自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」
⚾今日の和歌山大会一次予選試合結果(6日目 2回戦 紀三井寺球場)
熊 野7x-0神 島(7回)・初芝橋本8-1向 陽・和歌山商3-2笠田農芸
📝令和7年度 秋季岡山県高等学校野球大会組合せ表
https://www.okayama-hbf.com/uploads/202509/20250917_92681957468ca7073338da.pdf
📝持丸修一 77歳名将の高校野球論
高校野球の慢性的な過密日程、上等ですよ。どれだけ慌ただしくても春季大会は絶対必要です
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/377546
沖縄尚学の初優勝で幕を閉じた今夏の甲子園。その裏で、聖地の土を踏むことがかなわなかった我が専大松戸は、秋季千葉大会予選に臨んでいました。
結果を振り返ると、初戦から順に千葉明徳戦(8対0、7回コールド)、八千代松陰戦(17対1、5回コールド)、流山戦(3対0)。無事に本戦出場を決めることができました。次戦は21日、成田国際と幕張総合の勝者と対戦します。
一見すれば強豪相手に十分な戦いぶりを見せ、先行きは明るいようにも映ります。しかし、そう単純な話ではありません。相手校の多くは初めて公式戦を経験する選手が中心で、本来の力を発揮できていなかっただけでしょう。専大松戸には先輩の試合に出ていた下級生が多く、“試合慣れ”という点で一日の長があるかもしれませんが、チームの総合力や個々の能力が勝っているかは未知数です。目先の勝利に浮かれている場合ではありません。
秋季大会は来春のセンバツへと直結する重要な舞台。だからこそ、是が非でも勝ち抜かなければいけません。その覚悟で日々の練習に臨んでいます。さて、新チームの近況はこのくらいに。ここまでの流れで「高校野球は過密日程だ」と感じる方も多いのではないでしょうか。たしかにその通りだとも思いますが、今回はこの「過密日程」について、私の考えをお話しします。
特にやり玉に挙がるのが春季大会です。どれだけ勝ち進んでも、得られるのは夏の地方大会のシード枠(1試合分)だけで、対価が大きいとは言い難い。しかも、春季地方大会が終われば1カ月余りで「最後の夏」が始まります。最近は酷暑の影響で夏の地方大会の日程に議論が及ぶケースも目立ち、その流れで、「春季大会は不要」という意見も出てきているようです。
今春は関東大会まで進みましたが、実際、息をつく暇なんてありませんでした。それでも、私は春季大会を削ることには反対です。選手に実戦経験を積ませたいのはもちろん、もうひとつの理由として、野球は「ユニホームを着て番号を背負う機会」が極端に少ないからです。サッカーやバスケのように練習試合からユニホームを着られる競技と違い、野球はほとんどの学校が公式戦でしか背番号を付けません。
しかも現状、その舞台は春・夏・秋のわずか3大会だけ。さらに、その期間にベンチ入りを許されるメンバーにしか出場機会がない。それだけに、選手にとってユニホームに袖を通し、自分だけの番号を与えられることは、我々大人が想像する以上に大きな意味を持っているのです。背番号を付けて、なおかつ公式戦を戦う。この重圧もまた選手の成長に欠かせません。もし効率だけを優先して春季大会を廃止すれば、3年間一度もユニホームを着られずに終える選手が増えてしまう。お試しで新戦力を起用する機会も失われ、ベンチ入りメンバーはより固定化するでしょう。結果として、「選手の出場機会を増やす」という昨今の高校野球界全体の方針と逆行することになるのです。
過密だからといって安易に削ればいい、というものではありません。幸いにも現時点で高野連が春季大会をどうこうしようという気配はありません。どうかそのままでいていただきたい。
どれだけ慌ただしくても、現場の我々指導者や選手にとっては「心地よい疲労」なのです。過密日程、上等じゃないですか。
☝部員9人の金沢龍谷が逆境乗り越え逆転勝利…元金沢の浅井純哉監督は3年ぶり公式戦
https://news.yahoo.co.jp/articles/30e8e4ea392d1d693fc2d55f6ffdad336ac224c9
◆秋季高校野球石川県大会 ▽2回戦 金沢龍谷7―5輪島(14日・弁慶)
部員9人で挑んだ金沢龍谷は、7―5で輪島に逆転勝利し、初戦突破を決めた。元金沢の監督として春4回、夏7回の甲子園出場を誇る浅井純哉監督(68)が8月1日に就任し、新チームで初勝利を飾った。9回は二死満塁のピンチも迎えたが、最後はエース左腕、赤羽駿人(2年)が気迫の投球で右飛に仕留めてゲームセット。指導歴も長い浅井監督だが「今まで9人で戦ったことはないです。苦しいこともありましたが、40日間で一つの答えが出たのかなと思います」と感無量の表情を浮かべた。
どん底からの再出発だった。昨秋は指導者の不祥事が発覚し、今春の新入部員は1人のみ。先の見えない絶望的な状況に、山田晟羅主将(2年)は「どうしたらいいのか、わからなかった。そもそも、試合に出場できるのかも、わからなかった」と振り返る。混乱の中、火中の栗を拾ったのが、浅井監督だった。「環境は整っているのに、この子たちは野球以外でも苦しい。外から見ていたが、大変な秋を迎えるだろうなと。金沢高校に勤めていたので、すぐに返事は出来ないと言ったのですが、少しでもお手伝いが出ればと言う気持ちになって」と熟慮の末に監督就任を決断した。
2年生8人、1年生1人の小所帯で新チームをスタートしたが、この夏に消化できた練習試合は5試合のみ。練習の準備や片付けにも多くの時間がかかった。9人しかいないため、ポジションや打順も試行錯誤。練習試合の結果も1勝4敗と、決して順調ではなかったが、のびのびとした雰囲気で浅井監督はいいプレー、悪いプレーにもていねいに声を掛け続けた。「チームの雰囲気も変わり、全員が勝利という目標に向かっているのを感じました」と山田主将。練習には3年生も参加してノックを打ち、準備、片付けも手伝って下級生を支えた。引退した3年生も一緒に指導した浅井監督は「本当に素直だし、教えてくれと言ってくる。私と話しているとメモも取っています」と、その意欲に驚いた。
この日の試合でも、3年生1人が記録員を務め、2人は補助員として飲料水や攻撃の準備、球拾いなどでバックアップ。スタンドからも3年生全員がそろって大声援を送った。その声に応えて選手たちも奮起。エース、赤羽と左腕、田島來門一塁手(2年)が交互にマウンドに上がってピンチをしのげば、打線もつながって14安打と爆発。9回1死では4番・山田の左越え本塁打も飛び出し、部員全員で勝利をつかみ取った。指揮官は「覚悟の上でユニフォームを着たが、外から来て初めてみんなの本心を知ることが出来ました」と振り返った。
次戦は浅井監督の古巣でもあるシード校の金沢だ。「自分たちの持っているものをどれだけ出せるか楽しみ。やるからには、なんとか突破口を開いて欲しい」と指揮官。野球が出来る喜びをかみしめながら、チーム一丸となって強敵撃破を目指す。
📝「暴力、いじめ、窃盗…何でもあり」“甲子園準優勝の名門”沖縄水産の崩壊「設備はボロボロ…部費の横領事件も」“立て直しに尽力”元監督が驚愕した実態
https://number.bunshun.jp/articles/-/866781?page=1
「賛否両論の名将」栽弘義65歳の最期
監督の栽弘義が「沖水史上最強」と考えていた1998年の沖縄水産は、春夏ともに甲子園1回戦で敗れた。一旦は落ち込んだ栽だったが、すぐさま体に鞭打って奮起し、2000年、02年、04年と沖縄県大会決勝まで駒を進めている。だが、いずれもあと一歩のところで敗退。03年世代のキャッチャーで4番を打った照屋信博(現シンバネットワークアーマンズベースボールクラブ監督)はこう述懐する。
「勝てるときに勝たないと甲子園はどんどん遠ざかっていきます。絶対に勝たなければいけない試合で負けたことがずっと響いている。OBとしてそう感じています」
勝てない時代が続くと、寮生活の統制も乱れていく。酔っ払って寮に戻ってきた舎監のコーチがマイクで特定の選手を呼び出し、酔っ払いの相手をさせる。時には酒を勧められる場合もあったという。また選手同士でタクシーに乗り合わせて居酒屋に行くなど、規律は完全に崩壊していた。そんな時期に、甲子園から遠ざかる栽を学校側は野球部監督から外そうとした。しかし、ある県会議員が議会で問題提起したことで栽はクビを免れたという。高校野球の監督の解任が県議会で議論されるほど、栽の存在はいち高校野球の監督の枠を超えていた。
2007年5月8日、栽弘義は65歳でこの世を去った。沖縄水産での監督在籍28年間のうち春3回、夏8回の計11度の甲子園出場を果たし、90年と91年は2年連続準優勝の輝かしい功績を残した。苛烈な指導方針と私生活の奔放さゆえ、批判も絶えなかった。現在の価値観からすれば到底容認されないであろう手法を用いていたのも確かだ。ただ、多くの教え子が後に指導者となり、さまざまな反省を踏まえたうえで、いまも沖縄の野球界に尽力している。毀誉褒貶はあれど、大きな功績を残したことは間違いない。
荒廃した沖縄水産「暴力、いじめ、窃盗…何でもあり」
名将・栽が亡くなったことで、沖縄水産の凋落は一気に加速する。“沖水”のブランドを保とうと踏ん張っていた時期もあった。しかし、時代の流れとともに子どもたちの気質や求めるものが変わっていき、以前はまかり通っていたものが次第に通用しなくなる。栄光時の施設や設備も老朽化する。部内の体制や仕組みも変容し、かつての形を無理矢理保とうとすればするほど歪な形になっていく。
2012年4月、小禄高校の野球部部長だった新垣隆夫が転任し、野球部副部長に就く。そこで沖縄水産の実情を目の当たりにして愕然とした。
「赴任した時には学校全体が飲酒、喫煙、暴力、いじめ、窃盗、もう何でもありのような状態でした。野球部も荒んでいた。毎年いい選手が入ってきて、『今年の1年生はいい』って聞くんですけど、上級生に詰められて辞めていくんです。1週間連続でパトカーが学校に来たこともありました。生徒が女性の先生にいきなり抱きついて、それを動画で撮ってネットにアップするといったセクハラまで……。女性の先生は相当怖がっていました。校内の自販機が燃やされたり、理科の実験室で水道の蛇口を外して投げたり、やりたい放題です。そういう校風だったため退学者も多かったです」
80年代のような校内暴力の数々が2010年以降の沖縄水産でまだ行われていたことそのものが驚愕であり、生徒指導を担当していた新垣にとっては毎日が格闘の日々だった。定員割れするため偏差値の低い他校に落ちた生徒が2次募集でなんとか引っかかり、周囲からは「掃き溜め」と揶揄される。生徒指導室と校長室のガラスが割られ、消火栓を抜いた消火器が投げ込まれることもあった。泡だらけの生徒指導室と校長室を、午前中いっぱいを使って清掃して原状回復する。学校内には沖縄県の高校として初めて、防犯カメラが設置されたという。
「設備はボロボロなのに…」野球部監督の横領事件
学校全体が荒廃しているなかで、野球部に災難が降り掛かった。部費の横領が発覚し、当時の監督が日本学生野球協会から2年間の謹慎処分を受けたのだ。新垣は悔しさを滲ませながら話す。
「ネットもなく、マシンも壊れたままで、設備はボロボロ。ボールも全然ない状態です。なのに子どもたちから年間6万円ほどの部費が集められている。当時の部員は50名いて、300万円も集まっているのに、どこにも使われている形跡がない。遠征費にしても高額ではないかと思われる金額が徴収されていた。監督、コーチを出入り禁止にして監督室のなかを片付けていると、空の領収書が出てきました。結局、当時の監督は40万円を使い込んだことだけを認めた。実際はもっと大きな規模の横領だと思います。子どもたちは何も悪くないんです。当時の指導スタッフには今でも腹立たしさしかありません」
当時の監督は練習中、クーラーが効いた監督室でタバコを吹かしながらテレビを見ていたという。放置された選手たちはトレーニング室に籠って指導者の悪口を吐き出す。これでは信頼関係など生まれるはずがない。大人たちの汚い面を目にした選手たちの心がどんどん荒んでいくのは当然の摂理だ。新垣は、悪の温床となっていた監督室を物理的に「解体」した。
自由奔放で破天荒な栽が監督時代になぜ結果を残せたか。それは選手たちから「栽先生についていけば甲子園に行ける」と絶対的なカリスマとしての信頼があったからだ。超がつくほどのスパルタ練習をさせても、選手たちは死にもの狂いでついてきた。そんな栽が亡くなってからというもの、選手と指導者の間に絆は芽生えず、次第にやさぐれていき、チームは弱体化の一途を辿った。
13年の夏の大会終了後、満を持して新垣が監督に就任する。果たして、荒れ果てた沖縄水産を変えることはできたのだろうか。
<続く>
⚾岩手さんへ
鳥取は遠いです!そしてメチャクチャ熱かった!!!とにかく風もないし、13日土曜日の夜なんて湿度が高すぎて日中よりも熱い気がしました。15日の倉吉は朝の駅から日中の球場までミンミンゼミが全力で鳴いてましたから・・・・・。紀三井寺でも8月末の新人戦の頃合いにはずいぶんおとなしくなるのですが、、、、、
一応、三ノ宮から鳥取まで乗り換えなし2時間15分ほどで到着しますが、7時57分が始発ゆえに10時12分到着で10時開始の第1試合には間に合わない・・・・・。
スーパーはくとの終点が倉吉ですが、10時50分くらいの到着で車窓も山間を通る単調さでしんどいですね、、、、、
今回は4年前の春、コロナ無観客試合でどら焼きドラマチックパーク米子の中国大会をフイにしたので、代替で鳥取横断慰安旅行を企画し、初日の雨で倉吉を最終日から初日に繰り上げました。14時頃に薄日が差したが、11時到着の折には本降りの雨でしゃーなしにバス移動で観光。倉吉市営球場の外観だけ見て防空壕のような入口と外野ラッキーゾーンなど拝見しましたが、スタンドには入れなかったので・・・・・。
ヤマタSP球場は最終日に晴れてレンタサイクルで湖山池一周を企画し、その手前のヤマタスポーツパークにお邪魔すると学童野球をしていたのでスタンドイン。19年秋に3回来場(初来場は雨天中止でトンボ帰り)したので4回目。
2日目の米子は外野フェンスよじのぼり第1試合途中まで観戦し、境港へ午前中に移動し水木しげるロードを歩き、記念館や境港タワーなどへ行き、米子城跡歩いてました。
悲しいかな2日目の唯一の3試合日が1度は1時間遅れの開催を発表しながら、雷雨に負けて中止↓↓せやけど、予報では15時頃まで断続的に雨予報でしたが、9時過ぎには雨やんで薄日が漏れてきたのでヤドでレンタサイクル借りて7年ぶりに砂丘へ・・・・・・・
初めての鳥取の折も、本降りの雨で中止(米子は2時間遅れの12時からプレーボール)ながらも昼前に薄日が差し、バスでトンボ帰りして駅前でカレー食べてレンタサイクル借りて行きましたが、、、、、砂丘に着いて休憩所でくつろいでいたらもう1回雨が降りだし、急いで帰ったが本降りで足止め喰らい「砂丘トンネル」で小一時間待機して18時30分の返却期限に間に合わせました!
どうしても納得いかないので、鳥取~鳥取~米子の2泊3日の予定を・・・鳥取~鳥取~米子~鳥取と延泊して3日間フル観戦しましたが、体調が・・・フラフラになりつつ、米子駅到着寸前に吐き気を催したり、最終日の鳥取で第2試合終了後満足して立ち上がろうとすると目眩するし、、、挙句の果てに「とっとり出合いの森」への道を間違い迷子になって断念と。
その教訓を活かして2021年春は森に行けたし、13日もじっくり1kmほど散策しました(全周4,2kmほどあるようですが山道は1kmが限界でした・・・)
まあ、結果的にヤマタSP・倉吉市営で1日ずつ野球観戦できたし、鳥取砂丘~鳥取城とたまに霧雨振ったものの薄日も射して3日間鳥取を楽しめたかなと。特に倉吉は球場の老朽化???が災いして夏の大会で使用されないようになったので、、、、、県の中央部なんでアクセスはいいのかもしれませんが。
あと、山陰中央新報によると島根大会の記事がありました!山陰らしく試合時間長いですね。
平 田 4-1情報 科学 2時間24分
松 江 南1-0三 刀 屋 1時間40分
立正大淞南8-2津 和 野 2時間30分
出 雲 商15-5出 雲 西 1時間39分(5回)
大 田 6-2松 江 商 2時間23分
松 江 工9-1松 江 東 2時間10分(8回)
開 星 4-1 安 来 2時間40分
大 社 11-1大東・農林 1時間36分
出 雲 7-6 浜 田 3時間19分
3 連 合5-3出雲 北陵 2時間29分
矢 上 5-1 明 誠 2時間11分
飯 南 1-0益田 翔陽 1時間58分
近畿もぜひ見習ってほしいところです!!といいつつ、倉吉では原則16時返却の自転車を無理言って16時45分までには帰ってくると約束し球場に出かけただけに・・・試合が長引き焦ってましたね。最後は8回裏に境が3点もぎ取りサヨナラコールドで15時40分ゲームセットでホッとしておりました(苦笑)最悪、16時には完全退去したかったので。
しかし、日曜は天気予報が悪く、米子や境港では1時間30ミリ超の豪雨だったようだし、島根ではそれ以上のゲリラ豪雨だったようですが、砂丘には駐車場がほぼ満車でバスも乗車率高かった!
あの急斜面の砂に足を取られつつ「馬の背」登り切って日本海見ました。前回はそこまで行けなかっただけに、、、、、
でも浜松だったら関東方面や長野あたりも守備範囲内になりそうですね。僕は行動範囲が狭いので、関東や九州は行けませんし中国だと山口はパスですね。
どうやら来秋に7年ぶりに鳥取で中国大会開催見込みなんで、、、今度は米子ー米子ー鳥取と2泊3日で行こうと企画してます。
米子だと、新幹線で岡山経由で「特急やくも」で約2時間10分で到着。そこから東山公園までの1駅のアクセスが悪いので、徒歩30分程度で球場入り。
近年、中国は11時から2試合が主流なんで助かります!!
熊 野7x-0神 島(7回)・初芝橋本8-1向 陽・和歌山商3-2笠田農芸
📝令和7年度 秋季岡山県高等学校野球大会組合せ表
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📝持丸修一 77歳名将の高校野球論
高校野球の慢性的な過密日程、上等ですよ。どれだけ慌ただしくても春季大会は絶対必要です
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/377546
沖縄尚学の初優勝で幕を閉じた今夏の甲子園。その裏で、聖地の土を踏むことがかなわなかった我が専大松戸は、秋季千葉大会予選に臨んでいました。
結果を振り返ると、初戦から順に千葉明徳戦(8対0、7回コールド)、八千代松陰戦(17対1、5回コールド)、流山戦(3対0)。無事に本戦出場を決めることができました。次戦は21日、成田国際と幕張総合の勝者と対戦します。
一見すれば強豪相手に十分な戦いぶりを見せ、先行きは明るいようにも映ります。しかし、そう単純な話ではありません。相手校の多くは初めて公式戦を経験する選手が中心で、本来の力を発揮できていなかっただけでしょう。専大松戸には先輩の試合に出ていた下級生が多く、“試合慣れ”という点で一日の長があるかもしれませんが、チームの総合力や個々の能力が勝っているかは未知数です。目先の勝利に浮かれている場合ではありません。
秋季大会は来春のセンバツへと直結する重要な舞台。だからこそ、是が非でも勝ち抜かなければいけません。その覚悟で日々の練習に臨んでいます。さて、新チームの近況はこのくらいに。ここまでの流れで「高校野球は過密日程だ」と感じる方も多いのではないでしょうか。たしかにその通りだとも思いますが、今回はこの「過密日程」について、私の考えをお話しします。
特にやり玉に挙がるのが春季大会です。どれだけ勝ち進んでも、得られるのは夏の地方大会のシード枠(1試合分)だけで、対価が大きいとは言い難い。しかも、春季地方大会が終われば1カ月余りで「最後の夏」が始まります。最近は酷暑の影響で夏の地方大会の日程に議論が及ぶケースも目立ち、その流れで、「春季大会は不要」という意見も出てきているようです。
今春は関東大会まで進みましたが、実際、息をつく暇なんてありませんでした。それでも、私は春季大会を削ることには反対です。選手に実戦経験を積ませたいのはもちろん、もうひとつの理由として、野球は「ユニホームを着て番号を背負う機会」が極端に少ないからです。サッカーやバスケのように練習試合からユニホームを着られる競技と違い、野球はほとんどの学校が公式戦でしか背番号を付けません。
しかも現状、その舞台は春・夏・秋のわずか3大会だけ。さらに、その期間にベンチ入りを許されるメンバーにしか出場機会がない。それだけに、選手にとってユニホームに袖を通し、自分だけの番号を与えられることは、我々大人が想像する以上に大きな意味を持っているのです。背番号を付けて、なおかつ公式戦を戦う。この重圧もまた選手の成長に欠かせません。もし効率だけを優先して春季大会を廃止すれば、3年間一度もユニホームを着られずに終える選手が増えてしまう。お試しで新戦力を起用する機会も失われ、ベンチ入りメンバーはより固定化するでしょう。結果として、「選手の出場機会を増やす」という昨今の高校野球界全体の方針と逆行することになるのです。
過密だからといって安易に削ればいい、というものではありません。幸いにも現時点で高野連が春季大会をどうこうしようという気配はありません。どうかそのままでいていただきたい。
どれだけ慌ただしくても、現場の我々指導者や選手にとっては「心地よい疲労」なのです。過密日程、上等じゃないですか。
☝部員9人の金沢龍谷が逆境乗り越え逆転勝利…元金沢の浅井純哉監督は3年ぶり公式戦
https://news.yahoo.co.jp/articles/30e8e4ea392d1d693fc2d55f6ffdad336ac224c9
◆秋季高校野球石川県大会 ▽2回戦 金沢龍谷7―5輪島(14日・弁慶)
部員9人で挑んだ金沢龍谷は、7―5で輪島に逆転勝利し、初戦突破を決めた。元金沢の監督として春4回、夏7回の甲子園出場を誇る浅井純哉監督(68)が8月1日に就任し、新チームで初勝利を飾った。9回は二死満塁のピンチも迎えたが、最後はエース左腕、赤羽駿人(2年)が気迫の投球で右飛に仕留めてゲームセット。指導歴も長い浅井監督だが「今まで9人で戦ったことはないです。苦しいこともありましたが、40日間で一つの答えが出たのかなと思います」と感無量の表情を浮かべた。
どん底からの再出発だった。昨秋は指導者の不祥事が発覚し、今春の新入部員は1人のみ。先の見えない絶望的な状況に、山田晟羅主将(2年)は「どうしたらいいのか、わからなかった。そもそも、試合に出場できるのかも、わからなかった」と振り返る。混乱の中、火中の栗を拾ったのが、浅井監督だった。「環境は整っているのに、この子たちは野球以外でも苦しい。外から見ていたが、大変な秋を迎えるだろうなと。金沢高校に勤めていたので、すぐに返事は出来ないと言ったのですが、少しでもお手伝いが出ればと言う気持ちになって」と熟慮の末に監督就任を決断した。
2年生8人、1年生1人の小所帯で新チームをスタートしたが、この夏に消化できた練習試合は5試合のみ。練習の準備や片付けにも多くの時間がかかった。9人しかいないため、ポジションや打順も試行錯誤。練習試合の結果も1勝4敗と、決して順調ではなかったが、のびのびとした雰囲気で浅井監督はいいプレー、悪いプレーにもていねいに声を掛け続けた。「チームの雰囲気も変わり、全員が勝利という目標に向かっているのを感じました」と山田主将。練習には3年生も参加してノックを打ち、準備、片付けも手伝って下級生を支えた。引退した3年生も一緒に指導した浅井監督は「本当に素直だし、教えてくれと言ってくる。私と話しているとメモも取っています」と、その意欲に驚いた。
この日の試合でも、3年生1人が記録員を務め、2人は補助員として飲料水や攻撃の準備、球拾いなどでバックアップ。スタンドからも3年生全員がそろって大声援を送った。その声に応えて選手たちも奮起。エース、赤羽と左腕、田島來門一塁手(2年)が交互にマウンドに上がってピンチをしのげば、打線もつながって14安打と爆発。9回1死では4番・山田の左越え本塁打も飛び出し、部員全員で勝利をつかみ取った。指揮官は「覚悟の上でユニフォームを着たが、外から来て初めてみんなの本心を知ることが出来ました」と振り返った。
次戦は浅井監督の古巣でもあるシード校の金沢だ。「自分たちの持っているものをどれだけ出せるか楽しみ。やるからには、なんとか突破口を開いて欲しい」と指揮官。野球が出来る喜びをかみしめながら、チーム一丸となって強敵撃破を目指す。
📝「暴力、いじめ、窃盗…何でもあり」“甲子園準優勝の名門”沖縄水産の崩壊「設備はボロボロ…部費の横領事件も」“立て直しに尽力”元監督が驚愕した実態
https://number.bunshun.jp/articles/-/866781?page=1
「賛否両論の名将」栽弘義65歳の最期
監督の栽弘義が「沖水史上最強」と考えていた1998年の沖縄水産は、春夏ともに甲子園1回戦で敗れた。一旦は落ち込んだ栽だったが、すぐさま体に鞭打って奮起し、2000年、02年、04年と沖縄県大会決勝まで駒を進めている。だが、いずれもあと一歩のところで敗退。03年世代のキャッチャーで4番を打った照屋信博(現シンバネットワークアーマンズベースボールクラブ監督)はこう述懐する。
「勝てるときに勝たないと甲子園はどんどん遠ざかっていきます。絶対に勝たなければいけない試合で負けたことがずっと響いている。OBとしてそう感じています」
勝てない時代が続くと、寮生活の統制も乱れていく。酔っ払って寮に戻ってきた舎監のコーチがマイクで特定の選手を呼び出し、酔っ払いの相手をさせる。時には酒を勧められる場合もあったという。また選手同士でタクシーに乗り合わせて居酒屋に行くなど、規律は完全に崩壊していた。そんな時期に、甲子園から遠ざかる栽を学校側は野球部監督から外そうとした。しかし、ある県会議員が議会で問題提起したことで栽はクビを免れたという。高校野球の監督の解任が県議会で議論されるほど、栽の存在はいち高校野球の監督の枠を超えていた。
2007年5月8日、栽弘義は65歳でこの世を去った。沖縄水産での監督在籍28年間のうち春3回、夏8回の計11度の甲子園出場を果たし、90年と91年は2年連続準優勝の輝かしい功績を残した。苛烈な指導方針と私生活の奔放さゆえ、批判も絶えなかった。現在の価値観からすれば到底容認されないであろう手法を用いていたのも確かだ。ただ、多くの教え子が後に指導者となり、さまざまな反省を踏まえたうえで、いまも沖縄の野球界に尽力している。毀誉褒貶はあれど、大きな功績を残したことは間違いない。
荒廃した沖縄水産「暴力、いじめ、窃盗…何でもあり」
名将・栽が亡くなったことで、沖縄水産の凋落は一気に加速する。“沖水”のブランドを保とうと踏ん張っていた時期もあった。しかし、時代の流れとともに子どもたちの気質や求めるものが変わっていき、以前はまかり通っていたものが次第に通用しなくなる。栄光時の施設や設備も老朽化する。部内の体制や仕組みも変容し、かつての形を無理矢理保とうとすればするほど歪な形になっていく。
2012年4月、小禄高校の野球部部長だった新垣隆夫が転任し、野球部副部長に就く。そこで沖縄水産の実情を目の当たりにして愕然とした。
「赴任した時には学校全体が飲酒、喫煙、暴力、いじめ、窃盗、もう何でもありのような状態でした。野球部も荒んでいた。毎年いい選手が入ってきて、『今年の1年生はいい』って聞くんですけど、上級生に詰められて辞めていくんです。1週間連続でパトカーが学校に来たこともありました。生徒が女性の先生にいきなり抱きついて、それを動画で撮ってネットにアップするといったセクハラまで……。女性の先生は相当怖がっていました。校内の自販機が燃やされたり、理科の実験室で水道の蛇口を外して投げたり、やりたい放題です。そういう校風だったため退学者も多かったです」
80年代のような校内暴力の数々が2010年以降の沖縄水産でまだ行われていたことそのものが驚愕であり、生徒指導を担当していた新垣にとっては毎日が格闘の日々だった。定員割れするため偏差値の低い他校に落ちた生徒が2次募集でなんとか引っかかり、周囲からは「掃き溜め」と揶揄される。生徒指導室と校長室のガラスが割られ、消火栓を抜いた消火器が投げ込まれることもあった。泡だらけの生徒指導室と校長室を、午前中いっぱいを使って清掃して原状回復する。学校内には沖縄県の高校として初めて、防犯カメラが設置されたという。
「設備はボロボロなのに…」野球部監督の横領事件
学校全体が荒廃しているなかで、野球部に災難が降り掛かった。部費の横領が発覚し、当時の監督が日本学生野球協会から2年間の謹慎処分を受けたのだ。新垣は悔しさを滲ませながら話す。
「ネットもなく、マシンも壊れたままで、設備はボロボロ。ボールも全然ない状態です。なのに子どもたちから年間6万円ほどの部費が集められている。当時の部員は50名いて、300万円も集まっているのに、どこにも使われている形跡がない。遠征費にしても高額ではないかと思われる金額が徴収されていた。監督、コーチを出入り禁止にして監督室のなかを片付けていると、空の領収書が出てきました。結局、当時の監督は40万円を使い込んだことだけを認めた。実際はもっと大きな規模の横領だと思います。子どもたちは何も悪くないんです。当時の指導スタッフには今でも腹立たしさしかありません」
当時の監督は練習中、クーラーが効いた監督室でタバコを吹かしながらテレビを見ていたという。放置された選手たちはトレーニング室に籠って指導者の悪口を吐き出す。これでは信頼関係など生まれるはずがない。大人たちの汚い面を目にした選手たちの心がどんどん荒んでいくのは当然の摂理だ。新垣は、悪の温床となっていた監督室を物理的に「解体」した。
自由奔放で破天荒な栽が監督時代になぜ結果を残せたか。それは選手たちから「栽先生についていけば甲子園に行ける」と絶対的なカリスマとしての信頼があったからだ。超がつくほどのスパルタ練習をさせても、選手たちは死にもの狂いでついてきた。そんな栽が亡くなってからというもの、選手と指導者の間に絆は芽生えず、次第にやさぐれていき、チームは弱体化の一途を辿った。
13年の夏の大会終了後、満を持して新垣が監督に就任する。果たして、荒れ果てた沖縄水産を変えることはできたのだろうか。
<続く>
⚾岩手さんへ
鳥取は遠いです!そしてメチャクチャ熱かった!!!とにかく風もないし、13日土曜日の夜なんて湿度が高すぎて日中よりも熱い気がしました。15日の倉吉は朝の駅から日中の球場までミンミンゼミが全力で鳴いてましたから・・・・・。紀三井寺でも8月末の新人戦の頃合いにはずいぶんおとなしくなるのですが、、、、、
一応、三ノ宮から鳥取まで乗り換えなし2時間15分ほどで到着しますが、7時57分が始発ゆえに10時12分到着で10時開始の第1試合には間に合わない・・・・・。
スーパーはくとの終点が倉吉ですが、10時50分くらいの到着で車窓も山間を通る単調さでしんどいですね、、、、、
今回は4年前の春、コロナ無観客試合でどら焼きドラマチックパーク米子の中国大会をフイにしたので、代替で鳥取横断慰安旅行を企画し、初日の雨で倉吉を最終日から初日に繰り上げました。14時頃に薄日が差したが、11時到着の折には本降りの雨でしゃーなしにバス移動で観光。倉吉市営球場の外観だけ見て防空壕のような入口と外野ラッキーゾーンなど拝見しましたが、スタンドには入れなかったので・・・・・。
ヤマタSP球場は最終日に晴れてレンタサイクルで湖山池一周を企画し、その手前のヤマタスポーツパークにお邪魔すると学童野球をしていたのでスタンドイン。19年秋に3回来場(初来場は雨天中止でトンボ帰り)したので4回目。
2日目の米子は外野フェンスよじのぼり第1試合途中まで観戦し、境港へ午前中に移動し水木しげるロードを歩き、記念館や境港タワーなどへ行き、米子城跡歩いてました。
悲しいかな2日目の唯一の3試合日が1度は1時間遅れの開催を発表しながら、雷雨に負けて中止↓↓せやけど、予報では15時頃まで断続的に雨予報でしたが、9時過ぎには雨やんで薄日が漏れてきたのでヤドでレンタサイクル借りて7年ぶりに砂丘へ・・・・・・・
初めての鳥取の折も、本降りの雨で中止(米子は2時間遅れの12時からプレーボール)ながらも昼前に薄日が差し、バスでトンボ帰りして駅前でカレー食べてレンタサイクル借りて行きましたが、、、、、砂丘に着いて休憩所でくつろいでいたらもう1回雨が降りだし、急いで帰ったが本降りで足止め喰らい「砂丘トンネル」で小一時間待機して18時30分の返却期限に間に合わせました!
どうしても納得いかないので、鳥取~鳥取~米子の2泊3日の予定を・・・鳥取~鳥取~米子~鳥取と延泊して3日間フル観戦しましたが、体調が・・・フラフラになりつつ、米子駅到着寸前に吐き気を催したり、最終日の鳥取で第2試合終了後満足して立ち上がろうとすると目眩するし、、、挙句の果てに「とっとり出合いの森」への道を間違い迷子になって断念と。
その教訓を活かして2021年春は森に行けたし、13日もじっくり1kmほど散策しました(全周4,2kmほどあるようですが山道は1kmが限界でした・・・)
まあ、結果的にヤマタSP・倉吉市営で1日ずつ野球観戦できたし、鳥取砂丘~鳥取城とたまに霧雨振ったものの薄日も射して3日間鳥取を楽しめたかなと。特に倉吉は球場の老朽化???が災いして夏の大会で使用されないようになったので、、、、、県の中央部なんでアクセスはいいのかもしれませんが。
あと、山陰中央新報によると島根大会の記事がありました!山陰らしく試合時間長いですね。
平 田 4-1情報 科学 2時間24分
松 江 南1-0三 刀 屋 1時間40分
立正大淞南8-2津 和 野 2時間30分
出 雲 商15-5出 雲 西 1時間39分(5回)
大 田 6-2松 江 商 2時間23分
松 江 工9-1松 江 東 2時間10分(8回)
開 星 4-1 安 来 2時間40分
大 社 11-1大東・農林 1時間36分
出 雲 7-6 浜 田 3時間19分
3 連 合5-3出雲 北陵 2時間29分
矢 上 5-1 明 誠 2時間11分
飯 南 1-0益田 翔陽 1時間58分
近畿もぜひ見習ってほしいところです!!といいつつ、倉吉では原則16時返却の自転車を無理言って16時45分までには帰ってくると約束し球場に出かけただけに・・・試合が長引き焦ってましたね。最後は8回裏に境が3点もぎ取りサヨナラコールドで15時40分ゲームセットでホッとしておりました(苦笑)最悪、16時には完全退去したかったので。
しかし、日曜は天気予報が悪く、米子や境港では1時間30ミリ超の豪雨だったようだし、島根ではそれ以上のゲリラ豪雨だったようですが、砂丘には駐車場がほぼ満車でバスも乗車率高かった!
あの急斜面の砂に足を取られつつ「馬の背」登り切って日本海見ました。前回はそこまで行けなかっただけに、、、、、
でも浜松だったら関東方面や長野あたりも守備範囲内になりそうですね。僕は行動範囲が狭いので、関東や九州は行けませんし中国だと山口はパスですね。
どうやら来秋に7年ぶりに鳥取で中国大会開催見込みなんで、、、今度は米子ー米子ー鳥取と2泊3日で行こうと企画してます。
米子だと、新幹線で岡山経由で「特急やくも」で約2時間10分で到着。そこから東山公園までの1駅のアクセスが悪いので、徒歩30分程度で球場入り。
近年、中国は11時から2試合が主流なんで助かります!!