自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」
☝京都国際・中崎琉生が振り返った栄光の夏 「春に気づくことの大切さを学んで、成長することができた」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e5bf0bf139a57643f528a79c202a004dda56acad?page=1
甲子園初優勝の京都国際Wエースが振り返る激闘の夏~前編・中崎琉生
2024年夏の甲子園は、京都国際が春夏通じて初の優勝を成し遂げ、高校野球の歴史に新たな1ページを刻んだ。優勝の立役者となったのは、3年生の中崎琉生と2年生の西村一毅の両左腕だった。あれから約4カ月、京都国際のWエースが激闘の夏を振り返った。
【夏の活躍が認められ日本代表に選出】
U-18日本代表の一員として台湾遠征から帰国した9月9日。中崎が母校に帰ると、周囲はすっかり"通常モード"になっていた。
「チームはもう秋の大会に向けた練習をしていて、3年生も次の目標に向けて自主練をしていて......。(甲子園で優勝した)余韻があったのは、僕だけでした」
そう言って、中崎は苦笑いを浮かべた。夏の甲子園で優勝したのは8月23日。その翌日、帰校するためTシャツ、短パン姿でマイクロバスに乗り込むチームメイトの横で、ひとりだけ制服姿で仲間を見送る中崎の姿があった。
「せっかく(日本代表に)選んでもらったので、甲子園決勝の翌日でも合流させます。休みをもらうとか、とんでもないです」と語ったのは小牧憲継監督だ。
中崎自身も「朝起きたらもう(疲れは)抜けていましたけれど、実際は肩回りや精神面の疲労はありました。でも、(代表チームに合流してからの)2日間、調整の時間をもらったおかげで疲れはとれました」と振り返る。
とはいえ、中崎にとってはじつに忙しい8月だった。
甲子園で戦った全6試合のうち、中崎は4試合に登板。3回戦の西日本短大付戦では14個の三振を奪っての完封勝利。通算で31イニングを投げ、33奪三振、5失点、防御率1.45。エースとして文句のつけようのない数字を残した。
「準々決勝(智辯学園戦)は投げなくてもブルペンに入っていましたし、緊張感はずっとありました。連戦になると体以外のしんどさもありましたが、京都を代表して甲子園で試合をさせてもらっていますし、今までの対戦相手のことを考えると、しんどいとは言っていられないと」
ともにマウンドを分け合った西村一毅(2年)の存在も、じつに頼もしかった。西村も中崎と同じ4試合に登板し、24イニングで14奪三振、1失点(自責点0)。防御率0.00という圧巻の成績をあげた。
【センバツでは初戦敗退】
初優勝の立役者となったふたりの共通点は、春に苦い経験をしたこと。中崎は青森山田戦に先発するも、サヨナラ負けを喫し初戦敗退。西村に至っては、マウンドを踏むどころかベンチ入りメンバーからも漏れた。中崎が初戦で敗退したセンバツを振り返る。
「センバツで足りないと感じたのは、気持ち、冷静さ......いろいろありましたけれど、一番足りないと思ったのは、考える力です。一死三塁で、2人(走者を)出してもOKというなかでも初球から勝負してしまった。
厳しいところに投げきる力もなかったですが、観察力もなかったですし、対バッターのことしか考える余裕がありませんでした。(キャッチャーの)奥井(颯大)の配球は信頼していたけど、自分がまだまだでした。それに、自分はもっと周りを見て動けるようにならないと勝てないと思いました」
打者を見て、どう配球するべきか、周りの動きを読んで、どう対処するか。そこまで考える余裕もなく、とにかく打者を打ち取ることしか考えられなかったのだ。
春の府大会になると、台頭してきたのが2年生の西村だった。府大会決勝では1失点完投勝ちすると、春の近畿大会では初戦の明石商戦で7回1失点、決勝の智辯和歌山戦でも強力打線に臆することなく5安打2失点にまとめ、初優勝に大きく貢献した。
彗星のごとく現れた後輩を、中崎は「自分は先輩という立場ではあるんですけれど、同じピッチャーとして尊敬できる存在です」と言う。
冷静沈着な中崎に対し、西村はどこか天然気質で自分の世界を大事にするところがあり、性格は真逆だ。それでも同じ投手として並んで練習していくうちに引き込まれる空気感があったという。
そんなよきライバルであり後輩とマウンドを分け合ううちに、中崎の所作にもちょっとした変化があった。小牧監督が言う。
「今まで中崎は、自分のことで精いっぱいなところがあって......自分のことだけこなしていたらいいというか、そういうところが気になる部分ではありました」
中崎自身が"周りが見られていなかった"と言うように、それが普段の姿勢にもモロに出ていた。だが、センバツでの試合を通して猛省し、周りを見渡すことを心がけるようになった。
夏の甲子園では準決勝の青森山田戦で先発するも、4回2失点で降板。5回からマウンドに立った西村が2安打無失点と好投しチームはリベンジを果たしたのだが、決勝進出を喜ぶチームのなかでひとりだけ目を潤ませて肩を落としていた。
「自分が不甲斐ないピッチングをして、チームに迷惑をかけてしまった。申し訳なくて......」
エースとしてのプライドもあったのだろう。心を鬼にして挑んだ決勝戦では、3回まで無安打に抑える"完全投球"を披露し、4回以降も許した安打はわずか3本。延長タイブレークの10回に入ってからマウンドは西村に譲ったが、気迫溢れるピッチングでチームの新たな歴史を刻む立役者となった。
「気力があったからあそこまで投げられたというのはあるのですが」
【超えなければならない先輩】
夏の甲子園のマウンドで、中崎はあることを唱えながら投げていたという。
「『このボールで締めよう』とか『ここはこれで抑えよう』とか、ブツブツ言って自分に言い聞かせながら投げていたんです。口に出して言えば、何か変われるのかもしれないと思って......。実際に抑えられたので、言ってみるもんだなと思いました」
京都国際が勝ち進むたび、韓国語の校歌などグラウンド外のことが話題になった。それでも「応援してくれる人に感謝の気持ちを表したかった。だから、しんどいとも言っていられなかったというのもありました」と、中崎は振り返った。
京都国際に入学した春、チームのエースとして君臨していたのが森下瑠大(DeNA)だった。
中崎が「身近で尊敬できる先輩。こんな左ピッチャーがいるんだと驚きました」と、今でもリスペクトは止まない。その森下が2年生だった21年の夏の甲子園はベスト4だった。チームの成績としては森下を超えたが、個人としては「森下さんを超えたとは思っていない」と本人は言う。
「この2年半で大切だと思ったのは、"気づき"です。自分は今年の春に周りを見ることの大切さに気づけて、そこから成長できたことはあります。でも、もっと早く気づいていたら森下さんを超えられたのかもしれないと思っています。この2年半の反省を、これからの野球人生に生かしていきたい。今のままでは、まだまだ森下さんを超えられないです」
期待された新チームは府大会4回戦で京都外大西に2対3で敗れ、来春のセンバツ出場は絶望的となった。今秋、中崎から背番号1を受け継いだのが西村だった。
つづく>>
✌夏の全国制覇で高校卒業後の進路を変更 京都国際・西村一毅は公務員志望から野球を続けることを決意した
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/hs_other/2024/12/30/post_143/?cx_refAction=distMediaRecs&utm_campaign=%2Fclm%2Fbaseball%2Fhs_other%2F2024%2F12%2F30%2Fpost_142%2F&utm_source=news.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&cx_refMedia=yahoo
甲子園初優勝の京都国際Wエースが振り返る激闘の夏〜後編・西村一毅
11月30日、京都国際は年内最後の対外試合を行なった。3対0とリードした7回から2番手としてマウンドに上がった西村一毅は、3回を2安打無失点に抑える好投で試合を締めた。
今夏、チームを初の全国制覇へと導いた伝家の宝刀・チェンジアップのキレ味は相変わらずで、テンポよくカウントを整えていくピッチングに、ネット裏で試合を見に来ていた相手チームを応援するオールドファンからは「あれは打てんなぁ」とため息が漏れた。
「軸が安定して、腕がしなり、しっかり真っすぐを投げられるようになりました。前よりストレートの質はよくなっている感覚はありましたし、指にかかっていたのもよかったです。それでも、まだフォームの完成度は5割くらいです」
言葉を丁寧に選びながら、西村は試合後そう口にした。
【新チームは秋の京都大会4回戦敗退】
9月末に行なわれた秋の京都大会4回戦で、西村は京都外大西から18個の三振を奪うも、延長11回タイブレークの末に2対3で敗れ、来春のセンバツ出場は絶望的となった。
その後、週末の練習試合では何度か登板するも、かねてから課題だったフォーム固めのため、1カ月以上実戦から離れていた。
「甲子園では投げる際、右肩が内に入ってコントロールが荒れてしまったので、フォームを一から見直していました」
1年上の左腕エース・中崎琉生とは今でもともに練習することがあり、その際にアドバイスをもらうことも多いという。
「先日、ピッチングを見てもらった時、中崎さんから『肩が中に入って投げる時は、間合いがない』と言われました。またスライダーを投げる時は、手首の角度を固定して横に弾くようなイメージで投げるといいとも教えてもらいました」
夏の甲子園では中崎とともに京都国際のマウンドを守り、西村は4試合24イニングを投げ、被安打11、奪三振11、失点は1(自責点0)と完璧なピッチングを披露した。
「夏の甲子園は......雰囲気はしっかり覚えていますけれど、あの時の細かい感覚などは、徐々にすごく前のことのように感じています」
夏の栄光は、徐々に遠い過去になっているようだ。甲子園の決勝まで進んだため、新チームのスタートはどこよりも遅れた。小牧憲継監督は「私の指導力不足でした」と秋の敗因を挙げたが、西村自身も春から夏にかけての"勤続疲労"もあったのだろう。
秋は表舞台から早々降りることになったが、今秋の公式戦で躍動する同世代の動向はこまめにチェックしていたという。
11月に明治神宮大会で優勝した横浜高のエース左腕・奥村頼人は、中学時代に滋賀県選抜チームでともにプレーした間柄だ。中学時代まで外野手だった西村は、奥村が横浜高でさらに成長している姿に目を奪われたという。だが、奥村の活躍以上に注目していたことがあった。
「自分はピッチャーなので、どうしても打線に目がいってしまいます。横浜高も打線はいいですが、同じ近畿の東洋大姫路の打線はミート力が高くて、打球が強いバッターが多いなと思いました。そういう打線を抑えられるようなピッチャーにならないといけないですね」
【いま取り組んでいる新たな武器】
11月下旬に開催された全国の強豪校が集って交流試合をする『くまのベースボールフェスタ』で、夏の甲子園の決勝で対戦した関東一高戦に登板した。久しぶりの実戦で、小牧監督が「感覚的なものがまだまだだった」と言うように、得意のチェンジアップを見切られ、痛打される場面が目立った。
「投げミスが多かったです。自分で配球を考えたり、チェンジアップの使い方をもっと考えたりしないといけないと思いました」
フォーム改良の最中の登板だったとはいえ、まだまだ課題が多いと西村は明かす。高校入学後に本格的に投手に転向してまだ1年半。今年は甲子園優勝というこの上ない経験値が加わったが、だからこそさらなるレベルアップが必要と、最後の夏のマウンドに向け闘志を燃やしている。
「まだフィジカルが弱いですし、体力面も精神面もまだまだです。体のバランスを意識したトレーニングや筋力トレーニングはやっているんですけれど、冬場はさらに時間をかけたい」
夏の甲子園で66キロだった体重は今もほとんど変わっておらず、現在は67キロ。食事の回数を増やすなど努力は続けており、来年の春には75キロまで持っていきたいと目標を掲げ、球質にもこだわりを持ちたいと語る。
「ストレートの球速を伸ばすことも大事ですが、球速以上に速さを感じさせられるようなボールを投げられるようになりたいです。あとは、スライダーをチェンジアップのように使えるようにしないといけないです。小さい曲がりのカットボールも練習しているので、春までに武器にできるようにしたいです」
【理想のエース像とは?】
春の府大会、近畿大会、夏の府大会、甲子園と試合で結果を残すたびに、西村は今後の目標について何度も尋ねられてきた。そのたびに「公務員になりたいです」と平然とした表情で返してきた。
「野球に対しては無欲で何も考えていないところがある」と小牧監督は西村をチクッと"つつく"ことも多かったが、10月に入り西村は高校卒業後も野球を続けることを決意した。プロか大学進学かについては、「現時点ではまだまだ考えられないです」と話すに留めたが、この冬の成長次第でプロは"夢"ではなくなるだろう。
理想のエース像は「誰からも信頼される、仲間がミスをしてもカバーできるピッチャー」だという。チームの柱としてだけでなく、高校野球界において西村は注目される存在である。そんな来年に向け、本人はこう意気込んだ。
「まずは全員で甲子園に優勝旗を還しに行って、夏の甲子園連覇という目標に全員で向かっていきたいです。そのために、この冬は鍛えていきます」。
昨年の冬はセンバツを見越して、体づくりと同時進行で実戦練習にも時間を割いたが、今年は夏に向けて徹底した基礎練習に励んでいる。
「もともと今年は、ピッチャーはすごく走らされることになると聞いているので......。正直、走るのは好きじゃないけど、苦しい練習を乗り越えないと結果はついてこないので、これをすれば成長できると自分に言い聞かせて頑張っていこうと思います」
日の当たらない場所でもがき、歯を食いしばる冬。その先に待つ未来は──西村が再びマウンド上で周囲をアッと言わせる時は来るのだろうか。その時に向けた戦いは、もうすでに始まっている。
☟「安楽智大パワハラ問題も彼は説明しなかった」楽天初代監督が疑問視する“楽天フロントの冷たさ”「田中将大退団も石井一久らの言葉が問題だったのでは」
https://news.yahoo.co.jp/articles/b6298c8e63cd5ce11f58855050b247bd5f0b1c6d?page=1
「石井一久らの言葉次第だったのでは…」
2024年のオフシーズン、球界を激震させたのが11月24日の田中将大の退団報道だ。2013年の楽天の日本一に24連勝と多大なる貢献をした大エースだが、球団との年俸更改交渉がまとまらず、自主退団。その後、田中の去就は巨人に決まった。残り3勝となった日米通算200勝も、巨人での達成となるか注目される。この田中の一件について、楽天初代監督の田尾安志氏はこう語る。
「年俸の低さが気に入らなかったとか色々言われていますが、石井一久らフロントの言い方、言葉の使い方次第だったのではないでしょうか」
楽天でGM、監督を経て、現在はSD(シニアディレクター)を務めている石井一久氏。石井氏は田中との交渉にも参加していた。
「マー君など35歳以降のベテランにとって一番大事なのは、自分が球団からどう見てもらっているかということ。つまり、『お前、戦力だからな』という一言があるかないかです。年俸を下げられて気分が悪いから辞めるということではなく、自分が求められていないような空気を感じたのではないでしょうか」
「安楽パワハラのときも説明がなかった」
田尾氏自身も引退を決めたのは、監督からの一言だった。阪神時代、二軍落ちの際に当時の中村勝広監督に田尾氏は「監督の思い通りの野球やってください。僕はいつやめてもいいですから」と言った。その際、中村監督が田尾氏にかけた言葉は「お前、それでいいのか」だったという。1991年、当時37歳のときだった。
「それで自分はもう戦力として必要とされてないんだなと。仮に監督に『代打でお前の1打席が欲しいから、二軍で調整してきてくれ』と言われたら、まだ続けていました。なので、その場でやめますと告げたんです」
田尾氏は、このようなすれ違いが田中と球団の間であったのではないかと推測しているのだ。そして、交渉の場にいた石井氏に対して、田尾氏はこう話す。
「2023年に安楽智大のパワハラの件があったでしょう。あのとき、一久は監督だったから、表に出て説明してほしかったです。なのに、そういうこともなく、自分は球団に残っているからね……」
「選手思いじゃないGMは評判が悪い」
石井氏は来年から再びGMに就任することが決まっているが、田尾氏は「チームはGMで変わる」と断言する。
「野球界は狭い世界だし、人間同士の付き合いが重視される部分が大きいです。共存共栄で、球界全体を良くしたいと思っている球団がほとんどですから、『うちの補強、なんとか協力してくれませんか? 』とGMが頼めば、トレードなどで選手をくれることもある。選手の出場機会が増えることを望んでのトレードもありますから、お互いメリットもあるんです」
ちなみに、田尾氏は楽天の監督時代、ボビー・バレンタイン監督(当時ロッテ)や王貞治監督(同ソフトバンク)に、直接補強を交渉していた。「なんとか選手をいただけないですか」と言う田尾氏のお願いに、いずれの監督も前向きで、シーズンが終わる頃にはほぼ補強の話は決まっていたという。田尾氏はGMではないが、同じような交渉はフロント間でも行われているのだろう。
他球団から協力してもらえるようなGMは、やはり人柄が重要になるのだそう。
「親会社からポンと球団に来て偉そうにしたり、選手思いじゃなかったりするGMは評判が悪いし、信頼されません。人間同士のことなんで、やはりそういう人には他球団も協力しません」
楽天のフロントにも、そういう血の通った人間付き合いが必要なのかもしれない。
💢花巻東の“全国戦略”に日本中の強豪校が震撼!恐るべし大谷翔平&菊池雄星ブランド
https://news.yahoo.co.jp/articles/1adac7e84f8e64bbd58456165265208dfb483711
「花巻東が関西の有望中学生まで取ろうっていうんだから参りますよ」
全国制覇の経験がある関西の某野球強豪校の監督がこう嘆く。
「花巻東は今年『50-50』を達成してメジャーリーグを席巻したドジャース・大谷翔平の母校ですからね。菊池雄星(エンゼルス)しかり、これまでは岩手の地元の選手を中心に強化するチームだったのに、今夏に出場した甲子園で、神奈川から野球留学した巨人・古城コーチの次男・大翔が1年生で4番を任された。同校の佐々木監督と古城コーチが国士舘大の同級生だった縁とはいえ、花巻東はこれを機に関東や関西に勧誘の手を伸ばし始めた。ある関西の有望中学生が進学を決めたと聞いて、大阪桐蔭や関西の中学生をスカウトする明徳義塾あたりは真っ青です。花巻東は関東の中学生の現場にも出没している。『あなたも大谷みたいになれますよ』と口説いているかはともかく、あの大谷、菊池の母校と聞いたら、誰だって花巻東に入りたくなりますから」
みちのくの「黒船」に戦々恐々としている野球学校は少なくない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e5bf0bf139a57643f528a79c202a004dda56acad?page=1
甲子園初優勝の京都国際Wエースが振り返る激闘の夏~前編・中崎琉生
2024年夏の甲子園は、京都国際が春夏通じて初の優勝を成し遂げ、高校野球の歴史に新たな1ページを刻んだ。優勝の立役者となったのは、3年生の中崎琉生と2年生の西村一毅の両左腕だった。あれから約4カ月、京都国際のWエースが激闘の夏を振り返った。
【夏の活躍が認められ日本代表に選出】
U-18日本代表の一員として台湾遠征から帰国した9月9日。中崎が母校に帰ると、周囲はすっかり"通常モード"になっていた。
「チームはもう秋の大会に向けた練習をしていて、3年生も次の目標に向けて自主練をしていて......。(甲子園で優勝した)余韻があったのは、僕だけでした」
そう言って、中崎は苦笑いを浮かべた。夏の甲子園で優勝したのは8月23日。その翌日、帰校するためTシャツ、短パン姿でマイクロバスに乗り込むチームメイトの横で、ひとりだけ制服姿で仲間を見送る中崎の姿があった。
「せっかく(日本代表に)選んでもらったので、甲子園決勝の翌日でも合流させます。休みをもらうとか、とんでもないです」と語ったのは小牧憲継監督だ。
中崎自身も「朝起きたらもう(疲れは)抜けていましたけれど、実際は肩回りや精神面の疲労はありました。でも、(代表チームに合流してからの)2日間、調整の時間をもらったおかげで疲れはとれました」と振り返る。
とはいえ、中崎にとってはじつに忙しい8月だった。
甲子園で戦った全6試合のうち、中崎は4試合に登板。3回戦の西日本短大付戦では14個の三振を奪っての完封勝利。通算で31イニングを投げ、33奪三振、5失点、防御率1.45。エースとして文句のつけようのない数字を残した。
「準々決勝(智辯学園戦)は投げなくてもブルペンに入っていましたし、緊張感はずっとありました。連戦になると体以外のしんどさもありましたが、京都を代表して甲子園で試合をさせてもらっていますし、今までの対戦相手のことを考えると、しんどいとは言っていられないと」
ともにマウンドを分け合った西村一毅(2年)の存在も、じつに頼もしかった。西村も中崎と同じ4試合に登板し、24イニングで14奪三振、1失点(自責点0)。防御率0.00という圧巻の成績をあげた。
【センバツでは初戦敗退】
初優勝の立役者となったふたりの共通点は、春に苦い経験をしたこと。中崎は青森山田戦に先発するも、サヨナラ負けを喫し初戦敗退。西村に至っては、マウンドを踏むどころかベンチ入りメンバーからも漏れた。中崎が初戦で敗退したセンバツを振り返る。
「センバツで足りないと感じたのは、気持ち、冷静さ......いろいろありましたけれど、一番足りないと思ったのは、考える力です。一死三塁で、2人(走者を)出してもOKというなかでも初球から勝負してしまった。
厳しいところに投げきる力もなかったですが、観察力もなかったですし、対バッターのことしか考える余裕がありませんでした。(キャッチャーの)奥井(颯大)の配球は信頼していたけど、自分がまだまだでした。それに、自分はもっと周りを見て動けるようにならないと勝てないと思いました」
打者を見て、どう配球するべきか、周りの動きを読んで、どう対処するか。そこまで考える余裕もなく、とにかく打者を打ち取ることしか考えられなかったのだ。
春の府大会になると、台頭してきたのが2年生の西村だった。府大会決勝では1失点完投勝ちすると、春の近畿大会では初戦の明石商戦で7回1失点、決勝の智辯和歌山戦でも強力打線に臆することなく5安打2失点にまとめ、初優勝に大きく貢献した。
彗星のごとく現れた後輩を、中崎は「自分は先輩という立場ではあるんですけれど、同じピッチャーとして尊敬できる存在です」と言う。
冷静沈着な中崎に対し、西村はどこか天然気質で自分の世界を大事にするところがあり、性格は真逆だ。それでも同じ投手として並んで練習していくうちに引き込まれる空気感があったという。
そんなよきライバルであり後輩とマウンドを分け合ううちに、中崎の所作にもちょっとした変化があった。小牧監督が言う。
「今まで中崎は、自分のことで精いっぱいなところがあって......自分のことだけこなしていたらいいというか、そういうところが気になる部分ではありました」
中崎自身が"周りが見られていなかった"と言うように、それが普段の姿勢にもモロに出ていた。だが、センバツでの試合を通して猛省し、周りを見渡すことを心がけるようになった。
夏の甲子園では準決勝の青森山田戦で先発するも、4回2失点で降板。5回からマウンドに立った西村が2安打無失点と好投しチームはリベンジを果たしたのだが、決勝進出を喜ぶチームのなかでひとりだけ目を潤ませて肩を落としていた。
「自分が不甲斐ないピッチングをして、チームに迷惑をかけてしまった。申し訳なくて......」
エースとしてのプライドもあったのだろう。心を鬼にして挑んだ決勝戦では、3回まで無安打に抑える"完全投球"を披露し、4回以降も許した安打はわずか3本。延長タイブレークの10回に入ってからマウンドは西村に譲ったが、気迫溢れるピッチングでチームの新たな歴史を刻む立役者となった。
「気力があったからあそこまで投げられたというのはあるのですが」
【超えなければならない先輩】
夏の甲子園のマウンドで、中崎はあることを唱えながら投げていたという。
「『このボールで締めよう』とか『ここはこれで抑えよう』とか、ブツブツ言って自分に言い聞かせながら投げていたんです。口に出して言えば、何か変われるのかもしれないと思って......。実際に抑えられたので、言ってみるもんだなと思いました」
京都国際が勝ち進むたび、韓国語の校歌などグラウンド外のことが話題になった。それでも「応援してくれる人に感謝の気持ちを表したかった。だから、しんどいとも言っていられなかったというのもありました」と、中崎は振り返った。
京都国際に入学した春、チームのエースとして君臨していたのが森下瑠大(DeNA)だった。
中崎が「身近で尊敬できる先輩。こんな左ピッチャーがいるんだと驚きました」と、今でもリスペクトは止まない。その森下が2年生だった21年の夏の甲子園はベスト4だった。チームの成績としては森下を超えたが、個人としては「森下さんを超えたとは思っていない」と本人は言う。
「この2年半で大切だと思ったのは、"気づき"です。自分は今年の春に周りを見ることの大切さに気づけて、そこから成長できたことはあります。でも、もっと早く気づいていたら森下さんを超えられたのかもしれないと思っています。この2年半の反省を、これからの野球人生に生かしていきたい。今のままでは、まだまだ森下さんを超えられないです」
期待された新チームは府大会4回戦で京都外大西に2対3で敗れ、来春のセンバツ出場は絶望的となった。今秋、中崎から背番号1を受け継いだのが西村だった。
つづく>>
✌夏の全国制覇で高校卒業後の進路を変更 京都国際・西村一毅は公務員志望から野球を続けることを決意した
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/hs_other/2024/12/30/post_143/?cx_refAction=distMediaRecs&utm_campaign=%2Fclm%2Fbaseball%2Fhs_other%2F2024%2F12%2F30%2Fpost_142%2F&utm_source=news.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&cx_refMedia=yahoo
甲子園初優勝の京都国際Wエースが振り返る激闘の夏〜後編・西村一毅
11月30日、京都国際は年内最後の対外試合を行なった。3対0とリードした7回から2番手としてマウンドに上がった西村一毅は、3回を2安打無失点に抑える好投で試合を締めた。
今夏、チームを初の全国制覇へと導いた伝家の宝刀・チェンジアップのキレ味は相変わらずで、テンポよくカウントを整えていくピッチングに、ネット裏で試合を見に来ていた相手チームを応援するオールドファンからは「あれは打てんなぁ」とため息が漏れた。
「軸が安定して、腕がしなり、しっかり真っすぐを投げられるようになりました。前よりストレートの質はよくなっている感覚はありましたし、指にかかっていたのもよかったです。それでも、まだフォームの完成度は5割くらいです」
言葉を丁寧に選びながら、西村は試合後そう口にした。
【新チームは秋の京都大会4回戦敗退】
9月末に行なわれた秋の京都大会4回戦で、西村は京都外大西から18個の三振を奪うも、延長11回タイブレークの末に2対3で敗れ、来春のセンバツ出場は絶望的となった。
その後、週末の練習試合では何度か登板するも、かねてから課題だったフォーム固めのため、1カ月以上実戦から離れていた。
「甲子園では投げる際、右肩が内に入ってコントロールが荒れてしまったので、フォームを一から見直していました」
1年上の左腕エース・中崎琉生とは今でもともに練習することがあり、その際にアドバイスをもらうことも多いという。
「先日、ピッチングを見てもらった時、中崎さんから『肩が中に入って投げる時は、間合いがない』と言われました。またスライダーを投げる時は、手首の角度を固定して横に弾くようなイメージで投げるといいとも教えてもらいました」
夏の甲子園では中崎とともに京都国際のマウンドを守り、西村は4試合24イニングを投げ、被安打11、奪三振11、失点は1(自責点0)と完璧なピッチングを披露した。
「夏の甲子園は......雰囲気はしっかり覚えていますけれど、あの時の細かい感覚などは、徐々にすごく前のことのように感じています」
夏の栄光は、徐々に遠い過去になっているようだ。甲子園の決勝まで進んだため、新チームのスタートはどこよりも遅れた。小牧憲継監督は「私の指導力不足でした」と秋の敗因を挙げたが、西村自身も春から夏にかけての"勤続疲労"もあったのだろう。
秋は表舞台から早々降りることになったが、今秋の公式戦で躍動する同世代の動向はこまめにチェックしていたという。
11月に明治神宮大会で優勝した横浜高のエース左腕・奥村頼人は、中学時代に滋賀県選抜チームでともにプレーした間柄だ。中学時代まで外野手だった西村は、奥村が横浜高でさらに成長している姿に目を奪われたという。だが、奥村の活躍以上に注目していたことがあった。
「自分はピッチャーなので、どうしても打線に目がいってしまいます。横浜高も打線はいいですが、同じ近畿の東洋大姫路の打線はミート力が高くて、打球が強いバッターが多いなと思いました。そういう打線を抑えられるようなピッチャーにならないといけないですね」
【いま取り組んでいる新たな武器】
11月下旬に開催された全国の強豪校が集って交流試合をする『くまのベースボールフェスタ』で、夏の甲子園の決勝で対戦した関東一高戦に登板した。久しぶりの実戦で、小牧監督が「感覚的なものがまだまだだった」と言うように、得意のチェンジアップを見切られ、痛打される場面が目立った。
「投げミスが多かったです。自分で配球を考えたり、チェンジアップの使い方をもっと考えたりしないといけないと思いました」
フォーム改良の最中の登板だったとはいえ、まだまだ課題が多いと西村は明かす。高校入学後に本格的に投手に転向してまだ1年半。今年は甲子園優勝というこの上ない経験値が加わったが、だからこそさらなるレベルアップが必要と、最後の夏のマウンドに向け闘志を燃やしている。
「まだフィジカルが弱いですし、体力面も精神面もまだまだです。体のバランスを意識したトレーニングや筋力トレーニングはやっているんですけれど、冬場はさらに時間をかけたい」
夏の甲子園で66キロだった体重は今もほとんど変わっておらず、現在は67キロ。食事の回数を増やすなど努力は続けており、来年の春には75キロまで持っていきたいと目標を掲げ、球質にもこだわりを持ちたいと語る。
「ストレートの球速を伸ばすことも大事ですが、球速以上に速さを感じさせられるようなボールを投げられるようになりたいです。あとは、スライダーをチェンジアップのように使えるようにしないといけないです。小さい曲がりのカットボールも練習しているので、春までに武器にできるようにしたいです」
【理想のエース像とは?】
春の府大会、近畿大会、夏の府大会、甲子園と試合で結果を残すたびに、西村は今後の目標について何度も尋ねられてきた。そのたびに「公務員になりたいです」と平然とした表情で返してきた。
「野球に対しては無欲で何も考えていないところがある」と小牧監督は西村をチクッと"つつく"ことも多かったが、10月に入り西村は高校卒業後も野球を続けることを決意した。プロか大学進学かについては、「現時点ではまだまだ考えられないです」と話すに留めたが、この冬の成長次第でプロは"夢"ではなくなるだろう。
理想のエース像は「誰からも信頼される、仲間がミスをしてもカバーできるピッチャー」だという。チームの柱としてだけでなく、高校野球界において西村は注目される存在である。そんな来年に向け、本人はこう意気込んだ。
「まずは全員で甲子園に優勝旗を還しに行って、夏の甲子園連覇という目標に全員で向かっていきたいです。そのために、この冬は鍛えていきます」。
昨年の冬はセンバツを見越して、体づくりと同時進行で実戦練習にも時間を割いたが、今年は夏に向けて徹底した基礎練習に励んでいる。
「もともと今年は、ピッチャーはすごく走らされることになると聞いているので......。正直、走るのは好きじゃないけど、苦しい練習を乗り越えないと結果はついてこないので、これをすれば成長できると自分に言い聞かせて頑張っていこうと思います」
日の当たらない場所でもがき、歯を食いしばる冬。その先に待つ未来は──西村が再びマウンド上で周囲をアッと言わせる時は来るのだろうか。その時に向けた戦いは、もうすでに始まっている。
☟「安楽智大パワハラ問題も彼は説明しなかった」楽天初代監督が疑問視する“楽天フロントの冷たさ”「田中将大退団も石井一久らの言葉が問題だったのでは」
https://news.yahoo.co.jp/articles/b6298c8e63cd5ce11f58855050b247bd5f0b1c6d?page=1
「石井一久らの言葉次第だったのでは…」
2024年のオフシーズン、球界を激震させたのが11月24日の田中将大の退団報道だ。2013年の楽天の日本一に24連勝と多大なる貢献をした大エースだが、球団との年俸更改交渉がまとまらず、自主退団。その後、田中の去就は巨人に決まった。残り3勝となった日米通算200勝も、巨人での達成となるか注目される。この田中の一件について、楽天初代監督の田尾安志氏はこう語る。
「年俸の低さが気に入らなかったとか色々言われていますが、石井一久らフロントの言い方、言葉の使い方次第だったのではないでしょうか」
楽天でGM、監督を経て、現在はSD(シニアディレクター)を務めている石井一久氏。石井氏は田中との交渉にも参加していた。
「マー君など35歳以降のベテランにとって一番大事なのは、自分が球団からどう見てもらっているかということ。つまり、『お前、戦力だからな』という一言があるかないかです。年俸を下げられて気分が悪いから辞めるということではなく、自分が求められていないような空気を感じたのではないでしょうか」
「安楽パワハラのときも説明がなかった」
田尾氏自身も引退を決めたのは、監督からの一言だった。阪神時代、二軍落ちの際に当時の中村勝広監督に田尾氏は「監督の思い通りの野球やってください。僕はいつやめてもいいですから」と言った。その際、中村監督が田尾氏にかけた言葉は「お前、それでいいのか」だったという。1991年、当時37歳のときだった。
「それで自分はもう戦力として必要とされてないんだなと。仮に監督に『代打でお前の1打席が欲しいから、二軍で調整してきてくれ』と言われたら、まだ続けていました。なので、その場でやめますと告げたんです」
田尾氏は、このようなすれ違いが田中と球団の間であったのではないかと推測しているのだ。そして、交渉の場にいた石井氏に対して、田尾氏はこう話す。
「2023年に安楽智大のパワハラの件があったでしょう。あのとき、一久は監督だったから、表に出て説明してほしかったです。なのに、そういうこともなく、自分は球団に残っているからね……」
「選手思いじゃないGMは評判が悪い」
石井氏は来年から再びGMに就任することが決まっているが、田尾氏は「チームはGMで変わる」と断言する。
「野球界は狭い世界だし、人間同士の付き合いが重視される部分が大きいです。共存共栄で、球界全体を良くしたいと思っている球団がほとんどですから、『うちの補強、なんとか協力してくれませんか? 』とGMが頼めば、トレードなどで選手をくれることもある。選手の出場機会が増えることを望んでのトレードもありますから、お互いメリットもあるんです」
ちなみに、田尾氏は楽天の監督時代、ボビー・バレンタイン監督(当時ロッテ)や王貞治監督(同ソフトバンク)に、直接補強を交渉していた。「なんとか選手をいただけないですか」と言う田尾氏のお願いに、いずれの監督も前向きで、シーズンが終わる頃にはほぼ補強の話は決まっていたという。田尾氏はGMではないが、同じような交渉はフロント間でも行われているのだろう。
他球団から協力してもらえるようなGMは、やはり人柄が重要になるのだそう。
「親会社からポンと球団に来て偉そうにしたり、選手思いじゃなかったりするGMは評判が悪いし、信頼されません。人間同士のことなんで、やはりそういう人には他球団も協力しません」
楽天のフロントにも、そういう血の通った人間付き合いが必要なのかもしれない。
💢花巻東の“全国戦略”に日本中の強豪校が震撼!恐るべし大谷翔平&菊池雄星ブランド
https://news.yahoo.co.jp/articles/1adac7e84f8e64bbd58456165265208dfb483711
「花巻東が関西の有望中学生まで取ろうっていうんだから参りますよ」
全国制覇の経験がある関西の某野球強豪校の監督がこう嘆く。
「花巻東は今年『50-50』を達成してメジャーリーグを席巻したドジャース・大谷翔平の母校ですからね。菊池雄星(エンゼルス)しかり、これまでは岩手の地元の選手を中心に強化するチームだったのに、今夏に出場した甲子園で、神奈川から野球留学した巨人・古城コーチの次男・大翔が1年生で4番を任された。同校の佐々木監督と古城コーチが国士舘大の同級生だった縁とはいえ、花巻東はこれを機に関東や関西に勧誘の手を伸ばし始めた。ある関西の有望中学生が進学を決めたと聞いて、大阪桐蔭や関西の中学生をスカウトする明徳義塾あたりは真っ青です。花巻東は関東の中学生の現場にも出没している。『あなたも大谷みたいになれますよ』と口説いているかはともかく、あの大谷、菊池の母校と聞いたら、誰だって花巻東に入りたくなりますから」
みちのくの「黒船」に戦々恐々としている野球学校は少なくない。
⚽第33回全日本高校女子サッカー選手権 三木総合防災公園陸上競技場【2回戦第2試合】大商学園(大阪)vs十文字(東京) 1425人
https://www.jfa.jp/match/highschool_womens_2024/schedule_result/pdf/m29.pdf
⚽ユーチューブライブ配信
https://www.youtube.com/watch?v=e_uh_dHrz1g&t=7s
3年間の雌伏の時を耐えて、、、4年ぶり14度目の選手権大会出場を決めてくれた後輩たち。
相手の十文字は2017年1月8日に決勝戦で対戦し惜しくも0-1で敗れ準優勝に終わった天敵。
全く予想がつかない試合で、勝ち上がれば準々決勝1月5日の三木~準決勝1月7日神戸ウイングS~そして1月12日決勝戦神戸ウイングSに駆け付ける予定でした。
今日はユーチューブで自宅から生観戦しておりましたが、、、お互い決め手を欠き、何もできずに前半が終わりそのままPKも覚悟しつつ・・・運よく後半開始直後に猛攻を仕掛け1点先制し、そのまま逃げ切り初戦突破と。
3日の3回戦は清荒神初詣とかち合うので、観戦できませんが2試合で9得点の鎮西学院に勝てば4年ぶりに三木に行けるので・・・。
なんとか3連覇を狙う藤枝順心が来るであろう準決勝までは最低でも勝ち上がりたい。あわよくば悲願の初優勝を目の前で見たいものです!!
✌大社ナインが聖地での死闘を激白 エース馬庭優太「甲子園はかけがえのない場所」「最高の仲間」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e30ea32c935f0bb15112c473acafeb1b5bb44ec2
ABC放送は30日「高校野球スペシャル2024甲子園が好きだから」を放送し、「大社旋風」を巻き起こした、監督と選手のインタビューを公開した。
大社(島根)は今夏、32年ぶりとなった夏の甲子園でセンバツ準Vの報徳学園(兵庫)、創成館(長崎)、早実(西東京)を破り、93年ぶりの8強入り。番組では延長タイブレークの末に3-2のサヨナラで早実を下した一戦にフォーカスされた。
1-2の9回に大社がスクイズで同点に追いつき、延長戦へ突入。延長タイブレーク11回裏、大社は無死一、二塁からこの夏初出場の安松大希捕手(2年)を代打に送り、三塁線へのバントを内野安打とした。安松は石飛文太監督とのやりとりを明かした。
安松 「(監督が)『バントを決められるやつおるか』と言われて。『自分が決めます』って手を挙げました」
石飛監督 「(安松が)『やります』って言ったけど、普段の様子よりも不安気に思えたので、『何か不安か?大丈夫か?』と聞いたんです」
安松 「『自分は三塁側にしか決められませんが大丈夫ですか』と問い返しました。それで監督さんが『この場面は三塁側が良い』と。『行ってこい!』と言われました」
石飛監督 「僕は信じるだけでした」
無死満塁と好機を広げ、延長11回まで1人で投げ抜いてきたエース馬庭優太(3年)が中前打で激闘に終止符。馬庭は「今まで自分が過ごしてきたなかで一番長い夏でした。甲子園は自分の人生の中でかけがえのない場所でした。仲間を信じていたからこそ、投げきることができると考えていた。最高の仲間だった」と熱い夏を振り返った。
石飛監督は「一番感じたのは、甲子園は人と人がつながり合える場所」と、この夏の旋風終えて語った。
大社は準々決勝で神村学園(鹿児島)に2-8で敗退。甲子園4試合すべてに登板し、「大社旋風」の中心となった馬庭は、大学進学を明言している。
☝「誕生日のケーキ喜んでくれた」高校野球の名将、迫田監督の追悼展
https://news.yahoo.co.jp/articles/1887110f92db7a26fb984431b147e0155061dd40
広島商野球部で選手、監督として全国優勝し、2023年12月に84歳で亡くなった迫田穆成さんの功績をたたえる追悼展が、広島県竹原市本町の「道の駅たけはら」で開かれている。迫田さんが死去直前まで監督を務めた竹原高校野球部での活動を振り返っている。
追悼展では、迫田さんのグラブやファンと写った写真のほか、選手起用のメモ書きなどを展示。ユーチューブ「迫田監督野球チャンネル」の動画を流し、竹原野球部の戦績を紹介している。
竹原の部員らがつづった迫田さんとの思い出話も展示されており、「誕生日にみんなでケーキをあげたらとても喜んでくれた」「けがしたとき、まほろばの里へ一緒に行ってくれた」といった内容も。
迫田さんは19年に竹原の監督に就任。しかし、翌年の夏の甲子園はコロナ禍で中止になった。迫田さんのユーチューブは、長女の岩川智子さん(59)が自宅で話を聞いているうちに、多くの人に面白い話を届けたいと開設した。
岩川さんによると、迫田さんが亡くなる直前、部員とのやり取りで大笑いしたことがあったという。入院中の迫田さんに、部員が広島商との練習試合結果をLineで送ってきたが、点数がまちまちだったという。「あんなに笑っているのを見たのは、最後だったかもしれません」と岩川さん。
追悼展は無料で、25年2月中旬までの予定。問い合わせは、主催の道の駅たけはら(0846・23・5100)へ。31日~1月3日は休業。
📝聖地のアルプス彩った滋賀学園・荒井浩志さん 心ない声に「正直怖いなって」救急救命士を目指す
https://news.yahoo.co.jp/articles/eed034bd06eef63e9deee474d946fb614bc93c53
ABC放送は30日、「高校野球スペシャル2024 甲子園が好きだから」を放送し、アルプスを彩った滋賀学園・荒井浩志さん(3年)を特集した。
荒井さんはベンチ入りがかなわず、応援団長としてチームを鼓舞。聖地のスタンドで見せるキレキレのダンスで話題を呼んだ。荒井さんは「自分のためではなくて、試合に勝つためにやっているのが一番。周りがしないことをやるというのが目的としてあった」とその理由を語った。
応援を背に受けた選手たちは初の甲子園8強入り。大会後もダンスがSNSで話題となった。だがその一方で、批判的なコメントも散見。高校生への心ない声にも荒井さんは、「正直怖いなって思いました。最初(批判的な意見を)見たときは、自分が今までしてきたことが間違いだと思ったんですが、選手たちが最大限の力を発揮できるのなら、自分たちはたたかれてもいい」と胸の内を明かした。
新井さんは甲子園を夢見て三重から野球留学。だが最後の夏でのベンチ入りは果たせなかった。「親に電話したときに『メンバーに入れへんかった』と言ったら、『3年間必死に野球ができたらそれでいい。頑張ったからいいんやで』と言葉をかけてもらい、気持ちが楽になった」と両親の支えを明かした。
メンバーに選ばれなかったことにショックを抱えつつも「(ベンチ外の)メンバーも『一緒にチームのために頑張ろう』と励まし合って立ち直る事ができた。甲子園の外野で守ることが一番の目標で、それはできなかったけど、必死に野球をしている選手のために応援すると決めました」と、チームメートと歩んできたことを明かした。
卒業後の展望については「将来の夢は救急救命士。救急救命士も自分のためではなく、傷病者のための職業だと思う。誰かのためにすることの素晴らしさを、甲子園を通して手に入れました」と充実した表情で語った。
📝阪神と野球を結び付けた「香櫨園」の新事実 甲子園43個分の広さ&試合に10万人動員の大熱狂
https://news.yahoo.co.jp/articles/e4c9982bcdf7a6c7f08634a622f3849dfddacced
今年8月で開場100周年を迎えた甲子園球場を所有する阪神電鉄と野球との接点になった、現代でいうアミューズメントパーク「香櫨園(こうろえん)」に新たな事実が判明した。運動場内に球場を造り、1910年10月に開催された関西初の国際試合、早大―シカゴ大の3試合。従来8万坪とされた香櫨園が実は50万坪だったことでスムーズな建設が進み、3日間全て野球日和だったこともあって推定10万人を動員。野球熱が盛り上がった。
西宮市教育委員会事務局の足立年樹氏によると、昨年2月に全76ページからなる1909年発行の「香櫨園案内」(西宮市立郷土資料館所蔵)が見つかった。同資料館が古書店から情報を得て購入し、阪神電鉄の社史にある球場の地形に関する描写などと照合。従来8万坪とされた香櫨園の広さが甲子園球場43個分、50万坪もあった。
香櫨園案内には「香櫨園全図」があり、当時東京と京都にしかなかった動物園、ボートで水上へ突入する絶叫マシン「ウオーターシュート」、回転木馬などが配置。運動場も二つあった。
早大―シカゴ大の関西開催に向け、大阪毎日新聞(大毎)が早大と交渉する一方で試合会場を物色したが、適当な球場がなかった。大毎からの打診に阪神電鉄が応じ、経営参画した香櫨園の第一運動場内に、わずか2週間で野球のグラウンド(右翼約90メートル、左翼約170メートルの長方形)を造り上げた。時の技術長で後に専務として甲子園球場建設を指示した三崎省三が担当した。
試合は反響を呼び、開園と同時期に開業した香櫨園駅経由で推定10万人を動員。「女性が来て驚いたとか、阪神電車が満員になったという新聞記事もありました。球場まで長蛇の列ができたそうです」(同氏)。当時は1両編成で座席に40人、定員80人だったことから通勤列車なみの混雑ぶりが想像できる。
同氏は大阪管区気象台に開催日の天気も確認。10月25日は最低気温13・2度、最高22・6度でおおむね晴天。26日も最低10・7度、最高21度でおおむね晴天。27日は最低7・7度、最高20・7度で快晴だった。前後の24日が終日煙霧で日照時間48分、28日は曇りで同72分で天も味方した。「雨ならどこまで動員できたでしょう。(阪神電鉄から)野球はもうかると判断されたと思う」と推測する。
香櫨園の名前も一帯の土地所有者、砂糖商・香野蔵治と櫨山慶次郎に由来するというのが通説で、西宮市史に記載された。ところが、同じ櫨山姓でも慶次郎は株の仲買人で、同時期に活躍した香野と同じ砂糖商・喜一と突き止めた。園内にあった恵美須ホテルが現在のカトリック夙川教会となり、当時の文書などに両者の名前があった。現在、香櫨園駅にある銘板にも香野と喜一の名前が記されている。
3試合のための球場建設が、後の歴史の歯車を動かす一因になったかもしれない。
https://www.jfa.jp/match/highschool_womens_2024/schedule_result/pdf/m29.pdf
⚽ユーチューブライブ配信
https://www.youtube.com/watch?v=e_uh_dHrz1g&t=7s
3年間の雌伏の時を耐えて、、、4年ぶり14度目の選手権大会出場を決めてくれた後輩たち。
相手の十文字は2017年1月8日に決勝戦で対戦し惜しくも0-1で敗れ準優勝に終わった天敵。
全く予想がつかない試合で、勝ち上がれば準々決勝1月5日の三木~準決勝1月7日神戸ウイングS~そして1月12日決勝戦神戸ウイングSに駆け付ける予定でした。
今日はユーチューブで自宅から生観戦しておりましたが、、、お互い決め手を欠き、何もできずに前半が終わりそのままPKも覚悟しつつ・・・運よく後半開始直後に猛攻を仕掛け1点先制し、そのまま逃げ切り初戦突破と。
3日の3回戦は清荒神初詣とかち合うので、観戦できませんが2試合で9得点の鎮西学院に勝てば4年ぶりに三木に行けるので・・・。
なんとか3連覇を狙う藤枝順心が来るであろう準決勝までは最低でも勝ち上がりたい。あわよくば悲願の初優勝を目の前で見たいものです!!
✌大社ナインが聖地での死闘を激白 エース馬庭優太「甲子園はかけがえのない場所」「最高の仲間」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e30ea32c935f0bb15112c473acafeb1b5bb44ec2
ABC放送は30日「高校野球スペシャル2024甲子園が好きだから」を放送し、「大社旋風」を巻き起こした、監督と選手のインタビューを公開した。
大社(島根)は今夏、32年ぶりとなった夏の甲子園でセンバツ準Vの報徳学園(兵庫)、創成館(長崎)、早実(西東京)を破り、93年ぶりの8強入り。番組では延長タイブレークの末に3-2のサヨナラで早実を下した一戦にフォーカスされた。
1-2の9回に大社がスクイズで同点に追いつき、延長戦へ突入。延長タイブレーク11回裏、大社は無死一、二塁からこの夏初出場の安松大希捕手(2年)を代打に送り、三塁線へのバントを内野安打とした。安松は石飛文太監督とのやりとりを明かした。
安松 「(監督が)『バントを決められるやつおるか』と言われて。『自分が決めます』って手を挙げました」
石飛監督 「(安松が)『やります』って言ったけど、普段の様子よりも不安気に思えたので、『何か不安か?大丈夫か?』と聞いたんです」
安松 「『自分は三塁側にしか決められませんが大丈夫ですか』と問い返しました。それで監督さんが『この場面は三塁側が良い』と。『行ってこい!』と言われました」
石飛監督 「僕は信じるだけでした」
無死満塁と好機を広げ、延長11回まで1人で投げ抜いてきたエース馬庭優太(3年)が中前打で激闘に終止符。馬庭は「今まで自分が過ごしてきたなかで一番長い夏でした。甲子園は自分の人生の中でかけがえのない場所でした。仲間を信じていたからこそ、投げきることができると考えていた。最高の仲間だった」と熱い夏を振り返った。
石飛監督は「一番感じたのは、甲子園は人と人がつながり合える場所」と、この夏の旋風終えて語った。
大社は準々決勝で神村学園(鹿児島)に2-8で敗退。甲子園4試合すべてに登板し、「大社旋風」の中心となった馬庭は、大学進学を明言している。
☝「誕生日のケーキ喜んでくれた」高校野球の名将、迫田監督の追悼展
https://news.yahoo.co.jp/articles/1887110f92db7a26fb984431b147e0155061dd40
広島商野球部で選手、監督として全国優勝し、2023年12月に84歳で亡くなった迫田穆成さんの功績をたたえる追悼展が、広島県竹原市本町の「道の駅たけはら」で開かれている。迫田さんが死去直前まで監督を務めた竹原高校野球部での活動を振り返っている。
追悼展では、迫田さんのグラブやファンと写った写真のほか、選手起用のメモ書きなどを展示。ユーチューブ「迫田監督野球チャンネル」の動画を流し、竹原野球部の戦績を紹介している。
竹原の部員らがつづった迫田さんとの思い出話も展示されており、「誕生日にみんなでケーキをあげたらとても喜んでくれた」「けがしたとき、まほろばの里へ一緒に行ってくれた」といった内容も。
迫田さんは19年に竹原の監督に就任。しかし、翌年の夏の甲子園はコロナ禍で中止になった。迫田さんのユーチューブは、長女の岩川智子さん(59)が自宅で話を聞いているうちに、多くの人に面白い話を届けたいと開設した。
岩川さんによると、迫田さんが亡くなる直前、部員とのやり取りで大笑いしたことがあったという。入院中の迫田さんに、部員が広島商との練習試合結果をLineで送ってきたが、点数がまちまちだったという。「あんなに笑っているのを見たのは、最後だったかもしれません」と岩川さん。
追悼展は無料で、25年2月中旬までの予定。問い合わせは、主催の道の駅たけはら(0846・23・5100)へ。31日~1月3日は休業。
📝聖地のアルプス彩った滋賀学園・荒井浩志さん 心ない声に「正直怖いなって」救急救命士を目指す
https://news.yahoo.co.jp/articles/eed034bd06eef63e9deee474d946fb614bc93c53
ABC放送は30日、「高校野球スペシャル2024 甲子園が好きだから」を放送し、アルプスを彩った滋賀学園・荒井浩志さん(3年)を特集した。
荒井さんはベンチ入りがかなわず、応援団長としてチームを鼓舞。聖地のスタンドで見せるキレキレのダンスで話題を呼んだ。荒井さんは「自分のためではなくて、試合に勝つためにやっているのが一番。周りがしないことをやるというのが目的としてあった」とその理由を語った。
応援を背に受けた選手たちは初の甲子園8強入り。大会後もダンスがSNSで話題となった。だがその一方で、批判的なコメントも散見。高校生への心ない声にも荒井さんは、「正直怖いなって思いました。最初(批判的な意見を)見たときは、自分が今までしてきたことが間違いだと思ったんですが、選手たちが最大限の力を発揮できるのなら、自分たちはたたかれてもいい」と胸の内を明かした。
新井さんは甲子園を夢見て三重から野球留学。だが最後の夏でのベンチ入りは果たせなかった。「親に電話したときに『メンバーに入れへんかった』と言ったら、『3年間必死に野球ができたらそれでいい。頑張ったからいいんやで』と言葉をかけてもらい、気持ちが楽になった」と両親の支えを明かした。
メンバーに選ばれなかったことにショックを抱えつつも「(ベンチ外の)メンバーも『一緒にチームのために頑張ろう』と励まし合って立ち直る事ができた。甲子園の外野で守ることが一番の目標で、それはできなかったけど、必死に野球をしている選手のために応援すると決めました」と、チームメートと歩んできたことを明かした。
卒業後の展望については「将来の夢は救急救命士。救急救命士も自分のためではなく、傷病者のための職業だと思う。誰かのためにすることの素晴らしさを、甲子園を通して手に入れました」と充実した表情で語った。
📝阪神と野球を結び付けた「香櫨園」の新事実 甲子園43個分の広さ&試合に10万人動員の大熱狂
https://news.yahoo.co.jp/articles/e4c9982bcdf7a6c7f08634a622f3849dfddacced
今年8月で開場100周年を迎えた甲子園球場を所有する阪神電鉄と野球との接点になった、現代でいうアミューズメントパーク「香櫨園(こうろえん)」に新たな事実が判明した。運動場内に球場を造り、1910年10月に開催された関西初の国際試合、早大―シカゴ大の3試合。従来8万坪とされた香櫨園が実は50万坪だったことでスムーズな建設が進み、3日間全て野球日和だったこともあって推定10万人を動員。野球熱が盛り上がった。
西宮市教育委員会事務局の足立年樹氏によると、昨年2月に全76ページからなる1909年発行の「香櫨園案内」(西宮市立郷土資料館所蔵)が見つかった。同資料館が古書店から情報を得て購入し、阪神電鉄の社史にある球場の地形に関する描写などと照合。従来8万坪とされた香櫨園の広さが甲子園球場43個分、50万坪もあった。
香櫨園案内には「香櫨園全図」があり、当時東京と京都にしかなかった動物園、ボートで水上へ突入する絶叫マシン「ウオーターシュート」、回転木馬などが配置。運動場も二つあった。
早大―シカゴ大の関西開催に向け、大阪毎日新聞(大毎)が早大と交渉する一方で試合会場を物色したが、適当な球場がなかった。大毎からの打診に阪神電鉄が応じ、経営参画した香櫨園の第一運動場内に、わずか2週間で野球のグラウンド(右翼約90メートル、左翼約170メートルの長方形)を造り上げた。時の技術長で後に専務として甲子園球場建設を指示した三崎省三が担当した。
試合は反響を呼び、開園と同時期に開業した香櫨園駅経由で推定10万人を動員。「女性が来て驚いたとか、阪神電車が満員になったという新聞記事もありました。球場まで長蛇の列ができたそうです」(同氏)。当時は1両編成で座席に40人、定員80人だったことから通勤列車なみの混雑ぶりが想像できる。
同氏は大阪管区気象台に開催日の天気も確認。10月25日は最低気温13・2度、最高22・6度でおおむね晴天。26日も最低10・7度、最高21度でおおむね晴天。27日は最低7・7度、最高20・7度で快晴だった。前後の24日が終日煙霧で日照時間48分、28日は曇りで同72分で天も味方した。「雨ならどこまで動員できたでしょう。(阪神電鉄から)野球はもうかると判断されたと思う」と推測する。
香櫨園の名前も一帯の土地所有者、砂糖商・香野蔵治と櫨山慶次郎に由来するというのが通説で、西宮市史に記載された。ところが、同じ櫨山姓でも慶次郎は株の仲買人で、同時期に活躍した香野と同じ砂糖商・喜一と突き止めた。園内にあった恵美須ホテルが現在のカトリック夙川教会となり、当時の文書などに両者の名前があった。現在、香櫨園駅にある銘板にも香野と喜一の名前が記されている。
3試合のための球場建設が、後の歴史の歯車を動かす一因になったかもしれない。
💢今夏の甲子園出場校で大会前に部内窃盗事件が発覚…予想外の序盤敗退は「ルパン」のせいか
https://news.yahoo.co.jp/articles/4cd0a4d36a6a2e4258b6fcdab3f04b95386af6fa
今夏の甲子園では、今年から導入された低反発バットが大会の勢力図を大きく塗り替えた。強豪校が次々と波乱の渦にのみ込まれ、大会序盤で姿を消したことは記憶に新しい。
ある強豪校の“予想外”の序盤敗退は、低反発バットだけに起因するものではなさそうだ。
「春から夏にかけて、チーム内で衝撃的な事件が起きた」と、高校野球関係者がこう語る。
「上級生部員が下級生の用具を盗み、それをネットオークションで売りさばいていたことが発覚しました。これは明らかな窃盗事件ですが、野球部は公にせず、内々で処理したようです。もしかすると、学校側は事件を把握していない可能性すらある。もちろん、窃盗に関わった選手は、夏の県大会には出場登録されませんでしたが、部内に動揺が広がったのは確か。甲子園を目指して野球に集中できたかと言われれば、難しい状況だったはずです」
今年の春先には、ドジャースの大谷翔平の元通訳である水原一平被告が銀行口座から26億円超を盗んだとして、世間を騒がせた。
それとは比べものにならないが、高校球界のみならず、プロ球界でもこの手の「ルパン」はいるという。
📝指名漏れ大院大高・志水の「旋風舞台裏」 知られざる帰省と再出発、熊本の社会人で再起へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/977d0447bf2adbba02370c17897cb9c8ee3cdaef
大院大高の志水は、ドラフト当日の記者会見場で「ついにこの日が来た」と、あまりに濃密だった高校野球に思いをはせていた。低迷していた学校を今春大阪大会で優勝に導き、プロ注目捕手として取り上げられた。大阪桐蔭、履正社の「大阪2強」を崩す新風として取材も殺到。ドラフト会議で名前は呼ばれずとも「この会見場は誰でも座れる席ではない。成長できました」と結果を受け入れた。
熊本出身で、中学時代には多くの県外私立から勧誘を受けた。その中で選択したのが甲子園出場が96年春の1度しかない大院大高だった。「正直、名前も聞いたことがなかった。絶対に行くことはないと思っていました」。指導者の熱意、全国屈指の充実した練習環境を知り、心が動いた。「当時は甲子園に興味がなかった。高卒でプロに行きたい一心でした」。甲子園のためではなく、工事中だった屋内練習場やトレーニング室の完成イメージ図を見て、プロへの近道だと考えたのだ。
意気揚々と始まった大阪生活は、青写真通りには進まなかった。「かなり緊張をする性格なので、心のコントロールができなくなったんです」。不安感に襲われて精神が乱れ、体調が優れなかった。見かねた指導者の計らいで、一度熊本に帰省することになった。このまま故郷でやり直そうかとも考えた。それでも大阪に戻ってきた。「ここを選んだ理由はプロ野球選手になるため。その思いを忘れずに頑張ろうと思いました」。「志水なら大丈夫や」と励ましてくれた仲間の支えもあり、プロから注目を集めるまでに成長できた。
中学までは、プロ入りのための技術の鍛錬を最優先に考えてきた。その思考は、高校野球を通して変わった。「みんなと厳しい冬を乗り越え、絶対に甲子園に行きたいと思うようになった。ここまで甲子園のために熱くなれるとは思っていなかったです」。3年春の大阪大会では大阪桐蔭、履正社を破って優勝する大躍進。「2強」の牙城を崩し、大阪に大きな風穴を開けた。
卒業後は地元に戻り、社会人野球の熊本ゴールデンラークスに入社する。「大学進学を勧める声もありました。それでも一番レベルの高い舞台で戦い、1年でも早くプロに行きたいと思いました」。同社は、20年から3年間の活動休止を経て今年に再始動した。「これから強くなっていくチームが好きなので」。高校野球で起こした旋風をきっかけに、仲間と努力して勝ち上がる喜びを知ったのだ。
📝センバツ「21世紀枠空白県」からの脱却なるか 横浜清陵、山城、壱岐が地区候補に選出
https://news.yahoo.co.jp/articles/438724a7268055e941f1be72f67ffbacaaf94e41
来春行われる第97回選抜高校野球大会の21世紀枠の全国9地区の候補校が発表された。2001年大会から設けられた同枠での甲子園出場がないのは群馬、埼玉、神奈川、長野、三重、京都、奈良、大阪、岡山、鳥取、広島、福岡、長崎の13府県。今回、関東・東京地区で横浜清陵(神奈川)、近畿で山城(京都)、九州で壱岐(長崎)が地区候補になっており、来年1月24日に開かれる選考委員会で決まる最終の2校に選ばれれば、「21世紀枠空白県」からの脱却となる。
■「文武両道」を実践
神奈川県勢は全国で唯一、地区候補になったことがなかった。そんな中、甲子園出場経験のない横浜清陵は横浜や東海大相模など、私立の強豪がひしめく地域で今秋、公立として唯一、8強入りするなど、近年、安定した成績を残している力が評価された。
離島にある壱岐は文武両道の進学校。「壱岐から甲子園」を合言葉に集まった部員全員が島内出身。遠征で島外に出る場合、フェリー代などが約30万円かかるため、練習試合などの機会は限られるが、今秋は県大会で準優勝し、九州大会でもベスト8に入った。
注目の近畿は伝統校の山城が選ばれた。最終的な選考では奈良大会で準優勝し、近畿大会に進んだ進学校の奈良との比較となった。どちらも「質の高い文武両道」を実践しているとされたが、1971年から聴覚障害のある生徒を受け入れているほか、少年野球との交流で地域に貢献している点などが評価された。同校野球部は全国に15校しかない夏の第1回地方大会からの皆勤校。最後の甲子園出場は61年夏。センバツ出場となれば57年以来、68年ぶりとなる。OBに元阪神の吉田義男氏がいる。
京都府勢は立命館宇治が秋季大会で準々決勝に進んだもののコールド負けを喫し、一般枠での選出は厳しい状況。山城が同枠で選ばれ、一般選考枠の5、6校目に近畿8強の大院大高(大阪)、滋賀県勢の滋賀学園、滋賀短大付のいずれかが入れば、近畿2府4県すべてで出場校を出すことになる。
横浜清陵、山城、壱岐の3校が府県勢として「初の21世紀枠」の吉報を待つ。一方で、同枠での甲子園出場に恵まれているのが今回、大田が中国地区の候補となった島根県勢。同枠で甲子園出場を決めたのは、北海道の5度に次ぐ4度(中止になった2020年大会の平田を含む)で、福島、和歌山、徳島と並んでいる。また、全国9地区の候補に入るのも今回25度目の選考で実に10度目。自動的に地区候補となる北海道を除くと最多だ。
北信越の候補となった小松工(石川)は秋季県大会準優勝、北信越大会4強の実力を持つ。1月の能登半島地震で被災し、8月の豪雨被害では近隣の民家で泥よけのボランティアを数回実施した。東日本大震災が発生した11年の翌年から、2年連続で東北地区から同枠が選ばれた。
■過去に私立は土佐だけ
東海地区の名古屋たちばな(愛知)は今回の9候補で唯一の私立。過去、66校が同枠での甲子園出場(新型コロナウイルス禍で中止になった20年大会含む)が決まった中で、私立は13年の土佐(高知)だけ。
そのほかの地区候補は北海道の釧路江南、東北の久慈(岩手)、四国の高松東(香川)。同枠は部員不足、自然災害などの「困難克服」、学業と部活動を両立させた「文武両道」、ボランティア活動や野球教室などによる「地域密着」など戦力以外の実績にスポットを当て、私立の強豪に阻まれ甲子園が遠い古豪、新進校、僻地の学校などに出場機会を広げてきた。ただ、成績は芳しくない。同枠のチームが一般選考枠のチームに勝ったのは15年、松山東(愛媛)が二松学舎大付(東京)を下したのが最後となっている。
来年1月24日の選考委員会で候補9校から東西を区別せずに2校が選ばれ、一般選考枠の30校とともに3月18日に甲子園で開幕する選抜高校野球大会に出場する。組み合わせ抽選会は3月7日に行われる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4cd0a4d36a6a2e4258b6fcdab3f04b95386af6fa
今夏の甲子園では、今年から導入された低反発バットが大会の勢力図を大きく塗り替えた。強豪校が次々と波乱の渦にのみ込まれ、大会序盤で姿を消したことは記憶に新しい。
ある強豪校の“予想外”の序盤敗退は、低反発バットだけに起因するものではなさそうだ。
「春から夏にかけて、チーム内で衝撃的な事件が起きた」と、高校野球関係者がこう語る。
「上級生部員が下級生の用具を盗み、それをネットオークションで売りさばいていたことが発覚しました。これは明らかな窃盗事件ですが、野球部は公にせず、内々で処理したようです。もしかすると、学校側は事件を把握していない可能性すらある。もちろん、窃盗に関わった選手は、夏の県大会には出場登録されませんでしたが、部内に動揺が広がったのは確か。甲子園を目指して野球に集中できたかと言われれば、難しい状況だったはずです」
今年の春先には、ドジャースの大谷翔平の元通訳である水原一平被告が銀行口座から26億円超を盗んだとして、世間を騒がせた。
それとは比べものにならないが、高校球界のみならず、プロ球界でもこの手の「ルパン」はいるという。
📝指名漏れ大院大高・志水の「旋風舞台裏」 知られざる帰省と再出発、熊本の社会人で再起へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/977d0447bf2adbba02370c17897cb9c8ee3cdaef
大院大高の志水は、ドラフト当日の記者会見場で「ついにこの日が来た」と、あまりに濃密だった高校野球に思いをはせていた。低迷していた学校を今春大阪大会で優勝に導き、プロ注目捕手として取り上げられた。大阪桐蔭、履正社の「大阪2強」を崩す新風として取材も殺到。ドラフト会議で名前は呼ばれずとも「この会見場は誰でも座れる席ではない。成長できました」と結果を受け入れた。
熊本出身で、中学時代には多くの県外私立から勧誘を受けた。その中で選択したのが甲子園出場が96年春の1度しかない大院大高だった。「正直、名前も聞いたことがなかった。絶対に行くことはないと思っていました」。指導者の熱意、全国屈指の充実した練習環境を知り、心が動いた。「当時は甲子園に興味がなかった。高卒でプロに行きたい一心でした」。甲子園のためではなく、工事中だった屋内練習場やトレーニング室の完成イメージ図を見て、プロへの近道だと考えたのだ。
意気揚々と始まった大阪生活は、青写真通りには進まなかった。「かなり緊張をする性格なので、心のコントロールができなくなったんです」。不安感に襲われて精神が乱れ、体調が優れなかった。見かねた指導者の計らいで、一度熊本に帰省することになった。このまま故郷でやり直そうかとも考えた。それでも大阪に戻ってきた。「ここを選んだ理由はプロ野球選手になるため。その思いを忘れずに頑張ろうと思いました」。「志水なら大丈夫や」と励ましてくれた仲間の支えもあり、プロから注目を集めるまでに成長できた。
中学までは、プロ入りのための技術の鍛錬を最優先に考えてきた。その思考は、高校野球を通して変わった。「みんなと厳しい冬を乗り越え、絶対に甲子園に行きたいと思うようになった。ここまで甲子園のために熱くなれるとは思っていなかったです」。3年春の大阪大会では大阪桐蔭、履正社を破って優勝する大躍進。「2強」の牙城を崩し、大阪に大きな風穴を開けた。
卒業後は地元に戻り、社会人野球の熊本ゴールデンラークスに入社する。「大学進学を勧める声もありました。それでも一番レベルの高い舞台で戦い、1年でも早くプロに行きたいと思いました」。同社は、20年から3年間の活動休止を経て今年に再始動した。「これから強くなっていくチームが好きなので」。高校野球で起こした旋風をきっかけに、仲間と努力して勝ち上がる喜びを知ったのだ。
📝センバツ「21世紀枠空白県」からの脱却なるか 横浜清陵、山城、壱岐が地区候補に選出
https://news.yahoo.co.jp/articles/438724a7268055e941f1be72f67ffbacaaf94e41
来春行われる第97回選抜高校野球大会の21世紀枠の全国9地区の候補校が発表された。2001年大会から設けられた同枠での甲子園出場がないのは群馬、埼玉、神奈川、長野、三重、京都、奈良、大阪、岡山、鳥取、広島、福岡、長崎の13府県。今回、関東・東京地区で横浜清陵(神奈川)、近畿で山城(京都)、九州で壱岐(長崎)が地区候補になっており、来年1月24日に開かれる選考委員会で決まる最終の2校に選ばれれば、「21世紀枠空白県」からの脱却となる。
■「文武両道」を実践
神奈川県勢は全国で唯一、地区候補になったことがなかった。そんな中、甲子園出場経験のない横浜清陵は横浜や東海大相模など、私立の強豪がひしめく地域で今秋、公立として唯一、8強入りするなど、近年、安定した成績を残している力が評価された。
離島にある壱岐は文武両道の進学校。「壱岐から甲子園」を合言葉に集まった部員全員が島内出身。遠征で島外に出る場合、フェリー代などが約30万円かかるため、練習試合などの機会は限られるが、今秋は県大会で準優勝し、九州大会でもベスト8に入った。
注目の近畿は伝統校の山城が選ばれた。最終的な選考では奈良大会で準優勝し、近畿大会に進んだ進学校の奈良との比較となった。どちらも「質の高い文武両道」を実践しているとされたが、1971年から聴覚障害のある生徒を受け入れているほか、少年野球との交流で地域に貢献している点などが評価された。同校野球部は全国に15校しかない夏の第1回地方大会からの皆勤校。最後の甲子園出場は61年夏。センバツ出場となれば57年以来、68年ぶりとなる。OBに元阪神の吉田義男氏がいる。
京都府勢は立命館宇治が秋季大会で準々決勝に進んだもののコールド負けを喫し、一般枠での選出は厳しい状況。山城が同枠で選ばれ、一般選考枠の5、6校目に近畿8強の大院大高(大阪)、滋賀県勢の滋賀学園、滋賀短大付のいずれかが入れば、近畿2府4県すべてで出場校を出すことになる。
横浜清陵、山城、壱岐の3校が府県勢として「初の21世紀枠」の吉報を待つ。一方で、同枠での甲子園出場に恵まれているのが今回、大田が中国地区の候補となった島根県勢。同枠で甲子園出場を決めたのは、北海道の5度に次ぐ4度(中止になった2020年大会の平田を含む)で、福島、和歌山、徳島と並んでいる。また、全国9地区の候補に入るのも今回25度目の選考で実に10度目。自動的に地区候補となる北海道を除くと最多だ。
北信越の候補となった小松工(石川)は秋季県大会準優勝、北信越大会4強の実力を持つ。1月の能登半島地震で被災し、8月の豪雨被害では近隣の民家で泥よけのボランティアを数回実施した。東日本大震災が発生した11年の翌年から、2年連続で東北地区から同枠が選ばれた。
■過去に私立は土佐だけ
東海地区の名古屋たちばな(愛知)は今回の9候補で唯一の私立。過去、66校が同枠での甲子園出場(新型コロナウイルス禍で中止になった20年大会含む)が決まった中で、私立は13年の土佐(高知)だけ。
そのほかの地区候補は北海道の釧路江南、東北の久慈(岩手)、四国の高松東(香川)。同枠は部員不足、自然災害などの「困難克服」、学業と部活動を両立させた「文武両道」、ボランティア活動や野球教室などによる「地域密着」など戦力以外の実績にスポットを当て、私立の強豪に阻まれ甲子園が遠い古豪、新進校、僻地の学校などに出場機会を広げてきた。ただ、成績は芳しくない。同枠のチームが一般選考枠のチームに勝ったのは15年、松山東(愛媛)が二松学舎大付(東京)を下したのが最後となっている。
来年1月24日の選考委員会で候補9校から東西を区別せずに2校が選ばれ、一般選考枠の30校とともに3月18日に甲子園で開幕する選抜高校野球大会に出場する。組み合わせ抽選会は3月7日に行われる。
3/18 初日第2試合 田辺(和歌山)-星稜(石川) 13:46~15:46
第1話 甲子園で『田辺が大将』の大合唱! またいつかこの場所へ・・・
一二三四五六七八九十計HE
星 稜010100002 480 佐宗、戸田、道本-能美
田 辺001100000 262 寺西-前田
第一試合 第三試合
八学光星5 近 江
関 東 一3 熊本国府
長い冬が終わった・・・と言いたいところだが、2024年は3月に入ってから非常に寒くなりセンバツ開幕時でも真冬のような体感だった・・・・・。
コロナ前は中央特別自由席中段に座っていたので1日中日陰ゆえにずっと寒かったが、指定席に変わり大幅値上げされたので、春は3塁内野席あるいは外野席に陣取り陽射しのぬくもりを感じていたのだがこの春は違った、、、、、
今年は運よく5年ぶりに和歌山県勢センバツアベック出場となった!!本来ならば耐久高校が21世紀枠を射止めるところだが、近畿4強入りで自力での出場が決まりその空席をタナボタで田辺高校が運よく滑り込んだ格好だ!
しかし、喜びもつかの間・・・なんと抽選会で初日第2試合で神宮王者の星稜との対戦が決まってしまった。。。。。
まだ、耐久だったらエース・冷水がいるのでひょっとしたらという予感はあったが、、、甲子園未勝利の中央学院と入れ替えてくれたらという未練はあった。
昨秋、福井で北信越大会星稜の試合2試合観戦したがエース・佐宗の故障をカバーすべく1年生2投手が頑張っていたし、打力も凄まじいものがあり、ヘタすりゃ5回コールド負けした敦賀高校の二の舞になりかねないと!
とにかくエース・寺西が最少失点で踏ん張り、4番・山本陣の前にランナーをためて数少ないチャンスをモノにして勝機を見出したかった。
昨秋、市和歌山・智弁和歌山を連破した勢いを見せられるか?
アルプスには95年夏以来の甲子園出場を祝福すべく大応援団が駆け付け『心に強き誇あり!』という新調された横断幕もあった。
WBS和歌山放送もMBSの協力を得て実況生中継を敢行しいよいよその時が迫ってきた。
田辺は基本的に先攻派だが、なぜかしらこの試合は後攻だった。おそらく昨秋の近畿大会初戦で延長タイブレークのサヨナラ負けがトラウマになったものと思われるが、僕としてもこれでサヨナラ負けの可能性は消滅したし、ロースコアの接戦に持ち込み終盤まで競り合えたら大金星の可能性もという色気はあった。
星稜は故障明けのエース・佐宗が先発を任された。田辺はもちろん大黒柱のエース・寺西が先発。
1回表相手の強力打線を警戒していたが、フライアウト3つで三者凡退に抑え大きな勇気を与えられた。
1回裏が始まるとアルプスから大音量の応援が!https://www.youtube.com/watch?v=OdhS2IvwjX0&t=114s
しかし、田辺打線もやはり課題の打線が解消されず低反発バットの影響もあってか?打球が外野まで飛ばずあえなく三者凡退。
2回表2死までこぎつけたまでは良かったが、6番・専徒の目の治療で1分間中断がありこれで流れが変わったのか?直後にレフト前ヒットそして盗塁を許し、7番・能美は内野安打で2死1・3塁。ここで山下監督の息子さんは果敢に盗塁のサインを出し、前田捕手の送球が逸れる間に3塁走者が先制のホームインと非常に嫌な点の取られ方をしてしまった。
これで緊張の糸が切れて大量失点するのが怖かったが、8番・浜田はフルカウントからショートゴロに倒れ最少失点に抑えた。
田辺にとっては非常に重すぎる1点がのしかかる。2回表も同じような凡打の内容で最悪の展開も頭によぎり早く走者が出て欲しいと願うしかなかった。
3回表星稜は1死から1番・吉田がセンターへ快心の打球を放ち、あるいはそのままスタンドに吸い込まれるのか?????と思われた弾道が低反発バットの影響もあってかフェンス手前で失速しセンターフライに終わり助かった!!
その裏、田辺は7番・尾崎がつまって二遊間いいところに転がりセンター前に運ぶヒットでノーヒットノーランを回避成功。
田中監督は定石通り送りバントのサインを出して2死2塁。そしてアルプスからはいつもよりかなりアップテンポな🎵田辺が大将が流れてきた!
https://www.youtube.com/watch?v=bxUDcVHngEY
9番・太田は外130kmの直球に力負けして空振り三振で2死2塁。
1番・岡本のバッティングに期待がかかり2-1と追い込まれた5球目に上手く流してライト前ヒット。
ツーアウトゆえに2塁走者当たりゴーでホームに突っ込みライト・専徒もこれをはじいている間に悠々ホームインして1-1同点に追いつき1塁側スタンドはお祭り騒ぎとなった!!
願わくばここで逆転したかったが、2番・柳田は初球トリッキーなセーフティーをかますもファールで2球目セカンドフライ。
しかし、序盤3回を終えて1-1同点と田辺ペースで試合が経過し、もしかしたら・・・という期待が胸を膨らませていた。
だが星稜も昨秋の神宮王者だけに慌てなかった。失点直後の攻撃で先頭打者こそ高めのボール球に手を出し空振り三振に倒れたが、直後に4番・萩原がデッドボールを喰らうとすかさず盗塁。そして5番・服部がライト前ヒットを放ち1死1・3塁。山下監督の息子さんがまた盗塁をしかけるか?あるいはスクイズも???と警戒したが、6番・専徒はフリーに打ってファーストフライ。
しかしホッとしたのもつかの間。7番・能美のセカンドゴロ正面の打球を尾崎が弾いて痛恨の2点目。ミスミス相手に得点を与えてしまい寺西投手の足を味方が引っ張ってしまったが、8番・浜田はセンターフライに倒れここも最少失点に切り抜けた。
悪い流れを引きづりたくない。これを払拭すべく3番・山本結が左中間にツーベースを放ち無死2塁。4番・山本陣はチーム1の長打力を誇るだけに、当然強攻策だったが無念のサードゴロ。しかし2塁走者が3塁へ進み1死3塁と最低限の役割を果たしてくれた。
5番・前田に田中監督はスクイズをさせたがっていたようで、初球からずっとスクイズの構えを見せて揺さぶり続け3ボール。1球様子を見て1-3となったところで田中監督がスクイズのサインを出し見事に応えて再びの同点劇!!
田辺らしくコツコツ攻めて神宮王者を苦しめている。
寺西投手も味方の粘りとアルプスの大声援を受け星稜打線に真っ向勝負し5回も先頭打者の出塁を許さず2死から四球で歩かせてしまったが、前田捕手が意地を見せ4度目の盗塁を初めて刺し流れが田辺にやってきた。
その裏、8番・山根が四球を選び3イニング連続先頭打者が出塁。もちろん送りバントで1死2塁として初めてこの試合リードを奪いたかった。1番・岡本に2打席連続タイムリーを期待するも初球ライトフライ。2番・柳田はボール球を振らされ続け三振に倒れ2-2のまま整備に入った。
相手の名前と甲子園の雰囲気に飲まれて序盤からズルズルと突き放されるのでは?という不安も杞憂に終わった。
低反発バットの恩恵もあってか?星稜打線が昨秋ほどの迫力を感じさせず、エラーがなければ0点で終わっていたかもしれない。
田辺は21世紀枠だが、市和歌山・智弁和歌山に勝利して近畿大会出場しただけに過去の21世紀枠のチームよりも力はある。辛抱して数少ないチャンスを得点に結びつけ、スクイズも決まり田中監督の采配も冴えていた。
なんとか3点目を許さず、どこかで勝ち越せば勝利に近づける気がした。
整備が明けて6回表星稜は3番からの攻撃で3打順目だし何かしら攻略の糸口をつかんでくるかと警戒していたが、ボール先行の寺西投手の適度な荒れ具合が的を絞らせなかったのか?3連続フライアウトであっさり凡退。
同じように田辺も3番からの攻撃でなんとか連打で1点をと願ったが、佐宗投手も簡単には崩れず同じように三者凡退に終わりこのまま2試合連続タイブレークにもつれ込むのか???と。
7回表の星稜も三振とセーフティーバントピッチャーゴロであっさりツーアウト。楽に終わりたかったが、山下監督の采配が冴え代打攻勢の一人目中島幹がレフトへツーベースを放ち、佐宗投手に代打・島田を起用。1番・吉田はノーヒットなだけに勝負を避けても良かったが、田辺バッテリーは勝負を挑み初球ピッチャーフライ!
代打の関係で星稜は2年生・戸田にスイッチ。昨秋は戸田投手と道本投手の下級生投手が軸としてチームを引っ張っていただけに手ごわい。
いきなり先頭の寺西が見逃しの三振に倒れ、暗雲漂ったが直後に四球をもらいこれを送って2死2塁。田中監督は9番・太田に代打・松本を起用して勝負に出たが、1ストライクからの2球目キャッチャーが2塁けん制するもセンター方向に抜けこれを見て2塁走者が3塁を狙うもタッチアウト!と高度なトリックプレーにはめられてしまった↓↓
7回101球を投げている寺西投手のスタミナが不安な終盤8回。1番からの攻撃で痛恨のセンター前ヒットを浴び、山下監督の息子さんは1点勝負の終盤ゆえに手堅く送りバントで1死2塁と形を作った。3番・芦硲はノーヒットだったがやはり星稜のクリーンアップだし、お父さんが97年春に天理の主将で全国制覇した経験を持つだけに手ごわい。勝負をした結果四球となったがある意味これで良かったと。
田中監督がすかさずタイムを要求し、一息入れて4番・萩原は7球粘ってライトへ快心の打球を放つがやはり逆風と低反発バットのお陰で失速してライトフライ。5番・服部は外138kmストレートに空振り三振と耐えて凌いで勝機が少しずつ見えてきた!
願わくば8回裏に勝ち越して9回裏をせずに試合を終わらせたい田辺は1死から1番・岡本が2球で追い込まれながらも詰まりながらもライト前に運ぶシブいヒットを放ちやはり手堅く送って2死2塁。3番・山本結の打棒に期待が集まったが、無念のファーストゴロ・・・。
いよいよ最終回。ここを凌げばサヨナラ勝ちあるいは延長タイブレークになってもチャンスが出てくる!
先頭打者を1球で仕留めて打順が下位に下がるのでシメシメと思ったが伝統校ゆえにここからが強かった。
7番・能美がライト前ヒットを放ち、8番・中島幹にボール先行と苦しくなりカウント1-2からエンドランを決められレフト前ヒットで1死1・2塁。山下監督の息子さんは惜しげもなく戸田投手に代打・東を送り、1ボールからの2球目痛恨のワイルドピッチで1死2・3塁と傷口を広げ、2-2と追い込みながらもライト前ヒットで2点失い最後の最後に突き放されてしまった・・・・・。それでも気持ちを最後まで切らさず、ショートライナー最後はセンターへ大飛球を喰らったがこれも打球が失速し首の皮一枚残して9回裏へ。
田辺の応援団もここまで優勝候補相手に互角の試合を展開し満足しつつもまだ行ける!という気持ちがそれを上回り必死の応援が続く。
https://www.youtube.com/watch?v=RwMguE_zFGg
その声に乗って先頭の4番・山本陣が3番手で登板した道本投手に対してセンターバックスクリーンをめがけて大飛球が放物線を描く・・・・・しかし、低反発バットの威力はすさまじくあと一伸びが足らずまさかのセンターフライ・・・。
それでも、5番・前田&6番・寺西の連続長短打であっという間に1死2・3塁と同点の好機を築きホームランが出れば逆転サヨナラというシーンを作り上げた。
7番・尾崎をそのまま打たせてまさかのツーランスクイズはあるのか???と興奮しながら手に汗握り3塁内野席で『田辺が大将!!』と連呼していたが、道本投手も2年生ながら経験豊富で2球で追い込み外角高めのボール球を振らせて3球三振。最後は8番・山根が2-1からファーストゴロに倒れ76年ぶりの田辺の春は初日第2試合で終焉を迎え、今年も和歌山県勢のセンバツ決勝戦の夢はもろくも早期に崩れ去った。。。
それでもスタンドからは温かい拍手が送られ、なんとか夏もう1回甲子園に帰ってきて欲しいという気持ちは強かった。
突き詰めれば、要所でエラーや暴投が失点に絡み、相手の分厚い投手陣から2点もぎ取り善戦したが、守り負けだったかなと。
ただ、21世紀枠は10年近く勝利から遠ざかっているが、もう少し落ちる相手だったら充分勝てていたであろうという可能性を感じさせ、この大応援団がセンバツ大会役員の琴線に触れて、閉会式で応援団の優秀賞を受賞したことは野球王国・和歌山の誇りとなった。
ここまで2試合5-3(9回終了2-2)・4-2 とやはり低反発バットの影響が大きく、昨年までだったらホームランになっていたであろう打球も失速してしまい、今後もロースコアの接戦や延長タイブレークが多発する予感がした。
そして、直後の第3試合に満を持して近江が登場。昨夏は大垣日大・阪口監督の老練な采配に屈してしまったが、今回は熊本国府相手だし、くじ運も良く8強以上は狙えると信じていたが、これがまさか多賀監督の甲子園最後の采配になるとは・・・それはまた次回の講釈で。
⚾今日の投手陣
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 死球 三振 暴投 失点 自責
星 稜 佐 宗 6 23 83 3 3 2 0 5 0 2 2
星 稜 戸 田 2 8 28 1 2 1 0 0 0 0 0
星 稜 道 本 1 5 14 2 0 0 0 0 0 0 0
田 辺 寺 西 9 39 139 8 1 2 1 5 2 4 2
(完)
🌟次回予告🌟
3/18 初日第3試合 近江(滋賀)-熊本国府(熊本)
第1話 甲子園で『田辺が大将』の大合唱! またいつかこの場所へ・・・
一二三四五六七八九十計HE
星 稜010100002 480 佐宗、戸田、道本-能美
田 辺001100000 262 寺西-前田
第一試合 第三試合
八学光星5 近 江
関 東 一3 熊本国府
長い冬が終わった・・・と言いたいところだが、2024年は3月に入ってから非常に寒くなりセンバツ開幕時でも真冬のような体感だった・・・・・。
コロナ前は中央特別自由席中段に座っていたので1日中日陰ゆえにずっと寒かったが、指定席に変わり大幅値上げされたので、春は3塁内野席あるいは外野席に陣取り陽射しのぬくもりを感じていたのだがこの春は違った、、、、、
今年は運よく5年ぶりに和歌山県勢センバツアベック出場となった!!本来ならば耐久高校が21世紀枠を射止めるところだが、近畿4強入りで自力での出場が決まりその空席をタナボタで田辺高校が運よく滑り込んだ格好だ!
しかし、喜びもつかの間・・・なんと抽選会で初日第2試合で神宮王者の星稜との対戦が決まってしまった。。。。。
まだ、耐久だったらエース・冷水がいるのでひょっとしたらという予感はあったが、、、甲子園未勝利の中央学院と入れ替えてくれたらという未練はあった。
昨秋、福井で北信越大会星稜の試合2試合観戦したがエース・佐宗の故障をカバーすべく1年生2投手が頑張っていたし、打力も凄まじいものがあり、ヘタすりゃ5回コールド負けした敦賀高校の二の舞になりかねないと!
とにかくエース・寺西が最少失点で踏ん張り、4番・山本陣の前にランナーをためて数少ないチャンスをモノにして勝機を見出したかった。
昨秋、市和歌山・智弁和歌山を連破した勢いを見せられるか?
アルプスには95年夏以来の甲子園出場を祝福すべく大応援団が駆け付け『心に強き誇あり!』という新調された横断幕もあった。
WBS和歌山放送もMBSの協力を得て実況生中継を敢行しいよいよその時が迫ってきた。
田辺は基本的に先攻派だが、なぜかしらこの試合は後攻だった。おそらく昨秋の近畿大会初戦で延長タイブレークのサヨナラ負けがトラウマになったものと思われるが、僕としてもこれでサヨナラ負けの可能性は消滅したし、ロースコアの接戦に持ち込み終盤まで競り合えたら大金星の可能性もという色気はあった。
星稜は故障明けのエース・佐宗が先発を任された。田辺はもちろん大黒柱のエース・寺西が先発。
1回表相手の強力打線を警戒していたが、フライアウト3つで三者凡退に抑え大きな勇気を与えられた。
1回裏が始まるとアルプスから大音量の応援が!https://www.youtube.com/watch?v=OdhS2IvwjX0&t=114s
しかし、田辺打線もやはり課題の打線が解消されず低反発バットの影響もあってか?打球が外野まで飛ばずあえなく三者凡退。
2回表2死までこぎつけたまでは良かったが、6番・専徒の目の治療で1分間中断がありこれで流れが変わったのか?直後にレフト前ヒットそして盗塁を許し、7番・能美は内野安打で2死1・3塁。ここで山下監督の息子さんは果敢に盗塁のサインを出し、前田捕手の送球が逸れる間に3塁走者が先制のホームインと非常に嫌な点の取られ方をしてしまった。
これで緊張の糸が切れて大量失点するのが怖かったが、8番・浜田はフルカウントからショートゴロに倒れ最少失点に抑えた。
田辺にとっては非常に重すぎる1点がのしかかる。2回表も同じような凡打の内容で最悪の展開も頭によぎり早く走者が出て欲しいと願うしかなかった。
3回表星稜は1死から1番・吉田がセンターへ快心の打球を放ち、あるいはそのままスタンドに吸い込まれるのか?????と思われた弾道が低反発バットの影響もあってかフェンス手前で失速しセンターフライに終わり助かった!!
その裏、田辺は7番・尾崎がつまって二遊間いいところに転がりセンター前に運ぶヒットでノーヒットノーランを回避成功。
田中監督は定石通り送りバントのサインを出して2死2塁。そしてアルプスからはいつもよりかなりアップテンポな🎵田辺が大将が流れてきた!
https://www.youtube.com/watch?v=bxUDcVHngEY
9番・太田は外130kmの直球に力負けして空振り三振で2死2塁。
1番・岡本のバッティングに期待がかかり2-1と追い込まれた5球目に上手く流してライト前ヒット。
ツーアウトゆえに2塁走者当たりゴーでホームに突っ込みライト・専徒もこれをはじいている間に悠々ホームインして1-1同点に追いつき1塁側スタンドはお祭り騒ぎとなった!!
願わくばここで逆転したかったが、2番・柳田は初球トリッキーなセーフティーをかますもファールで2球目セカンドフライ。
しかし、序盤3回を終えて1-1同点と田辺ペースで試合が経過し、もしかしたら・・・という期待が胸を膨らませていた。
だが星稜も昨秋の神宮王者だけに慌てなかった。失点直後の攻撃で先頭打者こそ高めのボール球に手を出し空振り三振に倒れたが、直後に4番・萩原がデッドボールを喰らうとすかさず盗塁。そして5番・服部がライト前ヒットを放ち1死1・3塁。山下監督の息子さんがまた盗塁をしかけるか?あるいはスクイズも???と警戒したが、6番・専徒はフリーに打ってファーストフライ。
しかしホッとしたのもつかの間。7番・能美のセカンドゴロ正面の打球を尾崎が弾いて痛恨の2点目。ミスミス相手に得点を与えてしまい寺西投手の足を味方が引っ張ってしまったが、8番・浜田はセンターフライに倒れここも最少失点に切り抜けた。
悪い流れを引きづりたくない。これを払拭すべく3番・山本結が左中間にツーベースを放ち無死2塁。4番・山本陣はチーム1の長打力を誇るだけに、当然強攻策だったが無念のサードゴロ。しかし2塁走者が3塁へ進み1死3塁と最低限の役割を果たしてくれた。
5番・前田に田中監督はスクイズをさせたがっていたようで、初球からずっとスクイズの構えを見せて揺さぶり続け3ボール。1球様子を見て1-3となったところで田中監督がスクイズのサインを出し見事に応えて再びの同点劇!!
田辺らしくコツコツ攻めて神宮王者を苦しめている。
寺西投手も味方の粘りとアルプスの大声援を受け星稜打線に真っ向勝負し5回も先頭打者の出塁を許さず2死から四球で歩かせてしまったが、前田捕手が意地を見せ4度目の盗塁を初めて刺し流れが田辺にやってきた。
その裏、8番・山根が四球を選び3イニング連続先頭打者が出塁。もちろん送りバントで1死2塁として初めてこの試合リードを奪いたかった。1番・岡本に2打席連続タイムリーを期待するも初球ライトフライ。2番・柳田はボール球を振らされ続け三振に倒れ2-2のまま整備に入った。
相手の名前と甲子園の雰囲気に飲まれて序盤からズルズルと突き放されるのでは?という不安も杞憂に終わった。
低反発バットの恩恵もあってか?星稜打線が昨秋ほどの迫力を感じさせず、エラーがなければ0点で終わっていたかもしれない。
田辺は21世紀枠だが、市和歌山・智弁和歌山に勝利して近畿大会出場しただけに過去の21世紀枠のチームよりも力はある。辛抱して数少ないチャンスを得点に結びつけ、スクイズも決まり田中監督の采配も冴えていた。
なんとか3点目を許さず、どこかで勝ち越せば勝利に近づける気がした。
整備が明けて6回表星稜は3番からの攻撃で3打順目だし何かしら攻略の糸口をつかんでくるかと警戒していたが、ボール先行の寺西投手の適度な荒れ具合が的を絞らせなかったのか?3連続フライアウトであっさり凡退。
同じように田辺も3番からの攻撃でなんとか連打で1点をと願ったが、佐宗投手も簡単には崩れず同じように三者凡退に終わりこのまま2試合連続タイブレークにもつれ込むのか???と。
7回表の星稜も三振とセーフティーバントピッチャーゴロであっさりツーアウト。楽に終わりたかったが、山下監督の采配が冴え代打攻勢の一人目中島幹がレフトへツーベースを放ち、佐宗投手に代打・島田を起用。1番・吉田はノーヒットなだけに勝負を避けても良かったが、田辺バッテリーは勝負を挑み初球ピッチャーフライ!
代打の関係で星稜は2年生・戸田にスイッチ。昨秋は戸田投手と道本投手の下級生投手が軸としてチームを引っ張っていただけに手ごわい。
いきなり先頭の寺西が見逃しの三振に倒れ、暗雲漂ったが直後に四球をもらいこれを送って2死2塁。田中監督は9番・太田に代打・松本を起用して勝負に出たが、1ストライクからの2球目キャッチャーが2塁けん制するもセンター方向に抜けこれを見て2塁走者が3塁を狙うもタッチアウト!と高度なトリックプレーにはめられてしまった↓↓
7回101球を投げている寺西投手のスタミナが不安な終盤8回。1番からの攻撃で痛恨のセンター前ヒットを浴び、山下監督の息子さんは1点勝負の終盤ゆえに手堅く送りバントで1死2塁と形を作った。3番・芦硲はノーヒットだったがやはり星稜のクリーンアップだし、お父さんが97年春に天理の主将で全国制覇した経験を持つだけに手ごわい。勝負をした結果四球となったがある意味これで良かったと。
田中監督がすかさずタイムを要求し、一息入れて4番・萩原は7球粘ってライトへ快心の打球を放つがやはり逆風と低反発バットのお陰で失速してライトフライ。5番・服部は外138kmストレートに空振り三振と耐えて凌いで勝機が少しずつ見えてきた!
願わくば8回裏に勝ち越して9回裏をせずに試合を終わらせたい田辺は1死から1番・岡本が2球で追い込まれながらも詰まりながらもライト前に運ぶシブいヒットを放ちやはり手堅く送って2死2塁。3番・山本結の打棒に期待が集まったが、無念のファーストゴロ・・・。
いよいよ最終回。ここを凌げばサヨナラ勝ちあるいは延長タイブレークになってもチャンスが出てくる!
先頭打者を1球で仕留めて打順が下位に下がるのでシメシメと思ったが伝統校ゆえにここからが強かった。
7番・能美がライト前ヒットを放ち、8番・中島幹にボール先行と苦しくなりカウント1-2からエンドランを決められレフト前ヒットで1死1・2塁。山下監督の息子さんは惜しげもなく戸田投手に代打・東を送り、1ボールからの2球目痛恨のワイルドピッチで1死2・3塁と傷口を広げ、2-2と追い込みながらもライト前ヒットで2点失い最後の最後に突き放されてしまった・・・・・。それでも気持ちを最後まで切らさず、ショートライナー最後はセンターへ大飛球を喰らったがこれも打球が失速し首の皮一枚残して9回裏へ。
田辺の応援団もここまで優勝候補相手に互角の試合を展開し満足しつつもまだ行ける!という気持ちがそれを上回り必死の応援が続く。
https://www.youtube.com/watch?v=RwMguE_zFGg
その声に乗って先頭の4番・山本陣が3番手で登板した道本投手に対してセンターバックスクリーンをめがけて大飛球が放物線を描く・・・・・しかし、低反発バットの威力はすさまじくあと一伸びが足らずまさかのセンターフライ・・・。
それでも、5番・前田&6番・寺西の連続長短打であっという間に1死2・3塁と同点の好機を築きホームランが出れば逆転サヨナラというシーンを作り上げた。
7番・尾崎をそのまま打たせてまさかのツーランスクイズはあるのか???と興奮しながら手に汗握り3塁内野席で『田辺が大将!!』と連呼していたが、道本投手も2年生ながら経験豊富で2球で追い込み外角高めのボール球を振らせて3球三振。最後は8番・山根が2-1からファーストゴロに倒れ76年ぶりの田辺の春は初日第2試合で終焉を迎え、今年も和歌山県勢のセンバツ決勝戦の夢はもろくも早期に崩れ去った。。。
それでもスタンドからは温かい拍手が送られ、なんとか夏もう1回甲子園に帰ってきて欲しいという気持ちは強かった。
突き詰めれば、要所でエラーや暴投が失点に絡み、相手の分厚い投手陣から2点もぎ取り善戦したが、守り負けだったかなと。
ただ、21世紀枠は10年近く勝利から遠ざかっているが、もう少し落ちる相手だったら充分勝てていたであろうという可能性を感じさせ、この大応援団がセンバツ大会役員の琴線に触れて、閉会式で応援団の優秀賞を受賞したことは野球王国・和歌山の誇りとなった。
ここまで2試合5-3(9回終了2-2)・4-2 とやはり低反発バットの影響が大きく、昨年までだったらホームランになっていたであろう打球も失速してしまい、今後もロースコアの接戦や延長タイブレークが多発する予感がした。
そして、直後の第3試合に満を持して近江が登場。昨夏は大垣日大・阪口監督の老練な采配に屈してしまったが、今回は熊本国府相手だし、くじ運も良く8強以上は狙えると信じていたが、これがまさか多賀監督の甲子園最後の采配になるとは・・・それはまた次回の講釈で。
⚾今日の投手陣
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 死球 三振 暴投 失点 自責
星 稜 佐 宗 6 23 83 3 3 2 0 5 0 2 2
星 稜 戸 田 2 8 28 1 2 1 0 0 0 0 0
星 稜 道 本 1 5 14 2 0 0 0 0 0 0 0
田 辺 寺 西 9 39 139 8 1 2 1 5 2 4 2
(完)
🌟次回予告🌟
3/18 初日第3試合 近江(滋賀)-熊本国府(熊本)
☝夏93年ぶり“ベスト8”甲子園で起こった「大社旋風」記録と記憶に残る戦いからナインが得たものとは
https://news.yahoo.co.jp/articles/135ad743ff4d21d3877c845a85f31bd3320ad920
2024年の全国高校野球選手権「夏の甲子園」で巻き起こった「大社旋風」。島根・出雲市にある県立の大社高校が、次々に全国の強豪校を撃破し勝ち上がっていく姿が、全国の野球ファンの心をとらえた。そして夏の全国大会ベスト8進出が93年ぶりと、記録にも記憶にも残った“熱い夏”を改めて大社ナインが振り返り、それぞれが得たものを語ってくれた。
32年ぶりの舞台で“快神撃” 全国の強豪を次々撃破
夏の甲子園に、島根代表として32年ぶりに出場した大社は、1回戦で強豪・報徳学園(兵庫代表)と対戦。春の“センバツ”準優勝校を相手に劣勢が予想されたが、大会屈指の好投手の今朝丸を攻略し先制点を奪うと、エースの馬庭が1失点完投。夏の甲子園63年ぶりの勝利に沸いた。
2回戦では長崎代表の創成館に、8回まで2点のリードを許した展開からスクイズなどを絡めた小技で追いつくと、延長タイブレークの末に逆転勝利。夏の大会としては107年ぶりの2勝を挙げた。
そして3回戦、西東京代表の早稲田実業戦。1点リードを許して迎えた9回裏の土壇場に「スクイズ」で同点に追いつくと、延長タイブレーク11回裏に、この試合も1人で投げ抜いたエースの馬庭の一打で「サヨナラ勝ち」1931年の第17回大会以来となる93年ぶりのベスト8進出を決めた。準々決勝で鹿児島代表の神村学園に敗れたものの、最後まで粘り強く戦い抜いた大社ナインの姿が全国に元気を届け、多くの感動を呼んだ。
大社高校は、縁結びの神様で知られる「出雲大社」の近くにあり、その活躍ぶりは“神がかっている”とさえ言われ「快進撃」ならぬ「快神撃」と称された。
12月下旬…出雲市の大社高校。集まってもらったのは5人の3年生。参加メンバーは、石原勇翔さん(キャッチャー)、藤江龍之介さん(ショート)。下条心之介さん(レフト)、馬庭優太さん(ピッチャー)、園山純正さん(サード)だ。甲子園で巻き起こした「大社旋風」の原点となる場所で、「この夏に得たもの」を聞いた。
夏の甲子園の舞台で選手たちが得たものとは…
“トップバッター”は、キャプテンとしてチーム全体を引っ張るとともに、キャッチャーとして「堅守」を支えた石原勇翔さん。『執念』という文字を挙げた。「これはずっとチームのキーワードとして使ってきた言葉で、島根県大会から甲子園の最後の試合まで、全員が“執念”を持ってプレーできたことが、大会ベスト8という結果に繋がった」からだと、その理由を話した。
そして「一番執念を感じたプレー」は、3回戦の早稲田実業戦の9回のシーンで、「先頭バッターの馬庭が、相手のエラーもあったが2塁まで進んで、塁上でガッツポーズをした所」だとし、「(その時に)1点負けていたんですけど、自分たちの流れに持ってこれた。あの9回はチームとして『執念』を感じた場面だった」と鮮明に残る記憶を語った。
馬庭さんは、早稲田戦までの3試合を全て1人で投げ抜いており、魂を込めた投球で幾度もピンチを切り抜けた中での最終回の攻撃だっただけに、あの場面では「気迫がこもっていた」と振り返る。「自分が9回まで投げさせてもらって、そこから自分が先頭バッターに立ち、絶対にチームを負けさせる訳にいかないと思っていたので、自然に出たガッツポーズでした。最高でした」と、その後のサヨナラヒットにもつながる『執念』のプレーを振り返った。
副キャプテンで、大会ではチーム最多タイとなる5安打を記録したショートの藤江龍之介さん。『希望』という字であの舞台を振り返った。
「甲子園の出場校の中で、多くは私立の高校で、地元出身の生徒だけでメンバーが揃う高校はなかなかないですけど、自分たちはほぼ地元のメンバーで『ベスト8』まで行けたので、これから島根県や地元・出雲市の子どもたちに“希望”を与えられた」と語る。
それを象徴したのが、ベスト8で甲子園を去り地元の大社高校に帰って来た時のシーンだ。
「バスで着いた時に、地元の方が多く駆け付けて下さって、その時に『感動をありがとう』という言葉を何人にも言われたので、自分たちが地域の方々に恩返しできたと思う」と話し、メンバー全員が成し遂げたことの大きさも実感したという。
副キャプテンでクリーンナップの一角を担ったレフトの下条心之介さん。初戦の報徳学園戦の初回にタイムリーヒットを打ち、チームを勢いに乗せた。その下条さんは『絆』という文字を挙げた。その理由は「普段の練習や試合、そして甲子園を通して本当に『絆』が深まった。その絆が深まったからこそベスト8という結果があった」と話す。
快進撃が続くとともに、チーム同士はもちろん、野球部を支えようと多くの支援の輪も広がっていた。大会屈指とも呼ばれた「アルプススタンド」の一体感のある応援団も同様で、それらすべての『絆』が快挙を呼び込んだと言える。
自ら招いたピンチを気迫の投球で切り抜ける 大会を勝ち抜く「勇気」に
大会4試合で492球の熱投…躍進の原動力となったエースの馬庭優太さんが、選んだ言葉は『勇気』だった。「甲子園でプレーできたからこそ、一歩前に出る『勇気』がメンバーみんなから出た」と話す。
特に2回戦の長崎・創成館戦の延長タイブレークで、自身のエラーにより満塁のピンチを迎えた場面を振り返った。そこから「絶対に抑える」と気合いを入れ直し、スタンドからの大声援にも押されてピンチをしのぎ、「自分の仕事をやり切った部分で一歩前に『勇気』が出た」と話し、満塁のピンチでも全員が自信を持ってプレーすることができた大会のターニングポイントだったと語る。
チーム随一の“スクイズ職人”と呼ばれ、チーム最多の5犠打を成功させたサードの園山純正さん。園山さんが選んだ言葉は『自信』。「甲子園で4試合させてもらい、一つ一つのプレーに『自信』をもってプレーできたことが良かった」ことがその理由だ。大舞台で培った自身の変化が、甲子園から帰った後の行動にも表れたという。「体育祭で『色長(リーダー)』を務めたことで、リーダーとして自分が前に出て何かをするということは、『自信』があったからできたと思う。本当に良い経験になった」と話す。
ちなみに、2回戦の長崎・創成館戦で決めた同点スクイズについては、「本当のことを言うと、決まると思っていなくて一か八かでした。(決まって)自分が一番びっくりしました」と振り返る。ただ大舞台での成功が、一人の選手の成長を大きく後押ししたことは確かだ。
“大社旋風”で得られた大きな財産 石飛監督「新チームで新た旋風を」
そして彼らを鼓舞しながらチームをベスト8に導き、これまで成長を見守り続けた石飛文太監督。指導者として得たものは非常に大きかったとし、「(甲子園の舞台を経て誕生したのは)無限大の夢です。彼らが示してくれた可能性は無限大でした」と話す。
選手たちが大舞台を経験することで成長していく姿を見つめることができた「甲子園」に改めて感謝。そして「ただ僕は、また新たに1、2年生と野球がしたい。また新たな物語が生まれると良いと思っている」と語り、2025年の夏の甲子園へ挑む気持ちを新たにしている。「大社旋風」第二章に期待が膨らむ。
📝元巨人ドラフト1位、39歳で高校教師、監督9年目で甲子園出場 東海大相模・原俊介監督が振り返る波乱の野球人生
https://news.yahoo.co.jp/articles/e78e5d7434fa23472fc8d99e2da918ed7a839b8a?page=1
東海大相模・原俊介監督インタビュー(前編)
2024年夏、5年ぶりに甲子園出場を果たした神奈川代表の東海大相模。チームを率いたのは、同校OBでかつて巨人にドラフト1位された原俊介監督だ。39歳で高校教師となり、高校野球の監督となって9年目に悲願の甲子園出場を達成した原監督に、これまでの道のりについて振り返ってもらった。
【教員免許を取得したわけ】
── プロ野球引退後、なぜ教員免許を取得されたのですか。
原 プロ野球生活11年、それまでおもに体を使ってきましたが、ある時「頭には限界がないから、勉強してみたら?」と人に勧められ、大学に進学しようと思いました。
── 当時は厳格な「学生野球資格回復制度」により、教員にならないと高校野球を教えられませんでした。原先生の場合、最初に部活動指導ありきの教員免許取得ではなかったのですね?
原 大学(早稲田大学人間科学部の通信教育課程)に進学したもうひとつの動機は、トレーニング資格(ストレングスコーチ)を取得するための条件として、"学士"の学位が必要だったのです。当時は、プロ野球経験者がトレーナーという形で活躍する事例はあまりありませんでした。
── 大学での卒論のテーマは、「キャッチボールの実態調査」でしたね。
原 野球の基本であるキャッチボールというものを、人間科学という側面から研究をしたかったのです。それに伴って教員資格も取得しておけば学校で教科を教えられるし、部活動も指導できるということです。
── 教員免許は何をお持ちなのですか?
原 情報と保健体育の免許を取得しました。
── かつて「元プロの高校野球指導」に必要だった「教員生活10年」が2年まで短縮されましたが、「苦労して教員免許を取得した」のは、1984年から2013年までの約30年間でわずか45人。うちドラフト1位は7人(長崎慶一、大越基、石川賢、杉本友、染田賢作、喜多隆志、原俊介)ですが、タイトル獲得は首位打者の長崎さんと、最高勝率の石川さんだけです。
原 とにかくセカンドキャリアは、プロに代わる「生きがい」や「やりがい」を持ちたかったので、現実的に自分がやってきたことを生かしながらできるのはなんだろうと考えました。野球人であるなかで、高校野球というのは特別なステージです。それが最終的に教員にたどり着いている要因だと思います。
【学校生活が野球のプレーに反映される】
── 2016年から2021年までの東海大静岡翔洋高時代、特に2021年は決勝で静岡高に惜敗。その後、2021年秋に東海大相模高の監督に就任。そして2024年夏に自身9年目の夏に甲子園に出場し、ベスト8に進出しました。
原 29歳までプロ野球の世界に身を置き、その後、10年間は別のことをやって、39歳で教員になりました。静岡翔洋時代は、野球部の監督はもとより、高校生に教えること自体が初めてだったので、試行錯誤の連続でした。
── 39歳にして、教壇という名の"打席"に立ったのですね。
原 静岡翔洋の校長先生に「野球部が強い、弱いではなく、文武両道の学校生活をしっかり送れるよう、生活面から指導してほしい」と、最初にお話をいただきました。だから3年ぐらいは、野球のことよりも生活面のことを言うほうが多かったですね。
── 原先生は「学校生活を頑張れる生徒は、部活動も頑張れる」と、かねてから言っていました。
原 学業、時間厳守、協調性。たとえばスリッパを脱ぐ時、自分のものだけでなく他人のものも揃える生徒がいます。逆に自分勝手な子は、周りが見えていないというか見ようとしていない。そうしたふだんの生活態度や行ないというのは、野球のプレーにも出てしまうんです。だから野球だけを教えるのではなく、人間教育あってこその指導なんだと思っています。
【伝統校を率いるプレッシャー】
── 今夏の神奈川大会決勝の横浜高戦、木村海達主将に「ジャンケンに勝って、後攻をとってくれ」と言ったのは、投手の立ち上がりを含めた守りに自信あったという理解でよろしいでしょうか。
原 野球というスポーツは「先手必勝」で、先攻で得点できれば優位に試合を進めることができますが、無得点に抑えられると厳しくなる。それに同点や1点差、2点差リードくらいだと、9回裏の守りがかなりきつくなる。特に高校野球のような一発勝負は、投手がメンタル的に崩れることも多くなってくるので、監督としては後攻のほうが好きなんです。
── 今夏の横浜との決勝戦ですが、0対2から2対2になって、2対4と再び勝ち越されましたが、8回裏に三浦誠登選手の同点打と、中村龍之介選手の勝ち越し2点タイムリーで6対4とリードしました。直後の9回表、二死一、二塁と本塁打が出れば逆転の場面。壮絶な決勝戦、どのような心境でしたか。
原 2024年春季大会以降、プレーボールからゲームセットまで「集中力」をテーマにやってきました。とにかく、「感情の起伏をあまり激しくしないように」と指示しました。メンタルの世界では、"ピークパフォーマンス"と呼ばれるベストな状態は、興奮と抑制のちょうど真ん中にあります。
── 野球はメンタルスポーツでもありますね。
原 この夏、準決勝の向上戦(8回裏に逆転)と決勝の横浜戦で、終盤の集中力で逆転することができました。高校野球は負ける寸前に焦りの空気感が流れて、「行け!」と叫び出す。そうではなく、「(集中しながら落ち着いて)逆転しないといけないんだぞ」と。だからウチは、そういったハイパフォーマンスはなかったと思います。
── 9回表のピンチの場面では、すでに降板していたエースの藤田琉生投手(日ハム2位指名)が伝令でマウンドに行きました。
原 「落ち着いていけ」と言ってもちょっと無理だと思ったので、「まずアウトを取るぞ!」と。じつはあの時、藤田が「僕が伝令に行ってきていいですか」と言ってきたんです。自分の思いを伝えたかったのでしょうね。
── 最後はショートゴロに打ちとり、5年ぶり夏の甲子園出場を決めました。「男泣き」の優勝監督インタビューは感動的でした。原先生は「強い相模をつくらなきゃいけないと。やっと、生徒の頑張りによって達成できました」と、"生徒"を連呼していました。
原 学校生活、人間教育の一環として野球部を捉えている部分もあるので、そういう言葉が自然と出たのでしょう。相模高に来た時、「原監督と呼ぶのではなく、先生と呼びなさい」と伝えました。私は教員なので、先生と生徒という立場でいるつもりです。
── いまさらながらですが、東海大相模という伝統の重み、そして"元プロ"というプレッシャーはあったと思います。
原 もちろんありますが、それを公言したところでどうにもなりません。結果がすべてなので、勝たないと。「自分がコントロールできないことを気にしてもしょうがないよ」と、野呂雅之先生(桐光学園監督)の助言に救われたこともありました。
── 原先生のインタビューの間、ダグアウトで選手同士が涙の抱擁。そして胴上げは8度でした。どんな気持ちでしたか。
原 宙に舞っている瞬間は、ふわふわした気持ちでしたね。ただ、甲子園に行かせてあげられなかった生徒たちも、静岡翔洋時代から合わせて8世代いるわけで......その子たちがいてくれたからこそ、毎年ブラッシュアップすることができ、この夏の甲子園があったと思っています。これまで関わった生徒すべてに感謝しています。
つづく>>
📝東海大相模・原俊介監督が語る指導論 「プロの技術を高校生に伝えるのは難しい」
https://www.excite.co.jp/news/article/WebSportiva_105976/
東海大相模・原俊介監督インタビュー(後編)
原俊介監督率いる東海大相模は2024年夏、神奈川を制し甲子園出場を果たした。「巨人ドラフト1位」という輝かしい球歴を誇る原監督だが、指導者として甲子園の地に足を踏み入れたのは今回が初めてだった。そんな原監督に高校生を教える難しさ、やりがいについて語ってもらった。
【原監督が達成した史上初の快挙とは?】
── 甲子園初戦(2回戦)は富山商に4対0で勝利。198センチ左腕・藤田琉生投手(日ハム2位指名)が7回13奪三振。8番・柴田元気選手の8回中押しソロ本塁打は、開幕19試合目の大会第1号でした。
原 ウチも相手も、みんな初戦の緊張で固まっていました。いくら東海大相模が甲子園で優勝経験のある伝統校と言っても、今夏のメンバーはみんな甲子園初体験ですからね。グラウンドに入るまでの過ごし方、入ってからのリズムなど新鮮でした。
── 原先生は選手としても甲子園に出場されていますが、見えた景色は違いましたか。
原 私が甲子園に出た高校3年春のセンバツは、"阪神・淡路大震災"が起きた年(1995年)で、街はあちこちにブルーシートがかかっていました。試合は1回戦で県岐阜商に勝ち、2回戦でその大会で優勝する香川の観音寺中央高に敗れました。球場自体は同じ甲子園ですから、景色は同じでした(笑)。ただこの夏、生徒たちと一緒に戦って、校歌を聞いた時は感無量でした。
── この夏の1勝は、ドラフト1位の教員として、初の甲子園勝利でした。
かつてプロにドラフト1位で指名され、早鞆高の監督を務めた大越基さんは甲子園に出場しましたが勝っておらず、全国制覇した智辯和歌山の中谷仁さんは教員免許を取得していません。
原 それは初耳でした。なんでも"初"というのはうれしいですね。ただ何度も言いますが、これは自分だけの力でできることではありません。これまで多くの人との関わりがあって、今につながっている。そこは感謝しかありません。
── 3回戦は、同じく甲子園で優勝経験のある広陵(広島)に8対1と勝利。2年生の3番・中村龍之介選手が4安打4打点の大活躍でした。
原 初戦で熊本工相手に1失点完投、9奪三振の高尾響投手が2番手で投げたのですが、2イニングで5点取れましたからね。中軸がしっかり打ち、いい試合展開のまま進めることができました。
── ベスト8に進出しましたが、準々決勝で関東一高に1対2の惜敗。7回に相手4番の高橋徹平選手に先制のソロ本塁打を浴びました。打線も、先発左腕の畠中鉄心投手、本格派右腕の坂井遼投手(ロッテ4位指名)のリレーの前に1得点。
原 藤田が頑張って投げてくれたのですが、チェンジアップを本塁打されました。畠中投手はコントロールがよくて、簡単に打たせてくれませんでした。
── 現実的に真紅の大旗も見えたと思うのですが。
原 確かに上の景色は見えました。ただ富士山にしても、車で登れる5合目に行くと頂上は見えますが、そこからが大変というか......。さらに上を目指すには、まだまだやらなければいけないことがある。上のレベルになればなるほど、なかなか点は入りません。その時にただ打って点を取るのではなく、いろんなアプローチをして風穴を開けていかなければいけないことを実感しました。
【プロの技術を伝えるのは難しい】
── 新チームとなった秋の関東大会は、山梨学院に延長10回タイブレークの末にサヨナラ負け。その大会を制し、神宮大会でも優勝したのが、ライバルである横浜高でした。
原 夏の甲子園での課題を紐解きながらやったつもりだったんですけどね。横浜高が関東大会を制し、神宮大会も勝って日本一を達成しました。
生徒たちには「来夏に向けて、君たちが日本一を獲りにいくつもりじゃないと、どんどん離される一方だよ」という話はしました。
── 原先生は、巨人で11年間プレー。高校生を指導するうえで、プロでの経験が役立っていると思いますが、具体的にはどんなところですか?
原 プロのテクニックというのは、高校生には難しいです。プロの技術と言っても、そのとおりに体が動かないし、感覚もない。プロ野球選手の皆さんは試行錯誤を繰り返して、初めてその感覚に行き着いているわけですから。それなりのことは言いますが、言ってもなかなかできないのが現実です。
── コツやノウハウは教えられるのでは?
原 主観的で言語化することができない知識のことを「暗黙知(あんもくち)」と呼びます。いわゆるコツや勘、ノウハウです。経験的知識とも言い換えられ、これは他者に伝播されないと言われています。だから技術であれば、望ましい結果になるように導いてあげるという感覚のほうが近いですかね。
── 実際に経験させないと、技術は身につかないということですね。
原 ただ、これがまた面白いことに、試合中にテクニックのことを考えると体が動かなくなるんですよ。だから自主トレや基本練習の時に、意識的にテクニックを追究するのです。
── 練習の時に、技術をしっかり教え込んでいくと。
原 練習でも、実戦形式の練習とそうじゃない練習があります。たとえば走者をつけてやるノックは、捕り方、投げ方うんぬんではなく、どういうふうに相手をアウトにするかがメインです。うまくやることが目的ではなく、相手を封じることが最優先です。逆に走者からすれば、いかに次の塁を目指して、ホームに生還するか。だから、守備側と走者側がもっと戦い合いなさいと、いつも言っています。その後に生徒たちだけで集めて話をさせるのは、自分たち発信で考えさせるためです。そうしないと、試合を運営できませんから。
── 逆に試合の時は、どういうことを意識させるのですか。
原 いざ試合になれば、どう相手に立ち向かうか。テクニックのことなどは、もう二の次です。
どれだけ無意識レベルで体が動くかどうかです。
【原俊介監督が目指す野球とは?】
── 最後に「原俊介流」の野球とは?
原 「つながる野球」です。チームとして機能する野球ですね。単純な話、外野手が守備位置を後ろにして守っていれば、打たれる打球が深い外野フライでもいいわけです。これが外野手の前に落とされたり、内野手の間を抜かれたりする打球を打たれたりすると"機能的"ではなくなってしまいます。ということは、投手が野手の守備陣形を把握して投げれば、より機能的になってきます。つまり、投手が「いい球を投げたい」「速い球を投げたい」ということに固執すると、結果的に周りが見えなくなり、チームとして機能しなくなるわけです。
── そういう意味で"つながる"というわけなのですね。
原 投手が投げることと打つことも守ることも、すべてつながっているわけです。そこにチームメイトとのつながり、応援してくれる人とのつながりもある。いろんな部分を自分たちのエネルギーとしながら、かつグラウンドではひとつのボールでつながりを持っていこうと。そういう野球を目指しています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/135ad743ff4d21d3877c845a85f31bd3320ad920
2024年の全国高校野球選手権「夏の甲子園」で巻き起こった「大社旋風」。島根・出雲市にある県立の大社高校が、次々に全国の強豪校を撃破し勝ち上がっていく姿が、全国の野球ファンの心をとらえた。そして夏の全国大会ベスト8進出が93年ぶりと、記録にも記憶にも残った“熱い夏”を改めて大社ナインが振り返り、それぞれが得たものを語ってくれた。
32年ぶりの舞台で“快神撃” 全国の強豪を次々撃破
夏の甲子園に、島根代表として32年ぶりに出場した大社は、1回戦で強豪・報徳学園(兵庫代表)と対戦。春の“センバツ”準優勝校を相手に劣勢が予想されたが、大会屈指の好投手の今朝丸を攻略し先制点を奪うと、エースの馬庭が1失点完投。夏の甲子園63年ぶりの勝利に沸いた。
2回戦では長崎代表の創成館に、8回まで2点のリードを許した展開からスクイズなどを絡めた小技で追いつくと、延長タイブレークの末に逆転勝利。夏の大会としては107年ぶりの2勝を挙げた。
そして3回戦、西東京代表の早稲田実業戦。1点リードを許して迎えた9回裏の土壇場に「スクイズ」で同点に追いつくと、延長タイブレーク11回裏に、この試合も1人で投げ抜いたエースの馬庭の一打で「サヨナラ勝ち」1931年の第17回大会以来となる93年ぶりのベスト8進出を決めた。準々決勝で鹿児島代表の神村学園に敗れたものの、最後まで粘り強く戦い抜いた大社ナインの姿が全国に元気を届け、多くの感動を呼んだ。
大社高校は、縁結びの神様で知られる「出雲大社」の近くにあり、その活躍ぶりは“神がかっている”とさえ言われ「快進撃」ならぬ「快神撃」と称された。
12月下旬…出雲市の大社高校。集まってもらったのは5人の3年生。参加メンバーは、石原勇翔さん(キャッチャー)、藤江龍之介さん(ショート)。下条心之介さん(レフト)、馬庭優太さん(ピッチャー)、園山純正さん(サード)だ。甲子園で巻き起こした「大社旋風」の原点となる場所で、「この夏に得たもの」を聞いた。
夏の甲子園の舞台で選手たちが得たものとは…
“トップバッター”は、キャプテンとしてチーム全体を引っ張るとともに、キャッチャーとして「堅守」を支えた石原勇翔さん。『執念』という文字を挙げた。「これはずっとチームのキーワードとして使ってきた言葉で、島根県大会から甲子園の最後の試合まで、全員が“執念”を持ってプレーできたことが、大会ベスト8という結果に繋がった」からだと、その理由を話した。
そして「一番執念を感じたプレー」は、3回戦の早稲田実業戦の9回のシーンで、「先頭バッターの馬庭が、相手のエラーもあったが2塁まで進んで、塁上でガッツポーズをした所」だとし、「(その時に)1点負けていたんですけど、自分たちの流れに持ってこれた。あの9回はチームとして『執念』を感じた場面だった」と鮮明に残る記憶を語った。
馬庭さんは、早稲田戦までの3試合を全て1人で投げ抜いており、魂を込めた投球で幾度もピンチを切り抜けた中での最終回の攻撃だっただけに、あの場面では「気迫がこもっていた」と振り返る。「自分が9回まで投げさせてもらって、そこから自分が先頭バッターに立ち、絶対にチームを負けさせる訳にいかないと思っていたので、自然に出たガッツポーズでした。最高でした」と、その後のサヨナラヒットにもつながる『執念』のプレーを振り返った。
副キャプテンで、大会ではチーム最多タイとなる5安打を記録したショートの藤江龍之介さん。『希望』という字であの舞台を振り返った。
「甲子園の出場校の中で、多くは私立の高校で、地元出身の生徒だけでメンバーが揃う高校はなかなかないですけど、自分たちはほぼ地元のメンバーで『ベスト8』まで行けたので、これから島根県や地元・出雲市の子どもたちに“希望”を与えられた」と語る。
それを象徴したのが、ベスト8で甲子園を去り地元の大社高校に帰って来た時のシーンだ。
「バスで着いた時に、地元の方が多く駆け付けて下さって、その時に『感動をありがとう』という言葉を何人にも言われたので、自分たちが地域の方々に恩返しできたと思う」と話し、メンバー全員が成し遂げたことの大きさも実感したという。
副キャプテンでクリーンナップの一角を担ったレフトの下条心之介さん。初戦の報徳学園戦の初回にタイムリーヒットを打ち、チームを勢いに乗せた。その下条さんは『絆』という文字を挙げた。その理由は「普段の練習や試合、そして甲子園を通して本当に『絆』が深まった。その絆が深まったからこそベスト8という結果があった」と話す。
快進撃が続くとともに、チーム同士はもちろん、野球部を支えようと多くの支援の輪も広がっていた。大会屈指とも呼ばれた「アルプススタンド」の一体感のある応援団も同様で、それらすべての『絆』が快挙を呼び込んだと言える。
自ら招いたピンチを気迫の投球で切り抜ける 大会を勝ち抜く「勇気」に
大会4試合で492球の熱投…躍進の原動力となったエースの馬庭優太さんが、選んだ言葉は『勇気』だった。「甲子園でプレーできたからこそ、一歩前に出る『勇気』がメンバーみんなから出た」と話す。
特に2回戦の長崎・創成館戦の延長タイブレークで、自身のエラーにより満塁のピンチを迎えた場面を振り返った。そこから「絶対に抑える」と気合いを入れ直し、スタンドからの大声援にも押されてピンチをしのぎ、「自分の仕事をやり切った部分で一歩前に『勇気』が出た」と話し、満塁のピンチでも全員が自信を持ってプレーすることができた大会のターニングポイントだったと語る。
チーム随一の“スクイズ職人”と呼ばれ、チーム最多の5犠打を成功させたサードの園山純正さん。園山さんが選んだ言葉は『自信』。「甲子園で4試合させてもらい、一つ一つのプレーに『自信』をもってプレーできたことが良かった」ことがその理由だ。大舞台で培った自身の変化が、甲子園から帰った後の行動にも表れたという。「体育祭で『色長(リーダー)』を務めたことで、リーダーとして自分が前に出て何かをするということは、『自信』があったからできたと思う。本当に良い経験になった」と話す。
ちなみに、2回戦の長崎・創成館戦で決めた同点スクイズについては、「本当のことを言うと、決まると思っていなくて一か八かでした。(決まって)自分が一番びっくりしました」と振り返る。ただ大舞台での成功が、一人の選手の成長を大きく後押ししたことは確かだ。
“大社旋風”で得られた大きな財産 石飛監督「新チームで新た旋風を」
そして彼らを鼓舞しながらチームをベスト8に導き、これまで成長を見守り続けた石飛文太監督。指導者として得たものは非常に大きかったとし、「(甲子園の舞台を経て誕生したのは)無限大の夢です。彼らが示してくれた可能性は無限大でした」と話す。
選手たちが大舞台を経験することで成長していく姿を見つめることができた「甲子園」に改めて感謝。そして「ただ僕は、また新たに1、2年生と野球がしたい。また新たな物語が生まれると良いと思っている」と語り、2025年の夏の甲子園へ挑む気持ちを新たにしている。「大社旋風」第二章に期待が膨らむ。
📝元巨人ドラフト1位、39歳で高校教師、監督9年目で甲子園出場 東海大相模・原俊介監督が振り返る波乱の野球人生
https://news.yahoo.co.jp/articles/e78e5d7434fa23472fc8d99e2da918ed7a839b8a?page=1
東海大相模・原俊介監督インタビュー(前編)
2024年夏、5年ぶりに甲子園出場を果たした神奈川代表の東海大相模。チームを率いたのは、同校OBでかつて巨人にドラフト1位された原俊介監督だ。39歳で高校教師となり、高校野球の監督となって9年目に悲願の甲子園出場を達成した原監督に、これまでの道のりについて振り返ってもらった。
【教員免許を取得したわけ】
── プロ野球引退後、なぜ教員免許を取得されたのですか。
原 プロ野球生活11年、それまでおもに体を使ってきましたが、ある時「頭には限界がないから、勉強してみたら?」と人に勧められ、大学に進学しようと思いました。
── 当時は厳格な「学生野球資格回復制度」により、教員にならないと高校野球を教えられませんでした。原先生の場合、最初に部活動指導ありきの教員免許取得ではなかったのですね?
原 大学(早稲田大学人間科学部の通信教育課程)に進学したもうひとつの動機は、トレーニング資格(ストレングスコーチ)を取得するための条件として、"学士"の学位が必要だったのです。当時は、プロ野球経験者がトレーナーという形で活躍する事例はあまりありませんでした。
── 大学での卒論のテーマは、「キャッチボールの実態調査」でしたね。
原 野球の基本であるキャッチボールというものを、人間科学という側面から研究をしたかったのです。それに伴って教員資格も取得しておけば学校で教科を教えられるし、部活動も指導できるということです。
── 教員免許は何をお持ちなのですか?
原 情報と保健体育の免許を取得しました。
── かつて「元プロの高校野球指導」に必要だった「教員生活10年」が2年まで短縮されましたが、「苦労して教員免許を取得した」のは、1984年から2013年までの約30年間でわずか45人。うちドラフト1位は7人(長崎慶一、大越基、石川賢、杉本友、染田賢作、喜多隆志、原俊介)ですが、タイトル獲得は首位打者の長崎さんと、最高勝率の石川さんだけです。
原 とにかくセカンドキャリアは、プロに代わる「生きがい」や「やりがい」を持ちたかったので、現実的に自分がやってきたことを生かしながらできるのはなんだろうと考えました。野球人であるなかで、高校野球というのは特別なステージです。それが最終的に教員にたどり着いている要因だと思います。
【学校生活が野球のプレーに反映される】
── 2016年から2021年までの東海大静岡翔洋高時代、特に2021年は決勝で静岡高に惜敗。その後、2021年秋に東海大相模高の監督に就任。そして2024年夏に自身9年目の夏に甲子園に出場し、ベスト8に進出しました。
原 29歳までプロ野球の世界に身を置き、その後、10年間は別のことをやって、39歳で教員になりました。静岡翔洋時代は、野球部の監督はもとより、高校生に教えること自体が初めてだったので、試行錯誤の連続でした。
── 39歳にして、教壇という名の"打席"に立ったのですね。
原 静岡翔洋の校長先生に「野球部が強い、弱いではなく、文武両道の学校生活をしっかり送れるよう、生活面から指導してほしい」と、最初にお話をいただきました。だから3年ぐらいは、野球のことよりも生活面のことを言うほうが多かったですね。
── 原先生は「学校生活を頑張れる生徒は、部活動も頑張れる」と、かねてから言っていました。
原 学業、時間厳守、協調性。たとえばスリッパを脱ぐ時、自分のものだけでなく他人のものも揃える生徒がいます。逆に自分勝手な子は、周りが見えていないというか見ようとしていない。そうしたふだんの生活態度や行ないというのは、野球のプレーにも出てしまうんです。だから野球だけを教えるのではなく、人間教育あってこその指導なんだと思っています。
【伝統校を率いるプレッシャー】
── 今夏の神奈川大会決勝の横浜高戦、木村海達主将に「ジャンケンに勝って、後攻をとってくれ」と言ったのは、投手の立ち上がりを含めた守りに自信あったという理解でよろしいでしょうか。
原 野球というスポーツは「先手必勝」で、先攻で得点できれば優位に試合を進めることができますが、無得点に抑えられると厳しくなる。それに同点や1点差、2点差リードくらいだと、9回裏の守りがかなりきつくなる。特に高校野球のような一発勝負は、投手がメンタル的に崩れることも多くなってくるので、監督としては後攻のほうが好きなんです。
── 今夏の横浜との決勝戦ですが、0対2から2対2になって、2対4と再び勝ち越されましたが、8回裏に三浦誠登選手の同点打と、中村龍之介選手の勝ち越し2点タイムリーで6対4とリードしました。直後の9回表、二死一、二塁と本塁打が出れば逆転の場面。壮絶な決勝戦、どのような心境でしたか。
原 2024年春季大会以降、プレーボールからゲームセットまで「集中力」をテーマにやってきました。とにかく、「感情の起伏をあまり激しくしないように」と指示しました。メンタルの世界では、"ピークパフォーマンス"と呼ばれるベストな状態は、興奮と抑制のちょうど真ん中にあります。
── 野球はメンタルスポーツでもありますね。
原 この夏、準決勝の向上戦(8回裏に逆転)と決勝の横浜戦で、終盤の集中力で逆転することができました。高校野球は負ける寸前に焦りの空気感が流れて、「行け!」と叫び出す。そうではなく、「(集中しながら落ち着いて)逆転しないといけないんだぞ」と。だからウチは、そういったハイパフォーマンスはなかったと思います。
── 9回表のピンチの場面では、すでに降板していたエースの藤田琉生投手(日ハム2位指名)が伝令でマウンドに行きました。
原 「落ち着いていけ」と言ってもちょっと無理だと思ったので、「まずアウトを取るぞ!」と。じつはあの時、藤田が「僕が伝令に行ってきていいですか」と言ってきたんです。自分の思いを伝えたかったのでしょうね。
── 最後はショートゴロに打ちとり、5年ぶり夏の甲子園出場を決めました。「男泣き」の優勝監督インタビューは感動的でした。原先生は「強い相模をつくらなきゃいけないと。やっと、生徒の頑張りによって達成できました」と、"生徒"を連呼していました。
原 学校生活、人間教育の一環として野球部を捉えている部分もあるので、そういう言葉が自然と出たのでしょう。相模高に来た時、「原監督と呼ぶのではなく、先生と呼びなさい」と伝えました。私は教員なので、先生と生徒という立場でいるつもりです。
── いまさらながらですが、東海大相模という伝統の重み、そして"元プロ"というプレッシャーはあったと思います。
原 もちろんありますが、それを公言したところでどうにもなりません。結果がすべてなので、勝たないと。「自分がコントロールできないことを気にしてもしょうがないよ」と、野呂雅之先生(桐光学園監督)の助言に救われたこともありました。
── 原先生のインタビューの間、ダグアウトで選手同士が涙の抱擁。そして胴上げは8度でした。どんな気持ちでしたか。
原 宙に舞っている瞬間は、ふわふわした気持ちでしたね。ただ、甲子園に行かせてあげられなかった生徒たちも、静岡翔洋時代から合わせて8世代いるわけで......その子たちがいてくれたからこそ、毎年ブラッシュアップすることができ、この夏の甲子園があったと思っています。これまで関わった生徒すべてに感謝しています。
つづく>>
📝東海大相模・原俊介監督が語る指導論 「プロの技術を高校生に伝えるのは難しい」
https://www.excite.co.jp/news/article/WebSportiva_105976/
東海大相模・原俊介監督インタビュー(後編)
原俊介監督率いる東海大相模は2024年夏、神奈川を制し甲子園出場を果たした。「巨人ドラフト1位」という輝かしい球歴を誇る原監督だが、指導者として甲子園の地に足を踏み入れたのは今回が初めてだった。そんな原監督に高校生を教える難しさ、やりがいについて語ってもらった。
【原監督が達成した史上初の快挙とは?】
── 甲子園初戦(2回戦)は富山商に4対0で勝利。198センチ左腕・藤田琉生投手(日ハム2位指名)が7回13奪三振。8番・柴田元気選手の8回中押しソロ本塁打は、開幕19試合目の大会第1号でした。
原 ウチも相手も、みんな初戦の緊張で固まっていました。いくら東海大相模が甲子園で優勝経験のある伝統校と言っても、今夏のメンバーはみんな甲子園初体験ですからね。グラウンドに入るまでの過ごし方、入ってからのリズムなど新鮮でした。
── 原先生は選手としても甲子園に出場されていますが、見えた景色は違いましたか。
原 私が甲子園に出た高校3年春のセンバツは、"阪神・淡路大震災"が起きた年(1995年)で、街はあちこちにブルーシートがかかっていました。試合は1回戦で県岐阜商に勝ち、2回戦でその大会で優勝する香川の観音寺中央高に敗れました。球場自体は同じ甲子園ですから、景色は同じでした(笑)。ただこの夏、生徒たちと一緒に戦って、校歌を聞いた時は感無量でした。
── この夏の1勝は、ドラフト1位の教員として、初の甲子園勝利でした。
かつてプロにドラフト1位で指名され、早鞆高の監督を務めた大越基さんは甲子園に出場しましたが勝っておらず、全国制覇した智辯和歌山の中谷仁さんは教員免許を取得していません。
原 それは初耳でした。なんでも"初"というのはうれしいですね。ただ何度も言いますが、これは自分だけの力でできることではありません。これまで多くの人との関わりがあって、今につながっている。そこは感謝しかありません。
── 3回戦は、同じく甲子園で優勝経験のある広陵(広島)に8対1と勝利。2年生の3番・中村龍之介選手が4安打4打点の大活躍でした。
原 初戦で熊本工相手に1失点完投、9奪三振の高尾響投手が2番手で投げたのですが、2イニングで5点取れましたからね。中軸がしっかり打ち、いい試合展開のまま進めることができました。
── ベスト8に進出しましたが、準々決勝で関東一高に1対2の惜敗。7回に相手4番の高橋徹平選手に先制のソロ本塁打を浴びました。打線も、先発左腕の畠中鉄心投手、本格派右腕の坂井遼投手(ロッテ4位指名)のリレーの前に1得点。
原 藤田が頑張って投げてくれたのですが、チェンジアップを本塁打されました。畠中投手はコントロールがよくて、簡単に打たせてくれませんでした。
── 現実的に真紅の大旗も見えたと思うのですが。
原 確かに上の景色は見えました。ただ富士山にしても、車で登れる5合目に行くと頂上は見えますが、そこからが大変というか......。さらに上を目指すには、まだまだやらなければいけないことがある。上のレベルになればなるほど、なかなか点は入りません。その時にただ打って点を取るのではなく、いろんなアプローチをして風穴を開けていかなければいけないことを実感しました。
【プロの技術を伝えるのは難しい】
── 新チームとなった秋の関東大会は、山梨学院に延長10回タイブレークの末にサヨナラ負け。その大会を制し、神宮大会でも優勝したのが、ライバルである横浜高でした。
原 夏の甲子園での課題を紐解きながらやったつもりだったんですけどね。横浜高が関東大会を制し、神宮大会も勝って日本一を達成しました。
生徒たちには「来夏に向けて、君たちが日本一を獲りにいくつもりじゃないと、どんどん離される一方だよ」という話はしました。
── 原先生は、巨人で11年間プレー。高校生を指導するうえで、プロでの経験が役立っていると思いますが、具体的にはどんなところですか?
原 プロのテクニックというのは、高校生には難しいです。プロの技術と言っても、そのとおりに体が動かないし、感覚もない。プロ野球選手の皆さんは試行錯誤を繰り返して、初めてその感覚に行き着いているわけですから。それなりのことは言いますが、言ってもなかなかできないのが現実です。
── コツやノウハウは教えられるのでは?
原 主観的で言語化することができない知識のことを「暗黙知(あんもくち)」と呼びます。いわゆるコツや勘、ノウハウです。経験的知識とも言い換えられ、これは他者に伝播されないと言われています。だから技術であれば、望ましい結果になるように導いてあげるという感覚のほうが近いですかね。
── 実際に経験させないと、技術は身につかないということですね。
原 ただ、これがまた面白いことに、試合中にテクニックのことを考えると体が動かなくなるんですよ。だから自主トレや基本練習の時に、意識的にテクニックを追究するのです。
── 練習の時に、技術をしっかり教え込んでいくと。
原 練習でも、実戦形式の練習とそうじゃない練習があります。たとえば走者をつけてやるノックは、捕り方、投げ方うんぬんではなく、どういうふうに相手をアウトにするかがメインです。うまくやることが目的ではなく、相手を封じることが最優先です。逆に走者からすれば、いかに次の塁を目指して、ホームに生還するか。だから、守備側と走者側がもっと戦い合いなさいと、いつも言っています。その後に生徒たちだけで集めて話をさせるのは、自分たち発信で考えさせるためです。そうしないと、試合を運営できませんから。
── 逆に試合の時は、どういうことを意識させるのですか。
原 いざ試合になれば、どう相手に立ち向かうか。テクニックのことなどは、もう二の次です。
どれだけ無意識レベルで体が動くかどうかです。
【原俊介監督が目指す野球とは?】
── 最後に「原俊介流」の野球とは?
原 「つながる野球」です。チームとして機能する野球ですね。単純な話、外野手が守備位置を後ろにして守っていれば、打たれる打球が深い外野フライでもいいわけです。これが外野手の前に落とされたり、内野手の間を抜かれたりする打球を打たれたりすると"機能的"ではなくなってしまいます。ということは、投手が野手の守備陣形を把握して投げれば、より機能的になってきます。つまり、投手が「いい球を投げたい」「速い球を投げたい」ということに固執すると、結果的に周りが見えなくなり、チームとして機能しなくなるわけです。
── そういう意味で"つながる"というわけなのですね。
原 投手が投げることと打つことも守ることも、すべてつながっているわけです。そこにチームメイトとのつながり、応援してくれる人とのつながりもある。いろんな部分を自分たちのエネルギーとしながら、かつグラウンドではひとつのボールでつながりを持っていこうと。そういう野球を目指しています。
✌2025年「還暦」迎える和歌山の聖地・紀三井寺 来夏も熱戦に期待
https://news.yahoo.co.jp/articles/cf9b4178e30d9b34c995f1f70e9148d5021f0c56
この夏行われた第106回全国高校野球選手権大会に出場した智弁和歌山の辻旭陽主将は、開会式で選手宣誓した。
「僕たちには夢があります。この先の100年も、ここ甲子園が聖地であり続けること。そして、僕たち球児の憧れの地であり続けること」
2024年は阪神甲子園球場ができて100年の節目だった。大会は戦争やコロナ禍などで中止を余儀なくされた時期もあったが、球場は1世紀にわたり、野球を愛する人々のよりどころだった。高校球児にとっては今も、あこがれの舞台であり続ける。
実は、和歌山球児の「聖地」、紀三井寺公園野球場も2025年、誕生60年の節目を迎える。
1965年3月に誕生して以来、夏の和歌山大会唯一の会場として使われてきた。高校野球だけでなく、少年から社会人まで、様々な大会や試合が開催されてきた。
県高野連発行の「和歌山県中等学校・高等学校野球史III」を開いてみた。昭和40年の欄では「球児、ファン待望の球場〝紀三井寺球場〟竣成(しゅんせい)」と喜んだ。ただしその後「惜しむらくは新球場初年度の紀和大会で県和歌山商業高が天理高に敗れたこと」。悔しさがにじんでいる。
来夏は、どんなプレーが見られるか。還暦を迎える球場も、きっと待ち遠しいはずだ。
📝わかやまスポーツ伝承館「プロ野球和歌山県ゆかりの選手展」
https://news.yahoo.co.jp/articles/8b5a0d767d31c46538d334ebd92567a18e763cd4
和歌山県出身のプロ野球選手が実際に使用したユニフォームやバットなどを展示する、恒例の「2024プロ野球和歌山県ゆかりの選手展」が和歌山市の「わかやまスポーツ伝承館」で開かれています。
今回の展示会では、2024年、千葉ロッテマリーンズにドラフト1位で指名された、日高川町出身の西川史礁選手が「侍ジャパン」に招集された際に使ったスパイクや、橋本市出身でDeNAベイスターズの筒香嘉智選手のバットなど、およそ90点が展示されています。
2月から始まるキャンプで実際に使用するものも見ることができ、ユニフォームは、全国でも珍しいショーケースに入っていない露出展示で楽しめます。
江川哲二館長は「どこの球団に和歌山に関係がある選手がいるのか、知ってもらいたい。展示会に来た子どもたちが、いつか自分もここに飾ってもらいたいと思ってもらえれば嬉しい」と話していました。
また、和歌山県内の小学生が文字でスポーツの感動を伝える「スポーツ書道展」もあわせて開催されていて、応募があった688点の全ての作品を展示しています。オリンピックにちなんだ「金」や、大谷選手の「大谷」などの文字が多く、2024年のスポーツ情勢が反映されています。
プロ野球和歌山ゆかりの選手展は2025年1月6日まで、スポーツ書道展は1月13日まで、和歌山市本町のフォルテワジマ3階「わかやまスポーツ伝承館」で開かれていて、入場は無料です。なお、お正月の3日間は休館日です。
☝名だたる甲子園常連校を次々と撃破した島根の県立高…雨の日は泥だらけで守備練習する「昭和デー」、校名もトレンド入り
https://news.yahoo.co.jp/articles/f7759e4856d18cbb29cce5933d3c4089e8b55100
夏の甲子園では、大社(島根)が93年ぶりとなる8強入りを果たした。早稲田実業(西東京、早実)を破り、準々決勝へと駒を進めた3回戦は、「高校野球史に残る」とも称された一戦。ナインがタイブレイクの延長十一回を制した瞬間、球場に響き渡った約2万2000人の大歓声は、記者にとっても忘れられない出来事になった。
島根大会では、バントや走塁といった小技を絡め、試合巧者ぶりを発揮。甲子園でも1点を争うような接戦をものにし、初戦の報徳学園(兵庫)、2回戦の創成館(長崎)、そして早実と、名だたる甲子園常連校を次々と撃破する戦いぶりに感動した県民は、決して少なくないだろう。
地方の公立校が強豪の私学校を負かしていく。今回のような構図は高校野球ファンにとっての妙味の一つだ。2018年の夏には金足農(秋田)による「金農旋風」が巻き起こった。記者も今回、甲子園で取材を続けながら、応援の輪が日を追うごとに大きくなっていくのを感じた。
出雲大社が近く、部員全員で必勝祈願に行くことや、雨の日に泥だらけになって守備練習をする「昭和デー」があることも話題を集めた。試合後のX(旧ツイッター)では「めっちゃ元気をもらった」「出雲の神様も喜んでる」などの書き込みがあふれ、「大社高校」がトレンド入りしたこともあった。
ナインの活躍は、県内の球児たちの刺激にもなっている。新チームによる県高校秋季野球大会では、出雲商が62年ぶりに優勝した。ほかにも、4位と奮起した大田が、来春の選抜高校野球大会に出場する21世紀枠の候補校に選ばれるなど、活気づいていると感じる。
大社の石飛文太監督(43)に改めて夏の快進撃について尋ねると、「島根で磨いた力が全国にも通じる、との証明になったのであればうれしい」と返ってきた。一方で「でも、大社がぶっちぎりで強いわけじゃない。周りが大社に続けというのなら、うちも負けていられない」と、言葉に力を込めた。
「生徒の夢は無限大」。石飛監督が早実戦後に語った言葉だ。聖地を駆ける選手の姿はとてもまぶしく、もっと見ていたいと思わせる輝きがあった。山陰の長い冬が終わった後、大社ナインに続く県内の選手らは、どんな〈夢の続き〉を見せてくれるのだろうか。今から楽しみだ。
👣近江高校野球部の多賀章仁監督、来春退任へ 春夏23回甲子園に導く
https://news.yahoo.co.jp/articles/69bfcba61e050af30e199dbc5cc074e335f265d3
高校野球で春夏合わせて23回甲子園に導いた近江高校の多賀章仁監督(65)が来春退任することが27日、わかった。定年が理由だという。
関係者によると、多賀監督は来年3月末で退任し、総監督に就く。後任には、コーチの小森博之さんが就任する。小森さんは近江が2001年の夏の甲子園で準優勝したときに主将を務めた。
多賀監督は1959年生まれで彦根市出身。平安高校(現・龍谷大平安)と龍谷大でプレーし、89年に近江の監督に就任。夏16回、春7回、チームを甲子園に導き、夏春1回ずつ準優勝を果たした。攻守ともに手堅い「近江野球」を築き、滋賀を代表する強豪に育てた。
2023年には、高校野球の育成と発展に功績があった指導者に贈られる「育成功労賞」を受賞。近畿で唯一、春夏通して甲子園で優勝経験がない滋賀県だが、「(甲子園で優勝するための)土台はつくれたかな、と思っている」と話していた。
昨年夏の滋賀大会を制して、コロナ禍による中止を挟み5連覇した。昨夏、今春と甲子園に出場したがいずれも初戦敗退し、今年夏の滋賀大会、秋の県大会はいずれも準決勝で敗れていた。
⚾岩手さんへ
佐藤&鈴木姓は非常に多いので人数確保は大丈夫だと思います!
選抜大会出場予想雑誌はホームランと報知高校野球に目を通しました。
中国地区を見ていると、どら焼きドラマチックパーク米子の改修工事で使用不可の為に島根に秋季中国大会を譲り、来年は山口・再来年に鳥取使用予定とありました。。。
ただ、春季大会は順番だと来年岡山・再来年鳥取なんで、春秋連続鳥取は考えにくいのだが・・・と立ちつくしてしてました、、、来年10月末に2泊3日で鳥取を考えていたんで!
もしかしたら来春の中国大会が鳥取開催かな???ここ2年連続で2会場に分散開催しているので、1日4試合回避されたらイヤやなあと・・・・・。
7イニング制については考えたくないのですが、ボールが飛ばなくなって魅力が減り、さらにイニングが削減されたら自ずと観客動員数も激減すると思いますが、、、、、
今の入場料で1日4試合とすると8イニング削減されるので、ナイター観戦はかなり厳しくなるだろうし大学・独立リーグなどは9イニング観戦できるとなれば魅力はなくなると思うし、将来的にプロ野球選手の体力や技術も衰退する予感はあります。
しかし、岩手の冬は厳しいんでしょうね!自転車のパンクは災難でしたね。
こっちは12月に入り1度だけ雪がちらつきましたが、寒いとはいえまだ耐えられる寒さですね!!
昨日は、四天王寺~仁徳天皇陵~通天閣など大阪を彷徨ってました。
2024年を回顧しつつ、来年の誕生日まであと3ヶ月・・・50周年記念に心に残る祭りをあといくつか企画しているので完走したいなあと思いつつ、大仙公園の芝生に寝っ転がってちと霧雨に打たれつつ瞑想してました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/cf9b4178e30d9b34c995f1f70e9148d5021f0c56
この夏行われた第106回全国高校野球選手権大会に出場した智弁和歌山の辻旭陽主将は、開会式で選手宣誓した。
「僕たちには夢があります。この先の100年も、ここ甲子園が聖地であり続けること。そして、僕たち球児の憧れの地であり続けること」
2024年は阪神甲子園球場ができて100年の節目だった。大会は戦争やコロナ禍などで中止を余儀なくされた時期もあったが、球場は1世紀にわたり、野球を愛する人々のよりどころだった。高校球児にとっては今も、あこがれの舞台であり続ける。
実は、和歌山球児の「聖地」、紀三井寺公園野球場も2025年、誕生60年の節目を迎える。
1965年3月に誕生して以来、夏の和歌山大会唯一の会場として使われてきた。高校野球だけでなく、少年から社会人まで、様々な大会や試合が開催されてきた。
県高野連発行の「和歌山県中等学校・高等学校野球史III」を開いてみた。昭和40年の欄では「球児、ファン待望の球場〝紀三井寺球場〟竣成(しゅんせい)」と喜んだ。ただしその後「惜しむらくは新球場初年度の紀和大会で県和歌山商業高が天理高に敗れたこと」。悔しさがにじんでいる。
来夏は、どんなプレーが見られるか。還暦を迎える球場も、きっと待ち遠しいはずだ。
📝わかやまスポーツ伝承館「プロ野球和歌山県ゆかりの選手展」
https://news.yahoo.co.jp/articles/8b5a0d767d31c46538d334ebd92567a18e763cd4
和歌山県出身のプロ野球選手が実際に使用したユニフォームやバットなどを展示する、恒例の「2024プロ野球和歌山県ゆかりの選手展」が和歌山市の「わかやまスポーツ伝承館」で開かれています。
今回の展示会では、2024年、千葉ロッテマリーンズにドラフト1位で指名された、日高川町出身の西川史礁選手が「侍ジャパン」に招集された際に使ったスパイクや、橋本市出身でDeNAベイスターズの筒香嘉智選手のバットなど、およそ90点が展示されています。
2月から始まるキャンプで実際に使用するものも見ることができ、ユニフォームは、全国でも珍しいショーケースに入っていない露出展示で楽しめます。
江川哲二館長は「どこの球団に和歌山に関係がある選手がいるのか、知ってもらいたい。展示会に来た子どもたちが、いつか自分もここに飾ってもらいたいと思ってもらえれば嬉しい」と話していました。
また、和歌山県内の小学生が文字でスポーツの感動を伝える「スポーツ書道展」もあわせて開催されていて、応募があった688点の全ての作品を展示しています。オリンピックにちなんだ「金」や、大谷選手の「大谷」などの文字が多く、2024年のスポーツ情勢が反映されています。
プロ野球和歌山ゆかりの選手展は2025年1月6日まで、スポーツ書道展は1月13日まで、和歌山市本町のフォルテワジマ3階「わかやまスポーツ伝承館」で開かれていて、入場は無料です。なお、お正月の3日間は休館日です。
☝名だたる甲子園常連校を次々と撃破した島根の県立高…雨の日は泥だらけで守備練習する「昭和デー」、校名もトレンド入り
https://news.yahoo.co.jp/articles/f7759e4856d18cbb29cce5933d3c4089e8b55100
夏の甲子園では、大社(島根)が93年ぶりとなる8強入りを果たした。早稲田実業(西東京、早実)を破り、準々決勝へと駒を進めた3回戦は、「高校野球史に残る」とも称された一戦。ナインがタイブレイクの延長十一回を制した瞬間、球場に響き渡った約2万2000人の大歓声は、記者にとっても忘れられない出来事になった。
島根大会では、バントや走塁といった小技を絡め、試合巧者ぶりを発揮。甲子園でも1点を争うような接戦をものにし、初戦の報徳学園(兵庫)、2回戦の創成館(長崎)、そして早実と、名だたる甲子園常連校を次々と撃破する戦いぶりに感動した県民は、決して少なくないだろう。
地方の公立校が強豪の私学校を負かしていく。今回のような構図は高校野球ファンにとっての妙味の一つだ。2018年の夏には金足農(秋田)による「金農旋風」が巻き起こった。記者も今回、甲子園で取材を続けながら、応援の輪が日を追うごとに大きくなっていくのを感じた。
出雲大社が近く、部員全員で必勝祈願に行くことや、雨の日に泥だらけになって守備練習をする「昭和デー」があることも話題を集めた。試合後のX(旧ツイッター)では「めっちゃ元気をもらった」「出雲の神様も喜んでる」などの書き込みがあふれ、「大社高校」がトレンド入りしたこともあった。
ナインの活躍は、県内の球児たちの刺激にもなっている。新チームによる県高校秋季野球大会では、出雲商が62年ぶりに優勝した。ほかにも、4位と奮起した大田が、来春の選抜高校野球大会に出場する21世紀枠の候補校に選ばれるなど、活気づいていると感じる。
大社の石飛文太監督(43)に改めて夏の快進撃について尋ねると、「島根で磨いた力が全国にも通じる、との証明になったのであればうれしい」と返ってきた。一方で「でも、大社がぶっちぎりで強いわけじゃない。周りが大社に続けというのなら、うちも負けていられない」と、言葉に力を込めた。
「生徒の夢は無限大」。石飛監督が早実戦後に語った言葉だ。聖地を駆ける選手の姿はとてもまぶしく、もっと見ていたいと思わせる輝きがあった。山陰の長い冬が終わった後、大社ナインに続く県内の選手らは、どんな〈夢の続き〉を見せてくれるのだろうか。今から楽しみだ。
👣近江高校野球部の多賀章仁監督、来春退任へ 春夏23回甲子園に導く
https://news.yahoo.co.jp/articles/69bfcba61e050af30e199dbc5cc074e335f265d3
高校野球で春夏合わせて23回甲子園に導いた近江高校の多賀章仁監督(65)が来春退任することが27日、わかった。定年が理由だという。
関係者によると、多賀監督は来年3月末で退任し、総監督に就く。後任には、コーチの小森博之さんが就任する。小森さんは近江が2001年の夏の甲子園で準優勝したときに主将を務めた。
多賀監督は1959年生まれで彦根市出身。平安高校(現・龍谷大平安)と龍谷大でプレーし、89年に近江の監督に就任。夏16回、春7回、チームを甲子園に導き、夏春1回ずつ準優勝を果たした。攻守ともに手堅い「近江野球」を築き、滋賀を代表する強豪に育てた。
2023年には、高校野球の育成と発展に功績があった指導者に贈られる「育成功労賞」を受賞。近畿で唯一、春夏通して甲子園で優勝経験がない滋賀県だが、「(甲子園で優勝するための)土台はつくれたかな、と思っている」と話していた。
昨年夏の滋賀大会を制して、コロナ禍による中止を挟み5連覇した。昨夏、今春と甲子園に出場したがいずれも初戦敗退し、今年夏の滋賀大会、秋の県大会はいずれも準決勝で敗れていた。
⚾岩手さんへ
佐藤&鈴木姓は非常に多いので人数確保は大丈夫だと思います!
選抜大会出場予想雑誌はホームランと報知高校野球に目を通しました。
中国地区を見ていると、どら焼きドラマチックパーク米子の改修工事で使用不可の為に島根に秋季中国大会を譲り、来年は山口・再来年に鳥取使用予定とありました。。。
ただ、春季大会は順番だと来年岡山・再来年鳥取なんで、春秋連続鳥取は考えにくいのだが・・・と立ちつくしてしてました、、、来年10月末に2泊3日で鳥取を考えていたんで!
もしかしたら来春の中国大会が鳥取開催かな???ここ2年連続で2会場に分散開催しているので、1日4試合回避されたらイヤやなあと・・・・・。
7イニング制については考えたくないのですが、ボールが飛ばなくなって魅力が減り、さらにイニングが削減されたら自ずと観客動員数も激減すると思いますが、、、、、
今の入場料で1日4試合とすると8イニング削減されるので、ナイター観戦はかなり厳しくなるだろうし大学・独立リーグなどは9イニング観戦できるとなれば魅力はなくなると思うし、将来的にプロ野球選手の体力や技術も衰退する予感はあります。
しかし、岩手の冬は厳しいんでしょうね!自転車のパンクは災難でしたね。
こっちは12月に入り1度だけ雪がちらつきましたが、寒いとはいえまだ耐えられる寒さですね!!
昨日は、四天王寺~仁徳天皇陵~通天閣など大阪を彷徨ってました。
2024年を回顧しつつ、来年の誕生日まであと3ヶ月・・・50周年記念に心に残る祭りをあといくつか企画しているので完走したいなあと思いつつ、大仙公園の芝生に寝っ転がってちと霧雨に打たれつつ瞑想してました。
佐藤さん、鈴木さんで、野球大会は面白いね!鈴木さんは浜松だけで十分だけど野球経験のある人が条件になるか?でも浜松工、商でも甲子園出場者多数いるか!
選抜大会出場予想の雑誌にも、イニング短縮議論が載っていました。
7回にすると平均で球数が30球余り減少すると予想で、試合時間も30分は短くなると予想すると!
何のための低反発バット導入なのかな?
だんだん慣れると強豪校は思うけど、投手戦続々で延長タイブレーク戦が続々で、役員さんは導入に向けいいきっかけ作ることかな!
まんざらでも無いと思ってます。
今日はもらった玄米を精米しに行きました。
帰りしなに凹みでバウンドして鋭角の石を踏んでタイヤが穴が開き、1時間内30分位自転車屋に押す羽目になり、しかも丁度小雪が舞う所を行きました!おかげで頭痛気味に、パブロンを服用した所です。
今年はいろいろありますよ!まだ4日あるけど。
選抜大会出場予想の雑誌にも、イニング短縮議論が載っていました。
7回にすると平均で球数が30球余り減少すると予想で、試合時間も30分は短くなると予想すると!
何のための低反発バット導入なのかな?
だんだん慣れると強豪校は思うけど、投手戦続々で延長タイブレーク戦が続々で、役員さんは導入に向けいいきっかけ作ることかな!
まんざらでも無いと思ってます。
今日はもらった玄米を精米しに行きました。
帰りしなに凹みでバウンドして鋭角の石を踏んでタイヤが穴が開き、1時間内30分位自転車屋に押す羽目になり、しかも丁度小雪が舞う所を行きました!おかげで頭痛気味に、パブロンを服用した所です。
今年はいろいろありますよ!まだ4日あるけど。
📝大阪偕星学園の新監督に仲辻宏之氏が就任へ 教え子に巨人・今村ら
https://news.yahoo.co.jp/articles/8393a0ca9abab929a3a54e3f7576da180b009ad3
15年夏の甲子園大会に初出場した大阪偕星学園の新監督に仲辻宏之氏(57)が就任することが24日、分かった。樋口一紀監督(57)は退任し、仲辻氏が来年1月1日付で就任する。
仲辻氏は太成高(現太成学院大高)、大商大の出身。卒業後は社会人野球の田村コピーで3年間プレーし、引退後は家業を継いだ。02年8月に太成学院大高の監督に就任。23年3月まで母校を20年以上率いた。教え子に巨人・今村信貴投手(30)、元中日捕手で、日立製作所の桂依央利コーチ(33)らがいる。
大阪偕星学園は今夏の大阪大会で2回戦敗退。今秋は5回戦で敗れた。23年4月から24年8月まで精華でコーチを務めるなど、大阪の高校野球に長く携わってきた仲辻氏の手腕に期待は膨らむ。
📝全国の佐藤さんと鈴木さんが草野球で対決、佐藤姓「発祥の地」が企画
https://news.yahoo.co.jp/articles/a50b6f8b13d77a108846a2f6b2023e74e1cc17b3
佐藤姓の発祥の地を掲げる栃木県佐野市が全国の「佐藤さん」を11人集めてチームをつくり、全国の「鈴木さん」のチームと対戦する草野球大会を来年3月に開く。名字で最も多い「佐藤さん」と、2番目に多い「鈴木さん」の激突となる「名字のプライドをかけた頂上決戦」(同市)で、出場する佐藤さんと鈴木さんを全国から募集している。
市は語呂合わせで決めた3月10日の「佐藤の日」に合わせ、毎年イベントを開いてきた。野球大会は軟式の7回制で、3月9日の日曜日にエイジェック佐野野球場で午後0時45分から開催する。
佐藤チームの監督は、元プロ野球選手で埼玉西武ライオンズなどで活躍したG・G・佐藤(本名・佐藤隆彦)さん。鈴木チームは、元大リーグ選手のイチロー(鈴木一朗)さんのものまねで知られる芸人・ニッチローさんが監督として率いる。
佐野市は、平安時代に地元に城を構え、平将門の乱を平定したと伝えられる藤原秀郷の子孫が「佐野の藤原」の意味で佐藤と名乗ったという説から、佐藤姓の「聖地」をアピールしている。全国に200万人いるといわれる佐藤さんの来訪を呼びかけ、会員になれば割引などが受けられる「佐藤の会」も作った。
市は鈴木姓発祥の地を名乗る和歌山県海南市と交流してきたことから、鈴木さんとの新たな交流を、多くの人が経験のある野球を通して実現したいと考えたという。
参加資格は名字が「佐藤」または「鈴木」で「野球ができるまたは経験者」の18歳以上。性別は問わない。両チーム11人ずつを応募内容からポジション別に選抜する。参加費はユニホーム代を含めて7千円。野球用具は各自で持参し、交通費や宿泊代などは自己負担となる。来年1月19日までに応募フォーム=QRコード=から申し込む。
大会観戦は入場無料。担当者は「佐藤さん、鈴木さんでなくても応援にご来場いただきたいです」と話している。詳細は佐藤の会ホームページ(https://satonokai.jp/)、問い合わせは佐藤の会事務局(とちぎテレビ内028・678・5676)で。
☝“高くてうまい店”で大慌て…大食漢の96年中日1位・小山伸一郎 近藤真市スカウトを成長させた「和田金事件」
https://news.yahoo.co.jp/articles/9fd499e3382dbca616692cf082bf8d2a5d93fd3c
スカウト歴38年、元中日の中田宗男さん(67)が今回のテーマに選んだのは「思い出のグルメ」だ。師走の声を聞くと、スカウトは入団交渉などの会食が増える。全国各地の「三つ星グルメ」を食してきた中田さんが、最も記憶に残っている会食の席とは…。
ドラフト会議を終えた晩秋から初冬にかけて、スカウトは指名した選手との入団交渉や、一堂に会しての新人入団発表など、晴れの席が続きます。日ごろは全国を飛び回り「早い、安い、うまい」のご当地B級グルメに精通しているスカウトですが、この時期は「高くてうまい」店で舌鼓を打てるのです。
「仮契約の日取りが決まったら、その街で恥ずかしくない店を予約しておけ」。駆け出しのころ、先輩にこう教わりました。契約内容に合意した後で、関係者や家族とともに祝宴を催すのです。ステーキ、フグ、カニ…。日本中でおいしい物を食べました。味はどこも甲乙つけがたいですが、思い出という点では1996年ドラフト1位の小山伸一郎です。
あの年は逆指名制度を使い、井口資仁(青学大→ダイエー)に猛アタックをかけていました。「逆指名は最後まで諦めない。ダメだった時は高校生に切り替える」が当時の中日の大原則。三重県明野高では甲子園とは無縁でしたが、最後の夏は決勝で敗れ、号泣する姿をよく覚えています。闘争心あふれる投球スタイルで、地元の逸材。すんなり1位が決まり、指名当日にはまだ夢の数字だった「100マイル(160キロ)を出したい」と高い志も披露しました。
仮契約の祝宴は「和田金」。言わずと知れた松阪牛の老舗です。私たちは選手や関係者の喜ぶ顔を見たいのはもちろんですが、食べっぷりもひそかに観察します。もう指名してしまった後とはいえ、モジモジと遠慮するのではなくこちらの目が丸くなるほど豪快に食べる選手は、性格的にも体つくりの意味でもプロ向きです。例えば入団発表の前夜には名古屋市内のホテルでステーキを食べるのが慣例でしたが、スタートは500グラム。そこから「2枚目」つまり計1キロを平らげる選手はざらにいたものです。
小山は歴代ナンバーワンとは言い切れませんが、よく食べました。次々と追加のすき焼き肉が運ばれてきました。さて満腹し、会計。その時、事件が起きたのです。担当の近藤真市スカウトがなぜか慌てています。「僕の持ち合わせじゃ足りません!」。今は球団支給のクレジットカードを持たされていますが、当時は現金払いが基本でした。小山家に悟られるわけにはいきません。さりげなく私も退室し、もうひとりのスカウトともに3人の財布から現金をかき集め、何とか支払いを済ませたのです。
近藤はスカウト1年目。「ささいなことでも電話で済まさず、足を運べ」と教えたら、汗だくで駆け回っていた勤勉で優秀なスカウトでした。この「和田金事件」で成長し、2年後には岩瀬仁紀を担当します。
小山も楽天移籍後にリリーフとして花を咲かせました。典型的な大器晩成。実に21年ぶりに復帰する古巣で、ファンに喜んでもらえる選手を育ててもらいたいと思っています。(中日ドラゴンズ・元スカウト)
⚾岩手さんへ
柳川は以前に元阪神の林 威助がいましたが、未だに留学生がいるんですね!!
地域的に外国に近い九州は日南学園・日章学園など甲子園球児にも台湾人など外国留学生いましたから。
産経新聞は購読しているのでラジオ欄に掲載されているので、ちょいちょい読んでますね。
張本さんの現役時代は全く知りませんが、広島から浪商に来た話などはものの本で読んだことがあるので、少しだけ知識あります。
昔は不祥事が多数あり、連帯責任が厳しかったので辛い思いをされたようですね。それにあの頃は高校中退して即プロ野球選手になった方々も多数いるようだし。
山本 集監督はその通りです。藤田 照清理事長の覚えもめでたかったようで、、、高嶋先生は負けた次の日の朝には理事長室に呼び出され1時間説教喰らっていたらしいですが。
夢グループ石田社長は先月まで存在すら知らなかったですが、東北高校野球部出身で中退されたようですね。
竹田監督は仙台育英のイメージが強いですが、佐々木 主浩投手までは東北の監督されてましたね。
それから、ようやく・・・2023年シーズン終わらせました。
今春のセンバツですが、近畿勢がふがいない成績に終わり、最後の最後に報徳学園が2年連続大阪桐蔭に勝利しながら関東の新興私学に優勝旗をかっさらわれた悪夢があるので・・・。
当初は5話で終わらせようと思ってましたが、7話にしようかなと・・・。
田辺&耐久は外せないし、近江も応援していたので・・・。
宇治山田商も応援していたのでここで2つ書けます。
あとは長澤監督が退任したけれど、創志学園も入れたら7話になってしまうと。
P・S もう数年前にラジオDJ勇退されましたが、関西の重鎮・ヒロ寺平さんが毎朝担当するFM802の番組で、お気に入りの歌手の一人である平井 堅の曲を平日毎朝6時~10時のどこかでかけていた 🎵キャッチボール を観戦記の最後に使用させてもらいました。
さすがにここで便乗して毎日紹介するつもりはないですが、あの曲は僕も通勤時の阪急電車でよく聴いてました!
観戦記を見逃した閲覧者の方にも届けたい!?
平井堅 🎵キャッチボール
https://www.youtube.com/watch?v=JV31PUZkSoI
https://news.yahoo.co.jp/articles/8393a0ca9abab929a3a54e3f7576da180b009ad3
15年夏の甲子園大会に初出場した大阪偕星学園の新監督に仲辻宏之氏(57)が就任することが24日、分かった。樋口一紀監督(57)は退任し、仲辻氏が来年1月1日付で就任する。
仲辻氏は太成高(現太成学院大高)、大商大の出身。卒業後は社会人野球の田村コピーで3年間プレーし、引退後は家業を継いだ。02年8月に太成学院大高の監督に就任。23年3月まで母校を20年以上率いた。教え子に巨人・今村信貴投手(30)、元中日捕手で、日立製作所の桂依央利コーチ(33)らがいる。
大阪偕星学園は今夏の大阪大会で2回戦敗退。今秋は5回戦で敗れた。23年4月から24年8月まで精華でコーチを務めるなど、大阪の高校野球に長く携わってきた仲辻氏の手腕に期待は膨らむ。
📝全国の佐藤さんと鈴木さんが草野球で対決、佐藤姓「発祥の地」が企画
https://news.yahoo.co.jp/articles/a50b6f8b13d77a108846a2f6b2023e74e1cc17b3
佐藤姓の発祥の地を掲げる栃木県佐野市が全国の「佐藤さん」を11人集めてチームをつくり、全国の「鈴木さん」のチームと対戦する草野球大会を来年3月に開く。名字で最も多い「佐藤さん」と、2番目に多い「鈴木さん」の激突となる「名字のプライドをかけた頂上決戦」(同市)で、出場する佐藤さんと鈴木さんを全国から募集している。
市は語呂合わせで決めた3月10日の「佐藤の日」に合わせ、毎年イベントを開いてきた。野球大会は軟式の7回制で、3月9日の日曜日にエイジェック佐野野球場で午後0時45分から開催する。
佐藤チームの監督は、元プロ野球選手で埼玉西武ライオンズなどで活躍したG・G・佐藤(本名・佐藤隆彦)さん。鈴木チームは、元大リーグ選手のイチロー(鈴木一朗)さんのものまねで知られる芸人・ニッチローさんが監督として率いる。
佐野市は、平安時代に地元に城を構え、平将門の乱を平定したと伝えられる藤原秀郷の子孫が「佐野の藤原」の意味で佐藤と名乗ったという説から、佐藤姓の「聖地」をアピールしている。全国に200万人いるといわれる佐藤さんの来訪を呼びかけ、会員になれば割引などが受けられる「佐藤の会」も作った。
市は鈴木姓発祥の地を名乗る和歌山県海南市と交流してきたことから、鈴木さんとの新たな交流を、多くの人が経験のある野球を通して実現したいと考えたという。
参加資格は名字が「佐藤」または「鈴木」で「野球ができるまたは経験者」の18歳以上。性別は問わない。両チーム11人ずつを応募内容からポジション別に選抜する。参加費はユニホーム代を含めて7千円。野球用具は各自で持参し、交通費や宿泊代などは自己負担となる。来年1月19日までに応募フォーム=QRコード=から申し込む。
大会観戦は入場無料。担当者は「佐藤さん、鈴木さんでなくても応援にご来場いただきたいです」と話している。詳細は佐藤の会ホームページ(https://satonokai.jp/)、問い合わせは佐藤の会事務局(とちぎテレビ内028・678・5676)で。
☝“高くてうまい店”で大慌て…大食漢の96年中日1位・小山伸一郎 近藤真市スカウトを成長させた「和田金事件」
https://news.yahoo.co.jp/articles/9fd499e3382dbca616692cf082bf8d2a5d93fd3c
スカウト歴38年、元中日の中田宗男さん(67)が今回のテーマに選んだのは「思い出のグルメ」だ。師走の声を聞くと、スカウトは入団交渉などの会食が増える。全国各地の「三つ星グルメ」を食してきた中田さんが、最も記憶に残っている会食の席とは…。
ドラフト会議を終えた晩秋から初冬にかけて、スカウトは指名した選手との入団交渉や、一堂に会しての新人入団発表など、晴れの席が続きます。日ごろは全国を飛び回り「早い、安い、うまい」のご当地B級グルメに精通しているスカウトですが、この時期は「高くてうまい」店で舌鼓を打てるのです。
「仮契約の日取りが決まったら、その街で恥ずかしくない店を予約しておけ」。駆け出しのころ、先輩にこう教わりました。契約内容に合意した後で、関係者や家族とともに祝宴を催すのです。ステーキ、フグ、カニ…。日本中でおいしい物を食べました。味はどこも甲乙つけがたいですが、思い出という点では1996年ドラフト1位の小山伸一郎です。
あの年は逆指名制度を使い、井口資仁(青学大→ダイエー)に猛アタックをかけていました。「逆指名は最後まで諦めない。ダメだった時は高校生に切り替える」が当時の中日の大原則。三重県明野高では甲子園とは無縁でしたが、最後の夏は決勝で敗れ、号泣する姿をよく覚えています。闘争心あふれる投球スタイルで、地元の逸材。すんなり1位が決まり、指名当日にはまだ夢の数字だった「100マイル(160キロ)を出したい」と高い志も披露しました。
仮契約の祝宴は「和田金」。言わずと知れた松阪牛の老舗です。私たちは選手や関係者の喜ぶ顔を見たいのはもちろんですが、食べっぷりもひそかに観察します。もう指名してしまった後とはいえ、モジモジと遠慮するのではなくこちらの目が丸くなるほど豪快に食べる選手は、性格的にも体つくりの意味でもプロ向きです。例えば入団発表の前夜には名古屋市内のホテルでステーキを食べるのが慣例でしたが、スタートは500グラム。そこから「2枚目」つまり計1キロを平らげる選手はざらにいたものです。
小山は歴代ナンバーワンとは言い切れませんが、よく食べました。次々と追加のすき焼き肉が運ばれてきました。さて満腹し、会計。その時、事件が起きたのです。担当の近藤真市スカウトがなぜか慌てています。「僕の持ち合わせじゃ足りません!」。今は球団支給のクレジットカードを持たされていますが、当時は現金払いが基本でした。小山家に悟られるわけにはいきません。さりげなく私も退室し、もうひとりのスカウトともに3人の財布から現金をかき集め、何とか支払いを済ませたのです。
近藤はスカウト1年目。「ささいなことでも電話で済まさず、足を運べ」と教えたら、汗だくで駆け回っていた勤勉で優秀なスカウトでした。この「和田金事件」で成長し、2年後には岩瀬仁紀を担当します。
小山も楽天移籍後にリリーフとして花を咲かせました。典型的な大器晩成。実に21年ぶりに復帰する古巣で、ファンに喜んでもらえる選手を育ててもらいたいと思っています。(中日ドラゴンズ・元スカウト)
⚾岩手さんへ
柳川は以前に元阪神の林 威助がいましたが、未だに留学生がいるんですね!!
地域的に外国に近い九州は日南学園・日章学園など甲子園球児にも台湾人など外国留学生いましたから。
産経新聞は購読しているのでラジオ欄に掲載されているので、ちょいちょい読んでますね。
張本さんの現役時代は全く知りませんが、広島から浪商に来た話などはものの本で読んだことがあるので、少しだけ知識あります。
昔は不祥事が多数あり、連帯責任が厳しかったので辛い思いをされたようですね。それにあの頃は高校中退して即プロ野球選手になった方々も多数いるようだし。
山本 集監督はその通りです。藤田 照清理事長の覚えもめでたかったようで、、、高嶋先生は負けた次の日の朝には理事長室に呼び出され1時間説教喰らっていたらしいですが。
夢グループ石田社長は先月まで存在すら知らなかったですが、東北高校野球部出身で中退されたようですね。
竹田監督は仙台育英のイメージが強いですが、佐々木 主浩投手までは東北の監督されてましたね。
それから、ようやく・・・2023年シーズン終わらせました。
今春のセンバツですが、近畿勢がふがいない成績に終わり、最後の最後に報徳学園が2年連続大阪桐蔭に勝利しながら関東の新興私学に優勝旗をかっさらわれた悪夢があるので・・・。
当初は5話で終わらせようと思ってましたが、7話にしようかなと・・・。
田辺&耐久は外せないし、近江も応援していたので・・・。
宇治山田商も応援していたのでここで2つ書けます。
あとは長澤監督が退任したけれど、創志学園も入れたら7話になってしまうと。
P・S もう数年前にラジオDJ勇退されましたが、関西の重鎮・ヒロ寺平さんが毎朝担当するFM802の番組で、お気に入りの歌手の一人である平井 堅の曲を平日毎朝6時~10時のどこかでかけていた 🎵キャッチボール を観戦記の最後に使用させてもらいました。
さすがにここで便乗して毎日紹介するつもりはないですが、あの曲は僕も通勤時の阪急電車でよく聴いてました!
観戦記を見逃した閲覧者の方にも届けたい!?
平井堅 🎵キャッチボール
https://www.youtube.com/watch?v=JV31PUZkSoI
柳川高野球部のインドネシア人留学生ゲルハルド君ですが、今日の朝日新聞に斉藤佑樹未来へのメッセージと言う地域総合欄に載っていました。
新聞記事で言うと産経新聞にも話の肖像画と言う欄に現在は張本勲の事が載っています。
広島の旧名松本商から浪商に転校してからなど高校時代の事が載っていました。大体はVシネマで見ているので知っていました。
智弁学園の初代監督は浪商の同級生ですよね。
張本勲の前の連載は夢グループ石田社長でした。
CMでよく見る人ですが、東北高校に投手で確か特待生だったと思うけど、肩を壊し野球断念したようです。
これもスポーツ紙で見ました。
バント編は凄く興味深いです。
2日前に書き込んだがまたまた操作ミスで抹消したみたい!
年内に能書きを書き込んでいきたい!
2023秋季近畿大会記終わりましたね。
年内にスタートか2024春編!!
花巻の施設 夏の甲子園優勝投手が利用するらしい。
新聞記事で言うと産経新聞にも話の肖像画と言う欄に現在は張本勲の事が載っています。
広島の旧名松本商から浪商に転校してからなど高校時代の事が載っていました。大体はVシネマで見ているので知っていました。
智弁学園の初代監督は浪商の同級生ですよね。
張本勲の前の連載は夢グループ石田社長でした。
CMでよく見る人ですが、東北高校に投手で確か特待生だったと思うけど、肩を壊し野球断念したようです。
これもスポーツ紙で見ました。
バント編は凄く興味深いです。
2日前に書き込んだがまたまた操作ミスで抹消したみたい!
年内に能書きを書き込んでいきたい!
2023秋季近畿大会記終わりましたね。
年内にスタートか2024春編!!
花巻の施設 夏の甲子園優勝投手が利用するらしい。
📝「弱気は最大の敵」 インドネシアからの留学生が挑んだ甲子園への夢
https://news.yahoo.co.jp/articles/87d65b7eca569466b9b9fa85ab0ca00a18693d80
ウン・ゲルハルド投手(3年)。日本語がとても上手だったので、びっくりしました。野球人気は高くないインドネシアで小学校1年から野球を始めました。現地では珍しく小学校に「野球部」があり、母親がユニホームをみて「かっこいい」と思い、ゲルハルド選手に「やってみたら」と勧めたのがきっかけだそうです。
そこで日本人コーチに出会い、日本の高校野球の魅力や甲子園の存在を知りました。「中学生になると『日本に行きたい。日本で高校野球がやりたい』と思いました」と振り返ります。インターネットなどで調べてみると、インドネシアから留学生を受け入れている日本の高校は少ない中、柳川を見つけました。「野球も強いし、行ってみたいと思った」
柳川には国際科があり、10の国と地域から約80人の留学生を受け入れ、タイに中学校を開校するなど、海外に目を向けています。また、野球部は2005年夏以降、甲子園から遠ざかっていますが、春夏合わせて16回の甲子園出場(柳川商時代を含む)を誇る強豪です。
卒業生にはプロ野球・阪神タイガースで活躍した真弓明信さん(71)らがいます。
入学後、野球部に入部しましたが、やはり、壁にぶつかります。言葉の違いはもちろん、インドネシアにはない先輩・後輩の上下関係にも戸惑いました。特に上下関係は「恐ろしかった」と笑います。また、野球部の厳しい練習についていくのも苦労しました。当初はランニングなどでも、吐いてしまうこともあったそうです。
それでも、母国のコーチに教えてもらった「弱気は最大の敵」という言葉を胸に「気持ちだけは負けないようにって、それだけで食らいついていった。限界を超えるためにやり続けて、どんどん体力がついていった」と話します。
しかし、「このままやっていけるだろうか」という不安はぬぐえず、1年の冬にインドネシアに帰省した際、両親に相談します。両親は「ここまで頑張ったし、やめても悪いとは思わない」と言ってくれたそうです。でも、つらい練習に食らいついた日々が、ゲルハルド選手に「親にお金を出してもらって日本に行って、最後までやり切らないともったいない」と思わせていました。
同学年の甲斐田朋毅・前主将は「練習で何度吐いても弱音ははかなかった。がむしゃらでまじめ」と話します。「粘り強く、本当に頑張ったから、みんなが彼に声をかけ出した」と御所豊治監督(63)。「一生懸命さを前に出し、とにかくがむしゃらにやる」とも。
一方で「野球をやりたい」と思い、柳川に来たゲルハルド選手は、グラウンドに掲げられた「すべては甲子園にために」と書かれた横断幕を見て「本気で甲子園を目指そう」と気持ちを新たに。彼らの代では「チーム一丸」をスローガンに臨みました。練習の成果もあり、投手としてベンチ入りまであと一歩だった最後の夏。チームは福岡大会5回戦で惜しくも敗れました。
野球に打ち込んだ高校生活を「一生懸命、毎日を過ごし良い経験になった」と振り返ります。今の夢は、大学に行き、通訳として野球界で働くこと。「インドネシア野球の力になれたらいいな、と思います」と話してくれました。
彼の思いを受け継ぐように、1年生に2人のインドネシア留学生が入部しました。ゲルハルド選手も「毎日毎日、時間を無駄にせずに甲子園を目指して頑張って欲しい」とエールを送ります。
彼らがインドネシアに野球を持ち帰り、アジア全体に野球の輪が広がってくれれば。いろんな国と、野球を通じてつながっていく可能性を感じました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/87d65b7eca569466b9b9fa85ab0ca00a18693d80
ウン・ゲルハルド投手(3年)。日本語がとても上手だったので、びっくりしました。野球人気は高くないインドネシアで小学校1年から野球を始めました。現地では珍しく小学校に「野球部」があり、母親がユニホームをみて「かっこいい」と思い、ゲルハルド選手に「やってみたら」と勧めたのがきっかけだそうです。
そこで日本人コーチに出会い、日本の高校野球の魅力や甲子園の存在を知りました。「中学生になると『日本に行きたい。日本で高校野球がやりたい』と思いました」と振り返ります。インターネットなどで調べてみると、インドネシアから留学生を受け入れている日本の高校は少ない中、柳川を見つけました。「野球も強いし、行ってみたいと思った」
柳川には国際科があり、10の国と地域から約80人の留学生を受け入れ、タイに中学校を開校するなど、海外に目を向けています。また、野球部は2005年夏以降、甲子園から遠ざかっていますが、春夏合わせて16回の甲子園出場(柳川商時代を含む)を誇る強豪です。
卒業生にはプロ野球・阪神タイガースで活躍した真弓明信さん(71)らがいます。
入学後、野球部に入部しましたが、やはり、壁にぶつかります。言葉の違いはもちろん、インドネシアにはない先輩・後輩の上下関係にも戸惑いました。特に上下関係は「恐ろしかった」と笑います。また、野球部の厳しい練習についていくのも苦労しました。当初はランニングなどでも、吐いてしまうこともあったそうです。
それでも、母国のコーチに教えてもらった「弱気は最大の敵」という言葉を胸に「気持ちだけは負けないようにって、それだけで食らいついていった。限界を超えるためにやり続けて、どんどん体力がついていった」と話します。
しかし、「このままやっていけるだろうか」という不安はぬぐえず、1年の冬にインドネシアに帰省した際、両親に相談します。両親は「ここまで頑張ったし、やめても悪いとは思わない」と言ってくれたそうです。でも、つらい練習に食らいついた日々が、ゲルハルド選手に「親にお金を出してもらって日本に行って、最後までやり切らないともったいない」と思わせていました。
同学年の甲斐田朋毅・前主将は「練習で何度吐いても弱音ははかなかった。がむしゃらでまじめ」と話します。「粘り強く、本当に頑張ったから、みんなが彼に声をかけ出した」と御所豊治監督(63)。「一生懸命さを前に出し、とにかくがむしゃらにやる」とも。
一方で「野球をやりたい」と思い、柳川に来たゲルハルド選手は、グラウンドに掲げられた「すべては甲子園にために」と書かれた横断幕を見て「本気で甲子園を目指そう」と気持ちを新たに。彼らの代では「チーム一丸」をスローガンに臨みました。練習の成果もあり、投手としてベンチ入りまであと一歩だった最後の夏。チームは福岡大会5回戦で惜しくも敗れました。
野球に打ち込んだ高校生活を「一生懸命、毎日を過ごし良い経験になった」と振り返ります。今の夢は、大学に行き、通訳として野球界で働くこと。「インドネシア野球の力になれたらいいな、と思います」と話してくれました。
彼の思いを受け継ぐように、1年生に2人のインドネシア留学生が入部しました。ゲルハルド選手も「毎日毎日、時間を無駄にせずに甲子園を目指して頑張って欲しい」とエールを送ります。
彼らがインドネシアに野球を持ち帰り、アジア全体に野球の輪が広がってくれれば。いろんな国と、野球を通じてつながっていく可能性を感じました。
11/4 秋季近畿大会最終日決勝戦 大阪シティ信用金庫スタジアム 大阪桐蔭(大阪①)-京都外大西(京都①) 13:01~15:00
第9話 ありがとう舞洲 さよならするのはつらいけど・・・
一二三四五六七八九十計HE
京 外 西000000010 152 相馬、田中、相馬、田中-下曽山
大 桐 蔭01001000X 270 森、平嶋-増田
長かった2023年シーズンもこの1試合で終わる。
この日も半袖日和で西九条からレンタサイクルで舞洲入りする前に、、、あえて新大阪に寄り道して駅弁購入してからいつもの景色を見て常吉大橋を渡った。
とりあえず先に荷物を置いてネット裏中段席をキープして、弁当片手にセンターバックスクリーン奥の海岸線あずまやで駅弁食べてラジオ聞いてから再び球場入り。
スタンドを見れば外大西は今日もブラスバンドが来ていたが、桐蔭は録音応援だった・・・。
すでにセンバツ確定しているのでこの1試合だけのために舞洲まで足を運ぶ客は少数で広大なスタンドがいささか寂しい。11月四日でも夏のような陽射しのためにたっぷりと散水されていた。
両チームともにエース温存で外大西は昨日田中が完封していたのでファースト出場も仕方ないが、桐蔭はこの日も1年生・森が先発でエース平嶋は出てこない。
試合は1回表5球でツーアウトとなったが、3番・杉浦がセンター前ヒットを放ちすかさず盗塁と揺さぶってきたが、4番・杉浦3ボールから2球見逃し最後は空振り三振。
その裏、桐蔭は1番・境がレフトへツーベース。昔の桐蔭なら手堅くバントして1点を取りに来るが、甲子園優勝回数が多くなるにつれ、初回から力でねじ伏せようとエンドランなど強攻策が目立つ。2番・吉田が3球三振。3番・徳丸もセンターフライで走者が2塁釘付け。4番・ラマルには7球粘られ四球となったが、5番・吉野をセンターフライで抑え相馬投手もしっかり踏ん張り大事な立ち上がりを0点で抑えた。
しかし2回表あっさり3人で終わるとその裏、四球とバントで1死2塁とされ、8番・賀川が1-3からセンター前タイムリーヒットで初回の教訓を活かして1ヒットで先制。さらに森投手もバントして2死2塁で上位に回しここで1本出たらワンサイドになりかねなかったが、1番・境はスライダーに三振で最小限のダメージで食い止めた。
早く活路を開きたい外大西打線だが3回下位打線が連続三振。1番・西川がセーフティーを試みるもピッチャーゴロでキリキリ舞いだった。
その裏、ヒットと四球で無死1・2塁。上羽監督がタイムを要求して序盤の勝負所をどう抑えるか?と見ていたが、西谷監督は初回の強引さを引っ込めて4番・ラマルにも送りバントのサインを出したが3塁封殺。そして5番・吉野はピッチャーゴロゲッツーとこれでロースコアの接戦に終盤まで持ち込めば外大西にも勝機が出てくる予感がした!
4回表2番からの攻撃で期待したが、簡単にツーアウト。4番・松岡はライト前に微妙な打球を放ったが・・・ライト・境が中途半端に突っ込みこれを後逸してラッキーなツーベースとなりチャンス到来だったが、5番・相馬投手はファーストゴロに倒れ自分を助けられなかった。
その裏、桐蔭も簡単にツーアウトとなり、8番・賀川は初球ショートゴロだったがこれをショート・持田が悪送球。リズムを崩した相馬投手が相手投手の9番・森にストレートの四球を与え1・2塁と流れが悪くなったところで上羽監督はエース・田中と相馬の守備位置を代え最善尽くして1番・境はショートゴロに倒れ継投成功!
流れを変えるべく外大西は5回執拗なバント攻めに出てきた。先頭の田中が初球いきなりセーフティーをかましてファールの後に2球目ライト前ヒット。7番・中辻も初球バントファールの後2球目もバントしたがまさかのサードゴロ・・・。8番・下曽山はランナーなしの場面でもバントするケースが見受けられたが、ここは1死1塁なんで手堅くバントし2死2塁。9番・持田に期待がかかったが、投球前のけん制でセンターに悪送球を投げるもきっちりバックアップして3塁手前タッチアウトとトリックプレーに泣かされた↓↓
その裏、上羽監督はまたピッチャーとファーストの守備位置を代えて背番号3の相馬が再登板。しかし2番・吉田にセンター前ヒットと盗塁を許し、3番・徳丸のセカンド内野安打にエラーが絡み2点目を失うと、またまたピッチャーとファーストの守備位置交代。そのままエース・田中続投の方が良かったのだが、、、なおも続く無死2塁のピンチを4番・ラマルはチェンジアップで三振。直後にデッドボールをぶつけたものの、1・2塁と守りやすくなり注文通り6番・岡江を5-4-3ダブルプレーに仕留め2-0と桐蔭リードで折り返した。
やはり桐蔭はエース温存と余力を残して戦い総合力の高さをみせつけこの試合も優位に運んでいる。
外大西はトリッキーな継投で目先を交わそうとしているが、、、なんとか5回2失点と一応踏ん張ってはいるものの後手に回って反撃の糸口が見いだせない感は否めない。
1年生・森にてこづっているし、まだ後ろに複数投手控えているので残り4イニング2点以上返すのは難しそうに思えた・・・。
整備明けの6回連続三振などで森投手を捉えられないしまだ64球しか投げさせていないのでこのまま完封負けも考えられる局面だ。
それでものべ4番手となるエース・田中が打たせて取るピッチングで試合を壊さず、6回2死から森投手にヒットを浴びるも1番・境をピッチャーゴロに抑えまだ諦めていない姿勢は垣間見えた。
7回表1死から4番・松岡が四球で出塁。ホームランが出ればたちまち同点というシーンだが、外大西にそれだけの打力はないのでつないでつないで得点に結びつけるしかない。
やはり上羽監督はエンドランを多用して打者もファールでカットし粘りまくっていたが、10球目ボール球に手を出さず盗塁失敗・・・相馬も12球粘ったが最後はスプリットで三振とホームが遠かった。
その裏、桐蔭は2番からの攻撃で一気に突き放されるのでは?と警戒したが、内野ゴロ3つであえなく凡退。
8回表満を持して桐蔭はエース・平嶋投入。いきなり空振り三振を奪い剛速球がうなりを上げた。しかし、1死後2ストライクから四球を出しやや不安定なところも覗かせた。
代走・小世起用で上羽監督はまた足を絡めていくかと思いきや、8番・下曽山におとなしくバントのサインを出し2死2塁で9番・持田に回した。持田はショートゴロに倒れたと思われたが、ベースカバーがおらずラッキーな内野安打!このスキをついて代走・小世が長躯ホームインとスキのなさを見せ1点差に詰め寄った!
さらに1番・西川に代打・清水を起用して最後の勝負に出たが、2球で追い込まれ最後はスライダーで3球三振。
その裏、エース・田中が最後まで続投。先頭に代打を出しショート内野安打を喰らい、これを送って1死2塁。7番・増田は初球サードゴロで2死2塁となったところで、上羽監督は最後まで勝ちに行く姿勢を見せるべく8番・賀川を申告敬遠して9番・平嶋との勝負を選択し、レフトフライ。
いよいよ2023年最後のイニングとなった。2番からの攻撃で意地を見たかったが、あっさりツーアウト・・・4番・松岡は何とか四球をもぎとり、5番・相馬は初球レフト前ヒットで1・2塁となったところで2塁走者に代走・高島投入。さらに6番・田中もストレートの四球をもらって2死満塁。差はわずか1点なだけに押し出しでもエラーでも同点に追いつき9回裏を作れることも可能となる。ここで代打・鈴木が起用されベンチ20人中15人目の選手が出て来ての総力戦。2球で追い込まれるが粘ってフルカウントまで持ち込み。押し出しを願っていた8球目を打ち上げてしまいサードゴロで万事休す・・・。
結局、大阪桐蔭が今年も神宮行きを決める形となった。
終わってみれば2-1とロースコアの接戦となり、外大西も終盤見せ場を作ったがいかんせんこの1点の重みがズシリとのしかかった試合だった。
15時ちょうどに試合終了し、閉会式を最後まで見届け舞洲~西九条までのレンタサイクルラストラン!
ゆっくり名残惜しそうに漕いでいたのだが、それが災いし・・・なんと環状線全線ストップしており、駅周辺はごったがえしており、しゃーなしに市バスで福島方面を目指し、福島駅近くの喫茶店で打ち上げし、阪急・庄内駅近くの銭湯で1年の汗を流し、先頭から出た時にはもう漆黒の闇で秋風が身に染みた。
また次のシーズン2024年までかなり間があるが、あるいは5年ぶりに和歌山県勢センバツアベック出場の夢も耐久のお陰でちょっぴり出てきたし・・・・・。
~夢はでっかく和歌山県勢同士のセンバツ決勝戦~
の希望を胸に長い長い冬眠に入った。
平井堅 🎵キャッチボール
https://www.youtube.com/watch?v=JV31PUZkSoI
⚾今日の投手陣
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 死球 三振 暴投 失点 自責
京外大西 相 馬 3 2/3 18 66 3 2 4 0 2 1 1 1
京外大西 田 中 1/3 1 2 0 0 0 0 0 0 0 0
京外大西 相 馬 0/3 2 7 2 0 0 0 0 0 1 0
京外大西 田 中 4 15 36 2 1 1 1 1 0 0 0
大阪桐蔭 森 7 24 85 3 1 1 0 8 0 0 0
大阪桐蔭 平 嶋 2 11 47 2 1 3 0 2 0 1 1
(完)
🌟新シリーズのお知らせ🌟
生誕50周年記念祭の春 96回記念センバツ観戦記
3/18 初日第2試合 田辺(和歌山)-星稜(石川)
第9話 ありがとう舞洲 さよならするのはつらいけど・・・
一二三四五六七八九十計HE
京 外 西000000010 152 相馬、田中、相馬、田中-下曽山
大 桐 蔭01001000X 270 森、平嶋-増田
長かった2023年シーズンもこの1試合で終わる。
この日も半袖日和で西九条からレンタサイクルで舞洲入りする前に、、、あえて新大阪に寄り道して駅弁購入してからいつもの景色を見て常吉大橋を渡った。
とりあえず先に荷物を置いてネット裏中段席をキープして、弁当片手にセンターバックスクリーン奥の海岸線あずまやで駅弁食べてラジオ聞いてから再び球場入り。
スタンドを見れば外大西は今日もブラスバンドが来ていたが、桐蔭は録音応援だった・・・。
すでにセンバツ確定しているのでこの1試合だけのために舞洲まで足を運ぶ客は少数で広大なスタンドがいささか寂しい。11月四日でも夏のような陽射しのためにたっぷりと散水されていた。
両チームともにエース温存で外大西は昨日田中が完封していたのでファースト出場も仕方ないが、桐蔭はこの日も1年生・森が先発でエース平嶋は出てこない。
試合は1回表5球でツーアウトとなったが、3番・杉浦がセンター前ヒットを放ちすかさず盗塁と揺さぶってきたが、4番・杉浦3ボールから2球見逃し最後は空振り三振。
その裏、桐蔭は1番・境がレフトへツーベース。昔の桐蔭なら手堅くバントして1点を取りに来るが、甲子園優勝回数が多くなるにつれ、初回から力でねじ伏せようとエンドランなど強攻策が目立つ。2番・吉田が3球三振。3番・徳丸もセンターフライで走者が2塁釘付け。4番・ラマルには7球粘られ四球となったが、5番・吉野をセンターフライで抑え相馬投手もしっかり踏ん張り大事な立ち上がりを0点で抑えた。
しかし2回表あっさり3人で終わるとその裏、四球とバントで1死2塁とされ、8番・賀川が1-3からセンター前タイムリーヒットで初回の教訓を活かして1ヒットで先制。さらに森投手もバントして2死2塁で上位に回しここで1本出たらワンサイドになりかねなかったが、1番・境はスライダーに三振で最小限のダメージで食い止めた。
早く活路を開きたい外大西打線だが3回下位打線が連続三振。1番・西川がセーフティーを試みるもピッチャーゴロでキリキリ舞いだった。
その裏、ヒットと四球で無死1・2塁。上羽監督がタイムを要求して序盤の勝負所をどう抑えるか?と見ていたが、西谷監督は初回の強引さを引っ込めて4番・ラマルにも送りバントのサインを出したが3塁封殺。そして5番・吉野はピッチャーゴロゲッツーとこれでロースコアの接戦に終盤まで持ち込めば外大西にも勝機が出てくる予感がした!
4回表2番からの攻撃で期待したが、簡単にツーアウト。4番・松岡はライト前に微妙な打球を放ったが・・・ライト・境が中途半端に突っ込みこれを後逸してラッキーなツーベースとなりチャンス到来だったが、5番・相馬投手はファーストゴロに倒れ自分を助けられなかった。
その裏、桐蔭も簡単にツーアウトとなり、8番・賀川は初球ショートゴロだったがこれをショート・持田が悪送球。リズムを崩した相馬投手が相手投手の9番・森にストレートの四球を与え1・2塁と流れが悪くなったところで上羽監督はエース・田中と相馬の守備位置を代え最善尽くして1番・境はショートゴロに倒れ継投成功!
流れを変えるべく外大西は5回執拗なバント攻めに出てきた。先頭の田中が初球いきなりセーフティーをかましてファールの後に2球目ライト前ヒット。7番・中辻も初球バントファールの後2球目もバントしたがまさかのサードゴロ・・・。8番・下曽山はランナーなしの場面でもバントするケースが見受けられたが、ここは1死1塁なんで手堅くバントし2死2塁。9番・持田に期待がかかったが、投球前のけん制でセンターに悪送球を投げるもきっちりバックアップして3塁手前タッチアウトとトリックプレーに泣かされた↓↓
その裏、上羽監督はまたピッチャーとファーストの守備位置を代えて背番号3の相馬が再登板。しかし2番・吉田にセンター前ヒットと盗塁を許し、3番・徳丸のセカンド内野安打にエラーが絡み2点目を失うと、またまたピッチャーとファーストの守備位置交代。そのままエース・田中続投の方が良かったのだが、、、なおも続く無死2塁のピンチを4番・ラマルはチェンジアップで三振。直後にデッドボールをぶつけたものの、1・2塁と守りやすくなり注文通り6番・岡江を5-4-3ダブルプレーに仕留め2-0と桐蔭リードで折り返した。
やはり桐蔭はエース温存と余力を残して戦い総合力の高さをみせつけこの試合も優位に運んでいる。
外大西はトリッキーな継投で目先を交わそうとしているが、、、なんとか5回2失点と一応踏ん張ってはいるものの後手に回って反撃の糸口が見いだせない感は否めない。
1年生・森にてこづっているし、まだ後ろに複数投手控えているので残り4イニング2点以上返すのは難しそうに思えた・・・。
整備明けの6回連続三振などで森投手を捉えられないしまだ64球しか投げさせていないのでこのまま完封負けも考えられる局面だ。
それでものべ4番手となるエース・田中が打たせて取るピッチングで試合を壊さず、6回2死から森投手にヒットを浴びるも1番・境をピッチャーゴロに抑えまだ諦めていない姿勢は垣間見えた。
7回表1死から4番・松岡が四球で出塁。ホームランが出ればたちまち同点というシーンだが、外大西にそれだけの打力はないのでつないでつないで得点に結びつけるしかない。
やはり上羽監督はエンドランを多用して打者もファールでカットし粘りまくっていたが、10球目ボール球に手を出さず盗塁失敗・・・相馬も12球粘ったが最後はスプリットで三振とホームが遠かった。
その裏、桐蔭は2番からの攻撃で一気に突き放されるのでは?と警戒したが、内野ゴロ3つであえなく凡退。
8回表満を持して桐蔭はエース・平嶋投入。いきなり空振り三振を奪い剛速球がうなりを上げた。しかし、1死後2ストライクから四球を出しやや不安定なところも覗かせた。
代走・小世起用で上羽監督はまた足を絡めていくかと思いきや、8番・下曽山におとなしくバントのサインを出し2死2塁で9番・持田に回した。持田はショートゴロに倒れたと思われたが、ベースカバーがおらずラッキーな内野安打!このスキをついて代走・小世が長躯ホームインとスキのなさを見せ1点差に詰め寄った!
さらに1番・西川に代打・清水を起用して最後の勝負に出たが、2球で追い込まれ最後はスライダーで3球三振。
その裏、エース・田中が最後まで続投。先頭に代打を出しショート内野安打を喰らい、これを送って1死2塁。7番・増田は初球サードゴロで2死2塁となったところで、上羽監督は最後まで勝ちに行く姿勢を見せるべく8番・賀川を申告敬遠して9番・平嶋との勝負を選択し、レフトフライ。
いよいよ2023年最後のイニングとなった。2番からの攻撃で意地を見たかったが、あっさりツーアウト・・・4番・松岡は何とか四球をもぎとり、5番・相馬は初球レフト前ヒットで1・2塁となったところで2塁走者に代走・高島投入。さらに6番・田中もストレートの四球をもらって2死満塁。差はわずか1点なだけに押し出しでもエラーでも同点に追いつき9回裏を作れることも可能となる。ここで代打・鈴木が起用されベンチ20人中15人目の選手が出て来ての総力戦。2球で追い込まれるが粘ってフルカウントまで持ち込み。押し出しを願っていた8球目を打ち上げてしまいサードゴロで万事休す・・・。
結局、大阪桐蔭が今年も神宮行きを決める形となった。
終わってみれば2-1とロースコアの接戦となり、外大西も終盤見せ場を作ったがいかんせんこの1点の重みがズシリとのしかかった試合だった。
15時ちょうどに試合終了し、閉会式を最後まで見届け舞洲~西九条までのレンタサイクルラストラン!
ゆっくり名残惜しそうに漕いでいたのだが、それが災いし・・・なんと環状線全線ストップしており、駅周辺はごったがえしており、しゃーなしに市バスで福島方面を目指し、福島駅近くの喫茶店で打ち上げし、阪急・庄内駅近くの銭湯で1年の汗を流し、先頭から出た時にはもう漆黒の闇で秋風が身に染みた。
また次のシーズン2024年までかなり間があるが、あるいは5年ぶりに和歌山県勢センバツアベック出場の夢も耐久のお陰でちょっぴり出てきたし・・・・・。
~夢はでっかく和歌山県勢同士のセンバツ決勝戦~
の希望を胸に長い長い冬眠に入った。
平井堅 🎵キャッチボール
https://www.youtube.com/watch?v=JV31PUZkSoI
⚾今日の投手陣
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 死球 三振 暴投 失点 自責
京外大西 相 馬 3 2/3 18 66 3 2 4 0 2 1 1 1
京外大西 田 中 1/3 1 2 0 0 0 0 0 0 0 0
京外大西 相 馬 0/3 2 7 2 0 0 0 0 0 1 0
京外大西 田 中 4 15 36 2 1 1 1 1 0 0 0
大阪桐蔭 森 7 24 85 3 1 1 0 8 0 0 0
大阪桐蔭 平 嶋 2 11 47 2 1 3 0 2 0 1 1
(完)
🌟新シリーズのお知らせ🌟
生誕50周年記念祭の春 96回記念センバツ観戦記
3/18 初日第2試合 田辺(和歌山)-星稜(石川)
👣部員5人の南陵は善戦も16点差で敗れる ファウルアウトで終盤は4人の戦い
https://news.yahoo.co.jp/articles/dc43c28bcb082698dc35c3605eb9d159bac0e637
◇バスケットボール全国高校選手権第1日(2024年12月23日 東京体育館など)
開幕して男女の1回戦が行われ、男子は4大会連続4度目出場の和歌山南陵(和歌山)が長崎工(長崎)に64―80で敗れた。学校が深刻な経営難に陥った影響で今大会のメンバーは3年生の5人だけ。苦境を乗り越えて全国の舞台に立ったが、前代未聞の挑戦は1回戦で幕を閉じた。
メンバー5人の南陵は14人が出場した長崎工に善戦したが、16点差で敗戦。2点差に迫った第4Q残り6分42秒でファウルによる退場者が出て4人での戦いを余儀なくされると、終盤に突き放された。二宮主将は「3年間の集大成。南陵らしい、走らないバスケを40分間継続して、目の前の試合に勝ちたい」と一戦必勝を期していたが、白星は遠かった。
学校が深刻な経営難に陥り、現3年生が1年生だった22年に教員への給料未払いや公共料金の滞納など問題が多発。教員が授業をボイコットするなど混乱し、不安を抱いた生徒が大量に転向した。行政に新入生募集も禁止され、40人以上いたバスケ部員が今季は6人。寮の朝食が菓子パン1個だけの生活が約2カ月続いた時期もある。家族からの食事支援や、チーム運営費をクラウドファンディングで募るなどして苦境を乗り越えてきた。
紅白戦もできない状況で、8月の全国総体では1回戦を突破。今大会の県予選も勝ち抜いたが、その後、身長2メートル5の留学生が一時帰国して今大会は5人での戦い。消耗を抑えるため、時間をかけて攻める“走らないバスケ”を掲げるが、和中監督は「6人と5人では天と地の差。1人休めていたのが、全員がコートに立ち続けないといけない」と厳しい戦いを覚悟していた。
校歌はレゲエ。型破りな学校法人は校名変更前の09年にも不明瞭会計が問題化し一時休校している。大人の事情に振り回されながら、3年間戦い抜いた5人の高校生活は勝利に劣らない価値がある。試合終了間際に藤山がブザービータで決めた3点シュートはバスケの神様からの贈り物のように感じられた。
◆和歌山南陵高 元衆議院議員の井脇ノブ子氏が理事長を務める南陵学園が1990年に和歌山国際海洋高の校名で設立。09年に不明瞭な会計が発覚し、井脇氏は10年に多額の負債を残して校長と法人の理事長を辞職した。一時休校し、16年に現在の校名で再開校。22年には教員への給料未払いなどの問題が多発。教員が授業を行わないストライキを実施した。行政から生徒の募集や入学を停止する措置を命じられたが、今年4月に新理事長が就任して11月に解除された。
☝高校野球「弱小県」の名を返上せよ…夏の甲子園9大会連続初戦敗退の鳥取県が選手強化に本腰、元プロ招き「小さな県でもキラリと光る力を」
https://news.yahoo.co.jp/articles/2e49756e31b18622816b705fcf648528aa64b171
夏の甲子園大会9大会連続初戦敗退、70年近く8強入りなし――。高校野球「弱小県」の汚名を返上し、県民を勇気づけようと、鳥取県が選手強化に本腰を入れている。独自予算を計上し、Uターンした元読売巨人軍投手、川口和久さん(65)ら元プロに実技指導を依頼し、県外強豪校の招待試合を開催。甲子園準優勝など成果を上げた他県の先例もあり、再現を狙う。
鳥取は戦前の全国大会で4強入り4回を誇り、戦後も1960年春に米子東が準優勝した。夏はこの30年間でわずか3勝と、勝率は0割9分4厘で全国最下位。直近3年は零封負けが続く。
野球人気低下や人材流出を懸念する県高校野球連盟は2022年、県側に対策を相談。前年に古里の鳥取市に戻って就農していた川口さんに指導を仰いだ。
川口さんはアマチュアを指導できる学生野球資格を回復しており、県は翌年、スポーツ特別アドバイザーを委嘱。謝礼や交通費などに充てる年100万円の予算を確保した。川口さんは月1回ペースで県大会上位校への訪問指導を実践中で、制球力の高め方などを伝授された球児たちは「各自に合った的確なアドバイスをくれる。狙った所に強い球を投げられるようになった」と喜んでいる。
川口さんの人脈を生かし、広島東洋カープ時代の元同僚も講師に招いている。先月24日には、バッテリーを組んだ達川光男さん(69)、首位打者2回の内野手の正田耕三さん(62)らが各校合同の講習会に参加。倉吉東高(倉吉市)に集まった県内23校の指導者や選手約100人が、体の使い方や技術論の講義を受け、捕球方法や打撃フォームなどを学んだ。
10月13、14日には、県高野連が、県から一部費用の補助を受けながら鳥取市内で智弁和歌山(和歌山)との招待試合を開催。県秋季大会上位4校が全国レベルの強豪の胸を借りて経験を積んだ。
指導の成果で明るい兆しも見える。招待試合に参加した米子松蔭は、秋の中国大会で準優勝。 惣郷峻吏主将は「智弁和歌山は走塁意識が高く、自分たちも次の塁を狙う意識が高まった」と手応えを語る。
川口さんは「プロのノウハウを学び、甲子園で活躍を」と期待し、田中将・県スポーツ課長は「今夏の甲子園で8強入りした島根・大社高のように、小さな県でもキラリと光る力を発揮してほしい。県が活気づくきっかけとなれば」と願う。
秋田は強化プロジェクトを始め金足農が準優勝、佐賀も県が支援
近年、行政による高校野球強化で成果を上げたのは秋田県だ。夏の甲子園13年連続初戦敗退が2010年の県議会で取り上げられ、知事が「勝つための戦略を練る」と答弁。翌年から県教委と県高野連が「強化プロジェクト」を始めた。
甲子園優勝経験がある元監督やスポーツ科学の専門家による講習会を開き、投球、打撃動作の測定を通じた技術指導も実施。18年夏の 金足農準優勝につなげた。
佐賀県では現在、県出身の社会人野球選手を招いた指導や、県外強豪校の視察成果の共有などを県が支援している。
📝賛否両論!春のセンバツ「21世紀枠」に思うこと…来春は“快進撃”に密かに期待をしています(持丸修一/専修大松戸 野球部監督)
https://news.yahoo.co.jp/articles/58144aed0b51b0d739bf1cd69338cf5043455f53
【持丸修一 76歳名将の高校野球論】#53
先日、来春のセンバツの21世紀枠候補校9校が発表されました。どこも魅力的な学校ですが、その中でも壱岐(長崎)は部員21人全員が壱岐島出身ということもあり、話題をさらっています。
さて、この「21世紀枠」ですが……。存在意義がネット上では毎年のように議論になっていると聞きます。《野球振興のために欠かせない》《門戸を開くことも重要だ》といった声や、《本当に必要なのか》《実力で決めるべきではないか》といった否定的な意見もあるそうです。私は2つの側面で捉えています。
甲子園を目指して勝利を追求する「勝負師」として見れば、純粋に地方大会を勝ち上がった“野球の強い学校”が全国大会に出るべきでしょう。過去には秋の地方大会の準優勝校ではなく、日頃からボランティアに精を出すなど特色のある学校が甲子園切符を掴むこともあった。そんな現状を素直に受け入れられるかと問われたら、正直、複雑なところはあります。
一方、「教育の一環である高校野球」という面から見ると、重要な要素だとも考えられます。21世紀枠は心から野球が好きで一生懸命に取り組んでいる選手たちにとって希望でもあるのです。かつての出場校の選手たちを思い出してください。誰もが生き生きとした顔で、真剣にプレーしていました。その姿を見たら簡単に否定してしまうのも、いかがなものかと思ってしまいます。
総合すると、「春ぐらい、あってもいいのでは」と考えます。そもそも、本当の王者を決めるのは、夏の甲子園ですからね。
指導者として21世紀枠の出場校の戦い方は参考になる点も多々あります。最初に制度が導入された2001年は宜野座(沖縄)が準決勝進出の大躍進でした。当時、私は藤代(茨城)から同大会に臨んでいたため、現地で彼らの戦いぶりを目の当たりにし、レベルの高さに驚いたものです。
21世紀枠の出場校は大舞台に慣れていないせいか、本番では実力を発揮できないようなケースが目立ちます。それでも、来春のセンバツは前述のような“快進撃”が見られるのではと密かに期待を寄せています。今季から低反発バットが導入されたからです。
今夏の甲子園では下馬評をことごとく覆すようなジャイアントキリングが続出しました。21世紀枠の学校も、戦い方によってはひょっとしたら、ひょっとするかもしれません。
まずはどこの学校が来春の21世紀枠に選ばれるのか。選考委員会は1月24日。結果を楽しみに見守ります。
(持丸修一/専修大松戸 野球部監督)
https://news.yahoo.co.jp/articles/dc43c28bcb082698dc35c3605eb9d159bac0e637
◇バスケットボール全国高校選手権第1日(2024年12月23日 東京体育館など)
開幕して男女の1回戦が行われ、男子は4大会連続4度目出場の和歌山南陵(和歌山)が長崎工(長崎)に64―80で敗れた。学校が深刻な経営難に陥った影響で今大会のメンバーは3年生の5人だけ。苦境を乗り越えて全国の舞台に立ったが、前代未聞の挑戦は1回戦で幕を閉じた。
メンバー5人の南陵は14人が出場した長崎工に善戦したが、16点差で敗戦。2点差に迫った第4Q残り6分42秒でファウルによる退場者が出て4人での戦いを余儀なくされると、終盤に突き放された。二宮主将は「3年間の集大成。南陵らしい、走らないバスケを40分間継続して、目の前の試合に勝ちたい」と一戦必勝を期していたが、白星は遠かった。
学校が深刻な経営難に陥り、現3年生が1年生だった22年に教員への給料未払いや公共料金の滞納など問題が多発。教員が授業をボイコットするなど混乱し、不安を抱いた生徒が大量に転向した。行政に新入生募集も禁止され、40人以上いたバスケ部員が今季は6人。寮の朝食が菓子パン1個だけの生活が約2カ月続いた時期もある。家族からの食事支援や、チーム運営費をクラウドファンディングで募るなどして苦境を乗り越えてきた。
紅白戦もできない状況で、8月の全国総体では1回戦を突破。今大会の県予選も勝ち抜いたが、その後、身長2メートル5の留学生が一時帰国して今大会は5人での戦い。消耗を抑えるため、時間をかけて攻める“走らないバスケ”を掲げるが、和中監督は「6人と5人では天と地の差。1人休めていたのが、全員がコートに立ち続けないといけない」と厳しい戦いを覚悟していた。
校歌はレゲエ。型破りな学校法人は校名変更前の09年にも不明瞭会計が問題化し一時休校している。大人の事情に振り回されながら、3年間戦い抜いた5人の高校生活は勝利に劣らない価値がある。試合終了間際に藤山がブザービータで決めた3点シュートはバスケの神様からの贈り物のように感じられた。
◆和歌山南陵高 元衆議院議員の井脇ノブ子氏が理事長を務める南陵学園が1990年に和歌山国際海洋高の校名で設立。09年に不明瞭な会計が発覚し、井脇氏は10年に多額の負債を残して校長と法人の理事長を辞職した。一時休校し、16年に現在の校名で再開校。22年には教員への給料未払いなどの問題が多発。教員が授業を行わないストライキを実施した。行政から生徒の募集や入学を停止する措置を命じられたが、今年4月に新理事長が就任して11月に解除された。
☝高校野球「弱小県」の名を返上せよ…夏の甲子園9大会連続初戦敗退の鳥取県が選手強化に本腰、元プロ招き「小さな県でもキラリと光る力を」
https://news.yahoo.co.jp/articles/2e49756e31b18622816b705fcf648528aa64b171
夏の甲子園大会9大会連続初戦敗退、70年近く8強入りなし――。高校野球「弱小県」の汚名を返上し、県民を勇気づけようと、鳥取県が選手強化に本腰を入れている。独自予算を計上し、Uターンした元読売巨人軍投手、川口和久さん(65)ら元プロに実技指導を依頼し、県外強豪校の招待試合を開催。甲子園準優勝など成果を上げた他県の先例もあり、再現を狙う。
鳥取は戦前の全国大会で4強入り4回を誇り、戦後も1960年春に米子東が準優勝した。夏はこの30年間でわずか3勝と、勝率は0割9分4厘で全国最下位。直近3年は零封負けが続く。
野球人気低下や人材流出を懸念する県高校野球連盟は2022年、県側に対策を相談。前年に古里の鳥取市に戻って就農していた川口さんに指導を仰いだ。
川口さんはアマチュアを指導できる学生野球資格を回復しており、県は翌年、スポーツ特別アドバイザーを委嘱。謝礼や交通費などに充てる年100万円の予算を確保した。川口さんは月1回ペースで県大会上位校への訪問指導を実践中で、制球力の高め方などを伝授された球児たちは「各自に合った的確なアドバイスをくれる。狙った所に強い球を投げられるようになった」と喜んでいる。
川口さんの人脈を生かし、広島東洋カープ時代の元同僚も講師に招いている。先月24日には、バッテリーを組んだ達川光男さん(69)、首位打者2回の内野手の正田耕三さん(62)らが各校合同の講習会に参加。倉吉東高(倉吉市)に集まった県内23校の指導者や選手約100人が、体の使い方や技術論の講義を受け、捕球方法や打撃フォームなどを学んだ。
10月13、14日には、県高野連が、県から一部費用の補助を受けながら鳥取市内で智弁和歌山(和歌山)との招待試合を開催。県秋季大会上位4校が全国レベルの強豪の胸を借りて経験を積んだ。
指導の成果で明るい兆しも見える。招待試合に参加した米子松蔭は、秋の中国大会で準優勝。 惣郷峻吏主将は「智弁和歌山は走塁意識が高く、自分たちも次の塁を狙う意識が高まった」と手応えを語る。
川口さんは「プロのノウハウを学び、甲子園で活躍を」と期待し、田中将・県スポーツ課長は「今夏の甲子園で8強入りした島根・大社高のように、小さな県でもキラリと光る力を発揮してほしい。県が活気づくきっかけとなれば」と願う。
秋田は強化プロジェクトを始め金足農が準優勝、佐賀も県が支援
近年、行政による高校野球強化で成果を上げたのは秋田県だ。夏の甲子園13年連続初戦敗退が2010年の県議会で取り上げられ、知事が「勝つための戦略を練る」と答弁。翌年から県教委と県高野連が「強化プロジェクト」を始めた。
甲子園優勝経験がある元監督やスポーツ科学の専門家による講習会を開き、投球、打撃動作の測定を通じた技術指導も実施。18年夏の 金足農準優勝につなげた。
佐賀県では現在、県出身の社会人野球選手を招いた指導や、県外強豪校の視察成果の共有などを県が支援している。
📝賛否両論!春のセンバツ「21世紀枠」に思うこと…来春は“快進撃”に密かに期待をしています(持丸修一/専修大松戸 野球部監督)
https://news.yahoo.co.jp/articles/58144aed0b51b0d739bf1cd69338cf5043455f53
【持丸修一 76歳名将の高校野球論】#53
先日、来春のセンバツの21世紀枠候補校9校が発表されました。どこも魅力的な学校ですが、その中でも壱岐(長崎)は部員21人全員が壱岐島出身ということもあり、話題をさらっています。
さて、この「21世紀枠」ですが……。存在意義がネット上では毎年のように議論になっていると聞きます。《野球振興のために欠かせない》《門戸を開くことも重要だ》といった声や、《本当に必要なのか》《実力で決めるべきではないか》といった否定的な意見もあるそうです。私は2つの側面で捉えています。
甲子園を目指して勝利を追求する「勝負師」として見れば、純粋に地方大会を勝ち上がった“野球の強い学校”が全国大会に出るべきでしょう。過去には秋の地方大会の準優勝校ではなく、日頃からボランティアに精を出すなど特色のある学校が甲子園切符を掴むこともあった。そんな現状を素直に受け入れられるかと問われたら、正直、複雑なところはあります。
一方、「教育の一環である高校野球」という面から見ると、重要な要素だとも考えられます。21世紀枠は心から野球が好きで一生懸命に取り組んでいる選手たちにとって希望でもあるのです。かつての出場校の選手たちを思い出してください。誰もが生き生きとした顔で、真剣にプレーしていました。その姿を見たら簡単に否定してしまうのも、いかがなものかと思ってしまいます。
総合すると、「春ぐらい、あってもいいのでは」と考えます。そもそも、本当の王者を決めるのは、夏の甲子園ですからね。
指導者として21世紀枠の出場校の戦い方は参考になる点も多々あります。最初に制度が導入された2001年は宜野座(沖縄)が準決勝進出の大躍進でした。当時、私は藤代(茨城)から同大会に臨んでいたため、現地で彼らの戦いぶりを目の当たりにし、レベルの高さに驚いたものです。
21世紀枠の出場校は大舞台に慣れていないせいか、本番では実力を発揮できないようなケースが目立ちます。それでも、来春のセンバツは前述のような“快進撃”が見られるのではと密かに期待を寄せています。今季から低反発バットが導入されたからです。
今夏の甲子園では下馬評をことごとく覆すようなジャイアントキリングが続出しました。21世紀枠の学校も、戦い方によってはひょっとしたら、ひょっとするかもしれません。
まずはどこの学校が来春の21世紀枠に選ばれるのか。選考委員会は1月24日。結果を楽しみに見守ります。
(持丸修一/専修大松戸 野球部監督)