自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」

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紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
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お知らせ

編集済
⚾今日の2代目カンドク試合結果(紀三井寺球場 25人)
堺シュライクス-大阪ゼロロクブルズ 12:12~15:30
          一二三四五六七八九十計HE
      大  阪040000020 682
       堺  000010201 491

 今週あたりから梅雨が明けて真夏の熱さに包まれている関西。ゴゴスマを観ていたら、上には上がいるようで・・・全国最高気温ランキング上位10傑に関西地区の年がない↓↓

2代目カンドクの試合日程が発表された時点で、5/15・7/4薄暮ナイターと6/19デーゲームは狙っていた。ただ、6月7月は梅雨の時期だけに天気が心配だったが、その前にナイター故障で17時開始が12時変更に余儀なくされ見送った。

満を持して最高気温34、5度という猛暑の中・JR和歌山駅前でレンタサイクル借りて片道8km球場まで往復したのだが。。。。。実際は往路は日前宮・紀三井寺(210段の階段往復込)を参拝してから球場入り。
復路は意味もなく、逆走して紀三井寺緑道完走して海南市まで足を踏み入れ、和歌浦の海岸線遠回りして喫茶店寄り道していたので20km前後は走ったはず。

そして、僕は今朝まで知らなかったのだが・・・・・。いつもお世話になっている「和歌山駅の駅リンくんが実は5月25日をもって終了」という悲報が!!近江八幡は6月末で終了走っていたのだが。。。
https://www.ekiren.com/ekirinkun
・和歌山及び白浜は2025年5月25日(日)をもってレンタサイクルサービスを終了させていただきました。


8時~18時まで借りられるので、今夏の和歌山決勝は始発電車に乗って8時数分前に手続して45分かけて紀三井寺球場に向かい、閉会式終了後に海南駅前で昼食取ってマリーナシティに寄って帰るつもりが!!!

今日、急遽お世話になった「わか地下レンタサイクル」は9時から受付で土日は17時までしか借りられないので・・・。今日は20分前倒しで甘えて借りられたが。。。
とりあえず、軌道修正せなアカンことを分かっただけでも大きな収穫ですが・・・・・。


7/27は始発電車に乗って紀三井寺駅に7時50分頃到着して、球場まで3kmいつも通り歩いて8時30分前に球場入りし、9時から決勝スコア付け・閉会式観戦後バスで海南駅まで移動し、海南駅でレンタサイクル借りて、昼ご飯食べてからマリーナシティに寄って17時までに自転車返して帰るのがベストかも!


話を戻して、たしか淡路佐野での2代目カンドクの試合は1000円取られたのでそれくらいは覚悟していたが、なんと門番はおらず入場無料だった!!パンフレット見たらくら寿司S堺では大人1500円とあったが。。。。。

オークワに昼ご飯仕入れて11時15分頃球場入りした際には堺のノック中。観衆25人とのことだが、まだ試合前は3~4人しかおらず皆さん屋根の下で待機!僕は最前列の真ん中をキープして「ミゾレのかき氷」を屋根下で食べてクールダウン。

11時30分頃ノックも終わりホースで散水を見届け、トイレに向かい戻ってくると・・・・・なんとまだ散水が足りないのか???マウンド後方から5mほど噴水のような水柱が飛び出し手が付けられない!!! https://ameblo.jp/hirorinhoushi/image-12911590597-15619911014.html
あっという間に水浸しとなり、なかなか水も止まらず、ようやく止まった頃にはマウンド付近が洪水のために整備に手間が取られ予定よりも12分遅れというハプニング!!!

ごくたまにマウンド後方から水があふれだすシーンはみたことあるが、人間の背丈の3倍ほどの水柱は初めて見た!!

試合は地力に劣るであろう大阪が無死満塁から走者一掃の長打が出るなど4点先取し、面白くなってきた。
堺も再三塁上賑わすがチャンスでフライアウトが目立ち空回り。

それでも反撃のノロシを挙げ7回1点差にまで迫るが、中途半端な走塁で3塁を回った走者がホーム突入を一度ためらってから走った時間のロスで挟殺プレーに持ち込まれアウト!

止まっていれば1死2・3塁で次打者が打っただけに・・・。
直後の8回2点を奪われ、9回裏に先頭打者がホームランを放つも時すでに遅しでゲームセット。

しかし、審判は二人しかおらず5回終了1時間45分とやたら長かった・・・。自転車返却期限が18時なんでやや焦りも出たがなんとか。

駅リンくん無き今となっては、めったに紀三井寺界隈を自転車で走る機会がこの先あるのかなあ・・・と思いつつ、浜風もきついし、湿度が高くなかったので、市ア前のかき氷・昼の食事中そして体力の限界を感じつつあった7回裏~8回裏は上段席の屋根下の日陰で涼んでなんとか耐えました。

明日はゆっくり休んで、明後日・・・5/17雨に泣かされた守山に4年ぶりに顔を出します。

P・S 写真入りの記事はブログ https://ameblo.jp/hirorinhoushi/entry-12911590597.html にまとめました。

🔥金足農エース吉田「借りは甲子園で返す」 大阪桐蔭相手に貴重な経験
https://news.yahoo.co.jp/articles/b1da72ca8a25c963cb5bb4f72513430b9bde6643

夏の甲子園の第100回大会(2018年)決勝で相まみえた金足農と大阪桐蔭が18日、秋田市のこまちスタジアムで再戦した。あの夏、快進撃で準優勝した金足農は、この日も1―6で敗れたが、夏本番に向けて貴重な経験を積んだ。

金足農の新グラウンドが昨年11月に完成したのを記念した招待試合。甲子園の春夏連覇2度を誇る強豪が相手とあって、スタンドには全校応援の金足農の生徒約500人を含む観衆2千人(学校発表)が集まり、試合を盛り上げた。

金足農の当時のエース吉田輝星投手の弟、大輝投手(3年)が先発。6回5失点だったが、速球で中軸を見逃し三振に取る場面も。「大阪桐蔭は簡単に空振りせず、打球も速い。全国のレベルを感じた。この借りは甲子園という舞台で返したい」

高橋佑輔コーチは準優勝時の一塁手だった。「(決勝で敗れた際の)11点差でなくてよかった」と冗談をいいつつ、「競った序盤にチームの成長が感じられた」。

三回、弟の孝士朗選手(2年)がプロ注目の中野大虎投手(3年)から中前安打を放って唯一の得点を挙げた。「結構、うれしかった」と、本人も自信を深めたようだった。

📝「木内マジック」を知り尽くす元常総学院監督・佐々木力が郁文館の指揮官として挑む甲子園への道
https://news.yahoo.co.jp/articles/5f4496c55db5e3f8700b07154c64da0d40aca264?page=1

高校野球発祥の地と言えば、甲子園ではなく、第1回全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高校野球選手権大会)が行なわれた大阪の豊中グラウンドが有名だ。

それでは、高校野球発祥のひとつとして数えられる学校が東京にあるのはご存じだろうか。1889年創立の郁文館(東東京)は、夏目漱石の小説『吾輩は猫である』に登場する「落雲館中学校」のモデルとされている。野球部は開校まもなくして、当時国内最強の呼び声が高かった旧制一高(現・東京大)の練習相手として創部されたという記録が残る。

【間近で見てきた弱者の兵法】

昨年1月。その由緒ある高校の監督に、常総学院(茨城)を春夏6度の甲子園に導いた佐々木力さんが就任した。取手二(茨城)で全国制覇を果たした選手時代、そして常総学院コーチ時代と、名将・木内幸男監督に師事し、指導者としての礎を築いてきた。

今春からは社会人野球のシダックス時代に野村克也監督の指導を受けた座主隼人(ざす・はやと)さんをコーチとして招聘。荒川河川敷のグラウンドから虎視眈々と東東京制覇を目論む。

「木内野球は、弱いチームが強いチームに勝つにはどうしたらいいんだというところが原点だと思っています。郁文館は歴史的には長い野球部なのですが、まだ一度も甲子園には行っていないので、やりがいはありますね」

木内さんのモットーでもあった「弱者の兵法」を間近に見てきた。思い出されるのは取手二時代の1984年夏の甲子園だ。初戦(2回戦)で優勝候補の一角に挙げられていた箕島(和歌山)の本格派右腕・嶋田章弘(元阪神ほか)を8回に攻略し、5対3で逆転勝利。

勢いに乗ると、3回戦の福岡大大濠戦で8対1、準々決勝の鹿児島商工(現・樟南)戦で7対5、そして準決勝の鎮西(熊本)戦では、"杉浦忠2世"と呼ばれたサブマリン投法の松崎秀昭(元南海)を打ち崩して18対6と、さまざまなタイプの投手から大量点を奪ってきた。

「自分たちの代は1年生の時からレギュラーで6人ぐらい出ていたので、3年計画で甲子園に行って上位を目指そうというのがあったと思います。木内監督はチーム内で左右の横手投げや下手投げなど、全員違うタイプを揃えて打撃投手をやらせるんです。だから練習試合や大会でも、『この投手は石田文樹タイプ(元横浜、本格派右腕)』『この投手は柏葉勝己タイプ(変則左腕)』という具合に、◯◯タイプでいこうと言いながら攻略していきました」

決勝の相手は夏連覇を狙うPL学園(大阪)。マウンドには、2年生エースの桑田真澄(元巨人ほか)が上がっていた。夏の大会前に水戸で行なわれた招待試合では、わずか1安打に抑えられ、0対13で大敗。清原和博(元西武ほか)との「KKコンビ」に、圧倒的な差を見せつけられた。

「招待試合ではボールの切れ、カーブの落差を見てあれは打てないなと思いました。それ以来、みんな少しバットを短く持って、コンパクトに打つとか、反省が少しずつあった試合でもありました」

【普通の公立校がPL学園に勝利】

ただ、3連投だった桑田には、明らかに疲労の色が見えた。初回一死、2番打者だった佐々木さんは、初球の直球を強振。真芯に当たったライトライナーに、ベンチで「今日はバットに当たるな。大丈夫じゃねぇか」と感触を伝えた。その直後、連打に失策が絡み、幸先良く2点を先制した。

「これは勝てっかなぁ、というのがベンチのなかでありましたね。木内さんは自分たちの代で終わる(同年秋に常総学院監督に就任)というのはわかっていましたし『桑田、清原はお前らの一個下なんだかんな。このチームに勝てば孫の代まで言えっぺ!』という言葉に火をつけられたというのはありました」

桑田は疲労に加え、中指の血豆が潰れていたこともあり、いつもの球威とはほど遠く、7回までに4対1とリードしていた。しかし、8回裏に2点を失うと、9回裏には石田が1番の清水哲に同点本塁打を被弾。流れは一気にPLに傾くかに思われた。しかし、延長戦に入り、足取り重くベンチへ帰るナインに、木内さんはこうアドバイスした。

「試合を早く終わらせようとすると焦りが出る。早く勝負を決めようとすんな」

この言葉で平静を取り戻した。10回表、5番の中島彰一が試合を決める決勝3ランを放つなど4点を奪い、8対4で勝利。普通の公立校がスター軍団を打ち破る世紀の番狂わせで、茨城に初めて深紅の大優勝旗をもたらした。

「木内さんの采配はマジックではなく、ロジック(論理)だと思うんです。たとえば相手のシートノックを見て、3人もいるようなポジションは弱いところだからそこを狙わせたり、グラウンド状況を見てぬかるんでいるところがあったら、そこにセーフティーバントをやれとか、そういう見る目を子どもたちに浸透させて攻略していくんです。

プロとは考え方も指導の仕方も違い、高校生はこうあるべきという基準をつくって、それを生徒に全部説明する。プロの内野手だったら肩が強いので何歩かステップを踏んで投げても間に合いますが、高校生はワンステップで放らないと間に合いません。無駄なことはしないということを、取手二高の時から徹底していました」

【目標は2029年までに甲子園出場】

佐々木さんは日体大を卒業後、東洋大牛久(茨城)の監督を経て、1991年から常総学院のコーチ、部長として恩師を支えることになる。

そして2003年夏の甲子園決勝、東北(宮城)の2年生エースであるダルビッシュ有(パドレス)と相対した。ここでも、木内采配が実を結ぶ。

0対2で迎えた4回一死二、三塁。第1打席でまったくタイミングの合っていなかった4番の松林康徳(現・常総学院部長)はスクイズのサインを待ったが、木内監督は強攻の決断を下した。腹をくくった松林は、1ボール2ストライクからの4球目、勝負球の低に来た直球を叩きつけると、打球は高く弾み、三ゴロの間に三塁走者が生還。この回さらに2点を奪い、逆転に成功すると、最終的に4対2で夏初優勝。木内監督は自身3度目の日本一を花道に勇退(2007年秋から復帰)した。

「スクイズはなかなかスタートが切りづらいですし、外野まで打球を運べないとすると、夏の甲子園はグラウンドが硬いですから、ああいう策もありますよね。自分は木内さんから常総に引っ張られたので、最後まで監督とコーチで終わりたいというのがありました」

木内さんは2011年夏を最後に第二次政権から身を引くと、後任監督には佐々木さんが就任。「練習のための練習はするな」という木内野球に、自身が培ってきたスパイスを加え、常総を春夏6度の甲子園へと導くと、2020年夏の独自大会後にOBの島田直也さん(元横浜など)に監督を譲り、昨年から郁文館の指揮を執ることになった。練習中にはマイクを使って選手に指示をしていた恩師と同じように、傍らには拡声器が置いてあった。

「ひとりに指導しているんですけど、それを全員に聞こえるよう、わからせるということでやっているんですね。そうすると自然に聞くようになるし、自分に置き換えるようにもなります」

郁文館の渡邉美樹理事長兼校長(ワタミ創業者)からは、学校創立140周年となる2029年までに甲子園初出場を期待されている。今夏は昨夏の3回戦突破、そしてベスト8入りを目標に、発展途上の部員たちと汗を流す日々を送る。

「高校生は見ている人が清々しいと思ってもらえるようなプレーをするのが一番大事だと思っています。全力疾走だったり、相手を称えながらプレーするといったことを少しずつ教え込んでいけば、いいチームになっていくんじゃないかと思っています」

今年5月に59歳を迎えたが、甲子園への情熱はいささかも衰えることはない。80歳までタクトを振った恩師のように、強者へと立ち向かっていく。
2025/06/19(木) 23時24分41秒 No.1836 編集 削除