄さんは69年のシーズンをもって退任。池内さんは部室に掲げられていた「怠惰の心なかりしや」で始まる五カ条、「和は各自の責任ある行動より生まれる」という部訓を自らの手で下ろした。
翌年夏、高校に隣接する同窓会館には退任した2人を顕彰する記念碑が建った。中でも春夏3度の甲子園出場、55年夏の甲子園と国体での「優勝」は赤字で刻まれている。それは野球の強豪校としての終幕を示すものでもあった。
70年春に新入生が入部する前の部員はわずか8人。日々の練習さえままならず、廃部の危機にまで直面した。それ以降の戦績は「普通」の公立進学校そのもの。上位に進出することもかなわなくなっていった。
現在監督の加藤敬三さん(56)が在学したのは80年代。既に甲子園出場当時とは大きく事情が異なっていた。「私が中学3年の時、3年生の代が中心のチームが春季東海大会に進出しましたが、正直なところ、全体に甲子園は難しい時期が続いていました」と振り返る。
夏の三重大会では2011年のベスト4が近年の最高成績。なんと、これが甲子園に最後に出場した67年以来44年ぶりの4強進出だった。その準決勝では優勝した伊勢工に3―5で逆転負けしている。=つづく
📝浜崎剛男さん 1月から西日本短大付の野球部監督 父・満重さんは92年に全国制覇
https://news.yahoo.co.jp/articles/67d54f535a73f63789204cebb983e939a6d2efa8
春夏通算10度の甲子園出場があり、1992年夏に全国制覇した西日本短大付(福岡)に1月から着任した浜崎剛男監督(53)は、ダイエー、ソフトバンクの球団職員として30年間勤務した。王貞治球団会長、故根本陸夫さんらの姿勢や言葉が財産になっている。ホークス魂と同校で深紅の大旗へ導いた父・満重さんと同じ「守りの野球」で夏の頂点を目指す。
朝から降り続いた雪がグラウンドには残っていた。凍えるような寒さの中でも、夏2連覇中のチームを引き継いだ浜崎新監督の心は熱かった。
「(夏の)3連覇というより10連覇以上したい。目標は高く置いておかないと」
父・満重さんは社会人野球の新日鉄堺で監督を務めていた。中学3年時に父が西日本短大付の監督に就任するにあたり、浜崎さんも福岡へ。高校は父の下で甲子園を目指した。「人の2倍、3倍しないと認められない」とコツコツ努力を重ねた。メンバーの選定方法は全部員による投票制だったが、3年夏は背番号10でベンチ入り。甲子園に出場し、3回戦の宇部商(山口)戦では右前に適時打を放つなど4強入りに貢献した。「甲子園は土もふわふわで歓声も凄かった。タイムリーも覚えています」と笑みを浮かべる。
大学卒業後はダイエー、ソフトバンクで球団職員として30年間勤務した。一番長くいたのは編成部。ドラフトは00年の山村路直(九州共立大)―山田秋親(立命大)の“山山コンビ”から19年まで携わった。華やかな仕事だけではない。嫌な役回りもした。戦力外通告だ。対象の選手に対して「あす球団事務所に…」と連絡する。「僕の電話をみんな嫌がってましたね」と申し訳なさそうに話す。
ホークスでは数え切れない出会いがあった。レジェンドの言葉と姿勢が財産になっている。王監督(現球団会長)はまだキャンプ地が高知だった頃から、遅くまでサインする姿が目に焼きついている。「お年玉をためて来ているファンもいる。全力プレーをする」と選手に熱く語りかける姿が忘れられない。
監督、GMを務めた故根本陸夫さんからは「雑用したら勝ちだよ。何でもした方がいい。経験した方がいい」と助言された。アマチュア界など各方面にパイプを持ち“球界の寝業師”ともいわれた根本さんはこうも言っていた。「一番大変なのは高校の監督だよ」。スカウティング、選手の育成、就職や進学のサポートをするからだ。20年以上が経過し「まさか自分がなるとは」と語る。
92年に全国制覇した父と同じ「守りの野球」を目指す。「最少失点に抑えていかに取るか。ヒット数より得点が多い野球ができれば」と思い描く。週末の練習時間は浜崎監督の現役時代には朝から晩までやっていたが、今は4時間程度。「メリハリをつけてくれたら。後悔しない取り組みをしてほしい」。名門を背負う重圧を力に変える。
○…浜崎監督にとって日本ハムの新庄監督は高校時代の1学年先輩だ。後輩思いで誰にでも優しかったという。毎日バットを振って練習する背中を見てきた。一番印象に残っているのは肩の強さ。「あの肩はバケモノですよ。普通に投げている送球なのに伸びているような感じ。あれでドラフト5位なので1位は凄いなと思いましたね」と懐かしんだ。
📝DH制を熟知して円滑運用を…長崎県高野連が説明会、指導者ら100人対応学ぶ
https://news.yahoo.co.jp/articles/62759c07324902b1adaab44ef280f6cd78735ef6
長崎県高野連は22日、諫早市の長崎日大高で第98回選抜高校野球大会、第158回九州地区高校野球県大会から導入される指名打者(DH)制の説明会を開いた。加盟校の指導者や審判委員ら約100人が参加して新制度への対応を学んだ。
初めに藤本利治理事長が「ぶっつけ本番なところもあり、不安はあると思うが、DH制度に関する理解を深めていければ」とあいさつ。続いて、県野球審判協会の岩永聡審判長が、起こりそうな事例を挙げながら、丁寧に説明した。
指導者らからも「例えばドジャースの大谷選手がDHを解消して、別の守備位置に就いた。そして、その大谷選手がまた投手に戻ることはできるのか」「一回表にDHに入っている大谷投手がノックアウトされて、二塁を守っている選手を投手に入れたい場合、打撃が完了していないDH大谷の交代は可能なのか」など想定される事案についての質問があった。
岩永審判長は「いろんなケースが出てくると思う。ルールを熟知した上で、練習試合などで試して、DH制の円滑な運用ができるように皆さんにお願いしたい」と呼びかけた。
📝ファン投票1位は「辛かった」 ドラ1が陥った“精神崩壊”…2年間1勝で一転バッシング
https://news.yahoo.co.jp/articles/bc4cd8123670898aaf89b7d0a6a13e3842810eee?page=1
甲子園のヒーロー、太田孝司氏のプロ1年目は0勝1敗
追い込まれた。元近鉄右腕の太田幸司氏(野球評論家)にとってプロ2年目(1971年)は大試練のシーズンだった。三沢高時代に甲子園を沸かせた超人気者として注目を集めながら、この年は14登板で0勝1敗、防御率6.84。シーズン途中からは「どう投げていいのか、わからなくなった。ちょっと精神的にヤバい状況だった」とのことで、完全に自信喪失。「オフには野球を辞めようと思った」という。
プロ1年目(1970年)の太田氏は1勝4敗ながら、リリーフでも先発でも、大崩れした試合は少なかったし、2年目の成長が期待される内容だった。1年目のオフに退寮し、一戸建てを購入、青森から両親を呼び寄せての新生活をスタート。やる気満々だったが、逆の目が出た。勝ち星は1勝より下のゼロ。「あの年は僕の野球人生で一番の大きな危機というか、途中で何かイップスみたいな感じになりましたからね」。躍進どころか、大きく後退した形になった。
シーズン初登板は開幕7戦目の4月18日の南海戦(日生)で、3-14の9回に4番手で投げて1回無失点だったが、4月22日の西鉄戦(北九州)では先発して5回1/3、4失点で敗戦投手。その後もピリッとしないケースが目立った。この年、2度目の先発となった6月19日の南海戦(日生)では0/3回で3失点。「フォアボールでしょ」と太田氏は言うように、初回にいきなり3連続四球を与えて降板となった。
「怪我とかじゃないですよ。(首脳陣に)“あー、これは無理だな”と判断されたってことでしょう。もうホント、どう投げればいいか、わからなくなっていましたから。技術的というより、精神的にちょっと……。1年目はそこそこやっていけたのが、いけなくなったことでね」。シーズン前半の太田氏の登板はそれが最後で再調整となったが、そんな状態でもオールスターゲームに2年連続ファン投票で選出された。
「それでオールスターに出なければいけないんだからねぇ。1年目も1勝で出たけど、2年目は0勝ですからね。そりゃあ、もうつらかったですよ」。第1戦(7月17日、西宮)に6回からパ・リーグ3番手でマウンドに上がり、最初の打者の巨人・長嶋茂雄内野手を三ゴロに打ち取るなど、2回1失点投球だったが、とにかく必死だったのだろう。「あの年のオールスターの結果は、ほとんど覚えていないなぁ」と話す。
その試合では阪神・江夏豊投手が先発してパ・リーグ打線から9者連続奪三振の3回無失点投球。「それは見ていました。(やられた側でも)パ・リーグのバッターは『せこく当てに行くなよ』とか『一発かましてきたるからな』とか言って、みんな威勢良く空振りしていた。空振りするたびにパのベンチも盛り上がっていましたよ。魅せるっていうかな。オールスターの醍醐味だったなぁ」と印象に残っているが、その後に投げた自分のことは記憶が飛んでいるそうだ。
マスコミも掌返しの「人気先行」
後半戦は4試合に投げただけで、2軍生活が多かったが「2軍でもあまり投げていなかったんじゃないかなぁ。もう何か投げられる状態じゃなかったんでね」。この年の1軍最終登板は10月9日、ダブルヘッダー南海戦第1試合(日生)の先発で4回5失点だった。「もう(プロでは)やれないんじゃないかと思った」とオフには引退まで考えたという。
「マスコミも最初は『太田、太田』だったのが『人気先行、人気先行』に変わった。勝手に持ち上げられていたのが、そのはしごを外され、今度はバッシングされるようになった。自分の結果もおかしいし、周りからもワーワー、ヤジが飛んでくる。もうどうしよう。いたたまれないというか……」。それほどまでに追い込まれていた。
そこから立ち直れたのは「あるお寺のお坊さんに『俺は、野球は全然知らないけど、太田幸司の名前は知っている。今、何か苦労しているみたいだけど、一回、甲子園で投げていた太田幸司を捨ててみなさい。プロのピッチャーとして新しい何かを模索してやってみたらどうですか。プライドは大事だけど、ある時は捨てないといけないよ』って言われたから」という。「お坊さんは知り合いに紹介された。『ちょっと気分転換にお寺に行って話を聞いてこいよ』と勧められて行ったんですけどね」。
太田氏は気持ちを切り替えた。「じゃあ真っ直ぐとカーブのピッチングを思い切り変えようとなった。近鉄には清(俊彦)さんというスライダーの達人がおられたので、その握りを聞いたり……。自分はどっちかというとインコースは勝手にシュート回転する方だったから、(投球フォームを)ちょっとスリークオーターにしたらシュートがグンと曲がったので、この横の揺さぶりでやろうと2年目の冬は、その練習に取り組みました」。
このモデルチェンジが3年目以降につながった。徐々に自分にモノにしていった。近鉄で2桁勝利を3度マークしたのも、この2年目オフの出来事があったからだ。「プロに入ってから、自分よりも球が速い一流のピッチャーを何人も見ていたから、そこに張り合おうとは思ってもいないし、オールラウンドで、いろんな球で抑えていく。そういうピッチャーを目指しました。そのお坊さんはもうだいぶ前に亡くなられたんですけど、あのアドバイスが効きましたね」と太田氏は感謝している。
📝旧帝大に80人、東大・京大合格者も…“偏差値69”宮城トップ級進学校の野球部が“県大会ベスト4”のナゼ「自主性重視でも…自分勝手にはさせない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/f6bd28bf9696300e65ab7ca4efa4f1c83b5c6d93?page=1
受験シーズン真っ盛りの2月。月末には国公立大の試験も控え、いわゆる「進学校」と呼ばれる高校にとっては、その後の評判にもかかわる大一番が待っている。例年、東大・京大をはじめとした難関大に合格者を出す宮城県の仙台第一高校もそのひとつだ。だが実は近年、同校の硬式野球部が躍進を見せている。昨夏の県大会でベスト4に入るなど活躍を見せたウラには、どんな秘密があったのだろうか。
2022年夏、深紅の大優勝旗が白河の関を越えたことは記憶に新しい。甲子園で東北勢初の快挙を成し遂げ、宮城県の高校野球界の絶対王者に君臨するのが仙台育英高校だ。そんな仙台育英に2020年以降公式戦で土をつけた宮城県内の高校は仙台商業、東北、東陵、聖和学園とわずか4校だけ。そのうち3校が私立校である。この事実からも分かるように、私立校への学費無償化などの動きも進み、公立校が躍進するハードルは以前にも増して高まっている。
直近を振り返ってみても、2025年夏の宮城大会ではベスト4の顔ぶれは仙台育英のほか、東陵、東北学院榴ヶ岡と私立校ばかりが並んだ。
公立進学校が“39年ぶり”県大会ベスト4進出の快挙
一方その中で公立校唯一のベスト4入りを果たしたのが宮城県仙台第一高等学校だ。仙台一高の名で知られるこの高校は、旧制中学時代から続く伝統校で、地元・東北大に毎年多くの合格者を輩出するほか、東大や京大の合格者も輩出する県内トップクラスの進学校だ。そんな仙台一高にとって、夏のベスト4は実に39年ぶりの快挙だった。
「39年ぶり」と聞くと、公立進学校が偶然勝ち上がっただけと思うかもしれない。しかしこの仙台一高の躍進は決して偶然ではない。その躍進の原点は6年前の2020年、新型コロナウイルス蔓延の影響で、戦後初めて甲子園が中止となったあの夏まで遡る。この年、仙台一高は県の独自大会で、ベスト4入りを果たしている。厳密には夏の宮城大会とは異なるものの、実は仙台一高にとって「夏のベスト4」は5年ぶりだったのだ。就任9年目の47歳・千葉厚監督は、この「2020年世代」が現在の躍進に繋がるターニングポイントだったと振り返る。
「2020年の代のときに秋ベスト8、夏ベスト4と結果が1個出たことが大きいです。部として続けてきた小中学生への地域貢献活動とも相まって、仙台一高が“野球で憧れの学校”になるサイクルができつつある。そういう中で意欲的で能力の高い子たちが入ってきてくれているというのは間違いないです」
翌2021年には春の宮城県大会で準優勝。このときはコロナ禍の影響で東北大会は開催されなかったが、2年後の2023年の春にも県3位に食い込み、東北大会に出場している。同年には秋にも県3位で東北大会出場。この成績が評価され、県の21世紀枠推薦校に選ばれると、東北地区の代表として最終候補まで残った。翌2024年も秋に第一シードの東北高校を破ってベスト8に入ると、2年連続で21世紀枠の県の推薦校に選ばれている。
かように2020年世代が同校にとってひとつのターニングポイントとなったのは間違いない。その後は公立校ながら県内でも強豪の一角という立ち位置を確かなものにしているからだ。その2020年世代で主将を務めた森拓真も、卒業後にグラウンドを訪れた際、後輩たちの姿に、変わらない伝統を感じたという。
「後輩たちの練習している姿を見ると“自発能動”という精神が残り続けているなと思います。練習の中でも選手間や先生方とも活発に議論を交わし、工夫しながら取り組んでいる様子があって、『これが一高で野球をやる醍醐味だよなぁ』と懐かしい気持ちになりました」
仙台一高に根付く「自発能動」のスローガン
「自発能動」。これが、仙台一高の躍進を紐解く標語である。
自主性を尊重し、日々の学習や探究活動、学校行事などでも生徒が主体となって取り組んでいく。同校の生徒主体の自由な校風を標榜する言葉だ。その校風に憧れて入学してくる生徒も多い。硬式野球部の活動でも同様で、日ごろから練習メニューは部員が自ら考えている。練習試合では選手起用まで自分たちで考えることもあるという。また、練習だけでなく地域への貢献活動も部員中心に行う。例年、仙台一高は12月に小学6年生を対象とした野球教室を行っている。少年野球チームとの交渉や野球教室の企画・運営は、すべて部員が主体となって行う。指導者は部員の自主性を尊重しながら、温かく見守る立場に徹しているという。ちなみに今年度の教室では千葉監督から部員たちに1つリクエストを出したという。
「野球を教えるだけでなく、小学生にも分かるように勉強の面白さを教えて欲しい」
公立進学校の生徒たちだからこそ、これから中学校へ進む子どもたちに「勉強は面白いものなのだ」ということを伝えて欲しかったのだという。ただ、具体的な方法は指示しない。部員たちが考えたのは、チーム対抗のクイズだった。
正解が発表になるたびに歓声が上がり、子どもたちが拳をつきあげて喜ぶ。仲間と顔を寄せ合いながら答えを導き出す姿に、グラウンドは熱気に包まれていた。競争というスパイスを利かせた工夫が、学ぶ楽しさを引き出していたのかもしれない。こうした野球教室の存在は、部員にとって精神的な成長の機会になると共に、単なる地域貢献に留まらない。大会で結果が出始めたことに加え、教室で選手たちから教わった小中学生が「仙台一高で野球がしたい」と憧れを抱く。そして数年後に入学してくるという好循環ができているからだ。
監督が語る「自主性」と「放任」の違いは?
一方で、同じような「自主性」に重きを置いた指導をする学校は令和の時代には決して珍しくない。その中で「部員自らが主体となって取り組むのは前提として、決して自分勝手にはさせない。そのさじ加減が重要」と千葉監督は語る。
「大人が先に答えを出してしまえば、選手が自ら気づき、考える機会を奪ってしまいます。だからこそ、まずは自分の力で挑戦してもらい、失敗から学ぶ過程を大切にしています。ただし、明らかに成功の可能性がない選択まで放任することはありません。“サークル活動”になってしまわないように、目指すべき方向性を示しながら、自主性と規律のバランスを大切にしています」
その「選手たちに方向性を示すこと」こそが監督の役割なのだと千葉監督は語る。千葉監督は仙台一高の卒業生でもあり、他校での指導を経て2017年秋に母校の硬式野球部監督に就任した。チーム作りをするうえでは、近隣の強豪校の存在が大きな手本となっているという。
「周りの県の先生方の懐の深さで、色々と教えてもらったり、練習試合も組んでくれたりしました。最初は知り合いがいないので、勇気を持って飛び込んでいくしかなかったのですが、そういう関係性を築いていくと、色々なことを教えてもらえました」
千葉監督はそうこともなげに語るが、何の実績もない公立校がいきなり強豪校と交流を持つのはそう簡単なことではない。相手からすれば、メリットが少ないからだ。それでも名物監督たちに胸襟を開かせたのは、千葉監督の実直な人柄ゆえのことなのだろう。そうした経験を通して「こういうチームになりたいという目標の解像度が一気に上がった」という。それらの強豪校との練習試合の経験は、そのままいまの選手たちの自信にも繋がっている。1年生の野村悠翔は、夏の仙台育英戦をスタンドから見ていたときのことを振り返る。
「自分としては『同じ高校生なんだな』とは感じられました。地元から仙台育英に行った選手たちは小学生の頃から有名で、もちろん実際に凄かったです。でも、勝つ可能性がゼロかというと、そんなことはないとも思えました。日頃から甲子園に出るような強豪とも練習試合をしている中で、そういう存在が多少なり身近になっているのも大きいとは思います」
もちろん、躍進を支えるのは千葉監督だけではない。部に関わる青山隼人部長や原子陽平コーチをはじめとするスタッフ陣の存在も大きい。日々の練習や試合を丁寧に分析し、部員一人ひとりの持ち味をどう伸ばしてくかを常に考え続けているという。その緻密なサポート体制が、チームを一段階上のステージへと押し上げている。
甲子園への「壁」…最強・仙台育英に勝てる?
一方で、6年前も昨年も、県大会の準決勝で敗れたのは仙台育英だった。
高校球児の夢である「甲子園」を考えるならば、宮城で最大の壁となるのがその絶対王者の存在だろう。はたしてその王者の牙城を崩すには、一体何が必要なのだろうか?
<次回へつづく>
📝選抜開幕にGHQから「待った」 米国の主張に反論、大会復活の背景
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASV2M11HDV2MPTQP00GM.html
太平洋戦争中、春夏の甲子園大会は中断を余儀なくされました。1924年に始まった選抜大会は第18回(41年)を最後に5年間、開けなかった。終戦後の46年、ひとあし先に夏の全国選手権大会が西宮球場で再開し、無事に成功しました。ならば春の選抜も、と復活の機運が高まりました。ただ、「待った」をかけたのが連合国軍総司令部(GHQ)です。
選抜大会を主催する毎日新聞社は神戸市にある軍の拠点を訪れ、GHQに接収されていた甲子園球場の使用を求めるなど、大会復活へ動き始めました。同社は47年1月、大会復活を報じました。
ところがGHQ側は「この行事は、学校スポーツの健全な発展を促そうとする、これまでの努力や日本の体育の将来に向けて取られている全般的な方向に反する」と、当時の文部省に抗議したのです。それを受け、文部省も中止を通達しました。
どういうことか。米国の高校生年代はバスケットボール、フットボールなどシーズンごとに異なるスポーツに取り組むのが一般的でした。「全国大会は夏の1回でいい」「春にも全国大会を開催すれば、予選や練習を冬の期間に行うことになり、通年で同じ競技になる」という理由です。ただ、終戦から間もなかったこの時期は、戦前から人気だった野球を除いて、他の競技で用具や施設を準備することは難しかったそうです。
夏の甲子園の復活を実現した日本高校野球連盟の佐伯達夫副会長(当時)は「春の選抜と夏の選手権は、中等野球の両輪として歴史を重ねてきた。片方だけというのは承服できない」と、GHQ側と折衝を続けました。その結果、「選抜は地元近畿の学校を中心とし、前年度の成績優秀校を『招待する大会』であって、予選は持たない」という修正案をねじこんで47年に復活しました。
48年は、以前の「全国選抜中等学校野球大会」という名称から「全国」を抜いて「第1回選抜高等学校野球大会」としました。大会回数はのちに、戦前を含んで数え直すようになるのですが。
また、一年中同じ競技をやらないようにと、12月1日から翌年3月24日までをシーズンオフに定めました。この名残は現在も残っていて、12月1日から3月の第1土曜日になるまで、各校は対外試合ができません。
紆余曲折あった選抜も今年で98回目。歴史をつないできた先人の奮闘が今日の高校野球につながっています。
📝ダウン提示でサイン「お前はアホか」 わずか1勝で球宴選出…噛み合わぬ“人気と実力”
https://news.yahoo.co.jp/articles/88d7ac40f260cbff60d65e94a3c9153911bac556?page=1
高卒1年目に球宴ファン投票選出…張本らの“神対応”に感謝
近鉄ドラフト1位右腕の太田幸司氏(野球評論家)は1970年の高卒1年目から開幕1軍入りを果たした。4月19日のロッテ戦(藤井寺)ではリリーフでプロ初登板して初勝利。三沢高時代の甲子園大会での熱投で「コーちゃんフィーバー」を起こした人気も絶大で、その1勝だけでオールスターゲームにはファン投票で選出された。「つらかったけど、(当時、東映外野手の)張本(勲)さんに救われたんです」としみじみと話した。
太田氏は1年目から1軍スタート。1969年夏の甲子園決勝の松山商戦での延長18回0-0引き分け再試合の大熱投した甘いマスクの“アイドル右腕”は近鉄・延岡キャンプでも、オープン戦でも常に注目をめた。尋常ではない人気を背負いながら、シーズンが開幕。4月19日のロッテ戦がプロ初登板となった。「藤井寺球場ですよね。同点で行ってね……」。1-1の8回表から3番手でマウンドに上がった。
8回の太田氏は池辺巌外野手からプロ初奪三振をマークするなど無失点。その裏、近鉄は1点を勝ち越した。9回表に有藤通世内野手に適時二塁打を浴びて、追いつかれてしまったが、9回裏、太田氏の代打で出た木村重視捕手がサヨナラ2ランを放って、プロ初勝利を手に入れた。その後もリリーフが続き、3登板目の4月23日の南海戦(日生)では4-3の7回から登板し、9回に同点とされ、10回に2点勝ち越される4回3失点でプロ初黒星を喫した。
その試合では南海・野村克也監督兼捕手にプロ初被弾。「日生球場の左中間の大丸って、丸い大って書いてあるアレにぶち当てられました。あの頃の野村さんはバリバリにやっていましたからね」。そんな苦い経験もしたが、その後は2試合連続2回無失点リリーフ。6登板目の5月23日の東映戦(後楽園)でプロ初先発の機会を得た。結果は4回2/3、1失点で勝ち負けはつかなかったが、決して人気だけではない及第点の投球だった。
7月16日のロッテ戦(東京)では先発して3回2/3、6失点で2敗目。池辺外野手と榎本喜八内野手に1発を浴びた。「東京球場は狭かったからね。日生も狭かったけど、それどころじゃなかった。あの頃のボールは今ほど飛ばないボールだったからまだマシだったけど、今のボールを使っていたら、もっと悲惨なことになっていただろうね」と苦笑したが、シーズン前半は先発4試合の17登板で1勝2敗、防御率3.89で乗り切った。
そんな中、オールスターゲームにファン投票で選出された。ハンパではなかった人気の証しだったが「1勝で、ですからね。これはさすがにつらかったですよ」と18歳の右腕は恐縮したという。「当時のパ・リーグは凄いおっちゃんばかりだったしね。もう隅っこの方にいたんです。そしたら張本さんがね、『こら、幸司、こっちに来い。勉強や、勉強。ファンが選んでくれたんだ。恥ずかしいことはない』って言ってくれたんですよ」。
名捕手・野村の好リードで1回無失点2K…1年目は25登板で1勝、防御率3.86
太田氏は当時を思い起こしながら「普段対戦しているときは、すごい怖い人が、とても優しく接してくれてね。救われましたよ、本当に。他の方々もそうです。僕は恵まれていたと思います」と感謝の言葉を口にした。その年の球宴は7月18日(神宮)、7月19日(大阪)、7月21日(広島)の3試合だったが、太田氏はすべての試合に登板した。「まぁ、完全なるファンサービスだったんでしょうね」と、人気者ゆえのことだったが、出番がくれば精一杯、腕を振った。
1戦目は3番手で登板して1/3、2失点。「王(貞治)さんにライトフェンス直撃の(2点)二塁打を打たれて、次のバッターが長嶋(茂雄)さんってところで交代でした」。打者5人に投げて2安打2四球でアウトはひとつしかとれなかったが、翌日の2戦目は4番手で1回無失点。2三振を含む打者3人斬りで、今度は結果を出した。
「2戦目は大阪球場で(捕手の)野村さんに『幸司! 球種は何やねん』と聞かれて『はい。真っ直ぐとカーブだけです』と答えたら『よーし、俺のサイン通りに投げたら抑えられるから』って。それで1イニングを3人で……。帰り際に野村さんに『おい! 思ったより、いい球、来てるやないか』と言われて、もう嬉しくてね。『ありがとうございます』と言いました」
3戦目は1/3、無失点。8-6の7回2死、打者が阪神・田淵幸一捕手の時に4番手で登板して遊飛に打ち取った。「田淵さんのところで出るっていう、あれはもうショーでしたよね」。錚々たる選手たちの中に交じるだけではなく、3試合とも投げたのだから、肉体的にも、精神的にも疲労度は大きかったことだろう。1年目の太田氏の成績は25登板(7先発)、56回1/3を投げ、1勝4敗、防御率3.86。白星は初登板の時だけだったが、その時点での持てる力は発揮した。
「でもね、1年目の契約更改でダウンだったんですよ。何十万かのダウン。こんなものなのかと思ってサインしたんですけど、帰ったら先輩方にえらい怒られましてね。『お前はアホか! どれだけお前が客を呼んだか。そんなんだったら、俺らにも影響するやないか!』ってね」。こうして太田氏のプロ1年目は終わった。残した数字以上に激動のシーズンだったが、超人気者としての立場もまだまだ続いていった。
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASV2M11HDV2MPTQP00GM.html
太平洋戦争中、春夏の甲子園大会は中断を余儀なくされました。1924年に始まった選抜大会は第18回(41年)を最後に5年間、開けなかった。終戦後の46年、ひとあし先に夏の全国選手権大会が西宮球場で再開し、無事に成功しました。ならば春の選抜も、と復活の機運が高まりました。ただ、「待った」をかけたのが連合国軍総司令部(GHQ)です。
選抜大会を主催する毎日新聞社は神戸市にある軍の拠点を訪れ、GHQに接収されていた甲子園球場の使用を求めるなど、大会復活へ動き始めました。同社は47年1月、大会復活を報じました。
ところがGHQ側は「この行事は、学校スポーツの健全な発展を促そうとする、これまでの努力や日本の体育の将来に向けて取られている全般的な方向に反する」と、当時の文部省に抗議したのです。それを受け、文部省も中止を通達しました。
どういうことか。米国の高校生年代はバスケットボール、フットボールなどシーズンごとに異なるスポーツに取り組むのが一般的でした。「全国大会は夏の1回でいい」「春にも全国大会を開催すれば、予選や練習を冬の期間に行うことになり、通年で同じ競技になる」という理由です。ただ、終戦から間もなかったこの時期は、戦前から人気だった野球を除いて、他の競技で用具や施設を準備することは難しかったそうです。
夏の甲子園の復活を実現した日本高校野球連盟の佐伯達夫副会長(当時)は「春の選抜と夏の選手権は、中等野球の両輪として歴史を重ねてきた。片方だけというのは承服できない」と、GHQ側と折衝を続けました。その結果、「選抜は地元近畿の学校を中心とし、前年度の成績優秀校を『招待する大会』であって、予選は持たない」という修正案をねじこんで47年に復活しました。
48年は、以前の「全国選抜中等学校野球大会」という名称から「全国」を抜いて「第1回選抜高等学校野球大会」としました。大会回数はのちに、戦前を含んで数え直すようになるのですが。
また、一年中同じ競技をやらないようにと、12月1日から翌年3月24日までをシーズンオフに定めました。この名残は現在も残っていて、12月1日から3月の第1土曜日になるまで、各校は対外試合ができません。
紆余曲折あった選抜も今年で98回目。歴史をつないできた先人の奮闘が今日の高校野球につながっています。
📝ダウン提示でサイン「お前はアホか」 わずか1勝で球宴選出…噛み合わぬ“人気と実力”
https://news.yahoo.co.jp/articles/88d7ac40f260cbff60d65e94a3c9153911bac556?page=1
高卒1年目に球宴ファン投票選出…張本らの“神対応”に感謝
近鉄ドラフト1位右腕の太田幸司氏(野球評論家)は1970年の高卒1年目から開幕1軍入りを果たした。4月19日のロッテ戦(藤井寺)ではリリーフでプロ初登板して初勝利。三沢高時代の甲子園大会での熱投で「コーちゃんフィーバー」を起こした人気も絶大で、その1勝だけでオールスターゲームにはファン投票で選出された。「つらかったけど、(当時、東映外野手の)張本(勲)さんに救われたんです」としみじみと話した。
太田氏は1年目から1軍スタート。1969年夏の甲子園決勝の松山商戦での延長18回0-0引き分け再試合の大熱投した甘いマスクの“アイドル右腕”は近鉄・延岡キャンプでも、オープン戦でも常に注目をめた。尋常ではない人気を背負いながら、シーズンが開幕。4月19日のロッテ戦がプロ初登板となった。「藤井寺球場ですよね。同点で行ってね……」。1-1の8回表から3番手でマウンドに上がった。
8回の太田氏は池辺巌外野手からプロ初奪三振をマークするなど無失点。その裏、近鉄は1点を勝ち越した。9回表に有藤通世内野手に適時二塁打を浴びて、追いつかれてしまったが、9回裏、太田氏の代打で出た木村重視捕手がサヨナラ2ランを放って、プロ初勝利を手に入れた。その後もリリーフが続き、3登板目の4月23日の南海戦(日生)では4-3の7回から登板し、9回に同点とされ、10回に2点勝ち越される4回3失点でプロ初黒星を喫した。
その試合では南海・野村克也監督兼捕手にプロ初被弾。「日生球場の左中間の大丸って、丸い大って書いてあるアレにぶち当てられました。あの頃の野村さんはバリバリにやっていましたからね」。そんな苦い経験もしたが、その後は2試合連続2回無失点リリーフ。6登板目の5月23日の東映戦(後楽園)でプロ初先発の機会を得た。結果は4回2/3、1失点で勝ち負けはつかなかったが、決して人気だけではない及第点の投球だった。
7月16日のロッテ戦(東京)では先発して3回2/3、6失点で2敗目。池辺外野手と榎本喜八内野手に1発を浴びた。「東京球場は狭かったからね。日生も狭かったけど、それどころじゃなかった。あの頃のボールは今ほど飛ばないボールだったからまだマシだったけど、今のボールを使っていたら、もっと悲惨なことになっていただろうね」と苦笑したが、シーズン前半は先発4試合の17登板で1勝2敗、防御率3.89で乗り切った。
そんな中、オールスターゲームにファン投票で選出された。ハンパではなかった人気の証しだったが「1勝で、ですからね。これはさすがにつらかったですよ」と18歳の右腕は恐縮したという。「当時のパ・リーグは凄いおっちゃんばかりだったしね。もう隅っこの方にいたんです。そしたら張本さんがね、『こら、幸司、こっちに来い。勉強や、勉強。ファンが選んでくれたんだ。恥ずかしいことはない』って言ってくれたんですよ」。
名捕手・野村の好リードで1回無失点2K…1年目は25登板で1勝、防御率3.86
太田氏は当時を思い起こしながら「普段対戦しているときは、すごい怖い人が、とても優しく接してくれてね。救われましたよ、本当に。他の方々もそうです。僕は恵まれていたと思います」と感謝の言葉を口にした。その年の球宴は7月18日(神宮)、7月19日(大阪)、7月21日(広島)の3試合だったが、太田氏はすべての試合に登板した。「まぁ、完全なるファンサービスだったんでしょうね」と、人気者ゆえのことだったが、出番がくれば精一杯、腕を振った。
1戦目は3番手で登板して1/3、2失点。「王(貞治)さんにライトフェンス直撃の(2点)二塁打を打たれて、次のバッターが長嶋(茂雄)さんってところで交代でした」。打者5人に投げて2安打2四球でアウトはひとつしかとれなかったが、翌日の2戦目は4番手で1回無失点。2三振を含む打者3人斬りで、今度は結果を出した。
「2戦目は大阪球場で(捕手の)野村さんに『幸司! 球種は何やねん』と聞かれて『はい。真っ直ぐとカーブだけです』と答えたら『よーし、俺のサイン通りに投げたら抑えられるから』って。それで1イニングを3人で……。帰り際に野村さんに『おい! 思ったより、いい球、来てるやないか』と言われて、もう嬉しくてね。『ありがとうございます』と言いました」
3戦目は1/3、無失点。8-6の7回2死、打者が阪神・田淵幸一捕手の時に4番手で登板して遊飛に打ち取った。「田淵さんのところで出るっていう、あれはもうショーでしたよね」。錚々たる選手たちの中に交じるだけではなく、3試合とも投げたのだから、肉体的にも、精神的にも疲労度は大きかったことだろう。1年目の太田氏の成績は25登板(7先発)、56回1/3を投げ、1勝4敗、防御率3.86。白星は初登板の時だけだったが、その時点での持てる力は発揮した。
「でもね、1年目の契約更改でダウンだったんですよ。何十万かのダウン。こんなものなのかと思ってサインしたんですけど、帰ったら先輩方にえらい怒られましてね。『お前はアホか! どれだけお前が客を呼んだか。そんなんだったら、俺らにも影響するやないか!』ってね」。こうして太田氏のプロ1年目は終わった。残した数字以上に激動のシーズンだったが、超人気者としての立場もまだまだ続いていった。
🎤クロストーク 野々村直通(開星高校野球部監督)x嶽野正樹(松江南高野球部監督)
https://www.youtube.com/watch?v=zj5QnXNdnBI
☝滋賀学園のWエース土田義貴と伴田蒼生 センバツ快投で「師匠」土田の兄・悠貴に恩返しだ
https://news.yahoo.co.jp/articles/b46f65b8214fa84edd2523b81cde27584c6fc353
WEST報知では、第98回センバツ高校野球大会の注目選手を「この選手 イイじゃん」と題し、随時、紹介する。第1回は、2年連続4度目出場の滋賀学園・土田義貴と伴田蒼生の両投手(ともに2年)。そろって土田の兄・悠貴投手(3年)の背中を追って成長した。“三角関係”の両輪が、憧れの甲子園にデビューする。
兄と同じユニホームでの夢舞台を前に、滋賀学園の左のエース土田は「お兄ちゃん以上の投球を」と燃えている。1学年上で日大に進学する悠貴投手は甲子園に2度出場。8強入りした24年夏は2試合に登板し、昨春も好投した。下級生時から活躍した姿に憧れて入学した弟は、昨年のセンバツはボールパーソン。「同じ球場にいるのに遠かった。次は自分が…」。1年前の誓いを実現した。
最速145キロ右腕の兄とタイプの異なる136キロ左腕。歩みも、入学前から期待された兄と真逆だ。中学1年で身長170センチに達した兄より成長期が遅く、中学2年夏で160センチ前半。ようやく伸びた3年の球速も120キロ前後だった。強豪への進学は無理だという周囲の声にあらがい、同じ道へ。兄が石川・金沢市に帰省した時に助言を求め、入学前から猛練習を積んだ。昨秋は腰のけがに悩みながらも、近畿大会準々決勝の近江戦で1失点完投。センバツ出場を確実にする快投を演じた。
土田の不調時に、伴田がチームを救った。前チームでは公式戦の経験がなく、「マウンドに立てるとは思っていなかった」と、最速138キロ右腕。近畿大会1回戦(対乙訓)の2失点完投など、山口達也監督(54)も「うちの救世主。秋は伴ちゃんのおかげ」と驚いた。中学時代は外野が主戦場。「自信はなかったけど、挑戦したかった」と、投手を志願して入部した男が予想以上の成長を見せた。
「最初はフォームもめちゃくちゃ」と、回想する伴田の師匠も土田兄だ。1年冬に「一から全て教えてもらった」と激変した。寮に帰っても、付きっきりで自主練習。兄弟以上の時間を過ごし、「センバツでも土田(弟)に負けたくない。いいライバル関係で頑張りたい」と肩を並べた。
土田も「秋は伴田に頼りっぱなしだったので」と、意地をにじませる。ともに中学時代は控え投手。同じ背中を追い、高校で進化した両輪が滋賀学園の伝統をつなぐ。
📝ボロボロの寮…試合後に女性が侵入「追い出して」 ドラ1入団も絶望感、夜に響いた叫び声
https://news.yahoo.co.jp/articles/2ce7e2bdd8871eb3f80771226d87304df65c2006?page=1
「日生球場を見た時、ホントにもう、コケたもんなぁ」
驚きの連続だった。1969年のドラフト1位で青森県立三沢高から近鉄に入団した太田幸司氏(野球評論家)はいろんな意味でショックを受けたという。1年目のキャンプでプロのレベルの高さを痛感しただけでなく、近鉄が主催球場として使用していた日生球場には「これが……」と衝撃を受け、合宿所「球友寮」での“住環境”でもまさかの出来事が……。超人気者ゆえに、プロで結果を出す前からCM出演もあり「あれも嫌だったなぁ」と当時の心境を明かした。
1969年夏の甲子園球場を沸かし、甘いマスクもあって「コーちゃんフィーバー」を巻き起こし、近鉄入団後も注目された太田氏は1年目(1970年)から1軍キャンプスタート。「練習はそんなにきつくなかったんですけどね、ブルペンに入るとバーン、バーンってすごい球を放る人がいたんですよ。まだ僕は入ったばかりで、選手の名前も顔もよくわからないじゃないですか。それでコーチに聞いたんですよ。そしたら『ああ、こいつはまだ1軍に上がったことがないんやで』って」。
耳を疑った。「“えっ、この球で”って思いました。それはもうカルチャーショック。しかも、そんなピッチャーが何人もいて、僕はこの人たちと競争しないといけないのか、と思ってね」。打者の手元でホップするストレートを武器にして“超高校級投手”と評された太田氏だが、実際にプロの投手を見て、レベルの高さを痛感した。同時に主力級の投手は、もっと高い位置にいることも感じ取った。自然と気持ちも引き締まった。もっとも、近鉄に入って驚いたことについては「それよりもねぇ」と太田氏は苦笑しながら、こう続けた。「僕は(1968年の三沢高2年秋に)明治神宮大会に出た時、後楽園球場に何かの試合を見に行ったんです。いつもテレビで見ていた球場だったし“ウワー、ここがぁ”ってなりましたよ。その前に甲子園も見ていたし、プロってこんなすごい球場でやっているんだなぁ、ってイメージがあったんですけどねぇ……」。
当時の近鉄は、本拠地の藤井寺球場にまだナイター設備がなく、実質、日生球場を本拠地のように使っていたが「日生球場を見た時、ホントにもう、コケたもんなぁ。“おい、おい、これがプロの球場なの?”みたいなね。あれはなかなか衝撃的でしたよ」と言う。甲子園や後楽園とはグラウンドの広さも含めて、設備などのレベルがあまりにも違いすぎた。愕然となったのだ。
プロ1年目からグリコと松下ナショナルのCMに出演「これ決まったから」
生活拠点である球友寮にも“問題”があったという。藤井寺球場右翼スタンド裏にあった合宿所だが、当時はとにかく「ボロボロだった」と話す。「僕の部屋の下が風呂場。上は鉄板でね。夏は上から暑いわ、下から暑いわ。エアコンなんかないし、もう暑くて寝られなかった。大体、朝方の4時くらいになって、ちょっとはマシかなぁ、くらいだったんですよ」。
仰天の出来事もあった。「今の寮はどこもセキュリティーがちゃんとしているけど、あの時の(近鉄の)寮は夜中でも正面の門なんか、がら空きでね、そりゃあもう入り放題ですよ。いつだったか、ナイターが終わって帰って、ドアを開けて部屋に入ったら、ベッドに知らない女の子が座っていましたからね。びっくりして『ウワー、寮長! 寮長!』と言って追い出してもらった。もうメチャクチャでしたね」。
そんな太田氏はプロ1年目からCMにも出演した。「グリコと松下ナショナルかな。これは僕が関知していたことではなく、球団に『これ、決まったから、出てくれ』って言われてね。だから、いくらで契約したとか、そういう細かいこともほとんど知らなかったんですよ。確か、1年目のオープン戦の頃に撮影して、シーズンが始まると同時くらいに流れはじめたんじゃなかったかなぁ」。
まだプロで結果を出す前のことで、それもまた太田氏の人気の凄さを物語るものでもあるが「球団が言うから、そんなものかと思ってやっていたけど、あれも嫌だったなぁ」と言う。自身は「まず2軍で体を作ってから1軍で」という青写真を描いていたが、キャンプからずっと1軍。必死に食らいついて練習に明け暮れながらも、CM話が浮上したように“人気”が常に背中合わせで、複雑な思いでもいたようだ。
「遠征に行く時は、今みたいに道具車がないから、バッティングのボール、キャッチャー道具とかは若いもんが持っていく。新幹線に乗ろうとして(ファンに)ワーって言われながら汗だくで(大荷物を持って)移動していましたよ」。1年目は25登板で1勝4敗、防御率3.86。オールスターゲームにもファン投票1位で選出された。1軍最年少としてのチーム内の“仕事”もきっちりこなしながら、超人気者としての“役割”も担っていたのだから大変だったに違いない。
https://www.youtube.com/watch?v=zj5QnXNdnBI
☝滋賀学園のWエース土田義貴と伴田蒼生 センバツ快投で「師匠」土田の兄・悠貴に恩返しだ
https://news.yahoo.co.jp/articles/b46f65b8214fa84edd2523b81cde27584c6fc353
WEST報知では、第98回センバツ高校野球大会の注目選手を「この選手 イイじゃん」と題し、随時、紹介する。第1回は、2年連続4度目出場の滋賀学園・土田義貴と伴田蒼生の両投手(ともに2年)。そろって土田の兄・悠貴投手(3年)の背中を追って成長した。“三角関係”の両輪が、憧れの甲子園にデビューする。
兄と同じユニホームでの夢舞台を前に、滋賀学園の左のエース土田は「お兄ちゃん以上の投球を」と燃えている。1学年上で日大に進学する悠貴投手は甲子園に2度出場。8強入りした24年夏は2試合に登板し、昨春も好投した。下級生時から活躍した姿に憧れて入学した弟は、昨年のセンバツはボールパーソン。「同じ球場にいるのに遠かった。次は自分が…」。1年前の誓いを実現した。
最速145キロ右腕の兄とタイプの異なる136キロ左腕。歩みも、入学前から期待された兄と真逆だ。中学1年で身長170センチに達した兄より成長期が遅く、中学2年夏で160センチ前半。ようやく伸びた3年の球速も120キロ前後だった。強豪への進学は無理だという周囲の声にあらがい、同じ道へ。兄が石川・金沢市に帰省した時に助言を求め、入学前から猛練習を積んだ。昨秋は腰のけがに悩みながらも、近畿大会準々決勝の近江戦で1失点完投。センバツ出場を確実にする快投を演じた。
土田の不調時に、伴田がチームを救った。前チームでは公式戦の経験がなく、「マウンドに立てるとは思っていなかった」と、最速138キロ右腕。近畿大会1回戦(対乙訓)の2失点完投など、山口達也監督(54)も「うちの救世主。秋は伴ちゃんのおかげ」と驚いた。中学時代は外野が主戦場。「自信はなかったけど、挑戦したかった」と、投手を志願して入部した男が予想以上の成長を見せた。
「最初はフォームもめちゃくちゃ」と、回想する伴田の師匠も土田兄だ。1年冬に「一から全て教えてもらった」と激変した。寮に帰っても、付きっきりで自主練習。兄弟以上の時間を過ごし、「センバツでも土田(弟)に負けたくない。いいライバル関係で頑張りたい」と肩を並べた。
土田も「秋は伴田に頼りっぱなしだったので」と、意地をにじませる。ともに中学時代は控え投手。同じ背中を追い、高校で進化した両輪が滋賀学園の伝統をつなぐ。
📝ボロボロの寮…試合後に女性が侵入「追い出して」 ドラ1入団も絶望感、夜に響いた叫び声
https://news.yahoo.co.jp/articles/2ce7e2bdd8871eb3f80771226d87304df65c2006?page=1
「日生球場を見た時、ホントにもう、コケたもんなぁ」
驚きの連続だった。1969年のドラフト1位で青森県立三沢高から近鉄に入団した太田幸司氏(野球評論家)はいろんな意味でショックを受けたという。1年目のキャンプでプロのレベルの高さを痛感しただけでなく、近鉄が主催球場として使用していた日生球場には「これが……」と衝撃を受け、合宿所「球友寮」での“住環境”でもまさかの出来事が……。超人気者ゆえに、プロで結果を出す前からCM出演もあり「あれも嫌だったなぁ」と当時の心境を明かした。
1969年夏の甲子園球場を沸かし、甘いマスクもあって「コーちゃんフィーバー」を巻き起こし、近鉄入団後も注目された太田氏は1年目(1970年)から1軍キャンプスタート。「練習はそんなにきつくなかったんですけどね、ブルペンに入るとバーン、バーンってすごい球を放る人がいたんですよ。まだ僕は入ったばかりで、選手の名前も顔もよくわからないじゃないですか。それでコーチに聞いたんですよ。そしたら『ああ、こいつはまだ1軍に上がったことがないんやで』って」。
耳を疑った。「“えっ、この球で”って思いました。それはもうカルチャーショック。しかも、そんなピッチャーが何人もいて、僕はこの人たちと競争しないといけないのか、と思ってね」。打者の手元でホップするストレートを武器にして“超高校級投手”と評された太田氏だが、実際にプロの投手を見て、レベルの高さを痛感した。同時に主力級の投手は、もっと高い位置にいることも感じ取った。自然と気持ちも引き締まった。もっとも、近鉄に入って驚いたことについては「それよりもねぇ」と太田氏は苦笑しながら、こう続けた。「僕は(1968年の三沢高2年秋に)明治神宮大会に出た時、後楽園球場に何かの試合を見に行ったんです。いつもテレビで見ていた球場だったし“ウワー、ここがぁ”ってなりましたよ。その前に甲子園も見ていたし、プロってこんなすごい球場でやっているんだなぁ、ってイメージがあったんですけどねぇ……」。
当時の近鉄は、本拠地の藤井寺球場にまだナイター設備がなく、実質、日生球場を本拠地のように使っていたが「日生球場を見た時、ホントにもう、コケたもんなぁ。“おい、おい、これがプロの球場なの?”みたいなね。あれはなかなか衝撃的でしたよ」と言う。甲子園や後楽園とはグラウンドの広さも含めて、設備などのレベルがあまりにも違いすぎた。愕然となったのだ。
プロ1年目からグリコと松下ナショナルのCMに出演「これ決まったから」
生活拠点である球友寮にも“問題”があったという。藤井寺球場右翼スタンド裏にあった合宿所だが、当時はとにかく「ボロボロだった」と話す。「僕の部屋の下が風呂場。上は鉄板でね。夏は上から暑いわ、下から暑いわ。エアコンなんかないし、もう暑くて寝られなかった。大体、朝方の4時くらいになって、ちょっとはマシかなぁ、くらいだったんですよ」。
仰天の出来事もあった。「今の寮はどこもセキュリティーがちゃんとしているけど、あの時の(近鉄の)寮は夜中でも正面の門なんか、がら空きでね、そりゃあもう入り放題ですよ。いつだったか、ナイターが終わって帰って、ドアを開けて部屋に入ったら、ベッドに知らない女の子が座っていましたからね。びっくりして『ウワー、寮長! 寮長!』と言って追い出してもらった。もうメチャクチャでしたね」。
そんな太田氏はプロ1年目からCMにも出演した。「グリコと松下ナショナルかな。これは僕が関知していたことではなく、球団に『これ、決まったから、出てくれ』って言われてね。だから、いくらで契約したとか、そういう細かいこともほとんど知らなかったんですよ。確か、1年目のオープン戦の頃に撮影して、シーズンが始まると同時くらいに流れはじめたんじゃなかったかなぁ」。
まだプロで結果を出す前のことで、それもまた太田氏の人気の凄さを物語るものでもあるが「球団が言うから、そんなものかと思ってやっていたけど、あれも嫌だったなぁ」と言う。自身は「まず2軍で体を作ってから1軍で」という青写真を描いていたが、キャンプからずっと1軍。必死に食らいついて練習に明け暮れながらも、CM話が浮上したように“人気”が常に背中合わせで、複雑な思いでもいたようだ。
「遠征に行く時は、今みたいに道具車がないから、バッティングのボール、キャッチャー道具とかは若いもんが持っていく。新幹線に乗ろうとして(ファンに)ワーって言われながら汗だくで(大荷物を持って)移動していましたよ」。1年目は25登板で1勝4敗、防御率3.86。オールスターゲームにもファン投票1位で選出された。1軍最年少としてのチーム内の“仕事”もきっちりこなしながら、超人気者としての“役割”も担っていたのだから大変だったに違いない。
第7話 強豪対決・まさかのコールドゲーム、、、これが秋季近畿準決勝の現実
11/3 秋季近畿大会6日目第1試合 ほっともっとフィールド神戸 天理(奈良①)-東洋大姫路(兵庫①) 9:57~12:06
一二三四五六七八九十計HE
天 理0002100 351 酒井、下坊、伊藤、下坊、橋本-石井
東 洋 姫210080X 11121 末永、阪下-桒原
第二試合
市 和 歌
和 智 辯
島根における秋季中国大会を3日間観戦し、果てしなく続いた猛残暑もいよいよ終わりが近づきつつあった・・・。本来ならば11月2日準決勝・3日が決勝戦で僕は4日に十三の郵便局に年末アルバイトの面接に行く予定だったが、2日の天気予報が非常に悪かったので試合前日の夕方に中止が発表され3日準決勝・4日決勝と↓↓
これによって4日は宝塚の自宅から朝、十三に向かって行き10時頃面接が始まり終わって即、返す刀で神戸市須磨区へ大移動するハメになってしまった、、、、
秋季大会で中国や四国・北信越あたりだと2校しかセンバツに出れないので準決勝も当然ガチンコ対決だが、近畿は6校出場できるので4強入りしたら同一府県3校が4強に勢ぞろいしない限りは当確となるので控え投手を試してコールド負けするケースも多々見られた。。。
6年前の秋、和智弁は明石商相手に0-12で5回コールド負けを喫したし神宮大会に是が非でも出場したいというチームは近畿にはかなり数少ないと思われる。
この日の第1試合は天理ー東洋大姫路。ともに1位校でセンバツに出ても上位進出できる力はあるとみているが、この日はやはりエース温存してきた・・・・・。
天理はこれまで下坊ー伊藤のリレーでソツなく勝ってきたが、この日は10番・酒井が先発でエース・下坊はレフトを守っていた。東洋は2試合連続エース・阪下が完封したが、この日は10番・末永が先発。どこかのタイミングでエースがリリーフするかもしれないが、、、、、地元の東洋が第1試合登場ということでスタンドはこの日も大賑わいだったが、前日の雨が影響してサイドノックをしてからの試合開始となった。
1回表天理は連続センターフライで4球で2死となったが、3番・永末が8球粘って四球をもぎとり、4番・冨田がフルカウントからライト前ヒットを放ち1・3塁。5番・伊藤も3ボールで末永投手走者を背負ってから急に苦しくなってきたが、1-3からサードゴロに打ち取り無得点で切り抜けたのがこの試合の最大のポイントだったかもしれない。
その裏、東洋はいきなり1番・渡辺拓が1ボールからセンターオーバーのスリーベース。2番・伏見のセカンドゴロでわずか3球で1点先制。直後に3番・見村が右中間ツーベースを放ち2死からデッドボールで1・2塁と苦しい立ち上がりを見かねて藤原監督は早くもエース・下坊をリリーフさせた。ここでピンチを防げたらまだ1点なんで大勢に影響はないと思われたが、6番・白鳥が1-2からライト前タイムリーヒットを放ち2点目を取ったことが大きかった。
初回から両チーム明暗が分かれさらに2回天理は三者凡退。東洋は先頭の8番・渡辺裕がセンター前ヒット。これを送って1死2塁と四、1番・渡辺拓のセカンドゴロで2死3塁とコツコツ攻めて2番・伏見のショート正面のゴロを赤埴がまさかの後逸するタイムリーエラーで3点目。。。まだこの時点でコールドは意識しなかったが非常にイヤな流れとなった。
早く1点でも返したい天理だが、過去2戦のように先行逃げ切りで比較的楽な展開で勝ってきたわけではなく、東洋大姫路という近畿屈指の強豪校相手でエース・阪下は先発回避してきたが守備のミスなどで3点を失い気持ちが空回りしている部分と伝統的に後半爆発型のチームなんで前半は淡白な攻撃が目立つこともしょっちゅうみているが、この日もフライアウトがやたらに目立ち2回に続きまた三者凡退で反撃の糸口が見つからない。
その裏の東洋の攻撃はどうしても0点で抑えて流れを変えたいが、エース・下坊が1回2死からリリーフし火消しに走っているが、この回もヒット3本を浴びるなど2死満塁の大ピンチ・・・ここで静観していた藤原監督がタイムを取り秘策を授けた。運よく打席は9番・末永投手。新チーム結成後阪下投手・木下投手が主に投げていたので公式戦でそんなに打席には入っていないだろうから与しやすしとみていたが、カウント1-2から2球ファールで粘ってきたが、最後はレフトフライに抑え0-3で序盤を終えた。
ここまでおとなしかった天理打線だが、4回3番からの攻撃で先頭が四球で出塁。ここは4番・冨田の長打に賭けたいところだが、初球ボール球に手を出し空振り。これを見て藤原監督が打てないと思ってサインを出したのか?2球目バントファール・・・。最後は外137kmに手が出ず3球三振と最悪の結果。。。5番・伊藤も2球で追い込まれレフトフライ。今日はレフトで先発だったので打順が1つ上がりエース・下坊が打席に立ち、0-1から天理らしからぬ盗塁を仕掛け成功!さらに2-2から暴投で3塁へ進み、下坊がフルカウントからレフト線にタイムリーツーベースを放ち反撃開始。7番・石井もレフトへタイムリーツーベースを放ちあっという間に2-3と1点差に詰め寄り伝統の強力打線の片りんを見せた。それでも岡田監督はタイムを取ることもなく動かず、8番・高瀬うち138kmの直球に空振り三振。
その裏東洋はヒットと送りバントで1死2塁と形を作りクリーンアップ登場という場面で、藤原監督は早くもサード・伊藤をリリーフさせマシンガン継投に走った。これがはまって、3番・見村はライト永末のダイビングキャッチの好プレーでライトフライ。4番・木村は内140km直球に見逃しの三振で無得点。これでかなり試合に緊迫感が増してきた!
そして5回表先頭・途中出場の東口が2球で追い込まれ高めのボール球に手を出しサードゴロだったが、サード・渡辺裕の悪送球を誘い無死1塁。巧打者のトップバッター赤埴だが過去2打席連続外野フライに倒れていた相性も考えたのか?藤原監督は送りバントで手堅く1死2塁と形を作り、2番・吉田がレフトへ同点タイムリーツーベースを放ちついに3-3と試合を振り出しに戻した!
だが、余力を残している東洋はここでエース・阪下がリリーフ登板。準決勝とはいえ岡田監督は捨て試合を作る気持ちはなさそうだ・・・。
天理のクリーンアップと大黒柱・阪下投手の対戦はサードゴロ・ファーストゴロと3球で決着がつきエース登板で勢いづいた東洋がまさかの大爆発!!!
先頭の5番・高畑への四球がケチの着け始めで情勢通り送りバントで1死2塁。そして7番・桒原がセンター前タイムリーヒットですかさず4-3と勝ち越し。でも8番・渡辺裕サードゴロで2死2塁。9番・阪下投手を打ち取れば問題なかったが不用意な四球でリズムが狂い、1・2番への連続四死球でまさかの押し出しで5点目、、、、、
それでも伊藤投手続投でこれが火に油を注ぐこととなり、3・4番に連続タイムリーを浴びKO。この時点で3-8と5点差が付き、相手はエース・阪下が登板してきたのでもう勝ち目がなくなった。
ここでコールド回避のためか??エース・下坊が再登板するも四球で満塁となり、6番・白鳥にセンターオーバーの走者一掃タイムリーツーベースでこの回一気に8得点。ここでホームランが出ればまさかの5回コールドゲームだが、ライトフライで打者12人の猛攻が終わった。。。。。。。。
最初から下坊-伊藤のリレーだったらここまで差は広がらなかったと思うが、まさか3点差追いつかれた直後に1イニング8得点の猛攻が待っているとは・・・・。県大会では1-0や2-1と際どい試合をしぶとく勝ち抜いてきたきらいがあったが、神戸国際大付との準決勝でタイブレークで6得点挙げた勢いそのままに平安戦に続きビッグイニングが!
僕は見ていないが、大阪学院相手に4-0とそこまで爆発しなかった模様だが、エース・阪下が登板した途端に打線に火が点きコールド目前となってしまった、、、
あとはもう天理の意地を見たかったが、すでに4強進出してセンバツ当確ラインに入っているので、明日も天理から神戸まで長距離移動を所望していないようで、阪下投手相手に無抵抗主義・・・。
6回裏2死ランナーなしから時間稼ぎなのか???意味もなくエース・下坊が再度レフトへ回り背番号20の橋本投手が登板しセンターフライに抑え最低限の7回へ。
7回表2点以上取らなければコールド成立という厳しい局面で、まず代打・本田がライト前ヒット。すかさず代走・桑島が起用され、橋本投手に当然の如く代打・石黒を起用。ここでホームランが出れば7回裏を作ることになるが、、、セカンドゴロ。上位2人もともにサードフライに倒れまさかの7回コールドゲーム成立・・・・・・・。
ネームバリューのある両校の対戦だけに5点勝負のハイレベルの戦いを期待していたが、エース・阪下がマウンドに立つと大きく試合の流れが変わり一気に持っていかれた感じだった。
最初から岡田監督は優勝することを念頭に連戦となるので、今日は控え投手で行けるところまで行って危なくなったら阪下投手リリーフで試合を作り明日は先発完投という算段だろうか?
7回で終わりながらも試合時間2時間09分というのは天理らしい試合運びかもしれないが、1度崩れだすとモロさを露呈して修正できなかった・・・。
天理大学の黄金期を築いた藤原監督が天理高校に来たので豪快な打撃に緻密な野球をミックスさせ甲子園でさらに白星を積み重ねると思ったが、翌年春夏連続甲子園出場しながら山梨学院・鳴門に苦杯を舐め、まさかの初戦敗退を繰り返してしまったのが辛かった、、、、、
さて、第2試合は戦前考えもしなかったが市和歌山-智弁和歌山の事実上の決勝戦!?が待っている。市和歌山は3位出場で三田学園の野球にはめられ辛くも1-0で振り切ったものの、立命館宇治相手には荷が重いと思ったが10-0でまさかの6回コールド勝ち。和智弁は新鋭の神戸学院大付を一蹴し、連戦となった準々決勝では大阪桐蔭を下した滋賀学園が相手となりこれも完勝して県大会決勝の11安打1得点というどん底の打線から状態を上向けてきたようだ。
このカードになると、たいがいは和智弁が勝ってしまうのだが小園ー松川のバッテリーの折は無観客のわかさS京都で2-0と市和歌山が競り勝った実績もあるのでどうなるだろうか???それはまた次回の講釈で。
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 死球 三振 暴投 失点 自責
天 理 酒 井 2/3 5 17 2 0 0 1 0 0 2 2
天 理 下 坊 2 2/3 15 65 6 2 0 0 0 0 1 0
天 理 伊 藤 1 1/3 11 40 3 1 3 1 1 0 7 7
天 理 下 坊 1 5 18 1 0 1 0 1 0 1 1
天 理 橋 本 1/3 1 5 0 0 0 0 0 0 0 0
東洋姫路 末 永 4 1/3 20 81 4 1 2 0 3 1 3 2
東洋姫路 阪 下 2 2/3 9 26 1 0 0 0 2 0 0 0
(完)
🌟次回予告🌟
11/3 秋季近畿大会6日目第2試合 ほっともっとフィールド神戸 智弁和歌山(和歌山①)-市和歌山(和歌山③)
11/3 秋季近畿大会6日目第1試合 ほっともっとフィールド神戸 天理(奈良①)-東洋大姫路(兵庫①) 9:57~12:06
一二三四五六七八九十計HE
天 理0002100 351 酒井、下坊、伊藤、下坊、橋本-石井
東 洋 姫210080X 11121 末永、阪下-桒原
第二試合
市 和 歌
和 智 辯
島根における秋季中国大会を3日間観戦し、果てしなく続いた猛残暑もいよいよ終わりが近づきつつあった・・・。本来ならば11月2日準決勝・3日が決勝戦で僕は4日に十三の郵便局に年末アルバイトの面接に行く予定だったが、2日の天気予報が非常に悪かったので試合前日の夕方に中止が発表され3日準決勝・4日決勝と↓↓
これによって4日は宝塚の自宅から朝、十三に向かって行き10時頃面接が始まり終わって即、返す刀で神戸市須磨区へ大移動するハメになってしまった、、、、
秋季大会で中国や四国・北信越あたりだと2校しかセンバツに出れないので準決勝も当然ガチンコ対決だが、近畿は6校出場できるので4強入りしたら同一府県3校が4強に勢ぞろいしない限りは当確となるので控え投手を試してコールド負けするケースも多々見られた。。。
6年前の秋、和智弁は明石商相手に0-12で5回コールド負けを喫したし神宮大会に是が非でも出場したいというチームは近畿にはかなり数少ないと思われる。
この日の第1試合は天理ー東洋大姫路。ともに1位校でセンバツに出ても上位進出できる力はあるとみているが、この日はやはりエース温存してきた・・・・・。
天理はこれまで下坊ー伊藤のリレーでソツなく勝ってきたが、この日は10番・酒井が先発でエース・下坊はレフトを守っていた。東洋は2試合連続エース・阪下が完封したが、この日は10番・末永が先発。どこかのタイミングでエースがリリーフするかもしれないが、、、、、地元の東洋が第1試合登場ということでスタンドはこの日も大賑わいだったが、前日の雨が影響してサイドノックをしてからの試合開始となった。
1回表天理は連続センターフライで4球で2死となったが、3番・永末が8球粘って四球をもぎとり、4番・冨田がフルカウントからライト前ヒットを放ち1・3塁。5番・伊藤も3ボールで末永投手走者を背負ってから急に苦しくなってきたが、1-3からサードゴロに打ち取り無得点で切り抜けたのがこの試合の最大のポイントだったかもしれない。
その裏、東洋はいきなり1番・渡辺拓が1ボールからセンターオーバーのスリーベース。2番・伏見のセカンドゴロでわずか3球で1点先制。直後に3番・見村が右中間ツーベースを放ち2死からデッドボールで1・2塁と苦しい立ち上がりを見かねて藤原監督は早くもエース・下坊をリリーフさせた。ここでピンチを防げたらまだ1点なんで大勢に影響はないと思われたが、6番・白鳥が1-2からライト前タイムリーヒットを放ち2点目を取ったことが大きかった。
初回から両チーム明暗が分かれさらに2回天理は三者凡退。東洋は先頭の8番・渡辺裕がセンター前ヒット。これを送って1死2塁と四、1番・渡辺拓のセカンドゴロで2死3塁とコツコツ攻めて2番・伏見のショート正面のゴロを赤埴がまさかの後逸するタイムリーエラーで3点目。。。まだこの時点でコールドは意識しなかったが非常にイヤな流れとなった。
早く1点でも返したい天理だが、過去2戦のように先行逃げ切りで比較的楽な展開で勝ってきたわけではなく、東洋大姫路という近畿屈指の強豪校相手でエース・阪下は先発回避してきたが守備のミスなどで3点を失い気持ちが空回りしている部分と伝統的に後半爆発型のチームなんで前半は淡白な攻撃が目立つこともしょっちゅうみているが、この日もフライアウトがやたらに目立ち2回に続きまた三者凡退で反撃の糸口が見つからない。
その裏の東洋の攻撃はどうしても0点で抑えて流れを変えたいが、エース・下坊が1回2死からリリーフし火消しに走っているが、この回もヒット3本を浴びるなど2死満塁の大ピンチ・・・ここで静観していた藤原監督がタイムを取り秘策を授けた。運よく打席は9番・末永投手。新チーム結成後阪下投手・木下投手が主に投げていたので公式戦でそんなに打席には入っていないだろうから与しやすしとみていたが、カウント1-2から2球ファールで粘ってきたが、最後はレフトフライに抑え0-3で序盤を終えた。
ここまでおとなしかった天理打線だが、4回3番からの攻撃で先頭が四球で出塁。ここは4番・冨田の長打に賭けたいところだが、初球ボール球に手を出し空振り。これを見て藤原監督が打てないと思ってサインを出したのか?2球目バントファール・・・。最後は外137kmに手が出ず3球三振と最悪の結果。。。5番・伊藤も2球で追い込まれレフトフライ。今日はレフトで先発だったので打順が1つ上がりエース・下坊が打席に立ち、0-1から天理らしからぬ盗塁を仕掛け成功!さらに2-2から暴投で3塁へ進み、下坊がフルカウントからレフト線にタイムリーツーベースを放ち反撃開始。7番・石井もレフトへタイムリーツーベースを放ちあっという間に2-3と1点差に詰め寄り伝統の強力打線の片りんを見せた。それでも岡田監督はタイムを取ることもなく動かず、8番・高瀬うち138kmの直球に空振り三振。
その裏東洋はヒットと送りバントで1死2塁と形を作りクリーンアップ登場という場面で、藤原監督は早くもサード・伊藤をリリーフさせマシンガン継投に走った。これがはまって、3番・見村はライト永末のダイビングキャッチの好プレーでライトフライ。4番・木村は内140km直球に見逃しの三振で無得点。これでかなり試合に緊迫感が増してきた!
そして5回表先頭・途中出場の東口が2球で追い込まれ高めのボール球に手を出しサードゴロだったが、サード・渡辺裕の悪送球を誘い無死1塁。巧打者のトップバッター赤埴だが過去2打席連続外野フライに倒れていた相性も考えたのか?藤原監督は送りバントで手堅く1死2塁と形を作り、2番・吉田がレフトへ同点タイムリーツーベースを放ちついに3-3と試合を振り出しに戻した!
だが、余力を残している東洋はここでエース・阪下がリリーフ登板。準決勝とはいえ岡田監督は捨て試合を作る気持ちはなさそうだ・・・。
天理のクリーンアップと大黒柱・阪下投手の対戦はサードゴロ・ファーストゴロと3球で決着がつきエース登板で勢いづいた東洋がまさかの大爆発!!!
先頭の5番・高畑への四球がケチの着け始めで情勢通り送りバントで1死2塁。そして7番・桒原がセンター前タイムリーヒットですかさず4-3と勝ち越し。でも8番・渡辺裕サードゴロで2死2塁。9番・阪下投手を打ち取れば問題なかったが不用意な四球でリズムが狂い、1・2番への連続四死球でまさかの押し出しで5点目、、、、、
それでも伊藤投手続投でこれが火に油を注ぐこととなり、3・4番に連続タイムリーを浴びKO。この時点で3-8と5点差が付き、相手はエース・阪下が登板してきたのでもう勝ち目がなくなった。
ここでコールド回避のためか??エース・下坊が再登板するも四球で満塁となり、6番・白鳥にセンターオーバーの走者一掃タイムリーツーベースでこの回一気に8得点。ここでホームランが出ればまさかの5回コールドゲームだが、ライトフライで打者12人の猛攻が終わった。。。。。。。。
最初から下坊-伊藤のリレーだったらここまで差は広がらなかったと思うが、まさか3点差追いつかれた直後に1イニング8得点の猛攻が待っているとは・・・・。県大会では1-0や2-1と際どい試合をしぶとく勝ち抜いてきたきらいがあったが、神戸国際大付との準決勝でタイブレークで6得点挙げた勢いそのままに平安戦に続きビッグイニングが!
僕は見ていないが、大阪学院相手に4-0とそこまで爆発しなかった模様だが、エース・阪下が登板した途端に打線に火が点きコールド目前となってしまった、、、
あとはもう天理の意地を見たかったが、すでに4強進出してセンバツ当確ラインに入っているので、明日も天理から神戸まで長距離移動を所望していないようで、阪下投手相手に無抵抗主義・・・。
6回裏2死ランナーなしから時間稼ぎなのか???意味もなくエース・下坊が再度レフトへ回り背番号20の橋本投手が登板しセンターフライに抑え最低限の7回へ。
7回表2点以上取らなければコールド成立という厳しい局面で、まず代打・本田がライト前ヒット。すかさず代走・桑島が起用され、橋本投手に当然の如く代打・石黒を起用。ここでホームランが出れば7回裏を作ることになるが、、、セカンドゴロ。上位2人もともにサードフライに倒れまさかの7回コールドゲーム成立・・・・・・・。
ネームバリューのある両校の対戦だけに5点勝負のハイレベルの戦いを期待していたが、エース・阪下がマウンドに立つと大きく試合の流れが変わり一気に持っていかれた感じだった。
最初から岡田監督は優勝することを念頭に連戦となるので、今日は控え投手で行けるところまで行って危なくなったら阪下投手リリーフで試合を作り明日は先発完投という算段だろうか?
7回で終わりながらも試合時間2時間09分というのは天理らしい試合運びかもしれないが、1度崩れだすとモロさを露呈して修正できなかった・・・。
天理大学の黄金期を築いた藤原監督が天理高校に来たので豪快な打撃に緻密な野球をミックスさせ甲子園でさらに白星を積み重ねると思ったが、翌年春夏連続甲子園出場しながら山梨学院・鳴門に苦杯を舐め、まさかの初戦敗退を繰り返してしまったのが辛かった、、、、、
さて、第2試合は戦前考えもしなかったが市和歌山-智弁和歌山の事実上の決勝戦!?が待っている。市和歌山は3位出場で三田学園の野球にはめられ辛くも1-0で振り切ったものの、立命館宇治相手には荷が重いと思ったが10-0でまさかの6回コールド勝ち。和智弁は新鋭の神戸学院大付を一蹴し、連戦となった準々決勝では大阪桐蔭を下した滋賀学園が相手となりこれも完勝して県大会決勝の11安打1得点というどん底の打線から状態を上向けてきたようだ。
このカードになると、たいがいは和智弁が勝ってしまうのだが小園ー松川のバッテリーの折は無観客のわかさS京都で2-0と市和歌山が競り勝った実績もあるのでどうなるだろうか???それはまた次回の講釈で。
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 死球 三振 暴投 失点 自責
天 理 酒 井 2/3 5 17 2 0 0 1 0 0 2 2
天 理 下 坊 2 2/3 15 65 6 2 0 0 0 0 1 0
天 理 伊 藤 1 1/3 11 40 3 1 3 1 1 0 7 7
天 理 下 坊 1 5 18 1 0 1 0 1 0 1 1
天 理 橋 本 1/3 1 5 0 0 0 0 0 0 0 0
東洋姫路 末 永 4 1/3 20 81 4 1 2 0 3 1 3 2
東洋姫路 阪 下 2 2/3 9 26 1 0 0 0 2 0 0 0
(完)
🌟次回予告🌟
11/3 秋季近畿大会6日目第2試合 ほっともっとフィールド神戸 智弁和歌山(和歌山①)-市和歌山(和歌山③)
🎤神港学園が創部100年祝賀会を開催 北原光広前監督「甲子園が全てではない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/2318fe5314f01b0d7df96f48e4f0fcc5fa4a0c0c
春夏通算8度の甲子園出場を誇る高校野球の強豪・神港学園(兵庫)の「硬式野球部創部100周年祝賀会」が21日、兵庫県神戸市内のホテルで開催された。1926年創部の同校を県内屈指の強豪まで育て上げた前監督の北原光広氏(72)、息子で現監督の直也氏(46)を始め、OB、同校関係者らが一堂に会し、節目を祝った。
あいさつに立った北原光広前監督は「100年のうち、私はたった36年しか神港学園の監督をすることができませんでした。弱いチームも、強いチームもありましたが、私は甲子園が全てではないと思っています。人間形成の手段。空気と一緒で、なくてはならない野球。私自身の人生の中で、野球を選んで良かったなと今も思っています」と万感の思いをこめた。野球では無名だった私神港時代の82年から2017年まで36年間にわたって監督を務め、同校8度の甲子園すべてで指揮を執り、「SHINKO」の名を世に知らしめた名将。節目の場で31年前に思いもはせた。
「忘れられないのは1995年の阪神・淡路大震災」
95年。1月17日に発生した阪神・淡路大震災で、神港学園も多くの生徒が被災した。野球どころではない。2月21日に選抜出場決定の報がもたらされるまで、1カ月以上も全体練習ができない状態が続いた。選抜の開催は「無理だ。できない」と思った。その間、部員とともにボランティア活動に努めたが、周囲から「売名行為はやめろ」などと思わぬ誹謗中傷を浴び、傷つきもした。
それでも練習再開日の部員の言葉、表情に勇気づけられた。「このチームは3日で仕上がる」と確信できた。被災地からの出場となった報徳学園、育英とともに調整不足のまま大会へ。無形の力が備わったチームは初戦で仙台育英(宮城)を4―3で破ると、続く2回戦でも大府(愛知)を4―3で下した。準々決勝で延長13回の激闘も実らず今治西(愛媛)に4―5で競り負けたものの、被災地を元気づける2勝を挙げることができた。大会前には開催は不可能と思っていたが、終わってみれば「個人的には“やって良かったな”と。意義のある大きな大会だった」と感謝できた。あの1年も経て、神港学園野球部の歴史は100年を通過した。
以降も県内の強豪の一角を占めるが、10年選抜を最後に、甲子園からは遠ざかる。とはいえ近年も21年春に兵庫大会優勝、25年夏に県大会4強と上位進出を果たしており、聖地まであと一歩の位置にもいる。
父の後を受け、18年春から指揮を執る北原直也監督は「先輩方に見せていただいた粘り強さ、必死さ、ボールに食らいついていく姿というのは、時代が進んでも絶対に変えてはいけない部分だと思います。100年を迎えた神港学園の良き伝統だと思うので、引き続き生徒たちに伝えていこうと思っています。時代とともに変化していくこと、変えてはいけないこと。そこに信念を持って戦っていきたいと思います」と言葉に力をこめた。その上で「子どもたちと一緒に100年以降、またいい年を迎えていきたい。一日でも早く、OBの皆さまに“おめでとう”と言っていただけるように、一生懸命やっていきます」と新たな歴史を紡ぐべく、前を向いた。
📝高校野球岡山大会、7月11日初戦 9日に開会式 試合会場は3球場
https://news.yahoo.co.jp/articles/f9d2d34e2c43e7779eb2122b2d2c24bae1a1f373
岡山県高校野球連盟は21日、2026年度の公式戦などの予定を発表した。第108回全国高校野球選手権岡山大会は過去2大会と同様、開会式と試合日程を分ける。開会式は7月9日で、試合は11日に始まり、決勝は27日の予定。
夏の岡山大会の使用球場は例年通り、倉敷市のマスカットスタジアム、同市営球場、美咲町の美咲エイコンスタジアム。抽選会は6月27日で、7月9日の開会式は午後に行う予定。
入場料は大人1千円、高校生100円、中学生以下無料。同じ日であれば、1回の入場料で別球場にも入場できる。
■日程
【硬式】
春季県大会=4月25、26、29日、5月2、3日
春季中国地区大会(島根県)=5月30、31日、6月2日
秋季県大会=9月19、26、27日、10月3、4、10日
秋季中国地区大会(鳥取県)=10月23~25日、31日、11月1日
県1年生大会=11月7、8、14、15、21日
【軟式】
春季県大会=4月18、19、25日
春季中国地区大会(広島県)=5月23、24、26日
県高校総体=6月6、7日
全国選手権岡山大会=7月18~23日
全国選手権東中国大会(島根県)=8月1、2日
秋季県大会=10月17、18、24日
秋季中国地区大会(山口県)=10月31日、11月1、3日
■表彰(敬称略)
【選手】
県高野連表彰・軟式の部 三輪悠斗(倉敷工)
【役員=硬式】
20年 重光潔一(興陽)、小川秀敏(興陽)、木村和成(岡山商大付)、太田学(倉敷工)
【役員=軟式】
20年 山本清一(津山工)
【審判委員】
30年 前田康弘、山本明、相原克行、戸田治▽10年 石井孝明、島田稔秋、小坂祐太、三沢秀樹、芦田有正
岡山県高野連はこの日、岡山学芸館高で主将を務め、日本学生野球協会の優秀選手に選ばれた国近泰獅さん(18)を表彰した。
国近さんは昨夏の岡山大会と甲子園では三塁コーチを務め、仲間を大きな声で鼓舞した。持ち前のリーダーシップでチームをまとめ、2年連続の夏の甲子園16強入りに貢献した。
表彰後、国近さんは「本当に光栄です」と話した。高校時代はけがでプレーできない期間が続き、支えてくれる人たちのありがたさを実感した。そうした経験から、大学では硬式野球部の学生コーチとしてチームを支える側に回る。「周りから学びながらチームに貢献し、日本一を成し遂げたい」と抱負を語った。
☝<春風に乗って>’26センバツ 三重 「勝つぞ」保護者応援団 赤青メガホン、振り確認
https://news.yahoo.co.jp/articles/eefeb6e79d5f7cf5de92b1617e4852c8ec17c856
8年ぶり14回目のセンバツ出場を決めた三重。勝利に欠かせないのが、スタンドから選手たちを鼓舞する応援団だ。約70人以上の応援団の中心は、なんと野球部員の親たち。応援部の部員が1人しかいないため、保護者らが頼もしい主力になっている。
松阪市の三重高校で21日、応援練習があり、応援団の奥谷将大団長(3年)を先頭に、「レッツゴー三重」など数々の練習に励んだ。「応援を練習したい」という保護者会の熱烈な思いで実施されたもので、保護者ら約70人が参加した。
保護者らはおそろいの青色の三重高ウインドブレーカー姿で赤と青のメガホンをそれぞれ持ち、音楽に合わせて振りを確認。「ここの振りはこっちの方が熱い思いが伝わるのではないか」などと親同士で話し合う場面も見られた。
保護者会の会長を務める中西優斗外野手(2年)の父洋智さん(46)は「応援は、甲子園で子どもたちの支えになれる唯一の手段。子どもたちが楽しい気持ちになる応援ができたら」と話した。奥谷団長は「いつも一人で頑張らなければいけないことが多いので、心強い。三重大会の初戦で負けた昨夏の悔しい思いをみんな抱えているはずなので、応援団一丸で勝利に導きたい」と意気込む。
練習前には、保護者21人が松阪市立野町の松尾神社で必勝祈願。400段の石段を励ましあいながら登り切り、神職が甲子園での勝利などを祈る祝詞を読み上げると、保護者らは玉串をささげた。愛知県豊田市から参加した福田篤史左翼手(2年)の父拓道さん(46)は「昨夏負けてしまった分、この春にかける思いは強いと思う。一試合でも多く試合ができることを願った」と話していた。
☝ 甲子園の伝説の名将がセンバツ出場の佐野日大に“聖地の心得”を伝授
https://news.yahoo.co.jp/articles/a035099686ca0428b6dd4218c17b7c06934f0b69
第98回センバツ高校野球大会に出場する佐野日大(栃木)のグラウンドに、頼もしい“スーパーバイザー”が現れた。PL学園(大阪)の監督として春夏通算6度の甲子園制覇を果たした中村順司氏(79)が22日、39人の部員に聖地で戦う心得を伝授した。
孫である中村盛汰主将(2年)が一昨年春に入学したことをきっかけに、麦倉洋一監督(54)が指導を依頼。折りを見てグラウンドに足を運んでいる。まず、1時間ほどのミーティングで「太陽の位置や風の方向に注意すること」など初めて甲子園の舞台に立つ選手に準備の重要性を説いた。そのあとグラウンドに立ち精力的に指導。土をならすトンボのかけ方にアドバイスを送る場面もあった。
PL学園時代から「球道即人道」の言葉を掲げ指導にあたってきた中村氏。「グラウンドの中に人生の縮図がある。思いやりや気配りなど、日常生活で大事なものを野球で学んで欲しい」と精神面の成長にも期待した。中村主将は「ふだんは優しいですが、野球になると目の色が変わる。いい意味で厳しく指導してくれます」と偉大な祖父の存在に感謝していた。
📝【古豪巡礼】大阪の伝統「三本線」が途切れない理由 市岡が“皆勤ストップ危機”脱して、つなぐドラマ
https://news.yahoo.co.jp/articles/a8e8de4ca85bfff4e1056c704fbd2a8d054a39c4
連載「古豪巡礼」の第3回は、夏の地方大会に第1回大会から皆勤出場を続ける市岡(大阪)を特集する。大阪市内で3番目に開校した旧制中学を意味する三本線が入った特徴的な帽子でも知られる伝統校。甲子園大会には、第2回大会だった1916年夏の準優勝を含む春夏通算21度の出場を数える。1995年春の選抜出場など現在も奮闘を続けている公立の雄の今に迫る。
誇らしさと恐怖心、2つの感情は背中合わせだ。夏の地方大会に第1回から全て出場している高校は全国に15校あり、大阪には1校しかない。その市岡の野口諭史監督は「皆勤出場はうちのアドバンテージですから」と唯一無二の伝統を売りにしている。ただし、戦績が低迷して部員が集まらないような事態に陥れば、100年以上守り続けてきた皆勤出場が途切れることになる。この重圧も、大阪では市岡しか分からない。
選手数は2年生13人、1年生15人の計28人を擁する。皆勤出場が途切れる気配はなさそうに見えるが、現実は違う。昨夏限りで引退した3年生は3人、その1学年上も6人しかいなかった。23年秋の大阪大会は助っ人として在校生2人をベンチ入りさせ、何とか単独出場にこぎつけた。野球人口が減り続ける今、皆勤出場はいつ途切れてもおかしくない状況なのだ。
今年の部員数の多さについて、野口監督は「最近の成績が大きい」と明かす。24年秋の大阪大会で5回戦まで進み、翌春選抜大会の21世紀枠大阪推薦校に選ばれた。その戦績を知って集まったのが現在の1年生15人だ。同監督は「部員数は苦しい時代から少しずつ戻りつつある」と胸をなで下ろすが、油断はできない。部員数が激減した23年頃から髪型の坊主頭を廃止。指導者は、中学校を訪問することがあれば、野球部の宣伝も忘れず付け加えるようにしている。
地道な努力で繋いできた伝統が、新たな物語を生む。95年春の選抜大会で背番号1を背負った井上雅文の息子・智文(2年)が同校に入学し、昨夏に父と同じエース背番を背負った。「小6の時に父の甲子園の映像を初めて見て、凄いな…と驚きました。自分も甲子園に出たいと思い、市岡を選びました」。その選抜大会で背番号5だった垂井亨平の息子・勝星(1年)も入部。息子たちは、親子二代で三本線の帽子をかぶることに憧れてきたのだ。
夏の大会の試合前、野口監督は観客席を見ながら選手に伝える。「応援の数が凄いやろ?みんな市岡を応援してくれてるんやで」。三本線は、大阪の高校野球ファンにとっても特別なのだ。主将の川島蓮斗(2年)も「皆勤校という理由で応援してくれる方もいると思う。公立校で、ここまで応援してもらえる高校があるのかと驚きました」と一際大きかった声援を思い返す。三本線の帽子をかぶれば分かる。皆勤校としての歴史が力になる。
📝阪神なら「潰れていたかも」 想定外のパ球団1位…ドラフト目玉が悩み抜いた15日間
https://news.yahoo.co.jp/articles/75b8f53b901d9860c50e66c64a2e5f5acbca4b99?page=1
近鉄入団の決め手は「スカウトがすごく優しくて」
三沢高・太田幸司投手(現・野球評論家)の近鉄入団発表は1969年12月22日に大阪市の近鉄本社で行われた。その年の甲子園大会を沸かせた国民的大スター右腕の加入だけに、記者会見は近鉄・佐伯勇オーナーも同席するなど大々的なものだった。しかしながら、11月20日のドラフト会議で1位指名され、12月8日に合意するまでに太田氏は悩んだという。大学進学も視野に入れていた中でのプロ入り決断には担当スカウトの熱意と家庭事情などが関係していた。
大学か、プロか。太田氏はドラフト後も進路問題で揺れていた。とにかく1位指名してくれた近鉄を知らなさすぎた。「まずはじめに、近鉄ってどんな感じなのって、そこを把握することからでしたね」。1969年の三原脩監督率いる近鉄が阪急と激しい優勝争いを繰り広げていたことも、その時に知ったという。「阪急との最後の4連戦(10月18日~20日、18日は西宮でダブルヘッダー、19日は藤井寺、20日は日生)で2勝すれば初優勝ってところまで行ったけど(3連敗して)2位だったということもね」。
翌1970年には大阪で日本万国博覧会(万博)が開催。「“万博の年に前年2位の近鉄が初優勝できるか。そこへ太田が入れば、盛り上がる”とか、そんな話とかいろいろ聞いたりもしたけど、なかなか決められませんでした」。報道陣に進路について聞かれるたびに「五分五分です」と答えた。「『いやぁ、まだちょっと五分五分です』ってね。あの時に流行語大賞があったら、候補になっていたかも。それくらい毎回『五分五分です』と言っていたんでね」と笑った。
そんな中で近鉄入りを決めたのは「(近鉄担当スカウトの)中島さんがすごく優しくて、熱心で、その人にひかれたってこともありましたし、両親の体調のこともあったんです」という。「(1968年の)2年の夏は甲子園に親父(暁さん)もお袋(タマラさん)も観戦に来てくれたんですけど、最後の夏の甲子園の時は2人が同じ部屋に入院していて、僕は病院から『甲子園に行ってきます』と言って向かったんです」。
甲子園での熱投は入院中の両親を元気づけるためでもあったわけだが「病院では僕の試合のテレビ中継を決勝まで両親は見せてもらえなかったそうなんです。見て血圧が上がったり、心臓が悪かったのでワーッとなるからってね。ただ決勝の時だけ(三沢)市内の電気屋さんがでかいテレビを持って来て、病室に入れて、看護師さんやみんなが集まって見て、盛り上がったらしいですけどね」と話す。
近鉄入団で盛り上がったパ・リーグ
「まぁ、そんな家庭の状況もあってね、大学の方もいろんな条件はあったにせよ、やっぱりプロでお金を稼いだ方が、っていう……。僕自身、最終的にはプロでやりたいっていう気持ちはあったし、大学に行って、もしも肩を壊したらっていうのもあった。バッターは大学、社会人で経験を積むのもいいと思うけど、ピッチャーはどこで故障するか、わからないからね。行ける時に行った方がいいって今でも僕はそう思いますけどね」
考え抜いた末に近鉄入りを決断した。背番号は「18」に決まった。「本当は(大ファンだった阪神投手の)村山(実)さんと同じ11番がよかったんですけどね。先輩(山田勝国外野手)に11番をつけている人がいたのでね。球団からは『何番でも好きなやつをやる』と言われたけど、先輩がつけているのを取るわけには……。18番はその時、たまたま空いていたので、じゃあ18番でって、つけました」。
高校野球同様にフィーバーは近鉄でも続いた。「入団会見に佐伯オーナーが同席したこともすごい話題になりましたしね。でも振り返ってみれば、近鉄でよかったのかなと思いますよ」と太田氏はいう。ドラフト前は密かに村山実監督兼投手の阪神に行きたいとの思いを抱いていたが「もしも僕が阪神に行っていたら、ひょっとしたら潰れていたかもしれない。あまりの周りのアレに……ね」。当時、注目度が低かったパ・リーグの近鉄でさえも大盛り上がりだっただけに、人気の阪神ならどうなっていたか、というわけだ。
何しろ太田氏と同じ年の阪神ドラフト1位の上田二朗投手(東海大)は入団1年目のキャンプで「“ファンは太田幸司と田淵(幸一捕手)のバッテリーを望んでいた”と新聞に書かれて悔しい思いをした」と話すほど。「その話は上田さんに聞きました。『俺はお前のおかげで新人の時にえらい目にあったんやで』ってね。でも阪神で20勝(1973年に22勝)されましたからね、上田さんが阪神でよかったんですよ」。運命のドラフト会議によって、近鉄との縁ができた太田氏は、バファローズ戦士としてプロ人生を歩んでいく。それは尋常ではない人気との“戦い”にもなった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2318fe5314f01b0d7df96f48e4f0fcc5fa4a0c0c
春夏通算8度の甲子園出場を誇る高校野球の強豪・神港学園(兵庫)の「硬式野球部創部100周年祝賀会」が21日、兵庫県神戸市内のホテルで開催された。1926年創部の同校を県内屈指の強豪まで育て上げた前監督の北原光広氏(72)、息子で現監督の直也氏(46)を始め、OB、同校関係者らが一堂に会し、節目を祝った。
あいさつに立った北原光広前監督は「100年のうち、私はたった36年しか神港学園の監督をすることができませんでした。弱いチームも、強いチームもありましたが、私は甲子園が全てではないと思っています。人間形成の手段。空気と一緒で、なくてはならない野球。私自身の人生の中で、野球を選んで良かったなと今も思っています」と万感の思いをこめた。野球では無名だった私神港時代の82年から2017年まで36年間にわたって監督を務め、同校8度の甲子園すべてで指揮を執り、「SHINKO」の名を世に知らしめた名将。節目の場で31年前に思いもはせた。
「忘れられないのは1995年の阪神・淡路大震災」
95年。1月17日に発生した阪神・淡路大震災で、神港学園も多くの生徒が被災した。野球どころではない。2月21日に選抜出場決定の報がもたらされるまで、1カ月以上も全体練習ができない状態が続いた。選抜の開催は「無理だ。できない」と思った。その間、部員とともにボランティア活動に努めたが、周囲から「売名行為はやめろ」などと思わぬ誹謗中傷を浴び、傷つきもした。
それでも練習再開日の部員の言葉、表情に勇気づけられた。「このチームは3日で仕上がる」と確信できた。被災地からの出場となった報徳学園、育英とともに調整不足のまま大会へ。無形の力が備わったチームは初戦で仙台育英(宮城)を4―3で破ると、続く2回戦でも大府(愛知)を4―3で下した。準々決勝で延長13回の激闘も実らず今治西(愛媛)に4―5で競り負けたものの、被災地を元気づける2勝を挙げることができた。大会前には開催は不可能と思っていたが、終わってみれば「個人的には“やって良かったな”と。意義のある大きな大会だった」と感謝できた。あの1年も経て、神港学園野球部の歴史は100年を通過した。
以降も県内の強豪の一角を占めるが、10年選抜を最後に、甲子園からは遠ざかる。とはいえ近年も21年春に兵庫大会優勝、25年夏に県大会4強と上位進出を果たしており、聖地まであと一歩の位置にもいる。
父の後を受け、18年春から指揮を執る北原直也監督は「先輩方に見せていただいた粘り強さ、必死さ、ボールに食らいついていく姿というのは、時代が進んでも絶対に変えてはいけない部分だと思います。100年を迎えた神港学園の良き伝統だと思うので、引き続き生徒たちに伝えていこうと思っています。時代とともに変化していくこと、変えてはいけないこと。そこに信念を持って戦っていきたいと思います」と言葉に力をこめた。その上で「子どもたちと一緒に100年以降、またいい年を迎えていきたい。一日でも早く、OBの皆さまに“おめでとう”と言っていただけるように、一生懸命やっていきます」と新たな歴史を紡ぐべく、前を向いた。
📝高校野球岡山大会、7月11日初戦 9日に開会式 試合会場は3球場
https://news.yahoo.co.jp/articles/f9d2d34e2c43e7779eb2122b2d2c24bae1a1f373
岡山県高校野球連盟は21日、2026年度の公式戦などの予定を発表した。第108回全国高校野球選手権岡山大会は過去2大会と同様、開会式と試合日程を分ける。開会式は7月9日で、試合は11日に始まり、決勝は27日の予定。
夏の岡山大会の使用球場は例年通り、倉敷市のマスカットスタジアム、同市営球場、美咲町の美咲エイコンスタジアム。抽選会は6月27日で、7月9日の開会式は午後に行う予定。
入場料は大人1千円、高校生100円、中学生以下無料。同じ日であれば、1回の入場料で別球場にも入場できる。
■日程
【硬式】
春季県大会=4月25、26、29日、5月2、3日
春季中国地区大会(島根県)=5月30、31日、6月2日
秋季県大会=9月19、26、27日、10月3、4、10日
秋季中国地区大会(鳥取県)=10月23~25日、31日、11月1日
県1年生大会=11月7、8、14、15、21日
【軟式】
春季県大会=4月18、19、25日
春季中国地区大会(広島県)=5月23、24、26日
県高校総体=6月6、7日
全国選手権岡山大会=7月18~23日
全国選手権東中国大会(島根県)=8月1、2日
秋季県大会=10月17、18、24日
秋季中国地区大会(山口県)=10月31日、11月1、3日
■表彰(敬称略)
【選手】
県高野連表彰・軟式の部 三輪悠斗(倉敷工)
【役員=硬式】
20年 重光潔一(興陽)、小川秀敏(興陽)、木村和成(岡山商大付)、太田学(倉敷工)
【役員=軟式】
20年 山本清一(津山工)
【審判委員】
30年 前田康弘、山本明、相原克行、戸田治▽10年 石井孝明、島田稔秋、小坂祐太、三沢秀樹、芦田有正
岡山県高野連はこの日、岡山学芸館高で主将を務め、日本学生野球協会の優秀選手に選ばれた国近泰獅さん(18)を表彰した。
国近さんは昨夏の岡山大会と甲子園では三塁コーチを務め、仲間を大きな声で鼓舞した。持ち前のリーダーシップでチームをまとめ、2年連続の夏の甲子園16強入りに貢献した。
表彰後、国近さんは「本当に光栄です」と話した。高校時代はけがでプレーできない期間が続き、支えてくれる人たちのありがたさを実感した。そうした経験から、大学では硬式野球部の学生コーチとしてチームを支える側に回る。「周りから学びながらチームに貢献し、日本一を成し遂げたい」と抱負を語った。
☝<春風に乗って>’26センバツ 三重 「勝つぞ」保護者応援団 赤青メガホン、振り確認
https://news.yahoo.co.jp/articles/eefeb6e79d5f7cf5de92b1617e4852c8ec17c856
8年ぶり14回目のセンバツ出場を決めた三重。勝利に欠かせないのが、スタンドから選手たちを鼓舞する応援団だ。約70人以上の応援団の中心は、なんと野球部員の親たち。応援部の部員が1人しかいないため、保護者らが頼もしい主力になっている。
松阪市の三重高校で21日、応援練習があり、応援団の奥谷将大団長(3年)を先頭に、「レッツゴー三重」など数々の練習に励んだ。「応援を練習したい」という保護者会の熱烈な思いで実施されたもので、保護者ら約70人が参加した。
保護者らはおそろいの青色の三重高ウインドブレーカー姿で赤と青のメガホンをそれぞれ持ち、音楽に合わせて振りを確認。「ここの振りはこっちの方が熱い思いが伝わるのではないか」などと親同士で話し合う場面も見られた。
保護者会の会長を務める中西優斗外野手(2年)の父洋智さん(46)は「応援は、甲子園で子どもたちの支えになれる唯一の手段。子どもたちが楽しい気持ちになる応援ができたら」と話した。奥谷団長は「いつも一人で頑張らなければいけないことが多いので、心強い。三重大会の初戦で負けた昨夏の悔しい思いをみんな抱えているはずなので、応援団一丸で勝利に導きたい」と意気込む。
練習前には、保護者21人が松阪市立野町の松尾神社で必勝祈願。400段の石段を励ましあいながら登り切り、神職が甲子園での勝利などを祈る祝詞を読み上げると、保護者らは玉串をささげた。愛知県豊田市から参加した福田篤史左翼手(2年)の父拓道さん(46)は「昨夏負けてしまった分、この春にかける思いは強いと思う。一試合でも多く試合ができることを願った」と話していた。
☝ 甲子園の伝説の名将がセンバツ出場の佐野日大に“聖地の心得”を伝授
https://news.yahoo.co.jp/articles/a035099686ca0428b6dd4218c17b7c06934f0b69
第98回センバツ高校野球大会に出場する佐野日大(栃木)のグラウンドに、頼もしい“スーパーバイザー”が現れた。PL学園(大阪)の監督として春夏通算6度の甲子園制覇を果たした中村順司氏(79)が22日、39人の部員に聖地で戦う心得を伝授した。
孫である中村盛汰主将(2年)が一昨年春に入学したことをきっかけに、麦倉洋一監督(54)が指導を依頼。折りを見てグラウンドに足を運んでいる。まず、1時間ほどのミーティングで「太陽の位置や風の方向に注意すること」など初めて甲子園の舞台に立つ選手に準備の重要性を説いた。そのあとグラウンドに立ち精力的に指導。土をならすトンボのかけ方にアドバイスを送る場面もあった。
PL学園時代から「球道即人道」の言葉を掲げ指導にあたってきた中村氏。「グラウンドの中に人生の縮図がある。思いやりや気配りなど、日常生活で大事なものを野球で学んで欲しい」と精神面の成長にも期待した。中村主将は「ふだんは優しいですが、野球になると目の色が変わる。いい意味で厳しく指導してくれます」と偉大な祖父の存在に感謝していた。
📝【古豪巡礼】大阪の伝統「三本線」が途切れない理由 市岡が“皆勤ストップ危機”脱して、つなぐドラマ
https://news.yahoo.co.jp/articles/a8e8de4ca85bfff4e1056c704fbd2a8d054a39c4
連載「古豪巡礼」の第3回は、夏の地方大会に第1回大会から皆勤出場を続ける市岡(大阪)を特集する。大阪市内で3番目に開校した旧制中学を意味する三本線が入った特徴的な帽子でも知られる伝統校。甲子園大会には、第2回大会だった1916年夏の準優勝を含む春夏通算21度の出場を数える。1995年春の選抜出場など現在も奮闘を続けている公立の雄の今に迫る。
誇らしさと恐怖心、2つの感情は背中合わせだ。夏の地方大会に第1回から全て出場している高校は全国に15校あり、大阪には1校しかない。その市岡の野口諭史監督は「皆勤出場はうちのアドバンテージですから」と唯一無二の伝統を売りにしている。ただし、戦績が低迷して部員が集まらないような事態に陥れば、100年以上守り続けてきた皆勤出場が途切れることになる。この重圧も、大阪では市岡しか分からない。
選手数は2年生13人、1年生15人の計28人を擁する。皆勤出場が途切れる気配はなさそうに見えるが、現実は違う。昨夏限りで引退した3年生は3人、その1学年上も6人しかいなかった。23年秋の大阪大会は助っ人として在校生2人をベンチ入りさせ、何とか単独出場にこぎつけた。野球人口が減り続ける今、皆勤出場はいつ途切れてもおかしくない状況なのだ。
今年の部員数の多さについて、野口監督は「最近の成績が大きい」と明かす。24年秋の大阪大会で5回戦まで進み、翌春選抜大会の21世紀枠大阪推薦校に選ばれた。その戦績を知って集まったのが現在の1年生15人だ。同監督は「部員数は苦しい時代から少しずつ戻りつつある」と胸をなで下ろすが、油断はできない。部員数が激減した23年頃から髪型の坊主頭を廃止。指導者は、中学校を訪問することがあれば、野球部の宣伝も忘れず付け加えるようにしている。
地道な努力で繋いできた伝統が、新たな物語を生む。95年春の選抜大会で背番号1を背負った井上雅文の息子・智文(2年)が同校に入学し、昨夏に父と同じエース背番を背負った。「小6の時に父の甲子園の映像を初めて見て、凄いな…と驚きました。自分も甲子園に出たいと思い、市岡を選びました」。その選抜大会で背番号5だった垂井亨平の息子・勝星(1年)も入部。息子たちは、親子二代で三本線の帽子をかぶることに憧れてきたのだ。
夏の大会の試合前、野口監督は観客席を見ながら選手に伝える。「応援の数が凄いやろ?みんな市岡を応援してくれてるんやで」。三本線は、大阪の高校野球ファンにとっても特別なのだ。主将の川島蓮斗(2年)も「皆勤校という理由で応援してくれる方もいると思う。公立校で、ここまで応援してもらえる高校があるのかと驚きました」と一際大きかった声援を思い返す。三本線の帽子をかぶれば分かる。皆勤校としての歴史が力になる。
📝阪神なら「潰れていたかも」 想定外のパ球団1位…ドラフト目玉が悩み抜いた15日間
https://news.yahoo.co.jp/articles/75b8f53b901d9860c50e66c64a2e5f5acbca4b99?page=1
近鉄入団の決め手は「スカウトがすごく優しくて」
三沢高・太田幸司投手(現・野球評論家)の近鉄入団発表は1969年12月22日に大阪市の近鉄本社で行われた。その年の甲子園大会を沸かせた国民的大スター右腕の加入だけに、記者会見は近鉄・佐伯勇オーナーも同席するなど大々的なものだった。しかしながら、11月20日のドラフト会議で1位指名され、12月8日に合意するまでに太田氏は悩んだという。大学進学も視野に入れていた中でのプロ入り決断には担当スカウトの熱意と家庭事情などが関係していた。
大学か、プロか。太田氏はドラフト後も進路問題で揺れていた。とにかく1位指名してくれた近鉄を知らなさすぎた。「まずはじめに、近鉄ってどんな感じなのって、そこを把握することからでしたね」。1969年の三原脩監督率いる近鉄が阪急と激しい優勝争いを繰り広げていたことも、その時に知ったという。「阪急との最後の4連戦(10月18日~20日、18日は西宮でダブルヘッダー、19日は藤井寺、20日は日生)で2勝すれば初優勝ってところまで行ったけど(3連敗して)2位だったということもね」。
翌1970年には大阪で日本万国博覧会(万博)が開催。「“万博の年に前年2位の近鉄が初優勝できるか。そこへ太田が入れば、盛り上がる”とか、そんな話とかいろいろ聞いたりもしたけど、なかなか決められませんでした」。報道陣に進路について聞かれるたびに「五分五分です」と答えた。「『いやぁ、まだちょっと五分五分です』ってね。あの時に流行語大賞があったら、候補になっていたかも。それくらい毎回『五分五分です』と言っていたんでね」と笑った。
そんな中で近鉄入りを決めたのは「(近鉄担当スカウトの)中島さんがすごく優しくて、熱心で、その人にひかれたってこともありましたし、両親の体調のこともあったんです」という。「(1968年の)2年の夏は甲子園に親父(暁さん)もお袋(タマラさん)も観戦に来てくれたんですけど、最後の夏の甲子園の時は2人が同じ部屋に入院していて、僕は病院から『甲子園に行ってきます』と言って向かったんです」。
甲子園での熱投は入院中の両親を元気づけるためでもあったわけだが「病院では僕の試合のテレビ中継を決勝まで両親は見せてもらえなかったそうなんです。見て血圧が上がったり、心臓が悪かったのでワーッとなるからってね。ただ決勝の時だけ(三沢)市内の電気屋さんがでかいテレビを持って来て、病室に入れて、看護師さんやみんなが集まって見て、盛り上がったらしいですけどね」と話す。
近鉄入団で盛り上がったパ・リーグ
「まぁ、そんな家庭の状況もあってね、大学の方もいろんな条件はあったにせよ、やっぱりプロでお金を稼いだ方が、っていう……。僕自身、最終的にはプロでやりたいっていう気持ちはあったし、大学に行って、もしも肩を壊したらっていうのもあった。バッターは大学、社会人で経験を積むのもいいと思うけど、ピッチャーはどこで故障するか、わからないからね。行ける時に行った方がいいって今でも僕はそう思いますけどね」
考え抜いた末に近鉄入りを決断した。背番号は「18」に決まった。「本当は(大ファンだった阪神投手の)村山(実)さんと同じ11番がよかったんですけどね。先輩(山田勝国外野手)に11番をつけている人がいたのでね。球団からは『何番でも好きなやつをやる』と言われたけど、先輩がつけているのを取るわけには……。18番はその時、たまたま空いていたので、じゃあ18番でって、つけました」。
高校野球同様にフィーバーは近鉄でも続いた。「入団会見に佐伯オーナーが同席したこともすごい話題になりましたしね。でも振り返ってみれば、近鉄でよかったのかなと思いますよ」と太田氏はいう。ドラフト前は密かに村山実監督兼投手の阪神に行きたいとの思いを抱いていたが「もしも僕が阪神に行っていたら、ひょっとしたら潰れていたかもしれない。あまりの周りのアレに……ね」。当時、注目度が低かったパ・リーグの近鉄でさえも大盛り上がりだっただけに、人気の阪神ならどうなっていたか、というわけだ。
何しろ太田氏と同じ年の阪神ドラフト1位の上田二朗投手(東海大)は入団1年目のキャンプで「“ファンは太田幸司と田淵(幸一捕手)のバッテリーを望んでいた”と新聞に書かれて悔しい思いをした」と話すほど。「その話は上田さんに聞きました。『俺はお前のおかげで新人の時にえらい目にあったんやで』ってね。でも阪神で20勝(1973年に22勝)されましたからね、上田さんが阪神でよかったんですよ」。運命のドラフト会議によって、近鉄との縁ができた太田氏は、バファローズ戦士としてプロ人生を歩んでいく。それは尋常ではない人気との“戦い”にもなった。
📝夏の高校野球広島大会は7月4日、マツダスタジアムで開幕
https://news.yahoo.co.jp/articles/b0554b2b60529313f80059380f5483b8f80f533d
広島県高校野球連盟は21日、夏の第108回全国高校野球選手権広島大会の開会式を7月4日、マツダスタジアムで開くと発表した。準決勝は同26日、決勝は同28日にいずれもマツダスタジアムである。また、特別支援学校として初めて県立黒瀬特別支援学校のみのお分校が加盟する。
夏の広島大会の抽選会は6月19日にある。大会はマツダスタジアムなど8球場であり、同スタジアムでの決勝は2年ぶり。
黒瀬特別支援学校のみのお分校は、黒瀬特別支援学校の生徒数が増えたことなどから、2025年4月に黒瀬高校の敷地内に開校した。野球部員は2人いるという。硬式部の新規加盟は2年ぶりで、加盟校は94校となる。
また、投手の負担軽減などのため、指名打者制を春の県大会で初めて導入することも発表された。
この日開かれた県高野連の理事会では、部員や指導者による不祥事の根絶や、SNSやインターネットでの誹謗中傷、迷惑行為の防止を目指すことを改めて確認し、全加盟校に周知した。
💢《日大三高わいせつ動画》自撮り要求された女子生徒の悪夢「教師まで噂を耳にしていた」SNS炎上が止まらない…学校側は「未成年です」を盾に説明責任を果たさず
https://news.yahoo.co.jp/articles/b8c3f6303d85574476d1d14e2b143302fe9d6b5b
甲子園常連の強豪校で、昨夏の大会では準優勝に輝いた日大三高の硬式野球部に、衝撃的な不祥事が発覚した。
2月12日、女子生徒(当時15)にわいせつな画像や動画をSNSで送らせて拡散したなどとして、警視庁が男子部員2人を児童買春・ポルノ禁止法違反容疑で書類送検したのだ。
「17歳の部員が昨年3〜4月頃、女子生徒に対し、自撮りしたわいせつな画像や動画を3回にわたって要求。その後、動画の一つを16歳の部員に共有した。受け取った部員は他の複数の部員に動画を送信し、そこから更に拡散したとみられる」(社会部記者)
学校での噂を耳にしていた教師
捜査関係者によると、最終的には十数人が拡散に関与し、判明しているだけで数十人に動画が渡ったとみられる。同校は書類送検がメディアで報じられた後の14日、HP上でコメントを発表。〈性教育を含めた性的な人権についての教育、また通信機器やSNSの利用のあり方についての指導も徹底〉するとし、硬式野球部は無期限活動停止としたが――。
学校関係者が首を傾げる。「昨年10月、被害者の女子生徒の保護者が警察に相談したことがきっかけで発覚したというが、昨年の夏前には、動画の存在は既に硬式野球部内だけでなく校内でも話題になっていた。8月に甲子園に出場した頃には、結構な数の生徒の間で噂になっており、耳にしていた先生もいたようです」しかし、大会前に表沙汰になることはなかった。
「加害者が未成年であることを盾にしている」
「大会前に明るみに出れば出場辞退もありえたわけで、甲子園出場のために事件を隠蔽していたと思われても仕方ない。大会後も、8月下旬から9月上旬にかけては準優勝の凱旋報告会や町田市役所への表敬訪問などの行事もこなしていた。警察が動き出すまで高野連に報告した形跡もありません」(同前)
在校生の一人が続ける。「事件については報道で知るだけで、いまだ全校集会や保護者会での正式な説明もありません。被害者のプライバシー保護は重要ですが、加害者が未成年であることを盾にして説明責任を果たさない学校の対応には、不信感が募ります」(日大三高に事実関係を問い合わせたが、期日までに回答はなかった)
書類送検された2人の部員は「軽率な行動だった」と反省しているといい、今後は家庭裁判所で処分が決まる。性被害問題に詳しい弁護士はこう警鐘を鳴らす。
「児童ポルノとみなされる動画は所持しただけでも、受け取ったものを転送しただけでも処罰対象になる重大な犯罪行為であると、誰もが認識すべきです」
事件については、拡散に加担したとされる別の女子生徒の名前や顔写真がSNSで晒されるなど、沈静化の兆しが見えない。名門校の対応が問われている。
💢〈日大三高わいせつ動画〉「今もネット上にスクショが…」 動画拡散に拍車をかけた学校の隠ぺい体質 「生徒の声を無視し続けた」
https://news.yahoo.co.jp/articles/36b7108fdda967cd9e6ae770ba2f1f1bdfb98fd8?page=1
東京・町田市にある日大三高の硬式野球部は、春夏通じ計40回の甲子園出場、全国制覇3回という実績を誇る。昨夏も準優勝していた名門が2月12日をもって無期限の活動休止となった。
部員によるわいせつ動画拡散事件が原因なのは周知のところ。だが現役生徒が、連日報じられる不祥事への怒りとともに学校側の姿勢にも憤りを覚えている事実は知られていない……。
まずは、社会部デスクが事件を解説する。
「2月12日、野球部の男子部員2名を、警視庁少年育成課が児童買春・児童ポルノ禁止法違反(製造、提供)の疑いで東京地検立川支部に書類送検しました」
部員は17歳と16歳で、「昨年3〜4月、17歳が、当時15歳の女子生徒に自撮りさせたわいせつ動画をSNSで送らせました。これが児童ポルノ製造です。そして17歳は動画を16歳に送信。16歳から他の部員にも提供され、瞬く間に拡散したのです。なお、やりとりには学校貸与のタブレット端末が使われました」
結果、10月までに十数人が動画拡散に関与し、二十数人に渡ったとされる。
「部員2名は容疑を認め反省しているとされます。が、日常的にSNSで画像や動画を共有している世代なので、昔でいえば、部室でエロ本を回し読みするような軽い感覚だったかもしれない。類似事件はどの学校でも起こり得ると思います」
こうした視点も理解しつつやり場のない憤怒を抱くのが、現役生徒である。
過去のトラブルを示唆
昨夏の甲子園に応援に行った男子生徒は、「決勝で負けて悔しい思いをしたけど、事件を知って激しい怒りに変わりました。拡散させた行為自体はもちろん、甲子園で戦っているときにはすでに部内で動画が広まっていたわけで、到底許せませんよ。ですがそれとは別に、学校側の対応にも強い不信感を持っています」と、胸の内を明かした。
「最初に、ぼくたち在校生や保護者がニュースで初めて事件を知ったということ。女子生徒の親が警察に相談したのは昨年10月です。その直後でなくとも、せめて事件が報じられる前に学校側が在校生や保護者と情報共有していれば、ある程度は、さらなる拡散を防げたはずです」(同)
実際、いまでもSNSやネット上で、当該わいせつ動画のスクショや関係者の情報が飛び交っている。
「もう一つは、過去にもSNS上でのトラブルが起きていながら内々に処理されたと思われる点。捜査が始まった昨年10月以降の終業式で、生徒指導担当の教員が“このところ生徒指導の件数が増えている。SNS関連のトラブル、例えば友人の顔をアップする行為などにも気を付けるように”と話していました」(同)
この生徒指導の話については、別の男子生徒も、「過去のトラブルの存在を示唆していたので、生徒側から“個人が特定できる情報は不要。せめてどんな内容かだけでも教えてほしい”との声が上がりました。しかし学校は無視し続けた。それで“窃盗や放火事案、運動部の顧問による体罰といった件はどうなった? 隠蔽されたのか”と真偽不明の不祥事のうわさも広まっていた。そんな中、今回の事件が報じられたのです」
生徒が不審者に怒鳴られるケースが
加えて、事件報道後の対応のずさんさも浮き彫りに。
「町田や神奈川・淵野辺などの学校行きバスの停留所で、生徒が“お前が日大三高か!”と不審者に怒鳴られたケースがありました。学校から誰か出してくれよ、と思いましたね。ほかにもあります。報道を受け、学校側から生徒に送られた“こころのサポート”の内容が昨年配布分に少し加筆修正しただけの使い回しだったのには、ため息しか出ませんでした」(前出の男子生徒)
学校の隠蔽体質とお粗末さを露呈させた花形運動部の不祥事。はたして、事態収束はいつになるのか。
📝高校野球で「1校から複数チームの大会参加」検討 背景は「二極化」 懸念される点も
https://news.yahoo.co.jp/articles/278ef7a209d81d6d2fc8a79a7aa99629066e5885https://news.yahoo.co.jp/articles/278ef7a209d81d6d2fc8a79a7aa99629066e5885
高校野球で「1校から複数チームの大会参加」が検討されている。現在は本来の9イニング制から7イニング制への移行が最優先事項として継続審議されている中、新たなプランも並行して話し合われている。
春夏の甲子園大会などを主催する日本高校野球連盟は、賛否両論の7イニング制を導入するかどうか、昨年から本格的に多角的な議論を進めている。寶馨会長をはじめ大学教授らを含めた「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議」を設置。その最終報告書が理事会に提出されたのは昨年12月。その中に、大会に同一校から「○○高A」「○○高B」といった複数チームが参加するプランも盛り込まれたのだ。
関係者によると、その背景には「二極化」がある。部員の多い学校もある一方、連合チームを組むしかない部員不足に悩む学校がある。現在は20選手まで登録可能。50人前後の部員を抱える学校など「21人目以上の部員のことを考えてのこと」と関係者は話す。地方大会などスタンドで応援するだけで終わる球児に試合出場する機会を設けることはできないか。実現性を検討すると、同一校からの複数チームを編成する発想に至る。今後7イニング制が導入された場合、選手の出場機会がさらに減る可能性もあり、複数チームならばより多くの選手に出場機会を設けられる。
加盟校は2005年の4253校をピークに減少の一途をたどる。昨年5月の時点で前年(2024年)より30校少ない3768校だった。部員数は2014年に過去最多17万312人を数えたが、それから11年で約45万人も減少。昨年5月時点では36道県で減少し、全体では前年比1650人減の12万5381人だった。
昨夏の地方大会に参加したのは3680校、3396チームで前年より35校、50チームも減少している。部員不足による連合チームは425校の148チームに及ぶ。少子化により、高校野球の部員数減少も歯止めが掛かっていない。
高校サッカーはプレミアリーグ、プリンスリーグ、都道府県リーグがあり、強豪校がそれぞれのレベルに適した複数チームを編成している。大津(熊本)はトップチームがプレミア、セカンドチームがプリンス九州1部、サードチームが熊本県リーグで試合に参加している。野球よりも試合出場の機会は設けられている。
高校野球で今回提示されたプランでは、多くの部員を抱える学校からは賛同を得られる一方、関係者によると、同一校のチーム同士が試合をするケースも考えられ、それも決勝戦で当たる可能性に疑問符を投げかけられるという。公立校から甲子園出場経験があるベテラン監督は、同一校同士の対戦で「レベルの違うチームをそれぞれ編成しても、試合となれば勝敗の逆転現象が起こる可能性がある」と抵抗感を示す。
できるだけ多くの部員に公式戦を経験してもらいたい。それが今回の提案の理念だ。それは多くの球児の願いでもあるはず。他にも選抜大会の出場校枠増加、公式戦スケジュールの見直し、選手間交流の活性化、女子部員の活動の奨励など検討事項は多い。今後、日本高校野球連盟はその実現性を探っていく。
📝<四高野球―いま・むかし―>/1 鼻折られた、歴史的大敗 戦後「スパルタ式」で強豪仲間入り
https://news.yahoo.co.jp/articles/0b5522ce7da2c39bf2e092f33342863706bda735今春の選抜高校野球大会に21世紀枠での出場が期待された県立四日市高校野球部。惜しくも選に漏れたが、県下一の進学校に全国制覇の経験があることなどが注目を集めた。その歴史を振り返ると、いわゆる「スパルタ式」練習の強豪から合理性を追求する文武両道へと変化する姿が浮かび上がる。
1945年8月、廃部となっていた前身の富田中野球部は終戦とともに動き出した。道具をOBから譲り受けるなど、中心になったのは後に20年以上にわたり県高野連理事長を務めた部長の池内定雄さんだった。2000年に野球部OB会がまとめた創部100年記念誌「白球を追って」に当時の様子が記録されている。
畑になっていた校庭はでこぼこ。竹に巻いた漁網を立ててバックネット代わりにした。試合球はピッチング用の1球だけ。練習用ボールは糸が切れやすく、部員が毎日数個ずつ持ち帰って縫った。木を張り合わせた材質の悪いバットは3、4本しかなく、折れないよう祈るようにして使ったという。
主に指導に当たったのは、プロ野球経験のある水谷貞雄さん。後に監督に就く人物だ。夏場の練習は午後9時すぎまで。OBがやってきては練習を手伝った。試験中も2時間は確保したというから「1日2時間が普通」という今とは大違い。十分に練習できない他校との差は大きく、瞬く間に県下のトップにのし上がった。実業団の東洋紡富田や愛知の強豪・享栄商とも互角に戦えたという。
だが、46年夏の県大会は初戦で四日市商に大敗した。これには事情がある。46年度卒の長谷川省吾さんの記念誌への寄稿によると、あまりに厳しい指導で10人ほどいた同級生が次々やめ、最後は「キャプテン、マネジャー、私以外は下級生の人たちになった」というのだ。
それだけに多くの下級生、つまり経験者が残った新チームは強かった。46年秋の県大会で優勝。47年の春に復活した全国選抜中学野球大会(現在のセンバツ)の出場校に選ばれた。食糧事情の悪い時代、米や野菜を大量に持って乗り込んだ選手たち。だが、てんぐの鼻をへし折られてしまう。
投げては四球を連発、守ってはフライを落球。「スタンドのある大球場での初めてのゲームで、何が何だか分からないうちに試合は終わってしまい、歴史に残るような大敗をした」。48年度卒の福田誠さんは「白球を追って」にこうつづっている。和歌山の田辺中に2―22。惨敗だった。
1年後、富田中は、四日市高等女学校、四日市市立北高等女学校と統合して県立四日市高校となった。同時に水谷さんが監督に。そしてセンバツの雪辱に燃える池内部長はある「作戦」に打って出た。=つづく
📝<四高野球―いま・むかし―>/2 初陣で偉業 「夏」制覇 修学旅行辞退 「ほうび」は甲子園練習
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd142d318c2762089ac40e4fc997c4ca2ec7c361
「中学まで池内先生が練習を見に来られて『四日市を受けてみないか』と勧められたんです」。四日市市立富洲原中出身の伊藤政継さん(88)=1955年度卒=はこう振り返る。野球部長だった池内定雄さんは、47年のセンバツでの大敗を機に積極的な「スカウト」に乗り出していた。もちろん練習も厳しかった。午後3時半に始まった練習はボールが見えなくなるまで続き、時に月明かりの下でも。真っ暗になると、浜辺などを走った。
遊撃手の伊藤さんらが3年になった55年の修学旅行が迫ったある日、主将でエースの高橋正勝さんが3年の部員9人を集めて提案した。「今年こそ甲子園に行くため徹底的に練習しなければならない。我々10人は修学旅行を辞退してはどうか」
意見は割れた。「行く」4人、「辞退」5人。最後にマネジャーの近藤孝身さんが「皆で甲子園に行こう」と言って「辞退」を支持した。職員会議はもめにもめたが、最後は部員の意思を尊重したという。以上は成瀬勝巳さんの回顧談。創部100周年記念誌「白球追って」にある。
伊藤さんは「高橋は1年上のエースだった巽一さん(慶応大―プロ野球・国鉄)から『1週間も休むと感覚が鈍るぞ』と吹き込まれたのだろう」と推測している。
池内部長と水谷監督は修学旅行辞退の「ほうび」を用意した。甲子園球場での練習試合だ。相手は52年夏に全国制覇した兵庫県立芦屋高。伊藤さんは2―0で勝ったと記憶している。勝利にもまして、ファールグラウンドの広さや外野フェンスの深さなど甲子園を体感できたのが大きかった。
夏の県大会、四日市は後に「左の四天王」と呼ばれる高橋さんを中心に順当に勝ち進み、岐阜の上位校と甲子園をかけて戦う2次予選(三岐大会)に進出。1回戦で宿敵・岐阜を1―0で破った勢いをかって初めて夏の甲子園の土を踏んだ。
練習試合で経験済みの舞台で選手たちは伸び伸び戦った。2回戦で芦別(北海道)、準々決勝で城東(高知、現在の高知高校)との投手戦を制し、準決勝では中京商(愛知、現在の中京大中京)に6―1で快勝。決勝は坂出商(香川)投手陣に12安打を浴びせ、4―1で勝った。初出場初優勝の偉業である。
だが、選手たちが集まって喜びを爆発させることはなかった。「相手への敬意ですね。僕らは野球一筋だったが、今の文武両道に通じるものがある」と伊藤さんは語る。
修学旅行を諦めてつかんだ甲子園、そして全国制覇。四日市高校同窓会館2階に展示されている決勝のスコアブックの備考欄にこうある。
「全選手がぼうぜんとして感涙が頰を伝っていた。甲子園で見事勝ったのだ。君も泣け、僕も泣く」
記したのは最後に「辞退」の一票を投じた近藤さんだった。=つづく
📝「巨人はちょっと…」17歳の“本音” ドラ1候補も確約ナシ、パ球団の指名に困惑
https://news.yahoo.co.jp/articles/6c78431d0d5043549810dede7258001cd0e699b4?page=1
甲子園で一躍注目の太田幸司氏の進路が大きな話題に
青森県立三沢高出身で元近鉄投手の太田幸司氏(野球評論家)は1969年、社会現象にまでなった「コーちゃんフィーバー」の“主役”だ。端正な顔立ちに松山商との夏の甲子園決勝延長18回0-0再試合での大熱投なども重なって大ブレークし“大学か、プロか”での進路問題でも大いに注目された。当時、口には出さなかったが、プロなら意中の球団があったという。それは子どもの頃から大ファンの巨人ではなく、阪神だった。
1969年の夏の甲子園で完全に火がついた太田氏人気は、大会後も継続した。最大の注目はアイドル右腕の次なる進路だった。大学なら東京六大学行きを希望していたが、プロ入りを勧める声もあり、悩みに悩んだそうだ。報道陣からの質問もこの問題に集中したが、本当に決めていないのだから答えようがなかった。そんな時に、太田氏は日大のセレクションを受けたという。それは高校3年最後の夏前などに、臨時指導をしてもらった日大・河内忠吾監督との縁でのことだった。
「別に日大に入るとかじゃなくて、河内監督に『ちょっと1回遊びに来いよ』と言われて、監督の家に泊らせていただいて、全国から来る選手がどんなレベルか、見にいくという感じだったんです。日大も強いチームなのでね」。当然の如く、これまた大騒ぎになった。「三沢高と日大の関係も知られていたので“太田は日大に行くのかぁ”となってねぇ。日大に行く気はあまりなかったのに……」。何か太田氏がアクションを起こしたらすぐ反応が出る。そんな状況のまま11月20日のドラフト会議を迎えたという。
「プロは(八百長疑惑の黒い霧事件で揺れる)西鉄以外、大学は東大以外からは一応、挨拶というか、そういうのがありましたが、(進路を)どうするかはドラフトが終わってから決めようということになっていた。プロについて周りはいろいろ言っていたけど、僕は、“プロから本当に指名されるのだろうか、こんなに騒がれて、どこも指名してくれなかったら、かっこ悪いなぁ”ってドラフト当日にも思っていましたよ」
これだけ注目されながら、事前にプロ球団側から指名確約の話は聞いていなかったという。「(各球団のスカウトなどが)挨拶で来られた時、学校の部長さんと両親だけが対応して、僕はその中に入っていませんでした。だから、そこでどんな話があったのかも、何にも知らなかったんです」。ただ、太田氏にはプロなら行きたい球団はあった。三沢市立第一中2年時に外野手から投手に転向した際から大ファンになった村山実投手がいる阪神だ。
「その強い巨人に僕が行っても…」
「やっぱり甲子園イコール阪神じゃないですか。あの頃、村山さんは現役で(1970年シーズンから)プレーイングマネジャーだったかな。それで阪神がいいなぁって思っていました。昔はそういう(希望球団の)ことはあまり言わない時代だったし、僕も何にも言っていませんでしたけどね」。まさに阪神への秘めた思いだったわけだが、その一方で「巨人はちょっと……。プロに入るなら巨人以外の方がいいなと思っていた」とも明かす。
選手は阪神・村山投手ファンで、チームは巨人ファン。それが太田氏の“スタンス”だったが、進路先となれば話は別だったという。「ドラフトの時も僕は巨人ファンでしたよ。でも、あの強い巨人に僕が行っても、そんなに出番が……って割り切っていたんです」。川上哲治監督率いる巨人はその年(1969年)V5を達成した。この先、1973年のV9まで行くが、すでに黄金時代だった巨人の戦力を冷静に見極めていたようだ。
ドラフト会議の結果は近鉄ドラフト1位。当時は予備抽選で選択指名順を決めていく方式で近鉄は6番クジで太田氏を指名した。意中の阪神はそれより前の2番クジだったが、東海大・上田二朗投手を1位指名。村山阪神入りの夢は消えた。「予備抽選の順位を聞いた時は、もしかしたら阪神もあるかもって思っていたんだけど、近鉄ってことで……」。プロは阪神でなければ嫌というわけではなかったが、近鉄は想定外の球団だった。
「1位で指名してもらった嬉しさはあったけど、近鉄に関しては“鈴木(啓示)さんって、すごいピッチャーがいるなぁ”くらいで、ほとんど何の知識もなかったんでねぇ……」。行くか、行かないか、報道陣から聞かれるたびに「五分五分です」と答える日々が続いた。また悩んだ。近鉄入りを決断するまでに時間をかけた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b0554b2b60529313f80059380f5483b8f80f533d
広島県高校野球連盟は21日、夏の第108回全国高校野球選手権広島大会の開会式を7月4日、マツダスタジアムで開くと発表した。準決勝は同26日、決勝は同28日にいずれもマツダスタジアムである。また、特別支援学校として初めて県立黒瀬特別支援学校のみのお分校が加盟する。
夏の広島大会の抽選会は6月19日にある。大会はマツダスタジアムなど8球場であり、同スタジアムでの決勝は2年ぶり。
黒瀬特別支援学校のみのお分校は、黒瀬特別支援学校の生徒数が増えたことなどから、2025年4月に黒瀬高校の敷地内に開校した。野球部員は2人いるという。硬式部の新規加盟は2年ぶりで、加盟校は94校となる。
また、投手の負担軽減などのため、指名打者制を春の県大会で初めて導入することも発表された。
この日開かれた県高野連の理事会では、部員や指導者による不祥事の根絶や、SNSやインターネットでの誹謗中傷、迷惑行為の防止を目指すことを改めて確認し、全加盟校に周知した。
💢《日大三高わいせつ動画》自撮り要求された女子生徒の悪夢「教師まで噂を耳にしていた」SNS炎上が止まらない…学校側は「未成年です」を盾に説明責任を果たさず
https://news.yahoo.co.jp/articles/b8c3f6303d85574476d1d14e2b143302fe9d6b5b
甲子園常連の強豪校で、昨夏の大会では準優勝に輝いた日大三高の硬式野球部に、衝撃的な不祥事が発覚した。
2月12日、女子生徒(当時15)にわいせつな画像や動画をSNSで送らせて拡散したなどとして、警視庁が男子部員2人を児童買春・ポルノ禁止法違反容疑で書類送検したのだ。
「17歳の部員が昨年3〜4月頃、女子生徒に対し、自撮りしたわいせつな画像や動画を3回にわたって要求。その後、動画の一つを16歳の部員に共有した。受け取った部員は他の複数の部員に動画を送信し、そこから更に拡散したとみられる」(社会部記者)
学校での噂を耳にしていた教師
捜査関係者によると、最終的には十数人が拡散に関与し、判明しているだけで数十人に動画が渡ったとみられる。同校は書類送検がメディアで報じられた後の14日、HP上でコメントを発表。〈性教育を含めた性的な人権についての教育、また通信機器やSNSの利用のあり方についての指導も徹底〉するとし、硬式野球部は無期限活動停止としたが――。
学校関係者が首を傾げる。「昨年10月、被害者の女子生徒の保護者が警察に相談したことがきっかけで発覚したというが、昨年の夏前には、動画の存在は既に硬式野球部内だけでなく校内でも話題になっていた。8月に甲子園に出場した頃には、結構な数の生徒の間で噂になっており、耳にしていた先生もいたようです」しかし、大会前に表沙汰になることはなかった。
「加害者が未成年であることを盾にしている」
「大会前に明るみに出れば出場辞退もありえたわけで、甲子園出場のために事件を隠蔽していたと思われても仕方ない。大会後も、8月下旬から9月上旬にかけては準優勝の凱旋報告会や町田市役所への表敬訪問などの行事もこなしていた。警察が動き出すまで高野連に報告した形跡もありません」(同前)
在校生の一人が続ける。「事件については報道で知るだけで、いまだ全校集会や保護者会での正式な説明もありません。被害者のプライバシー保護は重要ですが、加害者が未成年であることを盾にして説明責任を果たさない学校の対応には、不信感が募ります」(日大三高に事実関係を問い合わせたが、期日までに回答はなかった)
書類送検された2人の部員は「軽率な行動だった」と反省しているといい、今後は家庭裁判所で処分が決まる。性被害問題に詳しい弁護士はこう警鐘を鳴らす。
「児童ポルノとみなされる動画は所持しただけでも、受け取ったものを転送しただけでも処罰対象になる重大な犯罪行為であると、誰もが認識すべきです」
事件については、拡散に加担したとされる別の女子生徒の名前や顔写真がSNSで晒されるなど、沈静化の兆しが見えない。名門校の対応が問われている。
💢〈日大三高わいせつ動画〉「今もネット上にスクショが…」 動画拡散に拍車をかけた学校の隠ぺい体質 「生徒の声を無視し続けた」
https://news.yahoo.co.jp/articles/36b7108fdda967cd9e6ae770ba2f1f1bdfb98fd8?page=1
東京・町田市にある日大三高の硬式野球部は、春夏通じ計40回の甲子園出場、全国制覇3回という実績を誇る。昨夏も準優勝していた名門が2月12日をもって無期限の活動休止となった。
部員によるわいせつ動画拡散事件が原因なのは周知のところ。だが現役生徒が、連日報じられる不祥事への怒りとともに学校側の姿勢にも憤りを覚えている事実は知られていない……。
まずは、社会部デスクが事件を解説する。
「2月12日、野球部の男子部員2名を、警視庁少年育成課が児童買春・児童ポルノ禁止法違反(製造、提供)の疑いで東京地検立川支部に書類送検しました」
部員は17歳と16歳で、「昨年3〜4月、17歳が、当時15歳の女子生徒に自撮りさせたわいせつ動画をSNSで送らせました。これが児童ポルノ製造です。そして17歳は動画を16歳に送信。16歳から他の部員にも提供され、瞬く間に拡散したのです。なお、やりとりには学校貸与のタブレット端末が使われました」
結果、10月までに十数人が動画拡散に関与し、二十数人に渡ったとされる。
「部員2名は容疑を認め反省しているとされます。が、日常的にSNSで画像や動画を共有している世代なので、昔でいえば、部室でエロ本を回し読みするような軽い感覚だったかもしれない。類似事件はどの学校でも起こり得ると思います」
こうした視点も理解しつつやり場のない憤怒を抱くのが、現役生徒である。
過去のトラブルを示唆
昨夏の甲子園に応援に行った男子生徒は、「決勝で負けて悔しい思いをしたけど、事件を知って激しい怒りに変わりました。拡散させた行為自体はもちろん、甲子園で戦っているときにはすでに部内で動画が広まっていたわけで、到底許せませんよ。ですがそれとは別に、学校側の対応にも強い不信感を持っています」と、胸の内を明かした。
「最初に、ぼくたち在校生や保護者がニュースで初めて事件を知ったということ。女子生徒の親が警察に相談したのは昨年10月です。その直後でなくとも、せめて事件が報じられる前に学校側が在校生や保護者と情報共有していれば、ある程度は、さらなる拡散を防げたはずです」(同)
実際、いまでもSNSやネット上で、当該わいせつ動画のスクショや関係者の情報が飛び交っている。
「もう一つは、過去にもSNS上でのトラブルが起きていながら内々に処理されたと思われる点。捜査が始まった昨年10月以降の終業式で、生徒指導担当の教員が“このところ生徒指導の件数が増えている。SNS関連のトラブル、例えば友人の顔をアップする行為などにも気を付けるように”と話していました」(同)
この生徒指導の話については、別の男子生徒も、「過去のトラブルの存在を示唆していたので、生徒側から“個人が特定できる情報は不要。せめてどんな内容かだけでも教えてほしい”との声が上がりました。しかし学校は無視し続けた。それで“窃盗や放火事案、運動部の顧問による体罰といった件はどうなった? 隠蔽されたのか”と真偽不明の不祥事のうわさも広まっていた。そんな中、今回の事件が報じられたのです」
生徒が不審者に怒鳴られるケースが
加えて、事件報道後の対応のずさんさも浮き彫りに。
「町田や神奈川・淵野辺などの学校行きバスの停留所で、生徒が“お前が日大三高か!”と不審者に怒鳴られたケースがありました。学校から誰か出してくれよ、と思いましたね。ほかにもあります。報道を受け、学校側から生徒に送られた“こころのサポート”の内容が昨年配布分に少し加筆修正しただけの使い回しだったのには、ため息しか出ませんでした」(前出の男子生徒)
学校の隠蔽体質とお粗末さを露呈させた花形運動部の不祥事。はたして、事態収束はいつになるのか。
📝高校野球で「1校から複数チームの大会参加」検討 背景は「二極化」 懸念される点も
https://news.yahoo.co.jp/articles/278ef7a209d81d6d2fc8a79a7aa99629066e5885https://news.yahoo.co.jp/articles/278ef7a209d81d6d2fc8a79a7aa99629066e5885
高校野球で「1校から複数チームの大会参加」が検討されている。現在は本来の9イニング制から7イニング制への移行が最優先事項として継続審議されている中、新たなプランも並行して話し合われている。
春夏の甲子園大会などを主催する日本高校野球連盟は、賛否両論の7イニング制を導入するかどうか、昨年から本格的に多角的な議論を進めている。寶馨会長をはじめ大学教授らを含めた「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議」を設置。その最終報告書が理事会に提出されたのは昨年12月。その中に、大会に同一校から「○○高A」「○○高B」といった複数チームが参加するプランも盛り込まれたのだ。
関係者によると、その背景には「二極化」がある。部員の多い学校もある一方、連合チームを組むしかない部員不足に悩む学校がある。現在は20選手まで登録可能。50人前後の部員を抱える学校など「21人目以上の部員のことを考えてのこと」と関係者は話す。地方大会などスタンドで応援するだけで終わる球児に試合出場する機会を設けることはできないか。実現性を検討すると、同一校からの複数チームを編成する発想に至る。今後7イニング制が導入された場合、選手の出場機会がさらに減る可能性もあり、複数チームならばより多くの選手に出場機会を設けられる。
加盟校は2005年の4253校をピークに減少の一途をたどる。昨年5月の時点で前年(2024年)より30校少ない3768校だった。部員数は2014年に過去最多17万312人を数えたが、それから11年で約45万人も減少。昨年5月時点では36道県で減少し、全体では前年比1650人減の12万5381人だった。
昨夏の地方大会に参加したのは3680校、3396チームで前年より35校、50チームも減少している。部員不足による連合チームは425校の148チームに及ぶ。少子化により、高校野球の部員数減少も歯止めが掛かっていない。
高校サッカーはプレミアリーグ、プリンスリーグ、都道府県リーグがあり、強豪校がそれぞれのレベルに適した複数チームを編成している。大津(熊本)はトップチームがプレミア、セカンドチームがプリンス九州1部、サードチームが熊本県リーグで試合に参加している。野球よりも試合出場の機会は設けられている。
高校野球で今回提示されたプランでは、多くの部員を抱える学校からは賛同を得られる一方、関係者によると、同一校のチーム同士が試合をするケースも考えられ、それも決勝戦で当たる可能性に疑問符を投げかけられるという。公立校から甲子園出場経験があるベテラン監督は、同一校同士の対戦で「レベルの違うチームをそれぞれ編成しても、試合となれば勝敗の逆転現象が起こる可能性がある」と抵抗感を示す。
できるだけ多くの部員に公式戦を経験してもらいたい。それが今回の提案の理念だ。それは多くの球児の願いでもあるはず。他にも選抜大会の出場校枠増加、公式戦スケジュールの見直し、選手間交流の活性化、女子部員の活動の奨励など検討事項は多い。今後、日本高校野球連盟はその実現性を探っていく。
📝<四高野球―いま・むかし―>/1 鼻折られた、歴史的大敗 戦後「スパルタ式」で強豪仲間入り
https://news.yahoo.co.jp/articles/0b5522ce7da2c39bf2e092f33342863706bda735今春の選抜高校野球大会に21世紀枠での出場が期待された県立四日市高校野球部。惜しくも選に漏れたが、県下一の進学校に全国制覇の経験があることなどが注目を集めた。その歴史を振り返ると、いわゆる「スパルタ式」練習の強豪から合理性を追求する文武両道へと変化する姿が浮かび上がる。
1945年8月、廃部となっていた前身の富田中野球部は終戦とともに動き出した。道具をOBから譲り受けるなど、中心になったのは後に20年以上にわたり県高野連理事長を務めた部長の池内定雄さんだった。2000年に野球部OB会がまとめた創部100年記念誌「白球を追って」に当時の様子が記録されている。
畑になっていた校庭はでこぼこ。竹に巻いた漁網を立ててバックネット代わりにした。試合球はピッチング用の1球だけ。練習用ボールは糸が切れやすく、部員が毎日数個ずつ持ち帰って縫った。木を張り合わせた材質の悪いバットは3、4本しかなく、折れないよう祈るようにして使ったという。
主に指導に当たったのは、プロ野球経験のある水谷貞雄さん。後に監督に就く人物だ。夏場の練習は午後9時すぎまで。OBがやってきては練習を手伝った。試験中も2時間は確保したというから「1日2時間が普通」という今とは大違い。十分に練習できない他校との差は大きく、瞬く間に県下のトップにのし上がった。実業団の東洋紡富田や愛知の強豪・享栄商とも互角に戦えたという。
だが、46年夏の県大会は初戦で四日市商に大敗した。これには事情がある。46年度卒の長谷川省吾さんの記念誌への寄稿によると、あまりに厳しい指導で10人ほどいた同級生が次々やめ、最後は「キャプテン、マネジャー、私以外は下級生の人たちになった」というのだ。
それだけに多くの下級生、つまり経験者が残った新チームは強かった。46年秋の県大会で優勝。47年の春に復活した全国選抜中学野球大会(現在のセンバツ)の出場校に選ばれた。食糧事情の悪い時代、米や野菜を大量に持って乗り込んだ選手たち。だが、てんぐの鼻をへし折られてしまう。
投げては四球を連発、守ってはフライを落球。「スタンドのある大球場での初めてのゲームで、何が何だか分からないうちに試合は終わってしまい、歴史に残るような大敗をした」。48年度卒の福田誠さんは「白球を追って」にこうつづっている。和歌山の田辺中に2―22。惨敗だった。
1年後、富田中は、四日市高等女学校、四日市市立北高等女学校と統合して県立四日市高校となった。同時に水谷さんが監督に。そしてセンバツの雪辱に燃える池内部長はある「作戦」に打って出た。=つづく
📝<四高野球―いま・むかし―>/2 初陣で偉業 「夏」制覇 修学旅行辞退 「ほうび」は甲子園練習
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd142d318c2762089ac40e4fc997c4ca2ec7c361
「中学まで池内先生が練習を見に来られて『四日市を受けてみないか』と勧められたんです」。四日市市立富洲原中出身の伊藤政継さん(88)=1955年度卒=はこう振り返る。野球部長だった池内定雄さんは、47年のセンバツでの大敗を機に積極的な「スカウト」に乗り出していた。もちろん練習も厳しかった。午後3時半に始まった練習はボールが見えなくなるまで続き、時に月明かりの下でも。真っ暗になると、浜辺などを走った。
遊撃手の伊藤さんらが3年になった55年の修学旅行が迫ったある日、主将でエースの高橋正勝さんが3年の部員9人を集めて提案した。「今年こそ甲子園に行くため徹底的に練習しなければならない。我々10人は修学旅行を辞退してはどうか」
意見は割れた。「行く」4人、「辞退」5人。最後にマネジャーの近藤孝身さんが「皆で甲子園に行こう」と言って「辞退」を支持した。職員会議はもめにもめたが、最後は部員の意思を尊重したという。以上は成瀬勝巳さんの回顧談。創部100周年記念誌「白球追って」にある。
伊藤さんは「高橋は1年上のエースだった巽一さん(慶応大―プロ野球・国鉄)から『1週間も休むと感覚が鈍るぞ』と吹き込まれたのだろう」と推測している。
池内部長と水谷監督は修学旅行辞退の「ほうび」を用意した。甲子園球場での練習試合だ。相手は52年夏に全国制覇した兵庫県立芦屋高。伊藤さんは2―0で勝ったと記憶している。勝利にもまして、ファールグラウンドの広さや外野フェンスの深さなど甲子園を体感できたのが大きかった。
夏の県大会、四日市は後に「左の四天王」と呼ばれる高橋さんを中心に順当に勝ち進み、岐阜の上位校と甲子園をかけて戦う2次予選(三岐大会)に進出。1回戦で宿敵・岐阜を1―0で破った勢いをかって初めて夏の甲子園の土を踏んだ。
練習試合で経験済みの舞台で選手たちは伸び伸び戦った。2回戦で芦別(北海道)、準々決勝で城東(高知、現在の高知高校)との投手戦を制し、準決勝では中京商(愛知、現在の中京大中京)に6―1で快勝。決勝は坂出商(香川)投手陣に12安打を浴びせ、4―1で勝った。初出場初優勝の偉業である。
だが、選手たちが集まって喜びを爆発させることはなかった。「相手への敬意ですね。僕らは野球一筋だったが、今の文武両道に通じるものがある」と伊藤さんは語る。
修学旅行を諦めてつかんだ甲子園、そして全国制覇。四日市高校同窓会館2階に展示されている決勝のスコアブックの備考欄にこうある。
「全選手がぼうぜんとして感涙が頰を伝っていた。甲子園で見事勝ったのだ。君も泣け、僕も泣く」
記したのは最後に「辞退」の一票を投じた近藤さんだった。=つづく
📝「巨人はちょっと…」17歳の“本音” ドラ1候補も確約ナシ、パ球団の指名に困惑
https://news.yahoo.co.jp/articles/6c78431d0d5043549810dede7258001cd0e699b4?page=1
甲子園で一躍注目の太田幸司氏の進路が大きな話題に
青森県立三沢高出身で元近鉄投手の太田幸司氏(野球評論家)は1969年、社会現象にまでなった「コーちゃんフィーバー」の“主役”だ。端正な顔立ちに松山商との夏の甲子園決勝延長18回0-0再試合での大熱投なども重なって大ブレークし“大学か、プロか”での進路問題でも大いに注目された。当時、口には出さなかったが、プロなら意中の球団があったという。それは子どもの頃から大ファンの巨人ではなく、阪神だった。
1969年の夏の甲子園で完全に火がついた太田氏人気は、大会後も継続した。最大の注目はアイドル右腕の次なる進路だった。大学なら東京六大学行きを希望していたが、プロ入りを勧める声もあり、悩みに悩んだそうだ。報道陣からの質問もこの問題に集中したが、本当に決めていないのだから答えようがなかった。そんな時に、太田氏は日大のセレクションを受けたという。それは高校3年最後の夏前などに、臨時指導をしてもらった日大・河内忠吾監督との縁でのことだった。
「別に日大に入るとかじゃなくて、河内監督に『ちょっと1回遊びに来いよ』と言われて、監督の家に泊らせていただいて、全国から来る選手がどんなレベルか、見にいくという感じだったんです。日大も強いチームなのでね」。当然の如く、これまた大騒ぎになった。「三沢高と日大の関係も知られていたので“太田は日大に行くのかぁ”となってねぇ。日大に行く気はあまりなかったのに……」。何か太田氏がアクションを起こしたらすぐ反応が出る。そんな状況のまま11月20日のドラフト会議を迎えたという。
「プロは(八百長疑惑の黒い霧事件で揺れる)西鉄以外、大学は東大以外からは一応、挨拶というか、そういうのがありましたが、(進路を)どうするかはドラフトが終わってから決めようということになっていた。プロについて周りはいろいろ言っていたけど、僕は、“プロから本当に指名されるのだろうか、こんなに騒がれて、どこも指名してくれなかったら、かっこ悪いなぁ”ってドラフト当日にも思っていましたよ」
これだけ注目されながら、事前にプロ球団側から指名確約の話は聞いていなかったという。「(各球団のスカウトなどが)挨拶で来られた時、学校の部長さんと両親だけが対応して、僕はその中に入っていませんでした。だから、そこでどんな話があったのかも、何にも知らなかったんです」。ただ、太田氏にはプロなら行きたい球団はあった。三沢市立第一中2年時に外野手から投手に転向した際から大ファンになった村山実投手がいる阪神だ。
「その強い巨人に僕が行っても…」
「やっぱり甲子園イコール阪神じゃないですか。あの頃、村山さんは現役で(1970年シーズンから)プレーイングマネジャーだったかな。それで阪神がいいなぁって思っていました。昔はそういう(希望球団の)ことはあまり言わない時代だったし、僕も何にも言っていませんでしたけどね」。まさに阪神への秘めた思いだったわけだが、その一方で「巨人はちょっと……。プロに入るなら巨人以外の方がいいなと思っていた」とも明かす。
選手は阪神・村山投手ファンで、チームは巨人ファン。それが太田氏の“スタンス”だったが、進路先となれば話は別だったという。「ドラフトの時も僕は巨人ファンでしたよ。でも、あの強い巨人に僕が行っても、そんなに出番が……って割り切っていたんです」。川上哲治監督率いる巨人はその年(1969年)V5を達成した。この先、1973年のV9まで行くが、すでに黄金時代だった巨人の戦力を冷静に見極めていたようだ。
ドラフト会議の結果は近鉄ドラフト1位。当時は予備抽選で選択指名順を決めていく方式で近鉄は6番クジで太田氏を指名した。意中の阪神はそれより前の2番クジだったが、東海大・上田二朗投手を1位指名。村山阪神入りの夢は消えた。「予備抽選の順位を聞いた時は、もしかしたら阪神もあるかもって思っていたんだけど、近鉄ってことで……」。プロは阪神でなければ嫌というわけではなかったが、近鉄は想定外の球団だった。
「1位で指名してもらった嬉しさはあったけど、近鉄に関しては“鈴木(啓示)さんって、すごいピッチャーがいるなぁ”くらいで、ほとんど何の知識もなかったんでねぇ……」。行くか、行かないか、報道陣から聞かれるたびに「五分五分です」と答える日々が続いた。また悩んだ。近鉄入りを決断するまでに時間をかけた。
✌今夏「9イニング制」での実施決定 「急ぎすぎ」の声重視、7回制導入は来春以降に持ち越し
https://news.yahoo.co.jp/articles/3a03e327e75803ffe599c92b95162f53074dce34
日本高野連は20日、大阪市内で理事会と今夏選手権大会の臨時運営員会を開き、今夏の7回制導入を見送ることに決めた。
現在、高校野球では7回制導入が議論されており、昨年開かれた「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議」では、熱中症対策の観点から「夏の大会については可及的速やかな7回制導入が望ましい」と結論づけていた。ただし、今回の理事会で今夏の導入について「検討会議の報告書の経緯や意図が現場に十分に伝わっていない」などの意見が出たため、今夏の9回制での実施が決まった。
取材に応じた同連盟の井本亘事務局長は、「今年の選手たちのことを考えると(7回制導入は)急ぎすぎではないかとの意見があった」と説明した。
同連盟では、7回制導入を提言した検討会議の最終報告書を周知するため、他競技の指導者を含めた意見公開会、小中学生の年代への説明会、各都道府県連盟への説明会の実施を決定。いずれも4月以降の開催を目指す。
今秋に青森で開催される国民スポーツ大会については、昨年同様に7回制で実施することが決まった。
今夏の7回制見送りにより、7回制導入は来春以降に持ち越されることが決まった。
💢青森国スポで7イニング制継続、日本高野連が昨年の滋賀国体に続き 3月国スポ委員会で最終決定
https://news.yahoo.co.jp/articles/9ce9425d78c23c81512ada471475a98fad05e2a3
日本高野連は20日、大阪市内で第7回理事会を開催し、青森で開催する国民スポーツ大会で7イニング制を継続実施することを決めた。
昨年の滋賀国体は硬式、軟式ともに7イニング制を採用。国内の主要大会では初の試みで、昨夏夏日本一となった沖縄尚学など8校が出場し、優勝した山梨学院や準優勝の高川学園(山口)は4日間で3試合をを行う過密日程だったが「そこまで疲労感はなかった」などの声が相次いだ。
3月3日に日本スポーツ協会で開催される第4回国民スポーツ大会委員会での審議を経て最終決定となる。
📝全国高校軟式選手権は8月24日開幕 兵庫県内の2球場で
https://news.yahoo.co.jp/articles/8b78bd01c3daa9f1741362fa3f3f65417aff0570
日本高校野球連盟は20日、第71回全国高校軟式野球選手権大会を8月24日から6日間(準々決勝翌日の休養日を含む)の日程で開催すると発表した。兵庫県の明石トーカロ球場(明石市)とウインク球場(姫路市)で行われる。
📝高野連理事会でわいせつ動画拡散の日大三の話題も 現在は同校からの報告書を待っている状況
https://news.yahoo.co.jp/articles/0a4b4d5826594efc64a20059369b5874541ca85f
日本高野連は20日、大阪市内で第7回理事会を開催し、取材の対応を行った。今回の理事会で、児童買春・児童ポルノ禁止法違反(製造や提供)容疑で男子部員2人が書類送検された日大三の話題が上がったことも明かした。
日本高野連の井本亘事務局長は「話は出ていたが、具体的な話には至っていない」とし、現在は同校からの報告書を待っている状況だとした。
今春センバツに向けても主催の毎日新聞社と共同で誹謗中傷や差別的な言動がSNS上で拡散される事案について声明を出している。その上で井本事務局長は「SNSが周りにあふれている時代。高校野球連盟だけで取り組んでできることもあれば、そもそも高校生全体で国として情報の取り扱いを取り組んでもらいたい部分もある。我々としてもできることはやっていきたいし、どこまで抑止力があるかはわかりませんが、声明文のように考え方をみなさんにお示しするのは我々がまずできること」と話した。
☝高校野球「7回制」導入に反対する──“時短”より先に守るべきものがある
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/efa28a39901f155f3f882269605da32735739b70
日本高等学校野球連盟は、7イニング制の導入について議論を進め、最終報告書(抜粋)では「全ての公式戦」は2028年春(第100回記念選抜と春季大会)からの採用が望ましいとしつつ、夏の選手権大会については「可及的速やかに」採用が望まれる、としている。
しかし、だからこそ今、拙速な制度変更にブレーキをかける必要がある。事実、2026年2月20日の理事会では、今夏の第108回全国高校野球選手権大会(甲子園)は9イニング制で実施することが決まった。7回制は“わかりやすい解決策”に見えるが、変えるのは高校野球の根幹だ。短くすれば本当に守りたいもの(選手の健康、教育的価値、競技の魅力、歴史)を守れるのか。ここを冷静に問い直したい。
反対理由1:現場の「出場機会」を削り、教育の場を狭める
7回制の最大の問題は、単純にプレー機会が減ることだ。しかし、高校野球は3年間しかない。控え選手、下級生、ベンチ入りすらギリギリの部員にとって、公式戦の1打席・1守備は“学び”そのものだ。日本高野連自身も、7回制のデメリットとして「部員の出場機会の減少」や「試合を楽しむ時間の減少」を整理している。
さらに、日本高野連が実施した加盟校アンケート(回答校数2643)では、反対70.1%・賛成20.8%。反対理由として「打席数や投手の投球数が減り、プレー機会が減ってしまうから」が最も多い、という報告も出ている。
“教育の一環”を掲げる高校野球が、教育機会そのものを削ってまで成立させる改革なのか。まずここで立ち止まるべきだ。
反対理由2:「健康対策」は理解できるが、7回制は“万能薬”ではない
もちろん、酷暑や障害予防が喫緊の課題であることは否定しません。実際、甲子園では熱中症疑いの事例が報告されており、2024年(第106回)には計58件というデータも示されている。ただし、同じデータの分析では「試合中発症のうち70%以上が6回以降」とされ、問題の中心が“試合終盤”に偏っている。ここで考えるべきは、「終盤のリスクを減らす=7回制しかない」ではない、ということだ。終盤の負荷や暑熱ストレスを下げる手段は、ルールの根本改変以外にも複数あるのだ。
実際に大会側は、すでに多層的な対策を積み上げてきた。たとえば甲子園では、5回終了時のクーリングタイムを導入し(当初10分)、大会によって運用の見直しも進めている。
さらに、午前と夕方に分ける2部制の拡大、夕方開幕、試合前ノックの選択制など、試合そのものの“負担”を減らす工夫も実行されている。
つまり、高校野球はすでに「9回のまま安全性を高める」方向で前進している。7回制は、その流れを“飛び越えて”根幹を変えてしまう改革だ。必要なのは、いま積み上げている対策の強化と徹底ではないだろうか。
反対理由3:「時短」が競技の奥行きと公平性を損ねる
野球は“9回で1試合”として戦略が組み立てられてきた。先発投手の配分、継投のタイミング、終盤の代打・代走、守備固め、相手投手への対応、逆転への布石――それらは「9回をどう設計するか」という思考の訓練でもある
7回制になると、同じ1点でも重みが増し、序盤の偶発的な失策やジャッジ、イレギュラーで勝敗が決まりやすくなる可能性がある。トーナメント(負けたら終わり)では、この“振れ幅”は無視できない。高校生にとって貴重な学びの機会であるからこそ、戦略が熟し、力が拮抗しても「最後まで修正できる」9回という器を、簡単に小さくするべきではない。
反対理由4:上部カテゴリーとの連続性と「記録・歴史」を断ち切る
日本高野連の整理でも、7回制のデメリットとして「上部カテゴリー(大学、社会人、プロ)などとの連続性の喪失」「記録の非連続性」「記録の歴史的価値の減少」などが挙げられている。
高校野球は、次のステージへ進む選手を育てる場でもあります。7回制を“高校だけ”に導入すれば、育成の連続性を自ら断つことになりかねない。
また、高野連は甲子園が100年以上にわたり大会会場であり、「聖地」とも呼ばれ高校野球の代名詞になっている、と歴史的・社会的意義を明記している。
その“甲子園の物語”は、ルールの連続性と記録の積み重ねが支えてきた面も大きいのだ。
反対理由5:効率化が削る“非効率の中でしか育たない強さ”
現代社会の流れとして、無駄を削り、効率化し、データで最適化することは正しい。
だが、スポーツにおいては、非効率の中でしか育たない力が確かに存在する。
かつて甲子園を沸かせた名投手たち──田中将大、藤浪晋太郎、今井達也、松井裕樹、高橋光成のような存在は、球史の中でも別格だった。彼らは甲子園で投手陣の8割以上、あるいは40イニング以上を投げ抜きながら優勝した例もある。過剰な負荷が常に正義とは言わない。だが、あの極限の経験の中で、地力と精神力を磨き、プロでも活躍した投手がいるのも事実だ。
そして、その印象が「高校野球は1人のエースが投げ抜くもの」というイメージを作り、とくに2000年代後半から2010年代初頭にかけては、1人エースの学校が定期的に注目を集めてきた。
21世紀の甲子園優勝投手を振り返っても、プロ入り後に二桁勝利を記録する投手、リリーフの一角として活躍する投手、タイトルホルダーまでいる。
「高校時代の投げすぎで、プロ入り後はあまり活躍をしていない」というイメージが先行しがちだが、相対的に見れば、活躍している割合はむしろ高いのではないか。
しかし、現代の制度設計では、こうした“怪物型”投手の誕生はほぼ不可能になる。選手を守ろうとする制度が、皮肉にも選手の未来を狭めている可能性がある。
これはスポーツだけでなく、ビジネスの「働き方改革」と同じ構造だ。効率的な方法が正しい一方で、量をこなすことで得られる自信、精神力、信頼感といった“非数値の価値”が削られていく。
選手を守るはずの制度が、必ずしも選手を強くするわけではない。ここを直視しない限り、「やさしさ」は簡単に「削り取り」に変わる。
反対理由6:結局、7回制は「追加の改革」を連鎖させる
7回制の反対理由として「出場機会の減少」が大きい以上、それを補うためにDH制、出場枠拡大、リエントリー制度、複数チーム参加など、次々と別の制度を足していく議論になりがちです。実際、高野連の報告でも、さまざまな追加施策案が列挙されている。
もちろん、DH制はすでに2026年度シーズンインから採用されると明記されている。ただ、根本の問題は「7回制が別の歪みを生み、その補填のために改革が連鎖する」ことである。改革は“足し算”を続けるほど、現場の混乱と地域格差を生む。まずは、9回制を前提に、既存の健康対策・運営改革をどこまで徹底できるかを詰めるべきだ。
では、どうするべきか:9回を守りながら「安全」を上げる現実策
7回制に反対することは、健康対策に反対することではありません。むしろ逆です。「根幹ルール変更」ではなく、効果が見込める対策を“強制力を持って”積み上げることが先です。たとえば――
暑さ指数に応じた試合開始の繰り下げ・中断・順延の基準を明確(すでに測定・注意喚起は実施)
クーリングタイムの質を上げる(時間の長短より、深部冷却・補食・着替えを含めた運用徹底)
投球数制限の運用強化と“数字の独り歩き”防止(1週間500球を正式規則化しつつ、個別の疲労や既往症も重視)
2部制・夕方開始など日程設計の拡充(大会序盤の負担を下げる工夫はすでに進行)
「練習中」の熱中症対策の底上げ(過去5年で練習中に熱中症があったと約8割の指導者が回答、という調査も示されている)
“試合を短くする”より、危険を生む場面(練習、待機、移動、炎天下の長時間拘束)を切り分けて潰すほうが、より本質的で、しかも高校野球の魅力や教育的価値を壊しにくいはずだ。
結論:7回制は急ぐべき改革ではない
高野連の最終報告書が「可及的速やかに」と書いた背景は理解できる。
しかし、加盟校の7割が反対し、反対理由の中心が「プレー機会の減少」である以上、制度変更は“合意形成”を欠いたまま推し進めるべきではない。
そして何より、高校野球は「教育の一環」です。健康を守ることと、教育機会を守ることは両立させなければならない。だからこそ、安易な“7回への短縮”ではなく、9回のまま安全を最大化する改革を、まず徹底すべきだ。
📝自宅に女性ファンで仰天「家出してきました」 甲子園で異常人気…“SOS”も出せず疲弊
https://news.yahoo.co.jp/articles/7e515d54c30785e15ed54ea399f075c825b30477?page=1
太田幸司氏は甲子園で「コーちゃんフィーバー」で大注目
常に注目を浴び続けた。元近鉄の太田幸司氏(野球評論家)は青森県立三沢高時代に甘いマスクの快速球右腕として人気大爆発。1969年夏の甲子園決勝・松山商戦での延長18回0-0引き分け大熱投で「コーちゃんフィーバー」はさらに過熱した。“決勝2試合目”に2-4で敗れて準優勝に終わった以降も全日本高校選抜でのブラジル遠征、長崎国体と投げ続けると、ともに騒がれたのは進路問題だ。大学進学か、プロ入りか。大いに揺れたという。
1969年9月6日、太田氏はブラジルで完全試合を達成した。松山商との“決勝2試合目”に敗れたのが8月19日だったが、8月下旬には全日本高校選抜メンバー入りして、ブラジル、ペルー、アメリカ遠征に参加。偉業はブラジルのパラマ州マリンガの高校、社会人混成チーム相手に成し遂げた。15-0の大勝で「まぁ、向こうのレベルがそんなにねぇ……」と話したが、114球、14奪三振の力投だった。
この遠征での親善試合は計20試合行われ、日本選抜が17勝3敗の成績を残した。太田氏は8試合に投げ、そのうちの5試合に先発し「今だったら、甲子園であれだけ投げたら無理させないだろうけど、もう1番手でバンバカ、バンバカ投げていたからねぇ」と苦笑する。「日本に帰ってきた時、やっぱり肘に違和感があった。向こうのボールはちょっと重かったし、下も赤土のアンツカーみたいな感じで足の裏は痛くなったしね」とも振り返った。
当時の日本高野連会長の佐伯達夫氏が日本選手団の団長。「佐伯さんには、よう説教を食らいましたよ。ブラジルの大学チームとか試合をして、ウエルカムパーティーがその後あったんだけど『今日の君らの態度は何だ。日の丸をつけているんだ。もっとピシッとやってくれ』とかね」と懐かしそうに話す。「サンパウロとか、ブラジリアとか、野球をやっていたおかげでいろんな経験をさせてもらいました」。
しかしながら「コーちゃんフィーバー」はまだまだ続いた。「甲子園が終わって、僕と桃井(久男内野手)と八重沢(憲一内野手)がオールジャパンに選ばれたんだけど、残った連中で(8月下旬に)三沢に戻ってからパレードしたんです。で、(9月下旬に)僕ら3人が帰って来たときにもう1回、八戸から三沢までパレード。僕らは初めてだけど、他の連中は『1か月も経つのにカッコ悪いわ』と言いながら2回やっていました」。それも太田氏の人気あってのことだ。
甲子園後も国体に女性ファンが殺到
日本中から注目を浴び、常に女性ファンからの黄色い声援を受け、ファンレターは「青森県 太田幸司様」だけで届き、「『家出してきました』って言って、僕の家に駆け込んでくる女の子もいましたからね」というほど。それこそ気が休まる日はなかったことだろう。その上、登板も続いた。10月下旬には長崎国体で佐世保市営球場のマウンドに立った。それも準々決勝(10月29日)で松山商との再戦だ。女性ファン殺到の大騒ぎの中、太田氏は完投したが、1-2で敗れた。
「なんかずっと投げっぱなしですよね。よう、ホントに……。でも、あの頃はそれが当たり前と思って投げていますからね。“ちょっと疲れて……”とか、そんなのも言った覚えもないし……」。これが高校野球最後の登板になったが、甲子園大会以降、並行して注目を集めたのが、進路問題だ。「決まりましたか」との質問は何度も受けたそうだが「その頃の僕は、本当にどうするか決めていなかったんですよ」という。
大学進学か、プロ入りかで揺れていた。「大学は行くんだったら、東京六大学がいいなって思っていました。どことかは全く決まっていませんでしたけどね。進路について学校の先生の意見も2つに分かれていました。『プロは大学に行って4年間やって経験を積んでからでいいんじゃないか』という先生もいれば『ピッチャーは消耗品だからパーッとプロに行った方がいい』という先生もいましたしね」。
なかなか結論を出せなかった。「“これだけワーワー騒がれて、プロに行って先輩方といろんな軋轢があったりとかしたらしんどいし、ちょっと熱が冷めるまで大学で4年間やってからでも”というアドバイスとか、聞けば、聞くほど悩んでしまいましたよね」。最終的にプロ入りを決めたのは11月20日のドラフト会議で近鉄から1位指名を受けてからだった。
💢開智未来高校 野球部監督による不適切なSNS投稿を謝罪「教育者としてあるまじき不適切なもの」
https://news.yahoo.co.jp/articles/efa58c7933852f262820bc9fe5dfc9d1bc0f0078
開智未来中学・高等学校(埼玉)が19日、公式サイトを更新。同校野球部監督によるSNSの不適切投稿があったことを報告し、謝罪した。
同校の藤井剛校長名義で「本校野球部監督による不適切なSNS投稿に関するお詫び」と題した謝罪文を掲載し、「この度、本校野球部監督が同部のSNSにおいて、他校で発生した事案に関し、被害に遭われた方々や社会的な心情への配慮を著しくいた不適切な投稿を行いました」と報告。
続けて「当該投稿は、個人の見解とはいえ、教育に携わる者としてあるまじき不適切なものであり、本校の教育方針とも全く相容れないものです」と指摘。当該監督に対し厳重注意を行うとともに、現在はSNSの利用停止を命じていることを明かした上で「今後は、教職員一同、改めて情報モラルと倫理観の徹底を図り、皆様の頼回復に努めてまいる所存です」と伝えた。
そして「本件により、不快な思いをされた皆様、ならびに日頃より本校を応援してくださっている保護者、卒業生、地域の皆様に多大なるご迷惑とご心配をおかけしましたことを、深くお詫び申し上げます」と謝罪した。
警視庁は今月12日、女子生徒にわいせつ動画を送らせ拡散したなどとして、児童買春・ポルノ禁止法違反(製造や提供)の疑いで、日大三(東京)の硬式野球部の17歳と16歳の男子部員2人を書類送検した。
同日、開智未来高校硬式野球部の公式Xで事件を念頭に置いた投稿がなされたが、その内容についてSNSでは「性犯罪を軽視している」「二次加害を助長している」などの指摘が相次ぎ、炎上状態となっていた。現在、同アカウントは非公開となっている。
📣愛着湧く呼び名考えて 尾鷲新球場、愛称を募集
https://news.yahoo.co.jp/articles/939fa0a8eec570e44881fe7a17ea2351767861c1
三重県の尾鷲市は27日まで、中部電力尾鷲三田火力発電所の跡地に整備する「国市浜公園野球場」の愛称を募集している。広報では主に愛称を活用する方針で、多くの地域住民に親しまれる呼び名を求めている。
新球場は、令和10年度の完成を見込む都市計画公園「国市浜公園」(約9・9ヘクタール)の南側に整備する。両翼98メートル、中堅122メートルで、収容数は800人。ナイター照明付きの球場として、本年度中の完成を目指す。
愛称の応募は市内在住者のみで、作品数に制限は設けない。愛称の条件はないが、「親しみやすさ」を重視する。専用の応募フォーム=QRコード=、郵送などで受け付ける。愛称や意味、個人情報などを記載する。
結果は、市内スポーツ関係者らでつくる「愛称選考委員会」が3月中に発表する。採用者には図書券を贈る予定。市教育委員会生涯学習課の担当者は「愛着が湧くようなすてきな愛称を考えてほしい」と話している。
問い合わせは市教育委員会生涯学習課スポーツ振興係=電話0597(23)8299=へ。
📣鳥取駅周辺再整備へ、北・南側の新イメージ図公開…鉄道とバスターミナルの利便性向上・大屋根や広場も設置
https://news.yahoo.co.jp/articles/ad58d2fbf085da35ce4d679ae1b04275ec61d01b
鳥取市は、JR鳥取駅周辺再整備計画の新たなイメージ図(1月16日時点)を公開した。鉄道と駅前バスターミナルの利便性向上や、砂丘がモチーフの大屋根設置などを具体化している。市はこの図を基に関係機関と協議し、パブリックコメントを実施するなどして今年中の計画策定を進める。
鳥取市は2023年8月、国や大学、金融機関などと「鳥取駅周辺リ・デザイン会議」を発足。24年6月に再生基本計画を策定し、県とJR西日本、鳥取商工会議所と四者連携協議会を設け、検討を進めてきた。昨夏にレイアウト案が提示され、西側にあるバスターミナルの東側への移設や、北口に複合施設を配置するなどの案が公表された。
今回公開されたイメージ図は「駅北側の俯瞰(ふかん)」「北口広場」「駅南側の俯瞰」など4種類。課題になっている公共交通の利便性アップや、市民や観光客が快適に行動できるよう、人が中心の空間確保を基本概念としている。
駅北側の図には複合施設を示し、日常的なマルシェや大規模イベントにも対応できる広い空間を想定。商店街や久松山へのつながりにも配慮した。
駅南側は既存の遊歩道を生かし、水辺環境を感じられる場所を想定。駅の南北入り口には、鳥取砂丘をモチーフにした茶色の大屋根が描かれている。大屋根は駅と複合施設をつなぐ。
市は今後、鳥取駅周辺リ・デザイン会議などで審議し、来月中に計画の素案作成を目指す。
深沢義彦市長は「50年、100年先も見据え、ワクワクするような空間に変えていくため、市民や関係者らと総力を挙げて計画を進めていきたい」と話す。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3a03e327e75803ffe599c92b95162f53074dce34
日本高野連は20日、大阪市内で理事会と今夏選手権大会の臨時運営員会を開き、今夏の7回制導入を見送ることに決めた。
現在、高校野球では7回制導入が議論されており、昨年開かれた「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議」では、熱中症対策の観点から「夏の大会については可及的速やかな7回制導入が望ましい」と結論づけていた。ただし、今回の理事会で今夏の導入について「検討会議の報告書の経緯や意図が現場に十分に伝わっていない」などの意見が出たため、今夏の9回制での実施が決まった。
取材に応じた同連盟の井本亘事務局長は、「今年の選手たちのことを考えると(7回制導入は)急ぎすぎではないかとの意見があった」と説明した。
同連盟では、7回制導入を提言した検討会議の最終報告書を周知するため、他競技の指導者を含めた意見公開会、小中学生の年代への説明会、各都道府県連盟への説明会の実施を決定。いずれも4月以降の開催を目指す。
今秋に青森で開催される国民スポーツ大会については、昨年同様に7回制で実施することが決まった。
今夏の7回制見送りにより、7回制導入は来春以降に持ち越されることが決まった。
💢青森国スポで7イニング制継続、日本高野連が昨年の滋賀国体に続き 3月国スポ委員会で最終決定
https://news.yahoo.co.jp/articles/9ce9425d78c23c81512ada471475a98fad05e2a3
日本高野連は20日、大阪市内で第7回理事会を開催し、青森で開催する国民スポーツ大会で7イニング制を継続実施することを決めた。
昨年の滋賀国体は硬式、軟式ともに7イニング制を採用。国内の主要大会では初の試みで、昨夏夏日本一となった沖縄尚学など8校が出場し、優勝した山梨学院や準優勝の高川学園(山口)は4日間で3試合をを行う過密日程だったが「そこまで疲労感はなかった」などの声が相次いだ。
3月3日に日本スポーツ協会で開催される第4回国民スポーツ大会委員会での審議を経て最終決定となる。
📝全国高校軟式選手権は8月24日開幕 兵庫県内の2球場で
https://news.yahoo.co.jp/articles/8b78bd01c3daa9f1741362fa3f3f65417aff0570
日本高校野球連盟は20日、第71回全国高校軟式野球選手権大会を8月24日から6日間(準々決勝翌日の休養日を含む)の日程で開催すると発表した。兵庫県の明石トーカロ球場(明石市)とウインク球場(姫路市)で行われる。
📝高野連理事会でわいせつ動画拡散の日大三の話題も 現在は同校からの報告書を待っている状況
https://news.yahoo.co.jp/articles/0a4b4d5826594efc64a20059369b5874541ca85f
日本高野連は20日、大阪市内で第7回理事会を開催し、取材の対応を行った。今回の理事会で、児童買春・児童ポルノ禁止法違反(製造や提供)容疑で男子部員2人が書類送検された日大三の話題が上がったことも明かした。
日本高野連の井本亘事務局長は「話は出ていたが、具体的な話には至っていない」とし、現在は同校からの報告書を待っている状況だとした。
今春センバツに向けても主催の毎日新聞社と共同で誹謗中傷や差別的な言動がSNS上で拡散される事案について声明を出している。その上で井本事務局長は「SNSが周りにあふれている時代。高校野球連盟だけで取り組んでできることもあれば、そもそも高校生全体で国として情報の取り扱いを取り組んでもらいたい部分もある。我々としてもできることはやっていきたいし、どこまで抑止力があるかはわかりませんが、声明文のように考え方をみなさんにお示しするのは我々がまずできること」と話した。
☝高校野球「7回制」導入に反対する──“時短”より先に守るべきものがある
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/efa28a39901f155f3f882269605da32735739b70
日本高等学校野球連盟は、7イニング制の導入について議論を進め、最終報告書(抜粋)では「全ての公式戦」は2028年春(第100回記念選抜と春季大会)からの採用が望ましいとしつつ、夏の選手権大会については「可及的速やかに」採用が望まれる、としている。
しかし、だからこそ今、拙速な制度変更にブレーキをかける必要がある。事実、2026年2月20日の理事会では、今夏の第108回全国高校野球選手権大会(甲子園)は9イニング制で実施することが決まった。7回制は“わかりやすい解決策”に見えるが、変えるのは高校野球の根幹だ。短くすれば本当に守りたいもの(選手の健康、教育的価値、競技の魅力、歴史)を守れるのか。ここを冷静に問い直したい。
反対理由1:現場の「出場機会」を削り、教育の場を狭める
7回制の最大の問題は、単純にプレー機会が減ることだ。しかし、高校野球は3年間しかない。控え選手、下級生、ベンチ入りすらギリギリの部員にとって、公式戦の1打席・1守備は“学び”そのものだ。日本高野連自身も、7回制のデメリットとして「部員の出場機会の減少」や「試合を楽しむ時間の減少」を整理している。
さらに、日本高野連が実施した加盟校アンケート(回答校数2643)では、反対70.1%・賛成20.8%。反対理由として「打席数や投手の投球数が減り、プレー機会が減ってしまうから」が最も多い、という報告も出ている。
“教育の一環”を掲げる高校野球が、教育機会そのものを削ってまで成立させる改革なのか。まずここで立ち止まるべきだ。
反対理由2:「健康対策」は理解できるが、7回制は“万能薬”ではない
もちろん、酷暑や障害予防が喫緊の課題であることは否定しません。実際、甲子園では熱中症疑いの事例が報告されており、2024年(第106回)には計58件というデータも示されている。ただし、同じデータの分析では「試合中発症のうち70%以上が6回以降」とされ、問題の中心が“試合終盤”に偏っている。ここで考えるべきは、「終盤のリスクを減らす=7回制しかない」ではない、ということだ。終盤の負荷や暑熱ストレスを下げる手段は、ルールの根本改変以外にも複数あるのだ。
実際に大会側は、すでに多層的な対策を積み上げてきた。たとえば甲子園では、5回終了時のクーリングタイムを導入し(当初10分)、大会によって運用の見直しも進めている。
さらに、午前と夕方に分ける2部制の拡大、夕方開幕、試合前ノックの選択制など、試合そのものの“負担”を減らす工夫も実行されている。
つまり、高校野球はすでに「9回のまま安全性を高める」方向で前進している。7回制は、その流れを“飛び越えて”根幹を変えてしまう改革だ。必要なのは、いま積み上げている対策の強化と徹底ではないだろうか。
反対理由3:「時短」が競技の奥行きと公平性を損ねる
野球は“9回で1試合”として戦略が組み立てられてきた。先発投手の配分、継投のタイミング、終盤の代打・代走、守備固め、相手投手への対応、逆転への布石――それらは「9回をどう設計するか」という思考の訓練でもある
7回制になると、同じ1点でも重みが増し、序盤の偶発的な失策やジャッジ、イレギュラーで勝敗が決まりやすくなる可能性がある。トーナメント(負けたら終わり)では、この“振れ幅”は無視できない。高校生にとって貴重な学びの機会であるからこそ、戦略が熟し、力が拮抗しても「最後まで修正できる」9回という器を、簡単に小さくするべきではない。
反対理由4:上部カテゴリーとの連続性と「記録・歴史」を断ち切る
日本高野連の整理でも、7回制のデメリットとして「上部カテゴリー(大学、社会人、プロ)などとの連続性の喪失」「記録の非連続性」「記録の歴史的価値の減少」などが挙げられている。
高校野球は、次のステージへ進む選手を育てる場でもあります。7回制を“高校だけ”に導入すれば、育成の連続性を自ら断つことになりかねない。
また、高野連は甲子園が100年以上にわたり大会会場であり、「聖地」とも呼ばれ高校野球の代名詞になっている、と歴史的・社会的意義を明記している。
その“甲子園の物語”は、ルールの連続性と記録の積み重ねが支えてきた面も大きいのだ。
反対理由5:効率化が削る“非効率の中でしか育たない強さ”
現代社会の流れとして、無駄を削り、効率化し、データで最適化することは正しい。
だが、スポーツにおいては、非効率の中でしか育たない力が確かに存在する。
かつて甲子園を沸かせた名投手たち──田中将大、藤浪晋太郎、今井達也、松井裕樹、高橋光成のような存在は、球史の中でも別格だった。彼らは甲子園で投手陣の8割以上、あるいは40イニング以上を投げ抜きながら優勝した例もある。過剰な負荷が常に正義とは言わない。だが、あの極限の経験の中で、地力と精神力を磨き、プロでも活躍した投手がいるのも事実だ。
そして、その印象が「高校野球は1人のエースが投げ抜くもの」というイメージを作り、とくに2000年代後半から2010年代初頭にかけては、1人エースの学校が定期的に注目を集めてきた。
21世紀の甲子園優勝投手を振り返っても、プロ入り後に二桁勝利を記録する投手、リリーフの一角として活躍する投手、タイトルホルダーまでいる。
「高校時代の投げすぎで、プロ入り後はあまり活躍をしていない」というイメージが先行しがちだが、相対的に見れば、活躍している割合はむしろ高いのではないか。
しかし、現代の制度設計では、こうした“怪物型”投手の誕生はほぼ不可能になる。選手を守ろうとする制度が、皮肉にも選手の未来を狭めている可能性がある。
これはスポーツだけでなく、ビジネスの「働き方改革」と同じ構造だ。効率的な方法が正しい一方で、量をこなすことで得られる自信、精神力、信頼感といった“非数値の価値”が削られていく。
選手を守るはずの制度が、必ずしも選手を強くするわけではない。ここを直視しない限り、「やさしさ」は簡単に「削り取り」に変わる。
反対理由6:結局、7回制は「追加の改革」を連鎖させる
7回制の反対理由として「出場機会の減少」が大きい以上、それを補うためにDH制、出場枠拡大、リエントリー制度、複数チーム参加など、次々と別の制度を足していく議論になりがちです。実際、高野連の報告でも、さまざまな追加施策案が列挙されている。
もちろん、DH制はすでに2026年度シーズンインから採用されると明記されている。ただ、根本の問題は「7回制が別の歪みを生み、その補填のために改革が連鎖する」ことである。改革は“足し算”を続けるほど、現場の混乱と地域格差を生む。まずは、9回制を前提に、既存の健康対策・運営改革をどこまで徹底できるかを詰めるべきだ。
では、どうするべきか:9回を守りながら「安全」を上げる現実策
7回制に反対することは、健康対策に反対することではありません。むしろ逆です。「根幹ルール変更」ではなく、効果が見込める対策を“強制力を持って”積み上げることが先です。たとえば――
暑さ指数に応じた試合開始の繰り下げ・中断・順延の基準を明確(すでに測定・注意喚起は実施)
クーリングタイムの質を上げる(時間の長短より、深部冷却・補食・着替えを含めた運用徹底)
投球数制限の運用強化と“数字の独り歩き”防止(1週間500球を正式規則化しつつ、個別の疲労や既往症も重視)
2部制・夕方開始など日程設計の拡充(大会序盤の負担を下げる工夫はすでに進行)
「練習中」の熱中症対策の底上げ(過去5年で練習中に熱中症があったと約8割の指導者が回答、という調査も示されている)
“試合を短くする”より、危険を生む場面(練習、待機、移動、炎天下の長時間拘束)を切り分けて潰すほうが、より本質的で、しかも高校野球の魅力や教育的価値を壊しにくいはずだ。
結論:7回制は急ぐべき改革ではない
高野連の最終報告書が「可及的速やかに」と書いた背景は理解できる。
しかし、加盟校の7割が反対し、反対理由の中心が「プレー機会の減少」である以上、制度変更は“合意形成”を欠いたまま推し進めるべきではない。
そして何より、高校野球は「教育の一環」です。健康を守ることと、教育機会を守ることは両立させなければならない。だからこそ、安易な“7回への短縮”ではなく、9回のまま安全を最大化する改革を、まず徹底すべきだ。
📝自宅に女性ファンで仰天「家出してきました」 甲子園で異常人気…“SOS”も出せず疲弊
https://news.yahoo.co.jp/articles/7e515d54c30785e15ed54ea399f075c825b30477?page=1
太田幸司氏は甲子園で「コーちゃんフィーバー」で大注目
常に注目を浴び続けた。元近鉄の太田幸司氏(野球評論家)は青森県立三沢高時代に甘いマスクの快速球右腕として人気大爆発。1969年夏の甲子園決勝・松山商戦での延長18回0-0引き分け大熱投で「コーちゃんフィーバー」はさらに過熱した。“決勝2試合目”に2-4で敗れて準優勝に終わった以降も全日本高校選抜でのブラジル遠征、長崎国体と投げ続けると、ともに騒がれたのは進路問題だ。大学進学か、プロ入りか。大いに揺れたという。
1969年9月6日、太田氏はブラジルで完全試合を達成した。松山商との“決勝2試合目”に敗れたのが8月19日だったが、8月下旬には全日本高校選抜メンバー入りして、ブラジル、ペルー、アメリカ遠征に参加。偉業はブラジルのパラマ州マリンガの高校、社会人混成チーム相手に成し遂げた。15-0の大勝で「まぁ、向こうのレベルがそんなにねぇ……」と話したが、114球、14奪三振の力投だった。
この遠征での親善試合は計20試合行われ、日本選抜が17勝3敗の成績を残した。太田氏は8試合に投げ、そのうちの5試合に先発し「今だったら、甲子園であれだけ投げたら無理させないだろうけど、もう1番手でバンバカ、バンバカ投げていたからねぇ」と苦笑する。「日本に帰ってきた時、やっぱり肘に違和感があった。向こうのボールはちょっと重かったし、下も赤土のアンツカーみたいな感じで足の裏は痛くなったしね」とも振り返った。
当時の日本高野連会長の佐伯達夫氏が日本選手団の団長。「佐伯さんには、よう説教を食らいましたよ。ブラジルの大学チームとか試合をして、ウエルカムパーティーがその後あったんだけど『今日の君らの態度は何だ。日の丸をつけているんだ。もっとピシッとやってくれ』とかね」と懐かしそうに話す。「サンパウロとか、ブラジリアとか、野球をやっていたおかげでいろんな経験をさせてもらいました」。
しかしながら「コーちゃんフィーバー」はまだまだ続いた。「甲子園が終わって、僕と桃井(久男内野手)と八重沢(憲一内野手)がオールジャパンに選ばれたんだけど、残った連中で(8月下旬に)三沢に戻ってからパレードしたんです。で、(9月下旬に)僕ら3人が帰って来たときにもう1回、八戸から三沢までパレード。僕らは初めてだけど、他の連中は『1か月も経つのにカッコ悪いわ』と言いながら2回やっていました」。それも太田氏の人気あってのことだ。
甲子園後も国体に女性ファンが殺到
日本中から注目を浴び、常に女性ファンからの黄色い声援を受け、ファンレターは「青森県 太田幸司様」だけで届き、「『家出してきました』って言って、僕の家に駆け込んでくる女の子もいましたからね」というほど。それこそ気が休まる日はなかったことだろう。その上、登板も続いた。10月下旬には長崎国体で佐世保市営球場のマウンドに立った。それも準々決勝(10月29日)で松山商との再戦だ。女性ファン殺到の大騒ぎの中、太田氏は完投したが、1-2で敗れた。
「なんかずっと投げっぱなしですよね。よう、ホントに……。でも、あの頃はそれが当たり前と思って投げていますからね。“ちょっと疲れて……”とか、そんなのも言った覚えもないし……」。これが高校野球最後の登板になったが、甲子園大会以降、並行して注目を集めたのが、進路問題だ。「決まりましたか」との質問は何度も受けたそうだが「その頃の僕は、本当にどうするか決めていなかったんですよ」という。
大学進学か、プロ入りかで揺れていた。「大学は行くんだったら、東京六大学がいいなって思っていました。どことかは全く決まっていませんでしたけどね。進路について学校の先生の意見も2つに分かれていました。『プロは大学に行って4年間やって経験を積んでからでいいんじゃないか』という先生もいれば『ピッチャーは消耗品だからパーッとプロに行った方がいい』という先生もいましたしね」。
なかなか結論を出せなかった。「“これだけワーワー騒がれて、プロに行って先輩方といろんな軋轢があったりとかしたらしんどいし、ちょっと熱が冷めるまで大学で4年間やってからでも”というアドバイスとか、聞けば、聞くほど悩んでしまいましたよね」。最終的にプロ入りを決めたのは11月20日のドラフト会議で近鉄から1位指名を受けてからだった。
💢開智未来高校 野球部監督による不適切なSNS投稿を謝罪「教育者としてあるまじき不適切なもの」
https://news.yahoo.co.jp/articles/efa58c7933852f262820bc9fe5dfc9d1bc0f0078
開智未来中学・高等学校(埼玉)が19日、公式サイトを更新。同校野球部監督によるSNSの不適切投稿があったことを報告し、謝罪した。
同校の藤井剛校長名義で「本校野球部監督による不適切なSNS投稿に関するお詫び」と題した謝罪文を掲載し、「この度、本校野球部監督が同部のSNSにおいて、他校で発生した事案に関し、被害に遭われた方々や社会的な心情への配慮を著しくいた不適切な投稿を行いました」と報告。
続けて「当該投稿は、個人の見解とはいえ、教育に携わる者としてあるまじき不適切なものであり、本校の教育方針とも全く相容れないものです」と指摘。当該監督に対し厳重注意を行うとともに、現在はSNSの利用停止を命じていることを明かした上で「今後は、教職員一同、改めて情報モラルと倫理観の徹底を図り、皆様の頼回復に努めてまいる所存です」と伝えた。
そして「本件により、不快な思いをされた皆様、ならびに日頃より本校を応援してくださっている保護者、卒業生、地域の皆様に多大なるご迷惑とご心配をおかけしましたことを、深くお詫び申し上げます」と謝罪した。
警視庁は今月12日、女子生徒にわいせつ動画を送らせ拡散したなどとして、児童買春・ポルノ禁止法違反(製造や提供)の疑いで、日大三(東京)の硬式野球部の17歳と16歳の男子部員2人を書類送検した。
同日、開智未来高校硬式野球部の公式Xで事件を念頭に置いた投稿がなされたが、その内容についてSNSでは「性犯罪を軽視している」「二次加害を助長している」などの指摘が相次ぎ、炎上状態となっていた。現在、同アカウントは非公開となっている。
📣愛着湧く呼び名考えて 尾鷲新球場、愛称を募集
https://news.yahoo.co.jp/articles/939fa0a8eec570e44881fe7a17ea2351767861c1
三重県の尾鷲市は27日まで、中部電力尾鷲三田火力発電所の跡地に整備する「国市浜公園野球場」の愛称を募集している。広報では主に愛称を活用する方針で、多くの地域住民に親しまれる呼び名を求めている。
新球場は、令和10年度の完成を見込む都市計画公園「国市浜公園」(約9・9ヘクタール)の南側に整備する。両翼98メートル、中堅122メートルで、収容数は800人。ナイター照明付きの球場として、本年度中の完成を目指す。
愛称の応募は市内在住者のみで、作品数に制限は設けない。愛称の条件はないが、「親しみやすさ」を重視する。専用の応募フォーム=QRコード=、郵送などで受け付ける。愛称や意味、個人情報などを記載する。
結果は、市内スポーツ関係者らでつくる「愛称選考委員会」が3月中に発表する。採用者には図書券を贈る予定。市教育委員会生涯学習課の担当者は「愛着が湧くようなすてきな愛称を考えてほしい」と話している。
問い合わせは市教育委員会生涯学習課スポーツ振興係=電話0597(23)8299=へ。
📣鳥取駅周辺再整備へ、北・南側の新イメージ図公開…鉄道とバスターミナルの利便性向上・大屋根や広場も設置
https://news.yahoo.co.jp/articles/ad58d2fbf085da35ce4d679ae1b04275ec61d01b
鳥取市は、JR鳥取駅周辺再整備計画の新たなイメージ図(1月16日時点)を公開した。鉄道と駅前バスターミナルの利便性向上や、砂丘がモチーフの大屋根設置などを具体化している。市はこの図を基に関係機関と協議し、パブリックコメントを実施するなどして今年中の計画策定を進める。
鳥取市は2023年8月、国や大学、金融機関などと「鳥取駅周辺リ・デザイン会議」を発足。24年6月に再生基本計画を策定し、県とJR西日本、鳥取商工会議所と四者連携協議会を設け、検討を進めてきた。昨夏にレイアウト案が提示され、西側にあるバスターミナルの東側への移設や、北口に複合施設を配置するなどの案が公表された。
今回公開されたイメージ図は「駅北側の俯瞰(ふかん)」「北口広場」「駅南側の俯瞰」など4種類。課題になっている公共交通の利便性アップや、市民や観光客が快適に行動できるよう、人が中心の空間確保を基本概念としている。
駅北側の図には複合施設を示し、日常的なマルシェや大規模イベントにも対応できる広い空間を想定。商店街や久松山へのつながりにも配慮した。
駅南側は既存の遊歩道を生かし、水辺環境を感じられる場所を想定。駅の南北入り口には、鳥取砂丘をモチーフにした茶色の大屋根が描かれている。大屋根は駅と複合施設をつなぐ。
市は今後、鳥取駅周辺リ・デザイン会議などで審議し、来月中に計画の素案作成を目指す。
深沢義彦市長は「50年、100年先も見据え、ワクワクするような空間に変えていくため、市民や関係者らと総力を挙げて計画を進めていきたい」と話す。