自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」
⚽第33回全日本高校女子サッカー選手権 三木総合防災公園第2陸上競技場【3回戦第2試合】 大商学園(大阪)vs鎮西学院(長崎) 311人
https://www.jfa.jp/match/highschool_womens_2024/schedule_result/pdf/m41.pdf
初戦では前回大会準優勝の十文字相手に1得点しか奪えず、大苦戦を強いられた末に辛くも逃げ切り4年ぶりに選手権大会白星を挙げましたが。。。。。
今日は2戦目ということで、生配信もなくノビノビとプレーできたのか???2試合で9得点という鎮西学院のお株を奪うべく、前半で2得点を奪い主導権を握り後半残り10分から立て続けにダメ押しの3得点を追加し、終わってみれば6-0で完勝した模様です!!
これで5日の準々決勝第1試合観戦のために4年ぶり3度目の三木行き決定!!!
今回は初めて三宮から恵比寿駅行きのバスで緑が丘駅まで行き、そこから無料シャトルバスで会場入りします。
相手の聖和学園の力量は分かりませんが、願わくば大会3連覇を狙う藤枝順心が上がって来るであろう準決勝までは行きたいなと。
神戸ウイングスタジアムのある和田岬界隈もこういう機会がないといけないので!!
🎤高校指導者から転身…ソフトバンク・大越基4軍監督 単独インタビューで語ったこれからの展望とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/ec91172a7559b86f57483c654aad705b116f10b2
来季から就任するソフトバンクの大越基4軍監督(53)が、本紙の単独インタビューに応えた。2003年にダイエーで現役引退後、09年からは早鞆(山口)で監督を務めており、22年ぶりの復帰となる。4軍は高卒の育成選手を中心に心身を鍛えるピラミッドの基礎だ。教員、指導者の経験を生かし「嫌われる監督」になることを宣言。自身の経験と重ね合わせ、選手には日本シリーズを経験してほしいと願った。
――驚きのホークス復帰でした。
「自分も驚いています。季節外れのエープリルフールじゃないかと思いました。(プロに)指導者として戻ろうと思って高校野球をやっていたわけではないので。話をもらった時は物凄くうれしかった」
――4軍は若い選手が多い。早鞆での高校野球指導の経験が生きてくる?
「教員は伝え方やしゃべることが仕事だった。そこがプロ野球の指導者にはない自分の武器だと思います。いろんなタイプの選手がいるので、アプローチを変えながら浸透させていきたい」
――会見で愛情を持って接すると語った。
「4軍監督に就任する際、高校(仙台育英)の時の校長先生からお電話をいただいたんです。“今年もたくさん、選手が辞めた。愛情を持って接すればその子たちも、嫌な気持ちにはならない。愛情を持って接しなさい”と言われて涙が出ました。愛情を持って接したいと思います」
――小久保監督とは同学年です。
「(現役時代は)一緒に食事もなかった。監督はよく練習する人格者。自分はどちらかというとそんな感じではない。あまり好かれていなかったかもしれないです(笑い)」
――12月末で早鞆を去ることには?
「寮を出られるのはうれしかったです。築60年くらいで室内アンテナでした。BSも映らなくて、大谷選手の試合も見られなかった。そこから出られると(笑い)」
――周囲の反応は?
「凄すぎですね。同じ人間なのに、早鞆の先生とホークスの4軍監督は違いますね。毎年、仙台に里帰りするんですが、今年は7、8人に声をかけられましたね」
――ご家族はどう受け止めましたか?
「妻は大反対でした。自分にそういうのはできないんじゃないかという見方と、教員は安定していますから。両親は後押ししてくれていました。自分は次の道でやっていきたいというのがあった」
――今までは甲子園。これからは?
「目指すものは日本一ですね。育成の選手たちにも、日本シリーズに出てほしい。日本シリーズでプレーしたことは脳に刻まれて忘れない。そこを目指し、実現するような言葉かけをしていきたい」
――自身の記憶も鮮明?
「(99年の日本シリーズで)外野守備走塁コーチの島田誠さんに“スタメンかもしれない”と言われました。寝られなかった。結局、スタメンじゃなかったですけどね(笑い)。でも、日本シリーズは全部、覚えています」
――確かに99年ダイエー初優勝、日本一は熱狂だった。
「これからは強いチームの一員として、しっかりと教えられるような指導者になっていきたい。好かれるだけではなく、嫌われてもいい。高校の監督をやっていても、嫌われていました」
――卒業すると教え子との垣根も取れることもある。
「そうですね。下関から筑後に引っ越ししたんですが、引っ越し会社に就職した教え子が全部やってくれた。指名しなかったけど来てくれて。嫌だったら来ないと思う。うれしかったですね」
――指導者冥利に尽きる。
「嫌われるし、悩むし、嫌なこともありますけど、先生をやってきて一番いいのは教え子のそういうところですね。1月からはいっぱい悩みたいし、嫌われたいと思います」
◇大越 基(おおこし・もとい)1971年(昭46)5月20日生まれ、宮城県出身の53歳。仙台育英時代は3年春と夏に甲子園出場。夏は全試合に完投して準優勝した。早大を中退し、92年ドラフト1位でダイエーに入団。プロ入り後に野手に転向。03年限りで現役引退。09年に早鞆の監督に就任した。24年12月末で退職。右投げ右打ち。
【取材後記】
聞けば聞くほど冒険の人生。仙台育英では甲子園準優勝投手となり、進学した早大では1年春季リーグから活躍した。ただ、部の空気になじめずに中退。米国で野球を続けるとダイエーから1位指名。引退後、大学へ通い直して、教員免許取得。現在に至る。
「なんでこんなになっているんでしょうね。想定しない道ばかり。プロも入りたいとは思わなかった。学校の先生もやりたくない職業だった」と大越4軍監督は苦笑いする。
早鞆では12年の選抜に出場するなど、15年間監督を務めた。“やりたくない”ことを仕事にした結果、楽しい。まずは飛び込んでみることの大切さを、その人生が証明している。「(高校野球は)楽しかった。また、やりたいですね」。いつの日か、旅に出る。楽しい旅になりそうだ。
https://www.jfa.jp/match/highschool_womens_2024/schedule_result/pdf/m41.pdf
初戦では前回大会準優勝の十文字相手に1得点しか奪えず、大苦戦を強いられた末に辛くも逃げ切り4年ぶりに選手権大会白星を挙げましたが。。。。。
今日は2戦目ということで、生配信もなくノビノビとプレーできたのか???2試合で9得点という鎮西学院のお株を奪うべく、前半で2得点を奪い主導権を握り後半残り10分から立て続けにダメ押しの3得点を追加し、終わってみれば6-0で完勝した模様です!!
これで5日の準々決勝第1試合観戦のために4年ぶり3度目の三木行き決定!!!
今回は初めて三宮から恵比寿駅行きのバスで緑が丘駅まで行き、そこから無料シャトルバスで会場入りします。
相手の聖和学園の力量は分かりませんが、願わくば大会3連覇を狙う藤枝順心が上がって来るであろう準決勝までは行きたいなと。
神戸ウイングスタジアムのある和田岬界隈もこういう機会がないといけないので!!
🎤高校指導者から転身…ソフトバンク・大越基4軍監督 単独インタビューで語ったこれからの展望とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/ec91172a7559b86f57483c654aad705b116f10b2
来季から就任するソフトバンクの大越基4軍監督(53)が、本紙の単独インタビューに応えた。2003年にダイエーで現役引退後、09年からは早鞆(山口)で監督を務めており、22年ぶりの復帰となる。4軍は高卒の育成選手を中心に心身を鍛えるピラミッドの基礎だ。教員、指導者の経験を生かし「嫌われる監督」になることを宣言。自身の経験と重ね合わせ、選手には日本シリーズを経験してほしいと願った。
――驚きのホークス復帰でした。
「自分も驚いています。季節外れのエープリルフールじゃないかと思いました。(プロに)指導者として戻ろうと思って高校野球をやっていたわけではないので。話をもらった時は物凄くうれしかった」
――4軍は若い選手が多い。早鞆での高校野球指導の経験が生きてくる?
「教員は伝え方やしゃべることが仕事だった。そこがプロ野球の指導者にはない自分の武器だと思います。いろんなタイプの選手がいるので、アプローチを変えながら浸透させていきたい」
――会見で愛情を持って接すると語った。
「4軍監督に就任する際、高校(仙台育英)の時の校長先生からお電話をいただいたんです。“今年もたくさん、選手が辞めた。愛情を持って接すればその子たちも、嫌な気持ちにはならない。愛情を持って接しなさい”と言われて涙が出ました。愛情を持って接したいと思います」
――小久保監督とは同学年です。
「(現役時代は)一緒に食事もなかった。監督はよく練習する人格者。自分はどちらかというとそんな感じではない。あまり好かれていなかったかもしれないです(笑い)」
――12月末で早鞆を去ることには?
「寮を出られるのはうれしかったです。築60年くらいで室内アンテナでした。BSも映らなくて、大谷選手の試合も見られなかった。そこから出られると(笑い)」
――周囲の反応は?
「凄すぎですね。同じ人間なのに、早鞆の先生とホークスの4軍監督は違いますね。毎年、仙台に里帰りするんですが、今年は7、8人に声をかけられましたね」
――ご家族はどう受け止めましたか?
「妻は大反対でした。自分にそういうのはできないんじゃないかという見方と、教員は安定していますから。両親は後押ししてくれていました。自分は次の道でやっていきたいというのがあった」
――今までは甲子園。これからは?
「目指すものは日本一ですね。育成の選手たちにも、日本シリーズに出てほしい。日本シリーズでプレーしたことは脳に刻まれて忘れない。そこを目指し、実現するような言葉かけをしていきたい」
――自身の記憶も鮮明?
「(99年の日本シリーズで)外野守備走塁コーチの島田誠さんに“スタメンかもしれない”と言われました。寝られなかった。結局、スタメンじゃなかったですけどね(笑い)。でも、日本シリーズは全部、覚えています」
――確かに99年ダイエー初優勝、日本一は熱狂だった。
「これからは強いチームの一員として、しっかりと教えられるような指導者になっていきたい。好かれるだけではなく、嫌われてもいい。高校の監督をやっていても、嫌われていました」
――卒業すると教え子との垣根も取れることもある。
「そうですね。下関から筑後に引っ越ししたんですが、引っ越し会社に就職した教え子が全部やってくれた。指名しなかったけど来てくれて。嫌だったら来ないと思う。うれしかったですね」
――指導者冥利に尽きる。
「嫌われるし、悩むし、嫌なこともありますけど、先生をやってきて一番いいのは教え子のそういうところですね。1月からはいっぱい悩みたいし、嫌われたいと思います」
◇大越 基(おおこし・もとい)1971年(昭46)5月20日生まれ、宮城県出身の53歳。仙台育英時代は3年春と夏に甲子園出場。夏は全試合に完投して準優勝した。早大を中退し、92年ドラフト1位でダイエーに入団。プロ入り後に野手に転向。03年限りで現役引退。09年に早鞆の監督に就任した。24年12月末で退職。右投げ右打ち。
【取材後記】
聞けば聞くほど冒険の人生。仙台育英では甲子園準優勝投手となり、進学した早大では1年春季リーグから活躍した。ただ、部の空気になじめずに中退。米国で野球を続けるとダイエーから1位指名。引退後、大学へ通い直して、教員免許取得。現在に至る。
「なんでこんなになっているんでしょうね。想定しない道ばかり。プロも入りたいとは思わなかった。学校の先生もやりたくない職業だった」と大越4軍監督は苦笑いする。
早鞆では12年の選抜に出場するなど、15年間監督を務めた。“やりたくない”ことを仕事にした結果、楽しい。まずは飛び込んでみることの大切さを、その人生が証明している。「(高校野球は)楽しかった。また、やりたいですね」。いつの日か、旅に出る。楽しい旅になりそうだ。
3/18 初日第3試合 近江(滋賀)-熊本国府(熊本) 16:18~18:37 17:34点灯 6回表から
第2話 多賀監督最後の聖戦・まさかのサヨナラワイルドピッチで終焉
一二三四五六七八九十計HE
近 江0010000000180 西山-高橋
熊本国府0010000001x270 坂井、植田-寺尾
第一試合 第二試合
八学光星5 星 稜4
関 東 一3 田 辺2
田辺が21世紀枠で選出され優勝候補で神宮王者の星稜を最後まで苦しめ大いなる感動を与えてくれたが、実はここから近畿勢悪夢の5連敗のはじまりで・・・・・。
まさかあの百戦錬磨の多賀監督率いる近江が初出場の熊本国府相手に不覚を取るなんて夢にも思わなかった、、、じゃんけんで負けて先攻になったと思われたが相手が相手だけにこれで9回裏まで観戦できナイターの可能性も高くなると軽く考えていたのだが・・・・・。
山田くんが抜けて甲子園優勝を狙える戦力だった22年に比べるとスケールダウンは否めないが、今年のエース・西山も安定感抜群でくじ運にも恵まれ8強までは堅いと信じていた。
それに多賀監督の采配が冴えれば2年ぶり2度目の決勝進出そして滋賀県勢悲願の初優勝の色気もあったが・・・・。
快晴の甲子園16時18分プレーボール。近江は伝統的に試合が長いので最悪でも銀傘の内野点灯はするだろうと。あとは雲が適度にアシストしてくれたらと。
1回表近江は幸先よく、1番・森島海がセンター前ヒットで出塁。関西の監督にしては珍しく多賀監督は近年最前列の外野寄りが定位置となっている。
打線が非力なんで迷わずバントのサインを送っているが、2番・岡本は2球ファールで苦しみながらもスリーバントを決めて1死2塁。3番・嶋村が初球レフト前ヒットでつないで1死1・3塁。相手は中間守備を敷きゲッツー崩れでも1点入る。初回から初出場校を圧倒したいところだが、4番・大石は2ボールからまさかのキャッチャーフライ。5番・森島佑も2-1と追い込まれもしかしたらランエンドヒットのサインが出ていたのかもしれないが、ボール球を見逃し盗塁成功もつかの間・・・3塁走者がホームに突入するも堅守に阻まれまさかのダブルスチール失敗・・・これですべての歯車が狂い思わぬ大苦戦を強いられる要因となった。
その裏、西山投手が先頭打者に得意のスライダーで三振を奪い、秋の興国戦を彷彿とさせるナイスピッチングだったが、2番・野田がセンター前ヒットを放ちすかさず盗塁成功。3番・内田もスライダーで三振までは良かったが、4番・中崎の4球目に暴投で3塁まで進塁を許しピンチが広がったが、ここもスライダーで三振と伝家の宝刀でアウトは全部三振と頼もしいエースだった!!
2回表相手のエース坂井も落ち着きを取り戻しスライダーで連続三振をとるなど三者凡退で近江の打線の非力さが一冬越えても解消されていなかった。
その裏1死からストレートの四球とレフト前ヒットで1・2塁のピンチ。8番・寺尾にフルカウントとなりここで歩かせては一大事だったが、ショートフライ。9番・坂井はスライダーで三振と凄まじいペースで奪三振ショーを繰り広げていた。
そして3回近江は2死ランナーなしから1・2番の連続長短打でようやく胸のつかえがとれる先取点が入り多賀監督を喜ばせた!さらに3番・嶋村もセンター前ヒットで続き1・3塁。さすがに4番打者の時に機動力は封印して真っ向勝負を挑むもまたもや2ボールからセカンドゴロで大ブレーキ・・・・・。
このまま主導権を握り試合を有利に進めたいところだが、その裏先頭の1番・梅田に四球を与え、バントで1死2塁と形を作られ、3番・内田を2球で追い込むも2-1からの5球目痛恨の左中間タイムリーツーベースであっさりと追いつかれてしまった!!これでリズムを崩し4番に死球をぶつけ多賀監督がタイムを要求。一息ついてライトフライと見逃しの三振に抑えたが、5安打放っている割には1点どまりで先制するもすぐ追いつかれるイヤな流れで序盤を終えた。
早く突き放したい近江だが、4回表先頭の5番・森島佑が3ボールで四球をもらえると思いきやここからまさかの3連続見逃しストライクで三振↓↓
しかし、デッドボールで1死1塁とランナーを出し、多賀監督の采配に注目が集まったが、あえて送りバントで2死2塁とし8番エース・西山のバットに託したがショートゴロ。
しかし、1点を取られても西山投手の球威は衰えず、ストレートで連続三振奪い2死後相手エースにヒットを打たれるもライトフライで凌ぎ攻撃に専念できる。
5回表9番・山中が2-1と追い込まれながらも近江らしく、ボールを見極めストライクはファールで逃げて7球粘って四球をもぎ取り先頭打者出塁。1番・森島海は2打数2安打なだけに前の回のように手堅くバントは考えづらい。
案の定熊本国府バッテリーは初球ウエストで様子を見、1-1からおそらくエンドランだったと思われるが空振りしてしまい盗塁失敗と多賀監督の采配が、、、、、結局3人で攻撃終了しドツボから抜け出せない。
相手は2番からの攻撃となる5回裏だったが、西山投手の剛腕が冴えわたりようやくこの試合初の三者凡退に抑え整備に入った。
しかし、戦前はもっと楽に勝てるのでは?と僕は考えていたが近江打線がここまで打てないとは・・・・・。
たしかに昨秋の近畿大会2試合で2得点と貧打に泣いたデータはあるが、九州の初出場校だったら軽く一蹴できると思っていたのだが。
やはり初回1死1・3塁のチャンスで相手の出鼻をくじけなかったことが苦戦の最大の要因と思われる。
頼みのエース・西山は4安打1失点と絶好調ではないと思われるが、すでに9奪三振と大気の片りんを見せてくれている。ただ、5回で96球投げておりこのままだと延長タイブレークにもなりかねないし、陽が西に傾き今後ますます寒さが厳しくなる環境で指先などの感覚は大丈夫だろうか???もっとも甲子園よりもかなり寒い彦根で冬の間鍛えてきただけにそれは杞憂だろうか?
いずれにせよこういう展開になってしまえば後攻を取れたらよかったのに・・・と。イニングが進むにつれて焦りが募っていく、、、、、
整備が終わり17時34分早くもナイター点灯で初日に来た甲斐があった!!
6回表3番からの攻撃だし、整備中に多賀監督から秘策を伝授されたと信じたかったが、それまで2打数2安打の3番・嶋村がスライダーに空振り三振してしまっては2打席連続チャンスで凡打の4番・大石がフルカウントから見逃しの三振もやむを得ずで結果三者凡退。
その裏、西山投手はここまで飛ばしすぎたこともあってか打たせて取るピッチングに切り替え内野ゴロ3つの省エネ投法に切り替え早く2点目が欲しいところ。
7回表先頭の6番・山本がレフト前ヒット。多賀監督は終盤1点勝負ゆえにベテランらしく迷わず送りバントで正攻法。なんとかエース・西山が自らのバットで自分を助けるタイムリーを打ってほしかったが、3打席連続ショートゴロで2塁走者進めず、9番・山中のライナーはショート正面に飛んでしまい2点目が奪えない・・・。
その裏、熊本国府は1死からエース・坂井に代打・元山を起用して勝負に出たが、外ボール球に手を出し三振。1番・梅田もスライダーに見逃しの三振で手も足も出なかった。
代打の関係で8回から2番手・植田が登板。右本格派から左サイドのトルネードという変則投法だが、1-1と緊迫した試合の終盤での登板。近江にとってはこの継投がこっちに流れが向かう結果となればと祈っていたら・・・1番からの攻撃でいきなり初球バントの構えをして揺さぶる1番・森島海が1球も振ることなく四球。2番・岡本が1球でバントを決めてこの試合5度目の得点圏の走者を送った。
ここでクリーンアップトリオでなんとか・・・と思っていたら、多賀監督のサインなのか?3番・嶋村初球まさかのバントをかましてこれが内野安打でオールセーフとなり1死1・3塁。
こうなると多賀監督のダイスキなスクイズで決勝点をもぎ取り監督の采配で勝つ理想的な展開も見えてきた!
いきなり初球スクイズの構えで揺さぶり2球目はウエストで2ボール。相手は中間守備なんでどう仕掛けるか?と見ていたら。3球目見逃しカウント1-2からの4球目盗塁が決まり2・3塁。あとは4番がこれまで潰してきた絶好機を3度目のチャンスで打点を挙げて欲しかったが、外ボール球に思わず手を出しまさかの三振。5番・森島佑も2-2から外角高めのストレートに三振と本当に厳しくなってきた。
こうなると流れは熊本国府に行き、その裏2番からの攻撃で先頭の野田がショート内野安打。多賀監督が危険を察知し2度目のタイムを取る中、相手も攻撃のタイムを使い緊迫の場面。定石なら送りバントだろうが、相手の山田監督は貴重なタイムリーを放っている内田に任せてセカンドゴロの間に1死2塁。4番・中崎はストレートの四球で歩かせ、ここまで当たりのない5・6番を早めに追い込み伝家の宝刀スライダーで連続三振で大ピンチ脱出!
いよいよ9回表。ここで点を取らなければサヨナラ負けのピンチと隣合わせとなる。
1死後7番・高橋がチーム8本目となるヒットをセンター前に放ち、西山投手は初球でバントを決め2死2塁。9番・山中に代打を・・・と思ったが、多賀監督はそのまま打たせて1ボールから1塁線に快心の打球も惜しくもファール・・・。これで球運が逃げていき、最後は内角124kmの直球に手が出ず見逃しの三振でサヨナラ負けの悪夢が脳裏をよぎる。。。
相手は7番からの攻撃で簡単に終わらせて延長タイブレークに持ち込まなければならないが、いきなり初球セーフティーをかましファールとなるも揺さぶられ、2-1と追い込みながらレフト前ヒットでサヨナラの走者が・・・。すかさず多賀監督がタイムを取り落ち着かせ8番・寺尾は2球ファールで追い込まれるも、西山投手もプレッシャーからかフルカウントにしてしまい6球目送りバントが決まり痛み分け。
植田投手はそのまま打席に入りスライダーに三振。出口が見えてきたところで1番・梅田に3ボールとしてしまい1塁が空いていることを考えると無理しなくてもよい場面だが、あえて勝負を挑み1-3から三遊間を抜けていく・・・抜かれた瞬間負けたと思ったが、低反発バットの影響もあり極端に外野手が前進していたので3塁コーチャーストップの判断に助けられまだ試合は終わらない。
2番・野田を迎え、相手は九州男児らしくダブルスチールなどコスいことは考えず真っ向勝負を挑み2球で追い込みボール球でエサを撒き勝負の5球目は火の出るような痛烈なライナー・・・あっと思った瞬間にボールはサード・大石のグラブに収まりまさかの初日から2試合も延長戦を観戦する運びとなった。
これが2024年16試合延長タイブレークを観戦した序章だった。。。
まさかセンバツ開幕日から2回も延長タイブレークを観れるなんて夢にも思わなかったが、、、しかし延長戦はダイスキだがタイブレークは今でも絶対反対派なんで・・・せめて13回からに戻して欲しいのだが。
近江は1番からの好打順でここで3点以上突き放せばまず勝ちは見えてくるのだが、、、2点どまりだと裏の攻撃で追いつかれかねないし、無得点だったら即サヨナラ負けのピンチになるわけで・・・。
10回表多賀監督はどう攻めるかミモノだったが、まさかまさかの3球で攻撃終了と、、、、、
まず1番・森島海が初球バントするもピッチャー前に転がり3塁封殺。
2番・岡本は強攻で1ボールからの2球目6-4-3のダブルプレーで一瞬にして無得点↓↓
こうなると、ここまで157球投げた新山投手に重すぎる負担がかかる。。。
相手は3番からの攻撃だったが、山田監督は手堅く送りバントのサインを出し、西山投手も無理せず1塁でアウトを取り1死2・3塁。4番・中崎を敬遠することも考えられたが、勝負を挑み8球粘られ結局四球で1死満塁。
ここで多賀監督からタイムが送られ5番・岡本と対峙。スクイズはないと思っていた。初球ストライクが入りホッとしていたが1-1から西山投手この試合169球目・・・・・キャッチャーの構えているところから大きく外れまさかのサヨナラワイルドピッチで痛恨のサヨナラ負け・・・・・。
まさか夏春連続甲子園初戦敗退とは考えもしなかった。。。
結局低反発バットに変わってしまったこともあるが、打線の底上げができないままセンバツに入り西山投手を見殺しにしてしまった・・・・・。
この敗戦が大きく尾を引いたのか?滋賀大会で幾度となく優勝をしてきた多賀監督の勢いが翳り、春は準優勝と一定の成果は上げたが、夏秋ともにまさかの準決勝コールド負けで盟主の座を滋賀学園に譲る格好となり、この年末に多賀監督3月末をもって勇退し、総監督になるという報道が・・・・・。
これで、近江の時代はもしかしたら幕を閉じるかもしれない。そして多賀監督のユニホーム姿が見納めになってしまったことにものすごく寂しさを感じるがこの時はまだ知る由もなく、呆然とバックネット方向に転がったボールを凝視して「あ~~~~・・・」という阿鼻叫喚の悲しい声が夜空に響くしかなかった。
大会2日目はTV観戦で翌日に備えていたが、3月20日はここ10年のセンバツでもっとも寒かった1日かもしれない。。。とにかく風がきつくビニール袋やザブトンが油断していたらすぐに遠くへ吹き飛ばされ、防寒対策をしていても寒さは身に染みて試合中に大雨が降っても中断しないので、外野観戦の僕はやむなく通路に緊急避難してスコア付け・・・。
本当に散々な1日だったが、そんな日に創志学園・耐久が登場。それはまた次回の講釈で。
⚾今日の投手陣
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 死球 三振 暴投 失点 自責
近 江 西 山 9 1/3 41 169 7 3 4 1 14 2 2 1
熊本国府 坂 井 7 28 94 6 3 1 1 6 0 1 1
熊本国府 植 田 3 11 38 2 2 1 0 3 0 0 0
(完)
🌟次回予告🌟
3/20 3日目第1試合 創志学園(岡山)-別海(北海道)
第2話 多賀監督最後の聖戦・まさかのサヨナラワイルドピッチで終焉
一二三四五六七八九十計HE
近 江0010000000180 西山-高橋
熊本国府0010000001x270 坂井、植田-寺尾
第一試合 第二試合
八学光星5 星 稜4
関 東 一3 田 辺2
田辺が21世紀枠で選出され優勝候補で神宮王者の星稜を最後まで苦しめ大いなる感動を与えてくれたが、実はここから近畿勢悪夢の5連敗のはじまりで・・・・・。
まさかあの百戦錬磨の多賀監督率いる近江が初出場の熊本国府相手に不覚を取るなんて夢にも思わなかった、、、じゃんけんで負けて先攻になったと思われたが相手が相手だけにこれで9回裏まで観戦できナイターの可能性も高くなると軽く考えていたのだが・・・・・。
山田くんが抜けて甲子園優勝を狙える戦力だった22年に比べるとスケールダウンは否めないが、今年のエース・西山も安定感抜群でくじ運にも恵まれ8強までは堅いと信じていた。
それに多賀監督の采配が冴えれば2年ぶり2度目の決勝進出そして滋賀県勢悲願の初優勝の色気もあったが・・・・。
快晴の甲子園16時18分プレーボール。近江は伝統的に試合が長いので最悪でも銀傘の内野点灯はするだろうと。あとは雲が適度にアシストしてくれたらと。
1回表近江は幸先よく、1番・森島海がセンター前ヒットで出塁。関西の監督にしては珍しく多賀監督は近年最前列の外野寄りが定位置となっている。
打線が非力なんで迷わずバントのサインを送っているが、2番・岡本は2球ファールで苦しみながらもスリーバントを決めて1死2塁。3番・嶋村が初球レフト前ヒットでつないで1死1・3塁。相手は中間守備を敷きゲッツー崩れでも1点入る。初回から初出場校を圧倒したいところだが、4番・大石は2ボールからまさかのキャッチャーフライ。5番・森島佑も2-1と追い込まれもしかしたらランエンドヒットのサインが出ていたのかもしれないが、ボール球を見逃し盗塁成功もつかの間・・・3塁走者がホームに突入するも堅守に阻まれまさかのダブルスチール失敗・・・これですべての歯車が狂い思わぬ大苦戦を強いられる要因となった。
その裏、西山投手が先頭打者に得意のスライダーで三振を奪い、秋の興国戦を彷彿とさせるナイスピッチングだったが、2番・野田がセンター前ヒットを放ちすかさず盗塁成功。3番・内田もスライダーで三振までは良かったが、4番・中崎の4球目に暴投で3塁まで進塁を許しピンチが広がったが、ここもスライダーで三振と伝家の宝刀でアウトは全部三振と頼もしいエースだった!!
2回表相手のエース坂井も落ち着きを取り戻しスライダーで連続三振をとるなど三者凡退で近江の打線の非力さが一冬越えても解消されていなかった。
その裏1死からストレートの四球とレフト前ヒットで1・2塁のピンチ。8番・寺尾にフルカウントとなりここで歩かせては一大事だったが、ショートフライ。9番・坂井はスライダーで三振と凄まじいペースで奪三振ショーを繰り広げていた。
そして3回近江は2死ランナーなしから1・2番の連続長短打でようやく胸のつかえがとれる先取点が入り多賀監督を喜ばせた!さらに3番・嶋村もセンター前ヒットで続き1・3塁。さすがに4番打者の時に機動力は封印して真っ向勝負を挑むもまたもや2ボールからセカンドゴロで大ブレーキ・・・・・。
このまま主導権を握り試合を有利に進めたいところだが、その裏先頭の1番・梅田に四球を与え、バントで1死2塁と形を作られ、3番・内田を2球で追い込むも2-1からの5球目痛恨の左中間タイムリーツーベースであっさりと追いつかれてしまった!!これでリズムを崩し4番に死球をぶつけ多賀監督がタイムを要求。一息ついてライトフライと見逃しの三振に抑えたが、5安打放っている割には1点どまりで先制するもすぐ追いつかれるイヤな流れで序盤を終えた。
早く突き放したい近江だが、4回表先頭の5番・森島佑が3ボールで四球をもらえると思いきやここからまさかの3連続見逃しストライクで三振↓↓
しかし、デッドボールで1死1塁とランナーを出し、多賀監督の采配に注目が集まったが、あえて送りバントで2死2塁とし8番エース・西山のバットに託したがショートゴロ。
しかし、1点を取られても西山投手の球威は衰えず、ストレートで連続三振奪い2死後相手エースにヒットを打たれるもライトフライで凌ぎ攻撃に専念できる。
5回表9番・山中が2-1と追い込まれながらも近江らしく、ボールを見極めストライクはファールで逃げて7球粘って四球をもぎ取り先頭打者出塁。1番・森島海は2打数2安打なだけに前の回のように手堅くバントは考えづらい。
案の定熊本国府バッテリーは初球ウエストで様子を見、1-1からおそらくエンドランだったと思われるが空振りしてしまい盗塁失敗と多賀監督の采配が、、、、、結局3人で攻撃終了しドツボから抜け出せない。
相手は2番からの攻撃となる5回裏だったが、西山投手の剛腕が冴えわたりようやくこの試合初の三者凡退に抑え整備に入った。
しかし、戦前はもっと楽に勝てるのでは?と僕は考えていたが近江打線がここまで打てないとは・・・・・。
たしかに昨秋の近畿大会2試合で2得点と貧打に泣いたデータはあるが、九州の初出場校だったら軽く一蹴できると思っていたのだが。
やはり初回1死1・3塁のチャンスで相手の出鼻をくじけなかったことが苦戦の最大の要因と思われる。
頼みのエース・西山は4安打1失点と絶好調ではないと思われるが、すでに9奪三振と大気の片りんを見せてくれている。ただ、5回で96球投げておりこのままだと延長タイブレークにもなりかねないし、陽が西に傾き今後ますます寒さが厳しくなる環境で指先などの感覚は大丈夫だろうか???もっとも甲子園よりもかなり寒い彦根で冬の間鍛えてきただけにそれは杞憂だろうか?
いずれにせよこういう展開になってしまえば後攻を取れたらよかったのに・・・と。イニングが進むにつれて焦りが募っていく、、、、、
整備が終わり17時34分早くもナイター点灯で初日に来た甲斐があった!!
6回表3番からの攻撃だし、整備中に多賀監督から秘策を伝授されたと信じたかったが、それまで2打数2安打の3番・嶋村がスライダーに空振り三振してしまっては2打席連続チャンスで凡打の4番・大石がフルカウントから見逃しの三振もやむを得ずで結果三者凡退。
その裏、西山投手はここまで飛ばしすぎたこともあってか打たせて取るピッチングに切り替え内野ゴロ3つの省エネ投法に切り替え早く2点目が欲しいところ。
7回表先頭の6番・山本がレフト前ヒット。多賀監督は終盤1点勝負ゆえにベテランらしく迷わず送りバントで正攻法。なんとかエース・西山が自らのバットで自分を助けるタイムリーを打ってほしかったが、3打席連続ショートゴロで2塁走者進めず、9番・山中のライナーはショート正面に飛んでしまい2点目が奪えない・・・。
その裏、熊本国府は1死からエース・坂井に代打・元山を起用して勝負に出たが、外ボール球に手を出し三振。1番・梅田もスライダーに見逃しの三振で手も足も出なかった。
代打の関係で8回から2番手・植田が登板。右本格派から左サイドのトルネードという変則投法だが、1-1と緊迫した試合の終盤での登板。近江にとってはこの継投がこっちに流れが向かう結果となればと祈っていたら・・・1番からの攻撃でいきなり初球バントの構えをして揺さぶる1番・森島海が1球も振ることなく四球。2番・岡本が1球でバントを決めてこの試合5度目の得点圏の走者を送った。
ここでクリーンアップトリオでなんとか・・・と思っていたら、多賀監督のサインなのか?3番・嶋村初球まさかのバントをかましてこれが内野安打でオールセーフとなり1死1・3塁。
こうなると多賀監督のダイスキなスクイズで決勝点をもぎ取り監督の采配で勝つ理想的な展開も見えてきた!
いきなり初球スクイズの構えで揺さぶり2球目はウエストで2ボール。相手は中間守備なんでどう仕掛けるか?と見ていたら。3球目見逃しカウント1-2からの4球目盗塁が決まり2・3塁。あとは4番がこれまで潰してきた絶好機を3度目のチャンスで打点を挙げて欲しかったが、外ボール球に思わず手を出しまさかの三振。5番・森島佑も2-2から外角高めのストレートに三振と本当に厳しくなってきた。
こうなると流れは熊本国府に行き、その裏2番からの攻撃で先頭の野田がショート内野安打。多賀監督が危険を察知し2度目のタイムを取る中、相手も攻撃のタイムを使い緊迫の場面。定石なら送りバントだろうが、相手の山田監督は貴重なタイムリーを放っている内田に任せてセカンドゴロの間に1死2塁。4番・中崎はストレートの四球で歩かせ、ここまで当たりのない5・6番を早めに追い込み伝家の宝刀スライダーで連続三振で大ピンチ脱出!
いよいよ9回表。ここで点を取らなければサヨナラ負けのピンチと隣合わせとなる。
1死後7番・高橋がチーム8本目となるヒットをセンター前に放ち、西山投手は初球でバントを決め2死2塁。9番・山中に代打を・・・と思ったが、多賀監督はそのまま打たせて1ボールから1塁線に快心の打球も惜しくもファール・・・。これで球運が逃げていき、最後は内角124kmの直球に手が出ず見逃しの三振でサヨナラ負けの悪夢が脳裏をよぎる。。。
相手は7番からの攻撃で簡単に終わらせて延長タイブレークに持ち込まなければならないが、いきなり初球セーフティーをかましファールとなるも揺さぶられ、2-1と追い込みながらレフト前ヒットでサヨナラの走者が・・・。すかさず多賀監督がタイムを取り落ち着かせ8番・寺尾は2球ファールで追い込まれるも、西山投手もプレッシャーからかフルカウントにしてしまい6球目送りバントが決まり痛み分け。
植田投手はそのまま打席に入りスライダーに三振。出口が見えてきたところで1番・梅田に3ボールとしてしまい1塁が空いていることを考えると無理しなくてもよい場面だが、あえて勝負を挑み1-3から三遊間を抜けていく・・・抜かれた瞬間負けたと思ったが、低反発バットの影響もあり極端に外野手が前進していたので3塁コーチャーストップの判断に助けられまだ試合は終わらない。
2番・野田を迎え、相手は九州男児らしくダブルスチールなどコスいことは考えず真っ向勝負を挑み2球で追い込みボール球でエサを撒き勝負の5球目は火の出るような痛烈なライナー・・・あっと思った瞬間にボールはサード・大石のグラブに収まりまさかの初日から2試合も延長戦を観戦する運びとなった。
これが2024年16試合延長タイブレークを観戦した序章だった。。。
まさかセンバツ開幕日から2回も延長タイブレークを観れるなんて夢にも思わなかったが、、、しかし延長戦はダイスキだがタイブレークは今でも絶対反対派なんで・・・せめて13回からに戻して欲しいのだが。
近江は1番からの好打順でここで3点以上突き放せばまず勝ちは見えてくるのだが、、、2点どまりだと裏の攻撃で追いつかれかねないし、無得点だったら即サヨナラ負けのピンチになるわけで・・・。
10回表多賀監督はどう攻めるかミモノだったが、まさかまさかの3球で攻撃終了と、、、、、
まず1番・森島海が初球バントするもピッチャー前に転がり3塁封殺。
2番・岡本は強攻で1ボールからの2球目6-4-3のダブルプレーで一瞬にして無得点↓↓
こうなると、ここまで157球投げた新山投手に重すぎる負担がかかる。。。
相手は3番からの攻撃だったが、山田監督は手堅く送りバントのサインを出し、西山投手も無理せず1塁でアウトを取り1死2・3塁。4番・中崎を敬遠することも考えられたが、勝負を挑み8球粘られ結局四球で1死満塁。
ここで多賀監督からタイムが送られ5番・岡本と対峙。スクイズはないと思っていた。初球ストライクが入りホッとしていたが1-1から西山投手この試合169球目・・・・・キャッチャーの構えているところから大きく外れまさかのサヨナラワイルドピッチで痛恨のサヨナラ負け・・・・・。
まさか夏春連続甲子園初戦敗退とは考えもしなかった。。。
結局低反発バットに変わってしまったこともあるが、打線の底上げができないままセンバツに入り西山投手を見殺しにしてしまった・・・・・。
この敗戦が大きく尾を引いたのか?滋賀大会で幾度となく優勝をしてきた多賀監督の勢いが翳り、春は準優勝と一定の成果は上げたが、夏秋ともにまさかの準決勝コールド負けで盟主の座を滋賀学園に譲る格好となり、この年末に多賀監督3月末をもって勇退し、総監督になるという報道が・・・・・。
これで、近江の時代はもしかしたら幕を閉じるかもしれない。そして多賀監督のユニホーム姿が見納めになってしまったことにものすごく寂しさを感じるがこの時はまだ知る由もなく、呆然とバックネット方向に転がったボールを凝視して「あ~~~~・・・」という阿鼻叫喚の悲しい声が夜空に響くしかなかった。
大会2日目はTV観戦で翌日に備えていたが、3月20日はここ10年のセンバツでもっとも寒かった1日かもしれない。。。とにかく風がきつくビニール袋やザブトンが油断していたらすぐに遠くへ吹き飛ばされ、防寒対策をしていても寒さは身に染みて試合中に大雨が降っても中断しないので、外野観戦の僕はやむなく通路に緊急避難してスコア付け・・・。
本当に散々な1日だったが、そんな日に創志学園・耐久が登場。それはまた次回の講釈で。
⚾今日の投手陣
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 死球 三振 暴投 失点 自責
近 江 西 山 9 1/3 41 169 7 3 4 1 14 2 2 1
熊本国府 坂 井 7 28 94 6 3 1 1 6 0 1 1
熊本国府 植 田 3 11 38 2 2 1 0 3 0 0 0
(完)
🌟次回予告🌟
3/20 3日目第1試合 創志学園(岡山)-別海(北海道)
💢〝甲子園のラガーさん〟がセンバツ出場校を最速予想! 健大高崎に「山本由伸」級の逸材
https://news.yahoo.co.jp/articles/c7396e2295eddeae849757ba576a2614a7c3cb71
球児たちの“熱いドラマ”を見逃すな! 第97回選抜高校野球大会は2025年3月18日に甲子園球場で開幕し、30日までの13日間(休養日を含む)にわたって熱戦が繰り広げられる。出場校は1月24日の選考委員会で決定するが、ひと足早く「甲子園のラガーさん」こと善養寺隆一氏(58)が、自身の足で稼いだ情報をもとに一般出場枠から21世紀枠、神宮枠を含む全出場校を完全大予想。サクラ咲く32校は果たして――。
――お久しぶりです。恒例の予想をよろしくお願いします
ラガー 今回はこれまでとは力の入り具合が全然違うから。関東・東京大会はもちろん、北海道から九州大会まで足を運んで、できる限りこの目で試合を見てきたからね。
――早速ですが、北海道1枠は全道Vの東海大札幌で不動。東北3枠は地区大会Vの聖光学院(福島)と準Vの青森山田が当確で、残り1枠は
ラガー 準決勝で優勝校の聖光学院に1―7と大敗を喫した山形中央よりも青森山田に1―4と敗れた花巻東(岩手)に分がありそう。
――関東・東京は地区大会Vの横浜(神奈川)が神宮大会で27年ぶり2度目の優勝を飾り1枠増の7枠。その横浜と準Vの健大高崎(群馬)、ベスト4の浦和実(埼玉)、千葉黎明に加え、東京は優勝した二松学舎大付が当確ですね
ラガー ただ、俺の見立てでは関東と神宮大会覇者の横浜よりセンバツ連覇を目指す健大高崎の方がチーム力は上だと思う。特に最速158キロ右腕のエース・石垣元気(2年)はプロスカウトも熱視線は間違いなし。身長は178センチと大きくはないが、右手の握力は80キロもあるらしい。将来は山本由伸(ドジャース)級の逸材になりそう。
――残り2枠は
ラガー 都大会の決勝で早実が延長12回タイブレークの激闘を演じているだけに、東京にもう1枠を与えられる可能性が高い。最後の1枠は難解だけど、関東大会の準々決勝で横浜と接戦を繰り広げた東農大二(群馬)を推す。エース右腕の山田琉聖(2年)は巨人の西舘をほうふつとさせる本格派で、威力のある直球やキレのある変化球は甲子園のマウンドでも見たいね。
――北信越2枠は北信越大会優勝の敦賀気比(福井)と準Vの日本航空石川が当確として、東海3枠は
ラガー 地区大会優勝の大垣日大(岐阜)、準Vの常葉大菊川(静岡)で順当。残り1枠は4強入りの至学館(愛知)と岐阜第一の一騎打ちとなりそうだが、地域性を重視して至学館が一歩有利とみた。
――近畿6枠は地区大会優勝の東洋大姫路(兵庫)、準優勝の智弁和歌山、ベスト4の天理(奈良)、市和歌山は確定的
ラガー その通り。残り2枠は強豪校の大阪桐蔭に勝利した滋賀学園、優勝した東洋大姫路に惜敗した大阪学院大が地域性という点でも有力。
――石垣以外の注目選手は
ラガー 東洋大姫路の1年秋からエースナンバーを背負う最速147キロ右腕の阪下漣(2年)だね。マウンド度胸が抜群で、とにかく制球力が安定している。阪神の才木のようなスケールの大きさを感じる。
――中国は大会優勝の広島商と準優勝の米子松蔭(鳥取)、四国も優勝の明徳義塾(高知)、準優勝の高松商(香川)で両地区ともに決勝進出の2校で決まりですね
ラガー 異論なし! 九州4枠も優勝の沖縄尚学、準Vのエナジック(沖縄)、ベスト4の柳ケ浦(大分)、西日本短大付(福岡)で順当とみた。
――21世紀枠は
ラガー 全国9地区から選ばれるのは2校。1校目は壱岐(長崎)で、部員全21人が島内の中学出身という少数精鋭。離島のハンディがありながら県大会では強豪の創成館や大崎を破って準優勝し、九州大会でも専大熊本玉名に勝利した実力もある。残り1校は久慈(岩手)を推す。県大会で3位に入り、東北大会の初戦では今年センバツ出場の学法石川(福島)に7―2で快勝。卒業生の過半数が国公立大への合格者を誇る県内屈指の進学校で「文武両道」の模範として文句なし。同校はNHK連続テレビ小説「あまちゃん」のロケ地になったことでも知られるし、甲子園で“じぇじぇじぇ旋風”を巻き起こしてほしいね。
――全32校の正式発表は1月24日。楽しみだ
ラガー どんな顔ぶれの高校になろうと、勝敗の鍵はタイブレークとなるのでは。延長10回無死一、二塁から実施されるが、やはりバントが大事になる。しっかり走者を送ることができれば1本で2点をもぎ取る可能性も出てくる。低反発バットの導入も相まって、長打に頼らないチームが強豪校にひと泡吹かせるシーンが多く見られそうだ。
――高校野球に変化
ラガー 高野連は9回の試合を短縮する「7回制」導入の検討に入ったとも報じられているが、俺の知る高校野球がどんどん変わっていってしまう…。この時代の流れを楽しむしかない。
☆ぜんようじ・りゅういち 1966年8月13日生まれ、東京都豊島区出身。小学校から野球を始め、中学時代は右翼手でレギュラーとして活躍。都立文京高校進学後、野球マニアの道に進む。高校卒業後、父が営む印刷会社に就職。99年から春のセンバツ、夏の選手権大会全試合を甲子園のネット裏最前列で観戦。黄色い帽子とラガーシャツから「甲子園のラガーさん」と呼ばれ親しまれる。168センチ、75キロ。左投げ左打ち。
コメント欄を読んでいると有識者からの声は・・・
🎤小学生のドリームシートは良い事だと思うが、春・夏の甲子園が前売り指定になった原因に、少なからず影響を与えている人物。
最前列の自分の「指定席」に座れないと恫喝していたのは有名な話。
少なからず、私はこの方のコメントや予想など期待していない。マスコミは持て囃さないで欲しい。
🎤昔店で働いてた時にこの人来ました。
私知ってますか?と聞かれて知ってたけど知りません。と答えたら自分が載ってる雑誌見せてきました。
凄いでしょ?て言われたので 高校野球の主役は選手達なので特に何が凄いか分からないです。
言うたらバツが悪そうに帰って行きました。
🎤甲子園追い出されて、都内の中学のシニアや軟式野球にこの格好でバックネット裏にいますよ。目立ちたい、騒がれたい、声かけられたい…勘違いの寂しがりやの独身です。
普通の格好で見れないのかね…
昨年の神宮大会なんて左打者映す時の背景に映り込む為に一塁ベンチ横に毎試合陣取ってました。マジ必要ないです…取材とかして持ち上げるな…全く
🎤人のする格好にいちいち言いたくもないし、個人の自由だから好きな格好すればいいけど、野球が好きならラガーシャツは違うやろって思うのは私だけだろうか?
🎤甲子園の八号門前に居座ってフォトセッションして本売ってましたね
高校野球ファンは冷ややかに見ていました
🎤その昔、甲子園のバックネット席で「そこはオレの席だ!」と怒られました。この人に。
🎤75kgじゃないような気がしたけど。下手したら3桁ない?
🎤ネット裏でテレビに映れなくなったの最近は打者を横から映した時に映るようベンチ上の席にいたりする
相変わらず自己顕示欲、承認欲求の塊のような目障り、不快な迷惑存在
🎤なんでこんな人取り上げるの?
最前列に座って満足して、試合中は眠っている奴に何が解るんだ?
・・・その他モロモロ、、、幸い僕は昨秋 近畿&中国で鉢合わせすることなく年を越せましたが・・・・・北海道から九州大会まで足を運んでいたとは!!!
センバツではニアミスしないように気を付けなければ。
🔥再びセンバツへ、意気盛ん 地震、豪雨乗り越えた―日本航空石川野球部
https://news.yahoo.co.jp/articles/7396118b6194f069645906c1cae575f844cf9335
能登半島地震の発生から1日で1年。
被災しながら2024年春の選抜高校野球大会に出場した日本航空石川高校野球部の選手たちは、再挑戦できる可能性が高まった選抜大会で25年こそ大暴れしたいと練習に励んでいる。
24年12月3日、能登半島の空は雨が降ったりやんだり。選手たちは室内練習場で打撃練習やウエートトレーニングに和やかな雰囲気で取り組んだ。中村隆監督は「モチベーション高くやっている」と笑顔。主将の及川蓮志内野手は「いい環境で野球ができている」と充実した表情だ。
24年元日、石川智規外野手は輪島市の実家が地震で全壊する被害に遭った。自身は県外へ旅行中だったため難を逃れたが、「野球どころじゃないという気持ちもあった」。選手主体のミーティングで野球をやる意義について対話を重ね、当時主将だった宝田一慧さんは「少しずつみんなが同じ方向を向けるようになった」と振り返った。
輪島市の学校施設が使えなくなり、山梨県に練習拠点を移して臨んだ選抜大会は初戦敗退。選手は落ち込むより、次のステップへ目を向けた。4月にチームの半数が輪島市へ戻り、東京都青梅市との2拠点に分かれて練習。選手たちはビデオ通話を利用して一体感を持って自主練習するなど「気持ちの部分で切れないように連絡を取り合っていた」(中村監督)。5月中旬には全員が輪島市に戻れた。夏の甲子園は出場を逃したが、秋の北信越大会で準優勝し、センバツ出場が有力視される。
9月には輪島市を豪雨が襲った。中村監督は選手を20人ずつ交代で連れて行き、泥が付いた家具を民家の外へと運び出すのを手伝った。以前よりも地元との交流が深まり、「ありがとう」、「頑張れ」と声を掛けられる機会が増え、岩手県出身の及川主将は「(輪島市の人と)気持ちが近くなった気がする」とうれしそうだ。
選抜大会で悔しさを経験した現2年生が率いるチームは応援を力に変え、被災地を勇気づけるプレーを誓う。及川主将は「日本一という目標に突き進んでいきたい」と力を込めた。
💢高校サッカー】関東勢有利の〝ホームアドバンテージ〟に疑問噴出「持ち回り開催」望む声も
https://news.yahoo.co.jp/articles/28fcb35a11977d7b840c5764cb77fac5ede14a13
第103回全国高校サッカー選手権で、関東勢に有利となる〝ホームアドバンテージ〟が議論を呼んでいる。
2日に行われた3回戦では、高校年代の頂点を決める高円宮杯U―18プレミアリーグファイナルを制して優勝候補筆頭とみられた大津(熊本)が流通経大柏(千葉)に1―2と敗れる波乱劇が起きた。
この結果を受けて話題を呼んでいるのが、関東勢のみが恩恵を受ける試合開催形式だ。全国高校サッカー選手権は例年、関東圏の複数スタジアムを使用して開催されており、地元の県にあるスタジアムを使用してくるケースが出てくる。
流通経大柏は今大会で柏の葉、フクアリといずれも地元の千葉にあるスタジアムでプレーし、圧倒的ホームの雰囲気を醸成。ファンからはSNS上で「レベルが高くなっていくほど、関東の高校に有利なホームアドバンテージが効いてくるだろうし、試合数に絡む組み合わせも大きく影響していくんだろうな」「ホームの流経大柏とどアウェイの大津 この辺の差もあったかな」と試合結果に影響したとの指摘が出ている。
他にも今大会では堀越(東京A)が2試合連続で地元東京の駒沢で勝ち上がり、初出場ながら躍進している東海大相模(神奈川)も同県のU等々力で連勝するなど〝ホームの後押し〟を受けたチームの快進撃が目立つ。
以前から関東勢ばかりが有利になる開催形式は議論となっており「冬の選手権、関東組が勝手にホーム化するのずるいから次大会以降持ち回りで開催しろ」と、各地方での持ち回り開催で公平さを保つよう求める意見も出ている。
移動なども含めて関東勢に有利な開催が続く限り、賛否両論は避けられそうにない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c7396e2295eddeae849757ba576a2614a7c3cb71
球児たちの“熱いドラマ”を見逃すな! 第97回選抜高校野球大会は2025年3月18日に甲子園球場で開幕し、30日までの13日間(休養日を含む)にわたって熱戦が繰り広げられる。出場校は1月24日の選考委員会で決定するが、ひと足早く「甲子園のラガーさん」こと善養寺隆一氏(58)が、自身の足で稼いだ情報をもとに一般出場枠から21世紀枠、神宮枠を含む全出場校を完全大予想。サクラ咲く32校は果たして――。
――お久しぶりです。恒例の予想をよろしくお願いします
ラガー 今回はこれまでとは力の入り具合が全然違うから。関東・東京大会はもちろん、北海道から九州大会まで足を運んで、できる限りこの目で試合を見てきたからね。
――早速ですが、北海道1枠は全道Vの東海大札幌で不動。東北3枠は地区大会Vの聖光学院(福島)と準Vの青森山田が当確で、残り1枠は
ラガー 準決勝で優勝校の聖光学院に1―7と大敗を喫した山形中央よりも青森山田に1―4と敗れた花巻東(岩手)に分がありそう。
――関東・東京は地区大会Vの横浜(神奈川)が神宮大会で27年ぶり2度目の優勝を飾り1枠増の7枠。その横浜と準Vの健大高崎(群馬)、ベスト4の浦和実(埼玉)、千葉黎明に加え、東京は優勝した二松学舎大付が当確ですね
ラガー ただ、俺の見立てでは関東と神宮大会覇者の横浜よりセンバツ連覇を目指す健大高崎の方がチーム力は上だと思う。特に最速158キロ右腕のエース・石垣元気(2年)はプロスカウトも熱視線は間違いなし。身長は178センチと大きくはないが、右手の握力は80キロもあるらしい。将来は山本由伸(ドジャース)級の逸材になりそう。
――残り2枠は
ラガー 都大会の決勝で早実が延長12回タイブレークの激闘を演じているだけに、東京にもう1枠を与えられる可能性が高い。最後の1枠は難解だけど、関東大会の準々決勝で横浜と接戦を繰り広げた東農大二(群馬)を推す。エース右腕の山田琉聖(2年)は巨人の西舘をほうふつとさせる本格派で、威力のある直球やキレのある変化球は甲子園のマウンドでも見たいね。
――北信越2枠は北信越大会優勝の敦賀気比(福井)と準Vの日本航空石川が当確として、東海3枠は
ラガー 地区大会優勝の大垣日大(岐阜)、準Vの常葉大菊川(静岡)で順当。残り1枠は4強入りの至学館(愛知)と岐阜第一の一騎打ちとなりそうだが、地域性を重視して至学館が一歩有利とみた。
――近畿6枠は地区大会優勝の東洋大姫路(兵庫)、準優勝の智弁和歌山、ベスト4の天理(奈良)、市和歌山は確定的
ラガー その通り。残り2枠は強豪校の大阪桐蔭に勝利した滋賀学園、優勝した東洋大姫路に惜敗した大阪学院大が地域性という点でも有力。
――石垣以外の注目選手は
ラガー 東洋大姫路の1年秋からエースナンバーを背負う最速147キロ右腕の阪下漣(2年)だね。マウンド度胸が抜群で、とにかく制球力が安定している。阪神の才木のようなスケールの大きさを感じる。
――中国は大会優勝の広島商と準優勝の米子松蔭(鳥取)、四国も優勝の明徳義塾(高知)、準優勝の高松商(香川)で両地区ともに決勝進出の2校で決まりですね
ラガー 異論なし! 九州4枠も優勝の沖縄尚学、準Vのエナジック(沖縄)、ベスト4の柳ケ浦(大分)、西日本短大付(福岡)で順当とみた。
――21世紀枠は
ラガー 全国9地区から選ばれるのは2校。1校目は壱岐(長崎)で、部員全21人が島内の中学出身という少数精鋭。離島のハンディがありながら県大会では強豪の創成館や大崎を破って準優勝し、九州大会でも専大熊本玉名に勝利した実力もある。残り1校は久慈(岩手)を推す。県大会で3位に入り、東北大会の初戦では今年センバツ出場の学法石川(福島)に7―2で快勝。卒業生の過半数が国公立大への合格者を誇る県内屈指の進学校で「文武両道」の模範として文句なし。同校はNHK連続テレビ小説「あまちゃん」のロケ地になったことでも知られるし、甲子園で“じぇじぇじぇ旋風”を巻き起こしてほしいね。
――全32校の正式発表は1月24日。楽しみだ
ラガー どんな顔ぶれの高校になろうと、勝敗の鍵はタイブレークとなるのでは。延長10回無死一、二塁から実施されるが、やはりバントが大事になる。しっかり走者を送ることができれば1本で2点をもぎ取る可能性も出てくる。低反発バットの導入も相まって、長打に頼らないチームが強豪校にひと泡吹かせるシーンが多く見られそうだ。
――高校野球に変化
ラガー 高野連は9回の試合を短縮する「7回制」導入の検討に入ったとも報じられているが、俺の知る高校野球がどんどん変わっていってしまう…。この時代の流れを楽しむしかない。
☆ぜんようじ・りゅういち 1966年8月13日生まれ、東京都豊島区出身。小学校から野球を始め、中学時代は右翼手でレギュラーとして活躍。都立文京高校進学後、野球マニアの道に進む。高校卒業後、父が営む印刷会社に就職。99年から春のセンバツ、夏の選手権大会全試合を甲子園のネット裏最前列で観戦。黄色い帽子とラガーシャツから「甲子園のラガーさん」と呼ばれ親しまれる。168センチ、75キロ。左投げ左打ち。
コメント欄を読んでいると有識者からの声は・・・
🎤小学生のドリームシートは良い事だと思うが、春・夏の甲子園が前売り指定になった原因に、少なからず影響を与えている人物。
最前列の自分の「指定席」に座れないと恫喝していたのは有名な話。
少なからず、私はこの方のコメントや予想など期待していない。マスコミは持て囃さないで欲しい。
🎤昔店で働いてた時にこの人来ました。
私知ってますか?と聞かれて知ってたけど知りません。と答えたら自分が載ってる雑誌見せてきました。
凄いでしょ?て言われたので 高校野球の主役は選手達なので特に何が凄いか分からないです。
言うたらバツが悪そうに帰って行きました。
🎤甲子園追い出されて、都内の中学のシニアや軟式野球にこの格好でバックネット裏にいますよ。目立ちたい、騒がれたい、声かけられたい…勘違いの寂しがりやの独身です。
普通の格好で見れないのかね…
昨年の神宮大会なんて左打者映す時の背景に映り込む為に一塁ベンチ横に毎試合陣取ってました。マジ必要ないです…取材とかして持ち上げるな…全く
🎤人のする格好にいちいち言いたくもないし、個人の自由だから好きな格好すればいいけど、野球が好きならラガーシャツは違うやろって思うのは私だけだろうか?
🎤甲子園の八号門前に居座ってフォトセッションして本売ってましたね
高校野球ファンは冷ややかに見ていました
🎤その昔、甲子園のバックネット席で「そこはオレの席だ!」と怒られました。この人に。
🎤75kgじゃないような気がしたけど。下手したら3桁ない?
🎤ネット裏でテレビに映れなくなったの最近は打者を横から映した時に映るようベンチ上の席にいたりする
相変わらず自己顕示欲、承認欲求の塊のような目障り、不快な迷惑存在
🎤なんでこんな人取り上げるの?
最前列に座って満足して、試合中は眠っている奴に何が解るんだ?
・・・その他モロモロ、、、幸い僕は昨秋 近畿&中国で鉢合わせすることなく年を越せましたが・・・・・北海道から九州大会まで足を運んでいたとは!!!
センバツではニアミスしないように気を付けなければ。
🔥再びセンバツへ、意気盛ん 地震、豪雨乗り越えた―日本航空石川野球部
https://news.yahoo.co.jp/articles/7396118b6194f069645906c1cae575f844cf9335
能登半島地震の発生から1日で1年。
被災しながら2024年春の選抜高校野球大会に出場した日本航空石川高校野球部の選手たちは、再挑戦できる可能性が高まった選抜大会で25年こそ大暴れしたいと練習に励んでいる。
24年12月3日、能登半島の空は雨が降ったりやんだり。選手たちは室内練習場で打撃練習やウエートトレーニングに和やかな雰囲気で取り組んだ。中村隆監督は「モチベーション高くやっている」と笑顔。主将の及川蓮志内野手は「いい環境で野球ができている」と充実した表情だ。
24年元日、石川智規外野手は輪島市の実家が地震で全壊する被害に遭った。自身は県外へ旅行中だったため難を逃れたが、「野球どころじゃないという気持ちもあった」。選手主体のミーティングで野球をやる意義について対話を重ね、当時主将だった宝田一慧さんは「少しずつみんなが同じ方向を向けるようになった」と振り返った。
輪島市の学校施設が使えなくなり、山梨県に練習拠点を移して臨んだ選抜大会は初戦敗退。選手は落ち込むより、次のステップへ目を向けた。4月にチームの半数が輪島市へ戻り、東京都青梅市との2拠点に分かれて練習。選手たちはビデオ通話を利用して一体感を持って自主練習するなど「気持ちの部分で切れないように連絡を取り合っていた」(中村監督)。5月中旬には全員が輪島市に戻れた。夏の甲子園は出場を逃したが、秋の北信越大会で準優勝し、センバツ出場が有力視される。
9月には輪島市を豪雨が襲った。中村監督は選手を20人ずつ交代で連れて行き、泥が付いた家具を民家の外へと運び出すのを手伝った。以前よりも地元との交流が深まり、「ありがとう」、「頑張れ」と声を掛けられる機会が増え、岩手県出身の及川主将は「(輪島市の人と)気持ちが近くなった気がする」とうれしそうだ。
選抜大会で悔しさを経験した現2年生が率いるチームは応援を力に変え、被災地を勇気づけるプレーを誓う。及川主将は「日本一という目標に突き進んでいきたい」と力を込めた。
💢高校サッカー】関東勢有利の〝ホームアドバンテージ〟に疑問噴出「持ち回り開催」望む声も
https://news.yahoo.co.jp/articles/28fcb35a11977d7b840c5764cb77fac5ede14a13
第103回全国高校サッカー選手権で、関東勢に有利となる〝ホームアドバンテージ〟が議論を呼んでいる。
2日に行われた3回戦では、高校年代の頂点を決める高円宮杯U―18プレミアリーグファイナルを制して優勝候補筆頭とみられた大津(熊本)が流通経大柏(千葉)に1―2と敗れる波乱劇が起きた。
この結果を受けて話題を呼んでいるのが、関東勢のみが恩恵を受ける試合開催形式だ。全国高校サッカー選手権は例年、関東圏の複数スタジアムを使用して開催されており、地元の県にあるスタジアムを使用してくるケースが出てくる。
流通経大柏は今大会で柏の葉、フクアリといずれも地元の千葉にあるスタジアムでプレーし、圧倒的ホームの雰囲気を醸成。ファンからはSNS上で「レベルが高くなっていくほど、関東の高校に有利なホームアドバンテージが効いてくるだろうし、試合数に絡む組み合わせも大きく影響していくんだろうな」「ホームの流経大柏とどアウェイの大津 この辺の差もあったかな」と試合結果に影響したとの指摘が出ている。
他にも今大会では堀越(東京A)が2試合連続で地元東京の駒沢で勝ち上がり、初出場ながら躍進している東海大相模(神奈川)も同県のU等々力で連勝するなど〝ホームの後押し〟を受けたチームの快進撃が目立つ。
以前から関東勢ばかりが有利になる開催形式は議論となっており「冬の選手権、関東組が勝手にホーム化するのずるいから次大会以降持ち回りで開催しろ」と、各地方での持ち回り開催で公平さを保つよう求める意見も出ている。
移動なども含めて関東勢に有利な開催が続く限り、賛否両論は避けられそうにない。
☝阪神タイガース2軍拠点、3月開業 尼崎駅前中央公園、同時期リニューアル まちの魅力向上へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/1cc938027c2d4085b66eca6d87dc86a23c12f2cc
今年3月、阪神電鉄大物駅南側に、プロ野球阪神タイガース2軍球場を中心とした「ゼロカーボンベースボールパーク」が開業する。尼崎駅北側では同月末に中央公園のリニューアル工事も完了し、カフェや芝生広場が誕生。両駅間には尼崎城などもあり、隣の杭瀬、出屋敷駅に目を向ければ個性的な商店街が広がる。直線距離で約3キロ内に点在するスポットをどうつなぎ、エリアとしての魅力を高めるか。「工都」の新たな挑戦が始まる。
■尼崎市が周辺連携模索
ゼロカーボンベースボールパークは環境省の脱炭素先行地域の指定を受けて小田南公園を再整備する。新球場や室内練習場など2軍施設のほか市民球場、広場などがあり、年間の来場者は30万人、経済効果は15億円を見込む。
市はオープンに合わせ、駅から続く緑地にタイルを敷き、ベンチなども配置。キッチンカーも入れるようにする。今春からは大物公園リニューアルも本格化し、尼崎城や前ユニチカ記念館への動線になる大物川緑地の活用法は地元住民や小中高生も交えてワークショップを重ねる。
「地域の高齢化は深刻。緑地の遊具や舗装は老朽化し、人けがなかった」と議論に関わる尼崎小田高校の難波滋教諭(58)。だが、2軍球場移転が決まってから新築一戸建てや子育て世代が少しずつ増えているといい、「外から来た人も住んでいる人も、多世代が楽しめる遊歩道になれば」と期待を込める。
一方の中央公園は1998年以来、約30年ぶりのリニューアル。市の調査では、これまで利用者の公園滞在時間は15分未満が大半で、待ち合わせや電車待ち、ゆっくりとくつろげる「滞在型」の公園を目指す。尼崎城は2025年度、展示を再編し、人気の火縄銃や剣術、なりきりなど「体験コンテンツ」を強化する方針。尼崎中央、三和本通商店街や杭瀬商店街でも安くておいしい「食」や「昭和な雰囲気」「アート」など尼崎にしかない「コト・トキ」の価値を創造し、周遊につなげようと官民挙げた取り組みが続く。
「旧かんなみ新地の解体や暴力団事務所ゼロで、阪神沿線の尼崎のまちのイメージは劇的に変わった」と市の担当者。駅近ながらコインパーキングなど低未利用地の多さが課題だったが、不動産業者の関心も高まっているといい、「新球場と中央公園が完成すれば、もっと変わっていく。イベントはもちろん、イベントがなくても、楽しく心地よく過ごせる場所にすることで、まち全体の魅力をかさ上げしていきたい」と話している。
📝強打の「やまびこ打線」 蔦文也さん、教え子たちに今も響く名言
https://news.yahoo.co.jp/articles/ef376d0c24f3b5074a84c795942c8cdfc045bcc8
「山あいの子どもたちに一度でいいから大海(甲子園)を見せてやりたかったんじゃ」。強打の「やまびこ打線」などと称され、昭和40~50年代の甲子園を沸かせた徳島県立池田高校野球部を40年間率いた元監督の蔦文也さん(2001年死去、享年77)が、1971年夏の甲子園に初出場した際の言葉だ。同校玄関前の碑にも刻まれている。春夏の甲子園で3度の優勝、2度の準優勝に導いた名将が残した数々の名言は、今も教え子たちの心に響いている。
主将として79年春夏の甲子園に連続出場した岡田康志さん(63)によると、蔦さんは普段、選手の練習に向かう気持ちや姿勢を見ていたという。守備でエラーをしたり打撃でミスをしたりしても何も言わないが、気が抜けたプレーをすると怒られた。練習は常にピリピリした雰囲気の中で行われていたという。
しかし、甲子園では違った。必要最低限の声かけだけで、選手たちに伸び伸びプレーさせることに徹していた。チームは県大会や四国大会で苦戦したが、甲子園では全員が実力以上の力を発揮して勝ち上がった。岡田さんは「不思議な力を感じた」と当時を振り返る。蔦さんは「厳しい練習を耐え抜いてきたから勝てるんだ」という自信を持たせ、選手たちを乗せるのがうまかったと評する。
79年夏の甲子園決勝で箕島(和歌山)に敗れた日、宿舎で蔦さんからこんな言葉をかけられた。「今日で高校野球は終わりだが、気持ちを切り替えて、今後の人生でもしっかりとした生活を送っていくように」。蔦さんの名言の一つ「不名誉は負けることではなく、負けて人間が駄目になること」につながる言葉で、最も印象に残っているという。
戦前生まれの蔦さんは、選手として甲子園に3度出場し、大学生で学徒出陣した。終戦後、社会人野球とプロ野球を経て52年に池田高校野球部監督に就任。甲子園に初出場したのは、就任から20年目のことだった。岡田さんは「普通の人ならここで燃え尽きるはず」と話す。その3年後の74年春には部員11人で準優勝し、「さわやかイレブン」と話題になった。
さらに82年夏、83年春に連覇を成し遂げる。しかし、3連覇がかかった同年夏の準決勝では完封負けを喫した。その際、蔦さんは選手たちに「これで良かったんじゃ」と声をかけたことを、当時大学生だった岡田さんは報道で知った。これからの長い人生、負けて学び、そこから立ち上がってほしい。「人生は敗者復活戦」と語っていた蔦さんの、選手たちへの期待の言葉だと捉えた。
蔦さんは人間味あふれる人柄も魅力だ。2016年に劇場公開されたドキュメンタリー映画「蔦監督―高校野球を変えた男の真実―」を製作した孫の映画監督、哲一朗さん(40)は、知人や教え子ら約40人に取材した。「みんなじいちゃんのことが好きで、いろんな人に支えられながらつかんだ栄光だったんだなと思った」と語る。若い頃は一晩にビールなどを計50本も飲み干したという逸話や、練習で酒の臭いをプンプンさせながらノックをしたという伝説があるほど酒豪だった。
大学卒業後に教員として池田高校に戻った岡田さんは、コーチ、監督代理を経て92年4月、68歳だった蔦さんからチームを引き継いだ。「練習では選手よりも早くグラウンドに出て、最後まで選手と一緒にいるように」と教えられた。蔦さん自身、そんな「姿勢」を見せて選手たちを引っ張っていた。
甲子園での通算成績37勝11敗、勝率7割超を誇る蔦さんは、定年後も非常勤で社会科教諭として教壇に立った。野球だけでなく、選手の普段の姿も把握したかったのだろうと岡田さんは言う。「どうすれば勝てるのか、四六時中野球のことばかり考えていて、とにかく情熱がすごかった。選手たちへの思いも強かった」。だからこそ、蔦さんの言葉は多くの人の心を打つのだろう。
⚾岩手さんへ
新年あけましておめでとうございます。
TV大阪の旅の日スペシャル第2弾を数日前にビデオ録画して拝見しましたが、東北地方は雪が積もるし、相当な寒さと思われます。。。。。
こっちはまだ、そこまで寒さが身に染みる日もなく、安穏と過ごしており、あるいはもしかしたら暖冬なのかも?!と思いつつ、後輩が3日の3回戦頑張ってくれたら、久しぶりに三木へ行けるのでいつもは阪急電車から乗り入れている神戸電鉄で緑が丘駅まで行き、そこから無料シャトルバスで送迎してもらえますが、https://www.jfa.jp/match/highschool_womens_2024/bus.pdf
今回は行きだけ三宮駅からバスで緑が丘へ行こうと考えております。
ノドは1度痛めるとなかなか治らないのが辛いです。声が出ないし、いつ治るか分からないし・・・。11月下旬あたりにちと体調崩しましたが、塩を3日間舐めてなんとか元に戻して寒い津に交流試合観戦できました。振り返ればこの冬は11月23日の津市営球場がいちばん寒かったかも!!
年賀状は近年、郵便局員を休ませるためか?2日の配達を辞めたし、土日も基本的に配達しないので・・・。
元日に届かない年賀状は3日あるいは週明けの6日以降になるんでしょうね・・・・・。
僕は、はがき代が20円近く値上げされたので若干書く枚数を減らして、喪中の方もいたので負担が減りました。
P・S 30日早朝6時放送の「甲子園が好きだから」はあるいは全国放送だったんですね!僕はビデオ撮ってその日のうちに見ました。大社の試合は何回見ても泣けてきますね!!
熱闘甲子園のテーマソングが歴代でもっとも残念な曲でしたが、、、毎年BEGIN(誓い)か浜田麻里(Precious Summer)あるいは皆谷尚美(セピアの日)・コブクロ(ダイヤモンド)の曲で回して欲しかったですね。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1cc938027c2d4085b66eca6d87dc86a23c12f2cc
今年3月、阪神電鉄大物駅南側に、プロ野球阪神タイガース2軍球場を中心とした「ゼロカーボンベースボールパーク」が開業する。尼崎駅北側では同月末に中央公園のリニューアル工事も完了し、カフェや芝生広場が誕生。両駅間には尼崎城などもあり、隣の杭瀬、出屋敷駅に目を向ければ個性的な商店街が広がる。直線距離で約3キロ内に点在するスポットをどうつなぎ、エリアとしての魅力を高めるか。「工都」の新たな挑戦が始まる。
■尼崎市が周辺連携模索
ゼロカーボンベースボールパークは環境省の脱炭素先行地域の指定を受けて小田南公園を再整備する。新球場や室内練習場など2軍施設のほか市民球場、広場などがあり、年間の来場者は30万人、経済効果は15億円を見込む。
市はオープンに合わせ、駅から続く緑地にタイルを敷き、ベンチなども配置。キッチンカーも入れるようにする。今春からは大物公園リニューアルも本格化し、尼崎城や前ユニチカ記念館への動線になる大物川緑地の活用法は地元住民や小中高生も交えてワークショップを重ねる。
「地域の高齢化は深刻。緑地の遊具や舗装は老朽化し、人けがなかった」と議論に関わる尼崎小田高校の難波滋教諭(58)。だが、2軍球場移転が決まってから新築一戸建てや子育て世代が少しずつ増えているといい、「外から来た人も住んでいる人も、多世代が楽しめる遊歩道になれば」と期待を込める。
一方の中央公園は1998年以来、約30年ぶりのリニューアル。市の調査では、これまで利用者の公園滞在時間は15分未満が大半で、待ち合わせや電車待ち、ゆっくりとくつろげる「滞在型」の公園を目指す。尼崎城は2025年度、展示を再編し、人気の火縄銃や剣術、なりきりなど「体験コンテンツ」を強化する方針。尼崎中央、三和本通商店街や杭瀬商店街でも安くておいしい「食」や「昭和な雰囲気」「アート」など尼崎にしかない「コト・トキ」の価値を創造し、周遊につなげようと官民挙げた取り組みが続く。
「旧かんなみ新地の解体や暴力団事務所ゼロで、阪神沿線の尼崎のまちのイメージは劇的に変わった」と市の担当者。駅近ながらコインパーキングなど低未利用地の多さが課題だったが、不動産業者の関心も高まっているといい、「新球場と中央公園が完成すれば、もっと変わっていく。イベントはもちろん、イベントがなくても、楽しく心地よく過ごせる場所にすることで、まち全体の魅力をかさ上げしていきたい」と話している。
📝強打の「やまびこ打線」 蔦文也さん、教え子たちに今も響く名言
https://news.yahoo.co.jp/articles/ef376d0c24f3b5074a84c795942c8cdfc045bcc8
「山あいの子どもたちに一度でいいから大海(甲子園)を見せてやりたかったんじゃ」。強打の「やまびこ打線」などと称され、昭和40~50年代の甲子園を沸かせた徳島県立池田高校野球部を40年間率いた元監督の蔦文也さん(2001年死去、享年77)が、1971年夏の甲子園に初出場した際の言葉だ。同校玄関前の碑にも刻まれている。春夏の甲子園で3度の優勝、2度の準優勝に導いた名将が残した数々の名言は、今も教え子たちの心に響いている。
主将として79年春夏の甲子園に連続出場した岡田康志さん(63)によると、蔦さんは普段、選手の練習に向かう気持ちや姿勢を見ていたという。守備でエラーをしたり打撃でミスをしたりしても何も言わないが、気が抜けたプレーをすると怒られた。練習は常にピリピリした雰囲気の中で行われていたという。
しかし、甲子園では違った。必要最低限の声かけだけで、選手たちに伸び伸びプレーさせることに徹していた。チームは県大会や四国大会で苦戦したが、甲子園では全員が実力以上の力を発揮して勝ち上がった。岡田さんは「不思議な力を感じた」と当時を振り返る。蔦さんは「厳しい練習を耐え抜いてきたから勝てるんだ」という自信を持たせ、選手たちを乗せるのがうまかったと評する。
79年夏の甲子園決勝で箕島(和歌山)に敗れた日、宿舎で蔦さんからこんな言葉をかけられた。「今日で高校野球は終わりだが、気持ちを切り替えて、今後の人生でもしっかりとした生活を送っていくように」。蔦さんの名言の一つ「不名誉は負けることではなく、負けて人間が駄目になること」につながる言葉で、最も印象に残っているという。
戦前生まれの蔦さんは、選手として甲子園に3度出場し、大学生で学徒出陣した。終戦後、社会人野球とプロ野球を経て52年に池田高校野球部監督に就任。甲子園に初出場したのは、就任から20年目のことだった。岡田さんは「普通の人ならここで燃え尽きるはず」と話す。その3年後の74年春には部員11人で準優勝し、「さわやかイレブン」と話題になった。
さらに82年夏、83年春に連覇を成し遂げる。しかし、3連覇がかかった同年夏の準決勝では完封負けを喫した。その際、蔦さんは選手たちに「これで良かったんじゃ」と声をかけたことを、当時大学生だった岡田さんは報道で知った。これからの長い人生、負けて学び、そこから立ち上がってほしい。「人生は敗者復活戦」と語っていた蔦さんの、選手たちへの期待の言葉だと捉えた。
蔦さんは人間味あふれる人柄も魅力だ。2016年に劇場公開されたドキュメンタリー映画「蔦監督―高校野球を変えた男の真実―」を製作した孫の映画監督、哲一朗さん(40)は、知人や教え子ら約40人に取材した。「みんなじいちゃんのことが好きで、いろんな人に支えられながらつかんだ栄光だったんだなと思った」と語る。若い頃は一晩にビールなどを計50本も飲み干したという逸話や、練習で酒の臭いをプンプンさせながらノックをしたという伝説があるほど酒豪だった。
大学卒業後に教員として池田高校に戻った岡田さんは、コーチ、監督代理を経て92年4月、68歳だった蔦さんからチームを引き継いだ。「練習では選手よりも早くグラウンドに出て、最後まで選手と一緒にいるように」と教えられた。蔦さん自身、そんな「姿勢」を見せて選手たちを引っ張っていた。
甲子園での通算成績37勝11敗、勝率7割超を誇る蔦さんは、定年後も非常勤で社会科教諭として教壇に立った。野球だけでなく、選手の普段の姿も把握したかったのだろうと岡田さんは言う。「どうすれば勝てるのか、四六時中野球のことばかり考えていて、とにかく情熱がすごかった。選手たちへの思いも強かった」。だからこそ、蔦さんの言葉は多くの人の心を打つのだろう。
⚾岩手さんへ
新年あけましておめでとうございます。
TV大阪の旅の日スペシャル第2弾を数日前にビデオ録画して拝見しましたが、東北地方は雪が積もるし、相当な寒さと思われます。。。。。
こっちはまだ、そこまで寒さが身に染みる日もなく、安穏と過ごしており、あるいはもしかしたら暖冬なのかも?!と思いつつ、後輩が3日の3回戦頑張ってくれたら、久しぶりに三木へ行けるのでいつもは阪急電車から乗り入れている神戸電鉄で緑が丘駅まで行き、そこから無料シャトルバスで送迎してもらえますが、https://www.jfa.jp/match/highschool_womens_2024/bus.pdf
今回は行きだけ三宮駅からバスで緑が丘へ行こうと考えております。
ノドは1度痛めるとなかなか治らないのが辛いです。声が出ないし、いつ治るか分からないし・・・。11月下旬あたりにちと体調崩しましたが、塩を3日間舐めてなんとか元に戻して寒い津に交流試合観戦できました。振り返ればこの冬は11月23日の津市営球場がいちばん寒かったかも!!
年賀状は近年、郵便局員を休ませるためか?2日の配達を辞めたし、土日も基本的に配達しないので・・・。
元日に届かない年賀状は3日あるいは週明けの6日以降になるんでしょうね・・・・・。
僕は、はがき代が20円近く値上げされたので若干書く枚数を減らして、喪中の方もいたので負担が減りました。
P・S 30日早朝6時放送の「甲子園が好きだから」はあるいは全国放送だったんですね!僕はビデオ撮ってその日のうちに見ました。大社の試合は何回見ても泣けてきますね!!
熱闘甲子園のテーマソングが歴代でもっとも残念な曲でしたが、、、毎年BEGIN(誓い)か浜田麻里(Precious Summer)あるいは皆谷尚美(セピアの日)・コブクロ(ダイヤモンド)の曲で回して欲しかったですね。
遅くなりましたが、今年もよろしくお願いいたします。
少し前に自転車のパンク修理の件があったと思いますが、その後だんだんと喉が渇くが、水を飲み込むと喉が痛む感じで、咳をすると背中に痛みがありました。
1年前の観戦記ほどではないと思いますが、喉の痛みは大変でした!
昨日のノド飴とうがいが効いたのか、痛みはなくました!
あとは咳、鼻水があるけどね。あらためて体調管理に気をつけたいです。
最後に新年挨拶状が事情でだいぶ遅れると思いますが、お許しください。
大社高校・関東一・滋賀学園などABCの甲子園が好きだから見ました。
岩手朝日放送です。
少し前に自転車のパンク修理の件があったと思いますが、その後だんだんと喉が渇くが、水を飲み込むと喉が痛む感じで、咳をすると背中に痛みがありました。
1年前の観戦記ほどではないと思いますが、喉の痛みは大変でした!
昨日のノド飴とうがいが効いたのか、痛みはなくました!
あとは咳、鼻水があるけどね。あらためて体調管理に気をつけたいです。
最後に新年挨拶状が事情でだいぶ遅れると思いますが、お許しください。
大社高校・関東一・滋賀学園などABCの甲子園が好きだから見ました。
岩手朝日放送です。
2024年も残りわずかとなりましたね。相変わらず皆様の温かいメッセージに支えられて『チーム宏鈴』結成21周年を越えました。
2022年8月1日13時をもって長年愛用していたteacup.掲示板が閉鎖される運びとなり、強制終了がイヤなんでwox掲示板に緊急避難して細々と活動できました。
今後wox掲示板が閉鎖されるようなことがあれば、、、アメブロで 「観戦記とよもやま話」 だけは書いて行けたらと思いますが、掲示板続く限りは現状維持を務めたいと。
年末は2年ぶり4度目の郵便局年賀はがき仕分けバイトに勤しむつもりで近畿大会最終日開始前の午前中に十三まで面接に行くが、2年連続不採用で今年も平穏な年末年始を過ごせてます。
2年前の大晦日~正月3が日体調は・・・新型コロナウイルス感染で経験したことのないノドの痛みに悩まされ虚しさだけが残った人生でいちばん痛恨の年末年始を思えば、2年連続コロナ感染のリスクを回避できただけでも良しとすればいいのかな???
コロナに泣いて負けて、風が吹いて行った3年間。
寒くて長い冬のトンネルを抜けると4年ぶりにノーマスクでセンバツ観戦できる日々が待っていた!!今振り返れば、あの騒動はいったい何だったのか?????
普通に元の日常生活に戻った今となっては・・・・・。
願わくば1日順延で4年連続29度目のバースデーセンバツ甲子園を史上初の準々決勝とかちあい祝いたかったが、2度の雨天中止で準々決勝は28日にスライドされるも26日の雨の影響で4時間30分遅れとなり1試合順延の影響で21年ぶり5度目の4試合日&18年ぶり8度目のナイター観戦がタナボタでやってきて恵まれていたなあと!
来年も準々決勝翌日の休養日に設定されているので雨乞いしなければ・・・。
一番の思い出は2019年から6年連続山陰入りでどら焼きドラマチックパーク米子の改装工事の影響か?島根行きとなったこと。
当初は昨夏、米子~浜山~松江で史上初の県またぎ宿泊観戦して、出雲大社参拝&初の松江市民球場スタンド入りを果たしたので、交通費を考えると鳥取行を希望していたが・・・。
あの大社旋風が吹き荒れて約2か月後の島根行きで。
始発電車に乗って5時間半かけて松江市民球場に到着し、米子東の硬派な応援団そして開星-下関国際のアクの強い監督対決を観戦でき、夜はレンタサイクルで宿泊先のヤドの系列ホテルの大浴場に入るためにナイターサイクリング!
翌日は8時過ぎにヤドを出て国宝・松江城~宍道湖サイクリングして大田-境の山陰対決などを観戦し、早じまいだったので、近所の史跡を見て宍道湖の夕暮れ鑑賞。
最終日は夕方から雨予報もあり、前日には1時間繰り上げて10時から2試合と告知され、4度目にして初の出雲大社御膳参拝が消滅↓↓
出雲ドーム経由で浜山球場入りしたが、道中パラつく雨にヤキモキしつつも球場の屋根に助けらえて快適に観戦。
米子松蔭が盈進相手に食らいついて延長タイブレークで金星を挙げ、矢上も倉敷商相手に5年前のリベンジを果たし大金星で山陰球児の活躍が目立った3日間。
曇天の影響で14時11分ナイター点灯も嬉しかった!!
2022年春は出雲大社参拝中に本降りの雨で、帰りは一畑電車に自転車積み込んで出雲市駅まで戻ったが、今回は最小限の雨で10km自転車漕いでヤドに返却完了し18時32分の特急やくもで帰宅したが、車窓はどんどん本降りの雨と化していった・・・。
そして岐阜の東海大会では初日の可児で5月半ばながら30度突破という炎天下観戦。6年前の夏も40度の熱さだったが、、、
翌日の長良川では雨予報で試合後のバスから降り出し、帰りが辛かった記憶が。
さらに2年前の夏、長雨で岐阜大会観戦予定が5試合中開幕試合の3回裏途中しか見れず、各務原のプリニーの球場まで足を運び下見のみで終わったので9月7日にリベンジ観戦。
2年に1度のペースで訪問する岐阜だが、1年に2度も足を運んでしまった!!
そして6月開業のルートイン海南も気になったので、7月に宿泊し紀三井寺で2日間6試合観戦でき、テレビ和歌山・高校野球ハイライトも生で視聴できました!
さて、昨年はカンドクの淡路佐野球場観戦2度に大学野球6度観戦。そして明石での兵庫県知事杯&「あの夏を取り戻せ」全国元高校球児野球大会を尼崎のベイコム含む3/19~12/1まで計60日球場で野球観戦を堪能できました!!
今年はカンドクの紀三井寺球場観戦2度(デーゲーム&ナイター)に大学野球3度観戦。さらにウインク球場ナイター設置リニューアルイベントそして高砂での兵庫県知事杯を含む3/18~11/23まで計65日球場で野球観戦を堪能できました!!
その中でベストゲームとワーストゲームをそれぞれ甲子園編・地方大会編に分けて1つずつ紹介します。
ベストゲーム甲子園編
8/17 準々決勝第4試合 大社(島根)-早稲田実(西東京) 16:22~19:02 18:10点灯 8回表から
一二三四五六七八九十11121314151617181920計HE
早稲田実00000110000 273 中村、川上-山中
大 社10000000101x 381 馬庭-石原
後日観戦記公開予定・・・
これはもう言うまでもなく一生の思い出になる試合でした。
大社の試合観戦は島根・中国・甲子園を通じて初めて。
都合上、2つ勝たなければ観戦不可で1日でも順延されると見れないところでしたが、、、順当に日程消化され報徳・創成館といった強豪を連破しての3回戦進出!!
相手がワセダなんで馬庭投手にかかる負担が非常に大きく、しんどい試合でした。
毎試合アルプスが超満員となる大応援団が出雲からやってきて勇気づけられました。
7回の守りでセンター前ヒット後逸による打者走者の生還で2006年春の関西・熊代選手の悲劇が脳裏をよぎりつつも土壇場9回裏にスクイズで追いつき、10回・11回を無失点で凌ぎ最後はエース・馬庭が殊勲のサヨナラタイムリーで8強進出と涙が止まらない真夏のナイターだった。
ワーストゲーム甲子園編
8/14 8日目第4試合 菰野(三重)-西日本短大付(福岡) 15:42~17:48
一二三四五六七八九十計HE
西短大付108000103 13121 村上、中野-山下
菰 野000000000 044 森、奥野、栄田-栗本
後日観戦記公開予定・・・
30年以上チームを率いた戸田前監督が体罰問題で半年間謹慎処分を受け、スタメンオール2年生ながら春季東海大会準優勝の菰野に暗雲立ち込めた・・・。
それでも夏の三重大会を制し、4度目の挑戦で甲子園初勝利を挙げ、意気揚々と2回戦に挑むもエース温存が裏目に出て序盤から戦意喪失。。。。。
チャンステーマ🎵ワッショイが虚しく甲子園のスタンドに鳴り響き、お盆だが12000人という観衆も大多数が途中で帰り寂しかった。
ベストゲーム地方大会編
10/27 秋季中国大会準々決勝 浜山球場 矢上(島根③)-倉敷商(岡山①) 13:16~15:30 14:11点灯 5回表から
一二三四五六七八九十計HE
倉 敷 商000040100 5105 田邊、小林-妹尾
矢 上23000010X 642 和田、鈴木、的場-花田
後日中観戦記公開予定・・・
5年前の秋、鳥取市のヤマタSPで壮絶な延長戦を繰り広げ12-10で倉敷商が大乱戦を制したが、今度は矢上がリベンジを果たした!
ときどき雨が降る悪コンディションで14時11分点灯という状況だったが、相手のエラー連発に乗じて矢上が序盤で大量リードを奪い試合を有利に進めるも倉敷商打線が爆発し大逆転負けも覚悟したが、厳しい試合をモノにして島根遠征の最後を飾るナイスゲームだった。
ワーストゲーム地方大会編
5/25 春季近畿大会1回戦 明石トーカロ球場 明石商(兵庫③)-京都国際(京都) 13:19~15:10
一二三四五六七八九十計HE
京都国際0233000 8121 西村-奥井
明 石 商0010000 152 横山、石原、小齋、砥川、藤井-谷岡、松浦
後日観戦記公開予定・・・
コロナ騒動で中森投手&来田選手の最強チームでセンバツを戦えなかったことがケチのつけはじめで、2019年夏を最後に狭間ガッツを甲子園で見れない日々が続いている・・・。
運よく3位ながら近畿大会出場を果たし、センバツ帰りの京都国際は打力不足ゆえに勝機はあると見ていたが、エラーで崩れ5投手が全員流れを止めきれず悔しい7回コールド負け。。。
夏は決勝進出を果たし盛り返したが、やはりコールド負けはあまりにも印象が悪すぎた。
皆さんも良かったらベストゲーム・ワーストゲームを教えていただけたら幸いです!何個書かれてもOKですよ!!
さて、今年も名曲を用意しました。 【椋子】🎵オワリはじまり / かりゆし58 【弾き語りcover】
https://www.youtube.com/watch?v=3M2QZqBZAgU
来年は・・・5月中旬 近鉄週末フリーきっぷ使って予備日に養老鉄道乗車 春季東海大会兼観光2泊3日in三重県
5月下旬 春季中国大会観戦in倉敷
7月中旬 敦賀~福井真夏の福井大会観戦
10月下旬 秋季中国大会2泊3日観戦in鳥取県
と4度宿泊野球観戦を企画中です。北御堂へ不定期にお参りさせていただき助けられて、ここまで来ただけに生誕五十周年記念祭を笑って終えたい。なんとか雨の恩恵を受けてMYバースデーは史上初の休養日から一転して準々決勝へ・・・2020年史上初と期待しながらコロナ中止。2021年は1日中止でフイに。2022年は雨でタナボタと思いきや2日中止で実現ならず。2023年も2日中止で4試合日もスライド、、、2024年も2日中止だったが前日の雨で1試合順延となり4試合日観戦できたので今度こそ5度目の正直に期待します。
そんなこんなでシーズンオフだし、皆さんのよもやま話も募集しております!!『チーム宏鈴』は来年以降もずっと・・・
💙しつこく💚しぶとく💜泥臭く💛「誰からも愛される」というよりも「誰かに慕われる」掲示板目指してアットホームな雰囲気でやっていきたいのでお願いします!!
🌟次回予告🌟
2025年1月16日 “ありがとう”心から・ひょうごから 『チーム宏鈴』ファン感謝祭🎁新年会編🎁
2022年8月1日13時をもって長年愛用していたteacup.掲示板が閉鎖される運びとなり、強制終了がイヤなんでwox掲示板に緊急避難して細々と活動できました。
今後wox掲示板が閉鎖されるようなことがあれば、、、アメブロで 「観戦記とよもやま話」 だけは書いて行けたらと思いますが、掲示板続く限りは現状維持を務めたいと。
年末は2年ぶり4度目の郵便局年賀はがき仕分けバイトに勤しむつもりで近畿大会最終日開始前の午前中に十三まで面接に行くが、2年連続不採用で今年も平穏な年末年始を過ごせてます。
2年前の大晦日~正月3が日体調は・・・新型コロナウイルス感染で経験したことのないノドの痛みに悩まされ虚しさだけが残った人生でいちばん痛恨の年末年始を思えば、2年連続コロナ感染のリスクを回避できただけでも良しとすればいいのかな???
コロナに泣いて負けて、風が吹いて行った3年間。
寒くて長い冬のトンネルを抜けると4年ぶりにノーマスクでセンバツ観戦できる日々が待っていた!!今振り返れば、あの騒動はいったい何だったのか?????
普通に元の日常生活に戻った今となっては・・・・・。
願わくば1日順延で4年連続29度目のバースデーセンバツ甲子園を史上初の準々決勝とかちあい祝いたかったが、2度の雨天中止で準々決勝は28日にスライドされるも26日の雨の影響で4時間30分遅れとなり1試合順延の影響で21年ぶり5度目の4試合日&18年ぶり8度目のナイター観戦がタナボタでやってきて恵まれていたなあと!
来年も準々決勝翌日の休養日に設定されているので雨乞いしなければ・・・。
一番の思い出は2019年から6年連続山陰入りでどら焼きドラマチックパーク米子の改装工事の影響か?島根行きとなったこと。
当初は昨夏、米子~浜山~松江で史上初の県またぎ宿泊観戦して、出雲大社参拝&初の松江市民球場スタンド入りを果たしたので、交通費を考えると鳥取行を希望していたが・・・。
あの大社旋風が吹き荒れて約2か月後の島根行きで。
始発電車に乗って5時間半かけて松江市民球場に到着し、米子東の硬派な応援団そして開星-下関国際のアクの強い監督対決を観戦でき、夜はレンタサイクルで宿泊先のヤドの系列ホテルの大浴場に入るためにナイターサイクリング!
翌日は8時過ぎにヤドを出て国宝・松江城~宍道湖サイクリングして大田-境の山陰対決などを観戦し、早じまいだったので、近所の史跡を見て宍道湖の夕暮れ鑑賞。
最終日は夕方から雨予報もあり、前日には1時間繰り上げて10時から2試合と告知され、4度目にして初の出雲大社御膳参拝が消滅↓↓
出雲ドーム経由で浜山球場入りしたが、道中パラつく雨にヤキモキしつつも球場の屋根に助けらえて快適に観戦。
米子松蔭が盈進相手に食らいついて延長タイブレークで金星を挙げ、矢上も倉敷商相手に5年前のリベンジを果たし大金星で山陰球児の活躍が目立った3日間。
曇天の影響で14時11分ナイター点灯も嬉しかった!!
2022年春は出雲大社参拝中に本降りの雨で、帰りは一畑電車に自転車積み込んで出雲市駅まで戻ったが、今回は最小限の雨で10km自転車漕いでヤドに返却完了し18時32分の特急やくもで帰宅したが、車窓はどんどん本降りの雨と化していった・・・。
そして岐阜の東海大会では初日の可児で5月半ばながら30度突破という炎天下観戦。6年前の夏も40度の熱さだったが、、、
翌日の長良川では雨予報で試合後のバスから降り出し、帰りが辛かった記憶が。
さらに2年前の夏、長雨で岐阜大会観戦予定が5試合中開幕試合の3回裏途中しか見れず、各務原のプリニーの球場まで足を運び下見のみで終わったので9月7日にリベンジ観戦。
2年に1度のペースで訪問する岐阜だが、1年に2度も足を運んでしまった!!
そして6月開業のルートイン海南も気になったので、7月に宿泊し紀三井寺で2日間6試合観戦でき、テレビ和歌山・高校野球ハイライトも生で視聴できました!
さて、昨年はカンドクの淡路佐野球場観戦2度に大学野球6度観戦。そして明石での兵庫県知事杯&「あの夏を取り戻せ」全国元高校球児野球大会を尼崎のベイコム含む3/19~12/1まで計60日球場で野球観戦を堪能できました!!
今年はカンドクの紀三井寺球場観戦2度(デーゲーム&ナイター)に大学野球3度観戦。さらにウインク球場ナイター設置リニューアルイベントそして高砂での兵庫県知事杯を含む3/18~11/23まで計65日球場で野球観戦を堪能できました!!
その中でベストゲームとワーストゲームをそれぞれ甲子園編・地方大会編に分けて1つずつ紹介します。
ベストゲーム甲子園編
8/17 準々決勝第4試合 大社(島根)-早稲田実(西東京) 16:22~19:02 18:10点灯 8回表から
一二三四五六七八九十11121314151617181920計HE
早稲田実00000110000 273 中村、川上-山中
大 社10000000101x 381 馬庭-石原
後日観戦記公開予定・・・
これはもう言うまでもなく一生の思い出になる試合でした。
大社の試合観戦は島根・中国・甲子園を通じて初めて。
都合上、2つ勝たなければ観戦不可で1日でも順延されると見れないところでしたが、、、順当に日程消化され報徳・創成館といった強豪を連破しての3回戦進出!!
相手がワセダなんで馬庭投手にかかる負担が非常に大きく、しんどい試合でした。
毎試合アルプスが超満員となる大応援団が出雲からやってきて勇気づけられました。
7回の守りでセンター前ヒット後逸による打者走者の生還で2006年春の関西・熊代選手の悲劇が脳裏をよぎりつつも土壇場9回裏にスクイズで追いつき、10回・11回を無失点で凌ぎ最後はエース・馬庭が殊勲のサヨナラタイムリーで8強進出と涙が止まらない真夏のナイターだった。
ワーストゲーム甲子園編
8/14 8日目第4試合 菰野(三重)-西日本短大付(福岡) 15:42~17:48
一二三四五六七八九十計HE
西短大付108000103 13121 村上、中野-山下
菰 野000000000 044 森、奥野、栄田-栗本
後日観戦記公開予定・・・
30年以上チームを率いた戸田前監督が体罰問題で半年間謹慎処分を受け、スタメンオール2年生ながら春季東海大会準優勝の菰野に暗雲立ち込めた・・・。
それでも夏の三重大会を制し、4度目の挑戦で甲子園初勝利を挙げ、意気揚々と2回戦に挑むもエース温存が裏目に出て序盤から戦意喪失。。。。。
チャンステーマ🎵ワッショイが虚しく甲子園のスタンドに鳴り響き、お盆だが12000人という観衆も大多数が途中で帰り寂しかった。
ベストゲーム地方大会編
10/27 秋季中国大会準々決勝 浜山球場 矢上(島根③)-倉敷商(岡山①) 13:16~15:30 14:11点灯 5回表から
一二三四五六七八九十計HE
倉 敷 商000040100 5105 田邊、小林-妹尾
矢 上23000010X 642 和田、鈴木、的場-花田
後日中観戦記公開予定・・・
5年前の秋、鳥取市のヤマタSPで壮絶な延長戦を繰り広げ12-10で倉敷商が大乱戦を制したが、今度は矢上がリベンジを果たした!
ときどき雨が降る悪コンディションで14時11分点灯という状況だったが、相手のエラー連発に乗じて矢上が序盤で大量リードを奪い試合を有利に進めるも倉敷商打線が爆発し大逆転負けも覚悟したが、厳しい試合をモノにして島根遠征の最後を飾るナイスゲームだった。
ワーストゲーム地方大会編
5/25 春季近畿大会1回戦 明石トーカロ球場 明石商(兵庫③)-京都国際(京都) 13:19~15:10
一二三四五六七八九十計HE
京都国際0233000 8121 西村-奥井
明 石 商0010000 152 横山、石原、小齋、砥川、藤井-谷岡、松浦
後日観戦記公開予定・・・
コロナ騒動で中森投手&来田選手の最強チームでセンバツを戦えなかったことがケチのつけはじめで、2019年夏を最後に狭間ガッツを甲子園で見れない日々が続いている・・・。
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夏は決勝進出を果たし盛り返したが、やはりコールド負けはあまりにも印象が悪すぎた。
皆さんも良かったらベストゲーム・ワーストゲームを教えていただけたら幸いです!何個書かれてもOKですよ!!
さて、今年も名曲を用意しました。 【椋子】🎵オワリはじまり / かりゆし58 【弾き語りcover】
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来年は・・・5月中旬 近鉄週末フリーきっぷ使って予備日に養老鉄道乗車 春季東海大会兼観光2泊3日in三重県
5月下旬 春季中国大会観戦in倉敷
7月中旬 敦賀~福井真夏の福井大会観戦
10月下旬 秋季中国大会2泊3日観戦in鳥取県
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2025年1月16日 “ありがとう”心から・ひょうごから 『チーム宏鈴』ファン感謝祭🎁新年会編🎁
☝京都国際・中崎琉生が振り返った栄光の夏 「春に気づくことの大切さを学んで、成長することができた」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e5bf0bf139a57643f528a79c202a004dda56acad?page=1
甲子園初優勝の京都国際Wエースが振り返る激闘の夏~前編・中崎琉生
2024年夏の甲子園は、京都国際が春夏通じて初の優勝を成し遂げ、高校野球の歴史に新たな1ページを刻んだ。優勝の立役者となったのは、3年生の中崎琉生と2年生の西村一毅の両左腕だった。あれから約4カ月、京都国際のWエースが激闘の夏を振り返った。
【夏の活躍が認められ日本代表に選出】
U-18日本代表の一員として台湾遠征から帰国した9月9日。中崎が母校に帰ると、周囲はすっかり"通常モード"になっていた。
「チームはもう秋の大会に向けた練習をしていて、3年生も次の目標に向けて自主練をしていて......。(甲子園で優勝した)余韻があったのは、僕だけでした」
そう言って、中崎は苦笑いを浮かべた。夏の甲子園で優勝したのは8月23日。その翌日、帰校するためTシャツ、短パン姿でマイクロバスに乗り込むチームメイトの横で、ひとりだけ制服姿で仲間を見送る中崎の姿があった。
「せっかく(日本代表に)選んでもらったので、甲子園決勝の翌日でも合流させます。休みをもらうとか、とんでもないです」と語ったのは小牧憲継監督だ。
中崎自身も「朝起きたらもう(疲れは)抜けていましたけれど、実際は肩回りや精神面の疲労はありました。でも、(代表チームに合流してからの)2日間、調整の時間をもらったおかげで疲れはとれました」と振り返る。
とはいえ、中崎にとってはじつに忙しい8月だった。
甲子園で戦った全6試合のうち、中崎は4試合に登板。3回戦の西日本短大付戦では14個の三振を奪っての完封勝利。通算で31イニングを投げ、33奪三振、5失点、防御率1.45。エースとして文句のつけようのない数字を残した。
「準々決勝(智辯学園戦)は投げなくてもブルペンに入っていましたし、緊張感はずっとありました。連戦になると体以外のしんどさもありましたが、京都を代表して甲子園で試合をさせてもらっていますし、今までの対戦相手のことを考えると、しんどいとは言っていられないと」
ともにマウンドを分け合った西村一毅(2年)の存在も、じつに頼もしかった。西村も中崎と同じ4試合に登板し、24イニングで14奪三振、1失点(自責点0)。防御率0.00という圧巻の成績をあげた。
【センバツでは初戦敗退】
初優勝の立役者となったふたりの共通点は、春に苦い経験をしたこと。中崎は青森山田戦に先発するも、サヨナラ負けを喫し初戦敗退。西村に至っては、マウンドを踏むどころかベンチ入りメンバーからも漏れた。中崎が初戦で敗退したセンバツを振り返る。
「センバツで足りないと感じたのは、気持ち、冷静さ......いろいろありましたけれど、一番足りないと思ったのは、考える力です。一死三塁で、2人(走者を)出してもOKというなかでも初球から勝負してしまった。
厳しいところに投げきる力もなかったですが、観察力もなかったですし、対バッターのことしか考える余裕がありませんでした。(キャッチャーの)奥井(颯大)の配球は信頼していたけど、自分がまだまだでした。それに、自分はもっと周りを見て動けるようにならないと勝てないと思いました」
打者を見て、どう配球するべきか、周りの動きを読んで、どう対処するか。そこまで考える余裕もなく、とにかく打者を打ち取ることしか考えられなかったのだ。
春の府大会になると、台頭してきたのが2年生の西村だった。府大会決勝では1失点完投勝ちすると、春の近畿大会では初戦の明石商戦で7回1失点、決勝の智辯和歌山戦でも強力打線に臆することなく5安打2失点にまとめ、初優勝に大きく貢献した。
彗星のごとく現れた後輩を、中崎は「自分は先輩という立場ではあるんですけれど、同じピッチャーとして尊敬できる存在です」と言う。
冷静沈着な中崎に対し、西村はどこか天然気質で自分の世界を大事にするところがあり、性格は真逆だ。それでも同じ投手として並んで練習していくうちに引き込まれる空気感があったという。
そんなよきライバルであり後輩とマウンドを分け合ううちに、中崎の所作にもちょっとした変化があった。小牧監督が言う。
「今まで中崎は、自分のことで精いっぱいなところがあって......自分のことだけこなしていたらいいというか、そういうところが気になる部分ではありました」
中崎自身が"周りが見られていなかった"と言うように、それが普段の姿勢にもモロに出ていた。だが、センバツでの試合を通して猛省し、周りを見渡すことを心がけるようになった。
夏の甲子園では準決勝の青森山田戦で先発するも、4回2失点で降板。5回からマウンドに立った西村が2安打無失点と好投しチームはリベンジを果たしたのだが、決勝進出を喜ぶチームのなかでひとりだけ目を潤ませて肩を落としていた。
「自分が不甲斐ないピッチングをして、チームに迷惑をかけてしまった。申し訳なくて......」
エースとしてのプライドもあったのだろう。心を鬼にして挑んだ決勝戦では、3回まで無安打に抑える"完全投球"を披露し、4回以降も許した安打はわずか3本。延長タイブレークの10回に入ってからマウンドは西村に譲ったが、気迫溢れるピッチングでチームの新たな歴史を刻む立役者となった。
「気力があったからあそこまで投げられたというのはあるのですが」
【超えなければならない先輩】
夏の甲子園のマウンドで、中崎はあることを唱えながら投げていたという。
「『このボールで締めよう』とか『ここはこれで抑えよう』とか、ブツブツ言って自分に言い聞かせながら投げていたんです。口に出して言えば、何か変われるのかもしれないと思って......。実際に抑えられたので、言ってみるもんだなと思いました」
京都国際が勝ち進むたび、韓国語の校歌などグラウンド外のことが話題になった。それでも「応援してくれる人に感謝の気持ちを表したかった。だから、しんどいとも言っていられなかったというのもありました」と、中崎は振り返った。
京都国際に入学した春、チームのエースとして君臨していたのが森下瑠大(DeNA)だった。
中崎が「身近で尊敬できる先輩。こんな左ピッチャーがいるんだと驚きました」と、今でもリスペクトは止まない。その森下が2年生だった21年の夏の甲子園はベスト4だった。チームの成績としては森下を超えたが、個人としては「森下さんを超えたとは思っていない」と本人は言う。
「この2年半で大切だと思ったのは、"気づき"です。自分は今年の春に周りを見ることの大切さに気づけて、そこから成長できたことはあります。でも、もっと早く気づいていたら森下さんを超えられたのかもしれないと思っています。この2年半の反省を、これからの野球人生に生かしていきたい。今のままでは、まだまだ森下さんを超えられないです」
期待された新チームは府大会4回戦で京都外大西に2対3で敗れ、来春のセンバツ出場は絶望的となった。今秋、中崎から背番号1を受け継いだのが西村だった。
つづく>>
✌夏の全国制覇で高校卒業後の進路を変更 京都国際・西村一毅は公務員志望から野球を続けることを決意した
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/hs_other/2024/12/30/post_143/?cx_refAction=distMediaRecs&utm_campaign=%2Fclm%2Fbaseball%2Fhs_other%2F2024%2F12%2F30%2Fpost_142%2F&utm_source=news.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&cx_refMedia=yahoo
甲子園初優勝の京都国際Wエースが振り返る激闘の夏〜後編・西村一毅
11月30日、京都国際は年内最後の対外試合を行なった。3対0とリードした7回から2番手としてマウンドに上がった西村一毅は、3回を2安打無失点に抑える好投で試合を締めた。
今夏、チームを初の全国制覇へと導いた伝家の宝刀・チェンジアップのキレ味は相変わらずで、テンポよくカウントを整えていくピッチングに、ネット裏で試合を見に来ていた相手チームを応援するオールドファンからは「あれは打てんなぁ」とため息が漏れた。
「軸が安定して、腕がしなり、しっかり真っすぐを投げられるようになりました。前よりストレートの質はよくなっている感覚はありましたし、指にかかっていたのもよかったです。それでも、まだフォームの完成度は5割くらいです」
言葉を丁寧に選びながら、西村は試合後そう口にした。
【新チームは秋の京都大会4回戦敗退】
9月末に行なわれた秋の京都大会4回戦で、西村は京都外大西から18個の三振を奪うも、延長11回タイブレークの末に2対3で敗れ、来春のセンバツ出場は絶望的となった。
その後、週末の練習試合では何度か登板するも、かねてから課題だったフォーム固めのため、1カ月以上実戦から離れていた。
「甲子園では投げる際、右肩が内に入ってコントロールが荒れてしまったので、フォームを一から見直していました」
1年上の左腕エース・中崎琉生とは今でもともに練習することがあり、その際にアドバイスをもらうことも多いという。
「先日、ピッチングを見てもらった時、中崎さんから『肩が中に入って投げる時は、間合いがない』と言われました。またスライダーを投げる時は、手首の角度を固定して横に弾くようなイメージで投げるといいとも教えてもらいました」
夏の甲子園では中崎とともに京都国際のマウンドを守り、西村は4試合24イニングを投げ、被安打11、奪三振11、失点は1(自責点0)と完璧なピッチングを披露した。
「夏の甲子園は......雰囲気はしっかり覚えていますけれど、あの時の細かい感覚などは、徐々にすごく前のことのように感じています」
夏の栄光は、徐々に遠い過去になっているようだ。甲子園の決勝まで進んだため、新チームのスタートはどこよりも遅れた。小牧憲継監督は「私の指導力不足でした」と秋の敗因を挙げたが、西村自身も春から夏にかけての"勤続疲労"もあったのだろう。
秋は表舞台から早々降りることになったが、今秋の公式戦で躍動する同世代の動向はこまめにチェックしていたという。
11月に明治神宮大会で優勝した横浜高のエース左腕・奥村頼人は、中学時代に滋賀県選抜チームでともにプレーした間柄だ。中学時代まで外野手だった西村は、奥村が横浜高でさらに成長している姿に目を奪われたという。だが、奥村の活躍以上に注目していたことがあった。
「自分はピッチャーなので、どうしても打線に目がいってしまいます。横浜高も打線はいいですが、同じ近畿の東洋大姫路の打線はミート力が高くて、打球が強いバッターが多いなと思いました。そういう打線を抑えられるようなピッチャーにならないといけないですね」
【いま取り組んでいる新たな武器】
11月下旬に開催された全国の強豪校が集って交流試合をする『くまのベースボールフェスタ』で、夏の甲子園の決勝で対戦した関東一高戦に登板した。久しぶりの実戦で、小牧監督が「感覚的なものがまだまだだった」と言うように、得意のチェンジアップを見切られ、痛打される場面が目立った。
「投げミスが多かったです。自分で配球を考えたり、チェンジアップの使い方をもっと考えたりしないといけないと思いました」
フォーム改良の最中の登板だったとはいえ、まだまだ課題が多いと西村は明かす。高校入学後に本格的に投手に転向してまだ1年半。今年は甲子園優勝というこの上ない経験値が加わったが、だからこそさらなるレベルアップが必要と、最後の夏のマウンドに向け闘志を燃やしている。
「まだフィジカルが弱いですし、体力面も精神面もまだまだです。体のバランスを意識したトレーニングや筋力トレーニングはやっているんですけれど、冬場はさらに時間をかけたい」
夏の甲子園で66キロだった体重は今もほとんど変わっておらず、現在は67キロ。食事の回数を増やすなど努力は続けており、来年の春には75キロまで持っていきたいと目標を掲げ、球質にもこだわりを持ちたいと語る。
「ストレートの球速を伸ばすことも大事ですが、球速以上に速さを感じさせられるようなボールを投げられるようになりたいです。あとは、スライダーをチェンジアップのように使えるようにしないといけないです。小さい曲がりのカットボールも練習しているので、春までに武器にできるようにしたいです」
【理想のエース像とは?】
春の府大会、近畿大会、夏の府大会、甲子園と試合で結果を残すたびに、西村は今後の目標について何度も尋ねられてきた。そのたびに「公務員になりたいです」と平然とした表情で返してきた。
「野球に対しては無欲で何も考えていないところがある」と小牧監督は西村をチクッと"つつく"ことも多かったが、10月に入り西村は高校卒業後も野球を続けることを決意した。プロか大学進学かについては、「現時点ではまだまだ考えられないです」と話すに留めたが、この冬の成長次第でプロは"夢"ではなくなるだろう。
理想のエース像は「誰からも信頼される、仲間がミスをしてもカバーできるピッチャー」だという。チームの柱としてだけでなく、高校野球界において西村は注目される存在である。そんな来年に向け、本人はこう意気込んだ。
「まずは全員で甲子園に優勝旗を還しに行って、夏の甲子園連覇という目標に全員で向かっていきたいです。そのために、この冬は鍛えていきます」。
昨年の冬はセンバツを見越して、体づくりと同時進行で実戦練習にも時間を割いたが、今年は夏に向けて徹底した基礎練習に励んでいる。
「もともと今年は、ピッチャーはすごく走らされることになると聞いているので......。正直、走るのは好きじゃないけど、苦しい練習を乗り越えないと結果はついてこないので、これをすれば成長できると自分に言い聞かせて頑張っていこうと思います」
日の当たらない場所でもがき、歯を食いしばる冬。その先に待つ未来は──西村が再びマウンド上で周囲をアッと言わせる時は来るのだろうか。その時に向けた戦いは、もうすでに始まっている。
☟「安楽智大パワハラ問題も彼は説明しなかった」楽天初代監督が疑問視する“楽天フロントの冷たさ”「田中将大退団も石井一久らの言葉が問題だったのでは」
https://news.yahoo.co.jp/articles/b6298c8e63cd5ce11f58855050b247bd5f0b1c6d?page=1
「石井一久らの言葉次第だったのでは…」
2024年のオフシーズン、球界を激震させたのが11月24日の田中将大の退団報道だ。2013年の楽天の日本一に24連勝と多大なる貢献をした大エースだが、球団との年俸更改交渉がまとまらず、自主退団。その後、田中の去就は巨人に決まった。残り3勝となった日米通算200勝も、巨人での達成となるか注目される。この田中の一件について、楽天初代監督の田尾安志氏はこう語る。
「年俸の低さが気に入らなかったとか色々言われていますが、石井一久らフロントの言い方、言葉の使い方次第だったのではないでしょうか」
楽天でGM、監督を経て、現在はSD(シニアディレクター)を務めている石井一久氏。石井氏は田中との交渉にも参加していた。
「マー君など35歳以降のベテランにとって一番大事なのは、自分が球団からどう見てもらっているかということ。つまり、『お前、戦力だからな』という一言があるかないかです。年俸を下げられて気分が悪いから辞めるということではなく、自分が求められていないような空気を感じたのではないでしょうか」
「安楽パワハラのときも説明がなかった」
田尾氏自身も引退を決めたのは、監督からの一言だった。阪神時代、二軍落ちの際に当時の中村勝広監督に田尾氏は「監督の思い通りの野球やってください。僕はいつやめてもいいですから」と言った。その際、中村監督が田尾氏にかけた言葉は「お前、それでいいのか」だったという。1991年、当時37歳のときだった。
「それで自分はもう戦力として必要とされてないんだなと。仮に監督に『代打でお前の1打席が欲しいから、二軍で調整してきてくれ』と言われたら、まだ続けていました。なので、その場でやめますと告げたんです」
田尾氏は、このようなすれ違いが田中と球団の間であったのではないかと推測しているのだ。そして、交渉の場にいた石井氏に対して、田尾氏はこう話す。
「2023年に安楽智大のパワハラの件があったでしょう。あのとき、一久は監督だったから、表に出て説明してほしかったです。なのに、そういうこともなく、自分は球団に残っているからね……」
「選手思いじゃないGMは評判が悪い」
石井氏は来年から再びGMに就任することが決まっているが、田尾氏は「チームはGMで変わる」と断言する。
「野球界は狭い世界だし、人間同士の付き合いが重視される部分が大きいです。共存共栄で、球界全体を良くしたいと思っている球団がほとんどですから、『うちの補強、なんとか協力してくれませんか? 』とGMが頼めば、トレードなどで選手をくれることもある。選手の出場機会が増えることを望んでのトレードもありますから、お互いメリットもあるんです」
ちなみに、田尾氏は楽天の監督時代、ボビー・バレンタイン監督(当時ロッテ)や王貞治監督(同ソフトバンク)に、直接補強を交渉していた。「なんとか選手をいただけないですか」と言う田尾氏のお願いに、いずれの監督も前向きで、シーズンが終わる頃にはほぼ補強の話は決まっていたという。田尾氏はGMではないが、同じような交渉はフロント間でも行われているのだろう。
他球団から協力してもらえるようなGMは、やはり人柄が重要になるのだそう。
「親会社からポンと球団に来て偉そうにしたり、選手思いじゃなかったりするGMは評判が悪いし、信頼されません。人間同士のことなんで、やはりそういう人には他球団も協力しません」
楽天のフロントにも、そういう血の通った人間付き合いが必要なのかもしれない。
💢花巻東の“全国戦略”に日本中の強豪校が震撼!恐るべし大谷翔平&菊池雄星ブランド
https://news.yahoo.co.jp/articles/1adac7e84f8e64bbd58456165265208dfb483711
「花巻東が関西の有望中学生まで取ろうっていうんだから参りますよ」
全国制覇の経験がある関西の某野球強豪校の監督がこう嘆く。
「花巻東は今年『50-50』を達成してメジャーリーグを席巻したドジャース・大谷翔平の母校ですからね。菊池雄星(エンゼルス)しかり、これまでは岩手の地元の選手を中心に強化するチームだったのに、今夏に出場した甲子園で、神奈川から野球留学した巨人・古城コーチの次男・大翔が1年生で4番を任された。同校の佐々木監督と古城コーチが国士舘大の同級生だった縁とはいえ、花巻東はこれを機に関東や関西に勧誘の手を伸ばし始めた。ある関西の有望中学生が進学を決めたと聞いて、大阪桐蔭や関西の中学生をスカウトする明徳義塾あたりは真っ青です。花巻東は関東の中学生の現場にも出没している。『あなたも大谷みたいになれますよ』と口説いているかはともかく、あの大谷、菊池の母校と聞いたら、誰だって花巻東に入りたくなりますから」
みちのくの「黒船」に戦々恐々としている野球学校は少なくない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e5bf0bf139a57643f528a79c202a004dda56acad?page=1
甲子園初優勝の京都国際Wエースが振り返る激闘の夏~前編・中崎琉生
2024年夏の甲子園は、京都国際が春夏通じて初の優勝を成し遂げ、高校野球の歴史に新たな1ページを刻んだ。優勝の立役者となったのは、3年生の中崎琉生と2年生の西村一毅の両左腕だった。あれから約4カ月、京都国際のWエースが激闘の夏を振り返った。
【夏の活躍が認められ日本代表に選出】
U-18日本代表の一員として台湾遠征から帰国した9月9日。中崎が母校に帰ると、周囲はすっかり"通常モード"になっていた。
「チームはもう秋の大会に向けた練習をしていて、3年生も次の目標に向けて自主練をしていて......。(甲子園で優勝した)余韻があったのは、僕だけでした」
そう言って、中崎は苦笑いを浮かべた。夏の甲子園で優勝したのは8月23日。その翌日、帰校するためTシャツ、短パン姿でマイクロバスに乗り込むチームメイトの横で、ひとりだけ制服姿で仲間を見送る中崎の姿があった。
「せっかく(日本代表に)選んでもらったので、甲子園決勝の翌日でも合流させます。休みをもらうとか、とんでもないです」と語ったのは小牧憲継監督だ。
中崎自身も「朝起きたらもう(疲れは)抜けていましたけれど、実際は肩回りや精神面の疲労はありました。でも、(代表チームに合流してからの)2日間、調整の時間をもらったおかげで疲れはとれました」と振り返る。
とはいえ、中崎にとってはじつに忙しい8月だった。
甲子園で戦った全6試合のうち、中崎は4試合に登板。3回戦の西日本短大付戦では14個の三振を奪っての完封勝利。通算で31イニングを投げ、33奪三振、5失点、防御率1.45。エースとして文句のつけようのない数字を残した。
「準々決勝(智辯学園戦)は投げなくてもブルペンに入っていましたし、緊張感はずっとありました。連戦になると体以外のしんどさもありましたが、京都を代表して甲子園で試合をさせてもらっていますし、今までの対戦相手のことを考えると、しんどいとは言っていられないと」
ともにマウンドを分け合った西村一毅(2年)の存在も、じつに頼もしかった。西村も中崎と同じ4試合に登板し、24イニングで14奪三振、1失点(自責点0)。防御率0.00という圧巻の成績をあげた。
【センバツでは初戦敗退】
初優勝の立役者となったふたりの共通点は、春に苦い経験をしたこと。中崎は青森山田戦に先発するも、サヨナラ負けを喫し初戦敗退。西村に至っては、マウンドを踏むどころかベンチ入りメンバーからも漏れた。中崎が初戦で敗退したセンバツを振り返る。
「センバツで足りないと感じたのは、気持ち、冷静さ......いろいろありましたけれど、一番足りないと思ったのは、考える力です。一死三塁で、2人(走者を)出してもOKというなかでも初球から勝負してしまった。
厳しいところに投げきる力もなかったですが、観察力もなかったですし、対バッターのことしか考える余裕がありませんでした。(キャッチャーの)奥井(颯大)の配球は信頼していたけど、自分がまだまだでした。それに、自分はもっと周りを見て動けるようにならないと勝てないと思いました」
打者を見て、どう配球するべきか、周りの動きを読んで、どう対処するか。そこまで考える余裕もなく、とにかく打者を打ち取ることしか考えられなかったのだ。
春の府大会になると、台頭してきたのが2年生の西村だった。府大会決勝では1失点完投勝ちすると、春の近畿大会では初戦の明石商戦で7回1失点、決勝の智辯和歌山戦でも強力打線に臆することなく5安打2失点にまとめ、初優勝に大きく貢献した。
彗星のごとく現れた後輩を、中崎は「自分は先輩という立場ではあるんですけれど、同じピッチャーとして尊敬できる存在です」と言う。
冷静沈着な中崎に対し、西村はどこか天然気質で自分の世界を大事にするところがあり、性格は真逆だ。それでも同じ投手として並んで練習していくうちに引き込まれる空気感があったという。
そんなよきライバルであり後輩とマウンドを分け合ううちに、中崎の所作にもちょっとした変化があった。小牧監督が言う。
「今まで中崎は、自分のことで精いっぱいなところがあって......自分のことだけこなしていたらいいというか、そういうところが気になる部分ではありました」
中崎自身が"周りが見られていなかった"と言うように、それが普段の姿勢にもモロに出ていた。だが、センバツでの試合を通して猛省し、周りを見渡すことを心がけるようになった。
夏の甲子園では準決勝の青森山田戦で先発するも、4回2失点で降板。5回からマウンドに立った西村が2安打無失点と好投しチームはリベンジを果たしたのだが、決勝進出を喜ぶチームのなかでひとりだけ目を潤ませて肩を落としていた。
「自分が不甲斐ないピッチングをして、チームに迷惑をかけてしまった。申し訳なくて......」
エースとしてのプライドもあったのだろう。心を鬼にして挑んだ決勝戦では、3回まで無安打に抑える"完全投球"を披露し、4回以降も許した安打はわずか3本。延長タイブレークの10回に入ってからマウンドは西村に譲ったが、気迫溢れるピッチングでチームの新たな歴史を刻む立役者となった。
「気力があったからあそこまで投げられたというのはあるのですが」
【超えなければならない先輩】
夏の甲子園のマウンドで、中崎はあることを唱えながら投げていたという。
「『このボールで締めよう』とか『ここはこれで抑えよう』とか、ブツブツ言って自分に言い聞かせながら投げていたんです。口に出して言えば、何か変われるのかもしれないと思って......。実際に抑えられたので、言ってみるもんだなと思いました」
京都国際が勝ち進むたび、韓国語の校歌などグラウンド外のことが話題になった。それでも「応援してくれる人に感謝の気持ちを表したかった。だから、しんどいとも言っていられなかったというのもありました」と、中崎は振り返った。
京都国際に入学した春、チームのエースとして君臨していたのが森下瑠大(DeNA)だった。
中崎が「身近で尊敬できる先輩。こんな左ピッチャーがいるんだと驚きました」と、今でもリスペクトは止まない。その森下が2年生だった21年の夏の甲子園はベスト4だった。チームの成績としては森下を超えたが、個人としては「森下さんを超えたとは思っていない」と本人は言う。
「この2年半で大切だと思ったのは、"気づき"です。自分は今年の春に周りを見ることの大切さに気づけて、そこから成長できたことはあります。でも、もっと早く気づいていたら森下さんを超えられたのかもしれないと思っています。この2年半の反省を、これからの野球人生に生かしていきたい。今のままでは、まだまだ森下さんを超えられないです」
期待された新チームは府大会4回戦で京都外大西に2対3で敗れ、来春のセンバツ出場は絶望的となった。今秋、中崎から背番号1を受け継いだのが西村だった。
つづく>>
✌夏の全国制覇で高校卒業後の進路を変更 京都国際・西村一毅は公務員志望から野球を続けることを決意した
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/hs_other/2024/12/30/post_143/?cx_refAction=distMediaRecs&utm_campaign=%2Fclm%2Fbaseball%2Fhs_other%2F2024%2F12%2F30%2Fpost_142%2F&utm_source=news.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&cx_refMedia=yahoo
甲子園初優勝の京都国際Wエースが振り返る激闘の夏〜後編・西村一毅
11月30日、京都国際は年内最後の対外試合を行なった。3対0とリードした7回から2番手としてマウンドに上がった西村一毅は、3回を2安打無失点に抑える好投で試合を締めた。
今夏、チームを初の全国制覇へと導いた伝家の宝刀・チェンジアップのキレ味は相変わらずで、テンポよくカウントを整えていくピッチングに、ネット裏で試合を見に来ていた相手チームを応援するオールドファンからは「あれは打てんなぁ」とため息が漏れた。
「軸が安定して、腕がしなり、しっかり真っすぐを投げられるようになりました。前よりストレートの質はよくなっている感覚はありましたし、指にかかっていたのもよかったです。それでも、まだフォームの完成度は5割くらいです」
言葉を丁寧に選びながら、西村は試合後そう口にした。
【新チームは秋の京都大会4回戦敗退】
9月末に行なわれた秋の京都大会4回戦で、西村は京都外大西から18個の三振を奪うも、延長11回タイブレークの末に2対3で敗れ、来春のセンバツ出場は絶望的となった。
その後、週末の練習試合では何度か登板するも、かねてから課題だったフォーム固めのため、1カ月以上実戦から離れていた。
「甲子園では投げる際、右肩が内に入ってコントロールが荒れてしまったので、フォームを一から見直していました」
1年上の左腕エース・中崎琉生とは今でもともに練習することがあり、その際にアドバイスをもらうことも多いという。
「先日、ピッチングを見てもらった時、中崎さんから『肩が中に入って投げる時は、間合いがない』と言われました。またスライダーを投げる時は、手首の角度を固定して横に弾くようなイメージで投げるといいとも教えてもらいました」
夏の甲子園では中崎とともに京都国際のマウンドを守り、西村は4試合24イニングを投げ、被安打11、奪三振11、失点は1(自責点0)と完璧なピッチングを披露した。
「夏の甲子園は......雰囲気はしっかり覚えていますけれど、あの時の細かい感覚などは、徐々にすごく前のことのように感じています」
夏の栄光は、徐々に遠い過去になっているようだ。甲子園の決勝まで進んだため、新チームのスタートはどこよりも遅れた。小牧憲継監督は「私の指導力不足でした」と秋の敗因を挙げたが、西村自身も春から夏にかけての"勤続疲労"もあったのだろう。
秋は表舞台から早々降りることになったが、今秋の公式戦で躍動する同世代の動向はこまめにチェックしていたという。
11月に明治神宮大会で優勝した横浜高のエース左腕・奥村頼人は、中学時代に滋賀県選抜チームでともにプレーした間柄だ。中学時代まで外野手だった西村は、奥村が横浜高でさらに成長している姿に目を奪われたという。だが、奥村の活躍以上に注目していたことがあった。
「自分はピッチャーなので、どうしても打線に目がいってしまいます。横浜高も打線はいいですが、同じ近畿の東洋大姫路の打線はミート力が高くて、打球が強いバッターが多いなと思いました。そういう打線を抑えられるようなピッチャーにならないといけないですね」
【いま取り組んでいる新たな武器】
11月下旬に開催された全国の強豪校が集って交流試合をする『くまのベースボールフェスタ』で、夏の甲子園の決勝で対戦した関東一高戦に登板した。久しぶりの実戦で、小牧監督が「感覚的なものがまだまだだった」と言うように、得意のチェンジアップを見切られ、痛打される場面が目立った。
「投げミスが多かったです。自分で配球を考えたり、チェンジアップの使い方をもっと考えたりしないといけないと思いました」
フォーム改良の最中の登板だったとはいえ、まだまだ課題が多いと西村は明かす。高校入学後に本格的に投手に転向してまだ1年半。今年は甲子園優勝というこの上ない経験値が加わったが、だからこそさらなるレベルアップが必要と、最後の夏のマウンドに向け闘志を燃やしている。
「まだフィジカルが弱いですし、体力面も精神面もまだまだです。体のバランスを意識したトレーニングや筋力トレーニングはやっているんですけれど、冬場はさらに時間をかけたい」
夏の甲子園で66キロだった体重は今もほとんど変わっておらず、現在は67キロ。食事の回数を増やすなど努力は続けており、来年の春には75キロまで持っていきたいと目標を掲げ、球質にもこだわりを持ちたいと語る。
「ストレートの球速を伸ばすことも大事ですが、球速以上に速さを感じさせられるようなボールを投げられるようになりたいです。あとは、スライダーをチェンジアップのように使えるようにしないといけないです。小さい曲がりのカットボールも練習しているので、春までに武器にできるようにしたいです」
【理想のエース像とは?】
春の府大会、近畿大会、夏の府大会、甲子園と試合で結果を残すたびに、西村は今後の目標について何度も尋ねられてきた。そのたびに「公務員になりたいです」と平然とした表情で返してきた。
「野球に対しては無欲で何も考えていないところがある」と小牧監督は西村をチクッと"つつく"ことも多かったが、10月に入り西村は高校卒業後も野球を続けることを決意した。プロか大学進学かについては、「現時点ではまだまだ考えられないです」と話すに留めたが、この冬の成長次第でプロは"夢"ではなくなるだろう。
理想のエース像は「誰からも信頼される、仲間がミスをしてもカバーできるピッチャー」だという。チームの柱としてだけでなく、高校野球界において西村は注目される存在である。そんな来年に向け、本人はこう意気込んだ。
「まずは全員で甲子園に優勝旗を還しに行って、夏の甲子園連覇という目標に全員で向かっていきたいです。そのために、この冬は鍛えていきます」。
昨年の冬はセンバツを見越して、体づくりと同時進行で実戦練習にも時間を割いたが、今年は夏に向けて徹底した基礎練習に励んでいる。
「もともと今年は、ピッチャーはすごく走らされることになると聞いているので......。正直、走るのは好きじゃないけど、苦しい練習を乗り越えないと結果はついてこないので、これをすれば成長できると自分に言い聞かせて頑張っていこうと思います」
日の当たらない場所でもがき、歯を食いしばる冬。その先に待つ未来は──西村が再びマウンド上で周囲をアッと言わせる時は来るのだろうか。その時に向けた戦いは、もうすでに始まっている。
☟「安楽智大パワハラ問題も彼は説明しなかった」楽天初代監督が疑問視する“楽天フロントの冷たさ”「田中将大退団も石井一久らの言葉が問題だったのでは」
https://news.yahoo.co.jp/articles/b6298c8e63cd5ce11f58855050b247bd5f0b1c6d?page=1
「石井一久らの言葉次第だったのでは…」
2024年のオフシーズン、球界を激震させたのが11月24日の田中将大の退団報道だ。2013年の楽天の日本一に24連勝と多大なる貢献をした大エースだが、球団との年俸更改交渉がまとまらず、自主退団。その後、田中の去就は巨人に決まった。残り3勝となった日米通算200勝も、巨人での達成となるか注目される。この田中の一件について、楽天初代監督の田尾安志氏はこう語る。
「年俸の低さが気に入らなかったとか色々言われていますが、石井一久らフロントの言い方、言葉の使い方次第だったのではないでしょうか」
楽天でGM、監督を経て、現在はSD(シニアディレクター)を務めている石井一久氏。石井氏は田中との交渉にも参加していた。
「マー君など35歳以降のベテランにとって一番大事なのは、自分が球団からどう見てもらっているかということ。つまり、『お前、戦力だからな』という一言があるかないかです。年俸を下げられて気分が悪いから辞めるということではなく、自分が求められていないような空気を感じたのではないでしょうか」
「安楽パワハラのときも説明がなかった」
田尾氏自身も引退を決めたのは、監督からの一言だった。阪神時代、二軍落ちの際に当時の中村勝広監督に田尾氏は「監督の思い通りの野球やってください。僕はいつやめてもいいですから」と言った。その際、中村監督が田尾氏にかけた言葉は「お前、それでいいのか」だったという。1991年、当時37歳のときだった。
「それで自分はもう戦力として必要とされてないんだなと。仮に監督に『代打でお前の1打席が欲しいから、二軍で調整してきてくれ』と言われたら、まだ続けていました。なので、その場でやめますと告げたんです」
田尾氏は、このようなすれ違いが田中と球団の間であったのではないかと推測しているのだ。そして、交渉の場にいた石井氏に対して、田尾氏はこう話す。
「2023年に安楽智大のパワハラの件があったでしょう。あのとき、一久は監督だったから、表に出て説明してほしかったです。なのに、そういうこともなく、自分は球団に残っているからね……」
「選手思いじゃないGMは評判が悪い」
石井氏は来年から再びGMに就任することが決まっているが、田尾氏は「チームはGMで変わる」と断言する。
「野球界は狭い世界だし、人間同士の付き合いが重視される部分が大きいです。共存共栄で、球界全体を良くしたいと思っている球団がほとんどですから、『うちの補強、なんとか協力してくれませんか? 』とGMが頼めば、トレードなどで選手をくれることもある。選手の出場機会が増えることを望んでのトレードもありますから、お互いメリットもあるんです」
ちなみに、田尾氏は楽天の監督時代、ボビー・バレンタイン監督(当時ロッテ)や王貞治監督(同ソフトバンク)に、直接補強を交渉していた。「なんとか選手をいただけないですか」と言う田尾氏のお願いに、いずれの監督も前向きで、シーズンが終わる頃にはほぼ補強の話は決まっていたという。田尾氏はGMではないが、同じような交渉はフロント間でも行われているのだろう。
他球団から協力してもらえるようなGMは、やはり人柄が重要になるのだそう。
「親会社からポンと球団に来て偉そうにしたり、選手思いじゃなかったりするGMは評判が悪いし、信頼されません。人間同士のことなんで、やはりそういう人には他球団も協力しません」
楽天のフロントにも、そういう血の通った人間付き合いが必要なのかもしれない。
💢花巻東の“全国戦略”に日本中の強豪校が震撼!恐るべし大谷翔平&菊池雄星ブランド
https://news.yahoo.co.jp/articles/1adac7e84f8e64bbd58456165265208dfb483711
「花巻東が関西の有望中学生まで取ろうっていうんだから参りますよ」
全国制覇の経験がある関西の某野球強豪校の監督がこう嘆く。
「花巻東は今年『50-50』を達成してメジャーリーグを席巻したドジャース・大谷翔平の母校ですからね。菊池雄星(エンゼルス)しかり、これまでは岩手の地元の選手を中心に強化するチームだったのに、今夏に出場した甲子園で、神奈川から野球留学した巨人・古城コーチの次男・大翔が1年生で4番を任された。同校の佐々木監督と古城コーチが国士舘大の同級生だった縁とはいえ、花巻東はこれを機に関東や関西に勧誘の手を伸ばし始めた。ある関西の有望中学生が進学を決めたと聞いて、大阪桐蔭や関西の中学生をスカウトする明徳義塾あたりは真っ青です。花巻東は関東の中学生の現場にも出没している。『あなたも大谷みたいになれますよ』と口説いているかはともかく、あの大谷、菊池の母校と聞いたら、誰だって花巻東に入りたくなりますから」
みちのくの「黒船」に戦々恐々としている野球学校は少なくない。
⚽第33回全日本高校女子サッカー選手権 三木総合防災公園陸上競技場【2回戦第2試合】大商学園(大阪)vs十文字(東京) 1425人
https://www.jfa.jp/match/highschool_womens_2024/schedule_result/pdf/m29.pdf
⚽ユーチューブライブ配信
https://www.youtube.com/watch?v=e_uh_dHrz1g&t=7s
3年間の雌伏の時を耐えて、、、4年ぶり14度目の選手権大会出場を決めてくれた後輩たち。
相手の十文字は2017年1月8日に決勝戦で対戦し惜しくも0-1で敗れ準優勝に終わった天敵。
全く予想がつかない試合で、勝ち上がれば準々決勝1月5日の三木~準決勝1月7日神戸ウイングS~そして1月12日決勝戦神戸ウイングSに駆け付ける予定でした。
今日はユーチューブで自宅から生観戦しておりましたが、、、お互い決め手を欠き、何もできずに前半が終わりそのままPKも覚悟しつつ・・・運よく後半開始直後に猛攻を仕掛け1点先制し、そのまま逃げ切り初戦突破と。
3日の3回戦は清荒神初詣とかち合うので、観戦できませんが2試合で9得点の鎮西学院に勝てば4年ぶりに三木に行けるので・・・。
なんとか3連覇を狙う藤枝順心が来るであろう準決勝までは最低でも勝ち上がりたい。あわよくば悲願の初優勝を目の前で見たいものです!!
✌大社ナインが聖地での死闘を激白 エース馬庭優太「甲子園はかけがえのない場所」「最高の仲間」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e30ea32c935f0bb15112c473acafeb1b5bb44ec2
ABC放送は30日「高校野球スペシャル2024甲子園が好きだから」を放送し、「大社旋風」を巻き起こした、監督と選手のインタビューを公開した。
大社(島根)は今夏、32年ぶりとなった夏の甲子園でセンバツ準Vの報徳学園(兵庫)、創成館(長崎)、早実(西東京)を破り、93年ぶりの8強入り。番組では延長タイブレークの末に3-2のサヨナラで早実を下した一戦にフォーカスされた。
1-2の9回に大社がスクイズで同点に追いつき、延長戦へ突入。延長タイブレーク11回裏、大社は無死一、二塁からこの夏初出場の安松大希捕手(2年)を代打に送り、三塁線へのバントを内野安打とした。安松は石飛文太監督とのやりとりを明かした。
安松 「(監督が)『バントを決められるやつおるか』と言われて。『自分が決めます』って手を挙げました」
石飛監督 「(安松が)『やります』って言ったけど、普段の様子よりも不安気に思えたので、『何か不安か?大丈夫か?』と聞いたんです」
安松 「『自分は三塁側にしか決められませんが大丈夫ですか』と問い返しました。それで監督さんが『この場面は三塁側が良い』と。『行ってこい!』と言われました」
石飛監督 「僕は信じるだけでした」
無死満塁と好機を広げ、延長11回まで1人で投げ抜いてきたエース馬庭優太(3年)が中前打で激闘に終止符。馬庭は「今まで自分が過ごしてきたなかで一番長い夏でした。甲子園は自分の人生の中でかけがえのない場所でした。仲間を信じていたからこそ、投げきることができると考えていた。最高の仲間だった」と熱い夏を振り返った。
石飛監督は「一番感じたのは、甲子園は人と人がつながり合える場所」と、この夏の旋風終えて語った。
大社は準々決勝で神村学園(鹿児島)に2-8で敗退。甲子園4試合すべてに登板し、「大社旋風」の中心となった馬庭は、大学進学を明言している。
☝「誕生日のケーキ喜んでくれた」高校野球の名将、迫田監督の追悼展
https://news.yahoo.co.jp/articles/1887110f92db7a26fb984431b147e0155061dd40
広島商野球部で選手、監督として全国優勝し、2023年12月に84歳で亡くなった迫田穆成さんの功績をたたえる追悼展が、広島県竹原市本町の「道の駅たけはら」で開かれている。迫田さんが死去直前まで監督を務めた竹原高校野球部での活動を振り返っている。
追悼展では、迫田さんのグラブやファンと写った写真のほか、選手起用のメモ書きなどを展示。ユーチューブ「迫田監督野球チャンネル」の動画を流し、竹原野球部の戦績を紹介している。
竹原の部員らがつづった迫田さんとの思い出話も展示されており、「誕生日にみんなでケーキをあげたらとても喜んでくれた」「けがしたとき、まほろばの里へ一緒に行ってくれた」といった内容も。
迫田さんは19年に竹原の監督に就任。しかし、翌年の夏の甲子園はコロナ禍で中止になった。迫田さんのユーチューブは、長女の岩川智子さん(59)が自宅で話を聞いているうちに、多くの人に面白い話を届けたいと開設した。
岩川さんによると、迫田さんが亡くなる直前、部員とのやり取りで大笑いしたことがあったという。入院中の迫田さんに、部員が広島商との練習試合結果をLineで送ってきたが、点数がまちまちだったという。「あんなに笑っているのを見たのは、最後だったかもしれません」と岩川さん。
追悼展は無料で、25年2月中旬までの予定。問い合わせは、主催の道の駅たけはら(0846・23・5100)へ。31日~1月3日は休業。
📝聖地のアルプス彩った滋賀学園・荒井浩志さん 心ない声に「正直怖いなって」救急救命士を目指す
https://news.yahoo.co.jp/articles/eed034bd06eef63e9deee474d946fb614bc93c53
ABC放送は30日、「高校野球スペシャル2024 甲子園が好きだから」を放送し、アルプスを彩った滋賀学園・荒井浩志さん(3年)を特集した。
荒井さんはベンチ入りがかなわず、応援団長としてチームを鼓舞。聖地のスタンドで見せるキレキレのダンスで話題を呼んだ。荒井さんは「自分のためではなくて、試合に勝つためにやっているのが一番。周りがしないことをやるというのが目的としてあった」とその理由を語った。
応援を背に受けた選手たちは初の甲子園8強入り。大会後もダンスがSNSで話題となった。だがその一方で、批判的なコメントも散見。高校生への心ない声にも荒井さんは、「正直怖いなって思いました。最初(批判的な意見を)見たときは、自分が今までしてきたことが間違いだと思ったんですが、選手たちが最大限の力を発揮できるのなら、自分たちはたたかれてもいい」と胸の内を明かした。
新井さんは甲子園を夢見て三重から野球留学。だが最後の夏でのベンチ入りは果たせなかった。「親に電話したときに『メンバーに入れへんかった』と言ったら、『3年間必死に野球ができたらそれでいい。頑張ったからいいんやで』と言葉をかけてもらい、気持ちが楽になった」と両親の支えを明かした。
メンバーに選ばれなかったことにショックを抱えつつも「(ベンチ外の)メンバーも『一緒にチームのために頑張ろう』と励まし合って立ち直る事ができた。甲子園の外野で守ることが一番の目標で、それはできなかったけど、必死に野球をしている選手のために応援すると決めました」と、チームメートと歩んできたことを明かした。
卒業後の展望については「将来の夢は救急救命士。救急救命士も自分のためではなく、傷病者のための職業だと思う。誰かのためにすることの素晴らしさを、甲子園を通して手に入れました」と充実した表情で語った。
📝阪神と野球を結び付けた「香櫨園」の新事実 甲子園43個分の広さ&試合に10万人動員の大熱狂
https://news.yahoo.co.jp/articles/e4c9982bcdf7a6c7f08634a622f3849dfddacced
今年8月で開場100周年を迎えた甲子園球場を所有する阪神電鉄と野球との接点になった、現代でいうアミューズメントパーク「香櫨園(こうろえん)」に新たな事実が判明した。運動場内に球場を造り、1910年10月に開催された関西初の国際試合、早大―シカゴ大の3試合。従来8万坪とされた香櫨園が実は50万坪だったことでスムーズな建設が進み、3日間全て野球日和だったこともあって推定10万人を動員。野球熱が盛り上がった。
西宮市教育委員会事務局の足立年樹氏によると、昨年2月に全76ページからなる1909年発行の「香櫨園案内」(西宮市立郷土資料館所蔵)が見つかった。同資料館が古書店から情報を得て購入し、阪神電鉄の社史にある球場の地形に関する描写などと照合。従来8万坪とされた香櫨園の広さが甲子園球場43個分、50万坪もあった。
香櫨園案内には「香櫨園全図」があり、当時東京と京都にしかなかった動物園、ボートで水上へ突入する絶叫マシン「ウオーターシュート」、回転木馬などが配置。運動場も二つあった。
早大―シカゴ大の関西開催に向け、大阪毎日新聞(大毎)が早大と交渉する一方で試合会場を物色したが、適当な球場がなかった。大毎からの打診に阪神電鉄が応じ、経営参画した香櫨園の第一運動場内に、わずか2週間で野球のグラウンド(右翼約90メートル、左翼約170メートルの長方形)を造り上げた。時の技術長で後に専務として甲子園球場建設を指示した三崎省三が担当した。
試合は反響を呼び、開園と同時期に開業した香櫨園駅経由で推定10万人を動員。「女性が来て驚いたとか、阪神電車が満員になったという新聞記事もありました。球場まで長蛇の列ができたそうです」(同氏)。当時は1両編成で座席に40人、定員80人だったことから通勤列車なみの混雑ぶりが想像できる。
同氏は大阪管区気象台に開催日の天気も確認。10月25日は最低気温13・2度、最高22・6度でおおむね晴天。26日も最低10・7度、最高21度でおおむね晴天。27日は最低7・7度、最高20・7度で快晴だった。前後の24日が終日煙霧で日照時間48分、28日は曇りで同72分で天も味方した。「雨ならどこまで動員できたでしょう。(阪神電鉄から)野球はもうかると判断されたと思う」と推測する。
香櫨園の名前も一帯の土地所有者、砂糖商・香野蔵治と櫨山慶次郎に由来するというのが通説で、西宮市史に記載された。ところが、同じ櫨山姓でも慶次郎は株の仲買人で、同時期に活躍した香野と同じ砂糖商・喜一と突き止めた。園内にあった恵美須ホテルが現在のカトリック夙川教会となり、当時の文書などに両者の名前があった。現在、香櫨園駅にある銘板にも香野と喜一の名前が記されている。
3試合のための球場建設が、後の歴史の歯車を動かす一因になったかもしれない。
https://www.jfa.jp/match/highschool_womens_2024/schedule_result/pdf/m29.pdf
⚽ユーチューブライブ配信
https://www.youtube.com/watch?v=e_uh_dHrz1g&t=7s
3年間の雌伏の時を耐えて、、、4年ぶり14度目の選手権大会出場を決めてくれた後輩たち。
相手の十文字は2017年1月8日に決勝戦で対戦し惜しくも0-1で敗れ準優勝に終わった天敵。
全く予想がつかない試合で、勝ち上がれば準々決勝1月5日の三木~準決勝1月7日神戸ウイングS~そして1月12日決勝戦神戸ウイングSに駆け付ける予定でした。
今日はユーチューブで自宅から生観戦しておりましたが、、、お互い決め手を欠き、何もできずに前半が終わりそのままPKも覚悟しつつ・・・運よく後半開始直後に猛攻を仕掛け1点先制し、そのまま逃げ切り初戦突破と。
3日の3回戦は清荒神初詣とかち合うので、観戦できませんが2試合で9得点の鎮西学院に勝てば4年ぶりに三木に行けるので・・・。
なんとか3連覇を狙う藤枝順心が来るであろう準決勝までは最低でも勝ち上がりたい。あわよくば悲願の初優勝を目の前で見たいものです!!
✌大社ナインが聖地での死闘を激白 エース馬庭優太「甲子園はかけがえのない場所」「最高の仲間」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e30ea32c935f0bb15112c473acafeb1b5bb44ec2
ABC放送は30日「高校野球スペシャル2024甲子園が好きだから」を放送し、「大社旋風」を巻き起こした、監督と選手のインタビューを公開した。
大社(島根)は今夏、32年ぶりとなった夏の甲子園でセンバツ準Vの報徳学園(兵庫)、創成館(長崎)、早実(西東京)を破り、93年ぶりの8強入り。番組では延長タイブレークの末に3-2のサヨナラで早実を下した一戦にフォーカスされた。
1-2の9回に大社がスクイズで同点に追いつき、延長戦へ突入。延長タイブレーク11回裏、大社は無死一、二塁からこの夏初出場の安松大希捕手(2年)を代打に送り、三塁線へのバントを内野安打とした。安松は石飛文太監督とのやりとりを明かした。
安松 「(監督が)『バントを決められるやつおるか』と言われて。『自分が決めます』って手を挙げました」
石飛監督 「(安松が)『やります』って言ったけど、普段の様子よりも不安気に思えたので、『何か不安か?大丈夫か?』と聞いたんです」
安松 「『自分は三塁側にしか決められませんが大丈夫ですか』と問い返しました。それで監督さんが『この場面は三塁側が良い』と。『行ってこい!』と言われました」
石飛監督 「僕は信じるだけでした」
無死満塁と好機を広げ、延長11回まで1人で投げ抜いてきたエース馬庭優太(3年)が中前打で激闘に終止符。馬庭は「今まで自分が過ごしてきたなかで一番長い夏でした。甲子園は自分の人生の中でかけがえのない場所でした。仲間を信じていたからこそ、投げきることができると考えていた。最高の仲間だった」と熱い夏を振り返った。
石飛監督は「一番感じたのは、甲子園は人と人がつながり合える場所」と、この夏の旋風終えて語った。
大社は準々決勝で神村学園(鹿児島)に2-8で敗退。甲子園4試合すべてに登板し、「大社旋風」の中心となった馬庭は、大学進学を明言している。
☝「誕生日のケーキ喜んでくれた」高校野球の名将、迫田監督の追悼展
https://news.yahoo.co.jp/articles/1887110f92db7a26fb984431b147e0155061dd40
広島商野球部で選手、監督として全国優勝し、2023年12月に84歳で亡くなった迫田穆成さんの功績をたたえる追悼展が、広島県竹原市本町の「道の駅たけはら」で開かれている。迫田さんが死去直前まで監督を務めた竹原高校野球部での活動を振り返っている。
追悼展では、迫田さんのグラブやファンと写った写真のほか、選手起用のメモ書きなどを展示。ユーチューブ「迫田監督野球チャンネル」の動画を流し、竹原野球部の戦績を紹介している。
竹原の部員らがつづった迫田さんとの思い出話も展示されており、「誕生日にみんなでケーキをあげたらとても喜んでくれた」「けがしたとき、まほろばの里へ一緒に行ってくれた」といった内容も。
迫田さんは19年に竹原の監督に就任。しかし、翌年の夏の甲子園はコロナ禍で中止になった。迫田さんのユーチューブは、長女の岩川智子さん(59)が自宅で話を聞いているうちに、多くの人に面白い話を届けたいと開設した。
岩川さんによると、迫田さんが亡くなる直前、部員とのやり取りで大笑いしたことがあったという。入院中の迫田さんに、部員が広島商との練習試合結果をLineで送ってきたが、点数がまちまちだったという。「あんなに笑っているのを見たのは、最後だったかもしれません」と岩川さん。
追悼展は無料で、25年2月中旬までの予定。問い合わせは、主催の道の駅たけはら(0846・23・5100)へ。31日~1月3日は休業。
📝聖地のアルプス彩った滋賀学園・荒井浩志さん 心ない声に「正直怖いなって」救急救命士を目指す
https://news.yahoo.co.jp/articles/eed034bd06eef63e9deee474d946fb614bc93c53
ABC放送は30日、「高校野球スペシャル2024 甲子園が好きだから」を放送し、アルプスを彩った滋賀学園・荒井浩志さん(3年)を特集した。
荒井さんはベンチ入りがかなわず、応援団長としてチームを鼓舞。聖地のスタンドで見せるキレキレのダンスで話題を呼んだ。荒井さんは「自分のためではなくて、試合に勝つためにやっているのが一番。周りがしないことをやるというのが目的としてあった」とその理由を語った。
応援を背に受けた選手たちは初の甲子園8強入り。大会後もダンスがSNSで話題となった。だがその一方で、批判的なコメントも散見。高校生への心ない声にも荒井さんは、「正直怖いなって思いました。最初(批判的な意見を)見たときは、自分が今までしてきたことが間違いだと思ったんですが、選手たちが最大限の力を発揮できるのなら、自分たちはたたかれてもいい」と胸の内を明かした。
新井さんは甲子園を夢見て三重から野球留学。だが最後の夏でのベンチ入りは果たせなかった。「親に電話したときに『メンバーに入れへんかった』と言ったら、『3年間必死に野球ができたらそれでいい。頑張ったからいいんやで』と言葉をかけてもらい、気持ちが楽になった」と両親の支えを明かした。
メンバーに選ばれなかったことにショックを抱えつつも「(ベンチ外の)メンバーも『一緒にチームのために頑張ろう』と励まし合って立ち直る事ができた。甲子園の外野で守ることが一番の目標で、それはできなかったけど、必死に野球をしている選手のために応援すると決めました」と、チームメートと歩んできたことを明かした。
卒業後の展望については「将来の夢は救急救命士。救急救命士も自分のためではなく、傷病者のための職業だと思う。誰かのためにすることの素晴らしさを、甲子園を通して手に入れました」と充実した表情で語った。
📝阪神と野球を結び付けた「香櫨園」の新事実 甲子園43個分の広さ&試合に10万人動員の大熱狂
https://news.yahoo.co.jp/articles/e4c9982bcdf7a6c7f08634a622f3849dfddacced
今年8月で開場100周年を迎えた甲子園球場を所有する阪神電鉄と野球との接点になった、現代でいうアミューズメントパーク「香櫨園(こうろえん)」に新たな事実が判明した。運動場内に球場を造り、1910年10月に開催された関西初の国際試合、早大―シカゴ大の3試合。従来8万坪とされた香櫨園が実は50万坪だったことでスムーズな建設が進み、3日間全て野球日和だったこともあって推定10万人を動員。野球熱が盛り上がった。
西宮市教育委員会事務局の足立年樹氏によると、昨年2月に全76ページからなる1909年発行の「香櫨園案内」(西宮市立郷土資料館所蔵)が見つかった。同資料館が古書店から情報を得て購入し、阪神電鉄の社史にある球場の地形に関する描写などと照合。従来8万坪とされた香櫨園の広さが甲子園球場43個分、50万坪もあった。
香櫨園案内には「香櫨園全図」があり、当時東京と京都にしかなかった動物園、ボートで水上へ突入する絶叫マシン「ウオーターシュート」、回転木馬などが配置。運動場も二つあった。
早大―シカゴ大の関西開催に向け、大阪毎日新聞(大毎)が早大と交渉する一方で試合会場を物色したが、適当な球場がなかった。大毎からの打診に阪神電鉄が応じ、経営参画した香櫨園の第一運動場内に、わずか2週間で野球のグラウンド(右翼約90メートル、左翼約170メートルの長方形)を造り上げた。時の技術長で後に専務として甲子園球場建設を指示した三崎省三が担当した。
試合は反響を呼び、開園と同時期に開業した香櫨園駅経由で推定10万人を動員。「女性が来て驚いたとか、阪神電車が満員になったという新聞記事もありました。球場まで長蛇の列ができたそうです」(同氏)。当時は1両編成で座席に40人、定員80人だったことから通勤列車なみの混雑ぶりが想像できる。
同氏は大阪管区気象台に開催日の天気も確認。10月25日は最低気温13・2度、最高22・6度でおおむね晴天。26日も最低10・7度、最高21度でおおむね晴天。27日は最低7・7度、最高20・7度で快晴だった。前後の24日が終日煙霧で日照時間48分、28日は曇りで同72分で天も味方した。「雨ならどこまで動員できたでしょう。(阪神電鉄から)野球はもうかると判断されたと思う」と推測する。
香櫨園の名前も一帯の土地所有者、砂糖商・香野蔵治と櫨山慶次郎に由来するというのが通説で、西宮市史に記載された。ところが、同じ櫨山姓でも慶次郎は株の仲買人で、同時期に活躍した香野と同じ砂糖商・喜一と突き止めた。園内にあった恵美須ホテルが現在のカトリック夙川教会となり、当時の文書などに両者の名前があった。現在、香櫨園駅にある銘板にも香野と喜一の名前が記されている。
3試合のための球場建設が、後の歴史の歯車を動かす一因になったかもしれない。
💢今夏の甲子園出場校で大会前に部内窃盗事件が発覚…予想外の序盤敗退は「ルパン」のせいか
https://news.yahoo.co.jp/articles/4cd0a4d36a6a2e4258b6fcdab3f04b95386af6fa
今夏の甲子園では、今年から導入された低反発バットが大会の勢力図を大きく塗り替えた。強豪校が次々と波乱の渦にのみ込まれ、大会序盤で姿を消したことは記憶に新しい。
ある強豪校の“予想外”の序盤敗退は、低反発バットだけに起因するものではなさそうだ。
「春から夏にかけて、チーム内で衝撃的な事件が起きた」と、高校野球関係者がこう語る。
「上級生部員が下級生の用具を盗み、それをネットオークションで売りさばいていたことが発覚しました。これは明らかな窃盗事件ですが、野球部は公にせず、内々で処理したようです。もしかすると、学校側は事件を把握していない可能性すらある。もちろん、窃盗に関わった選手は、夏の県大会には出場登録されませんでしたが、部内に動揺が広がったのは確か。甲子園を目指して野球に集中できたかと言われれば、難しい状況だったはずです」
今年の春先には、ドジャースの大谷翔平の元通訳である水原一平被告が銀行口座から26億円超を盗んだとして、世間を騒がせた。
それとは比べものにならないが、高校球界のみならず、プロ球界でもこの手の「ルパン」はいるという。
📝指名漏れ大院大高・志水の「旋風舞台裏」 知られざる帰省と再出発、熊本の社会人で再起へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/977d0447bf2adbba02370c17897cb9c8ee3cdaef
大院大高の志水は、ドラフト当日の記者会見場で「ついにこの日が来た」と、あまりに濃密だった高校野球に思いをはせていた。低迷していた学校を今春大阪大会で優勝に導き、プロ注目捕手として取り上げられた。大阪桐蔭、履正社の「大阪2強」を崩す新風として取材も殺到。ドラフト会議で名前は呼ばれずとも「この会見場は誰でも座れる席ではない。成長できました」と結果を受け入れた。
熊本出身で、中学時代には多くの県外私立から勧誘を受けた。その中で選択したのが甲子園出場が96年春の1度しかない大院大高だった。「正直、名前も聞いたことがなかった。絶対に行くことはないと思っていました」。指導者の熱意、全国屈指の充実した練習環境を知り、心が動いた。「当時は甲子園に興味がなかった。高卒でプロに行きたい一心でした」。甲子園のためではなく、工事中だった屋内練習場やトレーニング室の完成イメージ図を見て、プロへの近道だと考えたのだ。
意気揚々と始まった大阪生活は、青写真通りには進まなかった。「かなり緊張をする性格なので、心のコントロールができなくなったんです」。不安感に襲われて精神が乱れ、体調が優れなかった。見かねた指導者の計らいで、一度熊本に帰省することになった。このまま故郷でやり直そうかとも考えた。それでも大阪に戻ってきた。「ここを選んだ理由はプロ野球選手になるため。その思いを忘れずに頑張ろうと思いました」。「志水なら大丈夫や」と励ましてくれた仲間の支えもあり、プロから注目を集めるまでに成長できた。
中学までは、プロ入りのための技術の鍛錬を最優先に考えてきた。その思考は、高校野球を通して変わった。「みんなと厳しい冬を乗り越え、絶対に甲子園に行きたいと思うようになった。ここまで甲子園のために熱くなれるとは思っていなかったです」。3年春の大阪大会では大阪桐蔭、履正社を破って優勝する大躍進。「2強」の牙城を崩し、大阪に大きな風穴を開けた。
卒業後は地元に戻り、社会人野球の熊本ゴールデンラークスに入社する。「大学進学を勧める声もありました。それでも一番レベルの高い舞台で戦い、1年でも早くプロに行きたいと思いました」。同社は、20年から3年間の活動休止を経て今年に再始動した。「これから強くなっていくチームが好きなので」。高校野球で起こした旋風をきっかけに、仲間と努力して勝ち上がる喜びを知ったのだ。
📝センバツ「21世紀枠空白県」からの脱却なるか 横浜清陵、山城、壱岐が地区候補に選出
https://news.yahoo.co.jp/articles/438724a7268055e941f1be72f67ffbacaaf94e41
来春行われる第97回選抜高校野球大会の21世紀枠の全国9地区の候補校が発表された。2001年大会から設けられた同枠での甲子園出場がないのは群馬、埼玉、神奈川、長野、三重、京都、奈良、大阪、岡山、鳥取、広島、福岡、長崎の13府県。今回、関東・東京地区で横浜清陵(神奈川)、近畿で山城(京都)、九州で壱岐(長崎)が地区候補になっており、来年1月24日に開かれる選考委員会で決まる最終の2校に選ばれれば、「21世紀枠空白県」からの脱却となる。
■「文武両道」を実践
神奈川県勢は全国で唯一、地区候補になったことがなかった。そんな中、甲子園出場経験のない横浜清陵は横浜や東海大相模など、私立の強豪がひしめく地域で今秋、公立として唯一、8強入りするなど、近年、安定した成績を残している力が評価された。
離島にある壱岐は文武両道の進学校。「壱岐から甲子園」を合言葉に集まった部員全員が島内出身。遠征で島外に出る場合、フェリー代などが約30万円かかるため、練習試合などの機会は限られるが、今秋は県大会で準優勝し、九州大会でもベスト8に入った。
注目の近畿は伝統校の山城が選ばれた。最終的な選考では奈良大会で準優勝し、近畿大会に進んだ進学校の奈良との比較となった。どちらも「質の高い文武両道」を実践しているとされたが、1971年から聴覚障害のある生徒を受け入れているほか、少年野球との交流で地域に貢献している点などが評価された。同校野球部は全国に15校しかない夏の第1回地方大会からの皆勤校。最後の甲子園出場は61年夏。センバツ出場となれば57年以来、68年ぶりとなる。OBに元阪神の吉田義男氏がいる。
京都府勢は立命館宇治が秋季大会で準々決勝に進んだもののコールド負けを喫し、一般枠での選出は厳しい状況。山城が同枠で選ばれ、一般選考枠の5、6校目に近畿8強の大院大高(大阪)、滋賀県勢の滋賀学園、滋賀短大付のいずれかが入れば、近畿2府4県すべてで出場校を出すことになる。
横浜清陵、山城、壱岐の3校が府県勢として「初の21世紀枠」の吉報を待つ。一方で、同枠での甲子園出場に恵まれているのが今回、大田が中国地区の候補となった島根県勢。同枠で甲子園出場を決めたのは、北海道の5度に次ぐ4度(中止になった2020年大会の平田を含む)で、福島、和歌山、徳島と並んでいる。また、全国9地区の候補に入るのも今回25度目の選考で実に10度目。自動的に地区候補となる北海道を除くと最多だ。
北信越の候補となった小松工(石川)は秋季県大会準優勝、北信越大会4強の実力を持つ。1月の能登半島地震で被災し、8月の豪雨被害では近隣の民家で泥よけのボランティアを数回実施した。東日本大震災が発生した11年の翌年から、2年連続で東北地区から同枠が選ばれた。
■過去に私立は土佐だけ
東海地区の名古屋たちばな(愛知)は今回の9候補で唯一の私立。過去、66校が同枠での甲子園出場(新型コロナウイルス禍で中止になった20年大会含む)が決まった中で、私立は13年の土佐(高知)だけ。
そのほかの地区候補は北海道の釧路江南、東北の久慈(岩手)、四国の高松東(香川)。同枠は部員不足、自然災害などの「困難克服」、学業と部活動を両立させた「文武両道」、ボランティア活動や野球教室などによる「地域密着」など戦力以外の実績にスポットを当て、私立の強豪に阻まれ甲子園が遠い古豪、新進校、僻地の学校などに出場機会を広げてきた。ただ、成績は芳しくない。同枠のチームが一般選考枠のチームに勝ったのは15年、松山東(愛媛)が二松学舎大付(東京)を下したのが最後となっている。
来年1月24日の選考委員会で候補9校から東西を区別せずに2校が選ばれ、一般選考枠の30校とともに3月18日に甲子園で開幕する選抜高校野球大会に出場する。組み合わせ抽選会は3月7日に行われる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4cd0a4d36a6a2e4258b6fcdab3f04b95386af6fa
今夏の甲子園では、今年から導入された低反発バットが大会の勢力図を大きく塗り替えた。強豪校が次々と波乱の渦にのみ込まれ、大会序盤で姿を消したことは記憶に新しい。
ある強豪校の“予想外”の序盤敗退は、低反発バットだけに起因するものではなさそうだ。
「春から夏にかけて、チーム内で衝撃的な事件が起きた」と、高校野球関係者がこう語る。
「上級生部員が下級生の用具を盗み、それをネットオークションで売りさばいていたことが発覚しました。これは明らかな窃盗事件ですが、野球部は公にせず、内々で処理したようです。もしかすると、学校側は事件を把握していない可能性すらある。もちろん、窃盗に関わった選手は、夏の県大会には出場登録されませんでしたが、部内に動揺が広がったのは確か。甲子園を目指して野球に集中できたかと言われれば、難しい状況だったはずです」
今年の春先には、ドジャースの大谷翔平の元通訳である水原一平被告が銀行口座から26億円超を盗んだとして、世間を騒がせた。
それとは比べものにならないが、高校球界のみならず、プロ球界でもこの手の「ルパン」はいるという。
📝指名漏れ大院大高・志水の「旋風舞台裏」 知られざる帰省と再出発、熊本の社会人で再起へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/977d0447bf2adbba02370c17897cb9c8ee3cdaef
大院大高の志水は、ドラフト当日の記者会見場で「ついにこの日が来た」と、あまりに濃密だった高校野球に思いをはせていた。低迷していた学校を今春大阪大会で優勝に導き、プロ注目捕手として取り上げられた。大阪桐蔭、履正社の「大阪2強」を崩す新風として取材も殺到。ドラフト会議で名前は呼ばれずとも「この会見場は誰でも座れる席ではない。成長できました」と結果を受け入れた。
熊本出身で、中学時代には多くの県外私立から勧誘を受けた。その中で選択したのが甲子園出場が96年春の1度しかない大院大高だった。「正直、名前も聞いたことがなかった。絶対に行くことはないと思っていました」。指導者の熱意、全国屈指の充実した練習環境を知り、心が動いた。「当時は甲子園に興味がなかった。高卒でプロに行きたい一心でした」。甲子園のためではなく、工事中だった屋内練習場やトレーニング室の完成イメージ図を見て、プロへの近道だと考えたのだ。
意気揚々と始まった大阪生活は、青写真通りには進まなかった。「かなり緊張をする性格なので、心のコントロールができなくなったんです」。不安感に襲われて精神が乱れ、体調が優れなかった。見かねた指導者の計らいで、一度熊本に帰省することになった。このまま故郷でやり直そうかとも考えた。それでも大阪に戻ってきた。「ここを選んだ理由はプロ野球選手になるため。その思いを忘れずに頑張ろうと思いました」。「志水なら大丈夫や」と励ましてくれた仲間の支えもあり、プロから注目を集めるまでに成長できた。
中学までは、プロ入りのための技術の鍛錬を最優先に考えてきた。その思考は、高校野球を通して変わった。「みんなと厳しい冬を乗り越え、絶対に甲子園に行きたいと思うようになった。ここまで甲子園のために熱くなれるとは思っていなかったです」。3年春の大阪大会では大阪桐蔭、履正社を破って優勝する大躍進。「2強」の牙城を崩し、大阪に大きな風穴を開けた。
卒業後は地元に戻り、社会人野球の熊本ゴールデンラークスに入社する。「大学進学を勧める声もありました。それでも一番レベルの高い舞台で戦い、1年でも早くプロに行きたいと思いました」。同社は、20年から3年間の活動休止を経て今年に再始動した。「これから強くなっていくチームが好きなので」。高校野球で起こした旋風をきっかけに、仲間と努力して勝ち上がる喜びを知ったのだ。
📝センバツ「21世紀枠空白県」からの脱却なるか 横浜清陵、山城、壱岐が地区候補に選出
https://news.yahoo.co.jp/articles/438724a7268055e941f1be72f67ffbacaaf94e41
来春行われる第97回選抜高校野球大会の21世紀枠の全国9地区の候補校が発表された。2001年大会から設けられた同枠での甲子園出場がないのは群馬、埼玉、神奈川、長野、三重、京都、奈良、大阪、岡山、鳥取、広島、福岡、長崎の13府県。今回、関東・東京地区で横浜清陵(神奈川)、近畿で山城(京都)、九州で壱岐(長崎)が地区候補になっており、来年1月24日に開かれる選考委員会で決まる最終の2校に選ばれれば、「21世紀枠空白県」からの脱却となる。
■「文武両道」を実践
神奈川県勢は全国で唯一、地区候補になったことがなかった。そんな中、甲子園出場経験のない横浜清陵は横浜や東海大相模など、私立の強豪がひしめく地域で今秋、公立として唯一、8強入りするなど、近年、安定した成績を残している力が評価された。
離島にある壱岐は文武両道の進学校。「壱岐から甲子園」を合言葉に集まった部員全員が島内出身。遠征で島外に出る場合、フェリー代などが約30万円かかるため、練習試合などの機会は限られるが、今秋は県大会で準優勝し、九州大会でもベスト8に入った。
注目の近畿は伝統校の山城が選ばれた。最終的な選考では奈良大会で準優勝し、近畿大会に進んだ進学校の奈良との比較となった。どちらも「質の高い文武両道」を実践しているとされたが、1971年から聴覚障害のある生徒を受け入れているほか、少年野球との交流で地域に貢献している点などが評価された。同校野球部は全国に15校しかない夏の第1回地方大会からの皆勤校。最後の甲子園出場は61年夏。センバツ出場となれば57年以来、68年ぶりとなる。OBに元阪神の吉田義男氏がいる。
京都府勢は立命館宇治が秋季大会で準々決勝に進んだもののコールド負けを喫し、一般枠での選出は厳しい状況。山城が同枠で選ばれ、一般選考枠の5、6校目に近畿8強の大院大高(大阪)、滋賀県勢の滋賀学園、滋賀短大付のいずれかが入れば、近畿2府4県すべてで出場校を出すことになる。
横浜清陵、山城、壱岐の3校が府県勢として「初の21世紀枠」の吉報を待つ。一方で、同枠での甲子園出場に恵まれているのが今回、大田が中国地区の候補となった島根県勢。同枠で甲子園出場を決めたのは、北海道の5度に次ぐ4度(中止になった2020年大会の平田を含む)で、福島、和歌山、徳島と並んでいる。また、全国9地区の候補に入るのも今回25度目の選考で実に10度目。自動的に地区候補となる北海道を除くと最多だ。
北信越の候補となった小松工(石川)は秋季県大会準優勝、北信越大会4強の実力を持つ。1月の能登半島地震で被災し、8月の豪雨被害では近隣の民家で泥よけのボランティアを数回実施した。東日本大震災が発生した11年の翌年から、2年連続で東北地区から同枠が選ばれた。
■過去に私立は土佐だけ
東海地区の名古屋たちばな(愛知)は今回の9候補で唯一の私立。過去、66校が同枠での甲子園出場(新型コロナウイルス禍で中止になった20年大会含む)が決まった中で、私立は13年の土佐(高知)だけ。
そのほかの地区候補は北海道の釧路江南、東北の久慈(岩手)、四国の高松東(香川)。同枠は部員不足、自然災害などの「困難克服」、学業と部活動を両立させた「文武両道」、ボランティア活動や野球教室などによる「地域密着」など戦力以外の実績にスポットを当て、私立の強豪に阻まれ甲子園が遠い古豪、新進校、僻地の学校などに出場機会を広げてきた。ただ、成績は芳しくない。同枠のチームが一般選考枠のチームに勝ったのは15年、松山東(愛媛)が二松学舎大付(東京)を下したのが最後となっている。
来年1月24日の選考委員会で候補9校から東西を区別せずに2校が選ばれ、一般選考枠の30校とともに3月18日に甲子園で開幕する選抜高校野球大会に出場する。組み合わせ抽選会は3月7日に行われる。
3/18 初日第2試合 田辺(和歌山)-星稜(石川) 13:46~15:46
第1話 甲子園で『田辺が大将』の大合唱! またいつかこの場所へ・・・
一二三四五六七八九十計HE
星 稜010100002 480 佐宗、戸田、道本-能美
田 辺001100000 262 寺西-前田
第一試合 第三試合
八学光星5 近 江
関 東 一3 熊本国府
長い冬が終わった・・・と言いたいところだが、2024年は3月に入ってから非常に寒くなりセンバツ開幕時でも真冬のような体感だった・・・・・。
コロナ前は中央特別自由席中段に座っていたので1日中日陰ゆえにずっと寒かったが、指定席に変わり大幅値上げされたので、春は3塁内野席あるいは外野席に陣取り陽射しのぬくもりを感じていたのだがこの春は違った、、、、、
今年は運よく5年ぶりに和歌山県勢センバツアベック出場となった!!本来ならば耐久高校が21世紀枠を射止めるところだが、近畿4強入りで自力での出場が決まりその空席をタナボタで田辺高校が運よく滑り込んだ格好だ!
しかし、喜びもつかの間・・・なんと抽選会で初日第2試合で神宮王者の星稜との対戦が決まってしまった。。。。。
まだ、耐久だったらエース・冷水がいるのでひょっとしたらという予感はあったが、、、甲子園未勝利の中央学院と入れ替えてくれたらという未練はあった。
昨秋、福井で北信越大会星稜の試合2試合観戦したがエース・佐宗の故障をカバーすべく1年生2投手が頑張っていたし、打力も凄まじいものがあり、ヘタすりゃ5回コールド負けした敦賀高校の二の舞になりかねないと!
とにかくエース・寺西が最少失点で踏ん張り、4番・山本陣の前にランナーをためて数少ないチャンスをモノにして勝機を見出したかった。
昨秋、市和歌山・智弁和歌山を連破した勢いを見せられるか?
アルプスには95年夏以来の甲子園出場を祝福すべく大応援団が駆け付け『心に強き誇あり!』という新調された横断幕もあった。
WBS和歌山放送もMBSの協力を得て実況生中継を敢行しいよいよその時が迫ってきた。
田辺は基本的に先攻派だが、なぜかしらこの試合は後攻だった。おそらく昨秋の近畿大会初戦で延長タイブレークのサヨナラ負けがトラウマになったものと思われるが、僕としてもこれでサヨナラ負けの可能性は消滅したし、ロースコアの接戦に持ち込み終盤まで競り合えたら大金星の可能性もという色気はあった。
星稜は故障明けのエース・佐宗が先発を任された。田辺はもちろん大黒柱のエース・寺西が先発。
1回表相手の強力打線を警戒していたが、フライアウト3つで三者凡退に抑え大きな勇気を与えられた。
1回裏が始まるとアルプスから大音量の応援が!https://www.youtube.com/watch?v=OdhS2IvwjX0&t=114s
しかし、田辺打線もやはり課題の打線が解消されず低反発バットの影響もあってか?打球が外野まで飛ばずあえなく三者凡退。
2回表2死までこぎつけたまでは良かったが、6番・専徒の目の治療で1分間中断がありこれで流れが変わったのか?直後にレフト前ヒットそして盗塁を許し、7番・能美は内野安打で2死1・3塁。ここで山下監督の息子さんは果敢に盗塁のサインを出し、前田捕手の送球が逸れる間に3塁走者が先制のホームインと非常に嫌な点の取られ方をしてしまった。
これで緊張の糸が切れて大量失点するのが怖かったが、8番・浜田はフルカウントからショートゴロに倒れ最少失点に抑えた。
田辺にとっては非常に重すぎる1点がのしかかる。2回表も同じような凡打の内容で最悪の展開も頭によぎり早く走者が出て欲しいと願うしかなかった。
3回表星稜は1死から1番・吉田がセンターへ快心の打球を放ち、あるいはそのままスタンドに吸い込まれるのか?????と思われた弾道が低反発バットの影響もあってかフェンス手前で失速しセンターフライに終わり助かった!!
その裏、田辺は7番・尾崎がつまって二遊間いいところに転がりセンター前に運ぶヒットでノーヒットノーランを回避成功。
田中監督は定石通り送りバントのサインを出して2死2塁。そしてアルプスからはいつもよりかなりアップテンポな🎵田辺が大将が流れてきた!
https://www.youtube.com/watch?v=bxUDcVHngEY
9番・太田は外130kmの直球に力負けして空振り三振で2死2塁。
1番・岡本のバッティングに期待がかかり2-1と追い込まれた5球目に上手く流してライト前ヒット。
ツーアウトゆえに2塁走者当たりゴーでホームに突っ込みライト・専徒もこれをはじいている間に悠々ホームインして1-1同点に追いつき1塁側スタンドはお祭り騒ぎとなった!!
願わくばここで逆転したかったが、2番・柳田は初球トリッキーなセーフティーをかますもファールで2球目セカンドフライ。
しかし、序盤3回を終えて1-1同点と田辺ペースで試合が経過し、もしかしたら・・・という期待が胸を膨らませていた。
だが星稜も昨秋の神宮王者だけに慌てなかった。失点直後の攻撃で先頭打者こそ高めのボール球に手を出し空振り三振に倒れたが、直後に4番・萩原がデッドボールを喰らうとすかさず盗塁。そして5番・服部がライト前ヒットを放ち1死1・3塁。山下監督の息子さんがまた盗塁をしかけるか?あるいはスクイズも???と警戒したが、6番・専徒はフリーに打ってファーストフライ。
しかしホッとしたのもつかの間。7番・能美のセカンドゴロ正面の打球を尾崎が弾いて痛恨の2点目。ミスミス相手に得点を与えてしまい寺西投手の足を味方が引っ張ってしまったが、8番・浜田はセンターフライに倒れここも最少失点に切り抜けた。
悪い流れを引きづりたくない。これを払拭すべく3番・山本結が左中間にツーベースを放ち無死2塁。4番・山本陣はチーム1の長打力を誇るだけに、当然強攻策だったが無念のサードゴロ。しかし2塁走者が3塁へ進み1死3塁と最低限の役割を果たしてくれた。
5番・前田に田中監督はスクイズをさせたがっていたようで、初球からずっとスクイズの構えを見せて揺さぶり続け3ボール。1球様子を見て1-3となったところで田中監督がスクイズのサインを出し見事に応えて再びの同点劇!!
田辺らしくコツコツ攻めて神宮王者を苦しめている。
寺西投手も味方の粘りとアルプスの大声援を受け星稜打線に真っ向勝負し5回も先頭打者の出塁を許さず2死から四球で歩かせてしまったが、前田捕手が意地を見せ4度目の盗塁を初めて刺し流れが田辺にやってきた。
その裏、8番・山根が四球を選び3イニング連続先頭打者が出塁。もちろん送りバントで1死2塁として初めてこの試合リードを奪いたかった。1番・岡本に2打席連続タイムリーを期待するも初球ライトフライ。2番・柳田はボール球を振らされ続け三振に倒れ2-2のまま整備に入った。
相手の名前と甲子園の雰囲気に飲まれて序盤からズルズルと突き放されるのでは?という不安も杞憂に終わった。
低反発バットの恩恵もあってか?星稜打線が昨秋ほどの迫力を感じさせず、エラーがなければ0点で終わっていたかもしれない。
田辺は21世紀枠だが、市和歌山・智弁和歌山に勝利して近畿大会出場しただけに過去の21世紀枠のチームよりも力はある。辛抱して数少ないチャンスを得点に結びつけ、スクイズも決まり田中監督の采配も冴えていた。
なんとか3点目を許さず、どこかで勝ち越せば勝利に近づける気がした。
整備が明けて6回表星稜は3番からの攻撃で3打順目だし何かしら攻略の糸口をつかんでくるかと警戒していたが、ボール先行の寺西投手の適度な荒れ具合が的を絞らせなかったのか?3連続フライアウトであっさり凡退。
同じように田辺も3番からの攻撃でなんとか連打で1点をと願ったが、佐宗投手も簡単には崩れず同じように三者凡退に終わりこのまま2試合連続タイブレークにもつれ込むのか???と。
7回表の星稜も三振とセーフティーバントピッチャーゴロであっさりツーアウト。楽に終わりたかったが、山下監督の采配が冴え代打攻勢の一人目中島幹がレフトへツーベースを放ち、佐宗投手に代打・島田を起用。1番・吉田はノーヒットなだけに勝負を避けても良かったが、田辺バッテリーは勝負を挑み初球ピッチャーフライ!
代打の関係で星稜は2年生・戸田にスイッチ。昨秋は戸田投手と道本投手の下級生投手が軸としてチームを引っ張っていただけに手ごわい。
いきなり先頭の寺西が見逃しの三振に倒れ、暗雲漂ったが直後に四球をもらいこれを送って2死2塁。田中監督は9番・太田に代打・松本を起用して勝負に出たが、1ストライクからの2球目キャッチャーが2塁けん制するもセンター方向に抜けこれを見て2塁走者が3塁を狙うもタッチアウト!と高度なトリックプレーにはめられてしまった↓↓
7回101球を投げている寺西投手のスタミナが不安な終盤8回。1番からの攻撃で痛恨のセンター前ヒットを浴び、山下監督の息子さんは1点勝負の終盤ゆえに手堅く送りバントで1死2塁と形を作った。3番・芦硲はノーヒットだったがやはり星稜のクリーンアップだし、お父さんが97年春に天理の主将で全国制覇した経験を持つだけに手ごわい。勝負をした結果四球となったがある意味これで良かったと。
田中監督がすかさずタイムを要求し、一息入れて4番・萩原は7球粘ってライトへ快心の打球を放つがやはり逆風と低反発バットのお陰で失速してライトフライ。5番・服部は外138kmストレートに空振り三振と耐えて凌いで勝機が少しずつ見えてきた!
願わくば8回裏に勝ち越して9回裏をせずに試合を終わらせたい田辺は1死から1番・岡本が2球で追い込まれながらも詰まりながらもライト前に運ぶシブいヒットを放ちやはり手堅く送って2死2塁。3番・山本結の打棒に期待が集まったが、無念のファーストゴロ・・・。
いよいよ最終回。ここを凌げばサヨナラ勝ちあるいは延長タイブレークになってもチャンスが出てくる!
先頭打者を1球で仕留めて打順が下位に下がるのでシメシメと思ったが伝統校ゆえにここからが強かった。
7番・能美がライト前ヒットを放ち、8番・中島幹にボール先行と苦しくなりカウント1-2からエンドランを決められレフト前ヒットで1死1・2塁。山下監督の息子さんは惜しげもなく戸田投手に代打・東を送り、1ボールからの2球目痛恨のワイルドピッチで1死2・3塁と傷口を広げ、2-2と追い込みながらもライト前ヒットで2点失い最後の最後に突き放されてしまった・・・・・。それでも気持ちを最後まで切らさず、ショートライナー最後はセンターへ大飛球を喰らったがこれも打球が失速し首の皮一枚残して9回裏へ。
田辺の応援団もここまで優勝候補相手に互角の試合を展開し満足しつつもまだ行ける!という気持ちがそれを上回り必死の応援が続く。
https://www.youtube.com/watch?v=RwMguE_zFGg
その声に乗って先頭の4番・山本陣が3番手で登板した道本投手に対してセンターバックスクリーンをめがけて大飛球が放物線を描く・・・・・しかし、低反発バットの威力はすさまじくあと一伸びが足らずまさかのセンターフライ・・・。
それでも、5番・前田&6番・寺西の連続長短打であっという間に1死2・3塁と同点の好機を築きホームランが出れば逆転サヨナラというシーンを作り上げた。
7番・尾崎をそのまま打たせてまさかのツーランスクイズはあるのか???と興奮しながら手に汗握り3塁内野席で『田辺が大将!!』と連呼していたが、道本投手も2年生ながら経験豊富で2球で追い込み外角高めのボール球を振らせて3球三振。最後は8番・山根が2-1からファーストゴロに倒れ76年ぶりの田辺の春は初日第2試合で終焉を迎え、今年も和歌山県勢のセンバツ決勝戦の夢はもろくも早期に崩れ去った。。。
それでもスタンドからは温かい拍手が送られ、なんとか夏もう1回甲子園に帰ってきて欲しいという気持ちは強かった。
突き詰めれば、要所でエラーや暴投が失点に絡み、相手の分厚い投手陣から2点もぎ取り善戦したが、守り負けだったかなと。
ただ、21世紀枠は10年近く勝利から遠ざかっているが、もう少し落ちる相手だったら充分勝てていたであろうという可能性を感じさせ、この大応援団がセンバツ大会役員の琴線に触れて、閉会式で応援団の優秀賞を受賞したことは野球王国・和歌山の誇りとなった。
ここまで2試合5-3(9回終了2-2)・4-2 とやはり低反発バットの影響が大きく、昨年までだったらホームランになっていたであろう打球も失速してしまい、今後もロースコアの接戦や延長タイブレークが多発する予感がした。
そして、直後の第3試合に満を持して近江が登場。昨夏は大垣日大・阪口監督の老練な采配に屈してしまったが、今回は熊本国府相手だし、くじ運も良く8強以上は狙えると信じていたが、これがまさか多賀監督の甲子園最後の采配になるとは・・・それはまた次回の講釈で。
⚾今日の投手陣
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 死球 三振 暴投 失点 自責
星 稜 佐 宗 6 23 83 3 3 2 0 5 0 2 2
星 稜 戸 田 2 8 28 1 2 1 0 0 0 0 0
星 稜 道 本 1 5 14 2 0 0 0 0 0 0 0
田 辺 寺 西 9 39 139 8 1 2 1 5 2 4 2
(完)
🌟次回予告🌟
3/18 初日第3試合 近江(滋賀)-熊本国府(熊本)
第1話 甲子園で『田辺が大将』の大合唱! またいつかこの場所へ・・・
一二三四五六七八九十計HE
星 稜010100002 480 佐宗、戸田、道本-能美
田 辺001100000 262 寺西-前田
第一試合 第三試合
八学光星5 近 江
関 東 一3 熊本国府
長い冬が終わった・・・と言いたいところだが、2024年は3月に入ってから非常に寒くなりセンバツ開幕時でも真冬のような体感だった・・・・・。
コロナ前は中央特別自由席中段に座っていたので1日中日陰ゆえにずっと寒かったが、指定席に変わり大幅値上げされたので、春は3塁内野席あるいは外野席に陣取り陽射しのぬくもりを感じていたのだがこの春は違った、、、、、
今年は運よく5年ぶりに和歌山県勢センバツアベック出場となった!!本来ならば耐久高校が21世紀枠を射止めるところだが、近畿4強入りで自力での出場が決まりその空席をタナボタで田辺高校が運よく滑り込んだ格好だ!
しかし、喜びもつかの間・・・なんと抽選会で初日第2試合で神宮王者の星稜との対戦が決まってしまった。。。。。
まだ、耐久だったらエース・冷水がいるのでひょっとしたらという予感はあったが、、、甲子園未勝利の中央学院と入れ替えてくれたらという未練はあった。
昨秋、福井で北信越大会星稜の試合2試合観戦したがエース・佐宗の故障をカバーすべく1年生2投手が頑張っていたし、打力も凄まじいものがあり、ヘタすりゃ5回コールド負けした敦賀高校の二の舞になりかねないと!
とにかくエース・寺西が最少失点で踏ん張り、4番・山本陣の前にランナーをためて数少ないチャンスをモノにして勝機を見出したかった。
昨秋、市和歌山・智弁和歌山を連破した勢いを見せられるか?
アルプスには95年夏以来の甲子園出場を祝福すべく大応援団が駆け付け『心に強き誇あり!』という新調された横断幕もあった。
WBS和歌山放送もMBSの協力を得て実況生中継を敢行しいよいよその時が迫ってきた。
田辺は基本的に先攻派だが、なぜかしらこの試合は後攻だった。おそらく昨秋の近畿大会初戦で延長タイブレークのサヨナラ負けがトラウマになったものと思われるが、僕としてもこれでサヨナラ負けの可能性は消滅したし、ロースコアの接戦に持ち込み終盤まで競り合えたら大金星の可能性もという色気はあった。
星稜は故障明けのエース・佐宗が先発を任された。田辺はもちろん大黒柱のエース・寺西が先発。
1回表相手の強力打線を警戒していたが、フライアウト3つで三者凡退に抑え大きな勇気を与えられた。
1回裏が始まるとアルプスから大音量の応援が!https://www.youtube.com/watch?v=OdhS2IvwjX0&t=114s
しかし、田辺打線もやはり課題の打線が解消されず低反発バットの影響もあってか?打球が外野まで飛ばずあえなく三者凡退。
2回表2死までこぎつけたまでは良かったが、6番・専徒の目の治療で1分間中断がありこれで流れが変わったのか?直後にレフト前ヒットそして盗塁を許し、7番・能美は内野安打で2死1・3塁。ここで山下監督の息子さんは果敢に盗塁のサインを出し、前田捕手の送球が逸れる間に3塁走者が先制のホームインと非常に嫌な点の取られ方をしてしまった。
これで緊張の糸が切れて大量失点するのが怖かったが、8番・浜田はフルカウントからショートゴロに倒れ最少失点に抑えた。
田辺にとっては非常に重すぎる1点がのしかかる。2回表も同じような凡打の内容で最悪の展開も頭によぎり早く走者が出て欲しいと願うしかなかった。
3回表星稜は1死から1番・吉田がセンターへ快心の打球を放ち、あるいはそのままスタンドに吸い込まれるのか?????と思われた弾道が低反発バットの影響もあってかフェンス手前で失速しセンターフライに終わり助かった!!
その裏、田辺は7番・尾崎がつまって二遊間いいところに転がりセンター前に運ぶヒットでノーヒットノーランを回避成功。
田中監督は定石通り送りバントのサインを出して2死2塁。そしてアルプスからはいつもよりかなりアップテンポな🎵田辺が大将が流れてきた!
https://www.youtube.com/watch?v=bxUDcVHngEY
9番・太田は外130kmの直球に力負けして空振り三振で2死2塁。
1番・岡本のバッティングに期待がかかり2-1と追い込まれた5球目に上手く流してライト前ヒット。
ツーアウトゆえに2塁走者当たりゴーでホームに突っ込みライト・専徒もこれをはじいている間に悠々ホームインして1-1同点に追いつき1塁側スタンドはお祭り騒ぎとなった!!
願わくばここで逆転したかったが、2番・柳田は初球トリッキーなセーフティーをかますもファールで2球目セカンドフライ。
しかし、序盤3回を終えて1-1同点と田辺ペースで試合が経過し、もしかしたら・・・という期待が胸を膨らませていた。
だが星稜も昨秋の神宮王者だけに慌てなかった。失点直後の攻撃で先頭打者こそ高めのボール球に手を出し空振り三振に倒れたが、直後に4番・萩原がデッドボールを喰らうとすかさず盗塁。そして5番・服部がライト前ヒットを放ち1死1・3塁。山下監督の息子さんがまた盗塁をしかけるか?あるいはスクイズも???と警戒したが、6番・専徒はフリーに打ってファーストフライ。
しかしホッとしたのもつかの間。7番・能美のセカンドゴロ正面の打球を尾崎が弾いて痛恨の2点目。ミスミス相手に得点を与えてしまい寺西投手の足を味方が引っ張ってしまったが、8番・浜田はセンターフライに倒れここも最少失点に切り抜けた。
悪い流れを引きづりたくない。これを払拭すべく3番・山本結が左中間にツーベースを放ち無死2塁。4番・山本陣はチーム1の長打力を誇るだけに、当然強攻策だったが無念のサードゴロ。しかし2塁走者が3塁へ進み1死3塁と最低限の役割を果たしてくれた。
5番・前田に田中監督はスクイズをさせたがっていたようで、初球からずっとスクイズの構えを見せて揺さぶり続け3ボール。1球様子を見て1-3となったところで田中監督がスクイズのサインを出し見事に応えて再びの同点劇!!
田辺らしくコツコツ攻めて神宮王者を苦しめている。
寺西投手も味方の粘りとアルプスの大声援を受け星稜打線に真っ向勝負し5回も先頭打者の出塁を許さず2死から四球で歩かせてしまったが、前田捕手が意地を見せ4度目の盗塁を初めて刺し流れが田辺にやってきた。
その裏、8番・山根が四球を選び3イニング連続先頭打者が出塁。もちろん送りバントで1死2塁として初めてこの試合リードを奪いたかった。1番・岡本に2打席連続タイムリーを期待するも初球ライトフライ。2番・柳田はボール球を振らされ続け三振に倒れ2-2のまま整備に入った。
相手の名前と甲子園の雰囲気に飲まれて序盤からズルズルと突き放されるのでは?という不安も杞憂に終わった。
低反発バットの恩恵もあってか?星稜打線が昨秋ほどの迫力を感じさせず、エラーがなければ0点で終わっていたかもしれない。
田辺は21世紀枠だが、市和歌山・智弁和歌山に勝利して近畿大会出場しただけに過去の21世紀枠のチームよりも力はある。辛抱して数少ないチャンスを得点に結びつけ、スクイズも決まり田中監督の采配も冴えていた。
なんとか3点目を許さず、どこかで勝ち越せば勝利に近づける気がした。
整備が明けて6回表星稜は3番からの攻撃で3打順目だし何かしら攻略の糸口をつかんでくるかと警戒していたが、ボール先行の寺西投手の適度な荒れ具合が的を絞らせなかったのか?3連続フライアウトであっさり凡退。
同じように田辺も3番からの攻撃でなんとか連打で1点をと願ったが、佐宗投手も簡単には崩れず同じように三者凡退に終わりこのまま2試合連続タイブレークにもつれ込むのか???と。
7回表の星稜も三振とセーフティーバントピッチャーゴロであっさりツーアウト。楽に終わりたかったが、山下監督の采配が冴え代打攻勢の一人目中島幹がレフトへツーベースを放ち、佐宗投手に代打・島田を起用。1番・吉田はノーヒットなだけに勝負を避けても良かったが、田辺バッテリーは勝負を挑み初球ピッチャーフライ!
代打の関係で星稜は2年生・戸田にスイッチ。昨秋は戸田投手と道本投手の下級生投手が軸としてチームを引っ張っていただけに手ごわい。
いきなり先頭の寺西が見逃しの三振に倒れ、暗雲漂ったが直後に四球をもらいこれを送って2死2塁。田中監督は9番・太田に代打・松本を起用して勝負に出たが、1ストライクからの2球目キャッチャーが2塁けん制するもセンター方向に抜けこれを見て2塁走者が3塁を狙うもタッチアウト!と高度なトリックプレーにはめられてしまった↓↓
7回101球を投げている寺西投手のスタミナが不安な終盤8回。1番からの攻撃で痛恨のセンター前ヒットを浴び、山下監督の息子さんは1点勝負の終盤ゆえに手堅く送りバントで1死2塁と形を作った。3番・芦硲はノーヒットだったがやはり星稜のクリーンアップだし、お父さんが97年春に天理の主将で全国制覇した経験を持つだけに手ごわい。勝負をした結果四球となったがある意味これで良かったと。
田中監督がすかさずタイムを要求し、一息入れて4番・萩原は7球粘ってライトへ快心の打球を放つがやはり逆風と低反発バットのお陰で失速してライトフライ。5番・服部は外138kmストレートに空振り三振と耐えて凌いで勝機が少しずつ見えてきた!
願わくば8回裏に勝ち越して9回裏をせずに試合を終わらせたい田辺は1死から1番・岡本が2球で追い込まれながらも詰まりながらもライト前に運ぶシブいヒットを放ちやはり手堅く送って2死2塁。3番・山本結の打棒に期待が集まったが、無念のファーストゴロ・・・。
いよいよ最終回。ここを凌げばサヨナラ勝ちあるいは延長タイブレークになってもチャンスが出てくる!
先頭打者を1球で仕留めて打順が下位に下がるのでシメシメと思ったが伝統校ゆえにここからが強かった。
7番・能美がライト前ヒットを放ち、8番・中島幹にボール先行と苦しくなりカウント1-2からエンドランを決められレフト前ヒットで1死1・2塁。山下監督の息子さんは惜しげもなく戸田投手に代打・東を送り、1ボールからの2球目痛恨のワイルドピッチで1死2・3塁と傷口を広げ、2-2と追い込みながらもライト前ヒットで2点失い最後の最後に突き放されてしまった・・・・・。それでも気持ちを最後まで切らさず、ショートライナー最後はセンターへ大飛球を喰らったがこれも打球が失速し首の皮一枚残して9回裏へ。
田辺の応援団もここまで優勝候補相手に互角の試合を展開し満足しつつもまだ行ける!という気持ちがそれを上回り必死の応援が続く。
https://www.youtube.com/watch?v=RwMguE_zFGg
その声に乗って先頭の4番・山本陣が3番手で登板した道本投手に対してセンターバックスクリーンをめがけて大飛球が放物線を描く・・・・・しかし、低反発バットの威力はすさまじくあと一伸びが足らずまさかのセンターフライ・・・。
それでも、5番・前田&6番・寺西の連続長短打であっという間に1死2・3塁と同点の好機を築きホームランが出れば逆転サヨナラというシーンを作り上げた。
7番・尾崎をそのまま打たせてまさかのツーランスクイズはあるのか???と興奮しながら手に汗握り3塁内野席で『田辺が大将!!』と連呼していたが、道本投手も2年生ながら経験豊富で2球で追い込み外角高めのボール球を振らせて3球三振。最後は8番・山根が2-1からファーストゴロに倒れ76年ぶりの田辺の春は初日第2試合で終焉を迎え、今年も和歌山県勢のセンバツ決勝戦の夢はもろくも早期に崩れ去った。。。
それでもスタンドからは温かい拍手が送られ、なんとか夏もう1回甲子園に帰ってきて欲しいという気持ちは強かった。
突き詰めれば、要所でエラーや暴投が失点に絡み、相手の分厚い投手陣から2点もぎ取り善戦したが、守り負けだったかなと。
ただ、21世紀枠は10年近く勝利から遠ざかっているが、もう少し落ちる相手だったら充分勝てていたであろうという可能性を感じさせ、この大応援団がセンバツ大会役員の琴線に触れて、閉会式で応援団の優秀賞を受賞したことは野球王国・和歌山の誇りとなった。
ここまで2試合5-3(9回終了2-2)・4-2 とやはり低反発バットの影響が大きく、昨年までだったらホームランになっていたであろう打球も失速してしまい、今後もロースコアの接戦や延長タイブレークが多発する予感がした。
そして、直後の第3試合に満を持して近江が登場。昨夏は大垣日大・阪口監督の老練な采配に屈してしまったが、今回は熊本国府相手だし、くじ運も良く8強以上は狙えると信じていたが、これがまさか多賀監督の甲子園最後の采配になるとは・・・それはまた次回の講釈で。
⚾今日の投手陣
チーム名 選手名 投球回 打者 投球数 安打 犠打 四球 死球 三振 暴投 失点 自責
星 稜 佐 宗 6 23 83 3 3 2 0 5 0 2 2
星 稜 戸 田 2 8 28 1 2 1 0 0 0 0 0
星 稜 道 本 1 5 14 2 0 0 0 0 0 0 0
田 辺 寺 西 9 39 139 8 1 2 1 5 2 4 2
(完)
🌟次回予告🌟
3/18 初日第3試合 近江(滋賀)-熊本国府(熊本)
☝夏93年ぶり“ベスト8”甲子園で起こった「大社旋風」記録と記憶に残る戦いからナインが得たものとは
https://news.yahoo.co.jp/articles/135ad743ff4d21d3877c845a85f31bd3320ad920
2024年の全国高校野球選手権「夏の甲子園」で巻き起こった「大社旋風」。島根・出雲市にある県立の大社高校が、次々に全国の強豪校を撃破し勝ち上がっていく姿が、全国の野球ファンの心をとらえた。そして夏の全国大会ベスト8進出が93年ぶりと、記録にも記憶にも残った“熱い夏”を改めて大社ナインが振り返り、それぞれが得たものを語ってくれた。
32年ぶりの舞台で“快神撃” 全国の強豪を次々撃破
夏の甲子園に、島根代表として32年ぶりに出場した大社は、1回戦で強豪・報徳学園(兵庫代表)と対戦。春の“センバツ”準優勝校を相手に劣勢が予想されたが、大会屈指の好投手の今朝丸を攻略し先制点を奪うと、エースの馬庭が1失点完投。夏の甲子園63年ぶりの勝利に沸いた。
2回戦では長崎代表の創成館に、8回まで2点のリードを許した展開からスクイズなどを絡めた小技で追いつくと、延長タイブレークの末に逆転勝利。夏の大会としては107年ぶりの2勝を挙げた。
そして3回戦、西東京代表の早稲田実業戦。1点リードを許して迎えた9回裏の土壇場に「スクイズ」で同点に追いつくと、延長タイブレーク11回裏に、この試合も1人で投げ抜いたエースの馬庭の一打で「サヨナラ勝ち」1931年の第17回大会以来となる93年ぶりのベスト8進出を決めた。準々決勝で鹿児島代表の神村学園に敗れたものの、最後まで粘り強く戦い抜いた大社ナインの姿が全国に元気を届け、多くの感動を呼んだ。
大社高校は、縁結びの神様で知られる「出雲大社」の近くにあり、その活躍ぶりは“神がかっている”とさえ言われ「快進撃」ならぬ「快神撃」と称された。
12月下旬…出雲市の大社高校。集まってもらったのは5人の3年生。参加メンバーは、石原勇翔さん(キャッチャー)、藤江龍之介さん(ショート)。下条心之介さん(レフト)、馬庭優太さん(ピッチャー)、園山純正さん(サード)だ。甲子園で巻き起こした「大社旋風」の原点となる場所で、「この夏に得たもの」を聞いた。
夏の甲子園の舞台で選手たちが得たものとは…
“トップバッター”は、キャプテンとしてチーム全体を引っ張るとともに、キャッチャーとして「堅守」を支えた石原勇翔さん。『執念』という文字を挙げた。「これはずっとチームのキーワードとして使ってきた言葉で、島根県大会から甲子園の最後の試合まで、全員が“執念”を持ってプレーできたことが、大会ベスト8という結果に繋がった」からだと、その理由を話した。
そして「一番執念を感じたプレー」は、3回戦の早稲田実業戦の9回のシーンで、「先頭バッターの馬庭が、相手のエラーもあったが2塁まで進んで、塁上でガッツポーズをした所」だとし、「(その時に)1点負けていたんですけど、自分たちの流れに持ってこれた。あの9回はチームとして『執念』を感じた場面だった」と鮮明に残る記憶を語った。
馬庭さんは、早稲田戦までの3試合を全て1人で投げ抜いており、魂を込めた投球で幾度もピンチを切り抜けた中での最終回の攻撃だっただけに、あの場面では「気迫がこもっていた」と振り返る。「自分が9回まで投げさせてもらって、そこから自分が先頭バッターに立ち、絶対にチームを負けさせる訳にいかないと思っていたので、自然に出たガッツポーズでした。最高でした」と、その後のサヨナラヒットにもつながる『執念』のプレーを振り返った。
副キャプテンで、大会ではチーム最多タイとなる5安打を記録したショートの藤江龍之介さん。『希望』という字であの舞台を振り返った。
「甲子園の出場校の中で、多くは私立の高校で、地元出身の生徒だけでメンバーが揃う高校はなかなかないですけど、自分たちはほぼ地元のメンバーで『ベスト8』まで行けたので、これから島根県や地元・出雲市の子どもたちに“希望”を与えられた」と語る。
それを象徴したのが、ベスト8で甲子園を去り地元の大社高校に帰って来た時のシーンだ。
「バスで着いた時に、地元の方が多く駆け付けて下さって、その時に『感動をありがとう』という言葉を何人にも言われたので、自分たちが地域の方々に恩返しできたと思う」と話し、メンバー全員が成し遂げたことの大きさも実感したという。
副キャプテンでクリーンナップの一角を担ったレフトの下条心之介さん。初戦の報徳学園戦の初回にタイムリーヒットを打ち、チームを勢いに乗せた。その下条さんは『絆』という文字を挙げた。その理由は「普段の練習や試合、そして甲子園を通して本当に『絆』が深まった。その絆が深まったからこそベスト8という結果があった」と話す。
快進撃が続くとともに、チーム同士はもちろん、野球部を支えようと多くの支援の輪も広がっていた。大会屈指とも呼ばれた「アルプススタンド」の一体感のある応援団も同様で、それらすべての『絆』が快挙を呼び込んだと言える。
自ら招いたピンチを気迫の投球で切り抜ける 大会を勝ち抜く「勇気」に
大会4試合で492球の熱投…躍進の原動力となったエースの馬庭優太さんが、選んだ言葉は『勇気』だった。「甲子園でプレーできたからこそ、一歩前に出る『勇気』がメンバーみんなから出た」と話す。
特に2回戦の長崎・創成館戦の延長タイブレークで、自身のエラーにより満塁のピンチを迎えた場面を振り返った。そこから「絶対に抑える」と気合いを入れ直し、スタンドからの大声援にも押されてピンチをしのぎ、「自分の仕事をやり切った部分で一歩前に『勇気』が出た」と話し、満塁のピンチでも全員が自信を持ってプレーすることができた大会のターニングポイントだったと語る。
チーム随一の“スクイズ職人”と呼ばれ、チーム最多の5犠打を成功させたサードの園山純正さん。園山さんが選んだ言葉は『自信』。「甲子園で4試合させてもらい、一つ一つのプレーに『自信』をもってプレーできたことが良かった」ことがその理由だ。大舞台で培った自身の変化が、甲子園から帰った後の行動にも表れたという。「体育祭で『色長(リーダー)』を務めたことで、リーダーとして自分が前に出て何かをするということは、『自信』があったからできたと思う。本当に良い経験になった」と話す。
ちなみに、2回戦の長崎・創成館戦で決めた同点スクイズについては、「本当のことを言うと、決まると思っていなくて一か八かでした。(決まって)自分が一番びっくりしました」と振り返る。ただ大舞台での成功が、一人の選手の成長を大きく後押ししたことは確かだ。
“大社旋風”で得られた大きな財産 石飛監督「新チームで新た旋風を」
そして彼らを鼓舞しながらチームをベスト8に導き、これまで成長を見守り続けた石飛文太監督。指導者として得たものは非常に大きかったとし、「(甲子園の舞台を経て誕生したのは)無限大の夢です。彼らが示してくれた可能性は無限大でした」と話す。
選手たちが大舞台を経験することで成長していく姿を見つめることができた「甲子園」に改めて感謝。そして「ただ僕は、また新たに1、2年生と野球がしたい。また新たな物語が生まれると良いと思っている」と語り、2025年の夏の甲子園へ挑む気持ちを新たにしている。「大社旋風」第二章に期待が膨らむ。
📝元巨人ドラフト1位、39歳で高校教師、監督9年目で甲子園出場 東海大相模・原俊介監督が振り返る波乱の野球人生
https://news.yahoo.co.jp/articles/e78e5d7434fa23472fc8d99e2da918ed7a839b8a?page=1
東海大相模・原俊介監督インタビュー(前編)
2024年夏、5年ぶりに甲子園出場を果たした神奈川代表の東海大相模。チームを率いたのは、同校OBでかつて巨人にドラフト1位された原俊介監督だ。39歳で高校教師となり、高校野球の監督となって9年目に悲願の甲子園出場を達成した原監督に、これまでの道のりについて振り返ってもらった。
【教員免許を取得したわけ】
── プロ野球引退後、なぜ教員免許を取得されたのですか。
原 プロ野球生活11年、それまでおもに体を使ってきましたが、ある時「頭には限界がないから、勉強してみたら?」と人に勧められ、大学に進学しようと思いました。
── 当時は厳格な「学生野球資格回復制度」により、教員にならないと高校野球を教えられませんでした。原先生の場合、最初に部活動指導ありきの教員免許取得ではなかったのですね?
原 大学(早稲田大学人間科学部の通信教育課程)に進学したもうひとつの動機は、トレーニング資格(ストレングスコーチ)を取得するための条件として、"学士"の学位が必要だったのです。当時は、プロ野球経験者がトレーナーという形で活躍する事例はあまりありませんでした。
── 大学での卒論のテーマは、「キャッチボールの実態調査」でしたね。
原 野球の基本であるキャッチボールというものを、人間科学という側面から研究をしたかったのです。それに伴って教員資格も取得しておけば学校で教科を教えられるし、部活動も指導できるということです。
── 教員免許は何をお持ちなのですか?
原 情報と保健体育の免許を取得しました。
── かつて「元プロの高校野球指導」に必要だった「教員生活10年」が2年まで短縮されましたが、「苦労して教員免許を取得した」のは、1984年から2013年までの約30年間でわずか45人。うちドラフト1位は7人(長崎慶一、大越基、石川賢、杉本友、染田賢作、喜多隆志、原俊介)ですが、タイトル獲得は首位打者の長崎さんと、最高勝率の石川さんだけです。
原 とにかくセカンドキャリアは、プロに代わる「生きがい」や「やりがい」を持ちたかったので、現実的に自分がやってきたことを生かしながらできるのはなんだろうと考えました。野球人であるなかで、高校野球というのは特別なステージです。それが最終的に教員にたどり着いている要因だと思います。
【学校生活が野球のプレーに反映される】
── 2016年から2021年までの東海大静岡翔洋高時代、特に2021年は決勝で静岡高に惜敗。その後、2021年秋に東海大相模高の監督に就任。そして2024年夏に自身9年目の夏に甲子園に出場し、ベスト8に進出しました。
原 29歳までプロ野球の世界に身を置き、その後、10年間は別のことをやって、39歳で教員になりました。静岡翔洋時代は、野球部の監督はもとより、高校生に教えること自体が初めてだったので、試行錯誤の連続でした。
── 39歳にして、教壇という名の"打席"に立ったのですね。
原 静岡翔洋の校長先生に「野球部が強い、弱いではなく、文武両道の学校生活をしっかり送れるよう、生活面から指導してほしい」と、最初にお話をいただきました。だから3年ぐらいは、野球のことよりも生活面のことを言うほうが多かったですね。
── 原先生は「学校生活を頑張れる生徒は、部活動も頑張れる」と、かねてから言っていました。
原 学業、時間厳守、協調性。たとえばスリッパを脱ぐ時、自分のものだけでなく他人のものも揃える生徒がいます。逆に自分勝手な子は、周りが見えていないというか見ようとしていない。そうしたふだんの生活態度や行ないというのは、野球のプレーにも出てしまうんです。だから野球だけを教えるのではなく、人間教育あってこその指導なんだと思っています。
【伝統校を率いるプレッシャー】
── 今夏の神奈川大会決勝の横浜高戦、木村海達主将に「ジャンケンに勝って、後攻をとってくれ」と言ったのは、投手の立ち上がりを含めた守りに自信あったという理解でよろしいでしょうか。
原 野球というスポーツは「先手必勝」で、先攻で得点できれば優位に試合を進めることができますが、無得点に抑えられると厳しくなる。それに同点や1点差、2点差リードくらいだと、9回裏の守りがかなりきつくなる。特に高校野球のような一発勝負は、投手がメンタル的に崩れることも多くなってくるので、監督としては後攻のほうが好きなんです。
── 今夏の横浜との決勝戦ですが、0対2から2対2になって、2対4と再び勝ち越されましたが、8回裏に三浦誠登選手の同点打と、中村龍之介選手の勝ち越し2点タイムリーで6対4とリードしました。直後の9回表、二死一、二塁と本塁打が出れば逆転の場面。壮絶な決勝戦、どのような心境でしたか。
原 2024年春季大会以降、プレーボールからゲームセットまで「集中力」をテーマにやってきました。とにかく、「感情の起伏をあまり激しくしないように」と指示しました。メンタルの世界では、"ピークパフォーマンス"と呼ばれるベストな状態は、興奮と抑制のちょうど真ん中にあります。
── 野球はメンタルスポーツでもありますね。
原 この夏、準決勝の向上戦(8回裏に逆転)と決勝の横浜戦で、終盤の集中力で逆転することができました。高校野球は負ける寸前に焦りの空気感が流れて、「行け!」と叫び出す。そうではなく、「(集中しながら落ち着いて)逆転しないといけないんだぞ」と。だからウチは、そういったハイパフォーマンスはなかったと思います。
── 9回表のピンチの場面では、すでに降板していたエースの藤田琉生投手(日ハム2位指名)が伝令でマウンドに行きました。
原 「落ち着いていけ」と言ってもちょっと無理だと思ったので、「まずアウトを取るぞ!」と。じつはあの時、藤田が「僕が伝令に行ってきていいですか」と言ってきたんです。自分の思いを伝えたかったのでしょうね。
── 最後はショートゴロに打ちとり、5年ぶり夏の甲子園出場を決めました。「男泣き」の優勝監督インタビューは感動的でした。原先生は「強い相模をつくらなきゃいけないと。やっと、生徒の頑張りによって達成できました」と、"生徒"を連呼していました。
原 学校生活、人間教育の一環として野球部を捉えている部分もあるので、そういう言葉が自然と出たのでしょう。相模高に来た時、「原監督と呼ぶのではなく、先生と呼びなさい」と伝えました。私は教員なので、先生と生徒という立場でいるつもりです。
── いまさらながらですが、東海大相模という伝統の重み、そして"元プロ"というプレッシャーはあったと思います。
原 もちろんありますが、それを公言したところでどうにもなりません。結果がすべてなので、勝たないと。「自分がコントロールできないことを気にしてもしょうがないよ」と、野呂雅之先生(桐光学園監督)の助言に救われたこともありました。
── 原先生のインタビューの間、ダグアウトで選手同士が涙の抱擁。そして胴上げは8度でした。どんな気持ちでしたか。
原 宙に舞っている瞬間は、ふわふわした気持ちでしたね。ただ、甲子園に行かせてあげられなかった生徒たちも、静岡翔洋時代から合わせて8世代いるわけで......その子たちがいてくれたからこそ、毎年ブラッシュアップすることができ、この夏の甲子園があったと思っています。これまで関わった生徒すべてに感謝しています。
つづく>>
📝東海大相模・原俊介監督が語る指導論 「プロの技術を高校生に伝えるのは難しい」
https://www.excite.co.jp/news/article/WebSportiva_105976/
東海大相模・原俊介監督インタビュー(後編)
原俊介監督率いる東海大相模は2024年夏、神奈川を制し甲子園出場を果たした。「巨人ドラフト1位」という輝かしい球歴を誇る原監督だが、指導者として甲子園の地に足を踏み入れたのは今回が初めてだった。そんな原監督に高校生を教える難しさ、やりがいについて語ってもらった。
【原監督が達成した史上初の快挙とは?】
── 甲子園初戦(2回戦)は富山商に4対0で勝利。198センチ左腕・藤田琉生投手(日ハム2位指名)が7回13奪三振。8番・柴田元気選手の8回中押しソロ本塁打は、開幕19試合目の大会第1号でした。
原 ウチも相手も、みんな初戦の緊張で固まっていました。いくら東海大相模が甲子園で優勝経験のある伝統校と言っても、今夏のメンバーはみんな甲子園初体験ですからね。グラウンドに入るまでの過ごし方、入ってからのリズムなど新鮮でした。
── 原先生は選手としても甲子園に出場されていますが、見えた景色は違いましたか。
原 私が甲子園に出た高校3年春のセンバツは、"阪神・淡路大震災"が起きた年(1995年)で、街はあちこちにブルーシートがかかっていました。試合は1回戦で県岐阜商に勝ち、2回戦でその大会で優勝する香川の観音寺中央高に敗れました。球場自体は同じ甲子園ですから、景色は同じでした(笑)。ただこの夏、生徒たちと一緒に戦って、校歌を聞いた時は感無量でした。
── この夏の1勝は、ドラフト1位の教員として、初の甲子園勝利でした。
かつてプロにドラフト1位で指名され、早鞆高の監督を務めた大越基さんは甲子園に出場しましたが勝っておらず、全国制覇した智辯和歌山の中谷仁さんは教員免許を取得していません。
原 それは初耳でした。なんでも"初"というのはうれしいですね。ただ何度も言いますが、これは自分だけの力でできることではありません。これまで多くの人との関わりがあって、今につながっている。そこは感謝しかありません。
── 3回戦は、同じく甲子園で優勝経験のある広陵(広島)に8対1と勝利。2年生の3番・中村龍之介選手が4安打4打点の大活躍でした。
原 初戦で熊本工相手に1失点完投、9奪三振の高尾響投手が2番手で投げたのですが、2イニングで5点取れましたからね。中軸がしっかり打ち、いい試合展開のまま進めることができました。
── ベスト8に進出しましたが、準々決勝で関東一高に1対2の惜敗。7回に相手4番の高橋徹平選手に先制のソロ本塁打を浴びました。打線も、先発左腕の畠中鉄心投手、本格派右腕の坂井遼投手(ロッテ4位指名)のリレーの前に1得点。
原 藤田が頑張って投げてくれたのですが、チェンジアップを本塁打されました。畠中投手はコントロールがよくて、簡単に打たせてくれませんでした。
── 現実的に真紅の大旗も見えたと思うのですが。
原 確かに上の景色は見えました。ただ富士山にしても、車で登れる5合目に行くと頂上は見えますが、そこからが大変というか......。さらに上を目指すには、まだまだやらなければいけないことがある。上のレベルになればなるほど、なかなか点は入りません。その時にただ打って点を取るのではなく、いろんなアプローチをして風穴を開けていかなければいけないことを実感しました。
【プロの技術を伝えるのは難しい】
── 新チームとなった秋の関東大会は、山梨学院に延長10回タイブレークの末にサヨナラ負け。その大会を制し、神宮大会でも優勝したのが、ライバルである横浜高でした。
原 夏の甲子園での課題を紐解きながらやったつもりだったんですけどね。横浜高が関東大会を制し、神宮大会も勝って日本一を達成しました。
生徒たちには「来夏に向けて、君たちが日本一を獲りにいくつもりじゃないと、どんどん離される一方だよ」という話はしました。
── 原先生は、巨人で11年間プレー。高校生を指導するうえで、プロでの経験が役立っていると思いますが、具体的にはどんなところですか?
原 プロのテクニックというのは、高校生には難しいです。プロの技術と言っても、そのとおりに体が動かないし、感覚もない。プロ野球選手の皆さんは試行錯誤を繰り返して、初めてその感覚に行き着いているわけですから。それなりのことは言いますが、言ってもなかなかできないのが現実です。
── コツやノウハウは教えられるのでは?
原 主観的で言語化することができない知識のことを「暗黙知(あんもくち)」と呼びます。いわゆるコツや勘、ノウハウです。経験的知識とも言い換えられ、これは他者に伝播されないと言われています。だから技術であれば、望ましい結果になるように導いてあげるという感覚のほうが近いですかね。
── 実際に経験させないと、技術は身につかないということですね。
原 ただ、これがまた面白いことに、試合中にテクニックのことを考えると体が動かなくなるんですよ。だから自主トレや基本練習の時に、意識的にテクニックを追究するのです。
── 練習の時に、技術をしっかり教え込んでいくと。
原 練習でも、実戦形式の練習とそうじゃない練習があります。たとえば走者をつけてやるノックは、捕り方、投げ方うんぬんではなく、どういうふうに相手をアウトにするかがメインです。うまくやることが目的ではなく、相手を封じることが最優先です。逆に走者からすれば、いかに次の塁を目指して、ホームに生還するか。だから、守備側と走者側がもっと戦い合いなさいと、いつも言っています。その後に生徒たちだけで集めて話をさせるのは、自分たち発信で考えさせるためです。そうしないと、試合を運営できませんから。
── 逆に試合の時は、どういうことを意識させるのですか。
原 いざ試合になれば、どう相手に立ち向かうか。テクニックのことなどは、もう二の次です。
どれだけ無意識レベルで体が動くかどうかです。
【原俊介監督が目指す野球とは?】
── 最後に「原俊介流」の野球とは?
原 「つながる野球」です。チームとして機能する野球ですね。単純な話、外野手が守備位置を後ろにして守っていれば、打たれる打球が深い外野フライでもいいわけです。これが外野手の前に落とされたり、内野手の間を抜かれたりする打球を打たれたりすると"機能的"ではなくなってしまいます。ということは、投手が野手の守備陣形を把握して投げれば、より機能的になってきます。つまり、投手が「いい球を投げたい」「速い球を投げたい」ということに固執すると、結果的に周りが見えなくなり、チームとして機能しなくなるわけです。
── そういう意味で"つながる"というわけなのですね。
原 投手が投げることと打つことも守ることも、すべてつながっているわけです。そこにチームメイトとのつながり、応援してくれる人とのつながりもある。いろんな部分を自分たちのエネルギーとしながら、かつグラウンドではひとつのボールでつながりを持っていこうと。そういう野球を目指しています。
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2024年の全国高校野球選手権「夏の甲子園」で巻き起こった「大社旋風」。島根・出雲市にある県立の大社高校が、次々に全国の強豪校を撃破し勝ち上がっていく姿が、全国の野球ファンの心をとらえた。そして夏の全国大会ベスト8進出が93年ぶりと、記録にも記憶にも残った“熱い夏”を改めて大社ナインが振り返り、それぞれが得たものを語ってくれた。
32年ぶりの舞台で“快神撃” 全国の強豪を次々撃破
夏の甲子園に、島根代表として32年ぶりに出場した大社は、1回戦で強豪・報徳学園(兵庫代表)と対戦。春の“センバツ”準優勝校を相手に劣勢が予想されたが、大会屈指の好投手の今朝丸を攻略し先制点を奪うと、エースの馬庭が1失点完投。夏の甲子園63年ぶりの勝利に沸いた。
2回戦では長崎代表の創成館に、8回まで2点のリードを許した展開からスクイズなどを絡めた小技で追いつくと、延長タイブレークの末に逆転勝利。夏の大会としては107年ぶりの2勝を挙げた。
そして3回戦、西東京代表の早稲田実業戦。1点リードを許して迎えた9回裏の土壇場に「スクイズ」で同点に追いつくと、延長タイブレーク11回裏に、この試合も1人で投げ抜いたエースの馬庭の一打で「サヨナラ勝ち」1931年の第17回大会以来となる93年ぶりのベスト8進出を決めた。準々決勝で鹿児島代表の神村学園に敗れたものの、最後まで粘り強く戦い抜いた大社ナインの姿が全国に元気を届け、多くの感動を呼んだ。
大社高校は、縁結びの神様で知られる「出雲大社」の近くにあり、その活躍ぶりは“神がかっている”とさえ言われ「快進撃」ならぬ「快神撃」と称された。
12月下旬…出雲市の大社高校。集まってもらったのは5人の3年生。参加メンバーは、石原勇翔さん(キャッチャー)、藤江龍之介さん(ショート)。下条心之介さん(レフト)、馬庭優太さん(ピッチャー)、園山純正さん(サード)だ。甲子園で巻き起こした「大社旋風」の原点となる場所で、「この夏に得たもの」を聞いた。
夏の甲子園の舞台で選手たちが得たものとは…
“トップバッター”は、キャプテンとしてチーム全体を引っ張るとともに、キャッチャーとして「堅守」を支えた石原勇翔さん。『執念』という文字を挙げた。「これはずっとチームのキーワードとして使ってきた言葉で、島根県大会から甲子園の最後の試合まで、全員が“執念”を持ってプレーできたことが、大会ベスト8という結果に繋がった」からだと、その理由を話した。
そして「一番執念を感じたプレー」は、3回戦の早稲田実業戦の9回のシーンで、「先頭バッターの馬庭が、相手のエラーもあったが2塁まで進んで、塁上でガッツポーズをした所」だとし、「(その時に)1点負けていたんですけど、自分たちの流れに持ってこれた。あの9回はチームとして『執念』を感じた場面だった」と鮮明に残る記憶を語った。
馬庭さんは、早稲田戦までの3試合を全て1人で投げ抜いており、魂を込めた投球で幾度もピンチを切り抜けた中での最終回の攻撃だっただけに、あの場面では「気迫がこもっていた」と振り返る。「自分が9回まで投げさせてもらって、そこから自分が先頭バッターに立ち、絶対にチームを負けさせる訳にいかないと思っていたので、自然に出たガッツポーズでした。最高でした」と、その後のサヨナラヒットにもつながる『執念』のプレーを振り返った。
副キャプテンで、大会ではチーム最多タイとなる5安打を記録したショートの藤江龍之介さん。『希望』という字であの舞台を振り返った。
「甲子園の出場校の中で、多くは私立の高校で、地元出身の生徒だけでメンバーが揃う高校はなかなかないですけど、自分たちはほぼ地元のメンバーで『ベスト8』まで行けたので、これから島根県や地元・出雲市の子どもたちに“希望”を与えられた」と語る。
それを象徴したのが、ベスト8で甲子園を去り地元の大社高校に帰って来た時のシーンだ。
「バスで着いた時に、地元の方が多く駆け付けて下さって、その時に『感動をありがとう』という言葉を何人にも言われたので、自分たちが地域の方々に恩返しできたと思う」と話し、メンバー全員が成し遂げたことの大きさも実感したという。
副キャプテンでクリーンナップの一角を担ったレフトの下条心之介さん。初戦の報徳学園戦の初回にタイムリーヒットを打ち、チームを勢いに乗せた。その下条さんは『絆』という文字を挙げた。その理由は「普段の練習や試合、そして甲子園を通して本当に『絆』が深まった。その絆が深まったからこそベスト8という結果があった」と話す。
快進撃が続くとともに、チーム同士はもちろん、野球部を支えようと多くの支援の輪も広がっていた。大会屈指とも呼ばれた「アルプススタンド」の一体感のある応援団も同様で、それらすべての『絆』が快挙を呼び込んだと言える。
自ら招いたピンチを気迫の投球で切り抜ける 大会を勝ち抜く「勇気」に
大会4試合で492球の熱投…躍進の原動力となったエースの馬庭優太さんが、選んだ言葉は『勇気』だった。「甲子園でプレーできたからこそ、一歩前に出る『勇気』がメンバーみんなから出た」と話す。
特に2回戦の長崎・創成館戦の延長タイブレークで、自身のエラーにより満塁のピンチを迎えた場面を振り返った。そこから「絶対に抑える」と気合いを入れ直し、スタンドからの大声援にも押されてピンチをしのぎ、「自分の仕事をやり切った部分で一歩前に『勇気』が出た」と話し、満塁のピンチでも全員が自信を持ってプレーすることができた大会のターニングポイントだったと語る。
チーム随一の“スクイズ職人”と呼ばれ、チーム最多の5犠打を成功させたサードの園山純正さん。園山さんが選んだ言葉は『自信』。「甲子園で4試合させてもらい、一つ一つのプレーに『自信』をもってプレーできたことが良かった」ことがその理由だ。大舞台で培った自身の変化が、甲子園から帰った後の行動にも表れたという。「体育祭で『色長(リーダー)』を務めたことで、リーダーとして自分が前に出て何かをするということは、『自信』があったからできたと思う。本当に良い経験になった」と話す。
ちなみに、2回戦の長崎・創成館戦で決めた同点スクイズについては、「本当のことを言うと、決まると思っていなくて一か八かでした。(決まって)自分が一番びっくりしました」と振り返る。ただ大舞台での成功が、一人の選手の成長を大きく後押ししたことは確かだ。
“大社旋風”で得られた大きな財産 石飛監督「新チームで新た旋風を」
そして彼らを鼓舞しながらチームをベスト8に導き、これまで成長を見守り続けた石飛文太監督。指導者として得たものは非常に大きかったとし、「(甲子園の舞台を経て誕生したのは)無限大の夢です。彼らが示してくれた可能性は無限大でした」と話す。
選手たちが大舞台を経験することで成長していく姿を見つめることができた「甲子園」に改めて感謝。そして「ただ僕は、また新たに1、2年生と野球がしたい。また新たな物語が生まれると良いと思っている」と語り、2025年の夏の甲子園へ挑む気持ちを新たにしている。「大社旋風」第二章に期待が膨らむ。
📝元巨人ドラフト1位、39歳で高校教師、監督9年目で甲子園出場 東海大相模・原俊介監督が振り返る波乱の野球人生
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東海大相模・原俊介監督インタビュー(前編)
2024年夏、5年ぶりに甲子園出場を果たした神奈川代表の東海大相模。チームを率いたのは、同校OBでかつて巨人にドラフト1位された原俊介監督だ。39歳で高校教師となり、高校野球の監督となって9年目に悲願の甲子園出場を達成した原監督に、これまでの道のりについて振り返ってもらった。
【教員免許を取得したわけ】
── プロ野球引退後、なぜ教員免許を取得されたのですか。
原 プロ野球生活11年、それまでおもに体を使ってきましたが、ある時「頭には限界がないから、勉強してみたら?」と人に勧められ、大学に進学しようと思いました。
── 当時は厳格な「学生野球資格回復制度」により、教員にならないと高校野球を教えられませんでした。原先生の場合、最初に部活動指導ありきの教員免許取得ではなかったのですね?
原 大学(早稲田大学人間科学部の通信教育課程)に進学したもうひとつの動機は、トレーニング資格(ストレングスコーチ)を取得するための条件として、"学士"の学位が必要だったのです。当時は、プロ野球経験者がトレーナーという形で活躍する事例はあまりありませんでした。
── 大学での卒論のテーマは、「キャッチボールの実態調査」でしたね。
原 野球の基本であるキャッチボールというものを、人間科学という側面から研究をしたかったのです。それに伴って教員資格も取得しておけば学校で教科を教えられるし、部活動も指導できるということです。
── 教員免許は何をお持ちなのですか?
原 情報と保健体育の免許を取得しました。
── かつて「元プロの高校野球指導」に必要だった「教員生活10年」が2年まで短縮されましたが、「苦労して教員免許を取得した」のは、1984年から2013年までの約30年間でわずか45人。うちドラフト1位は7人(長崎慶一、大越基、石川賢、杉本友、染田賢作、喜多隆志、原俊介)ですが、タイトル獲得は首位打者の長崎さんと、最高勝率の石川さんだけです。
原 とにかくセカンドキャリアは、プロに代わる「生きがい」や「やりがい」を持ちたかったので、現実的に自分がやってきたことを生かしながらできるのはなんだろうと考えました。野球人であるなかで、高校野球というのは特別なステージです。それが最終的に教員にたどり着いている要因だと思います。
【学校生活が野球のプレーに反映される】
── 2016年から2021年までの東海大静岡翔洋高時代、特に2021年は決勝で静岡高に惜敗。その後、2021年秋に東海大相模高の監督に就任。そして2024年夏に自身9年目の夏に甲子園に出場し、ベスト8に進出しました。
原 29歳までプロ野球の世界に身を置き、その後、10年間は別のことをやって、39歳で教員になりました。静岡翔洋時代は、野球部の監督はもとより、高校生に教えること自体が初めてだったので、試行錯誤の連続でした。
── 39歳にして、教壇という名の"打席"に立ったのですね。
原 静岡翔洋の校長先生に「野球部が強い、弱いではなく、文武両道の学校生活をしっかり送れるよう、生活面から指導してほしい」と、最初にお話をいただきました。だから3年ぐらいは、野球のことよりも生活面のことを言うほうが多かったですね。
── 原先生は「学校生活を頑張れる生徒は、部活動も頑張れる」と、かねてから言っていました。
原 学業、時間厳守、協調性。たとえばスリッパを脱ぐ時、自分のものだけでなく他人のものも揃える生徒がいます。逆に自分勝手な子は、周りが見えていないというか見ようとしていない。そうしたふだんの生活態度や行ないというのは、野球のプレーにも出てしまうんです。だから野球だけを教えるのではなく、人間教育あってこその指導なんだと思っています。
【伝統校を率いるプレッシャー】
── 今夏の神奈川大会決勝の横浜高戦、木村海達主将に「ジャンケンに勝って、後攻をとってくれ」と言ったのは、投手の立ち上がりを含めた守りに自信あったという理解でよろしいでしょうか。
原 野球というスポーツは「先手必勝」で、先攻で得点できれば優位に試合を進めることができますが、無得点に抑えられると厳しくなる。それに同点や1点差、2点差リードくらいだと、9回裏の守りがかなりきつくなる。特に高校野球のような一発勝負は、投手がメンタル的に崩れることも多くなってくるので、監督としては後攻のほうが好きなんです。
── 今夏の横浜との決勝戦ですが、0対2から2対2になって、2対4と再び勝ち越されましたが、8回裏に三浦誠登選手の同点打と、中村龍之介選手の勝ち越し2点タイムリーで6対4とリードしました。直後の9回表、二死一、二塁と本塁打が出れば逆転の場面。壮絶な決勝戦、どのような心境でしたか。
原 2024年春季大会以降、プレーボールからゲームセットまで「集中力」をテーマにやってきました。とにかく、「感情の起伏をあまり激しくしないように」と指示しました。メンタルの世界では、"ピークパフォーマンス"と呼ばれるベストな状態は、興奮と抑制のちょうど真ん中にあります。
── 野球はメンタルスポーツでもありますね。
原 この夏、準決勝の向上戦(8回裏に逆転)と決勝の横浜戦で、終盤の集中力で逆転することができました。高校野球は負ける寸前に焦りの空気感が流れて、「行け!」と叫び出す。そうではなく、「(集中しながら落ち着いて)逆転しないといけないんだぞ」と。だからウチは、そういったハイパフォーマンスはなかったと思います。
── 9回表のピンチの場面では、すでに降板していたエースの藤田琉生投手(日ハム2位指名)が伝令でマウンドに行きました。
原 「落ち着いていけ」と言ってもちょっと無理だと思ったので、「まずアウトを取るぞ!」と。じつはあの時、藤田が「僕が伝令に行ってきていいですか」と言ってきたんです。自分の思いを伝えたかったのでしょうね。
── 最後はショートゴロに打ちとり、5年ぶり夏の甲子園出場を決めました。「男泣き」の優勝監督インタビューは感動的でした。原先生は「強い相模をつくらなきゃいけないと。やっと、生徒の頑張りによって達成できました」と、"生徒"を連呼していました。
原 学校生活、人間教育の一環として野球部を捉えている部分もあるので、そういう言葉が自然と出たのでしょう。相模高に来た時、「原監督と呼ぶのではなく、先生と呼びなさい」と伝えました。私は教員なので、先生と生徒という立場でいるつもりです。
── いまさらながらですが、東海大相模という伝統の重み、そして"元プロ"というプレッシャーはあったと思います。
原 もちろんありますが、それを公言したところでどうにもなりません。結果がすべてなので、勝たないと。「自分がコントロールできないことを気にしてもしょうがないよ」と、野呂雅之先生(桐光学園監督)の助言に救われたこともありました。
── 原先生のインタビューの間、ダグアウトで選手同士が涙の抱擁。そして胴上げは8度でした。どんな気持ちでしたか。
原 宙に舞っている瞬間は、ふわふわした気持ちでしたね。ただ、甲子園に行かせてあげられなかった生徒たちも、静岡翔洋時代から合わせて8世代いるわけで......その子たちがいてくれたからこそ、毎年ブラッシュアップすることができ、この夏の甲子園があったと思っています。これまで関わった生徒すべてに感謝しています。
つづく>>
📝東海大相模・原俊介監督が語る指導論 「プロの技術を高校生に伝えるのは難しい」
https://www.excite.co.jp/news/article/WebSportiva_105976/
東海大相模・原俊介監督インタビュー(後編)
原俊介監督率いる東海大相模は2024年夏、神奈川を制し甲子園出場を果たした。「巨人ドラフト1位」という輝かしい球歴を誇る原監督だが、指導者として甲子園の地に足を踏み入れたのは今回が初めてだった。そんな原監督に高校生を教える難しさ、やりがいについて語ってもらった。
【原監督が達成した史上初の快挙とは?】
── 甲子園初戦(2回戦)は富山商に4対0で勝利。198センチ左腕・藤田琉生投手(日ハム2位指名)が7回13奪三振。8番・柴田元気選手の8回中押しソロ本塁打は、開幕19試合目の大会第1号でした。
原 ウチも相手も、みんな初戦の緊張で固まっていました。いくら東海大相模が甲子園で優勝経験のある伝統校と言っても、今夏のメンバーはみんな甲子園初体験ですからね。グラウンドに入るまでの過ごし方、入ってからのリズムなど新鮮でした。
── 原先生は選手としても甲子園に出場されていますが、見えた景色は違いましたか。
原 私が甲子園に出た高校3年春のセンバツは、"阪神・淡路大震災"が起きた年(1995年)で、街はあちこちにブルーシートがかかっていました。試合は1回戦で県岐阜商に勝ち、2回戦でその大会で優勝する香川の観音寺中央高に敗れました。球場自体は同じ甲子園ですから、景色は同じでした(笑)。ただこの夏、生徒たちと一緒に戦って、校歌を聞いた時は感無量でした。
── この夏の1勝は、ドラフト1位の教員として、初の甲子園勝利でした。
かつてプロにドラフト1位で指名され、早鞆高の監督を務めた大越基さんは甲子園に出場しましたが勝っておらず、全国制覇した智辯和歌山の中谷仁さんは教員免許を取得していません。
原 それは初耳でした。なんでも"初"というのはうれしいですね。ただ何度も言いますが、これは自分だけの力でできることではありません。これまで多くの人との関わりがあって、今につながっている。そこは感謝しかありません。
── 3回戦は、同じく甲子園で優勝経験のある広陵(広島)に8対1と勝利。2年生の3番・中村龍之介選手が4安打4打点の大活躍でした。
原 初戦で熊本工相手に1失点完投、9奪三振の高尾響投手が2番手で投げたのですが、2イニングで5点取れましたからね。中軸がしっかり打ち、いい試合展開のまま進めることができました。
── ベスト8に進出しましたが、準々決勝で関東一高に1対2の惜敗。7回に相手4番の高橋徹平選手に先制のソロ本塁打を浴びました。打線も、先発左腕の畠中鉄心投手、本格派右腕の坂井遼投手(ロッテ4位指名)のリレーの前に1得点。
原 藤田が頑張って投げてくれたのですが、チェンジアップを本塁打されました。畠中投手はコントロールがよくて、簡単に打たせてくれませんでした。
── 現実的に真紅の大旗も見えたと思うのですが。
原 確かに上の景色は見えました。ただ富士山にしても、車で登れる5合目に行くと頂上は見えますが、そこからが大変というか......。さらに上を目指すには、まだまだやらなければいけないことがある。上のレベルになればなるほど、なかなか点は入りません。その時にただ打って点を取るのではなく、いろんなアプローチをして風穴を開けていかなければいけないことを実感しました。
【プロの技術を伝えるのは難しい】
── 新チームとなった秋の関東大会は、山梨学院に延長10回タイブレークの末にサヨナラ負け。その大会を制し、神宮大会でも優勝したのが、ライバルである横浜高でした。
原 夏の甲子園での課題を紐解きながらやったつもりだったんですけどね。横浜高が関東大会を制し、神宮大会も勝って日本一を達成しました。
生徒たちには「来夏に向けて、君たちが日本一を獲りにいくつもりじゃないと、どんどん離される一方だよ」という話はしました。
── 原先生は、巨人で11年間プレー。高校生を指導するうえで、プロでの経験が役立っていると思いますが、具体的にはどんなところですか?
原 プロのテクニックというのは、高校生には難しいです。プロの技術と言っても、そのとおりに体が動かないし、感覚もない。プロ野球選手の皆さんは試行錯誤を繰り返して、初めてその感覚に行き着いているわけですから。それなりのことは言いますが、言ってもなかなかできないのが現実です。
── コツやノウハウは教えられるのでは?
原 主観的で言語化することができない知識のことを「暗黙知(あんもくち)」と呼びます。いわゆるコツや勘、ノウハウです。経験的知識とも言い換えられ、これは他者に伝播されないと言われています。だから技術であれば、望ましい結果になるように導いてあげるという感覚のほうが近いですかね。
── 実際に経験させないと、技術は身につかないということですね。
原 ただ、これがまた面白いことに、試合中にテクニックのことを考えると体が動かなくなるんですよ。だから自主トレや基本練習の時に、意識的にテクニックを追究するのです。
── 練習の時に、技術をしっかり教え込んでいくと。
原 練習でも、実戦形式の練習とそうじゃない練習があります。たとえば走者をつけてやるノックは、捕り方、投げ方うんぬんではなく、どういうふうに相手をアウトにするかがメインです。うまくやることが目的ではなく、相手を封じることが最優先です。逆に走者からすれば、いかに次の塁を目指して、ホームに生還するか。だから、守備側と走者側がもっと戦い合いなさいと、いつも言っています。その後に生徒たちだけで集めて話をさせるのは、自分たち発信で考えさせるためです。そうしないと、試合を運営できませんから。
── 逆に試合の時は、どういうことを意識させるのですか。
原 いざ試合になれば、どう相手に立ち向かうか。テクニックのことなどは、もう二の次です。
どれだけ無意識レベルで体が動くかどうかです。
【原俊介監督が目指す野球とは?】
── 最後に「原俊介流」の野球とは?
原 「つながる野球」です。チームとして機能する野球ですね。単純な話、外野手が守備位置を後ろにして守っていれば、打たれる打球が深い外野フライでもいいわけです。これが外野手の前に落とされたり、内野手の間を抜かれたりする打球を打たれたりすると"機能的"ではなくなってしまいます。ということは、投手が野手の守備陣形を把握して投げれば、より機能的になってきます。つまり、投手が「いい球を投げたい」「速い球を投げたい」ということに固執すると、結果的に周りが見えなくなり、チームとして機能しなくなるわけです。
── そういう意味で"つながる"というわけなのですね。
原 投手が投げることと打つことも守ることも、すべてつながっているわけです。そこにチームメイトとのつながり、応援してくれる人とのつながりもある。いろんな部分を自分たちのエネルギーとしながら、かつグラウンドではひとつのボールでつながりを持っていこうと。そういう野球を目指しています。
✌2025年「還暦」迎える和歌山の聖地・紀三井寺 来夏も熱戦に期待
https://news.yahoo.co.jp/articles/cf9b4178e30d9b34c995f1f70e9148d5021f0c56
この夏行われた第106回全国高校野球選手権大会に出場した智弁和歌山の辻旭陽主将は、開会式で選手宣誓した。
「僕たちには夢があります。この先の100年も、ここ甲子園が聖地であり続けること。そして、僕たち球児の憧れの地であり続けること」
2024年は阪神甲子園球場ができて100年の節目だった。大会は戦争やコロナ禍などで中止を余儀なくされた時期もあったが、球場は1世紀にわたり、野球を愛する人々のよりどころだった。高校球児にとっては今も、あこがれの舞台であり続ける。
実は、和歌山球児の「聖地」、紀三井寺公園野球場も2025年、誕生60年の節目を迎える。
1965年3月に誕生して以来、夏の和歌山大会唯一の会場として使われてきた。高校野球だけでなく、少年から社会人まで、様々な大会や試合が開催されてきた。
県高野連発行の「和歌山県中等学校・高等学校野球史III」を開いてみた。昭和40年の欄では「球児、ファン待望の球場〝紀三井寺球場〟竣成(しゅんせい)」と喜んだ。ただしその後「惜しむらくは新球場初年度の紀和大会で県和歌山商業高が天理高に敗れたこと」。悔しさがにじんでいる。
来夏は、どんなプレーが見られるか。還暦を迎える球場も、きっと待ち遠しいはずだ。
📝わかやまスポーツ伝承館「プロ野球和歌山県ゆかりの選手展」
https://news.yahoo.co.jp/articles/8b5a0d767d31c46538d334ebd92567a18e763cd4
和歌山県出身のプロ野球選手が実際に使用したユニフォームやバットなどを展示する、恒例の「2024プロ野球和歌山県ゆかりの選手展」が和歌山市の「わかやまスポーツ伝承館」で開かれています。
今回の展示会では、2024年、千葉ロッテマリーンズにドラフト1位で指名された、日高川町出身の西川史礁選手が「侍ジャパン」に招集された際に使ったスパイクや、橋本市出身でDeNAベイスターズの筒香嘉智選手のバットなど、およそ90点が展示されています。
2月から始まるキャンプで実際に使用するものも見ることができ、ユニフォームは、全国でも珍しいショーケースに入っていない露出展示で楽しめます。
江川哲二館長は「どこの球団に和歌山に関係がある選手がいるのか、知ってもらいたい。展示会に来た子どもたちが、いつか自分もここに飾ってもらいたいと思ってもらえれば嬉しい」と話していました。
また、和歌山県内の小学生が文字でスポーツの感動を伝える「スポーツ書道展」もあわせて開催されていて、応募があった688点の全ての作品を展示しています。オリンピックにちなんだ「金」や、大谷選手の「大谷」などの文字が多く、2024年のスポーツ情勢が反映されています。
プロ野球和歌山ゆかりの選手展は2025年1月6日まで、スポーツ書道展は1月13日まで、和歌山市本町のフォルテワジマ3階「わかやまスポーツ伝承館」で開かれていて、入場は無料です。なお、お正月の3日間は休館日です。
☝名だたる甲子園常連校を次々と撃破した島根の県立高…雨の日は泥だらけで守備練習する「昭和デー」、校名もトレンド入り
https://news.yahoo.co.jp/articles/f7759e4856d18cbb29cce5933d3c4089e8b55100
夏の甲子園では、大社(島根)が93年ぶりとなる8強入りを果たした。早稲田実業(西東京、早実)を破り、準々決勝へと駒を進めた3回戦は、「高校野球史に残る」とも称された一戦。ナインがタイブレイクの延長十一回を制した瞬間、球場に響き渡った約2万2000人の大歓声は、記者にとっても忘れられない出来事になった。
島根大会では、バントや走塁といった小技を絡め、試合巧者ぶりを発揮。甲子園でも1点を争うような接戦をものにし、初戦の報徳学園(兵庫)、2回戦の創成館(長崎)、そして早実と、名だたる甲子園常連校を次々と撃破する戦いぶりに感動した県民は、決して少なくないだろう。
地方の公立校が強豪の私学校を負かしていく。今回のような構図は高校野球ファンにとっての妙味の一つだ。2018年の夏には金足農(秋田)による「金農旋風」が巻き起こった。記者も今回、甲子園で取材を続けながら、応援の輪が日を追うごとに大きくなっていくのを感じた。
出雲大社が近く、部員全員で必勝祈願に行くことや、雨の日に泥だらけになって守備練習をする「昭和デー」があることも話題を集めた。試合後のX(旧ツイッター)では「めっちゃ元気をもらった」「出雲の神様も喜んでる」などの書き込みがあふれ、「大社高校」がトレンド入りしたこともあった。
ナインの活躍は、県内の球児たちの刺激にもなっている。新チームによる県高校秋季野球大会では、出雲商が62年ぶりに優勝した。ほかにも、4位と奮起した大田が、来春の選抜高校野球大会に出場する21世紀枠の候補校に選ばれるなど、活気づいていると感じる。
大社の石飛文太監督(43)に改めて夏の快進撃について尋ねると、「島根で磨いた力が全国にも通じる、との証明になったのであればうれしい」と返ってきた。一方で「でも、大社がぶっちぎりで強いわけじゃない。周りが大社に続けというのなら、うちも負けていられない」と、言葉に力を込めた。
「生徒の夢は無限大」。石飛監督が早実戦後に語った言葉だ。聖地を駆ける選手の姿はとてもまぶしく、もっと見ていたいと思わせる輝きがあった。山陰の長い冬が終わった後、大社ナインに続く県内の選手らは、どんな〈夢の続き〉を見せてくれるのだろうか。今から楽しみだ。
👣近江高校野球部の多賀章仁監督、来春退任へ 春夏23回甲子園に導く
https://news.yahoo.co.jp/articles/69bfcba61e050af30e199dbc5cc074e335f265d3
高校野球で春夏合わせて23回甲子園に導いた近江高校の多賀章仁監督(65)が来春退任することが27日、わかった。定年が理由だという。
関係者によると、多賀監督は来年3月末で退任し、総監督に就く。後任には、コーチの小森博之さんが就任する。小森さんは近江が2001年の夏の甲子園で準優勝したときに主将を務めた。
多賀監督は1959年生まれで彦根市出身。平安高校(現・龍谷大平安)と龍谷大でプレーし、89年に近江の監督に就任。夏16回、春7回、チームを甲子園に導き、夏春1回ずつ準優勝を果たした。攻守ともに手堅い「近江野球」を築き、滋賀を代表する強豪に育てた。
2023年には、高校野球の育成と発展に功績があった指導者に贈られる「育成功労賞」を受賞。近畿で唯一、春夏通して甲子園で優勝経験がない滋賀県だが、「(甲子園で優勝するための)土台はつくれたかな、と思っている」と話していた。
昨年夏の滋賀大会を制して、コロナ禍による中止を挟み5連覇した。昨夏、今春と甲子園に出場したがいずれも初戦敗退し、今年夏の滋賀大会、秋の県大会はいずれも準決勝で敗れていた。
⚾岩手さんへ
佐藤&鈴木姓は非常に多いので人数確保は大丈夫だと思います!
選抜大会出場予想雑誌はホームランと報知高校野球に目を通しました。
中国地区を見ていると、どら焼きドラマチックパーク米子の改修工事で使用不可の為に島根に秋季中国大会を譲り、来年は山口・再来年に鳥取使用予定とありました。。。
ただ、春季大会は順番だと来年岡山・再来年鳥取なんで、春秋連続鳥取は考えにくいのだが・・・と立ちつくしてしてました、、、来年10月末に2泊3日で鳥取を考えていたんで!
もしかしたら来春の中国大会が鳥取開催かな???ここ2年連続で2会場に分散開催しているので、1日4試合回避されたらイヤやなあと・・・・・。
7イニング制については考えたくないのですが、ボールが飛ばなくなって魅力が減り、さらにイニングが削減されたら自ずと観客動員数も激減すると思いますが、、、、、
今の入場料で1日4試合とすると8イニング削減されるので、ナイター観戦はかなり厳しくなるだろうし大学・独立リーグなどは9イニング観戦できるとなれば魅力はなくなると思うし、将来的にプロ野球選手の体力や技術も衰退する予感はあります。
しかし、岩手の冬は厳しいんでしょうね!自転車のパンクは災難でしたね。
こっちは12月に入り1度だけ雪がちらつきましたが、寒いとはいえまだ耐えられる寒さですね!!
昨日は、四天王寺~仁徳天皇陵~通天閣など大阪を彷徨ってました。
2024年を回顧しつつ、来年の誕生日まであと3ヶ月・・・50周年記念に心に残る祭りをあといくつか企画しているので完走したいなあと思いつつ、大仙公園の芝生に寝っ転がってちと霧雨に打たれつつ瞑想してました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/cf9b4178e30d9b34c995f1f70e9148d5021f0c56
この夏行われた第106回全国高校野球選手権大会に出場した智弁和歌山の辻旭陽主将は、開会式で選手宣誓した。
「僕たちには夢があります。この先の100年も、ここ甲子園が聖地であり続けること。そして、僕たち球児の憧れの地であり続けること」
2024年は阪神甲子園球場ができて100年の節目だった。大会は戦争やコロナ禍などで中止を余儀なくされた時期もあったが、球場は1世紀にわたり、野球を愛する人々のよりどころだった。高校球児にとっては今も、あこがれの舞台であり続ける。
実は、和歌山球児の「聖地」、紀三井寺公園野球場も2025年、誕生60年の節目を迎える。
1965年3月に誕生して以来、夏の和歌山大会唯一の会場として使われてきた。高校野球だけでなく、少年から社会人まで、様々な大会や試合が開催されてきた。
県高野連発行の「和歌山県中等学校・高等学校野球史III」を開いてみた。昭和40年の欄では「球児、ファン待望の球場〝紀三井寺球場〟竣成(しゅんせい)」と喜んだ。ただしその後「惜しむらくは新球場初年度の紀和大会で県和歌山商業高が天理高に敗れたこと」。悔しさがにじんでいる。
来夏は、どんなプレーが見られるか。還暦を迎える球場も、きっと待ち遠しいはずだ。
📝わかやまスポーツ伝承館「プロ野球和歌山県ゆかりの選手展」
https://news.yahoo.co.jp/articles/8b5a0d767d31c46538d334ebd92567a18e763cd4
和歌山県出身のプロ野球選手が実際に使用したユニフォームやバットなどを展示する、恒例の「2024プロ野球和歌山県ゆかりの選手展」が和歌山市の「わかやまスポーツ伝承館」で開かれています。
今回の展示会では、2024年、千葉ロッテマリーンズにドラフト1位で指名された、日高川町出身の西川史礁選手が「侍ジャパン」に招集された際に使ったスパイクや、橋本市出身でDeNAベイスターズの筒香嘉智選手のバットなど、およそ90点が展示されています。
2月から始まるキャンプで実際に使用するものも見ることができ、ユニフォームは、全国でも珍しいショーケースに入っていない露出展示で楽しめます。
江川哲二館長は「どこの球団に和歌山に関係がある選手がいるのか、知ってもらいたい。展示会に来た子どもたちが、いつか自分もここに飾ってもらいたいと思ってもらえれば嬉しい」と話していました。
また、和歌山県内の小学生が文字でスポーツの感動を伝える「スポーツ書道展」もあわせて開催されていて、応募があった688点の全ての作品を展示しています。オリンピックにちなんだ「金」や、大谷選手の「大谷」などの文字が多く、2024年のスポーツ情勢が反映されています。
プロ野球和歌山ゆかりの選手展は2025年1月6日まで、スポーツ書道展は1月13日まで、和歌山市本町のフォルテワジマ3階「わかやまスポーツ伝承館」で開かれていて、入場は無料です。なお、お正月の3日間は休館日です。
☝名だたる甲子園常連校を次々と撃破した島根の県立高…雨の日は泥だらけで守備練習する「昭和デー」、校名もトレンド入り
https://news.yahoo.co.jp/articles/f7759e4856d18cbb29cce5933d3c4089e8b55100
夏の甲子園では、大社(島根)が93年ぶりとなる8強入りを果たした。早稲田実業(西東京、早実)を破り、準々決勝へと駒を進めた3回戦は、「高校野球史に残る」とも称された一戦。ナインがタイブレイクの延長十一回を制した瞬間、球場に響き渡った約2万2000人の大歓声は、記者にとっても忘れられない出来事になった。
島根大会では、バントや走塁といった小技を絡め、試合巧者ぶりを発揮。甲子園でも1点を争うような接戦をものにし、初戦の報徳学園(兵庫)、2回戦の創成館(長崎)、そして早実と、名だたる甲子園常連校を次々と撃破する戦いぶりに感動した県民は、決して少なくないだろう。
地方の公立校が強豪の私学校を負かしていく。今回のような構図は高校野球ファンにとっての妙味の一つだ。2018年の夏には金足農(秋田)による「金農旋風」が巻き起こった。記者も今回、甲子園で取材を続けながら、応援の輪が日を追うごとに大きくなっていくのを感じた。
出雲大社が近く、部員全員で必勝祈願に行くことや、雨の日に泥だらけになって守備練習をする「昭和デー」があることも話題を集めた。試合後のX(旧ツイッター)では「めっちゃ元気をもらった」「出雲の神様も喜んでる」などの書き込みがあふれ、「大社高校」がトレンド入りしたこともあった。
ナインの活躍は、県内の球児たちの刺激にもなっている。新チームによる県高校秋季野球大会では、出雲商が62年ぶりに優勝した。ほかにも、4位と奮起した大田が、来春の選抜高校野球大会に出場する21世紀枠の候補校に選ばれるなど、活気づいていると感じる。
大社の石飛文太監督(43)に改めて夏の快進撃について尋ねると、「島根で磨いた力が全国にも通じる、との証明になったのであればうれしい」と返ってきた。一方で「でも、大社がぶっちぎりで強いわけじゃない。周りが大社に続けというのなら、うちも負けていられない」と、言葉に力を込めた。
「生徒の夢は無限大」。石飛監督が早実戦後に語った言葉だ。聖地を駆ける選手の姿はとてもまぶしく、もっと見ていたいと思わせる輝きがあった。山陰の長い冬が終わった後、大社ナインに続く県内の選手らは、どんな〈夢の続き〉を見せてくれるのだろうか。今から楽しみだ。
👣近江高校野球部の多賀章仁監督、来春退任へ 春夏23回甲子園に導く
https://news.yahoo.co.jp/articles/69bfcba61e050af30e199dbc5cc074e335f265d3
高校野球で春夏合わせて23回甲子園に導いた近江高校の多賀章仁監督(65)が来春退任することが27日、わかった。定年が理由だという。
関係者によると、多賀監督は来年3月末で退任し、総監督に就く。後任には、コーチの小森博之さんが就任する。小森さんは近江が2001年の夏の甲子園で準優勝したときに主将を務めた。
多賀監督は1959年生まれで彦根市出身。平安高校(現・龍谷大平安)と龍谷大でプレーし、89年に近江の監督に就任。夏16回、春7回、チームを甲子園に導き、夏春1回ずつ準優勝を果たした。攻守ともに手堅い「近江野球」を築き、滋賀を代表する強豪に育てた。
2023年には、高校野球の育成と発展に功績があった指導者に贈られる「育成功労賞」を受賞。近畿で唯一、春夏通して甲子園で優勝経験がない滋賀県だが、「(甲子園で優勝するための)土台はつくれたかな、と思っている」と話していた。
昨年夏の滋賀大会を制して、コロナ禍による中止を挟み5連覇した。昨夏、今春と甲子園に出場したがいずれも初戦敗退し、今年夏の滋賀大会、秋の県大会はいずれも準決勝で敗れていた。
⚾岩手さんへ
佐藤&鈴木姓は非常に多いので人数確保は大丈夫だと思います!
選抜大会出場予想雑誌はホームランと報知高校野球に目を通しました。
中国地区を見ていると、どら焼きドラマチックパーク米子の改修工事で使用不可の為に島根に秋季中国大会を譲り、来年は山口・再来年に鳥取使用予定とありました。。。
ただ、春季大会は順番だと来年岡山・再来年鳥取なんで、春秋連続鳥取は考えにくいのだが・・・と立ちつくしてしてました、、、来年10月末に2泊3日で鳥取を考えていたんで!
もしかしたら来春の中国大会が鳥取開催かな???ここ2年連続で2会場に分散開催しているので、1日4試合回避されたらイヤやなあと・・・・・。
7イニング制については考えたくないのですが、ボールが飛ばなくなって魅力が減り、さらにイニングが削減されたら自ずと観客動員数も激減すると思いますが、、、、、
今の入場料で1日4試合とすると8イニング削減されるので、ナイター観戦はかなり厳しくなるだろうし大学・独立リーグなどは9イニング観戦できるとなれば魅力はなくなると思うし、将来的にプロ野球選手の体力や技術も衰退する予感はあります。
しかし、岩手の冬は厳しいんでしょうね!自転車のパンクは災難でしたね。
こっちは12月に入り1度だけ雪がちらつきましたが、寒いとはいえまだ耐えられる寒さですね!!
昨日は、四天王寺~仁徳天皇陵~通天閣など大阪を彷徨ってました。
2024年を回顧しつつ、来年の誕生日まであと3ヶ月・・・50周年記念に心に残る祭りをあといくつか企画しているので完走したいなあと思いつつ、大仙公園の芝生に寝っ転がってちと霧雨に打たれつつ瞑想してました。