自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」

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紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
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編集済
⚾明日の熱闘甲子園組み合わせ(14日目 準決勝)
    08:00~ 日 大 三-県岐 阜商
    10:30~ 沖縄 尚学-山梨 学院

📝持丸修一 77歳名将の高校野球論
収束不可能な「広陵事件」の大炎上には正直、苛立ちに近い感情さえ覚えます
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/376276https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/376276

現在開催中の甲子園。参考になった戦術などについて書くつもりでしたが、やはり「広陵問題」に触れないわけにはいきません。

報道によれば、ことの発端は1月。寮内で集団暴行が発生し、3月上旬には高野連から厳重注意の処分が下されました。同月末、被害生徒は転校。春季大会を経て迎えた今夏、広陵は広島大会を勝ち進み、甲子園切符が見えてきたタイミングで、被害生徒の保護者(とみられる人物)がSNS上で声を上げた。

日を追うごとに波紋は広がり、インターネット上では広陵への非難が殺到することに。収拾がつかないまま甲子園初戦に臨み、旭川志峯(北北海道)を撃破したことでますます炎上。その3日後、前代未聞の大会途中辞退を発表しました。一連の騒動で一般生徒が付きまとい被害に遭い、学校には爆破予告まで届いたそうです。バッシングはいまだ収まる気配がありません。 
これが大まかな流れですが、私は声を大にして言いたい。「みなさん、一度、冷静になってくれ!」と。

現状にフォーカスすると、本件にまったく関係のない人たちも便乗して「主犯格は〇〇」「あんなことを聞いた」などと、火に薪をくべています。その結果「真偽不明の情報まで、あたかも“事実”のように扱われ、選手はおろか一般生徒まで被害を受ける」という最悪の事態に発展しているではありませんか。

やり玉に挙げられている事柄が必ずしも正しいと限らない。その視点すら持たず、第三者が寄ってたかって広陵を叩く様子に、ネット社会の弊害を痛感しています。正直、苛立ちに近い感情さえ覚えるほどです。 

ただ、勘違いしてほしくないのは、私に事件を矮小化する意図は一切ないということ。広陵の対応には首をかしげます。実際には何が起きていたのか分かりませんが、被害生徒が存在するのは事実。それならば原因と真相を徹底的に追及し、誠心誠意、被害生徒に向き合い、納得できる形で厳正に処罰すべきでした。禍根を残す形で終わらせてしまったから、このような事態を招いたのです。すべての対応が後手に回り、周囲を巻き込みながら全員が不幸になりました。

さらに言うと、甲子園の途中辞退は「生徒を守るため」という理由だそうですが、もともと出場に際し、「問題はない」という信念があったのでしょう? それを覆してしまったことで“疑惑”を深めることになってしまった。一貫性が欲しかったと、残念な気持ちです。

ここ数日、広陵の話題を振られることがありましたが、「真相がわからないから、その話はやめてくれ」とシャットアウトするようにしていました。それでもこの状況には物申したかった。この場を借りて声を上げさせていただきました。

今回の一件で、寮生活の負の側面が露呈しました。私自身、寮のある常総学院で指導した経験があります。次回の当コラムでは、「寮」について思うことを忌憚なくお話しするつもりです。

📝一塁フライを「ヘディング」→味方の好捕でアウト 夏の甲子園で本当にあった珍事3選
https://news.yahoo.co.jp/articles/e482e73eac61aad0679b746978d8c61ef60ef674?page=1

8月5日から第107回全国高校野球選手権大会が開幕する。連日猛暑のなか、熱戦を繰り広げている球児たちだが、時には思わぬ珍プレーや珍事が起きることもある。過去の甲子園大会で本当にあった思わずビックリの珍エピソードを紹介する。

かつての中日・宇野勝の珍プレーを思い出させるような“ヘディング・プレー”が見られたのは、昨夏の1回戦、小松大谷対明豊だ。
3対3の5回1死、明豊の5番打者・石田智能が一塁方向に高々と飛球を打ち上げたことが、きっかけだった。

落下点に入った小松大谷の一塁手・胡摩結月が捕球を試みたが、ミットに触れたにもかかわらず、捕球に失敗し、ボールを自身のおでこに当ててしまう。跳ね返ったボールは宙を舞って落下しはじめたが、胡摩は行方を見失っている様子。テレビ中継の実況アナも思わず「ああ、ああ、ああ、ああ」と声を漏らし、緊迫した空気が流れた。
だが、直後、胡摩の後方で待機していた二塁手の石浦慈人が慌てることなく、地面に落下する寸前に前傾姿勢でキャッチ。「捕りました!」とばかりに、ボールを持った右手を高々と上げてアピールする姿にスタンドから大拍手が送られたのは言うまでもない。

守備でナイスフォローを見せた石浦は、打者としても1点を追う7回無死一塁でバント安打を記録し、次打者・田西弥の右越え2点タイムリー三塁打で逆転のホームイン。8回にも2死二塁から追加点を呼び込む右前安打を放つなど、攻守にわたる活躍で、出場3度目の同校の甲子園初勝利に貢献した。同年は1月1日に最大震度7の能登半島地震が起き、被災地にある能登高と合同練習を行った小松大谷ナインは「彼らの分までやる」と強い決意で甲子園に乗り込んできた。

珍プレーを好プレーに変えたチーム一丸の勝利に、逆転打を放った田西も「勇気と元気を与えられたと思う」と感無量だった。

スコアボードの校名表記が試合途中で変更された直後、“校名効果”とも言うべき鮮やかな逆転劇が見られたのが、1986年の1回戦、宇都宮工対桐蔭だ。
59年に大井道夫投手(元日本文理監督)を擁して準優勝して以来、27年ぶりの出場となった宇都宮工は、地元では「宇工」と呼ばれているが、甲子園のスコアボードの校名は当時3文字までしか入らなかったため、「宇都宮」と表記された。

ところが、テレビ中継を見ていた栃木県民から「『宇工』に改めてほしい」という要望が殺到したことから、試合中にもかかわらず、「宇工」に変更された。
この時点で宇都宮工は0対2とリードされていたが、直後の4回に無死二、三塁から連続スクイズ(記録はいずれも一塁内野安打)で同点に追いつくと、7回にも連打で無死一、三塁から荒川豊のバットを短く持って叩きつける“技あり”の三塁内野安打で勝ち越し。まさに“ご利益”とも言えそうな逆転勝ちを収めた。だが、実際に逆転劇をもたらしたのは、27年前に大井投手と準優勝バッテリーを組んだ猪瀬成男監督の檄だった。

3回の攻撃が始まる前の円陣で、「お前ら甲子園に何しに来たんだ。勝つために来たんだろう。オレは今日(負けて)絶対に栃木には帰らんぞ」と宣言した。
この言葉に発奮したナインは、数少ないチャンスを確実に得点に結びつけ、エース・田宮真二も7回を除く毎回の13安打を浴びながらも、粘りの投球で2失点と踏ん張った。
終始桐蔭に押されながらも、相手に食らいつく“ピラニア野球”で27年ぶりの白星を手にした猪瀬監督は試合後、「甲子園勝利の味は格別です」と選手以上に喜んでいた。

1990年、スコアボードに8つの「1」を並べる珍スコアを実現させたのが、日本ハム・新庄剛志監督の母校・西日本短大付だ。前年、1番打者・新庄がサイクル安打を記録しながら福岡大会決勝で敗れた悔しさをバネに、4年ぶり2度目の夏の甲子園出場を決めた同校は、初戦(2回戦)で、富山県代表の桜井と対戦した。

1回表は先頭打者が出塁しながら無得点に終わったが、2回にスクイズで1点を先制すると、3回にも木附貴雄の左越えソロで加点。4回は犠飛、5、6回はタイムリー、7回には木附のこの日2本目の左越えソロで1点ずつを加え、8回にも木附のタイムリー二塁打で7対0と突き放す。
さらに9回にも四球と2安打で無死満塁と大量得点のチャンスをつくるが、押し出し四球の1点にとどまった。この結果、2回から9回まできれいに8個の「1」を並べて8対0の完勝。同校にとって春夏通算3度目の甲子園でうれしい初勝利となったが、もし初回に1点が入っていれば、スコアボードは上半分がオール1、下半分がオールゼロという超レアなスコアになっていただけに、マニアの間で「惜しい」の声も出た。

ちなみに西日本短大付は、次戦の宇部商戦でも、1回から9回まで00200200(後攻のため、9回裏はなし)という規則正しいスコアを記録。準決勝で優勝した天理に4対5と惜敗したが、甲子園の通算4試合で記録したイニング別の得点は、「1」と「2」しかなかった。

今年も高校時代に新庄監督と同級生だった西村慎太郎監督の指揮の下、2年連続の“甲子園切符”を手にした同校。スケジュールが合えば、昨夏同様、スタンドに新庄監督が現れるサプライズも期待できそうだ。

💢「ワシらの時はこんなもんじゃなかった」 暴力を受けた部員に中井監督が漏らしていた“本音” OBらが明かす広陵高校野球部のパワハラ体質
https://news.yahoo.co.jp/articles/6091d05cbdfa231a7b62a7ea6984e02b30ad9c27?page=1

夏の甲子園で大会途中に出場を辞退した広島代表の広陵高校。前代未聞の事態を引き起こしたのは、SNSで立て続けに拡散した「知られざる不祥事」だった。屈指の強豪校で、長きにわたって“君臨”する指揮官の光と影に迫る。

熱湯をかけられ、性器を触られ……
 
広陵は春夏通算で甲子園出場53回、全国制覇3回(いずれも春)の言わずと知れた名門。が、コロナ禍でのチーム感染によるケースを除き、大会期間中の出場辞退は春夏通じて初めて。高校野球史上に残る不祥事となってしまった。

そもそも一連の騒動の発端は、今年1月に野球部の寮で暴力を受けた元生徒の保護者が、7月下旬になってSNS上でその経緯を投稿したことだった。

「そこでは、寮で禁止されているカップ麺を食べたことを複数の先輩からとがめられ、息子が激しい暴力を受けたとつづられています。息子はいったん寮から自宅へと逃げ、“10人以上の上級生に囲まれて『死ぬほど』殴られ蹴られた”と保護者に明かしたという。後日、保護者に連れられて寮に戻るのですが、そこで面談した中井哲之監督(63)から『うそはつくなよ』『(高野連に報告して)2年生の対外試合なくなってもいいんか』などと“恫喝”されたとも記されています」(スポーツ紙デスク)

さらに、「7日に拡散した元部員による実名告発でも、今大会に出場した3年生の主力メンバーらの実名が加害者として挙げられています。熱湯をかけられたり性器を触られたりしたといった内容で、こちらも県警に被害届が出されているとのことです」(同)

また、この中では、「中井監督や、その息子で現在部長を務める惇一氏(30)らが、生徒に暴力を振るうところを目撃したとも記されていたのです」(同)

「“中井王国”と言っても過言ではない」
 
1月の事案で広陵側から調査報告を受けた広島県高野連では、堀正和校長が副会長に就いていた。そのため今回、SNSでは“隠蔽(いんぺい)があったのでは”といった臆測も乱れ飛んだのだが、

「堀校長自身が20年以上前、中井監督の下で数年間、部長を務めており、広陵の実力者はあくまで監督。現在は部長である長男と共に“中井王国”と言っても過言ではありません」

とは、県内のさる野球関係者である。中井監督は1990年4月に27歳で母校・広陵の監督に就いて以降、35年間指揮を執り続けている。中井監督が内野手として甲子園に出場した当時の指揮官で、後任を中井監督に託した松元信義氏が言う。

「昔の中井ならいざ知らず、今は暴力などあり得ないと思います。ただし、現在も150人以上が寮生活を送っていると聞いています。ある程度、規則を厳しくしなければ部はまとまらなくなるでしょう」

中井監督が漏らしていた“本音”
 
実際に91年3月に卒業した元部員の父が言うには、「中井監督は、怒ったり褒めたりのメリハリがある方でした。練習中に生徒がミスをするととにかく怒り、延々とノックを受けさせていた。当時は監督も若かったから“ケツバット”もありましたし、練習中に水を飲んだ子も怒鳴られていました」

その3年後に卒業した元部員も、こう明かすのだ。

「私たちの代は、事あるごとに『広陵始まって以来の弱小チーム』と中井監督から言われており、特に厳しく指導されました。監督は当時、寮に週2〜3日寝泊まりしていて、スリッパで廊下を歩く独特の足音を聞くと『今夜は泊まるんだ』と恐れたものです。私自身、複数の上級生に暴力を受けましたが、ある時、監督は『お前ら、先輩からどれだけシバかれてしんどい思いしているか知らんけれど、ワシらの時はこんなもんじゃなかった』と漏らしたことがあります。そういう試練に耐えて若くして監督に就き、そのまま広陵の“伝統”を継承していったのでしょう」

その監督の元を訪ねると、代わって夫人が、「学校の顧問弁護士が対応しており、記事に書かれるから一切お話しするなと言われているのです」

さらに「中井王国」について堀校長に尋ねたところ、「本校なりの回答をしていこうと思います」

そう言うのみ。当の学校はといえば、「今般の多くのご指導を受けて、硬式野球部の指導体制の抜本的な見直しを図るべく検討をしております」

先の会見で、堀校長は中井監督について「当面は指導から外れてもらう」と明言したものの、解任となる可能性は低いという。

📝全国に先駆けて7イニング制を導入 宮崎県の高校野球新人戦が開幕 選手や関係者の反応は?
https://news.yahoo.co.jp/articles/3d35a5da922bff58c9949f3358961c30ee116eaf

甲子園では熱い戦いが続いていますが、宮崎県内はすべての学校で新体制となり、19日は最初の公式戦となる新人戦が開幕しました。

今大会で、全国に先駆けて導入されたのが、いま、議論されている7イニング制、つまり、7回で試合終了となります。実際に試合を行った選手たちや関係者の反応を取材しました。

19日、開幕した高校野球の県新人大会。1試合目は佐土原と宮崎西が対戦し、7イニング、およそ1時間50分で試合は終わりました。
県内3地区で開かれる今年の新人戦で初導入された7イニング制。県高野連によりますと、公式戦での7イニング制は全国でも初めてだということです。

7イニング制の導入を巡っては、部員数の減少や選手への負担軽減の観点から、今年1月、日本高野連が検討会議を発足し、議論が進められています。

(宮崎県高野連調査研究委員会 山本和雄委員長)「非常に重要なターニングポイントにきている。まずは経験しないと架空の理論になってしまうので、まず、身をもって経験することによって、説得力のある具体的な意見が言えるようにしようという取り組み」

実際に7イニングの試合を経験した選手たちは。

(宮崎西 上田吏矩主将・2年)「高校では初めてで、短いと思った」
(佐土原 櫻田陸斗主将・2年)「あまり疲れない。もう1試合いけそう」
(佐土原・先発投手 秋鷹空雅選手・2年)「自分の良さを出していきたいので、9回の方が良い」

一方、保護者や監督は。

(宮崎西の保護者)「(9回まで)見たかった。本音を言うと、見たかった」
(佐土原の保護者)「うちの子は抑え投手で出ることが多いので、前回(7イニングで行った試合)は出られないまま終わってしまい、悔しいので9回がいいなと思う」
(宮崎西 横上聖司監督)「人数が少ないので、ピッチャーの起用というところでは、多少、負担は軽減されていると思う」
(佐土原 冨永圭太監督)「終盤で試合が動くことが多い。それがなくなると捉えるのか、それとも、それが6回、7回にやってくるのか、実際にやってみることで、色々見えてくると思う」

100年以上続く「9イニングの高校野球」は今後どうなるのか?

県高野連は大会後に各校からの意見を集約し、日本高野連に伝える方針です。
秋の宮崎県大会は従来通りの9イニング制で行う一方、今年の滋賀国スポでは7イニング制が導入され、今後の議論に生かしていくことになっています。

💢半身麻痺に肉をえぐる暴行…相次ぐ広陵OBの証言「教育は愛なり」の精神は崩壊、学校存続の危機
https://news.yahoo.co.jp/articles/4a5f0afb0e6162fef0a8dd18b17c85465d8ab30c

“教育は愛なり”──(学校公式サイトより)。

凄惨ないじめ、犯罪的な暴行、そしてそれらの隠蔽は、そんな建学の精神を持つ学校で起こっていた。

甲子園途中辞退、広陵高校のいじめ告発

「現在開催中の夏の甲子園で、広島県からは広陵高校が出場。7日に1回戦を戦い、北北海道の旭川志峯高校に勝利し2回戦に進みましたが、異例となる大会途中での“出場辞退”。広陵野球部内での“いじめ”が、大会前から告発されていました」(スポーツ紙記者)

本件の発端は、1年生部員が寮の規則で禁止されていたカップラーメンを食べ、それにより上級生から暴行を受けていたことを被害者の親がSNSで告発したこと。

「いじめは、身体的な暴行だけでなく、金銭の要求などまであったと報じられています」(前出・スポーツ紙記者、以下同)

告発はSNSで拡散され、広陵高校に対して批判の炎が燃え広がった。1回戦から3日後の8月10日、広陵高校校長より出場を辞退する表明がなされた。

「部内のいじめは今年の1月に起こっており、それにより3月に高野連から厳重注意を受けていたことを校長が明らかにしました。校長は“事態を重く受け止め”出場を辞退し、指導体制の見直しをはかると説明。出場辞退を説明する会見で校長は、SNS上で部員に対しての誹謗中傷が起こっており、“人命を守ることが最優先”とも説明。問題を“SNSのせい”にするかのような説明はさらなる批判を生んでいます」

広陵高校野球部のいじめ問題は、本件の被害者に対してだけのことではない。

「今回明らかになったいじめ問題を受けて、別の広陵高校野球部OBも告発。10年前に先輩部員より暴行を受け、右半身麻痺の診断を受けたと週刊誌の取材に答えています」

広陵高校野球部内でのいじめは40年前にも起こっており、それを告発している者がいる。広島・阪神で活躍した元プロ野球選手の金本知憲だ。

「広陵OBの金本さんは'09年に出版した自著にて、肉がえぐれるほどスパイクで踏みつけられたことなどを記しています。それに抵抗したい気持ちはあったけれど、抵抗したらさらにやり返されてしまうので耐え忍んでいたとも……」

金本は先輩からの暴行だけでなく、当時の監督から“嘘”をつかれ、志望する大学に進学することができなかったことも告白している。

「金本さんのときと今の広陵は監督が違いますが、その“所業”は変わらずで……。今回大きな問題となったいじめを受けた被害者は、監督から“高野連に報告したほうがいいんか?”、“2年生の対外試合がなくなってもいいんか?”などと脅しのように詰め寄られたとのことです」

広陵高校野球部の“悪しき伝統”
 
広陵高校野球部の“悪しき伝統”が次々に白日の下にさらされている。

「野球部ではなく、学校として広陵高校は9月6日に“オープンスクール”を予定していましたが、“諸般の事情により”中止することを発表しました」

広陵高校は公式サイトにて、《本校ホームページにアクセスしにくい状態の中で、お申込みにもご苦労されただろうと拝察いたします。それにもかかわらず、このような決定に至りましたことを、心よりお詫び申し上げます》と謝罪。

「正直、サイトへのアクセスがどうのというより、部内にいじめの伝統が残り、指導者すらそれに加担する。それが数十年も受け継がれている。野球部に入らないとて、そんな学校に行きたいと思う学生は少ないでしょう。校長など学校側の説明も、SNSのせいにしたいような口ぶりで首をかしげるものですし。このままでは野球部の存続以上に、学校自体の存続の危機にあるといってもいいかもしれません」

本件の被害者生徒はいじめを受け、広陵高校より転校している。

青春は二度と戻らない。学校側は今からでも被害者に適切に対応することが、学校の“今後”として唯一できることだろう。それができずに何が“教育”、何が“愛”か──。

📝《“美談”か“酷使”か》甲子園「先発完投エース」70年史 板東英二、柴田勲、荒木大輔、松坂大輔、斎藤佑樹、吉田輝星…記憶に残るスターはもう誕生しないのか
https://news.yahoo.co.jp/articles/a3c08a4e4e2e98977d3a8f274318c2c6b2a7a12e

灼熱のマウンドにただひとりで立ち続け、精根尽き果てるまで白球を投じる──いわゆる「先発完投型のエース」は影を潜めてきている。投球障害予防の観点から、継投策が主流となっているからだ。しかし、高校野球の歴史に輝く背番号「1」のエースは、ひとりで投げ抜いた鉄腕が少なくない。

1958年夏の準々決勝で魚津(富山)と対戦した徳島商業の板東英二は、延長18回を投げ抜いたあと、翌日の再試合にも登板して勝利を収めた。決勝で敗れはしたものの、大会を通じてマークした83奪三振の記録は現在も破られていない。

1年夏から4度にわたって甲子園のマウンドを踏んだ法政二の柴田勲や、1980年代に甲子園に出場した早稲田実業の荒木大輔は爆発的な人気を博した。荒木にあやかって名付けられた横浜の松坂大輔や、早実の後輩となる斎藤佑樹も、大会をほぼひとりで投げ抜いて深紅の優勝旗を手にした。2018年には吉田輝星が秋田大会初戦から甲子園決勝までマウンドを守り続けた。通算1517球もの球数を投じて起こした、金農旋風は記憶に新しい。

一方、ひと夏の酷使でその後の野球人生を狂わせた者もいる。1991年出場の沖縄水産の大野倫は、決勝までの6試合で773球を投じ、36失点しながらもマウンドに立ち続けた。しかし代償として、大会後に右ヒジの疲労骨折と診断された。決勝の大阪桐蔭戦が投手として最後の登板機会となった。

先発完投型のスターは吉田以来現われていない。その要因はふたつある。まずは2019年夏に起きた“事件”の影響だ。「令和の怪物」こと佐々木朗希を擁する岩手県立大船渡の國保陽平監督(現・盛岡白百合学園教諭)は、大黒柱の疲労とケガのリスクを考慮して、甲子園の切符が懸かった決勝で佐々木の起用を回避した。同校にとって35年ぶりの甲子園出場よりも、一個人の将来を選択した指揮官の選択は物議を醸した。これを機に特定の投手を酷使するような指揮官は批判にさらされるようになる。

要因のもうひとつは2021年春のセンバツから導入された「1週間に500球以内」という球数制限だ。指揮官はスケジュールや投手の球数を頭に入れながら戦うことが求められるようになった。

今夏の選手権大会に出場する49校のなかで、地方大会をひとりの投手で勝ち抜いた学校はない。記憶に残るエースは今後、生まれないのだろうか。
2025/08/20(水) 22時11分08秒 No.1964 編集 削除