自ら健康に、水から健康に。合言葉は「はやめに、こまめに」

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紀州レンジャーズ チーム結成以来全成績 175勝187敗35分け 42雨天中止  4新型インフルエンザ発生&流行中止1降雨ノーゲーム(OBチーム1試合)
💢近大福岡高の野球部員が飲酒や喫煙、賭けトランプ 活動自粛
https://news.yahoo.co.jp/articles/7367dc8ef7d40d6346f9af55c847a0c6ee810607

近畿大付属福岡高(福岡県飯塚市)は11日、野球部員が飲酒や喫煙、現金を賭けたトランプゲームをしていたと明らかにした。野球部は11日から活動を自粛しているという。

同校によると、練習試合のため2~6日に関西に遠征した際、複数の部員がホテルやフェリーの中で飲酒などをしていた。7日夜に匿名で情報提供があり発覚。同校は県高野連に報告し、警察にも相談している。20日に開幕する第156回九州地区高校野球福岡大会への出場は高野連の判断に委ねるとしている。

小林一郎教頭は「対象の部員に生活指導を行った。再発防止に努める」と話した。

野球部は2001年創部。甲子園の出場経験はないが、23年の第95回記念選抜高校野球大会で21世紀枠の県推薦校に選出され、24年夏の福岡大会では初の4強入りを果たしていた。

📝<甲子園優勝監督に聞く>プロ出身、智弁和歌山の中谷仁監督 名将に学んだ「準備野球」とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/c6c55e5ea95e7d8541139c966827203c730d7534

智弁和歌山の選手、監督として春夏10回の甲子園出場を果たし、それぞれの立場で全国制覇を達成した中谷仁監督(45)。名将と呼ばれた高嶋仁前監督の指導を受け、「ID野球」など独自の野球哲学を築いた野村克也氏の下で理論を学んだ。監督就任7年目で「バッテリーを中心とする野球が得意分野」と語る中谷監督に、これまでの経験を踏まえた指導法や野球への考え方を聞いた。

◇プロからアマに

――2018年夏、歴代2位の甲子園通算68勝を挙げた前任の高嶋さんから監督職を引き継がれました。時代が変わってもあえて指導方針を変えていないことはありますか。

◆勝ちに向かって最善の努力をする本質的なところは変わらないと思います。僕は高嶋先生の指導を3年間しか受けていないし、プロを経験してアマチュアに戻ってきた人間なので、比較しようがないと思います。ただ、高嶋先生の指導を変えるのではなく、プラスしているというイメージです。

――選手は「中谷野球は準備野球」と口をそろえて言います。トレーニングや戦術を事前に徹底して準備しておくことだと理解していますが、そこは新しく取り入れた点でしょうか。

◆経験に基づく指導や、勉強して新たに取り入れてきた部分もあり、そこは「変わった」と表現できるのかもしれません。

――指導法のベースはプロで経験してきたことでしょうか。

◆もちろんプロで見てきた世界はベースにあるんですけど、うちが変わっていないところで言うと、少人数で練習量を確保するところ。ただ、けがを予防する必要があるので、子どもたちを守るためのアプローチとして酵素浴(発酵による熱で体を温める乾式温浴)などを取り入れています。これらは明らかに僕が現役のときはなかった。

◇縁がつながる

――「丸刈り」も変わらないことの一つでしょうか。

◆それは周囲が言っているだけ。3年ほど前に部内でアンケートを取ったことがあるのですが、髪を伸ばすことを子どもたちが望んでいなかった。(理髪店の)営業時間内に練習を抜けることが嫌だという選手が多いのもうちの特徴です。しかも、野球はお金がかかる。「1回3000~4000円の散髪代を節約できる」という意見が多かった。丸刈りは部のルールではありません。

――少子化や野球人口の減少を背景に、部員を確保するうえで工夫していることはありますか。

◆人数は1学年10人程度という方針は昔から基本的に変わっていません。僕が現役の頃は二つ上の学年は8人で、10人を下回ることも上回ることもありました。目安として今は13人です。

――部員確保の難しさはありますか。

◆ありがたいことに、入部を希望してくれる子のなかで縁がつながっている。指導者から連絡があって初めて大会を視察に行くんですが、うちはスポーツ推薦がないので違う学校から誘われているところを猛烈に勧誘することはない。年間100人以上の入部希望者がいるので、12、13人ほどであれば(定員に)達するという感じですね。

――データはどれだけ重視していますか。

◆選手育成の一環として、筋力アップのための数値は取っています。リーグ戦ではないので他校同士の対戦は参考にならないし、夏の和歌山大会では全試合をテレビ中継しているので、データといえばその試合を見る程度。相手の傾向を知るだけであって、高校野球の場合はそこは昔も今も変わらないのではないでしょうか。

◇理想は作らず

――中谷監督が考えるリーダー論とは。

◆こういうタイプのリーダーもいるんだと、子どもたちに勉強させられることも多いです。自分にも他人にも厳しい主将がいれば、包容力がある主将、背中で引っ張るというタイプもいて。そのときに応じて必要なリーダーが出てくるんだと考えています。こちらが理想を作ってまね事をさせるのではなく、自然とこの人が中心なんだな、という選手がその組織にとって必要なリーダーなんだと思いますね。

――毎年、主将はどのように決めているのでしょうか。

◆僕と選手の感覚がずれていてはうまくいかないので、選手たちとはいろいろな話をしますね。前チームは、一つ上の代が夏の和歌山大会初戦で負けたので7月16日に新チームが始まったんですが、適任者がいなかった。1、2週間で交代して主将を務めてもらったところ、求められる選手が出てきた。固まったのは秋季近畿地区大会の出場を逃した10月ごろで、本人も覚悟を決めたんでしょうね。

◇野村野球がベース

――「バッテリーを中心とした守りの野球」を掲げていますが、その背景は何でしょうか。

◆今のチームは主軸になる良い投手と捕手に恵まれたので、そういう戦い方になっています。毎年そういうチームを目指して編成しているわけではなくて、縁があった子たちのなかで適性を見ていくのがたぶん高校野球のベースだと思う。全国制覇した21年のメンバーも好投手が4、5人、良い捕手が2年生にいて、バッテリーを中心に作ったチームだったんです。そこに打線がうまくかみ合って日本一になることができた。

――「強打」に期待するファンもいるのでは。

◆日本一になっても「ガンガン打ち勝つ豪快な野球じゃないからつまらない」という声も聞こえてきました。それに反応してしまう自分もいて、「よっしゃ、じゃあ打ち勝つチームを作ってやろう」とチャレンジして、うまくいかなかったこともありました。プロでの現役15年のうち、7年間は野村さんが指揮を執る球団にいたんです。現役時代の半分近くで野村さんの野球を必死に学んできたので、バッテリーを中心とする野球は僕の得意分野になるのかなと。今年は好投手との縁があり、秋以降の結果につながってきたのかなと思っています。

――野村さんの野球を受け継いでいることになるのでしょうか。

◆(阪神で)吉田義男さん、(阪神と楽天で)星野仙一さんにも勉強させてもらいましたし、最後の(巨人で)原辰徳さんの影響力も大きい。それでも、同じ捕手だったというのもあって、自分の野球観は野村さんの野球を学んだことがベースになっています。

――智弁和歌山の野球はいわゆる「ID野球」と表現できるんでしょうか。

◆まさしく、野村野球は「準備野球」なんですよ。そこにつながってくる。ただ、高校野球に関して言えば、「データ」というよりは必要な準備に最善を尽くす、そういう感覚ですね。さらに勉強していきたいと思っています。

📝名門「龍谷大平安」野球部・原田監督が語っていた「今の高校生を指導する」ことの難しさ…課題の「ノート」を大事にしていた理由も
https://news.yahoo.co.jp/articles/6c6cd556001820804a91a6ea8b1232124b2c4b4f

「監督が部員に手を上げることは、もってのほか」

甲子園の監督通算勝利数が歴代14位タイの31勝を挙げた龍谷大平安の原田英彦監督が、野球部員への体罰の責任をとって、3月2日付で辞任、学校も退職した。

同校の山脇護校長が5日、京都市内で経緯を説明したところによると、原田監督は2月13日の夜、寮のロビーで部活の課題ノートの提出を忘れた部員2名を指導。1人は手の平や紙製のノートで頭や肩、喉付近を10回以上たたき、全治およそ30日の打撲傷を負わせた。もう1人は手のひらで頭を5回程度叩いたが、けがはなかった。

学校は翌日になって被害部員から、「監督から暴力を受けたため登校できない」という報告を受け、山脇校長が事実を確認。原田監督が認めたことで自宅待機を命じるとともに、調査委員会を設置。

その結果、学校法人の常任理事会は就業規則に定める懲戒事由に該当すると判断。懲戒の手続きを開始したが、2月17日に原田監督から退職届が提出され、3月2日付の退職が決まった。

原田監督は、「生徒を何とか活躍させたいという思いが強く、体罰に至ってしまいました。大変申し訳ないことをした。学校に戻って野球を続けてほしい」と話しているという。

筆者は正直、残念だった。今から3年前の2022年、拙著『コロナに翻弄された甲子園』(双葉社)と原田前監督の著書『「情熱」の教え方』(日本実業出版社)の取材で、京都府伏見区にある平安ボールパークで原田監督に、10時間以上お話しをうかがったのだが、今の選手の指導法について質問した際、

「監督が部員に手を上げることは、今の時代はもってのほかです。理由はどうであれ、選手に手を上げた時点で、その指導者は言葉による己の説明能力不足を認めなくてはいけません」とお話しされていたからだ。

自ら手を上げたことで責任をとった形となったが、あらためて「今の時代は、行き過ぎた熱血指導は体罰となり、暴力と認定されてしまう」ことを実感した指導者は、高校野球にとどまらず、多くの学生スポーツの指導者が痛感したに違いない。

同時に、「今の高校生たちを教える難しさ」について、あらゆる角度からお話しをうかがっていたので、その一部をここで紹介する。

「親に対する感謝の気持ちが足りない子は獲らない」

原田が有望な中学生を獲得するとき、「親に対する感謝の気持ちが足りない子は獲らない」と決めていた。

「以前、平安への進学を希望してくる中学生で実際にいたのが、『自分の親の誕生日を知らない子』でした。プライバシーの問題があるので、本当はいけないのですが、私はあえて、『親の誕生日を知っているか?』と聞くと、『知りません』と言うんです」

それを聞いた原田が、その中学生とこんなやりとりを続けた。

「毎年自分の誕生日になると、親から『おめでとう』って言われないか? 誕生日プレゼントだってもらえるんのちゃうんか?」

「言ってもらえますし、プレゼントももらいます」

「それならお父さんお母さんの誕生日に『おめでとう』くらい言わんのか? その後、『いつもありがとう』くらい言わんのか?」

原田がこう言うと、中学生は黙ってしまったという。

「考えてみてください。自分が親になったときに、わが子が自分の誕生日を知らなかったら悲しくないでしょうか? そうした当たり前の教育が家庭でできていない、親に対して感謝の気持ちが欠けているような子は、どんなに野球がうまくても獲りません」それに、と原田は続けた。

「今の高校生は、他人への関心が薄いんです。合宿所に戻って食事や風呂を済ませてから消灯までの間は、部屋でスマートフォンをいじってばかり。部員同士で話をしない姿を見るにつけ、『もっとコミュニケーションを深めて野球談議をすれば、チームはさらに強くなるんじゃないのかな』というもどかしさもあるんです」

原田は、「他人への関心が薄れてしまった結果、『相手の動きや心理を読む力』、すなわち野球に必要な洞察力が育っていきにくいと考えていた。

昔は子どもたちの遊びのなかから洞察力を育ませることができた。たとえば缶蹴り。オニは「アイツだったらあそこに隠れているだろうな」と隠れている場所を予測しながら見回るが、このときに必要なのが洞察力を働かせることである。逃げている側も知恵を働かせて、1人がオニをおびき寄せて、もう1人がその間に缶を蹴り飛ばしてゲームをリセットするのだが、それをさせないようにあえてオニがおびき寄せることもある。

ドッジボールも洞察力を磨くには効果的だ。視線の先の相手にボールを投げるのではなく、視線の反対側にいる相手にボールを投げることもある。相手がどこに投げようとしているのか、察知しながらコート上でプレーする、といったように、投げる、捕る、逃げる以外の要素も大切になってくる。

「投げる、打つ、捕る、走るといった野球の技術だけでなく、洞察力を磨く時間も、練習のなかでどう取り入れていくか、常日頃から考えながらやってきました」と原田は話していた。

「叱ること」は「止めてはいけない」

一方で部員を叱ることについては、「止めてはいけない」としたうえで、その真意をこう話していた。

「今は叱ることもせずに伸び伸びと育てることをよしとした風潮がありますが、私はそれは違うんじゃないかと思っています。やっていいことと悪いことの分別がつけられずに、社会人になってしまったとき、恥をかいたり呆れられるのは他ならぬ本人です。『教えられてこなかったから知りませんでした』というのは、社会に出てからは通用しません」

2015年春のセンバツではこんなことがあった。初戦の浦和学院との試合を迎えた朝、レギュラーを含む4人が朝寝坊をしてきた。原田は4人を呼んで叱った。
叱っているときに反省の表情を浮かべていたが、レギュラー選手は当日の試合のスタメンから外した。原田が寝坊した選手の顔を見ると、真っ青になっていた。

「レギュラーの部員は、私に叱られても心のどこかで『試合には出られるだろう』と高をくくっていたと思います。けれどもそれでは当の本人が『寝坊は悪いことだった』と心の底から反省しないでしょうし、次また同じことを繰り返してしまうんじゃないかと懸念していた。だからこそあえて『ダメなものはダメ』と厳しい措置をとったのです」

平安は前年、浦和学院は一昨年のセンバツでいずれも優勝していた。それだけに注目の一戦とされていたのだが、延長11回に浦和学院が2点を取って0対2で平安は敗れた。

「この子が将来、社会人となったときに、大事な取引が朝一番の時間となったとき、寝坊してしまったら許されるでしょうか? 『大事な仕事を任せることができない』と上司から判断され、大きな仕事から外されることがあってもおかしくありません。

私自身、日本新薬で営業を任されていたときも、「時間を守る」ことの大切さを感じながら業務にあたっていましたし、先輩方からもそう指導されていました。
野球だってそうです。『甲子園の初戦の朝』は、社会人における大事な商談の朝と同等か、それ以上に大切だととらえるのが普通です。

私は叱るだけにとどまらず、『試合に出場させない』というペナルティーを与えましたが、そのことに対して後悔はありませんでした」原田は当時の心境について、こう回想した。

あのときは、本気で叱ることができなかった

厳しいとされる原田の指導のなかで、どうしても部員たちを本気で叱ることができなかったときがあった。5年前の新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、夏の甲子園大会の中止が決定された時期だった。

彼らは京都大会で負けたわけでも、不祥事を起こしたわけでもない。毎日コツコツと練習をしていたにもかかわらず、得体のしれないウイルスの前に、無情にも甲子園を諦めざるを得なかった。

最後の夏に懸けていた3年生の一部の選手や、寮生活を送っていた部員のなかには生活リズムが乱れ、野球と真剣に向き合えていない者がいた。それでも原田は、彼らを本気で叱ることができなかったと話す。

「私の指導者人生のなかで、疫病で野球ができなくなるなんて、一度も考えたことがありませんでした。当たり前の日常が、当たり前でなくなる無情さをこのとき初めて体験したのです。

目標がなくなってしまった部員たちに対して、『一生懸命やりなさい』というのは残酷すぎるんじゃないのか、そう考えたのです」

この年の6月8日に、京都府独自の大会が開催されることが決まった。練習時間は「原則2時間」というガイドラインが設けられ、制約が多いなかでの代替大会だった。原田は「この大会だけは3年生全員で戦う」と決めていた。公式戦はもちろんのこと、練習試合さえできずにいた。3年生にはせめてもの有終の美を飾ってもらいたく、3年生全員で優勝を勝ち取りに行った。その結果、4試合すべて完封勝利を飾り、Aブロックの1位をつかみ取った。

原田はこのとき、「目標がないなかで、努力し続けなければならない難しさ」を学んだ。このことを解決する方法は、「別の目標を作って必死に向き合って成果を上げること」でしか事態は打開できないのではないか――。そう考えていた。

「ノートにメモする習慣」を大事にしていた理由

今回の問題の発端となったノートについては、原田自身が日々のルーティーンとして大切に考えていた。

もともと原田がノートをつけるきっかけになったのが、洛陽で高校野球をやっていた父のアドバイスによるものだった。原田自身、ノートに書き始めたときには、「面倒だな」と思うこともあったそうだが、時間が経ってから読み返すと、そのとき考えのおもむくままにツラツラ書いたことが自分のためになったことを知って以降は、ノートに書くのが楽しくなったという。

野球は失敗の確率の高いスポーツだ。3割打てば優秀と言われている裏には、7割の失敗がある。つまり、失敗をする確率を少しでも下げるためにも、日々の練習で感じたことや、試合で起きた出来事について、ノートにまとめておくというわけだ。

たとえば相手投手の配球について、「1打席目はストレート中心だった。2打席目は変化球ばかり放ってきた。3打席目、4打席目は、投手が交代し続けたために、配球の傾向が読めなかった」

と事細かに書いておく。すると、次に同じ相手と当たったときに、どう打席内で対処していけばいいのか、対処できない場合はどういう打開策を講じていくべきかなど、具体的にイメージしながら考えていけるというのだ。

また原田が見る限り、同じ失敗を繰り返す選手というのは、その場で反省しているつもりでも、時間が経つと忘れてしまっていることが多い。その理由を紐解いていくと、そうした選手には、「ノートにメモする」習慣がないことに気がついたというのだ。

今回原田が指導した部員も、ノートにメモをする習慣が身についていなかったことで注意し、指摘したのだろうが、熱くなり行き過ぎた行為が結果、体罰に発展してしまったのだと想像する。

令和の今は、指導する側が厳しく指導することができない。メジャーで活躍したイチローがスポーツ紙に、「選手がより自身を律することが求められる」というコメントを残していたが、全員が全員、自分に厳しく律することはできない。どこかで妥協は生まれるし、誰もが大谷翔平のように自らを追い込んで日々の練習に取り組めるわけではない。

低迷にあえいだ平安を再建し、名門復活を成し遂げたのは原田の手腕によるところが大きいのは事実だが、原田ほどキャリアを持った指導者であっても、部員に手を上げようなことがあれば、そこで一発退場となってしまう。

指導者にとっては難しい時代であることは間違いないが、自分を律することは指導する側にもいっそう強く求められるはずだ。

最後に1つ。龍谷大平安にこれから入学してくる新入生たちの多くは、原田監督の指導を仰げるのを期待していて、心待ちにしていたはずだ。彼らが野球部に入部しても目標を見失わないように、周りの大人たちはサポートしていってほしいと、心から願っている。

⚾岩手さんへ
そうですか・・・鎮圧と鎮火の違いがこの前まで分からなかったですが、早く鎮火すればいいですね。

実は、昨日喫茶店巡りで魚住に行った折に、行きはJR帰りは山陽で明石駅前を通りましたが、今日の昼頃に明石駅前銀座商店街のプラモデル屋から火災発生とゴゴスマで見ました!!

数年前にその向い側(西側)の明石焼き屋で火事があり、建物全焼し、今は再建して営業もしてますが・・・・・魚の棚市場を隔てて東西で火事となりました。。。

近江の小森コーチはたしかに2001年の準優勝メンバー主将でキャッチャーでしたね。結構、大柄な人だったような気がします。
あの時はものすごく、くじ運に恵まれて1回戦不戦勝でなんと・・・近江・盛岡大付・八頭・塚原星雲から8強と言う考えられない強運で。

ここを抜け出して、光星学院とぶつかりワンサイド負け覚悟もまさかの打撃戦で8-6だったか?逃げ切りネット裏で観戦して試合終了後に感動して号泣しましたね。
準決勝・決勝は当時服屋の商品センターでパートしていたので観てませんが、まさかの準優勝。

その2年後の剛腕・小原投手を擁した時も同等以上の強さはありましたが、春8強・夏1勝どまりでした。

あと、原田監督はおそらく有期の謹慎処分を受けるだろうし、それが解禁しても平安が好きなんで母校のライバルチームに行くことは考えられないし、野球界を引退されると察します。
数年後に春夏の甲子園解説席に戻ってこられたら良いのですが。

市和歌山は古豪だし、昔からいろんなパイプがあるんでしょうね。県内の県立高校には野球部専用バスが多数あり、紀三井寺球場ネット裏後方やや1塁側のスペースに駐車してますが、市立高校ゆえに専用バスがない模様ですが・・・。

市和歌山は甲子園直近5大会連続初戦突破中だし、横浜は直近センバツ5大会で4度初戦敗退しているらしいので、大金星を挙げられるか???
あの鍛治舎監督率いる県岐阜商に1-0サヨナラ勝ち 並びに 佐々木監督の息子さんがいた花巻東に5-4で競り勝つなど地味に結果を残しつつ、、、大阪桐蔭に0-17 神村学園に1-11での大敗の記憶が強いので・・・・・。

今年の横浜はそんなに得点能力が高くなさそうなんで最悪5点以内に抑えられるかと予想してます。
2025/03/12(水) 22時12分08秒 No.1647 編集 削除