自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」
👣独立Lで9回裏リクエストから判定覆りサヨナラ負けの珍事 滋賀・日下部監督は人生初の投手、DHと“三刀流”
https://news.yahoo.co.jp/articles/2ace916d4cf7849573334380aa345c5d1348249a
◆野球日本海リーグ 富山8―7滋賀(22日、高岡西部)
リーグ準加盟の滋賀ハイジャンプスは、7―8で富山GRNサンダーバーズにサヨナラ負けを喫した。7―7の9回裏の守備では、1死満塁での中飛に対して三塁走者がタッチアップ。ホームで刺して引き分けのゲームセットとなったが、富山が映像によるリクエストを要求。判定は覆ってセーフでサヨナラ負けとなった。9回は4得点を挙げて追いついていただけに、選手たちのショックは大きかった。
合後、内野手兼任の日下部光監督(29)は、選手を集めて長いミーティングを行った。最後の送球がわずかにそれたことを指摘し「新しく出来たチームなので、公式戦で得るものは大きい。タッチプレーの送球については、キャッチボールからしっかりと向き合っているのかと再確認しました」と振り返った。
滋賀は昨年秋に創設し、初代監督にはNTT西日本、BCL群馬、関西独立L、九州アジアLでプレーしてきた日下部が選手兼任で就任した。社会人からNPB入りを目指してきたが、悩んだ末に一区切りを付けたという。「30歳近くまで独立リーグでプレーすることに賛否両論はあると思うが、自分が辞めると伝えられない経験もある」と決断。ゼロから始まるチームという意味を込めて背番号0を背負い、チームの指揮を執りながら遊撃手や二塁手、指名打者として奮闘している。
投手事情も苦しい状況の中、選手からの要望を受け、この日は指名打者として打席に立ちながら人生初のマウンドに上がった。先発投手として2回までは無失点に抑えたが、3回は1安打3四死球1失策などで5失点を喫して降板。「初めてのピッチャーだったが手応えはあった。フィールディングのミスがなければ2失点に抑えられた。覚悟を決めて投げたが、甘くはなかったですね」と監督、指名打者、投手の初“三刀流”を振り返った。
毎日の練習は午前中に3時間行い、午後は各自がスーパーなどで働いている。野球と仕事を両立させる苦労もあるが「1人1人の表情は充実している。準加盟の今年は、勉強の1年だと思っています」。地道に努力を重ねながら来年の正式加盟を目指す。
💢高校野球の名将に謹慎処分 選手に暴言
https://news.yahoo.co.jp/articles/0c93094fc430d7b33b8e452786ba8ab1e9f0f21d
高校野球で春夏あわせて11回、鳴門高校を甲子園へ導いた森脇稔監督が、選手に暴言を吐いたなどとして、3か月間の謹慎処分を受けました。
鳴門高校などによりますと、森脇稔監督64歳は2025年5月、試合中のミスを選手同士が指摘しなかったなどとして、部員に対し「あほ」「ぼけ」といった暴言を吐いたということです。
また、1年前にも練習中、態度が悪いとの理由で部員の腹を手で押し、頭を帽子ではたいたということです。
部員からの申し出を受け、学校側が聞き取りをおこなって明らかとなりました。
森脇監督は85年から95年までと2007年以降、鳴門高校を率い、春夏あわせて11回、甲子園出場を果たしていて、事態を受け森脇監督は「迷惑をかけ申し訳ない」と話しています。
鳴門高校は、7月の県大会は岡田将和部長が監督を務めることとし、再発防止に向けたハラスメント研修などを行うということです。
📝「風評被害はありました」全校生徒89人“ナゾの新設校”エナジックで甲子園出場…神谷嘉宗監督とは何者か?「ケツバットで野球部を辞めた」意外な経歴
https://news.yahoo.co.jp/articles/bc3a6e666be17c456674802912957af9ca3764b9?page=1
春のセンバツに出場し、風変わりな校名や「ノーサイン野球」で注目を集めたエナジックスポーツ高等学院。春夏連続での甲子園出場を目指す同校の“現状”とは? 現地・沖縄県名護市で神谷嘉宗監督(70歳)に話を聞いた。
“理不尽なケツバット”で芽生えた反骨心
史上最も早い6月8日に梅雨明けした沖縄では、夏の甲子園の県予選が14日から始まった。群雄割拠時代に入った沖縄で優勝候補筆頭に挙げられるのは、沖縄尚学、興南といった常連強豪校。そして、春のセンバツに出場したエナジックスポーツ高等学院だ。
センバツでのエナジックの登場は革新的だった。横文字の高等学校であることに加え、ノーサイン野球で1勝を挙げたことでも話題を集めた。高校野球界にどのような新風を吹き込むのか、注視すべき高校のひとつとも言える。エナジックは現在全日制と通信制の併置校であり、全校生徒数は全日制83人、通信制6人の計89人。内訳として野球部は全員全日制で57人、ゴルフ部14人、陸上部10人、卓球部5人、ボウリング部2人、一般生1人となっている。
エナジックを率いるのは、沖縄県内で史上初めて3校での甲子園出場を達成した神谷嘉宗監督だ。センバツ2回戦ではサングラスとマスクで完全防備した剣呑な姿でも注目を集めた神谷は、かつて関係者の間で“悲運の名将”と呼ばれていた。
「なかなか甲子園に行けませんでしたからね。1981年から八重山高校で監督をやらせてもらってますが、その時代から『根拠があるときは、サインはどんどん無視していいから』と言ってました。やはりグラウンドに立っている選手にしかわからない間や、一瞬のスキを察知できませんのでね」
ゆっくりとした口調で朗らかな笑みを浮かべる神谷の野球人生は、まさに数奇と言ってよい。沖縄中部の読谷で生まれた神谷は健康優良児として育ち、学童野球、中学野球で抜群のセンスと運動神経を発揮。サードで四番のキャプテンとして活躍した。当然、読谷高校でも野球部に入る予定だったが、野球部に所属していた2つ上の兄から「自分が引退するまでやめとけ」と言われ、入部を断念したという。
1970年代当時は上下関係が異常に厳しく、“説教”という名の理不尽なシゴキが日常茶飯事だった。どこの部にも所属しない神谷だったが、体育の授業などで運動神経の良さを見せたことで、その才能を埋もれさせてはいけないと周囲が説得を重ね、夏を過ぎた頃に野球部に入部する。
「入部してすぐに四番・サードで使われました。でも、いきなり試合に出たからなのかわからんけど、納得のいかないケツバットをされた。『なんでやられないといけないの? 』と思って辞めました」
こうした理不尽な仕打ちによって、前途ある有望な選手が全国でどれだけ辞めていったことだろうか。神谷もそのうちのひとりで、結局3カ月で野球部を退部した。
「神谷さん、甲子園出られないね」
神谷が本領を発揮したのはここからだった。その運動能力に目をつけていたバレー部の監督がすぐに勧誘し、未経験にもかかわらず持ち前の運動能力の高さによって1年生大会で活躍。春高バレーでベンチ入りし、2年時にはインターハイにも出場した。3年時は予選で準決勝敗退したため、今度はラグビー部に駆り出されてフランカーとして九州大会に出場。まるでアメリカンハイスクールの有望アスリートのような高校生活を送った。他の競技で活躍した神谷だったが、野球への情熱を失ったわけではなかった。
「中学1年生のとき、68年夏の甲子園で初めてベスト4に進んだ興南旋風を目の当たりにしたことで、高校野球の指導者になりたいと夢を抱きました。体育の先生になって、高校野球の監督になろうと」
琉球大学教育学部を卒業後、宮崎県都城東高校の野球部長を2年務め、沖縄に戻って八重山高校の監督に就任した。その後、1985年には前原高校、90年には中部商業に赴任。中部商業時代は秋季九州大会に3度出たものの、センバツ出場にはあと一歩及ばず。2001年の夏はエースの糸数敬作(元日本ハム)を擁して県大会決勝に進むが、3対0で宜野座に敗退した。
翌02年より浦添商業に転勤するも、その年の夏の甲子園には春まで指揮を執っていた中部商業が出場。この頃から、県内では神谷を“悲運の名将”と呼ぶようになった。浦添商業では05年、07年にも夏の決勝に進むも、それぞれ沖縄尚学、興南に敗退。甲子園は近いようで遠かった。
「07年は決勝で1対1のまま延長に入った。押していたんだけど、雷が落ちて再試合になっちゃいましてね。横浜の部長だった小倉(清一郎)さんからは『神谷さん、甲子園出られないね』と言われました(笑)」
しかし08年夏、浦添商業は好投手の伊波翔悟(元沖縄電力)を軸についに沖縄大会を制した。監督歴28年目にして初めての甲子園に出場し、ベスト4まで進出。12年には美里工業に転勤となるも「3年以内に甲子園に出場します」と公言し、公約通り14年のセンバツに出場。“悲運”という冠がようやく取れた。
「本土の高校に誘われました」なぜ新設校の監督に?
話は振り出しに戻る。公立高校の中部商業、浦添商業、美里工業の監督として県内で一時代を築いた名将・神谷が、なぜ新設校のエナジックに行くことになったのか。
「定年してから、本土の高校に誘われました。コーチだったら行こうと思っていたんですけど、本土で監督をやる自信がなかったですね。だって地盤がないですから。じゃあ沖縄から選手を連れて行くのかってなっても、そこまでして向こうでやろうとは思わない。そんなとき、エナジックが4月から高校を作るという新聞記事を見たんです。2021年の2月でしたかね。社会人野球のエナジックに行っている教え子がいたものですから、彼に内情を聞いたところ、自分が野球部の監督候補になっていると知りました。そうした縁が重なって、8月に野球部監督に就任しました」
60歳での定年後、5年の再雇用によって美里工業で監督を続けた神谷が、県内の公立高校でふたたび監督をやれる可能性は低いと考えた。そんなときに、エナジックが高校を作るという記事を見て興味を抱いたのだ。
「新設校だし、一から作る大変さはあるけど、逆に面白さもやりがいもある」。持ち前のポジティブシンキングで選手勧誘に奔走した。
新設校のリアル「風評被害はありました」
しかし、出だしは決して順風満帆ではなかった。「まだ学校もできていない、グラウンドも整備されていない、通信制課程からスタートしたエナジックに対しての風評被害はありました。SNSでもつぶやかれていました。こっちが言って止まるものじゃないですから。要は僕らがきちんとやっていればいいんです。昔から高校野球っていうのは、新鋭校が出ようとすれば足を引っ張る人がいるんですよ。強豪校は強豪校の流れがあるし、こっちが選手を勧誘しようとすれば、ライバル校が横槍を入れる。そんなことは昔からあるもんです。資本主義社会である以上、他の世界でも似たり寄ったり。仕方ないでしょう。だから我々は、きちんと生徒たちを教育して、生徒と保護者と学校が三位一体でうまく回っていれば、外部の声はそんなに気にすることはありません。気にしてもしょうがありません」
新しいものが突出しようとすると、周りが抑えにかかる。その摂理は高校野球でも変わらない。
沖縄には「いちゃりばちょーでー」という言葉がある。一度会えばみな兄弟、といった意味合いのウチナーグチ(沖縄方言)だ。人との繋がりを大事にし、みんなで文化、伝統を大切にしていく――それ自体は素晴らしいことだろう。しかし、みんなで仲良く一緒にやろうとする気持ちが強いばかりに、誰かが抜きんでてしまうと、それを抑え込もうとしたりパージしたりする力学が働くこともある。
神谷はエナジックで監督をやるハードルの高さを最初から承知していた。新設校ならどこにでもあることだと楽観的にとらえて、あえて美里工業時代と同じく「3年で甲子園に出ます」と壮大な公約を掲げた。不可能にも思えたその公約は、2025年春のセンバツで果たされることになる。
📝「野球部は1学年18人の少数精鋭」沖縄・エナジックスポーツ高の“秘密”「なぜノーサイン野球?」神谷監督70歳の哲学「SNSやYouTubeも否定しない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/fc98ef7ff0654a7a37a90d25db6a4eaa4112e90e
「廃校になった小学校を再利用」エナジックのいま
沖縄自動車道を北上した終点・許田のインターを降りると、エメラルドグリーンの海が視界に飛び込んでくる。そのまま名護市街へと向かわずに、鬱蒼とした山林を切り開いた名護横断道路を走っていくと、かつて漁業が栄え、珊瑚も豊富だった大浦湾が眼前に広がる。深みのある鮮やかな緑と青みを帯びた海に目を奪われる。
風光明媚な山と海に囲まれた小さな村、名護市瀬嵩の久志地区にエナジックスポーツ高等学院はある。包み込むような柔和な表情をした監督の神谷嘉宗は訥々と語った。
「エナジックの会長の母校でもある久志小学校が廃校になり、なんとか有効利用しようと考え、跡地にエナジックスポーツ高等学院を創立しました。この久志地区は会長の生まれ故郷なんですよ」
この久志地区では2010年に甲子園春夏連覇を果たした興南のキャプテン・我如古盛次や5番打者の銘苅圭介が生まれ育ち、辺野古は1999年のセンバツ優勝投手であり沖縄尚学の現監督・比嘉公也の出身地でもある。甲子園優勝経験者が3人も出た地区だけに、昔から野球は盛んだ。
海と山に囲まれたエナジックの敷地に入る。沖縄県北部の元小学校の跡地だけあって、牧歌的なゆったりとした空気が漂っている。校舎も再利用しているためか小さめで、雰囲気的には“分校”といった印象だ。施設も含めて、まだまだこれから成長していく余地のある学校とも捉えられる。
創立してまだ4年目のエナジックだが、昨年、野球部が春の県大会に優勝し、夏と秋には準優勝、そして今春のセンバツに出た実績もあって、体験入学に80名ほどが集まったという。甲子園出場というバリューが、知名度や生徒募集に大きなプラスとなるのは言うまでもない。
70歳・神谷監督の哲学「SNSやYouTubeも否定しない」
「今、野球部は1学年18名程度に限定している感じです。浦添商業や美里工業のときは100名以上の部員がいました。転勤時期でも部員がひっきりなしに入ってくる状態で、3年間、彼らを最後まで見てやれる保証もなかった。ここでは少数精鋭にすることで、細部にわたって責任を持って指導することができています」
公立高校だと5年で転勤というのがひとつの目安となり、勤務期間が5年に近づくと選手集めにどうしても歯止めがかかってしまう。面倒を見るからには、3年間しっかり最後まで見たいというのが神谷の親心だ。70歳の老将・神谷だが、孫のような年代の生徒たちの考え方や、現在の情報環境のあり方にも理解を示した。
「選手間同士で繋がっているSNSもあるし、情報過多は時代的にもう止められないでしょう。いろんな情報に対しても個人差があるから取捨できる子もいればできない子もいます。要は多くの情報から、どう学んでいくかだと思います。だから、たとえばフライボール革命とかいろいろバッティング理論が新たに増えていますが、それが全部ダメなのかっていえば合う選手もいる。蓬莱スイング(※元プロ野球選手・コーチの蓬莱昭彦氏が唱える打撃理論)にしても、この練習をしたおかげで打球が速くなった子もいるわけです」
神谷は悟ったような表情で続ける。「じゃあ、逆に全然タイミングが取れず1割も打てない子をどう指導していくのか。YouTubeでも修正の仕方とかいろんなものがアップされていますし、タブレットを通して『これで勉強したほうが良くなるのでは? 』といったものは取り入れて、うまく使っていけばいいんじゃないのかと思いますね。時代の流れというのはもう止められない。巷に溢れている情報をどう上手く利用するか。後ろに戻らず、我々も進化しないとダメです。不易と流行です。変わらないものは変わらないし、変化に富むものはどんどん変わっていけばいい」
情報に踊らされないようにと躍起になるのではなく、情報をいかに取捨選択して活用するか。フライボール革命も蓬莱スイングも悪癖になるから取り入れないと断じるのではなく、試す価値はあると考える。選手に合えばそれに越したことはないし、合わなかったらやめるだけ。合う・合わないは選手によって千差万別なのだから、その都度、臨機応変に考えればいい。とにかく否定から入ることだけはしない。神谷はごくシンプルな考え方で、若い世代と向き合っている。
「ノーサイン野球」の“本当の目的”
いまや神谷の代名詞となった「ノーサイン野球」についても持論を語ってくれた。
「セオリーは教えるが、理由があればセオリーを無視しても構わないと選手たちに言っています。型にはまったら意表はつけません。瞬間、瞬間で勝負していく野球のなかでサインを出すとワンテンポ遅れる。だからグラウンドでプレーしている選手間同士で瞬時にアイコンタクトでゲームを作っていく。そのためのノーサイン野球です。そのほうが選手たちも楽しいですし、1学年18人での寮生活なので普段のコミュニケーションも深めやすいと思います」
ノーサイン野球は、決して「楽な戦術」ではない。選手自身で状況を見極め、決断を下すためには、相当の覚悟と勇気が必要となる。その練度を高めるために、日常の練習の積み重ねが重要となるのは言うまでもない。選手たちが主体的に考えることで、研鑽する意欲も生まれてくる。
「いくらいい選手がいるからって勝てるものじゃありません。やっぱり練習の積み重ねが一番大事であり、頑張っている選手はどこかできっかけを掴めるんです。練習中か、練習試合か、公式戦なのかはそれぞれだけど、頑張り続けたらどっかできっかけを掴んで殻を破ってパッと伸びる選手が出てくるんですね」
柔らかい口ぶりでそう語る一方で、神谷は勝負事の残酷な一面についても触れた。
「でも頑張ったからといっても、必ず夢が叶うとは限らない。頑張れば行けるところでもなく、本当に力があっても行けない場所。それが甲子園でもある。そんなことはみんな知っているかもしれないけれど、じゃあなぜ頑張らないといけないのか。夢を叶えた人は頑張り続けた人のみだからです。その意味が16、17、18ではわからないだろうけど、目標を持たせて頑張らせることが私の役目なんですよ」
甲子園を目指すための勝利至上主義を完全否定はしない。綺麗事だけで勝ち進むこともできない。しかし、勝利至上主義のなかに“ホンモノの教育”を埋め込むとしたら、それは選手自身の自立しかない。自分で頑張ることができる人間に育てたい――それがノーサイン野球という手段を選んだ、最大の理由なのかもしれない。
高校時代に浴びた理不尽なケツバットへの怒りや、あと一歩のところで甲子園を逃し続けた経験は、教育者・神谷嘉宗のなかに確かに息づいている。
⚾SHIONOMISAKIさんへ
守山市民の観衆は大型スコアビジョンにも書かれてましたが、、、、、あんまり誇張しすぎると信用を失いかねませんよ!って言いたかったですね。
一昔前のHMF神戸のオリックスーダイエーの試合なんてレフトスタンドで観戦して目視で1000人いるかどうか???という感じだったけれど、シレっと「この試合の観衆12000人!」・・・スタジアムDJも言葉を発してから恥ずかしくなかったのかなあと小首をかしげます。
その点、2代目カンドクは正直ですね!!紀三井寺25人とプロスポーツとして数多ある競技の中で最少観客数争いの先頭集団におりますから。
豊中ローズは1年ほどリニューアル工事してましたが、4月に大学野球2部観戦した折に「スコアボード以外、いったいどこをリニューアルしたんだろう・・・」と。
紀三井寺・甲子園・マイネットS皇子山・ウインク姫路・明石トーカロ・わかさS京都・津・ダイムS伊勢・・・あたりは思いっきり変わったなあと一目瞭然ですが。
ところで、滋賀の大八木 大介球団代表ですが、まだ30代半ばと若いですが、かなりのやり手だと察しております。
守山駅前ピエリ守山(試合後、B1Fの喫茶店でくつろいでました!)に「ジャンプスタジオ」のオーナーとして辣腕を振るっているようだし、滋賀GOブラックスの代表も一時期されていたらしいし・・・。
1度解散した滋賀球団をもういっぺん復活させようという気概も凄いですが、試合前や試合中に童謡を歌って子供たちがはしゃいでいたし、できれば石川・富山の2球団しかない日本海よりも現状5球団の2代目カンドクに入って6球団となった方がよかったですが。。。。。
独立リーグは誕生してすぐに解散するチームが多いし、現状30球団前後あると思いますが、全部数えたら50は超えるかも???
コリアヘチ・大和侍レッズ・明石球団その他モロモロ・・・。
長崎セインツでしたか?そっちの方は全く分かりませんが、初代カンドクは運営会社のステラが各球団に3000万円だったか出資する話が立ち消えになり、代表が失踪し、発起人の元西武ライオンズ・石毛選手もどこかに消えてしまったので・・・・・。
あれだけ騒動を起こしながら2代目カンドクが誕生し10年以上ホソボソと続いているのが不思議ですね!!
初代は各チームに熱烈な応援団が試合を盛り上げてましたが、2代目は堺が少人数で頑張っているくらいであとは何もないから。。。
三重球団は壁矢社長がPL学園OBで人脈もあり、カンドクに比べて資金力もありそうで、よく松阪牛食べて決起集会したとかサイトにあり、かれんさんなどを連れて『笑っていいとも!』にも出演したようで、紀州Rよりもはるかに人気・実力ともに上昇気流に乗っても三重を中心に東海地方を席巻すると思ってました、、、、、悔しいけれど。
相方の大阪GV複数選手が集団賭博で警察のお世話になったのがケチのつけ始めで、四国・九州ILに加盟しつつも上納金及び遠征費が嵩んだし、かれんさんが鈴鹿に転職して三重TAファンも津市営球場からサーキット場に流れていったのか???
まさか2年で解散するなんて夢にも思っていなかっただけに・・・最後はなりふり構わず三田城山球場に社長以下職員一同、赤福両手に初代カンドク加盟を直訴したと思われますが、断られ行き場を失ったと。
でもできたら福井も復活していただき、三国・丹南へ行く機会を与えられたので、美浜あたりにも行きたかったですが・・・。
敦賀・福井県営・福井フェニックスも含め、すでに福井5球場に足を運んだので満足はしてます。
8月3日の彦根・・・ここは高校野球県大会が7月28日で終わり、5日の夕方選手権開幕なんで空いてます。
滋賀といえば皇子山が8割以上足を運んでいるので、久しぶりに彦根城下を歩きたいと。
いつの間にか球場名が変わっているし、隣の陸上競技場も国体があるのでリニューアル工事観戦しているだろうし、3塁側スタンド最上段から近江高校グラウンドが見えるので!
球場と反対側の駅前には近くにコメダがあるので新快速の時間調整でくつろぎたいと思います。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2ace916d4cf7849573334380aa345c5d1348249a
◆野球日本海リーグ 富山8―7滋賀(22日、高岡西部)
リーグ準加盟の滋賀ハイジャンプスは、7―8で富山GRNサンダーバーズにサヨナラ負けを喫した。7―7の9回裏の守備では、1死満塁での中飛に対して三塁走者がタッチアップ。ホームで刺して引き分けのゲームセットとなったが、富山が映像によるリクエストを要求。判定は覆ってセーフでサヨナラ負けとなった。9回は4得点を挙げて追いついていただけに、選手たちのショックは大きかった。
合後、内野手兼任の日下部光監督(29)は、選手を集めて長いミーティングを行った。最後の送球がわずかにそれたことを指摘し「新しく出来たチームなので、公式戦で得るものは大きい。タッチプレーの送球については、キャッチボールからしっかりと向き合っているのかと再確認しました」と振り返った。
滋賀は昨年秋に創設し、初代監督にはNTT西日本、BCL群馬、関西独立L、九州アジアLでプレーしてきた日下部が選手兼任で就任した。社会人からNPB入りを目指してきたが、悩んだ末に一区切りを付けたという。「30歳近くまで独立リーグでプレーすることに賛否両論はあると思うが、自分が辞めると伝えられない経験もある」と決断。ゼロから始まるチームという意味を込めて背番号0を背負い、チームの指揮を執りながら遊撃手や二塁手、指名打者として奮闘している。
投手事情も苦しい状況の中、選手からの要望を受け、この日は指名打者として打席に立ちながら人生初のマウンドに上がった。先発投手として2回までは無失点に抑えたが、3回は1安打3四死球1失策などで5失点を喫して降板。「初めてのピッチャーだったが手応えはあった。フィールディングのミスがなければ2失点に抑えられた。覚悟を決めて投げたが、甘くはなかったですね」と監督、指名打者、投手の初“三刀流”を振り返った。
毎日の練習は午前中に3時間行い、午後は各自がスーパーなどで働いている。野球と仕事を両立させる苦労もあるが「1人1人の表情は充実している。準加盟の今年は、勉強の1年だと思っています」。地道に努力を重ねながら来年の正式加盟を目指す。
💢高校野球の名将に謹慎処分 選手に暴言
https://news.yahoo.co.jp/articles/0c93094fc430d7b33b8e452786ba8ab1e9f0f21d
高校野球で春夏あわせて11回、鳴門高校を甲子園へ導いた森脇稔監督が、選手に暴言を吐いたなどとして、3か月間の謹慎処分を受けました。
鳴門高校などによりますと、森脇稔監督64歳は2025年5月、試合中のミスを選手同士が指摘しなかったなどとして、部員に対し「あほ」「ぼけ」といった暴言を吐いたということです。
また、1年前にも練習中、態度が悪いとの理由で部員の腹を手で押し、頭を帽子ではたいたということです。
部員からの申し出を受け、学校側が聞き取りをおこなって明らかとなりました。
森脇監督は85年から95年までと2007年以降、鳴門高校を率い、春夏あわせて11回、甲子園出場を果たしていて、事態を受け森脇監督は「迷惑をかけ申し訳ない」と話しています。
鳴門高校は、7月の県大会は岡田将和部長が監督を務めることとし、再発防止に向けたハラスメント研修などを行うということです。
📝「風評被害はありました」全校生徒89人“ナゾの新設校”エナジックで甲子園出場…神谷嘉宗監督とは何者か?「ケツバットで野球部を辞めた」意外な経歴
https://news.yahoo.co.jp/articles/bc3a6e666be17c456674802912957af9ca3764b9?page=1
春のセンバツに出場し、風変わりな校名や「ノーサイン野球」で注目を集めたエナジックスポーツ高等学院。春夏連続での甲子園出場を目指す同校の“現状”とは? 現地・沖縄県名護市で神谷嘉宗監督(70歳)に話を聞いた。
“理不尽なケツバット”で芽生えた反骨心
史上最も早い6月8日に梅雨明けした沖縄では、夏の甲子園の県予選が14日から始まった。群雄割拠時代に入った沖縄で優勝候補筆頭に挙げられるのは、沖縄尚学、興南といった常連強豪校。そして、春のセンバツに出場したエナジックスポーツ高等学院だ。
センバツでのエナジックの登場は革新的だった。横文字の高等学校であることに加え、ノーサイン野球で1勝を挙げたことでも話題を集めた。高校野球界にどのような新風を吹き込むのか、注視すべき高校のひとつとも言える。エナジックは現在全日制と通信制の併置校であり、全校生徒数は全日制83人、通信制6人の計89人。内訳として野球部は全員全日制で57人、ゴルフ部14人、陸上部10人、卓球部5人、ボウリング部2人、一般生1人となっている。
エナジックを率いるのは、沖縄県内で史上初めて3校での甲子園出場を達成した神谷嘉宗監督だ。センバツ2回戦ではサングラスとマスクで完全防備した剣呑な姿でも注目を集めた神谷は、かつて関係者の間で“悲運の名将”と呼ばれていた。
「なかなか甲子園に行けませんでしたからね。1981年から八重山高校で監督をやらせてもらってますが、その時代から『根拠があるときは、サインはどんどん無視していいから』と言ってました。やはりグラウンドに立っている選手にしかわからない間や、一瞬のスキを察知できませんのでね」
ゆっくりとした口調で朗らかな笑みを浮かべる神谷の野球人生は、まさに数奇と言ってよい。沖縄中部の読谷で生まれた神谷は健康優良児として育ち、学童野球、中学野球で抜群のセンスと運動神経を発揮。サードで四番のキャプテンとして活躍した。当然、読谷高校でも野球部に入る予定だったが、野球部に所属していた2つ上の兄から「自分が引退するまでやめとけ」と言われ、入部を断念したという。
1970年代当時は上下関係が異常に厳しく、“説教”という名の理不尽なシゴキが日常茶飯事だった。どこの部にも所属しない神谷だったが、体育の授業などで運動神経の良さを見せたことで、その才能を埋もれさせてはいけないと周囲が説得を重ね、夏を過ぎた頃に野球部に入部する。
「入部してすぐに四番・サードで使われました。でも、いきなり試合に出たからなのかわからんけど、納得のいかないケツバットをされた。『なんでやられないといけないの? 』と思って辞めました」
こうした理不尽な仕打ちによって、前途ある有望な選手が全国でどれだけ辞めていったことだろうか。神谷もそのうちのひとりで、結局3カ月で野球部を退部した。
「神谷さん、甲子園出られないね」
神谷が本領を発揮したのはここからだった。その運動能力に目をつけていたバレー部の監督がすぐに勧誘し、未経験にもかかわらず持ち前の運動能力の高さによって1年生大会で活躍。春高バレーでベンチ入りし、2年時にはインターハイにも出場した。3年時は予選で準決勝敗退したため、今度はラグビー部に駆り出されてフランカーとして九州大会に出場。まるでアメリカンハイスクールの有望アスリートのような高校生活を送った。他の競技で活躍した神谷だったが、野球への情熱を失ったわけではなかった。
「中学1年生のとき、68年夏の甲子園で初めてベスト4に進んだ興南旋風を目の当たりにしたことで、高校野球の指導者になりたいと夢を抱きました。体育の先生になって、高校野球の監督になろうと」
琉球大学教育学部を卒業後、宮崎県都城東高校の野球部長を2年務め、沖縄に戻って八重山高校の監督に就任した。その後、1985年には前原高校、90年には中部商業に赴任。中部商業時代は秋季九州大会に3度出たものの、センバツ出場にはあと一歩及ばず。2001年の夏はエースの糸数敬作(元日本ハム)を擁して県大会決勝に進むが、3対0で宜野座に敗退した。
翌02年より浦添商業に転勤するも、その年の夏の甲子園には春まで指揮を執っていた中部商業が出場。この頃から、県内では神谷を“悲運の名将”と呼ぶようになった。浦添商業では05年、07年にも夏の決勝に進むも、それぞれ沖縄尚学、興南に敗退。甲子園は近いようで遠かった。
「07年は決勝で1対1のまま延長に入った。押していたんだけど、雷が落ちて再試合になっちゃいましてね。横浜の部長だった小倉(清一郎)さんからは『神谷さん、甲子園出られないね』と言われました(笑)」
しかし08年夏、浦添商業は好投手の伊波翔悟(元沖縄電力)を軸についに沖縄大会を制した。監督歴28年目にして初めての甲子園に出場し、ベスト4まで進出。12年には美里工業に転勤となるも「3年以内に甲子園に出場します」と公言し、公約通り14年のセンバツに出場。“悲運”という冠がようやく取れた。
「本土の高校に誘われました」なぜ新設校の監督に?
話は振り出しに戻る。公立高校の中部商業、浦添商業、美里工業の監督として県内で一時代を築いた名将・神谷が、なぜ新設校のエナジックに行くことになったのか。
「定年してから、本土の高校に誘われました。コーチだったら行こうと思っていたんですけど、本土で監督をやる自信がなかったですね。だって地盤がないですから。じゃあ沖縄から選手を連れて行くのかってなっても、そこまでして向こうでやろうとは思わない。そんなとき、エナジックが4月から高校を作るという新聞記事を見たんです。2021年の2月でしたかね。社会人野球のエナジックに行っている教え子がいたものですから、彼に内情を聞いたところ、自分が野球部の監督候補になっていると知りました。そうした縁が重なって、8月に野球部監督に就任しました」
60歳での定年後、5年の再雇用によって美里工業で監督を続けた神谷が、県内の公立高校でふたたび監督をやれる可能性は低いと考えた。そんなときに、エナジックが高校を作るという記事を見て興味を抱いたのだ。
「新設校だし、一から作る大変さはあるけど、逆に面白さもやりがいもある」。持ち前のポジティブシンキングで選手勧誘に奔走した。
新設校のリアル「風評被害はありました」
しかし、出だしは決して順風満帆ではなかった。「まだ学校もできていない、グラウンドも整備されていない、通信制課程からスタートしたエナジックに対しての風評被害はありました。SNSでもつぶやかれていました。こっちが言って止まるものじゃないですから。要は僕らがきちんとやっていればいいんです。昔から高校野球っていうのは、新鋭校が出ようとすれば足を引っ張る人がいるんですよ。強豪校は強豪校の流れがあるし、こっちが選手を勧誘しようとすれば、ライバル校が横槍を入れる。そんなことは昔からあるもんです。資本主義社会である以上、他の世界でも似たり寄ったり。仕方ないでしょう。だから我々は、きちんと生徒たちを教育して、生徒と保護者と学校が三位一体でうまく回っていれば、外部の声はそんなに気にすることはありません。気にしてもしょうがありません」
新しいものが突出しようとすると、周りが抑えにかかる。その摂理は高校野球でも変わらない。
沖縄には「いちゃりばちょーでー」という言葉がある。一度会えばみな兄弟、といった意味合いのウチナーグチ(沖縄方言)だ。人との繋がりを大事にし、みんなで文化、伝統を大切にしていく――それ自体は素晴らしいことだろう。しかし、みんなで仲良く一緒にやろうとする気持ちが強いばかりに、誰かが抜きんでてしまうと、それを抑え込もうとしたりパージしたりする力学が働くこともある。
神谷はエナジックで監督をやるハードルの高さを最初から承知していた。新設校ならどこにでもあることだと楽観的にとらえて、あえて美里工業時代と同じく「3年で甲子園に出ます」と壮大な公約を掲げた。不可能にも思えたその公約は、2025年春のセンバツで果たされることになる。
📝「野球部は1学年18人の少数精鋭」沖縄・エナジックスポーツ高の“秘密”「なぜノーサイン野球?」神谷監督70歳の哲学「SNSやYouTubeも否定しない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/fc98ef7ff0654a7a37a90d25db6a4eaa4112e90e
「廃校になった小学校を再利用」エナジックのいま
沖縄自動車道を北上した終点・許田のインターを降りると、エメラルドグリーンの海が視界に飛び込んでくる。そのまま名護市街へと向かわずに、鬱蒼とした山林を切り開いた名護横断道路を走っていくと、かつて漁業が栄え、珊瑚も豊富だった大浦湾が眼前に広がる。深みのある鮮やかな緑と青みを帯びた海に目を奪われる。
風光明媚な山と海に囲まれた小さな村、名護市瀬嵩の久志地区にエナジックスポーツ高等学院はある。包み込むような柔和な表情をした監督の神谷嘉宗は訥々と語った。
「エナジックの会長の母校でもある久志小学校が廃校になり、なんとか有効利用しようと考え、跡地にエナジックスポーツ高等学院を創立しました。この久志地区は会長の生まれ故郷なんですよ」
この久志地区では2010年に甲子園春夏連覇を果たした興南のキャプテン・我如古盛次や5番打者の銘苅圭介が生まれ育ち、辺野古は1999年のセンバツ優勝投手であり沖縄尚学の現監督・比嘉公也の出身地でもある。甲子園優勝経験者が3人も出た地区だけに、昔から野球は盛んだ。
海と山に囲まれたエナジックの敷地に入る。沖縄県北部の元小学校の跡地だけあって、牧歌的なゆったりとした空気が漂っている。校舎も再利用しているためか小さめで、雰囲気的には“分校”といった印象だ。施設も含めて、まだまだこれから成長していく余地のある学校とも捉えられる。
創立してまだ4年目のエナジックだが、昨年、野球部が春の県大会に優勝し、夏と秋には準優勝、そして今春のセンバツに出た実績もあって、体験入学に80名ほどが集まったという。甲子園出場というバリューが、知名度や生徒募集に大きなプラスとなるのは言うまでもない。
70歳・神谷監督の哲学「SNSやYouTubeも否定しない」
「今、野球部は1学年18名程度に限定している感じです。浦添商業や美里工業のときは100名以上の部員がいました。転勤時期でも部員がひっきりなしに入ってくる状態で、3年間、彼らを最後まで見てやれる保証もなかった。ここでは少数精鋭にすることで、細部にわたって責任を持って指導することができています」
公立高校だと5年で転勤というのがひとつの目安となり、勤務期間が5年に近づくと選手集めにどうしても歯止めがかかってしまう。面倒を見るからには、3年間しっかり最後まで見たいというのが神谷の親心だ。70歳の老将・神谷だが、孫のような年代の生徒たちの考え方や、現在の情報環境のあり方にも理解を示した。
「選手間同士で繋がっているSNSもあるし、情報過多は時代的にもう止められないでしょう。いろんな情報に対しても個人差があるから取捨できる子もいればできない子もいます。要は多くの情報から、どう学んでいくかだと思います。だから、たとえばフライボール革命とかいろいろバッティング理論が新たに増えていますが、それが全部ダメなのかっていえば合う選手もいる。蓬莱スイング(※元プロ野球選手・コーチの蓬莱昭彦氏が唱える打撃理論)にしても、この練習をしたおかげで打球が速くなった子もいるわけです」
神谷は悟ったような表情で続ける。「じゃあ、逆に全然タイミングが取れず1割も打てない子をどう指導していくのか。YouTubeでも修正の仕方とかいろんなものがアップされていますし、タブレットを通して『これで勉強したほうが良くなるのでは? 』といったものは取り入れて、うまく使っていけばいいんじゃないのかと思いますね。時代の流れというのはもう止められない。巷に溢れている情報をどう上手く利用するか。後ろに戻らず、我々も進化しないとダメです。不易と流行です。変わらないものは変わらないし、変化に富むものはどんどん変わっていけばいい」
情報に踊らされないようにと躍起になるのではなく、情報をいかに取捨選択して活用するか。フライボール革命も蓬莱スイングも悪癖になるから取り入れないと断じるのではなく、試す価値はあると考える。選手に合えばそれに越したことはないし、合わなかったらやめるだけ。合う・合わないは選手によって千差万別なのだから、その都度、臨機応変に考えればいい。とにかく否定から入ることだけはしない。神谷はごくシンプルな考え方で、若い世代と向き合っている。
「ノーサイン野球」の“本当の目的”
いまや神谷の代名詞となった「ノーサイン野球」についても持論を語ってくれた。
「セオリーは教えるが、理由があればセオリーを無視しても構わないと選手たちに言っています。型にはまったら意表はつけません。瞬間、瞬間で勝負していく野球のなかでサインを出すとワンテンポ遅れる。だからグラウンドでプレーしている選手間同士で瞬時にアイコンタクトでゲームを作っていく。そのためのノーサイン野球です。そのほうが選手たちも楽しいですし、1学年18人での寮生活なので普段のコミュニケーションも深めやすいと思います」
ノーサイン野球は、決して「楽な戦術」ではない。選手自身で状況を見極め、決断を下すためには、相当の覚悟と勇気が必要となる。その練度を高めるために、日常の練習の積み重ねが重要となるのは言うまでもない。選手たちが主体的に考えることで、研鑽する意欲も生まれてくる。
「いくらいい選手がいるからって勝てるものじゃありません。やっぱり練習の積み重ねが一番大事であり、頑張っている選手はどこかできっかけを掴めるんです。練習中か、練習試合か、公式戦なのかはそれぞれだけど、頑張り続けたらどっかできっかけを掴んで殻を破ってパッと伸びる選手が出てくるんですね」
柔らかい口ぶりでそう語る一方で、神谷は勝負事の残酷な一面についても触れた。
「でも頑張ったからといっても、必ず夢が叶うとは限らない。頑張れば行けるところでもなく、本当に力があっても行けない場所。それが甲子園でもある。そんなことはみんな知っているかもしれないけれど、じゃあなぜ頑張らないといけないのか。夢を叶えた人は頑張り続けた人のみだからです。その意味が16、17、18ではわからないだろうけど、目標を持たせて頑張らせることが私の役目なんですよ」
甲子園を目指すための勝利至上主義を完全否定はしない。綺麗事だけで勝ち進むこともできない。しかし、勝利至上主義のなかに“ホンモノの教育”を埋め込むとしたら、それは選手自身の自立しかない。自分で頑張ることができる人間に育てたい――それがノーサイン野球という手段を選んだ、最大の理由なのかもしれない。
高校時代に浴びた理不尽なケツバットへの怒りや、あと一歩のところで甲子園を逃し続けた経験は、教育者・神谷嘉宗のなかに確かに息づいている。
⚾SHIONOMISAKIさんへ
守山市民の観衆は大型スコアビジョンにも書かれてましたが、、、、、あんまり誇張しすぎると信用を失いかねませんよ!って言いたかったですね。
一昔前のHMF神戸のオリックスーダイエーの試合なんてレフトスタンドで観戦して目視で1000人いるかどうか???という感じだったけれど、シレっと「この試合の観衆12000人!」・・・スタジアムDJも言葉を発してから恥ずかしくなかったのかなあと小首をかしげます。
その点、2代目カンドクは正直ですね!!紀三井寺25人とプロスポーツとして数多ある競技の中で最少観客数争いの先頭集団におりますから。
豊中ローズは1年ほどリニューアル工事してましたが、4月に大学野球2部観戦した折に「スコアボード以外、いったいどこをリニューアルしたんだろう・・・」と。
紀三井寺・甲子園・マイネットS皇子山・ウインク姫路・明石トーカロ・わかさS京都・津・ダイムS伊勢・・・あたりは思いっきり変わったなあと一目瞭然ですが。
ところで、滋賀の大八木 大介球団代表ですが、まだ30代半ばと若いですが、かなりのやり手だと察しております。
守山駅前ピエリ守山(試合後、B1Fの喫茶店でくつろいでました!)に「ジャンプスタジオ」のオーナーとして辣腕を振るっているようだし、滋賀GOブラックスの代表も一時期されていたらしいし・・・。
1度解散した滋賀球団をもういっぺん復活させようという気概も凄いですが、試合前や試合中に童謡を歌って子供たちがはしゃいでいたし、できれば石川・富山の2球団しかない日本海よりも現状5球団の2代目カンドクに入って6球団となった方がよかったですが。。。。。
独立リーグは誕生してすぐに解散するチームが多いし、現状30球団前後あると思いますが、全部数えたら50は超えるかも???
コリアヘチ・大和侍レッズ・明石球団その他モロモロ・・・。
長崎セインツでしたか?そっちの方は全く分かりませんが、初代カンドクは運営会社のステラが各球団に3000万円だったか出資する話が立ち消えになり、代表が失踪し、発起人の元西武ライオンズ・石毛選手もどこかに消えてしまったので・・・・・。
あれだけ騒動を起こしながら2代目カンドクが誕生し10年以上ホソボソと続いているのが不思議ですね!!
初代は各チームに熱烈な応援団が試合を盛り上げてましたが、2代目は堺が少人数で頑張っているくらいであとは何もないから。。。
三重球団は壁矢社長がPL学園OBで人脈もあり、カンドクに比べて資金力もありそうで、よく松阪牛食べて決起集会したとかサイトにあり、かれんさんなどを連れて『笑っていいとも!』にも出演したようで、紀州Rよりもはるかに人気・実力ともに上昇気流に乗っても三重を中心に東海地方を席巻すると思ってました、、、、、悔しいけれど。
相方の大阪GV複数選手が集団賭博で警察のお世話になったのがケチのつけ始めで、四国・九州ILに加盟しつつも上納金及び遠征費が嵩んだし、かれんさんが鈴鹿に転職して三重TAファンも津市営球場からサーキット場に流れていったのか???
まさか2年で解散するなんて夢にも思っていなかっただけに・・・最後はなりふり構わず三田城山球場に社長以下職員一同、赤福両手に初代カンドク加盟を直訴したと思われますが、断られ行き場を失ったと。
でもできたら福井も復活していただき、三国・丹南へ行く機会を与えられたので、美浜あたりにも行きたかったですが・・・。
敦賀・福井県営・福井フェニックスも含め、すでに福井5球場に足を運んだので満足はしてます。
8月3日の彦根・・・ここは高校野球県大会が7月28日で終わり、5日の夕方選手権開幕なんで空いてます。
滋賀といえば皇子山が8割以上足を運んでいるので、久しぶりに彦根城下を歩きたいと。
いつの間にか球場名が変わっているし、隣の陸上競技場も国体があるのでリニューアル工事観戦しているだろうし、3塁側スタンド最上段から近江高校グラウンドが見えるので!
球場と反対側の駅前には近くにコメダがあるので新快速の時間調整でくつろぎたいと思います。