自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」

ようこそいらっしゃいました。監督(管理人)の宏鈴法師です。当掲示板は全国どこの話題でもOKですのでどうぞ野球談義・よもやま話をお楽しみ下さい!なお、ご意見ご要望はメールでお願いします。悪しからずご了承くださいませ。


紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
📝令和7年度 秋季近畿地区高等学校野球大会 県一次予選 組み合わせ表
https://www.whbf.jp/uploads/20250903142522_4kr1.pdf

📝令和7年度秋季鳥取県高等学校野球大会(兼)第145回秋季中国地区高等学校野球大会鳥取県予選組み合わせ
https://tottori-hbf.jp/data/data-r7/r7-kou-05-autumn.jpg

13日・14日はヤマタSP球場 15日は倉吉市営球場で観戦予定をしております。

📝持丸修一 77歳名将の高校野球論
寮生活で「いじめゼロ」を確約なんてできません。加害者は絶対に生まれます
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/376911

広陵高(広島)で起きた、いじめ問題をめぐる一連の騒動。批判の矛先は「寮生活」というスタイルにも向いています。

実のところ私は寮での指導には前向きではありません。以前のコラムでも触れましたが、甲子園は自宅から通える地元の選手たちが一丸となって全国大会を戦う姿こそ理想だと考えているからです。仮に専大から「寮をつくろう」と持ちかけられても、お断りするつもり、とも書きましたね。根底にあるのは地元志向ですが、もうひとつ正直な理由を挙げるなら、「管理できる自信がないから」です。

考えてみてください。多感な15~18歳の子供たちが、逃げ場のない寮生活を送り、20人のベンチ枠を巡って激しい競争の3年間を送る。どうやってもひずみは生まれます。少人数ならともかく、毎年何十人も新しい選手が入ってくれば、数年単位で見た時、その中に問題児がひとりもいない、なんてことはあり得ない。野球の素質が最重要事項で、素行や性格は二の次、という野球部も残念ながら存在するでしょう。野球に限らず、寮がある全国のスポーツ強豪校の指導者で「いじめゼロ」を確約できる人はまずいないはずです。

選手間のいじめはどれだけ気をつけても、残念ながら起きる時は起きてしまう。加害者を生まない指導をどうやって実現するのか、正解は存在しません。せいぜい確率を減らす取り組みがやっとです。広陵の場合は事後対応のずさんさが目立ちましたが、それは今回のコラムで私がお伝えしたい本質とは異なります。

専大松戸でも全員が自宅通いだから大丈夫と慢心するのではなく、チーム内に確執を生まないよう細心の注意を払っています。
例えば、ベンチ入り20人は単に上からうまい順に並べるわけではありません。代走や声出しの役割、日頃の努力や性格で精神的支柱になっている選手、伸びしろを見込んで経験を積ませたい下級生……。実力以外の要素で選ばれる選手が当然います。その分、押し出される選手の不満も強くなる。だからこそ、私は全員の前で「こんな理由でこの選手がチームに必要なんだ」と説明することをとにかく徹底しています。

納得の積み重ねが「専大松戸」というチームを形づくる。今年の夏も、ベンチから漏れてしまった選手たちは裏方で精いっぱいやってくれました。
これは1学年15人程度の少人数制だからできていることでもある。私にとってはこの規模が限界でしょう。それでも「必ずいじめを防げる」と胸を張ることはできません。

寮生活には今でも一定の需要があります。中学生や保護者から「厳しい環境で鍛えたい」「親離れをさせたい」という声を聞くことは珍しくありません。実際に「寮がないから専大松戸はやめます」と断られたこともあります。

志そのものは立派ですが、保護者も選手も、寮生活にはそれなりの覚悟を持って臨むべきでしょう。もっとも、私自身は選手の人生を預かる以上、寮というリスクを抱えるつもりはありませんが。

☝甲子園「最高の思い出」 津田学園の2人、亀山市長に報告
https://news.yahoo.co.jp/articles/19c1afb5f09352917f2225e328ae3e655a2cb119

第107回全国高校野球選手権大会に、三重県代表として6年ぶり3回目の出場を果たした、津田学園高校野球部員で亀山市在住の三年生、丹羽晄基さん(17)と若林竜雅さん(17)は1日、亀山市役所に櫻井義之市長と中原博教育長を表敬訪問し、大会での思い出など話した。

丹羽さんと若林さんの2人は、小学時代から学童野球クラブチームで軟式野球を始め、別々の中学校に進学したが、同高校野球部で再会。高校1年から炊事、洗濯など分担しながら共同生活を送っている。同高校は、第1回戦の埼玉代表の叡明高校に延長12回、タイブレークの末、劇的なサヨナラ勝ちをし、初戦突破を果たした。3回戦では強豪横浜高校との対戦で、九回表に初めて甲子園のマウンドに立った、丹羽さんは「最高の景色だった。緊張より楽しく投げれた」と話した。

ベンチ入りは果たせなかったが、部員や生徒、関係者らとアルプススタンドから応援した、若林さんは「部員の一人として、甲子園に来られたことがうれしかった。声が枯れるまで精一杯応援した。最高の思い出になった」と語った。

2人は今後、別々の大学に進学し、丹羽さんは投手として若林さんは野手として体力、技術に磨きをかけプロ野球選手を目指すという。
櫻井市長は「特に叡明高校との試合は、素晴らしい試合だった『あっぱれ』」とし、「これからもこの経験を生かし、将来の目標に向かって頑張って。生涯の友ですね」とたたえた。

📝「野球だけじゃダメなんです」沖縄尚学・比嘉公也が球児と“交換ノート”を続けた理由…センバツ最年少優勝から17年、悲願の夏の甲子園初制覇へ
https://number.bunshun.jp/articles/-/866998?utm_source=news.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&utm_campaign=relatedLink

時に辛辣なコメントも書き込む
 
練習が熱を帯びてくると、比嘉はダッグアウトを飛び出し、グラウンドで厳しい目を光らせる。長机の上には52冊のノートが置かれたままだ。部員たちが寮や自宅に帰る前にノートを返さなければならないから、夏休み中の比嘉は練習後のダッグアウトでもノートの山と向き合うことになる。書き込むコメントはときに辛辣だが、部員たちにはこう伝えてある。

「おいしい料理にはおいしいって言って、まずい料理にはまずいって言ったほうがお前らもいいやろ」

実際、監督就任2年目で春の選抜を制したときのチームは、それぞれの部員が豊かな感受性を持っていた。

「東浜なんかはブルペンで感じたちょっとした周囲の変化や、自分自身の感覚のわずかなずれをきちんと言葉にして伝える力があった。素晴らしいノートを作ってました」と比嘉は振り返る。
「もちろん、一人ひとりとのコミュニケーションですから、チームカラーによって変わるものではない」とも言うが、一方で選抜で2度目の優勝を果たしたチームと比べると、今の部員たちの文章はまだまだ比嘉を納得させるものではない。

「みんな優しくて、大人しい。その優しさがゲームの大事な局面で悪い形で出てしまう可能性がある。僕たちのころのほうが、強い気持ちを持っていました。どうすれば、彼らの闘争心に火をつけられるのか。その試行錯誤はずっと続いてます」

たとえば、その日の練習メニューしか記さなかった部員のノートに、比嘉はこんな言葉をぶつけている。

〈お前のノートの内容は、チーム1浅い。何も考えてないから、これぐらいの文章にしかならない。情けない。こんな内容の浅いノートは二度と見せるな〉

新チームの主将に選ばれた桑江圭祐が視野を広げようと〈色々、試していきたいです〉と書くと、逆のアドバイスをした。

〈色々試さない。1つ2つでいい。お前は考えすぎる性格だから、シンプルに行け〉

さらに、中学時代に全国大会に出場した2年生の新城流輝が〈守備を鍛えないとレギュラーは無理です〉という自覚を伝えたとき、比嘉は〈自分が法律と思うな。もっとスタッフを頼れるような素直さが出れば確実に変わる〉とその心理を読み解き、新チームが発足して初の紅白試合が行われた翌日、同じ新城のノートにこう書き込んだ。

〈チームの怒られ役になれ。嫌なら嫌といってこい。チームには「華」(花)も必要。それを輝かす、お前は「土」となれ。最高の脇役でいいじゃないか〉

ノートを交換する選手たちの本音
 
こうした比嘉の言葉の使い方は、部員たちにどう受けとめられているのだろうか。
「主将に選ばれてから、本当に僕でいいのかってずっと悩んでいました」という桑江は「比嘉先生から厳しい言葉をもらううち、少しずつ前を向けるようになってきた」と話す。

「僕は考えるのが苦手と思ってましたが、先生の目には考えすぎると映っていた。その言葉を受けとめて初めて、無意識のうちに物事をネガティブに考えていることに気づいたんです。自分が気づかない部分まで、先生が見ていてくれることに感謝しています」

桑江には「指摘されて、はっとした」こともある。まったく深く考えずに記した〈昼休みに図書館の先生に応援しているよと言われました〉という一文を、比嘉は叱責したのだ。

〈図書館の先生にも立派な名前がある。名前で書け。名前がわからないと相手が知ったらショックだぞ〉
〈「華」を輝かす「土」となれ〉と指導された新城も「もし、僕がすぐふてくされる人間なら、比嘉先生もこうは書かないはず」と前向きにとらえている。

「今までは中学のころと同じように、自分が中心になりたい気持ちが強すぎましたが、沖縄尚学で求められているのはそうではないことに気づきました。1年生のときのノートを今読み返しても、先生のコメントに『今の自分は違った方向に行こうとしている』と感じることもあります。まだ100%は納得してないし、嫌なら言ってこいと言われても言えないですが……」
「野球だけじゃ、駄目なんです」と、比嘉は力を込めて繰り返した。

「毎日同じ通学路でも、なにか変化を発見する感性を養って欲しい。それは人生を豊かにすることにもつながるし、野球とも結びつく。見つけられなくても、見つけようとする意識で見ることが大事なんです。どこのチームだってユニフォームを着たら一生懸命練習する。だから、ユニフォームを脱いだ後が勝負だと思うんです。授業や教室での態度が、そのまま野球にもつながることもある」

練習に参加できない特進コースの球児
 
レギュラークラスの部員たちのノートには厳しい注文をつける比嘉が「もし僕なら、同じことはできないし、同じ文章は書けない」と評価するのは、特進コースで学ぶ2年生、大城卓也のノートだ。
野球部員52人のほとんどが体育コースの生徒で、特進コースは大城を含む3人だけ。授業のカリキュラムが違う彼らは、ふだんは野球部の練習に参加できず、自主練習をするしかない。

「僕らは比嘉先生に練習を見てもらえる機会がほとんどない。このノートが、自分たちの練習内容や気持ちを先生に伝える唯一の方法なんです」という大城は、野村克也の著書から感銘を受けた一文を書き写したり、主カメンバーのノートを見せてもらって文章の書き方を研究したが、1年生のときは一度も比嘉のコメントをもらえなかった。

初めて比嘉のとんがった特徴のある字をノートに見つけたのは、新チームが発足したばかりの7月12日。〈覇気がなければ甲子園には行けない〉と書いたすぐその下に〈覇気とは?意を調べてみろ。〉とあった。

「本当に嬉しかったです。すぐに辞書をひいて調べ、ノートに書き込みました」

そして夏休みの途中から特進コースの3人もボールパークでのチーム練習に参加できるようになると、比嘉は何度も大城のノートにペンを走らせるようになる。コメントを見た大城は、そのたびに目頭が熱くなった。

〈卓也のノートは読んでいて楽しい(中身があるから)。技術の上達は簡単ではないが、努力せよ〉
〈みんなと一緒に練習できるこの時を大事にして上達せよ。お前のひたむきな行動は、チームにとって大きな財産。自分は特進コースだから無理という言い訳がないのが素晴らしい〉

赴任直後の不祥事で、栄光に包まれた球歴に影がさした。それから3年あまりが経ち、監督として選抜優勝の歓喜も味わった。部員達の文章を受けとめ、自分の思いを彼らのノートに書き込むうち、比嘉自身が自らの変化に気付くこともあるかもしれない。

「うーん、どうなんでしょう。ノートは僕が一生懸命やれば続くと思っていましたし、選手たちの内面の変化についてはだいぶ把握できるようになりましたが、僕自身も言葉の選び方がうまくなったりしている部分はあるかもしれませんね」

それは、ちょっとした言い回しに現れている。比嘉は、ある部員のノートにこんなメッセージを刻んだ。

〈去年と同じことをしていては勝てない。足りないところは、何かメニューを足して良くしていく。去年のチームは素材は良かったが、味が淡白だった。今年は練習メニューに調味料を足して、勝てるチームに仕上げる〉

もちろん、そのメッセージが一人のノートを通じてチーム全体に行き渡ることも計算済みなのだが……。

指導者として一番難しいことはなにか――。
ストレートな質問をぶつけると、比嘉は少しも迷うことなく、「チームを勝たせることです」と答えた。

苦難と歓喜を経たチームは今、低迷している。野球ノートはコミュニケーションの手段だけではなく、再び勝利に近づくためのツールになるだろうか

💢広陵の暴力問題に専門家「やっぱり起こってしまった」3つの原因ズバリ…「強豪校、部員数が多い、そして…」加害行為はなぜ止められなかったのか?
https://news.yahoo.co.jp/articles/cb78d10019874be0067c5939e3261e31ba897583

今年1月の暴力事案に端を発した問題により、今夏の甲子園で出場辞退となった広陵高校。今回の広陵問題、そして高校野球と暴力の関係について、専門家の意見を聞いた。

夏の甲子園の開幕を前に、今年1月に部内で暴力行為があったことがSNSで広がり、それに端を発し、広陵高校野球部は1回戦勝利後、出場辞退を選択。一連の流れの中で様々な論点があげられ、社会的注目を集める大きな問題となった。

だが広陵高校に限らず、振り返ってみれば、しばしば高校野球ではいじめや暴力などの問題が起こってきた。広陵高校野球部でなぜ暴行事案が発生したのか。広陵高校に限らず野球部で同種の事案がしばしば起きてきたのはなぜか。解決策はあるのか。アマチュア野球における体罰や暴力の歴史を膨大な資料とともにたどり、実証的に考察した著書『体罰と日本野球』があり、この分野の第一人者である高知大学准教授、中村哲也氏を訪ねた。

きっかけは“カップ麺”

沖縄尚学高校野球部の優勝で華やかに幕を閉じた夏の甲子園。一方で広陵高校野球部の出場辞退は大会全体に影を投げかけ、そして風化させるわけにはいかない問題をはらんでいる。
あらためて、経緯をおさえておきたい。今年1月、2年生(当時)の野球部員4人が、部で禁止されているカップ麺を食べた1年生部員1人に対し暴力行為をした。学校は内部調査し高野連へ報告。高野連は今年3月、広陵高校を「厳重注意」とし、加害した生徒たちは公式戦出場停止処分となったが、被害者たる生徒は3月に転校を余儀なくされた。

7月26日、広陵高校は広島県予選で優勝し甲子園出場を決めたが、1月に起きた野球部の暴力問題に関する情報がSNSに投稿され、その後、拡散していった。「厳重注意」となった事案は規定により原則公表する義務がなく、公表されていなかった。しかしその反響は瞬く間に広がった。高野連と広陵高校は暴力事案について公表した上で、そのまま大会に出場し1回戦で勝利。だが、学校は過去にも別の元部員から暴力被害を受けたという訴えがあったことを明らかにし、第三者委員会を設置して調査を進めるとした。そして8月10日、広陵高校は、野球部寮の爆破予告、誹謗中傷などが後を絶たないことを理由として、出場辞退を表明するに至った。

個々の部分での事実の争いなどはあるが、おおむね上記の通りである。

広陵高の暴力問題に専門家「要因は3つある」
 
中村氏はまずこのように語る。「『体罰と日本野球』の中でも指摘しましたが、体罰や暴力は個人の問題で起きるわけではなく、基本的には日本の野球部や球界を取り巻く構造が発生の要因になっていると考えています。広陵高校もその一つです」

――構造とはどのようなことでしょうか? 

「大きな構造的要因というのは三つあります。一つは強豪校であること。もう一つは部員数が多いこと。そして、寮生活をしていること。このような場合に、特に体罰や暴力が起きやすいです。広陵高校は戦前から続く強豪校で、甲子園で何回も優勝している。部員数が164名で今回の夏の甲子園出場校の中で一番多い。部員が全員寮に入っている。まさにあてはまるわけです。やっぱり起こってしまったな、というのが率直な感想です」

164名…なぜ部員数の多さが問題なのか?

――それぞれの要因をひもとくと? 

「強豪校は練習の強度が高いですし、監督から指示があればその通りに動く。上からの命令が通じやすい。

もう一つは、選手同士の競争もレベルが高くて厳しいということですね。部員数が多いと、競争がより過酷になる。広陵のように160人ともなると、レギュラーは約20人に1人ぐらいですよね。レギュラーやベンチ入りを巡る競争は熾烈になるので、上級生にとって下級生は単なる後輩ではなくライバルなわけですね。だから、蹴落とすというようなインセンティブが働く。

また人数が多いと、1人1人の存在が軽視されるという問題もあります。例えば部員9人のチームがあったとすると、1人辞めたら試合ができなくなる。だから部員が少ないチームは、部員1人1人を基本的に大事にする。反対に大所帯では数人いなくなってもあまり関係ない。特に下級生の場合、レギュラーでなければチームの戦力的に影響が少ないですし、上級生からしても存在の重要性があまり感じられないので、殴ったりして辞めさせてもいいし、規律を守れない場合は、過酷な仕打ちをすることになりがちということです」

――「部員が寮に入っている」ことも先ほど指摘されていました。

「寮というのは体罰とかいじめが起きやすい場所を提供するんですね。下級生とか控え選手は上級生とかレギュラーには逆らえない関係性がありますが、日常生活の時間である寮内にも部内の上下関係が持ち込まれ、上級生は安心して体罰や暴力をふるうことができる。寮はそういう場になりがちです」

「部内の秩序を守る」正当化される暴力

――「上下関係」をつくりあげることが部にとって重要で、寮がそれを発揮する場になるのですね。

「そうですね。野球部内の体罰やしごきは、上下関係を作り出し、それをはっきりさせることが一番大きな機能です。監督や上級生が出した指示に部員や下級生が従う、それを繰り返すことで統一のとれた練習ができる、試合のときの指示が通る、だから強くなれるという考えがある。

今回の広陵高校の問題は、“カップ麺を食べてはいけない”という規律を破ったことに始まった。第三者からするとカップ麺を食べようが食べまいが、どちらでもいいと思うようなことですが、寮のルールを破る選手がいると上からの命令通りに選手が動かないということになります。

要するに中身はなんでもよくて、ルールを守らせることが重要なのです。そして守らせる上級生、守らされる下級生という非対称性があり、『私は殴る人、あなたは殴られる人』という形で上下関係が発揮される。これが基本的には体罰・暴力の大きな特徴であり、閉鎖的な寮という空間でより露わになる。結論として、部内の秩序を守るということを目的にした体罰や暴力は、強豪校で人数が多くて寮があるところでは起きやすいのです。広陵高校だから、ということではなく、構造的な問題です」

広陵高校という個別の案件ではないと断言する中村氏は、さらに歴史に踏み込み、この問題の根深さを指摘する。(続く)

⚾岩手さんへ
46、3度の誤報は102年前でしたか・・・あの当時は技術も今に比べてめちゃくちゃ劣るだろうから仕方ないですね。。。

さて、関西で最も熱いのは京都になるんでしょうね。盆地だし風も吹かない内陸部で冬は底冷えするから住環境は年間トータルでいちばん厳しいかも!?
大阪もたいがい熱いですが、大阪湾があるし舞洲や夢洲は埋め立て地なんで風がきついですね。
意外と神戸そして和歌山はあまり猛暑日まで上がらないですね、、、、、ただ和歌山は熱中症アラートがやたら発せられるので数字以上に熱さは厳しいのかもしれません。湿度の関係もあるし!

ただ、僕が思うに大阪など関西よりも福井・鳥取・島根の日本海側の不が夏は2回り熱いですよ!!東北だと秋田・山形あたりがそんな感じかも。

さて、帝京・前田監督ですが95年夏には勝利至上主義者としてずいぶん叩かれましたね。僕はコールド回避の為に犠牲フライ確実の当たりで3塁走者にストップを命じて次の回に控え投手を試す采配は好きですが!
前田監督の著書も読みましたが、若い頃はスカウトに走りまくり終電逃して駅のホームで野宿したとか。新聞紙を体に巻くと結構温かいらしく寒さ対策にはもってこいとのことですが、僕は野宿経験ないので・・・・・。昔の8号門クラブの面子は2週間野宿でしたよね。

池田と甲子園初対戦の折は抽選後の監督対談で蔦監督のオーラに圧倒されたらしいですね。まだ甲子園出場回数は少なかったと思いますが、東の横綱と評されていたようで。
僕が帝京を意識するようになったのは昭和60年あたりだったかな?センバツ準優勝した頃でしょうか?62年のPL春夏連覇の折にも脅威を感じてました。

二松学舎はたしかに夏の都大会決勝でよく負けてましたね。関東一高と違い辛抱して監督長期政権で任せて結果的に良かったですね。
あのユニホームといい、ブラスバンドといい東京らしくない地味な印象を受けてます。東京は日大三・関東一などブラスバンドに迫力を感じますが、二松学舎・修徳あたりは地方の学校とあまり変わらないような応援で・・・。
いつだったか二松の1年生トリオがスタメン登場して甲子園で席巻してましたね。結構、4月から1年生ベンチ入りするチームは多いですがその後は分からないですね。。。
春が来るたびに新入生に魅了され上級生は興味なくなってしまうのかな?先々を考えると下級生が多くスタメンにいると秋が楽しみにはなりますね。
2025/09/03(水) 22時18分09秒 No.1993 編集 削除