自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」

ようこそいらっしゃいました。監督(管理人)の宏鈴法師です。当掲示板は全国どこの話題でもOKですのでどうぞ野球談義・よもやま話をお楽しみ下さい!なお、ご意見ご要望はメールでお願いします。悪しからずご了承くださいませ。


紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
⚾今日のセンバツ甲子園試合結果(2回戦)
7日目第1試合 沖縄尚学(沖縄)-横浜(神奈川) 9:02~11:27
          一二三四五六七八九十計HE
      横  浜302010200 8110
      沖縄尚学004000210 7133

7日目第2試合 西日本短大付(福岡)-山梨学院(山梨) 12:02~14:15
          一二三四五六七八九十計HE
      西短大付330200003 1182
      山梨学院200000210 5101
7日目第3試合 東洋大姫路(兵庫)-広島商(広島) 14:49~16:56
          一二三四五六七八九十計HE
      広 島 商060000000 6111
      東洋姫路000001100 251

⚾明日のセンバツ甲子園組み合わせ(8日目 2回戦)
 ☆☆ 09:00~ エナジック(沖 縄)-智弁和歌山(和歌山)
    11:30~ 早稲 田実(東 京)-聖光 学院(福 島)
    14:00~ 浦 和 実(埼 玉)-東海大札幌(北海道)

💢鎮西高野球部元監督「暴力ない」 名誉毀損で学校側を提訴
https://news.yahoo.co.jp/articles/8f096a12e208582a05fe4ae60b4547f664208885

鎮西高校野球部の元監督の男性が、損害賠償を求め提訴です。
学校の運営法人の幹部が、報道機関に対し指導で「暴力があった」と、事実とは異なる発言をするなどし、名誉を傷つけられたと主張しています。

鎮西高校江上寛恭野球部元監督「私は全く暴力を振るっておりません」

24日、会見を開いたのは、鎮西高校野球部の元監督江上寛恭さんです。江上さんは、2024年10月に会見を開き、2022年に野球部の監督を不当に解任されたなどと訴えていました。

訴状によると、この会見の後、学校を運営する鎮西学園の男性事務局長は、県内のテレビ局の取材に対し、江上さんの指導で「暴力、暴言、有形力の行使があった」などと発言、視聴者などが江上さんを「生徒に暴力を振るった」と認識するようになり、名誉を傷つけられた等として、鎮西学園と幹部ら4人に対しあわせて2000万円の損害賠償を求めています。

鎮西学園は「提訴の有無や内容について正式に確認できていない」「法的見地から必要な主張反論を行うなど、適切に対応する」などとしています。

📝二松学舎・市原監督が振り返る43年前、PL学園との決勝戦 「あの時の悔しさが今も残っている」
https://news.yahoo.co.jp/articles/b9b934911aa230da07f4f5c475e7fb7e060ecd33

春のセンバツの開会式直後に行なわれた二松学舎大付(東京)と柳ヶ浦(大分)との一戦は、両軍の先発投手の好投で締まったゲームになった。1対1で迎えた6回裏、続く7回裏に二松学舎が加点。9回に3対2まで追い上げられたものの、そのまま逃げ切った。

この10年、甲子園常連校となった二松学舎にとって、センバツ勝利は43年ぶり。現在指揮をとる市原勝人監督が当時のエースだった。

【大ちゃんフィーバーの始まり】

それより少し前、1980年に時計を戻してみよう。1980年夏の甲子園、優勝候補の北陽との1回戦に臨む早稲田実業のマウンドには、背番号11をつけた1年生投手が立っていた。早稲田実業はその春のセンバツで準優勝した帝京を下して甲子園までたどりついたものの、全国に名を知られる選手はひとりもいなかった。

その1年生投手、荒木大輔は当時をこう振り返っている。
「僕たちは強くないというのが全員の共通認識でした。北陽は強打で大阪を勝ち抜いたチーム。僕が1年生ピッチャーだということもあって、おそらく相当な自信を持っていたと思う」

しかし、1回表に1点を先取した早実は3回に3点を追加し、5回と9回にも1点ずつ奪った。2時間9分の試合は、終わってみれば6対0で早実の圧勝、荒木はチーム打率3割7分4厘を誇る強打の北陽打線に1安打しか許さなかった。
荒木が言う。

「北陽が優勝候補だということも意識していませんでした。試合前に荷物をまとめて宿舎を出て、目の前の試合のことだけを考えた。僕は、甲子園で勝てたことがただうれしくて、記者の数が多いのを見て『甲子園はこんなにすごいんだな』と感じていました。大阪代表に勝つと、こんなに注目されるんだなと。でも、僕たちのまわりだけ特別だったんですね。甲子園を出てからそれに気づきました。あの試合が終わった瞬間に『世界が変わった』と感じました」

その大会で勝ち上がった早稲田実業は決勝で愛甲猛がいる横浜に敗れた。しかし、「甲子園のアイドル」が降臨したことによって、テレビ、新聞など多くのメディアが群がり、女子高生をはじめとする女性ファンが甲子園に大挙するようになった。

ここが2年以上続く「大ちゃんフィーバー」の始まりだった。その後4大会連続して、荒木と早稲田実業は甲子園に出続けた。

【目標は早実より先に負けないこと】

荒木と同学年の東京の球児たちは「打倒・早稲田実業」を目指したが、そのなかのひとつが二松学舎だった。市原監督が当時をこう振り返る。

「荒木大輔との初対戦は、1年生の夏の東東京大会の決勝戦。早実の先発投手が大輔で、僕は途中から代打で出ました。中学を出たばかりの僕からすれば、あれだけ落差があってブレーキの鋭いカーブを投げるピッチャーは見たことがなかった。だから『カーブのいいピッチャーだな』というのが第一印象」

好投手であることを認めながらも、その夏の大ブレークを予想していなかった。

「甲子園に行けなかった僕たちは夏休みの間、静岡県で合宿をしていました。きつい練習をしたり強豪チームと練習試合をしたりしている間、大輔のいる早実はずっと勝ち続けていました。もちろん、決勝まで無失点の好投を続ける大輔もすごかったんですが、同じ1年生の小沢章一も活躍していたから、『一度も甲子園に行けないかも......』と思ったものです」

1980年秋の東京大会で、二松学舎は準決勝まで駒を進めた。

「僕らは神宮第二球場で修徳と戦っていて、7回まで勝っていたんですが、他球場で試合をしていた早実が勝ったという場内アナウンスが流れた瞬間、先発投手の僕は降板させられました。次の早実戦のために温存しようと監督が考えたからだと思います。でも、次のピッチャーが打たれて同点に......またマウンドに上がった僕が打たれてサヨナラ負け。その時から、『早実に勝ちたい、やっつけたい』という気持ちが強くなりました」

その翌年、秋の東京大会決勝戦で早稲田実業と二松学舎が対戦した。9回ツーアウトまでリードしていた二松学舎だったが、逆転負けを喫してしまった。「打倒・早実」は果たせなかったが、東京からセンバツに2校が選ばれ、甲子園への出場が決まった。その時の心境を市原はこう語っている。

「僕たちの頭のなかにあったのは、甲子園で勝つことではありませんでした。目標は『早実より先に負けないこと』。1980年春のセンバツで帝京が準優勝していたこともあって、甲子園を少し舐めていたような部分がありました。『東京で勝ち上がったチームなら甲子園でも上位にいけるだろう』と思っていました」

【選抜決勝でPL学園に大敗】

二松学舎のエースは甲子園のマウンドで躍動した。初戦の長野戦で6安打完封勝利。鹿児島商工、郡山、中京など強豪を下して決勝に進んだ。PL学園に2対15で敗れたものの、見事な準優勝だった。

「荒木のいた早実は日本一にはなれませんでした。でも、彼らが東京のレベルを引き上げてくれたことは間違いないですね。東京の大会での早実は本当に強かったですから。荒木は手も足も出ないようなすごいボールを投げるピッチャーではありませんし、野手もいい選手は揃っていたけれど、圧倒されるほどではない。野球選手としてそれほどすごいわけじゃない。でも、なぜか勝てない。あのユニフォームを着て、球場で『紺碧の空』が流れると、違う選手になる」

あれから半世紀近い時間が過ぎ、この春、市原は還暦を迎えた。柳ヶ浦との試合後、43年ぶりのセンバツ勝利の喜びをかみしめるようにこう語った。

「あれ以来の勝利ですか。43年前のセンバツを思い出すと、簡単に勝ったような気がします。スイスイ勝ち上がれたような(笑)。監督さんはそうじゃなかったんでしょうけど、そんなにてこずった記憶はありませんね。

でも、監督の立場になって戦ってみると、ひとつ勝つことは本当に大変だなと思います。甲子園に出てくるようなチームはどこも粘っこく戦ってきます。だからここまでたどりついたんでしょう。だから簡単ではありません」

市原監督にはセンバツ決勝戦の悔しさが残っているという。

「あの時、決勝戦でPL学園に2対15という大差で負けたんです。野手たちは決勝で大敗しても『準優勝だ』と思ったかもしれませんが、ピッチャーだった私はそういう感情にはならなかった。おそらく監督もそうだったでしょうね。決勝での負け方にはインパクトがありました。あの時の悔しさが今も残っています。だから、今も高校野球に関わっているのかもしれません」

二松学舎は3月23日、花巻東(岩手)と対戦する。市原監督はこの大会で、17歳の時の悔しさを晴らすことができるだろうか。

☟PL学園「野球部復活」はおろか「2025年度の受験者は過去最低の2人…」桑田真澄OB会長も「生徒を増やす方法がない」【大阪・授業料無償化のなかでの惨状】https://news.yahoo.co.jp/articles/e8f817353742e851edb2fada4c447d2a3abe9b03

今春のセンバツには、高校野球に一強時代を築いてきた大阪桐蔭や、大阪府内のライバルである履正社が出場していない。昨秋の近畿大会で両校を上回るベスト8に進出した大阪学院大高も近畿地区6校の選に漏れた。全国屈指の激戦区である大阪府の学校がセンバツに出場しないのは、実に98年ぶりという異例の事態だが、大阪府の「消えた名門校」として思い出されるのは、2016年に活動を休止したまま、事実上の廃部となっているPL学園も同じだろう。

桑田真澄OB会長の嘆息「現状は生徒を増やす方法がない」
 
2025年が明けて間もない1月12日、大阪市内のホテルで開催されたPL学園硬式野球部OB会の親睦会終了後、学園の母体であるパーフェクトリバティー教団との交渉役を担ってきた桑田真澄OB会長は、母校の現状についてこう明かした。

「高校、中学校と、1学年10人前後の生徒数しかいない。男女比はだいたい1対1ぐらいですから、1学年に男子生徒が5~6人しかいないようです。厳しい状況が続いています」

野球部が存続していた時代は、信者以外の生徒にも門戸を開放していた(ただし、入学に際して両親と共に入信する必要はあった)ものの、現在のPL学園は信者の2世や3世しか入学できず、より宗教色の濃い学校となっている。

「生徒数を増やしたいんですが、教祖さまから拝受する御守り(おみたま)を持っていないと、受験することができないんです」(桑田会長)

しかも、現在のPL教団は2020年に御木貴日止3代教祖が死去して以降、おみたまを下付する教祖不在の状況が続く。

「ですから、現状は生徒を増やす方法がない。これでは減少する一方ですよね」(桑田会長)

2024年の親睦会で桑田会長は「すべては4代教祖が誕生してから」と話し、今年は教祖不在の状況に嘆息した。PL学園のみならず教団の現在にまで言及することが多くなった桑田会長には、もはや野球部復活に対して諦めに近い心境も芽生えているのかもしれない。

1学年の生徒数が一桁になる可能性も
 
10年以上にわたってPL学園およびその母体であるPL教団の取材を続けてきた筆者は、毎春、PL学園高校に設置された2コース(国公立コース、理文選修コース)の外部受験者数を確認してきた。2021年の段階から定員を大きく割れる競争倍率だったが、2023年にはとうとう国公立コースの受験者がゼロに。そして、今春の受験者は2コースそれぞれ1人しか受験者がいなくなってしまった。調べてきた限り、過去最少の受験者数だ。

受験者のうちひとりは併願での受験である。熱心な信者の2世であれば宗教学校としての色が濃くなっている同校への受験は専願で望むと考えるのが自然であり、併願の中学生は本命校の滑り止めでPL学園を受験している可能性もあるだろう。本命校に合格し、そちらに進学したとなれば、2026年度にPL学園に進学する生徒はわずかひとりということになる。

もちろん、PL学園中学からの内部進学者はいる。それでも学園が公表している事業報告書(令和5年度)を見ると、2025年に高校1年生となる中学校の生徒数は8人となっている。いよいよ新年度には1学年の生徒数が一桁台にまで落ち込む可能性がある。

2026年度から大阪の私立高校の授業料が完全無償化となり、私立を志望する中学生が増えているといわれるが、PLにとっては関係ないようだ。結局は教祖不在という宗教団体としての異様な状況が、こうした学園の惨状を招いている。野球部復活への光明などあるはずがない。

☟横浜・織田翔希、3回途中での緊急降板は『指のアクシデント』…、村田浩明監督が明かす、152キロ”松坂大輔超え”で注目の2年生右腕
https://news.yahoo.co.jp/articles/ce4ef51a1c00b9fa0a11f7f6f185e4c102e45a1a

◇24日 第97回センバツ高校野球大会2回戦 横浜8―7沖縄尚学(甲子園)

昨秋の明治神宮大会王者の横浜(神奈川)が沖縄尚学に競り勝ち、13年ぶり8強入り。先発したものの3回途中降板となった織田翔希投手(2年)について、村田浩明監督は試合後のインタビューで「指のアクシデント」による緊急降板だったと明かした。

織田は1回戦・市和歌山戦の1回、センバツの2年生で最速タイとなる152キロをマーク。大先輩の松坂大輔(元レッドソックスほか)が1998年夏にマークした151キロも超えたことで注目されていた。この日は2イニング3分の2を投げ、6安打4失点だった。

村田監督は試合のポイントを尋ねられた場面で「チームとしてはちょっと織田が指にアクシデントがあったのでちょっと緊急降板ということになりました。1イニング4点とられたことが練習試合を含めてなかったので、そういった部分でまだチームの弱さを少し感じた」などと言及。織田の指にアクシデントがあったことを明かした。

💢東洋大姫路・高畑知季が体調不良で欠場 1回戦では2安打 センバツ
https://news.yahoo.co.jp/articles/a4a5cc8e2a527c2aeaa8eb0da8a5246b76a3285a

選抜高校野球大会の大会本部は24日、東洋大姫路(兵庫)の高畑知季選手(3年)が体調不良のため、広島商と対戦する第3試合の2回戦でベンチ入りしないと発表した。東洋大姫路は19人で戦う。

高畑選手は20日にあった壱岐(長崎)との1回戦で、「3番・遊撃」で先発出場し、五回に適時三塁打を放つなど5打数2安打1打点と活躍して初戦突破に貢献していた。

東洋大姫路は1回戦で右肘に張りを感じ、1回限りで降板した大会注目のエース右腕・阪下漣投手(3年)も2回戦はベンチスタートとなった。

👣優勝候補の東洋大姫路が8強入り逃す 右肘故障の阪下漣「この負けは自分のせい」
https://news.yahoo.co.jp/articles/f90e4e11a6b3d5cafd05f4935480a09242e35cb6

<センバツ高校野球:広島商6-2東洋大姫路>◇24日◇2回戦

東洋大姫路(兵庫)が広島商との地区王者対決に屈し、8強入りを逃した。初戦の壱岐(長崎)戦で8回無失点と好救援した木下鷹大(ようた)投手(3年)が先発も、2回に守備のミスが重なり満塁で適時三塁打を浴びるなど一挙6失点。岡田龍生監督(63)は「完全なミスで点を取られた。自分らがやってきた野球と全然違う野球をしてしまった」と悔やんだ。

優勝候補の一角に挙がっていたが、アクシデントが重なった。初戦でプロ注目のエース阪下漣投手(3年)が「右肘の張り」で1回で降板。この日は3番を打つ高畑知季内野手(3年)が体調不良のためベンチ外となっていた。エースと中軸の欠場が痛手となった。

阪下は「この負けは自分のせい」と悔しがった。初戦の翌日21日に病院の診察を受け、右肘靱帯(じんたい)の損傷と診断を受けたという。「全治としては夏には間に合うような感じ。夏に最高のパフォーマンスができるように取り組んでいくしかない」と力を込めた。

⚾岩手さんへ
今日はホームランも出たし、センバツにしては珍しい乱打戦の応酬でしたね!!
気温も高く、第3試合途中で雨降りましたが最小限で済んでよかったかと。

しかし、よもや東洋がここで甲子園を去るとは夢にも思わなかったですね・・・・・。
昨秋、松江で広島商7ー2米子東の試合を観戦した時から、広島商は迫力がないから強さを感じないとずっと思い続けてましたがまさかセンバツ8強入りとは・・・・・。

広島といえばここ数年ずっと広陵の独壇場で、真鍋選手や高尾投手などなど投打にプロ注目の選手が並んでおり中国大会でも他の追随を許さないプレーを見てきたので、、、

東洋にとってはエース・阪下の登板回避でチームが動揺した感じですね。。。。。
悲しいかな健大高崎や横浜は大苦戦を強いられながらもなんだかんだで評判通り8強入りしているのがつらいですね↓↓

横浜はマシンガン継投に走りまくって、もうちょっと楽に勝てる展開を自分で自分の首を絞めるがごとく苦戦してましたが、9回裏はゆとりをもって守り切った感じでした。。。

山梨学院も菰田投手をもっと有効活用すれば勝てていたと思いますが、当初から3イニング限定登板と決めていたようだし、打線が5点取ったので継投が決まれば勝機はあったかと。
そこに負けた天理の株がまた下がりましたが、仮に1回戦勝っても西短打線に粉砕されていた可能性が高いですね、、、

明日・明後日と甲子園に行きます。関西はまだまだ桜の開花は遠いと思われますが、、、今津~甲子園の道中に今津中学校がありここの彼岸桜はいつも早いので咲いてますよ。
あと、3/14京都に出かけた際も早咲きの品種は咲いてました!

27日に西国三十三か所の一角で和歌山の標本木がある紀三井寺に行くので、その折にはほんの少しだけ咲いていると嬉しいですね!

コロナ騒動前後の頃合いは3/20開花のときもあり、MYバースデーは満開という年もありましたが、去年あたりから遅くなってますね。。。
2025/03/24(月) 22時17分59秒 No.1673 編集 削除