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💢「腰を落とした守備」「センター返しができる」で選出も…近年のセンバツ“珍&不可解選考”
https://news.yahoo.co.jp/articles/b67e0015251f4f8023e5ba0eb2be71d4b4944834
1月24日に第97回選抜高校野球の出場32校が決定する。トーナメント一本勝負の夏の甲子園とは異なり、前年秋の地区大会の成績を参考に、直接対戦していないチームの優劣が論じられることも多いことから、“不可解選考”も毎年のように俎上に上げられる。そんな中から、近年(21世紀以降)における不可解選考三題を選んでみた。
まず、「史上最悪の選考」としてネット炎上の事態を招いたのが、2022年の聖隷クリストファー落選事件だ。
前年秋、静岡2位校として東海大会に出場した聖隷クリストファーは、1回戦で津田学園に11対4と7回コールド勝ち。この試合でエース・主将の弓達寛之が右肩骨折のアクシデントに見舞われたが、次戦以降、控えの2投手がエースの穴を埋め、打線の援護を得ながら快進撃を続ける。
準々決勝では2点を追う9回に一挙3得点で鮮やかに逆転し、岐阜1位の中京を4対3で下す。準決勝の至学館戦では5点を先行されるも、6回に追いつき、5対5の9回表に3点を勝ち越されると、その裏に4点を挙げ、奇跡の逆転サヨナラ勝ち。かつて浜松商、掛川西を甲子園に導いた上村敏正監督も「漫画みたいなことが起こりました」と感激で声を震わせた。
決勝の相手は県大会決勝で敗れた日大三島。序盤に2点を先行も、4回に逆転を許し、3対6で敗れたものの、翌春のセンバツは、「35年ぶり静岡勢2校は確実」(「報知高校野球」2022年1月号)とされ、日大三島とのアベック出場が実現すると思われた。
ところが、選考委員会では、東海地区2校目は、準決勝で日大三島に5対10で敗れた岐阜2位・大垣日大が逆転選出され、聖隷クリストファーは地区大会で3勝したにもかかわらず、補欠になった。
理由は「個人の力量に勝る大垣日大か、粘り強さの聖隷クリストファーかで賛否が分かれたが、投打に勝る大垣日大を推薦校とした」(鬼島一司委員長)というもので、失点の少ない大垣日大のほうが「甲子園で勝てる」とされたからだった。だが、「個人の力量」に軍配が上がったことに、釈然としないものがあったのも事実。
世論も聖隷クリストファーの落選に納得できず、出場校を1校増やし、同校を33校目として出場させてほしいという趣旨の署名運動まで起きたが、センバツは当初の決定どおり32校で行われた。
世間の大逆風を受け、立場上、初戦敗退が許されなくなった大垣日大は、1回戦で21世紀枠校の只見に6対1で勝利したが、組み合わせに恵まれた感もあり、2回戦では星稜に2対6で敗れた。
一方、春夏通じて甲子園初出場が幻と消えた聖隷クリストファーは、昨夏も県大会決勝で掛川西に敗れるなど、あと1歩の状態が続いている。
◆ 選出理由は「センター返しのできる粘り強い打線」
準決勝で地区大会優勝校相手に互角に戦ったにもかかわらず、まさかの落選に泣いたのが、2009年の鳥取城北だ。
鳥取1位の同校は、中国大会でも1回戦で出雲北陵に1対0、準々決勝で島根1位・邇摩を8回コールドの11対1と連破して4強入り。準決勝では、この大会で優勝した倉敷工と延長12回の末、1対2と惜敗したが、同じ準決勝敗退組で、島根2位・開星が3点差で敗れていたこと、3枠目の比較対象となる四国地区の準決勝敗退2校も僅差の敗戦ではなかったことから、選出は確実と思われた。
ところが、選考委員会では、開星が準々決勝で広島1位・広島新庄の好投手・六信慎吾を打ち崩したことを評価、四国地区の準決勝敗退校・尽誠学園との比較でも、「(内野手)全員が腰を落としてしっかり守る基本に忠実な守備」で上回るとされ、逆転選出となった。
1988年にも中国大会4強の江の川が不可解な落選をしているが、鳥取城北も同じ悲劇を味わうことになり、あと味の悪さを残した。
今年は、前年の近畿大会で大阪1、2位の履正社と大阪桐蔭が初戦敗退し、3位・大院大付も準々決勝で東洋大姫路に0対4と完封負けしたことから、98年ぶりに大阪から出場校なしの可能性も取り沙汰されている。
実は、2003年にも、前年秋の近畿大会で大阪代表3校が揃って初戦敗退し、出場校ゼロの可能性があった。
同年は1位・近大付が東洋大姫路に2対4、2位・東海大仰星が平安に1対3、3位の大阪産大付が近江に0対9で敗れ、いずれも準々決勝に勝ち進むことができなかった。
近畿の6枠は原則として8強の中から選ばれるため、1927年以来76年ぶりに大阪から出場校ゼロになる可能性も強かった。
ところが、選考結果は、8強の南部、育英、箕島の3校が落選し、未勝利の近大付が逆転選出となった。
南部、育英はいずれも1点差で惜敗だが、同じ県からすでに智弁和歌山、東洋大姫路が選ばれており、「大阪代表を1校も出場させないわけにはいかない」という配慮から、地域性で救済されたとみることができる。
しかし、近大付の選出理由は「センター返しのできる粘り強い打線」という不思議なもの。ネット上では“センター返し枠”と皮肉られ、「地域性を理由にしたほうがまだまし」の声も相次いだ。
今年は大阪勢で唯一8強入りした大院大付がギリギリで選出される可能性を残しているが、はたしてどんな結果が出るか、1月24日の選考委員会が注目される。
📝選抜高校野球大会 21世紀枠注目候補校「大田高校」 女子マネージャーもバッティング練習補助で全員野球 選手11人で県大会ベスト4 38年ぶりの春の便りに期待 強さの秘密は?https://news.yahoo.co.jp/articles/c893ceff3d089abe5cad9268872ca5a849d3e6fe
3月18日に開幕する選抜高校野球大会。出場校の発表が1月24日にあります。
山陰勢の注目は、秋の中国大会準優勝の米子松蔭。そして秋の島根県大会でベスト4、続く中国大会でも1勝を挙げ、ベスト8入りした島根県立大田高校です。
選手11人、マネージャー4人の全力野球が持ち味の大田は、21世紀枠中国地区候補校に選ばれていて、出場がかなえば38年ぶり4回目の春キップ獲得となります。
大田高校硬式野球部。3月に開幕する春のセンバツ高校野球大会の21世紀枠中国地区候補校に選ばれています。
大田高校 安井煕一 主将「春に大きな期待を持って練習に挑むことができて、高いモチベーションを持って練習することができています。」
チームは、選手11人と女子マネージャー4人の合わせて15人。選手の数が少ないため、バッティングやノックなどの練習もひとりひとりの量が多くなります。
そして、監督やコーチが中心になりがちな高校野球の練習ですが、大田は違います。
4人の女子マネージャーもバッティング練習の補助や動画の撮影などを安全面に配慮して行っています。
三井心愛マネージャー「少ない人数の前は参加する機会はなくて、でも今は人数が少ないからこそ参加する機会が増えて選手との関わり、練習内でのかかわりが増えてすごく楽しいです。」
竹下榎映マネージャー「このチームになってから、こういう機会が増えました。まだ慣れてないというところもあるんですけど、がんばっています。」
彼女らのサポートに選手たちは。
「こういうのを撮ってくれるだけで全然違うので、いつも感謝しています」
「マジでありがたいです」
子どもたちへの野球普及活動にも力を入れている大田。
1月13日には、2月、兵庫県で行われる大会に出場する大田市選抜の6年生・20人に野球指導を行いました。
大田市選抜 川上桐矢選手「高校生は優しくおもしろく教えてくれたので、僕も大田高校に将来入りたいと思っています」
大田は秋の島根県大会でベスト4、続く中国大会でも1勝を挙げベスト8入りし、21世紀枠中国地区候補校に選ばれました。春のセンバツ出場校を決める選考委員会はいよいよあす。38年ぶりの春の便りに期待です。
安井煕一 主将「やっぱりドキドキするんですけど、選ばれる側なので。大田市の人たち、地域の方々から期待もされるだろうし、そういう面で地域とかに貢献できたらいいなと思っています。」
📝関東5枠目、東北、東海の3枠目、近畿の残り2枠は? 選抜高校野球
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/AST1Q3QRKT1QPTQP00LM.html
第97回選抜高校野球大会の出場校を決める選考委員会が24日、大阪市の毎日新聞大阪本社で開かれる。出場32校の内訳は、一般枠が29、神宮大会枠が1、21世紀枠が2。重要な参考材料となる昨秋の地区大会の戦いぶりから出場有力校を探る。
注目は東北、関東・東京、東海、近畿の4地区だ。
3枠の東北地区は、優勝した聖光学院(福島)と準優勝の青森山田の選出が確実。残り1枠を4強の花巻東(岩手)と山形中央で争う。
岩手2位の花巻東は準決勝で青森山田に1―4で、山形3位の山形中央は聖光学院に1―7で敗れた。その試合内容を選考委がどう比較するか。
昨秋の明治神宮大会で横浜が優勝し、神宮大会枠を獲得。関東・東京地区は計7枠に増えた。
東京王者の二松学舎大付のほか、関東4強の横浜、健大高崎(群馬)、浦和実(埼玉)、千葉黎明の計5校は順当に選ばれそう。浦和実、千葉黎明は初出場がかかる。
神宮大会枠で増えた関東の5校目は、関東8強のなかでも安定した戦いで山梨県大会を制した山梨学院、神宮王者の横浜に0―2と善戦した東農大二の争いだろう。
関東・東京の両地区を比較して選ぶもう1枠は、東京都大会決勝で延長タイブレークの末に惜敗した早稲田実が有力か。
3枠の東海地区は、優勝した大垣日大(岐阜)と準優勝の常葉大菊川(静岡)が確実。残り1枠は、4強の至学館(愛知)と岐阜第一の比較。堅守で愛知県大会を制した至学館が優位とみる。
6枠の近畿地区は上位4校は選出確実だが、残り2枠を巡る8強勢の比較が難しい。
滋賀県大会で優勝し、近畿大会1回戦で強豪の大阪桐蔭を破った滋賀学園が一歩リードか。春夏通じて初出場をめざす滋賀2位の滋賀短大付は、近畿大会1回戦で大阪王者の履正社を破ったことへの評価が高い。
京都王者の立命館宇治は準々決勝で0―10の7回コールド負けを喫した点がどう響くか。大阪勢で唯一、8強入りした大阪3位の大阪学院大も選出の可能性を残す。
📝【届け!思いの丈(中)】山城 昨夏日本一の京都国際が“お手本” 皆勤校躍進の裏側
https://news.yahoo.co.jp/articles/fbe3d4f13565a31bbf0aa0f2285d78e2ff89e1e4
連載「届け!思いの丈」の第2回は、21世紀枠の近畿地区推薦校となった山城(京都)を取り上げる。夏の地方大会に第1回大会から出場を続ける「皆勤15校」の一校で、昨秋京都大会では準優勝した1982年以来42年ぶりの4強進出。伝統校が21世紀枠候補の9校に残るまでに至った躍進の裏側に迫る。
山城を率いる岸本馨一郎監督は、京都国際の昨夏の日本一を特別な思いで応援していた。「いろいろとヒントをもらっている学校ですから」。京都国際の小牧憲継監督と同じ加茂川中出身で自身が1学年後輩。当時は交流のなかった先輩だが、今や公立の伝統校にとって“お手本”だ。
岸本監督は12年に洛西(京都)に赴任し、高校野球の監督生活をスタートさせた。そこで初めて指揮した練習試合相手が、当時甲子園出場経験のなかった京都国際だった。「実は同じ中学校でして…」。その自己紹介から現在に至るまで長い付き合いが続いている。
毎年、冬場に京都国際の練習を見学する。同校グラウンドは両翼70メートルに届かず、山城の校庭よりも狭い。その恵まれない環境で強化に成功した小牧監督に指導方針を聞くと「戦術の練習ができないなら、個の力を伸ばせばええやん」。では、どうすれば公立の選手を鍛えられるのか――。そのヒントも京都国際の練習にあった。
強豪校ながら、基本のボール回しを徹底して繰り返していたのだ。「これをアレンジしよう」。ランニング送球など8種のボール回しを用意し、一日30分以上続けるようにした。目指したのは多彩な作戦の準備ではなく、基本に立ち返って個の技術を上げること。その方向性は間違っていなかった。昨秋京都大会では、準々決勝で強豪の鳥羽に勝利して4強に進んだ。
21世紀枠に選出されれば、1957年以来68年ぶりの選抜出場となる。「次の100年は今の子たちが新しい伝統をつくってくれればいい」。元阪神・吉田義男氏ら数々の先輩が大切に守ってきた基礎を今一度見直しながら、吉報を待っている。
📝【センバツ】近畿大会8強の滋賀短大付が吉報待つ、携帯&恋愛OKの「アオハルのシガタン」
https://news.yahoo.co.jp/articles/d3943570c12b10a5956c2bb8760d300879f9cbb6
滋賀短大付も近畿6校目の吉報を待ちわびている。
昨秋近畿大会で、09年の創部以来初めて8強入りした新進気鋭校だ。
保木淳監督(39)は「(自分が高校の時は)しんどくて前向きに野球ができなかった」反省をもとに、自主性を重んじ、強化してきた。私立だが部の寮はなく、帰宅途中の寄り道、携帯電話の所持や恋愛もOK。10代ならではの青春を味わうべきとの信念がある。
グラウンドは他部と共用のため、白球が使えるのは平日の2日と土日の4日間だけ。他の日は校内でのトレーニングだけと恵まれた環境ではない。それでも練習に工夫をこらし、「ヒットゾーンが増える」メリットにプラス、試合観戦する観客にも楽しんでもらおうとバスターを多用。近畿大会初戦で履正社から金星を挙げた。「ここまで来たら、甲子園に行きたい。ダメやとしても、あの子らの成長にどうつながるかが楽しみ」。アオハルのシガタンも、運命の1日を迎える。
📝至学館と岐阜第一、”吉報”どちらに 東海地区3枠目を争う2校【センバツ1月24日出場校決定】
https://news.yahoo.co.jp/articles/e5eeb18d8fcf09c9a139e54dc5434c84fe91d659
◇「春よ、来い」(下) センバツ高校野球大会出場校24日決定
久々のセンバツ出場目指す2校が、吉報を信じて冬のトレーニングに励んだ。東海地区大会準決勝で岐阜第一は大垣日大(岐阜)に6―7、至学館(愛知)は常葉大菊川(静岡)に4―5とともに1点差で惜敗した。岐阜第一は同県の大垣日大の選出が濃厚なため、地域性で至学館が優位とみられる状況だ。
至学館は出場すれば2011年夏、17年春に次ぐ3度目の甲子園となる。06年の創部当初から指揮を執った麻王義之前監督が23年夏の愛知大会限りで勇退し、鈴木健介監督(43)に代わって初の聖地となるだけにチームのモチベーションは高い。
パンチ力に欠けるものの、小技を絡めた細かい野球でコツコツと得点した。ただ、東海大会で敗れた常葉大菊川ナインを前にして、痛感したのは体格の違い。主将の船橋は「今のままでは甲子園に出ても勝負ができない」と冬場はチームとして体づくりに重きを置いた。鈴木監督は「甲子園があってもなくても3月に公式戦はあるぞ」と呼びかけたものの、「選手は自然に気持ちが入っている」と言う。甲子園出場の可能性があることで、目に見えて練習に力が入った。過去2度は初戦敗退だったため、初勝利を目指す。
一方、岐阜第一は直近の甲子園出場が2001年のセンバツ。16年に、福知山成美(京都)で甲子園6度出場の実績がある田所孝二監督(64)が就任し、近年は県大会で好成績が続くものの、あと一歩届かなかった。
東海大会で同県対決に敗れてやや厳しい立ち位置だが、ナインは「ご褒美(甲子園)がくるかもしれない」と意識高く練習に取り組む。
エースで4番の水野が攻守の大黒柱。昨秋は県大会の準々決勝以降の6試合は全て先発し、打撃でも13試合でチーム最多の13打点と仕事した。ただ、岐阜第一が強みとするのは総合力。例えばフリー打撃は2カ所に限られるが、大会前であっても2学年で50人を超える部員が同じ練習をする。田所監督は「うちはベンチ外でも全員可能性がある」と新戦力の台頭に期待感を示した。
運命の1月24日。東海地区を代表してセンバツに臨む3校が決まる。
☟高校球児、「1週間500球以内」は「効果あり」400球を超えると「肩や肘の痛みの有症率が上昇と確認」高野連理事会で報告
https://news.yahoo.co.jp/articles/7783e67d1840b6291535c80d5d92baa2ad09d285
日本高校野球連盟は23日、投手の肩・肘の障害予防を目的とした「1週間500球以内」の投球制限を今年から正式に高校野球特別規則にすると発表した。2020年からも採用されきたが、昨年までは試行期間だった。
同日、大阪市内で開催された理事会で専門家から報告があり、審議・了承された。内容は「登板回数が増加し、累積投球数が400球を超えてくると、肩や肘の痛みの有症率が上昇する傾向が確認された」として「投球制限ルールは肩肘痛の発生を抑制している可能性があり、肩肘予防の観点から合理性を欠くものではない」と、効果が認められると結論づけた。
2006年夏の甲子園で早稲田実業を優勝に導いた斎藤佑樹さん(元日本ハム投手)は、日本高野連を通じて「ワーキンググループの解析結果を聞き、まずは1週間500球という投球数制限の理解を深めることができ、納得感も得られました。自分自身の高校時代の経験も踏まえ、今後の障害予防のさらなる普及には、選手ごとに体の柔軟性や疲労度が異なるなかでパーソナライズされた取り組みも必要だと感じました。投球数の制限だけではケガを完全に防止することはできません。別のルール改正なども検討していただき、高校年代の障害予防への取り組みがもっと広がることで、小中学生のケガの予防にもいい影響を与えることを切に願っています」とコメントした。
2006年夏の甲子園で、田中将大投手(現巨人)を擁する駒大苫小牧との決勝再試合も含めて7試合を戦った斎藤佑樹さんは累計948球を投じ、2018年夏の甲子園で準優勝した金足農の吉田輝星投手(のちに日本ハム、現オリックス)は6試合で累計881球を投げた。
この吉田の熱投を契機に投球数制限に関する議論が高まり、「投手の障害予防に関する有識者会議」で大会での3連投回避、1週間で500球以内などを提案。コロナ禍で2020年は春夏ともに甲子園大会が中止となったため、2021年春から、その制限ルールを適用した。
そして、その制限の検証を同時に進め、統計学の専門家も含めた「投球制限検証ワーキンググループ」で過去20年の甲子園準々決勝および準決勝後の投手検診データなどを解析した。
この検証結果をもとに正富隆日本高校野球連盟医科学委員長(投球制限検証ワーキンググループ座長)は、肩肘の痛みの発生には投球数だけではなく、大会の形式、大会前からの痛みの有無、負傷歴があった成長期の後遺症などのリスク因子の可能性も指摘しつつ「1週間500球以内」の制限について「1週間500球以内なら大丈夫という結論ではないが、ひとつの目安になる」「決して合理性に欠けるルールではない。このルールは継続してもらいたい」と話していた。
高校野球は投手の障害予防を図るため、延長タイブレーク制を2018年春から採用し、さらに延長も回数を段階的に減らし、2023年春から延長10回からタイブレーク制を採用している。
昨夏の甲子園で投球数を振り返ると、初の全国制覇を果たした京都国際は、準々決勝までともに左腕の中崎琉生投手(当時3年)と西村一毅投手(当時2年)の2枚看板が交互に先発完投し、準決勝と決勝は継投で勝ち抜いた。中崎は累計441球、西村は同339球。1週間では中崎が302球、西村が256球が最大だった。
また、ベスト8の大社(島根)は、エースの左腕・馬庭優太投手が1回戦から3回戦までの1週間、先発完投で401球を投げた。中1日の間隔で迎えた神村学園(鹿児島)との準々決勝はリリーフで91球。9日間の累計で492球だった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b67e0015251f4f8023e5ba0eb2be71d4b4944834
1月24日に第97回選抜高校野球の出場32校が決定する。トーナメント一本勝負の夏の甲子園とは異なり、前年秋の地区大会の成績を参考に、直接対戦していないチームの優劣が論じられることも多いことから、“不可解選考”も毎年のように俎上に上げられる。そんな中から、近年(21世紀以降)における不可解選考三題を選んでみた。
まず、「史上最悪の選考」としてネット炎上の事態を招いたのが、2022年の聖隷クリストファー落選事件だ。
前年秋、静岡2位校として東海大会に出場した聖隷クリストファーは、1回戦で津田学園に11対4と7回コールド勝ち。この試合でエース・主将の弓達寛之が右肩骨折のアクシデントに見舞われたが、次戦以降、控えの2投手がエースの穴を埋め、打線の援護を得ながら快進撃を続ける。
準々決勝では2点を追う9回に一挙3得点で鮮やかに逆転し、岐阜1位の中京を4対3で下す。準決勝の至学館戦では5点を先行されるも、6回に追いつき、5対5の9回表に3点を勝ち越されると、その裏に4点を挙げ、奇跡の逆転サヨナラ勝ち。かつて浜松商、掛川西を甲子園に導いた上村敏正監督も「漫画みたいなことが起こりました」と感激で声を震わせた。
決勝の相手は県大会決勝で敗れた日大三島。序盤に2点を先行も、4回に逆転を許し、3対6で敗れたものの、翌春のセンバツは、「35年ぶり静岡勢2校は確実」(「報知高校野球」2022年1月号)とされ、日大三島とのアベック出場が実現すると思われた。
ところが、選考委員会では、東海地区2校目は、準決勝で日大三島に5対10で敗れた岐阜2位・大垣日大が逆転選出され、聖隷クリストファーは地区大会で3勝したにもかかわらず、補欠になった。
理由は「個人の力量に勝る大垣日大か、粘り強さの聖隷クリストファーかで賛否が分かれたが、投打に勝る大垣日大を推薦校とした」(鬼島一司委員長)というもので、失点の少ない大垣日大のほうが「甲子園で勝てる」とされたからだった。だが、「個人の力量」に軍配が上がったことに、釈然としないものがあったのも事実。
世論も聖隷クリストファーの落選に納得できず、出場校を1校増やし、同校を33校目として出場させてほしいという趣旨の署名運動まで起きたが、センバツは当初の決定どおり32校で行われた。
世間の大逆風を受け、立場上、初戦敗退が許されなくなった大垣日大は、1回戦で21世紀枠校の只見に6対1で勝利したが、組み合わせに恵まれた感もあり、2回戦では星稜に2対6で敗れた。
一方、春夏通じて甲子園初出場が幻と消えた聖隷クリストファーは、昨夏も県大会決勝で掛川西に敗れるなど、あと1歩の状態が続いている。
◆ 選出理由は「センター返しのできる粘り強い打線」
準決勝で地区大会優勝校相手に互角に戦ったにもかかわらず、まさかの落選に泣いたのが、2009年の鳥取城北だ。
鳥取1位の同校は、中国大会でも1回戦で出雲北陵に1対0、準々決勝で島根1位・邇摩を8回コールドの11対1と連破して4強入り。準決勝では、この大会で優勝した倉敷工と延長12回の末、1対2と惜敗したが、同じ準決勝敗退組で、島根2位・開星が3点差で敗れていたこと、3枠目の比較対象となる四国地区の準決勝敗退2校も僅差の敗戦ではなかったことから、選出は確実と思われた。
ところが、選考委員会では、開星が準々決勝で広島1位・広島新庄の好投手・六信慎吾を打ち崩したことを評価、四国地区の準決勝敗退校・尽誠学園との比較でも、「(内野手)全員が腰を落としてしっかり守る基本に忠実な守備」で上回るとされ、逆転選出となった。
1988年にも中国大会4強の江の川が不可解な落選をしているが、鳥取城北も同じ悲劇を味わうことになり、あと味の悪さを残した。
今年は、前年の近畿大会で大阪1、2位の履正社と大阪桐蔭が初戦敗退し、3位・大院大付も準々決勝で東洋大姫路に0対4と完封負けしたことから、98年ぶりに大阪から出場校なしの可能性も取り沙汰されている。
実は、2003年にも、前年秋の近畿大会で大阪代表3校が揃って初戦敗退し、出場校ゼロの可能性があった。
同年は1位・近大付が東洋大姫路に2対4、2位・東海大仰星が平安に1対3、3位の大阪産大付が近江に0対9で敗れ、いずれも準々決勝に勝ち進むことができなかった。
近畿の6枠は原則として8強の中から選ばれるため、1927年以来76年ぶりに大阪から出場校ゼロになる可能性も強かった。
ところが、選考結果は、8強の南部、育英、箕島の3校が落選し、未勝利の近大付が逆転選出となった。
南部、育英はいずれも1点差で惜敗だが、同じ県からすでに智弁和歌山、東洋大姫路が選ばれており、「大阪代表を1校も出場させないわけにはいかない」という配慮から、地域性で救済されたとみることができる。
しかし、近大付の選出理由は「センター返しのできる粘り強い打線」という不思議なもの。ネット上では“センター返し枠”と皮肉られ、「地域性を理由にしたほうがまだまし」の声も相次いだ。
今年は大阪勢で唯一8強入りした大院大付がギリギリで選出される可能性を残しているが、はたしてどんな結果が出るか、1月24日の選考委員会が注目される。
📝選抜高校野球大会 21世紀枠注目候補校「大田高校」 女子マネージャーもバッティング練習補助で全員野球 選手11人で県大会ベスト4 38年ぶりの春の便りに期待 強さの秘密は?https://news.yahoo.co.jp/articles/c893ceff3d089abe5cad9268872ca5a849d3e6fe
3月18日に開幕する選抜高校野球大会。出場校の発表が1月24日にあります。
山陰勢の注目は、秋の中国大会準優勝の米子松蔭。そして秋の島根県大会でベスト4、続く中国大会でも1勝を挙げ、ベスト8入りした島根県立大田高校です。
選手11人、マネージャー4人の全力野球が持ち味の大田は、21世紀枠中国地区候補校に選ばれていて、出場がかなえば38年ぶり4回目の春キップ獲得となります。
大田高校硬式野球部。3月に開幕する春のセンバツ高校野球大会の21世紀枠中国地区候補校に選ばれています。
大田高校 安井煕一 主将「春に大きな期待を持って練習に挑むことができて、高いモチベーションを持って練習することができています。」
チームは、選手11人と女子マネージャー4人の合わせて15人。選手の数が少ないため、バッティングやノックなどの練習もひとりひとりの量が多くなります。
そして、監督やコーチが中心になりがちな高校野球の練習ですが、大田は違います。
4人の女子マネージャーもバッティング練習の補助や動画の撮影などを安全面に配慮して行っています。
三井心愛マネージャー「少ない人数の前は参加する機会はなくて、でも今は人数が少ないからこそ参加する機会が増えて選手との関わり、練習内でのかかわりが増えてすごく楽しいです。」
竹下榎映マネージャー「このチームになってから、こういう機会が増えました。まだ慣れてないというところもあるんですけど、がんばっています。」
彼女らのサポートに選手たちは。
「こういうのを撮ってくれるだけで全然違うので、いつも感謝しています」
「マジでありがたいです」
子どもたちへの野球普及活動にも力を入れている大田。
1月13日には、2月、兵庫県で行われる大会に出場する大田市選抜の6年生・20人に野球指導を行いました。
大田市選抜 川上桐矢選手「高校生は優しくおもしろく教えてくれたので、僕も大田高校に将来入りたいと思っています」
大田は秋の島根県大会でベスト4、続く中国大会でも1勝を挙げベスト8入りし、21世紀枠中国地区候補校に選ばれました。春のセンバツ出場校を決める選考委員会はいよいよあす。38年ぶりの春の便りに期待です。
安井煕一 主将「やっぱりドキドキするんですけど、選ばれる側なので。大田市の人たち、地域の方々から期待もされるだろうし、そういう面で地域とかに貢献できたらいいなと思っています。」
📝関東5枠目、東北、東海の3枠目、近畿の残り2枠は? 選抜高校野球
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/AST1Q3QRKT1QPTQP00LM.html
第97回選抜高校野球大会の出場校を決める選考委員会が24日、大阪市の毎日新聞大阪本社で開かれる。出場32校の内訳は、一般枠が29、神宮大会枠が1、21世紀枠が2。重要な参考材料となる昨秋の地区大会の戦いぶりから出場有力校を探る。
注目は東北、関東・東京、東海、近畿の4地区だ。
3枠の東北地区は、優勝した聖光学院(福島)と準優勝の青森山田の選出が確実。残り1枠を4強の花巻東(岩手)と山形中央で争う。
岩手2位の花巻東は準決勝で青森山田に1―4で、山形3位の山形中央は聖光学院に1―7で敗れた。その試合内容を選考委がどう比較するか。
昨秋の明治神宮大会で横浜が優勝し、神宮大会枠を獲得。関東・東京地区は計7枠に増えた。
東京王者の二松学舎大付のほか、関東4強の横浜、健大高崎(群馬)、浦和実(埼玉)、千葉黎明の計5校は順当に選ばれそう。浦和実、千葉黎明は初出場がかかる。
神宮大会枠で増えた関東の5校目は、関東8強のなかでも安定した戦いで山梨県大会を制した山梨学院、神宮王者の横浜に0―2と善戦した東農大二の争いだろう。
関東・東京の両地区を比較して選ぶもう1枠は、東京都大会決勝で延長タイブレークの末に惜敗した早稲田実が有力か。
3枠の東海地区は、優勝した大垣日大(岐阜)と準優勝の常葉大菊川(静岡)が確実。残り1枠は、4強の至学館(愛知)と岐阜第一の比較。堅守で愛知県大会を制した至学館が優位とみる。
6枠の近畿地区は上位4校は選出確実だが、残り2枠を巡る8強勢の比較が難しい。
滋賀県大会で優勝し、近畿大会1回戦で強豪の大阪桐蔭を破った滋賀学園が一歩リードか。春夏通じて初出場をめざす滋賀2位の滋賀短大付は、近畿大会1回戦で大阪王者の履正社を破ったことへの評価が高い。
京都王者の立命館宇治は準々決勝で0―10の7回コールド負けを喫した点がどう響くか。大阪勢で唯一、8強入りした大阪3位の大阪学院大も選出の可能性を残す。
📝【届け!思いの丈(中)】山城 昨夏日本一の京都国際が“お手本” 皆勤校躍進の裏側
https://news.yahoo.co.jp/articles/fbe3d4f13565a31bbf0aa0f2285d78e2ff89e1e4
連載「届け!思いの丈」の第2回は、21世紀枠の近畿地区推薦校となった山城(京都)を取り上げる。夏の地方大会に第1回大会から出場を続ける「皆勤15校」の一校で、昨秋京都大会では準優勝した1982年以来42年ぶりの4強進出。伝統校が21世紀枠候補の9校に残るまでに至った躍進の裏側に迫る。
山城を率いる岸本馨一郎監督は、京都国際の昨夏の日本一を特別な思いで応援していた。「いろいろとヒントをもらっている学校ですから」。京都国際の小牧憲継監督と同じ加茂川中出身で自身が1学年後輩。当時は交流のなかった先輩だが、今や公立の伝統校にとって“お手本”だ。
岸本監督は12年に洛西(京都)に赴任し、高校野球の監督生活をスタートさせた。そこで初めて指揮した練習試合相手が、当時甲子園出場経験のなかった京都国際だった。「実は同じ中学校でして…」。その自己紹介から現在に至るまで長い付き合いが続いている。
毎年、冬場に京都国際の練習を見学する。同校グラウンドは両翼70メートルに届かず、山城の校庭よりも狭い。その恵まれない環境で強化に成功した小牧監督に指導方針を聞くと「戦術の練習ができないなら、個の力を伸ばせばええやん」。では、どうすれば公立の選手を鍛えられるのか――。そのヒントも京都国際の練習にあった。
強豪校ながら、基本のボール回しを徹底して繰り返していたのだ。「これをアレンジしよう」。ランニング送球など8種のボール回しを用意し、一日30分以上続けるようにした。目指したのは多彩な作戦の準備ではなく、基本に立ち返って個の技術を上げること。その方向性は間違っていなかった。昨秋京都大会では、準々決勝で強豪の鳥羽に勝利して4強に進んだ。
21世紀枠に選出されれば、1957年以来68年ぶりの選抜出場となる。「次の100年は今の子たちが新しい伝統をつくってくれればいい」。元阪神・吉田義男氏ら数々の先輩が大切に守ってきた基礎を今一度見直しながら、吉報を待っている。
📝【センバツ】近畿大会8強の滋賀短大付が吉報待つ、携帯&恋愛OKの「アオハルのシガタン」
https://news.yahoo.co.jp/articles/d3943570c12b10a5956c2bb8760d300879f9cbb6
滋賀短大付も近畿6校目の吉報を待ちわびている。
昨秋近畿大会で、09年の創部以来初めて8強入りした新進気鋭校だ。
保木淳監督(39)は「(自分が高校の時は)しんどくて前向きに野球ができなかった」反省をもとに、自主性を重んじ、強化してきた。私立だが部の寮はなく、帰宅途中の寄り道、携帯電話の所持や恋愛もOK。10代ならではの青春を味わうべきとの信念がある。
グラウンドは他部と共用のため、白球が使えるのは平日の2日と土日の4日間だけ。他の日は校内でのトレーニングだけと恵まれた環境ではない。それでも練習に工夫をこらし、「ヒットゾーンが増える」メリットにプラス、試合観戦する観客にも楽しんでもらおうとバスターを多用。近畿大会初戦で履正社から金星を挙げた。「ここまで来たら、甲子園に行きたい。ダメやとしても、あの子らの成長にどうつながるかが楽しみ」。アオハルのシガタンも、運命の1日を迎える。
📝至学館と岐阜第一、”吉報”どちらに 東海地区3枠目を争う2校【センバツ1月24日出場校決定】
https://news.yahoo.co.jp/articles/e5eeb18d8fcf09c9a139e54dc5434c84fe91d659
◇「春よ、来い」(下) センバツ高校野球大会出場校24日決定
久々のセンバツ出場目指す2校が、吉報を信じて冬のトレーニングに励んだ。東海地区大会準決勝で岐阜第一は大垣日大(岐阜)に6―7、至学館(愛知)は常葉大菊川(静岡)に4―5とともに1点差で惜敗した。岐阜第一は同県の大垣日大の選出が濃厚なため、地域性で至学館が優位とみられる状況だ。
至学館は出場すれば2011年夏、17年春に次ぐ3度目の甲子園となる。06年の創部当初から指揮を執った麻王義之前監督が23年夏の愛知大会限りで勇退し、鈴木健介監督(43)に代わって初の聖地となるだけにチームのモチベーションは高い。
パンチ力に欠けるものの、小技を絡めた細かい野球でコツコツと得点した。ただ、東海大会で敗れた常葉大菊川ナインを前にして、痛感したのは体格の違い。主将の船橋は「今のままでは甲子園に出ても勝負ができない」と冬場はチームとして体づくりに重きを置いた。鈴木監督は「甲子園があってもなくても3月に公式戦はあるぞ」と呼びかけたものの、「選手は自然に気持ちが入っている」と言う。甲子園出場の可能性があることで、目に見えて練習に力が入った。過去2度は初戦敗退だったため、初勝利を目指す。
一方、岐阜第一は直近の甲子園出場が2001年のセンバツ。16年に、福知山成美(京都)で甲子園6度出場の実績がある田所孝二監督(64)が就任し、近年は県大会で好成績が続くものの、あと一歩届かなかった。
東海大会で同県対決に敗れてやや厳しい立ち位置だが、ナインは「ご褒美(甲子園)がくるかもしれない」と意識高く練習に取り組む。
エースで4番の水野が攻守の大黒柱。昨秋は県大会の準々決勝以降の6試合は全て先発し、打撃でも13試合でチーム最多の13打点と仕事した。ただ、岐阜第一が強みとするのは総合力。例えばフリー打撃は2カ所に限られるが、大会前であっても2学年で50人を超える部員が同じ練習をする。田所監督は「うちはベンチ外でも全員可能性がある」と新戦力の台頭に期待感を示した。
運命の1月24日。東海地区を代表してセンバツに臨む3校が決まる。
☟高校球児、「1週間500球以内」は「効果あり」400球を超えると「肩や肘の痛みの有症率が上昇と確認」高野連理事会で報告
https://news.yahoo.co.jp/articles/7783e67d1840b6291535c80d5d92baa2ad09d285
日本高校野球連盟は23日、投手の肩・肘の障害予防を目的とした「1週間500球以内」の投球制限を今年から正式に高校野球特別規則にすると発表した。2020年からも採用されきたが、昨年までは試行期間だった。
同日、大阪市内で開催された理事会で専門家から報告があり、審議・了承された。内容は「登板回数が増加し、累積投球数が400球を超えてくると、肩や肘の痛みの有症率が上昇する傾向が確認された」として「投球制限ルールは肩肘痛の発生を抑制している可能性があり、肩肘予防の観点から合理性を欠くものではない」と、効果が認められると結論づけた。
2006年夏の甲子園で早稲田実業を優勝に導いた斎藤佑樹さん(元日本ハム投手)は、日本高野連を通じて「ワーキンググループの解析結果を聞き、まずは1週間500球という投球数制限の理解を深めることができ、納得感も得られました。自分自身の高校時代の経験も踏まえ、今後の障害予防のさらなる普及には、選手ごとに体の柔軟性や疲労度が異なるなかでパーソナライズされた取り組みも必要だと感じました。投球数の制限だけではケガを完全に防止することはできません。別のルール改正なども検討していただき、高校年代の障害予防への取り組みがもっと広がることで、小中学生のケガの予防にもいい影響を与えることを切に願っています」とコメントした。
2006年夏の甲子園で、田中将大投手(現巨人)を擁する駒大苫小牧との決勝再試合も含めて7試合を戦った斎藤佑樹さんは累計948球を投じ、2018年夏の甲子園で準優勝した金足農の吉田輝星投手(のちに日本ハム、現オリックス)は6試合で累計881球を投げた。
この吉田の熱投を契機に投球数制限に関する議論が高まり、「投手の障害予防に関する有識者会議」で大会での3連投回避、1週間で500球以内などを提案。コロナ禍で2020年は春夏ともに甲子園大会が中止となったため、2021年春から、その制限ルールを適用した。
そして、その制限の検証を同時に進め、統計学の専門家も含めた「投球制限検証ワーキンググループ」で過去20年の甲子園準々決勝および準決勝後の投手検診データなどを解析した。
この検証結果をもとに正富隆日本高校野球連盟医科学委員長(投球制限検証ワーキンググループ座長)は、肩肘の痛みの発生には投球数だけではなく、大会の形式、大会前からの痛みの有無、負傷歴があった成長期の後遺症などのリスク因子の可能性も指摘しつつ「1週間500球以内」の制限について「1週間500球以内なら大丈夫という結論ではないが、ひとつの目安になる」「決して合理性に欠けるルールではない。このルールは継続してもらいたい」と話していた。
高校野球は投手の障害予防を図るため、延長タイブレーク制を2018年春から採用し、さらに延長も回数を段階的に減らし、2023年春から延長10回からタイブレーク制を採用している。
昨夏の甲子園で投球数を振り返ると、初の全国制覇を果たした京都国際は、準々決勝までともに左腕の中崎琉生投手(当時3年)と西村一毅投手(当時2年)の2枚看板が交互に先発完投し、準決勝と決勝は継投で勝ち抜いた。中崎は累計441球、西村は同339球。1週間では中崎が302球、西村が256球が最大だった。
また、ベスト8の大社(島根)は、エースの左腕・馬庭優太投手が1回戦から3回戦までの1週間、先発完投で401球を投げた。中1日の間隔で迎えた神村学園(鹿児島)との準々決勝はリリーフで91球。9日間の累計で492球だった。
✌甲子園へチーム牽引 智弁和歌山・辻さんが日本学生野球協会から表彰
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/AST1P431VT1PPXLB001M.html
智弁和歌山高校硬式野球部の辻旭陽さん(3年)が、日本学生野球協会の2024年度の表彰選手に選ばれた。和歌山市内で21日に伝達式があり、県高野連の西上嘉人会長から記念の盾が贈られた。
辻さんは昨夏、智弁和歌山主将としてチームを牽引し、2年ぶり27回目の夏の甲子園出場を勝ち取った。
大会では惜しくも初戦で敗れたが、開会式では選手宣誓を務めた。阪神甲子園球場開場100年を念頭に、「僕たちには夢があります。この先の100年も、甲子園が聖地であり続けること、そして僕たち球児の、憧れの地であり続けることです」と話し、観衆から大きな拍手を受けた。「大舞台で宣誓できた。自信につながった」
高校野球の生活については「主将を務めた1年間に思いがある。相手を思いやる気持ちを大切にすることができた。いろいろな経験ができたことに感謝したい」と振り返った。
卒業後は東海大学へ進学し、野球を続ける。「大学でもリーダーシップを発揮できる選手になりたい」と、将来の目標を語った。
🔥【届け!思いの丈(上)】東洋大姫路 出身の岡田監督により威厳を取り戻した「TOYO」
https://news.yahoo.co.jp/articles/d71163893b05921b3ec008f40ae12c0c583ce6a0
第97回選抜高校野球大会の出場32校を決める選考委員会が24日に開かれるのを前に、スポニチでは「届け!思いの丈」と題し、注目の出場候補校を3回にわたって紹介する。初回は昨秋の近畿大会を制して3年ぶり9度目の出場が確実視される東洋大姫路(兵庫)。履正社(大阪)を率いて19年夏の甲子園優勝に導いた岡田龍生監督(63)が、低迷していた母校を再建させるまでの道のりに迫る。
岡田監督は母校からの就任要請を「予想もしていなかった」と回想する。高校卒業後は母校との縁もなく、87年に25歳の若さで履正社監督に就任。当時部員11人しかいなかった無名校を全国屈指の強豪校へと押し上げた。
無我夢中で駆け抜けた監督業も60歳となる21年秋で退くと決めていた。一方、母校の東洋大姫路は「ユニホームを見れば、相手がおじけづいて点が入る」といわれた甲子園常連校の風格が消え、低迷期に入っていた。同校は再建を託すべく、岡田監督に就任を懇願。東洋大関係者との交渉の席が設けられた。
しかし、一度は就任要請を断った。年齢や単身赴任などを考慮すれば、ハードルの高すぎる依頼だった。それでも2度目の話し合いで熱く説得され「大学側の熱意が伝わった」と要請を受諾。「本気で取り組むと分かってもらうためには、施設を充実させるべきだ」との提案を学校側も受け入れ、トレーニング室が完備された総工費1億円超の室内練習場を新設するなどして改革へ歩み始めた。
22年4月の指導初日に「日本一を目指す」と選手に伝えた。名将の赴任を知った有力中学生は次々と同校進学を希望し、23年入学の現2年生に逸材がそろった。さらに最新器具の並ぶトレーニング室が屈強な選手の育成に一役買った。そして、最速147キロ右腕の阪下漣(2年)らを中心に昨秋の近畿大会を優勝。監督就任3年目で母校を聖地に戻すことを確実にした。
「ここまで順調に進むとはね…」。名将の想像すらもはるかに超える早さで、「TOYO」の威厳を取り戻した。
☝「110年越しの大復活を」 宇治山田高校野球部の記念碑建立 三重
https://news.yahoo.co.jp/articles/d102c9bd4adf447ebf21d4f2295783fef74b08d2
1915年の第1回全国中学校優勝野球大会(現在の全国高校野球選手権大会)に前身の三重県第四尋常中学校(三重四中)が出場した県立宇治山田高校に21日、記念碑が建立された。この大会以降、春夏の全国大会に出場していない現役部員やOBらはこれを機に「110年越しの大復活を」と張り切っている。
今は夏の甲子園としておなじみだが、第1回は大阪府豊中市の豊中グラウンドで開催。10校が出場し、三重四中は初戦の準々決勝で秋田中に1―9で敗れた。
昨年開かれた野球部OB会総会で「学校に記念になる物がない。形として残る物を」との意見が出され、建立の機運が高まった。費用は寄付で捻出。OBで現野球部部長の山本豊さん(59)が学校と設置場所などについて調整し、校門近くに決まった。
記念碑は高さ約70センチ、幅約90センチ、厚さ約15センチの御影石製。表に「全国中学校優勝野球大会(現甲子園大会) 出場記念碑」の文字が大会日程、建立の日付と共に彫り込まれている。
記念碑を前に山川徹OB会長(59)は「現役でも出場を知らない生徒がいる。記念碑があることで学校の歴史を知り、2度目の甲子園出場を目指してほしい」と話す。
野球部マネジャーの吉川夢菜さん(2年)は「みんなで2回目の甲子園出場を目指しており、全生徒に知ってもらえることで練習へのモチベーションも上がる」と笑顔。選手たちは「新しい歴史を作り、マネジャーに甲子園でノックを打ってもらう」と話し、練習に励む。
📝春のセンバツに燃える 広島商業高校 野球部 神宮大会で準優勝「やっとスタートライン」
https://news.yahoo.co.jp/articles/023ba8abb0b2f4114ad7b822abb51f07c784f555
高校野球です。春のセンバツ大会への出場が確実といわれている広島商業高校。鍛錬の冬を過ごすチームを取材してきました。
広島商業高校 野球部 荒谷忠勝 監督「日本一を目指すにふさわしいチームになるんだっていう気持ちで選手たちがやってくれればなと思っています」
甲子園で春夏合わせて7回の優勝を誇る強豪・広島商業高校野球部。去年の秋季中国大会で31年ぶりの優勝を果たし、春のセンバツ大会への出場を確実とすると、初出場となった神宮大会では準優勝と躍進。チームで戦う、“粘りの広商野球” を全国に知らしめることになりました。
広島商業高校 野球部 西村銀士 主将「広商は自分たちの野球をすれば勝てると思っているので、そこを貫き通せるようにやっていきたいと思っています」
広商野球を支えるのは、バッテリーを中心とした守備力です。特に秋から「背番号1」を背負う 大宗和響投手(2年)のMAX140キロのストレートは空振りの取れるキレと制球力をあわせ持ち、チームの中国大会優勝に貢献。神宮大会では準決勝で10回184球を投げ切り、エースとしての存在感を示しました。
また、同学年の左腕・徳永啓人投手もキレのある変化球で神宮大会初戦では8回無失点と好投。監督も誰が背番号1をつけるかわからないと、レベルの高い投手陣の中、全国の舞台を経て大きく成長した2人が春にどのような姿を見せてくれるのか、こちらも注目です。
広島商業高校 野球部 大宗和響 投手(2年)「頼ってもらえる存在でありたいというのは自分の中であって、これからセンバツ・夏の大会があるんですけど、正直、誰にも(背番号)1番は譲りたくないっていう気持ちはあります」
広島商業高校 野球部 徳永啓人 投手(2年)(1番はやっぱりエース番号なので、そこは大宗にも負けたくないっていう気持ちがあるので。ともに高め合っていきたいと思っています」
1988年(昭和63年)の甲子園優勝以来の全国大会決勝という舞台に立った広商野球部。しかし、あくまでスタートラインに立ったばかり…。目指すは春のセンバツ優勝、さらにその先にある夏の栄冠です。
大宗和響 投手「まずは春、全国制覇して、夏の全国制覇につなげたいと思います」
西村銀士 主将「課題を一つひとつつぶして春、全国優勝するために準備していきたいと思っています」
春のセンバツ高校野球大会の出場校の発表は、1月24日となっています。
📝定岡正二さんの鹿児島実、甲子園で原辰徳さんの東海大相模と名勝負…十五回裏213球目「最高のボール」
https://news.yahoo.co.jp/articles/0ffdfcd2aaadf6a890cf54fcc1aab94c63a9ccf2?page=1
プロ野球・読売巨人軍の投手として1970~80年代に活躍した定岡正二さん(68)。突然のトレードを告げられて28歳の若さで引退した後は、タレントとしてお茶の間の人気者になった。「次のステージでも頑張れたのは野球のおかげ」と、今も野球の裾野を広げる活動に情熱を注いでいる。
「声を出して仲間を応援していたことを思い出すね」
鹿児島実高では、2年の夏に甲子園初出場を果たすも初戦で敗れた。代打での出場にとどまり、「先輩に連れてきてもらったから」と、甲子園の土は持って帰らなかった。
先輩たちの引退後、久保克之監督(86)から突然、ピッチャーに指名された。当時は投球マシンがなく、野手が交代で打撃投手を務めていた。その姿を見た久保さんが、「フォームも球筋もいい」と直感で決めたという。
ショートを守っていたが投手への憧れはあった。「『待ってました』という気持ちだったかも。シャイな性格で自分からは言い出せなかった」と笑う。
その性格を監督も見抜いており、投げ込みや走り込みに加え、度胸をつけさせようと「大勢の前で声を出したり、歌を歌ったりする」といった独特の練習メニューもこなした。
1974年、主戦として迎えた3年の夏。県大会を制し、再び甲子園の舞台に立った。初戦の佼成学園(東京)、続く高岡商(富山)戦をいずれも1―0の完封で勝利するとチームは勢いづいた。
準々決勝の相手は、優勝候補の東海大相模(神奈川)。優勝経験を誇る名将・原貢監督(故人)と、その息子で後に巨人の4番打者となる原辰徳さん(66)の親子鷹で世間の話題をさらっていた。「小舟が戦艦へ挑んでいくような状況だった」。それでも、不思議と負けるイメージはなかった。
試合は、初回に原さんの適時打で2点を先制されるも、すぐに自らの同点打を含む3点を挙げて逆転。その後は両校ともスコアボードに「0」が並んだ。
勝利目前の九回裏に同点に追いつかれ、延長戦に。十四回に1点を勝ち越したが、再び追いつかれる白熱の展開だった。バッテリーを組んだ尾堂栄一さん(67)は「このまま永遠に野球をやっていたいと思わせてくれるような試合だった」と懐かしむ。
再び1点をリードして迎えた十五回裏。二死まで追い込んで投じた213球目は外角低めのミットに吸い込まれた。見逃し三振。「高校野球の中で最高のボール」。この激戦は、今も名勝負として語り継がれている。
あれだけの投球ができたのは、甲子園が成長させてくれたおかげだと思っている。仲間と一緒に、歓声を体いっぱいに浴びた。「人生で一番の喜びだね」
⚾岩手さんへ
我が家ではサンケイスポーツは土日のみ購読しているので、紙面の記事は読んでいないですね。。。
永田監督は「まったく予想がつかない」が口ぐせのように神戸新聞での大会展望コメントされてました。
甲子園にはかなりの頻度で出場していたので、激戦・兵庫を勝ち抜くすべはあったかと思いますが、格下相手に初戦敗退も目立っていたので、、、、、
北原監督のお父さんは神港学園勇退した後に流通科学大学の監督を数年務められましたが、昨秋の兵庫大会決勝戦でひょっこりサンテレビの解説されてました!
昨秋の兵庫大会で明石トーカ春野近畿コーナーで電子タバコ加えているのを目撃しました。
しかし、息子さんに禅譲してから春の近畿大会に1度だけ出場しただけなんで戦績が寂しいですね・・・・・。
ところで、プロ野球も7回制だと非常に寂しいですね・・・。
クーリングタイムはセンバツでもやって欲しいのはありますね!5回終了後にトイレが混雑するし、必然的に試合が延びるので4試合日だと40分間球場に逗留できるし、通路に逃げたり紀三井寺だったらアルプスまで足を運んでペットボトルをお布施してもらいます!!
夏の場合は熱中症や足を攣るなどプレー中断は多くなりますね!しかし、甲子園大会直後の新人戦や秋の大会でも9月中はまだまだ残暑厳しすぎますが、その頃にはクーリングタイム廃止などこれも過酷だと思いますね!
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/AST1P431VT1PPXLB001M.html
智弁和歌山高校硬式野球部の辻旭陽さん(3年)が、日本学生野球協会の2024年度の表彰選手に選ばれた。和歌山市内で21日に伝達式があり、県高野連の西上嘉人会長から記念の盾が贈られた。
辻さんは昨夏、智弁和歌山主将としてチームを牽引し、2年ぶり27回目の夏の甲子園出場を勝ち取った。
大会では惜しくも初戦で敗れたが、開会式では選手宣誓を務めた。阪神甲子園球場開場100年を念頭に、「僕たちには夢があります。この先の100年も、甲子園が聖地であり続けること、そして僕たち球児の、憧れの地であり続けることです」と話し、観衆から大きな拍手を受けた。「大舞台で宣誓できた。自信につながった」
高校野球の生活については「主将を務めた1年間に思いがある。相手を思いやる気持ちを大切にすることができた。いろいろな経験ができたことに感謝したい」と振り返った。
卒業後は東海大学へ進学し、野球を続ける。「大学でもリーダーシップを発揮できる選手になりたい」と、将来の目標を語った。
🔥【届け!思いの丈(上)】東洋大姫路 出身の岡田監督により威厳を取り戻した「TOYO」
https://news.yahoo.co.jp/articles/d71163893b05921b3ec008f40ae12c0c583ce6a0
第97回選抜高校野球大会の出場32校を決める選考委員会が24日に開かれるのを前に、スポニチでは「届け!思いの丈」と題し、注目の出場候補校を3回にわたって紹介する。初回は昨秋の近畿大会を制して3年ぶり9度目の出場が確実視される東洋大姫路(兵庫)。履正社(大阪)を率いて19年夏の甲子園優勝に導いた岡田龍生監督(63)が、低迷していた母校を再建させるまでの道のりに迫る。
岡田監督は母校からの就任要請を「予想もしていなかった」と回想する。高校卒業後は母校との縁もなく、87年に25歳の若さで履正社監督に就任。当時部員11人しかいなかった無名校を全国屈指の強豪校へと押し上げた。
無我夢中で駆け抜けた監督業も60歳となる21年秋で退くと決めていた。一方、母校の東洋大姫路は「ユニホームを見れば、相手がおじけづいて点が入る」といわれた甲子園常連校の風格が消え、低迷期に入っていた。同校は再建を託すべく、岡田監督に就任を懇願。東洋大関係者との交渉の席が設けられた。
しかし、一度は就任要請を断った。年齢や単身赴任などを考慮すれば、ハードルの高すぎる依頼だった。それでも2度目の話し合いで熱く説得され「大学側の熱意が伝わった」と要請を受諾。「本気で取り組むと分かってもらうためには、施設を充実させるべきだ」との提案を学校側も受け入れ、トレーニング室が完備された総工費1億円超の室内練習場を新設するなどして改革へ歩み始めた。
22年4月の指導初日に「日本一を目指す」と選手に伝えた。名将の赴任を知った有力中学生は次々と同校進学を希望し、23年入学の現2年生に逸材がそろった。さらに最新器具の並ぶトレーニング室が屈強な選手の育成に一役買った。そして、最速147キロ右腕の阪下漣(2年)らを中心に昨秋の近畿大会を優勝。監督就任3年目で母校を聖地に戻すことを確実にした。
「ここまで順調に進むとはね…」。名将の想像すらもはるかに超える早さで、「TOYO」の威厳を取り戻した。
☝「110年越しの大復活を」 宇治山田高校野球部の記念碑建立 三重
https://news.yahoo.co.jp/articles/d102c9bd4adf447ebf21d4f2295783fef74b08d2
1915年の第1回全国中学校優勝野球大会(現在の全国高校野球選手権大会)に前身の三重県第四尋常中学校(三重四中)が出場した県立宇治山田高校に21日、記念碑が建立された。この大会以降、春夏の全国大会に出場していない現役部員やOBらはこれを機に「110年越しの大復活を」と張り切っている。
今は夏の甲子園としておなじみだが、第1回は大阪府豊中市の豊中グラウンドで開催。10校が出場し、三重四中は初戦の準々決勝で秋田中に1―9で敗れた。
昨年開かれた野球部OB会総会で「学校に記念になる物がない。形として残る物を」との意見が出され、建立の機運が高まった。費用は寄付で捻出。OBで現野球部部長の山本豊さん(59)が学校と設置場所などについて調整し、校門近くに決まった。
記念碑は高さ約70センチ、幅約90センチ、厚さ約15センチの御影石製。表に「全国中学校優勝野球大会(現甲子園大会) 出場記念碑」の文字が大会日程、建立の日付と共に彫り込まれている。
記念碑を前に山川徹OB会長(59)は「現役でも出場を知らない生徒がいる。記念碑があることで学校の歴史を知り、2度目の甲子園出場を目指してほしい」と話す。
野球部マネジャーの吉川夢菜さん(2年)は「みんなで2回目の甲子園出場を目指しており、全生徒に知ってもらえることで練習へのモチベーションも上がる」と笑顔。選手たちは「新しい歴史を作り、マネジャーに甲子園でノックを打ってもらう」と話し、練習に励む。
📝春のセンバツに燃える 広島商業高校 野球部 神宮大会で準優勝「やっとスタートライン」
https://news.yahoo.co.jp/articles/023ba8abb0b2f4114ad7b822abb51f07c784f555
高校野球です。春のセンバツ大会への出場が確実といわれている広島商業高校。鍛錬の冬を過ごすチームを取材してきました。
広島商業高校 野球部 荒谷忠勝 監督「日本一を目指すにふさわしいチームになるんだっていう気持ちで選手たちがやってくれればなと思っています」
甲子園で春夏合わせて7回の優勝を誇る強豪・広島商業高校野球部。去年の秋季中国大会で31年ぶりの優勝を果たし、春のセンバツ大会への出場を確実とすると、初出場となった神宮大会では準優勝と躍進。チームで戦う、“粘りの広商野球” を全国に知らしめることになりました。
広島商業高校 野球部 西村銀士 主将「広商は自分たちの野球をすれば勝てると思っているので、そこを貫き通せるようにやっていきたいと思っています」
広商野球を支えるのは、バッテリーを中心とした守備力です。特に秋から「背番号1」を背負う 大宗和響投手(2年)のMAX140キロのストレートは空振りの取れるキレと制球力をあわせ持ち、チームの中国大会優勝に貢献。神宮大会では準決勝で10回184球を投げ切り、エースとしての存在感を示しました。
また、同学年の左腕・徳永啓人投手もキレのある変化球で神宮大会初戦では8回無失点と好投。監督も誰が背番号1をつけるかわからないと、レベルの高い投手陣の中、全国の舞台を経て大きく成長した2人が春にどのような姿を見せてくれるのか、こちらも注目です。
広島商業高校 野球部 大宗和響 投手(2年)「頼ってもらえる存在でありたいというのは自分の中であって、これからセンバツ・夏の大会があるんですけど、正直、誰にも(背番号)1番は譲りたくないっていう気持ちはあります」
広島商業高校 野球部 徳永啓人 投手(2年)(1番はやっぱりエース番号なので、そこは大宗にも負けたくないっていう気持ちがあるので。ともに高め合っていきたいと思っています」
1988年(昭和63年)の甲子園優勝以来の全国大会決勝という舞台に立った広商野球部。しかし、あくまでスタートラインに立ったばかり…。目指すは春のセンバツ優勝、さらにその先にある夏の栄冠です。
大宗和響 投手「まずは春、全国制覇して、夏の全国制覇につなげたいと思います」
西村銀士 主将「課題を一つひとつつぶして春、全国優勝するために準備していきたいと思っています」
春のセンバツ高校野球大会の出場校の発表は、1月24日となっています。
📝定岡正二さんの鹿児島実、甲子園で原辰徳さんの東海大相模と名勝負…十五回裏213球目「最高のボール」
https://news.yahoo.co.jp/articles/0ffdfcd2aaadf6a890cf54fcc1aab94c63a9ccf2?page=1
プロ野球・読売巨人軍の投手として1970~80年代に活躍した定岡正二さん(68)。突然のトレードを告げられて28歳の若さで引退した後は、タレントとしてお茶の間の人気者になった。「次のステージでも頑張れたのは野球のおかげ」と、今も野球の裾野を広げる活動に情熱を注いでいる。
「声を出して仲間を応援していたことを思い出すね」
鹿児島実高では、2年の夏に甲子園初出場を果たすも初戦で敗れた。代打での出場にとどまり、「先輩に連れてきてもらったから」と、甲子園の土は持って帰らなかった。
先輩たちの引退後、久保克之監督(86)から突然、ピッチャーに指名された。当時は投球マシンがなく、野手が交代で打撃投手を務めていた。その姿を見た久保さんが、「フォームも球筋もいい」と直感で決めたという。
ショートを守っていたが投手への憧れはあった。「『待ってました』という気持ちだったかも。シャイな性格で自分からは言い出せなかった」と笑う。
その性格を監督も見抜いており、投げ込みや走り込みに加え、度胸をつけさせようと「大勢の前で声を出したり、歌を歌ったりする」といった独特の練習メニューもこなした。
1974年、主戦として迎えた3年の夏。県大会を制し、再び甲子園の舞台に立った。初戦の佼成学園(東京)、続く高岡商(富山)戦をいずれも1―0の完封で勝利するとチームは勢いづいた。
準々決勝の相手は、優勝候補の東海大相模(神奈川)。優勝経験を誇る名将・原貢監督(故人)と、その息子で後に巨人の4番打者となる原辰徳さん(66)の親子鷹で世間の話題をさらっていた。「小舟が戦艦へ挑んでいくような状況だった」。それでも、不思議と負けるイメージはなかった。
試合は、初回に原さんの適時打で2点を先制されるも、すぐに自らの同点打を含む3点を挙げて逆転。その後は両校ともスコアボードに「0」が並んだ。
勝利目前の九回裏に同点に追いつかれ、延長戦に。十四回に1点を勝ち越したが、再び追いつかれる白熱の展開だった。バッテリーを組んだ尾堂栄一さん(67)は「このまま永遠に野球をやっていたいと思わせてくれるような試合だった」と懐かしむ。
再び1点をリードして迎えた十五回裏。二死まで追い込んで投じた213球目は外角低めのミットに吸い込まれた。見逃し三振。「高校野球の中で最高のボール」。この激戦は、今も名勝負として語り継がれている。
あれだけの投球ができたのは、甲子園が成長させてくれたおかげだと思っている。仲間と一緒に、歓声を体いっぱいに浴びた。「人生で一番の喜びだね」
⚾岩手さんへ
我が家ではサンケイスポーツは土日のみ購読しているので、紙面の記事は読んでいないですね。。。
永田監督は「まったく予想がつかない」が口ぐせのように神戸新聞での大会展望コメントされてました。
甲子園にはかなりの頻度で出場していたので、激戦・兵庫を勝ち抜くすべはあったかと思いますが、格下相手に初戦敗退も目立っていたので、、、、、
北原監督のお父さんは神港学園勇退した後に流通科学大学の監督を数年務められましたが、昨秋の兵庫大会決勝戦でひょっこりサンテレビの解説されてました!
昨秋の兵庫大会で明石トーカ春野近畿コーナーで電子タバコ加えているのを目撃しました。
しかし、息子さんに禅譲してから春の近畿大会に1度だけ出場しただけなんで戦績が寂しいですね・・・・・。
ところで、プロ野球も7回制だと非常に寂しいですね・・・。
クーリングタイムはセンバツでもやって欲しいのはありますね!5回終了後にトイレが混雑するし、必然的に試合が延びるので4試合日だと40分間球場に逗留できるし、通路に逃げたり紀三井寺だったらアルプスまで足を運んでペットボトルをお布施してもらいます!!
夏の場合は熱中症や足を攣るなどプレー中断は多くなりますね!しかし、甲子園大会直後の新人戦や秋の大会でも9月中はまだまだ残暑厳しすぎますが、その頃にはクーリングタイム廃止などこれも過酷だと思いますね!
PL学園 木戸Χ小早川対談記事は、昨日、今日のサンスポ裏一面で見ましたよ。
プロ野球に進んだOBらの野球用品の提供?お布施?や阪神園芸のグランド整備も年に2回ほどあったとか聞いたことはあったが、修学旅行の話は知らなかったです。
監督シリーズ?永田さんは私自身は、尼で身近で見ていました。
日刊現代の見すぎなんでしょうね、中々の策士じゃないかなと思いますね!
北原父は在任中は解説していたね。
色々あって退任したみたいですね。
現在は息子さんがやっているんだよね。
清宮にホームラン記録を破れまでの山本君がいたと思うけど、JR西日本野球部引退後、広島の西条駅にいるらしいと思うけど、今もいるのかな?
プロ野球監督の集まりで新庄監督が交流戦だけでも7回制にしてと訴えたとか、止めてくれ7回制の話題は!!
三国丘や久慈商の試合は確かに8,9回にやられたけど、試合を見ている私自身も7回制がいいとは全く思いません。
逆にクーリングタイム明けに足をつる選手が結構いるし、攻守交代時急かすからか準備が出来ずに打球を体に当て治療時間で中断時間が多い気がするするは私だけしょうか!
地方大会ではよかったのに甲子園大会は、マナー違反的な事でΧがあるね。
不満抱くこの頃ですよ!
プロ野球に進んだOBらの野球用品の提供?お布施?や阪神園芸のグランド整備も年に2回ほどあったとか聞いたことはあったが、修学旅行の話は知らなかったです。
監督シリーズ?永田さんは私自身は、尼で身近で見ていました。
日刊現代の見すぎなんでしょうね、中々の策士じゃないかなと思いますね!
北原父は在任中は解説していたね。
色々あって退任したみたいですね。
現在は息子さんがやっているんだよね。
清宮にホームラン記録を破れまでの山本君がいたと思うけど、JR西日本野球部引退後、広島の西条駅にいるらしいと思うけど、今もいるのかな?
プロ野球監督の集まりで新庄監督が交流戦だけでも7回制にしてと訴えたとか、止めてくれ7回制の話題は!!
三国丘や久慈商の試合は確かに8,9回にやられたけど、試合を見ている私自身も7回制がいいとは全く思いません。
逆にクーリングタイム明けに足をつる選手が結構いるし、攻守交代時急かすからか準備が出来ずに打球を体に当て治療時間で中断時間が多い気がするするは私だけしょうか!
地方大会ではよかったのに甲子園大会は、マナー違反的な事でΧがあるね。
不満抱くこの頃ですよ!
☝優秀選手に菰野高校前主将の山口拓真さん 日本学生野球協会表彰
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/AST1N4DN0T1NONFB002M.html
日本学生野球協会の2024年度優秀選手に、三重県内から県立菰野高校の野球部前主将、山口拓真さん(18)が選ばれた。20日に同校で表彰式があり、記念の盾が贈られた。
山口さんは主将として下級生主体のチームを支え、昨夏の第106回全国高校野球選手権大会出場の原動力となった。学業は学年5位以内を維持し、文武両道の模範となったことも評価された。
三重県高野連の岡村芳成会長から盾を受け取った山口さんは「優秀選手に選ばれたのは光栄でうれしい」と喜びを語った。主将を務めた1年間は「苦しく大変な期間だったが、結果として甲子園出場や受賞をできてよかった」と振り返った。卒業後は大手自動車会社への就職が決まっており、「今後も地域の草野球などで趣味として野球に関わりたい」と述べた。
🔥大垣日大・阪口野球の「魂」受け継ぐ高橋正明監督 重視するのは選手の主体性 新体制で初の聖地へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/e114392cfbd7d45d37051b2f53f86c83053ff28d
◇「春よ、来い」(上) センバツ高校野球大会出場校24日決定
第97回センバツ高校野球大会の出場校が24日の選考委員会で決まる。昨年と同様に一般選考(明治神宮大会枠1校を含む)の30校と21世紀枠の2校の計32校を選出。東海地区は3枠で、昨秋の東海大会を制した大垣日大(岐阜)、準優勝の常葉大菊川(静岡)の選出が濃厚。残る1枠は同大会4強の至学館(愛知)と岐阜第一を比較することになりそうだ。吉報を待つ4校を3回に分けて紹介する。
新・大垣日大で初の甲子園に挑むことになりそうだ。2023年末に前監督の阪口慶三さん(80)が勇退。愛知・東邦と大垣日大で甲子園に春夏通算35度出場、同40勝を挙げた名将に代わり、昨年1月に高橋正明監督(42)が就任した。新体制がスタートした年に秋の県大会を制し、そのまま東海大会も制覇。聖地への切符がほぼ確実となった。
高橋監督は「大垣日大は一つの完成されたチーム。甲子園に行って当たり前で、常に勝てるというのを継承していかないと」と出場で満足せず、甲子園の勝利も見据えたチームづくりに励む。
阪口野球を継承し、進化させる。阪口さんが監督に就任した05年から約19年間、副部長兼コーチとしてチームを見てきた。阪口さんからは「もう全部教えてある」と後を託された。
最も大切にするのは野球に対する「魂」だ。練習でも試合でも、選手も指導者も熱く白球を追う。昨年は春の県大会、夏の岐阜大会ともに準々決勝敗退。貫いてきた戦い方がかみ合ったのが、秋だった。
県大会決勝から東海大会決勝までの4試合は、全て逆転勝ち。東海大会準々決勝の愛知・中京大中京戦はタイブレークの延長10回にスクイズで勝ち越し。決勝の常葉大菊川戦では投手・中野の二盗で先制点を呼び込むなどポジションを問わない積極走塁も功を奏した。阪口さんの時代から武器としていた機動力、精度の高い小技は健在だ。
新監督になって、より重要視するのは選手の主体性だ。「阪口先生もそうでしたけど、試合でミスを恐れずに攻める姿勢はより出ていると思う」。アウトを恐れず盗塁に挑戦させる機会を増やし、前向きにプレーできる環境づくりを意識。主将の西河は「阪口先生の時から魂は変わらない。よりやらされるではなく、自分たちで考えたり指摘し合ったりする意識ができたと思う」と肌で感じている。
直近の甲子園出場は23年夏。当時1年の中野が唯一、メンバー入りしたが登板機会はなかった。監督、選手ともにまっさらなメンバーで、甲子園に新しい大垣日大の歴史を刻む。
📝昭和100年へ OBの木戸克彦&小早川毅彦の両氏が語る逆転のPLの〝原点〟「最後はさすがにまずいな」「奇跡の瞬間はお好み焼き店」(前編)
https://news.yahoo.co.jp/articles/d60afb891ddb7e088f496e8f3f432d1c7cec51b3
昭和の高校野球史にさん然と輝くPL学園。1978(昭和53)年夏の初優勝から、春夏合わせて7度の全国制覇はすべて昭和に達成した。2016(平成28)年に休部。過酷な寮生活などがクローズアップされることが多いが、その強さには令和にも通じる理由があった。初優勝時の主将・木戸克彦氏(63)=阪神球団本部プロスカウト部長=と、1年後輩の小早川毅彦氏(63)が2回に渡って、当時を振り返る。
小早川氏(以下、小早川) 僕にとってPL学園でも法大でも1学年先輩の木戸さんは「ザ・キャプテン」。よろしくお願いします。
木戸氏(以下、木戸) コバ(小早川)は入ってきた時からポンポン飛ばして。すごい後輩が入ってきたと思った。でも初優勝(1978年夏)の時は、ベンチから外れていたよな?
小早川 選抜が終わって以降は4番を任されていたんですが、膝の故障で。だからアルプススタンドで制服で応援していました。でも逆転のPLと呼ばれ始める準決勝の中京(現中京大中京)戦は見ていなくて。
木戸 どういうこと?
小早川 0-4で終盤だから、負けると思って、同級生と早めにバスまで戻ろうとしたんです。そうしたら、途中のお好み焼き店のおばちゃんが「あんたら、PLの生徒やろ? 猛反撃してるで」と。奇跡の瞬間はお好み焼き店でした。
木戸 あれだけ練習したから絶対に負けない、と思っていたけれど、中京戦の最後はさすがにまずいなと思った。追いついたら相手がミスってくれた。あの夏は自分の調子が悪くてな。「3番・主将」なのに全然、打てない(準決勝まで13打数1安打)。こんな俺が決勝戦の朝3時半に起きて、掃除をした。先生に見つかったけれど「やらせてください」とお願いして。「勝たせてください」と祈ったよ。
小早川 決勝戦も高知商に逆転サヨナラ勝ち。しっかりスタンドで見届けました。
木戸 準決勝に勝って学校に帰ったら全員(自発的に)打撃練習をしに行った。いい選手がいっぱいいるから、打てなかったら代えられると思っていた。そういうチーム。大会前の練習試合で10-0で勝っていても、1点取られたら試合後にポール間ダッシュ10往復。1点取られなければ絶対に負けないと言われ、徹底的に守備を鍛えられた。スーパースターがいなくても勝てたのは守備のおかげ。それが粘り、逆転につながった。
小早川 「逆転のPL」という言葉を生んだ、あの2試合があるから、後の選手たちが「甲子園で優勝するならPL」「プロに行くならPL」という流れを生んだんだと思います。
木戸 自分がいた時期は、その後にあんな黄金時代が来るとは夢にも思わなかった。入れ替わりで吉村禎章(巨人)らが入ってきて、やがて桑田(真澄=巨人など)、清原(和博=西武など)、さらに立浪(和義=中日)の世代に…。
小早川 木戸さんの代の全国制覇が始まりです。なぜPL学園に進まれたんですか?
木戸 中学3年の夏頃かな。北陽、泉州、あと何校かの勧誘があった。その中にPLも。当時はまだ甲子園で一度も優勝していない時代で詳しく知らなかったが「ごっつい投手が入る。バッテリーを組んでくれたら全国制覇ができる」と猛烈に誘われて。それが西田真二(法大→広島)。全寮制と聞いて、家に迷惑もかけないしなと。
小早川 僕は広島だったので全然、予備知識がなくて。広島商や崇徳など広島の高校しか考えていなかった。PLと聞いて最初は外国の高校かと思ったぐらい。中学3年の春に最初にスカウトの方が来てくださったのがPL。それで決めました。その年の夏の甲子園で準優勝して、こんな強い学校なんだと。中学の3学期に、PL中学に転校したんです。
木戸 全国から優秀な選手を集めて批判もあったみたいやけれど、その後を見てみろ。常勝チームを作るお手本を、昭和の時代のPL学園がやっていたわけだ。
小早川 我々が先駆けだったんですね。
⚾岩手さんへ
和歌山南陵高校・・・忘れた頃に名前が出てきましたね!
国際開洋二のときに1度閉校しつつも、また蘇ってきたので今回も海外留学生やスポーツ特待生を中心に立て直してくるとは思いますが、来年度の入学希望者がいるかどうかは不透明ですね・・・・・。
現中学3年生に対して、保護者や学校の先生が進学を勧める可能性が限りなく低いと思うので、、、、、
数年後の復活には期待しております!
名前を挙げた3人の監督さんの中で、日大三島に異動した永田監督がかなり苦戦してますね。
1度春夏連続甲子園に出たものの、金光大阪・国学院栃木と格下相手に連続初戦敗退でそれ以後は目立った戦績を残していないし・・・・・。報徳にそのまま残っていた方が良かった気もします。
逆に岡田監督は3年計画で激戦・兵庫できっちり結果を残し、なおかつ従来の兵庫にはなかった迫力ある打線を形成し、投手を含む守りはもともとしっかりしていたので、総合力の高いチームを作りセンバツそして夏はかなり期待できますね!
持丸監督は公立高校を複数甲子園出場に導き、常総に行ったのは失敗だったと思いますが、専大松戸が声をかけ無名校を甲子園に複数回出場させているので、相当な手腕ですね!!
金曜日にセンバツ選考会が開催され出場32校が発表されます。少しずつ球春の声が聞こえてきますね!
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/AST1N4DN0T1NONFB002M.html
日本学生野球協会の2024年度優秀選手に、三重県内から県立菰野高校の野球部前主将、山口拓真さん(18)が選ばれた。20日に同校で表彰式があり、記念の盾が贈られた。
山口さんは主将として下級生主体のチームを支え、昨夏の第106回全国高校野球選手権大会出場の原動力となった。学業は学年5位以内を維持し、文武両道の模範となったことも評価された。
三重県高野連の岡村芳成会長から盾を受け取った山口さんは「優秀選手に選ばれたのは光栄でうれしい」と喜びを語った。主将を務めた1年間は「苦しく大変な期間だったが、結果として甲子園出場や受賞をできてよかった」と振り返った。卒業後は大手自動車会社への就職が決まっており、「今後も地域の草野球などで趣味として野球に関わりたい」と述べた。
🔥大垣日大・阪口野球の「魂」受け継ぐ高橋正明監督 重視するのは選手の主体性 新体制で初の聖地へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/e114392cfbd7d45d37051b2f53f86c83053ff28d
◇「春よ、来い」(上) センバツ高校野球大会出場校24日決定
第97回センバツ高校野球大会の出場校が24日の選考委員会で決まる。昨年と同様に一般選考(明治神宮大会枠1校を含む)の30校と21世紀枠の2校の計32校を選出。東海地区は3枠で、昨秋の東海大会を制した大垣日大(岐阜)、準優勝の常葉大菊川(静岡)の選出が濃厚。残る1枠は同大会4強の至学館(愛知)と岐阜第一を比較することになりそうだ。吉報を待つ4校を3回に分けて紹介する。
新・大垣日大で初の甲子園に挑むことになりそうだ。2023年末に前監督の阪口慶三さん(80)が勇退。愛知・東邦と大垣日大で甲子園に春夏通算35度出場、同40勝を挙げた名将に代わり、昨年1月に高橋正明監督(42)が就任した。新体制がスタートした年に秋の県大会を制し、そのまま東海大会も制覇。聖地への切符がほぼ確実となった。
高橋監督は「大垣日大は一つの完成されたチーム。甲子園に行って当たり前で、常に勝てるというのを継承していかないと」と出場で満足せず、甲子園の勝利も見据えたチームづくりに励む。
阪口野球を継承し、進化させる。阪口さんが監督に就任した05年から約19年間、副部長兼コーチとしてチームを見てきた。阪口さんからは「もう全部教えてある」と後を託された。
最も大切にするのは野球に対する「魂」だ。練習でも試合でも、選手も指導者も熱く白球を追う。昨年は春の県大会、夏の岐阜大会ともに準々決勝敗退。貫いてきた戦い方がかみ合ったのが、秋だった。
県大会決勝から東海大会決勝までの4試合は、全て逆転勝ち。東海大会準々決勝の愛知・中京大中京戦はタイブレークの延長10回にスクイズで勝ち越し。決勝の常葉大菊川戦では投手・中野の二盗で先制点を呼び込むなどポジションを問わない積極走塁も功を奏した。阪口さんの時代から武器としていた機動力、精度の高い小技は健在だ。
新監督になって、より重要視するのは選手の主体性だ。「阪口先生もそうでしたけど、試合でミスを恐れずに攻める姿勢はより出ていると思う」。アウトを恐れず盗塁に挑戦させる機会を増やし、前向きにプレーできる環境づくりを意識。主将の西河は「阪口先生の時から魂は変わらない。よりやらされるではなく、自分たちで考えたり指摘し合ったりする意識ができたと思う」と肌で感じている。
直近の甲子園出場は23年夏。当時1年の中野が唯一、メンバー入りしたが登板機会はなかった。監督、選手ともにまっさらなメンバーで、甲子園に新しい大垣日大の歴史を刻む。
📝昭和100年へ OBの木戸克彦&小早川毅彦の両氏が語る逆転のPLの〝原点〟「最後はさすがにまずいな」「奇跡の瞬間はお好み焼き店」(前編)
https://news.yahoo.co.jp/articles/d60afb891ddb7e088f496e8f3f432d1c7cec51b3
昭和の高校野球史にさん然と輝くPL学園。1978(昭和53)年夏の初優勝から、春夏合わせて7度の全国制覇はすべて昭和に達成した。2016(平成28)年に休部。過酷な寮生活などがクローズアップされることが多いが、その強さには令和にも通じる理由があった。初優勝時の主将・木戸克彦氏(63)=阪神球団本部プロスカウト部長=と、1年後輩の小早川毅彦氏(63)が2回に渡って、当時を振り返る。
小早川氏(以下、小早川) 僕にとってPL学園でも法大でも1学年先輩の木戸さんは「ザ・キャプテン」。よろしくお願いします。
木戸氏(以下、木戸) コバ(小早川)は入ってきた時からポンポン飛ばして。すごい後輩が入ってきたと思った。でも初優勝(1978年夏)の時は、ベンチから外れていたよな?
小早川 選抜が終わって以降は4番を任されていたんですが、膝の故障で。だからアルプススタンドで制服で応援していました。でも逆転のPLと呼ばれ始める準決勝の中京(現中京大中京)戦は見ていなくて。
木戸 どういうこと?
小早川 0-4で終盤だから、負けると思って、同級生と早めにバスまで戻ろうとしたんです。そうしたら、途中のお好み焼き店のおばちゃんが「あんたら、PLの生徒やろ? 猛反撃してるで」と。奇跡の瞬間はお好み焼き店でした。
木戸 あれだけ練習したから絶対に負けない、と思っていたけれど、中京戦の最後はさすがにまずいなと思った。追いついたら相手がミスってくれた。あの夏は自分の調子が悪くてな。「3番・主将」なのに全然、打てない(準決勝まで13打数1安打)。こんな俺が決勝戦の朝3時半に起きて、掃除をした。先生に見つかったけれど「やらせてください」とお願いして。「勝たせてください」と祈ったよ。
小早川 決勝戦も高知商に逆転サヨナラ勝ち。しっかりスタンドで見届けました。
木戸 準決勝に勝って学校に帰ったら全員(自発的に)打撃練習をしに行った。いい選手がいっぱいいるから、打てなかったら代えられると思っていた。そういうチーム。大会前の練習試合で10-0で勝っていても、1点取られたら試合後にポール間ダッシュ10往復。1点取られなければ絶対に負けないと言われ、徹底的に守備を鍛えられた。スーパースターがいなくても勝てたのは守備のおかげ。それが粘り、逆転につながった。
小早川 「逆転のPL」という言葉を生んだ、あの2試合があるから、後の選手たちが「甲子園で優勝するならPL」「プロに行くならPL」という流れを生んだんだと思います。
木戸 自分がいた時期は、その後にあんな黄金時代が来るとは夢にも思わなかった。入れ替わりで吉村禎章(巨人)らが入ってきて、やがて桑田(真澄=巨人など)、清原(和博=西武など)、さらに立浪(和義=中日)の世代に…。
小早川 木戸さんの代の全国制覇が始まりです。なぜPL学園に進まれたんですか?
木戸 中学3年の夏頃かな。北陽、泉州、あと何校かの勧誘があった。その中にPLも。当時はまだ甲子園で一度も優勝していない時代で詳しく知らなかったが「ごっつい投手が入る。バッテリーを組んでくれたら全国制覇ができる」と猛烈に誘われて。それが西田真二(法大→広島)。全寮制と聞いて、家に迷惑もかけないしなと。
小早川 僕は広島だったので全然、予備知識がなくて。広島商や崇徳など広島の高校しか考えていなかった。PLと聞いて最初は外国の高校かと思ったぐらい。中学3年の春に最初にスカウトの方が来てくださったのがPL。それで決めました。その年の夏の甲子園で準優勝して、こんな強い学校なんだと。中学の3学期に、PL中学に転校したんです。
木戸 全国から優秀な選手を集めて批判もあったみたいやけれど、その後を見てみろ。常勝チームを作るお手本を、昭和の時代のPL学園がやっていたわけだ。
小早川 我々が先駆けだったんですね。
⚾岩手さんへ
和歌山南陵高校・・・忘れた頃に名前が出てきましたね!
国際開洋二のときに1度閉校しつつも、また蘇ってきたので今回も海外留学生やスポーツ特待生を中心に立て直してくるとは思いますが、来年度の入学希望者がいるかどうかは不透明ですね・・・・・。
現中学3年生に対して、保護者や学校の先生が進学を勧める可能性が限りなく低いと思うので、、、、、
数年後の復活には期待しております!
名前を挙げた3人の監督さんの中で、日大三島に異動した永田監督がかなり苦戦してますね。
1度春夏連続甲子園に出たものの、金光大阪・国学院栃木と格下相手に連続初戦敗退でそれ以後は目立った戦績を残していないし・・・・・。報徳にそのまま残っていた方が良かった気もします。
逆に岡田監督は3年計画で激戦・兵庫できっちり結果を残し、なおかつ従来の兵庫にはなかった迫力ある打線を形成し、投手を含む守りはもともとしっかりしていたので、総合力の高いチームを作りセンバツそして夏はかなり期待できますね!
持丸監督は公立高校を複数甲子園出場に導き、常総に行ったのは失敗だったと思いますが、専大松戸が声をかけ無名校を甲子園に複数回出場させているので、相当な手腕ですね!!
金曜日にセンバツ選考会が開催され出場32校が発表されます。少しずつ球春の声が聞こえてきますね!
現在、関西地区だと読売テレビかな?何かと話題ですが、ザ!世界仰天ニュースで和歌山南陵高校の事を見ている所です。
1月15日付の朝日新聞スポーツ欄に南陵の5人奮闘記がありました。
持丸、岡田、永田さんなど甲子園常連監督の野球感?でいいのかな。
持丸さんは時々上げてくれているので
少し分かるかな!
岡田さんと同じく投手を育てるのが上手いな!
両チームとも県内に強豪チームがあり大変ですが、岡田さんは久しぶりに甲子園で采配が! 持丸さんは常連になった感がありますね。
1月15日付の朝日新聞スポーツ欄に南陵の5人奮闘記がありました。
持丸、岡田、永田さんなど甲子園常連監督の野球感?でいいのかな。
持丸さんは時々上げてくれているので
少し分かるかな!
岡田さんと同じく投手を育てるのが上手いな!
両チームとも県内に強豪チームがあり大変ですが、岡田さんは久しぶりに甲子園で采配が! 持丸さんは常連になった感がありますね。
3/21 4日目第1試合 宇治山田商(三重)-東海大福岡(福岡) 9:02~11:03
第5話 村田監督甲子園初采配初勝利 古豪・宇治山田商の新しい風
一二三四五六七八九十計HE
山 商010301000 570 加古、田中、中村-小泉
東海福岡001030000 481 佐藤-井上
第二試合 第三試合
広 陵 京都国際
高 知 青森山田
前日の寒風とときどき暴風雨が収まり、この日は自宅観戦で翌日の外野観戦に備えていた。寒気はここまでがピークだったと記憶しているが、この日は第1試合開始直後に完投で地震が起きたのでNHK放送が中断されるハプニングが↓↓
そういう時に限ってTV観戦とは、、、、、
大会4日目は宇治山田商・広陵そして京都国際と粒揃いのチームが登場する!特に注目していたのは長年、進学校の津西を率いていた熱血漢・村田監督が宇治山田商に異動し昨秋あれよあれよと快進撃を続けついに悲願の甲子園初采配までたどり着いた!!
津西高校は三重県大会で何度も観戦したことはあるが、津商と違ってなかなか東海大会までたどり着けないし中堅あるいはやや下くらいの位置にいたかと思うが、宇治山田商に異動して選手のレベルもかなり上がっただろうし、コワモテの割にはスパルタ指導ではなく理詰めで指導されるようで、昨秋は上手くかみ合ってセンバツ出場までたどりついた!
投手は3人の継投が主流のようでこのあたりも見ものだった。相手は東海大福岡と優勝候補ではないし、福岡の野球は試合が早いので開いてペースに飲み込まれなければ互角の展開に持ち込めるのではないかと。勝てば中央学院との対戦だし、運が良ければ8強入りも見えてくる。
山商はあえて2年生サウスポー加古を先発に当て、エース・田中そして10番・中村の右腕3人で試合を作っていく。東海福岡はエース佐藤が大黒柱のようだ。
試合はおそらくじゃんけんで負けて先攻になったであろう山商がいきなり三振などあっさり三者凡退で攻撃終了。
そして1回裏あたりで地震のニュースで放送中断・・・・・やむを得ずGAORAのネット中継に頼らざるを得なくなったが、22分後の9時30分にNHK Eテレで放送再開と。
東海福岡も福岡のチームらしく淡々と来た球を打つだけでわずか7球で攻撃終了。九州国際大付なども仕事が早いがここ最近の福岡県勢は本当に試合が早すぎるので警戒していた。
三重野球は2時間30分くらいじっくり時間をかけてやる野球なんでそれを思い出したかのように2回表先頭の4番・小泉が7球粘ってレフト線突破のツーベースで活路を見出すと、ベテラン・村田監督は定石通り送りバントで1死3塁。
甲子園初得点は自分の采配で捕りに行くかと思いきや、選手に任せて6番・郷が1ボールからきっちりセンター犠飛で仕事を果たし待望の先取点!さらに7・8番の連打で追加点のチャンスを作り下位打線も力のあるところを見せ、9番・加藤はセンターフライに倒れたものの初回とは違って大きな手ごたえをつかんだ攻撃だった。
1点をもらって自らヒットを放ち気をよくした加古投手だが、その裏先頭打者に四球を与え送りバントで1死2塁。ここでまたもや四球を与え、7番・井上にも2ボールと制球面が、、、実は初回も3人続けて初球はボールだったし相手の早打ちに助けられたがなんと打者7人全員ボールから入っているのが気がかり。それでも適度に荒れているのが功を奏したのか?1-2からピッチャーゴロゲッツーで無失点。
3回表2死から3番・中川初球頭部デッドボール・・・・・。大事なクリーンアップトリオの一角だが、打ち所が悪く後退を余儀なくされてしまった、、、、、4番・小泉は空振り三振で流れが変わる。
その裏、相手エース・佐藤が頭部死球の影響も見せず初球ライト前ヒット。送りバントはキャッチャーフライに終わったが、1死1塁からショートゴロゲッツーコースの打球を1塁セーフにしてしまい、ここから2・3番の連打であっさり追いつかれてしまいなおも2死1・2塁のピンチで村田監督は早くもエース・田中を投入。
しかし、4番・藤本相手に2ボールと不安定さを見せて不安だったが、このタイミングで冷静に2塁けん制を混ぜなんと2塁走者タッチアウト!!九死に一生を得てまた山商が蘇った!!
4回表追いつかれてもどっしり構えて、1死から6番・郷が左中間へツーベースを放つと7番・中瀬がキャッチャー前にトリッキーなセーフティーバントをかましオールセーフで1死1・3塁としてやったりの村田監督。
バッターが田中投手なんでスクイズをやって来るかと思いきや、いきなり初球盗塁でバッテリーをかく乱しカウント2-1からショートゴロが相手の野選を誘いまたもオールセーフで勝ち越しなおも1死1・3塁とチャンスは続き、9番・加藤の初球にセーフティ―スクイズのサインを出し3塁走者はホームに突っ込めなかったもののこれまたオールセーフで満塁!!完全に相手をかく乱し、1番・山本1ストライクからの2球目に暴投で労せずして3点目。相手もスクイズ警戒でウエストするがこれには引っかからずフルカウントからスリーバントスクイズ敢行もファールで三振・・・・・。
しかし、2番・伊藤カウント2-2からこのイニング2度目の暴投で4-1と差が広がりタイムリーなしで3点を追加した。
しかし、東海大福岡もバッテリー崩壊したが、諦めずその裏2死から6番・唐崎がライトへツーベース。さらに7番・井上が反撃のレフト前タイムリー・・・と思われたが、レフト・郷の強肩がホーム寸前で走者を刺し未然に失点を防ぎ主導権を渡さなかったことが大きな勝因の1つとなった!
5回表クリーンアップが三者凡退で倒れ流れはまた福岡へ・・・。
先頭の佐藤投手がサード内野安打を放つと、中村監督は3点ビハインドでもおとなしく送りバントのサイン。
1死2塁と形を作り上位に回し、1番・光富に初球痛恨のデッドボール・・・・・。ランナーをためてしまったが、2番・宗翔をセカンドフライに抑えこれで出口が見えたと確信したが、3番・山本を2球で追い込みながら四球を与え2死満塁。ここから4・5番に連打を浴びまさかの3失点であっという間に4-4同点とされなおも2死1・2塁と苦しかったが、村田監督はエースに任せ、6番・唐崎初球サードゴロで踏みとどまり整備に入った。
しかし、今年の山商は良くも悪くも三重県勢らしからぬ戦いぶりだった。
投手3枚看板で継投で凌いでいくのも珍しいが、打線が小技を織り交ぜしたたかに得点を積み重ねていくのもあまり見受けら得ないイヤらしさをもった攻撃だ。
すでに5安打4得点と試合を有利に進める一方で、投手に軸がないようで早すぎる継投で逃げ切り体制を図るつもりが中盤5回に3点差を追いつかれてしまったのは大誤算。
乱打戦になって勝ち目はあるのか???三重らしくロースコアの接戦で勝機を見出したかったが・・・・・。
それでも6回表先頭の6番・郷が四球で出塁すると手堅く送って1死2塁。ここから8番・田中投手が追い込まれながらもライト前ヒットで1死1・3塁とつないで、9番・加藤は2球連続見逃し追い込まれるが、3球勝負の球を三遊間真っ二つに破り快心のレフト前タイムリーですぐさま5-4と勝ち越し!
1番・山本はショートゴロに倒れたが2死1・3塁で村田監督は2番・伊藤のカウント1-2からまさかのダブルスチール敢行もさすがに福岡バッテリーも落ち着いて処理し1点止まり。
これでリズムが出た山商はその裏レフト郷のスライディングヤッチのファインプレーでアウトをもぎ取り、足を痛めて1分間治療と時間も稼いでサードへの痛烈な打球も真正面のライナーとツキにも恵まれ勝利がチラチラ見えつつあった。
終盤1点を巡る攻防で一波乱・二波乱あるかに思えたが、センバツだからなのか?淡々と進んでいった・・・・・。
さらにリードを広げたい山商だが、7回2番からの攻撃で三者凡退。8回は2死から相手セカンドのエラーで出塁し、田中投手に代打・羽根を送るも初球ファーストフライと簡単に終わってしまった。。。
1点を追う東海福岡も7回1番からの好打順だが、あっさりと三者凡退。
8回裏代打の関係でエース・田中から10番・中村にスイッチしたことがどうでるか?心配されたが、中村投手はカーブを武器に2者連続見逃しの三振にとるなどあっさり3人で退けいよいよ9回の攻防へ、、、
9回表先頭の9番・加藤が四球で出塁と願ってもないチャンスだったが、送りバントがキャッチャーフライになるなど走者を進められずイヤな流れで1点差のまま9回裏へ。
ここまできたら是が非でも初戦突破したい!!しかし、甲子園の魔物がそうはさせてくれず、先頭の7番・井上が2-1と追い込まれながらレフト前ヒットで無死1塁。定石ならエース・佐藤に送りバント。あるいは代打で一気に逆転サヨナラを狙うかと思われたが、中村監督は代打も出さずバントのそぶりもなく3ボール・・・ここでの四球は致命的だが、中村投手落ち着いてフルカウントに持ち込み、ここでサインはランエンドヒットなのか???カーブに三振して1塁走者盗塁失敗と全くの想定外だったが、結果的に三振ゲッツーで2死ランナーなしと一気に楽になった!
最後は代打・伊藤が1塁側ブルペン付近に微妙なファールフライを放ち、ファースト・泉が懸命のスライディングヤッチを試みフェンス際ギリギリいっぱいでこれをつかみゲームセット。
30年近い指導歴で初めてつかんだ甲子園で初勝利を村田監督にプレゼントし、ふがいない近畿勢を横目に三重県勢貴重なセンバツ1勝を積み重ねた。
しかし、5-4というスコアが物語るように2度リードを追いつかれ非常に苦しい試合だった。
気が付けばヒット数は相手の不が1本多く、4回2つの暴投で2点もらわなければ負けていたかもしれないが、、、、、
要所できっちり守って耐えて凌いで自分たちの野球を展開できたのが一日の長ありといった具合だろうか
本来ならば2回戦は24日の第3試合のはずが、この先の長雨で日程が大幅に狂いなんとMYバースデーが4試合日となりその第1試合に組み込まれた。2008年に1度バースデー観戦しておりその時は21世紀枠の安房に逆転サヨナラ勝ちしたが、あれ以来のバースデー観戦となる。
初戦近畿はまさかの5連敗となり、結局は桐蔭&報徳頼みとなり、両校が準々決勝で激突する組み合わせとなっては仕方がなかった。夏に近畿勢が急激に躍進できるとは予想できなかったが、、、、、
さて、本来26日が準々決勝4試合ゆえに早めにチケット購入したが二日順延でその26日も朝から大雨でなんと9時から3試合のはずが13時30分から2試合にカットされてしまった↓↓
一応、明豊・創志学園が登場するのでまるっきり損した気はしなかったが、27日・28日と4試合日となったので、都合は良かった。
さて、門馬監督率いる創志学園は山梨学院との対戦でここからが新星・創志の力が試される。それはまた次回の講釈で。
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 死球 三振 暴投 失点 自責
山 商 加 古 2 2/3 12 39 3 1 2 0 0 0 1 1
山 商 田 中 4 1/3 19 56 4 1 1 1 0 0 3 3
山 商 中 村 2 6 27 1 0 0 0 3 0 0 0
東海福岡 佐 藤 9 40 137 7 4 2 1 5 2 5 2
(完)
🌟次回予告🌟
3/26 7日目第2試合 創志学園(岡山)-山梨学院(山梨)
第5話 村田監督甲子園初采配初勝利 古豪・宇治山田商の新しい風
一二三四五六七八九十計HE
山 商010301000 570 加古、田中、中村-小泉
東海福岡001030000 481 佐藤-井上
第二試合 第三試合
広 陵 京都国際
高 知 青森山田
前日の寒風とときどき暴風雨が収まり、この日は自宅観戦で翌日の外野観戦に備えていた。寒気はここまでがピークだったと記憶しているが、この日は第1試合開始直後に完投で地震が起きたのでNHK放送が中断されるハプニングが↓↓
そういう時に限ってTV観戦とは、、、、、
大会4日目は宇治山田商・広陵そして京都国際と粒揃いのチームが登場する!特に注目していたのは長年、進学校の津西を率いていた熱血漢・村田監督が宇治山田商に異動し昨秋あれよあれよと快進撃を続けついに悲願の甲子園初采配までたどり着いた!!
津西高校は三重県大会で何度も観戦したことはあるが、津商と違ってなかなか東海大会までたどり着けないし中堅あるいはやや下くらいの位置にいたかと思うが、宇治山田商に異動して選手のレベルもかなり上がっただろうし、コワモテの割にはスパルタ指導ではなく理詰めで指導されるようで、昨秋は上手くかみ合ってセンバツ出場までたどりついた!
投手は3人の継投が主流のようでこのあたりも見ものだった。相手は東海大福岡と優勝候補ではないし、福岡の野球は試合が早いので開いてペースに飲み込まれなければ互角の展開に持ち込めるのではないかと。勝てば中央学院との対戦だし、運が良ければ8強入りも見えてくる。
山商はあえて2年生サウスポー加古を先発に当て、エース・田中そして10番・中村の右腕3人で試合を作っていく。東海福岡はエース佐藤が大黒柱のようだ。
試合はおそらくじゃんけんで負けて先攻になったであろう山商がいきなり三振などあっさり三者凡退で攻撃終了。
そして1回裏あたりで地震のニュースで放送中断・・・・・やむを得ずGAORAのネット中継に頼らざるを得なくなったが、22分後の9時30分にNHK Eテレで放送再開と。
東海福岡も福岡のチームらしく淡々と来た球を打つだけでわずか7球で攻撃終了。九州国際大付なども仕事が早いがここ最近の福岡県勢は本当に試合が早すぎるので警戒していた。
三重野球は2時間30分くらいじっくり時間をかけてやる野球なんでそれを思い出したかのように2回表先頭の4番・小泉が7球粘ってレフト線突破のツーベースで活路を見出すと、ベテラン・村田監督は定石通り送りバントで1死3塁。
甲子園初得点は自分の采配で捕りに行くかと思いきや、選手に任せて6番・郷が1ボールからきっちりセンター犠飛で仕事を果たし待望の先取点!さらに7・8番の連打で追加点のチャンスを作り下位打線も力のあるところを見せ、9番・加藤はセンターフライに倒れたものの初回とは違って大きな手ごたえをつかんだ攻撃だった。
1点をもらって自らヒットを放ち気をよくした加古投手だが、その裏先頭打者に四球を与え送りバントで1死2塁。ここでまたもや四球を与え、7番・井上にも2ボールと制球面が、、、実は初回も3人続けて初球はボールだったし相手の早打ちに助けられたがなんと打者7人全員ボールから入っているのが気がかり。それでも適度に荒れているのが功を奏したのか?1-2からピッチャーゴロゲッツーで無失点。
3回表2死から3番・中川初球頭部デッドボール・・・・・。大事なクリーンアップトリオの一角だが、打ち所が悪く後退を余儀なくされてしまった、、、、、4番・小泉は空振り三振で流れが変わる。
その裏、相手エース・佐藤が頭部死球の影響も見せず初球ライト前ヒット。送りバントはキャッチャーフライに終わったが、1死1塁からショートゴロゲッツーコースの打球を1塁セーフにしてしまい、ここから2・3番の連打であっさり追いつかれてしまいなおも2死1・2塁のピンチで村田監督は早くもエース・田中を投入。
しかし、4番・藤本相手に2ボールと不安定さを見せて不安だったが、このタイミングで冷静に2塁けん制を混ぜなんと2塁走者タッチアウト!!九死に一生を得てまた山商が蘇った!!
4回表追いつかれてもどっしり構えて、1死から6番・郷が左中間へツーベースを放つと7番・中瀬がキャッチャー前にトリッキーなセーフティーバントをかましオールセーフで1死1・3塁としてやったりの村田監督。
バッターが田中投手なんでスクイズをやって来るかと思いきや、いきなり初球盗塁でバッテリーをかく乱しカウント2-1からショートゴロが相手の野選を誘いまたもオールセーフで勝ち越しなおも1死1・3塁とチャンスは続き、9番・加藤の初球にセーフティ―スクイズのサインを出し3塁走者はホームに突っ込めなかったもののこれまたオールセーフで満塁!!完全に相手をかく乱し、1番・山本1ストライクからの2球目に暴投で労せずして3点目。相手もスクイズ警戒でウエストするがこれには引っかからずフルカウントからスリーバントスクイズ敢行もファールで三振・・・・・。
しかし、2番・伊藤カウント2-2からこのイニング2度目の暴投で4-1と差が広がりタイムリーなしで3点を追加した。
しかし、東海大福岡もバッテリー崩壊したが、諦めずその裏2死から6番・唐崎がライトへツーベース。さらに7番・井上が反撃のレフト前タイムリー・・・と思われたが、レフト・郷の強肩がホーム寸前で走者を刺し未然に失点を防ぎ主導権を渡さなかったことが大きな勝因の1つとなった!
5回表クリーンアップが三者凡退で倒れ流れはまた福岡へ・・・。
先頭の佐藤投手がサード内野安打を放つと、中村監督は3点ビハインドでもおとなしく送りバントのサイン。
1死2塁と形を作り上位に回し、1番・光富に初球痛恨のデッドボール・・・・・。ランナーをためてしまったが、2番・宗翔をセカンドフライに抑えこれで出口が見えたと確信したが、3番・山本を2球で追い込みながら四球を与え2死満塁。ここから4・5番に連打を浴びまさかの3失点であっという間に4-4同点とされなおも2死1・2塁と苦しかったが、村田監督はエースに任せ、6番・唐崎初球サードゴロで踏みとどまり整備に入った。
しかし、今年の山商は良くも悪くも三重県勢らしからぬ戦いぶりだった。
投手3枚看板で継投で凌いでいくのも珍しいが、打線が小技を織り交ぜしたたかに得点を積み重ねていくのもあまり見受けら得ないイヤらしさをもった攻撃だ。
すでに5安打4得点と試合を有利に進める一方で、投手に軸がないようで早すぎる継投で逃げ切り体制を図るつもりが中盤5回に3点差を追いつかれてしまったのは大誤算。
乱打戦になって勝ち目はあるのか???三重らしくロースコアの接戦で勝機を見出したかったが・・・・・。
それでも6回表先頭の6番・郷が四球で出塁すると手堅く送って1死2塁。ここから8番・田中投手が追い込まれながらもライト前ヒットで1死1・3塁とつないで、9番・加藤は2球連続見逃し追い込まれるが、3球勝負の球を三遊間真っ二つに破り快心のレフト前タイムリーですぐさま5-4と勝ち越し!
1番・山本はショートゴロに倒れたが2死1・3塁で村田監督は2番・伊藤のカウント1-2からまさかのダブルスチール敢行もさすがに福岡バッテリーも落ち着いて処理し1点止まり。
これでリズムが出た山商はその裏レフト郷のスライディングヤッチのファインプレーでアウトをもぎ取り、足を痛めて1分間治療と時間も稼いでサードへの痛烈な打球も真正面のライナーとツキにも恵まれ勝利がチラチラ見えつつあった。
終盤1点を巡る攻防で一波乱・二波乱あるかに思えたが、センバツだからなのか?淡々と進んでいった・・・・・。
さらにリードを広げたい山商だが、7回2番からの攻撃で三者凡退。8回は2死から相手セカンドのエラーで出塁し、田中投手に代打・羽根を送るも初球ファーストフライと簡単に終わってしまった。。。
1点を追う東海福岡も7回1番からの好打順だが、あっさりと三者凡退。
8回裏代打の関係でエース・田中から10番・中村にスイッチしたことがどうでるか?心配されたが、中村投手はカーブを武器に2者連続見逃しの三振にとるなどあっさり3人で退けいよいよ9回の攻防へ、、、
9回表先頭の9番・加藤が四球で出塁と願ってもないチャンスだったが、送りバントがキャッチャーフライになるなど走者を進められずイヤな流れで1点差のまま9回裏へ。
ここまできたら是が非でも初戦突破したい!!しかし、甲子園の魔物がそうはさせてくれず、先頭の7番・井上が2-1と追い込まれながらレフト前ヒットで無死1塁。定石ならエース・佐藤に送りバント。あるいは代打で一気に逆転サヨナラを狙うかと思われたが、中村監督は代打も出さずバントのそぶりもなく3ボール・・・ここでの四球は致命的だが、中村投手落ち着いてフルカウントに持ち込み、ここでサインはランエンドヒットなのか???カーブに三振して1塁走者盗塁失敗と全くの想定外だったが、結果的に三振ゲッツーで2死ランナーなしと一気に楽になった!
最後は代打・伊藤が1塁側ブルペン付近に微妙なファールフライを放ち、ファースト・泉が懸命のスライディングヤッチを試みフェンス際ギリギリいっぱいでこれをつかみゲームセット。
30年近い指導歴で初めてつかんだ甲子園で初勝利を村田監督にプレゼントし、ふがいない近畿勢を横目に三重県勢貴重なセンバツ1勝を積み重ねた。
しかし、5-4というスコアが物語るように2度リードを追いつかれ非常に苦しい試合だった。
気が付けばヒット数は相手の不が1本多く、4回2つの暴投で2点もらわなければ負けていたかもしれないが、、、、、
要所できっちり守って耐えて凌いで自分たちの野球を展開できたのが一日の長ありといった具合だろうか
本来ならば2回戦は24日の第3試合のはずが、この先の長雨で日程が大幅に狂いなんとMYバースデーが4試合日となりその第1試合に組み込まれた。2008年に1度バースデー観戦しておりその時は21世紀枠の安房に逆転サヨナラ勝ちしたが、あれ以来のバースデー観戦となる。
初戦近畿はまさかの5連敗となり、結局は桐蔭&報徳頼みとなり、両校が準々決勝で激突する組み合わせとなっては仕方がなかった。夏に近畿勢が急激に躍進できるとは予想できなかったが、、、、、
さて、本来26日が準々決勝4試合ゆえに早めにチケット購入したが二日順延でその26日も朝から大雨でなんと9時から3試合のはずが13時30分から2試合にカットされてしまった↓↓
一応、明豊・創志学園が登場するのでまるっきり損した気はしなかったが、27日・28日と4試合日となったので、都合は良かった。
さて、門馬監督率いる創志学園は山梨学院との対戦でここからが新星・創志の力が試される。それはまた次回の講釈で。
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 死球 三振 暴投 失点 自責
山 商 加 古 2 2/3 12 39 3 1 2 0 0 0 1 1
山 商 田 中 4 1/3 19 56 4 1 1 1 0 0 3 3
山 商 中 村 2 6 27 1 0 0 0 3 0 0 0
東海福岡 佐 藤 9 40 137 7 4 2 1 5 2 5 2
(完)
🌟次回予告🌟
3/26 7日目第2試合 創志学園(岡山)-山梨学院(山梨)
🎤「古豪復活へと導いた指導論」東洋大姫路岡田監督×大社石飛監督、日刊&朝日記者と座談会
https://news.yahoo.co.jp/articles/e30ab2b4440688c3bb9e38db5775ae47594e1694
履正社(大阪)の前監督で、母校・東洋大姫路(兵庫)を率いて3年目で秋季近畿大会を17年ぶりに制した岡田龍生監督(63)と昨夏の甲子園で旋風を巻き起こした大社・石飛文太監督(43)の対談が実現した。「古豪復活へと導いた指導論」をテーマに、取材を通じて高校野球に携わる朝日新聞社・大坂尚子記者と日刊スポーツ新聞社・古財稜明記者との4人で熱く語り合った。
■まずは体作りから
古財 10月に練習試合をされたと聞きしました。
岡田 ちょうど私が東洋大に行った時に、石飛監督が馬庭君を連れてこられてて、その時に練習試合の話になりましてね。
石飛 東洋大姫路さんは「もう夏前じゃないか」って仕上がりで。プレーの考え、意図を選手が理解しているのがすごく伝わってきて。公式戦のつもりで勝ちにいきましたけど、3-6で負けました(笑い)。
大坂 夏は「大社旋風」で盛り上がりましたね。
岡田 ちょうど1回戦が兵庫の報徳学園だったもんですから。記者の人に聞いても、大社さんの評価も非常に高くて「わかりませんよ」って話やったんで。左の馬庭君が安定しているのと、足の速い選手が数人いると聞いていたので、楽しみにしていました。
大坂 特に3回戦の早実戦が話題となりましたね。
岡田 お互いの攻撃側、守備側がいろいろ駆使して。和泉監督もイチかバチかの策で内野5人シフトを取られて。あの場面でどういう指示を出されてたんかなと。ちょうど明治神宮大会の横浜戦でもそういう場面もあったもんですから。
古財 早実戦ではバント対策で左翼手がマウンドの三塁側付近にいましたね。
石飛 めちゃくちゃ近かったですね。あの時は左翼手の位置に気づくのが遅れて。そもそも左翼手がいなければ打たせようと思ってたので。イチかバチかの策にうちが策で返すのは違うかなって。結果的に策にハマりましたけど(笑い)。
古財 去年の春から低反発バットが導入されました。明治神宮大会では相手の監督が「東洋大姫路の長打力が頭一つ抜けている」と驚いていました。
岡田 春なんか特にほんと飛ばないなっていう印象が強くて。センバツでほとんどの監督さんが「低く強い打球」と言われていて。僕も確かにそうは思うんですけど、木のバットだったら外野の頭越さないんかって言ったら、そんなこともないんですね。ある人は言うんですよ。「大学生が低反発使って打っても、きちんと打つ」と。履正社ではほとんどの子は木で打撃練習をしてたので、僕は飛ばないっていう印象はあんまりなかったです。“折れなくなった木”っていうイメージしかなくて。きちんと打てば外野の頭も越すって感覚だったんですよ。
大坂 東洋大姫路でも同じような感覚ですか?
岡田 就任した時の体力的なレベルの差がかなりあったんですよ。平均体重も履正社と東洋大姫路やったら10キロも差があって。筋肉量の10キロってすごい差なんですよね。スイングスピードも15~20キロの差もありましたから。これは飛ばんなと。だからまずは体作りから入っていきましたね。
古財 大社は夏の島根大会では6試合で29盗塁と16犠打でした。低反発バットの影響はありましたか?
石飛 結局自分のポテンシャルに頼って、フライで外野に取られることが結構あったので、「低い打球」っていうのはずっと言い続けてました。攻撃でも自滅をしないことをテーマに掲げて。そういう意味ではバントにこだわったわけじゃないですけど、だいぶこだわってますよね(笑い)。
大坂 バントといえば早実戦で「できるやつ手上げろ」って言って、手を挙げたのが安松選手。試合中にベンチでそういう話し合いは結構されるんですか?
石飛 しますね。練習試合の時でも「ここでどうするかな」っていう時に聞いたり、僕がわからない時もあって。選手がどう考えているのかを練習、練習試合から探って、その時にいろんなアプローチかけていくんですけど。「行け」「行くぞ」「頼む」「どうする?」みたいな。その時は「どうする?」が良かったのかなみたいな感じでした。
大坂 それは選手の性格に合わせて言葉の使い方を変えているのですか?
石飛 「よっしゃ行け!」って言ったら、大体打てないので。采配とか、技術指導ができないので、できるとしたら人を見るところかなって。それでちょっとやってみたらうまくいくことが多くなったんで、「じゃあもうこれで行こう」って感じになりましたね。
■1対1で話する
古財 岡田監督は選手とのコミュニケーションは普段どうされてますか?
岡田 できるだけ取るようにしてますね。僕は選手を全員集めてミーティングする時も99%は聞いてないと思っています。だからその時は連絡事項ぐらいで。1対1で話をする方がこちらの意図も伝わるし、相手の話も聞けるので、そういう時間をつくることはここ10年くらい、履正社の時からそうでしたね。それが19年の夏に優勝できた1つの要因とちゃうかなと。先ほど石飛監督が言われてたのは、すごく今参考になりました。「頼むぞ」っていう言葉をかけた方がいい子もおれば、逆にすごく責任感が大きくなりすぎて力む場合もあるし。今の子どもらにはすごくマッチした指導かなと思いますね。
■土砂降りノック
古財 大社は「昭和Day」という練習を取り入れてましたね。
石飛 土砂降りの雨の中でずっとノックをやり続けただけなんですけど。大体、根性、魂、執念っていうチームなんですよ。甲子園から32年も遠ざかっていて、「じゃあ甲子園を知ってるのは誰だ」みたいな話になって。OBの外部コーチが2人いるんですけど、その方が32年前のエースと1学年下の方で。当時「雨中ノック」をやっていたみたいで。それをみんな楽しそうにやっているなと思ったら、キャプテンからグラブを渡されて、僕も一緒に飛び込んだみたいな。「そういうことじゃないんだよ」って言いましたけど(笑い)。何がなんでも甲子園行かんといけないと思って。
古財 そこで精神的な部分が鍛えられたんですね。
石飛 鍛えられますかね(笑い)。ただ、彼らは甲子園でそういうのが「ここ一番のスクイズに生きました」とか言ってるので。「よかった、昭和Dayやっといて」って(笑い)。
大坂 結構選手との距離は近い方ですよね。
石飛 近いと思います。でも甲子園に行かれるような監督さんはそういう関係性ではないと思うんで。普通は監督は泥水に飛び込まないので(笑い)。
大坂 岡田監督はそういうご経験ありますか?
岡田 生徒らにうさぎ跳びとか手押し車とかおんぶとか、僕らのやっていた時の練習の「1日体験会をやってみるか」って言ったら「いや、それはいいです」って言われましてね(笑い)。だから一番僕が困ったのは、高校の時に自分で考えて何かに取り組むことは一切学習したことがなくて、これが今思えば一番伸びなかった大きな原因かなと思って。自分で考えてさせることがすごく大事っていうのに気づいて、それは大切にしていますね。
古財 履正社でも主体性を重要視されていたのですか?
岡田 19年の春に星稜の奥川君(現ヤクルト)に17個三振取られて完敗して。春は3安打で0点、その後の定期戦では4安打で1点取ったんですね。春と定期戦の経験をもとに「どうやって打てるかいうのを考えて、毎日の打撃ケージに入る、毎日のシート打撃に入りなさい」という話はしたんですよ。そのために「あれしろ、この球打て」っていうことは一切言わなかったんですよ。それで夏は11安打してるんですね。そういう積み重ねが大事かなと思って。この間は1年生の子に休憩してる時に「次ご飯の後何時から練習?」って聞いたら黙るんですよ。「じゃあどうやって動き出そうとしてたんや」と聞いたら「周りが動いたら動こうと思ってました」って。それはもう根本的に考え方間違ってるわって。そういう子が今多くて。あいさつも周りがしたらしようかとか。
古財 石飛監督は選手たちの主体性の部分で何か感じる部分はありますか?
石飛 よく主体性があるって言われるんですけど、実際甲子園で僕がサイン出してないところで勝手に走ったり、僕も予期せぬことが起きたりとか。主体性を育んだつもりはないんですけど。僕も今5年目なんですけど、最初は厳しかったので、本当1から10まで全部言ってしまったりとか、僕が理想とする強度、雰囲気とか到達点に必ず毎日いかそうとしてて、いかなかったらしっくりこないし、それが指導者としてダメだと思って。22年夏に初戦で負けた時は、理想に近づけるのはもうちょっと無理だなと感じまして…。
古財 どんな感じで指導方針が変わったんですか?
石飛 最初は妥協から入ったんです。「もう言わんとこ。怒らんとこ。ちょっと1時間待ってみよう」みたいな。我慢の1年間を過ごして、妥協してたチームが3年生10人の時で、23年の春の県大会で優勝しちゃって。じゃあちょっと妥協しすぎんようにしようと思って、次の代はちょっとプラスっていうか、そういうのを積み重ねていったから去年の夏のベスト8につながったのかなって。まだよくわからないんですけど。
岡田 僕はよく子どもらに「やってる感あるか?」って聞くんですよ。「やらされてる感でやってても、うまくならんで」って。大社さんは「やってる感」が生まれている、そういう雰囲気で野球されてたんじゃないかな。「もう先生ゆっくりしといてください」みたいになればもうそれは究極。それぐらいの主体性を持ってやれたら、むちゃくちゃ強いチームになると思いますね。なかなか難しいですけどね(笑い)。
■甲子園行くぞ!
古財 最後に25年の目標を教えてください!
石飛 甲子園で2勝が107年ぶりで、ベスト8が93年ぶりで。この「何年ぶり」っていうのをもうやめたいですね(笑い)。去年のチームがベスト8なので、生徒たちは「次はベスト4」と言ってましたけど。ただ目的地が果てしなさすぎるので、ちょっと地に足つけて。大社にとっては125年目ですけど、この子らにとっては大事な1年なんで。「来年も」とかじゃなくて「このチームで何がなんでも甲子園行くぞ!」というふうな話はしました。
岡田 夏は11年から出てませんし、甲子園ではもう13年勝ってないので。まずセンバツに選んでいただいたら、なんとか甲子園で母校の校歌を歌えたらなと。今まで春夏で20回の出場はありますけども、これだけ間が空いたらリセットされて、初出場みたいな状況になってるので。何とかまた僕らの時代のようなレベルが安定して続けられるようなチーム、サイクルを作って、常勝軍団を目指したい。それのまず第1歩にしたいと思っています。
📝石川の高校野球をリードした名将3人が座談会
https://news.yahoo.co.jp/articles/9dc2ee59ce981a68c7a67c1b940c2ae0b2bc3ae5
長年、石川県の高校野球をリードしてきた3人の名将がステージに上がり当時の思い、そして未来を語り合うイベントが19日に開かれました。
かほく市で開かれたプレミアム座談会「明日への架け橋」に登壇したのは、元星稜監督の山下智茂さん、元遊学館監督の山本雅弘さん、元金沢、元鵬学園監督の浅井純哉さんの3人です。
甲子園出場をかけ、ライバルとして戦ってきた名将たちが、ステージの上で当時の思いを語りました。甲子園出場25回の星稜・山下さんも正直な気持ちを告白します。そして3人は、野球人口の減少に直面する今の指導者に向けて「野球が楽しめる環境を作ってほしい」とアドバイスを送りました。
📝青森山田・橋場前主将 県高野連から表彰「この上ない経験を積めた1年」
https://news.yahoo.co.jp/articles/1fa9e1ce1b8ab4b9ef3240e39c11ad7d333d61ce
2024年、夏の甲子園でキャプテンとして活躍した青森山田の橋場公祐さんが青森県高野連から表彰を受けました。
表彰式では県高野連の津島節会長から青森山田高校の橋場公祐さんに賞状が手渡されました。
県高野連は毎年、優秀な成績を残した選手1人を選出しています。橋場さんは2024年の夏の甲子園で、青森山田高校のキャプテンとして創部初のベスト4に導いたことや、学業成績などが評価されました。
【青森山田高校 橋場公祐前主将】「春のセンバツでは選手宣誓させてもらって、夏はベスト4、国スポでは旗手も務めさせていただいて、この上ない経験を積ませてもらった1年間だと思います」
青森山田は橋場さんに続き、後輩の活躍にも期待がかかっています。
24日に春のセンバツの出場校が決まります。東北地区の出場枠は3枠です。青森山田は秋の東北大会で準優勝していますから、3季連続の甲子園出場が濃厚となっています。
センバツ出場校は24日の午後3時半ごろから発表されます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e30ab2b4440688c3bb9e38db5775ae47594e1694
履正社(大阪)の前監督で、母校・東洋大姫路(兵庫)を率いて3年目で秋季近畿大会を17年ぶりに制した岡田龍生監督(63)と昨夏の甲子園で旋風を巻き起こした大社・石飛文太監督(43)の対談が実現した。「古豪復活へと導いた指導論」をテーマに、取材を通じて高校野球に携わる朝日新聞社・大坂尚子記者と日刊スポーツ新聞社・古財稜明記者との4人で熱く語り合った。
■まずは体作りから
古財 10月に練習試合をされたと聞きしました。
岡田 ちょうど私が東洋大に行った時に、石飛監督が馬庭君を連れてこられてて、その時に練習試合の話になりましてね。
石飛 東洋大姫路さんは「もう夏前じゃないか」って仕上がりで。プレーの考え、意図を選手が理解しているのがすごく伝わってきて。公式戦のつもりで勝ちにいきましたけど、3-6で負けました(笑い)。
大坂 夏は「大社旋風」で盛り上がりましたね。
岡田 ちょうど1回戦が兵庫の報徳学園だったもんですから。記者の人に聞いても、大社さんの評価も非常に高くて「わかりませんよ」って話やったんで。左の馬庭君が安定しているのと、足の速い選手が数人いると聞いていたので、楽しみにしていました。
大坂 特に3回戦の早実戦が話題となりましたね。
岡田 お互いの攻撃側、守備側がいろいろ駆使して。和泉監督もイチかバチかの策で内野5人シフトを取られて。あの場面でどういう指示を出されてたんかなと。ちょうど明治神宮大会の横浜戦でもそういう場面もあったもんですから。
古財 早実戦ではバント対策で左翼手がマウンドの三塁側付近にいましたね。
石飛 めちゃくちゃ近かったですね。あの時は左翼手の位置に気づくのが遅れて。そもそも左翼手がいなければ打たせようと思ってたので。イチかバチかの策にうちが策で返すのは違うかなって。結果的に策にハマりましたけど(笑い)。
古財 去年の春から低反発バットが導入されました。明治神宮大会では相手の監督が「東洋大姫路の長打力が頭一つ抜けている」と驚いていました。
岡田 春なんか特にほんと飛ばないなっていう印象が強くて。センバツでほとんどの監督さんが「低く強い打球」と言われていて。僕も確かにそうは思うんですけど、木のバットだったら外野の頭越さないんかって言ったら、そんなこともないんですね。ある人は言うんですよ。「大学生が低反発使って打っても、きちんと打つ」と。履正社ではほとんどの子は木で打撃練習をしてたので、僕は飛ばないっていう印象はあんまりなかったです。“折れなくなった木”っていうイメージしかなくて。きちんと打てば外野の頭も越すって感覚だったんですよ。
大坂 東洋大姫路でも同じような感覚ですか?
岡田 就任した時の体力的なレベルの差がかなりあったんですよ。平均体重も履正社と東洋大姫路やったら10キロも差があって。筋肉量の10キロってすごい差なんですよね。スイングスピードも15~20キロの差もありましたから。これは飛ばんなと。だからまずは体作りから入っていきましたね。
古財 大社は夏の島根大会では6試合で29盗塁と16犠打でした。低反発バットの影響はありましたか?
石飛 結局自分のポテンシャルに頼って、フライで外野に取られることが結構あったので、「低い打球」っていうのはずっと言い続けてました。攻撃でも自滅をしないことをテーマに掲げて。そういう意味ではバントにこだわったわけじゃないですけど、だいぶこだわってますよね(笑い)。
大坂 バントといえば早実戦で「できるやつ手上げろ」って言って、手を挙げたのが安松選手。試合中にベンチでそういう話し合いは結構されるんですか?
石飛 しますね。練習試合の時でも「ここでどうするかな」っていう時に聞いたり、僕がわからない時もあって。選手がどう考えているのかを練習、練習試合から探って、その時にいろんなアプローチかけていくんですけど。「行け」「行くぞ」「頼む」「どうする?」みたいな。その時は「どうする?」が良かったのかなみたいな感じでした。
大坂 それは選手の性格に合わせて言葉の使い方を変えているのですか?
石飛 「よっしゃ行け!」って言ったら、大体打てないので。采配とか、技術指導ができないので、できるとしたら人を見るところかなって。それでちょっとやってみたらうまくいくことが多くなったんで、「じゃあもうこれで行こう」って感じになりましたね。
■1対1で話する
古財 岡田監督は選手とのコミュニケーションは普段どうされてますか?
岡田 できるだけ取るようにしてますね。僕は選手を全員集めてミーティングする時も99%は聞いてないと思っています。だからその時は連絡事項ぐらいで。1対1で話をする方がこちらの意図も伝わるし、相手の話も聞けるので、そういう時間をつくることはここ10年くらい、履正社の時からそうでしたね。それが19年の夏に優勝できた1つの要因とちゃうかなと。先ほど石飛監督が言われてたのは、すごく今参考になりました。「頼むぞ」っていう言葉をかけた方がいい子もおれば、逆にすごく責任感が大きくなりすぎて力む場合もあるし。今の子どもらにはすごくマッチした指導かなと思いますね。
■土砂降りノック
古財 大社は「昭和Day」という練習を取り入れてましたね。
石飛 土砂降りの雨の中でずっとノックをやり続けただけなんですけど。大体、根性、魂、執念っていうチームなんですよ。甲子園から32年も遠ざかっていて、「じゃあ甲子園を知ってるのは誰だ」みたいな話になって。OBの外部コーチが2人いるんですけど、その方が32年前のエースと1学年下の方で。当時「雨中ノック」をやっていたみたいで。それをみんな楽しそうにやっているなと思ったら、キャプテンからグラブを渡されて、僕も一緒に飛び込んだみたいな。「そういうことじゃないんだよ」って言いましたけど(笑い)。何がなんでも甲子園行かんといけないと思って。
古財 そこで精神的な部分が鍛えられたんですね。
石飛 鍛えられますかね(笑い)。ただ、彼らは甲子園でそういうのが「ここ一番のスクイズに生きました」とか言ってるので。「よかった、昭和Dayやっといて」って(笑い)。
大坂 結構選手との距離は近い方ですよね。
石飛 近いと思います。でも甲子園に行かれるような監督さんはそういう関係性ではないと思うんで。普通は監督は泥水に飛び込まないので(笑い)。
大坂 岡田監督はそういうご経験ありますか?
岡田 生徒らにうさぎ跳びとか手押し車とかおんぶとか、僕らのやっていた時の練習の「1日体験会をやってみるか」って言ったら「いや、それはいいです」って言われましてね(笑い)。だから一番僕が困ったのは、高校の時に自分で考えて何かに取り組むことは一切学習したことがなくて、これが今思えば一番伸びなかった大きな原因かなと思って。自分で考えてさせることがすごく大事っていうのに気づいて、それは大切にしていますね。
古財 履正社でも主体性を重要視されていたのですか?
岡田 19年の春に星稜の奥川君(現ヤクルト)に17個三振取られて完敗して。春は3安打で0点、その後の定期戦では4安打で1点取ったんですね。春と定期戦の経験をもとに「どうやって打てるかいうのを考えて、毎日の打撃ケージに入る、毎日のシート打撃に入りなさい」という話はしたんですよ。そのために「あれしろ、この球打て」っていうことは一切言わなかったんですよ。それで夏は11安打してるんですね。そういう積み重ねが大事かなと思って。この間は1年生の子に休憩してる時に「次ご飯の後何時から練習?」って聞いたら黙るんですよ。「じゃあどうやって動き出そうとしてたんや」と聞いたら「周りが動いたら動こうと思ってました」って。それはもう根本的に考え方間違ってるわって。そういう子が今多くて。あいさつも周りがしたらしようかとか。
古財 石飛監督は選手たちの主体性の部分で何か感じる部分はありますか?
石飛 よく主体性があるって言われるんですけど、実際甲子園で僕がサイン出してないところで勝手に走ったり、僕も予期せぬことが起きたりとか。主体性を育んだつもりはないんですけど。僕も今5年目なんですけど、最初は厳しかったので、本当1から10まで全部言ってしまったりとか、僕が理想とする強度、雰囲気とか到達点に必ず毎日いかそうとしてて、いかなかったらしっくりこないし、それが指導者としてダメだと思って。22年夏に初戦で負けた時は、理想に近づけるのはもうちょっと無理だなと感じまして…。
古財 どんな感じで指導方針が変わったんですか?
石飛 最初は妥協から入ったんです。「もう言わんとこ。怒らんとこ。ちょっと1時間待ってみよう」みたいな。我慢の1年間を過ごして、妥協してたチームが3年生10人の時で、23年の春の県大会で優勝しちゃって。じゃあちょっと妥協しすぎんようにしようと思って、次の代はちょっとプラスっていうか、そういうのを積み重ねていったから去年の夏のベスト8につながったのかなって。まだよくわからないんですけど。
岡田 僕はよく子どもらに「やってる感あるか?」って聞くんですよ。「やらされてる感でやってても、うまくならんで」って。大社さんは「やってる感」が生まれている、そういう雰囲気で野球されてたんじゃないかな。「もう先生ゆっくりしといてください」みたいになればもうそれは究極。それぐらいの主体性を持ってやれたら、むちゃくちゃ強いチームになると思いますね。なかなか難しいですけどね(笑い)。
■甲子園行くぞ!
古財 最後に25年の目標を教えてください!
石飛 甲子園で2勝が107年ぶりで、ベスト8が93年ぶりで。この「何年ぶり」っていうのをもうやめたいですね(笑い)。去年のチームがベスト8なので、生徒たちは「次はベスト4」と言ってましたけど。ただ目的地が果てしなさすぎるので、ちょっと地に足つけて。大社にとっては125年目ですけど、この子らにとっては大事な1年なんで。「来年も」とかじゃなくて「このチームで何がなんでも甲子園行くぞ!」というふうな話はしました。
岡田 夏は11年から出てませんし、甲子園ではもう13年勝ってないので。まずセンバツに選んでいただいたら、なんとか甲子園で母校の校歌を歌えたらなと。今まで春夏で20回の出場はありますけども、これだけ間が空いたらリセットされて、初出場みたいな状況になってるので。何とかまた僕らの時代のようなレベルが安定して続けられるようなチーム、サイクルを作って、常勝軍団を目指したい。それのまず第1歩にしたいと思っています。
📝石川の高校野球をリードした名将3人が座談会
https://news.yahoo.co.jp/articles/9dc2ee59ce981a68c7a67c1b940c2ae0b2bc3ae5
長年、石川県の高校野球をリードしてきた3人の名将がステージに上がり当時の思い、そして未来を語り合うイベントが19日に開かれました。
かほく市で開かれたプレミアム座談会「明日への架け橋」に登壇したのは、元星稜監督の山下智茂さん、元遊学館監督の山本雅弘さん、元金沢、元鵬学園監督の浅井純哉さんの3人です。
甲子園出場をかけ、ライバルとして戦ってきた名将たちが、ステージの上で当時の思いを語りました。甲子園出場25回の星稜・山下さんも正直な気持ちを告白します。そして3人は、野球人口の減少に直面する今の指導者に向けて「野球が楽しめる環境を作ってほしい」とアドバイスを送りました。
📝青森山田・橋場前主将 県高野連から表彰「この上ない経験を積めた1年」
https://news.yahoo.co.jp/articles/1fa9e1ce1b8ab4b9ef3240e39c11ad7d333d61ce
2024年、夏の甲子園でキャプテンとして活躍した青森山田の橋場公祐さんが青森県高野連から表彰を受けました。
表彰式では県高野連の津島節会長から青森山田高校の橋場公祐さんに賞状が手渡されました。
県高野連は毎年、優秀な成績を残した選手1人を選出しています。橋場さんは2024年の夏の甲子園で、青森山田高校のキャプテンとして創部初のベスト4に導いたことや、学業成績などが評価されました。
【青森山田高校 橋場公祐前主将】「春のセンバツでは選手宣誓させてもらって、夏はベスト4、国スポでは旗手も務めさせていただいて、この上ない経験を積ませてもらった1年間だと思います」
青森山田は橋場さんに続き、後輩の活躍にも期待がかかっています。
24日に春のセンバツの出場校が決まります。東北地区の出場枠は3枠です。青森山田は秋の東北大会で準優勝していますから、3季連続の甲子園出場が濃厚となっています。
センバツ出場校は24日の午後3時半ごろから発表されます。
☝【西武】近江時代に甲子園わかせた3年目右腕「150キロ普通に出したい」平良にフォーム近づいた
https://news.yahoo.co.jp/articles/81db1ba3ee582fb2c8c57d3b440429790cceec9c
近江(滋賀)時代に甲子園をわかせた西武3年目右腕の山田陽翔投手(20)が、平良に同行し汗を流している。「背が高くない分、並進運動などで速さを出せるように」と師のメカニズムを取り入れながら、フォームも平良に少し近づいた。
「150キロは普通に出したいと思います」とし「まずは1軍登板してしっかり定着できるように」と目標を掲げた。
💢高校野球「7イニング制導入」なら“公立の星”は有利に!? 過去の試合を分析すると見えてくる“負の側面”とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/491a0069bfd23b1cc01e855c76363f71a341392b
1月10日、日本高野連が「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議」を開き、7イニング制への移行の可否を検討する議論をスタートさせた。近年はタイブレーク制、投球数制限、申告敬遠、継続試合、低反発バット、夏の甲子園の2部制と新制度が矢継ぎ早に導入され、DH制導入も検討されている。
「2部制導入」で思わず首を傾げる場面も
だが、これらの新制度は、必ずしも良い面ばかりとは限らないのも事実。昨夏の甲子園大会決勝、京都国際対関東第一は、2006年夏の決勝、早稲田実対駒大苫小牧(延長15回引き分け)のような名勝負になり得たかもしれない試合を延長10回タイブレークで強制終了させた感があった。私見だが、地方大会と甲子園の決勝は、やはりタイブレークなしが望ましい。
また、昨秋の九州大会準々決勝、沖縄尚学対鹿児島実は、雨天で7回以降試合続行が困難な状況だったにもかかわらず、8回に沖縄尚学が決定的な3点目を挙げるまで強行されたことから、「第2試合が行われる午後に雨が強くなるとわかっているのに、継続試合ありきで始めるのはどうなのか」の疑問も呈された。
そして、7イニング制についても、現場の監督や識者、ファンの間で「野球の根本を覆すもの」「9イニングでは3打席回ってくるのに、7イニングでは2回しか打席が回ってこないこともある」など、異を唱える声が高まっている。
7イニング制を導入する理由は「球児たちの健康を守るため」とされている。2イニング短縮されることによって、確かに選手たちの疲労は軽減されるだろうが、イニングが短くなる分、控え選手の出場機会も少なくなる。
また、エース級を複数揃え、継投も可能な私立強豪に対し、選手層の厚くない文武両道の公立校が逃げ切り勝ちできる可能性も高まると予想される。言い換えれば、これらのチームは、8、9回の2イニングで、“絶対エース”がスタミナ切れしてしまうことがネックだった。
7イニング制なら勝っていたはずのチーム
過去の試合を振り返ってみると、21世紀枠導入以前では、1984年の選抜に出場した大阪きっての進学校・三国丘が思い出される。
前年秋の近畿大会で2回戦敗退(16強)ながら、「大阪大会決勝でPL学園に善戦(0対1)した」「エース・松田光広は、大阪ではPL・桑田真澄に次ぐ好投手」などの理由から、近畿大会4強の近大付を逆転する形で選ばれた三国丘は、1回戦で日大三島と対戦。3対3の6回に本盗とスクイズで2点を勝ち越した。
だが、勝利まであと1イニングの9回、利き腕の右肘に死球を受けながらも8回まで146球を投げ抜いた松田が疲労から握力を失い、3連打と押し出し四球で1点差。直後、リリーフした一塁手が1死から右越えに逆転サヨナラタイムリーを浴び、5対6で敗れた。9回まで行われた試合を7回までで分断するのは、公正な比較ではないかもしれないが、7イニング制なら、おそらく三国丘は勝利していたことだろう。
投手の消耗度が顕著になる夏の甲子園では、それ以上の大どんでん返しがあった。
1993年の2回戦、久慈商対徳島商は、久慈商打線が大会屈指の本格派・川上憲伸(元中日など)を打ち込み、7回までに大量7得点。エース・宇部秀人も変化球中心の打たせて取る投球で7回まで4安打無失点に抑えた。地方大会ならこの時点でコールドゲームになってもおかしくない展開だった。
ところが8回裏、「最後は疲れが出た」という宇部が変化球の切れが鈍くなったところを狙い打たれ、一挙7失点で同点。9回にも3長短打を許し、悪夢のサヨナラ負けを喫した。
この試合も7イニング制なら、結果的に8回のビッグイニングは起きず、初出場の久慈商が、甲子園初勝利を挙げていたことだろう。
“高野連好みのチーム”が有利になる感は否めない
そして、選抜の「21世紀枠校」にも、8回以降の“壁”に泣いたチームが存在する。2007年の都留は、強豪・今治西を相手に、エース・小林久貴が7回まで被安打3の1失点と好投。2対1とリードしたが、8回にエラーと連打で満塁のピンチを招くと、痛恨の逆転2点タイムリーを浴び、力尽きた。
2014年の海南は、6回まで池田を1対0とリード。7回に3安打を集中して3対0と突き放したかに見えた。だが、8回に集中打で2点を返され、9回にも内野のエラーで無死満塁とピンチを広げると、逆転サヨナラ2点タイムリーを許し、勝利目前から一転初戦敗退となった。
2019年の石岡一も、エース・岩本大地が甲子園の常連・盛岡大付を7回まで2安打無失点と好投。1対0の9回にも3連打で貴重な1点を加えたが、勝利まであと1人となった9回2死一塁から連続長短打で同点。延長11回にエラーで2対3とサヨナラ負けした。
このほかにも、2021年の具志川商(福岡大大濠戦)や昨年の田辺(星稜戦)のように7回終了時点で同点だったのに、8回以降に勝ち越し点を奪われて敗れたチームもあり、野球は8、9回をどう戦うかで勝負が決まる例がいかに多いかを改めて痛感させられる。
7イニング制になることで、21世紀枠校や“公立の星”といった“高野連好みのチーム”が有利になる感は否めないし、過去の選抜で2度達成された完全試合も、9人がアウト3つずつの打者27人から打者21人と中途半端になり、参考記録と変わりはない。
高野連では、今年12月までに7イニング制について対応策をまとめるとしているが、野球が異なるスポーツに変質してしまう可能性もある新制度を、たった1年で結論を出すのは早計と言わざるを得ない。継続審議になってもいいから、現場の指導者、球児たちの意向も十分に汲みながら、誰もが納得のいく対応を切に望みたい。
https://news.yahoo.co.jp/articles/81db1ba3ee582fb2c8c57d3b440429790cceec9c
近江(滋賀)時代に甲子園をわかせた西武3年目右腕の山田陽翔投手(20)が、平良に同行し汗を流している。「背が高くない分、並進運動などで速さを出せるように」と師のメカニズムを取り入れながら、フォームも平良に少し近づいた。
「150キロは普通に出したいと思います」とし「まずは1軍登板してしっかり定着できるように」と目標を掲げた。
💢高校野球「7イニング制導入」なら“公立の星”は有利に!? 過去の試合を分析すると見えてくる“負の側面”とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/491a0069bfd23b1cc01e855c76363f71a341392b
1月10日、日本高野連が「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議」を開き、7イニング制への移行の可否を検討する議論をスタートさせた。近年はタイブレーク制、投球数制限、申告敬遠、継続試合、低反発バット、夏の甲子園の2部制と新制度が矢継ぎ早に導入され、DH制導入も検討されている。
「2部制導入」で思わず首を傾げる場面も
だが、これらの新制度は、必ずしも良い面ばかりとは限らないのも事実。昨夏の甲子園大会決勝、京都国際対関東第一は、2006年夏の決勝、早稲田実対駒大苫小牧(延長15回引き分け)のような名勝負になり得たかもしれない試合を延長10回タイブレークで強制終了させた感があった。私見だが、地方大会と甲子園の決勝は、やはりタイブレークなしが望ましい。
また、昨秋の九州大会準々決勝、沖縄尚学対鹿児島実は、雨天で7回以降試合続行が困難な状況だったにもかかわらず、8回に沖縄尚学が決定的な3点目を挙げるまで強行されたことから、「第2試合が行われる午後に雨が強くなるとわかっているのに、継続試合ありきで始めるのはどうなのか」の疑問も呈された。
そして、7イニング制についても、現場の監督や識者、ファンの間で「野球の根本を覆すもの」「9イニングでは3打席回ってくるのに、7イニングでは2回しか打席が回ってこないこともある」など、異を唱える声が高まっている。
7イニング制を導入する理由は「球児たちの健康を守るため」とされている。2イニング短縮されることによって、確かに選手たちの疲労は軽減されるだろうが、イニングが短くなる分、控え選手の出場機会も少なくなる。
また、エース級を複数揃え、継投も可能な私立強豪に対し、選手層の厚くない文武両道の公立校が逃げ切り勝ちできる可能性も高まると予想される。言い換えれば、これらのチームは、8、9回の2イニングで、“絶対エース”がスタミナ切れしてしまうことがネックだった。
7イニング制なら勝っていたはずのチーム
過去の試合を振り返ってみると、21世紀枠導入以前では、1984年の選抜に出場した大阪きっての進学校・三国丘が思い出される。
前年秋の近畿大会で2回戦敗退(16強)ながら、「大阪大会決勝でPL学園に善戦(0対1)した」「エース・松田光広は、大阪ではPL・桑田真澄に次ぐ好投手」などの理由から、近畿大会4強の近大付を逆転する形で選ばれた三国丘は、1回戦で日大三島と対戦。3対3の6回に本盗とスクイズで2点を勝ち越した。
だが、勝利まであと1イニングの9回、利き腕の右肘に死球を受けながらも8回まで146球を投げ抜いた松田が疲労から握力を失い、3連打と押し出し四球で1点差。直後、リリーフした一塁手が1死から右越えに逆転サヨナラタイムリーを浴び、5対6で敗れた。9回まで行われた試合を7回までで分断するのは、公正な比較ではないかもしれないが、7イニング制なら、おそらく三国丘は勝利していたことだろう。
投手の消耗度が顕著になる夏の甲子園では、それ以上の大どんでん返しがあった。
1993年の2回戦、久慈商対徳島商は、久慈商打線が大会屈指の本格派・川上憲伸(元中日など)を打ち込み、7回までに大量7得点。エース・宇部秀人も変化球中心の打たせて取る投球で7回まで4安打無失点に抑えた。地方大会ならこの時点でコールドゲームになってもおかしくない展開だった。
ところが8回裏、「最後は疲れが出た」という宇部が変化球の切れが鈍くなったところを狙い打たれ、一挙7失点で同点。9回にも3長短打を許し、悪夢のサヨナラ負けを喫した。
この試合も7イニング制なら、結果的に8回のビッグイニングは起きず、初出場の久慈商が、甲子園初勝利を挙げていたことだろう。
“高野連好みのチーム”が有利になる感は否めない
そして、選抜の「21世紀枠校」にも、8回以降の“壁”に泣いたチームが存在する。2007年の都留は、強豪・今治西を相手に、エース・小林久貴が7回まで被安打3の1失点と好投。2対1とリードしたが、8回にエラーと連打で満塁のピンチを招くと、痛恨の逆転2点タイムリーを浴び、力尽きた。
2014年の海南は、6回まで池田を1対0とリード。7回に3安打を集中して3対0と突き放したかに見えた。だが、8回に集中打で2点を返され、9回にも内野のエラーで無死満塁とピンチを広げると、逆転サヨナラ2点タイムリーを許し、勝利目前から一転初戦敗退となった。
2019年の石岡一も、エース・岩本大地が甲子園の常連・盛岡大付を7回まで2安打無失点と好投。1対0の9回にも3連打で貴重な1点を加えたが、勝利まであと1人となった9回2死一塁から連続長短打で同点。延長11回にエラーで2対3とサヨナラ負けした。
このほかにも、2021年の具志川商(福岡大大濠戦)や昨年の田辺(星稜戦)のように7回終了時点で同点だったのに、8回以降に勝ち越し点を奪われて敗れたチームもあり、野球は8、9回をどう戦うかで勝負が決まる例がいかに多いかを改めて痛感させられる。
7イニング制になることで、21世紀枠校や“公立の星”といった“高野連好みのチーム”が有利になる感は否めないし、過去の選抜で2度達成された完全試合も、9人がアウト3つずつの打者27人から打者21人と中途半端になり、参考記録と変わりはない。
高野連では、今年12月までに7イニング制について対応策をまとめるとしているが、野球が異なるスポーツに変質してしまう可能性もある新制度を、たった1年で結論を出すのは早計と言わざるを得ない。継続審議になってもいいから、現場の指導者、球児たちの意向も十分に汲みながら、誰もが納得のいく対応を切に望みたい。
📝「戦争ってこんな状況だったのかな…」30年前、阪神大震災直後のセンバツ出場校監督が振り返る“あの時”「それでも…開催して良かったと思います」
https://news.yahoo.co.jp/articles/28c5c036f9fb6a4660c3d91c923a41bc2366f564?page=1
日大三島高野球部の永田裕治監督は、高校野球の監督となって昨年でちょうど30年になった。中京大を卒業後、大阪の桜宮高校でコーチとして指導し、母校でもある報徳学園でもコーチを4年間務めた。94年4月に監督となり、2002年のセンバツで優勝するなど甲子園では通算23勝を挙げた。その後、17年3月に報徳学園を退任し、20年4月から日大三島の監督に就任した。
日大三島に出向いて5度目の年末となった2024年暮れ。永田監督の姿は帰省先の地元・兵庫県西宮市にあった。
「12月に体調不良の子らが多く出て、今年の年末は早めに(年末年始の)休みに入ったんです。だから、年明けは少し早めに(三島に)戻りますけれどね」
年が明けた1月には、永田監督にとって忘れられない日がやってくる。
1月17日。阪神大震災から30年となるその日を、どのような思いで見つめているのか尋ねると、永田監督はこう言葉を発した。
「自分の指導者人生の原点になった大会でした。色んな意味でね」
センバツ大会出場の重要な参考資料となる前年の秋季大会は、永田監督が監督となって初めての公式戦采配だった。県大会では決勝戦で神港学園に敗れたものの2位で近畿大会に出場。8強まで勝ち進み、センバツ大会への望みを何とか繋いだ格好で終えていた。
「ものすごい揺れで、本棚が倒れ…」
1月17日。実は永田は名古屋に出張することになっていたが、体調不良のため直前にキャンセルし、自宅で就寝していた。そして早朝に激しい揺れに襲われた。
「風邪気味だったので、その日はいつもと違って家族と別の部屋で寝ていたんです。ものすごい揺れで自分の部屋では本棚が倒れました。私は大丈夫でしたけど、家族の部屋はタンスが子供らに倒れてきて……。観音開きの扉が開いて、扉がつっかえ棒のようになって子供らに覆いかぶさらずに済んだんです。もし扉が開いていなかったら命がなかったかもしれないですね」
とっさに飛び起き家族の安全を確認。その後、被害が西宮だけではなく、芦屋、そして神戸と広範囲に及んでいることが分かる。教え子の安否確認のため、気がつけば原付バイクに飛び乗っていた。
西宮市の自宅を出て、西に向け原付バイクを走らせた。夙川、芦屋川と川を越えるごとに景色が変わっていくのを目の端で感じた。倒壊した家屋や折れ曲がった街路樹が左右に続き、時にはがれきの合間を縫って走り抜ける。そしてぐにゃりと折れ曲がった阪神高速道路の高架の横を、無心で走っていた。こんなことがあるのか……。教え子の自宅の住所を頼りに、あちこち回ったが、もちろん1日で全員の安否確認は取れなかった。
「僕は戦争を知らないですけど、戦争当時はこんな状況だったのかなと思いました。倒れたり、屋根が押しつぶされたりしている家が並んでいて……神戸に近づくごとに、そういう景色が広がっていって」
報徳学園のグラウンドにも状況を見に行くと、いくつか亀裂が走っていた。
夕方になっても余震が続いていたため、幼い娘が自宅内で寝るのを怖がり、17日当日の夜は家族を車に乗せ、母校のグラウンドの真ん中に停めた。恐怖に怯えながら、車の中で一夜を明かした。
大変だったのは連絡手段だった。当時は携帯電話が普及しておらず、固定電話も回線が寸断され、公衆電話が頼みの綱だった。
「あの頃は公衆電話があれば前に人がものすごく並んでいました。10円玉をたくさん持って電話を掛けるんですけれど、すぐに時間が来て切れてしまうんですよ。電話の上に10円玉を重ねて置いてね。生徒らにどれだけ連絡できるのか、もう必死で」
最寄りの阪急線は、一部は運転していたが西宮北口から神戸方面は復旧の見込みは立たず。JRは大阪方面からは甲子園口駅までの運転に留められていた。神戸方面へ行くには代替バスを使って北側の三田市方面に迂回して移動するしかなかった。
「グラウンドには亀裂が走っていて…」
もちろん、地震後数週間は野球どころではなかった。監督になって初めての冬。当時、31歳だった永田は状況の推移を見守るしかなかった。
「ウチは近畿大会では準々決勝で負けたので、そもそもセンバツに出場できるのか微妙だったんですよ。あの頃は練習時間も確保できなかったし、グラウンドには亀裂が走っていてまともな練習もできなかったですからね。それでもしばらくしてから少しずつ練習できるようになって、彼らがボールを握りしめてキャッチボールをした時の顔が忘れられないですね」
ただ、センバツ開催が決まった2月21日の時点で練習はほとんど出来ていなかった。
「周囲の話を聞く限りでは(共に出場していた)神港学園や育英に比べて、ウチは明らかに遅れていました。でも組み合わせ抽選で決まった日程は6日目の第1試合でした。1回戦最後の試合だったので、それはとてもありがたかったです」
当時は復興による大型車の交通手段を優先するため、チームはバス移動ではなく公共交通機関を利用することになっていた。大阪市内の宿舎に泊まる各校の選手たちが甲子園へ向けて電車移動する中、報徳学園ナインは学校から数キロ離れた甲子園口駅近くの宿舎で寝泊まりし、試合当日は自転車で甲子園球場に向かった。宿舎を出て甲子園口駅前の商店街を駆け抜けていると、近隣住民が何十人も商店街の両側で列になり「頑張ってね!」と声援を送ったという。
「あの声援は本当に嬉しかったです」と永田監督は感慨深げに振り返る。地元からの熱い応援を背に受け、チームは北海に4-3で勝ち、初戦を突破した。
「正直、育英や神港学園が初戦に勝っていたのでプレッシャーはありました」と永田監督は振り返るが、この1勝が永田監督にとって記念すべき甲子園1勝目となり、生涯忘れられない大会となった。
被災後の甲子園で感じた「平等に練習させる」大切さ
ただ、永田監督にとって、甲子園でのひとつひとつの場面よりも困難な中で必死に前を向き、白球に触れたありがたさを体現していた教え子たちの姿が最も忘れられないという。
「2月の……何日頃だったかは覚えていないんですけれど、グラウンドでボールを使った練習ができるようになった時、子供らが“野球って楽しい”っていう顔をしていたんです。野球がうまくても下手でもそれぞれの生徒に野球人生があると私は思っているので、全員、同じように平等に練習をさせてやることが一番だと。この時に強く感じたんです」
報徳学園は、有望な選手ばかりが厳選されて入学してくる訳ではなく、中には野球経験がほとんどなく、いわば初心者に近いスキルの子も入部を志してくることも多い。
「それでも甲子園に行きたくてウチを志して来てくれた子がほとんど。ウチは全員野球がモットーなので、全員に平等に練習をさせてあげたいと思いました。震災に遭った直後にそれを訴えるとそれは難しいと言われましたが、震災をきっかけに、という訳ではないですが、そういう子たちでも目標を持たせてやりたいなと。そう思ったのがあの春でした」
さらに震災で気づかされたこともあった。1月17日。地震直後に安否確認のため原付バイクに乗って移動したが、最初は原付バイクではなく車で出ようとしていた。だが、駐車場に段差ができ、片輪がはまって車が動けなくなっていた。1人では動かすことが不可能な大きな段差だった。途方に暮れていると、近所に住む数人の住民が一緒に車体を持ち上げて車を動かしてくれたのだ。
「あの時は本当にありがたかったです。それでも原付の方がいいと思って車は使わなかったんですけれど、火事場の馬鹿力というか、そういう底力を持っているんです。そういう力を引き出すのも我々指導者の仕事なのかなと思っていて」
子供の見えない力を引き出すことは難しい。それでも学校が変わった今も、報徳学園時代に大事にしてきた“全員野球”は変わらないモットーとして持ち続けている。令和の時代になり、指導方法や選手たちとの接し方のアップデートが問われる中、全員としっかり向き合い、平等に接する。その中で彼らの表情から何を読み取れるのかを大事にしている。ただ、子供の資質が変わっても、そのまま変えないでいたいこともある。
「今はネットが普及して、授業でもiPadを使うことが当たり前になってきました。今は連絡手段がいくらでもありますし、仮に学校を休むにしてもLINEで簡単に連絡ができますよね。それでも僕は、自分で必ず電話をしてくるようにと言っています。親や友達でなく、自分の声で伝えろと。昭和ですかね(苦笑)。古臭いと言われるかも知れないですけれど、生の声を聞きたい。指導方法は変えても、そこだけは変えたくないんです」
「あのセンバツ大会は開催して良かった」
それはあの時、必死に電話を通して生徒の声を確認していた自分の姿が、まさに“原点”となっているからだ。
「決断としては半々に分かれていたと思うんですよ。こんな状況でセンバツを開催しても大丈夫なんかって、あの場にいた者からすれば当然そう思いました。でも後々考えると、復興などのことも思えば、あのセンバツ大会は開催して良かったと思うんです」
未曾有の大災害から30年。今ではすっかりベテラン監督として名をはせるが、指導の根本的な部分は変えていないという。
「大事なところは大事にしていきたいですね。一番大事なのは昭和の部分かな。それでも選手の思いは大事にしたい。あの経験を根本にして考えるのは遠回りなのかなとも思いましたけれど、今思うと“近回り”だったと思っています」
そう言って、永田監督はふと笑みを浮かべた。
📝持丸修一 76歳名将の高校野球論
新庄監督の《育て方が違った》に覚える違和感の正体…上沢よ、雑音なんて気にするな!
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/366440
「ちょっと育て方が違ったのかな」ーー。
日本ハム新庄剛志監督の上沢直之(30)に関する発言が話題を呼んでいるようです。
私の教え子でもある上沢は、日本ハムから23年オフにポスティングシステムを利用してメジャー挑戦。レッドソックスなどでプレーし、今オフに古巣ではなくソフトバンクへの移籍が決まりました。たしかに、新庄監督の「悲しい」という気持ちも理解できる。ここまでバッサリ言い切ったコメントに溜飲を下げたファンもいたことでしょう。
しかし、私は堪らなく悔しい気持ちが込み上げてきた。どれだけ上沢が思い悩んでいたのかを知っていたからです。今オフ会った時、「日本ハムに戻りたい」とも聞いていました。
歯がゆさと同時に、「育て方を間違えた」という新庄監督の言葉にとても辛い感じの違和感を覚えました。いろいろと思うところはありますが、新庄監督と上沢が関わった2022年からの2年間を振り返ってみます。
監督就任時、新庄監督は「優勝を目指しません」と宣言し、1年目の開幕投手には、チームを成長させるための方針とはいえ、前年にチーム最多12勝を挙げた上沢ではなく、ルーキーを指名しました。もちろん、本人の出来不出来もあったのでしょうが……。
選手育成に照準を定め、日替わり打線や頻繁に守備位置シャッフル。得点数と失策数で負の側面が出てしまったようです。チームは最下位となり、上沢は8勝9敗で5年ぶりに負け越しました。私の勝手な想像ですが、当時の上沢は必要とはされていなかったのでしょうね。
翌23年の新庄監督は「優勝しか目指さない」と方向転換したものの、叶わず。この2年の間に、近藤健介選手は「もっと成長できる環境で勝負したかった」とソフトバンクに移籍しました。
プロ野球のことは専門外とはいえ、これだけを見れば、新庄監督の「育て方が違った」という表現は、身内だからか、なかなか理解できないのです。
また、今回の一件で日本ハムは上沢にどのようなオファーを出したのか分かりませんが、報道では、ソフトバンクの「4年10億円」に対し、「単年1億7000万円」です。どれだけ古巣への愛情があっても、失意のまま米挑戦を終え、しかも養うべき妻子がいる身であればソフトバンクを選ぶのは無理もないはずです。
上沢は優男なルックスに反して、負けん気が強い男です。高校時代はどれだけ打ち込まれても音を上げず、自分からマウンドを降りようとすることはなかった。私はアドバイスなどできる立場ではありませんが、応援団のひとりとして、彼の決断を心から支持してエールを送りたい。
新天地で結果を出して、とにもかくにも勝つことでネガティブな声を吹き飛ばしてほしい。雑音や批判なんて気にするな!
💢《「学校には報告できない」と…》イジメ発覚の強豪・千葉学芸高校野球部の元コーチが実名告発「監督は不祥事を隠蔽した」https://news.yahoo.co.jp/articles/38fbdeb642a06cca243e1143decaafa7ad039fc5
2023年12月、 部内のイジメ問題で日本学生野球協会から3カ月間の対外試合禁止処分を受けた千葉学芸高校野球部 。2000年の創立以降、いまや県内有数の強豪校となり、昨年のドラフト会議では菊地ハルン投手が広島東洋カープから5位指名を受けたことが話題となった。だが今回、昨年7月からコーチを務めた男性が実名告発。イジメ問題以降も野球部や学校の問題体質は変わっていないことを明かした――。
男性は、辻井満氏(61)。同校野球部の寮監兼コーチだった人物だ。1981年に春のセンバツで準優勝した後、専修大学や社会人野球の名門・東芝府中で活躍。1999年には週末コーチを務めた千葉県立柏陵高校が春夏と連続で甲子園に出場したほか、2010年から2017年にかけては日本橋学館大学で野球部監督を務めた。
辻井氏がとくに問題視するのは、千葉学芸高校野球部の“隠蔽体質”だ。昨年8月に起きたある不祥事について、こう振り返る。
「高倉伸介監督は、監督室で私ともう1人のコーチを前に、この件を学校に伏せようと言い出したんです。監督は一昨年のイジメ問題で減給処分を受けていることもあり、『学校には報告できない』と発言したのを覚えています」
昨年11月、この不祥事を報告しなかったことを理由の1つとして解雇されたという辻井氏。一方、千葉学芸高校野球部は「辻井氏の解雇理由は別にある。監督による口止めなどは一切ありませんでした」と主張するのだ。
📝智弁学園の前主将ら13選手 奈良県高野連が表彰 制服姿で成長誓う
https://news.yahoo.co.jp/articles/fbc4adfeaafe7747c32ae5e15306027ce5cbac69
奈良県高校野球連盟は17日、2024年度の日本学生野球協会の表彰選手に選ばれた智弁学園の知花琉綺亜さん(3年)と、県高野連の優秀選手12人を表彰した。
村井博樹会長は「選ばれたことを誇りに思って、次のステージで活躍してほしい」と述べ、選手一人ひとりに表彰盾を手渡した。
知花さんが主将として率いた智弁学園は、昨夏の全国高校野球選手権大会でベスト8まで進んだ。知花さんは「きつい練習、チームをまとめる上での悩み、いろいろあったけれど、多くの人に応援してもらって甲子園で野球ができて一生の思い出です」と振り返った。
「甲子園は緊張感も応援も全然違う場所なので、高校野球をやるからには目指してほしい」と後輩たちへの思いを語った。知花さんは進学予定の大学でも野球を続けるという。「(大学野球で使う)木製バットは芯に当てるのが難しい。レギュラーになれるように頑張りたい」と意気込んだ。
県高野連の優秀選手は次のみなさん。(敬称略)
【硬式】青木将太(王寺工)▽上東慧(五條)▽古賀誠太(郡山)▽仲井颯太(高田商)▽西林咲翔(橿原学院)▽松本大和(天理)▽三井梁聖(西和清陵)▽宮本空(奈良北)▽村井玲司(奈良大付)▽村上和樹(高取国際)▽和佐玲雄翔(奈良商工)
【軟式】石井開(天理)(佐藤道隆)
📝優秀選手2人 府高野連が表彰 京都国際と山城も
https://news.yahoo.co.jp/articles/7332bf90332f8c821dd28f60e1d38ee384147914
京都府高校野球連盟は17日、京都市下京区で総会を開いた。2024年度の優秀選手2人と、昨夏の全国高校野球選手権大会で優勝した京都国際、今春の選抜大会で近畿地区の21世紀枠候補校に選ばれた山城を表彰した。
優秀選手には、京都国際のエースとして優勝に貢献した中崎琉生さん(3年)、昨春の選抜大会で先発登板した京都外大西の田中遥音さん(同)が選ばれた。
また、日本学生野球協会が都道府県から1人ずつ選ぶ優秀選手には、京都国際で主将を務めた藤本陽毅さん(同)が選ばれ、表彰状が贈られた。藤本さんは「大学では新たなスタートを切り、不動のレギュラーを目指したい」と抱負を述べた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/28c5c036f9fb6a4660c3d91c923a41bc2366f564?page=1
日大三島高野球部の永田裕治監督は、高校野球の監督となって昨年でちょうど30年になった。中京大を卒業後、大阪の桜宮高校でコーチとして指導し、母校でもある報徳学園でもコーチを4年間務めた。94年4月に監督となり、2002年のセンバツで優勝するなど甲子園では通算23勝を挙げた。その後、17年3月に報徳学園を退任し、20年4月から日大三島の監督に就任した。
日大三島に出向いて5度目の年末となった2024年暮れ。永田監督の姿は帰省先の地元・兵庫県西宮市にあった。
「12月に体調不良の子らが多く出て、今年の年末は早めに(年末年始の)休みに入ったんです。だから、年明けは少し早めに(三島に)戻りますけれどね」
年が明けた1月には、永田監督にとって忘れられない日がやってくる。
1月17日。阪神大震災から30年となるその日を、どのような思いで見つめているのか尋ねると、永田監督はこう言葉を発した。
「自分の指導者人生の原点になった大会でした。色んな意味でね」
センバツ大会出場の重要な参考資料となる前年の秋季大会は、永田監督が監督となって初めての公式戦采配だった。県大会では決勝戦で神港学園に敗れたものの2位で近畿大会に出場。8強まで勝ち進み、センバツ大会への望みを何とか繋いだ格好で終えていた。
「ものすごい揺れで、本棚が倒れ…」
1月17日。実は永田は名古屋に出張することになっていたが、体調不良のため直前にキャンセルし、自宅で就寝していた。そして早朝に激しい揺れに襲われた。
「風邪気味だったので、その日はいつもと違って家族と別の部屋で寝ていたんです。ものすごい揺れで自分の部屋では本棚が倒れました。私は大丈夫でしたけど、家族の部屋はタンスが子供らに倒れてきて……。観音開きの扉が開いて、扉がつっかえ棒のようになって子供らに覆いかぶさらずに済んだんです。もし扉が開いていなかったら命がなかったかもしれないですね」
とっさに飛び起き家族の安全を確認。その後、被害が西宮だけではなく、芦屋、そして神戸と広範囲に及んでいることが分かる。教え子の安否確認のため、気がつけば原付バイクに飛び乗っていた。
西宮市の自宅を出て、西に向け原付バイクを走らせた。夙川、芦屋川と川を越えるごとに景色が変わっていくのを目の端で感じた。倒壊した家屋や折れ曲がった街路樹が左右に続き、時にはがれきの合間を縫って走り抜ける。そしてぐにゃりと折れ曲がった阪神高速道路の高架の横を、無心で走っていた。こんなことがあるのか……。教え子の自宅の住所を頼りに、あちこち回ったが、もちろん1日で全員の安否確認は取れなかった。
「僕は戦争を知らないですけど、戦争当時はこんな状況だったのかなと思いました。倒れたり、屋根が押しつぶされたりしている家が並んでいて……神戸に近づくごとに、そういう景色が広がっていって」
報徳学園のグラウンドにも状況を見に行くと、いくつか亀裂が走っていた。
夕方になっても余震が続いていたため、幼い娘が自宅内で寝るのを怖がり、17日当日の夜は家族を車に乗せ、母校のグラウンドの真ん中に停めた。恐怖に怯えながら、車の中で一夜を明かした。
大変だったのは連絡手段だった。当時は携帯電話が普及しておらず、固定電話も回線が寸断され、公衆電話が頼みの綱だった。
「あの頃は公衆電話があれば前に人がものすごく並んでいました。10円玉をたくさん持って電話を掛けるんですけれど、すぐに時間が来て切れてしまうんですよ。電話の上に10円玉を重ねて置いてね。生徒らにどれだけ連絡できるのか、もう必死で」
最寄りの阪急線は、一部は運転していたが西宮北口から神戸方面は復旧の見込みは立たず。JRは大阪方面からは甲子園口駅までの運転に留められていた。神戸方面へ行くには代替バスを使って北側の三田市方面に迂回して移動するしかなかった。
「グラウンドには亀裂が走っていて…」
もちろん、地震後数週間は野球どころではなかった。監督になって初めての冬。当時、31歳だった永田は状況の推移を見守るしかなかった。
「ウチは近畿大会では準々決勝で負けたので、そもそもセンバツに出場できるのか微妙だったんですよ。あの頃は練習時間も確保できなかったし、グラウンドには亀裂が走っていてまともな練習もできなかったですからね。それでもしばらくしてから少しずつ練習できるようになって、彼らがボールを握りしめてキャッチボールをした時の顔が忘れられないですね」
ただ、センバツ開催が決まった2月21日の時点で練習はほとんど出来ていなかった。
「周囲の話を聞く限りでは(共に出場していた)神港学園や育英に比べて、ウチは明らかに遅れていました。でも組み合わせ抽選で決まった日程は6日目の第1試合でした。1回戦最後の試合だったので、それはとてもありがたかったです」
当時は復興による大型車の交通手段を優先するため、チームはバス移動ではなく公共交通機関を利用することになっていた。大阪市内の宿舎に泊まる各校の選手たちが甲子園へ向けて電車移動する中、報徳学園ナインは学校から数キロ離れた甲子園口駅近くの宿舎で寝泊まりし、試合当日は自転車で甲子園球場に向かった。宿舎を出て甲子園口駅前の商店街を駆け抜けていると、近隣住民が何十人も商店街の両側で列になり「頑張ってね!」と声援を送ったという。
「あの声援は本当に嬉しかったです」と永田監督は感慨深げに振り返る。地元からの熱い応援を背に受け、チームは北海に4-3で勝ち、初戦を突破した。
「正直、育英や神港学園が初戦に勝っていたのでプレッシャーはありました」と永田監督は振り返るが、この1勝が永田監督にとって記念すべき甲子園1勝目となり、生涯忘れられない大会となった。
被災後の甲子園で感じた「平等に練習させる」大切さ
ただ、永田監督にとって、甲子園でのひとつひとつの場面よりも困難な中で必死に前を向き、白球に触れたありがたさを体現していた教え子たちの姿が最も忘れられないという。
「2月の……何日頃だったかは覚えていないんですけれど、グラウンドでボールを使った練習ができるようになった時、子供らが“野球って楽しい”っていう顔をしていたんです。野球がうまくても下手でもそれぞれの生徒に野球人生があると私は思っているので、全員、同じように平等に練習をさせてやることが一番だと。この時に強く感じたんです」
報徳学園は、有望な選手ばかりが厳選されて入学してくる訳ではなく、中には野球経験がほとんどなく、いわば初心者に近いスキルの子も入部を志してくることも多い。
「それでも甲子園に行きたくてウチを志して来てくれた子がほとんど。ウチは全員野球がモットーなので、全員に平等に練習をさせてあげたいと思いました。震災に遭った直後にそれを訴えるとそれは難しいと言われましたが、震災をきっかけに、という訳ではないですが、そういう子たちでも目標を持たせてやりたいなと。そう思ったのがあの春でした」
さらに震災で気づかされたこともあった。1月17日。地震直後に安否確認のため原付バイクに乗って移動したが、最初は原付バイクではなく車で出ようとしていた。だが、駐車場に段差ができ、片輪がはまって車が動けなくなっていた。1人では動かすことが不可能な大きな段差だった。途方に暮れていると、近所に住む数人の住民が一緒に車体を持ち上げて車を動かしてくれたのだ。
「あの時は本当にありがたかったです。それでも原付の方がいいと思って車は使わなかったんですけれど、火事場の馬鹿力というか、そういう底力を持っているんです。そういう力を引き出すのも我々指導者の仕事なのかなと思っていて」
子供の見えない力を引き出すことは難しい。それでも学校が変わった今も、報徳学園時代に大事にしてきた“全員野球”は変わらないモットーとして持ち続けている。令和の時代になり、指導方法や選手たちとの接し方のアップデートが問われる中、全員としっかり向き合い、平等に接する。その中で彼らの表情から何を読み取れるのかを大事にしている。ただ、子供の資質が変わっても、そのまま変えないでいたいこともある。
「今はネットが普及して、授業でもiPadを使うことが当たり前になってきました。今は連絡手段がいくらでもありますし、仮に学校を休むにしてもLINEで簡単に連絡ができますよね。それでも僕は、自分で必ず電話をしてくるようにと言っています。親や友達でなく、自分の声で伝えろと。昭和ですかね(苦笑)。古臭いと言われるかも知れないですけれど、生の声を聞きたい。指導方法は変えても、そこだけは変えたくないんです」
「あのセンバツ大会は開催して良かった」
それはあの時、必死に電話を通して生徒の声を確認していた自分の姿が、まさに“原点”となっているからだ。
「決断としては半々に分かれていたと思うんですよ。こんな状況でセンバツを開催しても大丈夫なんかって、あの場にいた者からすれば当然そう思いました。でも後々考えると、復興などのことも思えば、あのセンバツ大会は開催して良かったと思うんです」
未曾有の大災害から30年。今ではすっかりベテラン監督として名をはせるが、指導の根本的な部分は変えていないという。
「大事なところは大事にしていきたいですね。一番大事なのは昭和の部分かな。それでも選手の思いは大事にしたい。あの経験を根本にして考えるのは遠回りなのかなとも思いましたけれど、今思うと“近回り”だったと思っています」
そう言って、永田監督はふと笑みを浮かべた。
📝持丸修一 76歳名将の高校野球論
新庄監督の《育て方が違った》に覚える違和感の正体…上沢よ、雑音なんて気にするな!
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/366440
「ちょっと育て方が違ったのかな」ーー。
日本ハム新庄剛志監督の上沢直之(30)に関する発言が話題を呼んでいるようです。
私の教え子でもある上沢は、日本ハムから23年オフにポスティングシステムを利用してメジャー挑戦。レッドソックスなどでプレーし、今オフに古巣ではなくソフトバンクへの移籍が決まりました。たしかに、新庄監督の「悲しい」という気持ちも理解できる。ここまでバッサリ言い切ったコメントに溜飲を下げたファンもいたことでしょう。
しかし、私は堪らなく悔しい気持ちが込み上げてきた。どれだけ上沢が思い悩んでいたのかを知っていたからです。今オフ会った時、「日本ハムに戻りたい」とも聞いていました。
歯がゆさと同時に、「育て方を間違えた」という新庄監督の言葉にとても辛い感じの違和感を覚えました。いろいろと思うところはありますが、新庄監督と上沢が関わった2022年からの2年間を振り返ってみます。
監督就任時、新庄監督は「優勝を目指しません」と宣言し、1年目の開幕投手には、チームを成長させるための方針とはいえ、前年にチーム最多12勝を挙げた上沢ではなく、ルーキーを指名しました。もちろん、本人の出来不出来もあったのでしょうが……。
選手育成に照準を定め、日替わり打線や頻繁に守備位置シャッフル。得点数と失策数で負の側面が出てしまったようです。チームは最下位となり、上沢は8勝9敗で5年ぶりに負け越しました。私の勝手な想像ですが、当時の上沢は必要とはされていなかったのでしょうね。
翌23年の新庄監督は「優勝しか目指さない」と方向転換したものの、叶わず。この2年の間に、近藤健介選手は「もっと成長できる環境で勝負したかった」とソフトバンクに移籍しました。
プロ野球のことは専門外とはいえ、これだけを見れば、新庄監督の「育て方が違った」という表現は、身内だからか、なかなか理解できないのです。
また、今回の一件で日本ハムは上沢にどのようなオファーを出したのか分かりませんが、報道では、ソフトバンクの「4年10億円」に対し、「単年1億7000万円」です。どれだけ古巣への愛情があっても、失意のまま米挑戦を終え、しかも養うべき妻子がいる身であればソフトバンクを選ぶのは無理もないはずです。
上沢は優男なルックスに反して、負けん気が強い男です。高校時代はどれだけ打ち込まれても音を上げず、自分からマウンドを降りようとすることはなかった。私はアドバイスなどできる立場ではありませんが、応援団のひとりとして、彼の決断を心から支持してエールを送りたい。
新天地で結果を出して、とにもかくにも勝つことでネガティブな声を吹き飛ばしてほしい。雑音や批判なんて気にするな!
💢《「学校には報告できない」と…》イジメ発覚の強豪・千葉学芸高校野球部の元コーチが実名告発「監督は不祥事を隠蔽した」https://news.yahoo.co.jp/articles/38fbdeb642a06cca243e1143decaafa7ad039fc5
2023年12月、 部内のイジメ問題で日本学生野球協会から3カ月間の対外試合禁止処分を受けた千葉学芸高校野球部 。2000年の創立以降、いまや県内有数の強豪校となり、昨年のドラフト会議では菊地ハルン投手が広島東洋カープから5位指名を受けたことが話題となった。だが今回、昨年7月からコーチを務めた男性が実名告発。イジメ問題以降も野球部や学校の問題体質は変わっていないことを明かした――。
男性は、辻井満氏(61)。同校野球部の寮監兼コーチだった人物だ。1981年に春のセンバツで準優勝した後、専修大学や社会人野球の名門・東芝府中で活躍。1999年には週末コーチを務めた千葉県立柏陵高校が春夏と連続で甲子園に出場したほか、2010年から2017年にかけては日本橋学館大学で野球部監督を務めた。
辻井氏がとくに問題視するのは、千葉学芸高校野球部の“隠蔽体質”だ。昨年8月に起きたある不祥事について、こう振り返る。
「高倉伸介監督は、監督室で私ともう1人のコーチを前に、この件を学校に伏せようと言い出したんです。監督は一昨年のイジメ問題で減給処分を受けていることもあり、『学校には報告できない』と発言したのを覚えています」
昨年11月、この不祥事を報告しなかったことを理由の1つとして解雇されたという辻井氏。一方、千葉学芸高校野球部は「辻井氏の解雇理由は別にある。監督による口止めなどは一切ありませんでした」と主張するのだ。
📝智弁学園の前主将ら13選手 奈良県高野連が表彰 制服姿で成長誓う
https://news.yahoo.co.jp/articles/fbc4adfeaafe7747c32ae5e15306027ce5cbac69
奈良県高校野球連盟は17日、2024年度の日本学生野球協会の表彰選手に選ばれた智弁学園の知花琉綺亜さん(3年)と、県高野連の優秀選手12人を表彰した。
村井博樹会長は「選ばれたことを誇りに思って、次のステージで活躍してほしい」と述べ、選手一人ひとりに表彰盾を手渡した。
知花さんが主将として率いた智弁学園は、昨夏の全国高校野球選手権大会でベスト8まで進んだ。知花さんは「きつい練習、チームをまとめる上での悩み、いろいろあったけれど、多くの人に応援してもらって甲子園で野球ができて一生の思い出です」と振り返った。
「甲子園は緊張感も応援も全然違う場所なので、高校野球をやるからには目指してほしい」と後輩たちへの思いを語った。知花さんは進学予定の大学でも野球を続けるという。「(大学野球で使う)木製バットは芯に当てるのが難しい。レギュラーになれるように頑張りたい」と意気込んだ。
県高野連の優秀選手は次のみなさん。(敬称略)
【硬式】青木将太(王寺工)▽上東慧(五條)▽古賀誠太(郡山)▽仲井颯太(高田商)▽西林咲翔(橿原学院)▽松本大和(天理)▽三井梁聖(西和清陵)▽宮本空(奈良北)▽村井玲司(奈良大付)▽村上和樹(高取国際)▽和佐玲雄翔(奈良商工)
【軟式】石井開(天理)(佐藤道隆)
📝優秀選手2人 府高野連が表彰 京都国際と山城も
https://news.yahoo.co.jp/articles/7332bf90332f8c821dd28f60e1d38ee384147914
京都府高校野球連盟は17日、京都市下京区で総会を開いた。2024年度の優秀選手2人と、昨夏の全国高校野球選手権大会で優勝した京都国際、今春の選抜大会で近畿地区の21世紀枠候補校に選ばれた山城を表彰した。
優秀選手には、京都国際のエースとして優勝に貢献した中崎琉生さん(3年)、昨春の選抜大会で先発登板した京都外大西の田中遥音さん(同)が選ばれた。
また、日本学生野球協会が都道府県から1人ずつ選ぶ優秀選手には、京都国際で主将を務めた藤本陽毅さん(同)が選ばれ、表彰状が贈られた。藤本さんは「大学では新たなスタートを切り、不動のレギュラーを目指したい」と抱負を述べた。
🔥須磨翔風・槙野が法大合格「4年後に上位で」 志望届提出せずに大学進学、今朝丸らとプロでの再会目指す
https://news.yahoo.co.jp/articles/386eccc6e51db864c090b16bb2fc79931ad49c06
兵庫県高校野球連盟の優秀選手表彰式が17日に明石市内で行われ、阪神ドラフト2位の報徳学園・今朝丸裕喜(3年)や須磨翔風の槙野遥斗(同)ら15選手が出席した。
秋春2季連続で近畿大会に出場した須磨翔風の槙野は、法大に合格。来月の入寮に向けて準備中で、「通用するのかな…という不安もあるけど楽しみの方が大きい」と目前に迫った大学生活を心待ちにした。
NPBスカウトから注目を集めた好右腕は、昨秋にプロ志望届を提出せずに大学進学を決断。「まだプロでは通用しない。大学に進んで力をつけた方がいいと思った。4年後にドラフト上位で指名されるように頑張ります」と東京六大学でのアピールを期した。
表彰式では今朝丸と昨夏以来に再会した。兵庫県内の高校生では、今朝丸だけでなく、神戸弘陵の村上泰斗(ソフトバンク1位)と神戸国際大付の津嘉山憲志郎(ソフトバンク育成7位)もドラフト指名を受けた。「大学には良い環境がそろっているので、本気で野球に取り組む4年間にしたい。兵庫からプロに行く投手が多くいるので、僕も負けないように頑張りたいです」と決意を新たにした。
☝神港学園野球部 北原直也監督と父光広氏 鎮魂の思いは父から子、監督から令和の球児へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/ba327a4763b252d8938890b18c299e0a4eade5b1
6434人が亡くなり、3人が行方不明となった1995年の阪神大震災は、きょう17日に発生から30年を迎えた。被災直後に開催された第67回選抜高校野球大会で8強入りした神港学園(兵庫)の硬式野球部は、「阪神淡路大震災1・17のつどい」に2003年から設営ボランティアとして参加する。北原直也監督は、選抜出場時に監督だった光広氏の長男。父が始めた活動を息子が引き継ぎ、令和の高校球児に鎮魂の思いをつなぐ。
震災当時に中3だった北原直也監督は、神港学園の監督として選手の安否確認に奔走する父・光広氏の姿を忘れない。「部員全員が無事と分かるまでに2週間以上かかっていました。選抜目前でも練習ができず、ボランティアしかできない。その姿をずっと見ていました」。被災直後の選抜には兵庫から3校が出場し、神港学園は8強進出。球児の懸命な姿は、テレビ放送などを通じて被災者を勇気づけた。あれから30年がった。父・光広氏は17年で監督を退き、長男の北原直也監督が18年から同校を率いる。父の苦労を知る息子として、必ず引き継ぐと決めた活動がある。震災の追悼の思いなどを込め、神戸市内で開かれる「1・17のつどい」の設営ボランティアだ。父の発案で03年から部員が竹灯籠の設置などを手伝い、23年目の今年は部員全50人で参加した。
「もし僕が活動を止めれば、部員が震災の話に触れる機会はないと思う。この活動だけは大事にしたかった」
ある年、部員のつくった雪地蔵に手を合わせて涙を流す人がいた。震災で失った最愛の人を思ってのことだろう。その姿を見た部員は「もっと気持ちを込めてつくればよかった」と吐露した。震災時に生まれていなかった球児は、ボランティアを通じて鎮魂の思いを受け取ってきたのだ。
主将の衣笠善(2年)の父・純さんは、95年選抜に背番号14を背負って出場。普段は寡黙な父も震災のことは細かく教えてくれた。「震災で大切な人を亡くした方の気持ちは分からないけれど、ここに来れば伝わるものがありました」と学んで帰った。
北原監督は黙々と作業する選手を見つめていた。「神港学園野球部として参加することに意味がある。感じた思いを後ろへ後ろへと次の世代につないでいってほしい」。被災地の思いは30年間途絶えず受け継がれ、令和の球児にまで確かに届いた。
🎤「甲子園のための売名なんやろ」の声も…30年前、阪神大震災後の“ある強豪野球部”のリアル「とてもじゃないけど甲子園なんて開催できない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/8c7a88e34b3f5866e7731da872b27680188826ae?page=1
いまからちょうど30年前の1月17日。近畿圏でマグニチュード7を超える大型地震が発生した。後に阪神大震災と呼ばれることになる大災害は、当然センバツ甲子園を控えた関係者たちにも大きな影響を与えた。神戸の強豪校だった神港学園の野球部監督が30年後のいま振り返る、あの時のリアルとは。
30年という時間はひと昔と表現する人がいれば、決して遠い記憶になっていない人もいる。ただ、30年前に身に起きた出来事が心に深く影を落とすことだったら、どう感じるだろうか。
「毎年あの日が来るたびに早いなと思いますが、1日1日で考えると“まだ30年なのか”とも思いますね。あの大会は本当に忘れられない大会だったので」
ひとつひとつの言葉を嚙みしめるように口にしたのは、かつて神港学園の野球部監督として36年間チームを率いてきた北原光広だ。
82年に神港学園の監督となり(当時は私立神港高校)、84年のセンバツでチームを初の甲子園に導くと、92年には夏の甲子園にも出場し、甲子園で2勝を挙げている。
報徳学園、東洋大姫路、育英(93年夏に全国制覇)といった強豪私学としのぎを削り、退任した2018年まで春は5度、夏は3度、チームを甲子園に導いている。
その中で3度目のセンバツ出場権をかけた94年の秋の近畿大会では準優勝し、翌春の95年の第67回センバツ高校野球大会の出場も有力視されていた。
センバツ有力だった名門校を襲った「大震災」
1995年。いつものように年が明け、待ちに待った夢の舞台へ向け冬の練習を重ね、センバツ出場校発表の2月1日へ向け、カウントダウンをしていくはずだった。
1月17日。神戸市から40キロほど離れた高砂市にある自宅で、いつものように幼い娘と妻と川の字になって寝ていた北原は、早朝に微動を感じ目が覚めた。
「最初は横揺れだったかな。それがだんだん強くなってきて、娘が”お母さん怖い“って言って妻にしがみついたんです。僕が“大丈夫やで”って娘に言わないとアカンのに、僕はなぜか毛布をかぶってしまって。自宅は2階のテレビが少しずれたくらいでしたけれど、とっさにテレビをつけたら神戸の方が震度が大きいと分かって」
当時、部内には岡山出身のマネージャーがおり、神戸市内の祖父の家に身を寄せていたため、安否が気になった。しばらくしてマネージャーとようやく連絡が取れると、神戸市内の福住小学校に避難していると聞いた。
無心のまま学校のある神戸市内へ車を走らせた。すると神戸に近づくにつれ凄惨な光景が目の前に飛び込んできた。
「途中で三宮の市街地を走っていたらビルが倒壊し、煙が出ているのもはっきりと見えました。彼の住んでいた家はぺっしゃんこでしたし、周りの家も倒壊、半壊していて。通常は神戸へは海側の道を走って1時間ほどかかるのですが、海側の道はすべて通行止めだったので、山側の三木方面へぐるっと回って新神戸トンネルを通って行ったので、いつもの倍以上は時間がかかっていたと思います」
いつも見慣れた景色が、ここまで変わってしまうのか。目につく惨状に思わず視線を落としそうになる中、阪神高速道路の高架が北側になぎ倒されているニュースの映像に言葉を失った。
「これは神戸じゃないって思いました。地震以降、担任をしていた2年生のクラスの生徒の安否確認もしていましたが、あの頃は携帯電話やネットはなく、確認手段は電話のみでした。それでも固定電話も繋がらない地域があって、連絡が取れた生徒から“〇〇さんは知っているか? ”とか“〇〇君は大丈夫か分かるか”とか聞いて、生徒の力も借りながら確認作業をしていました」
担任のクラスの生徒の安否確認が全て終わったのが震災から10日後の1月27日だった。だが、校内では一般生徒2人が亡くなったという悲報にも接した。
「無事でも家が全壊した生徒も多くいました。避難所生活を余儀なくされている人もたくさんいましたので、あの頃は“もう、野球なんかどうでもいい。野球ができる日は必ず来る”としか考えていなかったです」
周りの役に立てることはないか…部でボランティアに
現状を目の当たりにし、自分たちに今できることはないかと考えた。何か周りの役に立てることはないのか。考えた末にたどり着いたのがボランティア活動だった。
「小学生や中学生は親にまだ守られている世代ですけど、高校生になると親を守る、周りを守るという年代になってくる。高校生は行動力もパワーも気力もありますから、周りの人を守れるようになっていかないといけないとも思いました」
選手たちに北原が提案すると、選手たちも賛同してくれた。近隣の区役所に相談し、選手たちそれぞれが地元に近い地域に分散し、救援物資の仕分け、避難所設営のための畳運びなどの力仕事をはじめ、清掃活動などを手伝っていた。
北原自身も数人の選手を連れて、共にボランティア活動に参加した。ひとつひとつ、今しかできない何かをこなしていかないと復興はできない。そう念じながら、避難所での細かい仕事を担った。
その後、2月1日から授業は再開されたが、生徒が全員集まれたわけではなく、可能な範囲での再開だった。学校での活動が徐々に始まる中で、野球の練習の再開は現実的ではなかった。それでも北原に向けて尋ねてくるのは現状を取材しようとする報道陣だった。
「練習が出来るとか出来ないより、身の回りの安全や生きることを最優先にしていたので、あの頃は野球のことはあまり考えられなかったですね。それでも学校に行くとマスコミの方が毎日のように来られていました。全国放送のテレビ局も来られていて……」
ボランティア活動の合間に電話取材を受けることもあった。キー局の情報番組からも密着取材を受けた。テレビカメラに追われる中、「正直な話、そっとして欲しいとは思いました」と当時を振り返る。何より北原が危惧していたことがあった。
「ここまで野球部が注目されるとは思っていなかったんです。でも、野球部云々ではなく、被災地で生徒が懸命に生きているという姿を取材して欲しいというのはありました。野球部が目立つことだけはどうしても嫌でした」
センバツ開催は「無理です」
第67回選抜高校野球大会の選考委員会は当初は2月1日だった。その直前に、実は当時日本高野連の事務局長を務めていた田名部和裕氏から北原宛に電話があったという。
「周囲はどんな状況なのか、(センバツ開催は)大丈夫そうなのかと尋ねられたんです。でも僕は“無理です”って言いました。現地の状況を知る人間は、とてもじゃないですけど甲子園なんて開催できないって思いましたよ。
当時、近くの小学校の避難所で段ボールで仕切られた場所で布団を敷いて寝ている人や呆然としているお年寄りの方を近くでずっと見ていましたから、そんな状況でセンバツなんて……って。現地の方の悲壮感も相当なものでした。温かいものを食べることや、お風呂に入れないから何十キロも離れた銭湯に入りに行くとか、大変な思いをしている人がたくさんいる。そう思うとね……」
そうして、その日もまた神戸へ向かい、ボランティア活動をしている時だった。小学校の体育館で作業をしていると、後ろから野太いこんな声を確かに聞いた。
「センバツに出たいための点数稼ぎや売名行為なんやろ」
<次回へつづく>
🎤「高校野球だけ許されるのか?」今から30年前…阪神大震災後のセンバツ出場校“監督の葛藤”「『あんたたち、何してんの』と言われた気がして…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/4ea2242a128ca5fd77a2f5c75ca8ff4c02419445
その日もまた神戸へ向かい、ボランティア活動をしている時だった。小学校の体育館で作業をしていると、後ろから野太いこんな声を確かに聞いた。
「センバツに出たいための点数稼ぎや売名行為なんやろ」
1995年の阪神大震災当時、神港学園の野球部監督を務めていた北原光広はあらためて、その言葉にこう触れる。
「避難している方も、ストレスが溜まっていたと思うんですよ。あの言葉を発した人は、私が知っている人だったと思います。別の時にはおばあちゃんが“ありがとうね”とも言ってくださいましたし、そういう言葉は支えになりました」
それでも辛辣な言葉は、心に鋭く突き刺さった。
「言われてから何日かは続けていましたが……1人でもそういう風に思う人がいるのなら、もうやめようと。それぞれの地元で何かお手伝いできることがあればやることにしようと生徒たちに言いました」
震災後の混乱の中で…センバツ出場が決定
それから神港学園野球部としてのボランティア活動からは身を引いた。2月1日のセンバツ選考委員会が2月中旬に延期になる中、野球部としての全体練習は再開できないままだったが、練習着は着ずにランニングや軽めのトレーニングなどを校内にある限られたスペースで選手たちが自主的に行っていた。
北原は学校の公務のため練習にはほとんど立ち合えていなかったが、2月17日に行われたセンバツの臨時運営委員会で大会を開催することが正式に決定し、21日に神港学園が選出された知らせが学校に届いた。
「ウチは近畿大会で決勝まで行っていますけれど、決勝でPL(学園)に大差で敗れていたんですよ。その辺りはどうなるのかというのはありましたが、ここ1カ月はそれどころではなかったので。でも、それからですかね、ようやく練習に向けて動き出したのは」
1月17日から神戸市北部にある野球部の専用の大池グラウンドには足すら踏み入れていなかった。1カ月以上、ボールすら握れていなかった選手たちを連れ、出場が決定した翌日、大池グラウンドへバスで向かった。
「忘れられないのが、バスでグラウンド方面に向かう時に、多くの復興支援のトラックや重機と道路ですれ違うんですよ。何かこう、申し訳なくて。僕はバスの最前列の席に座って練習着を着ていたので、すれ違うトラックの人に“あんた達は何をしているの? ”って言われているように感じたんです。
でも、こうして開催まで尽力してくださった方もたくさんいて、神港学園だけ“出ません”って言うのも後ろめたかったんです。生徒にも夢があるように指導者にも夢がありますし、何より野球ができるようになったことにありがたさを感じていました」
“絶対に無理”と思っていたセンバツ大会。それどころではない日々を送り、自身の心の奥に野球への熱もしまい込んでいたのかもしれない。だが、時間を重ねるごとに少しずつ前を見られるようになり、落としがちだった視線がやがて上がっていき、希望や前進する思いを発せられるようになった。
震災後の初練習…選手は「楽しかったです」
震災後の“初練習”のことは今でもよく覚えている。
「あの日は5時間も6時間も練習できた訳ではないんですよ。キャッチボールすらしていなかったので、ちゃんと練習ができるのか不安でした。ノックからいきなり始めたんですけれど、選手たちの集中力がすごかったんですよ」
今でも目に焼きついているのは白球を追う選手たちの生き生きとした目だった。野球ができる嬉しさ、喜びを体現しながらボールに食らいついているように映った。
「練習後に、選手らに“どうやった? ”って聞いたんですよ。そうしたら、選手は“楽しかったです”って。普通なら“しんどかったです”とか“長かったです”って言うと思うんです。それだけ野球に飢えていた、野球ができる喜びも感じられたのかな。練習ができなかったことで逆に野球ができるありがたさも感じられたのかも知れないですね」
数日後に行われた組み合わせ抽選では、仙台育英(宮城)との対戦が決まった。秋の東北大会で優勝し、大会では上位進出と目された注目校との一戦は「実力はもちろん、練習量から見ても圧倒的に自分たちは不利でした」と北原は振り返ったが、機動力を駆使し4-3で接戦をものにした。
スタンドからの大声援も背中を押し、2回戦の大府(愛知)との一戦も1点を争う好ゲームを演じ、4-3で勝ってベスト8まで進出した。傷ついた被災地を元気づける戦いぶりに、北原は「周りから見えない力をもらった」と振り返る。
「正々堂々と胸を張って行進してほしい」
実は開会式前に、北原は選手たちにあるお願いをしていた。
「入場行進の時、被災した子らがどんな表情をしているのかは必ず注目されます。色んな思いはあると思うけれど、正々堂々と胸を張って行進してほしいと言いました。その通り、子供らは凛とした表情で行進してくれました。胸を張って歩いてくれたことはとても嬉しかったですね。
試合では……(2勝できたのは)1球を大事にしてくれたことですかね。通常のチームでも1年かかってもなかなかできないのに、2月22日に練習を再開して以降、みんな集中していて驚くようにチーム力が上がっていったんですよ。あの、練習再開後の最初のノックの時から僕は“しめた”って思ったんですよ。“これはもしかしたら3日でチームが仕上がるんじゃないか”って」
それから97年1月に島根県沖で発生したロシア籍のタンカーのナホトカ号沈没の事故で大量に流出した重油を除去するボランティア活動も行った。誰かのために何ができるのか。どうすれば力になれるのか。そういう思いが、何かが起こるたびに胸の中を駆け巡っていた。
毎年、1月17日になると神戸市中央区にある東遊園地で「阪神・淡路大震災1.17のつどい」が行われる。竹灯篭を「1.17」の形状に並べ、灯をともす。実はその竹灯篭を並べる手伝いを神港学園野球部は平成15年(03年)から続けている。今年も野球部員たちが東遊園地で節目となるその時への“お手伝い”に向かうことになっているが、北原の息子の直也に監督をバトンタッチした今、これからもこの活動はずっと続けていくつもりでいる。
「今は震災が起きたことも知らない世代が多いですし、現状、阪神大震災は風化しつつありますよね。実際に若いボランティアの子は少ないですし、伝えていく方法は他にもあるかもしれないですけれど、風化させない意味でもこの活動は続けていかなくてはいけないと思っています」
阪神大震災以降、04年に中越地震、05年には九州北部地震、そして11年には東日本大震災が発生した。さらに16年には熊本地震、そして昨年1月には能登半島地震も起きるなど、全国で地震災害が毎年のように発生している。
「東日本大震災の時がそうでしたけれど、交通が寸断されて現地の大変な状況を考えると、ボランティアに行きたくてもなかなか行けませんでした。それぞれに事情や生活がある中で、すぐに行動を起こすのは難しい。実際、私が地震に遭ったあの時、生徒たちはどんな心境でボランティア活動と向き合っていたのか。それはずっと気にしています」
「意味のある大会ではあったと思います」
30年経った今でも、あの春のセンバツ大会を開催して良かったのか、北原の中で最善の答えは見つかっていない。
「高校野球だけ許されるのかって思う人もいるじゃないですか。東日本大震災の時も、5月に開催予定だった他のスポーツの大きな大会も中止になっていましたから。67回のセンバツの年の子らも、『開催するのが本当は大変だったのでは? いいの? 』って思っていた子もいたんじゃないでしょうか。
でも、あの時の子供らの喜ぶ表情を思い出すとね……。ベスト8まで勝ち進めたから良かったのではなく、辛い出来事から時間が経って、ノックを受けた時、甲子園に立った時の彼らのあの嬉しそうな表情を見られたことを思うと、意味のある大会ではあったと思います」
甲子園は今でも特別な場所だ。“聖地”とも言われる大舞台。高みを目指す者は、誰だって立ちたいと思う。その舞台に立つこと、体感することが彼らにとって大きな意味があった。
30年経った2025年も、もうすぐ大舞台に春がやって来る。
⚾岩手さんへ
今日で阪神大震災から30年が経過しましたね。真冬なんで、今年も冬晴れで天気に恵まれつつも風と空気が冷たい1日でした・・・・・。
僕は96年より毎年欠かさず喫茶店巡りをしており、開始通いの折は仕事帰りや出勤前に時間を作ってやりくりしておりました・・・・・。
今日は三宮~神戸まで歩いて、須磨区の月見山へ足を運び近所の喫茶店でくつろいでから須磨寺参拝して帰りました。
元町の中華街ではどこかの中高生と思われる修学旅行生が昼ご飯の食べ歩きを楽しんでましたね。
あの当時は神戸市東灘区に会社があったので埋立地だし、液状化現象が激しく後片付けなど復興が大変でしたが、震災3週間後あたりに出かけた梅田は普通の生活送っていたので別世界のようでしたね!
もう2度と経験したくないことですが、それ以上に悲惨な出来事が東北を中心に襲ってくるとはあの当時は考えもできなかったですね・・・・・。最近も九州で大きな地震があったし今後も予断を許さないです。
僕自身もセンバツ中止は考えたくなかったですが、状況が状況なだけに諦め半分でしたね。コロナ中止は今でも納得できませんが!!
サッカーは生観戦してもTV観戦でもわからないことだらけですが、女子サッカー準決勝2試合観ていたら主導権握ってゴリ押ししていたらいつか突破口が開けて勝利につながりますね。
野球みたいに耐え抜いてワンチャンスモノにして逃げ切りとはいかないみたいで・・・・・。
男子サッカーは延長でも決着つかずPK途中にCMが入り第ブーイングだったとか・・・・・。ありがちなパターンですね。
P・S プロ野球2軍戦も日程発表されました。紀三井寺で1試合 さとやくスタジアム(橿原)で2試合組まれてました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/386eccc6e51db864c090b16bb2fc79931ad49c06
兵庫県高校野球連盟の優秀選手表彰式が17日に明石市内で行われ、阪神ドラフト2位の報徳学園・今朝丸裕喜(3年)や須磨翔風の槙野遥斗(同)ら15選手が出席した。
秋春2季連続で近畿大会に出場した須磨翔風の槙野は、法大に合格。来月の入寮に向けて準備中で、「通用するのかな…という不安もあるけど楽しみの方が大きい」と目前に迫った大学生活を心待ちにした。
NPBスカウトから注目を集めた好右腕は、昨秋にプロ志望届を提出せずに大学進学を決断。「まだプロでは通用しない。大学に進んで力をつけた方がいいと思った。4年後にドラフト上位で指名されるように頑張ります」と東京六大学でのアピールを期した。
表彰式では今朝丸と昨夏以来に再会した。兵庫県内の高校生では、今朝丸だけでなく、神戸弘陵の村上泰斗(ソフトバンク1位)と神戸国際大付の津嘉山憲志郎(ソフトバンク育成7位)もドラフト指名を受けた。「大学には良い環境がそろっているので、本気で野球に取り組む4年間にしたい。兵庫からプロに行く投手が多くいるので、僕も負けないように頑張りたいです」と決意を新たにした。
☝神港学園野球部 北原直也監督と父光広氏 鎮魂の思いは父から子、監督から令和の球児へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/ba327a4763b252d8938890b18c299e0a4eade5b1
6434人が亡くなり、3人が行方不明となった1995年の阪神大震災は、きょう17日に発生から30年を迎えた。被災直後に開催された第67回選抜高校野球大会で8強入りした神港学園(兵庫)の硬式野球部は、「阪神淡路大震災1・17のつどい」に2003年から設営ボランティアとして参加する。北原直也監督は、選抜出場時に監督だった光広氏の長男。父が始めた活動を息子が引き継ぎ、令和の高校球児に鎮魂の思いをつなぐ。
震災当時に中3だった北原直也監督は、神港学園の監督として選手の安否確認に奔走する父・光広氏の姿を忘れない。「部員全員が無事と分かるまでに2週間以上かかっていました。選抜目前でも練習ができず、ボランティアしかできない。その姿をずっと見ていました」。被災直後の選抜には兵庫から3校が出場し、神港学園は8強進出。球児の懸命な姿は、テレビ放送などを通じて被災者を勇気づけた。あれから30年がった。父・光広氏は17年で監督を退き、長男の北原直也監督が18年から同校を率いる。父の苦労を知る息子として、必ず引き継ぐと決めた活動がある。震災の追悼の思いなどを込め、神戸市内で開かれる「1・17のつどい」の設営ボランティアだ。父の発案で03年から部員が竹灯籠の設置などを手伝い、23年目の今年は部員全50人で参加した。
「もし僕が活動を止めれば、部員が震災の話に触れる機会はないと思う。この活動だけは大事にしたかった」
ある年、部員のつくった雪地蔵に手を合わせて涙を流す人がいた。震災で失った最愛の人を思ってのことだろう。その姿を見た部員は「もっと気持ちを込めてつくればよかった」と吐露した。震災時に生まれていなかった球児は、ボランティアを通じて鎮魂の思いを受け取ってきたのだ。
主将の衣笠善(2年)の父・純さんは、95年選抜に背番号14を背負って出場。普段は寡黙な父も震災のことは細かく教えてくれた。「震災で大切な人を亡くした方の気持ちは分からないけれど、ここに来れば伝わるものがありました」と学んで帰った。
北原監督は黙々と作業する選手を見つめていた。「神港学園野球部として参加することに意味がある。感じた思いを後ろへ後ろへと次の世代につないでいってほしい」。被災地の思いは30年間途絶えず受け継がれ、令和の球児にまで確かに届いた。
🎤「甲子園のための売名なんやろ」の声も…30年前、阪神大震災後の“ある強豪野球部”のリアル「とてもじゃないけど甲子園なんて開催できない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/8c7a88e34b3f5866e7731da872b27680188826ae?page=1
いまからちょうど30年前の1月17日。近畿圏でマグニチュード7を超える大型地震が発生した。後に阪神大震災と呼ばれることになる大災害は、当然センバツ甲子園を控えた関係者たちにも大きな影響を与えた。神戸の強豪校だった神港学園の野球部監督が30年後のいま振り返る、あの時のリアルとは。
30年という時間はひと昔と表現する人がいれば、決して遠い記憶になっていない人もいる。ただ、30年前に身に起きた出来事が心に深く影を落とすことだったら、どう感じるだろうか。
「毎年あの日が来るたびに早いなと思いますが、1日1日で考えると“まだ30年なのか”とも思いますね。あの大会は本当に忘れられない大会だったので」
ひとつひとつの言葉を嚙みしめるように口にしたのは、かつて神港学園の野球部監督として36年間チームを率いてきた北原光広だ。
82年に神港学園の監督となり(当時は私立神港高校)、84年のセンバツでチームを初の甲子園に導くと、92年には夏の甲子園にも出場し、甲子園で2勝を挙げている。
報徳学園、東洋大姫路、育英(93年夏に全国制覇)といった強豪私学としのぎを削り、退任した2018年まで春は5度、夏は3度、チームを甲子園に導いている。
その中で3度目のセンバツ出場権をかけた94年の秋の近畿大会では準優勝し、翌春の95年の第67回センバツ高校野球大会の出場も有力視されていた。
センバツ有力だった名門校を襲った「大震災」
1995年。いつものように年が明け、待ちに待った夢の舞台へ向け冬の練習を重ね、センバツ出場校発表の2月1日へ向け、カウントダウンをしていくはずだった。
1月17日。神戸市から40キロほど離れた高砂市にある自宅で、いつものように幼い娘と妻と川の字になって寝ていた北原は、早朝に微動を感じ目が覚めた。
「最初は横揺れだったかな。それがだんだん強くなってきて、娘が”お母さん怖い“って言って妻にしがみついたんです。僕が“大丈夫やで”って娘に言わないとアカンのに、僕はなぜか毛布をかぶってしまって。自宅は2階のテレビが少しずれたくらいでしたけれど、とっさにテレビをつけたら神戸の方が震度が大きいと分かって」
当時、部内には岡山出身のマネージャーがおり、神戸市内の祖父の家に身を寄せていたため、安否が気になった。しばらくしてマネージャーとようやく連絡が取れると、神戸市内の福住小学校に避難していると聞いた。
無心のまま学校のある神戸市内へ車を走らせた。すると神戸に近づくにつれ凄惨な光景が目の前に飛び込んできた。
「途中で三宮の市街地を走っていたらビルが倒壊し、煙が出ているのもはっきりと見えました。彼の住んでいた家はぺっしゃんこでしたし、周りの家も倒壊、半壊していて。通常は神戸へは海側の道を走って1時間ほどかかるのですが、海側の道はすべて通行止めだったので、山側の三木方面へぐるっと回って新神戸トンネルを通って行ったので、いつもの倍以上は時間がかかっていたと思います」
いつも見慣れた景色が、ここまで変わってしまうのか。目につく惨状に思わず視線を落としそうになる中、阪神高速道路の高架が北側になぎ倒されているニュースの映像に言葉を失った。
「これは神戸じゃないって思いました。地震以降、担任をしていた2年生のクラスの生徒の安否確認もしていましたが、あの頃は携帯電話やネットはなく、確認手段は電話のみでした。それでも固定電話も繋がらない地域があって、連絡が取れた生徒から“〇〇さんは知っているか? ”とか“〇〇君は大丈夫か分かるか”とか聞いて、生徒の力も借りながら確認作業をしていました」
担任のクラスの生徒の安否確認が全て終わったのが震災から10日後の1月27日だった。だが、校内では一般生徒2人が亡くなったという悲報にも接した。
「無事でも家が全壊した生徒も多くいました。避難所生活を余儀なくされている人もたくさんいましたので、あの頃は“もう、野球なんかどうでもいい。野球ができる日は必ず来る”としか考えていなかったです」
周りの役に立てることはないか…部でボランティアに
現状を目の当たりにし、自分たちに今できることはないかと考えた。何か周りの役に立てることはないのか。考えた末にたどり着いたのがボランティア活動だった。
「小学生や中学生は親にまだ守られている世代ですけど、高校生になると親を守る、周りを守るという年代になってくる。高校生は行動力もパワーも気力もありますから、周りの人を守れるようになっていかないといけないとも思いました」
選手たちに北原が提案すると、選手たちも賛同してくれた。近隣の区役所に相談し、選手たちそれぞれが地元に近い地域に分散し、救援物資の仕分け、避難所設営のための畳運びなどの力仕事をはじめ、清掃活動などを手伝っていた。
北原自身も数人の選手を連れて、共にボランティア活動に参加した。ひとつひとつ、今しかできない何かをこなしていかないと復興はできない。そう念じながら、避難所での細かい仕事を担った。
その後、2月1日から授業は再開されたが、生徒が全員集まれたわけではなく、可能な範囲での再開だった。学校での活動が徐々に始まる中で、野球の練習の再開は現実的ではなかった。それでも北原に向けて尋ねてくるのは現状を取材しようとする報道陣だった。
「練習が出来るとか出来ないより、身の回りの安全や生きることを最優先にしていたので、あの頃は野球のことはあまり考えられなかったですね。それでも学校に行くとマスコミの方が毎日のように来られていました。全国放送のテレビ局も来られていて……」
ボランティア活動の合間に電話取材を受けることもあった。キー局の情報番組からも密着取材を受けた。テレビカメラに追われる中、「正直な話、そっとして欲しいとは思いました」と当時を振り返る。何より北原が危惧していたことがあった。
「ここまで野球部が注目されるとは思っていなかったんです。でも、野球部云々ではなく、被災地で生徒が懸命に生きているという姿を取材して欲しいというのはありました。野球部が目立つことだけはどうしても嫌でした」
センバツ開催は「無理です」
第67回選抜高校野球大会の選考委員会は当初は2月1日だった。その直前に、実は当時日本高野連の事務局長を務めていた田名部和裕氏から北原宛に電話があったという。
「周囲はどんな状況なのか、(センバツ開催は)大丈夫そうなのかと尋ねられたんです。でも僕は“無理です”って言いました。現地の状況を知る人間は、とてもじゃないですけど甲子園なんて開催できないって思いましたよ。
当時、近くの小学校の避難所で段ボールで仕切られた場所で布団を敷いて寝ている人や呆然としているお年寄りの方を近くでずっと見ていましたから、そんな状況でセンバツなんて……って。現地の方の悲壮感も相当なものでした。温かいものを食べることや、お風呂に入れないから何十キロも離れた銭湯に入りに行くとか、大変な思いをしている人がたくさんいる。そう思うとね……」
そうして、その日もまた神戸へ向かい、ボランティア活動をしている時だった。小学校の体育館で作業をしていると、後ろから野太いこんな声を確かに聞いた。
「センバツに出たいための点数稼ぎや売名行為なんやろ」
<次回へつづく>
🎤「高校野球だけ許されるのか?」今から30年前…阪神大震災後のセンバツ出場校“監督の葛藤”「『あんたたち、何してんの』と言われた気がして…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/4ea2242a128ca5fd77a2f5c75ca8ff4c02419445
その日もまた神戸へ向かい、ボランティア活動をしている時だった。小学校の体育館で作業をしていると、後ろから野太いこんな声を確かに聞いた。
「センバツに出たいための点数稼ぎや売名行為なんやろ」
1995年の阪神大震災当時、神港学園の野球部監督を務めていた北原光広はあらためて、その言葉にこう触れる。
「避難している方も、ストレスが溜まっていたと思うんですよ。あの言葉を発した人は、私が知っている人だったと思います。別の時にはおばあちゃんが“ありがとうね”とも言ってくださいましたし、そういう言葉は支えになりました」
それでも辛辣な言葉は、心に鋭く突き刺さった。
「言われてから何日かは続けていましたが……1人でもそういう風に思う人がいるのなら、もうやめようと。それぞれの地元で何かお手伝いできることがあればやることにしようと生徒たちに言いました」
震災後の混乱の中で…センバツ出場が決定
それから神港学園野球部としてのボランティア活動からは身を引いた。2月1日のセンバツ選考委員会が2月中旬に延期になる中、野球部としての全体練習は再開できないままだったが、練習着は着ずにランニングや軽めのトレーニングなどを校内にある限られたスペースで選手たちが自主的に行っていた。
北原は学校の公務のため練習にはほとんど立ち合えていなかったが、2月17日に行われたセンバツの臨時運営委員会で大会を開催することが正式に決定し、21日に神港学園が選出された知らせが学校に届いた。
「ウチは近畿大会で決勝まで行っていますけれど、決勝でPL(学園)に大差で敗れていたんですよ。その辺りはどうなるのかというのはありましたが、ここ1カ月はそれどころではなかったので。でも、それからですかね、ようやく練習に向けて動き出したのは」
1月17日から神戸市北部にある野球部の専用の大池グラウンドには足すら踏み入れていなかった。1カ月以上、ボールすら握れていなかった選手たちを連れ、出場が決定した翌日、大池グラウンドへバスで向かった。
「忘れられないのが、バスでグラウンド方面に向かう時に、多くの復興支援のトラックや重機と道路ですれ違うんですよ。何かこう、申し訳なくて。僕はバスの最前列の席に座って練習着を着ていたので、すれ違うトラックの人に“あんた達は何をしているの? ”って言われているように感じたんです。
でも、こうして開催まで尽力してくださった方もたくさんいて、神港学園だけ“出ません”って言うのも後ろめたかったんです。生徒にも夢があるように指導者にも夢がありますし、何より野球ができるようになったことにありがたさを感じていました」
“絶対に無理”と思っていたセンバツ大会。それどころではない日々を送り、自身の心の奥に野球への熱もしまい込んでいたのかもしれない。だが、時間を重ねるごとに少しずつ前を見られるようになり、落としがちだった視線がやがて上がっていき、希望や前進する思いを発せられるようになった。
震災後の初練習…選手は「楽しかったです」
震災後の“初練習”のことは今でもよく覚えている。
「あの日は5時間も6時間も練習できた訳ではないんですよ。キャッチボールすらしていなかったので、ちゃんと練習ができるのか不安でした。ノックからいきなり始めたんですけれど、選手たちの集中力がすごかったんですよ」
今でも目に焼きついているのは白球を追う選手たちの生き生きとした目だった。野球ができる嬉しさ、喜びを体現しながらボールに食らいついているように映った。
「練習後に、選手らに“どうやった? ”って聞いたんですよ。そうしたら、選手は“楽しかったです”って。普通なら“しんどかったです”とか“長かったです”って言うと思うんです。それだけ野球に飢えていた、野球ができる喜びも感じられたのかな。練習ができなかったことで逆に野球ができるありがたさも感じられたのかも知れないですね」
数日後に行われた組み合わせ抽選では、仙台育英(宮城)との対戦が決まった。秋の東北大会で優勝し、大会では上位進出と目された注目校との一戦は「実力はもちろん、練習量から見ても圧倒的に自分たちは不利でした」と北原は振り返ったが、機動力を駆使し4-3で接戦をものにした。
スタンドからの大声援も背中を押し、2回戦の大府(愛知)との一戦も1点を争う好ゲームを演じ、4-3で勝ってベスト8まで進出した。傷ついた被災地を元気づける戦いぶりに、北原は「周りから見えない力をもらった」と振り返る。
「正々堂々と胸を張って行進してほしい」
実は開会式前に、北原は選手たちにあるお願いをしていた。
「入場行進の時、被災した子らがどんな表情をしているのかは必ず注目されます。色んな思いはあると思うけれど、正々堂々と胸を張って行進してほしいと言いました。その通り、子供らは凛とした表情で行進してくれました。胸を張って歩いてくれたことはとても嬉しかったですね。
試合では……(2勝できたのは)1球を大事にしてくれたことですかね。通常のチームでも1年かかってもなかなかできないのに、2月22日に練習を再開して以降、みんな集中していて驚くようにチーム力が上がっていったんですよ。あの、練習再開後の最初のノックの時から僕は“しめた”って思ったんですよ。“これはもしかしたら3日でチームが仕上がるんじゃないか”って」
それから97年1月に島根県沖で発生したロシア籍のタンカーのナホトカ号沈没の事故で大量に流出した重油を除去するボランティア活動も行った。誰かのために何ができるのか。どうすれば力になれるのか。そういう思いが、何かが起こるたびに胸の中を駆け巡っていた。
毎年、1月17日になると神戸市中央区にある東遊園地で「阪神・淡路大震災1.17のつどい」が行われる。竹灯篭を「1.17」の形状に並べ、灯をともす。実はその竹灯篭を並べる手伝いを神港学園野球部は平成15年(03年)から続けている。今年も野球部員たちが東遊園地で節目となるその時への“お手伝い”に向かうことになっているが、北原の息子の直也に監督をバトンタッチした今、これからもこの活動はずっと続けていくつもりでいる。
「今は震災が起きたことも知らない世代が多いですし、現状、阪神大震災は風化しつつありますよね。実際に若いボランティアの子は少ないですし、伝えていく方法は他にもあるかもしれないですけれど、風化させない意味でもこの活動は続けていかなくてはいけないと思っています」
阪神大震災以降、04年に中越地震、05年には九州北部地震、そして11年には東日本大震災が発生した。さらに16年には熊本地震、そして昨年1月には能登半島地震も起きるなど、全国で地震災害が毎年のように発生している。
「東日本大震災の時がそうでしたけれど、交通が寸断されて現地の大変な状況を考えると、ボランティアに行きたくてもなかなか行けませんでした。それぞれに事情や生活がある中で、すぐに行動を起こすのは難しい。実際、私が地震に遭ったあの時、生徒たちはどんな心境でボランティア活動と向き合っていたのか。それはずっと気にしています」
「意味のある大会ではあったと思います」
30年経った今でも、あの春のセンバツ大会を開催して良かったのか、北原の中で最善の答えは見つかっていない。
「高校野球だけ許されるのかって思う人もいるじゃないですか。東日本大震災の時も、5月に開催予定だった他のスポーツの大きな大会も中止になっていましたから。67回のセンバツの年の子らも、『開催するのが本当は大変だったのでは? いいの? 』って思っていた子もいたんじゃないでしょうか。
でも、あの時の子供らの喜ぶ表情を思い出すとね……。ベスト8まで勝ち進めたから良かったのではなく、辛い出来事から時間が経って、ノックを受けた時、甲子園に立った時の彼らのあの嬉しそうな表情を見られたことを思うと、意味のある大会ではあったと思います」
甲子園は今でも特別な場所だ。“聖地”とも言われる大舞台。高みを目指す者は、誰だって立ちたいと思う。その舞台に立つこと、体感することが彼らにとって大きな意味があった。
30年経った2025年も、もうすぐ大舞台に春がやって来る。
⚾岩手さんへ
今日で阪神大震災から30年が経過しましたね。真冬なんで、今年も冬晴れで天気に恵まれつつも風と空気が冷たい1日でした・・・・・。
僕は96年より毎年欠かさず喫茶店巡りをしており、開始通いの折は仕事帰りや出勤前に時間を作ってやりくりしておりました・・・・・。
今日は三宮~神戸まで歩いて、須磨区の月見山へ足を運び近所の喫茶店でくつろいでから須磨寺参拝して帰りました。
元町の中華街ではどこかの中高生と思われる修学旅行生が昼ご飯の食べ歩きを楽しんでましたね。
あの当時は神戸市東灘区に会社があったので埋立地だし、液状化現象が激しく後片付けなど復興が大変でしたが、震災3週間後あたりに出かけた梅田は普通の生活送っていたので別世界のようでしたね!
もう2度と経験したくないことですが、それ以上に悲惨な出来事が東北を中心に襲ってくるとはあの当時は考えもできなかったですね・・・・・。最近も九州で大きな地震があったし今後も予断を許さないです。
僕自身もセンバツ中止は考えたくなかったですが、状況が状況なだけに諦め半分でしたね。コロナ中止は今でも納得できませんが!!
サッカーは生観戦してもTV観戦でもわからないことだらけですが、女子サッカー準決勝2試合観ていたら主導権握ってゴリ押ししていたらいつか突破口が開けて勝利につながりますね。
野球みたいに耐え抜いてワンチャンスモノにして逃げ切りとはいかないみたいで・・・・・。
男子サッカーは延長でも決着つかずPK途中にCMが入り第ブーイングだったとか・・・・・。ありがちなパターンですね。
P・S プロ野球2軍戦も日程発表されました。紀三井寺で1試合 さとやくスタジアム(橿原)で2試合組まれてました。
あれから、30年になるのか。
私は浜松だったから災害情報はテレビや新聞記事で見るだけでしたから、中止だけはしないでくれが本音でした。
甲子園に通い出して6年目になる所です。
私のような野球好きは良かったけど、本来は中止も当然ありなんでしょうね。
コロナで中止になったからね。
選抜大会は、阪神、東日本の震災に能登を考えるし、夏の甲子園は、広島、長崎の原爆に終戦記念日などの戦争関連を考える機会になるしね。
一週間余りでセンバツ出場校も発表あるね。
たまっている気になる事
西宮神社の一番福が宝塚の高校生らしいね。
高校女子蹴球は藤枝順心が優勝してくれました。
男子は縦縞で夏の甲子園大会も優勝している前橋育英が優勝!
縦縞と言えば、国見、東一だったのに
昔は強かったよになるか!
数日前サンスポのコラムで高校野球の7回制、指名打者、リプレー検証の議論の事があり、指名打者、リプレー検証は、賛成出来るが、暑さ対策だとか球数だとか、試合時間あるけど、夏五輪や世界選手権のマラソンが暑さ対策で30、35キロにはなるか!
私はその通りだけどね!
机上の空論が現実になるだろうけど、みんな7回制は反対だよ。
静高監督が池田さんになっているだね!
まだまだΧΧありますがまとまりが出来ず脱線しますので。
私は浜松だったから災害情報はテレビや新聞記事で見るだけでしたから、中止だけはしないでくれが本音でした。
甲子園に通い出して6年目になる所です。
私のような野球好きは良かったけど、本来は中止も当然ありなんでしょうね。
コロナで中止になったからね。
選抜大会は、阪神、東日本の震災に能登を考えるし、夏の甲子園は、広島、長崎の原爆に終戦記念日などの戦争関連を考える機会になるしね。
一週間余りでセンバツ出場校も発表あるね。
たまっている気になる事
西宮神社の一番福が宝塚の高校生らしいね。
高校女子蹴球は藤枝順心が優勝してくれました。
男子は縦縞で夏の甲子園大会も優勝している前橋育英が優勝!
縦縞と言えば、国見、東一だったのに
昔は強かったよになるか!
数日前サンスポのコラムで高校野球の7回制、指名打者、リプレー検証の議論の事があり、指名打者、リプレー検証は、賛成出来るが、暑さ対策だとか球数だとか、試合時間あるけど、夏五輪や世界選手権のマラソンが暑さ対策で30、35キロにはなるか!
私はその通りだけどね!
机上の空論が現実になるだろうけど、みんな7回制は反対だよ。
静高監督が池田さんになっているだね!
まだまだΧΧありますがまとまりが出来ず脱線しますので。
12月の1ヶ月間・・・のべ356人の方々から閲覧履歴があり864アクセスしていただき感謝申し上げます。
さて今日で『チーム宏鈴』結成21年3ヶ月となり18年連続で大晦日の忘年会編に続いてファン感謝祭新年会編を始めます。
とはいえ、忘年会編ではネタは毎年つきませんが、新年会編では話題が枯渇しており毎年頭を悩ませております、、、今回は昨秋、初めて徳島市・むつみスタジアム そして2年連続4度目の島根遠征を振り返ってみようと思います。
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まずは徳島遠征。初めて徳島に上陸したのは2004年秋の徳島大会最終日となる。
30歳になったのを機に、一念発起して倉敷マスカットスタジアム&鳴門オロナミンC球場に目をつけ初来場を目論んでいた。
鳴門までは、明石海峡大橋ができたので三宮から高速道路で約90分で四国上陸が可能だ!
ただ、そこから球場までひたすら歩き、道中真ん中あたりで鳴門駅を通過するが、単線だし1時間に1本程度しか電車は来ずこぢんまりとした駅ではっきり言って和歌山よりもかなり田舎なきらいはあった。。。
その後、親善野球や四国大会でごくたまに訪れ鳴門は4回・アグリあなんに1回顔を出したが、蔵本のむつみスタジアムは四国ILでナイター開催も多々あるが、高校野球で行きたかったので都合合わず・・・。
04年10月 秋季徳島大会(鳴門)
09年 6月 徳島選抜-ハワイ選抜親善試合(鳴門)
13年 5月 春季四国大会(アグリあなん~鳴門)
17年 5月 春季四国大会(鳴門・鳴門)
しかし、2023年シーズン終了と同時に鳴門が長期改装工事に入ったので2年間使用不可となり、夏のメインがむつみスタジアムとなった!
さすがに猛暑の中、屋根のない見知らぬ土地に日帰りでは厳しいので、自重して秋の大会で日帰りを考えていた。
上手い具合に雨天中止が2日ほどあり和歌山大会とかち合わず10/13が最終日となり、3位決定戦 10時~ 決勝戦 13時30分~ という日程でしかも閉会式があるのでここに照準を合わせ天気予報では快晴ゆえに10月中旬とはいえ迷わず半袖で高速バスに乗り込んだ。
徳島駅には2013年GWに1度だけアグリあなん~鳴門へ移動する際に寄ったが、駅前はかなり開けていた。近所の徳島ラーメン屋で夕食食べて鳴門まで電車に乗っていたことは覚えていたが、さすがに10年経つと当時の記憶はほとんどなく・・・・・。
事前に調べてレンタサイクルを駅前地下駐車場で借りそこから4kmほど行けば球場に着くと分かっていたので・・・。
朝いちばんの高速バスに乗り8時30分には徳島駅へ着くが、夕方による喫茶店~ラーメン屋の物色に手間取り同じ道をグルグル回ってなかなか前に進めないのが方向音痴の悲しい性。
なんとか場所確認を済ませてようやく前に走りだし、幸い道は平たんだったので9時20分には球場入りできた。
https://www.awa-spo.net/kuramoto/stadium/
両翼100m中堅116mと外野は広いのか狭いのか???
ネット裏は鳴門よろしく鳥かごのように網で守られファールボールの心配なく、しかし10月中旬とはいえ徳島も猛残暑が続き30度近い気温で厳しい熱さだった!!
試合はやはりすでに四国行きが決まった決勝よりも3位決定戦の方が熱いと予想していたが・・・。
鳴門が川島にまさかの大苦戦を強いられるも土壇場9回表に4番の逆転3ランなどで6-5と試合をひっくり返し劇的な勝利!!
3位決定戦 鳴門ー川島 9:57~12:41
一二三四五六七八九十計HE
鳴 門000011004 6102 大門、吉本、橋本、吉本、橋本-高橋
川 島200210000 590 重清、赤松-溝口
3位表彰式を見てから、自転車で近所の十割そば屋で昼食をとり、急いで球場に戻るとまだ散水中で間に合った。
決勝戦は鳴門渦潮-小松島でこれも打撃戦となり夏優勝した鳴門渦潮が7-6で競り勝った。
決勝戦 鳴門渦潮ー小松島 13:41~15:43
一二三四五六七八九十計HE
小 松 島002030010 6132 三原-川西
鳴門渦潮12031000X 7122 大城-倉橋
スタンドは太鼓1つの応援で徳島の応援はいささか寂しいものがあるが試合が熱かったので満足してもう2度と来ることはない徳島の街を疾走。
20時のバスを予約したので観光の間もあり徳島城に足を運びきれいな夕焼け拝見して喫茶店~ラーメン屋へ行きたかったが、、、あいにく3連休中日の日曜日ということもあってか?目当ての店は閉まっており、しゃーなしに代替店で。まさかホテル付属の喫茶店に行くとは・・・。
次に四国へ行くときには改装工事を終えた鳴門に泊まりで行きたいが、鳴門市内のヤドはあまり多くないし少し離れたルートインに行くか?あえて徳島市内に行くか?またその時考えよう。
過去2回春季四国大会宿泊観戦の折はGW渋滞に巻き込まれ淡路島からなかなか脱出できず、運転手の機転で高速降りて下道走行して3時間かけて三宮に着いたが今回は定時運航で楽しい1日だった!!
---------------------------------------------------------------------------------
そして、6年連続山陰行き。順番通りならば鳥取で秋季中国大会が開催されるはずだったが、、、どら焼きドラマチックパーク米子球場のスコアボード改修工事の影響をモロに受け、浜山球場が24年冬から大規模改修工事に入るので順番入れ替えで島根に・・・・・。
当初は、交通費もかかるし23年夏に宿泊観戦史上初の県またぎで浜山~松江に行ったばかりだし、鳥取のヤマタSPはずいぶんゴブサタだったので久しぶりに鳥取市へ行きたい気持ちもありも凄く残念な気持ちもあったが・・・・・。
8月の甲子園でご存じ、大社旋風が吹き荒れて学校が浜山公園すぐ隣にあるので正門の横を通れると!
気持ちも切り替わり6年連続の山陰行きにワクワクしていたが週間天気予報を見るとすこぶる悪く、最悪予備日を含む金曜日~月曜日全部雨予報でまともに観戦できるか???そして2日目・3日目はレンタサイクルでの移動を前提に行程表作っていたので大いなる不安を抱えていた。
結果的に予報が改善されていき、どうやら最終日の日曜日が雨に祟られる恐れもあるが、金曜・土曜の松江は大丈夫!
あとは日曜日が雨で消化できないと月曜日はもっと予報が悪いので、泣く泣く日曜で切り上げて帰らなければならないかなと。
そして旅立ちの朝・・・10月25日~27日ともなればある程度の寒さ対策をするのが通例だが、昨夏の猛烈な熱さの影響は秋に入っても続き、さすがに半袖は見送ったが薄手のカッターシャツにパーカーをリュックに忍ばせて4時起床4時50分出発で松江市営球場まで5時間30分の旅に出た。
岡山駅の自販機で「ポッカ 中四国限定レモネード」を買うのが定番で、岡山から2時間44分特急やくもに揺られて松江入り。
ラジコでRSK山陽放送・BSS山陰放送を聴きながら単調な生波の車窓を潜り抜けた!!
珍しくペイペイで駅弁購入して11分しか乗り換え時間なく不安はあったがゆとりをもって南循環線で運動公園入口へ。
松江は2020秋・2023夏と来場しているだけにバス停から球場までの心臓破りの坂を見ても驚かない。
テクテク歩いて汗をぬぐって昨夏ようやくスタンドに足を運べた松江市営球場のネット裏に着席。
今大会は島根4校・鳥取3校参加するので楽しみにしていた。
早速開幕試合で米子東が登場し、平日にもかかわらず学ランを着た応援団(女子1名含む)ブラスバンドも駆け付け広島商との伝統校対決に挑むも・・・
初日開幕試合 米子東(鳥取③)ー広島商(広島) 11:02~13:48
一二三四五六七八九十計HE
広 島 商000200221 7143 大宗、徳永-片岡、柳井
米 子 東000011000 263 田中、遠藤、丸山-福井
そして第2試合は今大会もっとも楽しみにしていた 帰ってきたやくざ監督VS文武別道を標榜する坂原監督のクセの強い監督対決が意外なワンサイドゲーム、、、、、
初日第2試合 開星(島根②)ー下関国際(山口③) 14:30~16:35
一二三四五六七八九十計HE
下関国際0010000 140 宮本、髙園-田中
開 星0101402x 8111 篠田、松浦-松本
開幕試合同様ロングゲームになれば、あるいはナイターも!?と期待したが、まさかの7回コールドで撃沈。
ただ、乃木駅~松江駅まで電車移動を考えていたし、1時間に1本しか電車が来ないので、コメダでくつろぐことを考えれば時間配分はこれで良かった!
17時45分の電車に乗れば最良だったが、球場から乃木駅まで30分強かかるので、あえて18時44分の電車に照準を合わせて松江アーバンホテルには19時過ぎヤド入り。
しかし、、、1本遅らせたのが凶と出て、ヤドで自転車借りて夕食に目をつけていた『まるなかうーめん』は早じまいされしゃーなしにイオンで夕食・・・。明日、もう1回うーめんにチャレンジしようと(本当は出雲市でみそカツ定食食べるつもりだったが)
そして、21時頃にヤドの系列『松江ニューアーバンホテル』まで3kmほど漆黒の闇を自転車爆走させ大浴場に入りに行ったが、知らない街の夜道を自転車で疾走するのは人生初で・・・。22時過ぎにヤドに戻り、興奮覚めやらぬままあまり眠れず2日目の朝を迎えた。
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2日目が最も天気が安定していた!予定通り8時過ぎに出発してヤドでレンタサイクル借りてまず、ギャートルズ広場やカラコロ工房を散策して9時前に松江城へ!
国宝・松江城には初来場時に入場して観光したが、2回目そして3度目の今回は間近で見てるだけで撤収。
宍道湖を横切ってずいぶん遠回りしたが、なんとか市営球場に辿り着き、すぐ近くのスーパーdioで激安弁当仕入れて球場入り。この時点で、翌日の天候不良を見越して「明日は1時間繰り上げて第1試合10時開始予定」と発表、、、、、こうなると朝のうちに出雲大社参拝してからの球場入りの予定がワヤに↓↓
しかしこの日は2試合連続7回コールドと運がなかった↓↓浜山は16時53分まで熱戦繰り広げていたのに。。。
2日目第1試合 岡山学芸館(岡山①)ー西京(山口③) 11:02~12:58
一二三四五六七八九十計HE
学 芸 館1100601 9101 青中、佐藤光、吉井-佐藤滉
西 京0000000 030 杉岡、池田-末次
しかし、西京高校は97年春夏連続甲子園出場時は強かったが、この試合を見る限りでは中国大会に出れるレベルにはなかった・・・・・。
学芸館が強かったというよりも西京のレベルがあまりにも落ちていたので仕方ないかなと。
2日目第2試合 大田(島根④)ー境(鳥取①) 13:43~15:20
一二三四五六七八九十計HE
大 田0130202 8100 生越、安井
境 0001000 152 松原、瀬川-橋本
部員11人で島根4位に入った大田が逆のスコアで大敗する危惧はあったが、まさか鳥取1位の境を攻守で圧倒するとは!!
スクイズやホームランなど大技小技で終始圧倒し、境の攻守にわたるミスもありまさかの7回コールド。最後は2死1・2塁から3塁ベンチ前に暴投のシーンで2塁走者ホームを狙うもゆとりをもってタッチアウト!で試合終了と。。。
あと1時間程見たかったが、まだまだ陽が高いので「田和山遺跡」見学してヒマを潰し、宍道湖の夕焼け見てから喫茶店で一息ついて、前日食べられなかった「鴨どんうーめん定食」にありついた!そうめんを暖かくしたような感じだったが、出汁が甘くて優しい味で美味しかった。
本当は18時19分の鈍行で出雲入りするつもりが、夕食を松江で食べたので19時26分までずらして20時13分ようやく出雲入りで駅前徒歩1分のヤド入り。
ここではコーヒーや夜泣きそばの無料サービスあり、金平糖などのお菓子も無料で好きなだけGETできるので、紙コップに金平糖タンマリ入れて浜山球場でポリポリかじっていた。
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最終日・・・この日は天気予報が錯綜して、早ければ正午過ぎから遅くとも夕方には雨が降り出すという複雑な予報・・・夜から明日にかけては本降りということで、、、
島根県高野連も試合開始時間を1時間繰り上げてやる気マンマンだ!!
しかし、僕は今回4度目の出雲市で初めて午前中に出雲大社参拝して返す刀で浜山球場へ行き、出雲市駅の18時32分の特急やくもに乗るつもりだった。
出雲市駅~出雲大社までは約10km。出雲市駅~浜山球場は6km強なんで帰りの足を考えると、球場から駅へ向かうのが楽なんだが・・・・・。
試合終了が1時間早く終わるので、雨の間隙を縫って出雲大社へ足を運び1時間強あれば帰ってこれるので・・・しかし、いつ雨が降り出すか???そして雨量が大きく左右する。
初回と3回目の出雲大社は晴天で全く問題なかったが、2回目の22年春は同じような展開で、試合中はなんとか天気持ったが、出雲大社参拝中に雨が降り出し、天候の回復の見込みがないため、一畑電車に320円払って自転車積み込んで出雲市駅へ帰ってきた、、、、、
最悪、その二の舞も覚悟しつつ、前日同様ヤドで無料自転車を借り8時頃出発・・・出雲ドームに寄り道した折に霧雨が降り出し早すぎる雨雲襲来に戦慄が走りつつもほんの少しだけ青空も見えて、運を天に任せて浜山球場ネット裏中段の屋根下に陣取り、試合中は雨に濡れることはない。第2試合終了後なんとか出雲大社まで爆走してその後の展開は天気と相談しようと!浜山球場を通り過ぎ、あの大社高校の正門前で写真撮影してから球場入り。
しかし、前日は2試合連続7回コールドで早じまいだったが、こういう急いで球場から脱出したいときに限ってまさかの延長戦にロングゲームと浜山球場が僕を帰してくれない!!
3日目第1試合 米子松蔭(鳥取②)ー盈進(広島③) 9:57~12:42
一二三四五六七八九十11121314151617181920計HE
盈 進00001000020 372 木原-妹尾
米子松蔭00000000121x 4102 新里-惣郷
この試合は盈進が広島野球で圧倒するかと思いきや・・・。あの門馬監督がやってきた創志学園をコールド完封で一蹴した米子松蔭が山陽勢をまさかの連破!!
背番号4の小さなエースが孤軍奮闘するも打線が見殺し、再三再四のチャンスも無得点で9回2死ランナーなしからまさかの長短打で土壇場に追いつきまさかの延長タイブレーク!!
10回両軍2点ずつ取り合い、いつもだったら大喜びだが、天気は悪いし出雲大社に行きたいし・・・18時32分の特急やくもに乗り遅れたら今日中に家に帰れない↓↓
11回裏無死満塁のチャンスも三振・ライトフライでツーアウトとなり12回も覚悟したが、最後は途中出場の選手がセンター前タイムリーヒットで2時間45分の熱戦に終止符。
まだ、天気はもちそうなんで・・・松江では立ち入り禁止の外野芝生席だが、浜山は着席できるので弁当片手に外野芝生席で昼食。
3日目第2試合 矢上(島根③)ー倉敷商(岡山②) 13:16~15:30 14:11点灯 5回表から
一二三四五六七八九十計HE
倉 敷 商000040100 5105 田邊、小林-妹尾
矢 上23000010X 642 和田、鈴木、的場-花田
このカードは5年前の秋、 コカ・コーラボトラーズジャパンスポーツパーク球場(現・ヤマタSP)で対戦があり延長11回 10-9で倉敷商が競り勝つ3時間ゲームを観戦していたので、同じような展開かとイヤな予感がズバリ的中し・・・・・。
前半、倉敷商の守備が崩壊しあるいはコールドもチラついたが、中盤に梶山監督の気合が選手に乗り移り怒涛の猛追で1点差に詰め寄り7回ついに追いつきやはり今回も・・・と思われたが、矢上が山陰球児の意地を見せすぐさま勝ち越しそのまま逃げ切り成功!!
結局、今大会山陰勢7校は7勝7敗(山陰対決2試合含む)と大健闘。
第2試合途中何度か通り雨に遭い、おかげで14時11分点灯とサプライズもあり、15時30分の時点では雨が上がっていたので出雲大社へGO!!しかし、道中雨が降り出しバス停で一時雨宿りして、なんとか出雲大社に辿り着きもう16時過ぎていたので思いっきり足早にお参りして30分程度で退散し、暗雲見ながら早足で南下していった。
いくつか喫茶店を行きに探していたが、ちと道に迷ったこともあり。。。雨雲の動向や時間を考え手堅く駅に隣接する小さな喫茶店で妥協するかと。
ギリギリいっぱい雨雲から逃げ切りホテルに自転車返却3分前頃からまた雨が・・・・・。
喫茶店で汗をぬぐいながらアイスコーヒーとスイートポテトをつまみながら、時間を潰し出雲市駅から岡山までは3時間03分。
暗闇の車窓に目を凝らしていると雨はすぐさま本降りに・・・今回は何とか雨雲から逃げ切った格好になった!!
次に島根に戻るときは、、、おそらく2027年春の中国大会になると思われる。
鳥取の順番が入れ替わったことが功を奏してくれた!
その恩恵をいちばん受けたのは島根4位の大田高校でワリを喰ったのが鳥取4位の八頭高校、、、、、
八頭は昨夏(2023年)に米子で第1試合途中から観戦し倉吉東に逆転負けした試合観戦できたし、徳永監督も復帰して元気そうだったのでまた2025年に期待。大田は2024年夏の3回戦で初観戦した大社に続き、これまで縁がない高校だったので初の生観戦でき満足している。
長い長い旅路の途中、、、セブンイレブンの弁当に手を付ける前に車窓眺めて、睡魔に任せて浅い眠りから覚めるとヤドで無料配布されていた「山陰中央新報」読んでから弁当に手を付けた。
ありがとう松江・そして浜山。。。さよならするのはつらいけど・・・
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最後に一曲。2015年紀の国わかやま国体が開催された年の11月23日和歌山城砂の丸広場 にて食祭における🎵FunxFamライブを貼り付けておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=FiluvZjXzOM
僕も端っこの方で見ておりましたが、毎年FunxFamライブは盛り上がってました。
コロナ騒動以降見ていないので、なんですが2021年から毎年TV和歌山の高校野球ハイライトのテーマソングに抜擢されているし、今年で結成15年目の和歌山初地域密着型アイドルを陰ながら温かく見守りたいものです。
さて今日で『チーム宏鈴』結成21年3ヶ月となり18年連続で大晦日の忘年会編に続いてファン感謝祭新年会編を始めます。
とはいえ、忘年会編ではネタは毎年つきませんが、新年会編では話題が枯渇しており毎年頭を悩ませております、、、今回は昨秋、初めて徳島市・むつみスタジアム そして2年連続4度目の島根遠征を振り返ってみようと思います。
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まずは徳島遠征。初めて徳島に上陸したのは2004年秋の徳島大会最終日となる。
30歳になったのを機に、一念発起して倉敷マスカットスタジアム&鳴門オロナミンC球場に目をつけ初来場を目論んでいた。
鳴門までは、明石海峡大橋ができたので三宮から高速道路で約90分で四国上陸が可能だ!
ただ、そこから球場までひたすら歩き、道中真ん中あたりで鳴門駅を通過するが、単線だし1時間に1本程度しか電車は来ずこぢんまりとした駅ではっきり言って和歌山よりもかなり田舎なきらいはあった。。。
その後、親善野球や四国大会でごくたまに訪れ鳴門は4回・アグリあなんに1回顔を出したが、蔵本のむつみスタジアムは四国ILでナイター開催も多々あるが、高校野球で行きたかったので都合合わず・・・。
04年10月 秋季徳島大会(鳴門)
09年 6月 徳島選抜-ハワイ選抜親善試合(鳴門)
13年 5月 春季四国大会(アグリあなん~鳴門)
17年 5月 春季四国大会(鳴門・鳴門)
しかし、2023年シーズン終了と同時に鳴門が長期改装工事に入ったので2年間使用不可となり、夏のメインがむつみスタジアムとなった!
さすがに猛暑の中、屋根のない見知らぬ土地に日帰りでは厳しいので、自重して秋の大会で日帰りを考えていた。
上手い具合に雨天中止が2日ほどあり和歌山大会とかち合わず10/13が最終日となり、3位決定戦 10時~ 決勝戦 13時30分~ という日程でしかも閉会式があるのでここに照準を合わせ天気予報では快晴ゆえに10月中旬とはいえ迷わず半袖で高速バスに乗り込んだ。
徳島駅には2013年GWに1度だけアグリあなん~鳴門へ移動する際に寄ったが、駅前はかなり開けていた。近所の徳島ラーメン屋で夕食食べて鳴門まで電車に乗っていたことは覚えていたが、さすがに10年経つと当時の記憶はほとんどなく・・・・・。
事前に調べてレンタサイクルを駅前地下駐車場で借りそこから4kmほど行けば球場に着くと分かっていたので・・・。
朝いちばんの高速バスに乗り8時30分には徳島駅へ着くが、夕方による喫茶店~ラーメン屋の物色に手間取り同じ道をグルグル回ってなかなか前に進めないのが方向音痴の悲しい性。
なんとか場所確認を済ませてようやく前に走りだし、幸い道は平たんだったので9時20分には球場入りできた。
https://www.awa-spo.net/kuramoto/stadium/
両翼100m中堅116mと外野は広いのか狭いのか???
ネット裏は鳴門よろしく鳥かごのように網で守られファールボールの心配なく、しかし10月中旬とはいえ徳島も猛残暑が続き30度近い気温で厳しい熱さだった!!
試合はやはりすでに四国行きが決まった決勝よりも3位決定戦の方が熱いと予想していたが・・・。
鳴門が川島にまさかの大苦戦を強いられるも土壇場9回表に4番の逆転3ランなどで6-5と試合をひっくり返し劇的な勝利!!
3位決定戦 鳴門ー川島 9:57~12:41
一二三四五六七八九十計HE
鳴 門000011004 6102 大門、吉本、橋本、吉本、橋本-高橋
川 島200210000 590 重清、赤松-溝口
3位表彰式を見てから、自転車で近所の十割そば屋で昼食をとり、急いで球場に戻るとまだ散水中で間に合った。
決勝戦は鳴門渦潮-小松島でこれも打撃戦となり夏優勝した鳴門渦潮が7-6で競り勝った。
決勝戦 鳴門渦潮ー小松島 13:41~15:43
一二三四五六七八九十計HE
小 松 島002030010 6132 三原-川西
鳴門渦潮12031000X 7122 大城-倉橋
スタンドは太鼓1つの応援で徳島の応援はいささか寂しいものがあるが試合が熱かったので満足してもう2度と来ることはない徳島の街を疾走。
20時のバスを予約したので観光の間もあり徳島城に足を運びきれいな夕焼け拝見して喫茶店~ラーメン屋へ行きたかったが、、、あいにく3連休中日の日曜日ということもあってか?目当ての店は閉まっており、しゃーなしに代替店で。まさかホテル付属の喫茶店に行くとは・・・。
次に四国へ行くときには改装工事を終えた鳴門に泊まりで行きたいが、鳴門市内のヤドはあまり多くないし少し離れたルートインに行くか?あえて徳島市内に行くか?またその時考えよう。
過去2回春季四国大会宿泊観戦の折はGW渋滞に巻き込まれ淡路島からなかなか脱出できず、運転手の機転で高速降りて下道走行して3時間かけて三宮に着いたが今回は定時運航で楽しい1日だった!!
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そして、6年連続山陰行き。順番通りならば鳥取で秋季中国大会が開催されるはずだったが、、、どら焼きドラマチックパーク米子球場のスコアボード改修工事の影響をモロに受け、浜山球場が24年冬から大規模改修工事に入るので順番入れ替えで島根に・・・・・。
当初は、交通費もかかるし23年夏に宿泊観戦史上初の県またぎで浜山~松江に行ったばかりだし、鳥取のヤマタSPはずいぶんゴブサタだったので久しぶりに鳥取市へ行きたい気持ちもありも凄く残念な気持ちもあったが・・・・・。
8月の甲子園でご存じ、大社旋風が吹き荒れて学校が浜山公園すぐ隣にあるので正門の横を通れると!
気持ちも切り替わり6年連続の山陰行きにワクワクしていたが週間天気予報を見るとすこぶる悪く、最悪予備日を含む金曜日~月曜日全部雨予報でまともに観戦できるか???そして2日目・3日目はレンタサイクルでの移動を前提に行程表作っていたので大いなる不安を抱えていた。
結果的に予報が改善されていき、どうやら最終日の日曜日が雨に祟られる恐れもあるが、金曜・土曜の松江は大丈夫!
あとは日曜日が雨で消化できないと月曜日はもっと予報が悪いので、泣く泣く日曜で切り上げて帰らなければならないかなと。
そして旅立ちの朝・・・10月25日~27日ともなればある程度の寒さ対策をするのが通例だが、昨夏の猛烈な熱さの影響は秋に入っても続き、さすがに半袖は見送ったが薄手のカッターシャツにパーカーをリュックに忍ばせて4時起床4時50分出発で松江市営球場まで5時間30分の旅に出た。
岡山駅の自販機で「ポッカ 中四国限定レモネード」を買うのが定番で、岡山から2時間44分特急やくもに揺られて松江入り。
ラジコでRSK山陽放送・BSS山陰放送を聴きながら単調な生波の車窓を潜り抜けた!!
珍しくペイペイで駅弁購入して11分しか乗り換え時間なく不安はあったがゆとりをもって南循環線で運動公園入口へ。
松江は2020秋・2023夏と来場しているだけにバス停から球場までの心臓破りの坂を見ても驚かない。
テクテク歩いて汗をぬぐって昨夏ようやくスタンドに足を運べた松江市営球場のネット裏に着席。
今大会は島根4校・鳥取3校参加するので楽しみにしていた。
早速開幕試合で米子東が登場し、平日にもかかわらず学ランを着た応援団(女子1名含む)ブラスバンドも駆け付け広島商との伝統校対決に挑むも・・・
初日開幕試合 米子東(鳥取③)ー広島商(広島) 11:02~13:48
一二三四五六七八九十計HE
広 島 商000200221 7143 大宗、徳永-片岡、柳井
米 子 東000011000 263 田中、遠藤、丸山-福井
そして第2試合は今大会もっとも楽しみにしていた 帰ってきたやくざ監督VS文武別道を標榜する坂原監督のクセの強い監督対決が意外なワンサイドゲーム、、、、、
初日第2試合 開星(島根②)ー下関国際(山口③) 14:30~16:35
一二三四五六七八九十計HE
下関国際0010000 140 宮本、髙園-田中
開 星0101402x 8111 篠田、松浦-松本
開幕試合同様ロングゲームになれば、あるいはナイターも!?と期待したが、まさかの7回コールドで撃沈。
ただ、乃木駅~松江駅まで電車移動を考えていたし、1時間に1本しか電車が来ないので、コメダでくつろぐことを考えれば時間配分はこれで良かった!
17時45分の電車に乗れば最良だったが、球場から乃木駅まで30分強かかるので、あえて18時44分の電車に照準を合わせて松江アーバンホテルには19時過ぎヤド入り。
しかし、、、1本遅らせたのが凶と出て、ヤドで自転車借りて夕食に目をつけていた『まるなかうーめん』は早じまいされしゃーなしにイオンで夕食・・・。明日、もう1回うーめんにチャレンジしようと(本当は出雲市でみそカツ定食食べるつもりだったが)
そして、21時頃にヤドの系列『松江ニューアーバンホテル』まで3kmほど漆黒の闇を自転車爆走させ大浴場に入りに行ったが、知らない街の夜道を自転車で疾走するのは人生初で・・・。22時過ぎにヤドに戻り、興奮覚めやらぬままあまり眠れず2日目の朝を迎えた。
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2日目が最も天気が安定していた!予定通り8時過ぎに出発してヤドでレンタサイクル借りてまず、ギャートルズ広場やカラコロ工房を散策して9時前に松江城へ!
国宝・松江城には初来場時に入場して観光したが、2回目そして3度目の今回は間近で見てるだけで撤収。
宍道湖を横切ってずいぶん遠回りしたが、なんとか市営球場に辿り着き、すぐ近くのスーパーdioで激安弁当仕入れて球場入り。この時点で、翌日の天候不良を見越して「明日は1時間繰り上げて第1試合10時開始予定」と発表、、、、、こうなると朝のうちに出雲大社参拝してからの球場入りの予定がワヤに↓↓
しかしこの日は2試合連続7回コールドと運がなかった↓↓浜山は16時53分まで熱戦繰り広げていたのに。。。
2日目第1試合 岡山学芸館(岡山①)ー西京(山口③) 11:02~12:58
一二三四五六七八九十計HE
学 芸 館1100601 9101 青中、佐藤光、吉井-佐藤滉
西 京0000000 030 杉岡、池田-末次
しかし、西京高校は97年春夏連続甲子園出場時は強かったが、この試合を見る限りでは中国大会に出れるレベルにはなかった・・・・・。
学芸館が強かったというよりも西京のレベルがあまりにも落ちていたので仕方ないかなと。
2日目第2試合 大田(島根④)ー境(鳥取①) 13:43~15:20
一二三四五六七八九十計HE
大 田0130202 8100 生越、安井
境 0001000 152 松原、瀬川-橋本
部員11人で島根4位に入った大田が逆のスコアで大敗する危惧はあったが、まさか鳥取1位の境を攻守で圧倒するとは!!
スクイズやホームランなど大技小技で終始圧倒し、境の攻守にわたるミスもありまさかの7回コールド。最後は2死1・2塁から3塁ベンチ前に暴投のシーンで2塁走者ホームを狙うもゆとりをもってタッチアウト!で試合終了と。。。
あと1時間程見たかったが、まだまだ陽が高いので「田和山遺跡」見学してヒマを潰し、宍道湖の夕焼け見てから喫茶店で一息ついて、前日食べられなかった「鴨どんうーめん定食」にありついた!そうめんを暖かくしたような感じだったが、出汁が甘くて優しい味で美味しかった。
本当は18時19分の鈍行で出雲入りするつもりが、夕食を松江で食べたので19時26分までずらして20時13分ようやく出雲入りで駅前徒歩1分のヤド入り。
ここではコーヒーや夜泣きそばの無料サービスあり、金平糖などのお菓子も無料で好きなだけGETできるので、紙コップに金平糖タンマリ入れて浜山球場でポリポリかじっていた。
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最終日・・・この日は天気予報が錯綜して、早ければ正午過ぎから遅くとも夕方には雨が降り出すという複雑な予報・・・夜から明日にかけては本降りということで、、、
島根県高野連も試合開始時間を1時間繰り上げてやる気マンマンだ!!
しかし、僕は今回4度目の出雲市で初めて午前中に出雲大社参拝して返す刀で浜山球場へ行き、出雲市駅の18時32分の特急やくもに乗るつもりだった。
出雲市駅~出雲大社までは約10km。出雲市駅~浜山球場は6km強なんで帰りの足を考えると、球場から駅へ向かうのが楽なんだが・・・・・。
試合終了が1時間早く終わるので、雨の間隙を縫って出雲大社へ足を運び1時間強あれば帰ってこれるので・・・しかし、いつ雨が降り出すか???そして雨量が大きく左右する。
初回と3回目の出雲大社は晴天で全く問題なかったが、2回目の22年春は同じような展開で、試合中はなんとか天気持ったが、出雲大社参拝中に雨が降り出し、天候の回復の見込みがないため、一畑電車に320円払って自転車積み込んで出雲市駅へ帰ってきた、、、、、
最悪、その二の舞も覚悟しつつ、前日同様ヤドで無料自転車を借り8時頃出発・・・出雲ドームに寄り道した折に霧雨が降り出し早すぎる雨雲襲来に戦慄が走りつつもほんの少しだけ青空も見えて、運を天に任せて浜山球場ネット裏中段の屋根下に陣取り、試合中は雨に濡れることはない。第2試合終了後なんとか出雲大社まで爆走してその後の展開は天気と相談しようと!浜山球場を通り過ぎ、あの大社高校の正門前で写真撮影してから球場入り。
しかし、前日は2試合連続7回コールドで早じまいだったが、こういう急いで球場から脱出したいときに限ってまさかの延長戦にロングゲームと浜山球場が僕を帰してくれない!!
3日目第1試合 米子松蔭(鳥取②)ー盈進(広島③) 9:57~12:42
一二三四五六七八九十11121314151617181920計HE
盈 進00001000020 372 木原-妹尾
米子松蔭00000000121x 4102 新里-惣郷
この試合は盈進が広島野球で圧倒するかと思いきや・・・。あの門馬監督がやってきた創志学園をコールド完封で一蹴した米子松蔭が山陽勢をまさかの連破!!
背番号4の小さなエースが孤軍奮闘するも打線が見殺し、再三再四のチャンスも無得点で9回2死ランナーなしからまさかの長短打で土壇場に追いつきまさかの延長タイブレーク!!
10回両軍2点ずつ取り合い、いつもだったら大喜びだが、天気は悪いし出雲大社に行きたいし・・・18時32分の特急やくもに乗り遅れたら今日中に家に帰れない↓↓
11回裏無死満塁のチャンスも三振・ライトフライでツーアウトとなり12回も覚悟したが、最後は途中出場の選手がセンター前タイムリーヒットで2時間45分の熱戦に終止符。
まだ、天気はもちそうなんで・・・松江では立ち入り禁止の外野芝生席だが、浜山は着席できるので弁当片手に外野芝生席で昼食。
3日目第2試合 矢上(島根③)ー倉敷商(岡山②) 13:16~15:30 14:11点灯 5回表から
一二三四五六七八九十計HE
倉 敷 商000040100 5105 田邊、小林-妹尾
矢 上23000010X 642 和田、鈴木、的場-花田
このカードは5年前の秋、 コカ・コーラボトラーズジャパンスポーツパーク球場(現・ヤマタSP)で対戦があり延長11回 10-9で倉敷商が競り勝つ3時間ゲームを観戦していたので、同じような展開かとイヤな予感がズバリ的中し・・・・・。
前半、倉敷商の守備が崩壊しあるいはコールドもチラついたが、中盤に梶山監督の気合が選手に乗り移り怒涛の猛追で1点差に詰め寄り7回ついに追いつきやはり今回も・・・と思われたが、矢上が山陰球児の意地を見せすぐさま勝ち越しそのまま逃げ切り成功!!
結局、今大会山陰勢7校は7勝7敗(山陰対決2試合含む)と大健闘。
第2試合途中何度か通り雨に遭い、おかげで14時11分点灯とサプライズもあり、15時30分の時点では雨が上がっていたので出雲大社へGO!!しかし、道中雨が降り出しバス停で一時雨宿りして、なんとか出雲大社に辿り着きもう16時過ぎていたので思いっきり足早にお参りして30分程度で退散し、暗雲見ながら早足で南下していった。
いくつか喫茶店を行きに探していたが、ちと道に迷ったこともあり。。。雨雲の動向や時間を考え手堅く駅に隣接する小さな喫茶店で妥協するかと。
ギリギリいっぱい雨雲から逃げ切りホテルに自転車返却3分前頃からまた雨が・・・・・。
喫茶店で汗をぬぐいながらアイスコーヒーとスイートポテトをつまみながら、時間を潰し出雲市駅から岡山までは3時間03分。
暗闇の車窓に目を凝らしていると雨はすぐさま本降りに・・・今回は何とか雨雲から逃げ切った格好になった!!
次に島根に戻るときは、、、おそらく2027年春の中国大会になると思われる。
鳥取の順番が入れ替わったことが功を奏してくれた!
その恩恵をいちばん受けたのは島根4位の大田高校でワリを喰ったのが鳥取4位の八頭高校、、、、、
八頭は昨夏(2023年)に米子で第1試合途中から観戦し倉吉東に逆転負けした試合観戦できたし、徳永監督も復帰して元気そうだったのでまた2025年に期待。大田は2024年夏の3回戦で初観戦した大社に続き、これまで縁がない高校だったので初の生観戦でき満足している。
長い長い旅路の途中、、、セブンイレブンの弁当に手を付ける前に車窓眺めて、睡魔に任せて浅い眠りから覚めるとヤドで無料配布されていた「山陰中央新報」読んでから弁当に手を付けた。
ありがとう松江・そして浜山。。。さよならするのはつらいけど・・・
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最後に一曲。2015年紀の国わかやま国体が開催された年の11月23日和歌山城砂の丸広場 にて食祭における🎵FunxFamライブを貼り付けておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=FiluvZjXzOM
僕も端っこの方で見ておりましたが、毎年FunxFamライブは盛り上がってました。
コロナ騒動以降見ていないので、なんですが2021年から毎年TV和歌山の高校野球ハイライトのテーマソングに抜擢されているし、今年で結成15年目の和歌山初地域密着型アイドルを陰ながら温かく見守りたいものです。