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編集済
📝夏の高校野球広島大会は7月4日、マツダスタジアムで開幕
https://news.yahoo.co.jp/articles/b0554b2b60529313f80059380f5483b8f80f533d

広島県高校野球連盟は21日、夏の第108回全国高校野球選手権広島大会の開会式を7月4日、マツダスタジアムで開くと発表した。準決勝は同26日、決勝は同28日にいずれもマツダスタジアムである。また、特別支援学校として初めて県立黒瀬特別支援学校のみのお分校が加盟する。
夏の広島大会の抽選会は6月19日にある。大会はマツダスタジアムなど8球場であり、同スタジアムでの決勝は2年ぶり。

黒瀬特別支援学校のみのお分校は、黒瀬特別支援学校の生徒数が増えたことなどから、2025年4月に黒瀬高校の敷地内に開校した。野球部員は2人いるという。硬式部の新規加盟は2年ぶりで、加盟校は94校となる。
また、投手の負担軽減などのため、指名打者制を春の県大会で初めて導入することも発表された。

この日開かれた県高野連の理事会では、部員や指導者による不祥事の根絶や、SNSやインターネットでの誹謗中傷、迷惑行為の防止を目指すことを改めて確認し、全加盟校に周知した。

💢《日大三高わいせつ動画》自撮り要求された女子生徒の悪夢「教師まで噂を耳にしていた」SNS炎上が止まらない…学校側は「未成年です」を盾に説明責任を果たさず
https://news.yahoo.co.jp/articles/b8c3f6303d85574476d1d14e2b143302fe9d6b5b

甲子園常連の強豪校で、昨夏の大会では準優勝に輝いた日大三高の硬式野球部に、衝撃的な不祥事が発覚した。
2月12日、女子生徒(当時15)にわいせつな画像や動画をSNSで送らせて拡散したなどとして、警視庁が男子部員2人を児童買春・ポルノ禁止法違反容疑で書類送検したのだ。

「17歳の部員が昨年3〜4月頃、女子生徒に対し、自撮りしたわいせつな画像や動画を3回にわたって要求。その後、動画の一つを16歳の部員に共有した。受け取った部員は他の複数の部員に動画を送信し、そこから更に拡散したとみられる」(社会部記者)

学校での噂を耳にしていた教師
 
捜査関係者によると、最終的には十数人が拡散に関与し、判明しているだけで数十人に動画が渡ったとみられる。同校は書類送検がメディアで報じられた後の14日、HP上でコメントを発表。〈性教育を含めた性的な人権についての教育、また通信機器やSNSの利用のあり方についての指導も徹底〉するとし、硬式野球部は無期限活動停止としたが――。

学校関係者が首を傾げる。「昨年10月、被害者の女子生徒の保護者が警察に相談したことがきっかけで発覚したというが、昨年の夏前には、動画の存在は既に硬式野球部内だけでなく校内でも話題になっていた。8月に甲子園に出場した頃には、結構な数の生徒の間で噂になっており、耳にしていた先生もいたようです」しかし、大会前に表沙汰になることはなかった。

「加害者が未成年であることを盾にしている」

「大会前に明るみに出れば出場辞退もありえたわけで、甲子園出場のために事件を隠蔽していたと思われても仕方ない。大会後も、8月下旬から9月上旬にかけては準優勝の凱旋報告会や町田市役所への表敬訪問などの行事もこなしていた。警察が動き出すまで高野連に報告した形跡もありません」(同前)

在校生の一人が続ける。「事件については報道で知るだけで、いまだ全校集会や保護者会での正式な説明もありません。被害者のプライバシー保護は重要ですが、加害者が未成年であることを盾にして説明責任を果たさない学校の対応には、不信感が募ります」(日大三高に事実関係を問い合わせたが、期日までに回答はなかった)

書類送検された2人の部員は「軽率な行動だった」と反省しているといい、今後は家庭裁判所で処分が決まる。性被害問題に詳しい弁護士はこう警鐘を鳴らす。

「児童ポルノとみなされる動画は所持しただけでも、受け取ったものを転送しただけでも処罰対象になる重大な犯罪行為であると、誰もが認識すべきです」

事件については、拡散に加担したとされる別の女子生徒の名前や顔写真がSNSで晒されるなど、沈静化の兆しが見えない。名門校の対応が問われている。

💢〈日大三高わいせつ動画〉「今もネット上にスクショが…」 動画拡散に拍車をかけた学校の隠ぺい体質 「生徒の声を無視し続けた」
https://news.yahoo.co.jp/articles/36b7108fdda967cd9e6ae770ba2f1f1bdfb98fd8?page=1

東京・町田市にある日大三高の硬式野球部は、春夏通じ計40回の甲子園出場、全国制覇3回という実績を誇る。昨夏も準優勝していた名門が2月12日をもって無期限の活動休止となった。
部員によるわいせつ動画拡散事件が原因なのは周知のところ。だが現役生徒が、連日報じられる不祥事への怒りとともに学校側の姿勢にも憤りを覚えている事実は知られていない……。
まずは、社会部デスクが事件を解説する。

「2月12日、野球部の男子部員2名を、警視庁少年育成課が児童買春・児童ポルノ禁止法違反(製造、提供)の疑いで東京地検立川支部に書類送検しました」

部員は17歳と16歳で、「昨年3〜4月、17歳が、当時15歳の女子生徒に自撮りさせたわいせつ動画をSNSで送らせました。これが児童ポルノ製造です。そして17歳は動画を16歳に送信。16歳から他の部員にも提供され、瞬く間に拡散したのです。なお、やりとりには学校貸与のタブレット端末が使われました」

結果、10月までに十数人が動画拡散に関与し、二十数人に渡ったとされる。

「部員2名は容疑を認め反省しているとされます。が、日常的にSNSで画像や動画を共有している世代なので、昔でいえば、部室でエロ本を回し読みするような軽い感覚だったかもしれない。類似事件はどの学校でも起こり得ると思います」

こうした視点も理解しつつやり場のない憤怒を抱くのが、現役生徒である。

過去のトラブルを示唆
 
昨夏の甲子園に応援に行った男子生徒は、「決勝で負けて悔しい思いをしたけど、事件を知って激しい怒りに変わりました。拡散させた行為自体はもちろん、甲子園で戦っているときにはすでに部内で動画が広まっていたわけで、到底許せませんよ。ですがそれとは別に、学校側の対応にも強い不信感を持っています」と、胸の内を明かした。

「最初に、ぼくたち在校生や保護者がニュースで初めて事件を知ったということ。女子生徒の親が警察に相談したのは昨年10月です。その直後でなくとも、せめて事件が報じられる前に学校側が在校生や保護者と情報共有していれば、ある程度は、さらなる拡散を防げたはずです」(同)

実際、いまでもSNSやネット上で、当該わいせつ動画のスクショや関係者の情報が飛び交っている。

「もう一つは、過去にもSNS上でのトラブルが起きていながら内々に処理されたと思われる点。捜査が始まった昨年10月以降の終業式で、生徒指導担当の教員が“このところ生徒指導の件数が増えている。SNS関連のトラブル、例えば友人の顔をアップする行為などにも気を付けるように”と話していました」(同)

この生徒指導の話については、別の男子生徒も、「過去のトラブルの存在を示唆していたので、生徒側から“個人が特定できる情報は不要。せめてどんな内容かだけでも教えてほしい”との声が上がりました。しかし学校は無視し続けた。それで“窃盗や放火事案、運動部の顧問による体罰といった件はどうなった? 隠蔽されたのか”と真偽不明の不祥事のうわさも広まっていた。そんな中、今回の事件が報じられたのです」

生徒が不審者に怒鳴られるケースが

加えて、事件報道後の対応のずさんさも浮き彫りに。

「町田や神奈川・淵野辺などの学校行きバスの停留所で、生徒が“お前が日大三高か!”と不審者に怒鳴られたケースがありました。学校から誰か出してくれよ、と思いましたね。ほかにもあります。報道を受け、学校側から生徒に送られた“こころのサポート”の内容が昨年配布分に少し加筆修正しただけの使い回しだったのには、ため息しか出ませんでした」(前出の男子生徒)

学校の隠蔽体質とお粗末さを露呈させた花形運動部の不祥事。はたして、事態収束はいつになるのか。

📝高校野球で「1校から複数チームの大会参加」検討 背景は「二極化」 懸念される点も
https://news.yahoo.co.jp/articles/278ef7a209d81d6d2fc8a79a7aa99629066e5885https://news.yahoo.co.jp/articles/278ef7a209d81d6d2fc8a79a7aa99629066e5885

 高校野球で「1校から複数チームの大会参加」が検討されている。現在は本来の9イニング制から7イニング制への移行が最優先事項として継続審議されている中、新たなプランも並行して話し合われている。

春夏の甲子園大会などを主催する日本高校野球連盟は、賛否両論の7イニング制を導入するかどうか、昨年から本格的に多角的な議論を進めている。寶馨会長をはじめ大学教授らを含めた「7イニング制等高校野球の諸課題検討会議」を設置。その最終報告書が理事会に提出されたのは昨年12月。その中に、大会に同一校から「○○高A」「○○高B」といった複数チームが参加するプランも盛り込まれたのだ。

関係者によると、その背景には「二極化」がある。部員の多い学校もある一方、連合チームを組むしかない部員不足に悩む学校がある。現在は20選手まで登録可能。50人前後の部員を抱える学校など「21人目以上の部員のことを考えてのこと」と関係者は話す。地方大会などスタンドで応援するだけで終わる球児に試合出場する機会を設けることはできないか。実現性を検討すると、同一校からの複数チームを編成する発想に至る。今後7イニング制が導入された場合、選手の出場機会がさらに減る可能性もあり、複数チームならばより多くの選手に出場機会を設けられる。

加盟校は2005年の4253校をピークに減少の一途をたどる。昨年5月の時点で前年(2024年)より30校少ない3768校だった。部員数は2014年に過去最多17万312人を数えたが、それから11年で約45万人も減少。昨年5月時点では36道県で減少し、全体では前年比1650人減の12万5381人だった。
昨夏の地方大会に参加したのは3680校、3396チームで前年より35校、50チームも減少している。部員不足による連合チームは425校の148チームに及ぶ。少子化により、高校野球の部員数減少も歯止めが掛かっていない。

高校サッカーはプレミアリーグ、プリンスリーグ、都道府県リーグがあり、強豪校がそれぞれのレベルに適した複数チームを編成している。大津(熊本)はトップチームがプレミア、セカンドチームがプリンス九州1部、サードチームが熊本県リーグで試合に参加している。野球よりも試合出場の機会は設けられている。

高校野球で今回提示されたプランでは、多くの部員を抱える学校からは賛同を得られる一方、関係者によると、同一校のチーム同士が試合をするケースも考えられ、それも決勝戦で当たる可能性に疑問符を投げかけられるという。公立校から甲子園出場経験があるベテラン監督は、同一校同士の対戦で「レベルの違うチームをそれぞれ編成しても、試合となれば勝敗の逆転現象が起こる可能性がある」と抵抗感を示す。

できるだけ多くの部員に公式戦を経験してもらいたい。それが今回の提案の理念だ。それは多くの球児の願いでもあるはず。他にも選抜大会の出場校枠増加、公式戦スケジュールの見直し、選手間交流の活性化、女子部員の活動の奨励など検討事項は多い。今後、日本高校野球連盟はその実現性を探っていく。

📝<四高野球―いま・むかし―>/1 鼻折られた、歴史的大敗 戦後「スパルタ式」で強豪仲間入り 
https://news.yahoo.co.jp/articles/0b5522ce7da2c39bf2e092f33342863706bda735今春の選抜高校野球大会に21世紀枠での出場が期待された県立四日市高校野球部。惜しくも選に漏れたが、県下一の進学校に全国制覇の経験があることなどが注目を集めた。その歴史を振り返ると、いわゆる「スパルタ式」練習の強豪から合理性を追求する文武両道へと変化する姿が浮かび上がる。

1945年8月、廃部となっていた前身の富田中野球部は終戦とともに動き出した。道具をOBから譲り受けるなど、中心になったのは後に20年以上にわたり県高野連理事長を務めた部長の池内定雄さんだった。2000年に野球部OB会がまとめた創部100年記念誌「白球を追って」に当時の様子が記録されている。

畑になっていた校庭はでこぼこ。竹に巻いた漁網を立ててバックネット代わりにした。試合球はピッチング用の1球だけ。練習用ボールは糸が切れやすく、部員が毎日数個ずつ持ち帰って縫った。木を張り合わせた材質の悪いバットは3、4本しかなく、折れないよう祈るようにして使ったという。

主に指導に当たったのは、プロ野球経験のある水谷貞雄さん。後に監督に就く人物だ。夏場の練習は午後9時すぎまで。OBがやってきては練習を手伝った。試験中も2時間は確保したというから「1日2時間が普通」という今とは大違い。十分に練習できない他校との差は大きく、瞬く間に県下のトップにのし上がった。実業団の東洋紡富田や愛知の強豪・享栄商とも互角に戦えたという。

だが、46年夏の県大会は初戦で四日市商に大敗した。これには事情がある。46年度卒の長谷川省吾さんの記念誌への寄稿によると、あまりに厳しい指導で10人ほどいた同級生が次々やめ、最後は「キャプテン、マネジャー、私以外は下級生の人たちになった」というのだ。
それだけに多くの下級生、つまり経験者が残った新チームは強かった。46年秋の県大会で優勝。47年の春に復活した全国選抜中学野球大会(現在のセンバツ)の出場校に選ばれた。食糧事情の悪い時代、米や野菜を大量に持って乗り込んだ選手たち。だが、てんぐの鼻をへし折られてしまう。

投げては四球を連発、守ってはフライを落球。「スタンドのある大球場での初めてのゲームで、何が何だか分からないうちに試合は終わってしまい、歴史に残るような大敗をした」。48年度卒の福田誠さんは「白球を追って」にこうつづっている。和歌山の田辺中に2―22。惨敗だった。

1年後、富田中は、四日市高等女学校、四日市市立北高等女学校と統合して県立四日市高校となった。同時に水谷さんが監督に。そしてセンバツの雪辱に燃える池内部長はある「作戦」に打って出た。=つづく

📝<四高野球―いま・むかし―>/2 初陣で偉業 「夏」制覇 修学旅行辞退 「ほうび」は甲子園練習
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd142d318c2762089ac40e4fc997c4ca2ec7c361

「中学まで池内先生が練習を見に来られて『四日市を受けてみないか』と勧められたんです」。四日市市立富洲原中出身の伊藤政継さん(88)=1955年度卒=はこう振り返る。野球部長だった池内定雄さんは、47年のセンバツでの大敗を機に積極的な「スカウト」に乗り出していた。もちろん練習も厳しかった。午後3時半に始まった練習はボールが見えなくなるまで続き、時に月明かりの下でも。真っ暗になると、浜辺などを走った。

遊撃手の伊藤さんらが3年になった55年の修学旅行が迫ったある日、主将でエースの高橋正勝さんが3年の部員9人を集めて提案した。「今年こそ甲子園に行くため徹底的に練習しなければならない。我々10人は修学旅行を辞退してはどうか」
意見は割れた。「行く」4人、「辞退」5人。最後にマネジャーの近藤孝身さんが「皆で甲子園に行こう」と言って「辞退」を支持した。職員会議はもめにもめたが、最後は部員の意思を尊重したという。以上は成瀬勝巳さんの回顧談。創部100周年記念誌「白球追って」にある。

伊藤さんは「高橋は1年上のエースだった巽一さん(慶応大―プロ野球・国鉄)から『1週間も休むと感覚が鈍るぞ』と吹き込まれたのだろう」と推測している。

池内部長と水谷監督は修学旅行辞退の「ほうび」を用意した。甲子園球場での練習試合だ。相手は52年夏に全国制覇した兵庫県立芦屋高。伊藤さんは2―0で勝ったと記憶している。勝利にもまして、ファールグラウンドの広さや外野フェンスの深さなど甲子園を体感できたのが大きかった。

夏の県大会、四日市は後に「左の四天王」と呼ばれる高橋さんを中心に順当に勝ち進み、岐阜の上位校と甲子園をかけて戦う2次予選(三岐大会)に進出。1回戦で宿敵・岐阜を1―0で破った勢いをかって初めて夏の甲子園の土を踏んだ。
練習試合で経験済みの舞台で選手たちは伸び伸び戦った。2回戦で芦別(北海道)、準々決勝で城東(高知、現在の高知高校)との投手戦を制し、準決勝では中京商(愛知、現在の中京大中京)に6―1で快勝。決勝は坂出商(香川)投手陣に12安打を浴びせ、4―1で勝った。初出場初優勝の偉業である。

だが、選手たちが集まって喜びを爆発させることはなかった。「相手への敬意ですね。僕らは野球一筋だったが、今の文武両道に通じるものがある」と伊藤さんは語る。
修学旅行を諦めてつかんだ甲子園、そして全国制覇。四日市高校同窓会館2階に展示されている決勝のスコアブックの備考欄にこうある。

「全選手がぼうぜんとして感涙が頰を伝っていた。甲子園で見事勝ったのだ。君も泣け、僕も泣く」

記したのは最後に「辞退」の一票を投じた近藤さんだった。=つづく

📝「巨人はちょっと…」17歳の“本音” ドラ1候補も確約ナシ、パ球団の指名に困惑
https://news.yahoo.co.jp/articles/6c78431d0d5043549810dede7258001cd0e699b4?page=1

甲子園で一躍注目の太田幸司氏の進路が大きな話題に 

青森県立三沢高出身で元近鉄投手の太田幸司氏(野球評論家)は1969年、社会現象にまでなった「コーちゃんフィーバー」の“主役”だ。端正な顔立ちに松山商との夏の甲子園決勝延長18回0-0再試合での大熱投なども重なって大ブレークし“大学か、プロか”での進路問題でも大いに注目された。当時、口には出さなかったが、プロなら意中の球団があったという。それは子どもの頃から大ファンの巨人ではなく、阪神だった。

1969年の夏の甲子園で完全に火がついた太田氏人気は、大会後も継続した。最大の注目はアイドル右腕の次なる進路だった。大学なら東京六大学行きを希望していたが、プロ入りを勧める声もあり、悩みに悩んだそうだ。報道陣からの質問もこの問題に集中したが、本当に決めていないのだから答えようがなかった。そんな時に、太田氏は日大のセレクションを受けたという。それは高校3年最後の夏前などに、臨時指導をしてもらった日大・河内忠吾監督との縁でのことだった。

「別に日大に入るとかじゃなくて、河内監督に『ちょっと1回遊びに来いよ』と言われて、監督の家に泊らせていただいて、全国から来る選手がどんなレベルか、見にいくという感じだったんです。日大も強いチームなのでね」。当然の如く、これまた大騒ぎになった。「三沢高と日大の関係も知られていたので“太田は日大に行くのかぁ”となってねぇ。日大に行く気はあまりなかったのに……」。何か太田氏がアクションを起こしたらすぐ反応が出る。そんな状況のまま11月20日のドラフト会議を迎えたという。

「プロは(八百長疑惑の黒い霧事件で揺れる)西鉄以外、大学は東大以外からは一応、挨拶というか、そういうのがありましたが、(進路を)どうするかはドラフトが終わってから決めようということになっていた。プロについて周りはいろいろ言っていたけど、僕は、“プロから本当に指名されるのだろうか、こんなに騒がれて、どこも指名してくれなかったら、かっこ悪いなぁ”ってドラフト当日にも思っていましたよ」

これだけ注目されながら、事前にプロ球団側から指名確約の話は聞いていなかったという。「(各球団のスカウトなどが)挨拶で来られた時、学校の部長さんと両親だけが対応して、僕はその中に入っていませんでした。だから、そこでどんな話があったのかも、何にも知らなかったんです」。ただ、太田氏にはプロなら行きたい球団はあった。三沢市立第一中2年時に外野手から投手に転向した際から大ファンになった村山実投手がいる阪神だ。

「その強い巨人に僕が行っても…」

「やっぱり甲子園イコール阪神じゃないですか。あの頃、村山さんは現役で(1970年シーズンから)プレーイングマネジャーだったかな。それで阪神がいいなぁって思っていました。昔はそういう(希望球団の)ことはあまり言わない時代だったし、僕も何にも言っていませんでしたけどね」。まさに阪神への秘めた思いだったわけだが、その一方で「巨人はちょっと……。プロに入るなら巨人以外の方がいいなと思っていた」とも明かす。

選手は阪神・村山投手ファンで、チームは巨人ファン。それが太田氏の“スタンス”だったが、進路先となれば話は別だったという。「ドラフトの時も僕は巨人ファンでしたよ。でも、あの強い巨人に僕が行っても、そんなに出番が……って割り切っていたんです」。川上哲治監督率いる巨人はその年(1969年)V5を達成した。この先、1973年のV9まで行くが、すでに黄金時代だった巨人の戦力を冷静に見極めていたようだ。

ドラフト会議の結果は近鉄ドラフト1位。当時は予備抽選で選択指名順を決めていく方式で近鉄は6番クジで太田氏を指名した。意中の阪神はそれより前の2番クジだったが、東海大・上田二朗投手を1位指名。村山阪神入りの夢は消えた。「予備抽選の順位を聞いた時は、もしかしたら阪神もあるかもって思っていたんだけど、近鉄ってことで……」。プロは阪神でなければ嫌というわけではなかったが、近鉄は想定外の球団だった。

「1位で指名してもらった嬉しさはあったけど、近鉄に関しては“鈴木(啓示)さんって、すごいピッチャーがいるなぁ”くらいで、ほとんど何の知識もなかったんでねぇ……」。行くか、行かないか、報道陣から聞かれるたびに「五分五分です」と答える日々が続いた。また悩んだ。近鉄入りを決断するまでに時間をかけた。
2026/02/21(土) 22時29分26秒 No.2307 編集 削除