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☝優秀選手に菰野高校前主将の山口拓真さん 日本学生野球協会表彰
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/AST1N4DN0T1NONFB002M.html
日本学生野球協会の2024年度優秀選手に、三重県内から県立菰野高校の野球部前主将、山口拓真さん(18)が選ばれた。20日に同校で表彰式があり、記念の盾が贈られた。
山口さんは主将として下級生主体のチームを支え、昨夏の第106回全国高校野球選手権大会出場の原動力となった。学業は学年5位以内を維持し、文武両道の模範となったことも評価された。
三重県高野連の岡村芳成会長から盾を受け取った山口さんは「優秀選手に選ばれたのは光栄でうれしい」と喜びを語った。主将を務めた1年間は「苦しく大変な期間だったが、結果として甲子園出場や受賞をできてよかった」と振り返った。卒業後は大手自動車会社への就職が決まっており、「今後も地域の草野球などで趣味として野球に関わりたい」と述べた。
🔥大垣日大・阪口野球の「魂」受け継ぐ高橋正明監督 重視するのは選手の主体性 新体制で初の聖地へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/e114392cfbd7d45d37051b2f53f86c83053ff28d
◇「春よ、来い」(上) センバツ高校野球大会出場校24日決定
第97回センバツ高校野球大会の出場校が24日の選考委員会で決まる。昨年と同様に一般選考(明治神宮大会枠1校を含む)の30校と21世紀枠の2校の計32校を選出。東海地区は3枠で、昨秋の東海大会を制した大垣日大(岐阜)、準優勝の常葉大菊川(静岡)の選出が濃厚。残る1枠は同大会4強の至学館(愛知)と岐阜第一を比較することになりそうだ。吉報を待つ4校を3回に分けて紹介する。
新・大垣日大で初の甲子園に挑むことになりそうだ。2023年末に前監督の阪口慶三さん(80)が勇退。愛知・東邦と大垣日大で甲子園に春夏通算35度出場、同40勝を挙げた名将に代わり、昨年1月に高橋正明監督(42)が就任した。新体制がスタートした年に秋の県大会を制し、そのまま東海大会も制覇。聖地への切符がほぼ確実となった。
高橋監督は「大垣日大は一つの完成されたチーム。甲子園に行って当たり前で、常に勝てるというのを継承していかないと」と出場で満足せず、甲子園の勝利も見据えたチームづくりに励む。
阪口野球を継承し、進化させる。阪口さんが監督に就任した05年から約19年間、副部長兼コーチとしてチームを見てきた。阪口さんからは「もう全部教えてある」と後を託された。
最も大切にするのは野球に対する「魂」だ。練習でも試合でも、選手も指導者も熱く白球を追う。昨年は春の県大会、夏の岐阜大会ともに準々決勝敗退。貫いてきた戦い方がかみ合ったのが、秋だった。
県大会決勝から東海大会決勝までの4試合は、全て逆転勝ち。東海大会準々決勝の愛知・中京大中京戦はタイブレークの延長10回にスクイズで勝ち越し。決勝の常葉大菊川戦では投手・中野の二盗で先制点を呼び込むなどポジションを問わない積極走塁も功を奏した。阪口さんの時代から武器としていた機動力、精度の高い小技は健在だ。
新監督になって、より重要視するのは選手の主体性だ。「阪口先生もそうでしたけど、試合でミスを恐れずに攻める姿勢はより出ていると思う」。アウトを恐れず盗塁に挑戦させる機会を増やし、前向きにプレーできる環境づくりを意識。主将の西河は「阪口先生の時から魂は変わらない。よりやらされるではなく、自分たちで考えたり指摘し合ったりする意識ができたと思う」と肌で感じている。
直近の甲子園出場は23年夏。当時1年の中野が唯一、メンバー入りしたが登板機会はなかった。監督、選手ともにまっさらなメンバーで、甲子園に新しい大垣日大の歴史を刻む。
📝昭和100年へ OBの木戸克彦&小早川毅彦の両氏が語る逆転のPLの〝原点〟「最後はさすがにまずいな」「奇跡の瞬間はお好み焼き店」(前編)
https://news.yahoo.co.jp/articles/d60afb891ddb7e088f496e8f3f432d1c7cec51b3
昭和の高校野球史にさん然と輝くPL学園。1978(昭和53)年夏の初優勝から、春夏合わせて7度の全国制覇はすべて昭和に達成した。2016(平成28)年に休部。過酷な寮生活などがクローズアップされることが多いが、その強さには令和にも通じる理由があった。初優勝時の主将・木戸克彦氏(63)=阪神球団本部プロスカウト部長=と、1年後輩の小早川毅彦氏(63)が2回に渡って、当時を振り返る。
小早川氏(以下、小早川) 僕にとってPL学園でも法大でも1学年先輩の木戸さんは「ザ・キャプテン」。よろしくお願いします。
木戸氏(以下、木戸) コバ(小早川)は入ってきた時からポンポン飛ばして。すごい後輩が入ってきたと思った。でも初優勝(1978年夏)の時は、ベンチから外れていたよな?
小早川 選抜が終わって以降は4番を任されていたんですが、膝の故障で。だからアルプススタンドで制服で応援していました。でも逆転のPLと呼ばれ始める準決勝の中京(現中京大中京)戦は見ていなくて。
木戸 どういうこと?
小早川 0-4で終盤だから、負けると思って、同級生と早めにバスまで戻ろうとしたんです。そうしたら、途中のお好み焼き店のおばちゃんが「あんたら、PLの生徒やろ? 猛反撃してるで」と。奇跡の瞬間はお好み焼き店でした。
木戸 あれだけ練習したから絶対に負けない、と思っていたけれど、中京戦の最後はさすがにまずいなと思った。追いついたら相手がミスってくれた。あの夏は自分の調子が悪くてな。「3番・主将」なのに全然、打てない(準決勝まで13打数1安打)。こんな俺が決勝戦の朝3時半に起きて、掃除をした。先生に見つかったけれど「やらせてください」とお願いして。「勝たせてください」と祈ったよ。
小早川 決勝戦も高知商に逆転サヨナラ勝ち。しっかりスタンドで見届けました。
木戸 準決勝に勝って学校に帰ったら全員(自発的に)打撃練習をしに行った。いい選手がいっぱいいるから、打てなかったら代えられると思っていた。そういうチーム。大会前の練習試合で10-0で勝っていても、1点取られたら試合後にポール間ダッシュ10往復。1点取られなければ絶対に負けないと言われ、徹底的に守備を鍛えられた。スーパースターがいなくても勝てたのは守備のおかげ。それが粘り、逆転につながった。
小早川 「逆転のPL」という言葉を生んだ、あの2試合があるから、後の選手たちが「甲子園で優勝するならPL」「プロに行くならPL」という流れを生んだんだと思います。
木戸 自分がいた時期は、その後にあんな黄金時代が来るとは夢にも思わなかった。入れ替わりで吉村禎章(巨人)らが入ってきて、やがて桑田(真澄=巨人など)、清原(和博=西武など)、さらに立浪(和義=中日)の世代に…。
小早川 木戸さんの代の全国制覇が始まりです。なぜPL学園に進まれたんですか?
木戸 中学3年の夏頃かな。北陽、泉州、あと何校かの勧誘があった。その中にPLも。当時はまだ甲子園で一度も優勝していない時代で詳しく知らなかったが「ごっつい投手が入る。バッテリーを組んでくれたら全国制覇ができる」と猛烈に誘われて。それが西田真二(法大→広島)。全寮制と聞いて、家に迷惑もかけないしなと。
小早川 僕は広島だったので全然、予備知識がなくて。広島商や崇徳など広島の高校しか考えていなかった。PLと聞いて最初は外国の高校かと思ったぐらい。中学3年の春に最初にスカウトの方が来てくださったのがPL。それで決めました。その年の夏の甲子園で準優勝して、こんな強い学校なんだと。中学の3学期に、PL中学に転校したんです。
木戸 全国から優秀な選手を集めて批判もあったみたいやけれど、その後を見てみろ。常勝チームを作るお手本を、昭和の時代のPL学園がやっていたわけだ。
小早川 我々が先駆けだったんですね。
⚾岩手さんへ
和歌山南陵高校・・・忘れた頃に名前が出てきましたね!
国際開洋二のときに1度閉校しつつも、また蘇ってきたので今回も海外留学生やスポーツ特待生を中心に立て直してくるとは思いますが、来年度の入学希望者がいるかどうかは不透明ですね・・・・・。
現中学3年生に対して、保護者や学校の先生が進学を勧める可能性が限りなく低いと思うので、、、、、
数年後の復活には期待しております!
名前を挙げた3人の監督さんの中で、日大三島に異動した永田監督がかなり苦戦してますね。
1度春夏連続甲子園に出たものの、金光大阪・国学院栃木と格下相手に連続初戦敗退でそれ以後は目立った戦績を残していないし・・・・・。報徳にそのまま残っていた方が良かった気もします。
逆に岡田監督は3年計画で激戦・兵庫できっちり結果を残し、なおかつ従来の兵庫にはなかった迫力ある打線を形成し、投手を含む守りはもともとしっかりしていたので、総合力の高いチームを作りセンバツそして夏はかなり期待できますね!
持丸監督は公立高校を複数甲子園出場に導き、常総に行ったのは失敗だったと思いますが、専大松戸が声をかけ無名校を甲子園に複数回出場させているので、相当な手腕ですね!!
金曜日にセンバツ選考会が開催され出場32校が発表されます。少しずつ球春の声が聞こえてきますね!
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/AST1N4DN0T1NONFB002M.html
日本学生野球協会の2024年度優秀選手に、三重県内から県立菰野高校の野球部前主将、山口拓真さん(18)が選ばれた。20日に同校で表彰式があり、記念の盾が贈られた。
山口さんは主将として下級生主体のチームを支え、昨夏の第106回全国高校野球選手権大会出場の原動力となった。学業は学年5位以内を維持し、文武両道の模範となったことも評価された。
三重県高野連の岡村芳成会長から盾を受け取った山口さんは「優秀選手に選ばれたのは光栄でうれしい」と喜びを語った。主将を務めた1年間は「苦しく大変な期間だったが、結果として甲子園出場や受賞をできてよかった」と振り返った。卒業後は大手自動車会社への就職が決まっており、「今後も地域の草野球などで趣味として野球に関わりたい」と述べた。
🔥大垣日大・阪口野球の「魂」受け継ぐ高橋正明監督 重視するのは選手の主体性 新体制で初の聖地へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/e114392cfbd7d45d37051b2f53f86c83053ff28d
◇「春よ、来い」(上) センバツ高校野球大会出場校24日決定
第97回センバツ高校野球大会の出場校が24日の選考委員会で決まる。昨年と同様に一般選考(明治神宮大会枠1校を含む)の30校と21世紀枠の2校の計32校を選出。東海地区は3枠で、昨秋の東海大会を制した大垣日大(岐阜)、準優勝の常葉大菊川(静岡)の選出が濃厚。残る1枠は同大会4強の至学館(愛知)と岐阜第一を比較することになりそうだ。吉報を待つ4校を3回に分けて紹介する。
新・大垣日大で初の甲子園に挑むことになりそうだ。2023年末に前監督の阪口慶三さん(80)が勇退。愛知・東邦と大垣日大で甲子園に春夏通算35度出場、同40勝を挙げた名将に代わり、昨年1月に高橋正明監督(42)が就任した。新体制がスタートした年に秋の県大会を制し、そのまま東海大会も制覇。聖地への切符がほぼ確実となった。
高橋監督は「大垣日大は一つの完成されたチーム。甲子園に行って当たり前で、常に勝てるというのを継承していかないと」と出場で満足せず、甲子園の勝利も見据えたチームづくりに励む。
阪口野球を継承し、進化させる。阪口さんが監督に就任した05年から約19年間、副部長兼コーチとしてチームを見てきた。阪口さんからは「もう全部教えてある」と後を託された。
最も大切にするのは野球に対する「魂」だ。練習でも試合でも、選手も指導者も熱く白球を追う。昨年は春の県大会、夏の岐阜大会ともに準々決勝敗退。貫いてきた戦い方がかみ合ったのが、秋だった。
県大会決勝から東海大会決勝までの4試合は、全て逆転勝ち。東海大会準々決勝の愛知・中京大中京戦はタイブレークの延長10回にスクイズで勝ち越し。決勝の常葉大菊川戦では投手・中野の二盗で先制点を呼び込むなどポジションを問わない積極走塁も功を奏した。阪口さんの時代から武器としていた機動力、精度の高い小技は健在だ。
新監督になって、より重要視するのは選手の主体性だ。「阪口先生もそうでしたけど、試合でミスを恐れずに攻める姿勢はより出ていると思う」。アウトを恐れず盗塁に挑戦させる機会を増やし、前向きにプレーできる環境づくりを意識。主将の西河は「阪口先生の時から魂は変わらない。よりやらされるではなく、自分たちで考えたり指摘し合ったりする意識ができたと思う」と肌で感じている。
直近の甲子園出場は23年夏。当時1年の中野が唯一、メンバー入りしたが登板機会はなかった。監督、選手ともにまっさらなメンバーで、甲子園に新しい大垣日大の歴史を刻む。
📝昭和100年へ OBの木戸克彦&小早川毅彦の両氏が語る逆転のPLの〝原点〟「最後はさすがにまずいな」「奇跡の瞬間はお好み焼き店」(前編)
https://news.yahoo.co.jp/articles/d60afb891ddb7e088f496e8f3f432d1c7cec51b3
昭和の高校野球史にさん然と輝くPL学園。1978(昭和53)年夏の初優勝から、春夏合わせて7度の全国制覇はすべて昭和に達成した。2016(平成28)年に休部。過酷な寮生活などがクローズアップされることが多いが、その強さには令和にも通じる理由があった。初優勝時の主将・木戸克彦氏(63)=阪神球団本部プロスカウト部長=と、1年後輩の小早川毅彦氏(63)が2回に渡って、当時を振り返る。
小早川氏(以下、小早川) 僕にとってPL学園でも法大でも1学年先輩の木戸さんは「ザ・キャプテン」。よろしくお願いします。
木戸氏(以下、木戸) コバ(小早川)は入ってきた時からポンポン飛ばして。すごい後輩が入ってきたと思った。でも初優勝(1978年夏)の時は、ベンチから外れていたよな?
小早川 選抜が終わって以降は4番を任されていたんですが、膝の故障で。だからアルプススタンドで制服で応援していました。でも逆転のPLと呼ばれ始める準決勝の中京(現中京大中京)戦は見ていなくて。
木戸 どういうこと?
小早川 0-4で終盤だから、負けると思って、同級生と早めにバスまで戻ろうとしたんです。そうしたら、途中のお好み焼き店のおばちゃんが「あんたら、PLの生徒やろ? 猛反撃してるで」と。奇跡の瞬間はお好み焼き店でした。
木戸 あれだけ練習したから絶対に負けない、と思っていたけれど、中京戦の最後はさすがにまずいなと思った。追いついたら相手がミスってくれた。あの夏は自分の調子が悪くてな。「3番・主将」なのに全然、打てない(準決勝まで13打数1安打)。こんな俺が決勝戦の朝3時半に起きて、掃除をした。先生に見つかったけれど「やらせてください」とお願いして。「勝たせてください」と祈ったよ。
小早川 決勝戦も高知商に逆転サヨナラ勝ち。しっかりスタンドで見届けました。
木戸 準決勝に勝って学校に帰ったら全員(自発的に)打撃練習をしに行った。いい選手がいっぱいいるから、打てなかったら代えられると思っていた。そういうチーム。大会前の練習試合で10-0で勝っていても、1点取られたら試合後にポール間ダッシュ10往復。1点取られなければ絶対に負けないと言われ、徹底的に守備を鍛えられた。スーパースターがいなくても勝てたのは守備のおかげ。それが粘り、逆転につながった。
小早川 「逆転のPL」という言葉を生んだ、あの2試合があるから、後の選手たちが「甲子園で優勝するならPL」「プロに行くならPL」という流れを生んだんだと思います。
木戸 自分がいた時期は、その後にあんな黄金時代が来るとは夢にも思わなかった。入れ替わりで吉村禎章(巨人)らが入ってきて、やがて桑田(真澄=巨人など)、清原(和博=西武など)、さらに立浪(和義=中日)の世代に…。
小早川 木戸さんの代の全国制覇が始まりです。なぜPL学園に進まれたんですか?
木戸 中学3年の夏頃かな。北陽、泉州、あと何校かの勧誘があった。その中にPLも。当時はまだ甲子園で一度も優勝していない時代で詳しく知らなかったが「ごっつい投手が入る。バッテリーを組んでくれたら全国制覇ができる」と猛烈に誘われて。それが西田真二(法大→広島)。全寮制と聞いて、家に迷惑もかけないしなと。
小早川 僕は広島だったので全然、予備知識がなくて。広島商や崇徳など広島の高校しか考えていなかった。PLと聞いて最初は外国の高校かと思ったぐらい。中学3年の春に最初にスカウトの方が来てくださったのがPL。それで決めました。その年の夏の甲子園で準優勝して、こんな強い学校なんだと。中学の3学期に、PL中学に転校したんです。
木戸 全国から優秀な選手を集めて批判もあったみたいやけれど、その後を見てみろ。常勝チームを作るお手本を、昭和の時代のPL学園がやっていたわけだ。
小早川 我々が先駆けだったんですね。
⚾岩手さんへ
和歌山南陵高校・・・忘れた頃に名前が出てきましたね!
国際開洋二のときに1度閉校しつつも、また蘇ってきたので今回も海外留学生やスポーツ特待生を中心に立て直してくるとは思いますが、来年度の入学希望者がいるかどうかは不透明ですね・・・・・。
現中学3年生に対して、保護者や学校の先生が進学を勧める可能性が限りなく低いと思うので、、、、、
数年後の復活には期待しております!
名前を挙げた3人の監督さんの中で、日大三島に異動した永田監督がかなり苦戦してますね。
1度春夏連続甲子園に出たものの、金光大阪・国学院栃木と格下相手に連続初戦敗退でそれ以後は目立った戦績を残していないし・・・・・。報徳にそのまま残っていた方が良かった気もします。
逆に岡田監督は3年計画で激戦・兵庫できっちり結果を残し、なおかつ従来の兵庫にはなかった迫力ある打線を形成し、投手を含む守りはもともとしっかりしていたので、総合力の高いチームを作りセンバツそして夏はかなり期待できますね!
持丸監督は公立高校を複数甲子園出場に導き、常総に行ったのは失敗だったと思いますが、専大松戸が声をかけ無名校を甲子園に複数回出場させているので、相当な手腕ですね!!
金曜日にセンバツ選考会が開催され出場32校が発表されます。少しずつ球春の声が聞こえてきますね!