自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」
📝前 説・・・『チーム宏鈴』結成21年11ヶ月
8月の1ヶ月間・・・のべ610人の方々から閲覧履歴があり1282アクセスしていただき感謝申し上げます。
ブログに13日~15日の山陰遠征における写真貼っておきました。 https://ameblo.jp/hirorinhoushi/entry-12930692737.html
よかったらどうぞ。
さて夏の甲子園は3年連続有観客開催で声出し応援もOKだったものの広陵の大会途中での出場辞退と長雨で雨天中止や試合遅延・中断などに振り回され、5日間13試合をスタンドで観戦(6試合は外野席)し、史上最強と思われた2024以上の猛暑で疲労困憊ながらも熱中症を回避でき何よりでした。
選手権大会閉会式後の8月下旬は紀三井寺の新人戦~明石トーカロの軟式高校野球~倉敷マスカットの大学野球に走り夏の疲れはここの観戦記よろしくたまっていく一方。
9月13日~15日は鳥取市・ヤマタSP~雨天中止のため、鳥取砂丘&鳥取城観光~倉吉市営に6年連続山陰入りと。しかしながらたかさご万灯祭の日程とかち合い4年連続5度目の来場は見送りと↓↓
それでは現時点での今後の予定を発表・・・・
20日 ベイ コム 兵庫大会2回戦 あまり好んで行きたい場所ではないが、、、神港・仁川の敗退で格落ちしたが疲労を考慮して近場で
21日 ウイ ンク 兵庫大会3回戦 三田学園敗退でグレードダウンしたが、屋根の下で快適に観戦
23日 明石 トーカロ 兵庫大会3回戦 最激戦ゾーンのセンバツをかけた熾烈な争いを楽しみに
27日 トーカロかウインク 兵庫大会準 々 まだ球場・時間は後日決定ゆえにトーナメント見て吟味する
29日 マイネット皇子山 滋賀国体1回戦 7イニング制となりつまらないですが、7年ぶり7度目の国体見物
10月 4日 紀三 井寺 和歌山大会二次予選準決勝 今年最後の僕だけの聖地巡礼
5日 わかさ京都 京都大会最終日 近場だし、大会終盤残っているのはここが狙い目か?
12日 HMF神戸 阪神大学野球 高校野球公式戦谷間の週だし、9時30分から3試合ゆえにナイター確定か!?予備日13日で天気の良い方を
18日~11/2 さとやくS 近畿大会観戦 春は1試合も近畿大会観れなかったので、3年ぶりに全試合観戦予定
ざっとこんな感じで考えておりますが、天候に左右されるので、まだまだ流動的ですが願わくば、11/2無事に橿原で閉会式を見物して「八尾おゆば」で湯治して冬に備えられたらと・・・・・。
みんなで飲もう! おいしい水。
💙しつこく💚しぶとく💜泥臭く💛 「誰からも愛される」というよりも「誰かに慕われる」掲示板目指してアットホームな雰囲気でやっていきたいのでお願いします!!
⚾明日の和歌山大会一次予選組み合わせ(6日目 2回戦 紀三井寺球場)
09:00~ 熊 野 - 神 島
☆☆☆ 11:30~ 向 陽 -初芝 橋本
14:00~ 和歌 山商-笠田・農芸
📣秋季鳥取大会振り返り
9/13 ヤマタSP球場 初日開幕試合 岩美ー日野 10:04~11:24 3回裏途中から観戦
一二三四五六七八九十計HE
日 野00000 005
岩 美3480X 15121
日野はこの夏、米子西に0-24で5回コールド負けしていただけにある程度覚悟していたが・・・・・。
10時12分「スーパーはくと」が鳥取駅に到着し、駅弁仕入れてレンタサイクル借りて11時前に球場入りしたらすでに0-8。
日野はタテジマにブルーのアンダーシャツとユニホームはかっこよかったが部員11人。岩美も部員13人で少人数だったが、、、ブルーのユニホームが躍動し、5回参考ノーヒットノーランリレーで完勝。
9/13 ヤマタSP球場 初日第2試合 鳥取工ー米子 12:09~14:16
一二三四五六七八九十計HE
米 子000020000 262
鳥 取 工00100401X 683
お互い先発投手が立ち上がり制球難で1死満塁・2死2・3塁と大ピンチ招くもなんとか踏ん張り面白い試合となった。
米子は10人・鳥取工は12人の少数精鋭チーム。100円で買ったメンバー表見ると、20人そろうチームは21校中半分ちょいくらいだったかな?あの八頭高校でさえも16人しかいない↓↓
米子工の桐林監督は山陰によくいる熱血漢でネット裏まで響く大声で選手を鼓舞し、2つのスクイズを決め、1度は逆転されたものの、相手投手の暴投で追いつき、ボークで勝ち越し6回の4点が大きくモノを言った。
9/15 倉吉市営球場 2日目第1試合 倉吉東ー鳥取東 10:01~12:42
一二三四五六七八九十計HE
鳥 取 東000720022 13123
倉 吉 東100051020 982
甲子園春夏出場経験のある、地元の雄・倉吉東を相手に部員14人の鳥取東がどこまで食らいつけるか?と思っていたが・・・・・。
初回犠飛で先制されコールドがチラついたが、3回表先頭の四球から4番が送りバント2球連続ファールし、しゃーなしにエンドランかけたらライト前ヒットで無死1・3塁とバクチが成功し、ヒットで1-1追いつき、さらにバントしたら2連続ファールで打てばヒットとツキがあり、セカンドゴロホーム送球が野選となるラッキーも重なり、4-1となったところでエースがファーストに回るも2番手はバントヒットで満塁とされたあとにまさかの3連続押し出し四球でエース再登板しピシャリと抑えた。
一時は9-1と8点差になりコールドも視野に入ったが、倉吉東の怒涛の猛追で試合がもつれて終わってみれば両軍20安打の大乱戦で2時間41分のロングゲーム。無理を言って駅前観光案内所のレンタサイクル原則16時返却だが、終業17時前まで自転車お借りしただけに16時までには脱出したかったのだが・・・。
9/15 倉吉市営球場 2日目第2試合 境ー鳥取工 13:29~15:40
一二三四五六七八九十計HE
鳥 取 工30000000 394
境 02130013x 10100
前年秋の王者・境が部員12人の鳥取工に初回まさかの5安打3失点の猛攻を浴び、ロングゲームになるのでは???という危機感が。駅まで30分あれば到着できるが、3日間猛暑だったし、後半はスタミナ切れするので同じ時間で帰れる保証もないし!
境は初回2死満塁のチャンスをつぶし、2回も無死1・2塁から送りバント。ファーストが3塁送球間に合わないと見て投げる動作をしてから1塁に振り返る段で、、、、、打者走者がたまたまぶつかりヒジ鉄喰らった格好となるが、、、、、4氏審判集まりまさかの守備妨害!! 故意にぶつかったけじゃないし、逆にヒジ鉄喰らった打者の方がヘルメット被っても痛いような。ファースト・大西は100km近い巨漢だったし。。。
田本監督が4分間の抗議に走り、ムダに試合時間が長引く怖さもあったが、これで境打線に火が点き2点を返しそこからは境ペース。3人しか2年生がいない鳥取工も粘ったが、8回裏2点以内に抑えれば9回までできたが、2点を失いなおも1死満塁で最後はライト前ポテンヒットでサヨナラコールド負け・・・・・。
ちなみに倉吉市営のボールボーイは作業員のおっちゃんたちが装着しているハンディーファン付のゴツい服着ておりました。
想定よりも40分遅く終わり焦りつつも、赤瓦白壁土蔵群を小走り。。。さすがに琴櫻記念館・鉄道資料館など前回雨の中、じっくり観光した施設は素通りで、、、道中忘れ物に気付き取りに行くムダはあったものの16時40分自転車返却。
あと、倉吉駅で特急「スーパーおき」が11分遅れで到着には参った。18時40分鳥取駅発「スーパーはくと」に乗れないと帰宅困難になるので・・・。すでに朝9時前に指定席購入していたので。
なんとか21分あった乗り換え時間が半分程度になったが、急いでお土産買って無事に帰宅できました・・・。
ちなみに幻となった観戦試合の結果は・・・
ヤマタSP球場 2日目第1試合 米 子 東7-1鳥 取 西
2日目第2試合 鳥取 城北11-3 岩 美 (7回)
2日目第3試合 米子 松蔭6-5米 子 北
倉吉市営球場 3日目第1試合 倉 吉 北9-2米子 高専(8回)
3日目第2試合 倉吉総合産9-2米 子 工(8回)
とのことです。。。日曜日、1度は1時間開始遅れの10時から3試合開始と県高野連HPに6時30分頃書いていただけに、、、、、倉吉のみ中止がベストでしたね!
📝“酷使で壊れた沖縄水産エース”大野倫が証言「栽先生には感謝しています」名門凋落のきっかけは“ある事件”…最後の甲子園出場“98年最強世代”の無念
https://number.bunshun.jp/articles/-/866780?page=1
監督室で“深夜の密会”「女性を連れ込んで…」
スパルタの鬼と化した沖縄水産野球部監督の栽弘義は、気の抜けたミスをした選手に容赦なく鉄拳制裁を加えた。「また栽先生に殴られた」と選手たちは頬を真っ赤にはらしながら仲間に言う。だが、栽に殴られることは期待の表れであり、どうでもいい選手は殴られない。言うまでもなく現代では許されない指導法だが、栽の拳は期待値を示すバロメーターでもあった。
栽は体育教員であったが、年度の初めだけ授業を行い、後は自習という形で授業に出ず、その間ずっと野球の研究に没頭していたという。たまに学校で栽の姿を見つけると、選手たちが「おい、栽先生がいたぞ」とまるでラッキーアイテムを探し当てたかのような反応をする。それほど、校舎内で栽を見かける機会は少なかった。
豊見城時代は精神力を鍛えるためとして鶏の首を切り落とさせたり、下級生と上級生をボクシングで対決させたり、センバツの寒さ対策として2月に上半身裸で練習させたりと、たびたび常識外の練習をやらせた。またメジャー通でもあった栽はレジー・スミスの全盛時にレギュラー全員を両打ちにさせるなど、奇想天外な発想で野球に取り組んでいた。酒が好きで、プライベートでの遊び方も派手だった。酒や女性にからむ武勇伝も数多くあり、そういった話は選手たちの耳にもすぐ入っていた。
匿名の沖縄水産OBの証言によれば、練習でボコボコにされた選手たちはガス抜きとして、バックネット裏にある監督室をしばしば利用していた。夜中にそこで彼女と密会していたのだ。ある選手が夜中の1時に監督室のドアノブを回すと、すでに先客がいた。栽と女性の声が部屋の外に漏れ出していた。またその逆もあった。ある部員が監督室で彼女とイチャイチャしていたときに、誰かがガチャガチャとドアノブを回す音がする。栽だ。バレたらまずいと一生懸命ドアノブを押さえていると「ん? おかしいな」と諦めて帰ったという。
1980年代の不良全盛時代から脈々と続いていた暴力、飲酒、喫煙、そして女性関係の乱れ。もちろん程度によっては咎められることもあるが、沖縄水産ではそういった問題が少なからず「お目こぼし」されていた。監督の栽を頂点とした、よくいえばおおらかな、悪くいえばだらしのない昭和的な気風が温存されたことが、のちに沖縄水産を衰退させる要因のひとつになっていく。
「栽先生には感謝しています」大野倫の証言
栽は大野倫を徹底的にしごき、練習試合で不甲斐ない投球をすれば真っ先に鉄拳を食らわせた。上級生にも厳しくあたられ、91年世代にとっては大野が「防波堤」の役割を果たしていたといえるほどだった。高校3年春、熊本での遠征試合で肘を痛めてしまった大野は、沖縄に戻ってから誰にも告げることなく練習試合に登板し、打たれる日々が続く。仲間たちも「どうしたんだ?」と訝しむほどだったが、あまりに長い不調に異変を感じ取り、「倫が打たれた分以上に俺たちが打ってやればいい」と一致団結し、夏の県大会を迎える。
大野は大会前に肘の異変を打ち明けた栽と相談のうえ、痛み止めの注射を打って投げ続けた。準々決勝からの3試合は完封を含めた計3失点にまとめ、オール完投勝利で甲子園へと導く。
甲子園では「痛み止めを打つと切れた時の激痛が伴い、余計に肘への負担がかかってしまう」という栽の判断により、注射を打たずにマウンドに立った。5試合で計23失点を喫しながら大阪桐蔭との決勝まで勝ち進んだものの、8対13の乱打戦により大敗。またもや深紅の優勝旗には手が届かなかった。決勝までの全6試合、773球をたったひとりで投げ抜いた大野の肘は完全に壊れ、この決勝戦を最後に二度とマウンドに上がることはなかった。大野は述懐する。
「それこそ途中で代えられていたらきっと後悔が残りました。なので、甲子園で最後まで投げさせてもらった栽先生には感謝しています。僕らの時代は、グラウンドでの緊張感が半端なかったです。ボールがひとつでも落ちていようものならすぐ怒鳴られました。でも、地元の人たちの応援もあり、父母たちに寮の食事を当番制でやってもらったりと、地域、学校、父母会の協力があっての甲子園準優勝だと思います。入学当初は怖い先輩もいましたけど、みんな根は優しいんですよね」
大野の奮闘には拍手を惜しまないが、投手としてのキャリアを絶たれるという結末は「高校野球の美学」として片付けるにはあまりにも酷だった。指導者として適切な配慮ができていたのか――栽はメディアのバッシングを受けた。
凋落のきっかけになった「暴力事件による出場辞退」
夏の甲子園で決勝まで進むと新チームの始動は遅くなる。さらに当時、甲子園優勝、準優勝のチームの監督は、それぞれ全日本選抜チームの監督、コーチとして日米韓三国親善高校野球に参加することになっていた。栽もコーチとして2年連続で参加し、さらに国体のチームの監督まで務めたため必然的に新チームを見る時間が少なくなる。準備不足は否めず、秋の県大会は早々に敗退してしまった。
あるOBによると、栽は高校ジャパンの帽子を被りながら沖縄水産の練習に出ていた時期があったという。「栽先生、よっぽど気に入ってんだな」
選手たちはヒソヒソと話をする。批判こそあれど、このときの栽が監督人生43年のなかで栄華の頂点にいたのは間違いない。その象徴が高校ジャパンの帽子だった。そして翌年夏、“今年こそは甲子園優勝”と県民の期待が高まるなかで事件は起こってしまった。暴力事件により夏の県大会出場辞退。初戦1週間前の1992年7月6日に辞退会見を行い、沖縄全土に衝撃が走った。
暴力事件の内容は、日頃の2年生の練習態度に腹を立てた3年生部員8人が練習終了後にサブグラウンドに残っていた2年生25人を集めて尻をバットで数回殴ったというものだった。いわゆる「ケツバット」だ。だが、ここまで記してきたような野球部の内実を考えれば、遠からずなんらかの問題が露見していた可能性が高い。いずれにしても、この事件をきっかけに沖縄水産が凋落していったと見る向きも多い。
「お前らは沖水史上最強だ」98年“新垣世代”の無念
栽の監督人生で最強のチームは、世間的には「松坂世代」と呼ばれる98年世代の沖縄水産だったのではないだろうか。最速150km超の剛腕・新垣渚(元ソフトバンクほか)と技巧派・宮里康の2枚看板に、「沖水史上最強バッター」と称された大城直也、俊足巧打の稲嶺誉(元ソフトバンク)、住金鹿島で不動の外野手として活躍した糸数雄樹と、ドラフト候補クラスの選手が5人もいた。
97年の秋季九州大会で順当に優勝。明治神宮大会は決勝で松坂大輔を擁する横浜に3対5で敗れたものの、「横綱」である横浜相手にまったく引けを取らない戦いぶりを見せた。栽は本気で甲子園の優勝旗を手にできると感じていた。だが、本番の甲子園では春夏ともに1回戦で敗退。さすがの栽も、期待が大きかっただけに落胆ぶりが目立った。
1年夏から1桁の背番号を授かり、98年世代のキャプテンを務めた大城直也が証言する。「僕らの代になって、滅多に褒めない栽先生から『お前らは沖水史上最強だ』と直接言われたんです。実際、神宮大会の決勝で横浜と戦ったあたりから手応えを感じていました。だから負けたときのショックは大きかったですね。栽先生も同じだったと思います。今思えば、僕がキャプテンとしてもっと強気に引っ張っていかなければいけなかったのかな……」
この98年夏の甲子園を最後に、沖縄水産は27年間、甲子園の土を踏めずにいる。なぜ、沖縄屈指の名門は凋落してしまったのか。
<続く>
📣「けがした」報道は誤り、高校「訂正する」 野球部監督の体罰問題 部員「殴られたという認識ない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/0f06ee5d7fca3a419de6ab3271ce75e2809226d0
兵庫県丹波篠山市のスポーツ振興官や、県立篠山産業高校野球部の監督を務めた長澤宏行氏(72)=8日付で辞任=が、部員の頭をはたいた問題で、当事者となった部員Aさんと保護者がこのほど、丹波新聞社に思いを語った。Aさんは、「はたかれたことは事実」と認めつつ、「先生との信頼関係の中でのことで、暴力を受けたと思っていない。また、一部報道で、けがをしたとか、自分から殴られたことを訴えたとあるが、けがはしていないし、自分から訴えてもいない」と否定した。一方の高校側は会見を行い、「一部報道については、学校の説明が間違っていた。訂正する」と謝罪。ただ、「本人は当初から、『殴られた』という言葉を使っており、高校野球連盟への報告書の内容も承認している」とするなど、食い違いが生じている。
高校や市によると長澤氏は7月10日に部員同士の紅白戦を行った際、けがをしているのに出場しようとしたAさんを呼び出し、「けがが長引くことになる。よく考えなさい」と頭をはたいた。
Aさんによるとこの翌日、授業中に友人たちと会話する中で、一人がAさんに対し、「鼻が曲がっていないか?」と言い、野球部の友人が「昨日、先生に殴られたからじゃない?」と言った。「冗談話だった」(Aさん)とするが、この話を教師が聞いており、聞き取りが行われたという。
同校は全部員に聞き取りを行い、何らか手が出たことを目撃した部員がおり、否定する証言もないことを確認。長澤氏も手を出したことは認め、謝罪している。だが、事案が公になった8月26日以降の報道では、「部員がけがをしていることに教師が気づいて発覚」というものや、「授業中に部員が『顔が痛くて授業に集中できない』と訴えた」などとする報道機関もあった。
この違いについて、同校の谷昌亮校長は、「生徒(Aさん)の主張は報告書と合致している。詳細は分からないが、取材対応をした職員が事実と違うことを言った。謝罪して訂正する」とした。
また、Aさんは、「聞き取りで『殴られたのか』と聞かれたので、『はたかれたが、殴られていない』と答えた。その後、『はたかれたことも殴られたのと同じ』と言われた」と主張するが、谷校長らは、「当該部員も現場を目撃した部員も、最初から、『殴られた』という言葉を使っている」とし、証言が食い違っている。
ほかに、Aさんは、「『うそをついたら授業を欠点にするぞ。欠点にされたくなかったら、正直に話しなさい』と言われた。けれど、『別にかまいません』と答えた」とする。保護者も「三者面談の時に、こういう聞き取りの仕方はおかしいと指摘した。その後、『不適切な発言だった』と謝罪の電話があったが、謝って済む話ではないし、現状では受け入れる状態にないので保留にしている」と話す。
一方、谷校長は、「保護者から苦情があったことは事実だが、当該教員に確認したところ、『言っていない』としている。また、報告書にはその教員が言ったことは一切採用していない」とした。
さらに、保護者は、「息子は指導されても仕方なかったことなので、『大ごとにしないでください』と言ったのに、その後、学校から何の連絡もなく、報道で高野連などに報告したことを知った」と言い、「仮に自分から訴えたとした場合、自分たちは〝被害者〟。報告書を出す前に、自分たちに内容や提出することの説明があるべきではないのか。報告もなく、しかも間違った報道をされ、意味が分からない」とした。谷校長は、「高野連から『保護者の了解を得る』という指示はない」とした。
直近の保護者会では、「高野連に報告書を再提出する際に、Aさんが内容を承認した」と報告されたが、保護者によると、Aさんは承認した認識はないという。保護者は、「時系列や『はたいた』ということは、長澤先生も含めて全員が認めていることなので息子も承認する。ただ、それが体罰や暴力であったのかというところまで含めて、全てを承認したわけではない」とした。
Aさんは、「報道を見た人から、『鼻、大丈夫?』などと言われるのもしんどい」とし、「高校生活自体は楽しいし、野球も続ける。いつもの日常が戻ってきてほしい」とした。
長澤氏は神村学園(鹿児島)や創志学園(岡山)の監督として甲子園に出場。2022年、父が丹波篠山市出身という縁などでスポーツ振興官に就任し、派遣という形で篠山産業高校野球部を指導していた。今月8日、市に、「騒動に対する責任を取る」として退職願を提出し、受理されている。
✌篠山産「監督交代」乗り越え再出発1勝 長沢監督が不祥事で退任も「応援が励みに」
https://news.yahoo.co.jp/articles/3b4b0d024e810948dc0600edd3206a79b1a977a7
◇高校野球秋季兵庫大会1回戦 篠山産12―4県伊丹(2025年9月14日 ベイコム野球場)
高校野球の兵庫大会は14日に1回戦が行われ、篠山産は県伊丹との県大会1回戦を12―4の8回コールドで制した。計17安打と活発な打線が相手の小刻みな継投策を上回った。
神村学園(鹿児島)と創志学園(岡山)で甲子園に春夏7度出場した長沢宏行前監督は、部員への暴力行為により今月で退任。副部長から後任に昇格した藤田善継監督は「思い切り野球を楽しもう」を指導方針に掲げ、地区予選突破に導いた。
現部員の大半が、22年10月から同校監督に就任した長沢氏による指導を希望して入学してきた。新チーム結成直後に不測の事態に見舞われた中、主将の井関春道(2年)は「“応援しているから”との声が自分たちの励みになった。(入学の動機は)長沢監督だとしても、その目的は野球が上手くなることだったはず」と監督交代にも冷静さを失わなかった。
8月の1ヶ月間・・・のべ610人の方々から閲覧履歴があり1282アクセスしていただき感謝申し上げます。
ブログに13日~15日の山陰遠征における写真貼っておきました。 https://ameblo.jp/hirorinhoushi/entry-12930692737.html
よかったらどうぞ。
さて夏の甲子園は3年連続有観客開催で声出し応援もOKだったものの広陵の大会途中での出場辞退と長雨で雨天中止や試合遅延・中断などに振り回され、5日間13試合をスタンドで観戦(6試合は外野席)し、史上最強と思われた2024以上の猛暑で疲労困憊ながらも熱中症を回避でき何よりでした。
選手権大会閉会式後の8月下旬は紀三井寺の新人戦~明石トーカロの軟式高校野球~倉敷マスカットの大学野球に走り夏の疲れはここの観戦記よろしくたまっていく一方。
9月13日~15日は鳥取市・ヤマタSP~雨天中止のため、鳥取砂丘&鳥取城観光~倉吉市営に6年連続山陰入りと。しかしながらたかさご万灯祭の日程とかち合い4年連続5度目の来場は見送りと↓↓
それでは現時点での今後の予定を発表・・・・
20日 ベイ コム 兵庫大会2回戦 あまり好んで行きたい場所ではないが、、、神港・仁川の敗退で格落ちしたが疲労を考慮して近場で
21日 ウイ ンク 兵庫大会3回戦 三田学園敗退でグレードダウンしたが、屋根の下で快適に観戦
23日 明石 トーカロ 兵庫大会3回戦 最激戦ゾーンのセンバツをかけた熾烈な争いを楽しみに
27日 トーカロかウインク 兵庫大会準 々 まだ球場・時間は後日決定ゆえにトーナメント見て吟味する
29日 マイネット皇子山 滋賀国体1回戦 7イニング制となりつまらないですが、7年ぶり7度目の国体見物
10月 4日 紀三 井寺 和歌山大会二次予選準決勝 今年最後の僕だけの聖地巡礼
5日 わかさ京都 京都大会最終日 近場だし、大会終盤残っているのはここが狙い目か?
12日 HMF神戸 阪神大学野球 高校野球公式戦谷間の週だし、9時30分から3試合ゆえにナイター確定か!?予備日13日で天気の良い方を
18日~11/2 さとやくS 近畿大会観戦 春は1試合も近畿大会観れなかったので、3年ぶりに全試合観戦予定
ざっとこんな感じで考えておりますが、天候に左右されるので、まだまだ流動的ですが願わくば、11/2無事に橿原で閉会式を見物して「八尾おゆば」で湯治して冬に備えられたらと・・・・・。
みんなで飲もう! おいしい水。
💙しつこく💚しぶとく💜泥臭く💛 「誰からも愛される」というよりも「誰かに慕われる」掲示板目指してアットホームな雰囲気でやっていきたいのでお願いします!!
⚾明日の和歌山大会一次予選組み合わせ(6日目 2回戦 紀三井寺球場)
09:00~ 熊 野 - 神 島
☆☆☆ 11:30~ 向 陽 -初芝 橋本
14:00~ 和歌 山商-笠田・農芸
📣秋季鳥取大会振り返り
9/13 ヤマタSP球場 初日開幕試合 岩美ー日野 10:04~11:24 3回裏途中から観戦
一二三四五六七八九十計HE
日 野00000 005
岩 美3480X 15121
日野はこの夏、米子西に0-24で5回コールド負けしていただけにある程度覚悟していたが・・・・・。
10時12分「スーパーはくと」が鳥取駅に到着し、駅弁仕入れてレンタサイクル借りて11時前に球場入りしたらすでに0-8。
日野はタテジマにブルーのアンダーシャツとユニホームはかっこよかったが部員11人。岩美も部員13人で少人数だったが、、、ブルーのユニホームが躍動し、5回参考ノーヒットノーランリレーで完勝。
9/13 ヤマタSP球場 初日第2試合 鳥取工ー米子 12:09~14:16
一二三四五六七八九十計HE
米 子000020000 262
鳥 取 工00100401X 683
お互い先発投手が立ち上がり制球難で1死満塁・2死2・3塁と大ピンチ招くもなんとか踏ん張り面白い試合となった。
米子は10人・鳥取工は12人の少数精鋭チーム。100円で買ったメンバー表見ると、20人そろうチームは21校中半分ちょいくらいだったかな?あの八頭高校でさえも16人しかいない↓↓
米子工の桐林監督は山陰によくいる熱血漢でネット裏まで響く大声で選手を鼓舞し、2つのスクイズを決め、1度は逆転されたものの、相手投手の暴投で追いつき、ボークで勝ち越し6回の4点が大きくモノを言った。
9/15 倉吉市営球場 2日目第1試合 倉吉東ー鳥取東 10:01~12:42
一二三四五六七八九十計HE
鳥 取 東000720022 13123
倉 吉 東100051020 982
甲子園春夏出場経験のある、地元の雄・倉吉東を相手に部員14人の鳥取東がどこまで食らいつけるか?と思っていたが・・・・・。
初回犠飛で先制されコールドがチラついたが、3回表先頭の四球から4番が送りバント2球連続ファールし、しゃーなしにエンドランかけたらライト前ヒットで無死1・3塁とバクチが成功し、ヒットで1-1追いつき、さらにバントしたら2連続ファールで打てばヒットとツキがあり、セカンドゴロホーム送球が野選となるラッキーも重なり、4-1となったところでエースがファーストに回るも2番手はバントヒットで満塁とされたあとにまさかの3連続押し出し四球でエース再登板しピシャリと抑えた。
一時は9-1と8点差になりコールドも視野に入ったが、倉吉東の怒涛の猛追で試合がもつれて終わってみれば両軍20安打の大乱戦で2時間41分のロングゲーム。無理を言って駅前観光案内所のレンタサイクル原則16時返却だが、終業17時前まで自転車お借りしただけに16時までには脱出したかったのだが・・・。
9/15 倉吉市営球場 2日目第2試合 境ー鳥取工 13:29~15:40
一二三四五六七八九十計HE
鳥 取 工30000000 394
境 02130013x 10100
前年秋の王者・境が部員12人の鳥取工に初回まさかの5安打3失点の猛攻を浴び、ロングゲームになるのでは???という危機感が。駅まで30分あれば到着できるが、3日間猛暑だったし、後半はスタミナ切れするので同じ時間で帰れる保証もないし!
境は初回2死満塁のチャンスをつぶし、2回も無死1・2塁から送りバント。ファーストが3塁送球間に合わないと見て投げる動作をしてから1塁に振り返る段で、、、、、打者走者がたまたまぶつかりヒジ鉄喰らった格好となるが、、、、、4氏審判集まりまさかの守備妨害!! 故意にぶつかったけじゃないし、逆にヒジ鉄喰らった打者の方がヘルメット被っても痛いような。ファースト・大西は100km近い巨漢だったし。。。
田本監督が4分間の抗議に走り、ムダに試合時間が長引く怖さもあったが、これで境打線に火が点き2点を返しそこからは境ペース。3人しか2年生がいない鳥取工も粘ったが、8回裏2点以内に抑えれば9回までできたが、2点を失いなおも1死満塁で最後はライト前ポテンヒットでサヨナラコールド負け・・・・・。
ちなみに倉吉市営のボールボーイは作業員のおっちゃんたちが装着しているハンディーファン付のゴツい服着ておりました。
想定よりも40分遅く終わり焦りつつも、赤瓦白壁土蔵群を小走り。。。さすがに琴櫻記念館・鉄道資料館など前回雨の中、じっくり観光した施設は素通りで、、、道中忘れ物に気付き取りに行くムダはあったものの16時40分自転車返却。
あと、倉吉駅で特急「スーパーおき」が11分遅れで到着には参った。18時40分鳥取駅発「スーパーはくと」に乗れないと帰宅困難になるので・・・。すでに朝9時前に指定席購入していたので。
なんとか21分あった乗り換え時間が半分程度になったが、急いでお土産買って無事に帰宅できました・・・。
ちなみに幻となった観戦試合の結果は・・・
ヤマタSP球場 2日目第1試合 米 子 東7-1鳥 取 西
2日目第2試合 鳥取 城北11-3 岩 美 (7回)
2日目第3試合 米子 松蔭6-5米 子 北
倉吉市営球場 3日目第1試合 倉 吉 北9-2米子 高専(8回)
3日目第2試合 倉吉総合産9-2米 子 工(8回)
とのことです。。。日曜日、1度は1時間開始遅れの10時から3試合開始と県高野連HPに6時30分頃書いていただけに、、、、、倉吉のみ中止がベストでしたね!
📝“酷使で壊れた沖縄水産エース”大野倫が証言「栽先生には感謝しています」名門凋落のきっかけは“ある事件”…最後の甲子園出場“98年最強世代”の無念
https://number.bunshun.jp/articles/-/866780?page=1
監督室で“深夜の密会”「女性を連れ込んで…」
スパルタの鬼と化した沖縄水産野球部監督の栽弘義は、気の抜けたミスをした選手に容赦なく鉄拳制裁を加えた。「また栽先生に殴られた」と選手たちは頬を真っ赤にはらしながら仲間に言う。だが、栽に殴られることは期待の表れであり、どうでもいい選手は殴られない。言うまでもなく現代では許されない指導法だが、栽の拳は期待値を示すバロメーターでもあった。
栽は体育教員であったが、年度の初めだけ授業を行い、後は自習という形で授業に出ず、その間ずっと野球の研究に没頭していたという。たまに学校で栽の姿を見つけると、選手たちが「おい、栽先生がいたぞ」とまるでラッキーアイテムを探し当てたかのような反応をする。それほど、校舎内で栽を見かける機会は少なかった。
豊見城時代は精神力を鍛えるためとして鶏の首を切り落とさせたり、下級生と上級生をボクシングで対決させたり、センバツの寒さ対策として2月に上半身裸で練習させたりと、たびたび常識外の練習をやらせた。またメジャー通でもあった栽はレジー・スミスの全盛時にレギュラー全員を両打ちにさせるなど、奇想天外な発想で野球に取り組んでいた。酒が好きで、プライベートでの遊び方も派手だった。酒や女性にからむ武勇伝も数多くあり、そういった話は選手たちの耳にもすぐ入っていた。
匿名の沖縄水産OBの証言によれば、練習でボコボコにされた選手たちはガス抜きとして、バックネット裏にある監督室をしばしば利用していた。夜中にそこで彼女と密会していたのだ。ある選手が夜中の1時に監督室のドアノブを回すと、すでに先客がいた。栽と女性の声が部屋の外に漏れ出していた。またその逆もあった。ある部員が監督室で彼女とイチャイチャしていたときに、誰かがガチャガチャとドアノブを回す音がする。栽だ。バレたらまずいと一生懸命ドアノブを押さえていると「ん? おかしいな」と諦めて帰ったという。
1980年代の不良全盛時代から脈々と続いていた暴力、飲酒、喫煙、そして女性関係の乱れ。もちろん程度によっては咎められることもあるが、沖縄水産ではそういった問題が少なからず「お目こぼし」されていた。監督の栽を頂点とした、よくいえばおおらかな、悪くいえばだらしのない昭和的な気風が温存されたことが、のちに沖縄水産を衰退させる要因のひとつになっていく。
「栽先生には感謝しています」大野倫の証言
栽は大野倫を徹底的にしごき、練習試合で不甲斐ない投球をすれば真っ先に鉄拳を食らわせた。上級生にも厳しくあたられ、91年世代にとっては大野が「防波堤」の役割を果たしていたといえるほどだった。高校3年春、熊本での遠征試合で肘を痛めてしまった大野は、沖縄に戻ってから誰にも告げることなく練習試合に登板し、打たれる日々が続く。仲間たちも「どうしたんだ?」と訝しむほどだったが、あまりに長い不調に異変を感じ取り、「倫が打たれた分以上に俺たちが打ってやればいい」と一致団結し、夏の県大会を迎える。
大野は大会前に肘の異変を打ち明けた栽と相談のうえ、痛み止めの注射を打って投げ続けた。準々決勝からの3試合は完封を含めた計3失点にまとめ、オール完投勝利で甲子園へと導く。
甲子園では「痛み止めを打つと切れた時の激痛が伴い、余計に肘への負担がかかってしまう」という栽の判断により、注射を打たずにマウンドに立った。5試合で計23失点を喫しながら大阪桐蔭との決勝まで勝ち進んだものの、8対13の乱打戦により大敗。またもや深紅の優勝旗には手が届かなかった。決勝までの全6試合、773球をたったひとりで投げ抜いた大野の肘は完全に壊れ、この決勝戦を最後に二度とマウンドに上がることはなかった。大野は述懐する。
「それこそ途中で代えられていたらきっと後悔が残りました。なので、甲子園で最後まで投げさせてもらった栽先生には感謝しています。僕らの時代は、グラウンドでの緊張感が半端なかったです。ボールがひとつでも落ちていようものならすぐ怒鳴られました。でも、地元の人たちの応援もあり、父母たちに寮の食事を当番制でやってもらったりと、地域、学校、父母会の協力があっての甲子園準優勝だと思います。入学当初は怖い先輩もいましたけど、みんな根は優しいんですよね」
大野の奮闘には拍手を惜しまないが、投手としてのキャリアを絶たれるという結末は「高校野球の美学」として片付けるにはあまりにも酷だった。指導者として適切な配慮ができていたのか――栽はメディアのバッシングを受けた。
凋落のきっかけになった「暴力事件による出場辞退」
夏の甲子園で決勝まで進むと新チームの始動は遅くなる。さらに当時、甲子園優勝、準優勝のチームの監督は、それぞれ全日本選抜チームの監督、コーチとして日米韓三国親善高校野球に参加することになっていた。栽もコーチとして2年連続で参加し、さらに国体のチームの監督まで務めたため必然的に新チームを見る時間が少なくなる。準備不足は否めず、秋の県大会は早々に敗退してしまった。
あるOBによると、栽は高校ジャパンの帽子を被りながら沖縄水産の練習に出ていた時期があったという。「栽先生、よっぽど気に入ってんだな」
選手たちはヒソヒソと話をする。批判こそあれど、このときの栽が監督人生43年のなかで栄華の頂点にいたのは間違いない。その象徴が高校ジャパンの帽子だった。そして翌年夏、“今年こそは甲子園優勝”と県民の期待が高まるなかで事件は起こってしまった。暴力事件により夏の県大会出場辞退。初戦1週間前の1992年7月6日に辞退会見を行い、沖縄全土に衝撃が走った。
暴力事件の内容は、日頃の2年生の練習態度に腹を立てた3年生部員8人が練習終了後にサブグラウンドに残っていた2年生25人を集めて尻をバットで数回殴ったというものだった。いわゆる「ケツバット」だ。だが、ここまで記してきたような野球部の内実を考えれば、遠からずなんらかの問題が露見していた可能性が高い。いずれにしても、この事件をきっかけに沖縄水産が凋落していったと見る向きも多い。
「お前らは沖水史上最強だ」98年“新垣世代”の無念
栽の監督人生で最強のチームは、世間的には「松坂世代」と呼ばれる98年世代の沖縄水産だったのではないだろうか。最速150km超の剛腕・新垣渚(元ソフトバンクほか)と技巧派・宮里康の2枚看板に、「沖水史上最強バッター」と称された大城直也、俊足巧打の稲嶺誉(元ソフトバンク)、住金鹿島で不動の外野手として活躍した糸数雄樹と、ドラフト候補クラスの選手が5人もいた。
97年の秋季九州大会で順当に優勝。明治神宮大会は決勝で松坂大輔を擁する横浜に3対5で敗れたものの、「横綱」である横浜相手にまったく引けを取らない戦いぶりを見せた。栽は本気で甲子園の優勝旗を手にできると感じていた。だが、本番の甲子園では春夏ともに1回戦で敗退。さすがの栽も、期待が大きかっただけに落胆ぶりが目立った。
1年夏から1桁の背番号を授かり、98年世代のキャプテンを務めた大城直也が証言する。「僕らの代になって、滅多に褒めない栽先生から『お前らは沖水史上最強だ』と直接言われたんです。実際、神宮大会の決勝で横浜と戦ったあたりから手応えを感じていました。だから負けたときのショックは大きかったですね。栽先生も同じだったと思います。今思えば、僕がキャプテンとしてもっと強気に引っ張っていかなければいけなかったのかな……」
この98年夏の甲子園を最後に、沖縄水産は27年間、甲子園の土を踏めずにいる。なぜ、沖縄屈指の名門は凋落してしまったのか。
<続く>
📣「けがした」報道は誤り、高校「訂正する」 野球部監督の体罰問題 部員「殴られたという認識ない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/0f06ee5d7fca3a419de6ab3271ce75e2809226d0
兵庫県丹波篠山市のスポーツ振興官や、県立篠山産業高校野球部の監督を務めた長澤宏行氏(72)=8日付で辞任=が、部員の頭をはたいた問題で、当事者となった部員Aさんと保護者がこのほど、丹波新聞社に思いを語った。Aさんは、「はたかれたことは事実」と認めつつ、「先生との信頼関係の中でのことで、暴力を受けたと思っていない。また、一部報道で、けがをしたとか、自分から殴られたことを訴えたとあるが、けがはしていないし、自分から訴えてもいない」と否定した。一方の高校側は会見を行い、「一部報道については、学校の説明が間違っていた。訂正する」と謝罪。ただ、「本人は当初から、『殴られた』という言葉を使っており、高校野球連盟への報告書の内容も承認している」とするなど、食い違いが生じている。
高校や市によると長澤氏は7月10日に部員同士の紅白戦を行った際、けがをしているのに出場しようとしたAさんを呼び出し、「けがが長引くことになる。よく考えなさい」と頭をはたいた。
Aさんによるとこの翌日、授業中に友人たちと会話する中で、一人がAさんに対し、「鼻が曲がっていないか?」と言い、野球部の友人が「昨日、先生に殴られたからじゃない?」と言った。「冗談話だった」(Aさん)とするが、この話を教師が聞いており、聞き取りが行われたという。
同校は全部員に聞き取りを行い、何らか手が出たことを目撃した部員がおり、否定する証言もないことを確認。長澤氏も手を出したことは認め、謝罪している。だが、事案が公になった8月26日以降の報道では、「部員がけがをしていることに教師が気づいて発覚」というものや、「授業中に部員が『顔が痛くて授業に集中できない』と訴えた」などとする報道機関もあった。
この違いについて、同校の谷昌亮校長は、「生徒(Aさん)の主張は報告書と合致している。詳細は分からないが、取材対応をした職員が事実と違うことを言った。謝罪して訂正する」とした。
また、Aさんは、「聞き取りで『殴られたのか』と聞かれたので、『はたかれたが、殴られていない』と答えた。その後、『はたかれたことも殴られたのと同じ』と言われた」と主張するが、谷校長らは、「当該部員も現場を目撃した部員も、最初から、『殴られた』という言葉を使っている」とし、証言が食い違っている。
ほかに、Aさんは、「『うそをついたら授業を欠点にするぞ。欠点にされたくなかったら、正直に話しなさい』と言われた。けれど、『別にかまいません』と答えた」とする。保護者も「三者面談の時に、こういう聞き取りの仕方はおかしいと指摘した。その後、『不適切な発言だった』と謝罪の電話があったが、謝って済む話ではないし、現状では受け入れる状態にないので保留にしている」と話す。
一方、谷校長は、「保護者から苦情があったことは事実だが、当該教員に確認したところ、『言っていない』としている。また、報告書にはその教員が言ったことは一切採用していない」とした。
さらに、保護者は、「息子は指導されても仕方なかったことなので、『大ごとにしないでください』と言ったのに、その後、学校から何の連絡もなく、報道で高野連などに報告したことを知った」と言い、「仮に自分から訴えたとした場合、自分たちは〝被害者〟。報告書を出す前に、自分たちに内容や提出することの説明があるべきではないのか。報告もなく、しかも間違った報道をされ、意味が分からない」とした。谷校長は、「高野連から『保護者の了解を得る』という指示はない」とした。
直近の保護者会では、「高野連に報告書を再提出する際に、Aさんが内容を承認した」と報告されたが、保護者によると、Aさんは承認した認識はないという。保護者は、「時系列や『はたいた』ということは、長澤先生も含めて全員が認めていることなので息子も承認する。ただ、それが体罰や暴力であったのかというところまで含めて、全てを承認したわけではない」とした。
Aさんは、「報道を見た人から、『鼻、大丈夫?』などと言われるのもしんどい」とし、「高校生活自体は楽しいし、野球も続ける。いつもの日常が戻ってきてほしい」とした。
長澤氏は神村学園(鹿児島)や創志学園(岡山)の監督として甲子園に出場。2022年、父が丹波篠山市出身という縁などでスポーツ振興官に就任し、派遣という形で篠山産業高校野球部を指導していた。今月8日、市に、「騒動に対する責任を取る」として退職願を提出し、受理されている。
✌篠山産「監督交代」乗り越え再出発1勝 長沢監督が不祥事で退任も「応援が励みに」
https://news.yahoo.co.jp/articles/3b4b0d024e810948dc0600edd3206a79b1a977a7
◇高校野球秋季兵庫大会1回戦 篠山産12―4県伊丹(2025年9月14日 ベイコム野球場)
高校野球の兵庫大会は14日に1回戦が行われ、篠山産は県伊丹との県大会1回戦を12―4の8回コールドで制した。計17安打と活発な打線が相手の小刻みな継投策を上回った。
神村学園(鹿児島)と創志学園(岡山)で甲子園に春夏7度出場した長沢宏行前監督は、部員への暴力行為により今月で退任。副部長から後任に昇格した藤田善継監督は「思い切り野球を楽しもう」を指導方針に掲げ、地区予選突破に導いた。
現部員の大半が、22年10月から同校監督に就任した長沢氏による指導を希望して入学してきた。新チーム結成直後に不測の事態に見舞われた中、主将の井関春道(2年)は「“応援しているから”との声が自分たちの励みになった。(入学の動機は)長沢監督だとしても、その目的は野球が上手くなることだったはず」と監督交代にも冷静さを失わなかった。