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💢<昌平高校サッカー部飲酒事件>レギュラー選手含む5名の「飲酒発覚」でも公式戦に「継続参戦」…大甘処分に校内から批判の声
https://gendai.media/articles/-/117045?imp=0

校長が演じた茶番

埼玉県屈指のスポーツ校として知られる昌平高校で不祥事が相次いでいる。野球部監督が部員への暴力で解任されたことに続き、新たにサッカー部員の飲酒が明らかになった。

9月18日(月・祝)、レギュラー選手を含む3年生3人が大宮の居酒屋で飲酒後、警察に呼び止められたが、逃走を図っていたのだ。

昌平高校サッカー部の躍進は目覚ましく、近年は毎年プロを輩出している。チームを率いる藤島崇之監督は「無名だった昌平高校を強豪校へと導いた名将」としてメディアに取り上げられることも多く、その指導を求めて全国からも選手が集まっている。今回飲酒が明らかになった選手もプロを夢見て地元を旅立った有望株だった。

「もともとは東和大昌平という校名で県大会にすら進めない弱小校でしたが、2007年に学校名を昌平に変え、青森山田中から藤島崇之監督を招いて強化を始めました。下部組織のジュニアユースチーム『FC LAVIDA』を設立して6年計画で強化するという育成が成功し、7年連続で高卒Jリーガーを輩出しています。

この成功を受け、他のスポーツにも力を入れるようになり、ラグビー、男子バレー、女子駅伝なども全国大会の常連です。そんな中でもサッカー部は別格の存在であり、悲願の日本一に向け、校内でも特別待遇を受けています。それは特待生の数にも表れており、ある学年は16名もの部員が学費全額免除の特待を受けております」(サッカー部の関係者)

学校の顔でもあるサッカー部の不祥事を受け、校内は混乱状態に陥っているという

「9月20日(水)朝の職員朝礼で、生徒指導部長から経緯の説明と処分の発表があったそうです。当初、生徒指導部長は停学3日と発表しましたが、校長から『それでは軽いのではないか』との指摘があり、5日になったとのことです。もっとも、これは茶番。事前に校長と生徒指導部長は打ち合わせをしており、批判の声をかわすために、こうした演出をしたようです」(昌平高校の関係者)

サッカー部は特別扱い

今回、飲酒した3人のうちの1人Bくんは過去にも飲酒していたため処分が停学7日になったという。

「8月下旬の夜、Bは地元の友人と大宮の居酒屋で食事した際にも飲酒したことが明らかになっています」(前出・サッカー部関係者)

運動部における未成年飲酒の不祥事は後を絶たないが、最近では厳しい処分が下されている。

今年7月、明治大学は、20歳未満を含む部員の飲酒が判明したとして、アメフト部に活動停止の処分を下した。
4月には慶応大学が、20歳未満の部員があったとして、アメフト部に対して無期限の活動停止処分を下し、飲酒した20歳未満の5人を含む24人を退部処分としている。

未成年飲酒に厳しい対応をとるのはアメフトだけではない。今年6月、流通経済大学は、20歳未満の部員5人が沖縄合宿中に飲酒をしていたことが明らかとなったとして、硬式野球部に対して無期限の活動休止処分を下した。さらに、硬式野球部の監督についても「教育の場である課外活動において法の遵守を軽視する行いは許されるものではない」として解任している。

一方、昌平高校はサッカー部員の飲酒について発表しておらず、飲酒発覚後もサッカー部は活動を続け、9月23日(土)には等々力陸上競技場で行われた高円宮杯U-18サッカープレミアリーグEASTに参加している。

こうした大甘処分に対し、校内からは『サッカー部を特別扱いしすぎではないか』という声が出ているという。

「野球部員が校内で女子生徒と性行為をしてしまい、2人は退学になりました。またラグビー部の3年生が1年生に対し、寮の部屋にあった果物ナイフを肌に押しつけて脅したとして、やはり即座に退学処分となりました。

一方で、サッカー部員は停学5日。単純に比較するものではないかもしれませんが、選手権の県予選を控えているとはいえ、活動停止が妥当だと思います。

サッカー部の特別扱いに対し、不満を持つ職員は多い。しかし、校長や学校法人の事務局長として学校経営にも携わる藤島監督には意見できないのが実情です」(前出・関係者)

あくまで個人の責任です

そうした中、サッカー部員の新たな飲酒が明らかになった。

「9月27日(水)、新たにサッカー部員2名の飲酒が報告されました。先に大宮の居酒屋での飲酒が判明した3名と一緒に飲んでいたものです。学校側の説明は『チームメート3名が処分されたことにより、良心の呵責に耐えられず、自ら申し出てきた』というものでしたが、実際は警察からの情報で発覚に至った形です」(前出・サッカー部関係者)

サッカー部員の飲酒問題をどう考えているのか。昌平高校の副校長に聞いた。

―サッカー部員の飲酒は事実ですか。

「飲酒は事実です。また深夜の帰り道に警察から注意を受けたのも事実です。」

―当該生徒の処分とは。

「詳細については差し控えたいと思います。」

―飲酒が明らかになった部員は何人ですか。

「回答を控えさせていただきます。」

―部員による飲酒発覚後もサッカー部は活動を続けており、9月23日(土)に開催された高円宮杯U-18サッカープレミアリーグEASTにも出場しています。未成年飲酒に対し厳しい処置がとられるケースが多い中、チームとして活動を続けている理由とは。

「当該生徒は現在、活動には参加しておりません。この件は生活指導案件として考えており、すでに当該生徒には処分を下しております。また再発防止指導もしました。学校としては該当のクラブとは切り離す形で考えております。」

―あくまで個人の責任ということですか。

「個人として処分したということです。」

―飲酒したのは1人2人ではない。それでもサッカー部はこれまで通り活動を続けるのか。

「その予定です。厳正に対処したと考えております。批判的な声もあがっておりません。」

―野球部の体罰事件、サッカー部の飲酒事件、これら不祥事を受け、城川校長、藤島監督の処分はあるのか。

「校長および理事会が判断しておりますが、現時点ではありません。」

過ちは起こり得る。それをどう正すか。教育機関としての良識が問われている。

👣勇退の大垣日大・阪口監督「『死んじゃう。辞めたろか』の言葉に、これはいかん…褒めて褒め殺すように自分を変えていった」
https://news.yahoo.co.jp/articles/732ec0ebe4a19971e0aa1e70553de9cb8ab3c89a

大垣日大高(岐阜)野球部の阪口慶三監督(79)が2日、同校で記者会見を行い、今年いっぱいでの退任を表明した。記者会見での一問一答は次の通り。

―勇退決断の理由は

阪口監督「今年に入って疲れが取れなくなった。指導者が体がえらい、疲れるというようなことは私は言ったことがない。子どもと一緒にグラウンド上で暴れまくる、グラウンドでベンチに座ることも57年したことがない。同じ疲れを味わうことが指導者のマナーであると思っていた。ところがベンチに座るようになった。このように声がおかしくなった。僕の持ち味は人一倍声が大きいこと。それができなくなったことが辞めるきっかけになりました」

―いつ頃に退任を決断されたのか

「今年に入って、1月の末から2月にかけてやったと思います」

―今夏の甲子園は最後になるかもという思いがあったか

「その通り」

―孫の高橋慎内野手(3年)の卒業も一つの区切りか

「まさにその通り。孫と3年間本当に充実した毎日だった。孫が卒業する。これが引退につながったのは間違いない」

―孫との3年間はどうだったか

「孫ということで、監督が孫を特別な目で見てるんじゃないかというのが一番にありましたので、できるだけグラウンドでしゃべるのをやめようと。それから孫には特別な目をかけないようにということで、叱るなら孫を叱った方が良いと、人一倍孫には厳しく当たった。かわいそうだなと思ったりもしました」

―おじいちゃんと言われたことはないのではないか

「3年間1度もおじいちゃんと呼ばれたことがない。寂しいです」

―後任の監督について適当だと思うのは

「僕の後をやれるのは高橋先生。人格的にも野球の技術についても誰にも引けを取らない素晴らしい監督になるだろうと確信している。だから高橋君にお願いしたい。間違いなくやれるでしょう」

―退任する12月まではどうするか

「高橋君のやりたいようにさせる。私が常にグラウンドに出るのは、かえってチーム作りにはマイナスになる。だから週に2、3回は顔を出すようにしますけど、後は高橋君に任せても問題ない」

―大垣日大に来て「鬼の阪口から仏の阪口」へ。指導方針の変化の経緯は

「天下の東邦高校で38年やってきた。大垣日大にきてこれが高校野球かと、ユニホームの着こなしからやってきた。やればやるほど選手が私から離れていく。『死んじゃう。辞めたろか』。こんな言葉が私に直接返ってくる。これはいかん。大垣日大に何のために来たのか。強いチームをつくるために来たんだ。この子のレベルにあった阪口にならないといけない。叱るより褒めることの方が大事なんだということで、褒めて褒めて褒め殺すようにチームをと、自分を変えていった。それが仏の阪口になったということです」

―甲子園とは

「人生そのもの。寝ても覚めても野球。私のベッドの横にはバットが置いてある。なぜ打てない、なぜ打たれる。夜中でも起きてはバットを振る、そしてメモする。学校に来る、昼休みの学校が終わると待っていられない。昼の休みに呼んでバットを振らせる。そのような生活だったから、甲子園は私の人生だったと思います」

―副校長も退任する来年3月以降は

「阪口慶三。野球をとったら何も残らない、その通り、それでいいです。この熱い気持ちを何かにぶつけてみたい。それがまた野球になるかもわからない。どこかでやってみようか、そういう気持ちになるかもしれない」

―一番の思い出は

「やはり甲子園(東邦監督時代のセンバツ)の優勝」

―思い残すことはないか

「甲子園の夏の優勝。これが悔いに残ります」

―監督生活を振り返って

「やっている時は50何年間と言うことは頭にない。長かったか短かったか、毎日を精いっぱい生きるものにとって明日はない。そういう人生であっただけに、非常に楽しい57年間だったと思う」

―阪口監督が来てから岐阜の高校野球のレベルが上がった

「そう言ってもらえるとめちゃくちゃうれしい。最高のお言葉をいただいた。岐阜県の野球は、少し言葉が悪いようだけれど、指導者の勉強が愛知より少し落ちるんじゃないかと。勉強不足。だから19年やってきた。それで少しは愛知県に追いつけたかというふうに思っております」

―教え子へのメッセージは

「これは電話がなりっぱなし。さみしい、まだやれる、先生のおかげで今日があるという言葉をもらう。何千人の教えが社会で立派に活躍していると聞いて、監督、教育者冥利になっております」

―選手を「子どもたち」と呼ぶのはどのような思いからか

「子どもはかわいい。自分の生徒と監督ではなく、自分の子どもとして見るわけですね。預かった以上は阪口慶三の子どもである。そういうところから子どもと呼んでしまいます」

―奥さんに退任の相談は

「女房には今年に入って再三進退の話をしました。今回の決断は、女房が一番喜んでいる決断をしたと。甲子園に35回出ても、見に来たのは2回。岐阜県大会も見に来たことがない。それだけ勝負が怖いから。これで解放されるということで非常に喜んでおります」

―印象に残っている他校の監督は

「一番勉強になったのは中京大中京の杉浦藤文。この先生の采配を勉強しました。この先生の野球は勝っても負けてもベンチから出れなかった。それほど精神面をやられてしまうというすごい采配だった。それを自分の野球に取り入れてやってきた」

―大垣日大に来てから記憶に残っている試合は

「岐阜県の野球は正直言って全試合、どれも苦しいゲームばかり。甲子園では8点差を勝った(2014年夏の)藤代高校のゲームが印象に残っております」
 
―指導方法で貫いてきたことは

「ご存じのように、阪口監督とは誰も呼ばない。阪口先生。野球を通じて子どもたちに訴えるのは、子どもらしい子ども、誰からも愛される子ども、魂を持った子どもに育てる。野球を通して人間教育を徹底する。こういう事を心がけてきました」

―長年監督を続けられた秘訣は

「勝っても負けても勉強、反省。こういう考えで野球をやってきました。勝ったら勝ったで何がよかったか、負けたら負けたでどこが原因か。それを繰り返し考えるうちに、こんなに長くやることになった。でも、やってるうちは57年が少しも長く感じない。無我夢中の毎日を送ってきた。今ここにあいさつをさせてもらって、そうか、57年は長いんだなとしみじみと感じている」

―57年も監督を続けると思っていたか

「全然思っていなかった。現に東邦高校で22歳から監督を強引にやらされて、無知無能の指導者が生徒に教える。これは大変なことだった。でも3年目に甲子園にいった。4年目もいった。5年目もいった。そういう積み重ねが自分の野球に自信が持てるようになった。やはり指導者にとって一番大事なことは、無我夢中で何事にも取り組むべきだと身をもって知らされた」

☝高嶋仁氏「勝利に対する執念の男」 大垣日大・阪口監督退任ねぎらう
https://news.yahoo.co.jp/articles/f50037db86f9c9097e311b2f7417a582867da0a4

高校野球の甲子園で春夏通算40勝を挙げた大垣日大(岐阜)の阪口慶三監督(79)が退任することを受け、互いに競い合ってきた往年のライバル監督や、教え子からはねぎらいと感謝の言葉が寄せられた。

「自分が目標としてきた監督だった。退任するのは残念だが、まずはご苦労様でしたと伝えたい。50年以上の指導経験を後進にも伝えてほしい」。こう語るのは、智弁学園(奈良)と智弁和歌山で監督を務め、歴代1位の甲子園通算68勝を挙げた高嶋仁さん(77)だ。

阪口監督は1967年から母校の東邦高(愛知)の監督に就任。2004年まで指揮を執った後、05年に大垣日大の監督に就任した。

高嶋さんが阪口監督と交流を始めたのは40年以上前の77年にさかのぼる。東邦時代の阪口監督から練習試合を打診されたのがきっかけだった。それ以降、毎年定期戦を設け、互いにチームを高め、競い合ってきた。

交流を続ける中、高嶋さんは「阪口先生の指導力の高さに驚かされた」と言う。阪口監督が大垣日大で指揮を執り始めた05年の練習試合。智弁和歌山は大垣日大から30点ほど取って大勝したが、翌年は勝ったとはいえ、3点しか取れなかった。高嶋さんは「1年でチームができあがっていた」と舌を巻いたのを覚えている。

「阪口先生は勝利に対する執念の男。出会った当初から『選手たちを甲子園に連れて行けよ』とよく言ってくれた。互いに甲子園出場を果たし、握手した時はとてもうれしかった」と振り返る。

東邦時代の教え子で、社会人野球・JR東海の監督や、NHKの甲子園解説者を務めた大矢正成さん(64)にとって、最も印象に残っている阪口監督の姿は77年夏の愛知県大会にあった。

甲子園をかけた名古屋電気(現・愛工大名電)との決勝。試合開始前に阪口監督がナインにこう言った。「どうやったら勝てるか昨日いろいろ考えたが、(戦力を比べると)今日はどうやっても勝てない。ただ、どこにも負けないくらい練習してきた自分たちの力を信じろ」

その言葉に奮い立った大矢さんは3打数2安打4打点と「野球人生で一番の活躍」を見せて勝利に貢献。甲子園では「バンビ」の愛称で人気を集めた坂本佳一さん(61)とバッテリーを組んで準優勝を果たした。大矢さんは「愛知県大会決勝で、あの言葉がなければ自分の野球人生はなかったかもしれない。『長い間、本当にお疲れ様でした』と伝えたい」とねぎらった。

東邦が89年春のセンバツで優勝した時の3年生で、マネジャーを務めていた袴田克彦さん(52)は、親子2代にわたって阪口監督の指導を受けた。袴田さんの長男好彦さんは現在、大垣日大の3年で今夏の甲子園にも出場した。袴田さんは「采配や選手の状態をピークに上げる力は全く衰えていないと思っていたが、いつか退任する日は来る。自分も息子も甲子園に連れて行ってもらい、最高の高校野球だった」と感謝を口にした。

📝瀬戸内高校の永田新監督に「広島弁はきつく聞こえるんじゃけえ、選手と話すときに注意せんといけん」 松田オーナーからの激励、本人が明かす
https://news.yahoo.co.jp/articles/2047026678a3ae8c31ae2b0985e5af28a9dff7ce

高校野球で春夏通算5度の甲子園出場を誇る瀬戸内(広島)の新監督に就任した永田利則氏(61)が2日、広島市東区の同高で会見した。広島東洋カープで選手、コーチを務めた永田新監督は、就任前に松田元オーナーの元を訪れて報告。その際に「昔から、お前は口が悪い。広島弁はきつく聞こえるんじゃけえ、選手と話すときに注意せんといけん」と、激励を受けたという。

永田新監督自身は、広島商の出身。父が瀬戸内の前身松本商OBだったのがきっかけで、学校が打診し、就任に至った。永田新監督は「カープに入団できるような選手を育てて、恩返しできるように頑張りたい」と抱負を話した。

同校OBのプロ選手には、オリックスの山岡泰輔らがいる。
2023/10/02(月) 22時42分11秒 No.764 編集 削除