自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」
👣南陵学園理事長の車が海へ転落し死亡…警察が駆けつけた段階で海面に浮いた車から「ドアが水圧で開けられない」、救助準備中に水没
https://news.yahoo.co.jp/articles/af3cfd935c1843e0c7c635664e275da09f46e27e
9日午後1時15分頃、和歌山県印南町印南の印南漁港で「車が海に落ちた」と近くにいた人から110番があった。警察や消防が駆けつけたところ、車が海面に浮いており、運転席の男性が「バックする時、アクセルとブレーキを踏み間違えた。ドアが水圧で開けられない」と説明し、救助準備中に車が水没。車内から男性が引き揚げられ、田辺市内の病院で死亡が確認された。
和歌山県警御坊署の発表によると、男性は和歌山南陵高校を運営する学校法人南陵学園(静岡県)理事長の甲斐三樹彦さん(54)だった。同署が詳しい経緯を調べている。
📝和歌山南陵・甲斐三樹彦理事長が逝去「活動が止まることは故人に反する」/発表全文
https://news.yahoo.co.jp/articles/05c052c06d6951b8cc0e6c6569baba933b9af041
和歌山南陵の公式インスタグラムは10日、理事長兼校長の甲斐三樹彦氏が逝去したことを発表した。「理事長・校長の甲斐三樹彦の逝去のおしらせ」と題した投稿文は、下記の通り。
「3月9日、当学園の理事長であり、本校校長の甲斐三樹彦が逝去したことをご報告いたします。故人は、生涯を通じて人を愛し、誰よりも学校を愛し、入学式や在校生の卒業式を心待ちにしておりました。教職員・生徒一同、深い悲しみに包まれておりますが、学校や生徒の活動が止まることは、故人の願いに反するものと考えております。
そのため、私たちはこれまで通り、通常の学校運営を続けてまいります。また、今後の学校経営につきましても、どうぞご心配なきようお願い申し上げます。
現在、警察による検証が進められており、事故の詳細については明らかになっておりません。検証中の事案であるため、推測に基づく情報や不確実な内容をお伝えすることはできません。詳細については警察の発表をお待ちください。なお、ご遺族の意向に最大限配慮し、慎重に対応してまいります。合わせて、本校教職員及び生徒保護者への取材等につきましては、心情に鑑み、ご遠慮くださいますようお願い申し上げます」
同校は経営難から新規生徒の募集を停止していたが、元経営コンサルタントの甲斐理事長が、経営再建に名乗り上げ、尽力していた。
24年夏には、同理事長が仕掛け人となり、レゲエ歌手のINFINITY16とWARSANを起用した新校歌「一歩前へ」が話題を集めた。同年は3年生のみ10人で和歌山大会に単独出場。同年秋に募集停止措置が解かれ、25年春には、22年以来の新入生12人(野球部6人、バスケットボール部5人、吹奏楽部1人)が入学。また、2年生1人が他県から転入し、野球部員は7人で再始動。昨夏、昨秋は連合チームで出場していた。
今年も新入生の入学を予定しており、野球部は今夏2年ぶりに、単独チームで県大会出場を目指しているところだった。
📝春季近畿地区高校野球大会の奈良県予選、33チームの対戦カード決まる…DH制を採用
https://www.yomiuri.co.jp/pluralphoto/20260310-GYO1I00160/
5月4日はなんと…準々決勝4試合がさとやくスタジアムで8時30分から4試合行われるとのこと!!
4月10日ならっきー球場の10時から3試合無料開放とともに観戦予定しております!
📣【2026年春のセンバツ】初戦の勝敗完全予想 大会屈指の好カード「神戸国際大付vs九州国際大付」は?
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/385006
3月19日に開幕するセンバツ高校野球の組み合わせ抽選会が6日に行われ、1回戦の対戦が決まった。センバツ連覇を目指す横浜は神村学園、昨夏に続く夏春連覇を狙う沖縄尚学は帝京と対戦。強豪校同士のつぶし合いが続出した1回戦全16試合の勝敗を占った。
【第1日=19日】
第1試合は16年ぶりの帝京と史上5校目の夏春連覇を目指す沖縄尚学の好カード。沖縄尚学は昨夏Vに貢献した末吉良丞と新垣有絃の左右二枚看板が残る。帝京も「スーパー1年生」のスラッガー・目代龍之介を擁するが、沖縄尚学が競り勝つ。
第2試合は中京大中京が阿南光を下す。
第3試合は八戸学院光星と崇徳の対戦。アマチュア野球に詳しいスポーツライターの美山和也氏がこう言う。
「八戸学院光星はエースで4番の北口晃大主将が大黒柱。崇徳も昨秋の中国大会4戦完投3完封の最速140キロ左腕・徳丸凜空が中心だが、総合力で上回る八戸学院光星が勝つと見ています」
【第2日=20日】
第1試合は滋賀学園が21世紀枠の長崎西を倒す。
第2試合は横浜が神村学園との初戦屈指の好カードを制す。横浜は最速154キロ右腕のドラフト1位候補の織田翔希を擁し、野手も小野舜友ら春夏の甲子園経験者が残りスキがない。23、24年夏の甲子園4強の神村学園は、参加校中2番目の打率.382の強力打線を擁するが、横浜が上回る。
第3試合は花巻東と智弁学園の強豪校対決。「智弁学園の最速149キロ左腕・杉本真滉は、昨秋の公式戦で47回3分の2を投げて68奪三振のドクターK。逢坂悠誠が4番を務め、太田蓮、主将の角谷哲人の中軸は強力。東北を制した花巻東も古城大翔と赤間史弥を擁する打線が強力ですが、智弁学園が上回ると思います」(前出の美山氏)
【第3日=21日】
第1試合は花咲徳栄が東洋大姫路を下す。
第2試合は日本文理が21世紀枠の高知農を倒す。
第3試合は試合巧者の専大松戸が島田爽介、中谷嘉希の二枚看板を擁する北照に勝つ。
【第4日=22日】
第1試合は神戸国際大付と九州国際大付の昨秋の明治神宮大会決勝の再戦。高校野球雑誌「ホームラン」の元編集長・戸田道男氏がこう言った。
「明治神宮大会を制した九国は今大会の優勝候補ですが、プロ注目の主力選手が校則違反で出場停止。他にも好左腕がいたりと層は厚いが、まとまりを欠く可能性がある。神戸は明治神宮大会3試合5本塁打の強力打線。九国がベストメンバーでないなら、神戸がリベンジすると見ています」
第2試合は近江が大垣日大に勝つ。
第3試合は関東王者で最速152キロ右腕・菰田陽生を擁する山梨学院が長崎日大を下す。
【第5日=23日】
第1試合は初出場の帝京長岡が東北を下す。
第2試合は英明が高川学園を倒す。
第3試合は三重が佐野日大に勝つ。
【第6日=24日】
第1試合は熊本工と大阪桐蔭の対戦。「大阪桐蔭が初戦を突破するでしょう。1回戦最後に登場するのは計4度目でゲンがいい。13年は3回戦敗退も17年は徳山壮磨(元DeNA)や根尾昂(中日)を擁し、決勝では履正社を倒して優勝。22年も前田悠伍(ソフトバンク)らを擁して優勝。後半は過密日程になりますが、強さを発揮しています」とは前出の戸田氏だ。
📝持丸修一 77歳名将の高校野球論
やっぱり7回制に異議あり!(上) 高野連が「働き方改革」を持ち出す圧倒的違和感
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/384169
3月19日に開幕する春のセンバツへ向けて調整を進めながらも、胸の奥には拭い切れないモヤモヤとした感情があります。「高校野球は2028年春から7回制を導入か」といった、あたかもそれが既定路線であるかのような報道を目にするようになったからです。ちょうど1年前の当コラムでも7回制について触れ、「それだけはやめてほしい」と申し上げました。当時、私が挙げた理由は次の3点です。
・高校野球の醍醐味は七回、八回、九回に凝縮されている。
・選手の出場機会も限られてしまう。
・高校球児で大学野球に進むのは2割未満。9回制を経験できないままユニホームを脱ぐ選手が量産されてしまう。
これらを踏まえ、野球の未来を狭めかねないと危惧しました。その考えは一貫して今も変わっていません。大阪桐蔭の西谷浩一監督もメディアを通して「議論の余地もなく、まったく反対。あり得ないし、間違っている」と訴えています。
高野連公表のアンケート結果によれば、加盟校のうち「賛成」は20.8%、「反対」は70.1%。このような状況でなぜ7回制導入の機運が高まっているのでしょうか。正直、腑に落ちません。
高野連がリリースした「『7イニング制等高校野球の諸課題検討会議』結果報告」には、導入すべき主な理由として「熱中症対策」「試合時間短縮」「ケガ予防」に加え、「指導者の働き方改革」が挙げられていました。前者3点については、まだわかる部分もある。しかし「働き方改革」まで含めることに、どうしても違和感を覚えます。
周囲の事情で顧問を引き受けざるを得ないケースもあるでしょう。しかしそれは各学校や組織の体制の問題であり、高野連が「働き方改革」などとはやりの言葉を持ち出して、競技そのものの根幹を変えるのは道理が違うのではないか。
時代が変わっても、好きでグラウンドに立っている指導者は数えきれないほどいます。まだまだ反対の理由は尽きません。次回は、「選手ファースト」「危機管理」の視点からお話しいたします。
☝年男のゲン担ぎ、沖田監督が勝利決意 三重高校に選抜旗授与 選抜高校野球
https://news.yahoo.co.jp/articles/3d9798988eeb6e9378cc8fa18da0516b99d17327
19日に阪神甲子園球場で開幕する、第98回選抜高校野球大会に、東海地区代表として出場する三重高校で9日、選抜旗の授与式と、硬式野球部の壮行会が行われた。
硬式野球部は、昨年秋の東海大会で準優勝して、8年ぶり14回目の春の甲子園出場を決めた。大会第5日(23日予定)の1回戦で佐野日大(栃木)と初戦を戦う。
在校生のほか、中学生、教職員ら約1000人が見守る中、神崎校長から、開会式の入場行進で掲げる選抜旗を受け取った主将の大西新史捕手(2年)は「投手陣を中心とした堅い守備とつながりのある攻撃で、一戦必勝で、優勝目指して頑張ります」と表情を引き締めた。
春夏通算では28回目の甲子園出場。準優勝を果たした、12年前の夏の甲子園で、当時の監督、部長が、午年生まれの年男だったと語る沖田展男監督は、「私も部長も干支と同じ午年(生まれ)。ゲンも担ぎながら、一戦一戦戦っていきたい」とユーモアも交え、決意を新たにした。
☟プロ注目の近江・上田 課題露呈4回3失点 NPB2球団スカウト視察 昨年3月勇退の多賀前監督も見守る
https://news.yahoo.co.jp/articles/b0eab5575cd97684c17323df9bd2e6f2c830b2c5
「練習試合、近江7-4東山」(9日、近江グラウンド)
センバツに出場する近江のプロ注目右腕・上田健介投手(2年)が9日、練習試合に先発した。7日にも登板しており、中1日のマウンド。NPB2球団のスカウトが視察に訪れた中、初回は三者凡退で順調に立ち上がった。
二回は先頭の四球から1死二塁のピンチを招くも、後続は打たせて取るピッチングでゼロに。三回は再び3人で料理した。しかし、四回は3連打を浴びるなど打ち込まれ、4回4安打3失点。1四球も全体的にボール先行が目立ち、「しっかりコントロールできるようにしたい」と力を込めた。
小森博之監督(42)が課題としたのが、ミスがあったフィールディング。「(初戦の)大垣日大さんは小技、足を絡めてきますので」とより守りが大切になってくる。この日は昨年3月に勇退した名将・多賀章仁前監督(66)も試合を見守った。上田を含めた4人を「鍵を握る選手」に挙げ、「初戦が、甲子園で勝ち上がれるかどうかを左右する。そこでそういった核の選手が大車輪の活躍をするとチームが乗っていく」と期待を込めた。22日の初戦までは約2週間。命運を握るエースがいい準備を進めていく。
🎤【馬淵史郎 我が道10】初出場 都市対抗8強、日本選手権準優勝も「俺は辞める」
https://news.yahoo.co.jp/articles/99a81f0adf160893ddd816c2a8b4291c065cd840
27歳で社会人野球の阿部企業の監督に就任した。環境には恵まれないし、仕事はハード、おまけに選手は故障持ち。ないない尽くしのチームだったが、「何とかひと勝負したい」という雑草魂はみんなが持っていた。なにくそ、の思いがチームの原動力になった。
バットを振り込ませていくと、徹夜仕事で鍛えられた体力から鋭い打球が出るようになった。試合にも少しずつ勝てるようになってきた。実績がなくても、その気になったら、やる気になったら何とかなる。恩師の田内さんの言葉も思い出しながらチームを引っ張った。
社長に「一度、都市対抗に出ましょう」と補強を直訴し、台湾を視察したときに出会ったのが右下手投げの陽介仁と外野手の林易増だった。世界の野球事情に詳しい山本英一郎さん(のちに野球殿堂入り)にも契約の際に協力いただき、1986年(昭61)に2人が加わった。課題だった投手陣に柱ができたことで、悲願の都市対抗出場を果たした。劣悪な環境からよく選手たちもやってくれた。
都市対抗では初勝利に向けて、情報戦もやったよ。初戦の相手は優勝候補の三菱自動車川崎。三菱グループからの補強選手に「先発を聞かれたら陽だと言っとけ」と煙幕を張って、左打者を並べてきた相手に、補強選手の左腕・岡本透(元大洋)を先発させ、7回1死まで無失点に抑えて番狂わせの勝利。準々決勝では日本石油に3―10で負けたが、初出場でベスト8入りを果たした。2回戦では主戦の陽が走者のときに、相手野手に当たられて、ベンチを飛び出し乱闘騒ぎ。厳重注意も食らった。これぞ神戸の暴れん坊軍団やったな。
その中でカチンときたことがあった。初戦で岡本が好投しているときに、ベンチ裏に社長が来た。「陽を投げさせろ」と言う。選手起用は監督の専権事項。いくら自分が金を出したからといって、用兵まで口を出されてはたまらない。勝ったら勝ったで「応援にも金がかかる」なんて声が聞こえてきた。介入されてまで、監督は続けられない。「このシーズンで俺は辞める」と選手の前で宣言した。
最後の大会が86年に大阪球場で行われた日本選手権。腹はくくっていたし、選手には「好きなようにやれ」とだけ言って送り出した。徹夜のガードマン仕事に比べたら、全国大会は天国。選手たちも「やったるわ」と暴れてくれた。
2回戦からの出場で、三菱自動車水島に9―3で勝つと、準々決勝は三菱自動車京都に6―1、準決勝は川崎製鉄神戸に4―1。初出場であれよあれよと決勝進出。「あんなチームに」と言われ続けた男たちが意地を見せた。
決勝ではNTT東海に1―5で負けたが、準優勝は立派のひとこと。社長とも衝突してしまったが、何も実績のない監督と選手たちにチャンスを与えてくれたことには感謝している。
📝「選ばれる強豪」「選ばれなくなる強豪」…高校野球“総合力の時代”が始まった
https://news.yahoo.co.jp/articles/afd14c52d0369846fe348ee48406c4db02486d55?page=1
アマチュアスポーツの中でも特別な存在感を放つ高校野球が、いま転換点にある。7回制導入の議論が続く一方で、強豪校による不祥事が相次ぎ、高校野球のあり方そのものが問われる局面も増えている。
強豪校の三条件
昨夏の甲子園期間中には広陵で部内暴行事案が発覚し、出場辞退という異例の事態に発展した。さらに今春には、昨夏準優勝の日大三でも部員による不適切行為が明るみに出て、活動休止となった。
いずれも伝統ある強豪校であり、地域を代表する存在だった。それだけに衝撃は大きい。しかしその一方で、有望な中学生が特定の学校へと集まる傾向はむしろ強まっている。選択肢が多い時代にあっても、学校選びの基準はより明確になっているのだ。
現代高校野球の勢力図を形作る要素は大きく三つある。第一に「甲子園出場の確率」。第二に「進路実績」。第三に「設備・指導体制」である。いわば“強豪校の三条件”だ。
甲子園は依然として球児最大の目標であり、保護者にとっても重要な指標である。安定した強さを誇る学校は、それだけで優位に立つ。加えて、東京六大学や東都大学、さらにはプロへと続く明確な進路ルートを持つ学校は“安心材料”となる。そしてトレーニング施設や寮環境、専門スタッフの充実度も無視できない。
この三条件を高水準で満たしている代表例が山梨学院、健大高崎、仙台育英である。いずれも過去10年で全国制覇を経験し、甲子園出場回数も安定しており、大学進学実績は豊富で、環境整備にも積極的だ。
「選手とその保護者がまず重視するのは、甲子園に出場できるかという点です。高校野球のあり方がいろいろと言われていますが、球児のあこがれ、目標という意味で、甲子園という存在はまだまだ大きいですね。そうなると、県内で圧倒的な立場にある高校が自然と人気になります。もう一つ大きいのは進路の面です。これは特に保護者の方が気にするところですが、有名大学に多くの選手が進んでいる高校はやはり選ばれやすい。野球だけでなく、その先まで見据えた判断が増えています。そして最後は設備面と指導体制でしょう。昔のように下級生は雑用が中心で、寮生活は苦行というチームは減っていますが、それ以上に、どれだけ整った環境を備えているかが問われる時代です」(ある中学野球指導者)
横浜高校というブランドの力
ただ、この三つの要素がすべて高い水準でそろっていなくても、有望選手から選ばれているチームは存在する。その筆頭格と言えるのが横浜だろう。
2015年夏に長く指揮を執った渡辺元智監督が退任して以降、甲子園出場は果たしながらもあと一歩で勝ち切れない大会が続き、県内のライバルである東海大相模の後塵を拝することも少なくなかった。それでも昨春の選抜では19年ぶりの優勝を達成。今季もプロ注目のエース・織田翔希をはじめ、中学時代から将来を嘱望された選手を数多く擁している。
しかしながら、横浜は全国屈指の激戦区・神奈川に属するがために、甲子園出場の難易度は、前述の3校と比べても決して低くない。進路面を見ても、昨年主将を務めた阿部葉太が早稲田大へ進学したものの、同校野球部からの進学は初めてのケースであり、“出口の強さ”で群を抜いているわけではない。それでも有望選手が集まる背景には、「ブランド力」という第四の要素がある。
「やはり横浜高校というブランドの力は大きいですね。特にいまの中学生の親世代は、松坂大輔(元西武など)が大活躍し、春夏連覇を達成した当時の印象が強く残っています。あのユニフォームを着てみたいという憧れを、親から子へと受け継いでいるケースも少なくないと思います。それに神奈川県の高校野球人気は非常に高く、地方大会でも横浜スタジアムが満員になることがある。あのような舞台でプレーできるということ自体に魅力を感じている選手も多いのではないでしょうか」(同)
夏の甲子園大会が第100回の節目を迎えた2018年には、現役プロ野球選手が母校のユニフォームを着用し、球児へビデオメッセージを送る企画が行われた。その際、大島洋平(中日、享栄出身)は、チームメートで横浜出身の福田永将の姿を見て、「(ユニフォームの)オーラが凄い」と語っている。横浜のユニフォームが放つ存在感は、世代や立場を超えて共有されており、野球界において「横浜」というブランドが確立している証拠だと言える。
「選ばれる強豪」と「選ばれなくなる強豪」の分岐点
ここまで4校を取り上げてきたが、今後一気に人気が高まりそうな存在もある。大谷翔平(ドジャース)の母校として知られる花巻東だ。これまで同校は、基本的に地元・岩手出身の選手を中心にチームを編成してきた。しかし昨年から方針を転換。この4月には全国から実力ある選手が入学してくるという。勢力図に変化をもたらす可能性がある動きと言える。もっとも、人気上昇の理由は単に大谷の存在だけではないようだ。
「もちろん、大谷翔平や菊池雄星(エンゼルス)の存在は大きいですが、それだけではありません。設備は当然素晴らしいですし、甲子園に出場できるチャンスも比較的多い。そうした土台はしっかりしています。さらに進路面でも、東大に合格する選手が出たり、佐々木麟太郎のように米スタンフォード大へ進むケースがあったりと、他校にはあまり見られない実績がある。野球の先にある選択肢を示している点は大きいと思います。佐々木洋監督の、高校野球の枠にとどまらない柔軟な考え方に魅力を感じている選手や保護者も多いようです。それに、いまだ成し遂げられていない『岩手から日本一』を達成したいという思いで入学を志す選手も少なくないのではないでしょうか」(前出の中学野球指導者)
花巻市には、2024年のドラフトで史上最多となる6人が指名された富士大がある。花巻東は同大と頻繁にオープン戦を行い、実戦を通じてレベルアップを図っている。高校と大学というカテゴリーを越えた交流が日常的に行われている点も、他校にはない強みの一つだろう。
今回は5校を取り上げたが、勢力図はなお流動的だ。昨春の選抜では創部3年のエナジックスポーツが初出場を果たし、話題を集めた。また今年4月には、大手進学塾を運営する四谷学院が通信制高校として野球部を創部するなど、新たな“プレーヤー”の参入も続いている。
少子化が進む時代にあって、野球部の存在は競技力のみならず学校経営やブランド戦略とも直結する。甲子園、進路、育成環境、そしてブランド力――。それらをいかに備えるかが、これからの高校野球における“盟主”を決める指標となるのではないか。
しかし同時に、どれほど伝統を誇る学校であっても、その評価は決して不変ではない。昨夏の広陵、今春の日大三の不祥事が示したのは、実績や歴史だけでは信頼を守り切れない現実だ。選ばれる強豪であり続けるために求められるのは、健全な運営と透明性を備えた“総合力”である。「選ばれる強豪」と「選ばれなくなる強豪」。その分岐点は、すでに見え始めている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/af3cfd935c1843e0c7c635664e275da09f46e27e
9日午後1時15分頃、和歌山県印南町印南の印南漁港で「車が海に落ちた」と近くにいた人から110番があった。警察や消防が駆けつけたところ、車が海面に浮いており、運転席の男性が「バックする時、アクセルとブレーキを踏み間違えた。ドアが水圧で開けられない」と説明し、救助準備中に車が水没。車内から男性が引き揚げられ、田辺市内の病院で死亡が確認された。
和歌山県警御坊署の発表によると、男性は和歌山南陵高校を運営する学校法人南陵学園(静岡県)理事長の甲斐三樹彦さん(54)だった。同署が詳しい経緯を調べている。
📝和歌山南陵・甲斐三樹彦理事長が逝去「活動が止まることは故人に反する」/発表全文
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24年夏には、同理事長が仕掛け人となり、レゲエ歌手のINFINITY16とWARSANを起用した新校歌「一歩前へ」が話題を集めた。同年は3年生のみ10人で和歌山大会に単独出場。同年秋に募集停止措置が解かれ、25年春には、22年以来の新入生12人(野球部6人、バスケットボール部5人、吹奏楽部1人)が入学。また、2年生1人が他県から転入し、野球部員は7人で再始動。昨夏、昨秋は連合チームで出場していた。
今年も新入生の入学を予定しており、野球部は今夏2年ぶりに、単独チームで県大会出場を目指しているところだった。
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3月19日に開幕するセンバツ高校野球の組み合わせ抽選会が6日に行われ、1回戦の対戦が決まった。センバツ連覇を目指す横浜は神村学園、昨夏に続く夏春連覇を狙う沖縄尚学は帝京と対戦。強豪校同士のつぶし合いが続出した1回戦全16試合の勝敗を占った。
【第1日=19日】
第1試合は16年ぶりの帝京と史上5校目の夏春連覇を目指す沖縄尚学の好カード。沖縄尚学は昨夏Vに貢献した末吉良丞と新垣有絃の左右二枚看板が残る。帝京も「スーパー1年生」のスラッガー・目代龍之介を擁するが、沖縄尚学が競り勝つ。
第2試合は中京大中京が阿南光を下す。
第3試合は八戸学院光星と崇徳の対戦。アマチュア野球に詳しいスポーツライターの美山和也氏がこう言う。
「八戸学院光星はエースで4番の北口晃大主将が大黒柱。崇徳も昨秋の中国大会4戦完投3完封の最速140キロ左腕・徳丸凜空が中心だが、総合力で上回る八戸学院光星が勝つと見ています」
【第2日=20日】
第1試合は滋賀学園が21世紀枠の長崎西を倒す。
第2試合は横浜が神村学園との初戦屈指の好カードを制す。横浜は最速154キロ右腕のドラフト1位候補の織田翔希を擁し、野手も小野舜友ら春夏の甲子園経験者が残りスキがない。23、24年夏の甲子園4強の神村学園は、参加校中2番目の打率.382の強力打線を擁するが、横浜が上回る。
第3試合は花巻東と智弁学園の強豪校対決。「智弁学園の最速149キロ左腕・杉本真滉は、昨秋の公式戦で47回3分の2を投げて68奪三振のドクターK。逢坂悠誠が4番を務め、太田蓮、主将の角谷哲人の中軸は強力。東北を制した花巻東も古城大翔と赤間史弥を擁する打線が強力ですが、智弁学園が上回ると思います」(前出の美山氏)
【第3日=21日】
第1試合は花咲徳栄が東洋大姫路を下す。
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第3試合は試合巧者の専大松戸が島田爽介、中谷嘉希の二枚看板を擁する北照に勝つ。
【第4日=22日】
第1試合は神戸国際大付と九州国際大付の昨秋の明治神宮大会決勝の再戦。高校野球雑誌「ホームラン」の元編集長・戸田道男氏がこう言った。
「明治神宮大会を制した九国は今大会の優勝候補ですが、プロ注目の主力選手が校則違反で出場停止。他にも好左腕がいたりと層は厚いが、まとまりを欠く可能性がある。神戸は明治神宮大会3試合5本塁打の強力打線。九国がベストメンバーでないなら、神戸がリベンジすると見ています」
第2試合は近江が大垣日大に勝つ。
第3試合は関東王者で最速152キロ右腕・菰田陽生を擁する山梨学院が長崎日大を下す。
【第5日=23日】
第1試合は初出場の帝京長岡が東北を下す。
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【第6日=24日】
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📝持丸修一 77歳名将の高校野球論
やっぱり7回制に異議あり!(上) 高野連が「働き方改革」を持ち出す圧倒的違和感
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/384169
3月19日に開幕する春のセンバツへ向けて調整を進めながらも、胸の奥には拭い切れないモヤモヤとした感情があります。「高校野球は2028年春から7回制を導入か」といった、あたかもそれが既定路線であるかのような報道を目にするようになったからです。ちょうど1年前の当コラムでも7回制について触れ、「それだけはやめてほしい」と申し上げました。当時、私が挙げた理由は次の3点です。
・高校野球の醍醐味は七回、八回、九回に凝縮されている。
・選手の出場機会も限られてしまう。
・高校球児で大学野球に進むのは2割未満。9回制を経験できないままユニホームを脱ぐ選手が量産されてしまう。
これらを踏まえ、野球の未来を狭めかねないと危惧しました。その考えは一貫して今も変わっていません。大阪桐蔭の西谷浩一監督もメディアを通して「議論の余地もなく、まったく反対。あり得ないし、間違っている」と訴えています。
高野連公表のアンケート結果によれば、加盟校のうち「賛成」は20.8%、「反対」は70.1%。このような状況でなぜ7回制導入の機運が高まっているのでしょうか。正直、腑に落ちません。
高野連がリリースした「『7イニング制等高校野球の諸課題検討会議』結果報告」には、導入すべき主な理由として「熱中症対策」「試合時間短縮」「ケガ予防」に加え、「指導者の働き方改革」が挙げられていました。前者3点については、まだわかる部分もある。しかし「働き方改革」まで含めることに、どうしても違和感を覚えます。
周囲の事情で顧問を引き受けざるを得ないケースもあるでしょう。しかしそれは各学校や組織の体制の問題であり、高野連が「働き方改革」などとはやりの言葉を持ち出して、競技そのものの根幹を変えるのは道理が違うのではないか。
時代が変わっても、好きでグラウンドに立っている指導者は数えきれないほどいます。まだまだ反対の理由は尽きません。次回は、「選手ファースト」「危機管理」の視点からお話しいたします。
☝年男のゲン担ぎ、沖田監督が勝利決意 三重高校に選抜旗授与 選抜高校野球
https://news.yahoo.co.jp/articles/3d9798988eeb6e9378cc8fa18da0516b99d17327
19日に阪神甲子園球場で開幕する、第98回選抜高校野球大会に、東海地区代表として出場する三重高校で9日、選抜旗の授与式と、硬式野球部の壮行会が行われた。
硬式野球部は、昨年秋の東海大会で準優勝して、8年ぶり14回目の春の甲子園出場を決めた。大会第5日(23日予定)の1回戦で佐野日大(栃木)と初戦を戦う。
在校生のほか、中学生、教職員ら約1000人が見守る中、神崎校長から、開会式の入場行進で掲げる選抜旗を受け取った主将の大西新史捕手(2年)は「投手陣を中心とした堅い守備とつながりのある攻撃で、一戦必勝で、優勝目指して頑張ります」と表情を引き締めた。
春夏通算では28回目の甲子園出場。準優勝を果たした、12年前の夏の甲子園で、当時の監督、部長が、午年生まれの年男だったと語る沖田展男監督は、「私も部長も干支と同じ午年(生まれ)。ゲンも担ぎながら、一戦一戦戦っていきたい」とユーモアも交え、決意を新たにした。
☟プロ注目の近江・上田 課題露呈4回3失点 NPB2球団スカウト視察 昨年3月勇退の多賀前監督も見守る
https://news.yahoo.co.jp/articles/b0eab5575cd97684c17323df9bd2e6f2c830b2c5
「練習試合、近江7-4東山」(9日、近江グラウンド)
センバツに出場する近江のプロ注目右腕・上田健介投手(2年)が9日、練習試合に先発した。7日にも登板しており、中1日のマウンド。NPB2球団のスカウトが視察に訪れた中、初回は三者凡退で順調に立ち上がった。
二回は先頭の四球から1死二塁のピンチを招くも、後続は打たせて取るピッチングでゼロに。三回は再び3人で料理した。しかし、四回は3連打を浴びるなど打ち込まれ、4回4安打3失点。1四球も全体的にボール先行が目立ち、「しっかりコントロールできるようにしたい」と力を込めた。
小森博之監督(42)が課題としたのが、ミスがあったフィールディング。「(初戦の)大垣日大さんは小技、足を絡めてきますので」とより守りが大切になってくる。この日は昨年3月に勇退した名将・多賀章仁前監督(66)も試合を見守った。上田を含めた4人を「鍵を握る選手」に挙げ、「初戦が、甲子園で勝ち上がれるかどうかを左右する。そこでそういった核の選手が大車輪の活躍をするとチームが乗っていく」と期待を込めた。22日の初戦までは約2週間。命運を握るエースがいい準備を進めていく。
🎤【馬淵史郎 我が道10】初出場 都市対抗8強、日本選手権準優勝も「俺は辞める」
https://news.yahoo.co.jp/articles/99a81f0adf160893ddd816c2a8b4291c065cd840
27歳で社会人野球の阿部企業の監督に就任した。環境には恵まれないし、仕事はハード、おまけに選手は故障持ち。ないない尽くしのチームだったが、「何とかひと勝負したい」という雑草魂はみんなが持っていた。なにくそ、の思いがチームの原動力になった。
バットを振り込ませていくと、徹夜仕事で鍛えられた体力から鋭い打球が出るようになった。試合にも少しずつ勝てるようになってきた。実績がなくても、その気になったら、やる気になったら何とかなる。恩師の田内さんの言葉も思い出しながらチームを引っ張った。
社長に「一度、都市対抗に出ましょう」と補強を直訴し、台湾を視察したときに出会ったのが右下手投げの陽介仁と外野手の林易増だった。世界の野球事情に詳しい山本英一郎さん(のちに野球殿堂入り)にも契約の際に協力いただき、1986年(昭61)に2人が加わった。課題だった投手陣に柱ができたことで、悲願の都市対抗出場を果たした。劣悪な環境からよく選手たちもやってくれた。
都市対抗では初勝利に向けて、情報戦もやったよ。初戦の相手は優勝候補の三菱自動車川崎。三菱グループからの補強選手に「先発を聞かれたら陽だと言っとけ」と煙幕を張って、左打者を並べてきた相手に、補強選手の左腕・岡本透(元大洋)を先発させ、7回1死まで無失点に抑えて番狂わせの勝利。準々決勝では日本石油に3―10で負けたが、初出場でベスト8入りを果たした。2回戦では主戦の陽が走者のときに、相手野手に当たられて、ベンチを飛び出し乱闘騒ぎ。厳重注意も食らった。これぞ神戸の暴れん坊軍団やったな。
その中でカチンときたことがあった。初戦で岡本が好投しているときに、ベンチ裏に社長が来た。「陽を投げさせろ」と言う。選手起用は監督の専権事項。いくら自分が金を出したからといって、用兵まで口を出されてはたまらない。勝ったら勝ったで「応援にも金がかかる」なんて声が聞こえてきた。介入されてまで、監督は続けられない。「このシーズンで俺は辞める」と選手の前で宣言した。
最後の大会が86年に大阪球場で行われた日本選手権。腹はくくっていたし、選手には「好きなようにやれ」とだけ言って送り出した。徹夜のガードマン仕事に比べたら、全国大会は天国。選手たちも「やったるわ」と暴れてくれた。
2回戦からの出場で、三菱自動車水島に9―3で勝つと、準々決勝は三菱自動車京都に6―1、準決勝は川崎製鉄神戸に4―1。初出場であれよあれよと決勝進出。「あんなチームに」と言われ続けた男たちが意地を見せた。
決勝ではNTT東海に1―5で負けたが、準優勝は立派のひとこと。社長とも衝突してしまったが、何も実績のない監督と選手たちにチャンスを与えてくれたことには感謝している。
📝「選ばれる強豪」「選ばれなくなる強豪」…高校野球“総合力の時代”が始まった
https://news.yahoo.co.jp/articles/afd14c52d0369846fe348ee48406c4db02486d55?page=1
アマチュアスポーツの中でも特別な存在感を放つ高校野球が、いま転換点にある。7回制導入の議論が続く一方で、強豪校による不祥事が相次ぎ、高校野球のあり方そのものが問われる局面も増えている。
強豪校の三条件
昨夏の甲子園期間中には広陵で部内暴行事案が発覚し、出場辞退という異例の事態に発展した。さらに今春には、昨夏準優勝の日大三でも部員による不適切行為が明るみに出て、活動休止となった。
いずれも伝統ある強豪校であり、地域を代表する存在だった。それだけに衝撃は大きい。しかしその一方で、有望な中学生が特定の学校へと集まる傾向はむしろ強まっている。選択肢が多い時代にあっても、学校選びの基準はより明確になっているのだ。
現代高校野球の勢力図を形作る要素は大きく三つある。第一に「甲子園出場の確率」。第二に「進路実績」。第三に「設備・指導体制」である。いわば“強豪校の三条件”だ。
甲子園は依然として球児最大の目標であり、保護者にとっても重要な指標である。安定した強さを誇る学校は、それだけで優位に立つ。加えて、東京六大学や東都大学、さらにはプロへと続く明確な進路ルートを持つ学校は“安心材料”となる。そしてトレーニング施設や寮環境、専門スタッフの充実度も無視できない。
この三条件を高水準で満たしている代表例が山梨学院、健大高崎、仙台育英である。いずれも過去10年で全国制覇を経験し、甲子園出場回数も安定しており、大学進学実績は豊富で、環境整備にも積極的だ。
「選手とその保護者がまず重視するのは、甲子園に出場できるかという点です。高校野球のあり方がいろいろと言われていますが、球児のあこがれ、目標という意味で、甲子園という存在はまだまだ大きいですね。そうなると、県内で圧倒的な立場にある高校が自然と人気になります。もう一つ大きいのは進路の面です。これは特に保護者の方が気にするところですが、有名大学に多くの選手が進んでいる高校はやはり選ばれやすい。野球だけでなく、その先まで見据えた判断が増えています。そして最後は設備面と指導体制でしょう。昔のように下級生は雑用が中心で、寮生活は苦行というチームは減っていますが、それ以上に、どれだけ整った環境を備えているかが問われる時代です」(ある中学野球指導者)
横浜高校というブランドの力
ただ、この三つの要素がすべて高い水準でそろっていなくても、有望選手から選ばれているチームは存在する。その筆頭格と言えるのが横浜だろう。
2015年夏に長く指揮を執った渡辺元智監督が退任して以降、甲子園出場は果たしながらもあと一歩で勝ち切れない大会が続き、県内のライバルである東海大相模の後塵を拝することも少なくなかった。それでも昨春の選抜では19年ぶりの優勝を達成。今季もプロ注目のエース・織田翔希をはじめ、中学時代から将来を嘱望された選手を数多く擁している。
しかしながら、横浜は全国屈指の激戦区・神奈川に属するがために、甲子園出場の難易度は、前述の3校と比べても決して低くない。進路面を見ても、昨年主将を務めた阿部葉太が早稲田大へ進学したものの、同校野球部からの進学は初めてのケースであり、“出口の強さ”で群を抜いているわけではない。それでも有望選手が集まる背景には、「ブランド力」という第四の要素がある。
「やはり横浜高校というブランドの力は大きいですね。特にいまの中学生の親世代は、松坂大輔(元西武など)が大活躍し、春夏連覇を達成した当時の印象が強く残っています。あのユニフォームを着てみたいという憧れを、親から子へと受け継いでいるケースも少なくないと思います。それに神奈川県の高校野球人気は非常に高く、地方大会でも横浜スタジアムが満員になることがある。あのような舞台でプレーできるということ自体に魅力を感じている選手も多いのではないでしょうか」(同)
夏の甲子園大会が第100回の節目を迎えた2018年には、現役プロ野球選手が母校のユニフォームを着用し、球児へビデオメッセージを送る企画が行われた。その際、大島洋平(中日、享栄出身)は、チームメートで横浜出身の福田永将の姿を見て、「(ユニフォームの)オーラが凄い」と語っている。横浜のユニフォームが放つ存在感は、世代や立場を超えて共有されており、野球界において「横浜」というブランドが確立している証拠だと言える。
「選ばれる強豪」と「選ばれなくなる強豪」の分岐点
ここまで4校を取り上げてきたが、今後一気に人気が高まりそうな存在もある。大谷翔平(ドジャース)の母校として知られる花巻東だ。これまで同校は、基本的に地元・岩手出身の選手を中心にチームを編成してきた。しかし昨年から方針を転換。この4月には全国から実力ある選手が入学してくるという。勢力図に変化をもたらす可能性がある動きと言える。もっとも、人気上昇の理由は単に大谷の存在だけではないようだ。
「もちろん、大谷翔平や菊池雄星(エンゼルス)の存在は大きいですが、それだけではありません。設備は当然素晴らしいですし、甲子園に出場できるチャンスも比較的多い。そうした土台はしっかりしています。さらに進路面でも、東大に合格する選手が出たり、佐々木麟太郎のように米スタンフォード大へ進むケースがあったりと、他校にはあまり見られない実績がある。野球の先にある選択肢を示している点は大きいと思います。佐々木洋監督の、高校野球の枠にとどまらない柔軟な考え方に魅力を感じている選手や保護者も多いようです。それに、いまだ成し遂げられていない『岩手から日本一』を達成したいという思いで入学を志す選手も少なくないのではないでしょうか」(前出の中学野球指導者)
花巻市には、2024年のドラフトで史上最多となる6人が指名された富士大がある。花巻東は同大と頻繁にオープン戦を行い、実戦を通じてレベルアップを図っている。高校と大学というカテゴリーを越えた交流が日常的に行われている点も、他校にはない強みの一つだろう。
今回は5校を取り上げたが、勢力図はなお流動的だ。昨春の選抜では創部3年のエナジックスポーツが初出場を果たし、話題を集めた。また今年4月には、大手進学塾を運営する四谷学院が通信制高校として野球部を創部するなど、新たな“プレーヤー”の参入も続いている。
少子化が進む時代にあって、野球部の存在は競技力のみならず学校経営やブランド戦略とも直結する。甲子園、進路、育成環境、そしてブランド力――。それらをいかに備えるかが、これからの高校野球における“盟主”を決める指標となるのではないか。
しかし同時に、どれほど伝統を誇る学校であっても、その評価は決して不変ではない。昨夏の広陵、今春の日大三の不祥事が示したのは、実績や歴史だけでは信頼を守り切れない現実だ。選ばれる強豪であり続けるために求められるのは、健全な運営と透明性を備えた“総合力”である。「選ばれる強豪」と「選ばれなくなる強豪」。その分岐点は、すでに見え始めている。
第2話 夢の対決実現! やくざ監督VS文武別道・坂原監督 炎のクセ強対決!!
10/25 秋季中国大会初日第2試合 松江市営球場 開星(島根②)-下関国際(山口②) 14:30~16:35
一二三四五六七八九十計HE
下関国際0010000 140 宮本、高園-田中
開 星0101402x 8111 篠田、松浦-松本七
第一試合
広 島 商7
米 子 東2
早くも山陰勢7校のうち米子東・出雲商が開幕試合で姿を消してしまった・・・・・。どうやら出雲商も地元の浜山でブラスバンドの応援が駆け付けたらしいが、あっさり広島野球の後塵を拝してしまったようで、、、、、
島根の外野席は芝生席だが、なぜかしら浜山は常時解放されているが、松江は立ち入り禁止らしい↓↓しゃーなしに3塁アルプス外野寄りに松江駅弁片手に陣取り1塁側ベンチ開星サイド特に野々村監督の動向を注視しながら舌鼓を打っていた。
しかし、中国大会でいちばん観たいカードが初戦で実現し、なおかつ松江観戦の初日第2試合にかち合い試合前ノックからじっくり見れるのはありがたかった。
開星は言わずと知れた「やくざ監督」が注目される。甲子園で上位進出して脚光を浴びたのではなく、センバツ初戦で21世紀枠の向陽相手に1-2と惜敗した試合後のコメントが集中砲火を浴び辞任に追い込まれ、定年前の最後の1年で監督復帰し最後の夏は甲子園1勝し優勝した日大三相手に8-11と玉砕し長い監督生活を終え、教育評論家に転身し全国ネットのTV番組で元気な姿を再三拝見でき、これはこれで楽しかったのだが、、、、、
皮肉なことに後を託した教え子の山内監督が部費の私的流用でコーチたちと焼肉パーティーだったか300万円ほど使い込みが発覚し、野球部再建を託され60代後半となった野々村監督が現場復帰することとなったが、コロナ騒動で大会そのものが中止になったり、大社旋風が吹き荒れるなど他校の実力が上がってきたのでなかなか甲子園まで手が届かない。。。
この秋なんとか島根2位で中国大会進出し甲子園に近づいてきた。
末代の恥事件前まではノック時は必ずホームベース手前で張り切ってバットを握り、ノックタイムあと1分のアナウンスからほどなく、ノックの手を止めてフェアグラウンドをジロリと眺めてフィールドの選手たちが大声を張り上げアピールし、一番声の大きな選手のところにノックを打って終了というのが定番だったが、この日はもう齢70歳を過ぎているので、弟子に任せてベンチ奥で見つめているだけだった・・・・・。監督最晩年の高嶋先生もそんな感じだったし、寂しいものがあった。
しかし、坂原監督はまだ40台中盤なんでこの日も自らノックバットを振り元気な姿を見せていた。2023年夏の準々決勝・大阪桐蔭との死闘で土壇場9回逆転勝ちを数多くの高校野球ファンに感動を与え準優勝。そこから3期連続甲子園を逃しているのでこれは手ごわい。昨秋の中国大会でも鳥取城北が1回表に8失点して1-10で7回コールド負けしただけに序盤の大量失点は気を付けたい。
お互い希望通り先攻・後攻を取って14時30分プレーボール。日没が早いので3時間ゲームにでもなれば、松江で初ナイター観戦できるかも?!という色気もあった。
この試合は両チームともに太鼓1つの応援でちと寂しかった、、、
先発は開星はエース・篠田だったが、下関国際は1年生の11番・宮本だった。グラウンドにはたっぷりと水が撒かれたが、島根の球場にはグラウンドトラクターがないのか???人力整備で当番校の選手たちがトンボを手早くかけていた。
1回表下関国際は2死から四球をもらったものの4番・渡辺外131km直球に空振り三振で1年前のトラウマを払拭してくれた。しかし、開星の上位打線もファーストストライクを見逃しじっくり見極めていたが三者凡退に抑えられロースコアの接戦を予想した。
2回表下関国際は先頭の5番・世戸がストレートの四球で出塁。スモールベースボールに徹する坂原監督は当然送りバントで得点圏に走者を送って・・・と考えていたが、6番・松倉1年生の若さが出て1-1からバント空振りし、飛び出した1塁ランナーが挟まれて走塁死。直後にまた四球で1死1塁となったが、ここは普通に打たせて6-4-3ダブルプレー・・・。
いつもベンチ奥でこまめにメモを取る坂原監督だが、この回はどう記したのだろうか???
その裏、開星も同じように先頭打者が四球で出塁。5番・前田が相次いでバント失敗し追い込まれたが、野々村監督は終始一貫してサインを送りスリーバントが決まり1死2塁。6番・田村が外130km直球に手が出ず見逃しの三振で厳しくなったが、7番の1年生・三島がイヤな流れを切り裂くレフトへの先制タイムリーツーベースで開星が1点先制し試合としては面白くなってきたと。
3回表下関国際は相手の好守にも阻まれ2死ランナーなしとなったが、1番・向井がセンター前ヒットに盗塁を決め、プレッシャーをかけたのが功を奏したのか?連続四球で満塁とし、4番・渡辺が初球ストライクを見逃した後に、レフト前タイムリーヒット!しかし2塁走者はレフト・前田の好返球に阻まれホーム寸前タッチアウト!
ずいぶんスリリングな展開となってきたが、その裏開星は簡単に三者凡退に抑えられまだ1-1同点ながら、下関国際の勢いと開星のエース・篠田の制球難に不安を感じていた。
しかしながら篠田投手は4回打たせて取る投球でこの試合初の三者凡退を作り流れを五分に戻した。その裏、開星は先頭の3番・持田がセンター前ヒット。流れからしても4番でも送りバントというのが定石で、やはり野々村監督はバントのサインを出したが、4番・松崎はまだ1年生で普段はバントの練習なんてやらないのか???初球見逃し・2球目バントファールで簡単に追い込まれてしまい、しゃーなしに強打のサインに切り替え2球ファール・5球目ボールの後に強烈な打球を放ちファースト・楠がこれを後逸して記録はライトへのツーベースヒットで無死2・3塁。
ここで野々村監督は相手のお株を奪うべく、5番・前田に初球スクイズ!これが決まって2-1と逆転に成功したが、2塁走者・松崎が2ランスクイズを狙ってホーム突入するも下関国際の堅い守備に阻まれホーム寸前タッチアウト!まだノーアウトだったし、6番・田村がライト前ヒットを放っただけにギャンブル走塁は自重してほしかった・・・・・。
7番・三島がライトへ大飛球を放ち両翼92mと狭い松江市営で風もきついのであるいはそのままスタンドに・・・と思われたが、あと一伸び足らず1点止まり。
勝ち越された下関国際はこのあたりからテンションが下がったのか???おとなしく三者凡退。そしてその裏に開星打線が大爆発した!!
先頭の8番・松本七は初球センターフライに終わったが、9番・篠田投手がまた初球を狙ってセンター前ヒット。直後のストレートの四球が最大の誤算だったかもしれない!すかさず坂原監督がタイムを要求し危険回避に努めたが、2番・田中はバントのサインを受けた様子。初球ファールで厳しくなったが、宮本投手は制球乱して1-3とカウントを悪くして5球目を野々村監督はあえて「待て」のサインをだしたようで、バントの構えで見逃しフルカウント。ここで百戦錬磨の野々村監督はバントさせてもファールで三振かフェアグラウンドに転がっても3塁封殺によるバント失敗が目に見えていたのか?それとも四球を恐れてストライクを取りに来るために甘いコースに投げると読んだか??強打に切り替えて見事に右中間突破の2点タイムリースリーベースで4-1とリードを広げ勝利に大きく近づいた。さらに3番・持田には1ボールからスクイズを決めて5点目。ここで止めればまだ良かったが、2死ランナーなしから長短打を浴び5点差ついたところでようやく坂原監督は背番号13の同じ1年生高園にスイッチ。エースは故障しているのだろうか?????この継投が成功し長かった5回裏が終わったが気が付けば6-1と思わぬ差が開いて整備に入った。
伝統的に考えれば開星は強打のチームなんで打力は上回っていると思うが、下関国際の堅守の前には打線が沈黙して終盤相手の粘りに苦しめられるイメージがあったが・・・・・。
1点リードならあってないようなものだったが、5点差に広がりコールドの心配をしなければならなくなった。下関国際はボカスカ打つ打線ではないし、気持ちが切れたらもう一押しされて7回あるいは8回サヨナラコールドも視野に入る。2番手・高園投手あるいはエース投入で食い止められるか?
5回終了1時間16分とこの試合もスローペースで第1試合と1分しか違わない。なんとか粘りまくればナイター点灯も視野に入るのだが、、、、、
反撃のノロシを上げるべく下関国際は6回2番からの攻撃で、先頭の上野がフルカウントからファーストに強烈なゴロを打ちファースト・松尾が後逸(記録はヒット)で出塁し、3番・田中は7球粘って四球をもぎ取り無死1・2塁。本来ならば4番でも送りバントしたいところだが、4回5点差を埋めなければならないので、坂原監督は4番の長打に期待してフリーに打たせたが、1-2からまさかの5-4-3ダブルプレー・・・・・。5番・世戸もファーストゴロに倒れ無得点で終わりこの時点でコールドゲームを覚悟した。。。。。
しかし、高園投手がそうはさせじとその裏三者凡退に抑えもっと早く継投していれば・・・と悔やまれた。
7回表野々村監督は当初の予定通りなのか?ここまで3安打1失点に抑えていたエース・篠田をベンチに下げて11番・松浦がリリーフ。下関国際は先頭の松倉が1ボールからバントの構えを見せて揺さぶるなど嫌らしい攻めを見せたがセカンドゴロ。同じように7番・西島も1-1からバントの構えで揺さぶりショートゴロ後逸(記録はヒット)で出塁。ここで代打・川口を出して集中打を期待するもピッチャーゴロで2死2塁。ここで代打攻勢を続けるかと思いきや高園投手にそのまま打たせてなんと2球連続ボール球に手を出し追い込まれてしまった・・・。3球勝負でサード前のボテボテのゴロ・・・思わず目を覆いたくなったが、打球が緩すぎる分セーフティーバントのようなゴロとなり、焦ったサード・田中がこれを弾いてエラー。
思わぬ形で2死1・2塁で1番・向井に回ったが、ここも1-2からショートゴロで残塁のヤマを築く。。。
その裏開星は1番・松尾が初球センターオーバーの3塁打を放ち厳しくなってきた。2番・田中は無策のまま2-2からショートゴロ。しかし、野々村監督はここで3番・持田に初球セーフティ―スクイズのサインを出したようだが、ボール球でバットを引きちょっとだけ飛び出した3塁走者がキャッチャーけん制で・・・・・タイミングは完全にアウトだったが、ここでサード・渡辺が落球。。。
3塁塁審・中島はアウトの判定を下したが、当然開星サイドは納得できず主将が野々村監督の意図を伝えに3塁ベース付近に走る・・・・・。高校野球での抗議は珍しいが、数年前の広島大会では1時間以上抗議が続いたようだし、10数年前には秋の兵庫で50分間抗議ののちに整列拒否でゲームセットということもあったので、これが思いっきり延びてナイター点灯に期待したが、スタンドから観ていても明らかだが、サード落球したので完全なるミスジャッジだったので判定は覆った。坂原監督も一応、抗議はしたもののよくありがちな主将がベンチの監督と審判へ行ったり来たりというシーンもなく7分間で終わってしまい1死3塁1ボールから再開。
こうなると、肩が冷えてしまった高園投手は気持ちの切り替えも難しくなりストレートの四球でサヨナラコールドの走者が出塁・・・・・。4番・松崎を迎え捨て身の前進守備を敷くが、果敢に盗塁を決められ2-1からセンター前タイムリーでついにデッドラインの6点差。なおも1死1・3塁で坂原監督は2度目のタイムを取り、レフトの上野をファーストへ。先ほど代打で出てからファーストを守る川口に代わって森田をレフトへ出場させ最後の抵抗を見せ、なおかつ申告敬遠で1死満塁。
野々村監督は最後は自分の采配でコールド勝ちを決めて2日後の広島商との準々決勝へ弾みをつけるべく、6番・田村に初球スクイズのサインを出したがファール・・・。大きく息をつき九死に一生を得た気分になったが、あるいは2球連続スクイズも考えられた。しかし野々村監督はすぐに切り替え選手に任せて田村が2球目見事に1・2塁館をゴロで破るサヨナラタイムリーヒットを放ちまさかの7回コールドゲームで試合は終わり僕の松江初日は終了と。
ずいぶん日が傾き雲も目立つようになったが、ナイターには縁がなかった・・・・・・。しかし、それ以上に全国屈指のクセ強監督対決がまさかの7回コールドとは・・・・・。
昨秋、倉敷市営で下関国際は鳥取城北相手に1回表から8得点して10-1で7回コールド勝ちしたが、1年経つと初戦コールド負けとは・・・・・。
エースが登板不能だったのか?は分からないが、最後まで1年生2投手に託して流れを食い止められなかった。打っては散発4安打1得点。。。。
開星は野々村監督がスモールベースボールに徹し、スクイズを4回敢行して2度成功。勝負所ではバントのサインから強打のサインに切り替えてタイムリーが出るなど試合運びの巧さが目立った!
広島商の試合も観戦したが、米子東に7-2と完勝したものの恐れるに足らずと思っていたので、あと2つ勝ってセンバツで観たいと!
16時35分試合終了で時間はまだまだある!ゆっくり荷物整理してたいがいの球場でそうしているように、反時計回りで外周1周してから、行きはバス移動だったが、帰りは乃木駅まで徒歩移動。道中コメダがあるのでここでくつろぎ1時間に1本しか来ない山陰本線の電車に合わせて時間調整。
気になる浜山の第2試合は・・・米子松蔭7-0創志学園とあり、思わず「勝敗を書き間違えたのか???」と訝しんでいたが、本当に創志がコールド完封負けしたらしい・・・。
長澤監督時代だったら、山陰のチーム相手にコールド負けなんて1度もしたことがなかっただろうし、創志はセンバツ出場したメンバーが数名残っているはずで、、、門馬監督を招聘したが空回りし続けているきらいがある。。。。。
こちらも7回コールドで試合時間2時間07分だったが、試合終了15時47分とあったので48分得した。
松江駅に到着し、前年夏に早じまいで来店できなかった飲食店にリベンジし、ヤドでレンタサイクル借りて系列ホテルへ行き、無料で大浴場に入らせていただき21時頃漆黒の闇に包まれライトアップされている島根市街地を自転車で爆走し、ヤドに戻り長い長い1日が終わった。あと2日間4試合どんなドラマが待っているのか・・・それはまた次回の講釈で。
🎵仁義なき戦い https://www.youtube.com/watch?v=CPL-eFuUfhg
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 三振 失点 自責
下関国際 宮 本 4 1/3 23 84 8 3 2 1 6 6
下関国際 高 園 1 2/3 18 28 3 0 2 0 2 2
開 星 篠 田 6 23 101 3 0 6 1 1 1
開 星 松 浦 1 5 8 1 0 0 0 0 0
(完)
🌟次回予告🌟
10/26 秋季中国大会2日目第1試合 松江市営球場 岡山学芸館(岡山①)-西京(山口③)
10/25 秋季中国大会初日第2試合 松江市営球場 開星(島根②)-下関国際(山口②) 14:30~16:35
一二三四五六七八九十計HE
下関国際0010000 140 宮本、高園-田中
開 星0101402x 8111 篠田、松浦-松本七
第一試合
広 島 商7
米 子 東2
早くも山陰勢7校のうち米子東・出雲商が開幕試合で姿を消してしまった・・・・・。どうやら出雲商も地元の浜山でブラスバンドの応援が駆け付けたらしいが、あっさり広島野球の後塵を拝してしまったようで、、、、、
島根の外野席は芝生席だが、なぜかしら浜山は常時解放されているが、松江は立ち入り禁止らしい↓↓しゃーなしに3塁アルプス外野寄りに松江駅弁片手に陣取り1塁側ベンチ開星サイド特に野々村監督の動向を注視しながら舌鼓を打っていた。
しかし、中国大会でいちばん観たいカードが初戦で実現し、なおかつ松江観戦の初日第2試合にかち合い試合前ノックからじっくり見れるのはありがたかった。
開星は言わずと知れた「やくざ監督」が注目される。甲子園で上位進出して脚光を浴びたのではなく、センバツ初戦で21世紀枠の向陽相手に1-2と惜敗した試合後のコメントが集中砲火を浴び辞任に追い込まれ、定年前の最後の1年で監督復帰し最後の夏は甲子園1勝し優勝した日大三相手に8-11と玉砕し長い監督生活を終え、教育評論家に転身し全国ネットのTV番組で元気な姿を再三拝見でき、これはこれで楽しかったのだが、、、、、
皮肉なことに後を託した教え子の山内監督が部費の私的流用でコーチたちと焼肉パーティーだったか300万円ほど使い込みが発覚し、野球部再建を託され60代後半となった野々村監督が現場復帰することとなったが、コロナ騒動で大会そのものが中止になったり、大社旋風が吹き荒れるなど他校の実力が上がってきたのでなかなか甲子園まで手が届かない。。。
この秋なんとか島根2位で中国大会進出し甲子園に近づいてきた。
末代の恥事件前まではノック時は必ずホームベース手前で張り切ってバットを握り、ノックタイムあと1分のアナウンスからほどなく、ノックの手を止めてフェアグラウンドをジロリと眺めてフィールドの選手たちが大声を張り上げアピールし、一番声の大きな選手のところにノックを打って終了というのが定番だったが、この日はもう齢70歳を過ぎているので、弟子に任せてベンチ奥で見つめているだけだった・・・・・。監督最晩年の高嶋先生もそんな感じだったし、寂しいものがあった。
しかし、坂原監督はまだ40台中盤なんでこの日も自らノックバットを振り元気な姿を見せていた。2023年夏の準々決勝・大阪桐蔭との死闘で土壇場9回逆転勝ちを数多くの高校野球ファンに感動を与え準優勝。そこから3期連続甲子園を逃しているのでこれは手ごわい。昨秋の中国大会でも鳥取城北が1回表に8失点して1-10で7回コールド負けしただけに序盤の大量失点は気を付けたい。
お互い希望通り先攻・後攻を取って14時30分プレーボール。日没が早いので3時間ゲームにでもなれば、松江で初ナイター観戦できるかも?!という色気もあった。
この試合は両チームともに太鼓1つの応援でちと寂しかった、、、
先発は開星はエース・篠田だったが、下関国際は1年生の11番・宮本だった。グラウンドにはたっぷりと水が撒かれたが、島根の球場にはグラウンドトラクターがないのか???人力整備で当番校の選手たちがトンボを手早くかけていた。
1回表下関国際は2死から四球をもらったものの4番・渡辺外131km直球に空振り三振で1年前のトラウマを払拭してくれた。しかし、開星の上位打線もファーストストライクを見逃しじっくり見極めていたが三者凡退に抑えられロースコアの接戦を予想した。
2回表下関国際は先頭の5番・世戸がストレートの四球で出塁。スモールベースボールに徹する坂原監督は当然送りバントで得点圏に走者を送って・・・と考えていたが、6番・松倉1年生の若さが出て1-1からバント空振りし、飛び出した1塁ランナーが挟まれて走塁死。直後にまた四球で1死1塁となったが、ここは普通に打たせて6-4-3ダブルプレー・・・。
いつもベンチ奥でこまめにメモを取る坂原監督だが、この回はどう記したのだろうか???
その裏、開星も同じように先頭打者が四球で出塁。5番・前田が相次いでバント失敗し追い込まれたが、野々村監督は終始一貫してサインを送りスリーバントが決まり1死2塁。6番・田村が外130km直球に手が出ず見逃しの三振で厳しくなったが、7番の1年生・三島がイヤな流れを切り裂くレフトへの先制タイムリーツーベースで開星が1点先制し試合としては面白くなってきたと。
3回表下関国際は相手の好守にも阻まれ2死ランナーなしとなったが、1番・向井がセンター前ヒットに盗塁を決め、プレッシャーをかけたのが功を奏したのか?連続四球で満塁とし、4番・渡辺が初球ストライクを見逃した後に、レフト前タイムリーヒット!しかし2塁走者はレフト・前田の好返球に阻まれホーム寸前タッチアウト!
ずいぶんスリリングな展開となってきたが、その裏開星は簡単に三者凡退に抑えられまだ1-1同点ながら、下関国際の勢いと開星のエース・篠田の制球難に不安を感じていた。
しかしながら篠田投手は4回打たせて取る投球でこの試合初の三者凡退を作り流れを五分に戻した。その裏、開星は先頭の3番・持田がセンター前ヒット。流れからしても4番でも送りバントというのが定石で、やはり野々村監督はバントのサインを出したが、4番・松崎はまだ1年生で普段はバントの練習なんてやらないのか???初球見逃し・2球目バントファールで簡単に追い込まれてしまい、しゃーなしに強打のサインに切り替え2球ファール・5球目ボールの後に強烈な打球を放ちファースト・楠がこれを後逸して記録はライトへのツーベースヒットで無死2・3塁。
ここで野々村監督は相手のお株を奪うべく、5番・前田に初球スクイズ!これが決まって2-1と逆転に成功したが、2塁走者・松崎が2ランスクイズを狙ってホーム突入するも下関国際の堅い守備に阻まれホーム寸前タッチアウト!まだノーアウトだったし、6番・田村がライト前ヒットを放っただけにギャンブル走塁は自重してほしかった・・・・・。
7番・三島がライトへ大飛球を放ち両翼92mと狭い松江市営で風もきついのであるいはそのままスタンドに・・・と思われたが、あと一伸び足らず1点止まり。
勝ち越された下関国際はこのあたりからテンションが下がったのか???おとなしく三者凡退。そしてその裏に開星打線が大爆発した!!
先頭の8番・松本七は初球センターフライに終わったが、9番・篠田投手がまた初球を狙ってセンター前ヒット。直後のストレートの四球が最大の誤算だったかもしれない!すかさず坂原監督がタイムを要求し危険回避に努めたが、2番・田中はバントのサインを受けた様子。初球ファールで厳しくなったが、宮本投手は制球乱して1-3とカウントを悪くして5球目を野々村監督はあえて「待て」のサインをだしたようで、バントの構えで見逃しフルカウント。ここで百戦錬磨の野々村監督はバントさせてもファールで三振かフェアグラウンドに転がっても3塁封殺によるバント失敗が目に見えていたのか?それとも四球を恐れてストライクを取りに来るために甘いコースに投げると読んだか??強打に切り替えて見事に右中間突破の2点タイムリースリーベースで4-1とリードを広げ勝利に大きく近づいた。さらに3番・持田には1ボールからスクイズを決めて5点目。ここで止めればまだ良かったが、2死ランナーなしから長短打を浴び5点差ついたところでようやく坂原監督は背番号13の同じ1年生高園にスイッチ。エースは故障しているのだろうか?????この継投が成功し長かった5回裏が終わったが気が付けば6-1と思わぬ差が開いて整備に入った。
伝統的に考えれば開星は強打のチームなんで打力は上回っていると思うが、下関国際の堅守の前には打線が沈黙して終盤相手の粘りに苦しめられるイメージがあったが・・・・・。
1点リードならあってないようなものだったが、5点差に広がりコールドの心配をしなければならなくなった。下関国際はボカスカ打つ打線ではないし、気持ちが切れたらもう一押しされて7回あるいは8回サヨナラコールドも視野に入る。2番手・高園投手あるいはエース投入で食い止められるか?
5回終了1時間16分とこの試合もスローペースで第1試合と1分しか違わない。なんとか粘りまくればナイター点灯も視野に入るのだが、、、、、
反撃のノロシを上げるべく下関国際は6回2番からの攻撃で、先頭の上野がフルカウントからファーストに強烈なゴロを打ちファースト・松尾が後逸(記録はヒット)で出塁し、3番・田中は7球粘って四球をもぎ取り無死1・2塁。本来ならば4番でも送りバントしたいところだが、4回5点差を埋めなければならないので、坂原監督は4番の長打に期待してフリーに打たせたが、1-2からまさかの5-4-3ダブルプレー・・・・・。5番・世戸もファーストゴロに倒れ無得点で終わりこの時点でコールドゲームを覚悟した。。。。。
しかし、高園投手がそうはさせじとその裏三者凡退に抑えもっと早く継投していれば・・・と悔やまれた。
7回表野々村監督は当初の予定通りなのか?ここまで3安打1失点に抑えていたエース・篠田をベンチに下げて11番・松浦がリリーフ。下関国際は先頭の松倉が1ボールからバントの構えを見せて揺さぶるなど嫌らしい攻めを見せたがセカンドゴロ。同じように7番・西島も1-1からバントの構えで揺さぶりショートゴロ後逸(記録はヒット)で出塁。ここで代打・川口を出して集中打を期待するもピッチャーゴロで2死2塁。ここで代打攻勢を続けるかと思いきや高園投手にそのまま打たせてなんと2球連続ボール球に手を出し追い込まれてしまった・・・。3球勝負でサード前のボテボテのゴロ・・・思わず目を覆いたくなったが、打球が緩すぎる分セーフティーバントのようなゴロとなり、焦ったサード・田中がこれを弾いてエラー。
思わぬ形で2死1・2塁で1番・向井に回ったが、ここも1-2からショートゴロで残塁のヤマを築く。。。
その裏開星は1番・松尾が初球センターオーバーの3塁打を放ち厳しくなってきた。2番・田中は無策のまま2-2からショートゴロ。しかし、野々村監督はここで3番・持田に初球セーフティ―スクイズのサインを出したようだが、ボール球でバットを引きちょっとだけ飛び出した3塁走者がキャッチャーけん制で・・・・・タイミングは完全にアウトだったが、ここでサード・渡辺が落球。。。
3塁塁審・中島はアウトの判定を下したが、当然開星サイドは納得できず主将が野々村監督の意図を伝えに3塁ベース付近に走る・・・・・。高校野球での抗議は珍しいが、数年前の広島大会では1時間以上抗議が続いたようだし、10数年前には秋の兵庫で50分間抗議ののちに整列拒否でゲームセットということもあったので、これが思いっきり延びてナイター点灯に期待したが、スタンドから観ていても明らかだが、サード落球したので完全なるミスジャッジだったので判定は覆った。坂原監督も一応、抗議はしたもののよくありがちな主将がベンチの監督と審判へ行ったり来たりというシーンもなく7分間で終わってしまい1死3塁1ボールから再開。
こうなると、肩が冷えてしまった高園投手は気持ちの切り替えも難しくなりストレートの四球でサヨナラコールドの走者が出塁・・・・・。4番・松崎を迎え捨て身の前進守備を敷くが、果敢に盗塁を決められ2-1からセンター前タイムリーでついにデッドラインの6点差。なおも1死1・3塁で坂原監督は2度目のタイムを取り、レフトの上野をファーストへ。先ほど代打で出てからファーストを守る川口に代わって森田をレフトへ出場させ最後の抵抗を見せ、なおかつ申告敬遠で1死満塁。
野々村監督は最後は自分の采配でコールド勝ちを決めて2日後の広島商との準々決勝へ弾みをつけるべく、6番・田村に初球スクイズのサインを出したがファール・・・。大きく息をつき九死に一生を得た気分になったが、あるいは2球連続スクイズも考えられた。しかし野々村監督はすぐに切り替え選手に任せて田村が2球目見事に1・2塁館をゴロで破るサヨナラタイムリーヒットを放ちまさかの7回コールドゲームで試合は終わり僕の松江初日は終了と。
ずいぶん日が傾き雲も目立つようになったが、ナイターには縁がなかった・・・・・・。しかし、それ以上に全国屈指のクセ強監督対決がまさかの7回コールドとは・・・・・。
昨秋、倉敷市営で下関国際は鳥取城北相手に1回表から8得点して10-1で7回コールド勝ちしたが、1年経つと初戦コールド負けとは・・・・・。
エースが登板不能だったのか?は分からないが、最後まで1年生2投手に託して流れを食い止められなかった。打っては散発4安打1得点。。。。
開星は野々村監督がスモールベースボールに徹し、スクイズを4回敢行して2度成功。勝負所ではバントのサインから強打のサインに切り替えてタイムリーが出るなど試合運びの巧さが目立った!
広島商の試合も観戦したが、米子東に7-2と完勝したものの恐れるに足らずと思っていたので、あと2つ勝ってセンバツで観たいと!
16時35分試合終了で時間はまだまだある!ゆっくり荷物整理してたいがいの球場でそうしているように、反時計回りで外周1周してから、行きはバス移動だったが、帰りは乃木駅まで徒歩移動。道中コメダがあるのでここでくつろぎ1時間に1本しか来ない山陰本線の電車に合わせて時間調整。
気になる浜山の第2試合は・・・米子松蔭7-0創志学園とあり、思わず「勝敗を書き間違えたのか???」と訝しんでいたが、本当に創志がコールド完封負けしたらしい・・・。
長澤監督時代だったら、山陰のチーム相手にコールド負けなんて1度もしたことがなかっただろうし、創志はセンバツ出場したメンバーが数名残っているはずで、、、門馬監督を招聘したが空回りし続けているきらいがある。。。。。
こちらも7回コールドで試合時間2時間07分だったが、試合終了15時47分とあったので48分得した。
松江駅に到着し、前年夏に早じまいで来店できなかった飲食店にリベンジし、ヤドでレンタサイクル借りて系列ホテルへ行き、無料で大浴場に入らせていただき21時頃漆黒の闇に包まれライトアップされている島根市街地を自転車で爆走し、ヤドに戻り長い長い1日が終わった。あと2日間4試合どんなドラマが待っているのか・・・それはまた次回の講釈で。
🎵仁義なき戦い https://www.youtube.com/watch?v=CPL-eFuUfhg
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 三振 失点 自責
下関国際 宮 本 4 1/3 23 84 8 3 2 1 6 6
下関国際 高 園 1 2/3 18 28 3 0 2 0 2 2
開 星 篠 田 6 23 101 3 0 6 1 1 1
開 星 松 浦 1 5 8 1 0 0 0 0 0
(完)
🌟次回予告🌟
10/26 秋季中国大会2日目第1試合 松江市営球場 岡山学芸館(岡山①)-西京(山口③)
📝さわかみ関西独立リーグ 2026 試合日程
https://kandok.jp/wp/wp-content/uploads/2026/03/2026%E3%80%90%E3%81%95%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%81%BF%E9%96%A2%E8%A5%BF%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%80%91%E8%A9%A6%E5%90%88%E6%97%A5%E7%A8%8B-1.pdf
紀三井寺でもずいぶん試合が組まれてますが・・・・・3/17オープン戦に顔を出すので、公式戦行くとしたら6/26 17時開始の薄暮ナイターでしょうか?
あとは春季兵庫大会で行けなかった場合の保険で、高砂での6/6 13時からの試合を保険で考えたいですね。
📝第29回 社会人•大学対抗野球大会(岡山県・島根県)
http://www.cubf5589.com/
日程:3月14日(土)・15日(日)・16日(月)
会場:マスカットスタジアム
3月14日(土)
第一試合 9:00 シティライト岡山 ー 吉備国際大学
第二試合 11:30 備創ベースボールクラブ ー 倉敷芸術科学大学
第三試合 14:00 MJG島根 ー 岡山大学
3月15日(日)
第一試合 9:00 倉敷ピーチジャックス ー 川崎医療福祉大学
第二試合 11:30 三菱自動車倉敷オーシャンズ ー 環太平洋大学
第三試合 14:00 三協クリエイト ー 岡山商科大学
3月16日(月)
第一試合 10:00 ショウワコーポレーション ー 岡山理科大学
☆コールドゲーム、延長戦無し
☟「2部制」で暑さ対策 夏の高校野球三重大会 春に続きDH制導入
https://news.yahoo.co.jp/articles/ad0ccc37273fd4337af65a6df07fdba8667c4ef9
日程は7月3〜27日
夏の甲子園につながる第108回全国高校野球選手権三重大会の日程がこのほど、7月3〜27日と決まった。順調に進めば25日に準決勝、27日に決勝が、いずれも四日市市の霞ケ浦球場で行われる。
昨年、暑さ対策の一環で初めて行われた、試合時間を朝と夕に分ける「2部制」は、選手、観客の救護室利用や、試合の中断が大幅に減るなど一定の効果が認められたとして、今大会も引き続き採用する。ただし、昨年はナイターでの試合もあったことから、第2試合の開始時間は前回大会の午後3時半から変更する可能性もある。また、春に続いて夏も指名打者(DH)制を導入する。
開会式は3日午後2時から四日市市の四日市ドームで行われ、翌4日から霞ケ浦球場、津球場、ドリームオーシャンスタジアム(県営松阪野球場)、ダイムスタジアム伊勢(市営倉田山公園野球場)の4球場で行われる。組み合わせ抽選は6月16日午後2時から、津市の県総合文化センターで行われる。
県高野連の栗谷佳宏理事長は「DH制をいかにうまく使うか。また、昨年以上の暑さになるとの話もあるので、やはり暑さとの戦いにもなる。そこの対応をしっかりすることも大事になってくる」と話している。
🎤【馬淵史郎 我が道9】なかなかの会社だった阿部企業 工事現場で夜勤しながらの監督生活
https://news.yahoo.co.jp/articles/6080db4a62c996a66c40bebc66f5e12953e13abb
拓大を卒業して、松山で建設資材を扱う愛媛物産に就職した。社会人で野球をする手もあったが、満員電車が苦手でね。都会ではなく、やっぱり田舎に帰ろうと思った。拓大の先輩もいたし、軟式野球のクラブチームに入って、三瓶高で指導を続ける田内逸明さんの手伝いをしようと決めた。
ところが秋の大会で母校を応援しようと思ったら、社員旅行と重なり「全員参加だ」と主張する上司と折り合いが悪くなり退社。その後はニッタンガスというプロパンガスの会社で働き、配達もしていた。そんなときに田内さんから呼ばれた。「神戸の阿部企業で監督をすることになった。選手兼コーチでお前も手伝え」。滝川高の吉本宗泰監督の仲介だったと聞いた。仕事にも慣れた時期で周囲は反対したが、恩師の頼みは断れない。26歳で社会人野球の世界に入った。
チームはほぼ休部状態だったから、一からの選手集めに奔走した。実績ある選手には見向きもされない。大学で補欠だったり、故障でプレーできないレベルに声をかけた。スポニチの記者さんにも選手集めの情報で協力してもらったな。ところが、何とかチームの格好がついた83年(昭58)1月に田内さんがくも膜下出血で急死された。
松山にこれで戻ろうかと思ったら、会社は「後任として監督をやれ」と言ってきた。話が違うと思ったが、自分が声をかけた選手を見捨てるわけにもいかない。次の人が決まるまで、のつもりで同年に監督を受けた。
阿部企業というのはなかなかの会社だった。神戸市垂水区に本社があって、仕事は土木業に警備業。ガスや道路工事の交通整理、病院やビルの警備が野球部関係者の仕事やった。仕事はきつかった。俺も深夜に道路工事の現場に立った。冬は本当に寒かった。「こんなとこで工事すな!」という文句もしょっちゅう言われた。
夕方5時から夜勤の14時間勤務をしてからが練習の時間だった。午前9時から昼まで練習し、仮眠してから、また夜勤の繰り返しだった。しかも専用球場はない。50メートル四方の空き地が主な練習場。それでも神戸製鋼や三菱重工神戸、新日鉄広畑といった社会人の強豪に「勝ってみい」と会社は要求してきた。
初めての監督と過酷な環境。慢性の睡眠不足で「もう辞めたい」が口グセになっていた選手たちに、少しでも体力をつけてやりたい、と自分でおにぎりや味噌汁を作って、食べさせた。雨の日の練習では会社の空いた会議室にネットを張って、ソフトボールを打ち込ませたこともあったな。
浮き沈みの激しい人生を何とか頑張ってこられたのは、この阿部企業の時代があったからだと思っている。「どんな状況でも人間はできないことはない」が信条になった。貴重な経験だった。
📝高校球児に「大人が変に気を使っている」 延長18回の伝説を経て…代弁した選手の思い
https://news.yahoo.co.jp/articles/1adefceaa3e7e50796a6db94b4deb9a29d05bd8c?page=1
3球団でプレーした太田氏が振り返る甲子園の日々…明かした思い
元近鉄、巨人、阪神でプレーした太田幸司氏は、野球評論家の傍ら、宝塚リトルシニアの総合技術アドバイザーとして野球に携わっている。あの1969年夏の甲子園決勝・松山商戦での延長18回0-0引き分け再試合の大熱投から半世紀以上が経過。1984年に阪神で現役生活を終えてからも41年を越えた。13年所属した愛着ある近鉄も“消滅”して、21年の月日が流れたが、かつての“国民的スター右腕”は、高校野球にもプロ野球にも、熱い思いを抱いている。
「土日で解説などの仕事がないときには(宝塚シニアの)グラウンドに行っています。60歳くらいまでは、シニアでもちょっと前からバッティングピッチャーとかで投げていたけど、もうそれは無理、無理。届かない。肩が回らない。情けない話ですけどね」と太田氏は言いながら「いい選手もいます。これから楽しみですよ」と目を細めた。野球を通じて成長していく子どもたちの姿を見るのが楽しみでしかたないようだ。
太田氏は現役引退後に結婚し、2男1女の父でもある。長男も次男も宝塚シニアを経て高校野球で活躍。「長男は福知山成美で甲子園にも出させてもらってね。長女は宝塚(歌劇団)で今も足を上げています」と優しい父の顔で話す。ちなみに高校時代から女性ファンに騒がれたが、当時、付き合っていた彼女はいなかったそうだ。「あの頃は街で女の子と歩いていたり、喫茶店とかに入ったりしたら不良とか言われていた時代。だから、逆によかったんじゃないかな」と笑った。
あの「コーちゃんフィーバー」の夏から半世紀以上が経過。「宝塚シニアの子どもたちは、夏の甲子園の中継などで、昔の映像が流れたのを見て『太田さん、出ていましたよ』とか言ったり、もうそんな程度ですよ。お父さん、お母さんもみんな若いし、まだ生まれていなかった世代だからね。よっぽど野球好きじゃないとね」と、外出も簡単ではなかった当時からすれば、考えられないほどの穏やかな日々を過ごしている。
「一時は、あの甲子園のことを言われるのが嫌な時期もあったんですよ。僕らの仲間でもそう。でも年をとってくると、それも変わってくるというかね。もし今、ああいう試合をやったとしても、あの頃みたいに日本中が盛り上がるかというとそれは分からない。あの時代だからこそ、ああいうことになったというか……。でも、ひとつだけ高校球史に残るのは決勝で18回。これはもう二度とないですからね」
願う高校野球の発展「選手の思いは昔も今も変わっていない」
OBとしてプロ野球界がさらに盛り上がってほしいと切に願う。「どんどんメジャーに行くようになったから、このペースで行ったらどうなるのって思いますけどね。それこそ日本の野球もメジャーと合併したらいいんじゃないかって思ったりもしますよ。10時間くらいの飛行機移動は、向こうの選手は屁とも思わないだろうしね。その前に手始めとして韓国、台湾と、アジアでリーグ戦をやるとか、とにかく何か新しいことをやらないといけないんじゃないかなぁ」。
その上で「ピッチクロックとかさ、どうなんだろうね。そりゃあ、ずーっとダラダラ長いのはいけないけど、ピンチになったら、いろんなことを……。日本って囲碁将棋があるでしょ。この一手を打ったら、次に何をどうこうって考える間があってね。野球もそこからバッテリーが勝負して、それを見ている側も何が来るとか、読むとか、そういう面白さもあると思うんですけどね。そんなに急いでどこ行くのよ、ですよ、本当に。(ミスタープロ野球の)長嶋(茂雄)さんも怒るよ。野球は感性ですよ」とも口にした。
高校野球についても熱い思いを抱いている。「僕は、やっている選手の思いって昔も今も変わっていないと思う。大人の方が変に気を使っているんじゃないかな。健康が一番だ、といってね。だって甲子園で試合をやっている方が楽なんだから。普段、暑いなかでどれだけ練習しているの。それをみんな言わないでしょ。なんか涼しいところでやっていたのが急に暑いところで野球をやるみたいな、で、夏の甲子園は体に悪いって。選手を大事にすることに反対するつもりはないけど、どうなんだろうなって……」などと、語り出したら止まらなかった。
古巣の近鉄は2004年限りでオリックスに吸収合併されて消滅した。「バファローズの名前は残っているけど全然違う。OB会だってもうないからね。今のオリックスは関西の球団として見ていますよ」と話す。1年ずつ在籍した巨人、阪神のOBでもあるが、根底にあるのは、やはり13年間にわたって培われた“近鉄魂”のようだ。
他の人たちとは違う特殊な野球人生となった太田氏だが、それは形を変えて今も継続中だ。「宝塚シニアの野球もそうだし、なんかちょっとでも死ぬまで野球に関わっていたいなと思っています」。74歳になった甲子園の“元祖アイドル右腕”は、“生涯野球人”を誓っている。
🔥東洋大姫路、渡辺裕太内野手と伏見翔一外野手「気負いがあった」昨秋の不振脱却へともに打撃改良
https://news.yahoo.co.jp/articles/5aaadf55ccaa021ccced82b3912eb3db3e356ad1
昨春から3季連続出場となる東洋大姫路(兵庫)の渡辺裕太内野手と伏見翔一外野手(ともに3年)。前回のセンバツにも出場しており、岡田龍生監督(64)がキーマンに挙げる存在だ。昨秋は不振にあえいだ2人が、聖地で復調をアピールする。
東洋大姫路としては初の3季連続出場を決めても、昨秋の公式戦打率が1割4分3厘の渡辺と、同2割の伏見には達成感がなかった。岡田監督は「秋はワースト1、2位くらいの打率。経験値があるので、2人がやってくれないと…」と期待する。
2人は同じ言葉を絞り出した。「気負いがありました」。昨春はともにレギュラーを務めただけに、チームを引っ張りたいという思いが強い分、空回りした。中軸を打つ渡辺は「練習不足でした。結果を求めて自分のスイングができなかった」と回顧。打撃フォームを見直し、肘が前に出る癖を修正した。
リードオフマンの伏見は、異なるアプローチで打撃を改良した。「バットを寝かしていたけど、立てるようにしたら、打球の質が変わった」。小、中学時の自身の映像を見て、変化に挑戦した。渡辺らと昨年末に参加した県選抜の台湾遠征では、他校生の盗塁技術を観察。50メートル走6秒2と、チーム屈指の俊足が走塁への意識を持ち始めた。
履正社(大阪)時代に、ヤクルト・山田哲人を育てた岡田監督は、2年秋にプロ入りを目標に据えてからの“変身”ぶりを見ている。「ひと冬を越えて、『これだけ人は変われるんだ』と」。それだけに、2人の姿勢には「まだまだ。人から言われずに、自分で考えないと」と注文を付けた。
1回戦は、第3日第1試合で花咲徳栄(埼玉)と対戦する。伏見は「勝つことだけを目標にして一致団結する」と言葉に力を込めた。甲子園優勝経験が8校中4校の激戦ブロックを勝ち抜く。
📝ノーサイン野球で養うチャレンジ力 卒業後も見据えたチームの作り方
https://news.yahoo.co.jp/articles/e0099dd74f33b2685902936ff6313ec8a3e7263a
監督は攻撃のサインを出さず、選手同士が自由に作戦を決め、盗塁や送りバント、エンドランなどを仕掛ける。
昨年の第97回センバツで、甲子園初勝利を挙げたエナジックスポーツ(沖縄)が取り組んで話題を呼んだ「ノーサイン野球」。激戦区・大阪にある強豪、大阪学院大高もノーサイン野球を実践する。
大阪学院大高は2024年の春季近畿地区大会大阪府予選で、高校球界をリードする大阪桐蔭と履正社を破って優勝。辻盛英一監督(49)のユニークな経歴と合わせ注目を集めた。夏に新チームが動き出したころ、練習試合や打撃練習では普通にサインが出る。
◇選択ミスしても怒らない
公式戦が近づくにつれその場面が減り、そのうちにサインが出なくなる。選手は公式戦までにチームの戦略や攻撃バリエーションを理解し、自分やチームメートの特性を把握する。これが、チームが形になるまでのイメージ。実戦ではイニング間にしっかり打ち合わせをした上で、どの作戦を選ぶかを選手が決めている。選手が自分の意図と異なる選択をした場合、どう考えるのか。
辻盛監督は「仮にバントの方が良かったと思う場合でも『ここはバントやろ』とは絶対に言わない。選択ミスをしたら怒られる。こう考えるようになると、選手は安全な作戦しか取らなくなる」と言う。
辻盛監督は大阪市立大(現大阪公立大)卒業後、住友銀行(現三井住友銀行)で全国トップの営業成績を上げ、外資系大手のアリコジャパン(現メットライフ生命保険)に転職した。ここでも13年連続でトップの成績を収め、18年に法人を専門とする生命保険代理店を起業。ビジネス書を出版したりセミナーを主催したりと精力的に活動する。
◇最初は選手も「びっくり」
「注意されたり怒られたりすると『怒られないためにはどうしよう』と考えるようになる。生産的なことは何も起こりませんよね」
野球部と保険代理店。分野は違ってもマネジメントに携わる姿勢は全く同じだという。
「どんどん失敗したらいい。失敗を責めるのではなく『次に成功させるには』と問えば、もう一回プランニングするようになる。チャレンジすることに一切文句は言いません」「怒らない指導」には選手の成長を促す一面もある。
「最初はフルスイングしての三振ならOKという感じでした。三振しても怒られないため気が楽で、自分が得意な『飛ばすこと』を意識することができました」と話すのは主将の樋爪信捕手(2年)。
当初は「サインがないことにびっくりした」と戸惑っていた樋爪主将も、1年生で4番を任される存在になった。辻盛監督には思い描くチームがある。「知的な野球小僧の集まりですね。エリートではなく野球小僧。『ここでこんな事をやってみよう』と、いたずらができるチームって強いと思うんです」
自分たちで考え、自分たちで野球を楽しむ。理想のチームはノーサイン野球の延長線上にある。
◇社会に出ても役立つ力
昨夏の甲子園に出場した弘前学院聖愛(青森)も18年からノーサイン野球に取り組む。イニングやボールカウント、走者の有無など野球には無数の局面がある。そこで重視するのが日々のミーティング。練習メニューは選手らで考え、プレーひとつひとつに根拠を求め合う。
原田一範監督(48)が発する言葉も指示ではなく質問がほとんど。練習試合後は「なぜあの状況でバントしたのか」「なぜこの場面で盗塁しなかったのか」など一球一球に「答え合わせ」を繰り返す。原田監督が見据えるのは選手たちの卒業後だ。
「選手自らが考えてアウトプットすることで鍛えられる能力は社会に出ても役に立つ。ノーサイン野球には人を成長させる仕組みがある」
https://kandok.jp/wp/wp-content/uploads/2026/03/2026%E3%80%90%E3%81%95%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%81%BF%E9%96%A2%E8%A5%BF%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%80%91%E8%A9%A6%E5%90%88%E6%97%A5%E7%A8%8B-1.pdf
紀三井寺でもずいぶん試合が組まれてますが・・・・・3/17オープン戦に顔を出すので、公式戦行くとしたら6/26 17時開始の薄暮ナイターでしょうか?
あとは春季兵庫大会で行けなかった場合の保険で、高砂での6/6 13時からの試合を保険で考えたいですね。
📝第29回 社会人•大学対抗野球大会(岡山県・島根県)
http://www.cubf5589.com/
日程:3月14日(土)・15日(日)・16日(月)
会場:マスカットスタジアム
3月14日(土)
第一試合 9:00 シティライト岡山 ー 吉備国際大学
第二試合 11:30 備創ベースボールクラブ ー 倉敷芸術科学大学
第三試合 14:00 MJG島根 ー 岡山大学
3月15日(日)
第一試合 9:00 倉敷ピーチジャックス ー 川崎医療福祉大学
第二試合 11:30 三菱自動車倉敷オーシャンズ ー 環太平洋大学
第三試合 14:00 三協クリエイト ー 岡山商科大学
3月16日(月)
第一試合 10:00 ショウワコーポレーション ー 岡山理科大学
☆コールドゲーム、延長戦無し
☟「2部制」で暑さ対策 夏の高校野球三重大会 春に続きDH制導入
https://news.yahoo.co.jp/articles/ad0ccc37273fd4337af65a6df07fdba8667c4ef9
日程は7月3〜27日
夏の甲子園につながる第108回全国高校野球選手権三重大会の日程がこのほど、7月3〜27日と決まった。順調に進めば25日に準決勝、27日に決勝が、いずれも四日市市の霞ケ浦球場で行われる。
昨年、暑さ対策の一環で初めて行われた、試合時間を朝と夕に分ける「2部制」は、選手、観客の救護室利用や、試合の中断が大幅に減るなど一定の効果が認められたとして、今大会も引き続き採用する。ただし、昨年はナイターでの試合もあったことから、第2試合の開始時間は前回大会の午後3時半から変更する可能性もある。また、春に続いて夏も指名打者(DH)制を導入する。
開会式は3日午後2時から四日市市の四日市ドームで行われ、翌4日から霞ケ浦球場、津球場、ドリームオーシャンスタジアム(県営松阪野球場)、ダイムスタジアム伊勢(市営倉田山公園野球場)の4球場で行われる。組み合わせ抽選は6月16日午後2時から、津市の県総合文化センターで行われる。
県高野連の栗谷佳宏理事長は「DH制をいかにうまく使うか。また、昨年以上の暑さになるとの話もあるので、やはり暑さとの戦いにもなる。そこの対応をしっかりすることも大事になってくる」と話している。
🎤【馬淵史郎 我が道9】なかなかの会社だった阿部企業 工事現場で夜勤しながらの監督生活
https://news.yahoo.co.jp/articles/6080db4a62c996a66c40bebc66f5e12953e13abb
拓大を卒業して、松山で建設資材を扱う愛媛物産に就職した。社会人で野球をする手もあったが、満員電車が苦手でね。都会ではなく、やっぱり田舎に帰ろうと思った。拓大の先輩もいたし、軟式野球のクラブチームに入って、三瓶高で指導を続ける田内逸明さんの手伝いをしようと決めた。
ところが秋の大会で母校を応援しようと思ったら、社員旅行と重なり「全員参加だ」と主張する上司と折り合いが悪くなり退社。その後はニッタンガスというプロパンガスの会社で働き、配達もしていた。そんなときに田内さんから呼ばれた。「神戸の阿部企業で監督をすることになった。選手兼コーチでお前も手伝え」。滝川高の吉本宗泰監督の仲介だったと聞いた。仕事にも慣れた時期で周囲は反対したが、恩師の頼みは断れない。26歳で社会人野球の世界に入った。
チームはほぼ休部状態だったから、一からの選手集めに奔走した。実績ある選手には見向きもされない。大学で補欠だったり、故障でプレーできないレベルに声をかけた。スポニチの記者さんにも選手集めの情報で協力してもらったな。ところが、何とかチームの格好がついた83年(昭58)1月に田内さんがくも膜下出血で急死された。
松山にこれで戻ろうかと思ったら、会社は「後任として監督をやれ」と言ってきた。話が違うと思ったが、自分が声をかけた選手を見捨てるわけにもいかない。次の人が決まるまで、のつもりで同年に監督を受けた。
阿部企業というのはなかなかの会社だった。神戸市垂水区に本社があって、仕事は土木業に警備業。ガスや道路工事の交通整理、病院やビルの警備が野球部関係者の仕事やった。仕事はきつかった。俺も深夜に道路工事の現場に立った。冬は本当に寒かった。「こんなとこで工事すな!」という文句もしょっちゅう言われた。
夕方5時から夜勤の14時間勤務をしてからが練習の時間だった。午前9時から昼まで練習し、仮眠してから、また夜勤の繰り返しだった。しかも専用球場はない。50メートル四方の空き地が主な練習場。それでも神戸製鋼や三菱重工神戸、新日鉄広畑といった社会人の強豪に「勝ってみい」と会社は要求してきた。
初めての監督と過酷な環境。慢性の睡眠不足で「もう辞めたい」が口グセになっていた選手たちに、少しでも体力をつけてやりたい、と自分でおにぎりや味噌汁を作って、食べさせた。雨の日の練習では会社の空いた会議室にネットを張って、ソフトボールを打ち込ませたこともあったな。
浮き沈みの激しい人生を何とか頑張ってこられたのは、この阿部企業の時代があったからだと思っている。「どんな状況でも人間はできないことはない」が信条になった。貴重な経験だった。
📝高校球児に「大人が変に気を使っている」 延長18回の伝説を経て…代弁した選手の思い
https://news.yahoo.co.jp/articles/1adefceaa3e7e50796a6db94b4deb9a29d05bd8c?page=1
3球団でプレーした太田氏が振り返る甲子園の日々…明かした思い
元近鉄、巨人、阪神でプレーした太田幸司氏は、野球評論家の傍ら、宝塚リトルシニアの総合技術アドバイザーとして野球に携わっている。あの1969年夏の甲子園決勝・松山商戦での延長18回0-0引き分け再試合の大熱投から半世紀以上が経過。1984年に阪神で現役生活を終えてからも41年を越えた。13年所属した愛着ある近鉄も“消滅”して、21年の月日が流れたが、かつての“国民的スター右腕”は、高校野球にもプロ野球にも、熱い思いを抱いている。
「土日で解説などの仕事がないときには(宝塚シニアの)グラウンドに行っています。60歳くらいまでは、シニアでもちょっと前からバッティングピッチャーとかで投げていたけど、もうそれは無理、無理。届かない。肩が回らない。情けない話ですけどね」と太田氏は言いながら「いい選手もいます。これから楽しみですよ」と目を細めた。野球を通じて成長していく子どもたちの姿を見るのが楽しみでしかたないようだ。
太田氏は現役引退後に結婚し、2男1女の父でもある。長男も次男も宝塚シニアを経て高校野球で活躍。「長男は福知山成美で甲子園にも出させてもらってね。長女は宝塚(歌劇団)で今も足を上げています」と優しい父の顔で話す。ちなみに高校時代から女性ファンに騒がれたが、当時、付き合っていた彼女はいなかったそうだ。「あの頃は街で女の子と歩いていたり、喫茶店とかに入ったりしたら不良とか言われていた時代。だから、逆によかったんじゃないかな」と笑った。
あの「コーちゃんフィーバー」の夏から半世紀以上が経過。「宝塚シニアの子どもたちは、夏の甲子園の中継などで、昔の映像が流れたのを見て『太田さん、出ていましたよ』とか言ったり、もうそんな程度ですよ。お父さん、お母さんもみんな若いし、まだ生まれていなかった世代だからね。よっぽど野球好きじゃないとね」と、外出も簡単ではなかった当時からすれば、考えられないほどの穏やかな日々を過ごしている。
「一時は、あの甲子園のことを言われるのが嫌な時期もあったんですよ。僕らの仲間でもそう。でも年をとってくると、それも変わってくるというかね。もし今、ああいう試合をやったとしても、あの頃みたいに日本中が盛り上がるかというとそれは分からない。あの時代だからこそ、ああいうことになったというか……。でも、ひとつだけ高校球史に残るのは決勝で18回。これはもう二度とないですからね」
願う高校野球の発展「選手の思いは昔も今も変わっていない」
OBとしてプロ野球界がさらに盛り上がってほしいと切に願う。「どんどんメジャーに行くようになったから、このペースで行ったらどうなるのって思いますけどね。それこそ日本の野球もメジャーと合併したらいいんじゃないかって思ったりもしますよ。10時間くらいの飛行機移動は、向こうの選手は屁とも思わないだろうしね。その前に手始めとして韓国、台湾と、アジアでリーグ戦をやるとか、とにかく何か新しいことをやらないといけないんじゃないかなぁ」。
その上で「ピッチクロックとかさ、どうなんだろうね。そりゃあ、ずーっとダラダラ長いのはいけないけど、ピンチになったら、いろんなことを……。日本って囲碁将棋があるでしょ。この一手を打ったら、次に何をどうこうって考える間があってね。野球もそこからバッテリーが勝負して、それを見ている側も何が来るとか、読むとか、そういう面白さもあると思うんですけどね。そんなに急いでどこ行くのよ、ですよ、本当に。(ミスタープロ野球の)長嶋(茂雄)さんも怒るよ。野球は感性ですよ」とも口にした。
高校野球についても熱い思いを抱いている。「僕は、やっている選手の思いって昔も今も変わっていないと思う。大人の方が変に気を使っているんじゃないかな。健康が一番だ、といってね。だって甲子園で試合をやっている方が楽なんだから。普段、暑いなかでどれだけ練習しているの。それをみんな言わないでしょ。なんか涼しいところでやっていたのが急に暑いところで野球をやるみたいな、で、夏の甲子園は体に悪いって。選手を大事にすることに反対するつもりはないけど、どうなんだろうなって……」などと、語り出したら止まらなかった。
古巣の近鉄は2004年限りでオリックスに吸収合併されて消滅した。「バファローズの名前は残っているけど全然違う。OB会だってもうないからね。今のオリックスは関西の球団として見ていますよ」と話す。1年ずつ在籍した巨人、阪神のOBでもあるが、根底にあるのは、やはり13年間にわたって培われた“近鉄魂”のようだ。
他の人たちとは違う特殊な野球人生となった太田氏だが、それは形を変えて今も継続中だ。「宝塚シニアの野球もそうだし、なんかちょっとでも死ぬまで野球に関わっていたいなと思っています」。74歳になった甲子園の“元祖アイドル右腕”は、“生涯野球人”を誓っている。
🔥東洋大姫路、渡辺裕太内野手と伏見翔一外野手「気負いがあった」昨秋の不振脱却へともに打撃改良
https://news.yahoo.co.jp/articles/5aaadf55ccaa021ccced82b3912eb3db3e356ad1
昨春から3季連続出場となる東洋大姫路(兵庫)の渡辺裕太内野手と伏見翔一外野手(ともに3年)。前回のセンバツにも出場しており、岡田龍生監督(64)がキーマンに挙げる存在だ。昨秋は不振にあえいだ2人が、聖地で復調をアピールする。
東洋大姫路としては初の3季連続出場を決めても、昨秋の公式戦打率が1割4分3厘の渡辺と、同2割の伏見には達成感がなかった。岡田監督は「秋はワースト1、2位くらいの打率。経験値があるので、2人がやってくれないと…」と期待する。
2人は同じ言葉を絞り出した。「気負いがありました」。昨春はともにレギュラーを務めただけに、チームを引っ張りたいという思いが強い分、空回りした。中軸を打つ渡辺は「練習不足でした。結果を求めて自分のスイングができなかった」と回顧。打撃フォームを見直し、肘が前に出る癖を修正した。
リードオフマンの伏見は、異なるアプローチで打撃を改良した。「バットを寝かしていたけど、立てるようにしたら、打球の質が変わった」。小、中学時の自身の映像を見て、変化に挑戦した。渡辺らと昨年末に参加した県選抜の台湾遠征では、他校生の盗塁技術を観察。50メートル走6秒2と、チーム屈指の俊足が走塁への意識を持ち始めた。
履正社(大阪)時代に、ヤクルト・山田哲人を育てた岡田監督は、2年秋にプロ入りを目標に据えてからの“変身”ぶりを見ている。「ひと冬を越えて、『これだけ人は変われるんだ』と」。それだけに、2人の姿勢には「まだまだ。人から言われずに、自分で考えないと」と注文を付けた。
1回戦は、第3日第1試合で花咲徳栄(埼玉)と対戦する。伏見は「勝つことだけを目標にして一致団結する」と言葉に力を込めた。甲子園優勝経験が8校中4校の激戦ブロックを勝ち抜く。
📝ノーサイン野球で養うチャレンジ力 卒業後も見据えたチームの作り方
https://news.yahoo.co.jp/articles/e0099dd74f33b2685902936ff6313ec8a3e7263a
監督は攻撃のサインを出さず、選手同士が自由に作戦を決め、盗塁や送りバント、エンドランなどを仕掛ける。
昨年の第97回センバツで、甲子園初勝利を挙げたエナジックスポーツ(沖縄)が取り組んで話題を呼んだ「ノーサイン野球」。激戦区・大阪にある強豪、大阪学院大高もノーサイン野球を実践する。
大阪学院大高は2024年の春季近畿地区大会大阪府予選で、高校球界をリードする大阪桐蔭と履正社を破って優勝。辻盛英一監督(49)のユニークな経歴と合わせ注目を集めた。夏に新チームが動き出したころ、練習試合や打撃練習では普通にサインが出る。
◇選択ミスしても怒らない
公式戦が近づくにつれその場面が減り、そのうちにサインが出なくなる。選手は公式戦までにチームの戦略や攻撃バリエーションを理解し、自分やチームメートの特性を把握する。これが、チームが形になるまでのイメージ。実戦ではイニング間にしっかり打ち合わせをした上で、どの作戦を選ぶかを選手が決めている。選手が自分の意図と異なる選択をした場合、どう考えるのか。
辻盛監督は「仮にバントの方が良かったと思う場合でも『ここはバントやろ』とは絶対に言わない。選択ミスをしたら怒られる。こう考えるようになると、選手は安全な作戦しか取らなくなる」と言う。
辻盛監督は大阪市立大(現大阪公立大)卒業後、住友銀行(現三井住友銀行)で全国トップの営業成績を上げ、外資系大手のアリコジャパン(現メットライフ生命保険)に転職した。ここでも13年連続でトップの成績を収め、18年に法人を専門とする生命保険代理店を起業。ビジネス書を出版したりセミナーを主催したりと精力的に活動する。
◇最初は選手も「びっくり」
「注意されたり怒られたりすると『怒られないためにはどうしよう』と考えるようになる。生産的なことは何も起こりませんよね」
野球部と保険代理店。分野は違ってもマネジメントに携わる姿勢は全く同じだという。
「どんどん失敗したらいい。失敗を責めるのではなく『次に成功させるには』と問えば、もう一回プランニングするようになる。チャレンジすることに一切文句は言いません」「怒らない指導」には選手の成長を促す一面もある。
「最初はフルスイングしての三振ならOKという感じでした。三振しても怒られないため気が楽で、自分が得意な『飛ばすこと』を意識することができました」と話すのは主将の樋爪信捕手(2年)。
当初は「サインがないことにびっくりした」と戸惑っていた樋爪主将も、1年生で4番を任される存在になった。辻盛監督には思い描くチームがある。「知的な野球小僧の集まりですね。エリートではなく野球小僧。『ここでこんな事をやってみよう』と、いたずらができるチームって強いと思うんです」
自分たちで考え、自分たちで野球を楽しむ。理想のチームはノーサイン野球の延長線上にある。
◇社会に出ても役立つ力
昨夏の甲子園に出場した弘前学院聖愛(青森)も18年からノーサイン野球に取り組む。イニングやボールカウント、走者の有無など野球には無数の局面がある。そこで重視するのが日々のミーティング。練習メニューは選手らで考え、プレーひとつひとつに根拠を求め合う。
原田一範監督(48)が発する言葉も指示ではなく質問がほとんど。練習試合後は「なぜあの状況でバントしたのか」「なぜこの場面で盗塁しなかったのか」など一球一球に「答え合わせ」を繰り返す。原田監督が見据えるのは選手たちの卒業後だ。
「選手自らが考えてアウトプットすることで鍛えられる能力は社会に出ても役に立つ。ノーサイン野球には人を成長させる仕組みがある」
🎤【馬淵史郎 我が道7】人生変えた三瓶高での出会い 松山商に憧れも…親から猛反対
https://news.yahoo.co.jp/articles/5b0ed55ee254b097113dec4d724c871899399280
松山商を必死に応援したよ。69年(昭44)夏の甲子園決勝。松山商の相手は青森代表の三沢。愛媛・八幡浜の中2だった自分もテレビの前で熱くなっていた。スコアボードにずっと0が並ぶ。1点を取るために、甲子園で必死の攻防が続いた。延長18回引き分けで再試合。名勝負だったな。
太田幸司がスターになった試合だったが、こっちはもちろん松山商派。投手・井上明、捕手・大森光生、4番・三塁が谷岡潔…。メンバーは今でも頭に入っている。自分も甲子園に行きたい。一色俊作監督の下で野球をやりたい。その思いを強くさせた試合だった。松山商の校歌もよく歌っていた。
中3のときに父・正夫の異動で、大島中から三瓶東中に転校した。初めて野球部に所属して、松山商への憧れは増した。ところが親に猛反対された。「高校から家を出るもんじゃない」「小さい体で松山商で野球をやるのは無理や」と頑なだった。三日三晩泣いたな。
思いを引きずりながら進学したのが県立三瓶高。ここで野球部に入った。1年の夏から遊撃でレギュラーになって準々決勝まで行った。甲子園は夢みたいなところだけど、ひょっとしたら行けるかも、と思ったけど、現実は厳しかった。3年の夏も2回戦で敗戦。でも高校野球ってのは楽しかったし、自分の原点だと今も思う。当時は八幡浜工の同じ遊撃に南海に入る河埜敬幸がいた。投手ではやはり南海で活躍した南宇和の藤田学。藤田には練習試合で完全試合をされたことも覚えている。カーブがとにかく良くて、狙っても当たらなかった。
学校では体は小さいけど、負けん気は人一倍だった。何か事件があるところに自分がいた。だから「事起こしの史郎」と周りから呼ばれた。大人になっても「事起こし」の人生になるとはね。
話は飛ぶけど、三瓶高は今はもうなくなってしまった。これも過疎化と少子化の影響なんだろう。20年に宇和高三瓶分校となり、24年度に廃校となった。最後に明徳義塾のチームを連れて、送別試合を企画した。母校で監督という夢も実はあった。関係者もいろいろ動いて、具体化しそうな時期もあったけど、かなわなかったな。
三瓶高で一番大きかったのは、恩師と呼べる人との出会いだ。3年夏が終わってから、野球部監督に就任されたのが田内逸明さん。松山北OBで松山聖陵、南宇和で監督をされていた。田内さんに野球のイロハを教わった。「弱いもんが強いもんに勝てるのが野球。作戦というのはそのためのもんや」ということを教わった。
もう現役は退いていたけど、田内さんの話が聞きたくて、コーチ見習いで練習の手伝いもした。この出会い、そして田内さんの人脈が、自分の人生に凄く大きな影響を与えることになる。
🎤【馬淵史郎 我が道8】拓大では野球とバイトの日々…いろんな勉強をした時代だった
https://news.yahoo.co.jp/articles/8317520710d46df54da7bbcbf4eca6e63acbf619
三瓶高で田内逸明監督の野球論に触れて、野球の奥深さを知った。それまでは投げて、打つだけの野球だった。でも田内さんからは「野球は強いもんが必ず勝つとは限らない。弱いなら頭を使う。それが作戦、戦術や」と教えていただいた。目から鱗が落ちる、というのは、こういうことだと、聞く話すべてが面白かった。自分の野球のベースにも田内さんの野球論がある。
大学も田内さんの勧めもあって、拓大に進学することになる。八幡浜から東京に出て行くとなると、お金もかかる。経済的に決して楽ではなかったから、進学を諦めかけた時期もあったけど、田内さんや周りの人の応援もあって、何とか1年後に進学できた。
でも、花の東京に出てきても、生活は厳しかった。野球部の活動がオフになる12月と1月は稼がないといけない時期だった。郵便局でのアルバイトや。12月はお歳暮の配達、1月は年賀状の配達。ここで頑張って、愛媛への帰省費用や春の野球部キャンプの費用に充てていた。よく働いたよ。
当時の拓大野球部の監督は綱島新八さん。大映や松竹でプレーした元プロ選手。拓大の前はPL学園でも監督をされていた。田内さんと仲が良かったという関係で、お世話になったという流れだった。1年から遊撃でレギュラーになった。でも4年間の最高成績は2部の3位。神宮が法大・江川卓の投球で盛り上がった時代だったけど、こっちにスポットライトが当たることはなかった。他には駒大の中畑清、専大には中尾孝義、東洋大には松沼博久・雅之兄弟や達川光男とかがいたね。
リーグ優勝とか1部昇格とは縁がなかったが、大学時代は面白かった。「花は桜木、男は拓大」とかうそぶいて、肩で風切って歩いていた。一言で言うなら猛者の集まり。先輩の前ではすべて「押忍」。厳しいこともあったけど、面倒見のいい先輩が多かった。金銭的に苦労しているのも知っていたから、食事もよくおごってもらった。
拓大の4年間で、上級生が手本となって、組織で規律を重んじる行動が大事だということは学んだ。これは社会に出てからも役立った。田舎育ちの人間でも人並みの一般常識を身につけることができた。合宿所周囲の清掃とかも毎日やって、近所の人たちにも応援していただけるように努めた。いろんな勉強をした時代だね。
明治神宮大会出場の時などに、今もお世話になっている拓大野球部では、長男の烈が20年から監督をさせていただいている。明徳義塾の寮で生まれ、育ち、高校では主将を務めた。内田俊雄さんの後任として監督となる時に「監督というのは自分で切り開くもの」「馬淵の息子というのは関係ない」とだけ伝えた。親としてはいつも応援している。
📝飛び交った“誹謗中傷” 屈辱の無期限の活動休止も…甲子園実現に「やってよかった」
https://news.yahoo.co.jp/articles/a5e278e28de9919c6484db97fbb0bff032a7969c?page=1
太田幸司氏は現役引退後、女子プロ野球のスーパーバイザーに就任
“元祖甲子園アイドル”で、元近鉄、巨人、阪神でプレーした太田幸司氏は、1984年の現役引退後、再びユニホームを着ることなく、外からプロ野球を見続けている。「伝える側に面白さ、魅力を感じたんです」。過去にはコーチとして誘う球団もあったが、あえて全て断って、現在も野球評論家として活動中だ。その間にはスポーツキャスターとして人気を博し、女子プロ野球のスーパーバイザーも務めた。
現役生活を阪神で終えた太田氏は当時を思い起こしながら「解説者になるとき『解説をやっている間に阪神の優勝を1回は見たいね』なんて冗談で言っていたら、(解説者)1年目に優勝だもんね」と笑みを浮かべた。1985年の阪神は、ランディ・バース内野手、掛布雅之内野手、岡田彰布内野手の強力クリーンアップを擁して、1964年以来21年ぶりのリーグ制覇と、2リーグ制になってから初の日本一に輝いたが、正直、驚いたという。
「(自分が在籍した)前の年(1984年)とほとんど同じメンバーだったしね。僕はバースにも紅白戦で投げたけど、その時はまだそんなにね……。(1985年に)解説になってキャンプ巡りして、高知で阪急の練習を見たらパカンパカン。安芸に行って阪神の練習を見たらポッスン、ポッスンで、なんだこれは、って。それがその年に優勝。掛布らがいたわけだけど、どうなっているのって思いましたよ」
そんな阪神Vの年から太田氏の”第2の野球人生“はスタートした。「辞めて何年かは現場にもう1回という気持ちも十分にありましたけどね。途中からいろんなことをファンに伝える側に魅力を感じ出して、これでやろうと思うようになったんです」。再びユニホームを着るという気持ちはどんどん薄れていった。「『ピッチングコーチをする気はないか』とか、いろんな方から声をかけてもらったんですけど、その時は(スポーツキャスターとして)番組もやっていましたしね」と断り続けたそうだ。
「僕自身、かつて、こんなニュアンスで言ったつもりはないんだけど、(マスコミに)違う書かれ方をしたりとか、嫌な時期があったんです。だから、やっぱり伝える側っていうのは、ちゃんとやらないといけない、ちゃんと伝えようみたいな……そういう思いもあってね」
青森・三沢高時代の1969年夏の甲子園決勝、松山商戦では延長18回、0-0引き分け再試合の大熱投で人気を博した。甘いマスクに女性ファンが熱狂した「コーちゃんフィーバー」は、社会現象にもなった。そんな人気を背負い、プロ生活に突入した太田氏にしか分からない世界がいくつもあったことだろう。伝えられる側から伝える側に立場が変わり、新たな使命みたいものも感じたようだ。
甲子園でレジェンド始球式に登板「すごく緊張しました」
2009年には日本女子プロ野球機構のスーパーバイザーに就任し、広報的な役割も果たした。残念ながら、2021年12月に同機構が無期限の活動休止となり「今は阪神も巨人も西武も、女子野球チームを持っていますが、自分らはちょっと早く行き過ぎたのかなっていうところはありますよね。目標としてはまず、女子プロ野球(発足)をきっかけに盛り上げて、底辺が広がればということだったんですけどね。だけど、いろんな誹謗中傷というか、そんなのも結構あったりとかでねぇ……」と何とも言えない表情で振り返った。
それでも、そんなアクションを起こしたことで、女子高校野球の全国大会決勝が甲子園球場で行われるようになるなど、現在につながっている。目標通り、当初よりも女子野球は広がりを見せており、その発展に貢献したのも間違いない。「そう思ってもらえれば、我々もやってよかったなってなりますけどね」と、太田氏は話した。
2018年夏、第100回全国高等学校野球選手権記念大会では、大阪桐蔭(北大阪)と金足農(秋田)の決勝戦で、太田氏はレジェンド始球式を行った。「あの時の金足農は、自分らの時の三沢高を彷彿させるような……。(エースの)吉田輝星(現オリックス)もいろんな(高校から)スカウトが来ていたみたいだけど、地元の仲間とやりたいから金足農に入ったって、何か自分を思い出すような、ね」と感慨深い思いで投げたという。
「プロの取材でよく甲子園に行くけど、久しぶりにマウンドに立ったら、(1968年の三沢高2年夏に)最初に甲子園に出た時みたいに膝がカクカクして……。すごく緊張しました。プロがやる甲子園と、高校野球をやっている時の甲子園は違うなと改めて感じましたね。そういうところに決勝戦で呼んでいただいたというのは、本当に高校野球をやっていてよかったというか、最高の栄誉だなと思いましたよね」
現在も毎日放送のラジオ解説者を務める。「今はどっちかというとパ・リーグ。オリックス-ソフトバンク戦の九州送りとか、オリックス-日本ハム戦の北海道送りとかの放送をやらせてもらったりしています。試合がない時は、その枠で吉本興業の野球好きの方々と、ちょっとおしゃべりさせてもらったりとかもね」と、野球の魅力を“伝える仕事”に全力投球中だ。
☟野球の九州アジアリーグが7イニング制を導入、夏の暑さ対策…昨夏は球場客席が60度超えていたことも
https://news.yahoo.co.jp/articles/f463547a2637ac60daa1372ed6c58525b90ce682
日ごとに暖かくなり、野球シーズンの到来を感じさせる。独立リーグの九州アジアリーグは14日に開幕する。
今季は、夏の暑さ対策として7イニング制を導入する。加盟、準加盟の計5チームが対戦する5月30日以降の公式戦で適用。これまでダブルヘッダーは7イニングで行われていたが、今季は大半のゲームが対象となる。
リーグによると、熊本の球場では昨夏、サーモグラフィーで測った客席が60度を超えていたことがあったという。炎天下のグラウンドでプレーする選手、スタッフに加え、観客への暑熱対策も待ったなしのようだ。リーグでは、投手の投球間隔に時間制限を設けるピッチクロックも2年前から取り入れてきたが、さらなる時短を目指す。
7イニング制は高校野球でも議論されている。戦い方などに大きな影響を及ぼすため、導入を巡ってはさまざまな意見がある。ただ、目の前の状況に対応を迫られているのも確か。リーグの選択は、どのような結果をもたらすだろうか。
☟高校野球練習試合解禁 記者は部員14人対11人の「7回制」に部活動としての現実も垣間見た
https://news.yahoo.co.jp/articles/4b81aac3ee211b3b0be1abd40f102cc43325088e
高校野球の練習試合が7日から解禁された。選抜に出場するチーム、そして春季大会を控える全国の強豪校などは、当然のごとく「9回制」で戦いをスタートさせている。一方で記者が聞き取りした、とある県立両校の練習試合は、「7回制」で2試合を実施した。
「14人対11人」の部員数の戦い。21日が初日の春季地区大会に向けての腕試しだが、両チームの願いはとにかく「ケガ人」が出ないこと。11人のチームは、いきなり初戦で投手が完投する負担も生じていたという。
早朝に降った雨のため、グラウンド整備もあり試合は午後1時開始。2試合終了は白球が見えづらくなった午後5時過ぎで、両軍選手はグッタリとして今季初戦を終えた。
14人の高校の方でさえ、日曜日である8日は疲労回復に務めるため、練習試合は組んでいないという。そして、試合を終えた関係者からは「とにかくケガ人なく初戦を終えたことにホッとしている」と声が出て、選手からは「9回制で戦いたかった」という声はあまり聞かれなかったという。
グラウンドが整備され(人工芝が敷かれ)、ナイター設備も備わるような環境で、部員数も豊富なら「9回制」で問題はないだろう。だが、今回聞き取りしたような環境の高校にとって、「9回」が「7回」になることに大きな不満が生じない部分もある。選抜に向けた各地区秋季大会は、実は「夏の甲子園」が開催されている同時期に、真夏の気温35度近くに達する炎天下で、一般の高校のグラウンドでスタートしているケースもある。全国の高校野球の現実だ。
聖地での試合終盤のドラマ、美談を欲するファンの視点。全国制覇を狙う強豪校スタッフ、部員の視点。そして、「勝ちたい」けど実力が伴わない公立高の視点に、高校野球を部活動と捉えて楽しむことを求めている部員の視点。
多くの視点で「7回制」は議論されている。記者がここで結論を出すことはない。だが、3396校(昨夏予選出場校)全てが「甲子園」に手が届く環境ではない中、現実的な視点を持つことも重要とは考えている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5b0ed55ee254b097113dec4d724c871899399280
松山商を必死に応援したよ。69年(昭44)夏の甲子園決勝。松山商の相手は青森代表の三沢。愛媛・八幡浜の中2だった自分もテレビの前で熱くなっていた。スコアボードにずっと0が並ぶ。1点を取るために、甲子園で必死の攻防が続いた。延長18回引き分けで再試合。名勝負だったな。
太田幸司がスターになった試合だったが、こっちはもちろん松山商派。投手・井上明、捕手・大森光生、4番・三塁が谷岡潔…。メンバーは今でも頭に入っている。自分も甲子園に行きたい。一色俊作監督の下で野球をやりたい。その思いを強くさせた試合だった。松山商の校歌もよく歌っていた。
中3のときに父・正夫の異動で、大島中から三瓶東中に転校した。初めて野球部に所属して、松山商への憧れは増した。ところが親に猛反対された。「高校から家を出るもんじゃない」「小さい体で松山商で野球をやるのは無理や」と頑なだった。三日三晩泣いたな。
思いを引きずりながら進学したのが県立三瓶高。ここで野球部に入った。1年の夏から遊撃でレギュラーになって準々決勝まで行った。甲子園は夢みたいなところだけど、ひょっとしたら行けるかも、と思ったけど、現実は厳しかった。3年の夏も2回戦で敗戦。でも高校野球ってのは楽しかったし、自分の原点だと今も思う。当時は八幡浜工の同じ遊撃に南海に入る河埜敬幸がいた。投手ではやはり南海で活躍した南宇和の藤田学。藤田には練習試合で完全試合をされたことも覚えている。カーブがとにかく良くて、狙っても当たらなかった。
学校では体は小さいけど、負けん気は人一倍だった。何か事件があるところに自分がいた。だから「事起こしの史郎」と周りから呼ばれた。大人になっても「事起こし」の人生になるとはね。
話は飛ぶけど、三瓶高は今はもうなくなってしまった。これも過疎化と少子化の影響なんだろう。20年に宇和高三瓶分校となり、24年度に廃校となった。最後に明徳義塾のチームを連れて、送別試合を企画した。母校で監督という夢も実はあった。関係者もいろいろ動いて、具体化しそうな時期もあったけど、かなわなかったな。
三瓶高で一番大きかったのは、恩師と呼べる人との出会いだ。3年夏が終わってから、野球部監督に就任されたのが田内逸明さん。松山北OBで松山聖陵、南宇和で監督をされていた。田内さんに野球のイロハを教わった。「弱いもんが強いもんに勝てるのが野球。作戦というのはそのためのもんや」ということを教わった。
もう現役は退いていたけど、田内さんの話が聞きたくて、コーチ見習いで練習の手伝いもした。この出会い、そして田内さんの人脈が、自分の人生に凄く大きな影響を与えることになる。
🎤【馬淵史郎 我が道8】拓大では野球とバイトの日々…いろんな勉強をした時代だった
https://news.yahoo.co.jp/articles/8317520710d46df54da7bbcbf4eca6e63acbf619
三瓶高で田内逸明監督の野球論に触れて、野球の奥深さを知った。それまでは投げて、打つだけの野球だった。でも田内さんからは「野球は強いもんが必ず勝つとは限らない。弱いなら頭を使う。それが作戦、戦術や」と教えていただいた。目から鱗が落ちる、というのは、こういうことだと、聞く話すべてが面白かった。自分の野球のベースにも田内さんの野球論がある。
大学も田内さんの勧めもあって、拓大に進学することになる。八幡浜から東京に出て行くとなると、お金もかかる。経済的に決して楽ではなかったから、進学を諦めかけた時期もあったけど、田内さんや周りの人の応援もあって、何とか1年後に進学できた。
でも、花の東京に出てきても、生活は厳しかった。野球部の活動がオフになる12月と1月は稼がないといけない時期だった。郵便局でのアルバイトや。12月はお歳暮の配達、1月は年賀状の配達。ここで頑張って、愛媛への帰省費用や春の野球部キャンプの費用に充てていた。よく働いたよ。
当時の拓大野球部の監督は綱島新八さん。大映や松竹でプレーした元プロ選手。拓大の前はPL学園でも監督をされていた。田内さんと仲が良かったという関係で、お世話になったという流れだった。1年から遊撃でレギュラーになった。でも4年間の最高成績は2部の3位。神宮が法大・江川卓の投球で盛り上がった時代だったけど、こっちにスポットライトが当たることはなかった。他には駒大の中畑清、専大には中尾孝義、東洋大には松沼博久・雅之兄弟や達川光男とかがいたね。
リーグ優勝とか1部昇格とは縁がなかったが、大学時代は面白かった。「花は桜木、男は拓大」とかうそぶいて、肩で風切って歩いていた。一言で言うなら猛者の集まり。先輩の前ではすべて「押忍」。厳しいこともあったけど、面倒見のいい先輩が多かった。金銭的に苦労しているのも知っていたから、食事もよくおごってもらった。
拓大の4年間で、上級生が手本となって、組織で規律を重んじる行動が大事だということは学んだ。これは社会に出てからも役立った。田舎育ちの人間でも人並みの一般常識を身につけることができた。合宿所周囲の清掃とかも毎日やって、近所の人たちにも応援していただけるように努めた。いろんな勉強をした時代だね。
明治神宮大会出場の時などに、今もお世話になっている拓大野球部では、長男の烈が20年から監督をさせていただいている。明徳義塾の寮で生まれ、育ち、高校では主将を務めた。内田俊雄さんの後任として監督となる時に「監督というのは自分で切り開くもの」「馬淵の息子というのは関係ない」とだけ伝えた。親としてはいつも応援している。
📝飛び交った“誹謗中傷” 屈辱の無期限の活動休止も…甲子園実現に「やってよかった」
https://news.yahoo.co.jp/articles/a5e278e28de9919c6484db97fbb0bff032a7969c?page=1
太田幸司氏は現役引退後、女子プロ野球のスーパーバイザーに就任
“元祖甲子園アイドル”で、元近鉄、巨人、阪神でプレーした太田幸司氏は、1984年の現役引退後、再びユニホームを着ることなく、外からプロ野球を見続けている。「伝える側に面白さ、魅力を感じたんです」。過去にはコーチとして誘う球団もあったが、あえて全て断って、現在も野球評論家として活動中だ。その間にはスポーツキャスターとして人気を博し、女子プロ野球のスーパーバイザーも務めた。
現役生活を阪神で終えた太田氏は当時を思い起こしながら「解説者になるとき『解説をやっている間に阪神の優勝を1回は見たいね』なんて冗談で言っていたら、(解説者)1年目に優勝だもんね」と笑みを浮かべた。1985年の阪神は、ランディ・バース内野手、掛布雅之内野手、岡田彰布内野手の強力クリーンアップを擁して、1964年以来21年ぶりのリーグ制覇と、2リーグ制になってから初の日本一に輝いたが、正直、驚いたという。
「(自分が在籍した)前の年(1984年)とほとんど同じメンバーだったしね。僕はバースにも紅白戦で投げたけど、その時はまだそんなにね……。(1985年に)解説になってキャンプ巡りして、高知で阪急の練習を見たらパカンパカン。安芸に行って阪神の練習を見たらポッスン、ポッスンで、なんだこれは、って。それがその年に優勝。掛布らがいたわけだけど、どうなっているのって思いましたよ」
そんな阪神Vの年から太田氏の”第2の野球人生“はスタートした。「辞めて何年かは現場にもう1回という気持ちも十分にありましたけどね。途中からいろんなことをファンに伝える側に魅力を感じ出して、これでやろうと思うようになったんです」。再びユニホームを着るという気持ちはどんどん薄れていった。「『ピッチングコーチをする気はないか』とか、いろんな方から声をかけてもらったんですけど、その時は(スポーツキャスターとして)番組もやっていましたしね」と断り続けたそうだ。
「僕自身、かつて、こんなニュアンスで言ったつもりはないんだけど、(マスコミに)違う書かれ方をしたりとか、嫌な時期があったんです。だから、やっぱり伝える側っていうのは、ちゃんとやらないといけない、ちゃんと伝えようみたいな……そういう思いもあってね」
青森・三沢高時代の1969年夏の甲子園決勝、松山商戦では延長18回、0-0引き分け再試合の大熱投で人気を博した。甘いマスクに女性ファンが熱狂した「コーちゃんフィーバー」は、社会現象にもなった。そんな人気を背負い、プロ生活に突入した太田氏にしか分からない世界がいくつもあったことだろう。伝えられる側から伝える側に立場が変わり、新たな使命みたいものも感じたようだ。
甲子園でレジェンド始球式に登板「すごく緊張しました」
2009年には日本女子プロ野球機構のスーパーバイザーに就任し、広報的な役割も果たした。残念ながら、2021年12月に同機構が無期限の活動休止となり「今は阪神も巨人も西武も、女子野球チームを持っていますが、自分らはちょっと早く行き過ぎたのかなっていうところはありますよね。目標としてはまず、女子プロ野球(発足)をきっかけに盛り上げて、底辺が広がればということだったんですけどね。だけど、いろんな誹謗中傷というか、そんなのも結構あったりとかでねぇ……」と何とも言えない表情で振り返った。
それでも、そんなアクションを起こしたことで、女子高校野球の全国大会決勝が甲子園球場で行われるようになるなど、現在につながっている。目標通り、当初よりも女子野球は広がりを見せており、その発展に貢献したのも間違いない。「そう思ってもらえれば、我々もやってよかったなってなりますけどね」と、太田氏は話した。
2018年夏、第100回全国高等学校野球選手権記念大会では、大阪桐蔭(北大阪)と金足農(秋田)の決勝戦で、太田氏はレジェンド始球式を行った。「あの時の金足農は、自分らの時の三沢高を彷彿させるような……。(エースの)吉田輝星(現オリックス)もいろんな(高校から)スカウトが来ていたみたいだけど、地元の仲間とやりたいから金足農に入ったって、何か自分を思い出すような、ね」と感慨深い思いで投げたという。
「プロの取材でよく甲子園に行くけど、久しぶりにマウンドに立ったら、(1968年の三沢高2年夏に)最初に甲子園に出た時みたいに膝がカクカクして……。すごく緊張しました。プロがやる甲子園と、高校野球をやっている時の甲子園は違うなと改めて感じましたね。そういうところに決勝戦で呼んでいただいたというのは、本当に高校野球をやっていてよかったというか、最高の栄誉だなと思いましたよね」
現在も毎日放送のラジオ解説者を務める。「今はどっちかというとパ・リーグ。オリックス-ソフトバンク戦の九州送りとか、オリックス-日本ハム戦の北海道送りとかの放送をやらせてもらったりしています。試合がない時は、その枠で吉本興業の野球好きの方々と、ちょっとおしゃべりさせてもらったりとかもね」と、野球の魅力を“伝える仕事”に全力投球中だ。
☟野球の九州アジアリーグが7イニング制を導入、夏の暑さ対策…昨夏は球場客席が60度超えていたことも
https://news.yahoo.co.jp/articles/f463547a2637ac60daa1372ed6c58525b90ce682
日ごとに暖かくなり、野球シーズンの到来を感じさせる。独立リーグの九州アジアリーグは14日に開幕する。
今季は、夏の暑さ対策として7イニング制を導入する。加盟、準加盟の計5チームが対戦する5月30日以降の公式戦で適用。これまでダブルヘッダーは7イニングで行われていたが、今季は大半のゲームが対象となる。
リーグによると、熊本の球場では昨夏、サーモグラフィーで測った客席が60度を超えていたことがあったという。炎天下のグラウンドでプレーする選手、スタッフに加え、観客への暑熱対策も待ったなしのようだ。リーグでは、投手の投球間隔に時間制限を設けるピッチクロックも2年前から取り入れてきたが、さらなる時短を目指す。
7イニング制は高校野球でも議論されている。戦い方などに大きな影響を及ぼすため、導入を巡ってはさまざまな意見がある。ただ、目の前の状況に対応を迫られているのも確か。リーグの選択は、どのような結果をもたらすだろうか。
☟高校野球練習試合解禁 記者は部員14人対11人の「7回制」に部活動としての現実も垣間見た
https://news.yahoo.co.jp/articles/4b81aac3ee211b3b0be1abd40f102cc43325088e
高校野球の練習試合が7日から解禁された。選抜に出場するチーム、そして春季大会を控える全国の強豪校などは、当然のごとく「9回制」で戦いをスタートさせている。一方で記者が聞き取りした、とある県立両校の練習試合は、「7回制」で2試合を実施した。
「14人対11人」の部員数の戦い。21日が初日の春季地区大会に向けての腕試しだが、両チームの願いはとにかく「ケガ人」が出ないこと。11人のチームは、いきなり初戦で投手が完投する負担も生じていたという。
早朝に降った雨のため、グラウンド整備もあり試合は午後1時開始。2試合終了は白球が見えづらくなった午後5時過ぎで、両軍選手はグッタリとして今季初戦を終えた。
14人の高校の方でさえ、日曜日である8日は疲労回復に務めるため、練習試合は組んでいないという。そして、試合を終えた関係者からは「とにかくケガ人なく初戦を終えたことにホッとしている」と声が出て、選手からは「9回制で戦いたかった」という声はあまり聞かれなかったという。
グラウンドが整備され(人工芝が敷かれ)、ナイター設備も備わるような環境で、部員数も豊富なら「9回制」で問題はないだろう。だが、今回聞き取りしたような環境の高校にとって、「9回」が「7回」になることに大きな不満が生じない部分もある。選抜に向けた各地区秋季大会は、実は「夏の甲子園」が開催されている同時期に、真夏の気温35度近くに達する炎天下で、一般の高校のグラウンドでスタートしているケースもある。全国の高校野球の現実だ。
聖地での試合終盤のドラマ、美談を欲するファンの視点。全国制覇を狙う強豪校スタッフ、部員の視点。そして、「勝ちたい」けど実力が伴わない公立高の視点に、高校野球を部活動と捉えて楽しむことを求めている部員の視点。
多くの視点で「7回制」は議論されている。記者がここで結論を出すことはない。だが、3396校(昨夏予選出場校)全てが「甲子園」に手が届く環境ではない中、現実的な視点を持つことも重要とは考えている。
📝【センバツ】剛腕BIG3激突か…最激戦区サバイバル 主砲欠く神宮王者ら波乱の対戦決定
https://news.yahoo.co.jp/articles/02fd0442d00287b45eca091f1364df69a9ea7b10
第98回選抜高校野球大会の組み合わせ抽選会が6日、大阪市内で行われ、出場32校の激突の構図が固まった。開会式の選手宣誓は、全校主将による抽選の結果、北照(北海道)の手代森煌斗主将に決定。順調に日程が消化されれば、31日に決勝が行われる。今大会は横浜(神奈川)の織田翔希、昨夏覇者・沖縄尚学の末吉良丞、山梨学院の菰田陽生ら、ドラフト候補の投手〝BIG3〟に注目が集中。群雄割拠の戦いを制し、紫紺の優勝旗を手にするのはどこか。
大会連覇を狙う本命は、MLBからも熱視線を浴びる〝世代ナンバーワン投手〟織田(3年)を擁する横浜だ。最速152キロの直球と驚異の制球力を誇る本格派右腕は、昨年の甲子園で6勝をマーク。初めて背番号「1」を背負い、第2日に実力校・神村学園(鹿児島)との初戦に臨む。新チームも公式戦22勝1敗と盤石で、小野、池田、江坂(いずれも3年)ら経験豊富なクリーンアップの破壊力も大会屈指だ。
今大会で最も過酷なサバイバルが予想されるのが、昨秋の各地区王者が一カ所に集結した「最激戦エリア」だろう。ここには、明治神宮大会を制した九州国際大付(福岡)を筆頭に、関東王者の山梨学院、近畿覇者の神戸国際大付(兵庫)、北海道王者の北照らがひしめき合う。
特に注目は大会4日目の第1試合、神宮大会決勝の再現となる九州国際大付対神戸国際大付だ。九州国際大付は、神宮Vの原動力となった主軸の牟礼翔(3年)が不祥事による出場停止で今大会のメンバーから外れているが、楠城祐介監督は「全員で束になって戦うだけ」と結束を強調する。対する神戸国際大付もリベンジに燃えており、序盤戦最大の山場となる。
同じブロックの第3試合には、194センチの大型二刀流・菰田(3年)を擁する山梨学院が登場。初戦の相手、長崎日大(長崎)も九州大会決勝で九州国際大付を土俵際まで追い詰めた実力校で、一戦必勝の緊張感が漂う。他にも専大松戸(千葉)や近江(滋賀)、大垣日大(岐阜)といった常連校が名を連ねており、ベスト4進出をかけた争いはかつてない高密度なものになる。
一方、夏春連覇に挑む沖縄尚学は、大会初日の開幕戦で古豪・帝京(東京)と激突する。エース左腕・末吉(3年)は、U―18日本代表を経験して精神的にも成熟。150キロの剛球に加え、冬場に磨いた球質の向上で相手打線をねじ伏せる構えだ。今大会から導入されるDH制を戦略にどう組み込むかが、打線の援護を引き出す鍵となる。
関西勢では、4年ぶりの王座奪還を目指す大阪桐蔭が不気味な存在だ。プロ注目の右腕・吉岡(3年)と大型左腕・川本(2年)の二枚看板は強力。秋に露呈した守備の課題をどこまで克服できているかが、名門復活への絶対条件となる。
さらに21世紀枠で出場する長崎西、高知農らの挑戦や、4季連続出場の花巻東(岩手)など、実力校が虎視眈々と頂点を狙う。北の大地から届く宣誓の声を合図に、聖地での熱い戦いが幕を開ける。
☟日大三野球部が春季大会出場辞退「指導体制の見直しを進めております」HPに文書掲載
https://news.yahoo.co.jp/articles/66ad7e20f1f0a4c9db2af8d1139c1adcca97bfd7
児童買春・児童ポルノ禁止法違反(製造や提供)容疑で硬式野球部の男子部員2人が書類送検された日大三(東京)が7日、春季東京大会を辞退することを発表した。同大会は各校にとって夏のシード権獲得を占う重要な位置づけで、8日に1次予選と東京大会の組み合わせ抽選会が控えていた。「現在、硬式野球部は活動を停止し、事案の重大性を踏まえ、指導体制および寮運営体制の見直しを進めております。このような状況を鑑み、春季大会への出場は辞退させていただくことといたしました」とホームページに掲載した。
昨夏の甲子園大会で準優勝した同校は、硬式野球部員2人(17歳と16歳)が女子生徒にわいせつ動画を送らせて拡散したなどとして、警視庁が先月12日までに書類送検した。動画は部員二十数人が受け取り、拡散には十数人が関わったとみられ、学校側は保護者説明会を開くなど対応にあたっていた。
東京都高野連は既に学校側から報告書を受け取り、日本高野連にも提出。今後は日本高野連の審議委員会で審議し、仮に対外試合禁止や指導者の謹慎といった処分が必要と判断された場合には、日本学生野球協会の審査室にかけられる。
💢「なんでいま?」楽天・浅村栄斗の書類送検に「1年かかった理由」と「無類のギャンブル好き」素顔
https://news.yahoo.co.jp/articles/9382194a3ede6a909df9ba628ff340a2778311d2
後輩にボートレースを“指南”
スマートフォンを通じたオンラインカジノでの賭博行為があったとして宮城県警は3月4日、楽天・浅村栄斗内野手(35)ら球団関係者計3人を書類送検した。
浅村を巡っては昨年、オンラインカジノを利用したとして書類送検された元巨人・オコエ瑠偉(28)の供述が話題を呼んだ。
「捜査関係者への取材の過程で、『(オコエが楽天在籍中だった2021年ごろに)楽天の先輩がオンラインカジノで遊んでいるのが(賭博をする)きっかけだった』と供述したことが報じられたのです。すぐさま球界では“犯人捜し”が始まり、ほどなくして浅村の名前が浮上していました」(在京テレビ局関係者)
浅村のギャンブル好きは、西武時代から有名だったという。当時を知る関係者が話す。
「とくにボートレースが大好きでした。ベンチ裏などで後輩にもその楽しさを伝えたりしていたんです。コロナ禍で行動制限があった2021年の東京五輪でも、侍ジャパンのメンバーだった浅村は、グラウンド内外でスマホを見ながら後輩たちにボートレースを“指南”していましたよ。公営ギャンブルで終わらせておけばよかったのに……」
競馬やボートレースと同じノリでオンラインカジノに手を染めていたとなれば言語道断。だが、気になるのは書類送検されたタイミングだ。球界でオンラインカジノ問題が取り沙汰されてから1年以上が経過した今になって、なぜ浅村ら3名の名前が挙がったのか。3月4日午後、楽天球団広報は「球団所属関係者」に関する声明を発表。
「昨年2月、オンラインカジノの利用に関し、球団内で自主申告の呼びかけを実施したところ該当者から自主申告があったため、宮城県警にご相談し、捜査にも真摯に対応してまいりました。
該当者は、オンラインカジノの違法性を認識しないまま、興味本位で利用してしまったことを深く反省しているうえ、12球団で申し合わせた制裁金の支払いも異議なく受け入れており、本件につきましては昨年時点で必要な対応を完了しております」
全国紙社会部記者はこう指摘する。「浅村がオンラインカジノにつぎ込んだ金額が、他の選手よりもかなり大きかったことで裏取りが難航し、多くの時間を要したようです。また、警察は年度をまたいで捜査を継続することを嫌がるので、3月というタイミングで書類送検に踏み切ったのでしょう」
浅村はすでに“禊”を済ませており、3月4日、静岡での1軍戦にも4番でスタメン出場していることからもわかるように、球団内では“終わった”出来事になっているという。チームの主砲らしく、今年は汚名返上といきたいところだ。
🎤【馬淵史郎 我が道5】脅迫電話も相次ぎ…騒動の責任感じ学校に進退伺も
https://news.yahoo.co.jp/articles/20750f6c119b5e3771f8c24a8747ddbf7a4c6c04
92年(平4)の「松井5敬遠」に対する世間の反応は、まさに想定外だった。当日夜はトップニュース。翌日の新聞でもいろんなことを書かれた。明徳義塾の宿舎には「馬淵を出せ」「高知に帰らせろ」などの電話が殺到。パトカーが出動し、周囲を警戒する騒ぎにもなった。監督も選手も宿舎から一歩も出られなくなった。
宿舎に「馬淵史郎様」で郵便が届いた。開けてみるとカミソリが入っていた。中に紙が一枚。「これで首切って死ね」。完全に悪役だった。気分はデストロイヤー、あるいはタイガー・ジェット・シンだったな。明徳義塾は何も悪いことをしていない。そう叫びたかった。野球とは何か。公認野球規則にはこう書いてある。「各チームは相手より多くの得点を記録して、勝つことを目的にする」。勝つために敬遠策を取った。汚い手を使って戦ったんじゃないと言いたかった。
星稜戦の6日後。張り詰めた中で3回戦の広島工戦を迎えた。ヤジられるのを覚悟で、甲子園に入ったが、待っていたのは意外な拍手だった。嫌がらせを受けていると報じられたのに加え、広島工側も「明徳義塾はルール違反をしたわけでなく、選手に何の罪もありません。広島工業野球部も同じ作戦を採用したかもわかりません」というビラを応援団に配ってくれたと聞いた。心から感謝したかったが、張り詰めた気持ちがなくなったためか、あっさりと負けてしまった。
やっぱり悔しかった。試合後のミーティングで「お前らはようやった」と言った瞬間、涙が止まらなくなった。負けたから泣いたんじゃない。耐えて、耐えてきて、こんな思いで大会が終わるなんて。それが悔しかった。
高知に帰って、監督としてケジメをつけないといけないと思った。学校にも脅迫電話が相次いでいた。迷惑をかけた責任は自分にある。吉田圭一校長に進退伺を出したが、突き返された。「間違ったことをしたんじゃないだろ。あれで辞めさせたら、それこそ教育にならない」と説得された。頭を下げるしかなかった。
いろんな声も届いていた。世界の王貞治さんは「ボクが監督でも敬遠したかもしれない。ルール違反なんかじゃない」と発言していただいたし、ビートたけしさんも「弱いところを研究して勝負するのは逃げじゃない。テニスでもバレーでも相手の得意なところにサーブを打つ人はいない」とコメントされていた。歴史が好きだからほとんどの本を読んだ司馬遼太郎さんが「高知の人間は目先のことにとらわれず、大局を見据える度量がある」と寄稿されたのも目にした。愛媛出身だったけど、うれしかった。
バッシングはしつこく続いていたけど、それこそ逃げるわけにはいかないと思った。「馬淵はあれで終わった」と言わせないためにも戦うしかなかった。
🎤【馬淵史郎 我が道6】体操服にマジックで背番「3」 旧姓は「馬淵」ではなく「中本」
https://news.yahoo.co.jp/articles/246e38ebd5d4d71d576222c54c5ef348a18b2f2c
ここで一回、私の小さいころの話をしよう。生まれたのは愛媛県八幡浜市。港から船で25分ほどのところにある大島で産声をあげた。父は正夫、母はアキ。父は中学校、母は小学校で島の先生だった。兄が2人で3人兄弟の末っ子やった。
当時は「中本」姓だった。高校も大学も社会人の阿部企業で監督をしたときも「中本史郎」だった。馬淵というのは母方の姓。跡取りがいなくて、馬淵の家を何とか継いでくれないか。母親に頼まれて、親孝行をできるときにはしとかんと、と承諾した。馬淵となったのは明徳義塾に行ってからだった。
海を見て育った。山より海。海の近くじゃないと落ち着かん。今も高知で海の側(そば)に住んでいる。怖いのは台風だけ。海というのは果てしなく広い。その向こうに何があるのか。チビっ子なりに想像していたんだと思う。大島では魚が豊富にあった。マグロとクジラ以外はほとんどの魚を釣ったと思う。関サバ、関アジの海ともつながっているから、東京では高値で取引される魚も干物にしていた。小学校高学年になったら、自分で4馬力の釣り船を運転して、沖で釣っていた。船の無免許運転だったけど、もう時効かな。
まだ戦後間もない時代だったし、生活は豊かじゃなかった。島では水道も通ってなくて、塩味のする井戸水を使っていた。風邪をひいたときに初めてバナナというものを食べたのも、思い出のひとつにある。
大島小、大島中と進む中、小さいころのヒーローは長嶋茂雄さんだった。小さいころはラジオで巨人戦を聴いて、東京五輪の時期に初めて買った白黒テレビでも長嶋さんのプレーばかり見ていた。格好良かったな。体操服にマジックで「3」と書いて、仲間を集めて「大島ジャイアンツ」というソフトボールチームをつくった。もちろんポジションは三塁。小6のときに八幡浜市内の大会で郡部や島の学校を対象にしていたBゾーンで優勝したんよ。連絡船で島に戻ったら、みんなで大漁旗を振って出迎えてくれた。あれはうれしかった。
でも野球の監督になったり、高校で先生になるという未来は頭の片隅にもなかった。父親も「教師にだけはなるなよ」とか言っていたしな。自分でも魚を釣って暮らすのが性に合うかなとは思っていた。遠洋漁業に一度出かけると、札束をどんと腹巻きの中に入れている漁師が周りには多かったし、その羽振りの良さに引かれていた。漁師になれば、ひと財産できると思っていた。中学時代には進路で漁業関係の高専ということも考えていたときがあった。
そんな中で中学生にとっては大きな事件が起こった。それが高校野球だった。69年(昭44)夏の甲子園。決勝は松山商と三沢。島の中学2年生にとって、あまりにも刺激的な延長18回の名勝負だった。
📝持丸修一 77歳名将の高校野球論
センバツ出場校の確定が「1月末」のメリット 昨秋“当確ライン突破”から「焦らし過ぎ」の声もあるけれど
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/383584
ようやくひとつ肩の荷が下りました。30日、高野連から今春センバツ出場校が発表され、無事、我が専大松戸が当選しました。日頃からお世話になっている方々や保護者の皆さま、日刊ゲンダイの読者さま、この場を借りて心よりお礼申し上げます。誠にありがとうございました。
昨年10月20日、秋季関東大会で横浜(神奈川)を破り、「当確ライン」といわれる準決勝進出を決めてから約3カ月。周囲から「センバツおめでとう」などと言われていましたが……。もし何かあったらどうしようと、心の片隅に漠然とした不安が募り、なんだか落ち着かない日々でした。
おかげさまで悩みが解消され、しばらくは快眠を取り戻すことができそうです。センバツの出場校発表時期に関して、「焦らし過ぎでは」「当確チームは11月発表、当落線上チームおよび21世紀枠は後日でいいのでは」という声もいただきました。皆さんの中にも同じように考える方もいらっしゃることでしょう。しかし、私に不満はまったくありません。むしろ、選手にとっては現行の1月末発表の方がメリットがあるとさえ思っています。
まず、仮に11月頭にセンバツ出場が確定するとしましょう。12月からは対外試合禁止期間に突入します。地道なトレーニングが続く中、大会が始まる3月中旬まで約5カ月弱もチームの士気を保つのは極めて困難です。もっと言えば、調子に乗って私生活が乱れる選手や、大会に出る前から燃え尽き症候群にかかる選手が出てくる懸念が生じます。
その点、1月末までの「中ぶらりん」は選手に絶妙な緊張感を与えてくれるから、前述のような事態に陥りにくい。しかも、出場確定で喜んだのも束の間、2月を迎えれば、「来月半ばから甲子園」です。つまり、秋から春までの過ごし方にメリハリが生まれ、モチベーションを保ちやすくなるわけです。さらに言うと、高校野球は勝っても負けても学ぶべきこと、成長の糧がある。専大松戸は秋季関東大会で甲子園切符は手に入れたものの、準決勝・山梨学院(山梨)戦は4-11(8回コールド)で完敗でした。それなのに大会終了後すぐ甲子園出場が確定していたらどうか。敗戦を反省し、咀嚼する間もありません。悔しさなんて跡形もなく吹き飛んでしまいます。
こうして見るといかがでしょうか。1月末発表だからこそ、専大松戸はさらに成長できたと考えています。
📝阪神から突然の誘い「どうする?」 栄光のドラが1黙々とこなした“裏方”…巡ってきた「最後の勝負」
https://news.yahoo.co.jp/articles/cea7d4506f83a5f35c32702dace0aea08e620eb0?page=1
太田氏が振り返る、プロ15年目に待っていた阪神移籍
“国民的スター選手”として名を馳せた太田幸司氏(野球評論家)は、プロ15年目の1984年限りで現役生活にピリオドを打った。前年(1983年)開幕前に近鉄から巨人に移籍し、そのオフに阪神へ移籍したが、1軍登板がなく、シーズン中盤には決断していたという。青森・三沢高時代に甲子園を沸かせ「コーちゃんフィーバー」を巻き起こした右腕は「甲子園で始まって甲子園で引退ということですからね」と不思議な縁も感じたそうだ。
近鉄時代のプロ6年目(1975年)にキャリアハイの12勝を挙げたのをはじめ、2桁勝利を3度マークした太田氏だが、1979年10月に右肩痛を発症。それ以降は苦しい戦いが続いた。プロ14年目の1983年開幕前の3月下旬に石渡茂内野手とともに、トレードで巨人に移籍し、新天地で再起を目指した。31歳になった甲子園のヒーローは若手に交じって、ひたむきに練習に取り組んだ。だが、1軍登板なしでレギュラーシーズンを終えた。
2年ぶりのセ・リーグ優勝を成し遂げた藤田元司監督率いる巨人投手陣の層は厚かった。江川卓投手、西本聖投手、定岡正二投手に加えて、プロ2年目の槙原寛己投手が12勝9敗1セーブの成績を残し、新人王に輝いた。そんななか太田氏は10月29日に開幕した西武との日本シリーズで1軍に呼ばれた。「日本シリーズの大きなメンバー枠には名前が入っていて、バッティングピッチャーをやってくれるかってことでした」。
太田氏はその役目も黙々とこなした。そのとき、新たな展開があった。「日本シリーズが行われた後楽園でバッティングピッチャーをして、スタンドで試合を見ていたら(巨人の)編成の人が来て『太田よ。ウチは、お前がファームでしっかり若手の見本になって、やっているのはすごく評価している。だから来年も契約しようと思っているんだけど、阪神から声がかかっている。どうする?』って聞かれたんです」。
プロ1年目(1970年)のオフ、太田氏は、青森から大阪に両親を呼び寄せて、一戸建てを購入して暮らしていた。だが、巨人移籍により単身で東京に行き、合宿所生活となっていた。そんな状況もあって、阪神への移籍を選んだ。「親も大阪に残していたし『阪神にお世話になります』と言いました。その時にはもう腹を括っていました。そこで駄目だったらユニホームを脱ごうという気持ちで行くことにしました」と最後の勝負の場と決めていた。
1983年11月、太田氏は鈴木弘規投手との1対1のトレードで巨人から阪神に移籍した。もはや第2の故郷になった大阪での精一杯やり尽くす意気込みで安藤統男監督体制のタイガースのユニホームに袖を通した。背番号は交換相手の鈴木投手がつけていた「24」になった。1984年、米国ハワイ州のマウイキャンプメンバーにも入った。「オープン戦も結構投げましたよ。池内(豊投手)と最後まで争って、開幕1軍枠には入れなかったけどね」。
結局、阪神では2軍で7試合に投げただけで1軍登板はなかった。「現状の自分が歯がゆかったですよ。ちょうど僕が入った時、(沖縄・興南高からドラフト3位入団の左腕・)仲田幸司(投手)が1年目だったけど、ランニングとかしたら僕の方が元気だったからね。でもブルペンでは、情けないボールしか放れなかったんでねぇ……(笑)。その辺のギャップとかも悔しかったですね」。夏頃には現役引退を決めたそうだ。
右肩痛で狂った歯車「後悔? ない、ない」
超人気者だったゆえ、ドラフト1位で近鉄に入団した際は、女性ファンが殺到し大騒ぎになった。しかし「辞める時は、何人かの記者の前で『引退します』と言ったぐらいの感じだったかなぁ」と話す。1980年から現役ラストイヤーの1984年までの5シーズン連続で0勝。右肩を痛めてから大きく歯車が狂ったプロ野球人生だったが「後悔? ない、ない、ない。そりゃあ、あの時にもうちょっとこうしておけば、というのがあるけどトータル的にはね」と語気を強めた。
「だって、その時はそれがベストだと思ってやっているわけだから。あとで考えたら、こっちの方が良かったかなというのがあるかもしれないけど、人生、一つしか選べないわけだからね。両方いっぺんにはできない。周りが僕をどう評価するかはどうでもいいんですよ。ただ、自分が自分に対して『頑張ったね』っていうような声はかけられるな、と思っています」。尋常ではない人気を背負いながらプロ生活をスタートさせ、やれることはやったのだ。
通算成績は318試合に登板し58勝85敗4セーブ、防御率4.05。「語呂がいいね。58と85の裏表で」と太田氏は笑い「まぁ15年やって、たかが58勝ですよ。でも僕はね、58勝よりも85敗。これを誇りに思っています。85敗も勝負どころで投げていたっていうことでね。人の評価と自分の評価は違うと思う。高校から鳴り物入りでドラフト1位で入ってきて1軍を経験できずにやめていく選手もたくさんいるわけですからね。多分いろいろ葛藤して、もがいて、それでも結果がでなかったんだろうなって容易に想像できますから……」と言って頷いた
1969年、三沢高3年夏の甲子園決勝。松山商戦で延長18回、0-0引き分け再試合の大熱投は、太田氏を一気に全国区にした。そこから、いろんな戦いをくぐり抜けてきた。プロ2年目には自信を喪失して辞めることも考えた。3年目、甲子園球場での球宴で、巨人・王貞治内野手と長嶋茂雄内野手の“ON”をスライダーとシュートで封じてきっかけをつかんだ。5年目には初の2桁10勝、6年目には12勝をマークした。だが10年目に右肩を痛めて……。
「プロに入る前に僕はうまいこと行きすぎていた。それがプロでちょっと挫折を味わって、そこからある程度勝ちだして、今度は肩を壊して……。波瀾万丈というか、プロに入ってからのほうが紆余曲折、いいことも悪いことも。悪いことの方が多かったかもしれないけど、そういうことを経験したのは後々にも役立っているのかなと思います」。人気と実力を両立させるべく歩み続けた太田氏のプロ野球人生もまた伝説になっている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/02fd0442d00287b45eca091f1364df69a9ea7b10
第98回選抜高校野球大会の組み合わせ抽選会が6日、大阪市内で行われ、出場32校の激突の構図が固まった。開会式の選手宣誓は、全校主将による抽選の結果、北照(北海道)の手代森煌斗主将に決定。順調に日程が消化されれば、31日に決勝が行われる。今大会は横浜(神奈川)の織田翔希、昨夏覇者・沖縄尚学の末吉良丞、山梨学院の菰田陽生ら、ドラフト候補の投手〝BIG3〟に注目が集中。群雄割拠の戦いを制し、紫紺の優勝旗を手にするのはどこか。
大会連覇を狙う本命は、MLBからも熱視線を浴びる〝世代ナンバーワン投手〟織田(3年)を擁する横浜だ。最速152キロの直球と驚異の制球力を誇る本格派右腕は、昨年の甲子園で6勝をマーク。初めて背番号「1」を背負い、第2日に実力校・神村学園(鹿児島)との初戦に臨む。新チームも公式戦22勝1敗と盤石で、小野、池田、江坂(いずれも3年)ら経験豊富なクリーンアップの破壊力も大会屈指だ。
今大会で最も過酷なサバイバルが予想されるのが、昨秋の各地区王者が一カ所に集結した「最激戦エリア」だろう。ここには、明治神宮大会を制した九州国際大付(福岡)を筆頭に、関東王者の山梨学院、近畿覇者の神戸国際大付(兵庫)、北海道王者の北照らがひしめき合う。
特に注目は大会4日目の第1試合、神宮大会決勝の再現となる九州国際大付対神戸国際大付だ。九州国際大付は、神宮Vの原動力となった主軸の牟礼翔(3年)が不祥事による出場停止で今大会のメンバーから外れているが、楠城祐介監督は「全員で束になって戦うだけ」と結束を強調する。対する神戸国際大付もリベンジに燃えており、序盤戦最大の山場となる。
同じブロックの第3試合には、194センチの大型二刀流・菰田(3年)を擁する山梨学院が登場。初戦の相手、長崎日大(長崎)も九州大会決勝で九州国際大付を土俵際まで追い詰めた実力校で、一戦必勝の緊張感が漂う。他にも専大松戸(千葉)や近江(滋賀)、大垣日大(岐阜)といった常連校が名を連ねており、ベスト4進出をかけた争いはかつてない高密度なものになる。
一方、夏春連覇に挑む沖縄尚学は、大会初日の開幕戦で古豪・帝京(東京)と激突する。エース左腕・末吉(3年)は、U―18日本代表を経験して精神的にも成熟。150キロの剛球に加え、冬場に磨いた球質の向上で相手打線をねじ伏せる構えだ。今大会から導入されるDH制を戦略にどう組み込むかが、打線の援護を引き出す鍵となる。
関西勢では、4年ぶりの王座奪還を目指す大阪桐蔭が不気味な存在だ。プロ注目の右腕・吉岡(3年)と大型左腕・川本(2年)の二枚看板は強力。秋に露呈した守備の課題をどこまで克服できているかが、名門復活への絶対条件となる。
さらに21世紀枠で出場する長崎西、高知農らの挑戦や、4季連続出場の花巻東(岩手)など、実力校が虎視眈々と頂点を狙う。北の大地から届く宣誓の声を合図に、聖地での熱い戦いが幕を開ける。
☟日大三野球部が春季大会出場辞退「指導体制の見直しを進めております」HPに文書掲載
https://news.yahoo.co.jp/articles/66ad7e20f1f0a4c9db2af8d1139c1adcca97bfd7
児童買春・児童ポルノ禁止法違反(製造や提供)容疑で硬式野球部の男子部員2人が書類送検された日大三(東京)が7日、春季東京大会を辞退することを発表した。同大会は各校にとって夏のシード権獲得を占う重要な位置づけで、8日に1次予選と東京大会の組み合わせ抽選会が控えていた。「現在、硬式野球部は活動を停止し、事案の重大性を踏まえ、指導体制および寮運営体制の見直しを進めております。このような状況を鑑み、春季大会への出場は辞退させていただくことといたしました」とホームページに掲載した。
昨夏の甲子園大会で準優勝した同校は、硬式野球部員2人(17歳と16歳)が女子生徒にわいせつ動画を送らせて拡散したなどとして、警視庁が先月12日までに書類送検した。動画は部員二十数人が受け取り、拡散には十数人が関わったとみられ、学校側は保護者説明会を開くなど対応にあたっていた。
東京都高野連は既に学校側から報告書を受け取り、日本高野連にも提出。今後は日本高野連の審議委員会で審議し、仮に対外試合禁止や指導者の謹慎といった処分が必要と判断された場合には、日本学生野球協会の審査室にかけられる。
💢「なんでいま?」楽天・浅村栄斗の書類送検に「1年かかった理由」と「無類のギャンブル好き」素顔
https://news.yahoo.co.jp/articles/9382194a3ede6a909df9ba628ff340a2778311d2
後輩にボートレースを“指南”
スマートフォンを通じたオンラインカジノでの賭博行為があったとして宮城県警は3月4日、楽天・浅村栄斗内野手(35)ら球団関係者計3人を書類送検した。
浅村を巡っては昨年、オンラインカジノを利用したとして書類送検された元巨人・オコエ瑠偉(28)の供述が話題を呼んだ。
「捜査関係者への取材の過程で、『(オコエが楽天在籍中だった2021年ごろに)楽天の先輩がオンラインカジノで遊んでいるのが(賭博をする)きっかけだった』と供述したことが報じられたのです。すぐさま球界では“犯人捜し”が始まり、ほどなくして浅村の名前が浮上していました」(在京テレビ局関係者)
浅村のギャンブル好きは、西武時代から有名だったという。当時を知る関係者が話す。
「とくにボートレースが大好きでした。ベンチ裏などで後輩にもその楽しさを伝えたりしていたんです。コロナ禍で行動制限があった2021年の東京五輪でも、侍ジャパンのメンバーだった浅村は、グラウンド内外でスマホを見ながら後輩たちにボートレースを“指南”していましたよ。公営ギャンブルで終わらせておけばよかったのに……」
競馬やボートレースと同じノリでオンラインカジノに手を染めていたとなれば言語道断。だが、気になるのは書類送検されたタイミングだ。球界でオンラインカジノ問題が取り沙汰されてから1年以上が経過した今になって、なぜ浅村ら3名の名前が挙がったのか。3月4日午後、楽天球団広報は「球団所属関係者」に関する声明を発表。
「昨年2月、オンラインカジノの利用に関し、球団内で自主申告の呼びかけを実施したところ該当者から自主申告があったため、宮城県警にご相談し、捜査にも真摯に対応してまいりました。
該当者は、オンラインカジノの違法性を認識しないまま、興味本位で利用してしまったことを深く反省しているうえ、12球団で申し合わせた制裁金の支払いも異議なく受け入れており、本件につきましては昨年時点で必要な対応を完了しております」
全国紙社会部記者はこう指摘する。「浅村がオンラインカジノにつぎ込んだ金額が、他の選手よりもかなり大きかったことで裏取りが難航し、多くの時間を要したようです。また、警察は年度をまたいで捜査を継続することを嫌がるので、3月というタイミングで書類送検に踏み切ったのでしょう」
浅村はすでに“禊”を済ませており、3月4日、静岡での1軍戦にも4番でスタメン出場していることからもわかるように、球団内では“終わった”出来事になっているという。チームの主砲らしく、今年は汚名返上といきたいところだ。
🎤【馬淵史郎 我が道5】脅迫電話も相次ぎ…騒動の責任感じ学校に進退伺も
https://news.yahoo.co.jp/articles/20750f6c119b5e3771f8c24a8747ddbf7a4c6c04
92年(平4)の「松井5敬遠」に対する世間の反応は、まさに想定外だった。当日夜はトップニュース。翌日の新聞でもいろんなことを書かれた。明徳義塾の宿舎には「馬淵を出せ」「高知に帰らせろ」などの電話が殺到。パトカーが出動し、周囲を警戒する騒ぎにもなった。監督も選手も宿舎から一歩も出られなくなった。
宿舎に「馬淵史郎様」で郵便が届いた。開けてみるとカミソリが入っていた。中に紙が一枚。「これで首切って死ね」。完全に悪役だった。気分はデストロイヤー、あるいはタイガー・ジェット・シンだったな。明徳義塾は何も悪いことをしていない。そう叫びたかった。野球とは何か。公認野球規則にはこう書いてある。「各チームは相手より多くの得点を記録して、勝つことを目的にする」。勝つために敬遠策を取った。汚い手を使って戦ったんじゃないと言いたかった。
星稜戦の6日後。張り詰めた中で3回戦の広島工戦を迎えた。ヤジられるのを覚悟で、甲子園に入ったが、待っていたのは意外な拍手だった。嫌がらせを受けていると報じられたのに加え、広島工側も「明徳義塾はルール違反をしたわけでなく、選手に何の罪もありません。広島工業野球部も同じ作戦を採用したかもわかりません」というビラを応援団に配ってくれたと聞いた。心から感謝したかったが、張り詰めた気持ちがなくなったためか、あっさりと負けてしまった。
やっぱり悔しかった。試合後のミーティングで「お前らはようやった」と言った瞬間、涙が止まらなくなった。負けたから泣いたんじゃない。耐えて、耐えてきて、こんな思いで大会が終わるなんて。それが悔しかった。
高知に帰って、監督としてケジメをつけないといけないと思った。学校にも脅迫電話が相次いでいた。迷惑をかけた責任は自分にある。吉田圭一校長に進退伺を出したが、突き返された。「間違ったことをしたんじゃないだろ。あれで辞めさせたら、それこそ教育にならない」と説得された。頭を下げるしかなかった。
いろんな声も届いていた。世界の王貞治さんは「ボクが監督でも敬遠したかもしれない。ルール違反なんかじゃない」と発言していただいたし、ビートたけしさんも「弱いところを研究して勝負するのは逃げじゃない。テニスでもバレーでも相手の得意なところにサーブを打つ人はいない」とコメントされていた。歴史が好きだからほとんどの本を読んだ司馬遼太郎さんが「高知の人間は目先のことにとらわれず、大局を見据える度量がある」と寄稿されたのも目にした。愛媛出身だったけど、うれしかった。
バッシングはしつこく続いていたけど、それこそ逃げるわけにはいかないと思った。「馬淵はあれで終わった」と言わせないためにも戦うしかなかった。
🎤【馬淵史郎 我が道6】体操服にマジックで背番「3」 旧姓は「馬淵」ではなく「中本」
https://news.yahoo.co.jp/articles/246e38ebd5d4d71d576222c54c5ef348a18b2f2c
ここで一回、私の小さいころの話をしよう。生まれたのは愛媛県八幡浜市。港から船で25分ほどのところにある大島で産声をあげた。父は正夫、母はアキ。父は中学校、母は小学校で島の先生だった。兄が2人で3人兄弟の末っ子やった。
当時は「中本」姓だった。高校も大学も社会人の阿部企業で監督をしたときも「中本史郎」だった。馬淵というのは母方の姓。跡取りがいなくて、馬淵の家を何とか継いでくれないか。母親に頼まれて、親孝行をできるときにはしとかんと、と承諾した。馬淵となったのは明徳義塾に行ってからだった。
海を見て育った。山より海。海の近くじゃないと落ち着かん。今も高知で海の側(そば)に住んでいる。怖いのは台風だけ。海というのは果てしなく広い。その向こうに何があるのか。チビっ子なりに想像していたんだと思う。大島では魚が豊富にあった。マグロとクジラ以外はほとんどの魚を釣ったと思う。関サバ、関アジの海ともつながっているから、東京では高値で取引される魚も干物にしていた。小学校高学年になったら、自分で4馬力の釣り船を運転して、沖で釣っていた。船の無免許運転だったけど、もう時効かな。
まだ戦後間もない時代だったし、生活は豊かじゃなかった。島では水道も通ってなくて、塩味のする井戸水を使っていた。風邪をひいたときに初めてバナナというものを食べたのも、思い出のひとつにある。
大島小、大島中と進む中、小さいころのヒーローは長嶋茂雄さんだった。小さいころはラジオで巨人戦を聴いて、東京五輪の時期に初めて買った白黒テレビでも長嶋さんのプレーばかり見ていた。格好良かったな。体操服にマジックで「3」と書いて、仲間を集めて「大島ジャイアンツ」というソフトボールチームをつくった。もちろんポジションは三塁。小6のときに八幡浜市内の大会で郡部や島の学校を対象にしていたBゾーンで優勝したんよ。連絡船で島に戻ったら、みんなで大漁旗を振って出迎えてくれた。あれはうれしかった。
でも野球の監督になったり、高校で先生になるという未来は頭の片隅にもなかった。父親も「教師にだけはなるなよ」とか言っていたしな。自分でも魚を釣って暮らすのが性に合うかなとは思っていた。遠洋漁業に一度出かけると、札束をどんと腹巻きの中に入れている漁師が周りには多かったし、その羽振りの良さに引かれていた。漁師になれば、ひと財産できると思っていた。中学時代には進路で漁業関係の高専ということも考えていたときがあった。
そんな中で中学生にとっては大きな事件が起こった。それが高校野球だった。69年(昭44)夏の甲子園。決勝は松山商と三沢。島の中学2年生にとって、あまりにも刺激的な延長18回の名勝負だった。
📝持丸修一 77歳名将の高校野球論
センバツ出場校の確定が「1月末」のメリット 昨秋“当確ライン突破”から「焦らし過ぎ」の声もあるけれど
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/383584
ようやくひとつ肩の荷が下りました。30日、高野連から今春センバツ出場校が発表され、無事、我が専大松戸が当選しました。日頃からお世話になっている方々や保護者の皆さま、日刊ゲンダイの読者さま、この場を借りて心よりお礼申し上げます。誠にありがとうございました。
昨年10月20日、秋季関東大会で横浜(神奈川)を破り、「当確ライン」といわれる準決勝進出を決めてから約3カ月。周囲から「センバツおめでとう」などと言われていましたが……。もし何かあったらどうしようと、心の片隅に漠然とした不安が募り、なんだか落ち着かない日々でした。
おかげさまで悩みが解消され、しばらくは快眠を取り戻すことができそうです。センバツの出場校発表時期に関して、「焦らし過ぎでは」「当確チームは11月発表、当落線上チームおよび21世紀枠は後日でいいのでは」という声もいただきました。皆さんの中にも同じように考える方もいらっしゃることでしょう。しかし、私に不満はまったくありません。むしろ、選手にとっては現行の1月末発表の方がメリットがあるとさえ思っています。
まず、仮に11月頭にセンバツ出場が確定するとしましょう。12月からは対外試合禁止期間に突入します。地道なトレーニングが続く中、大会が始まる3月中旬まで約5カ月弱もチームの士気を保つのは極めて困難です。もっと言えば、調子に乗って私生活が乱れる選手や、大会に出る前から燃え尽き症候群にかかる選手が出てくる懸念が生じます。
その点、1月末までの「中ぶらりん」は選手に絶妙な緊張感を与えてくれるから、前述のような事態に陥りにくい。しかも、出場確定で喜んだのも束の間、2月を迎えれば、「来月半ばから甲子園」です。つまり、秋から春までの過ごし方にメリハリが生まれ、モチベーションを保ちやすくなるわけです。さらに言うと、高校野球は勝っても負けても学ぶべきこと、成長の糧がある。専大松戸は秋季関東大会で甲子園切符は手に入れたものの、準決勝・山梨学院(山梨)戦は4-11(8回コールド)で完敗でした。それなのに大会終了後すぐ甲子園出場が確定していたらどうか。敗戦を反省し、咀嚼する間もありません。悔しさなんて跡形もなく吹き飛んでしまいます。
こうして見るといかがでしょうか。1月末発表だからこそ、専大松戸はさらに成長できたと考えています。
📝阪神から突然の誘い「どうする?」 栄光のドラが1黙々とこなした“裏方”…巡ってきた「最後の勝負」
https://news.yahoo.co.jp/articles/cea7d4506f83a5f35c32702dace0aea08e620eb0?page=1
太田氏が振り返る、プロ15年目に待っていた阪神移籍
“国民的スター選手”として名を馳せた太田幸司氏(野球評論家)は、プロ15年目の1984年限りで現役生活にピリオドを打った。前年(1983年)開幕前に近鉄から巨人に移籍し、そのオフに阪神へ移籍したが、1軍登板がなく、シーズン中盤には決断していたという。青森・三沢高時代に甲子園を沸かせ「コーちゃんフィーバー」を巻き起こした右腕は「甲子園で始まって甲子園で引退ということですからね」と不思議な縁も感じたそうだ。
近鉄時代のプロ6年目(1975年)にキャリアハイの12勝を挙げたのをはじめ、2桁勝利を3度マークした太田氏だが、1979年10月に右肩痛を発症。それ以降は苦しい戦いが続いた。プロ14年目の1983年開幕前の3月下旬に石渡茂内野手とともに、トレードで巨人に移籍し、新天地で再起を目指した。31歳になった甲子園のヒーローは若手に交じって、ひたむきに練習に取り組んだ。だが、1軍登板なしでレギュラーシーズンを終えた。
2年ぶりのセ・リーグ優勝を成し遂げた藤田元司監督率いる巨人投手陣の層は厚かった。江川卓投手、西本聖投手、定岡正二投手に加えて、プロ2年目の槙原寛己投手が12勝9敗1セーブの成績を残し、新人王に輝いた。そんななか太田氏は10月29日に開幕した西武との日本シリーズで1軍に呼ばれた。「日本シリーズの大きなメンバー枠には名前が入っていて、バッティングピッチャーをやってくれるかってことでした」。
太田氏はその役目も黙々とこなした。そのとき、新たな展開があった。「日本シリーズが行われた後楽園でバッティングピッチャーをして、スタンドで試合を見ていたら(巨人の)編成の人が来て『太田よ。ウチは、お前がファームでしっかり若手の見本になって、やっているのはすごく評価している。だから来年も契約しようと思っているんだけど、阪神から声がかかっている。どうする?』って聞かれたんです」。
プロ1年目(1970年)のオフ、太田氏は、青森から大阪に両親を呼び寄せて、一戸建てを購入して暮らしていた。だが、巨人移籍により単身で東京に行き、合宿所生活となっていた。そんな状況もあって、阪神への移籍を選んだ。「親も大阪に残していたし『阪神にお世話になります』と言いました。その時にはもう腹を括っていました。そこで駄目だったらユニホームを脱ごうという気持ちで行くことにしました」と最後の勝負の場と決めていた。
1983年11月、太田氏は鈴木弘規投手との1対1のトレードで巨人から阪神に移籍した。もはや第2の故郷になった大阪での精一杯やり尽くす意気込みで安藤統男監督体制のタイガースのユニホームに袖を通した。背番号は交換相手の鈴木投手がつけていた「24」になった。1984年、米国ハワイ州のマウイキャンプメンバーにも入った。「オープン戦も結構投げましたよ。池内(豊投手)と最後まで争って、開幕1軍枠には入れなかったけどね」。
結局、阪神では2軍で7試合に投げただけで1軍登板はなかった。「現状の自分が歯がゆかったですよ。ちょうど僕が入った時、(沖縄・興南高からドラフト3位入団の左腕・)仲田幸司(投手)が1年目だったけど、ランニングとかしたら僕の方が元気だったからね。でもブルペンでは、情けないボールしか放れなかったんでねぇ……(笑)。その辺のギャップとかも悔しかったですね」。夏頃には現役引退を決めたそうだ。
右肩痛で狂った歯車「後悔? ない、ない」
超人気者だったゆえ、ドラフト1位で近鉄に入団した際は、女性ファンが殺到し大騒ぎになった。しかし「辞める時は、何人かの記者の前で『引退します』と言ったぐらいの感じだったかなぁ」と話す。1980年から現役ラストイヤーの1984年までの5シーズン連続で0勝。右肩を痛めてから大きく歯車が狂ったプロ野球人生だったが「後悔? ない、ない、ない。そりゃあ、あの時にもうちょっとこうしておけば、というのがあるけどトータル的にはね」と語気を強めた。
「だって、その時はそれがベストだと思ってやっているわけだから。あとで考えたら、こっちの方が良かったかなというのがあるかもしれないけど、人生、一つしか選べないわけだからね。両方いっぺんにはできない。周りが僕をどう評価するかはどうでもいいんですよ。ただ、自分が自分に対して『頑張ったね』っていうような声はかけられるな、と思っています」。尋常ではない人気を背負いながらプロ生活をスタートさせ、やれることはやったのだ。
通算成績は318試合に登板し58勝85敗4セーブ、防御率4.05。「語呂がいいね。58と85の裏表で」と太田氏は笑い「まぁ15年やって、たかが58勝ですよ。でも僕はね、58勝よりも85敗。これを誇りに思っています。85敗も勝負どころで投げていたっていうことでね。人の評価と自分の評価は違うと思う。高校から鳴り物入りでドラフト1位で入ってきて1軍を経験できずにやめていく選手もたくさんいるわけですからね。多分いろいろ葛藤して、もがいて、それでも結果がでなかったんだろうなって容易に想像できますから……」と言って頷いた
1969年、三沢高3年夏の甲子園決勝。松山商戦で延長18回、0-0引き分け再試合の大熱投は、太田氏を一気に全国区にした。そこから、いろんな戦いをくぐり抜けてきた。プロ2年目には自信を喪失して辞めることも考えた。3年目、甲子園球場での球宴で、巨人・王貞治内野手と長嶋茂雄内野手の“ON”をスライダーとシュートで封じてきっかけをつかんだ。5年目には初の2桁10勝、6年目には12勝をマークした。だが10年目に右肩を痛めて……。
「プロに入る前に僕はうまいこと行きすぎていた。それがプロでちょっと挫折を味わって、そこからある程度勝ちだして、今度は肩を壊して……。波瀾万丈というか、プロに入ってからのほうが紆余曲折、いいことも悪いことも。悪いことの方が多かったかもしれないけど、そういうことを経験したのは後々にも役立っているのかなと思います」。人気と実力を両立させるべく歩み続けた太田氏のプロ野球人生もまた伝説になっている。
第1話 昨夏以来の松江入り 古豪対決 米子東VS広島商 山陰球児と学ラン女子応援団
10/25 秋季中国大会初日開幕試合 松江市営球場 米子東(鳥取③)-広島商(広島①) 11:02~13:48
一二三四五六七八九十計HE
広島商業000200221 7143 大宗、徳永-片岡亮、柳井
米 子 東000011000 263 田中、遠藤、丸山-福井
第二試合
開 星
下関国際
手を伸ばしてもあまりにも遠すぎて届かないと思われた山陰・・・・・・。ガンダーラよろしく🎵どうしたら、行けるのだろう?教えて欲しい!!と口ずさみたくもなった。
宝塚の自宅からどうすれば行けるのか???電車移動しか手段はないのだが、30代の頃は健闘するも実現不可能と諦めて、近畿以外だったら岡山・三重・岐阜・福井・徳島で満足していた。
イロイロ調べてみたら、鳥取市にはJR三ノ宮から「スーパーはくと」で2時間30分程度で行けることは分かったが、米子そして島根の松江・浜山となれば、新幹線で岡山経由で「特急やくも」の長時間移動が必至。特に浜山は出雲市なんで岡山から3時間強。そしてバスで約30分かかるという。。。。。
ずっとしり込みしていたが、甲子園か倉敷マスカットの中国大会でしか山陰球児を見ることができないので、、、45歳になったのを機に秋季中国大会が鳥取開催(鳥取市&米子市)で開催されるので思い切って足を運び次回以降行くか行かないか決めようと。
結局、最初の鳥取は初日から雨天中止で鳥取駅では本降りの雨だったが、球場を見たかったのでバスに揺られて当時のコカ・コーラスポーツパーク球場(現ヤマタSP球場)へ。
実はその頃、どら焼きドラマチックパーク米子球場は2時間遅れで2試合消化と。バスでトンボ帰りしたら陽が射してきたので、レンタサイクル借りて鳥取砂丘に行くと砂丘で再度雨が降り長い間トンネルで雨露凌ぎ、延泊して鳥取-鳥取-米子ー鳥取の長ハードスケジュールの秋の4日間を過ごすと。
鳥取が気に入ったので島根にもと考えたが、コロナ騒動が勃発し2020秋季中国大会は無観客試合に💢。それでも松江ー松江ー浜山に足を運び外野スタンド後方から覗き見することが可能な地方球場独特の構図で観光がてら球場にも足を運び松江城や出雲大社も堪能し、駅に着くまではしんどかったが、駅を降りると元気になれた!簡単にまとめると。。。
2019秋 鳥取 コカ・コーラ(鳥取市)~コカ・コーラ(鳥取市)~どら焼きドラマチックパーク米子~コカ・コーラ(鳥取市)
2020秋 島根 松江~松江~浜山(出雲市)・・・無観客試合のため慰安旅行 兼 外野後方から半分弱見学
2021春 鳥取 倉吉~米子~鳥取・・・・・・・・無観客試合のため慰安旅行 兼 米子で45分ほど外野後方から見学
2022春 島根 前泊で米子~松江観光~浜山(出雲市)~浜山(出雲市)
2023夏 山陰 どら焼きドラマチックパーク米子~浜山(出雲市)~松江・・・中国大会なかったので夏の県大会両県観戦
ということで、2024秋は6年連続山陰入りだが、、、順番なら秋は鳥取開催のはずが、どら焼きドラマチックパーク米子がスコアボード改修工事のため使用不可で翌年、浜山が長期改修工事で1年間使用不可という事情で順番を入れ替えて島根開催となったが、2025年秋はなぜかしら山口にその座を取られてしまった↓↓結局秋の中国大会鳥取開催は2026年7年ぶりに開催される運びとなったが、なんと26年は春は島根・秋は鳥取と山陰祭りとなり、1年に2度も出かけるだけの予算が厳しすぎてなおかつ体力的にしんどいので、、、春の島根で初日4試合観戦に託して鳥取は25年秋の県大会で鳥取~鳥取~倉吉と2泊3日したので27年春の中国大会が米子開催と信じて断腸の思いで見送りと。
さて、2024年10月25~27日の3日間の天気だが、松江にいる26日までは快晴だが最終日どうやら雲行きが怪しくなりそうで。。。。。出雲市駅から浜山球場までは約6kmほど離れており、そこから出雲大社は4km程度北上しなければならず、レンタサイクルをヤドで借りるつもりなんで・・・・・雨降ったらバス移動になるし、最終日は過去3回出雲大社参拝はいずれも昼過ぎ~夕方だったので今度は朝参りしてから球場入りのつもりが・・・・・。
とりあえず松江の2日間は快晴が保証されているので、まずは最初の2日間を堪能して日曜日は少しでも雨が降るタイミングが遅くなることを信じて早朝4時起床。5時08分の始発電車に乗って新神戸で新幹線に乗り込んで約30分で岡山だが、乗り換え15分弱で特急やくもに乗り込んで、野を越え谷越え山越えて・・・米子駅1つ手前の東山公園駅すぐ横の「どら焼きドラマチックパーク米子球場」を横目に見て米子駅到着からまだ30分強かかる。島根に入ると宍道湖や中湖など車窓がずいぶん変わりワクワク感が増す。
2時間40分程度やくもにお世話になり、ここから松江駅弁を急いで購入して10時ちょうどの松江市営バスに乗り込んで最寄りのバス停に着くのだが、いかんせんバス停から球場までは丘を越えなければならず長い坂道歩いて汗かいて10時30分頃球場入り。自宅から約5時間30分程度で到着。11時開始で本当に助かる!!
松江の開幕試合は米子東ー広島商の古豪対決。浜山の方は盈進ー出雲商だったので、非常にラッキーだったなと。僕は幼少の頃にTVで観た純白のユニホームに黄緑色でYONAGOと書かれたユニホームがお気に入りだ!平成初期まではしょっちゅう甲子園に出ていたが、僕が本格的に甲子園生観戦するようになってからは、八頭・境・倉吉東などに押され倉吉北・米子松蔭・鳥取城北といった私学勢の台頭もありなかなか観戦する機会がなかったが、ようやく2019年夏甲子園生観戦が実現したがなんと初戦のカードが智弁和歌山で・・・1-8と完敗。。。
広島商も昔は強かったが、平成に入ってからは広陵が圧倒的な力を見せつけ、広島商の野球に怖さは感じなかった。荒谷監督が就任しちょこちょこ甲子園に出てくるようになったが、センバツでは1勝したあとに大阪桐蔭戦を前にコロナ出場辞退などの不運もあったので、相手にとって不足はないかと。
グラウンドに散水することなく10時55分開始式が行われ国旗掲揚と国歌斉唱のいつもの中国スタイル。近畿ではこれがないので新鮮だった。この日は東北東7、3mの風と松江城に比べたらずいぶん南側になるので日本海から離れてはいるが風がきつい。荒谷監督は長袖アンダーシャツだったが、熱血漢の紙本監督は半袖のアンダーシャツ。しかし試合序盤からウインドブレーカー着用と。
金曜日の昼間だけに授業を考えるとアルプスは寂しいのかと思いきや、米子東は公立高校ながら学校休んで応援団とブラスバンドが駆け付け、女の子1人紅一点で学ラン着て最前列で選手を後押ししていたのが印象的だった。広島商はやはり太鼓1つの応援。広陵もそんな感じだし、その他広島県勢も・・・ただ、広島商は広島県勢がダイスキなサウスポーを応援曲には取り入れていない独自路線だ。
試合は広島商がエース・大宗。米子東はなんと1年生18番・田中が先発だった。1回表いきなりセカンド正面のゴロを弾くエラーで山陰のチームらしい守備のほころびを見せてしまった米子東。試合巧者相手の広商相手にこれは厳しいと思ったが、荒谷監督は広商野球を捨てたのか?ノーバントでゴリ押しするも打者3人連続凡退し無得点。
その裏、米子東は1死後2番・大瀧がセンター前ヒットを放つもこれまた山陰らしくけん制タッチアウト!で攻守にミスを発動・・・・。まさに兵庫大会における但馬勢の野球そっくりで日本海側のチーム特有の悲しいサガを見てしまい結果的に3人で攻撃終了。
田中投手がまだ1年生ということでずいぶん心配したが、2回はわずか3球でツーアウト。2死後ヒットを許すが盗塁失敗で事なきを得たが、新チームの広島商はずいぶんゴリ押しするチームだと感じた。
3回は大宗投手自ら内野安打を放ち今度はきっちり送りバントを初球から決めて1死2塁と広商野球を見せて上位につないだが、ショートフライに外133km直球空振り三振と毎回走者を出し続けるも得点できない初戦の硬さが見られた。
なんとか先取点をもぎ取って相手の焦りを誘いたい米子東だが、3塁アルプスの大声援も虚しく2・3回とそれぞれ三者凡退に抑えられ全く攻撃の糸口をつかめないまま防戦一方で序盤を終えた。
試合が動いたのは4回。広商の先頭3番・三田が初球セーフティーバントをかましファール直後の2球目にセンター前ヒット。さらに4番・名越もセンター前ヒット。5番・藤田は定石通りバントで1死2・3塁と形を作ろうとするが2球ファールで追い込まれしゃーなしに打たせてまさかのピッチャーゴロ1-6-3ダブルプレー!!6番・末田も2球で追い込みここもピンチ脱出と思われたが、、、、、2-1からの5球目サードゴロ正面だったがサード・大瀧がこれを後逸、、、、、記録上は内野安打だが打ち取った打球が失点に結びついてしまった。。。
さらに盗塁を決められ、7番・片岡亮が9球粘って右中間タイムリースリーベースで2-0と厳しくなってきた。8番・大宗投手はチェンジアップで空振り三振を奪うも2点差は厳しい。。
それでも米子東はその裏、1死から2・3番が連打して1・2塁と同点のチャンスを作った。4番・村上が両翼92mと狭い松江市営のスタンドに放り込めば一気に3-2と逆転だが、4番の一撃はライトフライ。5番・西本は1-3からセカンドゴロで1点も取れない。。。。。
5回表広島商は流れに乗り1死から1・2番が連打し苦しくなってきた。特に2番打者のカウント1-1後にファーストファールフライを打ち上げたがこれがまさかの落球で、、、取れるアウトを取ることができず生き返った打者にヒットを喰らい自滅してしまう山陰野球の特徴が顔を覗かせる。それでも紙本監督は懲罰交代もなし、1年生投手を続投させ3番・三田を6-4-3ダブルプレーに仕留め5回2失点と先発投手の役割を果たしている。
その裏、ついに米子東打線が目覚めた!先頭の6番・市川が右中間に大飛球を放ち勢い余って広商のセンター三田がフェンスに激突しその間に打者走者が3塁到達!2分間の中断を経て三田が復活。
無死3塁の大チャンスに米子東のチャンステーマ🎵神風が松江市営球場にこだました!
https://www.youtube.com/watch?v=OKv_shvUA4g
米子ー松江は山陰本線1本で行けるし、果てしなく遠い場所ではないが、平日学校を休んで熱い中、屋根のないアルプススタンドで演奏し続ける吹奏楽部に学ラン着て声をからして応援を続ける紅一点の女学生たちのためにも試合を盛り上げたいシーン。7番・田中投手に代打を送らず8球粘って四球を選び無死1・3塁。荒谷監督がすぐさまタイムを取って内野は中間守備。8番・福井の打撃に期待したが、待っている間に2球で追い込まれ最後は外ストレート空振り三振しかしこの場面で1塁走者の田中投手が盗塁を決めて1死2・3塁。ここで代打・老松を起用し、同じようにじっくりボールを見て2球で追い込まれながらも2-1から5球目ショートゴロの間に待望の1点が入った!!
1番・角井も四球を選び、まさかのダブルスチールなど紙本監督の采配に注目していたが、無策で2番・大瀧1-2からショートゴロで1点どまり・・・・・。
この試合を見て特別、広島商が強いという印象は持てなかった。。。エース・大宗が超高校級のスーパーエースとは思えなかったし、迫田監督が築いた緻密な広商野球は影を潜め、ちと荒っぽい印象を受けた。米子東はまだエース温存しているし、序盤から苦しみながらもなんとか相手を2点に抑えているし、泥臭く1点返してまだ4イニング残っているし、投手陣がとにかく踏ん張り続けていれば終盤まさかの展開が待ち受けているかもしれないと一縷の望みを持っていた。
ここまでヒット数は広島商が8本で米子東は4本と倍打っているが、毎回5残塁と波に乗り切れない・・・。ここから先の展開は投手陣の継投が大きなカギを握りそうな気がしての後半戦。
6回表4案からの攻撃でここもカウント1-2からサードファールフライだが、この試合2度目の落球・・・直後にセンター前に抜けそうな打球を放たれるが、ショート・市川の好プレーで1塁アウト!2死から四球を与え前の打席先制タイムリースリーベースを喰らった7番・片岡亮に回してしまったが、今度はレフトフライに抑えまだ分からない。
事実、その裏1死からショートゴロ悪送球でチャンスをもらい、セカンドゴロで2死2塁。6番・市川は反撃のノロシを上げる右中間タイムリースリーベースを放っただけに申告敬遠も覚悟したが、広商バッテリーは勝負を挑み1ボールからレフト前ヒット!当然2塁走者はホームを狙いに行くが、走っている最中に相手サードとぶつかってしまった・・・・・。これで球運が逃げていくのか、、、と観念していたら審判団の判断で走塁妨害が認められ思わぬ形で2-2同点!!ここも田中投手にそのまま打たせて無策のままカーブに手が出ず見逃しの三振。
しかし、劣勢を運が味方してがっぷり四つの展開に持ってきた。実は5回終了1時間17分かかっており、中国大会らしいスローペースだったが、あるいは開幕試合から延長タイブレークのロングゲームも視野に入ってきた!!
しかし7回表広商は1死から9番・正田がストレートの四球で歩くと、1番・西村が1ボールからエンドランを仕掛け、サードゴロだったが足に気を取られたのか?サード・大瀧がこれを弾くエラーで1死1・3塁のピンチを招き2番・小田にきっちりセンター犠飛を放たれ1点勝ち越されてしまった、、、さらに3番・三田のカウント2-2から痛恨のワイルドピッチで4点目。後手に回ってから紙本監督がタイムを取ったが時すでに遅し。直後に四球で4番・名越にも2ボールとなったところでようやく投手交代だが、同じ1年生の背番号17遠藤投手がリリーフ。センター前ヒットを許し、四球で満塁と傷口を広げてしまいようやくエース・丸山が登板し、レフトフライで3者残塁。こうなると継投機が遅すぎたか・・・。
その裏、2点もらった大宗投手が躍動し2者連続見逃しの三振を取り2死からヒットを許してもピッチャーゴロでベンチに戻り逃げ切り態勢に入った。
広商は8回も先頭打者がストレートの四球で出塁し、下位打線が無策で連続三振を喰らったが、盗塁でかき回し1番・西村が内野安打でつなぎ、相手の暴投やショート正面のゴロ悪送球といった相手の自滅で2点を追加。9回は3・4番の連続ツーベースと長打攻勢で7点目を奪いワンサイド気味に・・・それでも米子東は切れずに3連打でなおも無死1・3塁のピンチをショートゴロでホーム封殺。センター前ヒットもセンター吉岡の好返球でホーム寸前タッチアウトと好プレーを魅せそれ以上の失点を防いだ。
だが、打線が終盤全く機能せず気が付けば9回裏も先頭がピッチャーゴロ。あと2人で完投となるが、荒谷監督は次戦以降も見据えてか?このタイミングでバッテリーごと交代。。。
どうやら大宗-片岡亮・徳永-柳井がワンセットのようで新チーム結成以来この継投で公式戦負けなしのようだが、、、右投手からサウスポーに代わり幻惑され、代打・宗定はスライダーに三振。2死からストレートの四球で出たものの最後は代打・山下外128kmの直球に見逃しの三振で万事休す。。。
中国大会は近畿や四国と違って校歌斉唱もなく試合終了後の挨拶が終われば愛想なく両軍ともにファールグラウンドへ走っていく・・・・・。
結局序盤はもたついたが広島商が終盤に地力を発揮して米子東に5点差つけて完勝ということだろうか?米子東は守備のミスを連発して自滅したきらいもあるが、やはり中国大会に行けば「鳥取にはいない好投手そして総合力の高いチームとの対戦」が待っているだけに厳しい戦いを迫られる。
気が付けば試合時間2時間46分とプロ野球なみのスローペースで米子東のブラスバンドも堪能できたが、やはり負けると悔しいものがある。一方、浜山では盈進が出雲商に3-1で勝利したようでこちらは2時間07分とおとなしめの試合で松江で良かったと。
3塁側の場外では米子東の学ランを着た女学生も片付けをして球場を後にしようとしている・・・もしセンバツに出たら、報道陣の取材も多数来るのかもしれないが、中国大会初戦敗退では誰も注目しないまま米子に戻ることとなる。。。女学生が学ラン着ていたら普通に怖くて近寄りがたいと言うのがボクの所感だが、東海地区の応援団などは結構このスタイルが定番のようで。。。
さて、第2試合は今大会1番の注目カード。開星-下関国際だ!!あのヤクザ監督が現場復帰して、コロナ騒動で中止などもありまだ甲子園に帰還していないが、中国大会に顔を出したのでまた近いうちに・・・。下関国際は文武別道の坂原監督が健在で、23年夏の甲子園準優勝は強烈なインパクトを残した。
まだ開星は強打のイメージがあるが、下関国際は意外とスモールベースボールに徹するのでロースコアの接戦になると予想したが、意外とワンサイドゲームに、、、それはまた次回の講釈で。
キッサコ🎵道 https://www.youtube.com/watch?v=nI8kyB2ZWl8
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 犠飛 四球 三振 暴投 失点 自責
広 島 商 大 宗 8 1/3 33 131 6 0 0 1 9 0 2 0
広 島 商 徳 永 2/3 3 15 0 0 0 1 1 0 0 0
米 子 東 田 中 6 2/3 31 101 8 1 1 3 2 1 4 3
米 子 東 遠 藤 0/3 2 8 1 0 0 1 0 0 0 0
米 子 東 丸 山 2 1/3 13 59 5 0 0 1 3 1 3 1
(完)
🌟次回予告🌟
10/25 秋季中国大会初日第2試合 松江市営球場 開星(島根②)-下関国際(山口②)
10/25 秋季中国大会初日開幕試合 松江市営球場 米子東(鳥取③)-広島商(広島①) 11:02~13:48
一二三四五六七八九十計HE
広島商業000200221 7143 大宗、徳永-片岡亮、柳井
米 子 東000011000 263 田中、遠藤、丸山-福井
第二試合
開 星
下関国際
手を伸ばしてもあまりにも遠すぎて届かないと思われた山陰・・・・・・。ガンダーラよろしく🎵どうしたら、行けるのだろう?教えて欲しい!!と口ずさみたくもなった。
宝塚の自宅からどうすれば行けるのか???電車移動しか手段はないのだが、30代の頃は健闘するも実現不可能と諦めて、近畿以外だったら岡山・三重・岐阜・福井・徳島で満足していた。
イロイロ調べてみたら、鳥取市にはJR三ノ宮から「スーパーはくと」で2時間30分程度で行けることは分かったが、米子そして島根の松江・浜山となれば、新幹線で岡山経由で「特急やくも」の長時間移動が必至。特に浜山は出雲市なんで岡山から3時間強。そしてバスで約30分かかるという。。。。。
ずっとしり込みしていたが、甲子園か倉敷マスカットの中国大会でしか山陰球児を見ることができないので、、、45歳になったのを機に秋季中国大会が鳥取開催(鳥取市&米子市)で開催されるので思い切って足を運び次回以降行くか行かないか決めようと。
結局、最初の鳥取は初日から雨天中止で鳥取駅では本降りの雨だったが、球場を見たかったのでバスに揺られて当時のコカ・コーラスポーツパーク球場(現ヤマタSP球場)へ。
実はその頃、どら焼きドラマチックパーク米子球場は2時間遅れで2試合消化と。バスでトンボ帰りしたら陽が射してきたので、レンタサイクル借りて鳥取砂丘に行くと砂丘で再度雨が降り長い間トンネルで雨露凌ぎ、延泊して鳥取-鳥取-米子ー鳥取の長ハードスケジュールの秋の4日間を過ごすと。
鳥取が気に入ったので島根にもと考えたが、コロナ騒動が勃発し2020秋季中国大会は無観客試合に💢。それでも松江ー松江ー浜山に足を運び外野スタンド後方から覗き見することが可能な地方球場独特の構図で観光がてら球場にも足を運び松江城や出雲大社も堪能し、駅に着くまではしんどかったが、駅を降りると元気になれた!簡単にまとめると。。。
2019秋 鳥取 コカ・コーラ(鳥取市)~コカ・コーラ(鳥取市)~どら焼きドラマチックパーク米子~コカ・コーラ(鳥取市)
2020秋 島根 松江~松江~浜山(出雲市)・・・無観客試合のため慰安旅行 兼 外野後方から半分弱見学
2021春 鳥取 倉吉~米子~鳥取・・・・・・・・無観客試合のため慰安旅行 兼 米子で45分ほど外野後方から見学
2022春 島根 前泊で米子~松江観光~浜山(出雲市)~浜山(出雲市)
2023夏 山陰 どら焼きドラマチックパーク米子~浜山(出雲市)~松江・・・中国大会なかったので夏の県大会両県観戦
ということで、2024秋は6年連続山陰入りだが、、、順番なら秋は鳥取開催のはずが、どら焼きドラマチックパーク米子がスコアボード改修工事のため使用不可で翌年、浜山が長期改修工事で1年間使用不可という事情で順番を入れ替えて島根開催となったが、2025年秋はなぜかしら山口にその座を取られてしまった↓↓結局秋の中国大会鳥取開催は2026年7年ぶりに開催される運びとなったが、なんと26年は春は島根・秋は鳥取と山陰祭りとなり、1年に2度も出かけるだけの予算が厳しすぎてなおかつ体力的にしんどいので、、、春の島根で初日4試合観戦に託して鳥取は25年秋の県大会で鳥取~鳥取~倉吉と2泊3日したので27年春の中国大会が米子開催と信じて断腸の思いで見送りと。
さて、2024年10月25~27日の3日間の天気だが、松江にいる26日までは快晴だが最終日どうやら雲行きが怪しくなりそうで。。。。。出雲市駅から浜山球場までは約6kmほど離れており、そこから出雲大社は4km程度北上しなければならず、レンタサイクルをヤドで借りるつもりなんで・・・・・雨降ったらバス移動になるし、最終日は過去3回出雲大社参拝はいずれも昼過ぎ~夕方だったので今度は朝参りしてから球場入りのつもりが・・・・・。
とりあえず松江の2日間は快晴が保証されているので、まずは最初の2日間を堪能して日曜日は少しでも雨が降るタイミングが遅くなることを信じて早朝4時起床。5時08分の始発電車に乗って新神戸で新幹線に乗り込んで約30分で岡山だが、乗り換え15分弱で特急やくもに乗り込んで、野を越え谷越え山越えて・・・米子駅1つ手前の東山公園駅すぐ横の「どら焼きドラマチックパーク米子球場」を横目に見て米子駅到着からまだ30分強かかる。島根に入ると宍道湖や中湖など車窓がずいぶん変わりワクワク感が増す。
2時間40分程度やくもにお世話になり、ここから松江駅弁を急いで購入して10時ちょうどの松江市営バスに乗り込んで最寄りのバス停に着くのだが、いかんせんバス停から球場までは丘を越えなければならず長い坂道歩いて汗かいて10時30分頃球場入り。自宅から約5時間30分程度で到着。11時開始で本当に助かる!!
松江の開幕試合は米子東ー広島商の古豪対決。浜山の方は盈進ー出雲商だったので、非常にラッキーだったなと。僕は幼少の頃にTVで観た純白のユニホームに黄緑色でYONAGOと書かれたユニホームがお気に入りだ!平成初期まではしょっちゅう甲子園に出ていたが、僕が本格的に甲子園生観戦するようになってからは、八頭・境・倉吉東などに押され倉吉北・米子松蔭・鳥取城北といった私学勢の台頭もありなかなか観戦する機会がなかったが、ようやく2019年夏甲子園生観戦が実現したがなんと初戦のカードが智弁和歌山で・・・1-8と完敗。。。
広島商も昔は強かったが、平成に入ってからは広陵が圧倒的な力を見せつけ、広島商の野球に怖さは感じなかった。荒谷監督が就任しちょこちょこ甲子園に出てくるようになったが、センバツでは1勝したあとに大阪桐蔭戦を前にコロナ出場辞退などの不運もあったので、相手にとって不足はないかと。
グラウンドに散水することなく10時55分開始式が行われ国旗掲揚と国歌斉唱のいつもの中国スタイル。近畿ではこれがないので新鮮だった。この日は東北東7、3mの風と松江城に比べたらずいぶん南側になるので日本海から離れてはいるが風がきつい。荒谷監督は長袖アンダーシャツだったが、熱血漢の紙本監督は半袖のアンダーシャツ。しかし試合序盤からウインドブレーカー着用と。
金曜日の昼間だけに授業を考えるとアルプスは寂しいのかと思いきや、米子東は公立高校ながら学校休んで応援団とブラスバンドが駆け付け、女の子1人紅一点で学ラン着て最前列で選手を後押ししていたのが印象的だった。広島商はやはり太鼓1つの応援。広陵もそんな感じだし、その他広島県勢も・・・ただ、広島商は広島県勢がダイスキなサウスポーを応援曲には取り入れていない独自路線だ。
試合は広島商がエース・大宗。米子東はなんと1年生18番・田中が先発だった。1回表いきなりセカンド正面のゴロを弾くエラーで山陰のチームらしい守備のほころびを見せてしまった米子東。試合巧者相手の広商相手にこれは厳しいと思ったが、荒谷監督は広商野球を捨てたのか?ノーバントでゴリ押しするも打者3人連続凡退し無得点。
その裏、米子東は1死後2番・大瀧がセンター前ヒットを放つもこれまた山陰らしくけん制タッチアウト!で攻守にミスを発動・・・・。まさに兵庫大会における但馬勢の野球そっくりで日本海側のチーム特有の悲しいサガを見てしまい結果的に3人で攻撃終了。
田中投手がまだ1年生ということでずいぶん心配したが、2回はわずか3球でツーアウト。2死後ヒットを許すが盗塁失敗で事なきを得たが、新チームの広島商はずいぶんゴリ押しするチームだと感じた。
3回は大宗投手自ら内野安打を放ち今度はきっちり送りバントを初球から決めて1死2塁と広商野球を見せて上位につないだが、ショートフライに外133km直球空振り三振と毎回走者を出し続けるも得点できない初戦の硬さが見られた。
なんとか先取点をもぎ取って相手の焦りを誘いたい米子東だが、3塁アルプスの大声援も虚しく2・3回とそれぞれ三者凡退に抑えられ全く攻撃の糸口をつかめないまま防戦一方で序盤を終えた。
試合が動いたのは4回。広商の先頭3番・三田が初球セーフティーバントをかましファール直後の2球目にセンター前ヒット。さらに4番・名越もセンター前ヒット。5番・藤田は定石通りバントで1死2・3塁と形を作ろうとするが2球ファールで追い込まれしゃーなしに打たせてまさかのピッチャーゴロ1-6-3ダブルプレー!!6番・末田も2球で追い込みここもピンチ脱出と思われたが、、、、、2-1からの5球目サードゴロ正面だったがサード・大瀧がこれを後逸、、、、、記録上は内野安打だが打ち取った打球が失点に結びついてしまった。。。
さらに盗塁を決められ、7番・片岡亮が9球粘って右中間タイムリースリーベースで2-0と厳しくなってきた。8番・大宗投手はチェンジアップで空振り三振を奪うも2点差は厳しい。。
それでも米子東はその裏、1死から2・3番が連打して1・2塁と同点のチャンスを作った。4番・村上が両翼92mと狭い松江市営のスタンドに放り込めば一気に3-2と逆転だが、4番の一撃はライトフライ。5番・西本は1-3からセカンドゴロで1点も取れない。。。。。
5回表広島商は流れに乗り1死から1・2番が連打し苦しくなってきた。特に2番打者のカウント1-1後にファーストファールフライを打ち上げたがこれがまさかの落球で、、、取れるアウトを取ることができず生き返った打者にヒットを喰らい自滅してしまう山陰野球の特徴が顔を覗かせる。それでも紙本監督は懲罰交代もなし、1年生投手を続投させ3番・三田を6-4-3ダブルプレーに仕留め5回2失点と先発投手の役割を果たしている。
その裏、ついに米子東打線が目覚めた!先頭の6番・市川が右中間に大飛球を放ち勢い余って広商のセンター三田がフェンスに激突しその間に打者走者が3塁到達!2分間の中断を経て三田が復活。
無死3塁の大チャンスに米子東のチャンステーマ🎵神風が松江市営球場にこだました!
https://www.youtube.com/watch?v=OKv_shvUA4g
米子ー松江は山陰本線1本で行けるし、果てしなく遠い場所ではないが、平日学校を休んで熱い中、屋根のないアルプススタンドで演奏し続ける吹奏楽部に学ラン着て声をからして応援を続ける紅一点の女学生たちのためにも試合を盛り上げたいシーン。7番・田中投手に代打を送らず8球粘って四球を選び無死1・3塁。荒谷監督がすぐさまタイムを取って内野は中間守備。8番・福井の打撃に期待したが、待っている間に2球で追い込まれ最後は外ストレート空振り三振しかしこの場面で1塁走者の田中投手が盗塁を決めて1死2・3塁。ここで代打・老松を起用し、同じようにじっくりボールを見て2球で追い込まれながらも2-1から5球目ショートゴロの間に待望の1点が入った!!
1番・角井も四球を選び、まさかのダブルスチールなど紙本監督の采配に注目していたが、無策で2番・大瀧1-2からショートゴロで1点どまり・・・・・。
この試合を見て特別、広島商が強いという印象は持てなかった。。。エース・大宗が超高校級のスーパーエースとは思えなかったし、迫田監督が築いた緻密な広商野球は影を潜め、ちと荒っぽい印象を受けた。米子東はまだエース温存しているし、序盤から苦しみながらもなんとか相手を2点に抑えているし、泥臭く1点返してまだ4イニング残っているし、投手陣がとにかく踏ん張り続けていれば終盤まさかの展開が待ち受けているかもしれないと一縷の望みを持っていた。
ここまでヒット数は広島商が8本で米子東は4本と倍打っているが、毎回5残塁と波に乗り切れない・・・。ここから先の展開は投手陣の継投が大きなカギを握りそうな気がしての後半戦。
6回表4案からの攻撃でここもカウント1-2からサードファールフライだが、この試合2度目の落球・・・直後にセンター前に抜けそうな打球を放たれるが、ショート・市川の好プレーで1塁アウト!2死から四球を与え前の打席先制タイムリースリーベースを喰らった7番・片岡亮に回してしまったが、今度はレフトフライに抑えまだ分からない。
事実、その裏1死からショートゴロ悪送球でチャンスをもらい、セカンドゴロで2死2塁。6番・市川は反撃のノロシを上げる右中間タイムリースリーベースを放っただけに申告敬遠も覚悟したが、広商バッテリーは勝負を挑み1ボールからレフト前ヒット!当然2塁走者はホームを狙いに行くが、走っている最中に相手サードとぶつかってしまった・・・・・。これで球運が逃げていくのか、、、と観念していたら審判団の判断で走塁妨害が認められ思わぬ形で2-2同点!!ここも田中投手にそのまま打たせて無策のままカーブに手が出ず見逃しの三振。
しかし、劣勢を運が味方してがっぷり四つの展開に持ってきた。実は5回終了1時間17分かかっており、中国大会らしいスローペースだったが、あるいは開幕試合から延長タイブレークのロングゲームも視野に入ってきた!!
しかし7回表広商は1死から9番・正田がストレートの四球で歩くと、1番・西村が1ボールからエンドランを仕掛け、サードゴロだったが足に気を取られたのか?サード・大瀧がこれを弾くエラーで1死1・3塁のピンチを招き2番・小田にきっちりセンター犠飛を放たれ1点勝ち越されてしまった、、、さらに3番・三田のカウント2-2から痛恨のワイルドピッチで4点目。後手に回ってから紙本監督がタイムを取ったが時すでに遅し。直後に四球で4番・名越にも2ボールとなったところでようやく投手交代だが、同じ1年生の背番号17遠藤投手がリリーフ。センター前ヒットを許し、四球で満塁と傷口を広げてしまいようやくエース・丸山が登板し、レフトフライで3者残塁。こうなると継投機が遅すぎたか・・・。
その裏、2点もらった大宗投手が躍動し2者連続見逃しの三振を取り2死からヒットを許してもピッチャーゴロでベンチに戻り逃げ切り態勢に入った。
広商は8回も先頭打者がストレートの四球で出塁し、下位打線が無策で連続三振を喰らったが、盗塁でかき回し1番・西村が内野安打でつなぎ、相手の暴投やショート正面のゴロ悪送球といった相手の自滅で2点を追加。9回は3・4番の連続ツーベースと長打攻勢で7点目を奪いワンサイド気味に・・・それでも米子東は切れずに3連打でなおも無死1・3塁のピンチをショートゴロでホーム封殺。センター前ヒットもセンター吉岡の好返球でホーム寸前タッチアウトと好プレーを魅せそれ以上の失点を防いだ。
だが、打線が終盤全く機能せず気が付けば9回裏も先頭がピッチャーゴロ。あと2人で完投となるが、荒谷監督は次戦以降も見据えてか?このタイミングでバッテリーごと交代。。。
どうやら大宗-片岡亮・徳永-柳井がワンセットのようで新チーム結成以来この継投で公式戦負けなしのようだが、、、右投手からサウスポーに代わり幻惑され、代打・宗定はスライダーに三振。2死からストレートの四球で出たものの最後は代打・山下外128kmの直球に見逃しの三振で万事休す。。。
中国大会は近畿や四国と違って校歌斉唱もなく試合終了後の挨拶が終われば愛想なく両軍ともにファールグラウンドへ走っていく・・・・・。
結局序盤はもたついたが広島商が終盤に地力を発揮して米子東に5点差つけて完勝ということだろうか?米子東は守備のミスを連発して自滅したきらいもあるが、やはり中国大会に行けば「鳥取にはいない好投手そして総合力の高いチームとの対戦」が待っているだけに厳しい戦いを迫られる。
気が付けば試合時間2時間46分とプロ野球なみのスローペースで米子東のブラスバンドも堪能できたが、やはり負けると悔しいものがある。一方、浜山では盈進が出雲商に3-1で勝利したようでこちらは2時間07分とおとなしめの試合で松江で良かったと。
3塁側の場外では米子東の学ランを着た女学生も片付けをして球場を後にしようとしている・・・もしセンバツに出たら、報道陣の取材も多数来るのかもしれないが、中国大会初戦敗退では誰も注目しないまま米子に戻ることとなる。。。女学生が学ラン着ていたら普通に怖くて近寄りがたいと言うのがボクの所感だが、東海地区の応援団などは結構このスタイルが定番のようで。。。
さて、第2試合は今大会1番の注目カード。開星-下関国際だ!!あのヤクザ監督が現場復帰して、コロナ騒動で中止などもありまだ甲子園に帰還していないが、中国大会に顔を出したのでまた近いうちに・・・。下関国際は文武別道の坂原監督が健在で、23年夏の甲子園準優勝は強烈なインパクトを残した。
まだ開星は強打のイメージがあるが、下関国際は意外とスモールベースボールに徹するのでロースコアの接戦になると予想したが、意外とワンサイドゲームに、、、それはまた次回の講釈で。
キッサコ🎵道 https://www.youtube.com/watch?v=nI8kyB2ZWl8
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 犠飛 四球 三振 暴投 失点 自責
広 島 商 大 宗 8 1/3 33 131 6 0 0 1 9 0 2 0
広 島 商 徳 永 2/3 3 15 0 0 0 1 1 0 0 0
米 子 東 田 中 6 2/3 31 101 8 1 1 3 2 1 4 3
米 子 東 遠 藤 0/3 2 8 1 0 0 1 0 0 0 0
米 子 東 丸 山 2 1/3 13 59 5 0 0 1 3 1 3 1
(完)
🌟次回予告🌟
10/25 秋季中国大会初日第2試合 松江市営球場 開星(島根②)-下関国際(山口②)
🍱国スポ・障スポを思い出して 選手らに販売した弁当復刻
https://news.yahoo.co.jp/articles/7bd5bd41303cd51e885542d2cd624b3924c538a1
滋賀県内で昨年開催された国民スポーツ大会・全国障害者スポーツ大会で、選手らに販売された弁当が「復刻」する。郷土料理が詰まった弁当で大会を思い出して――。16日、大津市役所で限定販売される。
国スポ・障スポ大津市実行委員会と市内の弁当店「ごはん屋大津店」が企画した。大津市で開催された国スポで、選手らに販売された5種類の弁当からメニューをえりすぐり、「復刻!OTSUこだわり弁当」として復活させた。
郷土料理のホンモロコの天ぷら、近江牛コロッケ、ワカサギ南蛮漬け、赤こんにゃくと湯葉の煮物、えび豆、牛しぐれ煮を含む8品のおかずと、県産米「みずかがみ」のご飯が入る。弁当箱も、大会のために製作したもので、有効活用も兼ねているという。
1個千円(税込み)、80個限定。販売は16日午前11時半~午後1時半、市役所本館1階の市民ギャラリーで。大会を振り返る写真の展示も行う。問い合わせは市大会競技課(077・528・0310)へ。
一方、ごはん屋大津店では、30個から予約注文を受け付けている。1週間前までに連絡が必要。問い合わせは同店(077・511・2990)へ。
📝第98回センバツ高校野球組み合わせ抽選表
https://jhbf.or.jp/senbatsu/2026/tournament.pdf
📝令和8年度 愛知県高等学校野球連盟 年間行事予定
https://www.aichi-kouyaren.com/archives/001/202603/de341694b94096f19bd63105d3989d0c61e5c82670ffcd95adb11d3d8c899f83.pdf
特筆すべきは、7/28愛知大会決勝戦がバンテリンドームナゴヤ開催とのこと!!たいがい14時開始が主流の愛知だし、ドームは空調が効いているので、ぜひその流れでお願いしたいと。
あとは東海大会 春は愛知(岡崎・小牧)で秋は三重(四日市・津)で開催ですね。昨春、三重で2泊3日したので今回はオアイソします。
第4回愛知県・三重県交流試合は球場未定ながら、11月23日愛知県で開催とのことです。
📝2026年春季京滋大学春季リーグ戦日程表
https://x.com/kbl_1part/status/2029768951614550067/photo/1
https://x.com/kbl_1part/status/2029768951614550067/photo/2
入場無料はありがたいが、今季は京滋大学には縁がないですね・・・・・。
✌今夏の高校野球愛知大会、バンテリンドームナゴヤで決勝 20年ぶり
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASV352G2FV35OIPE012M.html
愛知県高校野球連盟は6日、名古屋市内で評議員会を開き、2026年度の事業計画が承認された。今夏の第108回全国高校野球選手権愛知大会は、名古屋市東区のバンテリンドームナゴヤを決勝の会場とすることになった。
愛知大会は6月27日に開幕する。決勝は例年、岡崎レッドダイヤモンドスタジアム(岡崎市)で行われてきたが、球場周辺では今秋開催のアジア・アジアパラ競技大会に向けた設営準備などがあり、会場変更となった。
バンテリンドームナゴヤでの決勝は7月28日に行う。ドームが愛知大会の会場となるのは第89回(07年)以来19年ぶり。
05年に初めてナゴヤドーム(当時)で準決勝と決勝が行われ、愛工大名電が優勝。06年も決勝の会場となり、愛工大名電が制した。07年は決勝を予定していたが天候不良で日程変更となり、5回戦と準々決勝で使われた。
また、今春の県高校優勝野球大会は3月20日に地区予選が始まり、決勝は5月2日。春季東海地区大会は、同23日から小牧市民球場と岡崎レッドダイヤモンドスタジアムで開かれる。
☝「大社旋風」再現誓う 大社高校野球部グラウンドに新練習場、高校では西日本有数の設備 卒業生や地元、全国のファンら寄付で完成 「夏は甲子園に出て恩返ししたい」
https://news.yahoo.co.jp/articles/52dfbbed0ad218b0f0d85d7cc674ecbd8d5ba7a1
2024年夏の甲子園で8強入りした大社高校の野球部グラウンドに、全面人工芝の新たな屋内練習場が完成した。甲子園出場とその後の快進撃に感動した卒業生や地元住民、全国のファンからの寄付を充てた。竣工式で、部員たちは充実した施設で研さんを重ねて「大社旋風」の再現を誓った。
バックネット裏にある旧練習場は築30年以上が経過し、老朽化で雨漏りや浸水が目立っていたことから旧練習場を撤去し、同じ場所に造った。
新練習場は鉄骨平屋の約500平方メートルで、二つのブルペンを備える。打撃練習や軽いノックもできる。人工芝は国内初採用の軟らかい素材を使用した。設計会社によると、高校野球部の屋内練習場としては西日本有数の設備という。同校甲子園出場後援会(北島建孝会長)への寄付を建設費に充てた。
2月26日にあった式には後援会関係者や部員ら約60人が集まり、北島会長(67)が「野球の技術とともに人間性も磨いてほしい」とあいさつ。芝生の感触を確かめた長畑廉叶主将(17)は「立派な施設を造ってもらった。夏は甲子園に出て恩返ししたい」と力を込め、石飛文太監督(44)は「全国の皆さんの思いが詰まった練習場だ。大切に使っていきたい」と感謝した。
📝洗顔で気づいた右肩の“悲鳴”「もう駄目」 日本S直前の悲劇「いっぺんにプチーンと」
https://news.yahoo.co.jp/articles/d81ea29e994d0f6d35fb30ec61c13248fcc9ab24
元近鉄・太田氏を襲った右肩痛「キャッチボールもできなかった」
どうしようもなかった。元近鉄主力投手の太田幸司氏(野球評論家)はプロ10年目の1979年に右肩痛を発症した。シーズン終盤に調子を上げ、10月9日の南海戦(大阪)で7勝目をマーク。前期優勝の近鉄と後期優勝の阪急が激突するプレーオフに向けて意気込んでいたところで“悪夢”に襲われた。「朝起きたら……」。青森・三沢高時代も、近鉄に入ってからも“ハードワーク”をこなしてきた右肩がついに悲鳴を上げたのだった。
無念のリタイアだった。“さぁ、これから”という時にまさかの事態に陥った。「プレーオフに向けての練習の朝でした。起きたら何か……。顔を洗おうと思ったら、もう“アレ”って感じでね」。右肩に異変を感じたという。「何も手に持っていなければ(肩は)全然回るんですけど、何か持ってクッと力を入れたらピーンとなって……。球場には行ったけど、キャッチボールもできなかった。何か負荷がかかるともう駄目でした」。
その前年(1978年)に太田氏は、原因不明の不調で1勝9敗と成績が大幅にダウン。節目となる10年目の1979年は、そこからの復活を目指してのシーズンだった。4月29日の阪急戦(西宮)と5月4日の阪急戦(日生)で2試合連続2失点完投勝利を挙げるなど、この時点では3勝0敗。だが、その後、調子を落とした。近鉄が前期優勝を成し遂げた中、太田氏の状態は後期に入っても、なかなか戻らず、6月からの3か月で0勝4敗と苦しんだ。
「もう以前のようにローテーションに入って、という感じではなく、谷間で先発したり、リリーフしたりでしたね」。チーム内での立場も変わったが、そこから意地を見せた。9月に入って巻き返した。9月1日の日本ハム戦(後楽園)に4安打完封で5月4日以来の4勝目。さらに中4日で9月6日のロッテ戦(日生)に先発すると3失点完投で5勝目をあげた。9月と10月の2か月は4勝0敗と結果を出した。
最終成績は31登板(20先発)で7勝4敗、防御率3.31。シーズン中盤に数字を伸ばせなかったものの、終盤は復活を感じさせる内容だった。太田氏も後期優勝の阪急とのプレーオフに向けて意気込んでいた。そんな時に右肩痛に襲われたわけだ。「シーズン最後の(10月9日の)南海戦に(先発して5回無失点投球で)勝って、7勝して“これでプレーオフも”って、なっていたんですけどね……」。大事な時期での戦線離脱だった。
広島と日本シリーズで対戦も、太田氏は治療に専念
三沢高時代は1967年の1年秋から3年の最後まで、公式戦はすべて一人で投げ切った。近鉄入団後も1軍に定着してからは中3日が当たり前の短い登板間隔で先発し、リリーフもこなしてきた。それがついに……。「地肩が高校時代からずっと強かったんでね。肩なんか、それまで痛めたこともなかったんですよ。でも、どこかで、やっぱりジワジワときていたんでしょうねぇ。それがいっぺんにプチーンと……」と話した。
近鉄は阪急とのプレーオフを3勝0敗で突破、広島との日本シリーズは激闘の末に3勝4敗で終わったが、太田氏は右肩治療に専念するしかなかった。「治療といっても、昔は鍼を打つとか、そんな感じでしたからね。そのオフはずっとそういう治療をして『まあまあ、年を越したら大丈夫やろ』とか言っていたら、ちょっとはよくなったんですよ。そしたら放るでしょ。でも、ある程度は放れるようになっているんだけど、ちょっと投げすぎたら、すぐにまたワーっとなって……」。
太田氏のプロ野球人生は、11年目の1980年以降、この右肩痛との“戦い”になっていく。「今日はいい球がいっているなと思ったら、次の日になったら“あれ? またちょっと引っかかるな”とか……。毎日、朝起きてみないと、どうなのか分からない感じにもなりだして。朝起きるのも不安みたいな、そんな日が続いたんです」。
投げるのが当たり前だったし、投げさせてもらえるのが喜びでもあったのだから、投げたくても、投げられないのはあまりにも辛すぎた。もちろん、もう一度輝きを取り戻そうと必死になったが、なかなかうまくいかなかった。すべては1979年10月の右肩痛発症から始まった。「極端にガクンという感じですからねぇ。ホント、あの時に肩を痛めていなかったら、って思いますよ」と、太田氏は悔しそうにつぶやいた。
📝誰もが予想できぬ“最後の勝利” 復活信じた女性ファンも…ボロボロの元ドラ1「今だったら」
https://news.yahoo.co.jp/articles/0152e229a03a956263f3afe9676d3be762367648?page=1
元近鉄・太田氏が苦しんだ右肩痛との戦い
甲子園で人気を集めた元近鉄ドラフト1位右腕、太田幸司氏(野球評論家)のプロ野球人生は、プロ10年目の1979年10月に右肩痛を発症させてから暗転した。11年目の1980年は14登板(3先発)で0勝4敗、防御率10.66と不本意な成績。それが苦悩の始まりだった。「肩以外は大丈夫だったんですけどね……」。恩師の近鉄・西本幸雄監督が勇退した1981年はわずか1登板(1先発)の0勝1敗に終わった。
1979年10月9日の南海戦(大阪)で5回無失点投球。その試合でマークした通算58勝目となるシーズン7勝目が、太田氏の現役ラスト勝利になるとは、当時は誰も予想できなかったはずだ。その白星後、阪急とのプレーオフに向けての練習スタートの朝に右肩痛を発症。無念のリタイアにはなったものの、治療すれば、また元に戻ると女性ファンをはじめ、誰もが信じていたことだろう。だが、現実は厳しすぎた。
「治療は鍼を打ったり、電気を当てたりとか……。今だったら、機械で見るとかでしょうけど、そういう時代じゃなかったしね。『鍼とかをやっていれば、年を越したら大丈夫だろう、次のキャンプはOK』なんて言われたし、僕もそういうつもりでいたんですけどね」。1980年になって、再び投げられるようにはなった。だが、完全に元には戻らなかった。「自分では同じような球を投げているつもりでも、やっぱり……」。
青森・三沢高時代からの武器の一つでもあった打者の手元でホップする快速球が出る頻度も低くなった。「良かったり、悪かったり。良いのが続かなかった。(右肩痛の影響で)ボールを放す瞬間にピリッとくるようになって、どうしてもちょっと……。(そこをかばう)変な癖もつきはじめた。だから手元でピュっといってなかったんでしょうね」と振り返る。「投げてもカーンと打たれるというのはそういうことだったと思います」。
プロ11年目の1980年は1、2軍を往復しながら0勝4敗。「ちょっと投げたら、またちょっと軽い痛みが出たりとかの繰り返しでしたね」。当時のパ・リーグは前期、後期の2シーズン制。その年の近鉄は後期に優勝したが、太田氏は全く貢献できず「寂しい話でしたわ、これも……」と悔しそうに話す。3勝0敗で1979年に続くリーグ連覇を成し遂げたロッテとのプレーオフも登板なしだった。
日本シリーズ後の“消化ゲーム”に登板「そのくらいの立場に下がっていた」
そんな中、2年連続3勝4敗で広島に敗れた日本シリーズでは第6戦(11月1日、広島)に出番があった。0-5の5回から3番手で投げて2回1失点。いきなり先頭の山本浩二外野手に右越え本塁打を浴びたが、動じることなく、許した安打はその1本だけだった。その時点でできることを最大限にやり尽くし「1試合でも日本シリーズで放らせてもらったのは、いい思い出です」と太田氏は話したが、全盛期ならもっと違う登板にもなっていたことだろう。
その年のシーズン最終戦は日本シリーズ後の11月7日の南海戦(大阪)。まさしく“消化ゲーム”に太田氏が先発した。結果は5回0/3、4失点で4敗目。「普通、ローテーションで投げていたら、そんなところでは絶対投げない。もう、そのくらいの立場に下がっていたわけですよ。まぁ、日本シリーズでも投げたし、最後に来シーズンに向けて力を測る意味でも(首脳陣は)投げさせたんじゃないかなぁ」。
しかし、翌1981年も好転することなく、逆に右肩の状態は悪くなった。シーズンのほとんどを2軍で過ごし、1軍登板はわずか1試合。シーズン終盤の9月29日の西武戦(日生)に先発し、2回4失点で敗戦投手になっただけだった。「(右肩の)痛みとの戦いでした。この年は下(2軍)でもそんなに(試合で)投げていないです」と唇を噛んだ。この年限りで恩師の西本監督が勇退。ラストイヤーにまともに働けなかった無念さも重なった。
右肩以外に大きな問題はなかったという。「肘には、ずっと前からネズミ(遊離軟骨)がちょろちょろ、ちょろちょろしていたんです。まぁ、今だったらクリーニング手術をするところでしょうけど、それは長い付き合いで、ごまかしながらでも放れたんですよ。でも肩(痛)は……。ファームで練習しても体力はあるんだけど、ブルペンで投げたら肩がしっくりこない。そんな感じでしたね」。白星が遠いものになった。何とも、もどかしい日々だった。
📝憧れだったのに…巨人移籍を「断って辞めようかな」 予想外の放出、複雑だった“付属品扱い”
https://news.yahoo.co.jp/articles/d239cf356822f57ffa6b252b2bca0e6594bd7758?page=1
元近鉄・太田氏が語る巨人へのトレード移籍の裏側
“元祖甲子園アイドル投手”の太田幸司氏(野球評論家)は、プロ14年目の1983年開幕前の3月25日に石渡茂内野手とともに近鉄から巨人に移籍した。1981年以降、0勝のシーズンが続く苦しい立場でもあり「僕は刺身のつま。石渡さんの付属品、そんな感じだと思いました」。青森・三沢高から1969年ドラフト1位で入団以来、バファローズ一筋だった右腕は当初、移籍を断って引退することも考えたという。
1979年の阪急とのプレーオフ前に右肩痛を発症させてから太田氏は勝てなくなった。1980年は14登板で0勝4敗。近鉄・西本幸雄監督が勇退した1981年は1軍登板がわずか1試合の0勝1敗だった。「僕は西本さんが監督になってから2桁勝ちました。自分の一番いいときの監督。なのに、最後の年に何もできませんでしたからねぇ」と、恩師のラストシーズンに働けなかった悔しさを募らせた。
西本監督との思い出は尽きない。「厳しかったですからねぇ。僕なんか4回2/3で代えられたことも何度もありましたよ。でも、すごいのは(エースの)鈴木啓示さんにも試合中のベンチ前で「何だ、あれは、どないなっているんだぁ!」と怒るんですよね。監督によっては主力にへそを曲げられたら嫌と思う人もいるだろうけど、西本さんは逆でしたからね」と、ベテランも若手も関係なしの“熱い”姿は忘れられないという。
「試合中の西本さんは1球ごとにドン、ドーンとベンチを蹴飛ばしたりもしていた。負けて終わって僕らが荷物を片付けて『お疲れさまでした』と言っても座って動かない時もあった。勝負に対する気持ちはすごくて、負けたのに帰りのバスでチャラチャラやっていたら『お前ら、悔しくないのかぁ!』とよく怒られましたよ」。太田氏はそんな西本イズムで近鉄の主力投手になっただけに、指揮官最後の年に右肩痛のため何の恩返しもできなかったのは痛恨だった。
しかも故障の影響はさらに続いた。近鉄が関口清治監督体制になった1982年は13登板(1先発)で0勝0敗。ほとんどが負け展開のリリーフでの出番で、唯一の先発となった6月24日の阪急戦(藤井寺)も2回自責点4でKOされた。この頃も右肩痛に苦しみ、2軍生活の方が長くなった。もはや戦力になっていなかった。巨人に移籍したのは、その次の年、プロ14年目の1983年だった。
開幕前に待っていた通告、複雑だった巨人移籍「やめようかなって」
「キャンプは近鉄だったし、もうシーズン寸前ですよ」と太田氏が話すように開幕前の3月25日の出来事。石渡内野手とともに、大石滋昭内野手との2対1の交換トレードでの移籍だったが、全く思ってもいなかった行き先だった。「近鉄での出番が減ってきて、阪神の編成担当がよくファームの試合を見に来ていたから、その人には冗談で『ちょっとアレしてくださいよ』とか話をしていたんですけどね。ジャイアンツと聞いてびっくりしました」。
太田氏にとって巨人は、少年時代から大ファンの球団だったとはいえ、複雑な気分だったという。「巨人は石渡さんが、ショートが欲しかったんです。だからまぁ、もう刺身のつま。石渡さんの付属品ですよ。だって、あの頃の巨人投手陣って江川(卓)、西本(聖)、定岡(正二)とかですよ。“えっ、あんなところに近鉄でも放れないピッチャーがいってどうするんだ”って話ですよ。あの時、僕はもう断って(現役を)やめようかなって思いましたもんねぇ」。
最終的に承諾したのは「後援会の人といろいろ話をした」結果だった。「今まで近鉄でずっと来ているし、やれるか、やれないかは別にして、他のチームの飯を食うのも経験になるんじゃないか、ということで、それなら一発、勝負をかけてみようとなったんです」。背番号は33番に決まった。「33番はのちに長嶋(茂雄)さんが(1993年の2度目の監督の時に)つけたでしょ。あの時“あ、俺がつけていた番号だ”って思いましたけどね」。
しかし、巨人の背番号33のユニホームで、太田氏が1軍公式戦のマウンドに上がることはなかった。「(1983年は)開幕してちょっとの間は1軍にいたんですけど(開幕5連勝など)なかなか負けないから、僕が出るところはなかった。(3カード目の4月17日に)甲子園での阪神戦が終わった後『明日から2軍』と言われました」。そのまま2軍生活が続いた。結局、巨人生活はその年限りで終わり、オフに阪神に移籍。高校時代の思い出が詰まった甲子園が太田氏のプロ人生最後の“本拠地”となる。
📝追手門学院大の新監督に元大産大監督の宮崎正志氏が就任 新体制で巻き返しへ
https://news.yahoo.co.jp/articles/f052b912375c2983bc3cf4e6939be75001095cd8
阪神大学野球連盟に所属する追手門学院大(2部東リーグ)の新監督に、大産大(1部リーグ)の元監督・宮崎正志氏(66)が4月1日付で就任することが5日、分かった。21年以来の1部昇格へ向けて既に指導を開始。4月4日に開幕する春季リーグ戦は新体制で臨む。また、元プロ野球選手で現役時代は近鉄でプレーした加藤正樹監督(60)は退任する。
昨秋は2部東リーグで3勝7敗に終わって4位。巻き返しを図る同大学は宮崎氏を新監督に招聘した。同氏は中京大を経て、箕面東高などで監督やコーチを歴任。同氏は大産大付高でも13年間監督を務め、02年から大産大のコーチ、監督を務めていた。定年退職のため昨年3月31日付で退任。実績と経験豊富なベテラン監督が同じ連盟に所属するチームの再建へ向けて再びユニホームに袖を通す。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7bd5bd41303cd51e885542d2cd624b3924c538a1
滋賀県内で昨年開催された国民スポーツ大会・全国障害者スポーツ大会で、選手らに販売された弁当が「復刻」する。郷土料理が詰まった弁当で大会を思い出して――。16日、大津市役所で限定販売される。
国スポ・障スポ大津市実行委員会と市内の弁当店「ごはん屋大津店」が企画した。大津市で開催された国スポで、選手らに販売された5種類の弁当からメニューをえりすぐり、「復刻!OTSUこだわり弁当」として復活させた。
郷土料理のホンモロコの天ぷら、近江牛コロッケ、ワカサギ南蛮漬け、赤こんにゃくと湯葉の煮物、えび豆、牛しぐれ煮を含む8品のおかずと、県産米「みずかがみ」のご飯が入る。弁当箱も、大会のために製作したもので、有効活用も兼ねているという。
1個千円(税込み)、80個限定。販売は16日午前11時半~午後1時半、市役所本館1階の市民ギャラリーで。大会を振り返る写真の展示も行う。問い合わせは市大会競技課(077・528・0310)へ。
一方、ごはん屋大津店では、30個から予約注文を受け付けている。1週間前までに連絡が必要。問い合わせは同店(077・511・2990)へ。
📝第98回センバツ高校野球組み合わせ抽選表
https://jhbf.or.jp/senbatsu/2026/tournament.pdf
📝令和8年度 愛知県高等学校野球連盟 年間行事予定
https://www.aichi-kouyaren.com/archives/001/202603/de341694b94096f19bd63105d3989d0c61e5c82670ffcd95adb11d3d8c899f83.pdf
特筆すべきは、7/28愛知大会決勝戦がバンテリンドームナゴヤ開催とのこと!!たいがい14時開始が主流の愛知だし、ドームは空調が効いているので、ぜひその流れでお願いしたいと。
あとは東海大会 春は愛知(岡崎・小牧)で秋は三重(四日市・津)で開催ですね。昨春、三重で2泊3日したので今回はオアイソします。
第4回愛知県・三重県交流試合は球場未定ながら、11月23日愛知県で開催とのことです。
📝2026年春季京滋大学春季リーグ戦日程表
https://x.com/kbl_1part/status/2029768951614550067/photo/1
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入場無料はありがたいが、今季は京滋大学には縁がないですね・・・・・。
✌今夏の高校野球愛知大会、バンテリンドームナゴヤで決勝 20年ぶり
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASV352G2FV35OIPE012M.html
愛知県高校野球連盟は6日、名古屋市内で評議員会を開き、2026年度の事業計画が承認された。今夏の第108回全国高校野球選手権愛知大会は、名古屋市東区のバンテリンドームナゴヤを決勝の会場とすることになった。
愛知大会は6月27日に開幕する。決勝は例年、岡崎レッドダイヤモンドスタジアム(岡崎市)で行われてきたが、球場周辺では今秋開催のアジア・アジアパラ競技大会に向けた設営準備などがあり、会場変更となった。
バンテリンドームナゴヤでの決勝は7月28日に行う。ドームが愛知大会の会場となるのは第89回(07年)以来19年ぶり。
05年に初めてナゴヤドーム(当時)で準決勝と決勝が行われ、愛工大名電が優勝。06年も決勝の会場となり、愛工大名電が制した。07年は決勝を予定していたが天候不良で日程変更となり、5回戦と準々決勝で使われた。
また、今春の県高校優勝野球大会は3月20日に地区予選が始まり、決勝は5月2日。春季東海地区大会は、同23日から小牧市民球場と岡崎レッドダイヤモンドスタジアムで開かれる。
☝「大社旋風」再現誓う 大社高校野球部グラウンドに新練習場、高校では西日本有数の設備 卒業生や地元、全国のファンら寄付で完成 「夏は甲子園に出て恩返ししたい」
https://news.yahoo.co.jp/articles/52dfbbed0ad218b0f0d85d7cc674ecbd8d5ba7a1
2024年夏の甲子園で8強入りした大社高校の野球部グラウンドに、全面人工芝の新たな屋内練習場が完成した。甲子園出場とその後の快進撃に感動した卒業生や地元住民、全国のファンからの寄付を充てた。竣工式で、部員たちは充実した施設で研さんを重ねて「大社旋風」の再現を誓った。
バックネット裏にある旧練習場は築30年以上が経過し、老朽化で雨漏りや浸水が目立っていたことから旧練習場を撤去し、同じ場所に造った。
新練習場は鉄骨平屋の約500平方メートルで、二つのブルペンを備える。打撃練習や軽いノックもできる。人工芝は国内初採用の軟らかい素材を使用した。設計会社によると、高校野球部の屋内練習場としては西日本有数の設備という。同校甲子園出場後援会(北島建孝会長)への寄付を建設費に充てた。
2月26日にあった式には後援会関係者や部員ら約60人が集まり、北島会長(67)が「野球の技術とともに人間性も磨いてほしい」とあいさつ。芝生の感触を確かめた長畑廉叶主将(17)は「立派な施設を造ってもらった。夏は甲子園に出て恩返ししたい」と力を込め、石飛文太監督(44)は「全国の皆さんの思いが詰まった練習場だ。大切に使っていきたい」と感謝した。
📝洗顔で気づいた右肩の“悲鳴”「もう駄目」 日本S直前の悲劇「いっぺんにプチーンと」
https://news.yahoo.co.jp/articles/d81ea29e994d0f6d35fb30ec61c13248fcc9ab24
元近鉄・太田氏を襲った右肩痛「キャッチボールもできなかった」
どうしようもなかった。元近鉄主力投手の太田幸司氏(野球評論家)はプロ10年目の1979年に右肩痛を発症した。シーズン終盤に調子を上げ、10月9日の南海戦(大阪)で7勝目をマーク。前期優勝の近鉄と後期優勝の阪急が激突するプレーオフに向けて意気込んでいたところで“悪夢”に襲われた。「朝起きたら……」。青森・三沢高時代も、近鉄に入ってからも“ハードワーク”をこなしてきた右肩がついに悲鳴を上げたのだった。
無念のリタイアだった。“さぁ、これから”という時にまさかの事態に陥った。「プレーオフに向けての練習の朝でした。起きたら何か……。顔を洗おうと思ったら、もう“アレ”って感じでね」。右肩に異変を感じたという。「何も手に持っていなければ(肩は)全然回るんですけど、何か持ってクッと力を入れたらピーンとなって……。球場には行ったけど、キャッチボールもできなかった。何か負荷がかかるともう駄目でした」。
その前年(1978年)に太田氏は、原因不明の不調で1勝9敗と成績が大幅にダウン。節目となる10年目の1979年は、そこからの復活を目指してのシーズンだった。4月29日の阪急戦(西宮)と5月4日の阪急戦(日生)で2試合連続2失点完投勝利を挙げるなど、この時点では3勝0敗。だが、その後、調子を落とした。近鉄が前期優勝を成し遂げた中、太田氏の状態は後期に入っても、なかなか戻らず、6月からの3か月で0勝4敗と苦しんだ。
「もう以前のようにローテーションに入って、という感じではなく、谷間で先発したり、リリーフしたりでしたね」。チーム内での立場も変わったが、そこから意地を見せた。9月に入って巻き返した。9月1日の日本ハム戦(後楽園)に4安打完封で5月4日以来の4勝目。さらに中4日で9月6日のロッテ戦(日生)に先発すると3失点完投で5勝目をあげた。9月と10月の2か月は4勝0敗と結果を出した。
最終成績は31登板(20先発)で7勝4敗、防御率3.31。シーズン中盤に数字を伸ばせなかったものの、終盤は復活を感じさせる内容だった。太田氏も後期優勝の阪急とのプレーオフに向けて意気込んでいた。そんな時に右肩痛に襲われたわけだ。「シーズン最後の(10月9日の)南海戦に(先発して5回無失点投球で)勝って、7勝して“これでプレーオフも”って、なっていたんですけどね……」。大事な時期での戦線離脱だった。
広島と日本シリーズで対戦も、太田氏は治療に専念
三沢高時代は1967年の1年秋から3年の最後まで、公式戦はすべて一人で投げ切った。近鉄入団後も1軍に定着してからは中3日が当たり前の短い登板間隔で先発し、リリーフもこなしてきた。それがついに……。「地肩が高校時代からずっと強かったんでね。肩なんか、それまで痛めたこともなかったんですよ。でも、どこかで、やっぱりジワジワときていたんでしょうねぇ。それがいっぺんにプチーンと……」と話した。
近鉄は阪急とのプレーオフを3勝0敗で突破、広島との日本シリーズは激闘の末に3勝4敗で終わったが、太田氏は右肩治療に専念するしかなかった。「治療といっても、昔は鍼を打つとか、そんな感じでしたからね。そのオフはずっとそういう治療をして『まあまあ、年を越したら大丈夫やろ』とか言っていたら、ちょっとはよくなったんですよ。そしたら放るでしょ。でも、ある程度は放れるようになっているんだけど、ちょっと投げすぎたら、すぐにまたワーっとなって……」。
太田氏のプロ野球人生は、11年目の1980年以降、この右肩痛との“戦い”になっていく。「今日はいい球がいっているなと思ったら、次の日になったら“あれ? またちょっと引っかかるな”とか……。毎日、朝起きてみないと、どうなのか分からない感じにもなりだして。朝起きるのも不安みたいな、そんな日が続いたんです」。
投げるのが当たり前だったし、投げさせてもらえるのが喜びでもあったのだから、投げたくても、投げられないのはあまりにも辛すぎた。もちろん、もう一度輝きを取り戻そうと必死になったが、なかなかうまくいかなかった。すべては1979年10月の右肩痛発症から始まった。「極端にガクンという感じですからねぇ。ホント、あの時に肩を痛めていなかったら、って思いますよ」と、太田氏は悔しそうにつぶやいた。
📝誰もが予想できぬ“最後の勝利” 復活信じた女性ファンも…ボロボロの元ドラ1「今だったら」
https://news.yahoo.co.jp/articles/0152e229a03a956263f3afe9676d3be762367648?page=1
元近鉄・太田氏が苦しんだ右肩痛との戦い
甲子園で人気を集めた元近鉄ドラフト1位右腕、太田幸司氏(野球評論家)のプロ野球人生は、プロ10年目の1979年10月に右肩痛を発症させてから暗転した。11年目の1980年は14登板(3先発)で0勝4敗、防御率10.66と不本意な成績。それが苦悩の始まりだった。「肩以外は大丈夫だったんですけどね……」。恩師の近鉄・西本幸雄監督が勇退した1981年はわずか1登板(1先発)の0勝1敗に終わった。
1979年10月9日の南海戦(大阪)で5回無失点投球。その試合でマークした通算58勝目となるシーズン7勝目が、太田氏の現役ラスト勝利になるとは、当時は誰も予想できなかったはずだ。その白星後、阪急とのプレーオフに向けての練習スタートの朝に右肩痛を発症。無念のリタイアにはなったものの、治療すれば、また元に戻ると女性ファンをはじめ、誰もが信じていたことだろう。だが、現実は厳しすぎた。
「治療は鍼を打ったり、電気を当てたりとか……。今だったら、機械で見るとかでしょうけど、そういう時代じゃなかったしね。『鍼とかをやっていれば、年を越したら大丈夫だろう、次のキャンプはOK』なんて言われたし、僕もそういうつもりでいたんですけどね」。1980年になって、再び投げられるようにはなった。だが、完全に元には戻らなかった。「自分では同じような球を投げているつもりでも、やっぱり……」。
青森・三沢高時代からの武器の一つでもあった打者の手元でホップする快速球が出る頻度も低くなった。「良かったり、悪かったり。良いのが続かなかった。(右肩痛の影響で)ボールを放す瞬間にピリッとくるようになって、どうしてもちょっと……。(そこをかばう)変な癖もつきはじめた。だから手元でピュっといってなかったんでしょうね」と振り返る。「投げてもカーンと打たれるというのはそういうことだったと思います」。
プロ11年目の1980年は1、2軍を往復しながら0勝4敗。「ちょっと投げたら、またちょっと軽い痛みが出たりとかの繰り返しでしたね」。当時のパ・リーグは前期、後期の2シーズン制。その年の近鉄は後期に優勝したが、太田氏は全く貢献できず「寂しい話でしたわ、これも……」と悔しそうに話す。3勝0敗で1979年に続くリーグ連覇を成し遂げたロッテとのプレーオフも登板なしだった。
日本シリーズ後の“消化ゲーム”に登板「そのくらいの立場に下がっていた」
そんな中、2年連続3勝4敗で広島に敗れた日本シリーズでは第6戦(11月1日、広島)に出番があった。0-5の5回から3番手で投げて2回1失点。いきなり先頭の山本浩二外野手に右越え本塁打を浴びたが、動じることなく、許した安打はその1本だけだった。その時点でできることを最大限にやり尽くし「1試合でも日本シリーズで放らせてもらったのは、いい思い出です」と太田氏は話したが、全盛期ならもっと違う登板にもなっていたことだろう。
その年のシーズン最終戦は日本シリーズ後の11月7日の南海戦(大阪)。まさしく“消化ゲーム”に太田氏が先発した。結果は5回0/3、4失点で4敗目。「普通、ローテーションで投げていたら、そんなところでは絶対投げない。もう、そのくらいの立場に下がっていたわけですよ。まぁ、日本シリーズでも投げたし、最後に来シーズンに向けて力を測る意味でも(首脳陣は)投げさせたんじゃないかなぁ」。
しかし、翌1981年も好転することなく、逆に右肩の状態は悪くなった。シーズンのほとんどを2軍で過ごし、1軍登板はわずか1試合。シーズン終盤の9月29日の西武戦(日生)に先発し、2回4失点で敗戦投手になっただけだった。「(右肩の)痛みとの戦いでした。この年は下(2軍)でもそんなに(試合で)投げていないです」と唇を噛んだ。この年限りで恩師の西本監督が勇退。ラストイヤーにまともに働けなかった無念さも重なった。
右肩以外に大きな問題はなかったという。「肘には、ずっと前からネズミ(遊離軟骨)がちょろちょろ、ちょろちょろしていたんです。まぁ、今だったらクリーニング手術をするところでしょうけど、それは長い付き合いで、ごまかしながらでも放れたんですよ。でも肩(痛)は……。ファームで練習しても体力はあるんだけど、ブルペンで投げたら肩がしっくりこない。そんな感じでしたね」。白星が遠いものになった。何とも、もどかしい日々だった。
📝憧れだったのに…巨人移籍を「断って辞めようかな」 予想外の放出、複雑だった“付属品扱い”
https://news.yahoo.co.jp/articles/d239cf356822f57ffa6b252b2bca0e6594bd7758?page=1
元近鉄・太田氏が語る巨人へのトレード移籍の裏側
“元祖甲子園アイドル投手”の太田幸司氏(野球評論家)は、プロ14年目の1983年開幕前の3月25日に石渡茂内野手とともに近鉄から巨人に移籍した。1981年以降、0勝のシーズンが続く苦しい立場でもあり「僕は刺身のつま。石渡さんの付属品、そんな感じだと思いました」。青森・三沢高から1969年ドラフト1位で入団以来、バファローズ一筋だった右腕は当初、移籍を断って引退することも考えたという。
1979年の阪急とのプレーオフ前に右肩痛を発症させてから太田氏は勝てなくなった。1980年は14登板で0勝4敗。近鉄・西本幸雄監督が勇退した1981年は1軍登板がわずか1試合の0勝1敗だった。「僕は西本さんが監督になってから2桁勝ちました。自分の一番いいときの監督。なのに、最後の年に何もできませんでしたからねぇ」と、恩師のラストシーズンに働けなかった悔しさを募らせた。
西本監督との思い出は尽きない。「厳しかったですからねぇ。僕なんか4回2/3で代えられたことも何度もありましたよ。でも、すごいのは(エースの)鈴木啓示さんにも試合中のベンチ前で「何だ、あれは、どないなっているんだぁ!」と怒るんですよね。監督によっては主力にへそを曲げられたら嫌と思う人もいるだろうけど、西本さんは逆でしたからね」と、ベテランも若手も関係なしの“熱い”姿は忘れられないという。
「試合中の西本さんは1球ごとにドン、ドーンとベンチを蹴飛ばしたりもしていた。負けて終わって僕らが荷物を片付けて『お疲れさまでした』と言っても座って動かない時もあった。勝負に対する気持ちはすごくて、負けたのに帰りのバスでチャラチャラやっていたら『お前ら、悔しくないのかぁ!』とよく怒られましたよ」。太田氏はそんな西本イズムで近鉄の主力投手になっただけに、指揮官最後の年に右肩痛のため何の恩返しもできなかったのは痛恨だった。
しかも故障の影響はさらに続いた。近鉄が関口清治監督体制になった1982年は13登板(1先発)で0勝0敗。ほとんどが負け展開のリリーフでの出番で、唯一の先発となった6月24日の阪急戦(藤井寺)も2回自責点4でKOされた。この頃も右肩痛に苦しみ、2軍生活の方が長くなった。もはや戦力になっていなかった。巨人に移籍したのは、その次の年、プロ14年目の1983年だった。
開幕前に待っていた通告、複雑だった巨人移籍「やめようかなって」
「キャンプは近鉄だったし、もうシーズン寸前ですよ」と太田氏が話すように開幕前の3月25日の出来事。石渡内野手とともに、大石滋昭内野手との2対1の交換トレードでの移籍だったが、全く思ってもいなかった行き先だった。「近鉄での出番が減ってきて、阪神の編成担当がよくファームの試合を見に来ていたから、その人には冗談で『ちょっとアレしてくださいよ』とか話をしていたんですけどね。ジャイアンツと聞いてびっくりしました」。
太田氏にとって巨人は、少年時代から大ファンの球団だったとはいえ、複雑な気分だったという。「巨人は石渡さんが、ショートが欲しかったんです。だからまぁ、もう刺身のつま。石渡さんの付属品ですよ。だって、あの頃の巨人投手陣って江川(卓)、西本(聖)、定岡(正二)とかですよ。“えっ、あんなところに近鉄でも放れないピッチャーがいってどうするんだ”って話ですよ。あの時、僕はもう断って(現役を)やめようかなって思いましたもんねぇ」。
最終的に承諾したのは「後援会の人といろいろ話をした」結果だった。「今まで近鉄でずっと来ているし、やれるか、やれないかは別にして、他のチームの飯を食うのも経験になるんじゃないか、ということで、それなら一発、勝負をかけてみようとなったんです」。背番号は33番に決まった。「33番はのちに長嶋(茂雄)さんが(1993年の2度目の監督の時に)つけたでしょ。あの時“あ、俺がつけていた番号だ”って思いましたけどね」。
しかし、巨人の背番号33のユニホームで、太田氏が1軍公式戦のマウンドに上がることはなかった。「(1983年は)開幕してちょっとの間は1軍にいたんですけど(開幕5連勝など)なかなか負けないから、僕が出るところはなかった。(3カード目の4月17日に)甲子園での阪神戦が終わった後『明日から2軍』と言われました」。そのまま2軍生活が続いた。結局、巨人生活はその年限りで終わり、オフに阪神に移籍。高校時代の思い出が詰まった甲子園が太田氏のプロ人生最後の“本拠地”となる。
📝追手門学院大の新監督に元大産大監督の宮崎正志氏が就任 新体制で巻き返しへ
https://news.yahoo.co.jp/articles/f052b912375c2983bc3cf4e6939be75001095cd8
阪神大学野球連盟に所属する追手門学院大(2部東リーグ)の新監督に、大産大(1部リーグ)の元監督・宮崎正志氏(66)が4月1日付で就任することが5日、分かった。21年以来の1部昇格へ向けて既に指導を開始。4月4日に開幕する春季リーグ戦は新体制で臨む。また、元プロ野球選手で現役時代は近鉄でプレーした加藤正樹監督(60)は退任する。
昨秋は2部東リーグで3勝7敗に終わって4位。巻き返しを図る同大学は宮崎氏を新監督に招聘した。同氏は中京大を経て、箕面東高などで監督やコーチを歴任。同氏は大産大付高でも13年間監督を務め、02年から大産大のコーチ、監督を務めていた。定年退職のため昨年3月31日付で退任。実績と経験豊富なベテラン監督が同じ連盟に所属するチームの再建へ向けて再びユニホームに袖を通す。
🎤【飾磨高校部長時代】念願の指導者も選手反発「もうお前ら辞めろ」部員0から夏兵庫県準優勝/姫路市立飾磨高校監督 富浜久詞②
https://www.youtube.com/watch?v=hLB2Yn4Ftn8
🎤【全国から強豪校が訪れる学校】花巻東時代大谷翔平と練習試合も。その理由とは…/姫路市立飾磨高校監督 富浜久詞③
https://www.youtube.com/watch?v=-RkchhaZ4CI
📣【センバツ】誹謗中傷へは法的措置も…日本高野連が対策発表 大会期間中の調査を民間業者に委託
https://news.yahoo.co.jp/articles/5f1e3b23d4bf6f623352099d3263f277f2d0dfeb
日本高野連がSNS上での誹謗中傷対策に本格的に動き出す。同連盟が5日、第98回選抜高校野球大会において、主催の毎日新聞社とともに発表。インターネット上の誹謗中傷や差別的言動から守り、実態把握を目的として新たにモニタリングに取り組む。
日本高野連の井本亘事務局長は「いろんなご意見がある中で差別的な投稿が拡散されている事実は隠せない。通常の生活で影響を及ぼすことも拭い切れない。誹謗中傷や差別的言動が確認されたときはプラットフォームの削除の要請や場合によっては法的措置で毅然とした態度をとる」とした。1月31日には日本高野連のHP上で今春センバツにおいての誹謗中傷へは法的措置もとると表明。今回は1歩踏み込んだ対策の発表となった。
“インターネット上のパトロール”は喫緊の課題だった。昨夏の甲子園期間中に不祥事で辞退した広陵(広島)では加害生徒への誹謗中傷がおさまらず。結果的に被害生徒の親権者らを相手に刑事告訴に至った。先月開催されたミラノ・コルティナ五輪でも、選手に対してSNS上で悪質なコメントが浴びせられた。日本高野連の井本事務局長も「ミラノ五輪でも誹謗中傷があったと聞いている。そういったものも参考にしながら取り組んでいきたい」とした。
今回のモニタリング調査は民間の業者に委託し、センバツ開幕日の3月19日から決勝戦終了後まで実施。人格を否定するような言葉をXやヤフーのコメント欄からツールを用いたり目視で調査する。大会出場校、選手、指導者、審判委員らが対象となる。5日には大阪市内で出場32校の主将による「キャプテントーク」が実施。6日には組み合わせ抽選会が行われ、いよいよ開幕も間近となる。選手ら大会関係者が安心して試合に臨めるよう、サポート体制を強化していく。
☝サトテル先輩、「豪快なアーチ見せて」 母校・仁川学院高にWBC選出祝う横断幕 5日開幕へ生徒らエール
https://news.yahoo.co.jp/articles/5e17127660a1494dde31ff0eb261a81e4ea183e7
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が5日に開幕するのを前に、日本代表メンバーでプロ野球阪神タイガースの佐藤輝明内野手(26)の母校、仁川学院高校は、応援の横断幕を張り出した。同校の野球部長を務める中尾和光さん(46)は「国際大会出場は素晴らしい経験になる。フルスイングで豪快な一発を見せてほしい」と活躍を期待している。
佐藤選手は同市出身。同校から近畿大に進み、2020年にドラフト1位で阪神に入団した。昨年は本塁打と打点の2冠を達成し、リーグMVPにも輝いた。
同校は阪神入団時にも横断幕を製作。タイトルの獲得とWBCの初選出が重なったため、今回再び作った。校内にあるブルペンの前と一般の人も見ることができるグラウンド前の2カ所に張った。
佐藤選手が2年生の時まで監督を務めた中尾さんは「人から評価されたいとかではなく、監督が見てても見てなくても気にせず自分で行動するマイペースな生徒だった」と顔をほころばせた。昨シーズンの活躍には「低めの変化球にもうまく対応し、逆方向にも打てるようになっていた」と振り返った。
教え子の本塁打王などのタイトル獲得やWBC選出に「まさかこんなことになるとは。想像できない世界に行ってしまい、感慨深いものがある」とし、「プレッシャーと戦っていくのがプロ。1年で終わるのではなく、続けていくのが大事」と強調した。
佐藤選手と同じ小中高に通い、元野球部で同校3年の喜田陽音さん(18)は「メジャーのすごい選手がたくさんいる中で活躍して、世界に注目される選手になってほしい」とエールを送った。
📝大阪府高野連会長に前副会長の井上泰治氏 理事長は真野任史氏に
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASV344JJ9V34OXIE010M.html
大阪府高校野球連盟は、2022年から会長を務めた川口伊佐夫・元桜和高校校長(62)が退任し、副会長だった井上泰治・泉尾工業高校校長(59)が新しい会長に就く人事を決めた。
2月21日の同連盟評議員会で承認され、決定した。井上新会長の任期は同日から2年間。川口氏は監事となった。
副会長には、長吉高校の原田信尚校長(55)と、大阪高校の深川博之理事長(55)の2人が新たに就いた。
同連盟の入道美之理事長(70)も退任し、真野任史副理事長(65)が後任を務める。入道氏は顧問となった。
💢過熱する高校野球7回制導入の論争 「9回制堅持」は感情論なのか イチロー氏ら野球人の思いは届くか
https://news.yahoo.co.jp/articles/ecc3375cea36477315f5b294176a513611db7ea5
第98回選抜高校野球大会が3月19日に甲子園球場で開幕します。32校による熱戦に注目が集まる中、SNS上で高校野球ファンの間では「もう一つの問題」に対する議論が活発に展開されています。高校野球7回制導入に対する論争です。
日本高野連では昨年12月の理事会で「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議」が議論の結果を報告。その中で「2028年の採用が望ましい」との報告が行われ、選抜大会が第100回を迎える2028年から「全ての公式戦で」、夏の選手権大会については「可及的速やかに」7回制を採用することが望ましいと提言したのです。
高校野球の取材歴が長いスポーツライターは言います。「2028年から全ての公式戦が7回制になる可能性が高いことが、公に周知された形です。それでも『9回制堅持』を願う現場の指導者や高校球児、ファンは大多数になっている。今後は、なぜ7回制を採用しなくてはいけないのか、丁寧に説明していく必要があるでしょう」
7回制導入が加速する背景には、猛暑が年々激しさを増す中、「それでも9回制を堅持すべき」との意見が感情論にとどまっているという現状を指摘する声もあります。
「高校野球の運営側にとっては、夏の地方大会や甲子園大会で選手や観客、応援団の中に重度の熱中症患者を出してはいけないという、安心安全な大会運営についての強い思いがある。何も好き好んで7回制にしたいわけではないのです。米国の高校野球も7回制ですし、U-18ワールドカップといった国際大会も7回制で、高校日本代表も特に支障なくプレーしている。そんな中で、『やっぱり野球は9回だ』『高校野球の醍醐味は終盤の攻防にある』というのは、気持ちは分かりますが、覆す論拠としては弱いのが現状です」(前述のスポーツライター)
それでもマリナーズ会長付特別補佐兼インストラクターのイチロー氏が『TBS』の番組内で「そこ(7イニング制導入)をしちゃったら、もう野球じゃないから」と反対意見を表明するなど、野球を愛する現場からの「9回制維持」を願う声は、後を絶ちません。
「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議」の報告では、「危機管理の面から、最悪なのは『何も対策を講じない』ということ。何もせず、大会に関わる選手、役員、審判員、応援する生徒、観客の中から重大事故が発生した場合、誰がどのような責任を負うのかを肝に銘じるべき」とのメッセージを発表するなど、改革への強い思いが記されています。
「7回制推進派」も「9回制堅持派」も、ともに野球を愛する者同士であることには変わりがありません。議論を深め、ともに納得した上で、前に進むことが重要と言えるでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=hLB2Yn4Ftn8
🎤【全国から強豪校が訪れる学校】花巻東時代大谷翔平と練習試合も。その理由とは…/姫路市立飾磨高校監督 富浜久詞③
https://www.youtube.com/watch?v=-RkchhaZ4CI
📣【センバツ】誹謗中傷へは法的措置も…日本高野連が対策発表 大会期間中の調査を民間業者に委託
https://news.yahoo.co.jp/articles/5f1e3b23d4bf6f623352099d3263f277f2d0dfeb
日本高野連がSNS上での誹謗中傷対策に本格的に動き出す。同連盟が5日、第98回選抜高校野球大会において、主催の毎日新聞社とともに発表。インターネット上の誹謗中傷や差別的言動から守り、実態把握を目的として新たにモニタリングに取り組む。
日本高野連の井本亘事務局長は「いろんなご意見がある中で差別的な投稿が拡散されている事実は隠せない。通常の生活で影響を及ぼすことも拭い切れない。誹謗中傷や差別的言動が確認されたときはプラットフォームの削除の要請や場合によっては法的措置で毅然とした態度をとる」とした。1月31日には日本高野連のHP上で今春センバツにおいての誹謗中傷へは法的措置もとると表明。今回は1歩踏み込んだ対策の発表となった。
“インターネット上のパトロール”は喫緊の課題だった。昨夏の甲子園期間中に不祥事で辞退した広陵(広島)では加害生徒への誹謗中傷がおさまらず。結果的に被害生徒の親権者らを相手に刑事告訴に至った。先月開催されたミラノ・コルティナ五輪でも、選手に対してSNS上で悪質なコメントが浴びせられた。日本高野連の井本事務局長も「ミラノ五輪でも誹謗中傷があったと聞いている。そういったものも参考にしながら取り組んでいきたい」とした。
今回のモニタリング調査は民間の業者に委託し、センバツ開幕日の3月19日から決勝戦終了後まで実施。人格を否定するような言葉をXやヤフーのコメント欄からツールを用いたり目視で調査する。大会出場校、選手、指導者、審判委員らが対象となる。5日には大阪市内で出場32校の主将による「キャプテントーク」が実施。6日には組み合わせ抽選会が行われ、いよいよ開幕も間近となる。選手ら大会関係者が安心して試合に臨めるよう、サポート体制を強化していく。
☝サトテル先輩、「豪快なアーチ見せて」 母校・仁川学院高にWBC選出祝う横断幕 5日開幕へ生徒らエール
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ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が5日に開幕するのを前に、日本代表メンバーでプロ野球阪神タイガースの佐藤輝明内野手(26)の母校、仁川学院高校は、応援の横断幕を張り出した。同校の野球部長を務める中尾和光さん(46)は「国際大会出場は素晴らしい経験になる。フルスイングで豪快な一発を見せてほしい」と活躍を期待している。
佐藤選手は同市出身。同校から近畿大に進み、2020年にドラフト1位で阪神に入団した。昨年は本塁打と打点の2冠を達成し、リーグMVPにも輝いた。
同校は阪神入団時にも横断幕を製作。タイトルの獲得とWBCの初選出が重なったため、今回再び作った。校内にあるブルペンの前と一般の人も見ることができるグラウンド前の2カ所に張った。
佐藤選手が2年生の時まで監督を務めた中尾さんは「人から評価されたいとかではなく、監督が見てても見てなくても気にせず自分で行動するマイペースな生徒だった」と顔をほころばせた。昨シーズンの活躍には「低めの変化球にもうまく対応し、逆方向にも打てるようになっていた」と振り返った。
教え子の本塁打王などのタイトル獲得やWBC選出に「まさかこんなことになるとは。想像できない世界に行ってしまい、感慨深いものがある」とし、「プレッシャーと戦っていくのがプロ。1年で終わるのではなく、続けていくのが大事」と強調した。
佐藤選手と同じ小中高に通い、元野球部で同校3年の喜田陽音さん(18)は「メジャーのすごい選手がたくさんいる中で活躍して、世界に注目される選手になってほしい」とエールを送った。
📝大阪府高野連会長に前副会長の井上泰治氏 理事長は真野任史氏に
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASV344JJ9V34OXIE010M.html
大阪府高校野球連盟は、2022年から会長を務めた川口伊佐夫・元桜和高校校長(62)が退任し、副会長だった井上泰治・泉尾工業高校校長(59)が新しい会長に就く人事を決めた。
2月21日の同連盟評議員会で承認され、決定した。井上新会長の任期は同日から2年間。川口氏は監事となった。
副会長には、長吉高校の原田信尚校長(55)と、大阪高校の深川博之理事長(55)の2人が新たに就いた。
同連盟の入道美之理事長(70)も退任し、真野任史副理事長(65)が後任を務める。入道氏は顧問となった。
💢過熱する高校野球7回制導入の論争 「9回制堅持」は感情論なのか イチロー氏ら野球人の思いは届くか
https://news.yahoo.co.jp/articles/ecc3375cea36477315f5b294176a513611db7ea5
第98回選抜高校野球大会が3月19日に甲子園球場で開幕します。32校による熱戦に注目が集まる中、SNS上で高校野球ファンの間では「もう一つの問題」に対する議論が活発に展開されています。高校野球7回制導入に対する論争です。
日本高野連では昨年12月の理事会で「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議」が議論の結果を報告。その中で「2028年の採用が望ましい」との報告が行われ、選抜大会が第100回を迎える2028年から「全ての公式戦で」、夏の選手権大会については「可及的速やかに」7回制を採用することが望ましいと提言したのです。
高校野球の取材歴が長いスポーツライターは言います。「2028年から全ての公式戦が7回制になる可能性が高いことが、公に周知された形です。それでも『9回制堅持』を願う現場の指導者や高校球児、ファンは大多数になっている。今後は、なぜ7回制を採用しなくてはいけないのか、丁寧に説明していく必要があるでしょう」
7回制導入が加速する背景には、猛暑が年々激しさを増す中、「それでも9回制を堅持すべき」との意見が感情論にとどまっているという現状を指摘する声もあります。
「高校野球の運営側にとっては、夏の地方大会や甲子園大会で選手や観客、応援団の中に重度の熱中症患者を出してはいけないという、安心安全な大会運営についての強い思いがある。何も好き好んで7回制にしたいわけではないのです。米国の高校野球も7回制ですし、U-18ワールドカップといった国際大会も7回制で、高校日本代表も特に支障なくプレーしている。そんな中で、『やっぱり野球は9回だ』『高校野球の醍醐味は終盤の攻防にある』というのは、気持ちは分かりますが、覆す論拠としては弱いのが現状です」(前述のスポーツライター)
それでもマリナーズ会長付特別補佐兼インストラクターのイチロー氏が『TBS』の番組内で「そこ(7イニング制導入)をしちゃったら、もう野球じゃないから」と反対意見を表明するなど、野球を愛する現場からの「9回制維持」を願う声は、後を絶ちません。
「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議」の報告では、「危機管理の面から、最悪なのは『何も対策を講じない』ということ。何もせず、大会に関わる選手、役員、審判員、応援する生徒、観客の中から重大事故が発生した場合、誰がどのような責任を負うのかを肝に銘じるべき」とのメッセージを発表するなど、改革への強い思いが記されています。
「7回制推進派」も「9回制堅持派」も、ともに野球を愛する者同士であることには変わりがありません。議論を深め、ともに納得した上で、前に進むことが重要と言えるでしょう。
📝令和8年度 春季近畿地区高等学校野球大会県予選 組み合わせ表
https://www.whbf.jp/uploads/20260304152448_JLmA.pdf
📝静岡県・岐阜県高等学校野球連盟 連合チーム交流試合
https://ghbf.asfsite.jp/archives/095/202603/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E3%83%BB%E5%B2%90%E9%98%9C%E7%9C%8C%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E9%87%8E%E7%90%83%E9%80%A3%E7%9B%9F%E9%80%A3%E5%90%88%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0%E4%BA%A4%E6%B5%81%E8%A9%A6%E5%90%88%20%E9%96%8B%E5%82%AC%E8%A6%81%E9%A0%85_1.pdf
静岡県・岐阜県高等学校野球連盟 連合チーム交流試合 開催要項
1.目的 少子化過疎化に伴う部員不足により連合チームとして活動する静岡県及び岐阜県の高校球児に対し、他県のチームとの交流試合の機会を提供し、技術の向上とチーム間の親睦を図る。また、この交流を通じて各連合チームの今後の活動目標を明確にし、野球を通じた人間形成を目指すことを目的とする。
2.主催 静岡県高等学校野球連盟・岐阜県高等学校野球連盟 (主管県:岐阜)
3.期日 令和8年3月14日(土) 午前9時~ (雨天時中止)
4.会場 ぎふしん長良川球場 (岐阜市長良福光大野2675-28 ℡ 058-233-8822)
5. 参加チーム
静岡県高等学校野球連盟に加盟する連合チーム(3チーム)
〇西部 浜松湖東高校・浜松湖北高校佐久間分校・新居高校
〇中部 清水西高校・川根高校
〇東部 熱海高校・沼津工業高校・沼津城北高校
岐阜県高等学校野球連盟に加盟する連合チーム(2チーム9校)
〇飛騨連合(斐太高校・高山工業高校・飛騨神岡高校)
〇6校連合(八百津高校・瑞浪高校・恵那南高校・羽島高校・山県高校・不破高校)
6. 試合球・試合方法 ミズノビクトリー(連盟準備) 両県で協議して試合順を決定する。
練習試合形式とし、勝敗よりも多くの選手が出場し経験を積むことを重視する。
第1試合 09:00(試合前合同ノック) 西部連合 対 6校連合
第2試合 11:30(試合前合同ノック) 中部連合 対 飛騨連合
第3試合 14:00(試合前合同ノック) 東部連合 対 6校連合(5or4)・飛騨連合(4or5)
7. 参加資格 公益財団法人日本高等学校野球連盟加盟校の生徒で編成された連合チームであること。 各校の校長の承認を得ていること。
8. 監督・引率者 ベンチ入りする責任教師、監督は、所属連盟に連合チーム申請を済ませていること。 試合当日は、関係高等学校の引率責任者が生徒を必ず引率し、常に待機すること。
✌<センバツプレーバック・和歌山>田辺(2024年・21世紀枠) 「王者」星稜と互角の投手戦
https://news.yahoo.co.jp/articles/f6111dfa8f1dfb28bd5023ee8f6d4ff02075fad3
19日に開幕する第98回選抜高校野球大会の出場32校が決まり、球春が近づきつつある。新型コロナ感染拡大で大会が中止された2020年を含めて8年連続で選ばれてきた県勢は、今回こそ出場校がなかったが、これまで甲子園に残した足跡は大きい。開幕を前に、21世紀に入ってからの試合を中心に過去の名勝負、名場面を振り返る。
「王者」に対して互角に渡り合った。大会初日に対戦した星稜(石川)は夏の甲子園で準優勝したこともある伝統校。前年秋の明治神宮大会を32年ぶりに制し、大会の優勝候補にもなっていた。一方、21世紀枠の田辺は76年ぶりの復活出場。注目された試合は、前年の秋季県大会で強豪の市和歌山、智弁和歌山を相次いで破った田辺が存分に底力を発揮した。
エース寺西邦右投手はインステップ気味の投球フォームから角度のある球を投じ、相手の強打線も打ちあぐねた。攻撃でも四回表に1点リードされた後、その裏にしぶとくスクイズで同点に追いつく粘りを見せた。二塁打で足がかりを作った山本結翔主将は「右打席に立つと、一塁側アルプス応援席が見えて、大声援が反響して届いた。緊張や不安もあったが、みんなの思いを背負っていると思うと勇気づけられた」。
低反発の新基準バットが導入された大会だったが、それ以上に両チームの投手陣の力投が光った。均衡が破れたのは2―2で迎えた九回。星稜の代打が2点勝ち越し打を放ち、決勝打となった。
惜しくも勝利を逃したが、阪神甲子園球場開場とセンバツ創設から100年となる節目の大会にふさわしい熱戦だった。星稜はその後、4強に進出。田辺は大会の「応援団賞」優秀賞に選ばれた。
山本さんは「甲子園ではスケールの大きさや設備の豊かさを肌で感じた。出場した後に『これこそ全高校球児が目指す夢の舞台だ』との思いを強くした」と振り返る。現在は和歌山大学に進学。アメリカンフットボール部のQBとして、野球で鍛えた肩を生かそうとしている。=肩書は当時。
☝野球場に電光掲示板 当初予算案、和歌山県上富田町
https://news.yahoo.co.jp/articles/47f5f1ed5ac8e4c6b09a42e02aa8e5978bb302fe
和歌山県上富田町議会の3月定例会が3日開会し、町は2026年度の当初予算案などの議案を提出した。当初予算案の一般会計は、過去最大だった前年度の91億3600万円から3億3200万円減の88億400万円。上富田スポーツセンターの整備で野球場の電光掲示板設置2億5300万円や、上富田中学校体育館の建て替えに向けた測量設計委託料1千万円などの事業費を盛り込んだ。
野球場の外野スタンドに設置しているスコアボードは、いまは手作業でパネルを入れ替えて得点表示などをしており、新たに電光掲示板にして、試合だけでなくイベント時も使用できるようにする。本体設置費は約2億3400万円で、うち半分は国の補助金を受ける。そのほかテニスコートの人工芝張り替えや、スポーツセンターの広域防災拠点の指定に向け、大型トレーラーが入れるように多目的グラウンド入り口付近などの改修もしたいという。
上富田中の体育館は老朽化しており、災害時の避難所としての役割も担うため、建て替える。用地として、同校敷地内の元プールで駐車場にしている場所や隣接する土地を確保しており、今回は造成に向けた測量設計費を計上した。
本体工事には多額の費用が見込まれるため、体育館の工事費も含めた町立小中学校の「施設整備事業費準備基金」を設けることとし、当初予算案に積立金2億円を計上した。
そのほか、保育所や児童館、公民館などの照明のLED化4970万円、母子手帳アプリ導入による利用料174万円、食料品や段ボールベッドなど防災用備蓄備品の購入費1080万円などがある。また新年度から、なごみ学童保育所の定員を70人から80人に増やすことなどから、指定管理者への委託料を前年度比450万円増額する。
奥田誠町長は「1月の町長選挙で掲げていた公約実現に向けて予算を編成した」と語った。3月定例会の会期は23日まで。一般質問は10日と18日を予定。追加議案として、副町長や町教育委員会教育長の任命についても提案する予定。
◇
【歳入】一般会計の歳入は、自主財源が町税20億1772万円などを含めた39億2933万円(45%)。依存財源は地方交付税23億1500万円など48億7466万円(55%)。借金に当たる町債は8950万円。
【歳出】歳出は、前年度と比べてスポーツセンター整備などから商工費が2億3856万円(148%)増となった一方、消防費は消防業務委託料の減などで2億1776万円(50%)減った。
🎤【2028年に閉校】「亀高」最後の日まで。覚悟を決めた最後の教え子たちと戦う男の野球人生…/姫路市立飾磨高校監督 富浜久詞①
https://www.youtube.com/watch?v=PEpQtpqDGhM
🎤「大社旋風」の裏側語る 甲子園8強に導いた大社高校・石飛文太監督 島根県松江市で講演
https://news.yahoo.co.jp/articles/6db76d90d548a5757e981be7e98bb2e4be9f0fd3
2024年夏の全国高校野球選手権で大社をベスト8に導いた石飛文太監督(44)が、松江市玉湯町湯町の玉湯公民館で「夢は無限大」と題して講演し、指導方法や「大社旋風」を起こした選手の戦いぶりを紹介した。
石飛監督は大社の監督に就任して初めて臨んだ2021年夏の島根大会決勝で無安打無得点に封じられ、2度目の夏は初戦で敗退したため指導方法を見直したことを説明。厳しさを前面に出して選手を管理する指導に限界を感じ、「選手との対話を重視し、主体性を育てる指導に切り替えた」と話した。
成果が表れた試合として、24年夏の甲子園3回戦・早稲田実業(西東京)戦を挙げた。無死一、二塁で始まる延長十回の守りで選手が話し合って守備陣形を変え、無失点でしのいで延長十一回の激闘を制した。「選手が主体性と執念を持ってやってくれた。本気になって夢を追ったから、実現できた」と振り返った。
講演会は、玉湯公民館の生涯学習講座「たまゆアカデミー」の公開講座として開かれ、約100人が聴講した。
🎤【馬淵史郎 我が道4】勝者が浴びた「帰れ」コール 騒動が収まる気配は全くなく
https://news.yahoo.co.jp/articles/52eb8e8d3a2839e4aab55fac6a26722a7ce8a234
星稜戦では2回に先制できたのも、5敬遠につながる流れをつくった。中前打の4番・岡村憲二が相手ファンブルで二進。さらに捕逸で三塁に進んだ。5番の加用貴彦も四球。ミスと四球で得たチャンスに青木貞敏のスクイズ、久岡一茂の二塁打で2点先制。敬遠策を取った上で勝つ、ということを考えていただけに、2点の先制は物凄く大きかった。
3回1死二、三塁での敬遠ではスクイズで得点されたが、1点だけに踏みとどまり、明徳義塾もその裏に加点。5回1死一塁での3度目の敬遠は6番のタイムリーで1点差。敬遠が2度失点に結びついたが、最少失点で持ちこたえ、リードも守っていた。最初から全部敬遠というつもりではなかったが、この流れになったらやむを得ない。一塁側ベンチでも腹をくくった。
甲子園に出て、勝つために苦しい練習をしてきた。自分もまだ36歳だったから、相当に選手を鍛えた。練習試合では1点取られるごとにベースランニング10周、負けたら30周とペナルティーを決めて、2試合で1勝1敗、8失点という結果で110周させたこともあった。「点を簡単に与えたら、こうなるんや」と怒鳴っても、選手たちは歯を食いしばった。勝敗の責任は監督にある。みんなを勝たせたい。負けてもいい試合なんてない。勝つための努力を怠ったら、それこそ相手に失礼や。迷いもなかった。
球場全体のブーイングの中、7回2死無走者、そして9回2死三塁と5打席連続の敬遠。河野和洋は指示通り、5打席の全20球ボールを投げて、そして勝った。3―2で逃げ切った。5度も敬遠することになるとは思わなかったが、戦いをやり切った手応えはあった。
試合後は「帰れ」コールを浴び、会見でも報道陣は色めきたっていた。「確率の問題で、私の指示で敬遠させました。球場のムードの中で、選手たちに嫌な思いをさせたが、よくやってくれた。高知県代表として、負けるわけにはいかなかった」と試合を振り返った。言いたいことはたくさんあったが、伝えきれなかったな。まだこちらも甲子園2勝目の青年監督だった。
何とか試合は終わったが、騒動が収まる気配は全くなかった。高野連の牧野直隆会長(当時)も「走者がいるときに、作戦として敬遠することはあるが、無走者のときには正面から勝負してほしかった。1年間、この日のためにお互い苦しい練習をしてきたのだから、その力を思い切りぶつけ合うのが高校野球ではないか」とコメントを出された。
決して逃げたんじゃない。必死に頑張ってきた選手を勝たせるために、敬遠という作戦を取った。力の差はあっても、頭を使って何とか勝負に持ち込むのが高校野球や。こういう野球が好きじゃないという人がいるのは分かっている。でも勝つためにはこれしかなかった。
☟《有名高校わいせつ動画事件》どうして被害者は自分から動画を送ってしまうのか? 「関係性を壊したくない」「愛情の証だと信じて疑わない」…その危うい心理
https://news.yahoo.co.jp/articles/35f00cbf1554fe339b26423f7abb0c4bc5073eba
手軽に思い出の瞬間を写真や動画で残せる時代がやってきたのと同時に、女子中高生が「わいせつ事案」に巻き込まれるケースが増えている。なぜ彼女たちは、撮らせ、送ってしまうのか。スマホの使い方に気をつけなさいよ──その一言だけでは、子供を守れない。
事態の沈静化には時間がかかる
「書類送検されたと報じられたのは2名ですが、実際にはさらに10名程度が今回の"わいせつ動画事件"にかかわっているとみられています」(全国紙社会部記者)
昨夏、甲子園を沸かせ準優勝に輝いた野球強豪校に激震が走ったのは2月12日。日本大学第三高校(日大三高、東京都)の硬式野球部の男子部員2名が、児童買春・児童ポルノ禁止法違反容疑で書類送検された。同校といえば甲子園常連、春夏通じて40回出場、全国制覇を3度成し遂げた名門だ。
「昨年3~4月頃、17才の部員が女子生徒に対して自撮りしたわいせつな画像や動画を3回にわたって要求。その動画のひとつを別の部員に共有したところ、その部員がさらにほかの部員たちに送り、拡散されました。未成年のわいせつ画像・映像の製造や、映像の他人への提供は児童買春・児童ポルノ禁止法に抵触する行為です」(前出・全国紙社会部記者)
動画が拡散されたのは昨年5~10月頃。甲子園で熱戦を繰り広げていた期間とも重なる。
「被害者の女子生徒は当時15才。同校の野球部員に憧れていたようです。その部員から動画を要求されて断るのが難しかったのかもしれません。動画の切り抜き画像はインターネット上にまで流出しており、事態の沈静化には時間がかかるとみられます」(前出・全国紙社会部記者)
同様の事件はほかの高校でも起きている。2月18日、静岡県の藤枝明誠高校においてバスケットボール部員の男子生徒3名が、女子生徒のわいせつな動画を撮影した上、拡散した容疑で昨年12月に書類送検されていたことが明らかになった。自撮りかそうでないかの違いはあれど、日大三高の事件と同様、児童買春・児童ポルノ禁止法違反の疑いだ。同校バスケ部もまた、全国大会常連の強豪校だった。
子供たちは誰でも撮影者になると同時に被写体になってしまう
実はスマホによる撮影や拡散にまつわるトラブルは全国の中学・高校で急増している。こども家庭庁が2024年に行った調査によると、小学6年生のスマホ所有率は65%。中学3年生では90%で、高校生になると98%だ。子供たちは誰でも撮影者になると同時に被写体になってしまう。今回の日大三高の事件について、「正直なところ、氷山の一角です」と語るのは、明治大学教授でスクールカウンセラー(学校臨床心理士)として、多くの児童・生徒のトラブルに向き合った経験を持つ諸富祥彦さんだ。
「わいせつ画像や動画の要求、拡散といった問題は、非常に多いです。高校生だけでなく中学生の間でもこういった卑劣で悪質な行為が増えています。拡散されて被害者が学校に行けなくなったり、転校しても塾などを通じて転校先の生徒に知られてしまい、また学校に行けなくなるというケースが相次いでいます」
にもかかわらず、わいせつ画像や動画を撮影させたり、自ら撮ったものを送ってしまう──その心理をひもとくカギは"支配欲"にあるという。
「"おれのことが好きなら撮らせてくれるよね、送ってくれるよね"という男子生徒側の支配欲・コントロール欲と、"嫌われたくない""関係性を壊したくない"という女子生徒側の思いが合致してしまった結果です。彼女たちは撮影させたり、画像・動画を送ることが愛情の証だと信じて疑わないのです。
さらに女子生徒側は、わいせつな画像や動画がまさか他人に共有されるとは思っていない。その先に、インターネット上への流出といったリスクまであるにもかかわらずです。それだけ好きな相手のことを信頼して、送信してしまう危うい心理状態にあるわけです。
スマホが当たり前の環境で育ち、便利なツールとして使い慣れているために、犯罪につながるような危険が潜んでいるという警戒心が薄いのです」(諸富さん)
(後編につづく)
☟《有名高校野球部員が書類送検》未成年者によるわいせつ動画事件、子供を守るために何をすべきか「注意喚起が逆効果になるリスク」「学校が誤った対応をすることも」
https://news.yahoo.co.jp/articles/7aef5f7fb73c893acd01694d52b5f132474ad088
未成年者によるわいせつ動画拡散事件が問題視されている──。2月12日、甲子園の常連である日本大学第三高校(日大三高、東京都)の硬式野球部男子部員2名が、児童買春・児童ポルノ禁止法違反容疑で書類送検された。昨年3~4月頃、17才の部員が女子生徒に対して自撮りしたわいせつな画像や動画を3回にわたって要求。その動画がほかの部員たちにも拡散されたという。
加害者がどうなるのかしっかりと教えるべき
わいせつ動画はネット上に流出し、広く共有されてしまうこともある。ネット上の動画を完全に消去することは難しく、被害者に一生消えない"傷"を残すのが同種の事件だ。一方で加害者はどうか。日大三高の事件で送検された2名は未成年なので、少年法に則って裁かれる。
「まず家庭裁判所に送致され、本人の性格や周囲の環境、事件の背景などを調査し、それを踏まえて少年審判を開くかどうか決定します。今回は身柄が拘束されておらず在宅での調査が行われています。在宅調査の事件は処分が軽くなる傾向がありますから、保護観察処分もしくは不処分になる可能性が高いでしょう」(全国紙社会部記者)
今回は、学校としても慎重な対応を迫られている。2月14日、日大三高は《【お詫び】不適切動画の拡散について》というタイトルで公式ホームページに学校の見解を掲載。そこには《報道されていることは概ね事実であると認識しております》とした上で《加害者についての詳細が報じられることにより、被害者が特定されかねないこと、被害内容の詳細が報じられることにより、被害者が二次被害を受けかねないことから、皆様にはご配慮をお願いいたします》とあった。
広く報じられ、多くの人の知るところとなったこの事件。注意喚起を促すはずの報道が、むしろ子供たちの欲望をかき立ててしまうこともあるという。明治大学教授でスクールカウンセラー(学校臨床心理士)として、多くの児童・生徒のトラブルに向き合った経験を持つ諸富祥彦さんは、こう話す。
「こういった報道を受けて、『危険だから気をつけなくては』と受け止める子供がいる一方で、『自分もやってみたい』と思う子供も一定数いるんです。子供は残酷で、湧き上がってきた感情をコントロールできず後先考えずに暴走してしまうことがある。ですので、書類送検された結果、加害者たちがどのようになるのかというところまでしっかりと報じるとともに、学校でも犯罪行為をすることが、その後どのような暗い影を落とすことになるかも徹底的に教えるべきだと思います」
学校に頼り切るだけでなく、わが子や孫を守るために親ができることもある。
「気をつけてほしいのは、児童ポルノの撮影や拡散は犯罪であり、学校側では判断がつかず、誤った対応をしてしまうケースもある。生徒たちを刺激し、騒動を外部に広げてしまうリスクだってあります。何かあったときは即警察に相談しましょう」(諸富さん)
女子生徒たちの心理につけこんだ犯罪が横行する社会にしてはいけない。
📝北海道知内高野球部の寮、室内練習施設併設「青鷹寮」オープン 交流の拠点に
https://news.yahoo.co.jp/articles/e15dab833a57f2869ca9cf47c94be95a1fa5477c
昨年3月末に閉校した旧涌元小学校(涌元247)を、知内高校野球部の寮や室内練習施設として整備した町青少年交流センター「青鷹寮」が完成し、2日、オープニングセレモニーと内覧会が行われた。
旧校舎の有効活用と、全国各地から生徒を募集する同高校の魅力向上を目的に、町が約7億円をかけて整備。野球部の寮として運用するほか、スポーツ合宿など交流拠点としても活用する。
施設は鉄筋コンクリート2階建ての旧校舎の外観を残し、延床面積は約1989平方メートル。体育館は床全面に人工芝を敷き、室内練習施設へ転換した。プールとして使われていた平屋部分はピッチングブルペンに改修し、更衣室はトレーニング室として活用できるよう整え、天候に左右されない練習環境を確保した。校舎1階には食堂や浴室を設置。2階の教室部分を部員の居室として4人部屋16室を整備。このほか、他団体の利用を想定した最大23人収容の大部屋も設けた。1、2年生の現部員28人の大半が入寮する予定という。
町は野球部員の受け入れ体制の強化とともに、町外や道外からの入学者増加につなげる狙いで整備を進めてきた。これに伴い、これまで野球部の寮として使用していた重内地区の青少年交流センターは、一般生徒向け宿舎に改修した。
セレモニーには野球部員や町、学校関係者ら約80人が出席。西山和夫町長は「地域が子どもを育てる精神が宿る校舎が、高校生の生活と挑戦を支える交流拠点として生まれ変わった。ここを第二の古里として仲間とともに成長してほしい」とあいさつし、始球式で投球した。
野球部の高草木穣監督は「思い描いていた練習ができる環境が整った。施設を最大限に生かし、チーム力を高めたい。地域の人にも活用してもらえれば」と語った。稲垣慧悟さん(2年)は「とても良い環境で、やる気が一層高まる。夏の甲子園を目指し、自主練習やトレーニングをしっかりやりたい」と意気込みを新たにした。
https://www.whbf.jp/uploads/20260304152448_JLmA.pdf
📝静岡県・岐阜県高等学校野球連盟 連合チーム交流試合
https://ghbf.asfsite.jp/archives/095/202603/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E3%83%BB%E5%B2%90%E9%98%9C%E7%9C%8C%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E9%87%8E%E7%90%83%E9%80%A3%E7%9B%9F%E9%80%A3%E5%90%88%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0%E4%BA%A4%E6%B5%81%E8%A9%A6%E5%90%88%20%E9%96%8B%E5%82%AC%E8%A6%81%E9%A0%85_1.pdf
静岡県・岐阜県高等学校野球連盟 連合チーム交流試合 開催要項
1.目的 少子化過疎化に伴う部員不足により連合チームとして活動する静岡県及び岐阜県の高校球児に対し、他県のチームとの交流試合の機会を提供し、技術の向上とチーム間の親睦を図る。また、この交流を通じて各連合チームの今後の活動目標を明確にし、野球を通じた人間形成を目指すことを目的とする。
2.主催 静岡県高等学校野球連盟・岐阜県高等学校野球連盟 (主管県:岐阜)
3.期日 令和8年3月14日(土) 午前9時~ (雨天時中止)
4.会場 ぎふしん長良川球場 (岐阜市長良福光大野2675-28 ℡ 058-233-8822)
5. 参加チーム
静岡県高等学校野球連盟に加盟する連合チーム(3チーム)
〇西部 浜松湖東高校・浜松湖北高校佐久間分校・新居高校
〇中部 清水西高校・川根高校
〇東部 熱海高校・沼津工業高校・沼津城北高校
岐阜県高等学校野球連盟に加盟する連合チーム(2チーム9校)
〇飛騨連合(斐太高校・高山工業高校・飛騨神岡高校)
〇6校連合(八百津高校・瑞浪高校・恵那南高校・羽島高校・山県高校・不破高校)
6. 試合球・試合方法 ミズノビクトリー(連盟準備) 両県で協議して試合順を決定する。
練習試合形式とし、勝敗よりも多くの選手が出場し経験を積むことを重視する。
第1試合 09:00(試合前合同ノック) 西部連合 対 6校連合
第2試合 11:30(試合前合同ノック) 中部連合 対 飛騨連合
第3試合 14:00(試合前合同ノック) 東部連合 対 6校連合(5or4)・飛騨連合(4or5)
7. 参加資格 公益財団法人日本高等学校野球連盟加盟校の生徒で編成された連合チームであること。 各校の校長の承認を得ていること。
8. 監督・引率者 ベンチ入りする責任教師、監督は、所属連盟に連合チーム申請を済ませていること。 試合当日は、関係高等学校の引率責任者が生徒を必ず引率し、常に待機すること。
✌<センバツプレーバック・和歌山>田辺(2024年・21世紀枠) 「王者」星稜と互角の投手戦
https://news.yahoo.co.jp/articles/f6111dfa8f1dfb28bd5023ee8f6d4ff02075fad3
19日に開幕する第98回選抜高校野球大会の出場32校が決まり、球春が近づきつつある。新型コロナ感染拡大で大会が中止された2020年を含めて8年連続で選ばれてきた県勢は、今回こそ出場校がなかったが、これまで甲子園に残した足跡は大きい。開幕を前に、21世紀に入ってからの試合を中心に過去の名勝負、名場面を振り返る。
「王者」に対して互角に渡り合った。大会初日に対戦した星稜(石川)は夏の甲子園で準優勝したこともある伝統校。前年秋の明治神宮大会を32年ぶりに制し、大会の優勝候補にもなっていた。一方、21世紀枠の田辺は76年ぶりの復活出場。注目された試合は、前年の秋季県大会で強豪の市和歌山、智弁和歌山を相次いで破った田辺が存分に底力を発揮した。
エース寺西邦右投手はインステップ気味の投球フォームから角度のある球を投じ、相手の強打線も打ちあぐねた。攻撃でも四回表に1点リードされた後、その裏にしぶとくスクイズで同点に追いつく粘りを見せた。二塁打で足がかりを作った山本結翔主将は「右打席に立つと、一塁側アルプス応援席が見えて、大声援が反響して届いた。緊張や不安もあったが、みんなの思いを背負っていると思うと勇気づけられた」。
低反発の新基準バットが導入された大会だったが、それ以上に両チームの投手陣の力投が光った。均衡が破れたのは2―2で迎えた九回。星稜の代打が2点勝ち越し打を放ち、決勝打となった。
惜しくも勝利を逃したが、阪神甲子園球場開場とセンバツ創設から100年となる節目の大会にふさわしい熱戦だった。星稜はその後、4強に進出。田辺は大会の「応援団賞」優秀賞に選ばれた。
山本さんは「甲子園ではスケールの大きさや設備の豊かさを肌で感じた。出場した後に『これこそ全高校球児が目指す夢の舞台だ』との思いを強くした」と振り返る。現在は和歌山大学に進学。アメリカンフットボール部のQBとして、野球で鍛えた肩を生かそうとしている。=肩書は当時。
☝野球場に電光掲示板 当初予算案、和歌山県上富田町
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和歌山県上富田町議会の3月定例会が3日開会し、町は2026年度の当初予算案などの議案を提出した。当初予算案の一般会計は、過去最大だった前年度の91億3600万円から3億3200万円減の88億400万円。上富田スポーツセンターの整備で野球場の電光掲示板設置2億5300万円や、上富田中学校体育館の建て替えに向けた測量設計委託料1千万円などの事業費を盛り込んだ。
野球場の外野スタンドに設置しているスコアボードは、いまは手作業でパネルを入れ替えて得点表示などをしており、新たに電光掲示板にして、試合だけでなくイベント時も使用できるようにする。本体設置費は約2億3400万円で、うち半分は国の補助金を受ける。そのほかテニスコートの人工芝張り替えや、スポーツセンターの広域防災拠点の指定に向け、大型トレーラーが入れるように多目的グラウンド入り口付近などの改修もしたいという。
上富田中の体育館は老朽化しており、災害時の避難所としての役割も担うため、建て替える。用地として、同校敷地内の元プールで駐車場にしている場所や隣接する土地を確保しており、今回は造成に向けた測量設計費を計上した。
本体工事には多額の費用が見込まれるため、体育館の工事費も含めた町立小中学校の「施設整備事業費準備基金」を設けることとし、当初予算案に積立金2億円を計上した。
そのほか、保育所や児童館、公民館などの照明のLED化4970万円、母子手帳アプリ導入による利用料174万円、食料品や段ボールベッドなど防災用備蓄備品の購入費1080万円などがある。また新年度から、なごみ学童保育所の定員を70人から80人に増やすことなどから、指定管理者への委託料を前年度比450万円増額する。
奥田誠町長は「1月の町長選挙で掲げていた公約実現に向けて予算を編成した」と語った。3月定例会の会期は23日まで。一般質問は10日と18日を予定。追加議案として、副町長や町教育委員会教育長の任命についても提案する予定。
◇
【歳入】一般会計の歳入は、自主財源が町税20億1772万円などを含めた39億2933万円(45%)。依存財源は地方交付税23億1500万円など48億7466万円(55%)。借金に当たる町債は8950万円。
【歳出】歳出は、前年度と比べてスポーツセンター整備などから商工費が2億3856万円(148%)増となった一方、消防費は消防業務委託料の減などで2億1776万円(50%)減った。
🎤【2028年に閉校】「亀高」最後の日まで。覚悟を決めた最後の教え子たちと戦う男の野球人生…/姫路市立飾磨高校監督 富浜久詞①
https://www.youtube.com/watch?v=PEpQtpqDGhM
🎤「大社旋風」の裏側語る 甲子園8強に導いた大社高校・石飛文太監督 島根県松江市で講演
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2024年夏の全国高校野球選手権で大社をベスト8に導いた石飛文太監督(44)が、松江市玉湯町湯町の玉湯公民館で「夢は無限大」と題して講演し、指導方法や「大社旋風」を起こした選手の戦いぶりを紹介した。
石飛監督は大社の監督に就任して初めて臨んだ2021年夏の島根大会決勝で無安打無得点に封じられ、2度目の夏は初戦で敗退したため指導方法を見直したことを説明。厳しさを前面に出して選手を管理する指導に限界を感じ、「選手との対話を重視し、主体性を育てる指導に切り替えた」と話した。
成果が表れた試合として、24年夏の甲子園3回戦・早稲田実業(西東京)戦を挙げた。無死一、二塁で始まる延長十回の守りで選手が話し合って守備陣形を変え、無失点でしのいで延長十一回の激闘を制した。「選手が主体性と執念を持ってやってくれた。本気になって夢を追ったから、実現できた」と振り返った。
講演会は、玉湯公民館の生涯学習講座「たまゆアカデミー」の公開講座として開かれ、約100人が聴講した。
🎤【馬淵史郎 我が道4】勝者が浴びた「帰れ」コール 騒動が収まる気配は全くなく
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星稜戦では2回に先制できたのも、5敬遠につながる流れをつくった。中前打の4番・岡村憲二が相手ファンブルで二進。さらに捕逸で三塁に進んだ。5番の加用貴彦も四球。ミスと四球で得たチャンスに青木貞敏のスクイズ、久岡一茂の二塁打で2点先制。敬遠策を取った上で勝つ、ということを考えていただけに、2点の先制は物凄く大きかった。
3回1死二、三塁での敬遠ではスクイズで得点されたが、1点だけに踏みとどまり、明徳義塾もその裏に加点。5回1死一塁での3度目の敬遠は6番のタイムリーで1点差。敬遠が2度失点に結びついたが、最少失点で持ちこたえ、リードも守っていた。最初から全部敬遠というつもりではなかったが、この流れになったらやむを得ない。一塁側ベンチでも腹をくくった。
甲子園に出て、勝つために苦しい練習をしてきた。自分もまだ36歳だったから、相当に選手を鍛えた。練習試合では1点取られるごとにベースランニング10周、負けたら30周とペナルティーを決めて、2試合で1勝1敗、8失点という結果で110周させたこともあった。「点を簡単に与えたら、こうなるんや」と怒鳴っても、選手たちは歯を食いしばった。勝敗の責任は監督にある。みんなを勝たせたい。負けてもいい試合なんてない。勝つための努力を怠ったら、それこそ相手に失礼や。迷いもなかった。
球場全体のブーイングの中、7回2死無走者、そして9回2死三塁と5打席連続の敬遠。河野和洋は指示通り、5打席の全20球ボールを投げて、そして勝った。3―2で逃げ切った。5度も敬遠することになるとは思わなかったが、戦いをやり切った手応えはあった。
試合後は「帰れ」コールを浴び、会見でも報道陣は色めきたっていた。「確率の問題で、私の指示で敬遠させました。球場のムードの中で、選手たちに嫌な思いをさせたが、よくやってくれた。高知県代表として、負けるわけにはいかなかった」と試合を振り返った。言いたいことはたくさんあったが、伝えきれなかったな。まだこちらも甲子園2勝目の青年監督だった。
何とか試合は終わったが、騒動が収まる気配は全くなかった。高野連の牧野直隆会長(当時)も「走者がいるときに、作戦として敬遠することはあるが、無走者のときには正面から勝負してほしかった。1年間、この日のためにお互い苦しい練習をしてきたのだから、その力を思い切りぶつけ合うのが高校野球ではないか」とコメントを出された。
決して逃げたんじゃない。必死に頑張ってきた選手を勝たせるために、敬遠という作戦を取った。力の差はあっても、頭を使って何とか勝負に持ち込むのが高校野球や。こういう野球が好きじゃないという人がいるのは分かっている。でも勝つためにはこれしかなかった。
☟《有名高校わいせつ動画事件》どうして被害者は自分から動画を送ってしまうのか? 「関係性を壊したくない」「愛情の証だと信じて疑わない」…その危うい心理
https://news.yahoo.co.jp/articles/35f00cbf1554fe339b26423f7abb0c4bc5073eba
手軽に思い出の瞬間を写真や動画で残せる時代がやってきたのと同時に、女子中高生が「わいせつ事案」に巻き込まれるケースが増えている。なぜ彼女たちは、撮らせ、送ってしまうのか。スマホの使い方に気をつけなさいよ──その一言だけでは、子供を守れない。
事態の沈静化には時間がかかる
「書類送検されたと報じられたのは2名ですが、実際にはさらに10名程度が今回の"わいせつ動画事件"にかかわっているとみられています」(全国紙社会部記者)
昨夏、甲子園を沸かせ準優勝に輝いた野球強豪校に激震が走ったのは2月12日。日本大学第三高校(日大三高、東京都)の硬式野球部の男子部員2名が、児童買春・児童ポルノ禁止法違反容疑で書類送検された。同校といえば甲子園常連、春夏通じて40回出場、全国制覇を3度成し遂げた名門だ。
「昨年3~4月頃、17才の部員が女子生徒に対して自撮りしたわいせつな画像や動画を3回にわたって要求。その動画のひとつを別の部員に共有したところ、その部員がさらにほかの部員たちに送り、拡散されました。未成年のわいせつ画像・映像の製造や、映像の他人への提供は児童買春・児童ポルノ禁止法に抵触する行為です」(前出・全国紙社会部記者)
動画が拡散されたのは昨年5~10月頃。甲子園で熱戦を繰り広げていた期間とも重なる。
「被害者の女子生徒は当時15才。同校の野球部員に憧れていたようです。その部員から動画を要求されて断るのが難しかったのかもしれません。動画の切り抜き画像はインターネット上にまで流出しており、事態の沈静化には時間がかかるとみられます」(前出・全国紙社会部記者)
同様の事件はほかの高校でも起きている。2月18日、静岡県の藤枝明誠高校においてバスケットボール部員の男子生徒3名が、女子生徒のわいせつな動画を撮影した上、拡散した容疑で昨年12月に書類送検されていたことが明らかになった。自撮りかそうでないかの違いはあれど、日大三高の事件と同様、児童買春・児童ポルノ禁止法違反の疑いだ。同校バスケ部もまた、全国大会常連の強豪校だった。
子供たちは誰でも撮影者になると同時に被写体になってしまう
実はスマホによる撮影や拡散にまつわるトラブルは全国の中学・高校で急増している。こども家庭庁が2024年に行った調査によると、小学6年生のスマホ所有率は65%。中学3年生では90%で、高校生になると98%だ。子供たちは誰でも撮影者になると同時に被写体になってしまう。今回の日大三高の事件について、「正直なところ、氷山の一角です」と語るのは、明治大学教授でスクールカウンセラー(学校臨床心理士)として、多くの児童・生徒のトラブルに向き合った経験を持つ諸富祥彦さんだ。
「わいせつ画像や動画の要求、拡散といった問題は、非常に多いです。高校生だけでなく中学生の間でもこういった卑劣で悪質な行為が増えています。拡散されて被害者が学校に行けなくなったり、転校しても塾などを通じて転校先の生徒に知られてしまい、また学校に行けなくなるというケースが相次いでいます」
にもかかわらず、わいせつ画像や動画を撮影させたり、自ら撮ったものを送ってしまう──その心理をひもとくカギは"支配欲"にあるという。
「"おれのことが好きなら撮らせてくれるよね、送ってくれるよね"という男子生徒側の支配欲・コントロール欲と、"嫌われたくない""関係性を壊したくない"という女子生徒側の思いが合致してしまった結果です。彼女たちは撮影させたり、画像・動画を送ることが愛情の証だと信じて疑わないのです。
さらに女子生徒側は、わいせつな画像や動画がまさか他人に共有されるとは思っていない。その先に、インターネット上への流出といったリスクまであるにもかかわらずです。それだけ好きな相手のことを信頼して、送信してしまう危うい心理状態にあるわけです。
スマホが当たり前の環境で育ち、便利なツールとして使い慣れているために、犯罪につながるような危険が潜んでいるという警戒心が薄いのです」(諸富さん)
(後編につづく)
☟《有名高校野球部員が書類送検》未成年者によるわいせつ動画事件、子供を守るために何をすべきか「注意喚起が逆効果になるリスク」「学校が誤った対応をすることも」
https://news.yahoo.co.jp/articles/7aef5f7fb73c893acd01694d52b5f132474ad088
未成年者によるわいせつ動画拡散事件が問題視されている──。2月12日、甲子園の常連である日本大学第三高校(日大三高、東京都)の硬式野球部男子部員2名が、児童買春・児童ポルノ禁止法違反容疑で書類送検された。昨年3~4月頃、17才の部員が女子生徒に対して自撮りしたわいせつな画像や動画を3回にわたって要求。その動画がほかの部員たちにも拡散されたという。
加害者がどうなるのかしっかりと教えるべき
わいせつ動画はネット上に流出し、広く共有されてしまうこともある。ネット上の動画を完全に消去することは難しく、被害者に一生消えない"傷"を残すのが同種の事件だ。一方で加害者はどうか。日大三高の事件で送検された2名は未成年なので、少年法に則って裁かれる。
「まず家庭裁判所に送致され、本人の性格や周囲の環境、事件の背景などを調査し、それを踏まえて少年審判を開くかどうか決定します。今回は身柄が拘束されておらず在宅での調査が行われています。在宅調査の事件は処分が軽くなる傾向がありますから、保護観察処分もしくは不処分になる可能性が高いでしょう」(全国紙社会部記者)
今回は、学校としても慎重な対応を迫られている。2月14日、日大三高は《【お詫び】不適切動画の拡散について》というタイトルで公式ホームページに学校の見解を掲載。そこには《報道されていることは概ね事実であると認識しております》とした上で《加害者についての詳細が報じられることにより、被害者が特定されかねないこと、被害内容の詳細が報じられることにより、被害者が二次被害を受けかねないことから、皆様にはご配慮をお願いいたします》とあった。
広く報じられ、多くの人の知るところとなったこの事件。注意喚起を促すはずの報道が、むしろ子供たちの欲望をかき立ててしまうこともあるという。明治大学教授でスクールカウンセラー(学校臨床心理士)として、多くの児童・生徒のトラブルに向き合った経験を持つ諸富祥彦さんは、こう話す。
「こういった報道を受けて、『危険だから気をつけなくては』と受け止める子供がいる一方で、『自分もやってみたい』と思う子供も一定数いるんです。子供は残酷で、湧き上がってきた感情をコントロールできず後先考えずに暴走してしまうことがある。ですので、書類送検された結果、加害者たちがどのようになるのかというところまでしっかりと報じるとともに、学校でも犯罪行為をすることが、その後どのような暗い影を落とすことになるかも徹底的に教えるべきだと思います」
学校に頼り切るだけでなく、わが子や孫を守るために親ができることもある。
「気をつけてほしいのは、児童ポルノの撮影や拡散は犯罪であり、学校側では判断がつかず、誤った対応をしてしまうケースもある。生徒たちを刺激し、騒動を外部に広げてしまうリスクだってあります。何かあったときは即警察に相談しましょう」(諸富さん)
女子生徒たちの心理につけこんだ犯罪が横行する社会にしてはいけない。
📝北海道知内高野球部の寮、室内練習施設併設「青鷹寮」オープン 交流の拠点に
https://news.yahoo.co.jp/articles/e15dab833a57f2869ca9cf47c94be95a1fa5477c
昨年3月末に閉校した旧涌元小学校(涌元247)を、知内高校野球部の寮や室内練習施設として整備した町青少年交流センター「青鷹寮」が完成し、2日、オープニングセレモニーと内覧会が行われた。
旧校舎の有効活用と、全国各地から生徒を募集する同高校の魅力向上を目的に、町が約7億円をかけて整備。野球部の寮として運用するほか、スポーツ合宿など交流拠点としても活用する。
施設は鉄筋コンクリート2階建ての旧校舎の外観を残し、延床面積は約1989平方メートル。体育館は床全面に人工芝を敷き、室内練習施設へ転換した。プールとして使われていた平屋部分はピッチングブルペンに改修し、更衣室はトレーニング室として活用できるよう整え、天候に左右されない練習環境を確保した。校舎1階には食堂や浴室を設置。2階の教室部分を部員の居室として4人部屋16室を整備。このほか、他団体の利用を想定した最大23人収容の大部屋も設けた。1、2年生の現部員28人の大半が入寮する予定という。
町は野球部員の受け入れ体制の強化とともに、町外や道外からの入学者増加につなげる狙いで整備を進めてきた。これに伴い、これまで野球部の寮として使用していた重内地区の青少年交流センターは、一般生徒向け宿舎に改修した。
セレモニーには野球部員や町、学校関係者ら約80人が出席。西山和夫町長は「地域が子どもを育てる精神が宿る校舎が、高校生の生活と挑戦を支える交流拠点として生まれ変わった。ここを第二の古里として仲間とともに成長してほしい」とあいさつし、始球式で投球した。
野球部の高草木穣監督は「思い描いていた練習ができる環境が整った。施設を最大限に生かし、チーム力を高めたい。地域の人にも活用してもらえれば」と語った。稲垣慧悟さん(2年)は「とても良い環境で、やる気が一層高まる。夏の甲子園を目指し、自主練習やトレーニングをしっかりやりたい」と意気込みを新たにした。
📣2026年 第98回選抜高等学校野球大会 入場券について
https://jhbf.or.jp/senbatsu/2026/ticket/#:~:text=2026%E5%B9%B4%20%E7%AC%AC98%E5%9B%9E%E9%81%B8%E6%8A%9C%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E9%87%8E%E7%90%83%E5%A4%A7%E4%BC%9A&text=%E5%85%A5%E5%A0%B4%E5%88%B8%E3%81%AF%E5%85%A8%E5%B8%AD%E6%8C%87%E5%AE%9A,%EF%BD%9E%E7%99%BA%E5%A3%B2%E9%96%8B%E5%A7%8B%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
第98回選抜高等学校野球大会の入場券については、以下の事項をご確認、ご同意の上ご購入下さい。
入場券は全席指定席・前売発売となり、インターネット発売のチケットぴあ、ローソンチケット、甲チケの販売サイトでは3月5日10時~発売開始
コンビニのセブン-イレブン、ローソン、ミニストップでは3月7日10時~発売開始となります。
なお、残席がある場合に限り、阪神甲子園球場の窓口にて当日券を発売いたします。
インターネット発売等で完売となった場合、各コンビニや阪神甲子園球場の窓口での入場券の発売はございませんので予めご了承ください。
🎤【2024年センバツ初出場】江戸時代から続く全国屈指の伝統校を背負う男の野球人生…/和歌山県立耐久高校監督 井原正善①
https://www.youtube.com/watch?v=asA3RXWJ890
🎤【快進撃】母校の監督に就任、近畿大会ベスト4でセンバツ当確/苦しい浪人生活経て、福岡教育大学へそして指導者に/部員不足で校内で助っ人集め/和歌山県立耐久高校監督 井原正善②
https://www.youtube.com/watch?v=qZcqyNLLeJk
🎤【2024年センバツ】甲子園出場決まって祝福の花火も…アルプス超満員、地域の大応援団が力に/指導者として「いつまでも熱く」/和歌山県立耐久高校監督 井原正善③
https://www.youtube.com/watch?v=KITFVCReFws
🎁大社高校野球部の新屋内練習場が完成 建設費は全額寄付金
https://news.yahoo.co.jp/articles/bcb2d1ad40fe6ab03b2122eed5c8f7f442a108f8
県立大社高校(出雲市)の野球部の屋内練習場が完成し、2月26日竣工式があった。敷地面積は約530平方メートル、鉄骨造り平屋建て。建設費は2024年夏の甲子園出場を機に募った寄付金の余剰金で賄った。
グラウンド脇にある屋内練習場が老朽化していたため、建て替えが必要だった。これまで雨天の時は雨漏りがひどく、土の地面に浸水するなど、十分に練習ができる環境ではなかったという。
昨年11月に着工し、このほど完成した新しい屋内練習場は、全面人工芝。投球練習場が2レーンあり、打撃練習や守備練習ができるスペースもある。長畑廉叶主将(2年)は「いろんな練習ができるようになった。絶対、夏に優勝して甲子園で前回の記録を超えたい」と意気込む。
石飛文太監督は「地元はもとより全国のみなさんの思いが詰まった建物。ここで鍛錬して全国のみなさんと感動をともに味わいたい」と誓った。
寄付は24年の夏、同校野球部の甲子園出場に向けた交通費などを工面しようと、地元有志や元野球部員らでつくる大社高校甲子園出場後援会が集めた。有力校に競り勝ち、ベスト8入りした大社野球に感激した全国のファンからも多く寄せられたという。同後援会の北島建孝会長は「思いのほかたくさん集まり、残ったお金でつくることができた。ありがたい話です」と話した。
💢高校5件が処分 わいせつ動画拡散の日大三は「細かな点を質問する状況」審査室会議
https://news.yahoo.co.jp/articles/05b99be8c5fb87e9f20ec027b89ce6b07423e2eb
日本学生野球協会は3日、都内で審査室会議を開き、高校5件の処分を決めた。
南陽(京都)の部長兼監督(26)は1年生部員3名に対し、不適切な発言をしたとして、報告義務違反も合わせ25年12月27日から2カ月の謹慎処分。
石見智翠館(島根)の顧問(27)は個人指導をする中で、1年生部員1名に対し胸ぐらをつかみ、右手の平でたたく暴力に及んだ。体罰(部内)により1月19日から2カ月の謹慎。
福岡第一(福岡)の部長(38)は無断外出した選手に対し、キーケースを机の上に投げ付けるなどの不適切指導(部内)と報告義務違反により1月11日から2カ月の謹慎。
高知(高知)はコーチ(36)は寮を無断外出した選手に対し「殺すぞ」などの暴言と不適切指導(部内)により、1月6日から3カ月の謹慎。
杉戸(埼玉)の責任教師(37)は選手1名に対し、人格を傷つける不適切な発言と報告義務違反により1月14日から4カ月の謹慎。
また、知人の女子生徒にわいせつな動画を送らせ拡散するなどして、児童買春・児童ポルノ禁止法違反(製造や提供)容疑で硬式野球部の男子部員2人が書類送検された日大三(東京)については「現在は、報告が上がってきましたので、いろいろと細かな点を質問をする、という状況になっています」と説明した。
🎤【馬淵史郎 我が道3】松井から逃げたんじゃない――勝つための作戦としての敬遠
https://news.yahoo.co.jp/articles/c390c5c1c859d0d1b182ae5727e981a31474c2fe
普段から野球用語を使っていて気づくのは、物騒な言葉が多いということだ。アウトは「死」、走ったら「盗塁」、タッチアウトは「刺殺」。殺すとか死ぬとか、盗むとか刺すとか。江戸時代ならお奉行所、今なら警察が出てくるようなスポーツ。それが野球だ。
野球殿堂入りもした愛媛出身の俳人・正岡子規ら多くの先人が米国から入ってきたベースボールを、日本でも普及できるように、和訳した用語が今に伝わっている。ちょっと物騒な言葉が多いのは、それだけ野球が少しの油断で流れが変わること、硬い球を使う危険な競技であることを昔の人も分かっていたのかもしれないね。そんな中で「敬う」という言葉を使うのが敬遠だ。他の用語と比べても、語感が違う。今で言うならリスペクト。敬って、遠ざけた上で、一塁を与える。敬遠とは無条件で走者を相手に与える作戦なんだ。当然守っている側がリスクを背負わないといけない。
だからこそ、敬遠策を選択した以上は、そのリスクを失点につなげないということが重要になる。敬遠して、その後に連打されて、一方的な展開になりました――では敬遠した意味がなくなる。5番の月岩信成くん、6番の福角元伸くんら松井秀喜の後ろを打つ選手のウイークポイントを明徳義塾は徹底的に分析した。敬遠すると、投手はリズムを崩しやすい。暴投やボークでピンチが広がるケースもある。そのため松井を歩かせる時でも、捕手は立ったりせず、座って外角にしっかり投げさせることを指示した。4番を敬遠した上で勝つ。全てをこのポイントに集約した。敬遠して、相手に塁を与えてからの勝負だった。松井から逃げたんじゃない。あくまで勝つための作戦だった。
監督というのは常に選択を迫られる。野球のセオリー、確率、経験、相手との力関係。全てが判断基準。その中で勝利に1%でも近づけるように作戦を考える。監督がデータの裏付けのないギャンブルをしたらあかん。データもないのに、作戦を立てたら、それはただの賭け。俺は今でもそう考えている。
そして野球というのは強いものが勝つとは限らない。それが面白さでもある。駆け引き、心理戦というのが、凄く重要になる。満員の甲子園での勝負となれば、メンタルのところが余計に大事になる。敬遠策を取った明徳義塾にもプレッシャーがあったが、星稜も「松井を全部歩かせるつもりか」と各打者がプレッシャーを感じていたはず。どっちがプレッシャーに勝つかの勝負だった。
星稜の初回2死三塁で、松井をまず敬遠した。警戒していたのは出塁してからの足だった。スピードもあったからね。2死一、三塁から走られて、攻撃のリズムをつくられていたら、試合の流れはまた違ったものになったかもしれない。
📝九州地区高校野球福岡大会が20日開幕、128チームが熱戦…優勝チームは4月の九州大会に出場
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第158回九州地区高校野球福岡大会が20日、開幕する。連合3チームを含めた計128チームが熱戦を繰り広げる。
日程が順調に進めば、決勝は4月5日午後1時から、北九州市民球場で行われる。九州国際大付は日程が重なる選抜高校野球大会に出場するため、今大会には不参加となる。
福岡大会は、5回戦までは北部大会と南部大会に分かれて戦い、準々決勝で両地区の4強同士が対戦する。優勝チームと九州国際大付は、4月18日に鹿児島県で開幕予定の九州大会に出場する。
☝生まれつき左手がない高校球児、「足」で甲子園メンバー入り 選抜出場の長崎西1年「勇気届けたい」
https://news.yahoo.co.jp/articles/0081d7fc1aa643821232db730d1f6b8bd2c89dc0
「君が頑張るとたくさんの人が勇気づけられると思うよ」と幼いころから父に言われてきた。
第98回選抜高校野球大会に21世紀枠で75年ぶりに出場する長崎西。今春、走塁技術などを評価され、初めて公式戦でベンチ入りする平木悠喜(1年)は生まれつき左手首の先がない。「同じような障害がある人や、障害があるからスポーツを諦めている人に勇気を届けるプレーをしたい」
■この手はいつ大きくなる?
左手で物をつかめないため、保育園のころに「この手はいつ大きくなるの?」と母、裕子さん(50)に尋ねたことがある。両親は心苦しかったが「大きくはならないんだよ」と息子にありのままの事実を伝えてきた。その少年が白球を追い始めたのは山里小1年時。3歳上の兄、崇太郎さんの影響もあり、山里クラブでソフトボールを始めた。両親はサッカーを勧めたが、自分の意志は曲げなかった。
両親の心配をよそに、平木は持ち前の身体能力の高さを生かして上達していった。守備では右手にグラブをはめ、捕球すると瞬時にグラブを外して右手で送球。「誰かに教えてもらったわけではない。自分で編み出していた」。父、宏一さん(59)はそんな息子が誇らしかった。仲間たちと一緒に地道に成長を続け、硬式野球の長崎ポニークラブに所属していた長大付中3年時には、U-16日本代表に選出された。
■みんなと一緒
卒業後は「公立校で野球をしたい」と小学生のころから親友の藤本真(1年)らとともに長崎西に進学。宗田将平監督(51)が当初、左手を気にして「配慮することがあれば」と言ってくれたが、即座に断った。「みんなと一緒にしてください。特別扱いをしなくて大丈夫です」。背番号は実力でつかみたかった。
昨夏の甲子園で活躍した生まれつき左手指が欠損している選手の存在も刺激になった。県岐阜商のレギュラーとして5試合で5安打を放ち、公立校唯一の4強入りに貢献した横山温大(3年)の姿をテレビで見て、練習にさらに身が入った。「横山さんに勇気をもらった。今度は自分がと思った」
打撃時に専用の器具を装着しても、左手は押すことしかできないため、打球は飛びづらい。「でも、走塁なら手は関係ない」。自分だけの武器を手に入れようと、スピード練習に力を入れた。冬季練習ではウエートトレーニングにも励み、身長173センチで58キロしかなかった体重は、65キロにまで増量。やれることは全部やってきた。
■最後の20番目
迎えた2月25日の午後練習。甲子園のメンバーが発表され、最後の20番目に名前を呼ばれた。「ずっと選ばれたいと思って練習をしていたから…」。大粒の涙が頬を伝った。一緒にメンバー入りした藤本も自分のことのように喜んでくれた。「手のハンディがある中で、足という自分の長所を生かしてベンチ入りをした。一緒に入れてうれしかった」。努力が実った瞬間だった。
約3週間後、夢の大舞台に立つ。宗田監督は「足が速いし、バントもうまい。勝負にこだわりたいので平木を選んだ。最大限のプレーをしてほしい」と願っている。
そして誰よりも本人が期待に胸を膨らませている。「甲子園で盗塁をするという夢が実現できるかもしれないと思うとわくわくする」。16歳は高校野球の聖地に自らの足跡を残しにいく。
💢イチロー氏も「野球じゃない」と異を唱えた7回制はなぜ導入へ進むのか? 結論ありきの進め方に現場で募る“疑問”
https://news.yahoo.co.jp/articles/83d3ce234d39761e1994b0e9775f56cbcfc1b054
無条件で賛成という意見は皆無
去る1月30日に行われた選考委員会で出場32校が決まった第98回選抜高校野球大会。春の風物詩となる“センバツ”を前に、高校野球界で話題となっているのが、将来的な7イニング制の導入だ。
この7イニング制の検討は2024年4月25日に行われた日本高野連の理事会で『高校野球7イニング制に関するワーキンググループ(WG)』が設置されたのが最初である。その後、度々議論され、2025年12月5日の理事会において「現在加盟校で活動する部員たちは、高校野球は9イニング制という前提で入学しており、部員たちの心情を考慮すると、全ての公式戦での7イニング制の採用は移行期間を設ける必要があるとの声もあり、全ての公式戦での7イニング制採用は、現在の中学3年生が高校3年生となる2028年の第100回記念選抜高等学校野球大会ならびに各都道府県高等学校野球連盟の春季大会から採用することが望ましい」と発表した。
この発表にハレーションは広まった。マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクターのイチロー氏は、『TBS』の番組内で「そこ(7イニング制)をしちゃったらもう野球じゃないから」と反対意見を表明。春夏の甲子園で通算8度の優勝を誇る大阪桐蔭の西谷浩一監督も「7イニングはあり得ないと思います」と異を唱えた。
実際、高校野球の現場で7イニング制の話題が出ても、無条件で賛成という意見はほとんど聞かれない。昨年に日本高野連が行った7イニング制導入についてのアンケートでは、加盟校では約7割が反対。同連盟のサイト上で実施された一般向けのアンケートでも9割以上が反対という結果だった。また、調査会社のモニターに対するアンケートでは7イニング制の賛成が35.9%、反対が25.0%と唯一賛成が上回ったが、高校野球に関心のある層や野球経験がある層は反対が多かったという。
一般向けのアンケートに能動的に答えているのも当然高校野球に関心が高い層であり、野球に関わり、より関心が高い層ほど反対が多いというのが現状である。イチロー氏や西谷監督などが断固反対の姿勢を示すのも、現場の反対があるにもかかわらず、導入して良いのかという疑問から生じる思いが強いのではないだろうか。
「夏休みに甲子園で開く」前提で始まる議論
では現場や野球関係者の多くが7イニング制に反対する理由はどこにあるのだろうか。筆者も多くの関係者と意見を交わしたが、最も多く聞かれたのが7イニング制導入という結論ありきの進め方と感じる点だ。
12月5日に日本高野連が公開した「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議の結果報告」には、「高校野球が目指すもの」と始まり、WGでされた課題が以下の項目に分けて述べられている。
(1)部員、加盟校に関わる課題
①部員数の減少
②部員の健康対策(障害予防)
(2)社会に関わる課題
①熱中症リスク
②働き方改革
③社会の中の高校野球
(3)組織的意義
どの課題についても理解はできる。ただ、7イニング制が解決方法として有効かは疑問が残るものが多く、他の解決策が十分に議論されているようにも感じられない。例えば、(1)の①では「部員数の減少によって少数の部員で大会に参加する出場校や連合チームが増え、7イニング制を採用すれば試合後半に発生しやすい熱中症へのリスクを低減することが可能となり安全に大会へ参加することができる」とある。一方で100人を超える部員数を抱えているチームもあり、そういったチームから部員が少ないチームに選手を派遣して1チームあたりの人数を増やすというやり方もあるのではないだろうか。
さらに(1)の②についても投手の障害予防について触れているが、これも現行の球数制限をより厳しくするというのも一つのやり方である。(2)の①の熱中症リスクも大会の実施時期を真夏から変更する方が、よりクリティカルな効果が得られるはずだ。
もちろん、例に挙げた代替案もすべてを解決するものではない。メリットとデメリットやそれによって生じるコスト、実現性については十分に検討する必要がある。しかし、公開された報告資料にはそういった要素は一切ない。7イニング制の採用によって生じるデメリットも当然多いはずだが、その大きな目的の一つである出場機会の減少に対する案として挙げられているのは、このセンバツから導入される指名打者制だけである。
報告資料の冒頭にある「高校野球が目指すもの」では、全国大会の開催期間について長期休業中に行うこと、そして会場も甲子園球場が望ましいとある。つまり夏休みに甲子園で開く前提として議論されているわけだが、ここも改善の余地はあるのではないだろうか。
球界に対する意見をたびたび投げかけている菊池雄星(エンゼルス)は、自らのXで「7イニング制に反対の意見は、ほとんど感情論です。『つまらなくなる』『高校野球ではなくなる』など。一方で、賛成派は『怪我を防げる』『熱中症対策』など、ロジカルです。ちなみに僕も7イニング制は『どちらかと言えば反対派』です。しかし僕も例に漏れず、明確なロジックを持っているわけではありません。みなさんはどうお考えですか?」と述べている。人間は論理ではなく感情で動く生き物である。高校野球を運営、管理しているのは日本高野連であり、その決定を尊重すべきというのは当然のことである。
ただ、これだけの反対意見がある中で進めるのは得策でないのも確かだ。多くの関係者が納得するという意味でも、7イニング制の導入ありきではなく、今一度あらゆる解決策の検討を望みたい。高校野球の未来のために。
https://jhbf.or.jp/senbatsu/2026/ticket/#:~:text=2026%E5%B9%B4%20%E7%AC%AC98%E5%9B%9E%E9%81%B8%E6%8A%9C%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E9%87%8E%E7%90%83%E5%A4%A7%E4%BC%9A&text=%E5%85%A5%E5%A0%B4%E5%88%B8%E3%81%AF%E5%85%A8%E5%B8%AD%E6%8C%87%E5%AE%9A,%EF%BD%9E%E7%99%BA%E5%A3%B2%E9%96%8B%E5%A7%8B%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
第98回選抜高等学校野球大会の入場券については、以下の事項をご確認、ご同意の上ご購入下さい。
入場券は全席指定席・前売発売となり、インターネット発売のチケットぴあ、ローソンチケット、甲チケの販売サイトでは3月5日10時~発売開始
コンビニのセブン-イレブン、ローソン、ミニストップでは3月7日10時~発売開始となります。
なお、残席がある場合に限り、阪神甲子園球場の窓口にて当日券を発売いたします。
インターネット発売等で完売となった場合、各コンビニや阪神甲子園球場の窓口での入場券の発売はございませんので予めご了承ください。
🎤【2024年センバツ初出場】江戸時代から続く全国屈指の伝統校を背負う男の野球人生…/和歌山県立耐久高校監督 井原正善①
https://www.youtube.com/watch?v=asA3RXWJ890
🎤【快進撃】母校の監督に就任、近畿大会ベスト4でセンバツ当確/苦しい浪人生活経て、福岡教育大学へそして指導者に/部員不足で校内で助っ人集め/和歌山県立耐久高校監督 井原正善②
https://www.youtube.com/watch?v=qZcqyNLLeJk
🎤【2024年センバツ】甲子園出場決まって祝福の花火も…アルプス超満員、地域の大応援団が力に/指導者として「いつまでも熱く」/和歌山県立耐久高校監督 井原正善③
https://www.youtube.com/watch?v=KITFVCReFws
🎁大社高校野球部の新屋内練習場が完成 建設費は全額寄付金
https://news.yahoo.co.jp/articles/bcb2d1ad40fe6ab03b2122eed5c8f7f442a108f8
県立大社高校(出雲市)の野球部の屋内練習場が完成し、2月26日竣工式があった。敷地面積は約530平方メートル、鉄骨造り平屋建て。建設費は2024年夏の甲子園出場を機に募った寄付金の余剰金で賄った。
グラウンド脇にある屋内練習場が老朽化していたため、建て替えが必要だった。これまで雨天の時は雨漏りがひどく、土の地面に浸水するなど、十分に練習ができる環境ではなかったという。
昨年11月に着工し、このほど完成した新しい屋内練習場は、全面人工芝。投球練習場が2レーンあり、打撃練習や守備練習ができるスペースもある。長畑廉叶主将(2年)は「いろんな練習ができるようになった。絶対、夏に優勝して甲子園で前回の記録を超えたい」と意気込む。
石飛文太監督は「地元はもとより全国のみなさんの思いが詰まった建物。ここで鍛錬して全国のみなさんと感動をともに味わいたい」と誓った。
寄付は24年の夏、同校野球部の甲子園出場に向けた交通費などを工面しようと、地元有志や元野球部員らでつくる大社高校甲子園出場後援会が集めた。有力校に競り勝ち、ベスト8入りした大社野球に感激した全国のファンからも多く寄せられたという。同後援会の北島建孝会長は「思いのほかたくさん集まり、残ったお金でつくることができた。ありがたい話です」と話した。
💢高校5件が処分 わいせつ動画拡散の日大三は「細かな点を質問する状況」審査室会議
https://news.yahoo.co.jp/articles/05b99be8c5fb87e9f20ec027b89ce6b07423e2eb
日本学生野球協会は3日、都内で審査室会議を開き、高校5件の処分を決めた。
南陽(京都)の部長兼監督(26)は1年生部員3名に対し、不適切な発言をしたとして、報告義務違反も合わせ25年12月27日から2カ月の謹慎処分。
石見智翠館(島根)の顧問(27)は個人指導をする中で、1年生部員1名に対し胸ぐらをつかみ、右手の平でたたく暴力に及んだ。体罰(部内)により1月19日から2カ月の謹慎。
福岡第一(福岡)の部長(38)は無断外出した選手に対し、キーケースを机の上に投げ付けるなどの不適切指導(部内)と報告義務違反により1月11日から2カ月の謹慎。
高知(高知)はコーチ(36)は寮を無断外出した選手に対し「殺すぞ」などの暴言と不適切指導(部内)により、1月6日から3カ月の謹慎。
杉戸(埼玉)の責任教師(37)は選手1名に対し、人格を傷つける不適切な発言と報告義務違反により1月14日から4カ月の謹慎。
また、知人の女子生徒にわいせつな動画を送らせ拡散するなどして、児童買春・児童ポルノ禁止法違反(製造や提供)容疑で硬式野球部の男子部員2人が書類送検された日大三(東京)については「現在は、報告が上がってきましたので、いろいろと細かな点を質問をする、という状況になっています」と説明した。
🎤【馬淵史郎 我が道3】松井から逃げたんじゃない――勝つための作戦としての敬遠
https://news.yahoo.co.jp/articles/c390c5c1c859d0d1b182ae5727e981a31474c2fe
普段から野球用語を使っていて気づくのは、物騒な言葉が多いということだ。アウトは「死」、走ったら「盗塁」、タッチアウトは「刺殺」。殺すとか死ぬとか、盗むとか刺すとか。江戸時代ならお奉行所、今なら警察が出てくるようなスポーツ。それが野球だ。
野球殿堂入りもした愛媛出身の俳人・正岡子規ら多くの先人が米国から入ってきたベースボールを、日本でも普及できるように、和訳した用語が今に伝わっている。ちょっと物騒な言葉が多いのは、それだけ野球が少しの油断で流れが変わること、硬い球を使う危険な競技であることを昔の人も分かっていたのかもしれないね。そんな中で「敬う」という言葉を使うのが敬遠だ。他の用語と比べても、語感が違う。今で言うならリスペクト。敬って、遠ざけた上で、一塁を与える。敬遠とは無条件で走者を相手に与える作戦なんだ。当然守っている側がリスクを背負わないといけない。
だからこそ、敬遠策を選択した以上は、そのリスクを失点につなげないということが重要になる。敬遠して、その後に連打されて、一方的な展開になりました――では敬遠した意味がなくなる。5番の月岩信成くん、6番の福角元伸くんら松井秀喜の後ろを打つ選手のウイークポイントを明徳義塾は徹底的に分析した。敬遠すると、投手はリズムを崩しやすい。暴投やボークでピンチが広がるケースもある。そのため松井を歩かせる時でも、捕手は立ったりせず、座って外角にしっかり投げさせることを指示した。4番を敬遠した上で勝つ。全てをこのポイントに集約した。敬遠して、相手に塁を与えてからの勝負だった。松井から逃げたんじゃない。あくまで勝つための作戦だった。
監督というのは常に選択を迫られる。野球のセオリー、確率、経験、相手との力関係。全てが判断基準。その中で勝利に1%でも近づけるように作戦を考える。監督がデータの裏付けのないギャンブルをしたらあかん。データもないのに、作戦を立てたら、それはただの賭け。俺は今でもそう考えている。
そして野球というのは強いものが勝つとは限らない。それが面白さでもある。駆け引き、心理戦というのが、凄く重要になる。満員の甲子園での勝負となれば、メンタルのところが余計に大事になる。敬遠策を取った明徳義塾にもプレッシャーがあったが、星稜も「松井を全部歩かせるつもりか」と各打者がプレッシャーを感じていたはず。どっちがプレッシャーに勝つかの勝負だった。
星稜の初回2死三塁で、松井をまず敬遠した。警戒していたのは出塁してからの足だった。スピードもあったからね。2死一、三塁から走られて、攻撃のリズムをつくられていたら、試合の流れはまた違ったものになったかもしれない。
📝九州地区高校野球福岡大会が20日開幕、128チームが熱戦…優勝チームは4月の九州大会に出場
https://news.yahoo.co.jp/articles/3e4ac43711810ec033d6622b412ae2f2027664b2
第158回九州地区高校野球福岡大会が20日、開幕する。連合3チームを含めた計128チームが熱戦を繰り広げる。
日程が順調に進めば、決勝は4月5日午後1時から、北九州市民球場で行われる。九州国際大付は日程が重なる選抜高校野球大会に出場するため、今大会には不参加となる。
福岡大会は、5回戦までは北部大会と南部大会に分かれて戦い、準々決勝で両地区の4強同士が対戦する。優勝チームと九州国際大付は、4月18日に鹿児島県で開幕予定の九州大会に出場する。
☝生まれつき左手がない高校球児、「足」で甲子園メンバー入り 選抜出場の長崎西1年「勇気届けたい」
https://news.yahoo.co.jp/articles/0081d7fc1aa643821232db730d1f6b8bd2c89dc0
「君が頑張るとたくさんの人が勇気づけられると思うよ」と幼いころから父に言われてきた。
第98回選抜高校野球大会に21世紀枠で75年ぶりに出場する長崎西。今春、走塁技術などを評価され、初めて公式戦でベンチ入りする平木悠喜(1年)は生まれつき左手首の先がない。「同じような障害がある人や、障害があるからスポーツを諦めている人に勇気を届けるプレーをしたい」
■この手はいつ大きくなる?
左手で物をつかめないため、保育園のころに「この手はいつ大きくなるの?」と母、裕子さん(50)に尋ねたことがある。両親は心苦しかったが「大きくはならないんだよ」と息子にありのままの事実を伝えてきた。その少年が白球を追い始めたのは山里小1年時。3歳上の兄、崇太郎さんの影響もあり、山里クラブでソフトボールを始めた。両親はサッカーを勧めたが、自分の意志は曲げなかった。
両親の心配をよそに、平木は持ち前の身体能力の高さを生かして上達していった。守備では右手にグラブをはめ、捕球すると瞬時にグラブを外して右手で送球。「誰かに教えてもらったわけではない。自分で編み出していた」。父、宏一さん(59)はそんな息子が誇らしかった。仲間たちと一緒に地道に成長を続け、硬式野球の長崎ポニークラブに所属していた長大付中3年時には、U-16日本代表に選出された。
■みんなと一緒
卒業後は「公立校で野球をしたい」と小学生のころから親友の藤本真(1年)らとともに長崎西に進学。宗田将平監督(51)が当初、左手を気にして「配慮することがあれば」と言ってくれたが、即座に断った。「みんなと一緒にしてください。特別扱いをしなくて大丈夫です」。背番号は実力でつかみたかった。
昨夏の甲子園で活躍した生まれつき左手指が欠損している選手の存在も刺激になった。県岐阜商のレギュラーとして5試合で5安打を放ち、公立校唯一の4強入りに貢献した横山温大(3年)の姿をテレビで見て、練習にさらに身が入った。「横山さんに勇気をもらった。今度は自分がと思った」
打撃時に専用の器具を装着しても、左手は押すことしかできないため、打球は飛びづらい。「でも、走塁なら手は関係ない」。自分だけの武器を手に入れようと、スピード練習に力を入れた。冬季練習ではウエートトレーニングにも励み、身長173センチで58キロしかなかった体重は、65キロにまで増量。やれることは全部やってきた。
■最後の20番目
迎えた2月25日の午後練習。甲子園のメンバーが発表され、最後の20番目に名前を呼ばれた。「ずっと選ばれたいと思って練習をしていたから…」。大粒の涙が頬を伝った。一緒にメンバー入りした藤本も自分のことのように喜んでくれた。「手のハンディがある中で、足という自分の長所を生かしてベンチ入りをした。一緒に入れてうれしかった」。努力が実った瞬間だった。
約3週間後、夢の大舞台に立つ。宗田監督は「足が速いし、バントもうまい。勝負にこだわりたいので平木を選んだ。最大限のプレーをしてほしい」と願っている。
そして誰よりも本人が期待に胸を膨らませている。「甲子園で盗塁をするという夢が実現できるかもしれないと思うとわくわくする」。16歳は高校野球の聖地に自らの足跡を残しにいく。
💢イチロー氏も「野球じゃない」と異を唱えた7回制はなぜ導入へ進むのか? 結論ありきの進め方に現場で募る“疑問”
https://news.yahoo.co.jp/articles/83d3ce234d39761e1994b0e9775f56cbcfc1b054
無条件で賛成という意見は皆無
去る1月30日に行われた選考委員会で出場32校が決まった第98回選抜高校野球大会。春の風物詩となる“センバツ”を前に、高校野球界で話題となっているのが、将来的な7イニング制の導入だ。
この7イニング制の検討は2024年4月25日に行われた日本高野連の理事会で『高校野球7イニング制に関するワーキンググループ(WG)』が設置されたのが最初である。その後、度々議論され、2025年12月5日の理事会において「現在加盟校で活動する部員たちは、高校野球は9イニング制という前提で入学しており、部員たちの心情を考慮すると、全ての公式戦での7イニング制の採用は移行期間を設ける必要があるとの声もあり、全ての公式戦での7イニング制採用は、現在の中学3年生が高校3年生となる2028年の第100回記念選抜高等学校野球大会ならびに各都道府県高等学校野球連盟の春季大会から採用することが望ましい」と発表した。
この発表にハレーションは広まった。マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクターのイチロー氏は、『TBS』の番組内で「そこ(7イニング制)をしちゃったらもう野球じゃないから」と反対意見を表明。春夏の甲子園で通算8度の優勝を誇る大阪桐蔭の西谷浩一監督も「7イニングはあり得ないと思います」と異を唱えた。
実際、高校野球の現場で7イニング制の話題が出ても、無条件で賛成という意見はほとんど聞かれない。昨年に日本高野連が行った7イニング制導入についてのアンケートでは、加盟校では約7割が反対。同連盟のサイト上で実施された一般向けのアンケートでも9割以上が反対という結果だった。また、調査会社のモニターに対するアンケートでは7イニング制の賛成が35.9%、反対が25.0%と唯一賛成が上回ったが、高校野球に関心のある層や野球経験がある層は反対が多かったという。
一般向けのアンケートに能動的に答えているのも当然高校野球に関心が高い層であり、野球に関わり、より関心が高い層ほど反対が多いというのが現状である。イチロー氏や西谷監督などが断固反対の姿勢を示すのも、現場の反対があるにもかかわらず、導入して良いのかという疑問から生じる思いが強いのではないだろうか。
「夏休みに甲子園で開く」前提で始まる議論
では現場や野球関係者の多くが7イニング制に反対する理由はどこにあるのだろうか。筆者も多くの関係者と意見を交わしたが、最も多く聞かれたのが7イニング制導入という結論ありきの進め方と感じる点だ。
12月5日に日本高野連が公開した「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議の結果報告」には、「高校野球が目指すもの」と始まり、WGでされた課題が以下の項目に分けて述べられている。
(1)部員、加盟校に関わる課題
①部員数の減少
②部員の健康対策(障害予防)
(2)社会に関わる課題
①熱中症リスク
②働き方改革
③社会の中の高校野球
(3)組織的意義
どの課題についても理解はできる。ただ、7イニング制が解決方法として有効かは疑問が残るものが多く、他の解決策が十分に議論されているようにも感じられない。例えば、(1)の①では「部員数の減少によって少数の部員で大会に参加する出場校や連合チームが増え、7イニング制を採用すれば試合後半に発生しやすい熱中症へのリスクを低減することが可能となり安全に大会へ参加することができる」とある。一方で100人を超える部員数を抱えているチームもあり、そういったチームから部員が少ないチームに選手を派遣して1チームあたりの人数を増やすというやり方もあるのではないだろうか。
さらに(1)の②についても投手の障害予防について触れているが、これも現行の球数制限をより厳しくするというのも一つのやり方である。(2)の①の熱中症リスクも大会の実施時期を真夏から変更する方が、よりクリティカルな効果が得られるはずだ。
もちろん、例に挙げた代替案もすべてを解決するものではない。メリットとデメリットやそれによって生じるコスト、実現性については十分に検討する必要がある。しかし、公開された報告資料にはそういった要素は一切ない。7イニング制の採用によって生じるデメリットも当然多いはずだが、その大きな目的の一つである出場機会の減少に対する案として挙げられているのは、このセンバツから導入される指名打者制だけである。
報告資料の冒頭にある「高校野球が目指すもの」では、全国大会の開催期間について長期休業中に行うこと、そして会場も甲子園球場が望ましいとある。つまり夏休みに甲子園で開く前提として議論されているわけだが、ここも改善の余地はあるのではないだろうか。
球界に対する意見をたびたび投げかけている菊池雄星(エンゼルス)は、自らのXで「7イニング制に反対の意見は、ほとんど感情論です。『つまらなくなる』『高校野球ではなくなる』など。一方で、賛成派は『怪我を防げる』『熱中症対策』など、ロジカルです。ちなみに僕も7イニング制は『どちらかと言えば反対派』です。しかし僕も例に漏れず、明確なロジックを持っているわけではありません。みなさんはどうお考えですか?」と述べている。人間は論理ではなく感情で動く生き物である。高校野球を運営、管理しているのは日本高野連であり、その決定を尊重すべきというのは当然のことである。
ただ、これだけの反対意見がある中で進めるのは得策でないのも確かだ。多くの関係者が納得するという意味でも、7イニング制の導入ありきではなく、今一度あらゆる解決策の検討を望みたい。高校野球の未来のために。
第9話 ありがとう ほっともっと さよならするのはつらいけど、、、、、
11/4 秋季近畿大会最終日決勝戦 ほっともっとフィールド神戸 智弁和歌山(和歌山①)-東洋大姫路(兵庫①) 12:00~13:59
一二三四五六七八九十計HE
和 智 辯000100000 172 渡邊、田中、宮口-山田凛
東 洋 姫00410000X 580 阪下-桒原
本来ならば前日の文化の日に秋季近畿大会は終了するはずが、、、、、大会初日に続き準決勝の11/2も1日中雨予報の為に前日夕方に中止が発表され1日ずつ日程がずれてしまった↓↓
そのあおりを喰らって、11月4日は朝10時から十三の郵便局年末アルバイト面接が入っていたので、重い荷物を担いで帽子を脱いで神戸市須磨区と逆方向の阪急電車神戸線に乗り込み、早めに到着してさっさと用を済ませて球場へ・・・と思ったが、9時30分前には会場に到着したがすでに大勢の老若男女が押し寄せており9時頃に来ればよかったかもと後悔。
結果的に前年の阿波座に続いて落選したので余計に行かなければ良かったと後悔が募り、翌年以降はもう応募せんとこうと胸に誓った次第で、この時はまだ結果を知る由もなく帰す刀でHMF神戸に乗り込んだ。
11時30分に到着し、十三駅前のコンビニで事前に弁当は仕入れていたので急いでかき込んでスコア付け。スコアボード見たらおそらくじゃんけんで負けて和智弁が先攻になったと思われる。
先発はやはり両チームともにエース登板だった。東洋の阪下投手からは少ししか点が取れないだろうから最少失点で粘り強く勝機を見出したい。アルプスはお互いブラスバンドとチアガールの応援団を引き連れ今日もにぎやかだった。
さて試合は和智弁の1番・藤田が2球目ショートゴロに倒れはじまった。昨日2打席連続ホームランを放った2番・福元があるいは今日も???という大飛球をライトに放ったが、広い広いHMF神戸の外野席には届かず結果的に三者凡退。高砂やベイコムなど県内の狭い球場だったら先制ホームランだったのにと悔やまれた・・・・・。
その裏、昨日は6回1失点と絶好調で余力を残してマウンドを降りた渡邊投手だが、決勝戦のプレッシャーがあったのか?1死後2番・伏見にセンター前ヒットを打たれるとリズムを崩して3・4番に連続デッドボールで1死満塁の大ピンチ、、、、、危険を察して4番に対峙する前に早くもタイムを要求した中谷だが、火に油を注いでしまったか???
スクイズがダイスキな岡田監督ゆえに初回から5番打者でも仕掛けてくるか?と警戒したが特に動きもなく、5番・高畑初球見逃しストライクの後にセカンドフライ。6番・白鳥も7球粘ったがファーストフライと大ピンチ脱出。
2回表和智弁は4番・荒井がライト前ヒットを放つと手堅く送って1死2塁。ここで昨日、懲罰交代を喰らった松本が出番なくこの日は6番・セカンドに同じ1年生の川原が入りセカンドゴロで2死3塁。7番・大谷に期待がかかるも外140kmの直球に空振り三振で力負け、、、
その裏、渡邊投手が見事に修正し立ち直りの兆しを見せ8番・渡辺裕の1・2塁間をゴロで破る強烈な打球をライト福元が見事な守備でライトゴロに仕留め序盤は互角だった。
和智弁は1死から9番・黒川がヒットで出塁すると中谷はスモールベースボールに徹し送りバントで2死2塁。ここで強打者・福元が登場するも東洋バッテリーも真っ向勝負を挑み、9球粘った末に最後はセカンドゴロ。
その裏東洋も先頭打者が四球で出塁すると送りバントで1死2塁。ここで中軸を何とか抑えれば事なきを得るのだが、3番・見村が初球左中間へ先制タイムリーツーベースを放ち東洋が1点先制。これで渡邊投手の気持ちが切れたのか?4番・木村3ボールと分を悪くしてフルカウントから2打席連続デッドボール・・・。
5番・高畑に8球粘られショートゴロで2死2・3塁とジワジワ圧力をかけられ渡邊投手も厳しくなってきた。6番・白鳥には初球センター前タイムリーで2点目。7番・桒原にも3ボールからフルカウントまで整えたが結局四球・・・。ここでベンチからタイムあるいは投手交代してもよかったが、ほったらかしで8番・渡辺裕を迎えフルカウントから痛恨のセンター前2点タイムリーヒットを喰らい事実上試合が決まった。。。0-4となったところで、昨日3イニング完ぺきな投球をみせたストッパー宮口ではなく背番号18の田中がリリーフ。まだ3回裏だし宮口のスタミナを考えて1枚中継ぎを挟んだのだろうか???阪下投手相手に四球を与え満塁。1番・渡辺拓にもフルカウントで厳しくなったが、最後はカーブで空振り三振に抑え一応継投は成功した。
この4点ですっかり僕は意気消沈したが、和智弁ナインは諦めることなくすぐさま反撃に転じた。4回1死から5番・荒井がライト前ヒット。この回はベンチからの指示があったのか?ファーストストライクから積極的に打ちに行く姿勢が見え、2死後に6番・川原がセンター前にポテンヒットでつなぎ1・3塁。7番・大谷はたしか木製バットを短く握りしめてコツコツ当てて泥臭く喰らいつくタイプで伝統的な強打の和智弁にしてはこれまであまり見かけないタイプの選手だが、阪下投手にはこれが合っていたようで、三遊間にしぶとくゴロを転がしショート・高畑は送球を諦めてタイムリー内野安打で3点差。ここで2番手・田中投手に代打を出して勝負を賭けても良かったが、中谷は無策でサードゴロ・・・・・。ここでもっと点差を詰めておれば終盤面白くなったかもしれないが、、、
1点を返された東洋は岡田監督の野球を存分にみせつけた!まず先頭の2番・伏見がヒットで出塁すると3番でも0-2から送りバントで1死2塁と形を作り、4番・木村が初球レフト前ヒットで1死1・3塁。こうなると間違いなく、、、、、うん。5番・高畑は初球からセーフティ―スクイズを敢行し意表を突かれた田中投手がエラーしてオールセーフで5点目。。。。。
しかし、巧打者の6番・白鳥をサードゴロゲッツーに抑えここも田中投手がしぶとく踏ん張った。
5回表和智弁は先頭がデッドボールで出塁し上位につないだ。1番・藤田は足があるので、天然芝の内野の特性を活かしてセーフティーバントでかき回しても面白かったが、4点ビハインドでそれができなかったのか普通に打たせてライトフライ。2番・福元もレフトフライで1塁走者釘付け。2死1塁から何を思ったのか?初球まさかの単独スチールで盗塁失敗、、、、、何がしたかったのか全く分からない5回の攻撃だった↓↓
その裏まだ田中投手が続投し1死からレフト前ヒット。田中投手はバント処理がヘタなのか?またもや犠打エラーで傷口を広げ、1番・渡辺拓が初球バントの構えを見せ揺さぶるが結局サードフライ。2番・伏見もセカンドゴロに倒れ整備に入った。
やはり戦前の予想通り東洋が投打に圧倒し試合を有利に進めている。仮に16校でリーグ戦をしても15戦全勝か14勝1敗くらいの高勝率を誇って終わりそうな気がしてならなかった。
もしかしたら、ここ2年センバツで報徳が準優勝に終わっているが3度目の正直で2002年以来の兵庫県勢センバツ制覇ができるかも?!という希望に満ち溢れてきた。
関東の強豪とぶつかったとしても神宮やセンバツで横綱相撲をとって紫紺の大旗を姫路に持って帰れるかと。
そう考えれば、和智弁は1年生がスタメンに多く名を連ねているし、渡邊投手も強豪の前ではあっさりKOされてしまい、センバツには出れるがここ3大会連続甲子園初戦敗退中なんで暗雲漂ってきた・・・・・。後手に回って作戦も何もなくただ打つだけの淡白な野球で意味もない盗塁を仕掛けて憤死と目も当てられない。。。
6回表3番からの攻撃だが、代打・久葉が登場。背番号20の1年生に思い出つくりの機会を与えたのか?あっさり追い込まれレフトフライ。2死から5番・山田凛がライト前ヒットを放つもまた無得点。
そして6回からストッパー宮口が登板。ここでの出番は敗戦処理的な役割となってしまうのだが、、、、、もし代えるとすれば3回4失点を喰らう前に早めの投入でロングリリーフさせるべきだったかなと。なおかつ連投だが、東洋のクリーンアップを三者凡退で抑えただけになおさら継投機の判断ミスに腹が立つというのが正直なところだった。。。
終盤に入っても和智弁打線は無抵抗主義を貫き7回の攻撃は初回以来の三者凡退。。。8回は先頭の1番・藤田がセンター前ヒットを放つもショートゴロ・ショートゴロゲッツーで6球で攻撃終了。そのすべての球に手を出し打ち気にはやったのか?ただ来た球を打っただけなのかは分からないが・・・・・。
攻撃面が淡白だが、守っては宮口投手が7・8回と内野安打1本に抑えるナイスピッチング。あるいは先発させておけば1-0という展開だったかもしれないが・・・・・。
いよいよ最終回。4番からの攻撃で1秒でも長く野球を観たかったが、わずか3球でツーアウト。最後は代打・中村がショートフライを打ち上げてゲームセット。やはり総合力に勝る東洋が近畿4試合中2試合コールド&完封勝ちそして全試合4点差以上つけて堂々たる優勝で神宮に乗り込む。
閉会式を眺めながら、来春(2025年)のセンバツに思いを馳せ、東洋は優勝戦線に絡み今大会のようにぶっちぎりの強さで紫紺の大旗を手にするんだろうけど、和智弁はここ3大会連続甲子園初戦敗退中ゆえにこの連敗地獄がどこまで続くのやら・・・・・と頭を抱えたくなった。甲子園初出場から5大会連続初戦敗退を繰り返し6大会目でようやく初勝利を手にして7大会目にセンバツ初優勝そこから大躍進を遂げたわけだが、出口の見えない迷路にはまり込んだ感じで相手がどこであっても近畿以外の一般枠は怖い。。。
ただ、一冬越えての高校生の成長あるいはケガなどによる戦力低下は分からないもので、皆さんご存知の通り、東洋はエース・阪下がセンバツ初戦で故障発生し1イニングしか投げられず2戦目で広島商相手に完敗。一方の和智弁は初出場とはいえ千葉から出てきた千葉黎明。千葉県勢には成東や成田・拓大紅陵に1点差で競り負けたし、柏陵にも大苦戦を強いられた記憶が・・・・・。
1回表から3点先制したもののレフトスタンドで観戦していた僕は「いつ逆転されるんやろうか???」と疑心暗鬼だった。
ようやく落ち着けたのは6-0で迎えた9回表の攻撃あたりだっただろうか。自由奔放なエナジックのノーサイン野球に翻弄されるかと思いきや相手が暴走のオンパレードで自滅してくれたし、準々決勝で当たると思われた東洋大姫路が2戦目で不覚を取り、準決勝は浦和実とだんだん組み合わせにも恵まれ準優勝だった。
仮に明徳と抽選番号が入れ替わっていたら4戦連続初戦敗退もあったかもしれないが、くじ運も実力のうちということだろうか???事実、市和歌山は優勝した横浜と初戦でぶつかっただけに・・・。
試合時間は1時間59分だったが、午前中に面接があっただけにハードな1日でこれを癒すべく、近所のスーパー銭湯で湯治して長すぎた2024野球シーズンはもうすぐ終わる。
次は順番が錯綜したが、島根で開催された秋季中国大会松江ー松江ー浜山と2泊3日の山陰観戦記。ここ最近、中国大会は11時から2試合が定着したので始発電車に乗れば松江市営球場には試合開始約30分前に到着できる算段となりありがたかった。それはまた次回の講釈で。
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 死球 三振 失点 自責
和 智 弁 渡 邊 2 2/3 17 67 4 1 2 3 0 4 4
和 智 弁 田 中 2 1/3 12 35 3 3 1 0 1 1 1
和 智 弁 宮 口 3 10 36 1 0 0 0 2 0 0
東洋姫路 阪 下 9 34 103 7 2 0 1 3 1 1
(完)
🌟新シリーズのお知らせ🌟
6年連続山陰入り 松江&浜山 R6年度秋季中国地区高校野球大会観戦記
10/25 秋季中国大会初日開幕試合 松江市営球場 米子東(鳥取③)-広島商(広島①)
11/4 秋季近畿大会最終日決勝戦 ほっともっとフィールド神戸 智弁和歌山(和歌山①)-東洋大姫路(兵庫①) 12:00~13:59
一二三四五六七八九十計HE
和 智 辯000100000 172 渡邊、田中、宮口-山田凛
東 洋 姫00410000X 580 阪下-桒原
本来ならば前日の文化の日に秋季近畿大会は終了するはずが、、、、、大会初日に続き準決勝の11/2も1日中雨予報の為に前日夕方に中止が発表され1日ずつ日程がずれてしまった↓↓
そのあおりを喰らって、11月4日は朝10時から十三の郵便局年末アルバイト面接が入っていたので、重い荷物を担いで帽子を脱いで神戸市須磨区と逆方向の阪急電車神戸線に乗り込み、早めに到着してさっさと用を済ませて球場へ・・・と思ったが、9時30分前には会場に到着したがすでに大勢の老若男女が押し寄せており9時頃に来ればよかったかもと後悔。
結果的に前年の阿波座に続いて落選したので余計に行かなければ良かったと後悔が募り、翌年以降はもう応募せんとこうと胸に誓った次第で、この時はまだ結果を知る由もなく帰す刀でHMF神戸に乗り込んだ。
11時30分に到着し、十三駅前のコンビニで事前に弁当は仕入れていたので急いでかき込んでスコア付け。スコアボード見たらおそらくじゃんけんで負けて和智弁が先攻になったと思われる。
先発はやはり両チームともにエース登板だった。東洋の阪下投手からは少ししか点が取れないだろうから最少失点で粘り強く勝機を見出したい。アルプスはお互いブラスバンドとチアガールの応援団を引き連れ今日もにぎやかだった。
さて試合は和智弁の1番・藤田が2球目ショートゴロに倒れはじまった。昨日2打席連続ホームランを放った2番・福元があるいは今日も???という大飛球をライトに放ったが、広い広いHMF神戸の外野席には届かず結果的に三者凡退。高砂やベイコムなど県内の狭い球場だったら先制ホームランだったのにと悔やまれた・・・・・。
その裏、昨日は6回1失点と絶好調で余力を残してマウンドを降りた渡邊投手だが、決勝戦のプレッシャーがあったのか?1死後2番・伏見にセンター前ヒットを打たれるとリズムを崩して3・4番に連続デッドボールで1死満塁の大ピンチ、、、、、危険を察して4番に対峙する前に早くもタイムを要求した中谷だが、火に油を注いでしまったか???
スクイズがダイスキな岡田監督ゆえに初回から5番打者でも仕掛けてくるか?と警戒したが特に動きもなく、5番・高畑初球見逃しストライクの後にセカンドフライ。6番・白鳥も7球粘ったがファーストフライと大ピンチ脱出。
2回表和智弁は4番・荒井がライト前ヒットを放つと手堅く送って1死2塁。ここで昨日、懲罰交代を喰らった松本が出番なくこの日は6番・セカンドに同じ1年生の川原が入りセカンドゴロで2死3塁。7番・大谷に期待がかかるも外140kmの直球に空振り三振で力負け、、、
その裏、渡邊投手が見事に修正し立ち直りの兆しを見せ8番・渡辺裕の1・2塁間をゴロで破る強烈な打球をライト福元が見事な守備でライトゴロに仕留め序盤は互角だった。
和智弁は1死から9番・黒川がヒットで出塁すると中谷はスモールベースボールに徹し送りバントで2死2塁。ここで強打者・福元が登場するも東洋バッテリーも真っ向勝負を挑み、9球粘った末に最後はセカンドゴロ。
その裏東洋も先頭打者が四球で出塁すると送りバントで1死2塁。ここで中軸を何とか抑えれば事なきを得るのだが、3番・見村が初球左中間へ先制タイムリーツーベースを放ち東洋が1点先制。これで渡邊投手の気持ちが切れたのか?4番・木村3ボールと分を悪くしてフルカウントから2打席連続デッドボール・・・。
5番・高畑に8球粘られショートゴロで2死2・3塁とジワジワ圧力をかけられ渡邊投手も厳しくなってきた。6番・白鳥には初球センター前タイムリーで2点目。7番・桒原にも3ボールからフルカウントまで整えたが結局四球・・・。ここでベンチからタイムあるいは投手交代してもよかったが、ほったらかしで8番・渡辺裕を迎えフルカウントから痛恨のセンター前2点タイムリーヒットを喰らい事実上試合が決まった。。。0-4となったところで、昨日3イニング完ぺきな投球をみせたストッパー宮口ではなく背番号18の田中がリリーフ。まだ3回裏だし宮口のスタミナを考えて1枚中継ぎを挟んだのだろうか???阪下投手相手に四球を与え満塁。1番・渡辺拓にもフルカウントで厳しくなったが、最後はカーブで空振り三振に抑え一応継投は成功した。
この4点ですっかり僕は意気消沈したが、和智弁ナインは諦めることなくすぐさま反撃に転じた。4回1死から5番・荒井がライト前ヒット。この回はベンチからの指示があったのか?ファーストストライクから積極的に打ちに行く姿勢が見え、2死後に6番・川原がセンター前にポテンヒットでつなぎ1・3塁。7番・大谷はたしか木製バットを短く握りしめてコツコツ当てて泥臭く喰らいつくタイプで伝統的な強打の和智弁にしてはこれまであまり見かけないタイプの選手だが、阪下投手にはこれが合っていたようで、三遊間にしぶとくゴロを転がしショート・高畑は送球を諦めてタイムリー内野安打で3点差。ここで2番手・田中投手に代打を出して勝負を賭けても良かったが、中谷は無策でサードゴロ・・・・・。ここでもっと点差を詰めておれば終盤面白くなったかもしれないが、、、
1点を返された東洋は岡田監督の野球を存分にみせつけた!まず先頭の2番・伏見がヒットで出塁すると3番でも0-2から送りバントで1死2塁と形を作り、4番・木村が初球レフト前ヒットで1死1・3塁。こうなると間違いなく、、、、、うん。5番・高畑は初球からセーフティ―スクイズを敢行し意表を突かれた田中投手がエラーしてオールセーフで5点目。。。。。
しかし、巧打者の6番・白鳥をサードゴロゲッツーに抑えここも田中投手がしぶとく踏ん張った。
5回表和智弁は先頭がデッドボールで出塁し上位につないだ。1番・藤田は足があるので、天然芝の内野の特性を活かしてセーフティーバントでかき回しても面白かったが、4点ビハインドでそれができなかったのか普通に打たせてライトフライ。2番・福元もレフトフライで1塁走者釘付け。2死1塁から何を思ったのか?初球まさかの単独スチールで盗塁失敗、、、、、何がしたかったのか全く分からない5回の攻撃だった↓↓
その裏まだ田中投手が続投し1死からレフト前ヒット。田中投手はバント処理がヘタなのか?またもや犠打エラーで傷口を広げ、1番・渡辺拓が初球バントの構えを見せ揺さぶるが結局サードフライ。2番・伏見もセカンドゴロに倒れ整備に入った。
やはり戦前の予想通り東洋が投打に圧倒し試合を有利に進めている。仮に16校でリーグ戦をしても15戦全勝か14勝1敗くらいの高勝率を誇って終わりそうな気がしてならなかった。
もしかしたら、ここ2年センバツで報徳が準優勝に終わっているが3度目の正直で2002年以来の兵庫県勢センバツ制覇ができるかも?!という希望に満ち溢れてきた。
関東の強豪とぶつかったとしても神宮やセンバツで横綱相撲をとって紫紺の大旗を姫路に持って帰れるかと。
そう考えれば、和智弁は1年生がスタメンに多く名を連ねているし、渡邊投手も強豪の前ではあっさりKOされてしまい、センバツには出れるがここ3大会連続甲子園初戦敗退中なんで暗雲漂ってきた・・・・・。後手に回って作戦も何もなくただ打つだけの淡白な野球で意味もない盗塁を仕掛けて憤死と目も当てられない。。。
6回表3番からの攻撃だが、代打・久葉が登場。背番号20の1年生に思い出つくりの機会を与えたのか?あっさり追い込まれレフトフライ。2死から5番・山田凛がライト前ヒットを放つもまた無得点。
そして6回からストッパー宮口が登板。ここでの出番は敗戦処理的な役割となってしまうのだが、、、、、もし代えるとすれば3回4失点を喰らう前に早めの投入でロングリリーフさせるべきだったかなと。なおかつ連投だが、東洋のクリーンアップを三者凡退で抑えただけになおさら継投機の判断ミスに腹が立つというのが正直なところだった。。。
終盤に入っても和智弁打線は無抵抗主義を貫き7回の攻撃は初回以来の三者凡退。。。8回は先頭の1番・藤田がセンター前ヒットを放つもショートゴロ・ショートゴロゲッツーで6球で攻撃終了。そのすべての球に手を出し打ち気にはやったのか?ただ来た球を打っただけなのかは分からないが・・・・・。
攻撃面が淡白だが、守っては宮口投手が7・8回と内野安打1本に抑えるナイスピッチング。あるいは先発させておけば1-0という展開だったかもしれないが・・・・・。
いよいよ最終回。4番からの攻撃で1秒でも長く野球を観たかったが、わずか3球でツーアウト。最後は代打・中村がショートフライを打ち上げてゲームセット。やはり総合力に勝る東洋が近畿4試合中2試合コールド&完封勝ちそして全試合4点差以上つけて堂々たる優勝で神宮に乗り込む。
閉会式を眺めながら、来春(2025年)のセンバツに思いを馳せ、東洋は優勝戦線に絡み今大会のようにぶっちぎりの強さで紫紺の大旗を手にするんだろうけど、和智弁はここ3大会連続甲子園初戦敗退中ゆえにこの連敗地獄がどこまで続くのやら・・・・・と頭を抱えたくなった。甲子園初出場から5大会連続初戦敗退を繰り返し6大会目でようやく初勝利を手にして7大会目にセンバツ初優勝そこから大躍進を遂げたわけだが、出口の見えない迷路にはまり込んだ感じで相手がどこであっても近畿以外の一般枠は怖い。。。
ただ、一冬越えての高校生の成長あるいはケガなどによる戦力低下は分からないもので、皆さんご存知の通り、東洋はエース・阪下がセンバツ初戦で故障発生し1イニングしか投げられず2戦目で広島商相手に完敗。一方の和智弁は初出場とはいえ千葉から出てきた千葉黎明。千葉県勢には成東や成田・拓大紅陵に1点差で競り負けたし、柏陵にも大苦戦を強いられた記憶が・・・・・。
1回表から3点先制したもののレフトスタンドで観戦していた僕は「いつ逆転されるんやろうか???」と疑心暗鬼だった。
ようやく落ち着けたのは6-0で迎えた9回表の攻撃あたりだっただろうか。自由奔放なエナジックのノーサイン野球に翻弄されるかと思いきや相手が暴走のオンパレードで自滅してくれたし、準々決勝で当たると思われた東洋大姫路が2戦目で不覚を取り、準決勝は浦和実とだんだん組み合わせにも恵まれ準優勝だった。
仮に明徳と抽選番号が入れ替わっていたら4戦連続初戦敗退もあったかもしれないが、くじ運も実力のうちということだろうか???事実、市和歌山は優勝した横浜と初戦でぶつかっただけに・・・。
試合時間は1時間59分だったが、午前中に面接があっただけにハードな1日でこれを癒すべく、近所のスーパー銭湯で湯治して長すぎた2024野球シーズンはもうすぐ終わる。
次は順番が錯綜したが、島根で開催された秋季中国大会松江ー松江ー浜山と2泊3日の山陰観戦記。ここ最近、中国大会は11時から2試合が定着したので始発電車に乗れば松江市営球場には試合開始約30分前に到着できる算段となりありがたかった。それはまた次回の講釈で。
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 死球 三振 失点 自責
和 智 弁 渡 邊 2 2/3 17 67 4 1 2 3 0 4 4
和 智 弁 田 中 2 1/3 12 35 3 3 1 0 1 1 1
和 智 弁 宮 口 3 10 36 1 0 0 0 2 0 0
東洋姫路 阪 下 9 34 103 7 2 0 1 3 1 1
(完)
🌟新シリーズのお知らせ🌟
6年連続山陰入り 松江&浜山 R6年度秋季中国地区高校野球大会観戦記
10/25 秋季中国大会初日開幕試合 松江市営球場 米子東(鳥取③)-広島商(広島①)
📝令和8年度 春季近畿地区高校野球大会 大阪府予選組み合わせ
http://www.ohbl.sakura.ne.jp/2-taikaikankei/kumiawase/26_01haru/26_haru_yagura_ippan.pdf
🔥”名物”高校野球部監督が今年も卒業生にはなむけの似顔絵プレゼント 思いを込めた四字熟語添え…
https://news.yahoo.co.jp/articles/ede816908a5ed2e8a0ec6f448159a2dc39738b5f
松江市の開星高校、2月28日、卒業式が行われました。去年、夏の甲子園出場を果たした野球部の3年生は、卒業証書とともに特別なプレゼントを手に学び舎を後にしました。
2月28日行われた松江市・開星高校の卒業式。在校生や保護者が見守るなか、156人の卒業生一人ひとりに小山内校長から卒業証書が手渡されました。
卒業生代表・高橋壮太さん:「何気ない日常の中で交わした言葉や笑顔が私たちを支えてくれました。この3年間は知識だけではなく人として土台を築いた時間だったと感じています」
卒業生の中には去年夏、8年ぶり11回目の甲子園出場を果たした野球部のメンバーも。卒業式の後、野球部恒例の卒業セレモニーが開かれました。
開星高校野球部・野々村監督:「素晴らしい開星の3年間を送ったので、それを誇りにして自信にして、ただ、力で相手を威圧しない、逆に力のない人を助けてあげる、それが本当の勇気だ。そういう男になってください」
卒業する部員にはなむけの言葉を贈ったのは野々村直通監督。ユニフォーム姿もさることながら、グラウンド外でも着流し姿など個性的なファッションでおなじみの名物監督です。そんな現在74歳のベテラン監督が続けてきた卒業祝いのセレモニーが…。
開星高校野球部・野々村監督:「この写真を見て書きました。そのまま書いてますから普通の人にはできませんので、おめでとうございます、頑張って」
監督自身が描いた似顔絵のプレゼント。教員時代の担当科目は美術。「山陰のピカソ」とも呼ばれた野々村監督が30年ほど前に始めた恒例のお祝いです。色鉛筆を使い、卒業生23人分を1カ月半ほどかけて描き上げました。似顔絵には部員1人ひとりへの思いを込めた四字熟語が添えられています。
開星高校野球部・藤江来斗元キャプテン:「この似顔絵もらうために3年間頑張りました。(これから)消防士になるが消防士もチームで動くので僕が先頭に立っていけるように技術などを身に着けていきたい」
開星高校野球部・松浦愛珠さん:「怒られても耐えれる気持ちを磨かしてもらったので、そのおかげで野球も精神力も強まって甲子園行けたと思うので監督のおかげです。(特に似てるのは)目じゃないですか。薄目というか、似てるかなと思います」
教えてもらったのは野球だけじゃない。監督から託された宝物を胸に卒業生たちは、それぞれの道で新たな一歩を踏み出します。
📝持丸修一 77歳名将の高校野球論
“最初の3カ月”が第一関門 「投手として育てるべき選手」の見極め方を明かします
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/382984
いやぁ、参りました。先日、野手に対して捕球時のグラブの出し方を少しだけ教えたのですが、それをグラウンドに取材に来ていたメディアの方から「77歳の持丸監督が守備を披露」なんて書かれてしまいまして、気恥ずかしいやら何やらで(苦笑)。もうプレーなどできません、腰をやってしまいます。
さて、昨年末のコラムで、投手の指導法について「提案とアドバイスがメイン」と書きました。では、どのようにして「投手として育てるべき選手」を選んでいるのか。たびたび尋ねられるこの質問にお答えします。
投手志望の新入部員については、最初の3カ月間は「見るだけ」を基本方針に定めています。本人のポテンシャルや個性を十分に把握しないままアドバイスをしてしまえば、かえって才能を潰してしまう危険性がある。これだけは避けたい。最初は余計なことを言わず、練習試合でも自由に投げさせながら、じっくりと観察するのです。この期間にもっとも注視しているのは、球質やフィジカルではありません。ずばり言えば、「ある程度の制球力」です。コントロールの悪い投手は、負けたら終わりのトーナメントでは怖くて使えない。もちろん、それも大きな理由の一つですが、それだけではありません。
どのように投げれば狙ったところにボールが行くのか。リリースポイントが少しずれただけで、あるいは力の入れ具合が数コンマ遅れただけでボールはあらぬ方向へ行ってしまいます。そのズレを修正する際に必要なのが、結果と自分の感覚・感性を擦り合わせる作業です。ここで投手としてのセンスが求められる。しかも、このセンスは後に変化球を習得したり、球速や球のキレを磨いたりする過程でも絶対的に欠かせない要素です。
つまり、制球力は投手の能力を測る上で大きな指標になるのです。 当落線上にいる投手については、センスを秘めているけど現時点でイマイチなのか、それともセンス自体が不足しているのか。この判断にやはり3カ月程度は時間を確保しなければいけない、というのが私の出した結論です。
その頃になると、夏の千葉県大会の幕が開ける。よほど見込みのある投手は起用しますが、それはあくまで例外です。制球力という第一関門を突破した1年生は、さらに半年~1年の間、フィジカルや伸びしろといった観点からより慎重にふるいにかけていきます。ちょうど今の時期がその最中です。その話はまた別の機会にお話ししましょう。
🎤【馬淵史郎 我が道2】エースの故障なければ勝負した 初めから全打席敬遠と決めたわけじゃない
https://news.yahoo.co.jp/articles/deedb808ba2dfb2b6194167f3b20c1d5a9eb08b4
1992年(平4)の夏の大会。抽選会は8月8日に行われた。明徳義塾が引き当てたのは第7日第3試合。相手は空白。しんがりの49番目。相手が未定のまま開会式を迎えるということになり、何か気持ちに引っかかるものがあった。
決まったのは星稜と長岡向陵の勝者と戦うということだけ。「最悪のクジやな」と思ったね。こっちは初戦、相手は2試合目。どう考えても、試合を経験してきている方が有利。しかも星稜は松井秀喜が4番を打つ優勝候補。対戦が決まってもないのに「初戦から星稜ですね」などと取材をされた。とにかく時間はある。ええように考えて、試合に向けて準備するしかないと考えていた。
松井はこの年の春の選抜でもずばぬけた存在になっていた。ラッキーゾーンが撤去されたばかりの甲子園で3試合3本塁打。夏もNo・1のスラッガーだ。長岡向陵戦も甲子園で視察した。星稜は11―0で完勝。松井も5回に右中間へ2点三塁打を打った。打球の速さが全く違っていた。インパクトがあった。
試合翌日も星稜の状態を見極めるために、神戸製鋼のグラウンドで行われた練習をチェックした。ここは社会人の阿部企業時代によく使っていた場所だったから、打球を見たら、甲子園のどのあたりに飛んでいくかは想像がついた。星稜の中でも松井だけが違って見えた。当時は1メートル85、85キロだが、サイズ以上の威圧感があって、オーラがあった。加えて星稜で目を引いたのは投手の山口哲治くんの投球だった。エース左腕も簡単に打ち崩すことはできない。競り合いしか勝ち目はない。どうすれば、こちらの流れになるか。対戦まで、そのことをずっと考えていた。
そして明徳義塾には互角に勝負できる投手はいなかった。背番号1の岡村憲二は大会前に肘を痛めて、登板は無理だった。甲子園のベンチには投手を5人も入れた。背番号8の河野和洋のコントロールで何とか打ち取るしかない状況だった。松井と勝負するにはインコースを攻めるしかないが、MAX130キロの河野ではタイミングを外しても、スタンドに運ばれる。だって、高校を出て、すぐに巨人のクリーンアップを打つことになる選手だ。そんな高校生10年に一人もおらん。勝負に「たら」「れば」はないが、岡村の故障がなかったら勝負はしていたと思う。
ビデオを何度も何度も見た。松井以降の打者となら河野も勝負はできる。そこで勝機をつかむしかないと腹を決めた。接戦になったらヒットを打たれたと思って歩かせ、後続を打ち取るしかない。対戦前日の取材では「勝負となったら松井くんを敬遠するかもしれない」と作戦を明かしていた。点差が開く展開になっていたら、もちろん勝負していた。初めから全打席敬遠と決めたわけじゃなかった。
☝<春風に乗って>’26センバツ 三重 元応援部、甲子園で劇的勝利に感動 追っかけ歴38年のOB「優勝を見てみたい」
https://news.yahoo.co.jp/articles/652c09db76ed670bc11f8254fc5e0b0f6db626fc8年ぶり14回目のセンバツ出場を果たした三重には熱狂的なファンがいる。三重高校応援部OBの津市職員、芝山弘行さん(53)だ。その原点は何か。そして何を目指しているのか。
「このバッグは15万円かけて自作したもの。応援グッズの製作や差し入れで数百万円は使ってるんじゃないかな」。三重高関連のグッズで埋め尽くされた部屋で芝山さんはこう切り出した。
名場面の写真や記念誌のほか、野球部のユニホームのロゴと同じ「MIEKO」と書かれたマスクや携帯ケースも。応援部にオリジナルTシャツやロゴ入りタオルを寄贈するようになって10年以上たつ。
芝山さんが入学したのは1988年。小学生の頃から甲子園に憧れてはいたが、プレーヤーとしては狭き門だ。だから応援部を選んだ。2年だった90年春、野球部はセンバツに出場。芝山さんはそこで忘れられない試合に出合った。
1回戦の神戸弘陵(兵庫)戦、0―3とリードされて迎えた九回、三重は3点本塁打で同点に追いつき、延長十一回に勝ち越して逆転勝ちしたのだ。芝山さんは「夢みたいだった。鳥肌が立った。こんなことがあるんやと感じた」と振り返る。以来、野球部の応援にどっぷりハマり、卒業後も足しげく試合に通った。知らない人と肩を組んで校歌を歌うのが楽しくて、ますます「趣味」が高じた。
こんな生活を続ける理由は何か。それは「頂点を自分の目で見ることができていないから」だという。だが、今春こそチャンス。昨夏の三重大会で初戦敗退した時には仕事が手につかないほど落ち込んだが、新チームを見て「投手がそろっているし、打撃はものすごく打つ」と期待に胸が高鳴ったそうだ。この戦力に加え、尊敬する沖田展男監督の手堅い采配で全員野球をすれば全国制覇はグッと近づくに違いない――。芝山さんはそう信じつつ「選手たちが楽しんでくれたらそれでいい。でも、優勝を見てみたいですね」と声を弾ませた。
📝OP戦絶好調で「いつ声がかかるのか」 開幕投手はお預け…自己最高も忘れぬ初登板の“洗礼”
https://news.yahoo.co.jp/articles/df188fb594742b9fd8bee09d9844f4e98805a48c?page=1
OP戦は無失点投球→初登板で6失点「ちょっと点を取られておけば」
元近鉄右腕の太田幸司氏(野球評論家)がキャリアハイの12勝をマークしたのはプロ6年目の1975年だ。この年はオープン戦で絶好調だったが、4月は1勝3敗。それを5月に5勝0敗1セーブで盛り返した。その裏にはもはやおなじみの昭和ならではの“登板過多”も……。「5月頃には15勝は絶対行けると思っていたんだけどねぇ……」。球宴では「赤ヘルブームの火付け人となった」と言い、近鉄の後期優勝でビールかけも初体験。いろいろあったシーズンだった。
プロ6年目の太田氏は波に乗っていた。前年(1974年)に初の2桁10勝を挙げたことで自信も増したのだろう。「確かオープン戦は19イニング無失点だったと思いますよ。周りは“太田幸司、初の開幕投手かぁ”って……。僕も、いつ声がかかるのかと待っていたんですけどね」と笑いながら振り返った。大エースの鈴木啓示投手が故障などもあって出遅れており、太田氏の開幕投手が噂されたわけだが、実際に指名されたのは左腕・神部年男投手だった。
太田氏のシーズン初登板は開幕3戦目、4月6日にダブルヘッダーで行われた阪急戦第2試合(西宮)の先発だった。「やられたんですよね」。加藤秀司内野手、大橋穣内野手、B・ウイリアムス外野手に一発を浴びるなど、2回6失点でKOされた。敗戦投手となり「オープン戦でちょっと点を取られておけばよかったわって言ってねぇ」と苦笑しきりだ。
そこから中1日の開幕4戦目、4月8日の太平洋戦(平和台)には2回途中から2番手で7回2/3、3失点のロングリリーフでシーズン1勝目を挙げ「そりゃあ、そうなりますよ。(4月6日に2回6失点と)そんなに早くやられたら、リリーフで行けと言われますからね」とあっさり。さらに中3日で4月12日のロッテ戦ダブルヘッダー第2試合(日生)に先発して5回0/3、3失点で2敗目を喫したが「すごい時代だけど、僕らより、もっと前の大先輩たちはもっともっとハードなことをやっていたからね」と“普通”を強調した。
そんな4月は1勝3敗。まさにオープン戦絶好調の反動のように苦しんだが、5月は5勝0敗1セーブと巻き返した。それもまた超ハード日程を投げ抜いての結果だった。5月5日の日本ハム戦(藤井寺)で1失点完投の2勝目を挙げると、中2日の5月8日の南海戦(大阪)では7回から2番手で投げて3回無失点でセーブをマークと、完投勝利したのもお構いなし。しかも、それだけでも終わらない。
中1日で5月10日の太平洋戦(平和台)に2番手で2回1失点。さらに中2日で5月13日の日本ハム戦(日生)では2番手で4回1失点を投げた。すると、その翌日の5月14日の同カードには連投で先発して7回4失点で3勝目を挙げ、そこから中2日で5月17日のロッテ戦ダブルヘッダー第2試合に先発して1失点完投で4勝目だ。三沢高時代に夏の甲子園で4連投したことを考えれば、何てことはないのかもしれないが、それにしてもすさまじい投げっぷりとしか言いようがない。
「(当時23歳の)まだまだ若い頃だからね。そりゃあ、ずっとローテーションのベテランの投手には、そんなことはさせないですよ。まぁチームの投手台所事情もしんどかった時期だったしね」。5月に5勝を挙げたのも、そんな登板間隔もあってのことだが、太田氏も首脳陣の期待に応えて、5月を無敗で乗り切ったのだから、もはや甲子園のアイドル右腕ではない。人気と実力を兼ね備えた近鉄右腕としての力投だった。
15勝確信も12勝“止まり”…9月に3試合連続完投で後期優勝に貢献
前半に7勝を挙げて、オールスターゲームにもプロ6年目で5度目のファン投票選出。7月19日の第1戦(甲子園)に先発したが、1回4失点で敗戦投手になった。広島の山本浩二外野手と衣笠祥雄内野手にそれぞれ被弾した。「ものの見事に打たれましたよ。こっちも自信を持って投げたんですけどパカーン、パカーンってね。でも僕の後に投げた(阪急投手の)山田(久志)さんも、その2人にホームラン。山田さんも打たれるんだったら、しゃあないか、とか言ってねぇ」。
太田氏は笑いながら「あれはね、僕と山田さんの“勲章”ですよ」とも言う。この年に広島が赤ヘルブームを巻き起こし、球団初のセ・リーグ優勝を成し遂げたからで「“オールスターで僕と山田さんが赤ヘルに火をつけたので優勝したんだ”ってね。今でも山田さんとは顔を合わせれば、そんな話をしますよ。まぁ、でもホントに赤ヘルの勢いを感じたオールスターでしたね。あれは……」とうなずいた。
シーズンについては「5月の頃は“15勝は絶対行ける”と思ってやったんだけど、後半は何か尻すぼみで、12勝で止まってしまったんですけどね」と悔しそうにも話したが、8月19日の南海戦(大阪)では2安打完封で10勝目を挙げ、9月には3試合連続完投もあり、近鉄球団初の後期優勝に貢献した。ビールかけも初めて体験し「ビールって浴びるだけで酔うんだなって思いましたよ」。最終成績は12勝12敗1セーブ、防御率3.71だった。
1勝3敗で敗れた前期優勝の阪急とのプレーオフには登板なし。「故障とかは別にしていなかったんですけどね」。ちょうど調子を落としていた時期だったようで、これに関しては無念の思いだったが、いろいろあったキャリアハイの12勝を挙げたプロ6年目は、太田氏にとって忘れられないシーズン。1軍に完全定着以降、毎年のように続いた過酷日程も乗り切った上で、近鉄投手陣のなかでの存在感も増していった。
太田氏は笑いながら「あれはね、僕と山田さんの“勲章”ですよ」とも言う。この年に広島が赤ヘルブームを巻き起こし、球団初のセ・リーグ優勝を成し遂げたからで「“オールスターで僕と山田さんが赤ヘルに火をつけたので優勝したんだ”ってね。今でも山田さんとは顔を合わせれば、そんな話をしますよ。まぁ、でもホントに赤ヘルの勢いを感じたオールスターでしたね。あれは……」とうなずいた。
シーズンについては「5月の頃は“15勝は絶対行ける”と思ってやったんだけど、後半は何か尻すぼみで、12勝で止まってしまったんですけどね」と悔しそうにも話したが、8月19日の南海戦(大阪)では2安打完封で10勝目を挙げ、9月には3試合連続完投もあり、近鉄球団初の後期優勝に貢献した。ビールかけも初めて体験し「ビールって浴びるだけで酔うんだなって思いましたよ」。最終成績は12勝12敗1セーブ、防御率3.71だった。
1勝3敗で敗れた前期優勝の阪急とのプレーオフには登板なし。「故障とかは別にしていなかったんですけどね」。ちょうど調子を落としていた時期だったようで、これに関しては無念の思いだったが、いろいろあったキャリアハイの12勝を挙げたプロ6年目は、太田氏にとって忘れられないシーズン。1軍に完全定着以降、毎年のように続いた過酷日程も乗り切った上で、近鉄投手陣のなかでの存在感も増していった。
📝原因不明のスランプで泥沼「何がどうなったのか」 完封後に8連敗…ドラ1が手放した“居場所”
https://news.yahoo.co.jp/articles/9ded45fcea90a54a5f75f5906969ee258e3ad83b
3安打完封で復調確信も…太田氏が陥った“悪夢”「だんだん焦り出した」
突然、勝てなくなった。“元祖甲子園のアイドル”で元近鉄投手の太田幸司氏(野球評論家)は、プロ5年目(1974年)から8年目(1977年)の4シーズンで3度、2桁勝利をマークするなどバファローズの主力投手として実績を重ねていった。しかし9年目(1978年)は一転してわずか1勝に終わった。原因不明の不調だったという。「何か、よくわからない年だったんですよねぇ」と苦笑しながら話した。
1969年夏の甲子園、決勝の松山商戦での延長18回“0-0引き分け”再試合の熱投などで、女性ファンの人気を集め「コーちゃんフィーバー」を巻き起こした。一躍“国民的スター”となった太田氏は、同年のドラフト1位で近鉄に入団。1年目の1970年から1軍でプレーした。いきなりCM撮影の仕事が入るなど、その人気はすさまじく、オールスターゲームには1年目から6年連続で出場し、そのうち5回がファン投票で選出された。
人気先行と言われながら、シュート、スライダーをマスターするなどして実力の方も年々アップ。5年目の1974年には初の2桁10勝を挙げ、6年目の1975年にはキャリアハイの12勝を記録して近鉄主力投手の座も確立させた。球宴連続出場がストップした7年目の1976年も9勝。8年目の1977年は前半に7勝を挙げて球宴に監督推薦で“復帰”して、最終的には再び2桁勝利到達の10勝14敗1セーブ。防御率はパ・リーグ10位の3.21だった。
「まぁまぁ、その辺の4年間くらいはコンスタントに、って感じだったんですけどね」。その“いい流れ”が急に変わったのが9年目の1978年だ。開幕2戦目の4月2日のクラウン戦(平和台)に先発して、5回2失点で敗戦投手。4月9日のロッテ戦(先発)は4失点完投負けで2敗目を喫した。連敗スタートも3登板目の4月14日の日本ハム戦(日生)では3安打完封で1勝目を挙げ、調子のリズムを取り戻したはずだったが、そこから逆におかしくなった。
「完封して“よっしゃ、いいよ”と思ったらね……。何がどうなったのかっていうのが分からないようなシーズンだったんですよね」。4登板目の4月20日の阪急戦で2回1/3、4失点でKOされて3敗目。そのまま泥沼の黒星地獄にハマり込んだ。先発しても早い回で打ち込まれるケースが目立ち、4月は1勝4敗、5月は0勝3敗。6月8日の日本ハム戦(後楽園)のリリーフ登板で黒星がつき、1勝8敗となったところで、2軍再調整となった。
肩、肘などに問題を抱えていたわけではない。「体調も悪くなかったし、今、振り返っても何だったのかって思いますよ」と不調原因も不明だった。「なんかそういう流れの年だったのか。まぁ、最初はそうでもなかったんだけど、あれだけ負けたら、そりゃあ、だんだん焦り出しましたもんね、ああ、勝たなきゃ、って。それまでずっと割と勝ってきていたから、余計にね。勝てるようになってからの大スランプだったんですよねぇ」。
10勝→1勝→7勝と復活も…“伝説”の日本シリーズは登板すらできず
その後、1、2軍を何度か往復したが、結局、白星を手に入れることができなかった。8月27日の南海戦(西京極)に先発して2回2/3、2失点で降板し、2軍落ちとなって、そのままシーズンを終えた。21登板(15先発)、1勝9敗、防御率5.40。前年(1977年)10勝からの急降下だった。安定感ある投球で首脳陣からもある程度の勝ち星を計算されていたなかでの絶不調だった。太田氏は首を傾げながら、こう話した。「あれは何か怪我の予兆だったんですかねぇ……」。
翌1979年、プロ10年目の太田氏は、そんな大スランプから脱出して7勝をマークする。「まぁ、あの年はローテーションの矢面に立って、バンバン投げていたわけではなくて、割とポツポツという感じかな」と言うが、終盤になって、完投、完封など調子を上げた。7勝のうち4勝は9月以降に挙げたものだ。「ちょっと帳尻を合わせるようにね(笑)。でも、“よっしゃ、これで行ける”というような雰囲気にはなったんですけどね……」。
当時のパ・リーグは前期、後期の2シーズン制で、1979年の近鉄は前期に優勝し、後期優勝の阪急とのプレーオフも3勝0敗で制して、球団創設以来、初のリーグ優勝を成し遂げた。日本シリーズは3勝4敗で広島に敗退。3勝3敗で迎えた第7戦(11月4日、大阪)で3-4の9回裏無死満塁の大チャンスを広島守護神・江夏豊投手に封じられて涙をのんだ。そのシーンは“江夏の21球”として語り継がれている。
だが、そんな広島との日本シリーズも、その前の阪急とのプレーオフにも太田氏は登板していない。「急に肩が……」。右肩痛発症の悪夢に襲われていたからだ。「あれが苦悩の始まりでしたね」。1978年の“謎の1勝シーズン”も、1979年プレーオフ前の“そこ”につながっていたのかと思えてくるほど、ここから厳しい戦いが待っていた。
http://www.ohbl.sakura.ne.jp/2-taikaikankei/kumiawase/26_01haru/26_haru_yagura_ippan.pdf
🔥”名物”高校野球部監督が今年も卒業生にはなむけの似顔絵プレゼント 思いを込めた四字熟語添え…
https://news.yahoo.co.jp/articles/ede816908a5ed2e8a0ec6f448159a2dc39738b5f
松江市の開星高校、2月28日、卒業式が行われました。去年、夏の甲子園出場を果たした野球部の3年生は、卒業証書とともに特別なプレゼントを手に学び舎を後にしました。
2月28日行われた松江市・開星高校の卒業式。在校生や保護者が見守るなか、156人の卒業生一人ひとりに小山内校長から卒業証書が手渡されました。
卒業生代表・高橋壮太さん:「何気ない日常の中で交わした言葉や笑顔が私たちを支えてくれました。この3年間は知識だけではなく人として土台を築いた時間だったと感じています」
卒業生の中には去年夏、8年ぶり11回目の甲子園出場を果たした野球部のメンバーも。卒業式の後、野球部恒例の卒業セレモニーが開かれました。
開星高校野球部・野々村監督:「素晴らしい開星の3年間を送ったので、それを誇りにして自信にして、ただ、力で相手を威圧しない、逆に力のない人を助けてあげる、それが本当の勇気だ。そういう男になってください」
卒業する部員にはなむけの言葉を贈ったのは野々村直通監督。ユニフォーム姿もさることながら、グラウンド外でも着流し姿など個性的なファッションでおなじみの名物監督です。そんな現在74歳のベテラン監督が続けてきた卒業祝いのセレモニーが…。
開星高校野球部・野々村監督:「この写真を見て書きました。そのまま書いてますから普通の人にはできませんので、おめでとうございます、頑張って」
監督自身が描いた似顔絵のプレゼント。教員時代の担当科目は美術。「山陰のピカソ」とも呼ばれた野々村監督が30年ほど前に始めた恒例のお祝いです。色鉛筆を使い、卒業生23人分を1カ月半ほどかけて描き上げました。似顔絵には部員1人ひとりへの思いを込めた四字熟語が添えられています。
開星高校野球部・藤江来斗元キャプテン:「この似顔絵もらうために3年間頑張りました。(これから)消防士になるが消防士もチームで動くので僕が先頭に立っていけるように技術などを身に着けていきたい」
開星高校野球部・松浦愛珠さん:「怒られても耐えれる気持ちを磨かしてもらったので、そのおかげで野球も精神力も強まって甲子園行けたと思うので監督のおかげです。(特に似てるのは)目じゃないですか。薄目というか、似てるかなと思います」
教えてもらったのは野球だけじゃない。監督から託された宝物を胸に卒業生たちは、それぞれの道で新たな一歩を踏み出します。
📝持丸修一 77歳名将の高校野球論
“最初の3カ月”が第一関門 「投手として育てるべき選手」の見極め方を明かします
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/382984
いやぁ、参りました。先日、野手に対して捕球時のグラブの出し方を少しだけ教えたのですが、それをグラウンドに取材に来ていたメディアの方から「77歳の持丸監督が守備を披露」なんて書かれてしまいまして、気恥ずかしいやら何やらで(苦笑)。もうプレーなどできません、腰をやってしまいます。
さて、昨年末のコラムで、投手の指導法について「提案とアドバイスがメイン」と書きました。では、どのようにして「投手として育てるべき選手」を選んでいるのか。たびたび尋ねられるこの質問にお答えします。
投手志望の新入部員については、最初の3カ月間は「見るだけ」を基本方針に定めています。本人のポテンシャルや個性を十分に把握しないままアドバイスをしてしまえば、かえって才能を潰してしまう危険性がある。これだけは避けたい。最初は余計なことを言わず、練習試合でも自由に投げさせながら、じっくりと観察するのです。この期間にもっとも注視しているのは、球質やフィジカルではありません。ずばり言えば、「ある程度の制球力」です。コントロールの悪い投手は、負けたら終わりのトーナメントでは怖くて使えない。もちろん、それも大きな理由の一つですが、それだけではありません。
どのように投げれば狙ったところにボールが行くのか。リリースポイントが少しずれただけで、あるいは力の入れ具合が数コンマ遅れただけでボールはあらぬ方向へ行ってしまいます。そのズレを修正する際に必要なのが、結果と自分の感覚・感性を擦り合わせる作業です。ここで投手としてのセンスが求められる。しかも、このセンスは後に変化球を習得したり、球速や球のキレを磨いたりする過程でも絶対的に欠かせない要素です。
つまり、制球力は投手の能力を測る上で大きな指標になるのです。 当落線上にいる投手については、センスを秘めているけど現時点でイマイチなのか、それともセンス自体が不足しているのか。この判断にやはり3カ月程度は時間を確保しなければいけない、というのが私の出した結論です。
その頃になると、夏の千葉県大会の幕が開ける。よほど見込みのある投手は起用しますが、それはあくまで例外です。制球力という第一関門を突破した1年生は、さらに半年~1年の間、フィジカルや伸びしろといった観点からより慎重にふるいにかけていきます。ちょうど今の時期がその最中です。その話はまた別の機会にお話ししましょう。
🎤【馬淵史郎 我が道2】エースの故障なければ勝負した 初めから全打席敬遠と決めたわけじゃない
https://news.yahoo.co.jp/articles/deedb808ba2dfb2b6194167f3b20c1d5a9eb08b4
1992年(平4)の夏の大会。抽選会は8月8日に行われた。明徳義塾が引き当てたのは第7日第3試合。相手は空白。しんがりの49番目。相手が未定のまま開会式を迎えるということになり、何か気持ちに引っかかるものがあった。
決まったのは星稜と長岡向陵の勝者と戦うということだけ。「最悪のクジやな」と思ったね。こっちは初戦、相手は2試合目。どう考えても、試合を経験してきている方が有利。しかも星稜は松井秀喜が4番を打つ優勝候補。対戦が決まってもないのに「初戦から星稜ですね」などと取材をされた。とにかく時間はある。ええように考えて、試合に向けて準備するしかないと考えていた。
松井はこの年の春の選抜でもずばぬけた存在になっていた。ラッキーゾーンが撤去されたばかりの甲子園で3試合3本塁打。夏もNo・1のスラッガーだ。長岡向陵戦も甲子園で視察した。星稜は11―0で完勝。松井も5回に右中間へ2点三塁打を打った。打球の速さが全く違っていた。インパクトがあった。
試合翌日も星稜の状態を見極めるために、神戸製鋼のグラウンドで行われた練習をチェックした。ここは社会人の阿部企業時代によく使っていた場所だったから、打球を見たら、甲子園のどのあたりに飛んでいくかは想像がついた。星稜の中でも松井だけが違って見えた。当時は1メートル85、85キロだが、サイズ以上の威圧感があって、オーラがあった。加えて星稜で目を引いたのは投手の山口哲治くんの投球だった。エース左腕も簡単に打ち崩すことはできない。競り合いしか勝ち目はない。どうすれば、こちらの流れになるか。対戦まで、そのことをずっと考えていた。
そして明徳義塾には互角に勝負できる投手はいなかった。背番号1の岡村憲二は大会前に肘を痛めて、登板は無理だった。甲子園のベンチには投手を5人も入れた。背番号8の河野和洋のコントロールで何とか打ち取るしかない状況だった。松井と勝負するにはインコースを攻めるしかないが、MAX130キロの河野ではタイミングを外しても、スタンドに運ばれる。だって、高校を出て、すぐに巨人のクリーンアップを打つことになる選手だ。そんな高校生10年に一人もおらん。勝負に「たら」「れば」はないが、岡村の故障がなかったら勝負はしていたと思う。
ビデオを何度も何度も見た。松井以降の打者となら河野も勝負はできる。そこで勝機をつかむしかないと腹を決めた。接戦になったらヒットを打たれたと思って歩かせ、後続を打ち取るしかない。対戦前日の取材では「勝負となったら松井くんを敬遠するかもしれない」と作戦を明かしていた。点差が開く展開になっていたら、もちろん勝負していた。初めから全打席敬遠と決めたわけじゃなかった。
☝<春風に乗って>’26センバツ 三重 元応援部、甲子園で劇的勝利に感動 追っかけ歴38年のOB「優勝を見てみたい」
https://news.yahoo.co.jp/articles/652c09db76ed670bc11f8254fc5e0b0f6db626fc8年ぶり14回目のセンバツ出場を果たした三重には熱狂的なファンがいる。三重高校応援部OBの津市職員、芝山弘行さん(53)だ。その原点は何か。そして何を目指しているのか。
「このバッグは15万円かけて自作したもの。応援グッズの製作や差し入れで数百万円は使ってるんじゃないかな」。三重高関連のグッズで埋め尽くされた部屋で芝山さんはこう切り出した。
名場面の写真や記念誌のほか、野球部のユニホームのロゴと同じ「MIEKO」と書かれたマスクや携帯ケースも。応援部にオリジナルTシャツやロゴ入りタオルを寄贈するようになって10年以上たつ。
芝山さんが入学したのは1988年。小学生の頃から甲子園に憧れてはいたが、プレーヤーとしては狭き門だ。だから応援部を選んだ。2年だった90年春、野球部はセンバツに出場。芝山さんはそこで忘れられない試合に出合った。
1回戦の神戸弘陵(兵庫)戦、0―3とリードされて迎えた九回、三重は3点本塁打で同点に追いつき、延長十一回に勝ち越して逆転勝ちしたのだ。芝山さんは「夢みたいだった。鳥肌が立った。こんなことがあるんやと感じた」と振り返る。以来、野球部の応援にどっぷりハマり、卒業後も足しげく試合に通った。知らない人と肩を組んで校歌を歌うのが楽しくて、ますます「趣味」が高じた。
こんな生活を続ける理由は何か。それは「頂点を自分の目で見ることができていないから」だという。だが、今春こそチャンス。昨夏の三重大会で初戦敗退した時には仕事が手につかないほど落ち込んだが、新チームを見て「投手がそろっているし、打撃はものすごく打つ」と期待に胸が高鳴ったそうだ。この戦力に加え、尊敬する沖田展男監督の手堅い采配で全員野球をすれば全国制覇はグッと近づくに違いない――。芝山さんはそう信じつつ「選手たちが楽しんでくれたらそれでいい。でも、優勝を見てみたいですね」と声を弾ませた。
📝OP戦絶好調で「いつ声がかかるのか」 開幕投手はお預け…自己最高も忘れぬ初登板の“洗礼”
https://news.yahoo.co.jp/articles/df188fb594742b9fd8bee09d9844f4e98805a48c?page=1
OP戦は無失点投球→初登板で6失点「ちょっと点を取られておけば」
元近鉄右腕の太田幸司氏(野球評論家)がキャリアハイの12勝をマークしたのはプロ6年目の1975年だ。この年はオープン戦で絶好調だったが、4月は1勝3敗。それを5月に5勝0敗1セーブで盛り返した。その裏にはもはやおなじみの昭和ならではの“登板過多”も……。「5月頃には15勝は絶対行けると思っていたんだけどねぇ……」。球宴では「赤ヘルブームの火付け人となった」と言い、近鉄の後期優勝でビールかけも初体験。いろいろあったシーズンだった。
プロ6年目の太田氏は波に乗っていた。前年(1974年)に初の2桁10勝を挙げたことで自信も増したのだろう。「確かオープン戦は19イニング無失点だったと思いますよ。周りは“太田幸司、初の開幕投手かぁ”って……。僕も、いつ声がかかるのかと待っていたんですけどね」と笑いながら振り返った。大エースの鈴木啓示投手が故障などもあって出遅れており、太田氏の開幕投手が噂されたわけだが、実際に指名されたのは左腕・神部年男投手だった。
太田氏のシーズン初登板は開幕3戦目、4月6日にダブルヘッダーで行われた阪急戦第2試合(西宮)の先発だった。「やられたんですよね」。加藤秀司内野手、大橋穣内野手、B・ウイリアムス外野手に一発を浴びるなど、2回6失点でKOされた。敗戦投手となり「オープン戦でちょっと点を取られておけばよかったわって言ってねぇ」と苦笑しきりだ。
そこから中1日の開幕4戦目、4月8日の太平洋戦(平和台)には2回途中から2番手で7回2/3、3失点のロングリリーフでシーズン1勝目を挙げ「そりゃあ、そうなりますよ。(4月6日に2回6失点と)そんなに早くやられたら、リリーフで行けと言われますからね」とあっさり。さらに中3日で4月12日のロッテ戦ダブルヘッダー第2試合(日生)に先発して5回0/3、3失点で2敗目を喫したが「すごい時代だけど、僕らより、もっと前の大先輩たちはもっともっとハードなことをやっていたからね」と“普通”を強調した。
そんな4月は1勝3敗。まさにオープン戦絶好調の反動のように苦しんだが、5月は5勝0敗1セーブと巻き返した。それもまた超ハード日程を投げ抜いての結果だった。5月5日の日本ハム戦(藤井寺)で1失点完投の2勝目を挙げると、中2日の5月8日の南海戦(大阪)では7回から2番手で投げて3回無失点でセーブをマークと、完投勝利したのもお構いなし。しかも、それだけでも終わらない。
中1日で5月10日の太平洋戦(平和台)に2番手で2回1失点。さらに中2日で5月13日の日本ハム戦(日生)では2番手で4回1失点を投げた。すると、その翌日の5月14日の同カードには連投で先発して7回4失点で3勝目を挙げ、そこから中2日で5月17日のロッテ戦ダブルヘッダー第2試合に先発して1失点完投で4勝目だ。三沢高時代に夏の甲子園で4連投したことを考えれば、何てことはないのかもしれないが、それにしてもすさまじい投げっぷりとしか言いようがない。
「(当時23歳の)まだまだ若い頃だからね。そりゃあ、ずっとローテーションのベテランの投手には、そんなことはさせないですよ。まぁチームの投手台所事情もしんどかった時期だったしね」。5月に5勝を挙げたのも、そんな登板間隔もあってのことだが、太田氏も首脳陣の期待に応えて、5月を無敗で乗り切ったのだから、もはや甲子園のアイドル右腕ではない。人気と実力を兼ね備えた近鉄右腕としての力投だった。
15勝確信も12勝“止まり”…9月に3試合連続完投で後期優勝に貢献
前半に7勝を挙げて、オールスターゲームにもプロ6年目で5度目のファン投票選出。7月19日の第1戦(甲子園)に先発したが、1回4失点で敗戦投手になった。広島の山本浩二外野手と衣笠祥雄内野手にそれぞれ被弾した。「ものの見事に打たれましたよ。こっちも自信を持って投げたんですけどパカーン、パカーンってね。でも僕の後に投げた(阪急投手の)山田(久志)さんも、その2人にホームラン。山田さんも打たれるんだったら、しゃあないか、とか言ってねぇ」。
太田氏は笑いながら「あれはね、僕と山田さんの“勲章”ですよ」とも言う。この年に広島が赤ヘルブームを巻き起こし、球団初のセ・リーグ優勝を成し遂げたからで「“オールスターで僕と山田さんが赤ヘルに火をつけたので優勝したんだ”ってね。今でも山田さんとは顔を合わせれば、そんな話をしますよ。まぁ、でもホントに赤ヘルの勢いを感じたオールスターでしたね。あれは……」とうなずいた。
シーズンについては「5月の頃は“15勝は絶対行ける”と思ってやったんだけど、後半は何か尻すぼみで、12勝で止まってしまったんですけどね」と悔しそうにも話したが、8月19日の南海戦(大阪)では2安打完封で10勝目を挙げ、9月には3試合連続完投もあり、近鉄球団初の後期優勝に貢献した。ビールかけも初めて体験し「ビールって浴びるだけで酔うんだなって思いましたよ」。最終成績は12勝12敗1セーブ、防御率3.71だった。
1勝3敗で敗れた前期優勝の阪急とのプレーオフには登板なし。「故障とかは別にしていなかったんですけどね」。ちょうど調子を落としていた時期だったようで、これに関しては無念の思いだったが、いろいろあったキャリアハイの12勝を挙げたプロ6年目は、太田氏にとって忘れられないシーズン。1軍に完全定着以降、毎年のように続いた過酷日程も乗り切った上で、近鉄投手陣のなかでの存在感も増していった。
太田氏は笑いながら「あれはね、僕と山田さんの“勲章”ですよ」とも言う。この年に広島が赤ヘルブームを巻き起こし、球団初のセ・リーグ優勝を成し遂げたからで「“オールスターで僕と山田さんが赤ヘルに火をつけたので優勝したんだ”ってね。今でも山田さんとは顔を合わせれば、そんな話をしますよ。まぁ、でもホントに赤ヘルの勢いを感じたオールスターでしたね。あれは……」とうなずいた。
シーズンについては「5月の頃は“15勝は絶対行ける”と思ってやったんだけど、後半は何か尻すぼみで、12勝で止まってしまったんですけどね」と悔しそうにも話したが、8月19日の南海戦(大阪)では2安打完封で10勝目を挙げ、9月には3試合連続完投もあり、近鉄球団初の後期優勝に貢献した。ビールかけも初めて体験し「ビールって浴びるだけで酔うんだなって思いましたよ」。最終成績は12勝12敗1セーブ、防御率3.71だった。
1勝3敗で敗れた前期優勝の阪急とのプレーオフには登板なし。「故障とかは別にしていなかったんですけどね」。ちょうど調子を落としていた時期だったようで、これに関しては無念の思いだったが、いろいろあったキャリアハイの12勝を挙げたプロ6年目は、太田氏にとって忘れられないシーズン。1軍に完全定着以降、毎年のように続いた過酷日程も乗り切った上で、近鉄投手陣のなかでの存在感も増していった。
📝原因不明のスランプで泥沼「何がどうなったのか」 完封後に8連敗…ドラ1が手放した“居場所”
https://news.yahoo.co.jp/articles/9ded45fcea90a54a5f75f5906969ee258e3ad83b
3安打完封で復調確信も…太田氏が陥った“悪夢”「だんだん焦り出した」
突然、勝てなくなった。“元祖甲子園のアイドル”で元近鉄投手の太田幸司氏(野球評論家)は、プロ5年目(1974年)から8年目(1977年)の4シーズンで3度、2桁勝利をマークするなどバファローズの主力投手として実績を重ねていった。しかし9年目(1978年)は一転してわずか1勝に終わった。原因不明の不調だったという。「何か、よくわからない年だったんですよねぇ」と苦笑しながら話した。
1969年夏の甲子園、決勝の松山商戦での延長18回“0-0引き分け”再試合の熱投などで、女性ファンの人気を集め「コーちゃんフィーバー」を巻き起こした。一躍“国民的スター”となった太田氏は、同年のドラフト1位で近鉄に入団。1年目の1970年から1軍でプレーした。いきなりCM撮影の仕事が入るなど、その人気はすさまじく、オールスターゲームには1年目から6年連続で出場し、そのうち5回がファン投票で選出された。
人気先行と言われながら、シュート、スライダーをマスターするなどして実力の方も年々アップ。5年目の1974年には初の2桁10勝を挙げ、6年目の1975年にはキャリアハイの12勝を記録して近鉄主力投手の座も確立させた。球宴連続出場がストップした7年目の1976年も9勝。8年目の1977年は前半に7勝を挙げて球宴に監督推薦で“復帰”して、最終的には再び2桁勝利到達の10勝14敗1セーブ。防御率はパ・リーグ10位の3.21だった。
「まぁまぁ、その辺の4年間くらいはコンスタントに、って感じだったんですけどね」。その“いい流れ”が急に変わったのが9年目の1978年だ。開幕2戦目の4月2日のクラウン戦(平和台)に先発して、5回2失点で敗戦投手。4月9日のロッテ戦(先発)は4失点完投負けで2敗目を喫した。連敗スタートも3登板目の4月14日の日本ハム戦(日生)では3安打完封で1勝目を挙げ、調子のリズムを取り戻したはずだったが、そこから逆におかしくなった。
「完封して“よっしゃ、いいよ”と思ったらね……。何がどうなったのかっていうのが分からないようなシーズンだったんですよね」。4登板目の4月20日の阪急戦で2回1/3、4失点でKOされて3敗目。そのまま泥沼の黒星地獄にハマり込んだ。先発しても早い回で打ち込まれるケースが目立ち、4月は1勝4敗、5月は0勝3敗。6月8日の日本ハム戦(後楽園)のリリーフ登板で黒星がつき、1勝8敗となったところで、2軍再調整となった。
肩、肘などに問題を抱えていたわけではない。「体調も悪くなかったし、今、振り返っても何だったのかって思いますよ」と不調原因も不明だった。「なんかそういう流れの年だったのか。まぁ、最初はそうでもなかったんだけど、あれだけ負けたら、そりゃあ、だんだん焦り出しましたもんね、ああ、勝たなきゃ、って。それまでずっと割と勝ってきていたから、余計にね。勝てるようになってからの大スランプだったんですよねぇ」。
10勝→1勝→7勝と復活も…“伝説”の日本シリーズは登板すらできず
その後、1、2軍を何度か往復したが、結局、白星を手に入れることができなかった。8月27日の南海戦(西京極)に先発して2回2/3、2失点で降板し、2軍落ちとなって、そのままシーズンを終えた。21登板(15先発)、1勝9敗、防御率5.40。前年(1977年)10勝からの急降下だった。安定感ある投球で首脳陣からもある程度の勝ち星を計算されていたなかでの絶不調だった。太田氏は首を傾げながら、こう話した。「あれは何か怪我の予兆だったんですかねぇ……」。
翌1979年、プロ10年目の太田氏は、そんな大スランプから脱出して7勝をマークする。「まぁ、あの年はローテーションの矢面に立って、バンバン投げていたわけではなくて、割とポツポツという感じかな」と言うが、終盤になって、完投、完封など調子を上げた。7勝のうち4勝は9月以降に挙げたものだ。「ちょっと帳尻を合わせるようにね(笑)。でも、“よっしゃ、これで行ける”というような雰囲気にはなったんですけどね……」。
当時のパ・リーグは前期、後期の2シーズン制で、1979年の近鉄は前期に優勝し、後期優勝の阪急とのプレーオフも3勝0敗で制して、球団創設以来、初のリーグ優勝を成し遂げた。日本シリーズは3勝4敗で広島に敗退。3勝3敗で迎えた第7戦(11月4日、大阪)で3-4の9回裏無死満塁の大チャンスを広島守護神・江夏豊投手に封じられて涙をのんだ。そのシーンは“江夏の21球”として語り継がれている。
だが、そんな広島との日本シリーズも、その前の阪急とのプレーオフにも太田氏は登板していない。「急に肩が……」。右肩痛発症の悪夢に襲われていたからだ。「あれが苦悩の始まりでしたね」。1978年の“謎の1勝シーズン”も、1979年プレーオフ前の“そこ”につながっていたのかと思えてくるほど、ここから厳しい戦いが待っていた。