自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」
先程まで、朝日放送系の高校野球関連番組を見ていました。
管理人さんの守備範囲県付近が結構出ていましたよ!
最初が八商-帝京で八商が満塁ホームランで逆転勝利から次は智弁和歌山-帝京戦の9回表裏の攻防戦、最後が近江-金農戦の9回逆転サヨナラ2ランスクイズが決まった場面でした。
八幡商に満塁ホームラン打たれた投手は、静岡翔洋中出身の渡辺君でしたね、その後スバルに進んだはずです。
帝京-智弁和歌山戦、近江-金足農業戦は、甲子園で見ていましたのでいろいろ思い出深いですね。
秋の和歌山大会ですが、智弁和歌山は、甲子園出場の配慮がありますが、甲子園決勝戦に進むと、中1日で試合ですか!でも高嶋さんの時より部員数を取っているので今のナカタニ野球には関係ないかもね!
管理人さんの守備範囲県付近が結構出ていましたよ!
最初が八商-帝京で八商が満塁ホームランで逆転勝利から次は智弁和歌山-帝京戦の9回表裏の攻防戦、最後が近江-金農戦の9回逆転サヨナラ2ランスクイズが決まった場面でした。
八幡商に満塁ホームラン打たれた投手は、静岡翔洋中出身の渡辺君でしたね、その後スバルに進んだはずです。
帝京-智弁和歌山戦、近江-金足農業戦は、甲子園で見ていましたのでいろいろ思い出深いですね。
秋の和歌山大会ですが、智弁和歌山は、甲子園出場の配慮がありますが、甲子園決勝戦に進むと、中1日で試合ですか!でも高嶋さんの時より部員数を取っているので今のナカタニ野球には関係ないかもね!
⚽今日の高校女子サッカーインターハイ決勝戦(⽇鋼室蘭スポーツパーク)
https://www.jfa.jp/match/koukou_soutai_2025/women/match_report/m15.pdf
大商学園3-2常 葉 橘
どうやら終了間際の土壇場に2-2同点に追いつき、延長後半に決勝点を挙げたようで、3年ぶり2度目の優勝おめでとうございます!
女王・藤枝順心が不在でしたが、なにはともあれ・・・大阪を勝ち抜いて冬の選手権で悲願の全国制覇を期待しております!!
📝阪神大学野球2025年秋季リーグ戦日程表
https://hanshin-bbl.com/index.html
まだ秋季大会の組み合わせが分からないので、あくまでも高校野球最優先ですが・・・・・10月12日・13日の9時30分から3試合は狙い目ですね!
日没時間を考えると、ナイター濃厚だし、試合が長いので過去に何度も19時前後の終了を見てきたので。
一応の候補に入れておきます。
✌大社旋風の立役者は「誘導された」 失点後に響いた「魔物」の声
https://news.yahoo.co.jp/articles/8013bb0689cc7c321364f852347d2a62dc50c681
第106回全国高校野球選手権大会3回戦
早稲田実(西東京)
00000110000|2
10000000101x|3
大社(島根)
涙でにじむナイターの明かりは、自分を照らしてくれているようだった。
「甲子園って最高」両手を広げ、観客席へ思いをはせた。93年ぶりの8強進出を決めるサヨナラ打を放った馬庭優太(19)は「応援への感謝があふれた瞬間だった」と振り返る。
阪神甲子園球場の誕生から100周年を迎えた2024年夏。32年ぶりに出場した大社(島根)は快進撃を見せた。
1回戦で春の選抜大会準優勝の報徳学園(兵庫)を3―1で破ると、創成館(長崎)との2回戦を延長10回タイブレークの末、5―4で制した。
8強入りをかけて臨んだ3回戦は、ともに第1回大会から出場を続ける早稲田実(西東京)が相手だった。延長十一回裏、無死満塁。ここまで一人で投げてきたエース左腕の馬庭に打席が回ると、球場が手拍子に包まれた。
「自分が決めるしかない」。打球は投手の足元を抜け、中前へ転がっていった。今思えば「観客に誘導されているみたいだった」と馬庭は言う。普段と違う空気を感じたのは、あるアクシデントが起きたときだったという。同点の七回の守りで、先頭打者の中前安打を中堅手の藤原佑が後逸した。打者走者が一気に本塁までかえり、勝ち越された。内心、「もともと勝てるような相手ではない」と思っていたから、普段起きないようなミスにも動揺はなかった。ただ、直後の球場の変化には、心を揺さぶられた。後続を抑えてベンチに戻るとき、あらゆる方向から「声」が自分たちに飛んできた。内容は聞き取れなかったが、「『ここからだぞ、頑張れ』と言ってもらっているようだった」。
再び、気持ちが奮い立った。九回にスクイズで追いつき、なお1死二、三塁のサヨナラ機で、早稲田実は左翼手が投手の真横を守る「内野5人シフト」を敷いた。これで抑えられたときは、「球場の空気まで振りだしに戻った」。優勝経験校のすごみが、「旋風」の印象をより強いものにしたのは間違いない。準々決勝で神村学園(鹿児島)に敗れた後、バスで出雲市に戻った。学校は街の人たちであふれていた。
コンビニに行っても、横断歩道で信号待ちをしていても、「馬庭くんですか?」と声をかけられた。小学校のときにプレーした地元のチームを訪れたときは、子どもたちに「甲子園の土が見たい」とねだられた。馬庭は敗戦直後に肩ひじのクールダウンと取材に追われ、土を持ち帰れなかった。伝えると、その子から、こんな返事がかえってきた。
「じゃあ僕が甲子園に行きます! 土を持って帰って分けてあげます!」
温かい気持ちがこみ上げた。「大社高校の野球部がやったことが、誰かを勇気づけられたのかなとうれしかった」
卒業後は東洋大に進んだ。今春のリーグ戦では1年生ながらリリーフ登板を重ねた。話題をさらった昨夏、プロ志望届を出す考えは生まれなかったという。「チームや球場の応援で勝たせてもらった3試合でした。自分の能力で勝てたわけではない」と思うから。
馬庭は甲子園で、「魔物」に出会ったのか。もしそうなら、それの正体とは――。
「僕は応援だと思います。球場全体でうれしさだったり、ピリピリだったり、本当に一つの空気ができあがるんです。それで、ああいう(サヨナラ打の)場面を作ってもらった気持ちだった」
そんな大観衆のなかで投げ抜いたことは、「夢の中にいるようだった」とも「それだけやれると自信になった」とも。今、おぼろげだった「プロ野球選手」の夢は、少しずつ鮮明になっている。大学のうちに球速150キロ到達を目標にし、その先のプロ入りをめざしている。
✌“ド派手ユニホーム”が甲子園に降臨 栃木覇者の青藍泰斗に視線集中
https://www.daily.co.jp/baseball/2025/08/02/0019302439.shtml
第107回全国高校野球選手権(5日開幕)の出場校による甲子園練習に2日、栃木・青藍泰斗が登場した。前身である葛生時代の1990年以来2度目の出場。昨秋から変更された“ド派手”ユニホームをまとい、聖地のグラウンドで汗を流した。
鮮やかなブルー地に白のストライプ。帽子も青色だ。自身の名前にも「青」が入っている青山尚緯監督(27)は「スクールカラーが青なので、学校の色を出せれば良いんじゃないかなと。青一色は結構いらっしゃるので、唯一無二が良いねということでタテジマを入れました」と経緯を説明。「ありがたいことに、うれしい言葉もたくさんかけていただきます」と話した。
全て守備練習に時間を割き、土の感触や景色の見え方などを確認。指揮官は「思わず大声で、選手たちと楽しんじゃいました」と思いの詰まったユニホーム姿で初めての聖地を堪能する選手たちをうれしそうに見つめた。
📝夏春連覇“あの名門公立校”なぜ甲子園から消えた?「美談は言わないよ」現地取材でポツリ…日本中が熱狂「神様になった監督」池田高野球部のナゾを追う
https://news.yahoo.co.jp/articles/98e1cbe0204a3d4e69c88e974e668c4d98ee60fc?page=1
超攻撃野球で1980年代初頭の高校野球界に衝撃を与えた池田高校。チームを率いた蔦文也は本当に英雄だったのか? なぜ最強時代は終わったのか? 平成生まれの記者が“日本で最も愛された野球部”の謎に迫った。
きっかけは2年前の冬、車窓から見た風景だった。四国のほぼ中央を縦断するJR土讃線の特急「南風」に乗った。高知駅から香川・琴平方面へ15分も経てば、列車は山岳地帯に分け入っていく。大歩危小歩危の急峻な渓谷を過ぎると、四方を山に囲まれた小さな町に停車する。阿波池田駅。ひょっとして、と察した。絵に描いたような山間。ここにあの池田高校がある。そして、たじろいだ。この地から甲子園で優勝したのかと。
甲子園で優勝3回、準優勝2回。とりわけ黄金期といわれる1982年夏から、池田の勝敗表は美しいまでに白色が並ぶ。1982年夏と83年春を連覇し、同年夏の準決勝でPL学園に敗れるまで、じつに甲子園11連勝を飾った。
1992年生まれの私は「池田の時代」を知らない。リアルタイムでその時を生きた1974年生まれのNumberWeb編集長は、池田のファンだったという。彼が記憶する池田でとりわけ鮮烈だったもの。それは野球のスタイルだった。上半身と太ももがムチムチに鍛えられた地方の子どもたちが全国的な強豪を次々に倒す。それも打ち勝った。「バントや小細工は不要。打てばいい」。単純明快な方法が衝撃だったのだと編集長は力説した。車窓に映った池田町の寂しげな光景を思い出した。なぜ山間の公立校が優勝できたのか。なぜ池田の時代は終わったのか。
蔦文也の孫が東京にいた…
下調べで大きな流れはわかった。日本中が池田に熱狂していた時代があった。蔦文也という人物が野球部を率いていた。守備と小技が重視されていた当時、打撃に特化したスタイルは革命的だった。それまでの木製バットから飛距離が出やすい金属バットへ移行したことも池田の野球に追い風となった。だが蔦の退任後は低迷期に入った。1992年を最後に夏の甲子園に出場していない。
蔦は2001年に、その長男も昨年3月に他界している。が、蔦の孫が東京に住んでいるという。映画監督として蔦文也のドキュメンタリー映画を制作していることもわかった。「蔦監督と池田高校について教えてほしい」。電話で依頼すると、すぐに快諾してくれた。
都内のファミリーレストランに現れた人物は、“攻めダルマ”と称されたいかにも豪傑といった風貌の祖父とは似つかなかった。黒髪にメガネの文化的な雰囲気を漂わせる中年男性。名を蔦哲一朗という。
「じいちゃんはメディア対応が上手かったんですよね。表に出ることを嫌がらない人だった。記者の方と一緒にお酒を飲んだり。僕も調べてわかったことなんですけど」
「じいちゃんを嫌いな人もいる」
哲一朗は1984年、徳島県池田町(現・三好市池田町)に生まれた。池田野球部の黄金期は物心がつく前に去り、蔦も1992年に監督を退任している。それゆえ祖父について記憶していることもそう多くないのだと語る。
「じいちゃん家の裏にプレハブ小屋みたいな寮があったんですよ。そこに40人くらい選手たちが住んでました。選手が読み終えて捨てたジャンプとかマガジンを、僕が拾って読んでいた記憶はありますね」
哲一朗が高校2年生のとき、蔦は闘病生活の末に亡くなった。祖父について深く知ったのは映画の撮影を始めてからだった。
「人によってじいちゃんの捉え方は違うと思うんです。蔦文也の存在があったから徳島の野球がうまい選手は池田に集まった。それまで一般的ではなかったウエイトトレーニングやポカリスエットをいち早く取り入れて、打ち勝つ野球で高校野球の常識を変えた。これがA面です。同時に、じいちゃんは地元で神様みたいな存在になっていた。もともと頑固で自分の信念を貫く人。そこに実績がついたら、誰も意見できなくなりますよね。だから当時近かった人の中には、じいちゃんを嫌いな人もいたみたいです。じいちゃんに裏切られたと感じている人も」
当時の池田が勝ち続けた理由を探るうえで蔦文也を理解することは不可欠に思えた。それも“A面”だけでなく多面的に。聞けば蔦監督時代のコーチが池田町の隣町に住んでいるという。
「話すのは構わんけど。美談は言わないよ? それでもいいなら」
蔦文也に裏切られた人がいる――。哲一朗の言葉が頭をよぎった。それまで漠然としていた取材の目的がくっきり目の前に立ち上がってきた。
山間の池田町を訪れると…
この夏、2年ぶりに池田を訪ねた。四国の東側、兵庫・淡路島に近い徳島市は、海へも本州へも開かれている。その徳島市街地から吉野川沿いを西へ車で70分ほど。徐々に山間が狭まっていく終着点、徳島県の西端に池田町はある。夕刻の阿波池田駅前はがらんとしていた。眠たげな商店街。歩く人はまばらだ。すこし歩けば池田高校を望める。薄墨色の霧にむせた山が背後に佇む。そのせいだろう。校舎は厳かな雰囲気を漂わせていた。取材冒頭、話を聞いた関係者すべての人々に趣意を伝えた。
「池田の時代」を私は知らない。だからこそ惹かれるものがあった。なぜ山間の地方公立校が黄金時代を築けたのか。蔦文也とは何者だったのか。そしてなぜ池田は甲子園から消えたのか。
すると一様に「池田が強かった理由」を説明してくれた。木製バットから金属バットへ変わった時代と重なったこと。小技野球でなく打ち勝つ野球が革新的であったこと。筋トレをいち早く取り入れたことで他校選手のパワーを凌駕していたこと。いずれも事実ではあるのだろう。が、プレゼンを聞いているかのような、いかにも説明慣れしている感を覚えないわけではなかった。
「全国放送で阿波弁を…」だから蔦は愛された
蔦と池田が与えた衝撃について、初めて合点したのは池田の現校長・原史麿の言葉だった。原は蔦の孫、哲一朗の高校時代の担任教諭でもあった。
「修学旅行で東京に行くんですよ。そこで徳島から来ました、と言っても東京の人の反応が鈍いわけです。でも池田から来た、と言えば100%通じました。あの野球の? と。私らの世代、50代から上で池田を知らない人はいないというくらい有名でした」
そしてこうも続けた。「やっぱり田舎だから。卑屈なところがあるんですよ。当時はインターネットもなかったし、自分の地元以外、特に都会ともなれば未知の場所。東京や大阪に出ていきたいけど気後れしてしまう。自分たちは田舎もんだからって。そんな時代に蔦監督が現れた。試合後のインタビューで蔦監督は堂々と阿波弁で喋ったでしょう。あれで阿波の人たちは認められたような気持ちになったというかね」
カタルシスを感じたのは池田町民だけではなかった。蔦の語り口は日本人にそれぞれの故郷を想起させた。都会の強豪を次々に倒す地方公立校の監督。シルバーヘアをなびかせた武骨な風貌。カメラが向けば名言を放ち、丸刈り球児に人生訓を説いた。まるで漫画に出てきそうな「大酒飲みの傑物監督」というキャラクターは野球に興味のない層にまで浸透した。その意味で、蔦は日本で最も愛された高校野球監督といえる。
そうした蔦文也の英雄像を私もすっかり信じ込んでいた。ある人物に話を聞くまでは。
〈つづく〉
📝高校野球の名門・池田高に驚愕の新証言「少しずつ蔦文也はおかしくなっていったんよ」当時コーチが断言する“カリスマ名将の異変”…徳島現地で取材
https://news.yahoo.co.jp/articles/530d1c7697b08b9a6ee94ec5bc37f727303c6af4?page=1
1982年夏、83年春の甲子園を連覇し、それぞれ畠山準、水野雄仁というドラフト1位を2年連続で輩出した。池田町にメディアが殺到した。「池田ののびのび野球の秘訣」。そんな類のタイトルがつけられた番組が放映された。テレビ局3社が池田に密着した時代もあった。そんなメディアを蔦は敬遠せず、むしろ巧みに活用し、ますます池田人気は沸騰した。
池田の存在感はもはや高校野球の枠を超えていた。1987年卒業のOB、松端範人が当時のエピソードを明かす。
「(野球用具メーカーの)ZETTってあるでしょう? そこの営業の方が、試作品の金属バットをグラウンドへ持ってきて、野球部員に打たせて感想を聞く。商品開発の参考にしたみたいです。僕らもふざけて『このバットはあまり飛ばんなぁ』とか生意気言ってましたね」
才能豊かな子どもが池田に集まった。中学生のうちに県外から引っ越してくる生徒も少なくなかった。そんな有望選手が小技を捨てて徹底的に打撃を磨く。そして、勝った。まさに池田の黄金時代だった。
「英雄像はフィクションだ」
――すごい時代でしたよね。筋トレを取り入れてパワー野球で優勝した。高校野球の歴史を変えたと言われています。
定説とされる池田像をある人物に伝えた。すると首を捻りながら淡々と呟いた。「まあフィクションも多分に含まれてるわね」
この男こそ池田の最強時代をコーチとして支えた川原良正である。「美談は言わない。それでもいいなら」という条件で、自宅での取材を承諾してくれたのだ。
川原は池田野球部員時代から野球の探究に熱中していた。1966年に高校を卒業し、日本電電公社に入社。その傍ら、池田が甲子園で初めて準優勝した74年にスタッフに。その後、82年から本格的に野球部のコーチを務めた。当時の池田は2年間、甲子園出場を逃していた。逸材と名高かった畠山準がいたにもかかわらず、だ。最後のチャンスとなった82年夏の前、分析力を見込まれて蔦文也から誘われた。以降、甲子園優勝を果たす水野雄仁(83年春)、梶田茂生(86年春)ら歴代のエースを育て上げた。つけられた愛称は「池田野球部の知恵袋」。現在は隣町の東みよし町で小・中学生を教えている。
「指導力はない。素人監督だよ」
蔦について話を向けると、川原は私の目を見てきっぱり言い切った。「正直言うて指導力っちゅうのはないね。素人監督だよ」
ストレートな言葉に思わず詰まった。
「投手は140キロ投げるられるかどうか、打者は遠くに飛ばせるかどうか。(蔦監督の)基準はそのくらいだったね。大会前に連係プレーの練習をすると、『川原、頼むな』と言って先に帰宅していたくらい」
いまや一般論化されている、池田の野球を伝えた。筋トレの積極的な活用、小技より打ち勝つスタイル、徳島全域から才能豊かな子どもたちが集まった集団、そして何より、情熱的に指導する蔦文也像。すると川原は「……と、世間では言われているね」と相槌を打った。私はそれ以上の説明はせずに、つづく川原の言葉を待った。
「まず、筋トレね。練習メニューにあったはあったけど、比重が大きいわけではなかったよ。自分の感覚では練習の7割が打撃、残りの3割が守備や筋トレ。次に、打ち勝つ野球ね。それもたしかにあったけれど、スコア見てみい。結局、優勝した年はいい投手がいたんよ。畠山、水野、梶田でしょう。当時は秀でた投手が1枚いれば勝てた時代だから」
スコアを見た。ともに甲子園を制した1982年夏と83年春、最も点を奪われた試合でわずか3点だった。一方で、82年夏の準々決勝、荒木大輔を擁する早稲田実に14-2、決勝を広島商相手に12-2、83年春の1回戦、2回戦をそれぞれ11-0、10-1で下している。たしかに大量得点が目を引くが、最少失点で抑えた投手陣の力も感じられる。
「蔦文也はおかしくなっていったんよ」
さらに「選手の素質だけで勝てたわけではない」という川原の話も信憑性があった。つまり、池田入学後に選手が育ったのだから勝てたのだと。
86年春センバツの優勝投手だった梶田(現・日本生命監督)は、のちにこう発言している。「練習では川原良正コーチに鍛えられた。試合ではどっしり構えた蔦監督の下で伸び伸びとプレーさせてもらった」(徳島新聞/2022年10月6日付)
梶田は高校入学時点で外野手だった。事実、2年時も1番センターで甲子園に出場している。だが同学年のエース候補が不調に陥り、川原が突貫でエースに育て上げた。梶田の身長は165cm。大型投手を好んだ蔦が持たない発想だった。当時、川原には選手たちから膨大な数の手紙や作文が送られていること。そして悩みや不満を打ち明けている内容からも、子どもたちの信頼を得ていたことがわかる。そこで最後の定説を問うてみた。蔦が残した名言「山あいの子どもたちに一度でいいから大海を見せてやりたかった」。そのために蔦が指導に尽力したという話は真実だったのか。
「最初はたしかに熱心だったよ。蔦さんは純粋な人。それは間違いない。いろいろ試行錯誤してね。畠山の少し前の代までは小技を絡める戦い方だったから。でも、82年に優勝したぐらいからやね、少しずつ蔦文也はおかしくなっていったんよ」
「蔦は野球素人だった」は真実か?
池田の関係者に話を聞いていくなかで、見えてきたことがある。蔦は野球指導論に定評があったわけではない。それは川原やOBたちの一致する見解だった。最初はバントや走塁を駆使する戦いを志したが、それでは勝てなかった。たどり着いた諦めの境地とでも呼べる策が、小技を捨てた打撃重視型だったのだ。
一方で、蔦は野球の素人だった、という説には疑問も生まれる。蔦は現役時代、徳島商野球部員として甲子園に3度出場、同志社大学でもエースとして活躍した。しかし、在学中に学徒出陣で海軍航空隊に所属することとなり、特攻隊の一員として終戦を迎えている。52年、29歳で池田の監督に就任するまでの間、1シーズンではあるがプロ野球チームにも入団した。そんな男が野球素人ということがありえるだろうか。
話を戻す。関係者を取材して、もうひとつわかったこと。当時の池田町は「異常な空気」に包まれていた。町に大挙して押し寄せる苛烈なメディア攻勢によって蔦は英雄視された。実績もあった。その蔦に意見できる人間は周囲から消えていた。川原は意を決して蔦に直言した。そこで返された言葉が今も脳裏に焼き付いているという。
〈つづく〉
⚾SHIONOMISAKIさんへ
定時制通信制の野球は全く興味がないので知らなかったですが、、、、、よく探されましたね!!
しかし、天理は硬式だけでなく軟式もよく近畿大会で見かけるので強いのは分かりますが、定時制通信制も・・・生徒を獲っているんですね!
京都は奈良と同じで盆地ゆえに風も弱くメチャクチャ熱いですよね!昨日は浜寺公園に行きましたが、海沿いは風がきつくて過ごしやすかったですが・・・バラ園に入ったら思いっきり体感変わりホンマに熱かったですね。あれでも36、1度。40度超えの地点を歩いていたらどうなることか・・・・・?何度も公園の蛇口ひねってペットボトルに水をつぎ足し凌ぎました。。。
そして、西京極から返す刀で甲子園ですか。僕は父に言われてTVで少しだけ見ましたが、、、アルプスと外野が無人の甲子園はさびしいですね。。。マスターズリーグ甲子園や大学野球なども同じですが。
素人目から見ても、あれが最高峰を決める試合なんで、競技レベルとしてはかなりの物足りなさを感じました・・・・・。1球ごとの間合いや攻守交代が長いのでそこだけは好感持てたかな!?
あと今日は定刻に遅れずに福知山成美のブラスバンド来てましたね!よく近畿大会で3回途中に遅刻してアルプススタンド入りというのを何度も目にしておったので・・・・・。
どういうわけか、田所監督が所属のチーム同士の対戦でしたね。
P・S サッカーは全然興味ないので、男女の競技レベルの違いは全く分かりませんが・・・・・。ここ数年、年始に三木や神戸で女子高校サッカー生観戦してますが、あっちは迫力感じますね。スピード感もあるし、緊迫感を感じながら見てます(母校の試合オンリーなんで余計、緊張感を増しているだけかもしれませんが)
津波の影響で一部日程変更もあったようですが、無事に最終日まで北海道旅行を楽しめたようで、優勝旗をお土産に大阪に帰れるようです。
ただ、3年前の初優勝時は大阪を勝ち抜けなかったし、今季ようやく3年の暗黒時代を脱出しましたが、また激戦・大阪を勝ち抜いて年明けに準々決勝以降3試合三木と神戸で見せてくれたら・・・悲願の選手権初制覇も期待してます。
https://www.jfa.jp/match/koukou_soutai_2025/women/match_report/m15.pdf
大商学園3-2常 葉 橘
どうやら終了間際の土壇場に2-2同点に追いつき、延長後半に決勝点を挙げたようで、3年ぶり2度目の優勝おめでとうございます!
女王・藤枝順心が不在でしたが、なにはともあれ・・・大阪を勝ち抜いて冬の選手権で悲願の全国制覇を期待しております!!
📝阪神大学野球2025年秋季リーグ戦日程表
https://hanshin-bbl.com/index.html
まだ秋季大会の組み合わせが分からないので、あくまでも高校野球最優先ですが・・・・・10月12日・13日の9時30分から3試合は狙い目ですね!
日没時間を考えると、ナイター濃厚だし、試合が長いので過去に何度も19時前後の終了を見てきたので。
一応の候補に入れておきます。
✌大社旋風の立役者は「誘導された」 失点後に響いた「魔物」の声
https://news.yahoo.co.jp/articles/8013bb0689cc7c321364f852347d2a62dc50c681
第106回全国高校野球選手権大会3回戦
早稲田実(西東京)
00000110000|2
10000000101x|3
大社(島根)
涙でにじむナイターの明かりは、自分を照らしてくれているようだった。
「甲子園って最高」両手を広げ、観客席へ思いをはせた。93年ぶりの8強進出を決めるサヨナラ打を放った馬庭優太(19)は「応援への感謝があふれた瞬間だった」と振り返る。
阪神甲子園球場の誕生から100周年を迎えた2024年夏。32年ぶりに出場した大社(島根)は快進撃を見せた。
1回戦で春の選抜大会準優勝の報徳学園(兵庫)を3―1で破ると、創成館(長崎)との2回戦を延長10回タイブレークの末、5―4で制した。
8強入りをかけて臨んだ3回戦は、ともに第1回大会から出場を続ける早稲田実(西東京)が相手だった。延長十一回裏、無死満塁。ここまで一人で投げてきたエース左腕の馬庭に打席が回ると、球場が手拍子に包まれた。
「自分が決めるしかない」。打球は投手の足元を抜け、中前へ転がっていった。今思えば「観客に誘導されているみたいだった」と馬庭は言う。普段と違う空気を感じたのは、あるアクシデントが起きたときだったという。同点の七回の守りで、先頭打者の中前安打を中堅手の藤原佑が後逸した。打者走者が一気に本塁までかえり、勝ち越された。内心、「もともと勝てるような相手ではない」と思っていたから、普段起きないようなミスにも動揺はなかった。ただ、直後の球場の変化には、心を揺さぶられた。後続を抑えてベンチに戻るとき、あらゆる方向から「声」が自分たちに飛んできた。内容は聞き取れなかったが、「『ここからだぞ、頑張れ』と言ってもらっているようだった」。
再び、気持ちが奮い立った。九回にスクイズで追いつき、なお1死二、三塁のサヨナラ機で、早稲田実は左翼手が投手の真横を守る「内野5人シフト」を敷いた。これで抑えられたときは、「球場の空気まで振りだしに戻った」。優勝経験校のすごみが、「旋風」の印象をより強いものにしたのは間違いない。準々決勝で神村学園(鹿児島)に敗れた後、バスで出雲市に戻った。学校は街の人たちであふれていた。
コンビニに行っても、横断歩道で信号待ちをしていても、「馬庭くんですか?」と声をかけられた。小学校のときにプレーした地元のチームを訪れたときは、子どもたちに「甲子園の土が見たい」とねだられた。馬庭は敗戦直後に肩ひじのクールダウンと取材に追われ、土を持ち帰れなかった。伝えると、その子から、こんな返事がかえってきた。
「じゃあ僕が甲子園に行きます! 土を持って帰って分けてあげます!」
温かい気持ちがこみ上げた。「大社高校の野球部がやったことが、誰かを勇気づけられたのかなとうれしかった」
卒業後は東洋大に進んだ。今春のリーグ戦では1年生ながらリリーフ登板を重ねた。話題をさらった昨夏、プロ志望届を出す考えは生まれなかったという。「チームや球場の応援で勝たせてもらった3試合でした。自分の能力で勝てたわけではない」と思うから。
馬庭は甲子園で、「魔物」に出会ったのか。もしそうなら、それの正体とは――。
「僕は応援だと思います。球場全体でうれしさだったり、ピリピリだったり、本当に一つの空気ができあがるんです。それで、ああいう(サヨナラ打の)場面を作ってもらった気持ちだった」
そんな大観衆のなかで投げ抜いたことは、「夢の中にいるようだった」とも「それだけやれると自信になった」とも。今、おぼろげだった「プロ野球選手」の夢は、少しずつ鮮明になっている。大学のうちに球速150キロ到達を目標にし、その先のプロ入りをめざしている。
✌“ド派手ユニホーム”が甲子園に降臨 栃木覇者の青藍泰斗に視線集中
https://www.daily.co.jp/baseball/2025/08/02/0019302439.shtml
第107回全国高校野球選手権(5日開幕)の出場校による甲子園練習に2日、栃木・青藍泰斗が登場した。前身である葛生時代の1990年以来2度目の出場。昨秋から変更された“ド派手”ユニホームをまとい、聖地のグラウンドで汗を流した。
鮮やかなブルー地に白のストライプ。帽子も青色だ。自身の名前にも「青」が入っている青山尚緯監督(27)は「スクールカラーが青なので、学校の色を出せれば良いんじゃないかなと。青一色は結構いらっしゃるので、唯一無二が良いねということでタテジマを入れました」と経緯を説明。「ありがたいことに、うれしい言葉もたくさんかけていただきます」と話した。
全て守備練習に時間を割き、土の感触や景色の見え方などを確認。指揮官は「思わず大声で、選手たちと楽しんじゃいました」と思いの詰まったユニホーム姿で初めての聖地を堪能する選手たちをうれしそうに見つめた。
📝夏春連覇“あの名門公立校”なぜ甲子園から消えた?「美談は言わないよ」現地取材でポツリ…日本中が熱狂「神様になった監督」池田高野球部のナゾを追う
https://news.yahoo.co.jp/articles/98e1cbe0204a3d4e69c88e974e668c4d98ee60fc?page=1
超攻撃野球で1980年代初頭の高校野球界に衝撃を与えた池田高校。チームを率いた蔦文也は本当に英雄だったのか? なぜ最強時代は終わったのか? 平成生まれの記者が“日本で最も愛された野球部”の謎に迫った。
きっかけは2年前の冬、車窓から見た風景だった。四国のほぼ中央を縦断するJR土讃線の特急「南風」に乗った。高知駅から香川・琴平方面へ15分も経てば、列車は山岳地帯に分け入っていく。大歩危小歩危の急峻な渓谷を過ぎると、四方を山に囲まれた小さな町に停車する。阿波池田駅。ひょっとして、と察した。絵に描いたような山間。ここにあの池田高校がある。そして、たじろいだ。この地から甲子園で優勝したのかと。
甲子園で優勝3回、準優勝2回。とりわけ黄金期といわれる1982年夏から、池田の勝敗表は美しいまでに白色が並ぶ。1982年夏と83年春を連覇し、同年夏の準決勝でPL学園に敗れるまで、じつに甲子園11連勝を飾った。
1992年生まれの私は「池田の時代」を知らない。リアルタイムでその時を生きた1974年生まれのNumberWeb編集長は、池田のファンだったという。彼が記憶する池田でとりわけ鮮烈だったもの。それは野球のスタイルだった。上半身と太ももがムチムチに鍛えられた地方の子どもたちが全国的な強豪を次々に倒す。それも打ち勝った。「バントや小細工は不要。打てばいい」。単純明快な方法が衝撃だったのだと編集長は力説した。車窓に映った池田町の寂しげな光景を思い出した。なぜ山間の公立校が優勝できたのか。なぜ池田の時代は終わったのか。
蔦文也の孫が東京にいた…
下調べで大きな流れはわかった。日本中が池田に熱狂していた時代があった。蔦文也という人物が野球部を率いていた。守備と小技が重視されていた当時、打撃に特化したスタイルは革命的だった。それまでの木製バットから飛距離が出やすい金属バットへ移行したことも池田の野球に追い風となった。だが蔦の退任後は低迷期に入った。1992年を最後に夏の甲子園に出場していない。
蔦は2001年に、その長男も昨年3月に他界している。が、蔦の孫が東京に住んでいるという。映画監督として蔦文也のドキュメンタリー映画を制作していることもわかった。「蔦監督と池田高校について教えてほしい」。電話で依頼すると、すぐに快諾してくれた。
都内のファミリーレストランに現れた人物は、“攻めダルマ”と称されたいかにも豪傑といった風貌の祖父とは似つかなかった。黒髪にメガネの文化的な雰囲気を漂わせる中年男性。名を蔦哲一朗という。
「じいちゃんはメディア対応が上手かったんですよね。表に出ることを嫌がらない人だった。記者の方と一緒にお酒を飲んだり。僕も調べてわかったことなんですけど」
「じいちゃんを嫌いな人もいる」
哲一朗は1984年、徳島県池田町(現・三好市池田町)に生まれた。池田野球部の黄金期は物心がつく前に去り、蔦も1992年に監督を退任している。それゆえ祖父について記憶していることもそう多くないのだと語る。
「じいちゃん家の裏にプレハブ小屋みたいな寮があったんですよ。そこに40人くらい選手たちが住んでました。選手が読み終えて捨てたジャンプとかマガジンを、僕が拾って読んでいた記憶はありますね」
哲一朗が高校2年生のとき、蔦は闘病生活の末に亡くなった。祖父について深く知ったのは映画の撮影を始めてからだった。
「人によってじいちゃんの捉え方は違うと思うんです。蔦文也の存在があったから徳島の野球がうまい選手は池田に集まった。それまで一般的ではなかったウエイトトレーニングやポカリスエットをいち早く取り入れて、打ち勝つ野球で高校野球の常識を変えた。これがA面です。同時に、じいちゃんは地元で神様みたいな存在になっていた。もともと頑固で自分の信念を貫く人。そこに実績がついたら、誰も意見できなくなりますよね。だから当時近かった人の中には、じいちゃんを嫌いな人もいたみたいです。じいちゃんに裏切られたと感じている人も」
当時の池田が勝ち続けた理由を探るうえで蔦文也を理解することは不可欠に思えた。それも“A面”だけでなく多面的に。聞けば蔦監督時代のコーチが池田町の隣町に住んでいるという。
「話すのは構わんけど。美談は言わないよ? それでもいいなら」
蔦文也に裏切られた人がいる――。哲一朗の言葉が頭をよぎった。それまで漠然としていた取材の目的がくっきり目の前に立ち上がってきた。
山間の池田町を訪れると…
この夏、2年ぶりに池田を訪ねた。四国の東側、兵庫・淡路島に近い徳島市は、海へも本州へも開かれている。その徳島市街地から吉野川沿いを西へ車で70分ほど。徐々に山間が狭まっていく終着点、徳島県の西端に池田町はある。夕刻の阿波池田駅前はがらんとしていた。眠たげな商店街。歩く人はまばらだ。すこし歩けば池田高校を望める。薄墨色の霧にむせた山が背後に佇む。そのせいだろう。校舎は厳かな雰囲気を漂わせていた。取材冒頭、話を聞いた関係者すべての人々に趣意を伝えた。
「池田の時代」を私は知らない。だからこそ惹かれるものがあった。なぜ山間の地方公立校が黄金時代を築けたのか。蔦文也とは何者だったのか。そしてなぜ池田は甲子園から消えたのか。
すると一様に「池田が強かった理由」を説明してくれた。木製バットから金属バットへ変わった時代と重なったこと。小技野球でなく打ち勝つ野球が革新的であったこと。筋トレをいち早く取り入れたことで他校選手のパワーを凌駕していたこと。いずれも事実ではあるのだろう。が、プレゼンを聞いているかのような、いかにも説明慣れしている感を覚えないわけではなかった。
「全国放送で阿波弁を…」だから蔦は愛された
蔦と池田が与えた衝撃について、初めて合点したのは池田の現校長・原史麿の言葉だった。原は蔦の孫、哲一朗の高校時代の担任教諭でもあった。
「修学旅行で東京に行くんですよ。そこで徳島から来ました、と言っても東京の人の反応が鈍いわけです。でも池田から来た、と言えば100%通じました。あの野球の? と。私らの世代、50代から上で池田を知らない人はいないというくらい有名でした」
そしてこうも続けた。「やっぱり田舎だから。卑屈なところがあるんですよ。当時はインターネットもなかったし、自分の地元以外、特に都会ともなれば未知の場所。東京や大阪に出ていきたいけど気後れしてしまう。自分たちは田舎もんだからって。そんな時代に蔦監督が現れた。試合後のインタビューで蔦監督は堂々と阿波弁で喋ったでしょう。あれで阿波の人たちは認められたような気持ちになったというかね」
カタルシスを感じたのは池田町民だけではなかった。蔦の語り口は日本人にそれぞれの故郷を想起させた。都会の強豪を次々に倒す地方公立校の監督。シルバーヘアをなびかせた武骨な風貌。カメラが向けば名言を放ち、丸刈り球児に人生訓を説いた。まるで漫画に出てきそうな「大酒飲みの傑物監督」というキャラクターは野球に興味のない層にまで浸透した。その意味で、蔦は日本で最も愛された高校野球監督といえる。
そうした蔦文也の英雄像を私もすっかり信じ込んでいた。ある人物に話を聞くまでは。
〈つづく〉
📝高校野球の名門・池田高に驚愕の新証言「少しずつ蔦文也はおかしくなっていったんよ」当時コーチが断言する“カリスマ名将の異変”…徳島現地で取材
https://news.yahoo.co.jp/articles/530d1c7697b08b9a6ee94ec5bc37f727303c6af4?page=1
1982年夏、83年春の甲子園を連覇し、それぞれ畠山準、水野雄仁というドラフト1位を2年連続で輩出した。池田町にメディアが殺到した。「池田ののびのび野球の秘訣」。そんな類のタイトルがつけられた番組が放映された。テレビ局3社が池田に密着した時代もあった。そんなメディアを蔦は敬遠せず、むしろ巧みに活用し、ますます池田人気は沸騰した。
池田の存在感はもはや高校野球の枠を超えていた。1987年卒業のOB、松端範人が当時のエピソードを明かす。
「(野球用具メーカーの)ZETTってあるでしょう? そこの営業の方が、試作品の金属バットをグラウンドへ持ってきて、野球部員に打たせて感想を聞く。商品開発の参考にしたみたいです。僕らもふざけて『このバットはあまり飛ばんなぁ』とか生意気言ってましたね」
才能豊かな子どもが池田に集まった。中学生のうちに県外から引っ越してくる生徒も少なくなかった。そんな有望選手が小技を捨てて徹底的に打撃を磨く。そして、勝った。まさに池田の黄金時代だった。
「英雄像はフィクションだ」
――すごい時代でしたよね。筋トレを取り入れてパワー野球で優勝した。高校野球の歴史を変えたと言われています。
定説とされる池田像をある人物に伝えた。すると首を捻りながら淡々と呟いた。「まあフィクションも多分に含まれてるわね」
この男こそ池田の最強時代をコーチとして支えた川原良正である。「美談は言わない。それでもいいなら」という条件で、自宅での取材を承諾してくれたのだ。
川原は池田野球部員時代から野球の探究に熱中していた。1966年に高校を卒業し、日本電電公社に入社。その傍ら、池田が甲子園で初めて準優勝した74年にスタッフに。その後、82年から本格的に野球部のコーチを務めた。当時の池田は2年間、甲子園出場を逃していた。逸材と名高かった畠山準がいたにもかかわらず、だ。最後のチャンスとなった82年夏の前、分析力を見込まれて蔦文也から誘われた。以降、甲子園優勝を果たす水野雄仁(83年春)、梶田茂生(86年春)ら歴代のエースを育て上げた。つけられた愛称は「池田野球部の知恵袋」。現在は隣町の東みよし町で小・中学生を教えている。
「指導力はない。素人監督だよ」
蔦について話を向けると、川原は私の目を見てきっぱり言い切った。「正直言うて指導力っちゅうのはないね。素人監督だよ」
ストレートな言葉に思わず詰まった。
「投手は140キロ投げるられるかどうか、打者は遠くに飛ばせるかどうか。(蔦監督の)基準はそのくらいだったね。大会前に連係プレーの練習をすると、『川原、頼むな』と言って先に帰宅していたくらい」
いまや一般論化されている、池田の野球を伝えた。筋トレの積極的な活用、小技より打ち勝つスタイル、徳島全域から才能豊かな子どもたちが集まった集団、そして何より、情熱的に指導する蔦文也像。すると川原は「……と、世間では言われているね」と相槌を打った。私はそれ以上の説明はせずに、つづく川原の言葉を待った。
「まず、筋トレね。練習メニューにあったはあったけど、比重が大きいわけではなかったよ。自分の感覚では練習の7割が打撃、残りの3割が守備や筋トレ。次に、打ち勝つ野球ね。それもたしかにあったけれど、スコア見てみい。結局、優勝した年はいい投手がいたんよ。畠山、水野、梶田でしょう。当時は秀でた投手が1枚いれば勝てた時代だから」
スコアを見た。ともに甲子園を制した1982年夏と83年春、最も点を奪われた試合でわずか3点だった。一方で、82年夏の準々決勝、荒木大輔を擁する早稲田実に14-2、決勝を広島商相手に12-2、83年春の1回戦、2回戦をそれぞれ11-0、10-1で下している。たしかに大量得点が目を引くが、最少失点で抑えた投手陣の力も感じられる。
「蔦文也はおかしくなっていったんよ」
さらに「選手の素質だけで勝てたわけではない」という川原の話も信憑性があった。つまり、池田入学後に選手が育ったのだから勝てたのだと。
86年春センバツの優勝投手だった梶田(現・日本生命監督)は、のちにこう発言している。「練習では川原良正コーチに鍛えられた。試合ではどっしり構えた蔦監督の下で伸び伸びとプレーさせてもらった」(徳島新聞/2022年10月6日付)
梶田は高校入学時点で外野手だった。事実、2年時も1番センターで甲子園に出場している。だが同学年のエース候補が不調に陥り、川原が突貫でエースに育て上げた。梶田の身長は165cm。大型投手を好んだ蔦が持たない発想だった。当時、川原には選手たちから膨大な数の手紙や作文が送られていること。そして悩みや不満を打ち明けている内容からも、子どもたちの信頼を得ていたことがわかる。そこで最後の定説を問うてみた。蔦が残した名言「山あいの子どもたちに一度でいいから大海を見せてやりたかった」。そのために蔦が指導に尽力したという話は真実だったのか。
「最初はたしかに熱心だったよ。蔦さんは純粋な人。それは間違いない。いろいろ試行錯誤してね。畠山の少し前の代までは小技を絡める戦い方だったから。でも、82年に優勝したぐらいからやね、少しずつ蔦文也はおかしくなっていったんよ」
「蔦は野球素人だった」は真実か?
池田の関係者に話を聞いていくなかで、見えてきたことがある。蔦は野球指導論に定評があったわけではない。それは川原やOBたちの一致する見解だった。最初はバントや走塁を駆使する戦いを志したが、それでは勝てなかった。たどり着いた諦めの境地とでも呼べる策が、小技を捨てた打撃重視型だったのだ。
一方で、蔦は野球の素人だった、という説には疑問も生まれる。蔦は現役時代、徳島商野球部員として甲子園に3度出場、同志社大学でもエースとして活躍した。しかし、在学中に学徒出陣で海軍航空隊に所属することとなり、特攻隊の一員として終戦を迎えている。52年、29歳で池田の監督に就任するまでの間、1シーズンではあるがプロ野球チームにも入団した。そんな男が野球素人ということがありえるだろうか。
話を戻す。関係者を取材して、もうひとつわかったこと。当時の池田町は「異常な空気」に包まれていた。町に大挙して押し寄せる苛烈なメディア攻勢によって蔦は英雄視された。実績もあった。その蔦に意見できる人間は周囲から消えていた。川原は意を決して蔦に直言した。そこで返された言葉が今も脳裏に焼き付いているという。
〈つづく〉
⚾SHIONOMISAKIさんへ
定時制通信制の野球は全く興味がないので知らなかったですが、、、、、よく探されましたね!!
しかし、天理は硬式だけでなく軟式もよく近畿大会で見かけるので強いのは分かりますが、定時制通信制も・・・生徒を獲っているんですね!
京都は奈良と同じで盆地ゆえに風も弱くメチャクチャ熱いですよね!昨日は浜寺公園に行きましたが、海沿いは風がきつくて過ごしやすかったですが・・・バラ園に入ったら思いっきり体感変わりホンマに熱かったですね。あれでも36、1度。40度超えの地点を歩いていたらどうなることか・・・・・?何度も公園の蛇口ひねってペットボトルに水をつぎ足し凌ぎました。。。
そして、西京極から返す刀で甲子園ですか。僕は父に言われてTVで少しだけ見ましたが、、、アルプスと外野が無人の甲子園はさびしいですね。。。マスターズリーグ甲子園や大学野球なども同じですが。
素人目から見ても、あれが最高峰を決める試合なんで、競技レベルとしてはかなりの物足りなさを感じました・・・・・。1球ごとの間合いや攻守交代が長いのでそこだけは好感持てたかな!?
あと今日は定刻に遅れずに福知山成美のブラスバンド来てましたね!よく近畿大会で3回途中に遅刻してアルプススタンド入りというのを何度も目にしておったので・・・・・。
どういうわけか、田所監督が所属のチーム同士の対戦でしたね。
P・S サッカーは全然興味ないので、男女の競技レベルの違いは全く分かりませんが・・・・・。ここ数年、年始に三木や神戸で女子高校サッカー生観戦してますが、あっちは迫力感じますね。スピード感もあるし、緊迫感を感じながら見てます(母校の試合オンリーなんで余計、緊張感を増しているだけかもしれませんが)
津波の影響で一部日程変更もあったようですが、無事に最終日まで北海道旅行を楽しめたようで、優勝旗をお土産に大阪に帰れるようです。
ただ、3年前の初優勝時は大阪を勝ち抜けなかったし、今季ようやく3年の暗黒時代を脱出しましたが、また激戦・大阪を勝ち抜いて年明けに準々決勝以降3試合三木と神戸で見せてくれたら・・・悲願の選手権初制覇も期待してます。
この大会の存在を知ったのつい最近のこと。西京極野球場の大会情報は
こちらでです。野球場の土日は学童野球で予約入ってますね。
https://www.kyoto-sports.or.jp/wp-content/uploads/2025/08/2508_calendar.pdf
これ以外の情報は過去出場した学校の「X」などのSNSでしかわからずです。
8時からと記載あったので試合は9時からだろうとの予想で自宅を出ました。
9時からは開会式で第一試合は10時からというのは現地でわかりました。
大会は8チーム参加、8月2日は1回戦4試合、翌日は準決勝戦と決勝戦、
1回戦は7回制、準決勝戦と決勝戦は9回制とのこと。
京都府警察音楽隊(かどうかはわからないが)警察官による伴奏で
夏の高校野球の入場行進曲と同じ曲で選手入場行進が行われました。
連盟の偉いさんたちのご挨拶等あって20分くらいで開会式終了。
都合により第一試合のみ観戦です。
紀和連合:300 00:3 H3 E4 3塁側
天理高校:048 2X:14 H7 E0 1塁側
紀和連合(和歌山県の伊都中央高校と奈良県の西吉野農業高校)
10:07~11:34 大差コールド 審判は2人制
紀和連合は初回に四球と単打で1.2塁として2本の2塁打で3点先制と王者天理に対して
優位に試合を進めていくいくように感じた。裏の天理の攻撃を見逃し三振、2塁ゴロ、
左翼フライと抑えたんで。2回裏は天理が2死満塁から、遊撃ゴロと楽々アウトと
思いきや打球処理ミスして紀和連合の痛い失点。ここでアウトとれば楽に試合の
流れをつかめたと思う。ミスは連鎖反応として起こるのか暴投、四球、フライ落球と
天理が逆転する。2死満塁からのミスによる影響は3回裏まで続いて、四球、暴投、
内野ゴロ、失策、適時打があって大量8点の天理、紀和連合は2回からは三者凡退が
続き反撃もなかった。あとはコールドで終わるかどうかの展開、2死満塁から天理が
単打で2点とって、5回表は3人で紀和連合の攻撃が終わり大会規定により
大差コールドで試合終了しました。紀和連合は王者天理に頑張ったとは思うけど、
勝負を分けるところでのミスは痛かったね。
天理高校は硬式野球、軟式野球、定時制野球は強いっすね。
スタンドで本当の一般客っていたかなあ?大半は関係者、選手の家族が
来場でしょうね。いつもの西京極常連のおっちゃんも来場せずだったし。
選手にボウズはほとんどいない。茶髪もいたし。定時制通信制は4年生までで
ほとんどは15歳から19歳の生徒さんだけど、20歳以上の選手もいたでしょう。
定時制通信制の高校生も年々減って、野球部部員不足もあって大変でしょうね。
初めて定時制通信制の高校野球みました。公式サイトないから情報入手には苦労した。
暑かったけど、エリア狭い屋根下で観られてよかった。
こちらでです。野球場の土日は学童野球で予約入ってますね。
https://www.kyoto-sports.or.jp/wp-content/uploads/2025/08/2508_calendar.pdf
これ以外の情報は過去出場した学校の「X」などのSNSでしかわからずです。
8時からと記載あったので試合は9時からだろうとの予想で自宅を出ました。
9時からは開会式で第一試合は10時からというのは現地でわかりました。
大会は8チーム参加、8月2日は1回戦4試合、翌日は準決勝戦と決勝戦、
1回戦は7回制、準決勝戦と決勝戦は9回制とのこと。
京都府警察音楽隊(かどうかはわからないが)警察官による伴奏で
夏の高校野球の入場行進曲と同じ曲で選手入場行進が行われました。
連盟の偉いさんたちのご挨拶等あって20分くらいで開会式終了。
都合により第一試合のみ観戦です。
紀和連合:300 00:3 H3 E4 3塁側
天理高校:048 2X:14 H7 E0 1塁側
紀和連合(和歌山県の伊都中央高校と奈良県の西吉野農業高校)
10:07~11:34 大差コールド 審判は2人制
紀和連合は初回に四球と単打で1.2塁として2本の2塁打で3点先制と王者天理に対して
優位に試合を進めていくいくように感じた。裏の天理の攻撃を見逃し三振、2塁ゴロ、
左翼フライと抑えたんで。2回裏は天理が2死満塁から、遊撃ゴロと楽々アウトと
思いきや打球処理ミスして紀和連合の痛い失点。ここでアウトとれば楽に試合の
流れをつかめたと思う。ミスは連鎖反応として起こるのか暴投、四球、フライ落球と
天理が逆転する。2死満塁からのミスによる影響は3回裏まで続いて、四球、暴投、
内野ゴロ、失策、適時打があって大量8点の天理、紀和連合は2回からは三者凡退が
続き反撃もなかった。あとはコールドで終わるかどうかの展開、2死満塁から天理が
単打で2点とって、5回表は3人で紀和連合の攻撃が終わり大会規定により
大差コールドで試合終了しました。紀和連合は王者天理に頑張ったとは思うけど、
勝負を分けるところでのミスは痛かったね。
天理高校は硬式野球、軟式野球、定時制野球は強いっすね。
スタンドで本当の一般客っていたかなあ?大半は関係者、選手の家族が
来場でしょうね。いつもの西京極常連のおっちゃんも来場せずだったし。
選手にボウズはほとんどいない。茶髪もいたし。定時制通信制は4年生までで
ほとんどは15歳から19歳の生徒さんだけど、20歳以上の選手もいたでしょう。
定時制通信制の高校生も年々減って、野球部部員不足もあって大変でしょうね。
初めて定時制通信制の高校野球みました。公式サイトないから情報入手には苦労した。
暑かったけど、エリア狭い屋根下で観られてよかった。
📝令和7年度 和歌山県高校野球 新人戦 組み合わせ抽選 結果
https://www.whbf.jp/uploads/20250801154923_9LKq.pdf
和智弁は32番くじを引き、市和歌山と決勝まで当たらないですね。
しかし、甲子園で決勝まで進めば・・・中1日で紀央館か初芝橋本と対戦して勝てばまた翌日も試合と。ハードスケジュールですね!!
8月24日は9時から3試合無料開催なんで、甲子園の決勝戦が予定通り終わっていれば、またまた始発電車で和歌山入りしたいものです、
📝令和7年度中国六大学野球秋季リーグ戦
http://www.cubf5589.com/
8月29日(金)より令和7年度中国六大学野球秋季リーグ戦が開幕いたします。
第1週
マスカットスタジアム(岡山)
8月29日(金)
第1試合 9時00分 東亜大学 対 周南公立大学
第2試合 11時30分 吉備国際大学 対 環太平洋大学
第3試合 14時00分 至誠館大学 対 広島文化学園大学
8月30日(土)
第1試合 9時00分 環太平洋大学 対 吉備国際大学
第2試合 11時30分 広島文化学園大学 対 至誠館大学
第3試合 14時00分 周南公立大学 対 東亜大学
以上の試合を予定しております。
ちなみに全日程はこちら・・・http://www.cubf5589.com/tournament_schedule.php
9月から約半年ほど、マスカット改装工事に入るので、天気を見ながら8月29日マスカット入りで足かけ5か月連続岡山行きのつもりでおります。
💢開星・野々村監督は高校野球DH制に「大賛成」も7回制には「もう野球見ません」と反対表明
https://news.yahoo.co.jp/articles/cba7fa382da627c1c1343c1771085c38b13d9c02
第107回全国高校野球選手権大会(8月5日開幕、甲子園)の甲子園練習に島根代表の開星が登場した。
11年夏以来の甲子園に野々村直通監督は「懐かしいですよ。14年前とそんなに変わってないですよね。緊張している子もいましたけど、(投本間の)18メートル44も一緒だし、塁間の27メートルちょっとも一緒やから。それでも緊張しますよね」と語った。野々村監督は20年3月に開星の指揮官として“再々登板”した。10年選抜で21世紀枠の向陽(和歌山)に敗れて「末代までの恥。切腹して死にたい」と話したことが物議を醸して指導を離れ、11年に再就任。その年の夏に出場したのを最後に退任し、学校も定年退職していた。
野々村監督との一問一答は以下のとおり。
――今夏から拡大した2部制についてはどう捉えている。
「ああいうことには無関心なので“まあ、そうらしいな”ぐらいですね。まあ、ナイターもそうなれば奇麗だしね。とにかく勝ち抜いて甲子園でできるということが、もうご褒美なので。もう本当に感謝してね、どんな状況だろうと精いっぱい、全力でやれっていうことだけ」
――ナイターの練習は。
「ないです。もう今はもう昔と違って、もうほぼ4時からもう6時半か7時で完全下校ですから。まあみんなで頑張ります。負けて帰るんなら(ナイターで)思い出の試合をした方がいいかな」
――導入が議論されているDH制は。
「大賛成ですね。一人でもバッティングだけ得意な子が今いるんですよ。この大会で指名打者をつくってくれたらな。本当に芯食ったらとんでもなく飛ばすんですよ。打つしかできないけど、凄い特長じゃないですか。それをDHで見てもらおうっちゅうのはもう大事だと思うんですよ。DHはもう大学もプロもやってるんで、大賛成。(ただ、高校野球が)7回(制)になったらやめるんです。7回になったらもう、野球見ません」
☟甲子園出場の未来富山、部員同士の暴力で野球部長に謹慎処分 加害部員の「今大会の選手登録は可能」
https://news.yahoo.co.jp/articles/27889d1849496209ac9160d247c83143a67918f6
日本高野連は1日、全国高校野球選手権大会に出場する未来富山(富山県魚津市)の野球部長に対して、部内暴力の報告義務違反があったとして3カ月間(8月2日~11月1日)の謹慎が決まったと発表した。
「部員の暴力(部内)」があったのは今年4月下旬。1年生同士のもめ事から1人が他の1人から尻を蹴られたという。翌日、被害部員が病院に行き、保護者から連絡を受けた野球部長が聞き取り調査を行った。調査後、加害部員には学校内で厳しい処分がくだされた。また、被害部員と加害部員双方が和解したと認識した野球部長は、富山県高野連には報告しなかった。
7月28日、高野連に「未来富山で部員内の暴力事件があった」と匿名の連絡があり、この日の審議委員会で審議。連盟会長名で加害部員への「注意」措置を決めた。事案が4月に発生したこと、すでに学校で厳しい処分を受けていることなどから、加害部員については「(今大会の)選手登録は可能と考えている」(高野連担当者)とされた。
併せて、県高野連への報告を行わなかった野球部長について、日本学生野球協会審査室への処分申請を行った。同審査室は緊急審査委員会を開催し、3カ月間の謹慎とした。
📝「PL野球部の復活はなぜ難しいのか?」信者数激減、財政難…高校野球の超名門・PL学園の今「富田林ではやたらとイノシシが出没しているんです」
https://number.bunshun.jp/articles/-/866655
PL学園の広大な聖地にはかつて約1万本の桜が植えられており、春を桃色に彩っていた。だが、その桜の木も多くが伐採されてしまったという。ある元教団教師(布教師)がとても笑えない話をしてくれた。
「桜の伐採に関しては害虫の影響があったとも聞いています。多くの木が伐採されたことによって、生態系に変化があったのか、富田林ではやたらとイノシシが出没しているんです。教団はイノシシを捕まえて加工肉として販売している。商魂逞しいとはまさにこのことですね……」
「耐震工事の資金がない」
敷地内には、老朽化が進み、外壁が黒ずんで廃墟と化した建物がいくつも存在する。たとえば、2009年に休校となったPL女子短大の校舎などだ。また、2年前には学園の校舎や金剛寮、葛城寮が抱える耐震問題を私は報じた。大阪府教育庁私学課の担当者がPL学園に問題を抱えた建物がいくつもあることを次のように認めたのだ。
「耐震性に問題のある建物は全部で6棟で、生徒が授業を受ける2号館、4号館のほかに、図書館、剣道場、金剛寮、葛城寮です。寮を除いた4棟に関しては令和4年度をもって未使用化、つまりその建物は使わないという方向性でうかがっています」
PL学園の当時の教頭は、「早急に対応しているところです」と話したが、その人物は野球部が活動を停止した時に最後の監督を務めていた川上祐一氏であった。取材から2年が経過し、川上氏も既に教頭ではなくなっているが、かつてPL学園で勤務していた教師は、現役教師から聞いた話としてこう証言した。
「耐震工事をしようにも資金がないし、建物を壊すにもお金がかかる。それゆえ、高校の校舎を中学の校舎に移転するなどして対応しているようです。生徒数も中高で70人程度ですから、それも可能なようです。金剛寮や葛城寮が現在どうなっているのかわかりません。野球部のAグラウンドも、一時は教団に勤務する人たちのソフトボール大会などが行われていたようですが、芝生の手入れなどはされていないでしょうね……」
研志寮や室内練習場は既になくなり、かつて甲子園球場を管理する阪神園芸が整備を行っていたというAグラウンドも十分な手入れがされることがないまま聖地の一等地に放置されている。野球部同様に強豪だった剣道部や、布教活動において重要な役割を担っていたバトン部も硬式野球部同様の道を辿っている。
じつは教祖不在だった今
現在のPL教団が抱える最大の問題は、2020年12月に3代教祖・御木貴日止氏が死去して以降、4代教祖就任の目処が立たず、教祖不在という異様な状況が続いていることだ。リーダー不在の宗教団体など、現役信者の心が離れてしまうのは当然であるし、新規信者の獲得など期待できるはずがない。
硬式野球部の桑田真澄OB会長は「すべては4代教祖が誕生してから(動き出す)」と話し、復活に向けて希望は捨てていないことを公言している。しかし、野球部の復活が夢物語であることは教団と野球部のパイプ役を担ってきた桑田会長が誰よりも理解しているだろう。
硬式野球部の復活どころかわずか39人しかいない高校や35人の中学校の存続すら危うい状況である。そもそも、新たな教祖を誕生させないのは廃教すら視野に入れているのではないかと勘ぐりたくなる。
毎年1月開催のPL懇親会で…
毎年1月、硬式野球部のOB会は懇親会を開催している。例年、桑田真澄会長をはじめ多くの元プロ野球選手が参加するなか、関係者で最高齢となる井元俊秀氏は会場となるホテルに姿をみせることはあっても、酒席となる懇親会に参加することはなかった。ところが、今年は元監督の中村順司氏と同じ卓に座っていた。80年代以降、野球部を表から支えた中村氏と、陰で支えた井元氏という両雄が並び立つことは絶対になかった。それだけに参加したOBたちも驚きの声をあげていた。
2002年にPLを離れた井元氏はその後、青森山田やノースアジア大明桜(秋田)でもスカウトの役割を担い、近畿地方の中学生球児と東北の私学を結ぶ橋渡し役を担った。現在は高校野球のスカウトを引退している井元氏がこの夏、自宅のリビングで嬉しそうに見せてくれたのは、近所の写真館で撮ったというユニフォームを着た自身の写真だった。
「せっかくだから記念に残しておこうと思ってね。10歳からお世話になった教団には大きな恩義がある。しかし、現在の学園や教団については私がどうこうできる問題ではない」
これまで消極的だった懇親会に参加するだけでなく、マスターズ甲子園でも井元氏はユニフォームに袖を通していた。PLの灯が消えようとしている今、自ら声をかけ、PLに導いた教え子たちとの再会は、井元氏のケジメの行動にも見えた。
PL人気は令和の今も健在だが…
近年はPL学園のOBが出演するYouTubeチャンネルが人気を博し、直近ではフジテレビ系「ジャンクSPORTS」が「PL学園強すぎやねん」なる特集を組んで、立浪和義氏と片岡篤史氏が出演していた。事実上の廃部となって9年が経つ。むしろ春夏の甲子園の時期に「PL」を回顧するような記事や番組は年々、増えている気がしてならない。それだけ高校野球ファンにとって80年代の黄金期の記憶はいまだ脳裏に色濃く残る。しかし、名門は消えたまま、二度と復活することはないだろう。
☟夏の高校野球、“猛暑対策”に監督やコーチは…「クーリングタイムはいらない」と否定的な意見 “過密日程”の是正を求める声も
https://news.yahoo.co.jp/articles/c7e6d03744bbda6ac06bdeeabb309505350a9a3e
8月5日開幕する第107回全国高校野球選手権。その出場をかけた地方大会は7月29日で全日程が終了し、49の代表校が決定した。近年、夏の甲子園で話題となるのが、暑さ対策だ。35℃を超える猛暑日が増えており、現在の大会のありかたに対する疑問の声も多い。
肯定的な意見が
それを受けて、日本高野連は、様々な対策を講じている。一昨年からは5回終了時に10分間の“クーリングタイム”(※今年は8分間に変更)を実施し、昨年からは日中の気温が高い時間帯を避けて試合を行う“二部制”も試験的に導入した。大会初日の開会式は、昨年は8時半から行っていたが、今年は16時開始に変更される。なお、“二部制”は引き続き今年も継続する。
先日まで行われていた地方大会でも、各都道府県の高野連がそれぞれ暑さ対策を実行していた。富山大会と三重大会は、夏の甲子園にならう形で“二部制”を導入。気温が高い時間帯を避けて、第1試合は9時、第2試合は15時開始という形をとった。このほか、第1試合の開始時間を8時台に早める県が増えた一方で、愛知大会は、5回戦以降の第1試合を14時開始、第2試合を16時半開始にする“サマータイム”を取り入れた。
千葉や埼玉をはじめ多くの大会は、5回だけでなく、3回、7回にも“給水タイム”という名目で休憩時間を導入している。選手が負傷した場合には、全選手を一度ベンチに戻って休憩や給水を促し、攻撃時間が極端に長引いた時にも一度中断するシーンも見られた。
猛暑の中で、何とか選手の健康面に配慮しながら、試合を実施する姿勢は、過去とは比べものにならないほど進んでいる印象だ。では、このような対策について、現場の指導者はどう感じているのだろうか。複数の指導者に話を聞いたところ、“二部制”については肯定的な意見が多かった。甲子園に出場経験を持つある学校のコーチは、暑さ対策以外のメリットについても、以下のように話してくれた。
「個人的には第1試合が最もやりやすいですね。気温もまだ高くないですし、前の試合の展開によって、開始時間がずれることもない。試合がいつ始まるか分からない状態で、待ち続けることは調整が難しい。富山や三重のような形であれば、時間もずれることはありません。暑さ対策だけでなく、そういう点でも、現場としてはやりやすいですね」
“過密日程”を見直すべき
一方で、運営という点では“二部制”による弊害もあるという。前出のコーチは、以下のように続ける。
「開始時間が早くなれば、当然、大会の運営に関わる先生方は早く集まる必要がありますし、終了時間が遅くなれば、それだけ業務から解放される時間も遅くなります。補助要員として動員される生徒もそうですよね。十分な指導者や生徒が確保できれば良いですが、二部制によって、運営側の負担は増えています」
各都道府県の高野連は、基本的に野球部の顧問である教員によって成り立っており、彼らの協力なくして、地方大会は成り立たない。近年は、教員や指導者を目指す大学生も減っており、運営側に負担がかからない手法を検討する必要がありそうだ。一方で、“クーリングタイム”については、否定的な意見が多かった。夏の甲子園で“クーリングタイム”を経験した監督はこう話す。
「甲子園のベンチ裏はかなり涼しく、攻撃の間はベンチで休めるので、正直10分間も中断されると休み過ぎだなと思いました。(今大会は)8分間に短縮されるそうですけど、それでも“クーリングタイム”が必要なのか、疑問ですね。県によっては、3回、7回にも“給水タイム”を設けていますが、その度に一度リセットされて、1回も含めると、試合の“立ち上がり”が4度(1回、4回、6回、8回)もあるように感じるので、正直、調整が難しいです。慣れの問題なのかもしれませんが、5回に数分間休むだけで十分ではないでしょうか」
今年の地方大会を取材していても、“クーリングタイム”や“給水タイム”の直後に、選手が脚を攣って、試合が中断するケースが散見された。逆に、気温が低くて過ごしやすい日でも、判で押したように“クーリングタイム”や“給水タイム”を実施し、観客席から疑問視する声があがっていた。このあたりは現場の声を聞きながら、今一度、対策を見直す必要がありそうだ。そして、暑さ対策に加えて、“過密日程”を見直すべきとの指導者の声が根強い。近年では、休養日を設けるなどしているが、地方大会は大会終盤になると、厳しいスケジュールを組んでいる。
国民の注目度が高い高校野球だからこそ
甲子園出場経験もある関東地区の監督はこう話す。「以前よりも多少余裕を持った日程を組むようにはなっていますが、最近はゲリラ豪雨なども頻繁にあって、突然、試合が中止になることが多いですね。そうなると、地方大会の終盤は、どうしても日程が厳しくなります。もちろん、それに合わせて準備はしますが、チームによっては、かなり準備することが難しい。また、夏の大会が終われば、すぐに秋の地方大会がスタートします。もう少し春と秋の両大会も含めて、日程を見直す方が、選手の故障予防に繋がると思います」
地域によっては春季大会が6月まで行われており、そこから1カ月もしない間に、夏の地方大会が始まるところがある。これに加えて、夏の地方大会で最も遅い地域は7月29日が決勝で、夏の甲子園は8月5日が開幕となっており、その間はわずか1週間しかない。これらの日程面も見直す必要がありそうだ。
100年を超える伝統があり、国民の注目度が高い高校野球だからこそ、あらゆる声に耳を傾けて、さらに改善するような取り組みが多く実施されることを望みたい。
🔥甲子園11度、名将が3度目の挑戦 浅井さん、金沢龍谷高の監督に
https://news.yahoo.co.jp/articles/8634c6f086213651c8df0d5dde2f53458c0e6fd5
かつて金沢高を春夏11度甲子園に導き、2022年に鵬学園高監督を退いた浅井純哉さん(68)が1日、金沢龍谷高の監督に就任した。悩んだ末に決断した3年ぶりの現場復帰で「野球界を盛り上げたい。いつかは甲子園」と夢を描く。昨年は監督の不祥事が発覚し、新チームは部員9人でスタート。衰え知らずの名将がどん底からの復活劇を支え、石川の高校野球界を盛り上げる。
グラウンドに姿を見せた浅井監督に迷いはなかった。「昨日の夜から完全に監督モードです。サインを記したノートも『野球部屋』から引っ張り出してきましたよ」。やる気は十分だ。
夏の闘いを終えて3年生18人が去り、残ったのは2年生8人と1年生1人。単独チームができるぎりぎりの人数も監督を引き受ける決め手になった。野球人口が減っていく現状に「野球人としてつらい。何とかできないか」と思っていたからだ。
野球部の教え子は約1000人。金沢高時代は大松尚逸さん(ヤクルトコーチ)、釜田佳直さん(元楽天投手)ら多くのプロ選手も育てた。その後、鵬学園高で10年間指揮。「私学3校で監督できるなんて恵まれている。幸せ者です」。
金沢高時代は星稜高と「2強」時代を築き、しのぎを削ってきた。星稜高元監督の山下智茂さん(80)は門前高アドバイザーとして現場に立つ。かつてのライバルの「現役バリバリ」の姿も刺激の一つ。「年齢は一回り上の山下さんが頑張っているのに、『自分は何をやってるんだ』と思っていた。山下さんと対戦したい」と胸躍らせている。
📝「春の軟式交流試合」、2026年度も開催 日本高校野球連盟
https://news.yahoo.co.jp/articles/ebbdbad2e3dcec71d63f710db9a4dac2274298ee
日本高校野球連盟は1日、今年初めて開催した「春の軟式交流試合」を2026年度も開催すると発表した。開催時期や会場は未定。競技の普及を目的に、25年5月に全国から軟式部員を選抜して東西チームを組み、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で初開催した。
⚾岩手さんへ
そうでしたか・・・お疲れさまでした。僕ら関西人は津波と言われても全く実感ないし「30cm程度ならモノサシくらいか!」と思ってしまいますが、東北の方々にとっては震災があったので予断を許さない事態ですよね。
台風などの警報もそうですが、どのタイミングで注意報に切り替えられるか分からないので、判断が難しいですね。
そんな中、僕はここ数年8月1日に北御堂~浜寺公園~新世界と散策しているので今日も出かけてきました。浜寺公園は海に面してますが、何事もなかったかのような平和な1日でした。
新世界などもやたらと外国人観光客が多くなりましたね!
父に借りたケータイで鶴橋の風呂上りに甲子園開幕戦のカード見ましたが・・・・・「ずいぶん地味だなあ」というのが率直な感想です。ヘタすりゃ観衆10000人以下かも?!
どうせなら、仙台育英ー横浜・東洋大姫路ー東大阪柏原というような興味を惹かれるカードがあれば、3日の抽選前から盛り上がりそうですが・・・・・。
僕自身は、開星-鳥取城北というカード以外だったら夕方の開会式を見るつもりがなかったのでホッとしてます!
どうも天気予報が悪い方向に傾きつつあるのが気がかりで、、、、、2部制は6日か7日 ・ 9日か10日の夕方の部に2回行けたらと思ってますが、11日以降はどれだけ順延してもぶっ通しで開催するので確実にナイター観れる保証がなくなりますね。
最悪、組み合わせよりも天気予報を判断してレフトスタンドに鎮座する形になるやもしれません↓↓
14日・16日はすでに3塁内野席キープしたのでここは晴れて欲しい!!いずれにせよセンバツは山梨学院・横浜などに後塵を拝しておるので、夏は近畿勢の巻き返しを期待しつつ2年連続島根から旋風が吹き荒れることも楽しみにしてます!
https://www.whbf.jp/uploads/20250801154923_9LKq.pdf
和智弁は32番くじを引き、市和歌山と決勝まで当たらないですね。
しかし、甲子園で決勝まで進めば・・・中1日で紀央館か初芝橋本と対戦して勝てばまた翌日も試合と。ハードスケジュールですね!!
8月24日は9時から3試合無料開催なんで、甲子園の決勝戦が予定通り終わっていれば、またまた始発電車で和歌山入りしたいものです、
📝令和7年度中国六大学野球秋季リーグ戦
http://www.cubf5589.com/
8月29日(金)より令和7年度中国六大学野球秋季リーグ戦が開幕いたします。
第1週
マスカットスタジアム(岡山)
8月29日(金)
第1試合 9時00分 東亜大学 対 周南公立大学
第2試合 11時30分 吉備国際大学 対 環太平洋大学
第3試合 14時00分 至誠館大学 対 広島文化学園大学
8月30日(土)
第1試合 9時00分 環太平洋大学 対 吉備国際大学
第2試合 11時30分 広島文化学園大学 対 至誠館大学
第3試合 14時00分 周南公立大学 対 東亜大学
以上の試合を予定しております。
ちなみに全日程はこちら・・・http://www.cubf5589.com/tournament_schedule.php
9月から約半年ほど、マスカット改装工事に入るので、天気を見ながら8月29日マスカット入りで足かけ5か月連続岡山行きのつもりでおります。
💢開星・野々村監督は高校野球DH制に「大賛成」も7回制には「もう野球見ません」と反対表明
https://news.yahoo.co.jp/articles/cba7fa382da627c1c1343c1771085c38b13d9c02
第107回全国高校野球選手権大会(8月5日開幕、甲子園)の甲子園練習に島根代表の開星が登場した。
11年夏以来の甲子園に野々村直通監督は「懐かしいですよ。14年前とそんなに変わってないですよね。緊張している子もいましたけど、(投本間の)18メートル44も一緒だし、塁間の27メートルちょっとも一緒やから。それでも緊張しますよね」と語った。野々村監督は20年3月に開星の指揮官として“再々登板”した。10年選抜で21世紀枠の向陽(和歌山)に敗れて「末代までの恥。切腹して死にたい」と話したことが物議を醸して指導を離れ、11年に再就任。その年の夏に出場したのを最後に退任し、学校も定年退職していた。
野々村監督との一問一答は以下のとおり。
――今夏から拡大した2部制についてはどう捉えている。
「ああいうことには無関心なので“まあ、そうらしいな”ぐらいですね。まあ、ナイターもそうなれば奇麗だしね。とにかく勝ち抜いて甲子園でできるということが、もうご褒美なので。もう本当に感謝してね、どんな状況だろうと精いっぱい、全力でやれっていうことだけ」
――ナイターの練習は。
「ないです。もう今はもう昔と違って、もうほぼ4時からもう6時半か7時で完全下校ですから。まあみんなで頑張ります。負けて帰るんなら(ナイターで)思い出の試合をした方がいいかな」
――導入が議論されているDH制は。
「大賛成ですね。一人でもバッティングだけ得意な子が今いるんですよ。この大会で指名打者をつくってくれたらな。本当に芯食ったらとんでもなく飛ばすんですよ。打つしかできないけど、凄い特長じゃないですか。それをDHで見てもらおうっちゅうのはもう大事だと思うんですよ。DHはもう大学もプロもやってるんで、大賛成。(ただ、高校野球が)7回(制)になったらやめるんです。7回になったらもう、野球見ません」
☟甲子園出場の未来富山、部員同士の暴力で野球部長に謹慎処分 加害部員の「今大会の選手登録は可能」
https://news.yahoo.co.jp/articles/27889d1849496209ac9160d247c83143a67918f6
日本高野連は1日、全国高校野球選手権大会に出場する未来富山(富山県魚津市)の野球部長に対して、部内暴力の報告義務違反があったとして3カ月間(8月2日~11月1日)の謹慎が決まったと発表した。
「部員の暴力(部内)」があったのは今年4月下旬。1年生同士のもめ事から1人が他の1人から尻を蹴られたという。翌日、被害部員が病院に行き、保護者から連絡を受けた野球部長が聞き取り調査を行った。調査後、加害部員には学校内で厳しい処分がくだされた。また、被害部員と加害部員双方が和解したと認識した野球部長は、富山県高野連には報告しなかった。
7月28日、高野連に「未来富山で部員内の暴力事件があった」と匿名の連絡があり、この日の審議委員会で審議。連盟会長名で加害部員への「注意」措置を決めた。事案が4月に発生したこと、すでに学校で厳しい処分を受けていることなどから、加害部員については「(今大会の)選手登録は可能と考えている」(高野連担当者)とされた。
併せて、県高野連への報告を行わなかった野球部長について、日本学生野球協会審査室への処分申請を行った。同審査室は緊急審査委員会を開催し、3カ月間の謹慎とした。
📝「PL野球部の復活はなぜ難しいのか?」信者数激減、財政難…高校野球の超名門・PL学園の今「富田林ではやたらとイノシシが出没しているんです」
https://number.bunshun.jp/articles/-/866655
PL学園の広大な聖地にはかつて約1万本の桜が植えられており、春を桃色に彩っていた。だが、その桜の木も多くが伐採されてしまったという。ある元教団教師(布教師)がとても笑えない話をしてくれた。
「桜の伐採に関しては害虫の影響があったとも聞いています。多くの木が伐採されたことによって、生態系に変化があったのか、富田林ではやたらとイノシシが出没しているんです。教団はイノシシを捕まえて加工肉として販売している。商魂逞しいとはまさにこのことですね……」
「耐震工事の資金がない」
敷地内には、老朽化が進み、外壁が黒ずんで廃墟と化した建物がいくつも存在する。たとえば、2009年に休校となったPL女子短大の校舎などだ。また、2年前には学園の校舎や金剛寮、葛城寮が抱える耐震問題を私は報じた。大阪府教育庁私学課の担当者がPL学園に問題を抱えた建物がいくつもあることを次のように認めたのだ。
「耐震性に問題のある建物は全部で6棟で、生徒が授業を受ける2号館、4号館のほかに、図書館、剣道場、金剛寮、葛城寮です。寮を除いた4棟に関しては令和4年度をもって未使用化、つまりその建物は使わないという方向性でうかがっています」
PL学園の当時の教頭は、「早急に対応しているところです」と話したが、その人物は野球部が活動を停止した時に最後の監督を務めていた川上祐一氏であった。取材から2年が経過し、川上氏も既に教頭ではなくなっているが、かつてPL学園で勤務していた教師は、現役教師から聞いた話としてこう証言した。
「耐震工事をしようにも資金がないし、建物を壊すにもお金がかかる。それゆえ、高校の校舎を中学の校舎に移転するなどして対応しているようです。生徒数も中高で70人程度ですから、それも可能なようです。金剛寮や葛城寮が現在どうなっているのかわかりません。野球部のAグラウンドも、一時は教団に勤務する人たちのソフトボール大会などが行われていたようですが、芝生の手入れなどはされていないでしょうね……」
研志寮や室内練習場は既になくなり、かつて甲子園球場を管理する阪神園芸が整備を行っていたというAグラウンドも十分な手入れがされることがないまま聖地の一等地に放置されている。野球部同様に強豪だった剣道部や、布教活動において重要な役割を担っていたバトン部も硬式野球部同様の道を辿っている。
じつは教祖不在だった今
現在のPL教団が抱える最大の問題は、2020年12月に3代教祖・御木貴日止氏が死去して以降、4代教祖就任の目処が立たず、教祖不在という異様な状況が続いていることだ。リーダー不在の宗教団体など、現役信者の心が離れてしまうのは当然であるし、新規信者の獲得など期待できるはずがない。
硬式野球部の桑田真澄OB会長は「すべては4代教祖が誕生してから(動き出す)」と話し、復活に向けて希望は捨てていないことを公言している。しかし、野球部の復活が夢物語であることは教団と野球部のパイプ役を担ってきた桑田会長が誰よりも理解しているだろう。
硬式野球部の復活どころかわずか39人しかいない高校や35人の中学校の存続すら危うい状況である。そもそも、新たな教祖を誕生させないのは廃教すら視野に入れているのではないかと勘ぐりたくなる。
毎年1月開催のPL懇親会で…
毎年1月、硬式野球部のOB会は懇親会を開催している。例年、桑田真澄会長をはじめ多くの元プロ野球選手が参加するなか、関係者で最高齢となる井元俊秀氏は会場となるホテルに姿をみせることはあっても、酒席となる懇親会に参加することはなかった。ところが、今年は元監督の中村順司氏と同じ卓に座っていた。80年代以降、野球部を表から支えた中村氏と、陰で支えた井元氏という両雄が並び立つことは絶対になかった。それだけに参加したOBたちも驚きの声をあげていた。
2002年にPLを離れた井元氏はその後、青森山田やノースアジア大明桜(秋田)でもスカウトの役割を担い、近畿地方の中学生球児と東北の私学を結ぶ橋渡し役を担った。現在は高校野球のスカウトを引退している井元氏がこの夏、自宅のリビングで嬉しそうに見せてくれたのは、近所の写真館で撮ったというユニフォームを着た自身の写真だった。
「せっかくだから記念に残しておこうと思ってね。10歳からお世話になった教団には大きな恩義がある。しかし、現在の学園や教団については私がどうこうできる問題ではない」
これまで消極的だった懇親会に参加するだけでなく、マスターズ甲子園でも井元氏はユニフォームに袖を通していた。PLの灯が消えようとしている今、自ら声をかけ、PLに導いた教え子たちとの再会は、井元氏のケジメの行動にも見えた。
PL人気は令和の今も健在だが…
近年はPL学園のOBが出演するYouTubeチャンネルが人気を博し、直近ではフジテレビ系「ジャンクSPORTS」が「PL学園強すぎやねん」なる特集を組んで、立浪和義氏と片岡篤史氏が出演していた。事実上の廃部となって9年が経つ。むしろ春夏の甲子園の時期に「PL」を回顧するような記事や番組は年々、増えている気がしてならない。それだけ高校野球ファンにとって80年代の黄金期の記憶はいまだ脳裏に色濃く残る。しかし、名門は消えたまま、二度と復活することはないだろう。
☟夏の高校野球、“猛暑対策”に監督やコーチは…「クーリングタイムはいらない」と否定的な意見 “過密日程”の是正を求める声も
https://news.yahoo.co.jp/articles/c7e6d03744bbda6ac06bdeeabb309505350a9a3e
8月5日開幕する第107回全国高校野球選手権。その出場をかけた地方大会は7月29日で全日程が終了し、49の代表校が決定した。近年、夏の甲子園で話題となるのが、暑さ対策だ。35℃を超える猛暑日が増えており、現在の大会のありかたに対する疑問の声も多い。
肯定的な意見が
それを受けて、日本高野連は、様々な対策を講じている。一昨年からは5回終了時に10分間の“クーリングタイム”(※今年は8分間に変更)を実施し、昨年からは日中の気温が高い時間帯を避けて試合を行う“二部制”も試験的に導入した。大会初日の開会式は、昨年は8時半から行っていたが、今年は16時開始に変更される。なお、“二部制”は引き続き今年も継続する。
先日まで行われていた地方大会でも、各都道府県の高野連がそれぞれ暑さ対策を実行していた。富山大会と三重大会は、夏の甲子園にならう形で“二部制”を導入。気温が高い時間帯を避けて、第1試合は9時、第2試合は15時開始という形をとった。このほか、第1試合の開始時間を8時台に早める県が増えた一方で、愛知大会は、5回戦以降の第1試合を14時開始、第2試合を16時半開始にする“サマータイム”を取り入れた。
千葉や埼玉をはじめ多くの大会は、5回だけでなく、3回、7回にも“給水タイム”という名目で休憩時間を導入している。選手が負傷した場合には、全選手を一度ベンチに戻って休憩や給水を促し、攻撃時間が極端に長引いた時にも一度中断するシーンも見られた。
猛暑の中で、何とか選手の健康面に配慮しながら、試合を実施する姿勢は、過去とは比べものにならないほど進んでいる印象だ。では、このような対策について、現場の指導者はどう感じているのだろうか。複数の指導者に話を聞いたところ、“二部制”については肯定的な意見が多かった。甲子園に出場経験を持つある学校のコーチは、暑さ対策以外のメリットについても、以下のように話してくれた。
「個人的には第1試合が最もやりやすいですね。気温もまだ高くないですし、前の試合の展開によって、開始時間がずれることもない。試合がいつ始まるか分からない状態で、待ち続けることは調整が難しい。富山や三重のような形であれば、時間もずれることはありません。暑さ対策だけでなく、そういう点でも、現場としてはやりやすいですね」
“過密日程”を見直すべき
一方で、運営という点では“二部制”による弊害もあるという。前出のコーチは、以下のように続ける。
「開始時間が早くなれば、当然、大会の運営に関わる先生方は早く集まる必要がありますし、終了時間が遅くなれば、それだけ業務から解放される時間も遅くなります。補助要員として動員される生徒もそうですよね。十分な指導者や生徒が確保できれば良いですが、二部制によって、運営側の負担は増えています」
各都道府県の高野連は、基本的に野球部の顧問である教員によって成り立っており、彼らの協力なくして、地方大会は成り立たない。近年は、教員や指導者を目指す大学生も減っており、運営側に負担がかからない手法を検討する必要がありそうだ。一方で、“クーリングタイム”については、否定的な意見が多かった。夏の甲子園で“クーリングタイム”を経験した監督はこう話す。
「甲子園のベンチ裏はかなり涼しく、攻撃の間はベンチで休めるので、正直10分間も中断されると休み過ぎだなと思いました。(今大会は)8分間に短縮されるそうですけど、それでも“クーリングタイム”が必要なのか、疑問ですね。県によっては、3回、7回にも“給水タイム”を設けていますが、その度に一度リセットされて、1回も含めると、試合の“立ち上がり”が4度(1回、4回、6回、8回)もあるように感じるので、正直、調整が難しいです。慣れの問題なのかもしれませんが、5回に数分間休むだけで十分ではないでしょうか」
今年の地方大会を取材していても、“クーリングタイム”や“給水タイム”の直後に、選手が脚を攣って、試合が中断するケースが散見された。逆に、気温が低くて過ごしやすい日でも、判で押したように“クーリングタイム”や“給水タイム”を実施し、観客席から疑問視する声があがっていた。このあたりは現場の声を聞きながら、今一度、対策を見直す必要がありそうだ。そして、暑さ対策に加えて、“過密日程”を見直すべきとの指導者の声が根強い。近年では、休養日を設けるなどしているが、地方大会は大会終盤になると、厳しいスケジュールを組んでいる。
国民の注目度が高い高校野球だからこそ
甲子園出場経験もある関東地区の監督はこう話す。「以前よりも多少余裕を持った日程を組むようにはなっていますが、最近はゲリラ豪雨なども頻繁にあって、突然、試合が中止になることが多いですね。そうなると、地方大会の終盤は、どうしても日程が厳しくなります。もちろん、それに合わせて準備はしますが、チームによっては、かなり準備することが難しい。また、夏の大会が終われば、すぐに秋の地方大会がスタートします。もう少し春と秋の両大会も含めて、日程を見直す方が、選手の故障予防に繋がると思います」
地域によっては春季大会が6月まで行われており、そこから1カ月もしない間に、夏の地方大会が始まるところがある。これに加えて、夏の地方大会で最も遅い地域は7月29日が決勝で、夏の甲子園は8月5日が開幕となっており、その間はわずか1週間しかない。これらの日程面も見直す必要がありそうだ。
100年を超える伝統があり、国民の注目度が高い高校野球だからこそ、あらゆる声に耳を傾けて、さらに改善するような取り組みが多く実施されることを望みたい。
🔥甲子園11度、名将が3度目の挑戦 浅井さん、金沢龍谷高の監督に
https://news.yahoo.co.jp/articles/8634c6f086213651c8df0d5dde2f53458c0e6fd5
かつて金沢高を春夏11度甲子園に導き、2022年に鵬学園高監督を退いた浅井純哉さん(68)が1日、金沢龍谷高の監督に就任した。悩んだ末に決断した3年ぶりの現場復帰で「野球界を盛り上げたい。いつかは甲子園」と夢を描く。昨年は監督の不祥事が発覚し、新チームは部員9人でスタート。衰え知らずの名将がどん底からの復活劇を支え、石川の高校野球界を盛り上げる。
グラウンドに姿を見せた浅井監督に迷いはなかった。「昨日の夜から完全に監督モードです。サインを記したノートも『野球部屋』から引っ張り出してきましたよ」。やる気は十分だ。
夏の闘いを終えて3年生18人が去り、残ったのは2年生8人と1年生1人。単独チームができるぎりぎりの人数も監督を引き受ける決め手になった。野球人口が減っていく現状に「野球人としてつらい。何とかできないか」と思っていたからだ。
野球部の教え子は約1000人。金沢高時代は大松尚逸さん(ヤクルトコーチ)、釜田佳直さん(元楽天投手)ら多くのプロ選手も育てた。その後、鵬学園高で10年間指揮。「私学3校で監督できるなんて恵まれている。幸せ者です」。
金沢高時代は星稜高と「2強」時代を築き、しのぎを削ってきた。星稜高元監督の山下智茂さん(80)は門前高アドバイザーとして現場に立つ。かつてのライバルの「現役バリバリ」の姿も刺激の一つ。「年齢は一回り上の山下さんが頑張っているのに、『自分は何をやってるんだ』と思っていた。山下さんと対戦したい」と胸躍らせている。
📝「春の軟式交流試合」、2026年度も開催 日本高校野球連盟
https://news.yahoo.co.jp/articles/ebbdbad2e3dcec71d63f710db9a4dac2274298ee
日本高校野球連盟は1日、今年初めて開催した「春の軟式交流試合」を2026年度も開催すると発表した。開催時期や会場は未定。競技の普及を目的に、25年5月に全国から軟式部員を選抜して東西チームを組み、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で初開催した。
⚾岩手さんへ
そうでしたか・・・お疲れさまでした。僕ら関西人は津波と言われても全く実感ないし「30cm程度ならモノサシくらいか!」と思ってしまいますが、東北の方々にとっては震災があったので予断を許さない事態ですよね。
台風などの警報もそうですが、どのタイミングで注意報に切り替えられるか分からないので、判断が難しいですね。
そんな中、僕はここ数年8月1日に北御堂~浜寺公園~新世界と散策しているので今日も出かけてきました。浜寺公園は海に面してますが、何事もなかったかのような平和な1日でした。
新世界などもやたらと外国人観光客が多くなりましたね!
父に借りたケータイで鶴橋の風呂上りに甲子園開幕戦のカード見ましたが・・・・・「ずいぶん地味だなあ」というのが率直な感想です。ヘタすりゃ観衆10000人以下かも?!
どうせなら、仙台育英ー横浜・東洋大姫路ー東大阪柏原というような興味を惹かれるカードがあれば、3日の抽選前から盛り上がりそうですが・・・・・。
僕自身は、開星-鳥取城北というカード以外だったら夕方の開会式を見るつもりがなかったのでホッとしてます!
どうも天気予報が悪い方向に傾きつつあるのが気がかりで、、、、、2部制は6日か7日 ・ 9日か10日の夕方の部に2回行けたらと思ってますが、11日以降はどれだけ順延してもぶっ通しで開催するので確実にナイター観れる保証がなくなりますね。
最悪、組み合わせよりも天気予報を判断してレフトスタンドに鎮座する形になるやもしれません↓↓
14日・16日はすでに3塁内野席キープしたのでここは晴れて欲しい!!いずれにせよセンバツは山梨学院・横浜などに後塵を拝しておるので、夏は近畿勢の巻き返しを期待しつつ2年連続島根から旋風が吹き荒れることも楽しみにしてます!
津波騒動ですが、朝の積み込み作業終了後、午後の作業準備中に、注意報から警報に変わり、営業所、倉庫も締めて避難することになり、私は1時間後位に、送っていただき帰宅しました。
警報になった時点で全て業務が停止になり、午後の作業は中止になり、翌日の作業は、警報が注意報に変わった場合は出勤、警報発令中は休みになると連絡あり、まさか夜に警報から注意報に切り替わるとは思わず、朝の作業は無しで、午後からと思っていました!
当然注意報に切り替わり翌日は、前日午後分も加えた量が届き規定時間内には、終わらず1時間以上オーバーし終了!
当然すぐに昼にきますね!
午後も朝と同じでてんてこまいでしたね。
今日は施設の予定表では何もはいっていない日なので、岡山大会の光南戦の動画を見ようと思っていましたが、体は正直ですね、疲れがどっと出て来て、よこになっていました。
台風接近で大雨降るかも?
晴れて中日が大雨降るか!
中ゞ天気がね!
開幕戦が決まったみたいね!
いよいよですね!甲子園が!
警報になった時点で全て業務が停止になり、午後の作業は中止になり、翌日の作業は、警報が注意報に変わった場合は出勤、警報発令中は休みになると連絡あり、まさか夜に警報から注意報に切り替わるとは思わず、朝の作業は無しで、午後からと思っていました!
当然注意報に切り替わり翌日は、前日午後分も加えた量が届き規定時間内には、終わらず1時間以上オーバーし終了!
当然すぐに昼にきますね!
午後も朝と同じでてんてこまいでしたね。
今日は施設の予定表では何もはいっていない日なので、岡山大会の光南戦の動画を見ようと思っていましたが、体は正直ですね、疲れがどっと出て来て、よこになっていました。
台風接近で大雨降るかも?
晴れて中日が大雨降るか!
中ゞ天気がね!
開幕戦が決まったみたいね!
いよいよですね!甲子園が!
📣2025年夏の甲子園☆みどころ
優勝候補・・・・・仙台 育英・ 横 浜 ・東洋大姫路・智弁和歌山・神村 学園・沖縄 尚学
ダークホース・・・健大 高崎・関 東 一・津田 学園・京都 国際・ 開 星 ・西日本短付
僕のお気に入り
・旭川志峯🎵義なき戦い https://www.youtube.com/watch?v=0UvIuJA2Y3I
・北海ギャルズ https://www.youtube.com/watch?v=YtYgtBxJFqY
・神聖な甲子園マウンドで『侍ポーズ』を兄弟でかまして高野連幹部に叱責される金足農の監督さん&部長先生
・仙台育英の打者が内野ゴロを打つたびに足を蹴られないか心配する相手チームのファースト
・聖光学院の録音応援 https://www.youtube.com/watch?v=OhXrWJAZ76E
・明秀日立・金澤監督の目が全然笑っていない笑顔
・青藍泰斗のユニホームhttps://msp.c.yimg.jp/images/v2/FUTi93tXq405grZVGgDqG_omiYkNVym1Sd6g5T38MuTsZ1AjpgnpMpYXPiebtXz32E_lAphkqsQDIJ78CeJrdx5wbOVVyR6LQtqyD2SLGtib7x1WUAeD29ACvhKcewO1k-baHAZ1l_1PZ5kvq0tVKvzXLBLfNMrOY6rxZvsc5lpEVhBiZ42KgUWw0jLoYLebVmQJ2sr_tfriZv_Ot6Z0YIlxhtAMw3sUAWTBZyTPyKkASuUQAtWl8taGAVzp726M/GYFM2Pob0AEz3he?errorImage=falsehttps://msp.c.yimg.jp/images/v2/FUTi93tXq405grZVGgDqG_omiYkNVym1Sd6g5T38MuTsZ1AjpgnpMpYXPiebtXz32E_lAphkqsQDIJ78CeJrdx5wbOVVyR6LQtqyD2SLGtib7x1WUAeD29ACvhKcewO1k-baHAZ1l_1PZ5kvq0tVKvzXLBLfNMrOY6rxZvsc5lpEVhBiZ42KgUWw0jLoYLebVmQJ2sr_tfriZv_Ot6Z0YIlxhtAMw3sUAWTBZyTPyKkASuUQAtWl8taGAVzp726M/GYFM2Pob0AEz3he?errorImage=false
・その節(バースデーイブ)はエエ思い出をありがとう。 群馬のご当地アイドル!? キャプテン・わかな嬢&サブリーダー 松澤 芽依嬢 https://pbs.twimg.com/media/GnI7UXhbgAM5ahZ?format=jpg&name=large
・叡明のブラスバンド 特にサスケ(03:22~) https://www.youtube.com/watch?v=_CZMl0h2KzU
・関東一高 🎵西部警察 https://www.youtube.com/watch?v=poMBmBGTk7M
・早稲田実の出ない西東京代表
・2代続けて週刊誌を騒がす横浜高校野球部監督
・「C2Cブルー」に染まる山梨学院のユニホーム https://hochi.news/articles/20220311-OHT1T51159.html?mode=photo&photoid=1
・甲子園でよくサヨナラ負けするのに、先攻を好む中越の戦略
・上加世田の弟さんとイガッコくん
・クリストファー
・鍛治舎監督が去りすっきりした県岐阜商ベンチ
・津田学園 🎵Snarl https://www.youtube.com/watch?v=T4pDOO3RqKE
・🎵京都国際の校歌 https://www.youtube.com/watch?v=FLerRvh7vDQ
・ガッツ!!天理の横断幕
・上村&栗山&三宅&古宮&芝野・・・歴代和智弁の元部長先生たち
・平成初期の柏原ユニホーム https://msp.c.yimg.jp/images/v2/FUTi93tXq405grZVGgDqG7gVOLWWfxT4lHAcBxLlxwPmVWCKOdpmdUH1BlMEMsXEcc7abV-cIFO47G2-LHvCnv5wD-m4zYJwJaDB7Pkl37300gQf9DDhBtH34UMQFPSmiOXC5kxb3bEVn70upkmWygJW7P2pl1GPPfX14Y22bC_q2adGVB6nehqqJRd5lF3Dqpya8VQmNDm-DZTifECxwn-JQOW43Hvq3HY2ggD6iq-gGFweedt0zaTJR1YdFNbrH9ug097c3z2S0LWaBoLYhg==/m60306686932_1.jpg?errorImage=false
・東洋ファンクラブのおっちゃんたちの声援
・君の望む、君になれる。 by岡山学芸館
・またまた監督交代した鳥取城北 今度の新監督は法政大学元監督69歳の老将
・今年こそ島根に深紅の大旗を!! 帰ってきた やくざ監督 https://jprime.ismcdn.jp/mwimgs/8/9/1200mw/img_89198abb980bd592d0730359ca6b6626107259.jpg
・尽誠の胸文字
・森脇前監督から「あほ」「ぼけ」などの暴言を吐かれても挫けない 鳴門の“渦巻”打線
・🎵済美の校歌 https://www.youtube.com/watch?v=n1nJqxS_NYM
・🎵明豊校歌 南こうせつバージョン特に2番 https://www.youtube.com/watch?v=7t8-z-i9CNA
・神村学園🎵ジンギスカン https://www.youtube.com/watch?v=R7Ru968fsL0
・ハイサイおじさん
・お盆の4試合日 第1試合47000人の大観衆をのみこむが、熱さと無名校同士の対戦で12時前には閑古鳥鳴くスタンド
・鐘と太鼓の応援
・2000人のふるさと応援団全員あごマスク姿
・守備のタイム時にベンチからマウンドへ ペットボトルとタオルを持ってくる控え部員を見るたびに「神聖なマウンドで水を飲むなんて何事だ!」とブチ切れる解説者を横目に試合終盤の実況中、お腹が空いたのでサンドイッチをつまむ解説者に対して「試合中、なに食うてるねん!!」とシコるアナウンサー
・クーリングタイム
・宝会長のあいさつ
・今は亡き竹中 雅彦事務局長
・リニューアル甲子園歴史館
・B-1グランプリ
・関西おもてなし弁当
・カーネルサンダースのマネキン
・4試合連続延長20回タイブレークの激闘
・甲子園駅の大会限定到着メロディー
・ラガーマンが映らないバックネット裏の観客席
・高嶋先生の解説
・ねったまくんじゃんけん
・大阪芸大のCM https://www.youtube.com/watch?v=bikPcWyqAG0
・♪君よ八月に熱くなれ堤 大二郎バージョン https://www.youtube.com/watch?v=z1c-dWk12Fo
・住友グループCM集【1981~1988】 https://www.youtube.com/watch?v=eazsr4p_h-8
・川上 ジュリア
・田舎の遠方チームが2部制午前の部第2試合登場するも、1回表から大量失点を喰らって負けを悟り、「まだクニに帰りたくないよな!」と監督に言われ、足を攣ったフリをするなど遅延行為の応酬で13時45分のリミットにもちこみ、翌日継続試合決定し『明日も甲子園で野球がやれる!!』と胸を張り宿舎のバイキングをたらふく食べて夏を1日引き延ばす学校
・黒スパイク
・同僚が相次いで体調不良に陥り、2部制の全4試合ラジオ実況を任されているアナウンサーを横目で見て、過労を恐れて仮病で休む解説者
・審判の白帽子
・20-0で迎えた9回裏の攻撃前に突然の雷雨で継続試合となり、遠方から来たため車中泊を余儀なくされ翌日、前の試合が長引きアルプススタンドで1時間待機させられ、継続試合再開3分後にゲームセットで7時間ほどバスに揺られて学校に帰る在校生徒
・2部制午前の部は1時間30分ゲーム2試合で12時前に終了しつつ、夕方の部は3時間ゲームの連続により試合終了22時05分で慌てる熱闘甲子園のスタッフ
・微妙な判定にベンチを飛び出し、リプレー検証のサインを出すも審判に無視され、ブチ切れる元プロ野球監督
・魚雷バット
📝県和歌山高校野球新人戦の出場チーム数について
https://www.whbf.jp/uploads/20250730125045_TNVl.pdf
令和7年度県下高校野球新人戦の出場チーム数についてお知らせします。下記の7校が部員数不足のため連合チームとして出場します。
また、慶風高等学校につきましては大会辞退届が提出されましたので、今大会には出場しません。
このことにより、令和7年度県下高校野球新人戦は38校34チームの参加となりました。なお、組み合わせ抽選会は8月1日(金)に開催します。
記
大会登録チーム名 笠田・紀北農芸
大会登録チーム名 有田中央・貴志川・和歌山南陵
大会登録チーム名 新宮・新翔
以上
📝PL学園の暴力事件…原因は本当に野球部だけにあったのか? “事実上の廃部”から9年…地元はひっそり「ほんまにがっかり」PL花火も消えた夏
https://number.bunshun.jp/articles/-/866654
野球部で暴力問題が連発し、いよいよ業を煮やしたPL教団が、監督に野球経験者を置かず、野球素人の校長が監督を兼任していたのが2014年だった。私が初めてPL教団の聖地を訪れたのもその年の夏だった。
野球素人の校長が監督に…PL混迷期
大阪大会決勝で大阪桐蔭に敗れたPL学園が、新チームをスタートさせて初めて行う練習試合に足を運んだ。野球部が練習を行うAグラウンドや研志寮は、学校の校舎から1.6kmほど離れていて、最寄りの駅は富田林駅となる。敷地内に入るには本庁の受付で名前と連絡先を記入する必要があったが、当時はたとえ信者でなくとも聖地内に入ることが許され、野球部の練習や試合を見学することも可能だった。
そして、当時の校長にして野球部の監督を務めていた正井一真氏のインタビューに成功する。なぜ野球経験のない校長が監督を務めているのか――率直な疑問をぶつけると、正井氏は「監督にも信仰心が求められるんです」と答えた。さらに彼はこう続けた。
「かつては、教団からの寄付という形で特待生を受け入れていましたが、今年の入学生から廃止しました。かつてと同じようなやり方はできません。一般の生徒と同じように学園生活を送りながら、信仰心を持って、その中で甲子園を目指していく。野球選手としてだけでなく、人間として人から支持されるような人材を育成したい。むしろ、以前より理想を高く持とうというのが、現在の学園の考え方です」
弱者に寄り添うべき宗教団体として、度重なる暴力事件はとても看過できるものではなかったはずだ。野球部員の厳格な上下関係の是正を求め、隔離された研志寮での暮らしもやめて、一般の金剛寮に拠点を移すような改革も行った。
繰り返された暴力…野球部だけが原因か?
それでも暴力事件は繰り返された。業を煮やした教団は、2013年に起きた暴力事件後、いよいよ廃部に向けて舵を切る。それが正井氏にインタビューしたタイミングだった。信者数の激減によって財政が逼迫し、PL教団は全国に200以上あった教会の統廃合を進めた。野球部を愛した2代教祖が死去したあと、3代教祖となった御木貴日止氏の体調の不安も伝わってきていた。
本当に野球部だけが問題だったのか。
野球部が抱えていた根本の問題(理不尽な上下関係)を教団が知らなかったはずがない。事件が起きる度に野球部関係者に責任を押しつけるばかりで、財政が苦しくなると廃部にすることですべてを解決しようとする教団にも問題があるのではないか――だからこそ、その後も私はしつこく聖地に足を運び、野球部が置かれた状況をレポートし、復活への望みの道が拓けていくように働きかけた。
だが、教団の聖地の正門にはいつしか入場ゲートが設けられ、車で聖地内に入るにしても信者であることを厳密に警備員にチェックされるようになってしまった。つまり、信者ではない人間が聖地に立ち入ることができなくなってしまったのだ。
警戒された筆者…教団の姿勢に疑問
一部の間でこのゲートは「柳川ゲート」とも呼ばれ、PL教団が私を聖地から遠ざけるための措置だという噂が出回っていた。そして、警備員室には私の写真が貼られているとも耳にした。真偽はともかくとして、PL教団からしてみれば、教団の惨状を報じる私が煙たい存在であったのは間違いないだろう。大阪桐蔭の有友茂史部長は「PLの金網を破って取材をしていると大阪の高校野球界で噂になっていた」と当時を振り返るが、私はイリーガルな手法で取材を行ったことは断じてない。
そもそも、固定資産税など税制上の優遇を受けている宗教法人であるならば、私有地とはならない聖地や宗教施設への入場を信者に限定することは許されず、基本的に“来る者拒まず”の姿勢でいなければならないはず。しかし、そうした正論を私がいくら主張しても、PL教団はまるで聞く耳を持たなかった。
PL学園は2014年秋に新入生募集の停止を決定し、幾度かの監督交代を繰り返したのち、2016年夏の大阪大会にはわずか12人(選手登録は11人)の62期生だけで臨んだ。そして同年7月15日、東大阪大柏原に6対7で敗れ、野球部は60年以上におよぶ歴史に終止符を打った。梅雨が明けたばかりの今年7月上旬の朝、私は喜志駅からPL学園までの通学路を歩いた。
「ほんまにがっかり…」PL花火が消えた夏
さらに近鉄電車に乗って隣の富田林駅に移動し、PLの本庁へタクシーで向かった。もちろん、現在は聖地内に足を踏み入れることはできない。歴代教祖の遺骨が納められている奥津城おくつきや正殿のある聖地を外から望むことしかできないが、学園同様、人の姿が見えず聖地全体が閑散としている。タクシーの運転手が話す。
「野球部が活動をやめたあたりから、PLの本庁を訪れる人もめっきり減りました。我々も昔はよく本庁まで人を乗せていたんですが、現在はPL病院に通院する人の送迎ばかりになっています」
PL教団本庁の近くにはかつて、遊園地の「PLランド」が存在し、人形劇の「劇団カッパ座」も存在した。しかし、PLランドは1989年に完全廃業した。タクシー運転手が続ける。
「PLランドには大きな流れるプールがあり多くの人で賑わっていた。それもとうの昔になくなってしまった。それでも花火大会が開催される8月1日だけは、とにかくすごい人、人、人やった。富田林にある畑に陣取って、花火を見上げる人もおりました。花火が終わると、富田林や喜志の駅まで、人の行列ができていました。2000年代以降、規模こそ縮小されていきましたが、最後に開催されたコロナ前の2019年もそれなりの人が集まっていた。花火大会がなくなってしもうて、富田林の人間はほんまにがっかりしています」
富田林に住む人々は誰しも花火大会がなくなってしまったことを憂いている。
「イノシシが出没している」
また、広大な聖地にはかつて約1万本の桜が植えられており、春の聖地を桃色に彩っていた。だが、その桜の木も多くが伐採されてしまったという。ある元教団教師(布教師)がとても笑えない話をしてくれた。
〈つづく〉
☟イメージ激変!夏の甲子園最多出場校の白帽子&白アンダーシャツが斬新 酷暑対策にファン「各校へ広がるのかな」「北海も変えたのか」
https://news.yahoo.co.jp/articles/52532db6d0afb71a0cfb838401ca6d8bb14f4ad0
第107回全国高校野球選手権大会の甲子園練習が31日、甲子園球場で行われ、夏の甲子園最多出場を誇る北海が帽子とアンダーシャツの色を変更してグラウンドに立った。
平川敦監督は「暑いのでどれぐらい効果があるか分からないんですけど、やっぱり違う。一番戦いやすい環境をつくるので、帽子やシャツを変えて、という形にした」と酷暑対策による変更だと説明。監督自ら希望した変更で、同ユニホームは今夏限定だという。伝統を変えることになったが「優先順位を何で考えるかで。一番良い環境で試合に臨みたいということがあったので、これで(伝統を)変えるわけでもないですし、熱中症対策というのもある」と語った。
2年ぶり41度目の出場となる北海。斬新な姿にファンも「各校へ広がるのかな」「北海も変えたのか」といった声があがった。昨夏も広陵が白帽子&白アンダーシャツに変えて甲子園に臨んでいた。
日本高野連のルール改正で2020年シーズンからホワイトカラーのスパイク使用が解禁。同年はコロナ禍で大会が開催されなかったが、解禁後初となった21年の夏の甲子園では48校中41校が白スパイクを着用した。スポーツ用品大手・ミズノは気温32度の炎天下での黒スパイクと白スパイク温度差を検証。1分ごとに内部と表面の温度測定をすると、6時間でともに約10度も白の方が低いというデータが出ていた。
今回の白帽子&白アンダーシャツも効果が得られれば、一気に他校へ波及する可能性もありそうだ。
⚾岩手さんへ
昨日の津波騒動で少し影響があったのでしょうか???
僕自身は特に何もなかったですが、ホンマにあと2日(48時間)早く地震が起こっていたら、、、「ワカヤマから帰られへん!!」と泣きが入りましたね。
せやけど、なぜかしら夢洲の関西万博は普通に10万5千人集めて通常開催していたとか。マリーナシティだったら橋2本一方通行で封鎖して、立ち入り禁止だったかも?!
それにしても南北海道の野球は早すぎるし、北海の新ユニホームもなんだかなあ・・・と。広陵もひ弱に見えるし、北海は数年前胸文字を変えたはずですが。甲子園で観たくないですね。
しかし、甲子園では3度も神戸国際と対戦して毎回金星献上しておるし、東邦と12-15といった大乱戦も展開しているしクラークよりも試合は長い印象がありますが。
あとは福岡代表が試合が早すぎるきらい(とくに九州国際大付と東海大福岡と福岡大大濠)があるのでここも避けたいですね!
兵庫野球は①投手を中心に守り勝つ野球②監督の采配だけで勝ちに行くチームが主流ですね。
長期低迷時代から報徳・東洋が脱出して逆に神港・育英・滝川二・神戸弘陵あたりがいつの間にかコロっと負けている構図ですね。
公立でも須磨翔風・篠山産・飾磨・科学技術・六甲アイランド・津名・豊岡総合その他モロモロ頑張ってますが全国的には無名ですね。。。
P・S この夏も年に2度の「甲子園大会みどころ」を記しました。もう20年近くやってますが・・・ガチンコからダミーそして小ネタまでイロイロ混ぜております。
優勝候補・・・・・仙台 育英・ 横 浜 ・東洋大姫路・智弁和歌山・神村 学園・沖縄 尚学
ダークホース・・・健大 高崎・関 東 一・津田 学園・京都 国際・ 開 星 ・西日本短付
僕のお気に入り
・旭川志峯🎵義なき戦い https://www.youtube.com/watch?v=0UvIuJA2Y3I
・北海ギャルズ https://www.youtube.com/watch?v=YtYgtBxJFqY
・神聖な甲子園マウンドで『侍ポーズ』を兄弟でかまして高野連幹部に叱責される金足農の監督さん&部長先生
・仙台育英の打者が内野ゴロを打つたびに足を蹴られないか心配する相手チームのファースト
・聖光学院の録音応援 https://www.youtube.com/watch?v=OhXrWJAZ76E
・明秀日立・金澤監督の目が全然笑っていない笑顔
・青藍泰斗のユニホームhttps://msp.c.yimg.jp/images/v2/FUTi93tXq405grZVGgDqG_omiYkNVym1Sd6g5T38MuTsZ1AjpgnpMpYXPiebtXz32E_lAphkqsQDIJ78CeJrdx5wbOVVyR6LQtqyD2SLGtib7x1WUAeD29ACvhKcewO1k-baHAZ1l_1PZ5kvq0tVKvzXLBLfNMrOY6rxZvsc5lpEVhBiZ42KgUWw0jLoYLebVmQJ2sr_tfriZv_Ot6Z0YIlxhtAMw3sUAWTBZyTPyKkASuUQAtWl8taGAVzp726M/GYFM2Pob0AEz3he?errorImage=falsehttps://msp.c.yimg.jp/images/v2/FUTi93tXq405grZVGgDqG_omiYkNVym1Sd6g5T38MuTsZ1AjpgnpMpYXPiebtXz32E_lAphkqsQDIJ78CeJrdx5wbOVVyR6LQtqyD2SLGtib7x1WUAeD29ACvhKcewO1k-baHAZ1l_1PZ5kvq0tVKvzXLBLfNMrOY6rxZvsc5lpEVhBiZ42KgUWw0jLoYLebVmQJ2sr_tfriZv_Ot6Z0YIlxhtAMw3sUAWTBZyTPyKkASuUQAtWl8taGAVzp726M/GYFM2Pob0AEz3he?errorImage=false
・その節(バースデーイブ)はエエ思い出をありがとう。 群馬のご当地アイドル!? キャプテン・わかな嬢&サブリーダー 松澤 芽依嬢 https://pbs.twimg.com/media/GnI7UXhbgAM5ahZ?format=jpg&name=large
・叡明のブラスバンド 特にサスケ(03:22~) https://www.youtube.com/watch?v=_CZMl0h2KzU
・関東一高 🎵西部警察 https://www.youtube.com/watch?v=poMBmBGTk7M
・早稲田実の出ない西東京代表
・2代続けて週刊誌を騒がす横浜高校野球部監督
・「C2Cブルー」に染まる山梨学院のユニホーム https://hochi.news/articles/20220311-OHT1T51159.html?mode=photo&photoid=1
・甲子園でよくサヨナラ負けするのに、先攻を好む中越の戦略
・上加世田の弟さんとイガッコくん
・クリストファー
・鍛治舎監督が去りすっきりした県岐阜商ベンチ
・津田学園 🎵Snarl https://www.youtube.com/watch?v=T4pDOO3RqKE
・🎵京都国際の校歌 https://www.youtube.com/watch?v=FLerRvh7vDQ
・ガッツ!!天理の横断幕
・上村&栗山&三宅&古宮&芝野・・・歴代和智弁の元部長先生たち
・平成初期の柏原ユニホーム https://msp.c.yimg.jp/images/v2/FUTi93tXq405grZVGgDqG7gVOLWWfxT4lHAcBxLlxwPmVWCKOdpmdUH1BlMEMsXEcc7abV-cIFO47G2-LHvCnv5wD-m4zYJwJaDB7Pkl37300gQf9DDhBtH34UMQFPSmiOXC5kxb3bEVn70upkmWygJW7P2pl1GPPfX14Y22bC_q2adGVB6nehqqJRd5lF3Dqpya8VQmNDm-DZTifECxwn-JQOW43Hvq3HY2ggD6iq-gGFweedt0zaTJR1YdFNbrH9ug097c3z2S0LWaBoLYhg==/m60306686932_1.jpg?errorImage=false
・東洋ファンクラブのおっちゃんたちの声援
・君の望む、君になれる。 by岡山学芸館
・またまた監督交代した鳥取城北 今度の新監督は法政大学元監督69歳の老将
・今年こそ島根に深紅の大旗を!! 帰ってきた やくざ監督 https://jprime.ismcdn.jp/mwimgs/8/9/1200mw/img_89198abb980bd592d0730359ca6b6626107259.jpg
・尽誠の胸文字
・森脇前監督から「あほ」「ぼけ」などの暴言を吐かれても挫けない 鳴門の“渦巻”打線
・🎵済美の校歌 https://www.youtube.com/watch?v=n1nJqxS_NYM
・🎵明豊校歌 南こうせつバージョン特に2番 https://www.youtube.com/watch?v=7t8-z-i9CNA
・神村学園🎵ジンギスカン https://www.youtube.com/watch?v=R7Ru968fsL0
・ハイサイおじさん
・お盆の4試合日 第1試合47000人の大観衆をのみこむが、熱さと無名校同士の対戦で12時前には閑古鳥鳴くスタンド
・鐘と太鼓の応援
・2000人のふるさと応援団全員あごマスク姿
・守備のタイム時にベンチからマウンドへ ペットボトルとタオルを持ってくる控え部員を見るたびに「神聖なマウンドで水を飲むなんて何事だ!」とブチ切れる解説者を横目に試合終盤の実況中、お腹が空いたのでサンドイッチをつまむ解説者に対して「試合中、なに食うてるねん!!」とシコるアナウンサー
・クーリングタイム
・宝会長のあいさつ
・今は亡き竹中 雅彦事務局長
・リニューアル甲子園歴史館
・B-1グランプリ
・関西おもてなし弁当
・カーネルサンダースのマネキン
・4試合連続延長20回タイブレークの激闘
・甲子園駅の大会限定到着メロディー
・ラガーマンが映らないバックネット裏の観客席
・高嶋先生の解説
・ねったまくんじゃんけん
・大阪芸大のCM https://www.youtube.com/watch?v=bikPcWyqAG0
・♪君よ八月に熱くなれ堤 大二郎バージョン https://www.youtube.com/watch?v=z1c-dWk12Fo
・住友グループCM集【1981~1988】 https://www.youtube.com/watch?v=eazsr4p_h-8
・川上 ジュリア
・田舎の遠方チームが2部制午前の部第2試合登場するも、1回表から大量失点を喰らって負けを悟り、「まだクニに帰りたくないよな!」と監督に言われ、足を攣ったフリをするなど遅延行為の応酬で13時45分のリミットにもちこみ、翌日継続試合決定し『明日も甲子園で野球がやれる!!』と胸を張り宿舎のバイキングをたらふく食べて夏を1日引き延ばす学校
・黒スパイク
・同僚が相次いで体調不良に陥り、2部制の全4試合ラジオ実況を任されているアナウンサーを横目で見て、過労を恐れて仮病で休む解説者
・審判の白帽子
・20-0で迎えた9回裏の攻撃前に突然の雷雨で継続試合となり、遠方から来たため車中泊を余儀なくされ翌日、前の試合が長引きアルプススタンドで1時間待機させられ、継続試合再開3分後にゲームセットで7時間ほどバスに揺られて学校に帰る在校生徒
・2部制午前の部は1時間30分ゲーム2試合で12時前に終了しつつ、夕方の部は3時間ゲームの連続により試合終了22時05分で慌てる熱闘甲子園のスタッフ
・微妙な判定にベンチを飛び出し、リプレー検証のサインを出すも審判に無視され、ブチ切れる元プロ野球監督
・魚雷バット
📝県和歌山高校野球新人戦の出場チーム数について
https://www.whbf.jp/uploads/20250730125045_TNVl.pdf
令和7年度県下高校野球新人戦の出場チーム数についてお知らせします。下記の7校が部員数不足のため連合チームとして出場します。
また、慶風高等学校につきましては大会辞退届が提出されましたので、今大会には出場しません。
このことにより、令和7年度県下高校野球新人戦は38校34チームの参加となりました。なお、組み合わせ抽選会は8月1日(金)に開催します。
記
大会登録チーム名 笠田・紀北農芸
大会登録チーム名 有田中央・貴志川・和歌山南陵
大会登録チーム名 新宮・新翔
以上
📝PL学園の暴力事件…原因は本当に野球部だけにあったのか? “事実上の廃部”から9年…地元はひっそり「ほんまにがっかり」PL花火も消えた夏
https://number.bunshun.jp/articles/-/866654
野球部で暴力問題が連発し、いよいよ業を煮やしたPL教団が、監督に野球経験者を置かず、野球素人の校長が監督を兼任していたのが2014年だった。私が初めてPL教団の聖地を訪れたのもその年の夏だった。
野球素人の校長が監督に…PL混迷期
大阪大会決勝で大阪桐蔭に敗れたPL学園が、新チームをスタートさせて初めて行う練習試合に足を運んだ。野球部が練習を行うAグラウンドや研志寮は、学校の校舎から1.6kmほど離れていて、最寄りの駅は富田林駅となる。敷地内に入るには本庁の受付で名前と連絡先を記入する必要があったが、当時はたとえ信者でなくとも聖地内に入ることが許され、野球部の練習や試合を見学することも可能だった。
そして、当時の校長にして野球部の監督を務めていた正井一真氏のインタビューに成功する。なぜ野球経験のない校長が監督を務めているのか――率直な疑問をぶつけると、正井氏は「監督にも信仰心が求められるんです」と答えた。さらに彼はこう続けた。
「かつては、教団からの寄付という形で特待生を受け入れていましたが、今年の入学生から廃止しました。かつてと同じようなやり方はできません。一般の生徒と同じように学園生活を送りながら、信仰心を持って、その中で甲子園を目指していく。野球選手としてだけでなく、人間として人から支持されるような人材を育成したい。むしろ、以前より理想を高く持とうというのが、現在の学園の考え方です」
弱者に寄り添うべき宗教団体として、度重なる暴力事件はとても看過できるものではなかったはずだ。野球部員の厳格な上下関係の是正を求め、隔離された研志寮での暮らしもやめて、一般の金剛寮に拠点を移すような改革も行った。
繰り返された暴力…野球部だけが原因か?
それでも暴力事件は繰り返された。業を煮やした教団は、2013年に起きた暴力事件後、いよいよ廃部に向けて舵を切る。それが正井氏にインタビューしたタイミングだった。信者数の激減によって財政が逼迫し、PL教団は全国に200以上あった教会の統廃合を進めた。野球部を愛した2代教祖が死去したあと、3代教祖となった御木貴日止氏の体調の不安も伝わってきていた。
本当に野球部だけが問題だったのか。
野球部が抱えていた根本の問題(理不尽な上下関係)を教団が知らなかったはずがない。事件が起きる度に野球部関係者に責任を押しつけるばかりで、財政が苦しくなると廃部にすることですべてを解決しようとする教団にも問題があるのではないか――だからこそ、その後も私はしつこく聖地に足を運び、野球部が置かれた状況をレポートし、復活への望みの道が拓けていくように働きかけた。
だが、教団の聖地の正門にはいつしか入場ゲートが設けられ、車で聖地内に入るにしても信者であることを厳密に警備員にチェックされるようになってしまった。つまり、信者ではない人間が聖地に立ち入ることができなくなってしまったのだ。
警戒された筆者…教団の姿勢に疑問
一部の間でこのゲートは「柳川ゲート」とも呼ばれ、PL教団が私を聖地から遠ざけるための措置だという噂が出回っていた。そして、警備員室には私の写真が貼られているとも耳にした。真偽はともかくとして、PL教団からしてみれば、教団の惨状を報じる私が煙たい存在であったのは間違いないだろう。大阪桐蔭の有友茂史部長は「PLの金網を破って取材をしていると大阪の高校野球界で噂になっていた」と当時を振り返るが、私はイリーガルな手法で取材を行ったことは断じてない。
そもそも、固定資産税など税制上の優遇を受けている宗教法人であるならば、私有地とはならない聖地や宗教施設への入場を信者に限定することは許されず、基本的に“来る者拒まず”の姿勢でいなければならないはず。しかし、そうした正論を私がいくら主張しても、PL教団はまるで聞く耳を持たなかった。
PL学園は2014年秋に新入生募集の停止を決定し、幾度かの監督交代を繰り返したのち、2016年夏の大阪大会にはわずか12人(選手登録は11人)の62期生だけで臨んだ。そして同年7月15日、東大阪大柏原に6対7で敗れ、野球部は60年以上におよぶ歴史に終止符を打った。梅雨が明けたばかりの今年7月上旬の朝、私は喜志駅からPL学園までの通学路を歩いた。
「ほんまにがっかり…」PL花火が消えた夏
さらに近鉄電車に乗って隣の富田林駅に移動し、PLの本庁へタクシーで向かった。もちろん、現在は聖地内に足を踏み入れることはできない。歴代教祖の遺骨が納められている奥津城おくつきや正殿のある聖地を外から望むことしかできないが、学園同様、人の姿が見えず聖地全体が閑散としている。タクシーの運転手が話す。
「野球部が活動をやめたあたりから、PLの本庁を訪れる人もめっきり減りました。我々も昔はよく本庁まで人を乗せていたんですが、現在はPL病院に通院する人の送迎ばかりになっています」
PL教団本庁の近くにはかつて、遊園地の「PLランド」が存在し、人形劇の「劇団カッパ座」も存在した。しかし、PLランドは1989年に完全廃業した。タクシー運転手が続ける。
「PLランドには大きな流れるプールがあり多くの人で賑わっていた。それもとうの昔になくなってしまった。それでも花火大会が開催される8月1日だけは、とにかくすごい人、人、人やった。富田林にある畑に陣取って、花火を見上げる人もおりました。花火が終わると、富田林や喜志の駅まで、人の行列ができていました。2000年代以降、規模こそ縮小されていきましたが、最後に開催されたコロナ前の2019年もそれなりの人が集まっていた。花火大会がなくなってしもうて、富田林の人間はほんまにがっかりしています」
富田林に住む人々は誰しも花火大会がなくなってしまったことを憂いている。
「イノシシが出没している」
また、広大な聖地にはかつて約1万本の桜が植えられており、春の聖地を桃色に彩っていた。だが、その桜の木も多くが伐採されてしまったという。ある元教団教師(布教師)がとても笑えない話をしてくれた。
〈つづく〉
☟イメージ激変!夏の甲子園最多出場校の白帽子&白アンダーシャツが斬新 酷暑対策にファン「各校へ広がるのかな」「北海も変えたのか」
https://news.yahoo.co.jp/articles/52532db6d0afb71a0cfb838401ca6d8bb14f4ad0
第107回全国高校野球選手権大会の甲子園練習が31日、甲子園球場で行われ、夏の甲子園最多出場を誇る北海が帽子とアンダーシャツの色を変更してグラウンドに立った。
平川敦監督は「暑いのでどれぐらい効果があるか分からないんですけど、やっぱり違う。一番戦いやすい環境をつくるので、帽子やシャツを変えて、という形にした」と酷暑対策による変更だと説明。監督自ら希望した変更で、同ユニホームは今夏限定だという。伝統を変えることになったが「優先順位を何で考えるかで。一番良い環境で試合に臨みたいということがあったので、これで(伝統を)変えるわけでもないですし、熱中症対策というのもある」と語った。
2年ぶり41度目の出場となる北海。斬新な姿にファンも「各校へ広がるのかな」「北海も変えたのか」といった声があがった。昨夏も広陵が白帽子&白アンダーシャツに変えて甲子園に臨んでいた。
日本高野連のルール改正で2020年シーズンからホワイトカラーのスパイク使用が解禁。同年はコロナ禍で大会が開催されなかったが、解禁後初となった21年の夏の甲子園では48校中41校が白スパイクを着用した。スポーツ用品大手・ミズノは気温32度の炎天下での黒スパイクと白スパイク温度差を検証。1分ごとに内部と表面の温度測定をすると、6時間でともに約10度も白の方が低いというデータが出ていた。
今回の白帽子&白アンダーシャツも効果が得られれば、一気に他校へ波及する可能性もありそうだ。
⚾岩手さんへ
昨日の津波騒動で少し影響があったのでしょうか???
僕自身は特に何もなかったですが、ホンマにあと2日(48時間)早く地震が起こっていたら、、、「ワカヤマから帰られへん!!」と泣きが入りましたね。
せやけど、なぜかしら夢洲の関西万博は普通に10万5千人集めて通常開催していたとか。マリーナシティだったら橋2本一方通行で封鎖して、立ち入り禁止だったかも?!
それにしても南北海道の野球は早すぎるし、北海の新ユニホームもなんだかなあ・・・と。広陵もひ弱に見えるし、北海は数年前胸文字を変えたはずですが。甲子園で観たくないですね。
しかし、甲子園では3度も神戸国際と対戦して毎回金星献上しておるし、東邦と12-15といった大乱戦も展開しているしクラークよりも試合は長い印象がありますが。
あとは福岡代表が試合が早すぎるきらい(とくに九州国際大付と東海大福岡と福岡大大濠)があるのでここも避けたいですね!
兵庫野球は①投手を中心に守り勝つ野球②監督の采配だけで勝ちに行くチームが主流ですね。
長期低迷時代から報徳・東洋が脱出して逆に神港・育英・滝川二・神戸弘陵あたりがいつの間にかコロっと負けている構図ですね。
公立でも須磨翔風・篠山産・飾磨・科学技術・六甲アイランド・津名・豊岡総合その他モロモロ頑張ってますが全国的には無名ですね。。。
P・S この夏も年に2度の「甲子園大会みどころ」を記しました。もう20年近くやってますが・・・ガチンコからダミーそして小ネタまでイロイロ混ぜております。
💢高校サッカー総体、男女とも本日は中止 津波警報発令で解除見込み立たず 会場は男子が福島、女子が北海道
https://news.yahoo.co.jp/articles/47eb673fd1a42fef884f92d434a1e2e2cdcf371f
日本サッカー協会は30日、高校サッカーのインターハイ男女開催を巡り、カムチャツカ半島付近で発生した巨大地震による津波警報発令に伴い、同日に予定されていた試合は中止になったと発表した。
【女子(開催地:北海道)】
7月30日(水)2回戦
【9】常葉橘(東海1)―聖カピタニオ(東海2)
【10】日本航空(関東2)―神村学園(九州1)
【11】鳴門渦潮(四国)―作陽学園(中国)
【12】鹿島学園(関東1)―大商学園(近畿2)
↓
7月31日(木)に順延
【9】9:30キックオフ 日鋼室蘭スポーツパーク
【10】9:30キックオフ リーフラスフットボールパーク
【11】12:00キックオフ リーフラスフットボールパーク
【12】12:00キックオフ 日鋼室蘭スポーツパーク
📣テレビ和歌山「めざせ甲子園高校野球ハイライト」
https://vk.sportsbull.jp/koshien/video/abc/localbroadcast_movie/wakayama/koya107_localbroadcast_movie_wakayama_2025_6.html
<2回戦>
慶風 6−7 南部
有田中央・貴志川・和歌山南陵 0−10(5回コールド) 智辯和歌山
熊野 3−4 和歌山工業
📣テレビ和歌山「めざせ甲子園高校野球ハイライト」
https://vk.sportsbull.jp/koshien/video/abc/localbroadcast_movie/wakayama/koya107_localbroadcast_movie_wakayama_2025_7.html
<2回戦>
箕島 3−1 県和歌山
海南 5−6x 那賀
和歌山高専 0−6 田辺
📣テレビ和歌山「めざせ甲子園高校野球ハイライト」
https://vk.sportsbull.jp/koshien/video/abc/localbroadcast_movie/wakayama/koya107_localbroadcast_movie_wakayama_2025_8.html
<3回戦>
耐久 1−2 星林
日高中津 1−2 粉河
桐蔭 2−5 市和歌山
📣テレビ和歌山「めざせ甲子園高校野球ハイライト」
https://vk.sportsbull.jp/koshien/video/abc/localbroadcast_movie/wakayama/koya107_localbroadcast_movie_wakayama_2025_9.html
<3回戦>
智辯和歌山 7−3 和歌山工業
田辺工業 2−3 初芝橋本
南部 4−10 田辺
📣テレビ和歌山「めざせ甲子園高校野球ハイライト」
https://vk.sportsbull.jp/koshien/video/abc/localbroadcast_movie/wakayama/koya107_localbroadcast_movie_wakayama_2025_10.html
<3回戦>
橋本 11−9 日高
箕島 3−7 那賀
📣テレビ和歌山「めざせ甲子園高校野球ハイライト」
https://vk.sportsbull.jp/koshien/video/abc/localbroadcast_movie/wakayama/koya107_localbroadcast_movie_wakayama_2025_11.html
<準々決勝>
星林 8−4 粉河
市和歌山 0−7(8回コールド) 智辯和歌山
📣テレビ和歌山「めざせ甲子園高校野球ハイライト」
https://vk.sportsbull.jp/koshien/video/abc/localbroadcast_movie/wakayama/koya107_localbroadcast_movie_wakayama_2025_12.html
<準々決勝>
初芝橋本 0−7(7回コールド)田辺
橋本 4−8 那賀
📣テレビ和歌山「めざせ甲子園高校野球ハイライト」
https://vk.sportsbull.jp/koshien/video/abc/localbroadcast_movie/wakayama/koya107_localbroadcast_movie_wakayama_2025_13.html
<準決勝>
田辺 0−9(8回コールド)星林
智辯和歌山 10−0(5回コールド) 那賀
📣テレビ和歌山「めざせ甲子園高校野球ハイライト」
https://vk.sportsbull.jp/koshien/video/abc/localbroadcast_movie/wakayama/koya107_localbroadcast_movie_wakayama_2025_14.html
<決勝>
星林 0ー2 智辯和歌山
📝「最激戦区」から勝ち上がった理由 担当記者が見た高校野球岡山大会
https://news.yahoo.co.jp/articles/4601948d38fb5898fe166df241be2cb2392139c7
岡山学芸館が連覇し、4回目の夏の甲子園出場を決めた第107回全国高校野球選手権岡山大会。おかやま山陽との決勝は、点を取り合うシーソーゲームの熱戦となった。岡山学芸館の大会での戦いぶりと、涙をのんで球場をあとにした各校の戦いぶりを振り返る。
岡山学芸館が入ったゾーンは、春の県大会と中国大会で準優勝した創志学園、昨夏準優勝の関西、昨夏4強の岡山理大付がひしめき合う「最激戦区」だった。勝ち上がったのは、エース左腕、青中の好投が大きい。
直球は最速140キロ程度だが、制球の良さと変化球との組み合わせによる巧みな投球術が光った。創志学園戦は三塁を踏ませず4安打完封。門馬敬治監督に「完敗」と言わしめた。
準決勝の相手は春の中国大会王者の倉敷商。岡山学芸館の佐藤貴博監督によると「間違いなく一番強い」。好機は少ないと悟り、走者を確実にバントで送った。ここで活躍したのが2年藤原。選球眼に優れ、粘っこい打撃が持ち味。2度の得点機でいずれも適時打を放った。青中は終盤、1点差に詰め寄られたが要所を締めて完投した。
決勝は先発の青中が捕まり途中降板。1死一、二塁から継投した吉井が好救援した。空振り三振、内野ゴロで切り抜けると、青中と長年バッテリーを組む佐藤滉が殊勲の2点三塁打で、連覇をたぐり寄せた。
準優勝したおかやま山陽。堤尚彦監督は今年のチームを「赤鰯(いわし)軍団」と自称した。プロからの注目選手はいないとして、チーム一丸となり束になって挑んだ。初戦を除く決勝までの4試合をいずれも13安打と打ちまくり。とりわけ主将・井川は打率が5割を超え、10打点と牽引した。
3回戦は、4時間半を超える延長十三回タイブレークの大熱戦を展開。決勝も一時は逆転し、2年ぶりの甲子園に近づいた。堤監督は「力のなかったチームがよく伸びた」と選手たちをねぎらった。
おかやま山陽とタイブレークまで戦った総社南は、エースの中曽が躍動。1回戦の完投に続き、12回3分の1を174球、一人で投げ抜いた。美作はノーシードながら初のベスト8入り。2回戦でシード校の岡山商大付に競り勝つと、就実を延長の末に下した。準々決勝で敗れたが「県北から初の甲子園へ」という目標は後輩に託された。
勝者ばかりではなく、どのチームにも光るものがあった。
📝「先輩がパイプ椅子で後輩を殴打」PL学園野球部で暴力事件、出場停止も…甲子園優勝7回の最強野球部で何が? 名門の崩壊がはじまった日
https://number.bunshun.jp/articles/-/866653
「昔は人であふれていてね…」
PL教団の聖地は近鉄喜志駅と富田林駅にまたがるほど広大で、80年代には公称とはいえその信者数は260万人を超えていたとされる。PL学園は定時制課程も含め1000人以上が敷地内に暮らしていた。喜志駅側にPL学園の校舎や金剛寮(男子寮)、葛城寮(女子寮)が建ち並び、富田林駅側にPL教団の本庁やPL病院、硬式野球部の選手たちが汗を流した球場「Aグラウンド」が存在する。そして、羽曳野の丘陵地帯に位置するこの一帯を、奇っ怪な形をした白亜の「大平和祈念塔」が見下ろしている。ちなみに塔の建設計画が持ち上がった時、パブロ・ピカソに設計を依頼したとも言われるが、真偽は定かでない。
「学力は東大、野球は甲子園」PL創生期
1955年に開校し、その翌年にスタートしたPL学園野球部を深く知るのは井元俊秀(89歳)だ。学園の1期生であり、同校が初めて甲子園に出場した1962年春と夏には監督を務めていた人物だ。しかし、彼の名前が“レジェンド”として語り継がれるのは、スカウトとして多くの選手獲得に尽力し、黄金期を陰から支えていたところにある。井元は言う。
「2代教祖の肝いりでPL学園の野球部はスタートし、校内には『学力は東大、野球は甲子園』のスローガンが掲げられていました。監督を務めたあと、2代教祖の布教活動を広報する立場に就いていた私は、教祖とともに全国を行脚するなかで、有望な中学生がいると聞けば視察に訪れて、PL学園に勧誘していました」
1978年夏に初めて全国制覇を遂げた代の主力である木戸克彦や西田真次らは井元が熱心に彼らの自宅まで通って説得し、入学に導いた選手たちであり、彼らが逆転に次ぐ逆転でトーナメントを勝ち上がったことから、「逆転のPL」が同校野球部の代名詞となっていく。
そして1980年に中村順司氏が監督となり、いよいよPLは黄金期を迎え、春3回、夏4回の全国制覇を誇る人気校となった。選手の入学や野球部の強化には、教団信者の浄財が投下され、絶大な力を持続させていく。
黄金期の裏で…暴力はびこる野球部
しかし、選手の全員が研志寮に暮らす野球部には、「3年神様、2年平民、1年奴隷」という厳格な上下関係があり、意図が不明なルールがいくつも存在したことは、多くの人が知るところだろう。この不文律がその後の不祥事の温床となっていく。
2000年代以降は度重なる暴力事件(不祥事)の発覚によって信頼を失っていき、河野有道監督時代の2001年には、先輩が後輩をパイプ椅子で殴打する事件が夏の組み合わせ抽選会直前に明るみになり、3年生は最後の大阪大会を出場辞退。井元も責任を取らされる形で学園と教団を追われてしまう。この頃から一蓮托生だったPL教団とPL学園野球部の関係は瓦解し、教団もかつてのように浄財を投じることはなくなっていく。
そしていつしか大阪の雄の座はPLから大阪桐蔭へ移る。2010年代に入っても、PLでは相変わらず暴力問題が連発し、いよいよ業を煮やした教団が、監督に野球経験者を置かず、野球素人の校長が監督を兼任していたのが2014年だった。
私が初めてPL教団の聖地を訪れたのもその年の夏だった。
〈つづく〉
📝夏の甲子園で公立校は“絶滅”危機…今夏わずか6校、加速する球児の二極化に指導者「受難の時代」と悲鳴
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/375453
夏の甲子園大会(8月5日開幕)に出場する全49校が昨29日、出揃った。春夏連覇を目指す横浜(神奈川)、夏連覇を目指す京都国際(京都)の他、叡明(埼玉)、未来富山(富山)、聖隷クリストファー(静岡)、豊橋中央(愛知)、綾羽(滋賀)の5校が初出場を決めた。
公立校は金足農(秋田)、市船橋(千葉)、県岐阜商(岐阜)、鳴門(徳島)、佐賀北(佐賀)、宮崎商(宮崎)の6校。昨夏は8強入りした大社(島根)、1勝を挙げた石橋(栃木)、菰野(三重)など12校が出場したが、今夏は半減。2010年からの15年間(コロナで中止の20年を除く)で最少となった。
07年夏に佐賀北の監督として「がばい旋風」を起こし、全国制覇を果たした百崎敏克氏(69=現・佐賀北野球部アドバイザー)がこう言う。
「私立の出場校はこの日も朝から練習しているでしょう。でも、うちはまだ夏休みじゃなくて、午前中は冷房の効いた教室で授業がありました。甲子園へ行くから午後の授業は免除してもらいましたが、練習時間が短い上に、一番暑い午後から練習するわけで、朝から効率的に練習をしている強豪校と差がつくのは当然です。野球人口の減少が叫ばれる中、中学生の二極化が進んでいます。佐賀県はボーイズなど硬式クラブチームが少ない地域ですが、硬式をやっている有名な子や意識の高い子は、だいたい他県の私立校に流れます。
寮があって専用グラウンドがあって室内練習場があるような強豪校です。九州なら神村学園(鹿児島)、明豊(大分)、福岡大大濠(福岡)など。関西だと大阪桐蔭(大阪)、遠い関東でも横浜、健大高崎(群馬)、山梨学院(山梨)といった全国の強豪私立のスカウティングには、とてもかないません。うちは学校の校庭でサッカー部と共用。寮も室内練習場もありません。うちに来てほしいなと思っても、めぼしい子は中3の春にはだいたい強豪私立校から声がかかっている。2年秋に進学先が内定していることもザラ。公立校はますます受難の時代に入っています」
横浜(私立)や横浜商(市立)などで監督、部長、コーチとして春夏通算30回以上の甲子園出場に尽力した小倉清一郎氏(81)も「ますます格差が広がるでしょうね」とこう指摘する。
DH制の導入と猛暑でさらに厳しい時代へ
「私立でも特待生や授業料無償の地域もあるから『学費が安い』という公立のメリットがなくなりつつあります。横浜は全国から選手を集めているといわれるが、私が部長で中学生をスカウトしている頃は『学校名が横浜だから、地元の選手は6、7割。県外出身者は3、4割まで』という渡辺元智監督の考えと、『県を代表して出場する甲子園に他県の出身者ばかりで出ても、応援してもらえない』という学校の方針もあって、この割合は守っていた。とはいえ、やはり選手集めは資金力のある私立が有利。健大高崎は今春センバツでは、ベンチ入り20人中19人が県外出身者だった。プロ野球の外国人枠ではないが、夏の地方大会、甲子園大会に出られる県外出身者は、20人中4人にするなどのルール作りが必要でしょう。でないと近い将来、公立の甲子園出場校が消滅する可能性は十分ありますよ」
20年からスタートした「球数制限」は特に部員数が少ない公立校の間で「私立が有利になる」と反対の声が多数出た。そこにきて、公立の受難に追い打ちをかけそうなのが、来春センバツから導入が検討されているDH制だ。前出の小倉氏は「10人で野球ができるんだから、当然、選手層が厚い私立がますます有利になるでしょう。例えば横浜は、レギュラーと控えのベンチ入りメンバー20人の差が少ない。公立はレギュラーと控えの実力差が大きいですから」と言う。
一方で百崎氏は「信頼できる投手が1人しかいない公立でもDH制は大歓迎です。この暑さの中、打って走ってマウンドに上がるのは過酷。DH制なら投手が投球に専念できる点でメリットもあります」と必ずしも強豪校のためのルールではないとしたが……。
近年の異常な猛暑は小倉氏、百崎氏ともに「選手層が厚い私立に有利に働く」とした。少子化の影響もあり、昔と比べて野球人口が減少する中、ますます私立と公立の格差は広がる一方だ。実際、07年のがばい旋風以降、公立は甲子園で1度も優勝していない。奇跡は2度と起こりそうにない。
📝強豪野球部の寮費は月額いくら? 食事や環境はピンキリ、「デリバリー注文し放題」の学校まで
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/375340
「ウチは月6万円です」こう話すのは、西日本の強豪私立校の野球部寮に子供を通わせる父親だ。
野球部員の多くは寮生活を送っている。寮といってもピンキリで、1人部屋もあれば相部屋もあるし、間取りも食事もそれぞれ違う。
近年、野球部を強化し、大阪府内屈指の強豪校になった大阪学院大高は、寮費6万円と格安なうえ、寮生はフードデリバリーサービスの「ウーバーイーツ」が注文し放題というので話題になった。
「辻盛英一監督は、30人以上の社員を有する保険代理店の社長。保険業界では凄腕として名が知れ渡っており練習設備なども私財を投じて強化。そうした成果もあり、昨春の府大会では大阪桐蔭、履正社の2強を破って優勝。今年の新1年生には、昨年U15で最速146キロをマークした『スーパー中学生』の林将輝が数十校の競合の末に、入部を決めました」(在阪放送関係者)
兵庫・報徳学園は、ビジネスホテルなどの事業を行う会社が運営する学生寮を利用する。
今夏の沖縄大会で準優勝だったエナジックスポーツは、名護市内に男子部屋だけで約50室ある寮を新設。各部屋に洗濯機、乾燥機、冷蔵庫、バス、トイレ付きと至れり尽くせりだ。
「長らく寮がなかった智弁和歌山は、中谷仁監督が2019年夏に寮を新設。妻の千保子さんが食事面などの面倒を見ている。イチローが練習で使っている初動負荷のトレーニングマシンが設置された練習施設は、酵素浴ができるお店の建物内にある。寮費は2人部屋で朝、昼、夜、夜食、補食がセットの場合10万円ほど。平均すると、3食付きで7万~8万円程度が相場の中で、やや高めではありますが、全国から中学生が集まっています」(関西中学野球関係者)
一方、昔ながらの「大部屋」スタイルを貫いているのが、イチローや工藤公康ら多数のプロ野球選手を輩出する愛工大名電(愛知)。1間に2段ベッドが25台。テレビもエアコンもなく、プライベートな空間はベットの上のみだ。
「全寮制で入部から引退までの3年間、団体生活を送ることで社会性を養いたいと考える親には評判です。ただ、部員は各学年16人で50人以内の制限を設け、寮費も一般には非公開となっている」(アマ野球関係者)
食事に関しては学校によって雲泥の差がある。「東日本のある県では寮費がほぼ同じなのに、献立がまるっきり違う。メインのおかずは唐揚げやコロッケなどの揚げ物ばかりで、たまに煮物が出るくらい。あとは小鉢、納豆、みそ汁。おおよそ成長期の高校生にはそぐわない献立で、線が細い選手が多い。一方、同県内の新進校は、優秀な中学生をかき集めるため、専属の栄養士が朝は魚メインでサラダ、野菜炒め、ホウレン草のおひたし、夜は肉中心のメニューを出すなど、その差は明らかです」(同前)
学校によっては、監督が金策に奔走するケースもある。元横浜高校野球部長の小倉清一郎氏はかつて、本紙コラムでこう書いた。
<元監督の渡辺元智は長年、野球部を支えるために金策に奔走していた。夕方、私に「絶対に殴るなよ」と言い残して練習を早退すると、横浜の企業の社長などが集う「横浜友達会」の会合に頻繁に顔を出した。財界人との人脈を築き、金銭面から野球部を応援してもらうためだ。
長く援助してくれた横高野球部OBで1期生の高僧とも深く付き合った。有力OBで大先輩でもある。誘いには二つ返事で応じ、朝まで酌を交わすこともたびたびあったようだ。翌日は授業も練習もあるというのに、身を粉にして人と付き合った。
選手寮の食事を仕入れる横浜の市場も、渡辺との関係で通常より何万円も安くしてくれている。野球部後援会長との付き合いも深い。酒席が苦手な私には絶対にできない。いつも頭が下がる思いで渡辺を見ていた>
高校野球部の寮選びは、入念な下調べをしておいた方がよさそうだ。
⚾岩手さんへ
岡山大会の山陽-玉野光南戦の動画はこれですね。
https://www.youtube.com/watch?v=hHabkySY6UA
僕はネット裏かなり上段席で見ておりましたが、、、、、ショートが弾いたのは分かりましたが2塁塁審とぶつかったのは確認できず・・・・・。単なるタイムリーエラーと思ってましたが、事実はそうではなかったと。
1度は「審判のインターフェアで2死満塁得点なしでプレー再開」とマイクで説明したものの二転三転して50分間中断と。あれが0点だったら0-3のまま試合終了。悪くてもコールドにはならなかったかと。
そして2016年夏の決勝が・・・https://www.youtube.com/watch?v=q06SPEEtnBs
他にも17年秋に球審と創志・長澤前監督がひと悶着ありましたね・・・https://www.youtube.com/watch?v=PKQhRQAqYdQ
P・S 今日はゴゴスマがなくなったので、全国最高気温ランキングは知りませんでした。今年39、9度が最高だったので「あと0、1度・・・」と悔やまれましたが一気に上がりましたね。
2週間天気予報を見たら選手権大会3日目あたりから雲行きが怪しくなってきますが・・・・・。なんとか雨は回避したいです。
⚾SHIONOMISAKIさんへ
滋賀は仕事が早いですね!!もう1年生大会の抽選をしていたとは初耳でした。
しかし、近江八幡の球場は駅からかなり遠いらしいし、駅リンくんの廃止が痛恨ですね・・・・・。
11月上旬の滋賀だったらこちらよりも3度くらい気温低いだろうから上っ張りは要りますよね。。。一昨年・昨年と秋季近畿大会は半袖で出かけましたが。パーカーは準備しておりました。
P・S カムチャッカ半島の地震で津波ですね・・・。もしこれが2日間48時間早ければ、、、、、始発電車で移動して紀三井寺球場スタンドにいるときに津波警報発令され、JRは 和泉砂川から新宮 まで、南海は みさき公園~和歌山市 まで運転見合わせで帰れない↓↓
オマケにマリーナシティは埋め立て地なんでレンタサイクルで行くことはできたかもしれないが、、、、、相当な危険を要するので標高の高い231段の階段登って紀三井寺で双眼鏡で海見ながら待機???
阪神大震災の折も早朝ゆえに当時の神戸市東灘区の工場には出勤してなかったですが、白昼だったら歩いて帰るにも20km近く離れているし、帰宅難民になっていたかと。改めて自分の悪運の強さに感謝してます!
https://news.yahoo.co.jp/articles/47eb673fd1a42fef884f92d434a1e2e2cdcf371f
日本サッカー協会は30日、高校サッカーのインターハイ男女開催を巡り、カムチャツカ半島付近で発生した巨大地震による津波警報発令に伴い、同日に予定されていた試合は中止になったと発表した。
【女子(開催地:北海道)】
7月30日(水)2回戦
【9】常葉橘(東海1)―聖カピタニオ(東海2)
【10】日本航空(関東2)―神村学園(九州1)
【11】鳴門渦潮(四国)―作陽学園(中国)
【12】鹿島学園(関東1)―大商学園(近畿2)
↓
7月31日(木)に順延
【9】9:30キックオフ 日鋼室蘭スポーツパーク
【10】9:30キックオフ リーフラスフットボールパーク
【11】12:00キックオフ リーフラスフットボールパーク
【12】12:00キックオフ 日鋼室蘭スポーツパーク
📣テレビ和歌山「めざせ甲子園高校野球ハイライト」
https://vk.sportsbull.jp/koshien/video/abc/localbroadcast_movie/wakayama/koya107_localbroadcast_movie_wakayama_2025_6.html
<2回戦>
慶風 6−7 南部
有田中央・貴志川・和歌山南陵 0−10(5回コールド) 智辯和歌山
熊野 3−4 和歌山工業
📣テレビ和歌山「めざせ甲子園高校野球ハイライト」
https://vk.sportsbull.jp/koshien/video/abc/localbroadcast_movie/wakayama/koya107_localbroadcast_movie_wakayama_2025_7.html
<2回戦>
箕島 3−1 県和歌山
海南 5−6x 那賀
和歌山高専 0−6 田辺
📣テレビ和歌山「めざせ甲子園高校野球ハイライト」
https://vk.sportsbull.jp/koshien/video/abc/localbroadcast_movie/wakayama/koya107_localbroadcast_movie_wakayama_2025_8.html
<3回戦>
耐久 1−2 星林
日高中津 1−2 粉河
桐蔭 2−5 市和歌山
📣テレビ和歌山「めざせ甲子園高校野球ハイライト」
https://vk.sportsbull.jp/koshien/video/abc/localbroadcast_movie/wakayama/koya107_localbroadcast_movie_wakayama_2025_9.html
<3回戦>
智辯和歌山 7−3 和歌山工業
田辺工業 2−3 初芝橋本
南部 4−10 田辺
📣テレビ和歌山「めざせ甲子園高校野球ハイライト」
https://vk.sportsbull.jp/koshien/video/abc/localbroadcast_movie/wakayama/koya107_localbroadcast_movie_wakayama_2025_10.html
<3回戦>
橋本 11−9 日高
箕島 3−7 那賀
📣テレビ和歌山「めざせ甲子園高校野球ハイライト」
https://vk.sportsbull.jp/koshien/video/abc/localbroadcast_movie/wakayama/koya107_localbroadcast_movie_wakayama_2025_11.html
<準々決勝>
星林 8−4 粉河
市和歌山 0−7(8回コールド) 智辯和歌山
📣テレビ和歌山「めざせ甲子園高校野球ハイライト」
https://vk.sportsbull.jp/koshien/video/abc/localbroadcast_movie/wakayama/koya107_localbroadcast_movie_wakayama_2025_12.html
<準々決勝>
初芝橋本 0−7(7回コールド)田辺
橋本 4−8 那賀
📣テレビ和歌山「めざせ甲子園高校野球ハイライト」
https://vk.sportsbull.jp/koshien/video/abc/localbroadcast_movie/wakayama/koya107_localbroadcast_movie_wakayama_2025_13.html
<準決勝>
田辺 0−9(8回コールド)星林
智辯和歌山 10−0(5回コールド) 那賀
📣テレビ和歌山「めざせ甲子園高校野球ハイライト」
https://vk.sportsbull.jp/koshien/video/abc/localbroadcast_movie/wakayama/koya107_localbroadcast_movie_wakayama_2025_14.html
<決勝>
星林 0ー2 智辯和歌山
📝「最激戦区」から勝ち上がった理由 担当記者が見た高校野球岡山大会
https://news.yahoo.co.jp/articles/4601948d38fb5898fe166df241be2cb2392139c7
岡山学芸館が連覇し、4回目の夏の甲子園出場を決めた第107回全国高校野球選手権岡山大会。おかやま山陽との決勝は、点を取り合うシーソーゲームの熱戦となった。岡山学芸館の大会での戦いぶりと、涙をのんで球場をあとにした各校の戦いぶりを振り返る。
岡山学芸館が入ったゾーンは、春の県大会と中国大会で準優勝した創志学園、昨夏準優勝の関西、昨夏4強の岡山理大付がひしめき合う「最激戦区」だった。勝ち上がったのは、エース左腕、青中の好投が大きい。
直球は最速140キロ程度だが、制球の良さと変化球との組み合わせによる巧みな投球術が光った。創志学園戦は三塁を踏ませず4安打完封。門馬敬治監督に「完敗」と言わしめた。
準決勝の相手は春の中国大会王者の倉敷商。岡山学芸館の佐藤貴博監督によると「間違いなく一番強い」。好機は少ないと悟り、走者を確実にバントで送った。ここで活躍したのが2年藤原。選球眼に優れ、粘っこい打撃が持ち味。2度の得点機でいずれも適時打を放った。青中は終盤、1点差に詰め寄られたが要所を締めて完投した。
決勝は先発の青中が捕まり途中降板。1死一、二塁から継投した吉井が好救援した。空振り三振、内野ゴロで切り抜けると、青中と長年バッテリーを組む佐藤滉が殊勲の2点三塁打で、連覇をたぐり寄せた。
準優勝したおかやま山陽。堤尚彦監督は今年のチームを「赤鰯(いわし)軍団」と自称した。プロからの注目選手はいないとして、チーム一丸となり束になって挑んだ。初戦を除く決勝までの4試合をいずれも13安打と打ちまくり。とりわけ主将・井川は打率が5割を超え、10打点と牽引した。
3回戦は、4時間半を超える延長十三回タイブレークの大熱戦を展開。決勝も一時は逆転し、2年ぶりの甲子園に近づいた。堤監督は「力のなかったチームがよく伸びた」と選手たちをねぎらった。
おかやま山陽とタイブレークまで戦った総社南は、エースの中曽が躍動。1回戦の完投に続き、12回3分の1を174球、一人で投げ抜いた。美作はノーシードながら初のベスト8入り。2回戦でシード校の岡山商大付に競り勝つと、就実を延長の末に下した。準々決勝で敗れたが「県北から初の甲子園へ」という目標は後輩に託された。
勝者ばかりではなく、どのチームにも光るものがあった。
📝「先輩がパイプ椅子で後輩を殴打」PL学園野球部で暴力事件、出場停止も…甲子園優勝7回の最強野球部で何が? 名門の崩壊がはじまった日
https://number.bunshun.jp/articles/-/866653
「昔は人であふれていてね…」
PL教団の聖地は近鉄喜志駅と富田林駅にまたがるほど広大で、80年代には公称とはいえその信者数は260万人を超えていたとされる。PL学園は定時制課程も含め1000人以上が敷地内に暮らしていた。喜志駅側にPL学園の校舎や金剛寮(男子寮)、葛城寮(女子寮)が建ち並び、富田林駅側にPL教団の本庁やPL病院、硬式野球部の選手たちが汗を流した球場「Aグラウンド」が存在する。そして、羽曳野の丘陵地帯に位置するこの一帯を、奇っ怪な形をした白亜の「大平和祈念塔」が見下ろしている。ちなみに塔の建設計画が持ち上がった時、パブロ・ピカソに設計を依頼したとも言われるが、真偽は定かでない。
「学力は東大、野球は甲子園」PL創生期
1955年に開校し、その翌年にスタートしたPL学園野球部を深く知るのは井元俊秀(89歳)だ。学園の1期生であり、同校が初めて甲子園に出場した1962年春と夏には監督を務めていた人物だ。しかし、彼の名前が“レジェンド”として語り継がれるのは、スカウトとして多くの選手獲得に尽力し、黄金期を陰から支えていたところにある。井元は言う。
「2代教祖の肝いりでPL学園の野球部はスタートし、校内には『学力は東大、野球は甲子園』のスローガンが掲げられていました。監督を務めたあと、2代教祖の布教活動を広報する立場に就いていた私は、教祖とともに全国を行脚するなかで、有望な中学生がいると聞けば視察に訪れて、PL学園に勧誘していました」
1978年夏に初めて全国制覇を遂げた代の主力である木戸克彦や西田真次らは井元が熱心に彼らの自宅まで通って説得し、入学に導いた選手たちであり、彼らが逆転に次ぐ逆転でトーナメントを勝ち上がったことから、「逆転のPL」が同校野球部の代名詞となっていく。
そして1980年に中村順司氏が監督となり、いよいよPLは黄金期を迎え、春3回、夏4回の全国制覇を誇る人気校となった。選手の入学や野球部の強化には、教団信者の浄財が投下され、絶大な力を持続させていく。
黄金期の裏で…暴力はびこる野球部
しかし、選手の全員が研志寮に暮らす野球部には、「3年神様、2年平民、1年奴隷」という厳格な上下関係があり、意図が不明なルールがいくつも存在したことは、多くの人が知るところだろう。この不文律がその後の不祥事の温床となっていく。
2000年代以降は度重なる暴力事件(不祥事)の発覚によって信頼を失っていき、河野有道監督時代の2001年には、先輩が後輩をパイプ椅子で殴打する事件が夏の組み合わせ抽選会直前に明るみになり、3年生は最後の大阪大会を出場辞退。井元も責任を取らされる形で学園と教団を追われてしまう。この頃から一蓮托生だったPL教団とPL学園野球部の関係は瓦解し、教団もかつてのように浄財を投じることはなくなっていく。
そしていつしか大阪の雄の座はPLから大阪桐蔭へ移る。2010年代に入っても、PLでは相変わらず暴力問題が連発し、いよいよ業を煮やした教団が、監督に野球経験者を置かず、野球素人の校長が監督を兼任していたのが2014年だった。
私が初めてPL教団の聖地を訪れたのもその年の夏だった。
〈つづく〉
📝夏の甲子園で公立校は“絶滅”危機…今夏わずか6校、加速する球児の二極化に指導者「受難の時代」と悲鳴
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/375453
夏の甲子園大会(8月5日開幕)に出場する全49校が昨29日、出揃った。春夏連覇を目指す横浜(神奈川)、夏連覇を目指す京都国際(京都)の他、叡明(埼玉)、未来富山(富山)、聖隷クリストファー(静岡)、豊橋中央(愛知)、綾羽(滋賀)の5校が初出場を決めた。
公立校は金足農(秋田)、市船橋(千葉)、県岐阜商(岐阜)、鳴門(徳島)、佐賀北(佐賀)、宮崎商(宮崎)の6校。昨夏は8強入りした大社(島根)、1勝を挙げた石橋(栃木)、菰野(三重)など12校が出場したが、今夏は半減。2010年からの15年間(コロナで中止の20年を除く)で最少となった。
07年夏に佐賀北の監督として「がばい旋風」を起こし、全国制覇を果たした百崎敏克氏(69=現・佐賀北野球部アドバイザー)がこう言う。
「私立の出場校はこの日も朝から練習しているでしょう。でも、うちはまだ夏休みじゃなくて、午前中は冷房の効いた教室で授業がありました。甲子園へ行くから午後の授業は免除してもらいましたが、練習時間が短い上に、一番暑い午後から練習するわけで、朝から効率的に練習をしている強豪校と差がつくのは当然です。野球人口の減少が叫ばれる中、中学生の二極化が進んでいます。佐賀県はボーイズなど硬式クラブチームが少ない地域ですが、硬式をやっている有名な子や意識の高い子は、だいたい他県の私立校に流れます。
寮があって専用グラウンドがあって室内練習場があるような強豪校です。九州なら神村学園(鹿児島)、明豊(大分)、福岡大大濠(福岡)など。関西だと大阪桐蔭(大阪)、遠い関東でも横浜、健大高崎(群馬)、山梨学院(山梨)といった全国の強豪私立のスカウティングには、とてもかないません。うちは学校の校庭でサッカー部と共用。寮も室内練習場もありません。うちに来てほしいなと思っても、めぼしい子は中3の春にはだいたい強豪私立校から声がかかっている。2年秋に進学先が内定していることもザラ。公立校はますます受難の時代に入っています」
横浜(私立)や横浜商(市立)などで監督、部長、コーチとして春夏通算30回以上の甲子園出場に尽力した小倉清一郎氏(81)も「ますます格差が広がるでしょうね」とこう指摘する。
DH制の導入と猛暑でさらに厳しい時代へ
「私立でも特待生や授業料無償の地域もあるから『学費が安い』という公立のメリットがなくなりつつあります。横浜は全国から選手を集めているといわれるが、私が部長で中学生をスカウトしている頃は『学校名が横浜だから、地元の選手は6、7割。県外出身者は3、4割まで』という渡辺元智監督の考えと、『県を代表して出場する甲子園に他県の出身者ばかりで出ても、応援してもらえない』という学校の方針もあって、この割合は守っていた。とはいえ、やはり選手集めは資金力のある私立が有利。健大高崎は今春センバツでは、ベンチ入り20人中19人が県外出身者だった。プロ野球の外国人枠ではないが、夏の地方大会、甲子園大会に出られる県外出身者は、20人中4人にするなどのルール作りが必要でしょう。でないと近い将来、公立の甲子園出場校が消滅する可能性は十分ありますよ」
20年からスタートした「球数制限」は特に部員数が少ない公立校の間で「私立が有利になる」と反対の声が多数出た。そこにきて、公立の受難に追い打ちをかけそうなのが、来春センバツから導入が検討されているDH制だ。前出の小倉氏は「10人で野球ができるんだから、当然、選手層が厚い私立がますます有利になるでしょう。例えば横浜は、レギュラーと控えのベンチ入りメンバー20人の差が少ない。公立はレギュラーと控えの実力差が大きいですから」と言う。
一方で百崎氏は「信頼できる投手が1人しかいない公立でもDH制は大歓迎です。この暑さの中、打って走ってマウンドに上がるのは過酷。DH制なら投手が投球に専念できる点でメリットもあります」と必ずしも強豪校のためのルールではないとしたが……。
近年の異常な猛暑は小倉氏、百崎氏ともに「選手層が厚い私立に有利に働く」とした。少子化の影響もあり、昔と比べて野球人口が減少する中、ますます私立と公立の格差は広がる一方だ。実際、07年のがばい旋風以降、公立は甲子園で1度も優勝していない。奇跡は2度と起こりそうにない。
📝強豪野球部の寮費は月額いくら? 食事や環境はピンキリ、「デリバリー注文し放題」の学校まで
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/375340
「ウチは月6万円です」こう話すのは、西日本の強豪私立校の野球部寮に子供を通わせる父親だ。
野球部員の多くは寮生活を送っている。寮といってもピンキリで、1人部屋もあれば相部屋もあるし、間取りも食事もそれぞれ違う。
近年、野球部を強化し、大阪府内屈指の強豪校になった大阪学院大高は、寮費6万円と格安なうえ、寮生はフードデリバリーサービスの「ウーバーイーツ」が注文し放題というので話題になった。
「辻盛英一監督は、30人以上の社員を有する保険代理店の社長。保険業界では凄腕として名が知れ渡っており練習設備なども私財を投じて強化。そうした成果もあり、昨春の府大会では大阪桐蔭、履正社の2強を破って優勝。今年の新1年生には、昨年U15で最速146キロをマークした『スーパー中学生』の林将輝が数十校の競合の末に、入部を決めました」(在阪放送関係者)
兵庫・報徳学園は、ビジネスホテルなどの事業を行う会社が運営する学生寮を利用する。
今夏の沖縄大会で準優勝だったエナジックスポーツは、名護市内に男子部屋だけで約50室ある寮を新設。各部屋に洗濯機、乾燥機、冷蔵庫、バス、トイレ付きと至れり尽くせりだ。
「長らく寮がなかった智弁和歌山は、中谷仁監督が2019年夏に寮を新設。妻の千保子さんが食事面などの面倒を見ている。イチローが練習で使っている初動負荷のトレーニングマシンが設置された練習施設は、酵素浴ができるお店の建物内にある。寮費は2人部屋で朝、昼、夜、夜食、補食がセットの場合10万円ほど。平均すると、3食付きで7万~8万円程度が相場の中で、やや高めではありますが、全国から中学生が集まっています」(関西中学野球関係者)
一方、昔ながらの「大部屋」スタイルを貫いているのが、イチローや工藤公康ら多数のプロ野球選手を輩出する愛工大名電(愛知)。1間に2段ベッドが25台。テレビもエアコンもなく、プライベートな空間はベットの上のみだ。
「全寮制で入部から引退までの3年間、団体生活を送ることで社会性を養いたいと考える親には評判です。ただ、部員は各学年16人で50人以内の制限を設け、寮費も一般には非公開となっている」(アマ野球関係者)
食事に関しては学校によって雲泥の差がある。「東日本のある県では寮費がほぼ同じなのに、献立がまるっきり違う。メインのおかずは唐揚げやコロッケなどの揚げ物ばかりで、たまに煮物が出るくらい。あとは小鉢、納豆、みそ汁。おおよそ成長期の高校生にはそぐわない献立で、線が細い選手が多い。一方、同県内の新進校は、優秀な中学生をかき集めるため、専属の栄養士が朝は魚メインでサラダ、野菜炒め、ホウレン草のおひたし、夜は肉中心のメニューを出すなど、その差は明らかです」(同前)
学校によっては、監督が金策に奔走するケースもある。元横浜高校野球部長の小倉清一郎氏はかつて、本紙コラムでこう書いた。
<元監督の渡辺元智は長年、野球部を支えるために金策に奔走していた。夕方、私に「絶対に殴るなよ」と言い残して練習を早退すると、横浜の企業の社長などが集う「横浜友達会」の会合に頻繁に顔を出した。財界人との人脈を築き、金銭面から野球部を応援してもらうためだ。
長く援助してくれた横高野球部OBで1期生の高僧とも深く付き合った。有力OBで大先輩でもある。誘いには二つ返事で応じ、朝まで酌を交わすこともたびたびあったようだ。翌日は授業も練習もあるというのに、身を粉にして人と付き合った。
選手寮の食事を仕入れる横浜の市場も、渡辺との関係で通常より何万円も安くしてくれている。野球部後援会長との付き合いも深い。酒席が苦手な私には絶対にできない。いつも頭が下がる思いで渡辺を見ていた>
高校野球部の寮選びは、入念な下調べをしておいた方がよさそうだ。
⚾岩手さんへ
岡山大会の山陽-玉野光南戦の動画はこれですね。
https://www.youtube.com/watch?v=hHabkySY6UA
僕はネット裏かなり上段席で見ておりましたが、、、、、ショートが弾いたのは分かりましたが2塁塁審とぶつかったのは確認できず・・・・・。単なるタイムリーエラーと思ってましたが、事実はそうではなかったと。
1度は「審判のインターフェアで2死満塁得点なしでプレー再開」とマイクで説明したものの二転三転して50分間中断と。あれが0点だったら0-3のまま試合終了。悪くてもコールドにはならなかったかと。
そして2016年夏の決勝が・・・https://www.youtube.com/watch?v=q06SPEEtnBs
他にも17年秋に球審と創志・長澤前監督がひと悶着ありましたね・・・https://www.youtube.com/watch?v=PKQhRQAqYdQ
P・S 今日はゴゴスマがなくなったので、全国最高気温ランキングは知りませんでした。今年39、9度が最高だったので「あと0、1度・・・」と悔やまれましたが一気に上がりましたね。
2週間天気予報を見たら選手権大会3日目あたりから雲行きが怪しくなってきますが・・・・・。なんとか雨は回避したいです。
⚾SHIONOMISAKIさんへ
滋賀は仕事が早いですね!!もう1年生大会の抽選をしていたとは初耳でした。
しかし、近江八幡の球場は駅からかなり遠いらしいし、駅リンくんの廃止が痛恨ですね・・・・・。
11月上旬の滋賀だったらこちらよりも3度くらい気温低いだろうから上っ張りは要りますよね。。。一昨年・昨年と秋季近畿大会は半袖で出かけましたが。パーカーは準備しておりました。
P・S カムチャッカ半島の地震で津波ですね・・・。もしこれが2日間48時間早ければ、、、、、始発電車で移動して紀三井寺球場スタンドにいるときに津波警報発令され、JRは 和泉砂川から新宮 まで、南海は みさき公園~和歌山市 まで運転見合わせで帰れない↓↓
オマケにマリーナシティは埋め立て地なんでレンタサイクルで行くことはできたかもしれないが、、、、、相当な危険を要するので標高の高い231段の階段登って紀三井寺で双眼鏡で海見ながら待機???
阪神大震災の折も早朝ゆえに当時の神戸市東灘区の工場には出勤してなかったですが、白昼だったら歩いて帰るにも20km近く離れているし、帰宅難民になっていたかと。改めて自分の悪運の強さに感謝してます!
秋にカローラ滋賀はちまんスタジアムで準々決勝戦から
するんで日程あえば足を運びたいと思います。
するんで日程あえば足を運びたいと思います。
お昼前から2時間弱いつも利用している施設で、聖隷の試合動画と、岡山大会の山陽-玉野光南戦の動画を見るつもりでしたが、聖隷は見ましたが、光南戦は、私の技量不足でしょうけどね!観られませんでした。
代わりに、二塁塁審と光南遊撃手がぶつかる場面の写真?は見ましたが、塁審がタックルみたいな感じでぶつかる印象を私は思いましたが。
野球規則で審判員の妨害は、2.44(c)、5,09(b)捕手の送球を妨げる。
2.44(c)、5,09(f)打球に触れる。
だけで、確かに打球には触れていませんね、ただ守備体制での衝突ですからね。
9,01(c)審判員、本規則に明確に規定されていない事項に関しては、自己の裁量に基づいて、裁定下す機能が与えられている。
9,02(c)
私の解釈ですが、審判員がアピールを受けて、最終の裁定を下すにあたって、他の審判員に意見を求めることはできる。
公認野球規則から抜粋しました。
私の解釈ですが、あの場面の衝突は、得点1 2死1,3塁の再開ではなく、衝突時点でボールデットで2死満塁の再開が妥当ではないかなと思いましたが。
光南もその後失点したかもしれませんが、あの場面では衝突しなかったらアウトを取れるかもしれませんでしたので、審判員の裁定で2死満塁再開が出来れば、光南ベンチもすぐに抗議を引っ込めたかもと私の意見です。
インプレーの解釈は分からないな。
規則追加になるならいいけどね。
玉野光南は、何年か前の創志学園との決勝戦でも、ゲッツーで甲子園出場と決定したと思ったたら打球が打者にあったとファール判定で打ち直しで逆転負けもしたことも見ました。
悪い事は続くものなのかな?
締め切りに間に合いませんでしたね。
午後の部でした。
代わりに、二塁塁審と光南遊撃手がぶつかる場面の写真?は見ましたが、塁審がタックルみたいな感じでぶつかる印象を私は思いましたが。
野球規則で審判員の妨害は、2.44(c)、5,09(b)捕手の送球を妨げる。
2.44(c)、5,09(f)打球に触れる。
だけで、確かに打球には触れていませんね、ただ守備体制での衝突ですからね。
9,01(c)審判員、本規則に明確に規定されていない事項に関しては、自己の裁量に基づいて、裁定下す機能が与えられている。
9,02(c)
私の解釈ですが、審判員がアピールを受けて、最終の裁定を下すにあたって、他の審判員に意見を求めることはできる。
公認野球規則から抜粋しました。
私の解釈ですが、あの場面の衝突は、得点1 2死1,3塁の再開ではなく、衝突時点でボールデットで2死満塁の再開が妥当ではないかなと思いましたが。
光南もその後失点したかもしれませんが、あの場面では衝突しなかったらアウトを取れるかもしれませんでしたので、審判員の裁定で2死満塁再開が出来れば、光南ベンチもすぐに抗議を引っ込めたかもと私の意見です。
インプレーの解釈は分からないな。
規則追加になるならいいけどね。
玉野光南は、何年か前の創志学園との決勝戦でも、ゲッツーで甲子園出場と決定したと思ったたら打球が打者にあったとファール判定で打ち直しで逆転負けもしたことも見ました。
悪い事は続くものなのかな?
締め切りに間に合いませんでしたね。
午後の部でした。