自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」
⚾明日の和歌山大会二次予選組み合わせ(初日 1回戦 紀三井寺球場)
☆ 09:00~ 高 野 山- 箕 島
☆☆ 11:30~ 智弁和歌山-近大 新宮
⚾明日の兵庫大会組み合わせ(7日目 準々決勝)
明石トーカロ球場
10:00~ 六甲アイランドー神戸国際付
☆ 13:00~ 市 尼 崎- 柏 原
ウインク球場
☆☆ 10:00~ 彩星 工科ー明石 清水
☆☆☆ 13:00~ 報徳 学園-東洋大姫路
⚾明日の奈良大会組み合わせ(8日目 準々決勝 さとやくスタジアム)
09:00~ 法隆寺国際ー智弁 学園
11:30~ 高 田 商ー 郡 山
⚾明日の京都大会組み合わせ(10日目 準々決勝 わかさS京都)
09:30~ 龍谷大平安- 北 稜
12:00~ 福 知 山- 鳥 羽
⚾明日の岡山大会組み合わせ(4日目 準々決勝)
倉敷市営球場
☆☆☆ 10:00~ 倉 敷 商-岡山 東商
12:30~ 玉 島 商-創志 学園
エイコン球場
10:00~ 倉敷 青陵-岡山理大付
12:30~ 笠 岡 商- 関 西
⚾明日の三重大会組み合わせ(12日目 準決勝 津市営球場)
10:00~ 津田 学園-四 日 市
☆ 14:00~ 津 商 - 三 重
📝2026年春のセンバツ、3月19日開幕 出場決定は1月30日
https://news.yahoo.co.jp/articles/3a97301606177c9d31675921dc6071934c3a3a94
毎日新聞社と日本高校野球連盟は26日、来春の第98回選抜高校野球大会について、2026年3月19日に兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で開幕し、31日までの13日間(準々決勝と準決勝翌日の休養日を含む)の日程で開催すると発表した。
出場校を決める選考委員会は26年1月30日、組み合わせ抽選会は3月6日。いずれも大阪市北区の毎日新聞大阪本社オーバルホールで実施する。
出場校は前回の第97回大会と同数の32校(一般選考29校、特別枠3校=21世紀枠2、神宮大会枠1)。一般選考の地区別出場校数の内訳も前回大会と同じで、北海道1▽東北3▽関東・東京6▽東海3▽北信越2▽近畿6▽中国2▽四国2▽九州4。関東・東京の6校は関東4校と東京1校を選んだ後、両地区を比較して残り1校を決める。
この日の大会の第1回運営委員会では、21紀枠の特別選考委員15人と一般選考の選考委員53人の委嘱も承認された。新たに慶応大や社会人野球のENEOSなどで監督を務めた大久保秀昭氏ら8人が選考委員に加わった。
大会は春夏の甲子園で初めて、指名打者制(DH制)を採用する。
🔥秋の高校野球島根大会、9月27日に4強激突 立正大淞南VS島根中央、石見智翠館VS矢上
https://news.yahoo.co.jp/articles/29e88f56ea53256371cbdaa636706af61c797cd5
来春の選抜高校野球大会につながる第145回秋季中国地区大会島根県予選を兼ねた県秋季大会は27日、松江市営野球場で準決勝がある。立正大淞南と島根中央、石見智翠館と矢上がそれぞれ対戦する。
立正大淞南は、エースの川口元が準々決勝で大社を1安打に抑えて完封した。複数の投手を擁し、バックの守備も安定している。打線は上位から下位まで切れ目がなく、効率的な加点が期待できる。
島根中央は、準々決勝までの3試合全てでコールド勝ちした。チーム打率は4割9厘と好調だ。エースの塩崎孔耀は20回と3分の2を投げて26奪三振、防御率0・87と好投を続けている。
石見智翠館は、3回戦と準々決勝を延長の末に勝利した。吉村武流や田中雄登、下垣颯士らが打線を引っ張る。エースの住田怜人や3回戦で力を発揮した左腕蘭皓太らが試合を組み立てる。
矢上は、複数投手の継投で勝ち上がってきた。鈴木虎太郎、山下朝陽ら投手陣が充実している。攻撃は宮本奏侑や重富大翔らが好機をつくり、打率5割の4番小泉隆也につないで勝機をうかがう。
✌滋賀学園の甲子園球児 国スポでソフトボール参戦 競技人口減少で白羽の矢…藤本聖人「滋賀盛り上げたい」
https://news.yahoo.co.jp/articles/9720f122908d9d7908617ab289ce4c627872ad93
異種競技でも、本気で日本一狙う――。今春の選抜に出場した滋賀学園野球部3年生の9人が28日に滋賀県で開幕する「国民スポーツ大会」の少年男子ソフトボールの部に滋賀県代表として登場する。似て全く非なるスポーツの練習を始めて1カ月。悪戦苦闘しながら、甲子園球児たちは「頂点」を合言葉に技術を磨いてきた。1回戦は29日、強豪の鹿児島県と対戦する。
甲子園の舞台を知る彼らに、18メートル29の塁間、68メートル58以上が規定の両翼は狭すぎる。ソフトボールの練習を始めて1カ月。異種競技への挑戦を決めた9人は、サイズでは測れない競技の奥深さに気づいていた。
「慣れていないというのもあるけど、野球よりソフトボールの方が断然難しい。距離感が短いので、野球と同じスピード感でやっていると、全てのプレーが追いつかない。最初は苦労しました」
今夏まで野球部の主将を務めた藤本聖人は感覚的な違いをこう表現した。最初に直面した壁がバッティング。投本間が14メートル02。男子の一流投手は球速120キロを超え体感速度は約150キロとされており、野球のスイングではとてもタイミングが合わない。その上、浮き上がるライズボール、ドロップなど変化球も多彩。藤本は肩の上にバットを乗せる構えに変え、中軸打者だった秋満大知は足を上げるのをやめた。守備でも、ソフト仕様の対応を迫られた点は多い。一塁と三塁が極端に前で守るのが通常シフト。三塁を任される中西朔太郎は「(守ってて)まだ怖いです」と苦笑いする。打球によっては、外野が二塁や三塁のベースカバーに入るシーンも珍しくない。極端なダウンスイングで高いゴロを放ち、走者を進める「たたき」と呼ばれる技術は、8月の練習試合で学んだ。
「国スポまでに全部を完璧にやることは難しいけど、滋賀県を盛り上げるために頑張りたい」
藤本の決意表明が頼もしい。近年、県内のソフトボール競技人口が激減。単独でのチーム結成が困難になり、今夏の県大会決勝で敗れた滋賀学園に異種競技での出場が打診された。希望者は9人。国スポでは、「本職」の栗東、彦根工の4選手を加えた13人で頂点を狙う。
「ソフトボールでは全員がカバーしないとアウト一つも取れない。自分を犠牲にするのが大事」
藤本が口にするスピリットは1カ月間、一緒に汗を流した同校の女子部員から学んだものだ。そして合同練習で残した財産もある。技術などを助言した中嶋佐智美監督は「雰囲気づくりや声掛けなどは、やっぱり全国で戦ってきた選手たちだなって」と感心する。
目指すは野球で果たせなかった全国制覇。「9人の侍」が、少し小さめのダイヤモンドを疾走する姿が待ち遠しい。(堀田 和昭)
≪合同トレに参加 女子ソフト部員「刺激を受けた」≫野球部9人と一緒に汗を流した女子ソフトボール部員からも国スポに出場する選手がいる。高野結菜外野手、畠山舞莉菜投手、山本瑠希内野手の3年生3人で、少年女子の部に選出。体力やスピードが違うため、打撃練習やノックなどは別々に消化しつつ、練習の間にアドバイスを送り合う場面も見られた。畠山は「(男子は)一つ一つのプレーは本当に速くて、凄く刺激を受けた」と合同トレの効果を口にした。
📝「(朗希は)エゴサとかしてた」「30球以上は投げない」大船渡の同級生が明かす“高校生・佐々木朗希”の素顔…あの岩手大会決勝で先発した投手の証言
https://news.yahoo.co.jp/articles/3ad12a1efa13df925f6e4f1857e359c9e0211ba0?page=1
2019年夏、甲子園出場をかけた岩手県大会での出来事は、野球界に大論争を巻き起こした。注目を集めた大船渡高・佐々木朗希投手(現・ドジャース)が、花巻東高との決勝戦の登板を回避したのだ。その佐々木に代わって先発マウンドに上がったのが、同じ3年生の右腕・柴田貴広投手だった。現在、総合不動産企業のオープンハウスグループで営業職を務める柴田さんが、「あの夏」と、「その後」を語った。
営業マンとして奮闘する現在
“あの夏”から6年。柴田さんは現在、オープンハウスグループ開発事業部の営業職として千葉県を中心に飛び回っている。担当しているのは、土地の仕入れ。猛暑の中、不動産業者への“外回り営業”に奮闘する毎日だ。
「自分たちが野球をやっていた時より暑いので、今の高校球児は本当に大変だなと思いながら歩いています」
大船渡高を卒業後は、大東文化大に進学して野球を続けた。大学卒業後の昨年春に入社し、社会人2年目。スーツ姿もすっかり板についてきた。営業先では、「佐々木朗希の代わりに投げた……」と自らネタにすることも。“あの夏”について取材を受ける機会も増えたが、特段身構えることもなく、ポジティブに高校時代を振り返っている。
「5年以上経っていますから、時間が解決、っていう感じです。ヤフコメとかを見ると、『あの時のトラウマを……』と(同情的に)書かれていたりするんですけどね。個人的に、今でも申し訳なかったという気持ちはありますけど、それが辛くて野球が出来なくなったということはない。そこまで心配していただかなくても大丈夫です」
朗らかにそう話し、前を見据えた。
入学当時の朗希は「バケモンみたいなもんです」
柴田さんが大船渡高に入学したのは2017年のことだ。県立高校の野球部に集まった同学年の仲間は、マネージャーを含めて23人。狭い地域で小さい頃から野球の大会で見知った顔ぶれだった。
「みんな少年野球から知っている感じ。ぼくの中学校(綾里中、現在は閉校)は正直すごく田舎なので自分を含めて3人しかいなかったのですが、朗希(大船渡一中)の同級生は大半を占めていた。朗希がみんなに『大船渡高で一緒にやろう』と声をかけて集まった、そんなメンバーでした」
中学時代まで、柴田さんにとって佐々木は「対戦相手のスゴいやつ」。ただし、その頃佐々木が成長痛の影響であまり登板していなかったこともあり、見ていたのはもっぱら「打者」としての姿だった。初めて佐々木が投げているところを目の当たりにしたのは高校入学後のこと。その迫力に、度肝を抜かれた。
「とにかく球が速かった。当時から140km後半は出ていたので、普通の高校生からしたらバケモンみたいなもんです。だから一瞬で諦めました。入る前は『エースナンバー取りてえ』って思っていたんですけどね。朗希をひと目見て、あ、無理だなって(笑)」
みんなの“コーチ”でもあった
野球部の門をくぐる投手なら誰もが抱く「エース」の夢は、爽快に砕け散った。全国から選手を集めるような強豪校とは程遠い“地元の野球部”にあって、“バケモン”の実力はひとり頭抜けていた。佐々木はすぐに、みんなのリーダー役になった。
「なんかもうレベルが違うっていうのは分かっていたので、みんな朗希に色々なことを聞いていました。トレーニング方法も一番知っているから、投手コーチの役割も兼任していた感じです。冬場の練習メニューも作っていたし、僕らの気が抜けていると『今のままじゃ甲子園行けないよ』ってケツを叩いてくれたり。友達でもあり指導者というか、あらゆる意味で朗希が引っ張っていたチームでした」
リーダー役として仲間たちのレベルアップに尽力しながらも、佐々木は自身のトレーニングを怠らなかった。当時野球部の練習時間は、夜9時半まで。その時間を過ぎれば照明も消されてしまうが、暗闇の中で黙々と練習していた姿を柴田さんは覚えている。
「いつも最後まで残っていたのが朗希です。もう“時効”なので言えますけど、本当は9時半までに絶対にグラウンドを出なければいけないところを、あと30分くらい見えないところで練習していた。普段は普通の高校生という感じですけど、野球に関しては目の色が変わる。センスだけでなく努力もしていました」
「ずっと言われていた」朗希からのアドバイス
みんなで甲子園に行こう――。同学年の23人で描いていた夢は現実味を帯びていく。最上級生となった2年秋の岩手大会では、エースの佐々木がフル回転し、大船渡高としては35年ぶりとなるベスト4に進出。メジャーリーグを含めた多くのスカウトが熱視線を送るなか、長身右腕は当時最速157kmの直球で次々に三振を奪った。大船渡高が出場する試合には多くの観客が詰めかけ、球場周辺に“朗希渋滞”ができるほどだった。
「本当に甲子園に行けるんじゃないか、みんながそう思っていました。ただ佐々木朗希のチームとして見られているというのは自覚があって、他のメンバーはそんなに自惚れてはいなかったですよ(笑)。注目されて大変だな、と思いながらも、試合で活躍したら朗希と一緒に取材を受けられるから頑張ろう、みたいな。
朗希は注目されても、いつも通りひょろひょろっとした感じでそこまで気負ってはいなかったかな。Twitter(現・X)見て“エゴサ”とかはしていましたけどね。どんな記事が出ているんだろう、って」
夏の甲子園を目指す当時のチームで、投手陣は絶対的エースの佐々木を含め主に5人で試合を回していた。3年生の和田吟太、大和田健人の両投手はいずれも速球派右腕で、2年生前川真斗投手は左腕。サイドスローの柴田さんは、相手打線の目先を変えたり、リズムを崩す“繋ぎ役”としての存在に自身の役割を見出していた。出番は練習試合の2試合目や、県大会では地区予選がメインだったが、その“繋ぎ役”を極めようと努力を重ねていた。
「公式戦で登板がなくても悔しいというより、こいつらすげえなみたいな思いで見ていた。視座は低かったですけど、どうやったらベンチ入りから外れないようにするか、っていうところしか考えていなかったので。緊迫した試合も多かったので、自分の存在意義はその繋ぎ役だと。そこに関しては、入学当初から朗希にずっと言われていたんです。お前は球もそこまで速くないしせっかく変則投手なんだからそこを活かしてやった方がいいよって」
「30球以上投げているのは見たことがない」
インステップ気味の変則フォームで、安定した制球力を身につけるため、柴田さんはひたすら投げ込んだ。それは佐々木からのアドバイスでもあった。
「朗希にも『とにかく慣れるしかないから、ひたすら投げろ』って言われていました。色々なトレーニングも教えてもらいましたが、1、2年生の頃は特にとにかく投げていた記憶しかないくらい」
逆に、佐々木がブルペンで投げ込む姿は全く見たことがなかったという。練習メニューは本人に任されていたが、3年間を通じて怪物右腕はひたすら身体作りとトレーニングに没頭していた。
「30球以上投げているのは見たことがないかもしれない。15から20球くらいパンパンと投げてあとはランニングに行ったりウエートしたり、飯を食ったり、みたいな。練習試合でも5割くらいの力で投げていたイメージです。今思えば、目標から逆算して、自分で色々と調整していたんだな、と。そこは凄いですよね」
異次元のエースを旗印に進む仲間たちの前に、くっきりとした輪郭で見え始めた大きな夢。そして、“あの夏”がやってくる。
〈インタビュー第2回につづく〉
⚾岩手さんへ
第1回選手権大会で京都二中(鳥羽高)が全国制覇したのは知ってますが、準優勝校は知らなかったですね・・・・・。
秋田は吉田輝星の金足農が旋風を巻き起こす以前は「甲子園で1年に1度しか聴けない秋田名物🎵タイガーラグ」と揶揄されたくらいのモロさでしたから・・・・・。
岩手というよりも東北6校はかつては初戦敗退常連だっただけに『雪国のハンデ』を克服できずに早々とクニに帰るシーンが目立っていたし、昔は東西対抗で西日本のチームと初戦戦うことになり苦難の時代が長かったですね。
しかし、昨今は野球留学や室内練習場などの環境を整え2つくらいは勝てるチームが増えてきました。それに比べて山陰勢(特に鳥取)はいつまでたっても強くなる気配が見えてこないので忸怩たる思いがります!!
センバツの場合は県大会勝ち抜いても中国大会で山陽勢(特に広島)とぶつかれば9回までできたら御の字だし、21世紀枠で救済されたにせよ初戦大敗ではショックを夏まで引きづり短すぎる夏となってしまいますね。
ところで、週末の近畿周辺の天気は明日土曜日は快晴で、明後日は下り坂ながらも試合中は天気持ちそうな予感です。しかしながら滋賀国体開幕の月曜日は午前中を中心に雨予報で、、、、、
明日はウインク姫路で観戦してきますが、日曜日は休養日に充て月曜日4時10分起床5時10分出発のマイネットスタジアム皇子山に備えます。
実は自宅からは県内のウインク球場よりも滋賀県大津市のマイネットスタジアムの方が早く到着します!
駅からバスで5分強~徒歩10分と駅から徒歩10分弱の違いがありますね。球場内観はどちらもリニューアルして、かなり似通っております。
すでに月曜日の初日のチケットだけ持っておるので4試合観戦できることを信じて早朝より旅立ちますが、7時50分頃球場到着予定で最悪中止だったら開き直って近所の近江神宮~日吉大社を散策して早々に帰ろうと。その場合は火曜日のチケットを入手して、後日月曜日のチケット払い戻しとややこしくなります。。。
P・S 来年のセンバツは3月19日開幕と発表されました。今年は3月18日開幕で日程が順当に消化されてしまい雨乞いも虚しく、MYバースデーが史上初の休養日と重なる悪夢で、、、、、しゃーなしに和歌山駅でレンタサイクル借りて紀伊風土記の丘~紀三井寺まで観光を楽しんでました。紀三井寺から約3km南下して紀三井寺球場に行くと、和歌山工と京都のどこかの学校が練習試合しており15分ほどスタンドで見学できました!
3/26~3/28あたりは25度近い気温でジャンバーではなくジャケットを着ておりましたが、それでも朝から暑かったですね・・・。
毎年3月18日開幕で固定されたら常に休養日となる危険性があり、来春そうなったら滋賀県彦根駅でレンタサイクル借りて多賀大社~佐和山城を散策しようかと考えてましたが。。。
今度は雨乞いでなく、雨降らないことをずっと祈り続けなければ、、、史上初のバースデーセンバツ準々決勝となれば2年ぶり30回目のバースデーセンバツ甲子園に花を添えることができますが、、、2020年から何度もチャンスがありつつもコロナ中止や雨天順延でフイにし続けてきたので、7度目の正直を信じます!
☆ 09:00~ 高 野 山- 箕 島
☆☆ 11:30~ 智弁和歌山-近大 新宮
⚾明日の兵庫大会組み合わせ(7日目 準々決勝)
明石トーカロ球場
10:00~ 六甲アイランドー神戸国際付
☆ 13:00~ 市 尼 崎- 柏 原
ウインク球場
☆☆ 10:00~ 彩星 工科ー明石 清水
☆☆☆ 13:00~ 報徳 学園-東洋大姫路
⚾明日の奈良大会組み合わせ(8日目 準々決勝 さとやくスタジアム)
09:00~ 法隆寺国際ー智弁 学園
11:30~ 高 田 商ー 郡 山
⚾明日の京都大会組み合わせ(10日目 準々決勝 わかさS京都)
09:30~ 龍谷大平安- 北 稜
12:00~ 福 知 山- 鳥 羽
⚾明日の岡山大会組み合わせ(4日目 準々決勝)
倉敷市営球場
☆☆☆ 10:00~ 倉 敷 商-岡山 東商
12:30~ 玉 島 商-創志 学園
エイコン球場
10:00~ 倉敷 青陵-岡山理大付
12:30~ 笠 岡 商- 関 西
⚾明日の三重大会組み合わせ(12日目 準決勝 津市営球場)
10:00~ 津田 学園-四 日 市
☆ 14:00~ 津 商 - 三 重
📝2026年春のセンバツ、3月19日開幕 出場決定は1月30日
https://news.yahoo.co.jp/articles/3a97301606177c9d31675921dc6071934c3a3a94
毎日新聞社と日本高校野球連盟は26日、来春の第98回選抜高校野球大会について、2026年3月19日に兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で開幕し、31日までの13日間(準々決勝と準決勝翌日の休養日を含む)の日程で開催すると発表した。
出場校を決める選考委員会は26年1月30日、組み合わせ抽選会は3月6日。いずれも大阪市北区の毎日新聞大阪本社オーバルホールで実施する。
出場校は前回の第97回大会と同数の32校(一般選考29校、特別枠3校=21世紀枠2、神宮大会枠1)。一般選考の地区別出場校数の内訳も前回大会と同じで、北海道1▽東北3▽関東・東京6▽東海3▽北信越2▽近畿6▽中国2▽四国2▽九州4。関東・東京の6校は関東4校と東京1校を選んだ後、両地区を比較して残り1校を決める。
この日の大会の第1回運営委員会では、21紀枠の特別選考委員15人と一般選考の選考委員53人の委嘱も承認された。新たに慶応大や社会人野球のENEOSなどで監督を務めた大久保秀昭氏ら8人が選考委員に加わった。
大会は春夏の甲子園で初めて、指名打者制(DH制)を採用する。
🔥秋の高校野球島根大会、9月27日に4強激突 立正大淞南VS島根中央、石見智翠館VS矢上
https://news.yahoo.co.jp/articles/29e88f56ea53256371cbdaa636706af61c797cd5
来春の選抜高校野球大会につながる第145回秋季中国地区大会島根県予選を兼ねた県秋季大会は27日、松江市営野球場で準決勝がある。立正大淞南と島根中央、石見智翠館と矢上がそれぞれ対戦する。
立正大淞南は、エースの川口元が準々決勝で大社を1安打に抑えて完封した。複数の投手を擁し、バックの守備も安定している。打線は上位から下位まで切れ目がなく、効率的な加点が期待できる。
島根中央は、準々決勝までの3試合全てでコールド勝ちした。チーム打率は4割9厘と好調だ。エースの塩崎孔耀は20回と3分の2を投げて26奪三振、防御率0・87と好投を続けている。
石見智翠館は、3回戦と準々決勝を延長の末に勝利した。吉村武流や田中雄登、下垣颯士らが打線を引っ張る。エースの住田怜人や3回戦で力を発揮した左腕蘭皓太らが試合を組み立てる。
矢上は、複数投手の継投で勝ち上がってきた。鈴木虎太郎、山下朝陽ら投手陣が充実している。攻撃は宮本奏侑や重富大翔らが好機をつくり、打率5割の4番小泉隆也につないで勝機をうかがう。
✌滋賀学園の甲子園球児 国スポでソフトボール参戦 競技人口減少で白羽の矢…藤本聖人「滋賀盛り上げたい」
https://news.yahoo.co.jp/articles/9720f122908d9d7908617ab289ce4c627872ad93
異種競技でも、本気で日本一狙う――。今春の選抜に出場した滋賀学園野球部3年生の9人が28日に滋賀県で開幕する「国民スポーツ大会」の少年男子ソフトボールの部に滋賀県代表として登場する。似て全く非なるスポーツの練習を始めて1カ月。悪戦苦闘しながら、甲子園球児たちは「頂点」を合言葉に技術を磨いてきた。1回戦は29日、強豪の鹿児島県と対戦する。
甲子園の舞台を知る彼らに、18メートル29の塁間、68メートル58以上が規定の両翼は狭すぎる。ソフトボールの練習を始めて1カ月。異種競技への挑戦を決めた9人は、サイズでは測れない競技の奥深さに気づいていた。
「慣れていないというのもあるけど、野球よりソフトボールの方が断然難しい。距離感が短いので、野球と同じスピード感でやっていると、全てのプレーが追いつかない。最初は苦労しました」
今夏まで野球部の主将を務めた藤本聖人は感覚的な違いをこう表現した。最初に直面した壁がバッティング。投本間が14メートル02。男子の一流投手は球速120キロを超え体感速度は約150キロとされており、野球のスイングではとてもタイミングが合わない。その上、浮き上がるライズボール、ドロップなど変化球も多彩。藤本は肩の上にバットを乗せる構えに変え、中軸打者だった秋満大知は足を上げるのをやめた。守備でも、ソフト仕様の対応を迫られた点は多い。一塁と三塁が極端に前で守るのが通常シフト。三塁を任される中西朔太郎は「(守ってて)まだ怖いです」と苦笑いする。打球によっては、外野が二塁や三塁のベースカバーに入るシーンも珍しくない。極端なダウンスイングで高いゴロを放ち、走者を進める「たたき」と呼ばれる技術は、8月の練習試合で学んだ。
「国スポまでに全部を完璧にやることは難しいけど、滋賀県を盛り上げるために頑張りたい」
藤本の決意表明が頼もしい。近年、県内のソフトボール競技人口が激減。単独でのチーム結成が困難になり、今夏の県大会決勝で敗れた滋賀学園に異種競技での出場が打診された。希望者は9人。国スポでは、「本職」の栗東、彦根工の4選手を加えた13人で頂点を狙う。
「ソフトボールでは全員がカバーしないとアウト一つも取れない。自分を犠牲にするのが大事」
藤本が口にするスピリットは1カ月間、一緒に汗を流した同校の女子部員から学んだものだ。そして合同練習で残した財産もある。技術などを助言した中嶋佐智美監督は「雰囲気づくりや声掛けなどは、やっぱり全国で戦ってきた選手たちだなって」と感心する。
目指すは野球で果たせなかった全国制覇。「9人の侍」が、少し小さめのダイヤモンドを疾走する姿が待ち遠しい。(堀田 和昭)
≪合同トレに参加 女子ソフト部員「刺激を受けた」≫野球部9人と一緒に汗を流した女子ソフトボール部員からも国スポに出場する選手がいる。高野結菜外野手、畠山舞莉菜投手、山本瑠希内野手の3年生3人で、少年女子の部に選出。体力やスピードが違うため、打撃練習やノックなどは別々に消化しつつ、練習の間にアドバイスを送り合う場面も見られた。畠山は「(男子は)一つ一つのプレーは本当に速くて、凄く刺激を受けた」と合同トレの効果を口にした。
📝「(朗希は)エゴサとかしてた」「30球以上は投げない」大船渡の同級生が明かす“高校生・佐々木朗希”の素顔…あの岩手大会決勝で先発した投手の証言
https://news.yahoo.co.jp/articles/3ad12a1efa13df925f6e4f1857e359c9e0211ba0?page=1
2019年夏、甲子園出場をかけた岩手県大会での出来事は、野球界に大論争を巻き起こした。注目を集めた大船渡高・佐々木朗希投手(現・ドジャース)が、花巻東高との決勝戦の登板を回避したのだ。その佐々木に代わって先発マウンドに上がったのが、同じ3年生の右腕・柴田貴広投手だった。現在、総合不動産企業のオープンハウスグループで営業職を務める柴田さんが、「あの夏」と、「その後」を語った。
営業マンとして奮闘する現在
“あの夏”から6年。柴田さんは現在、オープンハウスグループ開発事業部の営業職として千葉県を中心に飛び回っている。担当しているのは、土地の仕入れ。猛暑の中、不動産業者への“外回り営業”に奮闘する毎日だ。
「自分たちが野球をやっていた時より暑いので、今の高校球児は本当に大変だなと思いながら歩いています」
大船渡高を卒業後は、大東文化大に進学して野球を続けた。大学卒業後の昨年春に入社し、社会人2年目。スーツ姿もすっかり板についてきた。営業先では、「佐々木朗希の代わりに投げた……」と自らネタにすることも。“あの夏”について取材を受ける機会も増えたが、特段身構えることもなく、ポジティブに高校時代を振り返っている。
「5年以上経っていますから、時間が解決、っていう感じです。ヤフコメとかを見ると、『あの時のトラウマを……』と(同情的に)書かれていたりするんですけどね。個人的に、今でも申し訳なかったという気持ちはありますけど、それが辛くて野球が出来なくなったということはない。そこまで心配していただかなくても大丈夫です」
朗らかにそう話し、前を見据えた。
入学当時の朗希は「バケモンみたいなもんです」
柴田さんが大船渡高に入学したのは2017年のことだ。県立高校の野球部に集まった同学年の仲間は、マネージャーを含めて23人。狭い地域で小さい頃から野球の大会で見知った顔ぶれだった。
「みんな少年野球から知っている感じ。ぼくの中学校(綾里中、現在は閉校)は正直すごく田舎なので自分を含めて3人しかいなかったのですが、朗希(大船渡一中)の同級生は大半を占めていた。朗希がみんなに『大船渡高で一緒にやろう』と声をかけて集まった、そんなメンバーでした」
中学時代まで、柴田さんにとって佐々木は「対戦相手のスゴいやつ」。ただし、その頃佐々木が成長痛の影響であまり登板していなかったこともあり、見ていたのはもっぱら「打者」としての姿だった。初めて佐々木が投げているところを目の当たりにしたのは高校入学後のこと。その迫力に、度肝を抜かれた。
「とにかく球が速かった。当時から140km後半は出ていたので、普通の高校生からしたらバケモンみたいなもんです。だから一瞬で諦めました。入る前は『エースナンバー取りてえ』って思っていたんですけどね。朗希をひと目見て、あ、無理だなって(笑)」
みんなの“コーチ”でもあった
野球部の門をくぐる投手なら誰もが抱く「エース」の夢は、爽快に砕け散った。全国から選手を集めるような強豪校とは程遠い“地元の野球部”にあって、“バケモン”の実力はひとり頭抜けていた。佐々木はすぐに、みんなのリーダー役になった。
「なんかもうレベルが違うっていうのは分かっていたので、みんな朗希に色々なことを聞いていました。トレーニング方法も一番知っているから、投手コーチの役割も兼任していた感じです。冬場の練習メニューも作っていたし、僕らの気が抜けていると『今のままじゃ甲子園行けないよ』ってケツを叩いてくれたり。友達でもあり指導者というか、あらゆる意味で朗希が引っ張っていたチームでした」
リーダー役として仲間たちのレベルアップに尽力しながらも、佐々木は自身のトレーニングを怠らなかった。当時野球部の練習時間は、夜9時半まで。その時間を過ぎれば照明も消されてしまうが、暗闇の中で黙々と練習していた姿を柴田さんは覚えている。
「いつも最後まで残っていたのが朗希です。もう“時効”なので言えますけど、本当は9時半までに絶対にグラウンドを出なければいけないところを、あと30分くらい見えないところで練習していた。普段は普通の高校生という感じですけど、野球に関しては目の色が変わる。センスだけでなく努力もしていました」
「ずっと言われていた」朗希からのアドバイス
みんなで甲子園に行こう――。同学年の23人で描いていた夢は現実味を帯びていく。最上級生となった2年秋の岩手大会では、エースの佐々木がフル回転し、大船渡高としては35年ぶりとなるベスト4に進出。メジャーリーグを含めた多くのスカウトが熱視線を送るなか、長身右腕は当時最速157kmの直球で次々に三振を奪った。大船渡高が出場する試合には多くの観客が詰めかけ、球場周辺に“朗希渋滞”ができるほどだった。
「本当に甲子園に行けるんじゃないか、みんながそう思っていました。ただ佐々木朗希のチームとして見られているというのは自覚があって、他のメンバーはそんなに自惚れてはいなかったですよ(笑)。注目されて大変だな、と思いながらも、試合で活躍したら朗希と一緒に取材を受けられるから頑張ろう、みたいな。
朗希は注目されても、いつも通りひょろひょろっとした感じでそこまで気負ってはいなかったかな。Twitter(現・X)見て“エゴサ”とかはしていましたけどね。どんな記事が出ているんだろう、って」
夏の甲子園を目指す当時のチームで、投手陣は絶対的エースの佐々木を含め主に5人で試合を回していた。3年生の和田吟太、大和田健人の両投手はいずれも速球派右腕で、2年生前川真斗投手は左腕。サイドスローの柴田さんは、相手打線の目先を変えたり、リズムを崩す“繋ぎ役”としての存在に自身の役割を見出していた。出番は練習試合の2試合目や、県大会では地区予選がメインだったが、その“繋ぎ役”を極めようと努力を重ねていた。
「公式戦で登板がなくても悔しいというより、こいつらすげえなみたいな思いで見ていた。視座は低かったですけど、どうやったらベンチ入りから外れないようにするか、っていうところしか考えていなかったので。緊迫した試合も多かったので、自分の存在意義はその繋ぎ役だと。そこに関しては、入学当初から朗希にずっと言われていたんです。お前は球もそこまで速くないしせっかく変則投手なんだからそこを活かしてやった方がいいよって」
「30球以上投げているのは見たことがない」
インステップ気味の変則フォームで、安定した制球力を身につけるため、柴田さんはひたすら投げ込んだ。それは佐々木からのアドバイスでもあった。
「朗希にも『とにかく慣れるしかないから、ひたすら投げろ』って言われていました。色々なトレーニングも教えてもらいましたが、1、2年生の頃は特にとにかく投げていた記憶しかないくらい」
逆に、佐々木がブルペンで投げ込む姿は全く見たことがなかったという。練習メニューは本人に任されていたが、3年間を通じて怪物右腕はひたすら身体作りとトレーニングに没頭していた。
「30球以上投げているのは見たことがないかもしれない。15から20球くらいパンパンと投げてあとはランニングに行ったりウエートしたり、飯を食ったり、みたいな。練習試合でも5割くらいの力で投げていたイメージです。今思えば、目標から逆算して、自分で色々と調整していたんだな、と。そこは凄いですよね」
異次元のエースを旗印に進む仲間たちの前に、くっきりとした輪郭で見え始めた大きな夢。そして、“あの夏”がやってくる。
〈インタビュー第2回につづく〉
⚾岩手さんへ
第1回選手権大会で京都二中(鳥羽高)が全国制覇したのは知ってますが、準優勝校は知らなかったですね・・・・・。
秋田は吉田輝星の金足農が旋風を巻き起こす以前は「甲子園で1年に1度しか聴けない秋田名物🎵タイガーラグ」と揶揄されたくらいのモロさでしたから・・・・・。
岩手というよりも東北6校はかつては初戦敗退常連だっただけに『雪国のハンデ』を克服できずに早々とクニに帰るシーンが目立っていたし、昔は東西対抗で西日本のチームと初戦戦うことになり苦難の時代が長かったですね。
しかし、昨今は野球留学や室内練習場などの環境を整え2つくらいは勝てるチームが増えてきました。それに比べて山陰勢(特に鳥取)はいつまでたっても強くなる気配が見えてこないので忸怩たる思いがります!!
センバツの場合は県大会勝ち抜いても中国大会で山陽勢(特に広島)とぶつかれば9回までできたら御の字だし、21世紀枠で救済されたにせよ初戦大敗ではショックを夏まで引きづり短すぎる夏となってしまいますね。
ところで、週末の近畿周辺の天気は明日土曜日は快晴で、明後日は下り坂ながらも試合中は天気持ちそうな予感です。しかしながら滋賀国体開幕の月曜日は午前中を中心に雨予報で、、、、、
明日はウインク姫路で観戦してきますが、日曜日は休養日に充て月曜日4時10分起床5時10分出発のマイネットスタジアム皇子山に備えます。
実は自宅からは県内のウインク球場よりも滋賀県大津市のマイネットスタジアムの方が早く到着します!
駅からバスで5分強~徒歩10分と駅から徒歩10分弱の違いがありますね。球場内観はどちらもリニューアルして、かなり似通っております。
すでに月曜日の初日のチケットだけ持っておるので4試合観戦できることを信じて早朝より旅立ちますが、7時50分頃球場到着予定で最悪中止だったら開き直って近所の近江神宮~日吉大社を散策して早々に帰ろうと。その場合は火曜日のチケットを入手して、後日月曜日のチケット払い戻しとややこしくなります。。。
P・S 来年のセンバツは3月19日開幕と発表されました。今年は3月18日開幕で日程が順当に消化されてしまい雨乞いも虚しく、MYバースデーが史上初の休養日と重なる悪夢で、、、、、しゃーなしに和歌山駅でレンタサイクル借りて紀伊風土記の丘~紀三井寺まで観光を楽しんでました。紀三井寺から約3km南下して紀三井寺球場に行くと、和歌山工と京都のどこかの学校が練習試合しており15分ほどスタンドで見学できました!
3/26~3/28あたりは25度近い気温でジャンバーではなくジャケットを着ておりましたが、それでも朝から暑かったですね・・・。
毎年3月18日開幕で固定されたら常に休養日となる危険性があり、来春そうなったら滋賀県彦根駅でレンタサイクル借りて多賀大社~佐和山城を散策しようかと考えてましたが。。。
今度は雨乞いでなく、雨降らないことをずっと祈り続けなければ、、、史上初のバースデーセンバツ準々決勝となれば2年ぶり30回目のバースデーセンバツ甲子園に花を添えることができますが、、、2020年から何度もチャンスがありつつもコロナ中止や雨天順延でフイにし続けてきたので、7度目の正直を信じます!