自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」
📣第34回 高校女子サッカー選手権大会抽選表
https://www.jfa.jp/match/highschool_womens_2025/schedule_result.pdf
大阪第1代表で2年連続15度目の選手権出場を決めた我が母校・大商学園は2回戦からの登場で豊川-鹿島学園の勝者と対戦。
まだ会場が発表されていないですが、準々決勝・準決勝は三木。決勝戦は神戸ユニバーでの試合が決まっておるので、2つ勝てば昨年に続き真冬の三木に行きたいと。
1/5・1/7・1/11予定を開けておきますが、3連覇中の藤枝順心が静岡第2代表で登場し互いに勝ち進めば準決勝での対戦が予定されておるのでここが鬼門ですね。。。
なんとかユニバーに行けるように、そして悲願の初優勝を果たして高校総体に続き夏冬連覇できればと!
📝持丸修一 77歳名将の高校野球論
センバツ切符のかかった秋季関東大会の横浜戦…心中覚悟で「1年生左腕」を投入した理由
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/380674
前回に引き続き、秋季関東大会を振り返ります。今回は、準々決勝・横浜戦(4-2)の勝因と、準決勝での山梨学院戦(4-11=八回コールド)の敗因について。
横浜戦は、「勝てばセンバツ切符」の大一番。絶対に負けられない試合に、先発として送り出したのは1年生左腕の小林冠太です。
小林は1回戦の文星芸大付戦で三回から2番手として登板(七回コールド)させ、中1日での起用。投手が足りていないのでは、と思われた方もいるかもしれませんが、私には「横浜戦には小林しかいない」という確信がありました。いきなり重圧がかかる大一番に送り出すのではなく、まずは場慣れさせる狙いがあった。満を持しての投入でした。
なぜ小林に白羽の矢を立てたのか。身長170センチと投手としては小柄ですが、直球にキレがあり、これが変化球を際立たせる。特にカーブの落差は大きく、打者のタイミングを外す「落ち感」は1年生の域を超えています。めったなことでは肩が痛いとか、体が重いなどとこぼさないタフさも兼ね備えています。
横浜打線は隙がなく、全員が本塁打を打つような迫力がある。これは私の勘ですが、145キロ前後の球速帯が最も打たれやすいと踏んでいた。最速140キロ程度の小林なら、相手もタイミングを合わせにくいはず。そこにカーブなどで緩急を加えれば勝機はある--。すべてを総合して、専大松戸の投手陣の中で誰よりも横浜打線と相性がいいと判断しました。
試合を見てくださっていた高校野球ファンはヒヤヒヤしたことでしょう。初回から四球2つの不安定な立ち上がり。六回に3点をリードしたものの、七回には2点差に迫られた。点差が動かないまま迎えた九回は、先頭打者への死球を皮切りに1死二、三塁の大ピンチ。さらには逆転の走者まで出しました。
それでも私が投手を代えなかったのは、最初から小林と心中するつもりだったからです。たしかに試合終盤は疲労でヘロヘロになっていた。それでも、他のどの投手よりも小林が抑える可能性が一番高いという確信は、最後の最後まで揺るがなかった。
終わってみれば、181球の粘投。被安打10、10四死球と、全イニングで走者を背負いながら、わずか2失点。よく踏ん張ってくれました。
次に山梨学院戦の敗因です。1年時から中軸を担う主将兼遊撃手の高貝が肋骨骨折により欠場。攻守の要かつ精神的支柱の不在の影響は大きく、試合の入りからチーム全体の雰囲気が硬くなってしまった。個々の能力もチームの総合力も十分に発揮できず、悔いの残る敗戦となりました。
誰かひとり欠けたくらいで全員がパフォーマンスを発揮できないのでは困る。どうしてチームプレーで補えるような体制、土壌を整えられなかったのか。春に向けた改善点があぶり出された試合になりました。
📝堺で11月30日に無料の野球教室 元オリックスの塩崎さんらが講師
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASTCT026FTCTOXIE04JM.html
大阪府高校野球連盟主催の子ども向け野球教室「親子でキャッチボールフェスティバル in OSAKA」が30日、堺市中区のくら寿司スタジアム堺で行われる。野球経験のない小学校4年生までの子どもが対象で、参加無料。
フォーム(https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScfNaHysM31dJmnK3ypRiBzbcOn5u5tLAcK7-KSKxFpgpN3Rg/viewform別ウインドウで開きます)で事前に申し込む。
プロ野球を統括する日本野球機構の協力で、当日は元オリックスの塩崎真さん、山本和作さんが講師を務める。午前10時から同11時30分まで、柔らかいボールを使って試合をするなどして野球を楽しむ。府内の高校の軟式野球部員が付き添うため、保護者に野球経験がなくても構わない。
参加者にはリストバンドやボールがプレゼントされる。荒天の場合は中止。問い合わせは同連盟軟式部の多田真己委員長(090・3842・1970)へ。
🎤イチローさん 高校野球のタイブレークに「僕は12回やらせてほしい」 酷暑による甲子園変更議論にも言及
https://news.yahoo.co.jp/articles/ad73986d46486ba308c15f60780f6fcc647316dc
マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクターのイチローさん(52)が24、25日両日に今年の神宮大会で初優勝を飾った九州国際大付の球児へ指導を行った。濃密な2日間の中で、高校野球における「甲子園」や「タイブレーク制度」について持論を語った。
秋の王者を訪れ指導することを決め、負荷を上げた練習中に負傷してしまったという驚きの“あいさつ”で始まった今年2校目の高校生指導。イチローさんらしい会話のキャッチボールで生徒たちの緊張は徐々にほぐれていった。アップが始まりイチローさんは軽いランニングで体を温める。その最中に、練習補助をかって出てくれた3年生部員と言葉を交わした。
イチローさん「夏はどこまで」
生徒「県大会決勝で負けました」
イチローさん「甲子園、いいよね、やっぱり。めっちゃ暑いじゃない、今。(夏の)甲子園でやらしたら危ないって声もあるし、京セラ(ドーム)でやらしてもいいって声もあるけど」
生徒たち「甲子園がいい」
イチローさん「甲子園だよね。タイブレークはどう思う?僕は12回やらせてほしい。12回までやって、それで決まらなかったら13回から(タイブレークをやればいい)。どう思う?」
生徒「考えたことがないです」
その答えを聞いたイチローさんは、笑いながら「考えろ!」とツッコミ。生徒たちに笑いが起こる中「ルールに沿ってやる、という感じか」と理解を示した。
今年の夏は朝の部と夕方の部の2部制を導入し酷暑対策を行った。メジャー、プロ野球を含め時短の考えが広がる中で、イチローさんは高校野球における「タイブレーク導入」や「甲子園」という場所について自身の考えを生徒たちに明かした。
イチロー氏の高校生指導は20年から6年連続。20年智弁和歌山、21年は国学院久我山(東京)、千葉明徳(千葉)、高松商(香川)、22年に新宿(東京)、富士(静岡)、23年の旭川東(北海道)、宮古(沖縄)、24年は大冠(大阪)、岐阜(岐阜)、そして母校の愛工大名電(愛知)を指導。今年は8、9日両日に新潟・中越高を指導し、九州国際大付が2校目で通算13校目となった。
👣中田翔氏が引退記念パーティーで大阪桐蔭・西谷監督からエール「いつか監督やってくれたら…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/7f81e31066509c955c4ba6d72b28c446ed6ae0ff
今季限りで現役を引退した元日本ハム、巨人、中日の中田翔氏(36)の「引退記念パーティー」が24日、故郷の広島市内のホテルで開催された。小、中学時代に所属した鯉城シニアが主催し、約300人の関係者が集まった。壇上で、中田氏はあいさつ。「プロ野球生活18年間、さまざまなことがありました。鯉城で野球がスタートし、野球を楽しむこと、もっと野球を好きになること、道具を大事にすることを学びました。大阪桐蔭では野球に対しての厳しさ、難しさ、勝利に対しての喜びを教わりました。プロに進み、うまくいかなかったことのほうが多かった気がします。でも野球を通して、たくさんの方と出会うことができました。素直に言えるのも、皆さんの声援のおかげだったと思います。現役を終えて、寂しい思いもありますが、これからは野球界にいろいろな形で恩返ししていきたいと思います」と感謝の思いをこめた。
母校・大阪桐蔭の恩師である西谷浩一監督(56)も出席。「(高校に)入った時から、プロ野球に入れるのではなく、ドラフト1位にしないといけない選手でした。そういうプレッシャーはありましたが、それ以上に、ワクワクさせる選手でした。ひとつだけ心残りは、肘をケガして、私の中では投手で育てたい気持ちがあったのですが、途中からバッターになりまして、非常にがんばってくれて、大阪桐蔭の名前を全国に知らしめてくれました。3年間、一緒にやれて感謝しています」と振り返った。今後については、「これからいろんな仕事がくると思いますが、いつかプロ野球の世界で監督をやってくれたらうれしいな、と思っています。そんな日がいつか来るんじゃないかと思っていますし、人生の中ではまだまだ若いですから、がんばってくれると思う」とエールを送った。
恩師の言葉に中田氏は「まだまだ未熟者ですが、野球に携わっていく中で、指導力を磨いた上で、のちのち、そういうことを考えられる余裕があれば、チャレンジしたい気持ちはある。野球は切り離せない関係。死ぬまで野球に貢献していきたい思いは強い」と野球界への恩返しを誓った。
https://www.jfa.jp/match/highschool_womens_2025/schedule_result.pdf
大阪第1代表で2年連続15度目の選手権出場を決めた我が母校・大商学園は2回戦からの登場で豊川-鹿島学園の勝者と対戦。
まだ会場が発表されていないですが、準々決勝・準決勝は三木。決勝戦は神戸ユニバーでの試合が決まっておるので、2つ勝てば昨年に続き真冬の三木に行きたいと。
1/5・1/7・1/11予定を開けておきますが、3連覇中の藤枝順心が静岡第2代表で登場し互いに勝ち進めば準決勝での対戦が予定されておるのでここが鬼門ですね。。。
なんとかユニバーに行けるように、そして悲願の初優勝を果たして高校総体に続き夏冬連覇できればと!
📝持丸修一 77歳名将の高校野球論
センバツ切符のかかった秋季関東大会の横浜戦…心中覚悟で「1年生左腕」を投入した理由
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/380674
前回に引き続き、秋季関東大会を振り返ります。今回は、準々決勝・横浜戦(4-2)の勝因と、準決勝での山梨学院戦(4-11=八回コールド)の敗因について。
横浜戦は、「勝てばセンバツ切符」の大一番。絶対に負けられない試合に、先発として送り出したのは1年生左腕の小林冠太です。
小林は1回戦の文星芸大付戦で三回から2番手として登板(七回コールド)させ、中1日での起用。投手が足りていないのでは、と思われた方もいるかもしれませんが、私には「横浜戦には小林しかいない」という確信がありました。いきなり重圧がかかる大一番に送り出すのではなく、まずは場慣れさせる狙いがあった。満を持しての投入でした。
なぜ小林に白羽の矢を立てたのか。身長170センチと投手としては小柄ですが、直球にキレがあり、これが変化球を際立たせる。特にカーブの落差は大きく、打者のタイミングを外す「落ち感」は1年生の域を超えています。めったなことでは肩が痛いとか、体が重いなどとこぼさないタフさも兼ね備えています。
横浜打線は隙がなく、全員が本塁打を打つような迫力がある。これは私の勘ですが、145キロ前後の球速帯が最も打たれやすいと踏んでいた。最速140キロ程度の小林なら、相手もタイミングを合わせにくいはず。そこにカーブなどで緩急を加えれば勝機はある--。すべてを総合して、専大松戸の投手陣の中で誰よりも横浜打線と相性がいいと判断しました。
試合を見てくださっていた高校野球ファンはヒヤヒヤしたことでしょう。初回から四球2つの不安定な立ち上がり。六回に3点をリードしたものの、七回には2点差に迫られた。点差が動かないまま迎えた九回は、先頭打者への死球を皮切りに1死二、三塁の大ピンチ。さらには逆転の走者まで出しました。
それでも私が投手を代えなかったのは、最初から小林と心中するつもりだったからです。たしかに試合終盤は疲労でヘロヘロになっていた。それでも、他のどの投手よりも小林が抑える可能性が一番高いという確信は、最後の最後まで揺るがなかった。
終わってみれば、181球の粘投。被安打10、10四死球と、全イニングで走者を背負いながら、わずか2失点。よく踏ん張ってくれました。
次に山梨学院戦の敗因です。1年時から中軸を担う主将兼遊撃手の高貝が肋骨骨折により欠場。攻守の要かつ精神的支柱の不在の影響は大きく、試合の入りからチーム全体の雰囲気が硬くなってしまった。個々の能力もチームの総合力も十分に発揮できず、悔いの残る敗戦となりました。
誰かひとり欠けたくらいで全員がパフォーマンスを発揮できないのでは困る。どうしてチームプレーで補えるような体制、土壌を整えられなかったのか。春に向けた改善点があぶり出された試合になりました。
📝堺で11月30日に無料の野球教室 元オリックスの塩崎さんらが講師
https://vk.sportsbull.jp/koshien/articles/ASTCT026FTCTOXIE04JM.html
大阪府高校野球連盟主催の子ども向け野球教室「親子でキャッチボールフェスティバル in OSAKA」が30日、堺市中区のくら寿司スタジアム堺で行われる。野球経験のない小学校4年生までの子どもが対象で、参加無料。
フォーム(https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScfNaHysM31dJmnK3ypRiBzbcOn5u5tLAcK7-KSKxFpgpN3Rg/viewform別ウインドウで開きます)で事前に申し込む。
プロ野球を統括する日本野球機構の協力で、当日は元オリックスの塩崎真さん、山本和作さんが講師を務める。午前10時から同11時30分まで、柔らかいボールを使って試合をするなどして野球を楽しむ。府内の高校の軟式野球部員が付き添うため、保護者に野球経験がなくても構わない。
参加者にはリストバンドやボールがプレゼントされる。荒天の場合は中止。問い合わせは同連盟軟式部の多田真己委員長(090・3842・1970)へ。
🎤イチローさん 高校野球のタイブレークに「僕は12回やらせてほしい」 酷暑による甲子園変更議論にも言及
https://news.yahoo.co.jp/articles/ad73986d46486ba308c15f60780f6fcc647316dc
マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクターのイチローさん(52)が24、25日両日に今年の神宮大会で初優勝を飾った九州国際大付の球児へ指導を行った。濃密な2日間の中で、高校野球における「甲子園」や「タイブレーク制度」について持論を語った。
秋の王者を訪れ指導することを決め、負荷を上げた練習中に負傷してしまったという驚きの“あいさつ”で始まった今年2校目の高校生指導。イチローさんらしい会話のキャッチボールで生徒たちの緊張は徐々にほぐれていった。アップが始まりイチローさんは軽いランニングで体を温める。その最中に、練習補助をかって出てくれた3年生部員と言葉を交わした。
イチローさん「夏はどこまで」
生徒「県大会決勝で負けました」
イチローさん「甲子園、いいよね、やっぱり。めっちゃ暑いじゃない、今。(夏の)甲子園でやらしたら危ないって声もあるし、京セラ(ドーム)でやらしてもいいって声もあるけど」
生徒たち「甲子園がいい」
イチローさん「甲子園だよね。タイブレークはどう思う?僕は12回やらせてほしい。12回までやって、それで決まらなかったら13回から(タイブレークをやればいい)。どう思う?」
生徒「考えたことがないです」
その答えを聞いたイチローさんは、笑いながら「考えろ!」とツッコミ。生徒たちに笑いが起こる中「ルールに沿ってやる、という感じか」と理解を示した。
今年の夏は朝の部と夕方の部の2部制を導入し酷暑対策を行った。メジャー、プロ野球を含め時短の考えが広がる中で、イチローさんは高校野球における「タイブレーク導入」や「甲子園」という場所について自身の考えを生徒たちに明かした。
イチロー氏の高校生指導は20年から6年連続。20年智弁和歌山、21年は国学院久我山(東京)、千葉明徳(千葉)、高松商(香川)、22年に新宿(東京)、富士(静岡)、23年の旭川東(北海道)、宮古(沖縄)、24年は大冠(大阪)、岐阜(岐阜)、そして母校の愛工大名電(愛知)を指導。今年は8、9日両日に新潟・中越高を指導し、九州国際大付が2校目で通算13校目となった。
👣中田翔氏が引退記念パーティーで大阪桐蔭・西谷監督からエール「いつか監督やってくれたら…」
https://news.yahoo.co.jp/articles/7f81e31066509c955c4ba6d72b28c446ed6ae0ff
今季限りで現役を引退した元日本ハム、巨人、中日の中田翔氏(36)の「引退記念パーティー」が24日、故郷の広島市内のホテルで開催された。小、中学時代に所属した鯉城シニアが主催し、約300人の関係者が集まった。壇上で、中田氏はあいさつ。「プロ野球生活18年間、さまざまなことがありました。鯉城で野球がスタートし、野球を楽しむこと、もっと野球を好きになること、道具を大事にすることを学びました。大阪桐蔭では野球に対しての厳しさ、難しさ、勝利に対しての喜びを教わりました。プロに進み、うまくいかなかったことのほうが多かった気がします。でも野球を通して、たくさんの方と出会うことができました。素直に言えるのも、皆さんの声援のおかげだったと思います。現役を終えて、寂しい思いもありますが、これからは野球界にいろいろな形で恩返ししていきたいと思います」と感謝の思いをこめた。
母校・大阪桐蔭の恩師である西谷浩一監督(56)も出席。「(高校に)入った時から、プロ野球に入れるのではなく、ドラフト1位にしないといけない選手でした。そういうプレッシャーはありましたが、それ以上に、ワクワクさせる選手でした。ひとつだけ心残りは、肘をケガして、私の中では投手で育てたい気持ちがあったのですが、途中からバッターになりまして、非常にがんばってくれて、大阪桐蔭の名前を全国に知らしめてくれました。3年間、一緒にやれて感謝しています」と振り返った。今後については、「これからいろんな仕事がくると思いますが、いつかプロ野球の世界で監督をやってくれたらうれしいな、と思っています。そんな日がいつか来るんじゃないかと思っていますし、人生の中ではまだまだ若いですから、がんばってくれると思う」とエールを送った。
恩師の言葉に中田氏は「まだまだ未熟者ですが、野球に携わっていく中で、指導力を磨いた上で、のちのち、そういうことを考えられる余裕があれば、チャレンジしたい気持ちはある。野球は切り離せない関係。死ぬまで野球に貢献していきたい思いは強い」と野球界への恩返しを誓った。