自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」
⚾今日の和歌山大会試合結果(最終日 決勝戦 紀三井寺球場)
市和歌山9-3日 高
市和歌山は7年ぶり10度目の優勝🏆
⚾今日の和歌山大会新人戦試合結果(2日目 1回戦 紀三井寺球場)
和歌山商11-2箕 島(7回)
⚾明日の和歌山大会一次予選組み合わせ(3日目 1回戦 紀三井寺球場)
09:00~ 田 辺 工-紀 北 工
11:30~ 南 部 - 那 賀
📝甲子園8強の三重、準々決勝で敗れた天理と初戦で再戦 横浜は甲子園V智弁和歌山と激突 国スポ組み合わせ
https://news.yahoo.co.jp/articles/5d5c4644a0de75672194227e3e7d27965e52dc72
日本高野連は7日、青森県で開催される国民スポーツ大会の高校野球硬式の部(10月3日~6日、弘前市・はるか夢球場)の組み合わせを発表した。
最速157キロを誇る織田翔希投手を擁する横浜(神奈川)は、今夏の甲子園を制した智弁和歌山と初戦で対戦する。大会は昨年に続いて7イニング制で実施する。
◇1回戦の組み合わせ
第1試合 健大高崎(群馬)―青森山田
第2試合 天理(奈良)―三重
第3試合 智弁和歌山―横浜
第4試合 花巻東(岩手)―有明(熊本)
📝甲子園名門“番狂わせ敗退”から1年…浦和学院・森大監督35歳が明かす「父と違って僕にカリスマ性はない」自律か、管理か? 揺れる指導現場
https://news.yahoo.co.jp/articles/9376bd42bcdc2ad693485cc0c320aa0df3dd8ff9
「1週間、高校野球を見られなかった」。浦和学院最強世代の番狂わせ敗退から1年、森大監督(35歳)は野球指導をどう変えたのか。今夏の結果をどう受け止めるのか。ノンフィクションライター・樫本ゆき氏が訊いた。
これほどまでに「高校野球の監督」は疲弊しなければならないのか――。そう感じさせられることがたびたびある。特に夏は。勝てば選手が称えられ、負ければ監督の責任が問われる。まして「全国制覇を狙える」と評されたチームが、甲子園どころか地方大会の序盤で敗れれば、矛先は容赦なく指揮官へ向かう。采配が悪かった。選手起用を間違えた。育成できていない……。批判の声を耳にしながら、しかし敗戦の翌日には、次のチームを率いて選手の前に立たなければならない。
1年前の夏「番狂わせ」敗退
2025年夏、浦和学院は埼玉大会3回戦で県立滑川総合に1―4で敗れた。プロ注目選手を擁し、「全国制覇を狙える」と評されたチームが、県大会序盤で姿を消した。監督の森大は「1週間、高校野球を見られなかった」と落ち込んだ。
森大は2021年秋、父・森士(おさむ)前監督から浦和学院の指揮を引き継いだ。森士氏は同校を全国屈指の強豪へ育て、2013年春にはセンバツで全国制覇。甲子園通算28勝を挙げた名将だ。その後を継いだ大は当時31歳。監督就任1年目の2022年春にセンバツ4強へ進出し、2023年夏にも甲子園出場を果たした。二世監督としては順調なスタートだった。 ただ、大は父と同じタイプの指導者になろうとは考えていなかった。
カリスマ父を継いで…後継者の苦悩
森士氏は強いカリスマ性でチームの方向を示し、反復練習によって浦学の野球を選手に徹底させてきた。その点、大は自分に父と同じカリスマ性はないと考えていた。そこで、選手やスタッフの意見を聞き、自分たちで考えさせるチームづくりを進めた。「監督が言ったからやる」のではなく、「なぜやるのか」を理解して行動できる選手を育てる。父のトップダウン型とは異なるボトムアップ型の組織を目指した。
ところが、監督就任から数年が経つと、その方法にも課題が見え始めた。「好きなことを言っていい」と伝えれば、建設的な意見だけでなく不満も同じように出てくる。「自分で考えてやれ」と伝えれば、「何をしてもいい」と受け取る選手もいる。自主性を尊重し、対話し、自分で考えさせることは現代のスポーツ指導で重視されているが、自由を与えることと自主性が育つことは同じではなかった。森は2025年夏の敗戦を通して、自由と放任の違いを突きつけられた。
「甲子園に招かれるべきではない組織だった」
昨夏の滑川総合戦は風速7〜8メートルの強風が吹く難しいコンディションだった。浦和学院は5回裏に満塁のピンチを迎えた。森は「嫌な予感」がして、この回2度目の守備タイムを取り、守備位置について指示を出した。しかし大観衆と強風の中、ベンチの意図はグラウンド全体に十分共有されなかった。センターへの判断が難しい打球に外野手が飛び込んだが、ボールは後方へ抜けて走者一掃の三塁打となり、一挙4点を失った。浦和学院はその4点を最後まで取り返せなかった。
森は後に「去年は力があったけれど、自分たちで負けた」と振り返った。一つの守備ミスだけを敗因にしているわけではない。大事な場面で指示を徹底できず、チームとして対応できなかった背景に、それまでの組織づくりの問題があったのではないか。森は敗戦後、自身の指導方法まで検証することになった。
コーチの今栄尚人は、当時を振り返り、さらに厳しく言い放つ。
「率直に言えば、甲子園に招かれるべきではない組織だったんだと、僕は思います」
問題として挙げたのは、挨拶や授業への向き合い方、寮生活など日常の部分だった。野球がうまければいい、試合で結果を出せばいいという甘さが、チームの中に生まれていたという。150キロを投げる投手やプロから注目される選手、全国クラスの打者がそろっていても、それだけで強い組織になるわけではない。個の能力が高い集団だからこそ、「野球で結果を出せばいい」という意識が生まれ、集団として守るべき基準が曖昧になっていた可能性があった。
OBの証言「自律か、管理か?」
似た経験をした浦学OBがいる。2017年に主将を務めた赤岩航輔だ。当時のチームも各地でエースや4番を務めていた選手が集まる個性派ぞろいの世代だった。
「僕らの代は『俺が世界で一番、野球がうまい』くらいに思っているような奴らの集まりでした。謙虚さのかけらもないような代でした。でもそういう選手だったからか、火が付いたときは物凄い力を発揮することもありましたけどね」
背番号16の主将。試合での役割は主に、サードコーチャーだった。秋は県大会で結果を残し、春も優勝。夏も優勝候補として決勝まで進んだが、花咲徳栄に敗れて甲子園には届かなかった。赤岩は当時について、厳しく管理される中で「バレなければいい」という発想が生まれることもあったと振り返る。大人に言われたからやるだけでは、指導者が見ていない場面で自分自身を律することが難しくなる。敗戦後には「自分たちは勝っちゃいけないチームだったのかな」と考えたという。コーチの今栄の言葉が、ここで重なる。勝った花咲徳栄は、その勢いのまま甲子園で全国制覇を果たした。
赤岩は当時の浦和学院の指導を全面的に否定しているわけではない。25人の仲間が最後まで辞めずにやり切った高校生活について、今でも「浦学でよかった」と話す。管理には管理の強みがあり、自由には自由の価値がある。問題は、どちらか一方を選べば組織がうまくいくという単純な話ではないことだった。同級生の山本晃大は、1浪して野球部から初めて慶応義塾大に合格し、JR東海で活躍している。他の選手たちもそれぞれ立派に社会生活を送っているそうだ。
「この『束になる野球』、あの驚異的な結束力は、間違いなく大将(森士前監督のあだ名)が何十年もかけて作り上げてくれた財産、その賜物だと思っています。あんなに選手と熱く向き合ってくれたからこそ、OBになってもみんなの話が通じるし、結束できるんです」
「トップダウンは古い」は本当か?
森士氏のカリスマ型指導には、卒業後もOBを結びつけるほどの求心力があったということだろう。「昔の指導だから悪い」「トップダウンだから古い」と単純に評価することはできない。森大に必要だったのも、父の指導を全面的に否定することではなく、その中から現在も必要なものを選び直すことだった。
「一度、考えをリセットしたからこそ、父のやり方の中で『これは今の時代も必要だ』と思えるものを取り入れられるようになりました。試合中、無意識に反応できるまでの徹底力だったり、生活を整えることだったり、規律だったり。そこは継承しようと思っています。だからいまは、浦学の指導法が、ハイブリッドになってきた感じがします」(森大)
2025年の年末、夏の敗戦から5カ月がたったころ、森は野球部寮の神棚にある鏡が、くすんでいることに気づいた。
「これ、今の俺たちを映し出しているなと思ったんです。やばいよな、これって」
スタッフを集め、慌てて大掃除をしたという。
「いろいろなことに余裕がなくて、足元を見れていなかったんです」
大人側に“緩み”はなかったか?
森が問題視したのは、選手に細かなことを求めながら、大人側が身近な変化や乱れに気づけていたのかという反省だった。そこから鏡を磨き、掃除、靴、時間、挨拶など、日常の基準を改めて確認していった。野球の技術とは直接関係しないが、チームとして同じ基準を共有し、必要な場面で行動できる組織をつくるには、日常の積み重ねが欠かせないと考えた。
森は2025年夏の敗戦を、今では「質の高い挫折をさせてもらった」と表現する。自分が進めてきた改革の失敗を認めた上で、父の時代から残すべきものも見直した。自律と管理、その両方をどう組み合わせるのか。浦和学院の再建は、そこから始まった。
〈つづく〉
📝「スマホ回収しない」「野球部“ムラ”作らない」甲子園強豪・浦和学院の35歳監督が語る、“野球部を特別視させない”方法「進路指導は現実を伝える」
https://news.yahoo.co.jp/articles/028a795ec9b3787b5d8802cd1bf927e31f205911
浦和学院を変えることは、過去を捨てるということではなかった。
「ボトムアップにも、制限をかけなきゃいけないんだなと思ったんです」
自律と管理…二択を捨てた
2025年夏、浦和学院は埼玉大会3回戦で県立滑川総合に敗れたあと、森大監督は、自分が進めてきたボトムアップ型の指導そのものを見直した。ただし、結論は「やはり父のようなトップダウンに戻ろう」ではない。選手の自主性を尊重する考え方も捨てていない。むしろ森が気づいたのは、ボトムアップを機能させるためには明確な「枠」が必要だということだった。
自由には責任を伴う。自主性には基準がいる。そして組織には、最後に方向を決める人間が必要だった。そこで「第3の考え」にたどり着いたという。
「ある日、心理学や指導行動の論文などを読んでいたら、サーバント・リーダーシップという言葉に出会いました。サーバント・リーダーシップとは、リーダーが上から命令して人を動かすのではなく、相手を支援し、個々の強みを引き出しながら組織を前へ進める考え方だそうです。僕には父のようなカリスマ性はない。ならば、自分にできる方法で人を動かす。サーバント・リーダーになろう、と思いました。その一つが『信頼』。今の子たちは、『何を言うか』だけじゃなくて『誰が言うか』を見ていると思うんです。この人が言うことなら聞こうと思ってもらえる自分をつくった方が早い」
「父のコピー」「父の野球を捨ててる」狭間で…
正しいことを言えば人がついてくるわけではない。指導者自身がどんな人間なのかが見られている。時には謝る。分からなければ認める。選手の意見も聞く。自分の弱さも隠さない。
「滑川総合戦の敗戦後、この1年は『監督として、僕はこうしたい』という意思をより明確にするようになりました。聞く。任せる。支える。それでも、最後に方向を示す責任は監督にある。サーバント型の指導者である自分が、父がやっていたトップダウンの価値を知った。それが、この1年で気づいたこと。大きな変化でした」
「名将」を引き継いだ二世監督の難しさは、偉大な先代と比較され続けることだ。森の場合、同じことをすれば「父親のコピー」と言われ、違うことをすれば「父親の良さを捨てた」と言われる。八方ふさがりだった。森も就任当初は「父とは違う」ことを強く意識していた。しかし数年間チームを率い、滑川総合戦での敗戦を経験したことで、父と違うことをすることと、父を否定することは違うと考えるようになっていた。それが「サーバント型」という気づきだった。
「スマホ回収しません」
森大の原点が、監督になる前から大きく変わっていないことがわかるエピソードがある。2017年。当時の主将・赤岩航輔(前出)は、個性の強いチームメイトをまとめることに苦しんでいた。各地でエースや4番だった選手が集まり、それぞれが強い自負を持つ。全員を同じ方向へ向かせようとするほど、うまくいかなかった。泣くほど悩んだ赤岩に、当時コーチだった森大は言った。
「意外と結果を出すのは、そういうやんちゃな奴だったりするんだ。最後に打つのは、そういう奴だったりするんだよ。だから、全部同じようにしようとしたり、押さえつけたりするんじゃなくて、そういうキャラクターなんだから、うまく乗せてあげることが大事なんだ」
赤岩は「あれで僕は変わりました。そこからコツをつかんで、無敵になったかもしれないです(笑)」と振り返る。人を型にはめるのではなく、その人の強みを引き出す。現在、森が語るサーバント・リーダーシップの種は、監督になるずっと前からあったのだ。
森大の改革は、グラウンドの中だけの話ではない。今の強豪校を取り巻く環境への適応だ。SNS、スマホ、寮生活、保護者との関係など、勝敗以外のリスク管理も増えている。浦和学院は現在、夜に選手のスマホを一律回収していない。
「今は『縛っていいところ』と『縛っちゃいけないところ』がはっきりしてきています。ルールで縛っても破る子は出てくる。隠れてスマホを2台持つとかね。だったら逆に、禁止させない」
野球部ムラをつくらない「基準は学校のルール」
もちろん、自由放任ではない。SNSに不適切な投稿をすれば、マナーの問題として教育する。森が重視するのは、問題が起きた時に野球部の中だけで処理しないことだ。
「全部、学校に報告します。うちは学校教育の中の部活動ですから」
強豪校では「野球部のことは監督に一任する」という形になりやすい。しかし森は、それを危険視する。
「『監督に一任するよ』となりがちなんです。でも、それが一番怖いんですよ。野球部も学校の中の一組織なんです。問題が起きれば学校へ報告し、学校の生徒指導の枠組みの中で判断してもらう。野球界独特の不文律だけで処理しない。スマホのルールも一般生徒と同じで『学校では使わない。家(寮)では自由』に合わせています。あくまでも学校のルールが基準です」
筆者が「それって、学校生活の中に『野球部ムラ』を作らないということですね?」と聞くと、即答した。
「そうです。そうです。学校組織としてのチーム運営です。その方が風通しも良くなるし、野球部に対しても、正しいジャッジが入ります」
進路は甲子園次第、を変えた
森もコーチの今栄も、一人の教員である。野球部監督である前に、学校教育を担う教師だ。監督が神様みたいになり、先生ではなくなった時が危ない。森は「学校として、正しい組織であることが大事だと思っています」と答えた。
同じ考え方は、選手の進路指導にも表れている。名門野球部に入る選手は、「甲子園へ行きたい」「プロ野球選手になりたい」「強豪大学で野球を続けたい」といった夢を持っている。しかし、その進路が3年夏の結果だけで大きく左右されるのはリスクが大きい。甲子園に行けたか、行けないかで進路が決まるという問題だ。
森は監督になる以前からキャリア教育や進路指導に関心を持ち、監督就任後の5年間で浦学の進路指導を見直していた。
「昔は夏が終わってから進路を考えることもありました。『甲子園に出れば進路はなんとかなる』という考えもどこかにあったと思う。それはやめました」
現在は、2年生の秋が終わった段階から進路指導を始める。3年夏の結果とは切り離し、スポーツ推薦、指定校推薦、AO入試、一般入試など、本人の野球の実力や学力に応じた選択肢を早くから探していく。2025年夏、浦和学院は3回戦で敗れたが、それでも卒業生42人のうち40人が、大学などで野球を続けているという。スポーツ推薦ではない選手も多い。
「面談を早くしたことで、レギュラーかどうかに関係なく『大学でも野球を続けたい』と言ってくれる選手が増えました。それは今の浦学の良さだと思います。負けても勝っても、野球を嫌いになっていないんですよね」とほほ笑んだ。
進路面談で“現実を伝える”
森は、入学したばかりの1年生にも進路の話をするそうだ。「甲子園へ行きたい」「プロへ行きたい」という夢を否定するわけではないが、現実も伝えるという。
「今の君の野球の実力なら、このあたり。今の学力なら、このあたりだよ」
だから評定も重視する。野球だけをやっていればいいとは言わない。
「高校野球は学校生活の中では大きなものです。でも人生全体で見れば、キャリアプランの中の一つです」
この考え方は、新しい浦学改革とつながっている。スマホを一律回収しない。問題が起きれば学校組織で教育する。進路を夏の甲子園の結果に賭けない。部活動を「野球部ムラ」にしない。
共通しているのは、選手を野球だけで評価せず、一人の高校生として扱うことだ。
番狂わせ敗退から1年後…決勝の結果
2026年7月26日、浦和学院は全試合コールド勝ちをして、埼玉大会決勝まで上がってきた。最後の相手は花咲徳栄だった。
3回に浦学が先制し、先発・西村虎龍は5回まで徳栄打線を無失点に抑えた。6回に追いつかれ、8回表に3点を奪われて1―4。それでもその裏2点を返し、4―3と1点差まで戻した。
9回に3点を追加され、3―7。その裏、代打として打席へ向かったのが主将・蜂巣祥万だった。背番号18。突出したスター選手ではないが、仲間たちが早くから「キャプテンはこいつしかいない」と考えていた選手だった。背中で引っ張るキャプテン。2017年の赤岩主将のチームとどこか似ている雰囲気があった。蜂巣は中前打を放った。一塁へ到達すると、ベースコーチの2年生が、エルボーガードを受けとりながら泣いていた。
「お前、何で泣いてんの? まだ終わってないよ」
そう声をかけると、自然に笑みがこぼれたという。4点差の9回裏でも「まだ終わってない」と言える。それは、この1年、チームが積み重ねてきたものの一つだった。浦和学院は3―7で敗れ、甲子園には届かなかった。
「私の実力不足。大人の責任」
試合後、森は「勝たせてあげられなかったのは、私の実力不足。大人の責任以外、何者でもない。それが率直な思いです」と話した。言い訳はしなかった。采配を問われることも受け入れた。ただ、2025年夏とは違った。
「去年は力があったけれど、自分たちで負けた。今年は力がないと言われながら、バッテリーを中心に成長して、決勝まで来た」
負けは負けである。「良い敗戦」という言葉で、選手たちの悔しさを美化することはできない。彼らは甲子園へ行きたかったし、森も連れていきたかった。ただ、2025年夏にできなかったことが2026年夏にはできた。苦しくなっても自分たちから試合を手放さなかった。最後のアウトまで、主将が後輩に「まだ終わってない」と言えた。その違いを、森は気づいていた。
森は2025年夏の敗戦を「質の高い挫折をさせてもらった」と表現した。野球を強くすることと、一人の高校生を育てることを分けない。それが、現在の森が考える浦和学院なのだろう。「これがベースになる」。この夏のチームを完成形とは考えていない。
⚾岩手さんへ
宮城県高野連は・・・今さら表現を変えてもプレーには差し支えないし、、、普通にTV・ラジオで実況聴いている分には怖い言葉はあまりないけど、文章にしたら「殺」は多用されますね。
トリプルプレーなんて『三重殺』ですから。。。。。漢字表記よりも英文字・横文字の方が軽く感じられるのかもしれませんが、、、
西谷監督ですが僕は2008年夏に優勝するまでは甲子園で全国制覇に縁が無い監督と思い込んでましたが、、、、、1つ殻を破ると一気に突き抜けましたね。
初代の長澤監督時代に創部4年目でセンバツ8強・夏優勝したもののそこから約10年甲子園から遠ざかってましたが、、、、、
07年までは関東のチームよろしく勝つときは豪快だが負けるときはモロさが出て勝てる試合を落とすケースが目立ちましたが、西谷監督がよく言う「粘って、粘って」接戦にも強くなりました。
ある意味、高嶋先生が和智弁に異動されてから甲子園初戦5連敗しながらも93年夏に東北相手に延長サヨナラ勝ちで初勝利してから一気に全国トップレベルにまで駆け上がったのと似ているようなところもありますね。
大阪は最近夏シード権を取り入れましたが、97年までは南北関係なしにフリー抽選だったし、僕が高校在学中は4回戦以降は毎回抽選で長雨で日程詰まれば決勝まで5連戦でしたね、、、、、
だんだん抽選方法も変わり98年からは南北3回戦までは分離しているし、以前は1~3回戦・4・5回戦・準々決勝~決勝と3度抽選してましたが去年か2年前くらいから4回戦~決勝までヤグラを決めているので2回抽選に変わりました。
藤井寺、日生そして大阪球場はプロ野球本拠地で使用されてましたが相対的に狭い球場でしたね・・・。駅から降りてすぐなんでアクセス抜群ではありますが、舞洲のようなきれいな球場ではなかったので。。。。。ただ、未だに万博・久宝寺・住之江といったところを夏も使っているので、他県(他地区)のゴージャスなスタジアムを使用しているのが大阪の球児は羨ましいのではないかと。
P・S 箕島は新人戦に続き一次予選も初戦敗退でした。昨年集団いじめがあったらしく、あるいは夏の大会出場辞退もあり得たところをゴリ押しして強行出場しつつも初戦・慶風にまさかのサヨナラ負けと。
新チームの野球部員は6人しかいないらしいですが、連合チームを組む気もなく、他の運動部から助っ人借りて出場した模様で。4月から市和歌山の舩津投手コーチが監督就任したとのこと。
前の北畑監督はよくベンチで怒鳴ってましたが、尾藤監督の息子さんは朗らかな表情でしたね。会社員なんで二足のわらじは難しかったかもしれませんが、外部監督の息子さんを重用することに反発していた教職員もいたらしく・・・。
田舎の公立高校はこの先、本当にしんどくなりますね・・・。
市和歌山9-3日 高
市和歌山は7年ぶり10度目の優勝🏆
⚾今日の和歌山大会新人戦試合結果(2日目 1回戦 紀三井寺球場)
和歌山商11-2箕 島(7回)
⚾明日の和歌山大会一次予選組み合わせ(3日目 1回戦 紀三井寺球場)
09:00~ 田 辺 工-紀 北 工
11:30~ 南 部 - 那 賀
📝甲子園8強の三重、準々決勝で敗れた天理と初戦で再戦 横浜は甲子園V智弁和歌山と激突 国スポ組み合わせ
https://news.yahoo.co.jp/articles/5d5c4644a0de75672194227e3e7d27965e52dc72
日本高野連は7日、青森県で開催される国民スポーツ大会の高校野球硬式の部(10月3日~6日、弘前市・はるか夢球場)の組み合わせを発表した。
最速157キロを誇る織田翔希投手を擁する横浜(神奈川)は、今夏の甲子園を制した智弁和歌山と初戦で対戦する。大会は昨年に続いて7イニング制で実施する。
◇1回戦の組み合わせ
第1試合 健大高崎(群馬)―青森山田
第2試合 天理(奈良)―三重
第3試合 智弁和歌山―横浜
第4試合 花巻東(岩手)―有明(熊本)
📝甲子園名門“番狂わせ敗退”から1年…浦和学院・森大監督35歳が明かす「父と違って僕にカリスマ性はない」自律か、管理か? 揺れる指導現場
https://news.yahoo.co.jp/articles/9376bd42bcdc2ad693485cc0c320aa0df3dd8ff9
「1週間、高校野球を見られなかった」。浦和学院最強世代の番狂わせ敗退から1年、森大監督(35歳)は野球指導をどう変えたのか。今夏の結果をどう受け止めるのか。ノンフィクションライター・樫本ゆき氏が訊いた。
これほどまでに「高校野球の監督」は疲弊しなければならないのか――。そう感じさせられることがたびたびある。特に夏は。勝てば選手が称えられ、負ければ監督の責任が問われる。まして「全国制覇を狙える」と評されたチームが、甲子園どころか地方大会の序盤で敗れれば、矛先は容赦なく指揮官へ向かう。采配が悪かった。選手起用を間違えた。育成できていない……。批判の声を耳にしながら、しかし敗戦の翌日には、次のチームを率いて選手の前に立たなければならない。
1年前の夏「番狂わせ」敗退
2025年夏、浦和学院は埼玉大会3回戦で県立滑川総合に1―4で敗れた。プロ注目選手を擁し、「全国制覇を狙える」と評されたチームが、県大会序盤で姿を消した。監督の森大は「1週間、高校野球を見られなかった」と落ち込んだ。
森大は2021年秋、父・森士(おさむ)前監督から浦和学院の指揮を引き継いだ。森士氏は同校を全国屈指の強豪へ育て、2013年春にはセンバツで全国制覇。甲子園通算28勝を挙げた名将だ。その後を継いだ大は当時31歳。監督就任1年目の2022年春にセンバツ4強へ進出し、2023年夏にも甲子園出場を果たした。二世監督としては順調なスタートだった。 ただ、大は父と同じタイプの指導者になろうとは考えていなかった。
カリスマ父を継いで…後継者の苦悩
森士氏は強いカリスマ性でチームの方向を示し、反復練習によって浦学の野球を選手に徹底させてきた。その点、大は自分に父と同じカリスマ性はないと考えていた。そこで、選手やスタッフの意見を聞き、自分たちで考えさせるチームづくりを進めた。「監督が言ったからやる」のではなく、「なぜやるのか」を理解して行動できる選手を育てる。父のトップダウン型とは異なるボトムアップ型の組織を目指した。
ところが、監督就任から数年が経つと、その方法にも課題が見え始めた。「好きなことを言っていい」と伝えれば、建設的な意見だけでなく不満も同じように出てくる。「自分で考えてやれ」と伝えれば、「何をしてもいい」と受け取る選手もいる。自主性を尊重し、対話し、自分で考えさせることは現代のスポーツ指導で重視されているが、自由を与えることと自主性が育つことは同じではなかった。森は2025年夏の敗戦を通して、自由と放任の違いを突きつけられた。
「甲子園に招かれるべきではない組織だった」
昨夏の滑川総合戦は風速7〜8メートルの強風が吹く難しいコンディションだった。浦和学院は5回裏に満塁のピンチを迎えた。森は「嫌な予感」がして、この回2度目の守備タイムを取り、守備位置について指示を出した。しかし大観衆と強風の中、ベンチの意図はグラウンド全体に十分共有されなかった。センターへの判断が難しい打球に外野手が飛び込んだが、ボールは後方へ抜けて走者一掃の三塁打となり、一挙4点を失った。浦和学院はその4点を最後まで取り返せなかった。
森は後に「去年は力があったけれど、自分たちで負けた」と振り返った。一つの守備ミスだけを敗因にしているわけではない。大事な場面で指示を徹底できず、チームとして対応できなかった背景に、それまでの組織づくりの問題があったのではないか。森は敗戦後、自身の指導方法まで検証することになった。
コーチの今栄尚人は、当時を振り返り、さらに厳しく言い放つ。
「率直に言えば、甲子園に招かれるべきではない組織だったんだと、僕は思います」
問題として挙げたのは、挨拶や授業への向き合い方、寮生活など日常の部分だった。野球がうまければいい、試合で結果を出せばいいという甘さが、チームの中に生まれていたという。150キロを投げる投手やプロから注目される選手、全国クラスの打者がそろっていても、それだけで強い組織になるわけではない。個の能力が高い集団だからこそ、「野球で結果を出せばいい」という意識が生まれ、集団として守るべき基準が曖昧になっていた可能性があった。
OBの証言「自律か、管理か?」
似た経験をした浦学OBがいる。2017年に主将を務めた赤岩航輔だ。当時のチームも各地でエースや4番を務めていた選手が集まる個性派ぞろいの世代だった。
「僕らの代は『俺が世界で一番、野球がうまい』くらいに思っているような奴らの集まりでした。謙虚さのかけらもないような代でした。でもそういう選手だったからか、火が付いたときは物凄い力を発揮することもありましたけどね」
背番号16の主将。試合での役割は主に、サードコーチャーだった。秋は県大会で結果を残し、春も優勝。夏も優勝候補として決勝まで進んだが、花咲徳栄に敗れて甲子園には届かなかった。赤岩は当時について、厳しく管理される中で「バレなければいい」という発想が生まれることもあったと振り返る。大人に言われたからやるだけでは、指導者が見ていない場面で自分自身を律することが難しくなる。敗戦後には「自分たちは勝っちゃいけないチームだったのかな」と考えたという。コーチの今栄の言葉が、ここで重なる。勝った花咲徳栄は、その勢いのまま甲子園で全国制覇を果たした。
赤岩は当時の浦和学院の指導を全面的に否定しているわけではない。25人の仲間が最後まで辞めずにやり切った高校生活について、今でも「浦学でよかった」と話す。管理には管理の強みがあり、自由には自由の価値がある。問題は、どちらか一方を選べば組織がうまくいくという単純な話ではないことだった。同級生の山本晃大は、1浪して野球部から初めて慶応義塾大に合格し、JR東海で活躍している。他の選手たちもそれぞれ立派に社会生活を送っているそうだ。
「この『束になる野球』、あの驚異的な結束力は、間違いなく大将(森士前監督のあだ名)が何十年もかけて作り上げてくれた財産、その賜物だと思っています。あんなに選手と熱く向き合ってくれたからこそ、OBになってもみんなの話が通じるし、結束できるんです」
「トップダウンは古い」は本当か?
森士氏のカリスマ型指導には、卒業後もOBを結びつけるほどの求心力があったということだろう。「昔の指導だから悪い」「トップダウンだから古い」と単純に評価することはできない。森大に必要だったのも、父の指導を全面的に否定することではなく、その中から現在も必要なものを選び直すことだった。
「一度、考えをリセットしたからこそ、父のやり方の中で『これは今の時代も必要だ』と思えるものを取り入れられるようになりました。試合中、無意識に反応できるまでの徹底力だったり、生活を整えることだったり、規律だったり。そこは継承しようと思っています。だからいまは、浦学の指導法が、ハイブリッドになってきた感じがします」(森大)
2025年の年末、夏の敗戦から5カ月がたったころ、森は野球部寮の神棚にある鏡が、くすんでいることに気づいた。
「これ、今の俺たちを映し出しているなと思ったんです。やばいよな、これって」
スタッフを集め、慌てて大掃除をしたという。
「いろいろなことに余裕がなくて、足元を見れていなかったんです」
大人側に“緩み”はなかったか?
森が問題視したのは、選手に細かなことを求めながら、大人側が身近な変化や乱れに気づけていたのかという反省だった。そこから鏡を磨き、掃除、靴、時間、挨拶など、日常の基準を改めて確認していった。野球の技術とは直接関係しないが、チームとして同じ基準を共有し、必要な場面で行動できる組織をつくるには、日常の積み重ねが欠かせないと考えた。
森は2025年夏の敗戦を、今では「質の高い挫折をさせてもらった」と表現する。自分が進めてきた改革の失敗を認めた上で、父の時代から残すべきものも見直した。自律と管理、その両方をどう組み合わせるのか。浦和学院の再建は、そこから始まった。
〈つづく〉
📝「スマホ回収しない」「野球部“ムラ”作らない」甲子園強豪・浦和学院の35歳監督が語る、“野球部を特別視させない”方法「進路指導は現実を伝える」
https://news.yahoo.co.jp/articles/028a795ec9b3787b5d8802cd1bf927e31f205911
浦和学院を変えることは、過去を捨てるということではなかった。
「ボトムアップにも、制限をかけなきゃいけないんだなと思ったんです」
自律と管理…二択を捨てた
2025年夏、浦和学院は埼玉大会3回戦で県立滑川総合に敗れたあと、森大監督は、自分が進めてきたボトムアップ型の指導そのものを見直した。ただし、結論は「やはり父のようなトップダウンに戻ろう」ではない。選手の自主性を尊重する考え方も捨てていない。むしろ森が気づいたのは、ボトムアップを機能させるためには明確な「枠」が必要だということだった。
自由には責任を伴う。自主性には基準がいる。そして組織には、最後に方向を決める人間が必要だった。そこで「第3の考え」にたどり着いたという。
「ある日、心理学や指導行動の論文などを読んでいたら、サーバント・リーダーシップという言葉に出会いました。サーバント・リーダーシップとは、リーダーが上から命令して人を動かすのではなく、相手を支援し、個々の強みを引き出しながら組織を前へ進める考え方だそうです。僕には父のようなカリスマ性はない。ならば、自分にできる方法で人を動かす。サーバント・リーダーになろう、と思いました。その一つが『信頼』。今の子たちは、『何を言うか』だけじゃなくて『誰が言うか』を見ていると思うんです。この人が言うことなら聞こうと思ってもらえる自分をつくった方が早い」
「父のコピー」「父の野球を捨ててる」狭間で…
正しいことを言えば人がついてくるわけではない。指導者自身がどんな人間なのかが見られている。時には謝る。分からなければ認める。選手の意見も聞く。自分の弱さも隠さない。
「滑川総合戦の敗戦後、この1年は『監督として、僕はこうしたい』という意思をより明確にするようになりました。聞く。任せる。支える。それでも、最後に方向を示す責任は監督にある。サーバント型の指導者である自分が、父がやっていたトップダウンの価値を知った。それが、この1年で気づいたこと。大きな変化でした」
「名将」を引き継いだ二世監督の難しさは、偉大な先代と比較され続けることだ。森の場合、同じことをすれば「父親のコピー」と言われ、違うことをすれば「父親の良さを捨てた」と言われる。八方ふさがりだった。森も就任当初は「父とは違う」ことを強く意識していた。しかし数年間チームを率い、滑川総合戦での敗戦を経験したことで、父と違うことをすることと、父を否定することは違うと考えるようになっていた。それが「サーバント型」という気づきだった。
「スマホ回収しません」
森大の原点が、監督になる前から大きく変わっていないことがわかるエピソードがある。2017年。当時の主将・赤岩航輔(前出)は、個性の強いチームメイトをまとめることに苦しんでいた。各地でエースや4番だった選手が集まり、それぞれが強い自負を持つ。全員を同じ方向へ向かせようとするほど、うまくいかなかった。泣くほど悩んだ赤岩に、当時コーチだった森大は言った。
「意外と結果を出すのは、そういうやんちゃな奴だったりするんだ。最後に打つのは、そういう奴だったりするんだよ。だから、全部同じようにしようとしたり、押さえつけたりするんじゃなくて、そういうキャラクターなんだから、うまく乗せてあげることが大事なんだ」
赤岩は「あれで僕は変わりました。そこからコツをつかんで、無敵になったかもしれないです(笑)」と振り返る。人を型にはめるのではなく、その人の強みを引き出す。現在、森が語るサーバント・リーダーシップの種は、監督になるずっと前からあったのだ。
森大の改革は、グラウンドの中だけの話ではない。今の強豪校を取り巻く環境への適応だ。SNS、スマホ、寮生活、保護者との関係など、勝敗以外のリスク管理も増えている。浦和学院は現在、夜に選手のスマホを一律回収していない。
「今は『縛っていいところ』と『縛っちゃいけないところ』がはっきりしてきています。ルールで縛っても破る子は出てくる。隠れてスマホを2台持つとかね。だったら逆に、禁止させない」
野球部ムラをつくらない「基準は学校のルール」
もちろん、自由放任ではない。SNSに不適切な投稿をすれば、マナーの問題として教育する。森が重視するのは、問題が起きた時に野球部の中だけで処理しないことだ。
「全部、学校に報告します。うちは学校教育の中の部活動ですから」
強豪校では「野球部のことは監督に一任する」という形になりやすい。しかし森は、それを危険視する。
「『監督に一任するよ』となりがちなんです。でも、それが一番怖いんですよ。野球部も学校の中の一組織なんです。問題が起きれば学校へ報告し、学校の生徒指導の枠組みの中で判断してもらう。野球界独特の不文律だけで処理しない。スマホのルールも一般生徒と同じで『学校では使わない。家(寮)では自由』に合わせています。あくまでも学校のルールが基準です」
筆者が「それって、学校生活の中に『野球部ムラ』を作らないということですね?」と聞くと、即答した。
「そうです。そうです。学校組織としてのチーム運営です。その方が風通しも良くなるし、野球部に対しても、正しいジャッジが入ります」
進路は甲子園次第、を変えた
森もコーチの今栄も、一人の教員である。野球部監督である前に、学校教育を担う教師だ。監督が神様みたいになり、先生ではなくなった時が危ない。森は「学校として、正しい組織であることが大事だと思っています」と答えた。
同じ考え方は、選手の進路指導にも表れている。名門野球部に入る選手は、「甲子園へ行きたい」「プロ野球選手になりたい」「強豪大学で野球を続けたい」といった夢を持っている。しかし、その進路が3年夏の結果だけで大きく左右されるのはリスクが大きい。甲子園に行けたか、行けないかで進路が決まるという問題だ。
森は監督になる以前からキャリア教育や進路指導に関心を持ち、監督就任後の5年間で浦学の進路指導を見直していた。
「昔は夏が終わってから進路を考えることもありました。『甲子園に出れば進路はなんとかなる』という考えもどこかにあったと思う。それはやめました」
現在は、2年生の秋が終わった段階から進路指導を始める。3年夏の結果とは切り離し、スポーツ推薦、指定校推薦、AO入試、一般入試など、本人の野球の実力や学力に応じた選択肢を早くから探していく。2025年夏、浦和学院は3回戦で敗れたが、それでも卒業生42人のうち40人が、大学などで野球を続けているという。スポーツ推薦ではない選手も多い。
「面談を早くしたことで、レギュラーかどうかに関係なく『大学でも野球を続けたい』と言ってくれる選手が増えました。それは今の浦学の良さだと思います。負けても勝っても、野球を嫌いになっていないんですよね」とほほ笑んだ。
進路面談で“現実を伝える”
森は、入学したばかりの1年生にも進路の話をするそうだ。「甲子園へ行きたい」「プロへ行きたい」という夢を否定するわけではないが、現実も伝えるという。
「今の君の野球の実力なら、このあたり。今の学力なら、このあたりだよ」
だから評定も重視する。野球だけをやっていればいいとは言わない。
「高校野球は学校生活の中では大きなものです。でも人生全体で見れば、キャリアプランの中の一つです」
この考え方は、新しい浦学改革とつながっている。スマホを一律回収しない。問題が起きれば学校組織で教育する。進路を夏の甲子園の結果に賭けない。部活動を「野球部ムラ」にしない。
共通しているのは、選手を野球だけで評価せず、一人の高校生として扱うことだ。
番狂わせ敗退から1年後…決勝の結果
2026年7月26日、浦和学院は全試合コールド勝ちをして、埼玉大会決勝まで上がってきた。最後の相手は花咲徳栄だった。
3回に浦学が先制し、先発・西村虎龍は5回まで徳栄打線を無失点に抑えた。6回に追いつかれ、8回表に3点を奪われて1―4。それでもその裏2点を返し、4―3と1点差まで戻した。
9回に3点を追加され、3―7。その裏、代打として打席へ向かったのが主将・蜂巣祥万だった。背番号18。突出したスター選手ではないが、仲間たちが早くから「キャプテンはこいつしかいない」と考えていた選手だった。背中で引っ張るキャプテン。2017年の赤岩主将のチームとどこか似ている雰囲気があった。蜂巣は中前打を放った。一塁へ到達すると、ベースコーチの2年生が、エルボーガードを受けとりながら泣いていた。
「お前、何で泣いてんの? まだ終わってないよ」
そう声をかけると、自然に笑みがこぼれたという。4点差の9回裏でも「まだ終わってない」と言える。それは、この1年、チームが積み重ねてきたものの一つだった。浦和学院は3―7で敗れ、甲子園には届かなかった。
「私の実力不足。大人の責任」
試合後、森は「勝たせてあげられなかったのは、私の実力不足。大人の責任以外、何者でもない。それが率直な思いです」と話した。言い訳はしなかった。采配を問われることも受け入れた。ただ、2025年夏とは違った。
「去年は力があったけれど、自分たちで負けた。今年は力がないと言われながら、バッテリーを中心に成長して、決勝まで来た」
負けは負けである。「良い敗戦」という言葉で、選手たちの悔しさを美化することはできない。彼らは甲子園へ行きたかったし、森も連れていきたかった。ただ、2025年夏にできなかったことが2026年夏にはできた。苦しくなっても自分たちから試合を手放さなかった。最後のアウトまで、主将が後輩に「まだ終わってない」と言えた。その違いを、森は気づいていた。
森は2025年夏の敗戦を「質の高い挫折をさせてもらった」と表現した。野球を強くすることと、一人の高校生を育てることを分けない。それが、現在の森が考える浦和学院なのだろう。「これがベースになる」。この夏のチームを完成形とは考えていない。
⚾岩手さんへ
宮城県高野連は・・・今さら表現を変えてもプレーには差し支えないし、、、普通にTV・ラジオで実況聴いている分には怖い言葉はあまりないけど、文章にしたら「殺」は多用されますね。
トリプルプレーなんて『三重殺』ですから。。。。。漢字表記よりも英文字・横文字の方が軽く感じられるのかもしれませんが、、、
西谷監督ですが僕は2008年夏に優勝するまでは甲子園で全国制覇に縁が無い監督と思い込んでましたが、、、、、1つ殻を破ると一気に突き抜けましたね。
初代の長澤監督時代に創部4年目でセンバツ8強・夏優勝したもののそこから約10年甲子園から遠ざかってましたが、、、、、
07年までは関東のチームよろしく勝つときは豪快だが負けるときはモロさが出て勝てる試合を落とすケースが目立ちましたが、西谷監督がよく言う「粘って、粘って」接戦にも強くなりました。
ある意味、高嶋先生が和智弁に異動されてから甲子園初戦5連敗しながらも93年夏に東北相手に延長サヨナラ勝ちで初勝利してから一気に全国トップレベルにまで駆け上がったのと似ているようなところもありますね。
大阪は最近夏シード権を取り入れましたが、97年までは南北関係なしにフリー抽選だったし、僕が高校在学中は4回戦以降は毎回抽選で長雨で日程詰まれば決勝まで5連戦でしたね、、、、、
だんだん抽選方法も変わり98年からは南北3回戦までは分離しているし、以前は1~3回戦・4・5回戦・準々決勝~決勝と3度抽選してましたが去年か2年前くらいから4回戦~決勝までヤグラを決めているので2回抽選に変わりました。
藤井寺、日生そして大阪球場はプロ野球本拠地で使用されてましたが相対的に狭い球場でしたね・・・。駅から降りてすぐなんでアクセス抜群ではありますが、舞洲のようなきれいな球場ではなかったので。。。。。ただ、未だに万博・久宝寺・住之江といったところを夏も使っているので、他県(他地区)のゴージャスなスタジアムを使用しているのが大阪の球児は羨ましいのではないかと。
P・S 箕島は新人戦に続き一次予選も初戦敗退でした。昨年集団いじめがあったらしく、あるいは夏の大会出場辞退もあり得たところをゴリ押しして強行出場しつつも初戦・慶風にまさかのサヨナラ負けと。
新チームの野球部員は6人しかいないらしいですが、連合チームを組む気もなく、他の運動部から助っ人借りて出場した模様で。4月から市和歌山の舩津投手コーチが監督就任したとのこと。
前の北畑監督はよくベンチで怒鳴ってましたが、尾藤監督の息子さんは朗らかな表情でしたね。会社員なんで二足のわらじは難しかったかもしれませんが、外部監督の息子さんを重用することに反発していた教職員もいたらしく・・・。
田舎の公立高校はこの先、本当にしんどくなりますね・・・。