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紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
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お知らせ

編集済
⚾明日のセンバツ甲子園組み合わせ(最終日 決勝戦)
☆☆☆ 12:30~ 智弁学園(奈 良)-大阪 桐蔭(大阪)

💢広陵高校野球部・中井哲之前監督「降格&減給処分」の真相を理事長が明かす 新学期の受験者数減少と「新1年生部員半減」の事実も認める【集団暴行問題の余波】
https://news.yahoo.co.jp/articles/e12976d33df704dea81de6855044f0c1363a6271?page=1

98回目のセンバツがクライマックスを迎え、全国の学校が夏を見据える一方、広島の名門・広陵高校野球部で昨年1月に起きた集団暴行問題は収束の気配を見せない。甲子園通算41勝の中井哲之前監督は退任したものの謝罪の言葉はなく、理事と副校長の立場に留まってきた。だが、4月1日の新年度より副校長から参与に降格し、減給処分になることが筆者の取材で分かった。

事件は昨年7月末に発覚し、同校は夏の甲子園1回戦勝利後に出場を辞退。既に被害者は転校し、加害生徒もこの春に卒業を迎えたものの、現在も第三者委員会の調査は続き、加害者のひとりが被害者の親権者を名誉毀損で刑事告訴する事態にも発展している。

同校の飯盛豊理事長に確認の電話を入れると、こちらが名乗る前に「柳川さんですね?」と一言。昨夏より問題を追及してきた筆者を警戒し、予め番号を自身の携帯電話に登録していた様子だ。

「新年度より中井氏が副校長から参与となり、校長と共に減給処分になるのは事実ですが、詳細は控えさえてください」

しかし、事件への中井氏の関与や、被害生徒側が主張してきた中井氏のパワハラの疑いに関して学校は見解を公にしていない。何を理由とする降格であり減給なのか。

「一連の問題が起きたことに対する監督不行届等、いろいろなことが挙げられますが、本人が現在、体調不良で学校には来ておらず、私も詳しくは話せていないんです」

さらに、ある野球部関係者は「事件の影響で新年度の受験者が激減している」と明かした。2025年度は2コース500人の募集定員に対し、倍以上の受験者がいたが、2026年度は大きく下回ったという。飯盛理事長にぶつけると、受験者数減少の事実を認めた。

「残念ですけれども、今後、幹部らがはっきり(減少の要因を)調べていく必要があるでしょう。野球部ばかりの責任でもないでしょうし……」

学校の対応の遅さに、中学生や保護者が不信感を抱いたのではないか。

野球部員も昨夏の時点で164人という大所帯で、一学年の部員数は50~60人が通例だったが、2026年度の入部予定者は例年の約半数となるという。事件を受け、進学を予定していた有望中学生が進路変更した影響もあるはずだ。飯盛理事長が言う。

「入部者が減ったのではなく、今後は部員数を30人以内にしていこうという学校の判断です」

大所帯では指導者の目が行き届かず、部員が共同生活を送る寮でのトラブルの温床となりかねないというのが判断の理由だろうか。

「まだ公表をしていないことを、良い記事を書いてくれるならともかく、あなただけにこれ以上、お話しする必要はないし、義理もないでしょう。いずれにせよ(中井氏の責任問題について)すべては第三者委員会の調査結果が出てからとなります」

そう言って飯盛理事長は電話を切った。数時間後――。地元紙である中国新聞で中井氏の参与降格と、給料月額2割カットが報じられた。筆者の直撃を受け、慌てて学校側は一部を公表したのだろう。
広陵に、そして高校野球界に、中井氏の居場所はなくなっている。名門再建に向け第三者委の調査結果が待たれる。

📝<センバツプレーバック・和歌山>箕島(2009年) 殊勲の一打、27年ぶり8強
https://news.yahoo.co.jp/articles/9c55e0f10155a791d58028b9c53797c0e6d28bd0

春夏連覇を含む通算4回優勝の県立高、箕島が18年ぶりの春に挑んだ。1回戦で大分上野丘を7―3で破ると、2回戦では、前年の明治神宮大会を制した慶応(神奈川)を降した開星(島根)が立ち塞がった。箕島の主力は前回出場時の1991年に生まれた3年生で、古豪復活を印象付ける大会となった。

延長にもつれた一戦は、六回までに3点ずつを取り合い、七回以降は我慢比べに。後にプロ野球・阪神入りする糸原健斗選手が3安打と非凡さを見せた開星打線に対し、箕島の先発、森本俊投手は再三走者を許しながらも最少失点でしのぐ粘投。一方、味方打線も六~十回を無安打に封じられた。

均衡を破ったのは十一回だった。1死三塁で7番・沼大輔選手への3球目。「球種は分からなかった」と無我夢中でスイングすると、中前への浅い飛球が適時打となった。甲子園9打席目にして初安打が殊勲の一打に。27年ぶりに8強入りし、松下博紀監督は「選手たちが輝いて見えた」とたたえた。

2勝を挙げた箕島は準々決勝で、後にプロ野球・広島で活躍した今村猛投手を擁し、大会で初優勝する清峰に2―8で完敗。「あんな球は初めて見た」という選手もいたほどの140キロ台の直球と鋭いスライダーに、八回まで4安打無得点に封じられた。

東尾修さん(西武など)や吉井理人さん(近鉄など)らを輩出した名門も、センバツ出場はこの2009年が最後。現在は耐久や有田中央を率いた北畑清誠監督が就任し、豊富な練習量で徹底的に選手を鍛え上げる伝統を引き継ぐ。現チームは昨年、秋季近畿地区大会県2次予選で4強入りするなど力を蓄えている。

🎤馬淵史郎 我が道29】バント練習は打撃にも生きる
https://news.yahoo.co.jp/articles/efb96338eda7dbacb946a5997b7a1fcb97c3ba4f

春夏合わせて甲子園には39回出場させていただいた。歴代1位だという。90年(平2)の明徳義塾監督就任時には「せっかく監督をさせてもらえるなら、一度は出たい」と思っていた甲子園にこれだけ多く出ることができたのは、幸運なことだと思う。1回出たら2回、30回出たら31回行きたくなる場所。それが甲子園だ。

全国の高校野球の球児たちが目標としてきた甲子園で、歴代4位の55勝を記録し、02年(平14)夏には全国制覇も経験できた。だが、長く監督をしてきて感じるのは「勝ちは偶然、負けは必然」という言葉だ。勝つために毎年毎年、選手たちと苦しい練習に取り組んできた。体力も精神力も全てを注ぎ込む。だが、勝負というのは、頑張ったから必ず勝てるというものではない。こうすれば勝てるという甲子園必勝法というのは存在しない。逆に準備が足りていなかったら、まず勝てない。それが野球だ。

野球というゲームは小さいことの積み重ねだ。練習では0・1秒の重みを選手に伝えているが、小さいことをいかに大切にするかで強いチームはつくられる。特に甲子園という舞台では小さいミスが勝敗を分ける。やはり普段からの練習が一番大事になる。甲子園に出ることを目標にした練習ではなく、甲子園に出て、さらに勝つための練習ができるかどうか。これは苦しく、厳しい。だからこそ、勝った時の喜びは格別なのだ。

一方で野球は四分六でも勝てるスポーツだ。強い相手でも、しっかりと作戦を立て、相手の戦力、弱点を調べて対策すれば、勝機はある。戦力的に三対七でも四分六にした上で、最後は五分五分で戦えるように準備する。甲子園55勝はそうして築いてきた。

小さいことで重視しているのは、やはりバントだ。「3アウトで攻撃が終わるのに、バントでアウトを与えたら損」と考える人もいるが、甲子園に出てくる代表チームには簡単には勝てない。接戦に備え、1点を確実に取ることが必要だと自分は考える。東京から高知より、大阪から高知の方が近い。一塁から二塁、二塁から三塁へと本塁に近づいてこそ、得点の可能性は高くなる。
バントも初球からしちゃいかん。1球目がストライクでも引いて見逃し「何かやってくるのでは」と相手を警戒させる。ボールだったら、次も見逃す。一球でも多く相手に投げさせることが、終盤に生きてくるのだ。

13年(平25)夏は瀬戸内・山岡泰輔(現オリックス)を攻略するために、全ての打撃練習をスライダーをバントすることだけに切り替えた。「打って勝とうと思うな」とバントを繰り返したからこそ、高速スライダーに対応できた。やればやるだけうまくなるのがバントだ。大事なのはタイミングと目線。バントができれば、打撃も良くなるのだ。

☝智弁学園の結束強めた小坂監督の〝ゴチ会〟 訪れた店にナイン感動「初めてのやつもいた」
https://news.yahoo.co.jp/articles/fe60eb3208c993c57aa00b454c703277e9ee5fa0

第98回選抜高校野球大会の第10日(29日、甲子園)で準決勝が行われ、第1試合で智弁学園(奈良)が中京大中京(愛知)に2―1と競り勝ち、10年ぶりの決勝進出を決めた。同点で迎えた8回に4番・逢坂(2年)が右翼線に勝ち越しの適時二塁打を放ち、エース左腕・杉本(3年)が7安打、1失点の力投を見せて打線の奮起を呼び込んだ。

小坂将商監督(48)は「杉本は研究されて苦しい投球だったけど、変化球をコーナーに投げ分けてバッテリー中心に守り切れた。チームとして総合力が上がったと思う」と選手の成長に目を細めた。

指揮官として一人ひとりに気を配り、選手を驚かせ、喜ばせてきた。傷んでいるグラブを目にすればすぐに新品をプレゼント。バットが折れれば、仕様を聞いた上で新たに調達してきた。しかも一度だけではなく、ナインは「僕らのことをちゃんと見てくれている証拠。とても感謝しています」と頭が上がらない。さらに、今大会中も〝プレゼント作戦〟が発動された。指揮官が「何か欲しいものはないか」と聞いたところ、選手たちが思案した結果「コメダに行きたい!」と主将を通じてリクエスト。休養日に宿舎近くの喫茶チェーン店「コメダ珈琲店」に複数班に分かれて繰り出し、カツサンドやホットドッグをパクついた。

選手の一人によると「モノをねだると監督の手を煩わせることになるので、みんなで行けるお店をお願いしました。コメダめちゃおいしかったっす。僕らは寮なので普段食べることはできないですから。初めてのやつもいました」と楽しい時間を過ごしたそうだ。気になる支払いは「監督がどこからかやって来て払ってくれたっす」(同)。食事終わりを見計らってレジに現れ、精算して去って行ったという。

残すは大阪桐蔭との決勝(31日)のみ。小坂監督の〝粋な計らい〟に応え、ナインが結束を強めている。

☟【今年のPL学園の受験者は「わずか2人」】PL教団に「4代目教祖」誕生 OB会長の桑田真澄氏が待望した状況になるも「野球部復活」への道は険しいまま
https://news.yahoo.co.jp/articles/21fa53e48cc0dd9b69058e072323b3b0efc78406?page=1

多くの高校野球ファンにとって、春夏の甲子園の季節となれば思い出されるのが在りし日のPL学園(大阪)硬式野球部だろう。春夏あわせて7度の全国制覇に加え、巨大な人文字と荘厳な吹奏楽で絶大な人気を誇った同校が2016年に活動を休止してから、間もなく10年になろうとしている。2026年に入って2月も下旬に差し掛かった頃、PL学園とその母体であるパーフェクトリバティー教団(以下、PL教団)の取材を続けてきた私のもとに、関係者から一本の連絡が入った。

「どうやら4代教祖が決まったようです」

2020年12月5日にPL教団の3代教祖である御木貴日止氏が63歳で亡くなって以降、5年あまりの間、不在となっていた教祖がとうとう誕生したというのだ。成り手となったのはそれまで教主代行という立場にあった3代教祖の妻、美智代氏とのことだが、教団ホームページを確認してもそれらしき情報はない。

教団は「4代教祖誕生は事実であります」
 
さっそく教団の渉外課に連絡を入れると、美智代氏が4代教祖になったことを認めた。

「2月22日付けで4代教祖が誕生されたのは事実であります」

PL教団の教勢拡大に尽力した2代教祖・御木徳近氏が死去した1983年に貴日止氏は25歳で3代教祖となり、同年に美智代氏と結婚した。だが、当初は教祖一族の反対に遭い、美智代氏が表舞台に顔を出さないことを条件に結婚が認められ、三男二女に恵まれた。しかし、2007年に貴日止氏が脳の疾患で倒れると、美智代氏が教団神事にも顔を出すようになり、その後は教務総長という立場で教団内の実権を握るようになっていく。かつて教団の布教を担った元教師は話す。

「信者の高齢化が進み、信者数が減少するなか、美智代さんは教団運営のスリム化をはかるために200以上あった教会の統廃合を進めてきました。そうしたなかで、美智代さんのもとで2代さん(徳近氏)が作ったものはどんどんなくなっていった。その代表的なものが、PL学園の硬式野球部です」

PL学園の野球部では2013年2月に上級生の下級生に対する暴行事件が発覚し、以降は野球経験のない校長が監督を務めることに。2014年には新入部員の募集を停止し、野球部は2016年7月をもって事実上の廃部となった。もちろん、不祥事を繰り返してきた野球部の体質にも問題はあるが、OBらを野球部から遠ざけ、廃部への道を推し進めたのも美智代氏というのが大方の見方であった。

「誰にアプローチしたらいいのかわからない」
 
桑田真澄と清原和博のKKコンビが5季連続で甲子園に出場し、立浪和義らが春夏連覇を達成した1980年代に絶大な人気を誇った野球部の復活を願う声はいまだに大きい。だが、野球部の復活の前に、生徒数が激減して学校が存続の窮地に立たされていることも筆者は報じてきた。

2025年度の在校生は高校が3学年あわせて39人。中学は同35人だ。そして今年度の高校受験者数は国公立コースが20人の外部募集に対して併願者がたったの2人だけで競争倍率は0.10倍という目も当てられない数字に。92人募集の理文選修コースにいたっては専願も併願もゼロ。ひとりもいないのだ。もちろん、PL学園中学からの内部進学者はいるはずだが、それも数名だろう。

野球部のOB会長を務める桑田真澄氏(現・オイシックスCBO)は一昨年の1月に開かれた懇親会において、野球部復活の道については「すべては4代教祖が誕生してから(動き出す)」と話し、復活に向けて希望を捨てていないことを明かした。だが、今年の懇親会ではややトーンダウンし、「生徒数の推移を見ると、学校の存続の危機にある。野球部のOB会としても、いったい誰にアプローチをしたらいいのかわからない状況です。(野球部復活の)決断を待つしかない」と声を落とした

待望の4代目は誕生した。だが、野球部復活の光明は見出せない。

📝【大阪桐蔭の強さの秘密】「心から野球をしろ」西谷監督と選手とのコミュニケーションツールは「野球ノート」 そこに書かれた言葉
https://news.yahoo.co.jp/articles/7d1fcfc91dafb7dc770976774d325cf19570aac2

春のセンバツ高校野球で紫紺の大優勝旗を目指す常連校・大阪桐蔭に対しては、全国から有望な選手を"集めすぎ"だとの批判が絶えない。一方、世代が変わっても結果を残し続ける同校が「球児をどう育てているか」に光が当たることは意外にも少ない。西谷浩一監督(56)は、令和の高校球児に何を、どう伝えているのか。ノンフィクションライターの柳川悠二氏が迫った。【前後編の前編】

センバツに向けて宣言「10回目の日本一を狙いにいこう」
 
大阪桐蔭の監督である西谷浩一にとって、年末から正月にかけた1週間は、年間を通して唯一、グラウンドを離れて野球と距離を置く時間だ。今年も例年通り、家族と淡路島でゆっくり過ごそうとしていた。しかし―─。

「眠る前につい手帳を開いて、ケガ人の様子はどうか、ピッチャーの頭数は揃うだろうか、と考えてしまう。(今春から)DHが導入されますから、メンバー選考もこれまでとは(様相が)違ってくるかもしれません」

2026年の初練習の日、学校のある大阪府大東市の野崎観音に参拝した西谷は、センバツに向けてこう宣言した。

「大阪桐蔭として10回目の日本一を狙いにいこうと選手に伝えました」

西谷が1998年に監督に就任して以降、大阪桐蔭は28年間で春4回、夏4回の全国制覇を遂げ、西谷の甲子園通算勝利数は歴代最多となる70勝に達した。稀代の名将でありながら、西谷はメディアの前では常に謙虚な回答に終始し、自身の記録や数字に対する執着心を口にすることはない。だからこそ、優勝回数にこだわる発言は意外でもあった。

「(前任の長澤和雄監督が)1991年夏に初出場・初優勝したあと、なかなか甲子園に届かなかった。2000年代に入って出られるようになり、2010年代にはけっこう勝たせてもらいました。2020年代に入った時に、『先輩たちを超えるような10年にしよう』と当時の選手に伝えましたが、2022年の春を最後に日本一から遠ざかっていますし、昨年1年間、甲子園には出られなかった……」

西谷は「生意気な言い方ですが」と続けた。「2大会出ていなかったわけですが、僕自身はもっと長らく出ていないような気がしていますし、この子たちは"甲子園に飢えている代"です」

大阪桐蔭は寮の部屋数の関係上、野球部員を一学年約20人に限った少数精鋭の軍団だ。中学時代に日本代表を経験したようなエリート球児が全国より集まり、時には「選手を集めすぎ」という批判の声も上がる。しかし、私はそうした意見に強い抵抗を覚える。中学時代の実績や身体能力に長けた選手の頭数を揃えれば甲子園で勝てるわけではないだろう。個の力を集結させ、日本一の競争を促し、集団の力として結束させることが指揮官の役割であり、西谷の突出した才覚なのだ。

主将のノートに綴った「心から野球をしろ」
 
藤浪晋太郎(現・横浜DeNA)や森友哉(現・オリックス)らを擁し、同校初の春夏連覇を達成したのは2012年。以来ずっと安定的に甲子園に出場し、白星をあげている。高校野球の歴史においてこれほど長期にわたって一時代を築いた学校はないだろう。時代が移り変わっても、西谷が球児を甲子園に導き続ける秘訣とは何か。

令和の高校野球ではスマホを使って監督と選手がやりとりをしたり、クラウドサービスを使って部員が練習内容を共有したりする学校も珍しくない。そんななか、大阪桐蔭には携帯電話禁止の校則があり、練習や寮生活で不可欠とされる携帯電話を所持できなかった(今春より解禁予定)。それゆえ、西谷と選手のコミュニケーションツールは、実にアナログな「野球ノート」だ。選手たちは全体練習や自主練を終えた夜にペンをとり、翌朝、担当の選手が各人のノートを集めて西谷に提出する。

「昨日の練習で良かったことや悪かったこと、今日の練習でやりたいことなどを書いてもらいます。本来は1対1で選手と話したうえで練習に臨んだほうが良いに決まっているんですが、現実的には難しい。選手たちが今何を考えているのかを知るための最低限の情報入手手段が野球ノートです」

授業の合間に西谷が目を通し、コメントを添える。3学年(約60人)が揃う春から夏にかけてはひとり1分と計算しても1時間はかかるだろう。

「もっとかかります。ただ、授業や来客などによって読めない日がどうしてもある。その時は練習の前に『ごめん、今日は読めてない』と選手たちに謝ってから練習をスタートさせます」

今年のチームの主将で、二塁手の黒川虎雅は言う。

「野球ノートに西谷先生からの返信として、『心から野球をしろ』と書かれていたことがありました。ただ野球をするだけじゃなく、感謝の気持ちを込めながら練習と向き合う。その言葉は自分の中で刺さりました」

西谷は黒川のノートに書いた一節について次のように解説した。

「メンバー発表の前にもなると、結果ばかりを求めてイライラしたり、"メンバーを外れそうだ"とマイナスなことばかりをノートに書く選手がいます。バッティング練習で納得がいかないと、ふて腐れるような態度をしてしまう選手もいる。打撃投手を務めてくれた後輩や守備に就いてくれた選手に失礼だと諭し、『野球をやっているのではなくやらせてもらっているんだよ』という意味を込めて『心から野球をしろ』と伝えています」

精神面の助言だけでなく、技術的なアドバイスをノートにしたためることもある。内外野を守り、四番を任される谷渕瑛仁が話す。

「自分は(打ちたいという)欲が出てしまうと、内側でバットを振ることができず、身体が流れてしまう癖があることを指摘されました。『欲を出さずにセンター中心のチームバッティング』とずっと言われています」

2018年のチームには、部員をまとめる主将の中川卓也(現・東京ガス)や副主将の根尾昂(現・中日)らによる「幹部ノート」も存在した。個人のことは書かず、チームとして進むべき方向性を意見交換するノートだ。西谷が語る。

「常に幹部ノートを設けているわけではなく、主将がしっかりし過ぎていて、主将を支える幹部らが心許ない時なんかに活用します。今年のチームは必要性を感じていないのでやっていません」

高校野球は毎年、選手が入れ替わる。チーム作りも毎年同じではない。

            (後編に続く)
2026/03/30(月) 22時35分43秒 No.2351 編集 削除