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紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
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お知らせ

編集済
⚾今日のセンバツ甲子園試合結果(決勝戦)
最終日決勝戦 智弁学園(奈良)-大阪桐蔭(大阪) 12:30~14:52
          一二三四五六七八九十計HE
      大阪桐蔭012000400 7110
      智弁学園001101000 361

大阪桐蔭は4年ぶり5度目の優勝🏆

☝77歳老将の衰えぬ頂点への思い 引き際は「楽しくなくなったら」…往復2時間通勤も苦にせず
https://news.yahoo.co.jp/articles/e26aafaccdd2a9e6a44ac8b7ed9d7825ae2ef439

茨城出身で竜ケ崎一、藤代、常総学院の監督を歴任し、2008年から現職

第98回選抜高校野球大会で、専大松戸(千葉)は29日に行われた大阪桐蔭との準決勝に2-3で惜敗。今大会中に77歳11か月で選抜最高齢勝利監督の記録を更新した持丸修一監督は、監督生活初の全国制覇を射程圏内にとらえていたが、春夏通算9度の優勝経験を誇る大阪桐蔭に一歩及ばなかった。

準決勝に進出した4校のうち、専大松戸以外の大阪桐蔭(春4度、夏5度)、智弁学園(春1度)、中京大中京(春4度、夏7度)はいずれも過去に優勝経験があった。持丸監督は「ウチだけ優勝経験がない中で、なんとか頑張ってみようと思っていたのですが……子どもたちは勝ちたかったと思うので、なんとかしてやりたかった」と苦笑した。

「後手、後手になっちゃった。もうちょっと勇気を与えてあげられたら、もっといいゲームができたのかなという気がして、それが残念です」。持丸監督がそう振り返る通り、初回に一塁手のタイムリーエラーで先制点を許し、4回の攻撃では9番打者・長谷川大納外野手(3年)が高いバウンドの適時内野安打を放って同点に追いついたが、7回に突き放された。

8回の攻撃では、1死から二塁走者の吉岡伸太朗捕手(3年)が相手の不意を衝いて三盗を成功させ、苅部礼翔内野手(2年)の左越え適時二塁打で再び追いつく粘りを見せた。それでも、その裏の守備で1死三塁から内野ゴロの間に決勝点を奪われた。

「経験の差なんですかね……しっかり捕れる打球を捕れなかったり、逆に捕れないような打球を捕られたりね」と大阪桐蔭の底力を痛感。「何回もこういう経験をして、頂点に立てるようにしてもらいたいです」と吐露した。

持丸監督は茨城県出身で、母校の竜ケ崎一、藤代、常総学院の監督を歴任し、全て甲子園出場に導いた。2008年に甲子園未出場だった専大松戸の監督に就任し、ここでも春3度・夏3度“聖地”に導いてきた。2023年春にベスト8入りを果たし、今大会で過去最高を上回る準決勝まで駒を進めた。

「子どもたちの気力、楽しさに釣られてグラウンドに行くのが楽しい」

4月17日には78歳となる。残る標的は全国制覇以外にないだろう。持丸監督自身「悔しいまま終わりにしたくない」と本音が漏れる。

「子どもらがいるからこそ、グラウンドに立つ勇気を持てる。子どもたちの気力、楽しさに釣られて、グラウンドに行くのが楽しいです」と選手たちへの感謝を口にし、「楽しくなくなったら、辞めるべきでしょうね」と付け加えた。

いまだに毎日、茨城県取手市の自宅から千葉県松戸市のグラウンドまで、車で往復2時間の道のりを運転し通勤している。健康法を聞くと、「散歩とか食事よりも、希望を持つことではないでしょうか。何でもいいし、1つでいいから、希望を持って生きていければと思います」という答えが返ってきた。

「こういう舞台をどんどん踏んでいければ、(全国制覇が)近づくと思いますし、踏めなければ遠いまま終わってしまうと思います」と述懐した老将。今年の夏にもう1度、勝負をかける。

🎤【馬淵史郎 我が道30】あと3年 監督としての集大成でもう一度全国制覇を
https://news.yahoo.co.jp/articles/1cbe20a1cfc833da77941965c2014c742c160506

高校野球の7回制導入に賛成、反対の意見がぶつかり合っている。「絶対反対」「9回戦ってこその野球だ」という主張には、昭和の時代から野球に打ち込んできた者として共感する部分は多い。一方で暑さ対策、高校生の健康対策を優先すべきという声も無視はできない。

時代に応じて高校野球は変化してきた。33年(昭8)の中京商と明石中は延長25回を戦い抜いた。69年(昭44)の松山商と三沢の延長18回引き分け再試合は、中学時代に興奮しながら見ていた名勝負だ。延長戦の制度は変遷を経て、延長10回からタイブレークという形に至っている。そして現在行われている選抜大会からはDH制も導入された。次は7回制が焦点だ。

高校野球には可変と不変のものがあると思っている。甲子園を目指して、青春を懸けて、厳しい練習に取り組む。それを学校や地域の人たちが応援する。その姿が不変のものでなければいけない。7回制も野球というスポーツの根幹に関わる。9回を戦うから、多くのドラマを生んできた。現状では「7回制は最終手段。他にやるべき改善点はある」というのが、私の考えだ。

選手の負担軽減のため、試合時間を短縮し、出場機会を減らさないように考えたい。DH制も投手だけと制限せず、他の選手に適用することを考えてもいい。高校生の投手では打力もいい例は多い。現にソフトボールのDH制は野手でもOKだ。臨時代走など高校野球特別ルールがあるのだから、一考に値するはず。また時間短縮では、選手交代などを監督が直接、審判に伝えることを認めていいのではないか。伝令役の選手を仲介して、結構ムダな時間を使っている。高野連を中心に現場の声、ファンの意見も集約しながら、世界の見本になる日本野球のスタイルをつくってほしい。7回制論議より野球の魅力を広げ、競技人口を減らさない努力をすることが急務だと思う。

私も昨年11月で70歳になった。多くのOBや各地の指導者に、古希を祝っていただいた。自分の中では「あと3年、監督として身を賭して取り組む」とこれからの野球人生を考えている。これからの3年間で、自分の監督としての集大成となるチームづくりに取り組み、もう一度、全国制覇を果たす。それが夢だ。これからも選手たちと暑い日も寒い日も一緒になって白球に向かっていく。今回の選抜出場は果たせなかったが、明徳義塾は夏に向けて準備をしている。同時に野球の底辺拡大は自分にとっても大きなテーマだ。今年1月にも練習場を開放して、少年野球教室を行った。できることから、一つずつやっていきたい。

高知の山奥のグラウンドでは今日も選手たちが汗を流している。野球というのはある日突然うまくなる瞬間がある。これからも、そうした瞬間に数多く立ち会っていきたい。

☝“常勝”大阪桐蔭を築いた西谷“浩一パパ”の深い愛情と洞察力
https://news.yahoo.co.jp/articles/a9d481cf6b0b0d01e41d75eaf18efd37ae427f44

<センバツ高校野球:大阪桐蔭7-3智弁学園>◇31日◇決勝◇甲子園

大阪桐蔭が7-3で智弁学園(奈良)を下し、22年以来4年ぶり、春夏通算10度目の優勝を決めた。西谷浩一監督(56)は「優勝と準優勝は全然違う」と決勝無敗で頂点へとけん引。勝負師でありながら、選手への深い愛情と洞察力で常勝軍団を築き上げた。敗れた智弁学園はプロ注目のエース左腕、杉本真滉投手(3年)が1週間500球の球数制限にあと3球に迫る大車輪の働きも一歩及ばなかった。

いつもはノックバットを握る分厚く大きな手でフライパンを握った。慣れない手つきで卵焼きを作ると、丁寧にお弁当箱に詰め込んだ。22年、夫人が体調を崩し、約1カ月間、浩一パパが家事を切り盛りし、奮闘した。一番手がかかったのは当時15歳と12歳の娘さんのお弁当だった。

料理なんてやったこともない。どうやってこの苦境を乗り切るか。考えたのは“コンビニ弁当”。練習帰りにこっそりコンビニ弁当を購入。娘たちよりも早く起き、丁寧にお弁当箱に詰め、黙って持たせた。2~3日たった頃だったろうか。娘さんが声をかけた。「お父さん、分かってるで」。その視線の先には、コンビニ弁当の殻。「いつもは選手にウソはアカンって言うてるのにね」と苦笑いを浮かべた。

翌日からは料理に取り組んだ。初めて作った卵焼きは、見た目は不細工でも!?味は抜群。愛情たっぷりのお弁当に娘さんたちは「ありがとう。おいしかったで」と毎日喜んで残さず食べてくれたという。

OBたちの西谷監督評は「監督というよりも先生」「温かく見守ってくれる」「常に謙虚」。22年主将の青学大・星子天真内野手(4年)は「娘さんがいるから、僕らのことは息子だと思ってくれているのかも」と話した。だから選手たちへの愛情は深い。怒るのは私生活や取り組み、ウソをついたりごまかした時だけ。失敗にも「人間一度くらい失敗はある」と決して突き放さずチャンスを与える。「いい選手を集めている」と周囲に言われるが、実は選手の性格まで見て、大阪桐蔭での成長を願い共に甲子園優勝を目指した。

素材と味付け。そしてたっぷりの愛情。浩一パパの最高の調理で、大阪桐蔭はこれからも強くあり続ける。

🔥「優勝以外は何も残らない」 智弁学園の小坂監督が決めた覚悟
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASV3Z7THMV3ZPOMB00KM.html

「甲子園で優勝」という目標を口にし始めたのは一昨年のことだ。普段は派手な言動は好まない。2006年に母校の智弁学園の監督に就任して以来、公言は避けてきた。
理由は「指導者としてのマンネリ化」だ。38歳で16年春の選抜大会を制した。全国屈指の強豪校を率い、岡本和真選手や村上頌樹選手らプロで活躍する教え子も多い。

甲子園に出場すれば、優勝候補と見なされる。だが選抜優勝以降、勝ちきれない状況が「マンネリ」に映った。悔しさから今でも鮮明に思い出す試合がある。21年夏の決勝の智弁和歌山戦。もともと智弁和歌山で野球をやりたかった。甲子園での戦績も先を行く存在だった。「自分にもプライドがある。絶対に負けたくない」。しかし、結果は完敗。優勝旗を選手に持たせることができなかった。

一昨年の春、実力ある新入生がそろって入部した。「この子たちでダメならそれが自分の引き際だろう」。甲子園で優勝する覚悟が決まった。
今大会で当時の新入生が主力の3年生として出場した。準々決勝の花咲徳栄戦。序盤に大量得点を許したが、大会史上最大となる8点差を逆転した。「鳥肌が立ちました」。試合後にそう語った。

有言実行まであと1勝。「優勝以外は何も残らない。1回戦負けと似たようなもの」。10年ぶり2度目の優勝を見据える。

👣3元号で甲子園勝利、聖隷クリストファー上村敏正監督が退任へ「夏、甲子園に行き、私の役目は終わったかなと」
https://article.yahoo.co.jp/detail/5e7200732907aab9a9fe1e34169e0af7ab0cca3b

聖隷クリストファー高野球部の上村敏正監督(68)が3月いっぱいで監督を退き、兼務していた同校校長の職務に専念する。
野球部スタッフには昨秋の東海大会準決勝を終えた段階で説明し、選手には春季静岡県大会予選が始まる直前の3月16日に伝えたという。監督としての采配は3月15日の練習試合が最後。3月20日から始まった県大会予選はベンチに入らず、後任の田中公隆副部長が指揮を執っている。

昨夏の全国高校野球選手権静岡大会で優勝し、甲子園での戦いを終えたころから徐々に気持ちを固めていたという。

「夏が終わって、冬まで休みなく両方(校長と監督)を務めるのは苦しいなと思ってました。両方をきちんとやらないと済まないタイプなので」

野球部スタッフからは「せめて夏までは」と慰留され、ベンチに入ると采配を任せようと思っても「気になって口出ししてしまう」。
葛藤もあったが、最後は「(エースの)高部(陸投手)がいる間に渡してやらないと、というのが強かったですね」と、新体制へのスムーズな移行を考慮した。

浜松商高3年の夏に捕手として甲子園の土を踏んだ。指導者となり、母校の監督として夏は1984、1988、1990年、春は1985、1986、1990、1993年の計7回、掛川西を率いた2009年春も聖地に導いた。一度は現場を退いたが2017年秋に聖隷の監督として7年ぶりに現場復帰。昨夏、計9度目の甲子園出場を果たした。昭和、平成、令和の3元号で甲子園勝利。「頭とハートを使う」緻密な野球を信条とし、〝小粒〟でも徹底力で強豪を上回るチームを毎年作り上げた。

2022年は、秋の東海大会で準優勝し、選抜出場が有力視されながら落選。チームの総合力より個々の力を重視するような選考理由が物議を醸し、全国に波紋を広げた。
「本当はその時に辞めようと思ったんです。でも女房に反対されてね。『今辞めたら選手が困る。せめて(2022年の)夏までは続けるべき』って言われたんですよ」と振り返る。
昨夏の戦いを終えた後、体調を気遣う家族からも退任を後押しされたという。「(昨年の)夏、甲子園に行けて、私の役目は終わったかなと思いました」と静かに語った。

👣東播磨・福村監督が母校去り明石南へ転任 高校野球 兵庫の公立2校を甲子園に3度導く
https://news.yahoo.co.jp/articles/1fdf5a5091ee672ba4fa4fbbeaa977c2be6be7cd

2021年春の選抜高校野球大会に出場した東播磨の福村順一監督(53)が、1日付で明石南に転任する。機動力野球を代名詞に、加古川北時代にも春1度、夏1度の聖地を経験した指揮官は「選手たちが望むなら、そういう舞台を目指してやりたい」と話した。

東播磨OBの福村監督は天理大卒業後に保健体育科教員となり、社の部長を経て03年に加古川北の監督に就任。08年夏の西兵庫大会を制して同校初の甲子園に導き、11年春には選抜大会で8強入りを果たした。
14年から率いた東播磨では、20年秋に初の近畿大会出場。21世紀枠で春夏通じて同校初の甲子園出場を果たした。

30日の春季県高校野球播淡地区大会で最後の指揮を執った福村監督は「夏まで指導してやれず残念な思いもあるが、子どもらの頑張りで濃い時間を過ごせた」と母校での12年間を振り返った。
明石南は1979年夏に甲子園出場経験がある。「また新鮮な気持ちで全力疾走を心がけ、常に県ベスト16以上を狙えるチームをつくりたい」と語った。

☟高野連・井本事務局長 相次ぐ球児の〝SNS不祥事〟に苦悩「一般の生徒さんや周りの人たちには…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/bfa5a6592f7e99cf42c56fafb1dd5d34246762a6

高校野球界で部員による不適切事案が相次いでいる。日大三(東京)では部員が女子生徒にわいせつ動画を送らせて拡散したなどとして警視庁に書類送検され、延岡学園(宮崎)でも少女の裸の動画を録画して拡散する事案が発生。SNS利用や学校生活における規範意識のあり方が改めて問われている中で、日本高野連の井本亘事務局長(54)の見解を聞いた。

――高校野球界で事件が相次いでいる

井本事務局長 当然あってはならないこと。この件で今のところ改めて通達を出すという予定はないです。ただ紙を配るだけで終わりとなっていい状況ではないと思っていますし、影響力のある専門家などから講演を行ってもらうなど、対策を練らなければならない。「悪いことすんな」と言われたからやらないでおこうというのは寂しいことですが…。しっかり考えないといけないことだ思っています。

――野球部員以外が発端となるケースもある

井本事務局長 一般の生徒さんや、クラスメートから出回る場合もある。だから何もやってない子たちも自分たちに来る可能性を認識して、発信や拡散はしない、という強い意志を持っていてほしい。我々高校野球連盟として野球部員に対して訴えていかないといけないですが、一般の生徒さんや周りの人たちには我々(の訴え)が及ばない。そこから影響を受けたらどうするべきなのか、すごく難しい問題だと感じています。

――真面目に取り組んでいる部員にも悪影響が及ぶ

井本事務局長 学生スポーツ全体が〝スポーツだけできたら何しても許される集団〟に見られるんじゃないかなと。子供の頃から自分が好きなもの、得意なものは何かというところで野球が大好きで、自分の道を切り開きたいと頑張ってる子もいる。一方でちゃらんぽらんで野球しかやってないほんのわずかの子たちと一緒に見られてしまう。それは我々としてはすごく悲しいというか…。

――動画などが拡散されると、完全に消えることはない

井本事務局長 デジタルタトゥーの被害を受けたら、一生傷は消えないですし。またSNS上がクローズで〝何をしてもいい〟と勘違いしている。便利さや自由を手に入れたけど、履き違えたらダメだと。自由という権利があるなら責任という義務が発生する。みんなきちんと理解をしてないんじゃないかなと感じます。

――今大会は順調に進んでいるが

井本事務局長 毎年問題が起こってしまっているのは、非常に残念としか言いようがないです。まずは大会が無事に終わるように努めていきたいです。

📝昨夏の甲子園で屈辱の初回5失点KO 「子どもだった」高川学園・木下瑛二が絶対エースへと覚醒
https://news.yahoo.co.jp/articles/14541a4caaeafbf08be05fbfe7195fec4690026f

昨年夏はまだ幼さを残していた右腕が、大人の雰囲気を漂わせながら甲子園のマウンドに帰ってくる。高川学園(山口)のエース右腕・木下瑛二は、昨秋の中国大会から独自のルーティンを取り入れた。マウンドに上がると、深く目を閉じ、大きく深呼吸をする。最上級生としての自覚。かつてひとり相撲で自滅した姿を微塵も感じさせない、凜とした立ち姿に確かな成長の跡がうかがえた。

「深呼吸をして、『自分はできる』と思って毎回マウンドへ立つようにしています。(2年夏の甲子園は)やはり子どもだったというか、幼かったと思います。野手にイライラしてしまったりすることも多く、エースになって周りを見る大切さがわかりました」

【昨夏の甲子園で初回5失点KO】

全国の高校野球ファンにとって、「木下瑛二」という名はまだ馴染みが薄いかもしれない。だが、そのポテンシャルは間違いなく世代屈指だ。香川県高松市出身。小学6年時には阪神タイガースジュニアに選出されたエリートである。中学時代は硬式チームの高松庵治ヤングストーンズで名を馳せ、鳴り物入りで高川学園の門を叩いた。
178センチの体躯から投げ込む直球の最速は146キロを計測。カーブ、スライダー、チェンジアップの精度も高く、1年秋から背番号10ながら主戦格として活躍し、昨夏の山口大会では全5試合に先発。チームの4年ぶり甲子園出場に大きく貢献した。

将来の目標は「高卒でのプロ入り」。その言葉に違わぬ実力を持ちながら、昨夏の甲子園では精神面のもろさを露呈した。日大三(西東京)との3回戦。木下は初回に5安打を浴び5点を失うなど、わずか2/3回で降板。大観衆の前で、自分の投球が通用しない焦りから制球を乱し、勝負を急いでは痛打を浴びる。野手を信じる余裕はなく、マウンドで孤立していた。

「感じたことのない変な感覚に陥って、心の中で"やばい"と思っていました」

1学年先輩の背番号1・松本連太郎と支え合って勝ち上がってきた夏。帽子に書いた「2枚看板」の文字を見る余裕すらなかった。

「松本(祐一郎)監督さんからは『まだまだ自覚がない』と言われました。それまで連太郎さんに支えてもらった部分が大きかったので、新チームからは自分がエースの自覚を持ってやっていかないといけないと思いました」

新チーム発足後、背番号1を背負ったが、「エースの自覚」は気負いへと変わる。昨秋の山口大会、準決勝の桜ヶ丘戦でタイブレークの延長10回表に味方が2点を援護してくれながら、3点を失い6対7で逆転サヨナラ負け。3位決定戦の山口鴻城戦では6回4失点と力尽き、まさかの4位に終わった。中国大会が山口開催ということもあり、ギリギリで出場権を得られたことが唯一の救いだった。

「(山口大会では)三振ばかりを狙った子どものような投球をしていました。まだエースらしくない部分がありました」

【42年ぶり選抜出場の立役者に】

中国大会前の10月23日には刺激を受ける出来事があった。高川学園OBの立石正広(創価大)が3球団競合の末、阪神にドラフト1位で入団。「自分もプロ野球選手になりたい」──。ドラフト上位でプロに行くためには何をすべきか。導き出した答えは「周囲への感謝」だった。

「野手に声をかけて、信じて打たせてとるというのが一番だと実感しました。周囲を冷静に見ることができるようになりました」

中国大会1回戦では、広島王者の広陵に対して打たせてとる投球に終始。終わってみれば8対2で完投勝利を飾り、強敵を退けた。準々決勝の鳥取城北戦は5回コールドで無失点完投。そして準決勝、勝てば2季連続甲子園出場に大きく近づく下関国際戦を迎えた。

松本監督も「本当によく我慢した」と唸るほどの変貌。再三走者を出しながらも、投げ急ぐことなく、要所を締める。それまでなら力でねじ伏せようとしていた場面でも、キレのある130キロ台後半の直球と変化球を低めに集めて凡打の山を築いた。終わってみれば2対1で完投勝利。山口王者を3安打に封じ、前身の多々良学園時代以来、42年ぶり2度目の選抜出場を手中に収めた。

「新チーム結成からずっと選抜出場を目標にやってきて、この一戦が大切だと思っていました。走者を出しながらでしたけど、しっかり一つひとつ焦らないで投げることができました」

スタンドには強豪のサッカー部員が大挙して応援に駆けつけていた。かつては周囲が見えなくなるほどに自分の世界へと入り込んでいたが、その存在、その声援はマウンド上でしっかりと確認することができた。

「サッカー部を含めて応援に来てくださった方々に勝利をプレゼントしたいという思いで投げました」

かつて、マウンド上で野放図に振る舞っていた姿はもうない。ひと冬超えて、技術的な成長はもちろん、精神面でも大人になって聖地に戻る。

「全国にはまだまだ通用しないと思っています。しっかりと体をつくって、全国レベルを相手に自分の実力をぶつけられるようになっていきたいです」

甲子園のマウンドでも深く目を閉じ、大きく深呼吸をする。木下は周囲への感謝を胸に、昨夏のリベンジへと挑む。
2026/03/31(火) 22時28分02秒 No.2352 編集 削除