自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」
⚾今日の熱闘甲子園試合結果(準決勝)
14日目第1試合 日大三(西東京)-県岐阜商(岐阜) 8:00~10:31
一二三四五六七八九十計HE
日 大 三10000001024123
県岐阜商0100100000252
14日目第2試合 沖縄尚学(沖縄)-山梨学院(山梨) 11:02~13:09
一二三四五六七八九十計HE
山梨学院100021000 471
沖縄尚学10000310X 5103
👣福山高野球部の迫田守昭監督が退任、甲子園に春夏6回の名将 体調不良のため
https://news.yahoo.co.jp/articles/5a961f1052ea08da24eaf1b2bd27db21e0cd5a1d
福山高(広島)は21日、野球部監督の迫田守昭氏(79)が体調不良のため退任したと発表した。退任は7月31日付。
迫田氏は2000年に母校の広島商高、07年に新庄高の監督にそれぞれ就任し、春夏計6度甲子園に出場。22年4月から福山高の監督を務め、23年の秋季広島県大会では初めて準決勝に進んだ。
同高によると、迫田氏は7月に入って体調を崩し、学校側に退任を申し出たという。全国高校野球選手権広島大会ではベンチに入っていなかった。チームは3回戦で敗退した。
📝国民スポーツ大会の高校野球・硬式出場8校を選出 7回制で実施
https://news.yahoo.co.jp/articles/7bdc74fae9ed239b0fa66f849374021317952850
日本高野連は21日、甲子園球場内で国民スポーツ大会(9月29日~10月2日・マイネットスタジアム皇子山)選考委員会を開き、全国高校野球選手権大会で4強入りした県岐阜商、開催地・滋賀の綾羽など8校が出場すると発表した。
国民スポーツ大会硬式・軟式の部は7回制で実施される。
◇出場校
仙台育英(宮城)、山梨学院、日大三(東京)、県岐阜商、高川学園(山口)、尽誠学園(香川)、沖縄尚学、綾羽(滋賀)
◇補欠校
〈1〉東洋大姫路 〈2〉京都国際
📝0泊3日、車中泊も 背景に万博?宿高騰に悩む応援団 夏の甲子園
https://news.yahoo.co.jp/articles/9da29b271c91e1351aeb9c2d8b7b9f2c83556f2c
大阪・関西万博のにぎわいで大阪周辺のホテルの需要が高まり、開催中の全国高校野球選手権大会に影響が及んでいる。元々、インバウンド(訪日客)の増加でホテルが値上がりしていた中で、4月に開幕した万博は夏休みの8月は来場者が増えてホテルの空き部屋は少なく、応援に駆けつける保護者や学校関係者らは頭を悩ませている。
◇「本当は泊まりたい」
「万博もあるからなのか、(宿泊先の)選択肢は少なかったですね」仙台育英(宮城)の保護者会長を務める大場久幸さんはこう語った。
3日に組み合わせが決まると、すぐに宿を探しにかかった。「空き状況や価格を考えると、選べるホテルは自然と限られた」と明かす。
宮城県から家族3人で観戦に訪れ、開星(島根)との2回戦前日の13日から、沖縄尚学との3回戦があった17日まで、大阪・梅田のビジネスホテルに宿泊した。料金は4泊で計8万円ほどだった。
宿の確保が難しく、「弾丸旅行」を敢行した人もいる。
準々決勝に進んだ日大三(西東京)のある男性保護者は、11日午後に組まれた豊橋中央(愛知)との2回戦でスタンドに駆けつけた。10日に地元を出発し、応援を終えて自宅に戻る頃には日付をまたいだ「0泊3日」の日程だった。
「万博(の影響)で安いホテルが取れないので、こちらでは泊まれていない。本当は泊まりたいですけどね」
一方で、チームと同じ宿舎に滞在できた保護者もいる。同じく8強入りした山梨学院の保護者会長、大石光泰さんがそうだ。
今春のセンバツ大会に出場した時から、ホテル側が「夏(の甲子園)は予約が取れないだろうから」と、一部の保護者分の部屋を確保してくれていた。
大石さんは「急にこちらに来ることになった人は、みんな『宿がない』と大変そうだ」と話す。
◇高まる大阪のホテル需要
阪神甲子園球場は兵庫県西宮市にある。アルプス席の保護者に話を聞くと、アクセスやホテルの多さなどを考え、滞在先に兵庫県内より大阪を選ぶとの声が目立つ。
応援に訪れる保護者や学校関係者にとって、宿泊先の確保や旅費はネックになっている。大人数になりやすいことに加え、滞在日数が勝敗に左右されるためだ。
加えて、近年はインバウンドの増加を背景に、ホテルが値上がりしている。
東京商工リサーチによると、上場するホテル運営13社(15ブランド)の2025年3月期の平均客室単価は1万6679円で、前年の同じ期間から12・6%上昇した。
中でも、大阪のホテル需要は高まっている。観光庁のまとめによると、今年5月時点の大阪府の宿泊施設の客室稼働率は81・9%で全国トップだった。
リクルートの「じゃらんリサーチセンター」の調査では、6月以降の国内旅行先として、大阪府が北海道、東京都に続いて3位となり、昨年の4位から順位を上げた。
大阪府への旅行目的は「お祭りやイベントへの参加・見物」が急上昇した。じゃらんリサーチセンターは「万博の影響があると推察される」としている。
万博の来場者数は7月は1週間あたり90万人台で推移していたが、お盆休みと重なった8月10日からの1週間は計約125万人と大幅に増えている。
◇費用削減へあの手この手
保護者だけでなく、吹奏楽部員やチアリーダーなどの生徒も、例年より宿泊先の確保が難しくなっている。
仙台育英は吹奏楽部員やチアリーダー、控えの野球部員ら計200人あまりが応援のために集まった。これまでは京都市内のホテルを確保していたが、今年は値上がりを受け、甲子園から遠くなる大津市内のホテルに2回戦から宿泊した。宿泊代を節約するため、13日夕方にバスで学校を出発し、2時間おきに休憩しながら車中泊をし、14日の2回戦当日の朝に到着した。
ある教員は「半日も車内でしたから、さすがに疲れました」と苦笑いする。
関東一(東東京)は準優勝した前回大会、応援団の宿泊場所は京都府内だったが、今年は部屋をまとめて取るのが難しく、準々決勝で勝てば、滋賀県と京都府に分かれて泊まる予定としていた。
応援団の責任者によると、決勝に進出した場合の費用は行き帰りのバス代を含め、1人あたり昨年より1万円ほど増える見込みだった。
息子や友人が甲子園でプレーする姿をアルプス席から見守る応援団。その模索はこれからも続く。
🎤「7イニング制」導入論が加速する高校野球に賛否両論 太田幸司氏「選手側向いているか」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e60fdbd4576efd90fd1847d15adf30fdb149b277
日本高野連は昨年から試合を「9イニング制」から「7イニング制」に移行する議論を進めていて、年内に結論を出す方針だ。7イニングになると、試合時間を約30分短縮でき、1日4試合の「朝夕2部制」でも終了時間が遅くなる懸念は少なくなる。
近年、日本高野連は「延長タイブレーク制」の導入や「1週間500球以内」とする球数制限など、さまざまな改革を打ち出してきた。来春から指名打者(DH)制を導入することも発表したばかり。改革の根底には、とくに投手の負担を軽減したい思いがある。日本高野連の井本亘事務局長は「試合を短く運営できるから(7イニング制を)やるわけではない。選手の健康管理など、今抱えている課題をクリアしていくのに有効な手段の一つ」と強調した。
7イニング制は野球のルールが変わるため、反対意見は根強くある。選手の出場機会が減少するリスクがあるほか、投手のノーヒットノーランなどの記録の価値が薄れるデメリットも指摘されている。
日本高野連は6月からホームページ上で、全国の加盟校だけでなく、野球ファンも対象にアンケートを実施した。9月末に滋賀県で開催される国民スポーツ大会で7イニング制が初めて試験的に導入される予定。今後の議論の行方に注目が集まる。
■太田氏「試合前ノック選択制に疑問」
「朝夕2部制」の日数を増やしたのは大いに結構だと思う。ただ、対外的なアピールを気にした取り組みばかりを導入しているようにも見える。高野連と主催者は、本当に選手側を向いて考えているのだろうか。
例えば、試合前ノック。実施の有無を選択できるようにしたという。日頃から暑い中で鍛錬している選手が試合前ノックでしんどくなるなら、もはや試合でプレーなどできないだろう。グラウンド状態の把握や守備の連係確認などの意味合いもある。選択制にすることが暑熱対策につながるとは思えない。
選手が水分補給できる「クーリングタイム」もあれこれ取り組んでいるが、まずは選手がどういう過ごし方をすべきなのか、もっと細かな指導をしてほしいと願う。
7イニング制の議論が進んでいるが、9イニング制とは戦略も勝負どころも全く異なってくる。やはり甲子園大会は9イニング制を維持すべきだと考える。(談)
📝最も遅い終了午後10時46分、応援団帰校は午前3時も ナイター高校野球の課題と現実
https://news.yahoo.co.jp/articles/f5d399a0257479665bbec51eb7d2113b1a6059c7
酷暑の中、甲子園球場を舞台に熱戦が繰り広げられている全国高校野球選手権大会は、準決勝と決勝を残すのみになった。5日に開幕した今大会は暑熱対策として、最初の5日間は午前と夕方に試合を分けて行う「朝夕2部制」が採用され、選手らからは「涼しかった」との声が聞かれた。一方、11日からは気温が上がる日中も試合が行われ、熱中症の症状を訴える選手も多く出ている。今大会の運営は実験的な意味合いが強く、国民的な人気スポーツである高校野球のあり方が問われている。
■「地面からの熱気がない」
大会本部によると、朝夕2部制の5日間、試合前にグラウンドで計測した気温の平均は30・3度。比較的涼しい試合が多くなった。その影響もあってか、朝夕2部制の15試合で12人の投手が完投。6日午後6時30分からのナイターで157球を投げた鳴門(徳島)の橋本朋来(ともき)投手は「(日中に行われた)甲子園練習は暑かったけど、夜は地面からの熱気があまりなかった」と証言した。
その半面、朝夕2部制の終了後、13日の第2試合で右ふくらはぎがけいれんした選手は「睡眠もとれ、ご飯もしっかり食べたけど、緊張もあって思うように体が動かなかった」と振り返った。五回終了時に選手が水分補給や体の冷却ができる「クーリングタイム」を実施し、ベンチ裏で10人以上の理学療法士が選手らをサポートしているが、日中に試合を行う限り、体調を崩す選手が出るのは避けられない。
今大会を通じて、大きな課題として浮き彫りになったのは、やはり時間の問題だ。8日の第4試合「綾羽(滋賀)-高知中央」は、第3試合に1時間7分にも及ぶ降雨中断があった影響で、午後7時49分に始まり、午後10時46分に終了。試合時間が確認できる第35回大会(昭和28年)以降で、開始も終了も、最も遅くなった。
大会本部は午後10時以降は原則、新たなイニングに入らずに「継続試合」とする規定にしていたが、実際は両校の意思を確認した上で、午後10時以降に延長へ突入。選手たちが宿舎に戻る時間は午前0時を回ることになり、学生スポーツには不適切な時間と言わざるを得ないだろう。
地元から駆け付ける応援団にとってはさらなる難題があった。ナイターで戦った学校の中には、応援団のバスの帰校が午前3時ごろと見込んで車中泊を計画するなど学校関係者は頭を悩ませた。
■野手の動きにも影響
出場校によってナイター設備が十分でない学校もあり、野手の動きにも大きな影響が出る。試合までの練習日も限られているため、9日の第4試合を戦った明豊(大分)の川崎絢平監督は「選手の適応能力を信じて送り出した」と語った。
ナイターではクーリングタイムを実施しなかった試合もあり、時間短縮へ試行錯誤する様子もうかがえた。大会本部は大会後に出場校にアンケートを実施し、来年以降の参考にする方針。高校球児の憧れである甲子園を舞台に1日4試合を実施する運営は厳しさを増している。
📝「大阪の高校は強いのかな、と思いましたけど…」甲子園で大阪勢が45年ぶり春夏“勝利ナシ”の衝撃…対戦相手の「大阪出身」エースが感じたリアル
https://news.yahoo.co.jp/articles/16f1b8855cba6905a3abd8f64da6cff893a163f9?page=1
熱戦が続く夏の甲子園。その初戦で大阪代表の東大阪大柏原が敗れ、近年の甲子園をけん引してきた大阪勢が45年ぶりに春夏ともに未勝利に終わることになった。同校を破ったのは香川代表の尽誠学園。そのチームでエース、4番、主将を兼ねる大黒柱は、実は大阪出身でもあった――。
南北2校が選ばれる10年に一度の記念大会を除けば、大阪が夏の甲子園で初戦敗退を喫したのは2007年の金光大阪が最後となる。この翌年から大阪は覇権を握った。
08年に優勝した大阪桐蔭が4回、履正社が1回。この「2強」を中心に大阪が高校野球をリードしてきたと言ってもいいくらいだ。
「野球王国」大阪勢に起きた“異変”
その「野球王国」が今年、18年ぶりに初戦で姿を消した。センバツでも98年ぶりに代表を逃しており、春夏で未勝利となると1980年まで遡らなければならない。
大阪大会決勝でプロ注目の“ダブルエース”森陽樹と中野大虎を攻略して大阪桐蔭を撃破した東大阪大柏原を倒し、「大阪の異変」をクローズアップさせたのが香川の尽誠学園だ。
立役者はエースで4番、そしてキャプテンも務める大黒柱の広瀬賢汰である。大阪代表との対戦について、彼は表情を変えることなく大胆不敵に言ってのける。
「大阪の高校は強いのかな、と思いましたけど、甲子園に出るようなチームはどこも強いので特に意識はしませんでした」
初回から力任せに投げることなく、スライダーやカーブといった変化球を低めに集めることを心がけながら相手打線を封じていく。エースとしての泰然自若なマウンド捌きは、バッティングでも貫かれた。1回、2死一塁で回ってきた第1打席。相手エース・川崎龍輝の高めのスライダーを捉えライト上空に舞い上がった打球が、甲子園特有の浜風に押し戻されフェンス際で捕られてしまった。この打席で「低く、強い打球を打とう」と自分に言い聞かせたことが、5回のレフト前への2点タイムリーに繋がった。
エースで、4番で、キャプテン…大黒柱が躍動
相手の東大阪大柏原は、キャプテンでキャッチャー、本来は4番バッターと、こちらも大黒柱の竹本歩夢が、数日前の練習で左手を負傷した影響で途中交代してしまったとはいえ、6安打、無四死球の完投劇。打っても3打数1安打、2打点と4番バッターでも役割を果たした。大仕事をやってのけても、広瀬は冷静だ。
「エースで4番ということで責任はもちろんありますけど、そこにこだわりがあるわけではないです。ただチームが勝てばいい、という気持ちでプレーしています」
尽誠学園を甲子園初出場から2度のベスト4と強豪へと育てた元監督の大河賢二郎が、広瀬に“レジェンドOB”を重ねている……そう教えてくれたのは、現監督の西村太だ。
「『広瀬は宮地とかぶる』と言っていますね――」
<次回へつづく>
📝中学時代は「大阪桐蔭や履正社と戦う自信がなくて…」甲子園で故郷・大阪代表を撃破…全チーム唯一の「エースで4番で主将」が香川へ進学を決めたワケ
https://news.yahoo.co.jp/articles/8233a075f20153a553d3ad1703d70b53994fa05f
甲子園で大阪代表の東大阪大柏原を倒し、大阪勢45年ぶりの「春夏未勝利」へと追い込んだ香川の尽誠学園。そのエースが、4番そしてキャプテンも務める広瀬賢汰である。
プロ入りした「かつてのレジェンド」を彷彿?
尽誠学園を甲子園初出場から2度のベスト4と強豪へと育てた元監督の大河賢二郎が、広瀬にレジェンドOBを重ねている――そう教えてくれたのは、現監督の西村太だ。
「『広瀬は宮地とかぶる』と言っていますね」
宮地克彦。1989年夏にエースで3番、キャプテンとしてチームを牽引しベスト4に進出。準決勝で仙台育英と延長10回の激闘を演じたことを記憶するファンも多い。その後はプロ入りし、西武やソフトバンクで活躍した。この年の尽誠学園の顔とも言える宮地は、大阪から香川に移って腕を磨き、成長を遂げた。36年後。尽誠学園に23年ぶりの勝利をもたらした広瀬も大阪の出身である。
なぜ地元・大阪から香川に進学したのか?
強豪ひしめく地元の高校に進学しなかった理由について、広瀬が当時を思い出す。「中学時代の実力を考えると、大阪桐蔭や履正社と戦える自信がありませんでした」
この時に所属していたチームの監督が尽誠学園のOBで、話を聞くうちに努力次第では甲子園に出場できると思えた。なにより「寮生活で自立し、自分を磨きたかった」という願望も広瀬を後押しした。広瀬はこれまでキャプテンの経験がなかったという。「性格的にはキャプテンタイプではない」と心象を明かす監督の西村は、彼にリーダーシップが備わる上でのバックボーンとなった要素について、「1年生からの積み重ねが全て」と太鼓判を押す。
昨年夏の新チーム始動時に監督と話し合い、最終的に自らの意思でキャプテンになることを決意した広瀬はピッチャーである。野手とは別メニューの練習が多く、試合になれば孤独なマウンドで奮闘を期待されるポジションだけに、心身の負担を軽減する意味からキャプテンになるケースは少ない。それでも広瀬は、大役を引き受けた。
「キャプテンになって最初のほうは忙しかったけど、みんなと一緒にできる練習時間が増えていったんで楽しかったです」
エースで4番という立ち位置が、あるいはキャプテンの仕事を効率的にさせたのかもしれない。西村が「全体練習では基本的にどのメニューをやるかを任せている」という。そのなかで広瀬が重点的に加わったのが、シートバッティングなどの実戦形式である。
投打でチームプレーを養うことで、場面ごとに自分が求められている役割が自覚できる。その過程で、キャプテンとしてもしっかりと舵取りをすることでチームワークも高まる。チームメイトは「みんなをやる気にさせてくれる」
広瀬とバッテリーを組むキャッチャーの鎌田蒼生が、このように感心する。「広瀬は練習をしっかりやりながらノックとか全体練習にも多く参加してくれますし、日によっては自分がやるべきメニューを控えてでもチームのことを見てくれるんで。みんなをやる気にさせてくれるキャプテンです」
選手からの目線は監督も感じている。広瀬が最前線に立ってくれることで、他の選手も触発されているというのだ。西村はそれを「相乗効果」と評した。
「広瀬がしっかりしてくれているおかげで、副キャプテンの生田(大悟)と木下(立晴)も『広瀬ばかりにチームを任せていてはダメだろう』と成長してくれたことが、すごく大きいなと思っています」
広瀬がキャプテンを務めることで、チーム全体が俯瞰して物事を考え、実行できるようになった。3年生となった春になると、練習試合などで「今日はこういうゲームをしていこう」と意思疎通を図り、夏に向かうにつれその再現性が高くなっていく。広瀬と西村が「勝ち癖がついた」と口を揃えるように、香川大会ではノーシードながら9年ぶりに甲子園出場を決められたのは必然でもあった。
絶滅危惧種の「エースで4番、しかもキャプテン」
西村は自身が17年に監督となってから、エースで4番のキャプテンは「記憶にない」と言い、全幅の信頼を寄せる。
「もう、THEキャプテンですよね」
昭和から平成にかけては当たり前のようにいた、絶対的なチームのアイコン。令和の時代となったこの夏、広瀬は出場49チームで唯一無二の存在として甲子園に立った。そして、初戦で東大阪大柏原を相手に「守備から少ないチャンスをものにして、ロースコアで勝とう」とまとまったチームは3-0で有言実行を遂げ、大阪代表に18年ぶりの屈辱を味わわせたのである。
大阪から香川にやってきた、尽誠学園のエースで4番のキャプテン。「日本一を掲げているので、まず1勝することができて嬉しいです」
夏の主役へ。大きすぎる弾みとなった。
14日目第1試合 日大三(西東京)-県岐阜商(岐阜) 8:00~10:31
一二三四五六七八九十計HE
日 大 三10000001024123
県岐阜商0100100000252
14日目第2試合 沖縄尚学(沖縄)-山梨学院(山梨) 11:02~13:09
一二三四五六七八九十計HE
山梨学院100021000 471
沖縄尚学10000310X 5103
👣福山高野球部の迫田守昭監督が退任、甲子園に春夏6回の名将 体調不良のため
https://news.yahoo.co.jp/articles/5a961f1052ea08da24eaf1b2bd27db21e0cd5a1d
福山高(広島)は21日、野球部監督の迫田守昭氏(79)が体調不良のため退任したと発表した。退任は7月31日付。
迫田氏は2000年に母校の広島商高、07年に新庄高の監督にそれぞれ就任し、春夏計6度甲子園に出場。22年4月から福山高の監督を務め、23年の秋季広島県大会では初めて準決勝に進んだ。
同高によると、迫田氏は7月に入って体調を崩し、学校側に退任を申し出たという。全国高校野球選手権広島大会ではベンチに入っていなかった。チームは3回戦で敗退した。
📝国民スポーツ大会の高校野球・硬式出場8校を選出 7回制で実施
https://news.yahoo.co.jp/articles/7bdc74fae9ed239b0fa66f849374021317952850
日本高野連は21日、甲子園球場内で国民スポーツ大会(9月29日~10月2日・マイネットスタジアム皇子山)選考委員会を開き、全国高校野球選手権大会で4強入りした県岐阜商、開催地・滋賀の綾羽など8校が出場すると発表した。
国民スポーツ大会硬式・軟式の部は7回制で実施される。
◇出場校
仙台育英(宮城)、山梨学院、日大三(東京)、県岐阜商、高川学園(山口)、尽誠学園(香川)、沖縄尚学、綾羽(滋賀)
◇補欠校
〈1〉東洋大姫路 〈2〉京都国際
📝0泊3日、車中泊も 背景に万博?宿高騰に悩む応援団 夏の甲子園
https://news.yahoo.co.jp/articles/9da29b271c91e1351aeb9c2d8b7b9f2c83556f2c
大阪・関西万博のにぎわいで大阪周辺のホテルの需要が高まり、開催中の全国高校野球選手権大会に影響が及んでいる。元々、インバウンド(訪日客)の増加でホテルが値上がりしていた中で、4月に開幕した万博は夏休みの8月は来場者が増えてホテルの空き部屋は少なく、応援に駆けつける保護者や学校関係者らは頭を悩ませている。
◇「本当は泊まりたい」
「万博もあるからなのか、(宿泊先の)選択肢は少なかったですね」仙台育英(宮城)の保護者会長を務める大場久幸さんはこう語った。
3日に組み合わせが決まると、すぐに宿を探しにかかった。「空き状況や価格を考えると、選べるホテルは自然と限られた」と明かす。
宮城県から家族3人で観戦に訪れ、開星(島根)との2回戦前日の13日から、沖縄尚学との3回戦があった17日まで、大阪・梅田のビジネスホテルに宿泊した。料金は4泊で計8万円ほどだった。
宿の確保が難しく、「弾丸旅行」を敢行した人もいる。
準々決勝に進んだ日大三(西東京)のある男性保護者は、11日午後に組まれた豊橋中央(愛知)との2回戦でスタンドに駆けつけた。10日に地元を出発し、応援を終えて自宅に戻る頃には日付をまたいだ「0泊3日」の日程だった。
「万博(の影響)で安いホテルが取れないので、こちらでは泊まれていない。本当は泊まりたいですけどね」
一方で、チームと同じ宿舎に滞在できた保護者もいる。同じく8強入りした山梨学院の保護者会長、大石光泰さんがそうだ。
今春のセンバツ大会に出場した時から、ホテル側が「夏(の甲子園)は予約が取れないだろうから」と、一部の保護者分の部屋を確保してくれていた。
大石さんは「急にこちらに来ることになった人は、みんな『宿がない』と大変そうだ」と話す。
◇高まる大阪のホテル需要
阪神甲子園球場は兵庫県西宮市にある。アルプス席の保護者に話を聞くと、アクセスやホテルの多さなどを考え、滞在先に兵庫県内より大阪を選ぶとの声が目立つ。
応援に訪れる保護者や学校関係者にとって、宿泊先の確保や旅費はネックになっている。大人数になりやすいことに加え、滞在日数が勝敗に左右されるためだ。
加えて、近年はインバウンドの増加を背景に、ホテルが値上がりしている。
東京商工リサーチによると、上場するホテル運営13社(15ブランド)の2025年3月期の平均客室単価は1万6679円で、前年の同じ期間から12・6%上昇した。
中でも、大阪のホテル需要は高まっている。観光庁のまとめによると、今年5月時点の大阪府の宿泊施設の客室稼働率は81・9%で全国トップだった。
リクルートの「じゃらんリサーチセンター」の調査では、6月以降の国内旅行先として、大阪府が北海道、東京都に続いて3位となり、昨年の4位から順位を上げた。
大阪府への旅行目的は「お祭りやイベントへの参加・見物」が急上昇した。じゃらんリサーチセンターは「万博の影響があると推察される」としている。
万博の来場者数は7月は1週間あたり90万人台で推移していたが、お盆休みと重なった8月10日からの1週間は計約125万人と大幅に増えている。
◇費用削減へあの手この手
保護者だけでなく、吹奏楽部員やチアリーダーなどの生徒も、例年より宿泊先の確保が難しくなっている。
仙台育英は吹奏楽部員やチアリーダー、控えの野球部員ら計200人あまりが応援のために集まった。これまでは京都市内のホテルを確保していたが、今年は値上がりを受け、甲子園から遠くなる大津市内のホテルに2回戦から宿泊した。宿泊代を節約するため、13日夕方にバスで学校を出発し、2時間おきに休憩しながら車中泊をし、14日の2回戦当日の朝に到着した。
ある教員は「半日も車内でしたから、さすがに疲れました」と苦笑いする。
関東一(東東京)は準優勝した前回大会、応援団の宿泊場所は京都府内だったが、今年は部屋をまとめて取るのが難しく、準々決勝で勝てば、滋賀県と京都府に分かれて泊まる予定としていた。
応援団の責任者によると、決勝に進出した場合の費用は行き帰りのバス代を含め、1人あたり昨年より1万円ほど増える見込みだった。
息子や友人が甲子園でプレーする姿をアルプス席から見守る応援団。その模索はこれからも続く。
🎤「7イニング制」導入論が加速する高校野球に賛否両論 太田幸司氏「選手側向いているか」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e60fdbd4576efd90fd1847d15adf30fdb149b277
日本高野連は昨年から試合を「9イニング制」から「7イニング制」に移行する議論を進めていて、年内に結論を出す方針だ。7イニングになると、試合時間を約30分短縮でき、1日4試合の「朝夕2部制」でも終了時間が遅くなる懸念は少なくなる。
近年、日本高野連は「延長タイブレーク制」の導入や「1週間500球以内」とする球数制限など、さまざまな改革を打ち出してきた。来春から指名打者(DH)制を導入することも発表したばかり。改革の根底には、とくに投手の負担を軽減したい思いがある。日本高野連の井本亘事務局長は「試合を短く運営できるから(7イニング制を)やるわけではない。選手の健康管理など、今抱えている課題をクリアしていくのに有効な手段の一つ」と強調した。
7イニング制は野球のルールが変わるため、反対意見は根強くある。選手の出場機会が減少するリスクがあるほか、投手のノーヒットノーランなどの記録の価値が薄れるデメリットも指摘されている。
日本高野連は6月からホームページ上で、全国の加盟校だけでなく、野球ファンも対象にアンケートを実施した。9月末に滋賀県で開催される国民スポーツ大会で7イニング制が初めて試験的に導入される予定。今後の議論の行方に注目が集まる。
■太田氏「試合前ノック選択制に疑問」
「朝夕2部制」の日数を増やしたのは大いに結構だと思う。ただ、対外的なアピールを気にした取り組みばかりを導入しているようにも見える。高野連と主催者は、本当に選手側を向いて考えているのだろうか。
例えば、試合前ノック。実施の有無を選択できるようにしたという。日頃から暑い中で鍛錬している選手が試合前ノックでしんどくなるなら、もはや試合でプレーなどできないだろう。グラウンド状態の把握や守備の連係確認などの意味合いもある。選択制にすることが暑熱対策につながるとは思えない。
選手が水分補給できる「クーリングタイム」もあれこれ取り組んでいるが、まずは選手がどういう過ごし方をすべきなのか、もっと細かな指導をしてほしいと願う。
7イニング制の議論が進んでいるが、9イニング制とは戦略も勝負どころも全く異なってくる。やはり甲子園大会は9イニング制を維持すべきだと考える。(談)
📝最も遅い終了午後10時46分、応援団帰校は午前3時も ナイター高校野球の課題と現実
https://news.yahoo.co.jp/articles/f5d399a0257479665bbec51eb7d2113b1a6059c7
酷暑の中、甲子園球場を舞台に熱戦が繰り広げられている全国高校野球選手権大会は、準決勝と決勝を残すのみになった。5日に開幕した今大会は暑熱対策として、最初の5日間は午前と夕方に試合を分けて行う「朝夕2部制」が採用され、選手らからは「涼しかった」との声が聞かれた。一方、11日からは気温が上がる日中も試合が行われ、熱中症の症状を訴える選手も多く出ている。今大会の運営は実験的な意味合いが強く、国民的な人気スポーツである高校野球のあり方が問われている。
■「地面からの熱気がない」
大会本部によると、朝夕2部制の5日間、試合前にグラウンドで計測した気温の平均は30・3度。比較的涼しい試合が多くなった。その影響もあってか、朝夕2部制の15試合で12人の投手が完投。6日午後6時30分からのナイターで157球を投げた鳴門(徳島)の橋本朋来(ともき)投手は「(日中に行われた)甲子園練習は暑かったけど、夜は地面からの熱気があまりなかった」と証言した。
その半面、朝夕2部制の終了後、13日の第2試合で右ふくらはぎがけいれんした選手は「睡眠もとれ、ご飯もしっかり食べたけど、緊張もあって思うように体が動かなかった」と振り返った。五回終了時に選手が水分補給や体の冷却ができる「クーリングタイム」を実施し、ベンチ裏で10人以上の理学療法士が選手らをサポートしているが、日中に試合を行う限り、体調を崩す選手が出るのは避けられない。
今大会を通じて、大きな課題として浮き彫りになったのは、やはり時間の問題だ。8日の第4試合「綾羽(滋賀)-高知中央」は、第3試合に1時間7分にも及ぶ降雨中断があった影響で、午後7時49分に始まり、午後10時46分に終了。試合時間が確認できる第35回大会(昭和28年)以降で、開始も終了も、最も遅くなった。
大会本部は午後10時以降は原則、新たなイニングに入らずに「継続試合」とする規定にしていたが、実際は両校の意思を確認した上で、午後10時以降に延長へ突入。選手たちが宿舎に戻る時間は午前0時を回ることになり、学生スポーツには不適切な時間と言わざるを得ないだろう。
地元から駆け付ける応援団にとってはさらなる難題があった。ナイターで戦った学校の中には、応援団のバスの帰校が午前3時ごろと見込んで車中泊を計画するなど学校関係者は頭を悩ませた。
■野手の動きにも影響
出場校によってナイター設備が十分でない学校もあり、野手の動きにも大きな影響が出る。試合までの練習日も限られているため、9日の第4試合を戦った明豊(大分)の川崎絢平監督は「選手の適応能力を信じて送り出した」と語った。
ナイターではクーリングタイムを実施しなかった試合もあり、時間短縮へ試行錯誤する様子もうかがえた。大会本部は大会後に出場校にアンケートを実施し、来年以降の参考にする方針。高校球児の憧れである甲子園を舞台に1日4試合を実施する運営は厳しさを増している。
📝「大阪の高校は強いのかな、と思いましたけど…」甲子園で大阪勢が45年ぶり春夏“勝利ナシ”の衝撃…対戦相手の「大阪出身」エースが感じたリアル
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熱戦が続く夏の甲子園。その初戦で大阪代表の東大阪大柏原が敗れ、近年の甲子園をけん引してきた大阪勢が45年ぶりに春夏ともに未勝利に終わることになった。同校を破ったのは香川代表の尽誠学園。そのチームでエース、4番、主将を兼ねる大黒柱は、実は大阪出身でもあった――。
南北2校が選ばれる10年に一度の記念大会を除けば、大阪が夏の甲子園で初戦敗退を喫したのは2007年の金光大阪が最後となる。この翌年から大阪は覇権を握った。
08年に優勝した大阪桐蔭が4回、履正社が1回。この「2強」を中心に大阪が高校野球をリードしてきたと言ってもいいくらいだ。
「野球王国」大阪勢に起きた“異変”
その「野球王国」が今年、18年ぶりに初戦で姿を消した。センバツでも98年ぶりに代表を逃しており、春夏で未勝利となると1980年まで遡らなければならない。
大阪大会決勝でプロ注目の“ダブルエース”森陽樹と中野大虎を攻略して大阪桐蔭を撃破した東大阪大柏原を倒し、「大阪の異変」をクローズアップさせたのが香川の尽誠学園だ。
立役者はエースで4番、そしてキャプテンも務める大黒柱の広瀬賢汰である。大阪代表との対戦について、彼は表情を変えることなく大胆不敵に言ってのける。
「大阪の高校は強いのかな、と思いましたけど、甲子園に出るようなチームはどこも強いので特に意識はしませんでした」
初回から力任せに投げることなく、スライダーやカーブといった変化球を低めに集めることを心がけながら相手打線を封じていく。エースとしての泰然自若なマウンド捌きは、バッティングでも貫かれた。1回、2死一塁で回ってきた第1打席。相手エース・川崎龍輝の高めのスライダーを捉えライト上空に舞い上がった打球が、甲子園特有の浜風に押し戻されフェンス際で捕られてしまった。この打席で「低く、強い打球を打とう」と自分に言い聞かせたことが、5回のレフト前への2点タイムリーに繋がった。
エースで、4番で、キャプテン…大黒柱が躍動
相手の東大阪大柏原は、キャプテンでキャッチャー、本来は4番バッターと、こちらも大黒柱の竹本歩夢が、数日前の練習で左手を負傷した影響で途中交代してしまったとはいえ、6安打、無四死球の完投劇。打っても3打数1安打、2打点と4番バッターでも役割を果たした。大仕事をやってのけても、広瀬は冷静だ。
「エースで4番ということで責任はもちろんありますけど、そこにこだわりがあるわけではないです。ただチームが勝てばいい、という気持ちでプレーしています」
尽誠学園を甲子園初出場から2度のベスト4と強豪へと育てた元監督の大河賢二郎が、広瀬に“レジェンドOB”を重ねている……そう教えてくれたのは、現監督の西村太だ。
「『広瀬は宮地とかぶる』と言っていますね――」
<次回へつづく>
📝中学時代は「大阪桐蔭や履正社と戦う自信がなくて…」甲子園で故郷・大阪代表を撃破…全チーム唯一の「エースで4番で主将」が香川へ進学を決めたワケ
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甲子園で大阪代表の東大阪大柏原を倒し、大阪勢45年ぶりの「春夏未勝利」へと追い込んだ香川の尽誠学園。そのエースが、4番そしてキャプテンも務める広瀬賢汰である。
プロ入りした「かつてのレジェンド」を彷彿?
尽誠学園を甲子園初出場から2度のベスト4と強豪へと育てた元監督の大河賢二郎が、広瀬にレジェンドOBを重ねている――そう教えてくれたのは、現監督の西村太だ。
「『広瀬は宮地とかぶる』と言っていますね」
宮地克彦。1989年夏にエースで3番、キャプテンとしてチームを牽引しベスト4に進出。準決勝で仙台育英と延長10回の激闘を演じたことを記憶するファンも多い。その後はプロ入りし、西武やソフトバンクで活躍した。この年の尽誠学園の顔とも言える宮地は、大阪から香川に移って腕を磨き、成長を遂げた。36年後。尽誠学園に23年ぶりの勝利をもたらした広瀬も大阪の出身である。
なぜ地元・大阪から香川に進学したのか?
強豪ひしめく地元の高校に進学しなかった理由について、広瀬が当時を思い出す。「中学時代の実力を考えると、大阪桐蔭や履正社と戦える自信がありませんでした」
この時に所属していたチームの監督が尽誠学園のOBで、話を聞くうちに努力次第では甲子園に出場できると思えた。なにより「寮生活で自立し、自分を磨きたかった」という願望も広瀬を後押しした。広瀬はこれまでキャプテンの経験がなかったという。「性格的にはキャプテンタイプではない」と心象を明かす監督の西村は、彼にリーダーシップが備わる上でのバックボーンとなった要素について、「1年生からの積み重ねが全て」と太鼓判を押す。
昨年夏の新チーム始動時に監督と話し合い、最終的に自らの意思でキャプテンになることを決意した広瀬はピッチャーである。野手とは別メニューの練習が多く、試合になれば孤独なマウンドで奮闘を期待されるポジションだけに、心身の負担を軽減する意味からキャプテンになるケースは少ない。それでも広瀬は、大役を引き受けた。
「キャプテンになって最初のほうは忙しかったけど、みんなと一緒にできる練習時間が増えていったんで楽しかったです」
エースで4番という立ち位置が、あるいはキャプテンの仕事を効率的にさせたのかもしれない。西村が「全体練習では基本的にどのメニューをやるかを任せている」という。そのなかで広瀬が重点的に加わったのが、シートバッティングなどの実戦形式である。
投打でチームプレーを養うことで、場面ごとに自分が求められている役割が自覚できる。その過程で、キャプテンとしてもしっかりと舵取りをすることでチームワークも高まる。チームメイトは「みんなをやる気にさせてくれる」
広瀬とバッテリーを組むキャッチャーの鎌田蒼生が、このように感心する。「広瀬は練習をしっかりやりながらノックとか全体練習にも多く参加してくれますし、日によっては自分がやるべきメニューを控えてでもチームのことを見てくれるんで。みんなをやる気にさせてくれるキャプテンです」
選手からの目線は監督も感じている。広瀬が最前線に立ってくれることで、他の選手も触発されているというのだ。西村はそれを「相乗効果」と評した。
「広瀬がしっかりしてくれているおかげで、副キャプテンの生田(大悟)と木下(立晴)も『広瀬ばかりにチームを任せていてはダメだろう』と成長してくれたことが、すごく大きいなと思っています」
広瀬がキャプテンを務めることで、チーム全体が俯瞰して物事を考え、実行できるようになった。3年生となった春になると、練習試合などで「今日はこういうゲームをしていこう」と意思疎通を図り、夏に向かうにつれその再現性が高くなっていく。広瀬と西村が「勝ち癖がついた」と口を揃えるように、香川大会ではノーシードながら9年ぶりに甲子園出場を決められたのは必然でもあった。
絶滅危惧種の「エースで4番、しかもキャプテン」
西村は自身が17年に監督となってから、エースで4番のキャプテンは「記憶にない」と言い、全幅の信頼を寄せる。
「もう、THEキャプテンですよね」
昭和から平成にかけては当たり前のようにいた、絶対的なチームのアイコン。令和の時代となったこの夏、広瀬は出場49チームで唯一無二の存在として甲子園に立った。そして、初戦で東大阪大柏原を相手に「守備から少ないチャンスをものにして、ロースコアで勝とう」とまとまったチームは3-0で有言実行を遂げ、大阪代表に18年ぶりの屈辱を味わわせたのである。
大阪から香川にやってきた、尽誠学園のエースで4番のキャプテン。「日本一を掲げているので、まず1勝することができて嬉しいです」
夏の主役へ。大きすぎる弾みとなった。