自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」

ようこそいらっしゃいました。監督(管理人)の宏鈴法師です。当掲示板は全国どこの話題でもOKですのでどうぞ野球談義・よもやま話をお楽しみ下さい!なお、ご意見ご要望はメールでお願いします。悪しからずご了承くださいませ。


紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
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お知らせ

編集済
⚾今日の熱闘甲子園試合結果(1回戦)
5日目第1試合 新田(愛媛)-花巻東(岩手) 8:03~10:27
          一二三四五六七八九十計HE
      花 巻 東010101010 480
      新  田000011000 260

5日目第2試合 鳥取城北(鳥取)-岡山学芸館(岡山) 13:31~15:52
          一二三四五六七八九十計HE
      学 芸 館002003101 790
      鳥取城北003000000 362

5日目第3試合 鳴門渦潮(徳島)-八王子実践(西東京) 16:20~18:18 18:03点灯 10回表から
          一二三四五六七八九十計HE
      八王子実0000000010150
      鳴門渦潮0100000001x260

5日目第4試合 中京(岐阜)-霞ヶ浦(茨城) 18:48~21:05
          一二三四五六七八九十計HE
      霞 ヶ 浦001022100 672
      中  京100000200 381

⚾明日の熱闘甲子園組み合わせ(6日目 1・2回戦)
 ☆☆ 08:00~ 明徳 義塾-日南 学園
☆☆☆ 13:30~  横 浜 -沖縄 尚学
    16:00~ 高 岡 商-高川 学園
  ☆ 18:30~  天 理 - 福 山

📝僕のタイブレーク球場観戦歴
① 15年 4月25日 佐藤薬品S  畝 傍 9-3奈良 大付(13回) 先攻勝利
② 15年 5月31日 倉敷 MS 創志 学園4-2松 江 商(13回) 先攻勝利
③ 18年 8月 6日 甲 子 園 佐久 長聖5-4旭 川 大(14回) 先攻勝利
④ 18年 8月12日 甲 子 園  済 美 13‐11 星 稜 (13回) 後攻勝利
⑤ 18年10月 3日 福井 県営  近 江 13‐12日 大 三(10回) 後攻勝利 (国体)
⑥ 18年10月13日 明石 トーカロ 報徳 学園3-2  社  (13回) 先攻勝利
⑦ 19年 5月 6日 皇 子 山 彦 根 東8-7 綾 羽 (13回) 後攻勝利
⑧ 19年10月26日 コカコーラ  矢 上 6-3 盈 進 (13回) 先攻勝利
⑨ 21年 7月23日 紀三 井寺 智弁和歌山3-2初芝 橋本(13回) 後攻勝利
⑩ 22年 3月20日 甲 子 園  近 江 6-2長崎 日大(13回) 先攻勝利
⑪ 22年 3月25日 甲 子 園 金光 大阪4-3木更津総合(13回) 後攻勝利
⑫ 22年 4月 9日 シティ 信金S 奈良学園大4-2神 戸 大(10回) 先攻勝利 (大学)
⑬ 22年10月 2日 ウイ ンク   社  4-2 育 英 (13回) 先攻勝利
⑭ 22年10月15日 倉敷 MS 周南公立大3-1環太平洋大(10回) 先攻勝利 (大学)
⑮ 22年10月15日 倉敷 MS 東 亜 大2-1吉備国際大(10回) 後攻勝利 (大学)
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⑯ 23年 3月28日 甲 子 園 報徳 学園5-4 東 邦 (10回) 後攻勝利
⑰ 23年 3月29日 甲 子 園 報徳 学園5-4仙台 育英(10回) 後攻勝利
⑱ 23年 4月16日 ダイムS伊勢 皇 學 館4ー3昴 学 園(10回) 後攻勝利
⑲ 23年 5月 1日 HMF神戸 関西国際大5-2天 理 大(10回) 先攻勝利 (大学)
⑳ 23年 5月13日 わかさ京都 京都 国際2-1龍谷大平安(10回) 後攻勝利
㉑ 23年 7月17日  浜 山  出 雲 工9-8 安 来 (10回) 後攻勝利
㉒ 23年 7月28日 紀三 井寺 市和 歌山5-4和歌 山北(11回) 後攻勝利
㉓ 23年 8月 6日 甲 子 園 土浦 日大8-3上 田 西(10回) 先攻勝利
㉔ 23年 8月13日 甲 子 園  山 陽 4-3大垣 日大(10回) 後攻勝利
㉕ 23年 8月16日 甲 子 園  慶 応 6-3 広 陵 (10回) 先攻勝利
㉖ 23年 8月26日 紀三 井寺  那 賀 6-2 桐 蔭 (10回) 先攻勝利
㉗ 23年 9月10日 G7スタジアム  彩星 工科4-3篠山 鳳鳴(10回) 後攻勝利
㉘ 23年10月15日 福井フェニックス 敦賀 気比11-5帝京 長岡(10回) 先攻勝利
㉙ 23年10月22日 シティ信金 京都 国際3-2 田 辺 (10回) 後攻勝利
㉚ 23年10月22日 シティ信金 京都外大西7-5彦根 総合(10回) 先攻勝利
㉛ 24年 3月18日 甲 子 園 八学 光星5-3関 東 一(11回) 先攻勝利
㉜ 24年 3月18日 甲 子 園 熊本 国府2-1 近 江 (10回) 後攻勝利
㉝ 24年 3月22日 甲 子 園 報徳 学園3-2愛工大名電(10回) 後攻勝利
㉞ 24年 3月27日 甲 子 園 青森 山田6-5 広 陵   (10回  後攻勝利
㉟ 24年 4月27日 紀三 井寺 市和 歌山6-3 田 辺 (10回) 先攻勝利
㊱ 24年 4月29日 ウイ ンク 須磨 翔風5-3神戸学院付(11回) 先攻勝利
㊲ 24年 5月 3日 HMF神戸 大阪体育大6-5甲 南 大(10回) 先攻勝利(大学)
㊳ 24年 5月 6日 マイネット皇子山 八 幡 商3-2比 叡 山(10回) 先攻勝利
㊴ 24年 5月19日 長 良 川  菰 野 6-5県岐 阜商(10回) 先攻勝利
㊵ 24年 7月22日 紀三 井寺  田 辺 9-8新宮/新翔(10回) 後攻勝利
㊶ 24年 8月 7日 甲 子 園 智弁 学園9-6岐阜 城北(11回) 先攻勝利
㊷ 24年 8月17日 甲 子 園  大 社 3-2早稲 田実(11回) 後攻勝利
㊸ 24年 9月 8日  高 砂  神 戸 一6-5 滝 川 (11回) 先攻勝利
㊹ 24年 9月28日 明石  トーカロ 東洋大姫路10-4神戸国際付(10回) 先攻勝利
㊺ 24年10月27日  浜 山  米子 松蔭4-3 盈 進 (11回) 後攻勝利
㊻ 24年11月 9日 甲賀 市民  河 南 3ー2 天 理 (11回) 後攻勝利(軟式)

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㊼ 25年 3月18日 甲 子 園 健大 高崎3-1明徳 義塾(10回) 先攻勝利
㊽ 25年 3月26日 甲 子 園 浦 和 実12-4聖光 学院(10回) 先攻勝利
㊾ 25年 4月26日 岡山 県営 福 山 大7-4川崎医療大(10回) 後攻勝利(大学)
㊿ 25年 4月27日 ウイ ンク 明 石 商5-4神戸学院付(10回) 先攻勝利
51 25年 5月11日 GOSANDO 履 正 社4-2関大 北陽(11回)  先攻勝利
52 25年 6月 1日 倉敷 MS 創志 学園2-1岡山 東商(10回) 先攻勝利
53  25年 7月 6日 わかさ京都 京都 文教9-8京都すばる(10回) 後攻勝利
54 25年 8月 6日 甲 子 園  開 星 6-5宮 崎 商(10回) 後攻勝利
55 25年 8月 7日 甲 子 園 津田 学園5-4 叡 明  (12回) 後攻勝利
56 25年 8月 9日 甲 子 園 佐 賀 北5-4青藍 泰斗(10回) 後攻勝利
57 25年 8月24日 紀三 井寺  向 陽 8-7 海 南 (10回) 後攻勝利
58 25年10月 6日 わかさ京都 龍谷大平安2-1 乙 訓 (11回) 後攻勝利
59 25年11月15日 ウイ ンク  天 理 2-1あべの翔学(10回) 先攻勝利(軟式)

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60 26年 3月19日 甲 子 園 八学 光星15-6 崇 徳 (10回) 先攻勝利
61 26年 3月25日 甲 子 園 智弁 学園2-1神村 学園(10回) 先攻勝利
62 26年 4月11日 ならっきー 奈 良 北3-2 奈 良 (10回) 先攻勝利
63 26年 5月31日  浜 山  創志 学園4-3 開 星 (10回) 後攻勝利
64 26年 7月25日 倉敷 MS 岡山学芸館3-2 山 陽 (10回) 後攻勝利
65 26年 8月09日 甲 子 園 鳴門 渦潮2-1八王子実践(10回) 後攻勝利

👣甲子園のグラウンドに立つ小島弘務さんを見たかった 浜松修学舎高監督に就任する直前「3年後、4年後に必ず良いチームを」その3年目に…早すぎる【悼む】
https://news.yahoo.co.jp/articles/02d7c24df9ae0b38d08c870e6e84390a5c7fd8ba

プロ野球・中日の元投手で、引退後はアマチュア球界で指導者として活躍した小島弘務さんが6日、肺がんのため死去した。58歳だった。

5日から始まったばかりの甲子園のグラウンドに立つ姿を見たかった。見られるはずだった。あまりにも突然な訃報に思い浮かんだのは、こんな思いだ。その才能も、力量も、指導者としての包容力もあっただけに、本当に残念でならない。

「前田さん、見ていてくださいよ。すぐ結果を出せと言われても無理かもしれない。でも3年後、4年後になれば、良い選手をスカウトして、鍛えて、必ず良いチームを作ってみせますからね」。自信たっぷりに話してくれたのは、浜松修学舎高の監督に就任する直前、2023年冬のこと。「今度、監督に就任することになりましたから、中日スポーツで大きく書いてくださいよ」と頼まれ、私の故郷でもある浜松の学校に取材に行った時だった。

 それ以前に、追手門学院大で監督を務め、チームを2部から1部に昇格させていた。浜松開誠館高のコーチに就任してからは、やはり元中日の佐野心監督(当時)をコーチとして支え、退任後ではあるが同校初の甲子園出場の一因となっていた。そんな実績の積み重ねから、確かな手ごたえがあったのだと思う。「大学で監督というものを学ばせてもらったし、開誠館では、甲子園への行き方を学ばせてもらった。だから、今度はその経験を生かして、甲子園で勝てるチームを作りたいんです」と目を輝かせて話す言葉を聞き、私はその実現を信じて疑っていなかった。そして今年がその3年目だった。自らスカウト、鍛え上げた選手でいざ勝負いう時に病に倒れ、最後まで生徒たちと勝負できなかった無念は察して余りある。後任者が指揮をとったこの夏は、静岡大会は古巣の浜松開誠館に3回戦で敗れたが、小島監督が指揮をとっていれば、絶対に結果は違ったものになったと思う。

振り返ってみれば、中日での現役時代からだから、もう30年以上の付き合いだった。現役時代は少しとぼけたところのある選手という印象だったが、プロ入りの際に人にない経験をしていた。引退後に焼き肉店経営、大学野球そして高校野球指導者とキャリアを積み重ね、人格的な魅力が増していった。プロ野球ひと筋の人間とはひと味違う、世界観を持っていたから、ずっと交流が続いたことは疑いない。焼き肉店経営の時は「100円稼ぐのが、これほど大変と思わなかった」、大学監督を退任した時は「4年生が送別会を開いてくれた。自分の指導が間違っていなかったんだと確信できた。あんなにうれしいことはなかった」など、苦労してきた人間にしか言えないことだろう。

そんな幾多の苦労が間もなく報われるはずだったのに。58歳の死は早すぎる。繰り返しになるが本当に残念でならない。 (92、93、99~01年中日担当・前田道彦)

小島さんは平安高(現・龍谷大平安)、住友金属を経て、1990年のドラフト会議で中日から1位指名された。91~97年まで中日でプレーし、98年にトレードでロッテに移籍。99年オフに戦力外通告を受け、2000年の1年間は台湾でプレーして現役を引退。NPBでは通算167試合に登板し、19勝15敗、8セーブ、防御率3・60。

2015年からは阪神大学野球連盟2部の追手門学院大の監督を務め、22年からは静岡・浜松開誠館高でコーチ。24年1月に静岡・浜松修学舎高の監督に就任、体調不良のため25年11月から休養し、今年3月限りで退任して治療に専念していた。

📝ビデオ検証で判定が変わったとき、審判のあるべき心境は 夏の甲子園
https://news.yahoo.co.jp/articles/b251ed06cedb41c62a908d8e77ab067b61e22c41

この夏の甲子園で、高校野球の公式戦で初めてビデオ検証が導入された。
大会第3日(7日)の有明―立命館宇治、立正大淞南―長崎日大で用いられたが、2度とも判定は変わらなかった。初めて判定が変わったのは3度目となる第4日(8日)の白樺学園―東日大昌平だった。

1―1の九回2死一、二塁。二塁への牽制(けんせい)がタッチアウトと判定されたが、二塁走者だった東日大昌平の小内壱晟(3年)がベンチにアピールした。

「セーフっぽいなとは思ったけど、アウトと言われても仕方ないと思った上で、ここで使うしかない、と。頼むからセーフになってくれと思って監督にお願いしました」と振り返る。

判定はセーフに変わった。小内は、打者の左前安打で本塁にかえって勝ち越した。ただ実際、判定が変わらなかった場合でも監督や選手には納得感が漂っていた。

検証を要求したが、タッチプレーがセーフとの判定が変わらなかった立正大淞南の太田充監督は「そもそも一番近くで見てジャッジしてくれていますから。あいまいな部分がなくなってよかった」とうなずいた。検証を監督に求めた遊撃手の佐多遼珂(3年)も「映像を見て、確かにセーフだなって。すっきりできた」と話した。

審判委員は仕事をしながら時間を作って、鍛錬を続けている。毎試合後に反省会を開き、互いに指摘し、技術の向上に余念がない。どれほど経験を積んでも、判定が変わるときはある。審判委員はどのような心境でいればいいのか。尾崎泰輔・審判副委員長はこう語っていた。

「正しい判定を選手に返すことができて良かったな、と思ってほしい。他に職業を持ちながらグラウンドに立たしてもらっていて、選手たちに喜んでもらうのが一番なので。審判はみんな、そうだと思います」

もやもやを残さず、次のプレーへと切り替える。選手や監督、そして審判委員が前を向いているように、見ている側もそうでありたい。

📝田中 仰『監督、神になる 池田高校記憶の衝突』インタビュー「高校野球を書くのは市井を書くことと一緒。嘘のない現象に会いたくて僕は取材をする」
https://news.yahoo.co.jp/articles/348cbeb22a91d61832b46ec7f0e65496bb6a7d7a?page=1

「蔦文也という神話を守ることと、定説を覆してでも真実を知ろうとすることの、どちらにリスペクトはあるのか――。取材中もずっとそんな敬意の在り処のことを考えていた気がします」

この夏、自身初の著作となる『監督、神になる』を上梓した田中仰氏は平成生まれの34歳。1974年に部員わずか11名で選抜準優勝に輝いた〈さわやかイレブン〉の快挙や、1982~1983年の夏春連覇といった徳島県立池田高校の黄金期も、〈攻めダルマ〉と恐れられた阿波弁の名将のことも、当然リアルタイムには知る由もない。

きっかけは私的な旅行でJR土讃線に乗車中、ふとその小さな駅を見かけたことだった。〈阿波池田という駅名を見た。その瞬間に、金属バットの甲高い打球音と、「やまびこ打線」という言葉が頭に浮かんだ〉〈こんな田舎にある公立校が甲子園で三度も優勝するという奇跡が、本当に起きたのか〉そして3年後、田中氏は改めてその駅に降り立ち、遺族や元コーチや教え子の証言を集め歩くことになるのだが、あくまでそれらは彼らが見た蔦文也像であり、真実は訊けば訊くほど輪郭を失うようでもあった。

「高校野球は小学生の頃から大好きで、憧れの対象でした。僕らの頃は甲子園といえば智辯和歌山や横浜や大阪桐蔭で、池田の名前は『白球の記憶』で見た程度。その自分が亡くなってから25年が経つ蔦さんの本をなぜ書いたのかと言えば、やはりあの山間に佇む駅を見た時の感動と、自分は〈致命的な事実を見落としたまま記事を出してしまったのではないか〉という、〈居心地の悪さ〉からでした」

そう。本書の起点はもうひとつ、2025年に初めて阿波池田駅に降り立った著者がウェブ上で公開した、作中でいう〈夏の記事〉にある。

〈美談は言わない〉という条件で取材に応じてくれたその元コーチは、〈蔦さんは純粋な人〉〈でも、連覇した八三年春の後からやね、少しずつ蔦文也はおかしくなっていったんよ〉と言った。講演会の増加とそれに伴う不在が選手達に与えた不安について証言。さらに当時の部員が書いたという〈告発状〉を著者に託し、講演を控えるよう進言した際に監督がこぼしたという〈金は、やめられん〉という言葉と併せて報じたのが、先述の「夏の記事」だった。

当然、〈英雄が汚された〉と反発する関係者は多く、同年11月に著者が池田高校を再び訪れ、取材を再開する場面は、読んでいるこちらまでドキドキするほど。

「実際、ある元部員の方に言われました。〈えっ、あれを書いた人!?〉〈よく、来れましたね?〉って(笑)。蔦さんに関しては、今でも訊く人によっていい話も悪い話も両方出てくる。その落差と、例の告発状の彼がどうしているかがどうしても気になって、取材を続けることにしたんです」

本書では、そうこうして集めた膨大な証言と、蔦と池田高校のまさに奇跡的としか言いようのない軌跡を、幾つかの謎に沿って再構成。例えば蔦采配は「打ち勝つ野球」へと高校野球を変えた嚆矢とされるが、金属バットと筋トレ導入の関係など、従来の定説を再検証すると偶然に負うところも多く、強さに原因を求めるあまり伝説が独り歩きする過程が透けて見えるよう。

小さな町だから寄付金が集まる
 
また、「第四章 甲子園と金」では、後年の蔦が現場を疎かにしてまで講演活動を続けた理由を探るべく、強くなるためには金が要り、出たら出たでまた金が要る、甲子園の皮肉な実態を検証。さらに〈特攻くずれ〉にして〈プロ野球くずれ〉でもある戦中派の屈託や生への渇望を想う時、ただでさえ食い違う証言を前に揺れる著者の心は、一層揺れ動くのだ。

「謎を提示した以上、自分なりに答えに辿りつこうと、全力は尽くしたつもりです。元部員の方も蔦さんとは3年しか接してないわけで、深い話をできた人となるとほぼ皆無に近い。かと思うと外では数々の名言を口にした彼自身、たぶん矛盾を気にかけない人で、そこに僕は戦前戦後と言葉に翻弄され続けた蔦さんの、〈言葉を信用していないがゆえの妙技〉さえ感じます」

技術的な指導は特にせず、サインミスも度々だったという名将を、ある元主将は〈普通のおじいちゃんなんです。野球が大好きな〉と評し、〈一枚の「絵」〉の話をしてくれた。それは雨上がりの校庭でひとり、黙々とグラウンド整備をする蔦の記憶で、同じような絵を心に刻む者は何人かいた。

「最初にお会いした3人が会うなり口にしたその記憶の話も、件の告発者の彼の証言も、事実として偏りなく集めたいと思いました。今回つくづく思ったのは、高校野球を書くのは市井を書くことと一緒なんですよ。監督も町の人も相手は全員一般人で、言っちゃまずいことも平気で言っちゃう。寄付金集めに苦労している公立は今も多く、そんな構造が40年変わらないこと自体、確かに機能不全だとは思う。でもあんな小さな町がなぜ寄付金を集められたのかと思ったら逆で、小さいから集まる。そういう嘘やまとまりのない現象に会いたくて、僕は取材をしているのかもしれません」

小が大を食う番狂わせや甲子園特有の青春の匂いに心躍らせる反面、それらを消費する罪にも今後は自覚的でありたいという著者。

「30年、40年経っても笑い話にできないほど傷が癒えない人もいる以上、少なくとも『どこにでもありそうな話』とか『全員が全員、うまくいくわけがない』で片しちゃいけないなって」

そんな誠実さゆえに悩み抜く姿が新鮮な、令和の今らしいノンフィクションだ。
2026/08/09(日) 23時07分50秒 No.2566 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

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編集済
⚾今日の熱闘甲子園試合結果(1回戦)
4日目第1試合 青森山田(青森)-遊学館(石川) 8:03~10:21
          一二三四五六七八九十計HE
      遊 学 館000400100 562
      青森山田21300000X 683

4日目第2試合 白樺学園(北北海道)-東日本国際大昌平(福島) 13:33~15:39
          一二三四五六七八九十計HE
      昌  平100000001 221
      白樺学園000001000 162

4日目第3試合 大分商(大分)-日本文理(新潟) 16:10~18:19 17:50点灯 8回表から
          一二三四五六七八九十計HE
      大 分 商000022200 6101
      日本文理101000020 4103

4日目第4試合 英明(香川)-関東一(東東京) 18:50~20:34
          一二三四五六七八九十計HE
      英  明001000300 462
      関東第一100000000 133

⚾明日の熱闘甲子園組み合わせ(5日目 1回戦)
    08:00~  新 田 -花 巻 東
☆☆☆ 13:30~ 岡山学芸館-鳥取 城北
    16:00~ 鳴門 渦潮-八王子実践
    18:30~  中 京 -霞 ヶ 浦

💢暴力問題で辞任の広陵高野球部・中井前監督、「防げなかったことを深く受け止めている」と記者会見で陳謝
https://news.yahoo.co.jp/articles/48c4193c2c3fdfdf6610f8462bdeac3b1e479e95

広陵高の硬式野球部で起きた暴力問題で、当時監督だった中井哲之氏(64)が7日、広島市内で初めて記者会見を開き、「暴力が起きたことを防げなかったことを深く受け止めている」と陳謝した。被害生徒の保護者には直接謝罪したという。会見した理由について、7月で学校の全ての役職を辞任し、「自分の言葉で説明する責任がある」と述べた。

同高では昨年1月、複数の2年生(当時)が1年生(同)に暴行。SNSで誹謗中傷が広がるなどし、同8月の全国高校野球選手権大会を途中で辞退した。
学校が設置した第三者委員会は今年5月、いじめに該当すると認定。中井氏が「高野連へ報告すればチームの不利益につながる」という趣旨の発言を被害生徒にしていたと結論付けた。

中井氏は会見で、「伝えてはいないと思う」と発言内容を否定したうえで、「相手がそう受け取ってしまったのであれば、信頼関係がその程度だったと受け止めるしかない。言葉が足りなかったことを非常に反省している」と述べた。

💢甲子園球場で女子中学生の体触った疑い、東京の会社員逮捕 高校野球を観戦、売店前で声かける
https://news.yahoo.co.jp/articles/1fedccab40fdfe536c48f59fddc67be6f00abaca

甲子園球場内で女子中学生の体を触ったとして、県警甲子園署は7日、不同意わいせつの疑いで、東京都狛江市の会社員の男(26)を逮捕した。「触った後も嫌がる様子はなかった」と話しているという。逮捕容疑は同日午後1時半ごろ、甲子園球場の2階通路で、女子中学生(15)の太ももを触った疑い。

同署によると、球場では全国高校野球選手権大会が行われ、男は観客として来場。売店前で女子中学生に「彼氏とかいるんですか?」と声をかけ、通路の奥に連れて行ったという。女子中学生から被害を伝えられた警備員が、球場内にある警察官の詰め所に通報。署員が球場内で男を発見したという。

☟ビデオ検証のプレー、判定は甲子園デビューの佐藤加奈審判委員「次があるのであれば精いっぱいやりたい」声つまらせる
https://news.yahoo.co.jp/articles/3549fc6d084ef917e108cc0200c7447ef41fb930

◇7日 第108回全国高校野球選手権大会 1回戦 立命館宇治3―6有明(甲子園)

今大会から導入されたビデオ検証が初めて実施された7回のプレーは、甲子園デビュー戦で二塁塁審を務めた佐藤加奈審判委員の判定だった。6回には審判団集まっての協議で、二塁での「アウト」判定が「セーフ」に覆るジャッジもしていた。

「選手にとって(甲子園は)いいところでもあるし怖い場所でもあるというのがあったけど、審判にとってもそこは変わらない。また次があるのであれば精いっぱいやりたい」と声をつまらせた。

👣立正大淞南が長崎日大に敗れる 太田嵐主将、恩返しの願いかなわず
https://news.yahoo.co.jp/articles/c5e5d9b1d02e264e0900909d8b28810807b5ddf5

(7日、第108回全国高校野球選手権大会1回戦 長崎日大15―1立正大淞南)

観衆の歓声が鳴り響く甲子園のグラウンド。3年前、バックネット裏から見た夢の舞台に立った。それも「伯父さん」と。「まずは甲子園で1勝して恩返ししたい」。その思いはかなわなかった。

立正大淞南の太田嵐主将(3年)。チームを率いる太田充監督(53)のおいっ子だ。2023年夏、11年ぶり3回目の甲子園出場となった広陵(広島)との初戦を静岡から家族と観戦、守りからリズムを作るチームカラーにひかれた。「淞南に行くから」。幼少期から野球を教えてくれた伯父さんの元で甲子園を目指すことにした。

ただ、学校に入れば、「監督と選手」という立場。言葉も容赦ない。チームを背負う主将になってからは「お前がしっかりしないとチームが勝てない」と怒られ続けた。そんな中で「仲間がサポートしてくれてチームがまとまっていった」と太田主将。

自身も奮起し、島根大会では3回戦、準決勝で決勝打を放ち、決勝戦でも九回に試合を決定づける適時打を打って優勝に貢献した。太田監督は試合後、「先頭を切って仕切るタイプではないけれど、あの子なりにすごく成長した」とたたえた。
そして、この日。二番二塁手として出場した太田選手は六回、無死一塁の場面で左前に安打し、得点につなげた。ベンチには「よしっ」と顔をほころばせた伯父の姿があった。

☝英明の香川純平監督は夏甲子園1勝 父・智彦前監督が11年夏に勝利して以来の初戦突破で父子勝利達成「うれしいですし、感謝ですね」
https://news.yahoo.co.jp/articles/ce4e1ade07e199ac91944bd189c3e64ae364a33f

「全国高校野球選手権・1回戦、英明4-1関東第一」(8日、甲子園球場)

夏は2年ぶり、今春センバツから2季連続甲子園出場の英明が逆転勝ち。2011年以来、15年ぶり2度目の夏甲子園初戦突破を果たした。春夏通算5勝目。

チームを率いる香川純平監督にとっては、23年春センバツで初めて甲子園で指揮を執って以来、夏は3度目の出場で初勝利。「そうです。本当はたぶん良くないことかもしれないですが、相手の米沢監督もすごく憧れの監督さんの一人で。すごく意識してきょうは臨んだんで、本当に胸を借りて思い切りぶつかろうと思っていったんで。結果がこうなってうれしいです」と話した。

初代監督で前任の父・智彦さんは春夏2度ずつ甲子園に出場し、11年夏に1勝を挙げた。それ以来の夏初戦突破で父子監督勝利を達成。「父親から受け継いだそのチームで親子で勝つことができてうれしいですし、感謝ですね」と話した。

☟田中将大「ドームじゃダメなの?」高校野球7回制に反対も、高野連が甲子園球場に固執する“カネの事情”
https://news.yahoo.co.jp/articles/1c01209b795e733fc83b7dd22fbff03a750482fa?page=1

8月5日に「第108回全国高校野球選手権大会」、いわゆる“夏の甲子園大会”が開幕する。各地予選を勝ち抜いた49代表校による熱闘が始まるが、かつて駒大苫小牧のエースとして甲子園を沸かせた、読売ジャイアンツ・田中将大投手(37)が「待った」をかけた。

8月4日配信の『日刊スポーツ』記事で田中が私見を述べたのが、日本高野連(日本高校野球連盟)が2028年からの導入を検討している「高校野球7イニング制」への変更について。これまで9回が当たり前の野球ルールを、年々厳しさが増す酷暑の中での大会開催に、選手の健康や体調を考慮して7回終了に短縮するというもの。高校野球7回制は球界内外からさまざまな意見が出ているが、実際にプレーする球児に大事が起きては遅い。それだけに高野連も時代に沿った改革に乗り出したわけだが、田中が疑問を呈したのが【甲子園ありきで考えるから、おかしくなる】。

「9回」ルールは維持しつつ【ドーム球場でやるのはダメなのでしょうか。】と、最も暑い時期の阪神甲子園球場での屋外開催ではなく、例えば関西であれば「京セラドーム」といった、空調設備があるドーム球場での屋内開催を提案したのだ。

かねてより京セラドームの他、北海道日本ハムファイターズが移転した“家主”不在の「札幌ドーム」など、ドーム球場での開催を推す世論も高まっている。しかしながら高野連はドーム開催の議論はせず、野球ルールを改定してまでも甲子園に固執しているように見える。どうやら高野連にも事情があるようだ。

京セラで4600万円、札幌ドームなら1億円以上
 
アマチュアスポーツの経営事情に詳しいスポーツライターによると、「甲子園を所有、運営しているのは阪神電気鉄道ですが、通常はスポーツイベント開始時には球場使用料がかかるところ、春夏の高校野球に限っては無料で提供しています。つまり高野連は甲子園をタダで使わせてもらっている現状があります」

例えば京セラドームの使用料金は、平日8時間で300万円、土日は同じく400万円を要し、それぞれの延長料金は1時間20万円、30万円としている。夏の甲子園が約2週間の開催として、単純に1大会で4600万円の使用料金を支払うことになる。さらに札幌ドームであれば、同規模大会の開催なら約1億2000万円。経営面では一目瞭然、甲子園での開催を選ぶのは当然と言えよう。
とはいえ昨夏の甲子園大会では、2週間で72万4700人が来場する連日超満員の人気ぶりだ。高野連もさぞかしチケット収入で儲かっていると思いきやーー、

「2024年度の収支予算書によると、春夏大会合わせての収益は計16億1000万円で8〜9割が入場料としていますが、年間にかかる経費もまた同額に迫る実情があります。無観客で開催されたコロナ禍の大会は大赤字だったとも聞きます。また通常、テレビ放送にかけられる放映権料もNHKから徴収しておらず、共催の朝日新聞、毎日新聞から協力金を得ている程度。高野連にはお金の余裕がないのが実際のところで、そもそも高校野球は教育であるため、金儲けにはしない美徳と伝統があるのです」(前出・スポーツライター、以下同)

高校野球にとって阪神以上の“聖地”
 
甲子園にこだわるもうひとつの理由が「伝統」だという。プロ野球・阪神タイガースの本拠地として、多くの虎ファンの“聖地”とされてきた甲子園。夏の大会開催中は、かつて“死のロード”とも呼ばれたように、約2週間を敵地での試合を余儀なくされる。

甲子園を高校野球に“貸している”ような構図だが、元来は1924年に「全国中等学校優勝野球大会(現選手権大会)」の開催地として建設された球場だ。つまり高校野球にとって阪神以上に“聖地”であり、100年以上にわたる「歴史と伝統の継承」の証でもあるわけだ。

「もちろん歴史と伝統を重んじる一方で、時代に合わせた変化が必要なのも確かです。そして田中投手のように、真夏の甲子園での投げ合いを体験した球児の意見も尊重されるべきでしょう。

ですが各校が甲子園遠征のために寄付金を募り、クラウドファンディングも始めているように、高野連をはじめ高校野球にはお金の事情があるのも事実。選手と甲子園、そして9回制を守りたいのであれば、せめて開催時期を秋以降にずらすなどの議論も重ねたほうが良さそうですね」

2025年に高野連が行った連盟加盟校へのアンケート結果では、「7イニング制」導入に反対が70・1%、賛成が20・8%と、反対意見が多数を占めている。お金と伝統、球児の夢舞台の狭間で高野連は頭を悩ませそうだ。

☟「甲子園に出なくてもいい」と言われる日も? 猛暑と資金難に苦しむ出場校の“切実な声”
https://news.yahoo.co.jp/articles/944bd616b8c0e8d8dc5f7e296c342dc03e2f17b9?page=1

8月5日に開幕した夏の甲子園。開会式後に行われた開幕カードでは、仙台育英(宮城)が札幌日大(南北海道)を3対1で破り、4年ぶりの優勝へ向けて好スタートを切った。【西尾典文/野球ライター】

「大変なのはむしろキャッチャー」
 
両チームから登板した計4投手全員が、ストレートで最速140キロ以上を計測。ドラフト候補にも挙げられる仙台育英の4番・田山纏(3年)が大会第1号となる特大のソロ本塁打を放つなど、甲子園の幕開けにふさわしい一戦となった。華やかな開幕戦の一方、球場で指導者や関係者から聞こえてきたのは、猛暑と出場経費に対する切実な声だった。高校野球界では7イニング制の導入が大きな議論となっているが、現場が抱える課題は試合のイニング数だけではない。

今年も暑さ対策のため、開会式は夕方の16時から行われた。時間に余裕があったこともあり、多くのチームの指導者が早くから球場入りし、大会関係者らと雑談する姿が見られた。話題に多く上っていたのが、連日続く猛暑である。

全国的な強豪校では、暑さの中でもパフォーマンスが落ちないよう、さまざまな対策を講じている。甲子園大会だけでなく、地方大会でも二部制を導入する地区が出てきた。だが、現場では対応の難しさを指摘する声も根強い。今大会に出場している、ある監督はこう話す。

「トレーナーとも相談しながら、早めに体が暑さに慣れるように練習していますが、それでも厳しい時があります。様子がおかしいなと思ったら、なるべく早く他の選手に交代させるようにしています。ただ、ピッチャーのことをよく言われますが、大変なのはむしろキャッチャーですね。ピッチャーはDHも使えましたし、継投することも多い。ただ、キャッチャーはレギュラーと控え選手の力の差が大きいことが多く、正捕手にアクシデントが起きると大打撃になります。複数投手はもちろん、夏は特に複数捕手が必要になってくると思います」

二部制導入に疑問も
 
今春の選抜で準優勝を果たした智弁学園(奈良)は、夏の地方大会で2回戦敗退を喫した。主将で正捕手の角谷哲人(3年)が体調不良を訴え、6回からベンチに退いている。角谷の離脱が試合に大きく影響したことは間違いないだろう。甲子園でも、正捕手が万全の状態でプレーを続けられるかは、勝敗を左右する大きな要素となりそうだ。
大会第3日からは、暑さ対策として午前8時から1試合、午後1時30分から3試合を行う二部制が導入される。ただし、日程には疑問も残るという。前出の監督はこう続ける。

「13時半から始まる第2試合のチームが明らかに負担が大きいですよね。15時くらいまではまだまだ日差しも強く、そこまで気温も下がりません。日程の問題もあると思いますが、本当に暑い時間を避けるのであれば、午後の部は試合開始時間をもっと遅らせて2試合にする方が良いのではないでしょうか」

日本高野連の説明によると、過去3年間で熱中症が疑われる選手が最も多く発生したのは、午前中に行われていた第2試合だったという。データを踏まえ、正午前後の時間帯を避ける日程が採用される。ただ、気温の推移を見ても、16時ごろまでは大きく下がらない日が多い。監督が指摘するように、第2試合の開始時間をさらに遅らせ、1日4試合ではなく3試合でも大会を消化できる日程を確保することは、今後の検討課題となるだろう。

「OBからの寄付金だけでは…」
 
暑さへの対応だけでも、現場は多くの労力を求められる。甲子園出場校を悩ませる問題は、選手の体調管理だけではない。学校が背負う経済的な負担も、近年深刻さを増している。
出場校には、ベンチ入りする選手20人と監督、責任教師の計22人に対し、日本高野連から1日1人あたり1万円の宿泊補助費が支給される。だが、控え部員や応援に参加する一般生徒の費用は、学校側の負担となる。遠方から出場する学校ほど交通費はかさみ、勝ち進めば宿泊日数も増える。ある高校の野球部長は、負担の大きさをこう話してくれた。

「甲子園出場が決まるとOBから寄付金を募るのが通例となっていますが、それだけではなかなか苦しいのが現状です。じゃあ応援をそんなに出さなければいいじゃないかとも言われますが、アルプス席がガラガラということになれば、学校のブランド的にも良くありません。そのうち、学校側から『こんなにお金がかかるのであれば、甲子園に出なくても良い』と言われないか不安ですね……」

ここ数年は、OBからの寄付に加え、クラウドファンディングを通じて一般から広く支援を募る高校も見られる。新たな形で資金を集めなければならない現状からも、甲子園出場校の厳しい懐事情がうかがえる。将来的には、資金難を理由に出場を辞退せざるを得ない高校が現れる可能性も否定できない。

持続可能な大会にするために
 
課題が山積する一方で、高校野球界では7イニング制の導入が大きな論点となっている。日本高野連の検討会議では、2028年春から全公式戦に導入することが望ましいとの結論が示された。もちろん、試合時間の短縮が選手の負担軽減につながる面はあるだろう。だが、現場の声を聞くと、7イニング制だけで解決できる問題ではないことが分かる。

猛暑の中でプレーする選手への対策、二部制の日程、捕手を含めた選手の健康管理、出場校への経済的支援。甲子園が抱える課題は、試合のイニング数だけにとどまらない。開会式では、八王子実践の矢沢陵磨主将(3年)が、次のように選手宣誓を行った。

「今、野球ができることは決して当たり前ではありません。だからこそ、高校球児はいい顔をして野球をしよう。(中略) いい顔で日々を過ごすことは、自分自身を励まし、周りの方々に感動や希望を与えます」

球児たちに「いい顔」でプレーすることを求めるのであれば、その前提となる環境を整える責任は大会を運営する側にある。暑さ対策も、出場校への経済的支援も、7イニング制の議論だけでは解決しない。甲子園を持続可能な大会にするため、現場の声を踏まえた抜本的な見直しが求められている。

🎤2026年夏の甲子園 監督突撃インタビュー
元巨人の東海大甲府・仲沢監督が語るイキイキ教員生活…指導には原辰徳&星野仙一のエッセンス
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/391377

仲沢広基(東海大甲府/山梨/39歳)

7日の大会第3日第1試合で鶴岡東(山形)と対戦する東海大甲府(山梨)を率いるのは、かつて巨人と楽天でプレーした仲沢広基監督(32)だ。同校の4番として2004年夏の甲子園4強入りに貢献し、国際武道大を経てプロの道へ。引退後はジャイアンツアカデミーを経て、20年に同校コーチ、24年に監督に就任。それからわずか3年目で甲子園出場を決めた青年監督に、原辰徳、星野仙一両監督から学んだ指導者像や、選手集めについて聞いた。

──ジャイアンツアカデミーの職員を辞めて、母校の指導者になった経緯は?

「恩師である村中総監督から、『一緒にやらないか』と。19年秋のことです。ずっと高校野球に携わりたくて、お声がけいただく前から通信制大学に通い、教員免許取得を目指していたんです。迷いはありませんでした」

──「職業監督」という道もあるが、苦労してまで教員に?

「野球の技術だけでなく、授業や学校生活もしっかり見て、『教育』という部分にも携わりたかったからです。もちろん、村中総監督からのアドバイスもありました。4年ほどかけて、甲府に来てから22年に免許取得できました」

──村中総監督も国語の教諭でした。

「その影響は、すごく大きいです。私も村中総監督の授業だけは真面目に受けていたから、国語の成績だけはとても良かったんです(笑)。だから国語の教員になろうと決意したのですが、これがまたリポートの作成などが大変で。働きながらの免許取得は簡単ではなかったですね」

──念願の教職に就くことができた。

「現在は2年生の一般クラスの担任をしています。野球部員は3人だけ。想像していた以上に大変ですけど、やりがいがあります。7月も、夏の過酷な県大会を戦いながら、生徒たちの三者面談をしていたので本当に慌ただしかった(笑)。でも、学校行事などを含めて、しっかりやってこそだと思っています」

──-野球の指導に関して、巨人の原辰徳、楽天の星野仙一両監督から学び、現在の指導に生かしていることは?

「直接何かを教わったというより、監督としてのお2人の姿を間近で見てきたことが大きいです。原監督はどんな状況でも前向きで、ベンチでの姿勢もブレない。チームが苦しい時でも、監督が下を向かないから選手も前を向ける。一方、星野監督は常に戦う姿勢を崩さなかった。試合中は笑顔を見せず、まるで戦場のような雰囲気をつくっていました。監督の姿勢が選手に強く影響することを学ばせていただけたのは大きな財産です。原監督の前向きさと、星野監督の厳しさを、自分なりに高校生へ落とし込んでいるところです」

──選手集めは。

「今チームのように地元の子がレギュラーに4、5人いるのが理想です。主力に地元の選手が入ると、チームがまとまりやすく、勢いに乗ることが多い。私の代もそうでした。山梨県の力のある選手たちと甲子園へ行きたいという思いもある。もちろん、県内出身者だけにこだわるわけではありません。山梨県の力のある選手をしっかり育て、県外の力のある選手と融合させる。それが東海大甲府の形だと思っています」

有望球児に10回以上足を運ぶ

──県内の有力選手はどう獲得していますか。

「熱意です。『一緒に山梨を盛り上げよう!』と。中学2年頃から見始めて、3年秋までに10回以上足を運ぶケースもあります。私も山梨出身で、東海大甲府から大学、プロまで経験しました。将来はプロを目指したい、大学でも野球を続けたいという選手には、自分の経験から、どういう選手が上のレベルでやっていけるのかを伝えられる。経歴はそういった部分でも大いに役に立っていると思います」

──そうして作り上げた今チームの強みは。

「県大会準決勝の甲府工戦では、序盤に付けられた最大6点差をなかなか詰められない苦しい展開でした。それでも選手たちは『まだまだいける!』と声を出し続け、逆転勝利をまったく疑っていなかった。本当に頼もしい。心が折れないチームです。あの試合をひっくり返したことで、さらに強くなりました」

──初戦は鶴岡東です。

「選手たちは浮足立っている様子はなく、県大会と同じように準備できています。午前8時プレーボールという難しい面はありますが、全員が100%の状態に入れるようにしようと話しています。まずは試合への入りを意識して臨みます」
2026/08/08(土) 22時49分13秒 No.2565 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
⚾今日の熱闘甲子園試合結果(1回戦)
3日目第1試合 鶴岡東(山形)-東海大甲府(山梨) 8:02~10:10
          一二三四五六七八九十計HE
      鶴 岡 東000110000 281
      東海甲府30001010X 5121

3日目第2試合 八幡商(滋賀)-高崎健康福祉大高崎(群馬) 13:32~15:44
          一二三四五六七八九十計HE
八 幡 商000000001 140
      健大高崎01006000X 7132

3日目第3試合 立命館宇治(京都)-有明(熊本) 16:15~18:28 18:01点灯 8回裏から
          一二三四五六七八九十計HE
      有  明000000204 661
      立命宇治001002000 383

3日目第4試合 立正大淞南(島根)-長崎日大(長崎) 18:58~21:30
          一二三四五六七八九十計HE
      長崎日大030003324 15183
      立正淞南000001000 143

⚾明日の熱闘甲子園組み合わせ(4日目 1回戦)
    08:00~ 遊 学 館-青森 山田
    13:30~ 白樺 学園-東日大昌平
    16:00~ 日本 文理-大 分 商
  ☆ 18:30~  英 明 -関 東 一

💢【8月21日】和歌山-姫路 試合時間変更のお知らせ
https://kandok.jp/archives/10808/

8月21日に予定されております下記公式戦につきまして、試合時間の変更がありましたのでお知らせいたします。

【開催日】8月21 日(金)
【時間】17:00試合開始予定
【対戦カード】和歌山ウェイブス-姫路イーグレッターズ
【球場】紀三井寺公園野球場

【変更前】17:00試合開始予定
【変更後】16:00試合開始予定

☝プロより遅い…第4試合終了は午後9時30分 最も遅いZOZOマリンより10分遅れ
https://news.yahoo.co.jp/articles/45a63bd946e74927179ff3936677c625955d19b3

<全国高校野球選手権:長崎日大15-1立正大淞南>◇7日◇1回戦◇甲子園

16年ぶり10度目出場の長崎日大が3年ぶり4度目出場の立正大淞南(島根)に大勝し16年ぶりの白星を挙げた。長崎県勢は19年から7大会連続の初戦突破となる。
185センチの大型右腕、古賀友樹投手(3年)がセンバツの屈辱を晴らした。長身からの角度ある直球と落差の大きいカーブで5回まで無安打に抑え7三振を奪った。6回に初安打を許し1点を失って降板したが勝利投手になった。

午後6時58分開始の試合は、午後9時30分に終了。プロ野球では最も遅かったロッテ-オリックスが行われたZOZOマリンが午後9時20分終了で、高校野球の方が10分遅くなった。

✌PL・中村順司元監督の孫の佐野日大・中村盛汰主将が初戦勝利に「辛かったし大変だった」
https://news.yahoo.co.jp/articles/c066ebd9d512e5bce124d1311e72ce2f842454b9

◇第108回全国高校野球選手権第2日 佐野日大1―0聖隷クリストファー(2026年8月6日 甲子園)

PL学園(大阪)で春夏6度の優勝に導いた中村順司元監督の孫で、佐野日大(栃木)の中村盛汰主将(3年)が初戦突破に胸をなで下ろした。

「9番・一塁」で出場し4打数無安打。聖隷クリストファーの左腕・高部陸(3年)の印象に「スピードも伸びも切れも、本当に全部素晴らしかった」と脱帽した。

祖父が残して来た功績について問われると「今日の1勝、本当に僕も辛かったし大変だったんですけど、それを何回もこう、勝ち続けてきたっていうのは非常に偉大な存在なのかなと思います」と話した。

👣1点に泣いた聖隷クリストファー 痛恨失策の中堅手・鈴木は号泣「台無しにしてしまった」エース高部は「自分の球がいかなかった」
https://news.yahoo.co.jp/articles/36e242a1a82827b1f60d68343707dbf84ac9bea4

聖隷クリストファーは完封負けで、2年連続の初戦突破はならなかった。

痛恨の失点は七回だった。エース高部が力投していたが、2死から三ゴロ失策と安打で一、二塁のピンチ。ここで8番・高橋の一打はセンターに上がったが、打球は風にも流され、中堅手・鈴木が落球。二塁走者が生還し、決勝点となった。打線も援護できず、1点に泣いた。

不慣れなナイターでの試合で、勝敗の明暗を分けたワンプレー。鈴木は「貴重な体験をさせてもらってるのに自分が最後チームを台無しにしてしまったので、その責任も背負ってこれからも過ごしていきたい。今日のことは忘れてはいけないと思う。すぐに切り替えて明るい顔はできないですけど、チームのみんなに迷惑をかけたのでまずは謝りたい」と涙が止まらず。今後については「夢はあまり決まってないけど、人のためになるような仕事に就きたい」と語った。

高部は9回1失点10奪三振の力投だったが、自責0で敗退。「粘り切れなかった。粘って粘ってやってきたけど、最後は自分が思ったような球がいかなかった」。仲間を思い、敗戦の責任を背負った。

📣三重高、応援団に一時〝消滅〟の危機 稲葉君中心に5人、甲子園向け気合 
https://news.yahoo.co.jp/articles/c59962b8099b535fa8670cf0dcf1a4c76fda7463

センバツ直前は卒業生1人だけ

「応援団をなくしてはいけない」――。三重県松阪市久保町の私立三重高校応援部(服部太輔顧問、5人)の伝統を受け継ぐ3年の稲葉絆人君=大津町=らが、同校 野球部が挑む〝夏の甲子園〟での応援に向けて練習に励んでいる。

稲葉君の入部のきっかけは、一人の先輩の存在だった。
 
この春卒業した皇學館大1年の奥谷将大さん(18)。今年3月にあった第98回選抜高校野球大会まで、同部を一人で支えてきた。部の存続が危ぶまれる中、センバツの壮行会や試合などで、指先まで意識し、全身を使った応援を続けていた。その姿に憧れた稲葉君は、センバツ前の壮行会で呼び懸けられた「部員募集」を受け、「こんなにかっこいい部活をなくすわけにはいかない」と、同級生の西尾真太郎君=駅部田町=と共に入部した。
 
それまで所属していたのはワンダーフォーゲル部。日本アルプスを踏破するなどして培った体力を武器に、応援部という全く違う世界に飛び込んだ。いきなりセンバツで応援に加わると、選手や観客から伝わる熱気に魅了された。「応援って、こんなに楽しいんだ」
その後、同じく3年の大津拓音君=和屋町=と小川大樹君=駅部田町=の2人と、1年の林沙妃さん=伊勢市=も入部した。
 
稲葉君は現在、リーダーとして部員をまとめ、OB会(伊藤潤一会長、5人)や奥谷さんらの指導も仰ぎながら、「2拍」と呼ばれる基本動作や発声練習を重ねる。今夏の三重大会では気持ちを乗せて応援し、優勝を後押しした。次の舞台は夏の甲子園だ。
 
稲葉君は「三重高ナインが甲子園に向けて情熱の〝まき〟をくべるように、われわれもさらに熱を注ぎたい。校訓の『真剣味』で戦う選手たちのプレーに、われわれの『真剣味』で応えたい。一緒に甲子園を沸かせたい」と気合を入れる。
 
憧れから始まった挑戦は、伝統をつなぐ役割へと変わった。稲葉君は仲間とともに、三重高ナインへの応援を甲子園のスタンドに響かせる。

☟《夏の甲子園》「意識もうろうでも頑張れ」酷暑の高校野球、変わったこと/変わらないこと
https://news.yahoo.co.jp/articles/cfb8aa9ebd94ac9599827571202b8d29b4af6164

プロも倒れる暑さの中、高校生が戦っている。

「7月22日、さいたま市で行われたロッテ対オリックスの2軍戦は、選手2人が熱中症とみられる体調不良を訴え、4回途中でノーゲームに。試合開始時の気温は36・7度だったそうです」(スポーツ紙記者、以下同)

プロという“大人”ですら試合が成立しない。それが今の日本の酷暑。

熱中症なのに…「頑張ってほしかった」

「3日後の25日、高校野球東東京大会準決勝・二松学舎大附属と帝京の試合が神宮球場で行われました。2年生ながらメジャーからも注目される帝京の目代龍之介外野手が、6回の守備から熱中症のような症状で途中交代し、試合後に救急搬送されました」

この日の東京は熱中症警戒アラート発表下、最高気温は36度の見込みだった。帝京の金田優哉監督は試合後、一部スポーツ紙に次のように語っている。

《(目代選手は)完全に意識がもうろうとしてました。最後の記憶はないと思います。一度ベンチ裏に下げたが、自分の意思で戻ってきた。体力的な部分なのか、大一番でこういう展開になってしまって、本人も悔しいと思う》

実はこのコメント、配信から10数分で一部が削除されている。

「当初、最後の一文は《本人も悔しいと思うけど、今日頑張ってほしかった》というものでした。削除はされましたが、本当にこのように話していたとしたら、生徒を預かる監督として、熱中症の危険性への認識が甘すぎるのではないかと感じます」(前出・スポーツ紙記者、以下同)

夏の気温が上がり続けるなか、今と昔で甲子園大会は何が変わったのか。そして変わっていないのか。

「開会式は夕方4時、開幕試合は5時30分から。最も暑い時間帯を避ける『2部制』は導入初年の'24年が3日間、今年は計10日間に拡大されました。過去3年で熱中症の疑いや足のつりが起きたのは第2試合が42件と突出。その時間帯を外す狙いです。'23年に導入された、5回終了後に水分補給と身体の冷却ができるクーリングタイム、サーモグラフィーでの体温測定、シャーベット状のスポーツドリンク『アイススラリー』の提供も行います」

しかし、真夏・屋外(屋根なし)・9イニング・連戦は変わらず、昔のまま。

「考えるべきは、2部制も夕方開幕も、適用されるのは甲子園大会だけ。目代選手が倒れたのは地方大会。全国約3400校が戦う地方大会は、日程も球場も各都道府県高野連の裁量で、対策の水準はバラバラ。倒れるリスクに最も長くさらされているのは、甲子園にたどり着けなかった大多数の高校球児たちです」

白球を追う球児たちの汗は感動を呼ぶ。しかし、彼らを取り巻く環境やルール、現場の大人たちの意識がもっと変わらなければ、尊い汗だと美化ばかりはしていられない。

📝宮崎代表が甲子園で勝つには? 監督へのアンケートから見えた共通項
https://news.yahoo.co.jp/articles/eab9030fdedcc1834cffa147aad1f9608a3148cc

各チームの力を底上げして宮崎の高校野球の魅力を高め、裾野を広げていく――。その将来像は、現在の宮崎県高校野球連盟理事長の餅原裕士さん(53)も共有している。実現には何が課題で、どのような取り組みを考えているのだろうか。

この連載の前に、朝日新聞宮崎総局は今夏の宮崎大会に参加する47校の部長、監督にアンケートで「宮崎代表が甲子園で勝てなくなった理由」(複数回答可)を尋ねた。回答した45校の8割弱に当たる34校が選択肢の中から「各チームの実力が伯仲し、有力選手が分散するから」を選んだ。

餅原さんは「宮崎で野球をしている中学生たちは、ある年の有力な先輩たちが集まって強くなった高校があると、試合に出るチャンスを求めて別の高校に進学する傾向があると聞く」と話す。
一方で、それが多くのチームに甲子園出場の機会が巡ることにもつながっているとも指摘する。この状況を踏まえて、甲子園で勝利するにはどうしたらいいのか。「やはり県全体のレベルを底上げしていくのが良い」と餅原さんは語る。

底上げを担うのが県高野連の強化委員会だ。餅原さんは委員長に宮崎商の監督、副委員長に日南学園の監督を据えた。2人とも甲子園での指揮経験が複数回あり、毎年のようにチームを宮崎大会の優勝候補へと育てている。「県内で結果を出している両監督が宮崎のために何を考えてくれるのかなと、期待しています」

アンケートでは「中学の有力選手の県外流出」を選んだ回答も7割弱の31校にのぼった。

県高野連は、県内の中学校軟式野球部や硬式野球チームとの関係を深め、高校と中学の指導者同士が交流する場や、中学生に高校の指導者がアドバイスする実技講習会を設けていくという。
狙いは中学生が高校野球に触れる機会を公平につくること。県外に有力選手が出ていく流れを変えるきっかけになるのではと考えている。

今夏の宮崎大会では、出場チームに使わなくなった野球用具の提供を呼びかけている。県内の少年野球チームなどに寄贈する予定だ。提供を受けた子どもたちが、やがて高校で野球をする。そんな循環につなげたいと試みる。こうした取り組みに加え、甲子園で宮崎代表が活躍して、その姿に憧れてもらうことが何よりも野球の裾野を広げるのではないかという。

全国でも強いチームが宮崎に生まれ、活躍が全体の底上げにつながって次世代の球児たちを生み出していく。そんな未来へ一歩を踏み出すために「今夏の甲子園でまずは1勝を」。餅原さんをはじめとした県内の高校野球関係者たちは強く願っている。

📝「甲子園で勝てなくても素晴らしい」 県高野連の元幹部が語った真意
https://news.yahoo.co.jp/articles/e85eae4251ecce7e4ba6ed09c871a88979d39eeb

「甲子園で勝てなくても、私は宮崎県の高校野球は素晴らしいと思っています」。今春まで宮崎県高校野球連盟の理事長だった児玉正剛さん(60)は退任のあいさつでそう話した。その言葉を聞いて、宮崎代表が甲子園で勝つ術を追ってきた私は少し混乱した。どういうことなのだろう。

言葉の真意を児玉さんに尋ねた。まず宮崎の高校野球の素晴らしさとして挙げたのが、多くのチームに甲子園出場のチャンスがあるということ。昨夏の宮崎大会で宮崎商が61年ぶりに連覇するまでは、毎年代表チームが入れ替わっていた。

「他県には、2、3の強豪が甲子園出場の多くを占めているところがある。全国から有望選手を集めて勝ち続けているチームもある。果たしてそれが、高校野球本来の姿なのかなと思うんです」

今夏の宮崎大会では参加47校のうち6割近くの27校に甲子園出場経験がある。児玉さん自身も2012年春、監督をしていた県立宮崎西高が選抜大会に出場した。
宮崎西高は県内随一の進学校だ。2年生までは平日3時間、土曜4時間、日曜6時間の「さんしろう」、3年生は平日4時間、土曜6時間、日曜8時間の「ヨーロッパ」の自習が当たり前とされ、選手たちは「素振りをするなら机にも向かえ」と勉学に追われた。

グラウンドも右翼フェンスまで60メートル余りと手狭で、優れた選手ばかりではない。「肩が弱くて、最初は送球が届かない内野手もいた。なぜ、このチームで甲子園に行けたのか、今でも不思議です」と振り返る。

それでも、エースは球速に劣る分をスローカーブと制球で補う投球術を身につけ、野手陣も派手さはないが堅実な守備を磨いた。11年秋の県大会で準優勝し、九州大会でも1勝を挙げて選抜大会出場に結び付けた。圧倒的な力を持ったチームが存在しない分、普通の公立高でも鍛え上げれば本気で甲子園を狙える。その環境こそが宮崎の高校野球の良さだと、児玉さんは言う。

全国での勝ちにこだわらないわけではない。「野球を通じて人をつくる。野球を学びながら人として大切なことを学んでいく。その中で勝つということはすごく大事です」。勝利することで、努力や過程が間違っていなかったと自信につながるからだ。

高校時代にライバル校の同級生だった野球解説者の坂口裕之さんは「児玉さんが県高野連の理事長の時、誰よりも宮崎代表に勝って欲しいと願っていた」と明かす。

ただ、有望な選手が集中した特定のチームが甲子園で勝ちを重ねる姿を宮崎の高校野球の理想とは考えない。「いまはドングリの背比べかも知れないが、各チームがもっと力をつけて切磋琢磨し、高校野球の魅力を高めて部員数も増えていく」。そんな未来像を描いている。

📝酷暑回避の代償…甲子園「朝夕2部制」で浮かぶ〝ナイター格差〟
https://news.yahoo.co.jp/articles/c6969962ac83ed3b2c20b0c329098bd15a03dad2

真夏の聖地は、暑さだけでなく「夜」にも勝てなければ生き残れない舞台へと変わった。第108回全国高校野球選手権大会が5日、甲子園で開幕。前日4日には開会式のリハーサルも昨夏に続き当日に合わせて熱中症対策として午後4時から行われ、出場49校がグラウンドに集結し、夕暮れの聖地を行進した。

日本高野連は酷暑を避けるため、2024年大会から試合を朝と夕方に分ける2部制を導入。今大会は2部制と同様の時間帯で開催する日を昨夏の6日間から10日間に拡大した。第3~8日は午前8時から1試合を行った後に観客を入れ替え、午後1時半から3試合。最終試合は午後6時半に始まる。

ただ、炎天下を避ける安全策が、新たな難題も生んでいる。午後1時半はなお厳しい暑さが予想される一方、ナイターでは照明下の打球や投球の見え方が昼間とは異なる。「これで十分なのか」という議論が消えない中、対応できる環境にも学校間で差がある。
第6日(10日)の第4試合で天理(奈良)と対戦する福山(広島)は、春夏通じて初出場。選手の一人はナイター対策について「やっていないですね…」と焦りを隠せなかった。

一方、第7日(11日)の第1試合で敦賀気比(福井)と対戦する横手(秋田)は、学校から車で約10分のグリーンスタジアムよこてで夜間練習を実施した。本番は午前8時開始ながら、選手は「ノックを受けたり、打席に立ったりして、光の見え方は把握できました。夜にやるのはかなり新鮮でした」と説明。朝夕で条件が大きく変わる2部制も見据え、経験できる環境を最大限に活用した。第7日の第4試合で三重とぶつかる松商学園(長野)も、隣県・山梨の高校との練習試合でナイターを経験。「本当にありがたかったです」と〝隣県の縁〟に感謝した。

5回終了後のクーリングタイムなど対策は進む。それでも安全を守るための大会改革が、準備環境の違いという新たな格差を浮かび上がらせた。変貌する甲子園への適応力もまた、勝敗を左右する時代に突入している。

🎤2026年夏の甲子園 監督突撃インタビュー
聖隷クリストファーのプロ注目左腕は「大学進学」揺るがず…田中監督が明かした親子の事情
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/391324

田中公隆(聖隷クリストファー/静岡/52歳)

きょう6日に佐野日大(栃木)と対戦する聖隷クリストファー(静岡)の田中公隆監督は大阪出身の情報科教諭。母校・大阪桐蔭の西谷浩一監督の下で10年間コーチを務めた後、福井工大福井で8年間、コーチと監督を歴任。2021年から聖隷で上村敏正前監督(現校長)を副部長として支え、今春から指揮を執ると、就任約4カ月で2年連続の甲子園出場を果たした。聖隷の監督に就任した経緯やプロ注目左腕・高部陸の進路、浜松商(静岡)を春夏7度甲子園に導いた上村前監督からチームを託された重圧などについて聞いた。

──大阪桐蔭を離れ、福井へ移った経緯は。

「たまたまご縁があったからです。大学時代(福井工大)を過ごしたなじみのある土地ですし。妻も福井出身なので、新天地で頑張ろうと決めました」

──ご自身は大阪桐蔭OB。ゆくゆくは自分で指揮を執りたいという気持ちはありましたか。

「それはなかったですね。はい」

──聖隷に来た経緯は?ご家族も静岡へ?

「福井を退職することが決まっていた時に、上村先生から声をかけていただきました。後継者として呼ばれたわけではなく、私が困っている時に拾っていただいた、という感じです。家族は福井に残してきました。なかなか帰れず、年に1回会えるかどうか」

──西谷監督、上村前監督から学んだことは。

「それぞれたくさんありますが、共通しているのは、生徒をしっかり観察して指導することです。いろいろな生徒がいる中で、一人一人の特色をつかみ、その子に合った指導を、とことん粘り強く続ける。そこは、やはりすごいと思います」

──ところで、エース高部はプロから注目されていますが、進学の意思は変わりませんか。

生徒たちも「上村先生に恩返しをしたい」と常々口に

「本人も親御さんも、聖隷を選んだ時から大学進学を目標にしていて、そこでしっかり経験を積みたいという考えでした。今もその気持ちは変わらないようです。本人がそう考えているのなら、特に口を出したり、ましてやプロ入りを勧めることはありません」

──「高部は○○大学への進学」などの情報が、公表前からネットにも出回っている。この状況に思うところは。

「まだ決まっているわけでも、合格をいただいているわけでもありません。これからです」

──その高部を軸に、昨年は春、夏、秋の県大会を制しました。上村前監督は「高部がいる間に渡したかった」と話しています。今春、上村前監督の後を継ぎ、「勝って当然」という重圧はありませんでしたか。

「重圧というより、まず監督が代わることで生徒たちが混乱すると思いました。そこを極力なくし、今まで通り進められるよう、しっかりやっていかないといけないという思いでした。『高部がいる間に』ということより、上村先生がチームを後進に譲るのは、かなりの決断だったはずです。その思いに応えないといけない。生徒たちも『上村先生に恩返しをしたい』と常々口にしていたので、簡単に負けさせるわけにはいかないという気持ちはありました。ただ、必ず結果を出してくれるだろうと信じていたので、私自身が特別に何かを背負っているという感覚ではありませんでした」

──県大会優勝時は涙を流しました。

「今まで野球で涙が出ることはなかったのですが、私を拾ってくれた上村先生に『おめでとう』と声をかけていただき、つい、こらえきれなくなってしまった。安堵や達成感というより、本当に、純粋に、その言葉が何よりもうれしかったんです」
2026/08/07(金) 21時39分16秒 No.2564 編集 削除
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お知らせ

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⚾今日の熱闘甲子園試合結果(1回戦)
2日目第1試合 神村学園(鹿児島)-東筑(福岡) 16:02~18:10 17:05内野点灯 5回表から
          一二三四五六七八九十計HE
      東  筑100000000 141
      神村学園00301100X 5111

2日目第2試合 聖隷クリストファー(静岡)-佐野日大(栃木) 18:43~20:34 18:28点灯
          一二三四五六七八九十計HE
      佐野日大000000100 160
      聖  隷000000000 062

今日はレフトスタンドで観戦してきました。まだまだ明るい17時05分から銀屋根のLEDナイター点灯は驚きでしたが、エエ写真2枚撮れたのでブログに挙げました。よかったらどうぞ
https://ameblo.jp/hirorinhoushi/entry-12974981251.html

⚾明日の熱闘甲子園組み合わせ(3日目 1回戦)
    08:00~ 東海大甲府-鶴 岡 東
    13:30~ 八 幡 商-健大 高崎
    16:00~ 立命館宇治- 有 明
  ☆ 18:30~ 立正大淞南-長崎 日大

📣夏の甲子園 開会式でネット騒然「ユニホーム変わってる!」3年連続出場の強豪校が新スタイル「日本代表みたい」
https://news.yahoo.co.jp/articles/a007b7f5eb74f5e04b780210e8ac51dfc5ef8896

3年連続8回目の出場となる鳥取城北が登場すると、SNSが騒然。縦じまから白地のユニホームに変わっており「めっちゃユニホーム変わってる」「竪縞じゃなくなってる」「夏の甲子園に合わせてデザイン変わってるのか」などと沸いた。帽子は紺の生地に「J」が刺しゅうされ、「日本代表みたい」「侍ジャパンやん」などの声も上がった。

初戦は岡山学芸館と対戦。鳥取県勢として11大会ぶりの初戦突破を目指す。

🎤2026年夏の甲子園 監督突撃インタビュー
プロ注目バッテリーの進路は? 福岡有数の進学校・東筑に有力選手が集まる秘訣
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/391260

──バッテリーはプロ注目選手。選手はどう集めているのですか。

「地元には、勉強ができて野球の力もある中学生がいます。そうした選手たちが『勉強も野球も頑張るなら東筑に行きたい』と思ってくれることが、楽しみな選手が集まる理由だと思います。毎年ある程度勝ち上がり、県大会の上位を狙ってきた伝統も大きいですね」

──選手たちは一般入試ですか、推薦入試ですか。

「過半数は一般入試ですが、県が採用している『推薦入試』の部員もいます。1学年の定員280人に対し、推薦入試の枠があり、その中でラグビー部、男女バレー部など、各部活動との兼ね合いで決まるので、人数は毎年まちまちです」

──推薦には内申点などの基準がありますが、超有望球児に「ゲタ」を履かせたりは。

「基準より低かったら絶対ダメです。推薦入試にも定められた基準があり、その条件を満たさなければいけません。部活動だけでなく、学力や生徒会活動など、中学校生活の中で本人が何を強みにしてきたのかを含めて推薦されます。野球がうまいというだけで入学できるわけではありません」

──今チームには医学部志望者が4人います。文武両道をどう実践しているのでしょうか。

「もともと学校の授業レベルが非常に高く、まずはその授業に必死についていくこと自体が勉強になっています。野球部に限らず、全校生徒の8~9割が部活動に入っているため、空き時間や隙間時間を有効に使って勉強する校風、環境があります。午後8時が完全下校時刻となっており、学校帰りに塾へ通う選手もいます。野球をする時は野球に集中し、終われば勉強へ切り替える。その積み重ねです」

──甲子園に滞在している間も、3年生は受験勉強をしていますか。

「今は野球に集中している選手が多いと思います。大会が終わってから、スイッチを切り替えることになるでしょう。3年生15人のうち、3分の2ほどは一般受験で国公立大学への進学を希望しています。私立大学で野球を続けたいという選手もいますが、多くはこれから本格的な受験勉強に入ります」

──医学部志望の4人については。

「現役での医学部合格は簡単ではありません。ただ、野球を最後までやり切った後、気持ちを切り替えて一気に伸びる生徒はいます。野球部の先輩にも、医学部へ進み、医師になった方がたくさんいます。時間はかかるかもしれませんが、十分に可能性はあると思うので、頑張ってほしいですね」

──プロ注目のエース深町、捕手の平山の進路は。

「深町は早い段階から大学進学を希望しています。平山はまだ考えている段階なので、大会が終わってから本人や保護者と話をするつもりです。プロの方が興味を持ってくださっていることは分かっていますが、今は目の前の甲子園に集中しています」

──山下監督は進学とプロ入り、どちらがいいと思いますか。

「東筑関係者が10人いたら、9人、あるいは10人全員が『大学進学』と言うでしょう。指定校推薦や一般入試を含め、名門大学へ進学できるチャンスがあります。そこで大学野球を経験し、その先にプロへ行ける可能性があるなら、その道を選んだ方がいいのではないか、という考えは強いと思います。一方で、プロへ挑戦できる機会も限られている。こればかりはタイミングや運もあります。大人は大学へ進んだ方が将来の選択肢が広がると考えます。ただ、子供たちにとっては、目の前にプロへ挑戦できる機会があれば、そこへ行きたいと思うのも間違いではありません。最後は本人が納得して決めることが一番大事だと思います」

──監督として、教え子をプロへ送り出したいという思いはありますか。

「プロへ送り込みたいという気持ちは特にありません。ただ、将来、プロの世界や日の丸を背負う舞台で活躍する選手が東筑から出てくれたら、うれしいですね」

──ご自身も東筑から国立大へ進み、教員になった。その経歴は進路指導にも生きているのでは。

「グラウンドに出てきた時は野球だけですが、学校内ではいろいろな話をしています。大学受験に関しても、私個人的に思うことや、これまでの先輩たちも含めて、その都度その都度、答えられているとは思います」

──選手の学校生活に関わっていることは、プラスに働いていますか。

「非常に大きいです。私が直接授業を見る選手は限られますが、職員室にいれば、ほかの先生方から普段の様子を聞くことができます。褒められたことも、指導が必要なことも、その都度選手と向き合える。ここぞという場面で力を発揮できるかは、日頃の振る舞いや性格にも表れると思うので、そうした野球以外の姿もメンバー選考や起用の参考にしています。そこは教員監督の強みだと思います」

──初戦の相手は優勝候補の一角、神村学園です。

「神村学園さんは非常に鍛え上げられたチームで、最後まで諦めない粘り強さがあります。ただ、東筑も福岡大会では粘り強い守りで勝ち上がってきました。序盤で突き放されず、僅差のまま食らいついていけば、勝機が出てくるはず。これまでとは逆に、最後にこちらが逆転するのか、リードを守って逃げ切るのか。甲子園という舞台で、そういう試合をしたいです」

📝宮崎代表は「十分戦えている」 解説者・坂口裕之さんの勝利のヒント
https://news.yahoo.co.jp/articles/c4b7446e1690ee5ca2d7d0b280177768e0070e33

監督や選手とは異なる視点から甲子園大会を見続けている人の目に、ここ数年の宮崎代表はどのように映っているのか。社会人野球の選手、監督として活躍し、長年、NHKで大会の解説者を務める高鍋高出身の坂口裕之さん(60)の話は、甲子園で勝つためのヒントに満ちていた。

「負けはしたけど、力は互角だった」。2024年と25年の夏に惜敗した宮崎商の戦いぶりを見て、坂口さんはそう感じたという。では、何が勝敗を分けたのか。坂口さんが挙げたのは「心のコントロール」だった。

競った試合展開で終盤を迎えると、選手たちの気持ちは揺れる。抑えなきゃいけないと思うと力み、失敗してはいけないと思うと様子を見てしまう。「しっかり勝負する気持ちになるためには、自信が大事なんです」

■「なぜ」を落とし込む

その自信を生み出すのが技術だという。打つこと、走ること、投げること、捕ること。「そこに、今まで自分がしてきたことを表現すればよいというものがないと自信にはならない」と語る。

身につける方法として示したのが目標設定と落とし込みだ。「地方大会を勝ち上がる、甲子園に出るというのではなく、どんな対戦相手でも全国で勝つんだと一つ上を目指して欲しい」。チームの特長や選手個々の技術を伸ばすために指導者が全体像を示し、必要な練習や、その狙いを選手たちに落とし込むことが大切だという。

例えば150キロの速球を長打するにはこの速さ、この角度のスイングが必要になる。それには筋力がいるから、このトレーニングをしてこの重さを動かせるようになろうといった具合に。そして、大事なポイントが「『なぜ、なぜ、なぜ』とどこまで深く落とし込めるか」だという。全国で勝つチームはそういう意識付けをして練習を重ね、選手たちはチームが目指す野球をしっかり理解している。同じように素振りを1千回したとして、求める先に違いがあればそれが差になってしまうと指摘する。

■想定外を乗り切る術は

だが、技術と自信を身につけた選手にとっても甲子園は特別な舞台だ。アルプススタンドからの大声援やテレビの全国中継もある。特別な場所だから特別なことが起きる。「指導者は選手に『それが当たり前だよ』と言ってあげればいい。選手はみんな不安で、安心させてあげることがすごく大事」という。

試合での想定外を乗り切る術(すべ)も必要だと指摘する。相手の速球が想定以上に伸びてきて、振り遅れる。「ならばバットを短く持ったり寝かせたり、打席の位置を変えたり。あるいは変化球に狙いを絞らせるように修正をかける」。指導者が普段の練習や試合から修正を試して選手に身につけさせ、大舞台のここ一番でも使える引き出しを数多く持っておくことも勝利の要件になるという。

坂口さんは、甲子園での負けが続いているからといって、宮崎代表が全国で劣っているとは感じていない。「やってきていることに間違いはなく、十分に戦えるところまで来ている。一つ先を目指して競い合ってほしい」

📝0対7からの大逆転、宿敵・帝京撃破、そして涙の初甲子園...小倉全由と「下町の暴れん坊」が起こした夏の奇跡
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/hs_other/2026/07/24/post_71/

名将たちの甲子園初出場物語 小倉全由(後編)

宿敵・帝京は1985年春の選抜大会で準優勝を果たした。

「選抜での帝京の試合は全部録画して、何度も繰り返し見ましたね。とにかく帝京に勝ちたい、その一心でした」

関東第一を率いていた小倉全由の「打倒・帝京」への執念を物語るエピソードは、枚挙にいとまがない。

【チームを変えた主将のひと言】
 
厳しい冬を乗り越え、両校は春季大会の決勝で再び顔を合わせた。帝京はエース・小林昭則を温存し、三塁手の藤波清が先発。それでも関東第一は、2対9とまたしても大敗を喫した。
その試合後、控室にやってきた校長は、小倉に厳しい言葉を投げかけた。その様子を見ていた主将の寺島一男は、校長に向かって「監督が悪いんじゃない。悪いのは俺たちなんだ」と言い返した。小倉が回想する。

「私は寺島を注意しましたが、内心その気持ちが本当にうれしくてね。これこそがこのチームのカラーですよね」

決勝で帝京に敗れたものの、関東第一は初めて関東大会出場を決めた。初戦で名将・斉藤一之率いる銚子商(千葉)に敗れたが、小倉にとっても選手たちにとっても大きな経験を積むことができた。
そして小倉にとってターニングポイントになったのが、6月に行なわれた東北(宮城)との練習試合だった。のちに「ハマの大魔神」としてプロで大活躍する佐々木主浩は腰痛で帯同していなかったが、葛西稔(元阪神)と対戦して勝利。試合後、名将・竹田利秋は小倉にこう言った。

「小倉くん、このチームは甲子園に出たらベスト8に行けるよ」この言葉で小倉の不安は消えた。

「あの言葉がなかったら、自分は『まだまだ足りない』って厳しい練習をやって、選手たちを追い込んで、逆に潰してしまっていたかもしれない。竹田さんの言葉が本当に支えになりました」

その後の練習試合でも、大会直前の市船橋(千葉)に黒星を喫したが、ほぼ負け知らず。小倉はたしかな手応えを感じていた。

「このチームは"打撃のチーム"と言われていたけど、守備もよかったし、例年以上に足も使えた。バランスのいいチームに成長してくれました」

関東第一の強さは、関係者の間でも評判になっていた。抽選会に行ったマネージャーが、他校の部員から「おまえたち強いらしいな」と声をかけられたという。だが、大会に入ると苦しい戦いが続いた。初戦突破後の2戦目(4回戦)の攻玉社戦は1対0の辛勝。さらに準々決勝では、前年優勝の日大一を相手に、あわやコールド負けという絶体絶命のピンチに陥った。エースナンバーを背負う日大三からの転校生・高井隆行が序盤につかまり、いきなり0対7の劣勢を強いられた。

そんな悪い流れを変えたのが、主将・寺島の一発だった。打席に向かう途中、相手選手が「強いって聞いていたけど、大したことないな」とつぶやくのを耳にしたという。「誰よりも負けず嫌いな男」と小倉が評する寺島は、「ふざけるな」という思いをこめてバットを振り抜き、反撃の狼煙となる本塁打を放った。

「ベンチへ戻るなり、寺島はチームメイトに『おまえら、なめられてるんじゃないぞ!』と叫んだんです」

小倉は当時を思い出しながら、うれしそうに振り返った。寺島の一発をきっかけに関東第一は息を吹き返し、11対8の大逆転勝利を収めた。勢いそのままに準決勝では城西大城西を6回コールドの12対2で圧倒し、いよいよ決勝へ。待ち受けていたのは、最大のライバル・帝京だった。

【打者一巡の猛攻、歓喜の8回】

「甲子園よりも帝京に勝つこと。とにかく、打倒・帝京。それがすべてでした」

そう当時の心境を語った小倉だったが、決戦を前に迷っていた。

「ミーティングでは『明日は木島(強志)でいくぞ!』と先発を伝えたんですが、『木島で9回まで持つのか?』という不安があったんです。だったら、高井でいけるところまでいって、木島につなごうと決心しました。翌朝、選手たちには謝りました」

先発完投が全盛の時代。小倉は大一番であえて"継投"を選択して、勝負に出た。そして打者にはこうアドバイスを送った。帝京のエース・小林昭則はこの夏、得意のカーブが抜けて高めに浮くことが多かった。そこで「ボール球でもいいから顔の前にカーブが抜けてきたら、右バッターはレフトスタンドへ向かってホームランをぶち込め」と伝えた。これが功を奏したのか、3番の田辺昭広はそのカーブをレフトスタンドへ運んだ。

試合は高井から木島への継投が決まり、関東第一が4対3と1点リードのまま終盤へ入った。しかし7回、スクイズを失敗して追加点を奪えなかった。

「あの時は、また勝てないのかと思いました」(小倉)

だが、勝負を決めたのは8回裏だった。関東第一は、満塁から2番・室井和孝が走者一掃の三塁打を放つと、つづく3番・田辺がタイムリー、4番の山本英俊にも本塁打が飛び出すなど、打者一巡の猛攻で一挙8点を奪った。ベンチの選手全員が飛び出し、帝京ベンチに向かってガッツポーズをするなど、喜びを爆発させた。あまりの盛り上がりに、連盟関係者から「やりすぎだ!」とお叱りを受けたほどだった。

そんなお祭りムードのなか、小倉は「おまえたち、もう1回しっかり守ってこい、高校野球は何があるかわからないから」と必死に冷静を装い、選手たちを送り出した。そして最終回、2点を許したが12対5で勝利。宿敵・帝京を下して、ついに初めてとなる甲子園出場を決めた。小倉がしみじみと語る。

「あの9回の守備は本当に長かったですね。みんな甲子園に出ることよりも、帝京を倒すことに執念を燃やしていました。それを果たせたことがうれしかった」

スタンドにあいさつに行くと、みんなが泣いていた。

「どのチームも優勝するとうれし涙を流しますが、あの時の涙はすごかったですね」

学校関係者も地元・江戸川区の人たちもみんなが泣いていた。小倉率いる関東第一は、こうして創立60周年という節目の年に甲子園初出場という偉業を成し遂げたのだった。

【初の甲子園でベスト8進出】
 
翌朝の新聞が待ち遠しかった小倉は、夜明け前から寮の玄関で朝刊が届くのを待っていた。そこへひとりの1年生が素振りをしにやって来た。2年後の選抜で、主将としてチームを準優勝へ導くことになる田村直樹である。その時、田村は小倉にこう言ったという。

「監督、自分は悔しいんです。先輩たちが優勝したことはうれしいですけど、初出場での胴上げは、自分たちがやりたかった」

後日、この話を田村に伝えると、「1年生だった自分との会話まで覚えていてくれているんですね」と驚いていた。40年以上が過ぎた今でも、部員との何気ないやり取りや当時の練習風景を鮮明に覚えている。その記憶力のたしかさと、一人ひとりの選手を大切にする姿勢こそ、多くの教え子たちから卒業後も慕われ続ける小倉の魅力なのだ。

新聞には、<関東一 泣いた 泣いた>の見出しが躍っていた。同じ日に久しぶりの甲子園出場を決めた銚子商の斉藤一之監督と並んで掲載されたことも、小倉にとってはうれしかったという。甲子園へ出発する日は、新小岩駅で盛大な祝勝会が開かれた。

「江戸川区長も先頭に立って応援してくれましたし、商店街の皆さんの声援もうれしかったですね。下町の温かさを実感しました」

甲子園では、「いつ負けたっていいんだ。思いきってやれ」と選手たちを送り出した。その言葉どおり、関東第一は強打を武器に花園(京都)との初戦を突破すると、國學院栃木、日立一(茨城)を次々と撃破。準々決勝で東海大甲府(山梨)に逆転負けを喫したものの、堂々のベスト8入りを果たした。
寺島や塩田らは、この甲子園をきっかけに東海大甲府や國學院栃木の選手たちと親交を深め、40年以上が経った今も交流が続いているという。準々決勝の9回、逆転タイムリーを放った東海大甲府の小板橋則之はこう語る。

「小倉監督と寺島たちを見ていて、本当にうらやましかったんです。甲子園に初出場したチームの監督と選手って、こんなに強い絆で結ばれるものなんだなって......」

【前田さんに育ててもらった】
 
小倉は当時を振り返り、「塩田がこのチームの副主将だったことも大きかった」と語る。塩田は高校進学の際、一度は別の高校への進学を希望していた。しかし、縁があって江東ライオンズ時代のチームメイトとともに、地元・関東第一へ進学した。

「関東第一に進んだからこそ、人生の師と巡り会えました。小倉監督に出会えたことで、今の自分があります。監督の教えがあったから、長く野球を続けることもできました」塩田はそう語り、小倉への感謝の思いを口にした。

寺島は卒業後、ふとした時に「あの頃、監督さんはまだ28歳だったんだよな」と思い返すことがあるという。主将になってからは、折に触れて「寺島、これどう思う?」と意見を求められた。いつも選手のことを第一に考え、真正面から向き合ってくれた。その姿勢は、今も寺島の胸に深く刻まれている。

「監督さんと出会えて、本当によかったです」寺島は、感謝の思いをかみしめるようにそう振り返った。

小倉に「5年間は長かったですか?」と尋ねると、「あっという間でしたね」と返ってきた。

「3年目に初めて決勝まで進んで負けた時、自宅で『俺は一生、甲子園に行けない監督なのかな』と、泣きながら妻に弱音を吐いたことがありました」

すると妻は、「初めて行った決勝で負けたくらいで何を言ってるの!」と叱咤激励してくれた。その支えには、今も心から感謝しているという。そして、小倉はこう続けた。

「自分は帝京の前田さんに育ててもらったと思っています」

打倒・帝京という大きな目標があり、前田三夫という偉大な背中を追い続けたからこそ、就任5年目で甲子園初出場をつかむことができた。

「初出場が一番ですね。絶対に忘れない。『俺が』じゃなくて、『こいつらと戦ったんだ』っていう気持ちです」

就任5年目、28歳の青年監督と「下町の暴れん坊」と呼ばれた選手たちがつかんだ甲子園初出場。その栄光は、勝利の数やベスト8という結果以上に、ともに泣き、ともに笑い、ともに宿敵へ挑み続けた仲間との日々として、小倉の胸に今も鮮やかに刻まれている。
2026/08/06(木) 22時58分58秒 No.2563 編集 削除
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⚾今日の熱闘甲子園試合結果(1回戦)
初日開幕試合 仙台育英(宮城)-札幌日大(南北海道) 17:39~20:09 18:08点灯 3回表から
          一二三四五六七八九十計HE
      札幌日大000001000 131
      仙台育英00110001X 382

⚾明日の熱闘甲子園組み合わせ(2日目 1回戦)
    16:00~  東 筑  -神村 学園
    18:30~ 聖隷クリストファー-佐野 日大

📝「9人集まらない時代」に野球はどう生き残るのか―甲子園連覇投手 石井毅が語るベースボール5の可能性―
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/7e3bfd4cb7bfde3b8ac307aa6199ec5900fe4da2

47年前の夏、甲子園のマウンドで躍動し、「箕島」の名を全国に轟かせた石井毅。現役引退後、独立リーグのオーナー兼監督として後進の育成に当たったが、これには挫折。それでも今なお、彼は故郷和歌山の野球の持続的発展に取り組んでいる。(最終回)

「このままでは地方の野球は本当に厳しい。」

石井は、和歌山県で少年野球や中学野球の指導に携わる中、危機感を抱いている。長年、現場で子どもたちを指導してきた身には、地方の野球を取り巻く環境が急速に変化していることを誰よりも肌で感じている。かつて「田舎」は、豊かな自然環境の中で体を動かして育った子どもたちが数多く野球に親しみ、その中からプロ野球選手を輩出してきた。しかし現在では事情が大きく変わった。スポーツ科学の発展に伴い、専門的なトレーニング施設や指導者が集まる都市部へ人材が集中し、育成という面でも地方との格差はますます広がっている。

「今は野球だけじゃない。スポーツ全体が一極集中なんです。ちゃんとした施設や科学的な指導を受けられる環境にアクセスできるかどうかで差がついてしまう。」

そしてもっと根源的な問題として、日本の人口分布の変容がジュニアレベルのスポーツの存在を脅かしている。人口減と少子化は日本全体の問題だが、その影響は「東京一極集中」とも言われる大都市圏への人口集中は、地方都市の活力を確実に奪っている。和歌山の場合、県都和歌山市の中心部でさえ、商店街はいわゆるシャッター街化している。
当然のごとく、その影響は地方の野球人口減少にも直結している。石井氏が活動する和歌山県では、小学生、中学生、高校生のいずれのカテゴリーでも競技人口が減少し、チームそのものが維持できない地域が増えているという。母校・箕島高校もまたしかりで、あの名門が今や存続の危機に立たされているという。

中学校の部活動の地域移行も、新たな課題を生み出している。石井氏自身はクラブチームを立ち上げ、中体連大会への参加も実現させたが、地域によって制度運用は異なり、クラブチームが公式大会に参加できない地域もあるという。

「今の制度では、学校なら合同チームを組めても、クラブになるとできない場合がある。せっかく地域移行しても、人数が減ったら続けられないんです。」

こうした現状を前に、石井氏は日本の野球界全体にも課題があると指摘する。競技団体や組織が細分化され、統一的な育成システムが十分に機能していないというのである。また、指導者養成についても問題意識は強い。

「サッカーには体系的な指導者資格があります。でも野球は、自分が経験したことを教えているだけというケースも多い。本当に子どもを教えるなら、成長段階や身体の発達を理解していないといけません。」

その一方で、石井が今、大きな可能性を感じている競技がある。WBSC(世界野球ソフトボール連盟)が普及を進めるベースボール5である。石井は競技的には野球との関連は薄い、つまりこの競技でのスキルが野球に直接つながるかといういうことには懐疑的ではあるが、ベースボール型競技(野球・ソフトボール)への入り口として野球普及に貢献するものだと言う。
ベースボール5は、ボール一つあれば始められる都市型の新しい野球競技で、バットもグラブも必要としない。狭いスペースでもプレーできるため、体育館や校庭、企業の敷地などでも実施できる。石井は、この手軽さこそが地方の野球にとって大きな意味を持つと考えている。

「田舎では9人集めること自体が難しい。でもベースボール5なら少人数でできる。まず遊び感覚でもいいから子どもたちに野球によく似たスポーツに触れてもらう。それが中学や高校で野球部へ入るきっかけになるかもしれません。」

石井はベースボール5を野球とは全く別競技とはしながらも、「野球との接点」を生み出す入口として大きな可能性を評価している。だからこそ、彼は低年齢層にこの競技を普及させるべきだと説く。

「今のところ、国際大会は主に13歳以上が対象なんです。でも、小学生や中学生向けのカテゴリーをもっと充実させるべきですね。人数が少ない地域ほど、この競技は意味があると思います。」

その普及の橋頭堡として、石井はこの競技の企業スポーツとしての採用に可能性を求めている。硬式野球の場合、企業スポーツとして本格的に取り組むのならば、グラウンドや用具、指導者など大きなコストが必要となってくる。一方、ベースボール5なら場所も設備も最小限のコストで済む。

「だから中小企業でも十分チームを持てると思います。会社の敷地でも練習できますし、大会には企業名を背負って参加しますので、広告効果も期待できます」

実際に石井は、関西地域での普及や企業への働きかけにも取り組み始めている。さらに、和歌山でベースボール5の関西予選を開催する構想も進めており、会場の確保など具体的な準備も始まっているという。大学でも普及は進みつつある。和歌山大学や大阪体育大学などが大会へ参加しており、野球部員がベースボール5に出場するケースも少なくない。現在はWBSCの方針を受け、日本国内ではまず大学を中心に競技人口の拡大が図られている段階だという。石井氏が目指しているのは、競技人口が減少する地方に新たな選択肢を提示することである。

「田舎では人数が集まらなくても、野球によく似たスポーツができる環境を作りたい。」

その言葉には、野球そのものを守るだけではなく、「野球文化を地域に残したい」という思いが込められている。

野球人口の減少は全国的な課題となっている。学校統廃合や少子化が進む地方では、従来型の9人制野球だけでは競技を維持することが難しい地域も増えていくだろう。
そうした中で、ベースボール5は野球に取って代わる存在ではなく、「野球との最初の出会い」を提供する新しい入り口になり得る。地方における野球文化を未来へつなぐための一つの選択肢として、その可能性は今後さらに注目されそうだ。

                 (おわり)

🎤日本高野連・北村聡会長が就任後開会式で初スピーチ「希望と元気と勇気と、安らぎを」
https://news.yahoo.co.jp/articles/849a208269b204afdae05456f3e11729e99d3b26

<全国高校野球選手権:開会式>◇5日◇甲子園

日本高野連の北村聡会長(70)が同職に就任後、初めて甲子園の開会式であいさつを行った。

今年4月に前会長の宝馨氏が一身上の都合で会長職を辞任したことから、北村氏が開会式で初スピーチ。「1球1球、大切に戦って下さい。希望と元気と勇気と、安らぎを。甲子園の土を踏みたくてもかなわなかった仲間の思いにも寄せていただけたら」と出場校へエールを送った。

この日は出場校が入場行進を終えた後、7月28日に発生した熊本地震の犠牲者に哀悼の意を表し、グラウンド、両校アルプススタンドをはじめとした観客一同が黙祷を行った。

☟開幕試合恒例のヘリコプターからのボール投下なし 始球式は手もとのボールで行われた
https://news.yahoo.co.jp/articles/201e638c709207de899d0c3f2318dd80e35e9da8

第108回全国高校野球選手権大会が5日、甲子園球場で開幕した。酷暑対策で午後4時に始まった開会式では全49校が堂々の入場行進。7月28日に震度7の地震に見舞われた熊本県の代表、有明が登場した際にはひときわ大きな拍手が起きた。実田聡志主将(3年)は「多くの方の応援に応えられるように頑張りたい。目標はベスト8」と地元の力になる活躍を誓った。午後5時39分から札幌日大(南北海道)-仙台育英(宮城)の開幕試合がスタート。日程が順調に進めば、22日に決勝戦が行われる。

    ◇   ◇   ◇

○…開幕試合で恒例となっていたヘリコプターからのボール投下はなく、始球式は手もとのボールで行われた。「アジア甲子園2025」のオールスターに選ばれたインドネシア出身のトゥク・ムハンマド・エミール・ラヤ投手(18)とサムエル・クルニアワン捕手(17)の2人が担当。外角低めに力強い直球を投じて観客を沸かせた。

📝横浜VS沖縄尚学は〝事実上の決勝〟の声も V候補敗退&波乱抽選で空前の〝戦国大会〟へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/c5b2c7770edb17fe9762226a0eed1e87d5896f97

第108回全国高校野球選手権大会が5日から甲子園球場で熱戦の火ぶたを切る。センバツ4強ら歴戦の強豪校が次々と姿を消した今大会は、初戦からプロ注目の157キロ右腕・織田翔希(3年)を擁する横浜(神奈川)と夏連覇を狙う沖縄尚学のV候補同士が激突。横浜をセンバツ初戦で沈めた神村学園(鹿児島)も東筑(福岡)と〝九州最強決戦〟のつぶし合いとなり、群雄割拠の真夏の戦いは史上空前の戦国大会となりそうだ。

〝西の横綱〟大阪桐蔭はセンバツV投手の川本晴大(2年)の負傷が響いて4回戦で敗退し、準Vの智弁学園(奈良)は3回戦で敗退。さらにベスト4の中京大中京(愛知)も5回戦で去り、専大松戸(千葉)も決勝まで進んだが、拓大紅陵の前に涙をのんだ。他にも超高校級右腕でメジャースカウトも視察した195センチの剛腕・菰田陽生(3年)を擁する山梨学院、長距離砲の牟礼翔(3年)が注目された九州国際大付(福岡)、常連校の聖光学院(福島)、日大三(西東京)、星稜(石川)、広陵(広島)なども早すぎる夏の終わりを迎えた。

そんな中で激戦区を危なげなく制した横浜が本命視されたが、初戦からいきなりのつぶし合いだ。第6日第2試合で昨夏王者の沖縄尚学と対戦。横浜のエース・織田は直球に磨きをかけ、より完成度の高い〝ドラフト1位候補〟に成長し、その雄姿をドジャースやヤンキースも視察したほどだ。3日の甲子園練習で調整した日米注目の右腕は「どこが相手でもやるべきことは変わらない。自分らしい投球をしたい」と腕をぶし、強力打線に名を連ねる小野舜友(3年)、池田聖摩(3年)、川上慧(2年)ら野手陣とともに気合十分だった。
対する沖縄尚学も末吉良丞、新垣有絃の左右コンビに加えて久高大瑚(いずれも3年)が台頭し、昨夏からレベルアップ。この一戦が事実上の決勝戦とみる向きもあり、優勝の行方を大きく左右するかもしれない。

とはいえ、両者とも〝盤石〟とは言えず、横浜は走塁ミスも散見され、織田は下半身に不安も抱えている。センバツでも神村学園にまさかの完封負けを喫し、Vへの道は簡単ではない。

沖縄尚学も末吉がセンバツ後の4月に左ヒジを負傷し、長らく打者中心の練習を強いられた。沖縄大会の準決勝で復帰登板を果たし「連覇への挑戦権を獲得できた」と意気上がるが、万全には程遠く、先発するかは微妙。横浜を下したとしても不安は残る。また、九州勢ではセンバツで横浜を完封した龍頭汰樹(3年)に松永遥斗(2年)、仲地奏宇(2年)と投手力をそろえ、堅守と機動力も兼ね備えて4季連続出場の神村学園がV候補に挙がる。しかし、こちらも第2日第1試合でプロ注目の147キロ右腕・深町光生(3年)を擁する東筑と直接対決する運命となっている。

体力を奪われる酷暑が予想される中、2回戦スタートのアドバンテージを得たのが、履正社(大阪)、花咲徳栄(埼玉)、天理(奈良)あたり。激戦区の大阪を3年ぶりに勝ち上がった履正社は打線が全国屈指の破壊力を誇り、大阪大会7試合で66得点、5失点と投打のバランスも抜群だ。

2回戦組に追い風が吹くのか、強豪対決の勝者が勝ち上がっていくのか…。大会関係者は「総合力で横浜リードは動かないが、こうなるとどこが勝ってもおかしくない。英明(香川)と関東第一(東東京)も智弁和歌山と社(兵庫)といい、実力的に同じようなチームが当たっている。組み合わせで全く展開が変わる。力的には花巻東(岩手)、仙台育英(宮城)も劣らない」と混迷予想するしかなかった。

地区大会に続いて組み合わせ抽選も波乱。横浜と神村学園の運命の再会ならドラマチックだが、実力拮抗のチームが多いだけに本戦も波乱が避けられそうにない。

🎤2026年夏の甲子園 監督突撃インタビュー
東筑・山下監督「環境や勉強を言い訳に絶対したくないよねって、部員には日頃から言っています」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/391296

山下聖士監督(東筑/福岡/45歳)

 あさって6日に神村学園(鹿児島)と対戦する東筑は、9年ぶりに甲子園に出場する福岡県有数の県立進学校。毎年、東大と京大に複数の合格者を出している。昨秋から母校を率いて就任1年目の山下監督は数学教諭。限られた練習時間と環境の中で、いかにして激戦区の福岡を勝ち抜いたのか。文武両道の実情や選手育成、強豪に挑む心境を聞いた。

──福岡私立3強の牙城を崩して甲子園を決めました。

「やはり、強豪私学に対してどう戦うかという意識は常にチームで共有しています。今春の県大会決勝でも飯塚高校さんに敗れて悔しい思いをしているので、そこが原動力にもなっていました。これまで甲子園に出場した時は、絶対的なエース一人に頼る形でした。ただ、今回は継投で勝ち上がることができた。公立校でも投手を分業し、リレーで甲子園に届いたことは、大きな成果だと思います」

──東筑にとって甲子園は「夢」と「現実的な目標」のどちらでしたか。

「現実的な目標でした。夏の大会では『甲子園、甲子園』と鼓舞することはなくても、歴代チームを含め、根底には『甲子園で校歌を歌う』という目標がある。選手たちも勉強と野球を両立しながら、本気で甲子園を狙うつもりで東筑に来ています」

──バッテリーはプロ注目選手。選手はどう集めているのですか。

「地元には、勉強ができて野球の力もある中学生が多くいます。そうした選手たちが『勉強も野球も頑張るなら東筑に行きたい』と思ってくれることが、楽しみな選手が集まる一番の理由だと思います。東筑ブランド? たしかに、毎年ある程度勝ち上がり、県大会の上位を狙ってきた伝統も大きいですね」

──選手たちは一般入試ですか、推薦入試ですか。

「過半数は一般入試ですが、県が採用している『推薦入試』の部員もいます。1学年の定員280人に対し、推薦入試の枠があり、その中でラグビー部、男女バレー部など、各部活動との兼ね合いで決まるので、人数は毎年まちまちです」

──推薦には内申点などの基準がありますが、超有望球児に「ゲタ」を履かせたりは。

「基準より低かったら絶対ダメです。そういうことはあり得ません」

──今チームは医学部志望が4人。文武両道はどう実現?

「もともと学校の授業レベルが非常に高く、まずはその授業に必死についていくこと自体が勉強になっています。野球部に限らず、全校生徒の8~9割が部活動に入っているため、空き時間や隙間時間を有効活用して勉強する校風、環境がある。午後8時が完全下校時刻となっており、学校帰りに塾へ通う選手もいます。野球をする時は野球に集中し、終われば勉強へ切り替える。その積み重ねです」

──土日の練習は基本的に午後から。これは、朝に勉強させるためですか。

「いえ、グラウンドを使える時間帯の都合で……。平日も水曜と木曜は内野部分しか使用できません。でも、その時間は内野でできるメニューをしっかりやる。こういったことは徹底しています。時間も場所も限られているし、土日には模試があるなど、勉強もしなければいけない。『だけど、それを言い訳には絶対したくないよね』というのは日頃から言っています」

──「野球学校」は、東筑には負けられないと、対抗心を燃やしていませんか。

「どうなんでしょう。野球に対する思いや情熱は、どの学校も共通していると思います。私立の強豪校で、親元を離れて寮生活を送る選手たちにも、並々ならぬ覚悟があるはずです。グラウンドに立てば学校の特色や環境は関係ありません。野球への強い思いと、勝ちたいという互いの気持ちがぶつかり合う。純粋に野球で、互いにいい試合ができればと常に思っています」

──初戦は神村学園と対決します。

「優勝候補の一角に挙げられているくらい、非常に鍛え上げられたチームです。最後まで諦めない粘り強さもある。ただ、東筑も県大会を粘り強い守りで勝ち上がってきました。序盤で突き放されず、僅差のまま食らいついていきたい。そうすれば勝機が見えてくると思います」

🎤2026年夏の甲子園 監督突撃インタビュー
「野球学校」との対戦をどう思う? 超進学校・東筑の山下監督が語った赤裸々な回答
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/391259

明日6日に神村学園(鹿児島)と対戦する東筑は、9年ぶりに甲子園に出場する福岡県有数の県立進学校。毎年、東大と京大に複数の合格者を出している。昨秋から母校を率いて就任1年目の山下監督は数学教諭。限られた練習時間と環境の中で、いかにして激戦区の福岡を勝ち抜いたのか。就任時に感じたプレッシャーや、絶対的エースに頼らず勝ち上がったチームづくりについて聞いた。今回は【前編】。

──福岡の私学3強の牙城を崩し、甲子園出場を果たしました。

「強豪私学に対して、どう戦うかは常に意識してきました。昨秋、今春と私立に敗れた悔しさも、この夏の原動力になったと思います。準決勝の九州国際大付戦では大量失点するイニングをつくらず、取られたら取り返す展開に持ち込めた。相手にも安心できる雰囲気はなかったと思います。最後に逆転できたのは、本当に選手たちがすごかったです。また、これまで甲子園に出場した時は、一人のピッチャーに頼る形でした。30年前も9年前もそうです。ただ、今回はさまざまな場面でリリーフを起用し、投手を分業して勝ち上がることができた。公立高校が絶対的なエース一人ではなく、投手リレーで甲子園に届いたことは、大きな成果だと思います」

──東筑にとって甲子園は「夢」か、「現実的な目標」か、どちらでしたか。

「夢というより、現実的な目標でした。夏の大会では、目の前の一戦一戦を大事にしようと話していましたが、その先にある甲子園は毎年意識しています。今回も『甲子園で校歌を歌う』という目標を掲げてスタートしました。選手たちも、勉強と野球を両立しながら、本気で甲子園を目指すつもりで東筑に来ていると思います」

──監督就任1年目。プレッシャーはありましたか。

「正直、ありました。昨春の福岡大会で優勝し、九州大会に出場したチームの中心選手には、当時2年生だった選手が多くいました。今チームは彼らが主力となるだけに、順調に成長すれば甲子園も狙えるのではと。その分、周囲からの期待も大きく、監督1年目の自分が、この選手たちをどううまく伸ばしてあげられるかというところにプレッシャーを感じていました。青野前監督が偉大だったこともあります」

──練習環境には多くの制約があります。

「グラウンドはサッカー部、ラグビー部と共用しているので、土日は基本的に午後からの練習です。平日も水曜と木曜は内野しか使えません。ただ、そこは割り切るしかありません。内野しか使えないなら、内野でできる練習をしっかりやる。ノックもできますし、全面を使えない日は、練習時間の半分ほどをウエートに充てることもあります」

──ナイター設備がなく、冬場は暗くなるのも早い。

「完全下校の時間は季節にかかわらず午後8時です。暗い中でもできるティー打撃などで、スイングの量を確保することはできます。内野にはある程度の照明があるので、工夫しながら打撃練習を行い、特に冬場は量をこなすことを意識してきました」

──進学校として、学業にも注力しなくてはいけません。

「土曜日が模試でつぶれることもあります。ただ、『時間が足りないから仕方がない』『環境が悪いから勝てない』ということは、言い訳にしたくないよねと部員には話しています。限られた時間や環境を、逆にプラスに働かせることが大切です。グラウンドが十分に使えないことも、勉強があることも、絶対に言い訳にはしたくありません」

──「野球学校」は、東筑には負けられないと対抗心を燃やしているのでは。

「どうなんでしょう。野球に対する思いや情熱は、どの学校も共通していると思います。私立の強豪校で、親元を離れて寮生活を送る選手たちにも、並々ならぬ覚悟があるはずです。グラウンドに立てば、学校の特色や環境は関係ありません。野球への強い思いと、勝ちたいという互いの気持ちがぶつかり合う。純粋に野球で、互いにいい試合ができればと常に思っています」

📝酷暑対策でユニ色『紺』から『白』へ…愛知・享栄、開会式リハでお披露目 帽子、アンダーシャツ、ストッキングを一新
https://news.yahoo.co.jp/articles/39845180602296c32e8e3621feba943f073e502a

第108回全国高校野球選手権大会は5日に甲子園球場で開幕する。4日に同球場で行われた開会式のリハーサルで、享栄(愛知)が全身真っ白というニュースタイルをお披露目した。3日の甲子園練習までは紺色だった帽子やアンダーシャツ、ストッキングを白に変更。試合ではヘルメットも白にそろえて臨む。

目的は「暑さ対策に尽きます」と日野部長。白は濃い色に比べて熱を吸収しにくいといわれており、昨夏は県岐阜商が帽子を青から白に変更した例もあった。享栄も以前から検討し、今回の甲子園出場に合わせて新調。メーカーの協力で開会式に間に合わせた。

胸の「KYOEI」の文字などデザインには変更がない。これまでの伝統を守りつつ、酷暑の現代に合わせてカラーチェンジ。暑さに負けず、31年ぶりの夏の甲子園で輝く。
2026/08/05(水) 22時39分24秒 No.2562 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

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⚾明日の熱闘甲子園組み合わせ(初日 1回戦)
    16:00~     開 会 式
    17:30~ 札幌 日大-仙台 育英

📝広島商の新監督に花坪研氏就任
https://news.yahoo.co.jp/articles/71bf56f5ee78e0b721d7891ad883a3f6bd4e1d64

春夏計7度の甲子園優勝を誇る広島商高の新監督に花坪研氏(46)=前部長=が8月1日付で就任したことが3日、分かった。今夏まで指揮を執った荒谷忠勝監督(49)は退任し、総監督に就任する。

📝甲子園のヒーローが和歌山から描いた野球の夢―紀州レンジャーズ誕生と独立リーグの苦闘―
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/2641b6deb888e7b5a87d0d3cace5601aa3632675

7年前の夏、甲子園のマウンドで躍動し、「箕島」の名を全国に轟かせた石井毅。社会人の強豪、住友金属から西武ライオンズに進んだが、その現役生活は決して長いものではなかった。しかし、彼の野球人生はそれからが「本番」だった。(連載第4回)

西武を退団後、石井は故郷の和歌山に戻った。

「最初から、和歌山に戻るつもりでしたね。まあ、うちの家内も同級生なんで、家もこっち。だからすぐに帰ってきました」

当時28歳。普通なら途方に暮れそうなものだが、元々起業家精神があったのだろう、石井は若き実業家として第2の人生を歩み始めた。

「自分でちょっと、まあ、あの仕事というかね、みかん関係とか、ちょっとそんなんやろうかなって、会社を立ち上げました。不安?それはなかったね。人生、基本的に雇われるかフリーでやるかどっちかなんで。だったら、自分でやった方が楽じゃないですか。でもまあ、最初はね、儲かるんちゃうかなとか思って始めたけど、やっぱり儲からん(笑)。難しいですよ。まあ、でも成功してるかというとそうじゃないけど、細々と今までやっています」

事業と並行して野球にも関わり続けた。今度は裏方として支える側だった。

「事業を立ち上げてしばらくしたら、少年野球の監督やってる後輩から頼まれたんよ。それで地元の子供たちの指導することになりました。当時は、まだ元プロってことで高校は見に行くことできませんでしたけど」

ビジネスではなく、あくまでボランティアというかたちだったが、その後も石井は野球に関わり続けた。それがやがて自身のライフワークになり、20年ほど前にNPO法人を立ち上げた。

苦難の独立リーグ運営

「和歌山野球振興協会夢クラブというNPOを2003年に立ち上げたんですよ。その後ですわ、独立リーグの話が出てきたのは」

2008年に将来的な独立リーグ加入を念頭に成人のクラブチームを立ち上げたところに、関西地区にも独立リーグが発足するという話が舞い込んできた。

「最初は、NPO法人の方でスポーツアカデミーっていうのを立ち上げようとしてやったんですよ。廃校になった学校の施設を行政から借りて、始めたんやけど、やっぱり試合相手を探すのが難しかった。人数もなかなか集まってないところもあったところに(旧)関西独立リーグができるっていう話が来たんで乗りました。集まってくれた子たちをなんとかやらしたろうっていう気持ちの中で乗っかっていった感じですね」

それまで独立リーグが四国、北信越という地方に展開されていた中、「都市型」を標榜し、NPB2球団のホームがある阪神地区を中心としたリーグに、和歌山に本拠を置く独立リーグ球団「紀州レンジャーズ」が誕生した。
しかし、このリーグは開幕戦こそ大阪ドーム(現京セラドーム)に1万人を超える観衆を集めたものの、その後、注目を集めることはなく、創設者の「ビジネスマン」が開幕からふた月も経たぬ間にリーグ運営を投げ出してしまう。石井は、加盟4球団で新たに立ち上げた新運営会社の代表として、球団運営に加えてリーグ運営というタスクも背負うことになった。

「結局、5年続けたけどね。人生の中でもこんなしんどい思いをしたことない(笑)。あの話には、(西武時代の先輩の)石毛(宏典)さんも絡んでたからね。石毛さんも、やっぱりお金かけてやらなあかんっていう意識があったのか、あの人らが作った給料体系で始めてしまった。月給20万ですよ。リーグは分配金3000万円渡しますって言ったけど、蓋を開ければ、1円もないんやからね。ほんま。あんな苦しい目はなかった」

先行の四国、BCリーグのはるか上を行く報酬に少なからぬ選手が、四国や北陸から移籍してきた。しかし、結果的には、資金はなかばショートし、やがて報酬も支払われなくなった。

「それでも、選手に給料は2年くらいは払ったかな。もう要するに赤字垂れ流しもええとこよね。それでもまあ、絶対5年間はやりきろうというのはあったんで。最後はもうクラブチームに変えてやっていこうと話したんですけど、やっぱりね、うまくいかんかった。それに最後の方は、選手がプロをほんまに目指してるかとか、彼らのやる気をもう、あんまり感じなかったんで、ただ単に野球好きやからやってるみたいな。まあ、振り返ると、誰が悪いとかじゃなく、我々にも野心っていうのがありましたしね。何でも商売するとか、立ち上げる時って、次の夢を見ていくじゃないですか」

結局、独立リーグ球団運営に8000万円ほどの私財を投げ打ったという。

「なんとかやれるんちゃうかって思っていたけど、やっぱりそんな甘いもんじゃないね。西武時代にサンノゼでプレーした経験もあって、当時の知事も協力してくれたんやけど、やっぱり和歌山という地域を活性化したいというところもあったんですが。2年目からはつてをたどって韓国人オーナーを連れてきて韓国人球団もつくったんやけど、その韓国人を騙したような感じになってしまいましたな」

それでもその苦い経験は決して無駄にはなっていない。紀州レンジャーズは、今も少年野球チームとして生き続け、中学生チームの遠征というかたちで韓国とのつながりも保っている。
独立リーグ時代の教え子は、もう中年期に差し掛かっている。その中には、独立リーグでの経験を活かして、野球のインストラクターやトレーナーを生業としている者もいる。

「当時ね、私は彼ら(選手)に(独立リーグにいるのは)2年、長くて3年やと。それだけうちで自分のもん出せんかったら、引くべきやというのをずっと言ってきたんですけどね。やっぱり独立リーグは諦めの場所でもあるので。今も野球してるやつもいるては聞いてるけど、あの時の経験が生きているのならそれでいいし。ちゃんと働いて、頑張ってるやつの話を聞くとうれしいですよ。まあ独立リーグでやっていたことは、彼らにとって無駄でもないとは思うけどね。でもまあ、今、子供たちを相手にやってることの方がなんか自分に合ってるかなとは思いますね」

                (つづく)

📝甲子園「マル得」情報
夏の甲子園「2回戦スタート校」は優勝確率“5倍増”! 背景に日本の熱帯気候化か
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/391204

今年も酷暑の中、5日に夏の甲子園が開幕する。開会式後の午後5時半から、札幌日大(南北海道)と仙台育英(宮城)による1回戦が行われる。
日本の夏はいまや、35度以上の猛暑日になるのは当たり前。40度以上に達することも珍しくない。湿度も高く、熱帯気候に属する東南アジア諸国と大差ないともいわれる。

そんな中、注目を集めているのが、「2回戦スタート」の学校だ。他校より決勝までに必要な試合数が1試合少なく、今夏は第6日の3試合目、高岡商(富山)対高川学園(山口)以降、第8日の2試合目の花咲徳栄(埼玉)までの15校が該当する。マスコミ関係者が言う。

「以前は、2回戦スタートの学校は分が悪かったが、近年は優勝する確率が大幅に上昇している。コロナ禍以降の2021年の智弁和歌山から仙台育英、慶応と3連覇するなど、直近10大会で優勝は5度。05年から14年までの10年間で優勝したのは05年の駒大苫小牧の1度のみでしたから、実に5倍に増えています」

2回戦スタートの学校が分が悪かった要因は、1回戦を勝ち上がってきた学校の勢いに飲まれやすいことがひとつ。甲子園入りしてから1週間強、試合はおろか、練習試合すらできない。途中に雨天中止があると、さらに初戦まで時間が空く。ある強豪校の監督は、「初戦の日程が遅ければ遅いほど、選手の集中力を維持しづらくなる」と言う。

象徴的だったのが、昨夏の大会で初戦敗退した神村学園だ。好投手を擁し、優勝候補と言われていたにもかかわらず、1回戦を勝ち抜いた創成館に0-1で完封負け。雨天順延を挟み、初戦を迎えたのは開会式から8日後。選手にエンジンがかかりきらず、本来の戦いができなかった。

とはいえ、直近の10年間は、2回戦スタートの学校の勝率が一気に増えている。社会問題化している酷暑によって、決勝までの試合数の多寡、消耗度の差が、勝敗を左右しやすくなっているようだ。

🎤明徳義塾・馬淵史郎監督が明かす「ビデオ検証3カ条」夏の甲子園で初採用 23年に高校日本代表監督で経験
https://news.yahoo.co.jp/articles/2b7fd696e3d45c5b0ab3f50d863c3d5dbfe3bed4

第108回全国高校野球選手権大会の出場校による甲子園練習は2日に3日目を迎え、計12校が甲子園球場で15分ずつ練習した。今大会では、高校野球の公式戦で初めてビデオ検証が採用される。すでに高校日本代表監督として同制度を経験した明徳義塾(高知)の馬淵史郎監督(70)が、行使を判断する上で大切な3カ条を説いた。

出場49校の中で、監督としてビデオ検証を経験した唯一の指揮官が、明徳義塾の馬淵監督だ。20~23年に高校日本代表監督を務め、同制度がある23年U18W杯で初の世界一に導いている。「行使して勝ちましたからね」。台湾との決勝では、攻撃時のアウト判定が覆って逆転劇が生まれた。その世界大会の経験を基に、判断に必要な条件は整理できている。

(1)出し惜しみしない NPBとは権利行使の回数が違う。9回までにNPBでは2度行使できる一方、今大会は一度しか認められていない。判定が覆れば再度行使できるが、3度目は認められない。その条件でも「(初回でも)やりますよ。イチかバチかやってもいい」と即答する。先制点の重要性を知る名将らしく、序盤の攻防での使用も選択肢として臨むつもりだ。

(2)流れを読む 「前半に使いたくはないですよ。でも相手に好投手がいる場合、前半の失点は重い。ここは監督の判断でしょう」。行使のタイミングには、試合展開を読む力も試されていると言えそうだ。

(3)選手を信じる W杯では選手に「絶対に覆る自信があるなら合図を」と指示していた。W杯で行使した場面は全て選手からのアピールがきっかけ。「アウト、セーフは選手が一番分かりますから」。選手の合図があってから行使するかを判断するという。

失敗すれば2度目の権利行使ができない「高校野球版ビデオ検証」。この新制度を基に新たな「馬淵マジック」が生まれる可能性もある。 
 
▽23年U18W杯・台湾との決勝でのビデオ検証 0―1の4回1死二塁で丸田湊斗が一塁線へのセーフティーバントを敢行。打者走者の一塁判定はアウトになるも、ビデオ検証の結果、判定が覆って一、三塁と好機拡大。その後、敵失も絡んで丸田の生還で逆転に成功して世界一を達成した。

▽今大会のビデオ検証 「大学および高校野球におけるビデオ検証に関する特別規則」にのっとって運用。権利行使は一度のみで、判定が覆れば、あと一回に限り行使できる。延長では、9回までの行使回数にかかわらず一度行使でき、その結果にかかわらず、それ以降は行使できない。

≪今大会の特別ルール≫

◇DH制 今春の選抜で初採用され、夏も初導入。先発投手がDHとしても出場できる「大谷ルール」も採用。
◇継続試合 午前1試合、午後3試合の2部制の第1試合(午前8時開始)は原則午前11時で継続試合とする。同10時45分に終了していない場合、どのイニングまで続行するか協議する。
午後の部では、試合終了が午後7時30分を超えた場合は次の試合を行わない。試合終了が同10時を超える見込みとなった場合は続行の可否を協議する。
◇日程振り替え 継続試合や雨天中止などの場合は、翌日以降に振り替える。試合の順序変更は主催者と甲子園球場が協議して決定する。
◇タイブレーク 9回終了で同点の場合、延長10回無死一、二塁から始めるタイブレーク方式を採用。打順は9回から継続する。
◇球数制限 1人の投手が1週間で投球できる球数は500球以内とする。500球に到達した打者の打席は完了まで投球できる。
◇クーリングタイム 暑さ対策として、原則として5回終了時に8分間のクーリングタイムを設ける。
◇申告故意四球 試合時間短縮のために採用。投手の投球数には加算されない。 

☟三重で離脱者続々…沖田監督「チームが結集するかな。甲子園はそういう力で勝ち進む」
https://news.yahoo.co.jp/articles/b7f0acaf76f9fa39c30dd99a45caf40ebfc3d89c

<全国高校野球選手権:甲子園練習>◇3日◇甲子園

三重で立て続けに離脱者が出た。投手陣の一角を担う古川稟久投手(3年)が右ひじ付近を肉離れして離脱。さらに右翼を守る松原創汰外野手(2年)が溶連菌感染のため、この日の甲子園練習に不参加だった。

三重の沖田展男監督(48)は「古川をもう一度投げさせようという思いでチームが結集するかなと思う。意外と甲子園はそういう力で勝ち進むかなと思います」と語った。松原からは「4日に合流できます」という連絡が入ったが、指揮官は「もう大丈夫やと言っていますが、9日をメドに」とコメント。5日の開会式に出たいだろうが、宿舎が3人部屋のため、そこは最善の態勢を取るつもりだ。

大会第7日、松商学園(長野)との対戦する。

🔥関東第一で歓迎されなかった無名の青年監督 それでも小倉全由は「甲子園を目指します」と理事長に言い放った
https://news.yahoo.co.jp/articles/1301e1f534abc4c8cd8fa37331962b7594c35d6e?page=1

名将たちの甲子園初出場物語小倉全由(前編)

2025年9月のU−18ワールドカップを最後に、高校野球の指導現場を離れた小倉全由氏。日大三の監督として2度の全国制覇を成し遂げたことから「三高の小倉」のイメージが強いが、監督としての第一歩を踏み出したのは関東第一だった。

小倉が初めて甲子園出場を果たしたのは、つくば万博が開催された1985年。監督就任5年目、まだ28歳の時だった。この「小倉の甲子園初出場」は、1925年創立の関東第一にとっても春夏通じて初の甲子園出場だった。さらに、江戸川区の高校としても初めての甲子園出場という歴史的な快挙でもあった。

バブル経済の足音が聞こえ始め、日本全体が活気に満ちていた時代、「学校はもちろん、地元の江戸川区も大いに盛り上がった、熱い夏でしたね」と、小倉はそう懐かしそうに振り返る。「打倒・帝京」にすべてをかけた熱血青年監督と、「下町の暴れん坊」と呼ばれた選手たちは、いかにして初の甲子園出場へと歩みを進めていったのか。その軌跡をたどる。

【実績ゼロの青年監督が選んだ道】

大学時代、母校・日大三でコーチを務めながら教員免許を取得した小倉は、監督の小枝守(のちに拓大紅陵監督)をサポート。大学4年の夏に甲子園出場を果たした。卒業後は母校の社会科教員兼野球部コーチとして、社会人生活をスタートさせる予定だった。しかし、学校側の事情により、監督の小枝とともに日大三を離れることになった。
関係者を通じて関東第一からコーチ就任のオファーが届いたのは、1980年12月のことだった。初めて学校を訪れた日、理事長から「君はどうしたいんだ?」と問われると、小倉は迷うことなく、「甲子園を目指します!」と答えた。

翌1981年4月、小倉の監督就任が決まり、初めて理事会に出席した。そこで感じたのは、歓迎ムードとはほど遠い空気だった。

「自分のような若造が監督をやることになって、皆さんトーンダウンしている雰囲気を感じましたね」

もっとも、小倉は「実績のない自分では仕方がない」と割りきった。監督に就任した小倉は、チームに「試合に出ている下級生が中心」という雰囲気を感じとった。そこで掲げたのが、「3年生と目一杯やる」という方針だった。初めて迎えた夏は國學院に惜敗したものの、「3年生が自分についてきてくれて、いつも一生懸命やってくれたことが本当にうれしかった」と振り返る。

夏を経験した選手たちが中心となった秋季大会では帝京を7対6で撃破。つづく準々決勝では、翌春の選抜で準優勝投手となる市原勝人(現・二松学舎大附監督)を擁する二松学舎大附に0対1で敗れるも善戦。翌年春の都大会でも、選抜帰りの早稲田実を相手に1対5で敗れたが、終盤まで0対0と互角の戦いを展開した。夏も準々決勝まで勝ち進み、修徳に2対3でサヨナラ負けを喫したが、小倉はチームづくりにたしかな手応えを感じ始めていた。

しかし、新チームとなった秋季大会では、準決勝で帝京に1対4で敗戦。この敗戦を機に、小倉は「帝京を倒さなければ甲子園はない」という思いがいっそう強くなった。

【就任3年目で決勝進出を果たすも...】

迎えた1983年4月。甲子園では池田(徳島)が選抜を制し、夏春連覇を達成するなど、「池田フィーバー」は社会現象となっていた。そんななか、のちに関東第一の甲子園初出場時に主将を務める寺島一男、エースへと成長する木島強志、さらに名門・調布シニア出身の田辺昭広や抜群のセンスを誇った塩田正廣らが入学した。有力校から声がかかるような名の知れた選手はいなかったが、小倉は新入生を見て「身体能力の高い選手や、足の速い選手が多い」と感じた。一方で、最も印象に残ったのは、その気性の激しさだった。

「野球をやっていなかったら、どうなっちゃうんだよって心配になるくらい、向こう気の強いやつらが集まっていましたね(笑)」

田辺や塩田ら1年生数人がベンチ入りした1983年夏、小倉率いる関東第一は大きな飛躍を遂げた。好投手・山崎勝巳を擁して勝ち進むと、準決勝では夏4連覇を狙う早稲田実を7回コールドで撃破。そして決勝で待ち受けていたのは、前年秋に苦杯をなめた因縁の相手・帝京だった。大柄な選手が揃う帝京に対し、関東第一は小柄な選手が多いチームだった。それだけに小倉は、「こういうチームが甲子園に行けたら、それこそ本当の高校野球だよな」と日頃から感じていたという。しかし決勝を前に、周囲の予想は圧倒的に帝京優勢だった。

「何点取られるんだろうという感じで、みんな帝京の圧勝を予想していましたね」

それでも関東第一は最後まで食い下がり、2対3とあと一歩まで追い詰めた。閉会式では号泣する選手たちを前に、「本当によくやってくれた」とねぎらったが、就任3年目で味わったこの敗戦は、小倉の監督人生における大きなターニングポイントとなる。

「打倒・帝京。それしかなかったですね」

この敗戦を境に、その思いはさらに強くなった。「縦縞のユニフォームは大嫌いだ。見たくない」と、あえて強い言葉を口にしながら、選手たちの闘争心をかき立て、「打倒・帝京」をチームの揺るぎない目標に据えていった。

【有望中学生の獲得に成功】

決勝で帝京に惜敗した悔しさを胸に、小倉はすぐに次の戦いへと動き出した。力を注いだのは中学生の勧誘だった。当時は「甲子園に出るまでは、声をかけてもなかなか来てくれない」という状況が続いていたが、それでもあきらめなかった。東京ナンバーワンとの呼び声が高かった板橋シニアの西村忠之を獲得するため、何度も足を運んだ。ある日には、普段なかなか家族サービスができない妻・敏子さんと長女・弓佳さんを車に乗せて出かけたものの、家族を車内で待たせたまま、自分だけ戸田市(埼玉)のグラウンドへ向かい、西村の試合を視察したこともあった。

西村の兄は帝京野球部の出身だった。兄からは「関東第一はこれから絶対に強くなるけど、練習は厳しいぞ」と聞かされていたという。それでも西村は、「決勝で帝京に敗れた関東第一を見て、『まだ甲子園に出たことがないこの学校で挑戦してみたい』と思いました。そして何より、小倉監督の熱い思いがうれしかったんです」と関東第一への進学を決意した。

西村から「よろしくお願いします」という返事をもらった小倉は、真っ先に妻の敏子さんへ報告。「あの時は本当にうれしかったですね」と、昨日のことのように覚えている。1984年夏、城西大城西に敗れて新チームが始動すると、小倉は寺島を主将に、塩田と田辺を副主将に指名した。

「この秋は密かに狙っていたんですよ」

前チームからの経験者も多く、どこと対戦してもいい戦いはできるだろうと思っていた。しかし、秋季ブロック予選では皮肉にも帝京と同じブロックに入り、2戦目で激突した。接戦が期待されたものの、結果は1対10の大敗。しかも帝京はエース・小林昭則を温存し、背番号10の小林宏之を先発させる余裕すら見せた。この敗戦のショックは大きかったが、落ち込んでいる暇などなかった。翌日からすぐに猛練習を再開。再び「打倒・帝京」へ向けてチームを鍛え上げていった。

【娘が生まれた翌朝もグラウンドへ】

「夏に甲子園へ行こうと思うなら、来年春の関東大会に出るしかない。関東大会に出場できなければ、夏の甲子園はないと思ってやっていこう」

帝京に敗れた直後のミーティングで、小倉は選手たちにそう言い放った。当時1年だった西村は、この言葉が今でも強く心に残っているという。関東第一は豊富な練習量を誇り、毎朝5時半から朝練が行なわれていた。寺島、塩田、西村が異口同音に語るのは、ひたすら走り込んだ日々だ。

「とにかく毎日走っていました。監督さんも一緒に」

小倉は自ら先頭に立ち、合宿所から約5キロ先まで選手たちと走る。坂道では傾斜を利用したダッシュを何本も繰り返し、徹底した走り込みでチームの土台を築いていった。冬の強化合宿中には、小倉の次女・理佳さんが誕生した。

「練習が終わってから、監督さんは病院へ向かうため一度家に帰られたんです。だから『さすがに明日の朝練は来ないよね』ってみんなで話していました」

寺島は笑いながら当時を振り返る。

「ところが翌朝、監督室の前を見るとスリッパがあるんですよ(笑)」

小倉は明け方には合宿所に戻り、何事もなかったかのようにいつもどおり朝練に参加していた。寺島は言う。

「『お子さんが生まれた日くらい朝練を休めばいいのに』って、みんなで話していました(笑)。でも、いま振り返ると、監督さんはいつも自分たちのことを第一に考えてくれていたんだなって思います」

その姿勢は選手たちの胸に深く刻まれ、小倉とチームの絆はさらに強いものになっていった。

               つづく>>
2026/08/04(火) 22時31分01秒 No.2561 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

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📝【2026夏の甲子園】初戦で「勝つ高校」「負ける高校」完全予想!横浜vs沖縄尚学の超好カードは…
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/391209

5日に開幕する夏の甲子園初戦24試合の勝敗を占った。

第1日=5日 第1試合は5戦59得点の強力打線を誇る仙台育英が札幌日大に勝つ。

第2日=6日 第1試合は県内60連勝の神村学園が東筑との九州対決を制す。神村学園は今春センバツ1回戦で優勝候補の横浜を2-0で撃破。地力はある。
第2試合は昨夏の大会を経験した「高校ビッグ4」のエース左腕で最速150キロの高部擁する聖隷クリストファーが春夏出場の佐野日大を倒す。

第3日=7日 第1試合は元巨人・仲沢監督率いる東海大甲府が鶴岡東を下す。
第2試合は主将の石田雄、エース石垣、1番神崎が引っ張る健大高崎が八幡商を倒す。
第3試合は立命館宇治が有明に勝つ。
第4試合は今春センバツで山梨学院と接戦を演じた長崎日大が立正大淞南を下す。

第4日=8日 第1試合は準決勝まで2ケタ安打で勝ち上がった青森山田が遊学館を倒す。
第2試合は148キロ右腕・照沼擁する初出場の東日本国際大昌平が白樺学園を下す。
第3試合は大分商が日本文理に競り勝つ。大分商は準決勝で5連覇中の明豊を撃破。エースの平田はMAX152キロの好投手だ。
第4試合は切れ目のない打線と堅守で東東京V3の関東第一がセンバツ8強の英明を倒す。2年生の高橋はMAX152キロ。技巧派の左腕エースも勝負強い。

第5日=9日 第1試合は二刀流の萬谷が引っ張る花巻東が新田を倒す。
第2試合は3年連続の岡山学芸館が鳥取城北を下す。
第3試合は鳴門渦潮と八王子実践の試合。スポーツライターの美山和也氏がこう言う。

「鳴門渦潮は右のエースで3番の西村が徳島大会5戦に先発した大黒柱。チームも粘り強い。対する初出場の八王子実践は、西東京大会4回戦の日大鶴ケ丘戦で6失策。大会計12失策の守備力が課題。鳴門渦潮が勝つとみる」

第4試合はMAX148キロの稲山を擁する霞ケ浦が中京を倒す。

第6日=10日 第1試合は明徳義塾と日南学園の対戦。高校野球雑誌「ホームラン」の元編集長・戸田道男氏が言う。

「日南学園の投手陣は、右腕・田中、左腕・谷口の二枚看板。この2人が投打の中心で、打線も県大会決勝で19安打11得点を挙げた破壊力がある。一方で接戦をものにするしぶとさもある。明徳は1年春から正捕手を務める里山が4番でチームを牽引しているが、かつてのような試合巧者ぶりが影を潜めている。メディアの評価は軒並みC判定ですが、日南学園が強豪の明徳を倒す番狂わせがあると予想します」

第2試合は横浜が沖縄尚学との昨年の春夏優勝校対決を制す。横浜は最速157キロの織田ら投手陣の層が厚く、7戦64得点の打線も破壊力満点。対する沖縄尚学は新垣、末吉、久高の3枚看板を擁し、センバツ後に守備も鍛え直したものの、相手が悪かった。
以降2回戦に入る第3試合はプロ注目右腕・木下を擁する高川学園が高岡商を下す。
第4試合は天理が初出場の福山に勝つ。

第7日=11日 第1試合は敦賀気比が57年ぶりの横手に快勝。
第2試合は智弁和歌山が社との近畿勢対決を制す。第3試合は履正社と享栄が激突。
総合力で享栄が勝つ。
第4試合は三重が松商学園に勝つ。

第8日=12日 第1試合は拓大紅陵が佐賀商を下す。
第2試合は花咲徳栄が札幌日大と仙台育英の勝者と対戦する。

☟地方大会、正午プレーボールの試合があるのはなぜ?熱中症を心配し、首をかしげる保護者の姿も
https://news.yahoo.co.jp/articles/c88cec1d1204401b8b6f5a064cd7a0654ba3e105?page=1

組み合わせ抽選会が1日に行われた第108回全国高校野球選手権大会。出場をかけた地方大会では、暑熱対策で対応が分かれた。朝夕の2部制を取ったり、試合開始を午前に固めたりする大会がある一方、正午から2試合のスケジュールもあった滋賀など真昼にゲームが始まる大会もあった。脚がつるなど熱中症の症状を訴えた選手も出ており、来年の課題となりそうだ。(香山優真)

大津市で最高気温が32・9度の真夏日となった7月13日、マイネットスタジアム皇子山で行われた滋賀大会2回戦。正午に始まった第1試合の五回終了後、球場スタッフがグラウンドの整地に入る一方、選手たちは冷房の利いた部屋に引き揚げ、クールダウンを行った。

47チームが計46試合を繰り広げた滋賀大会では2球場が会場となり、1日に最大6試合が行われた。このうち、夏休み前の7~10日と13日の5日間は、2球場で正午から2試合ずつ計10試合というスケジュールが組まれ、最高気温が34・1度まで上がった日もあった。

正午開始について、滋賀県高野連は「午前中に授業がある学校への配慮」が理由と説明する。選手に加え、応援する生徒らに授業を終えてから球場に行ってもらおうという判断だという。ただ、「正午から始めても選手は調整や移動で授業は受けられない。応援する生徒も試合開始に間に合わない」(県立高野球部の元主将)という声もある。

県教育委員会の担当者は、授業時間に配慮するための正午の試合開始は慣例とする一方、「暑さの中でのプレーは近年ますます過酷になっている。2部制への移行を考える必要性は感じている」と説明した。記者は滋賀大会の取材で、「正午開始」に首をかしげる観客に何人も会った。スタンドから試合を見守った選手の母親(49)は「昼の一番暑い時間帯に始まるので、熱中症が心配」と案じていた。

県高野連も手をこまぬいていたわけではない。ナインがいるベンチに大型扇風機やウォーターサーバーを設置し、各チームにシャーベット状の飲料を配布したほか、守備が20分を超えた場合は給水タイムを設けた。ある高野連関係者は「本当は朝から試合がしたい」と漏らした。

夏の甲子園では、2024年から朝夕の2部制が導入されている。日本高野連の井本亘事務局長は、「気温が上昇して熱中症が出やすい午前11時から午後2時頃の時間を極力避けたい」と強調した。
甲子園にならい、三重、富山などの大会は2部制を導入した。昨夏に導入した三重大会は、授業のない土・日曜日に試合を組みつつ、校長会の了承を取って予備日を平日とした。富山大会では昨夏、熱中症による救急搬送は観客を含めてゼロだった。静岡など、試合開始時刻を午前中に設定した大会も目立った。

2部制を採用した大会では試合の合間が長くなったことで、観客の入れ替えが円滑になったり、駐車場の混雑が緩和したりする「副次効果」もあったという。

関西大の神谷拓教授(スポーツ教育学)の話「授業を優先すべきだという考えは正論だが、選手らの健康管理は大前提だ。授業と大会を両立するためには、2部制を実施している地域の例を参考に、他の都道府県でも導入を検討していくべきだろう」

📝甲子園優勝投手、その後:箕島のエース石井毅、社会人野球から西武入団、そしてアメリカへ
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/96c99a1365015256889bfd9314f6cad032881bf9

甲子園から社会人の強豪へ
 
高校卒業時にはプロ志望はなかったという石井だったが、強豪・箕島のエースをスカウトが見逃すはずはなかった。

「あとで聞いたんやけど、(スカウトは)来てたらしいですわ」

無論、監督の尾藤は、挨拶くらいは受けていただろうが、そのことを石井に伝えることはなかった。当時、和歌山には住友金属という社会人の強豪チームをもつ大企業があった。石井と入れ替わりにはなるが、のちに西武でチームメイトになる森繁和もこのチーム出身だった。尾藤は、石井と嶋田(宗彦, のち阪神)のバッテリーをこの地元企業に預けることにしたようだ。

「ほんとは、(進路選択の)途中でね、大学行きたいなとかは思ったんですよ。なんかね、周囲に大学行くやつも出てきたんで。それで、俺も大学行きたいなって(笑)。その時に、大学に行った先輩が帰ってきたら、鼻曲がったてるんですよ。その先輩から『小遣い付きでおまえ獲るって(大学が)言ってるぞ』って言われたんやけど、絶対行きませんって(笑)。でもその大学じゃなかったら行きたなって部長先生に言ったら、いまさらあかんわって。住金断れん。大人の事情だからダメって。まあ、でも住金行って僕は良かったと思いますよ」

会社の広告塔として工場案内役に
 
社会人野球の強豪には、選手たちは半ば競技に専念し、会社には顔を出すだけというチームもあるが、住友金属は選手をあくまで「社員」として扱った。入社後、石井は総務課に配属された。

「もちろん、昼間で仕事でしたよ。総務課の業務には、工場見学の案内があったんです。社会科見学の子供たち案内するんです。僕は広報部隊に入れられて、入って 1ヶ月ぐらいでもうバスに乗って案内せえって言われました」

会社としても、高卒1年目の新入社員に雑用をさせるよりは、その知名度を生かした仕事をさせたほうがいいだろうと判断したのだろう。石井は会社の看板として、社業でも早速「戦力」になった。

「見学の案内の最後は質問コーナーなんです。先輩から、『おまえ、質問受けろ』って言われたんで、受けたんですが、質問はおおかた工場のことじゃなくて野球の質問でしたわ。当時は(工場見学に来る)小学校4年生、5年生ぐらいの子には野球やってる子が多かったからね。それだけやなくて、朝ちゃんとね会社行って、新聞記事切り取ったりとかしてましたよ。僕がいまあるのは、会社がちゃんと指導してくれたおかげです。あの時分は、もう天狗になってましたから。でも、会社は一切特別扱いしなかった」

「全日本」漏れがプロ入りのきっかけ
 
社会人2年目には「全日本」にも選ばれてインターコンチネンタル大会に出場した。

「カナダで行われたんやけど、プロ行くような人が集まってました。阪神に行った中西球道(清起, リッカー)が一番若くて、僕は1つ上。その時は、全日本に選ばれることが基本当たり前のようにこう思ってましたね」

アマチュア野球のトップクラスにまで上り詰めるようになっても、石井の中にはまだプロ入りという選択肢はなかった。ところが、その後調子を崩したことが、プロ入りへの意識を目覚めさせた。

「その後ちょっと調子悪くて全日本から外れたんですよ。それで、3年目の年に全日本選ばれんかったらプロ行こうと思ったんです」

半ばやけになって臨んだ社会人3年目のシーズンだったが、腹をくくったのが良かったのか、都市対抗で大活躍し、チームを優勝に導くとともに、大会MVPにあたる橋戸賞を受賞した。

「まあ、優勝メンバーは、だいたい次の年の全日本に選ばれるんやけど、もうプロって決めたんで」

1982年ドラフト。石井は黄金時代を迎えようとしていた西武ライオンズから3位指名を受け、プロ入りを決断する。

黄金時代の波には乗れなかったプロ時代
 
当時の西武は、「管理野球」の廣岡達郎の下、埼玉移転以来初の優勝を飾り、黄金時代に突入しようとしていた。そんな強豪チームからの指名だったが、石井に不安はなかった。

「まあ不安って言ったら、関西人なんで、東京に出るっていうことにはちょっと不安を感じましたが、それだけ。そもそも西武の条件がすごく良かったからね。3位指名やけど、もうドラ1と同じ条件でって言われて」

しかし、現実は厳しかった。チームが連覇を果たし、シリーズでも巨人を倒して「球界の盟主」の座を奪う中、石井はたった2試合の登板に終わる。

「まあちょっとね、キャンプで怪我したのがね。最初、調子良かったんですけど、結局、出遅れました」

ルーキーシーズンを2試合の登板で終えた石井にアメリカ行きが命ぜられた。当時、西武は若手選手をアメリカマイナーリーグに武者修行させていた。

「最初言われた時は驚きましたけど、僕からしたらラッキーでしたね。行って良かったって思いますよ」

この武者修行組がやがてチームの黄金時代を支えることになる。

「僕らの前の年にはひとつ下の秋山なんかが行ってましたね。彼なんかは西武入ってから、しばらくはほとんど一軍の試合に出てないと思うんですよ。それで、アメリカのマイナーでやってきた中で育った人間やと思います。そういうのもあるから、期待をしてるもんしか派遣されない。そこはやっぱり(アメリカに)行って戻ってきたら、チャンスもらえるっていうのはわかってるんで」

石井らは、球団が提携を結んでいたジャイアンツ傘下のA級チーム、サンノゼ・ビーズに派遣された。「派遣」であるから、西武球団から給料をもらいながらのプレーだ。その給料は、マイナーリーガーが聞けば腰を抜かすほど高額なものだった。石井がアメリカで見たのは「格差社会」の現実だった。

「僕ら普段は西武の選手で自炊してたんですけど、たまに試合終わって飯食いにいくと、ええかって、アメリカの選手がついてくるんですよ。それでピザ食べてると、今度は、それ食べてええか、みたいな。試合前も僕らはちょっと売店でなんか買うてきて食べるけど、彼ら何もないみたいな状況でした」

西武から給料をもらっている上、アメリカでも活躍の度合いによってボーナスなどが支給された。その「ボーナス」は、勝利投手で10ドル。遠征に行けば100ドルがミールマネーとして手渡されたこともあった。とりわけ、奪三振に対して出る5ドルのボーナスは「おいしかった」。

「勝利投手が10ドルで三振5ドルってバランス悪いように見えるけど、やっぱり三振取ったらお客さん喜ぶしね。だからかな。あの時は工藤(公康)君いたけど、僕も工藤もリリーフやった。投げるのは1イニング2イニングなんやけど。僕はアンダースローいうのもあって、マイナーなんで結構三振取れました」。

石井は、1984年シーズンの半ばまでサンノゼで過ごした後、日本に帰国、未勝利に終わったものの、シーズン後半だけで43イニングを投げた。石井は、アメリカに行って、日本の環境が恵まれていることを痛感したという。

「向こうはナイター照明も暗かったしね。メジャー球団から派遣されて来てる選手なんか、本当にね、その日のもう飯さえ食えればいいみたいな奴らが集まっていましたから。そういう経験は、独立リーグやっているときに活きました。

結局プロでは5年で85試合に登板、8勝4敗4セーブに終わった。この間、チームが優勝を逃したのは、石井が渡米した1984年だけだった。ある意味入ったチームが悪かったのかもしれない。

「うーん、まあ、まあでも投手力を考えたら、入れんところではなかったかなと。高校からとか大学からならびっくりしたかもわからんけど、僕は社会人でやってきたじゃないですか。そやからそんなに(他の投手が)上には見えんかった。特に入団した頃は、松沼兄やんとか、高橋直樹さんとかはもうベテランでしたし、チャンスあるなと。実際、渡辺久信とか工藤はその中に入っていきましたから。うーん、まあプロの世界ってまあそんなもんやろうし」

                (つづく)

📝「明徳義塾の馬淵監督なら…」 宮崎商監督が語る「あと1歩」の遠さ
https://news.yahoo.co.jp/articles/f4a49022b7d080bc45ed1b700ac4867171a12615

令和に入って宮崎県代表校で「甲子園1勝」に最も近づいたのは宮崎商だ。2024年夏は3―4、25年夏は5―6といずれも1点差の惜敗だった。だが、監督の橋口光朗さん(37)は「完全に力不足だった」と振り返る。

24年は1回戦で中京大中京(愛知)と対戦した。春夏計11回の全国優勝を誇る古豪だが、橋口さんにも選手たちにも臆する気持ちはなかった。試合は2点を先行されるも六回に追い付き、七回表に1点を勝ち越した。

試合終盤に継投のマウンドを託す予定だった遊撃手の中村奈一輝選手=現中日ドラゴンズ=は、最速146キロの直球を投げる剛腕。好投を続けていた先発投手の様子をみながら、キリのよいところで中村選手に継投して逃げ切る。描いた勝利プランは、思わぬアクシデントで崩れた。
七回裏の守備。後方への飛球を追った中村選手の足がつり、全力投球が難しくなった。直後にピンチを迎えたが、先発投手を続投させるほかなかった。2点を失って試合に敗れた。

橋口さんは「精いっぱいの戦いをしたが、これでも足りないのか」と思った。宮崎商には複数の好投手や好打者がいて、甲子園での戦いにも自信があった。「でも、遊撃手の中村に終盤のマウンドを託すしか勝利への選択肢がなかった。選手層の厚みがなかった」

■露呈した「チームの弱さ」

25年の夏は宮崎大会5試合のうち4試合を1点差で勝つ、粘りの野球で甲子園に出場した。1回戦の相手は開星(島根)。3点差を追い付き、そこから2点をリードされても九回表に再び同点とした。チームの特長を発揮した戦いぶりに、スタンドからも大きな拍手が湧き、追い風が吹いたように見えた。だが、延長タイブレーク十回表の攻撃は先頭打者がバントを決められずに三振。次打者も内野ゴロで併殺に倒れ無得点に終わった。その裏の守備では、先頭打者のバントを処理した野手が悪送球してピンチを広げると、犠飛を打たれてサヨナラ負けした。

橋口さんはこの十回の攻防に、隠していたチームの弱さが露呈したと振り返る。この代のチームで前年夏の甲子園にベンチ入りしていた選手は1人だけ。「バントが不得意、送球が不安定。そうした選手もいる弱みをごまかしながら地方大会を勝ち上がったが、甲子園では通用しません」

自身の力量不足も感じたという。「例えば、経験豊富な明徳義塾(高知)の馬淵史郎監督が指揮していたら、この2試合とも勝たせていたと思うんです」。甲子園で勝つための野球をするという普段からの選手への意識付け、大舞台のここぞという場面でも決められるサインプレーの磨き上げ、選手への声掛けやベンチでの振る舞い方――。「感覚的で経験からしか学べないことも多い。指導者の経験、力量はとても大切です」と語る。

■「決勝を早めたほうがよいかも」

球場での戦い方の他にも改善点があることに気付いた。橋口さんは昨夏の甲子園を終えると「宮崎大会の決勝日程を早めた方がよいかも知れない」と、県高校野球連盟に経験を伝えた。

宮崎大会の代表校は例年、8月初旬の甲子園大会開幕に合わせて7月末頃に大阪の宿舎に入る。昨夏の宮崎大会決勝は7月26日で、宮崎商はあいさつ回りなどを慌ただしく終えるとすぐに関西へ向かった。「大会を終えて選手たちを3日程度休養させた後、宮崎でしっかり練習して関西に入れば、より良い体調で初戦に臨めると感じました」

県高野連はこの話も踏まえて今夏の大会の日程を検討。決勝を20日に設定した。全国の舞台で積まれた経験が一つ、宮崎の高校野球強化のために生かされた。

春と夏を合わせた宮崎代表の戦績は、2018年夏の第100回大会で日南学園が初戦で勝ったのを最後に、令和に入ってから0勝。これは全国で宮崎のみだ。甲子園で勝つには何が必要なのか。ヒントを得ようと高校野球に携わる人々を訪ねた。

📝宮崎大会で好投しても 日高暖己さんが感じた甲子園常連校との違い
https://news.yahoo.co.jp/articles/50dde9225d9dbd1aac2e9958e1be5a7faed5846e

最速148キロの直球に多彩な変化球を操り、5試合のうち決勝を含む4試合を完投――。43イニングでわずか3失点と、2022年の宮崎大会は富島のエース、日高暖己(あつみ)さん(21)=現広島カープ=の夏だった。その好投手も甲子園のマウンドに苦しんだ。なぜだったのか。

■五感狂わせる甲子園

「硬い」。日高さんは甲子園球場で初回のマウンドに登ったとき、足裏に違和感を覚えた。この年は新型コロナ禍の影響で、例年は設けられる、開幕の数日前に甲子園球場で練習する機会が設けられず、日高さんは試合で初めて甲子園の土を踏んだ。

初戦となった2回戦、下関国際(山口)と対戦したのは大会6日目の第4試合。直前に投球練習したファウルグラウンドのブルペンは整備されておらず、前の試合の投手たちによって土が掘られたままで、軟らかかった。そして本番のマウンドは、しっかりと整備されて硬くなっていた。ブルペンとは異なる足元の感覚になじめないまま、試合が始まった。

■感じたことのない「いやらしさ」

相手打者と対峙すると、別の違和感に戸惑った。「バットを振らない」。丁寧にコーナーを突いた立ち上がりの投球に、相手打者はストライクでもじっくりとボールを見逃してきた。
練習試合で手合わせした九州の強豪校や宮崎大会の対戦校は積極的な打撃のチームばかりだった。下関国際の打者にはそれまで感じたことのない、いやらしさを覚えた。

宮崎の球場とは異なる、バックネット裏の観客席の低さにホームベースを近くに感じたり、遠くに感じたりと遠近感も狂った。制球に苦労する中できわどいコースを見極められ、四球も与えて球数が重なった。野手も初めての甲子園のグラウンドに戸惑った。「試合前のシートノックから暴投が多かった。緊張もあるが、球場に慣れていないことが大きかったのだと思う」

通常ならアウトになるゴロが、内野手の出足が遅れて内野安打になる。単打で止まる当たりが、銀傘や観客席と重なった打球を外野手が見失いかけて長打になる。そうした記録には表れないミスが重なり、失点につながった結果、0―5で完敗した。
下関国際には、そうしたミスがほとんど見られなかった。「前年の選抜大会にも出場しており、甲子園球場に慣れていたのではないか」。小さなミスはしても、得点を許したり試合の流れを相手に渡したりするような大きなミスは犯さない。その夏、全国準優勝した下関国際には「チームの約束事を選手全員が徹底できているしたたかさ」があったという。

■プロ入りして気づいた差は…

プロに入って、甲子園常連校出身の同年代の選手たちと高校時代の話をすることがある。野球への取り組み方や力量は変わらないが、経験値には差があると感じた。

「甲子園常連校は頻繁に遠征し、他県の強豪校と練習試合を重ねていると聞く」「富島は県立高で、県外に出て強豪校と練習試合をする機会はそれほど多くなかった」。高いレベルで多様な野球を体感する経験は、十分ではなかったと振り返る。

試合後、下関国際の選手が喜ぶ様子を目の当たりにして「県大会での優勝よりも、うれしいのかもしれない」と感じた。

宮崎の後輩球児たちにはその喜びを手にして欲しい。だから「普段の練習からなれ合わず、厳しくても互いの成長につながる言葉を掛け合って」と助言する。そして、今夏の宮崎大会に向けて「一球一打、これが最後になるかもしれないと思いを込めて。反省などせず思い切りプレーを。チームのための役割を果たし、勝てたら最高です」とエールを送った。
2026/08/03(月) 22時31分09秒 No.2560 編集 削除
4/27 春季兵庫大会3回戦 ウインク球場 三田学園-姫路工 9:59~12:34 

    一二三四五六七八九十計HE
三田学園203005010 11140 中内、北本、平林、熊野-沖
姫 路 工010001500 742 水谷、加藤-田中

        第二試合 
        明 石 商
        神院大付

 春季兵庫大会は早くも3回戦に突入していた。昨秋3位に入り秋季近畿大会20年ぶりに出場した古豪・三田学園がまたもや県大会出場を果たし3回戦で姫路工とぶつかる。
昨秋は絶対的エース・熊野と沖のバッテリーを中心に穂積野球を受け継いだ岩根監督の采配も冴えて躍進した。一冬越えて課題の打力が向上すれば悲願の夏制覇も見えてくるが・・・・・。
相手は最近低迷しているとはいえ姫路工でウインク球場での試合だけにアウエー感は否めない。

両アルプス共にブラスバンドが駆け付け姫工はチアガールも動員していた。快晴の姫路で相手の高井監督は半袖アンダーシャツだったが、岩根監督はまだ早いと言わんばかりに長袖アンダーシャツ。
注目の先発投手は姫路工はエース・高井だったが、三田学園は背番号18の2年生中内だった。すでに夏の第1シード権を獲得しているだけにエースを隠すあるいは酷使しない方針なんだろうか?
そうなれば打線の援護が必要不可欠だが、この試合は三田らしくロースコアの接戦と真逆で壮絶な乱打戦となった!!

いつも先攻を好む三田学園は1回表1死から2番・栗須がレフト前ヒットを放つと今日はセンターを守るエースの熊野が右中間にツーベースを放ち2・3塁とし、4番・沖がセンター前タイムリー。5番・三輪奈がサード頭上にポトリと落ちるタイムリーで2塁を陥れる好走塁も見せつけ2点を先制。
先行逃げ切り型の三田にとっては理想的な立ち上がりだが、経験の少ない2年生が先発ということで、、、いきなりストレートの四球を与えさらには暴投で無死2塁。5球連続ボール球でどうなることかと心配したが、相手が1ボールからバントファールして助けてくれた。1-1から送りバントで1死2塁とされたが、3・4番をチェンジアップで連続三振に抑えなんとか流れを離さなかった。

2回表2四球で1・2塁のチャンスをもらったが、追加点を奪えず姫工も簡単には勝ちを譲ってくれずその裏、死球の走者を置いて2死から8番・水谷投手自らレフトへタイムリーツーベースを放ち2-1と追い上げ態勢に入った。

しかし、伝統的に打線が弱い三田だが、3回エース・熊野が死球をぶつけられ、4番と言えども送りバントで1死2塁にすると思われたが、岩根監督は強攻策でゴリ押ししレフトフライ。しかし、5・6番の双子の三輪兄弟が連打で満塁とし、7番・河口が走者一掃のレフトへタイムリースリーベースを放ち5-1と大量リードして楽になった。こうなると三田野球のお家芸であるスクイズを敢行したが、再三セーフティーを試みるもファールやボール球で結局四球。9番・葉山にもセーフティ―スクイズのサインが出ていたようだが決め切れず追い込まれて見逃しの三振など4点止まり。
姫工はそれでも食い下がる姿勢を見せてその裏、ストレートの四球やどん詰まりのピッチャーゴロが内野安打になるなどして2死満塁のチャンスを築いたが、6番・河村チェンジアップに三振でまさかのコールドゲームも視野に入ってきた!

姫工は早くも4回からエース水谷を諦めて10番・加藤にスイッチ。これがはまって4回2番からの三田打線を三者凡退に抑え5回は1死からエラーで出塁を許したものの外野にボールを飛ばされることなく抑えた。
こうなると2年生中内投手が抑えて逃げ切り体制に入りたい。4回裏先頭打者に四球を与えたが、4点ビハインドで送りバントを敢行しキャッチャーフライ・・・。しかし9番打者にストレートの四球を与えさらに1番・長瀬大にも2ボールと6球連続ボール球で焦りも出たが、ここは待球作戦ではなく強打に来てサードライナーダブルプレー・・・。一歩間違えれば一気に流れが姫工に押し寄せそうだし、福井監督がいた頃の強打の姫工だったらビッグイニングで飲み込まれる可能性もあったが、、、、
岩根監督はここらが限界とみてか?5回から背番号10の北本投手をリリーフさせた。期待に応えて2番からの攻撃を3人で抑えて5-1のまま整備に入った。

しかし、ここまでは上出来だった。打てないと思われた三田打線が3回まで7安打5得点で相手エースをKOして、経験不足であろう2年生投手を先発させ4回を1失点に抑えて継投に入りセンターに回っているエース・熊野も控えているだけにほぼほぼベスト8は当確だろうか?準々決勝でも勝てば無条件に最終日まで野球ができるので夏に向けて大きな収穫となる。

6回表三田は1死から9番・葉山が四球を選びここから再びの大爆発!1番・音松がセーフティーやバスターで揺さぶり盗塁を決めてからライト前ヒット。2番・栗須がレフト前タイムリーで5点差。3番・熊野が犠打野選でもう1点入り1・3塁。4番・沖がレフト前ヒットでコールド圏内突入の7点差。さらに死球後6番・三輪歩がレフト前2点タイムリーヒットで続くなど打者11人攻撃で5点追加し10-1と信じられない得点差が!!!
こうなってしまうとコールド回避の為に姫工の同情応援に走ってしまう・・・。9点差ゆえに6回コールドは回避できたが、残り2イニングで最低3得点しなければならない。先頭の6番・岡がヒットを放ち2四球などで1死満塁とチャンスをもらい代打・松岡を起用するも2球で追い込まれショートフライ。しかし1番・長瀬大がフルカウントから1球も振らずに押し出し四球をもらいあと2点欲しかったがファーストゴロで万事休す。。。。。

あるいはここが最終回になるかもしれない7回の攻防。三田は8点リードの余裕もあるが、先頭打者が四球で出塁すると3番・熊野に送りバントのサインを出す磐根監督だがまさかの2-6-3ダブルプレー・・・・・。2死から4番・沖がショート内野安打を放つも無得点。やはりコールド回避をするなら7回裏の守りで2点お布施してほしかったが・・・・・。
7回裏岩根監督は2年生サウスポー平林にスイッチ。なにがなんでもこの回で終わらすつもりならエース・熊野の投入もあったと思うが、、、、
いきなり初球デッドボールで雲行きが怪しくなり、サードゴロで1つアウトを取ったものの、コントロールがバラバラでまさかの4連続四死球で2点を与えて7回コールドは回避したが点の取られ方があまりにも悪すぎて素直に喜べない、、、なおも続く1死満塁のピンチで代打・鷲尾は1ストライクからファーストフライ。しかし2死から1番・長瀬大がレフトへ2点タイムリーヒットを放ち10-6と迫ったところで岩根監督は辛抱たまらずセンターを守っていたエース・熊野を緊急登板。しかし、準備不足なのか?まさかの連続四球で4点差に迫られ満塁でバッター4番と緊迫の場面。
ここは全力投球で2球で追い込みスライダーで空振り三振を取り3球三振で本領発揮。

ヒヤヒヤしたもののコールド回避には成功!エース・熊野がリリーフしたので残り2回3点リードなら大丈夫と思うが、8回表2死ランナーなしから8番・藤井がレフトへツーベースを放ち、四球で上位に回して三田らしく2死1・2塁から1番・音松が意表を突くセーフティーバントが内野安打となり、押し出し四球で4点差。さらに3番・熊野がセンターへ大飛球を放ちこれが抜ければまたコールド圏内・・・というところだが、センター・河村が背走してナイスキャッチでコールド回避。
やはりエース・熊野は走者がいない場面では本領を発揮して残り2イニング内野ゴロと三振でアウトを積み重ね最後はライトフライで試合終了。

兵庫の三田野球としては珍しい11-7という大乱戦となり試合時間2時間35分で第2試合が13時30分までずれ込んだ!!最初からエース・熊野が投げていればコールド確定だったろうが、岩根監督はこの試合2番手以降の投手の育成と経験を積ませることに重きを置いたようでその結果がこういう乱戦になったと思われる。
やはり三田はエース・熊野が大黒柱で彼抜きでは語れない。夏を見据えれば第1シードは獲得してしているが、7試合勝ち抜かなければ甲子園はないのでどこで温存するかが大きなカギとなりそう。
姫路工は昔の強打の姫工の片りんは見せてくれたが、やはり昔ほどの迫力はなく相手に助けられてコールド回避が精いっぱいという印象だった。

さて、続く第2試合は明石商-神戸学院大付の一戦。昨秋、9回大逆転の3時間ゲームで明石商が大逆転負けを喰らい早々にセンバツ出場の道を断たれただけに狭間監督は本気で勝ちに来ると思われた。そしてこの試合も同じようにロングゲームの熱戦、、、それは次回の講釈で。

チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 死球 三振 暴投 失点 自責
三田学園 中 内  4  19  67  2  1  5  1  5  2  1  1
三田学園 北 本  2  10  44  1  0  3  0  1  0  1  1
三田学園 平 林   2/3  8  24  1  0  1  3  0  0  5  5 
三田学園 熊 野  2 1/3  9  27  0  0  2  0  2  0  0  0 

姫 路 工 水 谷  3   19  69  7  1  3  1  1  0  5  5
姫 路 工 加 藤  6   32 123  7  1  5  1  4  0  6  4

                         (完)  
                     
                      🌟次回予告🌟   
 R7年度春季近畿地区高校野球大会兵庫予選観戦記② 魅せろ明商魂 明石商観戦記                   
    4/27 春季兵庫大会3回戦 ウインク球場 明石商-神戸学院大付
2026/08/02(日) 22時13分56秒 No.2559 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
☝粘土補充しマウンド管理 古市投手と小林投手 三重高、甲子園に備え
https://news.yahoo.co.jp/articles/b26d9d6f2e3142d01688c8b596d3668a92fd3941

プロ球場〝硬め〟流れ、県大会でも

4年ぶり15回目の〝夏の甲子園〟出場を決めた松阪市久保町の私立三重高校 野球部。その優勝の陰で、投手陣が大舞台で最高の力を発揮できるよう、新しいピッチャーマウンドを地道に整備する2人の投手がいる。
 
プロ野球の試合が行われる球場などでは、投手が安定した投球をするため、マウンドの硬化が進んでいる。県内でもその流れは同様で、今大会の決勝会場となった四日市市の市霞ケ浦第1野球場でも〝硬めのマウンド〟が採用された。
 
同高でも今年5月、グラウンドにある2基のマウンドのうち、1基を硬化仕様に変更した。投手陣は練習から新しいマウンドを積極的に使い、県大会では最高の結果をつかんだ。
新設したマウンドは、プレート周辺に米国から取り寄せたプロ野球でも使用されている赤粘土を使用。従来の土より硬く、投手も踏ん張った投球が可能になるなどのメリットがあるが、使用後には手入れが必要で、気温や湿度に応じた細かな管理が求められる。
 
そこで管理の中心を担うのが、ともに2年生の古市藤磨投手と小林晴人投手。2人は普段から几帳面な性格で、練習後には粘土の上にかぶった土を掃き取り、粘土を補充。水をまいて状態を整え、重さ約3.5キロの「タンパー」で地面を突き固めながら、硬さを調整するなどの管理を行っている。古市投手は「湿度が多くても、乾燥させても駄目なんです」とその難しさを語る。
 
今春の第98回選抜高校野球大会にも登板し、今夏の県大会でも活躍した3年の吉井海翔投手は「センバツのマウンドは軟らかかったが、夏は仕様が変わっているかもしれない。2人が整えてくれる新しいマウンドを活用して本番にしっかり備えたい」と2人への感謝を交えながら本番を見据える。
 
古市投手は「甲子園に出場する選手たちが勝てるように、しっかりと管理をして背中を押したい」、小林投手は「せっかくつかんだ甲子園の切符。三重高が最後までグラウンドに立ち続けられるよう、思いを込めて管理をしたい」と意気込んでいる。

📝『小学生が作ったトレパンチーム』―箕島のエース石井毅が語る1979年春夏連覇の原点―
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/d6635f2dc674ef524b6df99ed82e191d5a5e4877

延長18回を投げ切った甲子園のレジェンド
 
7月上旬。梅雨の中休みなのか、その日は晴天だった。かつては多くの列車が行き交った紀勢本線だが、看板列車の「くろしお」のターミナル駅だった大阪・天王寺駅を出て1時間もすれば、目に見えて人家も少なくなってくる。

「箕島」の地名を聞いて、夏を連想するのは、高校野球ファンの中でも古参の部類に入るだろう。野球がスポーツの中心で地方が元気だった1970年代、甲子園の常連校として名を馳せた箕島高校の名を知らない者はいなかった。中でも1979年夏の石川・星稜高校との延長18回の死闘は伝説となっている。
乗ってきた特急電車が去っていくと、向かいのホームには県都・和歌山へ向かうローカル列車が出発を待っていた。改札を出たのは私のほかに5、6人といったところだった。改札の向こうには、ひとりの男が迎えに来てくれていた。

木村竹志、と言っても、地元の人間しかわからないだろう。結婚の際に婿入りしたため名を改めたが、箕島高校の黄金時代の頂点と言っていい1979年の春夏連覇の際のエースピッチャー、石井毅の旧名を高校野球史に残している。石井は先述の星稜との死闘でも18イニングを投げ切っている。今では考えられないことだが、そういう時代だった。

彼に最後に会ったのは15年ほど前のことだ。現役引退後、故郷・和歌山の野球発展に尽力し、2009年に関西独立リーグが発足すると、プロ球団・紀州レンジャーズを立ち上げ、これに参加した。その際に何度か取材して以来のことになる。齢65という。世間では定年を迎える年代だが、石井はいまなお、NPO法人和歌山野球振興会・夢クラブ理事長として多忙な日々を送っている。

チームを自分で立ち上げた小学生時代
 
みかんの里として栄えた有田町で生まれた石井少年が野球と出会ったのは、小学校4年生の時だという。地元の箕島高校は、地元出身の尾藤公監督の下、のちの200勝投手東尾修を擁し甲子園初出場、1970年には島本講平を擁して春の甲子園で初優勝を果たしていた。この地区の腕白少年がバットとボールを手にするのは必然であった。

「僕の通ってたのは保田っていうね、この地域の小学校だったんやけど、そこに少年野球チームがなかったです。それで自分たちでそのチームを、自分たちで遊びながら野球やろうよっていうことで作ったんです」

いわば、小学生の遊びの延長である。万事おおらかなこの時代、空いているグラウンドを子供が使っていても誰も文句は言わないし、冬になれば稲刈りの終わった田んぼで存分に白球を追いかけることができた。

「まあ、チームちゅうても、トレパン、トレシャツで走り回ってただけやけど」

そんな小学生の集まりに転機が訪れる。仲間の保護者から近隣の地区で大会が行われるという話が舞い込んだのだ。

「近所の下津っていうね、ところの大会があるんで、そこに出やんかっていう話をいただいたんです。それで、初めて大会というものに出場したんですが、そうなると、大人の責任者が必要になってくるんですよね。結局、話を持って来てくれたその保護者の方に監督になってもらって参加したんです」

とは言え、所詮は子供の遊びの延長。本格的に活動しているチームにはかなわないだろう。そもそもいつまで「チーム」が続くのかもわからない。なにせ子供がすることだから、とユニフォームなどはそろえることもなく、白の体操着での参加となった。

「ただ、帽子だけは揃えようと。自分たちで布買うてきて、ほんでそれを切って、保田のYっていうマーク作って帽子に付けたんです。背番号も自分たちで作ったかなあ」

伝説の球児を生んだトレパンチームの快進撃
 
トレパンチームは周囲の予想をはるかに超える快進撃を見せた。

「準決勝の手前で主催者だった下津のチームに勝ったんよ」

当然周囲はざわついた。大人がついて練習を重ねユニフォームをそろえたチームを撃破していく体操着チームに、地域の大人たちは驚きを隠さなかった。準決勝は小学校の日曜参観と重なった。それまでの、「子供が遊びで自分達でやっているだけ」という親たちの姿勢は、完全に変わった。参観授業が終わると、学校の前には送迎の車が何台も止まっていた。

その試合は結局敗戦。大会成績は3位に終わったが、親のモードは完全に変わった。快進撃を見せたチームには、ユニフォームが用意されることになった。チーム名も「保田少年野球団」に決まった。

「当時は、そういうチームが小学校ごとにあってね。近くの田津小学校のチームには嶋田(宗彦・元阪神)の出身校です。当時は小学校のグラウンド使えるのは平日だけなんで、チームも小学校ごとになるんですわ。だから、人数が足りないこともありましたね。そういうときは、友達に、『お前ちょっと来い。バット振ってみろって』(笑)」

中学時代に出会った「怪物」
 
小学校時代は主に捕手を務めていた石井少年が、本格的に投手となっていくのは中学校に進学してからのことだという。

「それまでは、キャッチャーしながらたまにマウンドに登る程度でしたね。6年の頃にはピッチャー中心でしたけど」

保田小学校の生徒はそのまま同じ地区の保田中学校に進学した。保田少年野球団のメンバーはそのまま保田中学の野球部に入部した。

「ひとつ上にはチームを立ち上げた先輩もおったしね。5つ上の兄貴もここの野球部にいたんで、そのまま当たり前のように入部したって感じですね」

石井少年は、入部後すぐに試合に出るようになった。他のメンバーたちも順次ポジションを獲得。気心が知れたメンバーで構成されたチームはどんどん実力をアップさせ、2年の時には県大会優勝という結果を残す。しかし、石井の脳裏にはこの大会で優勝したころよりも、1回戦で対戦した河西中学校のエースの存在が強烈に焼き付いている。

「西田真二(元広島)さん。すごかったですよ、少年野球の時から知ってたんやけど、ひとつ年上。遠投見てたらどこまで投げんねんって(笑)。もう当時から肩で風切るような感じで。向こうが完全に優勝候補で。それでも、うちはバント攻勢で勝ったんですよ。それで県大会も優勝したんです」

石井と西田の対戦はこの後も続いていく。西田は大阪の強豪・PL学園に進学。木戸克彦とバッテリーは高校球界屈指とその名を轟かせたが、1978年春のセンバツの準々決勝では、石井と嶋田の箕島バッテリーに屈することとなる。

「やっぱりあの時のPLって言ったらね。ひとつ高いとこにいてるような感じやもんね。向こうは箕島をどう思ってたかわからんけど。ただ西田さんは、中学時代が強烈で、ものすごい大きく見えたんですよ。だから、高校の時にめちゃめちゃ大きく見えたかっていうと、中学校の時がすごかった。西田さんとは2回やったのかな」

高校卒業後、西田は法政大学に進学、石井は社会人の住友金属に進み、その後プロ入りすることになる。

「プロに入ってからも、僕ら日本シリーズで対戦してるんです。1986年ね。西武が3連敗から広島に勝った日本シリーズね。引退した後、お互いに独立リーグの監督するんですけど、練習試合したんですわ。その時も久しぶりに会って、言われました。『俺はお前に勝ったことない』って(笑)」

この時、西田率いる香川オリーブガイナーズは、石井率いる紀州レンジャーズ相手に「ボロ勝ち」を収めている。

                 (続く)

📝「今では当たり前のスポドリも」: 甲子園4度出場の元エースが語る、箕島野球が強かった理由と名門の現在
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/d3b2495b63f7929d10243b0e3b62a002e0abb1bf

中学野球でその名を県内に轟かせた石井は、地元の強豪・箕島高校に進んだ。

「県立なんで、スカウトとかそういうのではなかったな。まあ、地元なんで。まあまあね、箕島行くのが普通の流れで。僕らの代のキャプテンでセカンド守ってた上野山(善久, 同志社大からNTT西日本)なんかも、小学校の少年野球団から中学とずっと一緒だった。そういうメンバーでずっとやってたんで、箕島行くのはもうね、当たり前みたいな。学校もすぐそこですから」

1970年代、高度経済成長は終焉を迎えていたが、まだまだ地方は元気だった。至るところで子供が遊んでいる風景が見られ、そういう遊びの中から腕白坊主がアスリートとなっていった。有田川が海に注ぐ有田郡市周辺の野球少年たちが腕を挙げると「箕島」を目指すのは当然のことであった。

「僕らの時分のメンバーは、もうみんなこの辺りで軟式(野球)やってた連中ですよ。僕らが入った時は、東(裕司, 三菱自動車水島)さんって左のピッチャーで春優勝(1977年)してるし、その前にも優勝してるしね。やっぱり和歌山で野球といったら、箕島という感じ。そういうのもあって、当時は今みたいな野球留学生みたいなのはいなかったですね。オール和歌山です。当時の箕島高校は普通科、商業科、機械科と3つあって、ジャイアンツに行ったショートの上野敬三なんかは、和歌山市内(出身)なんですよ。彼らは当時、学区制があったので、普通科には来れなかったんで、商業科でした。(県南部の)新宮の本宮出身のメンバーは、過疎地ということで学区制がないから普通科。キャッチャーの嶋田(宗彦, 住友金属から阪神)はそれこそ、うちらの近所で軟式も硬式もやってたな」

先進的だった「箕島野球」
 
1970年代の高校野球界を席巻した箕島野球。その黄金時代の初期は尾藤公監督の「スパルタ指導」で名を馳せたが、石井が入学した頃には、その指導も様変わりしていた。まだまだ根性論が色濃い時代にあって、そこでは先進的な野球が展開されていた。石井は当時をこう振り返る。

「練習はむちゃくちゃしんどいってわけじゃなかったですよ。平日の全体練習は放課後の3時過ぎから7時ぐらいじゃなかったですかね。その後は、残って練習するやつは残ってするって感じでした。夏休みなんかも、昼まで練習したら、その後は3時くらいまで休憩でした」

ただし、マシンを備えた雨天練習場があり、夜でもバッティング練習は存分にできる環境は整えられていた。そのような環境以上に、尾藤監督の進取の気性が「箕島野球」を形作っていたと石井は言う。

「我々には、当時すでにチームドクターがついていましたから」

学校の近くに医院を構える医者が尾藤の依頼を受けてチームを医学的見地から支えていたのだという。

「その先生が医学的なところからどんどん指導してくれたんですよ。今は当たり前のスポーツドリンクを発案したのもその先生ですし。僕らには、食事の部分から指導してくれました」

当時、「オール和歌山」の箕島高校野球部の選手は、僻地から来た数名の選手以外は自宅から通学していた。チームドクターは、選手の各家庭に今でいう「食育」をほどこした。

「うちは姉が大学の食物科行ってたんで、その先生からこんなもん食べた方がいいって指導受けてました。疲労で食べれん時はこういうもん食べとかね」

1970年代当時、エアコンのある家庭はまれだった。スポーツ選手は体を冷やしてはいけないと、野球選手、とくに投手は、プールに入るなどもってのほかと言われていた時代だ。そんな時代にその医者は、冷房をかけて寝るように石井に指導したという。

「僕の部屋には、その当時にもうクーラーがありました。その先生が、夏はクーラーつけて寝ろって。だから一家で僕の部屋だけはクーラーあったんですよ。今だったら当たり前のことですけど」

その医者の指導はトレーニングにまで及んだという。

「2年になる春の甲子園は福井商業に負けたんですけど、自分なりにその原因は何だろうって考えた結果、握力低下という結論にたどり着いたんです。それで、そこから綱登りをやったりっていうようなね。家にその設備を設置してもらったんです」

甲子園の常連、箕島の強さの裏には、尾藤が導入した先進的なアイデアと、それを支える地元のバックアップがあったのだ。その姿はまさに「オール和歌山」だった。作戦面においても、尾藤野球はそれまでのセオリーにとらわれることはなかったと石井は言う。

「まあ、高校野球は、監督によって作戦や手法は変わりますね。今なんかだと、絶対バントをしないっていうところもあるじゃないですか。それがたまたま勝ってしまうと、それが正解になっていったりします。ただ、そこチームやからそれでやれたというだけで、そこまでの力のないところがそんな方針だったとしても、勝てるわけじゃないでしょ。やっぱりスポーツって、精神的な部分でね、勝っていかなあかんっていうところもあると思います。僕らの、尾藤野球でいうと、心理野球的なところが多かったですね。例えば、2点リードされてる9回に1アウトランナー1塁で送りバントのケースがあったんですよ。これ、普通でいうたらおかしいですよね。仮に(送ったランナーが生還して)1点取っても、まだ 1点差ありますからね。でも尾藤さんはこう考えるんです。そうやって自分たちが仕掛けて1点を取ったとしたら、その後、ツーアウトからでもさらに2本ヒット打てばもう1点返せるやろうと。勝負の世界って、それがハマりゃすごいなってなるし、ハマらんかったら何してんのってそれで終わるんですけど」

母校の衰退の中、野球の火を灯し続ける覚悟
 
石井は、最後の夏に優勝するまで、甲子園には春夏合わせ4回出場。マウンドには16回立ったという。

「さっきも言ったように、2年になる春に初めて出たんです。その時は、前年の春に優勝した時のエースの東さんが抜けたんで、投手力が弱いっていう評価だったんやけど、1回戦の黒崎工業に1-0で勝ったんです。僕も調子よかったんで。よく、星稜との試合(1979年夏の延長18回の死闘)を言われるんやけど、やっぱりその黒崎工業戦は僕の中では印象に残ってるね」

石井の口からは、箕島と同じく「公立の雄」であった池田高校との戦いや、黒崎工業戦同様、1-0で辛くも完封勝ちを収めた好投手・高松直志(のち電電東北)擁する能代高校など古豪の名が次々と出てきた。しかし、高校野球がビジネス化し、少子化の中、私学の生徒集めの広告塔となってしまい、地方が活気をなくしていく中、これらの高校の名は歴史のかなたに消えようとしている。
箕島高校もその例にもれず、今、存続の危機に立たされている。甲子園には2013年の夏に出場したのが最後。プロ球界にも、2017年ドラフトで育成1位で指名された中川虎大を最後に人材を送り込めずにいる。そして、この夏も初戦敗退。3年生が引退すると、部員は6人になるという。

ここ20年ほど、甲子園の和歌山代表と言えば、智辯和歌山一強の感がある。和歌山市内でさえ中学レベルのチームがたった4という現状にあって、かつての和歌山野球の中心地であった有田郡市地区の少年野球人口は激減している。
高校時代、石井はプロ志向ではなかったという。彼にとっての「プロ野球選手」は2つ上の先輩だった。プロでは小柄ながら渋い脇役として活躍したその先輩だったが、高校に入りたての1年坊主にはその背中が大きく見えた。

「中日に行った上川(誠二)さん。1年生の時の3年生って、やっぱりすごく大きく見えるんです。上川さんも甲子園で優勝してますからね。最近は年2回ほど野球教室で一緒になるけど、ちょっと歳取ったなって(笑)。まあ、僕もそうなんやけど」

65歳になる石井は、和歌山野球の火を灯し続けるため、少年たちに自らの経験を伝え続けている。

                (続く)

📣甲子園は「間違いなく難しい」 令和0勝、宮崎代表に何が必要なのか
https://news.yahoo.co.jp/articles/199783db8a4d0557a9e0fa22e8530a51c2a15c28

「甲子園で勝つのって難しい」。いま、最も強く感じているのが宮崎県の高校野球関係者ではないだろうか。春と夏を合わせた宮崎代表の戦績は、2018年夏の第100回大会で日南学園が初戦で勝ったのを最後に、令和に入ってから0勝。これは全国で宮崎のみだ。甲子園で勝つには何が必要なのか。ヒントを得ようと高校野球に携わる人々を訪ねた。

まずは甲子園で勝つことの大変さを知りたい。そう考えたとき、ある強豪校の元監督の名前が浮かんだ。沢田真一さん(61)だ。
岩手県の私立盛岡大学付属高の野球部を部員10人、専用グラウンドもない状態から指導。監督を務めた18年のうち春夏計7回、甲子園大会に出場した。だが、1回も勝てなかった。

地方大会を幾度も制したのに、甲子園はそんなに難しかったのか。そう尋ねると、沢田さんは「間違いなく難しい」と答えて、こう続けた。「地方大会ではなかなか見ないような速球を投げる投手、強く速い打球を遠くへ飛ばす打者がゴロゴロいる。まったく違います」

ならばどうしたら勝てるのか。沢田さんが指摘したのは日々の練習の取り組みだ。「豪速球を打つ、強烈な打球をさばく、投手は長打を防ぐため低めに変化球を集める。その準備と確認を本気で徹底していないと勝てないでしょう」。例えば、速く強い打球を捕球するにはどうすればよいかといった、細やかな指導が不足していたと振り返る。

■「魔法の言葉」出せず

選手たちのプレーへの意識と集中力にも違いを感じた。例えば、1死一、三塁の場面。捕手が投球を捕りそこねて前に落とすと、甲子園では一塁走者のほとんどが二塁へスタートを切るという。

「捕手はまず三塁走者の動きを見るので二塁に送球できない。でも地方大会では走らない選手が割といる。甲子園では野手も、場面に応じて幾通りものプレーを想定して準備する選手ばかり。みんな野球偏差値が高い」。それを選手に浸透させるには指導者の知識と情熱が必要という。「選手ともども日々の練習を、どれだけ本気で甲子園に出て、そこで勝つと思って取り組めているかだと思います」

大舞台で普段の力を発揮する難しさもあった。地方大会では選手の心やチームに火をつける言葉をかけて勢いに乗せることができていた。だが、甲子園ではその「魔法の言葉」を出せなかった。スタンドを埋める大観衆の一球一打への地鳴りのような歓声に、ずらりと並ぶ報道陣のカメラ。強い相手との息の抜けない戦いに、自身も舞い上がり、緊張した。

■「よそゆきの野球」で失敗

普段通りにサインを出すことさえ難しい。地方大会ではあまり使わなかったバントのサインを多用して失敗を重ねる「よそゆきの野球」をしてしまったこともあった。

「僕は上がり症。甲子園の魔物を退治してやると、楽しむぐらいの余裕があればよかったのですが。7回も行ったのに、なかなかそうはなれませんでした」と振り返る。

監督を教え子に譲り、総監督になってから観客席で甲子園初勝利を経験した。「最高にうれしいものでした。同時に、自分が監督をした選手たちにはここで校歌を歌わせてやれなかったと申し訳なくもなりました」

いまは、同じ盛岡市内の私立盛岡誠桜高で女子硬式野球部の監督を務める。高校女子野球の夏の全国大会決勝は甲子園が舞台だ。今度こそ監督として甲子園で1勝をあげ、教え子たちに校歌を歌わせたい。その思いでグラウンドに立ち続けている。
2026/08/02(日) 22時13分13秒 No.2558 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

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📝初戦から注目校同士の対戦も 夏の甲子園、各ゾーンの見どころ
https://news.yahoo.co.jp/articles/95d058e007b217448a805fd111d2c41811e33fe3

第108回全国高校野球選手権大会の組み合わせ抽選会が1日、オンラインで行われ、出場49校の3回戦までの組み合わせが決まった。

■Aゾーン

3季連続甲子園の高川学園(山口)と、2年連続出場の天理(奈良)の争いか。高川学園はエース木下瑛二の球威が光る。打線も5試合で32四死球とそつがない。対する高岡商(富山)は富山大会3試合で逆転勝ちした粘りを見せたい。天理は長尾亮大と橋本桜佑の2投手を軸に奈良大会5試合は2失点と守り勝った。チーム打率3割4分台で、平均得点7.8点の福山(広島)が、天理の堅守をどう崩すか。

■Bゾーン

敦賀気比(福井)には頼れる2人の左腕がいる。昨夏の甲子園も経験した鶴田啓人と2年の辻琉成だ。57年ぶり2回目の出場の横手(秋田)は4完投のエース佐藤宙斗をもり立てて投手戦に持ち込みたい。

総合力の高い智弁和歌山を引っ張るのは、和歌山大会で打率5割超えの4番で捕手の山田凜虎。社は兵庫大会7試合でわずか3失点。岩井秀耶ら自慢の投手陣で抑え込みたい。

■Cゾーン

投打に充実する履正社(大阪)の力が頭ひとつ抜けている。4番辻竜乃介を中心に、得点力が高い。対する享栄(愛知)はロースコアの展開なら十分に勝機はある。上江滝拓未、近藤優ら多彩な投手陣の踏ん張りが鍵になる。松商学園(長野)は例年の機動力野球に加え、今年は打力も磨いてきた。選抜でも力を見せた三重の吉井海翔、上田晴優ら強力な投手陣に、どんな攻撃を見せるか注目だ。

■Dゾーン

仙台育英(宮城)と花咲徳栄(埼玉)が軸だ。仙台育英は宮城大会5試合で59得点。投手陣は最速140キロ超が顔を並べ、総合力が高い。対する札幌日大(南北海道)は、南北海道大会3本塁打の川合黎を中心に打ち勝てるか。この勝者と対戦する花咲徳栄は、選抜8強。初戦までの調整が鍵になる。

激戦区の千葉を勝ち抜いた拓大紅陵は勢いがあり、8年ぶり出場の佐賀商は攻撃にそつがない。

■Eゾーン

好投手がそろうゾーンの筆頭は、神村学園(鹿児島)だろう。制球力が武器のエース右腕・龍頭汰樹を軸に、速球が武器の2年生左腕松永遥斗が成長。チーム打率も4割強とバットが振れている。対する東筑(福岡)は堅実な守備から接戦に持ち込み、30年ぶりの勝利をつかみたい。

聖隷クリストファー(静岡)は最速150キロの左腕高部陸に注目だ。昨夏も甲子園で2試合に登板して好投した。佐野日大(栃木)はチーム打率が3割8分1厘と打線が好調だ。粘り強く攻め続け、好機をつかめるか。

健大高崎は群馬大会で7人が登板するなど投手陣の層が厚い。一方の八幡商(滋賀)は最速145キロの右腕・田上晴也が軸。チームは滋賀大会の5試合をすべて3点以下に抑えており、ロースコアの展開でしぶとく戦う。

東海大甲府(山梨)は右腕村尾竜弦が140キロ超の直球で押す。鶴岡東(山形)はチーム打率4割。5試合で27盗塁を決めた機動力で揺さぶりたい。

■Fゾーン

強打が売りの青森山田が軸か。青森大会準決勝まで4試合連続コールド勝ち。打率4割以上がレギュラーに5人いる。遊学館は石川大会の全5試合を計5人による継投で勝ち上がった。継投のタイミングが鍵になりそうだ。

立命館宇治(京都)と有明(熊本)はともにバッテリー中心のチーム。立命館宇治の2年生主将の捕手・江原雅登が打線でも要になる。初出場の有明は工(たくみ)修哉、斉藤遼汰郎の左腕リレーで主導権をつかみたい。

2年生の主力が多い白樺学園(北北海道)は経験値こそ少ないが、打線は爆発力を秘めている。初出場の東日大昌平(福島)は福島大会で防御率0点台だった、最速148キロ右腕・照沼佑崇の出来にかかっている。

立正大淞南(島根)は川口元が絶対的なエース。制球力で勝負する技巧派左腕を、堅い守りが支える。春夏連続出場を決めた長崎日大は、主軸の川鍋伶恩が勝負強い長距離打者に成長した。試合の流れを変える一打に注目したい。

■Gゾーン

関東第一(東東京)と英明(香川)はどちらも手堅い守備力と攻撃力を持つ好チーム。このカードの結果がゾーン全体の行方にも大きな影響を与えそう。英明が先制して相手の強打の焦りを誘えれば、より見応えのある展開になりそう。

花巻東(岩手)は5季連続の甲子園。投打の中心となる左腕萬谷堅心は落ち着いたマウンドさばきが魅力で、大量失点は考えにくい。新田(愛媛)は春の四国王者で攻守に地力がある。愛媛大会ではチーム無失策。ハイレベルな守り合いに期待したい。

大分商の右腕平田玲翔は最速152キロで大会でも指折りの好投手。ただ、大分大会では全試合、救援での登板だった。チーム打率4割超の日本文理(新潟)は、先制して平田を早めに登板させる展開にしたい。

鳥取大会で3完封の右腕下浦一心を擁する鳥取城北に対し、岡山学芸館はチーム打率1割台で「打てなくても点を取る」のが信条。ロースコアの好試合になりそう。

■Hゾーン

夏連覇をめざす沖縄尚学と、昨春の選抜大会を制し優勝候補にも挙げられる横浜(神奈川)の1回戦は、大会最注目と言っていい。

横浜は最速157キロ右腕・織田翔希を筆頭に、2年生左腕の小林鉄三郎ら最速150キロを超える投手が複数。一方の沖縄尚学も、昨年は2年生でただ一人、高校日本代表にも選ばれたエース左腕末吉良丞のほか、速球に伸びがある右腕新垣有絃らが控える。攻撃力ではチーム打率が4割を超える横浜に分があるが、点の取り合いは予想しにくい。緊迫の守り合いを制したチームが勝利をつかむ。

左右の二枚看板を軸に8年ぶり出場の日南学園(宮崎)は、試合巧者の明徳義塾(高知)に挑む。中京(岐阜)の鈴木悠悟、霞ケ浦(茨城)の稲山幸汰はともに好右腕で、ロースコアの展開が予想される。河本ロバート監督の長所を伸ばす指導が実り、春夏通じて初出場の八王子実践(西東京)は、右横手投げのエース西村大輝を軸に校名変更後の甲子園初勝利をめざす鳴門渦潮(徳島)と初戦でぶつかる。

🔥出場3大会連続で初戦敗退中の智弁和歌山、初戦相手は社/組み合わせ抽選会
https://news.yahoo.co.jp/articles/adbc622b149acaffe5df5c15b6f6671dd64a2fbb

智弁和歌山の初戦は大会第7日の11日、兵庫代表の社戦に決まった。

和歌山大会で夏3連覇を果たしたが、あわやという場面を何度も経験した。田辺との3回戦で5回までビハインドの展開も、終盤に意地を見せて逆転勝利。準々決勝の市和歌山戦では相手先発のプロ注目・丹羽涼介投手(3年)と緊迫した投手戦で7回まで試合が動かなかったが、最後にチャンスをものにして接戦を制した。

迎えた耐久との決勝戦も白熱した。同点の8回2死一塁、U18日本代表候補の4番山田凜虎捕手(3年)の左前打に相手遊撃手の失策が絡み、一塁走者が本塁へ決勝の生還し4-3で競り勝った。

厳しい和歌山を勝ち上がり、27度目の夏の甲子園に来た。22年は国学院栃木(●3-5)24年は茨城・霞ケ浦(●4-5)、そして昨夏は岩手・花巻東(●1-4)に敗れており、出場した3大会連続で初戦敗退をしている。エース和気匠太投手(3年)をはじめとした豊富な投手陣と、U18日本代表候補の山田凜虎捕手(3年)バッテリー陣が中心となり、まずは“鬼門”の初戦を突破だ。その先にある目標の日本一を全員でつかみにいく。

📝甲子園「マル得」情報
東海大甲府は「4強超え」の可能性も 巨人出身の仲沢監督が受け継ぐ「原&星野」イズムの中身
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/391167

大本命の山梨学院が準決勝で敗退した山梨を制したのが、盤石の投手陣を誇る東海大甲府だ。某強豪校の指導者がこう言った。

「エース右腕の村尾竜弦(3年)を軸とした投手力は、二刀流の菰田陽生(3年)擁する山梨学院に匹敵する。山梨大会決勝は帝京三の打線を相手に、先発の村尾が常時140キロを超える直球を武器に最後まで投げ抜いた。準々決勝で1失点完投した籾山慶人(2年)や熊谷晄(3年)も好投手。打線も県大会5試合で33得点。4番の伊沢拓真(3年)は大会通算.476と好調で、打線は準決勝の甲府工戦では九回に4点差を追いつく粘りを見せています」

率いるのは巨人、楽天で計6年間プレーした仲沢広基監督(39)だ。就任3年目での悲願達成となった。元プロの経験から、理想にあげる監督像は、巨人の原辰徳元監督と元楽天の星野仙一元監督だという。

「原監督からは前向きで選手の戦う姿勢を。1人が複数のポジションを守る危機管理などを学んだ。星野監督からは闘争心を出すことを叩き込まれた。2人の監督から学んだことを今の選手にうまく落とし込んでいます」(同前)

一部スポーツ紙の評価は「C」判定だが、「タテジマのプライド」を胸に、仲沢監督自身が同校で2004年に甲子園出場した際の「4強」超えの可能性もありそうだ。

📝PL学園休部から10年、寮生活も激変「誰が上級生、下級生かわからない」山口に誕生した“第二の超名門”…スタッフにOB集結、そっくりユニフォームも
https://news.yahoo.co.jp/articles/90ee101cda869d68bb8f96bfb0d7f353e393f4c6

山口県鴻城にも野球部専用寮があるが、寮生活はPL学園のそれとは全く異なるようだ。PLの黄金期を指導したコーチで、現在は山口県鴻城の総監督を務める清水孝悦が言う。

「たまに寮の様子も見に行くんですけど、和気あいあいとしていますね。知らない人が見たら、誰が上級生で、誰が下級生かわからないんじゃないですか。“今風”というかね。もっと厳しくしてるところもあるんでしょうけど、厳しければいいかというと、そこも疑問なんでね」

消えた「PLチャーハン」
 
PL出身者が、寮生活の思い出として語るのが「PLチャーハン」だ。“付き人”の関係にある後輩が、先輩のリクエストに応える形で、チャーハンをこしらえる。ユーチューブでは、歴代のOBたちが当時の記憶を頼りに鍋を振るう動画が人気を博してもいる。マヨネーズを油代わりに使うのがポイントなのだが、この技法を編み出したのが、何を隠そう清水である。

「僕らが入学したころから“焼きめし”を作る伝統はあったんやけど、普通のサラダ油でやってた。今みたいにフライパンがつるんつるんしてないから、それやと(米が)ひっつくんですね。元々ご飯にマヨネーズをかけて食べるのが好きやったから、何気なしにやってみたらひっつかへんし、まろやかで美味しい。同級生に『マヨネーズやったら、ひっつかへんで』と教えて、そこからPLチャーハンになりましたね」

山口県鴻城の選手に「鴻城チャーハン」はあるのか、と尋ねたところ、どうやらPLチャーハン自体も知らなかったようでキョトンとされた。それを清水に話すと笑った後に続けた。

「今はもう、子どもらが厨房に入ったらあかん規則があるみたいで。火のもとやし、衛生面のこともあって。だから、厳しくはないし、僕から何か言うことも少ないんやけど、『とにかく部屋は綺麗に』『身の回りを整えるように』とは言いますね。こういうのがヒット1本につながるんやぞ、とね。やっぱり高校野球の本質は感謝やと思うんで」

PL学園で指導…何を変えた?
 
清水が“今風”と表現したように、母校のグラウンドで鬼軍曹として声を張り上げていたころとは、選手たちの気質も異なる。

「今は情報がたくさんあって、他の選手のこともすぐにわかる時代なんでね。中学時代から知っているすごい選手や高校を、戦う前から上に感じたり。同じ高校生やぞ、とよく言われとったし、思っていたんですけど、そう思えないというか。現代の子らの方が体がたくましいのは間違いないんやけどね。僕らがどう言葉で奮い立たせていくかを考えるんですけど、昔は子どもらからエネルギーというか、グーっと入ってくるような感じがあった。最近は少し遠くに感じることもあって、どう言葉をかけていくか、難しいですね」

昨年のチームに、中学時代はサッカー部で、高校から野球を再開した選手がいた。清水はその選手に目をかけ、大学野球の関係者が来校したときは、こうプッシュした。

「今から打つの、俺の“推し”やねん」清水もまた、時代に合わせて変化しようとしている。

PLの復活は…?
 
PLの休部から10年。今も大阪に住む清水は、母校の現状が目に、耳に入るからこそ、復活の道の険しさを痛感しているという。

「前に進んでいないことが目に見えてわかるんで、ほんと寂しいというかね。変な話、弱くてもいいから野球部があってほしい、帰れるところがあってほしいとOBはみんな思っとったんですけど。最初はひょっとしたら、というのがあったけど、もう学校の生徒自体も少ないんでね。諦めてはないけど、難しいんかなというのはありますね」

プロ選手だけでなく、様々なカテゴリーに指導者を輩出しているのも、PLの大きな特徴である。母校の野球部が活動していない今、その息吹が感じられる山口県鴻城を“第二の母校”のように期待するPL出身者も多いそうだ。

本物のPLかと見紛うほどに…
 
その流れから、今の1、2年生には、生駒ボーイズなどPL出身者がかかわる関西圏の硬式チームから進学した選手が多い。特に1年生は粒ぞろいのようで、冬場の練習では田中が「春からの競争は、もう始まっとるぞ!」とハッパをかけ、春のベンチ入りの半数以上を1年生が占めた。激しさを増す競争で揉まれる上級生に、清水が思いをはせる。

「春の大会が終わって、また横一線になるわけですから。自分を奮い立たせてやるんやぞ、と声をかけています。さっきの話じゃないですけど、どうしても、『俺はもう無理か』と決めつけてしまうところがあるんで。ここで奮起してくれたら、チームのレベルアップにもつながるんでね」

山口県鴻城のPLを模したユニフォームを初めて見たとき、失礼ながらまだ選手が“着られている”印象がぬぐえなかった。だが、清水らの指導が浸透し、選手たちがたくましさを増すと、本物のPLかと見紛うことが増えた。この感想を清水に伝えると、少し口角が上がった。

「少し様になってきたな、と思ってくれる人が1人でも増えてくれるのはうれしいですね。ただ、似てるといえば似てるんですけど、文字がPLよりだいぶ小っちゃいんです。文字がぎょうさんあるから。甲子園に出させてもらえたら、大きくしようと話していて。PL野球部はないですけど、PLのOBが盛り上がれる機会を作りたいなというのはありますね」

かつて圧倒的な強さを誇り、高校野球ファンから絶大な人気を得た名門。その遺伝子は、遠く離れた地でたしかに息づいている。

☟《夏の甲子園》地方大会で山梨学院、智弁、大阪桐蔭が敗退も…スカウトが漏らした「むしろ敗退してくれてよかった」のホンネ
https://news.yahoo.co.jp/articles/d8770ffea00e41ec06c586717f7388c95b43b5c6

8月5日に開幕する第108回全国高校野球選手権の代表校を決める各地方大会で波乱が続出している。

強豪校の敗退に「むしろ敗退してくれてよかった」

今秋ドラフトの目玉で、投打二刀流の逸材とされる菰田陽生投手(3年)を擁する山梨学院や最速153キロ右腕吉岡貫介投手(3年)らを抱える大阪桐蔭が敗退。また北照(南北海道)、八戸学院光星(青森)、智弁学園(奈良)、神戸国際大附(兵庫)、東洋大姫路(兵庫)といった今春のセンバツ大会に出場した強豪校も続々と敗退している。だが、

「これに一安心しているのが、各プロ球団のアマチュアスカウトたちです」とは、スポーツ紙野球担当デスクの言。

「菰田らプロ注目の選手が最後の大舞台に進めなかったが、あるスカウトは『この酷暑の中で日程の厳しい甲子園で無理しても何もいいことはない。肩肘を故障しようものなら評価を下げざるを得ない。むしろ敗退してくれてよかった』と胸をなでおろしていました」

過去には早実・斎藤佑樹投手の例もある。2006年の甲子園で田中将大投手擁する駒大苫小牧との決勝再試合を含む全7試合に登板し、2週間で948球を投げ抜いた。進学した早大での故障もあり、プロに進んでからも思うような活躍はできなかった。

「斎藤は甲子園での無理が祟ったという指摘もあります。短期間での酷使は後々までダメージが残る」(同前)

「この夏は甲子園後の方が忙しくなる」スカウトたちの戦い
 
そんな中、「やっぱり勝ったか」と某スカウトが漏らしたのが、菰田とともに“超高校級”と評価される横浜のエース、織田翔希投手(3年)だ。神奈川大会で自己最速157キロをマークし、優勝に貢献した一方、準決勝と決勝では足を攣りながら投げ、故障の不安も指摘されている。

「村田浩明監督は『織田が行きたいと言ったので行かせました』と続投の理由を説明。甲子園でも無理したがる選手を止めない雰囲気です。優秀な二番手投手もいるのですが、たとえ肩が痛そうな素振りを見せても交代はないのでは」(同前)

スカウトの中にはこの夏は甲子園後の方が忙しくなるという者もいる。

「注目選手が全国の舞台に立たないことで、スカウトはより自分たちの選手を見る目が試される年になった。注目は甲子園終了後、高校日本代表を編成して臨む、第14回BFA U18アジア選手権です。同大会は木製バットを使用するため、野手の実力を測りやすい。二刀流の菰田の打撃もここで試される。代表には地方大会敗退組も選ばれるため、今年は甲子園組よりも、敗退校の選手が多く選ばれる事態も予想される」(同前)

夏の甲子園の裏で、スカウトたちの戦いも熱を帯びてきている。

📝7回制関連で各地区高野連幹部「安全安心という点で賛成」「何が正解かわからない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/b7987a9b2cc99d0a7ac006dbc8d958dde302c757

日本高野連は31日、大阪市内で理事会を開き、「7イニング制諸課題検討会議最終報告書」に関して各地区高校野球連盟への説明と意見交換結果を踏まえた所感を発表した。
説明会は4~6月に担当者が全国の9地区を回って実施され、酷暑対策などを理由に「2028年の第100回記念選抜高等学校野球大会ならびに各都道府県高等学校野球連盟の春季大会から採用することが望ましい」と提言された最終報告書を元に報告した。主な意見は以下の通り。

<主な意見>

▽理事長の立場として、もし採用するのであれば、加盟校指導者に対して「何故7イニングを採用するか」を説明しなければならない。今日の日本高野連から受けた説明、具体的内容を記した資料などが重要になってくる。

▽高校野球は3年間頑張ってきても、トーナメント制のため、1回戦で加盟校の半分の学校約1800校が敗退し、2回戦でさらにその半分の900校が敗退する。生徒達は3年間の練習、努力の積み重ねを最後の夏の大会で発揮したいと思い日々練習に励んでいる。また、指導者もたとえ甲子園には行けなくても、野球を通じて何とか生徒達の成長を促し、毎日毎日様々なことを犠牲にしてでも指導にあたっている。生徒、指導者のことを考えると、2イニング、6つのアウトが減るということ、活躍の場が減ってしまうことは受け入れ難いものがある。

▽「見る・する・支える」全ての高校野球に携わる方々の安全安心という点で7イニング制には賛成の立場である。昨年、観客の方が熱中症により救急搬送される事象が1日に複数回発生した。そのうちの1名は意識朦朧とされていた。大事には至らなかったものの、今思い出しただけでも一歩間違っていればと想像し、背筋が凍る思いである。ただ、加盟校の指導者、選手たちの思いと大会運営を担う連盟側の考えには乖離があるのは事実であり、この意識の差をどのように埋めていくのかが重要。

▽これまでの過程で説明不足という感は否めない。加盟校の中には、7イニング制ありきで物事が進んでいるという印象を持っている指導者が多い。9イニング制を維持するために他にも出来ることがあるはず。

▽県内では行政からの指導がありWBGTの数値で一定以上になれば、野球だけではなく全ての大会を取り止めることになっている。このような背景が影響しているためか、県内理事の中で明確に反対という者はいない。世論を含めて9イニング制の維持ではなく、7イニング制しか許さない状況に今後なっていくと予想している。様々な意見があるかとは思うが、私としては、とにかく熱中症対策の一環として、一刻も早く7イニング制を採用して欲しい。

▽日本高野連の説明を聞いて、本当に細部にわたってよく考えられたうえでの報告書なのだということを感じた。日本高野連からトップダウンでやるということではなく、都道府県連盟、加盟校への説明を尽くすという言葉が印象的であった。3年間必死で頑張ってきてもトーナメント制である高校野球では約4000校のうちの半分の2000校は初戦で敗退する私が理事長の立場となり、大事にしていることは、その初戦で敗退した約2000校の生徒が高校野球をやって良かったと感じ、報われる高校野球にしないといけないという思いは常に持ち続けている。皆で真剣に意見、知恵を出し合うことが大事で最終的に7イニングならいいが、出来ることを全てやっていくという姿勢が大事なのではないか。

▽正直なところ結論として何が正解かわからない。今日、報告書の背景、経緯を耳にしたので、日本高野連が何を考えているのかを加盟校に伝えていかなければならない。これまでは結論としての7イニングのみを加盟校は見ている。

▽どうしても、熱中症対策のために7イニング制を行うという印象が拭い切れない。選抜大会、選手権大会のイニング数を必ずしも、一致させる必要があるのか。

▽7イニングにするには相当な覚悟がいる。高野連の組織は役員が審判に取り組むなど、数年前から盤石な組織作りを行ってきている。7イニングへの移行はもう少し時間を掛けて行うべきではないか。
2026/08/02(日) 0時17分26秒 No.2557 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
📝和歌山大会新人戦組み合わせ
https://www.whbf.jp/uploads/20260731154458_pfOh.pdf

8月15日開幕の新人戦ですが・・・夏のように二部制はせず通常通りの開催ですね。まだまだ熱いのですが、、、、、
とりあえず決勝戦が10時開始というのは良かった。

夏優勝した和智弁は23日が初戦で2戦目は24日。仮に甲子園で決勝進出となると、閉会式翌日に即9時から試合で大変ですね!1日延期されたらナカタニは塩部長に甲子園の采配を任せて紀三井寺でサングラスかけながら1・2年生を指揮するのでしょうか???

📝新人戦以降の試合観戦(入場料)等について
https://www.whbf.jp/uploads/20260730150507_154O.pdf

◆有料試合(対象)となる大会
県下高校野球新人戦
準々決勝戦・準決勝戦・決勝戦
秋季近畿地区高等学校野球大会 県一次予選ゾーン代表決定戦
秋季近畿地区高等学校野球大会 県二次予選全試合

【入場料金】 一般1000円 / 中・高校生500円(生徒証の提示必要) /小学生以下無料
障がいのある方は無料ですが、手帳等の提示が必要です。
当日、券売所で入場券に引き換えます。
「介助者必要」と明記されている場合はその介助者1名も無料です。

《 試合観戦について 》
1)ファウルボール(打球の行方)にはご注意ください。
2)ファウルボールによる車等の破損につきましては補償できません。 あらかじめ御了承願います。
3)ゴミは、各自で持ち帰ってください。
4)アルコール飲料の持ち込みはご遠慮願います。
5)撮影された動画をSNS(You Tube・インスタグラム)等にアップロード するのはお控えください。

               以上

📝甲子園「マル得」情報
今夏の甲子園は九州・東海勢が大旋風を巻き起こす予感 専門誌元編集長がズバリ!
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/391077

波乱の地方大会は、今春センバツを制した大阪桐蔭が4回戦で敗退したところから始まった。結局、近畿勢はセンバツに出場した全6校が決勝にすら勝ち上がれないまま姿を消した。近畿勢の春夏連続出場校ゼロは、1993年以来33年ぶりという異例の事態となった。高校野球雑誌「ホームラン」の元編集長・戸田道男氏がこう言う。

「大阪桐蔭だけじゃなく、センバツ準優勝の智弁学園などが地方大会で敗退した。今夏は智弁和歌山、履正社(大阪)、天理(奈良)といった強豪校は出るものの、春夏連続が一校もないという近畿勢のレベルは微妙。対照的なのは、好選手が多い九州勢です」

戸田氏が続ける。「まず日南学園(宮崎)の田中皐晴がいい。183センチ、87キロの大型左打者として九州屈指の大砲らしい迫力を見せる。投げては140キロ超えのエース右腕で、プロの評価を上げています。センバツで山梨学院の二刀流・菰田陽生に本塁打を打たれた長崎日大の右腕・古賀友樹も成長しています。山梨学院戦にしても、初回に5失点した後、残る8イニングを無失点で投げ切り、9回163球、10奪三振の力投でしたから。大分商の最速152キロ右腕・平田玲翔もプロ注目。東筑(福岡)の最速147キロのエース深町光生も好投手です。神村学園(鹿児島)と沖縄尚学は優勝候補。九州勢のスポーツ紙の評価は軒並みC判定ですが、今大会は九州旋風があると見ています」

東海勢もレベルが高いという。「中京大中京の監督として全国制覇の経験がある大藤敏行監督率いる享栄は、激戦区・愛知を制した。三重はセンバツで優勝した大阪桐蔭と1点差。地力があります。中京(岐阜)にはプロ注目の二刀流右腕・鈴木悠悟がいる。聖隷クリストファー(静岡)は『ビッグ4』の一角、エース左腕の高部陸を擁する。今年の東海4県はツブ揃いです」(戸田氏) 

今夏は九州と東海旋風が吹き荒れる。

☟“試合の送迎”は当然で“大一番には有給休暇” 「高校球児の親」はどれほど大変なのか
https://news.yahoo.co.jp/articles/5d8349806eb696c083964d0f5dd802a75ee2ef40

第108回全国高校野球選手権大会の地方予選が各地で行われている。選手たちのハツラツとしたプレーや、健康、技術の上達を陰で支えているのは、いうまでもなく監督やコーチ、マネージャー、チームメイトだが、それ以外に忘れてはならないのが「親」の存在だ。

3人の野球少年の父親である佐賀県唐津市在住のksk氏(52)は、昨年は長男が県大会の決勝戦で、今年は次男が予選一回戦で敗退する「最後の夏」を見届けた。いかに野球が我が子、そして親にとって人生の感慨をもたらすか、についてksk氏に聞いた。関係者以外には窺い知れない世界だが、改めて話を伺うと、「球児の親」というものはかなり大変である。そんな視点も持ってこの夏の大会を観戦してみてはいかがだろうか。

高校球児の親も“戦い”
 
ksk氏の長男は2023年に県内屈指の強豪校に特待生として入学。昨年、県大会決勝の最後の打席で代打として登場し、ヒット性の当たりだったがアウトになり、同校は敗退した。また、次男は野球部はあるものの、強豪校とまでは呼ばれない高校のキャプテンとしてレギュラーを獲得し、今年、一回戦で9回にレフト前ヒットを打ち、最後の夏を終えた。
奇しくも次男の高校の対戦相手は昨年甲子園に進出したチームであり、つまり、2年連続で2兄弟がそのチームと戦うことになった。今回次男の試合を終えたksk氏の表情はスッキリとしており、達成感に満ち溢れていた。二人の子が野球人生からは卒業したわけだが、中学三年生の三男は来年から高校野球に挑戦することになる。

ksk氏は日々「息子達に感謝」「感動した!」などの気持ちを表明しているが、果たして我が子が野球に没頭している中、それをサポートするというのはどのようなことなのか。しかも同氏の場合、3人である。長男が小学3年生で野球を始めてから、三男が3年後の高校3年生で終えるまで、実に15年間を3兄弟の野球のサポートに時間を注ぎ込むこととなる。
それこそ、リトルリーグとボーイズリーグを経て、高校野球に至るまで、常に練習や試合の送り迎えをする。試合観戦は当然のこと、勝ったら保護者で祝勝会を開き、様々な会議にも出るし、用具も揃えなくてはいけない。時には選手と保護者を自宅に招いてBBQをしたりもする。息子の大一番の時は、職場に頼んで有給休暇を取ることも。

寮費を含め毎月10万円ほどを彼のために支払う生活
 
ksk氏の長男は小学3年から少年野球を始め、小学6年生時には唐津でも名前の知られたホームランバッターとなった。中学ではボーイズリーグに鳴り物入りで入るも、ケガの影響でなかなか実力を出せない状態だった。ksk氏は長男から「バッティング動画を撮ってほしい」と懇願され、練習時と試合時はフォームが撮れる位置をキープして動画を撮っては二人で見返してスイングの矯正をするようになった。

チームの指導者は個々の選手に任せるタイプであり、指導を押し付けなかったため、ksk氏が長男のアドバイザー的な存在になっていく。とはいっても、その頃小学5年生の三男がリトルリーグの中心選手になっており、同氏はチームスコアラーに就任していた。そのため、常に三男の試合に行かざるを得なかった。普段から仕事があるのに加え、三男の野球にどっぷりとハマり、長男への助言もするという実に忙しい生活を送っていたのである。そんな状況にあったものの、長男は県内有数の強豪私立校のスカウトの目に留まり、「Sランク」に次ぐ「Aランク」として、高校に進学。いわゆる「特待生」である。学校からの補助はあったものの、寮費を含め、毎月10万円ほどを彼のために支払う生活が始まった。

オレは監督から全く好かれてない
 
ところが、ここからが人間臭い話になってくる。長男は才能はあったものの、監督との関係が良くなかった。プロ野球でいうところの「一軍」である「Aチーム」ではなく、二軍扱いの「Bチーム」に所属させられた。そこで打率・打点ともに見事な成績をあげていたのだが、Aチームには上がれない。保護者からは「なぜ彼がAチームに行かないのだ!」といった声もあったという。ksk氏はこう語る。

「長男は人間的に他に同調されないタイプ。また指導者に対しても納得がいかないならNO! と言うタイプです。実際『オレは監督から全く好かれてない!』と常に言ってました。本来、レギュラーになっても良かったと思いますが、最後は代打で出られて良かったです。四球の可能性がありましたが、野球人生最後と決めていたのでしっかり振れ、安打性の打球を打てて良かった、相手の内野手の守備が見事だったと言ってました」

このように同氏は振り返るが、保護者の役割はどのようなものか。ksk氏は送り迎え等はするものの、公的な役割としては、3男のボーイズチームの「副会長」である。一方、妻は次男の高校の「会計係」をしつつ、3男の「道具係」「車担当」「会計担当」を担っており、ksk氏は「はっきり言って俺より嫁のほうが何倍も大変だったと思います」と語っている。
ここからは次男の最後の夏を終えた同氏の感慨を紹介する。正直、高校野球に関わらぬ者からすれば「ここまで野球に捧げる中年人生があるのか!」と思うのだが、それだけ野球は親にとっても重要なものであると理解できた。さらに、三兄弟の性格の違いにいかに向き合うか? といった点についても苦労したことが窺える。

達成感より多幸感
 
長男は野球経験者である私の意見を欲しがったので一緒に試行錯誤し、前にも述べたように、バッティングフォームの動画を撮影したりし、改善を図りました。次男はあまり求めなかったですが夏の大会を控えた終盤はバッティングフォームの動画を撮ってと言いました。
三男はプライドが高く私のアドバイスはあまり聞かなかったです。でも打撃の調子が悪くなると急に聞いてきたりしました。所属するチームの指導者が一人一人言うことが違っていて混乱していたようです。私が言うことも違っていたため、一時はパニックでバットが振れなくもなりました。三兄弟にとって、生活の9割は野球のことだったと思います。そこに親である私も関わったということです。

長男は中学では生徒会長を務めるなど、親分的な要素は小さい時からあったものの、中学・高校と進むにあたり野球とは、そして世の中とは理不尽でできていると気づいたのではないでしょうか。いくら能力があっても監督に嫌われたら活躍することは困難です。高校野球を経験するということは、理不尽を知り、その中でも辞めずに努力する、諦めないことを学ぶということ。とにかく忍耐力、適応力、会話力などが桁違いにアップすると思います。声を出し、話さないと絶対野球は出来ません。個人プレーなどもってのほかです。

長男のそうしたキツい状況を見ていただけに、県大会決勝、最後のバッターとして代打で登場し、ゲームセットになった瞬間は達成感よりも多幸感だったと記憶しています。寮でのトラブル、監督への不信感などもあり、いつ辞めるか不安でしたが、最後までやり切った。本当に立派になったと思いました。

球児と親の関係
 
今年の次男についてはとにかく達成感ですね。キャプテンとしてチームの意識を上げて夏、燃え尽きた。言うことは全くないです。あっぱれでした。こうして色々振り返ってきましたが、今年は親の野球人生で一番濃密な一年でした。三男は唐津ボーイズでキャプテン、次男も高校でキャプテン。私自身、ボーイズの活動も全力でしました。今思うと、中途半端な気持ちで活動したらダメですよね。子供が頑張るなら親も頑張る。実際私は7年間多忙な唐津ボーイズに在籍しましたが一番頑張った今年が一番感動したし、涙も出て、名残惜しい気すらあります。

そしてこれは絶対に言えることなので強調したい。親が中途半端だと、子供は成長しないし、活躍もできません。シングルマザーのご家庭もありましたが子供は必ず親の頑張りを見ています。
ここからは「どの高校を選ぶか?」という話をしたいと思います。次男は長男が小学3年生になった年に一緒に2年生から少年野球を始めました。長男が6年生・次男が5年生の時はチームは6年生が多く、その中でも次男はセカンド、サードで活躍しました。しかし、長男が中学に入ると次男の年の6年生はわずか2人で一気に弱小チームになります。

キャプテンを務め、毎回負けて泣いていたのを思い出します。中学に入り、唐津ボーイズに入り順調に成長していたが肘を故障。また、長男みたいに体格に恵まれずケガもあり、唐津ボーイズ時代は全くと言っていいほど良い記憶はないです。

やりきったよ、ありがとう
 
高校の進路を決める際、「みんなが(唐津では強豪の)唐津商業、唐津工業にいくので俺も!」と次男は言いました。子供の希望は優先しなければいけないとは思いましたが、私はこう彼に言いました。

「お前は中学の時、唐津ボーイズで良かったと思う? 今までお前をみてきたけど、辛かったやろ? お前は野球を全く楽しんでない。強豪に行くのはいいが、今は体は小さいが必ず大きくなるし、必ず爆発的な成長をする時期がある。その成長する時期に強豪校にいてもレギュラーのサポート、球拾いをする姿が容易に想像できる。強いチームはある程度完成された選手を使う、いくらお前にセンスがあってもケガでろくに野球を経験してないお前を監督が使うはずがない。ならばケガの痛みからやっと解放されたんだから、まずは弱いチームでも野球をできる環境に入り楽しみ、成長するべきだ」

このように説得しました。この内容は一字も間違ってないぐらい覚えています。そんなこともあり、決して強いとは言えない高校に進学しました。まあ、弱いだけあって練習後も居残り練習(バッティング練習、筋トレ)する先輩、同級生はゼロ。しかし、次男がこれらを始めたら、1人、また1人と増えていき居残り練習が当たり前の環境にまで変化し、今年の大会に至っています。
さらに、次男は学校の筋トレでは足りないとジムへ通いだしました。小さくガリガリだったが努力の甲斐があり体重も増え、筋力アップに成功。練習試合ではあるものの、ホームランも打てました。

今回の佐賀県大会一回戦が終わって2日後の私の気持ちは「やりきったよ、ありがとう!」でしかありません。あの高校に行かせて本当に良かった。涙涙。兄弟3人の中で一番の苦労人だと思います。

お金じゃ買えない最高の贅沢
 
親は一体どのように我が子の野球に関わるか。少年野球は親抜きには成立しないと思います。会長、副会長、審判部長、審判員、会計、道具車会計、球場抑え係、送迎、マイクロバスの運転などなど、とにかく多忙です。長男が中学3年、次男が中学2年、三男が小学5年の時は、唐津ボーイズにあまり行けず、保護者との距離ができてしまいましたね……。それでますます足が遠のく悪循環。でも、本当に忙しいんですよ。妻とも「貴方があっち行って、私はこっち!」と喧嘩ばかり。

一番の多忙は去年でしたね。長男が高校3年生で佐賀市におり、次男は高校2年で唐津、三男は唐津ボーイズ2年です。唐津ボーイズは毎週練習試合があり、長崎、佐賀、諫早、武雄など遠征だらけ。妻とは毎回喧嘩、「長男が最後の夏なのになぜ彼を優先しないんだ!」みたいな話になる。でも、私は唐津ボーイズの審判などの仕事が毎回あったのです。
それだけ野球少年の親は大変ですが、先日行われた三男の中学野球の選手権大会予選で彼が活躍する姿を見て魂が震えました。エースとして2回戦、5回までノーヒットノーラン。3回戦の6回、ワンアウトまで0点に抑える圧巻のピッチング。しかし後続のピッチャーが打たれ、全国大会の夢は絶たれました。

あんな精神状態・興奮状態は生まれてきて初めての体験でした。敗退した時も一瞬気を失うほどでした。こんなに感動を体験できる親はなかなかいないと思います。今でもあの興奮がよみがえります。この感動は親も一生懸命にやったからこそ体験できる境地だと思います。お金じゃ買えない最高の贅沢だと思います。

📝“PL学園”が山口に誕生…? PL野球部OBたちが集結、強化していた「練習時間すごく短くなった」山口県鴻城に伝授された“超名門の練習内容”
https://news.yahoo.co.jp/articles/29a2beb4343c75debb12aa5d71986e135c7ab212

なぜPL学園の黄金期を支えた「伝説のコーチ」清水孝悦は今、山口の私立校で野球を指導しているのか。大阪は藤井寺市の出身で、山口県に取り立てて縁のなかった清水だが、大学時代の後輩が山口県鴻城の上層部と面識があった。甲子園から遠ざかる野球部を強化しようと清水に白羽の矢が立ったが、二つ返事で引き受けたわけではない。

というのも清水は、地元の藤井寺市内で、寿司店の「ふじ清」を経営。父の代から続く家業であり、山口に移住しての指導は難しい。昼夜問わず心血を注いで選手と向き合ったPL時代と同じような指導ができないなら、と迷った。しかし、2023年の秋に、挨拶に訪れた監督の田村と顔を合わせ、考えが変わった。

「『一度ご挨拶させてください』と、わざわざ来てくれてね。それで顔を見た瞬間、『ええ子なんやろな』と思ったんです。ただ、気がよすぎて、勝負事でも優しさが出てしまうんやろなとも思った。指導に悩んでいるのが伝わってきて、力になりたいなと。自分にできる“高校野球への最後の恩返し”じゃないですけどね」

大阪で寿司店経営…山口へ指導に
 
田村は少し会話しただけでもわかるほど、折り目正しく、腰の低い人柄だ。選手の面倒見もよく、県内で悪いウワサを聞いた覚えのない人物である。しかし、いい人が勝つとは限らないのが高校野球であり、勝負事だ。清水の元を訪ねた2023年の夏も、3回戦で公立進学校に退けられていた。指導者として、今後どうしていくべきか。悩みが募っていた時期だった。

そのとき清水は、今江敏晃(元・ロッテ)らがいた2001年を最後に母校の指導から離れ、高校野球の現場から20年以上遠ざかっていた。それでも、KKら後輩や多くの教え子に慕われた、清水生来の兄貴肌が、再び現場へと向かわせた。現在は平日の2、3日間、大阪から山口に向かい、選手たちと向き合う。当初は、自身の不在時の練習内容などを修正することも少なくなかったが、就任から2年が経ち、「あまりこっちから言う必要がなくなってきている」という。

あのPL戦士もスタッフだった…
 
指導方針の浸透は、“もう一人のPLを知る男”の存在を抜きには語れない。昨春から部長を務める田中一徳だ。PL時代は俊足巧打のスイッチヒッターとして下級生時代から主力を張った。2年夏の甲子園準々決勝、横浜戦では松坂大輔から4安打を放っている。PLからドラフト1位でプロ入りし、引退後は高校、大学で指導経験を積み、教員免許を取得。直近では鹿児島の中高一貫校で教壇に立った。

総監督就任直前の清水が、「一徳に、どうやったら足が速くなるか聞こうと思って」電話をかけたことがきっかけとなり、ともに指導現場に立ちたいと山口にやってきた。小柄ながら眼光鋭くグラウンドを見つめ、気の抜けたプレーや全力疾走を怠った選手にはゲキを飛ばし、右打ちでノックを放つ。田中の思いは一貫している。

「清水総監督が1週間後に見て、ダメだなと思われないように。現状維持でなく、右肩上がりにするのが自分の仕事です」

なぜPL学園は強かったのか?
 
甲子園通算96勝30敗。PLの圧倒的な勝率を目にすると、思わず“魔法”のような練習があるように錯覚してしまう。だが、山口県鴻城の練習を見ていると、内容は実にシンプルだ。様々な状況を想定した投内連携をみっちりやっているのは印象的だったが、打撃練習、ノックを含め、一般的な強豪なら必ずやっているものでもある。強さの源流はどこにあったのか。指導者としてPLの野球に触れる日々を送る田村が、この2年間で感じたものを言語化する。

「清水総監督と田中先生から感じるのは、“本質”を大切にされているということ。キャッチボール、バッティング、ノック……。これはどこの学校もやっていると思うんですけど、“なんとなく”やっているところもあると思います。そうでなく、『何のためにキャッチボールをするのか』『何のために走っているのか』と理解した上で取り組む。そこを大切にされています」

田村は、ウォーミングアップの一つであるショートダッシュを例に挙げた。

「アップの100メートルダッシュ、見ていただきましたよね。あれは目標タイムを設定して走るんですけど、無茶苦茶なタイムではないんです。ちゃんと走れば、誰でもクリアできるようなタイム。なんでその設定で走るのかというと、正しいフォームで走って体幹を鍛えるため。これをギリギリのタイム設定にしてしまうと、崩れたフォームでがむしゃらに走るようになる。あえて苦しいことをやるのも大切ではあるんですが、それだと体幹を鍛える目的から外れてしまうんですね。以前はそれがわからず、選手がキツそうにしていたらいい練習になっていると認識する、指導者の自己満足の練習になっていました」

「練習時間はすごく短くなりました」
 
PLは強豪の中でも全体練習が短く、その後の自主練習が意識高く行われていた……。OBの多くがそう語り、プロで活躍できた理由にも挙げられる特徴である。練習の“本質”を理解しようと努めることで、山口県鴻城の練習時間も変化した。

「練習時間はすごく短くなりました。なぜこの練習をやるのか、と考えたときに必要のないメニューがあったので。それに、『朝から晩まで猛練習をするぞ』となると、選手たちは体力を温存しようと、練習に強弱をつけてしまう。それなら、時間や本数をしぼって、一つ一つに全力で取り組ませた方がいい。あえて量を課すこともあるんですけど、全体の時間は短くなりました」

日々選手に向き合う2人の指導ぶりは、清水も認めるところだ。

「田村監督が一生懸命なのは最初からわかっとったけど、『指導者の自分が』というところがあった。自分の指示で動かしたい。けど、それが上手くつながらない歯がゆさで悩んでいたというかね。監督はドシっとするところが必要やし、やっぱり『一番は子どもやで』と。子どもたちにいい思いをさすために、どう考えさせるかに目が向くようになりましたね。一徳は現役時代もそうやったけど、結果にこだわれる。そのために自分が嫌われ役になるのもいとわないところがある。心強いし、そこは現役時代から変わらんですね。ただ、体形が変わってピンとこらんところがあるんで、『痩せー』とは言うとりますけど……」

現在の指導体制となり、昨夏は県8強。昨秋は4強に食い込んで、46年ぶりに中国大会出場。今春も2季連続で4強入りした。本質を捉えた指導の成果は着々と表れている。ところで、PLと言えば、半ば伝説となっている「寮生活」がある。度々OBがメディアで苛烈さを語り、その度に話題になる。では、山口県鴻城の野球部専用寮の実態は――。

                〈つづく〉
2026/07/31(金) 21時50分24秒 No.2556 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
💢選手の出場停止処分について
https://kandok.jp/archives/10798/

さわかみ関西地域プロ野球リーグでは、7月17日に開催された公式戦「姫路イーグレッターズ対堺シュライクス」において、リーグ規程に対して問題があると判断される行為が認められたため、森山喬介選手(堺シュライクス)に対し、下記のとおり処分を決定しましたので、お知らせいたします。

■対象選手
森山 喬介(堺シュライクス) 投手 背番号42

■処分内容
2試合の出場停止

■出場停止対象試合
・8月7日
・8月8日

💢地震の影響…高校軟式野球の南部九州大会を延期 全国大会の予選
https://news.yahoo.co.jp/articles/8ed14af8f65930b2d3a909bbc66e9c162e357a30

鹿児島県高野連は29日、令和8年熊本地震の影響で鹿児島市の平和リース球場で同日から開催予定だった第71回全国高校軟式野球大会南部九州大会の日程を、8月11日から2日間、同県出水市のブルーチップスタジアムでの開催に変更すると発表した。開会式は行わない。

全国高校軟式野球大会(8月24日から6日間、兵庫県明石トーカロ球場など)出場権を懸けた大会で、熊本から開新とルーテル学院が出場する予定だが、7月28日に発生した平成8年熊本地震により日程を変更することになった。

📝熊本代表の有明が予定通りに大阪入り 今後は甲子園練習を実施へ…大会本部が発表
https://news.yahoo.co.jp/articles/468dee80a2b0405309219768bfcb251abe654de3

第108回全国高校野球選手権の大会本部は30日、熊本代表の有明が当初の予定通り、同日に大阪府内の宿舎入りしたと発表した。今後は予定通りに甲子園練習に臨み、8月1日に組み合わせ抽選会が行われる。

有明は24日に行われた熊本大会決勝で、昨夏王者の東海大熊本星翔を4―1で破り、春夏通じて初の甲子園出場をつかんだ。その後、28日に熊本県で最大震度7の地震が発生していた。

📝センバツ4強が「地方大会で全校敗退」の衝撃…なぜ今年の夏は“番狂わせ”が多かった? 関係者が語った今年特有の「まさかの理由」とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/ff1e85b50eb3e6bebc8e636a9bc46d0656f7ea25

この夏の地方大会では、春のセンバツの4強がすべて敗退することとなった。優勝校・大阪桐蔭、準優勝校・智弁学園に、ベスト4の中京大中京に専大松戸。これら強豪4校が姿を消したことが、その象徴的現象になった。前編でも触れたように、春から夏にかけての「強豪」は、なかなかに辛い。しかも春のセンバツでいいところまで行くと、学校も応援する人たちも、夏の期待は「全国制覇」にボルテージアップする。チームはチームで、そうした期待をひしひしと感じ、夏までの実戦は練習試合も公式戦も「いつも勝たねばならない」と、ついつい思ってしまう。

強豪であればあるほど「勝ち方」も問われる?
 
しかも強豪はただ勝てばよいというわけじゃない。その「勝ち方」まで問われる。つまり、強豪らしく、スキのない野球をして相手を一蹴するような強い勝ち方でないと、まわりが承知しなくなる。辛いのは強豪の指導者、選手までそうした「呪縛」を自分たちに課すようになることだ。これが「無言のプレッシャー」というものだろう。

この春、ある県大会のことだ。7回コールドで勝利したチームが、試合後、血相変えて帰り支度を急いでいる。「どうしたの?」と選手に訊くと「勝ち方が悪かったんで、これからグラウンドに戻って練習なんです」。

先制、中押し、ダメ押し……ちゃんと段取りを踏んでのコールド勝ち。私には悪くない勝ち方に見えたが、選手たちに「快勝」のハツラツさは感じられなかった。ちなみにこの「強豪」は、ベスト8でこの夏を終えている。強豪ほど、心身ともに夏はとても疲れている――。そう言いきってしまえば、お叱りを受けるかもしれないが、いろいろ聞いてみるとそれが実態ともいえそうだ。

勝たなきゃいけない、間違っても負けてはならない、それも強豪らしく勝たないと。そんな重苦しい雰囲気で、5回を終えて0対0。オレたちだってやれるかもしれないと「追う者」が奮い立ち、後半で前を走る者を抜き去ってしまう。そんな展開に何度も立ち会ったのは、今年ばかりじゃない。
強豪といってもプレーするのは15歳から18歳までの「高校生」。まだ大人と子供のまん中あたりにいる不確かな存在だ。大人顔負けのプレーをやってのける場面もあれば、やらかすことだってあって当たり前だろう。強豪敗退は特に「夏」においては、実は「波乱」でも意外でもなんでもなく、十分あり得ること。見守る側が、そう認識を変えたほうがよいのかもしれない。

指導者が語った「今年特有」波乱のまさかのワケは?
 
ただし「強豪敗退」について現場の指導者の方たちと話していて、「今年特有のことだろうけど……」の前置き付きで、ちょっと興味深い見解が出てきた。

「ウチはワールドカップにやられました」

甲子園の常連というほどではないが、一般的には強豪と評されている指導者の方は苦笑いだ。

「夜中まで試合を見ている生徒がたくさんいて、授業ではぐったりしているし、練習でもフラフラしたり、ボンヤリしたりして。練習にならないどころか、硬いボールを使っているのが危ないぐらいで」

そんな話題を入り口に、今の高校球児気質を語ってくださった常連校指導者の方もいた。

「私たちの頃は、野球をやっているヤツは野球ばっかりで、あれだけ練習して、家に帰ってもまたナイター見ていたじゃないですか。でも、今の子たちに言わせると、そういうのは変人らしいですよ。ウチの選手たちも、ワールドカップにすごく興味持っていたし、サッカーにもすごく詳しい。野球の理解度よりサッカーの理解度のほうが高いぐらいの選手もいるんです。こういうのも高校球児の多様化なんですかね」

試しに、ワールドカップの影響を聞いてみると、「完全に体調崩した選手が何人もいましたよ」と頭を抱えた指導者の方も含めて、約半数が「あれで選手たちが疲れてしまった」と答えてくれた。そのたびに監督からも「もっともボクも夜中に見ていましたから、あんまり言えないですけどね」と自省の弁が添えられていたが……。

話題のルール改正案に伴う「失敗談」も

「ちょっと聞いた話ですけどね、サッカーも影響していたかもしれないけど、この話は面白かったですね、僕には」

近年台頭してきた「強豪候補」を指導されている方の話には、ハッとさせられた。あるベテラン監督から「失敗談」として聞いた話だという。
そのベテラン監督は、昨季から本格実施が検討されている「高校野球7イニング制」を聞いて、さあ、たいへん。「野球は9イニングだから“野九”なんだ!」と、なんとか9イニング維持を目指し「9イニング通して元気にプレーできる強い選手たちにしよう!」と、練習量を増やして、春以降、徹底的に鍛え込んだそうだ。その結果、夏予選直前にケガ人・体調不良者が続出で、逆に5回しか持たない選手ばかりで予選に臨まざるを得なくなり、チームを「前半の9人」「後半の9人」のようなツープラトンシステムを敷いたのだが、早々に敗退したという。

「そういう話、今年はよく聞くんです。夏の大会で、足をつらせてバタバタ倒れたりして、やっぱり7イニング……なんて流れになってほしくないですからね。そういう思いの関係者、思ったよりずっと多いんですよ」

実はウチもまったくその通りなんですよと、ご自身のチームの実情を教えてくださった監督さんがいた。

「私は絶対9イニング派なんです。選手たちに訊いてみたら、60人ぐらいいて、7イニング派が1人だけいた。わけを聞いたら、AIにそんなこと言われたらしいです。それなら『みんなで真夏の9回でもピンピンしてるような、屈強な体を作ってやろうじゃないか』と5月、6月、追い込みましたよ。選手たちも納得ずくだから、必死にメニューをこなしてね。そうしたら、疲れと暑さでだんだん食べられなくなって、この予選が始まる頃にみんな痩せちゃった。ひどい選手なんか春より10キロぐらい痩せちゃって、メンバー表の数字とユニフォーム姿のシルエットがぜんぜん違う選手が出てきちゃったりして」

よく考えると、決して笑えない話であろう。

「波乱の理由」から見えてくる高校野球の“課題”は?
 
何が「波乱の理由」なのか、定かなところはわからない。そもそも特定する必要もないのかもしれない。
しかし、その「結論」にたどり着く道程の中にこそ、今の高校球界に潜んでいる、もっと早くなんとかしなければならない「命題」がいくつも横たわっているように、今、感じている。

📝2026夏の甲子園「優勝校はココだ!」 本紙と専門家が徹底予想、“対抗”含む5校を紹介
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/391021

夏の甲子園大会に出場する全49校が出揃った。昨28日に宮城、愛知、大阪など6地区で決勝戦が行われ、仙台育英、享栄、履正社などが甲子園切符をつかんだ。今春センバツ優勝の大阪桐蔭、準優勝の智弁学園に専大松戸、中京大中京を含めた4強が全て姿を消すのは32年ぶり。センバツ8強の八戸学院光星、山梨学院も敗れており、春8強で夏の甲子園出場を決めたのは花咲徳栄、英明の2校だけ。そんな戦国大会の優勝校を高校野球に詳しい専門家2氏と本紙が予想した。

高校野球雑誌「ホームラン」の元編集長・戸田道男氏は「横浜1強でしょう」とこう続ける。

「エースの織田翔希は最速157キロで、準決勝で敗れた慶応の森林貴彦監督が嘆いていましたが、高校生では攻略が難しい投手。準決勝の慶応戦で右ふくらはぎを痛めてノーヒットノーランのまま途中降板。満身創痍な状態で、甲子園でもフル回転できない可能性はありますが、2年生左腕の小林鉄三郎もMAX150キロ。織田が不在でも問題ないほど投手陣の層は厚い。何より昨秋より打線が良くなったのが大きい。走塁や守備面はスキがない。もはや、どこにも死角が見当たりません」

戸田氏は対抗として「関東第一」を挙げる。

「44年ぶりとなる東東京3連覇。エース左腕の石井翔は横手から制球力とテンポの良さを武器に打たせて取る。安定感のある投球を披露します。準決勝で7回参考記録のノーヒットノーランを達成した2年生の高橋友朔は、同じ左腕でも本格派。決勝は三回までに10単打で6得点と打線の破壊力も抜群。さらに俊足ぞろいで、一塁走者は単打でも迷いなく三塁へ進む。そこから犠飛やスクイズなど多彩な攻撃で得点を重ねる。一昨年は全国準優勝、昨夏は8強。打倒・横浜の1番手ではないか」

アマチュア野球に詳しいスポーツライターの美山和也氏は対抗として「沖縄尚学」を推す。

「昨夏の甲子園を制した末吉良丞と新垣有絃の左右二枚看板は健在。末吉は左肘の故障明けですが、復調しています。センバツ1回戦では3つのエラーで帝京に敗れ、比嘉公也監督が徹底的に守備を鍛えたそうです。その結果、沖縄大会は5試合で無失策の堅守が光った。打力が課題でしたが、冬場から実戦的な練習を数多くこなしてきた成果が表れています。ソツのない野球ができるようになってきたので、昨夏の再現があるかもしれません」

日刊ゲンダイの「本命」「対抗」は…

本紙日刊ゲンダイが推すのは「神村学園」だ。某高校野球関係者がこう明かす。

「センバツで横浜を完封したエース右腕の龍頭汰樹は、今夏も抜群の安定感で鹿児島大会準々決勝までの3試合を5回3分の2で無失点。準決勝の尚志館戦は7回101球を投げて被安打6と苦しんだものの、それでも無失点。決勝の鹿児島実戦は2安打完封でした。主将の梶山侑孜が引っ張る打線も強力。2023年と24年の4強が最高成績だが、春に横浜を倒しているし、全国制覇まであと一歩のところまできています」

本紙が挙げる対抗は「花咲徳栄」だ。埼玉大会2回戦から4回戦まで2ケタ得点を叩き出すなど、圧倒的な攻撃力。5回戦以降もプロ注目のバッテリー、黒川凌大投手と佐伯真聡捕手を中心に安定した戦いで勝ち上がり、準決勝、決勝も1人で投げ抜いた。信頼できる投手が黒川だけというのは気になるが、センバツ8強で夏も勝ち上がってきただけに、地力がある。

甲子園大会は8月5日に開幕する。

📝選抜出場しても夏に勝ち上がる難しさ 4強が敗退、高校野球地方大会
https://news.yahoo.co.jp/articles/51986e93019cdf521da4b8a47a19557ecd5af25c

6月中旬から始まった第108回全国高校野球選手権地方大会の全3314試合が幕を閉じた。

この夏は、今春の選抜上位校の敗退が目立った。選抜で優勝した大阪桐蔭は大阪大会4回戦で大阪立命館、準優勝した智弁学園(奈良)は奈良大会3回戦で奈良大付に敗退した。専大松戸(千葉)、中京大中京(愛知)を含めて、その年の選抜4強すべてが地方大会で敗れるのは32年ぶりだった。8強で春夏連続出場は英明(香川)、花咲徳栄(埼玉)だけだ。

今春の選抜は出られなかったが、和歌山大会を3年連続で制した智弁和歌山の中谷仁監督は「選抜で勝つことに集中しすぎると、夏を見据えた冬の期間の強化がうまくいかなくなることがある」と話す。チーム作りの難しさを改めて感じさせられた。また、強豪が苦戦する要因には、データ分析をするチームの増加もあるだろう。ネット上で地方大会全試合が配信されるなど相手の情報が入手しやすくなった。チーム内で分析担当が定着するなど情報戦も進んでいる。

地方大会で初めて導入された指名打者(DH)制は多くのチームが採り入れ、甲子園に出場する49校で見ても48校が活用していた。一方で、地方大会を回り、暑さへの対策は、さらに議論を続ける必要があると感じた。

飲料水を大量にベンチに持ち込み、塩分タブレットを口にし、体温を下げるグッズを身につけるなど、どのチームもできる限りの対策を講じていた。暑さのピークを避けて試合を組んだり、1日あたりの試合数を減らしたりと、各地の高校野球連盟は大会運営を工夫している。

それでも、40度を超える気温が観測された地点もあり、指導者や地方大会役員らからは「現状のままでは厳しい」という声が聞こえてきた。地方大会の期間中に、プロ野球の2軍の試合で熱中症の疑いがある体調不良者が複数出て、試合が中止になったこともしっかりと受けとめなければいけない。

今夏の全国選手権大会は、暑さ対策のために、朝と午後に分ける2部制の時間帯に行う日程を拡大させて開催する。

📝「まるでPL学園」ユニフォームそっくり…PL学園OBがひそかに応援する“山口の私立高”とは? 清原和博の先輩“あの伝説的コーチ”が現地で奮闘していた
https://news.yahoo.co.jp/articles/7edf3c6ffd35d296ad5a2b3f4714ca725c225e93

2016年夏の大阪大会を最後に、事実上の廃部状態にあるPL学園。いま同校野球部OBが、“第二のPL”として熱い視線を送る高校が山口県にある。その理由を知るべく現地を訪ねた。

PL学園。甲子園で春夏7度の優勝を果たし、通算96勝を積み上げた名門校である。 2016年夏を最後に休部、事実上の廃部状態から10年経った今も、甲子園の季節がやってくると、自然とPL学園の面影が浮かび上がる。テレビ中継の合間に流れる過去の名勝負の映像はもちろんのこと、今春のセンバツにはPL黄金期を率いた中村順司元監督の孫の盛汰が、佐野日大の主将として出場。中村氏がスタンドで雄姿を見守る中、2安打を記録した。他にも、横浜、沖縄尚学など複数校で、PL学園OBの子息がベンチ入り。高校野球界に絶大なインパクトを残した名門の遺伝子は、今なお息づいている。

とりわけその血が色濃く受け継がれようとしているチームが存在する。山口県の私立、山口県鴻城だ。

そっくり…両校のユニフォーム
 
まずユニフォームに目を奪われる。1段目はブロック体のようなシンプルな書体で「KOJO」。2段目は、ややアーチがかった巨人と同じ花文字で「YAMAGUCHI」。かつて甲子園で数多の対戦相手を震え上がらせ、全国の野球少年を魅了した、あのユニフォームと瓜二つである。

「このユニフォームに変わった年に、公式戦で母校と対戦する機会があったんですけど、先輩や同級生から『似合ってたぞ』と連絡をもらいましたね」

こう語るのは、山口県鴻城の監督、田村智だ。知人たちがこぞって連絡したのは、田村が宇部商OBだからに他ならない。PLと宇部商。熱心な高校野球ファンならば、自然と「1985」という数字が思い浮かぶだろう。

1985年夏の甲子園、宇部商は決勝まで勝ち進むが、決勝で「KKコンビ」を擁するPLにサヨナラ負けを喫した。KK最後の夏をドラマチックに飾る幕切れだった。当時小学生だった田村もこの試合に魅了された野球少年の一人で、地元の宇部商に憧れるとともに、絶対王者のPLの「ファン」になったという。宇部商OBが、甲子園で激突したPLとそっくりなユニフォームに身を包む。知人たちは、その状況を興味津々で見つめていたのだった。

PL「伝説のコーチ」が総監督に…
 
たしかに、見れば見るほどそっくりだ。胸文字だけでなく、デザインの刷新にあたり、メーカーもPLが採用していたものに変更。本家と同じアイボリーの生地を採用している。さらに、左袖には「OGŌRI」。学校のあるJR新山口駅周辺を指す「小郡」のローマ字表記だが、本家の「OSAKA」と同じく「O」から始まるところも、PL学園を彷彿とさせる。

「そこ、ショートもあるで!」

校舎に隣接するグラウンドに、関西弁の指示がこだまする。かつてPLのグラウンドにも、幾度となく響いた声だ。声の主は、山口県鴻城の総監督を務める清水孝悦である。
清水はPLのOBで、KKの1学年先輩。在学時は主将を務め、卒業後は母校のコーチとして熱血指導で黄金期を支えた。その実績から、人は彼をこう呼ぶ。「伝説のコーチ」、はたまた「鬼軍曹」と。清水が総監督に就任した2024年から、学校の計らいもあり、限りなくPLに近いユニフォームに刷新された。

そもそも山口県鴻城とは?
 
山口県鴻城は1889年に創立。宇部鴻城とは学校法人を同じくする兄弟校で、県内では区別するために「県鴻城」と呼ばれる。

野球部は1915年創部。3度の夏の甲子園出場経験があるものの、1992年を最後に遠ざかる。近年は弟分の宇部鴻城の後塵を拝している状況だ。学校から清水に初めてコンタクトがあったのは、2023年の夏。夏の山口大会で敗れた直後だった。

               〈つづく〉
2026/07/30(木) 21時56分39秒 No.2555 編集 削除