自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」

ようこそいらっしゃいました。監督(管理人)の宏鈴法師です。当掲示板は全国どこの話題でもOKですのでどうぞ野球談義・よもやま話をお楽しみ下さい!なお、ご意見ご要望はメールでお願いします。悪しからずご了承くださいませ。


紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
⚾今日の中国大会岡山県勢試合結果(4日目 準決勝 UPRスタジアム)
崇  徳10-0倉 敷 商(8回)

⚾明日の近畿大会組み合わせ(5日目 準決勝 さとやくスタジアム)
  ☆ 10:00~ 智弁 学園(奈 良①)-滋賀 学園(滋 賀③)
    12:30~ 大阪 桐蔭(大 阪①)-神戸国際付(兵 庫①)

👣下関国際、「理想の展開」でも及ばず 秋季中国地区高校野球大会準決勝
https://news.yahoo.co.jp/articles/ea1351e2a2e408e32cf9a0b1e1b93c7cc843a237

【秋季中国地区大会準決勝 下関国際1―2高川学園(1日・ユーピーアールスタジアム)】

下関国際は、今夏の山口大会準決勝に続いて高川学園に敗れた。勝てばセンバツ出場に大きく近づく一戦だっただけに、試合後は多くの選手が泣き崩れた。

坂原秀尚監督は「勝てるとしたらこれしかないという理想の試合展開だった」と振り返る。先発の宮本匠主将を中心にロースコアの展開に持ち込んだ。 ここまで温存していた得意のチェンジアップを多投。打者に印象づけた上で最速140キロの直球を投げ込み、強打の高川学園を打ち取っていった。
想定外だったのは、4失策。堅守が強みのチームが二つの適時失策で沈んだ。坂原監督は「攻めたエラーなので。彼らは夏以降大きく成長し、よく頑張ってくれた」と責めなかった。

宮本主将は「今までずっと甲子園を目前に逃してきた。次の夏に勝つため、自分たちの守り勝つ野球ができるような冬を過ごしたい」と唇をかんだ。

💢倉敷商業 来春のセンバツ出場は微妙に 秋の高校野球中国大会 準決勝で敗退
https://news.yahoo.co.jp/articles/202afa3330df0291c0c7fa7806429893980c5146

来年春のセンバツ出場につながる秋の高校野球中国大会の準決勝が山口県で行われ、岡山県の倉敷商業が広島県の崇徳に0対10(8回コールド)で敗れ、センバツ出場は微妙な状況になりました。

🎤高校生・達川光男に「お前は口で失敗する」 入部1か月で見抜かれた素質…恩師の金言
https://news.yahoo.co.jp/articles/9a3d86fb99159a0c71709dbf6b970c5bd3aae863?page=1

達川光男氏は広島商時代の名将・迫田監督に師事
 
恩師との出会いが野球人生の流れを変えた。元広島の扇の要・達川光男氏は1971年、強豪校の広島県立広島商に進学し、名将・迫田穆成(よしあき)監督に徹底的に鍛えられた。師が発した言葉にはひとつひとつに重みがあり、どれも印象深いそうだが「私はすぐに性格も見抜かれていたよ」とも話す。「お前は絶対に口で失敗する」「お前は群れたら絶対駄目」など、鋭く指摘されたという。

甲子園に憧れ、第1志望の広島商に合格した達川氏は、レベルの高い名門校でもまれていった。自宅から通い、1年生は朝練前にグラウンド整備があるため「毎朝4時45分起きだった」という。「(小学3年から中学3年まで)新聞配達をしていたので、朝早いのは気にならなかったけど、睡眠時間は短くなった。中学までは新聞配達があるから早い時は(午後)7時、8時に寝ていたけど、高校は練習が終わって帰ったら(午後)11時を過ぎることもあったからね」。

もっとも、そう言いながら達川氏は「だけど、1日の平均睡眠時間は8時間きっちりとっていたよ」と笑う。「授業中にやっぱりちょっと……。こればかりは人間の生理現象だから……。授業を聞いていたら、聞けば聞くほど眠たくなってきたんでね」。そんな“睡眠時間”をプラスすれば8時間になっていたらしい。加えて早弁も当たり前だったとか。「昼休みはバント練習があったからね、(早弁も)やらなきゃ、どうしようもなかった」と話した。

そんな感じで始まった広島商時代だが、恩師・迫田監督の存在は何よりも大きかった。「迫田さんにはね、1年で入って1か月くらいで、もう性格を完全に読まれていましたね。おそらく学校の先生たちから、いろいろ情報も仕入れておられたんだろうけど、すぐ言われましたよ。『お前は絶対に口で失敗する』って。『お前はひと言多い』って。『小遣いをもらっているか』と聞かれて『若干もらっています』と言ったら『ちょっとでいいから貯金しろ』って。で『一生食べていけるくらい貯めろ』ってね」。

さらには「『お前は群れたら絶対駄目だ』って。『悪い方にいくから、一匹狼になれ』とも言われた。人間はひとりでは生きていけないけど、ひとりでも生きられるような強い人間になれ、ってこと。『お前は人に頼るな』ってね」とも明かす。当時は、いずれも何気なく聞いていたのかもしれないが、気がつけば、どれもズバリ当てはまっていたということだろう。だからこそ、何年経っても忘れられない言葉にもなっているようだ。

尽きぬ思い出「勝つ方法を説かれていた」

「1年が全員集められて『甲子園でサヨナラエラーしても許してもらえる選手になれ』とも迫田さんには言われた。そのためには練習の態度とか、そういうことだって説明されました。あの時、私はちょっと変わった人だなって思いましたよ。まだ甲子園に出たこともないのに、私たち1年は球拾いをしているのに、何を言うのかなって。でも、そうやって影響を受けていったんですよね」

迫田監督との思い出は尽きない。「あの人の座右の銘は“創意工夫”という言葉だったんだけど、あともうひとつ付け足すとしたら『一の人生』って言っておられた。一の人生、一の野球。もう一日、一日しかないし、野球も1球目があって2球目があって、1球のボールをみんなで追っかけるという。一の野球こそプレッシャーに打ち勝つ方法ということを説かれていた」とひと言、ひと言を噛みしめるように話した。

「『お前たち、明日決勝だけど緊張しているか。緊張している人は手を挙げろ』って言われて全員が手を挙げた。そしたら『よし、これでいい』って。『緊張しない人はな、責任感がない。責任感があるから、緊張するんだよ』ってね。いろいろ勉強させられた。教育されましたよ」。達川氏はそんな迫田監督の教えを受けて、日々、成長していった。

「迫田さんは優勝しても絶対喜ばない。(監督の)胴上げは『絶対しない』と。『2位のチームに失礼だ。負けて悲しみにくれている相手の前で喜びは表さない』ってね。だから私たちの決め台詞も『2位のチームのおかげで優勝できました』だったよ」。達川氏は1973年の広島商3年夏に甲子園制覇も経験するなど、その野球人生は高校時代に大きく飛躍するが、もちろん、それも迫田監督抜きでは考えられない。

📝阪神・藤川監督が日本シリーズで「コーチ陣と衝突」か…引き金は「第2戦のデュプランティエ独断起用」
https://news.yahoo.co.jp/articles/7f5eb79279b6232e00cfca53aed471960de9c9c3

“奇襲作戦”に失敗

敗戦後に引き揚げる阪神・藤川監督。日本シリーズでの采配に賛否はあれど、就任1年目でチームをリーグ優勝に導いた手腕を疑う者はいない

2年ぶりの日本一を目指す阪神が10月30日、本拠地甲子園で行われたソフトバンクとの日本シリーズ第5戦に敗れ、シーズンを終えた。

「ホークスの底力があったね。強かった……」

試合後、こう切り出したのは藤川球児監督(45)だ。2014年以来、11年ぶりの〝虎鷹決戦〟の初戦を白星で飾ったものの、そこから悪夢の4連敗。
5試合中4試合は1点差の勝負だったことから、僅差による惜敗という論調も根強いが、球団OBは「差は歴然だった」と言い切る。

「主軸を打った大山悠輔内野手(30)がシリーズ期間中、大不振に陥ったことが大きい。ホークスバッテリーはクライマックスシリーズで1割に満たない低打率だった大山に焦点を絞って対策を徹底。振り遅れが目立つと分析して胸元に速球を投げ込む配球が見事にハマりました。

対照的に、ソフトバンクはレギュラーシーズンで本調子ではなかった山川穂高内野手(33)がシリーズタイ記録となる3試合連続アーチで“お目覚め”。野手陣の差が歴然と表れたシリーズでしたね。とくに、第2戦が大きな分水嶺になったと思います。あそこで大敗したことで、ホークスを勢いに乗せてしまった」

かつて常勝軍団だった西武を率いた名将・森祇晶(88)は「日本シリーズは第2戦が最重要」という説を唱え、巨人の前監督・原辰徳(67)もこの意見に賛同したという。
そんなシリーズ第2戦で、阪神ベンチ内に「不穏な空気が流れ始めていた」と複数の選手やスタッフが証言していることがわかった。一体何があったのか。

「先発したジョン・デュプランティエ(31)の起用を巡って、藤川監督とコーチ陣の意見が衝突したんですよ」(球団スタッフ)

デュプランティエは開幕から先発ローテーションの一角を担い、15試合に登板し6勝をマーク。防御率1.39と安定したピッチングを見せ、奪三振率11.22という数字には目を見張るものがあった。
だが、1軍登板は8月9日のヤクルト戦(京セラドーム)がラストで、以降は2軍調整が続いていた。

「実はファームでも満足に投げられておらず、CSでの登板もなかった。ところが、藤川監督は日本シリーズでのぶっつけ本番が奇襲になると考え、2戦目での起用を決意。無論、投手コーチをはじめ周りの首脳陣が『止めたほうがいいのでは』と強く進言しましたが、独断でマウンドに送り込んだのです。

結果、デュプランティエが2回途中7失点KOと大乱調でした。これは結果論ですし、たしかに藤川監督の独断で上手くいった例もたくさんありますが、日本シリーズという大舞台のキーポイントになる試合ですから、もう少し慎重になってもよかったのでは……。実際、『シーズン中からそうだったが、もっと我々の意見を聞いてくれないと、信頼関係が崩壊してしまう』とコボすコーチもいましたからね」(球団関係者)

この意見衝突に関する情報は、日本シリーズ敗退を機に、瞬く間に球団中へ広がっていったという。

「そんなタイミングで金村暁投手コーチ(49)の退団、そして野村克則バッテリーコーチ(52)の配置転換が発表されたのです。金村さんに関しては契約満了での退団とのことですが、『2人とも藤川監督との考えの違いによって現職を離れることになったのでは?』と邪推する不届き者も現れる始末です」(同前)

試合後、藤川監督は「自分のことも含めてやるべきことが、また見つかった」と敗戦の弁を語った。采配ミスを糾弾されるのは、常勝軍団の監督の宿命でもある。来季はコーチ陣の意見を柔軟に受け入れるのか、はたまた大一番での独断を貫くのか。

⚾岩手さんへ
そうなんですね。以前は熱田が愛知高校野球のメッカだったと記憶してますが、老朽化が著しいのでどこか別のメイン球場を探して、ナゴヤドームそして岡崎に変わっていったと推察しております。
20年ほど前はナゴヤドームで終盤試合をしていたので今思えばその折に行っておけばよかったなあと・・・・・。外観は2度ほど見学しましたが、スタンドに入ったことはないので。
願わくば来年の三重県・愛知県ピックアップ交流試合でナゴヤドーム使用してくれれば良いのですが、、、、、

しかし、通常30分程度で到着するところを1時間40分ほどバスに閉じ込められたらストレスかかりますよね・・・・・。舞洲の帰りのバスも通常の倍1時間ほどかかることもザラだし、バス停には長蛇の列ができておるので。奈良市鴻ノ池球場に初めて出かけた95年秋もドリームランドと高校野球の帰宅客が重なり大混雑となり、以来近鉄奈良駅から歩いて帰るようになりました。

メイデンの全盛期はバント一辺倒でイヤでしたが、春日丘も大魚を逃しましたね。未だに甲子園未出場だし中京大中京・東邦もまだまだ睨みを利かしているし、豊川や至学館など新興私学も台頭してきているので愛知を制するのは至難の業ですね。

関西特に大阪のホークスファンは未だに南海ホークスの残像が強いので、、、TVでレフトスタンド映りましたが、南海ホークスのユニホームを着たおじさんもいたし、僕が京セラドーム・HMF神戸にダイエーの応援に行った時も南海の球団歌をトランペットで鳴らしたり、南海の旗を降っていたのでソフトバンクとなっても生まれ変わりのような感覚でしょうか?
球団歌の「それゆけ若貴軍団」もダイエーと同じ曲だし!

それよりも、近鉄とオリックスが合併して『オリックスバファローズ』になった方が違和感かなりあると思いますね。近鉄ファンにとっては球団消滅したようなもんだし、オリックスファンも神戸でなく京セラドームが本拠地でHMF神戸の試合数がずいぶん減っているし、バファローズと言われることに猛烈な反発があると思われます。

P・S 今日は昼から清荒神にお参りで出かけましたが上っ張り要らないくらいの陽気でしたね!今日、橿原に行ければよかったですが16時過ぎお参りしている最中にちょっぴり雨に祟られたし・・・・・。

NHKラジオ岡山局は自宅にいたら電波が悪く聞きづらかったですが、第1試合やはり下関国際が敗色濃厚でさもありなんと。。。特別、高川学園が強いとも思いませんが、坂原監督はホンマに先攻好きだしスモールベースボールに徹しまくっておりますが、1-2でわずかに届かなかったと。

たしかに西純矢の創志学園や大阪桐蔭を土壇場9回表に逆転して勝ち切った試合は痛快ですが、いつもいつもそう上手い具合に事は運ばないので・・・・・。
やはり、先取点取られたら焦りますよね。創成館・健大高崎にセンバツで負けた時もズルズルいってゲームセットだったし、いいところまでは行きますがあと一歩届かないのがここ数年の傾向です。

第2試合は良く聞こえましたが、2-0と膠着状態に入り、ワンチャンスをつかめば倉敷商にも勝機があったかもしれませんがまさかの8回8失点でコールド負けとは・・・。あと1イニング辛抱しておれば・・・。
解説の杉本真吾さんは宇部のマウンドが柔らかいと!最近の球場のマウンドは硬くなっているらしいですが、宇部は投手の投げた足跡が掘れており相手投手の踏み位置が違うのでよく足元を慣らさなければいけないと。

高川学園は多々良学園時代は好きでしたが、今は下関国際がダイスキなんで・・・。崇徳は在りし日の應武監督が早稲田大監督から転身されたときの19年秋に鳥取市の布勢(現・ヤマタSP球場)で創志との試合観戦して4-6だったか惜敗を見ました。サングラスかけたときのジャンバー姿は貫禄ありましたね。
昔の広島野球を知らないので、盈進・崇徳といったチームを中国大会で観戦できた時は新鮮でした。盈進は甲子園でも見れたし、チャンスがあれば崇徳もセンバツで観たいですね!
2025/11/01(土) 22時05分37秒 No.2103 編集 削除