自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」

ようこそいらっしゃいました。監督(管理人)の宏鈴法師です。当掲示板は全国どこの話題でもOKですのでどうぞ野球談義・よもやま話をお楽しみ下さい!なお、ご意見ご要望はメールでお願いします。悪しからずご了承くださいませ。


紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
⚾今日の熱闘甲子園試合結果(準々決勝)
13日目第1試合 天理(奈良)-三重(三重) 8:02~10:11
          一二三四五六七八九十計HE
      天  理010100032 7132
      三  重000000000 093

13日目第2試合 智弁和歌山(和歌山)-仙台育英(宮城) 10:43~13:31
          一二三四五六七八九十計HE
      和 智 弁511010300 11180
      仙台育英010000002 381

13日目第3試合 横浜(神奈川)-花巻東(岩手) 14:06~16:33
          一二三四五六七八九十計HE
      横  浜100220001 6140
      花 巻 東000000000 070

13日目第4試合 有明(熊本)-高崎健康福祉大高崎(群馬) 17:06~19:03 18:00点灯 6回表から
          一二三四五六七八九十計HE
      有  明0000000000051
      健大高崎0000000001x171

☝「天理に旬の風が吹いているよう」フォーム変更の変則左腕橋本154球完封、9年ぶり4強
https://news.yahoo.co.jp/articles/a7fcd2e601b30dd43507a941baec719824703fc9

天理7-0三重(18日、夏の甲子園大会準々決勝)

天理の背番号10が9年ぶりの4強に導いた。今大会初登板した橋本が154球を投げ切って完封。最後のアウトを取った瞬間、両手を突き上げた左腕は「うれしい気持ちでいっぱい」と満面の笑みを浮かべた。

仲間たちと守り切った。2-0の七回には2死一、二塁で中前に抜けそうなゴロを、二塁手の田畑が横っ飛びで好捕。九回1死二塁では遊撃の金本の好守にも助けられた。「バックが守ってくれるのを信じていた」。9安打され、三者凡退はなし。それでも最後まで本塁は踏ませなかった。

直球の最速はこの日記録した135キロ。変則タイプの左横手投げで、的を絞らせなかった。昨年春に藤原監督の勧めもあってフォームを変更。「やっぱり上から投げる方がかっこいい」と抵抗はあったが、プロ野球選手らサイドスローの映像を参考にして取り組んだ。「急に(ボールが)出てくる」というイメージを実現するように徹底し、自分のものにした。

指揮官は「びっくりしている。何か天理に旬の風が吹いているようだった」と左腕の力投に目を丸くした。2試合連続完投していたエース長尾は温存。続く戦いへ、自信を深める快勝となった。

👣三重・沖田監督「ベスト8で安心してしまったかも」 
https://news.yahoo.co.jp/articles/20fdef86f767e57dd4bbab9de6cf5ce9e36ba774

三重・沖田展男監督の試合後の主なコメントは次の通り。

<試合を振り返って>
もう完敗でした。生徒はよくやりましたけど。

<なかなかあと1本が出なかった>
左バッターが(相手先発の橋本桜佑投手を)どうも打ちづらそうにしていました。(ボールが)少し下から出てくるので、ちょっとだけボールの下にバットが入ってしまって、打線がつながらなかったですね。ジグザグ(打線)のデメリットというところも、ちょっと出たかなと思います。

<橋本投手への対策は選手にどう伝えていましたか>
タイミングがみんな遅れていたので、ちょっと早くしないといけないというのと、いつもより意識してボールの上を打たないといけないと伝えていました。ただ、なかなか難しかったです。

<守備の乱れもあった>
そうですね。今までが上出来みたいな感じでしたけど。(二塁手の)水野(央清選手)が手をけがしていたのがね……。小指(をけがしていた)っていうのが、打つ方でも気になるというか。けがをしていても出さないといけないチーム事情もありました。でも、選手たちはよくやりました。

<ベスト8の景色はどうだったか>
たくさんの人が応援に来てくれて、アルプスからすごい応援が届いていたんですけど。1点取ったら、また流れが違ったのかもしれませんが、なかなかいいピッチャーで、対応できなかったです。

<今年のチームは春のセンバツも経験しました>
僕が、「目標は国スポ(国民スポーツ大会に出場すること)」と言ってしまったので、ベスト8まで行って安心してしまったところもあるかもしれないですけど、よくやったと思います。

<下級生も出場していました>
そういう部分も含めて、また来年につないでいけたらなと思います。

☝帽子の裏に仲間23人の名前 天理マネジャーが支える最後の夏「日本一のマネジャーに」
https://news.yahoo.co.jp/articles/becf42976e14cc9c9ed46e7a95fea822c1fdf4cc

天理(奈良)が三重(三重)を破り4強一番乗りを果たした。準決勝進出は9年ぶり6度目。奈良県勢は春夏甲子園通算160勝目。

「もう一度ベンチ入りしたい」。一塁側アルプスでは、天理のマネジャー、田渕みあびさん(3年)と鈴木優苺さん(3年)が声援を送った。
今夏は3人のマネジャーが交代で記録員としてベンチ入り。この日は、もう1人のマネジャー、溝渕千聖さん(3年)がベンチ入りした。初戦は鈴木さん、3回戦は田渕さんがベンチから戦況を見守った。

「甲子園は応援の迫力も熱気も全然違って、すごかったです」と鈴木さん。準決勝では鈴木さん、決勝では田渕さんがベンチ入りする予定だ。田渕さんは「もう一度ベンチ入りしたいし、日本一のマネジャーになれるよう精いっぱい応援したい」と力を込める。

帽子の裏には、それぞれが選んだ大切な言葉とともに、3年生20人とマネジャー3人がそれぞれの名前を書き込んだ。「今年の3年生はみんな元気で明るくて、とても仲が良いです」。長くても残り2試合。仲間と過ごせる残り少ない時間を、最後まで大切に選手を支える。

📝智弁和歌山にツキあり 初回から猛攻、結果的に大勝だが 高嶋仁の目
https://news.yahoo.co.jp/articles/bfc9815574ffef3ea1bc9f1306d4481e991b689b

(18日、第108回全国高校野球選手権大会準々決勝 智弁和歌山11―3仙台育英)

「運も実力のうち」とはよく言いますが、智弁和歌山はツキがありました。
攻めては打球が野手の間を抜けたり、守ってはイレギュラーバウンドした打球を捕ったり。一方、仙台育英はいいところがまったく出せませんでした。

智弁和歌山は一回から好機を得ました。1番・長友悠成選手(2年)が右越え三塁打で出て、相手バッテリーのミスで1点を先取。ここで1点で終わってしまうようだと、相手が乗ってきます。たたみかけて2、3点取りたいところでした。結局打者11人の攻撃で計5点。これで試合の流れをつかみました。

結果的に智弁和歌山の大勝でしたが、気になる点もあります。4番・山田凜虎選手(3年)の打撃です。六回1死満塁で打順が回ってきたときです。カウント1ボールから変化球を空振りした後、また変化球にタイミングが合わず、遊撃への併殺打に倒れました。

山田選手は、すべて直球のタイミングでスイングしていました。しかし、こんなピンチで相手バッテリーは素直に直球を投げてきません。
変化球でストライクを取りに来るのが常です。山田選手は捕手なのですから、自分ならどうするか、と考えて打席に立ってほしいです。

💢走者が2度アウトに…仙台育英vs智弁和歌山で『?マーク』が広がる珍プレー 選手と審判の“勘違い”重なる
https://news.yahoo.co.jp/articles/30e82daea31067e433a3f3be95ee238629d1df8b

珍しいプレーで中断した。智弁和歌山が6―0とリードして迎えた2回裏の守備。1死満塁で三塁線への強烈な打球を黒川梨太郎内野手が飛び付いて好捕。三塁ベースを踏んで一塁へ転送した。一塁は間に合わず、併殺崩れで1点が入った。

この直後に?マークがグラウンドに広がるプレーがあった。転送された球を受けた山田凛虎捕手(3年)が、三塁で封殺されてベンチに戻ろうとしていて走者にタッチしようと近づいた。走者も反射的に逃げ、三塁方向へ駆け出した。

走者は三塁手前でタッチされた。すでにアウトになっているのに、ここで三塁塁審から再びアウトのポーズをされた。微妙な間が漂い、仙台育英・須江航監督(43)は塁上に残った走者に「(塁から)出るなよ、出るな!」と大声で指示していた。一端待ったがかかり、審判団が状況を確認。審判から場内アナウンスがあった。

「1死満塁から三ゴロ。三塁手は三塁ベースを踏み、二塁走者はアウト、その際、一塁転送されたが打者走者はセーフ。その際、得点は1。2死走者一、二塁から試合を再開します」
守備側の智弁和歌山の選手と審判の勘違いが重なり、珍しい状況を招いた。

✌智弁和歌山アルプス席を彩るチア 大きく重いポンポンを両手に応援
https://news.yahoo.co.jp/articles/ab187dbcad590199253cc39f38b59cf10e540e16

智弁和歌山の三塁側アルプス席には、おなじみの「C」の文字が浮かび上がった。

盛り上がる応援席をより色鮮やかに彩るのが、チアリーダーが持つ智弁和歌山オリジナルのオレンジ色のポンポンだ。智弁和歌山のポンポンは、ひも状の細いビニールが束になっていて、くるくる回すと丸く大きく広がり、存在感が増す。

今年のチアは13人と例年に比べて少ないが、「人数が少ない分、ポンポンを大きく見せるよう意識している」とリーダーの熊代彩乃さん(2年)は話す。
重さもひときわだ。ポンポン一つは、水が満タンに入った500ミリリットルのペットボトル1本と同じ重さだという。練習では重さに慣れるため、ペットボトルを両手に持って踊っている。
甲子園の応援に憧れて今年チアに入ったという瀧口由宇さん(1年)は「もっと軽いと思っていたら、意外と重かった。(初めは)重すぎてひじがもたなかった」と話す。

この日、チームは序盤から流れに乗り、準決勝に駒を進めた。夏の頂点まであと2戦。熊代さんは「選手が連れてきてくれた甲子園。しんどい場面も選手たちを支えたい」と語る。
伝統のポンポンを両手に、最後まで応援を盛り上げるつもりだ。

👣手甲骨折の有明・工修哉が伝令で登場
https://news.yahoo.co.jp/articles/e8fb6f6a7eb506e9398e975df1a5e52e2b5d0f6a

全国高校野球選手権大会は第13日の18日、阪神甲子園球場で準々決勝があり、春夏通じて初出場の有明(熊本)が健大高崎(群馬)と対戦した。

16日の3回戦の試合前練習で味方選手の素振りが当たって左手甲を骨折した工修哉選手(3年)が、九回1死一、二塁のピンチで、伝令としてグラウンドに登場した。
工選手は骨折した左手にテーピングなどをした姿でマウンドへ行き、選手にベンチからの指示を伝えた。その後2死満塁となったが、斉藤遼汰郎投手(3年)が見逃し三振を奪い、ピンチを脱した。

📝「ウチを選んでくれるのは『Bランク』の選手たち」 八幡商が15年ぶり甲子園をつかんだ"名門復活"の舞台裏
https://news.yahoo.co.jp/articles/c8e3a801168f27ab50dd29fd2952e45d143e9365?page=1

今夏の甲子園(全国高校野球選手権大会)は公立校が9校出場しているが、そのうち4校は商業高校である。
高岡商(富山/4年ぶり23回目)八幡商(滋賀/15年ぶり8回目)佐賀商(佐賀/8年ぶり17回目)大分商(大分/13年ぶり16回目)

かつて高校球界で栄華を極めた商業高校も、近年は全国的に苦戦が続いていた。しかし、今夏は上記の4校だけでなく、地方大会で準優勝した商業高校も5校(前橋商・群馬/明石商・兵庫/倉敷商・岡山/広島商・広島/高松商・香川)あった。商業高校は復活の機運があるのか。今大会、15年ぶりに甲子園に帰ってきた八幡商のケースから紐解いてみたい。

【商業高校は誤解されている】

「入ってくる選手の質は、はっきり言って15年前とは全然違いますね」そう語るのは、小川健太監督。柔和な童顔ながら今年で45歳、八幡商のOBでもある。かつては野洲の部長として、2012年夏の滋賀大会準優勝を経験した。

「いわゆる『Sランク』『Aランク』というレベルの選手は施設の整った私学や、寮生活を求めて県外の高校に進んでしまいます。ウチを選んでくれるのは『Bランク』の選手たちですね」

春の選抜で3回のベスト8進出実績がある八幡商。15年前に出場した夏の甲子園では、9回表に逆転満塁本塁打で名門・帝京(東東京)を破る伝説的な試合を演じた。そんな伝統校も、選手勧誘に苦戦する時期が続いていた。チームを預かる小川監督は、苦笑交じりにこう漏らす。

「皆さん、昔の八幡商の感覚でいらっしゃるので、結果が出ないと『何してんねん』というお叱りの声もいただきます。プレッシャーは常に感じます」

そもそも、なぜ商業高校に生徒が集まりにくくなっているのか。社会的に大学への進学志向が高まったこと、普通科高校へのニーズの拡大などの要因が考えられる。だが、小川監督は「商業高校は誤解されています」と強く訴える。

「商業高校イコール就職のイメージがありますが、進学する生徒も多いです。指定校推薦が充実している商業高校だって多いですよ。資格試験で取得した実績を生かして、小論文と面接で受験できる大学もあります。中学校を回って募集活動する時は、その点を強調しています」

堅守が光るレギュラー遊撃手の山口琉希(2年)は、「文武両道」に惹かれて八幡商への受験を決めている。

「ただ野球が強いだけではなく、勉強もしっかりできる高校に行きたかったんです。八幡商なら進学に有利だし、就職の求人もたくさんくると聞いて魅力に感じました。県外の高校からの誘いもあったんですけど、地元の八幡商に行こうと決めました」

センターラインを固める小林大佑(2年)も「進路の幅が広がる」と商業高校の魅力を語る。簿記2級を取得し、現在は1級の検定に向けて勉強中だという。

「父が八幡商の野球部OBで、いろいろと学校について教えてもらいました。父の時代よりいい選手は集まらなくなっていますが、今の自分が甲子園を目指すにはいい学校だと思いました」

小林は身長165センチ、体重60キロの小兵である。近江や滋賀学園といった県内トップクラスの強豪から声がかかる存在ではなかった。小林は「チャレンジャーという感覚です」と語る。

【明徳義塾中から八幡商へ来た理由】

チームの主砲である辻井煌大(3年)は、かなり特殊な経歴だ。中学時代は明徳義塾中(高知)でプレー。しかし、高校はそのまま明徳義塾に進学しなかった。

「高校で通用する自信がなかったんです。そんな時に『地元で甲子園を目指せるところがあるよ』と八幡商の存在を教えてもらいました」

明徳義塾中では寮生活を送り、八幡商では自宅から通学している。辻井はそれぞれのよさがあったと振り返る。

「親元を離れて寮生活を送ったことで、仲間たちと密なチームワークを築けました。今は自宅から通っていますけど、近所の人や市内の人から温かい声をかけてもらって、『支えてもらっているな』と実感できます。この人たちのために野球をやろうと、原動力になっています」

名門から声がかからなかった選手たちが、どのようにして甲子園出場を勝ち取ったのか。キーワードは「守備」である。堅い守備で失点を防ぎ、粘り強く勝機を探る。昔ながらのスタイルだが、小川監督は「勝てる野球になってきた」と手応えを深める。

「選手たちは自分たちの能力をしっかり分析して、『できることは何か?』を整理しています。高校野球での勝ち方を理解して、実行してくれました」

戦い方を学んだチームがある。2024年夏に全国制覇を果たした京都国際だ。小川監督は「低反発バットでの勝ち方を気づかせてもらった」と明かす。

「5〜6回は練習試合をさせてもらいました。投手が抑えて、守備でしっかりと守って、足を絡めて点を取る。京都国際さんから学ばせてもらいました」

投手陣を支えたのは、田上晴也(3年)、久保田渓五(2年)、高木大世(3年)の3投手。とくに田上は最速145キロを計測し、卒業後は強豪大学に進学予定の本格派右腕だ。現在は身長183センチ、体重80キロと立派な体躯を誇る田上だが、大津市立日吉中の軟式野球部に所属した中学時代は、身長が170センチにも満たなかった。それでも、小川監督は田上をスカウトしている。

「お兄ちゃん(航/青森大)も大きかったし、お父さんも大きいから、彼もきっと大きくなるだろうと予測しました。体重も高校で20キロ以上増えているんじゃないですか」

もうひとりの中心格である2年生左腕の久保田も、中学時代は彦根市立稲枝中の軟式野球部でプレーした。田上、久保田とも軟式出身の、まさにたたき上げの投手陣である。滋賀大会では、昨夏の代表校である綾羽を準々決勝で破って勢いに乗った。準決勝では滋賀短大付に3対2で競り勝ち、決勝は彦根総合を6対2で破った。

【八幡商が踏み出した新たな一歩】

15年ぶりの甲子園。8月7日の健大高崎(群馬)との試合前、小川監督はこんな思いを語っている。

「昨日も練習していて、町の方からたくさんの声をいただきました。子どもたちも応援されている雰囲気を感じていると思います。今日は地元からたくさんの応援が来ると思うので、力に換えてもらいたいですね」

試合は先発した久保田がチェンジアップを駆使して、4回1失点と好投。中盤まで接戦が続いたが、5回裏に落とし穴が待っていた。エースの田上がリリーフのマウンドに上がると、制球が定まらずに一挙6失点の乱調。田上は「立ち上がりの課題を改善できなかった」と肩を落とした。それでも、6回以降は「ストレートを張られていたので配球を変えた」と立ち直り、田上は無失点に封じる。8回二死からは3番手の高木がマウンドに上がり、甲子園出場の原動力になった3投手が揃い踏みを果たした。

試合は1対7で完敗。それでも、小川監督は「ここからですね」と前を向いた。主将の桑原太暉は、後輩たちに望みを託した。

「2年生はベンチ入りメンバーも多く、能力の高い選手も多いですから。また強い八幡商を取り戻してもらいたいです」

地域に応援される、守りの野球を掲げる商業高校。そう聞くと、まるで昭和にタイムスリップしたかのようだが、アップデートは確実に進んでいる。

「強い八幡商」が今後も定着すれば、滋賀の高校野球界はますます盛り上がるはずだ。

📝“県下で86連勝中”福島の絶対王者・聖光学院はなぜ敗れたのか…「許したヒットはわずか2本」伏兵チームの「背番号17」ナゾの右腕は何者だった?
https://news.yahoo.co.jp/articles/1e2344089b2a27ea217bc585308660e857f2b18a

いよいよ今年も夏の甲子園が開幕した。各地の地方大会では優勝候補が敗れる波乱が続出。福島でも5連覇を狙った強豪・聖光学院が準決勝で涙をのんだ。県下の絶対王者を封じ込めたのは、まさかの「背番号17」。伏兵が起用した“ナゾの剛腕”の正体は何者だったのか。

グラウンドに慟哭の海が広がっていた。選手たちは打ちひしがれ、誰かの手を借りなければ立ち上がることができない者もいた。

2026年。聖光学院は甲子園で戦うことなく夏を終えた。春は4年ぶりに東北大会を制した。仙台育英との決勝で見せた驚異的な粘り。その源たるチームの渇望は、本気で日本一を目指し、初の甲子園ベスト4となった22年の世代に近い生き様があった。監督の斎藤智也の愛情を思い出す。

「俺に愛着を抱かせるチームになったよね。野球の技術以上にチームとして成熟してきた。こいつらは負けさせたくないって思えるんだ」

「優勝候補の大本命」がなぜ…?
 
コロナ禍の間、“準公式”と位置付けられた支部予選も含め、夏の連覇が「13」で途絶えた21年の夏以降、福島県内では負け知らずの83連勝で夏を迎えた。優勝候補の大本命だったが、東日本国際大昌平との準決勝では「聖光学院らしさ」をなかなか発揮できずにいた。

相手のミスにつけ込み、4回までに2点を挙げたところまではよかった。不穏な空気が流れ始めたのが直後の5回だ。多彩な変化球と抜群の制球力を誇る先発の松本叶我に対し、相手ベンチの「低めを見逃して三振はいい。その代わり浮いた球を確実に仕留めよう」という作戦により4連打を浴び、1点差に詰め寄られた。

「あそこでちょっと力んでしまって……」。松本が悔やむように、その後、押し出しとワイルドピッチで逆転を許してしまったのである。

2対3。20回もの甲子園出場の歴史が物語るように、ビハインドを跳ね返した試合など夏は何度もあった。だからこそ斎藤はベンチで、泰然自若と「こういう試合を跳ね返せないと、お前たちが目指す日本一には到底、届かないよ」とはっぱをかけられたし、試合終盤に差し掛かっても選手たちには笑みがあるくらいの落ち着きがあった。しかし、スコアは動かず試合は終わった。選手たちのすすり泣く声、嗚咽が入り混じった空間で、監督の斎藤はいつもと同じように「負けたときこそしっかりと話す」と、毅然と取材に応じ、静かに口を開いた。

「なんとか生徒らの意地を引き出してあげたかったけど、できなかったね。これまでも夏はいろんなピッチャーを攻略してきたけど、今日は攻略できなかった。うちが気負っていたわけじゃなくて、あれだけ最後まで崩れず、思った通りにボールを操れたのは大したもんだ。それくらい素晴らしかった、照沼君は」

“絶対王者”を封じ込めた「背番号17」の正体は?
 
聖光学院の県内連勝記録を“86”で止め、引導を渡したのは――東日本国際大昌平の背番号「17」照沼佑崇だった。

               <次回へつづく>

⚾SHIONOMISAKIさんへ
今日は大方の予想を裏切り最初からワンサイドゲームが多発しまくって外野など日向で観戦されたファンはせっかく昨日10時からチケット争奪戦に勝利してスタンド入りできたのにガッカリされたと思われますが・・・・・。

TV観戦していても第2・第3試合は満員でしたが、第4試合は空席が目立っていたような・・・・・。
正直第4試合も、もっとワンサイドになりかねないと危惧しておりましたが、、、、、意外と斉藤投手が3回戦に続き孤軍奮闘しておりましたが、10回までが限界だったかな???
願わくば申告敬遠して満塁策して欲しかったですが。。。。。

幸か不幸か抽選で近畿の直接対決を避けられ5年前の智弁対決以来の和歌山VS奈良の決勝も可能性としてはありますが、、、、、天理が横浜に勝てるイメージは全くないですが、仙台育英を粉砕した和智弁打線がエース温存の横浜に序盤から圧倒して先行逃げ切りで勝てたら現実味を帯びるかも。逆に和智弁が負けたら関東対決の決勝戦となり10-0に近いようなスコアで横浜が昨春以来の全国制覇かなと思いますね!
2026/08/18(火) 22時28分22秒 No.2577 編集 削除
第四試合、9回からテレビ中継みました。
最後はビデオ判定で判定変わらずでしたね。
2026/08/18(火) 20時04分46秒 No.2576 編集 削除
⚾明日の熱闘甲子園組み合わせ(13日目 準々決勝)
☆☆☆ 08:00~  天 理 - 三 重
 ☆☆ 10:30~ 仙台 育英-智弁和歌山
  ☆ 13:00~ 花 巻 東- 横 浜
    15:30~  有 明 -健大 高崎

📝断トツの優勝候補・横浜に潜む落とし穴 夏の甲子園で起きた「ポカ負け」の歴史
https://news.yahoo.co.jp/articles/77723bf69cf03ee96a4b0f89ad86f66087b90a39?page=1

8月5日に開幕した夏の甲子園。大阪桐蔭をはじめ、多くの有力校が地方大会で姿を消す波乱の夏となった。その中で、世代ナンバーワン右腕・織田翔希を擁する横浜が、4季連続で甲子園にやって来た。

柔よく剛を制す結果
 
今大会でも断トツの優勝候補に挙げられている横浜だが、一つ歯車が狂えば、今春のセンバツで初戦敗退したように、実力を出し切れないまま敗れる可能性もある。しかも、初戦の相手は昨夏の覇者・沖縄尚学。いきなり“事実上の決勝戦”ともいえるカードが組まれ、予断を許さない。そこで今回は、過去の夏の甲子園で横浜が喫した「まさかの敗戦」を振り返ってみたい。

まずは1994年である。横浜は斉藤宜之(元巨人など)、紀田彰一(元横浜など)、多村仁志(元DeNAなど)の超高校級クリーンアップと、プロ注目の本格派右腕・矢野英司(元横浜)らタレントを揃え、仙台育英、樟南、宇和島東とともに四強に挙げられていた。ところが、初戦の那覇商戦で、高校通算41本塁打の4番・紀田が第1打席から3打席連続四球と勝負を避けられた。1点を追う8回2死二、三塁の第4打席も、当然のように敬遠。直後、2死満塁から多村が力んで遊ゴロに打ち取られた。

上手投げと横手投げでフォームに変化をつけながら、変化球を有効に使う左腕・伊佐真琴の前に、横浜打線は「打たなければ」と気負い、あと一打が出なかった。
一方、那覇商は2死から放った2本のタイムリーに加え、スクイズと犠飛で少ない好機を確実に得点へ結びつけ、4対2で逃げ切った。優勝候補から甲子園初勝利を挙げる大金星だった。

試合後、横浜の渡辺元智監督は「敬遠という作戦はあるけど、攻めてほしかった」と遺憾の意を表した。これに対し、那覇商の神山昂監督は「敬遠は最後だけ。伊佐のボールが荒れていただけで、最初から狙っていたわけじゃない」と自然体を強調。まさに柔よく剛を制す結果となった。

無駄な点をやっては勝てない
 
松坂世代以来の春夏連覇を狙いながら、まさかの初戦敗退を喫したのが2006年である。夏の甲子園3連覇を狙う駒大苫小牧とともに優勝候補に挙げられていた横浜は、1回戦で大阪桐蔭と対戦した。大阪桐蔭は前年夏の4強だったが、下馬評では総合力で勝る横浜が有利とみられていた。

序盤は横浜ペースだった。初回に高濱卓也(元阪神など)の二塁打で先制。逆転を許した直後の5回には、松本幸一郎のタイムリーで2対2の同点に追いついた。だが、なおも1死満塁のチャンスを併殺で潰し、6回の1死満塁でもスクイズが一塁への小フライとなり、併殺で無得点に終わった。2イニング続けて絶好機を逃したことが、試合の流れを大きく変えた。

7回にエース・川角謙がつかまり、この回5長短打で4失点。さらに8回、3番手・落司雄紀が謝敷正吾に3ラン、中田翔(元日本ハムなど)にバックスクリーン左へのソロ本塁打を浴び、試合が決した。
横浜は9回に越前一樹の2ランなどで3点を返し、最後の意地を見せたが、焼け石に水。6対11で試合終了となった。渡辺監督も「いくら点を取っても、無駄な点をやっては勝てない」と無念さをかみしめた。

もし、この試合に勝っていれば、2回戦の相手は“ハンカチ王子”斎藤佑樹(元日本ハム)を擁する早稲田実だった。たらればの話になるが、横浜が初戦敗退に泣いていなければ、早実・和泉実監督の優勝時の名セリフ「88回待って勝てました」が聞けたのか。そういう意味でも興味が尽きない。

計8失点
 
県大会でセンバツ優勝校のライバル・東海大相模を下し、同県勢による春夏連覇を狙った2011年も、柳裕也(現・中日)、近藤健介(現・ソフトバンク)ら好選手を揃えながら、ベスト8入りを前に敗退した。初戦となった2回戦の健大高崎戦は、4回までに5点をリードしながら、6回に一挙5失点であっという間に同点。延長10回、高橋亮謙のサヨナラ打で6対5と勝利し、苦しみながらも総力戦で初戦突破を果たした。

続く3回戦の智弁学園戦では、柳が8回まで3安打1失点と好投し、4対1とリード。このまま逃げ切るかに見えた。だが、最終回の継投が裏目に出る。柳が先頭打者に安打を許すと、渡辺監督は「今まで継投で勝ってきたし、代えずに負けると悔いが残る」と、思い切りよく相馬和磨をリリーフに送った。

相馬は次打者・青山大紀(元オリックス)に安打を許したものの、後続2人を打ち取り、勝利まであと1人となった。ところが、ここから死球を挟んで2安打を許し、4対4の同点。さらに3、4番手も炎上し、計8失点と一気にひっくり返された。その裏、2死一、二塁と最後の反撃に出たが、3番・近藤が三振に倒れ、4対9でゲームセットとなった。

大会ワーストタイとなる9回の8失点に加え、春夏を通じて神奈川県勢に11連敗していた奈良県勢に、初勝利を許す結果となった。渡辺監督も「監督の責任。選手に申し訳ない」と語り、継投の難しさを痛感させられていた。最初の関門をどう乗り切るのか
 
2017年、県大会で4試合連続本塁打を記録し、計5本を放った増田珠(現・ヤクルト)をはじめ、万波中正(現・日本ハム)、福永奨(現・オリックス)ら強打者を揃えたチームも、大会前は春夏連覇を狙う大阪桐蔭とともに五強に挙げられていた。だが、いきなり五強の一角でセンバツ準優勝の秀岳館と当たるめぐり合わせの不運もあり、4対6で初戦敗退。初回にわずか9球で3点を先行されるなど、「普段は考えられないミスが出た」(平田徹監督)と、下級生が多いチームの経験不足を露呈し、早々と姿を消した。

どれだけ前評判の高いチームでも、一本勝負のトーナメントでは何が起こるか分からない。横浜は過去にも、打線の力み、好機での拙攻、継投の失敗、試合序盤のミスなどから、思わぬ敗戦を喫してきた。全国屈指の戦力を誇る今大会も、初戦で待つのは昨夏の覇者・沖縄尚学である。少しの綻びが、そのまま敗戦につながりかねない相手だ。

松坂世代以来28年ぶりの夏制覇へ、まず越えなければならないのが沖縄尚学という大きな壁である。横浜がこの最初の関門をどう乗り切るのか。その戦いぶりが、今大会の行方を大きく左右しそうだ。

📝PL学園野球部「最後の主将」の告白】10年前もしも「謎の廃部」がなければ…大阪桐蔭や履正社に進んだ選手たちの入部で「KK超えの最強世代」が生まれていたかもしれない それでも「後悔はない」と述懐
https://news.yahoo.co.jp/articles/29b1899f484e33a052915d8ff65c8948872bdfb6?page=1

多くのプロ野球選手を輩出し、高校球界で絶大な人気を誇ったPL学園の硬式野球部が「謎の廃部」となって10年が過ぎた。数々の輝かしい成績を残してきたPL野球部にあって、公式戦で1勝もできないまま引退したのが、活動休止前の「最後の世代」だった。その世代のキャプテン、つまりPL野球部「最後の主将」は、10年を経て当時をどう振り返るのか。『永遠のPL学園』(小学館文庫)の著書があるノンフィクションライター・柳川悠二氏が聞いた。

1956年創部のPL学園硬式野球部は、2016年7月15日に夏の大阪大会初戦で東大阪大柏原に敗れ、活動を休止した。多くのファンが存続を熱望しながら、母体であるパーフェクトリバティー教団(PL教団)の一方的な決定によって、春夏通算7度の甲子園制覇を誇る野球部は事実上の廃部となった。

あの日からこの夏でちょうど10年になる。これほどの時間が経過しながら、歴戦の勇姿が色あせないのは、春夏の甲子園大会が始まれば聖地のオーロラビジョンに往年のユニフォームが映され、KKコンビ(桑田真澄、清原和博)の活躍などが白球の記憶としてNHKの中継に流れるからだろう。そして、同校が輩出した82人ものプロ野球選手たちが、YouTubeやテレビなどで特殊な学園(寮)生活の思い出を語るからだろう。

「PL学園に入学したことを後悔したことはありません。最後はたったの12人しか(部員が)いませんでしたし、公式戦で勝利することはできませんでしたが、甲子園を本気で目指していました」

そう話すのは、伝統の野球部62代目主将であり、最後の主将でもある梅田翔大だ。奈良県に生まれ、中学時代は硬式野球の大和ボーイズに所属した彼は、指導者の計らいでPL学園に入学する。しかし、当時のPL学園は度重なる不祥事によって力を失い、梅田らが入学した2014年は、監督を野球経験のない校長が兼任するという異様な状況だった。

「一度はPLへの進学が決まっていたのに、進路変更する選手がたくさんいたと聞いています」

特待生はひとりもいない
 
PLが野球部に力を入れなくなった――そんな噂が全国に広まり、入学辞退者が相次いだのだ。もともとPL学園は一学年20人という少数精鋭の軍団だったが、混乱のなか、62期生はわずか13人しか入部しなかった。それも授業料などが免除となる特待生がひとりもいない、誤解を恐れずにいえば、どこにでもいるふつうの球児ばかりだった。入学後、13人のうちふたりが退部。61期生の土井塁人が急性リンパ性白血病による闘病生活によって留年を経験し、梅田らと合流したことで最終的に62期生は12人になった。

「自分は今、チビが生まれたんですけど、もしうちのチビが高校生になり、僕らのような扱いを受けたら、親としてムッとするとは正直、思います。でも、あの頃の僕らには何もできなかった。ただ、現実を受け入れることしかできなかった」

62期生のなかには、「間もなく新監督が決定する」という言葉を信頼し、安心して入学した生徒もいた。だが、野球経験のある監督が就任することはなく、2014年秋には新入部員の募集停止も突然、通達された。"話が違う"という不信感が募って当然だろう。当時、毎週のように大阪に足を運んで同校を取材していた筆者は、転校する生徒も出てくるのではないかと案じていた。梅田は言う。

「僕自身が転校を考えたことはなかったですし、仲間のなかにもいまさら転校したいと言い出すヤツはいなかった。やっぱり、PLのユニフォームには憧れがありましたし、メンバー争いをしなくても、あのユニフォームを着られるのなら、このままPLで野球をやり続けたいと思っていました」

幻の「最強世代」
 
もし学園が新入部員の募集を停止しなければ――PLで前田健太とバッテリーを組んでいた安田亮太の弟である安田尚憲(履正社からドラフト1位で千葉ロッテ入団)や、大阪桐蔭で鉄壁の守備を見せた二塁手の坂之下晴人(関西大〜三菱重工West)ら、PLへの進学を予定していた有望選手が入学していただろう。さらに62期生の2学年下となる2000年生まれ世代となると、62期生である藤原海成の弟で、2018年に大阪桐蔭が春夏連覇を達成した時の外野手である恭大(千葉ロッテ)も兄に続いて進学していたはずだ。すると恭大と中学硬式野球のオール枚方ボーイズで1、2番コンビを組んだ小園海斗(報徳学園からドラフト1位で広島入団)もPLに進学したかもしれない。

「僕が試合に出場できたかはわかりませんが(笑)、(他の強豪と)勝負できたと思います」(梅田)

桑田・清原のKKコンビが3年生となった1985年夏のPLと、立浪和義らが春夏連覇を達成した1987年のPL――屈指の人気を誇ったPL学園の最強世代論争は今も昔も高校野球ファンにとって話のタネだ。もし安田や藤原恭大らが入部していたら、その2世代に勝るとも劣らないPLが誕生したかもしれない。

PLの経験があるから、社会の理不尽も受け止められる
 
しかし、彼らは学園の母体であるPL教団の一方的な決定によって、進路変更を余儀なくされた。そして62期生は、公式戦未勝利のまま夏を迎え、東大阪大柏原に6対7で敗れ、60年以上におよぶ歴史に終止符を打った。

「PL学園に対して、恨みのような感情はありません。今、会社員となり、部下もできた。会社と部下の板挟みに遭うこともあるし、社会には理不尽なことはたくさんある。正直、PLでの経験があるから、理不尽なことも受け止められる。昔のPLとは違ったとは思いますが、それでもそれなりに"規律"はありましたから」

梅田は23歳の時に結婚し、今では二児のパパだ。PLの誇りを胸の奥にしまいながらも、子どもたちが「野球をやりたい」と言い出す日を密かに待っている。

⚾SHIONOMISAKIさんへ
お久しぶりです。今月も福岡や近江八幡など真夏の遠征を楽しまれたようでなによりです。幸い7月に比べたら熱さもいくぶん落ち着き体力的には楽な移動だったかもしれないですね。

こちらは予定通り(昨日の前説でも書きましたが)4日間甲子園に通い予定より1試合多い13試合を現地観戦できました!
悲しいかな近畿勢を1つも見ることなく終わってしまい11日を取りたかったが、争奪戦に負けて9日に妥協と。7日の方が良いかも?と最後まで悩みましたが、大会3日目は試合終了21時30分と最遅終了ながら立正大淞南がナイターで1-15で惨敗したので。。。。。

最後は運に見捨てられ15日だったら延長あり雨天中断もありで20時05分まで粘れましたが、昨日は関東対決が2つありなんと17時05分に終わってしまい呆然自失でしたね・・・・・↓↓
ただ、昼から曇天で15時14分に内野点灯し7回表から6基の照明に灯が入り、感覚的には19時頃まで甲子園にいた錯覚を起こしてましたが・・・・・。昨日は4時30分起床だったし。

大会序盤は陽射しがきつく6日の外野観戦は日没まで過酷でしたが、風がきつかったので凌げたと。13日の10時30分から4試合がいちばん熱く感じましたね!日陰にいたけど風がないし、湿度がかなり高かったので。

TVでは画面でしか観れないので細かいことは分かりませんが、現地だとイロイロなものが見えてきますね。監督がホーム寄り部長が外野寄りの両端に陣取り守備時は部長が細かく位置を変えまくる指示を1球ごとに出したり、攻守交代のたびにがなりたてる審判がいたりその他モロモロ・・・・・。

クーリングタイム8分間あるので、まずトイレに並んで用を足し余った時間でスタンド散歩しておりましたが、ABCテレビでは初戦は手紙を読むだけでしたが、2戦目以降はアルプスレポーターを配置しており、それを3塁アルプス寄りの最前列から双眼鏡で眺めておりました。

昨日の3塁側は 第1試合で群馬のご当地アイドル?!    https://x.com/berurun2015/status/2088975641287029023/photo/4
第2試合はフラガールがスポットライトを浴びてましたね!! https://x.com/berurun2015/status/2088976073417740474/photo/3
第1試合の開始前は報道プラカードを首からかけた年配のおじさんがご当地アイドル捕まえてずいぶん話し込んでおりましたが・・・・・。

メーテレの伊藤数馬アナですか。ずいぶんイケメンな若手がキャプテン&サブリーダーと思われる2人を前列に引っ張り残りのメンバーは後方待機でなにごとか一発芸をかまして自軍にエールを送っていたようですが・・・・・。ほどなく取材が終わりTVだとここで切り替わりますが、僕はしばらく様子を見ていたら・・・・・。

取材対象者に軽くお礼をするのは通例でしょうが、その後になんと・・・・・伊藤数馬アナ即席の握手会をしてましたね!!自分から手を差し伸べて右側の女の子と右手で握手しただけでは飽きたらず?すかさず左手も添えて両手でガッチリと!!
その後すぐに左の女の子にも同じように両手でガッチリ握りしめて即席握手会は終了と。

メーテレは圏外なんでまず見ることもないでしょうが、伊藤数馬アナはイケメンなんで学生時代ずいぶんもてたんだろうから何も緊張することなく仕事を済ませてさりげなく『即席握手会』かまして、ニコニコしながら通路に消えて行き若い女性ファンの新規開拓に成功したんだろうなあと・・・・・。

賛否両論ありますが、、、某サイトのコメント欄を読んでいたら・・・

「どうも本来の高校野球の応援とは異質な感じがする。
これを歓迎する人もいるだろうが、個人的には違和感しかない。
応援というより、目立つことに軸足が移ったとしか思えない。」

とあったので、お説もっとも!と。僕なんて初見の折には本気でキレてましたから・・・・・。

ただ、直接話してみたら『関東人特有の素直でイイ人たちだった』というのが正直なところで。。。関西人だったら調子乗って悪ノリするでしょうが(笑)

2回戦では9人。3回戦で13~14人程度いたと目視しましたが、応援部の部員は26人まで膨れ上がっているらしいです、、、
https://news.yahoo.co.jp/articles/f544cdec5c72fc6888d9f833408adcfc747d4899

昨年まで部長を務め、メディア対応を含めて応援部のアピールを続けた浅野羽奏さんからは「自分たちらしく頑張ってほしい」とアドバイスをもらったという。
「先輩の背中を追ってきたので。憧れでもある先輩みたいに、応援を引っ張っていけたらという気持ちはいつも持っています」

と上の記事にありますね。しかし、キャプテンわかな嬢があんなにベッピンさんとは思わずに突撃取材させてもらいましたが、知っていたらよお話しかけられへんかったやろうなあボクは。恥ずかしいから。
https://pbs.twimg.com/media/GnI7UXhbgAM5ahZ?format=jpg&name=large

アンチ関東派の僕としては天理-智弁の決勝を熱望したいところですが、今大会に限ってはいかに横浜を避けて決勝進出するか?が最大の焦点なんで・・・・・。
もう準決勝で近畿直接対決して、審判団と相手アルプス以外の観衆を味方につけた有明高校が関東2校を撃破し、決勝進出で燃え尽きて漁夫の利を得て春夏連続近畿勢優勝するしか希望はなさそうですね・・・・・。

昨春よりも横浜はかなり強いし、近畿勢が明日全滅したらその時点で「もう横浜でエエわ」と気持ちが切れそうな気がしております。
2026/08/17(月) 22時28分03秒 No.2575 編集 削除
当日はテレビ観られないけど途中経過ネットで
確認します。
2026/08/17(月) 21時40分40秒 No.2574 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
⚾今日の熱闘甲子園試合結果(3回戦)
12日目第1試合 佐野日大(栃木)-高崎健康福祉大高崎(群馬) 8:02~10:02
          一二三四五六七八九十計HE
      佐野日大010000000 140
      健大高崎03000100X 4100

12日目第2試合 有明(熊本)-東日本国際大昌平(福島) 10:23~12:12
          一二三四五六七八九十計HE
      有  明000000040 470
      昌  平10000000X 151

12日目第3試合 英明(香川)-花巻東(岩手) 12:45~14:37
          一二三四五六七八九十計HE
      英  明000000000 061
      花 巻 東01100101X 470

12日目第4試合 霞ヶ浦(茨城)-横浜(神奈川) 15:16~17:05 16:39点灯 7回表から
          一二三四五六七八九十計HE
      横  浜000014000 5130
      霞 ヶ 浦000110000 270

⚾今日の和歌山大会新人戦試合結果(2日目 2回戦)
紀三井寺球場・・・・日  高10-3新  宮(8回)・星  林3-2向  陽・橋  本5-3和歌山北
上富田球場・・・・・神  島6-4初芝橋本(10回タイブレーク)・紀 北 工4-3田 辺 工・和歌山工6-2紀 央 館
マツゲン有田球場・・粉  河3-0那  賀・桐  蔭11-10和歌山商

📝京滋大学野球令和8年度秋季リーグ戦 日程表
https://x.com/kbl_1part/status/2088551004887499246/photo/1
https://x.com/kbl_1part/status/2088551004887499246/photo/2

📝前 説・・・『チーム宏鈴』結成22年10か月
7月の1ヶ月間・・・のべ1160人の方々から閲覧履歴があり1918アクセスしていただき感謝申し上げます。

いつの間にかteacup.掲示板閉鎖によりwox掲示板に移行して4年が経過。。。
2003年『チーム宏鈴』開設当初は24時間で680人ほど閲覧者がいましたが、中には心無い書き込みをする輩もいて、teacup掲示板では荒らし対策として『管理人確認モード』で即時掲載を見合わせ続けましたが、今はずいぶん閲覧者も減ってきましたが、即時掲載モードに切り替えても大勢に影響はなくうまく移行できたかなと。

管理方針について再度述べておきますが、基本的には『高校野球の記事を半分以下ならよもやま話もOK』とします。ずっとこのまま平和な掲示板であり続けたいですが、過去の教訓を踏まえて荒らし対策は入念に考えております。
今後万が一、wox掲示板も閉鎖されたらアメブロのみでなにかしら発信できたらと思います。

さて、コロナ騒動で2年連続甲子園に足を運ぶ機会を失った夏の悲劇もありましたが、声出し応援解禁となったので・・・今大会は4日間甲子園通いました。

6日は当日券購入して16時から2試合をレフトスタンドで観戦。
9日は二部制午後の部3塁内野席で観戦。
13日は10時30分から4試合1塁内野席で観戦。
16日は8時から4試合ぶっ通しで3塁側内野席で観戦。

さて今後の観戦記ですが、以下の順番で公開します。

・R7年度春季近畿地区高校野球大会兵庫予選観戦記(残3話)

・【り ん🌟】美し国 清楚な女(ひと)春季東海大会in津【かれん👧】

・【り ん🌟】美し国 清楚な女(ひと)春季東海大会in伊勢【かれん👧】(2話)

・春季中国大会🔥岡山県勢VS中国4県王者🔥in倉敷(4話)

・わかさスタジアム京都に響く 💢林守の怒号💢 107回選手権京都大会 京都文教観戦記

・心をひとつに夢の先まで! 107回選手権大阪大会 大商学園観戦記(2話)

・真夏の敦賀~福井弾丸ツアー 心をひとつに夢の先まで! 107回選手権福井大会観戦記(4話)

・僕だけの聖地 心をひとつに夢の先まで! 107回選手権和歌山大会観戦記(4話)

・心をひとつに夢の先まで! 107回選手権岡山大会観戦記(2話)

・心をひとつに夢の先まで! 107回選手権大会観戦記(7話)


コロナ騒動のおかげで???1度はたまりまくっていた観戦記もだいぶん片付き周回遅れの難は逃れましたが、油断しているとすぐにたまっていくので、、、、、

みんなで飲もう! おいしい水。

wox掲示板でも 💙しつこく💚しぶとく💜泥臭く💛 「誰からも愛される」というよりも「誰かに慕われる」掲示板目指してアットホームな雰囲気でやっていきたいのでお願いします!!

📝10日間で熱中症疑いは昨年より10件減少 暑熱対策の2部制について大会本部が会見「チームの意識も高かった」 台風の影響で涼しい日も
https://news.yahoo.co.jp/articles/51e7c3997e61102a69bcb78dcb8ce0cb7b180b12

大会本部は今大会の2部制についての会見を行った。ここまで10日間の計33試合で選手の熱中症疑いは計9件。前年の第107回大会の第10日終了時では計19件あり、10件の減少だったとした。試合数は昨年は32(不戦勝を除く)だった。

大会関係者は「今年は台風の影響もあり涼しい日もあったので2部制の効果だけとはいえないかもしれない」としながら、一定の収穫を説明。選手の熱中症疑いの数が減少したことについて「チームの意識も高かった。クーリングタイムでアイススラリー(冷凍の飲み物)を飲むことが通常化していること、着替えをきちんとすることなども。選手も、足がつりそうなときは早めに理学療法士に伝えていた」と話した。

今大会は暑熱対策で2部制の時間帯での開催を10日間に拡大し、4試合を行う日は「朝の部」1試合、「午後の部」3試合とした。過去3大会で熱中症疑いの発生が最も多かった午前10時半~午後1時ごろの時間帯の試合を初戦で避けるためで、第1、2日は午後の部のみとし、第1日は午後4時から開会式を行い、同5時半から1試合のみ行った。第2日は、前日に開会式に参加した選手の疲労を考慮して午後4時から2試合を行った。

第3~8日は午前8時から1試合、午後1時半から3試合を、第9、10日は午後1時半からの3試合のみを行った(実際は雨天の影響で第8日第4試合を第9日の午前10時半からに変更)。

課題点について雨天中止時の日程調整の難しさを挙げたが、一方で、朝の第1試合と午後の第2試合の開始時間が定まっている点は、選手の体調管理や観客の待ち時間の減少にもつながったと評価した。

💢今大会初 高川学園のビデオ検証受け入れられず 審判副委員長「速やかではなかった」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e43f0b5a78b043755863997be70c63006984675f

<全国高校野球選手権:天理6-3高川学園>◇15日◇3回戦◇甲子園

3季連続出場の高川学園(山口)は6回に4失点して一気の逆転を許し、天理に競り負け、初の8強を逃した。

6回裏の高川学園攻撃時の判定をめぐり、ビデオ検証要求が今大会初めて受け入れられなかった。ルールではプレー後に「速やかに球審に対してビデオ検証を求めることができる」とあるが、尾崎泰輔審判副委員長は、今回は「速やかではなかった」と説明。ただ、時間の基準はなく、審判団の判断による部分も大きいという。今回は天理の選手はすでにベンチ近くまで下がり、高川学園バッテリーも投球練習を始めようとしていた。「もうビデオ検証を受けられませんということで高川学園の監督さんにも納得していただいて、検証しなかったという背景です」とした。

👣佐野日大・中村盛汰主将「祖父なしではここまで…」6度全国優勝の名将・順司氏に感謝
https://news.yahoo.co.jp/articles/46d727b3404ccd7b7a3a0700b9395c91eb726735

<全国高校野球選手権:健大高崎4-1佐野日大>◇16日◇3回戦◇甲子園

因縁の相手の壁は越えられず、佐野日大・中村盛汰主将(3年)にとって、最後の夏が終わった。「9番一塁」でスタメン出場も2打席凡退に倒れ、4回の守備から交代後も最後までベンチで声を絶やさなかった。

監督としてPL学園を春夏6度の全国優勝に導いた名将・中村順司氏(80)を祖父にもち、父、兄も球児の野球一家で育った。自立を志し進学した同校で、主将として63人の部員を束ねた。「苦しいことの方が多かった」。それでも「お前がキャプテンじゃなきゃここまで来られなかった」。仲間にもらった言葉を胸に刻んだ。

今春センバツに出場するも完封負けで初戦敗退。その時、祖父と約束した「校歌を歌う」という約束をこの夏かなえた。「野球ができたのは家族の支えがあったから。本当に祖父なしではここまで来られなかったので、感謝しかない」。順司氏も「よく頑張ったと思います。2回も校歌を聞かせてくれました」と愛孫をねぎらった。

大学では野球を続けながら教員免許の取得を目指し、母校に指導者として帰る青写真も描く。「おじいさんにも喜んでもらえるように。麦倉監督のような、選手ひとりひとりに向き合える指導者になりたい」。未来を切り開いていく。

☟<2026年夏の甲子園3回戦・有明4―1東日本国際大昌平>有明の工、左手を骨折 試合前に負傷
https://news.yahoo.co.jp/articles/e560870c042a1be2515d2ad0c686887f7c1deb9a

16日行われた第108回全国高校野球選手権3回戦で、有明の工修哉が試合前の練習で左手を負傷したため、既に発表されていた「5番・投手兼指名打者」から先発を回避した。素振りをしていた選手のバットが左手に当たったという。

工の左手甲は腫れ「指先が動かしづらい」と自己申告し、特別規則に基づきメンバー変更となった。大会本部は、大阪府内の病院で「左手甲の骨折(加療1~2カ月)」と診断されたと発表した。準々決勝はベンチ入りする予定。

工は試合後の取材に「斉藤も『任せて』と言ってくれた。チームも勝ってうれしい」と話していた。

💢【PL学園野球部「休部から10年」】外部からの受験者は「たった2人」に激減、学校存続の危機 母体教団も窮地で線香花火のように儚く消える運命なのか
https://news.yahoo.co.jp/articles/bb56de38ae808485a3a6f54cdab5c03fcd49e2c5?page=1

夏の甲子園で連日、熱闘が続いているが、そこから姿を消した名門校もある。春夏合わせて7度の全国制覇を誇った大阪のPL学園の硬式野球部が活動を休止してから、ちょうど10年が過ぎた。復活を願う高校野球ファンの声はあれど、その道は遥か遠いようだ。『永遠のPL学園』(小学館文庫)の著書があるノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする。

大阪府富田林市の夜空に、今年も花火は打ち上がらなかった。毎年、パーフェクトリバティー教団(以下、PL教団)の2代教祖・御木徳近の生誕日にあたる8月1日に実施されてきたPL花火大会(正式名称は教祖祭PL花火芸術)は、2019年を最後に開催されていない。
最盛期には12万発とも、20万発ともいわれる花火を打ち上げ、全国から数百台の大型バスが教団の聖地に乗り入れていた。大阪阿部野橋駅から聖地へ向かう近鉄電車も臨時列車を走らせ、日本一と誉れ高かったのがPL花火大会である。

大阪の真夏の風物詩はなぜ実施されなくなったのか。表向きの理由はコロナ禍だったが、信者数の激減によって教団の運営が危機的状況を迎えていて、財政的に花火大会を開催することが困難というのが実状だろう。存続を切望されながら、活動を休止する――その構図は、2016年に活動を休止したPL学園高校の硬式野球部と同じだ。

3学年合わせて生徒39人
 
ちょうど10年前の7月15日。同校の硬式野球部は大阪大会の初戦・東大阪大柏原戦に敗れ、60年以上の歴史に終止符を打った。当時、高校には国公立コースと理文選修コースにおよそ60人の生徒がいた。しかし、PL中学からの内部進学者を除いた外部受験者の数が年々、減っていき、今年の受験者は最終的に国公立コースこそ併願で受けた生徒が2人いたものの、理文選修コースにいたってはゼロだった。

基本的に現在のPL学園は熱心な信者の子息に入学者を限定していて、硬式野球部があった時代のように「入信さえすれば入学を認める」というようなスタンスではない。PLに入学する強い意思のある中学生ならば、基本的に専願で受験するはずであり、国公立コースを受験した2人は滑り止めで受験した可能性が高いだろう。つまり、外部進学者は皆無の可能性があるのだ。

今年1月にあったPL学園OB会の懇親会で、OB会長の桑田真澄氏(オイシックス新潟CBO)は2025年度の生徒数について、高校が3学年あわせて39人、中学も3学年で35人と明かした。近年の中学の生徒数から推察するに、今年度(2026年度)の内部進学者が劇的に増えるとは考えにくい。現状は硬式野球部よりも昔からの信徒が入部していた軟式野球部を存続するだけでもやっとで、硬式野球部を復活することなど考えられない状況である。

打ち上げ花火ではなく線香花火
 
近鉄喜志駅を最寄り駅とするPL学園および富田林駅を最寄りとする教団本庁は、かつて教団の繁栄と共に人であふれ、硬式野球部が全国制覇を果たせばパレードが実施されたほどだ。しかし今は人の出入りがまるでなく、敷地内は廃墟と化した建物であふれている。敷地内はまるでバブルの時代から時間が止まったかのよう。

PL学園では昨年11月に、創立70周年を記念した式典が開催され、西田真二と木戸克彦という夏の甲子園で初優勝した時のバッテリーによるトークショーなどが開催された。出席者は会の最後に花火が用意されていると説明を受けており、往年の花火大会のフィナーレのような花火を期待し心を躍らせたという。ところが――参加者には手持ち花火が渡されて、式典はしめやかに終了したという。

1970年代後半から80年代にかけて、全国から集いしPL学園の球児たちは甲子園球場に特大の花火を打ち上げた。総勢82人のプロ野球選手を輩出してきた野球部だったが、2016年に活動を休止してちょうど10年が過ぎ、野球部の復活は絶望的な状況が続く。

考えてもみればPL学園とは1980年代に強烈な光を放ちながら、長い高校野球の歴史においては儚く消えた線香花火のような野球部だったのかもしれない。

📝甲子園「名将だと思う監督」3位はPL学園・中村順司 1位は「高校野球を変えた」攻めダルマ…勝ち方は三者三様【高校野球アンケート】
https://news.yahoo.co.jp/articles/3c13eaf83c2c33168661b909e1da111012a0b57c?page=1

現在、熱戦が繰り広げられている「第108回全国高校野球選手権大会」。甲子園2026をもっと楽しむために、AERA編集部では開幕直前、高校野球にまつわるアンケートを実施した。この記事では、「名将だと思う監督は?」への回答を紹介する。

■高校野球を動かした三人

「あなたが名将だと思う監督は?」と聞かれたら、最初に誰を思い浮かべるだろうか。上位には、常勝軍団を築いた中村順司、公立校を春夏連覇へ導いた尾藤公、力で打ち勝つ野球を広めた蔦文也が並んだ。

■第3位 中村順司 PL学園(大阪)

PL学園を春夏6度の甲子園優勝に導いた中村順司さんが第3位に入った。中村さんは80年に母校・PL学園の監督に就任し、98年春のセンバツを最後に勇退。春10回、夏6回の計16回、甲子園に出場し、春夏各3回の計6回優勝、2回準優勝という成績を残した。甲子園通算58勝10敗、勝率8割5分3厘は歴代最高だ。

「PLが一番強かった時代の監督だから」(50代男性)
「名門PLをまとめ、常勝軍団にした監督」(50代男性)

PL学園が輩出したプロ野球選手には、清原和博、桑田真澄のKKコンビをはじめ、立浪和義、松井稼頭央、サブロー(大村三郎)、福留孝介らがいる。いずれも中村さんの教え子だ。

「桑田を育てたから」(50代女性)

今大会には、中村さんの孫で佐野日大(栃木)の主将を務める中村盛汰内野手(3年)が出場した。中村さんが見守った聖隷クリストファー(静岡)との初戦を、佐野日大は1―0で制した。かつて甲子園を席巻した名将が、今度はスタンドから孫の勝利を見届けた。

■第2位 尾藤公 箕島(和歌山)

第2位は、箕島の尾藤公さん(享年68)。公立校として唯一、春夏連覇を達成した箕島を率いた名将だ。尾藤さんは66年に母校・箕島の監督に就任。72年にいったん退任し、74年に復帰した後、95年まで指揮を執った。監督在任は通算27年間で、春8回、夏6回の計14回、甲子園に出場。70年春、77年春、79年春・夏の計4回、全国制覇を成し遂げた。

79年には史上3校目となる春夏連覇を達成。公立校による春夏連覇は、現在も箕島だけだ。今夏の大会に出場した公立校は9校で、初戦の成績は2勝7敗だった。公立校が全国の頂点に立つだけでなく、春夏を連覇する。その記録の重みは、時代を経るほど増している。連覇のかかった79年夏、3回戦の星稜(石川)戦で演じた延長18回の死闘は、「高校野球史上最高の試合」とも称される。

「星稜との延長18回の死闘を制したから」(60代男性)
「中継で見た限り、まさに高校野球そのものだった」(50代男性)
「尾藤采配が面白かった」(70代~男性)
「攻撃が多彩だった」(60代男性)

箕島は延長12回と16回に勝ち越されながら、そのたびに追い付いた。最後は延長18回、4―3でサヨナラ勝ち。追い詰められても、ベンチの尾藤さんは笑顔を絶やさなかった。

「ベンチでいつもニコニコしていたのを覚えている」(70代~男性)
「いつもニコニコ笑顔でしたね!!」(60代男性)
「尾藤スマイルは永遠」(50代男性)

息詰まる死闘と、監督の笑顔。その鮮やかな対比も、尾藤さんを忘れ難い名将にした。

■第1位 蔦文也 池田(徳島)

第1位は、「攻めダルマ」の異名で知られた池田の蔦文也さん(享年77)だ。蔦さんが率いた池田は、豪快な打撃から「やまびこ打線」と呼ばれた。金属バットの特性を生かした打撃重視の指導は、高校野球の戦い方に大きな影響を与えた。

「今の高校野球を変えた」(70代~男性)
「細かい野球からパワー野球へ、高校野球を変革した監督だと思う」(60代男性)

蔦さんは、芯を多少外しても筋力があれば打球を遠くへ飛ばせるという金属バットの特性に着目し、80年ごろから筋力トレーニングを積極的に導入。それまでの小技中心の野球とは異なる、力で相手を圧倒する打線を築いた。

「池田は公立校で、蔦さんは金属バットを生かした打撃のチームをつくり上げたから」(60代女性)
「“打て、打て、打て”という指導力、育成力、豪快さ」(70代~男性)

強打だけのチームではなかったという指摘もある。

「打線のイメージが強いが、投手も良かった。田舎の高校をあそこまで有名にしたのはすごい」(60代女性)

山あいの小さな町にある池田の名を全国へ広めたのは、勝利だけではない。蔦さん自身の豪快なキャラクターも、池田を誰もが知る存在にした。

「田舎の高校を有名にした」(70代~男性)
「あのころは、池田の蔦監督を皆が知っていた」(70代~男性)

蔦さんは監督として春夏通算14回、甲子園に出場。37勝を挙げ、優勝3回、準優勝2回という成績を残した。

4位には同票で、渡辺元智(横浜)、西谷浩一(大阪桐蔭)、須江航(仙台育英)の3人が並んだ。今大会で初戦、花咲徳栄(埼玉)を1―0で破った仙台育英の須江監督には、次のような声が寄せられた。

「人柄が素晴らしい」(30代男性)
「アンケートの選択肢にあった監督は、すべて名将です。そのなかでも、須江監督の優勝インタビューが素晴らしく、印象に残っています」(60代男性)
「どんな選手でも勝ちに導く采配は、シンプルだが的確」(30代男性)

中村さんは常勝軍団を築き、尾藤さんは笑顔で死闘を制し、蔦さんは打撃で高校野球を変えた。勝利への道筋は三者三様だった。異なる哲学を結果へ結び付けたからこそ、3人は名将として長く記憶されている。
2026/08/16(日) 22時35分29秒 No.2573 編集 削除
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お知らせ

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⚾今日の熱闘甲子園試合結果(3回戦)
11日目第1試合 天理(奈良)-高川学園(山口) 8:02~10:26
          一二三四五六七八九十計HE
      天  理000004020 6113
      高川学園100110000 352

11日目第2試合 智弁和歌山(和歌山)-敦賀気比(福井) 11:07~13:45
          一二三四五六七八九十11121314151617181920計HE
      和 智 弁00000002005             790
      敦賀気比00002000001             372

11日目第3試合 三重(三重)-履正社(大阪) 14:17~16:12
          一二三四五六七八九十計HE
      履 正 社000000200 290
      三  重32000000X 5110

11日目第4試合 仙台育英(宮城)-拓大紅陵(千葉) 16:48~20:05 17:45点灯 4回表から 中断37分 
          一二三四五六七八九十計HE
      仙台育英310010100 6131
      拓大紅陵010002000 3101

⚾今日の和歌山大会新人戦試合結果(初日 1・2回戦)
紀三井寺球場・・・和歌山東5-3日高中津・田  辺4x-3和 高 専・海  南18-1箕  島(5回)
上富田球場・・・・高 野 山7x-0有笠貴志(7回)・近大新宮10-1南  陵(7回)・耐  久11-1南部龍神(5回)
 
⚾明日の熱闘甲子園組み合わせ(12日目 3回戦)
    08:00~ 佐野 日大-健大 高崎
    10:30~  有 明 -東日大昌平
    13:00~  英 明 -花 巻 東
    15:30~ 霞 ヶ 浦- 横 浜

⚾明日の和歌山大会新人戦組み合わせ(2日目 2回戦)
紀三井寺球場
    09:00~  日 高 - 新 宮
  ☆ 11:30~  星 林 - 向 陽
    14:00~ 和歌 山北- 橋 本

上富田球場
    09:00~  神 島 -初芝 橋本
    11:30~ 紀 北 工-田 辺 工
  ☆ 14:00~ 紀 央 館-和歌 山工

マツゲン有田球場
    10:00~  那 賀 - 粉 河
    12:30~  桐 蔭 -和歌 山商

📝逆転呼んだ智弁和歌山・川原の積極性 終盤に好機あり 高嶋仁の目
https://news.yahoo.co.jp/articles/9dbb167b10e0c8cf2bed353d046060d9552fd530

(15日、第108回全国高校野球選手権大会3回戦 智弁和歌山7―3敦賀気比)

監督をしていたころ、「うちは七回から点を取るぞ」と選手によく言っていました。終盤にも必ずチャンスはあります。3イニングあれば5点差まではかえせるとも思ってやっていましたよ。

敦賀気比(福井)との3回戦は、序盤から智弁和歌山らしくない攻撃でした。引っ張りにかかってミートできない。追い込まれては凡打を打たされていました。
結果は逆転勝ちでした。7番打者の川原一将選手(3年)につきます。八回2死二、三塁で中堅方向に打ち返す意識から左中間に同点の2点二塁打。延長十一回タイブレークでも勝ち越し打を放ちました。

逆転するには何が必要か――。それは積極性しかないと思います。川原選手は八回に初球を、十一回は1ボール1ストライクからの3球目を打ちました。長打力のある選手には「引っ張るんだったらスタンドに放り込んでこい! そのために練習してきたんだろ」と励ましたものです。

この試合は和歌山大会でも登板がなかった左腕の米原佑真投手(2年)が先発しました。五回途中まで投げて2失点でしたが、制球よく投げました。
理想は、実際とは逆に2―0でリードして、支えてあげたかった。そのために打線は早くから、狙い球を絞って全員で相手投手に向かっていくような工夫が必要です。

☝智弁和歌山 タイブレークにバントシフト成功で勝利に 延長戦の歴代最多勝利更新
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd5f1cfc42066ea796ccab37c93f1b97c1f92c43

智弁和歌山は10回裏の守備が効いた。タイブレークの無死一、二塁、久葉が初球を投げ込む直前に一塁手と三塁手がチャージした。「ブルドック」とも呼ばれるバントシフト。狙い通りバントさせると、三塁手黒川が捕球し、ベースカバーの遊撃手に送球。二塁走者を三塁でアウトにした。このプレーが功を奏し、後続も抑え無失点。11回の5得点につながった。

今回はヒッティングの構えからバントへの切り替えだったが、そのまま打たれると、一、二塁間と三遊間が広く空いている状態。二塁走者を刺せても一塁走者が三塁まで進む可能性もあり、リスクも背負う賭けだった。黒川は「もしバスターやバットを引いてきたらその場で止まって、あとはもう対応っていう感じ。勝負かけてるのでしゃあないなって」。2年前の夏、霞ケ浦(茨城)に延長タイブレークの末敗退してから、勝ち切るために選手の側から練習に組み込むことを提案して実戦を積んできた。初戦の前日練習でも確認しており、大一番で生きた。

◆智弁和歌山が延長戦13勝目 智弁和歌山の甲子園タイブレークは19年夏1-4星稜(延長14回)、24年夏4-5霞ケ浦(延長11回)と連敗していたが、3度目で勝利。延長戦は春夏通算13勝4敗とし、歴代最多勝利を更新した(2位は中京大中京の11勝)。

✌阪神園芸登場に拍手と歓声「神業が見れる」「もはや芸術的」ネットも沸騰…仙台育英3点リードの4回に雨天中断
https://news.yahoo.co.jp/articles/5932e36138a57b3b1d5ebb8868c9ea32b8579856

3年ぶりの8強入りを目指す仙台育英(宮城)が初回に3点を奪い、序盤からリードする展開となった。4回表2死一塁、4-1でリードする仙台育英の攻撃中、雨が強まり試合が一時中断。そこで登場した阪神園芸の統率の取れたシート敷きにスタンドからは大きな拍手が沸き起こった。

SNSでは「中断になると大丈夫かなって思うのと同時に阪神園芸さんの神業が見れるたのしみもある」「阪神園芸さん手際良すぎて気持ちいい」「もはや芸術的」などの絶賛の声が続出。試合が中断するなり、阪神園芸のタオルを掲げる観客も多く、Xでもトレンド4位に入るなど盛り上がりを見せた。

阪神園芸に拓大紅陵ナインが会釈をする様子に感動する声も上がり、雨が小康状態となってスムーズなシートの巻き取りが始まると、再び大きな拍手に包まれた。

📝2026年夏の甲子園 監督突撃インタビュー
霞ケ浦“春高バレー指揮官”高橋監督「今から他競技でも県ベスト8は狙えます。部活動の指導は組織づくり」

高橋祐二(霞ケ浦/茨城/67歳)

 きょう14日の2回戦で鳴門渦潮(徳島)と対戦する霞ケ浦。9日の初戦では中京(岐阜)を6-3で破り、2024年夏の智弁和歌山戦に続く甲子園2勝目を挙げた。高橋監督は霞ケ浦で4番・投手を務め、日体大では外野手としてプレー。1982年に保健体育教諭として母校へ戻ったが、最初に任されたのは男子バレーボール部。競技経験がない中で19年間指導し、01年に春高バレーへ導いた直後、野球部の立て直しを命じられた。それから25年。夏の甲子園出場は4度を数え、教え子からは9人のプロ野球選手が誕生した。現在は代表業務執行理事を務める異色の指揮官に、投手育成と組織づくり、部活動によって変貌した学校の歩みを聞いた。

──霞ケ浦には毎年のように好投手がいます。スカウティングに力を入れているのですか。

「いや、むしろ他の私立高校に比べても弱いと思います。スタッフが私を含めて4人しかおらず、AチームとBチームに2人ずつ分かれているため、土日は自分たちの大会や練習試合で手いっぱい。中学生を見に行く機会は、なかなかありません。もちろん、コーチが『この子はいい』と見つけて声をかけることはありますが、集めているというより、向こうから来てくれるという感覚です。綾部翔(元DeNA)、根本薫(元オリックス)、遠藤淳志(広島)とプロ入りする投手が続き、インターネットやSNSで『霞ケ浦は投手が育つ』と広まった。有名校から誘われていても、『霞ケ浦で投手をやりたい』と言って、ウチを選んでくれる選手もいるんです」

──入学後はどのように投手を伸ばしているのですか。

「中心となるのは、30メートルの立ち投げです。通常の投球と同じフォームで、低い軌道を保ちながら長い距離を投げる。体重移動や下半身、股関節をうまく使えなければ、途中で球が垂れてしまうので、自然と体全体の使い方が身につきます。そうすると球筋やスピンが良くなり、初速と終速の差も小さくなる。30メートルでしっかり投げられるようになれば、マウンドからの18.44メートルが楽になり、制球力も上がります」

──実際、どのくらい伸びるのですか。

「球速で言うと、卒業までに15~20キロは上がります。もっとも、最初から130キロの選手だと上がり幅は少なくなりますが、目立たなかった投手もある程度のレベルまで成長できるのが、ウチの強みだと思っています」

──もともと野球部の指導を希望していたのに、なぜ男子バレーを19年間も続けたのですか。

「母校に戻った時は野球部の指導者が埋まっていたため、バレー部へ回りました。1年目はコーチで、練習試合中に眠ってしまうこともあった(笑)。ただ、2年目になる時に、『本気でやってくれ』と言われ、どうせなら中途半端ではいけないと、覚悟を決めて監督を引き受けました。30歳になる頃には野球部へ移る話もありましたが、全国を狙えるチームになっていたので、今バレーをやめるわけにはいかないと断った。そうして念願の春高バレーにも出場できました」

──未経験のバレーで全国大会、野球でも甲子園。競技が違っても、強いチームをつくれる理由は。

「学校へ行くのが嫌で嫌で仕方がなかった(笑)」

「部活動の指導は組織づくりです。個人スポーツではありませんから。一番肝心なのは、組織として人間づくりをしていくこと。人間教育をしながら組織をつくり、練習をきちんとやれば、今から他の部活を任されても、県ベスト8くらいまでならチームをつくれると思っています。技術指導については、私はバレーができなかったので、勉強しましたし、いろいろな先生に教えていただきました。言ってしまえば“模倣のバレー”です。でも、野球だって“模倣の野球”ですよ。優れた指導者から学び、自分のチームに取り入れられるものは取り入れ、『これは違うな』と思えば入れない。それを繰り返してきました」

──「人間づくり」は、学校そのものも変えた?

「そうですね。僕が生徒だった頃とはまったく違います。当時の生徒は、ヤンチャどころじゃなかった。私は高校受験に失敗し、2次試験で入学したのですが、学校へ行くのが嫌で嫌で仕方がなかった(笑)。その後、いろいろな先生が各部活動を頑張り、周囲からの評価を少しずつ高めてきました。霞ケ浦の学校教育は、部活動を抜きにしては考えられません。さらに共学化し、勉強と部活動の両方を伸ばして、昔とはまったく別の学校になりました」

──-現在は代表業務執行理事。甲子園出場で、ご自身の待遇も変わりましたか。

「人との縁で引き上げていただいただけです。甲子園に出ても私個人に特別なボーナスはありません。その代わり、室内練習場を整えてもらうなど、バックアップを強めていただきました。第2寮を造ってもらったことで、野球部が第2寮へ移り、空いた寮にサッカー部が入るなど、他の部活の発展にもつながっています。高校生だった自分に今の霞ケ浦を見せたらビックリするはずです(笑)」

☟《アルプススタンドの生徒に「炎天下で2時間」を強制》高校野球応援を「原則参加」とする学校行事の危うさ「制度設計に危険が伴う」
https://news.yahoo.co.jp/articles/cb95d6be3003ecebf7294d080624bf54e5fc8dd8?page=1

夏の風物詩として親しまれる高校野球。生徒が学校行事として応援に参加するケースもある一方、そのあり方を疑問視する声も上がっている。2022年には、香川県の高校生の相談をきっかけに、「高校野球の強制応援撤廃」を求める署名活動も行われた。

署名活動はオンライン署名サイト「change.org」を中心に行われたが、そこには16歳高校生の声として、こう綴られている。そこには、16歳の高校生の声としてこう綴られている。

〈香川県立〇〇高校では高校1年は野球応援が強制。それもお金は各自の自腹。証拠のURL(年間行事予定表)の7月には野球応援練習(1年)とある。なぜ強制かつお金は自腹なのか? 私は野球に興味関心はない〉

果たして高校野球応援は学校行事として、どこまで"強制"されているのか。その実態とは──。【前後編の前編】

参加して当たり前、いわば「原則参加」
 
2024年、香川県は市民から寄せられた「高校野球の応援の強制について」という意見に回答している。

「熱中症警戒アラートが続く中でも応援を強制している」との指摘に対し、県教委は、当該校が野球応援を「遠足などと同様、学年全体で参加することを原則とする学校行事」と位置づけていると説明。編集部が問い合わせたところ、2026年7月現在も、その原則に変更はないと回答した。

香川県以外でも、高校によっては、野球応援を「学校行事」として位置づけるケースもある。その場合、生徒は参加しなければならないのだろうか。学校問題に詳しく『学校ハラスメント』(朝日新聞出版)等の著書を持つ名古屋大学教授の内田良氏は、学校行事の位置づけについてこう説明する。

「学校行事は、国語や数学などの"教科"と同じで、『参加する』という点では位置づけは同じです。参加して当たり前で、いわば『原則参加』です。自由参加ではありません。自分の気持ち次第で行かないという事態は想定されておらず、『好き嫌いにかかわらず、来てください』というものです。ただし、数学の授業を欠席するのと同じように、健康上の理由などで休むことはできます」

この「学校行事」が夏休み期間中か学期中かで見方は変わるという。「学習指導要領上の位置づけとして」と前置きして、内田氏は続ける。

「通常、夏休みに"教科"が設定されることはありません。どうしても国語をやりたい場合には、"補習"という形で行います。ただし、"補習"は正規の活動ではないので、原理的には参加は自由です。

『学校行事』を夏休み中に設定する例はあまりないものの、学校として本気でそれに取り組むのであれば、学校行事として設定することは可能です。その場合は基本的に生徒は参加する前提になります」これらは私立、公立問わず同じであるという。なお、7月の夏休み前に学校行事として「野球応援」を設けるケースもあるが、「その場合も、学校行事として実施されれば、基本は参加してくださいという前提です」。

「炎天下に2時間いろ」と強制する学校行事
 
一方で内田氏は、「そもそも炎天下での応援に参加させること自体」が問われるべきだと指摘する。

「最近でこそ甲子園大会で選手の熱中症対策は進んでいますが、アルプススタンドの観客は自分でなんとかするしかありません。地方大会になると選手も応援団も、さらに過酷な状況に置かれていることでしょう。学校行事に設定するということは、生徒に対して、『炎天下に2時間いろ』と強制することになります。これは、どんな教育的意義があるとしても危うい。せめて自主的な参加にするというのが、この炎天下ではもっとも適当ではないかと思います。参加が前提の学校行事としてしまうことは、制度設計に危険が伴います」

2026年、年々夏の厳しさが増す現状を受けて、気象庁が予報用語として新たに「酷暑日」を追加した。炎天下での応援の過酷さは想像するにあまりある。しかしそれも昔は違ったはずだ。行事としての高校野球応援は一体いつからはじまり、なぜ現代まで続いてきたのだろうか。

               (後編につづく)

☟《なぜ高校野球だけが「特別」なのか》応援制度を支えるのは学校現場が実感する“教育的効果”と“最近の変化”「応援のお返しに野球部が吹奏楽部定期演奏会へ」
https://www.news-postseven.com/archives/20260814_2125219.html?DETAIL&utm_source=news.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&utm_campaign=related_link

連続で点を取ると本当につらい。席を走り回って踊る
 
2026年7月、学校行事として行われた野球応援に参加した、ある私立高校の生徒がこう話す。同校では、学校公式サイトの年間行事に「野球応援」が記載されている。

「午前10時に現地集合と連絡がありましたが、解散時間は知らされませんでした。友人と『3時間くらいかな』と話して、持ち物にお弁当の記載もなかったので持って行かなかった。結局、午後2時ごろまで何も食べられず、すごくおなかが空きました。でも、暑いのが一番しんどい。点が入るとメガホンを持って席を走り回る踊りがあるので、連続で点を取ると本当につらい。楽しいとかないです。試合もあまりわからないので、みんなが立ち上がったら立ってました」

生徒への連絡は、学習支援サービス「Classi(クラッシー)」を通じて行われ、応援Tシャツや帽子が配布された。当日は学校行事として実施され、教科と同様に出欠がとられた。

「全校応援のほかに希望者だけの自主応援もありますが、参加人数は全体の10分の1くらい。参加して成績が上がるわけじゃないし、メリットないです」

なぜ高校野球は「特別な存在」になったのか
 
数ある部活動の中で、なぜ野球部だけが学校を上げて応援される存在になったのか。『文化系のための野球入門』(光文社新書)の著者・中野慧氏は、「メディアの影響が大きい」と話す。

「1915年、朝日新聞が現在の『全国高校野球選手権大会』の前身となる全国大会を創設すると、新聞報道を通じて全国へ広まり、1927年からはラジオ中継も始まりました。以降100年も中高生の部活をコンテンツ化し続けているのは、ほかに例がありません。

対象が高校生になったのは単純で、全国大会を開催できるほど競技人口があった学生スポーツは当時、中等学校野球だけだったからです。中等学校とは、戦前の学校制度の呼び名で、現在の中学生、高校生にあたる年代を対象にした教育機関です。高校野球の応援を学校全体で行い始めた時期は明確にはわかりませんが、大学野球では1890年代から行われていたという記録があります」

「教育効果」が応援制度を支えてきた
 
野球応援を学校行事として位置付けるには、「教育の目的を設定し、その目的に沿った活動として位置付ける必要がある」と、名古屋大学大学院教授で『ブラック部活動』(東洋館出版社)等の著作を持つ内田良氏は話す。

「例えば、生徒同士の協働や一体感、主体性などを育むことが教育目標として設定されます」

実際、中野氏は、その教育効果を現場で実感してきた学校現場が、応援制度を支えてきたと分析する。

「先生方は、学校生活に前向きになれない生徒のことを気にかけています。全校応援はその点で非常に“効果”が高いとされています。あいさつをするようになった、教科に意欲的に取り組むようになった、という実感を現場は持っている。また保護者も、同じように感じているといいます。そういった教育的効果を、『愛校心が高まった』といいます」

一方で、野球部だけが応援の対象となる制度に不満を持つ生徒もいる。SNSでは、かつて応援に参加した生徒たちが、当時の本音を語る投稿も目立つ。

「批判的にとらえ、声を上げることは重要です。そうした声を受けて、現場レベルで変わっている部分もある。たとえば、『吹奏楽部は野球部の応援で重要な役割を担っているのに、野球部は吹奏楽部の応援になかなか来ない』ということが、2000年代後半からSNSで指摘されるようになりました。現在は、野球部が吹奏楽部の定期演奏会へ行くケースもあるといいます。批判の声が可視化されたからこそ、学校側や生徒の間での意識もアップデートされています」

転換点にある高校野球応援
 
高校野球をめぐる応援制度は、今後どうなっていくのか。

「転換点に来ていますが、今後も続いていくでしょう。マスコミ側は、『チアリーダーもがんばってる』『吹奏楽部もがんばってる』『応援席の子たちもがんばってる』といわんばかりにフォーカスを当てていますが、根本となる価値観自体があまり問われていない。ただ、地域ぐるみで高校野球を支える文化が根付いている地域もあります。鹿児島県・奄美大島にある大島高校野球部は、島をあげて応援されています。応援が島のアイデンティティーとなり、地域の活力にもなっている。そういった価値も認めつつ、この応援文化について、野球部以外の生徒や市民が気軽に意見できることが大切なんです。それが、高野連やマスコミ、学校や指導者の意識を変えるきっかけになります」

価値観や気候の変化により、行事としての高校野球応援には弊害も生まれている。一方で、昔から変わらぬ“良い側面”があることも確かなようだ。
2026/08/15(土) 22時17分53秒 No.2572 編集 削除
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⚾今日の熱闘甲子園試合結果(3回戦)
10日目第1試合 岡山学芸館(岡山)-花巻東(岩手) 13:32~16:05
          一二三四五六七八九十計HE
      花 巻 東200001100 4140
      学 芸 館000000010 180

10日目第2試合 鳴門渦潮(徳島)-霞ヶ浦(茨城) 16:36~18:06 17:33点灯 6回表から
          一二三四五六七八九十計HE
      鳴門渦潮000100000 170
      霞 ヶ 浦01400000X 582

10日目第3試合 日南学園(宮崎)-横浜(神奈川) 18:36~20:41
          一二三四五六七八九十計HE
      横  浜001004005 10100
      日南学園000100000 163

⚾明日の熱闘甲子園組み合わせ(11日目 3回戦)
  ☆ 08:00~ 高川 学園- 天 理
☆☆☆ 10:30~ 敦賀 気比-智弁和歌山
    13:00~ 履 正 社- 三 重
    15:30~ 拓大 紅陵-仙台 育英

⚾明日の和歌山大会新人戦組み合わせ(初日 1・2回戦)
紀三井寺球場
 ☆☆ 09:00~ 和歌 山東-日高 中津
    11:30~  田 辺 -和歌山高専
  ☆ 14:00~  海 南 - 箕 島
 
上富田球場
    09:00~ 高 野 山-有笠貴志連
☆☆☆ 11:30~ 近大 新宮-和歌山南陵
  ☆ 14:00~ 南部 龍神- 耐 久 

📝あのPL学園“伝説の名将”の孫が甲子園に!?「福留孝介の付き人」“PLの子”だった父が語った「最強軍団の裏側」と「親子3代で目指す甲子園」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e06aa46c8bf1356e9c98931511a21b4212affd54

今年も夏の甲子園が開幕した。春夏連続出場を果たした佐野日大(栃木)は、実は“あの”PL学園の名将の孫がキャプテンを務める。そんなサラブレッドの父が語った「親子3代で目指す甲子園」のウラ話とは? 

鮮やかな放物線が目の前を通過する。一塁側スタンドで劇的すぎる勝利を見届けた中村猛安は「いやぁ、こういうことってあるんですねぇ」と、野球が織りなすシナリオの重厚さにつくづく嘆息を漏らすのである。国学院栃木との甲子園を懸けた栃木大会決勝。佐野日大は1点を追う延長10回タイブレークで、2アウト三塁から小島颯人がライトスタンドへ逆転サヨナラ2ランを放ち、春のセンバツに続いて甲子園を決めた。

殊勲者をホームベースで待ち構え、もみくちゃにしているチームメートのなかには中村盛汰もいる。16年ぶりに甲子園出場を果たした佐野日大をまとめ上げたキャプテンは、このときこそ興奮した様子だったが、試合後に家族と喜びを分かち合うころには冷静さを取り戻していたという。

あの“伝説の名将”の孫が甲子園に
 
夏こそ、センバツで叶えられなかった校歌を歌う。そして、今回も甲子園の舞台に立てば、このように注目されるに違いない――。

中村順司の孫。PL学園の監督としてチームを春夏計6度の日本一へと導き、甲子園通算58勝を記録する名将。桑田真澄、清原和博をはじめ数多くの名選手を育て上げた名伯楽である。
盛汰は取材などでそのことを聞かれるたびに「いろんなアドバイスをいただけるので、すごくありがたい」と殊勝なコメントを残すが、心の深層を猛安はこのように探る。

「やはり、麦倉(洋一)監督をはじめとした指導者の方たちから指導を受けて自分がいる、ということを本人もわかっているでしょうから、そこは気を遣っているとは思いますね。僕もオヤジには『監督やコーチがいるんだから』という話はするんですけど、やっぱり気になって仕方ないんでしょうね。おじいちゃんなんで孫はかわいいですから」

偉大なる父を持つ猛安だからこそわかるのだ。自分たちが中村順司の血を継ぐ以上、その宿命を受け止めるべきなのだ、と。猛安は自分を「PLの子」と言う。
1979年にPL病院で生まれた翌年に父がコーチから監督に昇格した。幼稚園、小学校、中学校が系列と、生粋の経歴をたどる。

全国の精鋭が特待生として集まるPL学園において、誰もが中学からエスカレーター式で野球部に入れるわけではない。そんななか、猛安は実力で狭き門を突破し、父とともに高校野球の道を歩むこととなった。

「監督の息子」でも…“天下のPL”に特別扱いはナシ
 
ほかの親子鷹と同じように、高校進学後の猛安と父は「選手と監督」以上の関りはなくなった。今では世間に広まっているPL学園の厳しい上下関係においても、「監督の息子」だからと特別扱いされなかった。

1年生が3年生部員の身の回りの世話をする伝統の“付き人制度”で、猛安は小林亮寛(元ロッテ)とともに福留孝介に付くこととなった。当時「高校ナンバーワン野手」と呼ばれた先輩は、人前で努力を見せなかったという。「だから、ユニフォームの洗濯とか楽でしたよね。泥をしっかり落とすのが靴下くらいだったんで」と、猛安は笑う。

自身がコントロールに優れた内野手だったこともあり、自主練習ではバッティングピッチャーを頼まれることもあった。そんなときは必ずアドバイスをしてくれたのだと懐かしむ。グラウンドや寮生活において、猛安は他の選手と同じように過酷な日々を過ごした。

               <次回へつづく>

📝祖父はあのPL学園“伝説の名将”、父も東北の強豪監督経験者でも…「なぜ他校へ?」佐野日大主将が選んだ“脱・サラブレッドの道”と「家族LINE」秘話
https://news.yahoo.co.jp/articles/24d51a89c2a34ce78e5d2ec5834bd6371bfba941?page=1

「1年生のときは『生きるか死ぬか』みたいな生活でしたけど、僕は『平等でありたい』と思っていましたのでよかったです。先輩方は『監督の息子』として見ていたのかもしれませんけど、『お前はいいよ』みたいに雑用とかを免除されることはなかったですからね」

そう高校時代を振り返るのは、PL学園の伝説の名将・中村順司監督の息子である猛安だ。本人も最強・PL学園の野球部で汗を流し、愛息である盛汰は今夏の甲子園に佐野日大(栃木)のキャプテンとして出場する。

「PL学園監督の息子」を意識した瞬間
 
猛安が「PL学園監督の息子」を意識したのは、むしろグラウンド外が多かったという。教室での休み時間などにチームメートが監督への愚痴で盛り上がる。たまにはその場で調子を合わせることもあったが、本意ではなかった。ほとんどが机で寝ているふりをしながらやり過ごしていた。

「高校生ですから、いつの時代も指導者への不満みたいなものは出るじゃないですか。そういう話を聞いて、内心で『俺のオヤジなんだぞ』と思っていても言えず。そういう苦労はありましたかね」

2年秋の新チームになると、猛安は背番号を与えられた。平石洋介(元楽天)や上重聡ら下級生が多くメンバーに入っていたことからも、実力で勝ち取ったベンチ入りだったのは明白である。しかし、本人は「みんなはそう言ってくれますけど、僕はバントと守備くらいしかできませんでしたから」と謙遜する。

結局、猛安は甲子園に出場できず高校野球を終えた。「オヤジは自分にいろいろ苦労をかけたと思っているのかもしれないですね」と慮るが、その後の道を開いてくれたのも、父の存在があったからだった。

2010年からは「東北の名門校」の監督に
 
日大に進学できたのは、野球部の監督である鈴木博識が高校時代に父の妻――つまり猛安の母と同級生だったことがきっかけである。大学卒業後に日大東北で働けるようになったのも、鈴木の恩師である小林直喜が野球部で部長を務めていたことで声がかかった。2002年にコーチとして指導者人生をスタートさせた猛安は、10年に監督となった。

選手の個性を最大限に引き出す指導は、相手チームにとって厄介だった。福島の絶対王者と呼ばれた聖光学院が意識するライバルだったのが猛安率いる日大東北で、13年秋に県内公式戦連勝記録を「95」まで伸ばしていたチームを撃破。翌年の夏の決勝でも9回までリードし「あと一歩」まで追い詰めた。監督として甲子園の土は踏めていないが、聖光学院の監督・斎藤智也の言葉がすべてだ。

「選手たちが荒々しくプレーしていたし、監督も何をしてくるかわからない怖さがあった。あのころの日大東北は、特に脅威だったよね」

18年の夏が終わり監督を退いた猛安は、指導者として変わらずチームを支える。しかし、息子たちには自分とは違う道を歩ませた。盛汰が佐野日大に進む大きなきっかけとなったのは、兄・貫汰の影響があった。中学までは怠惰な一面があった兄が、富山の新川での寮生活を通じて変わった。朝からランニングをするなど自主練習に励む姿に触れた弟は「寮生活がしたい」と、実家を離れることを望むようになったと、父は言う。

「父親である僕が日大東北にいるのに『なんで他の高校に行くんだ』みたいに思われるかもしれないですけど、そこは息子たちの意志を尊重したというか。勉強も頑張ってもらいたかったですし、寮生活を通じて人としても成長できると思っていました」

佐野日大とPL学園の“共通点”
 
監督の麦倉洋一をはじめとした指導者のスタンスや野球をする環境が「合っている」と、佐野日大への進学を決めたことは正解だった。
同校のBチームは1年生にリーダーを任せ2年生が支える、独自の習慣がある。そこで下級生ながら大役を務めたのが盛汰で、キャプテンとなった今も、チームの調和や規律といった細かいところまで目が行き届くようになったのだと、猛安は感心している。

佐野日大での生活を通じ、PL学園の精神が息づいていると感じる瞬間があるのだという。盛汰が「好きな言葉」に挙げる「求道即人道」。これこそが、祖父の順司が掲げ、父も胸に刻んでいる「血」でもあるのだ。

「日大東北の野球を見たり、僕やオヤジたち家族の話を聞いて影響を受けたと思うんですけど、高校でも実践してくれていますよね。徳を積むことの大切さ。目の前のごみを拾う、道具をしっかり並べるとか、当たり前のことを浸透させていっているのかな、と。先輩がそういうことを率先してやる姿を後輩たちが学んで、佐野日大のいい伝統にしていってくれたらうれしいですよね」

サラブレッドが挑む「最後の夏」
 
PL学園の遺伝子を受け継ぎし佐野日大のキャプテンが甲子園に臨む。組み合わせ抽選会で引き当てた相手は聖隷クリストファー(静岡)。「大会屈指の左腕」の呼び声高い高部陸がいる難敵だ。家族のグループLINEがざわつく。盛汰から言及はなく「やっちまった」を表すスタンプだけが送られてきた。

「貫汰なんかは『選手宣誓を引け! 』みたいなメッセージをずっと送っていたり、家族間では結構、盛り上がっていたんですけどね。まあ、盛汰も覚悟を決めたんでしょう」

試合は大会2日目の第2試合。18時30分開始予定のため、ナイターとなる。カクテル光線を浴びながらのプレー経験が少ない盛汰が、父に助言を求める。

「150キロのボール、ちゃんと見えるかな」

声色に不安は感じられない。猛安は快活に、あえて荒々しく振る舞って盛汰を送り出した。

「お前なら、目をつぶってバットを振っても当たるわ!」

📝投手分業、DH制が当たり前の時代に「打って、投げて、走る」 鳴門渦潮・西村大輝という"絶滅危惧種"
https://news.yahoo.co.jp/articles/9a74b01fdeaea29f164e511296c74728d1038729

投手の分業制が進む高校野球において、鳴門渦潮(徳島)のエースで3番を打つ西村大輝は、"絶滅危惧種"とも言える存在だ。
徳島大会では全5試合に先発し、マウンドを譲ったのは、わずか1イニングだけ。それも、投球制限を意識した末の苦肉の策だった。

【延長10回、128球を投げ抜き勝利】

徳島大会決勝の阿南光戦で、その1イニングを任された2年生右腕・有馬凜人はこう語る。

「まだ投球数的には余裕があったんですけど、万が一のことがあったらいけないので、7回、8回を投げる予定でした。でも、2点取られたのですぐに交代しました。甲子園のブルペンでも投げたかったんですけど、投球練習すること自体が西村さんに失礼な気がして......。今日はブルペンには行きませんでした」

西村は、徳島大会5試合で計44イニングを投げている。これは49代表校の投手のなかで最多だ。つまり、この大会で最もタフな投手と言ってもいいだろう。ちなみに、甲子園出場49代表校のうち地方大会でDH(指名打者)制を使わなかったのは、鳴門渦潮だけである。
驚くべきは、西村がマウンドだけでなく、3番打者としてもチームを牽引していることだ。徳島大会では打率.368という好成績を残した。

西東京大会を制し、甲子園初出場を決めた八王子実践との1回戦。西村は140キロを超すストレートとキレのいいスライダーを武器に、淡々とアウトを重ねていった。8回までに許したヒットはわずか3本。100球未満で完封する"マダックス"も視野に入る快投だった。8回裏の攻撃では、西村はフォアボールで出塁すると、次打者もフォアボールを選び、二塁へ進んだ。つづく5番打者がライトフライに倒れてチェンジとなったが、西村は三塁を回ってからベンチに戻っていった。

9回表のマウンドに上がるまで、ひと息入れてもおかしくない。猛暑の甲子園では、汗を拭いたり、水分を補給したりすることが推奨されている。ところが、西村はベンチに戻ってから30秒ほどで再びグラウンドへ。すぐさまマウンドに上がり、投球練習を始めた。ほかの野手がまだ守備位置についていないにもかかわらず、である。

西村は試合後、その場面についてこう振り返った。

「(全力疾走したので)息は上がっていたんですけど、慣れているので大丈夫でした」

9回表、西村は八王子実践の2番・桜泰成にライト前ヒットを許し、そこからピンチを招いて同点に追いつかれた。それでも、延長タイブレークに突入した10回表は無失点で切り抜け、その裏のサヨナラ勝ちを呼び込んだ。西村は10回を投げ抜き、投球数は128球。5安打1失点に抑え、5三振を奪う見事なピッチングだった。さらに驚かされたのは、終盤になっても140キロを超すストレートを投げ込むなど、最後まで抜群のタフさを見せつけたことだ。

【打って、投げて、走るのが野球】

179センチ、76キロの西村は、もともと上手投げだった。

「中学時代も時々(横から)投げていたんですけど、この春が終わったくらいから本格的に横から投げるようになりました。今はそれが一番ハマっていると思います。軽く投げても140キロくらい出ますし、スライダーもよく曲がるようになりました」

投球フォームを変えたことで、思わぬ効果も生まれた。

「体全体を使って投げるようになって、逆に体力の消耗が減りました」

この春から導入されたDH制を試し、西村も投手に専念したことがあったという。

「DHを使って、ピッチングだけしたこともあるんですけど、今の形が一番いいですね。投げるだけなら体力的には楽ですけど、僕は打つことも好きなので、両方やらせてもらっています。やっぱり、打って、投げて、走るのが野球だと思います」

バッテリーを組む捕手の西岡大誠は、西村について次のように語る。

「下級生の頃は精神的にまだまだというか、ピンチになると焦って、フォアボールということもありました。それに以前なら、走者として塁に残ったままチェンジになると、ベンチ近くまでゆっくり歩いて戻って、それからヘルメットを脱ぐという感じでした。でも、エースになってから変わりましたね。精神的にも強くなりました。今日もピンチの場面はありましたが、いつもどおり投げていました」

チームにとって、西村は絶対的な存在だ。

「自分たちにとってはエースですし、本当に信頼できるバッターでもあります。西村の力がなければ、甲子園まで来ることはできませんでした。投げて、打って、本当に頼りになる存在です」

【エース級の投手をふたりつくるのは困難】

鳴門渦潮を率いる森恭仁監督は、チーム事情についてこう明かす。

「『ピッチャーはひとりしかいない』と言われるかもしれませんが、なかなかエース級の投手をふたりつくることができないんですよ。ひとり育てるので精一杯で」

鳴門渦潮にはスポーツ科学科があるとはいえ、県立校だけに、選手集めでは強豪私立のようにはいかない。

「2年生の有馬もいますけど、甲子園で投げさせるにはまだまだです。今日のような場面では、なかなか任せることができません。今日は西村が本当によく投げてくれました。いろいろな経験を積んで、タフになりましたね。本当に楽しそうに野球をやっていますよ。『自分で投げたい、打ちたい』という選手ですから。彼は本当に"野球小僧"ですよね」(森監督)

投手の分業制が進み、DH制も導入された高校野球。その流れとは逆行するように、西村は投げて、打って、走る。誰よりも野球を楽しみ、誰よりもグラウンドに立ち続ける。そんな"絶滅危惧種"の野球小僧が、鳴門渦潮をどこまで勝ち上がらせるのか。次戦でも、西村はマウンドにも打席にも立つ。

📝2026年夏の甲子園 監督突撃インタビュー
長崎日大・平山監督「ハハハ。私はデカい選手が好きなんです」 私学を率いる重圧、選手集めまで語る
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/391563

平山清一郎(長崎日大/長崎/47歳)

7日の初戦で立正大淞南(島根)を15-1で圧倒した長崎日大。あす13日の2回戦は有明(熊本)と対戦する。16年ぶり10回目の夏を率いるのは、母校で25年にわたって教壇に立つ平山監督。地歴公民科の教諭でありながら、強豪私学の看板を背負う重圧や選手集めの苦労を聞いた。

──初戦は立正大淞南を下し、夏の甲子園では16年ぶりの勝利でした。

「私は監督8年目で、コロナで夏の大会がなかった年を除けば7回目の挑戦でした。センバツには3回出ましたが、夏は県大会の決勝に残ることすらできなかった。準決勝や準々決勝で負けて、かなりもがき苦しみました。今回、改めて『高校野球は夏なんだ、甲子園なんだ』と思いました」

──かつては沖縄尚学から全国制覇した金城孝夫氏を招聘するなど、学校は野球に力を入れている印象です。結果を求められる重圧もあったのでは。

「学校から何かプレッシャーをかけられることはありません。しかし、私は私学の野球部監督です。結果が出なければ、いつか降ろされる。その覚悟はしています。肝心の夏に苦戦していたので、『いつまで猶予があるのか』という思いは、もちろんありました。監督を外れ、『部長として支えてくれ』と言われれば当然支えますし、『野球部から外れろ』と言われれば、それも受け入れる。ここは私の母校ですから、立場が変わっても任された役割をやるだけです」

──いっそのこと野球に専念する「職業監督」になりたいと思うことは。

「職業監督になれば、野球で結果が出なければ本当にクビですよね。それはすごい(シビアな)ことだと思います。ただ、私が野球の指導をしたくて教員を目指していた時、恩師から『うちの学校は、ちゃんと授業ができるようにならないと正規採用されないからな』と言われていました。日大を卒業してすぐ拾ってもらい、今年で25年目。授業をして野球を指導するところまでが一つの仕事です。忙しいですが、苦ではありません。野球も授業もどちらもアップデートしながらやっています」

──野球部には授業時間などで優遇は。

「まったくありません。選手たちの一日の流れを聞いたら、びっくりすると思います。スポーツクラスがないので、7時限目までしっかり勉強して、他の生徒と同じテストを受けています。ホームルームが終わるのは午後4時10分で、練習は4時半から7時まで。基本は2時間半です」

──ひょっとしたら、創成館や海星、公立の波佐見など県内ライバル校より不利な条件かもしれない。

「他校をうらやましく思うことはありませんが、もう少し練習したいと思うことはあります。ですが、この環境の中でどうやるかを選手にも求めていますから、私が文句を言うわけにはいかない。我々は、我々のルールの中で精いっぱいやるだけです」

──選手集めは。

「ウチの売りなのか、試練なのか…」

「大変ですよ(笑)。長崎はまだ公立志向も強いですからね。うちの売りですか? 売りなのか試練なのか分かりませんが、『野球だけでなく勉強もやらなければならないこと』です。日大への進学が約束されているわけではなく、2年時に1度、3年時に2度、計3度の試験がある。継続して勉強しなければいけません。試験前には野球部だけで勉強会も開きます。野球で飯を食えるのは一握り。勉強と両立しながら大学進学を目指せることはアピールしています」

──集まった選手たちは体が大きい印象。

「ハハハ。私はデカい選手が好きなんです。魅力、ロマンがあるじゃないですか。勧誘の際に同じタイプの選手で迷ったら、体格で決めることも結構あります」

──デカい選手たちと過ごす、この夏の目標は。

「学校の夏の最高成績は、第89回大会のベスト4です。ハードルは高いですが、まずはそこに肩を並べたい。私の下では今回が4度目の甲子園ですが、まだ上位へ進めていません。恩師や前任の金城先生を追い抜くことは、後を継がせていただいた私にとって一つの目標です」
2026/08/14(金) 23時07分46秒 No.2571 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
⚾今日の熱闘甲子園試合結果(2回戦)
9日目第1試合 東海大甲府(山梨)-高崎健康福祉大高崎(群馬) 10:31~12:20
          一二三四五六七八九十計HE
      東海甲府000000000 070
      健大高崎00001000X 180

9日目第2試合 長崎日大(長崎)-有明(熊本) 12:50~14:36
          一二三四五六七八九十計HE
      長崎日大010000001 2100
      有  明02100000X 343

9日目第3試合 青森山田(青森)-東日本国際大昌平(福島) 15:15~17:06
          一二三四五六七八九十計HE
      青森山田000011000 272
      昌  平00015000X 681

9日目第4試合 英明(香川)-大分商(大分) 17:46~19:43 試合開始前点灯
          一二三四五六七八九十計HE
      英  明001001004 671
      大 分 商000000001 163

⚾明日の熱闘甲子園組み合わせ(10日目 3回戦)
 ☆☆ 13:30~ 花 巻 東-岡山学芸館
    16:00~ 鳴門 渦潮-霞 ヶ 浦
  ☆ 18:30~ 日南 学園- 横 浜

 今日は・・・・・うん。7月25日倉敷マスカット帰りの深夜に自宅近所のセブンイレブンで8/13(1塁内野席)8/16(3塁内野席)のチケットを購入していたのでこの夏3度目の甲子園へ行ってきました。

せやけど、、、13時30分から3試合という触れ込みゆえにお気に入りの3塁側でなく12時30分開門時から日陰になっているであろう1塁内野席を取ったのですが。。。。。
昨日の台風接近による日程変更でまさかまさかの4試合日に!!僕はてっきり8時から4試合を覚悟していたのですが・・・・・。

定刻通りならば大会5日目午後の部よろしく10時45分出発で12時30分開門に合わせられますが、16日は4時30分起床5時30分出発で7時開門に合わせるイメージでおりましたが、明日は久しぶりにゆっくり眠れると期待していたが・・・・・。

昨日の第3試合終了後にまさかの10時30分から4試合というアナウンスを聞き、ホッと一息。正直なところ7時45分出発9時30分開門15分ほど前にはコロワ甲子園で弁当買い出しも済ませられたので、来年以降ずっと10時30分から4試合を定着させてほしいと!!
朝はゆっくりできるし、いつもなら到底来店できない8時開店のコロワ地下食料品売り場で安い弁当&惣菜買えるし!オマケに確実にナイター観戦できるので!

ただ、唯一の難点は夜ご飯がいつになるか分からない。。。。。今日なんて17時30分には2食目食べてましたから!!

あと厄介だったのは・・・観たくもない?!健康福祉大の試合がスライドされてしまったのが↓↓
いつだったか?MBSラジオのベースボールパークでちゃらんぽらん富吉に『中京大中京』や『八王子学園八王子』と横並びに『高崎健康福祉大高崎』って長すぎるねん!とダメ出しされた健康福祉大ですが、、、、、

あくまでも僕の独断と偏見ですが、、、、関西の高校野球ファンに健康福祉大がダイスキという人は高校野球7イニング制導入賛成派と同じくらいの割合しかおらんのんとちゃうかなあと。
逆にアンチ福祉大派は7イニング制導入反対派に勝るとも劣らない星の数ほどいるのでは?と思いますがどないでしょうか。

・やたら走りまくって弱肩キャッチャーをいじめるし、高嶋先生時代の和智弁ファンや天理ファンなど走塁意識が皆無のファンは「あんまりチョロチョロすんな。こっちはなあ、ヒットシホン(4本)打たな点が入らへんねんど~」とひがまれる
・北海道から沖縄の石垣島まで逸材を乱獲
・野球部部費の年間予算が1億円もあるらしいのに、応援団の移動は地元バスと滋賀バスで走行距離を短縮させて経費節減に走る
・橋本監督時代の天理/下関国際/明徳義塾/敦賀気比その他モロモロお気に入りの学校から白星を稼ぐ

とイロイロありますが、僕が試合開始前に『ブチ切れ・ガチ切れ・マジ切れ』したのはここで幾度も紹介した「どこのご当地アイドル連れて来たんや~~~!!!」騒動でしたね(笑)

結局、あの日の数日後に熱闘甲子園見てどうやら学校の生徒さんらしいということが判明したので誤解は解けたが。。。。。ただ、その話をここで記すのはやぶさかではないので、その旨直接伝える機会が甲子園であればそのエピソードをここで書こうと思って温めておりましたが。。。。。

先代のキャプテンわかな嬢&熱闘甲子園の主人公・松澤芽依嬢は1つ上の先輩たちが大学受験のために7月の県大会で部活動引退したため、2年8月からツートップを張っていたが、自分たちが3年生となった最後の夏の甲子園にも引退せずアルプスで踊っていたのはさもありなんと思っていた(笑)

ただ、昨夏甲子園は初戦敗退だったし「このまま卒業でけへん。夏も全国制覇するまで辞めへんでえ!」(という類のことを群馬弁でどういうのか知らないが)とあえて留年して『高校4年生』としてこの夏も着物と袴着て応援しとったら、後輩たちがあまりにもかわいそうやなあと気がかりではあった。。。ちょっと気になったので5mほど離れてチアガールの後ろを歩くご当地アイドル?!を見とったらご両人の姿はなかったので、、、、ホッと一息。

悲しいかな16日第1試合で佐野日大が挑戦するも勝てる相手ではないので、、、、、神村なら行けると思ったが。せやけど、キャプテンわかな嬢&サブリーダー松澤芽依嬢がどこかでこの夏2勝目を挙げたことを知ったら純粋に喜んでいたんだろうなあ・・・。
関西人の娘だったら、、、「なんでウチらの最後の夏は初戦敗退やのに卒業したら2つも勝てるねん💢」ってキレとるやろうなあ・・・。

ここが関西人と関東人の違いなんだろうなあ・・・。それでも僕は生まれ育った関西はダイスキですが(笑)

📝第71回全国高等学校軟式野球選手権大会組み合わせ表
https://www.jhbf.or.jp/nanshiki/2026/tournament.pdf

📣元中日・若松駿太氏 岐阜ダイヤモンドリバーズの監督就任!来季から独立「日本海リーグ」に参入予定
https://news.yahoo.co.jp/articles/4cda5a4695fa6d0c76fe966d798c6c4215e779d7

プロ野球独立リーグ「日本海リーグ」へ参入を予定している岐阜県民球団「岐阜ダイヤモンドリバーズ」は12日、27年シーズンから中日で活躍した若松駿太氏(31)が監督に就任することを公式インスタグラムで発表した。

「2027年シーズンより、若松駿太氏が監督に就任することが決定しました!球団が目指す『地域密着・デュアルキャリア』のチームづくりを、若松監督とともに進めていきます」と若松駿太氏の監督就任を発表。就任会見は9月20日に開催される。

若松氏は12年ドラフト7位で中日に入団。18年まで中日でプレー。その後はBCリーグの栃木ゴールデンブレーブス、福島レッドホープスと渡り歩き24年に現役を引退した。

▼若松駿太氏 このチームに懸ける想いと覚悟を胸に、地域の皆さまと力を合わせ、ここから新たな歴史を創っていきたいと思います。応援よろしくお願いいたします。
▼飯田祥多球団代表 若松監督の経験と人間性は、球団が掲げるデュアルキャリアや地域密着の理念を体現する存在です。ともに新たな歴史を築いてまいります。

🎤高校野球が衰退していく」“甲子園出場40回”明徳義塾・馬淵史郎監督が「令和の高校野球に苦言」のワケは? 「いい選手が集まらないと勝てない、では…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/9df30c3b18a81e6d60e5724539d531bf633db0db?page=2

「ピッチャーの牽制球にしてもね、4つ目的があるんです」馬淵史郎が力説する。
「ランナーのリードを小さくさせること。間を取ること。相手の出方を見ること。ランナーをベース上で刺すこと。そういうことを覚えるだけでも、すごく勉強になるんですよ」

明徳義塾の監督となって36年。甲子園に出場した回数は春夏合計40回。これは歴代の監督で1位である。通算55勝は4位。まさに稀代の名将である。
昨年で古希を迎えた馬淵が、今もなお高校野球の最前線で戦う理由は単純明快だ。野球が面白いから。これに尽きるという。

「男が一生かけてやってもいいようなスポーツだと、僕は思いますけどね。ちょっとしたことをちょっと改良するだけで大きく変わったりするんですよ。僕は野球ほど面白いスポーツはないんじゃないかと思っています」

馬淵が同校の監督に就任した1990年といえば、元号が昭和から平成となって間もない時期。当時はまだ“スポ根”と呼ばれる精神論が色濃く残っていた。それが、時代が令和となり、合理的で主体性が強くなるといったように選手の気質も変わってきた。

変わったのは…「人ではなく時代」
 
移り行く時代のなかで変化は生まれたのか? と尋ねてみる。馬淵は視線を正面に据えながら、うん、うんと頷き、真っすぐ答えた。

「やっぱり十人十色でね。いろんないいところもありゃ、悪いところもあるんです。いいところはどんどん伸ばしゃあええしね、悪いところは『ここは矯正せなあかんで』と、ちゃんと指摘すればええしね。

人間の持って生まれた性格っていうのは、親からもらったDNAですから、なかなか変わらんのですよ。昔の時代やったらですよ、『お前、親からどんな教育されてんねん』と言えましたけどね。こんなん、今の時代に言ったら大事になりますからね」

はっはっは、と笑う。変わったのは人ではなく時代。馬淵らしい視点である。そこに野球があり、人がいる。馬淵は甲子園での囲み取材やインタビューで、毎回と言っていいほど言葉を紡ぐ「誇り」がある。今年の夏もそこに想いを馳せた。

「うちに入ってくるんは、大体がOBの子供とかそこからの紹介なんですよ」

今年のメンバーで有名なところで言えば、筧遥真だ。父の裕次郎は明徳義塾が初の日本一となった2002年に、キャッチャーのレギュラーとしてチームを支えた。彼のように主力だったOBばかりではない。むしろ、ベンチメンバーに入れなかったような選手が、息子や兄弟を母校に送り出すのだという。馬淵が喜んでいた姿を思い出す。

「親が控え選手やったら、普通は『やめとけ』言いますよ。それなのに、息子も兄弟もみんな明徳に来てくれる。これはね、めちゃくちゃうれしいことですよ」

だからこそ、馬淵は70を超えても野球に情熱を注げるのである。それは、親や兄が培った明徳義塾の遺伝子を託され、さらに成長させる、監督としての責務でもある。

「高校野球が衰退」馬淵監督が“苦言”のワケは?
 
近年、過熱する、強豪校による“スカウト合戦”を、馬淵は快く思っていない。

「いい選手が集まったときは強い。そうじゃないときは勝てない、というようなことをしていてはね、高校野球が衰退していくんじゃないかと思います」

そんな危惧があるからこそ、馬淵は明徳義塾の選手たちに不変の野球を叩きこむのだ。

「明徳を選んで入ってきてくれた選手を伸ばしていくのは、やりがいがあります。コツコツ、コツコツといろんなことを教えていったらね、野球の面白さもわかってくるし。体の小さい子でもね、キャッチボールからしっかり教えていけばね、『自分は小さくても、足が遅くても、肩が強くなくても、頭を使って高校野球をやればここまでできるんだ』ってなってくれると思うんですよ」

今年の夏が、まさにそんなチームだった。ベンチ入り20人のうち、身長160センチ台の選手が半数近くの9人もいた。守備、走塁、バントと野球の基本を注入された小粒なチームは、馬淵が標榜する「THE高校野球」を体現して甲子園をつかんだ。

日南学園との初戦は、6回までリードしながら7回にミスが絡んで同点とされ、9回にサヨナラ負けを喫した。監督は「甲子園はちょっとしたミスで流れが変わる。そう感じた試合でしたね」と冷静に戦局を話していたが、チームに対してはしっかりと評価した。

「一時は『ちょっと、甲子園は無理かな』と諦めかけた時期もあったんですけどね。それでも、子供たちは『一生懸命にやればここまでやれる』ってことを証明したと思います」

馬淵の40回目の甲子園が終わった。熱量は今も高く保つことは「野球は一番面白い」という言からもわかる。だが、饒舌に話しては報道陣をくぎ付けにする馬淵が、そこから話題を急旋回させたのである。

「だから、気力と体力が続く限り、学校側は『やってくれ』って言ってくれるんですけど、70を過ぎてもやってるとなったら、もうそろそろ、ちょっとね、笑われるような気がして。後進も育ってきているし、あと2年くらいやってね、バトンタッチしたいと思います。もう、何年もやる気はありません」

突然の“引退予告”に報道陣が前のめりになる。2年後と言えば、センバツは100回の節目を迎え、夏も110回の記念大会となる。馬淵自身も「今の1年には有望なのがいるんでね、『3年になったら全国制覇を狙うぞ』とは言っているんですけど」と、花道として想定はしているようだ。

引退後は…「日本一周の温泉巡り」!?
 
そして話題は、“引退後”まで飛躍する。

「日本一周の温泉巡りをしたいですね。ほんで、いろんなところの高校野球を見て回りたい。何も言わず球場に行ってね、外野からちらっと試合を見るようなね」

これが、馬淵という男の生き様である。

📝気温40度時代に「夏の甲子園」を続けていいのか…選手が足をつり、プロでも試合中止になる“異常事態”
https://news.yahoo.co.jp/articles/1362c219ec90de7936d23b3c4a3f348b5f04bf91?page=1

ここ数年、筆者は夏の甲子園の予選である各地の地方大会を見に行っている。主眼は試合の経過ではあるが、それとともに高校野球選手や観客は、年々厳しくなる「暑さ」の中、どんな対応をしているのかをチェックしているのだ。今年、痛感したのは「夏は毎年同じではない」ということだ。

■応援席では必死の暑さ対策

気象庁のデータによると、昨年は6月中旬には最高気温が摂氏35度を超える「猛暑日」が全国で頻出、地方大会が始まる6月後半には、全国の球場は厳しい暑さに見舞われた。その暑さが7月に入っても続いたのだ。しかし今夏は、6月には猛暑日を記録した地方はほとんどなかった。7月に入っても猛暑日は少なかった。

筆者は、7月11日に行われた奈良県大会の開幕戦を観戦したが、この時点では日差しは厳しかったものの風は涼しくて「耐えられない暑さ」ではなかった。今年はこのままいくのか、と思ったがそれから数日後の大阪府大会は、強烈な暑さで、観客は直射日光を避けて内野席上段の小さな屋根の下に集まっていた。
それからまた数日後の福岡県大会は、耐え難いような暑さになっていた。準決勝で、のちに甲子園出場を決めた東筑高と九州国際大付属の試合だったが、九州国際大付属の応援席では、教員が応援する生徒たちに噴霧器で水を振りかけていた。また氷水で濡らしたタオルが配られるなど、必死の暑さ対策をしていた。

今夏と昨年の「全国の猛暑日観測地点数の推移」をグラフにするとこうなる。気象庁のデータを基に作成した。昨年は6月中から猛暑日が急速に増え、7月に入ると一度落ち込んだのちに再び上昇した。しかし今年は7月初旬まで猛暑日を記録した地方はほとんどなく、そこから急激に気温が上がっていったのだ。

■「暑熱順化」ができないまま迎えた酷暑

人間は高温の環境にい続けると、次第に体が順応する。これを「暑熱順化」という。暑熱順化が進むと、深部体温の上昇が抑えられるなど、暑さによる体への負担が軽減される。暑熱順化には一般に1〜2週間程度かかるとされる。

「例年、地方大会が始まる6月下旬から、気温が上がってきますから、選手たちは試合に出て、練習もする中で『暑熱順化』が進むので、地方大会後半の7月中旬には、猛暑でも元気にプレーできるようになるんです」

甲子園常連校の監督はこう話していた。しかし今年は、突如として気温が跳ね上がったために、暑さに適応できなかった選手も多かったのではないか。そのうえ、気温は非常に高い水準に達した。気象庁は今年から、最高気温40度以上の日を「酷暑日」と定めたが、7月下旬には酷暑日を記録する地点が相次ぎ、各地で観測史上最高気温を更新した。7月28日に大地震に見舞われた熊本県でも、熊本市で8月3日に40.3度を記録し、観測史上最高気温を更新している。被災地での生活が誠に気がかりではある。

今夏の地方大会では、大阪府の大阪桐蔭、奈良県の智辯学園など「甲子園常連校」が敗れる番狂わせが多かった。智辯学園の左腕エース杉本真滉は奈良大会3回戦で足がつって途中降板したが、暑熱順化ができているはずの強豪校の選手でも、急激でしかも超高温の今夏に適応できなかった選手がいたのではないか。
さらに今年は高温の地域が「まだら」になった。東日本、西日本は7月上旬に梅雨が明けたが、北陸、東北地方は梅雨明けが8月4日になった。筆者は、7月末に新潟でフレッシュオールスター、富山でオールスター戦を観戦したが、北陸地方は日中でも最高気温が30度前後。朝は肌寒いくらいだった。

こうした地域の高校野球選手はまだ今夏の「猛暑、酷暑」の洗礼を受けていない。「暑熱順化」が十分にできていない可能性が高い。彼らが高温が続く兵庫県の甲子園に来て、十分に適応できるのかどうかも気がかりなところだ。

■「高校野球大会」の存続問題に波及しかねない

気象庁の発表では、甲子園のある兵庫県を含む近畿地方で、平均気温が平年より高い確率を70%としている。日本高野連は、暑さ対策として昨年から開会式を夕方にして、朝と夕方に試合をする「二部制」の日程を昨年より多くするなど暑さ対策を強化している。しかし、日本の夏の高温は、こうした日本高野連の尽力を上回る勢いだ。

高校野球では、気温が上昇すると試合時間は長くなる傾向にある。審判が選手の状態を観察し、攻守交代をせかさず、必要とあればベンチでの休憩時間や給水タイムをとるなどの配慮をするためだ。審判自身の健康も気がかりだが、かつては「2時間」と言われた試合時間も長引くようになっている。

「7回制」の議論はまだ決着していないが、日本の酷暑のさらなる進行は、そもそもこの季節に空調が利かない屋外球場で野球をすべきか、というさらなる根本的な議論に発展するかもしれない。そうなれば、日本高野連主催の「高校野球大会」の存続問題に波及する可能性もある。

■プロ野球でも前代未聞の「ノーゲーム」が発生

超高温の夏は、高校野球だけでなくプロ野球にも深刻な影響をもたらしている。7月22日、ロッテ浦和球場で行われたファーム・リーグのロッテ対オリックス戦では、気温が38度を超える猛暑の中、複数の選手が熱中症の症状を訴えて4回途中でノーゲームとなった。前代未聞のことだが、この事態を受けてNPBは8月3日、ファームの試合で猛暑や高温になった場合には、主催球団の判断で試合開始時刻を変更したり、試合を中止したりすることが可能という新たなルールを急遽決定した。

少し前まで、一軍の公式戦でも「午後4時プレーボール」という試合があったが、今は、屋外球場での7月、8月の公式戦はほぼすべてがナイトゲームになっている。しかしファームの本拠地球場の中には、ナゴヤ球場(中日)、浦和球場(ロッテ)、戸田球場(ヤクルト)と、夜間照明設備がない球場がある。こうした球団の主催試合は、酷暑の季節でもデーゲームになる。

プロ野球選手は年中、長時間にわたる練習をしているし、トレーナーは選手に対して「暑熱順化」を促すトレーニングを科している。高校生よりも「夏に強い」選手が多いと思われるが、それでも「想定外の暑さ」には、抗しえないのだ。

中日ドラゴンズは今季、ファーム公式戦の一部を一軍の本拠地、バンテリンドームで開催している。筆者が観戦した8月6日のロッテ戦は、当日夜に一軍の試合が組まれていることもあり、午前10時20分プレーボールとなった。筆者は早速観に行ったが、内野席だけが開放された観客席はそこそこお客が入ったものの静まり返っていて、大応援団でにぎわう一軍の試合とは別物という風情だった。
しかし一軍の本拠地球場にも屋根がないヤクルトやロッテは、選手や観客に気を配りつつ屋外での試合を続けざるを得ない場面もある。当然ながら、デーゲームよりもナイトゲームのほうが、照明費用など試合の経費はかかる。高温の夏は、球団経営を圧迫しつつある。

夏の高温化は日本だけではない。韓国でも各地で異常高温が続いている。このため韓国プロ野球(KBO)では、8月4日にソウルと光州で予定されていた2試合が中止となった。ヨーロッパやアメリカでは高温のため山火事が多発したり、熱中症の死者が数多く出ているが、今年の「暑さ」が、地球規模で異常な状態であることを物語っている。

■ドーム球場、北海道開催、日程前倒しなど選択肢を広げる時期に

この「猛暑、酷暑」は、今年限りのものとは考えにくい。地球温暖化に歯止めがかかっていない現状では、来年以降も同様の猛暑が起きる可能性は高い。それだけではなく、長期的には気温がさらに高くなることが予想されている。

日本野球も、今年や来年だけでなく、その先を見据えた対応を考える段階に来ているのではないか。プロ野球では、7月、8月の屋外デーゲームを減らし、ドーム球場での開催やナイトゲームへの移行をさらに進めることが考えられる。二軍球場に照明施設がない球団なら、一軍球場を使用する方法もある。ドーム球場を持つ球団では、一軍、二軍が同日に試合をする「親子ゲーム」を増やすことも選択肢になるだろう。それでも難しい場合には、他球団の本拠地球場を借りる方法も考えられる。

はるかに経済規模が小さい高校野球についても、夏の甲子園のあり方を今まで以上に柔軟に考える必要がありそうだ。プロ野球の協力を得てドーム球場を利用する方法もあれば、北海道で全国大会を開くという選択肢もある。北海道も温暖化が進み、地域によっては猛暑日も観測されているが、それでも甲子園周辺より気温が低い地域は多い。開催地そのものを含め、幅広く検討してもよいのではないか。
さらに、夏の甲子園の予選である都道府県大会も、6月末〜7月という現在のスケジュールを見直す余地がある。たとえば春の甲子園後に開催される「春季大会」を夏の甲子園の予選と位置づけ、5月中に代表校を決める方法も一案だろう。

前述したように、日本高野連、都道府県高野連は「営利団体」ではない。ドーム球場など他球場を使用したり、北海道など他地域で大会を開催したりするには、新たな財源の確保が必要になる。今年7月に刊行した『高野連』でも言及したが、高校野球を今後も続けていくためには、日本高野連、地方高野連の「ビジネスモデル」についても改めて考える必要があるのではないか。ビジネス感覚のある経営者をトップに据えることや、NPBとの連携、さらにはNetflixなど巨大メディアとの提携も含め、これまでとは違った改革の可能性を探る時期にきているのだと思う。
2026/08/13(木) 22時20分31秒 No.2570 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
⚾今日の熱闘甲子園試合結果(2回戦)
8日目第1試合 拓大紅陵(千葉)-佐賀商(佐賀) 8:02~9:52
          一二三四五六七八九十計HE
      拓大紅陵000100000 171
      佐 賀 商000000000 042

8日目第2試合 花咲徳栄(埼玉)-仙台育英(宮城) 13:32~15:44
          一二三四五六七八九十計HE
      花咲徳栄000000000 050
      仙台育英00000100X 180

8日目第3試合 神村学園(鹿児島)-佐野日大(栃木) 16:13~18:12 試合開始前点灯
          一二三四五六七八九十計HE
      佐野日大002000001 393
      神村学園000100000 172

8日目第4試合 東海大甲府(山梨)-高崎健康福祉大高崎(群馬) 台風15号の接近による天候不良が予想されるため中止
          一二三四五六七八九十計HE

⚾明日の熱闘甲子園組み合わせ(9日目 2回戦)
    10:30~ 東海大甲府-健大 高崎
    13:00~  有 明 -長崎 日大
    15:30~ 青森 山田-東日大昌平
  ☆ 18:00~ 大 分 商- 英 明  

📣12日中止の第4試合「東海大甲府-健大高崎」は13日第1試合で開催 
https://news.yahoo.co.jp/articles/0b92fe0ec7008abaf37e953d477e04f9bf000b5f

大会本部は12日、同日の第4試合を雨天順延し、翌13日午前10時半からの第1試合に組み込むと発表した。

13日午後に予定されていた3試合は開始をいずれも30分早めて対応する。
7日から行われていた「朝夕2部制」はこの日で終わりを迎え、13日以降は観客の入れ替えはなく、各日の入場券は1日を通して全試合を観戦できる。また、14日以降の日程に変更はない。

📝「選抜はごまかしの優勝でした」春の王者・大阪桐蔭の夏はなぜわずか3試合で終わったのか 西谷監督が見つめていた現実
https://news.yahoo.co.jp/articles/cc5d641e7e3bb732d0164a36fd887f10bafdf7f9

短すぎた大阪桐蔭の夏(前編)

「ほんまやったら、大阪桐蔭ってどこのブロックにおるはずやったん?」

7月24日、GOSANDO南港球場で行なわれた大阪大会準々決勝。ネット裏のスタンドで私の後ろに座っていた3人組の野球少年のうち、ひとりがこんな言葉を口にした。聞こえてくる会話から察するに、3人は他府県の高校でプレーする現役高校球児。中学時代のチームメイトを応援するため、関大北陽と金光大阪の一戦を観戦に訪れたようだった。

夏の大会は3300校あまりが参加する壮大なサバイバル。優勝校を除けば、すべてのチームが敗者となる。そんな過酷な戦いで、「ほんまやったら」と勝ち進むことを前提に語るのは、本来おかしなことなのかもしれない。それでも、そう口にしたくなる気持ちはわかった。

この時点まで大阪桐蔭は悠々と勝ち上がっていて、さらにここから激戦を勝ち抜き、甲子園春夏連覇に挑んでいくものだと信じていた。しかし大阪桐蔭はこの5日前、4回戦で大阪立命館にタイブレークの末、敗れた。

【記者も予想しなかった夏の終わり】

波乱を起こした大阪立命館の前身は、昭和の時代には各大会で上位進出を果たすことも珍しくなかった初芝。かつて「打倒PL」に燃えた実力校が、現代の王者・大阪桐蔭を倒す──。そんな大金星は、高校野球ならではの醍醐味を感じさせた。もっとも、今春の大阪大会でベスト8入りするなど力をつけていることは承知していた。それでも、この夏、大阪桐蔭を倒すイメージはまったくなかった。

多くのメディア関係者も同じように考えていたのだろう。波乱の結末となった19日の試合終了直後、三塁側奥の場外スペースで大阪桐蔭の監督・西谷浩一を囲んだ記者は10人にも満たなかった。大阪桐蔭が勝ち進むことを前提に、違う会場の取材へ向かった記者が大半だった。しかし、予想どおりとならないのが高校野球の世界。春夏連覇へ向けた大阪桐蔭の夏はここで終わった。ゲームセットから10分ほどが過ぎ、西谷の囲み取材が始まった。

── きわどい試合でしたが。

「みんな頑張ってくれたんですけど、うまく勝ちに導いてやれなかったです」

この「導いてやれなかった」は、チームが敗れた際、西谷が必ず口にする言葉だ。選手の責任を問うような発言は決してしない。それが、西谷が取材対応で貫いてきた揺るぎない信条なのだろう。

 1点を追う延長10回、反則打球の判定によって"幻"となった同点スクイズについての質問にも、淡々と受け答えをしていた。しかし、その落ち着いた口調とは裏腹に、悔しさややるせなさは、言葉以上に表情からひしひしと伝わってきた。

── バントは意外といえば意外......。

「満塁であまり警戒されることもないですし、まず同点にしたほうが相手にプレッシャーをかけられるかなと。1球目を空振りしたのを見て、スクイズのほうが確率は高いかなと思いました」

── (反則打球となった判定は)微妙ではありましたが。

「それは、僕らではなんとも言えないので」

その後も西谷の口数が増えることはなく、囲み取材は早々に終わった。するとまもなく、年配の観戦者と思われる男性が、チームの戦いや采配への不満を苛立った口調で延々と叫び続けた。その声が響き渡り、ただでさえ重かった空気はいっそう張り詰めた。

思い返せば、昨年夏の決勝で敗れたあともまったく同じ光景を目にした。そして、声を張り上げていたのも同じ人物だった。大阪桐蔭の2年連続となる夏の敗戦を、思いがけない形であらためて実感することになった。帰り道、スマートフォンを開くと、大阪桐蔭の敗戦を伝える速報が次々と配信されていた。見出しには「王者敗れる」の文字が並んだ。ただ、彼らはあくまで春の王者であり、夏はまだ何も成し遂げていなかった。

【最強投手陣が描いた春夏連覇への青写真】

夏に向けて一歩ずつ階段を上っていた5月、西谷に話を聞く機会があった。日本一を成し遂げた選抜の話題になると、やや砕けた調子でこう語った。

「選抜はごまかしの優勝です。『(春夏連覇を達成した)2012年、2018年のチームと比べてどうですか?』と聞かれたりしますが、まだまだやることがいっぱいです」

西谷が言った「ごまかし」とは、選抜で多用したエンドランを自嘲気味に表現した言葉だったのだろう。春は結果を残したものの、西谷が本来目指していた野球ではなかったのかもしれない。

「できるなら、もっとどっしりした野球で点を取りたいですよ。でも、それでは点が入らない。だから3番にも4番にもエンドランをさせたり、バスターをさせたりして、なんとかつないで勝ったのが選抜でした。まだまだ力不足です。夏はもう少ししっかり打って点が取れるように、毎日、山にこもってやっています(笑)」

選抜後の春季大阪大会は、準決勝で関大北陽に敗れた。打線は迫力を欠き、西谷も「この春の戦いで、まだ力がないことをみんなわかったと思います」と、現状を冷静に受け止めていた。とはいえ、攻撃力や長打力は短期間で劇的に向上するものではない。それでも大阪桐蔭の春夏連覇に現実味を感じていたのは、歴代でも最強クラスと思えた投手陣の存在があったからだ。

選抜で想像以上の成長を見せ、一気に評価を高めた2年生左腕の川本晴大。選抜後著しく力を伸ばした小川蒼介。そして、選抜では右肩の違和感から本調子ではなかった吉岡貫介が本来の状態を取り戻し、そこに石原慶人も加わる。この顔ぶれから大量点を奪うチームは、そう簡単には現れないだろうと思っていた。なかでも、夏を戦ううえで最大のカギを握ると見ていたのが吉岡だった。ただその裏で、誰も予想しなかったアクシデントが起きていたことを、この時はまだ知らなかった。

【夏の命運を握ったエース吉岡貫介】

6月、富山での招待試合後、川本が左肩に違和感を訴えた。精密検査を重ねた結果、診断は左肩棘上筋の肉離れ。首脳陣は回復具合を慎重に見極めながら、最後まで選手登録の可能性を探り続けた。
しかし、大阪大会開幕5日前の6月30日、苦渋の末に登録抹消を決断。高野連へメンバー変更を申請した。甲子園出場を果たせば、あらためて登録メンバーを編成できる。大会終盤や甲子園での復帰も視野に入れながら、大阪大会は川本抜きで戦うことになった。

「根性というよりド根性です」

大会開幕直前、西谷が口にしたこの言葉は、川本の離脱を受けた指揮官の本音だったのだろう。川本を欠いたチームが夏を勝ち上がるためには、やはり吉岡の状態が最大のカギを握る。順調なら、プロ志望届を提出すればドラフト上位候補に挙がっても不思議ではない逸材。吉岡が本来の力を取り戻せるかどうかが、大阪桐蔭の命運を左右すると見ていた。

5回コールドで勝利した初戦の汎愛戦(7月15日)のあと、登板のなかった吉岡に話を聞いた。6月下旬の取材時よりも表情は明るく、状態のよさをうかがわせていた。
私のなかで、吉岡のベストピッチと言えば、2年秋の大阪大会準決勝の金光大阪戦である。2安打完封、14奪三振、無四球。球速はしばしば150キロを超え、鋭く曲がるスライダーに、金光大阪の打者たちもバットに当てるのが精いっぱいだった。だからその後、吉岡に状態を尋ねる時はいつも「金光戦と比べてどう?」と聞いてきた。

弱音を吐かない吉岡は、コンディションが万全ではなかった選抜の時でさえ、「近い感じです」「同じくらいです」と答えていた。ただ、その言葉は少し割り引いて受け止めていた。吉岡の表情を見れば、同じくらいではないことはすぐにわかったからだ。

しかし今回、また同じ質問をすると、吉岡はニヤリと笑って「あの時よりもいい感じです」と言った。本来なら、これ以上ない追い風となるはずだった。その一方で、吉岡が普通に好投するだけでは足りないとも思っていた。

【勝ち上がるための絶対条件】

近年の大阪桐蔭は接戦を落とすことが増え、以前のような他を寄せつけないな強さに陰りが見え始めていたからだ。その流れを変えるには、投手が圧倒的なピッチングをするしかない。事実、選抜では川本が圧倒的なピッチングを見せ、味方に安心感と自信を与えた。だが川本を欠く夏、チームを勝たせる投球を吉岡ができるかどうか。それこそが大阪桐蔭が勝ち上がるための絶対条件だった。

3回戦・北野戦を翌日に控えた7月17日、4回戦以降の組み合わせが決まった。Aブロックには履正社、関大北陽、近大付、金光大阪、大阪学院大などが集まった。一方、大阪桐蔭は東海大大阪仰星や大体大浪商らがいるBブロックに入った。「いい場所に入った」というのが率直な印象だった。

そして今後の勝ち上がり方と投手起用を思い描くと、吉岡の夏の初先発は7月19日の4回戦、大阪立命館戦になる可能性が高いと読み、午前10時開始の第1試合に合わせて、くら寿司スタジアム堺へ向かった。夏の命運を握る男が、満を持して初先発のマウンドへ上がった。


                つづく>>

📝幻のスクイズ、そして言えなかった「春夏連覇」 大阪桐蔭の主将・黒川虎雅、コーチの肉声で追う敗戦の全貌
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/hs_other/2026/07/30/post_76/?utm_medium=referral&utm_source=news.yahoo.co.jp&utm_campaign=%2Fclm%2Fbaseball%2Fhs_other%2F2026%2F07%2F30%2Fpost_75%2F

短すぎた大阪桐蔭の夏(後編)

大阪大会4回戦の大阪立命館戦。この日の吉岡貫介の投球が、大阪桐蔭の夏の行方を占う──。そんな思いを持って注目したが、先頭打者にストレートの四球を与えると、送りバントを挟んで3者連続四球。まさかの押し出しで先制点を献上した。

【コーチが漏らしたエース異変のサイン】
 
この日は偶然、ネット裏で大阪桐蔭のコーチである石田寿也、橋本翔太郎らと並んで試合を見た。立ち上がりから、その場には重苦しい空気が流れた。すると、橋本がポツリとこう漏らした。

「ブルペンではよかったんですけどね......。(吉岡)貫介にしたら、先攻のほうがよかったんかなぁ」

くら寿司スタジアム堺は、ブルペンの傾斜が実際のマウンドよりきついことで知られている。吉岡も試合前は傾斜を使わずに投げるなど調整していたが、立ち上がりから制球を乱した。
一方、現役時代に投手だった石田は、「上体が残りすぎかな。もうちょっと体重を前に乗せていけば......」と口にしたが、スピードはコンスタントに140キロ台後半をマーク。しかも、腕を目いっぱい振っているようには見えないなかで、これだけの球速が出ていた。あとは、そのボールをいかに操れるかだけだった。

6番打者を空振り三振に仕留め、続く7番打者もあっさりと追い込み、ようやく感覚をつかんだかと思った3球目。ボールは外へ抜けるような軌道で、捕手・藤田大翔の横を抜けてバックネットへ。三塁走者が生還し、大阪桐蔭にとってはあまりにももったいない2点目を失った。結局、最後のアウトも三振で奪ったものの、初回だけで35球。チームメイトに安心感や自信を与える投球とはならなかった。

ただボールの質は、右肩の違和感を抱えながら投げていた選抜の時とは比べものにならないほど格段に上がっていた。4回にこの日初めての安打を許したものの危なげなく後続を断つ。吉岡の投球は完全に落ち着いた。

【エースの149キロが呼び込んだ反撃】
 
初回に2点を失ったとはいえ、それほど重くは感じていなかった。初戦、2戦目はともにコールド勝ち。2試合で31安打29得点という数字は参考程度とはいえ、春以降の課題だった打線にもようやく復調の兆しが見え始めていたからだ。
だが、この日は違った。2、3、4回と得点圏に走者を進めながら、あと1本が出なかった。相手の長身右腕が投じるクセ球を攻略できず、5回までわずか2安打。2点ビハインドのまま、試合は前半を終えた。夏特有の張り詰めた空気が漂い始めるなか、橋本が「このチームは練習試合でも後半に強いんです」と言った。

6回表、二死二塁のピンチを迎え、石田が吉岡へ送る声にも自然と力がこもった。

「体重を乗せて、もっと前に、もっと腕も振って......ギア上げろ!」

直後の1球は、この日一番と思える外角ストレート。打者は手も足も出ず、見逃し三振。スピードガンの表示は149キロ。この1球で流れは変わる。そう確信したくなるようなストレートだった。

この時点で吉岡の球数は102球に達し、この回で交代となった。当然、ベンチとしてはこの試合を勝ち切り、次戦以降に吉岡の力をフルに生かしたいという思いがあったはずだ。実際、2回以降の吉岡の投球は、大いに期待を抱かせる内容だった。エースのベストピッチを受け、迎えた6回裏の攻撃。先頭の2番・中西佳虎が俊足を生かしたセーフティーバントで出塁。その後、一死二塁となり、打席には4番・藤田大翔。再び石田がつぶやく。

「ここで3年前の全国大会、えっぐい場外ホームラン打ったやろ。それも、わかさスタジアムとここで2試合連発や。あの時のバッティングを思い出せよ」

中学時代から誰よりも選手を見続けてきた石田だからこその檄だった。藤田の父は大阪桐蔭野球部時代に石田と同級生で、主将を務めた人物。その元チームメイトの息子へ、石田はもう一度、力をこめて声を送った。

「ここで一本いってくれ!」

しかし、藤田の打球は投手の足元を抜けたもののセカンドゴロ。またしても走者を残したまま、好機を逃してしまうのか......。その重苦しい流れを断ち切ったのが、5番・谷渕瑛仁だった。
選抜では4番に座り、豪快な一発を放っただけでなく、試合を決めるバスターエンドランも成功させるなど、「新時代の4番」を感じさせる働きを見せた。しかし春の大阪大会では、「野球人生で一番というくらいバッティングがわからなくなって......」と不振に苦しんだ。それでも夏を前に、「自分のバットで勝ちたいです」と決意をこめて語っていた。

「2対0と2対1じゃ全然違う。4番、5番で点を取れんかったら、相手も乗ってくる。まず1点や」

橋本の言葉が途切れた直後、セカンドベース寄りへ弾んだ打球が、二塁手の横を抜けてセンター前へ転がる。待望の1点が入った。

【快投でつないだ逆転への望み】
 
そして7回表から、大阪桐蔭は小川蒼介をマウンドへ送り出す。春の大阪大会では1試合17奪三振、秋田での招待試合ではノーヒットノーランも達成した。選抜以降も安定して好調を維持してきた左腕だ。小川は9回までの3イニングを1安打5奪三振。力のあるストレートとマウンド上の佇まいには、どこか川本晴大を思わせるものがあった。その小川の好投に応えるように、7回裏、ついに追いつく。「新チームでは1番から3番を打っていてもおかしくない」と橋本が期待する2年生の8番・宮﨑球児、9番・中島齊志、1番・仲原慶二の3人が仕事をした。

一死から宮﨑が出ると、打席には中島。再び橋本が「ここでエンドランいきたいなぁ。外野も下がってるし、一、三塁をつくれるかも」と言った。その声に合わせるように宮?がスタートすると、中島の打球はライト前で弾んだ。

「よっしゃ! 桐蔭野球、来た〜!」

一死一、三塁となり、1番・仲原。ここで中島が二盗に成功。一死二、三塁から、仲原が放った打球はピッチャーのグラブを弾き同点。

 ついに試合を振り出しに戻した大阪桐蔭だったが、その後のチャンスは生かせず同点止まり。その後、8回、9回にも得点圏にランナーを進めたが、あと1本が出ない。流れを引き寄せ切れないまま、試合は延長10回のタイブレークへ突入した。

9回までの小川の投球を見れば、大阪立命館が得点する姿は想像できなかった。しかし、無死一、二塁から始まるタイブレークは別物である。

「よし、頑張ろう、頑張ろう。しっかりやってきた、やってきた」

橋本が選手たちに言い聞かせるようにつぶやくと、続けて力強く言った。

「こういう試合に勝っていかな、上には上がっていかれへんからね」

しかし、したたかな大阪立命館は先頭・西原遼太が三塁線へ絶妙なセーフティーバントを決め、いきなり無死満塁の好機をつくる。9回まで快投を続けた小川でも、タイブレークは別物だった。一死も奪えないまま暴投で勝ち越しを許し、さらに四球。石田は「ちょっとバランス崩してるなあ......」と不安な表情を浮かべた。
それでも小川は無死満塁から2者連続空振り三振。最後は遊ゴロに打ち取り、追加点を阻止した。1点こそ失ったが、無死満塁の絶体絶命のピンチを切り抜け、再び流れは大阪桐蔭へ傾いたかと思われたが......。

【幻となった同点スクイズ】
 
10回裏、無死一、二塁から藤田がきっちりバントを決め、一死二、三塁。打席には、6回にタイムリーを放っている谷渕。

「内野ゴロでええぞ。ゴロでええ」

橋本が谷渕に語りかけるようにつぶやいたが、その直後、相手ベンチから伝令が飛び出し、申告敬遠。一死満塁となり、打席には7回の守りから入っていた大津昴偉留。
初球、緩い変化球に空振り。2球目はストレートが外れボール。そして運命の3球目。西谷監督は「1球目を空振りしたのを見て、スクイズのほうが点の入る確率が高いと思った」と試合後に語ったように、ここで勝負に出た。相手左腕の変化球に、大津の体がふわりと浮く。当てた打球は、ゆっくりと投手の前へ転がった。

「よっしゃ!」

橋本が拳を突き上げる。同点となり、次の打者はキャプテンの黒川虎雅。「さあ、サヨナラ!」と思った次の瞬間だった。球審がホームベース前へ勢いよく飛び出し、両腕を顔の前で何度も交差させる。続いて一塁へ向き直り、拳を強く握り締めながら叫んだ。

「アウト! アウト!! アウトッ!!!」

一塁側の大阪立命館ベンチから大歓声が上がる。対照的に、大阪桐蔭ベンチは一瞬、何が起きたのかわからないという表情を浮かべていた。そして球審は、場内へ向けて判定の説明を始めた。

「バッターの足が完全にはみ出して打撃をしましたので、打者をアウトとします」

反則打球で大津はアウト。同点スクイズは幻となり、走者はそれぞれの塁へ戻された。石田も橋本も一瞬、言葉を失った。誰も予想しなかった出来事が、この場面で起きてしまった。
それでも、まだ二死満塁で黒川。小柄な体で、大阪桐蔭を引っ張ってきたキャプテンだ。ここで1本出れば......そんな劇的な結末をどこかで信じていた。しかし、最後まで1本が出なかった。黒川の打球はワンバウンドで投手の正面へ。投手が落ち着いて一塁へ送球し、ゲームセット。大本命・大阪桐蔭の戦いは、4回戦で幕を閉じた。

【言えなかった「春夏連覇」】
 
試合後、球場の外で西谷と選手たちの取材が終わると、キャプテン・黒川による保護者たちへのあいさつが待っていた。かねて西谷が冗談交じりに「僕の言いたいことを全部言ってくれるので、監督いらずです」と言っていたほど、黒川は言葉で仲間を引っ張ってきた。最後も黒川らしく、一人ひとりへの感謝を丁寧に口にしていく。だがその途中、「スタンドで応援してくれた仲間だったり、父兄の皆さん、先生方に春夏連覇をしたいという言葉を言いたかったのですけど......」と言うと、言葉に詰まった。

その言葉を聞きながら、6月に黒川と交わした会話を思い出していた。ある雑誌の企画で、選抜優勝校の主将に「夏へ向けた目標」を色紙に書いてもらうことになり、てっきり"春夏連覇"と書くと思っていた。しかし、黒川が書いたのは"粘り強く"の4文字。理由を尋ねると、黒川はこう答えた。

「もちろん『春夏連覇』と言いたい気持ちはあります。でも西谷先生から、『春は春、夏は夏で、それぞれ日本一がある』と言われました。だから、まずは選抜のことを忘れて、夏の日本一を全力で取りにいく。その結果、大阪代表になれた時に、初めて堂々と『春夏連覇』を口にしたい。そう思っています」

しかし、大阪桐蔭史上3度目となる春夏連覇への挑戦を高らかに口にする前に、あまりにも早いゲームセットが待っていた。吉岡は本来の投球を取り戻し、小川も最後まで粘り強く腕を振った。苦しみ続けた打線にも、ようやく光が差し始めていた。歯車はたしかにかみ合いかけていた。だからこそ、この敗戦はあまりにも重かった。

最大のライバル・履正社が甲子園への切符をつかむ一方、大阪桐蔭は新主将・小吹玲央のもと、新チームとして歩み始めた。何が足りなかったのか──。その答えを探し続ける日々が、また始まる。
2026/08/12(水) 22時15分19秒 No.2569 編集 削除
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お知らせ

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⚾今日の熱闘甲子園試合結果(2回戦)
7日目第1試合 敦賀気比(福井)-横手(秋田) 8:02~10:30
          一二三四五六七八九十計HE
      敦賀気比105120010 10131
      横  手000000000 043

7日目第2試合 智弁和歌山(和歌山)-社(兵庫) 13:32~15:16
          一二三四五六七八九十計HE
      和 智 弁011000000 280
       社  000000100 152

7日目第3試合 享栄(愛知)-履正社(大阪) 15:48~18:12
          一二三四五六七八九十計HE
      履 正 社010100022 6111
      享  栄100000001 282

7日目第4試合 三重(三重)-松商学園(長野) 18:43~20: 試合開始前点灯
          一二三四五六七八九十計HE
      松商学園000000012 3121
      三  重20102000X 5120

⚾明日の熱闘甲子園組み合わせ(8日目 2回戦)
    08:00~ 拓大 紅陵-佐 賀 商
  ☆ 13:30~ 花咲 徳栄-仙台 育英
    16:00~ 神村 学園-佐野 日大
    18:30~ 東海大甲府-健大 高崎

📝初球から振る姿勢、大切に 好機逃した社は焦り出たか 高嶋仁の目
https://news.yahoo.co.jp/articles/57ad7689938512ce2eb8de14596de974cd5ec083

(11日、第108回全国高校野球選手権大会2回戦 智弁和歌山2―1社)

智弁和歌山の初戦です。前半はいいところが出ました。1球目からどんどん振っていく姿勢は、私が監督だったころから変わっていません。

社の岩井秀耶投手は直球の球速が140キロ中盤と力がありました。智弁和歌山の打者は最初、振り遅れていましたが、それでも1球目からどんどん打ちにいくからタイミングが合う。二回、先取点につながった楠本龍生選手の右越え三塁打は、そんな当たりでした。

四回の攻撃は、4球で終わりました。あっさりしているように見えますが、これでええんです。私が監督のときは、「3球で攻撃が終わってもいい」と言っていました。「まずい、と思えば『待て』のサインは出すから」と。1球目から打ちにいけない、ということは準備ができていないということですからね。
ただ、三回の2点目以降はうまく変化球を交ぜてきた岩井投手を打ちあぐねました。これからもっと力のあるチームと対戦すると、序盤の得点だけではしんどいです。欲を言えば五、六回に1点を取って、終盤にだめ押しがほしかったです。

社もさすが兵庫を勝ち上がっただけに、いいチームでした。惜しかったのは七回です。1点をかえした後、1死三塁のカウント1ストライクからヒットエンドランを仕掛けましたが、智弁和歌山のバッテリーが大きくボールを外しました。打者は空振り。三塁走者は挟殺プレーでアウトになりました。

ここは、少し焦りが出たのかもしれません。例えばカウントを整えてから打球を転がせば、スクイズより高い確率で1点が入りました。追いついていたら、その後の展開もわかりませんでした。

☝智弁和歌山 競り勝って4年ぶり夏初戦突破 和気-長井の継投で反撃しのぐ 和歌山県勢甲子園240勝目
https://news.yahoo.co.jp/articles/5291106b9830ffd9727d74b554b460054bd114fe

3年連続出場の智弁和歌山が優勝した2021年以来の夏初戦突破を果たした。夏の甲子園通算44勝は単独8位で、7位の早実にあと1勝とせまった。和歌山県勢甲子園240勝目。

打線は二回、この回先頭の楠本が右越え三塁打。松本の二ゴロの間に1点を先制した。三回も先頭の長友が右翼線二塁打。1死三塁として井本の中犠飛で2点目を奪った。

先発の和気は6回2安打無失点の好投。73球を投げ6奪三振、1死球だった。七回からは2番手で長井が登板。いきなり2連続長短打で1点を返されたが、なおも1死三塁のピンチで相手のエンドランを外して三塁走者を挟殺。ピンチをしのいだ。

✌反撃ムード断つ「外し」のサイン 智弁和歌山・山田「データ通り」
https://news.yahoo.co.jp/articles/5ae33930f2b02bb24ab098bb4beb8f8ee0014a8e

ここですよね。智弁和歌山の捕手、山田凜虎がベンチに視線を送り、問いかけた。そうだな。中谷仁監督が目で返した。
七回に1点差に迫られ、なお1死三塁。カウントは1ストライクだった。次の投球、投手の長井心海にサインを送り、右打者の外角に大きく外した。

「本当にデータの通りにきた」。ヒットエンドランだった。バッターは空振り。飛び出した三塁走者を挟み込んでアウトにした。社の反撃ムードを鮮やかに断ち切った。

社との対戦が決まってから、山田は兵庫大会の映像を見た。「作戦系を仕掛けるカウントも研究していた」。初球ではなく、1ストライクや1ボールのときが多い。監督とも試合前にそのときが来たら外すと打ち合わせていた。
この日の試合展開も判断の材料になった。「両チームとも安打があまり出ていなかったので、ここは何としても1点を取りに来るだろうなというのは見えていた」

智弁和歌山は強打で名高い学校だ。原田夏希コーチは「(選手たちは)智弁に憧れてきているので、やっぱりバッティングが好きな子が多い」。だが、夏の甲子園では昨年まで2年連続で初戦敗退。中谷監督は「守備のほころびで負けている」と繰り返し訴えてきた。打撃好きな選手たちも、昨夏から守備練習に時間を割いてきた。

この日は内外野で好守を連発し、なおかつ無失策。山田は笑みをこぼしながら「3年連続初戦負けで和歌山に帰ることはできないと思っていた」。守りで勝った自チームを誇った。

☟真夏の夜の激闘 九回2死にアクシデント 三重の二塁手・水野が足痙り担架で運ばれ交代に その後勝利も校歌歌えず「次は勝ってみんなのところに行けるように」
https://news.yahoo.co.jp/articles/06efcd853cde752b1ee2f7ac367a08b4a46a01f3

全国高校野球選手権・2回戦、松商学園3-5三重」(11日、甲子園球場)

真夏の夜の激闘で、九回2死からアクシデントが起こった。

4点を追う九回2死二、三塁で松商学園の1番山口が右中間を破る2点適時三塁打。必死の中継に走った三重の二塁・水野が足を攣って、立ち上がれなくなり、担架でベンチへ運ばれた。

試合後は首に氷を当て、車いすに乗ったまま取材エリアに現れ、「今はもう状態安定してるんで、たぶん大丈夫だと思います」と振り返った。
ベンチの裏で治療をしている時に勝利の報を聞いた。校歌を歌うことはできず「最後みんなのところ行きたかったんですけど、やっぱ無理だなと思って。次は勝ってみんなのところに行けるように頑張りたい」と語った。

沖田監督は「足が痙っただけですので、次の試合は大丈夫だと思います」と語った。

📝持丸修一 78歳名将の高校野球論
また今夏のようなチームを作りたい。気付けば彼らの「エンジョイ野球」が好きになっていた
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/391473

たった1度の敗戦が、このタイミングで来てしまうとは……。我が専大松戸は昨秋から千葉県内無敗。選手たちも期待と自信を胸に夏の千葉大会に臨みましたが、決勝で拓大紅陵に1-3で敗れ、春夏連続甲子園には届きませんでした。

試合は初回に先制した1点を守る展開。塁には出るが、なかなか追加点が奪えない。こちらに流れを引き寄せられず、「嫌な予感」が頭の片隅にこびりついたまま、九回表を迎えました。

「1点ならあげてもいい。エースの門倉なら後続を抑えてくれる」と構えていました。ところが、逆転3ランを被弾。真っ先に思ったのは「打った打者がすごい」。敵ながらあっぱれな一打でした。最終回は食らい付いたものの、力及ばず……。

選手たちは本当によくやってくれました。悔いがあるとすれば、試合中に私自身が勝利を100%信じ切れなかったこと。嫌な予感にとらわれ、自分の判断に絶対の自信を持って臨めていなかったのではないか。今もふとした時にそんなことを考えてしまいます。今年は本当にいいチームでした。試合中はレギュラーも控えも関係なく、みんなでワイワイと意見を出し合う。

「次はこう攻めよう!」
「いやいや、こうしよう!」

私はこのような、「エンジョイ野球」のような雰囲気は好きではありませんでした。勝負の場なのだから、もっと緊張感を持って真剣にやりなさい、と。ところが、彼らと時間を共にするうちに、いつしか私自身も、そのやりとりを心から楽しんでいることに気付いたのです。この子たちなら何かやってくれるんじゃないかと、ベンチで見守りながら、いつもワクワクしていました。実際、何度も逆転勝利を届けてくれました。甲子園には届きませんでしたが、選手たちを褒めてあげたい。試合後のミーティングでは、こう伝えました。

「おまえたちはよくやった。高校野球だけでなく、人生でもこんなことはある。だから、もっと努力しなさい。この経験を、これからの人生に生かしなさい」

夏の甲子園が開幕し、今も3年生が「夏」を続けているチームがある一方で、我々は1、2年生の新チームでスタートを切りました。気持ちを切り替えるのは簡単ではありませんが、前へ進まなくてはいけない。1、2年生はこれからが本番。私だけが立ち止まっているわけにはいかないのです。また今夏のようなチームをつくりたい。それが新たな目標です。

たくさん応援していただき、本当にありがとうございました。引き続き、専大松戸をよろしくお願いします。

🎤2026年夏の甲子園 監督突撃インタビュー
八王子実践・河本ロバート監督「ライブや家族旅行も、事前に相談があれば休ませます」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/391472

河本ロバート(八王子実践/西東京/40歳)

きょう9日に鳴門渦潮(徳島)と対戦する八王子実践は、春夏通じて初の甲子園。率いるロバート監督は同校OBで、亜大卒業後にドジャースとマイナー契約を結んだ経歴を持つ。徳島インディゴソックス退団後、2016年に母校のコーチとなり、19年に監督就任。専用グラウンドがなく、全体練習は実質2時間ほどという環境の中、自ら「営業」と表現する選手集めに奔走してきた。どうやって激戦区の西東京を勝ち抜くチームをつくったのか。

──本格的に選手勧誘を始めたのは、今の3年生の世代です。

「その1つ上の代から少しずつ動き始め、今の3年生から本格的に動き出しました。もともと総監督がいたため、私が前に出過ぎるのも違うのかな、と控えていたんです。その方が校内の役職に就いて野球部を離れたのがきっかけです。恩田コーチに『一緒にやってください』とお願いしたのも、そのタイミングです」

──環境面と実績面で選手勧誘には苦労しているのでは。

「いくら声をかけても、ほとんどの選手は強豪校へ行ってしまいます。でも、そこで諦めたら終わりです。寮がないので地元選手に絞り、何度も足を運びました。本当に営業ですよ。チームの雰囲気を知ってもらうために、体験会も開いています。この環境を承知で選んでくれた選手たちには、心から感謝しています」

──選手たちは「監督が同じ目線に立ってくれる」と話していた。

「野球だけでなく、高校生としての時間も大切にしてほしいと思っています。髪形は校則の範囲内なら自由ですし、ライブ鑑賞や家族旅行も、事前に相談してくれれば休ませることがあります。高校を卒業して親元を離れれば、家族と過ごす時間も少なくなりますから。ただし、大会直前に休むのは違いますし、嘘をつくのも駄目です。その線引きは、勧誘の段階から説明しています」

──けれども、今の3年生は10人も退部した。

「この代から本格的に勧誘をしていたとはいえ、全員がそうではありません。野球部がこれから変わろうとしている、そのことに入部してから気付いた選手もいたと思います。『この人数、このメンバーではレギュラーになれない。もういいです』と辞めた子もいました。『もっと楽しくできると思っていた』と言われたこともあります。野球が好きといっても、熱量はそれぞれ違う。自分が活躍できるから楽しい、という部分は誰にでもあると思うんです。全員に活躍の場をつくれれば一番ですが、環境が整っておらず、時間も限られている。できるだけ同じように練習させたいと思っても、どうしても練習量に差が出てしまう。そこは難しさを感じています」

──その限られた環境で、どのように激戦区・西東京を勝ち抜くチームをつくったのですか。

「まずは守り勝つしかないと考えました。私は投手出身ですから、投手がストライクとボールをしっかり投げ分け、打ち取った打球を内野が確実にアウトにする。捕手を含めたバッテリーを育て、ロースコアに持ち込むチームを目指しました。いい投手が育てば、それが次世代の投手集めにもなるという狙いもあります」

──投手力への手応えは。

「西東京大会は6試合で計13失点でしたが、日大鶴ケ丘戦の8失点は失策が絡み、完投した塚原の自責点はゼロでした。大会を通じた投手陣の自責点も2点ほどだったと思います。数字だけを見れば、投手陣の成績は甲子園出場校の中でもトップレベルではないでしょうか」

──甲子園出場によって、選手集めも変わるのでは。

「興味を持ってくれる選手は増えると思います。ただ、実際に施設を見れば、『この環境か』と二の足を踏むでしょう。甲子園は簡単な場所ではありませんし、今回だけで終わるのか、継続できるのかは分かりません。それでも、このチャンスをつかんだ以上、ここから先につなげていきたいと思っています」

📝2026年夏の甲子園 監督突撃インタビュー
中京大中京から享栄へ、大藤監督が明かす“異例の転身”の真相
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/391503

大藤敏行(享栄/愛知/64歳)

きょう11日に履正社(大阪)と対戦する享栄を率いるのは、2009年夏に中京大中京(愛知)を甲子園優勝に導いた大藤監督だ。

全国制覇の翌10年も春夏連続で甲子園出場を果たしながら、その夏を最後に48歳で退任。以降は同校の顧問を務めながら、U18日本代表の指導や秋田県の高校野球強化事業に携わった。18年に県内のライバル校である享栄の監督に就任。長年しのぎを削ってきた「私学4強」間の異例の転身とあって、当時はさまざまな臆測が飛び交った。中京大中京の監督退任から享栄へ、その経緯を赤裸々に語った。

──中京大中京から、ライバルである享栄へ。

「インターネットでも『裏切り者』『中京大中京に恨みがあったのでは』なんて書かれていたようですが、事実はまったく違います(苦笑)」

──全国制覇の翌年も結果を出していたのに監督退任。いったいなぜ。

「その2年ほど前から決まっていたことなんです。学校側から、『監督就任から20年で一区切りつけ、今度は低迷する大学野球部を立て直してほしい』と。そこで、『私が声をかけた選手たちが引退するまでは、監督を続けさせてください』とお願いして、聞き入れてもらいました。その猶予期間に優勝させていただいたのです」

──ですが大学の監督ではなく、高校野球部の顧問になった。

「大学の練習にも足を運んだり、準備はしました。ただ、見ているうちに、やっぱり自分には『子守』が合っているな、と。それで大学の監督はお断りさせてもらったんです。『ならば、中京大中京の総監督でどうか』という打診も頂きましたが、後任の高橋源一郎監督は私の教え子なんです。私が総監督になってしまったら、高橋監督もやりにくいでしょう。それで顧問ということに」

──顧問の期間は、どのように過ごした?

「秋田県の高校野球強化事業や日本高野連の技術・振興委員、U18日本代表のコーチなどをやらせてもらいました。自分の生徒ではありませんから、頭ごなしに言うわけにはいかない。どう伝えれば真意が届くのか、能力もプライドも高い選手たちを短期間でどうひとつにまとめるのか、ずいぶん考えました。彼らは、言ってみれば“借り物”です。接しているうちに、『自分で育てた選手たちと戦いたい』という気持ちが少しずつ膨らんでいたように思います」

──そんな中、享栄からオファーが届いた。

「私が監督をしていた頃の(中京大中京の)校長先生が、享栄を運営する愛知享栄学園の理事になっていました。その方から声をかけていただいたんです」

──とはいえ、享栄はライバル。迷いは?

「最後の決め手は妻と娘」

「1年ほど悩みました。県外の学校なら、もっと早く決断できたかもしれません。親しい教え子5人にも相談しましたが、全員とも『もう一度、甲子園を目指してください』と背中を押してくれました。最後の決め手は妻と娘です。『裏切り者だとか、金で動いたとか、いろいろ言われるだろう。つらい思いをさせるかもしれない。それでもいいか』と聞いたら、『アンタが知らないだけで、もういろいろ言われてるんだから、やればいいじゃない』と言われまして(笑)。それで決心しました」
 
──中京大中京の学校側やOBとの間にしがらみもありそうですが。

「学校からは『100周年を迎えるので残ってほしい』と言われたのですが、私の新たな夢を理解してくれた。理事長からはネクタイをプレゼントされ、『頑張ってください』と送り出していただいた。私自身、高校3年、大学4年を中京で過ごし、計34年もお世話になりました。中京には今も感謝しかありません。学校が変わっても、教え子たちは変わらず応援してくれているのもありがたいです」

──享栄では初、自身16年ぶりの甲子園。

「誰からどんなことを言われようと、自分のやるべきことをやり、結果で示すしかない。そう思って、享栄の選手たちと一緒に頑張ってきました。甲子園が見えたチームはこれまでにも2度ほどありましたが、あと一歩で勝ち切れなかった。ようやくここまで来られたという思いです。初戦は名門・履正社さんですが、甲子園に出てこなければ、こういう相手とは戦えません。せっかくの舞台です。選手たちには最後まで全力を尽くし、いい顔で野球をしてほしい。うちの子たちは本当に元気がいいので、享栄らしい野球を見せてくれると思います」

☟初出場で「費用の面が…」 3000万円との情報も、応援団は0泊3日の弾丸も甲子園堪能
https://news.yahoo.co.jp/articles/ac26f9814da3fdfab7fe49f4608f165d5b4c64d4?page=1

今大会初のタイブレークの末にサヨナラ負け

初出場校にはさまざまな苦労がある。第108回全国高校野球選手権は大会第5日の9日、甲子園球場で1回戦4試合が行われ、第3試合は春夏通じて初出場の八王子実践(西東京)が鳴門渦潮(徳島)と対戦。9回2死から同点に追いつく粘りを見せ、今大会初のタイブレークに持ち込んだが、延長10回にサヨナラ負けを喫した。

ぎっしり埋め尽くされた三塁側のアルプススタンドが揺れる。0-1の9回2死一、二塁。代打で登場した金子侑樹投手(3年)はフルカウントからの外角直球を右前にはじき返した。スタートを切っていた二塁走者が生還。土壇場でスコアボードに歴史的な「1」が点灯すると、詰めかけた大応援団から拍手と大歓声が湧き起こった。

後続が倒れて勝ち越せなかったが、スタンドが沸き返るドラマは続く。その裏、先頭打者の一ゴロで塚原翔太投手(3年)がベースカバーに入ったが、ヘッドスライディングした打者走者の手が早いと判断されて一度はセーフと判定された。ここで河本ロバート監督がリクエスト。ビデオ検証の結果、判定が覆ると地鳴りのような拍手でナインを後押しした。

9回を無失点で切り抜けて今大会初のタイブレークに突入。1死二、三塁と好機を広げたが得点できず、その裏にサヨナラを許し、歴史的な勝利とはならなかった。それでも最後まで諦めない粘りで好ゲームを展開。河本監督は「力及ばず負けましたけど、同点に追いついた場面はしびれました。大きな声援はずっと聞こえていてありがたかったです」と後押ししてくれた応援に感謝した。
三塁側のアルプススタンドは満員。野球部OBも約360人が駆けつけた。在校生の約260人と関係者らはバス14台で前日8日の午後8時に東京を出発。車内泊を経て球場入りし、ナインに声援を送った。試合後には再びバスで帰京。ホテルには泊まらない0泊3日の超弾丸ツアーで学校創立100周年のメモリアルイヤーの初聖地を楽しんだ。

目標は3000万円? クラウドファンディングで資金集め

八王子実践にとって、初めての甲子園は未知の世界。英語教諭で野球部顧問の宮野拓己先生は「いろんな方に話を聞いて準備を進めましたけど、初めてのことなので苦労はしました」と説明。特に頭を悩ませているのが費用だ。宿泊費や移動費、バスのチャーター費など「いくらかかっているか、費用の面が見えていません」と漏らした。

「初出場で、ウチみたいに強豪ではない高校だと、部費を含めてプール金が一切ありません。費用はだいたい3000万円ぐらいはかかると言われているようですけど、どこから集めるのかを含めて見えていない部分があります。それが我々の課題です」

クラウドファンディングで資金を募っているが「手数料が結構かかります。18%も取られますので、現状だと金額が見えない。赤字なのか足りているのかが分からない状況です」という。思わぬところで出費がかさんでいる可能性もあるだけに、不安は隠せない。

コロナ禍以降、八王子実践は「吹奏楽部が応援に来ることがなくなった」という。毎年依頼はしているものの「顧問が1人だけで、例えば熱中症になると破綻してしまう。学校として態勢が不十分な状態が続いている」と嘆く。西東京大会は決勝戦以外、地声の応援でカバー。甲子園は姫路高のブラスバンド部の友情応援を受け、一丸となってナインを勇気づけた。

グラウンドの選手も、スタンドの応援団も、分からないことだらけで臨んだ初めての夢舞台。宮野先生は「分からないことばかりでも、それも勉強だとありがたく感じながらやっています」と前向きに取り組んできた。試合は野球ファンを満足させるような大熱戦。野球部の伝統も、資金調達のノウハウも、ここから積み上げていくしかない。
2026/08/11(火) 23時09分15秒 No.2568 編集 削除
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お知らせ

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⚾今日の熱闘甲子園試合結果(1・2回戦)
6日目第1試合 明徳義塾(高知)-日南学園(宮崎) 8:02~10:12
          一二三四五六七八九十計HE
      明徳義塾100000000 193
      日南学園000000101x 2100

6日目第2試合 沖縄尚学(沖縄)-横浜(神奈川) 13:32~15:40
          一二三四五六七八九十計HE
      横  浜021004000 7101
      沖縄尚学010001000 161

6日目第3試合 高川学園(山口)-高岡商(富山) 16:13~18:16
          一二三四五六七八九十計HE
      高川学園020011003 7120
      高 岡 商000000001 156

6日目第4試合 天理(奈良)-福山(広島) 18:47~21:06 18:34点灯
          一二三四五六七八九十計HE
      天  理000104101 7111
      福  山000000020 272

⚾明日の熱闘甲子園組み合わせ(7日目 2回戦)
  ☆ 08:00~  横 手 -敦賀 気比
☆☆☆ 13:30~ 智弁和歌山-  社
    16:00~ 履 正 社- 享 栄
 ☆☆ 18:30~ 松商 学園- 三 重

📝令和8年度秋季リーグ戦
http://www.cubf5589.com/tournament_schedule.php

★★★秋季リーグ戦について★★★

8月29日(土)より、令和8年度中国地区大学野球秋季三部リーグ戦、
9月5日(土)より、令和8年度中国六大学野球秋季リーグ戦、令和8年度中国地区大学野球秋季二部リーグ戦が開幕いたします。

💢鳥取城北は県勢初戦11連敗の屈辱でまた夏1勝ならず 新ユニホーム効果の39イニングぶり得点で一時逆転も 再逆転許し初戦6連敗
https://news.yahoo.co.jp/articles/633d47ed0fc220a2c7c3e790e48e47b30b171969

◆第108回全国高校野球 選手権大会第5日 ▽1回戦 岡山学芸館7―3鳥取城北(9日・甲子園)

鳥取城北は、2点を追う3回に一挙3点を奪い逆転に成功。県勢では21年に米子東が日大山形戦の9回に1点を挙げて以来、39イニングぶりの得点だった。しかし、6回に3失点で再逆転を許すと、7、9回にも1点を奪われた。

県勢の初戦勝利は14年の八頭が最後で、11連敗となった。鳥取城北としては12年に勝ったのを最後に、夏の初戦は6連敗となった。

チームは今大会から縦じまのないユニホームに変更した。加藤重雄監督は「甲子園に出ても、全国の壁が崩せないということで縦じまをなくしてみたらという意見もあって。一から生まれ変わるんだというぐらいの」と説明。ユニホームの一新は、開会式までほとんどの保護者が知らないサプライズだった。

鳥取城北は夏の甲子園で3年連続、出場6大会連続の初戦敗退。鳥取県勢の初戦連敗は歴代単独4位、継続中の記録ではワーストの11まで伸びた。

👣鳥取城北監督「置いてきぼりに」 鳥取勢、夏の甲子園の勝利遠く
https://news.yahoo.co.jp/articles/8862001431fa699560e4f32e4b1ce236f0702aee

全国高校野球選手権は第5日の9日、阪神甲子園球場で1回戦があり、鳥取城北は岡山学芸館に3―7で敗れ、14年ぶりの白星はならなかった。
鳥取県勢としても夏の甲子園は12年ぶりの勝利とはならなかった。試合後の鳥取城北・加藤重雄監督の主なコメントは次の通り。

◇鳥取城北・加藤重雄監督

<相手の田路惣一朗投手に対して、打線はいかがでしたか>

粘り強くは打ったと思いますが、(田路投手の球は)動く球で、最後まで目を離さず、呼び込んで打ってくれたと思いますが、打撃よりも私が(先発の)下浦(一心投手)に頼りすぎたところが非常に後悔するところです。

<鳥取県代表としても背負うものがありました>

それを言われると非常に辛いのですが、今年こそはと思ってチームを作ってきたつもりです。

<県勢として連敗が続いている中ですが、どういう思いで臨みましたか>

10連敗か11連敗かはわからないですが、我々はとにかく毎年、県の代表だということで、連敗をしていなくても絶対勝ちたいと思って試合をやっています。大変重荷にはなっていますが、勝負が始まったらそこまではあまり感じていません。

<連敗が続いてしまったことに対して、どんな思いですか>

もっと、もっと努力して、全国の壁に近づかなければ置いてきぼりになるかなと思います。

<全国の壁をどのように感じていますか>

相手は主だったエラーはしていない。かといって、ファインプレーがあったかと言ったら、そうでもない。堅実にミスをしなかった。そういうことも我々も続けてきたつもりですが、この舞台で出てしまった。まだ甘い、浅い。そういうところが勝負の分かれ目になったと思います。
鳥取大会では守って、攻撃につなげて、小刻みに点を取って、自分のペースに持っていった試合がほとんど。そういう展開を甲子園でできなかったことは非常に残念です。

🎤岡山学芸館・佐藤監督「みんな我慢してワンバンは」
https://news.yahoo.co.jp/articles/9732a4850c37b999378bc16380b10fb81e0d3603

全国高校野球選手権は第5日の9日、阪神甲子園球場で1回戦があり、岡山学芸館が7―3で鳥取城北に勝ち、3年連続で初戦を突破した。試合後の岡山学芸館・佐藤貴博監督の主な談話は次の通り。

◇岡山学芸館・佐藤貴博監督

<序盤は競って後半に逆転。そして差を広げました>

このゲームは接戦に持ち込まないと厳しいかなって。前半1点差で後半を迎えたらいいよっていう話をしている中で、六回に入ってからしっかりとたたみかけられたので良い攻撃ができました。

<今回の得点、七回以外はツーアウトランナーなしからの得点になりました>

どうやって後ろにつなげられるかっていうのを一番大切に考えてます。そういったところを岡山大会からチームには浸透していますので、2死になってからもきちんと次の打者につなぐことをみんなで考えながらやっています。なかなか岡山大会では結果が出なかったものですから、そういった形で粘って、粘ってというところは甲子園でもしっかり継続してくれたと思います。

<鳥取城北の先発した下浦一心投手の低めの球をよく見極めていました>

本当にそうですね。ミーティングで、あの低めを打つようだったら、勝負にならないよっていうことは言っていました。みんな我慢してワンバンの低めは、おそらく振っていないです。その辺とかの徹底事項をきちんとやってくれたのが、この結果になったのではないかなと思います。

<3年連続の初戦突破です>

ここに来ると3年連続ではありますが、(勝つのは)簡単ではないなというのをいつも感じながらやっています。次もですね、しっかりやらなきゃいけないこと、やるべきことを徹底して次の試合に行きたいと思います。

☟打球はどこに消えた!? 体で止めた遊撃手のユニホームの中へ「焦りました」中京VS霞ケ浦で珍事が発生 甲子園スタンド騒然
https://news.yahoo.co.jp/articles/280e54f7eb93c90a4858e81068e90780e1521e0e

◆第108回全国高校野球選手権大会第5日▽1回戦 中京3―6霞ケ浦(9日・甲子園)

霞ケ浦のショート・加藤龍(1年)の胸元からユニホームの中に打球が入る珍事が起きた。9回2死、中京の4番・竹内湊人の強烈な打球が遊撃を襲った。加藤は体を張ってこれを止めたが、肝心の止めたはずのボールがどこにもない…。なんとユニホームの中に入ってしまったのだった。当然、どこにも送球はできず、記録は遊撃内野安打。珍事に甲子園の客席は騒然となった。

加藤は試合後「バウンドして、首に当たりました。探したら、アンダーシャツとユニホームの間にボールがあって…。焦りました」と振り返った。1回にエラーをしていただけにヒヤリとした瞬間。高橋祐二監督は「加藤はちょっと重心が高いけど、県大会では厳しいところも無難にこなしてくれてはいた。今日は甲子園にのまれてエラーしてしまったんで、もう一回調整して、気持ちの切り替えをしてやってもらえれば大丈夫かな」と話した。

✌「いかついけどカッコええ」明徳義塾・馬淵監督がサングラス着用で采配 70歳名将の一変姿に反響「初めて見る」「いつからかけてたっけ?」
https://news.yahoo.co.jp/articles/ddbd652e0c8680838a34547962a087713fa41fa5

「全国高校野球選手権・1回戦、日南学園2-1明徳義塾」(10日、甲子園球場)

明徳義塾の馬淵史郎監督(70)が黒のサングラス姿で采配を振った。これまで馬淵監督はメガネ姿で指揮を執ってきたため、ネットでも話題となった。

「馬淵さん、サングラスいつからかけてたっけ?」
「馬淵監督、70歳かー いかついけどカッコええ」「サングラス姿かっこええ」
「サングラスかけてる明徳の馬淵監督 初めて見る」

などと反応があった。日本高野連は2025年から高校野球用具の使用制限を変更し、サングラスをこれまでの許可制から申し出制としている。紫外線から目を保護する目的から、肘を守るエルボーガードなどと同じ扱いとした。

今大会では健大高崎の青柳博文監督が7日の1回戦・八幡商戦でサングラスを着用して指揮を執っている。試合は九回サヨナラで日南学園が勝利した。

🎤明徳義塾 70歳の馬淵史郎監督が引き際について語る「学校はやれと言ってくれてるんですけど…」春夏通算40度目の出場は初戦敗退も“馬淵節”炸裂
https://news.yahoo.co.jp/articles/5eeb910e36ebb4784194a1b435234760e7efbb01

明徳義塾は九回サヨナラ負け。夏は2024年大会に続いて出場2大会連続の初戦突破を逃した。初回に先制したが、追加点を奪えず、七回に同点を許した。九回は2死から3連打を許して敗戦となった。

春夏通算40度目の出場となった馬淵史郎監督(70)は、「今年の夏は立てるんかなと思ったんですけど、案外ベンチの中におれたですね。あと2年はやろうと思ってます」と話した。
情熱の源について問われると、「野球は面白いですよ。男が一生かけてやっても良いようなスポーツだと僕は思いますけどね。やればやるほど面白くなると思うんですよ。僕、野球ほど面白いスポーツないんじゃないかと思いますけどね」とコメントした。

続けて、自ら引き際にも言及。「だから、気力と体力が続く限り、学校はやれと言ってくれてるんですけど、もうそろそろ70過ぎてやりよったら、ちょっと笑われるような気がして。後進も育ててるし。あと2年ぐらいはやってね、あの、最後、バトンタッチしたいと思う。もう何年もやる気はありません。辞めるんやったら辞める年に、もう公言しますから」と話した。

また、「今年の1年生がね、かなり有望なのが入ってるんですよ。彼らが3年になった時に『ええか、全国優勝狙うぞ』と言ってるんですよ。1年生には言ってるんですよ。まあまあの素材がいるんです。特別じゃないですよ、どっかのあの横浜とか大阪のあの辺の学校みたいに特別なんはいませんけど、鍛えたら面白いんじゃないかなという選手が複数おるし」とチクリと言いつつ、負けず嫌いを感じさせる言葉を並べた。

その後も“馬淵節”は止まらず、「だからあと2年で。プレッシャーも何にもないです。女房には『あんた、いつまでやるの』って言われて、もう早く辞めなあかん。日本一周温泉巡りをしたいですね。全部チェックしてますから、BSで。秘湯を。で、いろんなところの高校野球を見て回りたいです。ぶらっとね。何も言わずに外野からチラッと見たりとか。もうね、あと10年でしょう、生きたって。好きなことやっておかんと。80まで生きれたら良いと思っとるんじゃけん、あと10年はやりたいことやっておかんとね」と話し、豪快に笑った。

🎤2026年夏の甲子園 監督突撃インタビュー
東日本国際大昌平・江井監督 大企業の管理職で培った組織論「監督の力量を超えたチームになるには…」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/391426

江井康胤(東日本国際大昌平/福島/55歳)

きょう8日に白樺学園(北北海道)と対戦する東日本国際大昌平は、春夏通じて初の甲子園だ。率いる江井監督は千葉県出身。野田北(現野田中央)から東北福祉大へ。大学時代は内野手として日本代表を経験し、卒業後はJT、廃部後は東北マークスで活躍。引退後はJTで管理職まで務め、50歳で東日本国際大の助監督に。23年から現職という異色の経歴を持つ監督にチームづくりを聞いた。

──就任から3年で同校初の甲子園。

「いろいろな苦労が詰まっていますので、長かったような、あっという間だったような、不思議な感覚です。なかなか勝てない時期もありましたし、今の高校生が何を考えているのか理解するまでに時間もかかりました。今大会も、最初から甲子園を強く意識していたというより、まずは県でベスト4というくらいの気持ちでした。それが、まさか甲子園まで来られるとは」

──今の3年生は自身で勧誘した1期生です。

「東日本国際大で助監督をしていたとはいえ、高校生の選手集めはコネもノウハウもないところからのスタートでした。しかも、監督就任の内示が出た頃には、大半の中学生はすでに進路を決めていた。わずかなつながりを頼りに、野球関係者へ片っ端から連絡し、声をかけた中学生は100人どころではありません。かなり苦労しましたが、その中からウチを選んでくれた選手たちが、ここまで成長してくれたことは感慨深いですね」

──選手集めで意識していることは。

「県内外を問わず、さまざまな地域から選手が集まれば、互いに違う考え方を学べる良さがあります。それでも私たちは福島の代表です。地元の方々に応援してもらうためにも、地元の選手にはもっと来てほしい。福島には名門・聖光学院さんがありますから、選手集めは簡単ではありませんが、ウチに来たらどんな未来を描けるか、どんなチームをつくり、どう成長してもらいたいのかを、選手本人や保護者にきちんと伝える。それを信じて来てもらうしかないと思っています。甲子園出場で選手集めが楽になるか? それは分かりません。最後に決めるのは選手ですから(笑)」

──50歳で転職した理由は。

「大学時代の先輩が東日本国際大で監督をしていて、声をかけていただいたのがきっかけです。JTでは転勤も多く、管理職としてのストレスも相当でしたが、安定した立場を手放すことに数カ月間悩みました。ただ、子供たちも大きくなっていましたし、役職定年を迎える5年後、55歳になる頃に同じ話があるとは限らない。野球に恩返しをするなら今しかないと思い、決断しました」

──大企業の管理職という経験は指導に役立っていますか。

「任せるところは任せる」

「立場も考え方も異なる、さまざまな人をまとめてきました。その中で学んだのは、自分の考えだけを押し付ければ、組織を自分の描いた枠の中に収めてしまうということです。選手やスタッフには、それぞれ違った発想や想像力があり、自分にはない長所もある。監督がすべてを決めるのではなく、一人一人の力を引き出し、任せるところは任せる。そうすることでチームは監督一人の力量を超えて大きくなっていく。管理職時代に学んだ組織づくりや人材育成は、今の指導にも生きています」

──個々の力を引き出すチームづくりで、学校も監督も初めての甲子園に挑みます。

「実際にプレーするのは選手です。彼らが本番でどれほど緊張するかは、グラウンドに立ってみなければ分かりません。ただ、緊張するのは一生懸命やりたいという気持ちの表れです。どうでもよければ緊張なんてしませんから。一人一人の状態を見ながら、選手たちが持っている力を出し切れるように支えたい」 

📝断トツの優勝候補・横浜に潜む落とし穴 夏の甲子園で起きた「ポカ負け」の歴史
https://news.yahoo.co.jp/articles/77723bf69cf03ee96a4b0f89ad86f66087b90a39?page=1

8月5日に開幕した夏の甲子園。大阪桐蔭をはじめ、多くの有力校が地方大会で姿を消す波乱の夏となった。その中で、世代ナンバーワン右腕・織田翔希を擁する横浜が、4季連続で甲子園にやって来た。

柔よく剛を制す結果
 
今大会でも断トツの優勝候補に挙げられている横浜だが、一つ歯車が狂えば、今春のセンバツで初戦敗退したように、実力を出し切れないまま敗れる可能性もある。しかも、初戦の相手は昨夏の覇者・沖縄尚学。いきなり“事実上の決勝戦”ともいえるカードが組まれ、予断を許さない。そこで今回は、過去の夏の甲子園で横浜が喫した「まさかの敗戦」を振り返ってみたい。

まずは1994年である。横浜は斉藤宜之(元巨人など)、紀田彰一(元横浜など)、多村仁志(元DeNAなど)の超高校級クリーンアップと、プロ注目の本格派右腕・矢野英司(元横浜)らタレントを揃え、仙台育英、樟南、宇和島東とともに四強に挙げられていた。ところが、初戦の那覇商戦で、高校通算41本塁打の4番・紀田が第1打席から3打席連続四球と勝負を避けられた。1点を追う8回2死二、三塁の第4打席も、当然のように敬遠。直後、2死満塁から多村が力んで遊ゴロに打ち取られた。

上手投げと横手投げでフォームに変化をつけながら、変化球を有効に使う左腕・伊佐真琴の前に、横浜打線は「打たなければ」と気負い、あと一打が出なかった。一方、那覇商は2死から放った2本のタイムリーに加え、スクイズと犠飛で少ない好機を確実に得点へ結びつけ、4対2で逃げ切った。優勝候補から甲子園初勝利を挙げる大金星だった。

試合後、横浜の渡辺元智監督は「敬遠という作戦はあるけど、攻めてほしかった」と遺憾の意を表した。これに対し、那覇商の神山昂監督は「敬遠は最後だけ。伊佐のボールが荒れていただけで、最初から狙っていたわけじゃない」と自然体を強調。まさに柔よく剛を制す結果となった。

無駄な点をやっては勝てない
 
松坂世代以来の春夏連覇を狙いながら、まさかの初戦敗退を喫したのが2006年である。夏の甲子園3連覇を狙う駒大苫小牧とともに優勝候補に挙げられていた横浜は、1回戦で大阪桐蔭と対戦した。大阪桐蔭は前年夏の4強だったが、下馬評では総合力で勝る横浜が有利とみられていた。

序盤は横浜ペースだった。初回に高濱卓也(元阪神など)の二塁打で先制。逆転を許した直後の5回には、松本幸一郎のタイムリーで2対2の同点に追いついた。だが、なおも1死満塁のチャンスを併殺で潰し、6回の1死満塁でもスクイズが一塁への小フライとなり、併殺で無得点に終わった。2イニング続けて絶好機を逃したことが、試合の流れを大きく変えた。
7回にエース・川角謙がつかまり、この回5長短打で4失点。さらに8回、3番手・落司雄紀が謝敷正吾に3ラン、中田翔(元日本ハムなど)にバックスクリーン左へのソロ本塁打を浴び、試合が決した。

横浜は9回に越前一樹の2ランなどで3点を返し、最後の意地を見せたが、焼け石に水。6対11で試合終了となった。渡辺監督も「いくら点を取っても、無駄な点をやっては勝てない」と無念さをかみしめた。もし、この試合に勝っていれば、2回戦の相手は“ハンカチ王子”斎藤佑樹(元日本ハム)を擁する早稲田実だった。

たらればの話になるが、横浜が初戦敗退に泣いていなければ、早実・和泉実監督の優勝時の名セリフ「88回待って勝てました」が聞けたのか。そういう意味でも興味が尽きない。

計8失点
 
県大会でセンバツ優勝校のライバル・東海大相模を下し、同県勢による春夏連覇を狙った2011年も、柳裕也(現・中日)、近藤健介(現・ソフトバンク)ら好選手を揃えながら、ベスト8入りを前に敗退した。初戦となった2回戦の健大高崎戦は、4回までに5点をリードしながら、6回に一挙5失点であっという間に同点。延長10回、高橋亮謙のサヨナラ打で6対5と勝利し、苦しみながらも総力戦で初戦突破を果たした。

続く3回戦の智弁学園戦では、柳が8回まで3安打1失点と好投し、4対1とリード。このまま逃げ切るかに見えた。だが、最終回の継投が裏目に出る。柳が先頭打者に安打を許すと、渡辺監督は「今まで継投で勝ってきたし、代えずに負けると悔いが残る」と、思い切りよく相馬和磨をリリーフに送った。
相馬は次打者・青山大紀(元オリックス)に安打を許したものの、後続2人を打ち取り、勝利まであと1人となった。ところが、ここから死球を挟んで2安打を許し、4対4の同点。さらに3、4番手も炎上し、計8失点と一気にひっくり返された。その裏、2死一、二塁と最後の反撃に出たが、3番・近藤が三振に倒れ、4対9でゲームセットとなった。

大会ワーストタイとなる9回の8失点に加え、春夏を通じて神奈川県勢に11連敗していた奈良県勢に、初勝利を許す結果となった。渡辺監督も「監督の責任。選手に申し訳ない」と語り、継投の難しさを痛感させられていた。最初の関門をどう乗り切るのか
 
2017年、県大会で4試合連続本塁打を記録し、計5本を放った増田珠(現・ヤクルト)をはじめ、万波中正(現・日本ハム)、福永奨(現・オリックス)ら強打者を揃えたチームも、大会前は春夏連覇を狙う大阪桐蔭とともに五強に挙げられていた。だが、いきなり五強の一角でセンバツ準優勝の秀岳館と当たるめぐり合わせの不運もあり、4対6で初戦敗退。初回にわずか9球で3点を先行されるなど、「普段は考えられないミスが出た」(平田徹監督)と、下級生が多いチームの経験不足を露呈し、早々と姿を消した。

どれだけ前評判の高いチームでも、一本勝負のトーナメントでは何が起こるか分からない。横浜は過去にも、打線の力み、好機での拙攻、継投の失敗、試合序盤のミスなどから、思わぬ敗戦を喫してきた。全国屈指の戦力を誇る今大会も、初戦で待つのは昨夏の覇者・沖縄尚学である。少しの綻びが、そのまま敗戦につながりかねない相手だ。

松坂世代以来28年ぶりの夏制覇へ、まず越えなければならないのが沖縄尚学という大きな壁である。横浜がこの最初の関門をどう乗り切るのか。その戦いぶりが、今大会の行方を大きく左右しそうだ。
2026/08/10(月) 23時05分04秒 No.2567 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
⚾今日の熱闘甲子園試合結果(1回戦)
5日目第1試合 新田(愛媛)-花巻東(岩手) 8:03~10:27
          一二三四五六七八九十計HE
      花 巻 東010101010 480
      新  田000011000 260

5日目第2試合 鳥取城北(鳥取)-岡山学芸館(岡山) 13:31~15:52
          一二三四五六七八九十計HE
      学 芸 館002003101 790
      鳥取城北003000000 362

5日目第3試合 鳴門渦潮(徳島)-八王子実践(西東京) 16:20~18:18 18:03点灯 10回表から
          一二三四五六七八九十計HE
      八王子実0000000010150
      鳴門渦潮0100000001x260

5日目第4試合 中京(岐阜)-霞ヶ浦(茨城) 18:48~21:05
          一二三四五六七八九十計HE
      霞 ヶ 浦001022100 672
      中  京100000200 381

⚾明日の熱闘甲子園組み合わせ(6日目 1・2回戦)
 ☆☆ 08:00~ 明徳 義塾-日南 学園
☆☆☆ 13:30~  横 浜 -沖縄 尚学
    16:00~ 高 岡 商-高川 学園
  ☆ 18:30~  天 理 - 福 山

📝僕のタイブレーク球場観戦歴
① 15年 4月25日 佐藤薬品S  畝 傍 9-3奈良 大付(13回) 先攻勝利
② 15年 5月31日 倉敷 MS 創志 学園4-2松 江 商(13回) 先攻勝利
③ 18年 8月 6日 甲 子 園 佐久 長聖5-4旭 川 大(14回) 先攻勝利
④ 18年 8月12日 甲 子 園  済 美 13‐11 星 稜 (13回) 後攻勝利
⑤ 18年10月 3日 福井 県営  近 江 13‐12日 大 三(10回) 後攻勝利 (国体)
⑥ 18年10月13日 明石 トーカロ 報徳 学園3-2  社  (13回) 先攻勝利
⑦ 19年 5月 6日 皇 子 山 彦 根 東8-7 綾 羽 (13回) 後攻勝利
⑧ 19年10月26日 コカコーラ  矢 上 6-3 盈 進 (13回) 先攻勝利
⑨ 21年 7月23日 紀三 井寺 智弁和歌山3-2初芝 橋本(13回) 後攻勝利
⑩ 22年 3月20日 甲 子 園  近 江 6-2長崎 日大(13回) 先攻勝利
⑪ 22年 3月25日 甲 子 園 金光 大阪4-3木更津総合(13回) 後攻勝利
⑫ 22年 4月 9日 シティ 信金S 奈良学園大4-2神 戸 大(10回) 先攻勝利 (大学)
⑬ 22年10月 2日 ウイ ンク   社  4-2 育 英 (13回) 先攻勝利
⑭ 22年10月15日 倉敷 MS 周南公立大3-1環太平洋大(10回) 先攻勝利 (大学)
⑮ 22年10月15日 倉敷 MS 東 亜 大2-1吉備国際大(10回) 後攻勝利 (大学)
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⑯ 23年 3月28日 甲 子 園 報徳 学園5-4 東 邦 (10回) 後攻勝利
⑰ 23年 3月29日 甲 子 園 報徳 学園5-4仙台 育英(10回) 後攻勝利
⑱ 23年 4月16日 ダイムS伊勢 皇 學 館4ー3昴 学 園(10回) 後攻勝利
⑲ 23年 5月 1日 HMF神戸 関西国際大5-2天 理 大(10回) 先攻勝利 (大学)
⑳ 23年 5月13日 わかさ京都 京都 国際2-1龍谷大平安(10回) 後攻勝利
㉑ 23年 7月17日  浜 山  出 雲 工9-8 安 来 (10回) 後攻勝利
㉒ 23年 7月28日 紀三 井寺 市和 歌山5-4和歌 山北(11回) 後攻勝利
㉓ 23年 8月 6日 甲 子 園 土浦 日大8-3上 田 西(10回) 先攻勝利
㉔ 23年 8月13日 甲 子 園  山 陽 4-3大垣 日大(10回) 後攻勝利
㉕ 23年 8月16日 甲 子 園  慶 応 6-3 広 陵 (10回) 先攻勝利
㉖ 23年 8月26日 紀三 井寺  那 賀 6-2 桐 蔭 (10回) 先攻勝利
㉗ 23年 9月10日 G7スタジアム  彩星 工科4-3篠山 鳳鳴(10回) 後攻勝利
㉘ 23年10月15日 福井フェニックス 敦賀 気比11-5帝京 長岡(10回) 先攻勝利
㉙ 23年10月22日 シティ信金 京都 国際3-2 田 辺 (10回) 後攻勝利
㉚ 23年10月22日 シティ信金 京都外大西7-5彦根 総合(10回) 先攻勝利
㉛ 24年 3月18日 甲 子 園 八学 光星5-3関 東 一(11回) 先攻勝利
㉜ 24年 3月18日 甲 子 園 熊本 国府2-1 近 江 (10回) 後攻勝利
㉝ 24年 3月22日 甲 子 園 報徳 学園3-2愛工大名電(10回) 後攻勝利
㉞ 24年 3月27日 甲 子 園 青森 山田6-5 広 陵   (10回  後攻勝利
㉟ 24年 4月27日 紀三 井寺 市和 歌山6-3 田 辺 (10回) 先攻勝利
㊱ 24年 4月29日 ウイ ンク 須磨 翔風5-3神戸学院付(11回) 先攻勝利
㊲ 24年 5月 3日 HMF神戸 大阪体育大6-5甲 南 大(10回) 先攻勝利(大学)
㊳ 24年 5月 6日 マイネット皇子山 八 幡 商3-2比 叡 山(10回) 先攻勝利
㊴ 24年 5月19日 長 良 川  菰 野 6-5県岐 阜商(10回) 先攻勝利
㊵ 24年 7月22日 紀三 井寺  田 辺 9-8新宮/新翔(10回) 後攻勝利
㊶ 24年 8月 7日 甲 子 園 智弁 学園9-6岐阜 城北(11回) 先攻勝利
㊷ 24年 8月17日 甲 子 園  大 社 3-2早稲 田実(11回) 後攻勝利
㊸ 24年 9月 8日  高 砂  神 戸 一6-5 滝 川 (11回) 先攻勝利
㊹ 24年 9月28日 明石  トーカロ 東洋大姫路10-4神戸国際付(10回) 先攻勝利
㊺ 24年10月27日  浜 山  米子 松蔭4-3 盈 進 (11回) 後攻勝利
㊻ 24年11月 9日 甲賀 市民  河 南 3ー2 天 理 (11回) 後攻勝利(軟式)

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㊼ 25年 3月18日 甲 子 園 健大 高崎3-1明徳 義塾(10回) 先攻勝利
㊽ 25年 3月26日 甲 子 園 浦 和 実12-4聖光 学院(10回) 先攻勝利
㊾ 25年 4月26日 岡山 県営 福 山 大7-4川崎医療大(10回) 後攻勝利(大学)
㊿ 25年 4月27日 ウイ ンク 明 石 商5-4神戸学院付(10回) 先攻勝利
51 25年 5月11日 GOSANDO 履 正 社4-2関大 北陽(11回)  先攻勝利
52 25年 6月 1日 倉敷 MS 創志 学園2-1岡山 東商(10回) 先攻勝利
53  25年 7月 6日 わかさ京都 京都 文教9-8京都すばる(10回) 後攻勝利
54 25年 8月 6日 甲 子 園  開 星 6-5宮 崎 商(10回) 後攻勝利
55 25年 8月 7日 甲 子 園 津田 学園5-4 叡 明  (12回) 後攻勝利
56 25年 8月 9日 甲 子 園 佐 賀 北5-4青藍 泰斗(10回) 後攻勝利
57 25年 8月24日 紀三 井寺  向 陽 8-7 海 南 (10回) 後攻勝利
58 25年10月 6日 わかさ京都 龍谷大平安2-1 乙 訓 (11回) 後攻勝利
59 25年11月15日 ウイ ンク  天 理 2-1あべの翔学(10回) 先攻勝利(軟式)

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60 26年 3月19日 甲 子 園 八学 光星15-6 崇 徳 (10回) 先攻勝利
61 26年 3月25日 甲 子 園 智弁 学園2-1神村 学園(10回) 先攻勝利
62 26年 4月11日 ならっきー 奈 良 北3-2 奈 良 (10回) 先攻勝利
63 26年 5月31日  浜 山  創志 学園4-3 開 星 (10回) 後攻勝利
64 26年 7月25日 倉敷 MS 岡山学芸館3-2 山 陽 (10回) 後攻勝利
65 26年 8月09日 甲 子 園 鳴門 渦潮2-1八王子実践(10回) 後攻勝利

👣甲子園のグラウンドに立つ小島弘務さんを見たかった 浜松修学舎高監督に就任する直前「3年後、4年後に必ず良いチームを」その3年目に…早すぎる【悼む】
https://news.yahoo.co.jp/articles/02d7c24df9ae0b38d08c870e6e84390a5c7fd8ba

プロ野球・中日の元投手で、引退後はアマチュア球界で指導者として活躍した小島弘務さんが6日、肺がんのため死去した。58歳だった。

5日から始まったばかりの甲子園のグラウンドに立つ姿を見たかった。見られるはずだった。あまりにも突然な訃報に思い浮かんだのは、こんな思いだ。その才能も、力量も、指導者としての包容力もあっただけに、本当に残念でならない。

「前田さん、見ていてくださいよ。すぐ結果を出せと言われても無理かもしれない。でも3年後、4年後になれば、良い選手をスカウトして、鍛えて、必ず良いチームを作ってみせますからね」。自信たっぷりに話してくれたのは、浜松修学舎高の監督に就任する直前、2023年冬のこと。「今度、監督に就任することになりましたから、中日スポーツで大きく書いてくださいよ」と頼まれ、私の故郷でもある浜松の学校に取材に行った時だった。

 それ以前に、追手門学院大で監督を務め、チームを2部から1部に昇格させていた。浜松開誠館高のコーチに就任してからは、やはり元中日の佐野心監督(当時)をコーチとして支え、退任後ではあるが同校初の甲子園出場の一因となっていた。そんな実績の積み重ねから、確かな手ごたえがあったのだと思う。「大学で監督というものを学ばせてもらったし、開誠館では、甲子園への行き方を学ばせてもらった。だから、今度はその経験を生かして、甲子園で勝てるチームを作りたいんです」と目を輝かせて話す言葉を聞き、私はその実現を信じて疑っていなかった。そして今年がその3年目だった。自らスカウト、鍛え上げた選手でいざ勝負いう時に病に倒れ、最後まで生徒たちと勝負できなかった無念は察して余りある。後任者が指揮をとったこの夏は、静岡大会は古巣の浜松開誠館に3回戦で敗れたが、小島監督が指揮をとっていれば、絶対に結果は違ったものになったと思う。

振り返ってみれば、中日での現役時代からだから、もう30年以上の付き合いだった。現役時代は少しとぼけたところのある選手という印象だったが、プロ入りの際に人にない経験をしていた。引退後に焼き肉店経営、大学野球そして高校野球指導者とキャリアを積み重ね、人格的な魅力が増していった。プロ野球ひと筋の人間とはひと味違う、世界観を持っていたから、ずっと交流が続いたことは疑いない。焼き肉店経営の時は「100円稼ぐのが、これほど大変と思わなかった」、大学監督を退任した時は「4年生が送別会を開いてくれた。自分の指導が間違っていなかったんだと確信できた。あんなにうれしいことはなかった」など、苦労してきた人間にしか言えないことだろう。

そんな幾多の苦労が間もなく報われるはずだったのに。58歳の死は早すぎる。繰り返しになるが本当に残念でならない。 (92、93、99~01年中日担当・前田道彦)

小島さんは平安高(現・龍谷大平安)、住友金属を経て、1990年のドラフト会議で中日から1位指名された。91~97年まで中日でプレーし、98年にトレードでロッテに移籍。99年オフに戦力外通告を受け、2000年の1年間は台湾でプレーして現役を引退。NPBでは通算167試合に登板し、19勝15敗、8セーブ、防御率3・60。

2015年からは阪神大学野球連盟2部の追手門学院大の監督を務め、22年からは静岡・浜松開誠館高でコーチ。24年1月に静岡・浜松修学舎高の監督に就任、体調不良のため25年11月から休養し、今年3月限りで退任して治療に専念していた。

📝ビデオ検証で判定が変わったとき、審判のあるべき心境は 夏の甲子園
https://news.yahoo.co.jp/articles/b251ed06cedb41c62a908d8e77ab067b61e22c41

この夏の甲子園で、高校野球の公式戦で初めてビデオ検証が導入された。
大会第3日(7日)の有明―立命館宇治、立正大淞南―長崎日大で用いられたが、2度とも判定は変わらなかった。初めて判定が変わったのは3度目となる第4日(8日)の白樺学園―東日大昌平だった。

1―1の九回2死一、二塁。二塁への牽制(けんせい)がタッチアウトと判定されたが、二塁走者だった東日大昌平の小内壱晟(3年)がベンチにアピールした。

「セーフっぽいなとは思ったけど、アウトと言われても仕方ないと思った上で、ここで使うしかない、と。頼むからセーフになってくれと思って監督にお願いしました」と振り返る。

判定はセーフに変わった。小内は、打者の左前安打で本塁にかえって勝ち越した。ただ実際、判定が変わらなかった場合でも監督や選手には納得感が漂っていた。

検証を要求したが、タッチプレーがセーフとの判定が変わらなかった立正大淞南の太田充監督は「そもそも一番近くで見てジャッジしてくれていますから。あいまいな部分がなくなってよかった」とうなずいた。検証を監督に求めた遊撃手の佐多遼珂(3年)も「映像を見て、確かにセーフだなって。すっきりできた」と話した。

審判委員は仕事をしながら時間を作って、鍛錬を続けている。毎試合後に反省会を開き、互いに指摘し、技術の向上に余念がない。どれほど経験を積んでも、判定が変わるときはある。審判委員はどのような心境でいればいいのか。尾崎泰輔・審判副委員長はこう語っていた。

「正しい判定を選手に返すことができて良かったな、と思ってほしい。他に職業を持ちながらグラウンドに立たしてもらっていて、選手たちに喜んでもらうのが一番なので。審判はみんな、そうだと思います」

もやもやを残さず、次のプレーへと切り替える。選手や監督、そして審判委員が前を向いているように、見ている側もそうでありたい。

📝田中 仰『監督、神になる 池田高校記憶の衝突』インタビュー「高校野球を書くのは市井を書くことと一緒。嘘のない現象に会いたくて僕は取材をする」
https://news.yahoo.co.jp/articles/348cbeb22a91d61832b46ec7f0e65496bb6a7d7a?page=1

「蔦文也という神話を守ることと、定説を覆してでも真実を知ろうとすることの、どちらにリスペクトはあるのか――。取材中もずっとそんな敬意の在り処のことを考えていた気がします」

この夏、自身初の著作となる『監督、神になる』を上梓した田中仰氏は平成生まれの34歳。1974年に部員わずか11名で選抜準優勝に輝いた〈さわやかイレブン〉の快挙や、1982~1983年の夏春連覇といった徳島県立池田高校の黄金期も、〈攻めダルマ〉と恐れられた阿波弁の名将のことも、当然リアルタイムには知る由もない。

きっかけは私的な旅行でJR土讃線に乗車中、ふとその小さな駅を見かけたことだった。〈阿波池田という駅名を見た。その瞬間に、金属バットの甲高い打球音と、「やまびこ打線」という言葉が頭に浮かんだ〉〈こんな田舎にある公立校が甲子園で三度も優勝するという奇跡が、本当に起きたのか〉そして3年後、田中氏は改めてその駅に降り立ち、遺族や元コーチや教え子の証言を集め歩くことになるのだが、あくまでそれらは彼らが見た蔦文也像であり、真実は訊けば訊くほど輪郭を失うようでもあった。

「高校野球は小学生の頃から大好きで、憧れの対象でした。僕らの頃は甲子園といえば智辯和歌山や横浜や大阪桐蔭で、池田の名前は『白球の記憶』で見た程度。その自分が亡くなってから25年が経つ蔦さんの本をなぜ書いたのかと言えば、やはりあの山間に佇む駅を見た時の感動と、自分は〈致命的な事実を見落としたまま記事を出してしまったのではないか〉という、〈居心地の悪さ〉からでした」

そう。本書の起点はもうひとつ、2025年に初めて阿波池田駅に降り立った著者がウェブ上で公開した、作中でいう〈夏の記事〉にある。

〈美談は言わない〉という条件で取材に応じてくれたその元コーチは、〈蔦さんは純粋な人〉〈でも、連覇した八三年春の後からやね、少しずつ蔦文也はおかしくなっていったんよ〉と言った。講演会の増加とそれに伴う不在が選手達に与えた不安について証言。さらに当時の部員が書いたという〈告発状〉を著者に託し、講演を控えるよう進言した際に監督がこぼしたという〈金は、やめられん〉という言葉と併せて報じたのが、先述の「夏の記事」だった。

当然、〈英雄が汚された〉と反発する関係者は多く、同年11月に著者が池田高校を再び訪れ、取材を再開する場面は、読んでいるこちらまでドキドキするほど。

「実際、ある元部員の方に言われました。〈えっ、あれを書いた人!?〉〈よく、来れましたね?〉って(笑)。蔦さんに関しては、今でも訊く人によっていい話も悪い話も両方出てくる。その落差と、例の告発状の彼がどうしているかがどうしても気になって、取材を続けることにしたんです」

本書では、そうこうして集めた膨大な証言と、蔦と池田高校のまさに奇跡的としか言いようのない軌跡を、幾つかの謎に沿って再構成。例えば蔦采配は「打ち勝つ野球」へと高校野球を変えた嚆矢とされるが、金属バットと筋トレ導入の関係など、従来の定説を再検証すると偶然に負うところも多く、強さに原因を求めるあまり伝説が独り歩きする過程が透けて見えるよう。

小さな町だから寄付金が集まる
 
また、「第四章 甲子園と金」では、後年の蔦が現場を疎かにしてまで講演活動を続けた理由を探るべく、強くなるためには金が要り、出たら出たでまた金が要る、甲子園の皮肉な実態を検証。さらに〈特攻くずれ〉にして〈プロ野球くずれ〉でもある戦中派の屈託や生への渇望を想う時、ただでさえ食い違う証言を前に揺れる著者の心は、一層揺れ動くのだ。

「謎を提示した以上、自分なりに答えに辿りつこうと、全力は尽くしたつもりです。元部員の方も蔦さんとは3年しか接してないわけで、深い話をできた人となるとほぼ皆無に近い。かと思うと外では数々の名言を口にした彼自身、たぶん矛盾を気にかけない人で、そこに僕は戦前戦後と言葉に翻弄され続けた蔦さんの、〈言葉を信用していないがゆえの妙技〉さえ感じます」

技術的な指導は特にせず、サインミスも度々だったという名将を、ある元主将は〈普通のおじいちゃんなんです。野球が大好きな〉と評し、〈一枚の「絵」〉の話をしてくれた。それは雨上がりの校庭でひとり、黙々とグラウンド整備をする蔦の記憶で、同じような絵を心に刻む者は何人かいた。

「最初にお会いした3人が会うなり口にしたその記憶の話も、件の告発者の彼の証言も、事実として偏りなく集めたいと思いました。今回つくづく思ったのは、高校野球を書くのは市井を書くことと一緒なんですよ。監督も町の人も相手は全員一般人で、言っちゃまずいことも平気で言っちゃう。寄付金集めに苦労している公立は今も多く、そんな構造が40年変わらないこと自体、確かに機能不全だとは思う。でもあんな小さな町がなぜ寄付金を集められたのかと思ったら逆で、小さいから集まる。そういう嘘やまとまりのない現象に会いたくて、僕は取材をしているのかもしれません」

小が大を食う番狂わせや甲子園特有の青春の匂いに心躍らせる反面、それらを消費する罪にも今後は自覚的でありたいという著者。

「30年、40年経っても笑い話にできないほど傷が癒えない人もいる以上、少なくとも『どこにでもありそうな話』とか『全員が全員、うまくいくわけがない』で片しちゃいけないなって」

そんな誠実さゆえに悩み抜く姿が新鮮な、令和の今らしいノンフィクションだ。
2026/08/09(日) 23時07分50秒 No.2566 編集 削除