自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」

ようこそいらっしゃいました。監督(管理人)の宏鈴法師です。当掲示板は全国どこの話題でもOKですのでどうぞ野球談義・よもやま話をお楽しみ下さい!なお、ご意見ご要望はメールでお願いします。悪しからずご了承くださいませ。


紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
管理人さんが福井での高校野球へ足を運ばれることを
披露されるまでは福井大会は全くのノーマークでした。

決勝戦が7月26日とのことで検討します。
ハピライン線の1日乗車券もってますんで
これに合わせて利用したいと思ってます。

往路はサンダーバード乗車せず東海道新幹線で
米原経由普通電車で敦賀入り、東海道新幹線は
利用せず大阪駅5:00発の普通電車にどうにかして
乗るようにしていくことも視野に入れてます。

決勝戦は10時からの想定してます。
なんとか間に合うでしょう。
午後からは観光できるので1日乗車券利用で
適当な観光地回れますね。

遠いところは時間もお金もかかるけど、
そこに行かなければ体験できないことも
あります。体力ある間は行ける行きたい
ところを探します。高齢になればこれらは
出来なくなるので。
2025/06/05(木) 20時19分56秒 No.1807 編集 削除
🎁「わしはいいから別の人に」生前断った育成功労賞、迫田穆成さんに
https://news.yahoo.co.jp/articles/e683f4c34aca350b8fdcb958c30dff28b8a7544f

高校野球の発展に尽くした指導者を表彰する「育成功労賞」に、広島の高校野球を牽引した故・迫田穆成さんが選ばれた。広島商で選手、監督として全国制覇し、2年前に84歳で亡くなるまで高校野球に携わった。生前に何度か打診を受けたが、「わしはいいから別の人に」と断っていたという。家族は「頑張ったと思うので喜んでくれたらいいな」とたたえた。

迫田さんは広島市出身。6歳のときに爆心地から2.5キロの自宅で被爆した。1957年の第39回全国選手権大会では、広島商主将として優勝旗を持ち帰った。67年に広島商の監督に就くと、春夏の甲子園に通算6回出場し、73年夏は優勝に導いた。如水館でも春夏通算8回、甲子園に出場した。

「力がなければ頭を使え」と指導し、選手一人ひとりの能力を見ながら様々な戦術で勝ち上がる野球を確立した。広島商出身で同校校長の折田裕之・広島県高野連会長(59)は「グラウンドの上で、野球を通して選手たちの人間形成をしていた」と振り返る。「今でこそ、生徒の自主性と言われるが、当時から常に創意工夫をし、選手自らが考えて動けるよう指導していた」

■「アイフォンだかサイフォンだかを買ってくれ」

今回、県高野連が日本高野連に迫田さんを推薦。指導者として約40年間にわたる貢献を挙げ、「社会で通用する人間育成を目的とした指導を行い、高校野球の次の100年のために何ができるかを最後まで考え続けた」とした。

推薦文をまとめたのは、如水館の責任教師として監督の迫田さんを支えた倉本隆司さん(43)。迫田さんからは「高校野球の次の100年のために」とよく聞かされていたという。「この言葉を聞いたとき、本当に野球が好きなんだなと感じました。高校野球に生きた人でした」

時代にあわせて指導法を変えていった。如水館では、大会前にあえて練習時間を短くし、物足りなさを感じた選手が自ら練習に励むよう促した。ときには監督室に選手を招き、団子や桜餅を振る舞った。「あれだけの成績を残した人が、柔軟に指導を変える姿には驚いた」と倉本さんは振り返る。

最後に指導した竹原では「アイフォンだかサイフォンだかいうのをわしにも買ってくれ」と長女の岩川智子さん(59)に頼み、スマートフォンを購入。選手たちとラインを交換した。2021年には岩川さんの提案で、ユーチューブ「迫田監督野球チャンネル」を開設した。「新しいことに飛びこんでいく人だった」と岩川さんは話す。迫田さんは23年12月1日に死去する直前まで、竹原の監督を務めた。

育成功労賞に迫田さんを推薦する話は、今回が初めてではないという。「何回か声はかかっていました」と倉本さん。しかし、そのたびに「わしはいいから別の人に」と断っていたという。「監督らしいなと思います。謙虚で、周りをたてる人だったので」

岩川さんも「父らしいです。生きていたら『いやいや自分はまだまだ』って言うかな。野球に対する父の愛が届いてうれしい」と喜ぶ。

■迫田穆成・元監督の歩み
1967年 広島商監督に就任
69年 春の甲子園出場
70年 夏の甲子園出場
73年 春の甲子園準優勝、夏の甲子園優勝
74年 春の甲子園出場
75年 夏の甲子園出場、その後退任
93年 如水館(当時は三原工業)監督に就任
97年 夏の甲子園初出場
98年 夏の甲子園出場
99年 夏の甲子園出場

2001年 夏の甲子園出場
  05年 春の甲子園初出場
06年 夏の甲子園出場
09年 夏の甲子園出場
11年 夏の甲子園出場
19年 如水館監督を退任
19年 竹原監督に就任
23年 84歳で死去

💢高校野球や災害時に支障も いせはらサンシャインスタジアム、盗まれた銅線ケーブルは夜間照明用
https://news.yahoo.co.jp/articles/f401661cf750addb2e547f2a4f3bbc3154cb2c82

いせはらサンシャイン・スタジアムで5月29日夜から翌30日早朝にかけて発生した銅線ケーブルの盗難事件は、各方面に影響を及ぼしそうだ。野球場として例年7月の高校野球神奈川大会で会場として使われているほか、災害時の拠点としての顔も持つ多目的な機能があるためだ。

盗まれた銅線ケーブルは夜間照明の電力供給用で、同球場の左翼外野席からバックスクリーン方面にかけて地中管内に敷設された40メートルのものが6本(計約60万円相当)。また未遂に終わったが外野外周部へ向けたケーブル6本も切断され、3カ所で錠前が壊されていた。

雨水用のマンホールが開けられた形跡もあり、被害はさらに拡大しかねなかった。担当者は「公共施設そのものが被害に遭うのは初めて。利用者のことを考えると心外」と憤る。一方で3月に改修された新たなスコアボードには影響はなかった。

📝高校野球大阪大会、7月5日開幕が決定 152チームが甲子園めざす
https://news.yahoo.co.jp/articles/2d2ebe6d8f325f32d223712e887bacdf438d6f60

第107回全国高校野球選手権大阪大会の運営委員会が3日、府高野連で開かれ、開催日程が決まった。7月5日に開幕し、27日に決勝の予定。167校152チームが出場する見込みで、6月17日に大阪市天王寺区のホテルアウィーナ大阪で3回戦までの組み合わせ抽選会がある。

開幕試合は京セラドーム大阪、決勝は今年からネーミングライツで南港中央野球場から呼び名が変わったGOSANDO南港野球場が舞台となる。

1~3回戦は府内を南北に分け、同じ地区のチーム同士で対戦する。京セラドーム大阪のほか、豊中ローズ、万博、住之江、GOSANDO南港、シティ信金スタジアム、久宝寺、くら寿司スタジアム堺の計8球場が使われる。4回戦以降の組み合わせ抽選は7月17日にGOSANDO南港で実施する。

今年度の府高野連加盟校は173校で、そのうち21校が計6チームの連合チームとして参加する。貝塚南、成美、長吉、松原、岬、りんくう翔南の6校は不参加を決めた。島本は閉校し、平野、福泉、美原、生野工、住吉商は連盟を脱退した。

シード校には春季近畿地区大会府予選で16強入りしたチームが選ばれ、2回戦から登場する。3回戦までシード校同士は対戦しない。

準決勝までは五、六回で10点差か、七回以降で7点差がつけばコールドゲームになる。決勝はコールドゲームを採用しない。また、決勝を含め九回までに決着がつかない場合は、延長十回からタイブレークを実施し、各回無死一、二塁から始める。天候状態などで球審が試合途中で打ち切りを命じた場合は、「継続試合」として翌日以降に試合をする。

入場料は一般1千円、中高生500円、小学生以下無料。今年度から開会式に加え、準々決勝~決勝もインターネットとコンビニで前売りと当日販売をする。チケット発券料の385円込みで、一般1385円、中高生885円、小学生以下385円。開会式は球場での当日販売はしない。前売りの開始日など詳細は後日発表される。

⚾shionomisakiさんへ
沖縄はあまりにも遠すぎますね・・・・・。しかし最近なぜかしらマスカットや近畿などでも指笛応援が目立ちます!

往復するのも大変そうだし、僕のような飛行機嫌いはまず縁がないですが、昨夏行かれたんですね!!
スコア見る限り5試合中コールド1試合のみだったようで、良かったと思いますね。

P・S ここ数年、やたらに決勝戦を午前中開始にしたり9時から2試合など変則日程で準々決勝以降はやたら休養日を増加して遠征は難しい環境にありますよね。

次回の宿泊観戦は7/19敦賀ー7/20福井県営の福井大会ですが、おそらくは9時から2試合ではないかと、、、、、

サンダーバードが敦賀止まりとなり、敦賀駅のレンタサイクルも赤い電動自転車に変わり1日だと1650円かかるので、バス移動になりますね。。。
以前は1泊2日で1500円と安かったのですが。

福井市の「ふくチャリ」も敦賀仕様になってしまったので「駅リンくん」で借りるしかないかなと。

すでにルートインを予約してますが、雨天中止で延泊となると3連休ゆえにヤド代も高騰しているし、今度も雨雲から逃げ切りたいと。

帰りの電車も気を付けないと以前のように福井ー京都直通のサンダーバードがないので19時過ぎまで福井県営で観戦して帰宅は無理そうなんで・・・・・。

あとは、愛知が2部制に次いでサマータイム導入まで考えたとか・・・・・。
14時から2試合だったらたしかに朝はゆっくりできるし、昼ご飯食べてから球場入りで運が良ければナイター観戦できるのでありがたいですが。。。。。

中国大会が思い切って春も11時から2試合にしてくれたのは本当に感謝しております!
朝はスロースタートで助かるし、日没も長いので試合後もゆっくり観光を楽しめました。

鳥取(米子)&島根(松江)だったらゆとりをもって試合前に球場入りできますね。
ヤマタSPはバスでもレンタサイクルでも11時到着は微妙で、浜山はまず無理と思われますが。

⚾岩手さんへ
今日は文字数の関係で2回に分けておりますが、最初の方に7回制の記事を貼っておきました。

「一昔前の高野連なら、『決定事項』ということで7回制の強行導入もあり得た」とのことです。
僕は高野連の良識を最後まで信じておりますが、アンケートで直訴するチャンスがあれば私見を述べて投稿する気マンマンであります(笑)

それから、PL学園・佐久長聖を歴任した藤原監督がいつの間にかクニに戻って隠居生活されているようですね。
オファーがあるかどうか分かりませんが、我が母校もオファーして欲しいですね!

今年の大阪大会は舞洲は予備日設定で基本的に試合はないらしいです。4月上旬に舞洲上陸したし、バス停が移動され不便だったし、今年はもう行く予定なかったのでまあエエかと。

あと開会式は1385円と割高ですね。コロナ前までは毎年通い続けてましたが、もうそんな気も起きないですね!!2試合を1試合に削減されたし。たいがいコールドゲームだったので。

沖縄は夏の日程1週間ほど繰り上げてますね。7/13決勝とは前代未聞ですね。まだ初戦をしていないチームが全国の半分くらいある中で代表校決定とは・・・。
逆に6/14に敗退したチームは早くも3年生引退で高校野球生活を終えるのは残酷ですね。。。。。

ところで東北はそんなに広いんですか!!太川・蛭子のバス旅など見ていても山が立ちはだかり距離の割には難攻不落な感じを受けましたが・・・・・。

だいたい我が家から和歌山まで3時間弱で行けますが、岩手さんの家から盛岡まで4時間となると・・・自分の家を起点に考えたら在来線移動での倉敷MSや近鉄特急使用における津くらいの感じですね。

そう考えると同じ県内でも、ものすごく離れてますね!!

青森山田サッカー部はかなり強いんですね。野球部は戦力があっても監督の采配などで、途中でコケて全国制覇までは届かないですが・・・。

とりあえず近日中に岡山旅行記を公開して昨春の近畿観戦記を仕上げて夏に入れたらと思います。
2025/06/04(水) 22時16分22秒 No.1806 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
💢高野連、7回制アンケート実施の狙い 反対多数の荒波を乗り越えられるか
https://news.yahoo.co.jp/articles/e88dde8aea34683c91159722f927a7f85ec22776

日本高野連は5月21日の理事会で、「7イニング制」についてのアンケートを実施することを発表しました。注目のポイントは、各都道府県の高野連や加盟校だけでなく、高校野球ファンにも広く意見を求めるという点です。

アマチュア野球の取材歴が長い、スポーツライターはその背景をこう語ります。
「高校野球の7回制は今秋の国民スポーツ大会から導入されます。高校野球は“教育の一環”。近年の猛暑は決して看過できるものではなく、夏の甲子園で選手たちの健康を害するようなことがあってはならないというのが、高野連や主催する朝日新聞社の基本的な考え方とされています」
「クオリティーペーパーとして社会問題解決に取り組む朝日新聞社として、何らかの対策が必要と考えるのは自然でしょう。持続可能な選手権大会の運営へ、7イニング制は最後の切り札とされています」

すでに高校野球の国際大会などでは7イニング制が導入され、特に違和感なく進行しています。一方、野球というスポーツにおいて「終盤の攻防」こそ醍醐味と、堀内恒夫さんら球界の大御所も提言しており、世論は「9回制維持」に傾いているのが実情です。

前述のライターは続けます。「一昔前の高野連なら、『決定事項』ということで7回制の強行導入もあり得たでしょう。しかし、今回はアンケートの門戸をファンに開放するなど、丁寧な議論を尽くそうとしている姿が印象的です。何よりも加盟校の指導者、選手たちが9回制を望んでいる。彼らの本音は『普段はもっとしんどい練習をこなしているのだから、2時間ちょっとの試合はむしろラク』というもの。高野連内にも何とか9回制を存続できないものかという声もあると聞きます。正直なところ、7回制は苦渋の決断。できることなら誰もが9回制でやりたいわけですから」

アンケートは6月中にも実施の方向性。指導者や選手、ファンからはどんな意見が集まるのか。
世論の動向も見つめながら、持続可能な夏の甲子園大会を目指して、議論は続いていくことでしょう。

📝「自分が監督でいいの?」27歳で“超名門”PL学園の監督に…“ベンチ入りギリギリ”だった男が母校の指導者になったワケ「最初は全然、ピンと来なくて」
https://news.yahoo.co.jp/articles/ee15ff70e32aec43d596837585d0112cdd38db6d?page=1

甲子園に8度チームを導いた名伯楽がこの春、ユニホームを脱いだ。名門・PL学園出身の藤原弘介氏だ。不祥事に揺れる母校や、縁もゆかりもない新天地での高校での指導など、様々な環境で結果を出してきた同氏。その背景には一体何があったのだろうか。

気がつけば、監督生活は人生の半分近くになっていた。母校のPL学園でコーチとして約4年、監督として6年半、さらに佐久長聖で13年。指導者として高校野球の第一線を歩んできた藤原弘介氏は、この春、佐久長聖の監督を退任し、家族が待つ地元の大阪に戻った。
PL学園ではコーチ時代に春夏計4度、監督としては春夏計3度、佐久長聖では就任1年目の夏に学校として10年ぶりの甲子園に出場を決めるなど計5度、夏の大舞台に立った。

高校野球界「かつての名門」はいま
 
かつて高校野球界の“盟主”として一時代を築いたPL学園。春は3度、夏は4度の優勝を数え甲子園では数多くの伝説を残した名門も、16年夏を最後に野球部が休部し、17年の大阪府高野連を脱退。学校経営に関しても様々な噂が流れ、教団の方針とはいえ、野球部再建に関して明るいニュースがなかなか聞こえてこないのが現状だ。

それでも藤原の心に染みついているのは“PL魂”だ。あの頃の思い、そして勝負への執念。すべてはPLで過ごしたひとつひとつの経験が起点になっている。

「自分としてはここまで(高校野球の)指導者をやって来られるとは思いませんでした。PLは今こんな状況ではありますけど……僕はPLでやってきて良かったって、今でも思っています」

藤原氏はPL学園のある富田林市の南に位置する大阪府河内長野市出身。ソフトボールから白球に触れるようになり、中学生になると河内長野ボーイズでプレーした。
藤原が野球少年だった時代はPL学園が甲子園で驚異的な強さを見せつけており、幼い頃からPL学園は憧れだった。その後、89年に元木大介(元巨人)を擁してセンバツは準優勝、夏の甲子園でも8強まで勝ち進んだ上宮や、同じくセンバツ8強に進出した近大付など、大阪の覇権争いが戦国時代に突入した頃でもあった。

地元という土地柄だけでなく、色んな縁が結びつき、藤原はPL学園の門を叩くことになった。入学に至った経緯については「ちょっと甘い考えだったと思うんですけど」と前置きし、苦笑いを浮かべながらこう明かす。

「自分が小学校の時は清原(和博・元西武など)さんや桑田(真澄・元巨人)さんが甲子園で活躍されて、中学1年生の時に立浪(和義・元中日監督)さんらで春夏連覇して、その間に上宮や近大付が甲子園に出て、PLが少しだけ甲子園に出られなかった年があったじゃないですか。その時期、僕はちょうど中学3年くらいで(進路を決める時期だった)。だから少しでも試合に出られる可能性はあるのかなと思って……」

だが、入学してそれは浅はかな考えだったことを痛感することになる。

「入学して1年上に坪井さん(智哉・元阪神など)や2年上に入来(祐作・元巨人)さんがいて、予想以上にレベルが高かったです。1年下には松井(稼頭央・元西武)もいましたしね」

厳しい寮生活も覚悟して入学したつもりだった。PL学園では1年生が3年生の回りの世話する付き人制度が敷かれていた。今まで自分でやったことがなかった洗濯は、自分の分だけでなく先輩の分もこなすことが日課だった。「ユニホームの素材が今のようにメッシュ素材ではなくてあの頃は分厚い素材だったので、なかなか乾きにくくて。何気にそこも大変でした」

慣れない環境に厳しい練習の毎日。でも、とにかく必死だった。さらに藤原は厳しい寮生活以上に先輩たちのハイレベルなプレーに練習のたびに目を奪われ、何とも言えない不安にも苛まれていた。

「寮生活は確かにしんどかったです。でも外野のノックで先輩の矢のような送球を見ていたら、こんなレベルのところでやっていけるのかなと。毎日そればかり考えていましたね」

高校時代の悩みは…「太れない」
 
当時は携帯電話などなく、主な連絡手段は手紙だった。寮のそばに公衆電話はあったが、3年生が優先的に使うため、1年生が公衆電話を使えるわけがなかった。授業の合間に手紙をしたため、職員室に呼ばれた時に近くにある事務室からこっそりと家族や友達に手紙を出すことが、当時の心の支えだった。

何より当時の藤原の悩みはなかなか太れないことだった。1年生は練習後も先輩周りの整理整頓をはじめ、炊事や風呂当番、道具磨きなどに明け暮れ、寮でゆっくり食事をとる時間を確保するのは難しかったのだ。

「あの頃は本当にガリガリでした。入学して体重が一気に落ちても今ならトレーニングや食事で戻るじゃないですか。でも僕は60キロ以上あった体重が一気に54キロまで落ちて、3年生になってやっと60キロに戻りましたが、なかなか体重が増えなかったですね」

それでもがむしゃらになれたのは、せっかくPLに入れてくれた親への感謝と、絶対にレギュラーになってやるという強い執念だった。挫けて途中で辞めて家に帰っても何も残らない。自分にお金をかけて高校野球の名門校に入れてくれた以上、3年間やり遂げなければという使命感も心のどこかにあった。

初めてベンチ入りしたのは意外にも早く1年生の夏だった。大阪大会の浪商(現・大体大浪商)戦で負傷した先輩に替わり、急きょセンターでスタメン出場。だが、守備でトンネルするという痛恨のミスを犯してしまう。

「そこから試合に出る機会は減りました。今思うと“試合に出られるかも”なんて、本当にとんでもない考えでしたね(苦笑)」

だが、3年春に出場したセンバツにはベンチ入りを果たした。当時の甲子園のベンチ入り人数は15人で、背番号は15だった。「自分は寮長をしていて、野球よりも寮長としてチームをまとめる立場でもありました。そういうところを(中村順二)監督が見て、ギリギリに入れてもらえたのかもしれないです」

高校卒業後は大学でも野球を続けることを望むも、有名大学から進路の話が来るのはマネージャーとしてのオファーばかりだった。それでもプレー続行に強くこだわり、地元大阪の大阪経済法科大学へ進学。大学では2年春からレフトでレギュラーを務め、秋からセンターも守った。その秋にベストナインを獲得。上級生になると主将も務めた。4年生になると教員免許を取得したが、これには理由があった。

「父親との約束だったんです。大学では野球ばかりではなく卒業してから職につくための武器となるものも取得するようにと。ウチは両親ともに高卒でしたから、大学に行く以上は……というのもあったみたいです。野球をして教職を取るのは大変でしたけど、こうやって指導者になれたのも、あの時に頑張ったお陰だと思っています」

同級生にはドラ1候補も…進路は?
 
大学卒業後、実はある社会人野球チームから内定をもらっていた。だが、PL学園時代の同級生の今岡誠(現・真訪、元阪神、当時は東洋大)がドラフト1位候補になり、しのぎを削ってきたかつての仲間たちが一流企業に内定していた。彼らが卒業後も第一線でプレーしていく情報を耳にしていた。自分も同じ土俵でまたプレーをしたいという密かな思いも抱き、理想と現実のギャップの間に苛まれていた。

その後、社会人野球チームに一旦断りの連絡を入れた。だが、その後就職先を探すも自分の望むチームには進むことが出来ず、現役続行を断念。一般企業に就職することになった。就職先は電機部品メーカーの営業職だった。だが、入社して8か月後の1997年12月、翌年から就任が決まっていたPL学園の河野有道監督から連絡があった。

母校からまさかの「コーチ打診」

「(指導スタッフとして)来てくれないか、という電話でした。自分は教員免許を持っているので、寮にも入って(寮監をして)もらいたいという話でした」

当時、現在の妻と付き合っていて近々結婚する予定もあり、すぐに決断していいものか思い悩んだ。さらに藤原自身、実は当時は指導者という言葉にあまりピンと来ておらず、コーチは何をするのか、母校のために何ができるのか考え込んだこともあった。それでも熟考の末、会社を辞めることを決意。母校に戻った98年の1年間は学校職員採用で寮監も兼ねて後輩の指導にあたることになった。

その年はチームがちょうどセンバツ出場を決めていた。エース上重聡(現フリーアナウンサー)、主将に平石洋介(元楽天監督)らが主となっていたチームだ。この年は松坂大輔(横浜→西武など)という“平成の怪物”と呼ばれた大エースがおり、夏の甲子園ではPL学園と延長17回の大熱戦を演じた歴史的な年でもある。そんな歴史的な世代にいきなり居合わせたことも、藤原の指導者としての運命めいたものを感じていた。

「母校に帰らせてもらったらいきなり甲子園に行かせてもらって。タイミングが良かったというか、ありがたいというか……。あの年はグラウンドではノックよりバッティングピッチャーをよくやっていました。コーチになったばかりでしたけれど、”本当に甲子園に出ているのか“という錯覚みたいなものがありました」

だが、PL学園として最大の危機が01年に訪れる。部内で暴力事件が発生し、夏の大会を出場辞退するという衝撃的なニュースが高校野球界を駆け巡った。当時、プロも注目する有望な選手が多く在籍していたチーム。甲子園に出場すれば優勝候補に挙げられてもおかしくなかったが、半年の対外試合禁止の処分が下された。

野球部の指導者陣が一掃される中、野球部監督を打診されたのが、まだ27歳になったばかりの藤原だった。

                 <次回へつづく>

📝元監督が振り返る「PL学園vs.大阪桐蔭」20年前“超名門対決”の記憶…延長15回→再試合で現れた1年生投手の衝撃「100%桐蔭が勝つと言われたけど…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/b3321e0df02e1433399a13e6c7ed0940c9f48a83?page=1

2001年に部内の暴力事件が発覚し、夏の大会を出場辞退したPL学園。衝撃のニュースの結果、従来の首脳陣は一掃されることになった。そこで次の監督として白羽の矢が立ったのが、当時コーチを務めていた藤原弘介だった。PL学園OBでもある藤原は、もちろん「母校を何とかしなければ」という思いも強かったが、当時はまだ27歳。お世話になった指導陣が離れていく中、「自分が監督になって良いのか」という葛藤もあった。

27歳で監督就任…翌年夏の甲子園に出場
 
そんな中、福留孝介選手(元中日など)と同級生で正右翼手だった諸麦健二氏がコーチとして藤原のサポートを行うことに。2002年2月に監督に就任し、直後の春の府大会でいきなり優勝。翌年には夏の甲子園にも出場した。その翌年の04年にはのちに大リーガーとなる前田健太(広島→ドジャースなど)が入学し、野球部は徐々に活気づいていった。

「最初は“こんなにもうまくいくものなのか”と思いましたけど、あの頃はとにかく再建するために必死でした。試行錯誤することもありましたけれど、コーチ時代にやってきたことをどう指導に生かすか。それだけを考えていました」

もう、自分の前に立ち手を差し伸べてくれる指導陣はいない。それでも若いコーチと二人三脚でやり繰りする指導で、チームは少しずつ上昇気流に乗り始めていた。
PL学園が不祥事で揺れていた頃、大阪府大会での上位進出が増え始めた学校があった。のちに平成から令和にかけて甲子園で“常勝軍団”として君臨することになる大阪桐蔭だった。

大阪桐蔭は、91年の全国制覇以降、02年の夏に11年ぶりに聖地に戻り、西岡剛(元ロッテなど)などの有能な選手も輩出。創部当時からチームを率いていた長澤和雄氏の後任として、西谷浩一監督が就任していた。藤原が監督となったPL学園と大阪桐蔭は、上位進出するたびに対戦する機会が増えていった。02年春の決勝も、相手は大阪桐蔭だった。

「03年の夏に(PLが)甲子園に行った時も大阪桐蔭とは5回戦で対戦してウチが逆転勝ちしました。あの頃の大阪桐蔭は戦力が充実していて、本当に手強かったんですよ」

2004年の夏…大阪桐蔭と延長15回の死闘
 
04年夏にはPL学園と大阪桐蔭が対戦した決勝で4-4のまま延長15回になっても決着がつかず、引き分け再試合となり、翌日の再試合にもつれ込む大阪大会史に残る激戦もあった。
当時の大阪大会のメイン球場だった藤井寺球場には多くの高校野球ファンが詰めかけ、両雄の意地と意地がぶつかった熱戦が繰り広げられた。

「あの夏、大阪桐蔭は(2年生だった)辻内(崇伸・元巨人)君が投げて、ショートに生島(大輔)君がいて、下級生に平田(良介・元中日)君もいて。あとは……思い出すとキリがないくらい、本当にレベルの高い選手が揃っていました」

その夏、「2番・左翼」でスタメン出場していたのが、現在大阪桐蔭でコーチを務める橋本翔太郎氏だ。橋本コーチは当時をこう回顧していた。

「あの年のPLとの対戦は、ウチが優勢って言われていたんです。でも引き分け再試合になった試合はPLのエースが完投して、再試合は誰が投げるの? となっていたら、1年生のピッチャーということが分かって。それで、“自分たちは勝てる”みたいな雰囲気になって。まぁ、舐めていたのかと言われれば……そう思われてしまいますよね(苦笑)」

その1年生の投手こそが前田だった。実は前田とは大阪大会の開会式で話す機会があったのだという。

「PLと大阪桐蔭は中学の出身チームが同じ仲間も多かったですし、すごく仲が良かったんです。開会式の待ち時間に仲の良い者同士で話をしていて、PLに1年生がベンチ入りしていると聞いて、彼らが連れてきてくれたのが前田でした。1年生でしたし、あの時は上級生に囲まれて大人しそうにしていましたけれど、いざ試合となったら……良いボールを投げていました」

藤原氏も橋本氏のことはよく記憶していた。「再試合で、確か橋本君には8-2の中盤だったかな(6回)。満塁ホームランを打たれて追い上げられたのを覚えています。あの1本は本当に怖かったですね。

でもあの試合、引き分けの試合でエースを15回投げさせて、ウチは正直ピッチャーがいなかったんです。そんな中で、(試合を)託したのが前田でした。でも、あの時、色んな人に言われていたんですよ。(勝つのは)100%(大阪)桐蔭やろって(苦笑)」

だが、蓋を開けると序盤から小刻みに加点したPL学園が何とか逃げ切り、13対7で勝利し、2年連続の夏の甲子園切符を掴んだ。前田は難敵を相手に7失点しながらも完投。大阪桐蔭有利の前評判を覆し、当時の“新鋭校”を“伝統校”が押し切った格好となった。

後も続く大阪桐蔭との「ライバル関係」
 
大阪桐蔭の西谷監督は当時のPL学園について「何度も何度も挑戦したけれど跳ね返され続けてきた厚い壁だった」と以前話していたことがある。それからPL学園と大阪桐蔭は覇権を争うライバル同士となっていった。実は藤原は西谷監督とはほぼ同じ時期に監督になり、縁深い間柄でもあった。ただ、当時は球場で言葉を交わすことは少なかったという。

「自分は不祥事後に監督になって、何とかPLを復活させようと必死で。“PLは終わったな”と言われるのが当時は一番嫌でした。だからチームのことを考えるのが精いっぱいで、試合で西谷先生と顔を合わせても話す余裕がなかったんです。それは西谷先生に限らず、他校の監督さんともです。挨拶はしても話すことはほとんどなかったですね。あの頃の自分は、もう前を見るだけでいっぱいいっぱいで」

かつてのPLを取り戻したい。その一心で“負けないPL”の姿を試合で体現し続けた。以降、07年秋、08年春、秋、09年春、夏と立て続けに大阪桐蔭と対戦するも、そのほぼすべてで勝利。甲子園で70勝を挙げる名将となった西谷監督も、大阪を勝ち抜くことに苦労した時期があった。それが常勝軍団となるチームの基盤となり、全力プレーを徹底する源となっている。

PLの監督となって丸4年となった藤原は06年春のセンバツでエース前田健太を擁し、ベスト4へ進出した。だが、藤原が指導者としてPLを甲子園に率いた大会はこれが最後となった。08年夏に部内で再び暴力事件が明るみになり、藤原は監督を引責辞任することに。翌年、副部長という立場で野球部には残ったが、担任をしていた生徒が卒業したタイミングで母校を離れ、12年春に佐久長聖の監督に就任した。

未知の土地でもあった長野。当初は家族4人で長野に移住したが、諸事情で家族は数年後に大阪へ戻ったため「最後の何年かは単身で長野にいたんですよ」と藤原は振り返る。実は佐久長聖も不祥事が起きた野球部の再建を託されての監督就任だった。始まりはPLと同じだったのだ。

「僕の高校野球の監督のスタートはいつもそうでした。PLは辞める時も暴力事件が絡んでいましたけれどね」

教え子には「医学部へ進んだ子やパイロットになった子も」
 
何も知らない土地だからこそ、佐久長聖ではまっさらな気持ちで指導者人生をスタートさせた。PL学園は少数精鋭で1学年は20人にも満たなかったが、佐久長聖では多くの部員を受け入れた。関西圏からも中学生が集まり、1学年が50人近くにのぼることも珍しくなかった。3学年で150人以上の大所帯となることも多かったが、持ち前の熱血ぶりで生徒と向き合いながら選手らの意欲を掻き立て、7年連続で県の決勝に進出するなど、佐久長聖を常勝チームに育て上げた。

「教え子に医学部へ進んだ子やパイロットになった子もいます。そうやって色んな世界で頑張る子がいることがすごく嬉しくて」

地元に戻った今は、生活の全てが新鮮に感じている。2人の息子も成人し、長男はこの春社会人になった。息子らと飲みに行く機会もでき、指導者時代はほとんど過ごせなかった妻との時間も、かけがえのないものだと感じている。

カブスとのマイナー契約が報道された前田健太を始め、教え子の現在を気にしながら「今はいったん野球から離れたい」と、バットやボールを手にしない日々を送る。それでもまだ50歳、老け込む年齢ではない。むしろ高校野球の監督としてはこれからさらに脂が乗ってくる年齢だ。もし再度指導者のオファーがあれば、今後もどこかで指揮を執る可能性はあるのだろうか。

「今はゆっくりしていますが、そういう話があれば前向きに考えていきたいと思っています。今のところは何もないですけれどね」

2校で足跡を残した“名将”でもある。この春で小休止している野球人生は、まだまだ続きが描かれていきそうだ。
2025/06/04(水) 22時15分43秒 No.1805 編集 削除
 沖縄の組み合わせが決まったか。
例年だと8,9日で沖縄、神奈川(逆)もあったけど、今年は早いな!

東北大会は、大体5~10日位の日程が多かったけど後ろになったな!

組み合わせは、16日辺りに熊本、次が東西東京(球場は20日辺り)群馬でしたが去年は違ってたな。

東北は広いな!!!山形遠いな!!
岩手も〃  地区予選も3時間かかるし、県大会(盛岡)は4時間 同じく宮城大会(市民球場)も4時間 観戦1試合で又4時間 コスパ悪すぎだね!


相田みつを風に
4時間かかっても1試合見れるじゃないないか。
岩手も宮城も自然がいいじゃないないか。

大阪桐蔭が公式戦で10数年振りにコールド負けた。しかも両方共に履正社、東洋大姫路で監督は岡田さんか。

コールド負けたいいじゃないか!
春夏2回連覇あるじゃないか!
西谷さんは甲子園勝利数が1番じゃないないか!
桐蔭の選手は高校で終わりじゃないよね全員が!

吹奏楽部は全国大会で3年連続金賞受賞すると、翌年はお休みだよ!

青森山田蹴球部は21世紀初の県予選黒星だって!PK負け
県総体連覇が24、連勝記録が418でストップだよ!
サッカーのPK戦は記録的には引き分け扱いらしいけど。

この先野球日和で観戦出来る事を手を合わせてお祈りします!
2025/06/04(水) 21時29分41秒 No.1804 編集 削除
組み合わせ抽選および日程発表みました。 
2年連続で沖縄ツアーも検討しました。
開幕日が梅雨明けの平年より早く、雨天中止の
リスクがあったので検討はやめました。

組み合わせみました。開幕日は前泊して沖縄セルラーで
2試合、それ以外は1球場1試合の開催予定です。
翌日は3球場で各2試合の予定です。
コスパ悪そう。

私が昨年現地で観戦したのは以下の通り。

開幕日の6月22日
久米島高校5-0陽明高校
八重山高校2-3宮古総合実業・宮古工業(連合)
ユニオンですからスタジアム宜野湾 入場料600円

6月23日
石川高校0-4読谷高校
沖縄尚学高校6-4名護高校
名護商工高校0-11首里高校
Agreスタジアム北谷 入場料600円

沖縄土産物店のオーナーにこの日程で高校野球
観たと言ったら「いいじゃん」とのこと。

当日沖縄入りして昼から2試合、翌日3試合と。
特に翌日は沖縄尚学も出場していたから。

宜野湾は屋根あって助かりました。北谷は
インターバルの間球場近くのイオンモールで
ガンガン効いた冷房の店舗でのアイスクリーム
いただけたのは最高でした。

このような充実した高校野球観戦ツアーは
出来ないと思います。
 
2025/06/04(水) 20時04分22秒 No.1803 編集 削除
⚾今日の中国大会岡山県勢試合結果(最終日 決勝戦 倉敷マスカットスタジアム)
倉 敷 商5-1創志学園
倉敷商は14年ぶり3度目の優勝🏆

📝【春の高校野球中国大会決勝】倉敷商業が創志学園に5対1で勝利 14年ぶりに中国大会を制す
https://news.yahoo.co.jp/articles/3bb7753b35d264f7d590373577b4d63a82f7887d

春の高校野球中国大会はきょう決勝が行われ、創志学園と倉敷商業が熱戦を繰り広げました。

中国大会の決勝で岡山県勢同士が顔を合わせるのは実に10年ぶり。初回に1点を先制した倉敷商業は7回ウラ、1番吉森のスリーベースでチャンスを作ると、打席には3番佐々岡。左中間へうまくはじき返し、2対0とすると、8回、さらに3点を追加。5対0とあとがない創志学園は9回表、連打でチャンスを作ると代打の衛藤が左中間へのタイムリーで一矢報います。

しかし、反撃もここまで。最後は倉敷商業が三振で押さえ、14年ぶりに中国大会を制しました。(創志学園 1-5 倉敷商業)

(倉敷商業 佐藤拳吾主将)「守備から攻撃にリズムを作るというところで、今大会は守備からという自分たちの力を出すために良かったと思います。この春の優勝をしっかり自信にして明日からまた夏に向けて頑張っていきたいと思います」

来月12日に開幕する、夏の全国高校野球岡山大会にむけさらなる飛躍を目指す両校です。

📝高校野球7回制 ファンに緊急アンケート 96%超が反対意見 ミラクルが…魔物が…ドラマ消える?
https://news.yahoo.co.jp/articles/7eebd6ebfcf4fee41a5bba3d6003b31e04ca6228

導入に向け議論されている高校野球の「7回制」。日本高野連は5月21日の理事会で全国の加盟校や一般のファンにアンケートなどを実施することを決めた。今月中旬から調査し、集めた意見も参考に導入可否が議論され、12月までに方向性を決める方針だ。賛成か反対か。スポニチアマチュア野球取材班が高校野球ファンの声を聞いた。 

ファンの声を集めたのは、春季高校野球関東大会が行われたノーブルホーム水戸。準決勝と決勝が開催された5月24、25日にアンケートを実施した。部員の健康対策や障害予防、指導者、教員の働き方改革を実現するための「7回制」。ファンの声は、大多数が「反対」だった。

217人中、賛成8人、反対209人で実に96・3%が反対だった。準決勝では専大松戸(千葉)が公式戦27連勝中だった横浜(神奈川)を4―3で撃破するなど、ヒリヒリした終盤戦が演じられたことも影響したかもしれない。好ゲームは「9回まで見たい」と願うファンが多いことが証明された。反対意見は次のような内容だった。

「8、9回に起こったドキドキするドラマは数え切れない。本当に野球を知っている人が7回制を進めようとしているのか…疑問に思う」(30代女性)
「来年から実施すれば“去年までは8回があったのに…”と選手たちが思うはず。かわいそうな世代を生んでしまう」(50代男性)
「高校野球で9回制を経験していないと大学で野球部に入った時に(9回制に)対応できない」(20代男性)

1イニングでも多く選手の姿を視察したいプロ球団のスカウトも「断固反対」ときっぱりだった。

「7回制」が本格的に議論され始めたのは、今年1月。日本高野連は「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議」の初会合を開催した。宝馨会長やU18日本代表の小倉全由監督ら15人のメンバーが継続的に議論し、年内に方針を決めることになった。
5月の理事会では、アンケートの実施を決めた。都道府県連盟、全国加盟校に加え、一般ファンらを対象に今月中旬から調査し、高野連公式サイトでは、自由記述形式でファンの意見を募る。井本亘事務局長は「参考にしてこれからの審議を進めていきたい」とした。国際大会などは7回制が導入されているが、国内での採用については高校球界内でも反対意見が多いため慎重に検討されている。

9月に滋賀で開催される国民スポーツ大会では7回制の試験的導入が決まっている。「7回制」賛成派に目を向けると、現役の高校球児が「パフォーマンスを出すには7回の方がいい」と言い、40代男性は「回が減るほど実力差で決まる試合が減る。ジャイアントキリングが起こりやすいのでは」とメリットを挙げた。

とはいえ、これだけ反対意見が多いのは、100年を超える高校野球の歴史に、数々の終盤逆転のドラマが生まれてきたからだろう。98年夏の甲子園準決勝では、松坂大輔がエースだった横浜が明徳義塾(高知)を終盤の8、9回に7得点して大逆転。甲子園春夏連覇につなげた。地方大会では、14年夏の石川大会決勝で星稜が小松大谷を相手に9回に9点を奪い、0―8からのミラクルサヨナラで甲子園出場を決めた。その翌年の準々決勝では、今度は小松大谷が0―3の9回に4点を奪って星稜にサヨナラ返しのドラマもあった。

タイブレーク制、5回終了時のクーリングタイム、甲子園大会の朝夕2部制導入など従来の改革にはファンの意見を募ることはなかった。それだけ「7回制」については慎重に検討される必要がある。今月中旬から始まる調査結果はどうなるか。注目が集まる。

≪現役監督も反対意見≫

今春選抜の1回戦で激突した早実(東京)と高松商(香川)の伝統校を率いる指揮官は、それぞれの思いを口にした。高松商の長尾健司監督は06年夏の甲子園準々決勝で4―8の9回に帝京(東東京)が8得点し、その裏に智弁和歌山が5点を奪って逆転サヨナラ勝ちしたゲームを引き合いに出し「ああいうゲームを見たい。(7回制は)反対」と話した。一方、早実の和泉実監督は「良い悪いを言える立場ではない。決まったら、選手が思いきってやれる環境をつくってあげたい」とした。

【記者の目 “策を講じた”実績づくりに走ってはいないか】

高野連が行うアンケートなどで、反対意見が多数を占めたとしても、7回制導入に踏み切るならば納得できる根拠を示す必要がある。U18日本代表が参加する国際大会は近年7回制が採用され、国内で経験することで対応が容易になる利点もある。

教員らの働き方改革には大いに賛成だ。だが、イコール7回制導入ではなく大会運営にもっとボランティアの力を借りることを検討してほしい。記者は福岡で行政職に就いていた頃、テレビで全国中継される女子駅伝大会の運営担当だった。課の人員は10人弱。コースの42・195キロはほぼ一般道で、選手の安全を守る500人超の係員はボランティアが担った。きっと、9回制をつなぐため運営に力を貸す人はいるはずだ。

なぜ、これほどの大改革がスピード感を持って検討されるのか。暑さ対策を求める世論が強くなる現状で「健康対策や障害予防の策を講じた」という実績が欲しい、が本音ではないだろうか。問題解決の「特効薬」に走りたくなる気持ちは同じ運営側にいた者として理解できる。だが、新たなアイデア、ヒントを他競技や企業に求めるなど広い視野を持ちたい。まだできることはたくさんあるはずだ。 (アマチュア野球担当キャップ・柳内 遼平)

🎤好きな言葉は根性?気合?「大社旋風」を巻き起こした大社高校野球部の石飛文太監督がチームの作り方などについて公開講座
https://news.yahoo.co.jp/articles/ea9a1d304e0570283f90d4e3ec2cc37c165695e9

去年の夏の甲子園でベスト8入りを果たした大社高校野球部の石飛文太監督が5月30日、島根県出雲市でチームの作り方などについて講演しました。

石飛文太 監督「仲間を大切にして、絆の強いチームワークで主体性をもって、執念でやり通す。こういうチームを作っていきたい」

5月30日の講演会は日本救急医学会中国四国地方会の開催に伴う一般市民向けの公開講座として行われました。会場には去年、夏の甲子園でベスト8入りし、大社旋風を巻き起こした大社高校野球部の石飛文太監督の話を聞こうと、約120人が集まりました。

石飛文太 監督「自分がどうしたいか、選手がどうしたいか、チームがどうなりたいかだと思いますので、それをお互い話し合って詰めていったかなと思います」

石飛監督は部員への指導でそれぞれの思いや考えを尊重した上で、部員自身の現在地を教え目的地を定めて、目的地にたどり着く方法を一緒に考え、歩むことを心掛けていると話していました。

石飛文太 監督「新しい指導のカタチとか選手のあり方とか言われるんですけど、僕は意外に大事にしているというか、好きな言葉が執念とか魂とか、根性とか、気合とか。完全に昭和なんですけどこういった言葉が好きです」

また、石飛監督は夏の県大会の12日前に雨のなか、かつて甲子園に出場したOBによるノックを部員たちと共に受けた話なども披露し、集まった人たちは興味深そうに講演に聞き入っていました。

☝富山県内野球界に新しい風  AOIKE高校野球部
https://news.yahoo.co.jp/articles/2aa54a4217e580f1c1ea9ba2877580f1d45c85d8

この春、県内で2校目となる通信制高校の野球部が誕生しました。監督を務めるのはプロ野球で活躍した田畑一也さん56歳。全国から集まった1期生と田畑監督の奮闘を追いました。

この春、旧南砺福光高校の校舎を活用して新たに誕生した通信制・AOIKE高校の野球部。
「おはようございます。」先月1日、トレーニングルームに集まったのは1期生の部員たちです。

田畑一也監督「いよいよね。第1期生のスタートきょうからやります。自分の目標ってあるよね。目標があやふやな人っていうのは一日一日がなかなかいい具合に過ごせないから、その目標をいつも忘れないように、俺はこうなるんだ!じゃあそのためには何をするっていうすぐ近くの目標をしっかりやり抜けるように。」

県内で新たな野球部が誕生するのは7年ぶりです。

田畑一也監督「力入りそうになったらじっとしていいから」

指揮をとるのは田畑一也監督、56歳。高岡第一高校出身でヤクルトや巨人で技巧派右腕として活躍した元プロ野球選手です。先月1日はチーム始動の日でした。1期生として全国から集まった部員は7人。今は公式戦はおろか練習試合すらできない人数ですが、生徒たちはいつか大きな飛躍につながると信じています。

尾上陸選手(福井県出身)「(練習が)厳しいです。甲子園行きたいです。」

橋本琉玖選手(東京都出身)「選手と向き合ってくれる方なので、本当にいい監督だと思っている。」

田畑一也監督「7名しか今実際いないわけですから、今年1年はしっかり準備して2期生が入ってきたときにしっかり試合に挑めるように準備しようと話はしている。」

まだ雪の残る今年2月。南砺福光高校が閉校して使われなくなってから数年が経つ施設はいたるところがボロボロでした。田畑監督は地元の人たちの協力を得ながら選手を受け入れるための準備をしてきました。

田畑一也監督「はぁ本当にしんどい、しんどい言ったら怒られるからやりますよ。カメラ回していたらやめられないじゃん、やり抜く力ですよ。」

1期生のほとんどは県外からやってきました。

藤澤壱稀選手(新潟県出身)「新潟県出身です。」

湯田球斗選手(明徳義塾中学)「自分は高知県の明徳義塾中学校で野球をしていました。最初は明徳義塾高校とこのAOIKEですごく迷ったんですけど、やっぱり新しい挑戦をもう一回したいと思ってAOIKE高校に入学しました。」

現役引退後、巨人やヤクルトで投手コーチなどを歴任し、およそ30年にわたりプロ野球の世界に身を置いてきた田畑監督ですが、高校野球の指導は今回が初めてです。

田畑一也監督「遠くに飛ばす、速い球を投げるっていうのもプロ野球に入るには一番の近道かもしれないが、それから伸び悩む選手もいたので、身体の使い方、柔軟性プラス自分を知る。そういうことをやっていきたい。」

生徒たちは全員が寮生活。午前中は授業午後から野球の練習です。

富山リハビリテーション医療福祉大学校・教員 山下祐輔さん「普段どんなストレッチしてますか?ヒラメ筋どこでしょう?ヒラメ筋はここだね、奥の方。ここが伸びているかどうか体感しながら普段やっているストレッチやってみて。」

青池学園は富山市で調理製菓の専門学校やリハビリテーションなどの学校を運営しています。そのため栄養学や身体の使い方といった専門の講師による特色のある授業が多くあります。

田畑一也監督「きょうから(ベースを)3m下げたからね。24m、この間まで21m。最終的にはちゃんとした塁間で投げなくてはいけないんだけど、まず近いことが出来ないのに遠いことは出来ない。」

今月中旬、グラウンドも完成し本格的な練習がスタート。

田畑一也監督「そのままセカンド行こう。」

選手のポジションもまだ決まっていません。守備練習では全員が同じ場所で練習します。

田畑一也監督「2カ月から3カ月ぐらいは、僕ここやりたいですはあるかもしれないが、どんな可能性があるかわからないから、全部やらせたい。どうやって伸ばしてあげられるかというのが一番。」

湯田球斗選手(明徳義塾中学)「今の試合できない時期が来年の春以降に大切になってくるので。」

田口獅洋選手(岐阜県出身)「野球以外にも夢があって、スポーツ医療の道に進みたいので、そういうのも学びにきた。」

各川旬時選手(富山市出身)「自分的な目標はプロ野球選手になって親とか監督・コーチに恩返ししたい。」

田畑一也監督「順調といいますか、彼たちなりにちょっとずつ成長しているのかなと思う。」

それぞれの思いを胸に集まった1期生の7人。そんな彼らを率いる田畑監督も長い野球人生の中で苦難の連続を経験してきました。

高校卒業後、社会人時代にはケガで一時、野球を離れた時期も。ダイエー入団後も4年間でわずか2勝しかあげられませんでした。しかしその後、ヤクルトの野村監督に見いだされ、1996年には12勝。翌年にはチーム最多の15勝を挙げ、リーグ優勝に大きく貢献。何度もくじけそうになりながらも立ち上がり続けてきました。

田畑一也監督「野村さんが種をまいて、水をやって、花咲かせてって言ってましたけど、間違いなく水やりまでいかない種まきの1年ですよね。」

富山の高校野球に新しい風を吹かせることができるのか?AOIKE高校野球部の挑戦が始まりました。

✌逆転につぐ逆転 創部3年目の県立高が甲子園で巻き起こした旋風
https://news.yahoo.co.jp/articles/c9c08e213dd1384553a5c98bddcea94788a8c505

逆転、逆転、逆転。学校創設わずか3年目の県立校、甲西(滋賀)のスリリングな勝利に、1985年の夏の甲子園は沸いた。
開校にグラウンドの工事が追いつかず、部員が石拾いをしながら練習を重ねたエピソードが、ファンの共感を一層呼んだ。

旋風のきっかけは、県岐阜商との初戦の2回戦にあった。一回表の守りで内野が3失策し、2点を先行されたが、裏の攻撃で3点を挙げて逆転した。隣県の伝統校を相手に最初から攻撃がつながり、手ごたえをつかんだ。二回以降も着実に得点を重ね、7―5で競り勝った。

久留米商(福岡)との3回戦は0―0のまま、延長戦にもつれた。十一回、甲西は1点を先行され、裏の攻撃も2死一、二塁まで追い詰められたが、4番石躍雄成の詰まった打球が二塁手の頭を越え、適時打となって追いついた。さらに一、三塁から二盗を企てた石躍を刺そうとした久留米商捕手の送球が外野へ抜け、三塁走者が生還してサヨナラ勝ちした。

東北(宮城)との準々決勝も劇的な幕切れだった。八回に追いつかれ、九回に1点を勝ち越されたが、その裏に2点を挙げて2試合連続でサヨナラ勝ちした。

東北のエースだった佐々木主浩はのちにプロ入りし、1998年に横浜(現DeNA)のリーグ優勝、日本シリーズ制覇の原動力となって「大魔神」と呼ばれたが、その剛腕に甲西は14安打を浴びせた。右打者の徹底した右打ちは迫力があった。

桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」がいたPL学園(大阪)との準決勝は2―15で敗れ、滋賀県勢初の決勝進出はならなかった。

だが、1979年に比叡山が勝つまで夏の甲子園の白星がなく、強豪ぞろいの近畿で肩身が狭かった滋賀にあって、公立の甲西が見せた快進撃は地元のみならず、全国の野球少年に「やればできる」という勇気を与えた。

⚾shionomisakiさんへ
夏の沖縄大会組み合わせが決まった日に、春の東北大会抽選ですね・・・。

東北は関東に次いで地区レベルが高いと思われるので見ごたえがあると思います(僕は今春の東海3試合&中国4試合観戦しましたが、それなりに楽しめました!)

山形はあまりにも遠すぎるので縁がないですが、おそらく関西よりもかなり気温が低いだろうから、半袖では行けないかも?!

おそらく来週前半に本州全域で梅雨入りするだろうから日程変更は考えられますが、肝心の6・13、6・14に雨に祟られると厄介ですね。。。
今日は絶望視されたマスカットの中国決勝ですが、なんと試合開始3時間遅らせて無事に閉会式を終わらせたと。

三重県大会準決勝も4時間遅れで14時から2試合と発表するも結局中止に追い込まれた経緯もありましたが、、、、、

三重で総合スポーツクラブを設立・・・というのは初耳です!!
あまりスポーツがさかんというイメージはないですが、地方創生事業をされているんですね。

三重4大球場があのような状況だし(伊勢が10億円近くかけて立派になりましたが、松阪は唯一の県営ながらナイター設備がないし、四日市は工事中でどれだけ生まれ変わるか?津は先代に「しょぼいです。来たらガッカリされると思います」ってダメ出しされたので・・・)Jリーグの強豪もなさそうで、陸上競技場の素晴らしい施設も聴かないので。

「三重スリーアローズ」に関しては、紀州Rとケンカ別れして大阪GV引き抜いて新リーグ設立し、剛腕・壁矢社長の資金力に広報は松井 かれん嬢を据えて地元熱もかなり高そうだったので、5年・10年それ以上は地域に根付いた活動を展開するものと覚悟しておりましたが、まさか2年で解散するとは想定外で、、、、、
公式戦開幕戦で初勝利を飾った時はずいぶん盛り上がったようで。 https://www.youtube.com/watch?v=sLWRrNyzi8w

相方の大阪GVの選手の集団賭博問題でケチが着け始め、準備期間中から大活躍していた広報のかれんさんがシーズン初年度終了後に鈴鹿に転職されたのがもう終わりの始まりだったんでしょうね。

四国ILプラスへの加盟に年間1億円貢ぐとか?当時は福岡・長崎遠征もあったので長距離移動の交通費・宿泊費で財政悪化したんでしょうね。
2年目の秋はなぜかしら三田城山(キッピー)のカンドクの試合開催時に壁矢社長以下職員数名が赤福両手に直談判に来てましたが、おそらく手を差し述べてもらえなかったのかなと。

しかし、独立リーグは2代目カンドクがしぶとく活動し続けているし、和歌山・滋賀でもう1回新球団設立して再起を図っているし、分からないものですね。

願わくばもう1回福井に球団作って欲しいですが、、、三国・丹南はなかなか行く機会がないし、おおい・三方・小浜あたりにも球場があったと思いますが、あっち方面にも足を運べないし。

最後に新滋賀球団は今年ホーム6試合組まれているようです。開幕戦は雨で流しましたが、6・21は狙ってます。
あとは8・3彦根にお盆に皇子山ナイター2連戦と9月に守山がありましたね。

できれば6・21と久しぶりに彦根行けたらと。
2025/06/03(火) 22時07分00秒 No.1802 編集 削除
山形高野連が組み合わせ日程発表しました。
6.13準決勝戦、6.14決勝戦で10時開始とのこと。

大会期間中雨天順延で6.14準決勝戦が2試合
組まれるなら今回に限り現地に行ってもいいかと。
1試合だけのため山形行くのももったいないかと。
もし足を運ぶことになれば東京都区内朝6時に
着けるいわゆる前泊をどこにするかやね。

三重での独立リーグは早々に消滅したけど、
三重では総合スポーツクラブを設立してサッカー
中心に運営しています。バスケバレーなどチーム
あります。なので運営者の考えや環境が整えば
「三重スリーアローズ」でなく「ヴィアティン三重」で
独立リーグはできると思いますが。

6.21守山市で独立リーグ試合あるんですね。
6.20から6.22は西京極で関西学生オールスター、
6.21と6.22は豊中ローズでNPBファーム
ウエスタンリーグオリックス対広島戦もあるので
どこに行こうか迷うとこですね。
2025/06/03(火) 21時08分26秒 No.1801 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
📣春の高校野球中国大会 決勝「倉敷商VS創志学園」開始時間変更 天候不良のため【3日・岡山】
https://news.yahoo.co.jp/articles/1838751e000f12383705049170c060af434f55ea

岡山県高等学校野球連盟によりますと、きょう午前11時からマスカットスタジアムで行われる予定の第144回春季中国地区高等学校野球大会・決勝戦「倉敷商業 対 創志学園」の試合について、天候不良の影響のため、午後2時に開始時間を変更するということです。【午前7時44分現在】
2025/06/03(火) 10時59分33秒 No.1800 編集 削除
⚾明日の中国大会岡山県勢組み合わせ(最終日 決勝戦 倉敷マスカットスタジアム)
    11:00~ 倉 敷 商(岡山1位)ー創志 学園(岡山2位)

📝スーパーハズイプレゼンツ6/21(土) 公式戦のイベント情報を公開しました
https://hi-jumps.com/baseball/20250621game/

6/21(土) 守山市民球場にて行われるホーム公式戦(vs石川ミリオンスターズ戦)の イベント情報を公開しました!

✌「提出物、いつも1番」滋賀県高野連も認める先生 生徒にもひと工夫
https://news.yahoo.co.jp/articles/f27f54696698121a0c0508e77c8243a3647f66ad

提出物を出すのがいつも早い――。滋賀県高校野球連盟も認める先生が、県内の高校の硬式野球部にいる。どんな先生なのか。

記者は滋賀の高校野球を担当して3年目。毎年、夏の滋賀大会(県高野連、朝日新聞社主催)を前に、県高野連に加盟する53校にアンケートを行っている。5月、そのアンケートの回答が記者に届き始めて、ある学校の回答が毎年早いことに気がついた。
県高野連に対してもそうなのか。確認すると、担当者は「高野連への提出物や高野連が加盟校に依頼する調査があるが、なんでも早い。いつも1番に提出してくる」と明かした。その学校は、彦根総合高校。提出物は、部長の北村謙知さん(30)が担っている。

「性格です。提出せずに持っているのが嫌なんです」。北村さんはそう言って、苦笑する。だが、記者は、性格だけじゃないはずだ、と思って質問を重ねた。

北村さんは草津高校でプレー。大学卒業後、彦根総合高校の教諭になった。硬式野球部の部長を務めて7、8年。名将の宮崎裕也監督(63)らと生徒を指導する。練習試合の予定を組んだり、生徒を病院に連れて行ったり、練習ではノックを打ったり――と、部長はとにかく忙しい。「何か起きても対応できるように、先を見越して、提出物などはできるときにすぐにやるようにしています」
チームは2023年春に甲子園に初出場した。出場に際しては、多くの書類を提出しないといけなかった。「ギリギリに提出したり遅れたりしたら甲子園で迷惑をかけるから、余計に早く提出しました」と振り返る。

県高野連の理事を務めた経験もある。だから、提出物が遅れたら、受け取る側に迷惑がかかることも知っている。そしてなにより、がんばっている生徒たちに迷惑をかけてしまう。それが一番いけない――。提出物を出すのが早い裏側には、いろんな思いがある。

「提出物は早く出すように」。生徒たちにもそう言っている。提出物を早く出せば、気持ちに余裕ができて、いいアイデアが生まれる、と考えているからだ。そのために生徒を「120%」サポートする。担任を務める2年生の教室には、自作の提出物確認表を掲示。提出したものには生徒がシールを貼って「見える化」している。
このクラスの生徒で野球部員の北山駿さん(2年)は「提出物確認表を作ってくれた先生は初めてで、自分たちのために尽くしてくれる。心も熱いから、ついて行きたいって思えます」と話す。
先生たちの信頼も厚い。学年主任の山本浩之さん(36)は「提出物は(7クラスある)学年の中でも早い。先を考えて仕事をしているし、生徒のために目に見える形で工夫もしています」と語る。

「生徒のためであり、自分のためでもあります。指導者ですが、親の感覚で生徒に関わっています」と北村さんはいう。野球部の生徒が、スポーツ推薦を受ける大学に書類を提出するときには、郵便局まで付き添って見届けてきたという。

「周りを常に見て、目を走らせて、チームを運営するのが部長」という県高野連の先生に言われた言葉を肝に銘じている。部長は大変な仕事だが「生徒ががんばってくれるのが一番うれしい」。甲子園でプレーする生徒たちを再び見るが、北村さんの願いだ。

📝打者は全員スイッチヒッター、8年前からノーサイン野球…でも「21世紀枠の推薦校」に? 秋大会で大阪ベスト16進出「ナゾの公立高」の秘密を追う
https://news.yahoo.co.jp/articles/39ceeb307b87183b4850e1af249dfc6e4feb426c?page=1

高校野球の強豪校がひしめく激戦区・大阪。大阪桐蔭、履正社といった強豪私学が幅を利かせる一方で、健闘を見せる公立校もいくつもある。そのひとつ、大阪府立佐野高校は世にも珍しい「打者全員が両打ち」という驚きの戦法で、3年前の秋季府大会ベスト16という実績を残した。他にも監督がサインを出さない「ノーサイン野球」など変わったスタイルの同校。果たしてその秘密はどこにあるのだろうか。

「秋季大会の登録メンバー表をみたら、選手全員が左右両打になっていて、驚きました」大阪のある高校監督がこう言って笑った。

メンバー全員両打ち…その狙いは?
 
漫画の世界の話ではない。大阪府立佐野高校の選手はみんなスイッチヒッターなのだ。2016年ごろから始めたと藤井朋樹元監督が振り返る。

「ただ、うちの生徒はプロで活躍された松井稼頭央選手や西岡剛選手のようなスイッチヒッターではありません」

ヒットはもちろん、長打を打てるバッターは「1人だけ」だという。

「目的は相手ピッチャーをどう崩すか、ということ。ピッチャーの球筋を見て、より攻略することの工夫をする。打つということに重きを置いてない。ランナーと協力して成り立つスイッチヒッターです」

各々の努力としては右と左の打席で球筋は違って見えるが、イメージを一致させることだ。プラス捕手の位置からのイメージも加わったらなお、ボールとバットのコンタクトのチャンスは広がる。

「3つの映像のイメージを立体的に一致させてね、と。となると打席を入れ替えて3球ぐらい振ってみようかなとなるんです。最初は当たらないんですが、だんだん、打てるようになって、反対打席に入るのも苦にならない。ツーストライクまで粘るとか、ワンストライクで右左を変えるとか、考えだす」

自分なりのスイッチヒッターの形ができて試合でもトライする。ゲームを見ていて面白いのが、1球目とその後の打席を各自によって変える選手が複数いることだった。藤井さんは何の指示もしていない。

「相手ピッチャー、バッテリーが戸惑ってくれれば、それでいい」

佐野高のある日のミーティングを拝見した。視聴覚室での座学だった。プロジェクターに映し出されていたのはユーチューブの映像で、センバツの沖縄のエナジックスポーツ高校の試合だった。

「このランナーとバッター、変化球がくるのをイメージしてアイコンタクトでエンドランをかけているよね」藤井さんが映像を止めながら問いかけたり、解説を加える。

エナジックスポーツはノーサイン野球でセンバツ1勝を挙げて注目された。そう、佐野高もノーサイン野球をモットーにする。発端はエナジックスポーツより遡ること数年、「2017年ぐらいからノーサイン野球をやっています」と藤井さんは胸を張った。

ノーサイン野球…そのきっかけは?
 
高知大学時代、神宮の全国大会をかけた地域大会で東亜大学と対戦することがあった。そこの中野泰造元監督がノーサイン野球で日本一になっていて興味を持ったのが始まりだ。
教員になって佐野高に赴任、ある時の練習試合で、スクイズのサインを出したがバッターがサインを見落とし、空振りしてしまう。

「サイン、わかってもらってないじゃんって。サインを出すのは指導者のエゴじゃないか。もう、出すのをやめようと」

ランナーは自由にいつ走ってもいい、バッターはいつ打ってもいいよと思うようになったのは25歳から28歳の第1期佐野高の監督時代からだ。異動した八尾翠翔高では前監督を引きついでサインを出したが、5年後、佐野に帰ってきて、また原点に返ろうと決意する。

「サインを出すと子供たちの能力が下がっちゃうのではという思いもあった。自然発生的にノーサインにして100回大会あたりから本格的に取り組みました」

府立佐野高校は大阪府の南部、泉州地域の泉佐野市にある創立120周年を超える伝統校だ。南海本線泉佐野駅から徒歩で15分ほど。正門の石碑とモダンレトロな校舎に趣がある。

現在は3年生7クラス、2年と1年が6クラスずつで全校生徒900人弱が通う。普通科と国際文化科があるが、他の府立にもれず、今年度は国際文化で定員数割れがあった。大阪府全域から通えるが堺より北から通う生徒は数えるほどで地元感が色濃い。

「広島生まれ」藤井元監督の原点
 
藤井さんは広島の生まれだ。高校は公立に合格したが辞退して広島電機大附属高校(現広島国際学院)に入学した。進学校を辞退しての私立選択で、周囲を騒がせた生徒だったようだ。高校野球部では下関国際の坂原秀尚監督の3年違いの後輩にあたり広島商、広陵を倒したくて高校を選んだという。3年春には県3位にもなった。

広島大に行きたかったが学力が足りず高知大に。高校野球の監督をやりたくて採用試験に受かったのが大阪府だった。その頃は教員の採用がどの都道府県も極端に少なかった時代で、広島は200分の1でやむなく20人の採用があった大阪を受験すると、見事に合格する。

「大学も就職も第1志望はかなってない。生きていけるところを探すという、はいつくばって、しがみついて生きてきた」そういって、本人は謙遜する。

佐野高校に赴任したのが2004年。大阪はまったく、未知の土地だった。赴任直前の3月末に校長からの電話で「佐野高校はどこにあるんですか」と聞いたほどだ。
当時の野球部は卒業したOB大学生が監督をしていた。そこに熱意のある若造が来たのでやらしてみようと藤井さんが新チームから監督に収まる。25歳だった。

                      <次回へつづく>

📝「教えすぎると、子供たちが迷うんで…」打者は全員両打ち&ノーサイン野球で“大阪府大会ベスト16”進出…ナゾの府立高を育てた監督の正体は?
https://number.bunshun.jp/articles/-/865902?utm_source=news.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&utm_campaign=relatedLink

2004年に大阪府立佐野高校に赴任した藤井朋樹さん。赴任当初、部員は1、2年生で22人。バックネットもなく、ベースも固定されていなかった。雨が降ったら4日ぐらい水が浮いていた。まずは環境整備から始まった。

「夏休みに朝6時に集合して、グラウンドのはじからふるいにかけて小石を拾った。あと2時間がんばれとかいって……常軌を逸していますよね」

ボールは10球しかなかったという。ノックをして戻ってくるとボールは擦り切れていた。テープを巻いたり、縫って使った。

私立野球部出身の藤井さんにとって、長時間練習は当たり前。
「夜間照明がなかったので、他の部が帰ってから21時まで体育館で練習しました。自分は帰宅してもすることがないので、子供たちと長い時間おるほうがいいなと。今から思えばとんでもないですね」

設備は不良、勧誘もなし…いかにして強豪に?

もちろん公立なので中学生の勧誘などできない。中学部活卒の普通の高校生は“量こそ正義”についてきてくれた。その成果が出たのが2007年夏だった。優勝候補の一角と言われた浪商に1回戦で勝つのだ。その年以降、3年連続でベスト32まで進出した。そして定期異動で2008年4月に八尾翠翔に移り、6年後の14年にまた佐野に戻ってきた。

原点に返ったナチュラルノーサインベースボールが年々、進化して2022年の秋、快進撃を見せる。2勝して府立の難敵汎愛にも勝ってベスト16に進んだ。5回戦は私学の強豪に敗れたが、21世紀枠の大阪府推薦校に選ばれた。センバツ出場はならなかったが、府立高のノーサイン野球の存在が近隣で知られるようになった。

いつでも「スイッチ」するわけではない
 
今シーズンに入って、ある日の練習試合を観戦した。藤井さんはベンチの最後列から直立腕組みをして戦況を見つめる。攻撃回で選手を集める。

「相手ピッチャーはストライク率が高いから最初からスイングしていこう、空振りでもいいから。お、振ってくるやんって意識するから。そこで何が起こるかやで」
「ランナー2人でダブルスチールやって、動かれる恐怖を相手にさせなきゃいけんよ。アクションすることを、勇気をもってできるかやぞ。ランナーが助けてくれる、バッターが助けてくれることをアイコンタクトしてな」

言葉の指示は普段の練習内容をグラウンドでどれだけ出せるか、ということへの叱咤だ。この日は打席をスイッチしない選手が多かった。

「今日は揺さぶっても効果がない、レベルの高いピッチャーでした。勝ちにつながらないなら、スイッチは選択しないという子供らの判断でしょう」

身長165センチのエースの右田は最速125キロほど。それでも緩急を使って強豪校と渡り合える術を持っている、と藤井さんは言う。

「春季大会の4回戦で大阪桐蔭と当たるんです。向こうはなんで金光大阪を抑えたんやろ(2024年の秋季大会で勝利)と思っている。そこの相手の心の隙に入って行って、さらに惑わせられれば(※春季大会は3回戦敗退で、大阪桐蔭との対戦は実現せず)」

力づくではない。柔よく剛を制す。意表を突く大技小技や目に見えない心理戦で揺さぶる。サインに従った方が選手は楽なはずだ。ただ、それでは指示待ち人間で終わりかねない。ノーサイン野球は選手自身が頭を使う。瞬間的な判断が必要な場合もある。端から見ると高度な野球に見える。

「毎日、訓練しているんでそうでもないんです。こいつはバントをする確率が高いとか各々の傾向も彼らの頭には入っている。根本は相手が嫌がることを軸に展開するんで、意外にシンプルなんですよ。教えられるのは7割ぐらいじゃないですか。子供たちが迷うんでね、教えすぎると。こういうタイプのピッチャーの場合はこのカウントで動く、という嗅覚が働きだすと及第点に近づく」

藤井さんは「反応してね」という言葉を大きな声で再三、投げかけた。藤井さんは監督をしているがそれは手段であって、監督をしたいわけではないという。

「みんなと勝ちたいだけです。生徒と保護者と、彼らの関わってきた中学の関係者やみんなと」

サインを出す、出さないも重要ではない、と気づいたという。

チームには「まったくの野球初心者」も

21世紀枠の推薦校に選ばれた翌々年、今の2年生は大量17人が入ったが、まったくの野球初心者が3人いる。最初はボールを捕れなくて、「顔に当たるんちゃうか」と思ったという。打席では空振りしてバットをキャッチャーに放り投げたこともあった。それがなんとか練習試合で、代打なら出られるようになってきた。

「彼らを戦力にして行くのがむちゃくちゃ面白くて。高校野球のそういうところが好きなんです」

自分で考えて導き出した答えを周りとの共同作業で積み上げていく。大学でも社会に出ても、自立して行動する、ということに役立つだろう。

「そう思っていますが彼ら次第。目の前の状況を見て、問われていることとか、必要なことを判断して決める。ランナーと協力する、次の打者にフォローをしてもらう。野球はそれがいいじゃんって、いってやっています」

新チームをスタートするときに「ノーサイン野球をやるんか?」と最初に尋ねる。選手の答えはもちろん一択だ。ノーサイン野球をやりたくて佐野高に来ている。

この春からは…地元・広島の高校へ

ところが、藤井さんはこの4月から広島に帰ることになった。採用試験を受けなおし県立高校の教諭に着任し、将来は広島から甲子園を目指す新しい夢を追いかけることになったのだ。新学期から部長として部を率いているのが、これまで藤井さんを支えてきた29歳の名郷根亮教諭だ。監督は新チームになるまでおかない予定だそうだ。

「彼らは監督がいなくても部を運営していける能力が備わっています。その唯一無二の野球を引き継いで磨いていきます。夏に一つでも多く勝ちたい」名郷根部長は藤井さんにいい報告をしたい、という。

藤井さんは佐野高最後の練習試合での円陣でこう言った。「自分が自分がということよりチームのために、というのを軸にやってください。みんなはできる力があるので。助けてくれる仲間がおるから。マネジャーも部長も保護者もOBも、チームでやっていけば大丈夫だから。頑張って、わかった?(よし、と選手の返事)一緒に野球をやってくれて、佐野高を選んでくれてありがとうございました。応援しています」

涙もなく、爽やかだった。

⚾岩手さんへ
岡山に出かけている間に6月になってしまいましたね・・・・・。なかなか月またぎで他県に宿泊する機会がなかったもんで、、、、、
まだ近畿は梅雨入りしてませんが、振り返ると雨に振り回された5月でしたね。

それが功を奏して、4年ぶりに南港で野球観戦する機会にも恵まれましたが、17日に守山で2代目滋賀球団の独立リーグの試合流されたり、紀三井寺ナイター故障で17時からの薄暮ナイターが12時に繰り上がり観戦見送り↓↓
さらには先週、屋根のない津で6回から雨が降りだし傘を差しながらのスコア付けは厳しかった。球場入りした時点で第2試合中止が早くも発表されていたし、そういう時に限って3時間ゲームの付き合いと。

ただ、三重は観光を兼ねて2泊3日に設定して1日中止でも元は取れる計算をしていたし、逆に岡山が雨天中止に追い込まれたら延泊せなアカンかったし、土曜日は福山(広島)日曜日は備中高梁を観光すべく行程表作ってましたが、杞憂に終わって良かった!

東海大会は中京こそブラスバンドに学ラン女子まで来てましたが、太鼓1つの応援や保護者が見てるだけのアルプスで岩手さんにとっては大リーグのような静かに野球に集中できる好みの環境だったかなと。
倉敷市営では創志学園・岡山東商が夏の大会ばりに大応援団を率いてましたね!!特に創志なんて岡山や中国だったら天理よろしくめったにブラスバンドなんて来ないはずが、、、、、長澤監督が故郷の篠山に帰り、三顧の礼で門馬監督を相模から引き抜いてきたので応援で相手を圧倒してきましたね。

マスカットでは見かけなかったですが、倉敷市営では僕が思うところのアルプススタンド奇抜な応援団・西の横綱である『創志学園のチアボーイ』4名もチアガールの後方でオレンジのポンポン振ってノリノリのダンスを披露してました!!
調べてみたら『チアボーイ』は今に始まったことではなく、コロナ前から存在していたようですね。2018年ダンス部の動画に両端2名男の子がいます。
https://www.youtube.com/watch?v=nuTs56h1_Vo

もともとベル女子高が共学に変わったので・・・・・。しかし、今でもチアボーイはなかなか受け入れられず、岡山城近くのヤドでほとんど寝付けなかったですね・・・・・(笑)。
あとは沖縄県民でもいるのか?指笛がたまに響いておりました。

そして、京都共栄は福知山にあるらしいですが、最近は成美に変わって台頭してきましたね。春日丘の神前監督そして西脇工の木谷監督と甲子園出場監督を引っ張てきますね!
帽子とストッキングが赤でグレーのユニホームとずいぶん派手な印象ですが、近畿大会初出場しましたね。
結局、奈良大付にコールド負けでした。3年前の春も西城陽がひょっこり出てきましたが、和智弁に5回コールド負けでそれ以来大舞台には出てきていないし、春ブレークして夏も勝つのは難しいですね。

⚾shionomisakiさんへ
遅まきながら軟式の近畿大会組み合わせ決まりましたね。和歌山が6/1決勝だったのでそれを待っての発表だったと思われます。
去年は春が堺で秋は甲賀&今津でしたが、今年はウインク姫路固定ですね。

僕はこの時期ヒマになるのでここ数年1度くらいは春の軟式に顔を出しております。特に思い入れのあるチームもないし、まだ梅雨入り前の今週末できたら大会初日に姫路駅でレンタサイクル借りて観光がてら行こうかと。
一昨日・昨日と姫路を通過し、昨夜は姫路で途中下車してマクドナルドで夕食取ってから帰宅だったので今年はずいぶん姫路駅に縁がありますが・・・。

三重では初日の雨で予定が狂い、3時間ゲーム見た後に意味もなく駅と逆方向の「津なぎさまち港」まで歩き、道中三重スリーアローズ球団事務所ビルを通り過ぎました。今では英会話教室学校に模様替えしているようですが、駅から結構距離があるし、20~21歳当時のかれんさんが毎日遠路はるばる名張から津まで出勤されていたのはご苦労様でしたと。

それでも軌道修正して、1試合捨ててまで養老鉄道の旅にこだわり、岐阜モーニング(モーニングで茶わん蒸し食べたのは記憶がない!)を堪能し、大垣城や多度大社を散策でき、名張の湯・外宮も行けたし近鉄週末フリーきっぷの元は取れたかと。

岡山では普段は歩かない岡山駅&倉敷駅周辺を散策でき、倉敷市営球場から逆方向に歩きコメダ経由で西阿知駅へ行き新倉敷駅から徒歩10分の満天の湯に2年前の秋できなかった湯治を達成しました。

しかし、三重ではまさかの雨での日程変更で岡山では『創志学園のチアボーイ』を見てしまったので、ヤドでうなされ???通算3日間ほとんど寝れなかったですね(笑)
以前、チアボーイの話題をした折にはshionomisakiさんは寛大な目で見ておられるようなコメントをされ感心したのを覚えております。

今年は『僕が思うところのアルプススタンド奇抜な応援団』東西両横綱(群馬のご当地アイドル!? ・ 創志学園のチアボーイ)を球場で遭遇したことになりました。基本的に試合中はスコアつけているのでなかなかアルプススタンドには目が届かないですが、第3の横綱を発掘できたら当掲示板で紹介します。
2025/06/02(月) 22時14分16秒 No.1799 編集 削除
6.14(雨天順延なら6.15)で足を運ぶか検討します。

三重と岡山遠征お疲れ様でした。
2025/06/02(月) 21時45分58秒 No.1798 編集 削除
 五月中全ての野球観戦お疲れ様です。

中には、目次を繰り上げたり多少諦めたりあったと私は理解しましたが、天候変化もありも含めて旅の醍醐味なんでしょうかね。
 
4月のいつか忘れましたが、産経新聞の記事に京都共栄学園生徒さんの通学に難儀する事でした。
 北部地域から通学者が路線バスかローカル線の通学時間帯の減便だったか取り止めで、今後の減少傾向にある生徒が更に困難の一因になるじゃないか学校関係者の記事でした。
 近畿大会に出ていた高校と同じかは分かりませが、間違えたらお許し下さい。
 忘れました。5月も終わって6月になってしまいました!
2025/06/02(月) 5時10分38秒 No.1797 編集 削除
宏鈴法師(管理人) MAIL URL

お知らせ

編集済
⚾昨日の近畿大会試合結果(3日目 準決勝 さとやくスタジアム)
3日目第1試合 智弁和歌山(和歌山)-滋賀学園(滋賀) 10:00~11:28
          一二三四五六七八九十計HE
      滋賀学園0000001   150
      和 智 弁0001412x   8121

3日目第2試合 奈良大付(奈良②)-東洋大姫路(兵庫) 12:29~14:19
          一二三四五六七八九十計HE
      奈良大付000000000 031
      東洋姫路00100000X 141

⚾昨日の中国大会岡山県勢試合結果(初日 1回戦)
倉敷MS・・・矢  上8-3玉野光南・倉 敷 商5-4鳥取城北
倉敷市営・・・創志学園5ー3南 陽 工・岡山東商6-5英数学館

⚾今日の近畿大会試合結果(最終日 決勝戦 さとやくスタジアム)
最終日決勝戦 智弁和歌山(和歌山)-東洋大姫路(兵庫) 12:00~14:06
          一二三四五六七八九十計HE
      和 智 弁000000000 090
      東洋姫路00100000X 140

東洋大姫路は37年ぶり4度目の優勝🏆
 
⚾今日の中国大会岡山県勢試合結果(2日目 準決勝 倉敷マスカットスタジアム)
倉 敷 商11-0矢  上(6回)・創志学園2-1岡山東商(10回タイブレーク)

📝僕のタイブレーク球場観戦歴
① 15年 4月25日 佐藤薬品S  畝 傍 9-3奈良 大付(13回) 先攻勝利
② 15年 5月31日 倉敷 MS 創志 学園4-2松 江 商(13回) 先攻勝利
③ 18年 8月 6日 甲 子 園 佐久 長聖5-4旭 川 大(14回) 先攻勝利
④ 18年 8月12日 甲 子 園  済 美 13‐11 星 稜 (13回) 後攻勝利
⑤ 18年10月 3日 福井 県営  近 江 13‐12日 大 三(10回) 後攻勝利 (国体)
⑥ 18年10月13日 明石 トーカロ 報徳 学園3-2  社  (13回) 先攻勝利
⑦ 19年 5月 6日 皇 子 山 彦 根 東8-7 綾 羽 (13回) 後攻勝利
⑧ 19年10月26日 コカコーラ  矢 上 6-3 盈 進 (13回) 先攻勝利
⑨ 21年 7月23日 紀三 井寺 智弁和歌山3-2初芝 橋本(13回) 後攻勝利
⑩ 22年 3月20日 甲 子 園  近 江 6-2長崎 日大(13回) 先攻勝利
⑪ 22年 3月25日 甲 子 園 金光 大阪4-3木更津総合(13回) 後攻勝利
⑫ 22年 4月 9日 シティ 信金S 奈良学園大4-2神 戸 大(10回) 先攻勝利 (大学)
⑬ 22年10月 2日 ウイ ンク   社  4-2 育 英 (13回) 先攻勝利
⑭ 22年10月15日 倉敷 MS 周南公立大3-1環太平洋大(10回) 先攻勝利 (大学)
⑮ 22年10月15日 倉敷 MS 東 亜 大2-1吉備国際大(10回) 後攻勝利 (大学)
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⑯ 23年 3月28日 甲 子 園 報徳 学園5-4 東 邦 (10回) 後攻勝利
⑰ 23年 3月29日 甲 子 園 報徳 学園5-4仙台 育英(10回) 後攻勝利
⑱ 23年 4月16日 ダイムS伊勢 皇 學 館4ー3昴 学 園(10回) 後攻勝利
⑲ 23年 5月 1日 HMF神戸 関西国際大5-2天 理 大(10回) 先攻勝利 (大学)
⑳ 23年 5月13日 わかさ京都 京都 国際2-1龍谷大平安(10回) 後攻勝利
㉑ 23年 7月17日  浜 山  出 雲 工9-8 安 来 (10回) 後攻勝利
㉒ 23年 7月28日 紀三 井寺 市和 歌山5-4和歌 山北(11回) 後攻勝利
㉓ 23年 8月 6日 甲 子 園 土浦 日大8-3上 田 西(10回) 先攻勝利
㉔ 23年 8月13日 甲 子 園  山 陽 4-3大垣 日大(10回) 後攻勝利
㉕ 23年 8月16日 甲 子 園  慶 応 6-3 広 陵 (10回) 先攻勝利
㉖ 23年 8月26日 紀三 井寺  那 賀 6-2 桐 蔭 (10回) 先攻勝利
㉗ 23年 9月10日 G7スタジアム  彩星 工科4-3篠山 鳳鳴(10回) 後攻勝利
㉘ 23年10月15日 福井フェニックス 敦賀 気比11-5帝京 長岡(10回) 先攻勝利
㉙ 23年10月22日 シティ信金 京都 国際3-2 田 辺 (10回) 後攻勝利
㉚ 23年10月22日 シティ信金 京都外大西7-5彦根 総合(10回) 先攻勝利
㉛ 24年 3月18日 甲 子 園 八学 光星5-3関 東 一(11回) 先攻勝利
㉜ 24年 3月18日 甲 子 園 熊本 国府2-1 近 江 (10回) 後攻勝利
㉝ 24年 3月22日 甲 子 園 報徳 学園3-2愛工大名電(10回) 後攻勝利
㉞ 24年 3月27日 甲 子 園 青森 山田6-5 広 陵 (10回) 後攻勝利
㉟ 24年 4月27日 紀三 井寺 市和 歌山6-3 田 辺 (10回) 先攻勝利
㊱ 24年 4月29日 ウイ ンク 須磨 翔風5-3神戸学院付(11回) 先攻勝利
㊲ 24年 5月 3日 HMF神戸 大阪体育大6-5甲 南 大(10回) 先攻勝利(大学)
㊳ 24年 5月 6日 マイネット皇子山 八 幡 商3-2比 叡 山(10回) 先攻勝利
㊴ 24年 5月19日 長 良 川  菰 野 6-5県岐 阜商(10回) 先攻勝利
㊵ 24年 7月22日 紀三 井寺  田 辺 9-8新宮/新翔(10回) 後攻勝利
㊶ 24年 8月 7日 甲 子 園 智弁 学園9-6岐阜 城北(11回) 先攻勝利
㊷ 24年 8月17日 甲 子 園  大 社 3-2早稲 田実(11回) 後攻勝利
㊸ 24年 9月 8日  高 砂  神 戸 一6-5 滝 川 (11回) 先攻勝利
㊹ 24年 9月28日 明石 トーカロ 東洋大姫路10-4神戸国際付(10回) 先攻勝利
㊺ 24年10月27日  浜 山  米子 松蔭4-3 盈 進 (11回) 後攻勝利
㊻ 24年11月 9日 甲賀 市民  河 南 3ー2 天 理 (11回) 後攻勝利(軟式)
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㊼ 25年 3月18日 甲 子 園 健大 高崎3-1明徳 義塾(10回) 先攻勝利
㊽ 25年 3月26日 甲 子 園 浦 和 実12-4聖光 学院(10回) 先攻勝利
㊾ 25年 4月26日 岡山 県営 福 山 大7-4川崎医療大(10回) 後攻勝利(大学)
㊿ 25年 4月27日 ウイ ンク 明 石 商5-4神戸学院付(10回) 先攻勝利
51 25年 5月11日 GOSANDO 履 正 社4-2関大 北陽(11回) 先攻勝利
52 25年 6月 1日 倉敷 MS 創志 学園2-1岡山 東商(10回) 先攻勝利

📝令和7年度 春季近畿地区高等学校軟式野球大会組み合わせ
https://ohbl-rubber.com/

やはり予想通り10時から2試合(決勝も10時開始)とのこと。今の予報通り天気が良ければ6/7(土)に姫路駅から初めてレンタサイクル借りてウインク球場観戦予定です!

☝倉敷商、創志学園、岡山東商、準決勝に進出 春季中国高校野球
https://news.yahoo.co.jp/articles/f1e0b3d767d63cc7cc858fb4a69266f0147e686a

第144回春季中国地区高校野球大会が5月31日、岡山県倉敷市内の2球場で開幕した。1回戦4試合があり、矢上(島根)と倉敷商、創志学園、岡山東商(いずれも岡山)が準決勝進出を決めた。矢上は序盤から着実に加点し、玉野光南(岡山)を下した。倉敷商は鳥取城北との接戦を制した。創志学園は終盤に主軸の2点本塁打で南陽工(山口)に勝利。岡山東商はエースが追いすがる英数学館(広島)を抑えて完投勝利した。準決勝は1日、倉敷マスカットスタジアムで矢上―倉敷商、創志学園―岡山東商の対戦カードで行われる。

              ◇

創志学園の3番大谷海心(3年)が決勝打となる2点本塁打を含む2安打4打点の活躍を見せた。

3―3の八回表。1死二塁で打順が回ってきた。南陽工の投手は昨夏、甲子園を経験した阿部和希(3年)。「追い込まれる前に甘い球を狙おう」。1ボール1ストライクからの変化球を振り抜くと、打球は左翼スタンドに吸い込まれた。高校通算3本目、公式戦では初の本塁打だった。

三回にも右翼へ先制となる2点三塁打を放ち、主軸としての役割を果たした。それでも門馬敬治監督は「結果的に打ってくれたが、もっと自分を表現して欲しい」と注文。大谷は「県大会決勝では(1―17という)恥ずかしい負け方をした。夏に勝ちきるため、この大会も勝ち進みたい」と力強く語った。

💢アウトカウント誤り、勝ち越し機ふいに 英数学館エース、八回に変調
https://news.yahoo.co.jp/articles/91dd48f1e6875cf2184b898cc721ed0a70d0e1de

(5月31日、春季中国地区高校野球大会1回戦 岡山東商6―5英数学館)

試合終了のサイレンが鳴り響くと、涙が止まらなかった。
春の広島県大会で5試合を全て完投し、初優勝に貢献した英数学館のエース・藤本勇太投手(3年)。この日はベンチスタートで、三回途中からマウンドに上がった。
岡山東商に2点を先制され、なおも1死一、三塁のピンチ。打席には4番打者。適時打を許して2点を追加されたが、後続を三振と右飛に仕留め、切り抜けた。

英数学館に進学した理由の一つは、黒田元監督からもらった手紙だ。「勇太と野球がしたい」「(藤本投手の)いいところが出せる」。2枚にわたる文章に「ここでやったら成長できる」と心動かされた。入部当初は128キロだった球速は147キロに。夢を聞かれると、「プロにいくこと」と迷わず答えている。

四回以降、七回までは二塁を踏ませぬ安定した投球を見せた。だが、八回に暗転。制球が定まらず、相手中軸に3連続二塁打を浴び、2点を許した。
直前の七回裏の攻撃で、アウトカウントを間違え、左直で三塁を飛び出して併殺にされた。同点に追いつき、さらに1死二、三塁で勝ち越しを狙う場面だったが、自分のミスでふいにしてしまった。

試合後、黒田監督は藤本投手に「夏に向けて伸びしろが見えたね」と声を掛けた。藤本投手は「ミスを引きずってしまった。チームに流れをもってこられるよう、試合展開を考えながら投げたい」と、新たな課題を持ち帰った。

👣昨夏甲子園の土を踏んだ鳥取城北の谷口選手 「今年ももちろん行く」
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(第144回春季中国地区高校野球大会1回戦 倉敷商5―4鳥取城北)

3点を追う七回裏。鳥取城北の谷口翔莉選手(3年)に2死満塁で打順が回ってきた。後ろには中軸打者が控えている。「つなげば何とかしてくれる」。狙っていた直球を左翼前にはじき返した。走者2人がかえり1点差。球場の雰囲気は一変した。

この日は3安打の活躍をみせたが、勝利には届かなかった。試合後、「バットのヘッドが相手の球に押されていた。内容はよくなかった」と反省を口にした。

昨夏の甲子園では2年生ながら1番打者として、初戦の明徳義塾(高知)戦に先発出場。アルプス席を埋めた大勢の観客に感動した。「野球をやっていて、こんなに楽しい場所はない」と思った。「今年ももちろん行きます」。今夏の目標はすでに決まっている。

☝智弁和歌山1年生左腕・井本陽太が公式戦初登板4回無失点「すごく緊張」タイガースジュニア経験
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<高校野球春季近畿大会:智弁和歌山8-1滋賀学園>◇31日◇準決勝◇さとやくスタジアム
 
智弁和歌山はタイガースジュニアも経験した1年生左腕の井本陽太投手が好投。3季連続となる近畿大会決勝へと導いた。

公式戦初登板での先発マウンドは前日30日に伝えられた。「昨日先発いけるかと言われて、いけますと言った瞬間からずっと緊張していました。緊張はすごくあった」。和歌山大会では野手としての出場はあったが、マウンドに上がるのは公式戦で初めてだった。それでも緊張感を見せずに快投した。

初回を3者凡退で立ち上がると、3回1死から初安打となる二塁打を浴びたが後続を断った。4回も0点で抑えると、役割を終えた。「カーブが良かったので、それを意識させてからストレートでいったのでバッターが遅れていた」と手応え。12個中7個のアウトがフライアウトと直球でも差し込んだ。持ち味の制球力も発揮して4回2安打無失点と好投で応えた。

小学生のときにはタイガースジュニアに選出。当時の背番号56は理想の投手にあげるアニメ「MAJOR」の主人公、茂野吾郎がつけていた番号から選んだ。中学時代はジャイアンツカップで全国準優勝。現在の最速は132キロだが、「もっと球速を伸ばしていきたい」と掲げる。

中谷仁監督(46)も「いい状態だったのでやってくれるとワクワクしていた。落ち着いて投げられていた。うちは右の上投げばかりなので、それを外せるやつが出てきたかな」と収穫も口にした。

1年生左腕が近畿大会でのデビューマウンドでインパクトを残した。チームも7回コールド勝ちで3季連続の近畿大会決勝進出。今春センバツ準優勝校が強さを見せた。

👣味方の好守連発に笑顔「心の余裕を持てた」 奈良大付・上橋れい投手
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(31日、春季近畿地区高校野球大会準決勝、奈良大付0―1東洋大姫路)

奈良大付は強豪相手に惜敗したが、2番手で登板した背番号11の上橋れい投手(3年)が守備陣に鼓舞され、好投した。
立ち上がりが苦手で、先発ではなく中継ぎ登板が多い。グラウンド整備後の六回表、守備陣を向いて一礼した。「後半の立ち上がり。みんなに守ってもらいたかった」

この回、寺島遥一塁手(3年)と富田一輝中堅手(3年)がゴロやフライに飛びつき、七回には豆越陽人遊撃手(3年)が難しいバウンドを好捕。味方の好守連発に、思わず笑みがこぼれた。「心の余裕を持つことができた」。見逃し三振でこの回を締めくくった。

冬場に足腰を鍛え、球速が5キロほど伸びた。制球力もつき、得意のスライダーなど四つの変化球が生きるようになった。
先発が多い杉山竜之輔投手(3年)や新城楓雅投手(2年)と「3枚看板と言われるようになりたい」。夏への成長を誓った。

👣昨秋下した相手にコールド負け 矢上の花田選手「いい経験できた」
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(1日、第144回春季中国地区高校野球大会準決勝 倉敷商11―0矢上)

両チーム無得点で迎えた三回裏。矢上は1死一、三塁の先制の好機にスクイズを狙うも、三塁走者が本塁でタッチアウト。なお2死一、二塁で右打席に入ったのは4番の花田峻坪選手(3年)。前日の1回戦では無安打に終わり、「今日こそは」と気合は十分だった。

相手投手は130キロ台の切れのある直球を投げ込んでくる本格派。ファウルでくらいつき7球目。高めのチェンジアップを右方向にはじき返した。
打球は一塁手の頭上へ。速いライナーだったが、飛びついた一塁手の好守に阻まれた。「自分が打って返すつもりだったが、振り切ることができなかった」と悔やんだ。

昨秋の中国大会準々決勝で下した相手に6回コールド負け。この日は捕手としても「(味方投手の)持ち味をいかせなかった」と、相手打線にたびたび連打を許した。それでも試合後は「この大会でいい経験ができた。夏に生かしたい」と前を向いた。課題を克服し、今夏の島根大会に臨む。

✌東洋大姫路が37年ぶり春の近畿王者 9安打完封の木下鷹大を岡田龍生監督「実質、エース」と絶賛
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◆春季近畿地区大会▽決勝 東洋大姫路1―0智弁和歌山(1日・さとやくスタジアム)

 決勝が行われ、昨秋王者の東洋大姫路(兵庫)が、今春センバツ準優勝の智弁和歌山との熱戦を制し、春は37年ぶり4度目の優勝を果たした。最速147キロ右腕・木下鷹大(ようた、3年)が9安打完封。大阪桐蔭が根尾(中日)、藤原(ロッテ)ら「最強世代」で17年秋、18年春を制して以来の秋春連覇となった。智弁和歌山は、昨年春、秋に続く3季連続の準優勝に終わった。

人さし指を立てた木下を中心に、東洋大姫路ナインが歓喜の輪をつくった。1―0の最終回2死一、二塁、最後は二ゴロで仕留め、9安打完封。息詰まる投手戦を制してつかんだ連覇に、岡田龍生監督(64)は「バッテリーをほめてやりたい。この大会での収穫はすごい」と笑顔でうなずいた。

初回、木下はいきなり背負った1死満塁を二ゴロ併殺打に抑えた。その後も、6イニングで走者を置いたが「ランナーが出ても、抑えられる自信があった」。9回は4番の福元聖矢右翼手(3年)に8球粘られながら、最後は内角低めの直球で見逃し三振。センバツ準V打線に仕事をさせなかった。

優勝候補とされたセンバツは、2回戦で広島商に敗戦。味方の失策もあったが、木下は2回に5安打6失点と踏ん張りきれなかった。「桑原(大礼捕手、3年)もなかなか内角を使わない子で…ストライク先行と、インコースにどれだけ投げられるかが大事と常日頃、話してきた」と岡田監督。今春、エース右腕の阪下漣、末永晄大(ともに3年)を欠く中、エースナンバーを背負った木下は全試合に登板して防御率0・44。履正社時代を含め、初の秋春連覇となった指揮官は「実質、エースですよね」と、最大級の評価を示した。

2016年(20年春はコロナ禍で中止)以降、春の近畿王者は8校全て同夏の甲子園に出場。そのうち、18年の大阪桐蔭と昨年の京都国際は全国制覇を達成している。吉報Vだが、新エースは「まだまだ阪下には及んでいない。優勝したことで夏は(他校が)打倒・東洋大姫路で来るので」。一切の油断なく、夏へ視線を向けた。

💢智弁和歌山が3季連続準V「2位は嫌。1位にならないと」中谷監督 9安打も無得点
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<高校野球春季近畿大会:東洋大姫路1-0智弁和歌山>◇1日◇決勝◇さとやくスタジアム

智弁和歌山は、昨春から3季連続の近畿準優勝で大会に幕を閉じた。東洋大姫路と昨秋決勝以来の対戦で無失策の安定感ある守備を誇ったが、打線は9安打無得点だった。

先発の最速152キロ右腕・宮口龍斗投手(3年)は「意味のない失点だった」と0-0の3回1死三塁の一ゴロの間に三塁走者が本塁に生還で先制点を喫し、1点を追う流れに。

「あそこで1本出るか、出ないか。(今春センバツ)決勝の横浜戦で、タイムリーの有無が現実としてつきつけられていた」と中谷仁監督(46)。4回以降の攻撃では5、7、9回に二塁走者を置いたが、ライナーやゴロに倒れた。「2位は嫌。1位にならないと。あそこのチャンスで、やるべきことをやって、ヒーローになりにいかないと」とナインへハッパを掛けた。

「リベンジするチャンスで、勝ちたい気持ちは普段よりも強かった」。5回から2番手で登板のエース、渡辺颯人投手(3年)は4回1安打無失点と好投。登板前には、2回2死一、二塁で宮口たちの元に伝令へ。「勝ちきれなかった。まだまだチームに足りない部分がある。野球も学校の部分においても隙のないチームが、最後に優勝する」。県大会開幕まで残り約1カ月。今春涙をのんだ甲子園決勝の舞台へ舞い戻るべく、わが身を見つめていく。

📝夏の高校野球京都大会、7月5日開幕 76校71チームが出場予定
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第107回全国高校野球選手権京都大会の運営委員会が30日、朝日新聞京都総局で開かれ、大会日程が決まった。開幕は7月5日で、決勝は27日に予定されている。会場は、わかさスタジアム京都、太陽が丘球場、あやべ・日東精工スタジアムの3球場。76校71チームが出場する予定で、夏の甲子園をかけて熱戦を繰り広げる。

開会式は5日午前10時、決勝は27日午前10時から、いずれもわかさスタジアム京都で行う。日程は、1回戦=5、6日▽2回戦=6~14日▽3回戦=14~16日▽4回戦=17~20日▽準々決勝=22、23日▽準決勝=25日。予備日・休養日は7、11、18、21、24、26日で、天候などにより変更となる場合がある。

入場料は3球場共通で、内野席は一般千円、高校生と70歳以上は400円。わかさスタジアム京都では、準々決勝以降に外野席も開放され、一般300円、高校生と70歳以上200円となる。中学生以下と障害者手帳の所持者、車いす利用者の介助者は無料。

組み合わせ抽選会は6月21日午後3時から、右京ふれあい文化会館で行われる。春の府大会で8強入りした京都共栄、東山、龍谷大平安、城南菱創、乙訓、北稜、京都工学院、鳥羽は、シード校として2回戦から登場する。

           ◇

京都大会の優勝校、準優勝校に贈られるメダルと盾は、彫刻家で京都教育大非常勤講師の森野政順さんが制作した。左に走者、右に打者を配置し、流れるような線で表現。背面にはボールをイメージした球体が描かれている。森野さんは「大会回数の107と開催年の2025の文字にも動きをつけ、107回の大会を楽しむ姿勢で戦いぬこうとする気持ちを象徴的に表現した」とコメントしている。
2025/06/01(日) 23時09分01秒 No.1796 編集 削除