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☟西短付野球部の新監督に卒業生の浜崎氏 前監督の西村氏は解任に不服
https://news.yahoo.co.jp/articles/613cc1d15a15fc4dcae7e60bcb0a4356cd59a3f8
昨夏まで3季連続で野球部が甲子園に出場した西日本短大付属高校は6日、野球部の新監督に浜崎剛男氏(53)が就任したと明らかにした。今月1日付で就任し、すでに練習に出て指導をしている。
学校関係者らによると、浜崎氏は同校卒業生でプロ野球ソフトバンクホークスの球団職員も務めた。同校野球部の3年生だった1990年に夏の甲子園で4強入り。当時の監督は父・満重さんで、92年夏には全国制覇に導いた。
一方、前監督の西村慎太郎氏(54)について、同校は昨年10月に就業規則違反を理由に解任した。違反の詳細は明らかにしていないが、西村氏は「違反の事実はなく、解任の理由にはならない」と処分に不服だとして労働審判を申し立てているという。同校の教員は続け、社会科教諭として教壇に立っている。
西村氏は同部OBで2003年に監督に就任。19年に一度退任したが、21年から再び指揮を執っていた。昨春の選抜で8強入りするなど昨夏まで3季連続で甲子園に出場した。
📣ドラゴンズ2軍本拠地の移転先に三重県桑名市が名乗り「大きな地域活性化に繋がる」これまでに犬山市や羽島市なども
https://news.yahoo.co.jp/articles/35a768e5a49824c3afc6c09250756f5db8bd40c7
中日ドラゴンズ2軍の本拠地の移転先に、新たに三重県桑名市も名乗りをあげました。
ドラゴンズの2軍の本拠地・ナゴヤ球場は、老朽化を理由に2030年代前半の移転を目指し、球団側は新年度前半から移転先を公募します。
桑名市の伊藤徳宇市長:「ドラゴンズの2軍に来ていただくことは、本当に大きな地域活性化に繋がるんじゃないかなと期待しています」
桑名市の伊藤徳宇市長は6日午後に会見を開き、伊勢湾岸自動車道の湾岸長島IC付近などを候補地として、2軍本拠地の誘致に向けて検討を進めていると明らかにしました。
これまでに、愛知県犬山市や岐阜県羽島市なども、誘致を目指すと表明しています。
🔥【ドラフト候補紹介】市和歌山・丹羽涼介「俺が1番になったろ」燃える最速151キロ快速右腕
https://news.yahoo.co.jp/articles/f4fac0378b5933fb0ecce1f769b36702d6e5276f
ライバル多き同世代の中でも主役を奪う気持ちは誰にも負けない。市和歌山の丹羽は、ピンとした帽子のつばのように真っすぐな視線で言った。「すごい選手がいっぱいいても、それを押しのけて俺が1番になったろうかなと。負けてられんなという気持ちが芽生えています」。世代NO・1へ快速右腕は燃えている。
同世代は強者がそろう。右腕だけでも横浜・織田翔希、山梨学院・菰田陽生、大阪桐蔭・吉岡貫介ら最速150キロを超える速球を武器とする好投手が多い。その中で丹羽の名が全国に知れ渡ったのは昨年のセンバツだった。横浜戦で3回途中から登板。「当たって砕けろという感じだった」。長打で失点したが、6回2/3を2安打1失点。「自信になった」と胸を張る。
直前の練習試合では150キロを計測。目標の数字でもあり、「やっと出たか。140キロ台はいっぱいいる。150キロは区切り」と自信も深めた。ただ、制球面では課題も自覚する。昨秋の近畿大会1回戦で大阪桐蔭と対戦。体調が整わず、8回10安打7四死球5失点(自責1)と本来の投球とはかけ離れた。「真っすぐが浮いたら変化も手を出してくれなくなる。制球力は大事になる」と痛感した。
エースとしての自覚も持つ。かつてはOBのDeNA小園健太もつけた背番号1。「どんな調子でもチームを勝たせるのがエースにふさわしい」。最終学年となり、再び聖地のマウンドへ立つことが最優先だ。「悔いのない1年にして、このチームで甲子園に出て全国制覇したい」。さらなる成長を遂げて世代最強をつかみ取る。
📝プロ注目だった英数学館・藤本 最速149キロの逸材が選んだ進学の道 8月末に心境変化、そのワケは 恩師の母校・東海大へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/19bbf0b64cb8a5a794eda66f085543cd7d69f915
英数学館の藤本勇太投手(3年)がデイリースポーツの取材に応じ、4年後にドラフト1位でプロ入りする夢を明かした。最速149キロを誇り、昨夏は12球団のスカウトから注目を浴びた右腕。広島大会敗退後にプロ志望届の提出を明言していたが、その後、進路を熟考し、東海大への進学を決断。その背景にあった心境の変化や、今後の夢について語った。
逸材が選んだのは進学の道だった。12月下旬まで英数学館のグラウンドでトレーニングを続けた藤本は、すでに4年後の未来を思い描いていた。
「自分の選択に後悔はないです。4年後のドラフトで1位指名をいただいてプロに行くっていう目標は変わらない。ワクワクしてます」
最速149キロ右腕が注目を浴びるきっかけとなったのは3年春の広島大会だった。決勝の広陵戦で1失点完投勝利を挙げるなど、5試合連続完投をマークし、英数学館を初の県王者へ。中国大会にも初出場を果たし、中国地区の高校生投手の中ではトップレベルの評価を受けた。
夏の広島大会では3回戦で広島商に2-4で敗れるも、同戦には11球団のスカウトが集結。試合後、右腕の目に涙はなく、「ずっとプロに入る目標があった。ドラフト会議に向けてやっていきたい」とプロ志望届の提出を明言。しかし、最後までプロ志望届の提出者リストに藤本の名が並ぶことはなかった。
同校に入学した当初から、「5球団競合でドラフト1位」という目標を掲げ、過ごした2年半。「高卒でプロに行くという考えしかなかった」という右腕の心境に変化があったのは、8月末の2日間だった。
黒田元監督(36)と訪れたのは関東にある2校の強豪大学。指揮官は、「どこかのタイミングで大学野球の世界を見せてあげたいなとは思っていました。彼の選択肢を広げたかった」と狙いを明かす。初日はプロ野球選手を何人も輩出している名門大学へ。「グラウンド、ブルペン、室内練習場全てが初めて見るレベルのものだった」と藤本。高校では考えられないハイレベルな環境を目の当たりにして、この時点で気持ちは進学へ大きく傾いた。
2日目は黒田監督の母校でもある東海大へ。初日の大学に比べ、施設面では劣るが藤本は雰囲気に引かれた。「入学した時から黒田さんに『英数学館の色は東海大の色だよ』と言われていた。自分が成長できた環境に似たところで野球ができるのは魅力に感じた」。結果的に右腕は東海大への進学を決断。同大の長谷川国利監督(63)からも期待の言葉をかけられ、「1年春のリーグ戦からチームに貢献したい」と意気込んでいる。
黒田監督は藤本の能力に加え、人間性を高く評価する。「彼は“本当の練習”をできる数少ない人間。自分で考えて取り組んでいたのを一番近くで見てましたから。新しい歴史をつくってくれると思います。侍ジャパンに選ばれるような投手になりますよ」。藤本自身も今後の野球人生に大きな希望を抱いている。「素晴らしい環境で4年間、野球できるのが楽しみ。1年生からしっかり活躍できるように準備しています」。進学という選択は夢を遠ざけるものではない。藤本の挑戦は新天地で続いていく。
📝夏の甲子園優勝エースはなぜ大学へ進んだのか 青学大・中西聖輝が「正解にした」4年間と智辯和歌山・中谷仁監督の進路観
https://news.yahoo.co.jp/articles/4eccc04989bb37b27dc930d55ebb2b316261671e?page=1
智辯和歌山・中谷仁監督インタビュー(前編)
2024年までに、智辯和歌山からプロ野球界へ進んだ選手は16人を数える。そのうちドラフト1位指名を受けたのは4人。そして昨秋、同校OBとしては17人目、ドラフト1位としては5人目となる選手が誕生した。昨年の大学野球界で「世代ナンバーワン右腕」との呼び声が高かった青山学院大の中西聖輝である。
昨秋の明治神宮大会では2連覇の立役者となり、青学大のエースとして大学通算17勝を挙げた。その数週間前に行なわれたドラフト会議では、中日からドラフト1位指名を受けた。
【プロ志望から大学進学へ】
中西といえば、2021年夏の甲子園で智辯和歌山のエースとして21年ぶりの優勝に導いた。じつは当時、中西はプロ志望で、夏の甲子園後にプロ志望届を提出する予定だった。しかし熟考の末、大学進学の道を選ぶ決断を下した。
それから4年後、中西はドラフト1位指名を受け、プロへの道を切り開いた。その中西について、智辯和歌山の中谷仁監督はこう語る。
「『振り返ってみたら正解やった』ではなく、正解にした中西の努力、勝負強さだと思います」
かつての智辯和歌山は、高卒からプロに進む選手が多かった。2009年に中日から1位指名された岡田俊哉や10年に日本ハムから2位指名を受けた西川遥輝たちがそうだが、中谷氏が智辯和歌山の監督に就任した以降も、18年の林晃汰(広島3位)、19年の黒川史陽(楽天2位)、東妻純平(DeNA4位)、20年の細川凌平(日本ハム4位)、小林樹斗(広島4位)が高校卒業後、プロの世界に飛び込んだ。
だが中西が在籍していた2021年以降は、高校在学中にプロ志望届を提出した選手はいない。
これまでプロへ進んだ林以降の5人の教え子の歩みを踏まえ、中谷監督は高校からプロの世界へ進むことに対して、ある懸念を抱いていた。
「高校野球くらいまでは、極端な話、練習はやらされているものなんです。自分で考えなくてもいいから、じつはすごく楽なんです。それにハマって伸びる選手もいますが、プロや大学といったカテゴリーになると、任される時間が一気に増えます。大学を経てプロに行けば、ある程度その流れを理解したうえで入れますが、高卒でプロに進むと、練習での時間の使い方がわからないんです」
【高卒1位入団に突きつけられた現実】
中谷監督自身も1997年のドラフトで阪神から1位指名を受け、高卒でプロ入りした経験を持つ。しかし、入団直後は周囲のスピードについていけず、苦労の連続だったという。
「僕自身、入団してみると、できないことや知らないことがあまりにも多く、大学や社会人出身の選手とかなりの差を感じました。たとえば二軍でも、バントシフトやけん制などで、横文字の名称が当たり前のように飛び交う。まるで英語の授業を受けているようでした(笑)。野球なのに、これまで聞いたことのない用語だらけのなかで練習するんです。そもそも(高卒の)19歳と、(大卒の)23歳、(社会人の)25歳を比べれば、レベルの差が大きいのは当然です。ただ、プロの世界では、そうした事情を考慮してもらえるわけではありません。『プロで必ず成功してやる』という強い思いを持った人間だけが最後に勝ち残る世界です。よほどのスーパープレーヤーでない限り、高卒でいきなり通用するのは難しいですよね」
それに加えて、中谷監督は阪神のドラフト1位ということで、周囲からの期待がとにかく大きかった。甲子園で優勝という肩書もあって、1月の入寮時から常に注目の的だった。
「たしかに、あの頃はプレッシャーがものすごく大きかったですね。高卒選手に寄り添ってくれる育成コーチや先輩がいれば心強いのですが、そうした環境が整っているチームは当時、多くありませんでした。そもそも先輩選手も、自分の人生がかかっていますから、みんな自分のことで必死です。だからこそ、最後は自分で乗り越えなければならないんです」
【大学の4年間で身につくプロで生きる思考】
その点で言えば、大学生は「任される時間」が生活の大半を占めるなかで、4年間かけて時間の使い方を身につけていく。その過程では自由な時間も多く、どうバランスを保つのか、どこまで自分に負荷をかけるのかを見極めながら成長していく。そうした選手ほど、結果を残していく傾向にある。
「練習をきちんとやる選手はやりますが、遊びたい選手は遊んでしまう。チームメイトが遊んでいるのを横目に、自分はトレーニングを続ける。その時間を4年間しっかり保てた選手は、プロでも成功しやすいと思います。どれだけドラフト1位で騒がれてプロに入っても、そうした思考が身についていなければ、プレッシャーだけがのしかかってくる。ドラフト上位であればあるほど、その重圧は大きくなりますし、高卒となれば、なおさら跳ね返すのは難しいんですよね」
高校時代から注目を集め、ドラフト1位で入団した選手となれば、なおさらだ。高卒ながら即戦力として期待される一方で、現実には早々に壁にぶつかるケースも少なくない。いわば、出口の見えないトンネルに迷い込んでしまった時、どうすれば活躍への道を切り開けるのか。
ファームで結果を残し、ようやく光が見え始めた──そう思った矢先に故障に見舞われ、シーズンを棒に振ってしまう。そんな若い選手の姿を、これまで何度も目にしてきた。
そうこうしているうちに、大卒で自分と同い年の選手が入団してくるという状況にもなる。近年は球団側の見極めも厳しくなり、高卒4年目で戦力外通告を受けるケースも少なくない。だからこそ、高校卒業後の進路選択は以前よりもシビアなものになっている。
「野球の基本や技術だけでなく、自分がどう取り組むのか、どう学ぶのかという姿勢は、中学や高校の部活動よりも、大学で身につく部分が多いと思います。自分の時間を自由に使える環境のなかで、自ら何かをつかみにいくくらいの気持ちをどれだけ持てるか。そこからプロへの道が続くと思っています」
つづく>>
⚾岩手さんへ
昨日の山陰における地震は我が家も揺れたらしいです・・・・・。僕は何も気づかずに朝ごはん食べていたかと思いますが、その数十分後に母から聞かされ驚きました!!
実は約四半世紀前にも鳥取西部を中心に大きな地震があったらしいですが、それも知らなかったですね・・・・・。中国地方はあまり地震がない地域と認識しているので・・・。
2~3年前の梅雨時に出雲大社からまだ奥に入った日御碕あたりが集中豪雨に見舞われたのは覚えてますが、そこまで遠すぎて足を運べないので、、、、、
ニュースで報道されていることしか分かりませんが、不幸中の幸いで死者はいないようだし、けが人も10数名程度にとどまり、年末の北海道近辺の地震や昨秋のトカラ列島群発地震に比べたらまだマシなのかなと信じたいですね。
ただ、特急やくもなどは終日運休していたし、停電の影響で山陽新幹線も大阪ー博多間で運転見合わせとのことで、ビジネスマンの出張族たちは相当難儀したのでは?と思われます。
個人的に10月23~25日鳥取 あらため 5月29日~31日島根(29日は前日移動で米子-松江観光) に繰り上げて山陰行きが確定したので、戦々恐々ですね・・・。あっちにいる間に震災に巻き込まれたら帰れないし、液状化現象は阪神大震災でコリゴリなんでもう勘弁してほしいと!
思い出すのは数年前の夏・倉敷マスカットで宿泊観戦2日目に第2試合終了後のインターバルを活かして、スタンド最上段をライトからレフト方向に歩いている折に突然、震度3の地震に見舞われノック中の選手も動揺していたし、僕も一番高い場所での震度3なんで体感はもっときつかったですね!!
今日から特急やくもなども通常運行したようだし、1週間程度は地震が頻繁に起こると思いますが、震度3までに留まりほとぼりが冷めたらと・・・。
公立校は春が09年の清峰・夏は07年の佐賀北を最後に優勝から遠ざかってますが、7イニング制にしたところで公立校が昔のように上位独占できるとは思えないのですが、、、、、
やはり選手層が違うしDH制導入もあるので、上位打線に本来クリーンアップを打つ選手を1~3番に固めてノーバント野球でゴリ押しして序盤から相手を戦意喪失させるような戦術を用いてくるかもしれないし、投手層の厚いチームは3~4人をこまめに継投してショートイニング全力投球されたら勝機は薄いかと。
2部制はいつの間にか無くなった「センバツ希望枠」よろしく無くなって欲しいですが、2年前は初日2枚券を買って7時開門から21時36分試合終了まで中抜けしながら長すぎる一日を過ごして疲労困憊だったし。
昨年は午前の部1日 午後の部2日 行きました。いずれも外野ですが、午前の部は熱すぎるので本当にしんどいし、急いで帰っても15時前でそこから昼ご飯食べて16時15分から自宅観戦。
午後の部は午前中にTV観戦してすぐ昼ご飯食べて、まだまだ熱い日中に出かけて、今津ー甲子園歩いて15時前にコロワ甲子園でかき氷買って15時15分スタンド入場して食べると。
16時15分から2試合なんで影が伸びてくると浜風もあり涼しいし、ナイター確定なんで嬉しいですが、21時前後に試合が終わり足早に帰らないと・・・・・。
平沼はたしかに小林繁さんの教え子ですね。先発投手を教えたところで数十分後にはメンバー交換するので大勢に影響はないと思いますが・・・・・。
工大福井は白水監督がまだやっていると思いますよ。昨夏はベンチで采配しているのを見ましたから。
https://news.yahoo.co.jp/articles/613cc1d15a15fc4dcae7e60bcb0a4356cd59a3f8
昨夏まで3季連続で野球部が甲子園に出場した西日本短大付属高校は6日、野球部の新監督に浜崎剛男氏(53)が就任したと明らかにした。今月1日付で就任し、すでに練習に出て指導をしている。
学校関係者らによると、浜崎氏は同校卒業生でプロ野球ソフトバンクホークスの球団職員も務めた。同校野球部の3年生だった1990年に夏の甲子園で4強入り。当時の監督は父・満重さんで、92年夏には全国制覇に導いた。
一方、前監督の西村慎太郎氏(54)について、同校は昨年10月に就業規則違反を理由に解任した。違反の詳細は明らかにしていないが、西村氏は「違反の事実はなく、解任の理由にはならない」と処分に不服だとして労働審判を申し立てているという。同校の教員は続け、社会科教諭として教壇に立っている。
西村氏は同部OBで2003年に監督に就任。19年に一度退任したが、21年から再び指揮を執っていた。昨春の選抜で8強入りするなど昨夏まで3季連続で甲子園に出場した。
📣ドラゴンズ2軍本拠地の移転先に三重県桑名市が名乗り「大きな地域活性化に繋がる」これまでに犬山市や羽島市なども
https://news.yahoo.co.jp/articles/35a768e5a49824c3afc6c09250756f5db8bd40c7
中日ドラゴンズ2軍の本拠地の移転先に、新たに三重県桑名市も名乗りをあげました。
ドラゴンズの2軍の本拠地・ナゴヤ球場は、老朽化を理由に2030年代前半の移転を目指し、球団側は新年度前半から移転先を公募します。
桑名市の伊藤徳宇市長:「ドラゴンズの2軍に来ていただくことは、本当に大きな地域活性化に繋がるんじゃないかなと期待しています」
桑名市の伊藤徳宇市長は6日午後に会見を開き、伊勢湾岸自動車道の湾岸長島IC付近などを候補地として、2軍本拠地の誘致に向けて検討を進めていると明らかにしました。
これまでに、愛知県犬山市や岐阜県羽島市なども、誘致を目指すと表明しています。
🔥【ドラフト候補紹介】市和歌山・丹羽涼介「俺が1番になったろ」燃える最速151キロ快速右腕
https://news.yahoo.co.jp/articles/f4fac0378b5933fb0ecce1f769b36702d6e5276f
ライバル多き同世代の中でも主役を奪う気持ちは誰にも負けない。市和歌山の丹羽は、ピンとした帽子のつばのように真っすぐな視線で言った。「すごい選手がいっぱいいても、それを押しのけて俺が1番になったろうかなと。負けてられんなという気持ちが芽生えています」。世代NO・1へ快速右腕は燃えている。
同世代は強者がそろう。右腕だけでも横浜・織田翔希、山梨学院・菰田陽生、大阪桐蔭・吉岡貫介ら最速150キロを超える速球を武器とする好投手が多い。その中で丹羽の名が全国に知れ渡ったのは昨年のセンバツだった。横浜戦で3回途中から登板。「当たって砕けろという感じだった」。長打で失点したが、6回2/3を2安打1失点。「自信になった」と胸を張る。
直前の練習試合では150キロを計測。目標の数字でもあり、「やっと出たか。140キロ台はいっぱいいる。150キロは区切り」と自信も深めた。ただ、制球面では課題も自覚する。昨秋の近畿大会1回戦で大阪桐蔭と対戦。体調が整わず、8回10安打7四死球5失点(自責1)と本来の投球とはかけ離れた。「真っすぐが浮いたら変化も手を出してくれなくなる。制球力は大事になる」と痛感した。
エースとしての自覚も持つ。かつてはOBのDeNA小園健太もつけた背番号1。「どんな調子でもチームを勝たせるのがエースにふさわしい」。最終学年となり、再び聖地のマウンドへ立つことが最優先だ。「悔いのない1年にして、このチームで甲子園に出て全国制覇したい」。さらなる成長を遂げて世代最強をつかみ取る。
📝プロ注目だった英数学館・藤本 最速149キロの逸材が選んだ進学の道 8月末に心境変化、そのワケは 恩師の母校・東海大へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/19bbf0b64cb8a5a794eda66f085543cd7d69f915
英数学館の藤本勇太投手(3年)がデイリースポーツの取材に応じ、4年後にドラフト1位でプロ入りする夢を明かした。最速149キロを誇り、昨夏は12球団のスカウトから注目を浴びた右腕。広島大会敗退後にプロ志望届の提出を明言していたが、その後、進路を熟考し、東海大への進学を決断。その背景にあった心境の変化や、今後の夢について語った。
逸材が選んだのは進学の道だった。12月下旬まで英数学館のグラウンドでトレーニングを続けた藤本は、すでに4年後の未来を思い描いていた。
「自分の選択に後悔はないです。4年後のドラフトで1位指名をいただいてプロに行くっていう目標は変わらない。ワクワクしてます」
最速149キロ右腕が注目を浴びるきっかけとなったのは3年春の広島大会だった。決勝の広陵戦で1失点完投勝利を挙げるなど、5試合連続完投をマークし、英数学館を初の県王者へ。中国大会にも初出場を果たし、中国地区の高校生投手の中ではトップレベルの評価を受けた。
夏の広島大会では3回戦で広島商に2-4で敗れるも、同戦には11球団のスカウトが集結。試合後、右腕の目に涙はなく、「ずっとプロに入る目標があった。ドラフト会議に向けてやっていきたい」とプロ志望届の提出を明言。しかし、最後までプロ志望届の提出者リストに藤本の名が並ぶことはなかった。
同校に入学した当初から、「5球団競合でドラフト1位」という目標を掲げ、過ごした2年半。「高卒でプロに行くという考えしかなかった」という右腕の心境に変化があったのは、8月末の2日間だった。
黒田元監督(36)と訪れたのは関東にある2校の強豪大学。指揮官は、「どこかのタイミングで大学野球の世界を見せてあげたいなとは思っていました。彼の選択肢を広げたかった」と狙いを明かす。初日はプロ野球選手を何人も輩出している名門大学へ。「グラウンド、ブルペン、室内練習場全てが初めて見るレベルのものだった」と藤本。高校では考えられないハイレベルな環境を目の当たりにして、この時点で気持ちは進学へ大きく傾いた。
2日目は黒田監督の母校でもある東海大へ。初日の大学に比べ、施設面では劣るが藤本は雰囲気に引かれた。「入学した時から黒田さんに『英数学館の色は東海大の色だよ』と言われていた。自分が成長できた環境に似たところで野球ができるのは魅力に感じた」。結果的に右腕は東海大への進学を決断。同大の長谷川国利監督(63)からも期待の言葉をかけられ、「1年春のリーグ戦からチームに貢献したい」と意気込んでいる。
黒田監督は藤本の能力に加え、人間性を高く評価する。「彼は“本当の練習”をできる数少ない人間。自分で考えて取り組んでいたのを一番近くで見てましたから。新しい歴史をつくってくれると思います。侍ジャパンに選ばれるような投手になりますよ」。藤本自身も今後の野球人生に大きな希望を抱いている。「素晴らしい環境で4年間、野球できるのが楽しみ。1年生からしっかり活躍できるように準備しています」。進学という選択は夢を遠ざけるものではない。藤本の挑戦は新天地で続いていく。
📝夏の甲子園優勝エースはなぜ大学へ進んだのか 青学大・中西聖輝が「正解にした」4年間と智辯和歌山・中谷仁監督の進路観
https://news.yahoo.co.jp/articles/4eccc04989bb37b27dc930d55ebb2b316261671e?page=1
智辯和歌山・中谷仁監督インタビュー(前編)
2024年までに、智辯和歌山からプロ野球界へ進んだ選手は16人を数える。そのうちドラフト1位指名を受けたのは4人。そして昨秋、同校OBとしては17人目、ドラフト1位としては5人目となる選手が誕生した。昨年の大学野球界で「世代ナンバーワン右腕」との呼び声が高かった青山学院大の中西聖輝である。
昨秋の明治神宮大会では2連覇の立役者となり、青学大のエースとして大学通算17勝を挙げた。その数週間前に行なわれたドラフト会議では、中日からドラフト1位指名を受けた。
【プロ志望から大学進学へ】
中西といえば、2021年夏の甲子園で智辯和歌山のエースとして21年ぶりの優勝に導いた。じつは当時、中西はプロ志望で、夏の甲子園後にプロ志望届を提出する予定だった。しかし熟考の末、大学進学の道を選ぶ決断を下した。
それから4年後、中西はドラフト1位指名を受け、プロへの道を切り開いた。その中西について、智辯和歌山の中谷仁監督はこう語る。
「『振り返ってみたら正解やった』ではなく、正解にした中西の努力、勝負強さだと思います」
かつての智辯和歌山は、高卒からプロに進む選手が多かった。2009年に中日から1位指名された岡田俊哉や10年に日本ハムから2位指名を受けた西川遥輝たちがそうだが、中谷氏が智辯和歌山の監督に就任した以降も、18年の林晃汰(広島3位)、19年の黒川史陽(楽天2位)、東妻純平(DeNA4位)、20年の細川凌平(日本ハム4位)、小林樹斗(広島4位)が高校卒業後、プロの世界に飛び込んだ。
だが中西が在籍していた2021年以降は、高校在学中にプロ志望届を提出した選手はいない。
これまでプロへ進んだ林以降の5人の教え子の歩みを踏まえ、中谷監督は高校からプロの世界へ進むことに対して、ある懸念を抱いていた。
「高校野球くらいまでは、極端な話、練習はやらされているものなんです。自分で考えなくてもいいから、じつはすごく楽なんです。それにハマって伸びる選手もいますが、プロや大学といったカテゴリーになると、任される時間が一気に増えます。大学を経てプロに行けば、ある程度その流れを理解したうえで入れますが、高卒でプロに進むと、練習での時間の使い方がわからないんです」
【高卒1位入団に突きつけられた現実】
中谷監督自身も1997年のドラフトで阪神から1位指名を受け、高卒でプロ入りした経験を持つ。しかし、入団直後は周囲のスピードについていけず、苦労の連続だったという。
「僕自身、入団してみると、できないことや知らないことがあまりにも多く、大学や社会人出身の選手とかなりの差を感じました。たとえば二軍でも、バントシフトやけん制などで、横文字の名称が当たり前のように飛び交う。まるで英語の授業を受けているようでした(笑)。野球なのに、これまで聞いたことのない用語だらけのなかで練習するんです。そもそも(高卒の)19歳と、(大卒の)23歳、(社会人の)25歳を比べれば、レベルの差が大きいのは当然です。ただ、プロの世界では、そうした事情を考慮してもらえるわけではありません。『プロで必ず成功してやる』という強い思いを持った人間だけが最後に勝ち残る世界です。よほどのスーパープレーヤーでない限り、高卒でいきなり通用するのは難しいですよね」
それに加えて、中谷監督は阪神のドラフト1位ということで、周囲からの期待がとにかく大きかった。甲子園で優勝という肩書もあって、1月の入寮時から常に注目の的だった。
「たしかに、あの頃はプレッシャーがものすごく大きかったですね。高卒選手に寄り添ってくれる育成コーチや先輩がいれば心強いのですが、そうした環境が整っているチームは当時、多くありませんでした。そもそも先輩選手も、自分の人生がかかっていますから、みんな自分のことで必死です。だからこそ、最後は自分で乗り越えなければならないんです」
【大学の4年間で身につくプロで生きる思考】
その点で言えば、大学生は「任される時間」が生活の大半を占めるなかで、4年間かけて時間の使い方を身につけていく。その過程では自由な時間も多く、どうバランスを保つのか、どこまで自分に負荷をかけるのかを見極めながら成長していく。そうした選手ほど、結果を残していく傾向にある。
「練習をきちんとやる選手はやりますが、遊びたい選手は遊んでしまう。チームメイトが遊んでいるのを横目に、自分はトレーニングを続ける。その時間を4年間しっかり保てた選手は、プロでも成功しやすいと思います。どれだけドラフト1位で騒がれてプロに入っても、そうした思考が身についていなければ、プレッシャーだけがのしかかってくる。ドラフト上位であればあるほど、その重圧は大きくなりますし、高卒となれば、なおさら跳ね返すのは難しいんですよね」
高校時代から注目を集め、ドラフト1位で入団した選手となれば、なおさらだ。高卒ながら即戦力として期待される一方で、現実には早々に壁にぶつかるケースも少なくない。いわば、出口の見えないトンネルに迷い込んでしまった時、どうすれば活躍への道を切り開けるのか。
ファームで結果を残し、ようやく光が見え始めた──そう思った矢先に故障に見舞われ、シーズンを棒に振ってしまう。そんな若い選手の姿を、これまで何度も目にしてきた。
そうこうしているうちに、大卒で自分と同い年の選手が入団してくるという状況にもなる。近年は球団側の見極めも厳しくなり、高卒4年目で戦力外通告を受けるケースも少なくない。だからこそ、高校卒業後の進路選択は以前よりもシビアなものになっている。
「野球の基本や技術だけでなく、自分がどう取り組むのか、どう学ぶのかという姿勢は、中学や高校の部活動よりも、大学で身につく部分が多いと思います。自分の時間を自由に使える環境のなかで、自ら何かをつかみにいくくらいの気持ちをどれだけ持てるか。そこからプロへの道が続くと思っています」
つづく>>
⚾岩手さんへ
昨日の山陰における地震は我が家も揺れたらしいです・・・・・。僕は何も気づかずに朝ごはん食べていたかと思いますが、その数十分後に母から聞かされ驚きました!!
実は約四半世紀前にも鳥取西部を中心に大きな地震があったらしいですが、それも知らなかったですね・・・・・。中国地方はあまり地震がない地域と認識しているので・・・。
2~3年前の梅雨時に出雲大社からまだ奥に入った日御碕あたりが集中豪雨に見舞われたのは覚えてますが、そこまで遠すぎて足を運べないので、、、、、
ニュースで報道されていることしか分かりませんが、不幸中の幸いで死者はいないようだし、けが人も10数名程度にとどまり、年末の北海道近辺の地震や昨秋のトカラ列島群発地震に比べたらまだマシなのかなと信じたいですね。
ただ、特急やくもなどは終日運休していたし、停電の影響で山陽新幹線も大阪ー博多間で運転見合わせとのことで、ビジネスマンの出張族たちは相当難儀したのでは?と思われます。
個人的に10月23~25日鳥取 あらため 5月29日~31日島根(29日は前日移動で米子-松江観光) に繰り上げて山陰行きが確定したので、戦々恐々ですね・・・。あっちにいる間に震災に巻き込まれたら帰れないし、液状化現象は阪神大震災でコリゴリなんでもう勘弁してほしいと!
思い出すのは数年前の夏・倉敷マスカットで宿泊観戦2日目に第2試合終了後のインターバルを活かして、スタンド最上段をライトからレフト方向に歩いている折に突然、震度3の地震に見舞われノック中の選手も動揺していたし、僕も一番高い場所での震度3なんで体感はもっときつかったですね!!
今日から特急やくもなども通常運行したようだし、1週間程度は地震が頻繁に起こると思いますが、震度3までに留まりほとぼりが冷めたらと・・・。
公立校は春が09年の清峰・夏は07年の佐賀北を最後に優勝から遠ざかってますが、7イニング制にしたところで公立校が昔のように上位独占できるとは思えないのですが、、、、、
やはり選手層が違うしDH制導入もあるので、上位打線に本来クリーンアップを打つ選手を1~3番に固めてノーバント野球でゴリ押しして序盤から相手を戦意喪失させるような戦術を用いてくるかもしれないし、投手層の厚いチームは3~4人をこまめに継投してショートイニング全力投球されたら勝機は薄いかと。
2部制はいつの間にか無くなった「センバツ希望枠」よろしく無くなって欲しいですが、2年前は初日2枚券を買って7時開門から21時36分試合終了まで中抜けしながら長すぎる一日を過ごして疲労困憊だったし。
昨年は午前の部1日 午後の部2日 行きました。いずれも外野ですが、午前の部は熱すぎるので本当にしんどいし、急いで帰っても15時前でそこから昼ご飯食べて16時15分から自宅観戦。
午後の部は午前中にTV観戦してすぐ昼ご飯食べて、まだまだ熱い日中に出かけて、今津ー甲子園歩いて15時前にコロワ甲子園でかき氷買って15時15分スタンド入場して食べると。
16時15分から2試合なんで影が伸びてくると浜風もあり涼しいし、ナイター確定なんで嬉しいですが、21時前後に試合が終わり足早に帰らないと・・・・・。
平沼はたしかに小林繁さんの教え子ですね。先発投手を教えたところで数十分後にはメンバー交換するので大勢に影響はないと思いますが・・・・・。
工大福井は白水監督がまだやっていると思いますよ。昨夏はベンチで采配しているのを見ましたから。