自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」
📣明日は、、、約4か月ぶりにレンタサイクルで舞洲上陸して近畿学生野球観戦してきます。しかし、先週金曜日の紀三井寺といい、明日の舞洲といい、、、絶望視された天気予報が急転直下快方に向かい観戦可能なコンディションになるとは・・・本当にありがたいことです!
💢令和8年度秋季近畿地区高等学校野球大会県一次予選の日程変更について(お知らせ)
https://www.whbf.jp/uploads/20260904165718_Vc1b.pdf
明日9月5日(土)から開催される、令和8年度秋季近畿地区高等学校野球大会県一次予選は悪天候が予想されるため、試合日程を下記の通り変更しましたのでお知らせします。
記
9月6日(日)上富田スポーツセンター野球場
第1試合 9:00 和歌山高専 ― 智辯和歌山(秋季県一次予選)
第2試合 11:30 海 南 ― 串本古座(秋季県一次予選)
第3試合 14:00 和歌山北 ― 粉 河(秋季県一次予選)
9月6日(日)田辺スポーツパーク野球場
第1試合 9:00 神 島 ― 市和歌山(新人戦準決勝戦)有料試合
第2試合 11:30 日 高 ― 桐 蔭(新人戦準決勝戦)有料試合
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第3試合 14:00 県和歌山 ― 向 陽(秋季県一次予選)
9月7日(月)紀三井寺公園野球場
第1試合 10:00 県下高校野球新人戦決勝戦
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第2試合 13:00 箕 島 ― 和歌山商業(秋季県一次予選)
9月8日(火)紀三井寺公園野球場
第1試合 9:00 田辺工 ― 紀北工(秋季県一次予選)
第2試合 11:30 南 部 ― 那 賀(秋季県一次予選)
※なお、明日以降も悪天候が予想されています。グラウンドコンディション不良により、大会日程が大幅に変更する場合があります。あしからずご了承ください。
以上
📝【近畿学生野球 9月5日開幕】和歌山大 橋本主将と“ミスターゼロ”一井がけん引
https://news.yahoo.co.jp/articles/1bf77a8aa4eb75130a2ee4fdc215a2d88c726e68
近畿学生野球連盟の秋季1部リーグ戦は5日、大阪市の大阪シティ信用金庫スタジアムで開幕する。1948年に創設され、国公立大、私立大合わせて18校で活動する連盟は「文武両道のリーグ」と呼ばれ、「フェアプレーの精神」を重んじる。4連覇中の奈良学園大にストップをかけるのは、どの大学か。各校の注目選手を中心に紹介し、展望した。
「覚悟」を示す秋となる。主将不在で戦った今春は2位も、「軸」不在が結果的に大きく響いた和歌山大。2年春から主力として出場する橋本は自ら志願し、チームを背負うと決めた。
「歴代の主将とはレベルが違うので、自信がなかった。ただ、腹をくくってやらないと勝てないと思った」
同期や先輩、歴代の主将にも相談。大原弘監督からはリーダーになるための参考書籍をもらい、主将像を模索する。今春まで2番を打ったが春9盗塁とチームNo.1の俊足を生かして秋は1番を打つ可能性もある。「やることは変わらないが、気持ち的に(チームに)勢いをつけたい。隙があれば走り、(相手に)プレッシャーをかけたい」。姿勢、プレー、存在感全てにおいて先頭に立つ。
右サイドの一井は、昨秋にリーグ戦デビューし今春は16回2/3を無失点。全6試合救援で3試合は得点圏に走者がいる場面で生還さえ許さなかった。通算20イニング無失点の「ミスターゼロ」だ。
「ゼロで抑えて(無失点を)伸ばしていくのがモチベーションになっている」
昨年7月のオープン戦でKOされ、大原監督から上手から横手への転向を打診された。「自分でも何かを変えないとダメだと思っていたが、怖さがあった」。1カ月で球速が3キロ増し、140キロだった最速は146キロまで上昇。変化球の曲がりも格段に良くなった。
秋は先発起用も視野に入れたフル回転が求められる。「無失点でリーグ戦を終えて、胴上げ投手になりたい」。24年春以来の頂点へスコアボードに「0」を刻んでいく。
📝「苦しかったな…というのもあります」PL学園“伝説の名将”の孫が甲子園後に明かしたホンネ…「どんな指導者になりたい?」質問への“納得の答え”
https://news.yahoo.co.jp/articles/ebc61f7d69234b6cce3d1de1dab60ca41282f3a8
キャプテンと血筋。佐野日大の中村盛汰にとって何よりも重要なのは前者だ。しかし、世間はどうしても後者をクローズアップしたくなる。
中村順司の孫。PL学園の監督として、1987年に達成した春夏連覇など6度の日本一。甲子園で通算58勝を挙げ、桑田真澄と清原和博の「KK」をはじめ多くの名選手をプロへと送り出した名将の血筋を継ぐ者が甲子園に出場したとなれば、否が応でも話題にされてしまう。
“レジェンド”の祖父に関する質問
センバツに続いて夏も甲子園に出た佐野日大のキャプテンは、試合後の囲み取材になると真っ先に祖父について記者の質問を受ける。やりとりは、だいたいがこんな具合だ。
――試合前に言われたことは?
「『自分ではなくチームの結果を最優先に』と言われるので、その言葉通りのプレーをしたいな、と思います」
――高校野球のレジェンドでもある祖父は、どのような存在か?
「甲子園で1勝するだけでも本当にきつく、大変だったんですけど、それを何度も続けてきたことが非常に偉大だと感じています」
囲み取材中の中村は表情を崩さない。それは、血筋を認めながらも自己証明を果たさんとする覚悟の表れでもあるようだった。福島から富山の新川で高校野球を過ごした3歳上の兄、貫汰の成長を目の当たりにし、中村も県外でのプレーを志した。日大東北で指導する父・猛安は、兄と同じ道を選んだ弟の決断を、このように尊重している。
「甲子園に行くために日大東北を捨てて、佐野日大に行ったわけではないんです。貫汰の自立に後押しされたこともあるでしょうけど、そこから家族ですごく話し合いましたし、盛汰の決意も固かったですからね」
父は息子に告げた。
「高校に入ったらおじいちゃんがいるからとか、いろんなことを言われるぞ。それはお前にとって宿命だからな」
息子は父の言葉を受け止め、背負った。佐野日大のBチームは、下級生の1年生をリーダーに据え、チームに残る2年生がバックアップする仕組みとなっている。同級生のみならず、上級生も牽引する立場となった中村は「道具の整理ができていない」など、細かいところまで指導者から指摘されてきた。Bチーム時代から苦難を知る吉沢悠は、中村の立ち振る舞いに敬意を払う。
「高校に入ってきたときから、ずっと家族のことを言われて苦しいことが多かったし、辛そうな姿もいっぱい見てきたんですけど、本当に弱音を吐かずにやっていました」
1年生の秋からベンチ入り。高校野球のキャリアとしては順調ながら、中村にとってはむしろ試練のほうが多かったくらいだ。猛安が今も心を痛めるほどに焼き付けているのが、昨夏の栃木大会の3回戦である。
「自分のせいで先輩を負けさせてしまった」
栃木工戦の8回、2点リードの場面でマウンドに上がったのが中村だった。内野手ながら制球力に優れていたことを評価されての登板だったが、9回に3点を奪われ逆転を許し、佐野日大は4-5で敗れた。猛安の回想だ。
「負けた瞬間の盛汰は、もう涙も出ないくらいの放心状態でした。本人は口に出しませんでしたが、そこから『自分のせいで先輩を負けさせてしまった。もうチームにこんな思いをさせたくない』という気持ちが、新チームになってすごく出るようになりましたね」
その中村の姿勢の根幹にある精神こそ、祖父の順司と父の猛安が、中村が幼いころから説いていた訓示「球道即人道」だった。PL学園の監督時代から多くの選手に影響を与えてきた格言を、中村は体現した。
「野球っていうのは技術も大切ですけど、それだけじゃなくて運や徳を積むことも大事で。新チームでキャプテンをやらせてもらい『もっと応援されるチームになろう』ということで、挨拶をする、ごみを拾う、室内ではスリッパを並べるとか、そういう細かい部分を詰めるというんですかね。それが『球道即人道』にも込められていまして。そういった小さいことをコツコツとやったことが、結果につながったと思っています」
苦しくとも弱みを見せないキャプテンは、チームメートの痛みにこそ寄り添った。12年ぶりのセンバツ出場と結果を出したのも束の間、苦楽をともに歩んできたショートの吉沢が左足を故障し、欠場を余儀なくされた。
「自分のペースでいいからな」
吉沢はキャプテンからかけられたこのひと言が支えとなったと、感謝を述べる。
「自分は副キャプテンだったので中村をサポートしなくちゃいけない立場だったんですけど、怪我をしたときは本当に自分のことで精いっぱいになってしまって。そこで中村がそう言ってくれて、焦りがなくなりました」
センバツでは初戦で三重に敗れた。春季大会から、それまでのサードから慣れないファーストを守ることになっても、中村は「勝利に直結するポジションだからやりがいがある」と、弱音を吐かずグラウンドに立ち続けた。そんな佇まいが、選手に勇気を与える。セカンドや三塁コーチャーと多岐にわたりチームを支えた千嶋紘史は、「中村がキャプテンだったから」と強調するように言う。
「練習でみんなが乗り気じゃないときも、ひとりで先陣を切って行動できるような真面目さがあって。キャプテンだからみんなにいろいろ言われることもあったんですけど、最後は本当に頼りにされるというか。チームとして彼を中心にまとまっていったなと思います」
夏の甲子園で「2勝」…確かな足跡
中村が「球道即人道」を貫きまとめ上げたチームが、夏に大きな成果を挙げる。
2年生の小島颯人の劇的すぎる逆転サヨナラホームランで決めた、16年ぶりとなる夏の甲子園。初戦で「大会屈指の左腕」と呼ばれた聖隷クリストファーの高部陸を攻略し、2回戦では優勝候補のダークホースに挙げられる神村学園も撃破した。「夏こそ校歌を」と一丸となったチームは、甲子園で2勝し爪痕を残したのである。
栃木大会で打率1割台と調子が上がらなかった中村は、甲子園でも3試合でノーヒットに終わった。健大高崎との3回戦では4回の守備から退いたが、代わりにファーストを守る吉沢に「自分らしく、落ち着いて!」と声を掛け、鼓舞し続けた。キャプテンは試合で劣勢でも、敗れてもなお顔を上げていた。監督の麦倉洋一が「あれだけ」と、宿命を引き合いに目を細める。
「自分の成績がどうであれ、チームのために動ける人間でした。よくまとめてくれたと思います。あれだけのプレッシャーを感じながらそれができるというのは大したものです。人間的に本当に素晴らしいことですよね」
監督だけではなく、吉沢も千嶋も、チームメートたちが中村を「最高のキャプテン」と述べ、感謝を口にしていた。それまで表情を崩すことのなかった最高のキャプテンの顔色は、健大高崎との試合後には少し穏やかになっていたように感じた。だから、少しだけ彼の心に触れてみた。
――「中村順司の孫」という宿命を背負ってきた高校野球はどうだったか?
「なんて言うんですかね……」今までとは異なる空気感をまとい、中村が口を開いた。
「いろんな意味で注目されてしまって、そのなかで自分のプレーもできなくて。祖父の存在があったからこそここまでこられたんですけど、苦しかったなというのもあります」
表情が物語る。間違いなく、それまでの建前ではなく本音だ。だからこそ、もう一歩、彼の心に踏み込むことができた。
――苦しみとは、「中村順司の孫」ではなく「佐野日大の中村盛汰」として見てもらいたい、葛藤のようなものだったのか?
中村は少し間をおいてから「はい」と軽く頷き、このように結んだ。
「父の『宿命だから』という言葉を思い返して、ここまでやってこられたので。この道を選んで、成長できたかなって感じています」
そして、中村家の遺伝子は育まれる。彼も「将来は指導者になりたい」と言った。
「どんな指導者になりたい?」質問への答えは…
――どんな指導者になりたいか?
報道陣から質問が投げられる。彼らはきっと「祖父や父のような」という、理想的な答えを求めていたに違いない。だが、中村はきっぱりと宣言した。
「麦倉監督のような、選手一人ひとりを見て、攻めた采配ができる指導者になりたいです。いつか佐野日大を引っ張って、甲子園に帰ってこられたらいいなと思っています」
PL学園でも日大東北でもなく。そこには、佐野日大の中村盛汰がいた。
☝「夫は兄と同学年」NY留学、経営…妻・千保子さんの異色キャリアが【甲子園優勝校・智弁和歌山】の寮母に繋がるまで
https://news.yahoo.co.jp/articles/dc7544a3ff62ce7d0b2ae7c720963ce781ea4efb?page=1
子どもが野球やスポーツに携わったことがある世代ならば「甲子園優勝」は、ハードな練習を続けた本人の努力と周囲のサポート、そして強運が積み重なったのちに手にする『奇跡の栄光』と身をもって感じているはず。その奇跡を現実に変えた選手たちのメンタル面をサポートしているのが、智弁和歌山野球部寮の寮母を務めている中谷千保子さん(42歳)です。どうしたら、強くブレない気持ちで子ども達に接することができるのか。寮母となるまでの、千保子さんのキャリアと共にお伺いしました。
監督は兄の知り合い、子どもの頃から兄以上に兄のような存在でした
「監督との出会いは中学生の頃。私が育った家庭は野球一家で、私の一番上の兄が野球部で、それぞれ学校は異なりますが監督と同学年で交流があったんです。そんな関係で監督が高校生の頃から実家に頻繁に出入りしていたので、実の兄よりも兄みたいな存在でしたね。出会ってからもうすぐ30年。監督が高校卒業後プロに進んだ後も、兄との関係は続いていたので和歌山に戻った時には実家に遊びにきたり、兄を含めて食事をしたりという間柄でした。私自身は3歳からクラシックバレエを始め、その後、新体操やダンスを始めました。高校卒業後は単身ニューヨークに2年ほどダンス留学へ。帰国後は東京でダンスの仕事を数年したのちに、家族の都合もあり24歳で和歌山に戻りダンススクールとヨガスタジオの経営を始めました。現在も寮のすぐ近くに酵素浴とチョップドサラダの専門店、ヨガスタジオを備えた複合施設「和の酵素〜叶〜」と別の場所でも蓮舞ヨガスタジオを経営しています。」
監督が和歌山に戻るタイミングで、選手のコンディショニングを任されて
「監督との関係はその後もずっと変わらず続いていましたが、2018年から『選手たちの身体のコンディションとメンタルのケアして欲しい』と声をかけていただき、一緒に取り組むことになりました。
経営していたヨガスタジオでは、スポーツ選手の体のケアなどもフォローしていましたし、私とは子どもの頃からの知り合いでお互いに‘素’の部分を知っていたので、監督もやりやすかったのだと思います。その後、2019年に現在の寮「智翔館」が完成した時に「寮母になって欲しい」と請われた時も「いーよ」と即答でお受けしました。寮母となることに不安や抵抗がなかったのは、私自身小学校の頃から実家の近所に全国大会レベルの高校の柔道部の寮があり、そこの監督ご家族と家族ぐるみでお付き合いをしていた部分が大きいですね。小学校4年生の頃からその寮にお手伝いに行くことが楽しくて、食料の買い出しから料理まで様々なお手伝いしていたんです。そこの寮母である監督の奥様はものすごく丁寧な料理をする方で、高校生の寮なのに出汁取りから野菜の面取りまで全て手作りでなされていて。私の寮母としての料理の原点はその方にあります。そんな手の込んだ料理に触れて学び育ったので、寮母となってメンタル面でのサポートに加え、日々の料理を作ることに迷いや不安はありませんでした。結婚したのは2020年、お互い再婚同士です。それまでのお互いのキャリアの点と点が全て繋がった結婚でした。」
怪我の多い選手がきっかけで、酵素浴施設を開業
「私自身、失敗をあまり考えず、とにかくなんでもやってみよう!と走り出す性格で、たとえ失敗したとしても、やらなかったより後悔がないと思えるタイプ。今も監督から『こういうチームを作りたい』『身体作りのためにこんなサポートをしたい』など日々の会話の中に出てきたことをカタチにしていくことにやり甲斐を感じ、私の役目だと思っています。酵素浴のある施設を作ったのも、ちょっとした思いつきがきっかけ。以前に疲労骨折や肉離れを繰り返す選手がいたんです。その子をケアしつつ、いかに早く回復させてチームに復帰させるかが課題だったのですが、その時に自分自身も通っていて血液循環が良くなり治癒力を促すことを実感していた酵素風呂を取り入れたいと思い、実行に移しました。近辺の既存の施設は営業時間が合わなかったり女性限定だったりで選手を通わせることができず、こうなったら自分で作るしかないと思いたち、監督にも相談して2021年に今の施設を完成させました。きっかけとなった選手は卒業した後の完成となってしまったのは残念ですが、現在も選手たちの身体のケアに酵素浴を取り入れています。ちなみに酵素浴が役に立ったのか、完成の年に中谷智弁として1度目の甲子園優勝を果たしました。」
甲子園優勝は一つの通過点 自らこの先の人生を切り開く力をつけてほしい
常にポジティブな姿勢で自らの人生も、選手たちとも向き合ってきた千保子さん。甲子園優勝という『奇跡の栄光』を手にした選手たちが優勝旗を手に宿舎に戻った時にかけた声も、祝福だけではなくその先の人生に目を向かせる言葉でした。
「甲子園優勝は素晴らしい結果で、もちろん私も嬉しかったです。一方で優勝メンバーはこれから先の人生ずっと『甲子園優勝』という看板を背負って生きていくことになるんです。進学しても、就職しても、社会人やプロとして野球を続けても、それはずっとついてまわります。だから寮に戻った選手たちには『甲子園優勝した誰々という看板はずっとつきまとう、その価値を下げないようにこれから先の人生は更にアップデートが必要。ある意味、人生のハードルが上がったのだから気を引き締めて』と言葉をかけました。優勝は、あくまで2026年8月22日まで彼らが歩んできた道の答え合わせです。8月23日からは新しい道を歩んでいくという意識を持たないといけません。だって、彼らの人生先の方がはるかに長いのですから。私は日頃から、勝ちにも負けにも価値があると思っています。勝ったら「その理由」を考え学ぶことがありますし、負けた時も「その理由」を考えその時だから響く言葉や痛みの意味を知るという経験も人生には必要なこと。彼らがこれから先の人生、自分自身でどれだけ豊かで幸せな人生を切り開いていく力を持っているか、こちら方が重要なんです。私の目標は彼らが社会に出た時に「この子がいてよかった!」と言われる人間を育成すること。答えが出るのは今じゃなくていい。この先、彼らがどんな人生を歩んでいくのかそれを見守っていくのが私の寮母としての最大の楽しみです。」
甲子園優勝から2日後。8月24日に開かれた秋季和歌山大会新人戦に智弁和歌山は新チームで挑み、2回戦で和歌山東に2-5で敗れ、秋季県大会は一次戦に回ることになりました。新人戦で4強に入れば来春の選抜出場をかけた県大会に2次戦から出場できたところを、この黒星で1次戦から出場することに。
選手たちは今きっと、「勝ちにも負けにも意味がある」中谷千保子さんのこの言葉に支えられ、新しい道を歩んでいるに違いありません。
💢令和8年度秋季近畿地区高等学校野球大会県一次予選の日程変更について(お知らせ)
https://www.whbf.jp/uploads/20260904165718_Vc1b.pdf
明日9月5日(土)から開催される、令和8年度秋季近畿地区高等学校野球大会県一次予選は悪天候が予想されるため、試合日程を下記の通り変更しましたのでお知らせします。
記
9月6日(日)上富田スポーツセンター野球場
第1試合 9:00 和歌山高専 ― 智辯和歌山(秋季県一次予選)
第2試合 11:30 海 南 ― 串本古座(秋季県一次予選)
第3試合 14:00 和歌山北 ― 粉 河(秋季県一次予選)
9月6日(日)田辺スポーツパーク野球場
第1試合 9:00 神 島 ― 市和歌山(新人戦準決勝戦)有料試合
第2試合 11:30 日 高 ― 桐 蔭(新人戦準決勝戦)有料試合
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第3試合 14:00 県和歌山 ― 向 陽(秋季県一次予選)
9月7日(月)紀三井寺公園野球場
第1試合 10:00 県下高校野球新人戦決勝戦
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第2試合 13:00 箕 島 ― 和歌山商業(秋季県一次予選)
9月8日(火)紀三井寺公園野球場
第1試合 9:00 田辺工 ― 紀北工(秋季県一次予選)
第2試合 11:30 南 部 ― 那 賀(秋季県一次予選)
※なお、明日以降も悪天候が予想されています。グラウンドコンディション不良により、大会日程が大幅に変更する場合があります。あしからずご了承ください。
以上
📝【近畿学生野球 9月5日開幕】和歌山大 橋本主将と“ミスターゼロ”一井がけん引
https://news.yahoo.co.jp/articles/1bf77a8aa4eb75130a2ee4fdc215a2d88c726e68
近畿学生野球連盟の秋季1部リーグ戦は5日、大阪市の大阪シティ信用金庫スタジアムで開幕する。1948年に創設され、国公立大、私立大合わせて18校で活動する連盟は「文武両道のリーグ」と呼ばれ、「フェアプレーの精神」を重んじる。4連覇中の奈良学園大にストップをかけるのは、どの大学か。各校の注目選手を中心に紹介し、展望した。
「覚悟」を示す秋となる。主将不在で戦った今春は2位も、「軸」不在が結果的に大きく響いた和歌山大。2年春から主力として出場する橋本は自ら志願し、チームを背負うと決めた。
「歴代の主将とはレベルが違うので、自信がなかった。ただ、腹をくくってやらないと勝てないと思った」
同期や先輩、歴代の主将にも相談。大原弘監督からはリーダーになるための参考書籍をもらい、主将像を模索する。今春まで2番を打ったが春9盗塁とチームNo.1の俊足を生かして秋は1番を打つ可能性もある。「やることは変わらないが、気持ち的に(チームに)勢いをつけたい。隙があれば走り、(相手に)プレッシャーをかけたい」。姿勢、プレー、存在感全てにおいて先頭に立つ。
右サイドの一井は、昨秋にリーグ戦デビューし今春は16回2/3を無失点。全6試合救援で3試合は得点圏に走者がいる場面で生還さえ許さなかった。通算20イニング無失点の「ミスターゼロ」だ。
「ゼロで抑えて(無失点を)伸ばしていくのがモチベーションになっている」
昨年7月のオープン戦でKOされ、大原監督から上手から横手への転向を打診された。「自分でも何かを変えないとダメだと思っていたが、怖さがあった」。1カ月で球速が3キロ増し、140キロだった最速は146キロまで上昇。変化球の曲がりも格段に良くなった。
秋は先発起用も視野に入れたフル回転が求められる。「無失点でリーグ戦を終えて、胴上げ投手になりたい」。24年春以来の頂点へスコアボードに「0」を刻んでいく。
📝「苦しかったな…というのもあります」PL学園“伝説の名将”の孫が甲子園後に明かしたホンネ…「どんな指導者になりたい?」質問への“納得の答え”
https://news.yahoo.co.jp/articles/ebc61f7d69234b6cce3d1de1dab60ca41282f3a8
キャプテンと血筋。佐野日大の中村盛汰にとって何よりも重要なのは前者だ。しかし、世間はどうしても後者をクローズアップしたくなる。
中村順司の孫。PL学園の監督として、1987年に達成した春夏連覇など6度の日本一。甲子園で通算58勝を挙げ、桑田真澄と清原和博の「KK」をはじめ多くの名選手をプロへと送り出した名将の血筋を継ぐ者が甲子園に出場したとなれば、否が応でも話題にされてしまう。
“レジェンド”の祖父に関する質問
センバツに続いて夏も甲子園に出た佐野日大のキャプテンは、試合後の囲み取材になると真っ先に祖父について記者の質問を受ける。やりとりは、だいたいがこんな具合だ。
――試合前に言われたことは?
「『自分ではなくチームの結果を最優先に』と言われるので、その言葉通りのプレーをしたいな、と思います」
――高校野球のレジェンドでもある祖父は、どのような存在か?
「甲子園で1勝するだけでも本当にきつく、大変だったんですけど、それを何度も続けてきたことが非常に偉大だと感じています」
囲み取材中の中村は表情を崩さない。それは、血筋を認めながらも自己証明を果たさんとする覚悟の表れでもあるようだった。福島から富山の新川で高校野球を過ごした3歳上の兄、貫汰の成長を目の当たりにし、中村も県外でのプレーを志した。日大東北で指導する父・猛安は、兄と同じ道を選んだ弟の決断を、このように尊重している。
「甲子園に行くために日大東北を捨てて、佐野日大に行ったわけではないんです。貫汰の自立に後押しされたこともあるでしょうけど、そこから家族ですごく話し合いましたし、盛汰の決意も固かったですからね」
父は息子に告げた。
「高校に入ったらおじいちゃんがいるからとか、いろんなことを言われるぞ。それはお前にとって宿命だからな」
息子は父の言葉を受け止め、背負った。佐野日大のBチームは、下級生の1年生をリーダーに据え、チームに残る2年生がバックアップする仕組みとなっている。同級生のみならず、上級生も牽引する立場となった中村は「道具の整理ができていない」など、細かいところまで指導者から指摘されてきた。Bチーム時代から苦難を知る吉沢悠は、中村の立ち振る舞いに敬意を払う。
「高校に入ってきたときから、ずっと家族のことを言われて苦しいことが多かったし、辛そうな姿もいっぱい見てきたんですけど、本当に弱音を吐かずにやっていました」
1年生の秋からベンチ入り。高校野球のキャリアとしては順調ながら、中村にとってはむしろ試練のほうが多かったくらいだ。猛安が今も心を痛めるほどに焼き付けているのが、昨夏の栃木大会の3回戦である。
「自分のせいで先輩を負けさせてしまった」
栃木工戦の8回、2点リードの場面でマウンドに上がったのが中村だった。内野手ながら制球力に優れていたことを評価されての登板だったが、9回に3点を奪われ逆転を許し、佐野日大は4-5で敗れた。猛安の回想だ。
「負けた瞬間の盛汰は、もう涙も出ないくらいの放心状態でした。本人は口に出しませんでしたが、そこから『自分のせいで先輩を負けさせてしまった。もうチームにこんな思いをさせたくない』という気持ちが、新チームになってすごく出るようになりましたね」
その中村の姿勢の根幹にある精神こそ、祖父の順司と父の猛安が、中村が幼いころから説いていた訓示「球道即人道」だった。PL学園の監督時代から多くの選手に影響を与えてきた格言を、中村は体現した。
「野球っていうのは技術も大切ですけど、それだけじゃなくて運や徳を積むことも大事で。新チームでキャプテンをやらせてもらい『もっと応援されるチームになろう』ということで、挨拶をする、ごみを拾う、室内ではスリッパを並べるとか、そういう細かい部分を詰めるというんですかね。それが『球道即人道』にも込められていまして。そういった小さいことをコツコツとやったことが、結果につながったと思っています」
苦しくとも弱みを見せないキャプテンは、チームメートの痛みにこそ寄り添った。12年ぶりのセンバツ出場と結果を出したのも束の間、苦楽をともに歩んできたショートの吉沢が左足を故障し、欠場を余儀なくされた。
「自分のペースでいいからな」
吉沢はキャプテンからかけられたこのひと言が支えとなったと、感謝を述べる。
「自分は副キャプテンだったので中村をサポートしなくちゃいけない立場だったんですけど、怪我をしたときは本当に自分のことで精いっぱいになってしまって。そこで中村がそう言ってくれて、焦りがなくなりました」
センバツでは初戦で三重に敗れた。春季大会から、それまでのサードから慣れないファーストを守ることになっても、中村は「勝利に直結するポジションだからやりがいがある」と、弱音を吐かずグラウンドに立ち続けた。そんな佇まいが、選手に勇気を与える。セカンドや三塁コーチャーと多岐にわたりチームを支えた千嶋紘史は、「中村がキャプテンだったから」と強調するように言う。
「練習でみんなが乗り気じゃないときも、ひとりで先陣を切って行動できるような真面目さがあって。キャプテンだからみんなにいろいろ言われることもあったんですけど、最後は本当に頼りにされるというか。チームとして彼を中心にまとまっていったなと思います」
夏の甲子園で「2勝」…確かな足跡
中村が「球道即人道」を貫きまとめ上げたチームが、夏に大きな成果を挙げる。
2年生の小島颯人の劇的すぎる逆転サヨナラホームランで決めた、16年ぶりとなる夏の甲子園。初戦で「大会屈指の左腕」と呼ばれた聖隷クリストファーの高部陸を攻略し、2回戦では優勝候補のダークホースに挙げられる神村学園も撃破した。「夏こそ校歌を」と一丸となったチームは、甲子園で2勝し爪痕を残したのである。
栃木大会で打率1割台と調子が上がらなかった中村は、甲子園でも3試合でノーヒットに終わった。健大高崎との3回戦では4回の守備から退いたが、代わりにファーストを守る吉沢に「自分らしく、落ち着いて!」と声を掛け、鼓舞し続けた。キャプテンは試合で劣勢でも、敗れてもなお顔を上げていた。監督の麦倉洋一が「あれだけ」と、宿命を引き合いに目を細める。
「自分の成績がどうであれ、チームのために動ける人間でした。よくまとめてくれたと思います。あれだけのプレッシャーを感じながらそれができるというのは大したものです。人間的に本当に素晴らしいことですよね」
監督だけではなく、吉沢も千嶋も、チームメートたちが中村を「最高のキャプテン」と述べ、感謝を口にしていた。それまで表情を崩すことのなかった最高のキャプテンの顔色は、健大高崎との試合後には少し穏やかになっていたように感じた。だから、少しだけ彼の心に触れてみた。
――「中村順司の孫」という宿命を背負ってきた高校野球はどうだったか?
「なんて言うんですかね……」今までとは異なる空気感をまとい、中村が口を開いた。
「いろんな意味で注目されてしまって、そのなかで自分のプレーもできなくて。祖父の存在があったからこそここまでこられたんですけど、苦しかったなというのもあります」
表情が物語る。間違いなく、それまでの建前ではなく本音だ。だからこそ、もう一歩、彼の心に踏み込むことができた。
――苦しみとは、「中村順司の孫」ではなく「佐野日大の中村盛汰」として見てもらいたい、葛藤のようなものだったのか?
中村は少し間をおいてから「はい」と軽く頷き、このように結んだ。
「父の『宿命だから』という言葉を思い返して、ここまでやってこられたので。この道を選んで、成長できたかなって感じています」
そして、中村家の遺伝子は育まれる。彼も「将来は指導者になりたい」と言った。
「どんな指導者になりたい?」質問への答えは…
――どんな指導者になりたいか?
報道陣から質問が投げられる。彼らはきっと「祖父や父のような」という、理想的な答えを求めていたに違いない。だが、中村はきっぱりと宣言した。
「麦倉監督のような、選手一人ひとりを見て、攻めた采配ができる指導者になりたいです。いつか佐野日大を引っ張って、甲子園に帰ってこられたらいいなと思っています」
PL学園でも日大東北でもなく。そこには、佐野日大の中村盛汰がいた。
☝「夫は兄と同学年」NY留学、経営…妻・千保子さんの異色キャリアが【甲子園優勝校・智弁和歌山】の寮母に繋がるまで
https://news.yahoo.co.jp/articles/dc7544a3ff62ce7d0b2ae7c720963ce781ea4efb?page=1
子どもが野球やスポーツに携わったことがある世代ならば「甲子園優勝」は、ハードな練習を続けた本人の努力と周囲のサポート、そして強運が積み重なったのちに手にする『奇跡の栄光』と身をもって感じているはず。その奇跡を現実に変えた選手たちのメンタル面をサポートしているのが、智弁和歌山野球部寮の寮母を務めている中谷千保子さん(42歳)です。どうしたら、強くブレない気持ちで子ども達に接することができるのか。寮母となるまでの、千保子さんのキャリアと共にお伺いしました。
監督は兄の知り合い、子どもの頃から兄以上に兄のような存在でした
「監督との出会いは中学生の頃。私が育った家庭は野球一家で、私の一番上の兄が野球部で、それぞれ学校は異なりますが監督と同学年で交流があったんです。そんな関係で監督が高校生の頃から実家に頻繁に出入りしていたので、実の兄よりも兄みたいな存在でしたね。出会ってからもうすぐ30年。監督が高校卒業後プロに進んだ後も、兄との関係は続いていたので和歌山に戻った時には実家に遊びにきたり、兄を含めて食事をしたりという間柄でした。私自身は3歳からクラシックバレエを始め、その後、新体操やダンスを始めました。高校卒業後は単身ニューヨークに2年ほどダンス留学へ。帰国後は東京でダンスの仕事を数年したのちに、家族の都合もあり24歳で和歌山に戻りダンススクールとヨガスタジオの経営を始めました。現在も寮のすぐ近くに酵素浴とチョップドサラダの専門店、ヨガスタジオを備えた複合施設「和の酵素〜叶〜」と別の場所でも蓮舞ヨガスタジオを経営しています。」
監督が和歌山に戻るタイミングで、選手のコンディショニングを任されて
「監督との関係はその後もずっと変わらず続いていましたが、2018年から『選手たちの身体のコンディションとメンタルのケアして欲しい』と声をかけていただき、一緒に取り組むことになりました。
経営していたヨガスタジオでは、スポーツ選手の体のケアなどもフォローしていましたし、私とは子どもの頃からの知り合いでお互いに‘素’の部分を知っていたので、監督もやりやすかったのだと思います。その後、2019年に現在の寮「智翔館」が完成した時に「寮母になって欲しい」と請われた時も「いーよ」と即答でお受けしました。寮母となることに不安や抵抗がなかったのは、私自身小学校の頃から実家の近所に全国大会レベルの高校の柔道部の寮があり、そこの監督ご家族と家族ぐるみでお付き合いをしていた部分が大きいですね。小学校4年生の頃からその寮にお手伝いに行くことが楽しくて、食料の買い出しから料理まで様々なお手伝いしていたんです。そこの寮母である監督の奥様はものすごく丁寧な料理をする方で、高校生の寮なのに出汁取りから野菜の面取りまで全て手作りでなされていて。私の寮母としての料理の原点はその方にあります。そんな手の込んだ料理に触れて学び育ったので、寮母となってメンタル面でのサポートに加え、日々の料理を作ることに迷いや不安はありませんでした。結婚したのは2020年、お互い再婚同士です。それまでのお互いのキャリアの点と点が全て繋がった結婚でした。」
怪我の多い選手がきっかけで、酵素浴施設を開業
「私自身、失敗をあまり考えず、とにかくなんでもやってみよう!と走り出す性格で、たとえ失敗したとしても、やらなかったより後悔がないと思えるタイプ。今も監督から『こういうチームを作りたい』『身体作りのためにこんなサポートをしたい』など日々の会話の中に出てきたことをカタチにしていくことにやり甲斐を感じ、私の役目だと思っています。酵素浴のある施設を作ったのも、ちょっとした思いつきがきっかけ。以前に疲労骨折や肉離れを繰り返す選手がいたんです。その子をケアしつつ、いかに早く回復させてチームに復帰させるかが課題だったのですが、その時に自分自身も通っていて血液循環が良くなり治癒力を促すことを実感していた酵素風呂を取り入れたいと思い、実行に移しました。近辺の既存の施設は営業時間が合わなかったり女性限定だったりで選手を通わせることができず、こうなったら自分で作るしかないと思いたち、監督にも相談して2021年に今の施設を完成させました。きっかけとなった選手は卒業した後の完成となってしまったのは残念ですが、現在も選手たちの身体のケアに酵素浴を取り入れています。ちなみに酵素浴が役に立ったのか、完成の年に中谷智弁として1度目の甲子園優勝を果たしました。」
甲子園優勝は一つの通過点 自らこの先の人生を切り開く力をつけてほしい
常にポジティブな姿勢で自らの人生も、選手たちとも向き合ってきた千保子さん。甲子園優勝という『奇跡の栄光』を手にした選手たちが優勝旗を手に宿舎に戻った時にかけた声も、祝福だけではなくその先の人生に目を向かせる言葉でした。
「甲子園優勝は素晴らしい結果で、もちろん私も嬉しかったです。一方で優勝メンバーはこれから先の人生ずっと『甲子園優勝』という看板を背負って生きていくことになるんです。進学しても、就職しても、社会人やプロとして野球を続けても、それはずっとついてまわります。だから寮に戻った選手たちには『甲子園優勝した誰々という看板はずっとつきまとう、その価値を下げないようにこれから先の人生は更にアップデートが必要。ある意味、人生のハードルが上がったのだから気を引き締めて』と言葉をかけました。優勝は、あくまで2026年8月22日まで彼らが歩んできた道の答え合わせです。8月23日からは新しい道を歩んでいくという意識を持たないといけません。だって、彼らの人生先の方がはるかに長いのですから。私は日頃から、勝ちにも負けにも価値があると思っています。勝ったら「その理由」を考え学ぶことがありますし、負けた時も「その理由」を考えその時だから響く言葉や痛みの意味を知るという経験も人生には必要なこと。彼らがこれから先の人生、自分自身でどれだけ豊かで幸せな人生を切り開いていく力を持っているか、こちら方が重要なんです。私の目標は彼らが社会に出た時に「この子がいてよかった!」と言われる人間を育成すること。答えが出るのは今じゃなくていい。この先、彼らがどんな人生を歩んでいくのかそれを見守っていくのが私の寮母としての最大の楽しみです。」
甲子園優勝から2日後。8月24日に開かれた秋季和歌山大会新人戦に智弁和歌山は新チームで挑み、2回戦で和歌山東に2-5で敗れ、秋季県大会は一次戦に回ることになりました。新人戦で4強に入れば来春の選抜出場をかけた県大会に2次戦から出場できたところを、この黒星で1次戦から出場することに。
選手たちは今きっと、「勝ちにも負けにも意味がある」中谷千保子さんのこの言葉に支えられ、新しい道を歩んでいるに違いありません。