自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」

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紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
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☝場外ファール阻止…福島・信夫ケ丘球場、防球ネット増設 硬式利用可に
https://news.yahoo.co.jp/articles/52052d88f54c846ea49772b0f58775fa16121523

福島県福島市は1日、中学生以上の硬式野球を使用不可としていた同市の信夫ケ丘球場の利用制限を解除した。球場周辺の住宅にボールが当たるのを防ぐ「防球ネット」の増設工事が完了し、危険性がないか検証した上で市が安全と判断した。

増設されたのは一塁側のスタンド席後ろで、防球ネット4枚と既存の防球ネットとの接続部分1枚の計5枚。同球場を管理運営する市スポーツ振興公社の担当者は「安心して使ってもらえる。少しでも危険がなくなれば」と話した。

同球場を巡っては、メインスタンド付近の防球ネットが低く、近隣の民家などにファウルボールが飛ぶ危険性があるとして、2023年2月から中学生以上の硬式野球の使用ができなくなっていた。

📝怪物・江川卓を攻略せよ」なぜ広島商は作新学院に勝てたのか?「じつは首を寝違えて…」江川が達川光男に言った「お前には1球も全力で投げてない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/360040d464d59253e0c847cb0ba4b500fb1b6366

「このゲーム、お前らの勝ちだ」
 
広島商監督の迫田穆成は「ストライクゾーンの上半分は捨てて、5回までに100球投げさせろ」と選手に指示した。作新学院の江川卓は珍しく制球が定まらない。広島商は2回に3四球を選んでいる。 5回に1点を先行されたが、その裏、左投げ右打ちの佃が詰まりながらも右翼線にチーム初安打を落とし、すぐに追いついた。

前年秋の新チーム結成以来、江川が続けていた連続無失点記録が139イニングで止まった瞬間だった。5回が終わり、部長の畠山圭司が「江川の球数104球」と告げた。

「よし、このゲーム、お前らの勝ちだ」。迫田が選手に暗示をかけるように言った。
試合は1対1のまま8回に。先頭の金光興二が自身3個目の四球で出塁して二塁盗塁を決める。楠原基がチーム2本目の内野安打で1死一、二塁。
迫田が勝負に出る。ベンチから送ったサインは重盗、ダブルスチールだ。金光がスタートを切る。捕手から三塁への送球が高くそれる。金光が一気に本塁へ返り、これが決勝点となった。

江川と金光は卒業後、法政大学でチームメートになる。「走るのはわかっていた。捕手に『投げるな! 』と言ったんだけどなあ」と江川は金光にこぼしている。

「江川対策」として練習を重ねた秘策は、日の目を見ることはなかった。しかし、広島商が5度目の全国制覇を果たす同年夏に、この練習が生かされる。日田林工(大分)を下した3回戦。2回1死満塁から、広島商は2ランスクイズで逆転する。守備側のスキを突き、三塁走者に続いて二塁走者も一気に生還するプレーは、「江川対策の応用じゃった」と迫田は胸を張る。

「2点目のホームインを、NHKの中継カメラが追えてないんじゃ。なにが起きたか、分からんかったんじゃろ」。豪快に笑った迫田の顔が懐かしい。

「雨にやられた」江川卓が明かした“敗因”
 
さらに後日談がある。「怪物」のデビュー戦を甲子園球場の外野席で観戦した西村欣也は、のちに報知新聞社に入社し、江川が入団した巨人の担当記者となった。

「入団をめぐる『空白の1日』があったこともあり、江川もマスコミを遠ざけようとしていたけど、根は明るくて頭がいい男だからさ。遠征先へ移動する新幹線の食堂車なんかで、いろんな話をした」

江川が引退した後、朝日新聞社に移籍した西村はぼくの先輩記者となり、当時の話をしてくれた。2018年に夏の全国高校野球選手権大会が第100回を迎えるに当たって長期連載した高校野球名勝負物語「あの夏」では、西村が江川、ぼくがその他の関係者を取材し、第55回大会(1973年)の2回戦、銚子商(千葉)対作新学院の裏側を物語として描いた。西村は親交が深い江川に朝日新聞東京本社まで来てもらい、編集局内のテレビに当時の映像を流しながら取材している。その際、選抜大会の裏話についても聞いている。

作新学院と広島商が激突した準決勝は雨で順延になった。すでに3試合を投げている江川にとっても佃正樹にとっても、恵みの雨になると思われた。ところが、江川は「雨にやられたと思いましたね」と西村に打ち明け、秘めたエピソードを語り始めた。

すでに江川はメディア攻勢にさらされていた。宿舎の電話は鳴りっぱなしで、部屋まで上がってきた記者もいたという。そのあたりは、ぼくも当時の監督だった山本理(おさむ)から聞いている。「センバツを機に大変なことになった。ああなると、チームは壊れちゃうね」と打ち明けられた。 江川はこのとき、隠し部屋のようなところへ避難したそうだ。そこにソファがあった。その上でウトウトしたという。「その時、首を寝違えたのよ」。翌日の準決勝は、その痛みを抱えたまま、マウンドに上がっていた。

達川光男には「1球も全力で投げてない」
 
その点については、広島商の捕手だった達川光男も語っている。

「ワシら何とか勝ったんじゃが、あいつは首を寝違えとって調子が悪かったらしいんよ」
「それに、プロ入りしてから、お前には1球も全力で投げてないって言われたよ」

夏の100回大会を記念して2018年に朝日新聞で企画した「世代トーク」で、同世代の大野豊と対談してもらった時に語ってくれた。ぼくは同僚と、その対談を取材した。
達川は「秋の中国大会が終わって、『栃木にすごいのがおる』と監督に訳の分からん練習をさせられた」と、迫田の秘策についても触れている。無死または1死二、三塁からスクイズを失敗するという作戦だ。

「監督は『下手に当てたらフライになってゲッツーになるから、空振りせい』と。三塁走者が挟まれてタッチアウトになる間に、二塁走者が追い越す作戦ですよ」

ちなみに、夏の日田林工戦で、その応用である2ランスクイズを成功させたことには触れたが、このとき、二塁から一気に生還した走者が達川である。この対談企画では、毎回最後に、自分たちの世代に名前を付けてもらった。

「僕らは『江川世代』だね」と達川は言った。「たくさん良い投手がおって、捕手も豊作。江川のおかげだと思う。『江川を打ち崩さない限り、日本一にはなれん』が合言葉で、それまでサボることしか考えてなかったけど、ノルマより500回余分にバットを振ったりした」

1955年生まれで、異論がある野球人はいないだろう。

☝PL学園高のリードオフマン、田中一徳氏が山口鴻城高の部長に就任
https://news.yahoo.co.jp/articles/9eeb55dc9ab823aaf6a10054bcae7d3d1ccb2f0d

PL学園高(大阪)出身でプロ野球横浜(現DeNA)の元外野手、田中一徳氏(43)が山口鴻城高の野球部部長に就任したことが1日、分かった。

田中氏は、高校2年時に1998年夏の甲子園準々決勝の横浜高(神奈川)戦に「1番・左翼」で出場。延長十七回の末に敗れたが、松坂大輔投手から4安打を放った。2000年ドラフト1位で横浜に入団。1年目から1軍デビューを飾り、通算341試合に出場した。06年の退団後は、日本学生野球協会から学生野球資格の回復を認定され、拓大紅陵高(千葉)、日本経大、鹿児島第一高でコーチを務めた。

山口鴻城高は夏の甲子園に3度出場した古豪で、田中氏がPL学園高時代に指導を受けた清水孝悦氏が総監督を務めている。1日付で部長に就任し、12日開幕の春季山口大会からベンチ入りする予定。サンケイスポーツの取材に「これまでの経験を生かして、選手たちの力になれるようにやっていきたい」と意気込みを語った。

📝「激化するスカウト活動とは一線」「部員は1学年13人前後。育成時に進路提案」でセンバツ準優勝…名門・智弁和歌山を支える「ご縁」とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/061b1640b7f57715b309233b074e3112c49dfbea?page=1

新興校などが勢いを増すセンバツにおいて、甲子園優勝経験のある伝統校が存在感を見せた。準優勝の智弁和歌山の“人材育成術や特注バット”の特色を現場取材した。

ご縁があった子どもたちと一緒に日本一を
 部
員数が多ければ、能力の高い選手とめぐり合える可能性は高くなるかもしれない。一方、指導の目が行き届かない、練習メニューに制限がかかるといったデメリットを指摘する声もある。甲子園常連校でプロ野球選手も数多く輩出している強豪校の中には、部員数に上限を定める高校は少なくない。例えば、大阪桐蔭や愛工大名電は1学年15〜20人前後に制限している。
今春のセンバツで準優勝した智弁和歌山も少数精鋭のチームづくりを進めているが、他の強豪校とは少し事情が異なる。チームを率いる中谷仁監督は「ご縁があった子どもたちと一緒に日本一を目指しています」と話す。

智弁和歌山は1学年の部員数を13人前後と決めている。その理由には、まず学年ごとの生徒数のキャパがある。野球部員が在籍するスポーツコースは生徒の人数が15人前後。今春3年生になる学年から陸上部の駅伝選手が数人加わったが、それまでは野球部だけでクラスを構成していたという。野球部の塩健一郎部長は「元々、野球部は1学年10人でしたが、投手の分業制やBチームの試合を組む目的で人数を増やしました」と説明する。

育成には「進路」も含まれる
 
スポーツコースと言っても普通科のため、主要五教科の授業は他のコースと同じように行われる。ただ、5時間目や6時間目の体育の枠から野球部の練習ができるカリキュラムとなっている。

1学年13人前後の部員数は、勝利と育成を両立する上でバランスが良いと智弁和歌山は考えている。1学年10人で計30人の部員になると、ポジションやけが人などの問題でAチームとBチームの2つに分けるのが難しい。すると、試合経験に差が生まれてしまう。一方、計40人ほどであれば、AチームとBチームがそれぞれ練習試合を組める。選手の入れ替えによるチーム内競争も活発になり、結果的にチーム力の底上げにつながる。そして、智弁和歌山の育成には「進路」も含まれている。塩部長が語る。

「みんなに活躍できる機会があるところが智弁和歌山の良さでもあります。部員が多すぎると選手一人ひとりに目が行き届かない面もあります。選手たちのゴールは高校野球ではありません。大学や社会人で野球を続ける上で高校時代に試合に出た経験は重要になりますし、指導者が選手の特徴を知っていれば選手に合った進路を提案できます。ご縁があって智弁和歌山に入ってきてくれたので、進路もサポートしたいと思っています」

もちろん、選手全員がベンチに入れるわけではない。だが、選手たちにはアピールするチャンスが与えられているのだ。

「一般的なスカウト活動はやっていません」中谷監督も塩部長も口にする「ご縁」。この言葉に、他の強豪校とは異なる智弁和歌山のチームづくりが表れている。中谷監督が言う。

「ご縁のあった選手たちと勝つためのベストな方法を模索しています。うちはスカウト活動をしていませんから」

強豪校は一般的に、全国各地を回って有望な中学生を視察して入学を勧める。全国大会で優勝したチームの主力選手らの中には、50校を超える高校から声をかけられるケースがあるほど、スカウト活動は激化している。しかし、智弁和歌山は、この競争に加わらない。チーム内には和歌山県外の選手も在籍しているが、いわゆるスカウト活動とは一線を画す。塩部長は、こう話す。

「うちの方針は智弁和歌山で野球がしたい選手に限って視察するスタンスです。良い選手がいると聞いて見に行って声をかけることはありません。中学生を全く見ないわけではありませんが、一般的なスカウト活動はやっていないと言えます」

「智弁和歌山で野球がしたい」球児を生かす監督の役割
 
智弁和歌山への入学は「智弁和歌山で野球がしたい希望」がなければ、スタート地点に立てない。どれだけ全国的に有名でも、その気持ちがない選手は対象外となる。例えば、今大会は木製バットの使用で注目された大谷魁亜選手は「自分は和歌山出身で、ずっと智弁和歌山に憧れていました」と入学の理由を明かす。
この選手たちの特徴を生かすのが中谷監督の役割となる。

📝「野村克也監督から提案を」“阪神→楽天→巨人”元プロの智弁和歌山監督が教え子に“1200グラム木製バット”を勧めた背景「指導者の役目だと」
https://news.yahoo.co.jp/articles/a041b5ffad7f75ff7bc5c5ef9f9ee6d0b3324041

選手の特徴を見極めて生かすのは指導者の役目
 
2025年春のセンバツで準優勝を果たした智弁和歌山。部員数は決して多くなく、中学時代は全国大会に縁のなかった部員も少なくない。中谷監督はチームの理想像を定めていない。在籍する選手それぞれの特徴を最大限に引き出すことこそが、目指すチームの形となる。新2年生と新3年生の2学年で戦う昨秋から今春のセンバツにかけては、特に苦労が大きかったという。

「部員数が少ないので、誰がどこにはまるか試行錯誤してきました。けが人もいましたから」

苦悩の跡は選手の背番号にも表れている。今春のセンバツでバッテリーを除いて守備番号と背番号が一致していたのは、ファースト、センター、ライトの3つだけ。サードの奥雄大選手は17番、セカンドの大谷魁亜選手は6番でショートの黒川梨太郎選手が4番を付けた。中谷監督が冗談交じりに明かす。

「もう少しメンバー登録の提出期限を遅くしてくれたら、背番号と守備位置を合わせられると思います。メンバー登録の時点ではセカンドとショートが逆でしたが、練習していく中で今の形の方が良いと判断して入れ替えました」

センバツ出場校は、大会が始まる1カ月以上前に背番号を含めた選手登録を済ませる必要がある。その時点で指揮官がベストと考えた布陣は1カ月の間に変化する。それだけ、中谷監督はあらゆる可能性を模索しているのだ。

「選手の特徴を見極めて生かすのは私たち指導者の役目です。今は打球角度やヘッドスピードなど数字が出る時代なので、自分の経験や感覚だけではなく、論理的に考えながら選手を指導する必要もあると思っています」

「ご縁」とチーム力、そして打撃力
 
中谷監督は阪神、楽天、巨人と3球団でプレーしたプロの知識や経験を持つ。その強みを生かしながらも、固執や押し付けはしない。客観的な数字を見ながら、選手に提案する。
選手と指導者をつなぐ「ご縁」。一期一会を大切にする姿勢はセンバツで準優勝を果たしたチーム力と決して無縁ではない。それは打撃面に目を移しても見えてくる。

今年のセンバツは低反発バットが導入されてから2度目となった。本塁打は31試合で計6本。ランニング本塁打を除くスタンドインは4本。柵越えが少ない流れは変わらなかった。前回大会は2本だった柵越えの本数に大きな変化はない。ただ、打球には違いが生まれていた。“低反発バット元年”と比べ、今大会は内野手の間を抜ける安打や内野手の頭を越える安打が増えた。

打球速度の変化はチーム方針の徹底と選手の適応力にある。上位に進出した高校の監督や選手は共通の言葉を口にしていた。

「低くて強い打球」

例えば、ベスト4入りした健大高崎・青柳博文監督は「うちは、つなぐ意識で1点ずつ積み重ねるスタイル。低反発バットには順応しています」と語る。16安打9得点で花巻東に勝利した準々決勝では、15本の単打で得点を重ねた。その健大高崎に準決勝で勝利した横浜は、世代ナンバーワンと評される石垣元気投手に対して内野の間を抜く強い打球で攻略した。この試合、12安打のうち10本が単打だった。

「そうやって煽らないでください」と言ったこと
 
智弁和歌山も「低くて強い打球」を追求するチームの筆頭と言える。2回戦のエナジックスポーツ戦では13安打9得点。12本の単打でつないだ。中谷仁監督は試合後、報道陣から「強打の智弁和歌山が復活した印象ですが」と質問されると、笑顔を見せながら慌てて否定した。

「そうやって煽らないでください。うちは攻撃のチームではありませんから。私も選手たちも、『いってやろう』という気持ちになってしまいます。うちのチームにはオーバーフェンスを狙える選手が少ない。今のスタイルで勝てているので勘弁してください」

中谷監督は低反発バットの影響以上に、個々の選手の特徴を重視した結果、野手の間を抜く低くて強い打球をチーム全体に浸透させてきたという。とはいえフルスイングや長打を狙う打撃を否定するわけではない。

「スキルやフィジカルが長けていてオーバーフェンスする力がある選手は、長打を狙ったスイングをした方が良いと思います。私たちのチームのように、その確率が低いのであれば、一番確率良く安打が出る方法を考えることで勝利に近づけると思っています」こうも説いていた。

“1200グラムの木製特注バット”を使った2人
 
安打や勝利の確率を上げる手段の1つとして、智弁和歌山が取り入れたのが「特注バット」だ。7番・大谷魁亜選手と9番・黒川梨太郎選手は、通常の金属バットよりも太い木製バットを肩にかつぐように構えて打席に立った。

バットの重さは1200グラム。プロ野球選手でも900グラム台のバットを使っていることを考えると、その重さが分かる。メーカーはフォースキフトで、1本1万円以下と価格は安い。しかも、大谷が「根元や先に当たっても折れません。一度も折れたことはありません」と話すほど強度が高い。大谷と黒川は、この特注のバットを拳1つ分空けて短く持ち、バットの重さを利用して叩きつけるようにスイングする。黒川が解説する。

「少し上から振る感覚です。今までは投球のラインにバットを入れる意識でスイングしていましたが、木製バットに変えてからは投球に対してバットを上からぶつけるイメージに変更しました」

中学までは長打を期待されていたが、つなぎ役に
 
身長172センチ、体重70キロと決して体が大きくない黒川は打席で、速球に力負けする課題があった。そこで、昨秋に中谷監督から木製バットを勧められた。最初は1200グラムの重さに苦労したという。それでも、秋から冬にかけてバットを振り込み、少しずつ操れるようになってきた。

「はじめは振り遅れて打球が後ろに飛んでいました。ただ、毎日振っていると徐々に慣れてきて、前に飛ぶようになりました。1200グラムのバットは重い分、しっかりとスイングできれば投球に押されません」

黒川が木製バットに挑戦したのは、チームへの貢献とチーム内競争に勝ち残るためだ。智弁和歌山では小技を含めたつなぎ役に徹しているが、中学時代までは長打を期待される打線の中心を担っていた。高校に入学するまで、試合で犠打の記憶はほとんどないという。

「自分は上位打線の選手たちのように打力がありません。1番打者につなぐ役目でチームに貢献したいと思っています。木製バットを使っているのは、強い打球で内野の間を抜く単打が目的です」

最初はバットに振られるイメージだったが
 
7番に入る大谷は黒川よりも早い時期に中谷監督から木製バットを打診された。昨夏、選択肢として示されたという。「最初は戸惑いました」と語る大谷も黒川同様、中学生まで小技やつなぎ役とは無縁だった。

「ただ、高校では体の成長に差があって体格の大きい選手と同じようにしていても勝てない部分があります。自分の特徴を生かしたスタイルを確立していこうと切り替えました」

大谷の身長は175センチと平均的だが、体重は72キロとやや細身。1200グラムの木製バットは想像以上に重く、今までのスイングとは考え方を変える必要性を感じた。

「バットを振るというよりも、最初はバットに振られるイメージを持ちました。大振りせずに、バットの芯に当てることだけ意識しました」

筋力トレーニングや振り込みでバットの重さに負けない力を付け、試合でも安打が出るようになった。今大会は13打数5安打の打率.385。内野の間を抜いたり、外野の前に落としたりする打球で持ち味を発揮した。犠打も5つ決めてチャンスを演出。木製バットの感覚に慣れると、犠打は金属バットよりもやりやすいという。

じつは現役時代「野村監督から“太い方が…”と」
 
じつは、特注の木製バット導入は中谷監督の現役時代の経験がきっかけとなっている。指揮官は楽天でプレーしていた当時を回想し、黒川と大谷に木製バットを勧めた理由を明かす。

「現役時代に使っていたのは、ちょうど2人が使っているような太さと重さのバットでした。私は打撃が苦手だったので、野村(克也)監督から『太い方が当たるだろう』と提案されました。黒川と大谷は色んなスキルを身に付けるために木製バットを使っています。打撃を得意としていない選手には、『こういう生き方もあるんじゃない? 』と伝えていくのは指導者や先輩の役目だと思っています」

2人はスイングスピードをガムシャラに追い求めるより、スイングが速くなくても安打を増やしたり、レギュラーをつかんだりする確率を高める選択肢として示した。

打球を遠くに飛ばす打者にはロマンがあるが、飛距離だけが打力ではない。低反発バットに合わせた打撃を磨くのか、木製バットを使うのか。それとも、バットに左右されないフィジカルを作るのか。第1回で触れた智弁和歌山のチーム作りと同様に――高校野球には選択肢は様々あり、正解は1つではない。

💢U18代表候補強化合宿 横浜・阿部葉太コンディション不良で辞退 センバツV貢献、世代の中心
https://news.yahoo.co.jp/articles/dec9e4fa1e01430a672a3339a90ddcc7dd16ec14

日本高野連は2日、U18日本代表候補強化合宿の辞退選手らを発表した。合宿は3日から5日まで関西圏で行われる。

今春センバツで優勝した横浜(神奈川)を主将として引っ張った阿部葉太外野手(3年)は、コンディション不良のため全日程不参加となった。甲子園でも活躍し、世代の中心選手として期待されている。

延岡学園(宮崎)藤川敦也投手(3年)と神村学園(鹿児島)今岡拓夢内野手(3年)はともに春季大会と重なるため、全日程不参加。

滝川(兵庫)新井瑛太投手(3年)は春季大会の試合後に途中合流する。

今回発表されたメンバーは42人。日本代表は今年9月にU18W杯(沖縄)を戦う。
2025/04/02(水) 22時28分21秒 No.1690 編集 削除