自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」
📣奈良大会は7月9~27日 秋の近畿へは、4府県の3位校同士が激突
https://news.yahoo.co.jp/articles/79385234a20d07672d76fa606dd1358c49a67068
奈良県高校野球連盟は18日、2026年度の年間スケジュールを発表した。第108回全国高校野球選手権奈良大会は7月9日に開会式、11日から試合が行われる。昨年に引き続き、暑さ対策のため開会式は夕方開催となった。
組み合わせ抽選会は、6月19日午後5時から橿原市の奈良県橿原文化会館である。開会式は7月9日午後3時から橿原市のさとやくスタジアムで開く。雨天の場合は翌10日に順延。開会式翌日を予備日とすることで、雷雨などの急な天候変化にも対応できるようにしたという。
試合は11日から始まり、全試合を同スタジアムで実施。決勝は27日を予定している。今年から、チームによって指名打者制を選択することが可能となる。
優勝校は8月5日から兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で開かれる第108回全国高校野球選手権大会に奈良代表として出場する。
秋季近畿地区高校野球大会県予選は8月29日に開幕。10月4日までさとやくスタジアム、奈良市のロートスタジアム奈良、大和郡山市のならっきー球場で開催する。組み合わせ抽選会は8月21日。上位2チームは10月17日から京都市のわかさスタジアム京都で開催予定の近畿大会に出場する。
また、秋の県予選ではこれまで、隔年で3位チームが近畿大会に出場していたが、今年から滋賀、京都、奈良、和歌山の4府県の3位チーム同士が対戦し、そのうち2チームが出場する方式に変更される。春の甲子園に通じる大会に、年によって出られない府県があることへの不公平感を考慮したという。
💢明治神宮大会Vの福岡・九州国際大付、主力選手1人が選抜大会に出場できず 開幕日の3月19日から出場停止1カ月
https://news.yahoo.co.jp/articles/696dbb884e52ebf7a7e536d1b2263b45ff81ef6c
第98回選抜高校野球大会に出場する九州国際大付(福岡)の主力選手1人が、1月21日に日本高野連から厳重注意と出場資格停止処分を受けたことが18日、分かった。該当部員の出場停止期間は3月19日から1カ月間で、同日開幕の選抜大会には選手登録されないため出場できない。
該当部員は1月中旬、授業中に校則違反となる行動を取り学校から謹慎処分を受け、野球部は福岡県高野連に報告していた。同校は昨秋の九州大会を制し、明治神宮大会でも初優勝した強豪校。
📝女子高生が旅館に殺到、新聞すら禁止 囲まれたバスで理解…甲子園で生まれた“フィーバー”
https://news.yahoo.co.jp/articles/bdd67bf022cd7a87dbdf2a910fbdac19265e7661?page=1
元近鉄・太田氏が振り返る「コーちゃんフィーバー」
元近鉄投手の太田幸司氏(野球評論家)は、青森県立三沢高のエースとして、1969年夏の甲子園を大いに沸かせた。快速球で打者を封じていく甘いマスクの右腕に多くの女性ファンが注目しはじめ、1回戦、2回戦、準々決勝、準決勝と勝ち上がっていくごとに人気も急増。決勝の延長18回0-0引き分け再試合の大熱投で「コーちゃんフィーバー」と呼ばれる社会現象まで巻き起こした。太田氏は「旅館に缶詰めで一歩も外に出られなかった」と振り返る。
高校3年最後の夏、太田氏は青森大会からすさまじい投球を連発した。1回戦は板柳に29-0。「チームのモットーは“どんな相手でも全力でぶつかる。絶対手を抜かない”」。その結果でもあった。5回コールドで完全試合(参考記録)、アウトの多くが三振で「後ろから『打たせんかい、暇でしかたないわ』みたいな冗談まで出た。バットに当たってファウルチップになっただけでスタンドがワーと沸いていました」というほどの猛烈スタートだった。
太田氏の勢いは止まらない。3-0で勝利した青森大会準決勝の弘前戦では16奪三振のノーヒットノーランを達成した。盛岡市営球場で行われた青森上位2チームと岩手上位2位チームが争う北奥羽大会準決勝の一関商工戦では11奪三振、1安打完封で5-0。弘前実との青森県同士の対決となった決勝は初回に1点を先行されたが、以降はゼロに封じて3-1で勝ち、1968年夏、1969年春に続いて甲子園出場を成し遂げた。
「北奥羽大会は、青森県で開催するときは青森のチームが勝って、岩手県でやるときは岩手のチームが勝つというのが、ずっと続いていたんですけど、僕らは敵地で代表になった。まぁ決勝が青森同士になりましたからね。当時、弘前実は僕らの最大のライバルだった。先に点を取られて、あれが一番苦しい試合だったかな。周りは甲子園に出て、さあどこまで行くんだ、みたいに見られていたから、自信はあっても絶対勝たなきゃいけないプレッシャーも結構ありましたね」
つかんだ3度目の甲子園。過去2回はいずれも2回戦敗退に終わっており、まずは2回戦突破が目標だったという。1回戦は大会第4日(8月12日)の第2試合、相手は大分商(中九州)だった。「大分商の得能がいい左ピッチャーでね、厳しい試合だった。ウチの打線は右バッターばかりなのに左ピッチャーが苦手だったしね」。6回に2点を先制し8回に追いつかれたが、延長10回の末、3-2でサヨナラ勝ちを収めた。
「あの時は暑かったなぁ。終盤ちょっとバテました。2回戦の壁を破ろうというのがあったから、まず1回戦は絶対勝たなくちゃいけない。そのプレッシャーもありました。逆に言うと1回戦を苦労しながらも勝ったことで、何か吹っ切れたというのがありました」。それが2回戦につながった。大会第6日(8月14日)第3試合で明星(大阪)に2-1で勝利した。
勝ち上がるたびに女性ファンが増加「外に出られなかった」
「(春の)選抜は2回戦で浪商に負けたから、また大阪の学校が相手。明星だって過去に(1963年夏の甲子園で)優勝したこともあるし、やばいなぁとか言いながらね。それもまた1点差ですもんね」。大会第8日(8月16日)準々決勝は第2試合で平安(京滋)と激突した。「次の平安には、のちに(1969年ドラフト2位で)広島に入った渋谷(通)がいた。1本足打法のね。彼に屋根に届くほどの、ひとつ間違ったらどこまで飛ばされるんだろうってファウルを打たれてねぇ。すごい迫力だった。その試合もまた2-1だったんですよねぇ」。
大会第9日(8月17日)の準決勝は第2試合で玉島商(東中国)と対戦して、3-2とまた1点差の勝利となった。「玉島商に勝って“おいおい、えらいことだな、決勝まで来ちゃったよ、どうしよう”みたいな感じでした。今の子だったら“よっしゃー、優勝だぁ!”とか言うんだろうけど、そういうのは全然なかった。“決勝だから、かっこ悪い試合はできないなぁ”みたいな。そんなに変な力みも全くなかったですね」。
そこまでの4試合はすべて完投。しかも1回戦の後、中1日で2回戦、また中1日で準々決勝、連投で準決勝、そして3連投で決勝、さらには4連投で決勝再試合に向かっていくわけだが……。「自分の調子はどんどんよくなりましたよ。(1回戦の)大分商の時が一番しんどくてバテたかな。(青森大会前の)合宿とかでは1日500球くらい投げていましたしね。決勝の18回のときも後半の9回の方がよかったくらい。さすがに決勝の2日目はバラバラだったけどね」。
同時に、勝ち上がっていくたびに女性ファンが増加していった。「それまでの甲子園では、ちょろちょろ外出もしていたけど、3年の夏は、旅館に缶詰めで、一歩も外に出られなかった。でも新聞とか、そういうのも一切、見せてくれなかったんですよ。だから世の中のことはよくわかっていなかった。甲子園にバスで着いて球場入りするとき、試合ごとにファンの数が多くなって“なんかすごいことになっているな”って、そんな感じで見ていたんですけどね」。
そして伝説の決勝戦で「コーちゃんフィーバー」がさらに過熱する。三沢高のエースから甲子園のアイドル球児へ。太田氏は一気に全国区の超人気者になっていった。
☝日本ハム・達孝太、エドポロ・ケインが〝父親〟参観日にビビる「試合より緊張感があった」
https://news.yahoo.co.jp/articles/1a144731445fab2bbc35025878f473cbd9c2bdb6
日本ハム春季キャンプ(18日、沖縄・名護)日本ハム・達孝太投手(21)、ドラフト2位のエドポロ・ケイン外野手(22)=大阪学院大=の育ての親である中村良二氏(57)が18日、沖縄・名護キャンプに激励に訪れた。
近鉄、阪神で内野手として41試合に出場した同氏は元天理高(奈良)、現大阪学院大監督。天理OBの達は「高校時代をめっちゃ思い出した。集中しないと怒られるので、試合より緊張感があった」とブルペンで37球。全体練習後に約1時間の特守を行ったエドポロも「もう一度、気を引き締めるいい機会になった。体的には疲れはあるが、『まだまだ頑張るぞ』という気持ちになった」と、〝父親〟参観日を振り返った。
中村氏は「だいたい天理の教え子は僕が来たらフリーズする」と苦笑しながらも、達については「ブルペンを見たのは高校以来。フォークボールなんて、こんな落ちてたかっていうぐらい落ちていた。立ち振る舞いもなんか格好いいっスね。僕は丸刈りのやんちゃな時しか知らないけど、風格、品があるというか、すごい大人になった。僕も一応、NPB出身者の一人ですけど、僕とはもう違う世界で野球をしているんだな、と実感できた」と評した。
また、エドポロについては「彼がちょこちょこ当ててヒットを打ったところで、何の評価ももらえない。『どうせアウトなら三振してこい。小さくなるな』と言いました」。中村氏は終始、〝愛息子〟たちの姿に目を細め、「見守ってやってください」とチーム関係者、報道陣に頭を下げた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/79385234a20d07672d76fa606dd1358c49a67068
奈良県高校野球連盟は18日、2026年度の年間スケジュールを発表した。第108回全国高校野球選手権奈良大会は7月9日に開会式、11日から試合が行われる。昨年に引き続き、暑さ対策のため開会式は夕方開催となった。
組み合わせ抽選会は、6月19日午後5時から橿原市の奈良県橿原文化会館である。開会式は7月9日午後3時から橿原市のさとやくスタジアムで開く。雨天の場合は翌10日に順延。開会式翌日を予備日とすることで、雷雨などの急な天候変化にも対応できるようにしたという。
試合は11日から始まり、全試合を同スタジアムで実施。決勝は27日を予定している。今年から、チームによって指名打者制を選択することが可能となる。
優勝校は8月5日から兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で開かれる第108回全国高校野球選手権大会に奈良代表として出場する。
秋季近畿地区高校野球大会県予選は8月29日に開幕。10月4日までさとやくスタジアム、奈良市のロートスタジアム奈良、大和郡山市のならっきー球場で開催する。組み合わせ抽選会は8月21日。上位2チームは10月17日から京都市のわかさスタジアム京都で開催予定の近畿大会に出場する。
また、秋の県予選ではこれまで、隔年で3位チームが近畿大会に出場していたが、今年から滋賀、京都、奈良、和歌山の4府県の3位チーム同士が対戦し、そのうち2チームが出場する方式に変更される。春の甲子園に通じる大会に、年によって出られない府県があることへの不公平感を考慮したという。
💢明治神宮大会Vの福岡・九州国際大付、主力選手1人が選抜大会に出場できず 開幕日の3月19日から出場停止1カ月
https://news.yahoo.co.jp/articles/696dbb884e52ebf7a7e536d1b2263b45ff81ef6c
第98回選抜高校野球大会に出場する九州国際大付(福岡)の主力選手1人が、1月21日に日本高野連から厳重注意と出場資格停止処分を受けたことが18日、分かった。該当部員の出場停止期間は3月19日から1カ月間で、同日開幕の選抜大会には選手登録されないため出場できない。
該当部員は1月中旬、授業中に校則違反となる行動を取り学校から謹慎処分を受け、野球部は福岡県高野連に報告していた。同校は昨秋の九州大会を制し、明治神宮大会でも初優勝した強豪校。
📝女子高生が旅館に殺到、新聞すら禁止 囲まれたバスで理解…甲子園で生まれた“フィーバー”
https://news.yahoo.co.jp/articles/bdd67bf022cd7a87dbdf2a910fbdac19265e7661?page=1
元近鉄・太田氏が振り返る「コーちゃんフィーバー」
元近鉄投手の太田幸司氏(野球評論家)は、青森県立三沢高のエースとして、1969年夏の甲子園を大いに沸かせた。快速球で打者を封じていく甘いマスクの右腕に多くの女性ファンが注目しはじめ、1回戦、2回戦、準々決勝、準決勝と勝ち上がっていくごとに人気も急増。決勝の延長18回0-0引き分け再試合の大熱投で「コーちゃんフィーバー」と呼ばれる社会現象まで巻き起こした。太田氏は「旅館に缶詰めで一歩も外に出られなかった」と振り返る。
高校3年最後の夏、太田氏は青森大会からすさまじい投球を連発した。1回戦は板柳に29-0。「チームのモットーは“どんな相手でも全力でぶつかる。絶対手を抜かない”」。その結果でもあった。5回コールドで完全試合(参考記録)、アウトの多くが三振で「後ろから『打たせんかい、暇でしかたないわ』みたいな冗談まで出た。バットに当たってファウルチップになっただけでスタンドがワーと沸いていました」というほどの猛烈スタートだった。
太田氏の勢いは止まらない。3-0で勝利した青森大会準決勝の弘前戦では16奪三振のノーヒットノーランを達成した。盛岡市営球場で行われた青森上位2チームと岩手上位2位チームが争う北奥羽大会準決勝の一関商工戦では11奪三振、1安打完封で5-0。弘前実との青森県同士の対決となった決勝は初回に1点を先行されたが、以降はゼロに封じて3-1で勝ち、1968年夏、1969年春に続いて甲子園出場を成し遂げた。
「北奥羽大会は、青森県で開催するときは青森のチームが勝って、岩手県でやるときは岩手のチームが勝つというのが、ずっと続いていたんですけど、僕らは敵地で代表になった。まぁ決勝が青森同士になりましたからね。当時、弘前実は僕らの最大のライバルだった。先に点を取られて、あれが一番苦しい試合だったかな。周りは甲子園に出て、さあどこまで行くんだ、みたいに見られていたから、自信はあっても絶対勝たなきゃいけないプレッシャーも結構ありましたね」
つかんだ3度目の甲子園。過去2回はいずれも2回戦敗退に終わっており、まずは2回戦突破が目標だったという。1回戦は大会第4日(8月12日)の第2試合、相手は大分商(中九州)だった。「大分商の得能がいい左ピッチャーでね、厳しい試合だった。ウチの打線は右バッターばかりなのに左ピッチャーが苦手だったしね」。6回に2点を先制し8回に追いつかれたが、延長10回の末、3-2でサヨナラ勝ちを収めた。
「あの時は暑かったなぁ。終盤ちょっとバテました。2回戦の壁を破ろうというのがあったから、まず1回戦は絶対勝たなくちゃいけない。そのプレッシャーもありました。逆に言うと1回戦を苦労しながらも勝ったことで、何か吹っ切れたというのがありました」。それが2回戦につながった。大会第6日(8月14日)第3試合で明星(大阪)に2-1で勝利した。
勝ち上がるたびに女性ファンが増加「外に出られなかった」
「(春の)選抜は2回戦で浪商に負けたから、また大阪の学校が相手。明星だって過去に(1963年夏の甲子園で)優勝したこともあるし、やばいなぁとか言いながらね。それもまた1点差ですもんね」。大会第8日(8月16日)準々決勝は第2試合で平安(京滋)と激突した。「次の平安には、のちに(1969年ドラフト2位で)広島に入った渋谷(通)がいた。1本足打法のね。彼に屋根に届くほどの、ひとつ間違ったらどこまで飛ばされるんだろうってファウルを打たれてねぇ。すごい迫力だった。その試合もまた2-1だったんですよねぇ」。
大会第9日(8月17日)の準決勝は第2試合で玉島商(東中国)と対戦して、3-2とまた1点差の勝利となった。「玉島商に勝って“おいおい、えらいことだな、決勝まで来ちゃったよ、どうしよう”みたいな感じでした。今の子だったら“よっしゃー、優勝だぁ!”とか言うんだろうけど、そういうのは全然なかった。“決勝だから、かっこ悪い試合はできないなぁ”みたいな。そんなに変な力みも全くなかったですね」。
そこまでの4試合はすべて完投。しかも1回戦の後、中1日で2回戦、また中1日で準々決勝、連投で準決勝、そして3連投で決勝、さらには4連投で決勝再試合に向かっていくわけだが……。「自分の調子はどんどんよくなりましたよ。(1回戦の)大分商の時が一番しんどくてバテたかな。(青森大会前の)合宿とかでは1日500球くらい投げていましたしね。決勝の18回のときも後半の9回の方がよかったくらい。さすがに決勝の2日目はバラバラだったけどね」。
同時に、勝ち上がっていくたびに女性ファンが増加していった。「それまでの甲子園では、ちょろちょろ外出もしていたけど、3年の夏は、旅館に缶詰めで、一歩も外に出られなかった。でも新聞とか、そういうのも一切、見せてくれなかったんですよ。だから世の中のことはよくわかっていなかった。甲子園にバスで着いて球場入りするとき、試合ごとにファンの数が多くなって“なんかすごいことになっているな”って、そんな感じで見ていたんですけどね」。
そして伝説の決勝戦で「コーちゃんフィーバー」がさらに過熱する。三沢高のエースから甲子園のアイドル球児へ。太田氏は一気に全国区の超人気者になっていった。
☝日本ハム・達孝太、エドポロ・ケインが〝父親〟参観日にビビる「試合より緊張感があった」
https://news.yahoo.co.jp/articles/1a144731445fab2bbc35025878f473cbd9c2bdb6
日本ハム春季キャンプ(18日、沖縄・名護)日本ハム・達孝太投手(21)、ドラフト2位のエドポロ・ケイン外野手(22)=大阪学院大=の育ての親である中村良二氏(57)が18日、沖縄・名護キャンプに激励に訪れた。
近鉄、阪神で内野手として41試合に出場した同氏は元天理高(奈良)、現大阪学院大監督。天理OBの達は「高校時代をめっちゃ思い出した。集中しないと怒られるので、試合より緊張感があった」とブルペンで37球。全体練習後に約1時間の特守を行ったエドポロも「もう一度、気を引き締めるいい機会になった。体的には疲れはあるが、『まだまだ頑張るぞ』という気持ちになった」と、〝父親〟参観日を振り返った。
中村氏は「だいたい天理の教え子は僕が来たらフリーズする」と苦笑しながらも、達については「ブルペンを見たのは高校以来。フォークボールなんて、こんな落ちてたかっていうぐらい落ちていた。立ち振る舞いもなんか格好いいっスね。僕は丸刈りのやんちゃな時しか知らないけど、風格、品があるというか、すごい大人になった。僕も一応、NPB出身者の一人ですけど、僕とはもう違う世界で野球をしているんだな、と実感できた」と評した。
また、エドポロについては「彼がちょこちょこ当ててヒットを打ったところで、何の評価ももらえない。『どうせアウトなら三振してこい。小さくなるな』と言いました」。中村氏は終始、〝愛息子〟たちの姿に目を細め、「見守ってやってください」とチーム関係者、報道陣に頭を下げた。