自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」

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紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
🎤「本当は3番を打たせたかった」 師弟対談が実現 阪神・糸原健斗選手と開星高校・野々村監督によるトークイベント開催 
https://news.yahoo.co.jp/articles/94044d7b789a500238d86ed8f55dd2b428bfc043

師弟対談の実現です。プロ野球・阪神タイガースの糸原健斗選手と開星高校野球部の野々村直通監督によるトークイベントが島根県松江市で開かれ、多くの野球ファンが駆けつけました。
12月30日、松江市・今井書店の一角にできた人だかり。皆さんのお目当ては…。
プロ野球・阪神タイガースの糸原健斗選手と、開星高校野球部の野々村直通監督です。糸原選手は開星野球部のOBで、野々村さんは当時のチームの監督。師弟関係の二人で思い出を振り返りました。

糸原選手「高校時代は野球、野球、野球。授業中の記憶はほぼないですね」
野々村監督「本当に中心選手でした。本当は3番を打たせたかったんですけど、あまりにも打てるんでたくさん打順がまわった方が良いということである時期からは1番を(打たせた)」

糸原選手を当時から高く評価していた野々村監督。一方、糸原選手にはある意外な一面もー。

野々村監督「こいつが凡退したらカッカくるわけですよ。“お前打てるはずだ”気合い入れてやろうと思ったら、悔しそうな様子で俺の横をすーっと目も合わさず逃げるんです。そのままバットをもって裏に行って素振りを始める」
糸原選手「怒られる気配を感じるんですよ、“ヤバイ”。それで目を合わさず室内練習場へ駆け込んで、とりあえず練習する。すると野々村監督は“あいつは練習している”となって(怒られない)」

そんな糸原選手は高校卒業後、明治大学などを経て2016年、阪神に入団。当時、テレビでドラフト会議を見ていた野々村監督は、なかなか名前が呼ばれず、思わずテレビを切ってしまったそうです。するとー。

野々村監督「(知り合いから)電話が入ったんですよ。携帯にパッと出たら“野々村さんおめでとうございます”というから“え?健斗どこか引っかかったの?”“何を言ってるんですか阪神ですよ”というから“ええー”といって。取ってくれたと聞いた瞬間に“金本さん、金本さま、ありがとうね”という感じでしたね。だから本当飛び上がるほどうれしかった」

去年は母校である開星高校も8年ぶりに夏の甲子園出場を決め、阪神も去年は2年ぶりのリーグ優勝を果たしました。

糸原選手:「先輩としてうれしかったですし、タイガースのチームメートとも開星の話になるので甲子園に出てくれれば。すごく開星高校が甲子園に来てくれて嬉しかったですね」

新たな1年に向けて、二人の目標はー。

糸原選手「今年日本シリーズは負けたので、やはり日本シリーズに負けてリーグ優勝で終えるのと、勝って日本一になってオフを迎えるのは全然違ったので2年前のように日本一になれるように頑張ります」
野々村監督「来年は連覇が狙える立場にいるので、夏の甲子園に出れたことに感謝して来年連覇を必ずや成し遂げるというのが夢」

この日は貴重なツーショットを一目見ようと、県内外からファンが駆けつけました。

参加者「すごくうれしかったです」「高校時代の話とかはなかなか聞く機会がだんだん減ってきているので、色んな野々村監督との貴重な話が聴けてすごいよかったです」

イベント終了後にはサインや一緒に写真を撮る時間も設けられ、ファンにとっても忘れられない年末のひと時となったようです。

📝名門校出身、戦力外から3か月…遂に新天地「え!?」「これはアツい」 トライアウト組に新展開
https://news.yahoo.co.jp/articles/8d1af42ee59775e274b5b4cd404413b2094972e0

智弁和歌山で甲子園3度、小林樹斗投手が徳島入り

昨季までプロ野球の広島でプレーした小林樹斗投手が、独立の四国アイランドリーグに参加する徳島インディゴソックスに加入すると12日に発表された。年が明け、ようやくつかんだ再起の場所に、ファンからは「藤井皓哉コースかな」「これはアツい」と激励の声が並んだ。

名門・智弁和歌山高出身の小林は2020年、広島からドラフト4位指名を受けた。2年目と3年目に1試合ずつ1軍登板を果たすも、2024年オフに育成選手に。昨年10月1日に2度目の戦力外通告を受け退団し、11月の12球団合同トライアウトを受験していた。

智弁和歌山では2年春夏の甲子園に連続出場、3年時はコロナ禍で行われた交流試合で甲子園のマウンドに立った最速152キロ右腕。徳島が12日、公式Xで新加入を発表すると、ファンからは「おめでとう」「良かった」「頑張れ!!!!」「うおこれはアツい」「え!?」と激励のコメントが並んだ。

広島からはかつて、戦力外になった藤井皓哉投手が高知を経由してソフトバンク入り。昨季も19ホールドを挙げるなどリリーフの重要な駒となったケースがあるだけに「これは藤井皓哉コースかな」「藤井皓哉曲線あるで」という声もあった。

🔥“初代ドラフト1位”の佐野真樹夫さん アマ野球指導40年以上のレジェンドの夢「浜松から一流のプロ野球選手を」
https://news.yahoo.co.jp/articles/374500f513247c1392084831f91e559120bf7fb7

浜松市出身で、1965年の第1回プロ野球ドラフトで広島から1位指名を受けた佐野真樹夫さん(82)が、このほどしずおか報知のインタビューに応じた。“初代ドラフト1位”という歴史的な肩書を持つ元プロ野球選手は、引退後、地元で40年以上にわたりアマチュア野球の育成に力を注いできた。「浜松から一流のプロ野球選手を輩出したい」。その思いを持ち続けるレジェンドに迫る。

佐野さんは昨年10月から浜松南リトルシニアの顧問として戻ってきた。浜松開誠館高監督の長男・心(58)の下でコーチを務めていたが、23年度限りで退任。「チームからの強い要請があった」ため、小中学生指導への復帰を決めた。多くの球児を育て、「今でも街中を歩くと、教え子やその家族から、浜松南リトルシニア時代の『総監督』と呼ばれるよ」。浜松球界のまさにレジェンドだ。

浜松南リトルシニアは、一昨年夏に甲子園に出場した掛川西の山下陸人遊撃手(駿河台大1年)、昨年のセンバツに出場した常葉大菊川の佐藤大介投手(2年)など、前身を含めると約2000人もの選手を輩出。1991年に中日から6位指名を受けた心もOBだ。史上初の親子でのドラフト指名選手として話題になった。現役では、ヤクルトの鈴木叶捕手(19)、西武の佐藤太陽内野手(23)がいる。

自身は広島の初代ドラフト1位も、プレーしたのは4年間。酒店を営んでいた父が脳出血で倒れたことに加え、自身も肩の腱を断裂した。当時は十分な治療法もなく、痛みを抱えながらのプレーが続いていた。球団から慰留を受けたが、ユニホームを脱ぎ、家業を継ぐ道を選んだ。

「引退後は野球から離れるつもりだった」。その思いを変えたのが、長男の存在だった。幼少期からキャッチボールを重ね、小学4年生になった際、将来の夢を決めさせたところ、「プロ野球選手」と即答。その言葉は今も忘れられないという。「誘導した部分はある(笑)。でも最後は自分で決めることが大事」と笑った。

小学5年生になった心が元近鉄の佐野勝稔さん(享年79)が行っていた、7、8人を相手にする野球教室に関心を示した。そのため、指導に加わるようになった。その後、勝稔さんが77年に浜松リトルを創設。翌年には卒業生の受け皿として浜松シニアを設立、真樹夫さんが初代監督に就任した。チームの人数が120人に達し、84年に2つに分かれた際、浜松南の監督を務めることになり、気づけば監督や総監督として30年以上携わることになった。

息子への指導は当初、万能型を目指したが、パワー系ではなかったため、持ち味を生かすべく、1、2番を打つリードオフマンを務められる俊足選手として育成。選手一人ひとりの特性を重視する形へと変化していった。「息子の成長を通して、個に応じた指導の大切さを学んだ」と話す。心は父と同じ専大へ進学し、プロ野球選手となった。「自分の指導が正しかったことを、心が証明してくれた」と、うれしそうに語る。

今後は顧問として、グラウンドに時折顔を出し、個人的に指導を行ったり、リーグ運営に意見を述べたりと、「浜松南リトルシニアにもっともっと貢献していきたい」と意気込む。チーム発足の思いは「浜松市の野球を強くさせること」。「浜松から一流の選手」を育てるため、これからも尽力していく。

◆佐野 真樹夫(さの・まきお)1943年12月20日、浜松市生まれ。82歳。高砂小―南部中。浜松商では主将、三塁手として活躍し、61年夏の甲子園に出場した。専大を経て、65年ドラフト1位で広島入り。69年に引退。NPB通算成績は162試合で打率1割9分3厘、3本塁打、17打点。家族は妻と2男。姉は女優の高山真樹さん(享年85)。

【編集後記】取材中、第1回ドラフト当時の話になった。1965年、自由獲得方式からドラフト制度へ移行した歴史的な年だ。専大4年だった佐野さんは主将として春秋リーグ連覇、全日本選手権優勝の三冠を達成した。しかし、指名予想の報道はなく、プロ入りの確証はなかった。運命の日、広島は電電九州の田端謙二郎を指名し競合。抽選で近鉄が交渉権を獲得した結果、佐野さんが1位指名された。本人はそのことを知らずに合宿所を出て、数十人の記者に囲まれ、初めて指名を知ったと懐かしむ。

また、初の親子ドラフト指名が実現した91年も裏話がある。中日はいすゞ自動車の佐野心をリストアップしていたが、愛工大名電高の鈴木一朗も候補だったという。関係者から「似たタイプの選手が既に指名されている場合は選ばれないかもしれない」と言われていた。しかし、イチロー氏はオリックスに4位指名され、心は無事中日から6位で指名。数多くの貴重な話を伺う機会になった。

⚾岩手さんへ
クーリングタイムは必要だと思いますよ!!願わくば夏だけでなく春秋もやってほしいくらいですが・・・・・。
初年度は10分間設けつつも16時以降は実施しないという原則がありました。結局、その後すぐに撤回されナイターでもクーリングタイムやってくれました。
天候不良や試合時間が長引き夜遅くなった時ははしょってましたが、そういう時はトイレへの往復を急がねばならずせかされますね・・・・・。

兵庫などでは夏そして秋の熱い日には3回・7回終了後に2分程度の給水タイムを取ってくれますが、特別試合時間が延びたとは感じないですね。
最近はマウンドに伝令を送る際にペットボトルとタオルを持っていく控え部員もおるし、攻守交代の折にはネクストバッターズサークルで水分補給する姿もよく見るので、昔のような「水は一滴も飲んではならない!」時代に比べたらかなり環境は良いかと。

それゆえに、3連戦禁止・延長即タイブレーク・水分補給や休養日など恵まれているにもかかわらず選手が頻繁に足を攣るというのは、、、、、甘やかしすぎているのが大きな要因かなと。

以前は決勝まで勝ち進めば4連戦は当たり前だったし、夏の場合は1回勝つごとに抽選だったので、第4試合勝利翌日の第1試合でまた試合というハードスケジュールもあったし。

7イニング制になったとしても試合序盤の3回くらいに体調不良を訴える選手もゼロではないし、選手はともかく野球ファンは高校野球離れに拍車がかかり特に県大会では入場料収入が激減して高野連全体の財政難に陥る気が・・・・・。
高校生も7イニング制に慣れた状態から大学・社会人に進んで9イニングの野球をするとなると体力精神力がついていくかどうか・・・・・。プロ野球だとよほどの逸材でない限りスカウトは手を出さないと思いますね。

大学野球・プロ野球を球場やTV観戦していると、高校野球の方がはるかに試合時間短いしこれ以上早く終わらせてどうするのか???と思いますね。
Uー18の試合を見ていたら、ついこないだまでキビキビしていた選手たちが大学生との壮行試合ではずいぶんノンビリ攻守交代して3時間ゲームやってましたから。

P・S 少子化の流れはもうどうにも止まらないでしょうね・・・・・。急に子供の数が増えるとも思えないし、僕のような未婚で生涯終える人もたくさんいるだろうし、外国人に永住してもらい人口比率を押し上げるしか方法はないのかなあ・・・・・。

地方は特に少子高齢化の波が押し寄せ学校の廃校も数多くなるんでしょうね。。。
2026/01/12(月) 22時15分36秒 No.2240 編集 削除